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Photo I ドラム隊がやって来た。 (2012/11/11 15:52) Photo J 国会前抗議エリア(の端っこ)のドラム隊。 (2012/11/11 15:55) 「霞が関1丁目」交叉点を左折し、さらに「外務省上」交叉点を右折して「国会前」交差点方向に向かっていると、後から見事なリズムで「ドラム隊」がやってくる。ドラム隊をやりすごしてその後をついて行く。何となく元気で軽快な足運びになる。「国会前」交差点を渡り、「国会前抗議エリア」に向かうのだが、すでに歩道はびっしりの人で、ドラム隊はずっと手前に陣取って定点演奏を始めた。 人混みの中を少しずつ前に進む。公園の鉄柵と道脇の植え込みの間を這うようにして進むが、photo Kの写真を撮ったあたりで身動きができなくなった。ほんのわずかの隙間から見ると、歩道の端(車道側)に人が歩けるくらいのスペースが確保されているのだった。Photo K ファミリリーエリアに人がびっしりと(国会前抗議エリアから)。 (2012/11/11 15:59) 歩行スペースに出させてもらって国会方向に歩き出す。本当にゆっくりだが「国会正門前」交叉点までは順調に進む。しかし、角を左折すると私と逆方向に歩く人が大勢いて大混雑になった。そこそこ強い雨が降っているものの傘を差して歩くのはきついので畳むことにした。さいわい、上下とも登山用ウェアなので多少の防水性はある。だが、手に持った「プログラム&MAP」はすっかり濡れてくちゃくちゃになってしまった。 国会前の直角三角形の公園の二辺の歩道は、人でびっしりである。「本部」がある「財務省上」交叉点から「国会前」交叉点までの一辺(歩道)は歩きやすい。もう1度「国会前」交差点に出て「ファミリーエリア」に向かう。 ファミリーエリアはゆったりと、などということはまったくなくて、やはり人はびっしりである。人の後をついて歩けば必ず動けなくなる。すぐに公園に入って憲政記念館のトイレを使わせてもらい、それから反対側、「憲政記念館前」交叉点の方から国会正門前に向かうことにした。 憲政記念館では雨を避けてベンチで休んでいる人が大勢いた。私と同年齢の人が多い。そういえば、抗議エリア歩道に頑として座り込んでいる人にそんなに若い人は多くないような気がする。 中には、雨の中を歩行器を押して抗議エリアに向かう高齢の女性もいた(我が家の108才の義母は、この歩行器を使ってかろうじて4、5メートルを歩く)。びっくりして、感動して、ずっと眺めていた(家に帰って、写真を取り忘れたことを妻になじられた)。 憲政記念館の所から公園を出て国会正門前に向かうが混雑はまったく同じで、ぞろぞろと人について歩いて行くとすぐに動けなくなる事情はまったく同じで、やはり、国会側の二辺の歩道は人で埋め尽くされている。 わずかに作られた歩行スペースを進む。このスペースでは、ちょっとで立ち止まると「立ち止まらないで下さい」とお巡りさんの注意が飛んでくる。このエリアでのお巡りさんの声掛けが際立って多い。ファミリーエリアなのでことさら安全に気を配っているのかもしれない。 交差点を渡るときも、「雨で濡れていますので、滑らないようにして下さい」と声を張りあげているお巡りさんがいる。「ありがとうっ」と女性の大きな声が応える。「石つぶてと警棒」の全共闘時代とは天国と地獄ほどの差である。 Photo L 国会前抗議エリア(ファミリーエリアから)。 (2012/11/11 16:27) ファミリーエリアを「国会前」交叉点に向かう頃には、少し雨脚が強くなってきた。雨天のせいか、薄暗くなるのも早いようだ。「立ち止まらない」と注意されながら急いで撮る写真はピンぼけばかり。 「外務省上」交叉点でまた「ドラム隊」に出会ったが、前のドラム隊とは違うようだ。ドラム隊の傍にいると、私のような年齢のものでも元気に浮き立つような感じなって楽しい。 「霞が関2丁目」交叉点まで戻る頃には完全に夕暮である。まだまだ大勢の人が交叉点を渡って国会前へ向かっている。信号が赤になると、歩道は人で溢れて通り抜けられない。交叉点を渡るわけでもないのに、赤信号を4回ほど待って、国会通りを日比谷公園方向に左折することができた。 Photo M 薄暗くなっても国会前、首相官邸前へ続く人波(国会通り)。 (2012/11/11 16:42) 私としては、もう帰り足である。心はとても元気になったが、体はへとへとである。人混みの中は山登りよりきつい。それでも、今日は珍しく人酔いはしなかった。 新幹線に乗って、地図を出して眺めていて、大失敗に気づいた。全エリアを歩いたつもりだったのに、「官邸前抗議エリア」が抜けていた。官邸に首相がいたかどうかは知らないが、肝心なエリアだったのに。霞が関界隈Map A~Mは写真撮影ポイント。地図のベースは、「プロアトラスSV4」、 歩行軌跡(往路のみ)は、「GARMIN GPSMAP60CSx」によるGPSトラックデータ(乱れはビルの影響)。
