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某フィギュアスケート選手が宣伝したことでおなじみの(?)アサヒスーパードライエクストラコールドBAR(銀座)。先々週の週末、午前中に行ったときには、余裕で入れたのだが、暑さ本番になるにつれて、やはりこういう状態になったきた。店の前にのびる行列。去年の夏もこうだった。銀座の歩行者天国を歩くたびに見る、炎天下にもかかわらず長くのびた人の列。今回も、並ばずには入れたら入ってみようと思っていたMizumizuの思惑は見事にはずれた。特にビール党ではない・・・どころか、日本ではほとんどビールというものを飲まないMizumizu。「日本では」と書いたのは、ドイツに行くとビール飲みまくりだからだ。ドイツの黒ビール(ドゥンケル)は、本当に美味しい。アサヒスーパードライなる商品も別に好きではない。友人に奨められて一度か二度飲んだことがあるが、まるで食事をながしこむために辛くした飲み物という、最悪に近い印象だった。「ドイツのビール」を知ってしまうと、とても買ってまで飲む気にはなれない。ところがこのバーで飲んだビールは、確かに「去年あれだけ人が並んでだけのことはある」と思ったのだ。たとえば歯にしみるほど、物凄く、キンキンに冷たいのかと思いきや、そうでもなかった。そして泡が細かくて繊細。苦味は冷たいせいかさほど感じない、だがビールらしい苦味もきちんとあり、全体としてすっきりとした印象で、どんどん飲める。ツマミには辛いものが好きなMizumizu連れ合いのチョイスで、軽くチョリソーを取った。非常に辛かったが、ときに生臭いものもあるチョリソーの中では美味しいと言っていいものを出してくれた(ただし、ビールをすすませるためか、本当に辛いので、辛いものが苦手な方は頼まないでください!)。立ち飲みバーだが、スタイリッシュなモノトーンの空間はクールで、清涼感があり、スポットライト中心の照明も凝っている。店員はキビキビして、みな宣伝にも積極的だ。若い活気があるこういう店は、落ち着いたしっとりとした雰囲気を好む人には合わないかもしれないが、Mizumizuは十分に楽しめた。店員の接客態度にもマルをあげたい。やはり人が来る店は、店員も自信がもてるから、うまく回るのだ。外のうだるような暑さと、熱光線のような日差しを忘れ、モダンな暗めの立ち飲みバーで少しだけくつろぐ。しかし、そこは銀座、こういったバーにありがちな、「あまりにうるさい音楽」が流れているわけでもなく、大人の街のモダニズムをきちんと押さえている。一度は行ってみる価値のあるバー。週末は午前中に行くべし。でないと、かなり待たされることになりそうだ。
2011.07.09
以前1度紹介したキャサリン・サンソムの「東京に暮す 1928-1936」(エントリーは、こちら)。その中に「日本人とイギリス人」という一章があり、両国民に共通した精神性が紹介されている。その中で、最も興味を引いたのは、「日本人とイギリス人の共通点はスポーツ好きということです」というくだりだ。その中で、サンソムは日本人が不正を憎み、スポーツにおけるフェアネスを非常に大切にする国民だと指摘している。世界中で日本ほどスポーツマン精神が浸透している国はありません。日本のテニス選手は、勝っても負けても見せる明るい笑顔で欧米の観客を魅了しています。繊細な心の持ち主である日本人はスポーツを芸とみなしています。私は日本とイギリス以外の国で、素敵な淑女や頑健な紳士が、相手が見ていない隙に、非常に打ちにくいラフの中から打ちやすい位置へゴルフボールを移すのを一度ならず目撃しました。日本人やイギリス人が絶対にいんちきをしないとはいいませんが、両国民ともスポーツをするときは真剣で、このようないんちきはめったに見られません。こうした日本人の傾向は、今でも同じではないだろうか? テニスやゴルフで競うとき、相手に勝ちたい――それは誰もが思うことかもしれない。だが、それ以上に大事なのは、フェアに戦うことなのだ。誰も見ていない、あるいは誰もとがめないからと言って、いんちきをしてまで勝とうとは思わない。そうやって勝っても誇りにはできない。日本では普通のことだ。汚い手を使ってでも勝とうとし、実際に勝つ選手はどんなスポーツでもいるだろうが、そうした選手は日本では尊敬されないのだ。スポーツの位置づけやその商業的な意味は、昭和初期と現代とでは大きく異なっている。だが、それでも、日本人の心の底にあるスポーツの理想像、フェアな環境で、フェアに正々堂々と戦い、そのうえでフェアに勝ちたいという気持ちはかわらない。フィギュアのような採点競技、特に今のように露骨な偏向採点が公然と行われているような状況では、選手のほうは精神的な安定を保つのが大変だろう。選手は口には出さなくても、判定が試合や選手によって違うことぐらい気づいている。それどころか、こうした状況が日本人トップ選手を苦しめ、自壊寸前にまで追い詰めているといっても言い過ぎではないかもしれない。だが、それで自壊してしまっていいのだろうか。選手にとっての問題は採点がどうこうより、いい演技ができなくなるほど「自分が乱されてしまう」ことではないだろうか。心の繊細さが、繊細ないい演技につながらず、繊細なあまり集中できないという方向に行ってはいけないのだ。優遇採点などない――そんな理想主義は捨てることだ。そこら中でアンフェアなことがなされている。だが、自分はそうしたアンフェアな中でも乱れない、乱されない。そうした強さを自分が持つことを目指せばいいのだ。優遇採点されている選手に勝つためには、試合で使えるほどには完成していないジャンプにまで挑戦しなければいけないのだろうか? あるジャンプを試合で入れるべきか・入れざるべきか、その見きわめは極めて難しい。だが、そのためにコーチがいる。勝っても負けても「明るい笑顔」でいるためには、自分の中のさまざまな「不信感」を払拭して試合にのぞまなければいけない。採点競技では、それがさらに難しくなる。なるが、できないことではないはずだ。他の選手がどんな採点をされようが、「いいじゃないか」というぐらいのおおらかな気持ちで行くべきなのだ。自分は自分なのだから。もちろん、これは選手の立場だけの話であって、周囲はそれではいけない。フィギュアにおいて、現在、大きな試合までのお膳立ては選手の努力とは違ったところでなされている。それさえ見えないような人間は、何をやってもせいぜいロボットのように言いなりになるだけで、大きな果実を手にすることはできないだろう。これは、どんな分野でも言えることだ。疑うことを知らず、上から「ルールです」「そういうものです」と言われればそれを鵜呑みにする。そんな愚かな人間がいかにコントロールされやすいか。他人にコントロールされれば、自分で自分の人生を切り拓いて行くことなどできないし、世の中の荒波の中にあっという間に沈んでしまうだろう。だが、それでも、試合にのぞむ選手には、「勝っても負けても見せる明るい笑顔」や「スポーツをするときの真剣」な態度が、他国の人々を魅了しているのだということを、忘れないでほしいのだ。ロシアでのフィギュア選手に対する態度を見てもわかる。ワールド後のエキシビションで、観客は「傷ついた祖国」への想いをこめて演じた世界女王の演技には惜しみない喝采を送ったが、「足が痛い」などといって、ダブルアクセルしか跳ばない投げやりな演技を見せた銀メダリストには、これ以上ないくらい冷たかった。五輪女王という素晴らしい冠をつけたとしても、その場の演技に気持ちが入っていなければ観客は冷めたままだ。「伝わってこない」――藤森美恵子氏はワールド女子銀メダリストのエキシビションをそう切り捨てたが、そんなことは素人にだってわかるのだ。別にスポーツのプロや経験者でなくても、その選手がフェアであるかどうか、真剣に何かを観る者に伝えようとしているかどうかぐらいわかる。そういうことなのだ。
2011.07.07
東日本大震災の被災者支援を目的にした通販企画、「浅田真央チャリティブック」の受注が好評のようだ。こちらのニュースによれば、ネット上の口コミで広まり、発売3日で注文数は7000部にのぼったという。期間限定、収益(利益)全額寄付のチャリティブック「浅田真央 Book for Charity」(学研教育出版)が、発売3日で7000部に達したことが分かった。 同書は、チャリティ額を最大限にするために書店では販売せず、通販のみの期間限定販売商品。「特にマスメディアで大きく取りあげられたわけでもなく、広告も一切打ってない状態で、この数字は予想以上。ネットで情報を見つけた人が、ネット上の口コミで広げてくれたことが大きい。本当にありがたいことです」(担当者) 通販商品は、宣伝に大きなお金をかけるのが通常の手法。ところが、同書はチャリティ企画。「大きな宣伝費をかけるのは、はばかれた」(担当者)という。 宣伝費をかけない限りは、購入者はやってこない。しかし、派手な宣伝はチャリティというコンセプトにそぐわない。このジレンマを解消させたのは、ネット上の「善意のリレー」だったようだ。大手メディアも、浅田選手の足を引っ張るような報道ばかりせず、たまにはこういう企画について触れてくれればいいようなものだが、残念ながら無視されたようだ。しかし、ネットを通じたファンの口コミで支援の輪は確実に広がっている。テレビや新聞の「破壊的」な影響力に比べればまだまだ微々たるものかもしれないが、ネット上のfacelessな人々の善意の力も、なかなかどうして、侮れない。「浅田真央チャリティブック」、申し込みはこちらのサイトから。5月31日まで。【送料無料】浅田真央POWER & BEAUTY【送料無料】浅田真央さらなる高みへ【送料無料】浅田真央、20歳への階段【25%OFF】[DVD] 浅田真央 20歳になった氷上の妖精
2011.05.17
<続き>ルールとジャッジングと闘うという意識を日本スケート連盟、いや日本のスケート関係者全員が持たなければ、日本にいくらいい選手がいても、結果は出ない。韓国のスケート連盟は、「キム・ヨナに不利な点が出ないようにスポーツ外交に力を入れる」と自国の選手を全面的にバックアップした。キム選手に不利な判定が出ると、メディアが一斉にその審判を叩き、しかも執念深くそれが誰なのかを忘れない。こうした姿勢を褒めるわけではない。だが、日本に一番欠けた視点であることは間違いない。今回ショートで高橋選手のフリップにEがついた。昨シーズンまでは何も問題なかったはずのフリップの踏切がいきなり問題アリの選手にされてしまったのだ。すると「踏み切りのミスで減点された」と新聞は書く。あの明らかにインサイドに体重をかけて跳んでいるフリップになぜEなのか。そこまで言うならキム選手のフリップのほうがよほど中立に近く見える。咋シーズン初めのジャパンオープンで、プルシェンコ選手のフリップにもいきなりEがついていた。プルシェンコが現役復帰してきても、こうやって細かいところでイチャモンをつけてジャンプを減点すれば、点は伸びてこない。こういうE~加減な判定がどうしてまかりとおりのかについてはすでに、こちらで書いた。フリップの不正エッジであるアウトエッジで踏み切らなくてもEをつけることはできるのだ。審判の責任逃れになり、いい加減な判定と加点・減点を助長させるようなルールは作るべきではない。今回、若いロシアのガチンスキー選手があっさり銅メダルを獲った。ソチに向けてロシアは着々と若手選手を強化している。カナダは1人の選手だけを見定めて強化し、他の選手はどうでもいいとでも言わんばかりだ。日本だけが公平性にこだわり、選手をやたら試合に派遣して消耗させている。高橋大輔を体調不良のまま全日本に出させるくらいなら、スピンのレベル取りのための特訓を日本人スペシャリスト総出でやったらいいではないか。だが、日本の商業主義はそんなことは許さない。高橋大輔が出ると出ないとでは世間の注目度が違いすぎ、テレビの視聴率にも大きく影響するからだ。チャン選手はいきなり4回転を跳べるようになったわけではない。オリンピック前から「パトリック・チャンが4回転を決めたときの理想的な軌道」というビデオを作るなど、システマティックな強化に乗り出していたことは、すでに報道されている。日本はコーチの経験頼みで、結果が出ないと全部選手の「メンタルが弱い」で片付ける。結局のところ、日本は選手強化を商業主義に頼り、カナダ・韓国それにロシアもここにきてようやく、国策として強化している。日本の場合は、試合までの期待感を高めて、値段をつり上げたチケットを売りさばき、視聴率を稼げば商業主義の目的は達せられる。だからその分、選手が思ったような演技ができなかったり点がでなかったりすると、すべて選手のせいにして叩いている。ますます日本を蹴落としたい国の思うつぼだ。高橋選手と浅田選手の二連覇に期待したファンもいるかもしれないが、採点を見れば、日本人に二連覇させる気がなかったのは明らかだ。そもそもシーズンの採点の流れから見ても、高橋選手の二連覇は限りなく不可能になっていた。それを無視してメディアはむなしい期待を煽りつづけた。台湾では一部無料で配布されたフィギュアの観戦チケットは、日本では高騰し、さらに転売目的で買い占める人間も出ていた。日本人ファンもそろそろもっと冷静になったほうがいい。贔屓の選手を応援したい気持ちは大切だが、ものごとには常識というものがある。値段をつり上げる目的で転売されたチケットに手を出せば、さらに組織的な買い占めが幅をきかせ、チケットの価格はますます高騰し、本当に選手を応援したい普通のファンの手の届かないものになってしまう。それほどの価値が今の試合にありますか? 今回の世界選手権で、いかに採点が疑わしいものかより明瞭になってきたから、ある意味、公平な試合を見るつもりでいた日本人ファンの頭を冷やすいい薬になったかもしれない。蓮の花は美しいが、それが咲いている池はあまりにドロドロと濁っているということだ。高橋選手の演技前に出たチャンの銀河点。バンクーバーの女子フリーで、浅田選手の演技の前に、事実上「金メダルはキム・ヨナにしかやらない」宣言も同然のとんでもない点が出たが、あのときと流れは同じではないか。ジャンプの難度をジュニア時代からほとんど変えなかったキム選手と4回転に2度成功したチャン選手を同等に扱うのは逆に不公平だし、確かに今回のチャン選手の演技は素晴らしかったが、こうした銀河点が出るに至るお膳立てと流れは同じなのだ。本当はバンクーバーでこうしたかったはずなのだ。それを阻んだのはやはり、プルシェンコの参戦だろう。あれであせったチャン選手は怪我をして調整が出遅れ、オリンピックでジャンプを失敗した。だが、その分を同じ北米勢であるアメリカがちゃんと持って行ったということだ。キム選手とチャン選手は、ISU指定特別強化選手とでも呼ぶべき、特別扱いの選手なのだ。今回のワールドでますますそれがハッキリした。女子の表彰式、チンクワンタ会長は台の一番高いところにのぼった安藤選手にはそっけなかったが、キム選手にはなにやらさかんに言葉をかけ、キム選手がそれで落涙するという不可解な場面が展開された。気のせいか、花束も銀メダルのキム選手に贈呈されたものがひときわ大きく、豪華に見えた(表彰式の動画はこちら)。韓国の大韓航空とISUとの「親密すぎる関係」はすでに、IOCから警告されている。http://japanese.joins.com/article/615/134615.html?sectcode=&servcode=平昌招致委員会関係者が4日に明らかにしたところによると、国際オリンピック委員会(IOC)倫理委員会が平昌招致委員会に対しIOC規定を順守するよう警告を送った。大韓航空が国際スケート連盟(ISU)と交わした後援契約がIOC規定に反するというのが理由だ。一部欧州メディアの主張を受け入れたものだ。 平昌冬季五輪招致委員会の趙亮鎬(チョ・ヤンホ)委員長は大韓航空の親会社の韓進(ハンジン)グループの会長で、ISUのチンクワンタ会長が五輪開催地選定の際に投票権があるIOC委員ということを問題視した。後援契約が平昌の得票活動につながるという論理だ。平昌に対する欧州の競合都市の牽制と解釈される。 平昌招致委員会とISUとの「不適切な関係」が表沙汰になったのは、欧州メディアの報道から。こうした「(ライバル関係に当たる)他国」へのチェック機能を日本のメディアは、まったく果たさない。せいぜい日本はダメだと日本人に信じ込ませるか、自国の悪口を他国に広めるだけだ。フィギュアに関して言えば、日本とカナダ・韓国の採点競技に対するアプローチの差を選手とコーチに埋めろというのは無理な話だ。選手がルールに対応するよう努力するのは当然だが、ルールの不備やジャッジングの不公平を指摘していかなければ、これからも同じことがくり返される。本当の意味で、日本が一丸にならなければ、いくら天才的な選手がいても、ソチではまた「メダルは一国一名様限定」の原則にそって、誰か1人がいい演技をしたら他の選手の点は「なぜか」伸びず、そして首尾よくいってやっと台の1つを「分けてもらう」という結果になりかねない。<終わり>
2011.05.16
<続き>今のフィギュアでは・・・1) ルールそのもののもつ問題2) ジャッジングの不公平あるいはジャッジの能力不足3) 選手個人の問題は分けて考えるべきなのだ。今日本のファンの間で顕著なのは、これらをごちゃごちゃにして、すべてをシステムのせいにしたり、ジャッジの不公平採点のせいにしたり、あるいは選手個人のルール対応能力不足のせいにしたりするから水掛け論になってしまうのだ。この3つにはそれぞれすべて問題がある。ことにワールド女子では(2)があからさまだったと思う。グランプリシリーズではあれほど評価が高く、気前よく加点「2」がついた村上選手のトリプルトゥループ+トリプルトゥループが今回は2回ともセカンドジャンプがアンダーローテーション判定でGOEも突如マイナス評価になり、点数が伸びない。あのジャンプのどこが4分の1回転不足なのか。そこまで厳しく取るというのなら、一見きれいに決まったキム選手のフリーの連続3回転のセカンドの着氷のほうがよほど怪しい。キム選手のスロー再生を見るとかなりギリギリで降りてすぐにあさっての方向に曲がっていってしまっている。村上選手のショートのトリプルトゥループ+トリプルトゥループについて、解説の八木沼氏は、まさかアンダーローテと思わず、「高さも幅も十分」「きれいに決まった」と言ってしまった。だって、そのとおりだもん(笑)。ところが出てきた点数を見て、村上選手は落胆を隠せない。「いつもはもっと出るのに」。得点源の3回転+3回転の回ってるとしか思えないセカンドがアンダーローテーション判定され、これまでキム選手並みに気前よくついていた加点がつかずに減点が並べば、いつものように点が出るわけない(プロトコルはこちら)。ところで、キス&クライでの村上選手のこうした表情の率直さは、ひたすら「よい子」でいようとする、そしていなければ許されない雰囲気のある日本選手の中では異色だ。ある意味で、彼女の自分の感情に対する素直さは日本人離れしている。バッシングするファンもいるかもしれないが、それにメゲず、これからも自分を隠さないで欲しいと思う。それが彼女の身体から湧きだしてくるようなエネルギッシュな表現力につながっていると思うからだ。フリーでも同じくセカンドのトリプルトゥループはアンダーローテーション判定。この判定を見て、次に起こるであろうことがMizumizuには予想できた。「こういうことができるから、こういうことをしてくるだろう」と書くと、素直に(苦笑)そのとおりのことをしてくる、実に単純なジャッジの順位操作。彼らが次にやることは?「浅田選手のトリプルアクセルを、きれいに回っているとしか思えなくてもアンダーローテーション判定する」。その下地はできたと思う。去年、浅田選手のトリプルアクセルが認定されなかったのは、垂直跳びに近い幅のないジャンプで、回りながら降りてきてしまう傾向が強かったからだと思う。実際には、回っているように見えたジャンプもしばしばダウングレードの餌食になった。オリンピックで3度のトリプルアクセルが認定されたのは、むしろ判定が、それまでのキチガイじみたダウングレート判定の基準に比べれば甘かった(というよりもマトモだった)からだ。だが、バンクーバーの女子でも、全員に甘かったわけではない。フリーのフラット選手(アメリカ)に対するダウングレード判定だけは、奇妙なほど厳しかったのだ。すでにそういう「実績」があり、誰も問題視していないし、今回のワールドの女子でも、完全に回転が足りずに、だからこそ転倒したコストナー選手の3Fを堂々と認定し、回ってるとしか思えない村上選手のトリプルトゥループを回転不足にする。これだけの判定をしてくれたのだ。今度もっとあからさまな不公平判定が大手を振ってまかりとおっても、不思議ではない。今回アンダーローテーション判定された村上選手のセカンドのトリプルトゥループは、まさに解説の八木沼氏が言ったように、高さもあり、幅もあり、流れもあった。それでもアンダーローテーション判定できるのだ。そして、それに対して日本のスケート関係者は、誰も異を唱えていない。だったら、たとえ浅田選手が幅のあるトリプルアクセルにジャンプを改良したとしても、同じ判定をされても不思議ではない。もうISUは先回りしているのだ。浅田選手のトリプルアクセルがなかなか認定されないとなれば、他の世界中の選手は大助かりだ。なんだったら、年に1度か2度、認定してあげてもいい。ちょうど彼女のセカンドの3ループに対してやったように。そうすれば、日本のファンは期待してまた試合を見てくれるだろう。視聴率も取れてテレビ局もバンザイだ。たとえ限りなくクリーンに跳んだとしても、認定されなければ、単に「浅田選手の失敗」にして、浅田選手を「精神力が弱い」「トリプルアクセル頼みの選手」などと叩けばいいのだ。安藤選手を優勝に導いたモロゾフが今回やったのは、徹底した「減点対象になりうる可能性のあるジャンプの排除」だったのだ。セカンドのトリプルループはまず認定されない。フリップもしばしば回転不足判定されてきたし、エッジももしかしたら狙われるかもしれない。だから、これらを入れず、フリーでは加点をしぶっても、ルール上間違いなく10%増しになる後半にジャンプを固めたのだ。ジャンプの難度を落としたから、全体に余裕が出来る。安藤選手の自信に満ちた余裕のある演技は、ジャンプにほとんど不安がないからできたものだ。こうしたジャンプ構成(安藤選手はもっと高いレベルのジャンプ構成を組める選手だ)がスポーツとしてどうかという議論は常にある。だが、ここまで回転不足を恣意的に厳しく取るとなると、好意的採点が必ずしも期待できない選手は、安藤選手のような闘い方にせざるを得ないのだ。それはまた、ルールとジャッジングの運用の問題に絡むのだから、「ここまで不毛に厳しく回転不足判定を取っていたのでは、女子を萎縮させ、スポーツの発展を妨げる」という論旨でジャッジの側に改正を迫るべきなのだ。こんなあからさまな不公平採点の中で、なんでもかんでも、選手に「乗り越えろ」というのは間違っている。話を村上選手に戻そう。日本の若手が快進撃を始めると、グランプリファイナルまでは割合好意的な点が出る。2008/2009シーズンの小塚選手のときもそうだった。ところが年が明けて大きな国際試合になってくると、「ジャッジが点を出してくれなくなる」のだ。村上選手で、また同じことをされただけだ。Mizumizuも実はグランプリファイナルまでの村上選手に対する点は、「出過ぎ」だと思っていた。だが、それは村上選手がそれに値いしない悪い選手だと意味ではない。彼女は素晴らしいダイナミズムをもった選手だが、まだまだ荒削りだし、なんといっても姿勢が汚い。その選手に奇妙なほど気前のいい点が出てくる。これまで散々思惑採点をくり返してきた信用ならないジャッジたちが、どうして日本の若手にそうも好意的なのか。日本人ファンの期待(たいていは、むなしい期待に終わることになるのだが)を高めようとしているだけではないか。そんなふうに思っていたのだが、案の定だった。こんなわかりやすい茶番に、なぜ気づかず、日本人が村上選手を過剰に持ち上げたり、逆に優遇採点をされている(多くは浅田選手を下げるために、村上選手を上げているといった憶測からだが)といってバッシングしたりするのか。日本人がそうやって内ゲバ状態になり、ある日本人選手が好意的な点をもらうと別の日本人選手のファンがヒステリーを起こすようでは、ますます「国外の敵」の思うつぼではないか。強すぎる日本を誰も喜ばない。スキーのジャンプや複合で日本が世界一になったとき、欧米各国がどういう手を取ってきたか。それを思い起こせばわかるはずだ。スキーなんかよりよっぽど商業価値のあるフィギュアで、同じことが起こらないと思いこむほうが愚かなのだ。そして、キム・ヨナ選手。今回、失敗した連続ジャンプでも減点されなかったり、「どのくらいのレベルがもらえるか、いきなりではわからない」(本田武史談)はずのスピンのレベルもいきなりオールレベル4を揃え、「軸がぶれていた」と識者に指摘されながらも世界が認めるスピンの名手シズニー選手に匹敵するか、ときには凌いでしまうほどの加点をふるまわれたりと、一人だけ別格の好意的採点をされたキム選手(浅田選手のスピンに対する加点のしぶさとは対照的だ)を、安藤選手が破ったことは素晴らしいの一言だ。だが、点差はわずかで、キム選手がサルコウのあとに2回転だけでもつけていれば勝てなかった。安藤選手が優勝したことで、またもルールとジャッジングの問題点が見えなくなるかもしれないが、おかしな採点はおかしな採点として批判し、改善を求めていくべきなのだ。スピンのレベル判定は、今シーズンは最後まで怪しかった。咋シーズンは最後にレベルを「4」に揃えられた男子の世界王者は今季は「なぜか」シーズンをとおしてサッパリ対応できない。ジュベール選手はヨーロッパ選手権のときには取れていたレベルをワールドではガタガタ落とし、アモーディオ選手もワールドではヨーロッパ選手権のときよりレベルを落としているのに、地元のガチンスキー選手は、「なぜか」フリーでレベルをヨーロッパ選手権より上げて揃えることができた。http://www.isuresults.com/results/ec2011/http://www.isuresults.com/results/wc2011/来季はまたスピンのレベル取り条件を変えるらしい。一体何のために、そうもコロコロとルールを変える必要があるのだろうか。こういうことをするから「疑惑隠しでルールを変えている」と言われるのだ。今回のワールド、浅田選手のジャンプが回転不足だったのはスローで見ればそのとおりだが、なんとまあ大胆にもダウングレード判定の嵐だ。「またあのスペシャリストか」と、少し詳しいファンなら思っただろう。浅田選手に関しては、特に上にあげた3つの問題点をごちゃごちゃにして、どれか1つのせいにしてしまう傾向がファンの間で顕著である気がする。メディアはと言えば、全部浅田選手の「不調」のせいにして片付ける。どちらの態度も正しくない。浅田選手のジャンプの強みとは? 多彩で高難度のジャンプを跳べることだ。トリプルアクセルもセカンドのトリプルトゥループも転倒することはほとんどないのだから、別に無理なジャンプに挑戦しているわけではない。ほぼ跳べているジャンプだと言っていい。では浅田選手のジャンプの弱みとは? それは回転数を上げたとき、あるいはジャンプを連続にしたときの回転不足問題だ。セカンドに2ループをつけただけでファーストがやや怪しくなる。セカンドにトリプルトゥループをつけられるのは、それだけで凄いことだが、これもクリーンに降りて来られない。だから、今のように回転不足を(ときに)転倒以上の減点にされてしまうルールでは弱いのだ。しかも、今回のように安藤選手の調子がいいと、浅田選手に対する採点は余計に厳しくなる(浅田選手が調子がよければ、逆に安藤選手の点が伸びない)。そんなことはここ数年の試合を見ていれば、普通気づくだろう。ところが、「あなたに対する採点は厳しいのでは?」と浅田選手に面と向かって聞いたのは日本人ではなく中国の記者だった。ヨーロッパの選手は自分への回転不足判定が気に入らないと必ず声をあげる。コストナー選手やジュベール選手は好例だろう。だが、日本は? 誰も何も言わない。疑問も呈さない。だからやりたい放題にやられている・・・今回のワールドはMizumizuにはそう見えた。<続く>
2011.05.14
<続き>その差が妥当か妥当でないかなど、水掛け論にすぎないが、せめてショートでの差がもっと縮まればフリーは、見ているほうにもさらにエキサイティングなものになる。フリーをやる意味がないような点差をショートでつけられてしまうのは、選手にとっても酷だ。新システムはフリーでの大逆転が可能だという触れ込みで、実際に初期にはそういうこともあったが、今はフリーの演技構成点になると、ショートでのメダル仕分け選手と下位の選手は差がさらに広がってしまうから、メダル仕分けされていない選手の逆転はほとんど不可能になってしまった。今回小塚選手が6位から大逆転などと言っているが、ショートの総合得点は4位のガチンスキー選手が78.34、6位の小塚選手が77.62、7位のブレジナ選手が77.50と、ほとんど団子状態だった。2位の織田選手との差にしても4点あまり。このぐらいの点差ならひっくり返っても「大逆転」とはいえないだろう。演技構成点も、本当は1位と2位が0.25点差でもいいはずなのだ。接近する実力差をより客観的に正確に反映させる・・・そのために細かくルールを規定したのではないのか。こんなに圧倒的な点差が世界のトップスケーターの間につくほうが不自然だ。ところが、恣意的に点差をつけないと、それこそこのシステムが本来目指したように、「誰が勝つかわからない」試合になってしまう。それがはなはだ不都合な人たちがいるということなのだ。こうした得点操作はほとんどの国の人間が認識している。審判は公平などという神話にしがみついているのは一部の日本人ぐらいだろう。いや、さすがにここまで来ると、もうわかったかもしれないが。今回ロシアの観客の反応は、非常にクールだった。自国の選手は熱心に応援するが、そのほかには興味がない。以前ロシア大会でジャッジに対して、キノコのイラストを掲げているロシアの観客もいた。これは、呆れた点数が出たときに、ロシアの解説者が、「ジャッジは毒キノコを食べて変になっていたのでは」と言ったことに由来する。おかしいと思ったことは批判する。それは言論の自由が保証された世界では当然のことだ。日本にはこうした批判精神があまりに欠落している。去年までは「完成度」だといっていたのが、転倒しても誰も勝てないほど強い今年のチャン選手へのバカバカしい銀河点をみて、「ショートから4回転を入れないと勝てない」と思い込んでいる。ショートから4回転を入れて決めたプルシェンコが勝てなかったバンクーバーはたった1年前のことだ。モロゾフはこうした日本人の単純な「筋肉能」をあからさまに馬鹿にした。http://www.youtube.com/watch?v=T43J5xT9O-Yフィギュアに詳しい日本人なら、このモロゾフの鼻高々のセールストークを聞いて、「また吹いてるわ」と苦笑いを浮かべるだろう。だか、よく事情を知らない世界の人々(そのほうが圧倒的多数だ)は、素直に納得してしまうものなのだ。モロゾフは安藤選手について決してマイナスのことは言わない。自信ありげに振る舞い、結果が出たら、あたかも当たり前のことが起こっただけというような顔で、選手の素晴らしさと自身の能力を大いに宣伝する。もちろん、その成果を導くための地道な努力も怠らない。安藤選手は姿勢がよくない選手だった。それが今回、この動画で切り取られたどの演技場面を見ても、背筋がピシッと伸びて美しい。モロゾフのこういう態度は、ビジネスの世界でも大切だ。Mizumizuが彼を評価するのは、Mizumizuが日頃見ている、インターナショナルなシーンで成功しているビジネスマンと共通するものを彼が持っているからだ。4回転2度入れて勝てるなら、2種類のクワドを跳ぶレイノルズ選手がとっくにチャン選手に勝っているはずだ。ところが、彼は技術点でチャン選手に匹敵する点を出しても、演技構成点で圧倒的な点差をつけられ、オリンピックに行けなかったではないか。同じことを小塚選手に対してしているだけだ。チャン選手と小塚選手の演技構成点の点差がおかしいと言っているのは、外国の元有名選手だけ。日本人でそう批判する元有名選手は皆無だ。そもそも小塚選手のフリーは技術点ではチャン選手以上の点を出している。それをやみくもにジャンプの回転数をあげたら、どうなるか? 他のエレメンツに力を配分できなくなり、表現もおろそかになる。せっかくここまで表現力を磨いてきたのに、また「ジャンプで勝とう」とするのか。それは自滅への道だ。日本選手は口では、「自分との闘い」と言いながら、結局ジャンプの難度でライバルに勝とう勝とう躍起になる傾向がある。そうやって自分を見失う。高橋選手に勝てそうなチャンスが巡ってくると、自分でジャンプを跳びすぎて自滅する織田選手などはその典型だ。選手はどこまでも自分の世界を構築し、完成させることを考えるべきなのだ。ジャンプはその要素の1つにすぎない。小塚選手の欠点とはなにか? それは試合によって出来にムラがありすぎることなのだ。トリプルアクセルもやっと安定してきたところ。4回転もようやく決まり始めたところ。だから、小塚選手の目指すべきは、やみくもに回転数を上げることではなく、安定した演技を何度でも披露し、ジャッジにその力を見せつけることなのだ。それは安藤選手が今シーズンやったことでもある。高橋選手の欠点とはなにか? それはスピンの弱さと3回転+3回転をやったときのセカンドジャンプの回転不足問題だ。世界最高得点を出したころに比べるとジャンプの能力は残念なら低下している。年齢的に見てもそれは仕方ない。現実に目をつぶって夢のような理想を追いかけるのは賛成できない。怪我のもとではないか。高橋選手はもともと夢想的な性格の持ち主で、それがあの天才的な演技につながっているのは間違いない。だが、そのロマンチシズムはときに現実から遊離する。選手をつづけるなら、その部分を周囲の誰かが補わなくてはいけないだろう。モロゾフのような父権的な性格でなくとも、兄貴的な性格で彼を支える献身的な人材が必要であるように思う。そして高橋選手にしか表現できない音楽との深い一体感をもっと極め、エレメンツでの減点を防ぐ方向で地味に努力してほしい。たとえイチャモンのような判定でも、他の選手には甘くても、指摘された欠点は欠点。改善する努力はするべきだ。選手がジャッジを敵視したり、疑いの目で見たりするのはよくない。スルツカヤ選手がトリノでいい演技ができなかったのは、「また勝たせてもらえないのではないかと思った」せいなのだ。観衆に理解してもらう努力をするのと同じ姿勢で、ジャッジにも自分の想いを届けるよう心をこめて演技すべきだ。たとえ、それが自分をひどく嫌っていると思うようなジャッジであっても。ジャッジが「きのこを食べてヘンになっている」ことは、ロシアだけではない、世界中の少し詳しいファンならもうわかっているはずだ。こういう状況で選手にとって一番大事なのは、点が出ないからといって自暴自棄にならないこと、過度なプレッシャーを自分にかけないこと、できもしないジャンプ構成に「挑戦」して、プログラム全体を穴だらけにしないこと。つまり、精神的につぶれないことなのだ。自分にしかできない表現で観客を魅了する演技をする。その目標に向かって努力し、観客から喝采を浴びれば、それだけで十分選手の喜びになるはずだ。チャンが300点出そうと、放っておけばいい。ああやって高下駄を履かせれば履かせるほど、人気は落ちていく。今のフィギュアの一番の癌は、勝たせたい選手に合わせてコロコロ指針が変わるルールとその運用だ。その結果だけを見て、選手に「対応しろ」と責任をかぶせるのは間違っている。ルールおよびジャッジングへの働きかけは選手強化と同時に、別のルートでやらなければダメなのだ。ところが今は日本のジャッジは、日本選手に厳しい判定が出ると、それを国内大会でマネっこする。それでは日本をなんとか牽制したいISUの思惑どおりではないか。強化部長は、「伊藤みどり時代に有力選手が1人しかいなくて失敗したから層を厚くした」と自慢げに言うが、その結果、メダルは一国一名様になってしまって、1人の日本選手がいい評価をもらうと、同時に出た他の日本選手の点は伸びない。まさに、ジョニー・ウィアーがオリンピック後に話したとおりの結果になっている。<続く>
2011.05.10
読者の皆様へ前回のエントリーについて、温かなメッセージを多くいただき、驚くとともに、感謝いたしております。大変励みになります。「同じ真央ファンとして恥ずかしい」というご意見もいただきましたが、真央ファンの行為かどうかわからないのが魑魅魍魎なのです。狂信的な真央さんファンを装って煽り工作をしてくるおかしな人種もいます。背景まではわかりませんが、送信主はきちんと追跡しておりますので、どうぞご心配なく。今後もマイペースに更新して参りますので、よろしければお気軽に覗きにきてください。Mizumizu<本文>1年以上前のエントリーでMizumizuは、「演技構成点は、まだまだ上げることができる。今出ている9点台前半を9点台後半にしていけばいいだけだ。世界最高レベルの選手になら、別に9点台の後半を出したっておかしくない・・・ その一方で、落としたい選手はできるかぎり差をつけて(異常採点にならない程度に)低い点をつける。5つのコンポーネンツの点を足す演技構成点の総得点で、ジャンプ1つ分の差がでても選手にとっては大きな痛手だ。このまま放置したら、どんなフランケンシュタイン世界最高得点が出てくることやら・・・ こうやって、これまで慣習的にあった「ガラスの天井」を引き上げることで、唯一客観的な基準であった「基礎点」をないがしろにして、主観による順位操作がより容易にできることになった。これもロスの世界選手権で予想したとおりだ」と書いた(こちら)。チャン選手の演技構成点のつりあがり方は、まさにこの予想どおり、いや9点台の後半どころか、今回は10点を出したジャッジまでいたのだから、予想以上の露骨なやり方だ。「300点おねだり」に答えるために、ずいぶんジャッジは頑張ったようだ。こういうことができるから、こうやってくるだろうと書くと、その通りのことをしてくる。実にわかりやすい人たちだ。チャン選手は4+3と単独4Tをフリーに入れているから点が上がるのだと言う人が入る。それだったら、浅田選手の演技構成点が上がらなかった理由は何だろう? 男子トップ選手なら4回転は跳べる。だが、女子のトップ選手でトリプルアクセルを跳べる選手はいないのだ。だから女子の3Aのほうが男子の4Tより価値が高いハズだ。しかも、それを浅田選手は2回入れた。その浅田選手を日本人は賞賛しただろうか? ただ、結果を見て叩いただけだ。今度のチャン選手の4回転2度の持ち上げぶりときたら呆れるくらいだ。そんなことを大げさに持ち上げるなら、全盛期の本田武史のジャンプを讃えるべきだ。浅田選手はジャンプを失敗するので、いくら高難度のジャンプを構成に入れても、名画に穴があいたようなものになる。だから、演技構成点が上がらない・・・などと説明しているメディアもあったが、それならトリプルアクセルで吹っ飛んでしまったチャンの演技構成点になぜ満点である10点がつくのか。一貫性のないジャッジの行動を場当たり的に辻褄合わせしようとするから、どんどんほころびが出てくる。今シーズン、チャン選手の演技構成点をどうやってつりあげたか、その華麗なる(苦笑)軌跡を見てみよう。今季は最初から、演技構成点はチャン・高橋が2強の金メダル仕分けで、他の選手とは別格の扱いだった。これが日本ファンの間に亀裂を生む。高橋選手は人気がある。ファンも多い。ファンというのは贔屓選手が「審判にエコヒイキされている」とは思いたくないのだ。だから、チャンの点は高すぎるが、高橋選手の点は妥当・・・と思いたい。だが、これほど変な採点をするジャッジが、なぜ高橋選手だけ妥当に評価できるのか。高橋選手の表現力が圧倒的だから? それならば、シーズン通して、彼は金メダル仕分けの演技構成点をもらいつづけたはずだ。ところは実際にはそうはならなかった。高橋選手の演技構成点の軌跡をたどってみよう。NHK杯 83.58点(1回転倒)→アメリカ大会85.00点(1回転倒)→グランプリファイナル81.00点(2回転倒)→4大陸82.86点(1回転倒)→世界選手権82.08(1回転倒)ご覧のように、実はアメリカ大会が最高で、そのあとは下がっている。完成度でいえば、4大陸はよかった。4回転は決まらなかったが、「ジャンプの失敗を切りはなす」のなら、アメリカ大会より点が出てもいいはずだ。アメリカ大会では、高橋選手が思わず、「85って・・・」と驚いている声が入った。出来がさほどよくないのに、ここまで好意的によい点をもらえていたのに、ファイナルでケガもあって本領が発揮できないと、いきなり下げられ、そのまま最後までアメリカ大会の点には届かなかった。一方のチャン選手。ロシア大会(3回転倒)81.30点→カナダ大会(1回転倒)84.14点→グランプリファイナル87.22点→世界選手権91.52点オリンピックはチャン選手が82点、高橋選手が84.5点。わずかながら高橋選手のほうが上だった。ところが今シーズン、アメリカ大会で高橋選手の点が上がると、それを追いかけるようにチャン選手の点がインフレする。これではカナダ大会でのチャン選手の点をつりあげるために、アメリカ大会でいったん高橋選手の点を上げたようなものだ。アメリカ大会高橋選手、続くカナダ大会でのチャン選手の点数を見てMizumizuはそう思ったのだが、案の定ファイナルで2人の立場は逆転し、チャン選手が6.22点もぶっち切った。チャン選手のいない4大陸でも高橋選手の演技構成点が上がらなかったから、事実上これでチャン選手が「演技構成点、独走状態」に入ったのだ。高橋選手はもともと技術点が悪い。エッジで去年まではなかったフリップへのEや、ルッツのEがつく。スピンはレベルが取れない。チャン選手に匹敵する技術点を出せる小塚選手は、高橋選手・チャン選手と同じ試合に出ると、演技構成点でチャン選手と10点近く差が出るのが「お約束」だ。ということは? もう誰も勝てない。チャン選手がそれこそ3回ぐらいコケてくれなければ。しかし、ヤル気満々のチャン選手は世界選手権で会心の演技をする。そして、91.52点というとんでもないフランケンシュタイン点が出て、高橋選手に10点近い差をつける「モンスター」になってしまった。 では、小塚選手は?中国大会74.70点→フランス大会80.80点→グランプリファイナル77.64点→4大陸(1回転倒)75.08点→世界選手権82.26点最初と最後で7.56点も上がっているから、かなりインフレしているように見える。だが、よく考えてみよう。現在の採点は点をつみあげて勝敗を競うように見えるが、実際はどのくらい点差をつけていくかの競技なのだ。シーズン初めは6.6点だった小塚選手とチャン選手の演技構成点の差、グランプリシリーズ2戦では3.34点差にまで縮まったこの2人の差は、世界選手権では9.26点と、むしろ広がっているのだ。世界選手権のフリーのメダル仕分けときたら、笑ってしまうくらい単純だ。「絶対に金メダル」仕分け チャン選手91.52点銀メダル仕分け 小塚選手82.26点 高橋選手82.08点高橋選手がアクシデントで出来が悪かったため、急きょ同じ日本選手を銀メダル仕分けにグレードアップしたようだ。よっぽど慌てたらしく、高橋選手とほぼ同点を横滑りさせるというお粗末ぶり。チャン選手と小塚・高橋選手の点差は、ちょうどチャン選手が苦手なトリプルアクセル1つ分なのだ。ああ、わかりやすすぎる。技術点の出来によっては、もしかしたら銅メダル仕分け 織田選手78.44点、ガチンスキー選手77.86点(ロシア)、アモーディオ選手 77.06点(フランス)ロシアとフランス1番手仕分けの若手が、なんとまあ、またもほとんど同じ点。この下になってくると、「メダル圏外仕分け」ラインがくっきりだ。75点ラインがメダル候補とメダル圏外選手の間に引かれている。ジュベール選手がそのライン上にいる。ジュベール選手75.58点、ブレジナ選手74.92点、ドーンブッシュ選手73.64点 女子のほうも、似たようなものだ。金メダル仕分け キム選手 66.87点 (ただ1人だけ65点越え)銀メダル仕分け 安藤選手 64.46点、コストナー選手64.63点なんとまあ、日本の一番手仕分けの選手とヨーロッパの1番手仕分けの選手が仲良くほぼ同点なのだ! 素晴らしい偶然!!技術点の出来によっては、もしかしたら銅メダル仕分け レオノワ選手61.82点、シズニー選手61.13点、マカロワ選手60.08ロシアの女子選手が、現世界女王以上の点を出している。ロシアの女子選手って、今シーズンそんなに実績ありましたっけ? しかも、ロシア1番手とアメリカ1番手の選手の点が、またもきれいに横並びなのだ。ここから下は「メダル圏外仕分け」。60点ラインが引かれている。そのライン上にいるのがマカロワ選手だ。浅田選手59.94点、コルピ選手58.06点村上選手56.62点。フラット選手は去年までの実績など考慮されないらしく、村上選手より露骨に低い点をつけられている。なぜ浅田選手の演技構成点が60点に届かないのか? 今回はメダル仕分けが安藤選手だったから、浅田選手にはメダルはこない。だから60点ラインの下なのだ。ああ、こんなこじつけ説明が、なぜかぴったりはまってしまう。今回安藤選手が勝てたのは、この仕分けの差が2.5点以下と小さかったためだ。もっと露骨に点差をつけられていたら勝てなかった。キム選手はブランクもあり、中盤以降かなり疲労が目立ったようにも思ったが、そんなことはおかまいなしに世界トップの演技構成点を出している。ただ、今回は何かの理由で点差を広げることができなかったというだけ。もっと点差をつけることだってできるのだ。そうすると、ジャンプミスがあっても、「圧倒的な表現力」で勝ったことになるというわけだ。ほぼ同点の選手がなぜかこんなにも都合よく配分される。そのくせ「グループ」ごとの点差は明確に開いている。メダル候補と圏外の仕分けラインもくっきりだ。実にわかりやすすぎる。高橋選手と小塚選手がほぼ同点とか、ガチンスキー選手とアモーディオ選手がほぼ同点とか、安藤選手とコストナー選手がほぼ同点とか、レオノワ選手とシズニー選手がほぼ同点とか、あまりにミエミエではありませんか。これを国別配分といわずして何と言おう。以前引用したソニア・ビアンケッティ氏のエッセイで、彼女は、「トップスケーターが転倒すれば、それを救うためのシステムを作るだろう」「これが客観的なシステムだなどと、私はまったく信じられない」と書いている。今の採点は、勝たせたい選手を勝たせることのできるシステムなのだ。オリンピックで審判を務めたほどのフィギュア界の重鎮が、ここまで明確に批判している。客観的な規準をもうけながら、それを隠れ蓑に主観点で順位を操作する。今回はシズニー選手以外のアメリカ選手の点が伸びないのが気にかかった。「まあ、アウェイ中のアウェイ、ロシアだし。今回アイスダンスは北米にメダルが多く配分されるし・・・」というところか。キス&クライで落胆の表情を浮かべるアメリカ選手・・・ 日本選手のほうが評価されているのはありがたいが、それにしてもショートでここまで差がついてしまっていいものか。<続く>
2011.05.02
フィギュアスケートのエントリーを続けるとやってくる嫌がらせメールについては、だいぶブロガーの間に広まっているようだ。昨日の安藤選手に関するエントリーをあげたところ、さっそくなにやら勘違いしたらしい御仁からの支離滅裂のメールが届いた。2011年05月02日15時37分 From: なつきさん あなたは選手よりえらいのですか?スケート連盟の人なのですか?あなただって選手の演技によって楽しませてもらっている身分でしょう。楽しませてもらっていながら楽しくない時は文句ですか。あなたは浅田選手の成績が振るわないと損害を受けるスポンサーなのですか?浅田選手に何千万円のスポンサー料を払っているのですか?それならわかります。スポンサーと言うものは選手の成績に期待をしているのですから成績が落ちれば選手に文句を言う権利はあります。でもあなたは1円だって浅田選手にスポンサー料を払っていないのでしょう。何か浅田選手のためになることをしているのですか。それなのに随分上から目線ですね。あなたのエントリーはスポンサーが書くことでスポンサーでないあなたに書く権利はありません。 浅田選手のことには一言も触れていないエントリーで、勝手に激怒している。論旨はめちゃくちゃで幼稚な文章だが、言いたいことはわかる。「あんななんかが書くな」ということだろう。「楽しませてもらっている身分」だから何も言うなということらしい。「身分」とはおだやかではない。ずいぶんと侮蔑的な表現だ。スポンサー料を何千万払ったら、何かを言う権利が生じ、お金を出さない人間には何かを言う権利はないというのなら、カネがすべてになり、民主主義は成り立たない。連盟の人間なら言ってもいいが、連盟の人間以外は言ってはいけないというのなら、組織に属さない人間には何も発言権がないことになってしまう。何をどう誤読してヒステリックになったのかは知らないが、感情的になる前に、言論の自由とは何か、民主主義とは何かの基本を学ぶことをお奨めする。我々は言論の自由の世界に生きている。これは非常に大切な権利だ。「身分」を持ち出して、「あなたに書く権利はない」などと、脅迫めいた言葉で、誰しもがもっている言論の自由の「権利」を封じようとするのは、批判の範疇を超えた言論妨害であり、法的にも問題がある。誹謗中傷や名誉毀損に当たらない限りは、誰しも何かを賛美したり批判したりする自由は保証されている。誹謗中傷や名誉毀損にあたると考えるなら、当の本人(周囲ではない、言われた本人だ)がアクションを起こす権利がある。それが言論の自由の世界の中で秩序を保つための法律というものだ。スポンサーでない人間には書く権利がないなどという飛躍した暴論を送りつける前に、世の中の常識を学ぶべきだろう。実際にはこうした意味不明の嫌がらせメールよりも激励のメールのほうがずっと数が多い。割合でいえば、9.5対0.5程度だ。批判なら堂々とすればいいし、自分でブログをもって自分の意見を筋道立てて主張すればいいようなものだが、しかし、「なぜか」こうしたメールを送りつけてる人は、自分の身元がわからないように姑息な算段をする。メールアドレスを入れなかったり、IPアドレスのわからない携帯メールから送ったり、フリーメールを使ったり。実にご苦労なことだ。だが、携帯からであっても、アクセス記録とメール送付時間で、ちゃんとどこの携帯会社から送られてきたのかはわかっている。フリーメールには運営業者がいる。もちろん、こちらはすべて記録をとり、あまりに何度も同じ人間が嫌がらせを繰り返すようなら法的手段を取る準備は整えている。実際に、時間を置いているとはいえ、こうした嫌がらせメールを送ってくる人間はMizumizuが記録をとったところ、たったの5人なのだ。繰り返しこの5人が別人になりすましてハンドルネームを変え、支離滅裂なクレームレターを送りつけてくるのだ。たがかフィギュアのエントリーで。実に不思議な現象ではないか。最近はネットでの嫌がらせ行為がエスカレートしている関係で、通信会社も情報開示には積極的になっている。こちらとしては、証拠を集めているといったところだ。フィギュアのエントリーをあげているブロガーでこうした被害に遭っている方は、どうぞご一報を。情報交換には応じるつもりでいる。
2011.05.02
