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大相撲の元関脇・寺尾の錣山親方が死去したことが、今日、日本相撲協会関係者の話で明らかになりました。享年60歳という若さでした。錣山親方は14代井筒親方(元関脇・鶴ヶ嶺)の三男として生まれました。実際の生まれは東京都墨田区ですが、父親の故郷でもある鹿児島県姶良郡出身と本場所ではアナウンスされていました。長兄の元十両・鶴嶺山、次兄の元関脇・逆鉾とともに、『井筒三兄弟』として注目を集めただけでなく、甘いマスクと筋肉質の体を持つイケメン力士として人気を集めていました。突っ張りを武器としていたこともあって、『寺尾のつっぱり大相撲』というファミコンゲームも発売されました。千代の富士や貴乃花といった大横綱から金星を獲得したことがあるほか、39歳まで現役を続けた『鉄人』でもあることから、通算出場:4位1795回通算連続出場:7位(1359回)幕内連続出場:4位(1063回)幕内在位:6位(93場所)という輝かしい成績を残しています。2002年秋場所で現役引退した後は年寄・錣山を襲名し、2004年には井筒部屋から独立して錣山部屋を創設しました。そして元小結・豊真将(現・立田川親方)や、現役では小結の阿炎を育てました。近年は不整脈など心臓に持病を抱えており、この間の九州場所も全休して約2カ月間入院し、退院後は復帰に向けてリハビリを続けてきたそうですが、体調が急変し、帰らぬ人となりました。現役時代から人気も高く、親方としてももっと活躍してもらいたかったですね。最後に、錣山親方のご冥福を心よりお祈りいたします。
2023年12月17日
大相撲は昨日、1年納めの九州場所が千秋楽を迎えました。結果は大関・霧島が13勝2敗の好成績で2度目の優勝を決めました!白熱した優勝争いが展開された今場所は、九州場所としては2019年以来4年ぶりに15日すべてで満員御礼(8割以上)の客入りとなり、うち5日がチケット完売となる札止めとなりました。大関・霧島は春場所以来の優勝で、四股名が師匠(陸奥親方)と同じ『霧島』となってからは初の優勝です。ちなみに先代『霧島』が優勝したのは32年前(1991年初場所)だそうです。その師匠は来年4月に定年を迎えるため、最後のご当地場所で優勝できたことは『師匠孝行』になったのではないでしょうか?今場所、霧島には四股名と同じ名前の焼酎メーカー『霧島酒造』から、化粧まわしが贈呈されました。さらに優勝したことを受けて霧島酒造から霧島に、『霧島〈宮崎限定〉』と『赤霧島』をプレゼントしたそうです。さすがに黒霧島は黒星に通ずるためか、見送られたようです。霧島酒造では今後の霧島の活躍次第では自社のCMへの出演も考えており、師匠との『ダブル霧島』での共演プランもあるようです。まずは来年初場所で好成績を残して優勝し、見事に綱取りを果たしてもらいたいですね。それでは、今日はここまで。
2023年11月27日
秋も深まる今日後この頃ですが、福岡市内の秋の風物詩である大相撲九州場所が明日初日を迎えます。会場となる福岡国際センターには立派な土俵が今年も出来上がりましたが、前夜となる今日は土俵祭りが行われ、八角理事長や審判部の親方衆らが出席して15日間の安全を祈願しました。力士たちの参加はありませんでしたが、4年ぶりに一般公開となり、60名ほどの大相撲ファンが行事を見守りました。また大相撲の開催を告げる触れ太鼓も4年ぶりに福博の街に響き渡りました。今場所は横綱・照ノ富士が休場することが発表されましたが、3大関・3関脇の優勝争いに注目が集まります。先場所優勝した大関・貴景勝はハイレベルの成績で優勝することを条件に横綱昇進の可能性があります。また関脇・大栄翔も今場所優秀な成績となれば大関昇進の可能性があります。明日からの15日間、九州場所が盛り上がるといいですね。それでは、今日はここまで。
2023年11月11日
今日10月30日、日本相撲協会は来月12日に初日を迎える大相撲九州場所の番付を発表しました。福岡国際センターで開催される『一年納めの場所』が近づいてきましたね。そして昨日夕方にはJR博多駅に巡業先から移動してきた力士たちが、団体で新幹線に乗り込む『相撲列車』で次々と福岡入りしました。ちなみに『相撲列車』が運行されるのはコロナ禍前の2019年以来4年ぶりだそうです。博多駅には力士が髷に着けているびん付け油の甘い匂いがあふれ、相撲の季節の訪れを感じさせました。力士たちは博多駅から各部屋の宿舎へ移動していきましたが、これからしばらくの間、繁華街でも着流し姿の力士たちが見られそうですね。この時期はアラ(クエ)やフグが旬を迎えるということで、アラ鍋やふぐちりを楽しむ力士たちもいるかもしれませんね。九州出身の力士たちはご家族・友人も大勢応援に来ると思いますので、いつもの場所より良い成績を残せるといいですね。それでは、今日はここまで。
2023年10月30日
鹿児島県では現在『かごしま国体』が開催されています。県内各地で様々な競技が行われていますが、相撲の競技は奄美大島で開催されました。なぜ奄美大島で相撲競技が行われているのかというと、実は今年奄美群島が日本に復帰して70周年の節目の年にあたることと、土俵の数が120か所以上と『日本一土俵が多い島』と呼ばれていることから、今回の国体の相撲競技開催地となりました。今年の全国中学校相撲選手権大会は奄美大島にある古仁屋中学校が団体優勝しており、大相撲でも明生関や大奄美関といった奄美大島出身力士が現役で活躍しています。競技は今日から行われていますが、出場者の多くは前日の12日から現地入りしました。ところがこの日の羽田空港から奄美大島へ向かう直行便で、臨時便が出る事態となりました。というのも乗客のほとんどが相撲競技に出る選手、つまり力士であるため、機体の重量がオーバーしてしまうためです。さらに大阪・伊丹空港から奄美大島へ向かう直行便でも、国体の相撲競技参加者が多かったため一度羽田まで移動してそこから奄美大島に向かうよう振り分けられた力士もいたようです。また、無事に飛行機に乗れたとしても周りはほとんどが力士でしたので、機内の酸素がいつもより薄く感じたとか、今朝の奄美大島のホテルの朝食会場が力士ばかりになったとか、奄美大島では思わぬ珍事が発生したそうです。競技終了後、奄美大島から各地へ向かう帰りの便では力士たちへの配慮がなされることを願っています。それでは、今日はここまで。
2023年10月13日
日曜日に千秋楽を迎えた大相撲夏場所は休場明けの横綱・照ノ富士が14勝1敗で復活優勝し幕を閉じました。そしてその前の春場所で優勝していた関脇・霧馬山は大関取りのかかったこの場所で、11勝4敗の結果を残して3場所合計で34勝11敗と、大関昇進の目安である3場所連続で三役で通算33勝以上の要件をクリアし、今日開催された臨時理事会で大関昇進が正式に決定しました!霧馬山が所属する陸奥部屋では昇進伝達式が行われました。日本相撲協会からの使者が大関昇進を伝達すると、師匠の陸奥親方(元大関・霧島)とともに伝達式に出席した霧馬山は、「大関の名を汚さぬよう今まで以上に稽古して頑張ります。」と口上を述べました。そして会見では霧馬山が大関昇進を機に、四股名を『霧島』に改名することが発表されました!ご存じの方も多いと思いますが、師匠の現役時代と同じ四股名です。大関昇進と同時に四股名を変えた力士は過去に北勝海(『保志』から改名、現・八角理事長)のほか、貴乃花(当初は『貴ノ花』、『貴花田』から改名)や日馬富士(『安馬』から改名)がおり、いずれも横綱に昇進していることから、霧島にも期待がかかります。現役時代の師匠、つまり初代・霧島はイケメン力士として人気があり、『角界のアランドロン』と呼ばれていました。大関陥落後もしばらく現役を続けていましたが歓声が多かった印象があります。四股名は地元の霧島山から取ったもので、生まれ故郷の鹿児島県姶良郡牧園町は現在霧島市の一部となっています。その霧島市からも新大関・霧島を歓迎する声が上がっていました。このまま新大関・霧島が活躍して九州場所でもその雄姿が見られるといいですね。それでは、今日はここまで。
2023年05月31日
福岡国際センターで開催されていた大相撲九州場所は、今日で千秋楽を迎えました。14日目終了時点で前頭筆頭の高安が2敗でリードしていましたが、今日の取組で3敗の前頭9枚目阿炎に本割で敗れてしまい、この時点で12勝3敗が2人となり、優勝決定戦の開催が確定します。さらに3敗だった大関・貴景勝が結びの一番で勝利してこちらも12勝3敗となり、3敗で3人が並んだため、優勝の行方は『優勝決定巴戦』で決められることになりました。ここで巴戦のルールを説明します。3名の力士が土俵下でくじを引き、『東』『西』をひいた力士同士がまず戦い、その勝者が『〇』をひいた力士と戦い、結果的に2連勝した力士が優勝となります。つまり各力士が勝ち→負けを繰り返すと延々と取り組みが続くことになります。大相撲で優勝決定戦を巴戦で開催するのは、1996年九州場所以来26年ぶりです。この時は5人による決定戦で、くじ引きで決まった2番の勝者と残り1人による巴戦により優勝者が決まりました。また3人による決定戦は1994年春場所以来28年ぶりのことです。今回の巴戦ではまず貴景勝が休みで、阿炎と高安が戦い、阿炎が立ち合い変化して高安を倒して王手をかけました。本割の取り組みが終わってまだ15分しか経過していなかったことと、また阿炎が変化してくるかもしれないという心理があることもあって、貴景勝は思い切った立ち合いができずに阿炎に押し出され結果阿炎が初優勝となりました。個人的には1周りするくらい取組が続いて欲しかったですが、あっけない結果になってしまいました。まぁそうなったとしても最初の取組で高安が脳震盪を起こしており、まともな勝負ができたかどうか危ういところです。結果今年の大相撲は年6場所すべて違う力士が優勝し、3場所連続で平幕が優勝するという異例の事態となりました。実力が伯仲しているとも言えますが、逆に横綱・大関陣の不甲斐無さが露呈しました。そうならないためにも絶対的な強さを持つ横綱や大関が早く出てきてくれることを願います。それでは、今日はここまで。
2022年11月27日
今週日曜日に初日を迎えた大相撲九州場所は、九州場所としては3年ぶりに人数制限のない通常開催となりました。今日7日目は土曜日ということもあってか、幕内の取り組みが始まるころに、福岡国際センターに『満員御礼』の垂れ幕が下がりました。九州場所としては昨年の千秋楽以来、今年の開催では春場所の千秋楽以来、そして新型コロナウイルス感染拡大による人数制限がない状況では、2年前の初場所千秋楽以来となりました。日本相撲協会では『満員御礼』を出す明確な基準はありませんが、おおむね入場者数が定員の9割以上で出るそうです。今日の場合、定員が6976人に対して6244人が来場しており、今場所に入って最多で、初の6000人台だそうです。7日目を終えた時点で関脇の豊昇龍、前頭の高安・阿炎・王鵬の計4人が6勝1敗で並び、有償争いのトップとなっています。この中でも前頭14枚目の王鵬は、かつて九州場所を得意としていた大横綱・大鵬の孫で、王鵬も九州場所は1度も負け越したことがないそうです。ただこのまま優勝争いを続けると終盤には三役との対戦が組まれる可能性もあり、そこでいかに勝ち星を増やせるかがポイントとなってくると思います。実力伯仲の優勝争いも見どころですが、年に1回の九州場所ということで、グッズ販売も大相撲観戦の醍醐味の1つです。定番の力士タオルやハンカチ、キーホルダーの他に、時期的なものとして来年の大相撲カレンダーも売ってたりします。フードではちゃんこの素やふりかけの他にレトルトのカレーやハヤシライスもあります。そして解説者としておなじみの元横綱・北の富士が監修した横綱北の富士カレーが昨年から発売されています。北の富士の解説は辛口ですが、カレーはやや辛口だそうで、今年9月には期間限定でランチパックにもなったそうです。通販でも入手でき、日本相撲協会直営の通販サイトと、福岡県直方市に本社があるもち吉の通販サイトで販売しています。直方は元大関・魁皇(現・浅香山親方)の故郷としても有名ですが、本場所の力水をもち吉が提供しているという縁で、国技館で販売しているレトルトカレーも取り扱っているそうです。明日以降の九州場所も優勝争いが盛り上がって、1日でも多く満員御礼が出るといいですね。それでは、今日はここまで。
2022年11月19日
