仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2008.07.06
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カテゴリ: 教育
大分県教育委員会による教員採用試験をめぐる汚職疑惑の一件は、本当に残念だ。有罪を推定して論じるようでやや気が引けるが、おそらく間違いないのだろう。いろんな角度から論じたいことがあるが、まずは要職にある人間の卑劣な行動を厳しく糾弾したい。

ものごとを解きほぐす時に、素朴な感覚こそ本質を照らすことがある。今回の件もそうだろう。教員某の子女を採用試験で有利に取りはからう、それで金が流れる。ということは、これまでもそのような構造になっていたと考えて間違いない。

案の定、今日になってからは、口利きは数十人に上るとか、管理職任用試験でも汚職があった、などの報道も出ている。

こうなると例の元参事だけでなく、さらに以前からの構造だったとみるべきなのか。全く残念なことだ。

私の小学生の娘はこのニュースを見て、もし自分の学校の校長先生だったら、学校全体が悪いことしたみたいで嫌だね、と語った。大多数の教員は生徒のため熱心に仕事をしている。元締めの教育委員会がこれでは全く示しがつかない。

口利きで採用された当の若い教員も気の毒だ。その親は自らを恥じねばならない。親としてもだが、教育者としてふるさとにどう説明するのか。

教員採用試験は狭き門だ。ボーダーラインで誰を拾うか、誰になってもみな若い情熱を教育に注ぐだろう。だから、という訳じゃあるまいが、裁量を悪用してしまう幹部が、いた。考えても見よ。カネや商品券や請託がなかったとしても、採用担当者がいたずらに主観で採用するようでは絶対に困るのだ。

教員の採用は、公務員任用の大原則である人事専門機関(人事院、人事委員会)による競争試験ではなく、教育長の選考によることとされている。客観的な能力の検定だけではなく、人間味を十分吟味するために、教育委員会の専門家がきめ細かく審査する、という趣旨に違いないだろうが、これをはき違えられたら、身も蓋もない。

感覚が麻痺したなどという言い訳では済まされない。こんな幹部を任用した教育長の責任は必至だし、場合によっては膠着的で不透明な人事システムも見直すべきかもしれない。



競争試験によらない採用という制度も、不透明な採用手続も、それもこれも、本当に立派な人物が心をこめて運用してこそのものだ。どうやら、時代は変わったのだ。

まずは手始めに、各県ごとに新規採用教員のうち、親が教員のケースを数字で示すといい。





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最終更新日  2008.07.06 22:31:09
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