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2022年04月10日
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カテゴリ: 鈴木藤三郎
静岡県報徳の師父 4 「駿河みやげ」の尾羽修斉社 と 「報徳の精神」
明治40年1月23日発行の斯民第1編第10号に「駿河みやげ」(国府犀東著)が載る。床次竹二郎ら内務官僚と鈴木藤三郎氏らが尾羽修斉社の視察記録があり、当時の報徳運動とその影響を知ることができる。
◎庵原郡庵原村は駿河東報徳社の管下にあって、報徳社の著名なるものが二つある。杉山報徳社と尾羽修斉社である。この日報徳社に行くには、里程が少し遠いため、半日で往復することは難しいので、まず尾羽修斉社に立ち寄って、それから二社の本社であう東報徳社を訪問する予定を立てた。
◎尾羽の戸数は36戸で、牧田氏の所有地が大部分を占める。住民は多くがその小作人である。現戸主の祖父、牧田包栄氏の時、洪水に引き続いて、天保の大飢饉があり、家道は衰えた。包栄は家の興復、村の興復を図るため、尊徳翁の門弟の柴田順作翁に相談して、報徳社を作った。尾羽修斉社の発端である。当時一家一村のために仕法を立て、盛んにそれを行っていた頃、遠州から安居院義道氏が、たまたまこの村に巡回した折、牧田氏宅で柴田翁と面会した。安居院氏は同席の包栄氏に向かって、『家の宝はいうまでもなく、家財道具一切を売り払って、推譲した後でなければ、興復の望みはない』と語った。村の全部を挙げて皆、報徳社員で、生計に苦しむ者はない。近隣の信用も極めて厚く、日用品を始め、肥料などでも、江尻町で調達するのが常だけれど、江尻の商人は、尾羽の人と聞けば、子どもを使いにやっても、すぐ信用し掛売りし、取引をするとの事だ。肥料代など50円に上っても、怪しむ色なくすぐこれを手渡す。これは尾羽の人が、借用を恥辱に思い、やむを得ず借りても、必ず期限の前に返済することから、このように信用されている。

☆ここにマックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で指摘する「信用のできる正直な人という理想」がある。内村鑑三は、「予が見たる二宮尊徳翁」において「真正の経済は道徳の基盤に立たなければならないということを、先生はその事業生涯で証明した」と語り「先生の報徳説が行われるところは、必ずまず道徳的な大変化、大復興が起こらねばならない」とした。その実例がここにある。

◎尾羽の住民は、星が移り物が変わっても、波に動かない岩石に似ている。登記所を開設して以来、土地の異動は極めてまれで、登記を行うのは相続などの時だけに限って、土地の売買など、いまだかつてない。
◎安政年間より、社員の間に『助け合い』がある。植付けや刈入れの時、病人などで手の回らない家があれば、社員総出でその労をとる。植付け時、尾羽の田は一斉に植付けが終り、一人も後れを取ることはない。
◎牧田家の座敷の扁額は、故品川子爵の遺墨がある、『衛君、蒲野に一老父が息をあえぎ松の苗を多く栽えるを見る。衛君は問う、老父よ、なんじはどうして松の苗を栽えるのか。答えるに、将来家の棟の梁(はり)とするためです。衛君曰く、老父よ、年は幾つか。曰く、八十有五、衛君笑って曰く、松の材を盛んにしても、老父よ、これを用いることができようか。曰く、木を植えるのは、その役立つのに百年の後にまつものです。君は必ずこれをこの世に用いようとされるのか?ああ君の言は、どうして国をたもつ者にふさわしいといえましょう。私は老人ですが、死んでも子孫のための計を行わないでいられましょうか。衛君は大いに恥じて、謝して曰く、私は過っていた。あなたを師としよう。そこでいたわるのに酒食を以てすると。詩に曰く、貽厥孫諒以燕翼子。老父に於てこれ有り。明治31年10月23日、念仏庵主筆』。

☆鈴木藤三郎の「報徳の精神」は「人は生まれながら既に大変な恩を受けている。先人の遺徳に報いるのが人の道である。既に受けている恩に報いることを生涯勤め、後人に良いものを遺す。これが報徳である。」

◎静岡県報徳社事蹟と応急規定その他の帳簿を見る。午前の私たちの一行は8人、西个谷氏の饗をうける。
◎西个谷氏が杉山区と庵原全体について語るに『杉山に農業補修学校があります。明治8年11月の設立で、夜学校も設置します。日本に実業補習学校があるは、これを最初とします。杉山村の今日があるのは、全く片平信明翁の力によるもので、報徳教の効果が最も顕著なのは、この地でありましょう。』(略)





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最終更新日  2022年04月10日 12時58分04秒


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