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2日続けてお休みしましたが、今日は自分にカツを入れてみたら少しシャキッとしたので、旅レポ復活頑張ってみることにしました。またよろしくお願いします。内子座の普段なら見られる場所がほとんど見られなかったので、内子座ツアーはショートバージョンになってしまいましたが、Fさんのおかげでたっぷり楽しんだ気分でのひと廻りでした。このFさんとの内子座巡りは、途中から1人メンバーが増えていました。一緒に説明を聞かせてもらっていいですか?と声をかけてこられて、Fさんが承知されたのでご一緒したのです。わたしと同様、一人旅の女性でしたが、とても自然に相槌を打ったり歓声を上げたり、質問もされたりしていました。わたしたちは内子座を見た後は街歩きに出発するのですが、その方も出口まで一緒にいらして、同行してもいいかどうか尋ねてこられたのです。Fさんがちょっと答えあぐねていらっしゃるので、わたしがしゃしゃり出て代わりにこう言いました。「この方は、今日、街の案内をお願いした有料のガイドさんなのですよ。当日の飛び入り参加が規則上問題がなければ、わたしはご一緒するのは全然構いません。」そうしたらその方は、もし大丈夫なら料金はお支払いしますので、お願いしたいですと言われ、Fさんも別に問題はありませんと言われるので、ご一緒することになり、3人での雨傘道中が始まりました。新しいメンバーはNさんと仰る50代くらいの可愛らしい女性で、わたしもおしゃべりをしながら見学するのはむしろ大歓迎でしたし、Fさんはステキなオーディエンスが増えて、むしろ張り切ったご様子で、とても楽しい時間になりました。内子座を出て、先ずは街の目抜き通りを歩きました。並んで建つ二棟の建物は左の黄色っぽい方が内子のビジターセンターで右の可愛らしい洋館は児童館だそうです。で、元は警察署と尋常小学校だったそう。失礼ですけれど、「こんな小さな田舎の町の警察署と小学校がこれですか?」と、驚きしかありませんでした。本当に豊かな街だったのだと感じますね。そしてこちらは上は元の下芳我邸。ここは木蝋で財を成し隆盛を誇った豪商、芳我(はが)一族の一軒、下芳我家と称した一家の屋敷だった建物です。現在は「蕎麦 摘み草料理の店 下芳我邸」として営業する内子の人気店です。下は同じく重要文化財の町屋を改修して宿泊施設として営業している、こちらも大人気の宿「こころ」さんです。こちらは写真をネットからお借りしました(この時ちょうど雨がひどくなって写真を撮れませんでした)「内子民俗資料館 商いと暮らし博物館」という施設です。江戸から明治の建物で、大正の頃の薬屋さんの暮らしを、人形と当時の家財道具を使って再現しています。この通りに、例のFさんの「お金でなんとかなることなら」の伯父様のお店もあったそうで、そこは今でもなかなか人気な飲食店になっているそうです。こちらは伊予銀行です。現役です。看板が立っているでしょう?すごく素敵な洋館で、ここを建てるのに、当時の街の旦那がたがあちこちに視察に出かけ町の建築家と相談してデザインを決めたそうです。さりげなく立ってる骨董品の赤いポストがなんとも言えず良い味を出していますね。ここは和蝋燭のお店です。写真がありませんが、火を灯している和蝋燭も見せていただきました。和蝋燭は炎が揺らがないことと、溶けた蝋が下に垂れないのが特徴なのだそうです。今では生産量もとっても少なくなってしまった木蝋を使って店先で和蝋燭の製造をしておられました。前に据えた容器の中で溶かした蝋を、手で汲み上げて丁寧に巻いて行くのです。大変なお仕事です。和蝋燭と鋳物の燭台とを組み合わせて展示販売をしていらっしゃいました。こういう建物が軒を連ねています。今も跡を継がれた方がお住まいの家もあれば、空き家になって売りに出されているお家もあり、ともかく街を挙げてこの歴史的な街並みの保存に取り組んでいらっしゃいます。建物についてもいろいろ説明していただきましたが、なかなか部材の名前やその働きなどは覚えきれません。ニコニコマークをかぶせてあるおばさんはわたしです。この日は大島紬のリメイクワンピースに絽の黒羽織を着ています。ワンピースは何度か水を潜っていますが、絽wの黒羽織は古いけれど未着用のものでした。写真を撮った時は雨が小止みになっていましたが、かなりの吹き降りな時間もあって、羽織はもうじっとり湿ってきていました。未着用の、水を通していない絹は濡れるとちょっと動物臭がするのですよね。なのでこの時のわたしは、ニコニコマークとは裏腹ななかなか不機嫌な顔になってしまっていました。日付も変わってしまったので今日はこの辺で。内子町の歴史地区の街歩きはまだまだ続きます。お楽しみに。
2024.06.06
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番外編、お料理の三題噺ではありません。内子座にスッポンがあると書きましたら、kopanda06さんから花道にあるスッポンとは?というコメントをいただいたので、そのオハナシです。スッポンは主に歌舞伎で使われるもので、わたしは歌舞伎には詳しくないのですが、「セリ(迫)と同じ機構で、小さいサイズのもの(小迫)。花道の舞台に近いところに設置されていて、人外のもの(妖怪とか霊とかお化けとか?)の出入りに使われるもの」という説明で良いと思います。ネットを探してみたらこれが見つかりました。こちらの会社のページからお借りしました。上の方に四角い線が見えますが、そこがスッポンです。セリのこともこんな風に説明されていました。内子座には舞台にセリ(迫)ではなく回り舞台があるそうで、しかも上に書いてあるように今も人力で動かしているそうです。誰が?と聞いたら、町の職員さんだそうです(Fさん情報)。そしてスッポン。ということで、おわかりいただけたでしょうか?七三というのも歌舞伎用語で、花道の、舞台に近いところに、花道を通って登場した人物が見得を切ったり大きな動作をする場所がありますよね、あそこだそうです。伯父様というのは、内子町でボランティアガイドをしてくださったFさんのお父様のお兄様のことです。劇場にお写真がありましたが、素人歌舞伎の舞台に立ったりして、なかなかの通人だったようで、真面目一辺倒のFさんのお父様とはあまり反りが合わなかったようです。お芝居だけではなく商売の才能もおありだったそうで、街の目抜通りに構えた飲食店が当たり、羽振も良かったのだとか。親戚の方達も皆、何かと頼りにされ、相談事もよく持ち込まれていたのだそう。ご本人も面倒見の良い方だったらしく、いつも「何か困り事があったらいつでも相談に来なさい。お金で片の付くことなら何でも相談に乗るから。」と仰っていたのですって。その頃の内子の町にはそれほどのお金が流れ込んできていたということなのでしょうね。それにしても、「お金のこと以外ならなんでも相談に乗る」というセリフはよく聞きますが、その逆はあまり聞かないですよねえ。その弟のFさんのお父様は、師範学校に通われていたけれど、経済的な事情でやめて家の農業を継がれた方だそうで、親戚中の方が何かにつけてその伯父様を頼るのに、Fさんのお父さまだけは、どんなに困ってもあの兄にだけは絶対に頼らないと言っていらしたそうです。お父様に似ておられるのかとても真面目そうなFさん(お顔だけなら伯父様にも似ておいででした)が、淡々とその話をされるのを聞いていたら、ツボにハマって笑いが止まりませんでした。番外編はこれで終わりです。寄り道、失礼しました。では、明日に続きます。
2024.06.03
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ようやくやってきたお休みの週末、なんと3週間ぶり!掃除機かけてカバー類を洗濯、1週間分の温泉卵を作りご飯を炊いてご飯は冷凍しました。土日2日かけてやったことはたったそれだけ。あとは3週間分のゴロゴロです。充実していました!さて、旅レポの続きに取り掛かりましょうか。いよいよ憧れの内子座の内部、探検です。Fさんから、今日は午後から住民の方たちの芸能祭で使用されるので、2階からの見学だけしかできませんがよろしいですか?とご案内を受け、了承して侵入、いえ入場しました。その代わり見学料は本日は無料でした。中に入って二階席から見下ろすと、まあ、なんとも本格的な立派な舞台です!舞台の後ろ、鏡板には能舞台のような松が描かれ、舞台には廻舞台もあるそうです。花道もあり、花道にはスッポンもあるって、どれだけ本格的?上手(右)手前には義太夫席?(文楽を上演する際には、三味線方と太夫さんが座る「床」)になるスペースがあるようです。舞台袖の上手下手両側の上の方に簾のかかったブースがあるように見えますよね?これも文楽で、若手の三味線方や太夫さんが床には出ずに演奏するための場所(御簾内)だと思うのです。これだけあったら、能、狂言、歌舞伎、文楽と何でも安心して上演できますね。折しも、舞台では本日の出演者の方々が打ち合わせ中でした。どんな作品を上演なさるのか聞いてみればよかったです。客席は一階は両脇は昔は桟敷席だったそうです。今は椅子が置かれていました。一階正面の席は枡席らしく、二階席、いわゆる「大向こう」には木のベンチがおかれていました。舞台から遠く見難い席ですが、料金が安いので、通の観客や常連客の方たちが好まれる席ですよね。この内子町は、木蝋と生糸の生産で大変に栄えた街で、明治大正の頃にはその産業に携わる人たちが多く集まりました。その人たちの娯楽のためにと、町の有志(有力者)が出資してこの劇場が建設されたそうです。柿落としは大正5年(1916年)、Fさんが見せてくださった柿落としの日の写真です。それから長く町の人に親しまれてきましたが、木蝋も生糸も衰退していき、内子座は会館や映画館に転用されてその都度改築され、やがて取り壊しが云々されるようになってしまったそうです。けれども、修復、再開を望む町の住民たちの強い希望で、街並保全事業として復元されることになり、昭和60年(1985年)、再建なった内子座の2度目の杮落としが行われました。そして、2015年、内子座は重要文化財の指定を受けます。この日は二階席からの見学のみで、通常なら舞台に上ったり、奈落や周り舞台、スッポンの仕掛けなども拝見できるのですが、この日は不可でしたので、わたしが見られた範囲でレポートさせていただきますね。もし、もっと詳しく見たいと思われたら内子町のHPを見てください。舞台の上に掲げられている扁額に書かれているのは「芸於遊」、げいにあそぶと読むそうです。町の方が書かれたそうですが、孔子の言葉で、芸は芸能だけのことでなく、教養というような意味だそうです。正しい道を志し、徳に基づき、仁を大切にしながら、芸(学問や芸術、武芸)の中で自由に遊びなさいと、そういう教えの一節だそうです。この素晴らしい板張りの天井、惚れ惚れしますね。シャンデリアは戦争中に金属をとるために軍に供出され失われていたので、資料をもとに似たようなものを見つけ購入したそうです。客席をぐるりと取り囲むような形で天井から下がっている看板、これは、ガイドのFさんによれば、当時内子町にあった会社やお店の広告だそうです。今では業種自体がなくなっているものもあり、現在も営業を続けている会社はほとんどないそうです。2階には資料室もあり、文楽関連のものがたくさん展示されていました。大洲には大谷文楽という江戸時代から伝わる民俗芸能があるそうですから、内子でも文楽の人気が高かったのかもしれません。人間国宝の技芸員の方、現役はもちろん、故人の方もお写真や色紙、新聞の切り抜きがたくさんありました。故豊竹嶋太夫師の写真。わたしは舞台を一度拝見できたのですが、その後すぐに引退され、亡くなられてしまったので、本当に素晴らしいお声、そして語りにたった一度だけでも触れられて良かったとは思うものの、あれが最後になってしまったことが悔しくて仕方がないのです。それで思わず、写真の写真を撮ってしまいました。たくさんの技芸員の方の書かれた色紙や文楽人形が展示されていました。わたしが、こんな劇場で文楽を見てみたいというと、Fさんが今年も公演があり、本当に素晴らしいですからぜひ見にきてくださいとおっしゃいます。内子文楽は、演者ももちろん一流ですが、観客の方もレベルが高い、というのです。それはそうでしょう。どこからくるにしても飛行機か船、決して安くない交通費を払った上に少なくとも一泊は必ずしなくてはならない、いわゆる「あごあしまくら」です。生半可な好奇心では来られないと思います。それでも、ここで文楽を見たいと何度もリピートして来られる方もいらっしゃるそうなのです。そんなことを聞いたら、頑張ってお金と時間の都合をつけて来ても、気後れの塊になって、楽しむなんてきっとできないわと、もうそこですっかりビビってしまったわたしでした。鑑賞力もですが、鈍感力も鍛えてから来ないといけませんね。この後も、この内子座で町の人たちとお芝居をされていたFさんの伯父様のお話をうかがったり、町の歴史と結びつけながらたくさんのお話を聞かせていただきました。資料に書かれていることだけでなく、ご自身が感じたり、見たり聞いたりされたことがたくさん含まれた、本当に一味違うガイドをしていただきました。この後、またちょっと面白い出会いもあり、大雨の降る中ですが、楽しく内子の街を巡りました。次回に続きます。(昨日から書き始めていたので、日付けが昨日になっています。アップしてから気がついたのですが、アップした後で日付の変更はできないみたいなので、このまま置いておきます。)
2024.06.01
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大洲の駅から少しだけ離れたビジネスホテルに泊まり、朝目覚めると愛媛3日目の朝は大雨でした。この日は内子の町を歩く予定で、内子町のボランティアガイドさんと9時30分に内子座という劇場の前でお会いする約束です。なので、伊予大洲駅を8時25分の特急で出発しようと思っていました。内子駅は特急だと伊予大洲の次の停車駅で、10分しかかかりません。前日疲れ切ってビールを飲んでカエルの声がすごいなあと思っているうちに寝てしまったので、余裕の早起き。でも窓の外は土砂降りです。とりあえずチェックアウトして傘を買おうとフロントに降りてコンビニのありかを聞いたら駅と反対に歩いて10分とか15分とか。タクシーを呼んでもらおうかと考えていたら、あまりいいのじゃないけど、返さなくていいのでよかったら使ってくださいと奥から傘を持ってきてくださいました。ありがたやー!何度もお礼を言って駅に向かいました。駅までは5分くらい。駅前に早くから開いているパン屋さんがあるそうなので、朝ごはんはそこで仕入れます。パン工場KISAさん。入ってみると、パンの種類も多くおいしそう。しかもお値段が、えっ???というほどお安いのです。3点選んでトレイに載せてざっと計算すると合計200円足らず。なんだか申し訳なくなって少しお高いアップルパイを追加。これを足しても320円、レジのところにあった野菜ジュースも入れてワンコインでお釣りが来ました。伊予大洲駅のこんな可愛らしいベンチに腰かけていただきました。雨は強まったり弱くなったりしていて、内子駅についた時は小止みになっていました。駅舎の左側は売店兼観光案内所でしたが、まだ開いていませんでした。他に何もない駅前広場にはSLがポツンと展示されていました。何故かはわかりませんでした。また降り出した雨の中をスマホのナビを頼りに内子座に向かいます。早く着きすぎて待ち合わせまでまだたっぷり時間があるので、美味しいコーヒーの飲めそうなお店が開いていないかと探しながら歩きましたが、こんな感じの道。見つけたお店も開店前で、キョロキョロしながらダラダラ歩いているうちに内子座の前についたしまいました。この内子町は大洲市と同じ、木蝋で大変に栄えた町でした。大洲市は貿易で、一方この内子町は木蝋の製造で隆盛を誇った街でした。この内子座はその頃のこの街の賑わいと暮らしの豊かさを象徴する物の一つで、櫓もついた立派な劇場でした。ボランティアガイドさんを待って建物の前でウロウロしていると高齢の女性に声をかけられました。内子座の目の前のお宅にお住まいの方で、雨が降っているから玄関前の屋根のあるスペースに入りなさいと声をかけてくださったのです。内子座のことや、離れて暮らす娘さん、息子さん、お孫さんのお話、日課のお散歩のこと、内子座に来る観光客の方との交流などなど。先日はドイツ人のご夫婦に声をかけられて、スマホの翻訳アプリを使ってお話しされたそうです。その後一緒に撮った写真を送っていただいたとか。そんなお話をしているうちにあっという間に時間が経ち、タブレットを首からかけた熟年の男性が1人で歩いてこられたので、ガイドのFさんですか?と声をかけたら、どんぴしゃり。なんか、まさにボランティアガイドという感じの、優しく生真面目そうな方で、この方のおかげで内子の街の観光も、王座と同様に大変充実したものになりました。ツアーは内子座の内部探検から始まりますが、そのお話はまた明日にでも。
2024.05.31
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臥龍山荘を出て、ガイドツアーの拠点になっている大洲まちの駅あさもやまで歩きます。午前中に見た3箇所でツアーのメインは終了で、あさもやまでは大洲の街歩きです。大洲はこうして観光開発に力を入れ始める前から明治の街並みが残る街として有名で、古くは朝ドラ「おはなはん」のロケ地になったことで話題になりました。明治の面影を残したそのロケ場所が「おはなはん通り」として、観光名所になっています。男はつらいよにもここを舞台にした作品があります。嵐寛寿郎演ずる大洲藩のお殿様の末裔と真野響子演ずるその息子の嫁と寅さんが紡ぐ物語でした。他には東京ラブストーリーや最近のアニメ映画(すずめの戸締り)など。映画すずめの戸締りより(ネットより拝借)大洲城と川、鉄橋、そこを走る列車のコラボがいいと、評判になった場面だそうです。そんな風情ある街並みを通って解散場所まで行きます。あさもやはお土産売り場もあり、バスターミナルにもなっているということで、そこで午後の予定を立てるつもりで、歩きながらガイドさんから街並みの説明やその他の観光情報を仕入れながら行きました。ネットからお借りした写真、左があさもやです。正面テントの奥が事務所で右側はお昼をいただいた分油谷(わけあぶらや)さん。息子からリクエストのあったソラマメの味噌とシイタケオイルは見つからなかったので、しらチョビ(しらすのアンチョビ)などを買い、お昼ご飯です。戴いたのは大洲で最近話題のご当地グルメ「とんくりまぶし」です。四国らしい甘辛い味付けの豚肉とご当地名産の栗を載せたご飯をおひつからお茶碗に盛り分けて、最初はそのまま、次にだし汁をかけてどうぞ、ということで、そのように戴きました。とてもしっかりした味付けで丼だったら持て余したかもしれませんが、出汁をかけると味が変わり、また食べられて、それでも少し残してしまいました(多分若者向けのボリュームです)が、大変美味しく戴きました。お腹がいっぱいになったところで街歩きです。今日は大洲泊まりですから、時間はたっぷり。のんびり行きます。こちらもネットからお借りしました。先ずはおはなはん通りから明治の街並みへ。左は大洲神社への階段。お参りしたかったけれどこれを見たらごめんなさいってなりました。階段の下で手を合わせておきましたよ。右は2軒とも市内に点在するNIPPONIA HOTEL、素敵なのでパチリ。赤レンガ倉庫。という名前のお店なのですが、買い物をしようと入ったら、数分後に出発する肱川の遊覧船(大洲お舟めぐり)に乗れるというので、チケットを買って川まで走りました。走る途中で見た別のレンガ倉庫を必死ででぱちり。帰りがけに地図で確認したら醸造会社さん、パンも売ってたらしい。味見したかったなあ!パン大好きなわたしの呟きです。中段左は肱川の岸に降りる堤防です。すごく頑丈でしょう?この肱川、とんでもない暴れ川だそうで、今でも数年に一度氾濫するとか。チョット見にはかっこいいけれど、よく見るとめっちゃゴツい防水扉(でいいのかしら、なんて呼んだらいいのかわかりません)や水門などがたくさん目につきます。下段はお舟めぐりの船です。船端からパンをちぎって投げたらトンビが取りにきました。一周45分、ゆったりのんびりな時間です。写真を撮るのも忘れていました。おまけですが、大洲のマンホール蓋、きれいでしょ?夏の大洲の風物詩、鵜飼に因んで鵜が描かれています。この後またのんびりあさもやまで戻り、ぐるりんバスという小さなコミュニティバスに乗ってその日の宿に。駅に近いビジホしか予約が取れなかったので、レストランも大浴場もありません。この日は午前午後とものすごく歩いて、この時点でかなり足が痛かったので、お部屋の小さなお風呂ですが、まず湯船につかって脚をマッサージ。その後身支度して一階に降り、フロントでお店を教えてもらって夕飯を食べに行きました。お勧めされたお店はホテルから徒歩10分?15分?の「との町たる井」さんでした。(まだ歩く!)こんな感じのお店でした。わたしより少し先輩らしい女性がこのカウンターでビールを飲んでいらして、1人客のわたしもちょっと心強かったです。せっかく四国に来ているのに和食、お魚食べてないわ〜ということで、戴いたのはお刺身定食でした。お醤油が甘かったですが、後は普通でした。ビールは?飲みたかったのですが、ホテルが割と遠かったし、せっかくなので肘川縁を散歩しながら帰りたかったので、ビールはホテルまで我慢。我慢した甲斐?ありましたよ!肱川の土手を歩いて遠回りして帰ったら、こんなに素敵な大洲城の眺めに出会えました。小鳥の鳴き声をお聞かせできないのが残念!それでね、ほら、空模様がだんだん怪しくなってくるのがわかりませんか?風はどんどん強くなるし、それでもめげずに、土手から看板の見えるイオンに向かって歩き続け、スプリングバレーのシルクエールをゲットしてホテルに戻りました。もう一度お風呂に入ってそれから飲みました。これ、美味しかったです。お勧めです。そしてこの晩は、驚いたことに、カエルの大合唱を聞くことになりました。ホテルは広い道路沿いで、田んぼの真ん中とかではなかったのに。けれど、それもそのはず、翌日は土砂降りでした。なんでも警報級の雨だったらしいです。これでようやく大洲の巻が終わりました。美味しいビールでほろ酔いになり、疲れ切ってぐっすり眠ったmamatamでした。
2024.05.29
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お待ちかねの臥龍山荘です。左は庭園。これらの踏み石もなにやら謂れみたいなものがあったりするらしいです。灯籠だってなんだかいわくありげですよね。そして、素晴らしい表札?のかかった門の手前にちょこっと見えている石積み、これが実はもうすでに圧巻!石積みの中に埋め込まれた丸い鉢、これは石臼だそうですが、月を象徴しているとのこと。臥龍山荘は月や夕暮れに関りのある部分がとても多いのです。そして石積みから木が生えていますよね。これはここにこの山荘を建てるときにここにすでに生えていた木で、それを傷めないように石を組んで石垣を作ったそうです。さりげなく見せながら何と手の込んでいること!上段は母屋の臥龍院、書院造りです。下段はその臥龍院に付属する建物で書庫、どちらも重要文化財です。母屋の部屋です。上段の写真は、邸内に入ってすぐにある清吹(せいすい)の間です。東西南北に四季を表す意匠が施されていて、この欄間は透かし彫りにより水の流れが表現されています。庭からの光が入ることで庭の四季が映し出されます。高い天井には屋久杉が使われ、桂離宮様式と言われるものだそうです。下段の座敷には入らないでくださいという札が立ててありますが、これはこのお部屋に敷かれている畳が非常に貴重なものだからだそうです。一見どこがすごいのかわかりませんが、よく見ると畳の目が極めて細かいのです。素材は普通の藺草だけれど使用量がとんでもなく、これを作れる技術を持った職人さんがもういないそうで、破損や劣化があっても同じものを制作することは二度と出来ないと言われているため立ち入り禁止にして保存に努めているということでした。ところがある時文化財保全の専門家をお招きしたところ、畳は大事にするばかりではだめで、時々は踏んで人間の足の脂を与えてあげないとかえって傷みやすいと言われたと、ガイドさんが笑っていらっしゃいました。こちらは霞月の間。濡れ縁に仙台松の一枚板が使用されるなどここも贅を尽くした作りです。その縁側の木材を留めてある釘、一列に10本ずつ数列打ち付けられているのですが、もちろんこの釘も一本一本手作りです。今その釘を注文すると一本の単価は恐らく数万円だと仰る見学者がいらしたそうです。また、こちらの襖の修復の際、京都の表具店で見積もりをとったところ、襖紙が特注品なので図柄の版を作るところから始めなくてはならず、値段は一本200万円以上、工期も数年必要との回答だったそうですが、運良く愛媛の会社で襖の版が見つかり、そこまでの費用も年月もかけずに修復できたということでした。お茶室です。浴室を改装してお茶室として使ったと聞きました。そして、3棟目の重要文化財、不老庵です。肱川の崖に寄りかかるように建てられており、目の下は臥龍淵という絶景ですが、出入りは写真奥の庭園側から普通に歩いて行えます。お茶したと伺いましたが、明るくて開放的で爽快感のある雰囲気がお茶室とは思えず質問すると、煎茶道のお茶室なのだということで、その違いを知り、また驚きました。これらの建物は、木蝋の輸出で大成功を収めた元大洲藩士河内寅次郎が、京都から職人、工人を招き、10年の歳月とほぼ全財産をかけて建てたものだそうです。こちらもお城同様、記録がほとんど残っていないため、どの部分の何を作るためにどういうことが行われ、どれだけの金額がかかったのかといったようなことが何一つわからないと聞きました。ただ、前述の襖や釘のエピソードから推し測れば。。。もし現在これを建てるとしたら億、それも桁が3桁なのか4桁なのか、もしかしたらもっと?などと下世話な憶測をしてしまいました。これほどの巨額の富をもたらした木蝋というのは、櫨の実を原料とする、いわゆる蝋、和蝋燭の原料になるアレのことで、それがこれほどの富をもたらしたということがとても信じられませんでした。木蝋の産地は江戸時代からそのおかげで大変に財政が潤ったのだそうですが、明治に入ってクレヨン、ポマードやワックスなどの整髪料、化粧品、カーボン紙などの文具、艶出しや防水材、さび止め、減摩剤など広い用途に使われて世界的に需要が増え、しかも日本の木蝋はジャパニーズワックスとと呼ばれてその品質の良さが認められたことで、世界を相手に貿易を行う豪商が生まれたようです。しかし、それほど隆盛を誇った木蝋の需要は、コストの安い石油由来のパラフィンに取って代わられ、また原材料不足もあって、明治40年代をピークとして、大正時代には産業自体がほぼ消滅したということでした。今日で大洲レポートは終わりにしたいと思っていましたが、これだけ書いてもまだ半日分ですので、とりあえず今日はこの辺で切り上げ、明日また続けさせて戴くことにします。
