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16日(日)笠置山は今回で6回目です。初めて登ったのが1996年2回目は2002年そしてそれから20年間登らなくて3回目は2022年、4回目は2023年7月、5回目2023年9月20年ぶりに登った2002年は笠置山の違った面を見つけて翌年の2023年は2回も登ったのです。その時に、ピラミッド石の存在を知って次はその石を探そうと思っていたのです。林道を車で走っていると左に標識が・・・NO.6の看板ピラミッド石が植林の中に線刻のピラミッド型の石にしめ縄の跡しめ縄が途中で切れていますがはっきりとした線刻が見られます。今まで何度もこの林道を走っていますが、こんな形の石に気が付きませんでした。今回は看板を見落とさないようそして先ほどの石から車で5分くらい山に登ったらこの石こそピラミッド石ですねササユリとピラミッド石ササユリ近づいたら2m以上あります。ペトログラフ散策道という看板に魅かれて歩き出したら盃状穴があるピラミッド石私が指さしています。盃状穴と線刻よく見ると頂点から同心円に二本の線刻があります。古代人の岩に刻まれた文様をペトログラフというそうですが雨乞いの祈りや願いを込めた岩が笠置山ではたくさん発見されたそうです。蒸し暑い中を、階段を230mほど登って巨大な岩が8個つながったように点在するところ盃状穴と線刻が見られます。ほぼ一列に4個下半分にも、ほぼ4個の巨岩サンキラの実ピラミッド岩の点在を示す看板望郷の里キャンプ場ここから笠置山に向かいます。左側の林道を歩いて途中で見行山を左に見つけて林道沿いにはタニウツギ上の駐車場の近くから、山に入ります。今回はタル岩には行かず、右への看板に従って苔むした巨岩がゴロゴロもののけ姫の世界です。岩に刻まれた「界」の文字鈴鹿にもありました。くぐり岩狭くて通りにくいのでこれ以上太ると通れません。くぐり岩を通り抜けたら目の前の上に小屋が見えます。崖に上手く小屋が作られています。小屋の向こうに展望台巨岩の上に作られた展望台今日は雲が多くて、あまり展望が良くないけど見行山(左)が良く見えます。目の前に中野方ダム小屋でお昼ご飯です。展望台の上は陰が無く暑いけどここは爽やかな風が気持ち良い日陰です。ゆっくり小一時間お昼ご飯休憩して再び登り始めたら、「亀天水」の岩場どこが亀??相棒曰く、上の石は亀のお尻で亀がむこう向いていると・・・あまりよくわかりません。(泣)ツクバネソウ樹齢150年の大ヤマザクラ山頂直下の展望台去年より老朽化が進んでいます。階段が朽ちて来年は登れないかも・・・ビビりながら登ったけれど雲が多く、目の前の木も大きくなり天望がありません。山頂の笠置神社奥社のお社が見えてきました。笠置山山頂(1128m)二等三角点があります。山頂の笠置神社奥社のお社は保護のため屋根に、さらに屋根が掛けられています。山頂の笠置神社の境内の神社の謂れヒカリゴケを見に行きましょう盃状穴がたくさんあけられています。巨岩がいっぱいどんどん下ります。梯子を登って巨岩の割れ目に登ったぞ~~ヒカリゴケ去年よりきれいです。あまりたくさんではありませんがきれいに光っています。KIKIが覗き込んでいる巨岩の割れ目にかろうじて生えています。初めて見た時より小さくなっているのでこの先大丈夫かなと心配になる天然記念物です。私がみていたところじゃない所にヒカリゴケ発見どうぞ増えてくださいね、と祈らずにはいられません。自然の力はすごいですね。ここの環境がヒカリゴケには生きられるのですね。帰りは神社からまっすぐの尾根道を下ります。この道が大好きです。タツナミソウタツナミソウの群生これほどの群生はなかなか見たことがありません。ヤマツツジ物見岩真正面に見える恵那山は雲の中です。林道をトコトコ歩いていると、道の両脇はコアジサイが満開私はアジサイが好き、6月生まれだからかな・・・笠置山は初めて登った時はそれほど感動しませんでしたが最近は登るたびに新たに発見することが多く登る山としてだけではなく、古代人の祈りの場としての岩に刻まれた文様を探してロマンを感じ天然記念物のヒカリゴケを見るために、岩場を下ったり登ったり。色々な顔を持つ山の色々な面を楽しむことを知って登山だけじゃない楽しみを知りました。
2024.06.19
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サンカヨウ夜叉ヶ池の登山口にデポしていたザックを回収して再びテクテクと舗装された林道を二時間以上歩いて戻ります。この林道歩きが計算外で、おかげで三周ヶ岳まで行かずに夜叉ヶ池を早々に下山することになってしまいました。その原因のひとつは、帰りに早い夕食であまご料理を食べるためです。二ヶ月ほど前の4月13日に飯盛山と西津汲に登ったとき、登山口が分からず谷をひとつ間違えて、山の中のあまご料理の店に着いてしまいそこのオーナーさんに道を教えていただきました。そのとき、また改めて食事に来ますと言っていたのです。久瀬の村に向かって車を走らせ、山の中のあまご料理の早い夕食。あまごの甘露煮と、南蛮漬けと突き出しお酒を飲む方なら、ゆっくりと楽しめますね。早い夕食なのに、パクパク食べられます。岩魚の刺身。かりっと香ばしい、あまごの唐揚げ。あまごの塩焼きあまごの魚田締めは、あまごの雑炊と香の物と山椒の実と昆布の佃煮。焼いたあまごの香ばしさと、丁度良い塩加減があっさりしていて上品です。おなかいっぱいになって、ゆっくり帰ってきました。
2012.06.11
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今年もやりました。クリスチャンじゃないけど・・・クリスマス会鳥の丸焼きが去年はもも焼きに変わり、今年はモスチキンになってしまったけどテリーヌ以外は全部作りました。シーフードホワイトシチューほうれん草とベーコンとキノコのキッシュチーズフォンデュ(バゲット、ウインナー、ブロッコリー)テリーヌ大根とレタス、ミズナのベーコンサラダモスチキン黄桃のケーキフルーツ(パイナップル)膝のためにダイエットしていますが、今日だけは解禁明日からまた粗食のススメです。
2005.12.25
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10日土曜、朝10時に別の病院へ行きました。同じ会社の人が交通事故で膝を挟まれて、半月板損傷で手術をされていて、その方の薦めと、その前に私がインターネットで調べたら全国の膝関節の名医としてリストに載っていた先生が一致したのでこの病院にやってきました。待合室は内科の隣ですごい人です。インフルエンザの予防注射を接種していないので、少しリスクを感じて不安でした。問診表に記入して、レントゲンを撮り、呼んでもらったのが1時頃。三時間も待たされました。(先生も大変ですね。それだけ具合が悪い人が多いということ・・)今までのいきさつを簡単に話し、セカンドオピニオンのためにやってきたことと、もしそれで手術となると先生にお願いしたいと・・・レントゲン写真と膝の関節の模型で説明しながら、私の症状の考えられる説明を受けました。半月板の一部が切れている場合その欠損部分が移動して痛いのと、それが挟まって関節がうまく曲がらなくなるロック状態になる。その欠損部分を取り除く方法。また半月板がギザギザに切れた損傷の場合そのささくれた部分だけを切り取る方法。半月板がきれいに切れた状態なら、縫う方法。半月板の傷が外側ならその部分だけを取り除く方法。などがあるということ。いずれも関節鏡という内視鏡を入れて、モニターを見ながら行うことです。なんと言う奇遇でしょうか。その先生も若い時登山をなさっていたというではありませんか。今は忙しくてそれどころではないそうです。結論は今は前の病院でいただいた薬が効いているのか、膝を休めていたから良いのか分かりませんが、ほとんど痛くない。平地は普通に歩ける。トイレにもしゃがむことが出来るということから、様子を見るということになりました。いずれにしてもMRI検査の写真を見てからの話ですが、山は続けてみて痛くなって休んでも回復しなければ、第一段階として関節に注射をする方法があり、それでも回復しなければ最後に手術をするということになりました。次の診察は12月24日土曜日、この間のMRI検査の写真を、前の病院から借りて持っていくことになりました。(前の病院にMRI写真を貸してと、ちょっと言いにくいけど・・・先生は言えるよ、ぼくだって貸し出すよ、とおっしゃるが・・・)12月24日の診察で決まることですが、今日の話と変わらなければ今年いっぱいはおとなしくしています。来春、軽いところから様子を見て山登りは再開できるかも・・・悪いところがあれば今のシーズンオフに手術してしまいたい、という気持ちがありますが、手術しなくても普通に山に登ってイケるなら痛い思いをいなくても・・と思うし・・・正直複雑です。シーズン中に最悪状態になったら・・・なんて考えたら、今やっとけばと思うし。爆弾抱えて生きていくのかなあ先生はこういう状態で山登りをすることは、普通に歩くより膝に負担をかけるから早く膝の軟骨が減るということ。タダでさえ経年劣化が膝に来るんだから、とおっしゃった。では今から山登りやめるなんて考えられない。登山ばかりがすべてじゃないとお叱りを受けるが、私には今登山が生きがいなのです。
