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2021年に「岩下くま」氏がポストした手塚治虫先生との思い出。岩下くまさん(@IwashitaKuma)が7:38 午後 on 月, 2月 08, 2021にポストしました:【手塚治虫先生の思い出】 https://t.co/t6ahX1g3Qz(https://x.com/IwashitaKuma/status/1358726920305692677?t=gtHEiYEO6PQ3OL49O_fF4Q&s=03これは、いくつかの面で傑作漫画だとMizumizuは思っている。まずは、昭和という時代の雰囲気がよく出ている点。「デパート」は令和の今の時代では、縮んでいくパイに四苦八苦している斜陽の産物扱いだが、昭和時代は、消費の花形であり、ステータスだった。そこで催されるイベント、登場する「漫画の神様」。たまたまその日にデパートに行って参加する(参加できる)少女。昭和という時代のおおらかさ、平和なムード、その中での熱気が伝わってくる。それから、手塚治虫の華やかな多才ぶりを実際のイベントを通して巧みに描けている点。目から描き始めて、その場でキャラクターを造形する――これ、案外難しいと思うのだが、そこは多才な「漫画の神様」。トークで盛り上げ、造作もなくキャラクターを描いて見せる。参加者の熱に押されるように、手を挙げまくる少女。だが、突然の指名にかたまってしまう。このときのパニックぶりの絵が秀逸。「岩下くま」氏が漫画のエリートに属する少女だったことは、この表現の巧さで分かる。「うう…」と泣きそうになっている姿など、スクリーントーンをうまく使って、熱にうかされた気分から一挙に暗いパニック状態に落ちてしまった自分をシンプルなタッチで端的に描いている。そして「目の前に漫画の神様がいた、後ろにもやさしい神様がいた」――これは名台詞ではないですか。パニック状態から一転して頬を染めながら、憧れの神様からのプレゼントを受け取る少女の嬉しそうな表情。この話の持っていきかたの巧さも指摘しておきたいポイントだ。そして、手塚治虫先生の人となりを端的に伝えるラスト。それを、たった一コマで見事に描いている。司会「手塚先生、終了時間です」手塚(ノリノリで)「大丈夫です。まだまだ描きますよ」この「まだまだ描きますよ」は、とんでもない多作の天才漫画家が人生の最期まで言い続けた言葉だ。それを思うと、ふと涙が出る。戦争直後に彗星のごとく現れた天才漫画家は、高度成長期の熱気とともに漫画というメディアを一大産業にまで押し上げ、そして昭和が終わるとともに逝ってしまった。手塚治虫がたった60歳で逝き、バブルの狂乱の絶頂を見ず、その終焉とそのあとの長い経済的停滞も見なかったのは、偶然なのだろうか、それとも必然だったのだろうか。手塚治虫が亡くなったのは1989年の2月だが、日経平均株価が最高値をつけたのは1989年12月29日(3万8957円44銭)。2024年2月になってようやくこの最高値を超えたが、それまでに実に34年かかったことになる。銀座の地価が過去最高を記録するのは、バブル末期の1992年(1平米辺り3650円)。これが更新されたのは2017年だ。もっとも、都心の一等地は例外で、Mizumizuの住む荻窪に関していえば、土地の値段はバブル期の最高値にはまだまだほど遠く、今年やっとバブル前まで戻したというところ。だが、土地や株の価格だけが更新されても、昭和バブルの熱狂は今の日本には皆無だ。それ以前の高度成長期といい、あの戦後昭和という時代が放ち続けた熱気は何だったのだろう。まだ日本人はまだそれほど豊かではなかったが、未来に対しては楽観的だった。中村草田男の言う「明治」をMizumizuは知らない。同様に昭和を知らない世代は、「昭和は遠くなりにけり」と、感慨にふける年寄りを、昔のMizumizuのように見ているのか。昭和――あの頃に自分も経験できたかもしれない体験を逃してしまった者としては、こういう実話を読むとたまらなくうらやましくなる。だが、あの頃に思いを馳せることのできる漫画、それもこうした時代の雰囲気や場の熱量、登場人物のパーソナリティまでを十二分に盛り込んだ優れた作品に触れることができるのは、たまらなく嬉しくもある。
2024.03.31
北海道にマンガミュージアムを!大和和紀&山岸凉子展 (hokkaido-life.net)に展示された(らしい)山岸凉子の「手塚先生との思い出」。山岸凉子が紡ぐ、この日のお話は、雪の札幌という背景もあいまって、一種幻想的なシンデレラストーリーのようにも思える。デパートの催事場で漫画の神様の神技に驚き、喜ぶ大衆。必死に声をかける漫画家志望の高校生。多忙にもかかわらず、常識的なハードルを設けたのちに、熱意ある漫画家のタマゴの作品を見てくれる手塚治虫。山岸凉子の兄の態度も素晴らしい。当時は大学生だったということだが、今の大学生よりずっと大人だ。手塚治虫の「予言」どおり、すぐにデビューした大和和紀。デビューまで数年を要したのち、誰もが知る少女漫画の大家となった山岸凉子。その彼女が、「私はあの時の手塚先生のように読者や漫画家を目指す人たちにやさしくできただろうか」と自問するラスト。手塚治虫が「神様」なのは、その作品が漫画のお手本であるということも、もちろんあるが、それだけではない。非常に頭がよく、絵に情熱をもち、かつ優れたストーリーテラーの素質をもつ稀有な若い才能を日本全土から「漫画家」という職業に引き込んだからなのだ。今の漫画を見ても、漫画家には優れた作画の技量だけでなく、幅広い教養が必要だということが分かる。漫画家を目指す若者に、手塚治虫がどれほど親切だったかは、こちらのエントリーでも紹介した。自らの作品と人柄で、漫画家の種を蒔き続けたという業績は、まさに神の名にふさわしい。なお、山岸凉子『手塚先生との思い出』は、【手塚治虫文化賞20周年記念MOOK】マンガのDNA ―マンガの神様の意思を継ぐ者たちで全編が読める。
