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<うららか>は、やわらかな日射しの下、のどかな様子をあらわす言葉です。明るくて暖かい時間をじゅうぶん享受できる<日永>な4月は、桜の花が咲いてはじまり、はじまり。桜、そして桜を愛でるお花見を題材にした季語は<花巡り><花の酔い>などなど数多くあります。遠くから見た満開の桜の花の眺めをいう<花の雲>は、とりわけファンタジック、言い得て妙。桜は、花びらが散りはじめてからも美しいもの。最後に残った蘂(しべ)も落ちる<桜蘂(しべ)降る>ときが、春の終わりの合図です。「サルビア歳時記」木村衣有子・・・・・・・・・・花冷え、桜前線、花いかだ、花曇・・・。桜を愛でる日本人の作った、美しい言葉。自然に敏感な日本人の一番好きな桜なの季節。本来、桜は4月に開花する花だったが、温暖化の影響で、3月下旬に開花が早まった。将来は、季語も変わってくるのか・・・。桜貝。桜海老。桜東風。桜草。桜鯛。桜餅。桜湯。桜飯。姥桜になっても「恋」をしたいと思っています。追伸・・・そういえば、遠山の金さんの背中って「桜吹雪」でしたね。「おしゃれ手紙」 「サルビア歳時記」 木村衣有子乙女な切り口から見た京都の本など、私は、木村衣有子さんの本が大好き。その大好きな、木村衣有子さんの「サルビア歳時記」という本を買ったのは、数年前。場所は、京都の乙女な本屋さん、「恵文社」。乙女と歳時記。これが、「サルビア歳時記」のキーワード。・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月30日*追悼、久世光彦:昭和は遠く・・・。/洪水から柳ごうり *UP・・・・・・・・・・・・・
2008.04.01
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若草の緑、花の色で、景色が一気にカラフルになった。<弥生野>の眺めは、心おどるもの。<初燕>がそこに飛んでくるのも、きっともうすぐ。21日ごろには<春分>、昼と夜の長さが等しくなる日があります。「暑さ寒さも彼岸まで」とむかしからいわれる節目の日です。少し寒さが残る日があって雪がちらついても、すぐに<泡雪>と消えてしまいます。けれど、<春風>に乗って花粉、それから<春埃>も運ばれてきます。暖かくなったからといってほっとしていられない、3月です。「サルビア歳時記」 木村衣有子 3月1日と2月29日は、たった1日しか違わないのに、なんだか3月というだけど、急に春という気になってくる。寒さは変わりがないけれど、ニットの帽子は仕舞った。心はすでに春。 「サルビア歳時記」 木村衣有子乙女な切り口から見た京都の本など、私は、木村衣有子さんの本が大好き。その大好きな、木村衣有子さんの「サルビア歳時記」という本を買ったのは、数年前。場所は、京都の乙女な本屋さん、「恵文社」。乙女と歳時記。これが、「サルビア歳時記」のキーワード。・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月1日*昭和恋々:産湯*UP・・・・・・・・・・・・・
2008.03.01
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関西では、昔から節分には、巻き寿司を丸かぶりする。というのは、私は海苔会社の陰謀だ。その陰謀に、ノリのいい関西人が乗って、全国に広まったのではないかと私はにらんでいる。( ̄ー ̄)。とはいえ、巻き寿司は好物なので、毎年この時期には、作っている。具には、干瓢(かんぴょう)、卵焼き、竹輪、干ししいたけ、ほうれん草を入れる。干瓢、干しシイタケ、海苔の乾物トリオと卵は、いつもある。今回は、ほうれん草と竹輪を買いにスーパーに行った。スーパーには、巻き寿司が山のように積まれていた。巻き寿司は、家で作るものではなく、店で買うもののようだ。干瓢を戻したり、シイタケを戻したり、普段使わない、飯切り(寿司桶)を出したりするのは楽しいことなのに、もったいないなと思う。 ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月3日*年越し*UP・・・・・・・・・・・・・
2008.02.03
