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当地、栃木・宇都宮「餃子の王座」奪還3年ぶり浜松に雪辱宇都宮ギョーザ、3年ぶり日本一 1世帯当たり昨年購入額【下野新聞(栃木) 31日付号外】
2014.01.31
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○ 志茂田景樹さんの名言集 ネイバーまとめ○ 志茂田景樹さんの心にしみる名言BOT○ 志茂田景樹さん公式ツイッター(本人)
2014.01.30
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小倉百人一首 九十一後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん、藤原良経・ふじわらのよしつね)きりぎりす鳴くや霜夜のさ莚むしろに 衣ころも片敷かたしきひとりかも寝む新古今和歌集 518こおろぎが鳴いているんだなあ。霜の降りる夜の寒々としたむしろの上に衣の片袖だけを敷いて私は独り寝るのかなあ。註侘しく寂しい寂寥の中に密かな恋心を仄めかし、艶麗さを漂わせた秀歌。きりぎりす:今でいう蟋蟀(コオロギ)のこと。キリギリスは古語で「機織はたおり(虫)」といった。さ莚むしろ:「寒し」が掛けてある。衣ころも片敷かたしく:自分の着物の片袖だけを敷いて独り寂しく寝る。男女が共寝をするとき、互いに袖を敷き交わして寝る風習があり、それに対して言った。
2014.01.29
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松本隆(まつもと・たかし)冬のリヴィエラ彼女あいつによろしく伝えてくれよ今ならホテルで寝ているはずさ泣いたら窓辺のラジオをつけて陽気な唄でも聞かせてやれよアメリカの貨物船が桟橋で待ってるよ* 歌詞全文作曲:大瀧詠一唄:森進一
2014.01.29
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坂本野原 三日月 思春期の濃き友愛はカルピスの原液めいて甘酸っぱすぎ乾杯の音頭のしどろもどろにて青菜に塩か蛞蝓に塩初恋が成就に至る確率はきわめて低い 勇なきを詫ぶ *ほっそりとした三日月が宵闇にかがやいていた 道草したいカラオケじゃなくてよかった「三日月」を唄う気満々だった二次会中山♀と小堀♂、和賀井♀に挟まれて同窓会は快適なりき天国にいるみたいだと女の子三人を持つ本音をいえり憎まるることはまずない喋りすぎうるさがられる傾向はあるエゴイストとはいうものの単純なものであって老獪ではない悪郎と渾名されたる悪友と一生続く友情ならむ「味が出てきたな」と言えばどっと受く そんな笑えることおれ言った?幸せな奴ばかり来る同窓会 共同ナルシシズム悪しからず恋したりするんだろうか浅漬けのセロリが好きなうちの娘もふと思うあなた死んでもいいですか日ごと寒さがつのりてくれば* 「義を見て為せざるは勇なきなり」(『論語・為政編』)2013年12月作新仮名遣い著作権を有します。(c) 2014 Nohara Sakamoto Daddy BearAll rights reserved.
2014.01.28
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坂本野原 「短歌人」 2月号掲載作品思春期の濃き友愛はカルピスの原液めいて甘酸っぱすぎ乾杯の音頭のしどろもどろにて青菜に塩か蛞蝓に塩初恋が成就に至る確率はきわめて低い 勇なきを詫ぶカラオケじゃなくてよかった「三日月」を唄う気満々だった二次会悪郎と渾名されたる悪友と一生続く友情ならむ恋したりするんだろうか浅漬けのセロリが好きなうちの娘もふと思うあなた死んでもいいですか日ごと寒さが募りてくれば○ 12月号掲載作品「ファッションの陰部をめぐるデザインにデザイナーらは心血そそぐ」が、 今月号「作品月評」欄に掲載されました。【「短歌人」編集委員、 歌人・西勝洋一氏選評】 なるほどそうなんだなー、 と思わせてくれる一首である。 ファッションが「性」のアピールのためと捉えれば、そこに心血を注ぐのは当然のことであろう。 この歌の次に「モードとは植物なり」とあるが、これも卓見。* モードとは植物なりと喝破せりゆえにあれほど細きモデルら2013年12月作新仮名遣い著作権を有します。(c) 2014 Nohara Sakamoto Daddy BearAll rights reserved.