2024.03.27
好評のうちに幕を閉じた(らしい)『あさきゆめみし』x『日出処の天子』展 ― 大和和紀・山岸凉子 札幌同期二人展この展覧会のもう1つの目的は、「北海道マンガミュージアム」構想を前進させること。北海道にマンガミュージアムを!大和和紀&山岸凉子展 (hokkaido-life.net)かねてから歴史的名作と呼ばれる漫画の元原稿の保存を美術館として行うべきと訴えているMizumizuとしてはもろ手をあげて賛成…と言いたいところだが、地方につくる漫画美術館には課題も多く、一も二もなく賛成とは言い難い。漫画美術館の役割は大きく分けて3つあると思う。1)原画を含めた展覧会の開催2)漫画本の収集3)原画の保存このうち、Mizumizuがもっとも大事だと思うのが(3)だ。数年前、川崎市市民ミュージアムが浸水被害にあって、せっかくの収蔵品が大きな被害を受けたことがあるが、あのミュージアムの場所を見ると、さもありなんだ。自然災害の多い日本で、良好な状態で原画を保存していくための方策にはかなりの予算を必要とする。そこをどうするか。北海道マンガミュージアムは市立ということになりそうだが、有名漫画家頼みの、地方行政による漫画美術館の管理運営は、何十年かのちには行き詰まることがほぼ見えている。手塚治虫記念館であっても、来場者は減少傾向だし、三鷹の森ジブリ美術館でさえ、コロナ禍で二度もクラウドファンディングを行うありさまだ。できたばかりのころは集客も見込めるだろうが、長期的にはそうはいかなくなる。それを見こしたとき、あちこちに小規模なマンガミュージアムというハコモノを作ることが公共の福祉に利するのかは疑問だ。逆に、だからこそ、漫画美術館というのものは、傷みやすい漫画原画の保存をどうしていくかをまず第一に考えるべきなのだ。それは国としてやるべきだとMizumizuが主張するのはそこで、原画さえ確実に保存できれば、漫画本の収集は二の次、三の次でよい。マンガミュージアムに行って漫画本を読まなくても、今は電子書籍もあるし、図書館に収蔵されているものもあるし、以前よりはるかに気軽に漫画を読めるようになっているのだから。展覧会についても、わざわざ新しい「マンガミュージアム」を作らなくても、既存の美術館やイベント会場を利用すればできるはずだ。このごろは頻繁に行われるようになってきているので、そのノウハウは蓄積されてきている。それだって、1990年に東京国立近代美術館で手塚治虫回顧展が開かれ、成功をおさめたことが、この流れの発端であることは間違いない。やはり、道を切り拓いたのは手塚治虫なのだ。1990年当時は漫画はアートとは見なされなかった。手塚治虫自身、「(漫画家は)アーティストになるな」と言っている。石ノ森章太郎が手塚治虫回顧展に向けて奔走したときも、三越デパートでは「大々的なイベントに」と言われ、美術館からは「あまりイベント臭が強いと困る」などと言われている。それも今は昔だ。「漫画なんて読んでいたらバカになる」と言っていた大昔の人々は、手塚治虫の登場によって消し去られた。今は70代ぐらいのシニアもマンガで育っている。漫画を「サブカルチャー」と位置付ける人も、まだ多いが、「サブ」はいずれ取られることになるだろう。浮世絵の評価の変遷をみても、一般庶民の嗅覚のほうが、「これがメインストリームのカルチャー、こっちはサブカルチャー」と区分けして歩く権威ある人々のそれよりも鋭いのだ。
2024.03.26
これをやれる日本人女子シングル選手がいるとしたら、それは紀平選手だと思っていた。2018年にそう書いた(こちら)。だが、日本人女子としては初、世界をみわたしても56年ぶりという快挙をなしとげたのは、2018年当時は予想もしていなかった坂本花織選手だった。これには、ロシアの問題も絡んでいる。ロシア女子に対抗すべく3A以上の高難度ジャンプに挑んできた日本人女子選手は、ケガに泣かされてしまった。そういった背景のあるなか、自分の強みをしっかり伸ばしてきた坂本選手が3連覇という偉業を達成したのは、まさに神の配慮と言えそうだ。勝負は時の運ともいうが、自分でコントロールできない世界のことに振り回されることなく、地道に自身の道を究めていくことの大切さを、坂本選手の奇跡的偉業が教えてくれているように思う。ロシア人が坂本選手を見てどうこき下ろすかは想像できる。「私たちの選手が4回転を跳ぶ時代にトリプルアクセルさえない選手が3連覇など悪夢」「女子フィギュアが伊藤みどり以前に戻ってしまった」などなど…だが、坂本選手が長い時間をかけて磨き上げてきた世界は、観る者を幸福にする。スピード感あふれる滑り、ダイナミックなジャンプ。大人の雰囲気。ロシア製女王生産装置の中からベルトコンベヤで流れてくる、選手生命が異様なほど短いロシア女子シングル選手には、求めるべくもない魅力だ。今回の優勝を決めた要素をあえて1つだけあげるとすれば、それは連続ジャンプのセカンドに跳ぶ3Tの強さだろうと思う。これを回転不足なく確実に決められるのは、長きにわたる世界女王の条件とも言える。もちろん、それは単独ジャンプのスピード、幅、高さがあってこそだ。欠点は、やはりルッツ。これまで見逃されることも多かったが、今回のフリーではEがついてしまい、減点になった。テレビでもばっちり後ろから映されて、見ていて思わず「ギャーー」と叫んでしまった。・・・完全にインサイドで跳んでる・・・ う~~・・・ エッジがインに変わってしまう前に跳ぶことができるのだろうか、彼女? それをやろうとすると跳び急ぎになって着氷が乱れてしまいそう。といって、しっかり踏み込めば、今回のようになる。その状態がずっと続いているように見える。同じく3連覇のかかった宇野昌磨は4位という結果に終わったが、これはある程度仕方がないように思う。