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6月1日土曜日。今日から6月に入った。朝のうちは濃霧ではっきりしなかったが昼前から日が照り始めて午後は青空に白い雲と夏を思わせる天気になった。 緑は濃さを増し、夏空が広がる朝イチで美容院に行って髪を染め、カットもしてもらった。気分よくなったついでにクリニックに行って血圧の薬をもらった。午後は予定がなかったので菖蒲の花を観に実籾本郷公園に行ってみた。緑が濃くなり、もう夏の雰囲気だった。菖蒲田は広くはないが丁度見ごろでとても華麗に咲いていた。見物客もそこそこ多かった。紫やピンク、白を基調にした涼し気な菖蒲が一面に広がって最高に気持ちよかった。菖蒲田の周りの小径をゆるゆる歩いてのんびり花を観た。 花を観た後は鴇田家住宅を見て回り、あずまやの中で昼寝した。 鴇田家住宅外観 曲がりや様式 内部最近、心労とストレスが多く心が解放されない。心と体は一体と言うが、体まで影響が出て血圧が高くなり、いつもの柔軟性を失っている気がする。この緑の風がふく公園の中で何も考えずにしばし日常を忘れたかった。1時間ほど昼寝して、気持ちを切り替えて帰宅した。
2024年06月01日
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6月2日日曜日。本来なら日・月と信州小川山にクライミング予定だったけど、天気が悪いため中止になった。おかげで今日ものんびりしている。日曜日の家事を終わらせて、雨が降らないうちにウォーキングに出かけた。最近は体が重くなって以前のようにlongルートを歩くことが少なくなっていたので、今日は久しぶりに藤崎方面の長いルートを歩いた。今の時期、どの家にもどの公園にもどの街角にもアジサイの花が咲き乱れている。わが街・習志野市の市花はアジサイなのである。昔は子供の出生届けを市役所に提出するとアジサイを一株記念にもらったりしたものだ。色も豊富だし、咲き方もいろいろ変化に富んでいて違いを観て歩くのだけでも面白い。 ダンスパーティ 墨田の花火 渦アジサイ アナベル今は咲き始めの色だがこれから梅雨の時期に入ると色変わりしていく。とても楽しみだ。
2024年06月02日
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稲村岩尾根から日原方面が台風のため通行止めになっていることを知り、大いにあわてた。じゃ、どこに下山すればよいのか?日没が早い時期なので最短距離の日原下山予定だったのに!!。地図を出してあれこれ調べたがこれという良い下山ルートがない。結局以前縦走したことのある六つ石山まで歩いた後、水根に下山することにした。以前、鷹ノ巣山に登った時、水根でバスを降りたというほんの少しの馴染みだ。そう決心したら一刻ものんびりしてられない。予定より2時間超過だ。早くて4時。今の時期、山間部の4時は暗くなり始め、下山ギリギリの時間だ。登って下りの縦走路をひたすら歩き続けた。広大無辺の奥秩父の山中に私一人しかいなくて道を尋ねる人もいない。孤独は好きだがこういう場合は悲壮感が漂う。黙々と歩いて歩いてやっと六つ石山に到着。曇りで辺りは薄暗くなっている。 薄暗くなり始めた六つ石山山頂山頂で地図を確認し、指導標も確認して水根方面に下る。最初は草原状のなだらかな道だったので小走りに下って分岐までコースタイム以上早く到着。気をよくしていたが、どういう訳か次第に足が重くなってきた。パワーが出ない。我慢しながら下っていくが追に膝から下に力が入らず普通に歩けなくなってしまった。こんな時間のない時に限ってなぜこんなことになる??と焦ったが、冷静に体の状態と自分の行動を照らし合わせてみた。朝からずっと行動し続けていて、飲み物は飲んだが食べ物はあまり食べていない。この状態は糖分不足からくるシャリバテに違いないと判断した。よりによって何でこんな時にシャリバテになる!!。でも自分が招いたことだと反省し、すぐその場に座り、どら焼きを2個食べた。しかしどら焼きの糖分が効果を出すまでに30分はかかる。薄暗い樹林帯の中で待っていられない。ヘッドランプを頭につけ、ストックに全体重を預けてヨロヨロと一歩一歩下っていった。ものすごくのろく芋虫みたいだったが、停止しているよりはましだ。苦行だった。とにかく体に力が入らない。腰を下ろしたら立ち上がることも難しい状態だった。そんな状態で30分ほど下った頃、下に集落の灯りや道路を走る車の音などが聞こえ始めた。大きく安堵した。助かった!!。生還できた。やっと樹林帯を脱してアスファルトの道に降りた。しかし奥多摩湖バス停までしばらく林道を下るのだが、既に5時を回っていて辺りは真っ暗。昼間なら見える物が見えない。途中で民家で聞いたりして雨が降り始めた中をバス通りのある道路まで歩き続けた。この頃になってシャリバテが回復し、普通に行動できるようになっていた。偉大なる糖分!!。バス通りに到着したのが5時15分頃、奥多摩駅行きのバスは6時21分までなかった。雨の中で待つしかなかったがバスは必ず来るので気長に待った。やっと来たバスに乗って奥多摩駅に出、電車に乗って帰宅したら夜の10時だった。でも安全に帰宅できたので良しとしよう。一歩間違うと遭難事件になるところだったのだから。でも大いに反省した。
2022年12月14日
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4月28日、この四国ツアー最大のイベント石鎚山登山の日になった。ラッキーなことにこの日だけ晴れだった。早朝、妹宅を出て松山から特急しおかぜで伊予西条へ。更にタクシーでロープウェイ乗り場へ。ロープウェイに揺られて成就社登山口に到着した。登山口から成就院まで登り、次に下り、そこからは急坂の連続で特に木段が果てしなく連続してとてもしんどかった。でも自分が好きな道なのだから頑張るしかない。 途中で力あめゆを飲んで水分補給し、このルートのハイライト鎖場に臨む。試しの鎖、一の鎖、二の鎖、三の鎖と鎖のオンパレード。好きな鎖ではあるが巨大なので力を使った。 そしてやっと山頂に到着。更に頑張って天狗まで岩伝いに渡った。 とてもしんどかったけど、素敵な出会いもあって嬉しい一日になった。参考タイム 三津浜5:50⇒松山7:20特急しおかぜ8号⇒伊予西条8:30⇒タクシー ⇒ロープウエイ乗り場9:35⇒広場10:50 11:00⇒一の鎖下11:57 12:05 土小屋分岐12:18 12:28⇒天狗岳山頂14:33 14:46⇒成就社17:15 ⇒ロープウエイ17:20⇒駐車場17:40 かずえさんの車に同乗して三津浜まで
2024年04月28日
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4月9日土曜日。天気予報が良いのでハイキングに行こうと思って、頑張って早起きし、5時17分の電車で出発した。携帯を開くといくつかメールが入っていて、何とずっとお世話になっているSガイドが南伊豆で崖から転落死という悲報。にわかには信じられない。だって5日に日和田山で一緒にクライミングしたばかりだもの。すごく気が動転していてもたってもいられなくなった。ネットで関連記事を探したらSガイドと一緒にいたのはIさん母子だということが判明した。これにもびっくり仰天した。三人とも心肺停止状態でクライミング中の繋がった状態で海から引き上げられて病院へ搬送されたが死亡が確定。噓でしょ!!と叫びたい気分だった。あの慎重で安全第一の信頼できるSガイドが事故死なんて一体何が起こったんだろう。あのSガイドが防げないような事故が起こったということだ。疑問ばかりだが、ドローンを飛ばして事故原因を調査する段階で何もわからない。 Sガイドいつも温厚で事務処理は早く的確。厳しいけど温かい人だった。残念で残念でたまらない。数年前木村ガイドに先立たれ、半年ほど何もできずいっそ山は止めようかと思った。しかしそれでは木村ガイドは喜ばないだろうと考えなおし、Sガイドの門を叩いたのだった。これから誰とクライミングに行けばよいのか。露頭に迷っている。
2022年04月09日
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山頂に着くとすぐ左側に富士山頂上奥宮久須志神社という神社がある。これは富士宮口にある富士山山頂浅間大社奥宮の末社ということを初めて知った。 富士山頂上奥宮久須志神社(吉田口) 丁度ガスって暗い 内部これまで何気なく見ていたが、噂に聞くと高齢者記帳所にある「高齢者登拝者名簿」に記帳(資格は70歳以上)すると記念品が頂けるらしい。それで早速奥宮に行ってみた。白い着物に黒い羽織を着た若い神職の男性がいたのでその旨を告げると記帳する綴りを出された。数え年は?と聞かれ、昭和22年生まれと答えると即71歳ですねと返ってくる。生年月日、住所、氏名、電話番号などを記帳して、70歳以上という事実を確認。「健脚ですね」と言われて、お神酒をふるまわれ、さらに記念の末廣を頂いた。恭しく頂き、代金を払おうとすると無料だとのこと。ますます恐縮してしまった。この記帳は1960年から行われているもので奥宮と浅間大社末社の久須志神社で取り扱っており、累計では2010年時点で1243人に上るようだ。ちなみに、過去最高齢の登頂は101歳、五十嵐貞一翁さん(1998年)だとか。後に番付表というものが送られてくるらしい。貴重で有難い体験をした。 頂いたお神酒の 容器と國鎮末廣(字体が独特)