2014.01.28
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■ 中国、「新公民運動」活動家の許志永氏に懲役4年【米ウォール・ストリート・ジャーナル紙 日本語電子版 27日配信】■ 胡佳氏「もうすぐ連行される」と悲痛なツイート【読売新聞 27日付夕刊】 私たち民主主義社会の国民から見れば至極穏健で正当な基本的人権の要求に対して、中国政府の暴虐・残忍な回答がこれである。 投獄される許志永(きょ・しえい)氏は、人権運動への弾圧の歴史も踏まえ、法学者として中国憲法の枠内で慎重な言動を心がけてきたといわれるにもかかわらず、こういう苛酷で気の毒な事態となった。 中国政府は、ちょっとでも目ざわりな者は片っ端から刑務所にぶち込んで「臭いものに蓋」をすればいいと心得ているらしい。まさに、今なお法治国家にすらなっていない、共産党特権階級の野蛮な独裁である。時代を数百年間違えている。 北朝鮮も含めて、こんなムチャクチャなことをする国とわれわれは今後も付き合っていかねばならないのかと暗澹たる気分になるが、ふと地動説を唱えて宗教裁判にかけられたガリレオ・ガリレイを連想した。 真実・正義は、結局最後には必ず勝つ。キリスト教カトリック教会は後世、天動説の誤謬を認めて謝罪したが、中国政府の場合、謝罪ぐらいでは済まないのではないか。そう遠くない将来、人民による民主革命という最終的かつ地滑り的な反撃とカタストロフが起こると、かなりの確度で信じうると思う。 日本は、反日活動に寧日なき有り様の韓国、とりわけ歴代最悪とも評される朴槿恵(パク・クネ)政権に対しては、事実上の「断交」状態に近い疎遠・放置プレイを続けても何の問題もないと私は思うが、偉大な歴史を誇る中国とはそうもいかないだろう。嫌々渋々ながらでも付き合っていく必要があるのは、いかんともしがたい。 巨龍・中国に、早くまともな為政者が出現し、公明正大なまつりごとと自由にものが言える社会が実現されることを望んでやまないのである。
2014.01.27
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小倉百人一首 九十殷富門院太輔(いんぷもんいんのたいふ)見せばやな雄島をじまの海人あまの袖だにも ぬれにぞぬれし色は変はらず千載和歌集 886あなたに見せたいものだなあ(血の涙で紅に染まった私の袖を)。雄島の漁師の袖でさえも濡れに濡れても色は変わらないのに。註作者は、殷富門院(後白河法皇の第一皇女で式子内親王の姉)に仕えた女房(侍女兼家庭教師のようなもの)。紫式部や清少納言などと同様、当時最も教養があった女性層の一人。「恋の涙は血の(色の)涙」というのは、当時わざわざ説明の必要がないような常套的な連想だった。今でいう「血の汗流せ涙を拭くな」(「巨人の星」テーマソング)みたいなものか(?)見せばやな:古語動詞「見す」(見せる)の未然形に、願望を表わす終助詞「ばや」と詠嘆の終助詞「な」が接続したもの。初句切れ。雄島をじま:宮城県松島湾にある島。海人あま:「蜑」「海部」とも表記する。広く漁業従事者を意味した。「あまちゃん」でおなじみの「海女あま」と同語だが、古くは男女を問わず言った。だに:~でさえ。~ですら。ぬれにぞぬれし:「濡れに濡れた(が、しかし~)」。「ぞ」と過去の助動詞「き」の連体形「し」の係り結びで逆接のニュアンスになる。係り結びは、現代語でも「分野こそ違え、尊敬している」など逆接の構文になる。源重之(みなもとのしげゆき)「松島や雄島の磯にあさりせし海人の袖こそかくは濡れしか(松島の雄島の磯に漁をした漁師の袖くらいのものかなあ、つらい恋の涙で私の袖のようにぐっしょりと濡れているのは)」(後拾遺和歌集 827)の本歌取り。
2014.01.26
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藤原定家(ふじわらのさだいえ、ていか)かきやりしその黒髪のすぢごとに うち臥ふすほどは面影ぞ立つ新古今和歌集 1389かきわけたその黒髪の一筋一筋に至るまで独り寝ている時には面影が浮かぶのだ。〔解説〕 長谷川櫂黒髪をかきやるとは、撫でる、指でなぞる、掻きあげて顔をのぞき、掻き分けて肌に触れる。どれもこれも恋人たちのなまめかしい仕草である。ひとり淋しく寝ていると、あの夜の黒髪の一筋一筋が目に浮かぶ。月光に照らされるように。 【読売新聞 22日付朝刊『四季』】 註淋しく切ない、ちょうど今頃の時季の冬の匂いがする名歌。* 和泉式部「黒髪のみだれもしらずうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき」(後拾遺和歌集 755)の本歌取り。