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1月20日を二十日正月といいます。この日は正月に迎えていた神様が、それぞれの場所に早朝にお帰りになるという日です。地方によっては前夜に小豆ご飯、尾頭つきの魚などをお供えするところもありました。また、全国的にこの日は正月の祝い納めとして、仕事を休んで物忌みをする習慣がありました。正月のお供えや飾り物などのすべてを処分して、正月の行事を終了します。(略)小正月に実家に帰っていた嫁は、二十日正月には嫁ぎへ戻るというしきたりもありました。今では1月11日に行われる鏡開きも、もともとは二十日正月の行事でした。武家では、具足(ぐそく)や鎧兜(よろいかぶと)に供えた具足餅、鎧餅を雑煮にして食べることを「刃柄(はつ)を祝う」といったそうです。「和ごよみと四季の暮らし」・・・・・・・・・・・・・夫も私も、大の雑煮好き。年末にも早々と、材料を買い込んで、楽しみにしていた。けれども、夫はカロリーを気にし、私は肥満を気にしているので、いつもの半分くらいしか作らなかった。なんだか物足りないな・・・。と思っていたら、昔は20日にも、雑煮を食べていたというではないか!このことを夫に話し、「うちも、二十日正月に、お雑煮しようか?」と言ったら「異議なし!!」という答え。( ̄▽ ̄) 今日は、雑煮を炊きました。それにしても、「刃柄(はつか)」って昔もおやじギャグがあったんだ!( ̄▽ ̄) ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月20日*骨正月 * UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.20
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1月15日を「15日正月」とか「小正月」といわれ、子ども達にとっては、待ち遠しい楽しい日でした。山から切り出した松の木を心木にして、しめ飾りを積み上げ、夕方に火を放って燃やします。勢いよく炎が立ち昇り、夕暮れの空を焦がし、それは勇壮なものでした。これを「ドンドを囃す」といい、子ども達が正月の二日に書いた「書初め」を、その燃え盛るドンドに入れます火の勢いにあおられて、上昇気流に乗って空高く舞い上がるほど、字が上手になるといわれ喜んだものです。この「ドンド」の火で、長い竹竿の先端に挟みつけた鏡餅を焼いてぜんざいなどに入れて食べました。この「ドンド」の火で暖まると、その年は風邪をひかないとか、残り灰を家の前に撒くと、ヘビや長虫の魔よけになり、田に撒くと稲がよく育つといわれます。「ふるさと和気」より・・・・・・・・・・注連縄も今日でお終い。*でも、伊勢では、一年中飾っておく。*さすが、神の国。 ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月15日*♪とんどのワラをおくれんか/ 14日のトンドとテンピツ* UP・・・・・・・・・・・・・
2007.01.15
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朝になって、みんな、はほとんど一緒に目をさましました。すぐに靴下に目をやると、たしかに何かはいっています。サンタクロースが来てくれたのです。アリスとエラとローラは、赤いフランネルのナイトがウンのまま、ピーターは赤いフランネルのナイトシャツのまま、サンタクロースがもってきてきてくれたものを見ようと、大声をあげてかけだしました。どの靴下にも、あかるい赤のミトンと長くてひらたい、紅白のしまになった、ハッカいりキャンディがはいっていました。ふちの両がわに、きれいにギザビザがつけてあるのです。みんな、あまりうれしくて、しばらくは口もきけませんでした。目をかがやかせて、このすてきはクリスマス・プレゼントをじっと見つめています。でも、ローラはだれよりもいちばんうれしいのです。ローラには、布人形のプレゼントがはいっていたのですから。それはそれはきれいな人形でした。白い布の顔に、黒いボタンの目がついています。黒いえんぴつでまゆがかいてあり、ほっぺたと口は、ヤマゴボウの実からとった赤インクでぬってあるのです。髪の毛は、黒い毛糸で、ほぐし毛糸なのできれいなまき毛になっていました。足には、ちっちゃな赤いフランネルの靴下をはき、靴は、黒い布をぐるぐるまいて、ゲートルのようにできています。洋服は、きれいなピンクとブルーのキャラコです。(略)ローラはベッドのはしにすわって、人形をだいていました。赤いミトンも大好き、キャンディも大好きですが、何よりもこのお人形がうれしかったのです。さっそく、シャロッテという名前をつけてやりました。「大きな森の小さな家」より byローラ・インガルス・ワイルダー この物語は、西部開拓の時代の「大きな森」で暮らす少女とその一家の物語。ローラ・インダルス・ワイルダーの自伝です。厳しい自給自足の生活の当時の人々の一番の楽しみは中でクリスマス。母親の手編みのミトンとたまにしか食べられないキャンディに、ローラや遊びに来ていた、いとこたちの喜ぶ様子が目に浮かびます。トウモロコシの芯に布を巻き付けて人形ごっこをしていたローラは、母親の手作りの質素な人形を見て大喜び。私は今のクリスマスのあり方には、疑問を持っています。でも、ローラたちの、過ごした質素で心のこもったクリスマスは多いに憧れるです。 ◎人気blogランキングへ◎◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★12月24日*ヤドリギの下でキスを・・・。* UP・・・・・・・・・・・・・