2024.05.28
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大洲城を後にすると、まず目についたのはNIPPONIA HOTELという、古民家を宿泊施設として再生したホテルでした。そこはSADAと名付けられた宿泊棟で、大正時代に大洲城の敷地内に建てられた建物だそうです。このSADAのほかにも豪商の邸宅、料亭、店舗、実業家の本宅、武家の屋敷などの素晴らしい歴史的建造物が修復されNIPPONIA HOTELとなって観光客を迎えてくれているといいます。(HPより拝借。真ん中がSADA。)この古民家再生ホテルは現在市内に26棟あり、客室数は31とのこと。このホテルの存在はわたしも知っていて、とても素敵そうだしお食事やサロンなどの評判も大変良いので、大洲に泊まると決めた時一応チェックはしたのです。けれども、1人でも大丈夫だったし宿泊料も想像した程ではなかったもののやはり高嶺の(高値の)花でした。ガイドさんからホテル開業の苦労話などを聴きながらホテルの前を過ぎ、どこか懐かしいような街並みを見つつ、わたしたちが向かったのは「盤泉荘」という建物でした。明治期に木蝋という耳慣れない品物の輸出で財を成した貿易商が作った別邸だそうです。盤泉荘の石垣です。すごい!ステキ!!と思わずパチリ。その下は玄関とお庭です。こちらは室内の様子。上段は応接室、下段はお茶室と廊下?です。用材は主に松で、あちこちに凝った意匠が凝らされています。この日は有料でコーヒー(お茶菓子付き)がいただけるとのことで、お願いしました。どこでも好きなお部屋でとのことでしたので、こちらのお部屋で飲ませていただきました。お金持ちになった気分をちょびり味わいました。お茶菓子は大洲の名物の一つ、しぐれです。あずきを米粉や餅と混ぜて蒸したものだとか。コーヒーにもよく合い、美味しかったです。こちらはネットから拝借した写真。上段は全景、中段は玄関前のお庭から見た前景、下段は室内です。これが個人の邸宅、しかも本宅ではなく接待用の別邸だというのですから、成したという財がどれほどのものか、mamatamごとき庶民の想像の域を超えています。次の見学先は、「臥龍山荘」。やはり明治の同時期に木蝋の貿易で成功された方の別邸です。山荘なんて言うと、ログハウスのようなものを想像されるかもしれませんが、実はこちらは盤泉荘よりもっとすごくて、邸内に重要文化財に指定された建物が3棟あるというのです。こちらのレポートはさらにさらに長いものになりそうです。今日はいつものお墓参り兼会食にでかけるため、稿を改めてお伝えしたいと思います。どんなすごいもの?早く知りたい!という方はリンクを貼っておきますので、Wikipediaで予習をなさってください。でも、それを読んだら、mamatamのレポートなんていらなくなりそうですが。大洲のレポート、ちっとも終わりませんが、悪しからず。では、また、次回。
2024.05.26
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歳には勝てないですね。2週間休みなしはやはり堪えたようで、今日は身体に力が入らず、最低限の仕事を片付けて早退。早めに家に帰ってきて1-2時間ゴロゴロしていたら少し元気が出たので、書きかけていた旅レポを仕上げてアップします。大洲に到着したところからですね。でも、この街に来るべき時は本当は今ではありません。それは、秋から冬にかけて。晴れた日の朝、上流の大洲盆地で生まれた冷気が霧を伴って一気に流れ出す珍しい現象「肱川あらし」を見ることができる(もちろん運がよければ、ですが)、それが10月から3月なのだそうです。川霧が町をのみ込み、うねりながら海へと扇状に広がる肱川あらしの様子は、幻想的で息をのむ美しさ。なあんて、講釈師よろしく見てきたような嘘をついてみました。もちろんこの季節に見られるはずはなく、わたしの妄想です。はあ、見たかった!ということでまずは大洲城。とても有名だけれど、実際に見ると端正な姿ながら小さな可愛いお城です。ではなぜ有名か、それをじっくりガイドしていただきました。ここは1994年(平成6年)から10年かけて復元された木造のお城で、四層の天守閣の高さ19.1mは木造のお城としては日本一だそうです。本来ならその規模の木造建築は建築基準法で認められないのですが、建築時の棟梁(江戸時代の人!)が命懸けで自宅の屋根裏に隠していた城の精密な模型や三方向からきっちり撮影された明治時代の白黒写真などの素晴らしい資料が存在し、築城当時の姿を構造まで正確に再現可能という文化的価値が認められて、例外的に建築が許可されたそうです。というのも、昔は築城後は模型はおろか図面を残すことも、内部について記録に残すどころか人に話すことさえ堅く禁じられており、秘密保持のため建設に携わった人たちが殺されることも珍しくなかったので、こうした資料が一切ないことの方が普通だったそうなのです。ですので、今後も、この大きさの城郭が完全な木造で再建される可能性は非常に低いということでした。こちらがその資料。左が明治時代に撮影された写真3枚のうちの1枚、右は発見された建築当時の模型です。復元に使用された木材は全て国産で、全ての木材の産地と提供者の名がパネルに明示されています。小さなお城とはいえ、立派な木組の内部です。再建には、総工費約13億円が見込まれたのだけれど、そのうち5億円が大洲市民の寄付で賄われたんですって。すごい!当時の市の広報紙。右側の中段を拡大すると見える振り込み依頼書、この用紙が各家庭に配布されたとガイドの方が言っていました。寄付すると市民は市民税の控除が受けられ、記念品ももらえたそうです。高額の寄付者は名前と金額を刻んだ額が掲げられていて、さらに驚いたことには、このミニチュア、築城当時の様子を描いたもので、お人形は当時の領民なのですが、近づいてみるとそれぞれに名札がつけられています。この名札に名前を入れてあげますよと別口で寄付を募ったところ、もちろんお人形の数が限られているので、名札の数も限られており、先着順の受け付けだったそうですが、秒で、はないにせよ、とにかくあっという間に定員になったとこれもガイドの方のお話でした。天守閣から出ると、正面に大洲市のシンボル冨士山(とみすやま)が見えました。まさに富士山のような綺麗な形をしているでしょ?でも、ごく低いお山なので、富士山を名乗るのは烏滸がましいと、富の上の点を取ったワかんむりにして、冨士山と書くことにしたそうですよ。お城に巡らされた石垣がとてもいい味出していましたので、思わずパチリ。大洲観光はまだまだこれから山場を迎えるのですが、わたしはここらで一休みさせていただきますね。続きはまた明日。
2024.05.22
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5月11日(土)、2日目の朝も快晴です。この日は大洲(おおず)へ移動、宿泊も大洲にホテルをとってあるので、1日たっぷり大洲の街を楽しむ予定です。9時に大洲城前でガイドの方と待ち合わせをしており、7時25分に道後温泉駅発を出て、JR特急に乗り継ぎ、伊予大洲8時45分着の予定なので、7時前にチェックアウトしました。翌々日12日の夜にここにもう一泊するので、キャリーバッグは預かってもらえることになり、とても助かりました。重い荷物がなくなり身軽になって駅まで歩いて行くと、なんと営業しているパン屋さんがありました。ユノマチベーカリーですって。そこでパンを買って特急の中でいただきました。パンのお値段は東京並みでしたよ。駅前では7時を過ぎたばかりなのに、もう足湯に浸かっておしゃべりしている方が。気持ちよさそうです。わたしはこの電車に乗って松山駅へ。松山からの特急はアンパンマン列車でした。車内までもアンパンマンです。もう直ぐ伊予大洲駅、車窓の景色が素敵です。大洲市は観光で町おこしをしようと本気で頑張っているみたいで、観光事業の企画、運営をするための組織も法人化(営利団体)しているらしく、だからお約束しているガイドさんも、街の住民の方ではあるのですけど、他の街と違ってボランティアではないようで、料金も観光タクシーの料金とかに近い感じだし、雰囲気も少し違う気がしました。この日は、大洲城で待ち合わせ、大洲城見学の後、明治時代に「木蝋」の貿易で財を成した方が建てた建築物を二棟見学する予定です。どれも本当に楽しみです。再建された大洲城です。この続きの、大洲での中身の濃〜〜い観光のオハナシはまた明日。ではでは。
2024.05.19
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さて、はらぺこさんは晩御飯です。備え付けの浴衣でのレストランへの出入りはご遠慮くださいとのことで、着替えもせずにレストランに向かいます。1人なのですみっこの小さなテーブルに案内されました。一人分のテーブルセットがされていて、ここで、あれ?フルコースなの?と気づいたわたし。度胸を決めてまずは道後温泉ビールをオーダー。黒ビールでした。ビールと一緒にこの日のお品書きを持ってきてくれました。かぼちゃのムース(なぜか単独)はなかなか濃厚でしっかりした硬さ、なめらかなクリームやバターの風味の中にかぼちゃの味もして、美味しくいただきました。野菜のテリーヌ(下)は、わたしはこの日のお料理の中で一、二を競う味と感じました。お野菜はどれもきちんとお料理されていて、でも濃い味付けはされていなくてお野菜それぞれの自然な味がしっかり残っています。お野菜自体の力強さもあるのだと思います。四国、お魚だと思ってたけど、四国の野菜、侮れないかも。色とりどりのソースもそれぞれ味が違って美味しかったです。冷製コンソメは、ジュレも穴子も美味しかったのだけれど、薬味のカイワレスプラウト?が辛くてわたしはちょっと苦手でした。上のソルベは、お魚とお肉の間に口直しとして出てきました。さっぱりしていて、確かにお口直しにぴったりでしたが、何味だかちょっとわからずでした。パンはまあ普通に美味しいパンでした。上はお魚料理。スズキのポワレでした。そして下はヒレステーキのマデラソース。お肉の味がとても濃くて、マデラソースも程よいコクと甘みで、絶品でした。そしてデザートです。飲み物はなんとなく勘が働いて、珍しく紅茶にしてみたらこれが大正解!とってもおいしくて、レモン入れなければよかったと思いました。デザートはシェフの特製とメニューにありますが、なんだったか忘れちゃいました。美味しかったですよ。そうそう、この日のツインルームは、予約ではセミダブルでした(シングルがないホテルなので)。理由は分かりませんが、グレードアップしてくれたみたいです。で、この日は晩御飯はつけてもらいましたが、翌日朝ごはんの時間より早く出かける予定だったので朝ごはんはないプラン。それで料金は、クーポンを使って税込15,000円弱でした。その料金であのお部屋、このご飯。びっくりですよね。ということで、お腹もいっぱいになったけれどまだ時間も早いので、夜のお散歩に出掛けてみました。ホテルのアプローチ、夜は感じが違いますね。そして駅前へ。駅舎と坊っちゃん列車のツーショット(上)、下の左は駅舎を正面から。下の右はライトアップされた坊ちゃんからくり時計。この後からくりが動き始めました。動画のアップの仕方がわかればお見せできるのですけどねえ、残念!からくりを見てから夜景を見に。神社はもうしまっていましたが、その先に足湯があり、上段右は、その足湯から見た夜の道後温泉です。そして道後温泉本館と三日月の共演です。お月様、実際には大きくて綺麗だったんですよ。頑張って見てあげてくださいね。道後温泉本館はまだ温泉にも入れる時間でしたが、あまり遅くなるのも怖いので、ここで切り上げてホテルに戻り、ホテルの温泉に入って寝ました。ホテルの大浴場入り口です。手前が男性用、奥が女性用のお風呂場です。赤ちゃん用のベッドの場所も配慮が行き届いているなと思いました。温泉は透明なつるっとしたお湯でした。
2024.05.18
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旅から帰って4日も経ってしまいましたので、記憶が少しでも確かなうちに旅日記を書き始めようと思います。何しろ歩いて歩いて歩いた旅でしたので、普段ほとんど歩かない暮らしをしているわたしには予想外に過酷な旅となってしまい、実はまだ膝には湿布を貼って暮らしていますが、それでも体調は少し落ち着きました。旅の初日は5月13日金曜日。まあ!13日の金曜日だったのですねえ!!(ごめんなさい、往きと帰りの日にちをごっちゃにしていました。往きは10日の金曜日でした。)連休明けで仕事がどうなっているか、旅の計画をした去年の秋頃には全然予想できませんでしたので、何かトラブルがあった時に備えて出発は14時55分の便を予約していました。松山空港は16時半頃の予定です。1日目はほとんど夜から始まるような感じになってしまい、多分何もできませんが、それはOKとしました。往きは元気なつもりでしたが、飛行機が動き出した途端にウトウトしてしまったらしく、そのあたりの記憶が全くありません。ふと目を開けたらもう南アルプスらしき山々が見えていました。とても良いお天気で眼下の山がとても綺麗でした。しばらくすると、海と海岸線が見えてきました。瀬戸内海です。まさに多島海です。傾きかけた陽の光を反射して海がとても美しいです。この後、海面がずいぶん近くなったと思ったら、いきなり草原が目に飛び込んできて、あっという間に松山空港に着陸でした。四国初上陸です。リムジンバスで道後温泉に向かいます。初上陸を迎えてくれた新緑です。道後温泉は日本最古の温泉の一つだそうです。道後温泉駅は伊予鉄道の路面電車の駅ですが、こんなレトロで素敵な外観です。駅前を見回すと坊っちゃん列車そして有名なからくり時計。これ、夜8時まで毎正時にからくりが動くのです。わたしも動画を撮ったのだけど、アップの仕方がわからん。残念。で、駅前から少し歩くと、道後温泉本館があります。重要文化財です。旅館みたいだけど宿泊はできなくて、いわゆる温泉銭湯なのです。ただいま修復工事中で、余計なものが写ってますけど、先月までは建物に覆いもかかっていたので、今はまだだいぶマシなのです。何枚写真を撮っても全貌を伝えられた気がしません。ここを通り抜けて、今日のホテルに向かいます。「道後温泉オールドイングランド 道後山の手ホテル」という、長すぎて、正確なフルネームがよくわからないホテルです。山手というだけあって結構な急坂を登っていきます。見えてきました。はい、着きました。中に入るとロビーです。ロビーにワインセラーがあって、見学もできるそうなのだけど、遠慮しときました。エレベーターが二基。ドアと、中のライト、床のモザイクです。宿泊階のエレベーターホール。そして、1泊目のお部屋です。ドアを開けて、あまりの素敵さにぼーぜんとしました。自分で選んでこの部屋を予約したのですけど、それがだいぶ前のことなので、なぜこの部屋だったのか、忘れてしまいました。この広さのツインをシングルユース!って、なかなかの贅沢ですよね。思わずいろんな角度から写真を撮ってしまいました。お部屋だけでなく洗面室やバスも素敵です。ホテルにチェックインしたのは17時半過ぎくらいだったのですが、なぜかお腹がぺこぺこで、すぐご飯にしていただきました。一階ロビー脇ののレストランに行くと、そこがまたとってもいい感じ。外のテラス席では大きなテディベアさんたちがくつろいでいるし、壁にはウィリアムモリスのパネル、別のテラスには可愛いバーカウンターが設えてありました。そして、夕飯はまさかのフレンチフルコースだったのです。なんだかわたし、ものすごいリッチなマダムになった気分でした。まだ1日目が終わっていませんが、長くなったのでここで一旦休憩させていただきますね。
2024.05.17
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旅行からは13日に無事帰宅しました。国内2度目の一人旅、1人の良さを満喫できた旅でした。というか、満喫しすぎて、今はちょっと変。お洗濯と荷物の片付けだけはようやく終わったものの、生活ペースはギクシャクだし、4日も休んだら、頭がなかなかお仕事モードに戻らないし、帰ってきて3日も経つのにまだ疲れてます。足指の押された痛みはほぼ消えましたが、膝はまだ少し痛むし、痛む膝と同じ左のくるぶしから先がなんとなく浮腫んでいるみたいな感じです。なにしろ四日間歩きすぎました。普段2-3000歩しか歩かないわたしの、旅行中の歩数は5月10日はお昼前に家を出たので、その日は半日分ですが、そこからの四日間の旅行中の歩数と、それ以降の歩数、違いすぎますよね。最初の日はまあ良かったのです。泊まったのが道後温泉でしたし、ホテルの温泉にしっかりつかって、翌朝は元気いっぱいでした。翌2日目は16,000歩以上もあるきましたので、流石に夕方にはヘロヘロでした。この日はビジホしか取れなくて、大浴場もなかったのですけど、そのビジホの狭いバスで、夕飯前と夕飯後の2回もお湯につかってしまいました。温泉でもないただのお湯でしたけれど、それなりに効果はあったみたいでした。翌朝、足が元気になっていたのは幸いでしたが、不幸だったのは、朝から雨だったことでした。天気予報では警報級の雨が降るっていうことでしたが、そこまでの雨ではなく、でも結構強く降る時間帯もありつつでしたので、靴もびしょびしょになってしまい、足のダメージはかなり大きかったのです。この日はもう一度道後温泉に戻ってきましたので、有名な道後温泉にはいって、ゆっくり丁寧に足をマッサージしました。けれど、普段の1週間分くらいの歩数を続けて2日も歩いたのですから、だいぶ堪えました。膝も少し痛みましたし、あしも浮腫んでいたらしく、4日目の最終日は靴がきつく感じるほどで、歩くのも痛くて、ちょっと辛かったです。脚は丈夫な方だったのですが、年齢と運動不足、本当に侮れませんね。時間がなく、ウォーキングをする時間がないので、その代わりにシックスパッドのフットフィットプラスで3日に2日ぐらいのペースで歩くトレーニングをしていたのですけど、全然足りてませんでしたね。もっと鍛えないとと、改めて反省しました。
2024.05.16
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去年の春の津和野と萩への一泊旅行を覚えていてくださるブロ友さんもおいでになるかもしれませんが、あの旅は、家を出てから戻ってくるまでずっとひとりという、初めての本当の一人旅でした。始まりは、息子から、消えてしまうマイルがあるんだけど、1人分の往復チケットなら買えるくらいでも良かったらあげるよと言われたことでした。一人旅にはさほどの抵抗はなかったのに、それまでしたことがなかったのは、1人だと夕食付きの宿の予約が取り難いからでした。素泊まりだと、知らない街で、夜、お店を探して、知らないお店でひとりで晩御飯。。。は無理!と思っていました。ビジホとかではなくて食事付きで1人客でも泊まれる宿は中々見付からないだろうし、あってもきっとすごく高いだろうしと想像するだけで終わりだったのです。でも、航空券が無料なら話は別。1人でも泊まれる宿が見付からないか、希望日に予約が取れないか、トライしてみる価値はありますよねえ。そこで、まず、都合の良い時期にチケットが取れる空港をピックアップ、その中から行きたい町を選んで、一泊二食おひとり様OKで、その時期に空いている宿があるか調べました。そうしたら萩が残ったのです。萩に行くなら津和野も行きたいと欲張って出かけた旅は最高に良い思い出になりました。なので、今年もマイル使って良いよと息子が言ってくれた時は、一も二もなく飛びつきました。今度は、結構大冒険です。行く先は四国、愛媛県。松山市と大洲市と、漠然とそんなふうに目的地は決めて、宿の予約だけはしましたが、忙しい忙しいばかりで下調べも何もしないでいるうちにあっという間に1ヶ月前になってしまい、計画は手付かず、旅の予定は何も決まっていませんでした。大まかには松山市は道後温泉と松山城、萬翠荘。大洲市は大洲城と古い街並み。ていうか、それがわたしの知っている全てでした。ゴールデンウィークにしっかり調べてきっちりスケジュールを決めるつもりが、あれよあれよという間に。。。でも少し調べたら、大洲市では地元の市民ガイドさんの案内で街歩きや施設見学ができるとわかったので申し込み、ちょっと遅かったのですが、親切にもOKしていただけました。それを調べている過程で、すぐ近くにある内子町にもガイドツアーがあるとわかり、これも申し込んでみたら大丈夫でした。松山は、申し込み期限が過ぎているとのことでガイドツアーはダメでしたので、着いてからホテルの方に相談して考えようと思います。出発は明後日です。なのに、自分の旅支度も、留守中の夫のあれこれもまだなにもしていないのです。今回は3泊4日なのですけど、明日1日で準備が間に合うでしょうか?不安ですが、まあ、なるようになるでしょう。
2024.05.08
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ずいぶん前から行きたいと思ってなかなか行けなかった東京立川市の昭和記念公園にネモフィラを見に行ってきました。ブロ友のnaominさんにお願いして付き合っていただいて、2人で。JR中央線の立川駅の改札口で待ち合わせ、お弁当を買ってから入園。それはそれは広い公園なのですけれど、さすが国営、入園料はわたしたちはシニア割引でなんと210円(一般の大人は450円)でした。安近短のゴールデンウィークを楽しもうという人たちで早くもごった返していました。無事ゲートを潜り、真夏のような日差しと気温の中、てくてくとそれはそれはよく歩きました。よく歩いた証拠写真、今日の歩数は14,898歩、普段の3日分くらいですね。お目当てのネモフィラは本当はもっと人がいっぱいでしたが、なかなかいい感じに撮れました。本当はこんな、いいえ、もっと人がいっぱいでした。ベストショットはこのアップの写真かな。ネモフィラを堪能したあとはお昼です。こちらはnaominさんの釜揚げしらす弁当。こちらはmamatamの牛しぐれ飯弁当。そしてお弁当のお供はもちろんこれ!さらにデザートの抹茶かき氷。のんびりご飯もおしゃべりも満喫して、帰りは疲れたので(ホームページより)名乗ってあんなか。半周しながら帰ってきました。最後に、おまけの画像立川市のマンホール蓋です。辛夷の花でしょうか?