<続く>加えて、回転不足をやたらと派手に減点する現行の狂ったルール。すでにオリンピックの2シーズン前から、Mizumizuはこれを「安藤・浅田には勝たせないぞ」ルールだと言ってきた。荒川、安藤、浅田と女王が続いたあとに、急にルール運用がどうかわり、誰の点がいきなり下がり、誰がいきなり強くなっただろう? 考えればすぐにわかることだ。4年前に世界女王になったときの安藤選手の強みは何だっただろう? 明らかにトリプルルッツ+トリプルループの高難度ジャンプだ。浅田選手のほうはトリプルフリップ+トリプルループをもっている。キム・ヨナ選手と当時強かったコストナー選手は、ハイスピードからのトリプルフリップ+トリプルトゥループをもっていたが、基礎点の高いループをセカンドにもってこられる日本女子に対して、彼らはもともと不利だったのだ。ところがルールの運用がかわって、セカンドのトリプルループがまったくといっていいほど認定されなくなった。見た目にきれいにおりているのに、わずかに回転が足りないといってダブルループの失敗の点にされてしまう。キム選手(そして、あの連続ジャンプを維持できていれば)コストナー選手にとっては、目の上のタンコブがなくなったようなものだ。こんな非常識なルール運用をゴリ押ししたのだ。これで安藤選手のセカンドの3ループは武器どころか減点対象になり、あれほど心血をそそいた4サルコウも使えなくなった。天才ジャンパーが両翼をもがれてしまったようなものだ。コーチのニコライ・モロゾフはルールを厳しく批判する一方で、ルール対応も怠らずに指導した。スピンやステップに傑出したものがあったわけではない、それどころか肩の負傷でビールマンポジションが取れなくなり、レイバックスピンのレベル取りには非常に不利な状況になってしまったにもかかわらず、ポジションをさまざまに工夫して対応した。今季、E判定がずいぶんといい加減に猛威を振るって、「最高日本男子」の加点を抑えはじめると、安藤選手のプログラムからはフリップが消えていった。安藤選手はエッジを矯正したフリップだけは、回転不足になりやすい。エッジの違反は取られたことはないが、かなり中立に近く、昨シーズン前半まではエッジ違反を取られなかった日本男子がどんどん取られている様子を見れば、いつつけられてもおかしくはない。過去のエントリーでも書いたように、Mizumizuは織田選手のルッツを心配していたのだが、案の定、カナダ大会のあとに連続してつけられていた。こういうことが安藤選手のフリップに突然起こっても不思議ではない。フリップを抜いても、安藤選手にさほど不利にならなかったのは、ルール改正でフリップの基礎点が下がり、ほとんどループとかわらなくなったことだ。安藤選手はルッツが得意だ。フリップの点が下がったということは、フリップ頼みの浅田選手には不利だが、ルッツが得意な安藤選手には有利なのだ。キム・ヨナ選手はエッジの問題を指摘されてから、ややフリップが不安定になった。今回もフリーでフリップが完全に抜けて1回転になってしまった。浅田選手は苦手意識のあるサルコウジャンプが同様にパンクして1回転に。この2人のトップ選手は、この失敗があまりに多い。安藤選手にあの失敗(3回転を跳ぶつもりで行って、完全にジャンプが抜けて1回転になる)は、ほとんどない。3回転でタイミングが合わなそうなら2回転に抑えることができる選手だから(というか、トップ選手はふつうそれはできるはずなのだが、ことキム選手と浅田選手については、トップ選手の資質がこの部分についてだけ備わっていない)、3回転予定がいきなり1回転の点になってしまうという致命的なミスはほとんど起こさない。その安藤選手に対する一番の脅威。それはやたらと日本女子とアメリカ女子には厳しい(ように見える)回転不足判定だ。日本女子とアメリカ女子には厳しい(ように見える)というのは、別に思い込みで言ってるのではない。そうとしか見えない実例があるから言っている。今回、コストナー選手のショートで、フリップが完全に回転不足のままおりてきて転倒してしまった。解説の八木沼純子氏が思わず、「ダブル判定(回転不足判定より1つ低いダウングレード判定)にされるかも」と本当のこと(苦笑)を言ってしまい、プロトコルが出て慌てて、「3回転認定されている」と訂正していた。あれだけ回転が足りず、だからこそ思いっきりコケたジャンプが堂々と認定される。一方で、グランプリファイナルのショートのように安藤選手が回転不足のままフリップで転倒してしまうと、遠慮なくダウングレード判定(回転不足判定ではない。その下のダウングレード判定だ)される。フランス大会でも似たようなことがあった。コルピ選手がルッツで思いっきり、回転不足のまま転倒し、解説の荒川静香も当然回転不足判定(もしくはダウングレード判定)を前提として、説明をしたのだが、プロトコルを見ると、なんとびっくり認定されている。こうした不公平があることを、疑い深いモロゾフが気づかないわけがない。安藤選手だって、とっくに気づいているだろう。口に出さないだけだ。こうなると選手としては、回転不足判定されないほど明確に回りきって降りてくるしか方法はない。それを安藤選手はやりきった。難度の高いジャンプを入れてしまうと、そこで疲労するので、他のジャンプが低くなる。そうすると、すかさず回転不足判定の餌食となり、点が出なくなる。このルールの罠に今回安藤選手ははまらなかった。着氷時の姿勢がやや完璧とは言いがたいものはあったが、失敗したアクセル+トゥ以外のジャンプは、本当に素晴らしい。女子であれだけ、きれいな放物線を描く、ディレイド回転(跳びあがってから回転を始める)ジャンプを跳べる選手はほとんど見たことがない。かつてセカンドの3ループで世界を獲り、4回転サルコウの大技にあれほどこだわっていた選手が、どちらも入れずに再び世界を獲った。ジャンプで大技に挑まないから、すべてのジャンプをきれいにまとめ、他のエレメンツや表現にも力をさくことができたのだ。自分の体力とジャンプ力を総合して、何を捨て、そのかわり何を入れるのかを判断する。ルールとジャッジングの問題は山ほどある。あるが、それは選手とコーチにはどうにもできない。別方面からのアプローチが必要だ。日本はとかく批判精神に欠けている。他国はさかんにジャッジングを批判し、ルールの不備に声をあげている。ところが日本ときたら、「女子のショートに3Aを入れられるようにしろ」などと、単にエゴイスティックな主張としか思えないようなことを提案している。女子に関していえば、技術得点のルールとジャッジングの問題はそこではない。回転不足判定が公平で適切かどうか、そして現行の減点がいびつにすぎないかどうかだ。それは全選手に共通した問題点のはずだ。モロゾフはチャレンジングなことはさせない。それが「相手のミス待ち」になったとしても、自分が挑戦して失敗し、その失敗が失敗を誘発しては意味がないからだ。採点で優遇されている選手がいるならなおさらだ。ジャンプの難度を上げれば、ジャッジは愛する選手の演技構成点を上げてくる。ミエミエではないか。そうやって、普段の練習でも確率の悪い無理な挑戦をして、何度「神演技」ができるというのか。神演技をしたときに、まっとうな演技構成点が出るだろうか? 今回の男子フリーのチャン選手と小塚選手の演技構成点の差をみれば明らかではないか。フィギュアは実績なのだ。今回安藤選手が勝ったのも、今シーズン安定して実績をあげてきた実績がモノを言っている。あれだけ安定したフリーを見せ付けられれば、ジャッジも露骨に点は下げられない。安藤選手は、今回、セカンドの3ループ、フリップ、4回転サルコウを捨てたが、世界タイトルを手にした。これが実績であり、現実だ。絵に描いた餅を追い求めるのではなく、現実的な対応で、チャンスを待ち、実績を出す。モロゾフはソチに向けて、役に立たない日本スケート連盟とさっさと手を切り、ロシアと伝統的に仲のよいフランスの若手選手の指導にあたっている。そして、今回はただ1人日本選手で手放さなかった安藤選手を2度目の世界女王に導いた。したたかで計算高い野心家はこうやって結果を出し、自分のプレゼンスを高め、ビジネスとしてのコーチ業を成功させる。限界に満ちた人間である選手の力を見きわめたニコライ・モロゾフの冷静な姿勢と指導手法は、「挑戦大好き」な「筋肉脳」の他の日本選手とそのコーチも見習うべきものがある。
2011.05.01
総合力の勝利とでも言おうか。本当はショートも1位は安藤美姫だったと思う。安藤美姫のショートは完璧だった。ミスが許されないはずのショートプログラムで、完璧な演技を披露した選手が大きなミスをした選手の下に来る。ミスしても点が下がらない選手というのは、どうやらジャッジに愛されているらしい。ルッツであれだけステップアウトしながら相変わらず世界トップの点を出す摩訶不思議な選手が相手の嫌な展開。だが、安藤選手は自ら大きく崩れることなくフリーを滑り終えた。世界レベルの同じ国際試合に浅田選手が出て、浅田選手のジャンプの調子がいいと「なぜか」しぶくなる安藤選手への加点も今回はかなりまっとうについた。同じ国際試合に他の日本選手が出て調子がいいと、「なぜか」なかなか揃わないスピンのレベルもきちんと揃えた(プロトコルはこちら)。(ちなみにグランプリファイナルのプロトコルはこちら)いくら工夫しても、「なぜか」昨シーズンとは違ってどうしてもスピンのレベルが取れなくなってしまった高橋選手とは対照的な結果になった(今年のプロトコルはこちら)。ちなみに昨シーズンの世界選手権の高橋選手のプロトコルはこちら。シーズン中はスピンのレベルがなかなかもらえなかったのが、最後にきっちり取っている。五輪後の疲労困憊したなかでも、ルールに適合できたのに、今回は「なぜか」最後までダメだった。実際、スピンで軸足がブレるなど、細かいミスの出やすかった安藤選手が、きちっときれいにスピンをまとめたのは本当に感心した。世界レベルの同じ国際大会に浅田選手が出て、しかも調子がいいと「なぜか」上がってこない安藤選手の演技構成点も、今回はさほど露骨に低くなかった。ジャンプがどうであろうと、金メダル仕分けのキム・ヨナ選手の下であることは、どうやら事前にもう決まっていたようだが、今回はその差がまあまあわずかだったので、技術点の高さが効いて、フリーの結果、なんとか実力どおり、キム・ヨナ選手の上に来た。安藤選手のフリーの演技は、正直「圧巻」とは言えなかった。全日本のときに最後に見せたような、「どうだ!」と言わんばかりのガッツボーズ(と、ついでに会心の演技でウルウル男泣きするニコライ)が見たかったのだが、なんといっても中盤のダブルアクセル+トリプルトゥループが決まらなかったのがやはり残念だ。四大陸のころから、ずいぶん体調が悪そうだった。それでも長いシーズンの厳しい試合を延々と戦いぬき、大震災のあとという精神的にも難しいなか、これだけ演技をまとめたのだから、やはり安藤美姫の強さは圧倒的だと言える。滑り出しの表現の迫力には鬼気迫るものがあった。包み込むようでいて、どこか無邪気でもある笑顔のショートとは別人になったよう。前半の転調前に一瞬のポーズを決めたときの刺すような視線は魔的ですらあり、見ているこちらも背筋がゾクゾクした(こちらの動画で1.13当たり。残念ながら画質は悪い)。それから一転して、たおやかな女性的表現に入る。いったいこのひとは、性悪な女なのか優しい女なのか、きついのか包容力があるのか、強いのか弱いのか、見ているうちに混乱してくる。1人の女性に惹きつけられていく男性の視線に同化して、こちらも安藤美姫を見つめ、魅せられていく。そして、クライマックスは、地の底から湧きあがってくるような力強い音楽。わざとらしく音を鳴らすのではなく、自然に力強く盛り上がる。安藤美姫という、1人の成熟した女性のもつ強い生命力が徐々に徐々に解放されていくようだ。これは多少、浅田選手の「鐘」に通じる部分もある。ロシア出身の振付師でなければ出せない味かもしれない。クライマックス部分の大きく腕を振り上げてポーズを決めたあと(上の動画で3:06あたり)、片足でイン、アウトと深いエッジにのって滑って行くスケーティングは本当に見せる。音楽ともぴったりと同調している。大好きな部分だ。このあたりからはもう感動で胸がいっぱいになってくる。どの動作、どのポーズも、安藤美姫でしか出せない味がある。くいっと伸ばす顎のラインも、広げた腕の動きも、アスレチックな回転動作も、すべてが素晴らしい表現になっている。最後に両手を伸ばして天を仰ぐポーズなどは(写真はこちら)、宗教的な崇高ささえ感じる。野生の女が聖母に昇華した瞬間に、私たちは立ち会っている。女性のもつ神秘性、強さ、優しさ、繊細や、包容力、そして何より生命力を感じさせる不世出のプログラム。だれか1人の女性を演じるということではない、女性のもつ情感の抽象性を氷上で表現する難しいプログラムだが、安藤美姫にはこうした作品がぴったりと合っている。振付師も素晴らしいがパフォーマーも素晴らしい。その幸福なマリアージュが安藤美姫を4年ぶりの世界女王に返り咲かせる結果になったことは、ファンとしても本当に嬉しい。絶頂期の特に短い女子フィギュアスケート選手が、4年ぶりに2度目の世界女王になるなど、それだけでも非常に難しいのだ。
2011.04.30
圧巻のフリーだった。操作感アリアリの歴代最高得点をマークし、「本当は300点出したかった」などと、ジャッジに間接おねだりしている――こういうふうに点を要求するところは、キム・ヨナのかつてのコーチ、オーサーにそっくりだ――パトリック・チャンのことではない。シーズン最初に「このプログラムは凄い」と驚嘆し、さっそくエントリーにあげた小塚選手のフランツ・リストだ(そのときの記事はこちら)。技術点はチャンを上回る、驚異の98.53点(プロトコルはこちら)。あのジャンプ構成、あの出来栄えを思えば当然だが、何度も繰り返し指摘しているように、加点(もっと露骨なのは演技構成点だが)はいまや順位操作点になりさがっている。昨シーズン、解説者が、「加点1以上はつく素晴らしいジャンプ」と、思わず本当のことを言ってしまった安藤選手のジャンプに、雀の涙以下の加点しかつかなかったのはすでに指摘したとおり。今回、前に滑った織田・高橋選手が大崩れしたことで、加点配分が小塚選手に来たのかもしれない。だいたい小塚選手はシーズン初めはマトモに点を出してもらえるのが、年明けの大きな大会になってくると奇妙なほど点が出なくなる傾向があった(もちろんその原因は、本人の疲労がジャンプを低くしたことにも求められるかもしれないが)。それが今回のフリーでは、要素に対する加点がずいぶんと真っ当についた。一方のチャン。ショートの4回転+3回転はファーストジャンプからセカンドジャンプを跳ぶところで一瞬流れが止まり、「単独にしてしまうのか?」と思ったほどだ。つまりセカンドを跳ぶときにタメが少し長い。これが浅田真央なら、「流れが止まる」などと言われて減点されるところだ。ショートのトリプルアクセルも軸が広がってしまい、回転が強引だった。これらの欠点にもかかわらず、ジャッジは加点「2」を惜しみなく与えた。逆に去年の世界選手権で気前よく加点「2」をもらった高橋選手のトリプルアクセルに対する評価は、今回は期待したほどではなかった。チャン選手のフリーの単独4回転は、軸が傾いたのを、本田武史の解説の言葉を借りれば、「強引にもってきていた」。軸が傾いても力でピタッと着氷させるのは素晴らしいのだが、もともとフィギュアのジャンプは、effortlessであることを理想とする。そこから言えば、あれだけ軸が外れてしまったジャンプは綺麗なジャンプとは言えないはず。それでも気前よく「2」をつけたジャッジが多い。後半のフリップも軸が傾き、着氷でずいぶん氷の削りカスが飛んだ。これがオリンピックのプルシェンコなら、「彼らしからぬジャンプ」などと言われて加点がつかないところだ。ところがチャンなら、「2」がズラズラ。もちろん、プラスの要素もある。チャンのジャンプは助走が短い。回転が速く、着氷時に身体が極端に前傾姿勢になるといった、多くの選手が見せる欠点がない。だが、それにしてもジャンプのプラスの部分を「奇妙なほど」素直に、積極的に評価されている感はぬぐえない。フリー後半の3Lz+1Lo+3S。ルール改正でハーフループからのコンビネーションの基礎点が上がったことを受けて取り入れた難しいジャンプだが(これを入れて、大きく乱れなかったのは本当に素晴らしい)、ルッツをもう少し姿勢よくピタッと止めないと、サルコウとの間に、まるでオーバーターンを入れてしまったかのように、特に素人目には見えるはずだ。(中国大会の)ジュベール選手のように、1Loが回転不足判定されそうな危うさだった。明らかにルッツの着氷時の姿勢が完璧でなかったのに、またも加点「2」がぞろぞろ。この加点の甘さは、明らかにキム・ヨナ選手を彷彿させる。一方の小塚選手のフリーのジャンプ。まずそのジャンプ構成が凄い。チャン選手は確かに4回転が2度、しかも連続ジャンプは4+3だ。それは本当に素晴らしい。だが、ジャンプ構成は全体で見るべきだ。4回転は2度決めたが、苦手のトリプルアクセルは1度しか入らす、しかも今回はステップアウトして決まらなかった。最後のジャンプはダブルアクセル+ダブルトゥループ。ずいぶんと竜頭蛇尾な印象だ。高橋選手が4大陸選手権で歴代最高点を叩き出したとき(動画はこちら)は、4回転4回転+2回転トリプルアクセルトリプルアクセル+2回転+2回転(後半に)トリプルフリップ+トリプルトゥループが入っている。4回転2度にトリプルアクセル2度、加えて3回転+3回転。これならば世界歴代最高点にふさわしいジャンプ構成だ。この構成に比べるとチャンのジャンプ構成とその出来は見劣りがする。一方の今回の小塚選手のジャンプ構成。彼のフリーにはダブルアクセルが1つもない。4回転は単独で1度だが、トリプルアクセルは2度入る、さらに後半にトリプルルッツ+トリプルトゥループの高難度3+3。実に見ごたえがある難度の高い構成。しかも、今回はすべてのジャンプが鳥肌が立つほど完璧だった。4回転は流れがあり、回転も自然で、「強引に回している」感がまったくない。浅田選手に対するエントリーで何度も指摘したが、トリプルアクセルはルッツを決めてこそ威力を発揮する。トリプルアクセルが2度入るのは確かに素晴らしいが、世界女王ならばルッツを決めて欲しいのだ。チャンに対しても同様のことを言いたい。4回転2度、しかも連続は4-3というのは確かに驚異的だが、フリーでトリプルアクセルをせめて1度はきれいに決めなければ。だが、現行のルールと、ジャッジの愛情(苦笑)は、トリプルアクセルをショート、フリーを通して1度しか決められなくても、チャンに破格の点を与えるようになっている。日本が生んだ最高のジャンパーは本田選手だというMizumizuの確信にはいまだ揺るぎがないが、今回の小塚選手のジャンプは現役時代の本田選手に匹敵するほどの出来栄えだった。プレパレーションから着氷までよどみがまったくなく、着氷したあときれいに流れる。ジャンプも無駄な力が入っておらず(つまり、それがeffortlessということだ)、回転も自然で、力で回している感じがまったくしない。空中で放物線を描くきれいなジャンプで、トリプルアクセルの大きさなど、「おおっ」と唸ってしまった。後半の3+3もセカンドジャンプのほうが高いくらいで、あれならば絶対に回転不足を取られることはない。後半の連続ジャンプのセカンドが回転不足気味になりやすくなってきた高橋選手とは対照的だ。過去には低くなって回転不足を取られがちだったループも、後半にもってきてきちっと降りた。現行のルールで最も大切な「回転不足を取られないこと」という意識が徹底しており、しかもそれを実行できる体力がある。そして目ざましい表現力の向上。ショートはまるでカート・ブラウニングが氷上に戻ってきたかと思うような洒脱な演技だった。トリプルアクセルは多少回転不足気味で(あれが回転不足判定されなくてよかった)着氷が乱れたが、全体の出来がよかったことはコーチの表情からも明らかだ。点が伸びなかったのは、操作性を感じざるをえない(まあ、そんなことはもう皆わかっているが)。フリーのフランツ・リストはシーズン前半には、冒頭の表現にやや難があり、手を単に振り回しているように思えたが、徐々にモーションやポーズを磨いてきた。正直に言うと、前半の表現だけだったら、今回のフリーより、四大陸のフリーのほうがよかった。背筋をぴたっと伸ばして大きな表現を心がけ、指先にまで神経を行き届かせていた。Mizumizuはその前、往年の名スケーターをあげ、その手首や指の表現に小塚選手も学んでほしいと書いたのだが、四大陸ではそうした課題に取り組んで成果をあげたようにすらみえた。小塚選手の表現力の進歩には目を見張ったのだが、その分後半、体力がもたずにジャンプの失敗が出てしまった。演技構成点も期待したほど伸びなかった(本当に、ジャッジの皆さん、よく見てくださいよ)。今回は四大陸の冒頭ほどの表現への心配りはなかったかもしれない。だが、全体のバランスが素晴らしかった。極度の緊張を強いられる場面で、体力を温存して、最後まで滑りきる。ジャンプもきれいに跳び、そのうえで表現をする。表現にばかり力が入りすぎることもなく、ジャンプだけ跳ぼうとしているわけでもない。高い次元でこの2つを融合させるというバランスが傑出していた。チャン選手のほうは、明らかに動きが硬く、見ていて息苦しくなるような機械的な演技だった。本田解説の「動きが硬かった」というのは、まったく的を射ている。それでも、チャン選手と小塚選手の演技構成点は「お約束どおり」フリーで10点近く開いている。この意味不明の演技構成点での大差のつけ方をどうにかしなければ、得点はいくらでも操作できるのだ。他の有力選手がショートに4回転を入れたら、その分、チャン選手の演技構成点をインフレさせればいい。加点ももちろん問題で、恣意性があからさまに目立ってきているが、それは評価に質を取り入れるというシステムの理念から言っても、その評価の評価にも好みや主観が入ることを考えても、いきなり大きく変えることは難しい。そもそも論だが、ジャッジはもともと加点・減点の点のつけ方には慎重だったのだ。それを「いいものはどんどん評価するように」と言って、「2」だの「3」だのを惜しみなくつけるように指導してきたのは、組織上部のジャッジを指導する立場の人間なのだ。そして、ジャッジに「愛された」人間は失敗しても不思議と点が落ちないから、本人はモチベーションあがりっぱなしだ。努力すればどんどん報われる。そのほかの選手は、思わぬところで減点されたり、点が伸びなかったりして悩む。結果、いい演技ができなくなる。それを考えると、これまで何度もここ一番で自ら崩れてきた小塚選手が完璧な演技をしたのは、いくら褒めても褒めたりることはない。織田・高橋選手の大崩れで、日本選手最後の砦になってしまった土壇場で、全日本チャンピオンの名にふさわしい演技を見せた。ジャンプの完璧さに加え、余裕を感じさせる伸びやかな滑り、すっと伸ばした足先や身体を返したときの一瞬のボディラインの美しさ、ノーブルで清廉で真摯な演技。すらりとして足も長く、スタイルもいい。まさにアマチュアスポーツとしてのフィギュアの理想に限りなく近かった。報道で知ったのだが、フリーの曲は祖父の小塚光彦氏が嗣彦氏に勧めたものだったという(こちら)。今でさえこの曲は、難解で、哲学的で、日本人にはやや馴染みにくいところがある。それに目をつけた光彦氏とは、なんともはや、日本人離れした感覚の持ち主だったのではないだろうか。フリーで滑るリストの「ピアノ協奏曲第1番」は、祖父の光彦さんが元五輪代表の父、嗣彦さんの現役時代に勧めた曲だった。しかし、当時はピアノ曲で滑る選手がまれだったため、使うことなく引退。約40年の時を経て、祖父から受け継がれた特別な音楽で、フィギュア一家のサラブレッドが輝きを放った。小塚崇彦というノーブルな技巧派スケーターの成長を、この曲が世界に知らしめることになった。Mizumizuにとってもこのプログラムは特別なもの。正統派のクラシックのもつ格調高さ、スケールの大きさ、哲学性と気品、繊細な軽やかさと重めの哀愁を秘めたこの旋律を今後聴くたびに、小塚選手のスケーティングを思い出さずにはいられないだろうと思う。久々にテレビの前でスタンディングオベーションをしてしまった。本当に素晴らしい選手が日本にはいると思う。
2011.04.29
<きのうから続く>このように自分自身の目で見た選手の長所を、的確かつ魅力的な言葉に変換できる人間がそばにいることも、高橋大輔の強みだろう。もちろん、それは高橋選手の才能が図抜けているからだからなのだが。今年のショートプログラムの「マンボメドレー」は、明るい光のもと、競技会で見るのもいいが、照明を凝らした暗い空間でショーナンバーとして見てのもまた格別楽しい。普通、アマチュアスケーターの場合は、どうしても試合のほうがおもしろい。ジャンプも難度の高いものを跳ぶし、緊張感もある。だが、高橋大輔の「マンボメドレー」は、試合は試合、ショーはショーで別の味わいがあり、しかもどちらも甲乙付けがたい。「マンボメドレー」は前半と後半の滑りの違いにスケート鑑賞の醍醐味があるが、トゥの先まで効果的に使った華やかで激しい後半よりも、むしろMizumizuはゆったり(いや、むしろ「ねっとり」)滑っているだけの前半に魅力を感じる。とりどりの色彩を氷のうえに落とす照明の下で、高橋大輔が深いエッジに乗りながら滑ると、彼の刃が氷に付けていく一筋の白い傷跡さえ色っぽく見える。キム・ヨナ陣営はオリンピックに備えて、彼女をヨイショしてくれる人材をカナダで雇っていた。翻って、浅田選手。浅田選手にはそうした戦略を立て、実行していく周囲の人材が欠けているように思う。キム選手のプログラムについて、韓国紙は必ず振付師の「キム・ヨナにしか演じられないプログラム」という宣伝文句を頻繁に載せるが、日本のメディアは浅田真央についてこうしたプログラムの作り手からの言葉をあまり掲載してくれない。事務所はショーに浅田選手を出すことには熱心だが、そのわりには世界的な売り出しをしてくれるわけでもない。イメージを傷つけるような誹謗中傷や事実に反する報道がなされても、ほとんど自分からリアクションを起こさない。You tubeには浅田真央を中傷するような動画が多くあるのだが、なぜ削除依頼もせずホッタラカシなのか理解に苦しむ。浅田真央の印象を悪くするような記事を書くフリーライターが、主にネットメディアで幅をきかせ、浅田ファンの怒りを買ってきた。最近になってようやく、彼女について好意的な記事を書こうというミリオンセラー作家が現れたが、残念ながらフィギュアに関しては門外漢なので肝心のフィギュアファンからの評価は高くないようだ。このあたりもややちぐはぐな印象を受ける。有名な作家に書いてもらうのは基本的にいいことだが、書き手にフィギュアの知識が欠けていれば、それはただの修辞に頼った主観的な印象論に終始してしまい、説得力がなくなるからだ。そこにいくと、バレエダンサーの熊川哲也の浅田評は的確で驚かされた。http://www.youtube.com/watch?v=gelA0pdbaW8&playnext=1&list=PLE1119F69E7F9AB89「脚のラインがきれい」「ステップとステップのつなぎが本当にきれい」「透明感があってショパンの曲とぴったり合っている」。演技を見終わったあとは、「(思いっきり力をこめて)素晴らしかった」「スケートが好きな自分というのが(あって)、客席へのアピールではなく、自分とスケートとの対話がそこにあった」「ショパンへのリスペクトがそこで見えた」「観客へのアピールというよりも、自分が大好きなスケートをやっているということに、僕は感動した」。1つ1つの言葉に緊張感があり、「素晴らしかった」「感動した」という賞賛がお世辞ではなく熊川哲也本人の実感であることがよく伝わってくる。そして、何が素晴らしく、どこに感動したかの表現も的確で説得力がある。他の解説者やアナウンサーの言葉がむなしくも無駄なおしゃべりに聞こえてしまうほど。高橋大輔とはまた違った表現力がそこにはあるのだ。浅田真央のスケートの対話から生まれてくる現実離れした夢の世界、それを観客はそっと見つめて感動するのだ。彼女はダイヤモンド、自ら「ほらほら、私、きれいでしょ」とアピールせずとも、観る者の目を釘付けにするうつくしさに溢れている。彼女のもつ透明感、すらりとした脚のライン。練習を重ねることで磨いてきたテクニックと所作、それ加えて恵まれたプロポーションとルックスという天性の魅力を含めて浅田真央の持つ大きな武器、それらを短い言葉であますところなく伝えている熊川解説は、見事としかいいようがない。「ステップとステップのつなぎが本当にきれい」というのは、意図せずともジャッジへの皮肉にもなる言葉で笑ってしまった。タラソワの振り付けだと、「なぜか」演技構成点の「つなぎ」の点数は低く出るのですよ。フィギュアの表現がお手本とするバレエの専門家として、一度、本当の「つなぎ」とは何か、ジャッジに講習してあげていただけませんか、熊川さん。ここまで専門的な目をもった人はそうはいないとは思うが、フィギュアに詳しく、的確かつ魅力的な言葉で浅田真央を「宣伝」できる人材を浅田陣営は、もっと真剣に探す必要があるかもしれない。高橋大輔と比較しても、その差は大きいように思う。浅田選手について佐藤コーチは、「技術的なことについては言えない。僕が何か言うとそれが一人歩きしてしまう」と言っていた。これほどまでに商業化が進みながら、日本のコーチ陣はそれに無頓着な部分があり、自分の発言に尾ひれがついたり、ファンが曲解したりするなどと思ってもみなかったフシがあった。生粋の競技指導者としての率直で公平な意見が、ある種の思惑によって歪められ、別の話になってしまうのは、最近はよく見られることだ。ことに最高の人気を誇る浅田真央に関しては。佐藤コーチはその危険性を認識したということだろう。素晴らしいものは誰が見ても素晴らしいから、特に自分たちから宣伝しなくても、謙虚にただ素晴らしいことをしていれば、自然にそれは周囲に理解される・・・そう日本人は思いがちだが、現実はそうではない。素晴らしいものに対する評価さえ、思惑と金銭に左右される。無意味な理想論に浸るのではなく、現実を知ったうえでどう対処し、戦略を立てていくか。それにはビジネス感覚が要求される。フィギュアスケートだけを純粋に見つめてきた日本のコーチ陣にはどうしても欠けている感覚だが、今やそうした視点が必要になってきている。【送料無料】浅田真央、18歳【送料無料】浅田真央奇跡の軌跡 【中古】児童書・絵本 ≪児童書・絵本≫ 浅田真央 さらなる高みへ【10P06Apr11】【画】【送料無料】浅田真央 20歳になった氷上の妖精■高橋大輔 CD【Daisuke Takahashi 2010~2011 Season】11/1/7発売
2011.04.07
芸術というものの世間的評価に、いかに「宣伝」がものを言うかという話は過去にも書いてきた。メディアで繰り返し、「素晴らしい、素晴らしい」と言われれば、タダの石ころでも次第にダイヤモンドに見えてくる。フィギュアも例外ではない。メディアが誰を持ち上げるかで、一般のファンのその選手に対する見方も変わる。奇妙なことにフィギュアの女子選手について日本のマスコミの多くは、自国に目を見張る逸材がいるにもかかわらず、他国の選手をしきりと誉めそやす。日本に現世界女王がいるのに、わざわざキム・ヨナを「フィギュアの世界女王」などとレポーターに呼ばせたりする。このいかにも胡散臭い報道姿勢については、こちらのブログのエントリーが緻密で詳しい。だが、男子に関しては、こうした奇妙な現象はあまり見られない。現在の男子シングルでプロトコル上の最強選手はパトリック・チャンだし、4回転を決める確率がもっとも高いのも、恐らくチャンだと言っていいだろう。ところが、チャンに関しては、キム・ヨナに見られるようなメディアによる過剰な持ち上げは見られない。むしろ、「高橋大輔、世界選手権2連覇へ」で、衆目を集めようとしているようだ。浅田VSキムに見られるような、高橋VSチャンの過剰な煽りもない。男子と女子に見られるこの不可解なメディア報道の不均衡の裏に何があるのかないのか、Mizumizuとしては知る由もないのだが、高橋大輔選手に関して言えば、その実力に見合ったメディアからの厚遇が得られているといって差し支えないと思う。もっとダイレクトに言えば、日本フィギュアスケート選手で最も「宣伝」がうまくいっているのが高橋選手なのだ。特に日経新聞は好意的で良質な記事を書いてくれていた。シーズン初めに出た高橋選手の談話記事(高橋大輔「格好いいか、悪いか。流れと表現力を磨く」)は、同選手がスケート選手として、また同時に身体を使った表現者として何を最も大事に思っているかを詳しく掘り下げた興味深い内容になっていた(こちら)。この中でMizumizuが最も核心的だと思うのは、「僕が思う男子フィギュアは簡単に言えば、『格好いいか、悪いか』だと思います。形は大事だけれど、それ以上に心をわしづかみするような演技ができるかだと思います」というくだりだ。そして、その「格好よさ」をどうやって作り上げるか。そのプロセスについても解説しているのだが、それは意外なものだった。「毎年プログラムの滑り始めに『これって変?』と、長光歌子コーチに聞いています」「僕はあまり鏡とかは見ません。動きをイメージしながらやってみて、コーチに意見を聞いて、調整していきます」。つまり、高橋選手は自分で鏡を見ながら自分自身で自分の思い描く「格好よさ」を作っていくのではなく、長光コーチに「格好いいか、変か」を見てもらい、「変だ」と言われれば、それを修正していくという、かなり受身な手法を取っているということだ。自分がどう見えるかを鏡で気にするのではなく、第三者の目を借りて、どう見せるかを最初から意識している。長光コーチはこの場合、コーチであると同時に、観客(もっと言ってしまえば一般のファン)の目で高橋選手を評価しているのだろうと思う。コーチでありながら、ファンの目も持つ・・・これはできそうで、簡単にはできないことだ。長年かけて培った長光コーチと高橋選手の信頼関係とお互いの感覚のマッチングがうまくいってこそ、成果を出している手法だろう。これは意外でもあったが、納得でもあった。Mizumizuがこのブログでも常々指摘しているように、高橋選手は演技に深く入り込みながら、どこが冷静な第三者の目で自分を突き放して見ているような部分がある。それは、本当に優れた表現者にしか達し得ない境地で、しかもフィギュアスケーターに限定されるものではない。たとえば、イタリアの名優マルチェロ・マストロヤンニは、「泣く」演技について、「自分が泣くのは、観客を泣かせるため。自分が本当に感情移入してしまうことはない。ただ、1度だけ、本気で泣いてしまったことがあり、そのとき、もう1人の自分が、『おいおい、この人物の人生はお前のものではないんだよ』と諌めてきた」と語っている。同じようなことを高橋選手も言っている。「表現力が大切といいましたが、感情移入しても、自分に酔うことはありません。自分に酔ってしまったら伝わりません」。この台詞は頭で作り上げた言葉ではない。こう言えと言われて言ったものでもない。高橋選手自身の言葉だ。こうした実感をもった話ができるのは、恐らく現在のアマチュアスケーターでは高橋選手だけだ。キム・ヨナ選手にも同じ傾向の才能があるようにも思うのだが、彼女の場合は、アイドル歌手の振り付けのような単純でインパクト重視の大衆性に傾いていってしまったのが、個人的には残念なのだ。「あげひばり」のころに見せた腕全体、指の先まで繊細に使った、こちらのイメージを刺激するような表現がなくなり、かわりにやたらとハッタリをきかせた、パターン化した演技ばかりを繰り返すようになった。だからキム・ヨナの演技は1度見れば、それで十分になってしまった。2度めからはどんどん平凡でスカスカでつまらなく見えてくる。ワールド一発勝負に出るのは、キム・ヨナ陣営が、彼女のプログラムは底が浅いという欠点を実は自覚しているからではないかとさえ思う。次のワールドで、「それだけではないキム・ヨナ」を見せてくれると嬉しいのだが、どうだろうか。なにはともあれ、「アリラン」には個人的に期待している。「あげひばり」以上のものができるとすれば、それは韓国人の彼女にしか演じられない「アリラン」をおいて他にはないように思う。どう見えるかを気にするのではなく、どう見せるかを常に考えている。自分に酔っているようでいて、冷静に「それを見る人たちの反応」を予想し、確認し、そこからまた自分の表現に工夫を加えていく。それが一流の表現者の姿勢なのだ。ただ単に自分を格好よく見せたいだけの役者が一流になれないのは、格好いい自分に酔おうとするからだ。キム・ヨナの演技がつまらなくなったのは、アイドル的な見かけのよさばかりを追求したからだ。あっという間に忘れ去られるアイドルならばそれでいいだろう。だが、アイドルと一流の役者は違う。一流の役者なら、格好よい自分を作り上げるのはそれが必要とされているからであって、同じ情熱をもって、たとえば「惨めな」自分を作り上げることもできる。そうした才能を高橋選手も持っている。その能力が現在のアマチュアのフィギュアスケート界で、最も傑出してるのが高橋選手だ。よく「世界一のステップ」と技術的な面で賞賛される同選手だが、高橋大輔の魅力がそれだけに留まらないのは、彼がアマチュアスケーターの範疇を超えた、一流の表現者に普遍的に要求される能力と姿勢を兼ね備えているからに他ならない。パトリック・チャンの演技にどうしても感動できないのは、彼にこうした表現者としての才能が欠けているからだろう。彼の演技はまるでよくできた機械のようだ。いくら上手にすいすい滑っても、オーバーなアクションをしても、クルクル器用にスピンを回っても、肝心の本人のエモーショナルな部分での深みと成熟が伴わない。今年のフリープログラム、「オペラ座の怪人」は、つなぎも濃く、技術的には素晴らしい。だが、かつて高橋大輔が氷上で仮面を剥ぎ取るモーションをしたときに彼の身体全体から発散された異形の存在のもつ孤独感、そしてそこから解放されたいという内的なエネルギーの爆発を思い浮かべるとき、チャンのプログラムは一瞬で色褪せる。音楽の使い方も、高橋大輔のプログラムでは、あえて皆が知っている旋律を極力使わない、通で凝った編集がなされていたが、チャンの場合は、オペラ座の怪人の中でも最もポピュラーな旋律をタイトルナンバーから取ってきた大衆的なものだ。実につまらない。信じられないことに、今のフィギュアスケート界は、「(組織と密接なコネをもった有力な)振付師兼コーチがジャッジに宣伝をしてくれる」選手が、「ジャッジに愛され」て、高い得点をもらえるらしい。こうした演技ばかりにプロトコル上で天井知らずの演技構成点を与えている現状が、フィギュアスケートの表現世界の可能性を狭めている。日本以外でのフィギュア人気の凋落ぶりが、それを裏付けている。日本は選手の独創的で素晴らしい演技が沸騰するフィギュア人気を支えている。高橋選手の場合は、「高橋大輔の格好よさ」を作り上げるのに、彼自身の才能に加え、コーチやもちろん振付師の能力がうまく噛みあっている。また、それを宣伝する道筋もスムーズでうまく行っている。先に挙げた日経の記事もそうだが、たとえばこの宮沢賢治・・・じゃなくて、宮本賢二氏の解説。http://www.youtube.com/watch?v=iNcz5SaaG_wあの名プログラム「eye」を作る前だが、いかに振付師・宮本賢二がスケーター・高橋大輔の才能に惚れこんでいるかよくわかる。最初はなぜかパンツの色と髪型の個人的好みから始まり(苦笑)、アナウンサーが織田選手との「激闘」に話を振っても、まったく意に介さず、高橋ワールドの「唇」の話をしている(再苦笑)。それはつまり、宮本賢二自身が、髪型や衣装、そしてモーションやポーズに関して、「こういう大輔が格好いい」という強いイメージとビジョンを持っているということだ。それをふまえた上で、高橋大輔表現のキーワードである「格好いい」を連発する。ここまで、「格好いい」と言われれば、本当に格好よく見えてくる。なぜ格好いいのかという説明も的を射ているからなおさらだ。「ジャンプもすごい」「世界一のステップ」という一般的な解説に加えて、「楽器を表現できる。バイオリンならこう伸びるような動き、ピアノならこう叩くような動き(つまり、弦と打の音質の違いを表現できるという意味)」「どこもかしこも動いている(つまり、全身を使った身体表現がエネルギッシュで卓越していることを言っている)」といった普通のファンにはあまり気づかないような点にも言及している。しかもありえないほどの熱を込めて(笑)。これも、解説者自身が実感していなければ話せない内容で、かつ解説者が振付師でもあることから、その説得力は勢い増すことになる。<明日へ続く>
2011.04.06
四大陸もとっくに過ぎてしまった。一応構想では優勝した高橋選手、安藤選手それから羽生選手、小塚選手、浅田選手の演技についてそれぞれエントリーを上げるつもりでいたのだが、今年になって仕事も忙しく、それらにかまけているうちにすっかり時機を逸してしまった。そこで、少し時間が経った今の時点で、自分にとって誰のどの演技が最高だったか、繰り返し何度も見たいのはどのプログラムだったのか・・・という主観的な印象論で語れる部分についてまずは書いてみようと思う。四大陸、日本人選手の演技はそれぞれ力がこもっており、見終わった直後は甲乙つけがたいと思っていたのだが、ある程度の時間というフィルターを通したあとでは、また印象が変わってくる。今大会で最高に素晴らしかったのは、Mizumizuにとっては、浅田真央のフリー「愛の夢」だ。現実離れしたあの雰囲気、20歳を過ぎてもなお維持しているあの妖精めいたスタイル、輝きを増した肌や表情のあのうつくしさには感嘆を禁じえないのだが、四大陸で見たリニューアル版「愛の夢」は、まさに夢のようだった。恋人に向かって走り出す場面をくっきりとイメージさせる旧「愛の夢」は、映画を見ているような趣きがあったが、リニューアル版で浅田真央はいわば形而上的な愛の世界にのぼって行ってしまったようだ。これまでどちらかというと動的な華麗さと繊細さが持ち味で、ゆったりとした滑りや「わかりやすい」メリハリには問題があると指摘する声もなくはなかったと思うが、このリニューアル版で、浅田真央は体を大きく使ったポーズの効果性を十分に駆使する能力があることを冒頭から証明して見せた。ただ単に腕を大きく振ったり、体をいっぱいに伸ばして表現するだけではない。1つのポーズを作り上げるまでの間、階段をしっかり1段1段のぼるように、指先から関節から顔のラインに至るまで、極めて精緻に正確に動かすことで、モーションからポーズへと続く比類ない美を形成している。浅田真央の演技はどの瞬間を切り取っても美しいとよく言われるが、その秘密はこうした洗練された動きと柔軟なポジションにあり、四大陸の「愛の夢」では、さらにそれらに磨きがかかったようだ。http://www.youtube.com/watch?v=T3iVMCY-ZpEこちらで杉田氏が特に前半の体をいっぱいにつかった演技の「大きさ」を絶賛している。Mizumizuとすれば、現在のフィギュアスケートの表現力の着目点がこの部分にやや偏りすぎていることに、採点する側の舞踏センスの欠如を指摘したいのだが、現役選手とすれば、現行ルールで求められる「表現力」を見せることも必要だろう。杉田氏はラスト1分で体の動きが小さくなってしまったことを改善点としてあげているが、Mizumizuはプログラム後半、まるで色とりどりの花が氷上に次々に咲くような、ツイズルとスピンの「回転動作の創り出す美」にうっとりした。もともと浅田選手のツイズルは超絶だが、これを後半に、これまたポジションの美しさには定評のあるスピンと連続性を持たせて配置することで、演技に幻惑的な効果が生まれている。息もつかせぬ回転動作がそのまま音楽に溶け込み、それがそのまま1つの幻想になる。まさに、浅田真央にしか表出できない世界だ。個人的には――あくまで強いてあげれば、なのだが――動画の2:23あたりの、腕を上にあげるポーズなどが少し弱いように思う。やさしげでいいという意見もあるかもしれないが、こういうところでバレリーナのようにピシリとポーズを決める身体の強さを身につければ、鬼に金棒ではないだろうか。上の動画に対して書き込まれた英語コメントにあまりにも的を射たものがある。「彼女が去年『鐘』を演じたのと同じスケーターだなんて信じられない。彼女はさまざまな表現手法を会得している。去年は力強さと情熱を、今年は優雅さと高貴さをめいっぱい表現している」。まさにこれが浅田真央の表現力なのだ。同じ「仮面舞踏会」を使っても、悲劇のドラマから華やかな初舞踏会へと氷上の世界をすっかり変えることができる。同じ「バラード」を使っても、白から黒へまとう衣装を変えただけで、まるで違う表情と表現を見せることができる。このくらいのことがわかる審美眼をジャッジにも持ってもらいたいものだと思う。組織の上部と結びついた誰かspeaks highlyした演技にだけベルトコンベア式に高得点を出すほど、今のジャッジはくもった色眼鏡をかけさせられているようだから。そして、同じ英語コメントの言う「さらに、同時にすべてのジャンプとスケーティングを再構築した。なんという勇気! 真央、あなたは最高!」の部分にもまったく同感。佐藤コーチについて滑らかなスケーティングに磨きをかけた浅田選手だが、よく考えてほしいのだ。浅田真央が佐藤コーチについてまださほど時間は経っていない。こんな短期間で、ここまでスケーティング技術を眼に見えて向上させてきた選手がいまだかつているだろうか。浅田真央を語るとき、「才能」という言葉を好んで使った大天才がいた。それは伊藤みどり。100年に1度のジャンプの天才は、浅田真央の「才能」にほとんどひれ伏していたといってもいい。伊藤みどりが持てなかったさまざまなものを浅田真央は持っている。逆に、浅田真央はジャンプを改良することで、伊藤みどりにしか跳べなかったジャンプの領域(スピードを落とさずに一瞬で離氷し、大きな放物線を描いて跳び、ピタッと完璧に降りてきれいに流れる)に近づこうとしている。ジャンプのリフォームも、正直、こんな短期間にこれほど仕上げてくるとは思わなかった。たとえばトリプルアクセル。助走の最後にスピードが少し落ち、離氷時に一瞬止まり、ジャンプは高さはあるがやや飛距離が出なかったジャンプを、助走から離氷まで流れを止めず、飛距離を出して、着氷後も流れの出るジャンプに改良してきている。http://www.youtube.com/watch?v=lNFBiuFl_G8こちらに昨シーズンのトリプルアクセルがある。解説者も絶賛しているように、これはこれで悪いジャンプではない。むしろ高く跳んで細い軸で回るきれいなジャンプだが、「なぜか」こうしたジャンプには加点がつかなくなり、回転不足を頻繁に取られるようになった(垂直跳びに近いジャンプでは、確かにそうなりがちなのだが)。その判定がこのユーロスポーツの解説者(日本では佐野氏も間接的な表現ながら、このトリノワールドの浅田選手のトリプルアクセルの判定に対して疑問を呈している)をも驚かせるような「厳しい」ものになること、しかも「なぜか」それは浅田選手に多いことも、すでに一般にも知れてきた。中国では記者が浅田選手に「あなたに対しては採点が厳しいという声もあるが、それについてどう思うか」などと質問したくらいだ。判定(つまり運用)やルールについては見直しの余地は多いにあるが、それは選手は直接タッチできない。だから、選手としてできることは、空中では大きな放物線を描き、入りから出まで淀みなく流れる、フィギュアスケートが元来理想としてきたジャンプに自分自身が近づくことなのだ。浅田選手はそれを理解し、しかもそれに向かって今努力している。20歳という年齢でジャンプを変えるのは並大抵のことではない。それに取り組み、ここまで成果を出してきた。しかも、この短期間で。まさに、並みの選手とは一線を画す、1枚も2枚も上の「才能」の持ち主だ。佐藤コーチはそれを「根性」と評したが、努力ができる・根性がある・・・それがすなわち非凡なる才能なのだ。フリップも離氷時のクセがなくなってきた。ルッツはMizumizuにはすでに十分ルッツに見える。セカンドにつける3トゥループは、シーズン初めのジャパンオープンでは遠目からでもはっきり回転不足がわかったが、それもだいぶ回りきれる状態になってきている。理想を言えば、もう少しセカンドジャンプの飛距離が欲しいところだろうか。あとは、安藤選手のように完璧に回りきって降りてくるのが彼女の今後の選手としての課題だろう。杉田氏は、「(着氷のときに)ちょっとトゥがつくのがクセ」だと欠点を指摘しているが、こうしたちょっとしたクセの改善はまた、非常に難しいのだ。コーエン選手が同じようなクセをもっていたが、あれだけの才能の持ち主でも、結局最後までその小さな欠点を完全には直せなかった。理屈の通らないアラさがし大減点のあおりで、安藤選手でさえ回転不足を取られやすいフリップを避けている(元来跳べるのに)状態で、浅田選手は6種類(つまり、すべての)3回転ジャンプを入れている世界でただ1人の選手だ。スケーティングを含めた表現の面でも、ジャンプの種類と難度の面でも、世界最高のものを見せてくれたパフォーマー。それが四大陸の浅田真央だ。【送料無料】浅田真央POWER & BEAUTY 【送料無料】浅田真央さらなる高みへ
2011.03.04