2006.12.24
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ハロウィン(Halloween)は、キリスト教の諸聖人の日(万聖節)の前晩(10月31日)に行われる伝統行事です。諸聖人の日の旧称"All Hallows"のeve(前夜祭)であることから、Halloweenと呼ばれるようになりました。古代のケルトの人たちは、収穫の季節である秋が深まるにつれ、どんどん日が短くなり、夜が長くなっていくのは、Samhain(あの世を支配する王)が太陽の光を奪ってしまうからだと考えました。そこで、収穫物をお供えして崇め、死者の魂をなだめ、大きなかがり火を焚いての暗さに対抗し、翌年の幸運を祈りました。 そのかいがあって、冬至を境に日が長くなり始め、彼らの願いが聞きいれられたと喜びました。この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていました。これらから身を守る為に仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いたのです。***ハロウィン・ファン***よりへえ~、へえ~!!!ハロウィンを日本のお盆に似てるという人がいるが、私は*いのこ*にそっくりと思う。季節も秋が深まった頃だし、夜、子どもたちが、家々を回って、お菓子をもらうというのもそっくり同じ。最近は、「いのこ」をいまだにやってるってこと、聞いたことがないけどね・・・。「いのこ」は、私の子どもの頃の大切な思い出・・・。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★10月31日*柿は女の生涯/地名:「ふるさとの小字(こあざ)」*UP
2006.10.30
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「夏が一番きれいね」と 私が言へばあの人は 「いいえ秋です」さう言って とても寂しく微笑んだ 榊原敦子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・すっかり秋になってしまった。あの暑かった夏はどこに行ったのだろう。+++秋祭り、ご馳走、出店、栗、柿、松茸、稲刈り、はざかけ、収穫、アケビ、椋の実・・・。子どもの頃、秋には、楽しみがいっぱいあった。中でも一番の楽しみ、秋祭りを障子を貼りなおして、明るくなった部屋でウキウキしながら待った。村のはずれには、田んぼが広がり、刈り取られた稲が天日干しされていた。あの頃の村は、人々は、秋が来ると、輝いていた。あの頃の人々は、貧しかったけれど、満足感のある生活をしていた。今はモノに囲まれても、まだ足りない、まだ足りないと買い求める。しかし、決して満足は買えない。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★10月7日*芋名月*UP
2006.10.07
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お盆は、ふるさとの里山を見ながらのんびりしたい。でも休みが少ないから帰れないとお嘆きの大阪人に朗報。大阪駅近くに里山が出来た!\(゚▽゚*)/・・・・・・・・・・・・・・・JR大阪駅北側の梅田貨物駅(北ヤード)に隣接する新梅田シティに、日本の原風景をイメージして田畑や雑木林などを配した8千平方メートルの*「新・里山」*が7月28日、オープンした。地権者の積水ハウスなどが開発したもので、雑木林のほか、季節の野菜を育てる畑や棚田がある。地域住民やビジネスマンの新しい憩いの場となりそうだ。コナラやクヌギなどの雑木林の中に遊歩道があり、棚田のほとりを小川が流れている。水生昆虫やカブトエビ、カエルなどの姿も見られるという。 新梅田シティビル内に勤める人々が参加するボランティア組織「新梅田シティ里山くらぶ」が中心で栽培にあたる。里山でとれた農作物による「収穫祭」など、季節ごとにイベントも開催する予定。・・・・・・・・・・・・・20年近く前、この広大な土地を「開発」して新たに商業都市を作ろうという案が浮上していたのです。それに対して市民グループは、「大阪にはもうビルはいらない。ないのは、緑。緑いっぱいの土地にして」という対案を出して署名活動をしていました。当時は、市民グループの言ってることは、たわごとを思われていたのですが、やっと念願がかないました。さっそく、見に行ってこよう♪いなかの、本物の里山には適わないのですが、この「新・里山」がみんなの心のふるさとになったらいいな。そして、こんな場所が、いろんなところに出来たらいいな。ふるさとは、遠くにありて思うより、近くにありてつくるもの。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月12日*ヨウネンコウ*UP
2006.08.12