2024.05.04
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ベトナム旅行からは2月20日に戻ってきていたのに、なかなか日記のアップができませんでした。帰国した翌日、数日ぶりに出社したら、その日と翌日の2日間はやはりめちゃくちゃな忙しさでした。でも、3日目は三連休の初日だったので、ようやく落ち着いてブログアップもできると思ったのに、同行者の1人がコロナ陽性に!という一報が入り、それどころではなくなりました。その前日には体調が良くないと言っている人が旅仲間8人のうち5人もいて、3人が咳と高熱、1人が胃腸症状、2人が軽い風邪のような症状とのことでした。咳と高熱の1人がコロナ陽性だったわけですが、1人は陰性でもう1人は翌日には熱も咳もおさまったそう。胃腸症状の1人も念のため検査をしてもらったらコロナもインフルも陰性だったそうです。風邪っぽかったうちひとりは偽陽性だったそうですが、コロナではないと思うと言っており、実際その後の検査で陰性になったとのこと。その時点で何の症状もなく元気だったのはわたしともう1人の女子の2人だけでした。元気なのはありがたいことと最初は喜んでいましたが、調べてみると感染してもすぐには症状の出ない人もあり、潜伏期間はだいたい2日から5日、人によっては1週間という場合もあって、わたしたちも、感染しているけれどまだ発症していないだけということもあるようでした。感染したとすれば、出発した16日から帰国した20日までの間でしょうが、出国と帰国の日は移動日ということで朝からずっとマスクを着用していたし、機内では席がバラバラで会話もなく、食事の時もせいぜい15分くらいしか外しませんでしたから、実際は17日から出発前日の19日までのどこかの可能性が高いです。なので、潜伏期間を平均より1日長い6日と考えて、実質的な最終日19日の6日後、連休最終日の25日まで様子を見ることにしました。症状が出ないと検査もできなくて、ただじっと待つ他ないということで、本当に気が気ではありませんでした。感染者が他の人にうつす可能性についても調べましたら、その可能性があるのは発症する日の2日前からだそうで、24日まで無症状ならば、出社した21日と22日に会社で誰かにうつしてはいなかったと考えていいのじゃないかと計算していました。ですから、無事に24日が過ぎた時は体の力が抜けそうになりました。そうして緊張の25日も体調に変化なく過ぎ去って、無事26日の朝を迎えた時は心底安心しました。連休の間にあれもこれもと色々予定を立てていたのに、旅疲れを癒そうと予約していた整体もキャンセル、気持ちが落ち着かなくて旅の荷物の片付けも中途半端、夫が思いの外汚さずに過ごしてくれたとは言え大分乱れていた家の片付けやお掃除もほとんどできずじまいで、連休明けはホッとはしたものの精神的にもくたびれ果てていました。連休明けの25日から調子の上がらない週前半を過ごしていましたが、今日は月末で、てんこ盛りなお仕事に喝を入れられたのか、ようやく少し気を取り直しました。仕事も家事も滞留しまくりですが、おかげさまで気力は戻ってきたので、徐々にいつものmamatamを取り戻していけそうです。旅仲間たちも、コロナ陽性者も含めて全員ほぼ復活したようですので、わたしも気を取り直して明日から明るく参りたいと思います。とんだ「不要なお土産」のおハナシでしたが、そのお土産を彼が誰からもらったのかは結局不明でした。感染した彼が1人でグループを離れて単独行動をしたことはありませんでしたし、オプショナルツアーのガイドさんが咳をしていたらしいけれども、それだけで原因と決めつけるのにも無理があります。ただ、彼は幹事的な役割を引き受けてくれていて、外部の人と間近で比較的長時間向かい合うことが多かったので、そのせいかもと少々申し訳ない気もしています。でも、まあ、結局みんな無事でしたし、面白いことにもたくさん出会えたので、楽しかった旅として、記憶にとどめておきたいと思っています。
2024.02.29
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ベトナムから20日に戻ってきました。4泊5日。珍しいものやことにたくさん出会い、あっという間の旅でした。
2024.02.21
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今、成田空港に向かう電車の中です。今日から20日までの予定でベトナムに行きます。いつもだと2月は暇なので、高校の同期生8人でジジババ旅行の話が出た時気軽に参加表明したのです。ところが大きなロットの急ぎの注文が入ったり、細かいけれど製造が難しい注文がいくつも重なったりで忙しく、むしろ残業しても間に合わないくらいになってしまいました。おかげでろくに準備する暇がありませんでした。そんな状態で出発の日になってしまい不安ですが、そうも言っていられません。ジジババですが、頼りになる仲間もいるので、楽しんで来たいと思います。ベトナム航空、乗り込みました。だいぶ遅れてるけど、そろそろ出発です。行ってまいります。
2024.02.16
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萩も津和野も、仕事に追われて事前の下調べはほとんど出来ず、観光コースを自分で考えるのは無理でした。それに、帰ったら翌日からまた1週間仕事で、2週間休みなしになるので、どちらの町も歩いて回るのはきついので定期観光バスを探しましたが、津和野も萩も運行していませんでした。津和野では、そんなわたしにぴったりの自転車でのガイドツアーがあったので予約しました。でも、萩にはそれもなくて、贅沢とは思ったけれど観光タクシーを利用することにしました。津和野でも萩でも、コース設定は全部お任せの丸投げ、ほとんど白紙の状態でしたが、津和野ではガイドのさとしクンが、萩ではドライバーさんが行った先々でその場所のことをきちんと説明してくれるし、疑問に思ったら訊けば答えてくれるので、身体も頭もまさにノンストレス、とても楽しく過ごさせて戴きました。そんな観光タクシーのドライバーさんともいよいよお別れです。最後に美味しいお昼のお店を教えていただいた中からわたしが選んだのは、十割蕎麦のお店、がんこ庵さんでした。一人ですけど、大丈夫ですか?と伺うと、女将さんが「ええ、ええ、大丈夫。あなたにぴったりのお席がありますよ。」と案内してくださったのは四人掛けのテーブルに一つ空いた席でした。高齢の女性がお一人でざるそばを召し上がっていて、向かいに女性がお二人。お話が弾んでいました。聞いていると年配の女性は萩の方。お二人は広島からいらした母娘さんで、初対面の様子です。でも、お庭の手入れやご家族の話などですごく盛り上がっていらして、わたしも問われて、東京から一人で来て、今日はもう帰ること、見て来た椿の山や東光寺のパン屋さんのことなどをお話しました。一人客の高齢女性を気遣っていらしたらしい女将さんが、わたしたちのテーブルにだけ特別と言って真っ赤な大粒のイチゴを一粒ずつ持って来てくださって、お食事もおしゃべりも楽しんで、他の三人はそれぞれにお食事が済むと出ていかれました。わたしはおかげですっかり気持ちがほぐれ、注文したお蕎麦が出てくるまでだいぶ待たされたのに、知らない街の知らないお店に一人ポツンと座っている緊張感を全く感じませんでした。わたしが注文したのは近くの農場でお野菜やハーブなどを餌に平飼いで育てていると言う地鶏黒かしわの鶏せいろ。女将さんは、散々待たせた挙句に「すごく元気な鶏さんで捕まえるのに手がかかった上に、あなたのために美味しくなる魔法をかけていたので時間がかかりました。」ですって。あはは🤣でした。お蕎麦はこんなに細くて綺麗なのにつなぎなしの十割そばで、そのままで2-3本口に入れたらとてもいい香りがしました。最初は汁をつけずにお塩(お蕎麦の向こう側にあるブルーの瓶の萩のお塩)を振って食べてみてと言うお勧めで、そうしたら、甘味が立って確かにとても美味しかったです。汁も鶏と魚介の出汁の旨みが混ざり合っています。しっかり焼き目のついた白ネギと鶏がいい味です。わさびはお蕎麦に載せて、汁に混ぜないで食べてって言ってたなと思い出し、少しずつお蕎麦に載せて、お蕎麦とわさびの香りと甘味を味わいながらいただきました。鶏は地鶏にしては柔らかめ。とはいえしっかりした歯応えで、香しくて、本当に魔法をかけたように美味しかったです。だいぶ待たされたのでここでずいぶん時間を使ってしまいましたが、空港までの乗合タクシーの時間まで古い建物が残る街並みを歩くつもりでした。下調べをしていないので、地図を見てもあまりよく分からず、スマホの萩観光のサイトやマップなども使いながら、のんびり歩いて、こちらの御朱印をいただきましたが、ふと気づくと、スマホの電池の残りが少ないのです。写真をたくさん撮ったり検索やマップを見たので思いの外電池を使ってしまったようです。マップをやめて適当に歩いて、雛人形の展示などを見ましたが、電池のことが気になってオチオチ観光していられません。と言うのは、今回の旅で知ったのですが、今は飛行機も事前にスマホでオンラインチェックインと言うのをして、その時付与されたバーコードを提示しないと搭乗ができないみたいなのです。電池切れでスマホが開けないと飛行機に乗れないかもしれません。それは大変です。前日の津和野は山の中なので電池の消耗が早くて、持って来たモバイルバッテリーも使ってしまい、バッテリー用の充電コードを忘れてきたため充電もできていません。ホテルで頼んでみればよかったのに、思いつかなかったのが大失敗でした。歩きながらコンビニでも見つかればバッテリーを買うつもりでしたが、コンビニも見つかりません。乗合タクシーの乗車時間まではまだ2時間くらいありましたが、集合場所のバスセンター付近の方がコンビニも見つかりやすいかと思ったので、観光はやめてそちらの方に移動することにしました。バスセンターの近所には小さなスーパーが一軒あるだけでコンビニは見つかりませんでしたが、スーパーの隣にauショップがあったので中に入りました。スタッフは皆接客中で頼める人がおらず、ずいぶん待ってようやく一人の接客が終わったので事情を話して充電してもらえました。10分ほどで時間切れ。22%で心許ないのだけれど、タクシー乗り場に行き、ロッカーから重い荷物を回収して乗合タクシーに乗り、空港に向かいました。無事スマホを使って搭乗もでき、ほっとしていると、萩からの乗合タクシーの相客さんがわたしの一つおいた隣の座席に座っておいででした。奇遇!と思いましたが、この方にはご挨拶だけしかしませんでした。と言うのも、萩空港に着く頃からひどく降り出した雨、低気圧のせいか、巡航高度に入った頃からわたしは耳が詰まったようになり、音もほとんど聞こえなくなってしまったのです。時々ピキッと痛みも走るほどで、このまま聞こえなくなってしまったらどうしようと不安になる程でした。羽田に着陸するとだいぶ良くなり、家に着いた頃にようやくほぼ聞こえるようになりました。よかったです。無事家に戻れて、楽しい思い出もたくさんできて、ほとんど何も準備せず旅立ったにしては、もう上出来以上、100点満点で120点くらいのお点が戴けそうな今回の旅でした。最後にあれこれ焦り、おかげで、萩の一番萩らしいところが見られずに終わってしまいましたが、満足感でいっぱいで、残念さも悔いもありません。なかなか行ける場所でもありませんが、またぜひ訪れてみたいという気持ちで終われて、本当に良い旅が出来ました。でも、たった一つ、残念なことがありました。それはホテルでもらった、萩で使えるクーポン券。ホテルの売店でお土産を買った時に2枚使ったのですが、1枚だけ、宿泊した施設では使えないものがあったのです。午後に使おうと思っていたのに、おそばやさんではすっかり忘れていて、入ったお店で扱っていないと言われたりで、使えなかったらどなたかに差し上げようと思っていたのにその後はそれどころではなくて、結局1,000円分残してしまいました。家に帰って荷物の整理をしたら出て来て思い出しましたが、もう、今更です。記念品にしましょうか?
