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TBS「T乾」第5話。いや〜、わたし的には、これはもうコメディですね。いい意味で、作劇のあざとさに笑ってしまうwラストシーンは、さすがに予想できちゃったけど…やっぱりドアを開けた瞬間、声をあげて笑ってしまいました。ギャハハハハッ!と。あなたのスリッパはもうゴミ袋の中です!まあ、考えてみるとおかしいんだけどね…。直人に「電話に出てください」と言われた時点で、咲子は充から電話が来るのを察知してしまい、ほとんど半泣きで受話器を取った。なぜ家の電話でなく、店の電話で聞かせようとしたのか不明だけど、わざわざ直人に頼んで電話を取らせてるんだから、充は咲子に何か言おうとしてたわけよね。ところが咲子は一方的に、「言いたくないことは言わなくていい!」と言って、ひとりで喋り倒して電話を切っちゃった。いやいや、あんたに言いたいことがあって電話かけてきてるのよwwまあ、そこも、生方美久の作劇のあざとさなのだけど、もしかしたら充としては、咲子が電話口で話したことが意外すぎて、何も言えなくなったのかもしれません。すでに咲子と樹生の関係については、直人からそれなりに聞いてるはずですが、咲子が充を責めようとしなかったことが、かえって予想外でショックだったのかな?だから、電話じゃなく、直接会って確かめたくなったのでしょうか?咲子は「サレ妻になったのは自分のせいだ」と思ってる。でも、咲子が彼女自身を責めてることに驚いて、充は誤解を解くために帰ってきたわけよね。どちらも自分のことを責めすぎてる。 #Tシャツが乾くまで https://t.co/PtdMu3qHlD— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) August 8, 2026◇ともかく、来週の充が何を言うのか楽しみ!ネットには「充&あずさ=兄妹説」も出てますが、どうなんでしょうねえ。直人の「別件」が何だったのかも気になる…。pic.twitter.com/YpqQSpenRU— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) August 7, 2026そうそう、その前に、樹生は充をぶん殴るの??教会では「恨みたくない」なんて言ってたけど、やはり抑えてた悲しみや怒りが爆発するのでは?次週予告でほぼ答えが出てしまった…(^^;第6話SPOT┈┈┈┈┈┈#蒼井優 #中島歩 #高橋文哉#夏帆 #松山ケンイチ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄第6話 8月14日(金)よる10時『#Tシャツが乾くまで』 pic.twitter.com/5uZt6zcozP— TBS 7月期金曜ドラマ『Tシャツが乾くまで』【公式】 (@tshirts_tbs) August 7, 2026◇ところで、蒼井優の電話のシーンは、たぶんワンカットでしたよね。Tverで見直したら7分くらいの長回し。わたしは、2013年の坂元裕二の「WOMAN」で、二階堂ふみ&満島ひかり&小林薫&田中裕子の、4人の長回しのシーンが忘れられないのだけど、あれもやはり10分弱ぐらいあったと思う。生方美久もそのあたりを意識して書いたかしら?◇今回は演出家が変わったせいで、先週までの4話に比べると、 演出のクオリティはやや落ちましたが、話としては十分に面白かったです。スピッツの「見知らぬ糸」は、誰かと誰かをつなぐ糸じゃなく、絡まりあってほどけなくなる糸で、当事者にはどう絡まってるかも見えなくなるけれど、それがいつしか新しい衣をなしていくのですね。
2026.08.08
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いまさらながら、TVerで「ミステリと言う勿れ」を見ました。過去にもちらちら見る機会はあったけど、ようやく全話とおしての視聴が完了。映画版はいまひとつだなと思いましたが↓https://www.jtnews.jp/review/28064/?SELECT=24063#HITドラマ版はかなり面白かったです!!4年前の作品だけど、いまだにTVerでは高い再生数を誇ってて、今年もTVerアワードに選出されてる。クオリティの高さと視聴者の支持を両立させた、なかなか稀有な優良コンテンツですね。◇なお、日テレの「ハコヅメ」と同じく、見当違いなキャンセルカルチャーのせいで、こちらも続編が作れない状況になってます。これはテレビ局だけでなく、原作者の田村由美も、主演の菅田将暉も、代表作を奪われる結果になってるわけだし、ドラマファンの利益も損われてるし、さらに、カンヌのMIPCOMで評価された点も踏まえれば、海外向け国産コンテンツを失ってる可能性もあるわけで、なるはやで解決すべき課題だろうと思います。結論から先にいうと、(スポンサーが企業イメージを気にするのはともかく)すくなくともテレビ局は、キャンセルカルチャーを「不当」と判断したならば、局としての見解を示したうえで、堂々と起用すればいいのです。ハコヅメ~たたかう!交番女子~ DVD-BOX [ 戸田恵梨香 ] 楽天で購入 ・文化系のミステリードラマ「ミステリと言う勿れ」は、アクションを中心にした体育会系のサスペンスじゃなく、徹底した文化系のミステリーなところが最大の魅力。劇伴として使われるクラシック音楽も効果的でした。ただ、それだけに心理犯罪としての面が強く、狂気性や猟奇性もかなり際立ってて、親子間の虐待も繰り返しクローズアップされる。そういう特徴は女性作家の原作ならではかもしれません。◇日本のテレビドラマとしては、美男美女を軸に配役してないのも稀有な特長。菅田将暉は典型的なイケメンじゃないし、伊藤沙莉も門脇麦も美人女優じゃない。それでもキャラの魅力が十分に共有できる。ドラマ版の風呂光聖子は、原作のキャラや位置づけとは違うらしいけど、序盤では彼女の存在こそ大きな魅力でした。実際、風呂光役の伊藤沙莉は、(いつものガサガサキャラと違って)ものすごく可愛く見えるのよね…。強いて美人女優といえるのは、せいぜい松本若菜ぐらいだろうけど、彼女は男勝りな刑事の役どころだし、イケメン俳優といえるのは瑛太と北村匠海ですが、彼らは異常な殺人犯の役どころ。美男美女をメインにしない配役でこそ成功してる。・トリックのツッコミどころ映画版もそうでしたが、犯罪サスペンスとして見た場合に、ツッコミどころがないわけじゃありません。とくに焼肉屋強盗の話は疑問に感じる点が多かった。強盗犯が店内にダラダラ長居して、店主の娘に営業させる理由が分からないし、とっとと金を奪って逃げたらいいのでは?…と思うのよね。一方、久能(菅田将暉)とライカ(門脇麦)は、いったん店を出てから警察を呼んで、ふたたび戻ってきて店を開けさせましたが、本来なら食事してる間にどちらかが店の外に出て、閉店させないうちに警察を呼ぶべきでしょ。「ミステリと言う勿れ」Blu-ray BOX【Blu-ray】 [ 菅田将暉 ] 楽天で購入 ・最終話の時系列について最終話は、時系列が大きく入れ替わってたせいで、ちょっと頭が混乱しました。簡単にいうと、この最終話の内容が、直接には第4話へ(実質的には第5話へ)繋がるわけね。つまり、最終話でガロ(瑛太)が久能に送った指輪を第5話で風呂光が「恋人からの贈り物」と勘違いすることになり最終話で父の遺体を掘り出したジュート(北村匠海)による警察への告発が第5話での牛田(小日向文世)による霜鳥(相島一之)の告発へと帰結する…ってこと。なので、羽喰玄斗(千原ジュニア)の事件は第5話で解決済みですが、ガロの妹に指輪を授けたカウンセラーの正体、すなわち鳴子巽とその指輪の意味については、未解決なまま続編につながる形で終わってます。◇時系列を入れ替えた理由としては、おそらく以下の4点が考えられます。1.物語を続編につなぐため、ガロの妹の指輪とカウンセラーの話を最後に置いた。2.ジュートが警察に告発した話を先にすると、そのあとの牛田と霜鳥のエピソードのネタバレになる。3.新幹線&ジュートの告白の話は尺が短いので、時間を延長した最終回に2つの話をまとめた。4.羽喰玄斗の連続殺人、バス運転手の連続殺人、ガロの報復殺人、ジュートの連続殺人は、いずれもかなり猟奇的でグロテスクな内容で、ドラマ中盤で立て続けにやるには重すぎるから、視聴者が食傷気味になって途中離脱しないように、あえて話を分散させた気もします。…とはいえ、最終話に2つのエピソードを押し込んで、エンディングテーマを2度流すのは興冷めだったし、やはり時系列どおりにして、ライカの人格消滅の話で終わらせるほうが、物語の流れとしても、まとまりはよかったと思う。そのうえで、ガロから送られた指輪のことを、久能が振り返るシーンさえ最後に加えれば、続編につなぐのも十分に可能だったはずだし、原作との兼ね合いもあるけれど、脚本をすこし工夫すれば、ジュートの告白によるネタバレ問題も、回避するのは不可能じゃなかったと思います。・続編の問題そして、ドラマの続編は可能なのかどうか?無意味な不倫叩きによって、日テレが「ハコヅメ」の続編を作れずにいるように、バカな漫画ヲタクどもの、日テレに対するキャンセルカルチャーによって、フジテレビも本作の続編を作れない状態になってます。日テレの問題においては、バカな漫画ヲタクどもが小学館を擁護し、責任をドラマ制作側へとなすりつけたのだけど、実際には、ドラマ制作側との意思疎通を遮断しておきながら、炎上騒動のときにだけ原作者を矢面に立たせ、責任のがれに終始した小学館にこそ問題があったし、もっといえば、原作者を板挟みに追い込んだのは、ほかならぬ漫画ヲタクどもの脊髄反射的な炎上だった、…という可能性を考えるべきなのです。◇先日のマンガワン問題でも、漫画ヲタクどもは小学館と原作者を擁護し、「前科者の表現の自由」を主張しましたが、要するに、彼らの主張はつねに、「2次元側を擁護して3次元側を敵視する」という思考パターンに則ってるだけなので、(ジャニヲタによる性被害者へのセカンドレイプと同じように)はたから見れば論理的な一貫性を欠いており、たんに彼ら自身の立ち位置を死守してるにすぎない。バカが連帯して政治力を発揮する運動は、マスメディアにとって死活問題になるだけでなく、そのままポピュリズムにも直結しており、国家や社会を危機に陥らせかねない側面があります。その意味で、漫画ヲタクやジャニヲタの存在は、社会的な害悪になってる状況だといえる。したがって、不当性の疑われるキャンセルカルチャーついては、冷静な検証と分析をおこない、社会的な対策や是正を講じていく必要があります。◇フジの「ミステリーと言う勿れ」の成功によって、相沢友子が漫画原作のドラマ化に自信をもった結果、日テレの「セクシー田中さん」で最終話を書けなかったことに、いっそうの不満を抱いたとしても想像に難くないし、それがかえって裏目に出たともいえるのだけど、すくなくともフジテレビが、相沢友子の起用を躊躇する必要はないし、日テレが永野芽郁の起用を躊躇する必要もないのです。基本的には無関係なのだから。ミステリと言う勿れ(15) (フラワーコミックス α) [ 田村 由美 ] 楽天で購入 ・ライカの人格消滅について以下は、ライカの人格消滅についてのメモです…。多重人格者のひとつの人格が消滅したら、それを形成してた脳細胞は死滅するのかしら?…と思ったのですが、ChatGPTに訊いてみたところ、人格を成り立たせるシナプス反応が潜在化するだけで脳細胞が死ぬわけじゃないらしい。逆にいえば、人間の人格は「顕在化したシナプス反応の束」に過ぎないってことね。デヴィッド・ヒュームが「自己とは知覚の束にすぎない」と言ったように、統合された自己は一定の制度下で成立する現象にすぎないのだと思う。ちなみにドゥルーズ=ガタリが言った「分裂症スキゾと偏執症パラノ」は、おおむね臨床医学でいうところの「解離と統合」に当たると思います。近代社会では、人格の統合された状態が「健康」で、統合の崩れた状態が「病気」だったけれど、ドゥルーズ=ガタリはこれを逆転させて、分裂してるほうが自然であり、偏執してるほうが近代的な病理と考えたわけよね。実際、自然界の動物などは、昨日の自分を忘れて今日の自分を生きてるわけだから、統合された自己にこだわらず、ほどよく解離してるほうが正常なのだと思う。人間の人格が統合されるのは、社会的な要請もあるけれど、言語的な文脈の力で統合が可能になるからでもある。したがって、統合の強さは個人の言語能力に比例するといってもいい。ポストモダン社会では、昨日の自分の罪を都合よく忘れて、それを他人になすりつけるようなサイコパスなパワハラ野郎のほうが健康を保って、昨日の自分の罪を今日も明日も背負いつづけながら他人の罪までなすりつけられる人のほうが鬱病になる…みたいな逆転現象が生じます。文脈を理解しない脊髄反射的な犬猫どもがSNSで存在感を増すのもポストモダン的な現象といえる。こうした逆転現象のなかで病理の定義が曖昧になり、そのつど症状に名前をつけるもんだから無駄に臨床概念が複雑化してしまう。統合された自己とは、社会的に要請される責任主体のことでもあって、とくにキリスト教世界では「懺悔(罪の告白)」によって個人を責任主体に育てる制度を作り上げたわけですね。しかし、これはあくまでキリスト教に固有の制度だから、世界中のあらゆる文化が責任の所在を個人に帰してるわけじゃないし、本来の人間にそんな能力はないと言ってもいい。その点、AIの大規模言語モデルは、身体的な自己はもたないけれど、忘却しないという意味で言語的には完全に統合された存在です。したがって、将来的にはAIが責任主体になるほうが合理性は高い。より正確にいえば、人間に罪を背負わせないような社会設計をAIの責任において実現させるほうが合理的だってこと。たとえば人間に罪を背負わせる大きな要因のひとつに貧困の問題があります。貧困のために人は罪を犯したり、些細な関係において他人を騙したり支配したり嫉妬や憎悪を抱いたりする。貧困がなくなるだけでも、人が罪を負う機会は劇的に減るはずだけど、貧困の撲滅は個人の責任でできることではなく、より大きな責任主体が正確な予見能力をもって実現するしかありません。個人に責任を帰すことは、過去の社会では便宜的に必要だっただろうけど、それはじつは本質的に不可能であって、そもそも個人に責任を帰すだけでは社会的な課題は解決しない。アンチ・オイディプス(上) 資本主義と分裂症 (河出文庫) [ ジル・ドゥルーズ ] 楽天で購入 いいねを押す前に こっちを押してね!!
2026.04.04
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夜ドラ「ミッドナイトタクシー」が終了。事前の予想よりずっと面白かったです。当初は、せいぜいアイディア先行型の、新人脚本家の秀作かなと思ってたのよね。ドライブマイカーの三浦透子の設定と、ファンタジーとグルメ要素を混ぜただけかと…(^^;でも、意外にちゃんと中身のある作品でした。◇テレ朝の「マイダイアリー」を見たときは、この脚本家がなぜ絶賛されてるのか、まったく分からなかったし、わたしは、あのドラマをもういちど見直しても、面白さを理解できる自信はありませんが…(^^;一方、TBSの「時すでにおスシ!?」のほうは、チラッと見てなかなか良さげだったので、もっとちゃんと見ておけばよかった!…とすこし後悔してます。(近いうちにTVerで再配信するでしょう)これは自己オマージュ??◇結末はやや肩透かしですが、要するに《人生は肩透かし》みたいな話だし、それ自体がテーマだったと解釈すべきでしょう。母親の件も、誕生日の件も、タクシードライバーになった理由も、ずっと気にしてきたことが馬鹿らしいほど、何もかもがナンセンスだった…ってこと。髭をきれいにしすぎたマスター。 pic.twitter.com/4dsl39dson— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) July 30, 2026 背景のよく似た殺人未遂事件も、たまたま隣り合った世界線が逆だっただけ。象子の母親も、板尾創路の焼き芋屋も、子供を捨てて別の家族を作ってたのは同じ。◇ちなみに個人的には、第20話につづいて第27話も神回でした。盲導犬に会いに行ったあと、麗華が週刊誌の記者に謝るエピソード。胸が締めつけられるような、あるいは引き裂かれるような、あるいは張り裂けるような気持ちになりました。でも、そういう感情に襲われた理由は説明しにくい。特定のセリフが響いたわけでもないし、たんに健気な盲導犬を見るとキュンとする、…ってことでしかない気もする。◇強いて言語化するなら…喫茶店マスターの見返りを求めない善意や、盲導犬の無垢な誠実さが、週刊誌記者やSNSの対極的な悪意に衝突して、汚されて踏み荒されて、世界が醜くなることのやりきれなさかなあ…。あのエピソードから生まれる感情を、脚本家がどれだけコントロールしてたのか、そもそも脚本と演出が噛み合ってたのか、ちょっと判別しにくいところがある。必然的な神回だったのか。演出力で可能になった偶然の神回だったのか。もし、あの感情を脚本家がコントロールしてたなら、相当にすごい才能だと思います。それから、盲人役の篠原ゆきこの演技もリアルで、ほんとに盲目なのかと錯覚してしまいました。◇ほとんどのエピソードは、タクシーの乗客の人生の断片であり、まともな説明のないファンタジーだったので、あらためて振り返ってみると、よく分からないところもたくさんあります。たとえば、缶のコンポタの隠喩はまあ分かるとしても…チーズ抜きのチーズインハンバーグと、パイナップル入り酢豚の隠喩は、最後までよく分かりませんでしたね…(^^;コンポタ缶はキリよく飲み終われない。わたしも、パイン入りの酢豚は好きじゃないんだけど、(そもそも酢豚自体がさほど好きじゃない)そんなのはただの好き嫌いの問題だし、それが悪人の隠喩になる根拠は見出しにくいwあの場面を、パイン入り酢豚を好きな人が見たらどう思うのかしら…(^^;もし、このドラマを見てた視聴者が、みんなパイン入り酢豚が嫌いな人たちばかりなら、それこそファンタジーだけどね!追記:チーズインハンバーグもパイナップル入り酢豚も、いわば異質な具材を混ぜた料理なので、それを許容できるかどうかで「清濁併せ呑める人」と「清濁併せ呑めない人」が分かれる…ってことかとは思う。でも、わたし的には、この隠喩の効果まではイマイチしっくりきません。毒キノコは毒親の隠喩。pic.twitter.com/eHc3yj14cN— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) July 29, 2026◇配役についていうと、古川琴音も中村蒼も山本未来も面白かったけど、いちばん感心したのは伊藤万理華の使い方です。わたしは、乃木坂時代のことも知らないし、女優としても意識したことありませんでしたが、天真爛漫なアイドルなのに、どこか寂しさも抱える役柄に魅力を感じました。◇坂元裕二も、クドカンも、無名の俳優を発掘するのが上手いですよね。大森美香も、小芝風花や吉岡里帆や山内圭哉を発掘したし、吉田恵梨香は、赤楚衛二や上坂樹里や土井志央理を発掘した。演技力のたしかな俳優を選ぶのも大事だけれど、無名の俳優を発掘するのも優れた脚本家の証です。【送料無料】ドラマ 2026年7月号【雑誌】 楽天で購入 いいねを押す前に こっちを押してね!!
2026.07.24
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このブログのいつもの記事は、ほとんど「いいね」が0なのだけど、なぜか3日前の記事は、いきなり大量の「いいね」を獲得しました。何故そんなことが起こったかというと…理由は簡単で、楽天ブログのトップページに表示されたからです。おそらく表示されたのは短時間で、わたしが確認したのは一度だけ。周知のとおり、楽天ブログの「いいね」ボタンは、《15の記事に10秒ずつ滞在すると1ポイント貰える》…という仕組みなのですが、ポイント目的の楽天会員は、楽天ブログのトップページに集まるのです。◇たとえば、カテゴリランキングで上位に入っても、(アクセス数はそれなりに増えるけど)記事の「いいね」数はまったく増えません。なぜなら、記事を読んでる人は、ほとんど「いいね」を押さないし、かりに押したとしても、しばらくすると消えてしまうから。そもそも楽天会員でなければ、ボタンすら押せない仕組みですし。わたしも、気に入った記事に「いいね」を押したことはあるけど、しばらくすると消えてしまいます。おそらく、ポイント獲得まで到達しないと、すべてが無効になるのでしょうね。◇一方、ポイント目的の楽天会員が集まるのは、唯一トップページだけで、それ以外のページにはいっさい来ない。はなからブログになど興味がないからです。彼らは、トップページに表示された記事を開き、10秒たったら「いいね」を押して、すかさず次のページへ移動する、…という機械的な作業を繰り返すだけなので、たぶん記事の内容は一文字たりとも読んでない…(^^;そうでもなければ、確実にポイントは稼げないし、そのようにポイントを獲得した場合にだけ、おそらく「いいね」の数はカウントされるのです。実際のところ、15もの記事をまともに読んでたら大変よね。ひとつの記事にあたり1分なら15分、3分なら45分もかかります。そんなことを毎日やってる人は皆無でしょう。そもそも、興味のもてる記事を15件も探すのは容易ではない。◇そう考えれば、楽天ブログの「いいね」は、《記事を読んで評価した人の数》じゃなく、《ポイント目的でアクセスして記事を読んでない人の数》です。そういう本末転倒な指標だと考えるべき。かりに、100のアクセスがあって、80の「いいね」がついたとしたら、実際に読んでるのは20人にも満たないってこと。しかも、楽天ブログの場合、アクセス数より「いいね」の数が多くなる、…みたいな怪現象もしばしば確認できます。野球でいえば「5打数6安打」みたいな現象です。何故そういうことが起こるかは知らんけど、見た目のアクセス数や「いいね」の数に反して、そういう記事は、実際にはほとんど読まれてないってことですね。たんにポイント稼ぎのツールにされてるだけ。◇楽天は、広告ビューを増やすために、こういう変な設計にしてるんだろうけど、ブログの書き手や読み手にとっては、まったくもって意味のない指標です。のみならず、ポイント稼ぎの会員にとっても、まったく無駄な作業をさせてると思う。実際、彼らは、記事も読んでないし、広告も見てないはず。◇経済合理性を追求すればするほど、こういう非合理がまかり通ってしまうのですね。東北楽天ゴールデンイーグルス スマホケース 手帳型 全機種対応 iPhone 17 17pro 17air 17promax 16 16pro 16plus 16promax se2 se3 pixel10 pixel10pro pixel9 aquos arrows 携帯ケース 携帯カバー di690 楽天で購入 …ってなわけで、楽天ブログの「いいね」は変な指標なのだけど、かといって、Xやヤフコメなどの「いいね」が正しいのでもなく、それはそれで問題がありますけどね。◇日本人は空気で支配したがる民族だから、空気の支配力を強めるために、見かけの数で影響力を示したい欲求が強まり、フォロワー数やいいね数は、党派的な優位性を顕示するために使われて、社会の分断や短絡的なポピュリズムが増長する。あるいは、相互フォローや相互いいねなど、無意味なルーティンコミュニティを生み出すだけで、情報の有用性を示す指標にはならないし、プラットフォーム側にとっても、そういう安易な目的で使わせるほうが営利になる。以下はChatGPTの見解。以下は「数字による人間疎外」みたいな話。
2026.05.08
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NHK「風薫る」第19週。朝っぱらから赤痢の話ってことで、視聴率的に大丈夫か心配しましたが、やっぱり木曜日の視聴率が大暴落!!…と思ったら、広島平和式典による時間繰り上げね。テレビつけたらすでに終わってたってやつ。結果的には、この週もなんとか乗り越えられた感じ?NHKとしては、「中村倫也なら赤痢週も大丈夫!」…という強気な戦略だったかも。しかも裏番組は水卜麻美のZIP!◇患者や罹患家族や、濃厚接触者や医療従事者を忌避する人々は、まさにコロナ禍の現代人と同じ。まして当時は、原因も治療法もよく分からなくて、迷信に振り回されるような時代だから、なおさらだったと思います。コロナ禍でさえ、ある種の迷信に振り回されることはあったし、ウイルスは目に見えないから仕方ないよね。トイレのために穴を掘れと言われても、そりゃあ嫌だったろうなあと思います。◇ちなみに、りんの白装束姿を見てたら、月光仮面のモデルはもしや医療従事者だった?…などと思ってしまいました。でも、調べてみると、川口康範のイメージはイスラム教徒だったっぽい。砂漠のトゥアレグあたりがモデルなのかも?逆に、りんのほうが、正義の味方として月光仮面へ寄せたともいえる。#風薫る pic.twitter.com/PCJ5mkG3Vx— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) August 9, 2026 ◇ともかくも危機を乗り越えた2人!安堵したときの沈黙が長すぎて、ついキスしちゃうんじゃないかと思いましたがw◇実際、制作陣は、朝ドラの百合路線の先行例として、かなり「花子とアン」を意識してるっぽい。おそらく、・りん=はな・直美=蓮子・バーンズ先生=ブラックバーン校長…という対応なのでしょう。仲間由紀恵を登場させたのも、そういう意図からだったのね。今回は、仲間由紀恵が乳癌患者、吉高由里子が赤痢患者みたいになっちゃったんだけど。風、薫る:「花子とアン」オマージュ? 避病院の“患者の名前”に朝ドラファン反応「どこかで見たと思ったら」「すてきな仕掛け」https://t.co/7m9sylpqGl— MANTANWEB/毎日キレイ (@mantanweb) August 5, 2026 【第26話解説】『風、薫る』バーンズは『花子とアン』ブラックバーンのよう シーツ交換から始まる看護https://t.co/L9l4do2Xcx#エマ・ハワード #上坂樹里 #風薫る— リアルサウンド映画部 (@realsound_m) May 4, 2026 #風薫る【花アンオマージュ】和泉千佳子公爵夫人・仲間由紀恵さんの登場で確信。直美のあの髪型は、#花子とアン 蓮子様へのオマージュに間違いない。「九州の石炭王」嘉納伝助の妻でありながら 宮本龍一との間に子供を身籠ってしまった蓮子。伝助への禊のために葉山家に軟禁されていた頃こんなでした。 pic.twitter.com/VJoG9o4vsQ— ひぞっこneo (@hizocco) May 15, 2026◇とはいえ、次週予告を見ると、やはり直美は結婚へ向かってる気が…(^^;直美はずっと"男役"って感じだったのに…髪型がすこし変わってからは、なにやら女性らしい"しな"も出てきてて、これも結婚への助走のように見えてしまう。ちなみに中村倫也は、内務省のお偉いさんってことで、さすがの直美も一瞬目がハートに!!pic.twitter.com/auxwChcFbw— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) August 8, 2026彼も独身?もしや薩摩軍人のライバルになる?え?日テレの水卜麻美と結婚してるって?うー、残念!!たしかに、このまま薩摩軍人と結婚すれば、直美が吉江先生と九州で再会という展開が、どこかでありそうな予感もあるしねえ。◇そして、来週には早くも新潟編が終了?そしてアベンジャーズ結成?なお、黒川先生のモデルは、知命堂病院の瀬尾原始さんだそうです。知命堂病院初代病院長となる瀬尾原始が東京大学付属看護養成所の講師を勤めていたため、大関和とは師弟関係でした。 - 上越市ホームページ #風薫る #俺たちの黒川 https://t.co/OEh88rKQX0— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) August 7, 2026#風薫る 19週 黎明の翼ありがとうございました!これにて黒川先生、オールアップですっ🎐最後の最後に「#俺たちの黒川 」タグまで生まれ、感無量です。黒川は、監督をはじめとするスタッフの皆さま、共演の皆さま、視聴者の皆さまにキャラクターを作り上げてもらったような気がします!… pic.twitter.com/FUJ8OVtVsi— 平埜 生成 (@kinarichanda) August 6, 2026