毎年11月に福岡では大相撲九州場所が福岡国際センターで開催されます。一昨年は新型コロナウイルス感染拡大のため東京・両国国技館で開催し、昨年は2年ぶりに福岡で観客を入れて開催されましたが観客に人数制限が設けられました。しかし今年はその人数制限もなく、3年ぶりに通常開催となりました。すでに力士たちは福岡に入っており、市内のいたるところで力士の姿が目撃されているかもしれません。ですがカラオケ店に入ってデンモクやビール瓶で後輩を殴ったりしないようにしてください。さて今場所は1人横綱の照ノ富士が10月に両膝の内視鏡手術を受け、今月から稽古を再開したものの、まだ相撲が取れる状況ではないことから、2場所連続の休場が発表されています。今日は福岡国際センターで土俵祭りが行われ、八角理事長や審判部の親方らが15日間の安全を祈願しました。なお横綱が休場のため不在、大関の貴景勝と正代もコロナ感染防止のため、土俵祭りの参加を見送りました。本来ならば優勝争いの中心にいるはずの横綱が不在、2人になってしまった大関陣も盤石ではない中で、大関取りを目指す関脇・若隆景や大関復帰を目指す関脇・御嶽海、先場所37歳で幕内優勝を果たした小結・玉鷲、三役に上がった新小結・翔猿ら、役力士を中心に優勝争いは激化すると予想されます。多くの力士が優勝争いを演じることで九州場所を盛り上げてもらいたいですね。それでは、今日はここまで。
2022年11月12日
佐賀県唐津市では地元の特産品をPRするために、このたび強力なパートナーとタッグを組むことにしました。そのパートナーとはプロレス界の最大手団体である新日本プロレスです。25日に行われた記者会見では唐津市の関係者とともに、現役引退してもなお人気の高い獣神サンダーライガーが出席し、「頑張って唐津をアピールしたい。」と意気込みを語りました。コラボ企画の中には『炎の十番勝負』というものがあり、トップレスラーの棚橋弘至選手とライガーの2人が、呼子のイカ・佐賀牛・唐津焼などの特産品と『対決』する動画を今後公開するそうです。ライガーは「30年以上唐津に通っている。」そうです。プロレスファンならご存じと思いますが、ライガーの自宅は福岡市に隣接する福岡県糟屋郡粕屋町にあり、都市高速と西九州自動車道を使えば気軽に唐津へ行けますので、オフの日にご家族と一緒によく行っていたのではないかと思います。他にも新日本のレスラーと唐津市のボランティアが協力して、唐津市を代表する観光地で日本三大松原の1つである『虹の松原』の再生・保全活動を行うそうです。新日本プロレスとのタッグで唐津市が地方創生のチャンピオンになってもらいたいですね。それでは、今日はここまで。
2022年05月26日
昨日から福岡国際センターで2年ぶりに大相撲九州場所が始まりました。2年ぶりに福博の街にふれ太鼓の音が鳴り響きますが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため力士ら関係者は不要不急の外出を禁止されており、例年のように街中を着流し姿の大男たちが歩くと、甘い鬢付け油のにおいがするという風景はあまり見られません。九州場所の会場である福岡国際センターも、・入口での検温実施・マスク着用および手指の消毒を義務付け・アルコールや飲食物の持ち込み禁止・マス席は4名用を2名で使用、イス席は1席間引き・再入場禁止・場内での大声禁止・取組終了後の退出は方向別に4回に分けるなどあらゆる感染防止対策が行われています。会場内での飲食はできませんが、11:00~17:00の間には福岡国際センターの前にキッチンカーが登場してお弁当やちゃんこ鍋、大分名物の唐揚げなどを屋外で食べることが可能です。どうせなら東京から両国国技館名物の焼き鳥を空輸して、販売したら結構売れるのではないかと思います。色々な制限がある中で行われている九州場所ですが、新たな楽しみが1つできました。それは先場所終了後に現役引退した元横綱・白鵬の間垣親方が場内の警備員としてデビューしたことです。ワイシャツにネクタイ、そして相撲協会のジャンパーに身を包んで、革靴を履いて警備しているのが先場所まで横綱だった人ということもあって人気は高く、多くの相撲ファンに気づかれ、記念撮影のファンサービスを行っていました。なお間垣親方は来週日曜日(中日)のNHK大相撲中継で、解説者としてもデビューを行う予定です。また12日目には現役時代に間垣親方の最大のライバルであった、元横綱・朝青龍が来場予定で、こちらの『対決』も目が離せません。2年ぶりの九州場所は土俵の外でも盛り上がりを見せますが、できれば土俵の上での現役力士たちの活躍も話題になってもらいたいですね。それでは、今日はここまで。
2021年11月15日
来週11月14日から福岡国際センターで2年ぶりに九州場所が開催されます。ただ例年のように10月の終わりに巡業先から新幹線に乗って博多駅に大勢の力士がぞろぞろと・・・という光景は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため見られませんでした。また、福岡に滞在中の力士も色々制限があります。・師匠判断で11月5日から各部屋での 稽古見学を可能とするが、後援者や近親者など限定で、 検温や手指の消毒、マスクの着用などを義務づける。・力士や関係者は必要以外の外出は禁止。九州場所期間中であれば力士たちも福博の街に繰り出して、ラーメンやもつ鍋など、ご当地グルメに舌鼓を打ちたいところですが、秋場所の宮城野部屋のように2人感染しただけで力士全員全休となり、横綱・白鵬も秋場所1度も出られずに現役引退してしまいました。外出できないのは辛いですが、コロナに感染して相撲が取れないのはもっと辛いことです。それに飲み屋に行ってデンモクやビール瓶で殴られたりする可能性もありますし。14日から始まる九州場所が千秋楽まで無事に開催されることを願っています。それでは、今日はここまで。
2021年11月10日
今日から大相撲は11月場所が始まりました。普段なら福岡国際センターで開催される『九州場所』なのですが、新型コロナウイルスの影響で力士たちが東京から外に出られず、前場所に引き続き両国国技館で開催されることになりました。この時期に福博の街で力士たちの姿が見ることができないのは非常に残念ですが、無事に大相撲が開催されることだけでもありがたいことです。今場所最も注目されているのは何と言っても先場所初優勝を決め、新大関に昇進した正代でしょう。熊本出身として58年ぶりに誕生した大関でしたので、例年通り福岡国際センターで九州場所が開催されていれば、さぞかし多くのファンの声援をもらっていたことでしょう。新型コロナウイルス感染対策で観客席では声を出して応援することができないため、代わりに四股名が入った力士応援タオルを掲げて応援していましたが、『正代』と書かれたタオルを掲げていたお客さんがかなり多かったようです。さながらWWEのサインボードのようにも見えます。正代が大関として最初に戦う相手は前頭筆頭・若隆景でした。一門が同じなので稽古では顔を合わせたことはあるようでしたが、本場所では初顔合わせの取組となりました。たいてい大関や横綱に昇進して最初の相撲というのは緊張して初日黒星というパターンが多いようですが、正代も例外ではなく、立ち合いでもなかなか手を付けず迷っているようでした。そしていざ立ち合うと若隆景が正代の懐に入り、土俵際まで追い込みます。正代もなんとか粘って倒れながら突き落としで反撃します。行事軍配は正代に上がりましたが、物言いがつき、5人の勝負審判が土俵に上がって協議を始めました。大相撲中継の映像を見た限りでは若隆景の右手が土俵につく方が早かったようでした。そして協議の結果軍配通り正代の勝ちとなりました。勝負が決まって土俵を降りた正代には安堵の表情が浮かんでいました。正代が大関として迎えた最初の一番は薄氷の勝利となりましたが、これで緊張がほぐれて本来の相撲を見せられるよう頑張ってもらいたいと思います。それでは、今日はここまで。
2020年11月08日
先日行われた大相撲秋場所で初優勝し、熊本県出身力士初の大関となった新大関・正代が地元・熊本に凱旋しました!通常は本場所終了後に帰郷していた正代でしたが、新型コロナウイルスの影響でこれまでなかなか熊本に帰ることができず、10月7日夜、実に7か月ぶりに熊本空港に到着しました。久々の実家で一夜を過ごした正代は8日、出身地である宇土市役所を表敬訪問しました。市役所では職員や後援者に出迎えられ、花束も贈呈されました。元松茂樹市長らとの会談の中では、「(優勝争い)3回目でやっと優勝でき、地元に少しは恩返しできた。精進し、また皆さんの期待に応えられるように頑張りたい。」と抱負を語りました。今日は正代と同じく熊本県宇土市出身で江戸時代に活躍した第8代横綱・不知火諾右衛門の墓前に幕内初優勝と大関昇進を報告しました。また、母校の中学校や熊本県庁を表敬訪問し、母校の後輩や蒲島郁夫知事、そしてくまモンらとともに記念撮影を行いました。ハードなスケジュールの正代ですが、明日には東京に戻らなくてはなりません。新大関となる11月場所(両国国技館開催)は勝ち越して優勝争いにも絡む活躍をしてもらい、来年の11月には福岡国際センターで大関、もしくは横綱になった正代の雄姿がみられることを期待しています。それでは、今日はここまで。
2020年10月09日
日本相撲協会は9月30日に両国国技館で臨時理事会と11月場所の番付編成会議を開き、9月場所で初優勝を果たした関脇・正代(時津風部屋)の大関昇進を満場一致で正式に決定しました!その後時津風部屋では伝達式が行われ、新大関の正代と、急性膵炎の手術で欠席した師匠・時津風親方の代理で部屋付きの枝川親方が出席し、協会からの使者から大関昇進を伝達されました。これを受けて正代は、「大関の名に恥じぬよう、『至誠一貫』の精神で相撲道にまい進してまいります。」と口上を述べました。『至誠一貫』とは『誠意を尽くせば、必ず人は動かされる。』という意味で、正代は師匠や講演会の方からもアドバイスを受けて、「こうなりたい、こうしていきたいという気持ちを込めた。」と語り、この四字熟語を使うことを決めたそうです。コロナ禍が無ければ11月は九州で新大関として凱旋の場所となったのですが、今年は両国国技館での開催となったため、来年以降にお預けとなりました。伝達式には熊本からご両親が来られたほか、熊本出身力士初の大関ということで熊本県のPRキャラクターであるくまモンも駆けつけて正代を祝福し、県の東京事務所の職員が蒲島郁夫・熊本県知事からのメッセージを代読しました。さらに時津風部屋の先々代親方で、元大関・豊山の内田勝男さんも駆けつけて自身以来の時津風部屋からの大関誕生を祝福しました。なお、伝達式の後には時津風部屋創設者である双葉山の墓前にも報告したそうです。多くの方から大関昇進を祝福された正代にかかる期待はかなり大きいと思います。その期待に応えられるような相撲をとり、できればその上を目指してもらいたいですね。それでは、これにて失礼。
2020年10月01日
昨日千秋楽となった大相撲秋場所は、熊本県宇土市出身の関脇・正代が初優勝を飾りました!関脇に在位して直近3場所の合計が32勝と、日本相撲協会が大関昇進の目安としている33勝に1勝だけ足りませんが、両横綱不在の今場所で大関2人を倒しての優勝とあって、『常に優勝争いに加わる実力がある』と評価され、30日には正代の大関昇進を諮る臨時理事会が開かれます。これまで臨時理事会で大関昇進が見送られたことは1度もありませんので、事実上の大関昇進が決定したものと考えても良いと思います。初優勝から一夜明けた今日、正代はオンラインで会見に臨み、「少し緊張感から解放された感じだ。周りの反応やいろいろな方からの連絡で、『優勝したんだな』と実感した。前に出る相撲を取ることに集中した。熊本県で初めての優勝力士ということで光栄だ。大勢の方に応援してもらい、恩返しができたのではないかと思う。(大関は)今まで以上に負けられない地位で責任も伴うので、精進したい。」と語っていました。そして遠く離れた正代の故郷・熊本県では、郷土出身力士の初優勝とあって歓喜に沸いていました。昨日の優勝決定の瞬間には花火が打ち上げられ、地元の新聞では号外が出され、宇土市役所や熊本市の鶴屋百貨店では優勝を祝う懸垂幕が掲げられました。さらには優勝セールを行うスーパーマーケットもあったそうです。正式には30日に大関昇進が決定され、その際に行われる昇進伝達式では新大関の口上も注目されますが、内容についてはまだ検討中だそうです。30日の伝達式も楽しみですが、正代が大関としてどんな相撲を取るかも楽しみですね。それでは、今日はここまで。
2020年09月28日
