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7月に4日も夏休みを取るのは、 30年間働いてきて、多分今年が初めて。 31年目の快挙と言うか、暴挙と言うか。 実際のところ、不安だから午前中は出勤している。 行けば仕事が待っている。 だから、午後の4時間ほどのありがたみしかない。 でも、まあ、これまでの私には考えられないことだった。 で、休んでいるはずの午後が大変なんである。 今日は、本当にてんてこ舞・・・ 私のキャパを越える同時に3組とか4組とかの来館があって、 2組同時でもかなり気を使うのに、 3組は、大変だった。 4組目の時には、同僚も来てくれていて、 ちょっと助かったけど・・・ 初めての子どもの来館にドキドキした。 なんたって、これを平気で触るから。 心の中で、「きゃ~~~」って悲鳴を。 子どもの関心は、九谷焼じゃなくて、 細字の百人一首や細密画を見るために置かれたルーペである。 5歳から6歳くらいの子と、坊主めくりをする頃には、 他の大人の来館者の4つのグループが帰った後だから、 4人で落ち着いて坊主めくりをした。 坊主めくりで、百人一首になじむことは、すごく大事だと思う。 だから、ルールもシンプルにして、やったら、 私が別の用事で抜けてからも、子どもたちは楽しんでやったらしい。 一時、5時過ぎから抜けて、別の来客に職場で対応して、 7時にまた戻った。 私の解説を待っている人が居て、戻らざるを得ず。 怪しい解説だけど、まあ、無いよりは、解説があったほうが、 来た甲斐があるというもので・・・ 明日は、夜に芦屋からの来館者があるらしく、 今日みたいに夜の8時半過ぎまでになるかも。 雨が降らないので、夕方の潅水が必要だから、 夕方一時抜けて、その後また来るというパターンになりそう。 来館者の興味関心が、それぞれ対象が異なるので、 ツボを見つけるのが難しい。。。 この栗山吉三郎作のカルタを見て、 「私、この会社で働いていたの。」と言った人があって、 今日のびっくり・・・世間は狭い。 来館の記念に、新品の北海道の木札カルタを 各自で入り口で選んでもらって、持って帰ってもらう企画は、良かった。 それがあると次から期間中は、いくらでも無料で来館できるので、 お友達とかを誘ってもらいやすくなるし、 現物を見せて誘いやすいし、記念にもなる。 好きなカルタを一生懸命に見つけようとする人と、 どれでもいいから風な人とで、すごく差が有る。 一昨日、ご主人が来られて選ばれた木札を 昨日、知らずに来られた奥さんが同じ札をさがしてらしたのに感動した。 夫婦愛だわ・・・ だって、その同じ選択した歌が・・・ 逢ひみての後の心に比ぶれば昔は物を思はざりけり 二人の愛の深さを感じるものだ・・・ 熱心に選ぶ人は、あらゆる物を熱心に見る。 あっさりしている人は、観賞のツボが驚きにあるから、 珍しいものに反応する。 今日のお客様は、帯や着物に反応する人が多かった。 上の帯は、今でも売られているもので、 下のものは、今では流通していない。 値段は10倍くらい下の方が高い。でも中古だから買えた。。。 これを買ったから、九谷焼のほうは父に甘えた・・・
2011年07月27日
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百人一首は紙とは限りません。 私の最愛のコレクションの一つは、木片です。 北海道には、下の句カルタと言う木でできたカルタがあることは、 30年前から知っていましたが、 実物を見たのは、今年になってからでした。 ちょっと古い紙のカルタたちです。 中央のは九谷焼の夫婦茶碗・・・ 本当にすごい細工物です。 内側の線は、全て変体仮名の百人一首の歌と作者名 小田清山書 外側の歌人たちの絵は松目さんと言う人の描くもので、 本体は、また別の人が作陶しています。 カルタのほうは、江戸時代の全部手書きのものから、戦中戦後くらいまで。 戦後の一般的な市販されてきたカルタたち 任天堂が、まだ丸福だった頃の、 しかも旧バージョンからあります。 今や世界に羽ばたく任天堂では、 カルタに関する記録がほとんどないらしく、 質問しても、古い社員の記憶頼りでした。 そのため、まったく同じカルタを 違う名前をつけて売っている理由とか、 不明のままです・・・ でも、任天堂の歌人の絵は、あるときを境に完全に変わります。 わかりますか?
