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頭が水膨れしている。これほどまでに忙しいと、頭をつかうことができなくなる。何も書くことがない。何も書けることがない。夜中、ベッドから落ちる。このままでいてはいけない、と思う。進学を決める。もっと力を、つけられるように。自分が生きていることを、自らに示すことのできるように。
2007.07.03
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3月、トルコ旅行のついでに弟がカンペールへ寄ってくれた。「ここって平らな国なんだな。TGVの中で、ツクヅクと思った」と言っていた。そういえばパリのあるイル・ド・フランスからル・マンを通り、ブルターニュへ抜ける列車の車窓に、山は見えない。なだらかな丘くらいだ。新幹線から見えるのは街、工業地帯、森、山。新幹線に乗るのは、祖父の亡くなった時以来で、私はいつも高速バスや18切符を使っていた。新幹線ってすごく速い。いつなのかわからないうちに九州に入る。
2007.06.02
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ウズベキスタンから帰って来たばかりの時、新宿へ行った。7年前といったらすぐだけれれど、たとえばアフガン戦争の始まる前だといったら、すごく遠いことのように感じる。恋人と駅の東南口で待ち合わせて、坂を下りたりのぼったりした。私はサマルカンドの市場で買った、きらきら光る、紅色の衣装だった。透ける紅色のワンピースで、その下には、橙色のずぼんを履いてた。それはウエストが1メートル半もあるずぼんで、だから、落ちないようにひもを通す穴があいていた。坂をのぼったり下りたりした。横断歩道も渡った。知らない人に挨拶された。ヴェールを被った人だった。知らない言葉で、話しかけられた。新宿には、そうしてみたら、長い布をまとった人が実はいっぱいいた。知らなかったけど。気づかなかったけど。
2007.06.02
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夜行高速バスに乗った。運転手さんが良いよと言ったから、私はいちばん後ろにうつって、5つ並びのうちの、2つ半の座席を使って横になった。新宿で、楽器を握って、乗ってきた女の子がいた。あれは確か、ぴあにかという名前だったと思う。女の子は男の子と一緒で、ふたりで行くのかと思ったが、男の子は髪にふれ、長い髪をなでて、出ていった。iPodを聴いていた。女の子は、マクドナルドのコーヒー無料券を眺めていた。それから後ろへ来て、私の反対側から2つ半を使って眠った。バスから見上げる、窓の向かい合う影絵も夜景。
2007.06.01
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立ったそれぞれの一秒に、口づけることを考えていた。
2007.06.01
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八月末まで、日本で暮らします。カンペールへ行ったのは、一年半前が、はじめてでした。それどころか、フランスもヨーロッパも、旅のあてとしてさえ、避けていたくらいです。だって物価、高いんだもの(笑)語学も旅も、それまでアジアのことばかりしていたもので、フランス語だって、BonjourとMerciしか、知りませんでした。でも幸いなことに、カンペールはとても素敵な町で、大事な出会いもあったし、海にもたくさん行くことができて、この一年半、私はとても・・・時々はさみしかったけれど、意味のある時間を過ごせたと思っています。ブログを読んで、書き込んでくださったみなさまにも、支えていただいたこと、感謝しています。本当に、ありがとうございました。まだ実家に戻ってきたばかりですが、来週から二ヶ月間、短期の仕事が入ったので、別府へ行きます。そこでブログタイトル。カンペール、という名前をつけっぱなしにするわけにはいかないし、いきなり「別府湯煙日記」なんていうのもナンですよね。それで、ブログをはじめた時の名前に、戻してみました。「ろうそくの火を灯すと」今後もどうぞよろしくお願いいたします。
2007.05.24
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走っている車が並んで、その両側から、手を出して繋ごうとする。坂道の民家の壁を、風がわたっていく。飽和した光のなかで、水をへだてて、子供たちが呼びかわしている。ダライ・ラマがハイリンヒ・ハラーの本に寄せたメッセージ。「今はもう、お互いに歳をとってしまったけれども、幸福な国でいっしょに過ごした幸せに満ちた日々を私たちは憶えています」公園で、父親が娘の声にあわせて数えはじめる。ふたりは男の子が、遊具をまわしたりまわったりするのを見ている。そのうち父親のほうが数え方がはやくなって、娘が後を追う。息子たちが、叫びはじめる。
2007.05.11