2017年07月22日
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「17歳で両足指をすべて失った青年は再び山をめざし、トップclimberとして知られるようになった。日本人として初めてマッターホルン北壁登攀に成功した芳野満彦は、登山のかたわらで山への憧憬や登攀の印象を詩画に表し、幅広い登山者の共感を得てきた。初版から6度版を重ね、60年に渡って読み継がれてきた名作の完全版」と紹介されているこの本、私も何版かは知らないがかって二度ほど読んだことがあった。この完本はツブカル山登山の主宰社アルパインツアーからもらったものである。9月になってやっと日々読み継いできた。 今回読んでもやはり「青春の日」の記録から「八ヶ岳遭難」が最も印象深かった。若い日の遭難が鮮烈に描かれていて何度読んでも心に残る。とても高校生の文とは思えない。芳野さんは高2の時、八ヶ岳で遭難し、凍傷で両足指を切断、かかとから先まで12センチしかない!!。以後、五文足の山男と言われる。次は「徳沢の生活」で初めて読んだ時と同じである。詩・散文詩に絵もたくさん載っていて芳野さんが単にガムシャラな登攀者だっただけでなく感性豊かな詩人であったことがよくわかる。絵はモノクロの粗目のタッチで素直な表現で味がある。最後のページの藤木高嶺さんの解説並びに布川欣一さんの「芳野満彦 登山と表現の青春」の文も素晴らしく、改めて芳野満彦の実像を知り、この山に生きた超人の生涯に畏敬の念を新たにした。
2019年09月20日
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11月5日、昨日より更に晴れ渡った最高の秋晴れの日に恵まれた。仕事も休みだ。なのに私は大失敗してしまった。最近、キャベツスライサーを購入した所、ものすごく鋭利でこれを使ってキャベツやその他の野菜を千切りにすると面白いほどうまくできる。今日もランチのサラダをスライサーで作っていたらちょっとした拍子に自分の親指まで擦ってしまった。あ、痛いと親指を見たら、4ミリ位窪んだ傷ができていて、そこから血がまるで泉から湧くようにでてくる。たちまち真赤になるので、あわててチッシュで抑えたがすぐ真赤に染まってしまう。親指の根元を輪ゴムできつく締めて止血し、心臓より上に指を上げて過ごした。血は一旦止まったかのように見えたので、ゴムサックをして夕食を作ろうとしたところ、再び出血し始めてどうにも止まらない!!。血液サラサラの薬を飲んでいるからだ。自分ではどうしようもなくなって、遅い時間に病院に行った。聡明そうな女医さんは傷を見て「これは縫えませんね」と一言、そして止血剤を振りかけてくれた。看護師さんがおおげさに包帯を巻いてくれた。明日も小毒に行かねばならない。 血が止まらない!! 治療後私は何て不注意なんだと深く反省した。こんな指してたんじゃ、お風呂、炊事、事務所など全てに不自由でQOLの低下も甚だしい。でも近々にクライミング予定がないのがせめてもの救いだ。そしてある重大なことに思い当たった。冠動脈にステントを挿入して以来、血液サラサラの薬を飲んでいるが初めて血が止まらない経験をした。たかが5ミリほどの傷でここまで出血が止まらないとしたら、登山中に本格的怪我をして出血したらもう終わりということになる。恐怖だ。これまで無自覚だったがそんな状況で危ない登山をしてきている。自分の置かれているシビアな状況を再認識させられた。
2019年11月05日
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12月2日金曜日に遠路有楽町の角川シネマ有楽町まで出かけて映画「人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界 完全版」を観てきた。登山家山野井泰史さんの生き方をメインにしたドキュメンタリーである。特殊分野の映画なので千葉県での上映はなく、都内でも2館しか公開していないのではるばる有楽町まで出かけねばならなかった。 山野井さんは世界の巨壁に単独・無酸素・未踏ルートで挑み続け、2021年には登山界最高の栄誉であるピオレドール生涯功労賞をアジア人として初めて受賞した人である。その後も彼の挑戦は終わらず、伊豆半島にある未踏の岩壁に新たなルートを切り拓くべく奮闘している。貴重な未公開ソロ登はん映像や、同じく登山家である妻・妙子さんへの取材、関係者の証言などを交えながらその軌跡を振り返り、“垂直の世界”に魅せられた男の生き様に迫る。はっきり言って期待したほどではなかった。ドキュメンタリーではあるが、彼の登山活動が年代順ではなく、最近の伊豆だったりギャシュンカンになったりマカルー西壁になったりごちゃ混ぜ状態なので、変化があって良い気もしたがイマイチ時系列的に理解しにくかった。山野井さんのぶっきらぼうな語りにもあまり心に響かなかった。私が注目したのは奥さんの妙子さんである。以前から注目されていた登山家だったが山野井さんと結婚してその陰になった感がする。でも妙子さんは全く素のままの飾り気のない姿で登場し、凍傷で欠けた鼻や手を隠すこともなく自分のなすべき仕事を淡々としていた。すごく心に残った。 山野井泰史・妙子夫妻 凍傷で指を失っているまたお世話になった亡き篠原ガイド、橋尾歌子さんが登場し、最後には林恭子さんも姿を見せて知人が何人も登場してとても親近感があったし、嬉しかった。
2022年12月06日
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2月25日日曜日。今日は再び朝から雨が降って寒さが戻った。一昨日の寒さがものすごくこたえたので、今日は最初から厳冬期登山の肌着を着込んだ。午前中はのんびりし、昼前からシネプレクス幕張に待望の映画を観に行った。好きなことなら雨の中でも苦痛なく行動するから人間て面白い動物だ。映画は熊川哲也版新制作 眠れる森の美女 ㏌ CINEMA で2023年10月27日に東京文化会館大ホールで行われたバレエ公演の収録を映画形式にしたものである。実際のバレエ公演はステージからけっこう離れていて細部まで見ることはかなわないが、収録された映像なので細かい所までよく見えて劇場で観るより良くみえた。オーロラ姫の日高世菜 デジレ王子の山本雅也の二人が主役で高難度の舞踊を呼吸の乱れも感じさせない完璧さで踊っていた。さすがと言えばさすがである。難度の高い演技の時には途中でも観衆の拍手が入っていて実に臨場感満載、更にダンサーの迫力ある舞踊を息をつめて観ていてうまくいったときには自分も拍手したいような場面もあり、思わず拍手しそうになったが映画館ということを思い出し、かろうじて止めた。この他にもカルボスの小林美奈、猫役の辻梨花、栗原柊、ブルーバードの吉田周平、狼の杉野慧などキレのよい光る舞踊で目を惹いた。全般にすごいダンサーばかりでさすがは今をときめくKバレエカンパニーだった。次の作品は劇場で観たい。
2024年02月25日
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5月7日火曜日。大型連休も終わり、今日から再び平常に戻って出勤。しかし連休明けかつ雨降りとあって生徒は誰も登校せず、静かな一日だった。今月4日、アメリカのソルトレイクシティで行われたボルダーのワールドカップ第2戦で県立八千代高校3年生の安楽宙斗選手が優勝した。とても嬉しい。日本勢3人が決勝に進出し、宙斗は諸先輩を抑えてただ一人課題をすべてクリアして優勝した。テレビでその様子を見たが、体がとても軽くしなやかでものすごい困難なことをしているという感じではなく、ひょいひょいと登っていたのが印象的だった。彼を小学4年生から指導してきた田中星司さんも喜びの表情を見せていた。すぐ近くの県立高校にこんなすごい高校生がいるということが何だか信じられないし、この選手と同じインストラクターに私も指導してもらっているということが更に信じられない。とにかくオリンピックが楽しみだ。 高校3年生 無邪気な表情。
2024年05月07日
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5月30日木曜日。今日はまだ良い天気でお日様が降り注いでいる。朝起きるとすぐ、昨日取ってきておいたアジサイを押し花に押した。ピンク、ブルー、シロの三食を準備して押したが花びら1枚1枚をはがして押すのでかなり時間がかかり、集中力を要した。おかげで朝から疲れた。 あじさいの押し花午後からは葛西のロックランズに出かけた。今日の田中さんの講習会は中国の10歳の少女、カナダの12歳の少年、パラクライマーのビーチくんと雅子さんに高齢者の私と多彩かつ国際色豊かなメンバーだった。10歳から77歳までの年齢差、日・中・カナダと三か国が混在し、障害のあるなしに関わらず同じ壁で昇る。スポーツの素晴らしさを感じるとともにとても勉強になった。人数が多かったせいか私もビーチ君のビレーを何度もし、雅子さんのビレーもさせてもらった。国際大会で活躍するお二人のビレーをさせてもらえるなんて光栄だし、稀にみる機会でとても良い経験になった。 雅子さんのクライミング私はいつものパターンでアップに2本昇ったあと、5.10aを2本、5.10bを3本ほど昇った。白の5.10bより青のそれのほうが昇りやすかった。最後の遠いホールドを取りにいくタイミングと呼吸法を何度もトライした。最後にうまくできたので気持ちよく終了した。 カナダの少年が撮ってくれた私の写真今日も頑張る皆さんの中に混ぜてもらって刺激と元気をもらえたロックランズだった。
