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2013年5月11日。この日1人の偉大なプロレスラーが現役引退を行いました。その選手の名は小橋建太。聖地であり小橋本人が何度もタイトルマッチを戦った日本武道館で行われた引退試合のチケットはあっという間に完売し、全国各地の映画館でもその模様が中継されることになったのですがそれも完売、私はやむを得ずスカパーの2週間お試し視聴によりBSスカパーで小橋最後の試合を見届けました。スカパーお試し視聴の手続きに手間取って第2試合後に行われた引退セレモニーは見ることができませんでしたが、実に多くの方が会場を訪れ、小橋にねぎらいの言葉をかけていました。まずは小橋本人が『AT』と呼び、仲の良かった『四天王』の1人である田上明・NOAH社長が花束を贈呈しました。その後、現役時代に小橋からGHCヘビーを奪ったこともあるGHCタイトル管理委員の力皇猛氏、さらにPWF会長である自民党衆議院議員・馳浩氏も駆けつけました。ちなみに会場には民主党衆議院議員である野田佳彦前首相も来ており、セレモニーでは小橋に花束を贈呈し握手をしていました。なおこの日は民主党大反省会という催しがあったのですが、民主党政権に引導を渡した張本人がこういう形で欠席しています(爆)。しかも野田前首相はリングサイド最前列に陣取って試合を楽しんでいました。その他リングサイドには長州小力らしき人物も映っていました。その他には大の小橋ファンであるAKB48の倉持明日香、全日本プロレス中継で小橋の試合を何度も実況した福澤『ジャストミート』朗アナらが、セレモニーに参列し、小橋の幅広い交流関係をうかがい知ることができました。続いて海外からは小橋とタッグを組んでいたジョニー・エースことジョン・ロウリネイティス氏からの手紙が読まれ、全日本時代に小橋のライバルであったスタン・ハンセン氏からはビデオレターでコメントが送られ、会場からは「ウィー!」コールが起きました。さらに力道山Jr.で全日本時代の先輩である百田光雄、全日四天王と同時期に活躍した新日・闘魂三銃士の1人で小橋とGHCヘビーをかけて戦ったこともある蝶野正洋もマットで小橋に花束を贈り、最後に四天王の1人であり、ライバルでもあった川田利明がテーマ曲に乗って登場し、小橋に声をかけていました。さらには第1試合を終えていた渕正信も来て3人で記念撮影を行いました。2000年に故・三沢光晴さんと一緒に全日本を離れNOAHに参加した小橋と、当時全日本に残った川田・渕の3人が並ぶ日が来るとは夢にも思いませんでした。この日のメインイベント・小橋引退記念試合の対戦カードは小橋建太、武藤敬司、秋山準、佐々木健介vsKENTA、潮崎豪、金丸義信、マイバッハ谷口でした。(60分1本勝負)赤コーナーは小橋と名勝負を繰り広げた選手達、そして青コーナーは小橋の歴代付き人達と、まさに小橋のために組まれたカードと言っていいと思います。最初に入場した青コーナー側は、金丸→KENTA→潮崎→マイバッハと、小橋の付き人になった順に入場しました。マイバッハ以外は5月11日現在タイトルホルダーでしたので、(金丸:世界ジュニア、KENTA:GHCヘビー、潮崎:世界タッグ)それを考えると『原点に遡る』という意味で順番を逆にしてもよかったと個人的には思いました。赤コーナーは健介→武藤→秋山の順に入場した後、長い間慣れ親しんだテーマ曲『GRAND SWORD』に乗って小橋が最後の試合を行うマットへ向け花道を歩きました。その小橋の腰には絶対王者時代のデザインであるGHCヘビー級のチャンピオンベルトが巻かれていました。なお日テレの実況は菅谷アナでした。個人的には数々の小橋戦を実況した矢島アナがよかったのですが、そうすると泣いてばかりで実況にならないのではなかったかと思います。また解説席には蝶野が座り、小橋の引退試合にふさわしい豪華な顔ぶれがそろいました。全日本の木原リングアナが小橋の名前をコールすると、オレンジ色や紫色など、小橋の今までのタイツと同じ色の紙テープがこれでもかというばかりに大量にリングめがけて舞いました。そして、運命のゴングが鳴って・・・と言いたいところですが、そろそろ字数制限が迫ってきましたので、試合内容については(ラストマッチ編)としてこの後書きたいと思います。それでは、これにて失礼。
2013年05月12日
今年のスポーツ界は大物選手の引退が相次ぎました。サッカーJリーグでは元日本代表で『ゴン』の愛称で親しまれてきた中山雅史選手が今季限りでの現役引退を表明し、プロ野球でもホークスのキャプテンとしてチームを引っ張って来た小久保裕紀選手や横浜・広島で活躍した石井琢朗選手、連続フルイニング出場試合の世界記録を持つ『鉄人』こと金本知憲選手と、長年にわたってファンに親しまれた選手達が現役生活に別れを告げました。そして昨日、プロレス界でも1人の偉大な選手が現役引退を表明しました。両国国技館で行われたNOAHの大会の試合のインターバルで、長期欠場中だった小橋建太選手がテーマ曲『GRAND SWORD』に乗ってスーツ姿で登場しリングに上がりました。四方に礼をした後に小橋は書状を取り出して読み上げました。まずは東スポなどで報道されてきた解雇や戦力外通知は事実無根であることを表明し、ファンを安堵させました。しかし、4年前から左足と左腕に力が入らないこと、医者から引退するか手術するしかないと言われて手術を行ってきたが、状態が思わしくなく、完全復帰が無理だと判断したことをファンに伝え、途中言葉に詰まりながらもファンからの小橋コールが鳴り響く中、自らの口で現役引退を表明しました。ですがこのままリングから去るのではなく、「もう一度だけリングに上がって完全燃焼してプロレス人生に区切りをつけたい。」と、引退試合を行うことをファンに告げました。その後小橋は、「自分がこんな風に引退宣言をする日が来るなんて思わなかったです。『小橋建太に世代交代は無い』と言ってたから、こんな日が来るとは思わなかった。でも時代は進んでいます。人間、こういう時は来ます。でもこれからもう一度頑張って、この充実したプロレス人生に負けない人生を進みたいと思います。どうもありがとうございました。」と語り、もう一度四方に礼をしてチャンピオンとして何度も立った赤コーナーに立ち、そしてリングを降りて花道を去って行きました。その時にもファンからの声援に何度も何度も応えていました。5度にわたる膝の手術を行ったりガンを患って腎臓を摘出したりしてもファンの前にその姿を現して活躍したことから、プロレス界の『鉄人』として親しまれてきた小橋でしたが、長年の激しい戦いの代償は大きなものでした。ですが全日本時代からの先輩である故・三沢光晴さんのような形ではなく引退試合を行ってから現役引退ができることは幸せなのかもしれません。小橋が引退試合をいつ、どこで、誰とやるのかについてはまだ白紙ですが、もし見に行けるのであれば会場に駆けつけて、プロレスを愛し、プロレスに愛された男の完全燃焼を目に焼きつけたいと思います。それでは、今日はここまで。
2012年12月10日
日曜日まで福岡国際センターで開催されていた大相撲九州場所は横綱・白鵬の優勝で幕を閉じました。通算で23度目、九州場所は6年連続の優勝を決めた横綱は一夜明けて会見を行い、「優勝とはこういうものだと。改めていいなと思った。お酒がジュースのように感じました。年6場所で優勝2回はちょっと足りない感じはするが、私の中では最高の形で締められた。」と語りました。一方で新横綱・日馬富士は中盤まで良かったものの終盤で5連敗して9勝6敗という散々な結果に終わってしまいました。26日に開かれた横綱審議委員会の定例会合ではそんな日馬富士への厳しい意見が相次ぎました。中でも鶴田卓彦・横審委員長は「10番勝てなくては横綱の資格はない。自覚を持ってほしい。(昇進が)早かったのかもという気持ちもある。横綱に推薦した我々の責任かもしれない。」というコメントを残しました。2場所連続全勝優勝で横綱昇進した日馬富士ですが、10勝もできないというのは確かに横綱としてどうかと思います。横綱になるまでの相撲を思い出して、来年の初場所は奮起してもらいたいと思います。そして来年こそ2横綱を脅かす日本人力士が出てきてくれることを願っています。それでは、今日はここまで。
2012年11月26日
昨日に続いて今日も大相撲の話題です。昨日、太宰府天満宮で奉納土俵入りを行った新横綱・日馬富士ですが、今日は福岡市博多区にある住吉神社で、先輩横綱・白鵬と土俵入りを披露しました。3年ぶりに2横綱揃い踏みとなったこともあり、住吉神社には集まった約3,500人のファンからは大きな拍手が起こりました。ちなみにこの後日馬富士は熊本県玉名市でも奉納土俵入りを披露しました。横綱に昇進後、場所前まで多忙なスケジュールをこなしていますが、福岡国際センターで見事な横綱相撲を見せてくれることを期待しています。それでは、今日はここまで。
2012年11月03日
