仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2015.01.20
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カテゴリ: 宮城
なぜ石巻中学校と門脇中学校は、全国的にもユニークなお隣さんなのか。石巻市史編纂委員会『石巻市史第4巻』(昭和37年、石巻市役所発行)をみてみた。

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(要約)
戦後の教育制度に対応するため、昭和22年1月11日に市が学制改革対策委員会を設置。3月24日には討議の結論として、次の事項を決定。

(2)門脇校の学区は門脇、釜の両国民学校の学区とする
(3)本校教室は(旧制)石巻中学校より三教室、石巻高等学校より三教室を借用、二部制による授業とする

3月31日に緊急市議会。新学制による中学校を設置するの件を満場一致で可決。四中学校(石巻、湊、住吉、門脇)を正式に決定。

これより先、堺市長は、市民教育の統一と、久しく悪伝統とされた部落的対立感情の解消に資すべく、思い切って学校の一所集中主義をとり、従来の小学校学区にとらわれずに二ヶ中学校を同一場所に建設する方針であった。しかし、委員会学区父兄中には(ママ)、この案に反対が多く、四学区ごとの開設を強く要望、市長も結局これに屈するほかなかった。

なにぶん校舎建設を急がねばならず、かつ財政事情から、南鰐山の市有地を中心に隣接民有地を買収して、そこを四校の敷地に決めた。

総面積1万6千7百坪、傾斜があるため折半上下二段として整地、校舎も突貫で建設した。

昭和22年4月に教員発令、教室は応急措置として各小学校、高校、商業学校の余裕教室や講堂その他を一時利用。4月22日一処に開校式。

戦後の社会情勢から工事は遅々として進まず、昭和25年3月ようやく落成。新校舎へ。上段に湊中学校、住吉中学校。下段に石巻中学校、門脇中学校とした。

しかし年々収容生徒の増加でたちまち狭隘化。また、一見寄合世帯のようで無用の対抗意識を誘発する面も。さらに通学の不便。そこで、まず湊の父兄が独立を叫びだし、これを受け昭和27年初めに大門崎付近に着工、9月に第一期校舎竣工し移転、のち各教室を増築して昭和37年完成。この動きが住吉を刺激し、昭和31年第一期着工、36年には講堂他も竣功。

これにより堺市長の校舎集中主義も崩れ去り、鰐山には二校が残った。下段の石巻中は昭和33年に上段の前湊、前住吉の校舎に移った。





(1)堺市長は集中設置主義のもと2校を構想したが、4校で決定。場所は鰐山と決定。
(2)昭和22年4月新学制施行後、校舎建設までの間は既存施設を一時利用したが、昭和25年に落成した新校舎(4中学校の集中配置)へ。
(3)しかるに、校舎狭隘化、対抗意識誘発、通学の不便を背景に、自学区への分離開設の動きが生じ、湊と住吉が分離した。
(4)鰐山では、石巻、門脇の2中が、前湊中、前住吉中の施設を活用して隣接併存することとなった。





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最終更新日  2015.01.20 19:39:19
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