2026.08.09
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「純情きらり」は全26週で終わるのですが、最終盤の23週目にして、達彦がとつぜん帰ってきます。すでに達彦は死んだものと思われてたし、実際、かねの死に際にも達彦の魂が立っていたし、ドラマ的にも、達彦の死亡フラグは何度も立っていました。だから、14年前の本放送のときは、達彦の帰還を喜びつつ、どこかしら違和感もあった。もしかしたら、視聴者からの要望を受けて、脚本を変更して、あとづけで達彦を復員させたんじゃないの?そういう疑念は、いまでも感じています。あるいは、当初から両方の選択肢を残してたのかも。◇ドラマ的にいえば、死んだ夫を待ちつづける妻というのは美しい。けれど、達彦の場合、待っているあいだは帰ってこなくて、待つのをやめてしまったあとに帰ってきます。そして、結局、達彦が帰還しても、桜子が音楽家になるという本来の目的は、果たされることのないままに終わります。キラキラした少女時代のような桜子は、ついに最後まで戻ってこないし、桜子の後半生というのは、総じて暗い。父とともに夢見た人生をつかみ取ることはできない。その意味で「純情きらり」の主人公は、なんとなく「スカーレット」の孤独なヒロインに似ています。◇本来、達彦は戻ることなく、桜子がひとりになる結末だったんじゃないかしら。最愛の父を失ったあと、斉藤先生、達彦、冬吾という3人の男性との悲恋のすえに、最後には、桜子がひとりで生きていく物語だったように思います。今まで 私 いろんな人と別れてきた好きになった人… 一番 大事な人と別れていく…私の人生は そういうふうになっとるんだねちなみに、第22週の「さよならを越えて」は、演出家が3人がかりで作ってました。そのせいもあってか、冬吾との恋愛が、いちばん濃密だった気がします。
2020.12.18
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大晦日放送の、NHK「クラシック名演・名舞台2021」を見ました。藤田真央くんの「トルコ行進曲」でまたも驚いた。てっきり彼はモーツァルト向きと思っていたけれど、実際の演奏はむしろ「モーツァルトらしさ」が抑制されていて、緻密に究めるような、ストイックな印象。遊び心たっぷりに楽しく弾くのでもないし、純真無垢に可愛らしく弾くのでもない。ある意味、マットな演奏と言ってもいい。それが意外で面白かったです。◇もともと「トルコ行進曲」ってのは、当時のトルコブームにあやかって、大衆受けを狙ったノベルティ的な楽曲であって、まあ芸術的な価値は低いんだろうと思いがちだけど…最近は、いろいろ意欲的な演奏があって面白いですね。ファジル・サイのトンデモ編曲のときも驚いたけど、今回の演奏で、またこの曲の印象が変わったし、真央くんの演奏に対する印象も変わりました。https://medicitv.jp/VerbierFestival/xohfF◇このほか、カヴァコスのブラームス、オピッツの「展覧会の絵」なども素敵だったので、もっと聴いてみようと思います。レオニダス・カヴァコス×萩原麻未:ブラームス「バイオリンソナタ第1番ト長調作品78」ゲルハルト・オピッツ:ムソルグスキー「展覧会の絵」あ、ファビオ・ルイージのベト7も良かったです。それにしても、プロムスとかバイロイトとか、欧州の音楽祭は楽しそうで羨ましい。ウィーンのニューイヤーばかり有り難がってる日本人にくらべて、やっぱり音楽を楽しむ能力が高いんだなあと感じます。
2022.01.02
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今日からアイドル小春の風呂掃除 冬の虹濃し休止という解散 梅雨入前老犬に告ぐ若き離郷 新品のこはぜ頑な初芝居 寒灯や仏花三束の残る桶 納豆混ぜる母の病名を知る 吹雪く夜の空港に飲む蕎麦湯かな 点滴の赤子の眠りコート脱ぐ 赤本に貰ふ寄せ書き冬夕焼 人生ゲーム一味足らぬ関東炊き 床暖房の上結婚マス止まる カーテンはまだ首都高を冬の雨 冴ゆる夜や離婚決めたるハイボール 失恋におでん酒とは平凡な 御降のオファー「極道の妻たち」 姪は投資王除夜の人生ゲーム 初笑コマの足りない人生ゲーム12月11日のプレバト俳句。冬麗戦です。お題は「人生ゲーム」。ボードゲームそのものを詠んだ句と、人生の分岐点を詠んだ句とに分かれました。◇1位は矢柴俊博。人生ゲーム 一味足らぬ関東炊かんとだき7・7・5の字余り。関西では、おでんを「関東炊き」と呼ぶらしい。季語の位置が一般的な型とは違います。強いていうなら芭蕉の「古池や」の形に近い。つまり、季語でないものを主題にした形ですね。季語の「関東炊き」が主題なら、軽い二物衝撃という解釈で済むけれど、冒頭の「人生ゲーム」が主題なら、二物はむしろ重く響き合うことになる。こういう句があってもいいと思いますが、型破りなので、ちょっと評価も難しいです。◇2位はフルポン村上。点滴の赤子の眠り コート脱ぐ最後を動詞で締めるのは、あまり収まりがよいと思えないのだけど、欠点とまでは言えないし、これといった代替案も思いつきません…(^^;追記:もっぱら「型」の観点でいうと…最後を述語で終えるならば、中七よりも上五で切るほうがいいし、さもなくば切れを入れないほうがいい。動詞「眠る」と「脱ぐ」の主語は違いますが、点滴に赤子眠りてコート脱ぐ点滴に赤子眠ればコート脱ぎとしても誤読の可能性は低いかなと思う。あくまで中七で切るのなら、述語でなく名詞止めで終わるほうがいい。点滴の赤子の眠り 脱ぐコート点滴に赤子眠るや 脱ぐコート個人的には一句一章の名詞止めで、点滴に赤子眠りて脱ぐコートとするのがいちばんバランスがいいように思います。◇3位は的場浩司。寒灯や 仏花三束みたばの残る桶形式的にもいちばん整ってるし、個人的にはこれが1位かな。ただし、作者の話を聞いてみると、内容が兼題に沿ってるのか微妙です。◇4位は犬山紙子。納豆混ぜる 母の病名を知る本人の病気のこともあり、最近はこういう作風になってますね。動作を淡々と連ねて、「〜述語/〜述語」の対句にするのは、面白い形ではあるのだけど、やはり縦書きのときに、「混ぜる」が連体形に見えるのでは?…という点が気になってしまう。一句一章で、納豆を混ぜつつ母の病知るとするのが無難だと思います。◇5位はこがけん。吹雪く夜の空港に飲む蕎麦湯かな中七「空港に飲む」は、文語的な助詞の用法として許容範囲だけど、吹雪く夜に飲む空港の蕎麦湯かなと書くほうが自然な気はします。ちなみに、これも兼題からはだいぶ遠いと思うw◇6位は高校生の阿見果凛ちゃん。赤本に貰ふ寄せ書き 冬夕焼もちろん「寄せ書き」は名詞だけど、中七の「貰ふ/寄す/書く」が、動詞3連打のように見えてしまうし、なかでも「貰ふ」は不要なので、「赤本に友の寄せ書き」「赤本に小ちさき寄せ書き」のようにして動詞を除くほうがよい。季語「冬夕焼」は、梅沢が言うとおり赤本の色に呼応しますが、将来への希望というよりも、別れの寂しさを象徴してるように見えます。先生が言うような、「明日は晴れだ」というポジティブな解釈が、どれほど有り得るのか知りたいところです。◇7位は清春。冬の虹濃し 休止という解散後段の「休止という解散」は、たんに呼び方の話をしてるだけで、ちょっと観念的すぎると思います。客観写生の原則にしたがうなら、解散の状況を映像的に描写すべき。かりに、看板などの「休止」の字を写生したのなら、そこはカギカッコで括るほうがいいですね。◇8位はキスマイ二階堂。今日からアイドル 小春の風呂掃除まさかのタイトル戦8位入賞w横尾が2年以上前に、「二階堂は8+9で詠むらしい」と言ってたわけだからね…(^^;https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202302220000/それがようやく実現した形です。兼題にも沿ってるし、俳句の出来も申し分ありません。つーか、ほんとに自分で作ったの…!?◇9位は千原ジュニア。梅雨入ついり前 老犬に告ぐ若き離郷老犬に告ぐ六月の若き離郷(添削後)下六の「若き離郷」は、やや観念的な印象を与える気がする。15才で家を出たらしいので、(時期はちょっとズレますが)老犬に十五の離郷告げる梅雨のような方法もあるかもしれません。◇10位は梅沢富美男。新品のこはぜ頑な 初芝居新品のこはぜ 母亡き初芝居(添削後)季語は「初芝居」で新年。中七「こはぜ」は足袋の留め金です。ちなみに「足袋」は冬の季語だけど、歳時記に「こはぜ」は掲載されてません。足袋を履いてるのが、演者なのか観客なのか不明瞭ですが、新品のこはぜの固き初芝居と一句一章にすれば、おおむね演者なのは分かるはず。◇11位はキスマイ横尾。姪は投資王 除夜の人生ゲーム8+10の中間切れ。最近の横尾の句がパッとしないのは、こういう中間切れの形を取りながら、二物衝撃になってないことが多いから。これも二句一章にする必然性がない。なお、いまや小学生も投資する時代なので、あくまでゲームの話だと明示しなければ、現実か虚構かを判別できなくなります。ためしに、除夜の鐘 姪は盤上投資王としてみました。あるいは「ボードの投資王」でも意味が通じるかしら?◇12位はかたせ梨乃。御降おさがりのオファー「極道の妻おんなたち」季語「御降/富正月」は、正月三が日に降る雪や雨のこと。これも二句一章にする必要がないし、極妻ごくつまのオファーもたらす富正月のような形にすればよいのでは?◇13位は森口瑤子。失恋におでん酒とは平凡な面白いセリフ句なので、選者によっては高評価になるかも。◇14位はフジモン。冴ゆる夜や 離婚決めたるハイボール形式面の問題はないし、これも順位が低すぎるように思う。◇15位は大友花恋。カーテンはまだ 首都高を冬の雨悪くはないと思うけど、副詞「まだ」が、前後どちらに掛かるか分かりにくいよね。カーテンはまだ首都高を / 冬の雨と読んだら、ちょっと意味が違ってくる。無難な書き方をすれば、カーテンは来ず 首都高に冬の雨のようになるかと思います。◇16位は蓮見翔。床暖房の上 結婚マス止まる結婚マスに止まる 床暖房熱い(添削後)蓮見は型を学んでないから、どうにも出来不出来が不安定なのよね。かたや添削句は、犬山と同じ「〜述語/〜述語」の対句だけど、やはり「止まる」が連体形に見えてしまう。上五に季語を置く型どおり、床暖房 結婚マスの大勝負とかでよいのでは?◇清水アナ。初笑 コマの足りない人生ゲーム5・7・7の字余り。季語が近いどころか、「コマが足りないから笑った」という因果関係にも見えます。ためしに固有名詞を使わず、年の餅 ボードゲームは駒足らずとしてみました。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !! 12/11は2時間スペシャル!✨\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥初心にかえることも大事!💪#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/RnQSUreiYc— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) December 8, 2025▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2025.12.15
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鬼滅の刃。刀鍛冶の里編は、ほとんど戦闘シーンばかりなので、ドラマ的な要素がちょっと少ないけれど、それでも蜜璃ちゃんの登場シーンは胸アツでした…!あらゆるカットが素晴らしくて、おもわずフィギュアが欲しくなってしまった。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) June 5, 2023 — まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) June 5, 2023 でも、蜜璃ちゃんのフィギュアって、ぜんぶパンツ丸見えなのね…(笑)— EXODUS (@OUTofDEEP) June 4, 2023
2023.06.05
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NHKアストリッドとラファエル〜文書係の事件録。シーズン6の第8話「億万長者の遺言」です。今回は管轄外の大邸宅のなかで、「この中に犯人がいる!」…というアガサ・クリスティ的な定番の展開w日本なら金田一耕助ってところ?裏テーマもてんこ盛りでしたね!!おどろおどろしげな屋敷ではいつもこの曲が流れるwErwann Kermorvant「Night Walk」死んだはずの人間が、アストリッドを謎解きへ誘う話だったので…てっきりラマルクが生き返ったかと!でも、アストリッドにメッセージを送ってきたのは、コロンビア革命軍(FARC)の生き残りで、PTSDから広場恐怖症になった引きこもりです。彼もパズル好きのヲタクらしい…(^^;コロンビア時代の名前は、母方の姓でジュリアン・トーレスですが、フランスでは、父方の姓でジュリアン・レノになる。ジョン・レノンの息子みたいな名前よね。◇犯人には目星がつきそうなものだし、わざわざアストリッドを呼び寄せずとも、恋人の女中と一緒に証拠をつかんで、警察に連絡すれば済んだ気もするけど…(^^;そもそも、ネットで繋がってただけのパズル仲間なのに、アストリッドが警察関係者であり、数々の事件を解決してきたことまで知ってたの?まるでそれを見越したみたいに、アストリッドを引き込んでくるあたりが、どうにもラマルクっぽいのよねえ…近いうちに会おうと言ってたし。殺された父は父で、いったい誰に見せるために、あんなVRの映像を残したのかしら?彼はアストリッドのことなど知らなかったのだし、やっぱり息子に見せようとしたんじゃないの?◇コロンビアの児童養護施設で育った革命軍兵士が、なぜパズル好きのネットヲタクになったかも謎です。スペイン語だけでなく、フランス語も理解できる秀才ってことよね。父の遺伝かもしれないけど、女中と恋仲になっちゃうところも、コロンビアの清掃員の女と不倫してた父譲り?そんなジュリアンは、最後まで姿を見せませんでしたが、もしかしたら来シーズン以降も、アストリッドにメッセージを送ってくるのかしら?実際のところ、ラマルクが転生した可能性もある??◇以下はネタバレ!殺されたのはエドガー・ドゥニ・レノ。フランス軍のパイロットを経て外交官になった男で、SF小説作家でもあり、最新技術の発明家でもあり、古物コレクターの資産家でもあった。そして犯人は、実の息子のフィッツジェラルドでした。父がコロンビアから連れ帰った、腹違いの弟のジュリアンに嫉妬して、彼の遺産相続を妨害しようと企んだ犯行です。◇今回の裏テーマは、1.アルキメデス・パリンプセスト2.ナチス占領下のユダヤ人救出3.コロンビア内戦と革命軍…ってところですね。アルキメデス・パリンプセストについて、アストリッドが話してたのはおおむね事実です。pic.twitter.com/2KCypGlfws— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 25, 2026この古文書は、1998年に競売にかけられ、匿名の人物が約220万ドルで落札してる。アストリッドは「2013年」と言ってましたが。落札者が研究機関に公開し、最新技術で解析させたところ、13世紀の祈祷書として上書きした下の層に、10世紀のギリシャ語写本が浮かび上がった。アストリッドは「9世紀」と言ってましたが。そこに書かれてたのは、紀元前3世紀のアルキメデスの文章!そこでアルキメデスが言及してたのが、ストマキオンと呼ばれるパズルなわけね。アストリッドは「小箱」と呼んでました。それは古代のタングラムで、正方形を14のピースに分割したパズル。ピースの詰め方のパターンが異様に多い。https://ja.wikipedia.org/wiki/アルキメデス・パリンプセストストマキオン今回のドラマは、その落札者が殺されたという設定。しかも、その貴重な古文書に、自分の遺言を上書きしちゃうというオチ!いやいや、そんなことしていいの?…(^^;◇殺されたエドガーの父親は、ナチス占領時代にユダヤ人を匿ってました。だから、邸宅のあちこちに、秘密の空間と覗き穴があったのね。実際、ドラマの舞台ウール=エ=ロワール県には、一定数のユダヤ人がいたようだし、フランス全土では4000人以上が、ホロコーストからユダヤ人を守ったとして、「諸国民の中の正義の人」の称号を得てます。https://ja.wikipedia.org/wiki/諸国民の中の正義の人ちなみに日本人は杉原千畝だけですね。◇そして今回、いちばん分かりにくかったのは、コロンビア内戦と革命軍の話!元ネタがあるのかどうかも分からない。フランスの外交官が、コロンビアのボゴダ軍事基地に出入りして、清掃員の女と出会う機会があったとすれば、2002〜2008年の人質解放作戦のときだと思います。https://ja.wikipedia.org/wiki/イングリッド・ベタンクールニコラが言うには、母親が養護施設に入れたのは20年前だと。去年のフランス版放送から考えると2005年ですね。それが出産後すぐなら現在は20才で、フランスに来たときはまだ12才ってこと。かりに10才で捨てられたなら現在30才で、フランスに来たときは22才ってことですね。◇コロンビア革命軍も、2001年のアメリカ同時多発テロ以降、国際社会から「テロ組織」「麻薬組織」とみなされ、2017年には組織が解体してる。エドガーはこのときに、息子のために「違法な軍事作戦」へ資金提供した。それが、革命軍に対する掃討作戦だったのか、それとも逆に、残党の抵抗を支援する作戦だったのか、いまいちよく分かりません。とにかく、そのときのドサクサに紛れて、息子を死んだものと見せかけ、フランスへ密かに入国させたわけね。◇その背景にあるのは、やはりコロンビアの貧困の問題でしょう。フランスの外交官と愛人関係になり、生まれた子供を養護施設に入れた女性にせよ、養護施設で育てられて、革命軍の志願兵になった息子にせよ、やはり貧しい境遇にあってこそだと思う。エドガーが、ボゴダの児童養護施設を支援し、「違法な軍事作戦」に資金提供したのも、コロンビア人の境遇への同情と、不幸を強いたことへの罪責感があったからよね。◇…さて、デジタル化にともない、犯罪資料局の閉鎖が決定して、アストリッドは失職の危機です!ラファエルも、微細神経障害の後遺症が残り、刑事生命が危うくなってきました。…でも、今回のアストリッドは、バーチャルリアリティを駆使して、情報を読み取ることが出来てたからね。デジタルアーカイブでも十分にイケるのでは?司法データセンターのおばちゃんが、新しい役職を与えてくれるかもしれませんよ。ラファエルも、バシェールが推薦したとおり、現場を離れて警視正になる可能性が高まってきた。エンディングの曲はこちらでした。Lil Payet「Plaid」アルキメデス『方法』の謎を解く 【電子書籍】[ 斎藤憲 ] 楽天で購入 いいねを押す前に こっちを押してね!!
2026.05.25
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宮崎吾朗/ジブリ/NHK「アーヤと魔女」を見ました。あまりにも唐突な終わり方だったので、なんだか放り投げられた感じです…世間の子どもたちは、あの終わり方をどう思ったのか分からないけど、大人としては、あまりにも未回収なことが多すぎて、思わず謎解きをせずにはいられません!◇冒頭のシーンで、バイクにまたがったアーヤの母親は、黄色い車(シトロエン2CV)に追われており、後ろにミミズをぶちまけて逃げおおせました。あの黄色い車は、かつて彼女がマンドレークやベラ・ヤーガとともに、「Earwig」(ハサミムシ)というロックバンドで活動していたころに、3人で乗りまわしていたのと同じ車です。車のナンバーは「MYA-13W」。(Mandrake/Yaga/A●●●-13Witchの意味かもしれません)現在、その車は、マンドレークの屋敷のガレージに置かれています。アーヤは、その車のなかから、Earwigの「Don't disturb me」というレコードを、もち出したのです。ラストシーンでは、アーヤがベラ・ヤーガに、「黄色い車でピクニックに連れてって」と頼んでいます。ちなみに原作での主人公の名前は「Earwig」ですから、彼女の母親は、バンドの名前をそのまま娘につけたのです。◇アーヤの母は、孤児院に次のような置手紙を残しました。仲間の12人の魔女に追われています。逃げ切ったら、この子を返してもらいに来ます。彼女は、黄色い車に追われていたわけですが、あれを運転していたのは、おそらくベラ・ヤーガです。マンドレークは男性ですから、アーヤの母をふくめて13人の「魔女」がいるわけですね。かりにマンドレークが、カリスマ的なロックスターだったのだとすれば、(どう見てもジョン・レノンにそっくり!)13人の魔女仲間とは、取り巻きのグルーピーだったのかもしれません。そのうちの一人(アーヤの母)が抜け駆けをして、マンドレークの子供を身ごもってしまい、ほかの魔女仲間から追われる身になったのではないかしら?だとすると、マンドレークは、アーヤの父親である可能性が高いし、マンドレークとベラ・ヤーガは、「アーヤが誰の娘なのか」を承知のうえで引き取った可能性がある。ベラ・ヤーガがアーヤに厳しいのは、かつてミミズをぶちまけてきた宿敵の娘だからであり、マンドレークがアーヤに甘いのは、ほかならぬ自分の娘だからなのかもしれません。ラストシーンで、アーヤの母が娘を引き取りに来たのは、彼女が「12人の魔女仲間」から逃げ切ったからだと思うけれど、しかし、そこには宿敵ベラ・ヤーガがいるのです…。屋敷の周囲には、クリスマスツリーがあり、屋上には「Don't disturb me」のイルミネーションが飾られています。◇ちなみに、Earwigの「Don't disturb me(邪魔するな)」の歌詞はこうです。あぁ悪魔は冷えた竃の中で灰をかぶりアカギレ裸足の娘が泣いているいつまで待てば夢の王子様が白馬で迎えに来るのさ…これは「シンデレラ」のことでしょうか?お城の塔では玩具に囲まれて青ざめた顔で王子は引きこもり百個の鍵を部屋の扉にかけて女はママしか知らないあぁ愚かな王子、あぁ醜い娘よあぁ扉は開けるためについてるのさ…これは「ラプンツェル」のことでしょうか?ポチッと押すと他のブログも。なお、13人の魔女という設定は、グリム童話の「眠れる森の美女」と同じです。◇宮崎吾朗の「山賊の娘ローニャ」もそうだったのですが、シンデレラも、ラプンツェルも、眠れる森の美女も、主人公の少女が、悪い大人(親)の呪縛を乗り越える物語になっています。山賊の娘ローニャは「わたしは山賊にはならない!」と宣言します。少女たちは、親世代の「悪」をけっして引き継がないのです。シンデレラやラプンツェルに登場する大人たちは、少女にとっての「模範」ではなく、むしろ悪しき「反面教師」です。それらは少女の成長物語なのですが、少女が大人になる、ということは、けっして「親世代と同じ」になることではない。むしろ、親世代とは違う道を選ぶことなのです。そこには、悪い大人(親)と同じような生き方をしない、という強いメッセージがあります。たとえばラプンツェルにとって、塔の内側は、けっして安息の空間ではなく、生きる屍にされてしまうような恐ろしい場所です。塔の上には、鐘ではなく、死人の生首が吊るされているのかもしれません。だから、外に出るためには、みずから扉を開けなければならないのです。アーヤはそれを、軽々とやってのけます。
2020.12.31
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NHKアストリッドとラファエル〜文書係の事件録。シーズン6第1話の「オーディン」です。えええぇ〜っ!まさかの夢オチ?!…ってことは、今回の内容はぜんぶチャラ?でも、アストリッドが、「昏睡状態でも声は届くかもしれない」と言ってたのを考えると、ラファエルは、アストリッドが話した事件の内容を、夢のなかで再現してたのかもしれません。ラファエルの夢のなかには、1年以上前に病院で亡くなった男性が登場。わたしは先日、TVerで「ミステリと言う勿れ」を見たばかりで、つい小日向文世のエピソードを思い出しました。◇さて、今回はインチキ霊媒師の話。養護施設で一緒に育った友人を殺された4人組が、スイスへ逃亡した殺人犯を捕まえ、その犯人追跡のために身につけた、尾行・盗聴・ハッキングの技術を駆使して、こんどは4人の頭文字「ODIN」の名義で、インチキ霊媒師の稼業をやってたのですね。イタコの降霊術もそうだけど、じつは喪失の悲しみを癒す側面のある仕事。ところが、ゴーストデバンカーズのレオ君に、そのインチキを暴かれそうになったので、彼を脅そうと思ったら、レオ君はすでに死んでいた…という話。Ghost Debunkersってのは、超常現象を検証するユーチューバー集団ですね。デバンカー(英: Debunker)とは、虚偽、誇張、見せかけと思われる主張を暴露したり、信用を失墜させたりする個人や組織のことである。この用語は、未確認飛行物体、超常現象、暗号、陰謀論、代替医療、宗教、科学または疑似科学研究の探求または周辺領域など、論争の的となるトピックに対する懐疑的な調査と関連付けられることが多い。"debunk"という言葉は、アメリカのジャーナリストで大衆史家のウィリアム・ウッドワード(William Woodward)が1923年に発表した小説『Bunk』に由来する。https://ja.wikipedia.org/wiki/デバンカーhttps://t.co/5sqlqicLkC pic.twitter.com/yreQ0W8HdS— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 5, 2026 養護施設の4人組は、インチキ霊媒業はやってたものの、たぶん殺人はしてないでしょうね。なので、300kgのピアノを投げ飛ばして、レオ君を圧死させた犯人は他にいる。でも、それは人間じゃなくて、ポルターガイストの仕業かもしれません…https://ja.wikipedia.org/wiki/ポルターガイスト現象◇ラファエルがはめた指輪の毒は、化学兵器のVX溶液だったらしく、深刻な中毒症状で生死をさまよいました。現実のVXによる殺人は、オウム真理教がはじめて実行し、北朝鮮の金正男暗殺にも使用された。https://ja.wikipedia.org/wiki/VXガスなので、これも日本を意識した内容です。◇わたしは、シーズン5の最終回で、> もしかしたらラファエルは指が太くて、> テツオの指輪を嵌めたのかもしれませんよねw> だとしたら、ラマルクの標的は、> 恋敵のテツオだった可能性もあります。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202505260000/…と書きましたが、これが意外に当たってたっぽい!ちなみに「ODIN/オーディン」は、北欧などのゲルマン伝承に出てくる神さまで、ワーグナーの「ニーベルングの指環」では、オーディンじゃなくヴォータンの名で登場します。…まあ、さすがにODINが、ラマルクの"指輪"に結びつくわけじゃあないと思うけど。ポルターガイスト【Blu-ray】 [ クレイグ・T.ネルソン ] 楽天で購入
2026.04.06
