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2022年07月23日
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2022年7月23日(土)

報徳記巻の2

現代語訳「報徳記」巻の2


Ⅲ ビジョン編―報徳は精神変革である―

3 「故内山稔先生の述懐と戦後反省」
『二宮尊徳の政道論序説』岡田博著の「故内山稔先生の述懐と戦後反省」は、聞く者の姿勢を正さしめる。「二宮尊徳の何処にも、第二次大戦を正義の戦争として無条件に賛美して協力する根拠はないのに、どうして報徳の中の誰一人、この道の行方何処と批判できなかったのか。これは明治以後の報徳が二宮尊徳先生の真の教えと受け継いできたものの中に、何かが欠けていたからです」(序説p.262)。
『序説』の「自序にかえて」によると、これは内山氏がドイツの大学へ留学するに当って、山田孝雄先生から送られた言葉である。「戦前・戦中の報徳が、太平洋戦争敗戦に至るまでの過程に、国家の進路と行為に追従・協力して終った。国家の犯す誤りに対して、なんらの批判も行動もなかったのは尊徳思想の本質なのであろうか⑴、それとも明治以降の報徳が尊徳を読み誤っていたのか。君はドイツの学問の手法をしっかり身につけてきて、国家に有用な尊徳研究をしたまえ」と励まされたという。(序説p.20)
この問題提起に内山氏は「明治以後の報徳が二宮尊徳先生の真の教えと受け継いできたものの中に、何かが欠けていた」とされる。岡田氏が『政道論序説』と題されたのも、内山氏が五九歳という若さで亡くなられ、その志を受け継ごうというものである⑶。
この問題意識は佐々井典比古氏にもあったように思われる。『尊徳の裾野』、『尊徳の森』において、尊徳の政道批判ないし意見が多く採録されている。

「尊徳大いに怒る」は、相馬藩が暴風雨の際に城下を守るため、宇多川の堰を切らせ、和田村の田畑が被災した。藩当局は僅かなお救い米を出し「万人の愁いを引き受けるのが陰徳で人倫」とある文面の是非を尊徳に問う。尊徳は、洪水は天災だ。天災なら上下共々受けるべきと批判した。尊徳はそれと共に洪水対策を教える。相馬藩は河を浚い堰を補修し抜本的改修を行った。尊徳は批判するだけではなく、対策を立て実践させる(裾野p.213)。
「国の病に灸すえて」は、茂木藩当局あて、米の抜売りを企てた者に対する激しい意見書が載る。最後に「民の父母国の病に灸すえて泣くともままよ命長かれ」という歌と「少正卯(しょうせいぼう)を誅し、国政を与り聞くこと三月、魯国大いに治まる」を載せる。これは孔子が魯の宰相補佐を務めた時、国政を乱していた大夫の少正卯を処刑し、魯国は道義あふれる国になった話である(森p.437)。
 尊徳は政治について口を開いた。それは相手に自らの言葉を受け止める信頼関係がある場合に限って厳しい政道批判となった。しかもそれは常に抜本的対策の提案を伴っていた。
 内山稔氏は、『尊徳の実践経済倫理』の「序にかえて」において、尊徳は「言葉の本来の意味において彼こそまさに『経済人』、『経世済民』の闘士であった」「尊徳は『分度』と『推譲』をもって経世済民の二大柱石と考えていた。分度とはすなわち合理的な計画経済であり、推譲とは人のため、世のために恵みを施すことである」「そして、尊徳は『心田の開発』こそ経済事業の成否を決するかなめであると確信していた。」(同書p.9)そして「報徳仕法」の本質的特色は「一貫して『人間の道徳的教化、救済』であった」とされる(同書p.39)。
報徳は精神変革の思想にほかならない⑵。
⑴ 鈴木藤三郎の「開国以来の施政」批判について
報徳社徒の国家批判が戦前全くなかった訳ではない。鈴木藤三郎は「我が国は開国以来施政の根本を誤っている」と、軍人優遇の政府の施政を批判している。「国力増進の根本策」(鈴木藤三郎氏顕彰第三集『日本近代製糖業の父鈴木藤三郎』p.90)において、藤三郎は日本の進むべき道は産業立国とし、「我が国は開国以来施政の根本を誤っている」と、軍人優遇の政府の施政を批判し、企業家こそ優遇すべきと、イギリスのビクトリア女王の施政を例に挙げて所論を述べている。しかし、明治以降の「報徳社徒」で、藤三郎のように国の犯す誤りに対して批判と具体的提言を行った事例は稀である。
本会では、鈴木藤三郎は二宮尊徳の考えの正統な後継者であると、二宮尊徳→遠州七人衆→鈴木藤三郎という系譜を『二宮尊徳と日本近代産業の先駆者鈴木藤三郎』において示した。そして藤三郎が「二宮尊徳全書」を日光市の報徳二宮神社に奉納したときの「願文」(裏表紙)こそ、現代・未来のへのメッセージであると考える。
「国力増進の根本策」にいう。「国家経済の発達を期せんと欲せば、実業界を誘引奨励するを要す。これまでにおける政府の実業界奨励策は、甚だ浅薄にしてかつ拙劣なるものなり。例えば奨励補助金を与えるがごとし、元よりその補助金といえども時と場合により、またその事実により、これを与えるの要あるも、多くはかえって不正の徒を益し、あるいは国民に政府依頼心を増長せしむるに過ぎざるものなり」と補助金行政を批判する。
「いかにして実業界の発達を奨励するか」「実業家の待遇を改めるにあり。我が国は開国以来施政の根本を誤れり」と政府の軍人、政治家優遇を批判する。また「飲料水の創設者こそ大都会の創設者」と独創的見解を述べる。国家の待遇を軍人、官僚に与えるから、国民は軍人を羨望し、実業界に人材が乏しくなる。「日露戦争の結果は軍人崇拝の風をまし、尚武偏重は国運を危うくする。国家は実業家を優待すべき」で「天下の人心をこれに向かわせ、実業界に人物を養成すること」が国家経済の発達を期し国富を強大にすると論じたのである。
⑵ 内村鑑三は「予が見たる二宮尊徳翁」で言う。 

