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神戸市は家庭ごみの指定袋の品薄にともない、6月1日から指定袋以外の袋での排出を可能とします神戸市のごみ出しルール posted by (C)きんちゃん神戸市の家庭ゴミの分別は、・缶・びん・ペットボトル・容器包装プラスチック・大型ごみ・燃えないごみ/カセットボンベ・スプレー缶・燃えるごみとなっています。神戸市の指定袋 posted by (C)きんちゃん収集用の指定ごみ袋は4種類あります。透明の袋 posted by (C)きんちゃん家庭ごみの指定袋に関する臨時的措置https://www.city.kobe.lg.jp/a04164/kurashi/recycle/gomi/dashikata/shigen/shiteibukurorinji.html臨時的な措置として、神戸市の家庭ごみの指定袋が購入できない場合に限り、6月1日から6月30日の間、家庭ごみの指定袋以外の袋での排出を可能とします。現在、家庭ごみの指定袋については、例年以上の製造が行われておりますが、中東情勢緊迫化の影響による不安の高まりから需要が集中したことにより、一部の小売店で一時的に品切れするといった状況が生じているための措置です。臨時的措置の内容収集する袋15Lから45Lの大きさで透明または半透明(袋越しに中身の文字が見える程度)の袋色:透明または半透明(袋越しに中身の文字が見える程度)素材:ポリエチレン製の袋(ポリ袋)サイズ:15Lから45Lの大きさ厚さ:特に制限なし取っ手:あってもなくても可印字:特に制限なし収集しない袋等中身が見えない袋(袋越しに中身の文字等が見えない袋)破れやすい袋水分が染み出る袋口を縛れない袋神戸市の事業系ごみ指定袋他自治体の指定袋臨時的措置の期間2026年6月1日(月曜)から6月30日(火曜)まで※需要が安定するまでの臨時的な措置です。期間終了後は、家庭ごみの指定袋のみの収集に戻りますので、期間にはご注意ください。市民の皆様へのお願い家庭ごみの指定袋、指定袋以外の透明または半透明の袋(代替袋)について、過度な購入はお控えいただくようお願いいたします。
2026年05月31日
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湊川公園西口のツバメ その後湊川公園西口のツバメ_01 posted by (C)きんちゃん湊川公園西口のツバメの続き。ヒナは大きくなったので、巣では手狭になって、外に出てきています。湊川公園西口のツバメ_02 posted by (C)きんちゃん親鳥に餌をねだる瞬間です。
2026年05月30日
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竜が台市営住宅に咲くライラックライラック_01 posted by (C)きんちゃん竜が台市営住宅の庭に咲いていました。ライラック_02 posted by (C)きんちゃんたくさん、咲いています。ライラック_03 posted by (C)きんちゃん青空に映えて咲いています。
2026年05月29日
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マツバギク UR名谷団地の入口に咲いていましたマツバギク_01 posted by (C)きんちゃんUR名谷団地の入口に咲いている花です。可愛いですね。マツバギク_02 posted by (C)きんちゃん
2026年05月28日
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黄色のセイヨウキシンバイも咲きだしていますセイヨウキシンバイ_01 posted by (C)きんちゃんディーレスティア須磨名谷の生垣に植えられています。神戸市バス・名谷南センター前のバス停から良く見えます。セイヨウキシンバイ_02 posted by (C)きんちゃんオオキンケイギクと同じように黄色の花ですが、こちらは栽培しても問題ありません。セイヨウキシンバイ_03 posted by (C)きんちゃん
2026年05月27日
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オオキンケイギク 竜が台市営住宅や地下鉄沿線の法面に繁殖 問題ですねオオキンケイギク_01 posted by (C)きんちゃんオオキンケイギクは、北アメリカ原産の多年草で、5月から7月にかけて黄色のコスモスに似た花を咲かせます。1880年代に観賞用・緑化用として国内に導入されました。オオキンケイギクはきれいな花ですが、昔から日本で生育する植物の生育場所を奪ってしまう恐れがあることから、生態系への影響が大きいとされ、特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律により、2006年から「特定外来生物」に指定され、新たに植えたり、運んだりすることが禁止されています。市内でも道路の法面や公園、河原などで群生しており、神戸市は刈り取り等の対策を実施し、他の地域に拡散しないよう取り組んでいます。【神戸市のサイト】僕の住む近くでも、竜が台市営住宅の法面に群生しています。オオキンケイギク_02 posted by (C)きんちゃんオオキンケイギク_03 posted by (C)きんちゃん○花の特徴花はコスモスに似た形状で直径5㎝~7㎝程の頭状花(茎の先端に1つの花を付ける)花びら(舌状花)の色は黄橙色で、花の中央部(管状花)も同じ色をしている。花びらの先端には不規則に4~5つのぎざぎざがある。コスモスとは開花時期が異なっている。(コスモスは秋)
2026年05月26日
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湊川公園西口にもツバメの巣湊川公園 ツバメの巣 posted by (C)きんちゃん湊川公園西口の交差点の西側の横断歩道。北側のパン屋さんの前のツバメの巣。可愛いツバメの子どもが親がエサを届けてくれるのを待っています。
2026年05月25日
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今年も竜が台市営住宅でブラシノキブラシノキ_01 posted by (C)きんちゃん今年も竜が台市営住宅でブラシノキがたくさん咲いています。ブラシノキ_02 posted by (C)きんちゃんまるでブラシの様です。ブラシノキ_03 posted by (C)きんちゃん
2026年05月23日
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竜が台市営住宅の庭に、ガウラの花が咲いていましたガウラ_01 posted by (C)きんちゃん白い蝶が群れて飛んでいるようで、やさしい風情が感じられるといいます。ヤマモモソウともいうそうです。ガウラ_02 posted by (C)きんちゃんガウラ_03 posted by (C)きんちゃん元気に咲いていました。
2026年05月22日
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城の谷橋 車道の南側の舗装工事も終わった城の谷橋 車道舗装工事 南側_01 posted by (C)きんちゃん同じ城の谷橋の車道。今度は南側の舗装が始まっていました。5月16日(土)の朝。城の谷橋 車道舗装工事 南側_02 posted by (C)きんちゃん片側交互通行のため、停止位置の表示があります。お互い見える範囲なので信号の設置はありません。人が指示していました。城の谷橋 車道舗装工事 南側_03 posted by (C)きんちゃんさらに手前に「50m先工事中」の表示。城の谷橋 車道舗装南側完成_01 posted by (C)きんちゃん5月17日(日)の朝。城の谷橋の南側の舗装工事が終わっていました。土曜日ですけど、臨時で工事したようです。城の谷橋 車道舗装南側完成_02 posted by (C)きんちゃん北側の舗装には、この先に横断歩道があるので、ひし形マークも設置されていました。城の谷橋 舗装 雨の日_01 posted by (C)きんちゃん5月21日は朝から雨。今までは、名谷南センター前のバス停を降りてUR名谷団地まで歩く時、城の谷橋のところに水たまりができていました。今回の舗装工事で、水たまりがなくなりました。城の谷橋 舗装 雨の日_02 posted by (C)きんちゃん手前の部分に、若干水たまりがありますが、大いに改善されています。
2026年05月21日
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5月16日は高血圧の薬の処方で生田診療所に行きました生田診療所 血圧測定 posted by (C)きんちゃん5月16日の朝一番は、2カ月に1回の生田診療所の受診でした。いつもの高血圧の薬を処方してもらいます。生田診療所 生活習慣病 療養計画書 posted by (C)きんちゃんそれと合わせて、生活習慣病の療養計画書なるものをいただきました。血圧は130/70mmhgをめざす。食事摂取量を適正に。食塩・調味料を控える。間食を減らす。ゆっくり食べる。などなど…。血圧は、ほぼ範囲内に収まっていますね。食塩は控えていますし、間食はもともとしません。生田診療所 診療予約票 posted by (C)きんちゃん2カ月後の診療予約票なるものを頂きました。認知症の方のために渡しているようです。実際に、この日に来なくてもいいとの事。目安にしてくださいとの事でした。生田診療所 外来診察_01 posted by (C)きんちゃん診療体制の表をもらって帰りました。生田診療所 外来診察_02 posted by (C)きんちゃん生田診療所 OTC類似薬 posted by (C)きんちゃんOTC類似薬の保険外しの問題点を指摘するポスターが貼ってありました。
2026年05月20日
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神戸と姫路との行き帰りは山陽電車でした西元町から山陽姫路へ posted by (C)きんちゃん5月16日、神戸から姫路に行きました。生田診療所で受診してからなので、西元町駅から乗車。1020円でした。山陽姫路から板宿 posted by (C)きんちゃん5月16日。姫路から神戸への帰り。板宿で神戸市営地下鉄に乗り換えるので、830円でした。姫路 白鷺マンホール posted by (C)きんちゃん姫路市内を歩く時。マンホールのフタは白鷺でした。姫路ループバス_01 posted by (C)きんちゃん兵庫県立歴史博物館から姫路駅までの帰りは、ループバスを利用しました。昼間は満席状態でしたが、夕方だったので、空いていました。姫路ループバス_02 posted by (C)きんちゃん運賃は210円でした。姫路市バスと同じ料金。山陽電車 瀬戸内海_01 posted by (C)きんちゃん山陽電車からの車窓。明石大橋が見えます。山陽電車 瀬戸内海_02 posted by (C)きんちゃん大阪湾の風景。山陽電車 瀬戸内海_03 posted by (C)きんちゃん
