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森の声@ Re[3]:「自由になるということは」(自由になるための学び)(04/25) めげぞうさんへ >出会いですね。 きっか…

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森の声

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2024.04.15
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カテゴリ: カテゴリ未分類
「自然」はシビアでクールです。
大人は子どもに忖度したり、手助けしたり、甘やかしたり、評価したり、追い立てたりしますが、「自然」はそこにあるだけで何もしません。

子どもが木登りをしていてケガをしたり、崖登りをしていて転がり落ちても何にもしてくれません。困っていても助けてくれないし、失敗しても叱りません。
でもそれ故に「自然」は子どもの考え方や行動の鏡として働いてくれます。

下手な子が無理な登り方をすればケガをします。でも、何回も繰り返しチャレンジし、学び、上達をすればケガをしなくなります。そして、他の子から尊敬のまなざしで見られるようになります。

これはトンカチやノコギリなどのアナログ的な「道具」を使う場合でもそれに近いです。良い道具は努力の手助けをしてくれますが、でも、使い方が下手な場合は逆に邪魔をします。ノコギリの使い方が下手な子は、いくら頑張っても疲れるだけで木は切れません。
でも、繰り返しチャレンジし、色々感じ、色々考え、色々と工夫することで、ノコギリが作業の手助けをしてくれるようになります。
コマや竹馬などのアナログ的な遊び道具でも同じです。

それに対して、簡単で便利なデジタル的な機械はボタンを押すだけで代わりにやってくれたりします。ベイブレードも、セットしヒモ(?)を引くだけで回ります。マニュアルさえ覚えればアナログコマのようなヒモの巻き方やコマの回し方などを学ばなくてもいいのです。



自然や、アナログ的な道具やオモチャは不便です。
でも、不便だからこそ子どもの成長を支えてくれるのです。
子どもはそのような対象と取り組むことで、感じること、考えること、工夫すること、やってみること、諦めなければ出来るようになる喜びを知ることが出来るのです。

でも、簡単で便利なデジタル的な機械やオモチャに慣れてしまった子は、こういう不便な道具やオモチャを嫌がるのです。ちょっとやっただけでうまく行かないとすぐに諦めます。工夫したり努力したりして乗り越えようとはしないのです。
そもそも、工夫の仕方も分かりません。「とりあえずやってみる」ということをしないからです。

ノコギリで30分もかけて2cmぐらいしか切れない子に見本を見せるために「ちょっとだけだよ」と手助けをしてあげると、「先生やって」と言ってきます。私が「やだよ」というと、「じゃあ やめる」と言います。

それと、最近の子はあまりにも基礎筋力、基礎体力がなさ過ぎます。日常的に筋肉や体力を使うような遊びをしていないからなのでしょうね。でも、基礎筋力や基礎体力の不足は精神的な不安定や、心の不安や、感覚の過敏につながりやすいのです。

お正月にみんなでコマを回して遊びました。まずはお母さんが回せるようになるのが大切です。


私のベーゴマと大山ごまです。大山ごまはこの四倍くらい持っています。
ちょっと普通のコマとは違います。






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Last updated  2024.04.15 08:15:05
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