2014.01.24
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きのう15日は、当地栃木の一之宮・宇都宮二荒山神社の、地味ながら平安時代初期から実に1300年間続く由緒ある恒例の祭礼「春渡祭(おたりや)」の神輿渡御(みこしとぎょ)の先導に神祇町(じんぎちょう)として参加しました。〔参考リンク〕 こちらやこちら「春渡祭」と書くのは名ばかりで、厳かな真冬の祭りです。われわれ氏子は、みな先祖代々の紋付羽織袴の正装和服で参加。私も祖父の和服で参加しています。にわか黒澤明『用心棒』みたいな世界です。それにしても、当節の凄まじい大寒波の寒さたるや、本当につらかったです~っそのあとは、町会青年部の新年会を兼ねた直会(なおらい、宴会)に突入。・・・今朝の二日酔いもつらかった~っ
2014.01.16
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永井陽子(ながい・ようこ)イタリア語のやうなひかりを持て来たる冬の郵便配達人は落書きは空にするべし少年が素手もて描く少女の名前龍之介の好みは鰤ぶりの照り焼きとおもひ出しつつ寒し 元旦歌集『モーツァルトの電話帳』(平成5年・1993)
2014.01.14
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向井ちはる(むかい・ちはる)自分でも処理の仕方が分からないそんな爆弾持ってていいのか太陽に似ている蜜柑その雫わたしの身体でバクハツしてよ標的の中心にだけ刺さるようナイフ手に持ちつらくてもやるどんどんともっとどんどん加速してぎりぎり気分のエンジンで飛べ一瞬のスピードだけで笑ってる見るべきものは何もなくなり第一歌集『OVER DRIVE』(平成12年・2000)
2014.01.14
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小倉百人一首 八十九式子内親王(しきし、のりこないしんのう)玉の緒をよ絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする新古今和歌集 1034玉の緒の命よ絶えるのならば絶えてしまえ。生き長らえれば忍ぶ心が弱りもしよう。註作者の代表作で、新古今和歌集、小倉百人一首、ひいては和歌史上屈指の名歌とされる絶唱。玉の緒を:珠玉どうしを結びつける細紐。転じて「魂たまの緒」(魂を肉体に繋ぎとめるもの)で、「命」の意味。絶えなば絶えね:絶えてしまうのならば絶えてしまえ。「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形、「ね」はその命令形。命令形の用例はかなり珍しい。初句切れ、二句切れも鮮烈。忍ぶることの弱りもぞする:秘めた恋を忍ぶ気力が弱まって、思いが外に溢れてしまう。式子内親王は、「梁塵秘抄りょうじんひしょう」の編纂などで知られる後白河天皇・法皇の皇女で、賀茂斎王(かもさいおう)を務めた。→ 斎宮・いつきのみや内親王がこれほどの思いを抱いた相手は誰なのか、決定的な論拠に乏しく古来想像を逞たくましゅうされてきた。従来は、和歌の進講役であった藤原定家(ふじわらのていか)とするのが定説で、のちに金春禅竹(こんぱる・ぜんちく)作の能の謡曲『定家』などを生んだが、近年の国文学者らの研究により、交流があった浄土宗の開祖・法然(ほうねん)とする説が赤丸急浮上している。これが正しいとすると、まさに「生なさぬ仲」だったといえよう。当時の貴族社会の深窓の令嬢たちにとって、知識人の僧侶がしばしば一種の偶像のような存在であったことは「枕草子」などにも見え、不自然ではない。
2014.01.12
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■ 都知事選、細川氏出馬へ 元首相の「転身」に賛否の声【毎日新聞 11日付朝刊】■ 「殿、ご乱心」と甘利再生相 細川元首相の出馬を批判【産経ニュース 10日付】■ 細川氏は「骨董品」 変わる流れ 各党・陣営やきもき「骨董品をいじくっているうちに骨董品が出てきちゃったよ」【産経新聞 10日付朝刊】■ 細川元首相が出馬へ 後ろ盾はフリーな小泉元首相【日刊スポーツ 11日付朝刊】 // / / ノ´⌒`ヽ / γ⌒´ \ / .// ""´ ⌒\ ) / i / \ / i ) / i (・ )` ´( ・) i,/ パカ / ∩l (__人_). | / .| \ `ー' /__ やはり、私が復帰するしかないな // | ハト ヽ / " ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄"∪
