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今日でブログ開設1周年。最初の記事から1年だとは思えない。2年は経っているような感覚。去年は時間がゆっくり過ぎた。自分の意識の持ちようで時間が伸び縮みするとは本当だ。あまり時間を意識していない事も大きいみたい。(シダモさんいつも遅刻でゴメン^^;):::::猫のバトルのショックで心臓に動悸がした後、呼吸出来るだけでうれしいってぐらい呼吸する事が好きになった。その気持ちがプラーナ吸収力アップに繋がったんだぁ。呼吸する事がうれしくなって、より一層、地球にいる事がうれしくなった。うれしい気持ちでする呼吸は身体の栄養になるんだ。そうそう、下垂体は男子のタマタマみたいな形をしてるけど、本物のタマタマと繋がってるんだってー。おもしろいなー。Kさんは「そうだよ、有名な話だよー」だって^^;。母乳と精子とアムリタは下垂体からですね。お勉強になりました^^。
2008年01月31日
ホ・オポノポノとは、、、「ごめんなさい、ありがとう、愛してます」この3つの言葉を心の中で唱えるというもの。「ごめんなさい」は意外だなぁーと思った。全ては調和していて本当は善悪はないと思っているからか、「ごめんなさい」という言葉はネガティブな感じがして、この言葉でワークした事もなかった。気になったので、「ごめんなさい」という言葉のエネルギーを感じてみた。ごめんね・・・ごめんなさい・・・・意外にも「ごめんなさい」は自分の中に吸収された。まるでその思いに飢えていたかようにキュゥゥと、自分の奥深くに吸い込まれた。お腹の奥深くから足下に降り、地球の核に吸い込まれていく感じがした。そして私の奥深くが癒された感じがした。私の奥深くが癒される事は、地球の奥深くが癒される事。地球に対して、動物に対して、「ごめんなさい」を言う必要があった。私自身の事か、人間全体の事か、宇宙全体の事かわからないけど、とにかく「ごめんなさい」は必要。「ありがとう」よりも「愛してる」よりも前に。それから事あるごとに「ごめんなさい」と思う。思いが止まらなくなって泣く事もある。でもまだまだ、どれだけ思っても足りない。地球への思いで胸が痛くなる。自分の核と地球の核と脳の核は繋がってる。自分の核から溢れ出した、痛いほどの愛がアムリタだ。非科学的だけどそう感じる。高周波で生きるようになるとグランディングしにくくなる事があると言うが、「ごめんなさい」の気持ちが、地球の核と自分をしっかりと繋げてくれる。地球にしっかりとグランディング出来る。:::::::::そしてもう1つ、地球と繋がる方法「光の柱」思うと瞬時に光の柱をイメージ出来るようになった。これは使えるツールだと思う。電車の車窓から富士山が見えた。以前は、富士山の噴火口に入っていく自分をイメージしてチャネルモードに入ったりしていたけど、今は、光の柱を立て富士山を思うだけで、瞬時に富士山と自分が一体になる。私の中に富士山があると感じられる。光の柱を立てに富士山に登らなくてもいい。その場で出来る。(富士山が見えなくてもイメージすればよい)こんな事も出来る。電車の中で椅子に座り、光の柱を立てるだけで私のハートが開いてエネルギーが放射される。私を導管にして、宇宙のエネルギーが動きたいように動く。私はリラックスしているだけ。1人1人に手をかざしたりセラピーする事もない。楽チンで私向きだ^^。しかし光の柱をする事で浄化が起きるので、どこかにブロックがある場合、負の感情も出て来るそうだ。どのようなワークをするとしてもいつかは負の感情と対面する事になる。しかし1つ解放する度に軽くなる歓びがある。最後に残ったデッカイのを解放した時は、百年の便秘が解消したようにスッキリする。後はもう、溢れる愛をどうするかだけが問題。ってちょっとカッコつけすぎか。
2008年01月30日
アムリタ(甘露)が出たのは1月17日。その前日の夜、横になっていたら突然、延髄(後頭部の下の方)辺りがパカっと開いて中にあるスイッチがパチン!と入ったような感覚があった。一瞬の事。とてもはっきりした感覚。脳を開かれてスイッチ0Nされたような感じだった。外側からエネルギーが入って来た感覚は初めてじゃないけど、いつも少し怖い。(エイリアンが侵入したんじゃ?と)でもチャクラは、身体の中にある7大チャクラの他に、身体の外にも5つあるって言うから、自分のエネルギーが身体の外から入ってきてもおかしくないなと思う。翌日の夜、お茶を飲んだ後、喉の奥が甘かった。お茶の甘みかなと思い水を数杯飲んで見たが、甘みが消えない。