宇野選手ももうシングル選手としては若くはない。長いフリーで最初の高難度ジャンプで失敗すると、それが尾を引いてしまう。ジャンプ以外にもあれだけ上半身を、そして全身を使って表現するのだから、一言でいえば体力がもたないのだ。だが、宇野選手のショートは「至宝」だった。肩に力の入ったポーズで魅せる選手が多いなが、上半身の無駄な力をいっさい抜いた、それでいてスピード感あふれる滑りには驚かされる。至高の芸術品をひとつひとつ作り上げていくようなアーティスティックな表現は、ただただ息をつめて見つめるしかなくなる。こうした、「スケートとの対話」の見事さは、浅田真央がもっている孤高の表現力に通じるものを感じる。今回のショートはジャンプもきれいに決まった。宇野昌磨、完成形といったところか。これ以上はもう望む必要もないし、これまで日本シングル男子の誰もが成し遂げられなかったワールド2連覇という勲章だけで十分だ。マリニンの優勝は、当然だろうと思う。4アクセルに4ルッツ、4ループまで装備し、3ルッツのあと3Aを跳んでしまう選手に、今、誰が勝てるだろう? 鍵山選手の成長は見ざましく、すんげー4サルコウに加えて、4フリップまで来た。それでも難度ではマリニンには及ばない。プログラムコンポーネンツでは勝っているが、やはり得点の高いジャンプの難度で勝負はついてしまう。マリニンにはフリップを跳んでほしい。4ルッツ2回に3ルッツ1回。それは素晴らしいが、やはりバランスが悪い。これは他の選手にも言えることだが、ルッツとフリップを両方入れる選手が減ってきている。ジャンプの技術を回転数だけではなく、入れる種類の多さで見るようルールを変えるべきだ。以前も書いたが、ボーナスポイントではなく、すべての種類のジャンプを入れなかった場合は「減点」とするのがよいと思う。それも1点とか2点とかではなく、大胆な減点とすべきだ。すべての種類のジャンプを成功させたときのボーナスポイントとなると、なにが「成功」なのかという判断が難しくなる。Wrong Edgeを取られたら、回転不足を取られたら、それは「不成功」なのか、あるいは軽微なら「成功」とみなすのか、試合ごとの判定によって判断も違ってきてしまう。それよりも、ジャンプの偏りに減点するほうが明解だ。
2024.03.25
日本のみならず海外にも大きなショックが広がった、漫画家鳥山明の突然の死去。鳥山明を育てたとして知られる鳥嶋和彦氏は、かつてインタビューでこのように語っていた。https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima/4鳥嶋氏: ええ、漫画の歴史において手塚治虫さんとちばてつやさんは「別格」。それは僕の中ではかなり確信を持って言えることですね。鳥山明さんだって、あくまでもそうした作家たちの積み重ねの上に成立した、“偉大なるアレンジャー”でしかない。実際、『Dr.スランプ』は『ドラえもん』と『鉄腕アトム』、『ドラゴンボール』は『里見八犬伝』と『未来少年コナン』の変形でしょ。(引用終わり)鳥嶋氏は、鉄腕アトムの影響下にある作品として『Dr.スランプ』を挙げているが、鳥山氏自身は、ドラゴンボールの悟空の髪型にはアトムの影響があるのかもしれないと述べている。鳥山氏は幼い頃、『鉄腕アトム』が好きで、登場するロボットの模写に熱中していたという。こういう体験が無意識の影響になることは多い。個人的には、鳥山氏自身が言うほどには似ていない気がする。アトムの髪型よりずっとオーバーな「角」になっているし、形も「オリジナリティ」がある。その意味で、まさに鳥山氏は偉大な「アレンジャー」だ。元祖アトムだって、5本のまつ毛の、あのかわいいぱっちりお目目は、キューピーちゃんからだと手塚治虫自身が言っているが、「そういわれればそうかな?」ぐらいだ。革新的な功績を成し遂げた天才は、「オリジナリティ」にあふれた人だと思われがちだが、実はそれは正しくない。天才と呼ばれる人間は、その多くが模倣から出発しているし、どのくらい先達の作品を自分の血や肉として採り入れたかが後々、その人の「オリジナリティ」としてモノを言ってくるのだ。これはピカソが若い頃「古典派の巨匠のような絵を描く」と感嘆されたことからも分かる。若くしてそれほどのテクニックを身につけていたからこそ、ピカソは古典的なスタイルを破壊し、新しい様式を創造し、されにそれを破壊しつづけてピカソ・オリジナルの世界を確立できたのだ。鳥嶋氏は言及していないが、鳥山明の『ドラゴンボール』にも、『鉄腕アトム』の影響があることに気づいた人がいる。いまさら鉄腕アトムを読破して驚くドラゴンボールに与えた影響:ムゲンホンダナ(本棚持ち歩き隊!!):SSブログ (ss-blog.jp)実際にアトムを読んでみたら、これはスゲエ漫画だと思い知らされたのである。驚いたのは、今ある少年漫画のヒット作のあれこれを、すでに鉄腕アトムでやっているということだ。浦沢直樹「PLUTO」の元ネタ、「地上最大のロボット」を読みながら思った。空を縦横無尽に飛び回って戦う、これってドラゴンボールじゃん!主題歌の歌詞にも出てくる10万馬力。アトムの前に立ち塞がる敵ロボットは、30万馬力、50万馬力、100万馬力とインフレしていく。戦闘力じゃん!100万馬力の強敵、プルートウのデザインはフリーザの第二形態に似てる!ちなみにドラゴンボールは戦闘力5から始まってジワジワ上がっていき、戦闘力100万越えするのはフリーザ第二形態!これは狙ってやってたのだろうか。(引用終わり)それはともかく――Mizumizuが個人的に面白いと思ったのは、シッポをめぐる手塚治虫と鳥山明の態度の違いだ。鳥山明の場合は、上の画像にあるように、「シッポがないと特徴がない」と編集に言われて、シッポを足したものの、描くときに邪魔でしょうがなく、すぐに尻尾を切るエピソードを考えたのだという。