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11月26日火曜日。朝は冷え込んだが、午後は青空にはならなかったが気温は下がらず、暖かかった。退勤後、久しぶりに予定が入ってない日がきた。何だかすごくほっとした。ここしばらく退勤してもすぐその後に歯医者とか門扉業者との打ち合わせとか色々予定があって、寛ぐことができない状態が続いていて、正直疲れ気味だった。久しぶりに今日はのんびりと散歩に出かけた。日没が早いので欲張りせず藤崎方面の道を風景を見ながら散歩した。晩秋を彩る菊があちこちに咲いていたし、赤いも目立った。 小菊 菊 ケヤキの黄葉 南天 クロガネモチ ボケの狂い咲
2024年11月26日
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谷津バラ園に行って華麗な秋バラの魅力を堪能した後は谷津干潟を一周するウォーキングをした。谷津干潟の周りをぐるりと回ると60分ほどかかり、アスファルトが多い道なのであまり乗り気ではなかったが娘がやる気なのでやむなく付き合った。バラ園を出て谷津公園の色づいた美しい黄葉を見ながらゆっくり歩いた。あちこちに干潟の潮の流れや野鳥を観察できるスポットがあり、楽しめる。干潟沿いの住宅に皇帝ダリアが青空をバックに高くゆらいでいてダリアと言ってもまるで竹みたいだった。 干潟と皇帝ダリア船橋市境の道を左折するとバラ園の正反対側に出る。そこからが長い。野鳥を観ながら延々と歩いてやっと干潟センターへ到着。いくつものグループが活動して賑やかだった。 谷津干潟センター更に歩いて津田沼高校脇に出た辺りから腰痛が起こってきて辛くなってきた。でもどうしようもなく更に歩いてやっとのことでバラ園の駐車場までたどり着き、車の中で横になったまま帰宅した。昨日のハイキングで少し腰痛になっていた所に、脊椎菅狭窄症なのに十分休養せずまた歩いたせいだろう。土日と晴天に恵まれて娘と二人で有効活用して過ごせたが腰痛のおまけがついた。
2024年11月25日
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11月23日土曜日。勤労感謝の日。真っ青な空が広がる素晴らしい勤労感謝の日に恵まれた。少し前からハイキングを始めた娘の3回目のトライ、今日は関東の名山筑波山にチャレンジした。5時起床で自宅出発6時、津田沼から西船橋経由で武蔵野線の南流山でツクバエクスプレスに乗り換えてつくば駅まで。ここまでは極めて順調で快適だったが、つくば駅からシャトルバスに乗ってつつじが丘まで移動するのが難儀だった。乗客は多数なのにバスが少ないからだ。つつじが丘から登山開始。最初から急坂なのでゆっくり登らせたが途中から岩が連続する急坂になる。弁慶七戻りなど有名な岩をくぐったりして楽しんでいたが、女体山直下の岩場から渋滞が発生。娘は慣れない岩場の通過で苦戦している上にこの渋滞で歩行リズムが完全に崩れて疲労してしまった。 弁慶七戻りと巨岩怪石やっと稜線に出たが女体山頂に行く登山道がまた長蛇の列だったのですっかり嫌気がさし、休憩した後はすぐ御幸ヶ原方面に移動した。御幸ヶ原は日当たりも良く広々して寛げた。多くの家族連れや愛犬連れで賑わっていた。 御幸ヶ原娘はひどく疲れていたので男体山まで登れるか心配したが、登るというので一緒に登った。山頂からは関東平野が一望でき、素晴らしい開放感を味わった。無事ピークを踏めたので、茶屋で鴨南蛮うどんを食べて寛いだ。この後は娘はもう無理、ケーブルカーで下りたいというのでそれで良いと言ったのだが、気が変わって歩いてつくば神社まで下山すると意欲を見せたのでそうした。所がこれがとっても大変だった。男体山で精いっぱいになっていたところへ、岩場が多い急坂の道なのですごく苦戦した。ものすごくゆっくりしか下れなくて70分の標準時間を2倍ほどかかった。でも怪我無く安全が第一なので根気よく励まして何とか下山させた。筑波神社は壮大で立派な神社だったし、銀杏の大木も見事だった。しかし娘は疲労困憊でそんなこと感じている場合ではないようだった。 筑波神社バス停までは更に歩かねばならにので励ましながら何とかバス停までたどり着き、寒風の中で長く待たされた挙句に来た満員のバスに乗ってつくば駅に向かったのだった。何はともあれ怪我無くトラブルなく無事下山できてよかった。娘がものすごくしんどかったけど登れたので達成感を味わえたようだった。参考タイム 自宅6:00⇒津田沼6:41⇒西船橋6:58⇒南流山⇒つくば⇒つつじが丘9:15 9:25 弁慶茶屋10:20 10:30⇒女体山⇒男体山12:45⇒茶店13:40⇒筑波山神社15:57 ⇒つくば駅
2024年11月23日
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1月16日今日もそこそこ良い天気だった。デイケアに通っている夫がとんでもないものをもらってきた。実は昨年12月頃から体が痒い、痒いと訴えるので総合病院の皮膚科を受診した。湿疹ということで塗り薬と飲み薬をもらったが改善が見られない。再度通院して薬も変えてもらったけど治らない。デイケアの方から治らないのでセカンドオピニオンを受けてみたらと言われ、病院を変えた。そこで何と疥癬(かいせん)と診断されたのである。疥癬は伝染病なのでデイケアも出席停止!!。とんでもないことになってしまった。夫の寝ている部屋の環境は全く変化なしだし、特にどこかへ出かけた等もないので週4日通っているデイケアのどこかでもらってきたとしか思えない。疥癬の治療は飲み薬と塗り薬だが、日常のケアが大変だ。身に着けた衣類や寝具類を熱湯消毒してから洗濯しなければならない。説明通りにやってみるとすごく大仕事だった。風呂の浴槽に洗濯物を入れて60度のお湯に浸して一晩おく。翌朝洗濯するのだが、洗濯物が水分を含んでとても重くて(特にシーツ等の寝具類)一苦労だった。更に毎日、布団を干さねばならない。さすがにこれは夫にさせた。治癒証明書が出ないとデイケアの復活は無いと聞いた。治るには一か月程度かかるらしい。潜伏期間が一か月ほどあるらしいから、夫から私たち家族も感染してないか今、すごく心配になっている。ホントにとんでもないものをもらってきたものだ。
2020年01月16日