今月11日から初日を迎える大相撲九州場所ですが、月曜日には新番付が発表され、着々と準備が進んでいます。そんな中、今場所最も注目を集めている新横綱・日馬富士が、所属する伊勢ヶ濱部屋が宿舎としている太宰府天満宮で奉納土俵入りを行いました。真新しい横綱と化粧まわし姿で登場した日馬富士は、本殿前で不知火型の土俵入りを披露しました。入門当時から九州場所の時には太宰府天満宮の境内で稽古を行ってきたこともあり、「運命と皆さんに感謝しながら、心を込めて土俵入りしました。九州場所では一番一番を全身全霊でぶつかりたい。」と語っていました。新横綱の場所は誰でも緊張すると言われていますが、横綱の名に恥じない立派な相撲を取って九州場所を盛り上げてもらいたいと思います。それでは、今日はここまで。
2012年11月02日
来月11日に初日を迎える大相撲九州場所の前売券の販売が、会場となる福岡国際センターで始まりました。今回の九州場所では新横綱・日馬富士が先月誕生しましたので、平成22年初場所以来東西の横綱が揃いました!販売開始となった午前10時には、すでに窓口に160人が列を作っており、昨年よりも20人ほど多く並んだことになります。九州場所担当部長である楯山親方(元関脇玉ノ富士)も前売り券の売れ行きに新横綱効果を感じているようでした。また、前売券購入者の中には、地元出身で今場所カド番を迎える大関・琴奨菊の奮起を期待しているファンもいました。今年1年の納めとなる九州場所を制する力士は誰なのか、早くも気になるところです。それでは、今日はここまで。
2012年10月06日
先日行われた大相撲秋場所で2場所連続全勝優勝を果たし、見事に昇進を果たした新横綱・日馬富士が28日に明治神宮で不知火型の土俵入りを初披露しました。26日に伝達式で横綱昇進の使者を迎えた日馬富士は、「謹んでお受けします。横綱を自覚して、全身全霊で相撲道に精進します。」と四字熟語入りの口上を述べました。翌27日には関取衆が伊勢ヶ濱部屋に集まって綱打ちが行われ、真新しい横綱ができ上がりました。日馬富士は小柄ですので先輩横綱・白鵬の綱よりも短いそうです。その後日馬富士は師匠で元横綱・旭富士の伊勢ヶ濱親方から不知火型の土俵入りの稽古をつけてもらいました。日馬富士は汗だくになりながら師匠から型を学んでいました。そして28日、明治神宮で横綱推挙式の後に奉納土俵入りを行い、太刀持ちに安美錦、露払いに宝富士を従え約3,000人のファンの前で見事に不知火型の土俵入りを披露しました。11月に行われる九州場所では毎日新横綱の土俵入りが見られることだと思いますが、その前に伊勢ヶ濱部屋が九州場所の宿舎としている大宰府天満宮でも奉納土俵入りが行われる予定です。九州場所では日馬富士の『全身全霊』の土俵入りが楽しみですね。それでは、今日はここまで。
2012年09月28日
大相撲秋場所は今日千秋楽を迎えました。名古屋場所で全勝優勝を果たした大関・日馬富士が綱取りに挑戦した場所でしたが、その期待にこたえて14連勝し、千秋楽ので1敗の横綱・白鵬との対決を迎えました。横綱審議委員会(横審)が定めた横綱昇進の内規には「大関で2場所連続優勝、またはそれに準ずる成績」というものがあります。すでに名古屋場所で優勝、万が一千秋楽で優勝を逃しても『それに準ずる成績』で昇進を考えている横審委員もいましたが、ファンとしては『(本割で決めて)全勝優勝での綱取り』を期待しているはずです。そして迎えた千秋楽結びの一番、東には横綱・白鵬、西には大関・日馬富士が入りました。会場には『日馬富士』のサインボードを持ったファンも陣取っていました。横綱の意地と横綱昇進にかける思いがぶつかったこの一番は1分30秒以上の大相撲となりましたが、終始良い形となっていた日馬富士が白鵬を寄り切ろうとしますが、白鵬もそれをこらえます。最後は日馬富士が渾身の下手投げで白鵬を降し、貴乃花(現・貴乃花親方)以来となる2場所連続全勝優勝を決めました!ちなみに国技館には元・朝青龍も駆けつけ、『弟分』としてかわいがっていた日馬富士の快挙を祝っていました。これで日馬富士は横綱昇進の内規を完璧な形でクリアしましたので、日本相撲協会の北の湖理事長と鏡山審判部長は明日の横審で日馬富士の横綱昇進を諮問することを決めました。横審での横綱への推薦、26日の番付編成会議を経て、晴れて70代横綱・日馬富士が誕生することになります。横綱昇進で話題になるのが土俵入りの型ですが、師匠である伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)は不知火型でしたので、日馬富士も不知火型を選ぶといわれています。そうなると白鵬も不知火型ですので、横綱制度ができて以来初めて不知火型の横綱が一度に2人も在位することになりました。11月に行われる九州場所では久々に2人の横綱が見られることになります。それはそれで楽しみですが、できれば日本人力士の成長を願いたいと思います。それでは、今日はここまで。
2012年09月23日
昨年、大相撲で幕内最多となる1,047勝を記録し、惜しまれつつ現役引退した元大関・魁皇の浅香山親方が本日5月27日、両国国技館で断髪式を行いました。先日まで熱戦となった大相撲夏場所が行われていた両国国技館にはファンや講演会関係者らおよそ1万人が人気力士の断髪式を見るために駆けつけました。紋付羽織袴姿で土俵に現れた浅香山親方の大銀杏には、多くの関係者によって鋏が入れられました。浅香山親方と同じく昭和63年春場所初土俵の貴乃花親方や元横綱・曙から、同じ一門で現在一人で横綱の地位を守っている白鵬までもが鋏を入れました。大相撲ファンにとってはこうした大物が一堂に会する瞬間と言うのも断髪式の魅力の1つなのかもしれませんね。あと、やっぱり弟との確執から虎上さんは来なかったんでしょうか?(爆)また角界以外からも著名人が断髪式に出席しました。政界からは浅香山親方と同じ筑豊出身の麻生太郎元首相が、スポーツ界からは『なでしこジャパン』の佐々木則夫監督や、ボクシング・WBC世界スーパーフェザー級王者の粟生隆寛選手が浅香山親方の大銀杏に鋏を入れました。他の力士の断髪式の時と同じく、時おり涙を見せることもありました。そして、現役時代と同じく国技館に大『魁皇』コールが鳴り響く中、師匠の友綱親方によって止め鋏が入れられ、20年以上にわたって苦楽をともにしてきた大銀杏に別れを告げました。大銀杏の無くなった浅香山親はと友綱親方と並んで、国技館の四方に頭を下げ、ファンに『大関・魁皇』として最後の挨拶を行いました。その後浅香山親方は床屋さんによって整髪されてオールバックとなり、紋付羽織袴姿からスーツ姿となって再びファンの前に姿を現しました。断髪式を終えた浅香山親方は、「やっと皆さんと同じ格好になった。頭が軽くなった。個性を生かし、応援してくれる人を引き付けられるような力士を育てたい。」と改めて親方として後進の育成に力を入れることを誓いました。浅香山親方には自分と同じく福岡からダイヤの原石を見つけ出してもらい、自分と同じ大関か、可能であれば横綱を育ててもらいたいと思います。改めて約23年の現役生活、大変お疲れ様でした。それでは、今日はここまで。
2012年05月27日
先日まで行われていた大相撲春場所は、横綱・白鵬が22回目の優勝を飾りましたが、白鵬と星が並んで優勝決定戦を戦った関脇の鶴竜(井筒部屋)が直前3場所の勝ち数が33勝に達成し大関昇進要件を満たしたことから日本相撲協会は今日、大阪府立体育会館で夏場所の番付編成会議と理事会を開き、鶴竜の大関昇進を満場一致で決定しました!早速昇進伝達の使者が井筒部屋の宿舎に出向き、鶴竜と井筒親方に大関昇進を伝達しました。モンゴル出身の鶴竜は日本語で、「これからも稽古に精進し、お客さまに喜んでもらえるような相撲が取れるよう努力します。」と口上を述べました。ちなみに伝達の使者の1人が錣山親方(元関脇・寺尾)であり、井筒親方(元関脇・逆鉾)の実の弟にあたります。これも何かの縁ではないかと思います。なお、先場所まで大関が最多タイの5人おりましたが、鶴竜の昇進によって史上初の6大関時代に突入しました。(琴欧洲、日馬富士、把瑠都、琴奨菊、稀勢の里、鶴竜の6人)平幕上位の力士にとっては場所中の約半分が横綱・大関戦となります。また同じ佐渡ヶ嶽部屋の琴欧洲・琴奨菊以外の4人は15番中6番が横綱・大関戦です。昨年は八百長メール問題で汚点を残した大相撲でしたが、6大関時代となってより白熱した戦いを見せてくれるよう、各力士には頑張ってもらいたいと思います。それでは、今日はここまで。
2012年03月28日
去る12月4日、大分県宇佐市にある宇佐神宮で、大相撲の横綱・白鵬が奉納土俵入りを行いました。これは宇佐市出身の大横綱・双葉山生誕100周年記念事業として現在大相撲に君臨する一人横綱を宇佐に招いて行われたものです。宇佐神宮での奉納土俵入りは73年前に双葉山が行って以来であり、この時の双葉山は現在の白鵬と同じ26歳でした。白鵬の横綱土俵入りは『不知火型』ですが、この日だけは双葉山と同じ『雲龍型』の土俵入りを披露しました。白鵬本人が「多少緊張したが、すべてが新鮮に感じた。」と語っていましたが、その姿を見た大相撲ファンにも新鮮に映ったはずです。ちなみに不知火型と雲龍型では綱の形も異なります。(不知火型は輪が2つ、雲龍型は輪が1つ。)このため白鵬は先日まで行われていた九州場所で締めていた綱を切って短くし、雲龍型の形に合わせて調節したそうです。(綱は来年の初場所前に新調するので問題無いそうです。)白鵬の連勝は63でストップしてしまいましたが、再び双葉山の69連勝にチャレンジしてもらい、それを超えた時には再び宇佐神宮で奉納土俵入りを行ってもらいたいと思います。それでは、今日はここまで。