今年は多くのスポーツが新型コロナウイルスの影響を受けていますが、大相撲も例外ではなく、三月の春場所は無観客での開催を余儀なくされ、五月の夏場所は中止となり、七月の名古屋場所と十一月の九州場所は会場を両国国技館に変更しての開催となりました。そして今日まで開催された九月場所(秋場所)は予定通り国技館で行われましたが、収容人員にも制限が設けられたり、大声での応援が禁止されたりとコロナ感染拡大前と同じとはいきません。場所前には横綱が揃って休場を発表して実質横綱不在となり、中日が終わった時点で9人が2敗で並ぶという大混戦となりました。しかし熾烈な潰し合いの結果、14日目終了時点では2敗:関脇・正代(時津風)3敗:大関・貴景勝(千賀ノ浦)、新入幕・翔猿(追手風)の3人に絞られ、千秋楽では正代と翔猿が直接対決することになりました。この取り組み次第では巴戦が行われる可能性もありました。しかし正代は千秋楽の取り組みで翔猿の攻めを受けきって突き落としで降し、本割で初の幕内最高優勝を決めました!正代は熊本県宇土市出身であり、1909(明治42)年に優勝制度が確立後、熊本県出身力士の優勝は史上初のことです!!地元ではパブリックビューイングでご両親や後援会の方々が取組を見守っており、優勝が決まると大喜びしていました。なお時津風部屋所属力士の優勝は昭和38年名古屋場所の大関・北葉山以来57年ぶり、東京農業大学出身力士の幕内優勝も初めてとなりました。正代は今年の初場所、前回の七月場所と2度も優勝争いをしながら敗れ、悔しい思いをしていましたが、それをバネにして戦う姿は、先日の豪雨で大きな被害を受けた熊本の方々にもきっと届いたはずです。そして伊勢ケ浜審判部長が正代の大関昇進を諮る臨時理事会の招集を八角理事長に要請し、八角理事長がこれを承認しました。30日にも臨時理事会が行われ、その後十一月場所の番付編成会議を経て大関・正代が正式に誕生することになります。日本相撲協会の大関昇進基準は、直前3場所で関脇・小結の地位にあって合計33勝以上とされていますが、正代は3場所関脇として合計32勝と1勝足りない状況です。しかし8勝しかしなかった三月場所では横綱・白鵬に勝っており、今場所では2大関に勝利して混戦を制したことから、昇進ということになりそうです。(そもそも直近で大関になった朝乃山も合計32勝でしたからね。)正代関の優勝、本当におめでとうございます!大関への昇進は正式には決定していませんが、もし実現したら熊本の方々にとって嬉しいニュースになることは間違いありませんね!それでは、今日はここまで。
2020年09月27日
新型コロナウイルス感染拡大を受けて、政府から大規模な感染リスクがある全国的なスポーツや文化イベントを中止・延期・規模縮小する対応が要請されたことを受け、国内の多くのスポーツで中止や延期、無観客試合開催等の措置が取られています。土曜日からはプロ野球オープン戦や中央競馬が無観客で行われたり、Jリーグの試合が延期になるなど、スポーツ界では新型コロナウイルス対策が続々と行われてきています。来週8日からエディオンアリーナ大阪で初日を迎える大相撲春場所も、『通常通り(観客を入れて)の開催は困難』との見方を示してきました。そして今日、大阪市内で日本相撲協会が臨時の理事会を開き、春場所の無観客開催を決定しました。過去に似たような事例はあります。江戸時代には今回のように疫病で中止になったことがあり、近年でも不祥事(野球賭博、八百長メール問題)で中止になったケースがあります。また、戦時中に傷痍軍人向けに非公開で開催されたことや、八百長メール問題で中止になった2011年の春場所の次の夏場所を、番付編成のために、テレビ中継無しで観客に無料で公開した『技量審査場所』として開催したことはありますが、無観客での開催は史上初となります。臨時理事会を終えた八角理事長(元横綱北勝海)によると、「楽しみにしてくれているファンのためにぜひ開催したい。全国のファンのために開催する。」と中止にしなかった理由を説明しました。なおテレビ中継は通常通り実施としますが、場所中に力士の感染者が出た場合は中止となるそうです。無観客での開催はファンにとっても力士たちにとっても辛いと思いますが、他のスポーツの動向を鑑みると仕方ないところです。開催してくれるだけでもありがたいと思い、今回はテレビで力士たちの取り組みを応援するしかなさそうですね。それでは、今日はここまで。
2020年03月01日
日本だけでなく世界でも活躍したレジェンドである覆面プロレスラーの獣神サンダーライガー選手が、今日の新日本プロレス東京ドーム大会で引退試合を行いました。若い人は知らないと思いますが、元々ライガーはTVアニメ『獣神ライガー』とのタイアップで誕生しました。初登場は平成元年4月24日に行われた東京ドーム大会でした。その後アニメの流れに合わせてファイヤーライガーに姿を変えた後、サンダーライガーとなって現在に至ります。ですが入場テーマ曲『怒りの獣神』はアニメ開始時のオープニングテーマで、この時点で『サンダー』ライガーは搭乗していません。体重100Kg以下のジュニアヘビー級に位置するライガーですが、時にはヘビー級のレスラー相手に互角の戦いを見せることもありました。また素顔時代に習得した骨法から掌底や浴びせ蹴りを持ち込んだり、ライガーボム、シューティングスタープレス、フィッシャーマンバスター、雪崩式フランケンシュタイナーなどの必殺技を開発したりと、日本のプロレス界に多くの技を持ち込みました。過去には男性警官が女性警官にロメロスペシャル(釣り天井固め)を決めたという事件があった際にその使い手としてライガーが「明らかなセクハラで、素人がかけると危険な技。」コメントしたことがありました。巡業が無いオフの時期になるとライガーは奥様の実家に近い福岡県糟屋町にある自宅に戻ります。ひょっとしたらトリアス久山あたりで素顔のライガーを見かけた人がいるかもしれませんね。そして1990年代や2000年代初頭には新日本の福岡大会が近くなると、KBCで『獣神道場』と言う番組をやっていました。この時の司会は高島宗一郎・現福岡市長です。これが縁で一時期テレ朝のプロレス実況アナが足りないときに高島アナ(当時)が1.4の試合に呼ばれたこともありました。リング内では素晴らしいファイトを見せるライガーですが、リングを降りるとお茶目な一面を見せることもあり、先程の『獣神道場』以外にもさまざまなバラエティ番組に出演していました。近年では毎年12月30日深夜(実際は大晦日)に同期(?)の蝶野よりも先に芸人にビンタをするライガーが見られました。また劇的ビフォー・アフターではライガーが依頼人になって野毛の新日の選手寮をリフォームしたことがありました。試合のある時期にライガーが単身赴任で過ごしている選手寮ということで、自分の部屋には自作のフィギュアがたくさん並んでいましたね。そしてこの時期に若手選手として道場に住んでいた高橋ヒロムが、今日のライガーの最後の試合で3カウントを奪ったのも感慨深いです。試合後には『獣神ライガー』原作者である永井豪先生から花束を贈呈され、引退後もマスクの着用を許可されました。さらに引退後も野毛の選手寮に隣接する道場の管理人として後進の育成を行う予定であり、リアル『獣神道場』が見られることを期待しています。平成の始まりと同時にデビューし、平成の終わりとともに引退したレジェンドである獣神サンダーライガー(と中身の山○)選手、長い間本当にお疲れ様でした。たまには福岡に戻って家族との時間も大切にしてください。それでは、今日はここまで。
2020年01月05日
10月ももうすぐ終わりを迎え、今年も残すところあと2か月です。福岡ではこの時期の風物詩とも言えるあの男たちを迎える時期になりました。27日夕方、JR博多駅の新幹線ホームには、ちょんまげ、着流し姿の大男たちが大挙して押し寄せました。そう、大相撲九州場所の季節が間もなく訪れようとしています。秋巡業の最後の地であった広島県福山市から新幹線で九州入りした力士たちは、びんつけ油の甘いにおいを漂わせて新幹線から出て、博多駅の改札を抜けて行きました。28日には九州場所の番付が発表されましたが、13年ぶりに小結が4人となりました。また、先場所に2度目の優勝を決めた関脇・御嶽海にとっては大関取りのかかる場所となるだけに気合が入っていると思います。そして九州出身の力士にとっては地元になりますので、他の場所よりも多くの声援を受けることだと思います。今日は天神・三越のライオン広場で琴恵光(宮崎県出身、佐渡ケ嶽部屋)松鳳山(福岡県出身、二所ノ関部屋)佐田の海(熊本県出身、境川部屋)正代(熊本県出身、時津風部屋)の4人がPRイベントに参加し握手会を行いました。九州場所は11月10日から福岡国際センターで15日間開催されます。1年納めの場所で賜杯を手に入れる力士は誰になるのか楽しみですね。それでは、今日はここまで。
2019年10月29日
今夜は両国国技館で『ジャイアント馬場没20年追善興行』が行われました。もう馬場さんがお亡くなりになってそんなに経つんですね。この20年でプロレス界は大きく変遷しましたが、今もこうして多くのファンに慕われるのは馬場さんの人柄あってのことだと思います。冒頭ではライバルのアントニオ猪木が登場して、「元気があれば何でもできる、 元気があれば送り人もできる。」と絶叫しました。そして馬場さんから生前最後に『三途の川で待ってる。』と手紙をもらったというエピソードを話すと爆笑が起こりました。最後は恒例の「1、2、3、ダァー!」で締めくくりました。そして今日は70年代から日本のプロレス界を大いに盛り上げた伝説のヒール(悪役)で『呪術師』の異名を持つアブドーラ・ザ・ブッチャーの引退セレモニーが行われました。ブッチャーの得意技は地獄突きや毒針エルボーがありますが、代名詞と言えるのがヒールらしく凶器攻撃です。特に全日本プロレスで行われたブッチャー&シーク組vsザ・ファンクスの試合は今もなお語り継がれる伝説的な試合です。1977年にこの試合が行われたのが当時の蔵前国技館ということで、その流れをくむ両国国技館での引退セレモニーは感慨深いものがあることでしょう。股関節を負傷していることから引退試合は行わず、テーマ曲『吹けよ風、呼べよ嵐』(ピンク・フロイド)が流れる中ブッチャーは車いすに乗ってリングインしました。ブッチャーに花束を贈呈したレスラー関係者には、ドリー・ファンクJr、マスカラス兄弟、スタン・ハンセン、初代タイガーマスク、秋山準、武藤敬司、坂口征二と、錚々たるメンバーが揃いました。その他、全日本時代に何度も戦ったザ・デストロイヤーや、最後のタッグパートナーとなった鈴木みのるからはビデオレターが届きました。ブッチャーは「ここに馬場さんがいてくれたら完璧だった。」と語ると、「若い人たちにどうしても言いたいことがある。自分の親が老いた時に老人ホームにぶち込んで放置するのだけはやめろ。お前らもいつか同じように年を取るんだ。自分の親を大事にすることを忘れるな。」とメッセージを残しました。実はブッチャーは来日の際に老人ホームへ慰問に行くことが多く、そうした経験から発したメッセージではないかと思います。昔、私は全日本の地方興行で試合後にバス越しにブッチャーを見かけ、その時に握手に応じてくれましたが、大きな手だったという印象があります。そしてブッチャーはリングを降りれば紳士だというのは事実でした。伝説のレスラーの引退セレモニーという事もあってか、何とNHKニュースでこのことが取り上げられました。その中でブッチャーは今後について、「ブッチャー二世を育てたい。」と語っていました。ブッチャーのレスラー人生はこれで幕を閉じることになりますが、新たな夢のためにこれからも頑張ってもらいたいと思います。長い間、本当にお疲れ様でした。それでは、今日はここまで。
2019年02月19日
JR博多駅の筑紫口(新幹線口)からわずか300mのところに、『博多スターレーン』というボウリング場があります。地下1階、地上8階建てのビルのうち、3フロアがボウリング場となっており、合わせて84レーンという西日本最大級の規模を誇ります。ボウリング場以外にもレストランや会議室などを備えるほか、展示会場ではプロレス興行が盛んに行われており、プロレスファンからは『西の聖地』と呼ばれています。しかし築45年以上ということで施設の老朽化が顕著になり、補修工事を行おうにも莫大な費用がかかることから、ビルの所有会社がビルの解体を行う事を決めました。これに伴い博多スターレーンも今年3月末で閉鎖されることになりました。なおビル自体は今年6月~7月に解体される予定です。福岡市では博多駅から半径500m以内にある老朽ビルの建て替えを促す『博多コネクティッド』というプロジェクトを打ち立てており、このプロジェクトの支援策を利用して再開発ビルを建設する予定ですが、オフィスビルになる可能性があるそうです。この内容に私は非常に不満を持っています。せめて1フロアだけでもいいのでボウリング場を復活させてもらいたいと思いますし、プロレス興行ができるくらいの広さを持つイベントホールを復活させてもらいたいところです。もしスターレーンが無くなってしまうと、福岡市内で中~小規模のプロレス興行ができる会場が天神の西鉄ホールくらいになってしまいます。新日本やドラゴンゲートなどは福岡国際センター等を使う事がありますがどこの団体もそんな大きな会場で試合ができるわけがありません。ですから福岡市にはスターレーンと同程度の規模のプロレス興行可能な会場を福岡市内の交通の便の良いところに立ててもらいたいです。ワールドプロレスリングの実況もやってた高島市長ならファンの気持が分かるはずです。もし実現しないならば粕屋郡からライガーを呼んで掌底をくらわせるべきでしょう。それでは、今日はここまで。