2005.12.11
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18日(日)鈴鹿のネコ、笠岳、南コブに5年ぶりで登るつもりで出かけました。前日の土曜は一日中しっかり雨が降っていましたが翌日の今日は晴れ予報なので下界は紅葉はまだでも、御在所岳の山頂部は紅葉が始まっているというのでネコの山頂から眺めたら紅葉が見えるかな・・・ということで鈴鹿スカイラインの鳥居道駐車場から希望荘経由でおおるり橋へ。この橋は苔が付いているので気を付けないと滑ります。この道は東海自然歩道ですが、しっかり山道です。すぐに81段の階段(帰路に数えました)続くのですぐに息が上がります。5年前の記憶が無くて、こんなにきつい登りだったかな・・・うへ~~まだ続くよかけす橋左側が沢柵に付いた苔を見ると、ここがいつも日が差さず湿っているということ。落ち葉を踏んでのんびり歩きます。小さな滝が絵になるね~~なんてね柵の終わったところから、右岸に渡ります。沢の右岸を進みます花崗岩の岩盤を削るように、小さな滝の連続です。ステキな景色に癒されるねと、のんびり歩きます。この時までは、天国でした。ところがこのあと、右膝がチクッとしたので念のため、ズボンをめくってみたらヒルが靴にも、靴下にもいっぱい付いています。ギャー、ヒルがいるよ、まだいるよ10匹以上ついています。手でつまんで取ったり、ストックで払ったり・・・実はすっかりヒルのことなど忘れていました。10月半ば過ぎで、すでにいないと思っていましたが昨日の大雨の後です、まだまだしつこいアイツらがなめているバカな私達を、待ち構えていました。もうすっかり戦意喪失です。相棒が、もうやめようかと言ってくれるかと待ちましたが今日は言ってくれません。しかたが無いので、のんびり歩くのをやめて必死で歩きます。止まったら、あいつらの餌食です。当初は風越峠まで行って、ネコか南コブへ取り付こうと思っていましたが早く沢から離れたかったので、笠岳・ネコ⇒の標識に従って、右の山へ。急登ですが、沢から離れられるのでここから取り付くことに。ネコを目指して、ひたすら急登を登ります。この斜面ならヒルは居ないでしょう。途中で止まって、ズボンを点検お尻のあたりに二匹付いていました。これを見逃したら、山シャツの中に入っていたかもしれません。おお怖い!!途中で左の樹間から御在所岳が見えています。登りきったら、左に風越峠への下り口ここに登ってくる予定でした。さらに急登を登ると見覚えのある境界杭ここを右に尾根を外さず進んでいく途中にネコの西峰の表示があるはずが・・・無い5年の歳月で無くなった?山頂の大石左から回り込んで大石の裏はフェンスに囲まれた反射板大石の上に登って石の上が一番良い展望です。一番近くの右の山が南コブ一番奥の尖がりが、御在所岳、その右が国見岳残念ながら逆光で紅葉が確認できません。次にネコ最高点へここは字が薄くなっていますが、標識が残っていました。回り込むように三角点へ向かいます。三等三角点の広場うすい踏み跡とテープで誘導されて三等三角点下界が見えるところを探しましたが以前より木が大きくなって、ちゃんと見えるところはありません。先ほどの大石に戻って反射板の横へ回り込んで狭い所でランチです。ここなら、あいつらが居ないのでゆっくりランチできます。沢に近い所ではゆっくり食べていられません。そんなところで食べていると、こちらが食べられてしまいます。あいつらの襲撃で、途中で挫けなかったけれど、帰路に危険地帯通過するときの体力を温存するためもう他の山に登る戦意喪失で、ネコだけで帰ろうということで下山します。沢沿いの東海自然歩道は止まることなくひたすら走るように歩きます沢を渡って、もう少し頑張ったら大丈夫車に戻って、ホッとして右のズボンの脛のあたりを見たらでかいのが一匹付いていて「ギャー、付いてる、付いてる」帰りに小さな今年生まれたばかりの子蛇まで見て今日は散々でした。もう少し寒く、冬にならないとリベンジはできませんね。
2020.10.19
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今年も後二日になりました。好きな山行きと山の花の記録から始まって多くの皆さんに見ていただきありがとうございました。《琵琶湖畔の菜の花群生地。向こうには雪の被った比良山が見える。今年はもっと雪が多いでしょうね。 2005年1月 》膝の損傷のため、心ならずも冬眠することになりましたが、幸いオフシーズンなので休養と治療に専念して、年を終えようとしています。また来年ボツボツと散歩から山歩きが出来たらイイナと思っています。今年一年(厳密には半年)私の日記に訪問くださりコメントくれたり、励ましやアドバイスを下さりありがとうございました。また来年もよろしく!!皆様良いお年をお迎えくださいね!!
2005.12.29
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夜中に、相棒が何度もトイレに行くたびに目が覚めて熟睡できなくて、イライラしてよけいに目が冴えてきました。結局、当初考えていたより早めに出発することにします。登山道の距離を短くできないし、歩くのを早くできないし膝が悪いのを治せないし・・・それならできるのは、スタートを早めてゆっくり膝をかばいながら歩く事。 昨日、すでに登山届に記入済みで ヘッドライトの明かりを頼りに あるきだします。意外に登山道は整備されていて石段が組まれていたり ところどころのヌタ場などは木道が敷かれたり思ったよりも斜度が無いので体慣らしに良い感じです。だんだん空が明るくなって夜が明けて来ました。前方の山頂部だけ見えているのがトムラウシ山モルゲンロートに染まっています。花畑も出て来ました。この先コマドリ沢への急降下は岩がゴロゴロして歩きにくいこと!! 沢を上流に向かって詰めてゆくとコマドリ沢分岐 到着ここで朝ご飯です。この先、単独の男性たちに次々に追い越されていきます。チシマノキンバイソウ ただでさえ遅い亀足なのに 雪が融けた後に、花がたくさん咲いているからです。 エゾコザクラの群生ワオ~うれしくて、足が進みません本州のハクサンコザクラより色が濃くて鮮やかです。谷は花畑になっています。 谷の上部にはまだ雪渓が残っています。日陰なので暗くて、だから雪が残っているのね 下を見たら結構な斜度です。しかしすぐに山際に取り付いて雪渓を歩かなくなり樹林の谷を登り詰めます 。 トカチフウロ(チシマフウロのなかで北海道に咲く、特に色の薄いのはトカチフウロ ) マルバシモツケの群生の向うは朝日が当たって輝いています。 ハクサンイチゲ前トム平に向けて岩ゴロゴロの歩きにくい道をマーキングを頼りに進みます。登り詰めたらお花畑を進むことになりもう、うれしくてうれしくて疲れを忘れそうです。 イワブクロ チシマギキョウ チシマツガザクラやっと会えたね、今まで見たツガザクラとは違って一属一種(ツツジ科チシマツガザクラ属)の珍しい植物です。葉の間から長い花柄を出して数個の花をつける 前トム平ここで朝ご飯の残りのパンを食べてさあ~~いよいよトムラウシ山頂を見ながら進みます。真っ青な空にテンションが上がります。タカネトウチソウ前トム平から高度を上げながら岩の道を進みます。時々振り返っては前トム平とその向うに姿を現した十勝連峰を眺めます。 山頂がそそり立っています。 そして目の前に池と雪渓と岩とトムラウシ山の山頂と青空のコントラストボーっと眺めて足が止まってしまいました。 なんという雄大な景色でしょうか見とれていたらどんどん追い越されて取り残されてしまいます。 エゾツツジ北海道の花は何て色鮮やかなんでしょうね!! エゾヒメクワガタ本州のヒメクワガタよりも花が大きく色が濃いのです。 ハクサンイチゲ エゾツガザクラこの花も会いたかった花です。 チングルマと岩 いい感じ!! エゾツガザクラとチングルマ花畑に足が止まりっぱなし チングルマがこっち向いて写真を撮ってと言っています。 アオノツガザクラ エゾコザクラ エゾヒメクワガタ チングルマの穂これも絵になります!! まだまだ山頂は遠い!!でも花たちが私を元気にしてくれます。 ヨツバシオガマ ミヤマキンバイ ウスユキトウヒレン 十勝連峰を眺め ズームで エゾイワツメクサ あ!! 