2024年05月30日
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1月16日今日もそこそこ良い天気だった。デイケアに通っている夫がとんでもないものをもらってきた。実は昨年12月頃から体が痒い、痒いと訴えるので総合病院の皮膚科を受診した。湿疹ということで塗り薬と飲み薬をもらったが改善が見られない。再度通院して薬も変えてもらったけど治らない。デイケアの方から治らないのでセカンドオピニオンを受けてみたらと言われ、病院を変えた。そこで何と疥癬(かいせん)と診断されたのである。疥癬は伝染病なのでデイケアも出席停止!!。とんでもないことになってしまった。夫の寝ている部屋の環境は全く変化なしだし、特にどこかへ出かけた等もないので週4日通っているデイケアのどこかでもらってきたとしか思えない。疥癬の治療は飲み薬と塗り薬だが、日常のケアが大変だ。身に着けた衣類や寝具類を熱湯消毒してから洗濯しなければならない。説明通りにやってみるとすごく大仕事だった。風呂の浴槽に洗濯物を入れて60度のお湯に浸して一晩おく。翌朝洗濯するのだが、洗濯物が水分を含んでとても重くて(特にシーツ等の寝具類)一苦労だった。更に毎日、布団を干さねばならない。さすがにこれは夫にさせた。治癒証明書が出ないとデイケアの復活は無いと聞いた。治るには一か月程度かかるらしい。潜伏期間が一か月ほどあるらしいから、夫から私たち家族も感染してないか今、すごく心配になっている。ホントにとんでもないものをもらってきたものだ。
2020年01月16日
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12月25日クリスマスイブの夜に、幕張メッセの映画館で熊川哲也Kバレエカンパニーの「くるみ割り人形」ライブビューイングが上映された。バレエも大好きで(勿論観るのが)若い時はよく劇場に行ったが、最近はとんとご無沙汰だった。この日は丁度時間ができたので夜7時からだったが思い切って出かけた。クリスマスイブの夜にバレエを観にくる人は稀だという予想に反して場内は思いのほか観客がいた。チャイコフスキーのバレエ音楽くるみ割り人形をバックにビューイングが始まった。1幕前半は冗長な気がしたが、どんどん盛り上がってさすが!!という素晴らしいステージだった。特に1幕最後の雪の女王と王子の場面の演出は類をみない美しく幻想的なもので感動した。第2幕ではアラビア、ロシア、スペイン、中国などの人形の踊りが特徴的で見どころが多かった。しかし圧巻はマリー姫と王子のパ・ド・ドゥだった。超絶技巧の技やリフトを至る所にちりばめた振付を完璧に踊り続けていく凄さ!!。このくるみ割り人形の芸術監督をしている熊川哲也が登場してきた時、そのジャンプの高さ、ポーズを決めて静止した時、微動だにしない安定性と確実性で驚愕したものだったが、今やそれが普通になっている。王子役の栗原 廉のカッコ好さは群を抜いていて彼がステージに登場する度、拍手が湧いた。最後は王子、マリー姫始め全員が登場して華麗に舞い納めて素晴らしく盛り上がった。十分に楽しみ、バレエと音楽を堪能できた。ステージを直接観るのではなくライブビューイングという形だったがこれで十分楽しめるということがわかった。次に機会があったらまた来ようと思った。帰路、幕張新都心の電飾が慎ましく輝いてクリスマスムードを演出していた。
2020年12月25日
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10月27日木曜日の午後に渋谷の文化村オーチャードホールまで出かけて熊川哲也芸術監督のバレエ「クレオパトラ」を観てきた。いつもテレビに映るあの渋谷の大混雑のスクランブル交差点を渡って東急デパートにたどり着くまでが田舎者の私にはまず最初の核心だった。バレエは素晴らしかった。自らも卓越したバレエダンサーの熊川哲也さんが振り付け、監督した創作バレエ「クレオパトラ」は2幕でクレオパトラ、アントニウス、シーザーなどが見事なパフォーマンスで一刻も目を離せない凝縮した場面の連続だった。特にクレオパトラの踊りはこれまで見たことのないような高度な技の連続でこれを2時間も連続して踊るバレエダンサーの超絶技巧・体力・表現力・精神力はいかばかりかと驚嘆した。熊川哲也の振り付けはバレエの伝統的な高度なジャンプや回転をふんだんに盛り込みながらも官能的な場面も多く、最新のバレエ芸術を堪能しで頭が覚醒した気がした。 この垂直に上がっている足と鍛え上げた体の美しさに驚嘆した 画像は当日ホール入口で流されていた宣伝用DVDから
2022年10月28日
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5月23日木曜日。ロックランズの田中星司インストラクターの講習会に参加した。この講習会は田中さんがパラクライミングワールドカップでアメリカのソルトテイクシティに帯同していたため、ずっとお休みだった。久しぶりに会った今日はメンバーが再び揃って超楽しかった。まずカナダから来た12歳の少年と母親と初対面、彼は日本語はほとんどわからないが英語で色々話をしてなぜここにいるかの概要を知った。 彼の軽やかなクライミングを見ている間に何とソルトレイクワールドカップボルダリングで金メダルに輝いた安楽宙斗くんが姿を見せた。オレンジ色のTシャツに青いハーフパンツで少し日焼けしているように見えた。無遠慮に声かけるのもミーハー的で遠慮してたのだが、「おめでとうございます」と言ったら、ごくご自然に「有難うございます」と返事があった。すぐ近くの習志野市に住んでますなどどつまらないことを言ってしまった。高校3年生とはいえゴールドメダリストなので私は多少ハイになってしまった。続いてビーチ君、正子さんも登場した。正子さんはソルトウォーター何とかというソルトレイク湖の塩で作った飴のようなお菓子をお土産に持ってきてくれていて、有難く2個頂いた。ビーチ君は練習しすぎでややお疲れのようだった。私とは言えば、久しぶりのジムで前に指導された足の置き方と呼吸法を復習して昇った。5.10Aを3本、5.10Bを2本、フリーで2本と計7本を昇って疲れた。
2024年05月23日
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5月31日金曜日。長かった5月も最後の日になった。今日は昨日より5度も気温が低く、千葉は21度だった。長袖ブラウスの上に上着を着て出勤した。この2,3日、午後になると頭がボーとして目がしっかり開かない感じでイマイチ不調だった。今日、何気なく血圧を測ってみたら何と上が150台、下も80台になっているではないか。不調の原因を考えてみるに食生活も気をつけてるし運動もしているし、夜も眠れている。さすればこのところの夫に関するストレスだろう。明日・明後日と休日なので静養するとともにクリニックに行って薬ももらってこよう。こんな不調の時には二匹の猫たちが最高の癒しである。3歳の若い猫であるがとても可愛くて可愛くて仕方がない。人間に話しかけると同じようにいろいろ話しているが、もちろんほとんど返事は返ってこない。この子たちは音楽がわかるかどうかはわからないけど、FM放送でクラシック音楽を流していると思い思いの姿で静かにじっと動かず聴いている(?)ので一段と可愛さが増す。頭や体をなでなでしてモフモフの毛並みの感触を楽しみ、無心に猫と戯れている時が一番の癒しタイムになっている。 ミチカツ(ミッチ) ヨリイチ(ヨーリー)
2024年05月31日