2023.03.21
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萩旅レポを続けます。昨日の椿の原生林のオハナシ、あれは明治になりお留山だった笠山の立ち入り禁止が解かれ、木が切られ日当たりが良くなると、虎ヶ崎では日向が大好きで育ちの早いヤブ椿がいち早く切り株から芽吹いて育ち、落ちた種が芽吹いてまた育って一面椿の林という今の姿になったそうです。説明不足でしたね。さて、次は萩で一番大きなお寺、東光寺さんだそうです。海産物マーケットの萩シーマートとか河津桜がきれいに咲く展望台とか大きな蒲鉾屋さんの脇とかを通り過ぎてお寺に向かいます。禅宗である黄檗宗の寺院です。毛利家の菩提寺で、長州(萩)藩の奇数代の藩主の墓所だそうです。そういえば、幕末になって萩藩は萩にあった藩庁を山口に遷したんですって。あれがなかったら、山口県は萩県で、県庁所在地は萩だったかもしれないと、運転手さんはちょっと残念そうに言っていました。さて、お寺へお詣りにいきましょうか。入り口は総門。この門をくぐり、拝観料を払い、書き置きがありますと言われて御朱印を拝受。なぜ書き置きだったのか、後でわかりました。めちゃくちゃ立派な山門をくぐった先には御朱印に書かれた大雄宝殿。正面から見るとまさに勇姿です。大雄宝殿の鬼瓦です。こちらは修復されたもののようですが、24個あるうちのいくつかは創建(元禄時代)当時のまま残されているそうです。大雄宝殿の奥の墓所に続く石畳。その奥には500を超えると言われる石灯籠が立ち並ひ、その先に見える鳥居の奥に代々の藩主と奥方の墓碑が並んでいます。真ん中が第3代藩主と奥方のお墓です。いきなり出て来たこの美味しそうなパンは大雄宝殿の隣の方丈の裏手にひっそりと立つお寺直営のパン屋さんの製品。カンパーニュの1/4カットの一部(誰かが食べた残り😂)です。このパンが、御朱印が書き置きだった理由なのではないかとmamatamは推測しているのですが、だって、住職さん、このパン屋さんのレジにいらして、「はい、300円戴きます。」っておっしゃっていたんですもの。写真の2倍弱の大きさのカンパーニュが300円って安すぎません?しかも1/4カットはお値段も1ホールの1/4なのです。優しすぎ!荷物に余裕がありさえすれば1ホール1200円、絶対買いだったのに!聞けば、ここは、パンが大好きなさ住職さんの希望で、本当はご飯党のパンはほぼ召し上がらないお嬢さんが焼いて、奥様が売り場を守っていらっしゃるお店なんだそうです。あまりにこのカンパーニュが美味しそうなので、ホテルでお酒など重いものをたくさん買ってしまったんだから持ちきれないと思いつつ、我慢しきれず「飛行機の中で食べちゃえばいいのよね!」なんて言って買ってしまいました。そしたら奥様が5枚にスライスしてくださったのです(萩の人、やっぱり親切!)。飛行機に乗る前に2枚食べちゃった犯人はわたしなのですが、すごく美味しかったです。パンを買って次に向かったのは、「萩といえば」な松陰神社でした。運転手さん、吉田松陰さんを「松蔭先生」と呼んでいらっしゃいましたよ。小学校の頃、朝礼のように始業前に松陰さんの言葉や歌を唱和するとかそんなふうにして育つので、萩の方にとっては親しむと同時に無条件に尊敬する方なんだそうです。松陰神社、鳥居と御本殿、一門のお弟子さんたちを祀る末社、松門神社。これがあの松下村塾!最初は右側の部分だけだったそうです。本当に狭くて、八畳ほどのお座敷一間だけです。のちに一門の人たち皆で左側に一回り広い部屋を増築して拡げたそうですが、それにしてもやっぱり狭い、ほとんど小屋のような建物です。ここから伊藤博文や高杉晋作はじめ何十人もの明治時代を作ったとも言える人々が巣立って行ったとはとても信じられませんでした。しかも吉田松陰が松下村塾で塾生たちと接した期間は、松陰がアメリカ密航を企てた罪で萩に幽閉された年から安政の大獄に連座して江戸で刑死するまでのわずか一年ほどなのです。松蔭の生涯を辿ると、本当に驚くことに、9歳で藩校明倫館で兵法を教え(学び、ではなく)、11歳で藩主に講義をして才能を認められ、明倫館の塾頭として桂小五郎や山縣有朋にも兵学などを教え、やがて松下村塾を引き継ぎ、罪を得て斬首されるのですが、享年わずか29歳と言う早熟の天才でした。本当にユニークでなかなか傍迷惑な人ではあったそうで(運転手さん談)、同時代の人々、とりわけ頭の硬い幕府の役人、要人たちには到底理解が及ばなかったのだろうとは思いますが、それにしても、これほどの頭脳、才能に天寿をまっとうさせていたら、日本はどうなっていたことだろうと、思わずにはいられませんでした。今、この現代でも、松陰を師と慕う人がたくさんおられることが頷ける気がします。そうそう、大事なことを忘れる所でした。こちらの松陰神社では、御朱印を目の前で書いていただけました。ご覧にいれますね。この言葉は松蔭を語るのに欠かせないもののようです。萩をめぐる観光タクシーはここが終点で、バスセンターに戻り、楽しいガイドをしてくださったドライバーさんとはお別れです。その前に美味しいお昼を食べられるお店を紹介してくださったのですが、そこでまた素敵な出会いに恵まれました。そのお話はまた、明日にでも。
2023.03.20
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萩の旅レポ、続きです。たっぷり眠って、目が覚めたら午前5時でした。もちろん起きないし、テレビもつけません。ただただお布団の中でゴロゴロ。普段は絶対できない至福の時間でした。窓の外を見ると、もちろんまだ日の出前です。夜明け前の海の美しいこと。ちなみに日の出は7時頃。朝風呂から帰ってきて撮りました。朝食は7時半に予約してあります。お食事処に行くともう用意してくださっていて、朝も少しずつの盛りだくさん。まず、右奥の夏みかんジュースをいただき、右手前の四角いお皿、これ、イカ刺しでした。甘くてプリプリ。すごく美味しい!丸いザルの中の右奥の小鉢の釜揚げしらすが、これもメッチャ美味しかったです。奥のピンクの小鉢にスプーンが添えであるのはサラダドレッシング。夏みかんと醤油でジュレ仕立てになっていました。夏みかんジュースの隣のヨーグルトのトッピングは夏みかんの皮の甘煮です。萩は本当に夏みかんの街なのです。小鍋は湯豆腐です。朝の湯豆腐なんて、贅沢!厚焼き卵としじみ汁がでたあと、コーヒーも。コーヒーはトアルコトラジャでとっても美味しかったです。朝ごはんの後はゆっくり荷造りをして、ロビーの売店でお土産を買いました。夫と息子に前夜飲み比べした地酒と、お嫁ちゃんに朝ごはんに出た夏みかんジュース、美味しかったので重いのに後先考えずに買ってしまって、後ですごく後悔しました。我が家と息子家にふぐだし塩、mamatam社の女性スタッフ達に萩名物しらすとワカメの入ったなぶら(小魚)ふりかけ。わたしの記念にクリアーホルダー2種、椿と夏みかんの図案です。チェックインのときに戴いた萩で使えるチケット3,000円分のうち2,000円はここの売店で使えました。買い物が済んで予約していたタクシーのピックアップが10時の約束だったので、ロビーで待ちました。待っている間にこんな写真を撮りましたよ。観光タクシーが10時に来てくれて、まず最初に椿の原生林に行きました。海沿いの山道をゆっくり登っていくと、椿の花が散り敷いて綺麗です。今が満開のようで、椿祭りが開催されていました。るこんな散策路を通って海の見える場所に出ます。後ろの島は大島だそうです。この服は大島紬とカーキ色の大風呂敷を接いで、無地の風呂敷のところに大島のパッチワークをした(わたしがしたわけではありませんけど)お気に入りのチュニックなのですが、この日、椿まつりで広場にテントを張って売店をしていらした漁協の婦人部?の方が、大島でしょ?リメイクしたの?良いわね、良いわね!っていろいろ話しかけてくださって、それをきっかけにいろんなお話を聞けました。着物リメイクの功徳ですね。ここの椿の実を絞った油があったら買いたかったのだけど、それはないんですって。いやいや、また重くなるから、なくってよかったのですけど、でも、こんな小魚の干物を我が家と息子家にたくさん買って来ました。この売り場なテントにいらした方が網元さんの奥様だそうでした(タクシーのドライバーさん情報)。その先の駐車場の隅で洗濯干し用のピンチにワカメが干してあって、それも欲しいと思ったのだけど、まだ売店が開いてなくて断念。あまりに残念がるので運転手さん、ちょっと呆れてたみたい。この後、山を降りて麓の明神池で泳いでいるお魚に観光客などが投げ与える餌のパンを狙ってトンビがたくさん飛んでいるのを眺めました。たまにダイビングキャッチとかするらしいです。ヌートバーか?手前の波紋の下に見える黒っぽいモノはお魚、たぶんボラです。タイもいたし、時々エイなんかもいるとか。この池は海と繋がっていて、そこに漁師さんが網にかかった魚を放したりするからだそうです。写真奥の方に神社もあったのですが、普段は神職さんはいないから行かない方がいいよ!とのことで、お詣りも御朱印も諦めました。まだまだ続く萩の旅です。
2023.03.19
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津和野を真昼間の14時56分に出発したバスが終点東萩駅に着いたのは、夕刻16時37分でした。バス料金は2,220円。現金で支払いをしようとすると、運転手さんが「支払いは現金ですか?」みたいなことを尋ねてきました。これがモロ山口弁で、わたしには、現金なの?勘弁してよ!みたいなニュアンスに聞こえて、びびってしまいました。それで思わず、「だって、あの、こっちの電子マネーとか持ってないし。パスモかスイカならありますけど、使えませんよね?」とかゴチャゴチャ言っていたら、「いいもんがあるから、それあげるからまず2000円出して。」というので渡すと、「こんなのがある」と見せてくれたのが、プリペイドカードでした。で、1枚につき10%100円のおまけがつくんですって。このカードを2枚くれて、あと20円出してというから払うと、2020円でバスに乗れたことになりました。最初怖かったけど、ヤダ、山口の人、親切!駅前で下りて、うろうろしながら待つと、5時にホテルからのピックアップのバスが来てくれて、これもまたわたし一人の貸し切り。ドライバーさんが独り漫談をしながら運んでくれました。玄人はだしの話芸でしたよ。ホテルは新しくはないけれど清潔で、ゆったりしていました。最近リニューアルをしたとかで、お部屋はこんなふう。洗面所が可愛かった。楽天トラベルの特典で浴衣貸出無料だったので、これを借りました。窓からは海が見えます。こちらは右方向。そして左にカメラを向けると朝日も夕日も見えると聞いたけど、山があるし、どちらも見えませんでした。大浴場は2か所あって、時間によって男女が入れ替わります。温泉は写真を撮れませんでしたので、ホテルのHPから。手前側が露天風呂で、向こうに海と山が見えます。お風呂は二つ並んでいるのでどちらも似たような景色です。早速お風呂に入って浴衣に着替えて、夕食は19時30分の予約なのでゆっくり食事どころへ。朝晩同じお部屋でした。夜撮り忘れたのでこれは朝食の時です。お隣のお部屋の声は聞こえますが、1人でゆったり戴けました。晩ごはんがもうすごーく豪華で、びっくり🫢‼️すごい品数ですけれど、これ、まだ全部じゃないのです。お品書きです。左奥の炊き込みご飯を炊いているおかまの隣は鮑のバター蒸しです。右奥の鍋はふぐちりです。フグは他にもお刺身、フライ、チリソースとありました。真ん中の小鉢の三種盛りは塩辛がとっても美味しかったです。ビールの脇にあるお刺身三種はマグロと鯛とヒラマサで、とりわけヒラマサが最高でした。これだけ美味しいものが揃ったら日本酒は欠かせません。1人なのでお部屋に歩いて帰れなくなると困るので、萩の地酒三種飲み比べをお願いしました。左から宝船、長陽福娘、東洋美人。どれもふっくらと麹の香る美味しいお酒で、なかでも東洋美人がわたしは一番気に入りました。メヌケの煮付けです。これ、本当に美味しかった。大和蒸しと柔らかい長州牛の一口ステーキ、お吸い物デザートもありました。朝は早かったし、お昼は食べ損ねておせんべいだけで、お風呂から出てきた時は倒れるかと思うほどお腹がぺこぺこだったので、この量をほぼ完食!でもご飯は食べられなくて、そう言ったら、なんと、おむすびにしてくださいました。お部屋にお持ち帰りくださいってお箸もつけてくださって、ビックリでした。これ、実は翌日持って歩いて、帰りの飛行機に乗る前にいただきました。美味しかったです。この後、もう一度お風呂に入り、お部屋にもどりましたが、バスで爆睡したとはいえ前日2時間弱しか寝ていなかったし、流石に疲れも出て、そのままバッタリ倒れて眠ってしまいました。
2023.03.17
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やや遅れながらなんとか駅の観光協会に戻り、担当の方とこの日のガイドをしてくださる方にお会い出来ました。自転車はレンタルの物を用意してくださるとのことでしたが、電動のスポーツタイプになるかもと言われていて、スポーツ車は多分乗れないと思っていたので少し心配していましたが、普通の形の電動自転車だったので安心しました。津和野は小さな町ですが、山間の町なのでそこそこ傾斜があり、電動でないと厳しいかもしれませんが、新しくてきれいな自転車でした。ガイドのさとしクンは島根出身で広島在住、この日は朝広島を出て車で来てくれたのだそうです。ツアー参加者はわたし一人(!)。ちょっと、それ、赤字じゃないの?と心配になりました。最初に少し試し乗りをして、コースや津和野の町について説明を受け、のんびりと二人で出発です。駅前からしばらく商家の続く商人地を走り、武家地に入っていきます。昔はこの間に門が建っていて、許可された人以外は入れなかったそうです。街並みはとても古くて建物も年代を感じさせますが、よく手入れされ、綺麗に保持されていました。街がとても大事にされている感じを受けます。それを伝えると、さとしクンわが意を得たりとばかりにとっても嬉しそうに、津和野の人たちは津和野が大好きで、とても大事にしていると教えてくれました。津和野には、幕末に描かれた百景図というものがあり、明治以降津和野の街の人たちはこの百景図に描かれた津和野をそのまま残そうと、ものすごく頑張ってきたそうなのです。なのでこの百景図に描かれた場所に行って現在の姿と幕末のその図を比べると、ほぼ同じ!というところが何箇所もあるのだそうです。最初にわたしたちが走ってきた武家地のメインストリート=殿町通り=沿いの景色はまさにその典型です。さとしクンが百景図のコピーを見せながら説明してくれましたが、森鴎外も学んだ藩校の養老館や、昨日の源氏巻の家老多胡さんの家など、まさに百景図のままでした。面白いのは、現代の津和野では街の代名詞のようにもなっている堀が、実はその百景図には描かれていないことでした。それは堀が、度重なる水害の対策として明治以降に掘られたから、なんですって。自転車ツアーだったため、走りながら写真が撮れず、この辺りの写真がありません。数少ない写真をアップしますと、津和野のマンホール蓋、その1。津和野のゆるキャラ(名前失念)の蓋です。その2。家老屋敷の塀と門でしょうか?そしてそのマンホールを撮っているわたしをさとしクンが撮ってくれました。こちらがそのさとしクンとわたしです。森鴎外の生家を訪ねた後、川沿いを走っていたら、知り合いの方にバッタリ会って、その方がシャッターを押してくれました。若々しくはあるけれど落ち着いた感じのさとしクン、息子より少し上?30代後半くらい?と思ったら6歳年上ですって。1980年生まれ?それでもやっぱり若いわね。右側に見えるのが今回お借りした電動自転車です。後ろに見えるのは津和野のシンボル青野山かもしれません。青野山、ぽっこりまあるい可愛い山です。鴎外の頃は「いもやま」と呼ばれていたそうです。「芋山」かと思ったら「妹山」なんだそうですが。まぁるいのはこれが溶岩ドームだからなようです。この後永明寺(ようめいじ)に行きました。ここは森鴎外のお墓があります。鴎外は、作家としてでも、最高位に上り詰めた軍医としてでもなく、1人の人として津和野に戻ってくることを望んだそうで、墓碑にはただ森林太郎墓とだけ刻まれていました。晩年、津和野に戻ることを強く望んでいたそうですが、鉄道(山口線)は林太郎が亡くなった翌年に開通し、彼の帰郷の望みは存命中には叶わなかったとのことでした。このお寺には、また、代々の藩主や主だった家臣も葬られているそうです。奥に見えるのは御本堂の屋根、手前の門は藩主がお詣りするときだけ使われたものだそうです。本堂の屋根は葺き替えられたばかりとのこと。屋根を葺く茅をあつめるだけでも何年もかかったそうですが、檀家の方々の協力で、出来上がったばかりだと、ご住職の奥様が話してくださいました。この日はご住職がご不在とのことで、書き置きでしたが御朱印を拝受することができました。こちらです。書き置きですが、なんかすごく心がこもっている感じがします。サイクルツアーはここで終わりで、駅に戻りました。この後は津和野発14時56分の路線バスに乗って萩に移動します。実は、わたしはこの日お昼ご飯を食べ損ねていました。どこかでお昼を食べたいと思いつつ、駅の目の前にある安野光雅美術館にもぜひ寄ってみたくて、1時間強ほどある時間をどう使おうか、ぼんやり悩みながら、吸い込まれるように美術館に入ってしまいました。入場券です。安野さんが津和野町の出身というご縁でここにこんな美術館ができたそうです。緻密でいながら温かみのある安野光雅さんの作品がたくさん展示されていて、内装も安野さんの作品にぴったり。窓から見える別棟です。ここにも石州瓦が使われていました。記念にクリアホルダーを買ってきました。のんびり見た後、カフェテリアでお茶と軽食でもと思いましたが、売店しかないとのことで、結局お昼は食べ損ね、駅前のなんとも形容のしにくいお店で、ペットボトル入りのまめ茶とお煎餅を買い、駅前のベンチに座ってバスを待ちながら食べました。まめ茶は、帰ってきて調べからカワラケツメイという薬草のお茶なんだそうです。とってもおいしくて、体にも良さそうだし、お取り寄せしてみようかと思っています。おせんべいも美味しくて、バリバリ食べていたら、バスが来ました。東萩駅行き、終点まで1時間40分くらいかかります。乗り込んだ乗客はわたし1人。車内は静まり返っていました。最高に良いお天気で、ポカポカしたバスの中で、寝不足のわたしはいつの間にか爆睡していました。途中何度か目が開きましたが、すぐにまた眠りの世界に戻ってしまい、はっきり目覚めたとき、バスはもう萩市内を走っていました。楽しかった津和野でしたが、半日の滞在はやはり短すぎました。名物のうずめ飯も食べられなかったし、もう一度来ないといけないような気がしています。付記昨日の日記で、仮名手本忠臣蔵の浅野内匠頭をモデルにした登場人物を塩谷判官と書きましたが、変換ミスで塩冶判官が正しいです。読み方はえんやはんがんです。失礼いたしました。
2023.03.16
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萩石見空港から津和野に向かいます。2時間しか寝ていないので寝不足のはずなのに移動中も寝るどころではなく、ドライバーさんの後ろに座って時々話しながら窓の外を興味津々、眺めながら行きました。空港から離れ、山の中に入ると、道沿いに流れる川の水がとても綺麗です。道すがらとても気になったのは、屋根をツヤツヤとした赤褐色の瓦で葺いた家々でした。尋ねてみると島根県のこの辺りの特産の瓦だとのこと。石州瓦と呼ばれ、県産の良質な粘土と、やはり特産の来待石から作る釉薬を使って高温で焼き上げると、硬くて温度の変化に強い、独特の赤い色をした瓦になるのだそうです。良い写真がないのでwebからお借りしましたがこんな感じなのです。しかもほとんどの家の屋根の上に見慣れないものが載っています。これもシャチホコっていうのかどうか、鬼瓦は魔除けの意味らしいけれど、こちらは魔除けと合わせて火除けの意味もあるらしいです。 (写真はwebより拝借)この辺りの方達はよその土地に行って黒い瓦の家がこんなふうに連なっていると不思議な気持ちがするそうです。などと話しているうちに津和野につきました。津和野駅です。この路線はSL山口号が走るので有名です。そのせいか駅前にこんなお方が暇そうに立っていました。こちらの白バイさんとはこの日3回もすれ違いましたので、何かのご縁と思いご登場いただきました。この時10時45分。まずは駅舎の中にある観光協会に行きました。一か所行きたいところがあって、ツアーのコースにそこが入っているかどうかを確認したかったのです。予約を受けてくれた方が不在で詳細は不明というのですが、どうしても行きたかったので、先に行ってしまって戻ってくることにして大して重くはないリュックを預けて、折よく停まっていたタクシーに乗りこみました。行ったところは太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)です。日本三大稲荷の一社で、必ず願いを叶えてくれるという意味を込めて、稲荷ではなく稲成と津和野のお殿様が決められたのだそうです。ここにお参りして、御朱印帳と御朱印をいただきたかったのです。御本殿にお参りして、社務所で御朱印帳を購入し(表表紙と裏表紙)、立派な見開きの御朱印を書いていただきました。この時は通れませんでしたが、願望成就のお礼にと全国から寄進されたという千本鳥居が御利益の大層さを表していますね。本社の他の3社もお参りして、御朱印に記されている四拝を果たし、大急ぎで駅に向かいます。Googleのマップには徒歩だと所要時間32分とあるのに12時まで35分しかありません。山道(緩やかな下りですけど)を必死で小走りしました。途中、こんなポストに出会い、足を止めて写真を撮ったり、津和野高校の野球部の少年たちがランニングしているところに出っくわしたら先頭から順番に全員がこんにちは!って挨拶してくれるので皆んなにこんにちわこんにちわこんにちわこんにちわと返したり、川べりで見つけたお店で津和野名物源氏巻をついつい買ってしまったりしながら、駅まで戻って、少し遅刻でしたが、無事ガイドの方とお会いできました。サイクルツアーのお話はまた明日書きますね。でもその前に、上の写真の源氏巻の包装紙に印刷されているこのお菓子の由来を読んで嬉しくなってしまったお話をさせてください。これ、歌舞伎、文楽ファンにはお馴染みの仮名手本忠臣蔵ゆかりのお菓子だったのです。浄瑠璃では塩谷判官(浅野内匠頭)より前に、コンビで饗応役を務める桃井若狭之助が指南役の高師直に愚弄されて斬りかかろうとしたところを塩谷判官に止められます。それでも桃井若狭之助の気持ちはおさまらず、屋敷に戻ってから、翌日師直を斬るつもりだと家老に打ち明けました。打ち明けられた家老加古川本蔵は、バッサリやっちゃいなさいと焚き付けておいて、自分は馬を走らせ登城する師直に多額の賄賂を贈ります。師直はいじめの標的を塩谷判官に変え、その結果判官による刃傷沙汰が起きるのです。この、最初にいじめられていた桃井若狭之助のモデルが津和野藩の藩主亀井滋親で、家老加古川本蔵はその家老多胡外記がモデルだそうです。多胡は小判を包んだ形のお菓子を吉良上野介に贈りご機嫌を取って滋親へのいじめを止めさせ、藩は取り潰しの危機を免れたと伝えられました。それから津和野では、小判の代わりに餡をカステラで包んだ源氏巻きが国(藩)を救った縁起の良いお菓子として長く愛され親しまれてきたのだそうです。(注 諸説ございます。)まさかこんなところで仮名手本忠臣蔵にバッタリと邂逅するとは!という、嬉しいおまけ付きでした。
