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大洲の駅から少しだけ離れたビジネスホテルに泊まり、朝目覚めると愛媛3日目の朝は大雨でした。この日は内子の町を歩く予定で、内子町のボランティアガイドさんと9時30分に内子座という劇場の前でお会いする約束です。なので、伊予大洲駅を8時25分の特急で出発しようと思っていました。内子駅は特急だと伊予大洲の次の停車駅で、10分しかかかりません。前日疲れ切ってビールを飲んでカエルの声がすごいなあと思っているうちに寝てしまったので、余裕の早起き。でも窓の外は土砂降りです。とりあえずチェックアウトして傘を買おうとフロントに降りてコンビニのありかを聞いたら駅と反対に歩いて10分とか15分とか。タクシーを呼んでもらおうかと考えていたら、あまりいいのじゃないけど、返さなくていいのでよかったら使ってくださいと奥から傘を持ってきてくださいました。ありがたやー!何度もお礼を言って駅に向かいました。駅までは5分くらい。駅前に早くから開いているパン屋さんがあるそうなので、朝ごはんはそこで仕入れます。パン工場KISAさん。入ってみると、パンの種類も多くおいしそう。しかもお値段が、えっ???というほどお安いのです。3点選んでトレイに載せてざっと計算すると合計200円足らず。なんだか申し訳なくなって少しお高いアップルパイを追加。これを足しても320円、レジのところにあった野菜ジュースも入れてワンコインでお釣りが来ました。伊予大洲駅のこんな可愛らしいベンチに腰かけていただきました。雨は強まったり弱くなったりしていて、内子駅についた時は小止みになっていました。駅舎の左側は売店兼観光案内所でしたが、まだ開いていませんでした。他に何もない駅前広場にはSLがポツンと展示されていました。何故かはわかりませんでした。また降り出した雨の中をスマホのナビを頼りに内子座に向かいます。早く着きすぎて待ち合わせまでまだたっぷり時間があるので、美味しいコーヒーの飲めそうなお店が開いていないかと探しながら歩きましたが、こんな感じの道。見つけたお店も開店前で、キョロキョロしながらダラダラ歩いているうちに内子座の前についたしまいました。この内子町は大洲市と同じ、木蝋で大変に栄えた町でした。大洲市は貿易で、一方この内子町は木蝋の製造で隆盛を誇った街でした。この内子座はその頃のこの街の賑わいと暮らしの豊かさを象徴する物の一つで、櫓もついた立派な劇場でした。ボランティアガイドさんを待って建物の前でウロウロしていると高齢の女性に声をかけられました。内子座の目の前のお宅にお住まいの方で、雨が降っているから玄関前の屋根のあるスペースに入りなさいと声をかけてくださったのです。内子座のことや、離れて暮らす娘さん、息子さん、お孫さんのお話、日課のお散歩のこと、内子座に来る観光客の方との交流などなど。先日はドイツ人のご夫婦に声をかけられて、スマホの翻訳アプリを使ってお話しされたそうです。その後一緒に撮った写真を送っていただいたとか。そんなお話をしているうちにあっという間に時間が経ち、タブレットを首からかけた熟年の男性が1人で歩いてこられたので、ガイドのFさんですか?と声をかけたら、どんぴしゃり。なんか、まさにボランティアガイドという感じの、優しく生真面目そうな方で、この方のおかげで内子の街の観光も、王座と同様に大変充実したものになりました。ツアーは内子座の内部探検から始まりますが、そのお話はまた明日にでも。
2024.05.31
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今朝、去年お墓を建てさせてもらったお寺に年会費を払いに行ってきました。平日でないと受け取れないというので、会社に行く前に寄りました。行きがけに、通り道で見つけたフェンスに絡ませたお花。それが勘違いの1件目でした。何と思ったかというと、トケイソウ。パッションフルーツが生る、あれですが、よく見るとちょっと違うような。葉っぱを見ると。。。うーん、テッセンかな?ということで、Googleレンズで確認したら、やっぱりトケイソウではなくて、クレマチス。クレマチス・ビオネッタという種類だそうです。満開とこれから開くのとの微妙な違いが面白いですね。そしてもう一つは帰りがけにみつけました。スマホに着信があり、自転車を止めたところに咲いていたのです。もしかして月下美人、かと思ったのです。まだ朝のうちだったし、白だし。でも、調べてみたら、月下美人は夜明けどころか20時ころ咲き始め数時間で萎んでしまうそうです。なので、こちらはクジャクサボテンのようです。よく見るとまだ蕾もいくつかついていて、お家の方はしばらく楽しめそうですね。今日は帰りが遅かったので、旅レポの続きはまた明日書かせていただきますね。
2024.05.30
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臥龍山荘を出て、ガイドツアーの拠点になっている大洲まちの駅あさもやまで歩きます。午前中に見た3箇所でツアーのメインは終了で、あさもやまでは大洲の街歩きです。大洲はこうして観光開発に力を入れ始める前から明治の街並みが残る街として有名で、古くは朝ドラ「おはなはん」のロケ地になったことで話題になりました。明治の面影を残したそのロケ場所が「おはなはん通り」として、観光名所になっています。男はつらいよにもここを舞台にした作品があります。嵐寛寿郎演ずる大洲藩のお殿様の末裔と真野響子演ずるその息子の嫁と寅さんが紡ぐ物語でした。他には東京ラブストーリーや最近のアニメ映画(すずめの戸締り)など。映画すずめの戸締りより(ネットより拝借)大洲城と川、鉄橋、そこを走る列車のコラボがいいと、評判になった場面だそうです。そんな風情ある街並みを通って解散場所まで行きます。あさもやはお土産売り場もあり、バスターミナルにもなっているということで、そこで午後の予定を立てるつもりで、歩きながらガイドさんから街並みの説明やその他の観光情報を仕入れながら行きました。ネットからお借りした写真、左があさもやです。正面テントの奥が事務所で右側はお昼をいただいた分油谷(わけあぶらや)さん。息子からリクエストのあったソラマメの味噌とシイタケオイルは見つからなかったので、しらチョビ(しらすのアンチョビ)などを買い、お昼ご飯です。戴いたのは大洲で最近話題のご当地グルメ「とんくりまぶし」です。四国らしい甘辛い味付けの豚肉とご当地名産の栗を載せたご飯をおひつからお茶碗に盛り分けて、最初はそのまま、次にだし汁をかけてどうぞ、ということで、そのように戴きました。とてもしっかりした味付けで丼だったら持て余したかもしれませんが、出汁をかけると味が変わり、また食べられて、それでも少し残してしまいました(多分若者向けのボリュームです)が、大変美味しく戴きました。お腹がいっぱいになったところで街歩きです。今日は大洲泊まりですから、時間はたっぷり。のんびり行きます。こちらもネットからお借りしました。先ずはおはなはん通りから明治の街並みへ。左は大洲神社への階段。お参りしたかったけれどこれを見たらごめんなさいってなりました。階段の下で手を合わせておきましたよ。右は2軒とも市内に点在するNIPPONIA HOTEL、素敵なのでパチリ。赤レンガ倉庫。という名前のお店なのですが、買い物をしようと入ったら、数分後に出発する肱川の遊覧船(大洲お舟めぐり)に乗れるというので、チケットを買って川まで走りました。走る途中で見た別のレンガ倉庫を必死ででぱちり。帰りがけに地図で確認したら醸造会社さん、パンも売ってたらしい。味見したかったなあ!パン大好きなわたしの呟きです。中段左は肱川の岸に降りる堤防です。すごく頑丈でしょう?この肱川、とんでもない暴れ川だそうで、今でも数年に一度氾濫するとか。チョット見にはかっこいいけれど、よく見るとめっちゃゴツい防水扉(でいいのかしら、なんて呼んだらいいのかわかりません)や水門などがたくさん目につきます。下段はお舟めぐりの船です。船端からパンをちぎって投げたらトンビが取りにきました。一周45分、ゆったりのんびりな時間です。写真を撮るのも忘れていました。おまけですが、大洲のマンホール蓋、きれいでしょ?夏の大洲の風物詩、鵜飼に因んで鵜が描かれています。この後またのんびりあさもやまで戻り、ぐるりんバスという小さなコミュニティバスに乗ってその日の宿に。駅に近いビジホしか予約が取れなかったので、レストランも大浴場もありません。この日は午前午後とものすごく歩いて、この時点でかなり足が痛かったので、お部屋の小さなお風呂ですが、まず湯船につかって脚をマッサージ。その後身支度して一階に降り、フロントでお店を教えてもらって夕飯を食べに行きました。お勧めされたお店はホテルから徒歩10分?15分?の「との町たる井」さんでした。(まだ歩く!)こんな感じのお店でした。わたしより少し先輩らしい女性がこのカウンターでビールを飲んでいらして、1人客のわたしもちょっと心強かったです。せっかく四国に来ているのに和食、お魚食べてないわ〜ということで、戴いたのはお刺身定食でした。お醤油が甘かったですが、後は普通でした。ビールは?飲みたかったのですが、ホテルが割と遠かったし、せっかくなので肘川縁を散歩しながら帰りたかったので、ビールはホテルまで我慢。我慢した甲斐?ありましたよ!肱川の土手を歩いて遠回りして帰ったら、こんなに素敵な大洲城の眺めに出会えました。小鳥の鳴き声をお聞かせできないのが残念!それでね、ほら、空模様がだんだん怪しくなってくるのがわかりませんか?風はどんどん強くなるし、それでもめげずに、土手から看板の見えるイオンに向かって歩き続け、スプリングバレーのシルクエールをゲットしてホテルに戻りました。もう一度お風呂に入ってそれから飲みました。これ、美味しかったです。お勧めです。そしてこの晩は、驚いたことに、カエルの大合唱を聞くことになりました。ホテルは広い道路沿いで、田んぼの真ん中とかではなかったのに。けれど、それもそのはず、翌日は土砂降りでした。なんでも警報級の雨だったらしいです。これでようやく大洲の巻が終わりました。美味しいビールでほろ酔いになり、疲れ切ってぐっすり眠ったmamatamでした。
2024.05.29
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お待ちかねの臥龍山荘です。左は庭園。これらの踏み石もなにやら謂れみたいなものがあったりするらしいです。灯籠だってなんだかいわくありげですよね。そして、素晴らしい表札?のかかった門の手前にちょこっと見えている石積み、これが実はもうすでに圧巻!石積みの中に埋め込まれた丸い鉢、これは石臼だそうですが、月を象徴しているとのこと。臥龍山荘は月や夕暮れに関りのある部分がとても多いのです。そして石積みから木が生えていますよね。これはここにこの山荘を建てるときにここにすでに生えていた木で、それを傷めないように石を組んで石垣を作ったそうです。さりげなく見せながら何と手の込んでいること!上段は母屋の臥龍院、書院造りです。下段はその臥龍院に付属する建物で書庫、どちらも重要文化財です。母屋の部屋です。上段の写真は、邸内に入ってすぐにある清吹(せいすい)の間です。東西南北に四季を表す意匠が施されていて、この欄間は透かし彫りにより水の流れが表現されています。庭からの光が入ることで庭の四季が映し出されます。高い天井には屋久杉が使われ、桂離宮様式と言われるものだそうです。下段の座敷には入らないでくださいという札が立ててありますが、これはこのお部屋に敷かれている畳が非常に貴重なものだからだそうです。一見どこがすごいのかわかりませんが、よく見ると畳の目が極めて細かいのです。素材は普通の藺草だけれど使用量がとんでもなく、これを作れる技術を持った職人さんがもういないそうで、破損や劣化があっても同じものを制作することは二度と出来ないと言われているため立ち入り禁止にして保存に努めているということでした。ところがある時文化財保全の専門家をお招きしたところ、畳は大事にするばかりではだめで、時々は踏んで人間の足の脂を与えてあげないとかえって傷みやすいと言われたと、ガイドさんが笑っていらっしゃいました。こちらは霞月の間。濡れ縁に仙台松の一枚板が使用されるなどここも贅を尽くした作りです。その縁側の木材を留めてある釘、一列に10本ずつ数列打ち付けられているのですが、もちろんこの釘も一本一本手作りです。今その釘を注文すると一本の単価は恐らく数万円だと仰る見学者がいらしたそうです。また、こちらの襖の修復の際、京都の表具店で見積もりをとったところ、襖紙が特注品なので図柄の版を作るところから始めなくてはならず、値段は一本200万円以上、工期も数年必要との回答だったそうですが、運良く愛媛の会社で襖の版が見つかり、そこまでの費用も年月もかけずに修復できたということでした。お茶室です。浴室を改装してお茶室として使ったと聞きました。そして、3棟目の重要文化財、不老庵です。肱川の崖に寄りかかるように建てられており、目の下は臥龍淵という絶景ですが、出入りは写真奥の庭園側から普通に歩いて行えます。お茶したと伺いましたが、明るくて開放的で爽快感のある雰囲気がお茶室とは思えず質問すると、煎茶道のお茶室なのだということで、その違いを知り、また驚きました。これらの建物は、木蝋の輸出で大成功を収めた元大洲藩士河内寅次郎が、京都から職人、工人を招き、10年の歳月とほぼ全財産をかけて建てたものだそうです。こちらもお城同様、記録がほとんど残っていないため、どの部分の何を作るためにどういうことが行われ、どれだけの金額がかかったのかといったようなことが何一つわからないと聞きました。ただ、前述の襖や釘のエピソードから推し測れば。。。もし現在これを建てるとしたら億、それも桁が3桁なのか4桁なのか、もしかしたらもっと?などと下世話な憶測をしてしまいました。これほどの巨額の富をもたらした木蝋というのは、櫨の実を原料とする、いわゆる蝋、和蝋燭の原料になるアレのことで、それがこれほどの富をもたらしたということがとても信じられませんでした。木蝋の産地は江戸時代からそのおかげで大変に財政が潤ったのだそうですが、明治に入ってクレヨン、ポマードやワックスなどの整髪料、化粧品、カーボン紙などの文具、艶出しや防水材、さび止め、減摩剤など広い用途に使われて世界的に需要が増え、しかも日本の木蝋はジャパニーズワックスとと呼ばれてその品質の良さが認められたことで、世界を相手に貿易を行う豪商が生まれたようです。しかし、それほど隆盛を誇った木蝋の需要は、コストの安い石油由来のパラフィンに取って代わられ、また原材料不足もあって、明治40年代をピークとして、大正時代には産業自体がほぼ消滅したということでした。今日で大洲レポートは終わりにしたいと思っていましたが、これだけ書いてもまだ半日分ですので、とりあえず今日はこの辺で切り上げ、明日また続けさせて戴くことにします。
2024.05.28
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大洲城を後にすると、まず目についたのはNIPPONIA HOTELという、古民家を宿泊施設として再生したホテルでした。そこはSADAと名付けられた宿泊棟で、大正時代に大洲城の敷地内に建てられた建物だそうです。このSADAのほかにも豪商の邸宅、料亭、店舗、実業家の本宅、武家の屋敷などの素晴らしい歴史的建造物が修復されNIPPONIA HOTELとなって観光客を迎えてくれているといいます。(HPより拝借。真ん中がSADA。)この古民家再生ホテルは現在市内に26棟あり、客室数は31とのこと。このホテルの存在はわたしも知っていて、とても素敵そうだしお食事やサロンなどの評判も大変良いので、大洲に泊まると決めた時一応チェックはしたのです。けれども、1人でも大丈夫だったし宿泊料も想像した程ではなかったもののやはり高嶺の(高値の)花でした。ガイドさんからホテル開業の苦労話などを聴きながらホテルの前を過ぎ、どこか懐かしいような街並みを見つつ、わたしたちが向かったのは「盤泉荘」という建物でした。明治期に木蝋という耳慣れない品物の輸出で財を成した貿易商が作った別邸だそうです。盤泉荘の石垣です。すごい!ステキ!!と思わずパチリ。その下は玄関とお庭です。こちらは室内の様子。上段は応接室、下段はお茶室と廊下?です。用材は主に松で、あちこちに凝った意匠が凝らされています。この日は有料でコーヒー(お茶菓子付き)がいただけるとのことで、お願いしました。どこでも好きなお部屋でとのことでしたので、こちらのお部屋で飲ませていただきました。お金持ちになった気分をちょびり味わいました。お茶菓子は大洲の名物の一つ、しぐれです。あずきを米粉や餅と混ぜて蒸したものだとか。コーヒーにもよく合い、美味しかったです。こちらはネットから拝借した写真。上段は全景、中段は玄関前のお庭から見た前景、下段は室内です。これが個人の邸宅、しかも本宅ではなく接待用の別邸だというのですから、成したという財がどれほどのものか、mamatamごとき庶民の想像の域を超えています。次の見学先は、「臥龍山荘」。やはり明治の同時期に木蝋の貿易で成功された方の別邸です。山荘なんて言うと、ログハウスのようなものを想像されるかもしれませんが、実はこちらは盤泉荘よりもっとすごくて、邸内に重要文化財に指定された建物が3棟あるというのです。こちらのレポートはさらにさらに長いものになりそうです。今日はいつものお墓参り兼会食にでかけるため、稿を改めてお伝えしたいと思います。どんなすごいもの?早く知りたい!という方はリンクを貼っておきますので、Wikipediaで予習をなさってください。でも、それを読んだら、mamatamのレポートなんていらなくなりそうですが。大洲のレポート、ちっとも終わりませんが、悪しからず。では、また、次回。