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登山にふさわしい体つくりにいつも悩んできた。縦走にしてもクライミングにしても糖分をはじめとして栄養を相当摂らねばならず、その結果ほとんどの場合、下山すると肥っている。何を食べ、何を食べなければスリムでスタミナのある体になるのか?そんな折、大好きなバレリーナ草刈民代さんの「全身からだ革命」を読んだ。彼女のバレーのステージも直接見たし、映画の中でも素晴らしいバレエを見ているので、彼女のスリムで強靭かつしなやかな体にはいつも憧れを抱いていた。彼女は何を食べているのか? 天賦の才能に恵まれ順調なバレエ人生を歩んでいる人だとばかり思っていたが、体を酷使して練習を重ねた結果、27歳で椎間板ヘルニアになり辛い現実に直面した時期を経験していた。それを乗り越えてアスリートとして体を変えたファーストステップが食事療法だと書いてある。その食事は一言で言えばマクロビオティックだった。あれだけ激しく踊る人の体と体力が玄米や野菜や少しの魚に支えられていると知って、とっても力が湧いた。要するに日本古来の和食をベースにしたマクロビ食である。なるべく避けたい食事に乳製品(牛乳、チーズ、ヨーグルト)が入っていてチーズ、ヨーグルト大好きの私はギョッ!!。更に長ネギ、にんにく、玉ねぎ、にら、らっきょうなどのスタミナ食は疲労や風邪のときにはいいが日ごろは積極的にとることは進めないともある。う~ん。そうなのか!?コーヒーも避ける食品に入っていた。でも光を見出した。そう難しくはない。既に玄米を食べる生活をしている訳だから、肉類を極力避けて、野菜や未精製穀類を摂ればいい。現在の食生活を所々改善していけばいいということだ。糖分を摂らないと登山は厳しいが、肉類など食べなくても私はほとんど困らない。砂糖をラカンカに変え、塩を岩塩にする。草刈さんのような美しい体は望むべくもないが、せめて肥らず筋肉を落とさず持久力も瞬発力もある体になりたい。 ☆ 参考に 強く疲れにくい身体を作るには・・・○玄米(胃腸の活動をよくし、肝臓、腎臓の機能を上げ宿便を出すことに よって体内にたまった余分な毒素を排除できる)○肉を食べるのを止める(良質な筋肉にし、持久力をアップする) ○肉をたべたいなら鶏のささみなど。四足動物は避ける。○肉のかわりのたんぱく質として豆類をとる。○果物は朝とる。(酸味が胃や肝臓を刺激し、食欲をかきたて、目覚めを良くする。)○甘味料は果糖がよい。(カロリー控えめで活性酵素を除去する効果がある。 白糖は身体が陰性になり、黒糖は血糖値があがる)○調味料にこそこだわる。(油はオリーブオイル、塩は岩塩など)○旬で地元からとれるものを。
2011年11月07日
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11月23日水曜日。勤労感謝の日。せっかくの休日なのに朝からシトシトと雨が降り続き、アウトドア活動は全面不可。午前中はイオンに出かけて孫と四国の姪の子どもたちにクリスマスプレゼントの手配をし,自分用に新年の手帳も買ってきた。午後はかねてから気になっていたkバレエカンパニー主宰・熊川哲也芸術監督の「カルメン in Cinema」を観に幕張新都心まで出かけた。作品の特殊性もあってか広い劇にに観客は私も含めて3名だった。第1幕2場と第2幕2場100分の上映だったが、第2幕あたりからあまりの魅力的舞台にすごく興奮し、熱狂した気分を押さられず、未だに興奮がさめやらない。カルメンを踊った日高世菜の超絶技巧と男を誘惑しとりこにしてしまうこれまでのバレエで見たことのないバレエ(それは即ち熊川哲也の振り付けのすごさに他ならないのだが)に目をみはった。そのカルメンに誘惑されて身を亡ぼす真面目な竜騎兵の伍長ドン・ホセの石橋奨也も舞踊も表現力も見事で言わば踊る俳優だった。更に栗原廉が花形闘牛士エスカミリオを容貌、整った肢体、極める踊りの三拍子揃ってこの上ない完璧さだった。あまりのかっこよさに目が釘付けになった。悲劇的な結末を迎えるまでたるむことなく刺激的舞台の連続だった。良い舞台を見せてもらい大満足だった。劇場で見るとステージまで遠くて手に取るようには見えないが、映画だとすぐ目の前で踊るので迫力あったし、ダンサーの細部の表情まで見えてよかった。
2022年11月23日
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村橋からパノラマ新道をしばらく登ると、樹林の中に「若山五郎君」の碑があった。小さな仏像と焼香壷があり、周辺の石は苔むしている。 昭和30年1月2日厳冬期の前穂東稜に登攀中、絶対切れないと言われたナイロンザイルが切れ、当時大学生だった若山五郎さんが遭難死した。その年の7月に遺体が発見され、若山五郎さんはここで荼毘に付された。そのナイロンザイル事件から1年後の昭和31年7月に火葬した地点に、ご遺族や沢山の友人の手で《遭難碑》が造られたという。若山五郎さんはこの ≪遭難碑≫ に眠っている。 その事件を元に井上靖が「氷壁」を執筆し、テレビ化、映画化もされている。映像化された「氷壁」はこの事件をベースにしていてもフィクションのような気がしてならなかった。しかし、この場所でその若山五郎さんが荼毘に付され、眠っていると知ると、その死が生々しく現実化して、ひどくドキドキし、しばしの間心が乱れた。55年前の出来事である。
2010年09月04日
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9月26日松本6時出発。車で高瀬渓谷を七倉まで行く。居心地よさそうな七倉荘がある。そこから先は車両通行止めなのでタクシーに乗って高瀬ダム下まで入る。 七倉の駐車場 七倉荘 高瀬ダムはロックヒルダムだということを初めて知った。ロックヒルダムはダムの型式の一つで岩石や土砂を積み上げて建設されている。この高瀬ダムは堤高さでは日本一のダムだという。確かにダムの表面はごつごつした岩が続いている。 日本一の堤高を誇る高瀬ダムダムから唐沢に入り、最初の滝を右岸から巻き、沢に降り立つと奥に垂直のアルミはしごがかかる堰堤が見える。遠目で見るとちょっとビビるがしっかり固定されているので問題なく通過する。ここからはしばらく沢登りになる。このアプローチは実際には完全な沢登りなのだが、どの案内にも沢登りとは記されてない。沢靴で来てよかった。 堰堤にかかる垂直のはしごを登るすぐに最初の滝が登場しそれを右岸から巻き、さらに大木が横たわる沢を登ってて行くと金時の滝に出る。高さがある立派な滝である。」 金時の滝この滝は直登できないため、右側の脆く長く危なっかしいガリーを登っていく。足元が瓦礫が積み重なったガラガラなのでフィックスロープに捕まって真剣に登る。3ピッチほどもあるし上からの落石もあり、危険な場所だ。何とか上まで這い上がったら今度は泥の急坂を草に捕まりながら再び沢に降り立つ。 沢を詰めていくと正面に唐沢幕岩の正面壁が見える。巨大な壁のなかに黒っぽくこれまた巨大なハングが口を開けているのが見える。今回昇る大凹角は右端だ。 唐沢幕岩正面壁なおも沢登りして1時間ほど詰めるとワシの滝になった。ワシという名前のイメージとは違う慎ましい静かな滝だったので拍子抜けした。 ワシの滝この滝を左岸から越えてすぐ上の藪を直登し、右への踏み跡をたどっていくと噂に聞く大町の宿という岩小屋の到着した。 確かにこれだけ岩がハングしていると雨風は避けられる。更に右端には湧き水もあって至極便利だ。早速チェックイン。なあんだ、まだ12時前じゃないか。Kガイドと行くと休憩というものがほとんどないので早く着くが疲れる。今日はもうすることがない。ザックを置いて寛いだ。参考タイム 松本6:00→七倉7:15 7:30(タクシー)→高瀬ダム7:4 5 8:00→金時の滝9:00 →大町の宿11:40
2017年09月26日
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余談だがローソンは多彩な事業展開をしている。東京女子医大に入院していた時はナチュラルローソンにお世話になったものだが、リゾートローソンなんてものが白樺湖にできていて驚いた。この店はリゾートローソン「ローソンビーナスライン白樺湖店」と言い、今年4月21日(土)にグランドオープンしたばかりらしい。店舗内に旅行案内所機能や、地域産品の直売所機能、更には住民と観光客の交流サロンスペースなどを併設した、リゾート滞在拠点機能併設型店舗として機能しているという。標高が1420mで日本一高い場所にあるコンビニエンスストアだ。 カップ麺の蓋やスナック菓子の袋がパンパンになっていることからも標高の高さが伺える。営業時間は7-21時。店内は明るく、食料は通常のローソンでは見たことのない小洒落たものが多くて私の購買欲をそそった。何しろ4日間、山小屋の食事と糖分中心の素朴な行動食しか食べてないから、新鮮なサラダなど見たらすぐ食べたくなる。 まずアイスコーヒーを呑み、トマトなど野菜たっぷりのパスタサラダとちょっとリッチなスイーツを買った。いかにもリゾートに来た客といった風情の皆さんが楽しそうに買い物をしていた。スタッフの皆さんはとても親切でバスの時刻や乗り場など丁寧に教えてくれた。ひょっとしたらリゾートローソンの1号店かな。とにかく珍しい店を見て少し興奮してしまった。
2018年07月07日
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図書館に行った時、山岳雑誌「山と渓谷」9月号を手に取った。斎藤しのぶさんの記事が載ってることを知っていたのだ。彼女は最近まで甲斐駒ヶ岳の七丈小屋のスタッフとして沢山の登山者を迎えていた小屋番さんであるが、最近南アルプス馬の背ヒュッテの小屋番として新しい小屋の運営に当たっている女性である。「多くのご縁に恵まれた私の小屋番史」というタイトルで彼女の山小屋との関わりが詳しく述べられていた。これまで七丈小屋で彼女と何度か会ってお世話になり、そのいつも絶やさぬ笑顔と気配りの届いたもてなしに好感を持っていたのであるが、その源がどこにあるかを知った。北アルプスに船窪小屋という温かいもてなしで定評のある山小屋がある。そこはろくに水もない山中なのに通称「お母さん」と慕われている女性が女将でご主人と応援のスタッフで運営されている。私も数年前、お世話になったがすごく温かく気持ちのよい対応だった。今でもその時の快適な山小屋生活は記憶に残っている。しのぶさんはそこのスタッフとして数年働いていたという。あの小屋の経営を経験していれば登山者の立場になった温かいもてなしの真髄が身についているだろうととても納得した。同じく南アルプスの光岳の小屋番として頑張っているKさんと双璧をなす女性山小屋運営者だ。過酷な小屋番生活を元気に乗り切ってほしい。