2023.03.15
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してきました先週末、3月11日、12日、島根県の津和野町と山口県の萩市を周遊して来ました。たった一泊でしたので、旅したなんて大仰に言えるモノではありませんが、まるでゴールデンウィークの頃のような暖かい二日間をゆっくり、とても贅沢に楽しみました。ことの発端は息子が保有しているマイレージが期限切れになりそうなので、どこか行きたいところがあったらチケットをあげると言ってくれたことでした。いくつか候補地をあげてみたものの、空いている土日はこの週しかなく、その日に飛行機とホテルと両方の予約が取れるのは萩だけだったので、迷う余地もなく行き先が決まりました。最初は一泊2日の萩旅行のつもりでしたが、空港から萩市へのアクセスを調べていると、津和野という地名が出ていることに気づきました。山陰の小京都と呼ばれていることを知って若い頃憧れていた町でした。空港からは津和野の方がむしろ近いようでした。萩と津和野、決して近くもなく、便利に移動できるわけでもありませんでしたが、どちらも行ってみたいと思うと諦めきれず、時間もお金も不経済と思いつつ、1日目は津和野、2日目は萩を回ってみようと決めたのです。旅の支度もなかなかできなくて、結局、荷造りも日程確認のための調べものも直前の2日間ぐらいで怒涛の勢いで完了させました。羽田と萩・石見空港を結ぶANAの朝の便は8時25分羽田発です。当日は6時30分ごろに家を出て、7時30分ごろに羽田に着くリムジンバスに乗る予定で、5時にアラームをセットしましたが、寝られたのは3時ごろでした。ほとんど寝られた気のしない状態でバスに乗り、飛行機に乗り、島根県には10時ごろに到着しました。良いお天気で、富士山が綺麗に見えてい等とアナウンスがありましたが、うっかり反対側に座席を取ってしまい、見えたのは富士山でなく、雪を被ったアルプスの山々でした。萩・石見空港から津和野へは乗合タクシーを予約して利用しました。ワゴン車にわたし1人という、それでも乗り合いなので、利用料は定額です。海に近い葉が石見空港から、車はどんどん山の中に入って行きます。所要時間約50分、津和野に到着です。料金は2,200円でした。普通にタクシー利用だったらとてもこんな金額では来られませんから、とてもありがたいです。いよいよ津和野の街歩き。。。のことは、明日書かせていただきますね。
2023.03.14
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旅行を計画しています。たった一泊なのですが、少しずつ準備しておこうと一つ手をつけるともう大変。ブログもつい後回し、気がつくと真夜中で、まだお風呂も入ってなかった!明日会社なのに!!と大慌て、となります。息子が、期限切れになりそうなマイレージを使って航空券をプレゼントしてくれるというので、行き先は山口県の萩市にしました。候補はいくつかあったのですが、一人旅なので、知らない街で食事をする場所をひとりで探して歩くのはやはり少し不安だし、一泊の短い旅ではその時間がもったいないと思って、二食付きのプランがあって一人客OKという宿を探してみると、なかなか見つからないのです。しかも飛行機の予約が取れる日に都合よくホテルも空いているところとなると本当に少なくて、ほぼ一択のような形で萩になりました。今回萩で見つけたホテルは、街の中心からは少し離れるようですけれど海べりで景色がよく温泉があるそうで、楽しみです。お天気が良ければ夕日も楽しめそうだし、大浴場からの眺めも素敵だそうなので、願ったり叶ったり。本当にラッキーでした。無事に萩のホテルが決まって空港から萩へのアクセスを調べていると、若い頃の憧れの街だった津和野がそう遠くないことがわかり、萩と津和野を組み合わせた旅にすることにしました。それにしても、もう何年も自由に動き回る旅をしていませんでしたので、コースプランを立てようとしても、以前のようにはいきません。わたしは行き当たりばったりの旅というのがダメなタチで、昔は旅行に行くとなると、時刻表のような旅程表を作って出かけたものでした。旅自体はもちろんですが、プランを立てる、予定を作るというそちらも好きだったのですね。目的地のことを学んでそれに基づいてプランを立てたり、交通手段、タイムテーブルを調べてコースを決めることも、とても楽しくて、若い頃は旅そのものと同じくらい楽しんだものでしたが、今ではガイドブックを読み込んで情報を集めてコースを組み立てていくには、時間も、体力気力も足りません。こんな時のお助けは定期観光バス!と思い、観光協会に問い合わせましたが、どちらの街にもないそうなのです。2日間、自分の足で歩き回るのはきっと大変すぎるので、ネットで調べたり、観光協会に電話で相談したりして、ボランティアガイドさんの案内してくれるガイドツアーと一部は観光タクシーを利用することに決め、予約しました。それと、どちらの町でも、電動の貸自転車が利用できるとのこと、それも予約なしの当日申し込みでOKというので、様子を見て、そちらも活用したいと思っています。食べ物も、どちらにも美味しいものがたくさんありそうなので、出発までにそこはしっかり調べていきたいと思います。こう書いていて思い出しました。1日目のホテルの送迎バスを予約していませんでした。大変、たいへん。忘れないように、メモしておきましょう。出かける前から疲れてしまわないように、焦らずのんびり、ゆるーく準備を進めていこうと思います。
2023.03.07
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久しぶりの更新です。ご無沙汰、ごめんなさい。前回のブロブアップが7月11日でしたので、1週間以上更新も、訪問・コメントもせずに過ごしてしまいました。「忙しい」の一言ではとても言い表しきれない1週間だったのです。楽しみにしていた三連休も、毎日何かしらの仕事が入り、3日間とも、終日というわけではないものの仕事がありました。忙しくても疲れても、一夜明けたらシャキーンとまた元気になってるなんて時もあったり、忙しかった平日の後の休日にも仕事があっても、リフレッシュできる時は出来ちゃったりするわたしなのですが、今回はどうもそういう風になれなくて、日に日にどよ~~んの度合いが増していました。それで、三連休最終日の昨日、「フレ~!フレ~~!!自分!!!」キャンペーンを開催することにして、お仕事の合間に亀戸天神界隈まで出かけてきました。美味しいと評判のパン屋さんがその辺りにあって、18日引取分の予約にまだ空きがありますよというLINEが入ったので、初めて注文してみることにしたのです。亀戸天神に程近い運河沿いにそのお店はありました。スカイツリーがこんなに近くに見えます。ただ、亀戸駅と錦糸町駅の中間というロケーションで、わたしは亀戸から15分近く歩きました。暑かった!日傘を差してもお店に着いた時は汗だく。それでも、往きは空手だったのでまだマシでしたが、駅までの戻り道はさながら罰ゲームでした。天然酵母のパンは美味しいのだけどどっしり重たいのをうっかり忘れて、食パンやカンパーニュなどを気持ちよく予約してしまいました。他にもマフィンとか色々注文してしまって、エコバッグしっかり2袋でした。せっかくだからと欲張って、すぐ近くにある下町の名店船橋屋さんで葛餅とあんみつという、これまた重たいものを買ってしまい(だって、ホントに船橋屋のくずもちはおいしいの!!)、さらにここまできたらお詣りしないで帰るわけにはいかないと、亀戸天神にお詣りも。時刻は14時、暑い盛りです。引取り予約は14時以降だったのですから、順番が逆でしたね。いまさら言っても遅いけど、そうしていれば、少なくともお詣りは身軽に出来たのに。あほや~~!!!さて、天神様の境内、太鼓橋にスカイツリー、綺麗だけど暑そうな空でしょ?日傘を差して重い荷物をぶら提げて階段を登るという修行は回避して、ぐるっと回って藤棚の下をくぐり、梅の木立や紅梅社の脇を通り過ぎて、ご本殿をお詣りし、帰路につきました。が、もう一軒、亀戸に来たからにはmamatam家的には絶対外せないお店があって、やはり立ち寄ってしまいました。って駅までの通り道なんですけどね。嵩張る重い荷物とよくよく相談の上、搾りに絞って買った一品はこれ、塩豆でした。夫の好物です。わたしも好きだけど。ここのおまめ屋さん、お安くて美味しいんです。亀戸にお出かけになることがあったら、その節はぜひお立ち寄りお買い上げください。はい、CMタイム終わり!もうこれ以上何も買わないぞと思いつつハアハアいいながら歩いてくると、亀戸十三間通りは歩行者天国で、たくさんの大道芸人さんが暑さも直射日光もなんのその、いろんな芸を披露していました。あ、だから!ここが通行止めだから天神様から歩いてくる途中、わたしを追い越して駅に向かうバスが一台もなかったんだ!!バス待たなくて正解でした。正解といば、荷物が増えると思いつついつもより大きめの水筒に氷をいっぱい入れて冷え冷えに作っていった頂き物の薬草茶、ホント邪魔だったけど、持って行ってよかったです。散々な目にあったパンの買い出し、確かにずっしりしているのにフワフワで、とっても上等の小麦の香りのする美味しいパンでしたが、あの苦行の記憶が薄らぐまで、はしばらくあのお店を再訪する事はなさそうです。でも、パンが美味しいだけでなく、気づけばどよ~~んも少しだけ薄らいでいて、お出かけしたことは正解だったようです。そうそう、天神様、御朱印は書き置きで、しかも500円だというので、いただきませんでした。
2022.07.19
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大室山から最終のリフトで下りてきて、5時近くなってホテルにチェックイン。 狭い路地の奥でわかりにくいロケーションでしたが無事到着、駐車場は道を隔てた斜め向かいでした。 車を停め、荷物を持って玄関へ。星野リゾート 界 伊東です。 入り口の写真を撮り忘れたのでホテルの公式サイトから拝借。ちょっと季節が違うけど。 ここを入っていくと 自動ドアの中、正面です。右サイドロビーへの入り口の手前にお決まりの 消毒、検温セット。その左の自動ドアの中は ロビーです。この左手に こんなディスプレイがあってこの右にフロントのカウンターがあります。 この界 伊東のコンセプトは「和」なのだそうです。だから、お食事も徹底して「和」でしたよね。 中庭に面してロビーがあります。奥に見えているのはお土産売り場。売っているものは、食品などはほとんどなくて、工芸品的なものが多かったです。 フリードリンクのカウンターが設置されていて、お部屋に持ち帰ることもできるし、 こちらのテーブルやカウンターで ライブラリーの本を読みながら寛ぐこともできます。 チェックインはお部屋で。 インターネット予約だったので、プリントされた記載事項を間違いないかどうか確認するだけでした。 お部屋は518号室。 エレベーターを降りると 可愛いこれなんでしょうシャドウボックス?がお出迎え。 鍵を開けて玄関に 玄関ホールです。正面は浴室・洗面室。その左にトイレ。手前左側にメインベッドルームへの入り口。右手の開いている襖から中に入ると リビングルームです。 手前に小さな冷蔵庫とお茶道具の置いてあるカウンター コーヒー紅茶もありましたが、正選手待遇は伊東名産の「ぐり茶」、それに「椿茶」のティーバッグでした。 椿は伊東市の花であり、ここ界伊東のシンボル的なお花でもあります。 お茶菓子が置いてあったので、早速寛ぐ用意。 一つは早くも誰かさんのお腹に。 ここは6人用のお部屋で、リビングの脇、上の写真の左側にあるのが 2ベッドの予備の寝室。 玄関を入って左、リビングルームと反対側にあるメインベッドルームは フォースなんです。なんだか笑いを誘う光景。 部屋風呂も温泉というのがここの売りで、 浴槽はヒノキでした。 脱衣室は洗面所も兼ねていて、 洗面台、6人用にしては狭すぎます。脇にタオル掛けがないのも不便。 トイレもひとつだし、ここは、トイレと洗面ボール、もう一つずつ必要と思いました。椅子もひとつしかないし。まあ、広さから言ってふたつは置けないけれど、うーん、ここはやっぱり不満でした。 あとは大浴場とお庭だけれど、お風呂は夜も朝も相客ありで、写真は撮れませんでした。 露天風呂はあるけれど、浴室は男女とも大浴場だけ。温泉メインで考えるとちょっと物足りません。 お庭にはプール。 お湯は源泉から引かれていて一年中入れるそうです。 息子と彼女ちゃんは楽しみにしていたみたいだけど、これは早朝の写真。お寝坊の2人が入ろうと思った頃には、お子ちゃま連れが数組入っていて、泳ぐのは無理と諦めたそうです。 反対側から客室が見えます。七階まであるようですね。518は5階の右端です。見えているのはリビングの窓ですね。 木立の左は中庭。 この正面の奥には、小さな池があって錦鯉が泳いでいました。 ホームページには散策をお楽しみくださいと書いてありましたけれど、そんなに広くはありません。ロビーから持ってきたお茶を片手にベンチに腰を下ろしてひと刻のんびり過ごすなんていうのは良いかもしれません。 でも、青空の下、ほんの少しの時間でも芝生を踏んで歩くのは、普段の生活では味わえない、ゆったりしたリラックスタイムになりました。 星野リゾートがこんなに有名になる前、もう何十年も前のことですが、実はわたし、星野温泉ホテルとはご縁がありました。 星野温泉は、中軽井沢、正確には隣町の御代田にあって、その旅館の隣にわたしの通った高校の山の寮があったのです。 今でもあると思いますが、高校1年の林間学校のほか、部活の夏合宿でも泊まらせてもらった寮でした。 林間学校の時は寮のお風呂に入りましたが、合宿の時は人数が少ないのでお風呂を焚いてもらえなかったのか、毎年、隣にある星野温泉の、今から考えるとアレはきっと従業員用だったかもと思うのですが、小さな木の湯船のお風呂でもらい風呂をしました。 寮の庭から旅館の裏木戸を抜け、細い道をたどって歩いたことをうっすらと思い出します。 たしか4人も入ったら窮屈なくらい狭いお風呂に、8人いた同学年の女子が2組に分かれて入りに行ったのではなかったかしら? この時の少女たちは、コロナ前、毎月お墓参りを兼ねて深川、門前仲町のしか野さんで会食をしている5人の仲間のウン十年前の姿なのでした。
2021.10.05
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無事に帰って参りました。 2日間お天気に恵まれましたが、肝心のところでは雲が出ると言う、お笑いのような展開で、伊豆に行ったのに富士山が見える時間はほぼありませんでした。 でも、行き道は高速を通らなかったせいなのか、ほぼ全ルートで海が手の届きそうな近くに綺麗に見えていました。ただ、高速道路ではなくて有料道路?って言ったらいいのか、9時過ぎに東京を出て、14時過ぎに伊東に着くまで、○○道路とか××ビーチラインとかそんな道を細かくつなぎながら走ったので、あるのは料金所ばかりで、休憩所も売店もなくて、途中、お昼を食べによったお蕎麦屋さんと、料金所と料金所の間の一般道で見つけたガソリンスタンドでトイレを借りられたので良かったけれど、トイレと買い物には不自由しました。 飲み物はクーラーバッグに入っていましたが、食べ物はポテチ一袋だけ。間食ナシの良い子の旅、伊東に着いて道の駅マリンタウンで、ようやくアイスクリームにありつけたものの、あまり美味しくなかったのは残念でした。 この道の駅で3-40分過ごして、そのあとホテルにチェックインする前にちょこっと寄るつもりで大室山に。これが思いの外遠くて、30分くらい走ってようやく到着。 標高300メートルほどの山ですが、 リフトで登ります。 結構な急勾配なのです。歩いて登るのは勘弁だと思いました。 ところが、このリフト、下りはかな〜〜り怖くて、逆にできることなら歩いて下りたかったです。 リフトを降りると なんとこの山は火山だってそうで、火口、いわゆるお鉢が見えます。眼下の平な場所はアーチェリー場だそうです。 このお鉢をぐるりと巡る遊歩道があって、展望は360度! 下に見えるのはゴルフ場。右下の方にはシャボテン公園があるようです。 少し離れて一碧湖も見えるみたいです。 この海の先には伊豆七島、 こちらは三浦半島方面、 その間に房総半島がみえるとか。 さらに右方向に歩いていくと 二等三角点!頂上はこの標識の何メートルか手前にありました。 多分300メートルより少しだけ高いのでしょうね。 ここを過ぎてぶらぶら歩いていたらいきなり最終のリフトの時間が近づいているのでお急ぎくださいとのアナウンス。 残り半分は転ばないように気をつけつつ小走りで戻りました。 走って戻りながらも執念深く一枚だけ撮った逆サイドの谷側の写真です。うまく写っていないけれど、ここから雲が湧いている感じでした。 と言うことで急足でリフト発着所に戻り下山しました。 上にも書いたように、かなりの急勾配のため、くだりは思った以上に怖くて、バッグからカメラを出して下を写すのは無理!🥶でした。 リフトは終わりでしたが、まだ16時を過ぎたばかり。 ゆっくり宿に向かいました。
2021.10.04
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大手町合同庁舎での大規模接種に、今回は東京駅からのシャトルバスを往復利用させてもらいました。 東京駅から会場への往きは、丸の内の南?の端を掠めて馬場先門の前を右折し、神田まで行って、そこから錦町河岸の交差点を曲がって神田橋を渡るという大回りで15分以上かかりましたが、帰りは少し違うルートで10分足らず。 往復ちゃんと違う景色を見せてもらえた、大サービスのシャトルバスツアーでした。 超ミニミニですので、特に帰りはあっという間に東京駅に着きました。 バスを降りてふと見ると、丸ビルの窓が、 拡大してみますね。 わかります?ステンドグラスになってるみたい。 写真は撮りませんでしたが新丸ビルの窓も同じようになっているみたいでした。 新装東京駅もすっかり完成して、丸の内側、素晴らしい。 これパノラマですけど、分解すると南口から 北口までこんな感じ。ホント、素敵ですよね。 もう何十年も前、丸の内で働いていたのですけど、駅だけでなく、広場も駅前のビルも建て替えでピッカピカになり、あの頃と全然違います。働いていたビルはどうなっているかしらと、中通りをちょっとパトロールしてみることにしました。 その頃のように中央郵便局(今どきはKITTEというらしい😅)の前の信号を皇居方面に渡って行くと、正面のビルはなんとアップル🍎になってる!信号を渡り切って、180°見廻しても景色には懐かしさの欠片どころか、違和感しか感じません。 中通りとの角には三菱重工本社ビルがあったはずなのです。1974年、ビル爆破事件のあったあのビルです。わたしが働き始めたのは確かその事件の2-3年後でした。 でも、そこには三菱重工の本社もビル自体もなくて、 あったのはこういうビルでした。ビルの中にあったのははオシャレで高級そうなお店ばかり。 後で調べると、三菱重工の本社はどこか別の場所にに移転して、何年か前にまた丸の内に戻り、今はここから少し離れた日比谷通り辺りにあるそうです。 わたしが働いていた会社はこの重工ビルの隣、古川総合ビルの中にありました。 さて、どうなっているかと歩いて行きましたが、やはりそういうビルはなくて、代わりに あったのは、こんな入り口のファッショナブルなビルでした。 こちらもテナントは高級そうなショップばかりのようです。 中通りを挟んだ向かい側にあった富士ビルとか、東京會舘ビル?とかも取り壊されて新しいビルが建っていました。 丸の内は、もう、あの頃の丸の内とは別の街になってしまっていました。 あの頃一緒に働いていた友達と、丸ビルが建て替えられた後会ってランチをして、新しい丸ビルの窓から中通りの両側のビルを眺めながら、いろいろ思い出話をしたことがありました。 中通りも、その時すでにわたしたちの知っている中通りとはずいぶん変わってしまっていて、あの頃の面影はほとんどないわね、わたしたちも歳をとるわけよねえなんて笑って話したものでしたが、実はその友人はその何年後かに亡くなってしまいました。その彼女の思い出まで溢れてきて、なんだか涙が出そうです。 気を取り直して、何かパーっと買い物でもしたら悲しい気分も紛れちゃうかな?とふと脇を見ると、行列。 訳もわからずとりあえず並んでみてから、よくよく見ると、スイーツのお店のようです。 どうやらフランス語らしくてよくはわからないけれど、なんだかフランスの発酵バター、エシレバターに関係があるお店みたいです。 ってことは、もしかしたらお高いんじゃない?とドキドキ、でもお菓子だし、ねえ、と思いながら、順番を待ちましたが、中に入って飛び上がりそうになりました。 そのエシレバターを使ったお菓子が販売されているのですが、なんと、フィナンシェやマドレーヌが300円以上。1個、です。 さらに驚くなかれ、ケーキは3種類あって、1カットが800円から900円! ショックで、感傷的な気分が見事に吹っ飛びました。 やけのヤンぱち?買ってきちゃいました。いくら使ったかは内緒ですけど。 ケーキは昨日のお茶の時、夫と半分ずついただきました。 こちらはミゼラブル。864円。クリームはほぼバターで、クリームの間に挟んであるのはサクッとしつつモチモチ感もある謎の焼き菓子でした。 こちらはミルフォイユ、なんと972円。 クリームは、味はカスタードなんですが、重い! パイ生地はサックサクでバターの香りがたっぷり。で、なぜかしょっぱい。 3時に紅茶を淹れていただきましたが、あまりにどっしりしたケーキで、危うく夕飯が入らないところでした。 もう少しお手頃なフィナンシェとマドレーヌももちろん買ってきて、今日いただきました。 トースターで軽く温めてと書いてあったのでそうしていただいたら、小麦粉の香りが良くて、バターもほんのり香り、リッチな味わいでした。フィナンシェの方がより甘めかな?貝殻型が可愛いマドレーヌはしっとりと、どっしりと。 どれも、このお値段なら、一度味わったので、もう十分と思いました。 そして夫には値段を教えられなかったmamatamでした。
2021.06.06
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西武秩父駅からお馴染みの特急レッドアロー号に乗って川越へ。(一度乗り換えがあるんですけどね)わたし、3度目の川越なのですが、前の2度はどちらもバスだったので、駅に来たのは初めてでした。西武線の川越、駅名は本川越です。9時に宿を出て本川越に着いたのは11時半。お昼を食べてまたこの駅に戻ってきて17時ころには出発だって。忙しすぎる!などと言いながら、まずはお食事処へ。で、戴いたのは豚の角煮定食とやら。これにご飯とお汁がついていたけれど、正直言ってこの2日間の食事で一番しょぼかったです。だって、この日の宿の朝ご飯がこれなんですよ。メッチャ豪華でしょ?比べちゃいますよねえ。って、まあいいか。時間もないことだし、お食事はサクッと済ませて、観光に。本当は喜多院に行く予定でしたが、街の反対側だというので、昨日たっぷり歩いているメンバーたちから大ブーイング。実はわたしは、川越城本丸御殿に行きたぁ~~い!!って幹事さんにお願いしていたのですが、この日は月曜日で休館とのことで却下になっていました。もし実現していたら、皆にどんな目で見られたことか。。。休みで良かったわ。ということで、健脚数名だけ別行動で喜多院へ行き、他のメンバーは旧市街、一番街へ。平日なんですが、大混雑。こんな洋館もあれば、蔵造りのお土産屋さんもあり、こんな風にずらっと並んでいます。豪華な山車で知られる川越祭りもとても有名です。川越祭り会館に展示されていた山車です。そしてこちらが、川越のシンボルともいえる時の鐘です。極めつけはこの建物。国の登録有形文化財だそうです。ここは最初は第八十五銀行本店本館として大正時代に建てられ、その後埼玉銀行川越支店になり、今は埼玉りそな銀行川越支店、ドームの後ろにしっかり看板がたってますね。一番街から菓子屋横町をぐるっとまわり、川越祭り会館を見学して、もう限界とばかりに甘味処になだれ込んだ御一行様でした。そうそう、川越らしいマンホールを見つけて写真を撮ってあったのでご披露しますね。こちらはその1こちらはその2です。新しいらしく、色もとっても綺麗でした。