2024.05.26
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去年咲いているのを見つけたお宅で、今年も見られました。カルミアです。ほんとは(ネットから拝借)アポロチョコみたいな蕾いっぱいのこの状態で会いたかったのですが、旅行など色々あってバタバタしてたので目に入らなかったようです。こんなお花(東洋蘭?名前がわかりませんが)が咲いていました。季節は春を飛び越えて夏に進んでいるようですが、お花たちは粛々と時を刻んでいるようですね。どれも少し急ぎ足だけれど。旅レポ、今日こそ続きを書きますので、少しお待ちくださいね。
2024.05.25
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今週は毎晩かなり早くベッドに入ってしっかり眠っています。睡眠が足りている証拠に、毎朝、アラームが鳴る前に目が覚めるくらいに早起きです。でも、よほど疲弊し切っているようで、午後になるとだるくてうすら眠くて、夜になればまた早くから眠くなります。昨日はブログアップもせずに寝てしまいました。今日も、まだこれからお風呂に入るので起きてはいますが、写真を整理して文章をまとめる気力が湧きません。より早い回復のために、あと一息、怠けておこうと思います。ここで、おやすみなさいというところですが、一つだけ。今読んでいる本なのですが、この子が可愛くてたまりません。いつものようにガンガン読めなくてゆっくり読んでいるのが良いのか、読めば読むほど、この子がいい子でますます可愛くなるのです。この気持ちを長く味わうためにもゆっくりゆっくり読もうと思います。あ、この子は警視庁に所属しているファシリティドッグのピーボです。警察犬ではなくて、病院で、ってうまく説明できないので、お知りになりたい方は「ファシリティドッグ」で検索してください。では、本当におやすみなさい。
2024.05.24
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歳には勝てないですね。2週間休みなしはやはり堪えたようで、今日は身体に力が入らず、最低限の仕事を片付けて早退。早めに家に帰ってきて1-2時間ゴロゴロしていたら少し元気が出たので、書きかけていた旅レポを仕上げてアップします。大洲に到着したところからですね。でも、この街に来るべき時は本当は今ではありません。それは、秋から冬にかけて。晴れた日の朝、上流の大洲盆地で生まれた冷気が霧を伴って一気に流れ出す珍しい現象「肱川あらし」を見ることができる(もちろん運がよければ、ですが)、それが10月から3月なのだそうです。川霧が町をのみ込み、うねりながら海へと扇状に広がる肱川あらしの様子は、幻想的で息をのむ美しさ。なあんて、講釈師よろしく見てきたような嘘をついてみました。もちろんこの季節に見られるはずはなく、わたしの妄想です。はあ、見たかった!ということでまずは大洲城。とても有名だけれど、実際に見ると端正な姿ながら小さな可愛いお城です。ではなぜ有名か、それをじっくりガイドしていただきました。ここは1994年(平成6年)から10年かけて復元された木造のお城で、四層の天守閣の高さ19.1mは木造のお城としては日本一だそうです。本来ならその規模の木造建築は建築基準法で認められないのですが、建築時の棟梁(江戸時代の人!)が命懸けで自宅の屋根裏に隠していた城の精密な模型や三方向からきっちり撮影された明治時代の白黒写真などの素晴らしい資料が存在し、築城当時の姿を構造まで正確に再現可能という文化的価値が認められて、例外的に建築が許可されたそうです。というのも、昔は築城後は模型はおろか図面を残すことも、内部について記録に残すどころか人に話すことさえ堅く禁じられており、秘密保持のため建設に携わった人たちが殺されることも珍しくなかったので、こうした資料が一切ないことの方が普通だったそうなのです。ですので、今後も、この大きさの城郭が完全な木造で再建される可能性は非常に低いということでした。こちらがその資料。左が明治時代に撮影された写真3枚のうちの1枚、右は発見された建築当時の模型です。復元に使用された木材は全て国産で、全ての木材の産地と提供者の名がパネルに明示されています。小さなお城とはいえ、立派な木組の内部です。再建には、総工費約13億円が見込まれたのだけれど、そのうち5億円が大洲市民の寄付で賄われたんですって。すごい!当時の市の広報紙。右側の中段を拡大すると見える振り込み依頼書、この用紙が各家庭に配布されたとガイドの方が言っていました。寄付すると市民は市民税の控除が受けられ、記念品ももらえたそうです。高額の寄付者は名前と金額を刻んだ額が掲げられていて、さらに驚いたことには、このミニチュア、築城当時の様子を描いたもので、お人形は当時の領民なのですが、近づいてみるとそれぞれに名札がつけられています。この名札に名前を入れてあげますよと別口で寄付を募ったところ、もちろんお人形の数が限られているので、名札の数も限られており、先着順の受け付けだったそうですが、秒で、はないにせよ、とにかくあっという間に定員になったとこれもガイドの方のお話でした。天守閣から出ると、正面に大洲市のシンボル冨士山(とみすやま)が見えました。まさに富士山のような綺麗な形をしているでしょ?でも、ごく低いお山なので、富士山を名乗るのは烏滸がましいと、富の上の点を取ったワかんむりにして、冨士山と書くことにしたそうですよ。お城に巡らされた石垣がとてもいい味出していましたので、思わずパチリ。大洲観光はまだまだこれから山場を迎えるのですが、わたしはここらで一休みさせていただきますね。続きはまた明日。
2024.05.22
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昨日、夫の姉妹が3人大阪からやってきました。昨年の暮れに鹿児島にあった夫の実家のお墓を墓仕舞いして家の近くに移したので、そのお墓参りに来てくれたのです。もちろんいきなり来たわけではなくて、前からの約束でした。夫はいいところを見せたいのか、お金のことも含めて何でもかんでも面倒を見たがります。でも、実際にいろんなことを手配するのはわたし。支払いも、「オレが払う!」と威勢が良いのは予約の時だけで、実際にはお金はわたしの(家計の、ですけど)お財布から出て行き、戻ってきたことはありません。当日のお世話も、計画を立てている時は自分がすると言うのですが、それは2ー3日前までのことで、いつの間にあれもこれもわたしがすることになっています。 今回も前日には担当がほとんど入れ替わっていました。でも、昨日の日曜日、朝10時に家を出て品川で出迎え自宅まで案内するのは、流石に急に言われても無理だとわたしは突っぱねました。仕事を持つ主婦が週末に朝から出かけるにはかなりの前準備が不可欠です。でないと、翌週の生活も体調もめちゃくちゃになります。それでもまだ何だかごねているので面倒になり、それならわたしが行くから、いない間にお花屋さんに行ってお墓のお花を2組4束買って、和菓子屋さんでお茶菓子を5人分買って、5人分のお茶の支度もしておいてねと言ったら、急に行く気になりました。というわけで出迎えは夫が行きましたが、夫がそれ以外にしたのは移動のための車の運転だけでした。それもあーでもないこーでもないのおまけ付き。今日も大阪に帰る3人に、東京駅まで同行して、はとバスに乗るまでアテンドするのは夫だったはずなのに、昨夜、翌朝の段取りを姉と確認するのを聞いていたら、わたしがすることになっていました。わたしは、今日中に仕上げなくてはならない作業が金曜日のうちに片付かなかったので、月曜日は休めないと金曜日から何度も言っておいたのに。姉妹を気遣う優しさはあっても、妻を労る気持ちは毛ほどもないのでしょう。究極の外面人間。東京駅ではとバスに乗るのを見送り、朝のうちにお別れして出社のはずが、お天気が悪かったのではとバスには乗らないことになり、結局お土産の買い物から丸ビル見物、新幹線の改札口までお付き合いしました。改札口に入る時には、良かった、ありがとうと何度もお礼を言ってもらいましたが、東京駅は行くたびに変わっていて案内するのも超緊張、正直疲れ果てました。会社に着いたら14時30分。そこから発送作業をし、残っていた仕事を片付けて、会社を出たのは20時前、さらに疲れて帰宅でした。 というわけで今日は皆様のところへはご訪問できないと思います。悪しからず、ごめんなさいです。
2024.05.20
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5月11日(土)、2日目の朝も快晴です。この日は大洲(おおず)へ移動、宿泊も大洲にホテルをとってあるので、1日たっぷり大洲の街を楽しむ予定です。9時に大洲城前でガイドの方と待ち合わせをしており、7時25分に道後温泉駅発を出て、JR特急に乗り継ぎ、伊予大洲8時45分着の予定なので、7時前にチェックアウトしました。翌々日12日の夜にここにもう一泊するので、キャリーバッグは預かってもらえることになり、とても助かりました。重い荷物がなくなり身軽になって駅まで歩いて行くと、なんと営業しているパン屋さんがありました。ユノマチベーカリーですって。そこでパンを買って特急の中でいただきました。パンのお値段は東京並みでしたよ。駅前では7時を過ぎたばかりなのに、もう足湯に浸かっておしゃべりしている方が。気持ちよさそうです。わたしはこの電車に乗って松山駅へ。松山からの特急はアンパンマン列車でした。車内までもアンパンマンです。もう直ぐ伊予大洲駅、車窓の景色が素敵です。大洲市は観光で町おこしをしようと本気で頑張っているみたいで、観光事業の企画、運営をするための組織も法人化(営利団体)しているらしく、だからお約束しているガイドさんも、街の住民の方ではあるのですけど、他の街と違ってボランティアではないようで、料金も観光タクシーの料金とかに近い感じだし、雰囲気も少し違う気がしました。この日は、大洲城で待ち合わせ、大洲城見学の後、明治時代に「木蝋」の貿易で財を成した方が建てた建築物を二棟見学する予定です。どれも本当に楽しみです。再建された大洲城です。この続きの、大洲での中身の濃〜〜い観光のオハナシはまた明日。ではでは。
2024.05.19
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さて、はらぺこさんは晩御飯です。備え付けの浴衣でのレストランへの出入りはご遠慮くださいとのことで、着替えもせずにレストランに向かいます。1人なのですみっこの小さなテーブルに案内されました。一人分のテーブルセットがされていて、ここで、あれ?フルコースなの?と気づいたわたし。度胸を決めてまずは道後温泉ビールをオーダー。黒ビールでした。ビールと一緒にこの日のお品書きを持ってきてくれました。かぼちゃのムース(なぜか単独)はなかなか濃厚でしっかりした硬さ、なめらかなクリームやバターの風味の中にかぼちゃの味もして、美味しくいただきました。野菜のテリーヌ(下)は、わたしはこの日のお料理の中で一、二を競う味と感じました。お野菜はどれもきちんとお料理されていて、でも濃い味付けはされていなくてお野菜それぞれの自然な味がしっかり残っています。お野菜自体の力強さもあるのだと思います。四国、お魚だと思ってたけど、四国の野菜、侮れないかも。色とりどりのソースもそれぞれ味が違って美味しかったです。冷製コンソメは、ジュレも穴子も美味しかったのだけれど、薬味のカイワレスプラウト?が辛くてわたしはちょっと苦手でした。上のソルベは、お魚とお肉の間に口直しとして出てきました。さっぱりしていて、確かにお口直しにぴったりでしたが、何味だかちょっとわからずでした。パンはまあ普通に美味しいパンでした。上はお魚料理。スズキのポワレでした。そして下はヒレステーキのマデラソース。お肉の味がとても濃くて、マデラソースも程よいコクと甘みで、絶品でした。そしてデザートです。飲み物はなんとなく勘が働いて、珍しく紅茶にしてみたらこれが大正解!とってもおいしくて、レモン入れなければよかったと思いました。デザートはシェフの特製とメニューにありますが、なんだったか忘れちゃいました。美味しかったですよ。そうそう、この日のツインルームは、予約ではセミダブルでした(シングルがないホテルなので)。理由は分かりませんが、グレードアップしてくれたみたいです。で、この日は晩御飯はつけてもらいましたが、翌日朝ごはんの時間より早く出かける予定だったので朝ごはんはないプラン。それで料金は、クーポンを使って税込15,000円弱でした。その料金であのお部屋、このご飯。びっくりですよね。ということで、お腹もいっぱいになったけれどまだ時間も早いので、夜のお散歩に出掛けてみました。ホテルのアプローチ、夜は感じが違いますね。そして駅前へ。駅舎と坊っちゃん列車のツーショット(上)、下の左は駅舎を正面から。下の右はライトアップされた坊ちゃんからくり時計。この後からくりが動き始めました。動画のアップの仕方がわかればお見せできるのですけどねえ、残念!からくりを見てから夜景を見に。神社はもうしまっていましたが、その先に足湯があり、上段右は、その足湯から見た夜の道後温泉です。そして道後温泉本館と三日月の共演です。お月様、実際には大きくて綺麗だったんですよ。頑張って見てあげてくださいね。道後温泉本館はまだ温泉にも入れる時間でしたが、あまり遅くなるのも怖いので、ここで切り上げてホテルに戻り、ホテルの温泉に入って寝ました。ホテルの大浴場入り口です。手前が男性用、奥が女性用のお風呂場です。赤ちゃん用のベッドの場所も配慮が行き届いているなと思いました。温泉は透明なつるっとしたお湯でした。
2024.05.18
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旅から帰って4日も経ってしまいましたので、記憶が少しでも確かなうちに旅日記を書き始めようと思います。何しろ歩いて歩いて歩いた旅でしたので、普段ほとんど歩かない暮らしをしているわたしには予想外に過酷な旅となってしまい、実はまだ膝には湿布を貼って暮らしていますが、それでも体調は少し落ち着きました。旅の初日は5月13日金曜日。まあ!13日の金曜日だったのですねえ!!(ごめんなさい、往きと帰りの日にちをごっちゃにしていました。往きは10日の金曜日でした。)連休明けで仕事がどうなっているか、旅の計画をした去年の秋頃には全然予想できませんでしたので、何かトラブルがあった時に備えて出発は14時55分の便を予約していました。松山空港は16時半頃の予定です。1日目はほとんど夜から始まるような感じになってしまい、多分何もできませんが、それはOKとしました。往きは元気なつもりでしたが、飛行機が動き出した途端にウトウトしてしまったらしく、そのあたりの記憶が全くありません。ふと目を開けたらもう南アルプスらしき山々が見えていました。とても良いお天気で眼下の山がとても綺麗でした。しばらくすると、海と海岸線が見えてきました。瀬戸内海です。まさに多島海です。傾きかけた陽の光を反射して海がとても美しいです。この後、海面がずいぶん近くなったと思ったら、いきなり草原が目に飛び込んできて、あっという間に松山空港に着陸でした。四国初上陸です。リムジンバスで道後温泉に向かいます。初上陸を迎えてくれた新緑です。道後温泉は日本最古の温泉の一つだそうです。道後温泉駅は伊予鉄道の路面電車の駅ですが、こんなレトロで素敵な外観です。駅前を見回すと坊っちゃん列車そして有名なからくり時計。これ、夜8時まで毎正時にからくりが動くのです。わたしも動画を撮ったのだけど、アップの仕方がわからん。残念。で、駅前から少し歩くと、道後温泉本館があります。重要文化財です。旅館みたいだけど宿泊はできなくて、いわゆる温泉銭湯なのです。ただいま修復工事中で、余計なものが写ってますけど、先月までは建物に覆いもかかっていたので、今はまだだいぶマシなのです。何枚写真を撮っても全貌を伝えられた気がしません。ここを通り抜けて、今日のホテルに向かいます。「道後温泉オールドイングランド 道後山の手ホテル」という、長すぎて、正確なフルネームがよくわからないホテルです。山手というだけあって結構な急坂を登っていきます。見えてきました。はい、着きました。中に入るとロビーです。ロビーにワインセラーがあって、見学もできるそうなのだけど、遠慮しときました。エレベーターが二基。ドアと、中のライト、床のモザイクです。宿泊階のエレベーターホール。そして、1泊目のお部屋です。ドアを開けて、あまりの素敵さにぼーぜんとしました。自分で選んでこの部屋を予約したのですけど、それがだいぶ前のことなので、なぜこの部屋だったのか、忘れてしまいました。この広さのツインをシングルユース!って、なかなかの贅沢ですよね。思わずいろんな角度から写真を撮ってしまいました。お部屋だけでなく洗面室やバスも素敵です。ホテルにチェックインしたのは17時半過ぎくらいだったのですが、なぜかお腹がぺこぺこで、すぐご飯にしていただきました。一階ロビー脇ののレストランに行くと、そこがまたとってもいい感じ。外のテラス席では大きなテディベアさんたちがくつろいでいるし、壁にはウィリアムモリスのパネル、別のテラスには可愛いバーカウンターが設えてありました。そして、夕飯はまさかのフレンチフルコースだったのです。なんだかわたし、ものすごいリッチなマダムになった気分でした。まだ1日目が終わっていませんが、長くなったのでここで一旦休憩させていただきますね。