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小田実は、彼らのアイデンティティの特徴を、地縁・血縁的な「祖国」とは別に、原理的な「祖国」が存在していることに求めた。小田によれば、脱走兵たちは「『アメリカの原理』が現在のアメリカにないなら、自分個人の原理と『アメリカの原理』があいいれないなら、いさぎよく『祖国』アメリカを立ち去」った。しかし同時に、彼らのなかでは「自分たちの原理が彼らの考える『アメリカの原理』である以上、自分たちはどこへ行こうとアメリカ人なのだ」とされている。そうである以上、「自分の原理と同一の原理をもつ、すくなくとも同一視できるべつの社会、国家があるなら、その一員になってもよい、それを新しい自分の『祖国』にしてもよい」。だが日本の場合、「ごく少数の例外を除いて、人々が自分と祖国との『同一性』の根拠として話すのは、地縁・血縁であり、たとえ『大和魂』や『日本精神』のような定義しがたいものであれ、原理的な根拠ではなかった」。一つの答が、ここにある。国=政府ではない。護られるべき祖国とは、「自分の原理と同一の原理をもつ、すくなくとも同一視できる」理念をもち、そのようにふるまおうと努力する制度である。そしてまた国とは、既存のカテゴリーながら、同時に不断に、私たちが再構成しつつあるものである。ゆえに祖国を護ることとは、自分自身の原理(理念)を検討し、それと同一の原理をもち、少なくとも同一視できる理念をもち、そのようにふるまおうと努める制度を護る/安定させる/組み上げることである。私の原理。自分でもきちんと把握していないし、揺れがあるし、甘くて弱い。でも、9条の理念には、強く共感している。日本の現況が、憲法9条にそぐうものであるとは考えない。しかし小熊(2002)の言うように、「『現実』と乖離しているものは欺瞞であり、欺瞞は必要ないというのであれば、あらゆる思想や理念は不要である」。日本人か、と訊かれた時は、その国籍だ、とだけ答えていた。次にこれを尋ねられた時には、憲法9条の続く限りそうだ、と言おうと思う。――――――――――――――――――――――大統領選挙の報道を見て、考えたこと<1>~<3>での、脱走兵の声明および小田実の引用は、小熊英二『<民主>と<愛国>―戦後日本のナショナリズムと公共性』新曜社(2002)からの孫引き(pp.781-784)です。ごめんなさい。帰国したら、原典を確認します。――――――――――――――――――――――
2007.05.09
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ベトナム戦争の時、日本で、幾人かのアメリカ兵が脱走した。横須賀に寄航中の米軍空母イントレピッドから脱走した四人の若者は、合同声明として、次のように話している。「あなた方は今、四人の脱走兵を目の前にしている。米国軍隊を離れた四人の愛国的脱走兵である。歴史を通じて、脱走兵という名称は、卑怯者・裏切者・余計者などに冠せられてきた。だがわれわれは、カテゴリーや呼称には関心がない。われわれは、自分たちが正しいと信じることのために起ち上がらなければならない時点に達した」四人とも大学にいっていない、十九歳から二十歳の青年だったそうだ。いつも「冗談をとばしあって」いる、「酒と女の好きな」若者だったそうだ。一人は声明にこのように書いた。十九歳だった。「私、マイケル・アントニイ・リンドナーは普通の中流家庭に生まれた普通のアメリカの若者である。私が信じそのためにこそ起ち上がったところは、米国憲法の権利章典によって保障されているにもかかわらず、軍隊によって否定されているものである…… ベトナム戦争を支持する側に私が身をおいたことは、道徳に反しまったく非人間的だったと思う……私が『アメリカのためにベトナムで戦う』という代りに『ベトナム戦争を支持する』という表現を用いるのは、私があの地でやっていたことは、祖国やアメリカの同胞のために役立っていないと感じるからである……このことによって、私自身が何らかの『―主義者』という代名詞で呼ばれ、私の信念が『―主義』と分類されるだろうことは残念である。私はいかなる政治的つながりも持たないし、軍事的大虐殺の支持を拒否する一アメリカ人という以外の仕方で分類されたくない」他の一人はこう書いた。彼もまた、十九歳だった。「私は自分自身については特にそうだが、誰しもを分類するのは嫌いだ……だが何人も何事も出来合いのラベルをはられているので、あの見事な心理的過程にとらわれてしまっている人々にとっては……思想と思想の間に人間と人間の間に、カテゴリーとカテゴリーの間に戦いはつづくのである……私はアメリカ人である。二度とそこにもどれないだろうと思えば、アメリカにおける未来や友人や家族を離れるのは心痛むことである。だがもし、この戦争を終わらせ、アメリカに良識をとりもどすためにそれしか方法がないのなら、私はみずから進んで共産主義者のラベルをはられようと思う。わが憲法の精神に勝利あれ」小田実は、彼らのアイデンティティの特徴を、地縁・血縁的な「祖国」とは別に、原理的な「祖国」が存在していることに求めた。
2007.05.09
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日本人か、と訊かれた時は、その国籍だ、とだけ答えていた。愛国という言葉を、嫌悪していた。三島の『憂国』には魅かれたが、それとこれとは、一つに結びつかなかった。私の卒業した高校は、卒業式や入学式での、国旗掲揚・国家斉唱を行いはしたけれど、見るかどうか、歌うかどうかの判断は各自に任せる、と必ず前置きしてから日の丸をあげ、君が代を流した。今どうなっているかは知らない。日曜日、ニコラ・サルコジがフランスの新しい大統領に当選した。直後の演説で、「私は国を愛し、フランス市民を愛する。私は裏切らない、嘘をつかない、落胆させない」と彼は言った。ENSEMBLE, TOUT SERA POSSIBLE(一緒なら、すべてが可能になる)これが、選挙期間中の、彼の鍵言葉だった。そして彼は、シャンゼリゼのレストランを梯子した。一緒にテレビを見ていた友人は、セグレン・ロワイヤルに投票したのだが、サルコジが大統領になった以上、現在のところフランス市民である身として、その政治に期待し、協力したい、と言った。日本人か、と訊かれた時は、その国籍だ、と答えていた。何人ですか、と人に尋ねたこともない。避けたい話題だった。外したい枠組みだった。でも私は、事実として、日本国籍を持つ身であることによる利益を得ている。国とは何か。祖国とは何か。ベトナム戦争の時、日本で、幾人かのアメリカ兵が脱走した。