何か走ってる!!慌ててピンボケですが、エゾシマリスです。 進んだかと思ったら止まって景色を見てます。なかなか山頂へは行けないね。 岩のガギガギが山頂 イワヒゲ 山頂直下 ヤッタ~~百名山完登です。うれしい~~山頂にいた人たち10人ほどが拍手してくれました!!おめでとうって 記念すべき日がこんなに良い天気で良かった!!2月に予定を立てて、晴でも雨でも登ろうと決めたけれど 正直、こんなに晴れるとは思っても見なかったです。 岩だらけの狭い山頂でお昼ごはんのおにぎりを食べながら山を眺めます。 まだ興奮していて、おにぎりの味がしません。 一昨日登った大雪山の旭岳方面 ズームで旭岳 山頂でゆっくりして感動もおさまったのでそろそろ下山です。帰りも長いのでまだまだ気が緩められません。 ミヤマリンドウ エゾウノサギギク コマクサ チシマツガザクラ イワギキョウ ミヤマキンバイ ハクサンコザクラ ウコンウツギ チングルマとウコンウツギとナナカマド エゾヒメクワガタ ハクサンチドリ 前トム平を過ぎてコマドリ沢を下ります。 コマドリ沢分岐からジグザグに山腹を登る時は不揃いに積み重なった岩の歩きにくい道で 風が無く暑くて暑くて汗が噴き出ます。 登りきってカムイ天上に向かうときは岩が無くなり、緩やかでひたすら距離を稼げます 整備された登山道 ここが山頂の見納め カムイ天上 今朝はまだここでは暗くて写真が写せなかったところです。ここで丸木のベンチに腰掛けておやつタイム後ろから追いついてきた5人グループと少し話をして先に行ってもらいそのあと男性二人組にも先を譲り そしてこの後歩き出したら・・・ヒグマと遭遇のKIKI一発 。相棒がいつもの通り私より10m程先を歩いていたのですが急にものすごい勢いで「クマだ~、クマだ~」と言いながら戻って来ました。私は何が起こったか一瞬分からなくて、足がすくんで動けません。相棒は私のストックの一本を手に取って、身構えて「戦う」と言います。私は「そんなことしてもだめだわ!!」と・・・ 相棒は「じゃあ上に戻って逃げよう」と戻りかけます。私は「どうすればいいの、どうすればいいの」といいながら前方を見ていると笹の向うに黒っぽい頭がこちらの方にやって来ます。全身が見えるのはもうすぐです。その時、ポーチに笛を入れていたことに気が付きました。ここに人がたくさん居るという風に知らせた方がいいと思ってピーピー吹きました、必死で・・・効果があるかどうかわかりませんが。するとこちらに向かっていた黒い物の動きが止まり右の崖へ下りて行きます。それに向かってピーピーと吹き続けました。 距離は10mほどで、笹の中をヒグマの背中が見えています。しばらくピーピー吹き続け、ヒグマが向うの方へ行くのを見届けてやっと歩き出しました。歩きながら、相棒がクマと目が合った状況をやっと落ち着いて聞くことによると 私の先を歩いていた相棒は緩やかなカーブを回ったとたん12~3m前方にヒグマ がいたと・・・クマと目と目があったのですが、クマが5~6歩 自分の方へやって来るので、2~3歩下がったけれどクマが止まらずそのままやって来るので怖くなって慌てて私に知らせに来たというのです。(本当は走ってはいけないのに・・・)笛で逃げてくれたからいいけれど百名山達成した帰りに、クマに襲われたなんてシャレにならないですね。 クマとの遭遇は、短縮登山道分岐の手前まで5分のところでした。 分岐から登山口までの15分は時折、笛をピーピー吹きならしながら下りて来ました。トムラウシ温泉「東大雪荘」で入浴するときにフロントでクマ目撃情報を報告して帰ってきましたがここ数日そのクマらしいのがそのあたりで目撃されていたそうです。カムイ天井で私たちを先行していったグループは、人数が多くて話声でクマが先に逃げたようです。その後の男性二人組は我らと同じところで我らの前に出会っているのですが男性二人組でしたからにらみ合いの末クマがゆっくり移動して行き次の私達の時は、相棒が一人で先に歩いたためバッタリ出会ってクマが避けてくれなかったようです。どうやらそのあたりがそのクマの縄張りのようですね。 百名山達成とヒグマの遭遇と合わせてトムラウシ山は一生忘れられない山となりました。そしてトムラウシ公園の美しさ、花の多さ、花の色の濃さなども青空と共に忘れられないことです。
2017.08.06
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検査の結果は思ったとおりでした。シップと痛み止めの飲み薬で今は普通に歩く分には支障はなくなった。でも根本的に治っていないから、山は行ってはいけないって・・・外側の半月板が損傷しているって・・・手術した方が良いそうです。関節に内視鏡を入れて行う手術らしい。所要時間は一時間半ぐらい。入院は個人差があり、3日~10日位。半月版を全摘出するのでなく、破れたり欠けたりしているものを取るそうです。明日、別の病院に行ってみようと思います。そこでおなじことを言われたら、もういちど登るために手術を前向きに考えてみようと思います。でもいるのかなぁ、半月板取って登山やってる人・・・お知らせください、頑張ってるよ~って現役で登ってるよ~って、聞かせてください。痛い思いだけして登れないんじゃ・・・楽しみは山だけではないけど、こんな形でやめたくはないんです。
2005.12.09
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今日、膝のMRI写真をセカンドオピニオンの病院に持っていって診ていただいた。外側の半月板がやはり損傷しているとのこと。そして少し外に飛び出して靭帯を押し出しているようです。緊急で手術は必要ないとのこと。このシーズンオフの時期に集中して治療したいと言いました。ヒアルロン酸と痛みを止める作用のあるステロイドを合わせた薬を注射します。ヒアルロン酸は人体にも自然にある物質で、美容整形にも使われ、軟骨形成を促進する作用があるそうです。しかし体内に吸収されやすく、定着しにくいそうです。一週間に一度の間隔で5~6回注謝するようです。ステロイドは痛みを取りますが、副作用がきついので1ヶ月に一度の間隔がいいそうです。横になって右ひざのお皿の太ももに近い方の外側あたりが、一番注射しやすいということでそこに打つんですが・・・先生は「注射だから痛くないとは言わないが・・・はじめのうちだけ・・」嘘 嘘 嘘・・・いた~いたいていの注射は我慢できます。入院手術の経験もあります、でも今まで打った注射の中であんなに痛いのは初めてです。いたーあ~い ううううう~いでぇ先生は「ごめんね、ごめんね」涙があふれて・・でもベッドからは起き上がれませんでした。さっきまで普通に歩けていたのに、今のほうが重体です。パンストもズボンもはけません。看護婦さんごめんねグズグズして・・痛みがだんだん取れてきたのは夜の6時くらいです。車の乗り降りも右足は手で持ち上げてやらないとあげられません。毎回こうなんでしょうか・・・今夜はお風呂は入れません。次の診察は来年7日です。
2005.12.24
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岐阜・松尾池(百々ヶ峰)おしどりと鴨がのんびりと泳いでいます。知る人ぞ知る、おしどりのやってくる池です。向こうに見える合掌つくりの建物が料理屋で、しし鍋などの鍋料理を食べさせるところです。風流ですね。百々ヶ峰は「どどがみね」と読み、岐阜城金華山の真北にありその登り口の1つに松尾池があります。この時期はおしどりがやってくることで有名で朝早くから夕方まで望遠カメラを持ったカメラマンがシャッターチャンスを待っています。このところ本当に冬眠していました。膝の治療に専念するため山にも行かず・・・毎週土曜は注射に通っています。先々週は調子が悪くて、ずーと膝が痛くてトイレにもしゃがむことが出来ませんでした。先生は膝が腫れているから水がたまっているので抜こうと言って、注射器で膝にたまった水を抜き、ヒアルロン酸とステロイドを注射してくれました。この頃は注射も余り痛くなく、毎週だから慣れてきました。水を抜いたせいかすごく楽になり、痛みも消えて階段も昔のように軽く上り下りできるじゃないですか・・・\(^o^)/冷えるといけないので、会社で仕事している時以外はずーっとやわらかい膝当てをしています。遠赤外線の出るコットン製で薄いニットですが、暖かいのです。そのおかげでこのところ調子が良くなりました。先週はヒアルロン酸の注射だけでしたが、いつもその日はお風呂やシャワーは禁止なのに、うっかり入っちゃいました。 (@_@;)なぜ入ってはいけないのでしょうか?いつも疑問に思いながら、でも聞きそびれるのです。今度聞いてみよう・・・
2006.01.31