2022年09月11日
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5月29日水曜日。仕事を終えた後、久しぶりに図書館に行った。読みたい記事があったからだ。まず先日開催されたパラクライミングワールドカップソルトレイクシティ大会に参加した渡辺雅子さんから先週の練習日に朝日新聞に載っていると本人から紹介されたのでそれを探す。古い新聞を収納している4階の棚を探すとあった、あった。一面全部を使って大々的に紹介されていて、写真も大きく綺麗である。すごい!!。 朝日新聞5月24日土曜日 be フロントランナー ジムは葛西のロックランズこれまで知らなかった彼女の学歴や職業、どのような病気で骨盤から下を切断しなければならなかったのかなど様々なことを知った。すごい女性だ。そして年齢が46歳ということも初めて知った。外見は若く見えるのでそんな年齢とは思わなかった。次に「山と渓谷」6月号を手に取って、柏澄子さんの連載「凪の人」を読んだ。今回は山野井妙子さんが登山に目覚めた大学生時代の話がメインだった。日本大学で学んだということも初めて知った。日大は授業料が高いけどそれを支払う経済力のある家庭だったということだろう。このところ、多忙な日が続いていたのでじっくり活字を読む時間が持てなかった。久しぶりに活字を読んで落ち着いたひとときを過ごした。
2024年05月29日
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10月10日日曜日。鎌倉アルプスハイキングの終着点建長寺は鎌倉時代に創建された巨大な寺社である。何度も訪れているがいつもその質実剛健さと壮大さに圧倒される。日曜日の午後とあってここには少しだけ人の姿もあったが全体としては静かだった。 山門 鐘楼 天井画法堂の中に入ると釈迦苦行像があった。大好きな像である。この像は釈迦が極限の苦行・断食をしている姿を表しているもので本物はラホール中央博物館に安置されている。2005年の愛知万博に陳列された後、パキスタンから建長寺に寄贈されたものだと聞く。本物をラホールまで観に行きたいと願っていたが、昨今のコロナ規制と自分も老化して気力が衰え、何となく無理な気分になっている。 釈迦苦行像 仏陀と千手観音法堂を出、庭園の真柏を見て一休みした。建長寺の脇奥にひっそりと正統院(しょうとういん)という寺があり、あまりに床しく慎ましいので心惹かれて入ってみた。簡素で静寂の極み、誰もいなくて艶やかなホトトギスの花が参道から本堂まで何本も咲いていた。自然に生えているようにも見えたがそれにしてはあまりに美しい。花が大きく色が麗しい。誰がどうやって育てているんだろう。自然に見えるけどこれがありのままの自然であるはずはないという気がした。鎌倉の最後に素敵なものを見せてもらった。
2021年10月12日
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川村美術館のパンフレットには~野鳥や昆虫も多く棲息しています~と書かれていた。でもこれまで植物ばかり見て虫など無視していたが、今回は無視できないことが起こった。花の写真を撮ろうとするとトンボが寄って来るのである。人がいても逃げないし、そこにもここにもとんぼがいる。とんぼだらけである。ノシメトンボと言うらしい。 更には私の右人さし指に止まり、離れない。それも2回も。きっと私の指が丸々しておいしいと思ったか、丸い木の枝と判断したのだろう。止むを得ず左手だけで写真を撮った。私にしては上出来である。 森の中を歩いていると黒い虫たちが4匹きれいな形に集まって何か(みみずかな)を食べていた。もっと真っ黒に密集して食べていた虫たちも三箇所ほど見た。こんな豊かな森の中で食べるものはきっとおいしんだろうな。美術館のまた別の面を見た気がした。
2009年06月30日
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映画「おくりびと」を見てさまざまなことを思い出した。50歳代の数年間で父、弟、母の3人を連続して見送った。映画では火葬場で発火スイッチを押したのは笹野高史さん演ずる葬儀社の職員だったが、私の地方では最も血の濃い血縁者が押すことになっている。父の時は息子である弟が壁に取りすがって泣きながら押した。最も悲痛だったのは翌年42歳で脳腫瘍で逝ったその弟の時だった。中学1年生13歳の一人娘がそのスイッチを押さねばならなかったのである。姪は怖さと緊張のあまり全身強ばってしまって動けない。あまりの可哀想さに親族はみんな声をあげて号泣・嗚咽した。最後の母の時は妹と私、姪の3人がスイッチに手を置いた。スイッチを押した瞬間からゴオッという音とともに火葬室の窓がオレンジ色になり、劫火が炎を上げて燃え盛るのが見える。大声で泣き崩れる私たち。もう二度と見ることができないあの姿!!ひとしきり泣きたいだけ泣き、叫びたいだけ故人への思いを口にする。火葬が終了するのに少なくとも3時間はかかる。つらくて悲しくてどうしようもなく、高い煙突から煙が流れていくのを見る。ああ、あれは父を焼いた煙なんだと思うと例えようもない空しさでいっぱいになる。人の最後は誰もがこうなってしまうのか。その後にさらに恐ろしい場面があった。焼きあがったばかりでまだ火の熱さや熱の照り返しが残る灰がおぼろげに人の形を留めて出てきた時のあの衝撃!!。目を背けたくなるつらい現実だった。父が、弟が、母が姿を無くして灰になっている!!灰の余熱を浴びて顔を熱くしながら箸を持って遺骨を拾う。何もかも焼き尽くされているのに骨が残る。骨ってなんて強いんだろう。細い骨、太い骨、そしてのど仏などを小さな骨壷に納める。こんな壷に入るほど小さくなってしまった愛しい大切な人。どうしてもっともっとやさしく尽くすことができなかったのか。後悔が果てしなく続く。このつらい場面を過ぎるともう完全にあきらめがつく。もう居ないんだ。灰になったんだ。天に帰ってしまったんだ。なぜか執着心が薄れ、心が洗われたようにさっぱりした。何となく落ち着いてきて、親族と世間話もできるようになる。こうして3人の最も大切な肉親を見送った。このつらく衝撃的な経験は何年たっても忘れることはない。笹野高史がスイッチを押す場面も慟哭する息子の姿もかっての自分たちの姿そのままだった。人は必ず死ぬ。生きることは死に向かって生きること。一日一日の積み重ねが人生、毎日を悔いのないよう生きていこう、人には精一杯尽くそうとその時は強く決心した。しかし悲しみを忘却し、日が過ぎていくうちにまた元の安易な生活に流れている自分がここにいる。
2009年03月04日
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唐沢避難小屋は二階建てで日光市の持ち物である。出発する前に問い合わせたが確実に分かったのはトイレがないということだけだった。内部はテーブルが2台と土間、床が2面あって十分な広さだった。2階もあったがほとんど使用された形跡はなかった。管理人がいないので埃だらけだったが止むを得ない。受益者清掃管理だ。 唐沢避難小屋外観 ちょっと不気味?自分のテリトリーを決め、水場へ水くみに下る。結構な急坂であったが、水は冷たく美味しかった。そうこうしている内に3人組のパーティが到着し、本日の宿泊者は男性3人、女性2人ととても空いていた。5時過ぎから夕食を作った。今回の夕食メニューは五目御飯、豚肉の生姜焼き。野菜が無かった!!。おやつにアーモンドフィッシュと塩せんべい。この時期塩せんべいは塩分補給のため必需品だ。 唐沢避難小屋内部実はこの小屋は霊が出るらしい。ネットで読んだら夜中にガサガサとビニール袋を扱っているような物音がするという。体験者の話によると近くに18歳のSさんという男性の慰霊碑があるから彼ではないかという想像だ。その慰霊碑は急坂の途中にあり、私もこの目で見た。彼が出てくるだろうかと夜中、少し物音を気にしていたが、生きた人間がガサガサとビニール袋の音をさせるので区別がつかなかった。今思えば、ひょっとしてあれは生きた人間の音ではなく、S君だったのかなとも思う。彼はきっとお腹が空いていたんだろうな。10代の若さでかわいそうに。夜半、トイレに起きて空を見ると大きな夏の大三角形に天の川もかかっていて素晴らしかった。明日は予報以上に天気がよいかもと思った。
2017年07月16日