2026年05月19日
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こうの史代展に続いて、妖怪・幻獣づくし展へ妖怪・幻獣づくし展 リーフ_01 posted by (C)きんちゃん妖怪・幻獣づくし展話題の「筑前化物絵巻」を本州初公開!!6月14日まで兵庫県立歴史博物館妖怪・幻獣づくし展 リーフ_02 posted by (C)きんちゃん妖怪・幻獣づくし展2026・4・25~6・14話題の「筑前化物絵巻」を本州初公開現在はキャラクター化され、さまざまなエンターテインメントの中で人気を博している日本の妖怪。しかし、妖怪は人間を超えた力を持つ自然の恐ろしさを具現化したものとして、長らく畏れの対象となっていました。妖怪と実在の生物とのあいだを揺れ動く「幻獣」の出現は、そうした畏れの感覚を呼び覚ますものでもありました。この展覧会では、妖怪や幻獣をとおして、日本人と自然とのかかわりについて考えてみたいと思います。妖怪・幻獣づくし展 チケット posted by (C)きんちゃんJAF割引で、団体料金で入れました。妖怪・幻獣づくし展 入口 posted by (C)きんちゃん大々的に宣伝。妖怪・幻獣づくし展 紹介_01 posted by (C)きんちゃん淡路人形 九尾の狐妖怪・幻獣づくし展 紹介_02 posted by (C)きんちゃん淡路人形 両面妖怪・幻獣づくし展 紹介_03 posted by (C)きんちゃん裏側はキツネの面。妖怪・幻獣づくし展 紹介_04 posted by (C)きんちゃん明治座新狂言 冨士の人穴組上三枚続人穴は富士山の噴火によってできた溶岩洞穴で、仁田四郎忠常が源頼朝に命じられてその内部を探検したという伝説が残っている。『富士の人穴草子』では、仁田四郎は人穴の中で十二単の女房などに姿を変えた富士山の神浅間大菩薩と出会い、地獄・餓鬼・畜生などの六道や閻魔庁・極楽を巡ったのち帰還する。これは、人穴巡りを筋立てに取り入れた明治34年(1901)3月5日明治座初演の歌舞伎『和田合戦誠忠録』の一場面を、組上絵(ペーパークラフト)に仕立てたもの。巨大なムササビの怪物を組み伏せた仁田四郎の前に、女房姿の浅間大菩薩が現れた場面が再現されている。妖怪・幻獣づくし展 紹介_05 posted by (C)きんちゃん蛇骨(じゃこつ)「蛇骨」と墨書された桐箱に収められた、生き物の顎の骨と思われるもの。箱の中に入っていた書付には、児島の常山(岡山県玉野市)の主は長さ三■間(30間とすると55m)、胴回り八、九尺(3m弱)という途方もない大蛇で、人民を殺害するので放置しておけず、退治することにした、と記されている。この資料は自然史資料として収蔵されていたためその存在に気づかれなかったが、歴史・民俗と自然史の両方にまたがる今回の展覧会の準備中に、あらためて発見されることになった。なお、鳥取県立博物館の自然史担当学芸員によれば、この骨は「大型ネコ科動物の顎の骨の一部」であるとのことである。妖怪・幻獣づくし展 紹介_06 posted by (C)きんちゃん蛇骨(じゃこつ)の説明。妖怪・幻獣づくし展 紹介_07 posted by (C)きんちゃん人魚のミイラ大阪市浪速区にある黄檗宗瑞龍寺は、鉄眼禅師によって再興されたため鉄眼寺(てつげん寺)の愛称で親しまれている。同寺には、人魚・河童・龍のミイラが伝来しており(普段は非公開)、木箱に記された墨書銘文によれば、天和2年(1680)に寄贈されたものとされている(この年は鉄眼禅師の没年である)。もと堺の豪商であった万代四郎兵衛が中国から輸入したものとも書われているが、詳しい由来はわかっていない。瑞龍寺は昭和20年(1945)3月の大阪大空襲で建物が全焼したが、これらのミイラは奇跡的に焼失を免れた。妖怪・幻獣づくし展 紹介_08 posted by (C)きんちゃん人魚のミイラ和歌山県海草郡紀美野町の惣福寺に伝えられていたという人魚のミイラ。X線写真による解析により、頭部や上半身は張り子細工、下半身や歯の部分にはカサゴなどの魚の一部を用いていることがわかっている。妖怪・幻獣づくし展 紹介_09 posted by (C)きんちゃん龍のミイラ人魚・河童のミイラと共に瑞龍寺に伝来していた龍のミイラ。「龍骨」など、龍の遺物とされるものは各地の寺社に伝わっており、その多くが雨乞い祈願など霊験があるとされているが、この龍のミイラには特にそういった話は伝わっておらず、詳細は不明である。妖怪・幻獣づくし展 紹介_10 posted by (C)きんちゃん河童のミイラ人魚・龍のミイラと共に大阪の瑞龍寺に伝来していた河童のミイラ。一時期「水上様」として祀られていたこともあるとされるが、現在は非公開。妖怪・幻獣づくし展 紹介_11 posted by (C)きんちゃん件(くだん)之図安政7年(正しくは万延元年:1860)に備前国和気郡井田村(岡山県備前市)で生まれたという「件」を描いた図。岡山藩に届け出た公的な文書の写しであるため、この「件」が実際に生まれたものであることは間違いない。「件」が生まれたという噂話は多く残されているが、実際に「件」が生まれたことを記録したものは少なく、貴重である。ちなみに予言の話しは記されていない。令和2年(2020)の特別展「驚異と怪異―モンスターは告げる―」が新型コロナ感染拡大のため開幕を延期していた最中に、館蔵資料の中から偶然に発見され、急遽展示資料として追加されたことが話題となった。妖怪・幻獣づくし展 紹介_12 posted by (C)きんちゃん件(くだん)の剥製「件」とは人間の顔を持った牛で、母牛から生まれると人間の言葉で予書を伝え、すぐに死んでしまうという。実話怪談集『噺耳袋』で知られる作家の木原浩勝氏は、平成16年(2004)に群馬県沼田市の興行師の遺族から、見世物興行に使われていた「件」の剥製を譲り受けた。「件」の伝承は西日本が中心であったために、「牛人間」という名前で興行が行われていたようで、予言の話も付随せず、「仙吉地蔵」という地蔵の由来譚と結びつけた紙芝居の上演が同時に行われていた。背中側の毛が摩耗しており、あるいはご利益があるという触れ込みで見物人に撫でさせていたのかもしれない。妖怪・幻獣づくし展 紹介_13 posted by (C)きんちゃん筑前化物絵巻テレビ東京系のパラエディ番組「開運!なんでも鑑定団」に出品されたことで、大きな話題となった絵巻。数多くの妖怪・幻獣の目撃譚が記されているが、それまでほとんど類例が知られていなかった絵柄と内容が衝撃を与えた。絵巻の作者は現在の福岡県筑紫野市の二日市温泉周辺在住の入物であったと推定され、温泉を訪れた湯治客などから聞いた諸国の奇談を絵巻に仕立てたものと考えられている。既存の定型的な表現に頼らず、自然物の観察に基づいて描いたという妖怪の絵はオリジナリティに満ち溢れおり、とりわけ節足動物のような妖怪の造形には、本草学的な関心を感じ取ることができる。妖怪・幻獣づくし展 紹介_14 posted by (C)きんちゃん妖怪・幻獣づくし展 紹介_15 posted by (C)きんちゃん妖怪・幻獣づくし展 紹介_16 posted by (C)きんちゃん妖怪・幻獣づくし展 紹介_17 posted by (C)きんちゃん妖怪・幻獣づくし展 紹介_18 posted by (C)きんちゃん妖怪・幻獣づくし展 紹介_19 posted by (C)きんちゃん蚘虫(かいちゅう)異形図「蚘虫」とは寄生虫のこと。江戸牛込払方町(東京都新宿区)に住む13歳の武家の娘の腹の中から出てきたという異形の虫の姿を写したものとされている。明らかにこちらに向けて満面の笑みを浮かべているのだが、こんな虫が本当にいたのだろうか。妖怪・幻獣づくし展 紹介_20 posted by (C)きんちゃん異鳥図(いちょうず)新出資料。肥前国平戸(長崎県平戸市)に現れ、自分は神の使いで、来年より7年の間は豊作が続くが、九死一生(致死率9割)の悪病が流行するので、我が形を写して見れば病を免れ万福長久になると言い残して飛び去ったという。長野栄俊編『予言獣大図鑑』によれば、この「異鳥」系統の予言獣の資料は令和5年(2023)の時点で5例のみであり、類例が少ない部類に入る。その顔もまちまちで、この資料はその中でも最も人面に近い。妖怪・幻獣づくし展 紹介_21 posted by (C)きんちゃん龍を描いた土器(池上曽根遺跡出土)妖怪・幻獣づくし展 紹介_22 posted by (C)きんちゃんクチナワサン(大山町安原)日本各地の妖怪・幻獣を楽しめました。追儺面 黒田庄 荘厳寺 posted by (C)きんちゃん追儺面 黒田庄 荘厳寺その他、常設展では兵庫県の祭りの道具などが展示されていました。
2026年05月18日