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2月22日かねてより課題だった椿の花の押し花にトライした。しかし我が家の庭には山茶花はあっても椿の木が無い。押し花にする前にどうやって椿の花を入手するかに頭を悩ませた。散々あれこれ考えた挙句、ここではその方法を公表しないが、苦労の末、濃いピンク、斑入り、白の三種の椿を手に入れた。まずはめでたし。 濃いピンク 斑入り 白それからが手間がかかった。本を見ながら一つ一つ段階を踏んで進める。まず花を切り落とし花びらを一枚一枚すべてはがしてしまう。そのはがした花びらをサンドペーパーの上に置いて指で押さえて裏面に傷をつける。 そこまでできたら次はアイロンかけだ。まず中温2の温度(ウールレベル)で30秒、更に中温1(シルクレベル)で10秒づつかけていく。乾燥マットの位置を替えながらこれを2度、3度やって乾燥状態を確認。80%程度乾燥していればそれでオーケー。 アイロンとタイマーが必需品やっている間に綺麗な色だった花びらが少しづつ茶色っぽく変色してくるのがとても気になる。何でだろう?温度が不適切なのか、押し方が悪いのか?気になりながらも解決方法もわからないのでこの方法でピンクの椿、斑入りの椿、真っ白の椿とアイロンかけする。結構集中力と根気が求められる。 アイロンで処理したピンクと斑入りの椿の花びら 元の花びらより色が褪せているピンクの椿一個で花びらが5枚から7枚、斑入りの椿は8枚、白い椿は10枚くらい花びらがあるので1回のアイロンかけではすべての花びらまでアイロンが届かない。その場合は2回に分けてやるしかないので手間がかった。試行錯誤しながら何とかピンク、斑入り、白の花と葉、茎、花弁などを押した。相当な時間を要した。更にアイロン処理したものを通常の押し花と同じく乾燥マットに挟んで重しをかけ、とりあえず終了。疲れた。
2019年02月22日
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12月2日金曜日に遠路有楽町の角川シネマ有楽町まで出かけて映画「人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界 完全版」を観てきた。登山家山野井泰史さんの生き方をメインにしたドキュメンタリーである。特殊分野の映画なので千葉県での上映はなく、都内でも2館しか公開していないのではるばる有楽町まで出かけねばならなかった。 山野井さんは世界の巨壁に単独・無酸素・未踏ルートで挑み続け、2021年には登山界最高の栄誉であるピオレドール生涯功労賞をアジア人として初めて受賞した人である。その後も彼の挑戦は終わらず、伊豆半島にある未踏の岩壁に新たなルートを切り拓くべく奮闘している。貴重な未公開ソロ登はん映像や、同じく登山家である妻・妙子さんへの取材、関係者の証言などを交えながらその軌跡を振り返り、“垂直の世界”に魅せられた男の生き様に迫る。はっきり言って期待したほどではなかった。ドキュメンタリーではあるが、彼の登山活動が年代順ではなく、最近の伊豆だったりギャシュンカンになったりマカルー西壁になったりごちゃ混ぜ状態なので、変化があって良い気もしたがイマイチ時系列的に理解しにくかった。山野井さんのぶっきらぼうな語りにもあまり心に響かなかった。私が注目したのは奥さんの妙子さんである。以前から注目されていた登山家だったが山野井さんと結婚してその陰になった感がする。でも妙子さんは全く素のままの飾り気のない姿で登場し、凍傷で欠けた鼻や手を隠すこともなく自分のなすべき仕事を淡々としていた。すごく心に残った。 山野井泰史・妙子夫妻 凍傷で指を失っているまたお世話になった亡き篠原ガイド、橋尾歌子さんが登場し、最後には林恭子さんも姿を見せて知人が何人も登場してとても親近感があったし、嬉しかった。
2022年12月06日
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11月18日月曜日。大重丸を8時に出発して中伊豆の城山に場所移動してクライミングした。今日の参加者は若くてお上手な皆さんばかり。あまりに年齢が違うのでその4人の皆さんと私は別ルートで練習した。天気が心配だったが、崩れることはなく午後は曇ったものの一日安心して岩に対峙できた。Nインストラクターの指導は「膝を伸ばして足で立つ」というただ一点。そうしているつもりではあったが、まだまだつま先に力が入らず、重い体が持ち上がらなかった。最初は5.8位のルートから開始して鎌方ハングなど少し上のルートも昇った。昔、何度も何度も昇ったことのあるルートだ。思いのほか昇れて気をよくした。 鎌形ハング 他の皆さん私の信条は「人と比べない、過去の自分と比べない、今を生きる」だ。なかなかこの心境になれないこともあるが、後期高齢者で身長136㎝しかない小女の私はこれで自分の道を進んでいくしかない。今日は体が岩に慣れてけっこう頑張れて達成感があった。頑張れ、エンジェル・フェイス 終了点から俯瞰する狩野川と伊豆の山々
2024年11月19日
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エベレスト街道では人も重労働をしていたが、人に負けず働いていたのは動物である。トレッカーや遠征隊の膨大な荷物を運搬するのはゾッキョ、ヤク、ウマである。私たちの荷物を運んでくれたのはヤクと牛の混血種であるゾッキョという動物である。 ゾッキョとゾッキョ使い タンボチェの広場に次々と荷物を運んでくる動物たち エベレストB.Cまで行くのだろうか街道をゆくゾッキョ おそるおそるヤクにタッチする私高度があがってくると毛がもっと濃密で垂れるように長く短足のヤクが使われる。みるからに運搬に適した体形をしている。ヤクは運搬だけでなく全身すべてヤクにたたないものは無いといわれるほど有益な動物である。輪廻転生して生まれ変わるとしたらヤクには生まれ変わりたくないという人がいるほど、高地で労働し最後は体の全てを人間のヤクにたてて死ぬらしい。さらに馬も使われている。馬はゾッキョやヤクに比べると足が長く細く運搬用にするには可愛そうな気がしたが、何回も目にした。きれいな飾り物を身につけ、大切にされていることを実感させられた。馬以外はこのような飾りは見なかった。 まだ小さい体に重そうな荷物を背負う馬 つり橋を延々と馬が渡るつり橋や山道は幅が狭い。トレッキング中にこれらの動物が来ると人間が山側に避難して道を譲るのが原則である。おとなしい動物たちであるが角を持っているので、ヤクやゾッキョ様を先にお通しするのである。これは急坂にあえいでいる時などゾッキョ休憩としてなかなかグッドタイミングではあった。厳しい自然の中で人も動物も働く究極のエコ生活である。当然のことながら街道はこれらの動物の落し物がかなりある。さらに山岳地帯ではヤクの糞を拾い集めている人も見た。あるものは何でも生かすのである。文化的生活とはいつでもどこでもお湯とペーパーが使える生活だと私は常日頃実感している。しかし無駄とわかっているものを生産し捨てている私たちって何だろう。