2012.11.11
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朝四時半、真っ暗な中でイオに起こされた。布団の中に入れろ、というのである。それで「ああ、今日は寒いのだな」とわかる。暖まると出て行く。体が冷えるとまた入ってくる。その回数で朝の最低気温の見当がつく。1回であれば8~12℃、2回だと5℃前後、3回以上だと氷点下である。今日は1回だけで、9℃という最低気温の予報は当たったようだ。 携帯で今日の天気予報を見ると10時頃までは陽が射すらしい。少し遠出をして、広瀬川河畔の紅葉を見に行くことにする。陽が射す時間狙いで、いつもより遅い6時過ぎに家を出る。 Point A 広瀬川堤防の道に咲き乱れる小菊。 (2012/11/14 7:20) 滅多に歩かない散歩道のせいか、道端の匂いの確認に夢中でイオはなかなか前に進まない。さくさくと散歩が進まないのだ。紅葉を見ること、写真を撮ること、などと散歩に散歩以外の目的を付与するとこんなことになる。道をはずれる自由のない散歩は散歩ではない、と思いながらも、まっすぐ目的地に歩くのである。 Point B 崖の上は愛宕神社。 (2012/11/14 7:00) 愛宕神社、大満寺の裏手の崖が見えるところまで、霊屋橋から広瀬川の左岸の河川敷公園を下っていく。広瀬川が川底を削って、その両岸または片岸が崖になっているのはこの辺までである。ここから上流に歩くことにする。 さっきまで日が照っていたのに、曇ってしまった。日が照らないとやはり紅葉はくすんでしまう。写真には写っていないが、左手の上流側の崖は3・11の地震で崩落が起きたところだ。高い崖の上には人家が並んでいて、緊急工事でコンクリートの吹きつけがされている。下部には流れで岸がえぐられないように石積みがされている。 その上流がPoint Cで、同じように上流左岸からの眺めである。 Point C 宮城県立工業高裏。 (2012/11/14 7:05) 県工裏の河川敷公園の中をさらに上流に歩くと霊屋橋が見えてくる。霊屋橋の東詰に紅葉する木々が見えるが、これは片平市民センターに隣接する片平公園の桜の木だ。 Point D 霊屋橋東詰付近。 (2012/11/14 7:08) いったん、右手(左岸)の米ヶ袋の住宅地の道に上がってから霊屋橋を渡る。霊屋橋の上流は左岸が崖になっていて、右岸の堤防上に歩道がある。 Point E 片平市民センターと高等裁判所の間。 (2012/11/14 7:17) Point Eは市民センターの上流で、かつて「源兵衛淵」と呼ばれた淵があったあたりに相当する。写真の左手上は仙台高等裁判所である。 右岸堤防の上の歩道を歩いて行くと、何種類かの小菊が咲き乱れている(Point A)。小菊、乱菊というのがいい。これが石垣に生える懸崖菊だったなおさらいい。 Point F 評定河原グランドの銀杏。 (2012/11/14 7:24) 堤防道から評定河原橋に上がって左岸に渡る。評定河原には野球場、テニスコート、陸上競技用グランドがあって、そのまわりには銀杏の木がたくさん植えられている。 Point G 伊達家の廟「瑞鳳殿」のある経ヶ峰。 (2012/11/14 7:28) 左岸の堤防道路を上流に進むと、対岸は伊達家3代の廟(瑞鳳殿)がある経ヶ峰である。写真の左に白く見える崖は「評定河原大露頭」とよばれ、チョウゲンボウの巣があることで有名だったが、最近はハヤブサが棲んでいるらしい(ある愛鳥家の話で、私はハヤブサをまだ見ていない)。 評定河原大露頭(右岸)、花壇自動車大学校(左岸)を過ぎると早坂淵で、堤防は途切れる。花壇住宅地の細い路地道を辿って銭形不動尊のあたりでふたたび堤防道路に出る。この堤防のない区間は、崖上に住宅があって、やはり3・11大地震で土台近くまで崩落が起きている。 Point H 広瀬川から望む仙台城趾の紅葉。 (2012/11/14 7:38) 仙台城趾も石垣の崩落などの被害がたくさん出た。写真左上の白い剥き出しの部分も崩落跡である。 左岸堤防を少し上ると大橋に出る。端の西側部分は蔦に覆われていて、いつも紅葉が美しい。時期が早いせいか他の紅葉はあまり鮮明ではないけれども、ここの蔦紅葉はだいぶ葉が落ちてしまって盛りを過ぎたようだ。 大橋の上流の右岸(仙台国際センター)も崖になっているが、紅葉はさほどでもない。 Point I 大橋の橋脚の蔦紅葉。 (2012/11/14 7:43) 広瀬川Map A~Iは紅葉ポイント。地図のベースは「プロアトラスSV4」。