2014.01.11
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式子内親王(しきし、のりこないしんのう)見るままに冬は来にけり 鴨のゐる入江のみぎは薄氷うすごほりつつ新古今和歌集 638何気なく眺めているうちに冬はやって来たのだなあ。鴨が休んでいる入り江の汀みぎわに薄氷が張って。註ゐる(居る):現代語の形式動詞「いる」と異なり、具体的・実質的な動作を表わしている。「坐る、留まる、じっと動かないでいる、住み着く」などの意味。この歌では、鴨たちが(寒そうに)うずくまっていることの描写。
2014.01.10
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藤原家隆(ふじわらのいえたか)志賀しがの浦や遠ざかりゆく波間より 氷りて出いづる有明の月新古今和歌集 639志賀の浦だなあ。(その岸辺から沖へ向って氷結して)しだいに遠ざかってゆく波間から凍りついて出てきた有明の月。註志賀の浦:現・滋賀県大津市志賀付近の琵琶湖西畔。「志賀」は「滋賀」と同語源、もしくは同一語か。(志賀の浦)や:語調を整え、感動・余情・強調の意を添える終助詞、または間投助詞。現代口語になかなか訳し難い、しみじみと微妙な言い回しといえる。後世、この「や」が、「切れ字」(「かな、けり」など)の一つとして、俳諧で多用される語となり、用例は枚挙にいとまがない。→ 松尾芭蕉 荒海や佐渡によこたふ天河 閑さや岩にしみ入蝉の声有明の月:望(満月)ののちの、夜遅く上って朝になっても残っている月。
2014.01.10
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藤原俊成女(ふじわらのとしなり、しゅんぜいのむすめ)冴えわびてさむる枕に影見れば 霜深き夜の有明の月新古今和歌集 608寒さに堪えかねて目覚めた枕元に射す光を見れば霜の深い夜更けの有明の月。註冴えわぶ:動詞「冴ゆ」と「侘(わ)ぶ」が連結したもの。「冴ゆ」は、「冷える、冷え冷えとする」の意。「わぶ」は多義的な動詞で、「思い嘆く」「悲しく思う」「心細く思う」「落魄する、落ちぶれる」「・・・しかねる、耐えかねる」などの意味があるが、ここでは、そのいくつかの意味を含意していると見られる。その連用形が体言となった「わび」は、形容詞「わびし」と語幹を共有するとともに、「侘び寂(さび)」として日本の伝統的美意識の重要概念。深き:「霜(深き)」と「(深き)夜」の両者にかかっている。ちなみに、形容詞「深し」と動詞「更く(更ける)」は同源と見られる。
2014.01.10
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藤原清輔(ふじわらのきよすけ)冬枯れの森の朽葉くちばの霜のうへに 落ちたる月のかげの寒けさ新古今和歌集 607註かげ:この歌では「光」の意味。古語としては、光、または光の投影や反射などによって、その物と別に映し出された姿、形、色合い、イメージをいう。転じて、「陰、蔭、翳」の意味も生じた。その結果、英語でいうならば「ライト(光)」と「シャドウ(陰)」の両義を持つに至った珍しい単語。現在でも「月影」「面影」などは、原義を保っている。寒けさ:直接的な「寒さ」に比べ、やや婉曲なニュアンスのある雅語的表現。寒々とした様子。それぞれ形容詞の「寒けし」と「寒し」に対応する。「静かさ」と「静けさ」、「明(あか)し」「明らか(なり)」「明(あき)らけし」なども同様。
2014.01.10
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曾禰好忠(そねのよしただ)露霜つゆじもの夜半よはにおきゐて 冬の夜の月見るほどに袖はこほりぬ新古今和歌集 601露霜の降る夜半に起きていて冬の夜の月をじっと見ているうちにわたしの袖の涙は凍ってしまいました。
2014.01.10
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木下利玄(きのした・りげん)鎌倉の山あひ日だまり冬ぬくみ摘むにゆたけき七草なづな歌集『みかんの木』(大正14年・1925)鎌倉の山峡の日だまりは(北風が弱く)冬でも温ぬくいので摘めば豊かな七草なずな。註冬ぬくみ:冬をぬくみ。上古語の「ヲミ語法」。冬(も)温いので。
