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岡崎市のコロナ感染者が急増している。4月以降新たな感染者ゼロが続いていたが、岡崎警察署がわざわざ山口県まで出かけて連行してきたユーチューバーが感染していたことから集団感染(クラスター)が発生。その後、市内の大手自動車部品工場でも複数感染者が出た。名古屋市内で感染してきたのもいる。岡崎市内 新型コロナウイルス感染症患者の発生について・9例目(4月11日発表)・10例目(7月15日発表)・11例目(7月16日発表)・12例目(7月18日発表)・13~14例目(7月20日発表)・15~16例目(7月21日発表)・17例目(7月22日発表)・ 18~19例目(7月23日発表)・ 20~22例目(7月25日発表)・ 23~24例目(7月26日発表)・ 25~29例目(7月27日発表) ・ 30~35例目(7月28日発表)・ 36~39例目(7月29日発表)・ 40~46例目(7月30日発表)・ 47~52例目(7月31日発表)個人情報は性別と年代だけ。わずか2週間とすこしで43人も感染者が判明しているというのに、市内のどこを避けたらいいのか市民には さっぱりわからない。せめて町名くらい知らせてくれれば不要不急の訪問は避けることができるのに、該当町民がパニックに陥るかも知れない、他町民から差別を受けるかもしれないとでも思っているのか、面倒は避けたいというのが行政側の総意らしい。コロナは自然災害と同じだから自分の命を守るのは最終的には自己責任。危ういところに立ち寄らないのが一番、そのためには、どこが危ないかを知る必要がある。情報の出し惜しみ、出し恐れする首長は要らない!
2020/07/31
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昼過ぎ大河が吠える、待っていた郵便屋が来たらしい。 2階から降りたら、かみさんが受け取ってくれていた。 ネットオークションで落札した錦絵。 送料着払い 1030円。 「またゴミみたいなの買って」 ゴミみたいに見えてもゴミではない! ◇武者絵 大久保新八郎 倉澤鉄斎 渡辺半蔵など 合戦の絵 大久保新八郎と渡辺半蔵の名があるから三河一向一揆の図かと思った。 調べていくうちに(大樹寺御難戦之図)3枚綴りの一部であることがわかった。 出品価格で落札 本来は 真ん中だけでも悪くはないが両端の絵をPCプリンターで印刷して3枚綴りの完成。 色の濃さに相当の差があるが我慢。 1560年5月、桶狭間にて今川義元が織田信長に討たれた。 義元軍の先陣大高城にいた徳川家康(19)は敵中を脱出、矢作川を越えて大樹寺にたどり着いた。 追っ手の兵を寺僧の助けも借りて追い払い、なんとか岡崎城に入城できた。 大久保新八郎忠勝(37)、大久保七郎左衛門忠世(29)、大久保治右衛門忠佐(24)の姿も見える。 この時、わが彦左衛門忠教は生後2ヶ月の嬰児であった。 忠世は長兄、忠佐は次兄。 忠勝は大久保宗家の長男。
2020/07/29
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梅雨明け前のゲリラ雨。このところ連日連夜 岡崎市防災メールが入っている。わが家は矢作川から800mの位置にあり、堤防が決壊したら最大2mを超す浸水が予測されている。それでも家が流れるほどのことではないから なんの心配もしていない。だがわたしの故郷は違う山口県東部の錦川に沿って点々と集落家は山肌を削った土地か川っぷちに石垣を積んだ土地に建つ。大雨が降ると錦川本流は数々の支流の水を加えて忽ち危険水域に迫る。命あっての物種住民は身一つで逃げ出す。床下、床上浸水は数年置きに繰り返す。昭和24年のキジヤ台風では錦帯橋が流された、3歳だった私は母に手を引かれて祖父宅まで逃げた。道路を洗う水でジョウリが流された。怖かった。昭和26年ルース台風では建てたばかりの家が流された。大事な書類を取りに戻った父が家もろとも流された。流れ出した家から飛び込んで奇跡的に助かった。「フンドシも流れて正真正銘の裸一貫になった」そうだ。その後も何度も床下、床上浸水はあった。2005年の床上浸水が最後に浸水被害は絶えている。とはいえ危険水位到達は毎年何度か繰り返している。2005年の水害は上流の菅野ダムの放流が被害を大きくしたと流域の人たちは思っている。