2011年12月06日
11月27日まで福岡国際センターで大相撲九州場所が行われており、結果は横綱・白鵬が圧勝でまたも優勝という結果に終わりました。そんな中で今場所の注目の1つとして関脇・稀勢の里の大関取りがありました。通常、大関昇進の基準は3場所で33勝です。稀勢の里は前2場所で22勝しており、基準を満たすには九州場所で11勝が必要でしたが、実際の結果は10勝で3場所合計で32勝となり、基準にあと1勝満たない結果となりました。32勝で大関に昇進した例は直近では千代大海(現・佐ノ山親方)がいますが、これは直前の場所で優勝していることもあって昇進することになったのですが、稀勢の里は1回も幕内優勝を経験していません。それでも日本相撲協会の貴乃花審判部長は「場所前に師匠(先代鳴戸親方:元横綱・隆の里)を亡くす不遇にもかかわらず活躍した精神的な部分もさることながら、実力もある。」と評価し、放駒理事長(元大関・魁傑)に大関昇進を諮る臨時理事会の開催を要請し、理事長もこれを了承したことから、30日に番付編成会議と臨時理事会が開催され、満場一致で稀勢の里の大関昇進が決まりました。これを受けて福岡市内にある鳴戸部屋宿舎に協会から昇進伝達の使者が訪れました。現・鳴戸親方(元幕内・隆の鶴)とともに使者を迎えた稀勢の里は、「ありがとうございます。謹んでお受けします。大関の名を汚さぬよう精進します。」とシンプルな口上を述べました。前場所に大関昇進を果たした琴奨菊の口上のように四字熟語を使用しなかったことについて稀勢の里は、「シンプルな方が伝えられると思った。」とその理由を語っています。昇進基準に満たない状態で大関に昇進した事もあり、稀勢の里にとってはこれからが正念場となることだと思います。しかしそのような声を一掃するような活躍を見せてもらいたいと思います。それでは、今日はここまで。
2011年11月30日
昨日から大相撲九州場所が福岡国際センターで開催されています。今日は2日目の取り組みが行われましたが、昨年の九州場所2日目と言えば白鵬が稀勢の里に敗れ連勝が『63』でストップした日です。そしてその日から1年たった今日、白鵬は隠岐の海を寄り切りで倒し2連勝し、師匠の急死を乗り越えての大関取りを目指す稀勢の里は阿覧を突き出しで破り、こちらも2連勝しました。また新大関の琴奨菊は苦手とする豪栄道を寄り倒しで破り、やはり2連勝しています。前半は格下相手にいかに星を落とさないか、そして後半は直接対決でどれたけ勝つことができるかが重要です。稀勢の里には文句なしの成績で大関になってもらいたいところですが、横綱・白鵬や先に大関になった琴奨菊には壁となってもらいたいところでもあり、それぞれ負けて欲しくないと思います。白鵬の独走ではなく、複数の日本人力士達がきちんと優勝争いに加わって九州場所を盛り上げてもらいたいと思います。それでは、今日はここまで。
2011年11月14日
今日から福岡国際センターで大相撲九州場所が始まりました。今場所の注目はご当地出身の新大関・琴奨菊と、大関昇進を目指す関脇・稀勢の里です。しかしながら九州場所を前にして悲しいニュースが入って来ました。それは日本シリーズで中日が2連勝・・・ではなく稀勢の里の師匠であった元横綱・隆の里の鳴戸親方が急逝したのです。11日に鳴戸部屋のある千葉県松戸市内で営まれた葬儀・告別式に参加した稀勢の里はすぐさま本場所が開かれる福岡市に戻りました。元幕内・隆の鶴が新親方となって再スタートを切った中、稀勢の里は初日前にもかかわらず4時間以上にわたる猛稽古を行いました。そして迎えた九州場所初日、稀勢の里の相手は過去9勝9敗の旭天鵬でしたが、みごとに寄り倒して白星で飾りました。大関昇進には今場所11勝以上が目安とされています。大相撲の人気回復のためにも、そして亡き師匠の恩に報いるためにもぜひとも大関昇進を果たしてもらいたいと思います。なお、ご当地場所で新大関として最初の土俵を踏んだ琴奨菊は、栃ノ心を寄り倒しで破り、こちらも初日を白星で飾りました。このところ横綱・大関が外国人力士ばかりとなっていますが、新大関の琴奨菊と大関を目指す稀勢の里の『ほぼ同期コンビ』が活躍することで大相撲をより面白くしていって欲しいですね。それでは、今日はここまで。
2011年11月13日
11月13日より、福岡国際センターで大相撲九州場所が開催されます。すでに30日には新幹線で若手力士たちが福岡入りし、博多の街にびんづけ油の香りが漂う季節となりました。そして今日31日には番付が発表されました。中でも1番の注目は新大関の琴奨菊関(佐渡ヶ嶽)です。ご当地・福岡県柳川市出身であり、4年ぶりに誕生した日本人大関ですので大相撲ファンからは大きな期待が寄せられることだと思いますが、大関の所に初めて自分のしこ名が載った番付を見た琴奨菊は、「嬉しい。気合が入ります。関脇と大関は一つしか違わないけど、知名度も環境もすべてが違う。色々考えると緊張するので、自然体で今まで通りにやりたい。」と語りました。ちなみに大関に昇進すると給料が関脇時代よりぐんと増えるのはもちろんですが、・両国国技館へ自家用車の乗り入れ可能・飛行機でファーストクラスの使用が可能・新幹線でグリーン車の使用が可能など、待遇も良くなります。それだけ大関が責任の大きな地位であることが分かりますね。地元ファンの声援を受けて琴奨菊が九州場所で大活躍してくれることを願っています。それでは、今日はここまで。
2011年10月31日
先日大関昇進を果たした大相撲の琴奨菊関が、生まれ故郷の福岡県柳川市で今日開催された大関昇進を祝う水上パレードに参加しました。琴奨菊は13日から故郷入りをしており、真っ先に実家で亡き祖父の仏前に大関昇進を報告しました。子供のころに相撲を教えてもらい、大相撲入りのきっかけとなった恩人ですので、特別な思いがあるのではないかと思います。そして今日15日は朝から柳川名物の川下りに使用されるどんこ舟に乗り込み、縁起を担ぐため川下りで使用される掘割を逆行する『川上り』のコースで水上パレードが行われました。掘割沿いの道には地元から誕生した新大関を見るために大勢のファンが集まり、琴奨菊に拍手や歓声を送っていました。その後琴奨菊は三柱神社の前で船を下りて神社に参詣し、近くの公園で金子健次・柳川市長から同市初の市民栄誉賞を授与されました。琴奨菊は地元の方々やファンに対し「皆さんに恩返しできるよう頑張ります。」と語りました。来月には早速福岡国際センターで九州場所が開催されます。地元の期待を背負った琴奨菊のさらなる活躍を期待しています。それでは、今日はここまで。
2011年10月15日
去る9月28日、日本相撲協会は両国国技館で九州場所の番付編成会議と理事会を開き、満場一致で関脇・琴奨菊の大関昇進を決定しました!これにより、琴奨菊と同じ福岡県出身の元大関・魁皇(現・浅香山親方)が引退後の『大関以上に日本人が不在となる状態』は1場所で解消されることになりました。その日のうちに協会から昇進を伝える使者が琴奨菊が所属する佐渡ヶ嶽部屋に派遣され、師匠・佐渡ケ嶽親方夫妻とともに昇進の知らせを聞いた琴奨菊は、「謹んでお受けいたします。大関の地位を汚さぬよう『万里一空』の境地を求めて、日々努力、精進いたします。」と口上を述べました。琴奨菊は口上で使った『万里一空』という四字熟語について、「剣豪・宮本武蔵の兵法書『五輪書』から引用した。」「相撲を教えてくれた亡き祖父・一男さんの名前から『一』という文字を使おうと思った。」と語りました。琴奨菊の地元・福岡県柳川市では早速市民会館に昇進を祝う垂れ幕が掲げられ、観光名所の川下りのコースにも横断幕が掲げられました。また、柳川市の金子健次市長や福岡県の小川洋知事も魁皇以来となる郷土出身の大関誕生についてお祝いのコメントを発表しました。琴奨菊にはこうした地元からの期待に応えて、まずは九州場所で活躍してもらい、そして将来的には綱取りも果たして末長く愛される強い力士になって大相撲とその人気を支えていってもらいたいと思います。それでは、今日はここまで。
2011年09月29日
大相撲秋場所は昨日千秋楽を向かえ、横綱・白鵬が2敗しながらも通算20度目の幕内最高優勝を達成しました。また今場所はその白鵬に土をつけた琴奨菊・稀勢の里の両関脇がそれぞれ12勝3敗の成績を残しました。これで琴奨菊の大関昇進がほぼ決定し、稀勢の里の来場所での大関取り挑戦も決まりました。特に琴奨菊については11月に福岡国際センターで開催される九州場所で、先場所引退した魁皇(現・浅香山親方)以来の福岡出身の大関が誕生することになり、生まれ故郷である福岡県柳川市は琴奨菊フィーバーが起こり、市民栄誉賞の授与が決まったり、観光資源の掘割を使って川下り凱旋パレードも検討されています。26日に佐渡ヶ嶽部屋で会見を行った琴奨菊は大関昇進について、「自分自身がその地位になるのは夢みたいで嬉しい。」と語っていました。正式には28日に開催される番付編成会議とその後の理事会の承認を経て決まりますが、すでに琴奨菊は伝達式の使者を迎えるときの口上を考えており、かつての二子山部屋の力士達のように四字熟語を含める予定だそうです。報道陣には『焼肉定食』と冗談を言っていましたが、実際の伝達式でどのような言葉が琴奨菊の口から述べられるか楽しみですね。九州場所では琴奨菊・稀勢の里ら日本人力士達が奮起して、不祥事の連続で一度は地に落ちた大相撲の人気を高めてくれることを願っています。それでは、今日はここまで。