2024.05.17
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旅行からは13日に無事帰宅しました。国内2度目の一人旅、1人の良さを満喫できた旅でした。というか、満喫しすぎて、今はちょっと変。お洗濯と荷物の片付けだけはようやく終わったものの、生活ペースはギクシャクだし、4日も休んだら、頭がなかなかお仕事モードに戻らないし、帰ってきて3日も経つのにまだ疲れてます。足指の押された痛みはほぼ消えましたが、膝はまだ少し痛むし、痛む膝と同じ左のくるぶしから先がなんとなく浮腫んでいるみたいな感じです。なにしろ四日間歩きすぎました。普段2-3000歩しか歩かないわたしの、旅行中の歩数は5月10日はお昼前に家を出たので、その日は半日分ですが、そこからの四日間の旅行中の歩数と、それ以降の歩数、違いすぎますよね。最初の日はまあ良かったのです。泊まったのが道後温泉でしたし、ホテルの温泉にしっかりつかって、翌朝は元気いっぱいでした。翌2日目は16,000歩以上もあるきましたので、流石に夕方にはヘロヘロでした。この日はビジホしか取れなくて、大浴場もなかったのですけど、そのビジホの狭いバスで、夕飯前と夕飯後の2回もお湯につかってしまいました。温泉でもないただのお湯でしたけれど、それなりに効果はあったみたいでした。翌朝、足が元気になっていたのは幸いでしたが、不幸だったのは、朝から雨だったことでした。天気予報では警報級の雨が降るっていうことでしたが、そこまでの雨ではなく、でも結構強く降る時間帯もありつつでしたので、靴もびしょびしょになってしまい、足のダメージはかなり大きかったのです。この日はもう一度道後温泉に戻ってきましたので、有名な道後温泉にはいって、ゆっくり丁寧に足をマッサージしました。けれど、普段の1週間分くらいの歩数を続けて2日も歩いたのですから、だいぶ堪えました。膝も少し痛みましたし、あしも浮腫んでいたらしく、4日目の最終日は靴がきつく感じるほどで、歩くのも痛くて、ちょっと辛かったです。脚は丈夫な方だったのですが、年齢と運動不足、本当に侮れませんね。時間がなく、ウォーキングをする時間がないので、その代わりにシックスパッドのフットフィットプラスで3日に2日ぐらいのペースで歩くトレーニングをしていたのですけど、全然足りてませんでしたね。もっと鍛えないとと、改めて反省しました。
2024.05.16
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去年の春の津和野と萩への一泊旅行を覚えていてくださるブロ友さんもおいでになるかもしれませんが、あの旅は、家を出てから戻ってくるまでずっとひとりという、初めての本当の一人旅でした。始まりは、息子から、消えてしまうマイルがあるんだけど、1人分の往復チケットなら買えるくらいでも良かったらあげるよと言われたことでした。一人旅にはさほどの抵抗はなかったのに、それまでしたことがなかったのは、1人だと夕食付きの宿の予約が取り難いからでした。素泊まりだと、知らない街で、夜、お店を探して、知らないお店でひとりで晩御飯。。。は無理!と思っていました。ビジホとかではなくて食事付きで1人客でも泊まれる宿は中々見付からないだろうし、あってもきっとすごく高いだろうしと想像するだけで終わりだったのです。でも、航空券が無料なら話は別。1人でも泊まれる宿が見付からないか、希望日に予約が取れないか、トライしてみる価値はありますよねえ。そこで、まず、都合の良い時期にチケットが取れる空港をピックアップ、その中から行きたい町を選んで、一泊二食おひとり様OKで、その時期に空いている宿があるか調べました。そうしたら萩が残ったのです。萩に行くなら津和野も行きたいと欲張って出かけた旅は最高に良い思い出になりました。なので、今年もマイル使って良いよと息子が言ってくれた時は、一も二もなく飛びつきました。今度は、結構大冒険です。行く先は四国、愛媛県。松山市と大洲市と、漠然とそんなふうに目的地は決めて、宿の予約だけはしましたが、忙しい忙しいばかりで下調べも何もしないでいるうちにあっという間に1ヶ月前になってしまい、計画は手付かず、旅の予定は何も決まっていませんでした。大まかには松山市は道後温泉と松山城、萬翠荘。大洲市は大洲城と古い街並み。ていうか、それがわたしの知っている全てでした。ゴールデンウィークにしっかり調べてきっちりスケジュールを決めるつもりが、あれよあれよという間に。。。でも少し調べたら、大洲市では地元の市民ガイドさんの案内で街歩きや施設見学ができるとわかったので申し込み、ちょっと遅かったのですが、親切にもOKしていただけました。それを調べている過程で、すぐ近くにある内子町にもガイドツアーがあるとわかり、これも申し込んでみたら大丈夫でした。松山は、申し込み期限が過ぎているとのことでガイドツアーはダメでしたので、着いてからホテルの方に相談して考えようと思います。出発は明後日です。なのに、自分の旅支度も、留守中の夫のあれこれもまだなにもしていないのです。今回は3泊4日なのですけど、明日1日で準備が間に合うでしょうか?不安ですが、まあ、なるようになるでしょう。
2024.05.08
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今日は連休最終日。思えば、前半3連休のあと1日出社し、後半は6連休で、なんと9日もお休みしてました。その間にできたことといえば、初日に整体に行き、後半は血液検査のために採血に行き。。。5連休くらいだったらそれで終わりだったでしょうが、今回は違いました。そのあと一旦ぐだぐだしたものの、四日には昭和記念公園に行き、五日はベッドを動かして模様替えをし、今日六日はずっと溜めていた大物の洗濯をしにコインランドリーに行き、来週旅行に行くのでその下調べを(今ごろ!💦)しました。なんて盛りだくさんなんでしょうと自画自賛。特に、模様替えついでに2階の部屋の床をかなり徹底的にお掃除が出来たことが素晴らしいと実に清々しい気分で自画自賛中です。今日、コインランドリーと自宅で並行して大量のお洗濯をやっつけながらスマホで色々情報集めをした旅行の行き先は愛媛県です。今年も息子がマイルをくれたのでセールの時にチケットを予約したのです。松山市と大洲市を訪ねる予定で、松山は道後温泉、萬翠荘、松山城。できたら坊っちゃん列車にも乗りたいというくらい。大洲は街並みと大洲城を訪ねてみようかという感じの実に大雑把なスケジュールしか出来ていないので、もし、ご存知の方がいらしたら、ぜひ良いコース、素敵なお店、一推しスポットなどご教示くださいませ。よろしくお願いいたします。
2024.05.06
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今の家に引っ越してきたのは2017年7月末のことでした。その時は1階と3階の半分を仕事で使い、2階と3階の半分が住まいということになっていました。でも住み始めて数ヶ月で3階を仕事に使う具合の悪さにわたしが耐えられなくなり、その仕事が本業とは違うものだったこともあってお断りすることにしてを、仕事場は1階だけで、2、3階を住まいとして使うようになりました。60代半ば、まだまだ体力もしっかりあって、2階と3階を行ったり来たりするのもさほど苦になりませんでした。けれど、年を追うごとに3階に行くのが億劫になってきて、ここ2年ほどは3階はすっかり物置です。息子も結婚以来わたしたちの家に来ることはほとんどなくなり、家族で会う時は息子の家かお店に行くようになりましたので、近頃は部屋の用途も、引っ越し当初に考えていたのとはすっかり違ってしまいました。それに、ここ何年かは夫のアレルギーが酷くなってかぶれた皮膚が剥がれるので掃除もすごく大変で、というより家具が壁に押し付けてあったり、隙間なくあった置いてあったりすると掃除がしづらくて、時間がかかるばかりできれいにならず、困っていました。そんなこんなで、このゴールデンウィーク中に模様替えをしたいと思っていて、少なくともベッドの移動だけでもしたいと思っていました。でも、洗濯機の廃棄の時にも階段の造りが悪くて人力で下ろすことができないと書きましたが、実は造りが悪いのは階段だけではなく、この家全体がそうなのです。寝室として使っている部屋は安いビジネスホテル並みの広さで開口部の幅も狭く、家全体が柱ではなく壁で強度を保持する構造だということで、リビングの変なところに壁があったりして、家具の移動も簡単ではありません。夫にも声をかけて頼んであったのですが、ゴールデンウィーク中も仕事があるとかで待っていてもどうやら当てにはならないことがわかったので、最終日目前の今日、1人でできるところまでやってみようと、取り掛かりました。まずはビジネスホテルの部屋より狭い寝室に、ぎゅうぎゅうに2台並べてあったベッドを1台ずつ別の部屋に置くというミッションです。1台は置き場所はそのままで方向を変えます。2台目はリビングに移動、それに伴って他の家具も多少移動しないとなりません。動かすのは、引っ越しの時大工さんに頼んで狭い寝室に合わせて作ってもらった特製の狭小ベッドですが、木製のため重いし、間取りのおかしい家なので、動かしたいものを動かしたい場所に動かすためには、パズルみたいにいろんなものを少しずつずらして、動かしていかなくてはならず、ぎゅう詰めになっていたためきちんと掃除ができていなかった場所が姿を現したら掃除機をかけて水拭きして綺麗にしてから次を動かすなんていうのを繰り返しながらジリジリと家具の場所を変えていくのですから、まさに持久戦です。細々した家具を動かしては、掃除機やら雑巾掛けやらをし、綺麗になったらベッドをずらし、また小さい家具を動かしてスペースを作りを繰り返してベッド2台を移動するのはI日がかりで、終わった時はもうクタクタでした。実は昨日、流石に歩き疲れたようで、今日は膝に湿布を貼っていたのですが、うんとこどっこいしょと重いものを押したり引いたりしていた時には感じなかった痛みが、あー、疲れた!と座った途端に襲ってきました。でも、模様替完了後のお部屋は。。。ビジネスホテルより狭い寝室も、ベッド一台だけなら余裕です。もう一台はリビングに。リビングが無くなっってしまったけど、どうせほとんど使ったことがなくてほぼ通路になってたから、なくても大丈夫じゃないかと思います。使い勝手がどうかは、この状態でしばらく過ごして様子を見ないとわからないけど、少なくともベッド周りが広々しましたので、気持ちはいいです。今夜から気持ちよく寝られるでしょうか?気分よく休めば膝の痛みもどこかへ飛んでいっちゃうかなと思っています。
2024.05.05
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ずいぶん前から行きたいと思ってなかなか行けなかった東京立川市の昭和記念公園にネモフィラを見に行ってきました。ブロ友のnaominさんにお願いして付き合っていただいて、2人で。JR中央線の立川駅の改札口で待ち合わせ、お弁当を買ってから入園。それはそれは広い公園なのですけれど、さすが国営、入園料はわたしたちはシニア割引でなんと210円(一般の大人は450円)でした。安近短のゴールデンウィークを楽しもうという人たちで早くもごった返していました。無事ゲートを潜り、真夏のような日差しと気温の中、てくてくとそれはそれはよく歩きました。よく歩いた証拠写真、今日の歩数は14,898歩、普段の3日分くらいですね。お目当てのネモフィラは本当はもっと人がいっぱいでしたが、なかなかいい感じに撮れました。本当はこんな、いいえ、もっと人がいっぱいでした。ベストショットはこのアップの写真かな。ネモフィラを堪能したあとはお昼です。こちらはnaominさんの釜揚げしらす弁当。こちらはmamatamの牛しぐれ飯弁当。そしてお弁当のお供はもちろんこれ!さらにデザートの抹茶かき氷。のんびりご飯もおしゃべりも満喫して、帰りは疲れたので(ホームページより)名乗ってあんなか。半周しながら帰ってきました。最後に、おまけの画像立川市のマンホール蓋です。辛夷の花でしょうか?
2024.05.04
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昨日アップしたスマホで楽天ブログのアップがしづらい問題、コメントでいただいたアドバイスを見て、早速パソコン版を確認してみました。残念ながら、パソコン版に表示を変えても起きることは同じでした。昨日の追記にも書きましたが、結局同じアプリなので、変わるのは表示形式だけということかなと思います。しかも、パソコン版だと文字がやたらに小さくて、とてもじゃないけれど老眼で読めるサイズではありませんでした。わたしの老眼、急速に進んでいるのかしら?読み易い大きさまで文字を拡大したら、今度は1行の文字数が少なくて書いている文章の全体が読めず、使い勝手最悪でした。それならと横向き表示にすると、文字は大きくなるものの、1行の文字数が多すぎていくら横スクロールしても終わらず、表示される行数は少なすぎて、こちらも使いづらいことこの上なし。結論→スマホ版の方がまだマシ、なのでした。で、今朝、落ち着いて、スマホ版で入力の時に起きることを確かめてみました。『文字を入力していて、前の方に入力ミスを見つけた時、以前は変換前でも打ち直したい文字をタップするとカーソル?がそこに動いて打ち込んだ文字の訂正ができたのですが、今は変換し終わっていない文字列でそれをすると入力した未変換の文字列全部がひらがなのまま固まってしまいます。ひらがなに未変換を表すブルーの下線が付いてカーソルも末尾で点滅する「入力未完了」状態のまま固まって、カーソルの移動もできなくなります。できるのは入力中の文字列を✖️で末尾から削除していくことだけです。それなら、一旦全部ひらがなのまま確定させ、その後で訂正する方が早いかと「完了」をタップしたら、あらら、ひらがなで表示されていた文字列が全て消えてしまいました。』おそらくこれが事件の全貌です。対策は、細切れに一言ずつ入力して変換していくことでしょうか。こうすればほぼ問題はなさそうですが、うっかりして長文を一気に入力したりしてしまうと、もう最悪です。しかもこのうっかりがとても多くて、常に意識してこまめに変換してないと、あらら!の直後にまたアララ!、その連続になります。一番困るのは、以前は長い文章を一気に打ち込んでから一区切りずつ変換できたのに、それができなくなったことですかね。すごく面倒です。LINEとかメールとか、他のアプリではこういうことないと思うのですけど。。。これは、「ブログは短く簡潔に。ダラダラ長く書かないでください。」という、楽天ブログからのメッセージなのでしょうか?ちなみに、コメントをスマホで書くときは、↑とは違っていました。本文と同様、入力途中の文字列をバックスペースの要領で修正することはできませんし、打ち込んだ文字列を細かく一区切りずつ変換することもできなくなってしまいましたが、前の方の文字をタップしても固まったり消えたりはしませんでした。同じアプリなのに、本文とコメント欄では挙動が少し違っているようです。
2024.05.03
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ブロ友さんはご存知のことですが、わたしはスマホでブログを更新しています。楽天ブログアプリを使って日記を書くのですが、ここ1ヶ月くらいかな?文字変換がうまく行きません。それだけならいいのですが、うまく変換できなかった文字列が消えてしまうという事件が頻発しています。それ以前と入力の仕方を変えた記憶はないし、変わってはいないはずです。でも、事件が現場で起きています。困ったことに、何をしたからそうなるのかという法則?規則性?が全然わからないのです。もう、ほんとにストレスです。わたし以外にスマホで更新をするという方は、わたしのブログ界隈にはほとんどいらっしゃらないようなので、ここにこんなことを書いてアップしてもただの愚痴にになってしまって、あまり意味はないかもしれませんが、もし何か思い当たることがあったら教えていただけると、大変嬉しいです。お心当たりのある方、どうぞよろしくお願いいたします。追記パソコン版でもやってみましたが、同じ症状でした。パソコンタイプなのは見え方だけで、動かしているのはアプリだから、そうなるってことでしょうか?このままスマホ仕様で、慣れるまで使って行くのがいいのかしら?