2009年04月17日
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葵ちゃんも翔君も民宿泊まりは初めての体験だ。今回お世話になった鈴屋さんは港から近い高台の上にあり、庭先にはブーゲンビリアの花が鮮やかに咲いていた。今夜の宿泊客は有難いことに私たち以外に1組だけでほとんど貸し切り状態だった。 ブーゲンビリア咲く民宿夕食は海の幸満載だったが、孫二人は魚が食べられないというので夕食は頼まず代わりにカップラーメンを持参していた。しかし早朝から船に揺られ、真夏の太陽の下でシュノーケリングしてる訳だからそんなもので足りる筈がない。葵ちゃんはご飯は好きで食べられるのでご飯を沢山お代わりし、魚のフライとスイカをシェアして何とかお腹を満たした。 魚尽くしの夕食 ご飯とカップラーメンを食べる葵ちゃん夕食後は花火大会だ。3年前には島の花火大会が開催されて大きな花火が海の上に上がって素晴らしい眺めだったが、コロナで中止になったと聞いた。宿の好意で離れの屋上を借りてキャーキャーと気兼ねなく花火した。花火を大量に買いすぎて全部使いきるのに時間がかかったが、とにかくパワー全開で楽しそうだった。こんなに開放されて楽しそうな姿はあまり見たことがない。 花火で大はしゃぎの二人その後も二人のエネルギーは余っていた。ふとんの上に寝転がって修学旅行みたいに元気な声をあげて色々な話で盛り上がっていた。果てることのない子供のエネルギーに私は全くついていけず、ふとんに横たわるといつもは不眠症なのにこの日ばかりはなぜか寝ていたのだった。 盛り上がる二人とくたばる私
2022年08月01日
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登山にふさわしい体つくりにいつも悩んできた。縦走にしてもクライミングにしても糖分をはじめとして栄養を相当摂らねばならず、その結果ほとんどの場合、下山すると肥っている。何を食べ、何を食べなければスリムでスタミナのある体になるのか?そんな折、大好きなバレリーナ草刈民代さんの「全身からだ革命」を読んだ。彼女のバレーのステージも直接見たし、映画の中でも素晴らしいバレエを見ているので、彼女のスリムで強靭かつしなやかな体にはいつも憧れを抱いていた。彼女は何を食べているのか? 天賦の才能に恵まれ順調なバレエ人生を歩んでいる人だとばかり思っていたが、体を酷使して練習を重ねた結果、27歳で椎間板ヘルニアになり辛い現実に直面した時期を経験していた。それを乗り越えてアスリートとして体を変えたファーストステップが食事療法だと書いてある。その食事は一言で言えばマクロビオティックだった。あれだけ激しく踊る人の体と体力が玄米や野菜や少しの魚に支えられていると知って、とっても力が湧いた。要するに日本古来の和食をベースにしたマクロビ食である。なるべく避けたい食事に乳製品(牛乳、チーズ、ヨーグルト)が入っていてチーズ、ヨーグルト大好きの私はギョッ!!。更に長ネギ、にんにく、玉ねぎ、にら、らっきょうなどのスタミナ食は疲労や風邪のときにはいいが日ごろは積極的にとることは進めないともある。う~ん。そうなのか!?コーヒーも避ける食品に入っていた。でも光を見出した。そう難しくはない。既に玄米を食べる生活をしている訳だから、肉類を極力避けて、野菜や未精製穀類を摂ればいい。現在の食生活を所々改善していけばいいということだ。糖分を摂らないと登山は厳しいが、肉類など食べなくても私はほとんど困らない。砂糖をラカンカに変え、塩を岩塩にする。草刈さんのような美しい体は望むべくもないが、せめて肥らず筋肉を落とさず持久力も瞬発力もある体になりたい。 ☆ 参考に 強く疲れにくい身体を作るには・・・○玄米(胃腸の活動をよくし、肝臓、腎臓の機能を上げ宿便を出すことに よって体内にたまった余分な毒素を排除できる)○肉を食べるのを止める(良質な筋肉にし、持久力をアップする) ○肉をたべたいなら鶏のささみなど。四足動物は避ける。○肉のかわりのたんぱく質として豆類をとる。○果物は朝とる。(酸味が胃や肝臓を刺激し、食欲をかきたて、目覚めを良くする。)○甘味料は果糖がよい。(カロリー控えめで活性酵素を除去する効果がある。 白糖は身体が陰性になり、黒糖は血糖値があがる)○調味料にこそこだわる。(油はオリーブオイル、塩は岩塩など)○旬で地元からとれるものを。
2011年11月07日
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12月14日まだ真っ暗な朝6時に民宿を出発し、吉田の浜に向かった。ルート名は通称米良魔王なのだが実際の岩壁は米良ではなく吉田の浜にある。そこは伊豆でも秘境の地だと聞く。吉田の浜に到着した時は海には大きく白波が立ち強風が吹き荒れていてこの風の中、登攀できるだろうかと不安になった。しかし天気は良いので登攀スタイルに身を固め出発した。同行はMさん、篠原ガイドの3人である。最初から急坂のヤブ漕ぎが始まった。長いカヤに行く手をふさがれ小灌木が道を隠す道なき道を這いあがり、稜線にでたらすぐ急下降。補助ロープにつかまりカヤに足をすくわれつつ浜辺に降り立つ。正面に米良魔王の岩壁が海の中からすっくりと立ちあがっていて足元に一辺の砂浜もない。 海から直接立ち上がる米良魔王の岩壁 真っ青な海に白波が打ち寄せる白波がザバーンと豪快に打ち寄せる岩場を慎重に伝ってやっと取り付きへ到着した。第一の核心突破という感じだった。早速準備して第一ピッチからクライミング開始する。第一ピッチは緩やかで楽に昇れたが第2ピッチの出だしは小さい私には厳しく、第3ピッチにも易しくはない部分があった。第3ピッチ半ばで後続パーティに先を譲り、最終第4ピッチも部分的に難しい所があったものの何とか終了点まで到着した。「木村さん、やっと来たよ」と心の中で叫んだ。強風はその後落ち着いてくれたのでラッキーだった。 終了点から見下ろす伊豆の海は圧巻だった。何しろ水面までの距離が短く、常に迫力ある波音を背にして昇るので豪快そのものだった。終了点から懸垂下降地点まで稜線のトラバースだったが、ここが滅多にない凄まじいヤブ漕ぎだった。小灌木がイバラ状に張り出しで正にイバラの道、稜線なので反対側からの強風が容赦なく吹き突ける。這うようにゆっくり進んで何とかこなし、懸垂地点から3回の懸垂下降で浜辺に降り立った。 懸垂下降無事登攀終了で嬉しかった。木村ガイドへの追悼クライミングだった。彼が私に与えてくれた計り知れない恩恵をしみじみと噛みしめた。 午後の米良魔王付近の岩 ダイナミックで割れ目から向こう側が見える
2020年12月14日