ウィッキ「山口県菅野ダム」によると『 2005年(平成17年)の台風14号による集中豪雨に伴い、下流の岩国市川西地区や岩国市藤河地区、岩国市美川町南桑地区で冠水被害が生じたことを踏まえて、菅野ダムの事前放流により緊急時の洪水調節容量を確保するための計画変更が行われた。』この時、美川町南桑地区にコンクリートの護岸堤防が出来た。西日本に大雨が降るときは岩国市防災カメラで川すじのいくつかを覗いている。まことに便利である。24日16時すぎ南桑地区。なにやら人が見える!大きな網を持っている。にごりがけ!まだやってるのだなあ。子どもの頃、川の水が危険水位寸前で雨が止んだら物干し竿に大きな網をくくりつけ川をさらう。流れの淀みには鮎が潜んでいる。たまに大きい鯉も網にかかることがある。命綱も着けず、よくできたものだ。今はやらないと思っていた。今日の水位。
2020/07/26
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独り暮らしの継母見舞いから帰って来たらJAで災害義援金を送っておいたよと かみさん。熊本県葦北町に「給付金」の一部、一万円。『お父さんもやったら?』あまのじゃくなジジの送り先はあまり話題にならないところにした。島根県江津市https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=662043&comment_sub_id=0&category_id=256ゆうちょ銀行でしらべたら「令和2年7月豪雨災害義援金」災害範囲が九州に集中している。そんな中では島根県江津市には目が行き届かないだろう。と かっこつけたが わずかに一万円。貧者の一灯なり
2020/07/24
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昨日の中国新聞に 錦帯橋をバイクで渡ったアホが現れたという記事が出ていた。 https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=663307&comment_sub_id=0&category_id=256 この記事を見て 岡崎警察署をコロナクラスターにしたユーチュウバーのことを思い出した。 もう何人の感染者を作り出したことか。 迷惑行為を平気でやる輩は近頃の日本人だけでなく昔もいた。 子どものころ、進駐軍がジープで錦帯橋を渡ったと聞いたことがある。 昭和21年のことらしい、じじの生まれた年のことだ。 進駐軍は今は在日米軍となったが、今も昔も治外法権。 この頃の無謀な輩は そうはまいらぬ。 引っ捕らえてマスコミに晒してしまうべし!
2020/07/20
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4月以来コロナ感染者のいなかった岡崎市。 人騒がせなユーチュウバーとやらの逮捕拘留をしたのはいいが こいつがコロナ感染者だったことから警察署員に感染者が出て、どこまで広がるやら検討もつかない。 1ヶ月前から計画していた帰省を取り止めるかどうかさんざん迷ったが くにで一人暮らす90歳の継母を、見に帰らないわけにはいかない。 新幹線は怖いから、車にした。 東名、名神、山陽道580kmのコースを通ろうと思っていたのだが、走っているうちに中国道経由に変更。 高槻から開通したばかりの新名神を通って気分上々。 真新しい宝塚北SA 出発直前給油したから途中給油は必要ないと思った。 中国道は交通量が少ないためガソリンスタンドが少ない。 350km地点で計器は半分くらい 楽勝 目的のインターを出て給油すればいい。 最後のガソリンスタンドがあるSA。 もう50kmくらいか 大丈夫、パス。 道が上りにかかった。 ガスランプ点灯。 大丈夫かなあ 大丈夫だろう あと20km 走行可能距離19km おいおい 幸いここから道はずっと下り あと3km 走行可能距離ゼロ トンネル! トンネル内でガス欠なんて最悪 トンネル抜けた! あとインターまで2km 頼む頼む インターに出た。 もうブレーキは踏まない! 料金所 出た。 信号 赤 止まった。 青 動くか 動いた 右折 ガソリンスタンド見えた! 到着 ああ 血圧上がった。 4ヶ月遅れの卒寿祝い
2020/07/18