2014.01.07
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赤染衛門(あかぞめえもん)春日野かすがののけふ七草のこれならで 君をとふ日はいつぞともなし家集『赤染衛門集』春日野の今日の七草摘みのチャンスを逃してはあなたにお逢いできる日はもういつとも知れないのよ。(・・・わたくしに明日はないのよ~)註彼女は、紫式部や清少納言と同様、上級貴族の子女の女房(にょうぼう、女官兼家庭教師のようなもの)で、今で言う国家公務員のキャリアウーマンのような立場だった。恋をする暇もそうそうなかったのかも知れない。
2014.01.07
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西行(さいぎょう)卯杖うづゑつき七種ななくさにこそ老いにけれ 年を重ねて摘める若菜に家集『山家集さんがしゅう』卯杖をついて毎年七草粥を祝っているうちに老いてしまったものだなあ。年を重ねて摘んだ若菜に。註卯杖:正月初の卯の日に、魔よけの具として用いた杖。柊ひいらぎ、桃、梅、柳などの木を5尺3寸(約1.6メートル)に切り、2、3本ずつ5色の糸で巻いたもの。
2014.01.07
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姉小路基綱(あねがこうじ・もとつな)沢の芹野べのなづなに摘みそへて 袖にぞ寒き雪も氷も家集『卑懐集』生えはじめた沢のせりや野辺のなずなの若芽を摘むと寄り添うように付いて来て袖に寒いなあこの雪も氷も。註陰暦(旧暦)の一月七日は現在の2月始め頃(今年でいえば2月6日)。摘みそふ(摘み添う):摘むついでに添える。摘むとくっ付いてくる。
2014.01.07
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)七草のなづなすずしろたたく音高く起れり七草けふは歌集『黒松』(昭和13年・1938)俎まないたに春の七草のナズナや大根を載せて囃はやしながら包丁でとんとんと刻む音が高く起こった。はや七草の日なんだなあ、今日は。註七草をたたく:七種ななくさの節句の前夜または当日の朝、春の七草を俎に載せ、「七草薺なづな唐土とうどの鳥が日本の土地に渡らぬ先にトントンバタリトンバタリ」などと唱えながら打ち囃して叩くことを「七草を囃す/七草囃し」という。「七草を打つ、薺打つ」は俳句で新年の季語。当日の朝、この叩いた菜を入れて粥を炊き、七種の粥として食べる、わが国古来の良俗。
2014.01.07
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正岡子規(まさおか・しき)あらたまの年のはじめの七草を 籠こに植ゑて来し病めるわがため歌集『竹の里歌』(明治37年・1904)新たな年の初めの七草を笊ざるに植えるように並べて持って来てくれた。病に臥した私のために、恢復を祈って。註あらたま:粗玉、荒玉、璞、新玉。土から掘り出したままで磨かれていない珠玉、原石。「あらたまの」は、音と意味から「年、月、日、春」などに掛かる枕詞(まくらことば)。
2014.01.07
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松永貞徳(まつなが・ていとく)おもふどち野べに出いでつつ 春はつみ秋はをりとる七種ななくさの花家集『逍遊集』(江戸初期)思いを寄せる者どうし仲良く野辺に出かけて春は摘み秋は折り採る七草の花。
2014.01.06
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よみ人知らず芹せり 薺なづな 御形ごぎやう 繁縷はこべら 仏の座 菘すずな 清白すずしろ これぞ七種ななくさ註 南北朝時代の1360年代に、学者・歌人の四辻義成によって著された「河海抄」という源氏物語の注釈書・随筆が初出とされる。 秋の七種の歌は万葉集に見え、歌人・山上憶良というれっきとした作者がいるが、こちらは当時の俗謡か。四辻義成作との説もあるが、不詳。 いずれにしても、野趣溢れ人口に膾炙した、なかなかの名歌と言えよう。芹せり:セリ科。薺なづな:アブラナ科。通称ぺんぺん草。生長すると花茎の塔(とう、あららぎ)が立ち、三味線の撥(ばち)のような果実を付ける。冬から早春の若葉(ロゼット)を食べる。御形ごぎやう:「おぎょう」ともいう。母子草(ハハコグサ)。キク科。繁縷はこべら:ハコベ。ナデシコ科。仏の座:コオニタビラコ(小鬼田平子)。キク科。現在の和名でいうホトケノザとは別種。菘すずな:蕪(かぶら、かぶ)。アブラナ科。清白すずしろ:大根(アブラナ科)の美称。「蘿蔔」とも書く。