2019.11.27
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11月13日水曜日は富士山方面への日帰りバスツアーでした。息子の高校時代のPTA仲間と、というか、元はPTAの行事でした。在校中は文化委員会?の主催で、Pは3学年合同、Tは校長先生、教頭先生、当日授業のない先生方も何人かという、ずいぶん大人数でのバスツアーでしたが、子どもたちが卒業した後は、学年の本部役員だった4人が幹事として小さな観光バス1台での同学年のママだけの小ぢんまりした日帰りバスツアーを続けて企画してくれているのです。子どもたちが33歳になる今年のツアーは、16回目だそうで、16人の参加で、目的地は河口湖モミジ回廊とキユーピー富士吉田工場でした。中央高速に入った途端に事故渋滞に巻き込まれてしまい、1時間以上遅れてモミジ回廊に到着。バスを降りて歩きます。お天気は今いちでしたが、思ったより暖かく、木々の色づきもしっかり見られました。モミジ回廊が見えてきました。平日でしたが、多くの観光バス、観光客でにぎわっていました。紅葉、黄葉がとても綺麗で、本当はもう少しゆっくり見たかったけれど、時間がなくて、駆け足でした。ランチの予約時間が迫っていたし、工場見学は時間厳守なので、後ろ髪をひかれながら、でも楽しみなランチに向かってGO。ランチの会場はレストランルッコラ。可愛いレストランで、わたし達16人+ドライバ-さんの17人でいっぱいになってしまでうので、その日のランチタイムは貸し切りにしておいてくださいました。この日、幹事さんたちが注文しておいてくださったお料理はハンバーグのセット。まずサラダ。お野菜がたっぷりでうれしい。そしてメインのハンバーグ。とっても肉厚なのに、しっかり火の通った、でもちゃんとジューシーなハンバーグ。ソースも秀逸。そしてパンがまた美味しい!メンバーは全員「人さまに作って戴いたものは何でも美味しい」主婦たちでしたが、このハンバーグセットは掛け値なしの美味。皆さん、美味しい、美味しいと言いっぱなしでした。そして、最後はうれしいデザート。栗がたっぷり使われたマロンのムースケーキ フルーツ添え。お腹も気分も大満足でキユーピーのオープンキッチンに。キユーピー富士吉田工場では、レトルトのお粥の製造工程を見学。わたしは仕事柄、大体ラインの機械の様子が想像できていたせいか、あまり感動もなくて、へ~~っという感じで終了。このあと、道の駅富士吉田に寄ってお土産など購入。わたしは富士山の伏流水を汲める水道(無料)で、ドライバーさんからいただいたペットボトルにお水を汲んできました。ここからは一路新宿へ。途中だらだら渋滞があって、5時半着の予定が、40分くらい遅れたでしょうか。今の時期、5時を過ぎると暗くなってしまうのですが、途中、昇ったばかりの赤い十六夜がドコモタワーと並んで夜空に浮かぶ景色にみんなで歓声を上げながら、高速を降りて新宿着。また来年と声を交わしながら帰路を急いだのでしたそれにしても不思議な。。。だってね、皆勤ではないにしても何度かずつ参加している人ばかりなので、お互いに顔は大体わかっているのですが、名前のわかっている人は半分もいません。聞いても次のバスツアーまで覚えていられないので、訊かないし。お子さんに至っては今何をしていて、どこにいて、どころか、男子なのか女子なのか、在校中のクラスは何で、卒業後の進路はどうだったかもほとんど知らないのです。最初の数回は、車内でマイクを使って子どもたちの近況報告などもしていましたが、いつの間にかしなくなりました。。。。本当に不思議なご縁、不思議な集まりですね。
2019.11.16
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mamatam社の年末年始は、労働規約とか言うものでは12月29日から1月3日までと決めてありますが、年によって微妙に変わります。今年は1月7日が仕事始めと決まり、仕事と思っていた1月4日がお休みになったので、それならどこか温泉にでもと急遽お出かけすることになりました。年末は忙しいのでチケットの手配などできるかどうかわからないし、それなら近場でという希望通り、1月3日に伊豆の今井浜で宿が見つかりました。切符は前日になってえきねっとでゲット。特急踊り子号です。今井浜海岸駅は特急が停まらないので、ひとつ先の河津まで行きます。取りあえずお昼を決めておこうとスマホを調べると評判の良いウナギ屋さんがあり、駅からもそう遠くありません。夫に言うと、最近なんにでも一言言わないと気が済まないらしい夫が、例によってはなんだかごちゃごちゃ言うので、着いてから探すことにして、スマホをしまい、景色を楽しむことにしました。(って、これが大失敗だったのですが。)海側の席が取れたので、景色は最高でした。伊豆に入ると、真っ青な空の下、海がキラキラ光り、伊豆諸島が綺麗に見えました。は伊豆大島。は、利島(としま)、鵜渡根(うどね)島、三宅島、新島だそうです。河津到着は少し遅れて13時15分。閑散とした駅前でお店はないかとキョロキョロしているわたしに、うなぎ屋は駅前じゃないのか?と夫。ウナギにするの!?とびっくり。それから場所を調べて、方向もよくわからないのでうろうろしてしまい、ようやくお店を見つけたと思ったら、何と暖簾がしまわれて準備中の札。勇気を奮って格子戸を開け、もうおしまいですか?と訊いてみたらあっさり「はい。」考えてみればお昼営業なのですから、営業時間をきちんと調べて、1時過ぎの到着なら電話を一本かけておくべきでした。このところ、手は出さないけど口は(必ず)出す、しかも相談すれば面倒くさがる夫にうんざり気味のわたし、でも、あの時はもう一押しする場面でしたね。仕方ないので、諦めてお店の向かいにあった河津八幡神社にお参り。曽我五郎十郎の曽我兄弟(写真右側のカッコよくポーズを決めてる二人)とその父の三郎(左側の重そうな石を抱えてる人)にゆかりのお宮だそうで、資料館や像がありました。それはともかくお昼ごはん!どこか近くにお店がないかと思っても、お正月の3日、開いているお店が少ないです。ようやく見付けたカフェで、チーズトーストセットとワッフルセットでおなかを塞ぎ、どこかで初詣をしたいとお店の方に聞いたら、河童のお寺という栖足寺(せいそくじ)を教えてくださいました。で!行き方を訊いたら、なんと!!この道をまっすぐ行って、大川屋さんというウナギ屋さんの前の小さな信号を左に曲がって。。。というのです。そのお店は、この河津でもう一軒の評判の良いウナギ屋さんで、駅から遠そうなので行かなかったお店でした。二人でとぼとぼ歩いていくと、信号が見えるより前にウナギのたれのいいにおいが漂ってきました。こちらのお店はまだ営業していたのです。昼営業はこちらも前のお店と同じ2時まででしたが、あちらは少し早めに終わり、こちらは少し遅くまで開けていたようです。がっかりしながら河童のお寺へと向かいました。こちらではとても凝った御朱印を戴きました。そのご紹介も含めて、続きはまた明日。
2019.01.05
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昨日、ブロ友のまる 2005さんとじぇりねこさんと3人で京橋でランチの約束がありました。じぇりねこさんは少し前、すみだガラス市にお付き合いしていただいたのでそれほどでもないけれど、まるさんはお忙しくてなかなか会えず、ずいぶん久しぶりの三人そろってのオフ会でした。今回も、こういうお店とか探すのがすごく上手なじぇりねこさんのおかげで、素敵なお店で、11時半から4時半まで。。。これってランチじゃないよね。じぇりねこさんもまるさんもわたしよりずっとお若いのだけど、大好きなお二人。昨日は本当に久しぶりだったのでテンションマックスでしたで、11時半にお店の前でって約束だったのですが、わたし、ずいぶん早く着いてしまって、どうやって時間つぶそうかと思いながら改札口を出ました。そしたら、どこからか、かなり大きな音量で「お江戸日本橋」の曲が流れてきました。中央区の観光案内所のようなオフィスが見えたのでそこでテープでも流しているのかともう少し歩いていくと、外に出る階段の前にナニカしている模様。近づいていくと、階段をベンチに見立てて、その前のスペースにお琴や三味線が設置されそこで音楽を演奏していることがわかりました。願ってもない時間つぶし!目の前にス○-バッ○スがあったのでアイスの水だし珈琲を買って、階段においてくださっていてクッションの上に腰を落ち着け、見下ろしと、ことと三味線だけでなく、尺八や鼓、小太鼓などの演奏者が並び本格的な和楽器の演奏会のようでした。お着物を着た、会場係のような女性に、撮影をさせてもらっても良いかどうか伺うと、演奏者の方に聞いてくださって、大丈夫とのこと、ちゃっかり動画を撮らせていただきました。まだリハーサル中とのことで、お衣裳も様々でしたが、それも、こういう方たちの普段着というかお稽古着を拝見させていただいたようで、楽しかったです。スタッフの方のTシャツに「日本和楽器普及協会」とプリントされていて、そちらが主催の催しのようでした。和楽器だけでなく、着物の着付けとかいろいろなイベントが同時開催されているようでしたが、わたしは待ち合わせのレストランに移動。お店は、こういうのを探すのが本当に上手なじぇりねこさんが今回も見つけてくれたイタリアン/ワインバー ヴィノリオです。ランチはコースでこういう内容。選べるパスタは、3人ともナスとモッツアレラのトマトソースでした。スパークリングワインと前菜が出ました。それからパスタお肉デザート。食べることよりおしゃべりに集中して、お味は。。。お店の方、ごめんなさい。この後は珈琲やお水を飲みながらずっとおしゃべりで。何をそんなにって、それは内緒。お店の方からお時間なのでと言われて、ようやく腰を上げました。本音を言うと、まだ話したりなかったのだけど。お店は、そんなに広くはないけれど、お値段もリーズナブルでゆったりと過ごせて、良いお店でした。お店を出ると、ビルの出口扉の脇に「獺祭」のショップこちらを発見。ちょこっと飲んで味見してから購入なんてこともできるお店のようです。寄ってみたいと思ってドアを開けたら、先客があって狭い売り場がいっぱいなのでとまさかの入場制限。諦めて帰ることにしました。JRに乗るじぇりねこさんとまるさんに別れを告げて、地下鉄の入り口に向かおうと階段を降りると、件の先客さん2名(多分お隣の国の方)が大きなスーツケースをひっぱってドアから出てこられたので、わたしはまんまとショップに入場。お土産ゲットでした。原料米が規格外のため、正規品と同じに2割3分まで磨いているにもかかわらずお値段の半額に近いお買い得品です。お安かったので、特別サービス週間開催、息子の分まで買ってきました。いくら4合瓶とは言え、ガラス瓶の重さまで入れると2本はやはり重かった。帰宅して、夕飯を作り食事をしたらどっと疲れが出て、そのまま寝てしまったmamatamでした。書いたものが保存はできたのでアップしてみます。無事できますように。
2018.07.01
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昨日はあれから、先週一週間なにも出来てなかった家事に時間をとられ、続きを書けませんでした。 今日は、ご近所のかたに大師講というのに誘っていただいて川崎大師にバスで行く予定で8時出発、翌30日は夫社長が熊谷に日帰り出張なので、わたしが朝早く出社しないといけないということで、昨日の内に掃除洗濯くらいはしておこうと頑張ったのです。 て、今は川崎大師に来ています。 🚌8台の団体です。 信徒会館という建物の一室でお護摩が始まるのを待っているところです。 御朱印、お願いしてあるんだけど、まだ戻ってきていません。 早くみたいなあ。 では、またあとで。
2018.01.29
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ホテルから犬吠埼の灯台は見える距離、歩いて4‐5分でしょうか。崖を降りていく感じです。青空に真っ白な灯台が凛々しいです。すれ違うのも難しい狭くて急な階段を何とか上った展望台からは360度の眺望が楽しめ、そのうち270度くらいが海です。太平洋の水は青々と澄んで白い波が良く映えます。太陽に背を向けて、海と灯台の影を一緒に。灯台の門を出ると、門のわきに白い郵便ポスト。珍しいですよね。ここから投函するとこんな消印を捺してもらえるそうですが、残念、元旦から7日までは除きますですって。広々とした景色に胸を洗われる想いでホテルに戻りチェックアウト。ホテルから犬吠駅までは歩ける距離で、そこから銚子駅まで銚子鉄道で行けるそうですが、銚子の町はまだお正月4日とあって魚市場も開いてないでしょうし、平日になるので、市内を走るシャトルバスも運休だそう。わたし一人なら何ヵ寺あるお寺を御朱印巡りするのですが、興味のない夫を付き合わせるのも気の毒だし、と考えて、有名な屛風ヶ浦に行ってみることにしました。わたしの大好きな「ぶらタモリ」によく付き合わされてるおかげで、地層がどうとか地形がどうとか時々口走るようになった夫ですから、そこなら楽しめるだろうと思ったのです。フロントで聞くと、ジオパークと言って遊歩道も整備されており、良いところで戻ってくれば良いとのこと。タ ただ、公共交通はほとんど使えず、クシーが一番便利で、料金もさほどではないし、呼べばすぐ来てくれるというので、お土産を物色しながらロビーで待つことにしました。5分もたたず、お土産を選ぶ時間もないほどすぐにタクシーが来て、義経伝説のあるという犬岩を見たりしながら、ジオパークの駐車場まで。途中で、今朝は海から昇る太陽を見たかったけれど、雲があって見られなかったというと、運転手さん、朝は大体雲があるので、海から昇る朝日を見られるのは何年かに一日くらいしかないとおっしゃって、それじゃあ仕方ないと納得。思ったより近くてあっという間に到着でした。そこから海岸沿いを歩きます。屏風浦はお隣の旭市まで10Kmも続く、隆起した古代の地層が、波に削られ手出来た断崖で、高さは50mもあるそうです。駐車場から遊歩道に降りると、海岸ですから風は強いですが、昨日に比べればそよ風です。こんなのやこんなのを見ながら延々歩きます。反対の海側に目を転じればこんな景色。かなり波もありますが、海面には水鳥が浮かび、鳥さん(鵜?)がえさを求めて波打ち際を歩いています昨日の疲れが残る脚が悲鳴を上げるので、早々に切り上げ、又タクシーを呼んで、銚子の町に戻ります。お昼時になるので、運転手さんに美味しいお店を聞いて案内してもらいました。そのお店が、「魚料理みうら」さん。銚子港の市場の真向かいにありました。銚子ならではの美味しいものをと思い、夫は金目鯛尽くし御膳(2500円)、わたしはイワシ尽くし御膳(2000円)を注文しました。ランチと考えたら豪勢すぎますが、出てきたものを見たら、納得以上のお値段でした。こちらはわたしのイワシ尽くし御膳。上の左から、お刺身、煮つけ、デザートのミカン(笑)、下の段左から南蛮漬け、てんぷら、お寿司です。おつゆはつみれ汁で、こちらもやはりすまし仕立てです。イワシが新しく、臭みが全くないので、みそ仕立てにする必要がないのかな?それに銚子と言えば醤油ですから、お醤油文化の町なのかもしれませんね。奥に夫のキンメダイが写っています。お膳の中に入っていない「なめろう」を是非戴きたかったのですが、これだけ食べたら夫もわたしもお腹いっぱい。諦めました。夫のキンメダイはもちろんおいしかったですが、わたしのイワシは、わたしがこれまでで戴いた中で一番おいしいイワシとイワシ料理でした。少し分けてあげた夫も、以前テニス合宿で行った白子の有名なイワシやさんのイワシ定食より上だ!と言っていました。朝に引き続いてお腹がパンパンになるまで食べてしまったので、駅までぶらぶら歩くことにします。市場は漁港に隣り合って立っていますので、港に停泊している舟を見ながら銚子大橋の手前まで歩きます。すごく大きな船です。これも大きいです。銚子港と言っても何か所かに分かれているようで、こちらは別の船溜まりになるようです。七日まではお正月ですから、どの舟にも大漁旗とお正月飾りが飾られています。大漁旗のデザインもそれぞれ趣向を凝らしているようで、見応えがあります。この船の向こうにあるのは利根川で銚子大橋がちらっと見えます。地図があったので写して来ました。ここで私たちの銚子の旅も終わりです。ここから真っすぐ銚子駅に向かって歩き、また東京行の快速電車に乗り、今度は東京まで行かずに、3駅手前の最寄り駅で降りてバスに乗ります。長い旅日記にお付き合いありがとうございました。わたしはこれから、深川に、今年最初のお墓参り、今年最初のしか野さんに出かけます。
2018.01.14
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今日はブロ友のじぇりねこさんに誘ってもらって千葉県の船橋に出かけてきました。御朱印もゲットして、楽しい一日でした。その様子はまたあとでアップすることにして、今日は昨日の続き、犬吠埼と銚子の旅の様子をアップします。日の入り時に犬吠埼温泉のホテルにチェックインしました。ホテルの最寄り駅は犬吠、銚子から銚子電鉄で行きます。ただ、本数が少ないため待ち時間が長くなるので、今回は銚子駅からタクシーに乗りました。途中運転手さんが、銚子と紀州和歌山県の関係を熱く語ってくれたりして、面白かったです。ホテルの客室はこんな感じ。和洋室っていうことで予約したんだけど、ベッドの部屋は畳にカーペットを敷いてあるようでしたよ。ちょっと笑いました。日の入り時だったので夕日が海に沈むのが窓から見られるかと思ったのですが、建物自身が邪魔をして西の方角は見えず、空が薄紅に染まっているだけでした。夕飯までに1時間以上あったので、夫は歩き疲れたのかひと眠りすると言い、わたしは大浴場に。前にも書きましたが、こちらのホテルは屋上にある露天風呂から海が見えるということだったのに、耐震工事中とかで4階以上は立ち入り禁止になっていて、入れるのは地下1階の大浴場にある露天風呂だけ。地階と言っても高台にあるので海は見えるはずなのですが、屋外の駐車場から覗けないようにという配慮のため(?)めぐらされているフェンスのせいで海は全く見えず、ちょっとがっかり。でも、海水よりもっとしょっぱい感じの、熱めの温泉はすごく気持ちよくて、やや中途半端な気持ちで部屋に戻り夕食会場へ。夕食のお品書き、拡大して読んでくださいね。真ん中が先付け。三が日のためかお品書きとは違って、田作りと栗きんとんがついていました。絶品のおつくりです。全部が外れナシのおいしさでした。特に、マグロはわたしの好きな赤身で、これと脂がのってるのにぷりぷりの食感の勘八が最高でした。手前の右は、銚子名物の釣りのキンメダイ。甘くて上品な味でした。煮物。素材の味が生きていて美味しかったけれど、おさしみに負けましたね。お気の毒。焼き物は寒ブリ。これも脂ノリノリですごくおいしい。牛肉の陶板焼き。むしろお野菜が美味しかったです。お鍋はチーズ鍋でした。お野菜もたっぷりで思ったよりあっさりです。酢の物はエビやカニなどをミルフィーユ仕立てにしてやや甘めのお酢で味付けしたもの。わたしはお刺身の次にこれが美味しかったです。ご飯はお赤飯とつみれ汁。お赤飯はもち米でなくうるちだったようで、夫は今いち気に入らない様子。つみれ汁はすまし仕立てでしたが、臭みも全くなくてすごくおいしかったです。ご飯を食べたらお腹がいっぱいになってしまって、デザートを断ったら、お部屋にお持ちになってあとで召し上がってくださいと、こんな風にお皿に盛りつけて持って来てくれました。食事から部屋に戻って、もう真っ暗でしたので、この時間なら露天風呂で流れ星でも見えないかとまたお風呂に行きました。残念ながら流れ星は見えませんでしたが、ほぼ満月でほぼスーパームーンの月が寝湯からよく見えましたので、しばらくお月様と満天の星、潮騒の音を楽しんで部屋に戻り、デザートを戴きました。おなかがまたもやパンパンになり、昼間の強行軍の疲れも出て、早々に寝てしまいました。おかげで翌朝は5時半に目が覚めました。日の出は6時半過ぎとのことで、まだ外も真っ暗でした。しばらく2度寝を楽しみ、6時過ぎ窓の外を見ると、夜が明け始めています。夜明け直前の露天風呂の雰囲気も知りたくて、飽きずに大浴場に向かいます。でも残念ながら、女性用の浴場は微妙に方向が違っているようです。日の出の方向を向いていても、フェンスのために、海からの日の出は見えないのですけど。というわけで、朝風呂は早々に切り上げ、部屋に戻りました。でも、空は明るくなっているのだけれど、海面近くは雲があって、部屋からも海から昇る太陽を見ることはできませんでした。日の出から30分以上たって、ようやく雲の上に太陽が顔を出しました。太陽が昇ったところで朝ご飯。朝はバイキングでしたが、お料理はどれもおいしく、量も種類もたっぷりでした。わたしも朝からこんなに食べてしまいました。この後は犬吠埼と銚子の観光です。続きはまた明日。
2018.01.13