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5月23日に武甲山に登ったのだが、一の鳥居前にお決まりの狛犬が鎮座している。これがとても珍しくこれまで見たことのない姿だった。更に武甲山直下の大鳥居にも似たような形をした狛犬がいた。こちらがほうが更にワイルドな形相をしていてとても犬とは思えなかった。すごく興味が湧いてきたので調べてみたら武甲山の狛犬は犬ではなくて狼だという。 一の鳥居前の狛犬 2対 確かに犬ではなく狼である江戸時代秩父地方では狼を農作物を守る神使としてあがめ、お祀りする風習があったらしい。長瀞の宝登山神社、秩父の三峯神社では御眷属に大口真神と呼ばれるオイヌサマ(二ホンオオカミ)をまつり、狼の姿の狛犬が境内にいてオオカミのお札を配ったりしていると記されている。宝登山神社、秩父神社、三峯神社が狼信仰の三大神社として有名らしい。私は蝋梅の名所の宝登山、奥秩父の入り口三峰山には既に登っている。宝登山神社ではその狛狼の異形に接して大きな衝撃と感銘を受けたことは今でも忘れていない。ただその時点では秩父の狼信仰については全く知らなかったので今回、とても勉強になった。 武甲山頂直下 御嶽神社大鳥居前の狛狼
2021年05月26日
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8月5日のYahooニュースに北穂高岳の滝谷で山岳ガイドが滑落したことが報じられていた。気になりつつも詳細はわからず、翌日になったらそれが廣瀬憲文ガイドだと判明した。ショックだった。何で広瀬ガイドが?というのが正直な思いだった。FBにも広瀬ガイドの滑落死に関する投稿や悼む投稿があり、彼の死が確定していることを知った。何てことだ!!広瀬憲文ガイドには数年前、韓国のインスボンクライミングで大変お世話になった。その時、彼はクライミング中のアクシデントで岩壁を数十メートル落下し太ももに大けがを負った。救急ヘリで病院に搬送され緊急手術を受けた。そんな大変な時にもかかわらず、クライアントである私と高知から参加していたAさんのことを気遣って手厚い配慮をしてくださった。自分の代わりに韓国の超一流クライマー2名を手配して派遣して下さった。おかげで広瀬さんのことも気になるものの、すごく楽しく充実したクライミングができた。申し訳ないと言って有名レストランの夕食を御馳走になったりガイド料は不要などものすごく丁寧な対応だった。初めて広瀬さんとご一緒したのであったが、これまで知らなかった彼の人格を初めて知った。稀にみる立派なガイドだった。その後韓国から帰国されて長い間、ケガの治療とリハビリに時間をかけて無事ガイドの生業に復帰されたのだった。小柄でパワーあふれるクライミングスタイルは同じく小さな私には非常に学ぶ所が多かった。小川山に広瀬ダイレクトというマルチルートも開拓されていて、小川山開拓期を支えたレジェンドクライマーの一人である。残念でならない。それも私が23日から昇ろうとしていた北穂高滝谷ドーム中央稜での滑落死である。ダブルショックである。アルツハイマーで長患いして死ぬよりはクライマーとしては潔いかもしれないが、まだ70歳なのでその死は早すぎる。心よりご冥福をお祈り申し上げます。 いつも明るく元気だった廣瀬ガイド 北穂高滝谷ドーム中央稜
2021年08月17日
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5月21日火曜日。久しぶりに出勤した。職場は体育祭が終わってやっと日常を取り戻した感があった。仕事はいつも通り穏やかに終わった。このところ車が使えないので今日も朝はバス通で出勤した。帰りは天気がよいので自宅まで歩いて帰ることにした。いつも歩かないルートを選んで道端の草花や街の様子を眺めながら歩いた。陽射しが暑かったけど、いつもと違うちょっと変化のある景色をみて頭と心をリフレッシュした。 職場の前の洒落たケヤキ並木とタワマン⇒郵便局の赤と黄色のポスト⇒薔薇の垣根が素敵なお宅 菊田神社には御朱印を待つ人が数人⇒ 境内の奥の古風な狛犬 ⇒もうゼニ葵の花が咲くマラソン道路しかし自宅に戻った頃にはけっこう疲れていた。やはり紫外線の影響だろう。9678歩。
2024年05月21日
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ここで重要なことを書き忘れていた。C2から一人で下山していた時、無線でHimex隊のガイドShinjiさんが日本語で興奮気味に告げているのが聞こえた。「総撤退が決まりました!。総撤退が決まりました!」 総撤退?一体何の話?BCに帰還した午後、石川直樹くんの訪問があった。Himex隊はエベレスト、ローツェ、ヌプツエのすべてのルートから撤退し、明日下山しますとの報告にわざわざ来てくれたのだった。びっくり仰天、晴天の霹靂とはこのこと。まだ5月6日で登頂シーズンはこれからである。三脚持参の彼に「いい写真が撮れましたか?」と言うと「高い所まで行ってないから・・・」と彼は悔しさをにじませていた。 いつ会っても凛々しい石川くん ラッセル・プライスご自慢のホワイト・ポッド 中にはバーとシアターがあるということだが、そこまで入ったことがない今年の山の状況は20年に一度と言われる悪さでアイスフォールも例年になく不安定、雪が少ないためローツェは岩肌丸出しでそこから落石がひんぴんとある。このためHimex隊のシェルパが重症を負ったり死んだりしている。アイスフォールに落ちて死亡したシェルパも何人かいる。そしてHimex隊の優秀なシェルパ達ですらこのような状況で活動するのは危険すぎるとしてフィックスロープを上に伸ばさない。フィックスロープはHimex隊だけが張るわけではなく他の隊からも出るわけだが、主になるのはやはりHimexのシェルパというのがここ数年の流れである。彼らの働きによって例年5月1日頃にはエベレスト山頂までフィックスロープが完成し、一般登山者は登頂可能になっていたのだった。しかし今年はこのような状況で5月6日になってもC3あたりまでしかフィックスは張られていないという。この状況でラッセル・プライスは総撤退を決断して下山していくとすると誰がフィックスを山頂まで張るのか?予期しない大問題が浮かび上がってきた。
2012年07月04日
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朝から一日この上ないすばらしい天気に恵まれて東京都の最高峰雲取山に登った。青梅線奥多磨駅から鴨沢までバスで行き、そこからただただ登るだけの一日である。かなりの登山者がいて前後になりながら登る。暖かくフリースで歩ける。ひとまず七つ石山までひたすら登る。途中から雪道になるがどんどん進む。七つ石山に着くと澄んだ空気と青空の中に雲取方面がくっきりと見える。これから登る縦走路もはっきりと見える。こんなに雲取に続く道がはっきり見えたことは今まで無かった。 誰もいなかった七つ石山 雲取山と石尾根 雪道が本格的になるのでスパッツとアイゼンを装着。軽快にどんどん歩ける。いったん七つ石山から谷底まで下り再びひたすら登り返す。途中奥多摩小屋があり周辺にテントも3張り見える。どんどん登ってついに頂上直下、避難小屋が見える雪の急坂にさしかかる。 いかにも古い町営奥多摩小屋 頂上直下の避難小屋 このあたり、無雪期にはなかなかいやな登りなのだが、雪のおかげでアイゼンがよく効いて楽に登れ山頂へ着く。風がビュービューと音をたてて吹いている。標高2017mあるから当然だろう。富士山が光の中に輪郭をぼやかせて明るくかなたに見える。360度の展望が開け、奥秩父の峰々や南アルプスが良く見えて気持ちよかった。 お決まりの撮影ポイントで 右手後方にかすかに見える富士山山頂から雪深い原生林をひと下りで雲取山荘に到着。いつもながらの清潔で快適な小屋である。玄関前にはかまくらもつくられている。 木造二階建ての雲取山荘 誰がつくったのだろう かまくら 宿泊客は土曜日にしては少なかった。部屋は女性単独行者二人だけだった。こたつがあるので足は暖かいのだが、空気が冷え冷えとしてものすごく寒く、持参したウエアのすべてを着込んだ。夕食6時でしっかり食べた。今夜のメニューはごはん、味噌汁、わらびのおひたし、ハンバーグキャベツの千切り添え、冷奴、ポテトサラダとミニオムレツだった。ごはんはお代わり自由で男性はみんなお代わりしていた。登山は快適だったが、やはり一つ問題があった。七つ石山辺りから右肩が重くなっていたことである。登山に支障がある程ではない。この原因は暖かいのでジャケットを脱いでフリースで歩いて肩先が冷えたせいだろう。風が吹いて一瞬寒くなることが何回もあった。この時点ですぐジャケットを着るべきだった。明日はどんなに暖かくてもジャケットは脱がないと決心した。コタツの中に胸から下をすっぽりと入れ、その上から布団をかけて寝た。とても暖かだった。少しきゅうくつだったけどよく眠れた。体が小さいのもたまには役にたつものだ。
2009年02月21日