2019年01月22日
今週日曜日から大相撲初場所が始まっていますが、九州場所でも初日から精彩を欠いて途中休場していた横綱・稀勢の里は今場所でも初日から4連敗し、横綱としてワースト記録となる8連敗(途中休場除く)を記録するなど九州場所以上に精彩を欠いていました。そして今朝、師匠である田子ノ浦親方(元前頭隆の鶴)から稀勢の里が現役引退の意向を固めたことが発表されました。午後には日本相撲協会の理事会が開かれ、稀勢の里の現役引退と年寄『荒磯』襲名が承認されました。両国国技館で行われた記者会見で稀勢の里は、「横綱として期待に応えられなかったことに悔いは残るが、自分の土俵人生において一片の悔いもない。」とラ○ウのようなコメントを残しました。横綱として在位したのはたった12場所(うち15日出たのが2場所)と短命でしたが、これは周囲が余計な期待をかけ過ぎたことが、稀勢の里の土俵人生を縮めてしまったのではないかと思います。いくら日本人横綱が出ていなかったからと言って、横綱昇進基準でもかなり甘い方の基準を使って横綱に昇進させ、先場所の終わりに至っては横綱審議委員会が引退勧告をするのかと思いきや、異例ともいえる激励の決議を出すなど、モンゴル勢と明らかに扱いが違っていました。確かに白鵬の大型連勝を止めた時などは大きな期待を寄せていましたが、いざ綱取りとなると完全に別人のようになる『ノミの心臓』ぶりは甘やかされて横綱になった後も結局治りませんでした。また、何故ケガも完全に治っていないのに無理して出場して負けまくるのでしょうか?時間はかかってもいいのでもう少しじっくり治して、本当に万全の状態になってから出場するという選択肢は無かったのでしょうか?『心技体』の『心』と『体』が欠如した状態では、本来の力を出せないのは明らかなことだと周囲も気づかなかったのでしょうか?とにかく、稀勢の里の現役引退は、色々な意味で『残念』と言わざるを得ません。しかし決断したのは彼自身でもありますので、我々はそれを尊重しなければなりません。今度は親方として新たな日本人横綱を育ててもらいたいと思います。それでは、今日はここまで。
2019年01月16日
昨年の10月、大相撲の元横綱・日馬富士が自分と同じモンゴル出身の幕内・貴ノ岩に対して暴行により頭部を負傷させたとして、昨年の九州場所後に責任をとって現役引退しました。さらにこの事件に関する日本相撲協会の対応に不服を感じた貴ノ岩の最初の師匠である貴乃花親方も年寄を引退し、所属力士は千賀ノ浦部屋へ移籍となりました。そして先日まで行われた今年の九州場所では、その千賀ノ浦部屋所属の貴景勝が初優勝し、一連の騒動はハッピーエンドを迎えた・・・かに思われましたが、その後とんでもない事態が起こりました。12月4日の夜に巡業先の福岡県行橋市で、ある力士が後輩力士を暴行したことが発覚したのですが、その力士が事もあろうに昨年の事件の被害者だった貴ノ岩本人だったのです。貴ノ岩は後輩力士が風邪薬を忘れたことに言い訳をしたことに腹を立てて4・5発殴りました。翌日この事実が発覚したことで貴ノ岩は帰京して協会から事情聴取を受け、さらに6日夜に千賀ノ浦親方へ引退の意向を示しました。7日には親方とともに協会を訪れて引退届を出し、協会側から何度も貴ノ岩に意思を確認した上で引退届が受理されました。その日の夜に行った会見で貴ノ岩は、「このたび巡業先で弟弟子に手を上げてしまい、大変ご迷惑を掛けたことを心よりおわび申し上げます。深く反省し、責任を取って本日をもって現役を引退させていただきます。自分の気持ちの弱さ。自覚が足りなかった。(今後については)今のところ考えていません。」と語っていました。先輩力士から暴行を受けた痛みを知っているはずの貴ノ岩が、1年後に加害者側になった挙句、日馬富士と同様の形で、志半ばで現役引退をすることになったことにやり場のない怒り、虚しさを感じます。日本相撲協会はこれ以上の負の連鎖が発生しないように、すべての力士、親方らに対してきっちり教育・指導してもらいたいと思います。また、このような事態を引き起こした八角理事長ら幹部も長期におよぶ減給などの厳しい処分を受けるべきだと思います。それでは、今日はここまで。
2018年12月08日
一年納めの場所となる大相撲九州場所(十一月場所)は、14日目にそれまで1敗でトップだった小結・貴景勝(千賀ノ浦)がただ1人2敗だった大関・高安(田子ノ浦)に敗れ、2人が2敗で並ぶことになりました。今日の千秋楽の結果次第では優勝決定戦の可能性もありました。まずは貴景勝が錦木(伊勢ノ海)に勝ち、支度部屋に戻って優勝決定戦に控えていました。しかし高安が関脇・御嶽海(出羽海)に敗れてしまい、この瞬間に貴景勝の初優勝が決まりました!秋場所終了後に師匠・貴乃花親方が相撲協会を退職したことで、それまで所属していた貴乃花部屋が消滅してしまい、所属していた貴景勝らは貴乃花親方の兄弟子・隆三杉が親方を務める千賀ノ浦部屋に移籍することになりました。環境が変わった中ですぐ優勝するというのは大変だったと思います。貴景勝は22歳3か月で初優勝という事で、これは年6場所制となった1958年以降では史上6位、初土俵からの所要26場所は元横綱・曙に並ぶ史上4位タイの記録です。また、小結での幕内優勝は9例目となりました。平成に入ってから小結で優勝した力士はこれで4人目となりました。他の3人は奇しくも師匠である元貴乃花親方(当時貴花田)と若乃花(当時若花田、現・虎上さん)、魁皇(現・浅香山親方)の同期3人です。優勝インタビューで貴景勝は父親や兄弟子たちに感謝していましたが、やはり相撲界に入った時の最初の師匠である元貴乃花親方に最もその気持ちを伝えたかったと思います。おそらくハ○理事長あたりが『貴乃花』と一言も言ってはいけないとか、もし口にしたら強制的に廃業させるとか脅して言わせなかったと思いますが、元貴乃花親方も貴景勝の初優勝を喜んでいるに違いありません。これで九州場所は元貴乃花親方にとってさらに忘れられない場所になったと思います。1994年は双葉山以来史上2例目の2場所連続全勝優勝で横綱昇進を決めた場所で、翌年は実兄・若乃花と唯一の同部屋兄弟力士対決がありました。そして昨年、元日馬富士による弟子・貴ノ岩暴行事件発覚も九州場所中でしたが、ちょうど1年後に自分が育てた弟子が初めて優勝したわけですからね。平成最後の九州場所が終わりましたが、特にこの1年は大相撲で色々なことがありました。来年は貴景勝のような新ヒーローが(日本人の中から)出てきてもらいたいですね。それでは、今日はここまで。
2018年11月25日
今年も残りあと2か月となりましたが、大相撲の世界では11月は1年納めの九州場所の時期であります。そしてこの時期の福岡の風物詩となるのが力士たちの福岡入りです。28日の夕方、巡業先から新幹線で若手力士たちが博多駅に到着すると、甘いびんつけ油のにおいのする髷を結った、着物姿の大男たちに駅を利用していた人々は目を奪われていました。思えば昨年の九州場所から大相撲は大きな時代の流れが起こっています。横綱(当時)日馬富士による暴行事件・引退↓弟子が被害を受けた貴乃花親方(当時)と協会の確執↓協会による貴乃花追い出し工作による貴乃花の退職と、昨年の今頃にこんなことが起こるなんて誰が信じることでしょうか?そして力士や協会関係者が福岡入りしている中で、ちょうど今、貴乃花が出ている『しゃべくり007』を見ながらブログを書いています。色々なものから解放されてとってもいい笑顔をしていました。改めて協会の上層部が大相撲を滅茶苦茶にしたんだなと思えます。今後は貴乃花のような協会の犠牲者が出ない事を祈りつつ、九州場所での力士たちの活躍に期待したいと思います。それでは、今日はここまで。
2018年10月29日
先日千秋楽を迎えた大相撲秋場所では、白鵬が全勝優勝&幕内1000勝を達成し、8場所連続休場していた稀勢の里がフル出場して10勝を挙げるなど、明るい話題が多かったのですが、場所後に激震が起こりました。というのも、現在どこの一門に所属していない状態である貴乃花親方が25日、日本相撲協会に『引退届』を提出したのです。同日夕方に会見が開かれ、貴乃花親方は協会退職に至った経緯を説明しました。それによると、・昨年の元横綱・日馬富士による貴ノ岩傷害事件に対する 協会の対応について内閣府公益認定等委員会に 告発状を提出。(その後取り下げ。)・協会からの降格処分を真摯に受け止め、 今まで業務に粛々と従事してきた。・しかし8月に協会から『告発状は事実無根』である旨の 書面が届き、これを認めないと親方を廃業せざるを得ない という有形無形の要請を受けた。・さらに協会が『すべての親方は一門のいずれかに 所属しなければならず、無所属の親方は部屋を持てない』 と決められ、その上貴乃花親方は協会から 『告発状は事実無根』である旨を認めろと言われた。 真実を曲げて告発は事実無根と認めることはできない。ということだそうです。貴乃花部屋に所属していた力士・床山・世話人は同じ一門だった元小結・隆三杉の千賀ノ浦部屋に所属先を変更する申請を行ったそうです。これに対して協会側は、・協会は貴乃花親方に圧力をかけていはいない。・無所属の親方が廃業しなればならないという事実もない。・『引退届』ではなく『退職届』が必要なので受理しない。と真っ向から反対の主張を行っています。今回の事件について私は、協会による貴乃花親方への圧力以外の何物でもないと思います。『すべての親方は一門のいずれかに所属しなければならない』という決まりはその時点で唯一無所属だった貴乃花親方個人への攻撃としか解釈できません。また、貴ノ岩傷害事件について第三者委員会が開かれておらず、協会の隠ぺい体質が浮き彫りになったと言えます。さらに、告発状の内容次第では公益財団法人の認可取り下げもあるため、協会が自己保身に固執した結果とも言えるのではないかと思います。貴乃花親方が協会からいなくなるという事は、大相撲にとって大きな損失であると私は思います。角界のプリンスと言われ最年少記録を次々と更新し、何度も綱取りに失敗しても諦めずに横綱になり、大横綱にのみ許される『一代年寄』を襲名した人物が、協会の自己保身のために後を追われたことは、これから大相撲に入ろうとする若い世代にとって、悪いイメージしか与えないからです。11月には福岡国際センターで九州場所が行われます。それなのに協会がこのような体たらくでは客入りが危ぶまれるのではないでしょうか?たとえ公益財団法人の認可を取り下げられたとしても日本相撲協会は貴乃花親方の主張を認めて和解し、貴乃花親方とともに協会を良くして行くように取り組まなければいけないと思います。それでは、今日はここまで。
2018年09月27日
