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2004.03.11
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カテゴリ: カテゴリ未分類
一番最初に買ったLPは吉田拓郎の「人間なんて」だったと以前の日記で書いたが、2枚目に買ったLPがこれである。

買ったのは1973年、中学1年の時のお年玉だったと記憶している。
ちなみにこのとき、3枚目のLPも同時に予約しており、それは久保田真琴と夕焼け楽団の「サンセットギャング」であった。

この3枚を見て、一体この少年がどんな趣味をしてるのか想像できる人が居るであろうか?メチャメチャである。
白状すると、吉田拓郎以外は全く聞いたことの無いミュージシャンだったのである。大胆不敵にも、聞いたことのない人のLPを大枚お年玉をはたいてかったのである。

ここ数十年、僕はミュージックマガジンを愛読してるが、その前はスイングジャーナル、その前は新譜ジャーナル、そしてその前はヤングギターであった。
当時愛読していたヤングギターのコラムに、中川五郎さんが訳したこのブルースのアルバムの歌詞が載っていた。それに一目惚れしたわけである。ちなみに夕焼け楽団の方は、そのロマンチックなバンド名と、年末のベストアルバムにかなりの選者からそのアルバムが選ばれており、そのアルバム評を読んでの事であった。ま、昔からこんな具合に頭でっかちの人間だったのである。(しかし、そのおかげで自分の世界をどんどん広げることが出来たのだと思っている。)

中川五郎さんの訳した歌詞はこんな感じだった。

 世界がひっくり返る時
 僕はひとりでいたくない
 だから恋人よ 家に帰っておいで

 君が悲しみにくれて
 みんながちりぢりになってしまったら
 さびしい気持ちになる
 だから恋人よ家に帰っておいで

 君がぶらぶらしていて
 おまわりが追い立てにきたら
 もしよりどころをなくしたら
 友よ僕は待っているだろう (太陽が新星となる時)


だから大分ニュアンスが違うのだが、覚えている感じでは
こんな歌詞だったと思う。

今からみればシンプルだけどたわいもない歌詞だ。
でも、その時中学生の自分には訴える物があったに違いない。
それから簡単なブルース・コバーンについての解説もあった。

素朴な声と卓越したギタープレイを中心とする唄は、アメリカではない、まさにカナダという国を連想させる。
そんな記事だった。

手にしたアルバムは白黒のジャケットで、夜の荒野に横たわるブルースの横顔をアップでとらえた渋いジャケットだった。



これはビレッジグリーンというレーベルから発売されたCDのジャケット。オリジナルとは全く違う。A面の2曲目に「馬では遊ばないで」という曲があるので、恐らくそこからインスピレーションを得たジャケットなのだろう。

期待に胸を躍らせて針を降ろしたが、最初の印象は地味??と言うものだった。
サウンドも歌もシンプルで素朴。でも割とあっさりと終わってしまう。お目当ての曲など2分とちょっとであっさりと終わる。そのくせに唄の無いギターだけのインストが8分もあったりするのだ。

そもそもフォークソングを聴き始めた僕にとって、インストなんて物はとうてい理解できなかったのだ。
そんな感じで、僕とブルースとの最初の出会いは、比較的淡泊にふ~んという感じの物だった。
そしてそのレコードは数回聴いた後に、しばらく放っておかれるハメになったのだ。

しかし、お金のない中学生の事、しばらくするとまた毎日のようにそのレコードに針を下ろし始めた。するとナカナカ良いのである。じわ~っとしみ出してくるような良さがあるのだ。

音楽でも人間でもそうだが、最初の印象が良くても、あとでしぼんでしまう場合と、逆に最初はとぼけていても、あとでじわっと味の出る場合があるが、まさにこのアルバムは後者であったわけである。

シンプルなギター伴奏だけの唄と思っていたが、4曲目の「ママは一晩中酒場で浮かれたい」は、冒頭からピアノが入ったジャージーなムードの曲だし、B面1曲目の「時計に明日はなく、ナイフによい知らせは無い」という意味深なタイトルの曲は、バンドサウンドでビートの利いた良い曲だ。
最初は退屈だったギターのインストも、自分でギター弾きだしたからわかったが、とてつもなく上手いプレーだと思うようになった。わざわざこのインストの曲をかけて、目を閉じてじっと彼のギターに聞き惚れて居る事も多かった。事実、この頃のブルースのアルバムは、ギター教則本に見本となる例題として取り上げられたりしていた。