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11月24日日曜日。昨日の筑波山ハイキングがけっこうしんどかったので、今日は穏やかに過ごしたいと考えていた。朝6時から洗濯を3回、掃除とかたずけをしたところに娘が谷津バラ園に行きたいというので仕方なく付き合った。娘も昨日のhikingで激疲労していたのにもう遠くまでウォーキングしようとするなんて元気になったものだ。バラ園はもうすっかり終わったものだと思っていたのに、何と満開で「見ごろ」という表示が出されていた。入園して見るとホントに美しく、まさに見ごろだった。特に驚いたのが一輪一輪のバラの花が大きいこと、香りが強く芳香が漂っていて優雅だった。昨日のハイキングで凝り固まった筋肉も緩みそうだった。 二コロ・パガニーニ アンネ・フランク マリリン・モンロー 非常に珍しい緑色のバラ グリーン・ローズ キャロニーヌ・ドウ・モナコ前回来園した時は4分咲きでそこそこ綺麗だったが、今回は満開ということでバラの魅力が存分に味わえた。気象状況で開花が大きくずれ込んでしまって、来園者が少ないのがもったいない気がした。素晴らしいバラを見せてもらった。
2024年11月24日
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11月5日、昨日より更に晴れ渡った最高の秋晴れの日に恵まれた。仕事も休みだ。なのに私は大失敗してしまった。最近、キャベツスライサーを購入した所、ものすごく鋭利でこれを使ってキャベツやその他の野菜を千切りにすると面白いほどうまくできる。今日もランチのサラダをスライサーで作っていたらちょっとした拍子に自分の親指まで擦ってしまった。あ、痛いと親指を見たら、4ミリ位窪んだ傷ができていて、そこから血がまるで泉から湧くようにでてくる。たちまち真赤になるので、あわててチッシュで抑えたがすぐ真赤に染まってしまう。親指の根元を輪ゴムできつく締めて止血し、心臓より上に指を上げて過ごした。血は一旦止まったかのように見えたので、ゴムサックをして夕食を作ろうとしたところ、再び出血し始めてどうにも止まらない!!。血液サラサラの薬を飲んでいるからだ。自分ではどうしようもなくなって、遅い時間に病院に行った。聡明そうな女医さんは傷を見て「これは縫えませんね」と一言、そして止血剤を振りかけてくれた。看護師さんがおおげさに包帯を巻いてくれた。明日も小毒に行かねばならない。 血が止まらない!! 治療後私は何て不注意なんだと深く反省した。こんな指してたんじゃ、お風呂、炊事、事務所など全てに不自由でQOLの低下も甚だしい。でも近々にクライミング予定がないのがせめてもの救いだ。そしてある重大なことに思い当たった。冠動脈にステントを挿入して以来、血液サラサラの薬を飲んでいるが初めて血が止まらない経験をした。たかが5ミリほどの傷でここまで出血が止まらないとしたら、登山中に本格的怪我をして出血したらもう終わりということになる。恐怖だ。これまで無自覚だったがそんな状況で危ない登山をしてきている。自分の置かれているシビアな状況を再認識させられた。
2019年11月05日
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11月17日日曜日。湯河原幕岩でクライミングした後、今夜の宿・城ケ崎の大重丸までガイドの車で移動した。およそ90分のドライブの間、Nガイドは一言もしゃべらずカーラジオだけが喋っていた。私もお喋りではないので無言で居眠りしていた。大重丸で懇意にしているMガイドとその講習会に参加していたOさん、Yさん、Gさんと再会して一緒に夕食を頂いた。大重丸の夕食は土地柄、海の幸メインで豪勢、食べきれない程でてくる。一泊2食に昼のおむすび弁当付きで何と6500円という良心的な料金である。楽しく歓談し、お互いの最新情報を語り合った。 大重丸の夕食その後はNガイドの部屋に集まって、二次会の酒宴が繰り広げられた。Nガイドはソムリエになれるほどワインに精通していて、この日もワイングラス各種に数種類のワインを持参してきていた。私たちにもワイングラスを貸してもらって彼がおすすめのワインをその蘊蓄とともにふるまってくれるのだった。まずは甲州ワイン、癖がなく美味しかった。いつもなら決してアルコールに手を出さない私なのだが、昼間のムシャクシャのせいか皆さんと一緒に呑み、その宴席に最後まで付き合ってしまったのだった。その後、オレンジワインという珍しいワインなど3種類位出てきて、みんなガンガン呑んでいた。そしてNガイドの昼間は絶対聞けないような話が炸裂して、超楽しかった。最後はNガイドが畳の上に爆睡してしまったのでみんな自室に引き取った。最高に楽しく弾けた一夜だった。 城ケ崎の港と伊豆の海
2024年11月18日
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余談だがローソンは多彩な事業展開をしている。東京女子医大に入院していた時はナチュラルローソンにお世話になったものだが、リゾートローソンなんてものが白樺湖にできていて驚いた。この店はリゾートローソン「ローソンビーナスライン白樺湖店」と言い、今年4月21日(土)にグランドオープンしたばかりらしい。店舗内に旅行案内所機能や、地域産品の直売所機能、更には住民と観光客の交流サロンスペースなどを併設した、リゾート滞在拠点機能併設型店舗として機能しているという。標高が1420mで日本一高い場所にあるコンビニエンスストアだ。 カップ麺の蓋やスナック菓子の袋がパンパンになっていることからも標高の高さが伺える。営業時間は7-21時。店内は明るく、食料は通常のローソンでは見たことのない小洒落たものが多くて私の購買欲をそそった。何しろ4日間、山小屋の食事と糖分中心の素朴な行動食しか食べてないから、新鮮なサラダなど見たらすぐ食べたくなる。 まずアイスコーヒーを呑み、トマトなど野菜たっぷりのパスタサラダとちょっとリッチなスイーツを買った。いかにもリゾートに来た客といった風情の皆さんが楽しそうに買い物をしていた。スタッフの皆さんはとても親切でバスの時刻や乗り場など丁寧に教えてくれた。ひょっとしたらリゾートローソンの1号店かな。とにかく珍しい店を見て少し興奮してしまった。
2018年07月07日