今年の九州場所期間中、土俵の上の取り組みよりも話題になった、横綱・日馬富士による貴ノ岩暴行事件ですが、今日未明に日馬富士が現役引退の意向を固め、引退届が日本相撲協会に提出され、これが受理されました。そして午後2時過ぎ、日馬富士が所属する伊勢ヶ濱部屋の宿舎がある太宰府天満宮の社務所で引退会見が行われました。日馬富士は師匠の伊勢ヶ濱親方と一緒に会見場に入ると、冒頭で約1分の間、深く頭を下げました。そして親方によって引退が発表された後、「この度、貴ノ岩関にケガを負わせたことに対し、横綱としての責任を感じ、本日をもって引退をさせていただきます。国民の皆様、相撲ファンの皆様、相撲協会、伊勢ケ浜の後援会の皆様、親方、おかみさんに大変迷惑をかけたことを心から深くおわび申し上げます。」と挨拶しました。しかし貴ノ岩を殴った理由について、「礼儀と礼節がなっていない貴ノ岩に対し、それを正すことが先輩の義務だと思った。貴ノ岩の事を思いつつ叱ったことが、行き過ぎたこと(暴力沙汰)になってしまった。自分は正しいことをしているという気持ちが強すぎると、行き過ぎる事もあるんだなと思った。私は今まで、酒を飲んで何かの事件を起こした事は無い。酒を飲んで人を傷つけたり、暴れたり、酒癖が悪いと言われたことは今まで1度も無いです。酒を飲んだからこの事件が起こったのではありません。」と、『自分は悪くない』と言っているかのような言い訳に終始しているような言いまわしでした。礼儀・礼節がなっていないからと言って暴力でそれを正すというのはあり得ないと思います。モンゴルではどうなのかは分かりませんが、日本でこれをやると、傷害罪が成立します。伊勢ヶ浜親方はそんな大事な事すら教えていなかったのでしょうか?プロボクサーでも傷害罪を犯せばライセンスを剥奪されるのですから、たとえビール瓶だろうがカラオケのリモコンだろうが素手だろうが他人に手を出し、さらに医療用のホッチキスで何針も縫わなくてはならないような大ケガを負わせれば、種目を問わずプロの格闘家失格なのは明白です!また、日本相撲協会がすんなり引退届を受理した事も問題です。鳥取県警の捜査が全然終わっていないのに、当事者が引責引退したら罪が軽くなるなんて絶対にあり得ません。自ら引退するのは『逃げ』以外の何物でもありません。個人的には鳥取県警による書類送検を待ってから、解雇・除名という厳しい処置をした方が良かったのではないかと思います。こうでもしなければ再発防止にもなりません。さらに、マスゴミはこぞって加害者(犯罪者)の日馬富士と日和見な協会を擁護し、被害者である貴乃花親方と貴ノ岩にバッシングしていますが、こういうマスゴミの姿勢こそ断罪しなければならないのではないかと思います。そのうち日馬富士そっくりな清○が性犯罪を犯してもアホなコメンテーターが『○宮くんは悪くない』などとわめくようになってしまい、視聴者がこれを鵜呑みにしてしまえば日本は刑法すら成り立たなくなる無法国家になってしまいます。日馬富士が貴ノ岩を殴ってケガをさせた事は事実なのですから、日本の法律(刑法)に従って刑事罰を受けるのは当然だと思います。こういう形で横綱が角界を追われる事は非常に残念ですが、悪い事をしたらそれ相応の罰を受けるというのは力士だけでなく、我々でも同じ事です。日馬富士はきっちり罪を償い、協会は徹底的に再発防止に尽力してもらいたいと思います。それでは、今日はここまで。
2017年11月29日
福岡国際センターで行われた1年納めの大相撲九州場所は、横綱・白鵬が前人未到の40度目の優勝で幕を閉じました。しかし今場所は白鵬の優勝よりも、横綱・日馬富士が貴ノ岩を暴行した事件の方が話題になりました。日馬富士は貴ノ岩が所属する貴乃花部屋に謝罪に行きましたが貴乃花親方には1度も会ってもらえず、結局東京へ戻って鳥取県警の事情聴取を受けました。当初、日馬富士は貴ノ岩をビール瓶で殴ったと報道されていましたが、日馬富士は「ビール瓶では殴っていない。」と語り、翌日には白鵬も同じくビール瓶は使っていないと証言しました。なお日馬富士は20日の事情聴取で、「平手で十数発&カラオケのリモコンで殴った。」と証言しました。また、事件発生時に酒宴に参加していた横綱・鶴竜や関脇・照ノ富士(2人とも九州場所を休場)にも事情聴取が行われました。しかし貴乃花親方は本人の体調不良を理由に協会による聞き取り調査を拒否したのです。現在も貴ノ岩を公の場に出さない状態が続いています。そして千秋楽では協会挨拶で八角理事長が謝罪を行い、優勝インタビューでも白鵬が力士を代表してお詫びを行いました。しかし白鵬はこのインタビューの中で、「日馬富士関と貴ノ岩関を再び土俵に上げたい。」と語りました。これに対して貴乃花親方は場所後に宿舎のある田川市内で行われた打ち上げパーティーの中で、日馬富士に対して「正当に裁きをしていかなければならない。」と語ったそうです。結果的にこの問題はモンゴル勢vs貴乃花親方という構図になりました。貴乃花親方はパーティー終了後、宿舎から車で約40分で行ける北九州空港から、臨時増便のSFJ62便(定刻22時40分発、羽田着24:10)で東京に戻ったと思われます。余談ですが場所中に2度目の九州入りをした日馬富士に続き、ここでも北九州空港が事件関係者に使われました。・福岡空港が都心にあるために最終便が早い。・福岡空港はターミナルが工事中のため、報道陣が殺到すると他の利用者に迷惑がかかる。・貴乃花部屋宿舎のある田川からだと北九州空港の方が近い。等の理由があったからではないかと思います。さて、今日行われた横綱審議委員会では、・日馬富士には非常に厳しい処分が必要。・貴乃花親方の非協力的な姿勢は納得できない。・白鵬の言動にも問題がある。という意見が出ました。白鵬については場所後のインタビューの他にも、「協会の膿を出す。」と発言したり、万歳三唱をしたことや、自分が負けた取り組みに物言いをつけるなど、場所中の様々な言動について横審が苦言を呈した形でした。近いうちに白鵬の事情聴取も行われますが、この内容がどうなるのか気になります。また、貴ノ岩が公の場に現れて真相が解明されるのかという点も注目です。大相撲ファンの信頼を取り戻すためにも、早く真相を解明して、当事者にはしかるべき処置がなされるべきだと思います。それでは、今日はここまで。
2017年11月27日
今週日曜日から福岡国際センターで大相撲九州場所が始まりましたが、その最中に角界を揺るがす大きな事件が起こりました。事の発端は東前頭8枚目・貴ノ岩(貴乃花)が初日から欠場したことについて、日本相撲協会がその理由として、「1.脳しんとう2.前頭部裂傷3.外耳道炎4.右中頭蓋底骨折、髄液漏」の疑いで全治2週間であると発表した事です。症状を聞いただけでも痛々しいですが、この貴ノ岩のケガが横綱・日馬富士(伊勢ヶ濱)による暴行が原因であるという報道があり、今朝のけいこを終えた日馬富士が会見を開き、10月26日夜に、巡業先の鳥取市内で開かれた酒の席で口論となり、ビール瓶で貴ノ岩を殴った事実を認めました。なお、ここまで2連敗だった日馬富士は休場届を出して今日から休場しました。これを受けて協会は福岡国際センターで緊急会合を開き、その後日馬富士の師匠である伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)は太宰府市にある伊勢ヶ濱部屋の宿舎へ戻ると日馬富士を連れて、田川市にある貴乃花部屋の宿舎へ謝罪へ向かいました。しかし、2人が貴乃花部屋の宿舎へ到着すると同時に、貴乃花親方は福岡国際センターへ向かって出発してしまいました。すれ違いとなってしまい直接謝罪できなかった2人はそのまま太宰府に戻りました。その後、貴乃花親方が巡業終了後に鳥取県警に被害届を提出したことが明らかになりました。貴乃花親方は被害届を取り下げるつもりは無いと表明しています。さらに驚愕の事実が明らかになります。日本相撲協会が暴行の事実を知ったのが11月2日で、翌3日に双方の親方にヒアリングを行ったというのです。本来ならばこの時点で日馬富士の出場を止めさせるべきだったと思います。現役最高位の力士が暴行(実質傷害事件)を起こした事、師匠や協会がそれを隠ぺいしてまで本場所に出場させた事、これは大相撲ファンへの最大の裏切り行為ではないでしょうか?過去の事例から見ても日馬富士が今後、大相撲の世界に居続ける事は不可能だと思います。皮肉なことに2日目に(おそらく現役生活最後に)負けた相手が貴ノ岩の弟弟子である貴景勝である事は何らかの縁を感じます。貴ノ岩が回復してまた元気に相撲が取れるようになる事と、このような事件が二度と起こらないように、日本相撲協会が総力を挙げて取り組み、失った信頼の回復に真摯に努める事を切に願います。それでは、今日はここまで。
2017年11月14日
今週日曜日が初日だった大相撲九州場所で、その見どころの1つが早くも訪れました。昨日行われた3日目、通算999勝となっていた横綱・白鵬が魁聖を上手投げで降し、史上3人目となる通算1000勝を達成しました!故・元横綱千代の富士の先代九重親方、元大関・魁皇の浅香山親方に続く快挙です。先場所はケガで全休していたため、復活の場所となった九州場所で、見事に最短で1000勝を達成した白鵬でしたが、次の目標について聞かれると「1001勝。」と語っており、今日も見事に『1001勝』を達成しました。1勝1勝の積み重ねがここまでの記録を生み出したのだと思います。偶然にもこの一番で勝負審判を務めていた浅香山親方は、「力強い相撲だったね。でもこんなの通過点だよ。俺とは全然違うよ。俺は長く相撲を取っただけだから。白鵬とは地位も違うし、年も違う。自分とは比べられないよ。そんなの申し訳ない。」と語り、白鵬の快挙を称えるとともに、「次は(自身の記録の1047勝を超えて)1100勝を目標に進んでいくのではないかな?」と語っていました。日程的に今年(今場所)中は無理ではありますが、来年中には確実に浅香山親方の最多勝利の記録を抜くと思います。ただ、できれば日本人力士にもっと頑張ってもらって白鵬を脅かす相撲を見せてもらいたいとも思います。大記録達成、本当におめでとうございます。それでは、今日はここまで。
2016年11月16日
今月13日に初日を迎える大相撲九州場所を前に、力士達が福岡入りし、本場所へ向けて準備を行っています。そんな中、今場所復帰を果たす横綱・白鵬と、綱取りを目指す大関・豪栄道と柳川市出身の大関・琴奨菊の3人が昨日福岡県庁を表敬訪問しました。豪栄道の師匠で九州場所担当部長の境川親方(元小結・両国)と3力士は県庁で県の職員に拍手で迎えられました。力士達を迎えた小川洋・福岡県知事は、「九州場所は今年で60回目の節目を迎え、豪栄道関の綱取りもかかり、大いに盛り上がると思う。県民に元気と勇気を与えてほしい。」と期待を寄せていました。また福岡市役所も訪れ、高島宗一郎市長のもとを訪れていました。そして今日も九州場所に関するイベントが福岡市内で行われました。豪栄道は熊本出身の正代と佐田の海、福岡出身の松鳳山、そして福岡出身の浅香山親方(元大関・魁皇)、熊本出身の玉垣親方(元小結・智ノ花)と天神で九州場所のPRを行っていました。ここでも豪栄道はファンから『横綱になって』と綱取りを期待されていました。一方で白鵬・日馬富士・鶴竜の3横綱は、福岡市博多区の住吉神社で奉納土俵入りを行いました。住吉神社には約4700人の観衆が集まり、横綱が四股を踏むたびに『よいしょ!』の掛け声を上げていました。福岡の人々に愛されて60年目を迎える九州場所ですが、豪栄道の綱取り、または日本人力士の優勝が見られるといいですね。それでは、今日はここまで。
2016年11月02日
10月も今日で終わり、明日から11月に入ります。11月の福岡と言えば何と言っても大相撲九州場所です。昨日には山口での巡業を終えた力士達が続々新幹線で福岡入りしました。博多駅にびんつけ油の甘い香りと浴衣姿の大男の姿が見えると、11月がもうすぐ訪れることを実感させてくれます。力士達は在来線に乗り換えたり、タクシーを使って宿舎へ向かいました。ほとんどの部屋の宿舎は福岡市内だったりその近郊の市町村にありますが、先場所終了後に春日山部屋が一時消滅し、追手風部屋に移籍する力士達は、もともと春日山部屋が使用していた佐賀市にある佐嘉神社の敷地を宿舎としていたり、貴乃花部屋は福岡市から車で約1時間の距離にある田川市内のちゃんこ料理店(その名も『相撲茶屋 貴ノ花』)の敷地を宿舎にしています。式秀部屋は先代の親方が八幡出身ということで北九州市八幡東区に宿舎を構えていましたが、その先代親方の定年に伴い宿舎を福岡市内に移しています。個人的に現在、両国駅を通勤に使っていますので、会社までの通り道に相撲部屋があって、本場所シーズンになると、朝稽古をする力士やその力士達を見に来た外国人観光客を良く目にします。またコンビニに力士がいたり、相撲を取り終えて部屋に戻る力士とすれ違ったり、自転車を器用に使って移動する力士を見たりもします。これから1カ月くらいは福岡市内でもそんな力士達が見られるのではないでしょうか?さて、今日は九州場所の番付が発表されました。注目は秋場所で全勝優勝し、今場所綱取りを目指す大関・豪栄道だったり、故・千代の富士と魁皇の2人しか達成していない通算1000勝まであと3勝に迫った横綱・白鵬だったりします。もちろん琴奨菊、松鳳山、嘉風、佐田の海ら九州出身の力士の活躍も見たいですね。九州場所は来月13日に初日を迎えます。綱取りや大記録達成、そしてご当地力士の活躍で、福岡国際センターが連日満員になるといいですね。それでは、今日はここまで。
2016年10月31日