手塚治虫は?Mizumizuが偏愛する『0マン』の主人公リッキーは、シッポのあるリス族の進化した生物なのだが、「この主人公にシッポをつけたのは、かいているうちに急にインスピレーションがわいたのです。漫画評論家のある人によれば、手塚はよくシッポのある人間の物語をかくということですが、たしかにそういえば、なぜかそういうキャラクターにへんな性的魅力を感じて、つい登場させてしまうのです。なにか、性的な異常心理と関係でもあるのでしょうか?」(『0マン』 あとがきより)せ、せいてきないじょうしんりって・・・、テヅカセンセ、ご自分で・・・『0マン』のリッキーも一度、このように↓シッポを失ってしまうのだが、すぐ人工物のシッポを作ってもらって、元の姿になっている。シッポを失ったときのリッキーの嘆き方も、尋常ではなく、愛おしそうに切れてしまったシッポを抱きしめ、「やわらかいフワフワしたぼくのシッポ。さようなら。もう会えないね」と涙をひとつぶながし、「シッポのおはか」まで作っている。シッポが切れてしまって熱にうなされるリッキーの描写は、とても愛おしい。高熱で衰弱している少年の姿が、うるんだような瞳が、漫画的な表現なのにリアルにこちらに伝わってくる。そして、そのあとにくるエピソード――リッキーを助けて自らは重傷を負ったまま立ち去るギャング(じつは元医者)の姿、快復したあとに亡くなった見知らぬ人やシッポのお墓をつくって弔うリッキー、たったひとりで荒野を歩みだすリッキー…この一連の場面、『0マン』の中でも、とりわけ好きだ。鳥山明作品については、読んでないので個人的な感想はなし。手塚治虫の後継者の呼び声が高いのは知っている。明治節にちなんでつけられた「治」。これに「明」を合わせると明治となる。なるほど、これは明治大帝の思し召しでしたか(サヨクはっきょう)。<次のエントリーに続く>【中古】 0マン 2 / 手塚 治虫 / 中央公論新社 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】
2024.03.15
米アカデミー賞でアジア映画初の視覚効果賞を受賞した『ゴジラ-1.0』(山崎貴監督作品)。パニック映画の大げさな特撮シーンが実はかなり好きなMizumizu、この作品は映画館で観た。面白かった。初代ゴジラ映画(1954年)も、テレビ放送を観ている。最高に素晴らしい娯楽映画だった。そのあとの「ゴジラシリーズ」は、さすがにおちゃらけすぎたり、マンネリ化したりして、全部は追っていないが、渡辺謙が出た『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』は劇場まで足を運び、楽しんだ。みんな大好きゴジラだが、手塚治虫もゴジラが大好きだった。これは手塚治虫のエッセイ『観たり撮ったり映したり』から、ゴジラにまつわるエピソード。『ウルトラQ』に『W3』が「蹴散らされてしまった」時のエピソードを臨場感あふれる筆致で面白おかしく書いている。イラストが秀逸なんてもんじゃなく、最高。テレビから出てきたゴジラ(と、それをもとにした怪獣たち)が、W3のキャラクターを打ちのめし、それを手塚治虫の実子手塚真(眞)氏が大喜びで拍手喝采。父でありW3の生みの親の漫画家がくやしがっている。ゴジラとあわせて、ウルトラQのスター怪獣(?)がイイ。柔らかめの線で描かれたカネゴンなんて、素晴らしいじゃないですか。このイラスト原画、残っているのだろうか?? 「なんてったってゴジラが最高作」という手塚治虫の眼はさすがに鋭い。1950年代の日本で作られたキャラクターが日米で人気を博し、何度も映画化され、ときには大コケしながらも、アイコン的存在として受け継がれ、ついにアカデミー賞の舞台で伊福部昭の、あの誰もが知るテーマ音楽が流れるというところまできたのだから。ところで、手塚治虫は恐竜にインスパイヤされたと思われる、「ゴジラに似た」キャラを何度も作品に登場させている。Xユーザーの時星リウス@妄想自由人さん: 「手塚治虫先生はゴジラ公開より6年前の昭和23年に『ロスト・ワールド』という漫画にゴジラっぽい恐竜を描いてましたね。 #手塚治虫生誕祭 #ゴジラの日 https://t.co/kYARUbcFRo」 / X (twitter.com)そして、奇しくも(笑)、ゴジラ様と漫画の神様は誕生日が同じなのだ。これ、ネタにしてる人いるよね? と思って検索してみたら、いました、いました。Xユーザーの妖介🐐さん: 「推しの誕生日全然把握しとらんなワイ…11月3日だけは手塚治虫とドルフ・ラングレンとゴジラの誕生日なので覚えてる。 https://t.co/oxITNGopCx」 / X (twitter.com)しかし・・・11月3日は、日本を近代国家へと導いた明治天皇(別名:明治大帝)の誕生日なのですよ、もともとは。それで祝日なのですよ。手塚治虫の本名は手塚治で、「明治節」から取ったのですよ。ついでに、11月3日はさいとう・たかをの誕生日でもあるのですよ。さらに言うと、11月3日は、フィギュアの皇帝「エフゲニー・プルシェンコ」の誕生日でもあるのですよ。手塚治虫も宇宙人などと言われたが、プルシェンコも現役時代は、宇宙人と呼ばれていたのですよ。手塚治虫とゴジラとプルシェンコのコラボマンガは…さすがに見当たらなかった。だれか描いてください。最後に、手塚プロダクション公式サイトの「虫ん坊」からゴジラにまつわるページを。https://tezukaosamu.net/jp/mushi/201806/column.htmlこれは是非とも『手塚治虫×ゴジラ展』を! 著作権的に微妙ですかね…? そのへんはお話し合いをお願いします。【中古】 観たり撮ったり映したり / 手塚治虫 / キネマ旬報社 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】