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「 竹八月」。父から聞いた言葉です。その時は、「ふーん」と聞いていたのですが先日、調べ物をするために、図書館で借りた本を読んで驚いた。~~~~~~~~~~~~~~七夕の日に竹を取って来て、着物を干す「衣竿(きんざお)=物干し竿」に使いよった。昔の人は、着物は「元(根元)」から通すもんじゃいよりました。ほら、竹にも「元末(もとうら)=根元と枝」があるでしょう。されども、七夕竿なら「もと」からなり、「うら」からなりい、通しやすい方から通して良えというて。それでこの日(8/7)に竹を採りに行くんですよ。そして、どうしても行けん時は13日でも良えいうとりました。「おばあさんの山里日記」 葦書房~~~~~~~~~~~~~~~~七夕の日に竹を取って来て、物干し竿にした。洗濯ものは、物干し竿の太い方から通さなくてはならないという決まりがあったが、七夕の日にとってきた竿なら、太い方からでも細い方からでもいい。8/7に行けない時には、13日でもいいといった。宮崎県の椎葉村という焼畑で有名な村の古老から聞き取りをまとめた本。しかし、宮崎と岡山、はるか、時空を越え、竹は八月に切るということが言われていたとは・・・。おそるべし、先人の知恵と言葉。・・・・・・・・・・・・・・・これもアップしたのに消してしまった日記。再度アップ。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月2日*川遊び・・・花咲く、合歓(ねむ)の木の下で*UP
2006.08.02
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7月1日のことを「六月捨(す)てえ」と言い、農家では、焼餅を作り神仏に供える習慣があった。6月中は田植え等によって農家は、大忙し。やっと、田植えも終わり、畦豆も蒔いて、農作業も一段落。ほっとひと息、くつろぎのひとときです。何事かの節々にしか作らない餡餅(あんもち)を作ります。「夏餅は犬も食わん」といわれるので、その餡餅を焼餅(やきもち)にして神仏に供えます。その後、一族の者でいただきます。また、手作りの「うどん」を食べたり、「流し焼き」と言われる、ホットケーキのようなものに、*白下(しろした)*といわれる黒糖をつけて食べて祝います。参考資料:「わが町 和気」 ・・・・・・・・・・・・●今は、田植えといえば5月。でも、かつては、6月。 田んぼの水がいるから、梅雨時の6月が最適だった。理にかなっている。●うどん好きの母がよく、うどんを打ってくれて食べました。●父は薄いホットケーキのような「流し焼き」が大好き。もちろん、私たち子どもも・・・。■2003.7.1にアップしたものですが、削除していたのです。復活!!●この頃、前年の米は、少なくなっていた。代わりに、春に取れた麦を使ったのだろう。●**白下(しろした)**いわゆる、白い砂糖よりも粗末な砂糖だと父が言っていた。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月1日*半夏生(はげしょう)のポチ団子 * UP
2006.07.01
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時の記念日の由来時の記念日は1920(大正9)年に制定されました。当時の日本人に欧米人なみに時間を尊重する意識を持ってもらうことを目的とし、生活改善同盟会が「日本書紀」の天智天皇の条、水時計創設の記によって6月10日を選定。時間の大切さをかみしめる日と意義づけられています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・当時の日本人は、本当に、時間を浪費していたのだろうか。否、当時の人たちは、何よりも時間を大切にしていたと思う。田植えでも、種まきでも、時期が大切。そのタイミングが、その年の出来、不出来に関係あるのだから・・・。“山桜が咲いたら麻をまけ”“カッコ鳥が鳴いたら粟をまけ,トット(筒鳥)が来たら豆をまけ”などと,各地各様のいい方がある。(ここ参照)そのために、各地でこのような種蒔きに関する諺がある。そういえば、蒔くという漢字の中に「時」がある!!それに比べて、私は、時間の無駄使いが多い。なんでも、明日しよう、今度しようと逃げている・・・。 _| ̄|○ 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★6月10日*時計の無い暮し * UP
2006.06.10