2011年09月26日
8月27日、東日本大震災復興支援を目的としたチャリティープロレス興行『ALL TOGETHER』が、日本武道館で開催されました。私は仕事があって生で観戦することはできませんでしたが、東京地区ではテレ朝(ワープロ)と日テレ(特番)と2局で放送されていましたので、その内容を見ての感想を語ろうと思います。メインの三団体のヘビー級王者そろい踏みと、セミの武藤&小橋タッグはテレ朝でも日テレでも放送されていましたが、プロレス班に所属するアナウンサーによる安心できる実況と毒舌を出しつつもたまに技術的な解説までする鈴木みのるの存在もあってか内容は日テレの方が良かったのではないかと思います。メインは三人の王者それぞれが持ち味を出した形となりました。32年前に『夢のオールスター』で実現した鶴田・藤波・マスカラスによるトリプルドロップキックがこの日、3人の王者によって再現されました。フィニッシュもKENSO相手に潮崎の豪腕ラリアット、諏訪魔のラストライド、棚橋のハイフライフローと3人の必殺技が見事に決まって勝利をおさめました。セミの試合では先日長期欠場から復活したばかりの小橋が、ガウンやタイツにオレンジ色の模様がついていたのが印象的でした。オレンジと言えば、小橋・武藤がそれぞれ若い時代に身に着けていたコスチュームの色です。そして試合でもCHAOSの飯塚・矢野相手に2人の代名詞であり共にひざを痛める原因となったムーンサルトプレスの競演を見せてくれました。三銃士・四天王時代を知るファンにとっては込み上げてくるものがあったと思います。テレ朝が通常のワープロの30分枠であったのに対し、日テレは特番の1時間枠での放送だったこともあり、上記2試合に加えて禁断のノーフィアー再結成とジュニア10人タッグの2試合も放送されていました。今までの経緯があって再結成は不可能と思われていた高山&大森のノーフィアーでしたが日本の一大事ということもあって奇跡的に再結成されました。しかしながら大森さんは良くも悪くも変わっていないなぁという印象でした。試合に敗れた大森さんをかつてのライバル・秋山が起こして握手するのかと思いきや、リングの外にぶん投げるという見事な『オチ』がついた試合でした。ジュニア10人タッグは赤コーナーにIWGPJr.(田口&デヴィッド)、GHCJr.(鼓太郎)、世界Jr.(KAI)の各王者が揃い、青コーナーでGHCJr.王者の金丸&KENTAが迎え討つという豪華な試合となりました。ジュニアらしいスピード感あふれる試合でしたが、金本とKENTAによる顔面ウォッシュの競演や、田口&デヴィッドによる息の合った同時顔面キック&ノータッチトペ、相手に至近距離でつばを吐きかけるなど平柳の悪童ぶりも印象に残りました。なお、メインの試合後に参加選手達が一斉にリングに集まり大会テーマ曲を熱唱した後、IWGP王者の棚橋がマイクを握り、来年2月19日に仙台で『ALL TOGETHER』を開催するというサプライズが発表されました。復興支援が1回限りで終わらないというのも『アリ』なのではないかと思います。仙台での『ALL TOGETHER』でも武道館に負けないくらい素晴らしい試合が行われ、チャリティー興業が成功することを願っています。それでは、今日はここまで。
2011年08月28日
先月行われた大相撲名古屋場所で史上最多となる1,047勝を挙げた後惜しまれつつ現役を引退した元大関魁皇の浅香山親方が、現役引退後初めて生まれ故郷の福岡県直方市に戻って来ました。浅香山親方は奥様や師匠の友綱親方らと19日に直方市役所などを表敬訪問し、約23年の現役生活の労をねぎらわれました。そして今日20日には直方市感田にある明治屋産業びっくり市にて福岡県民栄誉賞と直方市特別市民文化栄誉賞の表彰式が執り行われ、約1,500人のファンが詰めかけました。表彰式で浅香山親方は「このような名誉ある賞をいただけたのも、皆さんの応援があってこそです。これからは一親方として相撲界、部屋のために頑張っていきます。」と語りました。なお、引退相撲は来年5月27日に両国国技館で行われる予定です。現役時代は大関止まりではありましたが、今後は親方として日本人横綱を育ててくれることを願っています。それでは、今日はここまで。
2011年08月20日
先日、大相撲名古屋場所で現役最多勝利記録を更新したばかりの大関・魁皇でしたが、今場所は座骨神経痛に悩まされて18日までに6敗を喫し、今日の取組で同じ大関の琴欧洲に押し出されて7敗目を喫しました。取組後魁皇は師匠の友綱親方と話し合って現役引退することを決めました。魁皇はすでに名跡を取得している年寄『浅香山』を襲名し、友綱部屋付きの親方として後進の指導に当たることになります。各報道機関に対して魁皇は次のようなコメントを残しています。「やっと終わったな、長かったと思う。振り返れば、いろんな人に支えられ、応援してもらった。そういう人たちがいたから、ここまでやってこれた。23年間の相撲人生は長い。簡単には振り返れないけど、すべての人に感謝したい。言葉にできないほど感謝でいっぱい。魁皇としての人生は最高でした。」大記録を達成した直後の現役引退だけに魁皇の地元・福岡県直方市では引退を惜しむ声や、23年間の現役生活をねぎらう声が送られました。角界の中からも魁皇の引退を惜しむ声が多数寄せられました。放駒理事長をはじめ魁皇と同じ立浪一門の横綱・白鵬、昭和63年春場所に初土俵を踏んだ同期の貴乃花親方、お互いに切磋琢磨し合った元大関・栃東の玉ノ井親方や元大関・武双山の藤島親方それまでの最多勝記録保持者だった元横綱・千代の富士の九重親方らが引退を惜しみ、ねぎらいのコメントを残しました。魁皇の引退によって大関以上の地位に日本人力士が1人もいなくなることになるのは寂しいですね。願わくば現在大関取り挑戦中で同じ福岡県出身である関脇・琴奨菊に頑張ってもらいたいと思います。魁皇関、23年間の現役生活本当にお疲れさまでした。それでは、これにて失礼。
2011年07月19日
昨日、元横綱・千代の富士と並ぶ通算1,045勝目を達成した大関・魁皇ですが、今日は旭天鵬を左四つから寄り切りで降し、新記録となる1,046勝目を挙げました!!前日のタイ記録達成時には元横綱・千代の富士の九重親方からも祝福を受け、「ここまできたら追い越してほしい。」と魁皇に声をかけました。そして愛知県体育館に『魁皇』コールが響き渡る中で新記録がかかった今日の一番では旭天鵬の右上手を引いて左四つという魁皇が最も得意とする形を作ると、じわじわと土俵際に寄り、見事に寄り切りました!新記録を達成した魁皇でしたが、「数字のことを言われても、やっと序盤が終わっただけ。黒星先行になっているのに喜んではいられない。」と、心は今場所の勝ち越しへと向かっているようでした。魁皇の地元・直方市を流れる遠賀川では新記録達成を祝って10発の花火が上がりました。また直方市からは『特別市民文化栄誉賞』を魁皇に授与することを発表しました。これからも魁皇には体力が続く限り勝ち星を重ねていってもらい、地元や相撲ファンを勇気づける相撲を取っていってもらいたいと思います。改めて魁皇関、新記録達成おめでとうございます!それでは、これにて失礼。
2011年07月14日
半年ぶりの本場所となった大相撲名古屋場所では大関・魁皇の史上最多勝記録が注目されていました。しかし大記録達成へのプレッシャーなのか、3日連続黒星を喫していました。そして迎えた今日の4日目、豊ノ島と対戦した魁皇は、立ち合いからすぐさま豊ノ島を突き落としで降し、元横綱・千代の富士と並ぶ史上最多タイ記録となる通算1,045勝を達成しました!!魁皇は昭和63年春場所で初土俵を踏み、同期に曙・貴乃花・若乃花と3人の横綱がいます。そのようなライバルの多い中で苦労して大関に昇進し、度重なるけがに悩まされながらも白星を重ねてきました。地元・福岡県直方市では魁皇が勝利すると遠賀川に花火が上がることで知られています。しかし、18年にわたって花火を打ち上げ続けていた花火師の新谷嘉昭さんが今年の1月にお亡くなりになったため、今場所は魁皇後援会の事務局の方が臨時の免許を取得して打ち上げています。今日はタイ記録達成ということで5発の花火が遠賀川に上がったそうで、新記録達成時には10発の花火が上がる予定です。早く新記録となる1,046勝を達成して、遠賀川に10発の花火が上がることを願っています。それでは、今日はここまで。
2011年07月13日