2007.05.09
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遅くても今月末までに、いったん、フランスを離れることになりました。そこで、カンペール焼きのご注文は、五月十四日までに、お願いできたらと思います。まだ確実ではないのですが、恐らく、9月からはまた、カンペールとは違う街で、働けることになりそうです。次は大都市。そして、フランスで一番、大きな本屋さんのある街です。仕事のためには、今より断然良い環境になります。でも、海は無い。きっとブルターニュの海が、恋しくてしかたなくなるんだろうな。
2007.05.04
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二週間近く前になりますが、4月22日、友人にくっついて、 大統領選挙の第一回投票に行ってきました。 この日の投票率は84パーセント。 大都市では投票まで1時間半待ちというところもあったそうですが、 この街の人口は少なく、また時間も8時ごろでしたので、 ほとんど誰にも、会いませんでした。 選挙の立会人のほかには、一人だけ。それが、 一緒に行った友人のお父さんだったところが、 小さな平和な、この街らしくて、なんだか三人でぼやっと、 靴を見たり空を見たりしていました。 決戦投票は、次の日曜日です。 それでね、夕べは、決選投票でぶつかる二人の候補者が、 テレビで、お互いの選挙公約を繰り延べつつ、相手を批判したんです。 二時間の予定の番組が、二時間四十分に延びました。 これが面白かった! 番組終了後、友人から電話がかかってきて、 「もしもし、見た?」と始まりました。 もちろんだよ、と私は答え、興奮してしまっていて、 シードルの栓を抜きました。 冷静さや理論的完成度という点では、右派の内相ニコラ・ サルコジのほうが、左派セグレン・ロワイヤルよりも、 数段上だったと思います。 見せる部分に破綻が無いし、隠すべきところを きちんと隠している上に、対手の失点は見逃さない。 さらにはそれを、大局的な見地に結び付けつつ 批判できる技術があります。 対するマダム・ロワイヤルは、すぐ感情的に波立ってしまう。 主張の根拠も、具体的であるのは良いけれど、 それをより大きな視点にまで繋げていく筋道が――繋げて いかなければならない筋道が、あまりに単純化されていました。 マダム・ロワイヤルのフランスは、頼りない。 それでも。 私は、思うのですが。 より頼りなくより不完全であることが、 その振れ幅が、結果として多様性を守ることになるのではないか――と。 そして多様性は、今のこの星にとっては、強さよりもなお、 大切なものではないか――と。 ニコラ・サルコジの目指すフランスは、より強いフランス。 より財産がある者たちの、より才能がある者たちの 或いはより努力をする者たちのためのフランス。 でも他のことばを使えば、 より弱き者たちを、より強くなれない者たちを、排除するフランス。 ――――選挙というのは、成人教育の効力もあるんですね。 心が掻き立てられた、二時間四十分でした。 ここにある問いはきっと、Liberte, Egalite, Fraternite 自由とは何か、平等とは何か、 そして新しい共同体とは、どのようにあるべきなのか。 _________________________________________________________________ お得なWindows Live やMSN のキャンペーン情報、最新情報はこちら http://promotion.live.jp/
2007.05.03
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復活祭の、大量のチョコレート。どれほど大量だったかといえば、こちら、スーパーマーケットの売場では、右も左も上から下まで、チョコレート特設コーナーです。こんなのが、店の入り口から奥までを貫いて、三列も並んでいました。卵や卵や卵の写真。めしばかりのめし。(山頭火)
2007.04.19
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写真は先週の復活祭翌日にとったもの。住んでいる部屋の前の公園です。この時の上天気が、まだ今日も続いていて、窓際にいると、外を通る人たちが、幸せそうに見えます。私は、かいわれだいこんを、育てはじめました。ラジオでは、「(復活祭で庭に隠し、子供達にみつけさせた卵型の)大量のチョコレートを、どうやって消費するか」という番組を、流していました。
2007.04.18
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夜が長い行き惑うパンツを洗う片付けて掃除して洗濯して、『犬が星見た』を読む
2007.04.10
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職場探しその後先日応募したところは、ヨーロッパの別の国で、町中が図書館のような、私にとっては憧れの場所のひとつでした。途中までは、うまく進んだ話なのですが、「制度の変更により、求人自体を取りやめにする」という連絡が。そこで今は、二件めの応募準備にとりかかっています。今度はフランス国内で、カンペールからは六時間くらいです。五年前の夏、私はウズベキスタンにいました。蒼と青と藍の重なる、サマルカンドという街にいました。そこで道を尋ねたことを、近頃よく、何ということもなく思い出したり、忘れたり、また思い出したりしています。「いちば・・・どこ」答えてくれた女の人のスカーフは、光に透けていました。私の手をとって、もう片方の腕は、「あっちへまっすぐよ」という動作。私は勘違いして、反対の方向へ歩いていたようでした。「こっちは・・・ちがう」と確認すると、彼女は笑って、「そっちはカザフスタンよ」この道はあっちにいくと市場。反対に行くとカザフスタン。