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8月29日日曜日。8月最後の日曜日、習志野シティフィルハーモニック第72会定期演奏会を聴きに習志野文化ホールに出かけた。このオケは昨年はコロナの為、コンサートを中止していたので2年ぶりのコンサートになる。指揮は小室 昌広さん。曲目は モーツアルト作曲 交響曲第35番「ハフナー」K.385 フンパーディンク作曲「ヘンゼルとグレーテル」より抜粋 5曲 ドボルザーク作曲 交響曲大6番ニ長調作品60 の3曲である。 プログラム 習志野シティフィルハーモニック今回はいつものコンサートマスターが仕事の関係で出演できないため、関西フィルのプロバイオリン奏者 友永健二さんがゲストコンサートマスターとして出演された。このオケには同時に兄の友永信吾さんがクラリネットで、信吾さんの奥さんもフルートで出演しているので一家族から3人が出演する嬉しいことが起こった。演奏はとても丁寧できちんとしていて、「ハフナー」は優美、「ヘンゼルとグレーテル」は楽しく、ドボルザークの「交響曲第6番」は私は初めて聴いたのだったが、けっこうブラームスの旋律の断片を感じる部分があった。 友永 健二さん コンサートマスターと指揮者 ホールの壁面装飾ゲストコンサートマスターの友永 健二さんはさすがにプロだった。演奏の姿勢が彼より後ろのアマチュアの皆さんとは全く異なっていた。NHK交響楽団のコンサートマスターと同じ姿勢だった。指揮の小室さんはもうそれなりの年齢だと思うが、体がしなやかで柔軟性に富んでいながら大仰な身振りなどはあまりなく、好印象だった。先週聴いた千葉室内管弦楽団も同じであるがこのコロナ禍では練習場所を確保するのも、団員が集まるのも演奏会の運営も想像以上の困難さが付きまとう。コロナ対策を周到にして今日のコンサートを迎え、立派な演奏をされた団員の皆さんに心から大きな拍手をおくるものである。
2021年08月29日
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10月10日日曜日。鎌倉アルプスハイキングの終着点建長寺は鎌倉時代に創建された巨大な寺社である。何度も訪れているがいつもその質実剛健さと壮大さに圧倒される。日曜日の午後とあってここには少しだけ人の姿もあったが全体としては静かだった。 山門 鐘楼 天井画法堂の中に入ると釈迦苦行像があった。大好きな像である。この像は釈迦が極限の苦行・断食をしている姿を表しているもので本物はラホール中央博物館に安置されている。2005年の愛知万博に陳列された後、パキスタンから建長寺に寄贈されたものだと聞く。本物をラホールまで観に行きたいと願っていたが、昨今のコロナ規制と自分も老化して気力が衰え、何となく無理な気分になっている。 釈迦苦行像 仏陀と千手観音法堂を出、庭園の真柏を見て一休みした。建長寺の脇奥にひっそりと正統院(しょうとういん)という寺があり、あまりに床しく慎ましいので心惹かれて入ってみた。簡素で静寂の極み、誰もいなくて艶やかなホトトギスの花が参道から本堂まで何本も咲いていた。自然に生えているようにも見えたがそれにしてはあまりに美しい。花が大きく色が麗しい。誰がどうやって育てているんだろう。自然に見えるけどこれがありのままの自然であるはずはないという気がした。鎌倉の最後に素敵なものを見せてもらった。
2021年10月12日
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4月9日土曜日。天気予報が良いのでハイキングに行こうと思って、頑張って早起きし、5時17分の電車で出発した。携帯を開くといくつかメールが入っていて、何とずっとお世話になっているSガイドが南伊豆で崖から転落死という悲報。にわかには信じられない。だって5日に日和田山で一緒にクライミングしたばかりだもの。すごく気が動転していてもたってもいられなくなった。ネットで関連記事を探したらSガイドと一緒にいたのはIさん母子だということが判明した。これにもびっくり仰天した。三人とも心肺停止状態でクライミング中の繋がった状態で海から引き上げられて病院へ搬送されたが死亡が確定。噓でしょ!!と叫びたい気分だった。あの慎重で安全第一の信頼できるSガイドが事故死なんて一体何が起こったんだろう。あのSガイドが防げないような事故が起こったということだ。疑問ばかりだが、ドローンを飛ばして事故原因を調査する段階で何もわからない。 Sガイドいつも温厚で事務処理は早く的確。厳しいけど温かい人だった。残念で残念でたまらない。数年前木村ガイドに先立たれ、半年ほど何もできずいっそ山は止めようかと思った。しかしそれでは木村ガイドは喜ばないだろうと考えなおし、Sガイドの門を叩いたのだった。これから誰とクライミングに行けばよいのか。露頭に迷っている。
2022年04月09日
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11月17日日曜日。およそ1年ぶりに湯河原幕岩にクライミングに出かけた。品川から東海道線に乗って海を見ながら湯河原まで移動。そこから車で梅の名所幕山に行き、正面壁で練習した。同行者は同世代のKさんとOさん。二人ともクラミングに特化しているような熱心で上手な高齢者である。当然ながら二人は度々一緒に昇っているので仲良く、滅多に参加せず下手な私は疎外感を覚えるというお決まりの一日である。幕山も紅葉していて綺麗だった。幕山の斜面をトラバースして正面壁まで行った。ここの壁を昇るのは初めてで、中々体が壁に馴染まなかったが、文句を言っても仕方ないのでお上手なOさんのムーブを見ながら自分なりに昇った。 昼過ぎから暑くなり、直射日光を受けながら5.10dの難しいルートにトライしたがとても難しくてトップアウトできなかった。このところの暴飲暴食で体重増加しているのがもろに堪えた。ほとんど達成感を感じないまま5本ほど昇り、消化不良感を抱えながら午後3時過ぎに終了して、今夜の宿・大重丸にガイドの車で移動した。
2024年11月17日
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11月28日押し花教室に出かけた。今日はクリスマスツリーの制作だ。クリスマスの色と言えば緑・赤・白・銀色などをイメージしていたのだが、先生の見本を見ると全くそのイメージとは異なっている。地の色が白またはグレーでホワイトクリスマスのイメージである。グリーンをメインにして作ることも出来たが、白基調のほうがシックだったのでそのイメージでスタートした。でも相当難しかった。まずツリーの三角形を綺麗に作り出して、上から下向きにグレーや白の葉を重ねて地の色が見えないようにする。この段階でかなり厚ぼったくなってしまった。その上に花を重ねていくのだが、クリスマスらしい配色ができない。更に素人の悲しさ、持っている押し花をこれでもかという位てんこ盛りにレイアウトしてしまってくどい。それにバランスをく崩すような大きな花は使えないので花選びも工夫がいった。何とかレイアウトを終え、Merry CHiristmasの銀文字を張り、雪の結晶も散りばめてクリスマスということがわかるようにした。そうでもしなきゃ、クリスマスツリーと見えない配色だ。 ヨモギの葉とシロタエギクの葉で基礎を作る その上に花をバランスよく配置し雪の結晶やメリークリスマスの字を添えるレイアウトを完成させたら、いつものように額絵に仕立てる。これが何度やっても覚えない、小学生なら成長して覚えるが私たちシニアは毎回言われても定着しない。情けないがこれが現実だ。先生にイチイチ確認しながらなんとか完成した。使用した花はヨモギの葉、シロタエギクの葉、アジサイ、カーネーション、撫子、カスミソウなど。 完成
