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1961年9月30日、21歳になる前にジョンは誕生日のお祝いに100ポンド親戚にもらったのでポールとスペインへ行こうと出発する。ジョンはビートルズのメンバー中、唯一の中流階級で、労働階級のポールには衝撃だった。ポールの発案で山高帽をかぶってヒッチハイクした。結局スペインへ行くことは断念して、フランスに1週間留まった。通りで写真の勉強に来ていたハンブルグで知り合ったドイツ人のユルゲン・フォルマ―に会った。彼の髪型が気に入ったジョンとポールは彼のホテルの部屋で、髪を切ってもらったのだが、彼と同じようにはならなかった。ちょうどそのころ、イギリスの9月28日付チャートでナンバー1シングルはジョン・レイトンの「ジョニー・リメンバー・ミー(霧の中のジョニー)」という曲でした。どっかで聞いたようだなと思ったら、大瀧詠一の「さらばシベリア鉄道」にそっくりでした。https://www.youtube.com/watch?v=7e4JXwd7XMo&t=33shttps://gejirin.com/beatles/history/1961/19610930_john_paul_paris.html【あす楽】【中古LPレコード】大滝詠一 ロング・バケイション
2022年09月30日
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きょうはビートルズについての過去の記事をお読みくださっている人たちのためにも、訂正しておくべきだと考えたので一部訂正させてもらいます。2012年4月1日の記事です。1969年のゲットバックセッションをすることに関してです。ビートルズは有名になり押しも押されもされないグループとなり、その発言力も絶大で解散することを惜しむ人たちが多くいたことは間違いないと推測できるのですが、そのセッションはもともと4人の合意のもとに始まっていました。https://beatlesdata.info/sp/14/getbacksession.html
2022年09月27日
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