7月の終わりとなった昨日は、東京都知事選など色々なニュースがありましたが、多くの方にとって衝撃を受けた、悲しんだニュースは、日本ハムがハムパイアを駆使して横暴の限りを尽くしたこと元横綱・千代の富士の九重親方がすい臓ガンのため、31日夕方にお亡くなりになったことでしょう。享年61歳、大横綱の早すぎる死はショックですね。今日、JR両国駅で千代の富士の手形を撮影してきました。歴代横綱の背の高さを比較できるスペースです。(右から3番目、185cm)白鵬(右から2番目、192cm)よりも低かったんですね。この写真からも分かる通り、相撲界では小兵の部類で、たびたび肩を脱臼していましたが、当時としては異例となる筋力トレーニングを行い、見事な肉体を手に入れました。また当時の大関・琴風(現・尾車親方)を苦手としていた時に、琴風の所属する佐渡ヶ嶽部屋での出稽古を重ねた結果、千代の富士は琴風に勝つようになった事も有名です。私が物心ついた時に見ていた大相撲では既に横綱でした。53連勝(後に白鵬が63連勝)や初の通算1000勝達成(後に魁皇も達成)、31度の幕内最高優勝は大横綱にふさわしい記録だと思います。その後1991年に貴花田(現・貴乃花親方)との初顔の一番で敗れ、これがきっかけで引退を決意したことも記憶に残っているファンも多いでしょう。貴乃花親方の父親である大関・貴ノ花の引退のきっかけが千代の富士であることを考えると感慨深いものがあります。協会は全会一致で一代年寄を与えることを決めましたが、九重部屋を継ぐことが決まっていたため、これを固辞しています。親方となってからは大関・千代大海(現・佐ノ山親方)らを育て、その後、千代大龍・千代鳳・千代丸・千代の国といった関取を育てました。昨年、還暦土俵入りを行った時には太刀持ちに白鵬、露払いに日馬富士を従え、60歳に見えない、見事に引き締まった体で『赤い綱』を締めて雲竜型を披露していました。同じ年の11月場所中にかつてのライバルでもあった北の湖親方がが急死し、それから1年も経たずに千代の富士がお亡くなりになったことは、大相撲にとっても大きな損失だと思います。弟弟子の八角理事長(元横綱・北勝海)をはじめとする角界関係者はもちろんですが千代の富士と同じく国民栄養賞を受賞したソフトバンクホークスの王貞治会長ら著名人を始め、多くの方々が『小さな大横綱』の早すぎる死を悼みました。日本ハムの主力選手全員とハムパイアの命を地獄へ送る代わりに千代の富士が天国から戻ってきてもらいたいくらいです。近年、大相撲ではモンゴル勢の台頭で日本人力士がなかなか優勝できません。ノミの心臓のク○大関以外の日本人力士が再び幕内優勝し、千代の富士のような大横綱が生まれてくることを願っています。最後に、九重親方のご冥福を心よりお祈りします。
2016年08月01日
スポーツ界で『ウィンブルドン現象』という言葉があります。名前から分かるように元はテニスから生まれた言葉で、テニスの4大メジャーであるウィンブルドンは、開催地イギリス出身の選手がなかなか勝てないという現象を指します。実施には2013年にアンディ・マレーが優勝するまで77年間もイギリス出身の選手が優勝できませんでした。これと同じ現象が大相撲でも発生しています。2006年初場所で大関・栃東(現・玉ノ井親方)が優勝して以来、日本出身力士の優勝がありませんでした。(『日本国籍』を有する力士では2012年5月場所にモンゴル出身の幕内・旭天鵬 (現・大島親方)が優勝しました。)栃東の優勝からちょうど10年経った2016年初場所、ここまで3横綱を破り13勝1敗と優勝争い単独トップに立っていた、大関・琴奨菊が千秋楽の一番で同じ大関の豪栄道を突き落としで破り、日本出身力士10年ぶりの幕内最高優勝を決めました!大関昇進から26場所目の優勝は史上最スロー記録、新入幕から66場所目での優勝は旭天鵬に次ぐ2位の記録、31歳11カ月での初優勝は旭天鵬、貴闘力に次ぐ3位の記録となり、佐渡ヶ嶽部屋力士の優勝は2008年夏場所の大関・琴欧洲(現・鳴戸親方)以来となりました。優勝が決まった瞬間、両国国技館は大きな歓声に包まれましたが、同じくらいかそれ以上の歓声が、琴奨菊の故郷である福岡県柳川市でテレビ観戦していた地元の後援会やファン達から起こりました。また、国技館には琴奨菊のご両親も観戦に来ており、優勝が決まった時には亡くなった祖父の遺影を手に感極まっていました。表彰式では九州場所中に急逝した北の湖前理事長の後を引き継いだ八角新理事長(元横綱・北勝海)から優勝旗が手渡されました。場所後には昨年7月に入籍した奥様との披露宴が控えていますが、その披露宴に大きな花を添える形となりました。九州場所では8勝しかしておらず、次の春場所で綱取りを果たすには今場所のような高いレベルでの優勝が求められることになるでしょう。ですが奥様や後援会、地元のファンの期待と声援を力にして実現してもらいたいと思います。日本出身力士の10年ぶりの優勝、本当におめでとうございます!それでは、今日はここまで。
2016年01月24日
大相撲は現在九州場所が開催されていますが、その最中に悲しいニュースが入って来ました。日本相撲協会の理事長で昭和の大横綱でもあった北の湖理事長が20日18時55分、福岡市内の病院でお亡くなりになりました。享年62歳、死因は多臓器不全でした。北の湖理事長は有珠郡壮瞥町出身で、小学校のころから体が大きく、それでいてスポーツ万能ということで『北の怪童』と呼ばれており、中学時代に三保ヶ関部屋に入門し、初土俵を踏みました。(現在の制度では中学校を卒業しないと新弟子検査が受けられません。)中学卒業時には幕下まで上がり、17歳で十両、18歳で新入幕を果たし、1974年の名古屋場所後に21歳2カ月の若さで横綱に昇進しました。この記録は現在でも破られていない最年少記録です。横綱昇進後は先輩横綱の輪島と数々の名勝負を繰り広げ、『輪湖時代』を築きました。当初は互角でしたが次第に北の湖が勝つことが多くなり、1978年頃はほぼ北の湖一強となっていきました。そのため『憎らしいほど強い横綱』と呼ばれ、大関・貴ノ花や横綱・千代の富士らがベビーフェイス(善玉)の立場とすると、北の湖はヒール(悪玉)的な立ち回りとなっていきました。しかし1982年頃からケガによる休場が増えるようになり、優勝争いから遠ざかっていきました。1984年夏場所で復活の全勝優勝を飾りましたが、既に体力の衰えが見え始めました。全盛期は負けた時に観客から歓声が上がるほどでしたが、この頃は勝った後に拍手が送られるという光景も見られました。そして1985年1月、現在の両国国技館が落成した直後の初場所に出場したものの、ケガが完治していない状態での強行出場したため2連敗し、その後引退届を協会に提出し、現役引退しました。日本相撲協会からはこれまでの功績を称えられて大鵬以来の一代年寄を授与され、北の湖部屋を興して巌雄(現・山響親方)や北桜(現・式秀親方)らを育てました。不祥事で一時閉鎖になった木瀬部屋から移籍していた臥牙丸は、北の湖部屋にいた時に小結に昇進しました。相撲協会でも数々の役職を歴任後、2002年に理事長に就任し、公傷制度の廃止やファンサービスの充実などの改革を行ってきました。しかし自分の弟子が大麻事件を起こしたことで理事長を辞任し、理事や役員待遇委員に降格していました。その後2012年にふたたび理事長に返り咲き、2013年に60歳を迎えた時には、太刀持ちに元横綱・千代の富士の九重親方、露払いに同じ一代年寄の元横綱・貴乃花親方を従えて還暦土俵入りを行いました。2014年に日本相撲協会は公益財団法人に移行しましたが、移行後最初の理事長として相撲協会のさらなる発展に尽力しつつ、現役力士が不甲斐ない相撲を取った時にはそれを戒める立場にいました。今場所では横綱・白鵬が2度も猫だましを使ったときに苦言を呈していました。そんな中20日朝に体調を崩して福岡市内の病院へ搬送され、夕方に容体が急変して帰らぬ人になってしまいました。現役時代は横綱として、引退後は理事長として常に大相撲を引っ張る存在でしたが、理事長の任期中、しかも場所中の突然の訃報は協会もショックを受けたと思います。一代年寄もこれで貴乃花親方のみとなってしまいました。北の湖は現役時代、取組後に倒れた相手に手を貸さなかったことから、『ふてぶてしい』『傲慢だ』と言われることがありましたが、これは『自分が同じことをされたら屈辱だから』という理由があったそうです。自分の信念を貫き、真摯に相撲を取っていたことがうかがえるエピソードです。定年まであと数年あり、これからも大相撲発展のために尽力すると思われただけに、早すぎる死は相撲ファンにとっても大きなショックです。北の湖理事長のご冥福を心よりお祈りします。
2015年11月20日
現在プロ野球では日本シリーズが行われており、福岡の街ではソフトバンクホークスの話題でもちきりとなっていることでしょう。2連勝で敵地・神宮へ乗り込むことになったため、しばらく地元でホークス選手達の姿を見ることはできませんが、その代わりに他のスポーツ選手達が続々と福岡にやって来ました。11月8日に福岡国際センターで初日を迎える大相撲九州場所を前に力士達が25日夕方から福岡入りしました。力士達は新幹線でやって来ましたので、博多駅には髷を結うために使うびんつけ油の甘い香りが漂っていました。早速26日には九州場所の番付が発表され、秋場所で横綱昇進後初の優勝を飾った鶴竜が初めて東正横綱になりました。また秋場所で2横綱2大関を破った嘉風は九州場所で小結に復帰しました。大分出身である嘉風は26日に大分県庁を訪れ、広瀬知事と懇談しました。三役に復帰したことで確実に上位陣との取り組みが増えますが、秋場所のような金星・銀星をいくつも奪ってもらいたいと思います。九州場所では地元勢を中心に日本人力士が活躍してもらいたいです。そろそろ日本人の優勝が見てみたいものですね。それでは、今日はここまで。
2015年10月27日
先日まで両国国技館で行われていた大相撲秋場所では、横綱・鶴竜が横綱昇進後初の幕内優勝を決めました。しかし秋場所では白鵬・日馬富士と他2人の横綱が不在で、優勝争いをしていた大関・照ノ富士とは本割で敗れ、優勝決定戦での優勝で12勝3敗という結果でした。11月に行われる九州場所では休場中の2横綱が復帰することになり、優勝争いは激しさを増すことになるでしょう。そんな九州場所の前売券の発売が3日朝9時から、会場となる福岡国際センターで始まりました。発売開始前から550人(昨年比20人増)が行列を作っており、大相撲人気の復調ぶりがうかがえる様子でした。ただ現在モンゴル勢の優勝が長い間続いており、そろそろ日本人力士に優勝してもらいたいというのが大相撲ファンの本音ではないかと思います。秋場所では西前頭筆頭で2横綱2大関を破り、敢闘賞と技能賞を受賞した嘉風は大分県出身ということもあり、三役復帰が確実な九州場所では多くの声援が集まるのではないでしょうか?11月8日から初日を迎える九州場所ですが、日本人力士の活躍で大いに盛り上がってもらいたいですね。それでは、今日はここまで。
2015年10月04日
福岡国際センターで15日間にわたって行われた大相撲九州場所は、横綱・白鵬が14勝1敗で大鵬と並び史上最多タイとなる32回目の優勝を決めました!表彰式で君が代が流れる中で、白鵬の目には涙があふれていました。インタビューで白鵬は母国の家族や衛星中継を見ている方々向けにモンゴル語で挨拶をし、その後日本語でも「偉大な記録に並ぶことができて、約束と恩返しができた。」と語りました。また白鵬はインタビューの中で、「15年前に(体重)62Kgの少年がここまで来られるとは誰も想像できなかったと思います。この国の魂と相撲の神様が認めてくれたお陰で、この結果があると思います。今回の優勝に恥じないよう、今後も一生懸命頑張って行きたいと思います。九州の皆さん、15日間ありがとうございました!」とも語っていました。白鵬の好調ぶりと現時点で対抗できる力士が存在しないことから、確実に来年中には大鵬の記録を抜くのではないかと思います。白鵬には今後も各界の第一人者として相撲界を支えてもらいたいですが、そろそろいい加減に日本人力士にも頑張ってもらいたいとも思います。来年の大相撲も盛り上がってくれるといいですね。それでは、今日はここまで。
2014年11月23日