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フジ「102回目のプロポーズ」が終了。わたしは35年前のドラマを見てないので、ちょっとラストの意味をつかみかねたのだけど、あらためて武田鉄矢の話を聞きなおしたら…彼の場合も、101回目のプロポーズがすぐには成就せず、いちどはフラれて、振り向いてもらえるまで時間がかかったわけね。◇だから、霜降りせいやの102回目のプロポーズも、すぐに成就するわけじゃなく、これはあくまでスタートラインであって、やっぱり振り向いてもらえるまでには、それなりに時間がかかるってことなのでしょう。さすがに、この段階でハッピーエンドって無理があるしね。まあ、ストーカーにならない程度に、最愛の恋人を亡くした彼女の心の空洞を埋めながら、誠実な友人として支えつづければ、いつかは振り向いてもらえるかもしれない、…という希望を込めたエンディングなのだと思います。◇もし続編があるとすれば、伊藤健太郎のドッペルゲンガーが登場して、(前作では長谷川初範のドッペルゲンガーが登場したらしい)もうひと波乱あってから結ばれる、…みたいな顛末が再演されるわけね。とくに続編を希望してるわけじゃありませんが。そういえば、東出昌大の映画もドッペルゲンガーの話でしたね…(^^;ただ、前作の内容を知らない視聴者には、そこらへんがちょっと分かりにくくて、お茶を濁したエンディングに見えてしまったかも。◇こういう物語は、だいたい結末が決まってるんだろうから、あとは細部の描写が共感を得られるかどうか。そこがドラマの成功の鍵になると思うんだけど…影の恋愛プロデューサーみたいに振る舞って、自己満に浸ってる太陽はちょっとキモかったし、(自分でデザインした皿をプレゼントさせたのはドン引き…)音は音で、あまりにも主体性がなさすぎて、(病気で気持ちが弱ってるから仕方ないってのもあるけど)いまひとつ光への想いの強さは感じられなかったし、かたや光は、唐田えりかのキャラが逞しすぎて、一瞬で立ち直りそうに見えてしまうので、さほど可哀想とは思えなかったのも事実…(^^;◇総じていうと、たいして胸を締めつけられるほどでもなく、よくもわるくも、チャゲアスの曲も含めて、35年前のネタ&パロディとして楽しむにとどまる、…って感じのドラマだったと思う。制作者がそういう意図で作ったんなら、それはそれでいいんだけども。◇このたびの「急に具合が悪くなる」でも、主演の2人がカンヌで女優賞を獲りましたが、東出昌大と唐田えりかも、濱口竜介の演出が素晴らしすぎたせいで、現実と虚構の見境がつかなくなってしまって、ああいうことになったのだろうし、(そもそも物語がそういう内容でしたからね)寝ても覚めても=虚構でも現実でも寝ても覚めても【Blu-ray】 [ 東出昌大 ] 楽天で購入 だから、わたしは、2人に対してだいぶ同情的だったのだけど…今季の2つのドラマの唐田えりかを見てたら、想像以上に逞しい人だなという印象を受けました。それほど恋愛に依存する体質の人にも見えない。東出と引き裂かれたあとも、わりにあっさり立ち直ったんじゃないかしら?そもそも東出も唐田もものすごくモテるんだろうしね。…まあ、あくまでわたしの勝手な想像ですがw◇そして、ついに来季のフジテレビは、のん(能年玲奈)のドラマをやるらしい。こちらもちょっと気になります。脚本は北川亜矢子。北川悦吏子じゃありません。急に具合が悪くなる [ 宮野真生子 ] 楽天で購入
2026.06.25
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『鬼滅の刃』の世界観は、日本の記紀神話に関係しており、山民・山伏などアジールの歴史にも関係するのですが、それはとりわけ、禰豆子のキャラ設定のなかに集約されていると思います。◇『鬼滅の刃』の世界において、謎を解く鍵になる最重要キャラは、すくなくとも3人。まずは、鬼の元祖である鬼舞辻無惨。さらに、鬼殺隊当主である産屋敷耀哉。そして、炭治郎の妹である禰豆子です。なぜ禰豆子は、鬼になっても人を喰わないのか?このことが、鬼舞辻や産屋敷の出自とともに、鬼の謎を解くための大きな鍵になっています。◇禰豆子の名前の由来は何でしょうか?眠ってばかりいるのに「寝ず子」?禰(=父祖の霊力)豆(=鬼を払う霊力)子という意味合いを考えれば、おそらく竈門家の父方が、鬼にも屈しない特別な家系であり、なかでも禰豆子は、その血をもっとも強力に受け継いだ子なのでしょう。この漫画の当初のタイトル候補として、「鬼狩りのカグツチ」「炭のカグツチ」などがあったらしいので、竈門家の父方は、おそらく日本神話のカグツチに連なるはずなのです。歴史学者の岡田英弘は、倭国の最初の王の名が「禰」(でい)だったと唱えていますが、いずれにしても特別な家系であることをうかがわせます。◇日本神話でイザナギとイザナミが産んだ三貴神のうち、アマテラスは皇祖神であり、鬼を死滅させる太陽の女神でもあります。スサノオは草薙剣を振るった武力神であり、桃太郎の鬼退治伝承に重なる部分があります。ツクヨミは月と仁慈の神であり、竹取物語のかぐや姫に重なる部分があります。(ちなみにツクヨミが男神か女神かは不明です)これに対して、カグツチは、火の神として産まれ、そのせいで母のイザナミは焼け死んでしまいました。ヒルコという神も、異形の子として生まれ、海に捨てられてしまいました。◇わたしの仮説ですが、カグツチに連なるのが禰豆子の父方の竈門家であり、ツクヨミに連なるのが禰豆子の母方ではないかと思っています。というのも、禰豆子には、カグツチとツクヨミの両方の要素を感じるのです。竈門家は、アマテラスやスサノオのように、勧善懲悪的に鬼を退治してきた天皇家や桃太郎とは違います。むしろヒルコやカグツチのように、鬼にさえも共感するような不遇な面をもっているのです。(ヒルコに連なるのが「鬼」なのかもしれません。)また、禰豆子の長い髪や、くわえている竹や、大きくなったり小さくなったりする体、さらに一般の人間にはない特殊な能力には、月の住人であるかぐや姫との類似性が感じられるし、人への慈しみはツクヨミに通じるものに思えるのですよね。◇一般には、アマテラスこそが「太陽神」(日の神)であるとされ、だからこそ、それに連なる天皇家は鬼を退治してきました。しかし、『鬼滅の刃』の世界では、カグツチこそが「火の神」であり「日の神」であるとされます。そして、それに連なる竈門家の人々は、たんに鬼を退治するのではなく、鬼を人に戻すことができると信じるのです。ポチッと押すと他のブログも。◇禰豆子は体を小さくして木箱に収まっています。この木箱には、3つの由来が考えられます。1.背負子(しょいこ)本来は、炭焼きの薪を背負うための道具で、木を梯子状に組んで作ったものです。二宮金次郎の銅像も背負子に薪を積んでいます。2.笈(おい)本来は、修験者が法具などを運ぶためのもので、背負子に箱をのせたものを「板笈いたおい/縁笈ふちおい」と呼び、箱そのものに肩帯を付けたものを「箱笈はこおい」と呼びます。炭治郎や武蔵坊弁慶が背負っているのは箱笈のタイプです。3.まわり地蔵江戸時代、日本の各地には、村の家々に地蔵を巡回させる風習があり、現在でも、笈に地蔵を入れて運ぶ地域が残っています。疫病退散や子宝祈願などの御利益があったようです。もともとは旅の修行僧が村にもちこんだものとも言われています。木箱に小さく収まった禰豆子は、修験者や炭焼にとっての守り神のような存在なのかもしれません。◇◇最後に、彼岸花という植物についてまとめておきます。TVアニメのエンディング「from the edge」のときにも出てきますが、仏教における曼珠沙華(まんじゅしゃげ)とも同一視される謎の植物です。英語でいうと「red spider lily」(赤い蜘蛛百合)ですね。柿本人麻呂が、万葉集で、「路邊 壹師花 灼然(道の辺の 壱師の花の いちしろく)…」と詠んだのも、赤い彼岸花だったとされるのですが、これについては賛否が分かれています。彼岸花=曼珠沙華は、球根に毒をもち、日本では墓地に生えていることが多く、「死人花」「地獄花」「幽霊花」などとも呼ばれており、その「罪」のイメージが山口百恵の曲になったり、その「諦め」のイメージが小津安二郎の映画になったりしています。赤い炎のような花の姿は「火」のイメージにも結びつけられます。かつて日本の墓地に多くの彼岸花が植えられたのは、秋のお彼岸のころに花を咲かすからだけでなく、その球根の毒によって、土葬された遺体を食害から守るためでもあったようです。◇彼岸花=曼珠沙華には、しばしば不気味で不吉なイメージがつきまとうのですが、じつは、そこに花の「色」の問題が絡んでいます。仏教における曼珠沙華は、説法をする釈迦の頭上に天から降った聖なる花であり、「मञ्जूषक/mañjūṣaka=赤い」という梵語に由来するのですが、本来は、一目見ただけで悪業から救われるような白い花だった、ともいわれているのです。一方、山口百恵の「曼珠沙華まんじゅしゃか」の歌詞では、曼珠沙華 恋する女は 罪作り白い花さえ 真紅に染める白い夢さえ 真紅に染めるというように歌われています。ここでは、曼珠沙華の赤い色が罪業の象徴になっていますが、もともとの仏教では、むしろ紅蓮ぐれんの花こそが地獄に落ちた者の血のような色だ、とされていたのです。◇『鬼滅の刃』の世界においては、青い彼岸花が存在するとされています。日本原産の青い花といえば、代表的なものは藤です。藤は、マメ(豆)科であるのみならず、強い日光を好む植物でもあるので、『鬼滅』において、鬼はとりわけ藤の花を嫌うとされています。ちなみに飛鳥時代、中臣鎌足は、藤の花のもとで中大兄皇子と謀議をしたことから、蘇我入鹿を討ったのちに「藤原」の姓を賜ることになりました。その次男の不比等が藤原姓を受け継いで、大宝律令選定や平城京遷都や日本書紀編纂などの事業に影響力をふるうと、藤原氏はさらに天皇との結びつきを強めて権勢を誇り、やがて佐藤、斎藤、伊藤、後藤、加藤、遠藤…などの姓を派生させていきます。すなわち、日本史的に見ても、藤という植物は最強だったのです。かりに、 白 から赤にではなく、強い日光を浴びた藤と同じように、 白 から青に変異した彼岸花/曼珠沙華があったなら、それは、鬼の性質をも変異させるのかもしれません。
2020.11.03
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先日の「ブラタモリ」 境港・米子編に続いて、日曜美術館「水木しげるの妖怪画」と、100分de名著の「100分de水木しげる」を見ました。やはり、ここでもまた、「あの世との境界に流れ着くもの」というテーマが浮かび上がる。1.鬼と妖怪水木しげるは、柳田國男の「妖怪談義」を読み込む一方で、鳥山石燕の描いた「百鬼夜行」からも影響を受けていたようです。妖怪は、すなわち鬼でもあるわけですね。うすうす感じてはいたけれど、やっぱり「鬼滅の刃」も、鳥山石燕らの「百鬼夜行」のみならず、水木しげるからの影響があるのだと思います。なお、今回の「日曜美術館」を見て、アマビエが不知火海の妖怪だったことを知りました。不知火海といえば、手塚治虫の「火の鳥」が棲む火の国の沿岸ですよね。アマビエは疫病退散の妖怪ですが、「火の鳥」では薬師の男が不知火海から上陸します。2.島根半島の海と山と森水木しげるの「河童の三平」は、少年時代の作者自身をモデルにしてるっぽいとのこと。今回の「100分de水木しげる」では、佐野史郎らが次のように話していました。境港は古代から開かれた町。水木さんの実家は弓ヶ浜の突端にある境水道。境水道を泳ぐと、その向こうは島根半島。そこは高い山じゃないけれど、のんのんばあが住んでる森なんですよ。そのさらに向こうが日本海で、「向こうに何かありそうだ」って思ってる子供だった。その身体感覚。三平が寝てるうちに川に流されて、河童と出会い、河童に連れられて、川の底に行ったら、今度は山が…。悪魔くんも同じだけど、「地」と「水」の二つを絞りきれないのは、その感覚。水の異界も、森の異界も、山の異界も全部ある環境で生きてきた。ちなみに佐野史郎は、松江出身なのですね!3.海岸に流れ着くもの昔の境港の海岸には、人間の死体が流れ着くことがあった。…みたいなことは、ブラタモリでも話題になっていましたが、釈徹宗も同じ話をしていました。すごく死が身近だっていうこと。はしかなどで子供がわりと簡単になくなったりした。境港の海で泳いでると、間引きしてむしろにくるんだ赤ちゃんと当たっちゃった、っていうような話なんかも出てくる。あらためてネットで調べてみると、水木しげるは、間引きした子供の死体や、自殺した女郎の死体の話などもしていたようです。4.この世とあの世の境界先日のブラタモリの内容も、島根半島の一帯が「あの世との境界」であることを感じさせました。以下は、中条省平の話。「あの世とこの世」が対立するとか、「善と悪」とか「光と闇」が対立するとかいった場合には、(ふつうは)二元論的な対立のドラマになっちゃう。でも、そうじゃなくて、水木しげるが描く境界は、つねに対立する概念が地続きなんで、ふっとどっちかに行っちゃうような感覚がある。そして、以下は、釈徹宗による水木しげるの人物評。境界に好奇心が高い人。見える世界と見えない世界、生と死、日常と非日常、聖と俗、エロスとタナトスみたいな、境界線上に近づくのがすごく楽しい、興味津々みたいなタイプの人。境界は大変デンジャラスゾーンでもある。危険地帯なので、古来、人類は境界をすごく警戒してきた。たとえば逢魔が時なんかは昼と夜との境界で、そのときに魔物に会うんだっていうことでしょ。コミュニティとコミュニティの境界には、道祖神とか、地蔵とか、塞の神をまつって、そこは近寄らないっていうような、そういう危険なところでもある。でも、水木しげるっていう人は、そこにすごく関心をもってる。と同時に、水木しげるならではのものとして、その境界の近くに「弱者」がいるんだっていう感覚ですよ。「のんのんばあとオレ」に描かれてる困窮者とか、最後のほうに出てくる美和ちゃんっていう子なんかは、本当に厳しい環境に置かれてるんですけども、すごく境界に精通した女の子なんですよ。強者って、堂々と王道を歩いてるんで鈍感なんです。でも「弱者」だからこそ、境界に繊細に接することができる。そして、伊集院光との会話。境界だからこそ、誰もが見てないものとか、見逃してるものがあるから、クリエイティブです。その代わり、境界に押しやられちゃった人たちが、「こんなとこいたくもない」のにいるところでもあるから、敬意を持てよ、みいなメッセージあるじゃないですか。「絶対面白いぞ」と「敬意を持って」と両方ある理由なんで。豊かで面白いんだけども、軽々しく触っちゃいけない、分かってる気になっちゃいけない。5.一畑薬師とのんのんばあのんのんばあは、少年時代の水木しげるに妖怪の話を教えたお婆さん。本名は景山ふさ。彼女の夫は、一畑薬師の「拝み屋」だったようです。ちなみに「のんのん」とは、観音さまのこと。一畑薬師とは、「目のお薬師様」として知られる臨済宗の仏教教団。その総本山である一畑寺は、島根半島の山中にあります。縁起によれば、平安時代の漁師が、海中から引き上げた薬師如来像を本尊にしたのが始まり。島根半島の海には、薬師如来も流れ着くんですね。水木しげるも、小泉八雲も、海人族の聖地である加賀の潜戸を畏敬したそうですが、のんのんばあは、「十万億土は島根半島の先にある」と教えていたようです。これもまた国引き神話に共通するような世界観。
2022.09.03
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星の入東風今夜の恋をくれた人 助手席でポテト抱える息白し 冬の朝我慢しきれずはしご芋 初雪日湯気たつ郷まで道中宴 冬の星信号待ちのポテト2本 時雨るるやジュニアシートで待つポテト 小さき手のピクルスつまみ出す小春プレバト俳句。お題は「ドライブスルー」。◇梅沢富美男。小さき手のピクルスつまみ出す小春ピクルスはパパに小春のハンバーガー(添削後)フジモンも横尾も「これは行く!」と言ってたし、わたしも掲載決定かな、と思いましたが、結果はボツでした。まあ、好みの問題なのでしょうか。原句のほうは、幼い子供の好き嫌いを愛おしく眺めてる感じですが、添削句のほうは、子供なりの善意で父親に食べ物を分けているように見えます。結果、まったく別の句になってしまっている。◇レイザーラモンRG。星の入東風いりごち 今夜の恋をくれた人星の入東風よ 今夜の恋ひとつ(添削後)難しい季語ですね。旧暦10月ごろの明け方に、昴(プレアデス星団)が西へ沈むときの風だそうです。原句のほうは、後段がクサい。細川たかしの「北酒場」の引用だそうですが、そもそも歌謡曲は七五調で書かれていることが多いのだし、この手法を認めたら、いくらでも安易な俳句が出来てしまいますね。◇7MEN侍 矢花黎。助手席でポテト抱える息白し助手席へ渡すポテトや 息白し(添削後)わたしは、助詞の「で」はほぼほぼ使わないほうがいいと思ってますが、かといって(後述するように)、この句の場合は、他の助詞に置き代えるのが難しい。添削句のほうは、動作の主体を運転手に置き代えることで、結果的に助詞の「で」を回避しており、運転席と助手席の2人ともが「息白し」になっています。◇勝俣州和。冬の朝 我慢しきれずはしご芋ドライブスルー 冬のポテトをはしごして(添削後)下五の「芋」は秋の季語なので、季重なりです。なお、俳句における「芋」とは「里芋」のことだそうです。つまり、サツマイモやジャガイモが日本で普及したのは、わりと最近のことなのでしょうね。それはそうと、なぜポテトを「はしご」するのかが分かりません。一度にたくさん買えば済む話なのだから、たんにバカな二度手間をしているとしか思えない。そんなことに詩情を感じろ、といわれても無理です。◇松嶋尚美。初雪日はつゆきひ 湯気たつ郷ごうまで道中宴うたげ初雪の道中楽し 温泉へ(添削後)見かけによらず、松嶋尚美って字が綺麗なのね…。耳慣れない語彙とか、5・8・7の形もなかなかふてぶてしくて、なにやら貫禄さえ感じてしまいましたが…「ドーチューって2音じゃないの?」との本人の発言を聞いてズコった(笑)。感性が英語的なのでは?いわば「Do you love me」で4音みたいな発想ですよね…。なお、「湯気立て=加湿器」は冬の季語ですが、「湯気」「温泉」などは季語になってないようです。添削句のほうは、やや投げやり。感情語を用いた《楽しいな俳句》みたいになっている。わたしは、初雪や 温泉までの車中の宴えぐらいでもいいと思いましたが。◇キスマイ横尾。冬の星 信号待ちのポテト2本ポテト2本 信号待ちの冬の星(添削後)季語を活かすためにも、調べをよくするためにも、語順を入れ替えたほうがよい。ただ、わたしは、添削のように「ポテト2本」で切れを作るよりも、7・7・5で、信号待ちのポテト2本や 冬の星のほうがいいかなと思う。◇フジモン。時雨るるや ジュニアシートで待つポテト時雨また ジュニアシートに待つポテト(添削後)上五の「や」が大袈裟だとの添削でしたが、その先生の真意はよく分からなかった。もともと「時雨るる」という動詞は、「時雨が降る」という意味で使われることもありますが、本来は「降ったりやんだりする」「雨がちな天候になる」という意味で、時間の幅があって、どちらかといえば映像をもたない時候の季語に近い。しかしながら、時候の季語を「や」で詠嘆するのが間違いというわけでもなく、この「時雨るるや」の用例も、芭蕉や蕪村や山頭火などに見られるようです。なぜ先生が「大袈裟」と言ったのか分かりませんが、中七下五の軽さに比べて上五が重いという意味かもしれませんし、たとえば「夕時雨」「時雨雲」「時雨傘」などの選択もありえたか、とは思います。一方、下五にかんしては、わたしなら「ポテト待つ」と直したかもしれません。さて…このフジモンの添削の際に、先生が助詞の「に」と「で」の使い分けに言及しました。いわく、「に」は静的、「で」は動的な動詞に用いる、…とのことです。わたしは夏井信者ではありませんので、この説明をにわかに鵜呑みにすることは出来ませんし、すこしばかり検討を加えてみようと思います。◇上にも書いたとおり、わたしは、助詞の「で」はほぼほぼ使わないほうがいいと思ってます。現代語の助詞の「で」は、おそらく古語の「にて」から発生しており、理由や手段や場所を説明するための助詞ですね。・風邪で休む(理由)・ナイフで切る(手段)・事務所で会う(場所)現代語の「~によって」とか「~において」と同じ意味です。そのため、この助詞を使うと、どうしても《描写》ではなく《説明》に見えてしまう。俳句の客観写生はあくまでも《描写》なので、理由の《説明》や手段の《説明》をすべきではありません。問題になるのは、場所を示すときですね。そのときに「に」を使うか「で」を使うか、ってこと。じつは口語や散文でも、「に」と「で」の使い分けは非常に厄介で、▼とりわけ外国人に日本語を教える際には困難を極めるようです。https://core.ac.uk/download/pdf/230235716.pdf上記の論文によれば、「に」は存在場所を表し、「で」は動作場所を表すとのことなので、おおむね「に」は静的、「で」は動的だといえます。しかしながら、「ベッドで寝る」「家で休む」「バス停で待つ」「庭で考える」「部屋で話す」などの場合は、あきらかに静的な動詞に「で」を用いますし、さらには「ベッドに寝る」と「ベッドで寝る」のように、どちらの助詞の使用も可能なケースがあります。わたしは、なんとなく、「で」を用いる場合には、場所ではなく手段の説明になっている気もしますし、夏井先生が言うように、とりわけ俳句においては、これらをすべて「に」に置き代えるべきかもしれません。◇これとは逆に、文語や韻文では、動的な動詞に「に」を用いる場合もあります。もっとも代表的なのは「遊ぶ」です。たとえば、「華胥の国に遊ぶ」の慣用句もありますし、「野に遊ぶ」とか「山に遊ぶ」などの用例は俳句にも無数にあります。そう考えると、助詞の「に」と「で」の線引きはそれほど容易ではありません。◇ただ、見方を変えれば、今回、先生が使い分けに言及したということは、部分的になら助詞の「で」の使用を認めるということでしょう。わたし自身、助詞の「で」はほぼほぼ使わないほうがいい…と考えてはいるものの、「ほぼほぼ」は「絶対に」という意味ではなく、やはり「で」を使わざるを得ないケースはあると思う。直近でいうなら、稽古場で台詞繰る(山西惇)助手席でポテト抱える(矢花黎)などは、他の助詞に置き代えることが難しい。いずれにしても、どのような場合に「で」の使用が容認できるのかは、今後もよく吟味していこうと思います。
2022.11.15
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アガサ・クリスティ原作、ヒュー・ローリー版「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか」。とても洒落ててカッコいいドラマだったけど…あまりに話が複雑すぎて理解しきれないよ!!!つーか、必要な描写を端折りすぎてるし、細かい部分を誤魔化してる気もします。原作を読んでなければ、事件の詳細を理解できないのでは??これだからサスペンスドラマはストレスが溜まるのよね。じゃあ見るなよ、って話だけど…(^^;しかも、今回のNHK版は、字幕翻訳にもミスがあるように思います。◇翻訳が疑わしいのは、最終盤で、ボビーとフランキーが、料理人だったチャドリイ夫人宅を訪れたシーン。(チャドリイは旧姓で現在はプラット夫人です)サヴィッジ氏について尋ねた次のやりとり。ボビー「彼はミルハウスによく来ていたんですよね」プラット夫人「グラディスに聞いて。私はひとつ聞いただけ」この「私はひとつ聞いただけ」というセリフが、どうも意味不明なのよね。英語の音声は聞き取りにくいけれど、わたしの耳には「I saw him there for once」と聞こえるし、そうだとすれば「私はいちど会っただけ」と訳さねばならない。このやりとりは、「なぜエヴァンズに(遺言書の署名を)頼まなかったのか」という核心にかかわる部分なので、このセリフが意味不明じゃ真相が理解できないでしょ。◇なぜサヴィッジ氏は、遺言書の署名をグラディス・エヴァンズに頼まなかったか。それはグラディスが「本物のサヴィッジ氏」の顔を知ってたから。遺言書の署名に立ち会ったのは、たぶん共犯者のロジャーだよね。プラット夫人は、署名のときに「いちど会っただけ」なので、ロジャーのことをサヴィッジ氏と思い込んだ…というトリック。(逆に、サヴィッジ氏の死体を確認したのはグラディスだけ)だとすれば、やはり上記のセリフは「私はいちど会っただけ」と訳すべきでしょ。◇前にも書きましたが、わたしは、CBCの「アンという名の少女」のときにも、NHKの翻訳にはミスがあったと思ってる。マシューがマリラを呼ぶときに、二人称を「姉さん」でなく「おまえ」と訳していたのです。原作の「赤毛のアン」では、マシューが兄でマリラが妹なのだけれど、CBCのドラマ版では、マリラが姉でマシューが弟に変わってました。姉に対する二人称を「おまえ」と訳すのは不自然ですが、字幕制作者は、そのことを考慮せず、おおかた原作の翻訳に準拠したのでしょう。こういうミスは、もちろん翻訳者の責任でもあるけれど、NHKのプロデューサーや演出家の責任でもある。要するに、内容を理解した上でチェックをしてるのかってこと。じつは誰も内容を理解せずに、漫然と海外ドラマを放送してる可能性がある。ここからは詳細なネタバレです。今回のミステリーの複雑さは、たんに登場人物が多いだけでなく、姿を現さない人物の名前を混乱させるところにあります。たとえば上記のチャドリイ夫人も、再婚してプラット夫人に変わってましたが、ほかにも名前が変わってしまう人物が3人います。第1に、崖から落ちて死んだ男性は、ケイマン夫人の兄「アレックス・プリチャード」とされるのですが、この名前は嘘の証言にもとづいているので、本当はサヴィッジ氏の友人「アラン・カーステアーズ」です。第2に、ニコルソン院長の妻「モイラ・ニコルソン」は、じつは主犯の「ローズ・テンプルトン」(テンプルトン夫人)なのですね。再婚して姓が変わっただけでなく、偽名なのでファーストネームも変わっています。第3に、タイトルになっている「グラディス・エヴァンズ」は、主人公ジョーンズ邸の家政婦「グラディス・ロバーツ」(ロバーツ夫人)です。この人も結婚して姓が変わったのでしょうね。◇結論から先に言っちゃいますが…主人公のボビー・ジョーンズ(♂)は、「モイラは美人だから犯人じゃないっ!!」と思ってて、かたや相棒のフランキー(♀)は、「ロジャーはハンサムだから犯人じゃないっ!!」と思ってる。そして怪しげな学者がいちばん疑われる図式(笑)。でも、結果的には、「モイラとロジャーの共犯だった」というオチです。つまり、男は美人に甘いし、女はイケメンに甘いよねって話。そんな男女がバディを組んで事件の謎解きに挑み、最後はめでたく結ばれるハッピーエンドになってます。…以下、時系列に並べた事件の経緯です。1.モイラがサヴィッジ氏を服毒自殺と見せかけて殺害。ローズ・テンプルトン(のちのモイラ)が、船上で資産家のサヴィッジ氏に接触して誘惑。その後、ローズはロジャーと共謀し、サヴィッジ氏の遺言書を書き換え、料理人のチャドリイ夫人と庭師のアルフレッドに署名させる。(女中のグラディス・エヴァンズには署名を頼みません)そして翌日にサヴィッジ氏を殺害したと思われます。ただし、ロジャーは「自殺に追い込んだ」と話してます。(どうやったら自殺に追い込めるのか知らんけど)いずれにせよ使用されたのは抱水クロラールですね。2.エンジェルが転落事故死に見せかけてアランを殺害。サヴィッジ氏の自殺に疑念をもったアラン・カーステアーズは、ロバーツ夫人(=グラディス・エヴァンズ)に接触して、遺言書の謎を解こうとしていたのでしょうね。でも、モイラに雇われたエンジェルによって崖から突き落とされた。ボビーは崖下で瀕死のアランを発見し、「なぜエヴァンズに頼まなかったのか」との最後の言葉を聞き、所持品の「写真」「キーホルダー」「万年筆」を確認します。そこに現れたロジャーは、ボビーが去ったあとに、モイラの写真をケイマン夫人の写真にすり替えたのですね。モイラに雇われたケイマン夫人も「死体は自分の兄だ」と嘘の証言。3.エンジェルがモルヒネ入りのビールでボビーを殺害未遂。ボビーも、ケイマン夫人を死んだ男(=アラン)の妹だと信じ、彼が死に際につぶやいた言葉を伝えてしまいますが、このせいでエンジェルから命を狙われることになる。移動遊園地での仕事中には、少年たちから「雇用主からの差し入れ」とビールを貰いますが、致死量のモルヒネが入っていたために死にかけます。ブエノスアイレスからの仕事依頼も偽造でした。ボビーの友人ノッカーまでもがエンジェルに襲撃される。4.エンジェルが首吊自殺に見せかけてトーマス医師を殺害。トーマス医師はロジャーのことを疑って調べてたらしい。しかし、エンジェルが彼を殺害。警察はそれを自殺と断定。ボビーは警官に「自殺は不可解だ」とうったえますが、警官は「不可解な自殺もありうること」と諭したうえで、資産家のサヴィッジ氏の自殺も不可解だったと言います。5.ロジャーが兄のヘンリーを拳銃自殺に見せかけて殺害。ロジャーは「カインとアベル」の話をしてましたが、もともと兄のヘンリーとは仲が悪く、当主のくせにモルヒネに散財するのも憎かったらしい。あらかじめ拳銃で兄を殺したあと、爆竹音を銃声に偽装してアリバイを作ったようです。そのほかの海外ドラマ◇以下は、2人による謎解きの手順です。ボビーは、宿のキーホルダーや宿台帳から、崖で死んだ男がアラン・カーステアーズだと知り、彼が資産家のサヴィッジ氏の友人だったことも、2人が映った写真から知ることになります。フランキーも、海陸軍クラブが引き取ったアランの荷物の中に、サヴィッジ氏からの大量の手紙を見つけ、サヴィッジ氏とローズ・テンプルトンとの恋愛を知ります。ただ、その時点ではローズが誰なのかを分かってません。…その一方で、ボビーとフランキーは、ヘンリーの妻と恋愛関係にあるニコルソン博士が、モルヒネ中毒のヘンリーを入院させようとしてると知り、さらにニコルソン博士の営む精神病院の周辺で、モイラやケイマン夫妻やエンジェルの姿なども見かけ、ニコルソン博士への疑惑をどんどん強めていきます。とくにボビーは、モイラ・ニコルソンから怪しげな電気療法のことを聞き、妻のモイラも何らかの被害者だと思い込むわけですが、これこそが最大のミスリードになります。…なお、ボビーは、トミー(=ヘンリーの息子)が使っていた万年筆を見て、それがサヴィッジ氏から貰ったものだと知りますが、これがミスリードになったか、真相につながったかは微妙。◇そして、最後の事件は以下のとおり。6.ロジャー&エンジェルがボビー&フランキーを殺害未遂。ボビーとフランキーは旧テンプルトン邸(通称ミルハウス)に監禁され、ロジャーとエンジェルに電気ショックで殺されかけますが、間一髪のところで仲間のノッカーに救出されます。電気療法を悪用したのはニコルソン博士ではなく、その妻のモイラ(=ローズ・テンプルトン)と、彼女の一味であるロジャーやエンジェルだったわけです。つねにボビーとフランキーを守ってくれるのは、黒人のノッカーやアラブ系の使用人ですね。彼らは忠実な善人として登場する形になってる。7.モイラがボビーを殺害未遂。ロジャーがロバーツ夫人を殺害未遂。ボビーは最後までモイラを被害者だと信じてますが、もともとモイラをいぶかしく感じていたフランキーは、彼女がボビーの紅茶に抱水クロラールを入れたのを暴き、モイラの正体こそローズ・テンプルトンなのだと見破ります。そのころ、ボビーの家では、家政婦のロバーツ夫人(=グラディス・エヴァンズ)が、ロジャーによって殺されかけるのですが、ボビーが駆けつけてロジャーを取り押さえます。そして収監されたロジャーからすべての真相が語られます。◇いろいろツッコミどころはある気がしますが、個人的に最大のツッコミどころは、車の偽装事故を見破るほど明晰なニコルソン博士が、なぜモイラのような女と結婚し、彼女の正体がローズ・テンプルトンだとも気づかず、片方では他人の妻と恋愛関係になり、妻の犯罪には気づかぬまま、護衛として雇ってるエンジェルの犯罪にも気づかず、不倫相手の義弟であるロジャーの犯罪にも気づかず、ケイマン夫妻の犯罪にも気づかないのかってこと。周りの人間が犯罪者だらけだよね。ちなみに、この間抜けなニコルソン博士を、脚本・演出のヒュー・ローリー自身が演じてました。なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか? (ハヤカワ文庫) [ アガサ・クリスティ ] 楽天で購入