2014.01.06
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安永蕗子(やすなが・ふきこ)七草の七つ数えて皿に盛るこの時の間まの繁みぞ佳よけれ歌集『緋の鳥』(平成9年・1997)七草の七種を数えて皿に盛るこの一瞬の時間の充実がいいのよねえ。
2014.01.06
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「アフガニスタンについてのレポートをまとめよ」という、最愛の娘たちの冬休みの宿題の基本資料を、この暮れから新年早々にかけてまとめましたので、ご参考までに(?)掲載します。 はじめのうちは、何でアフガンなんだよ~? と思っていましたが、いろいろ調べるにつれて、なるほどこれはアジア史・世界史の「ドツボ」の一つであると腑に落ち、出題した先生の鋭い問題意識とセンスの良さが納得できました。現在、国際政治の焦眉の急となっているシリア・イラン情勢とも無縁ではないと思いました。 おとといの夜、娘たちの質問を受けながらレクチャーしましたが、目を輝かせて聞いてくれました。父親の威厳は保たれ、面目躍如です(笑) 娘たちは、きのうまでに要約して立派なレポートを書き上げました。そんなこんなで、とってもいいお正月でした。よかったよかったアフガニスタンの現状と歴史■ アフガニスタンのあらまし アフガニスタン・イスラム共和国(正式名称)は、中央アジア・南アジアにまたがって位置する、人口約3000万人の内陸の(海がない)国です。 国土面積は65万平方キロメートルで、日本の約1.7倍です。 パシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人など多くの民族が住む多民族国家で、公用語はパシュトゥー語とダリー語(ペルシア語の方言)です。国民のほとんどはイスラム教を信仰しています。 国連(国際連合)ユニセフの2010年の調査では、アフガニスタン国民の平均寿命は48歳で、世界で2番目に短い国です。5歳未満の乳幼児の死亡率は、1000人中149人ときわめて高くなっています。 また、CIA(アメリカ中央情報局)の2009年の調べでは、国民1人当たりの1年間の収入(* 1人当たりのGDP・国内総生産=おおむね所得)は、おおよそ800ドル(約8万円)で、先進国の私たちから見ると大変貧しい国です。 アフガニスタン教育省(政府)の2009年の発表では、成人(おとな)の識字率(字が読める人の割合)は26%で、4人のうち3人は字が読めず、教育水準も非常に低い状況です。 なお、「アフガニスタン」という国の名前は、「山の民」の意味の「アフガン」と、「国」を表わすペルシア語の「(イ)スタン」で「山の民の国」の意味です。パシュトゥーン人が自分たちのことを「アフガン」と呼んでいることから、「アフガン人の国」の意味でもあります。「(イ)スタン」は、パキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンなどのイスラム諸国と共通する言葉です。新聞の見出しなどでは、ほとんど「アフガン」と表記されます。■ アフガニスタンの略史 アフガニスタンは「文明の十字路」と呼ばれ、古代から交通・交易の要地として栄えた一方、つねに異民族の征服者の侵略を受けてきました。 アフガニスタンには、古代から現在のパシュトゥーン人の祖先が住んでいましたが、紀元前6世紀にはペルシア(今のイラン)の支配下に置かれました。 紀元前329年には、ギリシャ・マケドニア王国のアレクサンドロス(アレキサンダー)大王に征服されました。この時、ヘレニズム(古代ギリシャ)文化が入ってきました。その後も次々とギリシャ人やインド人の王国に征服されました。 1世紀(西暦0年代)から3世紀(200年代)には、イラン系のクシャーナ王朝に支配されました。その文化は包容的で、各地の文化を受け入れました。カニシカ王の時、厚く仏教を保護したので、ギリシャ文化と仏教文化が混じりあったガンダーラ美術が生まれました。この時初めて、仏陀の姿を人の形で表わす仏像が作られました。 のちに述べる、2001年にタリバンによって破壊されたバーミヤンの仏像遺跡群も、この頃作られたものでした。 8世紀(700年代)の初め、イスラム教の帝国・アッバース朝に支配され、しばらくイスラム教の国の支配が続きました。これ以後は、イスラム教が広まり、現在に至っています。 