 そもそも現今経済を論ずるものは大抵倫理道徳と関係もなきものと為すもののごとし。倫理と経済と分離して何の関係なきものなるや否やは至難の問題に属すといえども恐らく倫理道徳の要素なしに経済の成立すべきはずなからん。(略)現今英米の学者輩、経済学をもって単に利欲の学問とせり。・・・・・かくのごときは果たして真正の経済学なるべきか。先生はしからず。道徳は原因にして経済は結果なりと断じたり。至誠勤勉正直にして初めて経済の成立するものなりとせり。かくのごとき高尚なる経済論はたとえ英のオックスフォード大学に行くも決して聴くことを得ず。勤倹貯蓄のみが先生の報徳なりとなすものあらば先生を誣ゆるもまた甚だしからずや。もしかくのごとき人あらば予は先生に代わりていわん。諸君は誤れり。諸君まず善人となるべし、至誠の人となるべし。予の根本とするところは道徳なるがゆえに諸君もまずこれを心がけざるべからずと。ゆえに先生の報徳説盛んに行わるるところには必ずまず道徳的大変化大復興起こらざるべからず。もししからずしてただ勤倹貯蓄経済上の変化のみならばいささかこれをあやしまざるを得ず。」

⑶ 『二宮尊徳の政道論提議』岡田博著
岡田博氏の『二宮尊徳の政道論提議』の概要を資料編の読書会記録に収録した。二〇一四年九月一五日付で岡田氏から編者が頂いた手紙には「平成一四年(二〇〇二)五月号から報徳誌『かいびゃく』連載にと書き出したものを、同誌の閉刊でたまっていたのを、キリスト教無教会派牧師橋本左内師が、二〇一二年(平成二十四年)一月号から『福音用報』誌へ載せて下さいました」とある。雑誌に連載されたもので、現在公刊されていないが、後から来たる者への貴重な遺言というべきであろう。本集にその一部を収録できることを感謝する。
山田孝雄先生が内山稔先生へ「明治以降の報徳が尊徳を読み誤っていないか」という提議を受け、内山先生は「原典批判」の手法で、二宮尊徳の本来の教えを解読する最中、亡くなられた。岡田氏は内山先生の遺志を受け継ぎ、『二宮尊徳の政道論提議』を著された。
「明治十三年十月の相馬充胤子爵からの『報徳記』と『報徳論』の上納願いが却下、差し戻しになり、昭和初年の佐々井信太郎先生による『二宮尊徳全集』第三十六巻に収録されるまで、その存在すら知られずに来た。それだけでなく、それから八十年近く『報徳論』に拠って二宮尊徳の政治論・経済論を書いた一篇もない。なぜそうなったかを『報徳論』を写しながら、明治以降の日本の政治・経済・思想の「発展史」を思い起こした。そうして『報徳記』と『二宮翁夜話』とによって形成された「日本人の鑑・二宮尊徳」と『報徳論』が述べる「理想国家論」との隔絶という以上に、明治政府の施政方向は、二宮尊徳の提唱する政治論・経済論・国家論の逆方向へと進行されて、この書が不可・亡国の道と想定した方向へ進められたのである。(略) 明治十三年(一八八〇)から一三〇年、さまざまの体験をした祖国日本の現実は、経済発展興隆を追っての一路が、いま国家経済破綻を寸前にしながら、国民は「今の今」の豊かさの中に酔っている。それゆえ、まさに尊徳先生の政道論は不要ではない。  (二〇一〇・一〇・一五了)」(二宮尊徳の政道論提議一〇)



「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー
全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)

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第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください

花、自然の画像のようです
今朝も蓮の花の咲く池のほとりでスロースクワット。
大きい虻が蓮の花の蜜を求めて飛び回る。
ボランティアの方が倉庫を開けて器具の整備。
まもなく蓮華の季節も終る。

呼吸筋のストレッチ。見上げるとあおぞら。暑くなりそう。

炎帝戦第四位東国原さん 羽蟻わく 今宵ロマンス 詐欺メール

昨日の宵、KDDI料金未納の詐欺メールが来ていた。まったくᕙ(⇀‸↼‶)ᕗ





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最終更新日  2022年07月23日 10時40分01秒


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