2011年07月25日
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父のいつもの電話の声、 9時を前にドキドキしていたが、 明るかった。 昼ごはんのすこし前に、自力で本願を遂げたようで、 「便意のような感じがかすかにしたから、 トイレに座っていたら、7~8割方は出た」 と、まあ、それは芽出度い、話だった。 私は、昨日の夜遅くまで、自力で便意をつける方法などを調べていたので、 一応タッピングを中心に、それも教えておいた。 調べたのは、看護婦教育の研究論文とかだったけど、 摘便を看護師資格の取得までに経験する人は少なくて、 勤務の中で身についていくようだった。 看護婦さんて、大変な仕事だと思った。 高齢者の自力本願を助ける方法をあれこれ調べているうちに、 父が普段家で腰にカイロを貼っているのも、 腸を温めて活発にさせて、自力を助けることが ちゃんと書いてあった。 下腹部だけでなく、腰を温めても効果があるようだが、 どちらにしろ、コルセットをしているうえは、無理である。 毎食後のマグミットと、寝る前のラキソベロンで、 毎日排泄できるようになってくれたら、 こんな嬉しいことはない。 自宅に帰れば、従来どおりの生活で、 マグミットもラキソベロンも要らないのだから、 入院中のQOLの改善は短期的な手法で十分だ。 私の方は、明日から、前からの予定通り、百人一首展をする。 今日はその準備に会場となる同僚の別邸で午後中頑張っていた。 母の術後の経過が悪かったら、準備だけして帰省のはずだったが、 母は、むしろ入院中よりも退院後の方が人手がほしいようなので、 八月の後半に休みを振り分けた。 同僚の買った別邸は、エアコンもないのだけど、 田舎の田の字の和室に抜ける風は気持ち良くて、 室温が29,9度もあっても、湿度が低い日で、 一番暑い時間帯でも扇風機で十分だった。 今日も、夕方から涼しい。 今の室温は27度で、扇風機の風も肌寒い感じだ。 明日は、10時から夜の20時まで、 カルタの写真とかを撮りたいと思う。 実は、一昨日、初めて庭のハマボウが開花し始めたのに、 忙しくて、昨日も写真を撮れなかった。 蕾は1つしかなかったから、今年はこれで終りかもしれない。 残念だけど、自分に余裕がなくて、申し訳なかった。 夜の潅水の時に気がついても、蕾んでしまっているから遅いのだ。 そう言えば、庭のポーチュラカも、咲いているのを見たことがない。 どんな余裕のない毎日なんだろう。 こんな時って、交通事故に気をつけなきゃなぁ。。。 明日に備えて寝るべしである。。。 七月に秋の夜風の吹く年は、農作物のことが心配 夏の茄子に秋茄子の味がしたと言うことで凶作に備えた話もある。 アキアカネが夏の甲子園の予選でたくさん飛んでいたことを、 昨日、元甲子園の審判員の人が案じていた。 室温は今26度まで下がっている。 扇風機止めて寝よう。。。 今日はとうとうエアコン無しでも汗をかかない一日だった。
2011年07月23日
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昨日は、元気で快適な様子だったけど、 週末を控えた今日は、いつもの厳しさが・・・ なんだって、いつもこうなるんだろう。。。 週末は、看護婦も少ないし、医師も当番医だけになる。 受けたい医療行為は受けにくくなるから、 不調を週末に回さないようにとあれほど腐心しているのに、 今日も嵐の週末の予兆の電話だった。。。 父は、昨日の朝以来自力排泄がないのを気にしていて、 また、宿便が硬くなってきたと言っている。 このまま行けば、またしても泣きの週末である。 妹は、父の状態には愛想を尽かしていて、 たった車で10分の距離でも、心の距離は遠いと思う。 父の食べていた発芽玄米を炊いたものが、 冷凍庫に入っていたが、私は、それを父に届けてほしいとは、 言い出せなかった。 