2024.05.02
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mamatam社は町工場だと思ってたとコメントをいただきましたが、そういえば最近の日記では、仕事の内容に触れることが少なくなっていましたね。 東京の下町の製造業で零細な会社といえば、京葉工業地帯のど真ん中ですから、下請け?孫請け?孫孫請け?の金属加工の町工場が思い浮かびますよね。とはいえ、ウチも金属関係(鉄工所)ではないというだけで、町工場であることに変わりはありません。町工場の中でも狭い部類に入る2箇所の小さな工場でささやかにサプリメントの製造をしています。 起業して今年18年目になりましたが、その間には何度か、大小さまざまの危機に見舞われたともありました。 リーマンショックとか、東日本大震災とか、コロナ禍のような誰もが影響を受けたものはもちろん漏れなくひどい目に遭いましたし、それ以外にも、コップの中の大嵐よろしく業界関係者しか知らない危機もありましたし、取り込み詐欺の被害者になりかけたことも、払い渋りで経営が危うくなりかけたこともありました。 そんな中でも、今回の紅麹騒動はちょっと特殊と感じます。 実際にはこの製品のために健康被害を受けた当事者と、被害には至らなくても摂取したことのある人達の問題で、その全責任はこの製品を製造販売した特定の企業が負うべきことなのに、国民のほとんどが我が事のように関心を寄せ、心を痛め、そのためにほんの少し関わりがあるどころか、近隣の業界に属しているというだけで実際には何の関わりもない企業までが影響を受けています。 そうなってしまった理由の一つは小林製薬の対応だったと思います。 もっと早く被害を公表して被害の拡大を防ぐ対策を取るべきだったと思うし、事態の解明と原因の究明に向けて、もっと早くに行政や研究機関などあらゆる方向に協力を求めるべきだったと思うのです。 問題が公表され、原料を分析した結果、製品の一部ロットに、有毒のプベルル酸を生成する青黴か発生したことが原因だったとわかりました。そのロットにそのカビがなぜ発生したのかはまだ発表されていないみたいですが、原因がわかったことで、紅麹自体に問題があるわけではないということもわかり、他社の製造した紅麹はもちろん、小林製薬の紅麹でもロットの違うものは大丈夫ともいわれています。 それがもっと早くわかっていれば、多くの企業はとばっちりの被害を受けないで済んだのじゃないかと思うからです。けれども、小林製薬の紅麹は自社で販売しているサプリメントに含まれているだけでなく、他社製品の原料としても使われています。他社製品というのは、サプリメントだけでなく、パン、味噌、酒、漬物等多種類にわたっていて、その製品名、製造会社名はすでに公表されているようです。 健康に害があるのなら回収は当然だし売上減も仕方ないですが、損害額もその責任もはっきりしているのですから賠償請求もできるのじゃないでしょうか。でも、紅麹のベの字にかすりもしてないのに、買い控えとか風評とかの「巻き込まれ」でがっくり注文が減った会社(mamatam社もです)とか、有害どころか有益な紅麹を作ったり販売したりしていたのにぱったり注文が止まってしまった会社などは、どこにもなんの苦情も持って行きようがなく、もちろん賠償請求だってする相手がなく、いわば泣き寝入りするしかありません。災難だったとぼやきながら、嵐が最小で収まり、最速で過ぎ去ってくれることを祈るしかないのです。それってやはり小林製薬のしたことが原因だし、問題がわかった時の対応を間違えたことが原因なのです。 小林製薬って、もし自社の製品で健康被害が起きたらどうするかとか、そういうの決まってなかったのじゃないかなあって思うのです。だから一大事が起きてから右往左往して、こんなことになってしまったのかなあって。初めの頃の記者会見など見ていても、一生懸命だし、真剣に謝ってるのだけど、心の中はどうしたらいいのかわからなくて、もう泣きそうって感じしませんでした?やはり、万が一のことって、手始めに考えてみるだけでもしてみた方がいいんだなと思います。製造した製品に何かのトラブルがあった場合、どこにどんな影響が現れる可能性があるか、どんな事態だったらどこに連絡や届出をするべきか、一度考える機会を持つだけでも、実際に何か起きた時に違うのじゃないかなと思います。社員7人の零細企業と大企業を同列にいうのはおかしいですが、こんな時代ですから、何が起きるかわからないし、その波紋がどこまでどう広がるかもわからないのですから、わたしたちも、小規模なりに危機管理マニュアルみたいなものを、まあ、そんなご大層なものでなくて良いので、作った方がいいなあって、そんな気持ちになりました。
2024.04.30
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いつもだと、4月半ばくらいの時点で連休前後の予定が穴だらけ、今年は大型連休かも?なんて言っていても、連休直前になるとお馴染みの駆け込み注文がバタバタと入って、結局お休みはカレンダー通り、連休前後の仕事もギュウギュウの大忙しということになるのが、ゴールデンウィークあるあるでした。あまつさえ、今年はコロナが明けたせいか注文が混み合って、2月3月と取引先にご迷惑をかけるほどの忙しさだったので、ゴールデンウィークはどうなることかと心配する程でした。ところが4月に入る頃から目に見えて受注に勢いがなくなってきて、あの超多忙な日々が嘘みたいに、この1ヶ月はとてもゆったりと仕事をすることができました。ゴールデンウィーク前後もそのペースは変わらず、予定表もスカスカなまま連休前夜を迎えました。前半の三連休明けの今日4月30日は仕事がありましたが、明日、明後日の予定表は真っ白でしたので、5月1日から7日までmamatam社をお休みにすることにしました。いきなりそんな話になったので社員さんたちはびっくり、そして大喜びでした。こういうことになったのは、おそらく、3月22日のアレが原因だろうと思います。3月22日のアレとは、そう、小林製薬のあれのことです。サプリ業界の極ごく隅っこに居所を構えさせてもらっているmamatam社、どうなることやらと様子を窺っていましたが、その原料を扱ったこともないのに、思いの外早く風評被害の列に連なることになったわけです。こんなにのんびりな日々もたまにはいいですが、こんな状態が続いてもらっては困ります。コロナの日々の悪夢が蘇りそうです。でも、本当にちょっと先が見えないんですよね。ウチみたいなところにも先日保健所が立ち入りにやってきました。おそらく上(上級省庁)が何か言い出しそう or しそうという雰囲気が漂っているのでしょうね。それが、消費者保護や安心安全のためにほんとに有益な、必要なことだったらもちろん協力は惜しみませんけれど、点数稼ぎや、カッコつけのためのカッコつけなのだったら、迷惑以外の何者でもありません。mamatam社の先行きも、業界の雲行きも、そしてお役所の動向も、色々と気がもめることです。
2024.04.30
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いきなりですが、ただ今ここ↑で洗濯しながら、久しぶりの日記を書いております。またまたすっかりご無沙汰してしまいましたが、実は2週間ほど前に、洗濯機が壊れてしまったのがこのご無沙汰の原因でした。壊れたのは洗濯機のドアで、洗濯が終わって洗濯物を取り出そうとしたら、ドアが開かなくなったのです。 夫がなんとかロックを外してその日の洗濯物は取り出してくれたのですが、それ以来このコインランドリーで週に3-4回お世話になっています。普通なら洗濯機を買い換えればいいという、割に簡単なハナシのはずなのですが、現実はハナシの通りには行きません。壊れた洗濯機は、我が家の二階においてあります。通常は2階くらいなら階段での搬入搬出は特に問題ないのですけど、今の我が家は階段の造りがおかしくて、引っ越しの時、家電の中でも重くて分解できない冷蔵庫と洗濯機はクレーン付きのトラック(ユニック車)を頼んで窓から搬入しなくてはならなかったのです。その時は洗濯機も冷蔵庫も買ってまだ3-4年しか経っていなかったし、廃棄する時にまた運び出すのだということには全く思い至りませんでした。でも、買い換え?と思ったとき、すぐに頭に浮かんだのは、それにはまたユニック車が必要ということでした。引っ越しの総額に紛れていた時にはそこまでの金額と感じなかったその費用ですが、洗濯機の価格に上載せされると思うと、ちょっと待って!で、そうそう簡単に買い替えには踏み切れません。というわけで、結論を先延ばしにしつつ、コインランドリー通いをしている今日この頃なのです。一度に十数キロ分纏めて洗うと、1時間とちょっとかかります。洗濯機が動いている間じっと待っているわけではありませんが、大量の洗濯物を畳んでこんな、自転車のカゴに載せやすいバッグに詰めてコインランドリーまで運び(って、自転車で2-3分なのですけど)洗濯機に入れて家に帰り、1時間して乾燥が終わった頃に戻ってまた畳んで詰めて帰ります。帰ったら、シワだらけにならないように袋から出しておかないとなりません。24時間を一杯いっぱいに使って日々をやり過ごしているわたしには、なかなかにヘビーな作業です。おかげで、すっかり心身のペースが崩れてしまい、食事も手抜きなら家の中もグチャグチャだし、仕事でまで変なミスが出て、正直なハナシ、ブログどころではありませんでした。あ、乾燥まで終わったようです。中途半端ですが、続きはまた後で。続きです。と言っても、もう付け足すこともあまりありません。故障箇所ですが、ドアのロック機構の部品が経年劣化したらしく、市販の部品を買ってきて付け替えることもできないそうで、あれから夜や休日に夫が根気良く工作してくれて、先ほど、とりあえずドアの開け閉めは出来るようになりました。我が家の洗濯機、写真と同じドラム型なので、ドアが閉まらないと水が漏れて、というかそもそもドアロックができないとスイッチが入りません。夫がドアを直してくれたので2週間ぶりに洗濯ができるようになりましたが、大物が残っていることもあり、コインランドリー通いはまだしばらく続きそうです。ドアのロックの噛み合いの部分も純正の部品で取り替えが出来たわけではなか、夫の自作なので、早晩また壊れるでしょうし、洗濯機自体もだいぶ老化が進んでいるので、ドアより前に本体が壊れる可能性も低くはありません。猶予期間がどれくらいあるか分かりませんが、次に壊れたときにはどうするか考えて、対応を決めておかないといけないと思っています。
2024.04.28
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お昼休みにお茶休憩のお供のお菓子を買いに、近くない最寄り近くのスーパーに行きました。その往き帰りの道で、とってもきれいに咲いているたくさんの春のお花たちから次々と声をかけられました。みんな、今が一番綺麗な時よ〜〜って、声高々に誘ってくるみたいでした。春たけなわとか、春爛漫とか、いろんな言い方がありますが、まさに春が来たんだなあと感じました。桜並木も2-3日前と比べると、まさに爛漫と咲き誇っていて、風に舞う花弁がカーテンみたいでした。右の方にも左の方にも桜です。こちらの畑には赤い木蓮、こちらのお庭の中には源平咲の枝垂れ梅。幼稚園の塀際には赤いトキワマンサクと海棠が交互に植わっていました。親水緑道では満開の桜とハナモモの競演。そして気の早い子もいましたよ。白いハナミズキです。まだこんなに遠慮がちですが、やる気は満々のようでした。忙しくて、なかなかゆっくり見て歩く時間は取れませんが、本当はこの季節、数日と言えども見逃したらもったいない、美しさと輝きに溢れていますよね。なるべくサボってパトロールの時間を作りたいです。追記です。いわどんさんへお神酒徳利っていつも決まったペアでいる人たちのことそういいませんか?1人でいると、「あれ?今日は○○ちゃんは?」とか言われちゃうみたいな。古い言い回しなのでしょうね。さっき調べてみたら、お神酒を入れる徳利は2本一組なので、そういう言い方が生まれたそうです。わたしには、桜にはユキヤナギがつきものみたいな気がするので、そんな風に書いてしまいました。
2024.04.11
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我が家の、道路を隔てた向かい側に小さな公園があります。実はこの公園、隠れた桜の名所です(って言ってるのはわたしだけですが)。本当に小さい公園なので桜はまだ若いし、本数もそれ程なく、種類もソメイヨシノだけです。でも、日当たりが良くて一斉に咲くので、満開になるととても綺麗です。なので桜の時期に思い出すと1人でサクッとお花見をしに行くのですけれど、うっかりしていたり忙しかったりして思い出すことを忘れてしまうこともあり、引っ越して来てから8回あった春のうち、お花見ができたのは半分程かもしれません。今年は桜が長く咲いてくれたので思い出すのが間に合って、今日「ちょこっと花見」をして来ました。ちょっと気取って撮ってみた一枚です。枝の輪っかから、お花たちがこちらを覗いている見たいじゃないですか?少し風の吹いていた今日は、桜吹雪というほどではなくひらひらと花弁が舞っていました。絨毯を敷き詰める前の地面です。 枝の影絵が、素敵な柄の敷物を敷いたみたいですね。青空をバックに満開の小枝をアップにしてみました。こちらはまだ若いひこばえの枝の咲いたばかりの若いお花たち。お花の中心、蕊の周りがまだあかくなっていません。こちらは赤くなってもう満開。葉桜になりかけています。葉っぱは出ていても、蕾もまだ多いです。桜の下のユキヤナギ。御神酒徳利ともいうべき組み合わせ。また、来年、会えますようにと、手を振ってお別れして来ました。
2024.04.10
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昨日は入学式日和の良いお天気だったのに、今日は一転凄い雨です。自転車で出社したら合羽を着ていたのに10分足らずの間に髪なんかびしょびしょでした。一日降り続くみたいですけど、退社の頃には小降りになっていて欲しいです。長々書き綴ってきたベトナム旅日記もようやく最終回、とうとう日本へ帰る日になりました。前夜、豪華ディナー(笑)から戻ってホテルのお部屋で荷物を片付け、準備万端整えて寝ました。お土産が壊れたり失くされたりするとイヤなので機内に持ち込むことにして、来る時は機内持ち込みにしたキャリーバッグを預けることにしました。虫除けスプレーは開封してあるけどガスは入っていないので預け用なキャリーバッグに入れて大丈夫。未開封のペットボトルやビールはホテルに残して行っちゃう。気圧で溢れてしまいそうな生ローヤルゼリーも手荷物に。などなど、一生懸命考えて荷造りをして、午前3時には起きないとならないので、頑張って早寝しました。翌日はアラームと共にしっかり起き出し、着替えもそこそこにロビーへ。みんなしゃっきりした顔で集まり、送迎バスで空港へ。ここでもEちゃんはバスには乗れず別行動。この度は来る時とは違ってWKくんがボディガードです。ホテルで手配してもらったタクシーで空港を目指します。数十分後には無事空港で全員勢揃い、そこからだいぶ待たされましたが揃って滞りなくチェックインも完了し、出入国管理(イミグレーション)です。手荷物検査を受け、パスポート検査へ。そこも何の問題もなく通過、のはずでしたが、わたしだけが列を離れて別のところで待つようにと指示されたのです。え、何??ちゃんと日本は出国できたし、ベトナムにも入国できたし、みんなと違うものを買ってもいないのだから、特におかしなものは持っていないはず。そんなところで止められるような心当たりはひとつもありません。なので、最初はさほど心配もせずボーっと立っていましたが、見張りみたいな人はいないものの何の説明もなく、だだっ広いイミグレーションの隅に立って待たされること10分。。。15分?だんだん不安になり、大丈夫かしら、飛行機に間に合うのかしらとそれも心配になり始めた頃、ようやく男性職員がやって来て、自分の後についてくるようにと言いました。これから検査を受ける人たちの長い長い列の脇を延々と歩いて反対側の隅の小さな部屋に連れて行かれ、わたしのキャリーバッグが目の前のカウンターに置かれたのです。一瞬パニックになりかけ、えー、何?何かあった?そんなはずないんだけど!!!と、心の中で叫ぶも、それが大間違い。そんなはずがあったのです。ぱっくり開かれたバッグの隅っこ、女性職員が指差す先にあったのは・・・モバイルバッテリーでした。あっちゃー!迂闊!旅先でスマホが電池切れにならないように大容量のバッテリーを持って来たのは良いけれど、大容量だけにかなりの重さだったので、荷造りした時に「これは重いから。。。」とわざわざ機内預けのキャリーバッグに入れたのです。モバイルバッテリーは預ける荷物には入れられないことなど百も承知、だから機内持ち込み(carry on)にしないといけないことは分かっていたのに、わたしったら、まあ、本当にバカ!ニコリともせずにCarry on!と言われて、もうグーの音も出ず、ごめんなさい!と最敬礼で謝って、返してもらったバッテリーをリュックに押し込み、また男性職員の後について手荷物検査場へ、そこはもうすんなり通れて、そのあとすぐ無事に仲間の元に戻ることが出来たのでした。みんな、「こう見えて、ベトナムは社会主義の国だしなあ。」と、心配してくれていたそうで、わたしの顔を見るや、どうしたの?なんだった?何やらかしたんだよ!もう大丈夫?と口々に聞いてくれたのですが、わたしが訳を説明すると、手のひらを返したように、ばーか!何やってんの!!でした。でも、おかげさまで乗り遅れることもなく、無事搭乗完了、日本に帰ってくることができたのでしたとさ。めでたし、めでたし?ベトナム旅日記はこれで完了です。長いことお付き合いいただき、ありがとうございました。
2024.04.09