演技構成点が試合での出来を正確に反映していないこともすでに指摘したが、今回、全米男子で特にそれを感じたのは、ドーンブッシュ選手の素晴らしいフリーの振り付けとパフォーマンスに対する「控えめ」な評価だ。日本人解説者の杉田氏もドーンブッシュのフリープログラムの構成と出来を絶賛。直前に滑ったリッポンの正統派の振り付けと比較して、「どちらがいいかは好みになる」と、暗にリッポンに匹敵する作品であることを強調した。表彰式の場面でも、わざわざドーンブッシュについて、「素晴らしかったですね」と褒めちぎっていた。ジャッジ団の出した演技構成点がさほどでもないと、とたんに自分も同調してジャッジに媚びる、「自分の眼で判断できない」自称フィギュア専門家たちとは明らかに一線を画す態度。シニアで実績のない選手でも、素晴らしいものは素晴らしいと明言する自分の審美眼に対する自負。こうした専門性と自信をもったジャッジがプライドをかけてジャッジングすれば、これほどファンの不信を招く採点にはならないのだろうが、今のジャッジは「スーパーのレジ係」、つまり派遣社員のような立場に押し込められている。あるいは杉田氏のような「眼」をもったジャッジは多いのかもしれないが、何らかの「力」によってジャッジの「眼」が規制されている可能性ももちろん捨てきれない。Mizumizuも、ドーンブッシュの「シャーロック・ホームズ」の振り付けは秀逸だと思った。http://www.youtube.com/watch?v=4fNyIvU_rdM今回の全米フリーでは難しい入り方をするジャンプもほぼクリーンに決めた。ジャンプの入り方やジャンプを終わったあとにポーズを入れるといった工夫、それにスピンやステップでの効果的な音楽の使い方・・・こうしたエレメンツの出来のよさに加えて、「探偵」の雰囲気を出したストーリー性のあるマイム、演技性のあるムーブメントをふんだんに取り入れた独創的かつ個性的な振り。ドーンブッシュ自身も、日本の村上選手に通じるような若々しいエネルギーと観客へのアピールを忘れないエンターテイメント性を兼ね備えている。日本の皆さんもドーンブッシュの東京でのシニア世界選手権デビューを是非とも楽しみに。アメリカの選手は日本に来ると得点が押さえ気味にされることが多いので、どうぞ暖かい応援を。村上選手もそうだが、こうしたパーソナリティをもった若い選手は、ジャンプの出来や会場の手ごたえでパフォーマンスがかなり違ってくる。ドーンブッシュは、現行の採点傾向で高い評価を得る「すぐにトップスピードにのせる」滑りのテクニックをもった選手だ。最初の滑り出しからその技術を生かしたダイナミックな動きを見せる。そして、スピードをあげるように見せて逆に一旦止まって再度滑り出すのだが、すぐにスピードに乗ってくる。これによって運動に視覚的なメリハリが生じるし、そのあとの伸びやかなスケーティングは見ていて非常に気持ちがいい。インからアウトへ、またインへと深いエッジに乗って、氷にしっかり張りついたように滑るところも素晴らしい。こうしたテクニックではカナダのパトリック・チャンがやはり世界トップクラスだと思うが、ドーンブッシュにも同じ才能を感じる。きちんと背中が伸びて、どんな動作をしても上半身が安定しており、日本の若手選手のように姿勢の悪さが気になるということもない。全体的に明るい雰囲気で、わくわくするような楽しさがあるのがいかにもアメリカ的だ。まだ新しい映画なので、あまりフィギュアで使われておらず、スリリングでダークな部分もありながら、スピード感溢れる音楽に同調した振り付けは、このうえなく新鮮だ。それでも、演技構成点は同年代のライバルであるマイナー選手(1991年1月生まれ)とほとんど同じだった。私見だが、ドーンブッシュ(1991年8月生まれ)とアボット(1985年生まれ)の演技構成点の点差はもっと少なくてもよく{つまり、ドーンブッシュにはリッポン(1989年生まれ)並みかそれ以上の演技構成点をつけるということ}、逆にマイナーとアボットの点差はもっとあってもいい。だが、どのくらいの点差が適切かという話になると、それはまさに主観による水掛け論だ。今回の全米は別の見方もできる。つまり、1位仕分けのアボットと新進の若手選手2人に対する演技構成点の点差を約5点に留めたのは、ある意味で非常にフェアだということだ。この点差は8点でも10点でも「不正」ではない。だが、演技構成点で10点だ15点だと差を付けられれば、他の選手はまず勝てないことになってしまう。今回のように1位仕分けの選手が崩れれば、ショートで6位、7位と出遅れた選手でも大逆転のチャンスがある。それこそ本来この採点システムの目指した方向ではないのか。プロトコル上ではJ1、J2・・・で示される演技審判の氏名を公表していることといい、アメリカは選手層の厚いフィギュア大国としてのフェアネスに対する矜持を独自に示したともいえる。世界選手権への出場権を全米選手権一発で決めるという方針にもブレがない。1点もない差でアボット選手が東京に来られなくなってしまったのは、個人的にはいかにも残念だが、コンマ以下の点差でも4位は4位。アメリカの決め方は日本のそれより遥かに明確で透明だ。それにしても、アボット選手が東京に来ないなど予想もしていなかった。今季の彼のプログラムは、これまでのアボット選手の演技史の中でも最も芸術性が高く、最も成熟した完成度の高いものだった。グランプリシリーズからジャンプが低く、軸が傾いているのが気になっていたが、全米でもそれがルッツで出てしまった。http://www.youtube.com/watch?v=grR_UfoNlIk出だしは悪くなかった。体を大きく使った、堂々とした滑り出し。ジャンプが2つとも3回転の単独になってしまったのは「おや?」と思ったが、大きな失敗さえしなければ、ワールド進出は問題ない実力の持ち主だ。ところが後半のトリプルアクセルで手をつき、ルッツで転倒したあとは、顔がひきつってしまっている。3連続ジャンプなど、最初から軸が傾いているのだから、3つ目のジャンプはむしろつけないほうがよかった。それを律儀に無理につけてしまって、大きく乱れてしまった。どこか冷静さを欠いた演技で、フィギュアスケートで「失敗したあと」に気持ちを切り替えることの難しさを改めて見た気がした。自分の目標とする完璧な演技ができないとわかったときに心の中に生じる動揺。これを克服するのは容易なことではない。それが巧みなのが高橋大輔選手だ。彼はどんなときでも観客を忘れない。見ているファンのためには、失敗して一番ショックな本人こそ失敗をひきずってはいけないのだ。高橋選手はそのことを理解している。頭だけではなく体で。解説者の田村氏が高橋選手の演技に対してオリンピックシーズンに同じことを言ったことがあるが(「最初に失敗したことを、見ているほうは忘れてしまう」)、不思議なことにこの高橋選手の強みを、まったく関係のないイベント試合で、バレエダンサーの熊川哲也がピタリと言い当てていた。http://www.youtube.com/watch?v=qfuXSS6gjbA&feature=player_embedded「オーディエンスへのアピールがさすが。コケても高橋大輔。成功しても高橋大輔。カリスマのゆえん」これはショーやイベント試合だけではなく、試合でも言える高橋選手の強みなのだ。アボット選手はエッジワークに優れた才能ある選手で、性格も非常に真面目そうで好感がもてる。だが、カリスマ性には欠ける。こうした「華」のあるなしは、理屈では説明できない。世界トップになれる実力をもちながら、ここ一番のチャンスで力が出せないのも、彼の優等生的で内向き(に見える)性格が災いしているかもしれない。今季のショートはランビエールの「ポエタ」を振り付けた、スペイン舞踏の第一人者アントニオ・ナハロの作品。色香と芸術性ではランビエールに及ばないにしろ、アボットの「Viejos Aires」も張りつめた大人の雰囲気がたっぷりで、複雑な上半身の動きや細かなムーブメントは実に濃密で見ごたえがある。フリーの「ライフイズビューティフル」は、アボット選手の品のある繊細さを十二分に生かした作品で、物語の主人公のやさしい微笑みとさわやかなポーズから明るい情感が漂ってくる。それでいて人生の哀切というものも知っている。知っているうえで前向きであろうとする。そんな、成熟したアメリカの好青年でなければ出せない味があり、見ていて胸がいっぱいになってくる。動きも大きくていいし、大きいだけでなく肩や指先で音楽をとらえ、情感を表現するところなど、表現力は間違いなくレベルアップしている。もちろん、エッジワークもきれいだ。アボットの集大成と言ってもいい軽やかな芸術性が際立つプログラムで、東京で見られるのを楽しみにしていた。これまでのアボット選手は全米でピークを迎えてしまい、そのあとの大きな国際大会では自滅することが多かった。今季こそワールドでの表彰台を目指して、体力をシーズン後半まで持続することを陣営として考えていたはずなのに、全米でまさかの4位とは。だが、本来それがスポーツの試合というものだ。アボット選手は演技構成点でトップの評価を得ていた。もっと差をつけてくれていたら勝てただろうが、ジャンプの失敗がありながら演技構成点で救うのは、スポーツの原則に反している。フリーでブラッドリーは2度の4回転に挑戦してとりあえずは降り、ドーンブッシュはほぼ完璧な演技をし、マイナーもきれいにプログラムをまとめた。アボット選手の大人のプログラムが東京に来ないのは本当に寂しいが、四大陸での素晴らしい演技に期待しよう。【27%OFF】[DVD] 浅田真央 20歳になった氷上の妖精
2011.02.18
全米選手権をようやくテレビで見た。解説は杉田秀男氏だったのだが、専門家らしい非常に的確な解説だった。だが、ルールに忠実でかつ的確であるゆえに、審判の判定と見事に食い違う部分が出て、現行の採点手法の問題点を改めて浮き彫りにする結果になったと思う。 杉田氏の解説の入った動画は見つからなかったのだが、英語での解説を入れた動画はネットにあった。こちら↓http://www.youtube.com/watch?v=JLR0kIoHxis最後にこの英語解説の動画では、4回転ジャンプ(2回)と後半にもってきたトリプルアクセルからの連続ジャンプのスローの解説が入るのだが、ブラッドリーの4回転については、「練習でうまく行っていたので、失敗は珍しい」とその実力を評価したうえで、最初の4回転については、「少しだけ回転不足」、トリプルアクセルからの連続ジャンプを3回転にもっていたことは、「2回転ではなく3回転をつけた」ことを高く評価している(やや興奮気味)。つまり、バリューの高いジャンプを跳んで降りたことを、何より賞賛しているのだ。日本のCS放送では、4回転ジャンプ1つとトリプルアクセル2つのスローが入った。解説者の杉田氏は、この場面で、「最初の4回転はダウングレードされると思う」と言ってしまっている。単独トリプルアクセルに対しては、「怖い跳び方、斜めになっている。でもよく頑張った(着氷したことを評価して)」。トリプルアクセル+トリプルトゥループに関しては、「よくセカンドジャンプを跳んでいる。トゥから降りているが、(着氷したあと)回りこんでいるのでその評価はどうか」と、質に懐疑的だ。日米解説者の演技中のジャンプに対する解説も対照的で、最初の単独トリプルアクセルについても、アメリカでは「大きい!」と大声で賞賛し、杉田氏は、頑張って着氷したことは褒めつつも、「う~ん」とうなり、「ジャンプを跳ぶタイミングが早くなっている。だから、体がちゃんとしたポジションになっていない(空中姿勢のことを言っている)」とネガティブな面を前面に出して話している。英語解説が間違っているのではない。ブラッドリーのジャンプのプラスの面に注目して褒め、「4回転の回転不足」については、「少し、ほんの少しだけ」と過小に言っているということだ。だが、最初の4回転は確かにスローを見れば、回転不足判定ではなく、その下のダウングレード判定になってもおかしくない降り方だ。着氷してからブレードがかなり回っている。これほどのグリ降りをしたのがフラット選手や浅田選手で、スペシャリストが「誰か」だったら、間違いなくダウングレード判定だろう。ところがところが。プロトコルを見ると、http://www.usfigureskating.org/leaderboard/results/2011/68096/SEGM004.html最初の4回転は見事に認定になっている。あそこまで足りていないのがはっきりしているのに、ダウングレードはおろか、回転不足判定でさえないとは驚いた。杉田氏がいうように、ダウングレード判定だったら3回転トゥループの失敗扱いになり、点がほとんどなくなってしまう。だが、認定されたおかげで、ブラッドリーはこの2つのお手つき4回転で、7.87点と5.81点の合計13.68点も稼いでいるのだ。また、着氷が乱れた単独の3Aも、3A+3TもGoEはプラスとマイナス、それにゼロが入り混じり、最終的にはどちらもプラス評価になっている。基礎点の高いジャンプ(しかも見た目の出来はよくなかった)に対して、これほど好意的な判定とGoEをもらえば、点は下がらない。杉田氏は、(恐らく)予想以上に出た、78.17点という技術点を見て、「でも、出ましたねえ」と驚いていた。同氏はオリンピック直前の全米で、長洲未来のジャンプを見て、「僕がつけると1~2加点にするような、質のいいジャンプ」とその放物線を描くジャンプを評価したのに、実際にはダウングレード(当時は回転不足判定はなし)を取られまくったのを見て、「厳しいですねえ」と驚いていた。ところが今回の男子に対しては、たとえば、リッポンのショートの転倒ルッツに関しても、スローを見て、「回転がギリギリ。もしかしたら回転不足判定を取られるかもしれない」と言ったのだが、プロトコルを見ると認定転倒になっていた。このように極めて高い専門性をもった解説者がルールと他の試合での運用を見て、的確に解説しようとすればするほど、思惑のある選手に対する判定とズレてくる。では今回、ブラッドリー選手に対してアメリカのスケート連盟が配慮してあげる必要はあったのだろうか? 結論としては、その可能性は十分にあったと思う。ブラッドリー選手は動画での観客の沸き方を見てもわかるように、アメリカでは非常に人気のある選手だ。しかも、もう27歳で後がない。これまでに全米王者のタイトルを手にしたことはない。ちょうど今年はオリンピックの次の年。あまり重要な年ではない。ならば、ここで花を持たせてあげたいとスケート連盟が考えたとしてもおかしくはない。ブラッドリー選手の演技構成点を見ると、決して高くはない。演技構成点が事前にある程度決められている仕分け点であることは再三再四指摘したが、全米でも笑ってしまうほどあからさまだった。フリーの演技構成点を見ると、アボット(総合4位)79.86リッポン(総合5位)77.42ドーンブッシュ(総合2位)74.58マイナー(総合3位) 74.56ブラッドリー(総合1位) 73.34国際大会での実績のあるアボットが1位、実績をあげつつあるリッポンが2位、これからの若手であるドーンブッシュとマイナーがほとんど同じ。高難度ジャンプを跳ぶベテランがその「ちょい下」。初めから決まっている(であろう)演技構成点を考えると、高難度ジャンプが武器のブラッドリーのジャンプをダウングレードしたり、GoEで厳しく減点したりしたら、順位が下がるのは必至だ。どこかの国のように、誰を1位にするのかをあらかじめ決めていたとは到底思えないが、優勝候補だったリッポンとアボットがショートとフリーでルッツジャンプを失敗した試合で、できるだけベテランのブラッドリーに花をもたせようとした可能性はないとは言い切れない。フィギュア選手にとってタイトルを取るかどうかは死活問題だ。引退後の人生も変わってくる。ブラッドリーにとっても、演技構成点で救われたのではなく、ショートで1回、フリーで2回、4回転に合計3度挑戦して降りたのだから、この勝利は心から喜べるものだろうし、観客も納得するのではないか。長年頑張ってきた選手が念願のタイトルを手にする姿は、誰にとっても感動的だ。納得できない部分があるとすれば、このように回転不足判定、ダウングレード判定が、ある特定の試合で、ある特定の選手に甘くあるいは辛くつけられているようにしか見えない点だ。何度も言うが、回転不足を厳しく見ること自体には反対しない。人間が見る以上、故意でないエラーもあるだろう。だが、現行のルールと運用は、順位操作に便利だから手放さないでいるようにしか見えない。それが問題なのだ。あらゆる試合を「ブラッドリー基準」でやったほうがいいのではないか。浅田選手やフラット選手や長洲選手や安藤選手や(今季は)ジュベール選手の難度の高いジャンプを、少しグリ降りになったといって待ってましたとばかりに回転不足判定やダウングレード判定するのではなく。今のダウングレード判定は、ある特定の試合の特定の選手に対する判定以外はあまりに厳しく、むしろ実際の回転不足度合い以上に取られているように思う。回転不足判定をなくし、ダウングレード判定を70%基礎点の回転不足判定にしたほうが、まだましではないだろうか。アボット選手が今回4位に落ちてしまったのは、スピンやステップのレベルを揃えられなかったこともあるが、なんといっても、アクセルにつぐ難度であるルッツで失敗してしまったことが大きい。4回転がないのだから、失敗してはダメなのだ。そういうジャンプ構成なのに、連続ジャンプにすべきところで3ルッツで転倒したから、単独にしかできず基礎点が減。明らかな回転不足で転倒になったから、ダウングレード判定され(これは現行のルール運用の大多数と同じように、「マトモに」ダウングレード判定された)基礎点が2ルッツに落とされる。そこからGoEで引かれ、最後に転倒のマイナス1が来るから、結果としてマイナス点になってしまっている。4回転ジャンプの転倒にルッツ並みの点を出す一方で、転倒したとはいえ3ルッツを跳んでいるのにマイナス点になる。こういうアホらしいことをやっているのが今のフィギュアスケート。転倒より悪い点になってしまうわずかな回転不足ジャンプがあるのも相変わらずだ。回転不足判定によって出てくる点の異常さはもう何年も続いている。それでもまだやり続けている。こんな非常識がいつまでもバレないと思っているのだろうか。ルール策定者の知能指数をテストしたいぐらいだ。杉田氏のようなマトモな目をもった解説者には、今後も思ったとおりのことを話してほしいと思う。若手解説者のほうは、判定と食い違うことを恐れて、曖昧な言い方しかしなくなっている。人間がジャッジする以上、絶対的に正しいということはない。杉田氏のようなベテランが率直に、「こう判定されると思う」と解説することは大切なことだ。そしてそれが実際のジャッジとの判定と違うことがあるということをファンが知ることも、また大切なことだ。<明日に続く>
2011.02.17
スターズオンアイスをBSで見た。すでにネットの動画では見ていたのだが、浅田真央の黒い衣装での「バラード」を大きな画面で鑑賞できたのが嬉しい。白い衣装でしっとりと舞う「バラード」にも目を奪われたが、黒い衣装も素晴らしくかわいらしい。深くくれてU字に近くなったラウンドネックライン、リボンとボタンのディテール、それに手首のV字のアクセントラインに白を使っているのが、黒地の衣装に上品に映える。すっきりした上半身のデザインとは対照的に、薄い黒のチュールは幾重にもなって広がり、ボリューム感を醸し出す。アンダーウェアのヒップラインもきれいに深く、浅田真央のすんなりとした脚のラインを少しだけ肉感的に見せるのに一役買っている。白い衣装の浅田真央は大人っぽく、すらりとした本格派のバレリーナに見えたが、黒い衣装の浅田真央は、逆に少し若くなり、バレエ学校に通う才能あるバレリーナの卵に戻ったように見える。ポニーテールのかわいらしい髪型がその印象をさらに強めている。しっとりと見えた舞も、溌剌とした舞に変わったようですらある。http://www.youtube.com/watch?v=fq2ABkOtUrI肩を出した白の衣装のときは、肩から腕全体で音楽をゆらりと捉える表現に魅了された。つつみこむように伸ばされた、長く細い腕のしなやかさ。黒の長袖の衣装では、ぱあっと開く花のような指先の表現に目が行った。花が開くと、やさしさの雫があたりに振りまかれていく。そう、浅田真央のうつくしさは幻想的なのだ。ひとたびその美に気づいてしまうと、抜けられない魔力がある。だからこそ、これだけ多くの人が浅田真央に夢中になるのだ。ポーズがモーションの中に溶け込んでしまうような、浅田真央の繊細な表現は、すべてがあまりにさりげなく、そのうつくしさは、まばたきする間に通りすぎることが多い。目を凝らしていなければ見逃してしまう一瞬に、限りない美が宿っている。だからこそ、ずっと見つめていたくなる。白の衣装のときには気づかなかったうつくしさに、黒の衣装に着替えてもらって気づいた。白一色、黒と白の2色、どちらもシンプルな衣装だ。そして同じ曲、同じ振りでありながら、年齢や性格、それにポイントになる表現まで・・・これほど「変身」してしまう人もめずらしい。こういう表現力をもったフィギュアスケート選手は、世界のどこにもいない。浅田真央だけだ。白の衣装のときは、雨だれの流れる窓の外から、舞台にそなえて練習するプリマドンナをそっと覗いているような幻想を抱いたが、今回の黒い衣装を着た浅田真央には、バレエのレッスンに向かう美少女を見つめているような気分にさせられる。そこは雪の降り積もった北の国かもしれない。通っているバレエ学校は、由緒ある名門かもしれない。クラシカルでどこか制服めいたデザインが想像力を掻きたてる。そして、二十(はたち)という年齢。春のおごりのうつくしさは、輝くような肌に宿っている。女性ならば、あんな女の子になりたい、男性ならばあんな女の子に恋してみたいと思わせるような、現実離れした雰囲気を今の浅田真央は纏っている。「愛の夢」のときの笑顔もそうだ。あの愛らしい、透き通ったような笑顔を見つめるだけで、私たちは幸福になれる。後半で、ふいに彼女が駆け出す振りもそうだ。女性ならば、あんなふうに恋人に駆け寄ってみたい、男性ならばあんな女の子に駆け寄られてみたい、そんな「永遠の憧れ」を呼び覚ます。浅田真央はそういう存在なのだと思う。あのうつくしさは尋常ではない。手の届くところに降りてくることは許されない、いつまでも人々の憧憬であるべく定められた存在。そういう運命に生まれたのだろう。あの肌、あの表情、あのスタイル、あの才能。世界のどこにもいない。浅田真央は浅田真央だけ。彼女は、神様に愛されている。
2011.02.09
たとえば、チャン選手の超高止まりの演技構成点について、「スケートがよく滑るから」「ひとかきでの伸びが違うから」などと、スケートの技術の素晴らしさを持ち上げての説明がされてきた。だが、グランプリファイナルで演技審判がチャン選手に与えた演技構成点を見ると、 スケートの技術8.71つなぎ 8.54パフォーマンス8.50振付 8.86音楽の解釈9.00と、「解釈」が一番高いのだ。音楽性に定評のある高橋選手(不調だったが)でさえ、8.25点。それを見事にぶっち切っている。チャン選手のスケートの技術の巧みさは褒める解説者が多いが、音楽表現をことさら賞賛している解説者はほとんどいない。Mizumizuにはチャン選手の表現は、わざとらしい顔芸やワンパターンな上半身のポーズを含め、「老けた劇団ひまわり」とでも言うのがぴったりに思える。にもかかわらず、チャン選手はいつの間にか、世界で比べる選手がいないくらい音楽の解釈に優れた選手に上り詰めたということだ。ここまで来ると、チャン選手を貶めたくてワザとキチガイじみた高得点を出しているのではと疑いたくなるくらいだ。実際、こうして高下駄を履かせれば履かせるほど、一般のファンはウンザリし、元来素晴らしい選手であるチャン選手の世界的な評判は下がっていく。選手を仕分けして勝者をコントロールしようとしているISUに対する、従順なるジャッジの嫌がらせですか?ソニア・ビアンケッティ氏は、転倒しても当たり前のようにチャンに与えられる破格の演技構成点について、「ISU規定のどこかに、お尻で直に着氷したジャンプを演技構成点で過大評価すべしという新しいルールがあるに違いない! そうでなければ、スケートカナダのショートとロシアカップのフリーで3回も転倒したチャンに何人かのジャッジが与えた8から9という得点を誰が説明できるだろう」と痛烈に批判した(全文はこちら)。日本では、ジャンプで転倒しようがパンクしようが世界一の得点を出すキム・ヨナについて、「尻もち加点」などと揶揄する声があったが、同じことをとうとう、オリンピックでジャッジまで務めたフィギュア界の重鎮が発言した。日経新聞の小塚選手のインタビューによれば、ジャッジは「目が合うと対話をしているようで、点をあげたくなる」と言ったらしい。そんなことで選手と対話をしているような気分になるとは、ずいぶん単純な感性のジャッジだ。おまけに点というものは、「あげたくなる」からあげるものらしい。さかんに解説者が、「目ヂカラ」だとか「ジャッジへのアピール」だとかが大切だと解くわけだ。だが、この感覚はそもそも間違っていないか。選手は何よりまず観客のために演技をする。それを公平に審査するのがジャッジのはずだ。そういえば、「ジャッジに愛されている」選手がいて、そういう選手は点が出るのだという。ジャッジの寵愛を受けるかどうかで出る点が変わるなど、いつからフィギュア界はハーレムになったんですか! 説明つかないデタラメ採点をしているから、こんなワケのわからない説明になる。どこまで適当なのか。いい加減にしてほしい。ソニア・ビアンケッティ氏は同じ記事の中で、「スケーティングで『自分は何を得られるか』ではなく、『自分は何を与えられるのか』に立ち帰らなければ、(フィギュア)の魔力は戻ってこない。スケーターはジャッジではなく、観客のために演技をすべきなのだから! スケーターは自由を制限するルールや規定すべてにうんざりしている。自分を表現したり、観客とコミュニケーションを取ったりする時間もない。そして、ISUがあくまでこのことを無視しつづける限り、近い将来私たちが観客を呼び戻すことはまずできないだろう」と強い口調で警告している。確かにヨーロッパでのフィギュアの人気低迷は、テレビの画面からもハッキリわかる。客をリンクに近くカメラに映りやすい席に固めて、そこそこ入っているように見せていることもあるが、カメラが切り替わるとそのほかの席はガラガラ。日本ではフィギュアの人気は最高潮に達しているが、それは素晴らしい選手が身を削るようにして頑張っている姿が感動を呼んでいるからだ。だが、採点には誰もが疑問をもっているし、ウンザリしている。このまま、真面目にコツコツと努力している多くの選手や一般の素人ファンを嘲笑うような恣意的な採点を続ければ(続けるだろうが)、フィギュア人気はすぐに凋落するだろう。全日本で安藤選手のフリーに出た66.08点という演技構成点は、明らかにキム・ヨナ選手の去年のトリノワールドのフリーの構成点65.04点を意識している。66.08点という点は、過去の安藤選手の点としては高いが、去年のトリノワールドの夢遊病者のようなキム選手の演技の点から比べれば低いぐらいだ。あちらは世界選手権、こちらは国内選手権。今ごろになって国内大会で慌ててキム選手と同等の格付けにしても、国際大会で同じように出してもらえるのか。日本スケート連盟の「ロビー活動」のお手並み拝見といったところか(断っておきますが、もちろんこれは皮肉です)。
2011.01.08
今年の世界選手権の女子3枠が、誰に行くのか。Mizumizuの予想は、「安藤・浅田・村上」だった。浅田選手が自爆してしまえば「安藤・村上・鈴木」になることは、もちろん間違いないが、浅田選手がそこそこジャンプを降りれば、3つ目の枠は鈴木選手と村上選手の争いになる。日本スケート連盟がどちらを推すのか、演技構成点の出方に注目していた。 鈴木選手は世界ランキングこそ2位と高いが、昨シーズン、肝心のオリンピックとワールドのショートで自爆してしまい、国際的な評価を高い位置で固めることができなかった。日本スケート連盟としては、年齢的にも若くない鈴木選手より、ソチへの足固めとしてフレッシュな村上選手を「売り出したい」気持ちがあるのではないかと「邪推」していたのだが、去年の「鈴木・中野」両選手の闘い同様、演技構成点でさほどの点差をつけずに技術点の出方に勝敗を委ねたところは、わりあいに公平だったと言える。両選手の演技構成点は、 ショート フリー鈴木 29.76 60.64村上 29.28 60.32若干鈴木選手のほうが高く出ているが、0.48点差と0.32点差なので、ほぼ同等評価。だが、実際には、ショートとフリーで3回転+3回転を跳ぶことのできる村上選手のほうが技術点では有利なので、鈴木選手としては、実績を汲んでもう少し点差をつけてもらいたかったところだろう。こういう仕分けをされた場合、3+3のない鈴木選手は絶対にジャンプを自爆してはいけないのだ。特に得点の高いルッツ、それからフリップは決めなければ勝てない。フリーでは2A+3Tの3Tを認定までもって行きたいところだ。ところが、今季鈴木選手には不安があった。そう、E加減なE判定。「間違ったエッジwrong edge」でもないのに、(ジャッジに)不明確に見えたというだけでつけてくるEマーク。これが鈴木選手に対しては猛威をふるった。フリップとルッツ、どちらにEマークがつくかわからない。ときにはつかないこともある。両方についたこともある。「E判定をもらうと選手は気にしてしまい、自爆のスパイラルにはまる」と書いたが、そのとおりになってしまった。ショートでは3ルッツが回転不足のまま降りてきてしまい、これが回転不足判定より一段厳しいダウングレード判定。ショートではステップもレベル3、スピンもオールレベル4をそろえたたけに、この失敗は悔やまれる。フリーでは3フリップが2フリップに。フリーではショートの順位に気落ちしていたのか、ふだんのような精彩もなかった。最後は盛り上がったが、序盤はジャンプへの不安が顔に出ていた。プロトコルを見るとスピンやステップのレベルの取りこぼしもある。鈴木選手に対しては厳しくレベル判定した可能性も否定できないが、なんといっても、ジャンプ・・・それも基礎点の高い、ルッツとフリップの自爆が痛かった。フリーの2A+3Tの3Tも決まらなかった(回転不足判定)。つまり決めたいジャンプでモロにミスが出てしまったのだ。思えば、去年、中野選手がオリンピックの切符を逃したのも、ルッツの失敗が大きく響いている。今年は鈴木選手がルッツの失敗に足を取られる結果になった。エッジ違反を含めて、グランプリシリーズのときから鈴木選手に対する点は奇妙に低かった。海外の掲示板では、「Suzukiの点が低すぎる。Murakamiは高すぎる」と書いているファンの意見も見たし、国内でもメディアをあげての村上選手売り出しに不信感をもつファンも多かった。こうした採点をされると、選手にも「伝わってくるもの」があるのだ。好意的な採点をされているほうは、モチベーションも上がる。厳しい採点をされている選手はストレスがかかる。判定や採点が自分に厳しいからこそ、失敗できない。そう思いつめると逆に調子を崩し、失敗する。村上選手のジャンプの失敗は一番点の低いダブルアクセルのみ。シーズン前半ではなかなか決まらなかった3フリップや3ループも決めた。これは素晴らしい。身体全体を使ったダイナミックでエネルギッシュな表現はすでに国際大会でも高い評価を得ている。裏で日本スケート連盟がロビー活動をしたという報道も一部の週刊誌にあったが、その真偽はどうあれ、ジュニアから上がったばかりの村上選手がシニアトップレベルの選手に負けない演技構成点をもらっているという事実は事実なのだ(その評価を納得するしないは、個人の主観次第だ)。だから、3枠目が村上選手に行ったのは当然だ。当然なのだが、なんともやりきれない気持ちだ。現実問題として枠は3つしかなく、グランプリシリーズでの勢いや全日本の出来からいっても、今回の選出結果に間違いはないと思う。だが、これまでさんざん、「鈴木選手の演技構成点が素晴らしい演技のわりに出ないのは、実績がないから」などと言われていたのだ。ところが、ジュニアから上がったばかりの村上選手は、シニアでの実績がなくても、いきなりかなりの演技構成点が出ている。村上選手の表現力は、確かに目を惹くものがある。全身を使った大きな表現。若々しいエネルギー。物怖じしないダイナミズム。「クラシックバレエで鍛えた」などというのは、あの姿勢の悪さを見れば的外れなのは明らかだが、フィギュアスケートで評価される表現力は、必ずしもバレエ的なものである必要はない。村上選手には他の女子選手にはないスケール感がある。ジュニアから上がったばかりだというのに、時間の長いシニアのフリープログラムを滑って疲れた様子も見せない。身体の強さといい、やや荒削りだが、野性的で自由な表現といい、瞠目すべき選手だ。だが、それを言うなら、鈴木選手の成熟したダンサブルな演技だって十分に魅力的なはずだ。ここ何年かシーズンを通してコツコツ実績を積み重ねてきたにもかかわらず、演技構成点では過去の実績を汲んだ点差を若手との間につけてもらえなかった。ここにもスポンサーの力が見え隠れする。メディアの持ち上げ方を見ても、これからは村上選手をフィギュア界のアイドルに仕立て上げたいという「大人の都合」があからさまだ。村上選手は素晴らしい才能の持ち主だが、絶大な人気を誇る浅田真央が不調の時期に、こうしたメディアによる一方的なプロモーションは、あたかもアイドルを挿げ替えようとしているかのようで、逆にファンの反感を招くのではないか。演技構成点というものは、結局のところ、出る選手には気前よく出て、出ない選手は何年頑張ってもたいして出ない。出る試合に自国の「(自分より)上位仕分けの選手」がいるかいないかによっても突然上下する。つまりは、順位の調整弁。理屈は後からくっつける。表現力が凄いとか、格が違うとか抽象的な文言で。そうやって「宣伝」すれば、見るほうは、「そういうものか」と半信半疑ながら納得させられるということだろう。評判は宣伝で作られるからだ。<明日へ続く>
2011.01.07
<きのうから続く> 安藤選手はルッツにE判定がつく心配がないのが、なんといっても強い。今季浅田選手より安藤選手のほうが強いのは、ルッツの差だとも言える。ちょうど昨シーズンの男子の勝敗を決めたのが、4回転ではなくトリプルアクセルだったように。トリプルアクセルが苦手なランビエールが4回転に頼ってオリンピックのメダルを逃したのに対し、4回転は跳べなかったがトリプルアクセルが強かった高橋選手がメダルを獲得したのと基本的には同じ理屈なのだ。トリプルアクセルという難度の高いジャンプを跳べる浅田選手は、だが、「完璧に回りきって降りてこれない」という小さな(とMizumizuは思う)弱点ゆえに、その強みを生かしきれない。そして、皮肉なことに安藤選手にとってのアキレス腱も、「難度の高いジャンプを跳べる」ことにあるのだ。そう、安藤選手がこだわっている3ルッツ+3ループ。グランプリファイナルでは、このジャンプの3ループがダウングレード判定され(この厳しい判定には正直驚いた)、さらに次のジャンプでも転倒があって、それもダウングレード転倒で点が伸びなかった。こうした「外的要因」に加え、安藤選手自身が抱えている問題。それはショートで最初の連続ジャンプにつまずくと、かなりの高確率(というか、安藤選手の場合はほとんど)で、次の単独3フリップに影響が出てしまうということだ。安藤選手の強みは、5種類の3回転ジャンプをすべて跳ぶことができ、「大いに不得意なジャンプ」がないということにもある。だが、あえて言えば、エッジを矯正したフリップは、回転が足りなくなりやすい。その前のジャンプで失敗して助走のスピードが取れないと、そのまま失敗が連鎖する。昨シーズンのオリンピック、世界選手権でもショートの連続ジャンプで失敗し、次の単独フリップに影響が出てしまった。今季のグランプリファイナルもそうだ。つまり、安藤選手がショートで失敗するのは、3ルッツに3ループをつけたとき(あるいはつけるつもりで連続ジャンプに入ったとき)なのだ。今季は見た目クリーンに降りた3ルッツ+3ループは1度だけ。それも回転不足判定されてしまい、3ルッツ+2ループで得た得点と結局0.5点ぐらいしか違わないという結果になった。本当に脱力するほど無意味なルールだ。セカンドに2ループをつけるのと3ループをつけるのとでは、難度に天と地ほどの違いがある。ほんの少し回転が足りないといっても、ちゃんと降りているし、スロー再生しなければわからない程度の微妙な不足に過ぎない。ジャンプの難度の違いを無視して、回転が足りないとイチャモンをつけ、ここまで減点する。繰り返すが、たとえ微細でも回転不足は回転不足なので、減点することには反対しない。問題はその程度。基礎点を減じるのではなく、GOEで減点すればそれで十分だ。日本スケート連盟も、「女子のショートにも単独3Aを入れてよいようにしろ」などと、浅田選手にしか関係のない、身勝手ともとられかねないルール変更を提案するより、この非常識な回転不足判定での大減点を撤廃するように動くほうが先だろう。そのほうが採点ははるかにマトモになり、かつ、浅田選手にとっても、安藤選手にとってもよほど有利になったのに。この状態で、安藤選手が世界選手権で3ルッツ+3ループに挑戦するのは、かなり危険だ。逆に全日本で見せた、3ルッツ+2ループに単独3ループをつけるジャンプ構成は素晴らしかった。突然単独ジャンプをフリップからループに変えて、あそこまでの完成度を見せる。そこがそもそも凄いのだが、安藤選手の単独3ループを見たとき、Mizumizuは思わず、「おうっ!」と叫んでしまった。垂直跳びになりやすいループで、あそこまできれいな放物線になるよう、距離と高さのバランスを取って跳べる女子選手が、安藤選手以外にいるだろうか? しかも、絵に描いたようなディレイド回転で、跳び上がって、放物線の頂上付近で細い回転軸で自然に、かつ速く回っていた。さらに完璧に回りきってから降りてきているから、流れも美しい。この単独ジャンプに加点「2」をつけたジャッジもいたが、さもありなん。一方、安藤選手のフリップはかなり回転がギリギリで、不足気味になりやすい。難度の高いジャンプに挑戦することを評価するなら、3ルッツ+3ループに3フリップというのが世界女王にふさわしいショートのジャンプ構成だ。ところが、ちょっと回転が不足すると、待ってましたとばかりに(ときに転倒以上の)減点をする現行のゆがんだルールでは、恐らく、3ルッツ+2ループに3ループのほうが、安藤選手にとっては点が出やすいし、本人の精神的な負担も少ないだろう。「トリプル+ダブル(3ルッツ+2ループ)じゃ意味がない!」とコーチに叫んでいる安藤選手の練習風景を見たが、そもそも3ルッツに2ループをつけることができ、しかもほとんど失敗しないというのが凄いのだ。それ以上に凄いことができてしまうから、本人は当然3+3をやりたい。ところがそれを阻む非常識ルールが待っている。世界選手権でどうするのか。もちろん本人の調子次第だが、もし挑戦するなら、準備段階でビデオを使い、「降りたつもりの3ループが認定される完成度のものなのか」を客観的にチェックしたほうがいいだろう。今回の全日本では大庭選手が2A+3Loを跳んで認定されたが、身体の軽い年齢ならできても、20歳をすぎた女性が3ループをセカンドにもってきて回りきるのは、奇跡に近いのではないか。それはさておき・・・安藤美姫の強さの「内的要因」の最たるもの・・・それは、精神面の充実だろう。今年の安藤選手はとにかく気持ちが安定している。自分自身に対してゆるぎない自信があり、それがリンクに上がったときから彼女を輝かせている。もともと華のある選手だが、成熟した女性としての落ち着き、アスリートとして練習を積んできたという確信が、全身からみなぎっている。今の彼女には往年の大女優、ソフィア・ローレンのような魅力を感じる(頬骨の高い顔立ちもちょっと似てませんか?)。フィギュアの表現力にはさまざまな裾野があるが、生身の女性の情感をあれほどまでに見事に表現できる選手はいない。ショートでは、どこかあどけなさのある、それでいて包み込むような優しい笑顔に魅了された。肩に不安をかかえ、腕の表現も制限されている中で、指や手首のちょっとした動きでハッとするような女性美を演出している。フリーのスパイラルでは、上げた脚より、風にそっとなびく草花のような、手首から先の緩やかな動きに目を奪われた。横顔のラインも美しい。こうした一瞬の小さなポーズで人を魅力できるのが、成熟したトップスケーターの証しだ。過去には演技中の猫背が気になることもあったが、今は姿勢もきれいになった。シーズン初めにMizumizuが感動したEXプログラムでの安藤美姫の表現力(こちらの記事)。それが今季は試合でも十二分に生かされている。フリーは音楽編集、特に動と静の組み合わせが実に巧みだと思う。全体的に重みのある曲で、安藤選手の存在感にぴったりだが、その中で、たとえばスローパートは細やかで優しく、それでいて包容力があり、まるで安藤美姫という女性の性格そのものを表現しているようにも見える。http://www.youtube.com/watch?v=Yoe5KKGZXtk個人的に大好きなのは、トリプルトゥループへ向かう前、3:13あたりでドラマチックに盛り上がる曲調。ジャンプが続き、体力的にもきついこのあたりで、まるでモロゾフが、「美姫、頑張れ!」とエネルギーを与えようとしているかのよう。選手と氷上でも一体になろうとする振付師の深い愛と情念に、胸が締め付けられるような感動を覚える。欲を言えば、ここで安藤選手のスケートがもう少し伸びれば・・・ 激しい感情をあらわにしたような音楽が演技を助けているという言い方もできるが、やや安藤選手のスピードと表現が音に負けているようにも思う。だが、最後の怒濤のクライマックスは、会場の拍手を巻き込んで実に感動的だ。腕を大きく使ったポーズにも貫禄と品位が漂っている。細かい音の拾い方にも無駄がない。全日本での安藤美姫は、まさに真の女王だった。グランプリファイナルでのガッツポーズもカッコよかったが、全日本での魂の底から湧き上がってきたかのような力強いガッツポーズには、思わず女性ながら惚れてしまった(苦笑)。昨シーズンは達観してしまったような部分があるようにも見えたが、今年は安藤選手のアスリートとしての闘争心が戻ってきたようだ。東京ワールドでも、是非あの、「見たか!」と言わんばかりの、身体全体を使ったガッツポーズの出る演技を期待したい。エレメンツで気になるのはステップ。グランプリファイナルでは問題なかったのに、全日本でレベルを落とされた。レベル3が取れるように準備をして欲しいと思う。対照的に痛々しかったのが、グランプリシリーズでの浅田選手。ジャンプへの不安を払拭できず、引きつったような顔でリンク中央に向かう姿には胸が痛んだ。フィギュアスケートというのは、こうした選手の内面がストレートに演技に出てくる。ジャンプの調子が悪いといっても、浅田選手はそもそも、あれほどまでにうつくしいのだからそれだけで十分闘えるのだ。あそこまで自分を追い詰める必要はないのに・・・はたから見ているとそんな無責任なことを言ってしまいたくなるが、準備がうまく行ったかどうかで選手の心理状態は変わってくるということだろう。世界を2度も制した、自分に厳しい選手となればなおさらなのだろう。だが、浅田選手も全日本でかなり調子を取り戻したと思うので、東京ワールドでは、彼女が本来もっている「この世のものとも思えないようなうつくしさ」に自信をもって会場のファンを魅了してほしい。浅田選手の魅力はジャンプだけではない。というより、ジャンプ以外の魅力のほうが今は大きい。
2011.01.06
全日本女子で3度目の女王に輝いた安藤美姫。今季、彼女の強さは傑出している。Mizumizuはこの結果は、内的要因・外的要因から当然だと思っている。まずは外的要因。つまり今季のルール変更だ。トリプルアクセル(3A)や4回転の基礎点が引き上げられた話は大きく取り上げられたが、現在3Aを跳べる女子は浅田選手のみ。こうした超高難度ジャンプの基礎点引き上げは、多くの女子選手にとっては関係のない話だ。それよりも、世界トップを争う女子選手に大きくかかわってくる変更点があった。それは、トリプルフリップ(F)の基礎点が下げられたため、トリプルルッツ(Lz)の価値が増大したということだ。基礎点の変更を見てみよう3A 8.2→8.53Lz 6→63F 5.5→5.33Lo 5→5.13S 4.5→4.23T 4→4.13ルッツの点が変わらないのに、3フリップの点が低くなり、3ループ(Lo)の基礎点と接近することになった。ルッツとフリップはE判定の絡むジャンプであり、ルッツが得意な選手はフリップのエッジにやや問題があり、フリップが得意な選手がルッツのエッジにやや問題がある場合が多い。つまり、これはルッツをエッジ違反なく跳べる選手には有利な改定なのだ。世界トップで戦える日本女子選手、安藤・浅田・鈴木・村上の4選手のなかで、ルッツのエッジにまったく問題がないのは安藤選手のみ。現行ルールでは減点ポイントのない選手が強い。同じジャンプを成功裏に跳んでも、エッジ違反を取られればGOEで減点、違反がなければ加点となり、見た目以上の点差が開く。安藤選手はルッツが得意で、フリーでは2度入れることができる。つまり、1つは基礎点が10%増しになる後半に入れることができるのだ。そしてルッツの「ジャンプとしての完成度」も高い。「跳びあがってから回り、回りきって降りてくる。空中ではきれいな放物線を描く」という現行ルールでは一番重視される完成度を備えている。これ以上の難度のジャンプを跳べるのは浅田選手のみだが、浅田選手の3Aは回転不足を取られることが多く、強みを発揮しにくい。たとえば、全日本のフリー。後半に入れた安藤選手のルッツの点を見ると3Lz (後半) 基礎点6.6 GOE=1.26(0をつけたジャッジが1人、加点1をつけたジャッジが1人、加点2をつけたジャッジが5人) 獲得得点 7.86ちなみにフリー冒頭に浅田選手がもってきたトリプルアクセルは、回転不足判定されたうえにGOEで減点だから、5.4点にしかなっていない(プロトコルはこちら)。相変わらずおかしな逆転現象だ。難度から言えば比べられないくらいの差のある3Aと3ルッツが、構成と質で得点が逆転する。しかも、「質」と言っても、浅田選手のフリーの3Aはさほど悪いジャンプではない。降りてからブレードが回ったという判断なのだろうが、むしろ認定されたショートの3A(獲得得点8.1点)よりよく見えるぐらいだ。さて、ルッツに話を戻すが、エッジ違反を取られた浅田選手のルッツは3Lz 基礎点6 GOE=マイナス0.42(0をつけたジャッジが3人、減点1をつけたジャッジが4人) 獲得得点 5.58安藤選手との単独ルッツ1つでの点差は2.28点。前半か後半かという構成の問題もあるが、1つのジャンプでこれだけ獲得点数が違ってくる。2人のルッツに対するGOEが甘いか辛いかという点に関しては、誰のどのジャンプと比べるかで主観的な印象は変わってくる。Mizumizuの目には、安藤選手のルッツは非常に質が高く、浅田選手のエッジ違反は非常に軽微に見える(エッジ違反というより、乗っているエッジが安定していないという印象だ)。キム・ヨナ選手のジャンプに気前よく与えられるGOEを考えれば、安藤選手への「2」はまったく妥当だと思えるし、浅田選手のルッツのE判定への減点がこの程度であるのもごく真っ当(もしかしたら、もっと減点は少なくてもいいようにすら思う)だと感じる。国際大会に出たら、安藤選手の加点は抑えられ、浅田選手への減点はもっと厳しくなるかもしれない。だが、これはあくまで感覚的な判断になるが、キム選手やチャン選手のジャンプに対する国際大会での加点の気前良さを思えば、全日本くらいのGOEの「按配」のほうがむしろ公平でないかとさえ思う。 そもそも、国際大会での安藤選手のジャンプへの加点の「しぶさ」は信じられない。元一流選手である解説者が何の疑いもなく、「加点も1点以上つくようないいジャンプ」と言ってしまっているのに、雀の涙のような加点しかついていなかった。そちらのほうがおかしいだろう。Mizumizuが最も呆れ果てたのは、トリノワールドショートのキム選手の単独フリップに対するGOEだ(プロトコルはこちら)。ダウングレード判定されたにもかかわらず(昨シーズンは今とルールが違い、「<」マークが基礎点が1つ下のジャンプに下がるダウングレード判定)、GOEを「0」としたのが2人、「1」としたのが2人、あろうことか加点「2」としたのが1人いる。計5人が減点しなかったのだ!真っ当に減点したのが4人(マイナス2が2人、マイナス1が2人)と、そちらのほうが少ない。これもルール(プラス要件の総数からマイナス要件の総数を引いてGOEを出すという建前)からすれば、不正でも何でもない。だが、着氷でこれほど詰まって前傾姿勢になってしまった質の悪いジャンプを減点しないなど、非常識にもほどがある。この動画の1:25当たり。同じジャンプでマイナス2からプラス2までがいる。まさに「猫でもできるジャッジング」の典型だろう。これが世界選手権という格式の高い試合で演技審判がやったことだ。こうしたデタラメな加点に比べれば、安藤選手の単独ルッツに与えられる加点が「2」というのはごくごく常識的な判断だ。いいものにはどんどん点を与えるようにするというのがジャッジの指針なら、質のいい安藤選手のジャンプにもどんどん加点しなければ、逆におかしい。昨シーズンまで、浅田選手もそうだが、国際大会での安藤選手に対するダウングレードは、「えっ」と思うほど厳しく見えた。「ちょっと低いかな?」と思った程度でもうダウングレード、つまり3回転を2回転ジャンプの基礎点にされてしまう。今年の安藤選手は、それに対する対策が徹底している。1つ1つのジャンプをきっちり回りきっておりるという意志が明確に感じられる。ファイナルでも全日本でもフリーで回転不足判定されたジャンプが1つもなかった。実際、ややギリギリかな? と一瞬思えたのは2A+3Tの3Tだけ(だが、よくよく見れば回りきって降りているのは間違いない)。他のジャンプは回転不足判定したくてもできないくらい完璧に回ってきている。ある特定の選手に対して判定が甘かったとしても、それは選手にはどうにもできない。だが、文句をつけようがないくらい回りきって降りてくれば、回転不足判定はできない。そこを安藤選手はきっちり抑え、やりきっている。これがフリーでできるのは、冒頭に3ルッツ+3ループを「跳ばない」せいかもしれない。安藤選手は過去にグランプリファイナルで4回転サルコウを降りたものの、後半のジャンプをじゃんじゃんダウングレードされて点がまったく伸びなかったことがあった。後半のジャンプまできちんと回りきって降りてこられるように体力配分をする・・・そのためには、大技は入れないほうがいいのだ。こうしたルールがジャンプ技術の向上を阻んでいることは、すでに内外の識者が指摘している。高難度ジャンプのわずかな回転不足で、ときには転倒以上の減点にされるのでは、挑戦する意味がなくなってしまう。大ブーイングを受けて、「回転不足判定は基礎点70%」に減点が緩和されたが、それでもまだまだルールのゆがみは残っている。というか、わざわざ「安藤・浅田に勝たせない」ために、こうした非常識なルール運用(わずかな回転不足がその下のジャンプの失敗と同じ点になる)をゴリ押ししたのだから、「ゆがみが残っている」もへったくれもない・・・と、Mizumizuは個人的には思っている。この「安藤・浅田に勝たせないぞ」ルールで、被害が大きかったのは、実は浅田選手より安藤選手のほうなのだ。セカンドに持ってくる3ループが武器にならなくなったのは2人とも同じだが、2人がもっている他の女子には真似のできない大技。4回転サルコウ(安藤)とトリプルアクセル(浅田)。この完成度では、明らかに浅田選手のほうが上だった。だから、浅田選手は試合に入れている。安藤選手は試合では使えない(ここ数年で試合に4Sを入れたのは、1度かそこらだろう)。だが、浅田選手のトリプルアクセルだって、そもそも立つのさえ難しい超難度の大技だ。実際に決めてもさかんに回転不足判定されているのが現状だ。浅田選手は、セカンドに3ループをもってくることもできるし、3トゥループをつけることもできる(ジャパンオープンでは2A+3Tをやって転倒はなかった)。難度の高い多彩なジャンプを跳ぶことのできる能力では世界一だろう。ところが、セカンドの3回転はどちらも回転が足りない。だから今季はJO以外の試合では入れていない。入れたところで回転不足判定の餌食だろう。ショートに入れようとした3ループ+3ループも、そもそも3ループ+2ループで最初のジャンプが回転不足になりやすいのだから、3ループ+3ループをやってしまったら、両方回転不足判定されてしまう確率が高い。3ループ+3ループというのは、誰でもできる連続ジャンプではない。跳べるジャンプの希少価値を評価するルールなら、3Aに加えてセカンドに3ループと3トゥループを跳べる浅田選手は強い。今季はルッツも入れて来ているし、まさに世界最強、誰もかなわないだろう。だが、現実にはその強みが生かされず、逆に弱みになっている。今は「回りきるかどうか」が何より評価されるという、アホらしいルールだ。転倒しても、「回りきって転倒したか」「回転不足判定で転倒したか」「ダウングレード判定で転倒したか」で点が違ってくるという、フランケンシュタインルール。回りきることさえできれば、3トゥループ+3トゥループのような難度の低い連続3回転ジャンプでも、加点ばっちりで点が稼げるのだ。ジャンプの回転不足対策を徹底させた安藤選手に対し、浅田選手はジャンプのリフォーム中でもあり、そこまでの完成度にもっていくことができないでいる。浅田選手の点が伸びない理由はそこだ。だが、フリップにしろ、ルッツにしろ、アクセルにしろ、去年とは跳び方が明らかに変わってきている。短い構えから、流れが一瞬止まることなくスムーズに跳びあがり、かつ垂直跳びではなく、距離を出して放物線を描くジャンプになるようジャンプを改良してきている。短期間にこれだけできるということ自体、驚異ではないか。安藤選手のほうは3ルッツに3ループをつける連続ジャンプこそうまく行っていないが、2A+3Tはかなりの完成度になっている。試合でセカンドに3回転をもってこれない(跳ぶことはできるにもかかわらず)浅田選手は、またもトリプルアクセルに頼らざるをえない。3Aはただでさえ難しいジャンプだ。それをフリーに2度となると、かなりイチかバチか。矯正中のルッツも万全ではなく、連続ジャンプの回転不足問題もある。あちこちに不安を抱えた浅田選手の全体のジャンプ(そして演技全体)の完成度は、勢い不安定化せざるをえない。これが今の日本のトップ女子選手に起こっていることだ。<明日に続く>
2011.01.05