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香取神宮での初詣を終え、駅までのシャトルバスに乗りそびれたので1時間待つよりはと佐原の街を目指して歩きだしました。観光がてら小一時間のウォーキングのつもりでしたが、本当にただの道を歩くだけでした。しかも最初の40分ほどは香取神宮への初もうで客の乗る車でぎっしりで、安心して歩くこともできません。この日は、空気は澄み(歩いてるときの排気ガスは酷かったけれど)、空は真っ青に晴れ渡っているものの、冷たくて強い「関東の空っ風」が吹きすさび、かなり着ぶくれていたはずの夫もわたしも、風にあたる部分が冷たくて、いい加減往生しました。1時間半ほども歩いて、ようやく佐原の町に入りました。まだまだ小江戸の雰囲気には程遠いけれど、まず、八坂神社を発見。良い写真がなくてごめんなさい。神社の向かい側に山車会館がありましたが、中には入りませんでしたわたしはとりあえず御朱印を拝受。少しずつ家並みがそれらしくなってきました。木の色は真新しいけれど、街の雰囲気を壊さない配慮が感じられますね。蔵を利用した店舗ですね。わたしは佐原は2度目です。最初の訪問は、息子の高校の元PTA(というか母たち)のバスツアーでした。静かな古い街並みに魅せられましたが、ツアーなのでバタバタと回った印象で不満が残り、もう一度来たいと思っていました。ところがその1~2年あとに東北大震災があり、佐原の町もかなりの被害を受けたとニュースになりました。倒壊はしなかったものの、立ち入りが制限されたため公開を中止する建物もたくさんあって、観光客も激減したということでした。でも、町の人たちは頑張って、徐々に復旧が行われ、昔の街並みを取り戻したと聞いていました。これは、佐原三菱館といったかな、佐原では珍しいレンガ造りの洋館です。これもちょっと珍しい、二階建ての蔵ですね。遠くに運河めぐりの船が写っていますが、私はあまりの風の冷たさに今回もパスしてしまいました。どこがどう修復されたのかはわかりませんが、古い建物をとても大事に使っているようです。佐原は、小江戸どころか「江戸勝り」と言われたそうで、江戸をしのぐ賑やかさ、華やかさにあふれる街だったようです。こちらは資料館に展示されていたドールハウスですが、古い資料を基に昔の佐原の家や街並みを復元した模型です。模型からでも、その豊かさ、豪勢さが想像できますね。佐原には蔵などを公開しているお店も多く、こちらはその一軒の蔵の入り口。蔵の中も売り場になっていました。夫がこのお店で選んだ自分へのお土産。外側は少し赤みがかった落ち着いた金、内側が黒、一番上の径が約6cm、高さも6㎝くらいで、夫は冷酒用のぐい吞みにちょうど良い大きさだと言って買っていました。佐原には、近くに窯があるわけではなく、これも有田焼の作家ものだそうですが。わたしは、本当は竹の箸をここで買うつもりでいたのですが、元旦に谷中でよいのを見つけて買ってしまったので珍しく「見るだけ~~」の人でした。前回の記憶とは街の様子は微妙に違っていましたが、落ち着いた雰囲気を取り戻していて、安心しました。実は佐原には諏訪神社があるということだったので、参拝して御朱印もいただきたかったのですが、前を通ったら、鳥居からかなりの石段が見え、香取神宮から歩きすぎてしまって、かなりヘタっており、足やひざにも不安を感じたので、わたしには珍しく「今日はやめとくわ」という言葉で、前を素通りしました。佐原の町でお昼を食べるつもりでいたのに、なんだか間が悪く、食べ損ねてしまいました。電車に乗るまで時間があるから何か食べようと思ったけれど、佐原駅の周りには飲食店らしい店舗がありません。銚子での夕食に期待して、電車を待つ間に、近くのパン屋さんで買ってきたサンドウィッチを駅の隣のローソンのホットコーヒーで流し込みました。そうこうしているうちに銚子行の電車がやってきて、乗り込みます。銚子駅で銚子電鉄に乗り換えて犬吠まで行くはずが、1時間近く待たなくてはならないようなのでタクシーに乗りました。ちょうど海に日が沈む直前で、家並みが途切れるたびに少しずつ沈んでいく太陽が窓から眺められました。ただ、ホテルでは、海の見える露天風呂が工事中で大きな太陽が海に沈んでいく光景は見そこないました。
2018.01.12
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例によって夫が、年末もホントにあと僅かという時になって、休みはどこか温泉でゆっくりしたいと言い出しました。 必死になって探した結果、幸運にも伊豆のあまり有名でない温泉に1月2日に一部屋だけ露天風呂のついたお部屋が見つかりました。 ほぼ有頂天で👋😆🎶✨喜んで予約しようとすると、またもやいつもの無茶ぶり。 いい温泉なら二泊したい。 え~~💧 またまた必死になって調べましたが、どうしても連泊は無理。 他のところもいっぱいいっぱい調べたけれど、連泊だと、見つかったのは一人一泊四万円以上とかそんなお部屋ばかり。 やはりさっきのところに一泊しましょうと戻ってみれば、もう予約されていて空室なしに変わっていました。 そのあとようやく見つけたのが、犬吠埼温泉のこのホテルのこのお部屋でした。 そんなこんなで始まりました、千葉県は小江戸佐原経由で銚子に行くこの旅。 実はわたしは昨夜寝たのが3時過ぎ。緊張のあまり、アラーム一発で6時にぱっちり目覚め着替えて見ると、あら珍しや、夫も起きて着替えているではあーりませんか。 予定の一時間も前に家を出て、佐原には10時10分に着いていました。 まず、香取神宮に行き、初詣。 全国の香取神社の総元締めです。 成田山は混んでるだろうと成田駅は通りすぎ、鹿島神宮も混んでるだろうと、手前の香取神宮で時短を計ったつもりだったのですが、甘かった‼️ 参拝を終えたのは一時間もたってからでした。素晴らしく荘厳なお社で、凍えるほど冷たい強風に吹きまくられながら長蛇の列にならび続けたその1時間、全く飽きませんでしたが、でも、その1時間のお陰で予定はめちゃくちゃ。 という訳で、色々ありまくりだった旅の一日目、続けてもっと書いていきたいのですが、今、犬吠埼のホテルで新しいスマホで書いていて、実は、写真のアップの仕方がわからないのです。 今日は、風もとんでもない強さでしたが、すごく良いお天気で、多分写真もとっても良く撮れていると思うので、是非写真入りでご紹介したいから、続きは後日写真入りでということにさせていただいて。。。いいですか? で、今は、犬吠埼のホテルでこれを書いているわけですが、このホテルね、屋上に海を見晴らす露天風呂があって、わたし達のお部屋も最上階の4階のはずだったんですよ。 でも、今は最上階の耐震補強工事中ということで、4階は立ち入り禁止、露天風呂はなんと地下1階なんですよ。女性用は高いフェンスに囲まれて海なんて1ミリも見えなくて、見えるのは空だけ。 温泉はなかなかいいんですよ。 だけど、やっぱりがっかりとか思いながらお風呂から上がると晩御飯で、これが美味しくて、海の見えない露天風呂も許す方向に傾きながら、一休みしてまたお風呂に向かったのでした。 そしたらもうね、前言100%撤回です。 真っ暗なので海なんてどっちにしても見えないし、空は昼間の強風のお陰で雲ひとつない(多分)ため、視力のあまり良くないわたしにもたくさんの星が見えて、何より素晴らしいのは月でした。 ほぼ満月、ほぼスーパームーンで、うさぎさんがくっきり見えていました。 明日の朝も恐らく快晴でしょうから、部屋の正面から昇る朝日が見られるだろうと思うので、すごくたのしみ。 明日も早起きしないと。 という訳で、今夜はお休みなさい。
2018.01.03
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モヤっていました。 今は青空。 暑くなりそうです。
2017.09.10
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わたしの言葉足らずで、ご心配かけてごめんなさい。 今回の鹿児島行きは、夫のきょうだい5人と息子とわたしの7人でのお墓参りをかねた旅行なのです。 例年一番暇なはずのこの時期を選んで計画をたてたのに、リフォームやら引越やら、新工場の立ち上げ等めんどくさい案件が山盛り降り積もってしまい、それらがまだ全然片付かない上に、仕事は予想外に忙しくなるし、トラブルは勃発するし、わたし自身のミスまで重なって、今朝、飛行機に乗る直前まであたふたしていました。 でももう大丈夫。 もし、まだ気づかないチョンボが残っていたりして、大丈夫でなかったとしても、もう、帰ってから対処するしかありませんから、気にしないで旅行に集中することにしました。 ということで、お墓参りも無事済ませ、 霧島、天降川の鰻、鮎、鯉を戴いて、 総勢七人、我が家の大のお気に入りの旅行人山荘に入り、 美味しい食事と露天風呂も満喫しました。 明日は高千穂です。 楽しんできますのでご安心ください。
2017.09.08
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引越騒ぎもいまだ絶賛継続中というのに、仕事がやたら忙しくなり、そんなさなかに大きなトラブルまで発生(誰の責任とは言いませんが)、もう地に足が着かないくらいのおお騒動のあげくに、今、鹿児島に向かう飛行機の中です。 実は昨日、わたしが大きなミスをしてしまい、荷物の発送が出来ていなくて、昨夜からその対処にてんやわんやし、なんとかリカバリして、電話連絡を空港にまで持ち込みましたが99%完了。 片や息子は大寝坊で集合に遅れ、予約した飛行機に間に合わず、あわや積み残されちゃうかもというタイミングでなんとか検査場に飛び込んでくるし、こう書いていてもため息しかでないような旅立ちです。 というわけでただ今機内。 訳あってずっと忌避していたJALでしたが、今回、条件の合う便がこれしかとれず、本当に何年ぶりかという鶴のマークにお世話になっています。 最近、テレビで嵐がCMをしているWIFI でこれを書いています。 機内モードでも、ブログも読めるし、書き込みも、メールを読んだり返信もOK。 便利です。 JAL、やりますねえ。 出発が遅れ、到着も遅れていましたが、先ほど機長の挨拶があってそろそろ着くようです。 鹿児島は、東京と違って晴れて暑いようです。 では支度をしますね。
2017.09.08
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11、12日(火、水)に執り行われた叔父の葬儀が無事終わり、木金とバタバタ過ごして、この週末はまた関西です。義兄の法事のためです。初めは皆大阪に泊まる予定で手配したのですが、きょうだいが全員顔を会わすチャンスだからと夫は義姉の家に泊まることにしたので、大阪に泊まるのは息子とふたりになりました。ホテルのチェックインまではふたりでしたが、息子はいとこ達に飲みに誘われて出掛けて行ったので、チェックインした17時半ごろから、わたしひとり宙ぶらりんになってしまいました。そこでひらめいたのが有名な造幣局の桜の通り抜けです。調べてみるとなんともタイミングよく、開催は明日の夜までというので行ってみることにしました。ホテルからは徒歩も含めて30分くらいで着きました。すごい賑わいで、大変な人混みでしたが、そこはひとりの身軽さ、スイスイと隙間を縫って通路の両側に咲き誇る桜を満喫、写真もたくさんとりました。今年の桜はウコン桜です。恋ピンクは、別の桜で、多分関川。東京の荒川堤にあった桜だそうで、もと大名屋敷のお庭だったこの庭園で一番本数が多いらしいです。夜空に映える桜と造幣局。写真はたくさんありますが、整理してアップ出来たらまたそのときにご覧いただきますね。この辺りで通り抜けは終わり。なんと500数十メートルもあるそうです。出口のところに大阪城方面という矢印があったのでとりあえずそちらを目指します。この時点で時間はまだ19時過ぎです。桜ノ宮公園のなか延々と続く屋台の間を通り抜けようやく堀をわたります。この夜景の向こうにスマホのカメラではとらえきれないライトアップされた大阪城が夜空に浮かんでいます。その姿を目指して歩きます。結構暗い夜道だったので、途中道を尋ねて確認したりしながら、歩きました。ようやく全貌を望めるお堀端に着きました。アップにしてみました。そしてお堀に浮かぶ逆さ大阪城。一生懸命になりすぎて時間を忘れ、気づいたらもう20時。いそいで真下まで早足で行きました。目の前まで近づいた大阪城は大きすぎてスマホの小さなモニターには納めきれませんでした。しばらく格闘したけれど写真は諦めて、ホテルに向かいます。ここまでは夢中で歩いてきましたが、帰るとなったら大阪城公園の広いこと。そして気づけば人通りもほとんどありません。道に迷わないようにスマホナビを一心に見つめながら、森ノ宮駅に。途中豊国神社の脇を通りました。昼間だったらここでも大阪城でもご朱印を戴けたのにと思いながら、でもこの幻想的な光景は夜ならでは。欲張ってはいけませんね。無事地下鉄に乗り込み、日本橋のホテルへ、途中お馴染みのファミマでビールと食物を買って、21時過ぎ帰還致しました。
2017.04.16
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新潟から、瀬波温泉のある村上までは、最初は電車で行く予定でした。ところが、新潟市と秋田を結ぶ羽越本線は時間によっては2時間くらい間が空いてしまうのです。ちょうどお昼時がそんな感じになるので、その日にも少しぐらい観光をしたいということで、新潟から車で行くことにして、レンタカーを予約しました。それじゃ新幹線のなかでビールも飲めないと夫がぼやくので、息子は飲まなくてもいいと言ってるから運転は任せたら?と言ったのに、新潟までの新幹線で、彼はやはりアルコールを飲まずに来たそうでした。ランチもお茶だけで、自分がハンドルを握る気は満々のようでした。うちの夫、運転は多分上手なのだと思うのですが、どうも周りを見るのがヘタというか、ナビが曲がってという角を行き過ぎたり、手前で曲がったり、看板まで出ている目的地を通り過ぎるたり、それでいて間違うと助手席にいるわたしのせいにするという、同乗すると疲れるドライバーなのです。とは言え、ハンドルを握って離しませんから仕方ありません。レンタカーの予約は1時からで、ちょっと忙しいかなと思っていましたが、ランチの予約が効を奏したようで、12時23分に新潟駅に着いた一行が1時15分過ぎには、ニッポンレンタカー新潟営業所を出発していました。準備不足の思い込みで、わたし、新潟から瀬波温泉まで、海岸沿いをのんびり海を見ながら走るもんだと思っていましたが、なんとずっと田んぼの中。今に海が見えて来るのか、もうすぐか、まだか。。。と待ってるうちに瀬波温泉の文字が見え始めてしまいました。あらら、でも、まだ2時。チェックインもできないし、せっかく車だから明日行くつもりだった「笹川流れ」今日見に行ってこようか。今夜からお天気崩れるというしね。という訳で温泉は通り過ぎて、笹川流れを目指します。「笹川流れ」なんて、何?川??と思いますよね。WIKIPEDIAによれば「笹川流れ(ささがわながれ)は新潟県村上市にある海岸。国の名勝および天然記念物に指定されている地域で(1927年指定「笹川流」)、日本百景にも選定された県下有数の海岸景勝地である。笹川流れの笹川とは集落名(1889年まで存在した「笹川村」、現・村上市笹川)で、この笹川より沖合いの岩場まで潮流が見られたことが名の由来とされる。」だそうです。わたしの写真では、その景観の一部も伝わりませんがこんな感じです。岩が波でトンネルの様に穿たれていたり、もっとすごい景色がたくさんあったのですが、車で通り過ぎてしまうとそこで止めて!とも言えなくて、車窓から見るだけになってしまいます。ところで、2枚目の写真の岩のてっぺんに人が立っているのお分かりになりますか?息子です。○○と煙は高いところに昇りたがるそうで、今回も2-3カ所で高いところに登っていました。沖に見えている島は粟島というそうで、岩船港という港から船が出ているそうです。こんな海を眺めながら走っていると、塩工房という看板があったので入ってみました。外には太くて立派な綺麗な薪の山がいくつも作られていましたが、これなら本当にたくさん薪が要るでしょう。職人さんは黙々と火の様子を見ながら塩水の具合を確かめていましたが、経営者の小父さんがいろいろ説明してくれました。笹川流れの中でも、近くに民家がなくて生活用水が流れ込まないこの場所が塩作りに最適で、専売のとかれた15年か20年前にここで塩作りを始めたこと、1000kgの海水から18Kgしかとれない塩を、精製作業まで含めて4-5人で1日36kg作ること、ご多分に漏れず後継者難であること等々。。。わが家は弟が取り寄せてはせっせと分けてくれる沖縄の海塩が山ほどあるので、さすがに塩好きのわたしも購入は見送りましたが、お味噌とか岩のりとかつい買ってしまいました。お味噌と海苔の大きさのバランスがおかしいと思うでしょ?お味噌が100g入りじゃないかって?そんなことはありません。500gパックです。この海苔が大きいのです。普段お店でみる海苔の1,5倍くらいあります。それが2枚入って、ちょっと上等の焼き海苔1帖分くらいのお値段です。高いとは思いましたが、「味噌はともかく、海苔は、採る人も作る人もいなくなってあとどれくらい売れるか。。。」という、おじさんのセールストークにのって、買ってしまいました。笹川流れは遊覧船もあったりするそうですが、この日は船着き場にも船は見えず、お天気は悪くないけれど風が強いので結構だろうと夫が言い、乗る気満々だったわたしも船がいないのでは乗り気のやりようもなく、そろそろ日も沈みかけてきたので、宿へと向かうことにしました。走ってきた道を瀬波温泉へと逆に走らせていくと、いきなりワイパーの必要なほど強いみぞれが降ってきて、いやだなあと思っていると、この辺りで止み、するとすぐに本日のお泊りポイントが見えてきました。車から降りて玄関に向かうと何、あれ?近寄ってみると、アレでした。口から何か札が下がってるのでもっと近づいてみると、札には中学校とか小学校とかの校名が書いてありました。あとでホテルの人に聞いてみようと思いましたが。。。忘れました。入り口を入るとちいさなロビー。外には、海を望む広々としたバルコニーがあります。壁にはこんな木彫が。村上には村上堆朱(ついしゅ)という素晴らしい特産の工芸品があるのですが、その工芸の成立には村上の武士たちが木彫をたしなみのひとつとしていたということがあるようです。この精巧な木彫にもそうした歴史があるのかなあと思いながら写真を撮りました。ここから受け付けをするのでと通されたお部屋は、さっきの広いバルコニーに面していて、夕暮れの日本海が一望できました。バルコニーに出てみると、最高の夕映えには程遠いものの、綺麗な夕景が広がっていました。この後お部屋に案内されたのですが。。。続きはまた明日。
2017.03.21
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今、上越新幹線Maxときの社内です。 朝ごはんはこれ。 さっき高崎を出ました。 車窓から 谷川岳? 朝家を出るときからずっと素晴らしい天気ですが。。。 行き先は新潟県。 今日の新潟地方はお天気下り坂らしいので、この天気がどこまで続くのか、あやしいです。 本日のお泊まり、村上市の瀬波温泉は、日本海に沈む夕日が素晴らしいそうなので、期待していますが、それもお天気次第か。。。 今さらてるてる坊主を作っても間に合いませんね。 皆さん、幸運を祈っていてください。
2017.03.18
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お出かけしてからもう2カ月近くが過ぎてしまいました。先日雪も降ってしまいましたので、今の箱根は随分様子が違うと思いますが、アップしておきます。長安寺を訪れた1日目に降っていた冷たい雨も、2日目の朝、目覚めると綺麗に上がっていました。傷めた背中がまだまだ心配だったので、朝ごはんを戴いた後、荷物を宅配便で送り返すお願いをして、身軽になって先ず薄の原に行ってみることにしました。入り口です。 奥に広がる薄の原は、銀色の波がうねっているかのようでした。前の日は雨に濡れそぼってどこもかしこも灰色だったのに、空の色が違うと薄の色もこんなに違って見えるのですね。陽の光をはじき、薄の薄が光っています。歩道わきの草たち。一面の薄を眺めながら歩く散策路は、狭くてしかも実はけっこうな勾配で、綺麗に整備されているという程でもないし、そこに斜面に茂る草たちが存分に手足を伸ばしているので、決して歩きやすいとは言えません。しかも、その道は行き止まりになっているらしく、登り切った方たちが同じ道を戻ってくるので、場所によってはどちらかが脇によって道を譲りあわなくてはなりません。それでも、前日の雨のせいか、大型バスでどっと押し寄せる例の近い外国の観光客の姿も箱根のもっとポピュラーな観光スポットに比べると少なくて、シーズンの割には混雑という程ではなくて静かで、立ち止まってすれ違う人を待っている時も、辺りを見回し景色をのんびり眺めては、晴れ渡った空や午前中の高原の爽やかな空気を満喫しました。短い時間でしたが、高原のミニハイキングを楽しんで入り口に戻り、次は湿生花園に行ってみようということになりました。わたしが長安寺に行くのに乗ったバスの停留所が目の前にありましたが、前の日も雨さえ降っていなければ歩けると思った距離でしたので、秋の日差しと風を楽しみながら歩いてみることにしました。周りの景色を見ながらぶらぶらいくと、疲れるほどもなく湿生花園に到着しました。湿生花園は秋真っ盛りでした。入り口を入ってすぐのところには各地の大文字草の鉢植え。これは多分商品だったのだと思いますが。秋の花たちが次々と目を楽しませてくれました。竜胆。うしろの石ころにピントが合っちゃってますが、野に咲く竜胆は、お花屋さんのと違ってこんなにしっかり開くんですよね。吾亦紅もピンボケですね。これはウメバチソウかな?ヤマラッキョウ?ともかくラッキョウの仲間です。サクラタデ。ホントはすごく可愛いお花なのに、写真があまりにもひどいので、湿生花園さんからお借りして貼り付けておきますね。ホントに桜みたいな、きれいなお花です。こちらもピンクの、ミゾハギ。この写真もひどい!ツルコケモモ。すごく素敵な色で、写真が拡大できるとちょっとはわかって戴けるのですけど、なぜか自宅PCで写真館からアップすると拡大できないのですよ。明日仕事場で時間があったら写真だけ入れ替えておきますね。(ってあてにならない約束ですが)。アサマフウロ。マツムシソウ(とわたしの指)湿原の秋のスター、サワギキョウ。控えめ美人のカリガネソウ。「確かにそんな感じ!」のシモバシラ。ホトトギス。初めてお目にかかりました。ツチアケビ。アケビではなく欄の仲間だそうで、詳しくはWIKIさんに聞いてくださいね。足下には怪しいけど立派なキノコこのお花もちょっとヘン?下から見上げるこうでした。蘭のお花みたいですが、名札が見つかりませんでした。こちらは紫苑、シオンです。詩的な響きのその名は、小説や漫画の登場人物とかお店の名前などでよく目や耳にしますね。でも、わたし、この姿は知らず、草の花だと思い込んでいました。きっとハルジオン(春紫苑)の方が身近なせいでそう思ってしまったのでしょうね。でも、本家はこちら。あちらは春に咲くシオンに似た花みたいな意味で名づけられたという感じですよね。漢方では、咳止めとして薬効を認められているそうです。つまりこれもアジアの植物なんでしょうね。ここまで、ゆっくり一回りして、湿生花園にお別れ。実はそろそろお腹が空いてきたのです。湿生花園前のお蕎麦屋さんで軽く昼食を戴くことにしました。お蕎麦好きなmamatam夫婦、楽しみにお店に入りましたが、お隣のテーブルに4人のご老人グループがいらして、この4人様、とても品の良い方たちで和気藹々とした雰囲気ながら皆さん揃って良くとおる声でお話していらっしゃいました。わたしたちは会話もできず、出てきたお蕎麦を味わうどころではなく、写真を撮るのも忘れて10分で食べてお店を出てきてしまいました。この後はガラスの森美術館に行って帰ろうと言っていたのですが、なんだか疲れてしまい、時刻表を見るとバスも出たばかりだったので、どちらからともなくもう帰ろうかということになり、2時にもならないのに、のんびりゆっくりの家路につくことにしました。箱根湯本行のバス停まで歩くと近くに手作りハムソーセージの店があり、お土産にと買い込んでバスに乗りました。ところが駅について買ったものを見るとそのお店、栃木のハム屋さんだったのです。あらら、こりゃだめだ。お蕎麦屋さんから、ツイテないね。なんだかこの旅、あんこは美味しいけど皮がダメなお饅頭みたいだわと言いながら、駅前であらためてホカホカ湯気を上げて蒸している温泉まんじゅうを会社へのお土産にして、帰りは座席もゆったりのロマンスカーの車中の人となりました。
2016.11.27
