PR
Keyword Search
Calendar
Comments
Freepage List
12月8日午前0時頃、急激な胸の痛み(呼吸が出来ない感じ)=発作(ほっさ)を起こし、
細君に 「救急車を呼べ!!」
と叫んだきり、雷親父の記憶は途絶える。
救急車が到着すると、「苦しい、痛い」と言いながら、救急車で救急病院へ搬送される。
救急病院では、「対応不可能」との判断がなされ急遽、市立病院へ搬送される。
市立病院では、カテーテル(血管に入れる管の事)造影剤による検査や、MRIが緊急で行われた。カテーテルを挿入する際、衣類を脱がすのが邪魔であったが、
私が「破って構わない」と、言った
事で、トレーナーから手術着へ
迅速に着替えた。・・・らしい。
検査の結果、カテーテルによるバルーン手術では、危険との判断。
県内有数の「心臓外科手術」のできる病院からの搬送を待つ事になる。
検査の終わった私は 、
「まだ救急車が来ないのか!」と催促した
・・・
らしい。
市立病院へ搬送される際も、外科手術する病院へ搬送される際も、同乗した医師に
「以前から、発作があったのか?」「服用している薬はあるのか?」等と聞かれたが、
全て、私本人が受け答えていた
。。らしい。
入院した病院(外科手術する病院)に到着すると、緊急手術の準備。
手術室に入る私に細君は 「パパ頑張ってね」
と声をかけた。
私は、「まな板の上の鯉だから、先生(医師)にお任せだ」と言って
、
手術室に入った。・・・らしい。
私は、急遽、心臓バイパス手術を受ける事になった。
病名は、急性心筋梗塞。
内胸動脈2本をバイパスで使う予定だったらしい。
が、1本取った所で、心臓が止まりかけたらしい。
電気ショックを与える前に、「自ら再度動き始めた」らしいが。。。
執刀医の判断で、左腕の動脈を使う事となった。
バイパス手術は成功し、集中治療室(ICU)に運ばれた。
【ココまでが、後から聞いた話】
気がつくと、集中治療室だった。
自分が、何処にいるのか、何故寝てるのか、さっぱり分からない。
何せ、細君に「救急車を呼べ!!」と叫んだきり、上記の記憶が抜け落ちているからだ。全身麻酔が薄れるにつれ、自分の五体を確認していた。
実際に見る事は出来ない。指の1本1本を動かし、確かめるので精一杯だったからだ。
視線を移すと、12~13本のチューブや点滴が私の体に刺さっていた。
全く身動きが取れない状態。
口には、人工呼吸器がついていた。無論、会話なぞできない。意識が回復してくると、時間や場所、自分の状況が知りたくなってくる。
集中治療室に見舞いに来た細君に指文字で状況を確認したが、細君には不思議だったらしい。
「手術室に入るまで、あれだけ自分の事に対して的確に答えていたのに、何故聞いてくるのか?」
理由は、簡単「記憶が抜けている」からだ。
今から思えば、ラッキーの連続だった。
発作が起こってカテーテル検査をして、外科手術を行うまで、わずか7時間。高速道路を救急車で運ばれたわけだが、曜日・時間も合って渋滞も無く最速だった。
無理にカテーテル手術に拘らず、外科手術を判断した地元市立病院の医師の判断力。緊急にも関わらず、快く私を引き受け、手術をして下さったドクター達。
最近の医療事情では、本人(又は家族)の意思確認が無ければ、服を破く事も出来ない。
無論、本人(家族)の 承諾無しで、メスを入れる事など、出来ない。
記憶が無いとはいえ、片足を棺桶に入れた状態で、意思判断を答えられたのは奇跡に近い。
私本人の口が 、
としか。思えない。
それが、「 神
」なのか、「 仏
」なのか、家族の「 祈り
」なのか、「 奇跡
」なのかは、分からない。
今更、それが何であっても構わない。とにかく感謝、多謝である。
多くの方の力を借りて、私は生きている。