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NHKの朝の連続ドラマ「純情きらり」のヒロイン、桜子は今、岡崎の実家に帰っています。実家の裏庭では、長女の笛子が洗濯をしていたりします。その裏庭に「しょいこ」を発見!!*「しょいこ」*とは、薪などを背負って運ぶための道具。【背負子】と書きます。写真ここ二宮金次郎の銅像でおなじみのあれ。私も子どもの頃は、あのしょいこを背負って、山から薪を運んできたことがあります。私たちのところでは、「おいだい」と呼んでいました。「負い台」、背中に負うための台ということ。それにしても、桜子の実家のお父さんは、市役所勤めだったのに、背負子があったのは、なぜなのか・・・。謎・・・。最近、この背負子は、見なくなったのですが、金属製のものが売られています。::::::::::NHKの朝の連続ドラマ「純情きらり」が描くのは、昭和の初期の日本。時代背景は、セットや小道具、メイクなど番組に登場する全てのものが当時のものを再現したレトロなものばかりです。一方、私が生まれたのは、昭和20年代で終戦後。子ども時代は、昭和30年代。「純情きらり」の昭和と「私の昭和」の間には、約20年の差があります。また、戦後という、大きな事件の後では、ものの考え方が大きく変わったはずなのに、実に多くのものを共有していることに気がつきました。いちいち、とりあげてみたいと思います。♪♪♪♪♪「純情きらり」と「私の昭和」♪♪♪♪♪■桜子の陶椀■私は、味噌汁用と思っていたのですが、桜子は、これでご飯を食べていました。■誕生日の祝いはしない!■■色足袋■■手ぬぐい■ 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★6月7日*萱葺き屋根のロケの村:♪おっさん、どこなら八塔寺* UP
2006.06.07
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(略)ショウブとヨモギを採取してきて、邪気を払うためさまざまなことが行われていた。軒先にさしたり屋根に上げたりする「葺き籠り(ふきこもり)」、風呂に入れる「菖蒲湯」、枕や布団に敷いて寝る「菖蒲枕」「菖蒲布団」刻んで酒に入れて飲む「菖蒲酒」、頭に巻いたり髪に挿したりする「菖蒲鉢巻」「菖蒲かんざし」などは、全国的にみられる習慣である。(略)「日本の民俗学:時間の民俗」180pより・・・・・・・・・・・・・・今日は「端午の節句」。私の父は、端午の節句に、ヨモギを採ってきて、束ねて屋根に放り投げたそうだ。「屋根替え」という子どもの行事だったというが、昭和30年代の私はしなかった。この「屋根替え」の風習は、大阪の古老からも聞いたことがある。+++先日、小さな庭にいっぱいになったヨモギを抜いた。ヨモギ餅にも、てんぷらにもしないで抜かれてしまうヨモギがかわいそうだと思った。来年からは、5月5日に抜いて、枕元に置いて寝よう。「ヨモギ枕」ということで・・・。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★5月5日*♪なんでだろうサツキ* UP
2006.05.05
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卯月八日(うづきようか)、祭りの3日ほど前の五日に山に登ってタカバナ(高花)にする花を折ってくる。ツツジ、しゃくなげ、山吹、藤などの花を束ねて、5メートルくらいの竹の先に結びつけてタカバナといって庭に立てる。「日本の民俗・兵庫」・・・・・・・・・・・・●タカバナは、神仏に対しての目印で、正月の門松にあたる。●卯月八日は、旧暦。約一ヶ月後。*****さくら・さくら*****さくら舞い散る中に忘れた記憶と君の声が戻ってくる吹き止らない春の風 あの頃のままで君が風に舞う髪かき分けた時の 淡い香り戻ってくる二人約束した あの頃のままでヒュルリーラ ヒュルリーラbyケツメイシ 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★4月8日*卯月八日(うづきようか)* UP
2006.04.08
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友人が散歩に誘いに来てくれたので、万歩計をつけて歩いた。ただ、散歩というのは芸が無いので、春を探すことにした。舗装された道路は、車が主役。ツクシもタンポポもレンゲもスミレも咲いていない。でも、陽射しは春で、気持ちいい。少し歩くと、ああ、菜の花・・・。菜の花も桜と同じくらい好き。道端の畑にコスモスを植えている町をよく見るが、なんで菜の花にしないもだろう・・・。日本の春には菜の花がよく似合うのに・・・。それは菜の花が単に鑑賞用の花ではなく、里の暮らしに必要だったから。美しい里山の風景といえば田んぼや山、竹林、小川・・・。これらは、全て、人が暮らしていくのに必要なものだった。菜の花もまた、菜種油を採るために植えたものだった。必要なもののある風景は美しい。 風景 純銀もざいく 山村暮鳥いちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはなかすかなるむぎふえいちめんのなのはな・いちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはなひばりのおしゃべりいちめんのなのはな・いちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはなやめるはひるのつきいちめんのなのはな 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月24日*雨の名前:菜種梅雨* UP