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残業になってしまいました。 時々窓の外を見て、駐車場の車がだんだん雪に埋まって行くのを手をこまねいていました。日中はチラチラ降っていても時々射す日に融けて積もることもすくなかったのに、夕方から降り方がひどくなって、車の屋根がドンドン白くなってきた。 車に積もった雪はダンボールの切れ端で落とせども、車の回りを一周して戻るともう積もっている。やっと何とか雪を落として車に乗ってのろのろと走り出した。こんなにすごい吹雪の中を、ノーマルタイヤで走ることになるなんて思ってもいなかった。本当はスタッドレスに替えるつもりでした。1~2ヶ月前に膝を痛めたため、しばらく山に行けないから今年はスタッドレスにしなくてもいいだろうと思っていました。こんなに雪が降るなんて・・・。それにそんな時に残業になるなんて・・・。 セカンドギアで20キロ以下で走って慎重に運転していましたが、二度ほど信号で止まる時ブレーキが効かなくて怖い思いをしました。 大きな道路の信号待ちで、向こうの道が上り坂でそこでハザードを点滅している車が止まっている。警察官が私のほうに向かって大きく手を振って静止を求めているから、信号が変わっても止まったままで待機。その車はそろりそろりとバックして大通りに出てきた。あの坂道は今から私が向かう坂。いやだな次の信号が変わって私が発車。祈る思いで「止まるな、止まるな・・」とゆっくり且つ止まらないように走り抜けた。あーあ疲れました。こんな吹雪にノーマルタイヤで走ったことは初めてです。今年の冬は初めて尽くしです。
2005.12.22
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北アルプスの懐に抱かれた渓谷の温泉…湯俣温泉高瀬川の上流、湯俣川と水俣川の合流点にあり標高1534m、泉質は単純硫化水素線泉温は42度ほど以前からこの湯俣温泉に行ってみたいと思っていました。やっと、この夏に計画したものの雨の後の増水で高瀬川が渡れずあきらめていたけれど、小屋じまいの前日に泊まることができました。写真は高瀬川の向こうにある「湯俣温泉 晴嵐荘」温泉旅館ではなく、山小屋といってよいほどです。この日は、私たちよりほかに一組しか宿泊が無く密では無いので安心して泊まることができました。夏山シーズンのころは小屋前にはテントがいっぱいですがそれも無く、冬前の静かな湯俣温泉でした。雨の中を七倉山荘前の駐車場へここでタクシーに乗り換え高瀬ダムまで向かいます。歩けばダムまで1時間かかるので、ここはお金を出しても楽させてもらいます。たくさんのタクシーが客待ちをしていました。出発する前に、このきれいなトイレで用を済ませましょう。トンネルを抜けて高瀬ダムへタクシーの中からなのでガラスの反射が写っていますが高瀬ダムのロックフィルダムの堰堤です。ジグザグに登っていきます。1969年に着工して、10年後の1979年に完成しました。東京電力の管理する発電用ダムで富山県の黒部ダムに次ぎ日本第二位の高さ、176mです。揚水式水力発電で128万キロワットを発電します。今日はその高瀬ダム調整湖の横を歩いて湯俣温泉まで行くのです。高瀬トンネルの入り口で下りました。以前はこの入り口の横にトイレがあったのに、今は撤去されています。高瀬ダムのダム湖の水の色がとてもきれいです。雨が上がったばかりで、少し雲の間から青空も見ていきました。数日前の天気予報では、雨の予報でしたのでレインウェアの上下を着て歩く覚悟でしたが雨が上がる予報に変わり、テンションが上がります。高瀬トンネルを抜けたら、広場の向こうに二つ目のトンネルの入り口ダム湖の水の色がさらにきれいになって空も明るくなって、気分も明るくなって・・・立ち枯れの木がオブジェみたいです。トンネルを抜けてダム湖の横を歩きます。紅葉している木もあって、メチャクチャ気分が良い!!ここからは山道に入ります。広場には山小屋関係者や工事関係者の車が停まっています。山に入る横にある看板ダム湖は流入する川になって広い川原に流木が散乱しています。天気は完全に晴れて、青空が出てきました。いい感じの紅葉もあって、ところどころにちゃんとした木道もありとても歩きやすい。立ち枯れの木と紅葉落ち葉と木道三番目のトンネル出口が見えているので短い出口の手前からカラマツの林と、高瀬川カラマツの紅葉道も川の流れに沿ってグニャグニャ曲がっています。このあたりから、上流の雲が流れて槍ヶ岳の北鎌尾根の方が見えてきました。しかし、目まぐるしく雲が動くので、はっきりしません。護岸工事で河原に下ります。河原から登山道に戻ったら、ナナカマドの赤い実再び、河原を歩くように誘導されます。湯俣温泉、晴嵐荘の近くまで来て河原を歩いてゆくと、大きな高瀬川の流れに突き当りどこを渡ればいいのかしばし悩みました。登山道の途中のベンチで休憩してる団体さんが、ここを渡るのに苦労して、川に落ちた人が二人いたとか・・・皆さんが、川の水が冷たいよ、怖いよ、気を付けてと、と言うのでものすごく警戒してどこを渡ればいいのか、ウロウロ探し回りましたが見つかりません。目の前に今夜のお宿、目的の湯俣温泉、晴嵐荘が見えているのに・・・結局、ウロウロしていたら、小屋の人が気が付いて出てきてくれました。その人の誘導で、写真右の飛び石を渡りましたが前半は川の中の石の上を歩き、後半は川の上に少し出ている石の上を歩きました。しかし、2~3の石はまだ動くのでとても怖くて、そして川の水の冷たいこと!!!こんな冷たい川に落ちたら心臓マヒで死んでしまいそう。ハローウィン仕様の晴嵐荘の玄関前渡り切ってホッとしていますが、足はメチャクチャ冷たい川を渡るときのゴム製のサンダルを持参しましたが、もう足指の感覚がないほどです。食堂玄関を入ったらすぐ食堂お酒のびんがズラ~ッと並んでいます。今日は昼から温度が下がって、ストーブがガンガンに炊かれています。蚕棚仕様の部屋混んでいたら個室も考えたのですが、他一組だけなので蚕棚で十分です。女湯(湯の温度が低いので、冷めにくくするためにカバーしています)お風呂に入ってゆっくりしようと思いましたがあまりに風呂温度が低くて、湯船から出られません。何とか頑張ってじっくり浸かっていましたが出たらものすごく寒くて、震えながら着替えを着て夕食まで布団の中でガタガタ震えていました。夕食は6時他の人のブログを見たときは鍋料理と小鉢だったけど今夜が最後だから食材が無いのかな・・・スパイスカレーでした。本場のスパイスを使ったのか、日本のカレーライスではなくサラリとしています。ご飯はもち麦入りで、この近くの天然記念物の噴湯丘の形をしています。明日は帰る前に、その噴湯丘を見に行きましょう。夕食の後はもうすることがないし、どんどん冷えてくるのでライトダウンと薄いウィンドブレーカーをさらに着て本当は履いて寝るつもりで持ってきた薄いズボンを、ズボンの下にはいて靴下もはいて、寒い寒いといって布団にもぐりこんだのですが布団の上に、さらに掛けた毛布(ふとんの上に掛けてと言われたので)があっても寒くて寒くてなかなか眠れず、夜が更けていきます。いつしか、うつらうつらしたのですが、夜中に2度トイレに起きて結局、6時の朝ごはんですよ~の声まで布団から出られません。朝ごはん何度も渡るのが怖いので、噴湯丘へ行ってそのまま帰ろうということで帰り支度をして渡ります。対岸の道を、晴嵐荘を右向こうに見ながら進みます。振り返ってみたら、以前の橋が橋桁だけ残して取り残されています。川の流れが変わってしまって、橋桁だけ残っていても再建しても意味がないということがよくわかります。橋は新たな流れの上に作るしかないのですが、流れは大雨の後変わるのでなかなか作れないそうです。護岸工事重機の向こうに堰堤管理小屋目の前の湯俣川の奥の流れに水蒸気の煙が上がっています。右が湯俣川、左が水俣川川の色が違います、水俣川は普通の水の色ですが湯俣川はその源流の硫黄岳の火山活動の影響で青白く濁っています。水俣川にかかったつり橋を相棒が先にわたっています。定員一名厳守です。渡り切って、右と左のどちらに行くのか一瞬迷いましたが右に行き、写真の右端の岩尾根の上に祀られている鳥居と祠の方へ向かいます。ここまでは、また川を渡るかもしれないのでサンダルのままやってきましたが、祠のある岩尾根から下るときに怖いので狭い岩尾根の上で山靴に履きなおして河原を進んでゆきます。先に出発した、もう一組が戻ってきました。すれ違って、湯俣川の右岸の歩きにくいところを遡っていくと川のあちこちで噴煙が上がっています。そこは熱くてとても足湯はできません。古い噴湯丘があります。川に打ち上げられた流木は、まるで右を向いて口を開けた竜の頭のよう川の上流には硫黄岳の尾根の向こうに、高い山が見えています。