13世紀(1200年代)前半にはチンギス・ハン(ジンギスカン)のモンゴル帝国に支配され、その後しばらくモンゴル人系のチャガタイ・ハン国、イル・ハン国、ティムール帝国、ムガル帝国に支配されました。 18世紀(1700年代)になると、強大なムガル帝国もしだいに衰え、各地でパシュトゥーン人の反乱が相次ぎました。加えて、大航海時代のイギリス・フランスなど西洋の列強が進出をねらって圧力を強めていました。 そんな中、ついに1747年、パシュトゥーン人のアフマド・シャー・アブダーリーを国王とするアフガニスタン王国(ドゥラーニ朝)が建国され、初めて民族国家が成立しました。日本では江戸時代の中期のことです。このころ、首都がカンダハルからカブールに移されました。 ところが、次の国王のティムール・シャーには35人もの息子がいたといわれ、王家の親族の中で後継者(跡継ぎ)をめぐって争いが絶えませんでした。その中で、1826年、部族の一人ドースト・ムハンマド・ハーンが、新しくバーラクザイ王朝を興しました。この王朝は、20世紀の1973年まで続きました。 19世紀(1800年代)になるとイギリスが侵略を始めました。ちょうどそのころ、イギリスでは産業革命が起こっており、フランスなどとの国どうしの競争の中で、工業製品の安い原材料や労働力の確保や、それを売る市場を拡げるため、インドの植民地化を進めていました。 その中でアフガニスタンは、インド洋への南下を図っていたロシアに対する防衛線(緩衝地帯)として位置づけられていました。 この時期に、分裂していたアフガニスタンの一部の勢力の求めに応えてイギリス軍が侵攻し、1938年から1880年にかけて第1次、第2次のイギリス・アフガニスタン戦争(アフガン戦争)が起こり、勝敗ははっきりしませんでしたが、イギリスの老獪(ろうかい)な(ずる賢い)外交や策略で、事実上の保護国(占領地)にされてしまいました。 20世紀に入り、1919年、第3次アフガン戦争に勝利し、ようやくイギリス軍は撤退し、独立を回復しました。 その後しばらく国内は安定していましたが、1973年、無血の(血を流さない)クーデター(権力者どうしの激しい闘争)で国王は追放され、王政は廃止されて共和制(一人で政治のことを決めず、話し合って決める形)になりましたが、1978年、今度はソビエト連邦(ソ連、現在のロシア)の影響を受けた軍部がクーデターを起こし、社会主義の国になりました。 この軍事政権は強権的で、反対する人々をひどく弾圧したので、各地で反乱がおこり、内戦状態になりました。 1979年、ついにソ連が軍事介入し、軍隊が侵攻してカルマル政権ができましたが、国連など世界中から非難を浴び、その時開かれたモスクワ・オリンピックにはボイコットする(参加しない)国が相次ぎ、1989年、ついにソ連は撤退しました。 1980年代の半ばごろから、イスラム教徒たちは「ムジャヒディン」(イスラム聖戦士)を名のり、ソ連に対して「ジハード」(聖戦)を宣言して闘争を始めていました。ソ連と対立するアメリカ・パキスタン・サウジアラビアなどが彼らを支援しました。アメリカとソ連の「代理戦争」の一つだったといわれています。 1989年のソ連の撤退後、国内の支配をめぐって「アフガニスタン紛争」と呼ばれる内戦が始まり、1992年にムジャヒディン各派(現・北部同盟)の連立政権が出来ましたが、党派間の内紛が続き、首都カブールだけでも4年間に5万人以上が殺され、多くの人々が難民となって隣国パキスタンなどへ逃れました。 こうした中で、1994年ごろ、パキスタンから現れた「タリバン」(「イスラム神学生」の意味)が急速に勢力を拡大し、1996年に首都カブールを占領し、1998年にはアフガニスタンの大部分(9割)を支配しました。 2001年には、偶像崇拝(仏像などを拝むこと)を否定するタリバンは、バーミヤンにあった仏像の遺跡群を破壊し、世界中の非難を受けました。 そして、同じ2001年の9月11日には、アメリカの大都市ニューヨークで、「同時多発テロ事件」が起こり、実に3000人以上が亡くなり、6000人以上が負傷して、全世界に衝撃を与えました。「9・11」(きゅうてんいちいち)事件と呼ばれます。 この大事件の犯人とされる国際テロ組織アル・カイダをタリバン政権が支援していたので、10月にアメリカ軍とイギリス軍はアフガニスタンに空爆を始め、北部同盟の攻撃もあってタリバン政権は崩壊しました。 2004年には、選挙によって比較的穏健(穏やか)な北部同盟のカルザイ大統領が選ばれ、現在に至っています。しかし、20年以上も続く内戦で耕地の3分の1は破壊され、200万人以上が今もなお隣国パキスタンやイランなどで難民になっているということです。