2007.04.06
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穴に落ちた、夢を見ました。 見上げると、きらきら蒼く光るものが降ってきました。 きらきら蒼く光るものはずっと広がっていて、 嬉しくて、私は歩き出すのだけれど、 穴から天が見えたとき、それは曇った空だったけれど、 行ってしまったらもう、帰れないんだ、と怖くなりました。 でも、どちらにしても穴はこゆびを寝かせたくらい。 私が出られるわけのない、小ささでした。 穴に落ちた、夢を見ました。 きらきら蒼く光るものが、降りわたる洞窟の夢でした。 _________________________________________________________________ 中村獅童、吉川晃司、平原綾香など話題のあの人がセレクトした曲を視聴【毎週更 新】 http://www.microsoft.com/japan/ultimatetimes/
2007.03.01
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ヴァカンスが終わって、また朝、7時半に家を出ると、薄紫の霧がたっていました。何かがこのあいだまでと違うな、何だろう、と自問しながらバスに乗り込み、やっと気づいたこと。夜が明けていたんだ、ということ。冬の夜がとても長いところなので、ついこのあいだまでは、夜明けのずっと前から働きはじめ、日が落ちて随分たってからでないと帰宅できない、という毎日でした。勤務時間はまったく変わらないはずなのですが、たくさんのことが出来そうな気がします。ヴァカンスの間に、仕事とは関係のない本を読みました。平易なことばで構成されていたけれど、あまり長くもなかったけれど、仏語の小説を、読み終わるまで手から離さなかったのは初めてです。友人に借りて、帰宅したのが7時。晩ごはんを食べ終わって8時。最後の文をなぞり終えたのが夜中の2時6分。本を読むということ自体の悦びと、やっと仏語で読めたという誇らしさとで・・・・・・だったのかな、と思います。しばらく眠れずにいました。私にとっては、ここでの暮らしにおけるひとつの達成でした。
2007.02.26
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九日間のヴァカンスの二日目。目覚めて、でもベッドの中が気持ち良くてそのままでいて、しばらくしてから、鳥のさえずる声で雨戸をあけた。飛行機雲が伸びていくのと、遠くの公園で、犬が走っていくのが見える。犬は二頭いて、その後から飼い主がゆっくりと歩いていく。車はまだ、一台も通らない。木菟の啼き声が聞こえるように感じる。でも窓を開けると、消えてしまう。どこかに一羽、遠くに、きっとこの明け方が歌い初めのような、たどたどしく啼く鳥がいる。
2007.02.19
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長らくご無沙汰してしまいました。 この間、何をしていたかというと、新しい職場探しでした。 (といっても、一箇所にアプローチをしただけなのですが) 仕事の種類とまだまだ浅い経験の関係上、一、二年ごとに この職場探しを繰り返しています。 履歴書等の準備・推薦書のお願いなど、やっぱり毎回、 自分も気力を使いますし、周りにご迷惑をかけてしまったりもします。 でも、もしかしたらこれは、私にとっては ナカナカ意義があることかもしれません。 新たな職場を探すたびに、仕事人としての自分を 振り返ったり、これから先の優先順位を整理したり しなくてはなりませんから。 ――優先順位。今の自分は、自分の時間と気力体力を、 何にどのように使いたいのか。 それは家族だったり、仕事の場所や立場だったり。 それぞれの項目には、色々な下位選択肢がまた揃っていて、 たとえば今ある家族を考える時には、 ⇒日本国内で働くか海外に留まるか。 ⇒(たとえば海外として)フランスに留まるか他を探すか。 ⇒(たとえば他を探すとして)どこを探すか。 などなど、無数に広がっていきます。 それだけ考えて、やっと応募することを決めても、 採用してもらえない場合も多いです。 ・・・・・・来年、私はどこにいるんだろう? _________________________________________________________________ Hotmail に直接アクセス!MSN がさらに使いやすく http://jp.msn.com/
2007.02.14