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姫路文学館へ漫画家生活30周年こうの史代展を観に行ったこうの史代展 リーフ_01 posted by (C)きんちゃん後期展は6月21日まで。こうの史代展 リーフ_02 posted by (C)きんちゃん漫画家生活30周年 こうの史代展こうの史代(1968-)は、漫画というフィールドで、実に多彩な表現活動をしてきました。お花屋さんが舞台のコミカルなショートストーリー連載『街角花だより」(1995)でデビューし、インコとの日常を描く4コマ漫画『ぴっぴら帳(ノート)』(1997-2004)で人気を博します。ニワトリと少女のユニークな日々を綴った「こっこさん』(1999-2001)も忘れることはできません“命あるものと共にある日常”を見つめた、これら初期作品の世界観があって、『夕凪の街桜の国』(2003/2004)、『この世界の片隅に」(2006-2009)へつながっていくことになります。もちろん、それは到達点ではありません。こうの史代はさらに先へ進みます。漫画という表現に、誰よりも強い好奇心を持っているからです。非凡なアイデア満載の『平凡倶楽部』(2006-2010)で読者を驚かせたかと思えば、『ぼおるぺん古事記』(2011-2012)ではボールペンだけで「古事記」を忠実に漫画化しました。東日本大震災の翌年から連載を開始した『日の鳥』(2012-)は、妻を探す雄鶏の目を借りて、移りゆく時の流れをスケッチしています。漫符を素材にした画期的な漫画図鑑『ギガタウン漫符図譜』(2015-2017)、「百人一首」と遊んだ華麗なカラー1コマ漫画『百一 hyakuichi』(2018-2020)、「般若心経」をコロナ禍と重ね、2色の線が絡み合う最新長編『空色心経』(2023-2025)など、新しい漫画の可能性へ向けて、挑戦は続きます。こうの史代の特徴として、アシスタントを使っていないことが挙げられます。そのため、どの線にも彼女の気持ちがこもっています。たった一人で描いた「1枚の絵」として原画を見ることで、これまで気づかなかった線の魅力、色の力を感じていただけることでしょう。本展では、10代の時の作品から最新作まで、500枚以上の漫画原画を展示します。そのほかデビュー以前の貴重な資料の数々、膨大な挿絵原画、絵本原画、ブログ「こうのの日々」に登場するスケッチブック、執筆風景を記録した初公開の映像など、こうの史代の画業のすべてがわかる展覧会です。会場の広さの都合から、前期と後期で、ほとんどの作品を展示替えする予定です。見ていただくには、少し面倒をかけてしまいます。でも、この姫路文学館から初めて展示される、今年連載が始まった漫画原画の展示もございます。前期後期、どちらを見てくださっても、充実の内容です!(もちろん、両方見ていただくのもうれしいです!)楽しみに待っていてくださいね。*前期後期の展示リストは姫路文学館ホームページで公開予定です。こうの史代 Profile1968年生まれ。広島大学中退。放送大学卒。1995年漫画家デビュー。『長い道』『さんさん録』『空色心経』など作品多数。『夕凪の街 桜の国』で多くの読者に感動をもたらす。アニメーション映画『この世界の片隅に』(監督:片渕須直)が大ヒットを記録。最新刊に『ヒジヤマさん 星の音 森のうた こうの史代短編集』。現在「小説新潮」で、1ページ漫画『かぐやサン』を、「週刊漫画ゴラク」で『日の鳥』に連なる新作漫画『イメル・フウリ』を連載中。ブログ「こうのの日々」では日々の写真やスケッチを公開している。こうの史代展 入口_01 posted by (C)きんちゃん姫路文学館に行きました。入口に、『この世界の片隅に』のすずとリンが描かれています。こうの史代展 入口_02 posted by (C)きんちゃんまずは北館に行くように案内されています。こうの史代展 入口_03 posted by (C)きんちゃん第1会場、第2会場、第3会場の順でまわります。スロープで中2階の第1会場に行きました。第1会場は写真はダメでした。こうの史代展 入口_04 posted by (C)きんちゃん第2会場。『ギガタウン 漫符図譜』のウサギが写真OKと言っています。こうの史代展 原画の数々_01 posted by (C)きんちゃんコロナ禍の現実と「般若心経」の世界が、2色の糸のようにより合わせてある。切れ目はない。呼吸のように、静かに、つながっている。本展では各作品を、1編ごと、1話ごとを基本単位として展示してきているが、この『空色心経』に関しては、あえて抜粋にしてある。ひとつながりの世界でありながらも、多様に展開していく様子がみてとれる。こうの史代展 原画の数々_02 posted by (C)きんちゃん『空色心経』のワンシーン。こうの史代展 原画の数々_03 posted by (C)きんちゃん5歳の頃の絵裏面に祖母の字で「5才 菅原史代」とある。祖母が大切に保存していた。絵は「その絵を保存していた人の気持ち」も保存することができる。こうの史代展 原画の数々_04 posted by (C)きんちゃん高校生の時に描いた漫画。「仲井多真依」はこうののペンネーム。おそらく全4話で、2話分の原画が残っている。友達や弟と同人誌を作った時に描いた原稿である。ルーズリーフに描き、途中から鉛筆になるなど、中学時代の「本物志向」とは異なり、無理せず楽しんで描いている。愛らしいタッチで、現在の作品にも通じる。特徴的な、やや大きめの手の表現は今と同じといえる。こうの史代展 原画の数々_05 posted by (C)きんちゃん小学校の理科ノート漢字から判断すると小学3年生くらいだろうか。こうの史代展 原画の数々_06 posted by (C)きんちゃん武士の怒りをかって、この後、町人が切られるシーン。こうの史代展 原画の数々_07 posted by (C)きんちゃん『この世界の片隅に』炭の代わりに、落ち葉で代用炭団をつくっているところ。戦況はいよいよ最悪の方へ進み始め、生活は疲弊してきた。こうの史代展 原画の数々_08 posted by (C)きんちゃん『この世界の片隅に』玉音放送を聴いた後のすずの行動。こうの史代展 原画の数々_09 posted by (C)きんちゃん『日の鳥』のワンシーン東日本大震災の被災地を訪れ、1枚のボールペン画に仕上げ、「わたくし」を描き込む。本作は、こうのが実際に歩き、見た光景が描かれている。見つからない妻を探す「わたくし」の物語であり、こうの自身の終わらない旅の記録でもある。こうの史代展 原画の数々_10 posted by (C)きんちゃん怪物によって村が壊滅し、訳もわからず逃げる場面から物語始まる。連載が始まって7回分は輪郭線が使われなかった。このお話はガッチリ色を塗った方が迫力が出ていいかも、と張り切って厚塗りで描き始めたという。ただ、ウェブで読む場合は全てカラーで表示されるが、紙ではモノクロ印刷の日もあるため見づらいと気づき、また多数の登場人物を明確にかき分ける必要もあって、輪郭線を引くようになった。筆は水彩用筆のほか面相筆など用途に応じて変えている。画材は紙はワトソン紙、下絵は色鉛筆(カラシ色あるいは黄色)、彩色はホルベイン透明水彩絵具。こうのはカラー原画は30年来この水彩絵具を使用している。新聞連載小説には毎回挿絵がある。絵は、時には言葉以上に雄弁に語ってしまう。こうのは厳密に小説のイメージを再現しながら、その不気味さを、色と造形による明快な迫力でビジュアル化した。こうの史代展 原画の数々_11 posted by (C)きんちゃん本のこども見開き2ページで様々な折り方、製本の方法を学べる、自己言及的な仕掛けに満ちた究極の学習漫画。この漫画に描かれている通りに切ったり折ったりしていくと、その本そのものになる。表紙の色は、増刷のたびに変わる。本展の開催を記念して増刷された。こうの史代展 原画の数々_12 posted by (C)きんちゃん『日の鳥』の番外編として発表された。『日の鳥』は、時間をかけながら、東日本大震災の被災地を巡るスケッチから漫画へと飛翔していく。番外編は、現在までのところ、このほかに「明るい未来の森」が描かれている。この後も描かれる予定だというこうの史代展 原画の数々_13 posted by (C)きんちゃん「真砂」と(漢字で)呼ばれている少女が夜空を見つめている。「うぶめ」とは難産のため死んだ女性の霊、妖怪のこと。真砂の母親は出産の際に死に、「うぶめ」として、「あの鳥」になったと言っている。だが「言っている」のは誰だろう。後ろ姿だけでわからない。女性のようだが、説明もない。女性は「じいさまもいつかわかってくれる」とも言うが、「じい様」とは?5コマ目の、背中を向け横たわっている人物だろうか。「…か」「ちか…」と寝言をいっているが、出産で亡くなった自分の娘のこと、孫の真砂の母のことを想っているのだろかこうの史代展 原画の数々_14 posted by (C)きんちゃん『ぼうるぺん古事記』に登場するあまてらす。こうの史代展 出版本の購読_01 posted by (C)きんちゃん出版本の紹介。こうの史代展 出版本の購読_02 posted by (C)きんちゃん『百一 hyakuichi』 百人一首に現在風の絵を添えている。こうの史代展 第4展示室へ posted by (C)きんちゃん第4展示室は、南館。スロープで移動。こうの史代展 スタンプ posted by (C)きんちゃん各展示室でスタンプを押しました。こうの史代展 ありがとう posted by (C)きんちゃん第4展示室の出口で、『ぴっぴら帳』のインコが「またね!」と。こうの史代の原画を存分に楽しみました。「百一 hyakuichi』が気に入ったので、買うことにしました。
2026年05月18日
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城の谷橋 歩道に続いて車道の補修です城の谷橋 車道改修中_01 posted by (C)きんちゃん5月13日。城の谷橋の歩道に続いて車道でも改修工事が始まっていました。城の谷橋 車道改修中_02 posted by (C)きんちゃん片側一車線をふさいでの工事です。城の谷橋 車道舗装工事続き_01 posted by (C)きんちゃん5月14日の朝。前日の午後から降った雨が道路にたまっています。城の谷橋 車道舗装工事続き_02 posted by (C)きんちゃん水が引かないと、工事は難しそうですね。城の谷橋 車道舗装完了_01 posted by (C)きんちゃん5月15日の朝。水が溜まって工事が難しそうと思っていましたが、車道の舗装工事は終わっていました。城の谷橋 車道舗装完了_02 posted by (C)きんちゃん15日は、反対側の車道の工事でしょうか。
2026年05月15日
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4週間ぶりになかはら整形せぼねクリニックを受診なかはら整形せぼねクリニック受診_01 posted by (C)きんちゃん5月14日は、4週間ぶりになかはら整形せぼねクリニックを受診。整形一般に、骨粗しょう症・リウマチなど。1年前に来た時と比べると、格段に元気になっているね。介護認定が変わる(同じ要支援1でも軽い方になった)のは、国の基準なので仕方ない事。はかはら医師は、頑張ってくださいと励ましてくれました。なかはら整形せぼねクリニック受診_02 posted by (C)きんちゃん診察券に健康保険の資格確認書です。マイナンバーカードを取得していないもので…。骨粗しょう症 注射針返却 posted by (C)きんちゃんこの4週間で、骨粗しょう症の皮下注射をした注射針。診察の際に返却します。テリパラチド皮下注射キット posted by (C)きんちゃんなかはら整形せぼねクリニックのお隣の、薬局クオリア みなとがわ店で、骨粗しょう症の薬を処方してもらいました。保冷剤を持参。職場と自宅では冷蔵庫で保管。
2026年05月14日