2024.03.12
<昨日のエントリーから続く>『ベルサイユのばら』のロザリーが、『白いトロイカ』に出てくる…いや、『白いトロイカ』のロザリンダが『ベルサイユのばら』のロザリーになった?――という昨夜のエントリーに続き…ロザリーだけじゃない、他にも『白いトロイカ』に、『ベルばら』のサブキャラが登場しているという話をしようと思う。『白いトロイカ』で、Mizumizuが最初に、「あれっ? ジャルジェ伯爵夫人(オスカル様の母)」と思ったのが、このコマの女性の髪型。横の髪の流れ方が特に、ジャルジェ伯爵夫人の特徴そのもの。続いて、びっくらしたのが、メルシー伯が『白いトロイカ』にいるじゃありませんか?これだって、気づいた人いるよね? と検索したら、やはり…『ベルばら』ファンだという、この方のブログ。https://ameblo.jp/pampanico/entry-12838970261.htmlやはりね。そう思ったよね。「メルシー伯がいる!」って…ここまでいくと、ほとんどもう「スターシステム」。ただ、手塚治虫のこのシステム――少女マンガ家で積極的に採り入れたのは、木原敏江かな、と思うのだが、彼女はあくまで自作のキャラをスター俳優として別の作品に登場させる、文字通り手塚流スターシステムなのだ。それが先輩漫画家のキャラだというのが、やはりねえ、ちょっと…いや、ちょっとというレベルじゃないかもしれない。上に紹介したブログでも採り上げているお墓のシーンの構図…手前の十字架の大きな配置と傾き方とか、左後ろに別の十字架が2本あるところとか。花の位置をわざわざ変えたり、ここまで構図が似ていると、手元に『白いトロイカ』を置いて描きましたか? と聞きたくなる。ほかにも、「これベルばらにもあったよね?」という構図が、あちこちに出てくる。池田理代子がやらかした、「キャラが似すぎている問題」といえば、やはりアレだよねえ、山岸凉子の名作『日出処の天子』。これはもう、Mizumizuが書くまでもなく、りっぱなサイトがあるので、そちらをご覧あれ。https://w.atwiki.jp/ikeda_cribbed/ただ…実は池田理代子作品で、別の作者の既存作に似てるなあ…とMizumizuが思ったのは、ずっと昔だが、あったのだ。それは福原ヒロ子の『従姉ヴァレリア(1974もしくは75)』と池田理代子の『クローディーヌ…!』(1978)。テーマは全然違い、『クローディーヌ…!』はトランスジェンダーを時代に先駆けて採り上げたとも言える作品で、主人公の名前からしてメダルト・ボスの『性的倒錯』を元ネタにしているらしい。「共同参画」2022年1月号 | 内閣府男女共同参画局 (gender.go.jp)池田氏:フランスのボスという心理学者の本にクローディーヌの症例が載っていて、「単にクローディーヌをトランスジェンダーとしてだけとらえることはできない。要するに違った性を持って生まれてきたのだ」というのが書いてありまして、それがヒントです。(引用終わり)一方の、『従姉ヴァレリア』は、もっと通俗的で、主人公が富豪の娘に成りすますことから始まるサスペンス。タイトルはバルザックの『従妹ベット』に着想を得ているのだろう。だが、この2作品、主人公(ヴァレリア/クローディーヌ)の設定――魅力にあふれモテモテ――とその恋愛対象の女性(モナ/シレーヌ)に対する一途で激しい恋愛感情&強引なアプローチが似ている。それに引きずられるように、あるいは憧れを恋愛感情と勘違いし、いったんは愛を受け入れるものの、最終的には心が離れていく相手の女性の、可憐で女の子らしい、そして微妙にズルいキャラクター設定も似ているのだ。女性同士の性愛を描いているところ、主人公に横恋慕する女性キャラが出てくることも同じ(ただし、池田作品のほうがより深みのある性格に設定されている)。最後に主人公が自死を選ぶという結末も共通している。『従姉ヴァレリア』は大好きな作品で、中学の帰りにある本屋によって掲載誌の『セブンティーン』をさがすのが楽しみだった。これ、実写ドラマにしてもらえませんかね? 今読んでも面白いと思うのだが。話がそれた。このくらいにしておこう。【中古】少女コミック 白いトロイカ 全2巻セット / 水野英子【中古】afb【中古】 性的倒錯 / メダルト ボス, 村上 仁, 吉田 和夫 / みすず書房 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】従姉ヴァレリア(分冊版) 【第1話】【電子書籍】[ 福原ヒロ子 ]
2024.03.09
少女マンガの金字塔『ベルサイユのばら』(池田理代子)。この作品、Mizumizuが小学生のころ、週刊誌に連載されていて、毎週熱心に読んでいた。物語の元ネタは明らかにシュテファン・ツヴァイクの『マリー・アントワネット』で、『ベルばら』より先にこの小説を読んでいたMizumizuには、ツヴァイクのコミカライズの部分が多い作品だと感じていた。歴史上の人物の発言などは、ほぼツヴァイクの小説にあるものを少し言い回しを変えただけという印象だったが、そこに架空の人物がロマンチックに絡んでくるのが『ベルばら』の最大の魅力だった。週刊誌連載当時は知らなかったが、長じて手塚治虫の『リボンの騎士』という作品があるのを知った。男装の麗人・オスカル様の元ネタは、明らかにコレだろうと思ったのだが、不思議なことに池田理代子自身は『リボンの騎士』に言及していない。心を打たれたとして挙げている手塚作品は『つるの泉』。作画については、影響を受けたのは水野英子だと言っている。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49580760Z00C19A9000000/なるほど。