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2010年06月13日
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カテゴリ: 書籍紹介
 昨日、浦沢直樹氏著作の「20世紀少年」というマンガを読みました。

 相当人気があるみたいで、以前テレビで紹介されていたのでちょっと立ち読みをしました。

 話のあらすじは、現在40代の主人公たちが小学生の頃考えた世界滅亡のお話を元に、その主人公たちの誰か一人があらたな宗教団体かつ政治団体である「ともだち」をつくり、世界征服かつ世界滅亡を目指すというもの。

 その世界滅亡を主人公が阻止しようとするというお話です。

 一つ読んでいて、当然の帰結かも知れませんが、「オウム真理教」の行動に似ていると思うのです。

 もちろん、著者も「オウム真理教」の行動から着想を得たのだろうと思いますが、それ以上に、私が感じたのが、日本の社会を改造しようと考えるとき、現在の日本の社会を支える思想だと、このような内ゲバ的な「オウム真理教」的社会改造しかあり得ないという当然の帰結を感じてしまうのです。

 まだ、14巻までしか読んでいないので、この「ともだち」なるものの世界滅亡の動機がわからないのですが、この動機というのが、どうなるのかちょっと興味があるところです。

 どうも、「オウム真理教」と似たような動機になっていくのではないかという気がしてならないです。

 これは勝手な想像ですが、「オウム真理教」の目指した社会改造とは、消費文明に対する嫌悪感。



 そして、再度、精神性にその活路を見いだしていく運動こそが「オウム真理教」の動きではなかったかと。

 しかし、そこに逆説が生まれます。

 その精神性に活路を見いだす運動を国民に強制するためには、一つの権力が必要であり、その権力を獲得するためには、暴力を使用しても良いという考え。

 崇高で遠大な目的に国民を導くためならば、例え国民が望まないとしても、国民を強制することができるという考え。

 目的のためなら、手段は選ばないという考え。

 そういうことだったと思うのです。

 そこにいろいろな権力欲が絡まって複雑にはなっていましたが、基本的に、「個人主義」「消費文明」の道徳的退廃と価値観の消失への反逆こそがその根本だったと。

 しかし、結局失敗し、おそらく、この「20世紀少年」の「ともだち」も世界滅亡計画は頓挫し、消え去っていく。

 そして、再び、日常が戻ってくる。

 日常とは、要するに、予定調和的な世界の継続であり、日本人としては、この予定調和的な生活に疑問を覚えない不思議な民族なのだろうと思います。





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Last updated  2010年06月13日 07時02分16秒
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