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城の谷橋の歩道の舗装工事城の谷橋 歩道舗装工事_01 posted by (C)きんちゃん5月12日の朝。出勤の際、城の谷橋の歩道。舗装工事のためう回路が出来ていました。城の谷橋 歩道舗装工事_02 posted by (C)きんちゃん車道の端をコーンで仕切って歩行車通路を作っていました。城の谷橋 歩道舗装工事_03 posted by (C)きんちゃん城の谷橋 歩道舗装工事_04 posted by (C)きんちゃん歩道の部分。これから舗装するんでしょうね。城の谷橋 歩道舗装工事_05 posted by (C)きんちゃん橋の手前から通行止めにしていました。城の谷橋 歩道舗装完成 posted by (C)きんちゃん翌日見ると、歩道の舗装はすっかり出来上がっていました。その代わり、車道部分を掘り起こしていました。
2026年05月13日
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いつもお世話になっているコープ名谷 赤字だそうで、応援でほとんど毎日買い物していますコープこうべ限定クーポン02 posted by (C)きんちゃんいつも利用しているコープ名谷店。UR名谷のお隣だけあってお世話になっています。7月31日までの限定クーポンが届いています。500円以上ご利用いただいたかたに3ポイント進呈。コープこうべ限定クーポン01 posted by (C)きんちゃんご利用の組合員さまへコープ名谷の収支改善に向けたご利用のお願い日頃より、コープ名谷をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。当店は、2018年7月から現在の店舗で営業していますが、地域や業種を超えた競争の激化により、店舗収支は赤字で、厳しい経営状況が続いております。当店の2025年度(12月累計)の収支は、1,000円分の商品を供給するために、1,116円の費用が掛かる(116円の赤字)という状況です。店舗の営業を継続していくためにも、供給高(売上高に相当)の向上にご協力をお願いいたします。店舗の収支改善に向けて、接客をはじめとした基本業務を徹底し、組合員の皆さまに気持ちよくご利用いただける店舗運営に努めるとともに、経費の見直しも進めてまいります。組合員の皆さまには、このはがき表面の限定クーポンも活用のうえ、より一層のご利用を賜りますよう、引さ続きよろしくお願い申し上げます。コープこうべ限定クーポン 使用 posted by (C)きんちゃんスマホのホルダーにハガキを折って入れて、コープこうべのアプリとセットで利用しています。コープ名谷店。無くなっては困りますから、頑張って欲しい。僕が買い物に行くときは、レジに誰もいない事はなく回転はしていると思います。1階だけの店舗としては品揃えはそこそこです。お菓子類は賞味期限間近の商品を安売りしているようですが、野菜、魚介類、お肉などの廃棄の問題がありそうです。
2026年05月12日
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ナンキンハゼの新緑がより鮮やかにナンキンハゼの新緑_01 posted by (C)きんちゃん名谷南センター前のバス停。ナンキンハゼの新緑がより鮮やかになって来ました。ナンキンハゼの新緑_02 posted by (C)きんちゃんナンキンハゼの新緑_03 posted by (C)きんちゃん青空に映えています。ナンキンハゼの新緑_04 posted by (C)きんちゃん
2026年05月11日
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加藤登紀子 コンサート 明日への讃歌~ジーナの生きた100年~に行って来た加藤登紀子 明日への讃歌 ビラ01 posted by (C)きんちゃん加藤登紀子 コンサート2026明日への讃歌ジーナの生きた100年5月9日(土)14:00開演(13:30開場)兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール加藤登紀子 明日への讃歌 ビラ02 posted by (C)きんちゃん「紅の豚」でジーナが歌った「さくらんぼの実ころ」は、遠く1871、パリで起こった市民革命の中で生まれた歌です。ジーナはこの美しい歴史を、50年後のみんなに歌って聞かせていいます。「紅の豚」の時代はもう次に戦争がはじまろうとしていた1929年から30年ごろ。その後を生きたジーナの歳月を加藤登紀子が歌い続け大切な歌で綴ります。兵庫県立芸術文化センター posted by (C)きんちゃん兵庫県立芸術文化センター阪急西宮北口駅、南改札を出てペデストリアンデッキを通り徒歩2分阪急 中ホール posted by (C)きんちゃん阪急中ホールでの公演でした。加藤登紀子コンサートチケット posted by (C)きんちゃんチケットはチケットぴあで購入。ファミリーマートで発券。1階のH1席。一番端っこの席でしたが、ステージと同じ高さで、登紀子さんを間近で感じられました。加藤登紀子 明日への讃歌パンフ01 posted by (C)きんちゃんコンサートのパンフです。加藤登紀子 明日への讃歌パンフ02 posted by (C)きんちゃんTOKIKO KATOCONCERT 2026明日への讃歌~ジーナの生きた100年~「ジーナの生きた100年」映画「紅の豚」は1929年ごろが舞台です。その時、もう30代半ばだったとすると、ジーナは1893年生まれくらい。19世紀なんて言うと大昔みたいだけど、私はその50年後の1943年に生まれています。たった50歳違い!?ジーナは私が生まれた頃、あのホテル・アドレアーノで何を歌っていたでしょうか?第二欠大戦の真っ最中。「リリー・マルレーン」が聴こえてきます。ナチス・ドイツの攻め込んで来たバルカン半島で、ポルコはきっと、命をかけて抵抗していたでしょう。名もなきパルチザン兵士として。ジーナとポルコが生きた100年。私の大切にしてきた歌が、そこに重なります。戦争を終わらせたい!!それは人が求め続けた100年の悲願です。加藤登紀子 明日への讃歌パンフ03 posted by (C)きんちゃん加藤登紀子 明日への讃歌パンフ04 posted by (C)きんちゃん1.百万本のバラ作詞:Andrej Voznesenskij 作曲:Raimonds Pauls日本語詞:加藤登紀子1980年代初頭、当時のソ連の自治国ラトビアで子守唄として生まれた曲が、ジョージアの貧しい画家、ニコ・ピロスマニをモデルにした愛の歌になり、アーラ・プガチョワが歌って大ヒットした。加藤登紀子は85年から日本語訳詞を作り歌い始めた。その後、人々に愛され代表曲となる。加藤登紀子はこの歌との出会いに感謝を込めて、2015年ラトビアで、2023年ジョージアでコンサート行った。2.明日への讃歌作詞:加藤登紀子 作曲:長谷川きよし1978年長谷川きよしの曲に加藤登紀子が歌詞をつけジョイントライブでデュエットした歌。60周年企画アルバム「明日への讃歌」の中にソロ曲として初レコーディング。多くの人と出逢い、別れを告げた今だからこそ、この歌をと、思いを込めて。3.知床旅情作詞・作曲:森繁久彌1960年森繁久彌が映画「地の涯に生きるもの」のロケ地の知床の人々に贈った歌。加藤登紀子は1968年、のちに獄中結婚する夫、藤本敏夫の歌で知る。この歌をめぐる秘話は、新刊「ま・さ・かの学校」で。4.生きてりゃいいさ作詞・作曲:河島英五1979年河島英五から贈られた歌。河島英五との楽しい出逢い、そして若くして亡くなった壮絶の晩年を「さ・か・さの学校」に書いている。5.I LOVE YOU作詞・作曲:尾崎豊1984年、日比谷野音でのま・さ・かの出逢い。加膝登紀子は92年、尾崎豊の没後、この歌を歌い始めた。アルバム「SONGS」にレコーディング。6.難破船作調・作曲:加藤登紀子2つの流れ星が交差した奇跡。衝撃の出逢いがこの大ヒット曲を世に送り出した。今、アジア各地でカバーされている。加藤登紀子 明日への讃歌パンフ05 posted by (C)きんちゃん7.時には昔の話を作詞・作曲:加藤登紀子1987年アルバム「My Story」のレコーディング最終日に作詞作曲。5年後に、加藤登紀子が歌って、映画「紅の豚」のラストテーマになる。年月を経て、さらに広がり、多くのアーティストにカバーされて、大切に歌われている歌。8.さくらんぼの実る頃作詞:J.B.Clement 作曲:A.Renard日本語詞:加藤登紀子フランスのパリ・コミューンのリーダー、ジャン・バティスト・クレマンが亡命中に作詞。1871年、パリ・コミューン敗北の後、多くの犠牲者を偲んで歌われてきた。国歌のように愛されており、多くのアーティストがいとしんで歌ってきた歌。映画「紅の豚」ではジーナが歌っている。9.悲しき天使作詞・作曲:Gene Raskin日本語詞:加藤登紀子1924年革命後のソ連で大ヒットしたロシアン・ロマンス。スターリンに粛清されて禁止歌になり、国外に逃れた亡命路詩人(亡命ロシア人?)によって歌われてきた。1968年、ビートルズのポール・マッカートニーのプロデュースでメリー・ホプキンが歌い世界的なヒット曲に。10.暗い日曜日作詞:Laszlo Javor 作曲:Seress Rezs日本語詞:加藤登紀子恐慌で世界が混乱した時代に、フランスの歌手ダミアが歌い、世界的な大ヒット曲に。加藤登紀子は中学時代にダミアのシャンソンに出会い、毎日のように聞いていた。歌手としては1970年のアルバム「美しい5月のパリ」に初収録。その後、2006年アルバム「シャントゥーズTOKIKO~仏蘭西情歌~」に日本語訳をつけてレコーディング。11.リリー・マルレーン作詞・作曲:Hans Leip、Norbert Schultze日本語詞:加藤登紀子第二次世界大戦中、ドイツで生まれたキャバレーソング。売れなかったレコードがなぜか戦場放送で放送され、塹壕を挟んだドイツ軍、連合軍の兵士たちに愛され、この詩がマレーネ・ディートリヒに手渡された。戦後、マレーネは戦争に関わったすべての国で歌い、平和を願った。1970年、マレーネ・ディートリヒが大阪万博で来日して歌った時期に、加藤登紀子が初めてレコーディング。12.今日は帰れない作詞.作曲、Stanislaw Magierski日本語詞、加藤登紀子ポーランドで労働組合、連帯が反ソの火を掲げた時、パリに亡命した歌手、アンナ・プリュクナルの歌でこの歌を知った加藤は、日本語に翻訳し、1982年坂本龍一とアルバム「愛はすべてを赦す」にこの曲を収録した。当時は作者不詳とされていたが、その後、作詞曲者がわかり、2013年、加藤登紀子は作者の家旅を訪ねた。曲が作られたのは1943年12月クリスマスの後ぐらい。ちょうど登紀子の誕生日の頃。13.花はどこへ行った作詞・作曲:Pete Seeger日本語詞:加藤登紀子1950年代末ごろ、レッド・パージで仕事ができなかったピート・シーガーは、ロシアの文豪、ショーロホフの小説「静かなドン」の中に、コサックの子守唄を見つけ、メモしておいたその数行を元に作った反戦歌。