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15日、岡崎警察署に拘留中の20代男性がコロナ陽性だったとニュースに出た。 この男、東京、静岡、広島、山口と移動して岡崎に来たらしい。 山口県へ帰省予定だから気にしていた。 今日のニュースでは 同じ留置場の20代男性1名と岡崎署員3名も陽性だったという。 他にこの男と接触した犬山の男性が感染した。 そうこうしてるうちに山口県にも感染者が出ていた。 山口県は17日、県内で新たに3人が新型コロナウイルスに感染したと発表した。周南市の20代男子大学生、宇部市の20代女性、山口市の20代会社員男性。うち周南市と宇部市の2人は15日に愛知県岡崎市で感染が確認された「へずまりゅう」の名前で活動しているユーチューバーの20代男性と会食していた。村岡嗣政知事が17日午前に記者会見し、詳細を明らかにする。山口県内での感染者数は40人となった。 中国新聞社 へずまりゅう? あっ 「こいつだったか」 自称ユーチューバー、会計前の魚食べる様子撮影し逮捕 窃盗の疑い 2020年7月11日 中日新聞 愛知県警岡崎署は11日、5月に岡崎市のスーパーで魚の切り身を盗んだとして、窃盗の疑いで住所不定、自称ユーチューバーの原田将大容疑者(29)を逮捕した。「へずまりゅう」の名前で動画投稿サイト「ユーチューブ」に動画を載せていたという。 岡崎署によると、会計前の魚の切り身を店内で食べ、空になった容器をレジに持って行く様子を別の人に撮影させ、動画を投稿していたという。店舗から相談を受けた同署は、会計前の商品を食べる行為が窃盗に当たると判断した。 逮捕容疑は5月29日午後、岡崎市内のスーパーで、魚の切り身1パック(約430円相当)を盗んだ疑い。容疑を認めている。 こいつをきつく裁ける法律がないのが残念。 梅雨明けはまだか
2020/07/17
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愛犬さくらと朝の散歩。 今朝は、いつもより少し早く家を出た。 並んであるいていた さくらが田んぼの方に寄る。 草でも食べるのかと思っていたら、グイっとリードを引っ張る。 カルガモ! なんだか様子が変。 怪我してるのか? 羽をバタつかせて体を揺すってこっちに向かうかと見えたが、すぐ向こう向きになって逃げ出した。 二、三歩歩いて突然、側の用水路に飛び込んだ。 スイスイ泳ぎ出した。 よく見ると、 後ろからひなが五、六羽泳いでいた。 あつ 、あれは子どもが安全なところに行き着くまでの時間稼ぎの行動だったか。 じじは、ちょっとウルっとなった。 孫三太郎はネコになった。 サビ子と仲良しの「ヨンピ」だそうだ。
2020/07/15
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夜中に強い雨が降った。このところの雨でふるさとの川が増水している。この時期になると川っぷちにある実家は大丈夫かと気になる。スマホが普及していながらにして天候の推移、川の水量がわかるのはありがたい。今朝の水量これからも降り続くようだと避難準備というところだが峠は越えたようだ。こんな時いつも思い出すのが、こどものころ聞かされた「あまのじゃくな蛙」の話。親も手を焼く天邪鬼ぶりだったらしく、さんざん聞かされた。「昔、親の言うことをちっとも聞かん雨蛙がおった。親が右と言えば左、やるなと言えばやる。そんなだったから親が死にかけたとき、山の上に墓を作って欲しいと思ったが反対に河原に作ってくれと言った。親が亡くなったとき、ああ親が生きていたとき散々反対のことをやって来た。せめて最後の願いくらいは聞いてやろうと河原に墓を作った。それ以来、雨で川の水が増してくると蛙は墓が流されはせにかと鳴くようになった。お前も親の言う反対ばかりしちょると雨蛙みたいになるぞ」この話は全国にあるらしい。天邪鬼蛙ここ ←東北文教大学 民話アーカイブ韓国民話 絵本 あまのじゃくなかえるここ ← 韓国民話絵本日本・韓国だけでなくトルコにも似た話があるらしい。
2020/07/14
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次女がマスクを作ってくれた。 これまでのでは暑苦しくなったと言ったら、大きめ・薄めにしてくれた。 鬼滅のタンジロウ? これかな 着物の柄のことだったか。 実はこのマスク、かみさんとおそろい マスクして一緒に出かけることはないだろうな。 今日もいい天気 梅雨明けも近い!