噴湯丘天然記念物の噴湯丘は温泉沈殿物が川床に堆積して盛り上がってできたもの。まるで白いおっぱいのようです。私は個人的には「おっぱい」と言いたいです。昨日の夕食のカレーのごはんは本当にこの状態でした。川を渡って近くで見たかったのですが、渡るところがわからず靴を抜いで、素足で下手に近づいたら噴出している熱湯でやけどするそうなので対岸で写真を撮っただけで、ほどほどのお湯になっているところで足湯をしましょう。30分くらい足湯で入っていました。川をと渡渉するときに冷え切った足はポカポカして体中が温まりました。これほど長く足湯していたことはありません。しかし、川から出ようと立ち上がって、体重が掛かって川床の砂の中に足がめり込んだら、砂の中はめちゃくちゃ熱くてアチチチ・・・川の中全体が下から熱せられているようです。上流の目の前の硫黄岳の尾根の向こうに、たぶん鷲羽岳の山頂部が見えています。下流の湯俣川と水俣川の合流点長い足湯を終えてポカポカした足に靴を履いてさあ、戻りましょう岩尾根を登って山の神を祀っているそうです。水俣川のつり橋を渡って看板があります。伊藤新道から三俣蓮華岳は、今は廃道となっていると聞いたけど地図には載っていなくて、通れるのかな?千天出合から槍ヶ岳は北鎌尾根を登るルートのこと一般登山道ではありません。川を渡ってくるキャタピラの車が・・・工事関係者を乗せてきたのです。晴嵐荘の対岸まで戻ってきました。さよなら晴嵐荘!!この景色忘れないよ~~天気予報よりこの日も良い天気雲一つない青空です。2台目のキャタピラの車がたくさんの工事関係者を乗せてまたやってきました。振り返ったら、北鎌尾根がくっきりと槍ヶ岳がこんなに近くに見えるなんて!!独標の右奥に槍ヶ岳の大槍の穂先ズームで下流の高瀬ダム方面は針ノ木岳と七倉岳かな少しズームもっとズームどんどん歩くとトンネルが見えてベンチが二つここで、昨日団体さんとお話しをしたっけ。暖かいひだまりです。名無避難小屋昨日はベンチに座っている団体さんに気を取られてこの名無避難小屋に気が付かず通過したのです。でもこんな道路端の小屋に気が付かないなんて…不思議小屋閉めした晴嵐荘の小屋番さんたち4人に、ここで追いついて前後して歩きます。小屋の中は意外にきれいで、畳のお部屋もあります。昨夜泊まった人の荷物がありました。登山口広場に戻ってきて、ここで小屋番さんたちはそれぞれの車に乗って帰っていきました。私たちは高瀬ダムに向かって、ここから道路を歩きます。エメラルドグリーンの湖と針ノ木岳ずっーと見ていたい良い景色帰宅しても、時々思い出すのはこの景色です。最後のトンネルを出たら高瀬ダム高瀬ダムについたら公衆電話でタクシーを呼びます。七倉にいるタクシーがすぐに来てくれて七倉に戻ってきました。急に昨日の昼から温度が下がって秋を通り越して冬になった感じのする湯俣温泉でしたが長年行きたかったけど、やっと念願がかなってそれもメチャクチャ上天気で、槍ヶ岳の北鎌尾根も見られて大満足。帰宅したら、下界ももう秋を通り越して冬みたいです。衣替えもしていないのに寒くて、大急ぎで冬の布団を引っ張り出してくるまっています。このまま冬になるのでしょうか。
2021.10.20
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土曜に登った大洞山の帰りに立ち寄った「道の駅 和良」の名物「長寿だんご」です。どうせただのみたらしだんごだろうと思っていましたが・・・うんまいまず形は、長四角柱に串を刺しています。写真ではまるで焼ちくわみたいですね。味はみたらしだんごのたれの少し薄味かな食感はフワーとやわらかい、みたらしだんごよりずーっと柔らかい。何本か食べてて、初めて気が付いたパッケージに書いてあった、豆腐で作っているんだって!!アガリスク入りだって!!この和良村(今は郡上市和良町)は男性の日本一長寿の里だって!!という事はこの団子を食べて長生きしようってこと?う~ん 元気で長生きならいいですね。いつまでも好きな山登りが出来ますよ~に願いをこめて6本食べちゃったよ~~
2006.10.30
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青年小屋の外観にしては不釣合いなログハウス的な音入れです。バイオトイレです。有料ですがきっと快適でしょうね。私は中の汲み取りトイレを使用しましたのでここにはお世話になっていません。建物の中の汲み取りトイレも、においもなくハエなどもいない清潔なトイレでした。音入れのあとにお口に入る水の話に移るのもゴメンナサイ朝、小屋から5分のところにある「乙女の水」と言う水場まで水を汲みに行きました。冷たくて美味しい水がふんだんに流れています。青年小屋の飲用水は、すべてここの水だそうです。私の後に丁度、小屋番のお兄さんが二個のポリタンク持って水汲みに来ました。はじめはパイプで汲み上げているのかと思っていたのですが、ボッカで運んでいるそうです。 ありがとうご苦労様。小屋の前のテーブルで、さっそく汲んできた水で朝食のラーメンを作って朝ごはんです。大阪のご夫婦はもう出立されたようです。レンジャーさんたちが下山のために出てこられました。一緒に写真を撮っていただいて私も下山です。小屋番のお姉さんと写真を撮って再会を約束してお別れです。途中で厚木から日帰りでこられた新ちゃんと一緒になり、会話しながら下りてきたら二時間半で駐車場に着きました。ちょうどいいペースで新ちゃんありがとうございました。道の駅小淵沢に寄って「延命の湯」に入って汗を流しました。そばの体験道場もありましたので体験しなくても食べられるので 盛りそば注文どうですか?美味しそうでしょう、美味しかったですよ。インゲンの胡麻和え、漬物、そば羊羹もついていました。これで840円デザートにソフトクリームを食べて満足濃厚でしたよ、小200円 大300円・・・これは200円の小です。予想外に早く下りてこれたので山登りと言うより観光ですね。食べ歩きとも言います。次は八ケ岳アウトレットリゾートせっかく来たのだから寄って行きましょう。そこでうれしい掘り出し物山シャツ GET行ってよかったわ~~~さてこれから国道20号で帰ります。茅野から国道152で伊那に入り、「かんてんパパ ガーデン」でクリーム蜜豆を頂きました。やっぱり食べ歩きですね。写真写すの忘れて食べはじめてしまいましたので、ちょっと崩れています。540円で~す。このあと雷と豪雨にみまわれました。飯田から高速道路で帰ってきました。雨の高速道路はすごいですね。みんな速度を落とさないのです。前や横の車のしぶきがバーってかかるのです。無事になんとか名古屋に帰ってきました。これで私の単独八ケ岳登山の旅は お し ま い長い間お付き合いありがとうございます。またまたどこかの山に出没しますのでよろしく
2006.07.19
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昨日は二回目の注射の日。前回初めての注射は死ぬほど痛くて、痛みが取れたのが夜の7時でした。でも今日の注射はチクッとしただけであっという間に終わって痛くなかった。よかった!!注射をする場所によって痛いところと痛くないところがあるそうです。先生に初詣はダブルストックで常光寺に行ったことを伝えたら、それは良かったと言ってもらえた。今日は三連休だし天気もいいので、散歩することにした。でも出発が遅くて遠くには行けないから、愛知県東加茂郡 足助町(今は豊田市)の東海自然歩道を歩くことにした。国道153は足助の町を過ぎたら雪が多くて、初め予定していた県道は凍りついていてスタッドレスタイヤでもとても通れない。仕方がないので国道153の伊勢神トンネル手前のドライブインの駐車場に止めさせてもらってそこから登ることにしました。伊勢神峠を目指して舗装道路を緩やかに登ってゆきます。もちろんダブルストックです。道路は雪が積もりそこを車が通ったために圧雪されて凍っています。ここまでの雪を想定していなかったので、軽アイゼンを持ってこなかったのが悔やまれる。なるべく踏まれていない端っこをゆっくりと登っていきました。途中2回道路のカーブをショートカットして広場に出たらそこは旧伊勢神トンネルの入り口のところです。現在の伊勢神トンネルは、昭和35年に出来た新しいトンネルで、旧伊勢神トンネルは新伊勢神トンネルとほぼ平行した少し高いところにあります。旧伊勢神トンネルは、幽霊が出るということで有名で、テレビでもたびたび取り上げられています。私も一度通り抜けたことがありますが、何も聞かされていなくてもとても怖かった。二度と通りたくない。愛知県の若者は肝試しに行くらしいのですが、ほんとうに出そうな気がするトンネルです。トンネルの左手前の道をここから山に入って行きます。風が吹くとすごく寒くて、顔がこわばります。