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ショック! ショック☆☆ショック 山本さんの事件のあおりを受けて、ドラマ「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」の放送が延期される見通し。 7月29日の放送を楽しみに待っていたのに、山本さんがけっこう出演してたので出番なくなるか別キャストで撮り直しになるかして放送延期だ。 ひとまずのところ放送取りやめではないのでひと安心だが、それでも場合によってはお蔵入りもあるかもしれない。●ドラマ「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」 なぜ私がこんなにもあせってびびってショッキングなのかというと、このドラマは大泉洋の全国ゴールデンドラマ初主演作品となるべきものだったからなのである。 大泉さんは、2006年現在私の心のアイドルとして離れることのないタレントさんなの。 大泉さんのことを知らない方のためにいっておくと、 大泉洋は北海道を中心に活動するローカルタレントで、北海道テレビの深夜バラエティ「水曜どうでしょう」での活躍により今や全国区の人気を博するようになった俳優さんであります。「水曜どうでしょう」は、北海道限定の深夜放送にも関わらず、口コミやインターネットでファンを拡大させていき、2002年に放送が終了したあとも全国各地のテレビ局で再放送が相継ぎ、今や32の地方局で放送されているという非常に珍しい番組であります。 「水曜どうでしょう」がどんな番組かを、どうでしょうリミックスの文章を借りて紹介いたしますと、▼『水曜どうでしょう』とは 『水曜どうでしょう』とは、テレビ朝日系列のローカル局、北海道テレビ(HTB)が制作している、ローカルバラエティー番組です。 企画担当であり、出演者でもある、鈴井 貴之(通称:ミスター)、大泉 洋、そしてディレクターである、藤村 忠寿ディレクター、嬉野 雅道ディレクターの男4人が、日本中、世界中を気まま、わがままに旅する、旅番組(一部料理番組、教養番組、クイズ番組、つり番組)です。 旅番組とはいえ、一般的な旅番組と侮ること無かれ。基本的に「おいしいもの」や「名所」なんてこれっぽっちもフィーチャーしません。 基本的に「移動がメイン」。 いろんな場所を無鉄砲に移動しまくり、その移動最中に起こる様々なハプニングや罵り合いなどなど、自由気ままなその姿を映し出す。それがこの番組の魅力なのです。 1996年10月09日(水)に放送が始まり、2002年09月25日(水)までの約6年間、北海道で放送され、出演者とディレクター人の掛け合いが人気となり、その人気が口コミや個人のホームページやファンサイト、インターネットテレビ(インプレスTV)などによって広がり、2003年04月当時では、北は北海道、南は四国まで、合計16局で再放送版の『どうでしょうリターンズ』が放送されておりましたが、2年1ヵ月後の2005年05月現在では、北は北海道から南は沖縄まで、全国32放送局で再放送版の『どうでしょうリターンズ』、再編集版の『水曜どうでしょうClassic』が放送されています。 2002年09月25日(水)に一旦最終回を迎えましたが、年に2~3回程度の特番という形で今後も放送される予定です。 また、過去に放送した企画を再編集したDVDを年に2~3枚程度発売する予定です。 私はネットで目にした「水曜どうでしょう」の内容にバカ受けして以来、マニアとして放送を2度3度と繰り返して見るくらいのファンなのですが、この番組のカギは何と言っても大泉洋という人間の発散する田舎臭い魅力、うさんくさい話術、はんかくさい存在感にかかっている。 どんな内容の番組か、実際に見てみたいという人はインプレスTVで無料視聴のコーナーがあるので、そちらをゼヒご覧ください。●「水曜どうでしょう」ユーコン川160キロ 全7回 でもって、そんな大泉洋(別名よういずみおう、またの名を尿泉尿)の本業である役者の仕事で、ついに全国キー局の午後九時放送という時間帯で、しかも原作は130万部の「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」 こんな大役に大泉さんが挑むとは。北海道では「ビビリ王子」の異名をとる小動物のようにビビリ屋の大泉さんが、果たして逃げ出さずに主役を最後まで全うできるのか。 道民は注目していたのですよ、たぶん。 それがなぁ。 山本さん出てたもんだから、放送は中止。 延期の日程は決まっていない。 ついてないなぁ、大泉さん。 それでもこのドラマは、やがて必ず放送されると思っていますので、放送が決まったときには皆様ゼヒ、ご覧ください。