2017年11月28日
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南岳小屋のベンチで休んでいたら、小屋から男性が来て、「これから3分後にヘリが来ますから、出発するか離れてください」と言う。離れて空をみていたらあっという間にヘリが来て、荷物を降ろし、荷物を捉え、旋回して飛び去っていった。一瞬の間の見事な早業だった。機体には東邦航空という字がはっきり見えた。 空のかなたからヘリコプターが飛んでくる 山小屋の人達が素早く物資を下ろし、送る廃棄物を取り付ける(南岳小屋) 山並みのかなたに飛び去るヘリ北アルプスは物資の運搬をほとんどヘリに頼っている。夏山最盛期である。食料をはじめとする必要物資もゴミなど廃棄処理物も相当な量だろう。一日に何度もヘリを見た。どの山小屋にも来ていた。私達が食べるもの、出したもののほとんどの処理がこのヘリの輸送で担われている。
2009年08月30日
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「17歳で両足指をすべて失った青年は再び山をめざし、トップclimberとして知られるようになった。日本人として初めてマッターホルン北壁登攀に成功した芳野満彦は、登山のかたわらで山への憧憬や登攀の印象を詩画に表し、幅広い登山者の共感を得てきた。初版から6度版を重ね、60年に渡って読み継がれてきた名作の完全版」と紹介されているこの本、私も何版かは知らないがかって二度ほど読んだことがあった。この完本はツブカル山登山の主宰社アルパインツアーからもらったものである。9月になってやっと日々読み継いできた。 今回読んでもやはり「青春の日」の記録から「八ヶ岳遭難」が最も印象深かった。若い日の遭難が鮮烈に描かれていて何度読んでも心に残る。とても高校生の文とは思えない。芳野さんは高2の時、八ヶ岳で遭難し、凍傷で両足指を切断、かかとから先まで12センチしかない!!。以後、五文足の山男と言われる。次は「徳沢の生活」で初めて読んだ時と同じである。詩・散文詩に絵もたくさん載っていて芳野さんが単にガムシャラな登攀者だっただけでなく感性豊かな詩人であったことがよくわかる。絵はモノクロの粗目のタッチで素直な表現で味がある。最後のページの藤木高嶺さんの解説並びに布川欣一さんの「芳野満彦 登山と表現の青春」の文も素晴らしく、改めて芳野満彦の実像を知り、この山に生きた超人の生涯に畏敬の念を新たにした。
2019年09月20日
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7月25日火曜日夜。とても不安だった初日が予定通りのタイムでこなせたので私はすごく安堵した。今日が最もつらい日、これがこなせたのだから後はこの調子でじっくり行こうと思った。大天井ヒュッテはこじんまりした良い山小屋である。小屋前に咲いていた白いヤマハハコの花が私を迎えるようにフレッシュに咲いていた。部屋は和室に二人連れ女性と私の3人で余裕があり、寛げた。 ヤマハハコのんびりしていたら外が騒がしいので出てみると、滑落事故発生とのことで驚いた。韓国から来た12人グループの一人の男性が小屋の手前のざれた急斜面からかなり滑落したということで、斜面に男性と救助に行った皆さんの姿が見えた。 怪我人の救助現場から皆さんで小屋まで運んで、ヒュッテの方が寝かせて応急処置をされていた。頭から出血しているのが遠くからでも見て取れたが意識はあるとのことで、すぐにヘリを要請。しばらくしてヘリが飛来して、救急隊員の方が見事な下降スタイルで平な場所に寝かされていた怪我人をヘリに運びあげ、救出劇は終了した。山の怖さと再認識するとともに、小屋スタッフの冷静沈着な対応がすごく頼もしかった。午後5時、トンカツでデザート付きの栄養豊かな夕食を頂いた。ここは飲料水は自由に頂けたので水1㍑に緑茶500㏄を作って翌日の行程を確認して、夜8時にグリナと風邪薬を服用して就寝。でも中々寝付けなかった。 大天井ヒュッテ 豪華夕食
2023年07月28日
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11月22日金曜日。今日は青空が出て、お日様が降り注ぎ、午後からは気温も上昇して温かく気持ちよい一日だった。しかし、私は今日もほとんど一日を病院通いに終始した。まず朝8時半に家を出て、夫を連れてA眼科を受診。夫が白内障の手術を受けたいというので受診した。以前にもかかったことがあったので順調に進んだが、手術のための検査や日程決めなどで大幅に時間がかかった。来たついでに私も検眼してもらい、新しい眼鏡にする用意をした。 検眼室これが終わったのが12時50分。一旦帰宅して夫を下ろし、昼食を取って再び今度は自分の眼瞼下垂受診のために第一病院へ行った。しかし本日の午後3時に来て下さいと言われたにも関わらず、ドクターが休診と告げられてがっくり。でも天気も良かったので、自分の新しい眼鏡を作りに津田沼のM眼鏡店まで行った。津田沼の中心部にあるので駐車場にたどり着くまでが骨折りだった。店内でおしゃべりな店員にうんざりしながらも何とか新しい老眼鏡を注文した。ヤレヤレだ。これで来週からは目が見える。
2024年11月22日
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9月19日から始まったシルバーウイーク5日のうち、3日間をクライミングにあてた。1日目は小川山。前日直前まで雨が降っていた影響もあり、ガマクラック方面のエリアに行った 小川山定番岩壁の風景ガマクラックはガマスラブの最上部にあり、短いけど垂直のクラックが奔っている。垂直部分でハンドが決まらず手こずったが何とかクリア。 ガマクラック 下半 同 上半の核心部その後はガマスラブに移動し、楽しいスラブをたくさん昇って終了。廻り目平でテント泊した。