旧伊勢神トンネルの真上あたりが、伊勢神峠で昔の中馬街道の難所だったそうです。広場になっていて、小さいながらも立派な 伊勢新宮遥拝所が伊勢の方を向いています。伊勢神宮にいけなくてもここから拝んだそうですが、残念ながら伊勢方面は見えません。「伊勢おがみ」がなまって「伊勢神」となったそうです。元旦にここを訪れて、遥拝された方がいらしゃるんじゃないでしょうか、ここまでは思ったよりも多くの足跡がついていました。ここからは今は廃業になった「いこいの村愛知」目指して山道を歩いていきます。暖かい遊歩道は、うさぎの足跡がたくさん付いています。うさぎさんがウロウロしたようです。ウンチも落ちていました。「いこいの村愛知」は公共のスポーツ・宿泊施設で野球場・テニスコート・キャンプ場・バーべキュー広場・などがあり今でもきれいですが、数年前に採算が取れず閉鎖になりました。施設はそのまま残っています。もったいないことです。何度かお手洗いだけ使わせてもらいましたが、ホテル並の施設でした。その横に東海自然歩道が通っているのです。今日は時間がないので 寧比曾岳(1121m)には登らず、その登山口である大多賀峠でUターンです。この鉄階段を登ると寧比曾岳に登る登山道です。条件が整うとこの山でも樹氷が見られるのです。今日は足慣らしのため山には登りませんでしたが、寧比曾岳~筈ヶ岳もこの時期いいコースなのでまた改めて来ます。帰りは同じ道を帰りましたが、何度か滑りそうになりわあ~きゃ~といって肩に力が入ってあ~あ疲れた。久しぶりの長い雪上歩行なので、帰宅したら膝が張っていました。
2006.01.08
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今日は阪神淡路大震災があった日です。私の実家は神戸の北、有馬温泉に近いところの山を切り開いた住宅地です。母の話によると、あの地震の揺れの怖さは、戦争の空襲を体験した母でも腰が抜けて立てなかったといいます。親兄弟はみんな怪我も無く無事でしたが、親戚の人5人亡くなりました。私の実家は、父が色々調べまくって岩盤の上に建てると言って聞かなかったのです。その後父の言っていた事が良かったと判りました。実家は電話以外は電気・水道・ガスなどすべて通常どうりで生活が出来たので、一週間くらい過ぎてからは親戚がお風呂に入りに来るようになったとか。でも皆さんが入った後、母が湯を見に行ったらすごーいお湯が汚くて垢だらけだったと言ってました。しばらくはお風呂屋さん状態だったそうです。テレビを見てすぐに実家とは電話がつながらずやきもきしましたが、弟と連絡がついて無事だと分かり、飛んでいこうと思いましたが母がまだすごい状態だから来ない方がいいというので1ヶ月過ぎてから神戸に行きました。電車の中からだんだん三宮に近づくと、崩れた家、ビルなどが次々現れこれがふるさとの神戸か・・・と言葉を失う状態でした。でも地震直後はもっとひどかったでしょう。街を歩いている人のほとんどがリュックでした。まるで戦後の買出しです。そして公園や広場などいたるところの空き地はブルーシートと瓦礫の中から集めてきた板切れで作った掘っ立て小屋がいっぱい・・・知らないけど、本当に戦後みたいでした。山で出会っておしゃべりをして神戸出身だというと、みなさんあの地震の神戸といって大変でしたねと言ってくださる。神戸は地震で有名になってしまったようです。でも驚くほど早い復興で、今はほとんど地震の面影はありません。地震で亡くなった方への慰霊と復興の願いで始まったルミナリエは今も続いています。一年一年復興し街が変わっていくけれど、家族を失った方の心はまだその日のままなのかもしれません。私たちに出来ることは、地震の恐ろしさと被害にあわれた人々の苦しみを忘れないで後世に伝えること。安らかに御眠りください、生き残った私たちはあなた方の分までありがたく生きていきます、そして永遠に忘れません。
2006.01.17
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29日(月)春日井の都市緑化植物園の築水池のシデコブシと犬山市の八曽湿地のシデコブシの両方を堪能してきました。当初はどちらにするか迷った末、春日井の築水池のシデコブシ群生地にしたのですが途中で気が変わって、犬山の八曽湿地にも行くことにしました。前回、黒平山に登った帰りに湿地の横の道を通った時にシデコブシの群生地の看板を見ていたのです。シデコブシの咲くころにまた来ようねと言っていました。築水池の南東の道を進んで行くミツバツツジが満開湖畔広場のミツバツツジはもう盛りを過ぎています。築水池の下にある湿地のシデコブシ日当たりが良いので、もう最盛期を過ぎています。やはり今年は花が早い!!ミツバツツジは最盛期月曜だからか人が少なく貸切みたいシデコブシはやはり最盛期を過ぎています。保護柵の中のハルリンドウニリンソウミズバショウミツガシワ一番谷底のシデコブシはまだ蕾の木も有りますヒゴスミレアセビも満開ミツバツツジとシデコブシの競演築水池から見る春日井三山の弥勒山(左)と大谷山(右)西高森山のすそ野のあずまやでお昼ご飯を食べていたら、突然、相棒が「西高森山に登るのをやめて、今から移動する!!」と。大慌てで犬山市の八曽自然休養林に向かいます。亀割の駐車場は満車状態ですが、何とか停められました。八曽自然休養林の「犬山ふれあいの森」中にある八曽湿地へ向かいます。亀割の駐車場から林道を歩いて行きます。両脇にはミツバツツジが満開点在して咲くミツバツツジがあるだけで気持ちが高まって歩けます。山の神の分岐今日は良い天気で暑く風も無く、サンバイザーでは暑いので帽子をかぶります。太陽はもう西に傾いて、帰って来る人はいても、こんな時間から歩く人はいません。八曽湿地のシデコブシの群生地シデコブシの向うにヤマンバがいます。ここは築水池より花が少し遅いようです。ショウジョウバカマも最盛期です。6.53ヘクタールのこの湿地は尾張北部では最大規模で、すごい本数のシデコブシの群生地です。ちょうど最盛期で、築水池より見頃です。こちらに来てよかった!!ハルリンドウの群生は今まで見たことが無いほど!!向うに展望テラスが見えます。あとで展望テラスに行って見ましょう。これでもかというほどハルリンドウの群生数ではシデコブシにも負けていません。KIKIの足元にハルリンドウがいっぱい!!シデコブシの向うの展望テラスから手をふるKIKIここは周りが植林に囲まれているので春日井の築水池より少し花が遅く、今が見ごろです。湿地に居る時からブンブン、ヘリコプターの音がしきりにするのできっとヘリコプターの基地で演習をしているのだと思って好奇心でパノラマ展望台へ急ぎます。パノラマ展望台の近くに来たらヘリコプターがホバーリングしています。人を釣り上げています。この後ヘリコプターが去って行き、もう戻って来ません。ちょうど最後の演習を見ることが出来ました。せっかくなので岩美山へ立ち寄って帰りましょう。西日が逆光になってあまりきれいに写せません。今日は盛りだくさんの花の追っかけが出来ました。シデコブシのほかにミツバツツジ、ハルリンドウが目をつぶれば瞼の裏にしっかり焼き付くほど見られました。花がたくさん咲くと、写真の枚数が増えてブログに載せるのが大変ですがただ山に登って景色を楽しむだけでなく、花を愛でる楽しみが増えます。これから夏に向けて山の楽しみが増えますね~~
2021.04.04
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朝、小屋泊にしてはゆっくり起きて雨の中、縄文杉へ向かいます。(やっぱり降ったね)と思っても雨はやっぱり心が折れます。でも(縄文杉には雨が似合う)と思い直して歩きます。大きな杉の太い根っこの階段屋久島の杉は長い年月をかけて栄養の少ない花崗岩の岩の上に根を生やすので成長が遅いそうですが、それがここまで大きくなるにはどれだけの年月が掛かったのか考えれば気が遠くなります。巨木ばかりの森を見ていると本土の木が幼木に思えてきます。新高塚小屋を出発して約1時間高塚小屋へ到着立寄らないで下の縄文杉へ向かいます。雨の中の縄文杉。高さ25.3m 周囲16.4m 樹齢2000年~7200年屋久杉とは標高500m以上の高さに生育する樹齢1000年以上の杉を言いそれ以下の樹齢の杉は小杉というそうです。昨日から、この太古の森でたくさんの大きな杉を見てきたけれど今まで見たどれよりも大きくて、威厳があって堂々とそして品良くたたずんでいます。木肌も他の縄文杉が黒っぽく苔むしているのに、縄文杉はより白っぽくまだまだ若く元気そう。下から登ってくる見物客はまだやってこない小屋に泊まった人だけが、今ここにいます。貸切状態だから、ゆっくり縄文杉と会話できるはずなのに必死で写真を撮っている。雨の勢いがすごくて、せっかくの防水カメラもレンズに水滴が付いてうまく撮れない。