八百長問題などで揺れていた大相撲でしたが、先日五月場所を技量審査場所として無料公開することになりました。しかしNHKはこの場所の中継を行わないことを発表しておりました。これでは両国国技館に直接足を運ばないと大相撲を見られなくなるところでしたが、なんと動画共有サイトのニコニコ動画(ニコ動)で、序ノ口の取組から幕内の結びの一番まで生中継されることになりました。ニコ動と大相撲中継は今まで接点がほとんどありませんでしたが大相撲の不祥事が原因とはいえ、新たな接点が生まれたことはとても画期的なことだと思います。しかもネット配信ならば世界中の人が生中継を見ることができるというメリットもあります。そんな状況であれば力士の皆様も八百長なんてできないでしょう。こうした日本伝統の文化がネットで配信されることはもはや時代の流れだと思います。そのうち歌舞伎や落語なんかもニコ動で配信される日が来るかもしれませんね。それでは、今日はここまで。
2011年04月29日
東日本大震災の復興支援を目的としたスポーツイベントと言えばサッカーの日本代表vsJリーグ選抜の試合やプロ野球12球団によるチャリティーマッチが最近開催されましたが、プロレス界でもチャリティー興業の開催が実現しそうです。本日4月18日、新日本・全日本・NOAHのメジャー3団体の社長と各団体のヘビー級シングル王者(IWGP・三冠・GHC)、そして東京スポーツの社長がそろって会見を行い、東日本大震災復興支援チャリティープロレス『ALL TOGETHER』を8月27日に東京・日本武道館で開催することを発表しました。かつて1979年8月26日に、今回と同じく東京スポーツ主催で『プロレス夢のオールスター戦』が日本武道館で開催されましたがそのオールスター戦が32年ぶりに開催されることになりました。32年前は東京スポーツ創立20周年記念という名目でしたが、今回は未曾有の大災害を受けて東京スポーツ側が、「より大きな支援の輪にするため、団体の垣根を越えて力を合わせ、ビッグ・チャリティーマッチを行なうべきではないか。」という考えから、32年前と同じ3団体合同による興業を行うことになりました。8月27日という日程は『32年前の8月26日の明日に熱い思いを届けたい。』という想いから決まったそうです。当日は8~9試合程度を予定していますが、対戦カードは未定です。個人的にはファンが見たいカードを公募してもらいたいと思います。被災地の方々に希望を与えるような大会になるといいですね。それでは、今日はここまで。
2011年04月18日
今年、一部の力士による八百長問題によって、大相撲春場所は中止となってしまいました。そして4月になって日本相撲協会は八百長に関わった力士らに引退勧告を出し、処分を受けた力士は全員が引退届を出しました。現役時代に八百長に関与した親方1名は退職届を出さなかったことから解雇処分にしました。それから数日後、日本相撲協会は本来来月に両国国技館で開催される夏場所について、通常通りに『興業』としての開催を行わずに力士の技量審査の場所として無料公開することを発表しました。名称も『5月場所』ではなく『5月技量審査場所』となります。なお天皇賜杯や各種表彰、そして懸賞金も今回はありません。またNHKも場所の中継を行わないことを決めました。そして協会は東日本大震災の被災地で力士たちが慈善活動を行うことを4月11日から24日まで許可することを発表しました。八百長問題はまだ終わったわけではありませんが、力士の皆さんには被災地での支援活動を行ったり、土俵での正々堂々とした戦いを見せたりすることで大相撲復興へ頑張ってもらいたいと思います。それでは、今日はここまで。
2011年04月07日
日本の国技『相撲』が存続の危機に立たされています。というのも、昨年の野球賭博問題の捜査の中で押収した力士たちの携帯電話の中から、無気力相撲、つまり八百長を行ったとされる痕跡のあるメールが見つかってしまったのです。これを受けて日本相撲協会は今日、両国国技館で臨時理事会を開き、来月13日から大阪府立体育会館で初日を迎える予定だった大相撲春場所の中止を正式決定しました。戦後に空襲で被災した国技館の修理が遅れたために本場所が中止になったことはありましたが、不祥事が原因で本場所が中止になったのは今回が初めてのケースとなります。なお、伊勢神宮や靖国神社の奉納相撲など一部を除いて、今年の地方巡業もすべて行わないことになりました。会見で春場所中止を発表した放駒理事長(元・大関魁傑)は、「うみを出し切るまでは土俵上で相撲を見せられない。」と語り、夏場所以降の本場所の開催も当面行われないことを示唆しました。相撲が見られないことはファンにとってつらいことではありますが、こういう事件が起こってしまったのであれば中止はやむを得ないのではないかと思います。ファンの思いに応えるためにも、公益法人認定云々にかかわらず、一から出直す覚悟で大相撲を立て直してもらいたいと思います。それでは、今日はここまで。
2011年02月06日
かつて新日本プロレスで『闘魂三銃士』の1人として活躍し、その後ZERO1を旗揚げするなどプロレス界にその名を残した『破壊王』こと故・橋本真也さんの長男である橋本大地が3月6日の両国国技館大会(10周年記念大会)でプロレスデビュー戦を行うことがZERO1・大谷晋二郎社長から発表されました。2005年に父親が急逝した時に大地はプロレスラーになることを決めたそうです。そして昨年夏にZERO1に入門し、学業やアルバイトにいそしむ傍ら、プロレスラーになるために厳しい練習をこなしてきました。デビュー戦の相手は父親と同じ『闘魂三銃士』の1人であり、大谷社長と共に『橋本大地育成プロジェクト』に参加した『黒のカリスマ』こと蝶野正洋に決定しました。これは大地本人から「(デビュー戦は)蝶野選手と戦いたい。」という声を聞いた大谷社長が蝶野へ打診したところ、蝶野が二つ返事でOKを出したことで決まりました。12日に行われた会見で大地は、「蹴って蹴って蹴り倒したい。父の橋本真也を超えたい。」と意気込みを語りました。蝶野はデビュー戦でも本気で大地を倒しにかかるでしょう。しかしプロレスラーとして生きてゆくと決めたからには、その難関を乗り越えていってもらいたいと思います。破壊王Jr.の名に恥じない戦いを見せてくれることを期待しています。それでは、これにて失礼。
2011年01月12日
最近、全国各地の児童施設にランドセルが贈られるという事が相次いでいます。送り主の名は『伊達直人』とされており、これはかつて一世を風靡したアニメ『タイガーマスク』の正体であり同作品の主人公の青年の名前と同じです。『タイガーマスク』作品中では伊達直人は孤児院出身であり、マスクマン『タイガーマスク』としてプロレスの試合で活躍し、そのファイトマネーを出身の孤児院に寄付するという話があります。この『タイガーマスクからの贈り物』はたちどころに全国に広まり、長崎市では2007年4月に選挙活動中に銃撃されて命を落とした故・伊藤一長前市長の名義で平和祈念像の前にランドセルが置かれていたり、岡山県の児童施設には岡山が生んだヒーローの『桃太郎』から兵庫県の児童施設には『あしたのジョー』の主人公である『矢吹丈』からランドセルが贈られたという話が寄せられています。果てには山口県下関市の児童施設には『天空の城ラピュタ』に登場する極悪人である『ムスカ大佐』からランドセルと『ラピュタ』のDVDが贈られました。これは何かが起こる前触れなのか、現在の政治に対する抵抗なのか分かりませんが、果たしてこの善意的な活動はいつまで続くのか気になるところです。それでは、今日はここまで。
2011年01月11日
大相撲九州場所は横綱・白鵬の連勝記録に注目が集まっていましたが、昨日の取組で稀勢の里に敗れ、連勝は63でストップしてしまいました。69連勝した双葉山は連勝が止まった後連敗してしまいましたが、白鵬は今日の取組で琴奨菊を小手投げで破り、連敗はしませんでした。連勝記録が止まり文字通り『仕切り直し』の一番となりましたが、昨日のショックを引きずることなく白星を挙げました。取組を終えた白鵬は、「双葉山関に対する恩返しができなかったことが一番悔しい。今までどおりに(双葉山に)憧れて、尊敬する気持ちは変わらない。」と語っていました。今日の1番が新たな記録の第1歩となるよう、頑張ってもらいたいと思います。それでは、今日はここまで。
2010年11月16日
昨日から福岡国際センターで大相撲九州場所が始まりました。今場所最も注目されているのは横綱・白鵬の連勝記録でしたが、2日目の今日、稀勢の里に寄り切られて敗れてしまい連勝記録が『63』でストップしてしまいました。白鵬にとって、今年の初場所13日目の魁皇戦以来となる黒星でした。敗れた白鵬は支度部屋に戻った後のインタビューで「相撲の流れで、少しスキがあった。」と語りました。また稀勢の里に寄り切られて土俵下に落ちた時には、「これが負けか・・・」と思ったそうです。連勝記録は止まりましたが、白鵬はまだ25歳と若いので、これからまた新たな連勝記録を作っていってもらいたいと思います。それでは、今日はここまで。
2010年11月15日