2020/07/12
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ネットオークションに出ていた。 『霽』の字がポイントだった。 (雨かんむりに齋)で検索 せい・はれると読む。 続けて『氣霽風』で検索 ヒット! 氣霽風梳新柳髮 氷消浪洗舊苔鬚 気霽(は)れては 風 新柳の髪を梳(けづ)る 氷消えては 浪 旧苔(きうたい)の鬚を洗ふ 天気がおだやかに晴れて、風は萌え出た柳の枝を、髪をくしけずるように靡かせる。 池の氷が消えて、波は古びた苔を、髭(ひげ)を洗うように打ち寄せる。 和漢朗詠集 巻上に集録されている『都良香(みやこのよしか)』作 後半の和歌は山口市に住む友人に助けてもらった。 うぐいすの こえの やどりの真竹の 一夜あくれば はるや しるし也 題字? だけは独力で読みといた。 『鶏旦(けいたん)』 鶏が鳴く朝 最後の署名は『彦左衛門』 大久保彦左衛門か! だが本物の彦左衛門署名は 『彦左衛門』を拡大して比べる 上が本物 下が『鶏旦』の署名 やっぱり違う、贋作だな。 彦左衛門の贋作だったらすでに2点持っている。 もう十分ではあるが、もう1点あってもよいだろう。 と言うことで 落札した。 送料込みで5000円を少し越えてしまったのは想定外だった。 前から持っている贋作の署名の方が本物に似ている。 ドングリの背比べか
2020/07/11
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小学校の懇談会のため孫二姫を預かったのは一昨日のこと。 折り紙でネコを折ってくれた。 じじバカながら 才能ありだと思う。 昨日、次女が二姫の作品をLINEで送ってくれた。 じじには絵心というものはない!
2020/07/09
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司馬遼太郎が「この国のかたち」に大久保彦左衛門を取り上げていることを書いた。 今回は司馬遼太郎「街道をゆく」に出てくる大久保彦左衛門。 「街道をゆく」シリーズは1971年 (1)「(甲州街道、長州路ほか」に始まり1996年(43)「濃尾参州記」まで25年間続けられたものである。 1996年11月初版 濃尾参州記は『尾張』の織田信長が今川義元を討ち取った桶狭間からはじまる。 『参河(三河)』は徳川家康の祖松平氏の菩提寺「高月院」から筆を起こしている。 高月院は松平初代親氏、二代泰親の墓所で豊田市松平郷にある。 30年近く前、この地を訪れたときの話からはじまる。 「 ( 前略 ) 講釈や古い時代映画などで、江戸初期の頑固な老旗本として出てくる大久保彦左衛門(忠教)の大久保氏は、徳川氏が松平を称して右の山の中にいたころからの家来だったらしい。 遠祖は山仕事でも手伝っていたのだろうか。 そのわりにこの一族が不遇で、彦左衛門は、 「徳川のお家は、よそからきた者や新付の者に高禄をあたえ、譜代を薄祿のままこきつかう」 などとこぼしていた。 ただ、徳川家康が関東に入部したとき、本家の大久保氏がようやく相模小田原で四万石をもらった。 せっかく大名になったものの、この小田原大久保氏は、のち事に座して除封されてしまう。 もっとも、ずっとのちに小田原十一万三千石に復活はした。 しかし彦左衛門が世に在るときに、本家はかれの眼前で没落した。 彦左衛門は、いかにも三河者らしく主家への素朴な忠誠心をもっていた。 それだけに、物狂おしい気持ちになった。 累代の大久保一族の忠誠に見合わぬ理不尽な幕府の仕様(しざま)に対し、子孫のみこれを読めという『三河物語』を書いた。 大久保家の門外不出だった『三河物語』が世に出たのは、明治後であった。 要旨は、徳川氏の祖が山三河の松平郷にいたころから説きおこし、かつ大久保家代々の忠節やら武功、さらには自分自身、戦場ですごした半生をのべ、史書にも似、自伝にも似た本である それによると、徳川家の祖は、 「徳」 とよばれている流浪の法体の人だったという。 時宗の僧だった。 当時、こういう漂泊の人を時宗ともいった。 〈 後略 〉 」 司馬遼太郎は『三河物語』を一級資料として使っているが、作者の大久保彦左衛門には小説の主人公とするほどには魅力を感じてはいなかったようだ。