アムリタかも、と思った。スピ用語に疎いが、プラーナとアムリタは美味しそうなので知っていた^^。この日は、朝目覚めた時から壁がチラチラ見えて周波数が高い感じだった。頭は延髄の辺りを中心に、頭頂部、側頭部、眉間、全体的にジワジワとエネルギーが動いていた。ジャスムヒーンさんの「神々の食べ物」という本によると「脳の松果体や下垂体が高次の可能性まで活性化されている時にアムリタ(神の甘露)の生産量が増え、物質的な食べ物の必要性から解放するのに充分なほど強力になる」だそう。って事はついに食べないでOK!?シダモさんは「女王蜂にとってのローヤルゼリーみたいなもんやな」だって。なるほど納得♪ジャスムさんの本の図を見ると、下垂体は脳の真ん中辺りにある。形は男子のタマタマみたいだけど、母乳を出すホルモンはここで作られるんだって。それも納得。母乳がお母さんのハートから溢れ出る愛のエキスならアムリタは脳から溢れ出る愛のエキスって気がする。愛は甘い。上あごの奥、喉の入り口辺りから湧き出る、甘味料のようなとてもはっきりした甘み。最近の私は地球にいる事の歓びと甘美さに酔いしれてた。その気持ちがそのまま形になった感じだ。24時間ではないけど、17日からほぼ毎日出ている。以前より格段に、空腹感がない。飴を舐めてるみたいに甘いので気も紛れる。以降、無理なく食事の量が今までの半分になった。と言う事は1日3食の人の1/6ぐらいかな。10/1ぐらいまで減らせそうな気がする。逆に、プラーナとアムリタで充分に高栄養なので、食事を減らすだけじゃなく運動量も増やさないと、栄養過多で太ってしまう事もあるって^^;。確かに先日、マックスの早さで8000歩歩いても全く疲れなくて往復歩いてしまった。この前までは階段1本昇ると死にそうに身体が重かったのに。ローヤルゼリーは高価だけどアムリタはタダ。自給自足の高栄養。安上がりだ。これは自分だけのものじゃなく、みんなの財産だ。元気になった分、報告はしっかりしていきます。どうぞ参考にして下さい。
2008年01月30日
ウチの猫たちが大げんかをして止めに入っている時に、落ち着こうとして自分の意識をお腹に持っていっている事に気がついた。でももっとしっかりと、どんな時もパニックにならないようになりたい。そして読みかけのままだったハトホルの書を開き、光の柱の箇所を読んだ。☆光の柱の立て方地球の上にまっすぐに立っている自分をイメージ。天から頭頂部に降りて来るエネルギーと、地(地球の核)から会陰を通って昇ってくるエネルギーが身体の中心のプラーナ管を通ってハートで出会う所をイメージし、流れるプラーナを感じる。私の場合は、二元性の光と闇のじゃなく、光と闇のどっちにも偏らない真ん中、中道の「光」だ。これが大切だと思っている。光(エネルギー)の柱を立てる事をマスターすると、しっかりと地球に繋がる事が出来るそうだ。とっさの恐怖の時にはプラーナ管に意識を持って来れば恐怖が薄れるそうだ。これは是非マスターしたいと思い、今年から、散歩する時に光の柱を立てながら歩いている。中央のエネルギーを、神社の参道のような清浄なエネルギーに変えるつもり。六本木、国会議事堂や皇居辺り、東京駅、銀座、青山、表参道、渋谷辺りを、ゆっくりと、1日1万歩ぐらい歩く。光の柱を意識しつつ、自然と自分が調和している事を感じながら。毎日ではなく天気のいい日だけ、深呼吸したり、立ち止まって空や木々を見上げたりして。皇居の辺りは緑が多く、人が少ない。道も直線で広く、エネルギーの流れがいい。(土地の気の合う合わないはあるかも)身体が軽く感じる。表参道もやはり参道だからか、歩いていて疲れにくい。渋谷は騒音がすごくて疲れるけど、未来を担う若者の土地なので、ここも何か用事を見つけては歩いている。今度は新宿の都庁辺りも歩いてみたい。そして思わぬ収穫が。歩いて呼吸して身体にほどよく酸素を取り入れたおかげで、しばらく休んでいた頭のエネルギーが、またジワジワと動き出した。それどころか、ナントななんと、アムリタが出てしまったのだー@@これがニューエナジー(宇宙の神聖エネルギー)の素敵な所☆気の向くままに楽しんでいると、楽しさがどんどん倍増して、奇跡!?と思うような、神さまの遊園地に迷い込んだような、不思議な出来事に導かれてしまう。つづく☆
2008年01月26日
