仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2013.06.19
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カテゴリ: 東北
前回に続き、森林博物館でいただいた資料から、津軽森林鉄道について。

■前回の記事
青森市森林博物館と津軽森林鉄道(その1) (2013年6月18日)
■関連する過去の記事
芦野公園と津軽森林鉄道 (2013年6月4日)
津軽森林鉄道 (2010年5月8日)


国有林の沿革の概要
明治の新制度とともに発足。明治19年に大林区署制が公布され、青森大林区署(営林局)が開庁。以来明治30年頃までは経営組織機構や調査などの努力。明治32年から大正3年までに管内の全事業区の境界確定と施業案編成を中心にした基本調査が終わり、並行して資源の開発利用を図る国有林野特別経営事業が始まる。
この間、明治43年青森大林区署直轄の青森森林鉄道事業場が設けられ、明治年間唯一かつ我が国最初の津軽森林鉄道が全線(延長約6万7千km)運転を開始。内真部、蟹田、中里、金木および相内の各小林区署間の生産事業がスタートした。
幾多の変遷の後、森鉄業務は大正14年青森営林署の所属となり昭和21年再び青森営林局直轄に移って、青森森林事業場と改められ、昭和24年には独立官庁として誕生した青森運輸営林署となる。
運材の花形としてほぼ半世紀にわたった津軽森林鉄道はこうして国有林野事業の進展の大きな役割をにないつつ、一貫して経営されてきた。

津軽森林鉄道のおこり
〔前回記事に記載と内容重複なので内容は割愛。要点だけ記す〕
藩政時代の御留山、豊富な蓄積。しかし未開発状況。明治の両本線開通で青森市が集散市場に。日露戦争を契機に貯木場、林道が拡大の機運。当時の搬出作業には制約が多く、運材のパイオニアとして登場。
〔前回記事にない点。従来の搬出の難点として、〕特に、管流(放流)の場合は河川を破壊し治水その他の危険を誘発する恐れがあった。

敷設工事
2案が立てられた。
(1)石川越え:明治38年7月調査の結果、蓄積が豊富な内真部、中里、金木署管内国有林の開発のため、内真部海岸から内真部国有林を通り金木署吉〔ママ〕良市山国有林を経て吉良市貯木場に至る。幹線24km及び中里に至る8kmの計画。
(2)六郎越え:明治39年5月調査の結果に基づき、青森貯木場を起点に半島の脊梁山脈の東方山麓をぬって進み、蟹田署管内小国山国有林を貫通し、中里所管内の内潟を経て吉良市貯木場に至る幹線67kmの計画
以上の2案を検討の結果、利用区域の拡大と運搬能力を主眼に、六郎越を採用。明治36年測量開始、労苦を重ねて明治42年11月30日全線運転開始。

これから58年間、最盛期には総延長121kmにわたる森林鉄道による木材輸送が行われたが、昭和42年11月で、トラック輸送に変わり全線廃止された。

果たした役割
森林鉄道によるヒバ丸太の輸送実績は58年間で162万6千立米メートル。20坪の家建築で約5万5千戸の住宅に相当。
過去を振り返れば、森林鉄道の創成期から昭和15年頃までは、我が国の経済界や世界的不況の流れもあったが、ヒバ材は一般建築材、枕木用材として、また大正震災には復旧用資材として活用されるなど社会的貢献を果たしている。
ヒバ材の特質である耐久度、耐湿性の強さ、もくり繊維が美しさく〔ママ〕、優雅な淡黄色を帯びた材面は、和風建築の長押、敷鴨居、天井版はもとより、戸障子、襖等の建具材としてもその販路を拡大した。
また、昭和16年から20年までの太平洋戦争中は貴重な軍需材として、昭和25年には木材統制撤廃、26年の森林法改正にいたる間は戦後復興資材の供給等、時代の要請に応じる使命を担い、津軽森林鉄道による木材輸送の全盛時代は続いた。

昭和26年の森林法改正で森林基本計画に計画された大規模林道は国営で実施しようとする機運のもとに、一般自動車道及び国有林内の林道(自動車道)施設が急速に拡大の方向をたどった。
このため津軽半島の各署のヒバ材の地域市場性が高まるにつれ、森林鉄道による木材輸送は次第に減退をよぎなくされていった。
森林鉄道による輸送の搬路は昭和34年以降さらに短縮されることになる。この年、林力増強計画の一環として、事業計画の安定化とともに作業の効率化、生産性の向上が強く要請されるに至った。
時代の進展にともない、林業の機械化が進む一方、全幹集材方式の作業形態が広まり、自動車道及び作業道はますます充実強化されていく。そしてヒバ材の地域市場性の拡大が進展し、森林鉄道の搬路は縮まり木材の輸送が減退していった。
国有林の内外を問わず、自動車道は張りめぐらされ効率化されていく時代背景から、長い年月走り続けた津軽森林鉄道も昭和42年度の輸送3200立方メートルを最後に、58年間の栄光ある歴史を新しい時代に引き継ぐことになった。

津軽森林鉄道で活躍した主な機関車
〔写真が載っている〕
ボールドウイン車(故障が少なく昭和16年頃まで愛用された)
コッペリー5t機関車(大正12年から昭和35年頃まで津軽や下北の川内署で活躍した)
ライマー製シェイ式蒸気機関車(車両が7.3mと長く支線カーブで脱線等の事故が多く大正8年高知大林区署に転換された)
酒井式ガソリン機関車(昭和10年頃より活躍)
雨宮製・国産機関車第1号(昭和10~27年まで)
浅野式ガソリン内燃機関車(昭和10年頃から稼働)
協三L型ディーゼル内燃機関車(昭和25~42年頃)

森林博物館の森林鉄道について
展示されている機関車は昭和36年から下北半島川内営林署で昭和42年まで働いた協三L型ディーゼル機関車4.9tです。役目を終えてから奥薬研のカッパの湯に展示されていたが、昭和57年青森市森林博物館の開館に合わせて展示されることとなり現在に至っています。
また、この機関車は川内営林署時代に水上勉原作、内田吐夢監督の「飢餓海峡」(1965)という映画に出演しています。

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最終更新日  2013.06.19 06:21:59
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