2015年09月20日
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7月16日三連休初日不安定な天気ではあったが瑞牆山にワイドクラックのトレーニングに出かけた。新宿発のスーパーアズサ1号は超満員、新宿ですでに通路まで混雑していた。発車35分前に並んだ私は悠々と座席にかけていけた。初日の今日は定番の不動沢末端・熊の岩でトレーニングした。前回やったワイドを上段までつないで昇ったが、相変わらず出だしにてこずり意気消沈したが、メインのクラックは何とかこなして自尊心を保つ。 ワイドクラック前半背中の向きを変えて2回昇ったが、クラックに上半身がぴったりはまって身動きできず、体をずらして上にあげるのに苦労した。その後は上の岩場まで崖を登って、美しいハンドクラックを昇った。ここも私にとっては出だし核心でレイバックを効率的に決められなくて手間取った。でも上部は何とかこなして無事トップアウト。ここも2回昇った。連休で何人もの友人と会い、みんな屏風岩に行ったようで相当な混雑が予想されたが、ここはマニアックなのか来る人がほとんどなく静かにトレーニングできてよかった。でも疲れました。
2016年07月16日
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ヘチマの活用第二弾として、ヘチマタワシ作りにトライしてみた。ネットで調べてその通りにやってみたが、結果的にはタワシにならず失敗だった。原因はヘチマ選びがまずかったこと、乾燥をしっかりしなかったことだ。 ヘチマを切って鍋でゆでる すぐ浮かんでくるので落し蓋をする ゆであがったら皮を剥く 皮をむいたヘチマを乾燥させる乾燥させなければならない日に雨が降り続き、ろくに乾かないまま雨飾山に出発した。登山から帰宅してみたらヘチマは全て腐ってずるずるになっていた。戸外に吊るして乾燥させるべきだったのに雨天で戸外に出せないのでタオルの上で水分を吸わせようとしたのが甘かった。
2016年10月13日
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1月14日11時までに入院という指示で自宅を9時過ぎに出発。長男が同行してくれて助かる。総武線市ヶ谷駅からタクシーで東京女子医大前まで行くと、正門前はもうタクシーで一杯になっていたので驚く。この周辺に見える建物はすべて東京女子医大病院の建物で、案内で知ってはいたが改めてその巨大さを確認する。総合受付センターというガラス張りの9階建ての建物に入って入院手続きをする。1階はたくさんの受診者で混雑していた。保証金5万円を預け、西棟B422号室に入る。この棟は心臓病専門の棟で2階が手術室やカテーテル室、ICUなど心臓部、4階から上が病室になっている。私の部屋は二人部屋で1泊10500円、テレビと洗面台付き、廉価な4人部屋希望なのだが空きがないのでこの部屋になった。 病室にて 昼食 薄味でおいしい 心臓病一般食荷物を配置し、昼食を頂いた後は血液、検尿、血圧、心電図、レントゲンなど一般的検査をした。パジャマに着替えて車いすに乗るとあっという間に病人に変身してしまった。 血液を採取 点滴の準備
2014年01月16日
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6月13日梅雨の晴れ間に武藏五日市近くの天王岩にクライミングに出かけた。メンバーはいつものIさん、T夫妻に私の4人である。予報を裏切って朝から雨が降ったし陽差しが出るのも遅かった上、岩場は樹林に囲まれた場所なので心配しながら行った。岩場に着いてみたら予想以上に悪く、特に下の岩場は岩が濡れ濡れで「今日はマス釣りを楽しんで帰ろうか」のジョークも飛び交うほどだった。岩全体が濡れそぼっている。でもいずれ陽が射して乾くだろうという期待の下、昇り始めた。最初にリードするIさんとkさんが手を濡らしながらトップロープを張って下さった。TPでも濡れていて不安定で時間がかかったが1グレード上を昇ると考えてトレーニングすればよいという発想でみんなじっくり取り組んだ。 濡れた岩場をリードするKさん そこをTPで昇る私 緑陰から陽差しが当たり岩が次第に乾き始め、フタリシズカ、つゆしらず、ノーリー、サンコウチョウと順次昇った。サンコウチョウから取り付いて上部をダブルハッカーに変更したIさんの観音開きを使った攻略法がすごく鮮やかでキレがよく、下で見ていた私達は感心してしまった。岩場が空いた頃、上の岩場に移動してコーナークラックやクラックジョイを昇って終了した。Iさん、Tさん夫妻と私の4人の組み合わせが抜群によくてどの組みあわせになってもストレスフリーで最高に楽しめた。短いルートは2本だけであとはけっこう長いルートなので丸1日目一杯昇ってけっこう疲れたが、すごく昇った!!という実感に満ちて満足できた。 サンコウチョウ(5.10a) クラックジョイをリードするKさん 最期に楽しいコーナークラック
2015年06月13日
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1月13日土曜日。今日から二日間、長野県にある岩根アイスツリーで開催されたアイスクライミング講習会に参加した。講師はガイド兼インストラクターの庭野正和さんである。参加者は以前、古賀志の岩場でご一緒したことのあるKさん、初対面の男性3名の5人だった。岩根アイスツリーはこの所の雨で上部はかなり薄く、光が透けて見えていた。休日とあって沢山のクライマーが来ていてアイスツリーは大賑わいだった。3年前、北鎌尾根を大天井コースから行った時、一緒に敗退したWさんもいてすごく懐かしかった。 賑わう岩根アイスツリー庭野さんから基本動作を指導してもらう。毎年同じことをしているのだがシーズンが終わると忘却の彼方に消え去るので、また最初からやり直しの繰り返しである。私は右手中指が故障しているのでそれが大問題だった。アックスを握ることはできるだろうけど、握ったら指が曲がったままで元に戻らないのでは?と危惧した。しかし実際にやってみたら握った後も指は硬直せず、アックスから離すことができた。有難い。これで昇れる。と安心したのはぬか喜びだった。ほぼ1年間、クライミングもボルダリングも止めていたので、背中・肩‣両腕の筋肉が衰えてしまっていた。アックスを1発で決められないし、足をしっかし固定できるよう蹴り混む力も無くなっていた。何とか基本パターンを繰り返しながら練習した。傾斜の緩い所は登れるが垂直になると疲れてファイトが無くなってしまう情けなさだった。残念ながらこれが自分の現実だった。 昨年はまだボルダリングやってたからパワーがあり、初日に12本昇って疲れた記憶がある。それを思い出して今日は6本で止めておいた。正解だった。