届けるとなったら、病院の白米を食べないことになるし、 三食電子レンジで温めて持っていかなきゃいけなくなるから。 だから、せめて手軽に食物繊維の取れる食品で入れ歯でも大丈夫で、 かつ、カロリーの無いものをと・・・ 考えていたのだけど、 妹のほうから、 「お米がいっぱいあるから、白米を発芽玄米に替えたら」と言う。 本気で言っているのかと思ったら、そうでもないようで、 最初の言い方なら、「3食とも発芽玄米」と取れるような表現だったが、 話をしていくうちに、「朝晩だけでも」となり、 「一日一食でも」となっていった。。。 そうだろう?? 病院の給食を代替することは、本当に難しい。 一度言い出したら簡単には、止められないことなんである。 だから、私は、父の便秘の原因の一つは食事にあるとわかっていても、 それを指摘して、毎食の温かい白米を、 炊いた発芽玄米の持込にしてほしいとは、 言えないと思っている。 毎食温かいご飯を家から届けることは、 相当なことなんだから・・・ 妹の言い分は、「間食を止めて主食で」 でも、父の現状は、主食を一度に食べることが難しい。 胸まであるコルセットがきつくて、 ずっと痛いし、 圧迫で一度にはたくさん食べられない。 昨日も今日も明け方コルセットとの接触部分の痛みで目が覚めたそうだ。 飲み食いの時間をきちんと決めて、飲み物などを上手に摂って、 退院後の生活に備えてほしい・・・ したいことの順序を決めて、諦めることは諦めて、 がんばれることは頑張って、 8月までたどり着いてほしい。 8月の中旬には、私もお盆の準備に帰るし。。。 お母さんが順調なように、お父さんも排泄が順調に行きますように。 今日は、妹のガス抜きに、一時間半電話で、話を聞いた。 透明な普通のガラスのコップは、 真横から見れば、台形である。 真上から見れば円である。 本当の形はそのどちらでもない。 台形と見るか円と見るか、 コップ自身は、自分を見られない。 本当のことは誰にもわからない。 ただ、円でもなく、台形でもないことは、 明らかな真実だ。 同じ出来事でも、どんな立場からどう見るかによって、 私と妹とではこれほど受け止め方が違う。 父が、自分のことしか考えていない人ではないのは、 これまでの父の社会的な活動から明らかだけど、 社会のためにしてきたことで、ずっと母を犠牲にしてきたと、 妹は言う。。。 それは、母の感じ方なんだろうか。 嫌々してきたなら犠牲だし、 父の町内会での世話役とかの社会参加を陰で支えてきたなら、 それは、犠牲ではなく、支援や、内助の功と言うものだろう。 それによって、十分な家事をしてこなかったと、 父を責めても、今更仕方ない。 私が子供の頃、父は、実によく家事をする男性だった。 母は、食事のあとかたづけを週に1日でよかったし、 掃除をするのも父が私たちに教えてさせていた。 母の退職後は母に頼っていたことが、妹には不満だったのだろうか。 妹の話を聞いていると、極悪非道の父が浮かび上がってくる。 そう見えていることが、妹の現実なら、悲しい。。。 今、両親が入院している元の国立病院の存続運動も、 父が地域の運動の先頭に立って東京などへの陳情にも行き、 全力で守ってきたものだ。 そういうことって、誰かがしなきゃいけないことだし、 誰かがすれば、家族が支えなきゃいけないことだ。 ・・・う~ん・・・ しかも、過去のことだしなぁ・・・
2011年07月22日
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父の宿便嵌頓は、 前夜のラキソベロンと、 朝の看護婦さんの献身的摘便とで、 詰っていた硬い便が排出され、 ついでに軟便も噴出して、 大変なご迷惑をおかけしたようだ。 妹の言葉を借りれば、大噴火で・・・ 島原大変、肥後迷惑・・・の状態だったようだ。 それが、19日の火曜日で、 その日はその後も自分で数回排便できた様子。 翌20日、さすがに腸内が綺麗になって、 ほとんど停留物も無かったせいか、無排便。 