明日いよいよ大相撲九州場所が初日を迎えます。今場所、双葉山の69連勝超えに挑む横綱・白鵬や三役以上の力士、日本相撲協会の放駒理事長らは今日、九州場所が開催される福岡国際センターにて土俵の安全を祈願する『土俵祭り』に参加しました。また福博の街には大相撲の開催を告げるふれ太鼓が鳴り響き初日の取組を知らせていました。すっかり福岡の11月の風物詩として定着しています。九州場場所では白鵬の大記録更新や地元力士たちの活躍に期待したいですね。それでは、今日はここまで。
2010年11月13日
本日は悲しいニュースが入ってきました。パリーグ3位の球団が空気を読まずに日本一になってしまいました。元プロレスラー、元レフェリーとして活躍され、プロレスリング・ノア監査役およびGHCタイトル管理委員長を務められていたジョー樋口こと樋口寛治さんが、肺腺がんのため11月8日午前5時35分に逝去されました。享年81歳でした。ジョーさんは日本プロレスでレスラーとして活躍後、故・ジャイアント馬場さんが旗揚げした全日本プロレスに参加し、レフェリーや外国人係として活躍されました。特にレフェリーとしてはNWA公認レフェリーとして馬場さんの試合やザ・ファンクスvsブッチャー・シーク組の名勝負も裁いています。試合の最中には乱闘に巻き込まれて失神することもありました。その後は高齢を理由にレフェリーの座から引退しました。この時に故・三沢光晴さんにねぎらいの言葉をかけられたことがきっかけで2000年のノア旗揚げ時に監査役として参加しました。ノアでGHC(グローバル・オナード・クラウン)が創設されるとジョーさんはそのタイトル管理委員長となり、タイトルマッチ前に行われるタイトルマッチ宣言の後には、レフェリー時代のように会場から大きな『ジョー』コールが起きていました。管理委員長時代の試合では特にKENTAvsSUWAのGHCJr.ヘビーの試合が印象に残ります。SUWAが認定証を破り捨てたりジュラルミンケースを持ち出して反則負けとなりますが、ジョーさんがすぐに再試合を宣言しました。これに不満を感じたSUWAがジョーさんに突っかかりますが、多くの外国人レスラーの乱闘を経験しているジョーさんは、毅然とした態度でSUWAに立ちはだかります。この姿に武道館が『ジョー』コールで埋め尽くされたことは印象的でした。今年9月にノアの永源遙相談役が新たなGHC管理委員となりましたが、ジョーさんの体調が思わしくなかったからなのかもしれません。長い間日本のプロレス界に欠かせない存在でした。本当にお疲れさまでした。今頃は天国で馬場さんや鶴田さんや三沢さん達と再開していることでしょう。最後に、ジョーさんのご冥福を心よりお祈りいたします。
2010年11月08日
11月14日に初日を迎える大相撲九州場所で、元横綱双葉山のもつ69連勝超えが期待されている横綱・白鵬ですが、5日にその双葉山の生家がある大分県宇佐市を訪れました。持参したお香をたき、3分間の祈りをささげた白鵬は、改めて69連勝の記録を破ることを角界の大先輩に誓いました。翌6日、白鵬は福岡市内にある住吉神社で奉納土俵入りを行いました。駆け付けた約3000人のファンの前で不知火型の土俵入りを見せた白鵬は、「初心の気持ちで九州場所に臨む。」と語り、大記録達成へ向けて気を引き締めていました。一人横綱、そして連勝記録更新中と多くのプレッシャーを抱えていると思いますが、白鵬にはぜひとも記録を更新してもらいたいと思います。それでは、今日はここまで。
2010年11月06日
来月14日より福岡国際センターにて大相撲九州場所が開催されます。それに向けて多くの力士たちが今日、巡業先の広島から新幹線で福岡入りしました。今年は大相撲にとっては波乱の1年でした。不祥事による朝青龍の引退や野球賭博問題などの話題もありましたがその中で横綱・白鵬が連勝記録を更新中であり、順調にいけば九州場所8日目に双葉山の持つ69連勝の記録を破ることになります。双葉山の故郷・大分県宇佐市からも69連勝目が予想される7日目に白鵬応援ツアーとして30人程度が福岡国際センターに訪れる予定です。間もなく福博の街には大相撲開催を知らせるふれ太鼓の音が響き渡り浴衣姿の力士達がびんつけ油の香りを漂わせることになります。そしてもう今年も終わりに近づいているということを知らせてくれます。九州場所では白鵬の連勝記録更新や、大関・魁皇ら地元出身力士たちの活躍に期待したいと思います。それでは、今日はここまで。
2010年10月30日
今年2月に暴行事件などを起こした責任をとり引退を表明した元横綱・朝青龍が、今日両国国技館で引退披露大相撲を行いました。ちなみに引退相撲のポスターには『自業自得』と書かれていました(爆死)。国技館で朝青龍は太刀持ち・日馬富士、露払い・朝赤龍を従えて最後の雲竜型土俵入りを披露しました。その後断髪式が行われ、実父のドルゴルスレンさんや現役時代にライバル関係にあった横綱・白鵬ら相撲関係者、さらに母国モンゴルのバトボルド首相や森喜朗元首相ら各界の著名人らが朝青龍の大銀杏にはさみを入れていきました。そして最後は師匠の高砂親方が止めばさみを入れ、大銀杏が切り落とされました。その後朝青龍は土俵にキスし、ガッツポーズをして花道を去って行きました。破天荒な相撲人生を歩んだ朝青龍らしい最後ではないかと思います。控室で朝青龍は「生まれ変わったら、大和魂を持った日本人として横綱になりたい。」と語っていました。歴代3位の25回優勝や前人未到の7場所連続優勝などを果たしたものの、休場中のサッカーや暴行事件などいろいろ問題はありました。しかし大相撲を盛り上げてくれた力士の1人であることには変わりありません。そうでなければ両国国技館で断髪式なんてできませんからね。最後に朝青龍関、本当にお疲れ様でした。それでは、今日はここまで。
2010年10月03日
大相撲秋場所は横綱・白鵬が千代の富士の53連勝の記録を抜き、11日目を終えた今日現在も連勝記録を伸ばしています。白鵬の当面の目標は双葉山の69連勝です。その双葉山の故郷である大分県宇佐市で、双葉山生誕100周年記念事業として巡業の招へいの話が出てきました。宇佐市での巡業が実現した場合には、同市内にある全国の八幡宮の総本社である宇佐神宮での白鵬の奉納土俵入りが予定されています。すでに100周年記念事業の検討委員会メンバーが宮城野部屋を訪れ、宇佐に来てもらいたいという話を白鵬にしており、白鵬側も11月の九州場所前に宇佐を訪れたいとの意向を示しました。このまま白鵬が順調に勝ち星を重ねていけば九州場所の中日(8日目)に双葉山の連勝記録を更新することになります。宇佐での奉納土俵入りと連勝記録更新が実現するといいですね。それでは、今日はここまで。
2010年09月22日
大相撲5月場所が終わった頃に一部の週刊誌で力士の野球賭博関与について、名古屋場所初日まで1週間を控えた今日、日本相撲協会は臨時の理事会を開き、大嶽親方(元関脇・貴闘力)と大関・琴光喜の2人を解雇処分とすることを発表しました。また時津風親方(元幕内・時津海)を主任から平年寄に降格し5年間の据え置き、阿武松親方(元関脇益荒雄)を委員から平年寄に降格し10年間の据え置きとする懲戒処分を決定しました。また所属力士や床山が野球賭博に関与していた部屋の親方たちも今日の理事会の後から謹慎処分となりました。これにより名古屋場所の間謹慎となる武蔵川理事長の代行が賭博問題を調査する特別委員会が推す村上弘義外部理事(元東京高検検事長)に決まり、名古屋場所期間中の挨拶などを行います。大嶽親方は野球賭博に常習性があったこと、琴光喜については現役の大関であること、そして2人とも当初相撲協会の事情聴取で虚偽の報告を行ったこともあって、重い処分が科せられることは必至でした。しかしながら最も重い除名ではなく2番目に重い解雇になったことや、理事長自身が謹慎処分だけで済んだことについてはどうも腑に落ちない部分があります。今後同じようなことが再発しないように最も重い罰を科したり、理事長代行と言わず当面の間外部より正式な理事長を招へいするなど、組織自体の意識改革が必要なのではないかと思われます。名古屋場所では琴光喜を含めて19人が出場しないことになります。残った力士たちにはぜひとも土俵の内外で、きちんとした所を見せてもらいたいものだと思います。それでは、今日はここまで。大相撲力士名鑑(平成22年版)価格:2,625円(税込、送料別)
2010年07月04日
プロレス界に衝撃のニュースが入って来ました。と言っても吉報です。プロレスリング・ノア所属であり同団体の取締役副社長でもある小橋建太選手が結婚することが発表されました!気になるお相手は元アイドルで現在は演歌歌手のみずき舞(本名・細江真由子)さんです。これまで小橋は『プロレスと結婚した男』と呼ばれたり、そっち系の疑惑が持たれたりしていましたが、今回結婚を発表したことでそうしたことは無くなるのではないでしょうか?二人はまだ小橋が全日本にいた頃の1996年に、巡業先の北海道で知り合いました。その後小橋が初めて三冠ヘビー級のベルトを獲得したころに交際が始まりました。しかし全日本退団&NOAH旗揚げ、5度に及ぶ膝の手術、そして腎臓がんの摘出と小橋のプロレス人生には数多くの壁が控えていました。その中でも腎臓がんの時はみずきさんが懸命に小橋を看病したそうで、この時に小橋が結婚を決意したそうです。そして大先輩である故・三沢光晴さんの一周忌が過ぎた21日、ついに小橋が結婚を発表しました!入籍は今年の秋、披露宴は来年の春を予定しています。交際から実に14年かけて人生のタッグパートナーを得たということですね。現在小橋は右膝と右ひじの手術を受け、リング復帰に向けリハビリ中です。次の復帰戦では今までよりももっと多くの『おめでとう!』の声が小橋にかけられることだと思います。結びにお二人のこれからの人生に多くの幸せが訪れることと、健介一家のように素晴らしい家庭に恵まれることを願っています。それでは、今日はここまで。PRO-WRESTLING NOAH 鉄人 小橋建太~絶対王者への道~DVD-BOX(DVD) ◆20%OFF!価格:15,792円(税込、送料別)