自分の内面へ、自分の周りの自然へ、そして神へと向かう内省的な、そして簡潔な俳句のような歌詞、木訥だが誠実さの漂うボーカル(エリッククラプトンの唄に似ている)など、彼の魅力がどんどん分かってきた。丁度その頃、彼の音楽が分かるように自分が成長したのかも(音楽的に、そして人間的に)知れない。

翌年、彼の初期の代表作である2枚目の作品「雪の世界」(原題High Wnd White Sky)が日本でも発売された。このアルバムはジャケットからして凄かったが(レコジャケのページを参照)、唄もサウンドもあまりにピュアすぎると言うかバリエーションが無くて僕は「夜の幻想」の方が好きだった。
「雪の世界」の方が色でいうならまさに白、透明の世界だったのに比べて「夜の幻想」はダークグレーという感じだった。そしてその翌年でた「太陽と塩と時」は色で言うなら青、緑、季節で言うなら夏という感じの作品であった。

後に「変化に恋する」と言われたブルースの音楽性はこの頃から微妙に変化していく。ロック的要素の上にジャズ的要素が加わって、唄う世界も次第に内面的な物から、自分の外の世界へと変わってきている。70年代から80年代の移行期に出た2枚組ライブアルバム「波紋」(原題Circle In The Stream)では、ギターのシンプルな弾き語りから、バンドサウンド、ピアノトリオをバックにしたジャージーなサウンドなど、その頃の集大成としてのブルースを聞く事が出来る。

ブルースコバーンは、80年代に入って大きく変わる。
離婚を経験し、アメリカ政府の招待で?中南米を訪れ、アメリカの中米政策に深い疑問を抱くようになる。
そしてギターをエレキに持ち替え、ドラムスとチョップマンスティックを伴ったトリオとなって、時代を、政府を告発するような激しい歌を唄い始めた。IMF(国際通貨基金)を「マザーファッカー」とののしって唄ったのもこの頃だ。



80年代の代表作「Stearling Fire」に収録された「If I had a Rocket Launcher」がU2にカバーされた事で彼もミュージシャンズミュージシャンとしても脚光を浴びる王になった。
しかし、この80年代のブルースの諸作は、当時全てが日本で発売されたわけでない(僕は全作未発売と思っていたが、日本で発売された作品もあったらしい。このあたり、コブラクロー様からご教示を頂いた)。当時日本ではフュージョンブームが世間を席巻していたのだ。僕はフュージョンから、大学の先輩の影響でモダンジャズを中心に聴いていた。ラジオ番組でロックやフォークも聞いていたが、そこでもブルースのニュースは聞くことが出来ずに、僕の頭からブルースコバーンと言うのは過去の人になってしまっていた。

ブルースと再開したのは90年代、大阪にいた頃である。
ミュージックマガジンの姉妹誌であるレコードコレクターズという雑誌で、不良外人音楽評論家でブルースの熱狂的なファンであるマークラパポート氏が、3回に渡ってブルース・コバーンの歩みを振り返るという企画を連載してそれを読んだ時である。

幸いにして大阪に居たので、輸入盤を揃えるにはいい環境で、この時期に僕はブルース不在の10年に追いつく事になる。そして僕がそこで出会ったのは、ロック、ブルース、ジャズ、ワールドミュージックなど全てが混じってそれを消化した独特の世界を持つ、逞しく、力強く、そしてしたたかで色っぽく変身した無敵のシンガーソングライターであったのだ。

そしてこのラパポート氏の記事の影響か、90年代に入ってから、また彼の作品は日本でも発売されるようになってきた。以後数年おきに僕らのところへ素晴らしい作品を届けてくれている。決して駄作が無いという彼の作品は、マンネリに陥ることもなく、いつも新鮮な輝きに満ちている。27作目となる最新作の「You've never seen Everything」でも、その1曲目のギターのピッキングから背筋がぞくそくするような快感に浸らせてくれる。



今まで君は何も見えていなかったんだ。もっと目を開けて世界を見て見ろよ。そんなメッセージを感じるじゃけっとである。

現在59歳になるブルース・コバーン。これからも枯れることなく僕らに真摯なメッセージを届けて欲しいと思っている。













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Last updated  2004.03.12 08:53:56
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