2020/07/08
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司馬遼太郎「この国のかたち(二)」には大久保彦左衛門に関する一章がある。「 36 典型 」「大久保彦左衛門は武夫サ」 と、明治になって、旧幕臣勝海舟が「海舟座談」のなかで、敬意をこめて評した。 彦左衛門(1560~1639)は、戦国末期に生き、江戸初期の泰平の世を見て死んだ。 剛直、質実、朴訥、さらには主家への忠誠心といった古三河の倫理風土がそのまま凝ったような人柄ながら、後年、武士が、政治家や役人として出世してゆく世になると、時勢に適わず、存在そのものが喜劇性を帯びた人物として知られる。 市井の人々はその滑稽感がよほど好きだったのか、江戸中期以後、芝居や講釈のなかでその人柄が典型化され、さまざまなハナシが創作された。 いまなお、私どもは、かれを人間類型の一典型としてつかっている。「あの老人はあの会社の大久保彦左衛門なんです」 というと、典型のありがたさで、いっぺんにその人柄と存在がわかってしまう。 会社では閑職ながら、先々代からつかえていて、清廉で頑固で融通がきかないが、お家の大事となると、社長に面を冒して忠諫を加えたりする。 芝居や講釈がつくりあげた彦左衛門は、“天下のご意見番”などということだった。 三代将軍家光の泰平の世になって、彦左衛門は無用の人になった。 政道の堕落をなげき、役人の腐敗をみると、にわかに登城して家光に拝謁して、侃々と諌めるのである。 そういう場合、かれは自分のことを“彦左”とよぶ。 しかし、実際のかれにはそういう気分があったにせよ、芝居や講釈のなかのような、“ご意見番”などではなく、すでに世の官僚機構は確立していて、かれのような二千石の旗本などが大きな口をきける時代ではなくなっていたし、それに、過去の武功などは、現実の機構のなかでは、オトギバナシにすぎなくもなっていた。 ところで彦左のおもしろさは、『ドン・キホーテ』の作者ミゲル・デ・セルバンテス(一五四七~一六一六)とほぼ同時代の人だったことである。 セルバンテスは勇敢な男だった。 十六世紀最大の海戦だったレバントの海戦(一五七一年)に兵卒として従軍し、戦艦『マルケーサ号』に乗り組んだ。 海戦中、十二人の兵卒とともに短艇に乗ってトルコ艦に肉薄し、胸に二ヶ所、左手に一ヶ所の傷をうけ、終生これを誇りにした。 彦左の初陣は、その数年後だった。 遠州の合戦で功をたて、その後、主人家康のそばにかならず彦左がいて、戦歴はまことにかがやかしかった。 (中略) 私はどちらも好きだが、しかし人類への貢献はセルバンテスのほうがはるかに大きいように思える。たとえば、 『あいつはドン・キホーテだ』 というふうに、私どもの日常の人間把握のなかで、じつに便利な典型をつくってくれた一事だけでも、セルバンテスの功は、時間と国々を越えている。 そこへゆくと、忠教自身のやったことではないにせよ、かれの死後、この精神と気質をふくらませて創りだされた彦左という典型は、人類共通の財産というふうにはなりにくいく、どうも地域性にとどまっているようである。 彦左とドン・キホーテを、右のようにむりやりにくらべてみると、日本的なものの輪郭が見えてくるような気がしないでもない。」この本を読んで「海舟座談」を古本屋ネットから取り寄せたのは、ずいぶん以前のことである。旗本大久保彦左衛門家に伝わる初代彦左衛門忠教(ただたか)直筆の「三河物語」が海舟の斡旋により徳川家(慶喜)が買い上げたということが記されている。明治30年3月27日『大久保彦左衛門は武夫サ。 