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昨日は毎月恒例の友のお墓参り兼会食でした。石川県在住の部活仲間も参加してくれることになったので、東京の桜が見頃ということで、早めに集まってお墓参りを先に済ませてから、深川 大横川の桜見物をしました。この友人はわたしにとっては小学校、中学校、高校を通しての友達で、高校では部活も一緒でした。高校には同じ中学校から男子1人女子2人の3人しか入学せず、それぞれ別のクラスになったのに、オリエンテーションの後希望の部活室に行ってみたら3人ともそこにいたという、なんともおかしな成り行きでした。1人は男子で、彼とは卒業後音信不通ですが、昨日会った彼女とはずっと付き合いが続いています。彼女は、結婚後、夫君が出身地の石川県庁に就職されていたのでそちらに移り、会うことも少なくなっていますが、60年以上もの間、途切れることなく繋がれているのは、高校で偶然同じ部活を選んだから。本当に不思議なご縁です。さて昨日のお出かけですが、肌寒かった一昨日よりかなり暖かいと言う気象予報は知っていましたが、さほど薄着にはしないで出かけたの出すが、家を出た途端に暑っとなって、羽織っていた単のコートを脱ぎました。門前仲町に着き、まずお墓参りをしてから、大横川を跨ぐ黒船橋へ。西の、隅田川の方へ向かって桜のアーチの下を歩きます。川の両岸が遊歩道になっています。満開まであと一歩という感じ。空は真っ青だし、お花見には最高のタイミングになったねと言いながらみんなでブラブラ。水門の向こうが隅田川になるのかしら?大横川は江戸の町を縦横に走って江戸の物流を支えていた運河の一つです。他の運河沿いには、今も東京港から船で原料を運び入れるため、荷揚げ場のある工場などもあるのですよ。この川を今も走るのは、観光船や屋形船だけですが。江戸情緒を誇った深川の町も、今や川縁はビルだらけ。でも、足元にはたくさんのナズナたち。もう少し早く来ていたらきっといっぱいのつくしんぼうに出会えたのだろうと思いました。スマホの万歩計を見たら歩数は6000歩を超えていました。普段たくさん歩いておいでの方には別に驚くこともない数字でしょうが、わたしにとってはよく歩きましたと、花丸な歩数です。この辺りでそろそろ予約の時間になりました。良いお天気というか汗ばむほどの気温で喉も乾いたので、らUターンして、ビールビールと連呼しながいつものしか野さんに向かいました。
2024.04.08
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この日の晩ご飯は、いよいよベトナムでの最後のお食事です。お店は幹事で会計係も兼任のアジア駐在経験豊富な元銀行員Nくんに一任でしたが、今回はなんとホーチミンの老舗ホテル、ホテル コンチネンタル サイゴンのレストラン。オプショナルツアーやランチ、夕飯など都度都度計算して清算するのは面倒だからと、出発前に1人五万円ずつ彼に預かってもらいました。それが現地通貨ベトナムドンでは約800万ドン!ということで一気にお大尽気分になった一行でした。帰ってすぐに会計報告してもらったのに、最終的にいくらかかったのか金額をおぼえていないのですが、ベトナムの物価は想定以上に安かったようで、足りたどころではなく、出発前の最終打ち合わせの費用(なんのことはない、飲み会、でしたが)もそこから出たし、それでも多すぎたと言って帰国前の晩に1万円ずつ戻してもらっていましたし、帰国してから開いた反省会の費用まで賄えましたので、ベトナム滞在中の費用はホテル代土産代を除くと三万円くらいだったようです。ということで、帰国前夜のこの時点でだいぶ懐に余裕があるからと、最後の晩ごはんはリッチなお店を選んでくれていました。なので、全員少しだけドレスアップ。夕暮れのレストラン入り口で集合写真を撮りました。店内は今までのお店とはだいぶ雰囲気が違い、なかなか格調高い設えです。デーブルの間隔もゆったりととってあります。白い壁には絵画が飾られ、調度品も重厚です。アーチや円い柱、その間に鉢植えが並んでいるのもいい感じです。テーブルにはしっかりとお皿とカトラリーがセットされていました。まずはスパークリングワインで乾杯。メニューは英語なので、それぞれ好きなものを注文しました。でも、それが。。。予想外の、大笑いの結末となったのですが。。。最初のサラダは全員に同じものをNくんが注文しておいてくれました。これは期待に違わず、というか、サラダですから、普通に新鮮で美味しかったです。メインはそれぞれ好きなものを注文するということで、ある人はメニューの英語を参考に、ある人は英語とベトナム語の両方を翻訳アプリで確認して、それぞれ好きなものを注文した、はずだったのですが、Wくんは、grilled porkをなぜかトンカツだと言い張って注文。みんなが違うからと言う中届いたのは中段左のお皿。美味しいかまずいかはともかく少なくともトンカツではありません。硬いけど美味いと目を白黒させながら食べていました。もう1人、目を白黒させていたのはYちゃんでした。鶏肉のお料理を注文したら、中段右のお皿が届き、確かに鶏肉だったそうですが、やたらに辛くて、細切れにして手前にあるパンに挟んで食べていました。ベトナム料理は辛くしてないと思って油断したと反省していました。下の段はわたしが注文したお魚です。シーバスと書いてあって、スマホで調べたらスズキ、これはとっても美味しくて、大正解でした。他の人たちも皆それぞれ美味しいと食べていました。次なる大笑いのタネはワインでした。まず、口開けのスパークリングワインは、8人で飲んだらあっという間になくなり、そこからはドリンクチーフのWくん大活躍。ワイン選びを一手に引き受け、値段を見ながら慎重に注文してくれていました。3本目?の赤が美味しいと大好評だったので、飲み終わったら同じのをもう一本注文しようと話していたら、ソムリエさんが飛んできて、今お出ししたワインが間違っていたというのです。今みなさんがお飲みになっているのはこれで、と指さしたのは、ワインメニューの真ん中より下の辺り。どうやらWくんが注文したのよりお高いワインらしく、美味しいのは当然のことだったようなのです。で、ソムリエさん、これはお高いワインで。。。と言いにきたようですが、流石にそこは退職したとはいえ百戦錬磨のビジネスマンです。流暢とはいえない英語でも言うべきことはしっかり言って一歩も引きません。「僕はこれを注文して、あなたがこのワインを持ってきたのだから、その値段は払わないよ。悪いけど、それはあなたの側のことでしょ。」とピシッと決めてくれて、ソムリエさんは肩を落として引き下がりました。初日のタクシー騒動でダダ下がりになった株がだいぶ上がったわねとEちゃんにお墨付きをもらい、「いやーよかった、これから10年はタクシーのこと言われるのかと思ってたけど、助かったよー。」と喜んでいたWくんでした。みんなも気を良くして、ここでのお食事会はお開き。ぶらぶら歩いて、いつものサークルKでアイスを仕入れ、飲み足りなかった人は別のものも買って、ホテルに戻りました。明日はいよいよ最終日。朝早くというより夜明けに出発です。夜中に起きて、未明にロビー集合で空港に向かいますから、ささっとアイスを食べて荷物を片付け、さっさと寝ました。で、あとは帰るだけと思っていたらこれがまたとんだ大間違い。いやいや、まさかあんな事件が起きるとは。。。な最終回。どうぞお楽しみに。今夜はいつものお墓参りです。石川県から参加してくれる仲間もいるので、もしかしたら帰りにお花見もできるかも。出かけるまで忙しいけど、楽しみです。
2024.04.07
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もう、お昼もだいぶ過ぎて、ようやくランチです。パスタを食べたかったのですが、お店が混んでいて諦め、中華のお店に入りました。京鼎楼というお店で、台北の鼎泰豊みたいな感じでした。いただいたのはまず小籠包。中の熱いスープがジュワジュワと溢れてくる、これがたまりません。美味しかった!小籠包もう一種類。上のは少しピリ辛味でこちらはスタンダードなお味。わたしはあまり辛いのは苦手なのですけど、こちらのお店のはギリギリOKでも、やっぱり辛くない方が食べやすかったかな?左側の麺は海老ワンタンみたいなのとホロホロに煮たお肉が載っていて、スープはあっさりだけどコクがあり、とっても美味しかったです。もちろん4人でシェアしていただきました。あと、海鮮たっぷりのパリパリな焼きそばです。どれもこれもとっても美味しかったです。ベトナム料理だけでなく、ベトナム、お料理の偏差値高いかも。ここまでまずいものはもちろん、あまり美味しくないというお店にも出会わなかったねと、4人の意見が一致しました。デザートが諦められないわたしはみんなのお許しをいただいてこちらをオーダー。なんていうものか名前は忘れたけど、かき氷ジュースみたいなデザートです。フルーツは金柑だそうで、これがめっちゃ美味しい!ただ、日本だったらきっとスプーンがついてきたのじゃないかと思うのですけど、こちらではストローだけだったので、頑張って吸っていたらあまりに冷たくて頭が痛くなり、食べ残してしまいました。それだけは残念でしたが、全体的には大満足のランチでした。別行動をとった男子軍はこんなふうに街歩きをし、左上のお店(WAYNE’S COFFEE)でランチを召し上がったようです。というか、ビールがメインで、料理はおつまみというふうに見えますけどね。オトコだけで、これはこれでテンション上がってる感じ。楽しそうですよね。そして、ホテルに帰ってから全員で出かけた夕食は、なんと高級ホテルのレストランでのディナーでした。ベトナムの旅4日目、もう一回、お付き合いくださいね。
2024.04.06
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台湾の地震被害が次第に明らかになってきますね。沖縄の津波は杞憂に終わって幸いでしたが、台湾の被害はものすごいですね。ニュース映像、目を背けたくなります。被災された方達のご無事を心から祈ります。わたしにできること、多分募金に協力することくらいですけれど、できるだけ早く動きたいと思います。近頃ずっと「一つのC国」と仰っていたC国のXさんはどういう動きをされるのでしょう。同じ国の災害なのですから、いち早く救援活動や経済支援、ってもう始めておいでですよね、きっと。さて、ベトナム旅行記を続けます。高島屋を出てスーパーを目指します。ばら撒き用のお土産を探すみたいです。わたしは撒かない(撒く先がない)けど、家族用にドライフルーツ(マンゴー、パイナップル、バナナ)5袋とベトナム版キットカット、何故か抹茶味を購入。日本のより一個が少し大きくて、お味はあまりかわらなかったかな?お店は、やや高級な感はあったものの本当に「日常の買い物」のお店で、今思えば色々面白いものがあったはずなのです。ガイドブックにもベトナムには有名な天日塩があって、その塩を使ったライム塩、レモングラス塩、唐辛子塩、ピーナッツ塩なども有名なので、お土産にしても面白いと書いてあったと帰ってきてから思い出しました。そういえばクチでトンネルから出てきた後ふかしたキャッサバ芋に添えてピーナッツ塩を出してもらいました。美味しかったのに、どうして忘れてたんだろう、わたしったら。一生の不覚だわ!何も買いませんでした。スーパーはショッピングモールのビルに入っており、他にもいろんなお店があって、わたしは子供服のお店を見つけてここでも孫にワンピースを買ってしまいました。ピンクのノースリーブで上半身がスパンコールで埋め尽くされてるめっちゃ派手なのです。ワンピースだけなのに、午前中に市場で買ったセットアップの3倍近い値段。でも可愛くて買ってしまいました。全然ベトナムっぽくないけど可愛いと、後で息子に言われました。これは写真を撮ってないのでお見せできなくて残念。この後ようやくランチに行きました。みんな少しベトナム料理に飽きて、パスタ?と言うことになったのだけど、席が空いてなくて中華料理になりました。続きはまた明日。
2024.04.05
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東京でも桜の開花宣言が出て、そろそろ1週間。ようやく、咲いた!という感じになってきたようです。今日はランチを食べに外出したら、短い桜並木がかなりピンク色になっていました。花曇りくらいなら明るいのでしょうけど、今日は雨模様で、濃いグレーの雲が空を覆っていて、桜がイマイチ映えません。でも、頑張ってますよ。健気ですね。本当にかわいい。あと、どれくらい楽しめるかしら?これから数日、外出の口実を探すことになりそうです。
2024.04.04
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途中でアップしてしまい、変な終わり方になってしまった民芸品店KITOでのショッピングの続きです。いわどんさんから、バッチャン焼きをしっかりアップで見たいとコメントがありましたので、webから写真をお借りしてきました。写真の記事は、ここで見られますので、もっと知りたい方はぜひ読んでみてください。因みにジッチャン焼きはありませんが、ベトナムにはもう一つソンベ焼きという有名な焼き物があります。バッチャン焼きがバッチャン村で焼かれるのに対し、ソンベ焼きはソンベという村で焼かれる焼き物のことです。こちらはとても素朴な手描きの絵付けが特徴ですが、ベトナム政府が薪の窯を禁止したのでもうほとんど作られていないとどこかで読んだような気がします(曖昧)。ソンベ焼きというとアンティークなのはそのせいかも。寄り道が長いですね、KITOに戻りましょう。あのカゴですが、わたし、全部で6個買いました。いつもの会食仲間と会食するお店しか野さんの女将さん、そして4月にまた石川県からこの会食に駆けつけてくれる部活仲間のためです。畳なので結構重いし、嵩張るのですが、気に入ってしまったので仕方ありません。ここは、ドンコイ通りにも近い場所にあり、置いてあるものもお店のオリジナルだったりしてかなり品質の良いものばかりですが、付いているお値段もなかなか。で、6個買うけどディスカウントある?と聞いてみましたが、こちらは国営店ではない(KITOさんのお店です)けれど、値引きは一切しないんですって。カゴバッグは一個2500円くらい。ベトナムでは高いけれど、モノは良いし十分リーズナブルと思い、購入決定しました。ここには、ベトナムの民族衣装アオザイやアオザイをアレンジしたオリジナルデザインのワンピースなどもありました。アオザイはオーダーメイドなのでそこそこお高いのは納得でしたが、何気ないワンピースでも10000円くらいの値札のついているものがあります。でも、触ってみたらびっくりの素晴らしい風合いで、おそらく、ベトナムシルクです(買う気がないので聞かなかった)。意外なようですが、シルクはベトナムの伝統産業の一つです。高級な専門店に行かなければお目にかかれないものと思っていましたが、思いもかけないところで出会えて、触ることまでできて、ラッキーでした。これはコットンプリントのオリジナルワンピース。センスいいですよね。孫がもう少し大きかったらお嫁ちゃんと孫にペアルック買ってあげたいなあと思いました。YちゃんとEちゃんはこんな感じの小物入れやポーチを買っていたようです。これらもほとんどKITOオリジナルとのこと。可愛いだけでなく、すごくしっかりした作りでしたよ。そんなに長い時間はいなかったのですが、良いものを見て、良いものも買えて、皆んなそれぞれいい感じに満足したので、次の目的地地元のスーパーに向かいました。皆んな、キラキラのサンダルが欲しいと言っていて、高島屋にもちょこっと寄ってみました。サンダルやお洋服などさらっと見ましたが、KITOさんで良いものをいっぱい見たせいか、買いたい!というものを誰も発見できず、さらっと通り過ぎて、スーパーに行きました。
2024.04.03
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ごめんなさい。明日の夜までに完成させて、明日の日記としてアップするつもりだったのに、まだ書きかけのうちに公開するをタップしてしまったようです。スマホだと全文をコピー→別のページにペーストして、それを編集し完成させてから再アップということができません。この続きはまた書かせていただくことにして、中途半端な状態でのアップですが、これはこのままにさせていただきます。美味しいフルーツティーで元気を取り戻した女子軍4人は次なるターゲットに向かって歩き出しました。賑やかな通りを歩いていくと、狭い歩道に人が溢れんばかりの混雑、2-3人とか4人くらいの若い女性のグループが目立ちます。考えたら、この日は月曜日、テト(春節ーベトナムの旧正月)が明けて初めての月曜日だと、ガイドさんが言っていたました。つまりこの大賑わいは、ランチタイムでオフィスから出てきたホーチミンのOLさんやビジネスマンさんたちだったのです。お目当ての民芸ショップKITOさんになんとか辿り着きました。(ネットから拝借)外からチラッと店内を見ただけで、テンションが一気に跳ね上がるお店でした。(ネットから拝借)お店に入ってまず目についたのは、この美しい焼き物たち、バッチャン焼きです。C子さんのお目当てでもありました。彼女は小さなお皿を何枚か購入しました。そして、まさかのYちゃん参戦。彼女が選んだのはティーポットでした。彼女たちの焼き物をスタッフさんが丁寧にクッション材で包んで梱包している間にあれこれ見て回っていたEちゃんとわたしもそれぞれ見つけてしまいました。わたしがキャッチした(された)のはこれ。(ネットから拝借)カゴバッグです。これ、竹とか藁ではなくて畳なんですって。全て手編みでお腹に巻かれているフリンジも手仕事です。ごめんなさい、続きはまた後ほど。
2024.04.01