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バス停は、パン屋さんの向かい。パン屋さんの名前は、日本語訳すれば「よつかど」。だからバス停は、信号の前です。バスを待つ時間は、空やバスの来る方向を見つめるだけじゃなく、なんとなく、赤信号で停まる車を眺めてしまう時間でもあります。よく見かける車のステッカーには幾つかあって、たとえば○の中にAの文字が入ったもの。これはapprentissageの頭文字で、日本でいえば、若葉マークにあたります。それから、黒と白の縞になった旗をぶらさげている人。これは、1928年に制定された、ブルターニュの旗。ブルターニュ公国の紋章を貼っている人もいます。ちょっとおちゃめな、エプロンをつけた女の人のシールには、「Je suis Bretonne et j'en suis fiere」と書いてあります。「あたしはブルトンヌで、それを誇りに思ってる」という意味です。ブルトンヌというのは、ブルトン人女性ということです。ちなみに、「あたしはフランセ―ズで…」というバージョンは、見たことがありません。最近気が付いたのですが、この「ブルトンを誇りに思う」を貼っているのは、やや汚れて、車壁の薄そうな車が多いです。所詮は数年で移動していく私には、見えないものが、きっといっぱいあるんですよね。―――――――――――――――――カンペール焼きの写真は、本当に久しぶりになってしまいました。HB-Henriot社のシュガー・ソルトポットとトレイです。トレイの上・シールの奥の生成りの袋は、ゲランドの塩でした。
2007.01.25
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ゆうべ、街へ出ました。歩いたってすぐに行ける距離なのに、クリスマス以来でした。それは何ということもない日で、空も何ということもない冬の寒空で、でも今日は誕生日だから、いつかこれが28歳になった日だったんだ、ということを思い出せる何かを、探しておこうと思いました。行き交う人はたいてい、オーバーやコートの肩を立て、うつむいて、早足でした。誕生日はこうだったんだ、と覚えておける何か。それは橋のたもとの、小さな公園で見つけました。ハイネケンで乾杯している、ホームレスのおやじさん、3人。何かよっぽど良いことがあったのか、ちょっと紅くなった丸い顔が、空を向いて、笑っていました。このことをちゃんと覚えておこう、と思いました。
2007.01.24
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日本時間ではもうすぐ終わってしまうのだけれど、今日は誕生日です。 いつものように、朝、仕事前にメールボックスを開けて、 幾つかの、いつもとはちょっと違うメッセージを読みました。 祝ってくれた友人や家族、そしてこのブログ記事を読んで、 「おめでとう!」と思ってくださった方、感謝しています。 添付した写真は、私にとっては、幸せのイデア。 9月、本業関係の集まりで、3日間だけウィーン大学に通いました。 この店の前を路面電車で通過するたび、 ずっと気になって……最終日に、撮ってしまった写真です。 日溜りと本と、それを読む朝8時すぎの人。 _________________________________________________________________ 街の変なものを浅草キッドが紹介!あなたの近所にもあるかも!? http://promotion.live.jp/searchmap/
2007.01.23
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ジャージの上下が、ゆっくりと動いていきました。「すみません、小銭が」と言ってから、いろいろな考えや記憶が、頭の中を飛んでいきました。中途半端で、すぐに消えていく飛行機雲みたいな、いろいろなこと。1ユーロの、自分にとっての価値。老人にとっての価値。「この子はいつか、橋の下で死んでしまうんじゃないか」という、小さいころに聞かされた親の心配。老人の生きてきた、私の数倍(であろう)時間。自分の不安定さ。どれもこれも、思考としてのまとまりを持たないままでした。私は、荷物を全部持ったまま、灰色のジャージを追いかけました。――ありました。先ほどはきちんと探さなくて……すみません。と謝って、見つけた1ユーロ玉をお渡しすると、――ありがとう、マドモアゼル老人は答え、ゆっくりと、また坂をのぼっていきました。
2007.01.12
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「80サンチームください」これが、9月にカンペールへ戻ってきて、一番初めに聞いた言葉です。日本円にして、約120円。これまで、いろんな場所でこの種の要求を聞いたり見たりされたりしました。たとえば中国で、ウズベキスタンで、韓国で、フランスで、日本で……幾つかの記憶は、かなりはっきりとしています。たとえば。カンペール。秋の雨続きの頃。スーパーの近くのバス停でした。買出しの直後。私はリュックを背負い風呂敷をかかえ、袋を下げていました。体格の良い老人が、でもどことなく焦点のあっていない足取りで近づいてきます。「1ユーロ(150円ほど)、持ってませんか。バスに乗りたいんです」私の財布は、背負ったリュックサックの底です。―それを出すためには、雨上がりの地面に風呂敷を置き袋を置き、リュックを下ろし・・・といった一連の手続きが要ったし。―数時間前に、同じような要求をされたばかりだったし。―しかもスーパーで、節約が頭をかすめて、 蕪一個買うのをやめた後だったりして。「すみません、今、小銭が。すみません」と、私は言いました。「気にしないでください。だいじょうぶ、大したことじゃない。歩くから」と老人は言い、ゆらゆらと坂をのぼりはじめました。灰色の、ジャージの上下でした。
2007.01.10
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クリスマス。この通りは、普段と逆に人通りが減って、開いているお店も一軒だけでした。それでも。クリスマスは、街が華やかな雲に包まれているようで。聖歌や歓声が、ずっとこだましていくようで。石畳の路なのに、足音が柔らかかった。私が何を考えていたかというと、なぜか種田山頭火の俳句で、―みんなかへる家はあるゆふべのいききだったり、しました。