2010年06月21日
こんばんは・・・今日は悲しいニュースが入って来ました。数多くのプロレス団体で活躍したラッシャー木村(本名:木村政雄)さんが、腎不全による誤嚥性(ごえんせい)肺炎のため、本日午前5時30分にお亡くなりになりました。享年68歳でした。ラッシャーさんは北海道出身で、1958年に大相撲の宮城野部屋に入門し、力士引退後にプロレスに転向しました。複数の団体を経て国際プロレスに入団したラッシャーさんは団体のエースとして金網デスマッチで海外のレスラー達と名勝負を繰り広げ、『金網の鬼』と呼ばれました。しかし1981年に国際プロレスが消滅すると新日本に殴り込みをかけたのですが、田園コロシアムで決意表明をするときに「こんばんは・・・」と丁寧に挨拶をし、このインパクトがあまりに強かったことでビートたけしがネタにしたり、たけし軍団の一人に『ラッシャー板前』と名づけるほどになりました。この頃は『はぐれ国際軍団』としてアントニオ猪木と3対1の勝負を強いられ、猪木信者から多数の嫌がらせを受け、愛犬が円形脱毛症になったほどでした。その後第一次UWFに参加するもすぐに離脱したラッシャーさんは全日本に参戦し、ジャイアント馬場さんに勝負を挑みます。その中で試合後に行ったマイクパフォーマンスが話題を呼び、いつしか馬場さんと義兄弟タッグを組む間柄となりました。以降は全日本名物の『ファミ悪対決』の『ファミリー軍団』の一員として、馬場さんと共に王道プロレスの『明るく・楽しい』の一翼を担いました。1999年に馬場さんが亡くなるとプロレス界は激動の時代を迎え、故・三沢光晴さんがNOAHを旗揚げするとラッシャーさんも参加しました。そしてNOAHでも『ファミ悪対決』は受け継がれていきました。ラッシャーさんはよくNOAHのロゴが入ったエプロンをつけて入場し、それを外してクルクル巻いて観客席に投げ入れていました。またクリスマス興業の対戦カードくじ引きで三沢さんと戦うことになったのですが、三沢さんがラッシャーさんに対してエルボーを出すと、会場全体からブーイングが飛んだことを覚えています。しかし2003年3月、あの三沢vs小橋のGHC戦が行われた大会を最後に長期欠場し、翌2004年にNOAHが初めて東京ドーム進出を果たした時、東京ドームのオーロラビジョンにVTRで姿を現し、現役引退を表明しました。その最後は長い間もっていたマイクを静かに置いていたのが印象的でした。その年の12月にNOAHから『名誉選手会長』の就任が発表されましたが、公の場に姿を現さなくなりました。この前の土曜日に国際プロレス時代からの盟友・マイティ井上レフェリーのプロレス生活引退記念興業が行われ、ラッシャーさんはどうしているのかなと思っていた矢先、突然の訃報を聞きました。激しいデスマッチと素晴らしいマイクパフォーマンスの両方で、プロレス界に一時代を築いた名レスラーだったと思います。今頃天国で『アニキ』こと馬場さんと再会しているのではないでしょうか?昭和の名レスラーがまた一人逝ってしまったことをさびしく思います。最後にラッシャーさんのご冥福を心よりお祈りいたします。
2010年05月24日
大相撲夏場所は今日千秋楽を迎え、横綱・白鵬が2場所連続全勝で優勝を飾りました。そんな中、福岡出身の大関・魁皇が大関・琴欧洲を寄り切りで倒し、9勝6敗で場所を終えましたが、この9勝目が魁皇にとって通算1,000勝達成の記念すべき星となりました。これは元横綱・千代の富士(現・九重親方)の1,045勝に続いて史上2人目の偉業です。魁皇は初場所に幕内通算勝利数最多記録を更新し、春場所では史上初めて幕内在位100場所目を達成しました。そして今場所もまた大記録を達成する形となりました。千代の富士の持つ記録まであと45勝となりましたが「全く気にしていない。ここまで来たら納得するまで相撲を取れればいい。」と魁皇は淡々と語っていました。九州が生んだ名力士として、ぜひともあと45勝して前人未到の偉業を達成してもらいたいと思います。1,000勝達成本当におめでとうございます。それでは、今日はここまで。
2010年05月23日
大阪府立体育館で開催されていた大相撲春場所は先日千秋楽を迎え、横綱・白鵬が全勝で13度目の優勝を飾り、関脇・把瑠都は大関昇進を果たしました。そんな中初場所で幕内通算勝利記録を更新した大関・魁皇が、この春場所で史上初の幕内在位100場所達成を果たしたことにより、内閣総理大臣顕彰を授与されることが決まりました。大相撲の力士に内閣総理大臣顕彰が授与されるのはこれが初めてのことだそうです。(なお国民栄誉賞は元横綱・千代の富士(現・九重親方)に授与されています。)今日の記者会見で平野博文官房長官は、授与の理由として「偉業を成し遂げ、わが国のスポーツ界の振興に貢献した。」と語っていました。この知らせを聞いた魁皇は大阪市内の友綱部屋宿舎で会見を開き、「すごく名誉なことでびっくり。相撲を取っていてよかった。」と喜びのコメントを残しました。また魁皇は会見で、「負け数も多く、大関としては褒められるような成績ではない。」と語りながらも、「応援してくれる人達がいるから、気持ちの面で負けずに続けられた。」とファンに感謝の言葉を贈りました。魁皇が表彰を受けるのは嬉しいことなのですが、昨年だったら同じ筑豊出身の麻生前首相から授与されていたと思うと残念です。今だと現首相が人気取りに躍起になって授与を決めたとしか思えませんからね。ですが今後は通算1000勝(あと9勝)と千代の富士の持つ通算1045勝の記録更新に向けて、これからも元気に相撲を取り続けていってもらいたいと思います。それでは、今日はここまで。
2010年03月30日
先月行われた大相撲初場所で元横綱・千代の富士(現九重親方)が持っていた幕内通算勝利数の記録を更新した大関・魁皇が、今日、故郷である福岡県直方市で福岡県栄誉賞と直方市特別市民栄誉賞の受賞式に出席しました。福岡県の麻生渡知事から栄誉賞の表彰状を受け取った魁皇は、「名誉ある賞をいただき、地元の人がどれだけ応援してくれるか実感した。一番、一番、自分の相撲を取りたい。」と語りました。大相撲では元横綱・貴乃花が理事選挙に出馬し当選したことで犯人捜しを行ったり、元横綱・朝青龍が泥酔暴行事件を起こして引退するなどの騒動がありましたが、魁皇にはこれからも郷土の英雄として力の限り頑張ってもらいたいと思います。そして少しでも長く遠賀川で花火が上がり続けて欲しいと思います。(魁皇の地元・直方市を流れる遠賀川では本場所で魁皇が勝つと花火が上がります。)それでは、今日はここまで。
2010年02月06日
本日15時ごろ、テレビを見ていると、横綱・朝青龍が現役引退を表明したというニュース速報のテロップが出てきました。朝青龍は初場所中に泥酔して一般人に暴行を加えたとされる件について、ちょうど両国国技館で開かれている日本相撲協会の理事会に師匠の高砂親方とともに呼び出され、理事会に事情を説明した後に引退の意向を伝えました。その後朝青龍は国技館で引退会見を開きました。その冒頭で朝青龍は、「皆さまに大変ご迷惑をお掛けし、日本相撲協会にもご迷惑を掛け、報道でも大変騒がせ、そういう意味で私は責任を取って引退しました。」と語り、深々と頭を下げました。引退のきっかけとなった泥酔暴行事件については、「メディアで流れたことと実際とかなり差があった。」と語りながらも「二度と土俵に上がることはないし、そういう意味でこの話は控えております。」としてノーコメントを貫きました。現役時代の一番の思い出については、初三役として臨んだ2001年の夏場所初日に両親の目の前で横綱・武蔵丸を倒したことと涙ながらに語りました。退職金すら出ない『解雇』を一方的に通知するよりも、退職金が出る『引退』を選ばせたのは協会側のせめてもの情けではないでしょうか?実績としては単独3位となる25回の優勝を誇っていますからね。土俵の上では圧倒的な強さを見せた朝青龍ですが、今ようなの騒動を起こしたりケガで休場中にモンゴルでサッカーをするなど、横綱に必要な『心技体』の『心』の部分が欠けていたのは残念です。横綱が伊勢神宮や明治神宮で奉納土俵入りを披露することがあるように、大相撲が神事としての性格を持つことから考えると、他の格闘技のようにただ強ければいいというわけではないところがあります。良い意味でも悪い意味でも大相撲に大きなインパクトを与えてくれた朝青龍関ですが、とりあえず今は「お疲れ様でした。」と声をかけたいですね。モンゴルへ戻って実業家や政治家になるのか、それとも総合格闘技へ転身するのかこれからどうなるかは分かりませんが、日本の地で力士として過ごしたことを生かし、第2の人生を頑張ってもらいたいと思います。それでは、今日はここまで。