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4月になりましたね。東京でも桜がようやく咲き始めました。でもまだ花粉がいっぱい飛んでいて、お花見日和の日はあまり外出したくないです。あり得ないほど暖かい(暑い)日があるかと思えば翌日は真冬とか相変わらずの寒暖差だったり、花粉なのか風邪なのかわからないくしゃみが連発だったりと、少し憂鬱ではあるもののやはり春という言葉には心が弾みます。mamatam社は12月が年度末なので、4月は年度の切れ目ではないのですけど、実は新人さんも入社して今日から新しい気分でお仕事したいと思います。さて、ベトナム旅日記の続きです。ベンタイン市場での買い物を終えて外に出ました。考えてみると買い物したのはわたしとC子さんだけでしたが、YちゃんとEちゃんはコメントしながら一緒に選んでくれたり、気分良く付き合ってくれました。市場を出たら日差しは強いし、歩き疲れたし、どこかでお茶しようよとGoogleマップで近くのカフェを探し、ナビを入れて歩きました。ところが、地図では目的地付近に到着しているのにそれらしいお店が見つかりません。ガイドブックにも出ていないし、ヤヴァイお店かもしれないってEちゃんがいうので、ホーチミンでは大変珍しい信号を渡ったところに見えていた別のお店に入ることにしました。入ったのは、外見は小綺麗なカフェバーですがその実「海苔」という居酒屋さんでした。テラス席があって、明るくておしゃれな感じでしたがとにかく暑いし紫外線もイヤなので、冷房が利いて風も通る開放的な室内のテーブルに。天井からは大きなだるまさんがいくつも下がり、コースターにも達磨がデザインされていて、お店の名前はNORI、というか海苔でした。注文したのは、下の段のドリンク(スイーツを是非食べたかったのですが、流石に居酒屋さんですからメニューにありませんでした)。ジュースに見えますが、メニューではどれもお茶でした。ベースは何かのお茶だったのかも。でもどれもフルーツ感たっぷりで爽やか。ただ、氷が怖いのでどれもアイスキューブなし。だけどしっかり冷たくて、とても美味しかったです。お店の写真がないかとウェブを調べて見たらつい最近アップされた記事がありました。営業時間18:00〜ってなってるけど、2月の時点ではお昼も開いていました。記事の中にお値段が出ていますが、串焼きの55,000ドンは350円くらい、梅酒339,000ドンは2,100円くらい。わたしたちが頼んだソフトドリンクは、値段忘れてしまいましたが、多分500円前後だったと思います。美味しいフルーツティーで元気取り戻したご一行様、ショッピング続行です。次はC子さんの希望で雑貨屋さんKITOさんを目指します。(ネットから借用)こんなお店です。見どころ満載なので次回に紹介しますね。
2024.04.01
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ベンタイン市場につきました。いよいよお買い物ですが、何しろ広大な市場に膨大な数の店舗。4人で気の済むまでゆっくり品定めをしながらお店を回ったらおそらく日が暮れても終わりません。2人ずつに分かれ、集合時間と場所を決めて、その時間までに終わらせることにしました。集合場所はここです。スマホでここから外の写真を撮って、場所がわからなくなったら一旦外に出て外の道を壁沿いに歩いてその写真の景色の場所に戻れば会えるはずと打ち合わせ、わたしはYちゃんと、いざ出陣。わたしが買いたかったのはこの二つ。歩き出してすぐ、ポーチなどを売っているお店をYちゃんが見つけてくれました。売っているポーチは、仕立てもしっかりしているし、刺繍も手刺繍で結構豪華。でも、お店のお兄さんに値段を聞くと電卓に40,000ドンと打ち込んで見せました。計算も早くなって、2,500円とこちらは脳内電卓。一個の値段?と確認したら、そうですって。高いよね?とわたし。そうだねとYちゃん。お兄さんに「わかった。他のお店も見てみるわ。また後で来るかも」と告げて歩き出すわたしに、なんか安くするって言ってるみたいよとYちゃんが言うので、戻ってみると、10%引きますって。それでもまだ2,000円以上なので高すぎると思って首を振ると、「いくつ欲しいですか?ひとつ?たくさんならもっと値引きします」とお兄さん。時間もないし、そういうめんどくさい駆け引き好きじゃないんだけどと思いつつ、「たくさんはいらないわ。欲しいのは4つだけよ。」そこでまた電卓登場。今度は28,000ドンです。30%オフですね。換算すると1,700円くらい?そう言えばガイドブックに書いてありました。市場などで買い物する時、値段交渉するのは良いがあまり法外に値切るのは良くない。30%くらいが目安、と。値切りたいわけじゃないけど予算オーバーです。もう少し安いのが欲しいから、やっぱり別のお店も見てみるわと言おうとお兄さんをみると、また電卓の上を指が動き25,000という数字が入りました。1,500円くらいね、とYちゃんに言うと、いいんじゃない?と目顔でお返事。実は3つで4,000円ぐらいと思っていたのですが、良いことにして、OK、買うわ。ということで商談成立でした。値段交渉は苦手と思っていたけれど、できてしまいました。お嫁ちゃんとお嫁ちゃん母、お嫁ちゃん妹に一つずつ。もう一つは男子メンバーWKくんが奥様に頼まれたというので代理購入。ミッション、まずひとつ完了です。後はベビー服ですが、良さそうなお店が見つからないうちに集合時間が近づいてきたので、とりあえず集合場所に行ってみると、その向かい側にお洋服のお店が集まっていました。早めに全員揃ったので、その一角を探検したいとお願いして見に行きました。ワンピースやブラウス、パンツなどレディースがほとんどでしたが、モノもデザインもいいものが多かったので、ベビー服はあるか聞いてみると、案内してくれてたくさん品物を見せてくれました。それで写真のパンツとワンピースのセットを買うことにしました。わたしがベビー服を見ている間にワンピースを見ていたC子さんが1着買うと言い、2人で合わせて2着買うけどディスカウントできる?と聞いてくれました。すると、返ってきた答えは、「このお店は国営店なので値札の値段でしか売れません。NOディスカウントです。」というものでした。彼女が天井を指差すとそこにはFIX PRICEと書かれた板が下がっていました。そんなルールもあるの!?しかもこんな市場に国営店!?ほんとにびっくりでしたが、品物は気に入ったし、値段も高くはないので買いました。ベビー服は、刺繍も手刺繍っぽいし、綿100%のとても肌触りの良い生地で、後で計算したら1,000円弱、とても良い買い物でした。でも、ベンタイン市場のお店は、ドンコイ通りなどにあるような高級店に比べれば安いので観光客には人気だけれど、市民の人たちは高いと思ってるって前日のツアーのガイドさんが言っていました。国営店では市民もあの値段で買うのでしょうし、他のお店も市場の外の露店みたいなお店に比べればやはり高いのかもしれません。とはいうものの、わたしたちは「でも、良いんじゃない?わたしたち観光にきて、ここでたくさん楽しませてもらってるんだし、その分くらいはお金使わないと申し訳ないわよね?」と意見が一致したのでした。
2024.03.31
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自由行動というと旅っぽいけれど、この日のわたしたちのテーマは買い物でした。要するにお土産の調達なのですが、買い物というだけでテンションが爆上がりでした。買い物はベンタイン市場というホーチミン最大のマーケットでする予定ですが、その前に高級店が軒を連ねるというドンコイ通りで高級な方のお値段など偵察し、それから行くつもりなので、その開店時間を考えてのんびりしていたら男子軍はもうとっくに出発してました。年寄りはせっかちです。とはいえ女子軍もあまりのんびりしてはいられません。前日、前々日とバスで街中を何度も行ったり来たりしたので、少し土地勘はできています。スマホでGoogleにナビしてもらいながら繁華街を目指します。でも、さっそくベトナム語の洗礼。マップは英語なので、ベトナムの文字が読めないとやはり自分たちのいる場所がわからなくて、結局市場にたどり着くだけで精一杯、偵察は叶いませんでした。そうはいってもやや暑すぎるきらいはあれど快晴だし、街の中心部は建物も美しく最高の街歩き。ベトナムはこの日までお正月で、今年が辰年ということもあり、龍の飾り物がいい感じでした。街は建物もお花も綺麗。上の左は人民委員会庁舎という建物。忘れがちですが、ベトナムは社会主義国です。人民委員会が政府?で、大統領はいなくて委員長がいるということのようです。下の3枚は市民劇場です。これらの美しい建物は、フランス統治時代の建築物だそうです。こちらは上段が市民劇場と統一会堂。中段は国立歌劇場(オペラハウス)、下段左がパークハイアットホテル、右は前日ランチを食べたバインミーニューランです。中央郵便局とか教会とか、ほかにも見処はあるのですが、見つけ切れず、キョロキョロしながらなんとかベンタイン市場に辿り着きました。2000軒ものお店が入っているという巨大マーケットです。上段左はお肉屋さん。二段目左は貴金属屋さん。食べ物、アクセサリー、生地、靴、洋服、とにかくありとあらゆる種類のお店があるようでした。見て歩いているだけでもワクワクしてきて、綺麗だったり可愛かったりはしても何にするものなのかわからないとか面白いもの満載で、十分に楽しめました。ベンタイン市場でわたしがゲットしたもの、手刺繍の小さなポーチと孫の洋服です。この買い物もとっても面白くて楽しかったので、その話は明日また書きますね。
2024.03.30
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翌日の最終日は未明に出発なのでこの日が実質的に最終日、予約していたオプショナルツアーは全て消化して、幹事のNくんからは今日の日中は自由行動と言い渡されています。そうは言っても言葉もなかなか通じないこの街で1ひとりで自由に動き回るのはなかなか難しいです。出発前はスマホのナビもあるし、英語なら少しはわかるし、一人歩きをしたくなってもなんとかなるんじゃない?と結構お気楽に考えていましたが、実際に現地に立ってみるとそれがとんでもなく能天気な考えだったと痛感しました。何日か前にMoMo太郎さんがベトナム語のことをコメントに書いてくださいました。外語大のベトナム学科の卒業生に教えてもらったけれど、メッチャ難しかったと。わたしも実は少しくらい勉強していこうと思いはしたのです。でも、我が家近くでベトナムのサンドイッチ「バインミー」を売っているお店を見つけてランチの調達に出かけ、店先のメニュー看板を見た瞬間に無理だと諦めました。もちろん日本語は書いてありましたから、メニューはわかりましたが、原語の方は全く読めなかったのです。文字自体はお馴染みのアルファベットですけれど、まず母音の上や肩に見慣れない記号が付いています。恐らくその記号の種類だけ発音があるのだろうとは思いましたが、お店の青年に読み方を尋ねてみたら、なんと!!!真似すらできません。ホーチミン市2日目に晩御飯に行ったお店、ホアンイエンでした。綴りは下の写真の通り。これは母音に記号が付いているとは言え、比較的やさしいですよね。アルファベット通りに近い。でもその次の日のランチのお店、Bahn Mi Nhu Lanはこれでバインミーニューランと読むそうですが、読めないですよね?ネットに出ていたものですが、ベトナムの五十音表みたいなもの?これを見ただけですっかり心が折れました。それなら数字だけでもと思ったのですけど、これがまた難しくて、覚えたのは3、バーだけ。これは333というベトナムビールがあって、バーバーバーと読むので覚えました。じゃあ、挨拶ぐらいは!そう思いますよね。だけど、ありがとうもコンニチハも聞いた時はそうかと思うのに、耳慣れない言葉って胸の中で落ち着いてくれないのでしょうね、少し経つとあれ?ってなる。忘れちゃっているのです。でも、オプショナルツアーでガイドさんから何度も聞いたので、ひとつだけ覚えたことばがあります。シンチャオ、綴りはXin chao(母音のどれかに何かの記号は付くと思いますが)です。これは朝昼晩のいつでも使える挨拶だそうです。で、街歩きの話に戻りますが、○○通りから○○通りを通って○○というお店に行きたいと思って地図やナビを持って歩いているとすると、通りの名も店名も表示はベトナム語なんですよ。なので、今自分がどこにいるのかを地図上で探すのも一苦労なわけです。というよりほぼ不可能でした。ということで、この日は自由行動とは名ばかり、かろうじて男子軍と女子軍に別れはしましたが、2グループでの団体行動でした。、わたしたち女子軍はまずホーチミン市最大のマーケット、ベンタイン市場へ行って2000軒あるというお店を見て回り、お茶でもした後C子さんがぜひ行きたいと言っている民芸品?のお店に行き、どこかでお昼を食べてスーパーマーケットを偵察するというコースを決めました。夜は全員で晩ご飯ということなので、夕方までたっぷりホーチミンを味わおうと意気込みながらホテルを出発しました。続きはまた明日。
2024.03.28
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水上人形劇の後は、この晩のオプショナルツアーのもう一つのイベント、サイゴン川に浮かぶ船上でのディナーです。これ、ビルじゃなくて船なんですよ。インドシナクイーンっていう名前です。揃って船に向かいます。テンション上がってます。ワクワクです。中段下段はホーチミン市を流れる川、サイゴン川の夜景です。綺麗でしょ?船はこの川の埠頭に停泊していました。船内ではこんなショーも見られます。お楽しみの始まりです。テーブルにたくさんのお料理が並び、みんなでシェアしながら戴くのは今までのお店と同じですが、こちらではパーサーさんがお料理を取り分けてくれます。お魚の丸焼きも鮮やかな手捌きで切り分けてサーブしくれました。着いた時間が遅かったようで、他のテーブルはもうみなさんお食事を始めていました。出遅れたわたしたちは、お腹いっぱいになった頃ふと窓の外を見たら、なんだか景色が動いています。あれ?この船動いてる?と誰かが言って、皆、部屋を飛び出すと、あらら、船はもう元の停泊位置にゆっくりと戻っていくところでした。急いで写真撮影。なんだか写真がダブってますけど、お気になさらず。そんなこんなでバタバタと下船でしたが、美味しいお料理でお腹いっぱい、気分も上々。盛りだくさんな3日目はこうして終わりました。
2024.03.27
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この日は夜のオプショナルツアーも予約していたので、遅いランチを食べた後のんびりホテルに戻り、夕方ロビーに集まる時間を決めて、それまでは各自自由行動となりました。後で聞いたら男子達は散歩に行ったそうですが、わたしとYちゃんはお部屋でまったりしました。この日も湿度は低くても最高気温34℃の真夏日でしたから、連日10℃台の東京から来た高齢者にはやはり堪えます。シャワーを浴びてさっぱりし、Yちゃん持参のコーヒーを淹れてもらってのんびりガールズトークならぬオバサントークです。高校同期とはいえ同じクラスになったこともなく、進路も全然異なるわたしたちでしたから、共通の友人はたくさんいて、彼女達を通して知っていることは多いものの、お互いに知らないことの方が多くて、おしゃべりの種は尽きません。集合時間まではあっという間でした。時間にはロビーに全員しっかり集合して、今夜の冒険は、まず水上人形劇(民俗芸能らしいです)、それからサイゴン川に浮かぶ船でクルーズディナーという段取りです。ホテルを出たバスはホーチミン市内のホテルをいくつか回って参加者を拾い劇場へ。小さな劇場の派手なお出迎えにびっくりの一行。中に入りますと、狭い劇場の中にはぎっしりのお客さん。人形劇ですから舞台も小さいです。その舞台の左右には楽団席。人形劇版オケピ?文楽風に言うと「床」ですね。そこにバンドの方達が座って開演を待っていました。舞台後方の幕が開いてお人形達が出て来ます。小さなお人形で、精緻な動きをするものではありませんでした。バンドの演奏や歌に合わせて舞台の上を小さな人形がちょこまかと動き回りますが、お祭りとか、船のレースとか、種まきとか、そんなタイトルで、しっかりストーリーがあるようなものではありません。ただ、このお人形、操り糸とかないんですよね。だから細かい動きができないのだと言うことは分かりましたが、でも誰かが操っていることは確かです。どう操っているのかがわかりません。もう一つ不思議だったのは、この舞台に、写真では分かりづらいと思いますが、お水が張ってあることです。疑問が解けたのは全部終わって外に出てから。同行の友の1人が教えてくれました。人形達は舞台後方の幕の後ろにいる人形遣い達が棒のようなもので操っていて、その操り棒?は水の中にあり客席からは見えないようになっているんですって。上段が、フィナーレに舞台に現れて手を振る人形遣いさんたち(ってこの時はまだ「誰?」でしたけど)です。腰の下まで水に浸かってますから、結構深い、子供プールくらいの深さがありますね。勉強不足でよくわからないまま見ていたもので、楽しかったようなそうでもなかったような。。。バンドさん達の楽器や歌も調べていたら、もっと楽しめたかもしれません。ちょっと勿体無い事をしました。それでも雰囲気は味わえ、結構満足して次のイベント、ナイトクルーズとディナーに向かいました。
2024.03.26
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今日もバネ指は絶賛継続中です。親指の関節が滑らかに動かず、曲げるのも伸ばすのもカックンカックンとまるで機械仕掛けのよう。力を入れると痛いし、左手で助けてあげないと親指が曲げ伸ばし出来ないときもあります。あ今日もスマホ入力は少ししんどいので、仕事場のパソコンで打ちました。ブラインドタッチだと、タイピングには右の親指ってあまり使わないのです。むしろマウス操作の時が痛みます。というか、仕事中は、それよりボールペンを握るのが一番きついです。ベトナム旅日記、遅々として進みませんが、今回は三日目の遅めのランチのことを書きます。クチトンネルのオプショナルツアーが終わり、前日と違ってランチはついていないツアーでしたので、ホーチミンに戻って遅いランチです。ツアーのガイドさんが教えてくれた中からWくんが選んだバインミー(ベトナムのサンドイッチ)のお店に行ってみようという事になり、お店の前でバスを降ろしてもらいました。お店の名前はBanh Mi Nhu Lan (バインミーニューラン)。かしこまったレストランではないけれど、店内にテーブルがあって座ってお食事できるお店でした。左の上がガイドさんのおすすめ料理のメモ by Wくん。右はお店のメニュー。読めませんけど。中段は多分春巻きと野菜(というか草っていう感じ)にベトナムのハム、ソーセージみたいなもの。下段の左がお店の名前にもなっているバインミーです。一本を半分にしたもの。飲み物はやっぱりビールでした。選んだのかこれしかなかったのか忘れたけれどこの日もサイゴンスペシャルです。注文したお料理です。みんなでシェアして戴きました。どれが何というお料理でどんなものだったか、よく覚えていませんが、多分ガイドさんのメモにあったものだと思います。どれもお野菜たっぷり、あっさり味で、美味しかったです。ベトナムはフルーツの種類が多くて美味しいし、スイーツもほとんどのガイドブックでそのページが設けられてるくらい美味しいというので、絶対食べたいと意気込んでいたのですが、その前に誰かがこれを2個ずつ注文していました。ストローが刺さっている方はココナツジュースで、こちらはイマイチでしたが、もう一つの方は、刳り抜いたヤシの実の中にプルンプルンのナタデココみたいなのが縁までいっぱいに詰まっていて、まず見た目でテンションが上がりました。味も美味しくて、これは正解だったと喜んだものの、見た目よりずっとボリュームがあって、みんなで分けて食べたのに別腹のスペースもなくなってしまい、他のスイーツは諦めました。このお店も、ガイドさんが推薦するあって大繁盛でしたし、なかなかの有名店らしいのですが、安くてサービスも早く、親切だし、お料理の味も良くて、ホーチミンのお店の評価がまた上がったねえと話しながらのんびりホテルに戻りました。