2006/07/19
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やってしまった。 極楽の山本さんが、やってしまった。「極楽とんぼ」の山本圭壱、函館で17歳少女への飲酒、淫行!! 芸能界から永久追放!>>「山本だったらありそうな話だよね」。ある大手プロダクションの妙齢の女性社員は苦笑いした。吉本興業は18日、お笑いコンビ「極楽とんぼ」の山本圭壱との専属タレント契約を解除した。17歳の未成年者との飲酒や淫行行為で北海道の函館西署に訴えられたのだ。それにしても、吉本興業は実に素早い行動をした。契約を解除し、報道各社にファックスを送ってきたのだ。 山本は、先週末に、欽ちゃんの野球チームの試合のために函館に入った。事件は、その時に…。これはあくまで未確認情報である。山本は、函館のホテルでデルヘルを呼び出した。呼ばれて来た女の子は17歳の未成年だったようだ。山本は、どうやら、その子が17歳と知りながら酒を飲ませ、その後、仲間と一緒に回してしまったというのだ。女性は、未成年でありながらも、山本のとった行動に納得できなかったのだろう。函館西署に被害届けを出したことから、事件が発覚したというのである。っていうことは輪姦ということになる。しかも、犯行は山本1人ではなかったということにもなるわけで、今後の成り行きが注目されるところだ。だが、これは未確認情報なので事実は分からない。だけど、もし、これが事実だとしたら、あの早稲田大学の「スーフリ」と同じ。いや、それ以上に重い犯罪行為になる可能性もあるってことだ。しかも、吉本から解雇された今、もはや山本にはバックがない。裁判でも何でも1人で戦うしかない。これは大変なことだ。因みに、事件に関して吉本興業では「関係者のプライバシーを侵害する」との理由で明らかにしていない。ただ、今回の山本のとった行動については「許されざる反社会的行為に該当するものとして処分した」と強い表現をしている。山本圭壱は、本名が山本圭一。1968年(昭和43年)2月23日、広島県広島市生まれ。89年に加藤浩次とお笑いコンビ「極楽とんぼ」を結成した。バラエティー番組「とぶくすり」「殿様のフェロモン」やラジオ「THE LAST 笑」「笑っていいとも!」にレギュラー出演し、全国的人気に。以降「めちゃめちゃイケてるッ!」や「とび蹴りゴッデス」での2人の本気プロレス対決が話題となった。また、映画「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」に水道局員役で、相方とともにスクリーンデビューも果たしている。ソロとしても「ラブ・レボリューション」「ナースマン」などのドラマに出演。学園祭で下半身を露出し、公然わいせつ容疑で書類送検されたこともあった。今後の活動に関しては、加藤が単独で活動していく。山本は、芸能界から完全に追放され、ニートになるのか? まさにやってもうたの極致で、悲しい限りです。 今年は「めちゃイケ」が1996年に放送を開始してから10周年の年で、メンバー気合はいってたと思うんだが、山本さんやってもた。 残念ですわ。 ぼくは、めちゃイケという番組には特別な思い入れがあって、それはこの番組がテレビ局の企画によるものではなく、メンバーの意志によって作られてきた番組だと思うからだ。「新しい波」にはじまり「とぶくすり」「とぶくすりZ」から「殿様のフェロモン」を経て「めちゃ²モテたいッ!」、そして「めちゃ²イケてるッ!」としてゴールデンに進出する姿をぼくは目撃してきた。 無名の若手芸人を紹介する番組である「新しい波」で共演したナインティナイン・極楽とんぼ・よゐこ・オアシズが集まってできた「とぶくすり」が終了して、次は23時台でバラエティを作るというときに、すでに名前の売れていたナイナイだけを残してあとは切ろうとしたテレビ局側に対して、このメンバーで再び番組を作ろうとする彼らのじわじわした熱意が嬉しかった。