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2013.06.01
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カテゴリ: 美の巨人たち
1853年に、ファンゴッホはオランダ南部のフロート・ズンデルトに生まれます。
当初は美術商としてスタートしますが、挫折を経験して画家に転向します。
この挫折が相当苦いものだったのでしょうか。描き始めたころの作品はかなり暗い作風になっていました。
特に、「農婦の頭部」は当初もっと暗かったらしく、知人の指摘を受けて背景を明るくしたほどです。
1886年に、弟のテオ・ファン・ゴッホが住んでいたパリに移り住むことになります。
肖像画を描きたい、という願望があったのですが、いかんせんお金がないため、モデルにする人を雇うことはできませんでした。当初は花ばかりを描いていたのですが、ある時自分を描けばいいことに気が付き、以後自分の自画像ばかりを描くようになりました。
食べるために絵を相当描いていたそうですが、あまり売れることはありませんでした。作風の暗さが災いしたのでしょうか。
これではいけないと思ったのか、様々な作品から影響を求めようとします。印象派、遠近法、そして浮世絵。
浮世絵に影響を受けたのを物語っている一枚が展示されていました。

ル・タンブランというレストランの店主を務めるセガトーリの姿を描いているのですが、背景の右側に何やら服のようなものが描かれています。これは日本の着物であり、ゴッホがこのお店で日本にまつわるイベントを企画していた名残のものでもあるそうです。
こうして様々な修行をすることにより、作風の中に明るい光と力強さが生み出されるようになったのです。
ところが、パリでの生活に疲れと嫌気を覚えるようになり、1888年に南フランスのアルルに移住します。
このアルルでゴーギャンと共同生活を始めるのですが、わずか2か月で破綻してしまいます。
以後ゴッホは精神を病んでしまい、自らの耳をそぎ落とす、という事件を起こしてしまいます。
そして1890年。
野原で拳銃自殺を図り、37年という短い人生を終わらせてしまいます。
アルルに移住してわずか2年後の出来事です。





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最終更新日  2013.06.01 20:08:16
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