2024.03.25
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右手の親指がばね指になって3週間くらい経ちます。ここ数日、痛みが強くなっているし、動きもすごく悪いです。力も入らないので、何をするにも不自由です。わたしはブログをスマホで書いていて、入力は人差し指ですが、親指にも力がかかっていたことがこうなってわかりました。ここまで書いただけで、親指が少し痛むくらいです。長いベトナム日記を入力したり、写真の編集をするのはちょっと辛いので、今日はブログをお休みします。
2024.03.24
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昨日書いたように、クチトンネルはベトナム戦争の戦跡です。わたしと同じくらいの世代の方ならかこのクチという地名に覚えがあるかもしれません。クチには南ベトナムゲリラ軍の基地がありました。この辺りが「鉄の三角地帯」と呼ばれるほど難攻不落の基地で、手を焼いたアメリカ軍は枯葉剤を撒いてジャングルを消し去ろうとしたり、農民をゲリラとして殺したり、それが世界に知られることになり、アメリカ国内でもベトナム戦争に反対する声が上がることになった、そんな土地でした。南ベトナムゲリラ(ベトコン)は、地下トンネルでアメリカ軍に対抗しました。全長200kmを超えるこのトンネルは単なる通路ではなく、基地であり、生活空間でした。ゲリラたちの半数はこのトンネルの中で暮らし、半数がジャングルに身を隠して暮らしていたそうです。なのでアメリカ軍にトンネルの位置を特定されないよう様々な工夫をしていて、その一つが有名なこの出入り口です。人間1人がギリギリ立てる大きさの穴で、蓋は上に土や葉っぱなどをかけてカモフラージュされています。入る時は、肘が引っかからないように両手をまっすぐ上に伸ばして蓋を持ち、膝を曲げていきます。蓋がピッタリハマったら手を離すそうです。他にも、槍のような刃を並べた落とし穴や色々な罠が仕掛けられていてアメリカ兵を苦しめたそうです。トンネルの中には調理場や作戦会議室、倉庫などもあり、作業場もあって、ゲリラたちはそこで不発弾を解体して手に入れた金属でそれらの武器を作っていたそうです。わたしが聞いた説明では、ゲリラはカーキ色の服を着ていて、黒い服を着ているのは農民だとのことでしたから、これはクチの農民の人たちがしていたことなのかもしれません。米軍が放置して行ったものか、戦車なども置いてありました。トンネルのごく一部が保存されていて、中に入れるようになっていました。狭くて低くて、ここで生活するのはチョットと思ってしまいました。右上の写真は日本製のタイヤから作られたサンダルで、鼻緒が変な向きについています。それを履いて歩くと足跡の前後が逆になって、跡を辿られないように考えられたそうです。こうして見てくると、1955年から20年間もこうしたことを続けて、大国アメリカに抗い勝ちを収めたベトナム人に敬意すら感じてしまいました。最後に、ベトコンの人たちがお昼に食べていたという蒸かしたキャッサバ芋を食べさせてもらいました。ほとんど全部食べてしまった後でごめんなさい。砕いたピーナッツを混ぜた塩をつけていただきました。ほんのり甘くて、決して不味くはありませんでしたが、トンネル内に調理場があったと言っても、お料理というのはこの程度のものだったのかなと思いました。それから戦争当時の映像を見ました。プロパガンダフィルムなのですけど、若い人たちが歌ったり踊ったりしているところとか、単なるプロパガンダではない当時の日常の貴重な記録と感じました。これでトンネルツアーは終わり。1時間半かけてホーチミンに戻りました。そうそう、この日は、枯葉剤で消滅してしまった元ジャングルに再生した(植えられた?)木々の間を歩き回りましたので、たっぷり虫除けスプレーをまぶして出かけましたが、やはり虫はほとんど見かけませんでした。あ、もう一つ書き忘れました。クチでは、有料で実弾射撃の体験ができます。わたしは近寄りませんでしたが。
2024.03.23
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ベトナム3日目もオプショナルツアーを申し込んでありました。前半のメインはベトナム戦争の記憶を残す史跡クチトンネルです。ツアーではクチに着く前に障害者の方が手工芸品、主に漆製品を製作しているという施設を訪ねました。ベトナム戦争当時散布された枯葉剤の被害者の方もおいでになるとも聞きました。施設に入るとすぐに説明があり、作業の見学ができます。板に漆を塗り、砕いた貝を図柄に合わせて嵌め込んでいき、何度も丁寧に磨きをかけます。緻密な作業を丁寧に行われていました。未完成ですが、完成に近い作品です。さらにしっかり磨いて、商品として陳列します。こうした壁掛けのほかに、器や花瓶なども並んでいました。お値段は、まだ計算がうまくできなくて正確にいくらなのかはわからなかったものの、そこまで高くはないようなかんじでした。なので、超工芸品ラブ❤️なわたしとしてはmamatamさんへのお土産に買う気満々だったのに、綺麗な作品がたくさんありすぎて集合時間になっても決めきれず、後ろ髪をひかれながら集合場所に急いだのでした。ちなみに、後でいろんなお土産屋さんとか空港の売店とかでもここのと似たような商品をたくさん見かけましたが、ここで売られていたのが一番品物が良かったような気がしました。この漆工芸品と言い、生ローヤルゼリーと言い、ベトナムの旅のお土産には「失敗!残念!」が多いです。それも、買えば良かった、残念!の失敗。これって、むしろ買って失敗より悔しいものですね。さて、ここからまたしばらくバスに乗ってクチに行きます。「ベトナム戦争の記憶に触れる!ホーチミンから北西へ約70km場所に位置する、クチ。ベトナム戦争当時、「鉄の三角地帯」と呼ばれ難攻不落といわれたこの街を支えたのは、全長250kmに及び地下にはりめぐらされたトンネルでした。VELTRAのツアーでは、現在も一部残されたトンネル内部や、当時の生活が再現された場所を見学することができ、ベトナム戦争の歴史に肌で触れるこができます。」旅行会社ベルトラのオプショナルツアーのページでは、こんなふうに説明されています。その様子は明日ご紹介します。
2024.03.22
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春のお彼岸なので昨日はお寺にお墓参りに行ってきました。実家と婚家のお墓の両方が同じお寺にあるのはすごく便利です。雨が降りそうだったのでお昼雨に急いで出かけ、急いで掃除とお詣りをして帰ってきたら、雨がぱらつきだしたのは家に着く直前。ラッキーでした。でもすごい風で自転車がとばされそうでしたよ。そして今朝、大谷選手の専属通訳の水谷一平さんが解雇というニュース。どうやら違法な賭博に関係していたらしく、その掛け金(の一部?)日本円にして6億円以上が大谷選手の預金から支払われていたらしいということも。水谷さんは翔平は何も知らないと言っているそうで、横領の疑いもあるのかも。お仕事だけじゃなくプライベートでも、信頼関係で結ばれているベストパートナーという印象でしたから、大谷選手はさぞショックだろうと思いました。でも、先日結婚され、こんな時にしっかり支えてくれる本当のパートナーができていたことは不幸中の幸いでしたね。さて、旅日記を続けましょうか。2日目からなかなか先にいきませんが、昨日書いたランチの楽しそうな写真が一枚見つかったので貼り付けておきます。外の景色がジャングルっぽくて良いですよね。ガイドさんが写してくれたので8人勢揃い。なので、ギュウギュウです。ご飯を食べて、ミトーの船着場に戻ってきました。メコン川の川幅って2kmとか3kmとかあるんですよ。そうそう、クルーズに出る前に刺激臭にゲホゲホ言いながらみんなでもう一度虫除けスプレーをかけたのですが、乾季でボウフラがわかないのか蚊の姿は見ませんでした。kopandaさん、ヒルもわたしたちが歩いたコースにはいなかったみたい。感染症も特には注意されませんでした。ホーチミン市内でも蚊はいませんでしたよ。最近海外旅行に行ってトコジラミを連れて帰ってきちゃう人が増えているなんてことも聞いていたので、ベッドにも、念のため持って行ったそれ用のスプレーを撒いたりもしましたも。でも、蚊以外で気をつけるように特に言われていたのはお水でした。みなさんよくご存知と思いますが、それは水(水道水)を飲まないだけでなく、生野菜や(水道水で洗ってその水ががそのまま残っている可能性があるから)、飲み物に入っている氷も要注意ということでした。わたしの友人に、中東に旅行に出掛けて、ピロリ菌に感染した人がいましたが、原因は野菜サラダ以外考えられないと言っていました。とにかく、水道の水であっても、そのままで飲み込んではいけないということなので、入国後2日ぐらいは、歯磨きは?うがいは?洗顔は?とやたら神経質になっていました。だんだんそこまで気にしなくて良いか?になりましたけど。とは言え、一見綺麗な水道水ですらそうなのですから、いくら蛍が住むと言われてもあのメコン川の水には手を触れないようにしましたし、もちろん口に入れる気にはなれませんでした。話がそれましたが、2日目は17時頃にホテルに戻りました。最高気温35℃のこの日、日本の夏に比べれば湿度はずっと低くてカラっとしてはいるものの、暑いのは暑かったので、少しホテルで体を休めてシャワーなども浴びてから、ロビーに集合、幹事のNくんが調べてくれたレストランに晩御飯を食べに行くことになりました。行ったお店はホアンイエンという春巻きレストランです。有名店らしいです。大きなテーブルにお皿を並べ、その前に家族や友人がぎっしり並んで好きなお料理を、好きな調味料で味変して賑やかに食べるというのがベトナム流だそうです。わたしたちが選んだお料理は生春巻きと揚げ春巻き。生春巻きの脇の四角い小皿に赤いものが載っていますが、これ、唐辛子です。辛いものラブな女子が端っこを一口噛んで悶絶していました。わたし?もちろん手も触れません。あげはるまきのわきにたくそんの草?葉っぱ?が盛ってあるのは、これから出てくるスープ類に好きなだけ入れて!というハーブです。そして一番下はベトナムのビールです。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、ベトナムで最もポピュラーなビールは333(バーバーバー)という銘柄ですが、このサイゴンスペシャルも良く見るビールです。写真一番上の「ビアサイゴン チル」、これもキリッとして美味しかったです。その下のピンクっぽいものは紫芋のスープで、このお店の人気メニューだそうです。付け合わせのお漬物、奈良漬みたいな味で美味しかったです。誰かがご飯が食べたいというので頼んだら、丼どころか大きなボールみたいな鉢に山盛り出てきました。長粒米なのだろうけど、甘味もあって、不味くなかったです。一番下はフォー。野菜たっぷりのスープと麺が別盛りで出てきました。このスープも優しい味で美味しかったです。フォーはベトナムの素麺って感じ。他にも食べたと思うのだけれど、写真を撮り忘れ、メモも忘れました。このお店はホテルまで歩いて5分くらい。みんなで回り道して夜のホーチミン見物しながらかえりました。ホーチミンの満月。あちこちのビルがライトアップされて綺麗。ベトナムの人たちはお花とかキラキラとかが大好きみたい。あちこち綺麗に飾りつけられていましたね。ホーチミンには日本のコンビニも結構あって、この晩はホテル近くのサークルKに寄り道、20,000ドン(!)の某アイスを買って帰りました。
2024.03.21
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ハチミツ農場の島の見学を終えてクルーズ3艘目の手漕ぎのボートに乗り込みます。一艘に4人ずつ乗った乗客に円錐形の編笠が手渡されました。ノンラーと呼ばれる笠です。降りる時に回収されて使いまわされるため、ビニールがかけられていたりしました。絶えず川底から巻き上げられる泥で水は濁っていますが、蛍も住むという綺麗な水を進んでいきます。希望すれば櫓を握らせてくれます。NHKのネイチャー番組のスタッフに入ったみたいな気分でした。運良く乾季の旅だったおかげで一日中この青空でした。のんびり進む手漕ぎボートを、本当にいろんな表情で迎え送ってくれます。この後ランチが待っているということで良いところで折り返し、元の船着場に戻ってきました。テーブルが少し狭すぎましたが、8人分のランチです。奥の方にあるまん丸いものは揚げたお餅です。隣はスープでその隣はエレファントイヤーフィッシュというメコン川の魚を丸ごと揚げたもの。身を外して野菜や調味料と合わせて春巻きの皮で巻いていただきます。これはこの辺りの名物料理だそうで、テーブルの4辺に可愛く並んでいる丸い容器に入っているのが調味料です。お醤油(多分魚醤)とか、タマリンドとか、あとはなんだか忘れましたが甘辛しょっぱい酸っぱいでした。手前の左はなんだか忘れましたが、真ん中は炒めたご飯。右は空芯菜の炒め物です。手前の半円形はバインセオ、お好み焼きみたいな感じです。この後、生春巻きとか揚げ春巻きとかも出てきました。フルーツはスイカ。美味しかったです。この波止場食堂みたいな感じで、実はお味には全然期待していなかったのですが、どのお料理も期待以上のお味だったんですよ。もう、ほとんどびっくり!ベトナムのお料理は出汁などはしっかり効いていますが、基本あっさりした味付けで、日本人にはかなり馴染みやすいお味と思いました。テーブルに並んだ調味料で、甘辛塩酸を自分の好みの味に味変していただくのが普通のようです。食材も、お肉(牛豚、鶏)、海鮮に川魚、お野菜と、とっても豊かで、何よりフルーツがめっちゃ豊富で美味しいのが女性には嬉しいポイントです。この日のランチは、幹事のN君からまだクルーズもあるのでビールは控えめにとくぎをさされたのにみんな好きなだけビールをお代わりして、ご機嫌で終了。そのあとは、いわどんさんお待ちかねのワニさんとのご対面です。メコンの鰐は小さめな気がしました。わたしと同室のYちゃんがワニさんの餌やりにチャレンジするというので、(釣りしてるんじゃありません)写真を撮っていたら、わたしの傍に立っていたおじさんがベトナム語でなんか言っています。はい?と聞いたら、good!good!とニコニコしなが、口に指を当てて美味しいのジェスチュア。下手な映画で、美味しいの?ワニが?と聞くと、ウンウンと、あちらも下手な英語で、チキンみたいな味だよ。最高だ。ですって。参考までに承っておきました。近くにはナマズの養殖池もあり、餌をやっている人がいましたが、すごい食欲で、コ、コワイ。これも美味しいと言われましたが、いやー、これ食べるの?うーん、考えておきます。そんなこんなで島を後にします。大中小と乗り継いできた船を反対に中→大と乗って帰ります。あ、どうやら写真がこれ以上入らないみたいです。今日はこの辺で、続きはまた明日。
2024.03.20
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ベトナム旅行記のつづきをアップしたらなぜか2月19日分となってしまいました。編集で日付を変えようとしたのですが、一旦アップした記事の日付を変えることはできないようです。それならと、ここに全文をコピーして今日の日付でアップしようと思ったのですが、スマホだと記事全体のコピーは無理みたいでした。こんな感じの記事です。時間のある時にパソコンで編集します。今はとりあえずリンクを貼っておきますので、よかったらこちらも読んでいただけたら嬉しいです。
2024.03.19