「めちゃモテ」放送開始時にはまだナイナイの評価も高くはなく、武田真治、雛形あき子らのアイドルを絡ませることでようやく放送の許可がおりた。当時のナイナイには極楽とんぼ・よゐこ・オアシズをレギュラーとしてのませるほどの力はなく、なんとか極楽とんぼからは山本圭壱だけがレギュラー出演。しかし山本はナイナイらが集まるバーのバーテン役での出演で『バーテン:山本』と極楽とんぼの名前を出さずにひっそりとクレジットされていた。 それが番組途中から加藤、光浦がレギュラーとして参加して、「とぶくすり」のメンバーが再び結集してきた。よゐこは結局レギュラーにはなれなくて、でも番組の最後らへんは頻繁にゲストとして呼ばれてた。 本田みずほは濱口とのいきさつで番組を離れたが、その代わりにオアシズの大久保が参加した。かつて、光浦は、フジの片岡飛鳥に「二人で番組に出して欲しい」と直訴するも、「ブスは二人もいらない。光浦は笑えるブスだが、大久保は笑えないブスだ」と返され、仕方なく一人での番組出演を決意した過去がある。 そうしてバラバラになっていたメンバーがだんだんとそろっていく過程は、それがテレビ局の演出によるものではなく、彼らの熱意によるものであるだけに、ちょっとじーんとした。 テレビ番組においては、テレビ局の意向によってキャスティングがなされ、売れている芸人や売れそうな芸人、売り出したい芸人を組み合わせて番組を作るのがほとんどの場合だろうと思う。出演者の意志でひとつの番組が終わった後にまたそのメンバーが結集して新しい番組を立ち上げるというのは、これまでにはなかったことだと思う。 ナインティナイン・極楽とんぼ・よゐこ・オアシズの8人を中心とする芸人の横のつながりは見ていて快く、気持ちのあたたまるものだったのだ。 今回の事件は、そんな彼らの「平成のひょうきん族を目指す」という夢への過程での、大きな挫折である。 もしかしたら山本の復帰は可能かもしれないが、それは相当の期間が空かないと難しいだろう。(過去に板尾創路が事件を起こしたときは、松本人志らの取りなしによって長期謹慎という形になった。結果、一年間の謹慎だったと思う)しかし山本の場合は事件の内容がちょっとひどすぎるので、復帰できるとは決して断言はできないのが現実だ。そうなるとメンバーを欠いた「めちゃイケ」はそのまま放送を終えることになるだろう。ぼくがそう予想するくらいに、この番組にはメンバーの絆があった。 ぼくは周りの迷惑をかけるなとかいうことを声高に言うタイプではないけれど、さすがにこれはあかんやろ。●動画 極楽とんぼ加藤 山本の不祥事を号泣で謝罪。YouTube - 極楽とんぼ加藤 山本の不祥事を号泣で謝罪。 朝のスッキリ見てたんだが、加藤さん泣いてたよ。 加藤は相方の山本大好きで、矢部から「加藤さん相方好き過ぎやわ」とか言われちゃうくらい仲のいいコンビだった。嘘泣きじゃねーかという人もいるが、おれは信じるよ。 加藤の涙は、岡村や矢部も同じ思いだろう。とくに岡村がどれだけ落ち込んでるか、想像するに悲しいものがある。 過去に吉本興業では板尾創路が同じような少女に対する事件を起こして、そのときは、松本人志らの取りなしによって長期謹慎という形になった。松本が島田紳助に泣きついて、副社長に土下座して処分を勘考してもらった、といったような経緯があったと思う。結果、板尾は一年間の謹慎で済んだわけだ。 今回の山本の件でも、おそらくナインティナインの岡村、矢部は事件の収拾に動いたのだろうと思うが、これは彼らでは収めきれないほどの事件だったのだろう。岡村の悔し泣きを、ぼくは容易に想像できる。 実に悲しい、悲しいニュースだった。 なお、報道の当初においては被害者女性が「17歳」と「中1(12歳)と中3(15歳)」と二種類の報道があったのが、途中から「被害者は17歳女性」で統一されたということだけ、ここに記しておきます。
2006/07/19
