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2018.10.18
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カテゴリ: プロレス・格闘技



兄ドリー・ファンク・ジュニアと
弟テリー・ファンクのザ・ファンクスは
1970年代から1980年代にかけて日本プロレス、
全日本プロレスで活躍した兄弟チームである。

かつての日本のプロレス界では、
外人レスラーはヒールというのが定番の図式だったが、
ファンクスは全日本プロレスに参戦していた
1970年代中盤からベビーフェイス的な役回りとなり、
日本人レスラー側に立つ事も多くなった。


ザ・シークとアブドーラ・ザ・ブッチャーで、
両者の対決は全日本プロレスの目玉カードになっていった。

この対決が一躍大人気を得たのは
1977年の世界オープンタッグ選手権の最終戦。

ブッチャー組がフォークを持ち出して
ファンクスを血まみれにする猛攻、
ブッチャーとシークが二人がかりで
ドリーを痛めつけているところに
テリーが救出に入るシーンはファンの感動を呼び、
日本プロレス史に残る名場面となった。

日本では若い女性を中心に大変な人気を得ており、

全日本のリングサイドにはチアガールまで登場した。

1981年に世界4大タイトルのひとつ
インターナショナル王座の復活争奪戦にて
新王者は馬場でも鶴田でもなくドリーであり、
初防衛戦の相手は弟テリーであった。


新世代に押されるようになり、
1982年の世界最強タッグ決定リーグ戦では、
ハンセン&ブロディに叩きのめされて反則勝ち。

乱闘を止めに入ったセコンドに対しても
ウエスタン・ラリアットの洗礼を浴びせるなど
大暴れして悠然と引き上げたミラクルパワーコンビに対し、
ファンクスは2人ともグロッキー状態という
屈辱的なシーンも見られた。

この衰退の一因にテリーの膝の故障があり、
それを理由にテリーは1983年の引退を宣言。

1983年8月31日に行われたテリー引退試合は
ファンクス人気の集大成となった感動的な興行となった。

2009年には揃ってWWE殿堂に迎えられている。


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Last updated  2018.10.18 20:00:18
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