今回の全日本の印象を一言で言うなら、今一番強い選手が勝った・・・これにつきるということ。小塚選手のショートは、フィギュアスケート競技のお手本として永久保存したいほど。素晴らしさのあまり声も出なかった。ジャンプ、スピン、ステップ・・・すべてが完璧に近い。強いて、本当にあえて強いて言えばが、3回転+3回転のセカンドがもっと流れれば・・・。いや、やはりそんなことはどうでもよく、完璧と言っていいかもしれない。ここまであらゆる面で完璧なショートプログラムを、近年見ただろうか。これに比肩できる完成度をショートで見せた選手がいたら、教えて欲しいぐらいだ。非常に素直な、そして短いプレパレーションからエッジにしっかりと乗って跳ぶジャンプ、軸はまっすぐで細く、回転は速いのに、無理矢理力で回してる感じがしない。幅と高さのバランスの取れた大きなジャンプなので、見ていてダイナミックだ。スピンの美しさは奇跡と言っていい。あれほど長い時間回っているのに、ポジションも一定、回る位置も一定、速さも落ちない(そしてボジションを替えた後半には逆に速度を増す)。それでいてジャンプ同様無理矢理回転させている印象もなく、ポジションもまるで楽々キープしているように見える。足替えのときなど、氷をいたわってさえいるよう。スピンの入り方もきれいだが、出方のまた素晴らしいこと。このeffortlessの境地に達するまで、小塚選手はどれくらい地味な練習を長く積み重ねてきたのか・・・ 想像を絶する努力だと思う。だが、彼に残された、最後の、そして彼にとってはおそらく最難関の課題もハッキリした。そう、フリーでの自爆。ショートとフリー、2本揃えてこそ本当の王者なのだ。去年のワールドもそうだった。ショートで会心の演技をし、メダルが目の前にぶるさがっている状態で臨んだフリーでの大自爆。今回も程度の差こそあれ、同じことを小塚選手は繰り返している。フランス大会のような演技をすればいい。それだけだ。一度やり遂げているのだから、外から見れば、それは難しいことではないように見える。しかも2位との差が8.97点。4位の世界王者との差は13.13点もある。この点差はいくら高橋選手でも、今の小塚選手に対してはひっくり返せない。リラックスして自分の演技ができるようなアドバンテージを得たのに、フリーで登場した小塚選手はガチガチのコチコチ。自分で自分に過度のプレッシャーをかけている。最高の演技を披露したフランス大会でフリーに出て行くとき、笑顔を浮かべて佐藤コーチとどこか楽しげにアイコンタクトを取っていた小塚選手とは別人のように余裕がなかった。だが、出だしの腕を大きく使った振りは、シーズン前半に比べると格段によくなった。問題はジャンプを失敗したあと。なんとか、「落ち着かなきゃ」と自分に言い聞かせているのがありありとわかった。こうなってしまうと小塚選手は、エレメンツを正確にこなそうとする健気な機械になってしまう。「地球を抱くようなイメージ」というスケールの大きなコンセプトのプログラムなら、観客にそれを届ける精神的な余裕がなければ駄目だ。小塚選手に観客の応援は届いていたのだろうか? フランス大会のときは、Mizumizuが大感激した最初のスピンで観客が拍手を送ったとき、小塚選手はそれに応えるように微笑んだのに、今回は徹頭徹尾「ま・じ・め」。ときに音楽さえ忘れているように見えた。会場までわざわざ足を運んでくれるファンは、冷たい裁判官ではない。みな小塚選手を支えようとしている味方なのだ。それなのに、観客との間に見えない膜を自ら作ってしまっている。自分の世界に閉じこもって、次は、次は・・・とエレメンツのことで頭がいっぱい。小塚選手の伸びやかさに、観客は気持ちのよさを感じ、精神的なカタルシスを得る。ファンはそうしたくてうずうずしているのに、本人があそこまで「生真面目」に余裕がなくなってしまっては、見ているほうは気持ちよくなりようがない。最後のステップの前あたりになって、やっと少し観客に対して心を開く精神的なゆとりが出たようにも見えたが、「点は気にしない」「落ち着いてやりたい」「みんなに見てもらいたいプログラム」という意気込みとは裏腹なパフォーマンスになってしまった。自分の演技で観客を心地よくしてあげよう・・・あっちのお客さんも、こっちのお客さんも・・・そういう気持ちをもつことが大事なのだ。ショートで出来がいいと、フリーで緊張しすぎて失敗する。この課題の克服は、外から見るほど簡単なことではない。しかも皮肉なことに、自分に厳しく、真面目な人のほうがこの課題――ここ一番での自滅――をなかなか克服できない傾向がある。安藤選手のように、お客さんを見て、バナーを見て、皆が応援してくれる気持ちを受け止めて、それを心の中に満たして演技に入れるようになるまでには、内面が成熟しなければならず、それは周囲がアドバイスを与えてできることではない。小塚選手の周囲には日本フィギュアスケート界のエリート教育陣が揃っているが、この部分に関してだけは、「厳しい指導」でどうにかなるものではない。選手自身の内的成熟を待たなくては。小塚選手と対照的に、圧巻のコミュニケーション&パフォーマンス能力を見せたのが高橋選手のフリーだった。1位との大差を見れば、連覇は不可能。気持ちが切れもおかしくない状況に追い込まれて、高橋選手はなにもかもかなぐり捨てたような鬼気迫る演技を見せた。それでいて、気持ちだけが走りすぎて転倒してしまう・・・ということがない。どこかで冷静に演技をコントロールする高橋選手がいる。これには本当に圧倒された。ショートを見てファンは高橋選手のコンディションの悪さにガクゼンとしただろう。本人が口に出さなくても、それはわかる。そうした状況を分かっていて、ファンもなんとか高橋選手に滑りきって欲しいと願ったのだろう。点がどう、連覇がどう、そんなことはもうどうでもいいのだ。大ちゃんが無事にフリーを終えてくれれば・・・ そんなファンの心に素直に感応して、期待以上の演技をしてしまうのが高橋大輔の天才的なところだ。まるで肉体のない戦士が、魂だけで演じているような、尋常ならざる世界を見た気がした。この境地に達することのできる選手など、ほとんどいないだろう。長くフィギュアを観ているMizumizuだが、これほどファンのエネルギーを取り込んで、それ以上のエネルギーにして返してしまう選手は見た覚えがない。こういうことは、選手の性格が能動的でありすぎても、受動的でありすぎても駄目だろう。本人ですら、なぜ自分がそこまでの境地になれるのか、わからないかもしれない。天才の恐るべき集中力。だが、そのためにどれほど肉体と精神を犠牲にしているのかと思うと、胸が締め付けられるようだ。もともとフィジカルが強い選手ではない。精神的にも決して強靭ではない。だが、周囲に対して、常に心を開いていられる・・・これは教えられてできることではない。高橋大輔が神様からもらった大きな才能だろう。もう1人、無良選手のフリーも胸に迫った。トリプルアクセルの素晴らしさもさることながら、本人に何か期するものがあるのか、理屈ではなく伝わってくるもののあるパフォーマンスだった。南里選手については、まさか放送されないとは想像もしていなかった。だが、会場は一体となって盛り上がり、スタオベで南里選手を讃えたようだ。やはり日本のファンはいろいろな意味で、「わかっている」。BSで放送してくれるよう、ファンの皆さんはフジテレビにメールしてください。ところで、小塚選手の点については、「高すぎる」ということはまったくない。「高すぎる」「低すぎる」というときは、比較対象を誰のどの点にするかで変わってくる。たとえば、パトリック・チャンのロシア大会の演技構成点を見ると、ショート 40.42(3Aで1回転倒)、フリー 81.30(3回転倒)これは敵地・・・もとい、アウェイとはいえ、国際大会での点だ。実に呆れるほど高い。それに対して、今回の小塚選手はショート 40.85(転倒なしの完璧演技)、フリー81.10(2回転倒)本当なら、国際大会でもこのくらいの演技構成点を出してもらわなければいけなかったのだ。小塚選手の演技構成点が低いことは、あちこち(日本以外だが)から聞こえてきていた。さんざん「メダル一国一名様仕分け」に唯々諾々と従っているから、小塚選手は正当な評価を得られずに来た。それだけだ。高橋選手の技術点が低いのは、ルールおよび採点上の問題が多い。たとえば、フリーの4回転フリップはダウングレード判定(<<)なので、転倒していなくても3.48点にしかならない。小塚選手や織田選手の4回転トゥループは転倒しているのが、認定されている(回り切ったと見なされている)ので6.3点になっている(こちら)。それにしても、男子のスペシャリストは、日本選手にとっては実に縁起の悪い天野真氏だ。トリノワールドで、「素晴らしいジャンプ!」と各国の解説者が讃えた浅田選手の3Aをダウングレードして世界を驚かせた人物だ(ユーロスポーツの解説はこちら)。ウィキペディアによれば、チャンのコーチをしていたこともあるという。なぜ、わざわざカナダ在住で、「自分のライバルは高橋しかいない」とゴーマンかます世界2強(演技構成点での仕分けで)の片方の元コーチなどを呼んで高橋選手の出る試合のジャッジングをさせるのか。公平性が疑われるだけではなく、別の思惑があるのではという憶測を招きかねない。高橋選手は、ショートでのルッツのE判定を取られている。今季国際大会では一度もなかった判定だ。これではまるで世界に向かって「高橋大輔のルッツにはEをつけてもいい」と宣言しているようなものだ。高橋選手のルッツは、中立にさえ入っていないように見えるのだが(こちら)。中立気味に見えた可能性もあるが、その程度でwrong edge判定されたのでは、たまったものではない。そういえば、ウィキペディアによれば、天野真氏は女子の西野選手のコーチをしていたこともあり、現在は師弟関係を解消して西野選手は日本に戻ったようだ。天野氏に師事している間、彼女の成績はどうだったのだろう? 師事していた間は低迷、離れたとたんに復活・・・などという、疫病神のようなストーリーにはなっていないでしょうね。そもそも天野真氏はカナダにいるのだから、カナダでの大会に派遣されるほうが自然ではないか、アメリカや日本までわざわざおいでいただかなくても。カナダでの試合の女子のジャッジングを是非見てみたいものだ。いや、まさかカナダに住んでいるスペシャリスト、しかもワールドのスペシャリストを務めたほどのスペシャリストをカナダが使わないなどともったいないことをするわけがない。だとすると、ここのところ・・・というか、ほとんど・・・カナダでジャッジングする天野真を見た覚えがないのは、Mizumizuの記憶が悪いのだろう。
2010.12.28
特に女子シングルに注目が集まる今回の全日本フィギュアスケート選手権だが、是非とも注目してほしい男子選手がいる。男子シングルの南里康晴選手。このごろは引退表明をせずに事実上引退してしまう選手が多いのだが、南里選手の場合は、自ら「今回が最後」と明言し、ファンに心の準備をする時間をくれた。彼の公式ブログはこちら。南里選手は個人的に好きなタイプのスケーターだ。一番の魅力は、なんといってもその雰囲気。プロポーションのよい男性的な体格の選手だが、表現はとても繊細で、こわれやすいガラス細工のような、浮世離れしたムードがある。集大成の年にもってきたプログラムはショート&フリーとも、情感溢れる素晴らしい作品で、南里選手にぴったりだ。ショートは、サンサーンスのロンド・カプリチョーソ(振付:宮本賢二)。フィギュアではよく使われる曲だが、バイオリンの音色がこれほど儚い哀しみを湛えて美しく聞こえるのは珍しい。しかも、男性スケーターが滑って。カナダ大会での動画はこちら。http://www.youtube.com/watch?v=v3Iqnr4HjFY腕を大きく使ったモーションやポーズは毒気のない品位に満ちている。ジャンプも放物線を描くいいジャンプだ。最後のストレートラインステップは男性的で力強く、ふとのけぞらせた喉のラインなどに、あからさまでない色香も漂う。フリーはカルメン(振付:カメレンゴ)。これもまた、音楽とドラマ性をたくみに織り込んだ、大人のプログラムだ。こちらもカナダ大会の動画。http://www.youtube.com/watch?v=NOB91WvsBew左袖が赤い理由は最後にわかる。スケートの伸びを引き立たせる情感たっぷりな音楽のあとに来るサーキュラーステップの音の使い方は、実に面白い(2:46)。バラバラと靴で床を踏み鳴らすような音が続くのだ。そこから耳なじみのある有名な旋律を組み合わせながらクライマックスへ。メリハリのある独特の音楽編集も、振付師の卓越したセンスを感じさせる。鐘の音とともに命果てるドラマチックな最後のシーンについて、ロシア人の解説者は興味深いことを言っている。(5:40あたりから)「日本の南里選手。不幸な戦士(武士のこと?)が行うハラキリに、より似ている。素晴らしい演技でした」このロシア人解説者は、膝をついた最後の印象的なポーズに、カルメンの世界というより日本的な武士道のイリュージョンを見たのかもしれない。不思議なことに、「不幸なサムライ」というのが、南里選手のもつ雰囲気を見事に言い当てているようにも思うのだ。高橋選手の大怪我については、マスコミも詳しく報道したが、南里選手も怪我と闘い続けた選手生活だった。2009年3月に受けた股関節の手術については、2010年4月のブログで彼自身が淡々と綴っている。抑えた語調の中からダイレクトに伝わってくるものがあり、読んでいて胸が熱くなる。http://ameblo.jp/nanriyasuharu/archive1-201004.htmlMizumizuが個人的に大好きな南里選手のEXナンバーは、「津軽海峡冬景色」。http://www.youtube.com/watch?v=MfbHV4-zty8これ、ふざけてるんでしょうか? 真面目なんでしょうか? その境界線がよくわからないところが実に楽しい。ショートに使った「月光」のクラシカルな旋律が流れてきた・・・と思ったら突然それがバイオリンに(ほとんど強引に)変わる。南里選手にピッタリの弦の音色でしっとりと・・・なのかと思いきや、曲は演歌。途中で入るポーズも演歌調(これがイイ!)。最初のお笑いポイントは、1:08あたり。それまで真剣(やや深刻に?)に見ていた観客も大うけしている。急に場内の緊張がほどけたようになるのがよくわかる。やっているほうが変に生真面目なのがまた演出とミスマッチで笑えるのだ。それからテンポの速い弦の音色とともに、細かいステップを見せる。このあたりはいたって正統派のフィギュアスケート。ところがまた、2:26あたりでキモノをさばくような演歌調のポーズで笑いを取りに来る(?)。最後にまた唐突に「月光」に(ほとんど無理矢理)戻り、感動していいのか笑っていいのか、訳わからなくなったところで終了。日本人による、日本人のための、日本人にしかわからないユーモアに溢れた傑作EXプログラム。南里選手がりっぱなエンターテイナーであることを証明している。これはまた、ショーで見せてもらいたいナンバーだ。世界王者にグランプリファイナル銀・銅メダリストがいるという、信じられないくらい選手層の厚い日本男子シングル選手のなかでは、強烈な色彩で人々の脳裏に刻まれる選手ではなかったかもしれない。だが、世俗の欲から遠く離れたところにいるような佇まい、その控えめな繊細さは忘れがたいものがある。そよ風の中からバイオリンの音色が聞こえてきたときにふと思い出す。それが10年後、20年後であっても・・・南里康晴は、そんな選手だと思う。
2010.12.23
<続き>ジュベールの「会場を満たすパワー」の素晴らしさを誰より評価したのがタラソワだった。こちらは過去のロシア大会でジュベールの演技に昂奮するタラソワと、そんな恩師に挨拶を送るジュベール。日本人なら、「年甲斐もなく」などと言われそうなタラソワの率直な熱狂は、まるで少女のよう。長い人生をフィギュアに捧げ、人生と芸術を深く理解している稀有なコーチ兼振付師。そんな彼女を少女に返すジュベールの男性的パフォーマンスも凄いが、少女に戻れるタラソワの感性にも瞠目させられる。ところが、この感性豊かな偉大なフィギュア人を北米はメディアをあげて、貶めようと必死。一部の日本人が追随しているのも情けない。まったく、いったいいつからこんなせせこましい人間が増殖したのか。さて、フランス国内選手権のフリーの演技構成点を見ると、ジュベール80.34点、アモーディオ79.34点と、事前に打ち合わせでもしたかのような「1点差」。一応ベテラン選手に花を持たせつつ、若手選手もフランスの一番手に引けを取らないことを後押しする採点になっている。いつまでもジュベールのスター性に頼るわけにはいかない。ソチに向けて若手も売り出さなくては。フランスのスケート連盟も日本と考えていることは同じだ。それでも、内的・外的状況かかつてないほど悪い今だからこそ、ジュベールには、その自信に満ちたパワーで会場を熱狂させる演技を東京ワールドで期待したい。微妙な着氷を回転不足判定されたっていいじゃないですか。わずかな回転不足で、転倒以下の点にまでドカンと下げる今のルール(あるいは運用というべきか)のほうが間違っているのだ。思い切って跳んでください、4回転。日本のジュベールファンも、チケットが取れたら、恥ずかしがらずに渾身の力を振り絞って(笑)応援してください。それが彼のような選手には一番の力になる。いくら大輪の花でもいつかは散る。散る時期が近いことは見ていてわかる。だが、まだもう少し、もうちょっとだけ・・・と、その時期を引き延ばしたいと願い、この選手ならそうできるはずだと思いたいのもファンの偽らざる本音なのだ。ジュベールに対して、そういう気持ちを抱いているファンは世界中にたくさんいる。それは「高得点」ではなく、彼自身の魅力で彼自身が多くの人の心――素晴らしい選手は自分で選ぶファンの自由な心――を獲得してきた証だ。点がどうこう、ジャッジの判定がどうこうではなく、彼らのために滑ってほしい。エッジワークがどうの、スピードの出し方がどうのなどという「規定的評論」を吹き飛ばすようなジュベールならではのパフォーマンス。今の採点はそうした選手の個性をあまりにないがしろにし、仕分けでメダル候補にした選手を後付けで過剰に持ち上げている。こんなことをしていては、プルシェンコやジュベールのような本当のスターは出てこない。こちらはジュベールが4回転を決めまくり、勝ちまくった年の写真だ。わずか3、4年前のことなのに隔世の感がある。今はこのときとはまったく違うルールの競技になってしまったようだ。このころ、今のような採点に対する不満やジャッジへの不信感があっただろうか? 「勝負は初めから見えている」などとファンは思っただろうか?このときに3人が用意してきたプログラムはいずれもそれぞれの個性にあった素晴らしいものだった。ヤグディン&プルシェンコ時代に比べると物足りないという声も当時はあったが、今にして思えばこの3人が、いかに稀有な大輪の花だったか。点が上がれば上がるほど、ファンからの賞賛ではなく反感が増すなど、ほんの数年前までは考えられなかった。日本人選手はそうしたファンの視線がわかっているから、予想以上に高い点が自分に出ると恐縮してしまう。それもおかしな話だし、日本選手自身はもっと堂々としていいと思う。自ら「点が出すぎ」などと言うのは、採点に不満をもつのとは別の意味で、同じく不遜だし、「下げてもいいです」と宣言しているようなもの。これは戦略から見ても愚かしい。だが、選手自らが高得点の言い訳(苦笑)をするような、何が何でも特定の選手を強くするあからさまな採点を続けていては、大輪の花は咲かなくなる。それは確かだろう。違った種類の花の美しさをどう正しく数値化できるのだろう。点だけ異様に高い、美しくもない花を賞賛しろと強要するのは無理な話なのだ。「素人」を軽んじてはいけないし、そもそも本当のプロなら、自分を評価し支えるのは、一部の専門家(自称やエセも含めて)ではなく、広い一般大衆の、打算や利害のない真っ直ぐな視線であることをわかっている。
2010.12.22
毎年気になる海外の国内選手権があるのだが、今年一番気になった・・・というより、心配していたのがフランス選手権。台頭著しいフローラン・アモーディオと元世界王者にして現世界選手権銅メダリストのブライアン・ジュベールの対決がどうなるのか。ジャンプ構成とその出来とともに、演技構成点の出方も気になった。演技構成点はいまや仕分け点だ。フランスのスケート連盟が、若いアモーディオと実績のあるベテラン、ジュベールのどちらをエース仕分けするのか。そんなところに注目していた。グランプリシリーズではジュベールはフリーを1度しか滑っていない。このときの出来はよくなかった。最大の武器の4回転は回転不足判定され、後半に入れようとした(恐らく)トリプルアクセルはダブルアクセルになり、最後にもってきたかなり独創的なハーフループからのシーケンス(3S+1Lo<<+2S)も、ダウングレード判定が入ってしまった(注)。(注)ハーフループはシングルループの価値を持つ1つのジャンプとして認定されるので、プロトコルには1Loとして記載される。http://www.isuresults.com/results/gpchn2010/gpchn10_Men_FS_Scores.pdfさらに3フリップ+3トゥループはフリップにE判定もあり(これはジュベールの「お約束」)、GOEで思いっきり減点されて、せっかく3回転+3回転をやっているのに点が出ていない。このように出来自体は悪かったが、中国大会でジュベールが組んできたジャンプ構成は間違いなく世界トップを目指す選手のそれだった。4回転、トリプルアクセル2つ(そのうちの1つは後半)、3回転+3回転、さらにルール改正で入れやすくなったハーフループからのシーケンスまで入れている。対して、アモーディオのジャンプ構成は、およそ世界トップを狙う選手のそれではない。とにもかくにも、「ジャンプをミスなく決めること。フリーではトリプルアクセルを2つ何がなんでも決める」ということに力点が置かれている。いかにも超リアリストのモロゾフらしい。ショートでは、ジャンプを冒頭に3つ続けて跳んでしまう。それからスピンとステップを入れたあと、スピンを2つ連続させる。http://www.isuresults.com/results/gpfra2010/gpfra10_Men_SP_Scores.pdfだが、アモーディオのプログラムは、よく見るとエレメンツとエレメンツの間の「小休止」が目立つ。http://www.youtube.com/watch?v=oN6Iw8cURiw↑これが動画だが、とにかく最初にジャンプを「片付け」てスピンを1つ回る。それから、1:43のあたりで、ステップに入る前に小休止。ステップでも一瞬流れが止まってしまって、そこで「踊り(振りというべきか?)」を入れているので、ステップシーケンスがブツ切りになっている。動作は複雑だが、踊り自体力任せで身体の軸が安定していない。ステップのあと、2:30あたりでまたちょっとお休みを入れ、それからスピンを2つ回ってフィニッシュ。実際には「滑り」と「踊り」を両立させているところがほとんどないのだが、それを非常にパワフルに踊っているプログラムであるように見せてしまう振付の手腕は、確かになかなかのものだとも言える。とは言え、たとえば高橋大輔のショートの「シームレス(継ぎ目のない)」なエレメンツ構成、滑りと踊りを高い次元で融合させたパフォーマンスと比べれば、あまりに見劣りする。特に先日も指摘した、高橋選手の最後の単独トリプルルッツからスピン、それからステップへと怒涛のように流れる息もつかせぬ構成は、アモーディオとは格の違う難しさだ。ルッツに向かうときの目を見張る加速も、あまりに自然で、まるでテンポアップする音楽が高橋選手のスピードを上げてくれているかのような幻惑にとらわれる。そして、アモーディオのフリー。こちらは、「僕はトリプルアクセルの確率に不安があります」と宣言しているような構成だ。冒頭に連続してトリプルアクセルを入れてしまう。世界トップを狙う選手が、基礎点が1割り増しになる後半に1つトリプルアクセルを入れてくるのと対照的だ。しかも4回転はなし。http://www.isuresults.com/results/gpfra2010/gpfra10_Men_FS_Scores.pdf中国大会でジュベールが組んできた構成と比べると、これまた「格下」の印象がぬぐえないが、だが、結果はアモーディオの点のが高く出る。世界トップにふわさしいジャンプ構成を組んでも、自爆したり回転不足を取られたりしたら、意味がなくなってしまう。アモーディオは「確実性を限りなく担保する」ジャンプ構成でフィギュアの世界市場で今シーズン名を売ることに成功した。それでも、このジャンプ構成の若手がジュベールのようにオーラのある選手に勝ってしまっていいのか・・・という、多少感傷的な想いがMizumizuの中にはあった。個人的にはジュベール選手は好きなタイプのスケーターではないが、あの観客を熱狂させるパワー、ルックスはもちろんだが、身体全体から発散される男性的魅力は、フィギュアスケートというスポーツの枠を超えるものがある。こうした「華」をフィギュアスケート競技は伝統的に大事にし、評価してきたはずだ。ところがここ数年、「規定への回帰(伊藤みどり)」の傾向が強まり、「滑る技術」を、特に演技構成点において過剰なほど重視するようになった。本来なら滑る技術は演技構成点のうちの1つあるいは「つなぎ」も入れるとしたら2つのコンポーネンツで評価されるだけのはずだが、実際には技術あってのパフォーマンスであり音楽の解釈であると連鎖的に考えているのか、「よく滑る」選手の演技構成点は全般的に高く出る。・・・というか、まあ、ハッキリ言ってしまえば、カナダがらみの特定の選手(確かに彼らのスケートの基礎力はしっかりしている)を金メダル仕分けするための方便に見えるのだが。この傾向はジュベール選手のように、あまりスケートが滑らず、エッジの深さもさほどでない選手には悪く出ている。ジャンプも全盛期を過ぎた今、金メダル仕分けの選手と演技構成点で露骨な点差をつけられれば、ハナっから勝負にならない。今年のフランスの国内選手権の結果は、1位ジュベール、2位アモーディオ。順位だけ見れば、世界中に多くいるジュベールファンは胸を撫で下ろしたことだろう。アモーディオが若くエネルギッシュで、かつ欠点の少ない魅力的な選手であることは間違いないが、まだジュベールを倒すには、なんとなく力不足のようにも感じられる。実際の演技自体はジュベールのフリーしか見ていないのだが、全体的にミスがなく、「よくまとまっている」という印象だった。だが、フリーでの4回転を(恐らく)跳んだ瞬間に回避して3回転にしてしまったのは、勝つためとはいえ残念なことだ。品のある紳士的なプログラムだったが、ジュベールの最大の魅力である男性的なパワフルさには欠けるものだった。本人としては、そうした従来のイメージからの脱却を図ったのかもしれず、それが功を奏したかどうかの判断は、かなり主観的なものになると思う。Mizumizuにとっては、「悪くないが、やや物足りない。だかこれまでになく上品なジュベールを見た」という印象になった。今回のジュベールの最大の目標は、グランプリファイナルにも残った自国の後輩に負けないことだったと思う。相手に4回転はない。ショートでジュベールは4回転を決め、中国大会でレベルをボロボロに取りこぼしたスピンもレベル4とレベル3に引き上げ、トップに立った。ということは、フリーでは無理しなくていいのだ。回転不足や自爆をしないのがまずは優先課題になる。http://www.ffsg.org/evenements/documents/elite2010/html/Elites2010_Messieurs_FS_Scores.pdf上のプロトコルを見てもジャンプをきれいにまとめたのがよくわかる。GOEの減点はE判定のあるフリップのみ。だが、これがあのジャンパー・ジュベールのジャンプ構成だろうか? 4回転は回避、トリプルアクセルはアモーディオよろしく冒頭に2つ続ける。3回転+3回転はなし、連続ジャンプは2つだけで、後半は3ループ、3ルッツ、3フリップ、3サルコウの単独ジャンプの連続。今年はスピンでの点差が広がる傾向がある。スピンのレベル取りは無視できない重要なポイントだ。その意味では2つのスピンをレベル3に引き上げ、レベル1を1つに留めたのは、ジュベールとしてはまあまあこのくらいで十分といったところかもしれない、従来であれば。だが、ジャンプは4回転で世界を制した選手の構成ではない。しかも、これで国内選手権で勝ってしまう。こういう構成にせざるを得なかったということだろうか。シーズン前半には結果を出せなかったし、高度なジャンプを入れても、回転不足判定1つで転倒以下の点になってしまうこともしばしばだからだ。いつもシーズン最後の世界選手権で結果を出し続けてきたジュベールを信じるファンは、まだこれから調子を上げていけば・・・と期待しているかもしれない。だが、チャン選手を世界王者にするお膳立ては、ルール変更、ルール運用、それに選手本人の強化の3つが一体となって万全、よほどの大崩れがないかぎり、土俵に上がる前から勝負は見えている。ミスしても点が出てくるのだから、そういう選手はモチベーションも上がりっぱなしだろう。そして、大変に残念なことだが、ジュベールのフィギュアスケート選手としての寿命がつきかけていることも認めざるを得ない。フィギュアスケートは残酷なほど選手生命の短いスポーツなのだ。「気をつけないと筋肉がつきすぎてしまう」と言うジュベール選手の今の体形は、恐らくジャンプを跳ぶには重過ぎるのかもしれない。といって、体重を落とすと今度はスタミナが足りなくなる可能性がある。男子選手も25歳を超えてくると、一部の例外的な選手をのぞいてジャンプが跳べなくなる。そこで別の強みで勝負しようとするのだが、やはりフィギュアはジャンプが跳べてナンボ・・・違った「味」を出しても、それが評価に結びつく例は少ない。ましてや、高橋選手のような圧倒的なスケートのスキルをもたないジュベール選手にとって、状況は非常に悪い。だが・・・とMizumizuは思う。昨シーズンのトリノの世界選手権でも、トップ2人との演技構成点の点差は適切だったのか。そうした話は主観のぶつかり合いになってしまって埒が明かないが、演技構成点での順位づけはジャッジに任せるとしても、点差だけでも、今のような露骨な仕分けをやめていただきたいのだ。表現の判断はそれぞれ好みがある。ジャッジとてそれは同じこと。順位はつけても点差は極端につけない。それだけで、特定の選手以外にもチャンスは広がる。それが当たり前のスポーツ競技ではないだろうか?ビアンケッティ女史も言っている。「順位はつけることができる。ジャッジができるのは本当はそれだけ」。氷上に咲くさまざまな花。ジュベールは人気から言っても、実績から見ても、間違いなくめったに咲かない大輪の花だ。その花が今力を失い、首を垂れている。<続く>
2010.12.21
パトリック・チャン世界王者へ向けてのお膳立てが、ますます万全であることを知らしめたグランプリ・ファイナルだった。今回のチャン選手1位という順位に文句のある人はいないだろう。ショート&フリーとも4回転を決め、苦手のトリプルアクセルも3回入れて大きく乱れたのが1度限り。素晴らしい出来だった。だが、点数(あるいは他の選手との点差と言ってもいいが)はバカげている。バンクーバーに至るキム・ヨナ劇場の再来だ。浅田選手が基礎点を上げて(難度の高いジャンプ構成を組んで)くると、キム選手の加点と演技構成点がつりあがった。今年はキム選手がチャン選手になった。直前のフランス大会で小塚選手が会心の演技をした。フリーでは歴代2位(これはそもそもルールや基礎点が変わっているので、実質的な意味はないが)となる高得点。するとどうなるか? チャン選手の加点と演技構成点がつりあがるのだ。まるで鼻先につるされたニンジンのように、小塚選手が走っても走っても、チャン選手には追いつかないよう先回りされている。2人の技術点と演技構成点の推移を見ればよくわかる。チャン カナダ大会技術点83.18 演技構成点84.14(トリプルアクセルで1回転倒) ロシア大会技術点66.95 演技構成点81.30(4回転、トリプルアクセル、トリプルルッツで3回転倒)ファイナル技術点86.94、演技構成点87.22(転倒なし。ただし2度目のトリプルアクセルで乱れ、3ルッツからのシーケンスもオーバーターンが入って乱れ、3サルコウにできず2サルコウになった)小塚 中国大会 技術点81.41点 演技構成点74.70点フランス大会 技術点89.63点 演技構成点80.80点ファイナル 技術点82.25点 演技構成点77.64点〔ちなみに織田選手のファイナル技術点79.58点(ここから転倒2点が引かれる) 演技構成点78.64点。演技構成点は小塚選手とわずか1点差の同等点]チャン選手には、シカゴ・トリビューン紙に「チャンの(高い)点はジョーク」と酷評されたカナダ大会よりさらに高い87.22点という驚異的な演技構成点が出た。http://www.isuresults.com/results/gpf1011/gpf1011_Men_FS_Scores.pdf小塚選手はといえば、80点台にのせた演技構成点が、技術点が若干下がると、今回待ってましたとばかりに下げられてしまった。フランス大会に比べると多少ジャンプのまとまりは悪かったが、スピンはオールレベル4でチャン選手の上を行き、ステップもレベル3でコレオステップにもそこそこ加点がついている。「ジャンプの失敗と切り離して演技構成点を出す」のなら、フランス大会より下がる理由はほとんどないはずだ。ところが、実際には点は3.16点下がり、大盤振る舞いのように見えたカナダ大会よりさらに3.08点上がったチャン選手と9.58点もの差をつけられた。後半に跳ぶトリプルアクセルの基礎点が9.35点だから、この難度の高い(そしてチャン選手がよく失敗する)ジャンプ1つ分の点をチャン選手はまるまるもらっているようなものだ。つまり、フリーでの小塚選手は自分は100%以上の力を出すのが前提で、チャン選手がトリプルアクセルで1回転倒し、他の要素でも乱れてくれなければチャン選手には決して上回ることができないようにお膳立てされているということだ。では、織田選手とは? 今回のチャン選手と織田選手の演技構成点の差は8.58点。カナダ大会のフリーのチャン選手と織田選手の演技構成点の点差も8.98点。ほぼ同じなのだ。金メダル仕分けの高橋選手に次ぐ「日本の2番手」の仕分けはショートでなされ、ショート先着順の演技構成点が出てくる。ところがそれはいい(あるいはそこそこの)演技をしたチャンとは9~10点の差が出るようになっているということだ。今の採点は累積点で勝負が決まるが、実際に勝負を決めているのは選手間の「点差」なのだ。ジャンプで失敗しても金メダル仕分けの選手が勝つよう演技構成点であらかじめ「設定した点差」をつけてお膳立てしているから、金メダル仕分けの選手が(珍しく)ジャンプを全部決めると、とんでもない点差になってファンが驚くことになるのだ。失敗したエレメンツがあっても補えるよう、失敗のなかったエレメンツで加点を出来る限りせっせとつけるから、ますます点差が広がる。今回はチャン選手の(ごくごく普通の。むしろファーストジャンプで流れが止まってスムーズにセカンドに行かなかった)3A+2Tにも1.14の加点とは驚いた。それでいて、解説者が「1点以上加点のつくジャンプでは」と信じている安藤選手にはそんな加点はつかない。http://www.isuresults.com/results/gpf1011/gpf1011_Ladies_FS_Scores.pdfご覧のように気持ちよく回りきって降りてきた、ディレイド回転のきれいなジャンプを安藤選手がいくら決めても加点は1点以下だ。とっても単純なカラクリ。気づかないほうがどうかしている。高橋選手は足の状態が明らかに悪く、フリー後半ではもう踏ん張りがきいていなかった。トリプルアクセルの転倒では腕も痛めたかもしれない。スピードも信じられないくらいなく、見ているこちらが辛くなるほど。それでも高橋選手は演技構成点は81点もらっている。アメリカ大会では85点出た。つまり、どう考えても、チャン選手に対抗できる点がもらえるのは高橋大輔だけなのだ。ところが高橋選手は今季技術点のほうにいろいろな問題を抱えている。高橋選手の最大の強みであったトリプルアクセルの確率が悪い。4回転も調子が上がらない。連続ジャンプのセカンドジャンプがよくない。ジャンプの調子で見れば、今季はチャン選手のほうが上だ。ジャンプで対抗できる織田選手や小塚選手は演技構成点の点差がありすぎて、チャン選手がミスらなければ太刀打ちできない。さらに高橋選手は、スピンのレベルが取れない。そして、エッジ違反を取られる。織田選手のほうも、今季のアメリカ大会から急にルッツ(これは確かに以前から中立気味だったが、間違ったエッジには入っていないと思う)の踏み分けができない選手になってしまった。ジャンプの質のいい織田選手にとって加点が制限されるE判定は非常に痛い。一方のチャン選手は、転倒が目立つが、問題はほぼそれだけ。いや、転倒しても、高橋選手以外は誰も勝てない。ロシアでは2位に落ちたが、それはフリーで3度も転倒し、かつ連続ジャンプが1つノーカウントになるという信じられない乱れが出たためだ。つまり転倒さえしなければ、驚異的な銀河点が出るのはお約束なのだ。こういうモンスターのように強い選手(プロトコル上だけだが)に真っ向勝負で勝とうとすると、みなショートでも4回転を入れざるをえなくなる。だが、それはむしろ自滅への道なのだ。今回織田選手はショートで目の覚めるような素晴らしい4回転+3回転を決めた。「僕なら加点5をつける」と佐野氏が評したほどの出来だった。4回転なのに、「無理やり回っている感」がない。それでいて完全に回っておりてきているから着氷も滑らか。フィギュアのジャンプではeffortless(無駄な力が入っていない)という重要な価値観があるが、まさに織田選手の4-3はeffortlessの見本だった。だが、その織田選手でもフリーで転倒している。4回転はそれほど難しい技なのだ。だから、チャン選手に対抗するために小塚選手や高橋選手がショートに4回転を入れるのは自殺行為に等しい。今組んでいるジャンプ構成が彼らの実力に見合ったものだ。それらのジャンプを全部きれいにまとめて減点を防ぐという今の方針を貫くべきだ。そして、高橋選手には一刻も早い正規の治療と休息を。あの状態でまた2週間後の全日本に出たら、さらに身体を痛める可能性がある。全日本などスキップしてもいいのではないか? キム選手はいったい何年国内選手権をスキップしているのだろうか。日本選手は、何がなんでも国内選手権に出させられ、お互いに消耗戦をやる。日本選手はジャパン・オープンから始まるので、そもそもシーズンが長いともいえる。さらにショーも頻繁にあるという過酷なスケジュール。今年、女子は有力選手が4人いるので、全日本が過酷になるのは仕方がない。だが、男子は高橋・織田・小塚しか世界で点をもらえる選手はいないのだから、世界選手権に向けて無理はさせないのが合理的な戦略ではないか。なんでも選手にまかせてはいけない。選手は「出る」と言うに決まっている。周囲が判断すべきだ。日本が闘うべきは、この意味不明の採点システムとその運用のはずだ。ここまでミエミエのお膳立てされてもまだ、まったく批判精神をもたず(ようやくここにきて、城田氏のチャン選手の演技構成点に対する疑問が新聞にのったが、本来なら日本が全体として問題提起すべきではないか?)、ただ選手個人に「ガンバレ」「乗り越えろ」と大昔のアマチュアリズムを押し付け、あらゆる試合に全力を尽くすように強要する。だから疲れて、ワールドまで持たない日本人選手が多い。さんざんスター選手を客寄せパンダに使い、意味不明の採点で負ければ選手の責任。おまけに日本でのフィギュアの試合のチケット料金のつりあがり方には、眉をひそめたくなる。ジュベール選手は? 彼は過去何度もファイナルを辞退したり棄権したりしている。ファイナルで騒ぐのは日本ぐらいだ。それも放送局の都合だろう。ジュベール選手は今季もフランス大会もショートだけでフリーは棄権した。体調が悪いなか出てもいい結果が出ないことはわかっている。だったら、わざわざ失敗している姿を世間に見せる必要はない。勝負はあくまでワールド一発だと、ジュベールは理解している。モンスター・チャンに対抗できるのは――非常に残念だが――出てくる演技構成点を見れば、世界中に高橋大輔しかいない。しかも克服すべき技術点での課題を克服しなければ、高橋選手でも対抗できないくらい、あらゆるお膳立て――もちろん、チャン選手の強化も含めてということだ――はバッチリだ。そんななかでのシーズン中盤での高橋・小塚選手のアクシデント。日本選手は特に自責の念が強い。2人のぶつかり方を見ると、肉体的には高橋選手のダメージのほうが深刻だが、心理的には小塚選手のほうが尾を引くことになりかねない。小塚選手に対しては、公式練習でのアクシデントを厳しく注意したりするのではなく、再度自分に集中する姿勢を貫けるようむしろ心のケアをすべきだ。今後大きな試合の公式練習で、「高橋先輩に大変な迷惑をかけてしまった」ということが頭をよぎり、気を使いすぎて自分に集中できなくなる可能性が高い。こういうことは選手本人は口に出さない(出せない)だけに、周囲が十分にサポートすべきなのだ。高橋選手のほうは、「自分が休めば小塚選手が気にする」と無理をするかもしれない。その「思いやり」は2人にとってよくない結果を招く。フィギュアスケートの選手がみな年齢が若く、一般社会に移しかえればヒヨっこの若者だということを忘れてはいけない。勝負はワールド。そこに向けて選手が万全の体調でいけるように準備を。何でもかんでも選手に責任を押し付けるのではなく、周囲がもっと戦略的に、したたかになるべきだ。選手のことより自分のメンツが優先の「お上」が多く、小異を捨て一致団結して世界と闘えないのが今の日本だ。だから優れた才能があっても、それに見合った結果が出ないのだ。
2010.12.12
そのかわり、フランス大会では、後半の3ルッツに3トゥループをつけた。これはこれで大変な構成で、中国大会ではできなかったが、フランス大会ではこのすべてうまくいった。昨シーズンうまくいかなかったトリプルアクセル2つを絶対決めるために小塚陣営が取った戦略。後半のトリプルアクセルを跳ぶ時間、要素としての順番、連続ジャンプの組み換え。これがズバリ当たったのだ。次に音楽表現について。今回のフリープログラムで、小塚選手のもつクラシカルで硬質な滑りが、リストの音色と実によく調和するということを知った。今後リストの「ピアノ協奏曲第一番」を聴いて、小塚選手の滑りが思い浮かばないことはないだろうとさえ思う。何年後に聴いても恐らく、小塚崇彦のあの動き、あのポーズが浮かんでくるに違いない。フランツ・リストは自身も優れたピアニストだった。だから作る曲も極めて技巧的だ。それがともするとエモーショナルな叙情性を殺いでいると受けとられ、大衆的な人気では、たとえばショパンのような作曲家にはかなわないかもしれない。だが、リストにはリストの叙情性がある。そして、小塚選手には小塚選手なりの叙情性がある。フィギュアスケートでは、音楽が叙情的あるいは浪漫的に変調したときに、どういう身体表現でそれを見せるかというのが重要なポイントになってくる。大抵の選手は切なげな表情だとか、感情に訴えかける腕の表現などを使う。こうした演技性で言えば、今現在、世界で高橋選手の右に出る選手はいないだろう。高橋選手はスケートも巧いが、顔の表情や腕の動きを含めた上半身の舞踏的あるいは演技的表現でも傑出している。一方の小塚選手はそうした能力は高くない。音楽が切なげに変調しても彼のスケートはあくまで伸びやかで、リズミカルなテンポを刻んでも彼のエッジ捌きはあくまでも几帳面だ。だからなのかどうなのか、振付師に聞いてみないと本当のところはわからないが、今回のフリープログラムでは「普通と少し違う場面」で音楽の転調を使っている。その最初の「見せ場」はこちらの動画では1:30当たり。スピンのポジションを替えたあたりで音楽が叙情的に変化する。この振付の見事さには唸った。スピンで叙情性や浪漫性を表現できる選手は少ない。だが、小塚選手の圧倒的な技巧がそれを可能にしている。小塚選手が非常に「正確に」ポジションを替えるとき、曲の変調とあいまって、そこに誰にも表現できないような甘い雰囲気が醸し出される。小塚選手が氷をいたわるように丁寧に、だが素早く足替えをするとき、繊細な音楽とピタリと調和し、そこにうっとりするような瞬間が生まれる。誰も見たことのない独創的なポジションで回るとか、めちゃくちゃ高速で回るとかではない。一見ただ、同じ位置で同じ速度で回っているだけなのに(いや、それこそが難しいのだが)、そこに胸をわしづかみにされるような感動が生まれる。こうした芸術性こそ、フィギュアでしか表現できないものだ。しかも、それをスピンでやってしまえるのは世界広しといえど、今は小塚選手以外では思い浮かばない。まさに技術を礎とした芸術性だ。こういう通なことをやってくれる選手がいて、それが日本人だというのが嬉しい。小塚選手のスピンの強さはレベル取りにも表われている。今季はジュベール選手が初戦でほとんどのスピンをレベル1に落とされるなど、スピンのレベル取りに予想以上の選手間の格差が広がっている。力のある選手でもちょっとしたミスでたちまち「2」に落とされている感がある。そんな中、小塚選手のスピンのレベル取りの強さは群を抜いている。ここまでの2試合でレベル4 11個、レベル2 1個つまりほとんどレベル4なのだ。このレベル4の多さは高橋選手の4つ、チャン選手の7つを凌駕する。ここまで平均してレベルが取れるというのは、いかに小塚選手のスピンが安定して高質かということを物語っている。もう1つ音楽の使い方の妙を感じるのが上の動画の2:18秒あたり。ステップシーケンスの途中でテンポが速くなる。その直前までは、音楽は伸びやかで、小塚選手もそれに合わせて伸びるストロークを見せつつ、上半身を大きく使い、その間にステップやターンを織り交ぜている。そのステップシーケンスの途中でテンポが変わる。するとそれに合わせて小塚選手のステップも細かく動作も1つ1つが短く速くなる。この音楽の変化に合わせた動作の色合いの変わり方は、一見あまり目立たないのだが、見事としかいいようがない。そしてこのステップシーケンスが終わると、音楽は劇的に盛り上がり、小塚選手の圧巻のスケーティングはトリプルアクセルの大技に突入する。音楽のダイナミズムに滑りの迫力やスピードが負けていないところも、小塚選手の高い基礎力があればこそ。音楽編集もジャンプの迫力を増すようよく考えられている。そして、ところどころに入る「ジャーン」「バーン」という音楽のアクセント。そこでは必ずと言っていいほど、小塚選手の長い手足を生かした大きなモーションを入れてくる。美しいスケーティングと相俟って、この男性的なポーズも非常に印象的だ。プロポーションがよい選手でなければ、全身を大きく見せる一瞬のポーズは映えない。小塚選手の身体的な特長をうまく生かしている。最近は、音楽だけが浮いているようなわざとらしい振付が多いのだが、小塚選手のリストのピアノ協奏曲との同調性、融合性は間違いなく世界トップレベルだ。後半は忙しい上半身の振りがない分、小塚選手の伸びやかなスケーティングがより強調される。昨シーズンまでは、後半に疲れの見えることの多かった小塚選手だが、体力がついたのか、今年は後半になってもスピードが落ちず、だからこそ、見終わったあとの爽快感は比類ない。全体として振付の印象はクラシカルだが、それでいて考え抜かれた構成になっている。わざとらしい派手さは極力排除しながら、小塚選手の技量を最大限、それもさりげなく引き出す熟練のセンス。超ベテラン振付師ズエワの力量もまた、世界トップレベルだ。伸びやかなスケーティングと細かく刻むステップの両方のテクニックを高次元で備えた選手といえば、やはり第一人者は高橋選手だろう。その高橋選手の今年のショート。「暑苦しい表現」とか「独特のポーズや顔の表情」に注目が集まっているが、Mizumizuにはこのショートは極めて高度に技巧的なプログラムに見える。http://www.youtube.com/watch?v=00wZa3ORxo8出だしはスローなテンポだが、その中にリズミカルな音のアクセントが入ってくる。高橋選手のストロークはまたよく伸びるのだが、それを見せつつ、小さな音のアクセントを足で拾って細かなモーションを織り交ぜている。この音とリズムの混合の妙を表現するテクニックはあまりに素晴らしく、言葉もない。そして中盤には高橋選手のスケーティングの妙を心ゆくまで堪能できる部分も用意されている。この動画で言えば、1:11~1:25の当たり。ここは「ねっとりした」ような音楽が流れる部分だが、それに合わせて、高橋選手はまさにねっとりと氷に吸い付くような滑りを見せている。腕の動きは足の動きにピタリと合い、振付はゆったりと最小限なのに、隙がまったくない。高橋選手の滑りの上質感、ターンするときのエッジの深さ(それでいてスピードが失われない)など、時間にすればほんの15秒弱なのだが、それを極上の時間にしてしまえるところが凄い。そして、後半はどこまでも飛ばす。音楽のテンポに合わせて自然に加速する滑りは驚異的だ。最後のジャンプである単独ルッツからすぐにスピンに入り、息もつかずステップシーケンスへ。ここはあまりに難しい構成で、さすがの高橋選手もジャンプ要素で躓くと、そのあとのエレメンツへの影響が出てしまいそうで、やや心配だ。トゥを細かく巧みに使ったステップシーケンスの圧巻ぶりはもう解説者が言葉を尽くして絶賛しているので、今さら付け足すこともないだろう。こうしたフットワークの対比的な見せ方や印象的な音楽の転調のしかたは、小塚選手と高橋選手でまったく違うように見えるが、根底にあるセオリーは同じ。確かな技術をどこでどう組み合わせ、どこにアクセントをつけるか。高橋選手のような華やかな色彩こそないかもしれないが、小塚選手の通な技巧の見せ方にもフィギュアの大いなる魅力が息づいている。高橋選手のような濃い個性や色気は嫌う人も出るが、小塚選手のもつ清潔感を嫌う人はいないだろう(「退屈だ」と思う人はいるかもしれないが)。どちらもスケートの技術は素晴らしく、もっている個性は対照的。昨シーズンまでなら、2人の実力差ははっきりしていたが、今年は小塚選手が追いついてきた。素晴らしい選手が同時期に並び立ったものだ。日本人のフィギュアスケートファンにとって今は、あまりに幸福な時代だ。小塚選手に関して言えば、その昔、品があってスタイルもよく、スケートが抜群にうまい欧米の選手――たとえばロビン・カズンズ選手のような――を日本人が遠くに仰ぎ見ていた時代、「こんな選手が日本から出たらいいな」と思っていた、まさにその理想像に近いように思う。そんな気がして、動画を探したらちゃんとあった。http://www.youtube.com/watch?v=jg2lPhTYGNwバレエジャンプやバタフライシットスピンの入り方、スピンの出方などを含めて、身体の使い方がやっぱり似ている気がする。基礎がしっかりしていて巧い人はこういう滑りになるということか。手首のしなやかな使い方などは、今でも小塚選手の表現力アップにヒントを与えるかもしれない。こちらは小塚選手のファンの方からご紹介いただいた応援動画。最初に小塚崇彦そっくりのミニチュア君が出たと思ったら、本人でした(笑)。
2010.12.05