2012.11.14
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今日になって、やっとこの年の竿初めである。川歩きも遊びのうちなので、いつも雪代が治まってからの釣りなのだが、今年は雪が多くて、ずっと雪代特有の白い高水が続いた。さらに5月3日の大水の影響で濁り水が長いこと治まらなかった。加えて、上流部のイワナの放射性セシウムによる汚染問題が生じた。気力は萎えるのである。 若い友人のメールもそれに輪をかけた。 「日曜日に澱橋のところで28センチと24センチのガリガリ君(痩せてる)が釣れました。アカグサレ激しいです(特に宮城・愛子地区)。皆さん、餌採取に苦労してます。ピンピンいないです。」 それでも、竿を出してしまえば楽しくなるだろう、と我が身に言い含めて、出かけることにした。遅い朝食を採り、家から3分、仲の瀬橋の下流へ。餌はクロカワムシ(ヒゲナガカワトビケラの幼虫)、どこでも採れるので、最近はこればっかりである。最良の餌でなくとも、そこそこ遊べればよいのだ。 最初は瀬落ち、浅いのが気に入らないが、そこから始める。第1投、沈めすぎて流れないと思ったら、カジカである。それでも、記念すべき一匹目、記念写真である。 1投目のカジカ。(2012/6/5 9:48) 瀬の波立ちがおさまりかける深みに移動、岩盤にぶつかって捩れる付近で25cm、少し上の大石脇で23cm、立て続けに来て終わった。20分ほどの釣りである。 写真を撮ってリリースすると、小さな1匹の元気がない。上流に向けて体を支えてやると、すぐに飛び出していった。タモに入れ、メジャーを当てての撮影は初めてである。いつもは、タモにあけてすぐ、暴れるのをお構いなしにシャッターを切ってリリースなのに、今日は時間をかけてしまった。長いこと釣りをしているが、メジャーを使ったのは、今日で2度目である。慣れていないのだ。 25cmと23cm。 (2012/6/5 10:36) 次は友人の言っていた澱橋である。イヤに暑くて、胴長を履いての堤防歩きはつらい。途中、涼みがてら六兵衛淵の落ち込みに寄ってみた。2段の淵が1段になっていた。大淵のどこかに土砂が堆積し、水面が上昇しているのだろう。3・11後の復旧工事で至る所で川をいじったせいで、しばらくはこのままかもしれない。 澱橋に近づくと、河川敷公園の黄色の花が目に付く。芝生に一面に生えていて美しいのだが、ブタナという気の毒な名前の花である。 美しいブタナの花。(2012/6/5 11:33) 澱橋上流の岩盤瀬を探ってみるが思わしくない。40分ほど粘ったが、岩盤溝で20cmが一尾のみ。。以前でも、2,3尾がせいぜいの場所だから、これでよしとする。 たった一尾。(2012/6/5 12:28) さて、ヤマメ釣りは終わった。たったの1尾を大事にリリースして、釣り道具をたたんで(崖下の藪に隠し)、川歩きである。途中、急斜面でウドの芽先を摘む。今晩はウドの芽の天ぷらだ。おおぶりで柔らかそうなフキもたくさん採れた。大漁である、ということにする。
2012.06.05
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「ブラック企業」とか「ブラックバイト」という言葉はすっかり定着して、今では「ブラック企業大賞」なども設けられていて、社会からの批判の構造はそれなりにできているように見える。とはいえ、労基法を的確に適用していけば防げていたような事例が後を絶たない。電通の例のように、人の生命が失われてからやっと適用されるのがせいぜいに思える。つまりは、政治のレベルでブラック企業を防ごうという意欲も努力も私には見えないのだ。 最近は、「インパール企業」などという言葉もネットで見かけることがある。先の戦争のインパール作戦のように、無能な指揮官のもとに壊滅に向かう企業のことを指すらしい。さしずめ、東芝や東京電力がその例ではないか。世界では、賢い指揮官を持つ企業の原子力からの撤退が続いている。日本の原子力産業は、自公政権という世界情勢や歴史に盲目な指揮官のもと壊滅へ歩を早めている。政府の「エネルギー基本計画」には、「原子力政策の再構築」という現代版インパール作戦が組み込まれている。 ブラック企業やインパール企業が後を絶たないのは、日本の社会(柳田国男ふうに「世間」と呼んでもいい)がそれを許してしまっているからではないか。