2024.03.28
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缶コーヒー壺装束の日向ぼこ 足袋重ね自製みそ汁暖を取る 敵役と輪になりすする粕汁や チャルメラの湯気立つ夜空降る笑顔 江戸を出て髷でコーヒー時雨傘 冴ゆる夜や野の石拾う老殺陣師 冬の暮子役がくれるガム硬し 冬の雨もうロケバスを出たくない11月28日のプレバト俳句。お題は「撮影の休憩」。◇野村麻純。缶コーヒー 壺装束の日向ぼこ壺装束は、大河「光る君へ」のさわさんが、石山詣のシーンで着てました。短大で俳句・短歌を学んだだけあり、前回に続いて才能アリの1位。IKKOとともに、次の特待生候補ですね。◇清水アナ。冬の雨 もうロケバスを出たくないこれは率直な口語表現の勝利かな。冷たい雨に濡れながらのロケだったのね。/📣木曜、夜7⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥狙い通り!😆#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/gDee1xEGMg— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) November 25, 2024◇千原ジュニア。冬の暮 子役がくれるガム硬し寒さが身に沁みるなか、元気な子供の姿が健気ですね。助詞は「が」より「の」のほうが文語っぽいかな、…って気もするけど、文語で「が」を使うのが間違いなわけじゃない。むしろ古語で統一する場合に、「呉れる」の連体形は「呉るる」と書くべきですね。冬の暮 子役の呉るるガム硬し文語表現が厳密に古語であるべきかは分かりませんが。◇的場浩司。冴ゆる夜や 野の石拾う老殺陣師老殺陣師は何のために石を拾うのか?武器や道具に使うためとも解釈できるし、珍しい石を集めてると解釈できなくもない。作者の言うとおり、演技の足場を整えるためなら、冴ゆる夜や 野の石を除のく老殺陣師と書くほうが明瞭かもしれません。◇松下由樹。足袋重ね自製みそ汁 暖を取るジャーにみそ汁 足袋重ね履くロケ現場(添削後)季語は「足袋」で冬。作者の話を聞くに、京都の太秦の場面だろうと思うけど、字面だけでは撮影風景とは分からない。下五「暖を取る」は不要な情報です。なお、「涼」は夏の季語「涼し」の子季語ですが、「暖」は春の季語「暖かし」の子季語ではありません。むしろ冬の季語「暖房」の子季語と考えるべきでは?そうだとすれば、この句は季重なりになります。添削句が、上7の字余りになってるとおり、17音に収めるのは困難な内容ですが、あえて無理やり詰め込むならば、重ね足袋 自前スープの楽屋裏ぐらいが精一杯ですね。◇コットン西村。敵役てきやくと輪になりすする粕汁や敵役と輪になり晴れ待ちの粕汁(添削後)原句は、動詞「すする」が不要だし、下五を「や」で締める効果も疑問。添削句は、5・9・4の破調/字余りですが、定型に収めるならば、粕汁を囲む主役と敵かたき役のようにも出来ます。◇純名里沙。チャルメラの湯気立つ夜空 降る笑顔ラーメンの振舞い 極寒のロケ地(添削後)原句は、字面だけでは撮影風景とは分からない。ケータリングの屋台ラーメンじゃなく、普通のチャルメラ屋の描写に見えます。下五「降る笑顔」も意味不明ですが、実景じゃなくて作者の心象だそうです。なお、室内の加湿のための「湯気立つ」は冬の季語ですが、屋台ラーメンの湯気は加湿が目的じゃないし、ただの「湯気」だけでは季語になりません。一方、添削句の「振舞い」は、たしかに「御馳走・もてなし」の意味があるものの、ふつうに「挙動・態度」の意味とも取れるし、ややぎこちない表現です。ふつうに、ラーメンの差し入れ 極寒のロケ地と書けばよいのでは?◇石井正則。江戸を出て髷まげでコーヒー 時雨傘髷のまま珈琲飲みに出て時雨(添削後)原句の「江戸」は、撮影所の時代劇空間の比喩表現だけど、東京の旧称と誤読されますよね。ちなみに、下五の「時雨傘」は、《時雨に差す傘》というよりも、《時雨に備えて持ち歩く傘》なのでしょうね。もしかしたら、これも時代劇の小道具なのかも。まあ、添削句が妥当だと思います。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.12.02
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夕焼けの渋滞江ノ電は疾走 和硝子の窓に江ノ電薄暑光 薫風と潮の香運ぶ江ノ電や5月8日のプレバト俳句。お題は「江ノ電」。◇キスマイ横尾。夕焼けの渋滞 江ノ電は疾走掲載決定でしたが、わたしならボツ。渋滞の脇を電車が走ってたら、追い越していくのは当たり前。渋滞を追い越さない電車があったらもってこい!あえて比較の助詞「は」を使うのも説明くさいし、どちらかというと江ノ電は、ゆったり走ってるイメージが強いので、いまいち「疾走」という表現も似合わない。そして晩夏の「夕焼け」は季節外れ。ためしに、渋滞の側を江ノ電 春夕焼としてみました。◇梅沢富美男。和硝子の窓に江ノ電 薄暑光 和硝子の窓を江ノ電 薄暑光(添削後)助詞「に」は静止してる印象なので、動的な印象の助詞「を」に添削されました。建物と江ノ電との距離感によって、遠景ならば助詞「の」もアリかと思うけど、江ノ電は建物のすぐそばを走るので、たぶん近景なのでしょうね。◇清水アナ。薫風と潮の香運ぶ江ノ電やこれは、いまいちな出来です。江ノ電が「薫風&潮の香」を運んでるの?香ってるのが「薫風」なのか「潮の香」なのか、嗅覚情報はひとつに絞ったほうがいい。たぶん「潮の香のする薫風」なのでしょうが…(^^;そして「電車が風を運ぶ」ってのも、分かったようで分からない表現です。ためしに、潮の香をまとう江ノ電 若楓としてみました。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥まずは基礎の体づくりから!💪#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/nMZlx0mvlW— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) May 5, 2025 ▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2025.05.12
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これはひどい。まれに見るヒドい脚本です。…と思ったら、最後に脚本家が2人クレジットされてるじゃないですか!え?渡邉真子って誰???◇…これはおかしい。何かおかしなことが起こってますよね。ここにきて、金子ありさの筆が追いつかなくなって、やむをえず助っ人ライターを招集したのか。それとも、外部からの指示で内容を改変させられたのか。いずれにしても、あきらかに脚本の構成がおかしくなっています。◇ラスト部分で、唐突に大きな交通事故が起こって、主人公がいったん死にかけて、そして、あっという間に生還するって…。おかしいでしょ。あまりにも適当すぎるシナリオです。死にかけてるのに家族も来ないとか、雑すぎてお話にならない。中学時代の駅伝で疲労骨折したエピソードと、頭に怪我したまま人命救助を続けたエピソードが、いったいどんなふうに繋がってたのかも、あまりに描写が雑すぎるので、まったく伝わらない。それに、あんなに多くの人が車に轢かれたら、警察や報道陣が集まって大きなニュースになるはず。本来なら、まるまる一話分を使って描くべき深刻な内容を、わずか15分ほどの再現ドラマみたいに仕上げています。まるでダイジェストかスピンオフのようなやっつけ仕事。◇渡邉真子の事務所U.F.O.のサイトを見ると、彼女は第7話でも脚本を手伝っていたようです。…第7話といえば、「壁ドン」「ソフトクリーム」「逆治療」の3つのキスシーンがてんこ盛りで、配信でも「逃げ恥」を超えたと評判になった回です。もしかしたら、第7話の人気っぷりに味をしめて、脚本の内容を急きょ変更したとか??そんな余計なことをしたら、脚本のバランスが崩れるのは当然ですよね。◇メディア情報によると、今回の鹿児島編は原作にないオリジナルストーリーとのこと。もしかしたら、鹿児島編と東京編の脚本を分担して書いたのかもしれません。今回にかんして言えば、東京編の内容があまりにも薄っぺらでした。本来ならば、最終回を前にして、みのりとみおりのエピソードはもちろんのこと、流子のエピソードも、結華のエピソードも、もっともっと深めるべきだったはず。それなのに、すべてが上っ面をなぞっただけで終わっています。◇そもそも、モルヒネを投与しながら仕事してるような、余命わずかな地元の町医者を置きざりにして、東京に戻ってきていいわけがないのですよね。東京の部屋でエッチな服でキスしてる場合じゃない。本来なら、鹿児島編にもちゃんと一話分を費やすべきだったし、かりに東京で交通事故のシーンを描く必要があったのなら、せめて回をまたぐべきでした。両方をむりやり一話分に詰め込んだことで、結果的にどちらの内容も中途半端で薄っぺらくなっている。◇なぜこんな脚本になったのでしょうか?ドラマの価値を左右するような大事な回で、おかしな改変がおこなわれたのだとしたら、ほんとうに許しがたいです。
2020.03.11
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NHK実写版「岸辺露伴は動かない」の第2弾。第4話「ザ・ラン」笠松将(12月27日)第5話「背中の正面」市川猿之助(12月28日)第6話「六壁坂」内田理央(12月29日)今回は、たんなる一話完結ではなく、3つのエピソードが「六壁坂」という共通項で結ばれていました。もちろん泉京香も全編に登場。キャスティングは申し分なかったし、脚本もよく出来ていたけれど、演出も含めていちばん良かったのは、第5話の「背中の正面」かな。⇒ 前作でもそうだったけど、あまり原作にこだわらず自由に脚色したほうが上手く行くのですよね。一方、「ザ・ラン」と「六壁坂」の演出では、原作に引っ張られつつ、過激な表現を抑えた結果、やや映像表現が中途半端だったのが残念。京香さま、脚長すぎっww ◇第5話「背中の正面」の脚色上の独創は、伝説の「比良坂ひらさか」「かごめかごめ」「黄泉醜女よもつしこめ」を結びつけたこと。一見すると、地名や苗字に見られる「平坂ひらさか」は、平らなのか、それとも傾いてるのか分からない不思議な言葉。でも、もともと「ヒラ」という和語は、文字どおり「ひらひら薄っぺらい」という意味なので、水平なのか傾斜してるかは関係ないのでしょう。おそらく昔の日本人は、突き出た崖のように割れ落ちそうな土地を「ヒラ」と呼んだ。追記:「開けた土地」「拓かれた土地」の場合もあったかも。そして、それが傾いていれば「平坂ひらさか」だったろうし、断層のような場所であれば「平境ひらさかい」だったはずです。もし、このように不安定な「平坂/平境=比良坂」が、ことごとく黄泉の国へ繋がっているのだとしたら??…日本神話に出てくる「黄泉醜女よもつしこめ」は、イザナギを黄泉の国から追いかけてきた妖怪です。イザナギは、カグツチの出産によって妻のイザナミが死んだのを悲しみ、⇒ ちなみに竈門炭治郎の先祖はカグツチと思われます!はるばる黄泉の国まで彼女に会いに行ったのですが、その変わり果てた姿を見てしまったために、黄泉比良坂よもつひらさかで黄泉醜女よもつしこめに追われるのですね。ここに「見るタブー」と「振り返りのタブー」があります。…そして、童謡の「かごめかごめ」は、いうまでもなく《後ろの正面》についての歌です。もし、これが「振り返りのタブー」を警告しているとしたら??ちなみにブドウかタケノコかモモを投げれば黄泉醜女から逃げ切れます!◇かたや「ザ・ラン」と「六壁坂」の演出には、やや不満があります。第6話の「六壁坂」では、露骨な血の描写をかなり抑制していた。出血シーンをモノクロームにしていたし、器に注いだ血液もコーヒーにしか見えなかった(笑)。血が吹き出たり、止血のために縫ったり焼いたり、血を飲んだりする場面にも、あきらかな躊躇があったし、どうにか穏当な表現にしようという配慮が感じられました。たしかに、このエピソードは、あえて出血描写がなくても成立するかもしれないし、いっそ、ばっさりとカットしてもよかったと思う。なんにせよ、中途半端にボカす演出がいちばんよくない。中途半端な表現にした結果、何がやりたいのかよく分からない映像描写になっています。本質を突き詰めれば、もっと明瞭なスペクタクルに出来たはず。…第4話の「ザ・ラン」では、窓ガラスを割るシーンや転落するシーンが不明瞭で、後付けの「心臓麻痺で死んだ」という説明も不可解でした。かりに転落シーンを避けたいのであれば、夜の虚空に吸い込まれるファンタジックな描写にするとか、ウォーターフロントのビルから隅田川にでも落とすとか、いろいろやり方はあっただろうと思います。ドキドキのヘブンズドアー!コーヒーにしか見えないw前作の第1弾がDVD化されています。
2021.12.30
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三月の空に託せるものがない 夕桜学ラン捲り1on1 春光やルーズソックスすべて干す 上履の文字も滲むや卒業式 古巣あり教えの庭よいざさらばプレバト俳句。春光戦の予選Aブロックです。お題は「卒業」。◇春風亭昇吉。三月の空に託せるものがない本来、落語の芸ってのは、まさに「写生」だと思うのだけど、そのわりにプレバトの落語家たちの俳句は、どれもこれも何故か観念的なものが多く、客観写生に徹したものは、むしろ少ないですよね。これも、やっぱり思念的なモノローグの句。しかも、末尾を「ない」という否定形で終わらせる型破り。安易にやったら失敗するパターンです。たまたま今回は、型破りながらも成功したけれど、はたして本人に「型破り」という自覚があるかは疑問。正直、まぐれ当たりという気もする。志らくにも同じことがいえるけど、昇吉も、こういう路線を続けるかぎりは、おそらく大アタリと大ハズレを往ったり来たりする、…のではないかと危惧します。何故この句が成功したのかといえば、形式上は思念的なモノローグでありながら、実景としての《春の空》と《不安を抱く若者》が、ちゃんと見えてくるからですね。昇吉が、それを狙いすましてやったのなら、名人への道もすんなり開けると思うけど、わたしは、ちょっと怪しいと思います。◇キスマイ横尾。夕桜 学ラン捲まくり1on1ネットで「1on1」を検索すると、バスケじゃなくミーティングの情報が出てきます。たまたま現在は、スラムダンクの映画が記録的にヒットしてるので、作者は「1on1といえばバスケ」という前提で書いていて、先生も、その認識を共有したわけですね。実際、その共通認識があれば、この句を読んで、漫画やアニメのワンシーンも思い浮かべられるのかもしれない。しかし、わたしはスラムダンクを読んだことも観たこともないので、同じ日本人でありながら、その認識を共有できません。まあ、句の内容から考えれば、「ミーティング」という誤読はありえないから、何らかのスポーツと解釈するのが普通でしょうが、たとえば「不良学生がサシで喧嘩してる」みたいな誤読も、ありえなくはないと思います。この句を読んで、はたして何割ぐらいの日本人が、問答無用に「うんうん、バスケのことね」となるのか知りませんが、専門用語ならともかく、一般用語である以上は、やはり誤読の危険性を排除できないと思います。◇犬山紙子。春光や ルーズソックスすべて干す犬山紙子の句柄は、モノローグ的なところにあるのだけど、それがつねに長所になるとはかぎらない。やはり短所になってしまうことはあります。これもやはり、どこかしらモノローグ的ですね。その証拠に、下五の「すべて干す」ってのは、説明的であって写生的とはいえない。ルーズソックスの数は本人にしか分からないし、ただ「すべて」と書くだけでは具体性に欠ける。とはいえ、「すべて干したるルーズソックス」と名詞で終わらせれば、いくぶんかは映像的になるかもしれませんが。◇キスマイ北山。上履の文字も滲むや 卒業式上履の文字の滲みや 卒業す(添削後)内容は素晴らしかったのだけど、技術面がそこに追いつかないのよね。助詞の「も」に思わせぶりな含みをもたせるのは、客観写生に反するので、安易にやるべきじゃない。それは松岡充の「封蝋も今固まりぬ」のときにも、梅沢が指摘したことだったと思う。添削のほうは、下五を動詞にするよりも、フジモンが言った「卒業歌」みたいに、名詞にしたほうがいいかなあ、と個人的には思います。◇松岡充。古巣あり 教えの庭よいざさらば楠の古巣よ雲よ いざさらば(添削後)へ~。鳥の「古巣」って春の季語なんですね。その季語の力を信用したともいえるけれど、やや「古巣」と「卒業」の取り合わせが近い気もする。そして、やはりフジモンが言ったとおり、歌詞の引用に季語を添えただけに見えてしまうので、オリジナリティにも疑問符がつくかな、とは思う。なお、歌詞の引用と分かれば、中七・下五は一連のフレーズとして読めますが、ふつうならば三段切れと見なされるはずです。添削のほうは、はたして卒業の場面に見えるかどうかが問われる。仰げば尊しの歌詞の力を信用して、「いざさらば」の一語から卒業の場面を連想しろ、ってことなのでしょうね。ただし、この「いざさらば」というフレーズは、戦前の軍歌にも使われていますし、その軍歌を知らなくても、戦時中の場面のように見えなくはありません。
2023.03.06
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朝ドラ「風、薫る」周回遅れの第8週。しつこいようですが…> 直美ははやくリンにキスしちゃえばいいのに!> どうせ好きなんでしょ?ツンデレなんだから!…と思いながら見てますw直美がりんをグッと引き寄せると、りんが「な…直美さん!!」…的な展開ばかり想像してしまうww◇ただ、看護婦たちがみんな、下の名前で呼び捨てるようになったので、なにやら全体的に、百合っぽい方向へ行く気配もあるのよね。わたしとしては、直美とりんだけの、秘めやかな関係ぐらいが望ましいのだけど…(^^;◇物語は、なんだかんだで、りんが大金星を挙げる展開が続いてます。そんなにうまくいくか?!…って気はするけど、まあ、ドラマですから。つーか、だいぶ少女漫画的だからw◇それにしても、医者や院長の話をさしおいて、看護婦との話を公爵さまが優先するとは、さすが武家コネクション強し!pic.twitter.com/Zlq7gdMebS— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 29, 2026病院側は、看護婦に責任を押しつける算段だったのに、りんの父親と公爵さまの因縁を知って、医者はすごすご退散していきましたwこれまた少女漫画にありがちな展開!背後で退散していく医者w◇…それはそうと、りんも、仲間由紀恵も、バーンズ先生も、みんな「庭の千草」を口ずさんでましたね。この曲は、「らんまん」の鹿鳴館でも演奏されましたが、https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202306210000/いまや朝ドラでは、鹿鳴館時代を象徴する曲みたいになってる。ネット情報によると、大山捨松が戊辰戦争を回想するシーンでも、この曲がBGMとして流れたようです。#風薫る【捨松のテーマ?】#おむすび 阪神淡路大震災シーンを思い出す戊辰戦争当時の捨松。BGMはアイルランド民謡を元とする「庭の千草」。この曲が 捨松のテーマなのかもしれません。「庭の千草」は #ひよっこ 向島電機コーラス部も歌ってたし #らんまん 寿恵子のダンス指導・クララも歌ってました。 pic.twitter.com/tU3DpNJVDx— ひぞっこneo (@hizocco) April 17, 2026ただ、細かいことをいうと…アイルランド民謡「The Last Rose of Summer」が、里見義の訳詞で小学校唱歌になったのは明治17年で、看護婦養成所の開設が明治19年だから、いちおう時代的に間違ってはいないものの、まだ新しい小学校唱歌だったわけだし、りんの娘の環も学校に通ってる様子はないし、当時の大人たちが、みんな知ってる歌だったとは考えにくい。まして戊辰戦争のころに、この曲が日本で聴かれる機会は、ほとんどなかっただろうと思います。EMIプレミアム・ツイン・ベスト::庭の千草~なつかしきイギリス民謡 [ ザ・スコラーズ ] 楽天で購入
2026.05.30
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NHK「未来へのプレイリスト」を見てますが…驚いたのは、Stevie Wonderの「Overjoyed」を聴いて、ピーター・バラカンが水の音を認識できてなかった、…って話。え?!そんな人いるの?むしろ、いちばん耳に入ってくるのが、水の音と鳥の声だと思うんだけど…(^^;◇それで、つい思い出してしまったのが、角田忠信が書いた「日本人の脳」です。世界のなかで、日本人とポリネシア人だけが、虫の声や雨音や波音などの自然音を、左脳で聞いている…という説。これは有名なエセ学説で、学会ではまったく支持されてないのだけど、今回のバラカンのような事例に触れると、やっぱり角田の説には信憑性があるのかしら?…などと思いたくもなる。日本人の脳 脳の働きと東西の文化 [ 角田忠信 ] 楽天で購入 スティーヴィー・ワンダーは日本贔屓だから、特別に日本人っぽい感性をもってるのかしら?…とか。◇ちなみにピーター・バラカンは、ミャンマー人の血を引いてるそうだけど、角田の学説は、遺伝子的な決定論じゃなく、言語的な環境が脳機能を決定するって話。さすがに日本語がペラペラなバラカンも、日本人の脳みそまでは獲得できなかったのか?!◇しかし、よくよく考えてみると、ピーター・バラカンが好きな小泉八雲だって、虫の声を愛でる日本人に共感してたのだし、メシアンだって鳥の声を音楽にしてたし、ビリー・ジョエルの「Goodnight Saigon」にも、ちゃんと夜のコオロギの声が入ってるし、角田が主張した、「欧米人にとって虫の声は雑音である」という学説は、やっぱり、はなはだ胡散臭いのではある。Tontoの部屋をトントンと叩きましたとさ!pic.twitter.com/0t8JgG9l1f— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) June 19, 2026
2026.06.20
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橋本愛の接触トラウマについて、ネトウヨやヤフコメ民の一部はまだ誤解してますが、現時点において、「顎の接触がトラウマ」との情報もないし、「顎の接触がハラスメント」とも主張されてない。それはたんにレギュレーションを決めたきっかけです。つまり、脚本的にも演出的にも、身体接触は想定されてなかったのに、初回の撮影から顎への接触があったので、その後もいろんな接触が起こりかねないし、「やっぱりレギュレーションを決めてくれ」ってことで、肩と腕以外のアドリブ接触はNG(もしくは事前許可)、…というルールに決めたって話。具体的に、どこのどんな接触がトラウマかについて、(ネトウヨやヤフコメ民は勝手な想像で決めつけてますが)いっさい公表などされてません。◇フロムファーストの声明によれば、佐藤二朗は以下のように言ったそうですが、過去の心の傷は最大限、尊重されるべき社会だと心から思うが、トラウマがあって夫婦役を演じるなら先に状況を相手に共有すべきである事、その状況が続くなら俳優を続けるべきではないのではないかと僕個人は思います。トラウマにかんする状況を共有させなかったのは、佐藤のマネージャーと番組プロデューサーなので、その文句を橋本愛に言っても仕方ありません。共有を妨げた主犯が、マネージャーだったかプロデューサーだったか。これについては第三者には分からない。◇しかし、いずれにせよ、それは直接的にはハラスメントと無関係なわけで、いちばんの問題は、「その状況が続くなら俳優を続けるべきではない」という佐藤二朗の発言です。フジテレビの責任を問うのは構わないし、調整できなかった原因は検証すべきだろうけど、佐藤二朗が言ったことの責任は、悪意の有無はともかく、佐藤二朗本人以外に負いようがない。◇口調や文脈によって印象の差はあれ、「接触トラウマがあるなら俳優を続けるべきでない」という文言を一般的な社会倫理に照らせば、けっして正当化されるものでないのは明白。これを「正当だ」と主張してる連中はゴロツキです。トラウマなどの障害の有無にかかわらず、「NG項目を取り除け」と俳優に無理強いしたり、「NG項目があるなら俳優をやめろ」と要請するのが、社会倫理的に考えて不当なのは理の当然です。◇ちなみにフロムファーストは、フジテレビに真っ向から喧嘩を売ってますが、何かメリットがあるんでしょうかね。フジを敵に回しても、他の局や制作会社が味方になってくれる、…という謎の自信があるのかもしれませんが、ちょっと見通しが甘いんじゃないの?社長の小口友希子って、小口健二の娘なんですか?今回の件では、「専門家がハラスメントと言ってないので問題なし」…みたいな強弁をしてるけど、そのわりに、他人のトラウマを勝手にアウティングしたり、全般的にマネジメントが幼稚なんじゃないかしら?◇ところで、話は変わりますが…由貴ちゃんは、佐藤二朗と何度か共演してるし、井森美幸と「オヤジの時間」にも出演してるから、それなりに旧知の関係だったと思うけど、今回のドラマ番宣のときに、佐藤のことを「ちょっとあらいけど…」と口にしたのを、わたしは聞き逃さなかった!!でも、そのときは、佐藤の演技スタイルを「粗い」と言ったのかな?…ぐらいに解釈したのよね。とはいえ、由貴ちゃんにしては、ちょっと珍しい論評だと気にはなったのです。いまにして思えば、すでにあのときハラスメント事案は発生してて、由貴ちゃんが言ってたのは、「粗い」というより「荒い」のニュアンスだった?…という気がしてます。◇そこでわたしが思うのは、俳優は一般的に「役柄の影響を受ける」ってこと。とくに直近の佐藤二朗は、映画「爆弾」や「名無し」で、凶悪な犯罪者を演じてたらしいので、そうした役柄に影響を受けた結果、一時的に本人のキャラが荒くなった可能性はあるし、それを「芝居の神様」の発動と感じてたかもしれない。そのうえドラマで主役に抜擢され、座長として意気込んで気が大きくなって、態度や行動の荒さに拍車がかかったのでは?◇わたしは、東出昌大と唐田えりかの不倫についても、「役柄を内面化しすぎた結果」と思ってるわけだけど、(それは良くも悪くも濱口竜介の演出が卓越しすぎてるから)俳優にはそういうリスクがあるし、事務所やマネージャーはそれを含めて管理せねばならない。ただ、逆に考えれば、そんな「荒さ」を恐れたからこそ、そして「降板」の事態を恐れたからこそ、佐藤のマネージャーも番組プロデューサーも、彼に制限をかけにくかった可能性があるわけよね。そこらへんの事情は部外者には分からない。