縄文杉の周りは立ちいれないように柵と板敷きが巡らされ、触ることは出来ませんが太古の森の穏やかな懐に抱かれて来ました。杉だけではなくヒメシャラの木も多くて雨に濡れたヒメシャラの木肌の色っぽいこと。前方に手を繋いだような夫婦杉大王杉縄文杉が見つかるまでは島内最大の木だと思われていました。ウィルソン株1179年 京都のお寺の建築のため秀吉の命令で島津藩に切り出されたという杉の株。樹齢3000年 周囲13.8m 根回り32m アメリカの植物学者、ウィルソンによって世界に知らされましたので、その名前がついたそうです。ウィルソン株の前の広場には、たくさんの人が休憩しているしウィルソン株の中にはたくさんの人が入ったり出たりしています。まるで株自体が、ひとつの家のようです。内部は空洞になっていて畳み10畳くらいの広さです。祠がまつられて居ます。空洞の中から、空が見える・・・ハートの形の穴の写真あまりにも有名ですよね。翁杉樹齢2000年 周囲12.6m縄文杉の次に大きな木でした。2010年9月10日に中が腐食して空洞化して、自分の重さに耐え切れず折れたそうで倒木もそのまま残っています。この翁杉が大株歩道から登ってきて最初に見ることの出来る大きな屋久杉です。私達は上から下りてきたから、最後の屋久杉です。下からどんどん人が登ってきます。荒川登山口から軌道をほとんど水平に歩いてきて大株歩道からは、登山道で急な斜面です。さすが世界遺産に認定されたら、木階段がついたり整備されていますが、斜面の急なのはどうしようもありません。日頃歩いていない人には、死にそうな位きつい斜面でしょうね。「もういやだ~~」と悲鳴をあげている娘さんもいました。私達は下ってゆきますが、ネイチャーガイドに連れられ雨の中を慣れぬレインウェアを着て、急斜面を登って、日帰りで帰って行く人は大変だろうなあと、思っていたら最後の急階段が見えてきました。大株歩道に下りてきました。ここからは元森林鉄道のトロッコの軌道レールを歩きます。軌道のレールの真ん中に板がありますがそれを歩く場合は滑りませんがレールの外側の枕木は滑ります。携帯トイレブースです。山の中にはログハウス調のきれいなトイレもありました。楠川分岐。白谷雲水峡へは、ここを左の山の方に入って行きます。小杉谷の苔もののけひめの世界ですね。小杉谷小・中学校跡地当時は子供達や住民で賑わったのでしょうね。今は一軒も家がありません。この後から軌道レールの真ん中の板が無くなって枕木を踏んで歩くのですがその間隔がなんとも歩きにくい。さらに、レールの真ん中が雨水で池や川になっているのでもう靴の中は水が入ってゴボゴボ言っている。いい加減この軌道歩きが嫌になって最後はやけくそで歌を歌いながら歩いてます。安房川のすごい流れ。ゴーゴーと音を立てて流れています。何度か川を横切りますが、手すりが付いていない橋を渡る時は緊張します。滑ったら濁流に落ちてしまうから、写真を撮る勇気もなくひたすら渡ります。やっと花が咲いていました。たぶんサクラツツジでしょう。花の色が白に近く薄いピンクです。この橋は両側に柵があって安心。この橋を渡って直角に右に曲がったら100mくらい先に広場が・・・荒川登山口到着、12時半。新高塚小屋7時出発5時間半座ることなく、歩き続けてお腹がすいたので、庇の下でラーメンを作ってバスを待つ間にランチです。何にも入っていないラーメンでもおいしかった~~雨はだいぶん小雨になっていましたがしっかり一日降られました。でもはじめから雨が多い所だからと覚悟していったのと、森の中の縄文杉や他の杉見物なら、雨でもあきらめられます。縄文杉には雨が似合う、ということで。安房の民宿に泊まって、明日は最後の日です。今日はお布団の上で寝られるのを楽しみに登山バスに揺られて下山しました。
2013.04.29
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鈴鹿にはカタカナ名の山が多いのです。ほかにはタイジョウ、ソノド、ハライド、ベンケイ、日本コバなど。今年春はイブネ・クラシ・チョウシに登って12日はサクラグチに登ってきました。サクラグチと聞いて鈴鹿の山を思い浮かべられるのはなかなかの鈴鹿通でしょうね。鈴鹿セブンマウンテンよりもっと奥、滋賀県側から登る山です。サクラグチは知名度も人気も低いのですが、野洲川沿いの大きな山塊を持つ存在感のある山で、以前から興味がありやっと登ることができました。日の長い時期ならほかの山との周回もありますが、日の短い秋はピストンです。まだ今なら鈴鹿スカイラインが通行できますので武平峠を越えて滋賀県側に下り、滋賀県甲賀市大河原の野洲川ダム堰堤駐車場についたら、結構な雨が降って来たので朝食を食べつつ雨が止むのを待ちます。予報通り一時間くらいで止んだので完全武装で出発。鈴鹿の山の紹介をしている西口氏の本を参考に登山口を探します。堰堤の反対側山側の落石防止ネットの横から山に入っていきます。鉄の支柱にサクラグチ登山口とマジックで書かれています。 ネットとネットの隙間から針金に引っかけないようソロリソロリ・・・すぐに荒れた谷を詰める展望の無い植林作業道も無く踏み跡もない急斜面を登ってゆきますがあまりの傾斜でジグザグに登るしかありません。目印がなく、ひたすら高いところを目指して登りますが下りではとんでもないところに下りてしまうから要所にはテープをつけて登ります。あまり歩かれていないようで、この登りは思いがけず時間がかかって風邪引きの病み上がりにはきつい山行きです。鹿除けのネットが支尾根の左斜面についていますがネットが倒れたり切れたりして地面に針金があるのがわかりません。あまり近づくと危険です。相棒は下りで地面の針金に引っかけて転倒イタイイタイと大騒ぎ自然林と植林の間を登る写真ではわかりにくいのですが、すごい斜度です。やっと緩やかになって、新しい看板を見つけてホッっと大ガレの横が唯一展望が開け真正面に能登ヶ峰が見えるはずですが雨上がりのガスで帰路に期待しましょう。ここは鮎河の方からのルートとの合流点でもあり最近はそちらからの方が整備されて登る人が多いようです。789ピーク名残の紅葉を見ながら緩やかに登ってゆくさっきまでの激登りがうそのようです。主尾根を登る西峰が近いと思って、やっと気持ち的にゆとりが出て来た頃です。すごいキノコのついた木です何のキノコでしょうか?匂いを嗅いだら意外にいい匂い!!食べられそう~~こんなにたくさんくっついているのを見たことがありません。わからないから写真だけ撮って!!気持ちの良い稜線途中のピークで、目の前に見える山がてっきり山頂だと思っていたのに急登を登り切ったら、ここが西峰。ガクッ いっぺんに疲れが出たよ~~でも気を取り直して歩こう西峰から山頂は近いので西峰と山頂の間の稜線にザックをデポして最後の登りは空身で登りましょう木に囲まれて展望の無い山頂(918m)では三等三角点が通路のようなところにポツンとあるのみ。写真を撮ったらすぐに下山。西峰と山頂の間の稜線上の、馬酔木に囲まれ風が来ないところでランチです。冷えて寒くて、あるものすべてを着込んでランチタイム。今日はウィンナーと目玉焼きとカツサンドと卵サンド。少し太陽が雲間から出て来たので帰りには大ガレからの展望も期待できそう。西峰ピークから綿向山が真正面に見えます。大ガレまで下りてきたら能登ヶ峰がはっきり見えます。鹿の楽園には今日は誰も歩いていないようですね。その後ろにベンケイの頭だけ出ています。目を左に移すと、仙ヶ岳とその右方に御所ヶ平が見えています。やっと展望が楽しめました。名残のモミジの紅葉この後はあの植林の激下りが待っています。ところどころ間違いやすいところに注意して滑りやすい植林の中を下って行きネットの間から引っかけないように下りてきます。朝は全く見えなかったサクラグチのほぼ全景が見えています。右の高いところが西峰で山頂はその奥に隠れています。やっと念願のカタカナの山名の山サクラグチに登れました。もう山は冬支度です。しばらくは低山徘徊で冬を楽しみましょう。
2014.11.13