でも、父は、私の忠告を聞いて2・3日放置するのをやめて、 昨夜もラキソベロンで今日に備えたようだ。 今夜、いつもの電話では、最初排泄に触れることも無く、 母のリハビリが順調なことと、父のコルセットが痛いこと、 そんな話だったが、 思い出したように、 今日も午前中に自力で排便できたことを明るく、語ってくれた。 こちらからは聞きにくいこともあり、 助かった・・・ 状況が悪い時に下手に聞くとヒステリーっぽくなるかも・・・ そう思っていたので、父の口から明るい口調で聞くと、ほっとする。 父は、すんなり排泄できたことが嬉しいらしく、 ラキソベロンを気に入ったようだ。 水分をしっかり摂らなきゃいけないマグミットに比べて、 ラキソベロンは楽だと思う。 効いてくれて、本当に良かった。 2剤の併用は止めて、 ラキソベロンだけにしたほうがいいんじゃないだろうか。 マグミットを毎食後に飲んで、水分を摂る努力をしているけど、 それほど効果的に水分を摂れていない。 エアコンの効いた室内で、何にもしないでいて、 水分を摂るのは難しいに決まっている。 まして、コルセットの締め付けが厳しくて、 それについても泣き言を言うくらいだから、 いくら胃が無くっても、腹部の圧迫はきついだろうし、 まあ、79歳、泣き言の種は尽きない満身創痍だ。。。 でも、愚痴愚痴言ってくれても、かまわないから、 なにもないふりして溜め込まないで、 いくらでも訴えてほしい。。。 そしたら、私、できる限りの努力で改善策を捜すから。。。 食物繊維を含んだダイエット・カルゲンを送ったし、 食物繊維を含んだゼロカロリーの水ようかんも手配した。 しばらくはラキソベロンでもいいけど、 本当に良い排便習慣は自宅に帰ってからも大事だから、 一日の排泄のリズムをきちんと確立してほしい。 さて、今日は、すでにこの書斎で3匹も蚊を退治した。 殺生は嫌いだが、こればかりは・・・ 明日は午後から出張で、午前中にカルタの整理を済ませなきゃいけない。 本当に、私は、出張が嫌い・・・ ちょっと、ブルーな気分に、今からなってるくらい。。。 頑張れwww 私!!!
2011年07月21日
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父の症状が、当にこれだと思われたので、 解消法を研究したが、 摘便と大容量浣腸しかないよう。 そして、その後の食事に水分と繊維を取る様に注意すること。。。 オリゴ糖とビフィズス菌を腸に届けなきゃ・・・ コルセットが邪魔で、腸を温めることができない。 入れ歯のせいで、食物繊維が取れない。 糖尿のせいで、果物や寒天入りのゼリーを取れない。 ないないつくしの中で、できることを勧めていこう。
2011年07月18日
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排泄の介護は、誰にとっても辛い。 する側も、される側も、辛いのは、 それが一日に何度も繰り返されることであり、 とりわけ、大ちゃんのこととなると、 消臭や廃棄や、洗濯やと、 汚れた皮膚を清浄にするための労力が伴う。 自力で、たとえポータブルトイレででも排泄したいのは、 自尊心が許さないからだと思う。 自尊心が許さないと、便秘をすることになる。 そうでなければ、祖母の時のように、食事を受け付けなくなるかだ。 痛みさえなければ、どんな形であれ、 洋式便器に座らせてあげたいと思うし、 横になる時間ばかりだと腸の運動が鈍るから、 できるだけ身体を動かしてほしいと思う。 母が、排泄の介護を受け入れやすかったのは、 それが早晩不要になることが明らかだからであり、 父が排泄の介護を受け入れにくいのは、 死ぬまで続く苦痛の始まりと思うからだろう。 その上、父は、昔、痔の手術をした時に、 術創の治りが悪くて、残便感につながっているし、 実際水分の量が少ない硬い便になると、 本当に出にくいらしい。。。 