あと1週間ほどで11月を迎えますが、11月の福岡の一大イベントと言えば大相撲九州場所ですね。その九州場所を控えた力士たちが26日から続々と博多駅に到着しました。これから場所が終わるまでのしばらくの間、福博の街にはびんつけ油の香りや浴衣姿の力士たちの姿があちこちで見られることだと思います。ただ今年はソフトバンクホークスが日本シリーズに出場しており、明日からちょうど第3戦がヤフオクドームで開かれますので、今週だけは大相撲関係者だけでなくプロ野球関係者も福岡に集まる形となりますね。そして今日は九州場所の番付が発表されました。先場所(秋場所)で新入幕ながら13勝を挙げて注目を集めたモンゴル出身の逸ノ城が関脇に昇進しました!幕下付け出しデビューから所要5場所の新三役は昭和以降最速だそうです。あまりにも早い出世のため、秋場所まではまげを結うことができませんでしたが、福岡県古賀市にある湊部屋宿舎で今日行われた記者会見で、初めてまげ姿を披露し、「本当にお相撲さんになった気分。」と語りました。なお、関取の証である大銀杏を結えるまではあと1年はかかるそうです。また、今場所横綱・白鵬が優勝した場合は大横綱・大鵬の最多優勝記録に並ぶことになるため、こちらにも注目が集まります。他にも大関・琴奨菊ら地元出身力士の活躍にも期待したいところですね。それでは、今日はここまで。
2014年10月27日
先日まで行われていた大相撲春場所で見事初優勝を飾った大関の鶴竜は、優勝同点だった初場所に続き、2場所連続で14勝1敗という好成績をおさめたことで日本相撲協会から横綱審議委員会へ横綱昇進を諮問されました。そして24日に行われた委員会で全会一致で推挙され、今日行われた日本相撲協会の番付編成会議と臨時理事会で71代横綱への昇進を正式決定しました!これを受けて鶴竜が所属する井筒部屋が春場所の宿舎にしている大阪市天王寺区の法岩寺に相撲協会から使者が派遣され、鶴竜と井筒親方夫妻へ横綱昇進の伝達を行いました。これを受けて鶴竜は「これからより一層稽古に精進し、横綱の名を汚さぬよう、一生懸命努力します。」と口上を述べました。鶴竜は時津風一門では第47代の柏戸以来の横綱となります。土俵入りの型も時津風一門の歴代横綱が選択した雲竜型となりますが、ここで1つ問題が浮上しました。通常土俵入りの型は同じ一門の経験者が指導するのが慣例であり、綱打ちも一門の力士によって行われるのですが、時津風一門にとって久々の横綱になるため、そのノウハウを持っている人がいないのです。既に元横綱・柏戸本人は他界しており、一門に横綱経験者が誰もいません。そこで土俵入りは雲竜型の土俵入りだった貴乃花親方が指導を行い、綱打ちはかつて朝青龍の綱打ちをしていた高砂部屋に協力を仰ぐ形となりました。また28日に行う明治神宮奉納土俵入りに使用する三つ揃いの化粧回しは、北の湖理事長が昨年還暦土俵入りで使用した時のものを借りることになりました。ちなみに貴乃花親方は貴乃花グループ、高砂部屋は高砂一門、北の湖理事長は出羽海一門ですので、今回は珍しく一門を超えた協力が実現しました。これで横綱は白鵬、日馬富士に鶴竜が加わり、初のモンゴル3横綱時代に突入します。新横綱の誕生は喜ばしいですが、そろそろ日本人力士にも頑張ってもらいたいですね。それでは、今日はここまで。
2014年03月26日
大相撲九州場所は今日、ついに千秋楽を迎えました。優勝争いは14日目までの取り組みを終えた段階で、白鵬・日馬富士の両横綱が1敗で並ぶ結果になり、千秋楽結びの一番で優勝が決まる形となりました。なお、この取り組みには元ビートルズのポール・マッカートニー氏からも懸賞金が懸けられることになりました。5日目に九州場所を実際に観戦したポールが懸賞旗に興味を持ち、相撲協会が特例で懸賞旗を出すことを認めたのです。内容としては先日発売された自身のアルバムの宣伝です。ポールからの懸賞旗も掲げられた千秋楽結びの一番は、立ち合いで日馬富士が左に動いて白鵬の左上手をつかむと一気に寄り切ります。その一気の攻めで白鵬の右足が土俵の外に出てしまいますが、両横綱はそれに気づかずに相撲を取っていたため、立行司の木村庄之助が二人の相撲を止めるという形で勝負が決まりました。これによって日馬富士が5場所ぶり6度目の優勝を飾りました!白鵬は5連覇と九州場所7連覇を逃した形となりましたが、やはり両横綱がここまで強さを見せたことは場所を盛り上げたと思います。その両横綱に土をつけた大関・稀勢の里は今場所の成績13勝2敗として優勝に準ずる成績となったことから、北の湖理事長は来場所が稀勢の里の綱取りの場所となることを明言しました。理事長からは来場所13勝以上のハイレベルな優勝を求められていますが、今まで綱取りの場所になった途端に取りこぼしが多くなる稀勢の里だけに、さらなる精神力の向上が要求されます。3代目・若乃花(虎上さん)以来となる日本人横綱が待ち望まれていますので、ファンの期待にこたえられる力士になってもらいたいと思います。今年の大相撲の本場所はこれで見納めとなりました。終わってみれば両横綱がすべての場所で優勝した形となりました。来年こそはどこの場所でも構いませんので、日本人力士の優勝が見たいですね。それでは、今日はここまで。
2013年11月24日
大相撲九州場所は5日目を迎えましたが、今日は福岡国際センターに海外から超大物が大相撲観戦に訪れました。明日15日に20年ぶりにヤフオクドームで公演を行う、元ビートルズのポール・マッカートニー氏です。昔から海外にも大相撲ファンが多く、フランスのシラク元大統領のようにプライベートで来日して大相撲を観戦する好角家もいますが、たいていは東京場所を観戦されるケースがほとんどでした。今回のポールの観戦は地方場所となりますのでかなり貴重だと思います。ポールはナンシー夫人とともに十両の取り組み中に観客席に現れました。そして幕内力士や横綱の土俵入りを堪能した後、中入後の取り組みを観戦しました。時には身を乗り出したり、熱戦に拍手を送るシーンもありました。そしてポールは弓取り式まで見た後に福岡国際センターを後にしましたが、どこからともなく『ポール!』コールが起こっていました。また観客と握手を行ったり携帯カメラの撮影に応じるなど、本番前日にもかかわらずサービス旺盛な様子でした。あと、とても71歳には見えないくらい元気でした。年齢的に考えても今回が最後の福岡公演となりそうですので、明日のチケットを入手できた方は本当に幸せだと思います。残念ながらチケットを入手できなかった方は、ヤフオクドーム敷地内にある『暖手の広場』にポールの腕をかたどったモニュメントがありますので、そちらで握手してみるのもいいかもしれませんね。それでは、今日はここまで。
2013年11月14日
11月10日からいよいよ大相撲九州場所が福岡国際センターで行われます。今場所は白鵬の5連覇がかかるほか、今場所新入幕となった初のエジプト出身力士である大砂嵐の活躍などが注目されています。また大関・琴奨菊や小結・松鳳山ら地元出身力士の活躍も期待されています。一方、先場所活躍した遠藤はケガの影響で出場するかどうか微妙なところです。できればそろそろ日本人力士の優勝が見たいものです。今日は初日と2日目の取組が発表されました。白鵬の相手は初日が隠岐の海、2日目が安美錦に、日馬富士の相手は初日が松鳳山、2日目が妙義龍に決まりました。また大関取りを目指すう関脇・豪栄道は、初日に高安、2日目に豊ノ島、遠藤は初日に豊響、2日目に宝富士、大砂嵐は初日に翔天狼、2日目に玉飛鳥とそれぞれ対戦します。昨日(7日)には福岡国際センターで前夜祭が行われ、白鵬・日馬富士の両横綱による土俵入りや子供相撲・力士のど自慢などが行われ、駆けつけた大相撲ファンを楽しませていました。一年納めの九州場所で、冬が迫る博多の街が熱くなるといいですね。それでは、今日はここまで。
2013年11月08日
来月に九州場所を控えている相撲界ですが、相撲協会の改革を掲げてもとの一門から独立した貴乃花親方らで構成される貴乃花グループに所属する部屋の力士が、宮崎県椎葉村で鳥取城北・埼玉栄・熊本文徳と3つの高校の相撲部員と一緒にプロアマ合同合宿を行いました。この合宿は昨年から行われており、貴乃花親方の景子夫人が宮崎県出身ということで、3年前から交流のある椎葉村で開催されています。その交流もあって貴乃花親方夫妻は河野俊嗣・宮崎県知事から『みやざき大使』に委嘱されました。ちなみに合宿に参加している高校の相撲部はいずれも高校相撲界の名門であり、鳥取城北は貴乃花親方の弟子である貴ノ岩を、埼玉栄は豪栄道らを、文徳は肥後ノ海・浜ノ嶋・普天王らを輩出しています。将来の大相撲界をしょって立つかもしれない人材がプロの胸を借りて稽古することで強くなっていってもらいたいですね。そして地元の方々も間近で本物の力士を見ることができますので、新たなファンの獲得にもつながるのではないかと思います。そうすれば九州場所にも多くのお客さんが来るかもしれませんね。貴乃花親方は現在大学生や社会人出身者のみに認められている幕下付け出しの資格を、高校生にも認めてはどうかと考えています。そうなることで高校相撲部の活性化や門戸開放につながるためだそうです。いずれこの合宿を経験した高校生の中から将来の日本人横綱が生まれれば、大相撲も面白くなるのではないかと思います。そのためにも貴乃花親方にはこれからもこの合宿を続けてもらいたいと思います。それでは、今日はここまで。
2013年10月20日
昨日早朝に2020年の夏季オリンピック・パラリンピック開催地が東京に決まったことで日本国内は歓喜の渦に包まれましたが、その開催地を決めたIOC総会ではもう1つ、重要な議題がありました。それは2020年の東京五輪で行う競技についてです。IOCは2月の理事会でレスリングを中核競技から除外することとし、今回の総会で他の種目と合わせてどの協議を行うかどうかを決める事になっていました。レスリングは古代オリンピックでも行われていた伝統的な種目ですが、ルールが分かりにくい、人気が無い等の理由で中核種目から外れてしまい、今回の結果次第では東京五輪で行われない可能性がありました。これはレスリングを『お家芸』とする日本にとっては大きな痛手となります。国際レスリング連盟でもこのことに大きな危機感を覚え、ルールの簡素化や女性委員会を設置するなど改善に取り組みました。そして日本と同じくレスリング強豪国が協力することになったのですが、その強豪国がアメリカ・ロシア・イランといった国でした。アメリカとロシアと言えば昨今のシリア情勢でピリピリしている間柄であり、イランもアメリカが『悪の枢軸』と呼ぶなどこちらも政治的に敵対していますが、『スポーツと政治は別』ということで、これらの国々がレスリング残留に向けてタッグを結成しました!政治的な敵対関係を乗り越えてこれらの国々が1つになることは、まさに平和の祭典である五輪にふさわしいことではないかと思います。今回追加候補になったのはレスリングの他に、過去に五輪から外れた野球とソフトボールを1つとした『野球・ソフトボール』、初開催を狙っていた『スカッシュ』の3競技でした。そして現地時間8日(日本時間9日)のIOC総会2日目で投票が行われ、レスリング:49票野球・ソフトボール:24票スカッシュ:22票となり、IOC委員有効投票数95票の過半数を超えたことで、レスリングの残留が決定しました!なおレスリングは2024年にも行われることが合わせて決定されました。ナショナルトレーニングセンターで合宿中だった、ロンドン五輪金メダリストの吉田沙保里・伊調馨・米満達弘の各選手もIOC総会の中継を見ており、レスリング残留が決定した瞬間、喜びの表情を見せていました。特に吉田選手は、「残ることができて嬉しい。子供達の夢がつながったと思うのと同時に、東京まで頑張りたいという気持ちでいます!」と、7年後の東京五輪まで現役を続ける意思を表明しました。一方、惜しくも五輪復活とはならなかった野球・ソフトボールについては、複数のIOC委員から東京での開催に含みを持たせる発言が出ており、ひょっとしたら野球・ソフトボール復活の可能性も残っています。日本で開催されるわけですので、東京ドームのように整った設備もあることから、ロビー活動次第では逆転復活もありうるかもしれませんね。逆に今回の東京五輪招致をひたすら邪魔した某国の発祥である、テで始まる競技は、とっとと除外してもらいたいと思います。むしろその某国自体もIOCから恒久的に除名・追放した方が、今後の五輪を円滑に開催できるのではないかと思います。東京での五輪開催とレスリングの残留決定は二重の喜びとなりました。あとは優秀なレスリング選手が日本から出てきてメダル獲得記録を次のリオデジャネイロでも継続した状態で東京でも日本の選手が活躍してくれることを願っています。それでは、これにて失礼。
2013年09月09日
