仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2007.03.13
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カテゴリ: 雑感
仙台衆は信用がおけない。警戒し用心せよ、と芳しくない定評があった。藩政時代や明治の頃にあちこちで言われた話だと思うが、昭和になってからも根強かったのかも知れない。郷土史家の紫桃正隆さんは学生時代を過ごした盛岡で下宿屋に「仙台衆は置けませんじゃ」と断られたという。

盛岡から見ると、境を接して事あるごとに紛争を巻き起こした相手方として、仙台藩はことのほか警戒すべき相手だったのだろう。

亡くなった私の祖父も本気か冗談か、よく、秋田の人間とは付き合うなの趣旨のことを言っていた。幕末の列藩同盟から抜けた不義を取り上げてのことだ。会津の人は今でも長州に対する割り切れない思いがあるという。

今は少なくなっただろうが、アパートで外国人お断り、なんてのも比較的最近まで平気であったと思う。私が学生の頃、コンビニで早朝のアルバイトをしていたのだが、同じアパートの友人A君も仕事したいとオーナーに申し出たところ、A君の大学を指摘して「B大学さんは勘弁して下さい」と断られた。なんでも、以前にB大学生がアルバイトで不始末をしたらしい。

まさかB大学の学生がみんな一律に犯罪者だと本気で信じているわけではなかろうが、オーナーの一種の気持ちの整理の面もあったろうか。

やっぱり我が国には、地域や学校など、出身属性でもって決めつける精神風土が残っているように感じる。でも、逆に出身で厚遇することだって多い。藩閥、地域閥など。厚遇とは行かないまでも、「おおあんたも盛岡出身か、よく来たね」と、話が通りやすくなったり、うち解けたりする。

冷遇も厚遇も、いわば表裏のようなものだ。かといって人種間の抗争のように硬直的なほどでもない。そもそも同一民族だ。歴史上の遺訓や個人的できごとのため、気持ちの整理として落ち着かせる面が多分にある。何かの契機で解消もできる。

今思えば、子どもの頃は、出身でもって何か人を定型化しようと考えていた。祖父の影響か。例えば秋田の人はこうだ、とか。血液型と性格の関係のようなもので、ある程度まで面白さはあるが、本気で考えていくと破綻する。でも、なぜか私は本気で定型化しようとしていた頃があった。中学や高校で交友が多様化して、考え方も均らされたように思うが、ひょっとして意識の根底に残っているかも知れない。

今日13日は祖父の誕生日だ。明治44年生まれ。一兵卒として海軍従軍が長く、南洋の戦歴をよく聞かされた。生きていれば97歳か。





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最終更新日  2007.03.13 05:54:35
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