水野英子は手塚治虫の弟子のようなものなので、水野タッチに影響を受けた池田理代子は、実は手塚の直系孫弟子と言っていいかもしれない。と、池田氏本人のインタビューを読んで思ったのはここまで。Mizumizuは『ベルばら』世代なので、水野英子には「遅かった子供」だ。もちろん名前は知っていたし、絵は見たことがあったが、『ベルばら』が流行っていたころの目には古く見えて、あえて読んでみようとは思わなかった。最近、水野氏は積極的に発言を始め、メディアもそれを採り上げることが多くなってきた。水野作品も復刻されて電子版で読めるようになった。それで、なんとなく『ベルばら』を想起させる絵柄の『白いトロイカ』を読んでみた。で…驚愕!!なんと『白いトロイカ』の主人公ロザリンダが、『ベルばら』のロザリーにクリソツ!!ここでロザリーについて説明すると、彼女は「王妃の首飾り」事件を起こすジャンヌの異母妹で、実母はアントワネットのお気に入りのポリニャック夫人という、まー、どう考えたってマンガ以外ありえない設定。さらに後年、マンガの最終局面で、革命によって牢獄につながれたマリー・アントワネットのお世話係としてそばに仕えることになる。マリー・アントワネットの最後のお世話係には実在したモデルがいる。もちろん実際は平凡な女性だが、その女性にドラマチックな出生の秘密と主人公オスカルと絡む波乱の人生を与えたところが、『ベルばら』の大いなる魅力になっている。実在のロザリーについては、こちらをどうぞ。https://fr.wikipedia.org/wiki/Rosalie_Lamorli%C3%A8reところが、だ。『白いトロイカ』を読んだら、そっくりなのはロザリンダとロザリーの絵柄だけではなかった。ロザリーの出生の秘密と波乱の人生(特に恋愛相手の特性)まで、あまりに似すぎていたのだ。びっくりしたな~、もう。で。他に気づいてる人、いるよね? と思って検索したら、やっぱりいました。https://ameblo.jp/ikeda-riyoko/entry-10461452977.htmlこのブログでも挙げられている、二人に共通するのは…◎ほぼ同じ髪型(いくつかパターンがある)で出てくること。◎平民に育てられたが、実際には貴族の娘であるという出生の秘密があること。◎ロザリンダ/ロザリーに貴族としての礼儀作法を教える高貴な人物が現れる(このあたりは『マイ・フェア・レディ』風。ついでに育ちの悪さが出てしまうエピソードも『マイ・フェア・レディ』のイライザとロザリンダ/ロザリーに共通)という展開。ちなみに、その高貴な人物(レオ/オスカル様)は、貴族ながら革命に身を投じて落命する運命というのも同じ。◎ロザリンダ/ロザリーと結ばれるのが、西洋版「ねずみ小僧」みたいな黒い鷹/黒い騎士。『ベルばら』を彩るロザリーの多くのエピソードが、ロザリンダとそっくり。そっくりすぎる。上記のブログに絵柄の類似点を指摘した写真があるが、ブログがなくなってしまうと、写真も消えてしまうので、同じものを貼っておきます。まずは、リボンの色が白か黒かってだけの違いにしか見えない髪型。ヘアバンドまで同じ、ボリューミーな髪型こっちはヘアバンドではなくて、編み込み。次回のエントリーに続く。
2024.03.08
♪空をこえて~ ラララ 星の彼方 ゆくぞ アトム ジェットのかぎり~Mizumizuでもソラで歌える『鉄腕アトム』オープニング主題歌。You TUBE時代になって、アメリカ版『Astro Boy』も聞けるようになった。https://www.youtube.com/watch?v=d3UbaB7oPTwで、聞いてみて、え~! この歌詞、イイじゃん!!となった。てっきり日本語の歌詞を訳したものだと思っていたのだが、全然違う。日本語のほうがやさしい感じで、英語のほうはもっと勇ましい感じ。だが ♪Rocket high, through the skyとか♪Astro Boy, as you fly,Strange new worlds you will spy,Atom celled, jet propelled...なんてところは少し共通しているようでもある。とはいえ、「戦う」「ヒーロー」というのを思いっきり前面に出しているのは非常にアメリカ的だ。特に「すげー」と思ったのは、♪Everything is GO, Astro Boy!これ、すんごく米語的。簡単そうでいて、相当センスのあるネイティブでないと書けないようなあ…そして、続くラストの盛り上げが素晴らしい。Crowds will cheer you, you're a hero,As you go, go, go Astro Boy!Cが連続する発声のおもしろさ。Everything is GOで準備万端整えて、GO, GO, GOで皆がヒーローを後押ししている感じの強さ。日本語版とはずいぶん違って、やはりアメリカ的になってるなぁ……と、つまり、Mizumizuは日本語の主題歌が先にあったものだということを疑っていなかったので、そんなことを考えた。だが!調べてみたら、なんとオープニングの主題歌はアメリカ版のほうが先だったというではないか!!『鉄腕アトム』のアメリカでの仕掛け人とも言えるフレッド・ラッド氏と2009年に話したという「こはたあつこ」氏の記事。https://www.cinematoday.jp/page/A0002248「よく言われるんだがね。手塚氏とは、不思議とユーモアセンスも近かったよ」と語るフレッドさんが、アトムのテーマソングについて、面白いことを語ってくれた。実は、かの有名なアトムのテーマソングの歌詞はアメリカ版が作られなかったら、存在しなかったというのだ。えっ? それはどういうこと?「1963年に放映された日本語版『鉄腕アトム』の最初の5話には、歌詞はなく、楽曲だけだったんだ。でも、当時アメリカの子ども向けのテレビ番組には、必ず歌詞がつき、ボーカルが入っていた。