『ブラック・デモクラシー』 [1] という本を読みながらそんなことを考えた。仙台市図書館で見つけた本で、藤井聡さん、適菜収さん、中野剛志さん、薬師院仁志さんが論考を寄せ、湯浅誠さんと中野さんの対談も収録されている本だが、まだ読み始めたばかりである。 編著者の藤井さんは大阪維新の会の大阪都構想の欺瞞性を厳しく批判して、橋下前大阪市長や松井大阪府知事から激しい口撃や圧力を受けた経験を書いている。つまり、大阪維新の会が行っていた政治にブラック・デモクラシーの典型を見ることができるということだ。 ブラック・デモクラシーを端的に言えば、「多数決を金科玉条とするデモクラシー」であると藤井さんは言う。学校でのいじめは、みんながやっているからといじめる多数の側に加わることで成り立つブラック・デモクラシーの単純な例である。 ブラック・デモクラシーは、デモクラシーの基本である熟議を否定する。藤井さんは、デモクラシーを「真っ黒に仕立て上げ、邪悪なものであろうとなんであろうと政治的正当性を付与する」ものとして次の4つの振舞いを「ブラック・デモクラシーの四要素」として挙げている。(1)多数決崇拝:多数決の結果こそ崇高なるものだと主張する。(2)詭弁:弁証法的議論の全てを遠ざけ、ひたすらに「詭弁」を弄し、「真実」に基づく批判を無力化し、封殺する(したがって、これもまた「言論封殺」の一種である)。(3)言論封殺:あらゆる権力を駆使して「言論封殺」を図る。(4)プロパガンダ:あらゆる心理操作を駆使して、自説への贊成を増やすための嘘にまみれたプロパガンダを徹底展開する。 橋下前大阪市長が率いていた大阪維新の会がこの「ブラック・デモクラシーの四要素」を徹底して行っていたことは、この本に詳述されている。橋下前大阪市長とその支持者の言動については、想田和弘さんも『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』[2] という本で論じている。つまり、日本人は「ホワイト・デモクラシー」を捨てて「ブラック・デモクラシー」を選ぼうとしているのではないかと想田さんは問うているのである。 大阪維新の会の手口を学んだかのように「ブラック・デモクラシーの四要素」を盛大に実践しているのが現在の安倍自公政権なのだ。国会における熟議は全面的に否定され、すべての大臣は質問に答えることなく(答えられずに)日本語ならざる言葉をだらだらと流すだけで、最後は強行採決ばかりである。数こそ力だ、という理屈をそのまま実践しているのだ。「自由民主」というのは、〈Freedom and Democracy〉ではなく〈Freedom from Democracy〉ということらしい。民主主義のルールにまったく縛られない自由を標榜している政党なのだろう。 いま、日本の民主主義は暗澹たる状態に陥っている。だが、日本の民主主義は必ずしも日本の国民の歴史的営為で獲得したものだとは言えない。だから、逆様に考えれば、今の情況こそが真正の民主主義を自らの手で勝ち取っていく絶好の機会でもあるのだ。一夜漬けで身につかなかった民主主義から、わが身に沁み込ませるように創り上げていく民主主義のチャンスだと考えることにしよう。半ば悔し紛れには違いないが、そんなことを考えた。 大阪都構想の住民投票前の維新の会のプロパガンダの様子を書いた適菜収さんの「潜入ルポ これぞ戦後最大の詐欺である」まで読み終えた。私たちがいま現在、目の当たりにしている政治のなかにブラック・デモクラシーの例をたくさん見出すことができるので、この本に書かれていることはじつによく理解できる。 ただし、ブラック・デモクラシーを蔓延させる理由の一つとして、マスコミ・ジャーナリズムがそうした不正への批判力を失っているということがある。そのため、テレビや大新聞のニュースばかりではブラック・デモクラシーの本当の様子がよく伝わらないことがある。ネットで流れるニュースはとても役に立つのだが、ネットはネットで「玉石混交」のニュースが無差別で流されるという問題がある。 第3章の中野剛志さんの「どうすれば民主政治から自由を守れるのか」という論考を読み始めたところで時間になった。老犬を散歩に連れ出してから、着替えて錦町公園に向かうのである。錦町公園から定禅寺通りへ。(2017/8/25 18:46~19:07) 集会が半ば過ぎてから錦町公園に着いた。すでにもう真っ暗である。公園の北東の端で集会が開かれているのだが、正反対の南西の入り口から入った私には、参加者がほとんどいないように見えた。 