下剤に下剤を重ね、座薬を入れ、浣腸をしてもらっても、 オムツをちょっと汚す程度のものしか出なくて、 昨日の夜の9時の電話では、延々20分以上、繰言を聞かされて、 私の頭まで父のウンチに支配されそうだった。 母にも妹にもメールでそのことを報告して、 退院後のトイレの改装は、水圧・水量を最優先にと言っていたら、 10時前にまた父から電話がかかってきた。 これは「出たな!?」と思って携帯をとって出たら、 さっきとはまるで別人のように晴れ晴れした声で、 排泄ができたとの報告だった。 現金なものである。 ここまで、完全に思考を排泄に左右されるのだと、 父の哀しみを哀しんだ・・・ これは、将来の自分の哀しみかもしれない。 父は、その嬉しさを、 心配しているであろう私に、伝えたかったのだ。 お陰で、私の頭から父のウンチが流れ去って、 昨夜はちゃんと寝ることができた。 で、今夜、また、父の声が気になったが、 9時の時点で、明るい声だった。 今朝、10時ごろにちゃんと排泄できたと・・・ 月曜日だから、土曜・日曜と休みだったリハビリもあったし、 身体を起こしておかないと腸が動かないよって言ったから、 今日はちゃんと起こす努力もしたらしい。 老いの報告は、聞いていて切ないけど、 おばあちゃんがそうだったように、 自分の老後への備えを教えてくれているのだと思うと、 尊く、ありがたいことだと思う。 私の両膝には、35年以上の爆弾が仕掛けてあるから、 健常だった母より、健脚だった父より、 ずっとずっと不安だ。 そう言えば、今日、妹が拗ねていた。 父が、私の老後のことばかり心配するからだそうだ。 当たり前だろう。。。 離れているほうが毎日あう相手よりも心配なものだ。 その上、子供の頃から人一倍手のかかる子だった私、 その後の人生でもいつもいつも心配ばかりかけている上に、 30年以上前の大掛かりな膝の検査入院のときも、 行き帰り付き添ってくれたのは父だった。 母も来てくれたけど、仕事が大事で休めない人だったから、 検査手術の日だけだった。 だから、私の現状や行く末が案じられるのは、 父の方なんだ。。。 足元の不安を抱える私の老いは、重い課題だ。。。 思考を排泄に支配される日が来ませんように・・・
2011年07月12日
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救急車が日を置かないで続いたから、 実家から老夫婦が入院したことは、明らかだが、 無用心だから、無人にはできないので、 私が泊まりに行ったり、妹の主人が泊まったりしている。 妹は、私の実家には泊まりたくないようで、 まあ、自分の布団が良いに決まっている睡眠障害があるから、 妹の主人が泊まってくれている。 あんなに、しょっちゅう食事を一緒に食べにきたりするけど、 妹の家族は、すぐ傍に家があるから、 私の実家に泊まることはほとんど無くて、 ずっと昔に極わずかだけ、泊まったくらいだ。 妹の主人は、うちの元夫君より12歳若い。 干支で一回り違う寅年だ。 もうすぐ61歳になるうちの元夫君と比べて、 フットワークと人柄が抜群に良くて、 顔が片岡鶴太郎に似ていることと、 パードレ禿なのとを差し引いても十二分に良い人だ・・・ で、彼が、夜に入浴を済ませた後で、 寝るために来てくれて、朝まで過ごしてくれて、 朝になると自宅に朝御飯を食べに戻って・・・ この、夜のお留守番はすごくありがたい。。。 彼にとっても、薬を飲んで寝る妹のいびきから解放されて、 一人の空間と時間とを楽しめる 幸福な選択なのかもしれない・・・ 実家と、妹の家とは、歩いて1分? 暗闇を懐中電灯で照らす状態だけど、 本当に近くて助かる。 両親がそこに土地を買うから、一緒に買わないかと もち掛けたのは賢明だった。 妹夫婦は、家を建てるための最低限の土地だけを買い、 そこに家を建てて住んでいる。 目の前には、残りの広々とした敷地に 父の書斎物置と、畑と、芝生・・・ 長男の嫁なのに、実家の傍で暮らすことを選択できたのも、 子育てをしてもらえる環境を選んだからだ。 