2007.01.08
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今さらながらのクリスマス。聖堂前の広場にはメリーゴーランドが出て、子供たちが遊んでいました。三人ならんだ真っ赤な帽子。これはイブの夜。「あと○日でクリスマス♪」という風だったのかな。子供のころ、私が「もういくつ寝るとお正月♪おばあちゃんち♪」と歌っていたみたいに、楽しみにしていたのかな。
2007.01.05
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明けましておめでとうございます。私はクレープでお正月を迎えました。写真は、夏に撮ったウィーン大学の中庭です。あたたかい陽溜まりに恵まれた一年になりますように。
2007.01.02
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晴れた空、カーテン越しに撮りました。飛行機雲の多い日、見る間に白い線の伸びていく空でした。9月にブログを始めてから、様々にお力付けいただいたこと、感謝いたします。次にインターネット接続できるのが新年になってしまう(明日から職場はクリスマス休みに入りますし、私は自宅にコンピューターが無いのです)という事情のため、少し早いですが、これをもって、今年最後のブログ記事といたします。みなさま、どうぞ良いお年をお迎えください。そしてどうか、来年もよろしくお願いいたします。
2006.12.22
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お買い物には何を、持っていかれていますか。ここでは、スーパーでも市場でも、袋はもらえないので、しっかりとした持ち運び用の入れものが要ります。若い人は、がさがさ鳴る大きなビニール袋が多くて、年配の方は、たいてい、かごを持ち歩いているようです。見た目でいえば、もちろん、かごは可愛い。でも、かさばるし、中は丸見えだし、結構不便な時もあります。たとえばパンとワインとチーズとお野菜が少し、だったら格好もつくのですが、トイレットペーパーと歯磨き粉とスポンジとノート、だったら見せたくないな、と思います。私は二刀流。夏休み、帰国していた間に考えた末の方策です。お米の袋や牛乳パックなど、割に形の整っているもの→集めて風呂敷で包む。ねぎなど、形の不安定なもの→リトアニア製の麻の手提げへ。風呂敷と手ぬぐいについては、こちらへ来てから、なんて便利なものなんだ!と思うようになりました。
2006.12.21
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同じ窓から--これは霧の朝に。週に一度、近くの大学の学部聴講に通っています。同じクラスには留学生もいて、そろそろクリスマスも近いので、里帰りの話が盛り上がっています。近隣諸国から来ていれば、ヨーロッパ内の移動なら、割に簡単です。クラスの留学生の中に、「私はモスクワに帰る!」と宣言した女の子がいました。まずパリへ出て、パリからモスクワまでバスで二日間かけて行くのだとか。フランスに留学してきて、住み込みの家政婦のようなことをしながら、大学に通っている彼女です。私はあまり仲が良いわけではなく、何度か口論に近いこともしているのですが、それはそれとして、彼女のおかげで、うん、甘えてちゃいけないな、と思えることはあります。私には、もうちょっと根性があったほうがいい。うーし!――ゆうべ、ぐずぐずと情けない思いをすることがあったので、きょうのブログには自戒をこめて。
2006.12.14
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私の部屋は、職場が提供してくれた、一人住みの小さなもの。壁は白地に青と橙色の点々。ドアはオレンジで、桟は、雨蛙色。なかなかもって、にぎにぎしいです。でも、この窓を開けたとき、「うん、ここで暮らしていこう」と思いました。霧雨の降る朝のことでした。
2006.12.13
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風の強い朝。月はまだ高いところにあって、カメラの位置が定まらず、なんだか理科の教科書で見たことのあるような写真になりました。この月を見て、ろうそくの火を想いました。友人のお母さんが言っていたそうです。-流れている水と燃えている火と働いている人は、いつまでも見飽きない。
2006.12.12
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どうしたことか、突然、写真のサイズが変更できなくなってしまいまして。それで、あたふたしているうちに、日数が。ご無沙汰いたしました。皆さま、いかがお過ごしでしょうか。良い風、巡っていますか。ここは今、風、吹きまくりです。雨も、よくこれほどの水分が天にあるものだな、と思ってしまうほど、ずさずさと降っています。そしてまた、ここの天気の変わりやすいこと!とても信じてもらえないような気がするのですが、この写真を撮った瞬間には、私のまわりでは、まだ雨が降っていました。
2006.12.08