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フラメンコショーを満喫した翌日はセビリアの街へ観光に出かけた。スペインの朝は遅い。夜は9時頃まで明るい分、朝はなかなか明るくならない。この日もまだ完全には陽が昇らないうちからもうスペイン広場に着いた。広場なんて気にもしてなかったがここがまたすごかった。 20世紀のセビリア出身のなかでも最も有名なアニバル・ゴンザレスが設計を担当したこのレンガ造りの建物は、1929年にセビリアで開催された万国博覧会『イベロ・アメリカ博覧会』の会場施設として造られたこと、広場には両端に2つの塔が大空に向かって伸びている直径が200mもある半円状の大きな建物が建てられていてこれらの建物はレコンキスタ(キリスト教徒の国土回復運動)の後、残留イスラム教徒の建築様式とキリスト教建築様式が融合したいわゆるムデハル様式による建物であることなどをダンディなスペイン人ガイドが説明してくれた。何もかも知らないことばかりだった。 日本語ぺらぺらのスペイン人ガイド建物の下部にはスペイン各県の歴史的出来事を描写した綺麗な壁面タイル絵がたくさん貼り付けられていた。『アラビアのロレンス』や『スター・ウォーズ エピソード2』などの映画ロケで使用されてたらしい。
2015年04月21日
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練習が終わりみんなでレストランでランチした後、シェーンブルン宮殿を訪ねた。「フランスのベルサイユ宮殿に匹敵する宮殿を」という命により設計された、ハプスブルク家の夏の離宮で、マリア・テレジア・イエローとよばれる華やかな黄色 の外観が壮麗かつ巨大な建物だった。夕暮れ時ですごく空いていて楽々見学できてラッキーだった。マリー・アントワネットの部屋や6歳のモーツァルトが演奏を行った鏡の間、ナポレオンが暮らした部屋など、数々の歴史の舞台となった宮殿部屋が次々と登場し、まさに歴史だった。 夕暮れの闇の中に黄金色に輝くシェーンブルン宮殿 贅を極めた内部 会議は踊る されど会議は進まず ウイーン会議の間宮殿の外に庭園もあったが、もうすっかり暗くなっていたし、その後にコンサートが予定されていたので庭園は走って観に行き、ざっと見て終わった。毎日ハードスケジュールだった。
2016年11月14日
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翌日9月27日この日までは雨が降らないという予報を信じて大凹角を登攀する。早朝3時50分起床、焚火を焚いてゆっくり支度し、5時30分いざ、出陣。大町の宿から急坂の唐沢を詰め、尾根に上がった所が右稜のコルで、ここで登攀用具を身に着ける。いつでも1個1個のギアを身に着けていく瞬間がドキドキワクワクして緊張感が心地よい。草付き帯をトラバースして岩場を一段上がった所が大凹角ルートの取付きである。一面の草が生えていてその隙間に岩が見える。 草が縦横無尽に生えている岩壁 1ピッチ 2ピッチ唐沢幕岩と他の岩場の違いは草付きが圧倒的に多いことである。小川山や瑞牆山のように純粋な技術的困難さはないが、露岩が少ないため、ルートを読みにくい、草が水を内包しているため、岩に染み出しだり濡れていることが多く、グレードが5.9と記されていてもとてもじゃないがそのレベルではなかった。全9ピッチ中、通常のクライミングができたのは1ピッチ程度であとはワイルドこの上なかった。あちこちにお助け紐やカラビナが打たれているのだが、古びていて一体何十年前の物?という感じなのだが、その安全性をイチイチ吟味している余裕もなく、43キロ位ならどうにか耐えてくれるだろうと思って、使える紐は使った。 6ピッチ目 右壁が濡れていてステミングが決まらず滑る大凹角ルートは正面壁のハング帯と右稜のリッジに挟まれた凹状岩壁を昇る手ルートなので足元はスラブで凹角が連続する。何とか6ピッチをこなすと大テラスに出る。ここからは灌木帯を直上して中央バンドまで登っていく。 中央バンドへの灌木帯この辺りまで来ると紅葉が広がっていて秋山らしい風情を感じた。 中央バンドから上部岩壁に取付くとこのルートの核心8,9ピッチが出てくる。8ピッチ目も苦労したが9ピッチ目がやはりハイライト、真っ暗な大チムニーが覆いかぶさってきた。チムニー昇りは1年前にはやっていたがそれ以降全くやってないので、態勢作りに時間がかかった。でも昔取った杵柄で何とかこなして明るい露岩に出て更に草付きルンゼをひと登りしてトラバースすると終了点だった。 真っ暗なチムニー どうやって登るの? やっと終了点に到着してホッ!!参考タイム 大町の宿 5:45 取付き6:15 6:30 登攀開始 終了点11:30
2017年09月28日
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年間降水量7000ミリという驚異的な多雨地帯なのでシダ類も繁茂しています。その種類の多さ、緑の美しさ、巨大さに圧倒されました。
2012年12月30日
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今回のヨーロッパアルプスの山旅には鈴木昇己先生をガイドとしてお願いした。A・T社は「鈴木ガイドと登るマッターホルン」と銘打っている。先生は登山家でありクライマーであり国際山岳ガイドである。カンチェンジュンガ北壁無酸素登頂や1983年の無酸素エベレスト登頂を初めとして国内外の困難な山や壁にたくさんの初登記録をお持ちで名実ともに日本を代表する登山家である。これまで私のブログで「先生」と表現している方はこの鈴木昇己先生のことである。昨年9月にクライミングスクールに入門して以来、ずっとクライミングの指導と雪山・岩稜のルートガイドをお願いしてきた。 前穂北尾根で 小川山レイバックを登る先生先生は常に沈着冷静である。鍛え抜かれた体が実にかっこいい。クライミングのスタイルは優雅でありながら力強くかつ自然でリラックスしている。私が第1回目の講習を受けて即座に入門を決めたのはそのクライミングの美しさと具体的にわかりやすく教えて下さることに魅力を感じたからである。普段はとても寡黙で静かな方であるが、必要な時にはビシッとした発言や指導が入るので圧倒的存在感があり、カリスマ的オーラが漂っている。(と私は感じている)私の自慢は「昇己先生に八の字結びから教えて頂いた」ことである。60歳の秋からクライミングを始め、握力も筋力もなく八の字結びから学び始めた私が、たかだか10ヶ月程度のクライミング経験でヨーロッパの岩場を登攀できたりしているのは、よくよく冷静に考えて見れば「驚くべき」ことではないだろうか。そもそも身長が141センチしかなく、どのホールドを取りに行くにしても手も足も届かないハンディが最初からあった。何もかもクライミングには不利な状態でよく投げ出さずここまで続けてきたと、自分でも思うときがある。「クライミングは面白い」「少しづつでも前に進んでいる」「私でも頑張ればできそう」という実感を得なければ劣等感と挫折感だけを残して止めていただろう。これは一重に先生の指導のたまものである。ご自分がクライマーとして優れているだけでなく指導者としても大変優れているということである。まず一つずつ確実に身につくように指導法の組み立てがきめ細かい。必ず先生ご自身が模範クライミングを示して下さるので視覚的に把握できる。次に手間を惜しまずその人にあった指導をして下さる。指示どおりにうまく動けない人にも丁寧に粘り強く指導されている姿にはいつも敬服する。私は小さいので特に手間をかけさせているのではないかと思うが、甘えている。なのに一度教えてもらったことでもしばらく期間をおくと見事に忘れていて、いつも申し訳なく思っている。先生は実に忍耐強い方である。さらにフリー、アルパイン、アイス、高所登山、ガイドの育成とどの分野も得意でエキスパートである。中でもヨーロッパアルプスはご自分の庭のようなものであろう。 グランドフローリアで マッターホルンで登山にはリスクがつきまとう。先生の安全管理は気象の把握から始まって総合的な判断がなされ万全である。マッターホルンに関してもシャモニーで天気予報を見たときから先生は「登頂は無理」という判断だったが、初めての私はどうしても自分の目で見なくては納得できず連れていってもらったのであった。また驚いたことの一つは睡眠をコントロールする力である。就寝時刻になるとすぐ眠って翌朝食事の10分まえにぱっと起きる。睡眠能力の高さとでも言おうか、とにかく驚異的である。先生とはいくつもの偶然が重なった出会いだったが、偶然は必然である。私にはもったいなさすぎる先生とも思えるが高齢者こそ卓越した指導者が必要である。学ぶ時間、登る時間、生きる時間が限られているのだから。これからも身近にいて少しでも学び、岩を攀じ登るスリルと冒険心を抱いて心豊かに生きていきたい。
2008年08月09日
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7月22日(金)から2泊3日で中央アルプスを縦走してきました。中央高速がめちゃくちゃ渋滞して帰宅が遅くなったので、今夜はとりあえず写真を2枚アップ、詳しくは明日から報告しますね。 空木岳 ウスユキ草
2011年07月24日