2024年01月14日
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11月20日水曜日。私が不眠症に悩まされていることは過去に何度かこのブログにも記載している。これまでいくつかの医院でその旨話して、ドクターから睡眠導入剤のようなものを処方されて服用してきたのではあるが、そのいずれの薬も体に合わなかった。どの薬も眠りにつくのはつけるのだが起きた後、薬が残って頭がボーとしてすっきりしないのだ。その状態が午前中くらい残るので気分悪くて仕事にならない。何回か使用しただけで諦めてしまった。その後の対策は①風邪薬のパブロンゴールドをのむという方法。これはすぐには眠れないが必ずいつかは眠れて朝も全く不快感がない。②次は通販のお試しで購入したグリナをのむ方法。これは薬ではなく食品なので当然朝起きた時に何も残らない。どうしても眠れない時はこの2種類を同時にのんだりすることもあったが、さすがにもっときちんと医者に相談するべきだと考え、脳外科のドクターに相談したらデエビゴ5mgという薬を処方してくれた。恐る恐る飲んでみたら翌朝の不快感がない。多少眠気は残るものの、これまでのような不快感ではない。すっかり気にいってしまった。でも毎日飲んではいない。しっかり運動した日、例えばハイキング、クライミング、ウォーキング10000歩以上した日は眠れるのでのまないようにしている。やっと体に合う薬に出会えた気がしている。ただしこの薬は新薬だそうで、薬の単価が高いらしい。
2024年11月20日
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11月21日木曜日。雨は朝5時に止み、天気は回復して温かくなるという予報を信じて出勤したらとんでもない目にあった。雨が止んだのは夕方で一日中雨降りで寒く、気分が明るくならなかった。先日の夜、何気なくテレビを見ていたら(NHKの英雄たちの選択という番組だった)目黒山形という語と伊予国という字が目に入った。概要は私の故郷・愛媛県宇和町より更に南の相当田舎である伊予の国目黒村(吉田藩、現松野町目黒)と同郡二郎丸村(宇和島藩)の山境争いの中で目黒村が幕府評定所に資料として提出するため、自分たちで制作したものが目黒山形である。 模型は敷絵図と一体、縦190.0㎝×横262.1㎝、材に銀杏を使用し、6つの部分から構成。裏面をくり貫き軽量化を図っている。 目黒山形模型いやあ、とても驚いた。あんな田舎の農民という立場の人たちが測量をして実に精巧な模型を制作できたなんて!!。驚愕の事実だった。その模型などの資料から江戸幕府は吉田藩の農民も宇和島藩の農民もその地で末永く農業ができるような民に寄り添った評定をしたというのだ。そういう評定が日本各地で行われたことが江戸幕府260年も続いた理由だという。番組に登場した識者はこの山形が世界遺産に登録されるよう、松野町は頑張りなさいと言っていた。我が田舎も捨てたものではないと実感したのだった。
2024年11月21日
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トレッキング3日目、どんぐりさんとの約束をはたすべくシェルパ・ベンパ・テンジンに会いにクムジュン村を訪ねた。ホテルエベレストビューのある小高い丘から遥か下に村全体が緑色の屋根に統一されたクムジュン村が広がっていた。背後にはまるでクムジュン村の守護霊のようにタムセルクが天空に屹立している。見事だった。タムセルクは3500m以上の標高差で村を見下ろし、美しいヒマラヤひだをまとっている。 緑色の屋根で統一されたクムジュン村 ベンパ・テンジンさんの自宅ここはとても静かな落ち着いた村でナムチェよりも好む人が多く、植村直己がこの村で越冬したという。植村直己はペンバ・テンジンとゴジュンバ・カンに登り、その家に2ヶ月ほど暮らしてシェルパと同じものを食べ、同じように生活し、毎朝この村をランニングしてトレーニングしたという。標高3,800m、我々にとってはそろそろ高度障害が出そうな高さである。サーダーと一緒にクムジュン村の中に入る。テンジンの家はすぐ見つかった。ネパール語でサーダーがいろいろ話してくれて、テンジンは病気にかかっていてあまり元気ではないらしい。でも何とか二階から下まで降りてきてくれた。小柄な男性だった。挨拶をし握手をした。奥さんが二階から顔を出してくれた。奥さんはとても明るく元気そうで笑顔がはじけていた。 ベンパ・テンジンさん 二階から元気な顔をのぞかせた奥さん過ぎ去った歳月を感じた。植村直己とともに活躍したベンパ・テンジン、その植村はマッキンリーに消え、高山病で苦しんだどんぐりさんをテンジンがケアする、そしていまここに病を得ながらも立っているテンジンをまったく関わりのなかった私が訪ねている・・・。何十年という歳月の流れの中にタムセルクだけが不変の姿で天空にそびえていた。 クムジュン村からのタムセルク
2009年04月13日
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4月18日月曜日。親しくお世話になってきた篠原達郎ガイドのお通夜が新座市営墓苑で行われた。退勤後、身支度を整えて3時半に自宅を出発して葬儀場まで行った。予報通り冷たい雨がしとしとと降り続き、寒さに震えた。会場には既に大勢の弔問者が詰めかけていたため、少し待ってお焼香した。篠原ガイドは明るく元気に優しく壇上で微笑んでいた。 焼香が終わってお清めの席が設けられていたのでみんなで移動し、そこで知り合いのクライマーたちといろいろ話をした。どの人もこの突然の悲報に動転し、取り乱し、悲しんでいたことがわかった。一人で鬱々とした気持ちを抱えてやりきれない日を過ごしてきたけど、ここで仲間と話しをして哀しみを共有することで少し気が紛れ、重かった心が少し軽くなった気がした。最後のお顔を見せてもらった。顔色もよく生前と同じ優しい穏やかな表情だった。最後の様子は目撃者は無いし、当事者3人は全員死亡ということで分からないと聞いた。でもとても安らかなお顔だったので少し安堵した。 遺品 生前の颯爽とした篠原ガイドみんなでクライミングも登山も止めず、元気に山に向かおうねと誓いあって会場を後にした。所が総武線東船橋駅で人身事故があって電車がきちんと動かず、結局帰宅したのは11時になっていた。でも生きてるんだしいいではないか。
2022年04月18日
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