今だから告白するが、小塚選手の今シーズンのフリープログラムが、リストのピアノ協奏曲第一番でマリーナ・ズエワ振付だと聞いたときは、「フィギュアスケートの世界でよくある、名曲使いまわしの世界ですか?」と思ってしまったのだ。さぞや平凡なプログラムだと思いきや(←ずいぶん失礼)、ジャパンオープンでのお披露目で驚愕。小塚選手のもつ技術の高さ、滑りの伸びやかさとスピード、清廉で高貴なイメージを存分に引き出す振付で、すっかり目を奪われてしまった。そして、グランプリ・シリーズの中国大会を経て、今回のフランス大会。小塚選手の演技はまさに、「芸術性をもったスポーツ競技としてのフィギュアスケートの理想」に見えた。ここ数年のフィギュアスケートの世界で盛んに持ち上げられる、ショー的なパフォーマンスによる「表現力」合戦(別名「顔芸競争」と名付けたいぐらいだ)には、まったくうんざりしていたMizumizuには、小塚選手のフリープログラムこそ、スポーツでありながら高い芸術性を備えたフィギュアスケートという競技の原点であり王道をいくものに思えた。別に顔の表情を作ることが悪いとは言わない。それも表現の一部として大事なものだ。だが、それだったら役者の演技を見ればいい。顔芸をやらせて役者に勝てるフィギュアスケーターなどいない。フィギュアスケートを見るのは、フィギュアにしかない芸術性を見たいからだ。最近の選手は、やたらジャッジ席に向かって笑顔を向けたり、カメラに向かってセクシーな視線を投げかけたりする。だが、フィギュアスケートは元来、会場に見に来た人たち全員のために演じる競技であって、どの方向から見る観客に対してもアピールするような演技をするべきなのだ。それにはあくまで「滑ること」を中心にした、身体全体を使った表現がまずは重要視されるべきで、顔の表情なんてプラスアルファのもの、優先順位から言えば低いはずだ。最近のフィギュアスケーターはアマチュアとは言え、ショーにも出演する、実質プロだ。だが、プロとは言ってもフィギュアスケート競技はスポーツであって、ショーではない。エンターテイメント性は大事だが、媚びを売れば観客が増えると思ったら大間違いだ。さらに勝たせる選手を露骨に事前仕分けしている今の採点が、ファンをますますウンザリさせている。日本以外のグランプリシリーズの会場は、テレビによく映る側に観客をかためて座らせているが、別の方向にカメラが切り替わると席がそうとうガラガラだ(なるたけ映さないようにしているのが、痛々しいほど)。オリンピックの直後のシーズンは、むしろ客が増えるはずなのに、この有様。どれほど日本以外で人気がなくなっているか、あからさまに見せ付けられる気がする。いい加減、素人のファンをバカにするのはやめるべきだ。一部のスター選手がコケてもコケても勝つ姿を見て、それでファンは喜ぶとでも思っているのだろうか?人々が見たいのは、出来レースではない。すべての選手が自分の限界に挑戦する、力を尽くした演技とフェアな勝負なのだ。それがフィギュアスケート競技からなくなっているから、ファンが減っているのだ。強い選手をルールと採点で作り出して、自作自演の宣伝で持ち上げても、素人のまっすぐな視線を納得させられる演技をしなければ、人気は落ちるばかりだ。選手まで点の低い理由を「アウェイだからかな」などと言うようになった。元来フィギュアにはホームだとかアウェイだとかといった概念はなかったのだ。ところが今は、半ば公然と「開催される場所」で勝つ選手が予想できるようになっている。カナダではチャンが4回転倒しても異様な高得点を出して優勝し、ヨーロッパでは、「スポンサーのついている」コルピがちゃんと優勝する。グランプリシリーズのテレビ放映権をめぐってISUとゴタゴタしたアメリカの選手にはなぜか自国でも点が出てこない。特に外国人選手は、自分がどこで勝てるか、勝てないか、まるでわかっているとでも言わんばかりだ。ジュベールはショートで失敗し、順位がアモーディオの下になると、胃腸炎を理由にフリーをキャンセルした。カナダのレイノルズはフランスでのショートの自分への採点を見て、露骨に肩をすくめてみせた。だが、偏向採点があろうとなかろうと、自分の限界に挑戦し、圧倒的なパフォーマンスをやってのける選手がごく稀に出てくる。それが今回の小塚選手だった。ここまですべてのエレメンツを完璧に仕上げて、スケートの魅力そのものを見せてくれれば、観客は立ち上がらないわけにはいかない。そして、点も出さないわけにはいかない。これが日本人の理想とするスポーツマンの姿だろう。エッジ違反を取られれば、次から確実に踏み分けられるように練習する。ジャンプで回転不足を取られれば、余裕をもって着氷できるよう練習する。スピンでレベルを落とせば、次にはきちんと同じポジションで回れるよう練習する(試合によって判定にブレがあるなら、それをチェックして公平な判定を促すのは周囲の役割だ)。そうなれば技術点では落としにくくなる。あとは演技構成点だ。今回小塚選手のフリーの得点は、「驚異的」だと評されたが、Mizumizuから見れば、演技構成点がまだまだ「2強」に比べて低い。チャン カナダ大会技術点83.18 演技構成点84.14(トリプルアクセルで1回転倒) ロシア大会技術点66.95 演技構成点81.30(4回転、トリプルアクセル、トリプルルッツで3回転倒)高橋 NHK杯 技術点74.17 演技構成点83.58(セカンドの2ループで1回転倒)アメリカ大会 技術点64.95 演技構成点85.00(トリプルアクセルで1回転倒) 小塚 中国大会 技術点81.41点 演技構成点74.70点フランス大会 技術点89.63点 演技構成点80.80点「金メダル仕分けの2人」が技術点で60点台に落ちても80点を超える高い演技構成点が「約束」されているのに対し、小塚選手の場合は90点近い技術点を出しながら、それより9点近く低い演技構成点しかもらえていない。観客を総立ちにさせたフランス大会での小塚選手の演技構成点の5つのコンポーネンツが、「2強」の過去2試合にいずれも届かないというのは、個人的にはまったく納得できない。だが、そんなことを言ったところで、所詮主観なのでどうにもならないのだが。せめてこの演技構成点による露骨なメダル候補仕分けをやめて、演技構成点での選手間の差を接近させれば、だいぶまともに見える採点になる。ところが、差をつけろと言っているのはISU幹部のほうなので、これまたどうにもならない。採点の問題は小塚選手にはどうしようもないので、ここらあたりでやめるとして、小塚選手のフリープログラムがどれほど素晴らしく工夫され、洗練されたものであるかについて私見を述べたい。まずはテクニカルな面での小塚陣営の「工夫」。昨シーズン、高橋選手は世界王者になり、小塚選手は世界選手権フリーで自爆してしまった。2人のジャンプでの差は何だろう? もちろん4回転への挑戦ではない。高橋選手は4回転を失敗し続けた。小塚選手はワールドでは自爆したがオリンピックでは降りている。2人の間にあった明確なジャンプの地力の差。それはトリプルアクセルの差なのだ。2度のトリプルアクセルを高橋選手は高確率で降りることができ、小塚選手はたいてい1つは自爆する。これについては過去Mizumizuも何度も指摘した。特に後半のトリプルアクセル。これをなんとか入れないと、4回転を決めても、また点が抑えられてしまう。「トリプルアクセルを2つ決めるための戦略」が、今季はハッキリと見て取れる。話を2シーズン前(2008/2009)のフリー「ロミオとジュリエット」まで戻すと、このとき、小塚選手の2つ目のトリプルアクセルは要素の順番としても時間としても、かなり後ろのほうにあった。動画はこちら。2つ目のトリプルアクセルは演技開始から4分後。ほとんどプログラムの終わりに近い。これは音楽と調和した振付の面から言っても、インパクトから言っても、「成功すれば」素晴らしい戦略だったのだ。演技の終盤、クライマックス。音楽が劇的に盛り上がり、トリプルアクセルに向かって疾走する。決まればこれほど迫力のある感動的なジャンプはない。決めるためにジャンプの前に少し「お休み」を入れるなど、振付師(このときは佐藤有香)は工夫もしている。だが、ここがどうしてもきれいに決まらなかった。これは体力的に小塚選手には無理な構成だったのだ。そこで次のシーズン(オリンピックシーズン)。後半のジャンプ要素の前のほうにトリプルアクセルをもってきた。後半になるとジャンプの得点は10%増しになる。その冒頭、つまり体力が残っている間に難度の高いトリプルアクセルを跳び、得点を稼ぐ。昨シーズンの小塚選手のエレメンツの構成はだいたい以下のようになっている。1 4T (ジャンプ)2 3A+3T (ジャンプ)3 3Lz+2T (ジャンプ)4 FCCoSp (スピン)5 CiSt (ステップ)6 3S+2T+2Lo (ジャンプ)ここから後半のジャンプ・・・なのだが、トリノワールドでは後半に入ったとみなされなかったようだ。オリンピックではここから後半ジャンプとみなされ10%増し。7 CSSp (スピン)8 3A (ジャンプ) 演技開始後 約3分9 3F (ジャンプ)10 3Lo (ジャンプ)11 3Lz (ジャンプ)12 SlSt (ステップ)13 CcoSp (スピン) 動画はこちら。そして、今年のフリー。フランス大会でのエレメンツの構成は 1. 4T (ジャンプ)2 3A(ジャンプ) 3 3Lz+2T(ジャンプ)4 CCoSp (スピン)5 SeSt (ステップ)6 3A+2T+2Lo(ジャンプ)ここから後半のジャンプ 演技開始後 約2分20秒後7 3F (ジャンプ)8 3Lz+3T(ジャンプ)9 3Lo(ジャンプ)10 3S (ジャンプ)11 FSSp (スピン)12 ChSt (ステップ)13 CcoSp (スピン)動画はこちら。昨シーズンと比べると、要素全体としては8番目にあったトリプルアクセルを6番目にもってきて、時間で言えば、演技開始後3分あたりで跳んでいたトリプルアクセルを、2分20秒過ぎあたりまで前にもってきた。トータルの演技時間のギリギリ半分過ぎだと言っていい。時間にして約40秒の差だ。エレメンツとしては、去年は5つ目のジャンプがトリプルアクセルで、その前にスピンが2つあった。今年はジャンプとしては4つ目で、その前にスピンが1つ。ここでもトリプルアクセルにいたるまでの負担を軽くしているのがわかる。さらに去年はトリプルアクセルにトリプルトゥループをつけようとしていたが、今回はダブルトゥループ+ダブルループ。これでもトリプルアクセルからの負担は軽くなる。<続く>
2010.11.29
【27%OFF】★【初回予約のみ】ポスター付き!(外付け)[DVD](初回仕様) 高橋大輔 Plus 転倒ジャンプに点など与える必要はない。Mizumizuはもうずっと前からそう言っている。「それでは高難度ジャンプを回避する選手が増えるのでは」ということを言う人がいるが、高難度ジャンプへの挑戦を奨励したいなら、回転不足判定やダウングレード判定で基礎点を引くのをやめるほうが先だろう。選手は「転んで勝っても嬉しくない(佐野稔氏)」のだ。もちろん、勝負は他の選手のジャンプ構成の難度も加味して妥当か否か考えるべきで、一概に「転倒した・しなかった」で順位を判断すべきでないのは当然だが、基本的には転倒のリスクを承知で挑むのがトリプルアクセルや4回転。降りてるのに「ちょっと回転が足りない」と言って、転倒以上の減点にされるほうが、よほど挑戦の弊害になっている。以上は、技術点にまつわる「チャン選手の強さのヒ・ミ・ツ」だ。もちろんチャン選手は、氷に張りつくようなスケーティングとストロークの伸びとスピードも見ごたえがある(だが、感動はない)。エレメンツの強さも忘れてはいけない。スピンもステップもうまく、ジャンプも決まれば美しい。ロシアで決めた4回転+3回転など、「ここ最近、これほど素晴らしい4+3を見ただろうか」と思ったほどだ。それにしても、あそこまで転倒する選手がモンスターのように強くていいのか。ちょっと前まで、「ショートは1回でも転倒したら1位には絶対になれない」というのがフィギュアの常識だったと思うのだが、チャン選手はそんな常識をいとも簡単に覆している。まさにモンスターだ。ロシア大会など、フリーで3度も転倒し、連続ジャンプを1つノーカウントにされて、やっと2位に下がっている。フリー後半では自慢のスピードもまったくなかったが、それでも演技構成点は唯一の80点台でトップ。成績から見れば、2戦2勝の高橋選手のほうが強いように見えるが、技術点での(プロトコル上の)優位性を見ると、世界王者の高橋選手でさえ、チャン選手が自らジャンプで崩れてくれないと勝てないかもしれない。昨シーズン前半まではエッジの踏み分けに何の問題もない選手だったのに、今季はいきなりネチネチとフリップやルッツにEマークがつくのも、元来フリップとルッツの質がいい高橋選手にとっては、「加点が得られなくなる」という理由で点が抑制され、痛いのだ。織田選手を見ればわかる。カナダ大会のショートのルッツ(E判定なし) 3Lz 基礎点6.00に対してGOE加点をもらい、6.90点アメリカ大会のショートのルッツ(E判定あり) 3Lz e 6.00に対してGOEでは減点となり、5点選手は同じように跳んでいるつもりでも、加点がもらえるか減点されてしまうかで、1.9点もの差が出てくる。織田選手にE判定が下る前にMizumizuが心配したとおりになった(それについては、こちらのエントリーを参照)。また、エッジ判定を気にすると、自爆してしまいがちになるのは、多くの選手を見ていれば明らかだ。バンクーバー五輪でキム・ヨナ選手のジャンプの加点に、男子選手でもめったにつかない「2」がついて、多くのファンがその妥当性を疑問視したとき、「この加点を正当化するために、次に2をつけるとしたら高橋選手のトリプルアクセルだろう」と書いたら、その直後のトリノワールドでさっそくやってきた。高橋選手の単独トリプルアクセルへの加点http://www.isuresults.com/results/owg2010/owg10_Men_SP_Scores.pdfhttp://www.isuresults.com/results/owg2010/owg10_Men_FS_Scores.pdfバンクーバー五輪 ショート 1.4点、フリー1.8点。トリノワールド ショート 1.6点、フリー2点。http://www.isuresults.com/results/wc2010/ こういうことができるから、こういうことをしてくるだろうと思うと、それが現実になってくる。ある意味、やることが読みやすい人たちだ(苦笑)。しかもE判定というのは、元来の意味で「間違ったエッジ」でなくても、「不明確」と判断すればつけることができる。恣意性の入り込む余地が高い、実に「不明確」なルール規定ではないか。たとえミスジャッジをしても言い逃れができるようになっている。だが、Wrong edgeとはあくまで「間違ったエッジ」だ。「不明確なエッジ」ではない。その原理原則を、技術審判に対する判断指針でないがしろにしてはいけないのではないか。エモーショナルな部分でのアピール力を含めたプログラムの熟成度や全体のジャンプのまとめかたを含めた完成度で比べれば、Mizumizuには高橋選手のほうがチャン選手より圧倒的に優れているとしか思えないのだが、それは主観だから、どうしようもない。他の選手は演技構成点で「2強」に差をつけられているから、チャン選手がジャンプで「大崩れ」してくれなければ、世界王者になるチャンスはない。もっと言ってしまえば、モンスター・チャンに「現実的に」対抗できるのは、演技構成点で同じかそれ以上の評価をもらえる可能性のある世界王者の高橋選手だけという様相を呈してきた。別の言い方をすれば、高橋大輔がいなければ、誰も(プロトコル上の)最強スケーター、パトリック・チャンを止めることはできないということだ。このシナリオの描く今年および来年の男子シングル競技の結果は? これが「出来レース」でなくて、何だろう?
2010.11.25
昨シーズンまでのキム・ヨナの(プロトコル上での)圧倒的な強さにも 呆れた 驚いたが、今年のパトリック・チャンの(プロトコル上での)強さはまさにキム・ヨナ劇場の再演のようだ。これまでの2戦で4回ずつ計8回(!)も転倒しながら、1位と2位という驚異的な成績をおさめている。こんなに転倒しながらこんなに強い選手、過去にいただろうか。新種のモンスターのようだ。なぜそんなに強いのか? その理由が演技からはさっぱり理解できないところもキム・ヨナそっくりだ。フランケンシュタインルールの生んだフランケンシュタイン最強スケーターといったところだろう。パトリック・チャンの強さのヒ・ミ・ツ。それはルール改正を頭に入れてプロトコルを見ればわかってくる(ただし、全然納得はできないので、そのあたりはご了承を)。まず今年のルール改正。平松純子氏の説明をもう1度引用しよう。「集客を考えても試合の長時間化は避けたいので、演技時間は延ばせない。そこでSPで男子はステップ、女子はスパイラルをなくした。その代わりに演技構成点の『トラジション(技のつなぎ)』で評価する」今回は男子の話なので、男子に絞ると、ショートでの必須エレメンツとしてのステップが2回から1回に減らされた。そのかわり、演技構成点の「つなぎ」で評価するということだ。では、昨シーズンの総仕上げ、トリノワールドのショートで高橋選手はステップでどのくらい点を獲得したのだろう?SlSt3 で 4.10CiSt4 で 5.90サーキュラーで6点近いというのはまさに世界最高の評価と言っていい。では、今年のショートのステップは?NHK杯はSlSt3 で4.37点、アメリカ大会はSlSt4で6.61点。点差がかなり出ているのはレベル判定の違いとGOEの差。これがもう1つあれば、「世界一のステップ」を武器とする高橋選手には有利だろうが、今年は1つになってしまった。つまり高橋選手から見れば、4点から6点点数を上乗せできるエレメンツがなくなってしまったということなのだ。それだけでもステップを武器とする高橋選手には不利だ。ここで他の選手に差がつけられない。では、ショートの演技構成点の『トラジション(技のつなぎ)』はどうだろう? 必須要素としてのステップが減って、自由に曲を表現し、その分「つなぎ」の点を上乗せしてくれるような運用になったのだろうか?高橋選手のショートの演技構成点と、そのうちの「つなぎ」の点を見てみよう。昨シーズンのトリノワールドショート41.90点 (つなぎ8.05点) NHK杯 演技構成点ショート41.21点(つなぎ7.89点、トリノワールドとの差0.16マイナス) アメリカ大会ショート 42.43点(つなぎ 8.14点、トリノワールドとの差0.09プラス)・・・・・・別に変わっていない(苦笑)。そのままスライドさせて多少前後させただけという点だ。つまり、ショートで稼げたはずの、そしてその部分で他の選手との差を広げられたはずのエレメンツが1つ減り、つなぎの点もアップしないので、高橋選手にとってはこれは単に不利なルール改正になってしまったのだ。「鳴り物入り(?)」で導入されたフリーのコレオステップはどうだろう?コレオステップ導入前、高橋選手がトリノワールドのフリーで獲得したステップの点を見てみよう。CiSt4 (基礎点3.90)GOE後の得点が5.90SlSt4 (基礎点3.90)GOE後の得点が5.70計11.6点 今年はどうだろう?NHK杯フリーCiSt2 (基礎点2.30)GOE後の得点が3.44ChSt(コレオステップ・レベル認定なし)(基礎点2.00)GOE後の得点が 4.00計7.44点アメリカ大会CiSt4 (基礎点3.90)GOE後の得点が6.33ChSt (コレオステップ・レベル認定なし)(基礎点2.00)GOE後の得点が 4.43計10.76一見してわかるのは、レベル認定のあるステップでは、レベルの取りこぼしがあれば、点が伸びない。コレオステップのほうは、安定しているといえば言えるが、4点台。高橋選手の場合、レベル4を取れるポテンシャルをもった選手なので、基礎点が固定されてしまうコレオステップは逆に長所を点に結び付けられないとも言えるのだ。実際、最高評価を得たといえるトリノのフリーよりステップの点は今年は落ちている。ちなみにチャン選手はと言えば、「ホーム」のカナダでコレオステップのGOEにジャッジ全員が3をつけ、5点という高橋選手以上の点数を出している。逆に言えば、最高の点をもらっても5点。コレオステップはレベル判定がない分、点差がつきにくいのだ。ルールに話を戻すと、ステップで取れる点数がこうしてルール改正で抑制された分、スピンの比重が増している。しかも、試合をやってみてわかった、ちょっとした「異変」。それを最初に口にしたのは、テレビで解説をしている八木沼純子氏だった。「レベル3は取れると思ったスピンが、レベル1に留まったりといったことがある」つまりレベル認定が微妙に去年より難しくなっているのでは・・・という意味だ。これは何を意味するのか? スピンが得意な選手と不得意な選手との点差が広がるということだ。高橋選手は欠点の少ない選手だが、あえて言えばスピンは他のエレメンツより見劣りがする。昨シーズンもレベル取りに苦労していた。一方で、現在高橋選手と「2強」の様相を呈しているパトリック・チャン選手は? 「ゴージャスなスピン」で有名だ。当然ながら評価も高い。スピンはチャンの武器なのだ。今季のスピンのレベル認定を比較すると高橋選手 NHK杯(ショートとフリー合わせて)レベル4 2つ、レベル3 3つ、レベル2 1つアメリカ大会(ショートとフリー合わせて)レベル4 2つ、レベル3 1つ、レベル2 2つ、レベル1 1つチャン選手カナダ大会(ショートとフリー合わせて)レベル4 4つ、レベル3 2つロシア大会(ショートとフリー合わせて)レベル4 3つ、レベル3 2つ、レベル2 1つと、その差は明らかだ。これまでの2試合で、高橋選手、チャン選手がショートとフリーで獲得したスピンおよびステップでの合計得点を見てみよう。スピン高橋 19.51点 18.94点 (平均 19.25点)チャン 22.98点 21.17点 (平均22.07点) ステップ高橋 11.81点 17.37点 (平均14.59点)チャン 10点(転倒1回マイナス1を含む) 12.39点 (平均11.15点)スピンが20点近いのに対し、ステップのほうは世界トップの高橋選手が最高のパフォーマンスを発揮してやっと17.37点。ヘタをすると高橋選手でも12点弱。2回試合をして平均で15点弱。スピンのほうは、ステップほど点が上下しないので、スピンが得意なチャン選手は安定して20点を超してくる。高橋選手はまだ20点台にのせていない。つまり、今季のルールは、スピンのほうが点になる、スピン重視ルールなのだ。だからスピンに強い選手に有利だ。ステップはショートでエレメンツが1つなくなり、コレオステップは基礎点が2点と固定でGOEだけで競うから、点差が出にくい。だから、ステップを大きな武器とする選手は、そこで他の選手と差をつけられず、長所を発揮しにくい。スピンとステップの配点のバランスもやや悪いように見える。チャン選手はステップも強い選手だが、その選手でスピンの総合計得点の平均が22点、ステップは平均11点と10以上も獲得点数に差があるというのはどうだろうか。エレメンツの数として数えても、ショートとフリー合わせてスピンが6つ、ステップが3つというバランスはどうだろう。自由度を高めて曲を自由に表現させるなら、スピンはもう1つぐらい減らしてもいいように思う。今季のルール改正は、スピンが高橋選手に比べて得意なチャン選手に「なぜか」有利になったのだ。もちろん、他の選手、たとえばスピンが得意といえば小塚選手だが、彼もグランプリシリーズ一勝と幸先のいいスタートを切っている。だが、小塚選手は演技構成点で「2強」と差をつけられているのが痛い。チャン選手がモンスターのように強い、もう1つの理由。それは「転倒しても、認定されれば回転不足で立っているジャンプより点が出ることがある」という、いまだにまかり通っている非常識ルールのためだ。チャン選手は非常に転倒の多い選手だが、回りきる力はあるようで、それが点数上プラスに作用している。トリプルアクセルを再度例に取ろう。カナダ大会のフリー。トリプルアクセルで転倒したにもかかわらず、ルールにのっとった減点方式にしたがい、チャン選手は4.5点もらっている。http://www.isuresults.com/results/gpcan2010/gpcan10_Men_FS_Scores.pdf動画はこちら。http://www.youtube.com/watch?v=DkC3B9kc0OM(2つ目の転倒ジャンプがトリプルアクセル。空中で軸がバラけてしまい、酷い失敗ジャンプだ)アメリカ大会の男子のショート。高橋選手はトリプルアクセルで乱れ、そのあと躓いているが、転倒はしていない。http://www.youtube.com/watch?v=dTIQ2GuVoOQところが、回転不足判定されたために、基礎点が下がり、そこからGOEでも減点なので、4.43点しかもらっていない。このジャンプが、お見事な転倒ジャンプより点が低いなど、ジョークとしか思えないのだが、別に不正採点でもなんでもなく、ルールにのっとって出した点なのだ。http://www.isuresults.com/results/gpusa2010/gpusa10_Men_SP_Scores.pdfもう1度浅田選手。http://www.youtube.com/watch?v=JWopB5Vsf6Q最初のトリプルアクセル。空中で軸がかたむき、完全に回転不足でおりてきてしまった。だが転倒はしていない。だが、ダウングレードされた上にGOEでも減点なので、1.87点。質から言っても技の完成度から言っても、最悪の失敗である転倒をしたチャン選手の得点が一番高いのだ!いかに回転不足判定、ダウングレード判定が非常識かわかるだろうと思う。これでも去年よりはよくなったのだ。解説者はさかんに、「回転不足でも基礎点70%与えられるようになった」と減点の緩和を強調しているが、それでもまだこんなに歪んでいる。昨シーズンの「回転不足と判定されればダウングレード」というのが、いかに「無理が通れば道理が引っ込む」ルールだったかおわかりいただけるだろうか?<このエントリーは続きます>
2010.11.24
アメリカ大会の男子シングル。先日のエントリーで懸念していたことが現実になってしまった。織田選手のルッツが、ショートおよびフリーでwrong edge(E判定)を取られたのだ。http://www.isuresults.com/results/gpusa2010/gpusa10_Men_SP_Scores.pdfさらに、フリーでは織田選手に加えて、ショートでは違反を取られなかった高橋選手のルッツにまでE判定が2つ下ってしまった。http://www.isuresults.com/results/gpusa2010/gpusa10_Men_FS_Scores.pdfついでに言うともう1人の日本選手村上選手のルッツにもEがついている。日本男子は全員アメリカに行くと、いきなりルッツの踏み分けができない選手になってしまったようだ!思い出してみよう。NHK杯での高橋選手。こちらについたのはフリップへのEだった。高橋選手は、昨シーズン前半はエッジには何も問題がなかったのに、オリンピックのフリーになっていきなりルッツにアテンションが2つついた。そのあとのトリノワールドではルッツに1つアテンション。こうなると、高橋選手としても気になってしまう。だから次の試合では気をつける。NHK杯ではルッツにはEがつかなかった。本人は気をつけたのかもしれない。ところがそこでEがついたのは、本来問題のないはずのフリップ(高橋選手はフリップのほうが得意なのだ)。次の試合では、フリップに気をつけなければならない。すると待ってましたとばかりにルッツにE判定。フリーに2つルッツを入れている高橋選手にとっては痛い。織田選手もだ。これまで織田選手はルッツで違反を取られたことがない。だが、たぶんに中立気味であることはMizumizuも心配していたし、初戦のカナダ大会でも解説の佐野稔氏も心配していた。1戦目では取られなかったのに、第2戦でとうとう取られてしまった。Wrong edgeというのは、一度取られると、また次に取られやすいという傾向がある。特にフリップにもルッツにもEがついた高橋選手は、次から両方のエッジに気をつけなければならない。これはストレスだ。昨シーズンから、wrong edge判定の正当性にMizumizuは疑問をもっていた。エッジというのは通常クセなのだが、試合によって取られたり取られなかったりする選手がいる。その例として挙げたのが小塚選手なのだが、その前のシーズンでは問題なかったはずのフリップのエッジに、ときどきアテンションがつく。しかも、マジックのように消えたりついたりする。ルール上は、あいまいに見えたエッジにはEをつけてよいことになっているが、それではwrong edge(=間違った踏み切りのエッジ)という本来の定義からはずれてしまうのではないか。技術審判の判定が、本当にwrong edgeの定義に当てはまるものだったのか、あとから複数の目で検証すべきではないか。女子に対しても同じようなことがすでに起こっている。フィンランディア杯の鈴木明子選手。http://www.figureskatingresults.fi/results/1011/FT2010/FT2010_Ladies_FS_Scores.pdfこちらにフリーのプロトコルがあるが、ルッツにもフリップにもEが3つもついている。まるで、できるだけ鈴木選手を減点して、「スポンサーがかなりついている」という地元のコルピ選手(フィンランド)に勝たせたいといわんばかりだ(最終的に鈴木選手が1位、コルピ選手が2位となった)。あいまいなエッジと技術審判が判断すればEをつけていいのだから、ルッツとフリップの両方にEがついてもおかしくはない。だが、よく考えれば、それではwrong edgeとは何ぞやということにならないか。ルッツで間違ったエッジで踏み切り、フリップで間違ったエッジで踏み切っているとなれば、逆の意味でインとアウトの踏み分けができていることになってしまう。一番の問題点は、エッジの踏み分けができない選手が多いことだったはずだ。プレパレーションに関していえば、明文化した定義がなく、フリップのように見えるルッツというのもありえる。ただ、その選手がインでもアウトでも踏み切れるかどうか、それが最も大切な技術のポイントだと思う。インが得意な選手はルッツでもインで踏み切ってしまう。アウトが得意な選手はフリップでもアウトで踏み切ってしまう。それがまずいから、両方踏み分けできるようルールで促したはずではないか。ところが、だんだんに判定の解釈が拡大し、「本当に間違っているのか」あいまいなエッジにまでEがついている・・・ように見えている。試合によってついたりつかなかったりというのがその証左だ。これは公平性を求めた結果(もれなく怪しいエッジを取り締まることで公平性を担保しようとした)の不公平(実際には間違っていないエッジまで取り締まりの対象になる)ではないのか。しかも、技術審判の試合での判断にまかせて、それを検証しないというのでは、ますます「カラスの勝手でしょ」ならぬ「ジャッジの勝手でしょ」になってしまう。回転不足判定がやたら厳しくなり、「本当に1/4回転以上の不足なのか?」というジャンプまで回転不足で減点され、今度はwrong edgeといえるのか、中立気味というだけで、中立に入ってさえいないのではと思われるエッジまでEがつく。これでは減点のための減点になってしまう。選手にとっては、一度E判定がつくと、その次の試合で気になってしまうという悪影響がある。事実、鈴木選手は次のNHK杯では、フリップ、ルッツとも違反は取られなかったが(今度はちゃんと踏み分けができる選手になったようだ!)、フリーのフリップで自爆してしまった。高橋選手にも同様のプレッシャーがかかる。元来エッジには問題のない選手なので、伊藤みどりではないが、「あまり気にしないで跳ぶこと」が大切かもしれない。これほどブレのある判定を気にして、自爆してしまっては元も子もないからだ。高橋選手は現在非常に強いが、技術点を見ると、むしろその低さにガクゼンとしてしまう。これは昨シーズンからだ。メディアでは高橋選手の表現力をさかんに持ち上げているが、今季これからの高橋選手の課題は表現力強化ではない。技術点をどう上げるかだ。なぜ、高橋選手の技術点が低いのか。Wrong edgeのように、やや疑問な判定の問題もある。そのほかに高橋選手自身の抱える問題とルール変更上の問題が絡んでくる。これについては、また後日。
2010.11.20
■10%OFF■高橋大輔 DVD【高橋大輔 Plus】11/1/7発売日経新聞紙上の改定ルール解説で平本純子氏が挙げた「両足着氷の減点強化」。この運用がどうかと思って見ていたが、やはり非常識な点が出てくることがわかった。まずはルールを再度確認してみよう。http://www.skatingjapan.jp/data/fs/pdfs/comm/comm1611j.pdfこちらの12ページにジャンプ要素のGOE案件がある。それによれば、「1 ジャンプの開始または着氷が両足」はマイナス3。「最終的な GOE が必ずマイナスとなるエラー」だから、両足着氷の場合は、最終的なGOEは必ずマイナスとなる。しかも、この案件で加味される条件は「マイナス3」だから、減点はかなり厳しい。1つ注意しておきたいのは、この「両足着氷」は選手が現場で何気なしに使う「ツーフット」とは違って範囲が狭いということだ。たとえばオリンピックのフリー、小塚選手は4回転ジャンプの着氷で氷に浮き足がこすってしまった。それを本人は、「ちょっとツーフットになっちゃったんですけど・・・」と表現した。このように着氷したとき、フリーレッグのブレードが氷をこすってしまうことも、現場の選手は「ツーフット」という。ツーフットをそのまま日本語にすれば「両足」、つまり「両足着氷」のことだ。だが、ルール上は、軽微なツーフットは、「片手またはフリー・フットがタッチダウン」という範疇に入り、加味されるGOEはマイナス1で「最終的な GOE の+-は制約されないエラー」となっている。ルール上の「両足着氷」は、文字通り、両足でベタッと降りてしまった状態を指すのだろう。もしかしたら、そのツーフットが「両足着氷」なのか「フリー・フットのタッチダウン」なのか、判定が微妙なケースも出てくるかもしれない。だが、とにかく一応、「両足着氷」と「フリー・フットのタッチダウン」は明確に違い、技術審判はそれをきちんと区別できるという前提で話を進める。ルール策定上の問題として、Mizumizuが直感的に思ったのは、「両足着氷」に対する減点が大きすぎるのではないかということ。なぜ両足で降りてしまうのか? それは回転が足りないからだ。回転が足りずに降りてきてしまうから両足になってしまう。つまり、「両足着氷」というのは、4分の1ラインを超えた回転不足の場合に起こりやすく、厳しく回転不足を取る現行の運用方針では、「基礎点を減じ」かつ「GOEでもマイナス必須」とするという、いわゆる「二重減点」になってしまうのではないかと思ったのだ。どうしてわざわざ「両足着氷」の減点を厳しくしたのだろう? これは推測だが、今季から回転不足をその下のジャンプの基礎点にダウンさせるのではなく、70%の基礎点を与えるというように減点を緩和した。そこでその緩和措置とのバランスを取るために、両足着氷という回転不足で起こる大きなエラーに対する減点を厳しくしようと考えたのかもしれない。だが、そもそも両足着氷になるくらいに回転が足りない状態で降りてきてしまえば、ハナっから回転不足判定を受けるのはほぼわかっている。認定されるほど回りきったジャンプで両足着氷というのは、現実的にありえないのではないか。マイナス3と言ったら、転倒と同じ扱いだ。あまりに厳しすぎないだろうか? しかも、転倒の場合は、「回りきったと認定されれば」基礎点はそのまま。両足着氷の場合は、ほぼ回転不足判定されるから、基礎点が70%になったところからマイナス3ということになる。もちろん、他の「質」を加味して、転倒よりは緩い減点にすることもできるが、ルール上、転倒と同じ数字にしているというのには首を傾げざるを得ない。これでは、「認定」転倒より点が低くなってしまうのではないか? 両足とはいえ、立っているジャンプとコケてるジャンプで、またコケてるジャンプの点が高くなる。非常識ではないか?案の定、すでにそういう現象が起こっている。http://www.isuresults.com/results/gpcan2010/gpcan10_Ladies_FS_Scores.pdfカナダ大会の女子フリーで7位になったカナダのファヌーフ選手。http://www.youtube.com/watch?v=ZBUrwTfkdZE2つ目のジャンプの3ルッツ(動画で1:30当たり)。見事な転倒になったが、カナダがらみの選手というのは、なぜか回りきって転倒することが多い。なので、基礎点はそのまま。3Lzの基礎点6.00 GOEはジャッジ全員がマイナス3をつけて、3.9点。ここから最後に、Fallでマイナス1を引かれるから2.9点。一方で、中国大会の男子ショートの町田選手。http://www.isuresults.com/results/gpchn2010/gpchn10_Men_SP_Scores.pdf3つ目のジャンプが3ルッツで、ここで両足着氷になってしまった。当然回転不足判定され、3Lz< で基礎点は70%となり、4.20点。ここからGOEはマイナス2が3人、マイナス3が6人。最終的な得点は2.3点。町田選手の演技の動画はこちら。3番目のジャンプ(2:28あたり)がルッツだが、両足とはいえちゃんと立っている。これが転倒ジャンプより点が低いのだ。http://www.youtube.com/watch?v=PbVvCzF0r1A&feature=player_embedded#at=56しかもそれは、細かく定められたルール通りに点をつけた結果なのだ。そういうルールをわざわざ作る。バカバカしいとしか言えない。ファヌーフ選手の3ルッツも回転不足での転倒ということになれば、4.2点からの減点になるから、そうなると1点ちょっとで、ほとんど得点にならないことになる。ダウングレードされれば、2ルッツの基礎点からの減点だから、もっと低くなる。転倒の点をわざわざ「回りきっての転倒」「回転不足での転倒」「ダウングレードの転倒」の3つを作り、一方で、両足とはいえ立ってるジャンプの減点を「回転不足」という理由での二重減点にして、「回りきっての」転倒以下の点にする。なんのためにこんなことをやっているのか? 理解できない。こういう細かいところで、点の出し方が適切でないのも、今のフランケンシュタイン総合得点の原因になっている。
2010.11.18
もう1度繰り返すと、昨季までは4分の1以上の回転不足であれば「ダウングレード」され、基礎点がその下のジャンプの基礎点に落とされた。この非常識なルールの弊害はさんざん書いてきた。高難度ジャンプになると「わずかな回転不足が、回りきっての転倒よりも点数が低くなる」ことがあるなど、まったく筋のとおらない。そこで今季これまでの「ダウングレード」を2つに細分化した。それが「回転不足判定(アンダーローテ)」による基礎点70%付与と2分の1以上の回転不足に適応される「ダウングレード」(基礎点をその下のジャンプに落とす)だ。だが、本当に「わずかな回転不足」で基礎点を70%に減ずる必要性はあるのか? その結果出てきた点は本当にジャンプの「出来栄え」を正しく評価できるのか。それを再度議論すべきと思わせる現象が中国大会の男子フリーの4回転ジャンプで起こったと思う。http://www.isuresults.com/results/gpchn2010/gpchn10_Men_FS_Scores.pdfこちらにプロトコルがある。注目していただきたいのは小塚選手、ムロズ選手、ジュベール選手、町田選手の4Tに対する得点。下にあるURLは動画。それぞれオープニングに4Tをもってきてるのでわかりやすい。ムロズ選手 4T 基礎点10.30点 (GOEはプラス1が4人、ゼロが5人) 最終得点 10.73点http://www.youtube.com/watch?v=vrkqzW44TLw 小塚選手 4T 基礎点10.30点 (GOEはマイナス2が1人、マイナス1が8人) 最終得点 9.3点http://www.youtube.com/watch?v=sE-aBELMtbk 町田選手(転倒)4T 基礎点10.30 (GOEはマイナス3が8人、マイナス2が1人) 得点7.3点、ここから最後にFallでマイナス1を引かれるので、実質6.3点http://www.youtube.com/watch?v=ze9P2OcWywA ジュベール選手 4T< 基礎点7.20点 (GOEはマイナス1が8人、ゼロが1人) 最終得点 6.2点http://www.youtube.com/watch?v=7LAPUP8zNzA ジャンプで得た点を見ると、1位 ムロズ選手2位 小塚選手3位 町田選手(転倒)4位 ジュベール選手ということになる。ムロズ選手とジュベール選手の点差は、4.53点もある。一方で、ムロズ選手と小塚選手の点差はわずかに1.43点のみ。奇異に感じないだろうか? 小塚選手は上体のバランスを崩し、手をついてしまっているから観衆にはかなり大きな失敗に見える。一方のジュベール選手のジャンプには、会場から「おお~!」という歓声があがっている。動画は、遠くから撮られているのでよくわからないかもしれないが、着氷をよくよく見ると一瞬「ガタッ」となったのがわかると思う。これに対してムロズ選手の4Tはピタッと降りてきれいに流れている。微妙な着氷の差は肉眼では大差なく見えるので、ムロズ選手とジュベール選手のジャンプの「出来栄え」は同じ程度だとファンは思うかもしれない。だが、着氷の流れに注目して見た目の「出来栄え」で順位をつけるなら、1位 ムロズ選手2位 ジュベール選手3位 小塚選手4位 町田選手(転倒)ということになるだろう。一般のファンはもしかしたら、ジュベールのジャンプのほうが迫力があってよかったと思うかもしれない。ところが得点による序列は上記のとおり。これはルールにのっとって、極めてまっとうに出された点なのだ。http://www.skatingjapan.jp/data/fs/pdfs/comm/comm1611j.pdf再度こちらの12ページを見て欲しい。小塚選手のお手つきは、「最終的な GOE の+-は制約されないエラー」で、加味すべきGOE指針はマイナス1。あるいは、「拙い着氷(悪い姿勢)」と考えてGOE指針はマイナス1~マイナス2ととらえてもいいだろう。実際に、その指針にそってGOEが出されている。そもそもあまりいいジャンプではないので、直感的にマイナス1からマイナス2にしておけば、そのままGOEガイドラインに当てはまるとも言える。ジャッジのつけたGOE自体は、マイナス2がない分ジュベール選手のほうがいいとも言えるが、最終的に引かれる点はマイナス1と同じになっている。それなのに、どうしてこうした点差がでるのか? その理由が、「回転不足(アンダーローテ)判定」による基礎点の減点なのだ。小塚選手は4回転を回りきったと判断されたので、4回転の基礎点10.30点からの減点、ジュベール選手は回転不足だったと判断されたので、70%の基礎点7.2点からの減点。すると不思議なことに、「4回転をまわりきって(と判断された)転倒した」町田選手の得点のほうが高くなってしまうのだ。過去のダウングレード判定の弊害がまた出てしまった。転倒してる選手が6.3点もの点を稼ぎ、ちゃんと降りてる選手が6.2点しか稼げない。この4Tの転倒が「回転不足(4分の1~2分の1)」と判定されると、基礎点70%(つまり7.2点)からの減点(GOEマイナスと最後のマイナス1の減点)、「ダウングレード(2分の1超の回転不足)と判定されると3Tの基礎点(つまり4.1点)からの減点になってしまう。つまり、転倒ジャンプの得点算出法は、3種類あるのだ! そんなものが必要だろうか? 4回転で転倒してる選手が、回りきったと判断されて最終的に得ることのできた点は6.3点(これはトリプルルッツの基礎点6点より高いのだ)というのは点を与えすぎではないのか。どんなに難しいことをに挑戦しても転倒してしまっては終わり。そう割り切るべきではないだろうか。4回転は非常に難しい技なので、挑戦することに意義があり、そのために転倒してもある程度の点を与える・・・・・・と考えたとしても(個人的には転倒したら終わり、他の選手が同様の失敗をしない限りワールドチャンピオンにはなれないと割り切るべきだと思うが)、その一方で回転不足にはやたら厳しく、転倒以上の減点をするというのでは、「4回転挑戦奨励」の方向性から言ってもまったく矛盾している。 昨シーズンの4Tは回転不足判定でいきなり3T(トリプルトゥループ)の基礎点まで下がってしまったから、それよりは4回転ジャンプのリスクは少なくなった。ところが逆に「基礎点70%」などという無理矢理なものを設定するから、リスクの高い4回転に挑んで降りているのに、回りきって転倒してる選手より点が出ないなどというバカバカしい現象が起こる。転倒の減点をどうするかという議論も当然あるが、それよりもまず、この「基礎点70%」を廃止すれば、出てくる点数のゆがみはかなり是正できるはずだ。城田憲子氏は、「現在、3人のテクニカルスペシャリストの判断だけでジャンプの回転不足が判定されているシステムにも疑問がある。多少回転不足でも素晴らしい4回転には点数をあげたい、そうジャッジが思っても、現システムのままでは限界がある」と書いている。これは現行の回転不足判定ルールをある意味で否定する、大胆な意見だ。現行の回転不足判定の大幅減点を理論的に説明するとすれば、「多少回転不足」であっても、それは大きなミス、だから減点も大きい・・・と言わなければならない。その理屈をジャッジ全員が支持してやっているわけではないことを、「多少回転不足でも素晴らしい4回転には点数をあげたい、そうジャッジが思っても、現システムのままでは限界がある」という言い方は示している。多少回転不足でも「素晴らしい」と言ってしまえるジャンプがあるのかどうかはやや疑問だが(回転不足は多少であってもやはり、質の悪いジャンプには違いない)、多少回転不足だからという理由でここまで減点することに疑問があるというのは、常識的に考えても頷ける。というか、そんなことは最初からわかっている。だからモロゾフも吼えたのだ。回転不足でジャンジャン減点することに対して、ジャッジへの批判が高まると、ジャッジのほうはルールのせいにしている。私見では、これはルール、判定を行う技術審判の「目」の確かさ、そしてGOEを出す演技審判の裁量に対する信頼性・・・この3つがすべて絡み合っている。判定に関して言えば、4分の1~2分の1の回転不足判定がやたら厳しかったり甘かったりというブレについて先日エントリーしたが、もう1つ、2分の1以上でのダウングレード判定(<<)が思った以上に多いという点も挙げられるかもしれない。2分の1以上回転が不足してしまう、つまりあるジャンプの半分しか回転していないということになると、着氷でふっとんでしまうなど、マトモに降りられないのではないかという感覚的な想定を個人的に抱いていたのだが、その想定よりダウングレード判定は多く出ている。たとえば、浅田選手のNHK杯のショートのトリプルアクセル。相当の回転不足で重度の両足着氷になったが、まあなんとか立ち、「回転不足判定はされるが、ダウングレード判定はもしかしたらまぬがれるのでは」と思ったのだが、現実にはダウングレードされてしまい、そこからGOEでマイナス2をつけたジャッジが2人、マイナス3をつけたジャッジが7人で最終GOEがマイナス1.43点と、ダブルアクセルの大失敗の点とほとんど同じ、たったの1.87点にしかならなかった。一方でパトリック・チャンのカナダ大会でのフリー。4回転を決めたあとトリプルアクセルで見事に転倒したが、回りきったと判断されたので、最終的には4.5点もらっている。 http://www.isuresults.com/results/gpcan2010/gpcan10_Men_FS_Scores.pdf動画はこちら。http://www.youtube.com/watch?v=DkC3B9kc0OM(2つ目の転倒ジャンプがトリプルアクセル。空中で軸がバラけてしまい、酷い失敗ジャンプだ)http://www.youtube.com/watch?v=JWopB5Vsf6Q(最初のトリプルアクセル。空中で軸がかたむき、完全に回転不足でおりてきてしまった。だが転倒はしていない)。転倒している選手が、回りきったということで4.5点もらい、転倒していない選手が2分の1以上の回転不足の両足着氷だと言って1.87点しかもらえない。このことから見ても、「回りきること」に対して与えられる価値が大きすぎるように思う。「出来栄え」から見れば、そして「質」から考えても、最悪なのが転倒ではないだろうか? チャンが転倒しているのに点が出ているのを見てファンはいぶかしく思う。転倒ジャンプは何を跳ぼうと一律0点。そのほうが、恐らく採点は正常化する。ダウングレード判定(2分の1以上かどうかの判断)の正確性に問題がないとは言わないが、あったとしても、それは取るに足らないものだと思う。現状ダウングレード判定されているジャンプは、見た眼にもはっきりわかる失敗ジャンプ。この判定に対する問題点よりも、「転倒で変に高い点が得られるケースがある」ことのほうが大きな問題で、転倒での点を是正すれば、ダウングレードでの点とのバランスは取れるはずだ。それよりもさらに優先して解決すべき問題点が基礎点70%ルール。ジュベールの4T程度の回転不足は、GOEでの減点で十分ではないか。町田選手の転倒4Tより価値が低いなど、どう考えても非常識だ。
2010.11.11