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ブルターニュセットを作ってみました。筒状のものが、昨日までの包みの中身です。実は、お酒なんです。以前ご紹介した、キール(カクテル)に使います。これはカラメルのシロップです。でも、シロップといっても、アルコール度数はかなり高めで、白ワインかシードルで割って、いただきます。キールは白ワインが多いのですが、シードルで割れば、「キールブルトン」と呼ばれるものに。どうして海の味か、というと、それはゲランドの塩がほんの少し入っているから。ここのところ雨続きで、ゆうべは何度も、風の音で目が覚めました。写真が寒色になっているのは、そのせいかもしれません。
2006.12.05
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小さな煙草盆。隅っこの2本ずつ線が入っているところがくぼんでいて、煙草を支えられるようになっています。私自身は吸わないし、周りにも喫煙者はほとんどいないのですが、このサイズと色合いは可愛らしくて、何か透明感のあるものを載せたいな、煙草盆として使う必然性は無いんだしな、なんて思っています。☆もちろん後ろにサインの入る、HB-Henriot社の手作り・手による絵付けですが、これは日本円にして2000円をきるので、これまでご紹介してきた中で、いちばんプチ・プライスです☆
2006.12.04
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つつみのなかみ。チョコレートでは、ないのです。でも、甘いもの。甘くて、とろりとしていて、ごくかすかに、海の味のするもの。バレンタインに貰えたら、私はきっとうれしい。女の子同士で、数人で集まる時にも良いかも。
2006.12.04
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ブルターニュで作られたものたち。職人技のチョコレート。そして、包みの中身も甘いもの。包みの中身は甘くて、ごくかすかに、海の味のするもの。さらさらしているものではなくて、すうすうしているものではなくて、とろりとしていて、ごくかすかに、海の味のするもの。・・・バレンタイン向けかもしれません。
2006.12.01
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郵便局へ出かけた、その行きがけに見かけたこちら。戻ってきたときにも、このままの姿でした。賢きさまかな佳きかな、佳きかな
2006.12.01
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母が、送ってくれました。きょうは新しいずぼん(*^_^*)
2006.11.30
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クレープのこと、シードルのこと、これまで何度か書いてきました。神楽坂や表参道のル・ブルターニュは、ちょっと有名店だけれど、伊豆にこんなお店もあります。 ↓↓HAPPAYA(葉っぱ屋、かな)さんです。『HAPPAYA 伊東市大室高原3-600 TEL:0557-51-0268』http://www.k4.dion.ne.jp/~kiyomi/happaya.htm夏、フランスへ戻る前にうかがったのですが、柔らかい色合いのお店、ブルターニュのクレープリー平均値なんて軽く超えているだろう味、お庭で摘みたてのハーブ、マスターご夫婦の笑顔と、素敵な時間を過ごさせていただきました。最寄り駅の駅前に足湯があるのも、私としては、嬉しかったです。ところで、TBSの『世界遺産』という番組を、ご存知でしょうか。『世界遺産』のウェブページ、スタッフメールの4月15日の欄にも、http://www.tbs.co.jp/heritage/info/staffmail_06.htmlHAPPAYAさんの紹介があります。このスタッフメールのところに書いてあるように、お店のマスターは、「記念すべき第一回放送の『マチュピチュ』や、『イグアスの滝』『アンコール』、それに傑作『ヴァルベルイの無線電信局』などの作者」です。一緒に行った友人談によれば「いい男」。私は、まだ大学生のころ、アルバイトとしてお世話になったことがあるのですが、一緒に仕事をさせてもらっていると、とても気持ちが落ち着きました。写真は、レンヌで撮ったクレープのお店です。
2006.11.30
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お気に入りに登録させていただいた方たちのブログですが、美味しそうな!滋味深そうな!お料理をされている方が多いです。私はもう、お料理はからっっっっっきしダメなので、憧れています。この間なんて、世にもマズイホットケーキを焼いてしまったくらいで。むかし恋人に自分が焼いたパンを見せたら、「爆弾か?」と言われたくらいで。そこで、このあいだ「おやつにしませんか」と書いてしまってから、どうしよう?って躊躇していたのです。(作りたい気持ちばかりは、いっぱい、いっぱい。例のマダムに似てるかも・・・)結局、買ってきたものに走りました。どちらもこの近辺で作られた、塩バターキャラメル(これは有名かな)と、チョコレートです。チョコレートは、職人さんの手作りです。
2006.11.29
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それから今は、Rの音、どうなったのかというと。近頃ほとんど「出来てないよ!」と言われなくなったのは、諦められたからなのか、私の発音が許容範囲に近づいてきたからなのか。後者であることを願いつつ、ちょっと好きなフランス語のご紹介。純粋に音の問題なのですが、「la lune」(月)「les oreilles」(耳;複数)この音、心臓にぐっときます!が、効果があるは私に対してだけらしいです。でも。もしかしたら、これは他の方にも効くかな。「c'est moche!」腹が立っていて、ちょっと惨めな情況の時の独り言。mocheというのは、「みっともない」といった意味での「ヒドイ」だと思います。発音は思いっきり「もっしゅ!」「セ・もっしゅ!」「セ・もっしゅ!」「セ・も―――っしゅ!」とぶつぶつやっていると、小さなことなら、まぁいっか、という気分になってくることも多いです。小さなおまじないみたいなもの、ですね。