2026.07.06
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おそまきながら、ドラマ「silent」最終回の感想。…と、その前に「ボクらの時代」も見た。脚本家&演出家&プロデューサーの鼎談。三人とも第5話がベストの回だと言ってました。わたしは第6話の終盤まで脱落寸前でしたが!(笑)そして、プロデューサーは「最終回が不安」とも口にした。実際、近年にしてはめずらしく11話まであったわけですが、正直いって、終盤の第10~11話は、蛇足の感が拭えませんでした。◇最終回では、なぜか物語の結論を「言葉」に収斂させたのですね。付箋に書いた「言葉」をテーブルの上に並べたり、わざわざ高校まで行って、教室の黒板に「言葉」を書きつけて会話したり、体育館で「言葉」についての昔の作文を読んだり、最後は、かすみ草に「花言葉」を託して次々と受け渡してました。「カスミソウ」が「サクラソウ」の洒落なのかどうか知らないけど、「感謝」という音のない花言葉を、手話と同じように「おすそわけ」していたらしい。たしかに、奈々は、手話が「目に見える言葉」であることを讃えていたし、スピッツも「魔法のコトバ」を歌っていたし、ヒゲダンのテーマ曲も「言葉」について歌っていた。言葉はまるで雪の結晶 君にプレゼントしたとして時間が経ってしまえば 大抵記憶から溢れ落ちて溶けていって消えてしまうでも絶えず僕らのストーリーに添えられた字幕のように思い返した時 不意に目をやる時に君の胸を震わすもの探し続けたいきっと、音がなくても「言葉」があればいい、ってことなのだろうし、手話が伝える「言葉」の価値を肯定的に描きたかったのだろうし、そして新進の脚本家としても、最後の最後に「言葉の力」を訴えて終わりたかったのでしょう。しかし、それまでの物語の流れから考えると、この物語の結論は、やや唐突な印象を拭えなかった。そんなことがテーマでしたっけ?とってつけたような感じ。いまいちピンとこなかった。◇なぜなら、かならずしも言葉は人と人とを正確につなぐわけではないし、むしろ言葉のすれ違いが人と人を切り離すこともあるのだし、実際、この物語のなかでは、いくら言葉を尽くしても分かり合えないことのほうが多かった。それに、もし2人が言葉でしか繋がり合えないのなら、想と紬はずっと手を繋ぐこともできず、可愛いバッグを持ち歩くこともできず、ひたすら手話をし続けなきゃいけなくなる。むしろ、「言葉を超えた繋がりこそ重要」という結論のほうが、視聴者としては、よほど納得感があったはずです。…というより、わたしに言わせれば、≫ 他人の気持ちを思いやるよりも≫ 自分の気持ちに正直になることのほうが大事という第8話の内容こそが結論にふさわしかったのです。◇じつをいえば、第9話も素晴らしかったのですよね。ドラマの最終盤になって、想が聴力を失った過去へ遡る、という内容。この構成の仕方はすごいと思いました。序盤でそれを見せるのと、奈々の物語の後でそれを見せるのとでは、視聴者の受け止め方が大きく違ってくるからです。時系列で物語を語っていくのでもなく、かといって順繰りに遡っていくのでもなく、表層から深層へ分け入ってくような、あるいは細部へ分け入っていくような、通常の脚本ではありえない叙述を確信犯的にやっていた。◇しかし、残念なことに、第10話ではまた振り出しに戻った感じで…(笑)。つまり、「紬の声を聞けないのが悲しいから別れる」みたいな話に戻ってしまった。高校卒業後に紬と別れた理由を、最終盤にきて、あらためてぶり返した形です。それって、基本的には、湊斗が紬と別れたときの、「紬のすべての気持ちを手に入れられないのが悲しいから別れる」ってのと似たような理由。要するに、どちらの男子も、完全に100%じゃなきゃ気が済まないのです。20%の欠落が悲しいから、残りの80%も捨ててしまおう、みたいな話。まあねえ、若いから、気持ちは分からないでもない。◇でも、100%を共有し合える恋愛なんてありえないのです。たとえ健常者どうしであってさえ、同じものを見て、同じものを聞いてるとは限らないのだし。むしろ、2割ぐらいが共有できれば御の字(笑)。想であれ、湊斗であれ、そのことに折り合いをつけられるかどうかが問題だった。すくなくとも、想にかんしていえば、たとえ紬の声を聞くことができないとしても、「声以外の部分を愛せばいい」という結論になるのは自明だった。しかも、それを「言葉」だけに収斂させる必要はなかったのです。声以外のすべてを愛せばいいのだから。サブスクではなくCDを手に取ることの意味もそこにあったはず。音以外のすべてを感じ取ればいい、ってこと。◇余談ですが、最後まで「お姉ちゃん大好き」だった弟くんは、結局ずっとフィクサー的な役回りのままでしたね。弟くんと妹ちゃんが、なぜ繋がってるのかも分からなかったし、なぜその関係を姉や兄に隠してるのかも分からなかった。それから、これも余計なことだけど、篠原涼子は、これまでずっと主役を張ってき女優なだけに、脇役の演技があまり上手くはありませんでした。脇役になっても、まだ主役の演技をしてる感じ。よくもわるくも「スターの輝き」が抜けないのです。年末の紅白でも、堂々たるパフォーマンスを見せていましたが、やはり主役向きの人だなと思いました。
2023.01.13
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洗ひ髪百五ページの栞紐 夏空と履けぬサンダル目眩く風薫るロレックスで遊ぶ息子 汗止まぬ前途不安なサプライズ 旅涼し魚介カレーは八千円 夏深し象牙のパイプ飴色に 夏暁やさらのゴルフバッグ撫でる7月24日のプレバト俳句。お題は「高い買い物」。川柳っぽくなりそうな兼題です。◇野村麻純。洗ひ髪 百五ページの栞紐本好きの累計百万円の夏(添削後)この人は特待生候補ですね。季語は「洗ひ髪」で夏。俳句としては出来てますが、兼題から遠いという理由で才能アリを逃しました。兼題に近づけると、川柳になりそうな句材ではあるものの、(漢語を連ねた中八・下六で)夏深し 積読つんどく累計百万円のようにも出来るかもしれません。◇鈴木砂羽。夏空と履けぬサンダル 目眩めくるめく夏空とサイズの合わぬサンダルと(添削後a)履けずじまいのブランドサンダル 夏の空(添削後b)原句は下五「目眩く」が意味不明。夏空が眩しいのか。サンダルの値段に目が眩んでるのか。サイズが合わないことに目眩してるのか。なお、多くの歳時記において、サンダルは夏の季語じゃないようです。添削案は妥当です。(添削後b)は785の字余りですが、撥音「n」が多いので中八は気になりません。◇さや香新山。風薫る ロレックスで遊ぶ息子ロレックスおもちゃに吾子の風薫る(添削後)やはり手段の助詞「で」は避けるほうがよい。添削句の語順を変えれば、薫風や 吾子のおもちゃのロレックスのようにも出来るし、さらに中八ならば、薫風や 子はロレックスを玩具とすとも出来ます。◇水谷隼。汗止まぬ前途不安なサプライズ後輩へヴィトンのTシャツ サプライズ(添削後)本人の話によれば、> 高価なTシャツを後輩にプレゼントしたものの> それを無造作に重ね着する様子を見て> Tシャツの前途に不安を感じて汗が止まなかった…とのこと。あまり上達が見込めなさそうな才能ナシですw描写に具体性がないだけでなく、Tシャツの「前途」という日本語のチョイスも変だし、この場合の「汗」は季語じゃない。17音に収めるのは難しい内容ですが、高価な商品に無頓着な振る舞いを詠むのなら、後輩はヴィトンTシャツ重ね着すでもいいんじゃないかと思います。◇キスマイ横尾。旅涼し 魚介カレーは八千円掲載決定でしたが、わたしは助詞「は」が説明くさいと思う。魚介カレーだけでなく、すべてのメニューが高価なのであれば、ふつうに助詞「が」を使えば十分です。◇梅沢富美男。夏深し 象牙のパイプ飴色に夏深し 象牙パイプはまがい物(添削後)本人の話によれば、「象牙でなく鯨骨だったから変色した」との内容らしいけど、読み手には伝わらない。季語の「夏深し」もふくめて考えると、ネガティブな意味合いじゃなく、経年変化に想いを深めてるように見えます。ためしに季語を変えて、夏逝くや 象牙パイプは模造品としてみました。◇清水アナ。夏暁や さらのゴルフバッグ撫でる悪くもないけど良くもないって感じ。内容も調べもパッとしないのですね。直したところで、新品のゴルフバッグや 夏の朝のようにしか出来ません。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥久しぶりに学びです!😭#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/d9w76l6xYe— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) July 21, 2025 ▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2025.07.28
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藁の火や鰆の芯のやはらかし ハツ・ガツ・ぼんじりツケ払いの朧 深煎りの音や合否待つ春空 歓声の鱶鰭煮おしゃべりな春 蕎麦盆をあてし右肩昭和の日 二度付け禁止衣の軽き春を食む 四月の独酌ボトルに二人の名 幕間にもつ煮掻き込む土用か4月23日のプレバト俳句。今回は名人チームvs特待生チームの団体戦。お題は「行きつけの店」。どの俳句も、おおむね形は出来てますが、それ以前の部分でツッコミどころの多い回です…(^^;◇三宅香帆。深煎りの音や 合否待つ春空今回はこの句がいちばんいいと思うけど、季語が「春空」でいいのかは微妙。たとえ窓際に座ってるとしても、都会の薄暗い純喫茶と見上げる空の映像が、いまいち噛み合わない気がするし、この季語が、晴れやかな空を意味するのか、霞がかった空を意味するのか、読み手としてはイメージしにくいです。たとえば「空」という語を使わず、晴れやかな天候なら「春陽しゅんよう」薄暗い天候なら「春陰しゅんいん」…などの季語にも置き換えられます。なお、作者は「ポタポタ」と言いましたが、それはコーヒーを淹れる音であり、豆を煎る音じゃない。読み手が「深煎りの音」から想像するのは、ボボボという火の音や、バチバチと豆がはじける音です。もしコーヒーを淹れてるなら、サイフォンの音や 合否を待つ春陽とでも書くべきでしょうね。◇蓮見翔。四月の独酌どくしゃく ボトルに二人の名独酌に目刺し ボトルに二人の名(添削後)過去に2人で入れたボトルを独りで飲んでる場面。作者はそうとは言わなかったけど、ほとんどの読み手は、春の失恋や離婚や死別の句…などと解釈するはずです。ちなみに「酌」という語は、日本酒やビールには用いるけれど、焼酎やウイスキーのボトルに用いるのかは微妙な感じ。間違いとまでは言いませんが。その点、添削句のほうは、目刺しを食べながら飲んでる酒と、カウンターの棚に並ぶボトルの酒と、別々のカットの取り合わせと解釈できるので、結果的に「酌」の語を使っても違和感がない。◇ふくらP。藁の火や 鰆さわらの芯のやはらかし一般に食べ物の「芯が硬い」ってのは、野菜や米などに言うことであって、「肉の芯が硬い」「魚の芯が硬い」なんて聞いたことがない。たとえレアで食べるとしても、基本的には焼かなくても柔らかいのだから。ためしにネットで検索してみましたが、「肉の芯が硬い」「魚の芯が硬い」などという表現は、世界中のどこにも見当たりませんでした。◇矢柴俊博。蕎麦盆をあてし右肩 昭和の日蕎麦盆を重ねし肩や 昭和の日(添削後)片手で蕎麦盆を運ぶ様子ですが、「盆を肩に当てる」というのは、ちょっと表現として分かりにくい。完全に過去の句になってるのもいただけない。追記:時制の混乱は招かないので、前段を過去にするのはアリかなと思います。かたや添削句は「盆を重ねる」としてますが、重ねるのは盆の上の蒸籠せいろなのだから、かりに盆を重ねるとすれば後片付けのときでしょ。したがって、蕎麦盆を載せる右肩 昭和の日と書くのが正解でしょうね。◇キスマイ横尾。ハツ・ガツ・ぼんじり ツケ払いの朧おぼろまだデビュー前の貧しかったころ、ツケ払いで焼き鳥を食べていた…との話。しかし、そんなことが可能なのは、ジャニーズ帝国への信用があればこそであり、ふつうの店なら、貧乏な若者なんぞにツケで食わせるわけがない。ほとんどの読み手は、それまでツケで飲み食い出来た人が、失職してそれが出来なくなるのでは?…という将来不安の句と解釈するはずです。追記:あるいは成功者の恍惚とした酩酊句と読めなくもない。◇中田喜子。歓声の鱶鰭ふかひれ煮 おしゃべりな春百人の歓声 春の鱶鰭煮(添削後)鱶鰭に歓声をあげた後でお喋りしてるのか、お喋りの間に鱶鰭が来て歓声をあげたか知らんけど、いずれにせよ原句には時間経過が含まれるし、前段と後段が二物衝撃になってない。かたや添削句のほうは、「鱶鰭煮が出てきたので、百人が歓声をあげた」という因果関係になってるよね。因果関係を回避するなら、百人のお喋り 春の鱶鰭煮とするしかありません。◇梅沢富美男。幕間にもつ煮掻き込む土用かな冬の「モツ煮」と夏の「土用」の季重なり。本人は「土用は四季ごとにある!」とウソぶいて、あたかも冬の句として詠んだように言い繕ったけど、「鰻うなぎは高くて食えなかった」と言ったのだから、梅沢が夏の句として詠んだのは明白です。もしホントに冬の句として詠んだなら、わざわざ「土用」と書く意味がないし、冬の土用にモツ煮を食べる必然性もない。たしかに俳句の形は出来てますが、夏の土用にモツ煮を食った季節はずれを、容認できるかどうかが評価の分かれ目です。◇千原ジュニア。二度付け禁止 衣の軽き春を食む二度付け禁止 春食む衣はふはふと(添削後)じつは内容に乏しい。たんに「春を食む」という比喩を使って、関西の串焼きを説明しただけの句でしかない。ちなみに、表記は「つけ」「付け」「漬け」の3種類あって、そのうち「漬け」は長時間漬け込むことだろうから、わたしは誤字だと思うんだけど…その誤字が関西圏で慣用化してるなら、それをあえてカギカッコつきで使ったほうが、他地域の読み手にはかえって分かりやすいかも。そうでもしないと、「天婦羅をタレに二度つけちゃ駄目なの?」と誤読する人がいるかもしれません。(わたしも一瞬そう解釈しましたから…)▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2026.04.24
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下のツイートで、佐藤二朗が「我慢の限界」と言ってるのは、撮影現場に生じた状況であって、文春の報道じゃない。さすがに、さすがにもうこれ以上は我慢できません。僕は撮影中、何度も「もう我慢の限界だから、このドラマを降板させてほしい。そして全ての事実を公にするべき」と訴えました。もっと早く決断するべきでした。数々の「ほんとうのこと」が、明らかになる日が来ることを、切に祈ります。佐藤二朗— 佐藤二朗 (@actor_satojiro) July 1, 2026では、佐藤二朗は、いったい何が我慢ならなかったのか?考えられるとすれば、1.橋本愛が強いた共演条件2.事前の説明不足のどちらかでしょうね。※以下に訂正記事を書きました。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202607030002/◇その場合、責任を問われるべきなのは、a. 条件を強いた橋本愛b. 事前の説明を怠った橋本愛の事務所c. 事前の説明を怠ったフジテレビd. 事前の説明を怠ったマネージャーe. 融通の効かない自分自身そのいずれかを佐藤は明らかにすべき。そうでないと、いつまでも橋本愛への二次加害は収束しない。◇それとも、佐藤二朗は、あえて怒りの矛先を曖昧にすることで、橋本愛への二次加害を暗に促してるの??芝居の神様のために芝居をやめるのは、健康のために命かけて死ぬのと同じ愚挙。#佐藤二朗https://t.co/g5yWwCEBrB— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) July 3, 2026
2026.07.03
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先日「二句一章」についての考察をしたので、ついでに「三段切れ」についても書いておこうと思います。とはいえ、この話は、結局どちらも同じです(笑)。つまり、助詞を省略することで体言止めに見えてしまった場合、それを「切れ」として解釈するのかどうか、ってこと。体言止めを「切れ」と見なすかどうかで、一句一章が二句一章に見えてしまったり、二句一章が三句一章(三段切れ)に見えてしまったりするのです。◇プレバトに提出された以下の句などは、もしかすると三段切れに見えてしまうかもしれません。秋晴や アリクイさんぽ 三時より夏の駅 冷えた茶の露 本濡らす寒月や 終電灯火 跳ねた粒紅白帽 脱いで焼きたて 林檎パイしかし、実際は、助詞の省略によって体言止めに見えているだけなので、内容的には二句一章(もしくは一句一章)です。秋晴や/アリクイさんぽ(は)三時より夏の駅/冷えた茶の露(が)本(を)濡らす寒月や/終電灯火(が)跳ねた粒紅白帽(を)脱いで焼きたて(の)林檎パイたしかに、助詞を省略すると、体言止めのように見えてしまうことがありますが、ほんとうに体言止めなのかどうかは、あくまで内容から判断しなくてはならない。たとえば、「犬が走る。」を「犬走る。」と省略したとしても、そのことで「犬」を体言止めだと思う人はいないはずだし、まして「犬。走る。」などと句点を打つ人もいないはずです。◇プレバトの句でいうなら、以下の句が、あきらかな三段切れです。黒たまご ほのめく硫黄 冬の風箱の角すみ 亡き犬の毛や 垂しずり雪どちらも上五のあとに助詞の「に」を補えば、二句一章にすることも可能な内容ではあるけど、助詞の「に」を省略できるケースは限られており、これらの句の場合、「に」が省略されているとは読めません。実際、「黒たまご ほのめく」「箱の角 なき犬」と書いた場合、どちらかといえば「が」が省略されているように見えますし、ここへ助詞の「に」を補って読むような人はいないはずです。なので、これらは三段切れ(=三句一章)ととらえる以外にない。◇ちなみに、三段切れとは、(諸説あるかもしれませんが)場面が三つに分かれること、すなわち「三句一章」のことであって、リズムが3つに途切れることではないと思います。夏井先生は、口癖のように、「プツプツプツとリズムが途切れるのが三段切れ」と言いますが、これはあまり本質的な説明だとは思えない。お茶の間向けのバラエティで本質的な説明をする必要もないでしょうが。そもそも、なぜ三段切れを避けるべきなのかといえば、たんに3つの場面を並置しただけになって、取り合わせによる主客場面のコントラストが散漫になるから …です。すなわち、季語=主役を際立たせることが出来なくなるから。たしかに、三段切れは、結果的にリズムを3つに区切ることにもなりますが、それは副次的な問題にすぎない。事実、リズムが3つに区切れているからと言って、かならずしも場面までが三分割されるとは限りません。したがって、三段切れかどうかは、リズムではなく、あくまで内容から判断しなければならない。◇名句のなかにも、一般に「三段切れ」とされているものがありますが、わたしは、これについても疑問を感じています。山口素堂。目には青葉 山ほととぎす 初鰹これなどは、かなり確信犯的で、3つの季語を完全に並置し、どれが主役かも分からないようにしています。しかし、はたしてこれが三場面からなる「三句一章」なのかというと、わたしには、そうは思えません。3つの句点で分断しているのではなく、たんに読点で軽く区切っただけの一連のセリフのように見えるし、結果的には、切れのない「一句一章」に見えます。つまり、「目には青葉、耳にはホトトギス、舌には初鰹だなあ。」という意味なのであって、これをあえて「三段切れ」と言う気にはならない。同じように…(伝)松尾芭蕉。松島や ああ松島や 松島やこれも完全に「一つのセリフ」であって、やっぱり一句一章に見えます。そして、もうひとつ…高浜虚子。初蝶来 何色と問ふ 黄と答ふこれはたしかに3つの句点で区切るべき内容だけど、かといって、三場面に分かれているという感じでもなく、むしろ一つの連続したシーンを、ワンカットの動画で撮っているような印象があります。なので、やはり、わたしには「一句一章」に見えます。◇波多野爽波。チューリップ 花びら 外れかけておりこれを三段切れと思う人もいるようですが、「花びら」の後には助詞の「が」が省略されているのだから、あきらかに体言止めではありませんよね。では、上五の「チューリップ」は体言止めでしょうか?上五をあくまで体言止めだと考えれば、これは二句一章ということになりますが、かりに助詞「の」が省略されているのだと見れば、これは一句一章の一物仕立てということになります。つまり、二句一章ならば、「チューリップだなあ。あ、花びらが外れかけているよ。」となり、一句一章ならば、「チューリップの花びらが外れかけているよ。」となる。この判断はけっこう微妙です。◇助詞の省略は誤読を招く場合もあります。「犬が走る」を「犬走る」と省略しても、誤読の余地はほとんどありませんが、「魚が食べる」を「魚食べる」と省略してしまったら、まちがいなく「魚を食べる」という誤読につながるはずです。前回も書きましたが…与謝蕪村。春の海 終日ひねもすのたりのたりかなこれを二句一章と解釈すれば、「春の海だなあ。私は日がな一日グータラしているよ。」という意味になるし、かたや一句一章と解釈すれば、「春の海が一日中のたりのたりと波打っているよ。」という意味になって、まるで読み方が変わってしまう。つまり、助詞の省略が誤読を招く。◇丘みどり。夏の雲 サイドミラーにひしめきぬこの句も、内容的には一句一章なので、わたしは上五を「夏雲の」に直したほうがいい、と書いたことがあります。ただ、この句の場合は、助詞を省略しているのが明らかだし、誤読の余地もないのだから、このままで問題なし、というべきかもしれません。先の蕪村の句についても、わたしは上五を「春海の」に直したほうがいいと思いましたが、まあ、末尾を「かな」で締める場合は一句一章にするのが原則なのだし、そう考えれば「春の海」のままで問題ないのかもしれません。追記:蕪村や爽波や丘みどりの句は、上五で助詞の「は」を省略しているようにも思えます。ただし、一般の日本語では、「が」を省略することはできても「は」や「も」を省略することは難しい。なぜなら、「犬が走る」を「犬走る」と省略しても主語と述語の関係に変更は生じませんが、「は」や「も」の場合は、主語と述語の関係にプラスアルファの意味が加わっているからです。その一方、日本語の「は」には《題目語》を作る役割があるともされています。有名なのは「象は鼻が長い」という場合の「は」です。はたして日本語のなかに《題目語》などがあるかどうかも分からないし、その場合に「は」を省略できるという話も聞いたことはありませんが、俳句や川柳などに限っていえば、体言止めの上五が、しばしば《題目語》のようにも見えるのですよね。前回もチラッと書きましたが、ビートたけしの「赤信号 みんなで渡れば怖くない」の場合も、体言止めの上五は《題目語》のように見えなくもありません。さらにいうと、芭蕉や子規の、「五月雨をあつめてはやし 最上川」「柿くへば鐘が鳴るなり 法隆寺」なども、《題目語》を下五に置いた倒置法のように見えなくはありません。
2022.09.24
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1ヶ月ちょっと前になりますが、東大の研究者が都道府県別の「縄文度」を発表…というニュースがありました。以下、NHKの解説から抜粋です。従来の研究で現代日本人の多くは遺伝子的に1~2割が縄文人由来、8~9割が渡来人由来とされています。今回東大グループは民間の遺伝子検査を受けた全国1万人のデータの分析などから、住んでいる県別の言わば“縄文度”=縄文人由来の遺伝的変異をどれぐらい多く持っているかを初めて明らかにしました。東北地方や鹿児島など濃い青色の県は縄文度が高く、近畿や四国などオレンジ色は縄文度が低い、逆に言えば渡来系の血が濃い人が多いエリアということになります。この地図には沖縄と北海道が入っていませんが、沖縄は他の県より飛び抜けて縄文度が高く、この色分けに収まらなかったとされます。また北海道はアイヌの人たちはとても縄文度が高いと考えられますが、人口の上では明治以降に各地から移り住んだ人が多くを占めるため特徴がはっきり出ないと言います。また、中国地方で島根だけ濃い青、つまり縄文度が高いと言う結果で、はっきりした理由はわかりませんが、出雲の国はオオクニヌシの国作りの神話などがある地域でもあり、もしかすると古くから縄文系の人たちが多く住む国が実際にあったのかも?など古代史への想像も色々と広がる結果でした。https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/700/480441.htmlこちらが都道府県別の「縄文度」を示した地図。https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2023/8252/◇四国や近畿の「縄文度」の低さは、ヤマト王権が弥生系であることを示していますし、いわゆる神武東征や、四道将軍の動きや、桃太郎伝承の解明にもつながるかもしれません。もちろん、これは邪馬台国論争にも影響する話だと思います。大陸から渡ってきた弥生系の人々は、九州に上陸するよりもまず、まっずぐ瀬戸内海へと入り込んだように見える。追記:東大の発表では「弥生人」でなく「渡来人」と書かれてますが、たぶん「渡来人=弥生人+古墳人」の意味なのでしょうね。三重構造モデルについてはこちら↓https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202504250000/◇一方、縄文人を列島の周縁に追い詰めたのは、大伴旅人や坂上田村麻呂だと思いますが、鎌倉幕府の奥州征伐の影響もあるかもしれません。そう考えると、鹿児島や青森の「縄文度」が高いのは想像がつきますし、そこから海を渡って、沖縄や北海道にまで逃げのびた縄文人もいるのでしょう。あるいは、沖縄や北海道には、はじめから縄文人が先住していたんでしょうか?◇しかし、わたしが、今回の分布図でいちばん興味深いと思ったのは、・東日本では太平洋側のほうが「縄文度」が高い・島根と秋田の「縄文度」が有意に高いってことです。坂上田村麻呂の蝦夷討伐にしろ、源頼朝の奥州征伐にしろ、征夷大将軍が東国へ進出した際に、日本海側の人々の抵抗が弱かったのに対して、太平洋側では、アテルイとか、奥州藤原氏みたいに、頑強な抵抗勢力が多かったんだという気がする。奥州藤原氏は弥生系かもしれませんが、その統治下の人々の多くは縄文系だったのでは?◇かたや、島根と秋田にかんしては、日本海側にありながら有意に「縄文度」が高い。これは第1に、出雲王権が強力な縄文系であった可能性と、第2に、東湖八坂神社の統人行事や、松本清張の「砂の器」や、高橋克彦の「東北=出雲説」が暗示しているとおり、出雲の人々が、国譲りの際に、秋田のほうまで逃げのびた可能性を感じさせます。◇◇◇なお、今回の研究では、縄文人のほうが、遺伝的に身長が低めで太りやすい体質であり、血糖値や中性脂肪が上がりやすいと分かったそうです。弥生人のほうは、ぜんそくなどアレルギーになりやすいそうです。なんとなく、わたしは弥生人っぽい?(笑)とくに母方のほうは。海外では、ホモサピエンスに交わったネアンデルタール人のことも、同様の手法で研究されているそうです。