妹が仕事を辞めるまで、 母は、毎日朝晩妹の家に通い、 先に勤めに出る彼女の出かけた後、孫たちを送り出し、 夕方に戻ってくる孫たちを引き受けていた。 3年前の、上の子が高校3年生になる直前までそうだったから、 妹の家のダイニングは、長い間、母の書斎のようでもあった。 母にとっても、一人になれる空間、時間が確保できるメリットがあった。 老後の暮らしは、持ちつ持たれつでないとダメなんだなぁ。 一方的に持つとか、もたれかかるとかは、 無理なんだと思う。。。 今日、私は、27年前の父の手術の時に、 本当のことを告げなかったことが、 この27年間の大変さを惹起したと妹に言った。 私は本当のことを言うべきだと言ったし、 手術もしないで済むなら、丸山ワクチンを取り寄せるからと言った。 母と妹とは、真実を告知せずの手術を選択し、その代わり、 術後の丸山ワクチンは母が取り寄せの手続きをしてくれた。 今なら本人にあそこまでウソを突き通すなんてありえないと思う。 インフォームドコンセントを本人にすること自体を、 母が、母の判断で断ったのだから。 しかも、切ってみたら、胃だけじゃなくて膵臓も脾臓も取ることに。 でも、今でも、その時の大きなウソに立脚して全てが成り立っている。 私は、転移で切除された膵臓を失ってからの父の苦労を、 妹に言った。 そうでなきゃ、妹が父を責めるから。 私も、糖尿の管理に関しては、父には厳しいことを言うけど、 私は、父を気の毒だと思っている。 妹は、その視点を持っていないから、 父を責める気持ちで、言葉を口にする。 父がどれほど大変な思いで術後の血糖値の管理をしてきたかを、 妹は知らないから。。。 だから、今日は、言ってみた。。。 四半世紀、進行性の胃ガンで、普通なら生きていない人が、 厳しい自己管理と節制と気力とで生きてきた。 その気力をへし折るような言葉を、彼女の口から出さないために。 だって、傷つけて気力を損なったら、 言った本人がきっと後々まで後悔すると思ったから・・・
2011年07月07日
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母が手術室に入る時から 妹の実況メールが始まって、 出てくるまでの2時間半、 私にも妹にもすごく長い時間だった。 私はデスクワークをしながら報告を見るんだけど、 妹はひたすら待っているんだから・・・ 父のこと、母のこと、 離れて暮らす私は、妹に頼らざるを得ない。 妹が仕事を辞めて家に居るようになった後、 父の状態の悪化が加速度的になった。 妹が職場のストレッサーのせいで仕事を辞めたのは、 神様の思し召しだったのかもしれない。 母も、妹が仕事を辞めたときは、 体調も含めてすごく心配していたけど、 結果的には、妹が勤めていないことが母の心理的負担を軽くしている。 かつての妹のような働き方だったら、 到底、介護は無理だった。 今となっては、離職していてくれて良かった。 禍福は糾える縄の如しである。 2007年の秋の休職、復職後の2008年の春に退職。 3年半かぁ・・・ 余裕が出てきたところだったのに、 申し訳ないけど、 今は、頼みの綱である。 退院後のことは、妹の心配をよそに、 父は自宅で母を待つつもりらしい。 排泄さえ、自力でトイレに行ければ、 マイペースで過ごせる自宅は、悪くないだろうし、 妹も食事を運ぶくらいで済むかもしれない。 楽観的な予測を立てて、父は現状を乗り切ろうとしている。 妹の、リフォームの提案は、却下され、 父は、自分が自宅に帰ってから、状況を見て頼むと言ったらしい。 そう言うだろうと思った通りに。。。 だから、今夜の父との電話で、 母の手術の無事を喜ぶ言葉と同時に、 今より若い日は無いんだから、 リフォームは今の状態に合わせたらダメだよって、 釘を刺しておいた。 5年先10年先にある老いを想定して 熟慮のリフォームをしないと、 すぐに使い勝手は悪くなるのが、当然の理である。 