度重なる怪我や病気にも負けず、25年間の現役生活を貫いたプロレスラー小橋建太選手の引退試合が、2013年5月11日に聖地・日本武道館で行われました。そのカードは以下の通りです。(60分1本勝負)小橋建太、武藤敬司、秋山準、佐々木健介vsKENTA、潮崎豪、金丸義信、マイバッハ谷口赤コーナーには小橋と戦ってきた戦友・ライバルが、青コーナーには小橋の歴代付き人が揃った豪華な試合となりました。『終わりの始まり』を告げるゴングが鳴った後、赤コーナーは小橋が先発を買って出ました。青コーナーは現役GHCヘビー級王者・KENTAが先発として登場しました。KENTAはかつての師匠に張り手をかますと、小橋は逆水平や袈裟切りチョップで応戦し、会場のファンを沸かせます。試合は赤コーナーでは小橋がほとんどの時間戦っていました。全盛期のようにヘビー級の選手を持ち上げる力が残っておらず、衰えを感じた所もありましたが、かつての愛弟子に自分の技を叩き込んででいました。マイバッハには逆水平、河津落とし、大根切りチョップ、マシンガンチョップを出し、潮崎とはチョップ合戦の後、ローリングクレイドルを出し、KENTAにはハーフネルソンスープレックスを出し、金丸には雪崩式ブレーンバスターを出しました。赤コーナーの面々は小橋の最後の雄姿を見守っている様子でしたが、健介は潮崎とチョップ合戦を繰り広げたり逆一本背負いを見せ、武藤もドラゴンスクリュー→足四の字、秋山はフロントネックロックと、それぞれの技が共演するなど、豪華な試合でした。試合時間は35分を経過と引退試合としては長い部類に入りました。ですがその終焉の時が刻一刻と迫ってきました。小橋が金丸に剛腕ラリアットを決めますがこれは青コーナーの3人にカットされます。すると赤コーナーの3人がこれを退け、武藤がムーンサルトプレスを出します。そして・・・小橋は青春の握り拳を掲げてコーナートップに立ち、ムーンサルトプレスで金丸から3カウントを奪いました。○小橋(39分59秒、ムーンサルトプレス)金丸×試合後小橋は西永リングアナに再びGHCヘビー級のベルトを腰に巻いてもらいました。そして赤コーナーの選手達、青コーナーの選手達と固い握手をし、8人が並んで両手を掲げてファンの声援を受けていました。日テレ・矢島アナのインタビューに答えました。当然でしょうが矢島アナも泣いているようでした。故・三沢光晴さんとのGHC戦、東京ドームでの健介とのGHC戦、腎臓がんからの復帰戦などで実況を務め、『特等席』で小橋のファイトを見てきただけに、その思いもひとしおでしょう。インタビューで小橋は、今日は今までと変わらず朝からNOAH道場で汗を流していたこと、応援してくれるファンがいたからこそ25年間プロレスを続けられたこと、現役王者のKENTAがいたが、最後の試合ということで自分もGHCのベルトを巻いてきたことを語りました。そして小橋が三沢さんや師匠である故・ジャイアント馬場さんに対しても心の中で引退することを語ったことを話すと、会場からはどこからともなく三沢コールが起こりました。試合中の不慮の事故でこの世を去り、自分のようにきちんとした引退試合ができなかった三沢さんへのコールに小橋も喜んでいました。さらにリングに小橋のお母様と奥様が呼ばれました。2人から小橋に記念品と花束が贈られ、3人で記念撮影を行いました。その後、矢島アナから「小橋建太にとってプロレスとは何か?」という問いかけに対して、小橋は「自分の青春でした。ひとつの青春は終わりましたが、また次の青春を頑張ります。」と答えました。今後は馳浩衆院議員に代わってPWF会長を務めることになり、また全国各地でトークライブが行われる予定でもあるため、小橋が一息つけるのはまだ先のようです。最後に小橋はファンに向かって、「今日で私は引退しますが、プロレスで学んだ不屈の精神でこれからも頑張っていきます。これまで小橋建太に関わってきたすべての皆さんに感謝します。もう一度言わせてください。ファンの皆さん、私は最高のプロレス人生を歩くことができました。本当にありがとうございました!」と挨拶しました。そして引退を告げる10カウントゴングが鳴らされ、最後のコールが行われると、再び大量のオレンジ色・紫色の紙テープがリングを覆いました。今日の大会に参加した選手達が小橋のもとに駆けつけて記念撮影を行い、小橋とお別れの言葉を交わしました。最後に小橋は武道館の四方に礼をした後、慣れ親しんだ赤コーナーへ向かい、顔をうずめて別れを告げました。それから『GRAND SWORD』の流れる中花道を歩き、会場を去って行きました。小橋建太のプロレスはもう二度と、生で見ることはできませんが、我々ファンがその雄姿を覚えている限り、心の中で輝き続けると思います。25年間の壮絶な現役生活を完全燃焼で終えることができた小橋建太選手、本当にお疲れ様でした。そしてファンに多くの感動や希望を与えてくれて本当にありがとうございました!
2013年05月12日
2013年5月11日。この日1人の偉大なプロレスラーが現役引退を行いました。その選手の名は小橋建太。聖地であり小橋本人が何度もタイトルマッチを戦った日本武道館で行われた引退試合のチケットはあっという間に完売し、全国各地の映画館でもその模様が中継されることになったのですがそれも完売、私はやむを得ずスカパーの2週間お試し視聴によりBSスカパーで小橋最後の試合を見届けました。スカパーお試し視聴の手続きに手間取って第2試合後に行われた引退セレモニーは見ることができませんでしたが、実に多くの方が会場を訪れ、小橋にねぎらいの言葉をかけていました。まずは小橋本人が『AT』と呼び、仲の良かった『四天王』の1人である田上明・NOAH社長が花束を贈呈しました。その後、現役時代に小橋からGHCヘビーを奪ったこともあるGHCタイトル管理委員の力皇猛氏、さらにPWF会長である自民党衆議院議員・馳浩氏も駆けつけました。ちなみに会場には民主党衆議院議員である野田佳彦前首相も来ており、セレモニーでは小橋に花束を贈呈し握手をしていました。なおこの日は民主党大反省会という催しがあったのですが、民主党政権に引導を渡した張本人がこういう形で欠席しています(爆)。しかも野田前首相はリングサイド最前列に陣取って試合を楽しんでいました。その他リングサイドには長州小力らしき人物も映っていました。その他には大の小橋ファンであるAKB48の倉持明日香、全日本プロレス中継で小橋の試合を何度も実況した福澤『ジャストミート』朗アナらが、セレモニーに参列し、小橋の幅広い交流関係をうかがい知ることができました。続いて海外からは小橋とタッグを組んでいたジョニー・エースことジョン・ロウリネイティス氏からの手紙が読まれ、全日本時代に小橋のライバルであったスタン・ハンセン氏からはビデオレターでコメントが送られ、会場からは「ウィー!」コールが起きました。さらに力道山Jr.で全日本時代の先輩である百田光雄、全日四天王と同時期に活躍した新日・闘魂三銃士の1人で小橋とGHCヘビーをかけて戦ったこともある蝶野正洋もマットで小橋に花束を贈り、最後に四天王の1人であり、ライバルでもあった川田利明がテーマ曲に乗って登場し、小橋に声をかけていました。さらには第1試合を終えていた渕正信も来て3人で記念撮影を行いました。2000年に故・三沢光晴さんと一緒に全日本を離れNOAHに参加した小橋と、当時全日本に残った川田・渕の3人が並ぶ日が来るとは夢にも思いませんでした。この日のメインイベント・小橋引退記念試合の対戦カードは小橋建太、武藤敬司、秋山準、佐々木健介vsKENTA、潮崎豪、金丸義信、マイバッハ谷口でした。(60分1本勝負)赤コーナーは小橋と名勝負を繰り広げた選手達、そして青コーナーは小橋の歴代付き人達と、まさに小橋のために組まれたカードと言っていいと思います。最初に入場した青コーナー側は、金丸→KENTA→潮崎→マイバッハと、小橋の付き人になった順に入場しました。マイバッハ以外は5月11日現在タイトルホルダーでしたので、(金丸:世界ジュニア、KENTA:GHCヘビー、潮崎:世界タッグ)それを考えると『原点に遡る』という意味で順番を逆にしてもよかったと個人的には思いました。赤コーナーは健介→武藤→秋山の順に入場した後、長い間慣れ親しんだテーマ曲『GRAND SWORD』に乗って小橋が最後の試合を行うマットへ向け花道を歩きました。その小橋の腰には絶対王者時代のデザインであるGHCヘビー級のチャンピオンベルトが巻かれていました。なお日テレの実況は菅谷アナでした。個人的には数々の小橋戦を実況した矢島アナがよかったのですが、そうすると泣いてばかりで実況にならないのではなかったかと思います。また解説席には蝶野が座り、小橋の引退試合にふさわしい豪華な顔ぶれがそろいました。全日本の木原リングアナが小橋の名前をコールすると、オレンジ色や紫色など、小橋の今までのタイツと同じ色の紙テープがこれでもかというばかりに大量にリングめがけて舞いました。そして、運命のゴングが鳴って・・・と言いたいところですが、そろそろ字数制限が迫ってきましたので、試合内容については(ラストマッチ編)としてこの後書きたいと思います。それでは、これにて失礼。
2013年05月12日
今年のスポーツ界は大物選手の引退が相次ぎました。サッカーJリーグでは元日本代表で『ゴン』の愛称で親しまれてきた中山雅史選手が今季限りでの現役引退を表明し、プロ野球でもホークスのキャプテンとしてチームを引っ張って来た小久保裕紀選手や横浜・広島で活躍した石井琢朗選手、連続フルイニング出場試合の世界記録を持つ『鉄人』こと金本知憲選手と、長年にわたってファンに親しまれた選手達が現役生活に別れを告げました。そして昨日、プロレス界でも1人の偉大な選手が現役引退を表明しました。両国国技館で行われたNOAHの大会の試合のインターバルで、長期欠場中だった小橋建太選手がテーマ曲『GRAND SWORD』に乗ってスーツ姿で登場しリングに上がりました。四方に礼をした後に小橋は書状を取り出して読み上げました。まずは東スポなどで報道されてきた解雇や戦力外通知は事実無根であることを表明し、ファンを安堵させました。しかし、4年前から左足と左腕に力が入らないこと、医者から引退するか手術するしかないと言われて手術を行ってきたが、状態が思わしくなく、完全復帰が無理だと判断したことをファンに伝え、途中言葉に詰まりながらもファンからの小橋コールが鳴り響く中、自らの口で現役引退を表明しました。ですがこのままリングから去るのではなく、「もう一度だけリングに上がって完全燃焼してプロレス人生に区切りをつけたい。」と、引退試合を行うことをファンに告げました。その後小橋は、「自分がこんな風に引退宣言をする日が来るなんて思わなかったです。『小橋建太に世代交代は無い』と言ってたから、こんな日が来るとは思わなかった。でも時代は進んでいます。人間、こういう時は来ます。でもこれからもう一度頑張って、この充実したプロレス人生に負けない人生を進みたいと思います。どうもありがとうございました。」と語り、もう一度四方に礼をしてチャンピオンとして何度も立った赤コーナーに立ち、そしてリングを降りて花道を去って行きました。その時にもファンからの声援に何度も何度も応えていました。5度にわたる膝の手術を行ったりガンを患って腎臓を摘出したりしてもファンの前にその姿を現して活躍したことから、プロレス界の『鉄人』として親しまれてきた小橋でしたが、長年の激しい戦いの代償は大きなものでした。ですが全日本時代からの先輩である故・三沢光晴さんのような形ではなく引退試合を行ってから現役引退ができることは幸せなのかもしれません。小橋が引退試合をいつ、どこで、誰とやるのかについてはまだ白紙ですが、もし見に行けるのであれば会場に駆けつけて、プロレスを愛し、プロレスに愛された男の完全燃焼を目に焼きつけたいと思います。それでは、今日はここまで。
2012年12月10日
日曜日まで福岡国際センターで開催されていた大相撲九州場所は横綱・白鵬の優勝で幕を閉じました。通算で23度目、九州場所は6年連続の優勝を決めた横綱は一夜明けて会見を行い、「優勝とはこういうものだと。改めていいなと思った。お酒がジュースのように感じました。年6場所で優勝2回はちょっと足りない感じはするが、私の中では最高の形で締められた。」と語りました。一方で新横綱・日馬富士は中盤まで良かったものの終盤で5連敗して9勝6敗という散々な結果に終わってしまいました。26日に開かれた横綱審議委員会の定例会合ではそんな日馬富士への厳しい意見が相次ぎました。中でも鶴田卓彦・横審委員長は「10番勝てなくては横綱の資格はない。自覚を持ってほしい。(昇進が)早かったのかもという気持ちもある。横綱に推薦した我々の責任かもしれない。」というコメントを残しました。2場所連続全勝優勝で横綱昇進した日馬富士ですが、10勝もできないというのは確かに横綱としてどうかと思います。横綱になるまでの相撲を思い出して、来年の初場所は奮起してもらいたいと思います。そして来年こそ2横綱を脅かす日本人力士が出てきてくれることを願っています。それでは、今日はここまで。
2012年11月26日
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