だから、アトムのアメリカ版には、新たに歌詞を作る必要があった」と語る。そのため、「有名な作詞家であるドン・ロックウェル氏に、歌詞をつけてもらった」そうだ。「最初の3話の英語版を終えたぐらいに手塚氏がアメリカに来たから、映写室でアメリカ版を見てもらったんだ。冒頭のテーマソングが流れて、歌詞が聞こえてきたときに、手塚氏は本当にびっくりしていたね。その後試写室から出てきて、突然、日本に国際電話をかけ始めたんだ。そして大声で、何やら話している。恐らく、『おい、このクレイジーなアメリカ人たちが面白いことをやってくれたぞ! 高井氏を呼んで、日本版にも歌詞をつけてもらおうじゃないか!』としゃべっていたんだろうね」そう笑いながら話すフレッドさん。もちろん電話口の話の内容は彼の想像だが、その後、それまで歌詞がついていなかった日本版の「鉄腕アトム」にも、1963年の6話以降は、すべて日本語の歌詞がついたというから、電話口での会話の内容も的外れではないかも知れない。しかし、そんな楽しいエピソードを体験したフレッドさんも、初めは手塚氏と会うことにあまり乗り気ではなかったそうだ。「オリジナルを作ったアーティストは、たいてい英訳の吹き替え版に満足しないんだ。だから、手塚氏も同じだろうと。でも、会って本当に良かった。試写室から出てきた手塚氏は、満足そうに大きくほほ笑みながら英語ではっきりと、『Ladd, you are GOD FATHER of Astro Boy!”(ラッド、君は、アストロボーイのゴッドファーザーだ!)』と言ってくれた。わたしも思わず叫んだよ。「アリガトーゴザイマース。デモー、アナタハ「テツワンアトムー」ノファーザーダ!」とね。手塚氏の作品が、最高の名作だったからこそできたことだ。わたしのしたことはたいしたことじゃない」とうれしそうに当時を振り返った。そんなフレッドさんは、アトムのほかにも、「鉄人28号」「ジャングル大帝」「科学忍者対ガッチャマン」など、数々の日本アニメの吹き替え版を手掛けている。また、「海底少年マリン」「マッハGo Go Go」「美少女戦士セーラームーン」では、コンサルタントも務めたそうだ。さすがに81歳になった今は「若い者に任せている」とのことだが、ニコニコしながら冗談を飛ばす姿は、まだまだ元気そうだ。そんなフレッドさんに、吹き替え版を作るときに一番大切なことは何かと聞いてみた。すると今度は真剣な表情になり、「オリジナルを作った作家が言わんとしていたコンセプトをよく理解すること」という答えが返ってきた。実は、アトムの吹き替え版は、フレッドさんが手掛けた作品以外にも、ここ近年にほかのバージョンが製作されている。しかし、中には、「手塚氏が言わんとしていたメッセージが、薄れてしまったように見えるものもある」とフレッドさん。「わたしが幸運だったのは、手塚氏とじかに交流することができたことだと思う。だから、『鉄腕アトム』で手塚氏のユーモアや、彼が伝えたいメッセージが理解しやすかったのでは」と語る。では、手塚氏が「鉄腕アトム」で描きたかったことは何なんだろう?「アトムはロボットだったけど、ピノキオのように人間の気持ちを持っていたという点が重要だと思う。アトムは人間と同じように傷つきやすい面があり、人間になりたいというコンプレックスを持っていたんだ。手塚氏が生きていたら、そこをきちんと描くようにと指摘したのでは」と語る。また、「手塚氏はわたしよりもずっと賢い人だった。わたしが到底できない、未来を予想する力があった。彼には遠い未来に、人間が人間の仕事を奪ってしまうロボットを疎ましく思う時代がやって来るということが見えたんだ。手塚氏はそういう時代が来たら人間とロボットが共存するために、規則が必要になると考えていた。ロボットは人間に背いてはいけないと。でも、ロボットを支配する人間の方も、ロボットに対して責任を持たなければならないということだ」とも語る。生命に対する愛が手塚氏の重要なテーマだったことについては、「手塚氏は生命を愛していた。彼は「生きているものが大好きだった。だから『生命が宿っているものすべてに優しく接してほしい』と常に話していた。それが彼の作品にも表れていると思う」と語った。81歳のアメリカ人男性が、手塚氏についてここまで理解してくれていることが非常にうれしかった。(引用終わり)「オリジナルを作った作家が言わんとしていたコンセプトをよく理解すること」が一番大事だと語るフレッド氏。それを日本のテレビ局や映画関係者、それに漫画を原作にして脚本を書く脚本家にレクチャーしてくれませんかね? 『セクシー田中さん』の悲劇を発端に、今、まさに日本で議論されている問題ではないか!手塚治虫をここまで理解してくれた人物が『アストロボーイ』に関わってくれたのは、『鉄腕アトム』にとって幸運だったのだと改めて感動した。こういう人がいたからこそ、『アストロボーイ』がアメリカの子供たちの心に届いたのだ。先に紹介した英語版主題歌のサイトのコメント欄には、英語で多くの賛辞が寄せられている。どれほどアメリカで『アストロボーイ』が愛されたか分かる。作品には、もちろん、それが持つパワーという「車輪」が一番大事だが、それをヒットさせるには、別の「車輪」が必要なことが多い。手塚治虫という人は、とんでもない人間に引っかかることもあったが、それ以上にスケールの大きな理解者に何度も巡り合っている。図抜けた才能は、奇跡のような出会いを呼ぶということだろう。そして、なんとオープニングの主題歌はアメリカが先だったという驚きの情報。しかも有名な作詞家を手配してくれたようだ。なるほど。イイ歌詞なワケだ。おまけにそれを聞いて手塚治虫はただちに日本に電話して、誰かに何かを話していたという。この時に電話したのは、もちろん自社の関係者だっただろうけれど、日本語の作詞を担当したのは、ご存知、谷川俊太郎氏で、『二十億光年の孤独』を気に入っていた手塚治虫自身が谷川氏に電話をかけて依頼したそうだ。