砧緑地公園での写真。天使の羽だと思ったけど、今はペガサスに見える。シダモさんは手羽先だと言って譲らない。::::::::今年は4つの神社に初詣に行った。そのうち3つは都心部の神社だ。今年は、神社のエネルギーも新しくなっている気がして確かめたかったのと、光の柱を立てたくて、張り切って4カ所も行った。神事の事はよく知らない。神社はその土地の気のツボ、エネルギースポット。その土地にとって大切な場所だと思っている。参拝の列に並びながら呼吸を整えて光の柱を立てる。自分の身体と地球を、1本のエネルギーで繋ぐ。自分のエネルギーを、その土地に注ぎ込むイメージだ。すると、その土地への感謝の気持ちが、自分の内部から溢れ出し、熱い気持ちになる。感じたままを言えば、今年は、現世利益の神さまはいなくなってしまった感じがした。もしいたとしても、私は何も頼まないから叶えてくれるはずもない^^;。でも、今年感じたエネルギーは素晴らしかった。参拝を終えると、周りの木々の上の方から螺旋を描くような風が私の周りを回るように舞い降りて来た。言葉にしなくても、私の熱い思いを「しかと承った!」と言われたように感じた。日枝神社では、大きなエネルギーが自分の背後にくっついて来る感じがした。風を連れて帰ったみたいな気分。これからも、自分の歩く場所に、神社の参道みたいな清々しいエネルギーを流して歩こうと思った。土地のエネルギーも私のエネルギーも、元々は同じ。宇宙のエネルギー。思いが通じ合って当たり前。地球も、火も、水も、空気も、生命体で、意識があると信じてる。そう信じると、本当に、空気の感じ方が変わる。空気さえあれば気持ちよくいられるようになってきた。どんな風に気持ちいいかって正直言って、空気とセックスしてる感じだ。地球に心を開けば開く程、感謝の思いが湧けば湧くほど、地球とのコミュニケーションはどんどん気持ちよくなる。オーバーに言っているのではない。愛し合う人間同士で最高にオープンにダイナミックなセックスをしてるような気持ちよさ。骨の中から、皮膚から、ハートの中から、頭から、沸き上がって渦巻くエネルギー。細胞の1つ1つが喜んで、しびれて、めまいがしそうになる。(病気ちゃうでー)だから最近は、本に書いてあるように、「究極的にはパートナーは必要なくても満足していられるようになる」というのが、わかってきてしまった^^;。(でもパートナーいた方がいいよー、せっかく人間なんだからー)私は、喋ると感情を素直に表現出来るけど、文だと少し抑制する傾向がある。今年は抑制しないで、正直に、熱い思いを丸出しにしようと思う。気持ちいい気持ちいいと連呼するブログになってしまうかもしれない^^;。つづく☆
2008年01月24日
昨日の日記のプレアデスの文に>私の身体が自らを再生する事を望む とある。そう。「再生」するんだ。私達みんな、元々持ってるのに忘れちゃってるんなら、思い出してあげたいじゃない!?自分の中に、可愛い可愛い子が眠ってるんなら、その子を産んで、育ててあげたいじゃない!?今生、出産はしないと選択した。昨年まで迷いがあったけど、それは「自分じゃない物」とわかって手放した。そしたらスゴイ。「おぅ待ってたぜ!やっと決めたんかい!じゃあガンガン行くぜー!」って具合に動き出した。変容もすごい勢いで進み出した。・・・ったく正直だなぁ。でね、このアセンションが今生の私の「出産」なんだ。自分の中に眠ってる叡智を産んで、出来る限り大きく大きく育てる事。これこそが今生の私にとって、子供を産み育てるという大事業にも勝ってた。そのぐらいこれに賭けて生まれてきた。(もちろん、子育てが今生の大事な課題っていう人もいると思うよ。)今生、三次元的な本能が希薄だった意味が今頃わかってきた。普通は(動物なら特に)、本能が希薄なら生存の危機だ。でも私は、防衛本能が希薄。いつもノーガードだ。自分と他人との壁がわからなかった。女性なら、好きな人との子供を産みたいと身体で感じるはずだけど、私にはなかった。でも愛はある。側にいる人やペット達の具合が悪ければ、一生懸命、看病もするし、出来る限り、その人(動物たち)の魂が輝くように気配りもする。三次元的な愛、本能から来る愛は、エネルギーの奪い愛、縛り愛。嫉妬、失う怖れ、独占欲、支配欲だとかが含まれる愛。そういう愛がよくわからなかった。ワカンナイ@@?ナンデ@@?って事が多かった。三次元感覚をお勉強する人生経験は、なかなかにハードだった。だからこそ、自信になったのだけど。尊敬出来る大人には1人も出会えなかった。褒められたり、愛されたり、認められる事もほとんどなかった。たとえ褒められても、関係を円満にする為の褒め、好かれたい為の褒め、そういう褒めには心が感応しない。愛という名の性欲、独占欲、、、そういう愛にも感応しない。私にとって、エネルギー奪い合いの三次元は全部、嘘の世界。嘘発見器をくっつけて生まれてきた。