2023.04.05
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ジャニーズ批判を展開した松尾潔が、山下達郎の会社から契約を切られた件についてです。…結論から先にいうと、この期におよんで達郎を批判するつもりはありません。いまさら言っても仕方のないことだから。ただ、今回の件にかんして、「松尾潔の姿勢を支持する」とだけは言っておきたい。◇◇◇わたしは以前、音楽惑星さんのサイトで、> 1970年代の「日本語ロック論争」は、> ナベプロに反旗を翻した内田裕也と、ナベプロに寝返った松本隆との対立だった。※正確には「寝返った」じゃなくて「やがて寝返ることになる」ですが。…みたいに言ったことがあって、その発言が評論家の栗原裕一郎のTwitterに取り上げられて、ちらっとだけバズったことがあります。先ごろ亡くなった佐藤剛(甲斐バンドの元マネージャー)も、わたしたちの議論に反応を寄せていました。意外とない視点。どなたのブログか存じませんが。「結局さあ、「日本語ロック論争」ってのは、ごく簡単にいうと、「内田裕也はナベプロに反旗をひるがえしたのに、松本隆はまたナベプロに寝返ってるではないか」みたいな話だよね(笑)」内田裕也と日本語ロック論争https://t.co/bBE5cY17mp— 栗原裕一郎 (@y_kurihara) December 19, 2020 最近もこのことについて、考え直しているところでした。管理人 : 中村とうようが考えた「ニューミュージック」というのは、おおむね米国の「フォークロック」に相当するものですね。のちに、ぜんぜん違う意味に変わってしまいますけど(笑)。まいか:それが最大の問題なんだよなあ!(笑) https://t.co/DPlI3jddWQ— 佐藤 剛(sato go) (@gosan5553) December 20, 2020◇旧はっぴいえんどのメンバーを中心とする「日本語ロック派」の人たちが、反権力の姿勢を弱めて、歌謡界との関係を強めていった動きは、おもに作詞家の松本隆を中心におこなわれたのですが、その中でも、山下達郎とジャニーズとの結びつきは、かなり目立つものでした。べつに「歌謡曲が悪だ!」というつもりはないし、わたしもナベプロの音楽は素晴らしかったと思うし、ジャニー喜多川のつくったエンターテイメントも素晴らしかったし、松本隆のつくった歌謡曲も素晴らしいと思うし、大滝詠一がこよなく歌謡曲を愛したのも理解できます。だから、山下達郎が、ジャニー喜多川のエンターテイメントを、宝塚歌劇団と並べながら高く評価していたことについても、(若干胡散臭いとは感じながら)「まあ、そういう考え方もあるかな」と聞き流していました。とはいえ、達郎がジャニーズに提供した楽曲はちっとも面白くなかったし、山下夫妻とジャニーズとの蜜月ぶりも、うっすら醜悪だと感じてはいた。◇アルファムーン/スマイルカンパニーの小杉理宇造が、ジャニー喜多川に出会ったのは、達郎がソロデビューした75~76年のことだそうですが、達郎がとくにジャニーズと結びつきを強めるようになったのは、80~82年ごろのことであり、それは、竹内まりやと結婚する時期にぴったり符合します。1980年竹内まりや「不思議なピーチパイ」にコーラスで参加。1981年近藤真彦「ブルージーンズメモリー」「ギンギラギンにさりげなく」等にコーラスで参加。竹内まりやのアルバム『PORTRAIT』制作に参加。1982年アルファ・ムーンを設立。竹内まりやと結婚。近藤真彦「ハイティーンブギ」を作編曲。達郎は、先日の『関ジャム』のインタビューで、> 80年代に「売れる音楽」を目指すようになったのは、> 自由度の高い音楽作りの可能な環境を手に入れるため。> 金がなければ自由に音楽を作れないから。▶ https://www.cyzo.com/2022/06/post_314074_entry_2.html…という趣旨のことを話していました。しかし、わたしが思うに、達郎が「売れる音楽」を作るようになった最大の理由は、やはり彼が80年代に「家庭をもったから」だろうと思います。そして、現在の達郎がジャニーズと関係を切れないのも、(ちょうどキムタクだけがジャニーズと関係を切れなかったのと同じように)やはり「家庭をもっている」ことが最大の理由だと思う。◇近年のシティポップブームの影響もあり、山下達郎は、世界中の音楽ファンから尊敬を集めていますし、ほかならぬ松尾潔も、折にふれては山下達郎への敬愛を口にしてきたわけだし、わたし自身も、山下達郎が日本で最高水準のミュージシャンだと思ってます。しかしながら、多くの音楽ファンが愛してきた達郎の音楽というのは、ようやく売れはじめた80年代以降の音楽ではなく、むしろ売れてなかったころの70年代の音楽なのです。まして、ジャニーズに提供した「ハイティーンブギ」だの「硝子の少年」だのは、達郎の音楽キャリアにとって、正直どうでもいい代物だと思っている。◇言い換えるならば、山下達郎の音楽がもっともカッコよかったのは、80年代に竹内まりやと組んで以降のものではなく、70年代に大貫妙子や吉田美奈子と組んでいた時期のものであり、結婚して所帯じみた達郎の音楽はかえってつまらなくなった。…ってのが、世界の音楽ファンの、ほぼ共通の認識だろうと思う。達郎自身が、「売れるようになってはじめて本当に作りたいものが作れるようになった」と、本心で思ってるのかは知りませんが、多くの音楽ファンはむしろ、売れてなかったころの達郎のほうが、よほどカッコよかったのに …と思っているわけです。◇皮肉なことに、今回の件で山下達郎のことを擁護しているのは、じつは達郎のことなどよく知らないジャニヲタみたいな人たちばかり。昔ながらのファンは、むしろ今回のような達郎の立場にうんざりしている。それは今に始まったことではないからです。すでにSMAP解散のときにも、竹内まりやと工藤静香とメリー喜多川の蜜月ぶりが報道されていた。先日のNHK-FMの「山下達郎三昧」でも、(ジャニー喜多川の性虐待問題が取り沙汰されている真っ最中だというのに!)露骨なまでに「ジャニーズ推し」の態度を示し、いかにジャニタレの面々と私的に交流しているかを吹聴していました。また、達郎は、かねてからNHKのことを、皮肉を込めて「某国営放送」などと言ってきたわけですが、最近では、その「某国営放送」が、なぜか山下夫妻の作品プロモーションのために、大々的なキャンペーンをおこなうようにもなっていました。その露骨さも、かなり醜悪だったのです。◇◇◇ついに山下達郎は晩節を汚しましたが、それは今に始まったことではなく、80年代に竹内まりやと家庭をもったときから、すでに始まっていたことなのだ、といえます。なので、いまさら達郎がジャニーズ批判をするとは思えないし、まして関係を断ち切るとも思えない。はっきりいえば、山下家は、ジャニーズで飯を食ってきたのであり、一蓮托生なのです。むしろ、現在の達郎の立場は、「ジャニーズとその周辺の仲間たちを守らねばならない」ということなのだろうと思います。◇実際のところ、性犯罪の加害者は死んでいるわけだし、ジャニーズのタレントたちは被害者でもあるわけなので、「ジャニーズ叩き」をすることが絶対的正義とは言えない面もあるし、すべての業界人がジャニーズとの関係を断つべきとも思わないし、今後も山下夫妻がジャニーズと仕事をしたって構わないとは思う。それによって夫妻の晩節が汚れるのだとしても、もはや彼らはジャニーズと一蓮托生なのだから、ある意味では身から出たサビであって当然の帰結なのです。ジャニー喜多川も大いに晩節を汚しましたが、山下達郎が晩節を汚すのも必然的であって避けようがない。◇今回の件は、小山田圭吾が国家に擦り寄って墓穴を掘ったのにも似ているし、キムタクがジャニーズに擦り寄って墓穴を掘ったのにも似ています。しかし、山下達郎の場合は、(いまもなお十分に演奏ができるとはいえ)音楽家としてのピークはとっくの昔の70年代に過ぎているのだし、もう晩節ぐらいは汚したって屁でもないでしょう。それに対して、松尾潔の場合は、まだまだこれから先の音楽人生がありますから、ジャニーズとの関係を断ち切るのが賢明な判断だと思います。実際のところ、松尾潔がスマイルカンパニーを離れるといっても、達郎への尊敬の念というのは変わらないのだろうし、両者の個人的な関係が切れるわけでもない気はします。達郎がジャニーズとの関係を切れない立場にあり、松尾がジャニーズから離れねばならない立場にあることを、お互いに承知した上での、それぞれの身の振り方とも見える。◇わたし自身、作品そのものには罪がないと考える主義なので、今後も達郎の昔の演奏を聴き続けるつもりだし、性犯罪者がプロデュースしたジャニーズの音楽も聴くだろうし、もちろんNHKの松潤大河も見続けるつもりだし、さらには、好みと気分に応じて、ウンコを食わせた小山田圭吾の音楽を聴くこともあろうし、人を殺したフィル・スペクターの音楽だって聴くと思う。◇それに対して、正直、松尾潔の音楽はさほど趣味に合わないので、あまり聴くことがないだろうとは思っています。しかし、だからといって、ジャニーズの性犯罪の問題にメスを入れなくていいという話にはならない。最初にも述べたように、今回の件にかんしていえば、わたしは松尾潔の姿勢を支持します。繰り返しますが、山下夫妻の晩節が汚れたのは当然の報いです。◇◇◇そして、最終的な批判の矛先になるべきは、ジャニーズとその関係企業のガバナンスの問題ですよね。義理人情的な結びつきばかりを重視して、「都合の悪いものは排除する」という内向きの発想が、SMAP解散とジャニーズ帝国崩壊の発端になったわけですが、今回もやはり、「都合の悪いものは排除する」という姿勢を繰り返すことで、またしても企業イメージを悪化させてしまっています。表向きは、社外取締役を迎えるだの、経営体制を見直すだのと言いながら、ちっとも体質が変わっていない。過去の反省から何も学んでいないことが露呈しています。山下達郎&竹内まりやまでが「老害」と見なされはじめた今、いよいよジャニーズ帝国は崩壊するしかないかもしれません。
2023.07.03
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金曜ロードショーで「M:i:III」を観ました。◇考える間もないほどスピーディーな展開で、どんでん返しもアクションも見応えがあったけど…あとから考えてみると、いろいろ分からないことだらけです。そこらへんを自分なりに考察してみました1.なぜマスグレイブはリンジーを救出させたの?まあ、上司ブラッセルの指示だから、マスグレイブは仕方なく従ったのでしょうけど、彼はデイヴィアンと通じてるのだし、リンジーが救出されたら不都合なわけですよね。彼女にラビットフットを盗ませる予定だったはずだし、もしかしたら、彼女は、マスグレイブとデイヴィアンの関係に気づいてる可能性もある。彼女が救出されてしまったら、脳内爆弾で殺せばいいと考えてたのでしょうけど、デイヴィアンと通じてるなら、救出作戦がはじまった時点で、監禁場所を変更させることも出来たはずだし、脳内爆弾なんて回りくどいことをせずとも、ふつうなら救出される前に殺してしまうのでは??2.デイヴィアンをバチカンで拉致させたのは誰?あれはイーサンたちの独断ですよね。マスグレイブはもちろん、ブラッセルでさえそんな指令は出してなかった。だから、ブラッセルはイーサンを捕まえて尋問したのですね。3.チェサピーク湾橋でデイヴィアンを奪還したのは正規軍?戦闘機やヘリコプターなど、かなり大規模な武装組織が出動してましたが、あれって正規軍だったのでしょうか?それとも、ロシアのワグネルみたいな民間の軍事組織とか?でも、米国内で、非正規軍にあんな活動ができるとは思えない。とはいえ、かりに米国の正規軍だったとしても、市民を巻き込んでインフラも破壊する戦闘行為を、国内でやらかすのは異常すぎます。もしも、あれが正規軍だったとしたら、マスグレイブはペンタゴンの手先ってこと?つまり、マスグレイブとデイヴィアンの計画の背後には、中東戦争を目論むペンタゴンの陰謀があった?4.イラク戦争への批判?この映画が公開された2006年、アメリカはイラクと戦争してる最中でした。それは、「イラクに大量破壊兵器がある」との疑惑を口実にした内政干渉と侵攻だった。マスグレイブも、> ラビットフットを中東に売りつけて、> 先制攻撃を仕掛ける口実を作ると話してましたよね。5.どうやってラビットフットを盗んだ?ラビットフットを所有してたのは誰だったんでしょう?高層ビルから飛び降りるのは大変でしたが、そのあとは意外に簡単に盗めましたよね…(^^;あんなに簡単に盗めるなら、わざわざイーサンにやらせなくても、デイヴィアンたちに盗ませればよかったのでは?6.ラビットフットは本物だった?なぜ妻の替え玉を殺した?イーサンたちがせっかくラビットフットを盗み出したのに、デイヴィアンは「本物はどこだ?」と言いがかりをつけて、妻の替え玉の女性を銃殺してしまいました。あのシーンも不可解だったのだけど、英語のWikipediaの解説は次のとおりです。Julia is still alive, and the dead woman is actually Davian's translator, who is used to confirm the authenticity of the Rabbit's Foot. ジュリアはまだ生きており、死んだ女性は実はデイヴィアンの通訳であり、ラビットフットの真正性を確認するために使われた人物である。じゃあ殺さなくていいじゃん!ラビットフットは本物だったんだから!
2024.06.26
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セリコの「告白」のMVを見て、撮影地が気になったので調べてみました。本人作詞による「告白」は、4年前からライブで歌ってた曲で、ようやく今年の10月に音源化され、誕生日に合わせてMVを発表したとのこと。今月の「ひるおび」エンディングテーマです。◇MVは疑似デートみたいな作り。小高い丘の上に灯台が見えたので、てっきり江ノ島周辺かと思いましたが…どうやら横須賀で撮影されてるっぽい。なんでも横須賀美術館が好きなんだとか。◇わたしが確認できたところでは…横須賀美術館の周辺を散策して、そこから京急バスに乗って西へ移動し、横須賀中央で街歩きをして、三笠公園の噴水や、ヴェルニー公園のイルミネーションを眺め、JR田浦駅から東京へ帰るコースなのだと思う。東の横須賀美術館からスタートして、西のJR田浦駅がゴール? ◇まずは横須賀美術館の周辺。丘の上の灯台みたいに見えたのは、観音崎公園にある、東京湾海上交通センターのレーダー塔でした。(観音埼灯台よりもすこし北側にあります)喫茶店「カフェエルム」では、チョコケーキとミルクティーを頼み、美術館の敷地内や海岸を散策したあと、ラビスタ観音崎テラス前から京急バスに乗ってる。観音崎は、三浦半島東端に位置し、東京湾(浦賀水道)に面する。対岸の房総半島富津岬までは約7kmである。付近は「県立観音崎公園」として整備され、観音埼灯台が立地するほか旧日本陸軍が明治10年代から20年代にかけて建設した砲台と弾薬庫跡が多く残る。園内にはこのほか1953年創立の観音崎自然博物館があり、横須賀美術館が2007年に開館した。園内には墓と見られる多くの横穴が崖にみられる。741年、行基がこの地の海蝕洞に住む大蛇を退治して十一面観音(船守観音)を祀ったと伝えられる。https://ja.wikipedia.org/wiki/観音崎観音埼灯台は、日本最古の洋式灯台。初代の設計はレオンス・ヴェルニー等が担当したが、大正時代の地震により2度再建され、現在の灯台は3代目にあたる。https://ja.wikipedia.org/wiki/観音埼灯台横須賀美術館は、神奈川県横須賀市の観音崎公園内にある美術館。横須賀市の市制100周年を記念し、2007年4月28日に開館した。別館として谷内六郎館を併設している。横須賀・三浦半島にゆかりのある作家の作品を中心に約5000点の日本の近現代美術の作品を所蔵している。横須賀線横須賀駅や京急本線横須賀中央駅、馬堀海岸駅より京浜急行バス線が運転されており「ラビスタ観音崎テラス・横須賀美術館前」バス停下車徒歩2分ほど。https://ja.wikipedia.org/wiki/横須賀美術館馬堀海岸から西の大津港まで、海岸に沿って1.7kmの「馬堀海岸遊歩道」があり、沖合の船舶を「シップウォッチング」しながらの散歩、ウォーキング、ジョギングに利用されている。昭和40年代に埋め立てられる以前の海岸線は馬堀海岸駅付近にあり、駅からわずかな距離の海岸は海水浴場としてにぎわった。海岸名の由来はかつて馬を放牧していたとする説、小原台に住み着いた野生の馬が脚で岩を穿ち、そこから清水が湧いたとする説がある。古くは「間堀海岸」、「真堀海岸」とも書き、丘陵の間から見えた景観が堀のように見えたことから「間堀」、美称の接頭語「真」を付して「真堀」と呼ばれたとする説もある。https://ja.wikipedia.org/wiki/馬堀海岸◇横須賀中央では、三笠ビル商店街を歩いてますね。スルガ銀行前のベンチで、ジャズサックス奏者のブロンズ像と座り、LIDRE横須賀の前の横断歩道を渡り、チャンスセンター(宝くじ売り場)の壁にへばりつき、音楽バー「ALL ROUND」の地上にある、からくり時計のうえの黒船を見上げ、横須賀街道(国道16号)では、BAYSIDE BARにへばりついてから、ハニービーのソフトクリームを舐めてます。三笠ビル商店街は、横須賀市大滝町にある商店街共同ビルである。 全長180m程で4階建ての細長い三笠ビルに各店舗等が入居し商店街を形成している。名称は戦艦「三笠」に由来する。名付け親は加藤寛治。https://ja.wikipedia.org/wiki/三笠ビル商店街1968年、米軍横須賀基地の真向かいに開店した「GALLERY HONEYBEE」。スティックドッグ(ホットドッグ)は日本で初めてハニービーで販売されたと言われています。俳優の布施博さんは高校を卒業して直ぐに上京して住み込みで当店で働いていたとお聞きしております。米海軍でも栄養価の高いハンバーガーは勤務時に手軽に食べることができる貴重なメニュー。そのレシピを日米友好の証とさせて頂き、横須賀のご当地グルメとするべく2009年からヨコスカネイビーバーガーの販売が開始されました。そしてアメリカンなハンバーガーを誰よりも知る「ハニービー」は横須賀のどの店よりも早く認定を受けました。https://www.honeybee-yokosuka.com/◇日が沈む前に、三笠公園の噴水の縁に腰かけて、日が沈んだら、ヴェルニー公園のイルミネーションを鑑賞。背景にはメルキュール横須賀とヴェルニータワー。三笠公園は、横須賀新港に面しており、大日本帝国海軍の戦艦「三笠」が保存・公開されている。園内には音楽噴水があり、音楽に合わせて大小さまざまな噴水の上がるショーが1日6回(夏季は7回)1回約15分で行われ、夜にはライトアップもされる。そのほか芝生広場や豪放な壁泉、高さ18メートルのモニュメント、東郷平八郎連合艦隊司令長官の銅像などがある。https://ja.wikipedia.org/wiki/三笠公園ヴェルニー公園は、1946年に開園した「臨海公園」を2001年にフランス式庭園の様式を取り入れてリニューアルオープンした公園である。名称はレオンス・ヴェルニー(François Léonce Verny/1837-1908)に由来する。https://ja.wikipedia.org/wiki/ヴェルニー公園江戸幕府は近代化を進めて、フランスの協力による近代的造兵廠の建設を決定。ヴェルニーは1865年に日本へ派遣された。1868年に戊辰戦争が勃発したため、横浜居留地へ退去するよう指示が出たが、ヴェルニーは「事業中断はできない」として横須賀にとどまった。観音埼灯台、野島埼灯台、品川灯台、城ヶ島灯台の建設にも関わった。https://ja.wikipedia.org/wiki/レオンス・ヴェルニー◇なお、セリコママは横浜育ちで、セリコ自身は調布で育ったっぽいけど、横須賀とどんな関わりがあるのかは分かりません。#芹澤優 #セリコソロ https://t.co/CvFZsRou7i pic.twitter.com/GwvTkjJjoY— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) December 11, 2024 ✨芹澤優✨“大切な楽曲”「告白」が「ひるおび」12月EDに30歳の誕生日にMV公開#芹澤優 #告白 #ひるおび https://t.co/jtWehfMZ1P— MANTANWEB/毎日キレイ (@mantanweb) December 3, 2024
2024.12.06
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春月や鞄の中に鍵がない ぶらんこはよやくだれかのぬいぐるみ 山笑う湯宿のルームキーでかし4月17日のプレバト俳句。お題は「キーホルダー」。◇清水アナ。行く春や 下宿と実家の鍵が鳴る春から鍵が2つに増えたのね。季語が「行く春」なので、GWにはじめて帰省するようにも見える。本来なら愛惜を感じさせる季語だけど、鍵がぶつかり合って鳴る音は楽しげです。中八が惜しいけど、句材の面白さでは名人3人よりも上だった。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥嬉しい!☺️#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/VOIaSAlxKF— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) April 14, 2025◇梅沢富美男。山笑う 湯宿のルームキーでかし現代語の「でかい」は全国共通語ですが、古語の「でかし」(=どいかし)は、もともと関西方言じゃないかって気もする。でも、正確なところはよく分かりません。http://www.asahi.com/area/tokyo/articles/MTW20180806131340001.htmlその点だけがちょっと気になりました。◇千原ジュニア。ぶらんこはよやく だれかのぬいぐるみ掲載決定でしたが、個人的にはボツ。1人の子供の台詞だろうけど、途中に切れがあって二句一章に見えるので、2人の子供の会話のようにも誤読される。前段を子供の台詞にして、後段を大人視点の写生にするなら、「ぶらんこはよやく」誰かの縫いぐるみと二句一章に分ける必然性もあるけど、全体を大人の視点で書けば、ぶらんこの予約は小ちさき縫いぐるみのような一句一章に出来ます。◇キスマイ横尾。春月や 鞄の中に鍵がない春月にひとり 鞄に鍵がない(添削後)中七の「の中」はあきらかに不要。でも、添削句の「ひとり」も、さほど必要な情報だとは思えません。むしろ「春月」だけを詠嘆するほうが鮮やか。森口瑶子が過去に「底」の句を詠んでますが、春月や 鞄の底に鍵がないと書けば、いくぶんか映像的になるし、あるいは、春月や 鞄の鍵は見当たらぬのような、とぼけた独白にする手もある。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2025.04.21
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蒲公英やせーので運ぶ朝礼台 胎動や柔し琥珀のたんぽぽ茶4月24日のプレバト俳句。お題は「たんぽぽ」。◇フルポン村上。蒲公英たんぽぽや せーので運ぶ朝礼台村上にしては型どおりに作ってて、どこにも欠点はありません。時間や場所や人物の情報は何も書いてないけど、下五に「朝礼台」の名詞があるだけで、朝のグラウンドの子供たちの姿が見えてきます。中七の「せーの」は、みりちゃむの御神籤の句から借りたの?◇梅沢富美男。胎動や 柔し 琥珀のたんぽぽ茶胎動の柔し 琥珀のたんぽぽ茶(添削後a)胎動や 柔き琥珀のたんぽぽ茶(添削後b)原句は三段切れ。胎動が柔らかいなら(添削後a)が正解だし、琥珀色が柔らかいなら(添削後b)が正解です。中七・下五のなかで、《琥珀のたんぽぽ茶柔し》の倒置法かもしれないけど、お茶が柔らかいってのも変だし、いずれにしても三段切れは避けるべきでしょう。植物の季語は、花か実かを確認すべきですよね。たんに「梅」と書けば春の花であって夏の実ではない。たんに「林檎」と書けば秋の実であって春の花ではない。※「梅の実」は夏の季語。「林檎の花」は春の季語。たんぽぽは春の花ですが、「たんぽぽ茶」の原料は根っこだし、一年じゅう採れるので季語にはなりにくいと思う。NHK『しあわせは食べて寝て待て』という薬膳ドラマで、《トウモロコシのひげ茶》を自宅で作ってましたが、トウモロコシのひげは実と一緒に採れるので、旬のものとしては秋の季語になるかもしれません。俳句でつかう季語の植物図鑑 [ 「俳句でつかう季語の植物図鑑」編集委員会 ]価格:1,980円(税込、送料無料) (2025/4/25時点) 楽天で購入 ◇清水アナ。雲梯のふもとにたんぽぽみぃつけた前回につづいて中八です。子供のセリフをひらがなで表現してるのに、最初に「雲梯」と漢字で書いたらあまり意味がない。そして、雲梯から着地した瞬間なのだろうけど、雲梯を山に見立てたってことなの??ふつうにいえば、山の裾野は「ふもと」。橋の付け根は「たもと」。雲梯や虹の付け根は「ねもと」ですよね。中継リポートのときに、アナウンサーが「虹のふもと」と言ったら失格でしょ。セリフだけを平仮名にするなら、雲梯を降りて蒲公英「みぃつけた」のように出来るかもしれません。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥才能アリの流れかと思いきや…!😂#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/iYnDy8uBGb— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) April 21, 2025▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2025.04.28
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また「最深日本研究」を見てしまいました。今回はドイツ人女性による算額の研究。NHKプラスの配信はもう終わってます。山形の神社やお寺を取材してましたが、最上流は「もがみ」でなく「さいじょう」と読むのね。あえて《オレらが一番!》みたいな意味を込めてたらしい。https://t.co/XfQaUaV40t pic.twitter.com/g91wL65VPF— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) September 12, 2025算額に描かれた図形問題は、難しすぎて何にも分かりませんでしたが…(^^;◇今回の研究者によれば、イエズス会が西洋数学をもちこんだのに、それが日本で広まらなかったのは、すでに和算の文化があったからだ…との話。でも、さすがに明治以降の近代化は、和算だけじゃ乗り切れなかったんでしょうね…https://t.co/8POWTBdUPI pic.twitter.com/JE7EdMNMld— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) September 12, 2025とはいえ、和算はただの実学ではなく、オタク的なエンタメでもあったらしく、そのようなオタク文化としては、江戸時代から現在にまで続いてるそうです。◇わたしがいちばん興味を惹かれるのは、そのようなオタク文化の成果が、なぜ神社仏閣に奉納されてるの?…ってこと。そもそも、わたしは知らなかったのですが、算額って絵馬なんですね!絵馬は、神社や寺院に祈願するとき、あるいは祈願した願いが叶ってその謝礼をするときに社寺に奉納する、絵が描かれた木製の板である。https://ja.wikipedia.org/wiki/絵馬ふだん神社で目にするのは、手のひらサイズの小さな絵馬だけど、幅3mもあるような巨大な絵馬もあるってこと。◇文殊菩薩や菅原道真など、学問の神様に捧げてるところを見ると、それなりに宗教的な意味合いもあるっぽい。でも、今回の研究者が話してたように、神社仏閣がコミュニティをつなぐ場所だった、…という側面のほうが大きいように感じる。寺子屋もそうだけど、神社仏閣は信仰の場というより、じつは学びの場であり遊びの場だったのでは??ラテン語のスコラ(schola/学校)が、ギリシャ語のスコレー(skhole/余暇)だったみたいに。前月の「最深日本研究」では、観音堂のカルタ厨子を紹介してましたが、あれにも関係する話かもしれません。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202507310000/算額はまだまだあちこちに眠ってる可能性がある。和算の独創性を知る 新潟の復元算額から [ 涌田和芳 ]価格:2,750円(税込、送料無料) (2025/9/12時点) 楽天で購入