60年代フォークソングとして知られたが、加藤登紀子は2018年、自身の日本語訳で歌い、その後、2022年ロシアのウクライナ侵攻の直後に被難者支援CDを制作、そのアルバム「果てなき大地の上に」に収録。14.Imagine作詞・作曲:John Lennon, Yoko Ono日本語詞:加藤登紀子1971年、ジョン・レノンが作詞作曲。1980年ジョンが凶弾に倒れ、亡くなった後、歌い始めた。1981年オノ・ヨーコに手紙を書き、ニューヨークで初対面。詳細は「ま・さ・かの学校」に。15.君が生まれたあの日作詞・作曲:加藤登紀子2010年にレコーディング。菅野よう子のアレンジが素晴らしく、加藤登紀子はコンサートのラストに歌い続けている。2025年ハルビンでのコンサートでもラストに歌った。加藤登紀子 明日への讃歌 新聞記事 posted by (C)きんちゃん不戦の誓いから100年今こそ歌う世界で絶えぬ戦火 「命の側に立ちたい」加藤登紀子さん 兵庫・西宮で来月9日コンサート歌手の加藤登紀子さんが、戦争のない世界への願いを込めて、国際社会が切に平和を追い求めた100年前の時代をテーマに、ゆかりの深い兵庫県西宮市で5月9日にコンサートを開く。コンサートの題名は「明日への讃歌ジーナの生きた100年」。加藤さんは、宮崎駿監督の依頼でアニメ映画「紅の豚」(1992年)に登場するマダム・ジーナ役の声優を演じ、主題歌をはじめ歌も担当した。「紅の豚」は20~30年代のイタリア・アドリア海を舞台にした飛行艇の操縦士たちの物語で、ホテル経営者で歌手のジーナは彼らから慕われ、歌声で励ます。劇中でジーナも歌う映画の主題歌がシャンソンの「さくらんぼの実る頃」。フランスで労働者らが蜂起した市民革動「パリ・コミューン」(1871年)の渦中に誕生した。取材に応じた加藤さんは「どんなに時が過ぎても、あの日のことは忘れないと、あきらめや絶望の中で希望蓬与えてくれる歌です。ジーナは、夢に燃えていた飛行機乗りたちが、戦争で死んでいくという運命を経験します。『紅の豚』はもう戦争は嫌だとう身に染みた気持ちが表現された作品で、私の思いと重なります」と話した。第1次世界大戦の甚大な被害を踏まえ、国際連盟が1920年に設立された。28年成立のパリ不戦条約は「国際紛争解決のために戦争に訴えることを非難し、国家政策の手段として戦争を放棄する」ことを掲げた。だが、不戦条約に参加していたドイツや日本が30年代に隣国との戦争へと突き進み、第2次大戦で人類は大量殺戮(さつりく)を犯す。不戦条約の精神は、国連憲章や日本国憲法9条が引き継いでいる。加藤さんは「何とかして再び世界大戦を起こさないようにと国際社会が必死に平和を求めた時代を、今こそ思い出したい」と呼びかける。コンサートでは「さくらんぼの実る頃」や「時には昔の話を」など「紅の豚」に登場した歌を披露する。「世界中の人々が平和の中に生きている」ことへの祈りを込めた「イマジン」なども歌う。世界各地で続く戦火の日々、子どもを含む無辜(むこ)の市民が命を奪われている。不条理を前に絶望感に襲われても、「そっと命の側に立つ」ことだけは忘れないようにしたいと加藤さんは語る。戦争中に旧満州(中国東北部)のハルビンで生まれ、戦後、現地の人々に助けられながら、母や兄姉と引き揚げた自身の体験が下地にある。「戦争で追われる身となった日本人をそっと見守り、支えてくれた中国の人々がいたからこそ、私たちは生きのびられた。いまも無数にいる戦火の街から逃れて来る人々を、そっと支える人が必ずいなくちゃいけないし、そっと命の側に立つ人であり続けたい」コンサートの会場は西宮市の県立芸術文化センター。亡き夫の藤本敏夫さん(2002年に58歳で永眠)は小中高校時代を西宮の甲子園で過ごした。加藤さんは、学生運動のリーダーで獄中にいた藤本さんと結婚し、甲子園の実家を訪ねたことがある。ゆかりの深い地での公演を楽しみにしている。午後2時開演。全席指定で7700円。問い合わせはサモンプロモーション(06・6225・2237)。(中野晃)「朝日新聞」2026年4月30日付朝刊掲載加藤さんは、「日本が戦争できる国になろうとしている」と危惧していました。
2026年05月10日
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松江観光の宿泊ホテルや駐車場、ガソリン代などグリーンリッチホテル松江駅前_01 posted by (C)きんちゃん宿泊した松江のグリーンリッチホテル松江駅前です。グリーンリッチホテル松江駅前_02 posted by (C)きんちゃん大きい荷物があり、杖歩行でしたので、正面玄関の脇を入ったところのエレベーターで2階のフロントに行きました。グリーンリッチホテル松江駅前_03 posted by (C)きんちゃんエレベーターで1階に降りたところに、人工温泉こと二股炭酸カルシウム温泉がありました。良い温泉でした。エレベーター・廊下 posted by (C)きんちゃん部屋は7階でした。7階の廊下です。ホテル室内_01 posted by (C)きんちゃんホテルの部屋。WiFi完備でしたので、助かりました。ホテル室内_02 posted by (C)きんちゃんベッドもゆったりと寝れました。朝食券・駐車割引券 posted by (C)きんちゃんチェックインの際に書いた受付書。温泉の入湯税、駐車代金が加算されています。朝食券と駐車場出庫の際の精算用QRコード。焼き鳥家 すみれ_01 posted by (C)きんちゃんホテルの居酒屋が予約で満席だったので、ご近所の居酒屋を探して、やきとり家すみれへ。焼き鳥家 すみれ_02 posted by (C)きんちゃんキャベツが食べ放題なのは嬉しいですね。焼き鳥家 すみれ_03 posted by (C)きんちゃん一番最後に頼んだ「くじらベーコン」が最初に出てきました。焼き鳥家 すみれ_04 posted by (C)きんちゃん左から、砂肝、やげんなんこつ、ねぎま。いずれも塩味。焼き鳥家 すみれ_05 posted by (C)きんちゃんささみ 梅しそ。生ビールと合わせて、2,680円は安い。ホテル モーニングバイキング posted by (C)きんちゃん翌朝のモーニングバイキング。まぜご飯としじみ汁が美味しかった。これとは別にミルクココアを飲みました。タイムズ国宝松江城前 posted by (C)きんちゃん松江観光の際に車を停めた駐車場です。最大料金で800円でした。駐車料金 posted by (C)きんちゃん駐車料金。5月2日の松江観光で日中の駐車料金は800円。5月2日~3日のホテル宿泊時の駐車料金も800円でした。駐車場で駐車証明書を発行。ホテルで精算しました。いわゆる車番で管理する駐車場。駐車券も車止めもありませんでした。大山PAからの大山_01 posted by (C)きんちゃん今回の旅行。行きの米子道で、大山PAで大山を撮影しました。大山PAからの大山_02 posted by (C)きんちゃん蒜山高原SA posted by (C)きんちゃん帰り。米子道の蒜山SAで早めの夕食休憩。蒜山高原SA 牛すじカレー posted by (C)きんちゃん牛すじカレーを食べました。ガソリン代 posted by (C)きんちゃんガソリン代。神戸を出る時に満タン。出雲市で高速に乗る前に給油。2,536円。神戸に帰ってきて給油。2,236円。合わせて、29.72Lで4,772円でした。高速料金 posted by (C)きんちゃん高速料金。本四連絡道、播但道、中国道~米子道、山陰道の有料区間。往復で6,300円でした。障害者割引です。総走行距離 posted by (C)きんちゃん今回の旅行の総走行距離数は672.4kmでした。平均燃費 posted by (C)きんちゃん平均燃費は22.1km/Lでした。
2026年05月08日
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出雲大社への玄関口だった旧大社駅を見学旧大社駅 駅舎_01 posted by (C)きんちゃん1990年に廃線。78年の歴史に幕を閉じた大社駅。その後、歴史的価値が認められ、国の重要文化財へ。2020年より保存修理を開始、2025年に新しく生まれ変わった大社駅の駅舎です。旧大社駅 駅舎_02 posted by (C)きんちゃん旧大社駅 駅舎_03 posted by (C)きんちゃんホームから眺めた旧大社駅の駅舎。旧大社駅 内装_01 posted by (C)きんちゃん旧大社駅の駅舎内。クラシックな内装です。旧大社駅 内装_02 posted by (C)きんちゃん旧大社駅 運賃表 posted by (C)きんちゃん昔の運賃表。二等、三等と分かれていた時代のことです。旧大社駅 旧鉄路 posted by (C)きんちゃん30年以上列車が走っていない鉄路です。旧大社駅 線路を渡る_01 posted by (C)きんちゃん下りホームと上りホームの間を行き交うための人道。旧大社駅 線路を渡る_02 posted by (C)きんちゃん「うさぎ」が可愛い。列車が入線する時は、この板が倒されました。旧大社駅 昔のキップ posted by (C)きんちゃん駅舎の入場料は300円。その入場券は、昔の入場券でした。自分で改札しました。旧大社駅 電話ボックス posted by (C)きんちゃんかつての電話ボックスも再現。旧大社駅 郵便ポスト posted by (C)きんちゃん懐かしい郵便ポストも再現。旧大社駅 旧改札 posted by (C)きんちゃんかつての改札です。旧大社駅 蒸気機関車D51 posted by (C)きんちゃん昭和後期まで使われていた蒸気機関車が展示されています。(展示車種はD51)蒸気機関車D51 運転室 posted by (C)きんちゃんその蒸気機関車の運転室。旧大社駅01 posted by (C)きんちゃん旧大社駅のパンフ。出雲大社へつながる起点でした。旧大社駅02 posted by (C)きんちゃん旧大社駅 歴史明治から令和へ。出雲大社の玄関口として、数多くの人々を迎えてきた旧大社駅。廃線の危機を乗り越え、市民が守り抜いた旧大社駅の物語があります。旧大社駅のあゆみ初代開業から、2代目竣工、そして現在の保存修理事業までのあゆみをご紹介します。明治 鉄道の開通明治45年、出雲に鉄道がやってきた山陰線の終端駅として1912年(明治45年)に開業。門前町に近代の到来を告げました。1913年(大正2年)に出雲大社へ向かう参詣道「神門通り」が開通。開通初年度に14万人だった乗降客は、開通翌年には33万9千人に急増しました。大正・昭和 駅舎の誕生と隆盛出雲大社参拝ブーム、2代目大社駅の黄金時代1924年(大正13年)、現在の駅舎が竣工。東京直通急行や臨時列車が次々と走り、全国からの参拝客で賑わいました。蒸気機関車が、当時の人々の夢と活気を乗せて力強く走り抜けました。敷地内には、現在も昭和後期まで使われていた蒸気機関車が展示されています。(展示車種はD51)平成 廃線と保存活動鉄路の終焉と、文化財指定へ国鉄分割民営化に伴い、1990年(平成2年)に廃線。78年の歴史に幕を閉じました。駅舎を含めた跡地を大社町(現出雲市)が国鉄清算事業団から購入。2004年(平成16年)に価値が認められ、国の重要文化財へ指定されました。廃線後に行った建造物調査の際に駅舎の屋根裏で偶然発見された「棟札」は、重要文化財の附指定(重要文化財の価値を裏付ける資料)となっています。令和 未来への継承令和の大修理、100年の記憶を次代へ旧大社駅は、建設から100年を迎え、各所の破損や耐震対策の必要が生じたことから、2020年(令和2年)より保存修理を開始しました。伝統工法を駆使し、大正の華やかな姿を未来へと繋ぎます。2025年(令和7年)に新しく生まれ変わった大社駅の物語は続きます。旧大社駅03 posted by (C)きんちゃん重要文化財の旧大社駅本屋「近代和風建築」の美学と、激動の時代を駆け抜けた鉄道の記憶。100年の時を超えて愛される、旧大社駅の神髄。最初に造られてから100年余。これからの100年。未来に遺していきたい、歴史遺産・旧大社駅。
