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やすじ2004 @ Re:「気質とは、自分が気付いていない 体調管理を改めて徹底し、手洗いうがいを…

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森の声

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2024.11.23
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カテゴリ: カテゴリ未分類
本当のことを知ろうとするときに私がやっている方法は、「要素に分けてみる」ということと「視点を変えてみる」ということです。

この世界にあるものは全て「つながり」の中で生まれ、「つながり」の中で存在し、「つながり」の中で変化し、「つながり」の中で消えていきます。

「生」も「死」も同じです。
死んだからといって全てが消えるわけではありません。ただ「自分という存在を支えてくれていた求心力」が消えることで、肉体が、もともとつながっていた「つながりの世界」の中に拡散していくだけのことです。

それはつまり、「生まれる前にいたつながりの中に戻っていく」というだけのことです。その「自分という存在を支えてくれていた求心力」を「魂」と呼ぶのかも知れません。
それを「命」と呼ぶ人もいますが、「命あるもの」と「命がないもの」の境界は曖昧です。実際、「ご臨終です」と宣言された後でも肉体は生き続けることもありますから。
科学的には物質と生命は連続している現象なんです。
でも、魂が肉体から抜けてしまったら、もう人間でいることは出来ないのです。

そして、その肉体から離れた「魂」がその後どうなるのか、ということにも興味があります。「そのまま消えてしまう」と考える人もいますが、「新しい霊的なつながりの中で霊的なからだを得て霊的な世界で生き続ける」と考える人もいます。


そのような私たちを支えている「つながり」は空気のようなものなので、そのままでは自覚することが困難です。

その「つながり」を知るための方法として、私は「要素に分けてみる」ということと「視点を変えてみる」という方法を使っているのです。

例えば、皆さんがいつも使っている「湯飲み」を考えてみましょう。
陶器製の湯飲みは粘土で作られています。そしてその粘土は、粘土が取れた場所の地質的な個性とつながっています。
信楽焼の土と、小鹿田焼(おんたやき)の土は違います。そのため、同じ形状の湯飲みを作り、同じ温度で焼いても同じ風情にはなりません。ちなみに、去年、小鹿田焼(おんたやき)の里まで行ってきたので、名前を挙げさせて頂きました。益子焼きでも、有田焼でも同じです。

同じ土を使い同じ窯で焼いても、釉薬や窯の中での置く位置が異なれば同じ風情にはなりません。焼くときに使う薪の種類や、焼く季節も関係してくるでしょう。

そして、その土の違いはその土が取れた場所の地質学的な歴史とつながっています。それはつまり、地球の歴史とつながっていると言うことです。
皆さんが毎日使っている湯飲みを要素に分けてたどっていくと、地球の歴史や人類の歴史にまでつながっていくのです。

面白いでしょ。





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Last updated  2024.11.23 09:18:33
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