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タクシー騒動やら、C子さんのお部屋の移動やら、セイフティボックス騒ぎやら色々あって、ベトナム最初の夜は気づいたら日付けが変わって現地時間の午前1時でした。でも体感は日本時間の23時ですから、体力的にはまだ余裕。とはいえ翌日はリアルジャングルクルーズの「メコン川クルーズ」でロビーに7時半集合ですから、身支度をし、朝ごはんをたべるには6時には起きなくてはなりません。日本時間なら4時ですから、これは大変!と、アラームをセットしてYちゃんとシャワーを交代で浴び、就寝しました。セイフティボックス、電話、テレビと御難続きでも、建物は古くても、お部屋は清潔だし、熱いお湯がたっぷり出るシャワーがあり、トイレのお水もきちんと流れて、空調もしっかり効いたホテルはアラームが鳴るまで安心して休ませてくれました。2人ともスッキリ目覚め、落ち着いて身支度。事前情報では蚊が媒介する伝染病(デング熱やマラリア)に注意ということで、日本で季節外れの虫除けスプレーを探して買って来ましたので、まずはお互いに掛け合って対策その1終了。一階というかG階ロビー裏の朝食会場に。あら、皆さんすでにお揃い! HPから拝借こんな風にパン、飲み物、ヨーグルト、フルーツ、おかずなどが並べてあるので自分でお皿に取り分けます。その日の朝ごはんはこんな塩梅。右にある丼の中身はフォー(米粉を使ったベトナムの麺)です。お部屋の隅に屋台みたいなのがあってお願いするとサッと作ってくれます。麺が日替わりで美味しかったです。コーヒーはベトナムコーヒー。ベトナムは世界的なコーヒーの産地ですが、普段わたしたちが飲んでいるのとは品種が違うそうで、インスタントコーヒーのような苦味の強い濃いコーヒーでした。さすが熱帯のホーチミン、バナナやドラゴンフルーツなどの果物がとても美味しかったです。あまりのんびりはしていられないのでそこそこで切り上げてお部屋に戻り、荷物の確認をしてロビーに。バスの乗車時間が長いので、持病持ちの高齢者であるわたしはマスクも装着。対策その2も完了です。待つほどもなくなくバス到着。ベルトラ(VELTRA)という現地の旅行会社主催のオプショナルツアーで、永長寺というお寺を見学してからメコン川へ。メコン川へはホーチミンからはバスで2時間ほどだそうで、早速出発です。ホーチミン市内にはフランス植民地時代に建てられた、西洋風の古いけれど美しい建物が何棟もあります。もちろん今風のビルもあります。そういえば、昨日の記事にクマタツさんからいただいたコメントは、「ベトナムは今もばっちょ笠をかぶった人が町中あふれているのでしょうかね。」でしたが、この写真に小さく写っている人たちの姿を見ていただければお分かりの通り、あの特徴的な笠を被った人はホーチミンでは1人も見ませんでしたよ。それと、ここに写っている白い車体のVINASUN TAXIは、乗っても大丈夫なタクシーなうちのひとつです(これはガイドブックにも載っているし、ガイドさんも断言したので間違いのない情報のようです)。車体の色とドライバーさんが皆制服を着ているのがOKの印だそうです。サイゴン川のほとりには、こんな超現代的な眺めの一角があり、市の中心部を離れると、立派なタワーマンションなどもありました。市街地から出ると田んぼや果樹園の続く田園地帯で、さらに離れると崩れかけた廃墟のような建物に洗濯物が干してあって住宅とわかるものや、小さな間口の外にたくさんの商品の並べられた古びた商店などが増えて来ます。道路に面したお店だか住居だかわからない建物の前にテーブルと椅子が置かれ、その前では必ず男の人(たち)が飲み物を前にタバコを吸っています。ツアーの日本語ガイド、ドゥックさん曰く「ベトナムの女の人はよく働くけど、男は働かない」そうです。でも、ツアーバスのドライバーさんも日本語ガイドのドゥックさんも男性だし、ホーチミンでもたくさんの男性が仕事をしていました。わたし自身、旅行という短い期間の中でしたが、ベトナムの人はよく働くし真面目と感じる場面に何度も出会いました。ただ、道の両側に植えられた木には綺麗な色のお花が咲き、ココナッツやマンゴーらしい実が生っているのが走るバスの窓から見えるし、お米も大した手をかけなくても1年に3回収穫できるというし、そんな恵まれた気候のおかげで、一生懸命働かなくても最低限生きていくことはできてしまうものだから、向上心の強い人、出世欲のある人とそうでない人とで、生き方に大きな違いが出るのかもしれないと思いました。お店や市場の多くのスタッフには英語はもちろん日本語を上手に話す人も多いですし、この日の日本語ガイドのドゥックさんなんて、日本に来たことは一度もないそうなのに、日本語でジョークや流行語まで言うし、ベトナムの歴史を日本語で説明できちゃうほど、日本語が上手なのです。頑張り屋さんが多いのじゃないかと思います。さて、観光です。バスはまず、お寺に到着しました。永長寺です。1849年に設立され、この建物は1907年に改築された、割と新しいお寺ですが、永長古寺という額がありました。この建物も、かつての宗主国フランス建築の影響を受けているそうです。これ、ブーゲンビリアだと思うのですが、この木、源平咲きなのです。珍しくないですか?時間がなくて、歩きながらだったのでこんな写真しか撮れませんでしたが、写真を拡大するともうすこしはっきりわかると思います。境内にはたくさんの仏像が置かれていました。この弥勒菩薩像は、ようやくお座りできるようになった孫の後ろ姿にそっくりで、思わずシャッターを切ってしまいました。このお寺の見学に充てられた時間はとても短くて、今思えばかなり残念でした。おそらくメコン川でのクルーズに組み込まれたランチをあまり遅くはできないので、お寺見学の時間が端折られたのかもしれません。もう少しじっくり見たいところがまだまだたくさんあったので、クルーズの後お寺に寄ってくれたら良かったと思いましたが、本当に残念至極、ここはチャチャっと一回りしただけで、バスはクルーズ船の乗り場のあるミトーに向けて出発しました。ミトーに着けばいよいよメコン川クルーズ。そのお話は、次回に。
2024.03.18
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先ほど、珍しく夫がドラマを観てると思ったら、NHKの日越外交関係樹立50周年記念ドラマ「ベトナムのひびき」でした。あまりテレビを見ないわたしなのに、ベトナムの旅から帰って来て以来、ふとテレビを見ると「ベトナム関連の番組が流れている」率がとても高いのです。何か訳があってベトナムが取り上げられる機会が実際に増えているのか、そういうわけではなくただの偶然なのか、もしかしたらわたしの気のせいなのかわからないけれど、不思議な気がしています。それらの番組を見て「あ、そうそう、懐かしい!」と感じることと、逆に「へえ、こんな所もあったの?見たかった(行きたかった)なあ!」って思うこと、どちらもありますが、今日のドラマでは、ベトナムの交通事情のことを思い出しました(ドラマのテーマは音楽で交通事情ではありませんでしたけど)。わたしが知っているのはホーチミン市だけですが、公共交通機関が少ないため、移動手段にバイクを利用する人がすごく多くて、自動車も少なくはありませんがバイクの台数たるや半端ではありませんでした。それも2人乗りは当たり前、3人乗りも普通、4人乗りも結構いました。わたしが見た最高人数は子供3人とご夫婦らしい5人乗りでした。ホーチミン滞在中のわたしたちの移動手段は、観光(現地ツアー)の時はバスでしたが、どこでもたくさんのバイクに囲まれて走っている状態でした。みなさん(特にバイクは)結構奔放な走り方だけれど、都市部はもちろん郊外でも、車もバイクもそこまでのスピードは出していなくて、だからあまり事故も多くはないかもと思いました。実際にはバイクの事故は時々あるらしく、大丈夫?大丈夫?と確かめ合って、お互い無事と分かれば、OK、じゃあねで終わるみたいだと、帰って来てから読んだどなたかのブログに書いてありました。そのおおらかな感じは、彼の地に滞在中、よく感じていたように思います。例えばバスで移動中も徒歩での移動中も、とにかく日本では考えられないほどクラクションの音が聞こえて、それは、日本だったらそこらじゅうで小競り合いや喧嘩が起きていそうな勢いですけど、そういうことはなくて、思い返してみると、ベトナムのクラクションには緊迫感?イライラ感?みたいなものをあまり感じなかったような気がするのですよね。危ないだろっ!!というクラクションじゃなくて、あぶないよ〜♪なクラクションという感じ。市内では歩いて移動でしたが、街中もあまり信号がなくて、でも車もバイクもそこそこ多いので、歩行者は横断したくてもボーッと立っていてはいつまでも道を渡れません。だから最初は緊張して、恐々、間を空けないように塊になって小走りで渡っていましたが、そのうち慣れてくると先頭の人が車の隙間を見つけて渡り始めたら、続く人は車やバイクのドライバーを見ながら手で止まってねと合図をしながら、結構悠々と渡るようになっていました。すると車は止まってくれるし、バイクは止まりはしなくても避けながら走っていきます。きっと元来優しくて、細かいことを気にしない国民性なのかなと思います。何しろ、種を蒔けばほっておいても年に3回お米が実るといい、道端では椰子やマンゴーの木に実が生っているお国柄ですから。でも20年以上にわたって大国アメリカに屈せず戦い続け、最後には勝ちを収めた人たちです。その根性、気力は侮れない、決して侮ってはいけない人々でもあるのでしょう。それは、ベトナム戦争の戦跡のあるクチを訪れたオプショナルツアーでも、強く感じたことでした。余談が長くなりました。次回は旅の2日目のお話に戻りますね。
2024.03.17
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1日目、2時間の時差が頭から抜けていたわたしはホーチミンに夕方到着すると思い込んでいたのですが、飛行機が1時間も遅れたこともあって、ホーチミンに着いた時はもう真っ暗でした。わたしたちはホテルまでの送迎バスを予約していたので、空港ビルの外でガイドの方と合流しました。ところで、この旅行には、全ての予約が済んでから参加を決めたメンバーが一名いて、幹事のNくんと彼女自身の頑張りで、往復の飛行機やホテル、オプショナルツアーは皆と同じものをほぼ同じ金額で手配できたのですが、空港とホテルの送迎バスだけは人数追加のOKが取れないまま現地入りしていました。幹事のNくんは、空港に着いてから送迎バスのドライバーに交渉すれば問題ないはずと言っていたし、実際、ガイドの人も最初は追加OKと言ったので全員でバスの乗り場まで移動したのに、乗車という段になって人数の変更はできないと言い出し、結局、彼女と男子メンバーの1人がタクシーでホテルに来ることになりました。送迎バスがいくつかホテルを回ってホテルに着いたのは現地時間で23時近くなっていました。タクシーの2人はもう着いているかと思いましたが、ロビーにはまだいなくて、チェックインが済んでも姿を現しません。1人はロビーに残り、他のメンバーは部屋に入って荷物を片付けながら、2人を待つことにしました。最初に申し込んだときは女子が3人、男子5人でしたので、その女子3人は同室で、広めのツインにエキストラベッドを入れた3人部屋でした。部屋に入って先ず貴重品をセイフティボックスにしまおうとすると、扉が開きません。背面に書いてあるロック解除の方法を何度試してもダメ。フロントに行って事情を話すとおじさんが来てロックを解除してくれました。日本語も英語もダメらしいおじさんは、扉を開けてからまた閉め、背面の注意書きを指さしてOK! OK!と言いながら出て行きました。では、改めて、収納!と、扉を引くと、ロックしていないのにやはり開きません。どうしようと言っていたら、少し前に到着していたタクシー移動のEちゃんが取り敢えず荷物は置いたけど、部屋が気持ち悪いと言ってやって来ました。お部屋はツインだというので、C子さんがその部屋に移ることにして、荷物を持って移動、なんてしているうちにセイフティボックスのことは忘れてしまいましたが、貴重品は翌日からEちゃん達のお部屋で預かってもらうことにしました。その後、EちゃんとC子さんの部屋に電話をかけようと受話器をあげると発信音がせず、電話死んでる!とわたしがいうと、テレビのスイッチを入れたYちゃんが、こっちも壊れてるかも!見れば画面は白黒の砂嵐。時間も遅いから放送終了かもと言ったものの、翌朝も同じ画面で、やっぱり壊れていました。翌朝、フロントにそう言って修理をお願いしてから出かけましたが、戻っても修理はされていませんでした。Yちゃんと交代でシャワーを浴び寝支度を済ませたころ、EちゃんとC子さんがまた私たちの部屋に戻って来ました。Eちゃんはタクシー移動の顛末をみんなに話さずにはいられない!様子です。彼女はバスには乗れないだろうと思って出発前にホーチミンのタクシー事情をしっかり調べて来たそうです。一番安全に安く(ボラれずに)ホテルに着くにはどの乗り場でどこの会社のタクシーに乗ると決めていたのに、相棒は彼女がダメ!と言ってるのに耳を貸さず手近な乗り場に停まっていたタクシーにさっさと乗り込んでしまったそうです。なんとか乗る前に金額だけは取り決めたそうですが案の定遠回りされて、ココ!って止まったら、最初に行ったのより高い金額を言われ、彼女がノーノー!と叫んでいるのに横を見ると相棒はお札を数えてる。何してるの?って思ったら彼は最初の約束はこれ、でもチップと言ってお札を一枚乗せて渡したそうです。予定より数百円高くなるだけだったので、まあいいかと思ったけど、ドライバーはトランクを開けただけで、運転席に座ってる。これは私たちが降りたら荷物を乗せたまま逃げるつもりだと思って、荷物下ろしてと言いながらホテルの看板を見たらWHITE HOTEL。わたしたちが予約したのはWHITE LOTUS HOTELです。ここじゃない!と言ってるのに、ドライバーは、車は近くまで行けないけどホテルはすぐそばだから降りて歩けというのですって。彼女は相棒に、「待ってて!このホテルのフロントでポリス呼んでもらうから!!」と車を降りようとしたそうです。ポリスはドライバーにも解ったらしく渋々車を出して、泊まるホテルの2、3軒先の角まで来て止めたそうです。そこで再度運賃のことですったもんだした挙句、彼女の予定より少し高いお金を渡して降りて、ホテルまで来たというのです。わたしは知りませんでしたが、もっと酷い目に遭った話もあるそうなので、それで済んでよかったくらいらしいのですが、Eちゃんの憤懣は冷めやらず、ことあるごとにポリス!ポリス!を蒸し返してはみんなの爆笑を誘っていたのでした。ベトナム旅行1日目は大騒ぎのうちにこうして終わりました。
2024.03.16
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今日は取引先が誤って出荷した原料を引き取りに来たいというので、いつもより2時間早く出勤でした。それだけでもわたしには結構な大仕事で、道がメッチャ混んでたあ!と言って約束の時間に10分ほど遅れてG社のKさんが姿を現し荷物を積んで帰られたらもう1日分の仕事が終わったような気分でした。ところが、それは今日という多難な1日の始まりにすぎなかったのです。幕開けは朝確かに持って出たはずのスマホが入れたつもりのバッグの中に無かったことでした。 夫に電話して見つけて持って来てと頼んだのですが、1時間ほどして、夫からスマホが家にないという電話があり、真っ青になりました。スマホケースにカード類を何枚も入れていたからです。スマホを機種変したときに、あまりの大きさと重さに、ストラップ付きのケースに入れて、バッグに入れずに肩にかけるようにしました。その新しいケースはとてもよくできていて、カードが数枚、それぞれの磁気が干渉し合わないように収納でき、そのポケットがボタンやファスナーでいい具合に留まるようになっていたので、すごく安心してカードを納め、とても便利に使っていたのです。肩掛けなので落とすこともないと思っていたのに、今朝は一体どこで無くしたのか、見当もつきません。朝、早起きしてまだ寝ぼけ気味だったし、着いてバタバタ鍵など開けたときにおき忘れたかと工場中探しましたが見当たらず、自宅でも夫がダイヤルして着信音が聞こえないかと家中探してくれたそうですが無かったといいます。とりあえず朝通った道を逆に辿って家まで戻り、落ちていないのを確かめて交番に遺失物の届出をしました。クレジットカードや交通系ICカードを止めたり、電話も紛失届を出したり、いろいろしないといけないので、一旦会社に戻って何からどう手続きをしようかと考えながら、ふと、夫のiPhoneでわたしの iPhoneを探せるはずでは?と思いつき、やり方を調べ始めました。30分以上かかりましたが、ようやくやり方がわかり探してみると、わたしのiPhoneが反応したのです。マップで見るとどうやら自宅の近くです。急いで自転車に跨りマップを辿りました。我が家の周りを見回しても大きなスマホケースが落ちていたりはしないので、家の中の再捜索することにしました。電話をかけながら、着信音が聞こえないかと家中、トイレやお風呂場、箪笥の中まで見ましたがありません。1階も探したけれど無かったと夫は言いましたが、階段を降りて玄関の方に行くとかすかに着信音らしきメロディが聞こえました!音を頼りに見つけたのはなんと靴箱の中でした。朝、まだ半分寝ぼけていたのでしょうね。靴箱を開けて靴と引き換えにスマホを置いて来たようです。なんとか無事にスマホを回収して会社に戻ると、もう13時でした。お昼も食べずな走り回っていたのでお腹もぺこぺこ。買っておいたランチを食べ、ようやく仕事を開始しましたので、当然残業は必至。またまた19時退社コースでした。それにしても一瞬の無意識のおかげで、実働11時間という、お疲れな1日となったわけで、本当にうっかりは恐るべし!ですね。
2024.03.13
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今日も残業して19時も過ぎて夕飯の買い物をしていたら、携帯が鳴りました。見ると、取引先G社のKさんの携帯番号が表示されています。こんな時間の電話、イヤな感じしかしませんが、仕方がないので出てみれば案に違わずトンデモなオハナシ。G社さんからは今朝原料が届いたのですが、明日使用する予定だったものを除けて荷造りしないといけなかったのに、うっかりまるっと全部出荷してしまったというのです。今からでも引き取りに行きたいけど、そういうわけにも行きませんよねって、あったりまえじゃありませんか!G社さんからどんなに車を飛ばしても1時間以上かかります。今からそれを待てと?イヤイヤ、わたしも一応主婦なのでねえ。でも、Kさん、すごく困っています。明日の朝イチで作業を始めないと納期が間に合わないと聞けば、同じ製造業、知らん顔はできません。じゃあ明日の朝早めに会社開けましょうかと、ついつい言ってしまいました。惻隠の情ってヤツです。おかげで明日の朝、8時に会社に行かないといけなくなってしまいました。いつもより2時間早く出ないとなりません。なので、帰って来て急いでご飯を食べて、お風呂の支度をしながら洗濯機を回してできる分だけの洗濯をして、寝支度も済ませました。本当は今日はベトナム旅行記2回目を書く予定だったのですが、ブログを書くのは明日の夜に延期させて戴きます。ということで、今日は早寝します。おやすみなさい。
2024.03.12
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