脱原発カーのライトとトイレの灯が集会に集まった人の一部だけを照らしていて、大半は暗闇の中に立っているのだった。近づいて、闇の中にたたずむ人たちを見つけてやっと安心した。一番町(定禅寺通り~広瀬通り)。(2017/8/25 19:15~19:22) 今日のデモは35人だったが、最近の金デモは、35人から45人くらいの参加者で推移している。固定メンバーが多いのは確かだが、それでも「しばらくぶりですね」と挨拶する人、したくなる人は必ずいる。そんな人が重なると50人くらいにデモは膨らむのである。 そして、ときどき不思議にうたれるのだ。それぞれの個別の事情を捨象して、こんなふうにここに集まり、同じコールに声を合わせている。じつのところ、それぞれの個別の生活を互いによく知ることはないのだが、ここから「われわれ」とか「私たち」が始まっているのだという実感はある。このささやかな確認こそが、この社会を生きる強い支えになっているのだと信じている。一番町(広瀬通り~青葉通り)。(2017/8/25 19:23~19:28) 原発は明治維新戦争(戊辰戦争)において賊軍となった地域に設置された、そういう説を思想家の内田樹さんが語ったというネット記事(元記事は『SAPIO』2017年9月号)を読んだ。高校生のインタビューを受けての発言をブログに掲載したものだという。 ネット記事によれば、国内の原発は17か所に54基あるが、その内13か所46基が戊辰戦争で旧幕府側だった藩のあった県に集中しているという。明治維新以降の藩閥政治が、賊軍地域を差別することによって経済格差が生まれ、昭和以降の原子力政策はその貧しい地域へ原発を押し付けた(あるいは、経済発展のために原発を受けいれざるをえなかった)というストーリーである。 きわめてもっともらしいストーリーだが、これが社会学的に正しいかどうかは、戦後の地域経済格差が生まれる主要な契機が明治時代の藩閥政治による地域差別政策にあったかどうかにかかっている。残念ながら、私はその正否を判断できないが、少なくとも結果的には原発が賊軍地域に多く建設されたことは間違いない。 ただ、原発を押し付ける側も受け入れる側も、そこが戊辰戦争の敗者の地であることと原発建設が関連していることに自覚的だったとは思えない。例えば、田中角栄もまた原発推進の政治家の一人だったが、彼の考え方はあくまで農漁村の票を原発とともに中央から支払われる資金と交換するという政治戦略にすぎなかった。つまり、中央資本の側(体制派)に地方の農漁村(反体制派)を取り込む政治戦略の一つにすぎなかった。これは、安冨歩さんが『幻影からの脱出』[3] という本で詳述している原発建設の背景の一つである。 戊辰戦争において賊軍となった地域が原発建設地として狙われたかどうかはさておいて、原子力政策が地域格差をベースにして推進されたことは間違えようがなく、原発が日本の差別構造の象徴であることはまぎれもない事実である。 日本の差別構造を超克することと脱原発を実現することが不即不離の関係を保って私たち(つまり、「われわれ人民」)のタイムテーブルに載っているのである。青葉通り。(2017/8/25 19:29~19:38) この数日、夏らしい暑さがぶり返している。雨続きの冷夏が続いての暑気で、変化に追い付けず、いくぶん体がだるく感じる。 例年であれば、仙台ではお盆を過ぎれば秋風が吹くのだが、今年はまだそういう季節に移り変わりを実感できていない。とはいえ、写真に写る仙台の夜景はどことなく鮮明さが増したように感じて、もしかしたら、この暑さの中でも秋の大気が満ち始めたのではないかと思ってしまう。 そんなふうに秋の大気のことを思いながら汗をかいているという矛盾の中、デモは終わり、一段と暗さの増した道を帰る。[1] 藤井聡編著『ブラック・デモクラシー――民主主義の罠』(晶文社、2015年)。[2] 想田和弘『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波書店、2013年)。http://blog.goo.ne.jp/hj_ondr/e/1d6b3ef9b610116189a373f6ed81a4fc[3] 安冨歩 『幻影からの脱出――原発危機と東大話法を越えて』(明石書店、2012年)。http://blog.goo.ne.jp/hj_ondr/e/e0d26f9fc8d8658ce4a9002be6d7d96c 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.08.25
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