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Hiro Maryam

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2008年06月20日
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カテゴリ: 事件、事故
私はこの事件発生5時間後ぐらいにnhkのニュースを見た。ワイドショーなどでどのようにこの事件が扱われているのか、一般の世相はどのようにこの事件を受け止めているのか情報が欠けていたのでコメントを現在まで控えていた。
イランもずいぶん世相が変わってきたとはいえ、古きよき日本がそうであったようにお正月になるとみな晴れ着を着て親戚や親交のある人々の家を訪問しあう。年賀状というものは皆無。私の世代、私は来年40歳、、でもかなり兄弟姉妹がいて、5,6,7、8人兄弟、姉妹など、週に一回その人たちが訪問してもほぼ毎日誰かしらと顔をあわせるといった生活である。
私が最初にここへきた12,3年ほど前、人間関係が希薄な日本の生活に慣れきっていて、8年も一人暮らしをしていたこともあり、あまりにも人間関係が密接で常に誰かがそばにいて、一人にさせてくれず、非常に戸惑い、苦痛にも思っていた。月に一回は日本の正月のように親戚一同20.30人が集まり会食、談話、、、、。。。。言葉のわからなかった私は泣きそうになった。現在はこちらの人々の生活も激変し、それぞれの生活に追われるようになり、月に一回だった会食はなんと一年に1,2回に激減したが、それでも、日本に比べたら毎日人と係わり合いになりながら生きているといった感がある。
私はこちらで日本語について質問されたときに漢字は難しい、どうしてあんなものを使うんだなどといわれたときにいつも例にだす字がある。それは 人 という漢字。 人という漢字は二人の人間がお互いに支えあっている様を表している文字だ。こちらの人はそれを知るととても感動する。確かにその通りだな、、、と。現代の日本人は、ああーー確かにそうだったなーーと過去形になるのではないか?

私の世代は現在子育て中の世代なのだが友人のブログにこんなことが書いてあった。

高校時代の友人数名が子供を連れてある友人宅へ集まった。
お天気はよく快晴、快適、文句なし、、子供たちは、、、、、
みんな仲良く、一塊に座って、それぞれの手にゲームを持って熱中している、、、
そこにはほとんど会話はない、、、、

遊ばせられないという異常な、現代の日本人にはあたりまえなのか?状況がそこには存在するのであろう。

このような環境で育った子供たちのごく一部にあのような事件を将来起こすであろう人物が育っても不思議ではない。子供の時に他人との付き合い方を学ぶ必要性も感じないで育つからである。しかも日本人には聖徳太子の時代から和をもって尊しとする という思想がある。 人との対立は好まず、自分の意見や考えをあまり明確にしないだけでなく自分の好悪の趣味すらあまり人に示さない。それを悪と考える人すらいる。
人は他人との係わり合いのなかでのみ、自分自身を見出す事ができると思うのだが、ここ30年間は人と自分を比べて、生活が豊かだ、高学歴だ、優れているとか劣っているとかそういう価値観でしか見ていない、判断していないような気がする。他人との比較のなかで他人とは違う自分、世界でたった一人の自分、自分という人間はこういう人間なのだ、ということはそこには一切問われていなかった。アイデンティティーというものが欠如しているのではないか。。

子供のときは親が何でもしてくれて、親以外は必要としなくても生きていけた、逆に他人は煩わしく、疎いものだと思っていた、その結果他人とうまく関係を保てない、 しかし、人間には 人に愛されたい、人に認められたいという欲求があるのではないかと思う。そういうものが思春期ごろから生じて、その欲求は年々強まる、しかし、それを実現させる術をまったく学ばずに成長してしまったことに今回の事件を引き起こす要因があったような気がする。

それから子育てをする親の姿勢、子育てということに関する日本社会の姿勢もこの事件の裏側にはあるような気がした。自分の子供だから、かわいいに決まっている。親の都合で甘やかされ、かわいがられ、都合のわるいところは保育園や幼稚園、学校など他人にまかせ、子育てもお金を払えばやってもらえるといった感覚、、、、子供の心を育てるのではなくて、親は自分が満たされなかった、叶わなかったことや物を子供に与えて満足しているといった子育ての姿勢が現代にはないとは決して言えない。子供のように忍耐や我慢のない親が子供を虐待したり、子育てでノイローゼになりそうでもなかなか助けを得られない、相談もできない、、、、。

環境破壊だ、自然と動物との共存などと叫ばれ、人間は自然や動物を省みず自己の欲望のままに現代社会を発展させてきて、今度は同じ種である人間すら省みようとしなくなっているのではないか?人は一人では生きていけない、、、、日本人は人という字をもう一度見つめなおすのか?それとも人という字を新しく作り直してしまうのか、、、、、どちらの方向に進むかは一人一人私たちの生き方、心のあり方、行動の中にあるように思う。





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Last updated  2008年06月20日 21時11分25秒
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