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1965年の7月23日、ビートルズの10枚目のシングル、ジョン作曲の「ヘルプ!」とB面のポール作曲の「アイム・ダウン」が発売された。(アメリカは7月19日、日本は8月15日)曲名に!が付いているのは「助けて」だからとずーっと思っていたけど元々は違っていたようだ。この曲は彼らの主演映画のタイトルにもなっている。監督はリチャード・レスターで、映画は仮タイトルが「ビートルズ2」だったが「HELP」にしたいと思っていた。しかし、著作権の問題でそれは登録されているので使えないことが分かった。リンゴが「Eight Arms To Hold You」というタイトルを思いついたけれど、きっとそれじゃビートルズっぽくなかったのでしょう。あまりに彼らが忙しすぎたが故のその頃の心境を、そのままタイトルにした方がぴったりはまっていたのです。後でどうしても使いたいのなら!マークを付ければ大丈夫ということが分かったのです。昔、自分が生命保険に入るときに営業員から働いている会社名を書類に書くとき、○○会社が会社名の後になるのか先になるのかと聞かれたのを思い出しましたが、同じような意味なんでしょう。https://noname420.seesaa.net/article/473131027.htmlhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%97!_(%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%81%AE%E6%9B%B2)
2024年07月23日
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ある程度の年齢の人ならそろばんを持った芸人のトニー谷という人を知っているだろう。あのそろばんを使った芸はもともと坊屋三郎のアイデアだった。あの明石家さんまも真似をしたことがあるのを見た記憶がある。子供の誘拐事件は昔多くあったが、彼もまたその被害者になっていた。本名は大谷正太郎。芸能界時代はその本名さえ偽っていて谷正にしていた。しかし、嘘をつく理由はちゃんとあったのだ。お笑い芸人として生きていく為に、自身が育った複雑な家庭環境や生い立ちは妨げになると考えてのことだろう。自分の過去の一切を封印したのだ。それは有名人になった後、少年時代の遊び友達に呼びかけられても「人違いでしょう」と答えたり、軍隊時代の戦友の訪問に門前払いを食わせるなど徹底していた。誰にでも愛想を振りまく明石家さんまとは正反対の対応だ。1949年に日米野球のためにサンフランシスコ・シールズ(1903年から1957年までメジャーリーグ傘下のAAAに所属していたアメリカのプロ野球チーム)軍が来日した時の歓迎会の司会者がスケジュールの都合で出られなかった。そこでトニーが司会の代役となり芸人デビューとなった。世間にジャズブームが来てジャズコンサートの司会に引っ張りだこに。その後は東宝の専属の芸人となり1953年には出演映画が20本だった。なんと、E・H・エリックと岡田真澄兄弟もトニーによって発掘された。しかし、トニー谷の芸風はテレビ界では受け入れられなかったようだ。そのことが、1955年7月15日に起きたトニー谷長男誘拐事件に繋がったらしい。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BAhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%BC%E8%B0%B7
2024年07月15日
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