2026年05月07日
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松江・日御碕観光 八重垣神社・神魂神社・日御碕神社・出雲日御碕灯台八重垣神社_01 posted by (C)きんちゃん翌日の5月3日。最初は恋占いで有名な八重垣神社にお参り。八重垣神社_02 posted by (C)きんちゃん八重垣神社_03 posted by (C)きんちゃんしめ縄など格式のある神社です。八重垣神社 随神門 posted by (C)きんちゃん寺院では仁王門にあたる随神門に、神官が弓矢を持って座っていました。八重垣神社 鏡の池 posted by (C)きんちゃんそして、神社の奥にある鏡の池に向かいます。八重垣神社 鏡の池 恋占い_01 posted by (C)きんちゃん社務所で占いの為の紙を買って、鏡の池に浮かべます。その上にコイン(十円または百円)を乗せます。他の方の占いの紙を撮らせていただきました。八重垣神社 鏡の池 恋占い_02 posted by (C)きんちゃんもともとは、池の近くで浮かべたのでしょうが、沖の方に移動している紙もありました。八重垣神社 おみくじ posted by (C)きんちゃんおみくじを引きました。招き猫の入っているおみくじです。白色で右手を上げている招き猫でした。八重垣神社 小泉八雲 posted by (C)きんちゃん小泉八雲ゆかりの地―八重垣神社明治24(1891)年4月5日、小泉八雲は友人の西田千太郎と共に行楽と取材を兼ねて松江郊外の意宇六社と呼ばれる神社めぐりにでかけました。特に縁結びで名高いこの神社を気に入り、「鏡の池」と呼ばれる占い池に興味を示しています。「出雲の国意宇の佐草村にある八重垣神社に、恋仲の若い男女はみなお参りする。(中略)ふさふさとした苔の小径は森のちょうど中心にある小さな池の方に向かっていく。(中略)恋人たちは紙で小舟を作り、その上に一厘銭を乗せて池に浮かべ、じっと見守るのがその習わしである。」『知られぬ日本の面影』第14章「八重垣神社」より―八雲の妻セツにまつわるエピソード―娘時代に、友人たちと鏡の池で「縁占い」をしたセツ。友人たちの占い用紙がすぐ近くに沈んだのに対し、セツの占い用紙は池の奥へと漂い流れてからやっと沈んだといいます。それは「遠くの人と結ばれる」という、外国人である八雲との結婚の暗示とも思えるエピソードです。神魂神社 参道_01 posted by (C)きんちゃん八重垣神社のすぐ近くにある、神魂(かもす)神社へ。国宝だというのお参りする事にしました。神魂神社 参道_02 posted by (C)きんちゃん石段の参道がちょっとしんどかったです。左側に「女道」というスロープのある道もありました。神魂神社 本殿_01 posted by (C)きんちゃん神魂神社の本殿。大社造りの国宝です。神魂神社 本殿_02 posted by (C)きんちゃん神魂神社 末社 posted by (C)きんちゃん神魂神社の末社です。神魂神社 小泉八雲 posted by (C)きんちゃん小泉八雲ゆかりの地―神魂神社―出雲国造の祖、天穂日命が降臨し創建したと伝えられる神社である。現在の本殿は正平元年(1346年)の再建とされ、柱からは墨書もみつかっている。現存する最古の大社造で、国宝に指定されている。小泉八雲は明治24年4月5日に西田千太郎とともにここを訪れている。杵築の国造へ火鑽を授ける習慣や天穂日命が降臨時に使用したという鉄の大釜、伊弊諾・伊弊冊の額とされるセキレイの伝承について記している。『知られぬ日本の面影』第14章「八重垣神社」より日御碕神社 posted by (C)きんちゃん松江東ICから山陰道を通って出雲ICへ。出雲大社とひけを取らないほど有名だという日御碕神社にお参り。赤い建物が目立ちます。日御碕神社 下の本社_01 posted by (C)きんちゃん下の本社「日沉宮(ひしずみのみや)」主祭神 天昭大御神(あまてらすおおみかみ)日御碕神社 下の本社_02 posted by (C)きんちゃん日御碕神社 上の本社_01 posted by (C)きんちゃん上の本社「神の宮(かみのみや)」主祭神 神素盞嗚尊(すさのおのみこと)「すさのお」は「あまてらす」の弟。日御碕神社 上の本社_02 posted by (C)きんちゃん日御碕神社 楼門を見下ろす posted by (C)きんちゃん上の本社から楼門を見下ろしました。日御碕神社 由来 posted by (C)きんちゃん日御碕神社御由来下の本社「日沉宮(ひしずみのみや)」主祭神 天昭大御神(あまてらすおおみかみ)村上天皇天暦二年勅令により現在の地に移し祀る(一千年以前)上の本社「神の宮(かみのみや)」主祭神 神素盞嗚尊(すさのおのみこと)安寧天皇十三年勅命により現在の地に移し祀る(二千五百年以前)古来両本社を総称して日御碕大神宮と称す日沉の宮の遠源は、神代の昔素盞鳴尊の御子神天葺根命又(天冬衣命と申す宮司家の遠祖)現社地に程近い経島(ふみしま)に天照大御神の御神託を受け祀り給うと伝えられる。又「日出る所伊勢国五十鈴川の川上に伊勢大神宮を鎮め祀り、日の本の昼を守り、出雲国日御碕の清江の浜に日沉宮を建て、日御碕大神宮と称して日の本の夜を護らむ」天平七年乙亥の勅に輝く日の大神の御霊顯が仰がれる如く、古来日御碕は夕日を賎け鎮める霊域とされ、また素盞嗚尊は出雲の国土開発の始めをされた大神と称えられ、日御碕の「隠ヶ丘」は素尊の神魂の鎮った霊地と崇められた「神の宮」は素尊の神鎮魂まる日本総本宮として「日沉宮」と共に出雲の国の大霊験所として皇室を始め普く天下の尊崇をうけ現在に至っている。然してその御神徳は天照大御神の「和魂」素蓋鳴尊の「寄魂(くしみたま)」の霊威を戴き「国家鎮護」「厄除開運」「交通航海の安全」「良縁・夫婦円満・安産」「家業繁昌」の守護神として御霊験あらたかであある。現在の社殿は、徳川三代将軍家光公の幕命による建立にして西日本では例のない総「権現造」である両社殿とも内陣の壁画装飾は極彩色で華麗の至りである。社殿の殆ど、及石造建造物は国家重要文化財である。日御碕灯台_01 posted by (C)きんちゃんそして、すぐそばの出雲日御碕灯台へ。第一駐車場がいっぱいでしたので、第二駐車場に停めました。上まで登ることのできる灯台です。日御碕灯台_02 posted by (C)きんちゃんまさに見上げる感じの出雲日御碕灯台。日御碕灯台_03 posted by (C)きんちゃん日御碕灯台_04 posted by (C)きんちゃん石造りでは日本一ノッポな灯台だけあって、かなり離れないと、横位置で撮影できませんでした。日御碕灯台 説明 posted by (C)きんちゃん出雲日御碕灯台この灯台が建設されたのは、日清戦争直後の海運振興のため各地に大型灯台が集中的に建設された時期で、1900年に着工、1903年4月1日(明治36年)に3年の歳月をかけ完成し、島根県では1898年に建設された馬島灯台(浜田市)・美保関灯台(松江市)に次いで3番目に建設されました。石造りでは日本一ノッポの灯台で、地上から頂部まで43.65mもあります。構造は、地震に耐えるため外壁が石造り、内壁がレンガ造りの二重になっており、外国にはない日本の頂点の技術が使われています。光源の一等レンズは、全国5か所の灯台にしかない貴重なものです。歴史的価値の高いこの灯台は、国際航路標識協会(IALA)が提唱した「世界灯台100選」の一つにも選ばれており、地元でも日御碕のシンボル「東洋一の灯台」として親しまれ、2017年には、恋する灯台に認定されました。位置 北緯35度26分02秒 東経132度37分45秒光り方 20秒間に白いせん光2回と赤いせん光1回を発する(複合群せん白赤互光 毎20秒に白2せん光赤1せん光光の強さ 480,000カンデラ(1カンデラはろうそく約1本分の明るさです)光の届く距離 21.0海里(約39キロメートル)高さ 地上から灯台頂部約44メートル(石造りでは日本一)水面から灯火 約63メートル管理事務所 第八管区海上保安本部 境毎上保安部 交通課 電話:0859-42-2534日御碕灯台 日時計 posted by (C)きんちゃん日時計出雲日御碕灯台には、明治36(1903)年4月1日の初点灯以来、時刻を知るための大切な施設として日時計(日晷儀・にっきぎ)が設置されていましたが、灯台の無人化に伴い昭和49(1974)年3月には役割を終え廃止されました。第八管区海上保安本部では、平成15(2003)年4月1日に灯台設置100周年を迎えるにあたり記念事業として、当時の資料を参考にして、ここに日時計を復元しました。新たな1世紀に向けて、出雲日御碕灯台とともに皆様に親しんでいただけることを願っています。平成15年3月吉日第八管区海上保安本部浜田海上保安部日御碕の地形 posted by (C)きんちゃん灯台の立つ流紋岩の平坦面は更新世に形成された海岸段丘面と考えられています。日御碕のマンホール posted by (C)きんちゃん出雲日御碕灯台に向かう途中にあったマンホールのフタです。次は、旧大社駅へ行きました。
2026年05月06日