■ アフガニスタンの最新情勢 (2013年~) ソ連の崩壊後、中央アジアの天然資源が注目されており、特に、トルクメニスタンの天然ガスを、アフガニスタンを通してパキスタンへ送り、インド洋まで結ぶパイプラインを敷設する計画がアメリカにあるといわれています。 北部同盟のカルザイ政権は、欧米諸国とその多国籍軍の支援を受けています。支援している国は、アメリカ・イギリス・ドイツ・イタリア・スペイン・オーストラリア・ポーランド・ルーマニア・トルコ・グルジアなどです。 アフガニスタンは一応の安定を保っていますが治安は悪化しており、タリバンなどの反政府勢力とアフガニスタン国軍・多国籍軍の間の戦闘は今も続いています。タリバンは今なお国土の南部の大部分を支配していると見られます。 今年2014年末には多国籍軍が撤退する予定になっており、いっそうの治安の悪化が心配されています。 そんな中、昨年2013年11月20日に、アメリカが来年2015年以降も治安維持のために引き続き小規模の軍隊を駐留させることでカルザイ大統領と合意しました。アフガニスタンの治安部隊の訓練や対テロ作戦の任務に当たらせる方針で、1万人~1万5千人の規模ということです。 アフガニスタン側も、11月24日の「ロヤ・ジルガ」(国民大会議)で話し合って、この協定を受け入れました。 なお、12月にはインドも治安維持への強力を表明しました。南アジアの大国として、この地域での影響力の拡大を狙っているものと見られています。
2014.01.06
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新年早々だというのに、ここ数日は子供の冬休みの宿題の手伝いに加え、「短歌人」3月号詠草締め切りが同時に襲来し、2正面作戦で精神的にいっぱいいっぱいですので、ブログ更新の方は少なくともあと数日間は無理な状況です。 その宿題というのは、何と「『アフガニスタン』についてまとめて『新聞(一種のレポート)』にせよ」というもので、小学4年生の宿題に普通そんなの出すか~っ?!?とも思いますが、ここは親、なかんずく父親の出番と心得ますので、覚悟を決めてブツクサ言いながら猛勉強しております。 ためしに、ウィキペディアの「アフガニスタン」の項 だけでも見てみて下さいよ。ひと目眺めただけでもアタマが痛くなること請け合いです それに、このウィキペディアの丸写しと思われるのもシャクなので、父親の沽券にかけても、その他の史料も総動員して熟読玩味・咀嚼中。 それにしても、今の小学生の勉強はレベル高いですね~。「ゆとり教育」の時代は終わりました。降参です。 ともあれ、なんだかんだ言いながら勉強の甲斐あって、つい先日まで「ムジャヒディン」と「タリバン」と「アルカイダ」の区別もロクに付かなかった私ですが、ここ20~30年ぐらいの情勢は新聞などで何となく目にしてきていることもあって、腑に落ちることもけっこうあり、大体理解できつつあります。多少は面白さも感じ始めております。 レポートが一応まとまりましたら、ご参考までにこちらにも掲載しますね。 ・・・別にいらないか?
2014.01.04
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佐佐木信綱(ささき・のぶつな)春ここに生あるる朝の日をうけて山河草木さんかさうもくみな光あり歌集「山と水と」(昭和27年・1952)註「生(あ)るる」の読みは、作者の孫である歌人の佐佐木幸綱氏が確認している。上古語動詞「生(あ)る」の連体形。「生(あ)る」は「生まれる」の意味だが、「生まれる」が「生む」の受身形であるのと違い、能動的・自発的であり、また神秘的・超越的な存在が出来(しゅったい)するニュアンスがある。現代でも短歌表現ではしばしば使われる。語源的には「あり(在、有)」と関係があるかも知れない。したがって、韻律上「朝」は「あした」と読むと思われる。
2014.01.03
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あけましておめでとうございます皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます平成26年(2014) 元旦大伴家持(おおとものやかもち)新あらたしき年のはじめの初春の 今日降る雪のいや重しけ吉事よごと万葉集 4516新しい年の初めの初春の今日降りしきる雪のようにますます重なれ吉よき事よ。
2014.01.01
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