妹は母のことを中心に考える。 私が父のことを中心に考えてバランスが取れるだろう。 父が口寂しい時のために買っておいたお菓子を、 今日、父の書斎で見つけたらしい。 妹が怒っていた。 糖尿病があるのに・・・ってね。 でも、27年前に、膵臓を取ってるから、 その後、これまで父がすごく頑張ってコントロールしてきたことは事実。 その膵臓が無いことを本人に内緒にしているのは母の判断なんだから、 何も知らない父も気の毒ではないか・・・ 老後のことは、明日の我が身、心に抱えてこれからも生きなきゃ。 私には仕事。 仕事で得られる収入で、妹の生活を支えようと思う。 頑張るしか、今はないんだ。。。
2011年07月06日
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母は、慎重で健勝な人だから、 きっとショックだったと思うんだ。 まさかの転倒で大手術となった。 軽度の骨粗しょう症とは言っても、 78歳と言う年齢にしてはと言うことで、 若い人とは強度が違うのだろう。 大腿骨頸部骨折は、年間10万人だそうだ。 明日の夕方から、人工骨頭に付け替える手術が入る。 私は、どうしても動けない時期で、 付き添いも妹に頼むしかなかった。 妹は、普段は朝夕だけ、介助に通っているようだが、 さすがに手術後はそうはいかないだろう。 私の手術の時も、妹に来てもらった。 帰れるときは帰れる限り帰ろうと思っている。 土曜の朝に、新幹線と在来線山陽本線と山陰本線を乗り継いで帰った。 加古川駅までは送ってもらった。 まず、自宅に駅から歩いて帰って、 それから父の車を運転して病院に向かった。 病院では、父の個室をまず訪ねて荷物を置いた。 それから、母のいる6人部屋に母を見舞った。 昼食の時には母は、元気を取り戻していて、 結構食べていたし、いい感じだった。 病床に見舞うと、母はやっぱり78歳の母だった。 普段、すたすた歩いている時とは違った。 父は、折れたり落ち込んだりする自分を励ましながら、 一人の時間を何とか過ごしているようだった。 母は知らないだろうけど、個室の方が、孤独ではない。 相部屋の方が、孤独は深いし、色々なストレスが溜まるものだ。 術後は個室にしてもらえればと思っている。 母は神経質なほうで、眠りが浅いと疲れるから、 相部屋の夜は辛いに決まっている。 祖母が元気だった頃、毎朝5時半ごろに一階の仏間でお経を上げていた。 母は、その物音が気になって目が覚めるくらいだった。 祖母はお経を上げるといっても小さな声だったが、 引き戸を開ける音が、母には気になったのだ。 日曜日は、ドライシャンプーで母の頭髪と頭皮のケアをした。 洗髪はプロ級の腕前なので、母は喜んでくれた。 さすが、ヘルパー2級の私! 妹は、気にしていなかったけど、 母は、普段九州から取り寄せた美味しいお茶を飲む人なので、 日曜日の朝食から美味しいお茶を家で入れて、 届けることにした。 65℃のお湯でじっくり出した美味しいお茶。 母は、喜んでくれた。 ので、妹に頼んで続けてもらうことにした。 専用の水筒も買って頼んだ。 月曜日の朝、5時53分の山陰本線で帰った。 下関から小倉に出て、小倉から新幹線。 姫路で在来線に乗り換えようとしたら、 事故で、一本後のは間引き運転だったとか・・・ 運が良かったので、加古川からは、タクシーで帰って、即行潅水。 即出勤。。。普通に勤務・・・ そして、火曜日の今日は、終日出張。 兵庫県は県土が広いから、出張も大変。 平等に不便になるように、県央に呼ばれる。。。 出張が終わってから5時から出勤して8時まで仕事した。 さて、明日からはまた普通以上に頑張って、 週末に備えなきゃ。。。 母の手術は明日の夕方から全身麻酔で施術。 無事に済みますように・・・ 祈るのみ。。。
2011年07月05日
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