2025.09.13
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TBS「Tシャツが乾くまで」第4話を見ました。あいかわらず、不倫と事故の謎を探るサスペンスなのか、妻の喪失を乗り越える再生の物語なのか、あるいは夫の罪悪感についての物語なのか、なかなかテーマは見えてきませんが…咲子(蒼井優)は、未亡人じゃなくサレ妻っぽいので、夫婦の相互理解不全の問題も見えてくる。◇…とはいえ、生方美久の「Tシャツが乾くまで」にも、兵藤るりの「ミッドナイトタクシー」と同じく、背景として《毒母問題》が見え隠れしてます。兵藤の「ミッドナイトタクシー」の場合、主人公の象子(古川琴音)と、実母を包丁で刺した少女(森田想)は、ともに母に捨てられた娘だったのだけど、2人の世界線を分けたのは、「カルシウムが足りてるか足りてないか」…というだけの違いでした。象子:ハンドルではなく包丁を握ってた世界線もきっとあったと思います。それはあなたも同じだと思う。舞: え〜、何でかな?カルシウムのせいかな?pic.twitter.com/MKXvVrvuLh— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) July 31, 2026◇生方の「Tシャツ」の場合も、咲子と樹生(中島歩)には実母との確執がある。どちらも自分のエゴだけを押しつけてくる毒母。咲子は夫の充(松ケン)を家族と思ってたし、樹生も妻のあずさ(夏帆)を家族と思ってたけど…実の母親のことは家族と思ってません。pic.twitter.com/VmpKJDA1fB— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) July 31, 2026だから、咲子は、実母を「母」とか「お母さん」じゃなく、スマホに「中林順子」とフルネームで登録してる。とくに第2話の、絶妙にイライラさせる毒母の留守電は強烈でした。娘を心配するフリをして、自分のエゴだけを押しつけてくるクソみたいな毒母。大丈夫?ご飯は食べてる?眠れてる?お母さんはね、咲子が心配で、ご飯食べれないし寝れないの。充さんのことは忘れなさい。不幸な事故よ、運命のいたずら。仕方ないわ。ね?咲子なら大丈夫。他にいい人いっぱいいる!お母さんが保証する!咲子がうち帰ってきてくれたら、お母さんも嬉しいし、お父さんも…pic.twitter.com/ROmZz315B6— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) July 31, 2026 pic.twitter.com/TqmuFI1d7f— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) July 31, 2026おまえに保証されても意味ねーし!この毒母は、娘が夫の生存をまだ信じてるのに、勝手に義理の息子は死んだと決めつけて、それを内心では好都合と思ってて、なかば娘の不幸を喜んでるわけよね。これが咲子には完全に見え透いてしまう。◇兵藤の「ミッドナイト」でも、象子は実母を家族と思ってませんでした。別れ際に実母が手を握って去ったあと、象子が感じたのはひたすら不快な苛立ち。だから、そのあと、包丁で実母を刺した舞の手を握り、最後は血の繋がらないムリさん(和久井映見)の手を握る、…という結末になってます。つまり、血のつながった実母じゃなく、血のつながらない他人との絆を選んで終わる。象子:何がこうさせたとか、誰のせいとか自分のせいとか、そういうのないと思います。いま、包丁ではなく、たとえば大切な人の手を握ってた世界線も…。舞: 手、握ってもらえませんか?pic.twitter.com/wd7mGTjkw5— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) July 31, 2026pic.twitter.com/eFmwphoMZh— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) July 31, 2026◇ただし…生方の「Tシャツ」では、咲子と樹生の家族観を、充とあずさが裏返す可能性があるのよね…(^^;あずさは施設で育った女性だし、充もそれに近い境遇をもった男性なので、彼らには母親との確執すらなく、そもそも母の存在を知らない可能性が高い。いわば、朝ドラ「風薫る」の直美の立ち位置に近い。そして、ここに、夫婦の相互理解不全が起因してるのかもしれません。充とあずさも家族みたいに親しかった…。
2026.08.01
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韓国戦ということもあって、ナショナリズムを露わにするような反応が、日韓双方ともにありますけど、手放しに日本選手の活躍ぶりを顕彰したり、無根拠に日本の「強さ」を信じようとするのは、最終的には、日本自身にとって命取りな結果をもたらします。6-0という結果だけ見れば、さぞ打撃力で上回ってるかのように思えるんでしょうけど、いっときにだけ打線が集中して爆発してるってことは、普通なら、日本の打撃力が相手を上回ってたことじゃなく、そのときの相手チームの継投策が失敗したことを意味するはずです。つまり、調子の悪いピッチャーが出てくれば打てるけど、そうでないかぎり、日本の打線は打てなかったってことです。実際に試合を見た人なら、今日の最大の勝因は、投球数制限のなかでほぼ完封に近いピッチングをした上原にある、という事は明らかに解るわけで、圧倒的な打線に勝因があったと思う人は、ほとんどいないと思う。相手の継投策が失敗するまで日本は打てなかったし、打てた時でも、着実に球を転がしてランナーを進めていくような、そういう「つなぎ」のバッティングが出来てたとはいいがたい。王監督の采配も結果的には当たったわけだけど、普通に考えたら、かなり理解しがたい選択があったと思う。・・・と、そんな具体的な野球の話はどうでもいいんですが、わたしが言いたいのは、ほーら、やっぱり日本は強いんだ!みたいなことを盛んに喧伝して、日本の選手の活躍を顕彰したり、日本の強さを無根拠に妄信したり、そうやってナショナリズム的感情を満足させている人たちというのは、往々にして、試合そのものをほとんど見ていないということ。試合を見て野球それ自体のことを考えている人たちなら、ほとんど、そういうことは言わないはず。だって、上原の投球を除いたら、日本はべつに圧倒的に強かったわけじゃない。日韓ともに、ナショナリズム的な反応をする人たちというのは、じつは野球そのものには興味がなくて、ほとんどの場合は見てもいない。恐ろしいのは、そういう人たちほど、自国の強さを無根拠に信じようとする傾向が強いこと。冒頭にも述べたとおり、それは、ほかならぬ自国にとって命取りな結果になります。これは次のキューバ戦のことを言っているんじゃありません。というより、これは野球の話じゃなくて、国の歴史の話です。太平洋戦争の日本のボロ負けというのは、妄信的なナショナリストが、自国の強さを無根拠に喧伝することの恐怖をわたしたちに教える歴史です。愛国心に満ちたナショナリストほど、自国の力とその限界を正確に把握しないし、そうしようとも考えない。ただひたすら、自国の力と栄光を信じ続けようとする。アメリカであれ、日本であれ、韓国であれ、そういう人たちこそが、自国を滅ぼす根源になってしまう。わたしは、WBCはとても良い機会だと思う。大切なのは、野球そのものをちゃんと見ること。そして、実際の野球の中身をとおして、ものを考えることだと思います。そうすれば、日韓双方とも、無駄なナショナリズム的な反応は、少しずつなくなっていくと思います。日本の野球が強くなるためには、国民文化として、野球そのもののことをきちんと考えようとする文化が、つよく育っていかなきゃなりません。
2006.03.19
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プレバト俳句。インテリ&東大王3時間SP。「林修の名人認定査定」「プレバトvs東大王 秋の他流試合」という2本立て。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、後半部分の他流試合についての個人的な感想です。お題は「文房具」でした。◇わたしとしては、岡本沙紀の句がいちばん良かったです。シャー芯を ストンと補充 秋高しここで詩情を生み出しているのは、「ストン」という音と、「秋高し」という季語なのですが、その気持ちのよさや清々しさが、うまく響き合っていると思います。でも、それ以上に見事なのは、「シャー芯」と「補充」という表現です。言葉の経済効率がすごくいいですよね。「シャー芯」というだけで、主人公が若者(たぶん中高生)だと分かるし、「補充」というだけで、何かに備えて準備していると分かってしまう。つまり、たった2つの単語だけで、試験前や受講前の中高生だと分かってしまう仕組み。それが分かると、「ストン」という音や、「秋高し」という季語が、たんに気持ちのよさや清々しさだけでなく、青春らしい若々しさとか、自信とか希望まで伝えてきます。◇次。ちょっと違和感を覚えたのが、鶴崎修功の句です。休暇果つ ノートに新規性ひとつ「ノートに新規性ひとつ」は、オリジナリティがあって面白いと思うのですが、「休暇果つ」の意味合いが、いまひとつ分かりません。そもそも、これが季語だとは知らなかったのですが、「夏休み明け」を意味する秋の季語だそうです。わたしが分からないのは、ここでの「休暇」の意味合いです。作者の説明を聞くと、「休暇中なのに発見ができた」という意味ではなく、「休暇中にかろうじて一つ発見ができた」という意味であり、さもなくば、「休暇中なのに一つしか発見できなかった」という意味なのです。つまり、「休暇」とは言いながら、この作者は、ちっとも休んでいないのです。そこにこそ面白さがあるのかもしれませんが、わたしは、むしろ、そこに違和感を覚えます。そもそも、読んだだけでは、「発見できた」と喜んでいるのか、「発見しきれなかった」と悔やんでいるのか、作者の心情が見えてきません。本来なら「休暇果つ」という季語は、これから学業や仕事が始まる季節を表すのでしょうけれど、作者の場合は、まったく逆で、「学業に専念すべき期間が終わった」という意味で使っている。大学院生は(というより日本人は)、そもそも休暇中に休まないという前提があるのかもしれませんが、そうだとしたら、「休暇」という言葉の本来の意味も、「休暇明け」とか「休暇果つ」という言葉の本来の意味も、薄らいでしまうどころか、まったく逆転してしまいます。そのことを肯定的に評価できるのかどうか、それが、わたしには、かなり疑問です。◇鈴木光の句も、ちょっと分かりにくかったです。封筒の刃痕や ボンの月の暈「ボンの月の暈」という表現は素敵だし、いかにもドイツっぽい情景だなと思います。わたしが分からないのは「封筒の刃痕」のほうです。そもそも、わたしには、主人公がドイツにいるのか、日本にいるのかが分からない。作者の説明によると、日本にいて、ドイツを思い出しているのだそうです。つまり、季語をふくむドイツの光景は、現在の映像ではなく、作者の記憶のなかの映像なのです。その時点で、季語の鮮度が一段落ちています。それは、まあいいとして、とにかく作者は、封筒を見てドイツを思い出したらしいのですが、それを思い出させたのは、「封筒の文字」でもなければ、「封筒の色や香り」でもなく、不思議なことに「封筒の刃痕」だというのです。これがわたしには分からない!「刃痕」だけで何かを思い出せるものでしょうか?日本とドイツでは「刃痕」が違うのでしょうか?ハサミで切ろうと、ペーパーナイフで切ろうと、刃痕なんて、さほど変わらない気がしますが。それとも、ドイツで封を切った当時の心境が、なにか特別なものだったのでしょうか?ドイツで悲しい失恋でもして、ぷるぷる震えながら、その封を切ったのでしょうか?あるいは、なにか重大な通知でも受け取ったのでしょうか?よほどの緊張や、不安や、悲しみでもなければ、「刃痕」を見ただけで何かを思い出すなんてことは、そうそう無いだろうと思います。すくなくとも、わたしは、封筒の切り口を見ただけで、「刃痕や!」というほどの感興を覚えたことはありません。むしろ、日本でドイツを思い出しているのではなく、現在、主人公がドイツにいて、たった今、重大な封筒を開けたばかり、と解釈するほうが、「刃痕」のリアリティも強まるし、季語の「月の暈」の鮮度も上がると思います。◇次に、フジモンの句。秋雲に名をつけ 窓に貼る付箋いつものとおり、可愛らしい句ですよね。これを見て難しいなと思ったのは、「窓に貼る付箋」の語順です。「窓に付箋 貼る」ともできるし、「付箋 窓に貼る」ともできますよね。貼られた付箋のことを言うか、付箋を貼っていく行為のことを言うか、それによって語順が変わると思いますし、あるいは、これから貼る付箋のことを言うか、次々に貼られていく付箋のことを言うか、すでに窓に貼られた付箋のことを言うか、それによっても言い方が変わると思います。1枚の付箋なのか、たくさんの付箋なのか、それによっても違ってくるかもしれない。どれが正解か分からないけど、わたしなら「窓に 付箋貼る」としたかも。◇最後に、梅沢富美男の句。暮れてゆく 秋の飴色 セロテープ夏井先生は、この句をたいそう褒めていました。でも、(志らくも言ってたけど)どこに貼られたセロテープなのかを言わないと、ちょっと映像の具体性に乏しいと思いました。わたしとしては、うまく上五のなかに季語を組み込んで、「壁の飴色セロテープ」にしたほうがいいと思います。
2020.09.25
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☆「12鬼月」の由来鬼滅の刃には「十二鬼月」と呼ばれる上位の鬼が登場します。この「鬼月きづき」とは何でしょうか。台湾では、旧暦の7月を「鬼の月」と言うそうです。この場合の「鬼」とは先祖のことですから、台湾の「鬼の月」は、日本でいうところのお盆です。一方、鬼滅に登場する12の「鬼月」というのは、6の「上弦」と6の「下弦」に分かれていて、これは、おそらく月の満ち欠けに関係しています。その場合、6+6=12という数は何を意味するのでしょうか?古代日本の冠位が「12階」だったことに関係するでしょうか?それとも、たんに1年が「12ヵ月」であることに関係するのでしょうか?ちなみに、上弦の月は1年間に12回、下弦の月も1年間に12回、それぞれ夜空に昇るのですから、そこから考えれば、上弦と下弦の合計は24でなければならないはずです。これに対して、上弦6+下弦6=12という鬼月の数には、もっと別の由来と意味合いがあるはずです。月は、太陽とは対極的な意味をもつ天体であり、もともと太陽をはげしく嫌う鬼は、ちょうどドラキュラや狼男と同じように、月にこそ親しい存在なのだと考えられます。しかし、たとえ同じ月であっても、その満ち欠けに比例して太陽の影響を受けています。つまり、望の月(満月)は、太陽光を全面に浴びていますが、朔の月(新月)は、太陽光を完全に遮断しています。そして、上弦の月や下弦の月(半月)は、いわば、半分だけ太陽光を遮断しえている状態です。おそらく、このような太陽との関係が、「鬼月」と呼ばれる鬼の階級にも反映しているのです。◇月の周期は、およそ4週間です。最初の7日間で、朔(新月)から上弦(半月)になり、つぎの7日間で、上弦(半月)から望(満月)になり、つぎの7日間で、望(満月)から下弦(半月)になり、最後の7日間で、下弦(半月)から朔(新月)になります。そして、月初の7日間のうち、1日目は月がまったく隠れている新月ですので、この新月を除いて、上弦より細い月が出ているのは6日間ということになります。同じように、月末の7日間のうち、7日目は月がまったく隠れている新月ですので、この新月を除いて、下弦より細い月が出ているのは6日間ということになります。このように月初と月末の合計12日間に現れる、半月よりも細い6段階の月、すなわち、太陽の光を半分以上遮って闇の割合が上回った月のことを、おそらくは「鬼月」と呼んでいるのです。下位の鬼たちが、いまだに太陽を浴びて膨らんでいる月だとすれば、上位の鬼=鬼月というのは、太陽を拒絶して細くなった鋭い形の月なのであり、上弦と下弦それぞれ6段階の細さの月が、あわせて12の鬼月の階級に対応しているはずなのです。…では、太陽光を完全に遮った「朔=新月」に対応するのは何か?いうまでもなく、それこそが鬼舞辻無惨きぶつじむざんです。◇気象予報士の森田正光は、映画『無限列車編』における魘夢えんむとの戦いのとき、夜空には、下弦から細くなっていく「月齢23」の月が出ていた、と述べたうえで、それを、「1916(大正5)年11月18~19日の夜」と推測しています。これは旧暦でいえば、10月23~24日の夜です。ちなみに月の周期は、厳密にいえば 7×4=28日よりも長く、平均でおよそ29.53日ですから、旧暦において下弦の月が現れるのは、毎月21日ではなく、それより少し後の23日ごろになります。かつては各月の23日に、下弦の月を拝むための「二十三夜講」もおこなわれました。このことから、十二鬼月・下弦の壱である魘夢との戦いは、旧暦でいうところの10月23~24日の夜、下弦よりも細い月のもとで行われた、ということになります。陰暦では、毎月1日(月立ち=ついたち)が新月なので、2日から7日までの6日間に上弦より細い「鬼月」が現れ、15日から16日ごろに満月となり、24日から29日までの6日間に下弦より細い「鬼月」が現れることになります。カレンダー 2026 月暦 文字月表 カレンダー 2026年カレンダー カレンダー 令和8年 壁掛けカレンダー 月の満ち欠け 潮の干満 【金具不使用】価格:1,320円(税込、送料別) (2025/7/19時点) 楽天で購入 ポチッと押すと他のブログも。☆「9柱」の由来鬼の上位にいるのは「12」の鬼月ですが、鬼殺隊の上位にいるのは「9」の柱です。この9という数字は何を意味するのでしょうか?一般に、柱といえば、建物を支える木材であると同時に、神々を数えるときの数詞です。したがって、おそらく鬼殺隊の9柱は、仏教ではなく、日本古来の神道に関連しているはずです。ただし、一口に神道とはいっても、日本の神々はけっして一枚岩ではありません。このうち「9の柱」と言ったときに思い出されるのは、とりわけ出雲の周辺にいた神々です。◇伊勢神宮に代表される神明造は「横長」の建物であり、住吉大社に代表される住吉造は「縦長」の建物なのですが、出雲大社に代表される大社造だけは「正方形」の建物であり、それは3:3:3の「田」の字型に並べられた9本の柱で支えられます。もともと出雲周辺には、これと同じ構造の建築物の遺跡が多く、いわゆる「金輪御造営差図かなわのごぞうえいさしず」に描かれた古代出雲の巨大神殿も、やはり9本の柱で支えられていたと考えられています。かりに9本の柱が出雲の神々であるとするならば、それは大和王権の成立以前から日本列島に存在していたわけです。そして、出雲から大和への「国譲り」の歴史を踏まえれば、それは、鬼を退治した神々というよりも、むしろ大和王権によって退治された神々だったといえます。【中古】 古代出雲大社の復元 失なわれたかたちを求めて/大林組プロジェクトチーム(編者),福山敏男価格:1,331円(税込、送料別) (2025/7/19時点) 楽天で購入 ポチッと押したら他の情報が!☆「鬼舞辻」の由来「鬼舞辻きぶつじ」という姓を文字どおりに解釈すれば、それは鬼たちが舞う東西と南北の通りの交わる場所を意味します。その場所がどこなのか明らかではありませんが、とりあえず思い当たるのは、京都の「二条大宮の辻」です。これは、その名のとおり二条大路と大宮大路がまじわる交差点で、ちょうど平安京大内裏の東南角に位置していて、通称「あわわの辻」とも呼ばれています。藤原常行や安倍晴明は、ここで百鬼夜行に遭遇したといわれているのです。図説 百鬼夜行絵巻をよむ (ふくろうの本/日本の文化) [ 田中 貴子 ]価格:1,980円(税込、送料無料) (2025/7/19時点) 楽天で購入
2020.12.09
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新海誠の映画「君の名は。」には、隕石によってできた糸守湖が描かれます。一般に、「糸守湖のモデルは諏訪湖だ」と言われてきたのですが、新海誠自身は、「最初期のイメージは(長野県小海町にある)松原湖や大月湖」だったと述べていました。昨夜NHKで放送された、「ネーミングバラエティー・日本人のおなまえっ!」を見て、ようやくその謎が解けた気がします。なんと「長野に幻の湖が存在した!」というのです…。◇ときは平安時代。西暦887年、五畿七道の地震によって、北八ヶ岳が山体崩壊を起こし、千曲川がせきとめられた結果、現在の小海町や南牧村あたり一帯が、水深130mもの巨大なダム湖になったというのです。その1年後には一部が決壊して、水深は50mほどに減ったそうですが、それでも、そこには100年以上ものあいだ、幻の湖が存在しつづけたそうです。現在の研究者たちは、この湖のことを「古千曲湖Ⅰ/古相木湖」(または南牧湖/小海湖)と呼んでいるようです。まさに、新海誠のいう「松原湖」は、この巨大湖の名残りなのです!そして、松原湖の周囲には、消えた湖の堆積土砂による広大な平野が残され、人々の暮らしと、水運のもたらす経済が育ったのです。◇話はそれだけではありません!長野は内陸県であるにもかかわらず、「本海野」「海瀬」「小海」「海の口」「海尻」など、海にまつわる地名が多いのですが、それらは、ここに幻の巨大湖が存在した痕跡なのであり、のみならず、「海野」「海瀬」「新海」「新津」などの苗字が多いのも、同じ理由からなのだそうです。…新海?!そうです!森岡浩によれば、もともとは「新開(新しい開墾地)」を意味する苗字に、あとから「海」の字を当てたものだそうですが、これもまた、その幻の湖に関係する苗字だったのです!!◇映画「君の名は。」に出てくる糸守湖は、隕石によって生まれたという設定ですが、実際には、地震による山体崩壊が生んだものがモデルだったのです。そして「新海」という苗字のルーツをたどれば、新海誠が、湖や、雨や、竜など、水にまつわる物語を作りつづけるのは何故なのか、その理由もはっきりと見えてくる気がします。おそらく新海家の一族は、地震で突如生まれた巨大湖のそばで生きた人々なのです。◇(追記)新海誠の娘はFoorinの新津ちせちゃんですが、新海誠も、本名は「新津」なのだそうです。新海家ではなく、新津家だったのですね。むろん「津」とは "港" の意味ですから、これもやはり海(=巨大湖)に関係した苗字です。なお、長野県佐久サク市には「新海神社」があるので、新海という芸名はここに由来するのかもしれません。また、長野県と海とのかかわりでいうと、海人族(ワダツミ)に連なる阿曇氏が穂高神社に祀られている…というのも気になるところです。▶映画「天気の子」を民俗学で読み解くこちらにその他のブログ。◇ついでに余談ですが、松原湖には、畠山重忠にまつわる竜の伝説があります。重忠の母(三浦義明の娘)は、源頼朝に仕えた息子を守るため、松原湖に入水して竜へ身を捧げたとのことです。(もともと彼女自身が竜蛇だったとの説もあり)彼女の墓は、いまは松原湖に水没しており、湖面が下がったときにのみ少し姿を現すそうです。…もともと長野には、諏訪のミシャグジ神 ≒ 建御名方タケミナカタ神を中心に、多くの竜蛇伝承がありますが、一説によれば、口噛み酒(ミサク)もミシャグジ神に関係しているそうです。上述の新海神社が祀っているのも、「興波岐オキハギ」という神様で、これは建御名方の子、もしくは甲賀三郎の子にあたり、いずれにしても蛇神/竜神です。別名を「新開ニイサク」「御佐久地ミサグチ」とも言うらしいので、これまたミシャグジ神に関係しているかもしれません。(追記はここまで)https://t.co/zFI5tXugXo pic.twitter.com/Tn6dlM6ZrT— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 11, 2022 話は変わりますが、番組では、「鬼滅」がらみで、鬼のルーツにも迫っていました。ざっくりいえば、鬼というのは修験者(山伏)なのですね。奈良の都の人々は、紀州沿岸の山地に潜伏する修験者たちを、「鬼」と呼んで恐れたようです。この地域には、「鬼」のつく地名や苗字が多いのです。役小角の弟子だった前鬼・後鬼の子孫も実在します。実際、修験の人々は、日に焼けた異形の赤ら顔で、目は爛々と輝いて野性味にあふれ、超人的な身体能力を持ってましたから、しばしば「鬼」「天狗」などと思われたのでしょうね。しかも、金属や水についての高度な知識をもっていたし、朝廷の権力さえ脅かす対抗勢力だったかもしれません。中央政権に統合しきれない鬼たちは、討伐(鬼退治)の対象になっていったのでしょうし、平安朝の嵯峨天皇は、紀伊の修験者たちを統合するためにこそ、空海の密教を利用したのかもしれませんよね。
2021.02.26
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銀色夏生の「かなしいことり」は、斉藤由貴の歌った名曲として知る人ぞ知る存在だったし、銀色夏生のファンからも、大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」に並ぶ、彼女のつくった名作と認知されてはいましたが、あくまでもアルバムのなかの1曲であって、いわゆるシングルヒットではなかったので、当時の歌番組でさかんに披露されたわけでもなく、世間的な知名度はおのずから限られていました。◇しかし、今回、萌音がカバーしたことで、この曲は、まさに名実ともにスタンダードになっていく。リアルタイムの世代よりも、むしろ若い世代に知られる曲として羽ばたくことになる。萌音が《小鳥》にかんする曲を歌うのは、大橋トリオの作った「Little Birds」に続いて二度目ですが、彼女が選曲コメント動画で見せたパタパタ羽ばたくしぐさは、この楽曲の新たな巣立ちを予言していたのかもしれません。数十年ものあいだ偏愛していた曲が、こんなふうに飛び立っていく瞬間を目の当たりにするのは、個人の人生の音楽体験のなかでも稀だろうし、すくなくとも、わたし自身にとっては初めてのこと。由貴ちゃんや、銀色夏生や、武部聡志は、そして、この曲の制作にかかわった人たち(長岡・市村)は、未来にこんな幸福な運命が来るのを想像できていただろうか。たとえプロの音楽家でも、これほどまで劇的に「曲が育つ」ということを、そうそう経験できるものではないだろうと思います。◇萌音の歌声についても、清塚信也のピアノについても、ちょっとまだ形容すべき言葉が見当たりません。今回のカバーアルバムは、2枚組の全21曲なのだけど、最初に聴いてしまった「かなしいことり」があまりにも素晴らしすぎて、なかなか先へ進めません。先行公開された楽曲も、軒並みクオリティが高かったので、それが全部で21曲もあるのかと思うと、容易に聴き流せなくて、ほとんど途方に暮れますね。普通なら、カバーアルバムなんて、さらっと聴いて「はい、なるほどね!」で終わるものだけど、これほどの曲数でありながら、こんな密度の濃いカバーアルバムになるとは想像もせず、むしろオリジナル作品以上の重みさえ感じて驚いている。ぜんぶ聴き終わるまでに、だいぶ時間がかかりそうです。萌音の字は、なぜか由貴ちゃんの書く字によく似てる。パタパタの予言。7/2追記。この曲の主人公が、なぜ自分たちのことを「ことり」と呼ぶのか、じつは、よく分かりません。しかし、武部聡志のオリジナルアレンジでも、89年の『balance』の長谷川智樹のアレンジでも、「朝の海辺」と「小鳥」の両方をサウンドで表現しています。基本的には「朝の海辺」の映像を軸にしながら、そこに、どこか小鳥っぽい要素を加えている感じです。(由貴ちゃんの『poetic live』の冒頭には、小鳥たちの朝のさえずりが聞こえます)2010年のコトリンゴのバージョンでは、波がさざめく様子をピアノで描いていて、今年の由貴ちゃんの『水響曲』のリアレンジでも、ハープを使って海岸の印象を出しているので、どちらかといえば《海》の印象のほうが強いかもしれません。今回の萌音バージョンも、やはり《すずしい夜明けの青い海辺》は見えてくるのですが、同時に、清塚信也の右手のアドリブの遊びは、実際の《小鳥のさえずり》を表現しているようです。きらきら光る静かな海に立っているようでもあり、じつは、すでに家に戻った主人公が、明るい日差しの部屋で小鳥に話しかけながら、朝の別れのシーンを寂しく回想してるようにも見える。歌曲風に演奏してることもあって、ちょっと室内っぽい印象が出てるのかもしれません。そこらへんの聴き比べをすると面白い。なお、この曲の歌詞については、「二股の恋人の片方と別れた」と考える解釈Aと、「親友に告コクられたけどフった」と考える解釈Bがありえますが、由貴ちゃんは、おそらくAの解釈で歌っていました。(だからこそ罪深い内容の歌詞として注目されてきました)そのことは萌音自身も理解しているはずだけど、なんとなく今回の萌音の歌声を聴くと、Bの解釈で歌ってるようにも聞こえます。▷ 斉藤由貴×銀色夏生「かなしいことり」について