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途切れ途切れですみません。高野山の続きです。奥ノ院をお詣りして、下ってきましたが、玉川を渡った辺りでわたしたち最初来たのと違う参道に入ってしまったみたいなのです。それは、両側の斜面がたくさんのお墓で埋め尽くされた道で、日本史に出てくる人の名前はここで全部見つかるのじゃないか?と思われました。徳川家や豊臣家はもちろん、島津家とか眞田家、毛利家など名だたる大名家や武将個人のお墓はもちろん、僧侶や歌舞伎俳優さんのお墓、たくさんの句碑などが次々と姿を現します。撮影禁止の奥ノ院から来たので、カメラを構えて良いタイミングがわからず、写真は一枚もありません。naominさんと二人、右を見たり左を見たりきょろきょろしながら一の橋まで降りてきて、それでもまだ違う道を着たことに気づかず、勘違いをして変な方に行ってしまったり、戻ったり(主にわたしの早とちりのせいでしたが)、やたらに時間を使ってしまってから、ハタとここは出発点とは違う場所だと気づいたのは、naominさんでした。それからバス停の場所を聞き、ご朱印を戴いた刈萱堂まで歩きました。ここは僧、刈萱道心が、その子石童丸と共に、親と名乗らぬままに30年修行したとされるお堂です。刈萱伝説というらしく、わたしは詳しくわかりませんが、歌舞伎でも有名な演目だとのこと。余談ですが、南海の高野線に「学文路」という駅があり、これ、なんと「かむろ」と読みます。帰ってきてから刈萱道心のことを調べたら、この学文路は刈萱伝説と深い関係のある土地のようでした。興味のある方はググってみてください。時間がもったいないからと奥ノ院に行くのにタクシーを使ったくらいなのに、刈萱堂でわたしがノンビリ?ご朱印を戴いている間、naominさんはバスが来ちゃったらどうしようとやきもきしていらしたみたいです。naominさん、ごめんね。幸い日曜日だったので臨時バスも出ていたみたいで、あまり待たずにバスに乗れ、金剛峰寺の前まで戻ってきました。なんといっても金剛峰寺を拝観させて戴かなくては、高野山に来たかいがありません。早速お参りします。本堂を正面から見たところ。お堂の龍、アップです。壇上伽藍への入り口を蛇腹道と言ったり、こんな立派な龍が彫られていたり、あとで写真をアップしますが、素晴らしい石庭があり、そのお庭も龍をイメージしていたりとか、高野山と龍は深い繋がりがあるようです。脇の門と鐘楼。どうやら謂れがあるらしいです。本堂への入り口です。皆さん続々と入って行かれますね。わたしたちも。。。金剛峰寺の中は撮影禁止のところも多くて、でもこの辺はOK。お庭というより、お山の中へつづく道のようです。素晴らしく力強い石庭。蟠龍庭と名づけられたこの庭は、雌雄二頭の龍が奥殿を守っている形だそうです。それぞれに名前の付いた、たくさんの謂れのあるお部屋には、それぞれに相応しい襖絵や置物があり、説明もあります。日本史の知識の乏しいわたしには,あまり良く意味の分からないこともありました。豊臣秀次が切腹した(させられた)のがこのお寺であったことも初めて知りました。中ではきれいなお部屋(新別殿というそうです)で、お茶の接待もありました。お台所なども見せていただき、売店ではお守りなどを買って、何だか見ても見ても見たりない気持ちでしたが、今日は帰らなくてはならないし、お昼も近いので金剛峰寺を後にしました。お昼は、並ぶ時間がもったいないので、混雑した有名店は避け、喫茶店みたいなお店でカレーを戴きました。でも、やっぱりデザートは欠かせない。お土産屋さんの並ぶバス通りにある、特にお洒落でもなんでもない喫茶店のようなお店で戴いた豆乳抹茶プリン。めっちゃ美味しかった!ここから、霊宝館を訪ねたいnaominさんとお寺巡りをしたいわたしは二手に分かれて、歩くことにしました。わたしは、その2でアップしたご朱印の順に、普門院、左手が本堂のようでした。あまりにシンとしているので写真が撮れませんでした。右側のお堂(こちらは寺務所入り口だと思います)と宿泊施設かな?多分こちらも宿坊なので。龍泉院浪切不動の南院。そして徳川家霊台。高野山と徳川家との関係の深さを物語る場所です。初代将軍徳川家康と2代秀忠の霊屋が並んでいます。左が家忠、右が家康で、さすがに家康の方が少し立派だったような気がします。こちらが家康の霊屋。そしてこちらは秀忠。こちらも秀忠の霊屋です。すっかり色が褪めてしまっていますが、往時の豪華さの片鱗は十分に伺えますね。彩色もですが、細工の細やかさ、重厚さには、恐れ入ってしまいます。ここからもうしばらく行くと、女人堂。女性の入山が禁止されていた高野山への入り口に建てられていた籠り堂で、女性たちはそこに籠って遥か御廟に向かって祈りをささげたそうです。そこまで行くつもりで歩き始めたのですが、時間的にも体力的にもきつくなって、Uターン。こんな道を通って、naominさんとの待ち合わせの「生命のメッセージ展会場」を目指しました。ところが着いてみると早すぎて、またお土産屋さんなどをウロウロ。してるうちに時間を忘れてしまったようで、naominさんから、もう間に合わないよって電話が来てしまいました。会場のすぐそこまで歩いてきてはいたのですが、meronさんには遠くから挨拶しただけで、天徳院さんに戻り、預かって戴いていた荷物を受け取ってバスでデーブルカ―高野山駅へ。ケーブルカーに乗り換えて高野山を後にしました。何だかもっともっと一杯廻ったような気がしていたのに、こうして振り返ってみると、あっという間。帰ってきてから調べたことの方が多かったわたしは、その度にここも見られなかった、あそこも見逃したと悔しい思いばかり抱いてしまいました。ぜひまた訪れて、今度はもう少しゆっくりとあちこちを見て回りたいと改めて思っています。高野山の旅レポ、ようやく終わりです。長々お付き合いいただきありがとうございました。
2016.11.08
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前夜、naominさんと早起きしてお散歩する約束をして、6時に起きますとアラームをかけておいたのですが、どうも話が通じてなかったようで、目が覚めた時は、naominさんはもうお出かけなさった後でした。戻ってこられた後伺ったらそうちゅの高野山は素晴らしかったそうで、お寝坊なわたし、残念でした。naominさんは朝もやの高野山を歩かれたそうですが、靄が張れると、昨日と同様抜けるような青空です。重要文化財じゃない方ですが、お庭も緑が綺麗です。7時からの朝のお勤めに参加できるということでしたので、ゆっくり荷物を片付け、お仏間へ。ご本尊の阿弥陀如来さまの前に宿泊者が並んで座り、読経が行われます。以前テニスで傷めた左膝のため、長時間正座が出来ないので、わたしは無理になったら膝を崩そうと最後列の端に座りました。お勤めが始まる直前にお散歩から戻られたnaominさんもお隣に座って、お勤めが始まりました。板の間なので冷えるし、最初から難しいかと思っていましたが、座ってみたらちゃんと正座が出来たのです。そしてそのままお経の途中で立ち上がって仏前に進み、お焼香をさせていただくのですが、それも大丈夫、列に戻ってからも正座が出来て、自分自身がビックリ。でも、でも、朝ごはんのお膳に着いたら、やっぱりダメなのですよ。片膝を伸ばさせていただいて、お行儀悪く朝食を戴きました。朝ごはんももちろん精進料理です。こんなに美味しい朝ごはん戴いてもいいのかしらと思うほどおいしくて、さあ、今日も一日たっぷり楽しむぞ!と心がもうめっちゃ前向きになりましたねえ。美味しいご飯をお腹いっぱい戴き、お会計も済ませて、荷物だけ預かって戴いて、この日は、先ず奥ノ院に向かいます。naominさんと相談の結果、限られた時間なので、お金より時間を節約しようと奥ノ院まではタクシーを使いました。奥ノ院の入り口です。ここからは、左右に個人の方のお墓や、大きな企業の社員慰霊碑、阪神淡路大震災や東北大震災の慰霊塔などが並んでいます。それを見ながら進んでいくと、こんな塚がいくつかありました。高野山に葬られて長年経ち、無縁墓になった仏様を集めた物のようでした。これは水行をする場所のようです。近くには水かけ仏様が何体も並んでいました。そしてこちらは有名な玉川なのでした。ここから先はカメラ禁止。撮影できず残念ですが、写真に気をとられることなく、ゆっくりゆっくりお詣りさせてもらいました。奥ノ院は、弘法大師空海が、生きてまだ人々のため世のために祈り続けていると言われている場所。そう、真言宗では、御大師様は入定(にゅうじょう)されたと言い、「肉身を留め、深い禅定に入られた」とされています。それを信じたくなってしまうほど、何か特別な空気が、奥ノ院には流れているような気がしました。灯篭堂、御廟、頌徳殿などを拝見した後、金剛峰寺に向かいました。実は、明日、わたし早起きしなくてはならないので、その4はここでいったん中断させてもらいますね。半端でごめんなさい。
2016.11.06
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またまた少しご無沙汰で。。。平日はやはりなかなか更新が出来ないmamatamです。相変わらず写真は上手くアップできないし、気を許すとすぐに消してしまいそうになるし、ホント、大変。高野山旅レポの続き、というか、いよいよ山内のレポ開始です。張り切ってまいります。では。。。金剛峯寺の入り口です。この日はご朱印を戴くだけで、参拝はしっかり時間をとって翌日じっくりとnaominさんと打ち合わせました。そして、この旅の最初の目的である「生命のメッセージ展」会場に向かいます。去年初めてメッセージ展を拝見したときは、早稲田大学の小さなホールが会場でしたが、今回はずっと広い会場でした。めろんさんは、入口を入ってすぐの受け付けに座って睨みを利かせてにこやかにわたしたちを迎えてくれました。わたしたちにはもう会うことのできない世界のひとになったたくさんのメッセンジャーたちが、亡くなったときの背丈と同じメッセージボードにご家族の思いや亡くなった状況を載せて立っていました。多くは、交通事故や、理不尽な暴力や一気飲みの無理強いで亡くなった若い命たちでした。理不尽な死には、やるせない思いでいっぱいになります。わたしの腰ほどしかないメッセージボードやその前に置かれた小さな小さな靴を見ると、それだけで涙が滲んできます。meronさんの三男のT君のメッセージボードからは、meronさんの愛しさ、悲しさ、悔しさ、辛さが伝わってきますが、それだけの思いを抱えても、T君に命の重さを伝える役割を担ってもらおうと考え活動を続ける彼女の気持ちの強さも感じました。色々なことを考えながら、メッセージボードを一つ一つ読み込み、広い会場をゆっくり回りました。一回り、二回りして、meronさんにもう一度あいさつすると、今日まだ時間があるなら壇上伽藍がおススメと教えてくださったので、naominさんと二人、宿に戻る前に壇上伽藍をお詣りすることにしました。壇上伽藍は、弘法大師空海が高野山を開いた時に、修行道場として最初に建設を始めたところで、今でも主要な法会が行われる場所であり、奥の院と並んで高野山(金剛峰寺)の中心と言える所だそうです。壇上伽藍の入り口です。先ずは高野山の草創。東塔です。昭和59年に再建されたとのことで真新しいですね。こちらは大塔。根本道場としての壇上伽藍のシンボルという意味で根本大塔とも呼ばれているそうです。ご朱印にもそう書かれていましたね。塔其のものが曼荼羅を表しているとのこと。三昧堂。この修造に西行法師が関わったとされているお堂で、この前に西行法師手植えの桜「西行桜」があります。孔雀堂だと思っていたら准胝堂(じゅんていどう)でした。孔雀堂は、お堂の前にお花が飾ってあり、印象深いお堂でしたので写した記憶はあるのですが、写真が見当たりませんでした。大会堂(だいえどう)。現在は法会(ほうえ)の際の集会所として使用されているそうです。愛染堂。愛染明王を祀っているそうです。金堂。高野山の総本堂です。現在の建物はコンクリート造りで、昭和の7年に完成した、7度目の再建だそうです。御影堂(みえどう)。「弘法大師御影像」が奉納されあ安置されています。六角経蔵。鳥羽法皇のために一切経を収めた経蔵で、六角形をしています。基壇のところに取っ手があって、取っ手を押しながらお堂をぐるっと回ると、一緒にお堂そのものが回るのです。マニ車みたいなものかなと思って、naominさんと一緒にグルグル回してきました。三鈷の松。謂れが面白いので、読んでください。西塔(さいとう)。古いので全く違って見えますが、東塔と同じデザインですよね。ごめんなさい、ステキだから載せちゃいましたが、何だか忘れてしまいました。ご存じの方がいらしたら教えてください。壇上伽藍には、まだいくつかの建物がありましたが、あまり上手なカメラマンじゃなくて、アップできるようなのが撮れませんでしたので、これにてご勘弁を。一回りするといい時間になっていましたので、宿に戻りました。入ってきた道を戻るのですが、入り口に向かって逆方向から撮った写真。これ良いでしょ?東塔から入口までのこの辺りを蛇腹道というそうです。高野山のひとつの中心と言える壇上伽藍。そんなことも知らずにmeronさんのお勧めに従ってお詣りしましたが、その空気は本当に特別で、ありきたりな言い方ですが、高野山に来てよかったと心から思いました。さて、天徳院に戻り、お部屋に入ります。鍵はかかりませんが、一人部屋なんですよ。左の襖の向こうがnaominさんのお部屋です。寛ぐ間もなく、お風呂、そして待ちに待った夕食です。素敵な彩色の板戸。ここを通って、重要文化財のお庭に面したお座敷にお食事の支度が出来ていました。精進料理のお夕食。ハチの中の菊の形のものは胡麻豆腐。お昼のより美味しかったかも。ビールも戴きました。もうお腹いっぱい。朝も早かったので、もう上の目蓋と下の目蓋がくっつきそう。お布団は自分で敷きます。簡単に荷物を片付けて、もうおやすみなさいでした。追記いくつはお堂の写真と説明が入り混じって間違っていました。投資部長さんのご指摘で分かった分は訂正しました。他にもあったら教えてくださいね。
2016.11.04
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長年の憧れだった高野山の旅が実現して、もう1カ月以上たってしまいました。すごくいい旅で、最近には珍しくすぐレポートもしたのに、たぶん新しい管理画面の理解不能な動き方のせいで(って、わたしが更新をさぼってばかりでちっとも使い慣れてこないせいなんだけれど)、ほぼ書きあがったタイミングで消えてしまうという大惨事が発生、次の祝日に再挑戦しようとしたら今度は怪我で、長時間椅子に腰かけることが出来ない日が続き、そうこうしているうちに、あの作業をもう一度する気力まで薄れてきて。。。でも先日、久しぶりにちょっと頑張ったらうまく更新できたので、その余勢を駆ってもう一度取り掛かってみようと、2-3日前から再々チャレンジしていました。相変わらず新画面は使いづらいし、写真館は以前よりさらにさらに使いづらくなってしまって、やっぱり進み方がはかばかしくありません。どちらにしてもだいぶ長くなってしまったし、途中ですが、一度アップしたいと思います。続きはすぐにアップできないかもしれませんが、ご容赦くださいね。では、高野山、旅レポ、開始です。高野山を、思いがけなく訪れるチャンスが生まれたのも、考えてみると、ブログが結んでくれたご縁のおかげでした。まず、ブロ友さんを通して知り合ったmeron1104さんが、「生命のメッセージ展」という活動に取り組んでいらして、そのmeronさんの熱い思いが実を結んで「生命のメッセージ展in高野山」が開催されることになったことが大きなきっかけでした。「生命のメッセージ展in高野山」は地元の橋本新聞の記事ではこんな風に紹介されていました。で、そのメッセージ展に、文楽などにご一緒していただいているnaomin0302さんがいらっしゃるというので、良かったらぜひ連れて行ってくださいとお願いしたところ、二つ返事で快く応じてくださって、旅が実現することになったのです。naominさんがすべて手配してくださったJRのツアーは、往復の新幹線と、高野山までの南海電車の往復乗車券と山内バスのチケット、それに宿坊(なんと一人部屋!)1泊2食がセットになった超お得なものでした。予報では雨だったのに青空も見える9月10日土曜日の早朝、指定の新幹線に乗るために薄暗い内に起き出して、3日間留守にするので洗濯干しだけ済ませて家を出ました。すでに高野山入りしているmeronさんからは、かなり冷えてるので暖かい服装でというメールが届いているというお知らせがあり、前夜遅く荷物を詰めなおしたりして夜更かしした割には、緊張していたからか朝もパッチリ目が覚め、始発の次の電車に乗れて、新幹線ホームに予定よりも20分も前に到着。目覚まし珈琲をいただく余裕もあって、幸先の良いスタートでした。忙しくて、事前の準備が全然できないわたしのために、naominさんは、観光情報やら時刻表やら、もう本当にたくさんの資料を用意してくださって、この前の一週間、一夜漬けならぬ一週間漬けでそれらを読み込んでいましたが、この朝もまだnaominさんを待ちながらお勉強の続き。でも、待つ間もなくnaominさんも登場、そこからは、ご想像通り怒涛の「女のおしゃべり」で新大阪まで楽しく賑やかに過ごしました。新大阪から地下鉄で難波まで行くと、旅慣れたnaominさんのおかげですぐに高野山へ直通の南海特急に変更ができました。この特急の終点はその名も『極楽橋』、標高538m。ここから、ケーブルカーで標高867mの高野山駅まで、5分で登っちゃいます。すごい急こう配ですけど、これをこのちびクン電車はぐんぐん上りますご覧のとおり単線ですが、途中、スリル満点のすれ違いもあります。高野山駅からはバスで山内に向かいますが、これが、路線バスがすれ違うのもやっとの狭い、曲がりくねった山道です。でも、地元のバスドライバーはすごい!すれ違いざま片手をあげて挨拶しながらスイスイとカーブを切って走り、あっという間に、もう高野山のど真ん中でしたバスを降りると、お昼ご飯の時間。食いしん坊のmamatam、ランチのお店はしっかりチェックしてありました。候補のお店のうちのひとつがバスを降りた停留所の真ん前にあり、迷うことなくその「花菱」さんに突入、「三鈷膳」をいただくことに決定しました。これがもう大正解。可愛いお茶托に載ったほうじ茶とお干菓子。上品な和三盆の控えめな甘さが何とも言えません。メインの精進料理。お茄子の大きさがすごいんだけど、これが、ふっくらといい加減に焼きあがっていて、味噌の味も最高。お野菜の炊き合わせも、それぞれにぴったりの味に煮あげてあります。高野山のゴマ豆腐は、白いので、最初はちょっとびっくり。でも胡麻の風味はめっちゃ濃厚。おいしい!!そしてデザートの豆乳プリン。杏の甘露煮が甘酸っぱくて豆乳にぴったりです。お店も素敵、スタッフの女性たちも大変感じがよく、お料理も合格点を楽々クリアーという味と量。大満足のランチでした。すごくいい気分で、秋晴れの空のもと、とりあえず荷物を預かっていただくために宿坊に向かいました。重要文化財という凄い庭園を備えた宿坊、天徳院さん。ね、重厚で、見るからに由緒ありげでしょ?荷物も快く預かってくださり、それどころか、もうお部屋の用意が出来てますからとチェックインタイムの2時間も前なのにお部屋にあげてくださいました。ところで、初めての高野山とあって、ご朱印おばちゃんのわたしのワクワクは尋常でなかったことは御想像に難くないでしょうが、その熱が伝わったか、naominさんもご朱印帳を用意されていました。もちろんわたしも用意してはいましたが、実はわたしたちには大きな野望があったのです。それは、高野山でご朱印帳を買って、その最初のページに金剛峯寺のご朱印をいただくことでした。naominさんも、地図を調べていてくださって、どうやら金剛峯寺もmeronさんのメッセージ展会場も、宿泊する天徳院さんのそばらしいとわかったので、わたしたちの野望は一気に現実味を帯びたのでした。案内されたお部屋に荷物だけおいて、まずは、高野山オリジナルのご朱印帖とその第1ページに金剛峰寺のご朱印をいただくために、金剛峰寺に向かいます。というところで、次回に続きます。
2016.10.27
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随分と御無沙汰してしまいました。仕事が忙しかったことも、この夏のでたらめな天候にひどく、参っていたのも確かなのですが、それより、何だか気力が湧かなくて、湧かない気力を宥めすかしてPCに向かっても、今度は文章が一欠片も湧いてこない、そんな日々でした。それでも、何度か更新しそうなところまで行ったことはあるのです。でも、更新できない運命だったのかしら?一度は、スマホで下書きを書いていたときのこと、いきなり電源が切れてしまったのです。電池残量が少なくなっていたのに気づかなかったわたしの不注意でしたが、慌てて充電してアプリをたちあげたけれど、もちろん打ち込んだ原稿は影も形もなく、泡と消えていました。もう一度はさらに悲惨で、わたし、9月10日11日と、ブロ友さんで、酒友さんでもあり、文楽友でもあるnaomlnさんにくっついて高野山に行ったので、その次の週末に旅レポを書いたのです。旅も最高だったし、レポも、お寺や素晴らしいご朱印の写真をいっぱい載せて会心のできだったのに、アップする直前に何故か画面が切り替わり、慌てて戻るをクリックしたけれど、もとのページには戻れず、データはなにも残りませんでした。その日は書き直しは諦めて、次の祝日にでも気を取り直して書き直そうと思っていた、その22日に事件は起きました。前日から具合の悪かった蛍光灯の具合を見るため、カバーをはずそうとしていました。夫は出勤して不在、1~2時間もすれば帰って来るはずでしたが、最近の週末祝日のお約束のような雨で、夕方を待たずに薄暗くなってきたので、待ちきれずに踏み台がわりに椅子を運びました。カバーにはレバーを押して外すと書かれていました。わたしは細い棒のようなものを上か横に押すイメージで探りましたが、そんなものはなく、代わりに四角いボタンのようなものが左右にあるのがわかりました。そのボタンを上や横に押してみても動かないので、わたしは両手万歳の格好で蛍光灯をガチャガチャと動かしました。何かの拍子にそのボタンを奥に押し込むような形になったとき、いきなりカバーが外れたのです。わたしは、バランスを崩し、万歳の両手で蛍光灯のカバーを掲げ、立ったまま踏み台がわりの椅子から転げ落ちました。グラグラと落ちそうになりながら、硬い木の椅子にはぶつかりたくないなあ、とか、割れやすいカバーを下敷きにして落ちたくないなあとか考えていた気がします。幸い、椅子にもカバーにもぶつからず、床が畳だったのも幸いでしたが、それでも背中と腰を思いきりうって、しばらくは息もできず、身動きも出来ませんでした。しばらく痛みに耐えていましたが、数分で立ち上がることができたので、ありったけの保冷剤で痛むところを冷やしました。それから10日。今日は10月1日です。この日は、箱根のホテルが予約してあって、どうなるか心配でしたが、直前にお許しが出たので、今箱根に来ています。新宿からホテルの最寄りの停留所まで来られるので楽だと思ってのった高速バスの座席がすごく狭く、雨降りなのに冷房効きすぎで冷えてしまったのと、箱根に着いても雨のせいもあってかなり冷え込んでいるのとで、背中がかなりいたいです。元気なんだか具合が悪いんだかよくわからない、変な報告になりましたが、とりあえず生きております。今朝の出発はゆっくりでしたが、例によって今朝になってから旅支度をしましたので、朝早かったため、まださほど遅くはない時間ですが、眠気でもう今朦朧としています。眠くておかしなことを書くといけないので、箱根のレポートはまた今度まとめてすることにします。今夜はこの辺でお休みなさい。
2016.10.01
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