フィギュアスケートの新しいシーズンが始まったとき、選手の新しいプログラムを見るとき、選手が去年より進歩したと実感できた瞬間、ファンはえもいわれぬ幸福感を覚える。中国大会での小塚選手はそうだった。確実に進歩し、大きくなった。だが、彼はまだ世界王者になっていない。もともと才能があり、年齢的にも伸び盛りなのだから、この「進化」はさほど驚くには値しないのかもしれない。だが、安藤美姫は? 彼女はすでに世界女王のタイトルを持っている。オリンピックにも二度出場という輝かしい経歴をもち、選手生命の短い女子フィギュア選手としては「ピークを過ぎた」といわれる年齢になってきている。にもかかわらず、中国大会での安藤選手のパフォーマンスには驚かされた。昨シーズンは、体を絞ったというより痩せてきてしまった感があり、フリーの後半には疲れが目立った。ところが、今年は、体全体が締まり、去年よりさらにしなやかで、輝くような女性美で観客を魅了していた。後半に連続ジャンプ2回を含めた5つのジャンプをつなげたタフなプログラムであるにもかかわらず、去年のようなスタミナ切れを感じさせない。プロポーションというのも才能の1つだし、女性の場合は20歳を超えてくるとどうしても「運動に適した体形」ではなくなってくる。だが、安藤選手はアスリートとしての筋肉のしなやかさと女性としてのラインの美しさを両立した奇跡を手にしている思う。1人の女性、1人のトップアスリートの最高に美しい瞬間を、内面の充実と外見の輝きが両立した稀有な瞬間を、今私たちは見ている。女らしいのに、どこにも贅肉がつきすぎず、筋肉も重そうに見えない。すべてが程よく調和して、情感あふれる安藤選手の表現を下支えしている。成熟した女性のフィギュアスケーターでなければ出せない味が、安藤選手の演技にはある。ジャンプがどう、スケーティングはどう、と言った話を超えたヒューマンな表現力。それは、経験と感情と身体能力が高い次元で一致して初めて可能になるものだ。加えて、衣装もファッショナブルだ。今回はチャレンジングなショートの衣装に目がひきつけられた。皮のような素材をつかった片肩の3連のディテール。布の裏地の色も2色使っている。衣装全体の素材も起毛のように見える変わったもの。腰のあたりに大胆なエンブロイダリーを入れ、モダンな手袋でアクセントをつける。ズバリ、お金のかかった衣装だ。メイクもヘアスタイルも安藤選手のオリエンタルな魅力を引き立てている。「着せられている」感じがなく、何が自分に似合うのかわかっている女性本人がワードローブから選んできたように自然だ。すべてがぴったりと安藤選手の個性にあっていて、彼女の公私にわたる充実振りを印象づける。「フィギュアスケートと言うのは、その人の生き方が出る」と言ったのはどの解説者だったのか。最近はレベル認定がどうの、加点がどうのといって、点を積み上げるためのメソッドに沿って機械のように滑る選手が増えてきた。「ここで切ない顔をして」「ここで笑顔になって」「ここでちょっと止まって振りを入れて」「ジャンプの前後はこうやってポーズを入れて加点をもらって」というのがあからさまな演技。キム・ヨナやパトリック・チャンには、この傾向が顕著だ。この2人はMizumizuには、ジュニアからシニアに上がってきたころのパフォーマンスのほうが魅力的だった。だんだんと情緒がなくなってくるように思う。高得点をたたき出すこの2人に足りない「何か」を明らかに持っているのが安藤美姫だろう。安藤美姫の「大人」の雰囲気は無理矢理に作られたものではない。彼女の内面の充実と自信が体全体から自然にあふれ出ている。「ミキティ」という愛称で、若くしてフィギュアスケート界のアイドルに祭り上げられてしまった安藤選手に対しては、理不尽かつ無用なバッシングも多かった。10代の若さでは想像もできないであろう世間からの辛辣な視線に動揺しながら、なんとか周囲から悪く思われまいと振舞う少女は、見ているこちらも辛い時期があった。だが、今の安藤美姫は、自分に自信をもっている。それは1人の女性が、自分自身の足で歩んで獲得したものだ。もともと感情豊かで素直にそれを出したい安藤美姫は、日本人の枠に留まらないところがあったのかもしれない。海外を拠点にして順調にいった日本選手は、実は少ないのだが、安藤美姫はその少ない例外だ。そして、その人生体験が演技に出ている。フィギュアというのはやはり尽きせぬ魅力のあるスポーツだ。スポーツでありながら、アートである。といっても、多くの選手はアートの域に達することなく、それどころが自分のやっている競技がアートであることを気づかないまま引退していく。ごくわずかの限られた才能をもつ選手だけが、スポーツをアートに変えられる。安藤美姫もその1人であり、世界女王のタイトルをすでにとっくに得たあとに、それを見ているこちらに実感させてくれるところが凄い。ジャンプも今回ショートでトルプルルッツ+トリプルループを見せてくれた。回転不足判定は思ったとおり。肉眼では、ちょっとガタッとしただけの着氷に見えるが、スローにすればわかる。降りてから刃が回ってしまっている。普通に見ている者にはクリーンにさえ見えるこのレベルのジャンプ、解説の荒川静香は、「回っていると思う」と言ってしまったが、Mizumizuは、「まず間違いなく回転不足判定される」とすぐに思った。昨シーズンはそれを見越してあまり挑戦しなかったが、その前のシーズンは、このレベルでどんどんダウングレード判定されたのだから。ショートの単独トリプルフリップが認定されたのが、むしろラッキーだったかもしれない。あのジャンプもかなり微妙に見えた。トリプルルッツもスローで見たら、もしかして多少・・・という気もした。女子の3回転ジャンプはこのようにかなり微妙なものが多い。ところで、ショートの点が伸びないのをみて、解説の荒川静香が「ダウングレードを取られましたかね」と言ってしまっていたが、あれは単なる言い間違えだ。昨季までのダウングレードは、今季から回転不足(アンダーローテ)とダウングレードの2つに細分化されている。あのレベルのちょっとした回転不足を2分の1回転不足としてダウングレード判定をすることはありえない。判定に「甘い」「辛い」と思わせる部分があるのは確かだが、ちょっとした回転不足をダウングレードしてしまうことは、さすがにないと断言できる。そこまでデタラメな採点ではない。だが、とにもかくにも、女子では最高難度の連続ジャンプであり、世界広しといえど、めったに降りられる能力をもった選手がいないあのセカンドジャンプを、さんざん「2回転ループの失敗」と同様の点にしてきたのが、バンクーバー特製フランケンシュタインルールだ。だから、何度も言ったのだ。あれは「安藤・浅田には勝たせないぞ」ルールだと。バンクーバーが終わったとたん、あわてて基礎点の70%を与えることにして、減点を緩和したのを見ても、いかに理念なき理不尽ルールだったかわかるだろう。ところが、国内の専門家でこれに真っ向から異議をとなえたのはニコライ・モロゾフのみ。しかも、そのモロゾフを日本の体制側の人間が非難する始末。モロゾフはソチに向けてさっさと日本と縁を切り、ヨーロッパの有力選手のコーチングを始めている(本当に、したたかな男だ)。非常識なルールは多少マトモになった。だが、今だって、やはり出てくる点数は理不尽だ。ショートでの点を見ると、3Lz+3Lo< で基礎点が9.60点。GOEでは、ほとんどのジャッジがマイナス1をつけたので、9点。フリーで跳んだ3Lz+2Loが基礎点7.80点に対し、加点がついて8.5点。世界でほとんど誰もつけることのできないトリプルループ(3Lo)をトリプルルッツ(3Lz)につけて(見た目クリーンに)降りたジャンプが、ダブルルッツでクリーンに降りたジャンプと0.5点しかかわらない。セカンドに3ループをつけるのか2ループをつけるのか、難しさから言ったら雲泥の差だ。なのに、ちょっと回転が足りなかったと重箱の隅をつつかれ、難度の低い3+2ジャンプとたったの0.5点差にされてしまう。2回転の失敗にされるよりはマシだが、これではリスクを犯して挑戦するのもバカバカしくなってしまう。今シーズン後に1年の休養を宣言している安藤選手なので、3Lz+3Loという最高難度のジャンプを観客が見るチャンスは、ほとんど今季限りになるだろう。中間点などという無理矢理な70%基礎点ルールを廃止しない限り、セカンドに3ループをつける選手は出てこないだろうと思う。リスクが高すぎるからだ。これではジャンプの技術向上を後押しすることにならない。もちろん、どうあっても完成度だという理屈もないではない。だが、男子は4回転重視にルールは舵を切りつつある。肉眼ではわからないような回転不足で、基礎点を下げる必要があるのか、それはGOE減点で十分ではないのか。もう1度議論すべきだ。安藤美姫が世界女王になった年(つまり狂ったようなダウングレード判定が大手を振ってまかり通る前)、この3Lz+3Loで安藤選手が稼ぐ点は、たしかGOEも含めて11点ぐらいではなかっただろうか。これが安藤選手を世界女王にしたといっていい。その大きな武器の小さな欠点を突かれ、苛烈な減点にされることで、安藤選手は片翼をもがれ、4回転サルコウも降りてもしょせん回りきっていないから3回転サルコウの失敗と同じ点になってしまった。4回転を入れると他のジャンプが低くなるから、他のジャンプも回転不足を取られるという悪循環。これでもう1つのジャンプの安藤の片翼をもがれ、天才ジャンパーといわれた安藤美姫の強みをバンクーバーで生かすことができなくなった。Mizumizuでさえ、この汚いルール変更に怒りをもっているのだから、モロゾフが声をあげるのも当然だろう。ところが日本人ときたら、「ルールのせいにしてはいけない」というきれいごとを繰り返すだけだった。だが、ルールは動かせる。事実、今季回転不足の減点が緩和されではないか。声をあげ、ルールのまずい点を主張すること――選手にはできないことを、体制側がすべきではないか?安藤選手個人の課題として、フリーにセカンドの3回転ジャンプが入っていないのが気になる。2A+3Tを是非ともやってほしい。素晴らしいのはトリプルルッツが2つ入ったこと。浅田選手が今苦労しているトリプルルッツ。ルールが変わって、ルッツの重要性が相対的に増した(フリップの基礎点が下がったため)、エッジに問題がなく、2つ入れられる安藤選手は今季強いだろう。
2010.11.09
グランプリシリーズ中国大会が終わって、失敗ジャンプに与えられる点数のルール上の問題点を指摘しようとしたのだが、あまりにアベック優勝した小塚選手・安藤選手の演技が素晴らしかったので、そちらについての感想を少し。Mizumizuにとって、今季ここまでで最も感動的な演技を見せてくれたのが小塚崇彦になった。もともと好きなタイプのスケーターだが、2008/2009のシーズン初めに調子がよかったときに書いた感想は、「和製トッド・エルドリッジ」。徹底した基礎訓練を背景に、クリーンでシャープなエッジ遣いで見せるタイプ。だが、今年はもうトッド・エルドリッジの再来とは言わない。小塚崇彦は小塚崇彦。彼にしかできない表現領域に達してきていると思う。「表現力」にはさまざまな意味があり、強いカリスマ性や巧みな演技性で観客を魅了するスケーターも多い。そうした選手のほうが一般的なファンの受けはいいように思う。もちろんそれはそれで素晴らしいのだが、やはりアマチュア競技としてのフィギュアスケートという原点を考えたとき、そしてもともとは「ヨーロッパ貴族の遊び」だったルーツを考えたとき、選手のもつ清潔さと気品は非常に重要な要素になると思う。評価される演技には「トレンド」もあり、かつては、悲劇的で重厚なロシア的芸術性こそフィギュアで最も重要視される表現だった。今は北米流のショー的な要素や「セクシーさ」が変にもてはやされているが、選手個人のカリスマ性に頼るのではなく、徹底的にスケートの技術を積み上げて花開かせる品位のある表現こそ、アマチュア競技としてのフィギュアスケートの理想ではないかとも思う。今季のプログラムをみると、奇をてらわず、品行方正でありながら魅せるというアマチュアスポーツとしてのフィギュアの王道を行っている選手は、小塚選手とアボット選手のように思う。いずれも「佐藤家」のコーチに指導を受けている選手で、こうしたフィギュアスケートの1つの伝統的価値観を受け継いで次世代に伝えているのが日本人であることに感動を覚える。小塚選手のスケート技術が並外れていることは、ストイコやブラウニングといった一流のスケーターが絶賛していることを見ても明らかだろう。「深い膝遣いのスケーティング、マーベラスなスピン、大きなジャンプ」――ブラウニングの短い言葉が小塚選手の長所すべてを伝えている。基礎訓練が大事だということはどんな分野でも共通している。今日本の人材の競争力が国際的に見て低下しているのは、おそらく基礎学習の時間を削ってしまったことと関係がある。基礎訓練ばかり繰り返すと独創性のある人間が育ちにくいという誤った観念にとりつかれ、小さな子どもに「自由」を与えることに重きを置いてしまった。だが、それが学問であれ、スポーツであれ、自由で独創的な表現ができる人は、徹底した基礎訓練を受けているのだ。繰り返しが大事な初歩的な学習で手を抜くと、その差は大人になって取り返しがつかないほど大きくなる。中国大会で見た小塚選手の圧倒的な演技は、「徹底した基礎学習と長きにわたる地道な訓練」のうえに花咲いたものに違いなく、日本を世界の一等国に押し上げた先輩日本人がかつてもっていたゆるぎない価値観を、若く才能のある人材に伝達した結果のように見えた。徹底した反復練習の成果を感じさせるという意味では、キム・ヨナ選手も特筆すべきものがあったが、スケートの技術の巧みさでは、突き抜けたものは感じにくかった。高橋大輔選手も日本の生んだ世界トップレベルのスケーターだが、彼には「天才性」を強く感じる。こうした人材もたまに出る。もちろん初めからちゃんとした指導者について練習できたのだろうし、その意味では日本の名も知られていないスケートのインストラクターは幅広くレベルが高いのだろう。もとより、それも日本の強さだった。どんな分野の習い事でも、たとえ田舎であっても、教えてくれる先生がちゃんといて、基礎的な学習ができる環境がある。それがなければ、いくら高橋選手が天才的に「氷と仲良し」な人でも、世界トップにはなれない。高難度なジャンプ構成が仇になって、なかなか結果が出ず、昨シーズン、最後の大きな試合で大自爆を演じてしまった小塚選手にとって、今季の最初の公式戦はとてつもなく大事なものだった。4回転と2つのトリプルアクセルを決め、他のジャンプも大きなミスなくまとめる。この壁がいかに高いかは、ほとんどのトップ男子選手ができていないことを見れば明らか。何年もそれを繰り返して、どうしてもノーミスで滑ることができず、どんどん調子を崩してしまう選手も多い。現世界王者の高橋選手ですら、怪我後はその壁を超えられずにいる。今回小塚選手は4回転で片手をつき、ジャンプの着氷が若干詰まり気味になったり、軸が傾いたりといったことはあったものの、転倒もなくすべてのジャンプをまとめきったと言える。加えて、見ほれるほどのエッジワーク。ときに深く、ときに滑らかなブレードの動きの一瞬に、はっと胸をつかれるような感動を覚える。そして、風のような加速感をまとったスケーティング。テレビで見ているときは、リンクの右端手前から左端向こうに向かって小塚選手が滑っていくときに特にご注目。この瞬間は実にわくわくする。やや息苦しさを感じるチャン選手の演技に対し、小塚選手の演技はまるで呼吸するように自然で気持ちがよく、見ている方もカタルシスを得る。今回のテレビ放送は、田村岳斗氏の解説だったが、こちらも素晴らしかった。小塚選手の1)成長した点・・・・・・上半身の動きに力強さが加わり、格段の上達を見せた2)プログラムの工夫点・・・・・・重心をはずした状態で滑るChSt(コレオステップ)3)足りない点・・・・・・・セカンドに3回転が入っていないなどについて、端的にわかりやすく説明していた。4回転がお手つきになったときも、「回りきっているかどうか」をスローで見て、「回っていると思う」と解説。今季のルールでも「回りきったかどうか」はやはり非常に重要なのだ。1)から3)はそれぞれもっともなのだが、付け加えるとすると小塚選手は身体ができてきたという点もいえるかもしれない。アスリートとしての身体の成熟が、無理のない上半身、下半身の動きを作っている。セカンドに3回転が入っていないのは、確かに物足りない部分もあるかもしれないが、優先順位からすれば、4回転+トリプルアクセル2つ、なのだ。この部分を小塚選手はずっとできないでいた。ルールが去年のままであれば、もっとジャンプ構成を下げて完成度で一度勝負するという方向性もあったが、今季のルール改正は男子の4回転挑戦を後押ししている。今になって安全策に舵を切るのは間違っている。中国大会の小塚選手のフリー演技は、彼のこれまでの競技生活の中でも最高の出来だった。さらに言えば、連鎖自爆になってしまった世界選手権フリーの後の最初の大きな試合で、同じ自爆を繰り返さず、課題を克服したという意義は非常に大きい。大自爆のあとまた自爆を重ね、いつの間にか世界の檜舞台からいなくなってしまう選手も多いのだ。あるいは、(そうならないために)4回転は捨てて完成度で勝負することに方向転換せざるを得なくなる選手もいる。ベルネル選手は今季そちらを選んだ。だが、今季ジャンプ構成を落とすということは、自力での世界王者獲得のチャンスを捨てたということでもある。採点の問題点、つまり「抑えられた演技構成点」についてはすでに予測したとおり。今回の74.70点には個人的には脱力してしまった。従来の点をスライドさせたような点ではないか。他の選手には「圧倒的な点差で勝った」とアナウンサーが興奮していたが、点差にはあまり意味はない。選手の出来以外に注目すべきは演技構成点での「仕分け」。ここまでの注目選手の演技構成点を見ると、高橋 83.58点チャン 84.14点アボット 76.42点リッポン 75.16点 織田 74.28点小塚 74.70点 ジュベール 72.50点アモーディオ(フランス) 70.02点とまあ、笑ってしまうほどあからさまだ。金メダル仕分けはチャン、高橋。この2人は初めから「別格扱い」なのだ。メダル候補は、アメリカ選手が有力で、アボットとリッポンのどちらになるかは、まだ未定。織田選手と小塚選手は同評価。ここから誰がメダル候補に仕分けされるか、これはワールドの「ショート先着1名様」になるかもしれない。ジュベールはジャンプを失敗すれば、点は出ないことに決まった。若いアモーディオがいくらジャンプを決めても、観客を沸かせるエキサイティングな演技をしても、これではメダルには届かない。金メダル仕分けの2選手と他の選手との点差をもう少し縮めてくれれば、それだけでまだましな採点に、(少なくとも)見えると思うのだが。しかし、これは本当は「ジャッジの好み」で片付けられる問題ではない。むしろジャッジは、差をつけろという指導をされているのだから。この「仕分け」はもちろん選手も口にしないだけで自覚はしているだろう。だが、特に格上に仕分けされた選手と競う試合になったとき、力みすぎたり、威圧感に押されたり、緊張しすぎたりしないことが大事だ。仕分けされていること自体は、選手にはどうしようもない。小塚選手は今回のような演技をコンスタントに続けること。その自分自身の課題をクリアしていけば、「フィギュアスケートの理想」を具現化した選手のような小塚崇彦には、大きな怪我さえなければ、世界王者のタイトルはいずれ向こうからやってくる。
2010.11.07
先日までは、技術点のうちのwrong edge判定にまつわる問題点について述べた。今日は、回転不足判定について検証してみよう。(注:このエントリーは中国大会の前に執筆したもの)昨季までのルールの大問題、「ダウングレード判定」が今季から改定されたのはご存知のとおり。もう1つ批判の多かったGOEの反映割合も見直され、一言でいえば、減点が緩和された。http://www.skatingjapan.jp/data/fs/pdfs/comm/comm1611j.pdfこちらの最初に詳しく書いてあるから、それを見ていただければわかるが、これまで4分の1超の回転不足でダウングレード(基礎点が1つ下のジャンプの点に下がる)だったものが、2分の1以上のものがダウングレード判定とされ、<<マークがつき、4分の1超~2分の1までの回転不足は、回転不足判定となり、<マークで示され、基礎点の7割が与えられるようになった。昨季までのルールでは、一部の選手にとってのダブルアクセルが変に点数の出るジャンプになったりといった、一応客観的基準として定められた基礎点――「一応」と書くのは、ジャンプに関しては理論・慣例的な意味合いでの難易度と選手個人による得手不得手に齟齬があり、必ずしも客観的な序列として問題がないかというと、それはまたそれで議論になるからだ――を無意味にするような加点・減点が横行しすぎ、世界でもごく一部の選手しか跳べない高難度ジャンプに対するリスクが大きすぎた。4分の1超~2分の1までの回転不足に基礎点7割ということ以外は、ほぼMizumizuの提言どおりになった。これがどう運用されるかをNHK杯、カナダ大会で見たが、やはり「4分の1超~2分の1までの回転不足に基礎点7割」という改正に、特に女子に関して多くの問題点があることが明らかになったと思う。ジャッジング上の問題点とルール上の問題点とは分けて考える必要がある。まずはジャッジング上の問題点。NHK杯の女子の回転不足判定が厳しかったのは先日のエントリーで書いたとおり。この基準が「全試合を通じて公平に適応されるかどうか」についても疑問を呈した。カナダ大会を見たら案の定、NHK杯に比べて回転不足判定はずいぶんと緩く見えた。プロトコルと見ると、女子のフリー。上位11人(というのは、参加選手が試合によって少し違うので)の選手に対して、<マークおよび<<マークのついた数を単純に比較すると・・・< NHK杯 ジャンプに対してなされた判定総数19個(プロトコルの右に示された数は16個 ) カナダ大会 2個 << NHK杯 1個 カナダ大会 2個 ということになる。 19個と2個!同じ基準で判定したにしては、<マークの数があまりに違いすぎないだろうか? もちろん難度の高いジャンプに挑むか否か、選手の実力はどうかといったことで、条件は毎試合違う。だから、この判定数に差が出たとしても、別に不正ではない。だが、常識的には?ある試合で19個ものジャンプが回転不足判定されたのに、次の試合では2つのジャンプだけになる。不自然ではないだろうか。この不自然さはアナウンサーも自覚していて、「今回の試合のジャッジは厳しかったですね」などという。だが、本来同じ基準でやるのだから、「厳しいジャッジ」と「甘いジャッジ」がいてはいけないのだ。だが、現状を見ていてそういわざるを得ない状況だから、そういう言い方をしてフォローしている。それがますます観客の混乱を招き、「審判によって甘い辛いがあるのは仕方ないのか」といった風潮になってくる。もともとそれは「ない」はずなのだ。ないことがあるようにしか見えないから、そういう言い方になる。やはりここでも、ジャッジングを行う技術審判の「目」に疑念を向けざるを得なくなる。次に、出てきた点数の問題。ルール改正で主なジャンプに対するGOEの反映割合が抑制されたため、「出来栄え(質)」の評価の「重さ」が相対的に低くなった。これも方向性としてはいいと思う。連続ジャンプを行って、ファーストジャンプに問題がないのに、セカンドジャンプの着氷が乱れたからといって単独ジャンプの点数より低くなるとか、ジャンプの難度に応じた基礎点がないがしろにされるとかいった弊害は減るはずだからだ。だが、現実に出てきた点数を見ると、まだまだ回転不足判定(およびそれにともなうGOE減点)は「重すぎる」。たとえばNHK杯のコストナー選手のフリー。最初の単独トリプルトゥループをコストナー選手は見事に決めた。大きさもあり、流れもあり、軸もきれいで、素晴らしいジャンプだった。すると点数は、基礎点の4.1点に対して、1~2の加点をもらい、5.1点になった。そして後半、トリプルループからダブルトゥループのコンビネーションを2回入れた。最初の連続ジャンプは認定されたので基礎点は7.15 点。GOEは0とマイナス1(2人)が入りまじり7.05点。次も同じ連続ジャンプを入れ、この2つのジャンプが2つとも回転不足判定を取られてしまう。着氷も大幅に乱れ、見るからに悪いジャンプだった。3Lo<+2T< で基礎点は5.06点(後半なので1割増し)。GOEはマイナス2とマイナス3が入りまじり、得点はたったの3.46点。このコストナー選手の3Lo<+2T< は見た目にも相当悪いジャンプだったので、その点はある意味で仕方がないと言えるかもしれない。だが、たとえば浅田選手のショートの3ループ+2ループ。最初のジャンプで回転不足をとられたので、3Lo<+2Lo で基礎点が5.40点。GOEは0からマイナス2までが入りまじり、4.70点。浅田選手の3ループ+2ループは、着氷も綺麗で、見た目はそれほど悪いジャンプではなかった。だが、ルールにのっとって出せばこういう点になっても別に不当ではない。それでも、単独の3Tという世界級の選手にとっては簡単なジャンプ(だから3回転ジャンプの中では基礎点が低い)と、3ループに2ループをつけるという難度の高いジャンプの点が、その「質」によって点数が逆転し、5.1点と4.7点となってしまうのは妥当と言えるのか。減点のための減点に終始し、NHK杯のように血道を上げて回転不足を取りまくれば、こうしたおかしな得点はどんどん増える。また、選手の点も伸びなくなる。それが積み重なれば、観客の印象と出てくる点数はますます乖離することになる。何のためにこんなことをやっているのだろう。これは比較的簡単に解決できるのだ。変わったばかりの「回転不足判定による基礎点7割」を廃止し、GOEだけの減点に留める。最初からこうすればいいのだが、あの非難轟々だったダウングレート判定をゴリ押しした手前、すぐに廃止はできないのだろうと思う。回転不足判定のために、特に女子では「取られそうなジャンプ」を避ける傾向に拍車がかかっている。「きちんと回りきっておりる」正しいジャンプ習得を促すためのルールであるはずなのに、結果として、せっかく難しいジャンプを入れてもわずかに回転不足だったために点が出ないという結果を見て女子選手(世界トップレベルであっても)は、苦手なジャンプをはずし、偏ったジャンプ構成にしてくる。つまり、回転不足判定は、正しいジャンプ習得を促すどころか、(特に女子の)ジャンプ技術の劣化に貢献しているのだ。理論的にも「基礎点7割」という新しい概念には整合性がない。わずかな回転不足の3回転ジャンプは、その3回転ジャンプの7割の価値をもつジャンプではない、あくまで当該3回転ジャンプの「質の悪い」ものなのだ。出来栄え、つまりは質を評価するGOEというものがあるのだから、そこで質を評価すれば十分だろう。こうした意見は、実は現場のフィギュアスケート関係者の中からも出てきている。わずか3人の技術審判による「回転不足判定」に現状のような「重さ」を与えるのは不適当だとする意見だ。極めてまっとうだと思うが、すべてはルール策定次第。つまり、立場や影響力の強い人間がどう考えているか次第。正論が通らないのが、今のフィギュアスケートを取り巻く現状だろう。海外メディアは、(主に自国の選手に不利な採点がなされたときだが)しばしばルールの矛盾点や問題点を指摘する。シカゴトリビューンの記者は自身のブログで、カナダ大会でのチャン選手の得点を「ジョーク」と批判した。http://newsblogs.chicagotribune.com/sports_globetrotting/2010/11/chan-scores-joke-short-track-success.htmlこうした批判が正しいか正しくないかについての証明は不可能だ。だが、「おかしい」ことを「おかしい」と判断して批判する能力をもった記者さえ日本には見当たらない。カナダ大会については、ただ、織田選手が「ミスで自滅」したことになってしまう。お寒い状況だ。
2010.11.05
そもそもEと!を技術審判が判断して区別することにしていたのをやめて、両方同じマークにしたというルール変更も疑念を招く。本当に技術審判が正確にジャッジングできるなら、ただでさえ多い加減・減点要件を頭の中でプラスマイナスしなければならない(これはあくまでタテマエだ。本当はそんなスーパーコンピュータのような頭脳をもったジャッジがいるとは思えない。GOEはほとんど、経験にもとづく直感で出されていると思う)演技審判の負担をさらに増やす必要などないはずだ。技術審判のつけたEと!をあとから検証すると、どうも不正確ではないか・・・と突っ込まれるのを避けるために「間違い」も「不正解」も一律にEでよいとしたのではないだろうか?もう1つ、「そもそもルッツ、フリップって何?」と思わせるジャンプが、NHK杯のショートであったと思う。それは高橋選手のショートの「ステップから直ちに飛ぶ単独ジャンプ」。昨年同様、ここに高橋選手はルッツをもってきた。ところが今年は入り方をわざわざ変えて来た。高橋選手のルッツの入りを見て、一瞬Mizumizuは、「えっ? フリップを二度跳んでる。しかも(フリップなのに)アウトエッジで」とガクゼンとしてしまったのだ。すでに連続ジャンプでフリップを跳び、単独ジャンプでまたもフリップを(それもwrong edgeで)跳んでしまったら、点数がなくなってしまう。ところが、プロトコルを見ると、ちゃんとルッツ認定になっていて(つまり、フリップのE判定ではなくて)、何も心配していなかった連続ジャンプのフリップのほうにEがついている。ステップから直ちに跳ぶジャンプに関しては、今季のルール変更で、「(従来より)厳しく見るように」という但し書きがついた。ステップから直ちに跳んでいない場合は、きっちり減点対象にするようにというお達しだ。それを受けて入り方を変えたのかもしれない。だが、それには疑問符がつく。逆時計周りにターンしたあと高橋選手はレフトバックアウトにのっており、それはつまり「ロッカー」だということだ。ロッカーからのジャンプならば、このジャンプは「ルッツ」だと解釈できることになる。実際そう解釈されたからルッツ認定されたのだろう。そして、高橋選手はバックアウトにのる時間を少し長くして、ルッツだということを強調した・・・ようにも見えなくもない。だが、そうすることで、「直ちに跳んだ」という印象が薄まってしまった。ルールにともなう入り方の変更だと考えると、あまり効果がなく、逆にこの入り方を選択したことで、たとえジャンプに入る直前がロッカーであっても、「フリップのwrong edge判定」される危険だけが残るジャンプに見える。当然、こんなことは高橋陣営は考えているはずで、当該ジャンプがルッツと判定される自信があってやったことなのかもしれない。去年のショートのような入り方のルッツで何も問題はないと思うのに、どうしてわざわざ変えたのだろう?だが、ルッツとフリップの「プレパレーション(入り方)の定義」は明文化したものがないはずで、たとえ事前にカナダ(ショートの振付師の本拠地)および日本のスペシャリストに相談したうえで、「大丈夫だ」ということになったにせよ、別の国の技術審判団がジャッジングしたときに、同じように解釈してくれるかどうかはわからないのではないだろうか?今回のNHK杯の技術審判は、スペシャリスト:Mr. Tomoaki KOYAMAテクニカルコントローラー:Mr. Joseph L. INMANアシスタントスペシャリスト:Ms. Sung-Jin BYUNとなっており、ヨーロッパの審判が入っていない。別のメンツのパネルとなった場合、あのルッツはルッツと解釈してもらえるのか。フリップのwrong edgeにされてしまう可能性は本当にゼロなのだろうか?一度その試合の技術審判によって判定がなされたら、たとえその判定がグレーであっても覆ることはない。スピンではよくあることだ。コストナー選手は過去にユーロ選手権でのスピンノーカウントの判定を不服として正式に抗議したことがあるが、認められなかった。この入り方のルッツのリスクを高橋陣営はどう考えているのだろうか。記憶ベースなのだが、同じような跳び方をしてルッツ申請していた女子選手が、通常はフリップのE判定されながら、ごくまれにルッツ認定されたといったふうに、判定がブレたケースも過去にあったように思う。高橋選手のルッツがここ一番の大きな試合(たとえばシーズン最後のワールド)でフリップのE判定になってしまったら、大変なことになる。また、この「フリップのwrong edge」にも「ロッカーからのルッツ」にも解釈できそうな高橋選手のショートの単独ジャンプを見ていると、「ルッツ/フリップ」を別々のジャンプにする必然性にも疑問符がつく。またここで想起されるのは、「ルッツ/フリップは1つのジャンプとすべき」とISUに提言したあるコーチグループの意見だ。http://www.iceskatingintnl.com/archive/features/proposals_to_improve_ijs.htmUnify the base value of the Lutz and the Flip jumps into a single jump. In view of the never ending controversy over the starting edge of the Lutz and the flip jumps it is proposed of getting rid of the take-off edge requirements for these jumps. This is not unprecedented in the world of figure skating. The "Toe Walley" used to be a "real" jump and now it is just the same as a toe-loop. The skater will be allowed to take off from the inside, the outside, or the flat of the blade. A competitor will be allowed to attempt this Flip/Lutz jump twice, following the current repetition rule for jumps.ルッツとフリップの基礎点を単一ジャンプに統合する終わりのないルッツとフリップのstarting edge (踏み切りに入るときのエッジ)をめぐる論争を考慮して、take-off edge(踏み切り時のエッジ)条件(つまりアウトかインかという)を廃止すべきだ。これはフィギュアの世界で前例がないことではない。かつて「トゥウォーレイ」こそ「本当の」ジャンプとされたが、今ではそれは単にトゥループと同じになっている。スケーターは、イン/アウト/中立のどのエッジで踏み切ってもよい。そして、現行のジャンプ挿入回数制限のルールにしたがって、フリップ/ルッツは2回まで試みてよいとすべきだろう。この提言のうちのstarting edgeという表現は、Mizumizuには「踏み切りに入っていくときのエッジ」という意味で書いているように見えた。つまりは踏み込んでいく間にエッジがスライドして、take-off 時に間違ったエッジになったかどうかについての判断、その見極めが難しいということを言っているように思う(だが、もしかすると、高橋選手のショートのルッツのように、プレパレーションを含めてstarting edgeと言ってる可能性もあるかもしれないと今回チラと思った)。そこに「終わりなき論争」があると言っている。日本でこうした論争があったという話は聞かないのだが、確かに、判定は難しいだろう。それもやってみてわかったことだ。take-off 時に間違ったエッジにスライドしたのか、あるいはtake-off したあとにそう見えたのか、微妙な跳び方をする選手も多い。take-off 時には中立に入ってしまったか、そう見えて多少は正しいエッジに留まっていたのか、その見極めも難しい(だから、元来問題ないはずの高橋選手のフリップにも「不明確」に見えたという理由でEがついたりするということだ)。そうした判定の難しさに加えて、「フリップのwrong edge」にも「ロッカーからのルッツ」にも解釈できそうな入り方があるということ。もちろんこれらがMizumizuの考えすぎで、あのショートのステップからのルッツは間違いなくルッツ認定されるという絶対的な確証があって、高橋陣営がやっているのなら、どうのこうのと外野が言う必要はないかもしれない。今年わざわざ変えて来たのには、ちゃんとした別の理由があるのかもしれないからだ。だが、案外ここ一番の大事な試合でジャンプを跳びすぎてしまったりと、妙におおらか(ツメの甘さというべきだろうが)なところのある高橋選手なので、老婆心ながら心配になった次第。
2010.11.03
先日までは演技構成点の問題点(基準も大雑把で、結果として点差をつけすぎている)について述べたが、では、技術点のほうはどうだろう。ルールを見ると、大雑把な演技構成点に対して、技術点のほうは、非常に細かく定義づけがされている。なるほど、これにしたがってジャッジすれば選手の持つ技術に対して、細部にわたって公平かつ正確な点数づけができそうだ。判定を行う技術審判およびGOE(エレメンツの加点・減点)をつける演技審判が基準に一律に従う能力をもっているのなら。では、NHK杯とカナダ大会という2つのグランプリシリーズを終えて、技術点の出方はどうだったのだろうか。先日示した男子の上位選手の得点。演技構成点が似通っているのに、技術点のほうはカナダ大会のほうが総じて高くなっているのにお気づきだろうか?選手の基礎点構成はそれぞれ違うから、試合によって点数が違ってくるのは当たり前のことだ。だが、カナダ大会とNHK杯で各選手が組んできたジャンプ構成には大きな差はない。にもかかわらず「総じて」カナダ大会のほうが高いというのは、「判定が甘い」「GOEが甘い」――この2点だったと思う。このこと自体がそもそも「絶対評価」というタテマエからすればおかしい。だが、現実的には「試合ごとのジャッジ団の判断が違えば点の出方も違ってくる」という現実論が、もはやフィギュアスケート界ではほぼ常識として許容されている。絶対評価というタテマエが理想主義的すぎたことは、もう関係者はほとんどわかっている。だから、「点数より順位がまともであればよしとする」といった、いわば妥協的な考えが支配的になっている。これがおかしいのは言うまでもないが、現実にどの試合もすべて同じ絶対評価で点を出すのが不可能であるという部分を受け入れたとしよう。だが、それにしても、回転不足やwrong edgeといった明確な定義があるものについて、試合によって判定がバラバラになるのは、あまりにもまずいだろう。その「まずい」傾向が、今季はたった2つの試合ですでにあからさまになった。問題点はいくつもあるのだが、比較的客観的な検証がしやすい部分についてだけ取り上げよう。まず、Mizumizuが一番気になったのは、wrong edge判定。Wrong edgeがわからない人はいない。アウトで踏み切るべきルッツをイン(もしくはイン気味)で跳び、インで踏み切るべきフリップをアウト(もしくはアウト気味)で跳ぶ。これはよろしくない。正しい技術の習得を促するためにも、厳しく取り締まるべきだ。そうして導入されたのがwrong edge判定だ。確かに、考え方自体は悪くない。ところがやってみるといろいろ問題があることがわかった。これも過去に書いたが、実際には選手には「得意な踏み切り」というのがある。理論と違って実際には、インで踏み切るのが得意な選手とアウトで踏み切るのが得意な選手がいる。インで踏み切るのが得意な選手はアウト踏み切りが中立気味になる傾向があり、逆もまたそうだ。すると、その「中立気味」のエッジをどう判断するかという問題が起こる。E判定だけでは、明確に差別化できないと考えたのか、ルールが改正され、!マーク(アテンション)がつくようになった。Eと!で、GOEのつけ方も変えるようにルールが変わった。ところが、今年またまたルールが変わり、アテンションがなくなった。Wrong edgeは技術審判が目視で判断したうえで、演技審判に伝えられる。その程度(つまり減点の幅)については、演技審判の自由裁量にまかせられることになったのだ。なぜこんなふうに、コロコロとルールを変えるのか?もし、技術審判が正確にwrong edgeとwrong edge気味(中立もしくは軽度のwrong edge)を区別できる「優れた目」をもっているなら、前のルールのほうが明確で減点方針もハッキリしており、問題なかったはずだ。今回のような改正がなされると、wrong edgeでどの程度減点すべきかが、「演技審判の勝手でしょ」になってしまう。そのジャンプがもつ他の「質」を加味してGOEを出すとなると、これは実際には、「どうしようと勝手」になり、またここで恣意的な操作が可能になってしまう。http://www.skatingjapan.jp/data/fs/pdfs/comm/comm1611j.pdfこの12ページにE判定にともなうGOE指針がある。技術審判によってEがついた場合、それが「間違ったエッジ」と演技審判が判断すれば、「最終的な GOE が必ずマイナスとなるエラー」で、Eのマイナス幅はマイナス2からマイナス3(最終的に-2や-3をつけるのが義務という意味ではない)、それが、「不明確なエッジ」と演技審判が判断すれば、「最終的な GOE の+-は制約されないエラー」となり、加味されるマイナス幅はマイナス1から2。そもそも「不明確」でEをつけていいというのが問題だが、間違ったエッジも不明確なエッジもマークはEで、そのどちらかという判断は演技審判がしたうえで、最終的なGOEは他の要素のGOE条件を加味した上で出すという、いわば自由裁量制度になっているのがあまりに不明瞭だ。実にくだらないと思う。くどくどとルールのためのルールを作っているが、要は極端な加点や減点(マイナス3とかプラス3とか)をしないかぎり、どうつけても不正にはならない、無責任採点を後押しするルール策定だ。ジャンプのGOEは、加味する要件が増えれば増えるほど、「どうにでも解釈できる」ことになる。細かく要件を決めれば決めるほど、現実的にはどう判断しようとあとから何とでもいえることになる。これは、やってみてわかったフィギュア採点のパラドックスだ。たとえば、今現在見られる傾向として、「飛距離の出る、大きなジャンプ」を跳べる選手は、着氷がたとえ(少し回転が足りなくて)乱れてもGOEで減点されにくいということがある。エッジに関してもそれが適応できる、しようと思えば。キム・ヨナ選手のフリップに!がついても減点しないジャッジがいたのは別に不正をしているわけではない。ルールの解釈の問題なのだ。フィギュアでは大きな放物線を描く流れのあるジャンプを理想としてきた。だから、質の評価でこの部分を重要視するというのは、一概に間違いだとは言えない。だが、そうしたジャンプを跳べればエッジに多少難があっても、減点されにくいということになれば、「エッジを厳しく見て、正しい技術の習得を促す(ために減点を厳しくした)」という当初のwrong edge判定導入の理念が崩れてしまう。これが、wrong edge判定の今年のルール変更にまつわる「まずさ」だ。回転不足もそうだ。多少回転が足りなくても、それを補う別の質をもっていれば相殺していいということになれば、「回転不足を厳しく見る(から回転不足の減点は大きい)」というルール適応の公平性が崩れてしまう。ルール上の問題のほかに、wrong edge判定にはジャッジング現場での問題点もある。つまり、wrong edgeを技術審判が正確かつ公平にジャッジングできていないのではという疑念だ。これは去年のシーズンから散見されたと思う。特に問題だと感じたのはフリップに対するアテンション。小塚選手のフリップにはしばしばアテンションがついたが、「中立気味」という意味では、仕方のない判定だとしても、それはwrong edgeの拡大解釈ではないだろうか。同じように跳んでも減点されない選手もいる。技術審判の目に中立気味に見えたからアテンションをつける。そこにまた、「落としたい選手のエッジは厳しく見て、不明確なエッジと捉える」という恣意性が入り込む余地が生まれてしまう。今回のNHK杯で一番驚いたのは、高橋選手のフリップにEがついたこと。http://www.isuresults.com/results/gpjpn2010/gpjpn10_Men_FS_Scores.pdf昨シーズンの後半、高橋選手は後半のフリーのルッツでアテンション(!)を取られることがあった。これは多少仕方のない部分もあるかもしれない。元来彼は、フリップのほうが得意なのだ。4回転も跳ぼうというくらい。ところが初戦のNHK杯でE判定を取られたのは、ルッツではなく得意なハズのフリップ。スロー再生でちょうどエッジがよく見える方向から見たのだが、どう見てもインで踏み切っている。技術審判からは、中立気味に見えたのかもしれない。だが、wrong edgeとは元来、「間違ったエッジ」なのだ。間違っていないのに、中立気味に見えたからといって、それを不明確なエッジとし、明確なwrong edgeと同じマークにしてしまうのでは、判定に対する信頼性がゆらいでしまう。NHK杯の男子フリーのwrong edgeを見ると、全選手中、ルッツにEがついた選手はゼロ。フリップにEがついた選手が高橋選手、アモーディオ選手、羽生選手、MINER選手。これを見ると、「今年、ジャッジはフリップを厳しく見ている」と思うかもしれない。今のルールではエレメンツで減点されない選手が強い。ジャンプでEがつくと、たとえ減点されないとしても、加点が抑えられることになり世界トップを目指す選手には痛いのだ。完全に間違ったエッジでなくても、中立(気味)でも取られるとなれば、選手にかかるストレスも違ってくる。一度取られると、次からも取られやすくなる・・・というジャッジングの傾向もある。高橋選手は昨シーズンの後半、フリーのルッツで!がつき、今季は初戦からフリップにEがついたとなれば、次からかなり気になってしまうはずだ。ところがところが、カナダ大会に出場した男子選手は、フリーでは全員エッジの踏み分けができたようだ。こちらがフリーのプロトコル。http://www.isuresults.com/results/gpcan2010/gpcan10_Men_FS_Scores.pdfなんとまあ、Eマークのついた選手が1人もいない。ちなみにショートでは2人の選手のフリップにEがついた。解説の佐野氏も心配していたが、織田選手の「ルッツ」がどう判断されるか、Mizumizuも気になっていた。織田選手のルッツはかなり中立気味のルッツ(よく見ればややアウトで間違いエッジではないと思うのだが)で、NHK杯のフリップのように厳しく取られるとなると、織田選手のルッツにもE判定がついてもおかしくない。だが、結果オーライで加点もかなりもらった。この判定が続いてくれれば、ルッツは織田選手にとって大きな武器だ。だが、NHK杯のフリップに対してなされたような解釈が織田選手のルッツにも適応されてしまえば、一転して点数が稼げなくなる。これは私見なのだが、そもそもフリップを、ルッツのアウトエッジのように、クキッと音がするほど明確なインエッジで跳べる選手っているのだろうか? あまり見た記憶がない。村上選手のフリップはかなり明確なインだが、そういう選手は今度はルッツがインサイド踏み切りになりやすい。高橋選手は元来エッジの踏み切りはできる選手で、過去のNHK杯のフリップ、ルッツの違いの説明動画でも使われていたと思う。そもそも、フリップのエッジは「明確にイン」に見えない場合も多いのに、こうも判定がバラバラでは、それは選手の問題とは言いにくい。むしろ、判定する側の「目」が信用できないという話になる。さらに、それに対するGOEが演技審判の判断ということになれば(つまり、他のプラス要素をどのくらい加味するかという点において)、選手によって減点されたりされなかったりということになり、wrong edgeの「重さ」も定まらないことになる。なんのために技術審判がwrong edge判定をしているのか? 判定がこんなに厳しかったり甘かったりバラバラで、最終的に演技審判がGOEの按配を決めるというのなら、最初から演技審判の判断に任せてもいいのではないだろうか。<続きは後日>
2010.11.02
評判は宣伝で作られる――以前、フィギュアの「表現力」について、ごく一部の選手だけをバカ上げする昨今の風潮をMizumizuはこのように批判したが、ジャッジ間の選手の評価にも、振付師やコーチのロビー活動の影があることが、チャンの発言でハッキリした。フリーを終えて、1位になったあとのインタビュー。http://web.icenetwork.com/news/article.jsp?ymd=20101030&content_id=15915706&vkey=ice_newsChan acknowledged his role as a judges' favorite, saying he's grateful to be recognized for his skating skills. "It's a good position to be in," he said. "I know [coach and choreographer] Lori [Nichol] speaks highly of me to judges, and I want to perform the way she says I can. チャンは彼(のパフォーマンス)がジャッジのお気に入りであるを認めたうえで、自分のスケート技術が認められているのは嬉しいと語った。「いい立場にいると思うよ。(コーチであり振付師である)ローリー・ニコルは僕のことをいつもジャッジに褒めてくれているし、僕は彼女が僕にできるって言ってくれているような演技をしたいと思っている」。またも、ローリー・ニコルなのだ。ローリー・ニコルが振付師として多忙を極めているのはご承知のとおり。世界のトップ選手がこぞって彼女に振付を依頼している。もちろん、ニコルの世界観が魅力的であり、振付師として稀有な才能をもっていることは確かだろう。だが、このところのニコルの「儲けぶり」には、それ以上のもの・・・ルールとジャッジングに関わる「何か」を感じざるをえない。ローリー・ニコルに振付けてもらうとレベルが取れる、評価が上がる――それは、単にニコルの才能のなせるわざなのだろうか?キム・ヨナの振付で名を上げたデビッド・ウィルソンも大忙しだ。今季はアボットのフリーも担当している。2人ともカナダ人。バンクーバーオリンピックをはさんで、なぜこうもカナダ人振付師の才能が開花するのか。フィギュアの採点にからんでロビー活動があることは、日本ではあまりあからさまには言わないが、さすがにナイーブな日本人ファンもそうした活動が世界レベルのフィギュアの世界ではあること、そしてやり方次第でかなりモノを言うこともわかってきている。こういう現実を知ってもなお、「ジャッジは誰に何を言われても影響されることはない。常に公平・公正に見ている」などと強弁する人がいるが、それならばなぜニコルがジャッジにチャンの宣伝をして回る必要があるのだろう? 李下に冠を正さず、特定の選手の振付師兼コーチがジャッジとそういったコンタクトを取ることは、元来慎むべきではないだろうか?先日の繰り返しになるが、スペシャリストやジャッジの意見を伺うというのは日本選手だってやっている。問題はそういう審判からのインの部分ではなく、審判への働きかけ(言い換えれば宣伝)というアウトの部分なのだ。 欧米ではこんなことは、もう周知の事実と言っていいだろう。ジョニー・ウィアーではないが、フィギュアというのは政治的なスポーツなのだ。ウブな一部の日本人ファン(およびジャッジと個人的に関係のある者)が認めたがらないだけで。昔からそういう競技だったとも言える。スルツカヤもソルトレイク五輪(トリノではない)で勝ったのは自分だと今でも思っていると明言している。だが、それにしても、昨今のフィギュアスケート界は一体どうしたことか。旧採点時代には順位点で見えなかったものが、実現不可能な理想主義的「絶対評価」で、返ってあからさまになってしまった。judges' favoriteだとか、ジャッジに対してspeaks highly だとか、堂々と記事に書いているところをみると、まさに「世も末」だと暗澹たる気分になる。チャン選手も、そして同じようにjudges' favoriteだったキム選手も、素晴らしい選手であるにもかかわらず、「えこ贔屓」だとしか解釈できないような銀河点をもらうから、彼・彼女の熱心なファン以外の反感を買ってしまうのだ。チャン選手のスケート技術が優れていることは確かだ。だが、小塚選手だって、チャン選手や高橋選手に負けない素晴らしいスケート技術をもっている。ストイコやブラウニングといった世界の一流スケーターもこぞって小塚選手の技術を絶賛している。Mizumizu自身の評価で言えば、スケートの技術は、1位 高橋 2位 小塚 3位 チャンという順位づけをしたい。これについては自分なりに根拠もあるつもりでいる。チャン選手は確かにひと漕ぎでトップスピードに乗せ、そのスピードを維持したまま滑り、かつ深いエッジにのりながらも体勢を安定させたままターンすることができるのが素晴らしい。だが、高橋選手の凄さは、「スケーティングにおける自然な加速感」と「エッジ遣いの多彩さ」にあり、チャンのやや一本調子なスピード(およびスピードキープ)技術とは一線を画すと思う。フィギュアでは、「自然な加速」というのに伝統的に重きを置いてきたと思うのだ。一生懸命に漕いでスピードを上げようとしているわけでもなく、しかも、途中でステップを挟むなどしてただ単に滑っているだけではないのに、高橋選手はまるでスキーヤーが雪上を疾走していくように伸び伸びと加速していく(たぶん、靴に加速動力装置をしこんでるな・笑)。こういうことのできる選手は世界中探してもほとんどいない。高橋選手がターンしながら、スピードをあげてあっという間にジャッジ席の前を滑走していく姿などは、さかんに言われる「ステップ」の部分以上にMizumizuには魅力的に映る。去年のショート「eye」でもそうだった。ステップを入れながら風のようにジャッジ席のすぐそばを駆け抜けて行った。あの疾走感は比類ない。今年はあまり感じないのだが、去年のショート「eye」では、身体を倒してバッククロスに入っていくときの姿勢(あの瞬間が大好きだった)や、バッククロスそのものの巧みさに見惚れた。高橋選手のスケーティングを見ていると、「氷と親和性がある」とでも表現したくなる。天才的に氷と仲良しな人なのだ。小塚選手の伸びやかさもそれに負けない。高橋選手よりプロポーションに恵まれている分、素直でクリーンな滑りに大きさやダイナミズムが加わる。小塚選手の滑りには変なクセがなく、すべてが呼吸するように自然なので、誰でも見ていて気持ちよく彼と一緒に氷を滑っている気分になれるのではないか。「見ていて、伸びやかで気持ちよくなれる」――このすがすがしさが小塚選手のスケート技術の魅力だ。高橋選手や小塚選手の「自然な加速感」がチャン選手には足りない。むしろ、「すぐにトップスピードにのせて、それをキープできる」というのがチャン選手の特長のように見える。それはそれで、もちろん素晴らしい技術だ。だが、膝の使い方が案外深くなく、それを上体を使ったオーバーな動きでカバーしようとするから、それが仇になって、動きに強引さやわざとらしさを感じる。深い膝の使い方だったら、チャン選手よりも小塚選手のほうに見ごたえを感じる。特に力んでいるようには見えないのに、自然に加速し、きれいに体を返すことができる。素晴らしい技術だ。ステップの多彩さについては、高橋選手の右に出る者はいないのではないか。今年のチャン選手は、ステップをかなり工夫してきたが、フリーのステップ構成はやはり、いくつかのパターンを組みかえているだけ・・・・・・という従来の印象が強い。つらつら思いつくままに書いてみたが、結局のところは、選手のどういった長所をどの程度評価するかに主観や好みが入ることは否めないのだ。日本人だから日本人選手贔屓だと言われれば、それまでかもしれない。だからこそ、演技構成点で「大差」をつけることは問題なのだ。そうやってジャッジの好みを肯定してしまえば、いつそのお好みが変わるかわからないではないか。ところが今のフィギュアはそんなことはおかまいなし。「いいと思ったものはどんどん評価するように」とスーパーのレジ係は上から言われ、収入の多い有名振付師が自分の選手の素晴らしさをレジ係に宣伝して回る。小塚選手のスケート技術がなぜ評価されないのか? 「ジャッジに褒めて回る人がいないから」。日本人選手が難しいことをしても点に反映されないのは? 「ジャッジに(それが難しいことだと)教えてあげる人がいないから」だとしたら、もはやジャッジの採点とは何ぞやという話になる。