2006.11.28
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「あ、なんか色っぽい☆」と耳をそばだてると、それはラジオのスペイン語。スペイン語だ、ということくらいしかわからず、意味はぜんぜん着いてこないのですが、だからこそ、うっとりしてしまうのです。もしかしたら「南洋諸島における植物帯の一般的特徴について」なんて、話しているのかもしれませんが、私は蕩けているだけ。フランス語だと、耳が意味を追いかけてしまうから、以前は良かったのですが、今はもう、これはかないません。こちらへ来る前のフランス語学習歴、実はたったの8時間で、来てから何とか、サバイバル的にやってきたフランス語です。そういえば、例の悪名高いRの音。去年、私のRは「気持ち悪かった」(今も?)そうで、そういえば、会う人会う人、ぐるるるるる、と喉を鳴らしてくれました。よく覚えているのは、「ええと、喉の奥のこの小さな肉塊を、息を吹き出して揺らすわけ」という説明です。(やってみてください!)喉は痛いわ、あごは疲れるわ、いつまでたってもその音は出せないわで、「もういい、そんな汚い音、一生出せなくたっていい!」とぶんむくれていた私でした。
2006.11.28
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公共機関のなかで、私が最も良い関係を保ってきたのが図書館。もう、中に住んでしまいたいくらいです。はるかにひけをとるとはいえ、次に来るのは郵便局でした。でも。ここのところ、折り合いが悪いのです。たいていは、3回挑戦すれば2回は郵送できていたのですが、先日から・・・ 初回;郵便局移転工事中のため閉鎖2回目;郵便局ストライキのため受け付けてもらえず3回目;バスがストライキのため、郵便局まで行けず4回目;機械故障のため、郵便局臨時閉鎖と、立て続けに失敗なのです。そんなこんなで、手紙の中身にだんだんと時差が。今日こそは、と思います。電話して確かめてみたところ、今のところ問題なし。行ってきます!
2006.11.27
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下の写真の橋は、街の(たぶん)中心にあるカテドラルから徒歩1分。私のうちは、橋から歩いて12-20分くらいです。どうしてこんなに幅があるのか、というと、近道を通るか大回りのバス道を選ぶか、という差があるから。日が暮れてから・・・なら、大回りでも車道を選ぶのだけれど。冬の重たい雨が降りているなら、遠くてもアスファルトの道にするのだけれど。空が高い時なら、木漏れ日の差し込んでくるあの一時ならきっと、風の音が耳に届くこっち、この坂を。
2006.11.27
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オデ川にはたくさんの橋がかかっているのですが、細いものは、滑って落下、という惨事防止のため、冬季は通行禁止です。この写真は、1度ご紹介したことのあるもので、9月に撮りました。私達のウェブ上お散歩はこの橋を渡り、坂をのぼり、街の中心街を離れて、ゆっくりと緑の多い場所へ。そろそろおなかがすきませんか。おうちへ帰って、おやつの時間にしませんか。
2006.11.24
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カテドラルの前から細い石畳の道をのぼり、古い広場を抜けて、また坂をおりてきました。深緑の薬屋さんの前を通って、ここはもうオデ川。一度ご紹介したことのある写真です。
2006.11.24
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当初から一押しのカフェオレボウルのサイズですが、日本で一般的な大きさよりも、やや小ぶりだと思われます。横に葉書をおいて、写真を撮らせてもらってきました。もちろん裏に手書きサインの入る、HB-Henriotのものです。手作り・手による絵付けですから、ひとつひとつ/描かれたひとりひとりの表情やスタイルも、絵付けをする人によって少しずつ変わっていきます。写真ではわからないのが残念ですが、この絵は凛々しい表情の、とても綺麗なひとでした。
2006.11.23
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この種のお店、街の人口の割にはいささか、過剰なのではないかと感じています。一度それをこちらで長い方に言ったら、「私はめがね屋が多いと感じたけど」という話でした。お洒落めの薬屋さんです。ちなみに、風邪をひいた時などの、「もう薬持ってるよ」という表現。私のお気に入りは、シンプルかつ音のおもしろい☆じぇでじゃでめでぃかまん☆(j'ai deja des medicaments※)です。ほとんど「おもちゃのちゃちゃちゃ」のノリで覚えました。もうほとんど坂をおりきって、この向かいは以前にご紹介した市場。オデ川はすぐそこに見えてきます。 ※アクセント記号は文字化け防止のためはずしてあります
2006.11.23
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