2010年02月04日
2月1日に行われた日本相撲協会の理事選挙が行われ、改革を掲げ元横綱の貴乃花親方が立候補を表明しましたが、もともと所属する二所ノ関一門の支持が得られず離脱することになりました。貴乃花親方を支持するのは同時に離脱した6人の親方だけで、理事選挙に当選するにはあと3票が必要でした。そして実際に行われた選挙では貴乃花親方が10票を獲得して当選し、晴れて理事に就任することができました。逆に立浪一門の大島親方(元大関旭国)が8票で落選したのですが、本来ならば大島親方にあと2票入るはずでした。立浪一門では『誰が貴乃花親方に票を入れたのか』という疑念が起こり、さながら犯人捜しをやっているかの様子でした。そんな中、昨日立浪一門の安治川親方(元幕内光法)が会見を開き、「貴乃花親方だったら何かを変えてくれると思った。」と語り、自分が貴乃花親方に票を入れたことを明かしました。安治川親方は年寄株を所有しておらず、立浪一門に所属する伊勢ヶ濱部屋の安美錦から借りて相撲協会に残っていましたが、今回の選挙で一門を裏切った形となったため、責任をとって相撲協会を退職することを表明しました。しかし今朝になって立浪一門の友綱親方(元関脇魁輝)から「責任を感じての行動だったのだろうが、一門として(辞任を求める)話をしたわけではない。」と、安治川親方を慰留しました。これを受けて今日、安治川親方は友綱親方同席のもとで会見を開き、退職を撤回し協会に残留することを表明しました!今日の会見で安治川親方は、「大変お騒がせして申し訳ない。一門のご厚意により協会に残らせてもらうことになった。一からまた勉強して頑張っていきたい。」と語りました。しかしながら「枠を超えて(貴乃花親方)を支持した気持ちは今でも変わらない。」と語っていました。大相撲の発展のためには今回行動を起こした安治川親方のように、一門という概念を超えて協力し合うことが必要なのかもしれませんね。自らの進退を懸けて行動を起こした安治川親方にはこれからも日本相撲協会で頑張ってもらいたいと思います。それでは、今日はここまで。
2010年02月03日
今日、日本相撲協会で任期満了に伴う理事選挙が行われました。定員は10人なのですが二所ノ関一門だった元横綱の貴乃花親方が立候補を表明して立候補者は11人となり、8年ぶりに決選投票が行われることになりました。貴乃花親方は自分を支持する6人の親方とともに一門を離脱することになりましたが、票を持っている評議員(親方・現役力士4人以内・行司2人以内)は111人で、当選するには最低でも10票は必要になるため、自分を含めて7票しか持っていない貴乃花親方の当選は厳しいのではないかという見方がなされていました。ところが実際に行われた理事選挙では、貴乃花親方が10票を獲得し初当選しました!(代わりに8票しか獲得できなかった立浪一門の大島親方(元大関旭国)が落選しました。)会見に臨んだ貴乃花親方は、「重圧を感じる。その名に恥じないよう武蔵川理事長の下、職務を全うしていきたい。」と意気込みを語りました。貴乃花親方は今回どうにかして理事に就任することはできましたが、そのために一門を抜けるというリスクを負ってしまい今後の風当たりは強くなってしまうのではないかと思います。それでも今後の大相撲の発展のために貴乃花親方には頑張ってもらいたいと思います。それでは、これにて失礼。
2010年02月01日
両国国技館で行われていた大相撲初場所は今日千秋楽を迎えました。が、その前日に横綱・朝青龍が大関・日馬富士を破り、史上単独3位となる25回目の優勝を飾りました。場所中には泥酔暴行事件も報じられましたが、土俵の上で結果を出しました。しかし千秋楽のvs横綱・白鵬との一番では敗れてしまい、有終の美を飾れませんでした。逆に本割りでvs朝青龍戦7連勝の白鵬は横綱の面目躍如といったところでしょうか。これでまたしばらく『青白時代』が続きそうです。今場所幕内通算勝利数単独1位に立った大関・魁皇は昨日勝ち越しを決めると、今日は垣添との一番で怪力を生かした相撲で勝ち、8場所ぶりに9勝を挙げ、自身の幕内通算勝利数を815に伸ばしました。ともに大関として活躍し今場所引退した千代大海の分までこれからも頑張ってください。さて今場所は関脇・把瑠都が白鵬の連勝を30で止め、3大関を破る活躍を見せて初めて殊勲賞を獲得しました。来場所は大関取りがかかる大事な場所となりそうです。しかしながら日本人関取にもっと頑張ってもらいたいところですが・・・とまあいろいろ話題が多かった今場所でしたが、場所後も相撲界の改革を掲げ協会の理事選挙に立候補した貴乃花親方が、自分を支持する6人の親方とともに二所ノ関一門を離脱するなど話題が絶えません。こちらの動向も気になるところですね。それでは、今日はここまで。
2010年01月24日
今日3日目を迎えた大相撲初場所で1つの大記録が誕生しました。中入り後の取組で大関・魁皇が関脇・千代大海を豪快な送り投げで倒して、幕内通算勝利数が808となり、千代大海の師匠であるかつての大横綱・千代の富士の記録を抜き、単独1位となりました!また、大記録達成に先立って故郷・福岡県の麻生渡知事は、魁皇に県栄誉賞を授与することを発表しました。麻生知事は会見で、「息の長い力士生活で着実に勝ち星を挙げ、われわれの誇りだ。」と語りました。なお、幕内に上がる前の分を含めた現役通算勝利数は今日で976となり、大台の1,000勝達成まで24勝となりました。こちらの記録はなおも千代の富士(1,045勝)が保持しています。できれば現役通算勝利数の記録も更新するまで魁皇には頑張ってもらいたいですね。最後に改めて言います。魁皇関、大記録達成おめでとうございます!それでは、今日はここまで。2010/01/13追記この歴史的な一番で敗れた千代大海ですが、とうとう引退することになってしまいました。どうやらこの一番で負けたことで引退を決意したそうで、「(最後の対戦相手が)魁皇関で良かった。」と語っていたそうです。長い間お疲れ様でした。
2010年01月12日
昨日より大相撲初場所が東京の両国国技館で開催されています。初日には天皇・皇后両陛下が3年ぶりにご来場され、中入り後の後半の取組10番をご観戦されました。今場所は横綱・白鵬の連勝がどこまで続くかということや、関脇に陥落した千代大海の大関復帰か引退かということが話題になっています。そんな中、今日2日目に大関・魁皇が寄り切りで豪栄道を降し、元横綱千代の富士(現・九重親方)と並んで1位タイとなる幕内通算807勝を達成しました!初日こそ緊張のあまり黒星を喫しましたが、連敗はしませんでした。今年最初の白星が大記録達成と重なったこともあり、国技館のお客様から大きな拍手が魁皇に送られました。また魁皇の故郷である福岡県直方市でもテレビを通じてファンや後援会の方々が観戦しこちらでも歓声や拍手が沸き起こっていたそうです。記録について魁皇は「意識したわけではない。」と語っていました。明日の取り組みで勝てば千代の富士の記録を抜いて単独1位の記録となりますが、奇しくも明日の相手がその千代の富士の弟子であり、現在2連敗で大関復帰に黄信号が灯っている千代大海というのは不思議な縁を感じます。ですがここは勝負の世界ということで思い切って千代大海を倒し、幕内通算勝利数単独1位になってもらいたいと思います。それでは、今日はここまで。
2010年01月11日
大相撲九州場所は10日目を迎えました。朝青龍・白鵬の両横綱を中心とした優勝争いが注目されていますが、今日はご当地出身大関2人の明暗がくっきりと分かれました。まずは福岡県出身の魁皇ですが、今日の取組で大関・琴欧州を押し倒しで破りました。これで幕内通算勝利数が205勝となり、北の湖の204勝を上回って単独史上2位に浮上しました!しかし本人は記録にはこだわることなく、あと1勝に迫った勝ち越しを意識しており、「まだまだ厳しいと思う。気合を入れて頑張る。」と語っていました。福岡国際センターの観客がご当地大関の大記録に沸いた直後の取組みで、大分県出身の大関・千代大海が全勝の横綱・朝青龍につり出しで敗れ、2場所連続負け越しが決定し、規定により大関陥落が決まり、明日以降は欠場することになりました。1999年3月場所から守り続けてきた大関の座を追われることになった千代大海は、来年の初場所で10勝以上しないと大関に復帰する事ができません。しかしながら糖尿病を患っている状態で10勝するのは難しいと思われ、来場所6敗(10勝以上が無理)となった時点で引退するものと思われます。まぁここ数年は勝っても引き技ばかりで強さが感じられない相撲ばかりですので、潔く引退した方が男らしいと思いますけどね。魁皇の記録がどこまで伸びるか、優勝争いはどうなるかなど、今年の九州場所は千秋楽まで目が離せません。それでは、今日はここまで。
2009年11月24日
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