2010.11.01
NHK杯に続いて行われたグランプリシリーズカナダ大会。やはりというべきか、演技構成点における「ワールドに向けての金メダル候補仕分け」があからさまになった試合だった。グランプリシリーズの2つの大会を通して、フリープログラムで83点、84点という高得点を得たのが高橋選手とパトリック・チャン選手。何度も言うが、この点が妥当か妥当でないかなどという議論は、主観とスケートに対する好みが入るから不毛でしかない。問題は、2位以下の選手との演技構成点における「点差」をどうするかなのだ。今回のカナダ大会の男子フリーの点を見ると1位 チャン 技術点:83.18点、演技構成点:84.14点2位 リッポン 技術点:80.35点、演技構成点:75.16点3位 織田 技術点:81.87点、演技構成点:74.28点 ちなみにNHK杯の男子フリーの点を見ると1位 高橋 技術点:74.17点、演技構成点:83.58点 2位 アモーディオ 技術点:73.74点、演技構成点:70.02 点3位 アボット 技術点:67.15 演技構成点:76.42点技術点がカナダとNHKでバラバラなのに対して、演技構成点は不思議と両試合で似通っている。ワールドに向けて金メダル仕分けされているのが高橋とチャンで、83~84点台。リッポンとアボットは今のところ互角で75点~76点台。その他の選手はメダル圏外。メダル仕分けの選手がよほど大崩れし、しかも自分がベスト以上のパフォーマンスをしなければ、負けは最初から決まっている。カナダ大会、ショートで1位だった織田選手とチャン選手のフリーでの演技構成点の点差はなんと9.86点。後半にもってくるトリプルアクセルが10%増しの基礎点で9.35点だから、男子でもなかなか決められない、4回転に次ぐ高難度ジャンプをハイリスク構成で跳んだときに出る点まるまるの差をつけられたことになる。こうした点のつけ方に真っ向から異議を唱えたのはカナダ人のエルビス・ストイコだ。「演技構成点でジャンプ1つ分の差をつけてしまう」と、どうなるか? 勝負ははじめっから決まっていることになる。そのカナダで相変わらず、堂々とこういう採点がなされる。日本のファンはおおむねこの採点に憤慨しているが、こうした演技構成点で大差をつけるやり方を、日本のスケート連盟幹部も後押ししたのだ。平松純子氏は、「いいものはどんどん評価するように」「技術点と演技構成点を切り離して出すように」ジャッジを指導したと言っている。だから言われたとおりにジャッジはやっている。だが、あらゆるジャッジが自由裁量でジャッジングを行い、その結果として高橋選手とチャン選手を金メダル仕分けされていると考えるのはおめでたいだろう。これについても、ストイコが本当のことを言っている。「ISUは勝者をコントロールしたがっている」と。ビアンケッティ氏は「今のジャッジの仕事は、スーパーのレジ係程度の興奮度」と言っている。ジャッジはかつてのような権威を失っているのだ。日本で高橋選手が、カナダでチャン選手が最高の評価をしてもらえるなら、ファンは喜ぶかもしれない。だが、それは試合ではなく、出来レースだ。ショートで3回、フリーで1回、計4回も転倒しても、フリー後半のジャンプの着氷がやたら汚くても、「圧倒的なスケート技術(あるいは表現力?)」で勝つのだろうか? それならば、試合などやる必要はないではないか。あるときは「表現力」で勝ったことになり、あるときは「完成度」で勝ったことになる。点を見て、やれ「XX選手の演技は素晴らしいからこの高得点は納得」だの「いくらなんでも高すぎる。不当だ」だのとファン同士が噛みあわない議論をする。まったく不毛だ。評価している選手の高得点なら納得できる。評価できない選手の高得点は不当に見える。そこには多かれ少なかれ主観が入るから、どちらが正しいなどと軍配を上げることはできないのだ。日本は高橋大輔だけ評価されれば、織田選手や小塚選手の評価が変に低くても満足しなければいけないのだろうか? まったく人をバカにした話だ。有利な採点をされるほうはいい。高橋選手もチャン選手もモチベーションが上がり、精神的に余裕ができるだろう。点が高ければ、メディアも持ち上げてくれるから、ますます自信がつくかもしれない。だが、他の選手は? 技術点でほぼ同等の出しても、演技構成点で10点も差をつけられては、落胆しないほうがどうかしている。こういうことをされた選手は自信を失い、精神的に追い詰められる。すると本番でも緊張で萎縮し、いい演技ができなくなる。ストイコはカナダ人であるにもかかわらず、オリンピックでのチャンの順位は、ジョニー・ウィアーより下であるべきだったと採点を批判した。ストイコはジャンパーだから、ジャンプの弱い選手には批判的になる傾向があるかもしれない。実際、パトリック・チャンのジャンプのまとめ方はまったくいただけない。今回のフリー、前半に決めた4回転は確かに見事だったが、トリプルアクセルの確率が悪すぎるし、後半になるとジャンプの着氷が汚くなる。これは恐らく、スケーティングにおけるチャン選手の強みである「スピード」と関係ある。スピードに負けずに跳ぶ体力があるうちは決まればきれいに流れるが、後半体力が落ち、スピードに負けてしまうとジャンプが不安定になり、着氷が悪くなる。大きく跳ぼうとするから軸も安定しない。この傾向はずっと続いており、いつも「チャン選手はジャンプがヨロヨロする」という印象が強い。「完成度」という意味では、いつも疑問符の残るフリーの演技だ。ところがチャン選手のジャンプのGOEは見た目ほどには悪くない。3A+2Tなど、相当悪いジャンプだったがGOEで減点したジャッジが1人もいない。どころか加点されている! ファーストジャンプで体勢が崩れ、回転もギリギリで着氷が悪くなり、なんとかセカンドを付けたが、とても加点のつくジャンプには見えなかった。だが、結果は加点ジャンプ。これもルール上、間違いではない。マイナスの要素とプラスの要素を引き算、足し算して、プラスの要素がなお勝ると考えれば、加点してもいいのだ。だが、こういう不自然は加点は、チャン選手とキム・ヨナ選手のジャンプ以外では見た記憶がない。ショートのときだったか、実況のアナウンサーが、チャンは去年もトリプルアクセルをなかなか決められなかったという主旨の話をしたが、それでワールド2年連続銀メダリストなのだから、恐れ入る。3回も転倒したにもかかわらず、40点近いトップの演技構成点を得たショートのあとのインタビューでチャン選手はこんなことを言っている(記事はこちら)。「それ(転倒があったにもかかわらずメダル圏内に入る演技構成点が与えられたこと)は、練習の重要性を示している。ジャッジは僕がこのプログラムを演じきれることを知っているからね。それ(点数)は、ジャッジが僕にうまくやって欲しがっていることを示しているんだ。安心したよ。もちろん少し元気付けられた」3回しかないジャンプの要素で2回転倒しても、40点近い、全選手トップの演技構成点がもらえるなら、それは元気になるだろう。それは置いておいて最初の部分、ジャッジの「想い」まで選手が代弁するというのに驚く。練習がどうのこうのと、ジャッジはチャンがよい練習ができていて、プログラムを演技切れる力があることを知っているのだそうだ。それを、ジャッジではなく選手が堂々と言っている。さらに優勝が決まったあとのインタビュー(動画はこちら)。0:58秒当たりで、チャンは、「僕たちはジャッジと連携して仕事をしている」とにこやかに答えている。インタビュアーもまったく自然に流している。これが今のフィギュアの実態なのだ。特定の選手が堂々と「ジャッジとコネクションをもちながら仕事している」と発言し、誰も問題視しない。We've been workingと現在完了の進行形で言ってるから、それは一過性のアドバイスやご意見伺いではなく、持続的・継続的にやっているということだ。もしこんなことを選手が言ったら、日本だったら大問題ではないだろうか? ジャッジは公正、中立が立場のはずだ。選手とは一定の距離を保つべきというのが暗黙の了解ではないかと思う。だが、実際には(日本でも)スペシャリストに選手が意見を求め、スペシャリストが手助けすることはよくあること。それどころか、スペシャリストがコーチをやっているのがフィギュアという競技だ。日本の場合は分業体制がかなり確立している。佐藤コーチや長久保コーチ、山田コーチがスペシャリストとして採点する側に回るなど考えられない。彼らはコーチ業だけでプロとして認められているからだ。だが、たとえばカナダ在住の日本人スペシャリスト天野氏はコーチもやっており、振付師でもあるという。常識的に考えて、これはおかしい。ジャッジというのは「裁判官」だ。裁判官が被告の顧問弁護士を兼ねるなどということが、司法の場であるわけがない。ところがフィギュアスケート界では「あり」なのだ。人材が少ないフィギュア界でそれぞれの立場が完全に独立していない(できない)というのは、現実問題として仕方がないのかもしれない。問題はそのかかわり方とかかわっている人間の立場の強弱だろう。ルール策定に絡むISUの重鎮、つまりは「力のある人物」と密接に連携して仕事のできる選手、そうしたツテのない選手で、採点が大きく変わってくるとしたら? もとより公平性など求めるべくもない。あるいは、ある選手のコーチをしていた人物がスペシャリストを務めたとして、その試合に元教え子のライバルがいたとしたらどうだろう? 本当に「公平に」ジャッジするだろうか? あるいはそうと信じられるだろうか? 世の中は、性善説を信じるジャッジ贔屓のおめでたい人間ばかりではない。プルシェンコの「つなぎ」について工作メールをまいたとされるジャッジが、振付師ローリー・ニコルの親友だということは、スポーツジャーナリスト田村明子氏が明らかにしたが、それについて当のジャッジは、「確かに親友だが、それは問題ではない」と言い放ったという。常識で考えれば、大いに問題だと思うが、そうした常識はお偉いジャッジには通用しないらしい。演技構成点はほとんど「固定点」になっている。だが、実際には固定されている選手と極端に上下する選手がいる。たとえばジャパンオープンのフリー。1位 リッポン 技術点:84.27点、演技構成点:82.36点(カナダ リッポン 技術点:80.35点、演技構成点:75.16点)2位 高橋 技術点:73.47点、演技構成点:85.72点(NHK 高橋 技術点:74.17点、演技構成点:83.58点)これを見ると高橋選手の演技構成点は、固定といっていいだろうが、リッポンは7.2点も下がっており、評価が定まっていないことを示してる、ように見える。まだヨーロッパの男子選手が出揃っていないので、高橋・チャンのほかに誰がメダル仕分けされるのかはハッキリしない。だが、出来レースができつつあるのは確かだろう。メディアは金メダル仕分けされた選手だけを過剰に持ち上げて人気を保とうとする。ところがファンのほうは、こうした出来レースにはウンザリしているのだ。そして、フィギュア人気はますます下がる。今年のNHK杯のチケット争奪戦はすさまじかったようだが、日本でのこの人気も、恐らく今年限りだろう。皮肉なことだが、そのほうがフィギュア競技のためかもしれない。どんな採点をしようと客が押し掛けている限り、ISUが反省などする必要はないのだから。
2010.10.31
かねてからISUのチンクワンタ会長が強力にプッシュしてきた、オリンピックへのフィギュア「団体」種目導入。このくだらない思いつきに賛同する形で、日本で開催されたのが「国別対抗戦」。日本以外ではよほどスポンサーがつかないらしく、2回目も2011年4月に日本で開催されることが決まっている。これについて、オリンピックで新種目としての採用が本決まりになりそうだという記事が出た(こちら)。バンクーバーで銀色の涙を流した真央が、4年後に金メダルを両手にうれし泣きする可能性が出てきた。「すごくいいですね。やってみたら楽しそうだと思います」。五輪団体戦について聞かれた真央は瞳を輝かせた。 4年後のソチ五輪の正式種目に提案されている「団体戦」は、各国が男女シングルとペア、アイスダンス各1組のチームを組み、それぞれの順位によるポイントの合計でメダルを争う方式と見られる。出場選手は個人代表に加えて、団体戦だけに出場できる枠も設けられる見通しだ。新種目については来年4月にもロゲ会長が最終判断する予定だが、冬季五輪は夏季五輪に比べ選手枠に余裕があることから「世界選手権で競技レベルの高さや参加国数が十分だと証明されれば、ほぼ自動的に採用されるだろう」(ハイベルク理事)と障害はなさそう。特にフィギュアスケートはその注目度から放映権料が高く"ドル箱競技"の側面があるため、採用は最有力だ。団体戦の五輪種目化については、国際スケート連盟(ISU)のチンクワンタ会長自らが強力に推し進めてきた。採用をアピールするため開催したのが昨年4月の第1回世界国別対抗戦(東京)。シングルには男女各2選手がエントリーする形で行われ、日本女子は真央と安藤美姫(トヨタ自動車)が出場。真央はショートプログラム(SP)で75・84点と自己ベストを出し、日本の銅メダル獲得に貢献した。採用が決まれば"フィギュア王国"日本のメダル獲得に期待がかかる。シングルでは真央に加え、ベテランの高橋大輔、織田信成(ともに関大大学院)、安藤美姫(トヨタ自動車)が健在。若手も世界ジュニア選手権でアベック優勝した羽生結弦(はにゅう・ゆづる、東北高)、村上佳菜子(中京大中京高)が台頭。ソチ五輪では過去に例のないハイレベルな戦いが予想される。いきなり「真央が、4年後に金メダルを両手にうれし泣き」などという意味不明の煽りで始まるこのお祭りワッショイ記事は、読んでいるだけで頭痛がしてきそうなのだが、別の記事では、以下のように、もう少し冷静に伝えている。フィギュア団体 メダル有望種目かは疑問国際スケート連盟(ISU)が五輪でのフィギュア団体採用をアピールするために開催したのが昨年4月の第1回世界国別対抗戦だった。男女各2選手とペア、アイスダンス各1組でチームを組んで争い、浅田真央(中京大)らを擁した日本は銅メダルを獲得した。五輪は男女が各1選手になる以外はほぼ同じ方式が提案されており、浅田は「すごくいいですね。やってみても楽しそうだなと思う」と歓迎した。ただ高橋大輔(関大大学院)と浅田の男女世界チャンピオンを抱える日本が、五輪でメダルが有望かは疑問だ。ことし3月の世界選手権でアイスダンスのキャシー・リード、クリス・リード組(木下工務店ク東京)は15位、ペアには代表すら送れなかった。ペアで将来が期待される高橋成美(木下工務店ク東京)のパートナー、マービン・トランはカナダ人で五輪では日本代表になれない。国内の強化は男女が中心で、ペアが育つ土壌は乏しく、日本スケート連盟の吉岡伸彦強化部長は「五輪を考えるとペアがいない。ペアをやる子も指導する人もいないし、どこで練習するかも問題。簡単にはメダルは取れない」と手放しで喜べない現状を説明した。 日本はシングルは強いが、ペアやアイスダンスの選手層はお寒い限りだ。「ペアをやる子も指導する人もいない」――こんな状況で、マトモに考えてメダルが獲れるわけがない。選手を「輸入」しなければ無理だ。昨年4月の「国別対抗」開催には、Mizumizuは個人的に反対だったので、反対運動にも参加させていただいた。1つは、ただでさえ、ショーやイベント試合で忙しい日本選手をオリンピックシーズン直前にかり出す意味がないこと。もう1つは、「団体」をオリンピック種目にする意義も必要性も感じられなかったためだ。フィギュアスケートはどこまでも個人競技だ。それを五輪という場で、国別の団体戦で競う意義はどこにあるのだろう。国別対抗で日本はアメリカ、カナダに次いで3位だったが、ソチに向けてロシアはジュニアを強化している。ペアおよびアイスダンスを含めたフィギュア競技全般でのロシアの選手層の厚さは日本の比ではない。アメリカやカナダも同様に幅広くいい選手がいる。となれば、五輪でのメダル争いはまたまたロシア(および次点としてフランス)vs北米という嫌な図式になる。ソチでどういう採点がされるのか。ロシア人はとっくにフィギュアの採点など信用していないし、日本人にも採点の胡乱さは知れわたってきている。ましてや団体戦となれば、どの競技にどれくらい比重を置くかというルール策定を含めて、政治色の強すぎるイベントになりそうだ。「ペアがいない」日本がメダルに絡もうとすれば、こちらも政治的な判断の必要な「選手輸入」をしなければならなくなる。そんな種目導入のための模擬試合に、なぜ日本がわざわざ協力しなければいけないのだろう? まさに愚の骨頂。昨年の国別対抗、今だから言ってしまうが、ショートの浅田選手の採点には、やや甘いのではと思える部分がかなりあった。たとえばショートのステップが突然レベル4になったこと(振付はカナダのローリー・ニコル。レベル認定を行う3人の技術審判のうち、スペシャリストはカナダ在住の天野氏が担当)。途中で若干のエッジの詰まりがあったにもかかわらず。あれがレベル4なら、なぜシーズン中のもっと大事な国際試合でレベル4が出なかったのだろう?また、トリプルアクセル+ダブルトゥーループのコンビネーション。録画している方は見ていただきたいのだが、3Aを降りたあとにブレードが「グルッ」と回っている。4分の1以上か以下かという問題はともかく、回転がやや足りていなかったのは事実だ。これは「なぜか」4分の1以下と見なされたらしく、ちゃんと認定され、加点も0から2まで付いた。オリンピックシーズン序盤は、浅田選手自身が3A不調だったが、オリンピック直前の全日本では決めたと思った3Aの回転不足が、信じられないくらい厳しく見られた。ということは、オリンピックもさぞや厳しくなるのかと思いきや、オリンピック本番では全般的に回転不足判定は突如甘くなり、解説の八木沼純子も、「今回、判定が読めず・・・」と思わず口にするほど。浅田選手の3Aは3度とも認定された。だが、そのあとの世界選手権では再び厳しくなった。今回のNHK杯の女子の回転不足判定は、非常に厳しく、ちょっとでもグリ降り(降りてからブレードが少し回っている状態)になれば、即「<」判定になっていた感がある。今シーズンから4分の1ラインの回転不足は基礎点70%、2分の1ラインでダウングレード(マークは「<<」。基礎点がその下のジャンプの点になる)とルールが変わったのだが、つまり4分の1から2分の1までの回転不足に対する減点がやや緩和されたというだけで、「4分の1」という判定基準自体は変わっていないのだ。NHK杯の女子に対する回転不足判定は、毎年総じて厳しい。今年もそうだった。その意味では、この試合だけは判定はわりあい公平だったといえるかもしれない。だが、これだけ取りまくったということは、わずかな回転不足が「4分の1以上か以下か」という判断は事実上放棄されたと言ってもいい。これはある意味、無理もないかもしれない。4分の1を超えたか超えないかという物理的な判断は非常に難しく、正しいかどうかの客観的な証明もできない。だったら、グリ降りジャンプはすべからく取ってしまったほうが簡単だし、クレームのもとにもらなないだろう。だが、問題は、どの試合のどの選手に対しても同じように厳しく取っているかというとそうでもない――ように見えることだ。人間のやることだから間違いや見逃しがあるかもしれない。だが、そこに恣意性がないとも言い切れないのが採点競技のまずいところなのだ。昨年の「国別対抗」開催に反対運動があったことは、主催者側も承知だろう。すると、なぜか一番人気の浅田選手の点が高くなる。喜んだファンは次の試合に期待する。だが、シーズンが始まれば、お祭りイベントのような採点はしてもらえなくなる。恣意的な操作をしているかどうかは立証できない。だが、少なくとも、恣意的な操作が可能であることはハッキリしている。それが今のフィギュアの採点だ。 今回のNHK杯の採点を見て一番強く感じたのは、ルールを改正し、技術点で細かい規定を定めたにもかかわらず、演技構成点がひどく大雑把だということだ。誰の点が妥当か妥当でないかという問題ではなく(そんな妥当性は証明できない)、選手間の「差」をどれくらいにするのかというのが問題で、男子では特に点差が大きかった印象がある。これでは、技術点で同じような点を出しても、演技構成点を高くもらえる選手にはまったく歯が立たないことになる。現状を見ると、演技構成点を高くもらえる選手は予め「仕分け」されている。八木沼氏が浅田選手の演技構成点に絡めて、思わず、「これまでの実績がありますから・・・」と言ってしまったが、元来、新採点は実績点などないというタテマエだったのだ。エルビス・ストイコではないが、これでは競技会ではなく、リサイタルだ。「団体」という新たなリサイタルの場を五輪に作るために、「ペアがいない」という、団体戦でメダルを獲るには致命的な欠点のある日本が、その模擬試合開催のためにISUにせっせと貢いでいる。そしてソチでメダルを獲るのはアメリカ、ロシア、カナダの3国ということか(苦笑)。ISUおよびIOCの思惑は、記事がいみじくも指摘している。「フィギュアスケートはその注目度から放映権料が高く"ドル箱競技"の側面がある」。フィギュアはマイナースポーツと言われるが、そもそも商業的な価値がほとんどないウィンタースポーツの中では「ドル箱」なのだ。アメリカでの人気もすっかりかげってしまい、ヨーロッパでもどん底。チンクワンタ会長は、「韓国や日本では人気が出ている」と言っているが、それもスター選手の人気に支えられているだけで、フィギュアスケート競技全般への興味は、アイスダンスやペアの放送時間が少なくなってきているところを見ても、日本では逆に下がってきているのではないだろうか。そんななかでも、まだフィギュアを金づるにしようと考えている。もうこうした商業主義に付き合うのはウンザリだ。日本をキャッシュディスペンサーのように扱うのもやめてほしい。ISUもIOCも、今後はせいぜいロシアの機嫌を取って、スルツカヤを五輪で勝たせないようにもっていった過去の罪滅ぼしでもしてください。
2010.10.28
この背景にあるのは実際には、アメリカ社会のアジア系というマイノリティ集団の中で、中華系がイニシアティブを取って大きな勢力として動きたいという、中国人ならではの一種の覇権主義なのだが、反日政治工作に関しても、たとえば第二次世界大戦中に南京であったとされる大虐殺を「ホロコースト」にしようとしたり、慰安婦問題を20世紀最悪の奴隷制度と呼んでみたりというプロパガンダを中国系と韓国系が個別に、あるいは時には陰で共闘してやってくることも多いから日本にとってはやっかいだ。彼らのプロパガンダ活動は、基本的にはユダヤ系アメリカ人のやり方に倣ったものだ。さらにこうした日中韓の反目を、したたかなアメリカ人政治家がうまく利用している。たとえば、安倍政権下での、実際には何の効力もない慰安婦がらみのアメリカ議会による対日非難決議案。これを推し進めたい韓国系・中国系から、さらに非難決議を阻止しようとする日本サイドから、アメリカ人政治家がいくら絞り取ったのか、つまびらかにしてほしいくらいだ。ロスでのキム・ヨナ事務所主催のアイスショーも、中・韓系資本のアメリカ進出という色彩が濃い。アメリカでのアイスショーそのものの人気がなくなり、アイスショー元締め最大手のIMGもショーにさほど注力しなくなってきたタイミングを見て、切り込みを図ったのかもしれない。過去の因縁もあるとはいえ、ATスポーツのIMGへの態度は極めて好戦的だ。今回のショーが不入りだったのは、プロモーション期間が短かったこともあるかもしれない。だが、ぶっちぎりの点をオリンピックの晴れ舞台で叩き出したはずの五輪女王の演技をショーで見たいという人間が少ないこと、クワンに興味をもつファンももう減っていること、男子の花形選手も、ショーのゲスト出演ではさほどの集客力がないという現実をまざまざと見せ付けているように思う。IMG系の事務所とキム・ヨナが袂を分かったのは、「マネージメントを真面目にやらない」とキム・ヨナサイドが憤ったのが原因と伝えられている。日本人のトップフィギュア選手でIMGと契約している選手は多いが、実際のところ、IMG TOKYOは何をしているのだろう? たとえば、浅田真央に対して。なるほど、あちこちのショーにかりだされてはいる。浅田真央が出演すれば、客席はいっぱいだ。オリンピックシーズン後ということもあり、ショーの数が増えるのは当然といえば当然だが、ソチに向けて現役続行を宣言し、ジャンプのリフォームに取り組むという大きな課題を抱えた浅田真央に対するマネージメントとして、それが適切だろうか?一度完全否定したにもかかわらず、また一部の週刊誌に、「非公式にオーサーにコーチを打診した」などと書かれても、正式なステートメント1つすら出さない。案の定、中国で氷上結婚式ショーに出演した浅田選手に対して、記者団から「オーサーにコーチを依頼したのか」などという質問がぶつけられた。海外では、これが既成事実化しているのだ。こうした誤解を解く努力をしないことを、「大人の対応」などと一部の日本人は思っているが、それは間違っている。事実無根のでっち上げに対して何も反論しないということは、それが事実だから。そう思われるのが「国際標準」なのだ。オリンピックシーズン、ジャパンオープンからグランプリシリーズ2戦まで、まったくスケジュールに余裕がなかったことを、タラソワは次のように批判していた。「真央は所属事務所の関係でジャパンオープンへの出演を断ることはできなかった。だが、この難しいプログラムをこうしたわずかな期間のうちに演じきるのは無理」。もちろん浅田選手は、「体力面でも全然大丈夫」と明るく言っていたが、結果はあのとおりだった。こうした問題でコーチが問題意識をもち、それが(たいての場合)正しくても、日本のフィギュア商業主義はコーチに絶対の裁量権をもたせてくれない。中野選手にとってもオリンピックのジャパンオープンは悪夢のようなものだった。不要な試合で肩を負傷。これが彼女にとって一番大切な集大成のシーズンでの調整を遅らせた。それをすべて選手の自己責任にしているのが日本だ。日本ではフィギュアの人気選手を取り巻く環境はいいようで、悪い。アイドル歌手並みの消耗品扱いなのだ。何の本だったか忘れたが、とにかくフィギュア関連の書籍で、かつてアメリカでフィギュアが人気があったころ、女子選手を取り巻く商業主義の危うさを指摘した一文があった。「フィギュアの女子選手はオルゴールのお人形と同じ。ぱっと飛び出しクルクル回る」。当時アメリカでもてはやされていたのはクワン選手だったが、「クワンが跳べなくなれば彼女はもう用済み。次のスターがぱっと飛び出す」。だが、クワン以降、アメリカ女子から圧倒的に強いスター選手が出なくなる。「まぐれ勝ち」させてもらった五輪女王もいたが、かつての五輪女王がもっていた重みは明らかになくなった。日本の現状はかつてのアメリカを髣髴させる。NHK杯に向けて、ジャパンオープンで不調の浅田選手に期待できないと見たのか、ニューヒロイン村上佳菜子をやたらと宣伝するメディアの論調が目立った。確かに村上選手は素晴らしい。荒削りだが、安藤選手とも浅田選手とも違うスケール感がある。だが、才能から言えば浅田真央には比肩できない。見ているものの想像力を刺激する演技、氷上に降り立っただけでうっとりさせるお人形のようなプロポーション(20歳であのほっそりした体形を保っているということだけでも奇跡に近い)。かつて伊藤みどりが日本女子フィギュア成功の代名詞だったころ、「伊藤みどり2世」とメディアが呼ぶ選手が相次いだことがあった。だが結局、伊藤みどり2世が出なかったのは、今となっては周知の事実だ。伊藤みどりのジャンプは伊藤みどりとともに終わった。今では伝説となったあの芸術的なジャンプの持ち主を、日本人は、「表現力がない」などと言って、「伊藤みどりを勝たせたくない」勢力の尻馬にのって叩いたのだ。同じように浅田真央2世も出ない。浅田真央の奇跡は浅田真央だけの奇跡だ。メディアのほうで、「次のスター」を売り出そうとしても、ファンのほうはわかっている。浅田真央は別格だと。拙ブログでは「一部の好事家のものだったバレエ鑑賞を大衆のものにした」と言われたヌレエフについても取り上げたが、日本での浅田真央も、マイナースポーツだったフィギュアを国民的な人気競技に引きあげたという意味で共通するものがある。こうした何十年に一度出るか出ないかの圧倒的なスターを認め、育て、大輪の花を咲かせるのが、日本人はあまりに下手だ。浅田真央の才能をもっとも認めているのが、ロシア人だったりフランス人だったりするのは一体どうしたことか。またフィギュアシーズンが始まり、自国に世界女王がいるのに、わざわざ「世界女王のキム・ヨナ」などと言ったりするテレビ局がフィギュア放送をするのかと思うとウンザリだ。さきほど女子ショートプログラムのNHKの放送を見たが、アナウンサーはかなり浅田選手の現状に配慮した発言をしてあげていた。ルールについても勉強している。ああしたアナウンサーは民放にはほとんどいない。ただ、「宿命のライバル」だのと言って煽り、自国の素晴らしい選手たちを差し置いてキム・ヨナを「フィギュア史に残る名選手」などと持ち上げ、演技途中にくだらないおしゃべりをして音楽の妨害をしている。浅田選手がジャンプに失敗すれば、新聞は「真央、跳べない」「ジャンプ不調」とことさら書き立てる。今ジャンプがうまく行っていないのには理由がある。今シーズン初めからしばしばフリップが抜けてしまうのは、流れを止めずに跳ぶというプレパレーションの修正のほかに、恐らくルッツの矯正とも関連がある(それを最初にインタビューで言ってくれたのはフリップの矯正をしていた安藤選手だ)。安藤選手ほどのジャンパーでも矯正後のフリップは回転不足を狙われるせいか、今もフリーからはずしたりしている。矯正というのは、それほど難しいのだ。ショートにトリプルアクセルを入れるリスクについては、過去のエントリーですでに書いた。困難な挑戦だが、本人が「やる」と決めた以上、周囲は冷静に見守るべきだろう。素人の目を侮ってはいけない。高いチケット代を払い、ショーや競技会に足を運んでくれるファンの多くは素人なのだ。点だけ吊り上げれば、スペシャルなスタースケーターを作れると思ったら大間違い。それをロスのショーが図らずも証明した。日本のフィギュア人気もいつまで続くかわからない。クワン時代のアメリカの状況を記した古い書籍の一文が、今の日本のフィギュアとそれを取り巻く現状を言い当てているような気がしてならないのだ。
2010.10.22
<続き> さてオリンピックシーズン。国際大会(とくにカナダがらみの選手と競う大会)になると、アメリカの女子に対しては目を覆いたくなるようなひどい採点が露骨になされた。特に一時的に不調になったロシェット選手をなんとかファイナルに出すために(としか思えない)、カナダ大会でロシェット選手とアメリカ女子選手に対して行われた採点には、ハッキリ言って気分が悪くなった。ここにMizumizuはISUとアメリカのスケ連の金銭を巡るゴタゴタの影を見る気がするのだ。アメリカで行われるグランプリシリーズでさえ、アメリカ女子はキム・ヨナにまったく歯が立たない。それも「素人には理解できない点(本当は、専門家にだって理解できないのだ。プロトコルが出てきて、後からあれこれ推測で後付の理屈を並べているだけ)」が出てきて負けることになる。これではアメリカ人ファンも白けるし、人気が盛り上がるわけもない。つまり、強化したい選手と本当に強い選手を冷静に客観的に見極めようとしないアメリカのスケート連盟の姿勢、および勝者をコントロールしようとするISUという2つの問題が絡み合い、それが競技会での不明瞭な採点という結果になってファン離れを加速させているのではないかと思うのだ。ジョニー・ウィアー選手が語ったところによれば、オリンピックのフリーの点が出てメダルを逃したあと、カーテンの裏で彼が泣いているとある人物(アメリカのスケ連関係者)がウィアーのコーチのところにやってきて、「ジョニーがこれほどの演技をするとわかっていたらよかったんだけど。だってほかの2人を推していたから」と話したという。http://nymag.com/fashion/10/fall/67510/index3.html "It's very hard," he says, "but you know, someone literally came to my coach while I was crying behind a curtain and said, ‘We wish we had known Johnny was going to skate that well, because we were pushing the two other Americans.' And that takes balls to say that." ウィアーは、フィギュア競技の採点で行われている、一種の「談合」についても言及している。It was political. In figure skating, there's this thing, there's a way that you can say, ‘Okay, if you help this skater, our skater, and promote him and push him to the top of the podium and help him get there, we will help yours.' There's a lot of that that goes on, and America likes to try and stay away from that issue, but everyone does it. I skated great, Evan skated great, we probably both should have been on the podium somewhere, but you know, the team official came to me and said, ‘We didn't know you were going to skate like that.' " この話は奇しくも、ソルトレイクでの「フランスとロシアの裏取引」が北米メディアで派手に取り沙汰されていたとき、フランスのキャンデロロが、「そんな程度の話なら、フィギュアではよくあること」と発言して物議をかもしたことを想起させる。こうした裏話をアメリカのスケートファン全員が知っているとも思えないのだが、にもかかわらず、ウィアー選手は五輪金メダリストのライザチェックをおさえて、2010年米SKATING誌の読者の選ぶ最高選手に選ばれた。http://web.icenetwork.com/news/article.jsp?ymd=20100721&content_id=12468362&vkey=ice_pressreleaseつまりアメリカのフィギュアファンは、自国のオリンピックチャンピオンではなく、メダルを逃した選手に2010年のトップスケーターの称号を与えたのだ。恣意性が(ジャッジと人間関係をもっている人間以外には)明らかな現行の採点に対する、ファンからの痛烈なメッセージだろう。ウィアー選手の「五輪談話」はMizumizuの――そして恐らく多くの熱心なフィギュアファンの――印象とも合致する話だ。オリンピックでのウィアー選手に対する、ぎょっとするような低得点。「完成度がモノを言う」と言いながら、いくら完成度を高めても点がもらえないウィアー選手。その理不尽に関しては、Mizumizuもエントリーにした(こちら)。個人的にはウィアー選手のプログラムは好みではない。ショートは特にアマチュア競技会にもってくる演技としては、セクシャルなアピールがどぎついからだ。それはキム選手に対しても同様の批判をした。フィギュア競技は伝統的に「品のよさ」を大切にしてきた。タラソワの作った浅田真央のショート「仮面舞踏会」は実に品がよかった。初舞踏会にデビューする若く美しい貴族の娘。そのイメージは浅田真央にも五輪という舞台にもまったくふさわしい。さらに去年の悲劇の仮面舞踏会とは同じ曲なのにガラリと雰囲気を変え、浅田真央の卓越した表現力を観客に「わからせようとした」。最初のうち前シーズンの「黒い貴婦人」のイメージを引きずって見ていたファンも、五輪シーズン後半には、咲きたてのバラのように瑞々しく可憐な浅田真央に、去年の黒の貴婦人の悲劇を忘れていたはずだ。こうした「品位ある表現」こそ、アマチュア競技に必要な価値観ではないだろうか。若い選手に娼婦や男娼の真似事をさせるのは好ましくない。しかし、そうした好みとプログラムの完成度は別の話だ。「完成度がモノを言う」などというのがお題目でしかなかったのは、ジョニー・ウィアー選手に対する五輪の採点を見れば明らかだ。強豪選手を多くかかえる国は、点をもらえる選手を絞らなくてはならないのだ。点が出る選手ははじめから決まっている。どうやって点を出し、どうやって点を抑えるのか? そのメソッドはもう確立しているのだ。ただ、最終的に出てくる点をあらかじめ操作することはできないから、個々のエレメンツやコンポーネンツでの点のつけ方が露骨になり、わけのわからない点差になってファンを驚かせる。エレメンツのGoEでは、出来が良くても加点をしなかったり、逆にたいして良くなくても気前よく加点をしたりする。あるいはミスがあっても他のプラス要素と相殺したことにして減点しなかったり、逆にちょっとしたミスでも「厳密」に減点したりするといったように。演技構成点の5つのコンポーネンツスコアでは、たいした差はなくても大きな差にしたり、逆にかなり差があるのにないことにしたりといったように。ビアンケッティ氏は、「10人のジャッジがいたら、10通りの説明があるだろう」と演技構成点の不明瞭さを批判した(こちら)。Luckily, the judges are humans, not machines. So some judges use a midpoint and range approach for giving PC marks, instead of a true absolute assessment. They have more good sense than the ISU; they use their brain and their heart. But this makes the judging system look foolish. If you asked ten judges what decision process they use to mark any PC, you would get ten different answers! 演技構成点について客観的な判定プロセスというのはなきに等しいのだ。要は個人の主観。それを何とか「客観的に」正当化しようと頭の悪い理屈を後からくっつけるから、一般のファンから呆れられるのだ。内部のご都合主義に従って、長いものに巻かれて自分のポジション確保に腐心し、身内だけで擁護し合う組織がどうなるか、日本の相撲協会もそうだが、ISUもその典型例になっている。アメリカだけではない。ヨーロッパでもフィギュアはさっぱり盛り上がらない。ビアンケッティ氏に言わせれば、「新採点システムになってから、フィギュアの人気はダウンヒル」。そんな状況のなかで、古参のジャッジはカタリナ・ヴィット時代を懐かしんでいる。バカな話だ。現行の意味不明採点の最大の被害者は間違いなく日本女子だ。重箱の隅をつつくように、小さな欠点を大きな減点にされ、ファンともども何度となくガッカリさせられている。だが、それでもフィギュア人気は落ちない。スター選手が頑張るからだ。ジャパンオープンに関して言えば、非常に低調な試合で、開催意義があるのかと疑問に思ったほどだった。採点には相変わらず胸が悪くなるし、これならばカーニバルオンアイスだけにしたほうが選手にとっても負担が少なく、ファンも2つ見て1日つぶすことなく、よいのではないか。メリットがあるとすれば、一度作ったアイスリンクを午後と夜の2度使えるという実務的かつ経済的なメリットだけではないだろうか。その日本でのフィギュア人気だが、いつまで続くのか、Mizumizuは懐疑的だ。採点に文句を言いながらも日本のファンは世界で一番熱心にフィギュアを見ている(だからますます採点の矛盾点が見えてくる)。だが、それも浅田真央が引退するまでだろう。もちろん、他にもスター選手はいるが、浅田真央の人気には比べられない。彼女ほどのスター性のあるカリスマがそうそう現れるとは思えない。それはMizumizuのような個人ブログのアクセス数でもハッキリ出ている。バンクーバー五輪のあと、高橋選手について書いたときもアクセス数はハネ上がったが、浅田選手について書くと、さらにさらにアクセス数は伸びた。理解不能の点数について追及しようとしない日本メディアや専門ライターの姿勢に不信感をもった一般人がネットに手がかりを求めているという部分もあるだろうが、なによりそれが浅田真央絡みだから、というのが大きい。実際には変な採点というのはフィギュアに限らず、どの競技でもあるだろう。だが、ことが浅田真央となると日本の多くのファンにとっては看過できない大問題になる。浅田真央はそれほどの逸材なのだ。一方のキム・ヨナ。ロスで史上最高得点を出そうが、ロスの名誉市民になろうが、はたまたクワンその他のスター選手を呼ぼうが、ショーは不入りでテレビの視聴率も取れない。いくら大本営が、「スペシャルな五輪女王」「何十年に一度の名選手(さすがにこれには笑ったが)」と持ち上げても、あの程度の実力しかない韓国人の彼女がアメリカで大スターになれるわけがないのだ。キム・ヨナのアイスショーは浅田真央の出演するショーに日にちを後からわざわざぶつけてくる傾向がある。今回のロスのショーも日本でのショーと会場の規模ではほとんど互角。ここで人を集めて、「キム・ヨナの人気は世界的(実際にはアメリカ=世界ではないが、アメリカで成功すれば「世界的」だと思いこむ人が多いのは日韓共通だ)」ということにしたかったのだろう。だから、大本営はショーの席があそこまでガラガラでも、テレビの視聴率が0.5パーセントと、同日のスポーツ番組の中で最低に近くても、「ロスのキム・ヨナのショーは成功」だと発表し続ける。ハクをつけるつもりで、どんどんメッキが剥げている状態であるにもかかわらず。今回のATスポーツ(キム・ヨナ事務所)主催のショーはもう1つ、「アジア系が中心」という特徴があったと思う。カナダからは中国系のチャン、中国からは申雪&趙宏博組が来た。アメリカでは韓国系と中国系は「アジア系アメリカ人」という1つのグループで共闘することも多い。<続く>
2010.10.17
キム・ヨナの個人事務所ATスポーツ主催のロスのアイスショー。日本でのジャパンオープンフィギュアとカーニバルオンアイスにぶつけるようなカタチで行われたショーだが、「ショーは成功」という韓国お得意の大本営発表とは裏腹な実情が明らかになってきている。これはネットで出回っている写真を拾ったものなのだが、2階席から上が見事なほどガラ空き。つまり、2階席以上(というか以下というか)の安いチケットを買って入った人も、下のリンクに近い席に移動させたということだろう。個人の意思でコッソリ移動したにしては、あまりに席がきれいに空きすぎている。このアイスショーは10月10日にNBCで放映されたが、Nielsen Ratingsによれば、視聴率は0.5パーセント。5パーセントではない。0.5パーセントだ。ちなみに本国韓国ではそれより前にテレビで放映されており、視聴率は3.8パーセントとこちらも振るわない(情報ソースはこちら)。ショーの会場となったロスのステイプルズセンター。最大収容人数は2万人。「あの」ロス世界選手権の開催地、つまりキム・ヨナの演技構成点が突然「発狂」し、さらにはその翌シーズンに続く「非常識銀河加点積み増し」採点の端緒を開いた場所だ。あのときMizumizuは、フィギュアの採点に「客観的な公平性を妨げる何らかの力」がいやおうなく巣食った現実をまざまざと見た気がした。それまでもトップの特に女子選手の点に関しては、資金提供元への配慮というのはあったと思う。つい先日、柔道の谷亮子に対する「代表選抜に絡む特別扱い」について言及する記事が出たが(こちら)、 「谷以外の選手では世間の注目やスポンサーの獲得数が段違いなので、(特別扱いも)やむを得なかった部分がありますが、今は違います。後進の飛躍に比べて、谷の技術的な衰えは明らか。これまでのような特別待遇は一切認められないはずです」(女子実業団チームコーチ)柔道のような勝敗がかなりの確率ではっきりするスポーツ競技ですら、代表選考にはこうした金銭的な思惑が入ってくる。人が採点する競技、しかもその結果がカネを生むとなれば、政治的・金銭的な思惑による人為操作はむしろ付き物だとも言えるだろう。たとえば、トリノオリンピックの日本女子代表選手の選考が、採点も含めて完全に公平で妥当だっだとは、今もMizumizuは思っていない。だが、同じことをやってるだけなのに、点だけが吊り上る。あれほど呆れ果てた露骨な「爆上げ」の悪印象は、おそらく一生忘れることはない。フィギュア競技大会の中でも「指折りの汚点」だ。世界中から非難を浴びたのはトリノの世界選手権だったが、あの常識はずれの点の出し方もその直接の始まりはロスにある(間接的にはもっと前から、女子への採点は歪んできていたのだが)。キム・ヨナの所属事務所主催アイスショーでは1万3000席を用意したという。にもかかわらず、現実の客の入りは写真が示すとおり。テレビに映りやすいアリーナ席だけぎゅうぎゅうにして、人気を「演出」しているところなど、ハタから見ていて虚しくなる。埼玉のスーパーアリーナでのJOとCOI、Mizumizuは両方見たのだが、天井に近い席まで、かなり万遍なく埋まっていた。むしろ気になったのは、リンクを間近に正面から眺められる、非常にいい席が数例固まって空いていたことだ。おそらく、スポンサーがらみの招待などのVIP席で、券をもらったものの来なかった人たちだろう。といっても数列だから、誰かを「移動」させるわけにもいかないだろうけれど、ちょっともったいない気もした。埼玉スーパーアリーナは、ロスのステイプルズセンターよりも収容人数が多いはずだ。出演したスケーターは、埼玉もロスもどちらも豪華だが、客の入りでは間違いなく埼玉に軍配が上がる。これは多少大げさに言えば、沸騰する日本でのフィギュア人気と、凋落するアメリカでのフィギュア人気を象徴しているようにも思う。もちろん、キム・ヨナが韓国大本営発表ほどの世界的人気を獲得していないことの証左でもあるが、それはむしろ、韓国(および韓国メディアの出張所と化した一部の日本メディア)の持ち上げ方が「妄想的」なだけだ。ショーの開催地はアメリカ。誰だって、基本的には自国の選手が好きだから、キム・ヨナがメインのショーでは、韓国系以外にはアピールしにくい。それを見越して「フィギュアの生きるレジェント(これも大本営発表だが)」ミシェル・クワンを同等の扱いとして表に出し、アメリカ国民にもアピールしたつもりなのだろうが、客の入りとテレビの視聴率を見ると興行として成功したとは言い難い。フィギュアというのはもともとオリンピック前後の1年が稼ぎどきなのだ。オリンピックで知名度を上げてアイスショーで集客する。オリンピックしか見ない究極のニワカファンも多いし、そうした超ニワカも五輪の演技に感銘するとショーに足を運ぼうかという気分になる。だがそれも1年もたてば忘れてしまうから、オリンピック後のアイスショーがメダリストにとっては、最も「旬」だということになる。その旬のアイスショー、五輪女王キム・ヨナと世界選手権を5度も制したミシェル・クワンが出演し、しかもジョニー・ウィアーやステファン・ランビエールというアメリカとヨーロッパを代表する2大美男スケーター(??)も出ているというのに、この結果とは。もともとアメリカでのフィギュア人気凋落は、誰の目にも明らかだった。ショーに人が入らなくなっている、フィギュアの競技大会の視聴率は悪い。かつてフィギュアの最大「消費国」はアメリカだった。大小さまざまなショーが各地で開催され、その裾野は広く、日本で言えば地方の体育館レベルのアイスリンクでもショーがあって、世界的に有名なスケーターもツアーに参加していた。DVDが浸透する以前、日本ではフィギュア関係のビデオなど発売されることはなかったが、アメリカではオリンピックのフィギュアのドキュメンタリービデオは必ず店頭に並んだし、ショーのビデオも出回っていた。そのアメリカでバンクーバーオリンピックシーズンを前にして、グランプリシリーズの全放映権を買うテレビ局がないという事態が起こった。外国でやるフィギュアの国際大会など、アメリカ人は見ないということだろう。するとそれに立腹したISUがグランプリシリーズのアメリカ大会を財政的に支援しないなどと言い出し、アメリカスケート連盟を困惑させた。自国開催以外の大会も含む全グランプリシリーズの放映権をアメリカのテレビ局に売るなど、アメリカスケ連にとっては、「ISUが責任を負うべき問題」。それを口実に「我々を罰するというのは間違っている」――これがアメリカのスケート連盟の主張だった。アメリカでのフィギュア人気の低迷、その直接かつ最大の原因はスター選手の不在だろう。特に女子シングル。伝統的にフィギュアでは女子シングル選手の人気が最もインパクトが強く、集客力もある。その女子シングルで、アメリカは伝統的に非常に強く、しかも層が厚かった。たとえばクリスティ・ヤマグチは五輪女王であり世界選手権を2連覇したが、全米では1度しか勝っていない。アメリカからここ数年、世界女王を争える選手が出なくなった理由。その一因に、アメリカのスケート連盟が強化すべき選手を見誤っていることがあるように思う。アメリカは特に五輪シーズンになると台頭してくるアジア系女子をなるたけ抑え、白人を押そうという傾向を顕著にする。プレ五輪シーズンにアリッサ・シズニーが全米女王になったとき、「彼女ではキム・ヨナや浅田真央には対抗できないのでは」と疑問を呈したのは、むしろメディアのほうだった。今の採点は、技術審判の判定(一番大きいのはダウングレード判定だが、レベル認定やエッジ違反を選手によって甘くしたり辛くしたりすることはできるし、実際にやっているとしか思えない)と演技審判のGoE評価および演技構成点でいくらでも操作ができてしまうから、どういう選手を強くするかは意図的にコントロールできる。アメリカのスケ連は、平板なアジア顔の才能ある選手より、典型的な白人美人のシズニー選手を強くすることで、アメリカ国民に広くアピールするスター選手を作りたかったのかもしれない。そうして五輪に向けてアメリカはシズニー選手(とフラット選手)を最重要強化選手と位置づけた。だが、シズニー選手はもともとフリーに極端に弱く、後半派手に自滅する。その傾向はどれほど脇からサポートしても変わらなかった。そこが彼女の限界なのだ。そんなことはわかりそうな話だが、ジャンプミスを極力出さない構成にし、シズニー選手の持っている別の要素の素晴らしさを過大に評価すれば、全米女王にまで押し上げることが可能なのが今の採点システムだ。バンクーバー五輪の直前の全米では、会場で見ていたスコット・ハミルトン(および日本の解説者)も驚くような厳しいダウングレード判定が長洲未来選手に対して行われ、大方の印象とは違ってフラット選手が全米女王になった。やはりアメリカはフラット選手を「押したかった」のだろう。だが、本当のところ、才能があるのは長洲未来選手のほうだ。それについてはビアンケッティ氏も言っている。「世界女王になるための素質を全部備えた選手」だと。問題は怪我がちなこと。難度の高いジャンプを跳びながら、ほとんど大きな怪我に見舞われたことのない浅田選手とはその点で、「神様からの愛され方」が違うように思う。<続く>
2010.10.15