本当に愛されていると感じた事はある。すごく嬉しいし感謝もする。でも、そこに安住する事、依存する事は出来ない。そんな、自分には当たり前の事のほとんどが、どうも当たり前じゃないらしいって自覚したのはつい最近の事。私って異端児なんだ、突然変異なんだって、ついに認めた^^。でもとても怠け者なので、ラクしたいなー、三次元に染まれればなー なんて時々思うけど、、、ちょっとサボって必ずまた戻ってくる。この事ばかりは諦める気がしない。負ける気がしない^^。でね、一番言いたい事は、私はアセンションのモデルケースになる為に少しだけ急いで進んで来たけど、今生ココに生まれて来た、皆に参加権があるって事。アセンションの権利がない人はいないはず。宇宙は自由意志なんだから、自分の意志決定が何よりも勝つんだから。やる気満々で生まれて来たのに確信もてない人、まだまだいるかもしれない。確信や証拠なんて私にもない。ただ、決めるだけだ。私はやるよ、って。その気ならたった今、「アセンションするぞ!」って宣言してみて。何度でも、元気が出てくるまで、宣言してみて。私は学校の成績はオール3。目立った長所もなく冴えない存在。未だに本1冊まともに読めないし、ブログ1つ書くのに3,4時間かかる^^;。そんなボケナスでもなんとかここまで来たのよ。ぶっちゃけ、満身創痍ですよ。ヘタレですぐビビるし^^;。でも1番大事なのは諦めない事。情熱を持ち続ける事。(執念と言ってもいい)そして愛。(これは自己信頼と共に自然に育って来る。私も育成中)::::::::海岸で摘んだアオサノリ。「このぐらいもらっていーい?」って海に聞きながら摘んだら、「今日はそのぐらい摘んでもいいよ」って、ちょうどいい量を海が教えてくれた気がした。地球とコミュニケーションしながら生きれば、自然の資源が尽きる事はないと思う。古代人のように、、、。これはアオサ入りパスタ。アサリのパスタみたいな旨味があってビックリ。つづく☆
2008年01月22日
「プレアデス+かく語りき」をパっと開いたら、こんな一節が目に止まった。私は何が欲しいのか。私は私自身の進化を加速させたい。魂の助けによって私の能力をさらに高めていきたい。私の身体が自らを再生する事を望む。私は健康を放射したい。喜んで困難を放棄し、人類がどんな存在になり得るかの生きたモデルになりたい。その通り。これが私、kibiのすべて。健康だけじゃなく、歓びを放射したい。(原文には、‘神の’魂の助け とあるが、ややっこしいので‘神’は省いた)これを2008年、年頭の意思表明とする。:::::::自分じゃない物を見つけて手放すのは面白い。何が自分の物かな?何が自分の物じゃないかな?で、クリスマスをやめた。その分、大掃除に力を入れた。大晦日と元旦はケジメとして何かしたい。1つ1つ、何が自分の物かな?と感じながら作る料理を決めたり、飾る物を決めたりしたら、とてもシンプルなチョイスになり気持ちよかった。やらなくちゃ、という義務感を手放すと、おせちを作るのもとても楽しい。きんとん、きんぴら、煮物、黒豆、紅白なます。シンプルだけど全部手作りで。手作りコンニャクに初挑戦したのも楽しかった。年越しそば1つでも、いつもの事だから、と惰性で食べるのと、自分の意志で決めて食べるのとでは違う。大晦日のちょっと切ないような不思議な空気感。おいしいお蕎麦と熱燗。その時間をしみじみ味わいながら、簡素である事を楽しんだ。日本人って素敵!あああ日本人でよかったーーー!と、深く深く感じたのだった^^。ちなみにお飾りは1番安価(50円ぐらい)、だけど1番かっこいいと思う稲わら飾り。鏡餅も1番小さいのを1つだけ。小さな準備の1つ1つも、なんだかとっても楽しくて。:::::::::3日にはシダモさんが泊まりに来てくれて、おせちをつまみながらノンビリ。その後、私がシダモ宅を訪問。濃いぃー自然を感じたくて西伊豆までドライブに連れていってもらった。伊豆はすごい。恐竜が出てきそうな自然が残ってる。私の中の古代人の魂が疼いた。心が張り裂けそうになり、海に向かって吠えた。「ウォォォォォ!!」始祖鳥か龍になって真っ赤な火を吐きながら、海の上、岩の間を縦横無尽に飛び回っている自分を感じた。(テンション上がりまくる私。シダモさんいつも大変。)白浜海岸。その名の通りの白砂。沖縄みたいな海の色。西伊豆の夕日の中に溶けてしまいそう。あああーーー 写真を見ても古代人の血が騒ぐぅぅー><!つづく^^
2008年01月21日
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