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明日は会社だから、そんなに遠出は出来ません。という事でかねてより、気になっていた百々ヶ峰の直登コースを登る事に。松尾池のおしどりさんにも会いたいし・・・ハイ ここでクイズです。この山の名前はどう読みますか?この近辺の方なら皆さんご存知ですね。「どどがみね」と読みます。すごい響きですね。一年前にもこの山は登りましたが、今回は前回とは違って直登コースにしました。風情のある料理屋さんの合掌作りがこの池にぴったり池ではカメラを三脚につけた人が数人どんぐりを撒いて、鴨やおしどりたちを呼んでいます。私のカメラではこの大きさが限界です。おしどりは本当に綺麗な色をしていますね。(どうして動物のオスは綺麗なんでしょう?人間も男性はお化粧しないでもいいのですものね。)しばらく水鳥の写真を写して、さあ出発。このコースは岩場が続くという事でワクワク気持ちのいい雑木林をしばらく進むと斜面の傾斜がきつくなり、岩が出てきました。山頂の尾根に取り付くまで、このような岩場が続きます。前方が明るくなって開けた、丁度池の真上に当たるところに展望の素晴らしい岩があります。眼下に広がるのは池とその向こうに長良川写真では写っていませんが、右側に金華山(岐阜城)があります。そこでもゆっくり展望を楽しんで最後の急登を登りつめたら尾根に出ます。山頂目指して尾根を歩き、人の声がしてきたら山頂展望台の下です。相変わらず人の多い山でにぎやかです。ラジオつけて歩いている人、演歌を流して歩いている人・・・(この山ではクマはいないでしょうから、熊避けではないですね)金華山の山頂の城がはっきりと見えます。岐阜市内と遠くに養老山地も広がっています。展望台の下で日ざしを避けながら、正面の金華山を見ながらランチです。今日のメニューは鍋焼きうどんとおにぎりとスモークチキン食後のデザートはコーヒーと抹茶カステラ食事が終わったら西峰に行きましょう。伊吹山と能郷白山が見えています。(能郷白山の写真は写し損ねました)歩きやすい尾根道をぶらぶら歩いて行くと、西峰山頂と反射板が見えてきます。金華山にもっと近くなり、下界の車の動きまで手にとるように見えます。今回は同じ直登コースを往復しました。池まで下りたらもうカメラの人はいません。鴨やおしどりもどこにいったんでしょうか・・・日当たりのいい岩舟荘の合掌作りを見て帰ってきました。冬の散歩に丁度いい山ですね。
2007.03.22
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23日(土)春日井市 定光寺の愛岐トンネル群へ行ってきました。日本三大廃線トンネル群の一つ旧国鉄中央線の高蔵寺駅から多治見駅までの区間に残る廃線トンネル群 全部で14トンネルある内、3号から6号のトンネルの間の1.7キロ区間の一般公開です。日本三大廃線トンネル群とは碓井峠トンネル群北陸トンネル群愛岐トンネル群 です。国鉄中央線は1900年(明治33年)名古屋から多治見間が開通しましたが戦後の高速・大量輸送時代に対応できなくなり、複線電化と長大トンネルによる新線が建設され高蔵寺~多治見間の8キロ余りの軌道敷とトンネルは1966年(昭和41年)に廃線になりいつしか廃線路は藪の中に埋もれ忘れ去られました。発見のきっかけは2005年(平成17年)JR勝川駅の高架改修工事が行われ明治の赤レンガのプラットホームが撤去された時地元の古老のかすかな記憶からトンネルの探索が始まり、半年後40年間藪の中に眠っていたトンネルが姿を現しました。2007年(平成19年)有志の市民グループが発掘調査を開始して2009年(平成21年)NPO法人化して活動を本格化し経済産業省「近代化産業遺産」認定など注目を浴びることになりました。2014年NPO法人愛岐トンネル保存再生委員会はナショナルトラストとして、3号トンネルから6号トンネルまでを取得して、春と秋の2回一般公開をしています。以前から気になってはいたものの、登山と違うから行きそびれていました。骨折からちょうど1年経って、順調に回復しているかと思っていた左足がここ数日急に痛くて、まともに歩けない状態になり山に行かずに散歩して様子を見ることにして、トンネル群見学となったのです。当初はJR中央線で定光寺駅まで行くつもりでしたが(普段は普通しかとまらないが、この期間は急行も停車するようです)定光寺にも立寄ろうということで、定光寺の正伝池の駐車場に停めて定光寺川沿いを定光寺駅まで歩き、トンネル群を見学します。われらとおなじ考えの人が多くてたくさんの人が道路の横を歩いています。定光寺の入り口の横の池定光寺は帰りに立ち寄りましょう。城嶺橋(しろかねはし)じょうれいばし だと読んでしまいそうです。この橋の近くの山の上から名古屋城が見えたから付けられた名前だそうです。京都の四条大橋を模して造られたそうで、現代は3代目。向うに見える建物は、この当たりで有名な千歳楼という料理旅館の跡です。いつから閉館になっているのか調べないとわかりませんがガラスが割れてすごい廃墟です。庄内川の流れと左の山際に定光寺駅そしてその向うの山腹にはトンネルの入り口(現在のJRのトンネルの入り口)で次の古虎渓駅手前までトンネルが続きます。その結果、廃線トンネル群が取り残されたのですね。橋を渡って駅に向かう右がわは、ほとんど住む人の無い商店の跡が続きます。喫茶店が1件だけ営業していました。定光寺駅は長い階段の上電車に乗るのも一苦労です。駅から350m程歩いて愛岐トンネル群の入り口普段はゲートが閉められ公開されていません。階段を登って山に入っていきます。予想以上の人でびっくり。紅葉がとてもきれいです。入口で100円の寄付金進むとレンガ造りのトンネルが現れ、SLの絵の大きなのれんが掛かっています。延長76mの3号トンネルです。ヘッドランプと懐中電灯をもって中に入ります。両脇にはLEDの灯りもあって思ったよりも明るいトンネルを出たら左に古レールを再利用した落石防護柵がありました。刻印で八幡製鉄製とか、アメリカ カーネギー社製とか確認できます。竹林の向うに紅葉竹林が燃えているよう右下は庄内川紅葉がとてもきれいでこれだけでも十分楽しい4号トンネルすごい人出です。76mで短いので向うの出口が見えています。SLの通貨音と汽笛が聞こえて来て臨場感いっぱいです。保存再生委員会の人たちの工夫があちこちに。トンネルの中はSLの煤が付いて真っ黒足もとはゴロゴロの石で歩きにくく、捻挫しないように下をライトで照らしながら気を付けて歩きます。トンネルに入ってすぐに振り返って見ました。出口が近づいて、すごい人がいっぱい、何でしょう・・・燃えるような大モミジの紅葉です。100年前、トンネルを作るにあたりこのモミジが邪魔になり根元から切られたのが、脇からいくつかの芽がでてこのような大モミジに成長したとか。一本の釘も使わずに作られた水車(保存会の作品)5号トンネルの手前の広場はマルシェ広場お弁当や記念グッズの売店が並んでいます。私もお弁当を買いました。5号トンネルに入ります。トンネルの手前を右に行くと玉野古道を通って出口に行けます。帰りはここから玉野古道を通って帰りましょう。6号トンネルの入り口一番長い333mのトンネルで、中で曲がっているので出口が見えない。トンネル内の両脇にはLEDのラインライトが繋がって付いているので方向は迷うことなく進めるのですが、足元の凸凹はライトが要ります。足が痛くて辛くてこの長いトンネルは辛かった。6号トンネル出口この前の広場で終わりです。皆さんはお弁当を食べたり引き返したり・・・色々少しここは暗いのでKIKIたちは引き返して6号トンネルと5号トンネルの間のレンガ広場まで戻ります。レンガ広場の一段下の温かい草むらでお弁当を広げてランチタイム。レンガ広場ではカントリー音楽が演奏されて、体が自然に揺れて音楽に乗ってきます。演奏曲がこのトンネル群にぴったりなカントリーな曲で良かった。玉野古道で出口まで歩きます。山おやじと言われる大きなエノキ三位一体の木エノキ、クマノミズキ、イヌシデの三種類の木が一体になって成長。マユミの木庄内川と紅葉苔むした石積と紅葉レンガの橋と谷の水車と紅葉庄内川の水面に映る紅葉竹林と紅葉庄内川の遡上用の水路トンネル群の出口に戻って来て朝と同じに城嶺橋を渡り、定光寺川沿いを駐車場に向かって登りますが帰りには東海自然歩道を歩いて定光寺川の向うの山の中を歩きます。正伝池まで戻ってきました。正伝池定光寺尾張徳川家の祖 尾張義直公の墓所がある寺です。紅葉と桜の名所でたくさんの人が参拝していました。165段の階段段差があまりないので、そんなに歩きにくくないのですが・・・帰りには若い人が次々と滑って転んでいました。なぜって、若い人はどんどん勢いに任せて下って行くのですが路面が苔むしているのでツルツル滑るのです。お年寄りはゆっくり登ってゆっくり下りるので、滑らないのでしょう。長く緩やかな階段向うに山門臨済宗妙心寺派 定光寺本堂と紅葉暖かくて良い天気なのでたくさんの人が参拝紅葉とお堂は絵になりますね。この日、久しぶりに紅葉を堪能し、山ではないけれど自然の中でゆっくり過ごしました。左足が骨折後一年になった今頃になって、痛みが出始めたのが不安です。12月初めに術後の定期健診なので主治医に訴えてみますが・・・愛岐トンネル群の一般公開は11月中行われています。是非お近くの方は行って見てくださいね。
2019.11.24
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