https://www.huffingtonpost.jp/entry/tanikawa_jp_5c5a8f05e4b074bfeb16225b「あれは手塚治虫さんが電話をかけてきて『(歌詞を)書いてみないか』みたいなことを言われて...。まだ若かったので『あの手塚さんから電話がかかってきた!』と感激しましたね」(引用終わり)谷川氏が英語の歌詞を見たかどうかは、明かされていないので分からない。アメリカサイドから歌詞をもらうことは簡単だが、それならそうと谷川氏が話しそうなものだ。あえて英語の歌詞は見せずに谷川氏のオリジナリティに期待したかもしれない。ところで、こはた氏の記述には誤りがある。青文字にした「それまで歌詞がついていなかった日本版の「鉄腕アトム」にも、1963年の6話以降は、すべて日本語の歌詞がついた」の部分。歌詞がついて放送されたのは31話から。ちなみに、すぐれた手塚評になっている『チェイサー』(コージィ 城倉)でも、第一話から歌が流れたことになっている。手塚治虫の足跡をものすごく丹念に調べ上げて描いた作品なのだが、ここは残念。Mizumizuも最初に『チェイサー』を読んだときは、第一話からあの名曲が歌詞つきで流れた――というか、歌詞が先にできたと思い込んでいたから、何の疑問も持たなかった。You TUBEには第一話のオープニングも上がっていて、それを見ると、上の『チェイサー』の映像の説明も違っている。https://www.youtube.com/watch?v=KGq6z1mEU9Q&t=2sチェイサーの映像は後期バージョンだ。それも上がっている。https://www.youtube.com/watch?v=lOn4lh-hPxUMizumizuは初期バージョンはうっすらと、後期バージョンはかなり憶えている。前期・後期の記憶がごちゃごちゃになってはいるが、初期バージョンでは、アトムの一発で悪者が将棋倒しになるところが、幼心にメチャ受けした。後期は飛行機の乗客に手を振る場面と雪山の木々の間を低空で飛んでいく場面が特に好きだった。しかし、アトムってカワイイな~。あの5本のまつ毛とか、大きな目とか、ふっくらした身体のラインとか(はあと)。手塚プロがYou TUBEの公式サイトで1963年版を限定公開してくれたのだが、その中のカウボーイのコスプレ(こすぷれ?)も似合ってた(はあと)。【中古】アニメが「ANIME」になるまで—『鉄腕アトム』、アメリカを行く
2024.03.04
手塚治虫がほとんど常に大量の仕事を抱え、その結果として必然的に、頻繁に締め切りに遅れていたのは有名な話だ。さいとうたかをがよくラジオなどで「僕は締切に遅れたことはない。(血液型)A型だから」と話しているのをMizumizuも聞いた記憶がある。「手塚先生はよく遅れてた。B型だから」と同氏が話しているのも聞いた気がする。確かに手塚治虫の生前は血液型はB型という話が流布されていたが、実際にはどうやらA型だったらしい。ところで、『神様の伴走者 手塚番13+2』(佐藤敏章)を読んでいて、Wikipedia(ウィキペディア)の「横山光輝」の記述が正しくないことに気づいた。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E5%85%89%E8%BC%9D締切に関しては非常に誠実で、『三国志』連載中は当日の朝に編集者が仕事場に行くと、玄関口に完成原稿が封筒に入れられて置かれていたという。(引用終わり)この話、おそらく担当した編集者から聞いた話がもとになっているのだろう。その編集者が横山番として『三国志』の原稿を取りにいっていた間はそうだったのかもしれないが、横山光輝がいつもいつも締切に誠実だったかというと、実はそうでもないらしい。「少女クラブ」で手塚番だった新井善久氏が、編集者人生の初期に手塚番をやって良かった点は、多くの新人マンガ家たちから神とあがめられる漫画家の担当者だったおかげで、彼らから一目置いてもらったことだと『神様の伴走者 手塚番13+2』の中で述べている。そして、同時にもう1つ。締切を守らない手塚治虫の担当で苦労したことで、のちのち、「ちばてつやさんとか、横山光輝さんとか、居催促常連作家の原稿取りを苦労におもわなくなったってことも(良かった点として)ありますね。」と言っているのだ。横山光輝=居催促「常連」作家と言い切っているところを見ると、横山光輝が長いキャリアの中で、締切を守れたか守れなかったかは、あくまでその時に抱えていた仕事の量によるということだろう。少なくとも、新井氏から見た横山光輝は「締切に関しては非常に誠実」ではなかったというのは確かだろう。ちなみに、『ブッダ』で手塚番になり、同時に横山光輝の担当でもあった竹尾修氏は、『神様の伴走者 手塚番13+2』の中で、手塚治虫は横山光輝のストーリーテラーとしての手腕を認め、ドラマ構成のうまさを「すごい」と思っていたのではないかと語っている。インタビューアーが「ライバル視するということは?」と尋ねると、竹尾氏は、「手塚先生のほうから? いや、あんまりないですね。意識されてたのは横山先生のほうだったと思いますけどね。もちろん手塚先生のほうが先輩だから、一目も二目も置いてらっしゃったけども、自分が連載している雑誌に手塚先生が加わったということで、手塚先生の存在を意識されたかもしれません。ある時、『手塚さんの存在が太陽だとすれば、自分は月で良いんだ』と、そういう表現をされたりしてましたから。手塚先生って華やかで目立つじゃないですか」と、答えている。手塚番 ~神様の伴走者~【電子書籍】[ 佐藤敏章 ]
2024.03.01
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