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1月2日夜、NHKスペシャル エヴェレスト~世界の最高峰を撮る~を見た。 この番組は、エベレストの魅力を余すところなく伝えるNHK取材班の世界初の挑戦の記録である。第一の関心はエベレストに登頂するだけでも至難の業なのに一体どんな人達がこの取材班を構成しているのだろうということだった。しかしカメラマンの経歴を知って納得。皆さん一流の登山家で高所登山のプロ、エベレストも登頂済みだった。 登頂のルート図やテント場の様子、高所でのウエア類、酸素マスク、食事など実際のテント生活の具体的なことがありのまま描かれていてとても身近に感じた。クレバスに架けた梯子をアイゼンを履いて渡っていくアイスフォール、とてもしんどいと噂に聞くローツェフェースの氷壁、危険なヒラリーステップなど知識で知っている場面が出て来て目を皿にして見た。 アイスフォール/クレバスのハシゴを渡る 標高8750メートル 頂上への最後の難関 山麓からエベレストを望む 朝焼けのマカルー(左)とローツェ(右)驚いたのは8848mの山頂で酸素マスクをはずしていたり、素肌の顔を見せていたりしていたこと、山頂に1時間半も滞在して撮影をしたことなど、気象状況にも恵まれていたのだろうが屈強な人達だった。誰も凍傷にもならず高山病にもならなかった。それに高画質ハイビジョンカメラが零下30度以下の酷寒の場所で正常に機能するのかどうかもとても関心があったが、さすがその道の専門家だけあって工夫してあり、その辺りは何の問題も無さそうだった。 山頂で撮影する山村カメラマン 同 高橋カメラマンこの取材班と同じ時期に近藤健司隊長率いるアドベンチャー・ガイズ隊、今は亡き尾崎 隆さんも同じ場所に居た。エベレストでは死と生は隣同士で日常的にあると聞いたが、この取材班はシェルパも含め全員無事に生還し、偉業を成し遂げて素晴らしい。 登山の拠点になるベースキャンプから山頂まで、およそ1か月の長丁場。地元の山岳民族シェルパと共に頂を目指す。標高8,000m以上は、酸素が平地の3分の1、人間が生存できる限界を超えるため「デス・ゾーン:死の地帯」と呼ばれる。過酷な環境下で撮影された荘厳な映像、そして地球最高所から望む大展望。高画質ハイビジョン映像を通して、視聴者も共に世界最高峰の頂に立ったかのような追体験が体感できる。圧巻だった。
2012年01月03日
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平日で温かく、夫のデイケアも無い日だったので、何年かぶりに夫を連れて大型ショッピングモールへ出かけた。目的は兼ねてよりリクエストのあった眼鏡とデイケア用の上履きである。読書好きの夫はデイケアでもよく本を読んでいると報告があるのだが、はっきり見えないから新しい眼鏡が欲しいと訴えられていたのだった。町内会やクラックトレーニングで気忙しかった私はそれを先延ばしにしてきたのだが、やっと心の余裕ができて夫の必需品を買いに出かけた。眼鏡専門店で検眼し、フレームを選び、よく見える眼鏡を買った。上履きはバレーシューズと呼ばれる廉価なものなのだが、一体どこで売っているのか分からない。店員に聞いて学童用のスクールシューズのコーナーにあると知った。なるほど・・・・。買い物を終えて「久し振りに来たから欲しい物があったら何でも買うよ。他に何か欲しい物ない?」と尋ねても「ない」とあっさり言う。何て慎ましい人なの!。少し可愛そうになってコーヒーとケーキをご馳走し、パン屋さんで好きなレーズンパンを買って帰宅した。夫はとても満足したようで早速古い靴や眼鏡を交換して明日の準備をしていた。私も久し振りに夫を喜ばせる喜びを味わった。
2014年04月24日
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緑一色であまり彩りの目立つ花は無かった。全体的に白い花が多かった。他に珍しい花もあったのだが、そういう花に限ってボケていてアップできないのが残念。 最も彩りがあった花 ヤマオダマキ ホタルブクロ 山あじさい 木に咲いている白い花 ウツギ 真緑の小さな実がたくさん 乳茸刺(チダケサシ) 登山道にたくさん咲いていたこあじさい にがな 銀竜草 ? オカトラノオ春先は黄色の花が多く、夏は白い花が多い。自然の持つ深い意味があるのだろう。
2009年07月13日
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12月21日は下の娘の35歳の誕生日だった。ものすごく奇特な人がいるもので娘にバラの花束が贈られてきた。それも少しではなく沢山のバラだ。100万本のバラの花という歌があるが発想はそれに近い。娘は大喜びで珍しく自分で水切りをして白い花瓶に飾った。猫たちが近くに寄って来て見ているのが興味深い。猫もバラの花が好きなのだろうか。この通りの色にみえるんだろうか。それとも香りに惹かれるのか。クリスマスも近いのでこんな華やかなバラがあると家中が明るく華やいだ雰囲気になる。送り主に感謝したい。 バラの花束と猫
2017年12月21日
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新型コロナウイルス対応で仕事が無くなってしまい。有意義な日々を送れるようあれこれ考えて暮らしてはいるが、やはり暇が多い。今日は遅ればせながらカンヌ国際映画祭でパルムドール賞を受賞し、アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞を受賞した話題作「パラサイト~半地下の家族」を観に行った。一口で言って凄い映画だった。こんな予測不能な筋書を考えたポン・ジュノ監督の才能は稀にみるものだ。パラサイトというタイトルだから富豪に貧乏人が悪知恵を駆使して寄生する話だろうとは想像していたが、そんな単純な話ではなかった。とにかく後半のすさまじい展開には仰天した。それに韓国の格差社会が見事過ぎるほどリアルに描かれていた。印象的だったのが大洪水で半地下に住む主人公一家は家中水があふれトイレの汚物も一緒になっている中で命からがらやっと助かるが、その同じ時間に富豪の家では子供の誕生日でガーデンパーティをしているのだ。この映画がカンヌ映画祭とアカデミー賞4部門に渡って受賞しているのもうなづける。とにかく生ぬるさの全くない映画なのに笑える場面もあって面白かった。 半地下のアパートで宅配ピザの箱折をして暮らす一家 IT会社CEOの豪邸
2020年03月02日
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今回、ヒュッテ大槍に2泊してお世話になった。槍ヶ岳周辺には何度も来ているのだが、ヒュッテ大槍は見て通り過ぎるだけで泊まったことがなかった。ここは料理がとても美味しいという定評があるので楽しみにしてきた。肩の槍ヶ岳山荘よりはこじんまりしているが清潔で合理的な設計になっていて快適に過ごせた。 槍ヶ岳が大きく迫って見える位置にある赤い屋根のヒュッテ大槍 明るい食堂で寛ぐK夫妻板張りの廊下の両サイドに部屋があり、二段ベッドが並んでいる。コロナ時代なのでこれまでの一人1畳が二倍になってほぼ2畳の広さをもらえた。中央にはロールスクリーンが設置されていてそれを下して仕切れるようになっている。もちろん出入口には消毒液があり、ヒュッテの中ではみんなマスクをしていた。エコに配慮した清潔なトイレがあり、乾燥室も小さいながらもずっと火を入れてもらっていたのでよく乾いた。こういうのが一番有難い。到着した日は雨の中を登ってきたのでザックから靴まですべてを乾かさねばならなかったが問題なく乾いて気持ちよかった。飲料も豊富で水はいつでも飲めたし、顔も洗えた。更に気がきいていたのはスマホの充電器が各ベッドに設置してあるので気兼ねなくいつでも充電ができた。 スマホ充電器がある二段ベッドの寝室自家製ワインがついている夕食はボリュームたっぷり。個別に配膳した献立のほかに大皿にパスタがついていて、みんなご飯よりパスタを大量に食べていた。 夕食 朝食 お味噌汁がすごく美味しかった 名物 つけ麺入り口の土間に机と椅子が置かれていてそこで気兼ねなく寛げるようになっていて、アルコール好きの皆さんは到着するや否やザックの片付けもそこそこに呑みまくっていた。 ヒュッテ大槍の広場で槍を見る至福のひと時槍ヶ岳周辺の小屋で泊まってないのはあと殺生ヒュッテだけだ。いつか泊まってみたい。
2020年09月10日
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5月27日月曜日。今日から三日間は雨予報が出ている。今日は降ったり止んだりの一日だった。仕事が終わってから幕張駅北口のくらげ整形外科に手のリハビリに出かけた。くらげ整形外はIT化が進んでいて受付から会計、予約まで全てIT処理である。私の担当は若い女性の理学療法士だった。まず右手のバネ指のストレッチの方法を説明された。2種類でこれまで習ったものと同じである。 その2種類を一日朝夕、5回ずつを一か月という。次に左手親指のリハビリ、これはマッサージがメインで固定する指サックのようなものを買わされた。 親指の固定同じ方法であるが、一日にどれだけすればよいかという目安が示され、道具ももらえたので大分やる気が出た。面倒臭いといえば面倒くさいが自分の指のためにはやるしかない。
2024年05月28日
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