浅田真央は世界的ブランド・・・と先日書いたが、新コーチが佐藤信夫氏に決まったことを知ったのも英語のニュースでだった。 http://www.universalsports.com/news/article/newsid=491776.html日本国内でのニュース配信とタイムラグはほとんどないのではないか。Two-time world figure skating championの動向は海外からも注目されている。しかも、このニュース記事は美しくも気品のある浅田真央の写真入り。浅田選手のジャンプの問題点は「ジュニア時代の幼さが残っていること」だとか、トンチンカンなことばかりネットに書いて、熱心な浅田ファンから特に顰蹙を買っている自称「元選手」などは、浅田選手のコーチが決まらないことについて、「海外のコーチでないとダメだと思い込んでいるのか?」などと的外れもはなはだしいことをつぶやいていたが、多少なりとも事情を知っている人間なら、浅田選手が日本人コーチを探していることは皆わかっていた。タラソワも浅田サイドにそうアドバイスした。言葉が通じてコミュニケーションが取りやすい日本人コーチを探せと。だが、日本人コーチの選任が非常に難しいのもまた、明らかだった。長久保コーチには鈴木選手、山田コーチには村上選手というように、日本のトップコーチはそれぞれ浅田選手のライバルになる名選手をすでに教えている。一時期、佐藤コーチのもとに日本女子の有力選手が集中してしまったことがあるが、これはあまり好ましいことではない。高橋選手がモロゾフコーチと師弟関係を解消したのも、織田選手がモロゾフについたことがきっかけだった。世界トップを目指せるほどの才能のある選手1人に対しては、やはりコーチも「専任」が望ましい。もちろん、五輪前に「ジャンプのアドバイスをしてもいい」と自ら浅田選手に言ってくれた長久保コーチ、「よく練習場で会っている」と言っていた山田コーチ、両者とも浅田選手を支えていたことは確かだ。長久保コーチをメインコーチに据える、あるいは山田コーチのもとに戻るという選択肢もあったはずだが、浅田陣営としては、自分とはライバルにあたる日本女子トップ選手の心情も配慮しただろう。その点、佐藤コーチは中野選手が引退し、「女子の日本トップ選手」がちょうど空席になった。多くの世界的選手を育て、基礎的な滑りの技術を重視する佐藤コーチから得るものも、浅田選手にとって大きいはずだ。Mizumizuは今でも安藤美姫選手が佐藤コーチから離れた時期が早すぎたと思っている。もう少し佐藤コーチのもとで基本をみっちり練習していれば、今彼女の滑りを見て、「気になる」と思う部分がだいぶ少なくなっていたかもしれない。だが、こればかりは相性ということもある。いい選手にいいコーチ、それだけで条件が十分だということではない。どちらが悪いという話ではなく、人間である以上、理屈では説明できない部分での「合う」「合わない」は、どうしても出てくるし、単に2人の問題だけではない、周囲の人間関係がコーチと選手の間に溝を作ることもある。そうしたことは浅田真央と佐藤信夫にも起こらないとはいえないが、それはまたそのときのこと。まずは、この名選手と名コーチの「縁」に期待したい。スケーティング技術の指導に定評がある佐藤コーチがメインコーチとしてつき、「日本でもっともジャンプを教えるのが上手い」と言われ、日本フィギュア界の最高のジャンパー・本田武史を育てた長久保コーチがジャンプコーチについているということは、理論上は「フィギュア強国」日本の中でも最高のコーチ陣ではないだろうか。さらに振付はロシアの誇るタチアナ・タラソワと北米の誇るローリー・ニコル。まさにフィギュア界の至宝に相応しい最強の教育陣だ。問題は、「船頭多くして船山に登る」にならないかということだろう。長久保コーチと佐藤コーチは、コーチとして「天下を二分」するほどの存在。バンクーバー五輪の3枚目の切符をめぐって争った鈴木選手と中野選手の全日本での競演は記憶に新しい。ジャンプの組み方に関しても、この2人のコーチのやり方はある意味で対照的だった。佐藤コーチのほうは、王道を行く「理想追求型」。完成形のジャンプ構成を組んで、それをできるまで繰り返そうというのが基本。長久保コーチのほうは徹底した「ルール適応型」。ダウングレードされがちなジャンプ、あるいはエッジエラー判定を受けやすいジャンプはなるたけ避け、連続ジャンプがダウングレードされると見るやジャンプシーケンスを多用するなど、柔軟に何度もジャンプを組み替えた。佐藤コーチのほうも、オリンピックシーズンには中野選手のジャンプ構成をだいぶ工夫したが、やや対応が遅かった感もある。長久保コーチのほうが、ジャンプの組み替えに対してはより能動的だったと思う。このトップコーチ2人が1人の選手を同時に見る。これは初めてのことではないだろうか。仕事の「棲み分け」でやや戸惑う、あるいは互いに遠慮する部分が最初出てきてしまうかもしれない。この2人は性格も対照的だ。だが、実績のある超ベテランコーチ同士、「日本の宝を育てる」という目的は同じなのだから、是非ともこの前例のない試みを理論上だけではなく、実際に成功に導いてほしい。先日も書いたが、政治色を強めるフィギュアスケート競技で、日本選手が世界で活躍するためには、この狭い国内でメンツがどうだとか、どっちが偉いとか、せせこましい話にこだわっていてはダメなのだ。皆の英知を結集して、それぞれの強みで選手をサポートする必要がある。佐藤コーチは特に女子で素晴らしい選手を多く育てたが、世界女王の横に座った佐藤コーチは、佐藤有香以来見ていない。あのときのインタビューで、「どんなお嬢様ですか?」と聞かれ、「ワガママな娘で・・・」と言っていた佐藤コーチの控えな喜びの表情は今でも記憶に残っている。もう1度、世界女王のコーチとしてインタビューを受ける佐藤信夫コーチが見たい。浅田選手はジャンプのリフォームを始めたばかりで、長久保コーチは「2年がかり」と見通しを語った。本人もそのつもりだし、ファンもそのつもりで応援している。そもそも浅田選手のルッツの矯正が遅れたのは、「常勝浅田真央」の周囲からの期待に、本人がどうあっても応えようとしたためだ。ジャンプは長久保コーチにまかせるとして、佐藤コーチからもフィギュアの王道を行く選手に相応しい多くのことを学んで欲しい。3月の東京ワールドでは佐藤信夫コーチのフィギュア殿堂入りのセレモニーもあるはず。それに花を添える浅田真央の素敵な演技を、多くのファンとともに、Mizumizuも待っている。
2010.09.07
また8月中旬に、米国で350万部の売上げを誇るという「子供のための世界年鑑2010」の表紙をキム・ヨナが飾ったということで、例によって韓国メディアが「フィギュアの女帝キム・ヨナが世界最高の名士になった」と持ち上げた。 http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0818&f=national_0818_133.shtmlだが、実際にはこの表紙は、「キム・ヨナ入り」と「キム・ヨナなし」の2つパターンがあったのだ。この話もロス名誉市民の話も、「金で買った名誉」の匂いがするのは明らかだ。ロスで世界女王になり、続いてカナダで五輪女王になったからといって、なぜキム・ヨナ個人には縁もゆかりもないアメリカのロスで「名誉市民」になったり、「キム・ヨナの日」ができたりするのか。アメリカの有名誌の表紙になったと言いながら、なぜキム・ヨナだけ「入り」「なし」バージョンがあるのか、8月というタイミングでこうしてアメリカでの「名誉」を買ったのは、それで10月のロスのショーにはずみをつけようとしたのが確かだろう。IMGにとって、自分たちなしでアメリカ進出を「ここまで本気で」企てるATスポーツ(キム・ヨナ事務所)の動きは目障りに違いない。さらにIMGとキム・ヨナには過去の確執もある。2010年4月のIBスポーツからの独立劇のゴタゴタは周知の通りだ。IBスポーツの実力者を引き抜く形でキム・ヨナファミリーはATスポーツを設立するのだが、これがIBとATとの訴訟問題に発展した。(こちらに詳しい)それより前、キム・ヨナはIMG系のIM(インターナショナルマーチャンダイジング)と2010年末までマネージメント契約を結んでいたのだが、キム・ヨナの母曰く、「まともにマネージメントしない」という理由でIBスポーツに移り、IMがIB(キム・ヨナ本人ではなく)を訴えて韓国で敗訴している。そして2010年夏。五輪女王となり、「世界のすべてが変わってしまった」(オーサーの弁)と勘違いした母と娘は、用済みになったオーサーを切り、親しくなったミシェル・クワンの知名度を借りてアメリカに本格進出をしようとした。日本でのIMGがらみのショーと同日、さらに日本のショーにいったんエントリーしていた中国人ペアをエントリーさせるという、嫌がらせのようなことまでして。こうした動きを大目に見るほど、IMGはショービジネスを甘くは捉えていないということだ。キム・ヨナを支援してきたのは韓国を代表する大企業だが、ここに来てそのスポンサードも怪しくなってきた。現代カード主催の韓国でのアイスショー「スーパーマッチX-メダリスト・オン・アイス」に肝心の自国の五輪女王が出演しなかったこと、さらにはグランプリシーズを辞退したこと・・・この流れを見て、Mizumizuはキム・ヨナの支援にスポンサーが不安を抱くだろうと予想していたのだが、案の定、このような記事が出た。http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=132545&servcode=300§code=300‘広告クイーン'キム・ヨナ、エアコン・携帯電話テレビCM中断キム・ヨナとブライアン・オーサー氏の間で葛藤が生じている中、広告界でのキム・ヨナの地位も揺れる兆しが見えている。 キム・ヨナは今年20件を超える広告に出演し、‘広告クイーン'と呼ばれるほど広告界で好まれるモデルだった。しかし最近、キム・ヨナとの広告契約期間が満了または満了間近の企業が再契約を決定できず、世論の推移を見守っている。 オーサー氏とキム・ヨナが一緒に登場した三星(サムスン)エアコン「ハウゼン」広告はすでにテレビで放送されていない。広告を制作した第一企画の関係者は「007ジェームズ・ボンドや海外避暑客などさまざまなポーズを見せたエアコン広告は、5月に一緒に撮影した。もともとエアコンシーズンの夏まで放送する予定だったし、今は放送されていない」と述べた。 第一企画側は「オーサー氏とは今回の件に関係なく最初から一回だけ撮影する契約を締結したため、オーサー氏をまた広告に使うのは難しいだろう」と付け加えた。キム・ヨナが登場する三星電子エニーコール「オムニア」「ヘプティク」の広告もエニーコールの主要広告製品が「ギャラクシーS」に移ったため、現在は放送されていない。 キム・ヨナとの契約が今月末に満了する毎日乳業は頭を悩ませている。「低脂肪牛乳ESL」「すくって食べるピュア」に続いて「飲むピュア」までキム・ヨナをモデルに起用し、大ヒットを続けてきただけに、すぐに決定を下せずにいる。毎日乳業の関係者は「今週中に再契約するかどうか確定しなければならないが、まだ決まっていない」と述べた。 キム・ヨナと現代(ヒョンデ)自動車側が08年に締結した公式スポンサー契約とモデル契約は今年末に終わる。現代車広告を担当するイノーションの関係者は「これまでキム・ヨナは競技がない夏に帰国して広告撮影をしていた。今年広告を撮影したかどうかは確認できない」と話した。 コーロンはキム・ヨナと来年2月まで1年間のモデル契約を結んでいる。コーロンファッション「クア」のモデルとして活動中のキム・ヨナはすでに秋・冬向けの撮影を終えた状態だ。しかしクアはポスターを出さず、ソーシャルネットワークサービス(SNS)などのチャンネルを通して、今回の事態に対する消費者の意見をモニターしている。コーロン広報チームのヤン・ムニョン次長は「SNSサービスやホームページには否定的な意見は出ていない。誰の過ちであれ、今回の件が早期に収拾することを希望する」と述べた。 7月で公式スポンサー・広告モデル契約が終わったKB金融も再契約について悩んでいるという。キム・ヨナにとって大きいのは何といっても韓国を代表する企業であるサムスンと現代自動車。民間企業がスポーツ選手を支援するのは、社会活動的な意味合いもあるが、投入した資金に見合う宣伝効果があって欲しいからでもある。「グランプリシリーズで勝ちまくり、最高格式の大会で優勝する」キム・ヨナなら宣伝に使う意味は大きいが、今季のようにシリーズにまったく出てこないとなると、スポンサーがキム・ヨナに資金提供する意味がなくなってしまう。韓国には日本以上にニワカファンしかいない。フィギュアファンではなくキム・ヨナファンなのだ。そうした国では自国選手が出なければ試合の視聴率もまったく取れないだろうから、試合を中継するテレビ局の「被害」も甚大だろう。韓国スケート連盟も、キム・ヨナにいきなりワールドのみに参戦するのではなく、別の試合に少し出て、ISUに上納する・・・もとい、試合カンを取り戻すよう奨めているという。これまで後ろ足で砂をかけるような真似をしてトラブルになってもすべて乗り切り、ステップアップして破格の収入を手に入れていったキム・ヨナだが、天下を取ったはずの五輪後のシーズンにこんなことになっている。それについては、ハッキリ言って身から出た錆だが、1つ嫌なことは、ATとIMGの対立が他のスケーターのショー招聘に影響するかもしれないことだ。中国ペアのダブルブッキング問題がまた大きく影を落としそうだ。つまり、ATのショーに参加したスケーターは、微妙にIMG主催のショーに呼ばれなくなる・・・そうした事態が起これば、日本のファンの楽しみにも水が差されることになってしまう。さらに、「IMGを怒らせると、ATのようになる」という話になれば、アイスショーの世界でのIMGの寡占化が進んでしまう。アイスショービジネスの世界、しかもアメリカ開催のショーで、大手のIMGをあからさまに敵に回すようなやり方は、いかにもまずい。IBスポーツに在籍していれば、こうしたヘタクソな手法は取らなかっただろうが、キム・ヨナの母は、「やり手」にみえたIBスポーツの重役を盲目的に信頼してしまったのだろう。だが、大きな組織にいてやり手だった人間が、独立して同様の手腕を発揮できるとは限らない。元の企業といざこざを起こして辞めたら、なおさらこれまで培ってきた人脈も使えなくなってしまう。すでに十分な収入を得ているのに、目先の欲に目がくらみ、他人の感情を顧みないからこういうことになる。すべて自業自得だが、アイスショーでは日本のファンに不愉快な思いをさせ、一言「これは私とオーサーの問題。他の選手は一切関係ない」と言えばすむことを曖昧にしたまま「自分と家族以外の誰か」を悪者にしようとし、バッシングされると今度は一転して被害者ぶり、なんとか世間の同情を集めようとする。こんなフィギュアスケート選手はこれまで見たことがない。お金がいかに若いスポーツ選手とその周囲を勘違いさせ、歪ませるか。その典型を今回のキム・ヨナ騒動に見る気がする。
2010.08.30
IM(IMG系)からIBに移るとき、IBから独立するとき、オーサーから離れるとき・・・立つときに必ず跡を濁すのがキム・ヨナなら、濁った水を一方的に関係のない国に向かってかけ続けるのが韓国メディアだ。ネット上に以下のような記事が出た。http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0828&f=national_0828_103.shtmlオーサー氏のメール公開で「真央コーチ提案説」が再び話題に-韓国フィギュアのキム・ヨナ選手と元コーチオーサー氏の決別をめぐり、韓国では関連報道が後を絶たない。決別報道から2日後の26日には、4月にオーサー氏がキム・ヨナ選手にあてたメールの全文が公開され、「真央コーチ提案説」に再び関心が寄せられている。「真央コーチ提案説」が流れたのは4月のことで、当時オーサー氏は「真央側からコーチの提案を受けたが断った」と発言。しかし、決別騒動最中の25日にオーサー氏はテレビで「コーチ提案はなかった」と自らの発言を撤回、韓国でも大きく報じられた。そして、米シカゴトリビューンのスポーツ専門記者フィリップ氏が27日、オーサー氏のメール本文を自身のブログに公開し、再度話題となった。メールでオーサー氏は「Her agency did inquire about me (and team) working with her,I told them that you are my first priority(彼女のエージェントから問い合わせがあったが、私の優先はキム・ヨナだと答えた)」と書いており、25日の発言とは相反している。多数の韓国のメディアはメールのキャプチャー写真とともに続々と内容を紹介した。中には「他選手のコーチ提案説で5月から仲がこじれていたとするAT SPORTSの主張に確実な証拠提供となった」と報じるメディアも見られる。一方、決別の理由についてはキム・ヨナ選手側も明言を避けている状態で、憶測だけが飛び交う雰囲気だ。そんな中、韓国では2人が決別した決定的な理由は「IMGコネクションのせいだ」とする憶測記事も登場。記事は、5月にIMGと契約したオーサー氏が日本のジュニア選手数人を指導することになり、日本のフィギュア関係者が練習場に多く出入りする練習環境の変化で、二人の決別に影響したとの見方があると指摘。ただ、AT SPORTSはオーサー氏の日本人選手指導が主な理由ではないと否定したという。(編集担当:金志秀)この中で触れられている「IMGコネクションのせいだ」とする憶測記事。こうした憶測に対しては、IMGニューヨークのデービッド・ベードン氏の、「IMGはオーサーが誰をコーチするかということに関わったことはない」という声明が答えになるだろう。AT SPORTS(キム・ヨナ事務所)も、オーサーの日本人選手指導が主な理由ではないと否定したというから、これは単に根拠のない憶測だと言うことになる。だが、今回のような泥仕合に発展した師弟解消劇に、IMGがまったく関係ないかと言えば、それは違うだろう。それどころか、この泥仕合は、IMGニューヨークがキム・ヨナのロスショーの詳細発表にタイミングをあわせて、「オーサーがキム・ヨナの母に理由もなく解雇された」と一方的に発表したことで、開始のゴングが鳴ったのだ。そして、上記の記事で出ている、「5月にオーサーがIMGと契約」という一文。それが日本人ジュニア選手のコーチングと直接関係ないというのは一応信じるとして、IMGは多岐にわたって事業展開をしている大企業だが、フィギュアではいわゆる「アイスショーの元締め」として認知されている。現在はほぼコーチ業に専念しているオーサーがわざわざIMGと契約したとすれば、アイスショーへ復帰する意思がある・・・ということなのかもしれない。だが、五輪女王を育てて、これからコーチ業が忙しくなるであろうときに、アイスショーに出る必要や必然があるのだろうか。これはMizumizuの記憶ベースの話で、もしかしたら勘違いがあるかもしれないが、オーサーは確か、キム・ヨナのコーチに専念するために、IMGをいったんやめてショーから引退したのではなかったかと思う。コーチ就任に当たっても、何度かオーサーが断ったのを、(トリプルアクセルを習得したいキムサイドが)頼み込んで引き受けてもらった・・・のではなかったか。そして、キム・ヨナ側が言っている、「(オファー説で)5月から関係がギクシャク」「6月からは1人で練習」という話。つまり・・・4月 浅田真央がオーサーにオファーをしたという噂が流れる(4/24に浅田真央の事務所がこれを否定。だが、4/25にはオーサーがキム・ヨナに「浅田真央から照会があった」「真央に関心をもってもらえたのは嬉しい」とメール)5月 キム・ヨナ、オーサーとの「円満」を強調(5/17付けの記事)オーサー、IMGと契約(追記:その後得た情報では、5月ではなく4月にオーサーはすでにIMGと契約していた模様?)キム・ヨナ「関係がギクシャク」キム・ヨナ「引退はしない」(5/31)6月 キム・ヨナ 1人で練習7月 キム・ヨナ 「グランプリシリーズ辞退、東京ワールドのみに参加」を発表(7/19)8月 キム・ヨナ母、オーサーに「これ以上、娘を教えないで」(8/2)そして3週間後、キム・ヨナのロスのアイスショー詳細発表に合わせるように、IMGからの「オーサーが一方的に解雇された」というリリース発表を受けて泥仕合スタート。どうだろうか? やはりIMGの影が嫌でもチラチラする。ショーがらみで言えば、オーサーはキム・ヨナのショーにノーギャラで出演したことがあると暴露している(それが本当なら、信じられないケチな母娘だ)。オーサーがIMGに所属するとなれば、ノーギャラでの友情出演というのも頼みにくくなるだろう。時給が110ドルだったということも、カナダ国内では「安すぎる」と驚きをもって受け止められたようだが、これについては、年間トータルで見た場合、練習時間によっては一流コーチの年間定額報酬(800万円相場とも言われている)を上回るかもしれず、単純に「労働時間に対する報酬」が安いと断定できるかどうかは微妙だ。オーサーはたとえばフランク・キャロルのように実績のあるコーチでは、そもそもないのだから。キム・ヨナこそオーサーの最大の収入源なのだから、五輪女王がオーサーと師弟関係を続けてくれるのが、オーサーにとっては一番いいシナリオだったはずで、もしキムサイドが、師弟関係続行の意思をもっと早く明確に示していれば、オーサーとしても、わざわざ「ブライアンが誰をコーチするかにはかかわらない」などと言っているIMGと、今さら(すでにオーサー自身ほとんど引退状態にある)アイスショーがらみで契約するさしたる理由もないように思う。バンクーバー五輪が終われば、オーサーは用済み・・・というのは、周囲はわかっている話で、オーサーがまったくそれを感じなかったわけはない。IMGがキム・ヨナの事務所にそこまで底意地の悪いショーの間接妨害を仕掛ける理由はあるだろうか? Mizumizuは「ある」と思う。キム・ヨナサイドは、IMGの本拠地、そしてアイスショーの本場であるアメリカへの進出を本気で考えている。キム・ヨナ陣営は、10月にロスでアイスショーを開催するのに先駆けて、「キム・ヨナ」ブランドの箔づけに必死だった。まず8月の頭に、ロスに多い韓国系の政治家を動員して、「ロスの名誉市民」授与および「キム・ヨナの日」制定にこぎつけた。これは韓国や日本では報道されたが、肝心のロスでは韓国系やフィギュアに特に興味がある人間以外にはたいして知られていないニュースだ。ロスの名誉市民になったといっても、その贈与式はいち議員の事務室で行われるという地味なもの。にもかかわらず、日本のメディアは、ご丁寧にも、韓国系アメリカ人が集まって開いたパーティでの模様を中継し、それがあたかも「ロス名誉市民がらみの式典」であるかのように脚色した報道をしている。これについては、こちらのブログのエントリー「『キム・ヨナ、ロサンゼルス名誉市民に』でまた日本のテレビ局が情報操作 」が詳しい。<続く>
2010.08.29
フィギュアスケート界で選手がコーチを替えるのはよくある話だ。そのこと自体は何も非難される行為ではないが、韓国メディアを巻きこんでの今回のキム・ヨナとブランアン・オーサーの「場外乱闘」は、まさに常軌を逸している。伝統的に品位を重んじるフィギュアスケート界において、これほどの泥仕合を演じた師弟など前代未聞だ。五輪女王というタイトルにまったくふさわしくない。日本選手には決して、この「悪例」の影響を受けないで欲しい。 8月27日付けの朝鮮日報 キム・ヨナ側『オーサー氏の行為は道徳的に逸脱している』の記事はショックですらあった。http://www.chosunonline.com/news/20100828000003オーサーが、キム・ヨナの許可なく新プログラムを「暴露」したのが、「指導者として道徳的に逸脱した行為であり、キム・ヨナに害を与えるための意図的な行動」だと言うのだ。そのオーサーの発言はと言えば・・・「韓国の伝統曲『アリラン』をベースに、いくつかの韓国音楽を編集した幻想的なプログラムだ。(バンクーバー五輪フリーのプログラム)『へ調の協奏曲』を超える」というもの。これのどこが不道徳でキム・ヨナに害を与えるための意図的な行動だというのだろう? まったく理解に苦しむ。確かにコーチでなくなったオーサーが、選手に許可なく曲が「アリラン」だということを話したのは、キム・ヨナにとって不本意なことかもしれない。だが、プログラムの曲がそれほどの機密事項だろうか? フィギュアスケート競技はあくまでアマチュア競技だ。プログラムの発表のタイミングなど本来たいして重要ではない。重要なのは、それが多くの人の胸を打つ素晴らしい作品か、何度も見るに値する「歴史的な」作品にまでトップ選手が仕上げていけるかだ。現にすでに世界中の多くの選手がプログラム曲を発表しているではないか。しかも、オーサーの発言に悪意などまったく感じられない。「アリラン」だとは言っているが、「どんなふうに編曲したのか」については語っていないし、「幻想的」とイメージを膨らませるフレーズを入れつつ、昨シーズン以上の作品だと上手に話している。キム・ヨナの黄金期を作ったオーサー以上の説得力をもって、ファンの期待感を高める宣伝ができる人間がいるだろうか?Mizumizuもこの選曲は素晴らしいと思った。「見たい」という気持ちにさせられる。個人的に「アリラン」が大好きだというのもあるが、この極めてアジア的な旋律を、斬新かつ個性的な感覚をもつ振付師ウィルソンが氷上にどう構築するのかが楽しみなのだ。そして、「アリラン」をフィギュアスケートで表現するとしたら、キム・ヨナ以外にそれをできるスケーターはいないのではないか? かつて、ルー・チェン(陳露)は、曲に「ラストエンペラー」を使い、印象的な赤い衣装とともに、おおらかで繊細で東洋的で、誰にも真似できない振りで世界を魅了したが、キム・ヨナの「アリラン」はそれに匹敵する作品になりえるかもしれない。Mizumizuは、アン・リー監督の「ラスト、コーション」を見たときに、その東洋的な憂いを含んだメロディーをキム・ヨナに表現してもらいたいと思ってエントリーにそう書いたことがある。この映画音楽は選ばれることはなかったが、「アリラン」には同様の哀愁と、それでいてどこか大陸的なスケールがあると思う。伝統的な朝鮮民謡をどう味付けするのか。それを待つ楽しみもある。たとえばオーケストラで弾けば・・・http://www.youtube.com/watch?v=fv4VxzaIzXoアジアの物語にヨーロッパの洗練が混ざる。もっとアジアをイメージさせる楽器を使ってもいいかもしれない。ルー・チェン(陳露)の「ラストエンペラー」は、いかにも中国風の打楽器のリズムが印象的だった。バンクーバーオリンピックシーズンのキム・ヨナのプログラムは、実につまらなかった。滑って、止まって、コケ脅しのようなポーズとちょっとした振り。滑りながらポーズ、そしてジャンプ。着氷が多少あやしくても、エレメンツでミスをしても、とにかく加点。しかもポーズは毎年毎年同じものの繰り返し。体力に恵まれないキム選手がジャンプをすべて決めるために取った戦略だろうが、舞踏芸術のエッセンスをフィギュアに求める人間からすると、あまりにスカスカすぎる。カナダのパトリック・チャンやアメリカのエヴァン・ライザチェックも同様の傾向があるので、そうした演技がフィギュアスケートの表現として一概に悪いとは言わないが、どうしても物足りなさが残る。「あげひばり」のころ、繊細な腕のモーションで、羽ばたく鳥を氷上に描き出し、世界を驚かせた少女は、だんだんにポーズの美しさばかりを強調するファッションモデルかグラビアアイドルのような、「インパクトはあるが、1度見れば十分」だと思うような、底の浅い表現ばかりするようなった。バンクーバーオリンピックシーズンのキム・ヨナのプログラムは、見れば見るほどつまらなくなった。滑りは上手いし、体を大きく使ったモーションも美しいのだが、とにかくエレメンツ以外の振付が最低限で、躍動感がない。それなのに、点ばかり上がっていくからさらに白ける。そうやってメッキを塗り重ねるから、トリノ世界選手権でそれが一挙に剥がれてしまったのだ。もう1つ、キム・ヨナ選手の欠点は、ジャンプで失敗すると、その「失意」が次のエレメントに影響しやすいということだ。ジャンプが決まれば気持ちがのって演技全体がよくなるというのはすべての選手に共通しているが、ジャンプを失敗したときにどう立て直すのか、そこも選手としての成熟度の見どころなのだ。モロゾフは、「安藤美姫は以前はジャンプを失敗すると他の演技が悪くなった。今はジャンプを失敗すると返って演技がよくなる」という意味のことを言ったが、そのとおりだと思う。キム選手の場合は、ジャンプが決まれば全体がきれいに流れる。だが、1度失敗して、自分の目指す「完璧な演技」ができないとなると、その後の動きが悪くなる。これが一番気になる点だ。プログラムの発表のタイミングにそこまでこだわるのは、「最近のキム・ヨナのプログラムはインパクトが命であって、賞味期限が短い」と感じたMizumizuのネガティブなイメージを肯定することになる。そうではなくて、歴史を超えて歌いつがれる民謡同様、何度見ても味わいが深くなるような演技をしてほしいと切に願う。「キム・ヨナ嫌い」の人も「キム・ヨナファン」にする・・・そういう演技をすればいいのであって、プログラム曲の発表のタイミングなど、ハッキリ言えばどうでもいいことだ。もちろん、選手本人の許可を得ずに元コーチが勝手に曲を発表するのは好ましいことではない。だからと言って、「指導者として道徳的に逸脱した行為であり、キム・ヨナに害を与えるための意図的な行動」とまで責め立てるのは、明らかに行きすぎだし、この文言を見ると、まるで最近韓国が国を挙げて非難を始めた北朝鮮の声明のようだ。つい3ヶ月前まで、「深い信頼関係で結ばれている」とまで評価した自慢のコーチを、もはやそれほど信用できないというのか。本来この件には何も関係がない浅田真央を「他の選手のオファー説でギクシャク」「いち選手だけが原因ではない」などという不明瞭な表現で巻き込んだことといい、こうした言動を取れば取るほど、日本でのキム・ヨナの評判は落ちていく。オーサーがキム・ヨナに与えたものは非常に大きい。膝をしっかりと使った、グウッと伸びるスケーティング。体を大きく見せるモーション。脚の振り上げ方から下ろし方。キム・ヨナのスケートを見ていると、若き日のブライアン・オーサーが氷上に再び蘇ったかのように錯覚することもあった。それだけキム・ヨナが真剣に練習をしたということでもあるが、元コーチが与えてくれたものを考えれば、「プログラムを許可なく発表した」ことくらい、許せる範囲ではないのか。キム・ヨナが韓国の至宝なら、オーサーはカナダの英雄なのだ。さらに、「オーサー氏がキム・ヨナの練習に関連する機密事項をさらに公表した場合、マネジメント社の次元で対応する」などと脅迫している。「練習に関する秘密」というのは、邪推すれば最近ジャンプの調子がよくないということかもしれない。漏れ聞こえてくる情報では、3回転+3回転が上手く跳べずにいるという。だが、五輪のあとで忙しく、練習の時間が取れなかったことを考えれば、このシーズンにジャンプが不調に陥るのはよくあることだ。「練習に関連する機密事項」など大げさすぎる。オーサーの「浅田真央オファー説」での二枚舌とも取れる発言には、Mizumizuも心底呆れたし、浅田真央の事務所が、早めに英語で正式見解を世界発信すべきだと思っている。シカゴ・トリビューンや韓国紙を読んでも、「浅田真央の事務所が照会してきた」というオーサーの証言がほぼ既成事実になっている。それが事実でないなら、そう言うべきだ。こういうことは選手を矢面に立たせてはいけない。放っておけばどこかでまた必ず蒸し返される。日本で浅田真央の事務所が、「一切接触はない」と言っているのに、まだ韓国紙は以下のように伝えているのだ。同氏(オーサー)は今年4月、浅田側からのオファー説が報じられた際、「トリノ世界選手権大会で、浅田のマネジメント社からコーチ就任のオファーを受けたが、公式なものではなかった」と釈明している。だが、それらすべてにかかわらず、この1件だけをもって、オーサーの人格を根本から否定するような発言をする権利は、キム・ヨナ本人を含めて誰にもないと思う。オマケ:http://www.youtube.com/watch?v=MzUzMOdtqNgこちらがルー・チェンの最高傑作「ラストエンペラー」。東洋と西洋を氷上で融合させることのできた数少ない選手。プログラム最初の腕の動き(まるで長い布を振り回しているよう。見えない布が見えるようだ)や独特な脚の組み方のスピン。音楽が切りかわったところ(3:15あたり)での京劇を思わせる振付。最後にまるで疾走するようにスピードを増す、ダイナミックなスケーティング。本当はNHK杯のときのほうが、後半の3ルッツも決まって出来がよかったように記憶しているのだが、探せなかった。ちなみに、キス&クライで、技術点が出たとき、微妙に「チッ」と不満げな顔をするところなども、キム・ヨナに性格が似ているかもしれない。
2010.08.28
読者の方から教えていただいたシカゴ・トリビューン2010年8月25日の記事。 先日お見せした動画で「浅田真央からのオファーはまったくなかった」とオーサーは言っていたが、それと矛盾するオーサーの言動を示す「証拠」が出てきた。以下のキム・ヨナあてのメールのコピーは、オーサー自身がシカゴ・トリビューンの記者と韓国SBSに送ったものだ(Orser sent me and Korean broadcaster SBS a copy of an April 25 email he sent to Kim)。「噂」 Date: Sun, 25 Apr 2010 20:46:04 -0400ハイ、ユナ。元気かしら。少し休めてるといいけど。真央について出回っている例の噂についてはもう聞いてるわよね。アナタに知ってもらいたいのは、アタシがアナタに対して誠実で、いつだってアナタのためにココにいるってことだけよ。彼女のエージェントはマジでアタシ(とチーム)に一緒に働かないかって問い合わせてきたの。でも、アタシは彼らに、アナタが最優先だって言ったから。(Her agency did inquire about me ( and team ) working with her, I told them that you are my first priority.) 彼女に興味もってもらえて嬉しいってことは言っておかなきゃね。でも、アタシにとってはアナタのスケートが一番だから。何か心配事や考えがあったら言ってちょうだい。アナタに連絡して、コトの詳細全部を言っておきたかったの。到着はいつ? 来年どんなカンジか、何かアイディアはあって? これについては多分、アタシタチで話さないといけないわよね。クラブの子どもたちはみんな、あなたがいないのを寂しがってるわよ。連絡してね。Bヤレヤレ・・・少女Aならぬ乙女Bは、ずいぶんと必死だ。このようなメールを送ったことを自らアメリカと韓国のメディアに公表しておきながら、カナダのテレビ番組では、「オファーはまったくなかった」などと、どういう口で言えたのだろう。この点を指摘されたら、今度はなんと言うのだろう? 「照会」と「オファー」とは違う・・・とでも言い逃れるつもりだろうか(本当に言い出しそうでコワイ。フランケンシュタイン採点に対する後付けの説明以上の摩訶不思議な言葉遊びになってしまう)。やはり、「噂」はオーサーから出ていた。それは確かだ。そして、浅田真央のエージェントが照会してきたという話・・・ これはまったくのでっちあげなのだろうか? 日本での報道を聞いていれば、そういうことになる。だが、「真央に興味もってもらえて、うれしい」などと変に素直に喜んでいるあたり・・・ これがまったくの「嘘」だろうか? もちろん、そうかもしれない。そうだとしたら、ずいぶんと手の込んだ自作自演だ。だが、昨日もチラと書いたように、浅田真央本人の意思に関係なく、「真央があなたに見てもらいたがってる」「真央のコーチをしてもらえる?」などと、オーサーに「非公式」にもちかけた人物が浅田真央関係者でいた可能性は? それもまったくないとは言えないのではないか。とにかく、この件については浅田真央の所属事務所の動きは鈍い。Japan Timesと国内メディアには、「驚いている」「接触は一切ない」ときっぱり否定したが、オーサー自身に詳細を尋ねるわけでもなく、英語圏向けにリリースを出すわけでもない。オーサー自身に直接問い合わせるのが、むしろ普通だと思うのだが、それをした気配がない。いや、実際には接触していて、オーサーが得意の(?)二枚舌で、カナダのTV番組同様の態度を取った可能性もあるが。まさに魑魅魍魎。ただ、このオーサーのメールはオーサー自身が公開したものだ。だからメールが捏造であることはない。このメールを受け取ったあと、キム・ヨナはロイターのインタビューにのぞんだ。そして、オーサーが他の選手のコーチをするという話はウソだということを私は知っている。他の選手はコーチと多くの問題を抱えているが、私が今日あるのはオーサーのおかげだと思っているし、そうした信頼関係で結ばれていると答えたのは、「浅田はオーサーに接触したが、オーサーは私を選んだから」という自信があったからだろう。非常に辻褄が合う。だが、だとすれば、今度は今になって言い出した「オファー説で5月ぐらいから関係がギクシャクした」というキム・ヨナサイドの話の辻褄のほうが合わなくなる。シカゴ・トリビューンもロイターでのヨナ発言を紹介するときに、今の彼女の言い分との矛盾を指摘している。(*Kim certainly had a different view in a Reuters story published May 17.) だから、もしかしたら、「オファー説でギクシャクした」というのが、「浅田真央がないと言ったオファーをあるといったオーサーに不信感が募った」という意味なら、それなりに辻褄は合ってくる。だが、そうならそうとハッキリ言えばいいことだ。「オファー説でギクシャクした」「一選手のことだけが原因ではない」と言えば、そういうふうには普通は解釈できない。シカゴ・トリビューンを読んでいて舌を巻くのは、米IMGのAT Sports(キム・ヨナ事務所)に対する牽制の素早さとその断固たる語調だ。The other is that International Management Group, which represents both Orser and Asada, was behind the suggestion he coach the Japanese star.``This is completely untrue,'' IMG's David Baden said in an email. ``Brian's coaching business is his own. We at IMG have never gotten involved in who he coaches. AT Sports needs to take responsibility for their actions and stop pointing the finger and making baseless accusations. Brian and Yuna deserve better.''(読者から指摘されたもう1つの問題は)、オーサーと浅田両氏の代理人であるIMGが、日本人スター(浅田真央)のコーチングをオーサーがするよう陰で提案したのではないかということだ。「それはまったく事実無根だ」と、IMGのDavid Badenはメールで返答した。「ブライアンのコーチ業は彼自身の問題。我々IMGは、彼が誰をコーチするかということに関わったことは1度もない。AT Sportsは自分たちの行動に責任を持ち、根拠のない誹謗中傷はやめるべきだ。ブライアンとヨナにはもっとふさわしい状況があるはずだ」オーサーのメールがあるのだから、当然と言えば当然だが、この記事は、浅田サイドがオーサーに接触したのを前提として書いている。それに対して米IMGはと言えば、自分たちはオーサーのコーチ業にはまったく関わっていないと明言し(関わっていないのだから、オファーがあったかどうかにもノータッチということだ)、アイスショーでライバル業者となるAT Sportsを半ば脅している。明らかにアイスショーがらみのIMGとAT Sportsの対立。それがまたも日本に飛び火している。先日お伝えした、申雪&趙宏博のダブルブッキングの話。カーニバルオンアイス2010のほうのキャンセルが発表されたのだ。http://www.tv-tokyo.co.jp/coi2010/cast.html2010/08/27 出演を予定しておりました長洲未来選手は怪我のため、申雪&趙宏博(シュエ・シェン&ホンボー・ツァオ)は個人の事情により出演できないこととなりました。予めご了承下さい。言うまでもなく、最初にエントリーが発表されたのは日本のショー(IMG主催)のほうだ。AT Sportsは、あとから同日のロスでのショーの開催を発表し、中国人のペアは日本のショーをキャンセルして、(まだ確定ではないが)ロスのショーにエントリーした。ヤレヤレ・・・内部のいきさつや申雪&趙宏博と日本側ショー主催者の契約状況はわからないが、とにかく、もしこのままロスのキム・ヨナショーに出演するのなら、結果として申雪&趙宏博はIMG(浅田真央所属)に対して不義理をしたことになる。9月4日に浅田真央を招いて「氷上結婚式」(アイスショー)を予定しているのに、またも浅田選手がこんな形で被害を受けた。AT Sports(キム・ヨナ事務所)のやり口と来たら、控えめに解釈しても日本と浅田真央に悪意があるとしか思えない。韓国紙に至っては、またも浅田真央を悪者にする「新説」を出してきた。http://www.chosunonline.com/news/20100827000051キム・ヨナとオーサー氏の契約解消をめぐり、大きな騒動が巻き起こっている。オーサー氏が「すべての騒動の発端はキム・ヨナの母にある」と主張すると、キム・ヨナは簡易投稿サイト「ツイッター」で、「うそをつかないで」と反論した。するとオーサー氏は昨日のインタビューで、キム・ヨナの新プログラムの曲として「アリラン」が使われることを暴露してしまった。シーズン前にプログラムの内容を公表しないというタブー行為を犯したわけだ。なお一部では、日本の大手企画会社がオーサー氏を浅田真央のコーチに引き抜くために、今回の騒動をけしかけたといううわさもある。今度の「噂」は、「日本の大手企画会社がオーサー氏を浅田真央のコーチに引き抜くために、今回の騒動をけしかけた」という話らしい。どこまでも魑魅魍魎。本来ならジャンプコーチを依頼した長久保氏に、そのまま浅田選手のメインコーチになってもらうのが一番いいようにも思う。タラソワも浅田選手に「日本人のコーチを探せ」とアドバイスした。だが、長久保氏には鈴木明子選手がいる。鈴木選手は長久保コーチを信じて苦しい時期を過ごし、ついにオリンピック出場を果たした選手だ。今の時期に浅田選手が「割り込む」のは鈴木選手に対して失礼で、もし万が一そうするなら、鈴木選手の気持ちを一番に考えてのしっかりとした調整が必要だろう。決して簡単な話ではない。だが、こうした騒動に対してなら、浅田真央の所属事務所がやるべきことは、さほど難しくはないはずだ。「過去に一度もオーサーに接触したことは一切ない。今後もオーサーにコーチを依頼する予定も一切ない」。これをデタラメ報道を繰り返しているメディアに英語で届けることだ。今、煙が立っているのは主に韓国とアメリカ。報道するメディアも限られている。国内向けのメディアではきっぱり否定しているのに、海外のメディアに対しては積極的な情報伝達を一切行わないことが、このいつまでもやまない「浅田真央悪者説」を助長している。
2010.08.27
<きのうから続く>浅田選手は最初から、今さらの感もあるがオーサー自身も「オファーはまったくなかった」と否定しているのに、「間接的にオファーを受けていた」「コーチのオファーを受けたことはあるが、断った」「真央側は、今年初めから絶えずコーチの提案を行っていた」。ここまでデタラメを書かれたら、浅田真央の事務所も早めに間違いを間違いと指摘する行動を取るべきだろう。もしそれができないとしたら、浅田真央本人の意思とかかわりなく、水面下でオーサーに接触していた人間が周囲にいたのではないかという「別の疑念」を招くことにならないか。http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/sp20100428f1.htmlOrser says he was asked to coach Mao(以下、一部抜粋)The Japan Times contacted Mao's agent, Mariko Wada of IMG, on Sunday and asked her to provide some clarity on the issue."Very surprising," she wrote in an e-mail of the initial reports. "We never contacted him and never thought about it."Orser did not respond to an e-mail requesting further elaboration.2010年4月28日のJapan Timesのこの記事のタイトルは、「真央のコーチを頼まれたとオーサーが言った」となっている。これに対して浅田真央のエージェントは、「驚いている。オーサー氏にコンタクトを取ったこともないし、考えたこともない」と全面否定。それはそうだろう。浅田真央がオーサーにつく理由はまったくない。次のオリンピックはロシアのソチだ。バンクーバーでここまでコケにされたかつてのフィギュア王国が、カナダ勢をバンクーバー五輪と同様に扱うワケがないのだ。師弟関係の解消が決まり、キム・ヨナの事務所が話を蒸し返したとたん、「(浅田サイトからの)オファーはまったくなかった」と全面否定したオーサーのほうはといえば、当時詳細を求めるJapan Timesからのメールには答えなかったのだ。このときにすぐに「噂は事実無根」と明言しておけば、何も問題なかったはずなのに、あのときは曖昧な態度を取り、今になって否定するとはどういう思惑があるのか。キム・ヨナとその所属事務所の印象を悪くしたいからではないのか? 「浅田真央からのオファー」説を蒸し返したのはキム・ヨナの事務所であって、キム・ヨナ本人ではない・・・と思っている方がいたとしたら、それは違う。http://english.yonhapnews.co.kr/culturesports/2010/08/25/37/0702000000AEN20100825004900315F.HTMLKim said she wasn't always happy with Orser during the four years. On Tuesday, AT Sports said Kim and Orser had been on "awkward" terms since May, after Orser received an offer to coach Japanese skater Mao Asada, Kim's biggest rival. Kim said Wednesday that wasn't the only reason for their separation but she didn't elaborate.この英語の記事は、いかにも韓国系らしく、「オーサーが浅田真央からオファーを受けたOrser received an offer to coach Japanese skater Mao Asada」ことを前提として書いている。それから関係が悪化したことについて、25日にキム・ヨナ自身が、「それが決別のただ1つの理由ではない」と述べたのだ。そう言いつつも「詳細は明らかにしなかった」。つまり理由は浅田真央からのオファーだけではないが、それも理由の1つではあると間接的に認めたことになる。そもそも本人がそう言ったから事務所がそう発表したと見るのが筋だろう。自分の都合のいいときに、自分にとって都合のいい話しかしない人々に対して、どういう対応を取るべきか。考えるべき時だろう。もちろん、今回も浅田選手の事務所はオファー説を完全否定している。http://www.youtube.com/watch?v=EiOscyG9vcMだが、国内メディアにいくら言ってもあまり意味はない。国内の人間はもうすでに「オファーはしていない」ことを知っているからだ。問題は海外のメディアに正しい情報をどう伝えるかなのだ。キム・ヨナが韓国の至宝なら、浅田真央は日本の国宝なのだ。こうした問題は、本人を矢面に立たせるのではなく、周囲が「でっち上げ報道をしている機関」に正規の手続きで、断固たる抗議をしなければならない。間違ったことを報道機関に書かれたら、間違いだと指摘する。当然のことではないだろうか? 摩擦を恐れて黙っていては、あとから摩擦はさらに大きな亀裂に発展する。物事は問題が起こったときに片付けなくてはダメなのだ。自然治癒を待っていても、治らない病に取り付かれた人間は世界にゴマンといる。どうも浅田真央の事務所は、浅田真央のブランド価値に無頓着なのではないかと思うこともしばしばだ。女子フィギュアは今や大きなビジネスなのだ。キム・ヨナの2009年6月から2010年6月までの年収が970万米ドルだったことが先ごろ明らかになった。フィギュア競技の選手としては常識外の数字だ。昔ながらの無防備なアマチュア選手とは違う。競技はあくまでアマチュアなのに、ごく一部の選手は破格の収入を得るプロ。これほどのマネーが動くキム・ヨナブランドのイメージダウンを避けるために事務所は死に物狂いになっている。今回の師弟関係解消に関して、事務所の代表である母親やキム・ヨナ自身が悪者になるのはどうしても避けたいのだ。巻き添えをくった浅田選手にとっては迷惑以外の何物でもない。だが、こうした問題は、「放っておけば、いずれ真実が正しく伝わる」ものではない。4月の時点で、せめて英語のプレスリリースを公式ホームページにのせておけば、海外の報道機関も浅田真央サイドの公式見解を確認できたはずだ。確認しないままデタラメの報道をしたら、それはまたそれで、公式見解をよりどころにしてすぐに抗議もできる。4月の時点の対応が控えめだったために、またもこの話が蒸し返され、いいように尾ひれをつけられている。You TUBEでキム・ヨナ選手の「疑惑の採点」にまつわる動画がアップされると、素早く削除される。ところが浅田選手を誹謗したような動画はいつまでもほったらかしだ。捏造報道に対しては、1つ1つ具体的な対応を取らなければダメだ。いずれ沈静化するのを待っているだけでは、またいつか蒸し返される。こんなくだらない話に無駄なエネルギーを使うのはいかにも面倒だ。だが、面倒だからといって放っておけばいつの間にか、「オーサーとヨナの決別は、やはり浅田真央が割り込んだせい」というトンデモな話が、無知な韓国人ファンの間で定着し、海外でも吹聴されてしまうかもしれない。オーサーがやっと顔出しインタビューで全面否定したといっても、それは一回限りのこと。放っておけばやがて忘れられる。一方的に火の粉をかけられているのに、かけた相手に配慮する・・・それが日本人のおかしな態度だ。それはかえって将来に禍根を残す。これは一種の危機管理なのだ。ブランド価値を高め、良いイメージを維持すること。高級ブランドはその宣伝戦略にしのぎを削る。人気スポーツ選手のマーケティングも同様に考えるべきなのだ。「練習妨害」報道のときも、浅田選手自身が記者からの「本当に妨害したのか」などという無礼な質問に答えさせられていた。選手にこうした負担を負わせるのは間違っている。周囲が素早く断固たる態度を取れば、防げることではないだろうか。
2010.08.27
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