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夏の準備をいろいろと。 国語の読解講座をやることになりそう。 どんな形にするか、考えております。 正統的な方法と邪道な方法のさじ加減など。 あとは作文。 先輩にお願いしたので、どんなものを用意してくれるか楽しみだ。 以前おれが「税の作文の書き方はこんなかんじ」ってのを作ったんだが、 それに対して駄目出しをされたのである。「じゃあ今年はお願いします」「あぁ」 ということだったので、お手並み拝見と参ります。 まさかまた「忘れた」とか言うことは、ないよなぁ。 音沙汰ないのがちと不安だが。「負けない」「逃げない」という言葉のとおり、負けずに逃げずに有言実行して欲しい。【今日の小ネタ】●涼しげな壁紙よこせ●熱帯夜に快眠する7つの方法●扇風機をつけたまま寝ると?●関東大地震写真●盲目の女の子と付き合うことになった●痴漢男●松本人志が写真週刊誌を訴えた「本当の理由」●【現代科学でも】これ聞いてみて。マジありえない【解明不可能】
2006/07/18
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大学では哲学を学んだ。 アメリカのプラグマティズムと、中国の陽明学というのを学んだ。ともに実践をむねとする哲学で、机上の考えよりも実際の行動を重んじる考え方だ。 プラグマティズムの創始者チャールズ・サンダース・パースの言葉によると、「ある思想の意味をはっきりつかむには、その思想が真であるとすればどんな実際的結果が必然的に起こるか、と考えてみればよい」 プラグマティズムの根底にあるのはこういった考え方だ。イギリスの経験主義、アメリカの実証主義を発展させた考えとして、プラグマティズムは存在する。 言葉は、口からセリフとして出ただけで完成するものではなく、その結果どんな行動に結びつくか、どんな影響を及ぼすか、そこまでを含んだものがその言葉の意味であるとする考えだ。 またアレグザンダー・ベインズにはこんな言葉もある。「信念とは、ある人がそれにのっとって行動する用意のある考えである」 つまり、実現不可能な理想をいくら述べても、それは現実の生活とは無縁のものであり、本当にひとが生きる上での信念とはならない。言葉は実現性のある予定であるべきで、またその言葉が実際に行動されたときにはじめて意味が生まれるとする考えである。 ぼくは何かというと「具体的にはどういうこと?」とか言って周囲から煙たがられているけれど、それはつまりこういうことだ。ぼくにとっては「おれはぜったいに逃げない」とか「日本一になる」とかいった実効性のうすい言葉は馴染みのないもので、不特定な状況や対象しか見ない言葉に意味があるのかと思ってしまう。 生活の中のどの状況で、誰に対して、どのように行動するのかという裏付けのない言葉は言うだけ自由で、言うだけ勝手だ。しかしその言葉が実現されることがないのだったら、何の意味があるだろう。ましてや、その言葉が実現する手段のないことだったら、何の価値があるだろう。さらには、その言葉が言っている本人も信じていないようなうわべだけのものだったら、何の意義があるだろう。 綺麗事であってもいい。ただしぼくは綺麗事を信じている。自分が信じることのできることなら、ぼくは言うことができる。信じてもいないのなら、綺麗事ですら言べきではない。「今週は二次方程式の教え方を研究して、生徒に伝えるべきことを整理する」 これくらいなら実感が持てるが、「いつか必ず日本一の塾講師になる」 この目標では漠然としすぎていて、努力目標としてふさわしくない。第一、何をどう努力していいのかすらわからない。 受験をひかえた生徒たちも、目標を立てるときは具体的なものでなくてはならない。「とにかくがんばる」「かならず勝つ」「絶対に諦めない」そんな曖昧なものではなく、具体的なものにするべきだ。ならなら、抽象的な目標では、その目標を達成したかどうかを見ることができないので、「おれはがんばった」とか自己満足に終わる可能性が高いからだ。「一日十個単語を覚える」「今週中に江戸時代の年表を覚える」「この問題をやる」「三ページ進む」といった、具体的な行動に密着した目標を設定して、それを実現することに精力を傾けるべきだ。 目標として設定することの条件を具体的にいうと、1.終えるまでの期日が定まっている2.するべきことが現実に手元に存在する3.するべきことが自分に実行可能なことである4.それが実行できたかどうか、客観的に判断することができる と、これくらいしっかりしていれば、目標として機能するだろうと思う。 言葉は実現されるためにあって、それにのっとって行動したときはじめて意味が生まれる。 ぼくはそう思っている。
2006/07/12
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