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松江の町並みをあちこちと散策 合わせて5月2日は5キロぐらい歩いたかな松江城 内堀 posted by (C)きんちゃん松江城の内堀です。塩見縄手通りのそばを流れています。Matsue Chatte' posted by (C)きんちゃん昼食の軽食をしたお店。本来なら出雲そばが食べたかったのですが、行列状態でしたのでこちらにしました。ぜんざいとコーヒー posted by (C)きんちゃんぜんざいとコーヒーで済ませました。耳なし芳一の像 posted by (C)きんちゃん地ビール館の奥に、耳なし芳一の像がありました。MATSUE WATER TERRACE posted by (C)きんちゃん月照寺から松江大橋に向かう途中。京橋川沿いが「MATSUE WATER TERRACE」となっていました。カラコロ広場 posted by (C)きんちゃんカラコロ広場。水の都・松江のウォーターフロントを楽しめます。一力堂_01 posted by (C)きんちゃん和菓子屋の一力堂に立ち寄りました。一力堂_02 posted by (C)きんちゃん一力堂_03 posted by (C)きんちゃん松江藩御用老舗だとか。一力堂_04 posted by (C)きんちゃん柏餅や楽山だんごを売っていました。一力堂 楽山だんご posted by (C)きんちゃん楽山だんごを一本買いました。ホテルで食べました。山口卯兵衛商店 posted by (C)きんちゃんそして、小泉八雲がビールを買ったという、山口卯兵衛商店に入りました。山口卯兵衛商店 店内_01 posted by (C)きんちゃん明治時代のかつてのラベルのビール瓶が並んでいました。山口卯兵衛商店 店内_02 posted by (C)きんちゃんキリンビールやアサヒビールのラベルも。山口卯兵衛商店 店内_03 posted by (C)きんちゃん昔の写真もありました。山口卯兵衛商店 店内_04 posted by (C)きんちゃんもともとは薬屋だったため、薬の箱も残っていました。山口卯兵衛商店 店内_05 posted by (C)きんちゃん店舗の奥には武者人形も。山口卯兵衛商店 店内_06 posted by (C)きんちゃん2階に上がる箱階段も。山口卯兵衛商店 店内_07 posted by (C)きんちゃんグラスも展示。山口卯兵衛商店 コースター posted by (C)きんちゃんコースターが気に入ったので買いました。松江大橋_01 posted by (C)きんちゃん続いて松江大橋。「ばけばけ」でも出てきますね。松江大橋_02 posted by (C)きんちゃん松江大橋_03 posted by (C)きんちゃん橋の中間にある欄干が素敵ですね。松江大橋_04 posted by (C)きんちゃん大橋川の向こうは宍道湖です。源助柱記念碑_01 posted by (C)きんちゃん源助柱記念碑松江大橋架橋の際、人柱として生き埋めになったという源助を供養するため、昭和14年(1939)に建立された石碑です。慶長12年(1607)、堀尾吉晴が富田(とだ)(安来市広瀬町)から松江へ移城するとき、架橋工事が難航して完成しないため、人柱として足軽源助を川底深く生き埋めにしたと伝えられます。しかし、確かな証拠もなく、江戸時代に幾度か架け替えられた大橋工事中に犠牲となった人々が、源助の名に集約されて、永く巷間に伝えられたものと考えられます。源助柱記念碑_02 posted by (C)きんちゃん松江 マンホール posted by (C)きんちゃんホテルから宍道湖畔に向けて歩きました。途中に撮ったマンホールのふたです。宍道湖 夕暮れ_01 posted by (C)きんちゃん宍道湖畔の白潟公園から眺めた嫁ケ島です。宍道湖 夕暮れ_02 posted by (C)きんちゃん宍道湖の夕暮れです。残念ながら夕陽は見ることができませんでした。青柳楼の大燈籠_01 posted by (C)きんちゃん青柳楼(あおやぎろう)の大燈籠この石燈籠は、もともと明治初期から松江の歓楽地として賑わった白潟天満宮の裏で、もっとも大きな料亭の一つ「青柳楼」にあった。現在の市立病院付近であるが、当時その辺は宍道湖の波打ちぎわであり、総来待石(そうきまちいし)・高さ6メートル余の大石燈籠は、入江の燈台の役目を果していたもので、松江の名物の一つとなっていた。その後、宍道湖の埋立てにより取り残されていたが、松江開府350祭にちなんで昭和33年現在地に移設された。大柳楼の大燈籠_02 posted by (C)きんちゃん玄丹かよ像 posted by (C)きんちゃん松江市の宍道湖湖畔にある白潟公園に「玄丹かよ」という女性の像が建立されています。幕末に危機に陥った松江藩を救った女傑として知られる人物です。ホテル戻りました。
2026年05月05日
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大亀の寿蔵碑で有名な月照寺にお参り月照寺 紹介 posted by (C)きんちゃん月照寺はもともと洞雲寺という禅林でしたが、1664年徳川家康の孫にあたる松江藩初代藩主松平直正公が生母月照院様の霊碑を安置するため、浄土宗の長誉上人を開基として蒙光山(むこうさん)月照寺として改称復興したのが始まり。月照寺 みどころ posted by (C)きんちゃん境内の案内図をいただきました。月照寺 鐘楼_01 posted by (C)きんちゃん鐘楼がありましたが、鐘がありませんでした。月照寺 初代直正公墓所_01 posted by (C)きんちゃん最初に初代直正公の墓所にお参り。月照寺 初代直正公墓所_02 posted by (C)きんちゃん月照寺 初代直正公墓所_03 posted by (C)きんちゃん墓所の周りの燈籠です。月照寺 工事中 posted by (C)きんちゃん境内は工事中でした。月照寺 大亀の寿蔵碑_01 posted by (C)きんちゃんそして、お目当ての大亀の寿蔵碑です。小泉八雲の随筆「月照寺の大亀」に出てきます。月照寺 大亀の寿蔵碑_02 posted by (C)きんちゃん月照寺 大亀の寿蔵碑_03 posted by (C)きんちゃん月照寺 大亀の寿蔵碑_04 posted by (C)きんちゃん月照寺 大亀の仁王像 posted by (C)きんちゃん六代宗行公の墓所の入口の仁王像。月照寺 六代宗行公墓所 posted by (C)きんちゃん六代宗行公墓所月照寺 本堂 阿弥陀如来_01 posted by (C)きんちゃん現在の本堂。本尊は阿弥陀如来。月照寺 本堂 阿弥陀如来_02 posted by (C)きんちゃん月照寺 花菖蒲 posted by (C)きんちゃん本堂のそばに花菖蒲が咲いていました。他にも松江の町を散策して回りました。
2026年05月05日
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引き続いて松江の塩見縄手通りを歩く 武家屋敷、小泉八雲旧居、小泉八雲記念館武家屋敷_01 posted by (C)きんちゃん松江城の北側の通りに家臣たちの屋敷が立ち並んでいました。家臣の一人の塩見小兵衛の名前を取って、塩見縄手と言います。その家臣の屋敷のひとつが武家屋敷として公開されています。武家屋敷_02 posted by (C)きんちゃん500~1000石程度の藩士の屋敷。入れ替わり住んでいたそうです。武家屋敷 玄関の間 posted by (C)きんちゃん来客を迎え入れる玄関。住人が出入りする玄関とは別になっていました。武家屋敷 客間座敷 posted by (C)きんちゃん当主が来客を迎え入れる座敷。床の間の柱の角にある釘隠しに注目。武家屋敷 家族部屋 posted by (C)きんちゃんお客を迎える部屋の北側は、居住者のエリア。家族部屋は狭い感じです。武家屋敷 当主居間 posted by (C)きんちゃん当主の居間は床の間などもあります。8畳部屋。武家屋敷 奥方居間 posted by (C)きんちゃんその隣は奥方の居間。6畳部屋です。武家屋敷 庭園 posted by (C)きんちゃんその北側は庭園です。小泉八雲 旧居_01 posted by (C)きんちゃん小泉八雲の旧居に入りました。もともとは、松江藩主・根岸家の武家屋敷だったそうです。小泉八雲 旧居_02 posted by (C)きんちゃん来館者が並んでいます。僕はあらかじめネットで予約していたので、スムーズに入れました。小泉八雲 旧居_03 posted by (C)きんちゃん八雲が使っていたという机。八雲が愛したホラ貝のレプリカも。本物はお隣の記念館にあります。小泉八雲 旧居 居間 posted by (C)きんちゃん八雲旧居の居間です。小泉八雲旧居 居間からの庭園_01 posted by (C)きんちゃん床を背にして座ると三方の庭が眺められると、たいそうご満悦だったとか。小泉八雲旧居 居間からの庭園_02 posted by (C)きんちゃん東側の庭を眺めます。小泉八雲旧居 居間からの庭園_03 posted by (C)きんちゃん正面の北側の庭。小泉八雲旧居 居間からの庭園_04 posted by (C)きんちゃん左手、西側の庭です。小泉八雲旧居 居間からの庭園_05 posted by (C)きんちゃんその西側の庭です。小泉八雲記念館 入口 posted by (C)きんちゃん小泉八雲旧居の隣に小泉八雲記念館があります。初代記念館開館から82年、2016年の夏に展示構成を拡充・一新してリニューアルしました。小泉八雲記念館_01 posted by (C)きんちゃんここも、ネット予約していたので、スムーズに入れました。小泉八雲記念館_02 posted by (C)きんちゃん館内は写真撮影ができませんでしたが、ばけばけコーナーは撮影できました。小泉八雲記念館 説明01 posted by (C)きんちゃんエントランス八雲の本やグッズを取りそろえたミュージアムショップや八雲の生涯をまとめた映像展示コーナー。展示室1「その眼が見たもの」「その耳が聞いたもの」「その心に響いたもの」というコンセプトのもとに、八雲の生涯を編年で紹介。展示室2八雲の事績や思考の特色を、「再話」「クレオール」「いのち」など8つの切り口から描きます。「再話」の朗読コーナーもあります。展示室3八雲に関するさまざまな企画展示。今回は小泉セツの生涯を紹介しっていました。階段展示八雲の家族の写真や、八雲にちなむアート作品が展示されていました。小泉八雲記念館 説明02 posted by (C)きんちゃん2階は、八雲の著書や関連書などがありました。小泉セツ01 posted by (C)きんちゃん「小泉セツ」ってどんな人?小泉セツは、明治時代に活躍した作家・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の妻となった女性です。アメリカから日本にやって来たハーンと、夫婦としてともに暮らしながら、物語を語る才能でハーンの執筆活動を支えました。