十年程前に、大久保家が困って、代々の秘書としたものを買ってくれと言うので、二百円出して、徳川家に買った。それ(三河物語)は、彦左衛門が六十になって、初めて手習いをして、一生の歴史を自分で書いたものだ。 六十冊もある。 その根気には驚いてしまった。 天子(明治天皇)が徳川家にいらした時、それをお見せしたら、是非にと仰せられて、それで陸軍で版にしたはずだ。 それを見ると、大久保は、ひどい勤皇家だ。 また徳川家の来歴が分る。 なかなか一代二代の事でない。 実に根拠のあるものだ。 それを見て、私も実に安心して悦んだ。 大久保は織田が大嫌いで、小田小田と書いて、小田の悪党がなどと書いてある。 三代将軍が、高台に上って見ると、士(さむらい)がみな日傘をきて通る。 モウコンナになったかと言って、胸を悪くせられた。 スルト、あとから十二、三人真黒の士がどれが主従だか分らないようにして通った。 [遠]眼鏡で見ると、それが大久保であって、たいそうよろこんだと言うこともある。 ナニ、別段政事などの事は知らない、忠実なる武夫サ。』この話にある、陸軍が出版したという『三河物語』を ネットオークションで手に入れたのは、そんないきさつがあったとはしらない彦左衛門コレクションを始めて間もないころだった。この本の落札価格360円は『快挙』であった。以来、「三河物語」の刊行本を数多く収集してきた。上の写真 右下にあるのは彦左衛門自筆「三河物語」の影印本で私のタカラモノである。本物は、後に徳川家から彦左衛門家に返還されたのだが、なにかの事情で今は愛知県豊川市の某所にある。穂久邇(ほのくに)文庫というところらしいが詳しいことはわからない。
2020/07/07
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昨日7月4日はアメリカ独立記念日。 そして次女の誕生日だった。 祝誕生日のメッセージをLINEで送った。 なにも用意していないから かみさんが給付金を使って自分に送った御中元のお裾分け 昭和53年生まれだから42歳になるのか。 長女が生きていれば45。 なんていつまでたっても考える。 今夜も かみさんと二人 アジのフライ
2020/07/05
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一昨日スマートウオッチを返品した。 昨日、受取通知が来た 確認後、もう一度スマートウオッチを注文した。 今度のは200円ばかり高いものにした。 今日の午後届いた。 不良品対応としては素晴らしい。 ババを引いたことが少しも腹立たしくない。
2020/07/03
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昨日、スマートウオッチ使用5日目。 朝、ソファーに座ってスマートウオッチを見ていたら突然画面が消えた。 省エネのため7秒で切るようにセットしているからだと思った。 スイッチオンのタップをした。 画面が出ない。 充電から5日目だから電池切れだと思った。 2時間充電した。 ボタン長押し。 起動しない。 あとはあれこれやってみたが、ウンともすんとも反応なし。 多分不良品。 Amazonの履歴から「返品取り替え」画面を呼び出した。 必要事項を記入して送信。 すぐに返信。 この商品は取り替え扱いはない、返品後再注文の案内と返品手順が書かれていた。 購入時の包装材に梱包し指定の電話番号へ連絡した。 夕方6時までに日本郵便の集荷サービスが来る予定。 商品発送→客先検品→不良品発見→商品返品→返金→再注文or別注文 のシステムがしっかり構築されているようだ。 中国製をアメリカシステムで売る、 100%良品? それがなんの役に立つ? ああ!それでも良かったのだなあ!! 昨日は74回目の誕生日だった。 次女ファミリーが祝いに来てくれた。
2020/07/01
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