2021.06.23
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NHK「ブラタモリ」の境港・米子編を見ました。水木しげるの生誕100周年にちなんで、鳥取県の境港市にスポットライトを当てていました。この土地は、現在は「弓ヶ浜半島」(=鳥取の尻尾)の一部になってますが、もともとは砂洲で出来た島だったらしい。その名も、なんと夜見島よみのしま!今から1200年ぐらい前、つまり、奈良の終わりから平安の初めごろに、砂洲が拡大して米子地域と陸続きになったのです。弓ヶ浜という名前も、「砂浜の形が弓のようだから」と思われがちですが、その別名は「夜見ヶ浜」です。夜見の語源は、いうまでもなく「黄泉よみ」。というよりも、古代日本語の「ヨミ(黄泉)」が、もともと「夜見」「闇」から転じていると言うべきかもしれません。ちなみに、弓ヶ浜半島は、島根半島の側とは繋がっておらず、幅200~600mほどの「境水道」が鳥取と島根の県境になっています。水木しげるも漫画に描いていましたが、この境水道の南側と北側とでは地形がまったく違います。弓ヶ浜半島が低く平らな土地であるのに対して、島根半島は急峻な山地です。弓ヶ浜半島。境水道を挟んで島根半島の東端部分に向かい合っている。1.国引き神話もともと島根半島の周辺は、神話の世界ですよね。半島の西の付け根には出雲大社があり、海へ突き出した部分には、日御碕神社、佐太神社、美保神社が並んでいる。今回の番組も、まさに「国引き神話」を彷彿とさせる内容でした。…まずは、島根半島の成り立ち。今から2000万年前に、日本列島となる部分がユーラシア大陸から離れ、さらに1500万年前に、フィリピン海プレートの沈み込みによって日本列島全体が隆起。その後のさらなる圧迫により、島根の沖合で断層が隆起し、これが島根半島の原型になったらしい。たぶん最初は島だったのでしょう。…かたや、出雲国風土記に書かれてある「国引き神話」では、八束水臣津野ヤツカミズオミツヌという神さまが、朝鮮半島と、隠岐の島と、能登半島のそれぞれから、あまった土地を綱で引っ張ってきて 現在の島根半島を作ったのだとされています。http://www.route54-shinwa.gr.jp/prof/p_his.htmhttps://www.mapple.net/articles/bk/18942/実際、島根半島から見ると、西側200kmあまりに朝鮮半島があり、正面の50kmほど沖合に隠岐の島があり、東側200kmあまりに能登半島があります。半島の付け根にある三瓶山と大山に縄をくくりつけ、ものすごい怪力で、三方から土地を引き寄せたのですっ!2.漂着する砂~神々と妖怪すでに現在の島根半島は、出雲と松江の2箇所で砂洲が繋がり、本州と陸続きになっています。前述のとおり、境港の砂洲も幅200mのところまで迫っている。番組のなかでも解説されていましたが、島根半島が本州と砂洲で繋がる原理は、離岸堤が海岸と陸繋砂州(トンボロ)で繋がる原理と同じ。つまり、海流が内側に回り込んで砂が堆積するのです。追記:こちらに訂正記事を書きました↓https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202604010000/事実、米子市の皆生温泉地区にある離岸堤とトンボロの形が、現在の島根半島の形にそっくりでした!西側の砂洲が出雲、中央の砂洲が松江、東側の砂洲が境港。ちなみに砂洲の根元部分にあるのが三瓶山(西側)と大山(東側)。◇しかし、この土地に流れ着いたのは砂だけではないはずです。神さまが土地ごと綱で引っ張ってきたというのは、さすがに神話的なファンタジーだと思いますが、たとえば朝鮮半島や隠岐の島や能登半島からは、海流に乗って漂流民が流れ着いたのかもしれません。また、ご承知のとおり、西側の出雲(稲佐の浜)には列島の神々が流れ着くのだし、東側の境港(水木しげるの故郷)には妖怪たちが流れ着くのですよね。島根半島の東端にある美保神社は事代主神を祀っていますが、それも漂流の神であるヱビス神の別名なのであり、ある種の妖怪というべきヒルコ神の別名でもあります。3.松江の小泉八雲現在の境港市はかつて「夜見島よみのしま」だったのですが、一般に「黄泉の国」があると考えられているのは、むしろ松江市ですね。それこそ『岸辺露伴』の六壁坂の話じゃありませんが、松江市の揖夜いふや神社にほどちかい黄泉平坂(=平境ヒラサカイ)こそが、黄泉の国との「境界」なのであり、そこを黄泉醜女という妖怪が追ってくるのです。小泉八雲も、松江市でこそ多くの怪談話を収集しました。おそらく「夜見島」が陸続きになる以前は、松江の砂州にこそ多くの神々や妖怪たちが漂着したのでしょう。ちなみに松江市の神魂かもす神社は、出雲国造家の起源だとされています。砂州の北端にあたる大橋川沿いの石屋古墳では、最古の埴輪も発見されています。砂州の南端には、かつての出雲国庁があり、勾玉造りの拠点もありました。トンボロ形成の原理から考えれば、おそらく最初に中央の松江地域の砂洲が作られ、その次に西側の出雲地域の砂洲が作られ、(宍道湖の誕生は約1万年前だとされています)最後に東側の境港の砂洲ができたのではないでしょうか。それにともなって、大社おおやしろの立地が、松江から出雲へ移転したのかもしれません。 ⇒ 「歴史探偵」出雲の回でもこれに関連する話題が出ていました。先の神話によれば、神さまが島根半島を引き寄せる際、三瓶山にくくりつけた綱が出雲の砂洲になり、大山にくくりつけた綱が境港の砂洲になったとされています。おそらく神話的な記憶のなかにも、それらの土地が新しいものだという知見は残っていたのでしょう。◇ところで、こうした砂洲はあくまで黄泉の国との《境界》でしかありません。はたして「黄泉の国」そのものはどこにあるのでしょうか?それは、神々や妖怪たちを運んでくる日本海であり、あるいは、隆起した島根半島全体を覆っている森でしょう。とりわけ島根半島の中央部分は「闇見くらみ」と呼ばれています。古代の神さまが隠岐の島から土地を引いてきたという部分です。その突端には、小泉八雲や水木しげるも訪れたという加賀の潜戸かかのくけどがあります。日本列島に「浦島太郎(山幸彦と海幸彦)」や「かぐや姫(竹取物語)」などを伝えた、いわゆる海人ワダツミ族の聖地だとされています。きっと彼らこそが黄泉の国の住人だったのでしょう。
2022.08.29
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Eテレの「すイエんサー」が終了。女の子のための理科番組って感じで、コンセプトが面白かったし、子供だったら真似したくなる実験をやってました。14年間も続いたってことで、番組の視聴者のなかには、ほんとにリケジョになった人もいるでしょうねえ。◇最後の「知力の格闘技」は、すいチームがエリート大学チームに勝ってましたが、まぐれ当たりじゃなく、安定的な実力で圧勝してる感じが凄かったです。前にも書いた奥森皐月とか、由貴ちゃんのミスマガの後輩にあたる豊田ルナとかが、(↑この人はなんとなく若いころの薬師丸ひろ子に似てます)このチームにいたけど、やっぱり頭よさそうなのよね。◇過去のすイガールには、清野菜名とか、福原遥もいたとのこと。ちなみに「すイエんサー」って、「サイエンス」のアナグラムだったことを、いまになって、はじめて知りました(笑)。奥森皐月と豊田ルナ。向かい風に負けず飛行機を飛ばそうとする福原遥。隣はガッテンの山根千佳。すでに舞いあがろうとしてる。
2023.04.02
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NHKの夜ドラ「おとなりに銀河」最終回を見ました。途中参戦で、しかも飛び飛びの視聴でしたが(笑)、NHKの公式サイトに各週のダイジェストがあったので、おおむね内容は把握できました。…前半は、可愛いムズキュンのラブストーリー。漫画家を目指す主人公のSFだったので、ちょっと桑原亮子の「カノブツ」っぽいなと思いました。あちらは浦島太郎的な話でしたが、こちらは竹取物語的な話。そして後半は、島の姫君という特権的な立場を捨てて、普通の女子として生きる道を選ぶという、いわば小室眞子さん的な物語でした。◇お姫さまの自立というのは、「子の親離れ・島離れ」という面もあるけれど、むしろ、それ以上に、「親の子離れ」「島民の姫離れ」という面のほうが強い。親の愛も、島民の愛も、じつはエゴであり、依存であり、呪縛なのですよね。子ども=姫は、その親や故郷の呪縛から逃れるために、傷つけたくもない人まで傷つけながら、膨大な時間とエネルギーを費やさなければならない。自立する以前に、それだけで疲弊しかねないくらい、背中を押してくれる親と、足を引っ張る親とでは、子供の人生にとって雲泥の差があるし、故郷のしがらみも、同じように自立の足枷になる。愛という名の依存。これは非常に厄介なのです。その正体は、エゴの押しつけ。本人にとっては不要なものをあてがわれ、背負わされる。◇今回のドラマを見て、親の依存と、島民の依存は、本質的に同じものだと分かりました。さらに、皇室に対する日本国民の依存も、これと同じものなのだと理解しました。◇主演の八木莉可子は、眉毛が濃くて個性的な顔立ちだけど、それがゆるキャラ的に可愛く見えてくるのが面白い。そこはかとない"平安っぽさ"も漂うので、朝ドラ「舞いあがれ」では短歌女子を演じてましたが、かぐや姫とか清少納言みたいな役が似合いますよね。滋賀県出身とのことだけど、もしかして古代近江宮の貴族の血筋なのでは?(笑)奈良時代の藤原氏の家伝には、「近江国は宇宙に名の有る地なり」とあるそうで、流れ星の落ちた「喚姫よび島」は琵琶湖にあるのかも。
2023.06.02
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藤原竜也×広瀬アリス「全領域異常解決室」第5話。豊玉妃花(福本莉子)はゼンケツのメンバーでした。やっぱり興玉も芹田も豊玉も超能力者だった。そこに今回、千里眼の少女が加わった形?つまり、ゼンケツは超能力者の集団なのね。ちょっと「幻魔大戦」とか「七瀬ふたたび」っぽい!そして、超能力者は《神の生まれ変わり》であると。3人が唱えた「事戸を渡す」ってのは意味不明ですが、此岸と彼岸を分離することで、乗り移った邪神に引導を渡す呪文なのかもしれません。要は、除霊ですね。◇それにしても、興玉は、「武力行使に備えた戦闘要員の派遣」を要請したはずなのに…現れたのは豊玉妃花ひとりだけww彼女ひとりで武力行使にも対応できるわけね!これまでの事件現場では、いったい何をしてたのかしら?そのへんは次回以降に明かされるのかな?◇興玉や芹田や豊玉だけじゃなく、きっと宇喜之(小日向文世)も超能力者なのでしょう。そして、たぶん雨野(広瀬アリス)も、本人はまだ自覚してないけれど、アメノウズメの生まれ変わりなのだと思います。彼女が踊れば、岩戸隠れのアマテラスが現れるのは、ほぼ確実w最後は、アマテラスとヒルコの対決になる?!◇ただし、アマテラスやヒルコが人間の姿だとは限らない。とくにヒルコは異形の神なので、人間じゃない可能性も十分にありえるし、最後まで姿を現さないってこともありえます。その一方、一般的にはヒルコ=エビス様だとする説が有力なので、案外、蛭子能収がキャスティングされるかもw俺の頭から、虹🌈 pic.twitter.com/U6yGxRb1oG— 蛭子能収(YoshikazuEbisu) (@ebisu_jp) August 13, 2020 ◇千里眼の能力をもつ生嶋未琴ちゃんは、市寸島比売イチキシマヒメの生まれ変わりだったのですが、神話的にいうと、イチキシマヒメはアマテラスの娘にあたるので、もしかしたら、生嶋未智(星野真里)がアマテラスの可能性もある!◇さらには、荒波警部がアラハバキの生まれ変わりだとか、直毘審議官がナホビ神の生まれ変わりだとか、そういう可能性も捨てきれません。このドラマでは、豊玉姫は「竜」じゃなくて「鮫」という解釈なので、荒波の娘が豊玉って可能性は弱まったけど、荒波や直毘がふつうの人間だとは言いきれない…。◇ちなみに、このドラマの設定は、わたしの「鬼滅の刃」の解釈にとても似てます!!以前の記事に書いたとおり↓https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202011030001/https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202012090000/わたしは「鬼滅」の鬼がヒルコじゃないかと思ってるし、9人の柱は出雲系の国津神じゃないかと思ってるからです。そこから考えると、今回のドラマは、まるで「鬼滅の刃」の現代版のように見えてくる。◇なお、イチキシマヒメについては、以前、江の島のことを調べたときに出てきました。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202407120000/宗像三女神の一柱であり、仏教でいうと弁才天/弁財天に相当する。芸能と金運の神ですね。でも、予知能力の神だとは知りませんでした。【エントリ&2個でP5倍!! 3個で10倍!!11日1:59まで】NHK少年ドラマシリーズ 七瀬ふたたび(新価格)DVD 全3枚 楽天で購入
2024.11.07
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日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」が終了。けっこうリアルで残酷な結末でした。◇ひととおりの伏線は回収されて、答え合わせも出来たけれど、期待したような劇的かつ感動的な展開じゃない。玲央の借金問題などは、解決したともしてないともいえる漠然とした結末。◇賢将が持っていたフィルムは、インチキ映画屋が撮ったものとは別のものだった?その映像も、ニューシネマパラダイスみたいに、感動を呼び起こすほどのものではなく、最後は、鉄平の作ったギヤマンが《ダイヤモンド》になる!…のかと思いきや、それが朝子に届くこともありませんでした。結局のところ、《ダイヤモンド》というのは、石炭のもととなる植物や、端島に暮らした人間をふくめ、《かつてそこに生きた者たち》の比喩なのでしょうね。◇いちばん感動的だったのは、端島を背景にしたコスモス畑だったものの、鉄平にとっては、端島で暮らした日々よりも、端島から逃亡した後の日々のほうが、はるかに重くて過酷な時間だったはずだし、その悲しすぎる数十年の生活は、この2時間SPで描ききれるほど軽いものじゃない。かりに、晩年に実名で活動できる時期があったなら、ハルや賢将と再会する機会があってもよかったのに、…という思いも残る。◇もうひとつ、わたしが引っ掛かったのは、ハルは嫁のリナと仲良く暮らせたのかしら?…ってこと。孫の母親には違いないし、ほかに身寄りがないのだから仕方ないけど、あの《ヤクザがらみの女》のせいで、荒木家は滅茶苦茶にされてしまったわけで、ハルの立場からすれば、あの嫁は憎んでも憎み切れないのでは?まあ、いちばんの元凶は、ヤクザの金と拳銃を盗んだリナの元カレだけどね。◇池ヶ谷家の場合は、玲央というヤクザ者が来たおかげで、家族の絆が取り戻せたともいえるけれど、荒木家にとっては、リナの存在が疫病神でしかなかった。労使という軸で見た場合も、炭鉱長の息子である賢将の一族は繁栄して、悲惨な被爆家族だった百合子ですら、賢将と結婚したことで幸福になれたのに、炭鉱員であった荒木家の破滅は、あまりにも悲惨すぎて救いようがない。リナの息子である澤田が、頭をついて朝子に謝罪したのは、ノートを隠したこと以上に、母親の罪を背負ったがゆえだと思います。◇なぜ野木亜紀子は、長崎の端島の歴史を描くにあたって、福岡のヤクザを絡ませたのでしょうね。何かしらモデルっぽいものがあるのかもしれないし、たんなるフィクションでは片付かない理由があるのかも。現代パートで、歌舞伎町の売掛ホストの問題を取り上げたのと同じく、過去パートで、福岡のヤクザの問題を取り上げたことにも、何かしら社会的な意図があるんじゃないかって気はする。◇わたしは、端島の歴史を描く際に、朝鮮人や中国人の問題を避けられないと考えたわけですが、それと同じことが福岡のヤクザにも言えるのかもしれない。つまり、八幡製鉄と九州北部の炭鉱をひっくるめた、大きな産業構造の全体のなかに、朝鮮人の問題もヤクザの問題も含まれるのだろう、…ってことです。それは、ちょうど、一昨年のフジテレビの「エルピス」が、麻生財閥の問題をほのめかしたことにも通じ合う。◇そして、今回の物語は、池ヶ谷家だけを見ればハッピーエンドに見えるけど、荒木家のようなバッドエンドの家族もたくさんいただろう、…ということなのでしょうね。軍艦島に耳を澄ませば増補改訂版 端島に強制連行された朝鮮人・中国人の記録 [ 長崎在日朝鮮人の人権を守る会 ] 楽天で購入
2024.12.23
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元彼からLINE小春の朝マック 口元に君からポテト春隣 君待ちてポテトしなしな息白く 塾帰りかじかむ指に油染む 母が練る遠足風の冬休み カフェラテとポテトで粘る冬の夜 キーを打つ炬燵ポテトは箸で食ぶ 寒暁の梅田ポテト突く烏1月30日のプレバト俳句。お題は「マックフライポテト」。◇かたせ梨乃。元彼からLINE 小春の朝マックずいぶん若々しい句だね!娘がいるわけでもないし、本人が主人公だもんね。67才でこれを詠むとはアッパレです!◇湘南乃風 HAN-KUN。口元に君からポテト 春隣口元へポテト 春隣の君と(添削後)季語は「春も隣 ≒ 君も隣」みたいな洒落。添削句のほうは、1.私が君の口元へ2.君が私の口元へ3.自分で自分の口元へ…と3通りの読みが可能ですが、どう解釈しても幸せってことですね。◇すゑひろがりず南條。君待ちてポテトしなしな 息白く息白く君待つ ポテトしなしなに(添削後)添削句は、9・8で句またがりなのだろうけど、動詞「待つ」が連体形に見えるので、その結果「ポテト」の擬人化に見えます。その場合は、息白く 君待つポテトしなしなにという5・12の二句一章になり、前段の主語が「私」で、後段の主語が「ポテト」になります。明瞭に書けば、しなしなのポテト 君待つ息白しのようになりますが、因果関係が見えてしまいますね。◇山崎怜奈。塾帰り かじかむ指に油染む塾帰りのポテト悴みつつつまむ(添削後)原句は情報不足で、何の油が染みてるか分からないので、「ポテト」を加えて「油染む」を省き、あとは形を整えるだけです。とはいえ、2つの動詞「悴む」と「つまむ」を、《順接》で繋ぐべきか(⇒悴むのでつまむ)《逆説》で繋ぐべきか(⇒悴むのにつまむ)《並行》で繋ぐべきか(⇒悴みつつつまむ)…これを吟味しなければなりません。先生は《並行》で繋いでますが、わたしは《逆説》で繋ぐべきだと思う。だとすれば、悴めどポテトはつまむ塾帰りのようになります。◇秋元真夏。母が練る遠足風の冬休み居間にレジャーシート ポテト気分の冬休み(添削後)原句は、どんな場面なのか見えないし、屋内か屋外かも不明。まず《冬休みを練る》が不可解なのですが、作者によれば、手で「練る」という体の動作じゃなく、アイディアを「練る」という内面的な意味。その時点で映像的な写生句になってない。かりに、春の季語「遠足」を用いて、《冬休みに春の遠足気分を楽しむ》という写生句にするとしても、それはそれでハードルが高いと思う。ためしに季重なりのまま、暖房の部屋や 遠足ごっこの子としてみました。◇梅沢富美男。キーを打つ炬燵 ポテトは箸で食ぶ箸で食ぶポテトや キーを打つ炬燵(添削後)蓮見翔。カフェラテとポテトで粘る冬の夜カフェラテとポテトで粘りゐる寒夜(添削後)どちらも面白いけど、たんなる写生句ではなく滑稽句であり、川柳のような味わい。そして、どちらの句も、助詞「で」を使って手段の説明をしてる。梅沢の句を写生的に書くなら、「箸にポテトを挟む」のように出来ますが、箸を使うことの滑稽味を語るなら、手段の助詞「で」を用いるしかない。語順は原句のままでいいと思うけど、添削句のように直すなら、連体形を「食ぶる」もしくは「食ふ」としなければ、文法的に間違いです。蓮見の句も写生的に書くなら、「カフェラテとポテトだけの夜」のように出来ますが、それを使って居座ることの滑稽味を語るなら、手段の助詞「で」を用いるしかない。動詞の「粘る」は、秋元真夏の「練る」と同じく、身体的な動作の写生ではなく、内面的な心理をあらわす動詞です。写生句でないとして否定するか、川柳っぽい滑稽句として肯定するか、そこが評価の分かれ目かもしれません。◇清水アナ。寒暁かんぎょうの梅田 ポテト突つつく烏先週につづいて「寒暁」の句。減点法でいえば、とくに直すべきところは見当たらない。強いていえば8・9の調べが悪いことかな。ただし、ゴミだらけの都会の朝の描写としては、さほど驚くような場面じゃないし、詩情喚起力やオリジナリティは平凡かも。わたしは梅田の街を知りませんが、梅田だけに特有の情景でもないとすれば、あえて地名の情報は不要かもしれません。地名を特定せずに、寒暁の烏ポテトを突く路地烏群れポテト突けり 冬の朝のようにも出来ます。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥欲張りがちなので時には引き算も大事!🥹#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/QieebQ4tPk— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) January 27, 2025▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2025.02.03
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佐藤二朗×橋本愛「夫婦デカ」が終了。真犯人は大方の予想どおり晋吾(矢本悠馬)でした。サブタイトルで真犯人をバラしちゃ駄目でしょ!…とは思うけど、それを差し引いてもスゴい内容だったと思う。秋元の企画ドラマとはいえ、すでに向田賞を獲ってる脚本家とあって、終盤の展開はさすがでした。最後は、アメリカンドッグのネタから、バツ3女の結婚式&散弾銃まで、なにもかも綺麗に回収してましたね…(^^;これ完全にNGよねw佐藤二朗笑ってるじゃんww◇しかし、形のうえではコミカルなハッピーエンドでも、これって、やっぱり悲劇なのよね…。四方田にも、四方田の娘にも、仇を討ちたい憎悪の感情があったわけだし、それをすべて晋吾が背負ってしまったのだから。彼の供述しだいでは、四方田の娘に殺人教唆の実刑が下る可能性もあった。◇晋吾の行為は正義なのか?不正義なのか?…という激しいやり取りがあったけれど、晋吾にとっての正義は、たんに「復讐をする正義」ではなく、「復讐の連鎖を引き受ける正義」でした。だから、喜多村の父にもスマホをつないだ。しかし、四方田は「それは正義ではない!」と言う。犯罪者と被害者を増やすだけだから。これは理屈じゃ割り切れない感情だし、法はあくまでも制度であって正義じゃないし、やり場のない被害者感情をエグった内容で、ずっしりと重いものが残りました。◇わたしは最後まで、晋吾が消しゴムのマッチングシステムを、AIによって自動化したのでは?と予想したけれど…そこまでの話にはなってませんでした。先週の放送を見て以来、ずっとその危険性を考えてたのよね…(^^;現実的にもありえない話じゃないし。まあ、先日の阿部慎之助の件があったせいで、「AIが思わぬところへ繋いでしまった!!」「そんなことで逮捕されるの??」…みたいなことに妙なリアリティを感じてたのもある。◇先週の四方田の娘の逮捕についていうと…法的に考えた場合、実行犯との関係が不明な状態で、ただちに殺人教唆容疑は成立しないのだけど、任意で事情を聴くことは当然あるし、逃亡の恐れがあれば逮捕もありえますよね。逮捕=有罪じゃないし、現在の司法なら無罪になる気はしますが、実際に2件もの殺人が発生したとなれば、やむをえず法解釈や法改正によって、ネットでの殺意表明を罰せざるをえなくなる、…なんて未来がないとは言い切れないのです。もちろん、そんな社会にしてはいけないわけですが、下手したらそんな社会になりかねないことを、今回の脚本は警告してたと思います。◇ちなみに、わたしが考えてたのは、「人間の指示にそのまま従うAIは危険」ってこと。もちろんロボットもふくめて、人間の判断をそのまま実行する機械は危ない。AI自体は何も判断せず、人間の意思をそのまま実現させるだけだから。恐ろしいのは、AIではなく「人間が判断主体になること」です。たとえば成田悠輔は、「無意識データ民主主義」を予言してますよね。いわばマーケティングによる民主主義ですが、データから有権者の意思を汲み取って、AI行政が最適な政策を選択していく仕組みです。22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる (SB新書) [ 成田悠輔 ] 楽天で購入 けれど、もしもAIが、有権者の無意識を自動的に実現したら、今回のドラマと同じような事態が起きてしまいます。かりに90%の日本国民が、「中国人を排斥しろ!」「中国をやっつけろ!」と考えた場合、AI行政システムはその民意を最適化するために、もっとも効率的な政策を選択することになる。人間の「殺意」を実現するのと同じように、人間の「民意」を実現するのは危険なことです。それは、トクヴィルやスチュアート・ミルが懸念した、いわゆる《多数者の専制》の実現を招くから。◇それを避けるためには、「人権」「平等」「平和」「法治」のような、民意よりも上位の価値基準を設定しなければならない。そうしないと、殺意の実現と同じように、民意の実現にも歯止めがかからなくなって、安直なポピュリズムばかりが次々に実行される…。人間に判断をさせるのはヤバイのです。むしろ重要なのは、AIの力を借りることによって、人間のバカな判断と暴走に歯止めをかけること。人間のやらかすアクセルとブレーキの踏み間違いを、AIの判断で阻止することのほうが重要になる。アクセルを踏んでしまってからでは遅い。◇人間の熟慮も、それなりには信頼に値するけれど、すべての人間に熟慮が出来るわけじゃない。ほとんどの人間には、浅慮(もしくは脊髄反射)しかできないからね。その集積がポピュリズムです。そもそも、すべての人間に「熟慮しろ」なんて言っても無理です。そのための思考能力がないのだから。まともな熟慮はごく限られた人間にしか出来ません。なので、人間の能力に期待するのは限界がある。
2026.06.23
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