出身島根県松江市南田町生没年1868(慶応4年・明治元年)-1932(昭和7年)もっと知ろう!小泉セツお話しして ごすなさい!物語が大好きな子どもだったセツは、いつも周りの大人に「お話ししてごすなさい」とねだっていました。そんなセツに応えて、実の母・小泉チエは自分の体験談(テイ坊の話)を語り、養母の稲垣トミは出雲の神々の話や、キツネやタヌキが化ける話を聞かせてくれました。セツを育んだこれらの物語は、のちに夫・ハーンの著作に活かされました。小泉セツ02 posted by (C)きんちゃん占いが的中?娘時代、縁結びの神様をまつる八重垣神社(松江市佐草町)に友人たちと出かけたセツ。小銭を乗せた紙を、良縁を占う池に浮かべました。紙が岸の近くで沈めば近くの人と、遠くで沈めば遠くの人と結ばれるという占いですが、ごく近くで沈んだ友人たちの紙とは反対に、セツの紙は岸から遠く離れた池の端まで漂って、ようやく沈みました。友人たちは間もなく近所の青年と結ばれます。一方セツは遠い外国からやって来たハーンと結婚することになるのですから、この占いは当たっていたのかもしれません。珍しかった国際結婚ハーンとセツが正式に結婚した1896(明治29)年当時、日本人と外国人の結婚はまだ数少ないものでした。日本で最初の国際結婚は1873(明治6)年だと言われています。ではハーンとセツの結婚は、日本で何番目の国際結婚だったのでしょう?①58番目②103番目③191番目英語のレッスン結婚当初のセツはしばらくの間、ハーンに英語を教わりました。セツが残した英単語帳には、英単語とその意味、読み方がひとつずつ書いてあります。カタカナで書かれた英語の読み方は、現在の私たちから見ると少し不思議な感じです。セツが書いたカタカナと、ハーンが教えた英単語。組み合わせて線で結んでみましょう。怪談01 posted by (C)きんちゃん『怪談』ってどんな本?再話文学昔話や伝説など、既存のお話に文学的表現を加えて物語を紡ぐことを「再話(さいわ)」といいます。ラフカディオ・ハーンは日本でたくさんの昔話や伝説を集め、その物語に文学の魂を吹き込んで、英語の作品にしました。これらのハーンの作品は「再話文学」と呼ばれ、高く評価されました。『怪談』はその中でも、特にすばらしいと言われている本です。『怪談』誕生『怪談』には17の物語がおさめられています。「耳なし芳一」「雪おんな」などは『怪談』に書かれたことで、誰もが知る有名な話となりました。この『怪談』をはじめとするハーンの再話文学創作に欠かせない存在だったのが、今回の主人公・小泉セツです。セツは日本語が読めないハーンに、昔話や伝説を語って聞かせました。セツが語り、ハーンが固唾をのんでそれを聞きながら、2人は声の調子や情景までをも相談し、物語を膨らませていきました。ハーンの再話文学の傑作『怪談』は、夫婦の協力によって生まれたのです。怪談02 posted by (C)きんちゃんかいだん?くゎいだん?セツの協力によって生み出されたハーンの代表作「怪談』。その表紙にはアルファベットで「KWAIDAN」と書かれています。「KAIDAN」じゃないの?と不思議に思った方もいるかもしれません。実はこれは、セツの影響だと言われています。古い日本語の発音が残る出雲言訛り(なまり)で、セツが「くゎいだん」と言ったのを聞きながら執筆したハーンが、それをそのまま「KWAIDAN」と書いたようです。展示品の英単語帳や手紙など、セツの書いたものの中にも出雲訛りが隠れていますよ。次は、松江城の三代目の城主、松平家の菩提寺・月照寺に行きました。
2026年05月05日
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連続テレビ小説「ばけばけ」に触発されて松江観光 まずは国宝松江城天守初代城主 堀江吉晴像 posted by (C)きんちゃん松江城の入り口に、初代藩主の堀江吉晴像がありました。松江城 なんじゃもんじゃの花_01 posted by (C)きんちゃんなんじゃもんじゃの木がありました。白い花が満開でした。大きいですね。松江城 なんじゃもんじゃの花_02 posted by (C)きんちゃん国宝 松江城天守_01 posted by (C)きんちゃん国宝 松江城天守の碑から松江城天守を臨む。松江城 石垣_01 posted by (C)きんちゃん松江城の石垣です。松江城 石垣_02 posted by (C)きんちゃん松江城天守に向かう posted by (C)きんちゃん松江城天守に向かって、石段を登っていきます。国宝 松江城天守_02 posted by (C)きんちゃん四層5階の天守です。入口は地階だそうです。国宝 松江城天守_03 posted by (C)きんちゃんさすが、国宝ということだけあって、立派な天守ですね。国宝 松江城天守_04 posted by (C)きんちゃん松江城天守の内部_01 posted by (C)きんちゃん天守の中に井戸があります。現存天守の中で松江城だけ残っているとか。松江城天守の内部_02 posted by (C)きんちゃん築城ラッシュの時期で、通し柱の確保が難しかったそうです。松江城天守の内部_03 posted by (C)きんちゃんかつての古い部材が展示されていました。松江城天守の内部_04 posted by (C)きんちゃん鉄砲の狭間(さま)。襲ってくる敵をこの穴からねらったそうです。松江城天守の内部_05 posted by (C)きんちゃん木造天守だけあって、階段も木造です。手すりは整備されています。松江城天守の内部_06 posted by (C)きんちゃん刻を知らせた太鼓が残っていました。松江城天守の内部_07 posted by (C)きんちゃん4階、5階には、迎える藩主を歓迎するための意匠が凝らされているとか。松江城天守の内部_08 posted by (C)きんちゃん国宝指定書松江城 天守からの眺め_01 posted by (C)きんちゃん天守の最上階・5階からの眺めです。琵琶湖の嫁ケ島が見えます。松江城 天守からの眺め_02 posted by (C)きんちゃん天守の瓦を手前に。松江城 天守からの眺め_03 posted by (C)きんちゃん楼門を見下ろします。松江城 今の鯱 posted by (C)きんちゃん天守の上にある鯱です。松江城 古い鯱 posted by (C)きんちゃん以前の鯱が天守の中に展示されていました。松江城 鬼瓦 posted by (C)きんちゃん屋根の先端部分にある鬼瓦。松江城 馬洗池 posted by (C)きんちゃんお城の馬を洗ったという池。稲荷神社_01 posted by (C)きんちゃん小泉八雲も興味を持って、よく訪れたという城山稲荷神社。稲荷神社_02 posted by (C)きんちゃん八雲のいたころは、狛犬もたくさんあったとか。引き続いて、武家屋敷、小泉八雲旧居、小泉八雲記念館などを巡ります。
2026年05月04日
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神戸市バス 4月からバスロケが新しくなっているバスロケ01 posted by (C)きんちゃん神戸市バスの「バスロケ」。今いるバス停で、待っているバスがいつ来るかが分かるそうです。バスロケ02 posted by (C)きんちゃん上のQRコードを読み込むと、「バスロケ」のサイトにアクセスできます。https://kotsucitykobe.bus-service.jp/ja/バスロケ03 posted by (C)きんちゃん①調べたい停留所名を入力②「検索」ボタンを押す③調べたい系統を選ぶ④次に来るバスが表示さるのでそれを押すバスロケ04 posted by (C)きんちゃん良く使うバス停を「お気に入り」に登録できます。いわゆるプラウザのブックマークとは違います。バスロケ 73・74系統_01 posted by (C)きんちゃん実際に使ってみます。出勤の際に乗る「名谷南センター前」のバス停。あと3分で到着。それをタップ。バスロケ 73・74系統_02 posted by (C)きんちゃん運行状況を地図で見るをタップ。バスロケ 73・74系統_03 posted by (C)きんちゃん3つ先の停留所までバスが来ている事が分かります。バスロケ 11・40・65系統_01 posted by (C)きんちゃん出勤の時。地下鉄・湊川公園駅を降りて市バス・湊川公園西口で乗車。11・40・65系統のバス停で待ちます。まもなく到着とのこと。バスロケ 11・40・65系統_02 posted by (C)きんちゃん運行状況を地図で見るをタップ。バスロケ 11・40・65系統_03 posted by (C)きんちゃんすぐ前の停留所までバスが来ていることが分かります。バスロケ 7系統_01 posted by (C)きんちゃん同じく湊川公園西口のバス停。7系統のバス停で待ちます。あと2分で到着との事。バスロケ 7系統_02 posted by (C)きんちゃん運行状況を地図で見るをタップ。バスロケ 7系統_03 posted by (C)きんちゃん3つ先のバス停までバスが来ている事が分かります。問題は、レスポンスが遅い事です。
2026年05月02日
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使い古したヤカンをステンレス製に買い換えました古いヤカン_01 posted by (C)きんちゃん長年使って来たヤカン。朝のコーヒードリップのお湯を沸かすのに使って来た。古いヤカン_02 posted by (C)きんちゃんしかし、長年使ってきたため、中の方は腐食している。お掃除のヘルパーさんに、代えた方が体のためにも良いよと。そのうち、水漏れしだすかもと。新しいステンレス製のヤカン_01 posted by (C)きんちゃんということで、アドバイスに従ってステンレス製のヤカンを購入。名谷ダイエー2階はリニューアルして、食器・台所用品は売っていない。お隣の須磨パティオ3番館2階のニトリで売っていた。新しいステンレス製のヤカン_02 posted by (C)きんちゃん広口ケトル。2.8リットルのサイズ。新しいステンレス製のヤカン_03 posted by (C)きんちゃんフタを開けた状態。新しいヤカンの素材 posted by (C)きんちゃん本体、底面、ふた ともにステンレス製。ハンドル、つまみはフェ―ノール樹脂。ハンドル金具はステンレス製。満水容量は2.8Lですが、適正使用容量は2.1Lだとか。適正水位をイラストで示しています。これから大事に使って行きます。
2026年05月01日
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