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2021年06月16日
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マザー・テレサ(アグネス・ゴンジャ・ボヤジウ)の家族ボヤジウー家は、スコピエの中心地にあるポプ・コチナ通り14番地に住んでいた。
マザー・テレサの父親ニコラ・ボヤジウ、尊敬された商人であり企業家でした。彼はスコピエの社会政治活動に積極的で、街の行政活動にも関わり、市民の大きな尊敬を集めていた。

彼の息子ラザールによれば、父親のニコラは厳しいけれども公正な人物で、子供たちには誰に対しても経緯と品位をもって接することを求めたという。
ニコラは1918年~19年ある出張から帰宅後、不意に帰らぬ人となりました。そしてボヤジウー家の苦しい時代が始まりました。
母親のドラナ(Drana)・ボヤジウは、コソヴォ近辺のノヴォ・セロで生まれた。彼女の家は貴金属にかかわる豊かな家系でした。ドラナは20歳ごろニコラ・ボヤジウと結婚し、三人の子供をもうけました。
長女のアガ、長男のラザールと次女ゴンジャ。


ラザールによると、ドラナは朝から晩まで子供たちのために働き、夫ニコラがなくなったのちは、母親としてだけでなく、父親の役割まで引き継ぎ、一人で子供たちの世話をし続けました。
ドラナは大変信心深く、夫がなくなったのちにも貧しい人々を思いやり、援助をし続けました。
彼女は1972年6月12日。アルバニアのティラナでなくなりました。


ボヤジウ一家の中で一番年上は1903年生まれの長女アガでした。彼女は父親との絆が強く、しばしば彼の仕事を手伝いました。父が亡くなってからは長女として母親を手伝い、弟と妹の養育に責任をもってあたりました。
1928年妹のゴンジャがスコピエから出ていったのちは、アガは母親と二人スコピエに住んでいました。
1932年彼女は弟ラザールの住むアルバニアのティラナに移り住みました。
そしてその2年後には母親も二人の子供たちのもとへと移り住みました。
アガはスコピエで経済を勉強しましたが、最初ティラナではセルビア語・クロアチア語とアルバイア語の通訳として働き、その後、ティラナ・ラジオ局のキャスターを勤めました。
彼女は母親と暮らし、結婚して自分の家族を持つことはありませんでした。そして1973年にティラナでなくなりました。
マザーの兄ラザールは1908年スコピエで生まれました、オーストラリアのグラッツで陸軍士官学校を終えたのち、ゾグ王の率いるアルバニア軍の軍隊に入りました。
アルバニアには第二次大戦の始まる前にイタリアに占領され、ゾグ王は降伏し、ラザールはイタリアに移り、マリヤ・サングヴィニというイタリア人女性と結婚しました。彼は娘に姉と同じアガという名前をつけました。

写真はマザーの兄ラザール、ゴンジャ、母ドラナ、姉アガ
3人の画像のようです

ヤンブレコヴィッチ神父はゴンジェが生まれた街を離れ、自分の人生を神に捧げる決心をするのに重要な役割を果たしました。
教会では聖書を学ぶ授業のときに、世界中のミッショナリーからの手紙が読まれましたが、そのようなミッショナリーの一部になりたいというゴンジェの願いを大きくする一因になりました。

ゴンジャが成人となる数か月前、ロレト・カトリック修道院から彼女を受け入れるという手紙が送られてきました。このニュースはヤンブレコヴィッチ神父によって伝えられました。



兄ラザールが語るところでは、母親は大変心重く、娘が去っていくニュースを受け入れたという。
ドラナは彼女の娘が神の道にしたがって生きる固く心に決していていることを知っていました。
母親はゴンジャの決心を受け入れ祝福しました。


ゴンジャが出発する前日、一家の前には家族の友達や親せきが集まり、彼女の旅立ちの無事を願いました。

そこで大勢の人に見送られて出発しました。
列車はスコピエからザグレヴで一人の若いスロベニア人女性と同行し、二人でアイルランドのダブリンへ向かいました。
写真はスコピエの「イエスのみ心教会」の前でキリスト教女性会の人達、1924年、ゴンジャ・アグネス・ボヤジウのスコピエにおける最後の写真、出発の前日に撮影(1928年9月25日)
惜別
わたしは大好きな家を去っていく
そして愛する国を。
わたしは行く 蒸し暑いベンガルへ
遠い岸辺へ。
わたしは去っていく 昔の友だちから
家族と家庭を顧みず
心は私を前進させる
キリストに仕えるために。
大好きなママ、さようなら
神がみんなと共にありますように。
より高い力が私を引っ張っています、
灼熱のインドへ。
船はゆっくりと先へ進む
大海原の波を砕いて、
わたしの目は見つめる、最後に、
大好きなヨーロッパの岸辺を。
勇気をもってデッキに立つ
わたしの顔には喜びと平和、
キリストの幸せな小さき者よ、
彼の新しい花嫁になろうとして。
彼女の手には鉄の十字架
救い主はそこに架かっておられる。
彼女の熱い魂は
そこにつらい犠牲をささげる。
「おお神よ、このいけにえをお受けください
わたしの愛のしるしとして。
あなたの被造物をどうぞどうぞお助けください
あなたのみ名の栄光のために」
その代わりにただ一つのことを願います。
わたしたちすべての者の優しい御父よ、
わたしに少なくとも一人の魂を救わせてください。
あなたがすでにご存じの方の魂を。」
夏の美しく清純な朝露のように
彼女の温かい涙が静かに流れ始め、
彼女の苦しい、いけにえを聖なるものとして
今、ここに封印をするのです。





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最終更新日  2021年06月16日 07時27分13秒
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