2006.03.25
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♪春は名のみの風の寒さよ~さぶ~~。昭和30年代の子どもは、寒い時、なにを着ていたのか?答えは、「ちゃんちゃんこ」。昔も子どもは、親に作ってもらったちゃんちゃんこを着て遊んでいた。「ちゃんちゃんこ」は、羽毛の代わりに綿が入った、袖の無いダウンジャケットみたいなもの。「ちゃんちゃんこ」といえば、還暦のお祝いに赤いちゃんちゃんこを着る風習があったが、今の60歳は、そんなものを着ない。+++写真のちゃんちゃんこは、実家にあったもの。親戚の家から母がもらってきて、箱の中にしまったまま長い間、眠っていた。実家に誰も住まなくなって、着物の処分をしようとして見つけたもの。子どもが生まれて、お宮参りや七五三の晴れ着として着たものをちゃんちゃんこに縫い直したもの。もう、誰もちゃんちゃんこなんて、着ないし作らない。だけど捨てられなかった。だから捨てられなかった。冬の間、私の部屋に掛けて楽しんでいる。孫のちゅん太(2歳)がもう少し大きくなったら、着せよう。そして、こんなにものを大切にしていた時代があったことを伝えよう。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月19日* 大阪の地名:「御祓筋(おはらいすじ)* UP
2006.03.20
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今日、里山で炭焼きを手伝ってきた。帰りは、友人と野道をテクテク歩く。「あっ!!ノビル!!」とさっそく根っこから採った。小さな球根が可愛らしい。私が子どもの頃は、ノビルをおみい(雑炊)に入れて食べていた。来年もまた食べたいから、数本しか採らなかった。茹でて、酢味噌で食べよう。ニンニクのことを古名で、蒜(ひる)といい、野生する蒜(ひる)という意味から、ノビルになったとされています。 里山に行くと、ほんの少しでも、里山保全に役立つことをしたい。そして、その見返りとして、ほんの少しだけ、自然の恵みを受けたいと思う。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月19日* 大阪の地名:「御祓筋(おはらいすじ)* UP
2006.03.19
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二月最初の午(うま)の日を「初午(はつうま)」という。が、本来は旧暦二月の最初の午の日。旧暦では1月から3月が春。元々は春先の行事だったのが、冬の一番寒い時期の行事となってしまった。こんなの「初午」じゃない (ノ`Д´)ノ彡┻━┻と思ったのか、最近「3月18日、はつうま」の張り紙を写真の近所神社で見ました。先月城之崎温泉に行った時、通った、出石でも「出石初午」が3月17日、18日、19日と行われるというポスターが貼ってあった。+++寒い冬が終わって、暖かい日差しを感じる頃になると、外に出かけたくなるのは、人間の性分。春先の気候のいい日に、近くの寺社に参るという大義名分で、田畑仕事も、家事もみんな休んで女たちは、連れ立った出かけたと父がよく言っていた。「初午」は、はるか平安時代から盛んだったそうだ。こんな、由緒正しき遊びは続けなくては・・・。そう思って、明日友人と、里山で遊ぶ予定。この他にも、今月いっぱい、予定が詰まっている。桜も咲き始めるし、いよいよ行楽シーズン到来♪今日から春の彼岸の入り。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月18日*■テレビしびれて■「恋する京都」* UP
2006.03.18
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木灰は古くは酒作りに使われたが、このほか染色の媒洗染剤、焼き物(窯業)における釉薬、洗剤、食料加工、肥料などに使われていた。とりわけ、広葉樹の木材がよく、媒染剤ではとくにツバキの灰が使われた。これは灰の中にアルミニウムイオンが含まれているからである。西日本に分布するハイノキは燃やした後に灰が多く残るところからつけられた。こうした需要の多さから、専門に灰を扱う灰問屋が知られている。「環境の民俗」より・・・・・・・・・・先日、友人と京都をうろついていたら、家の前に、袋に詰めた「灰」を売っているのを見た。火鉢やお茶の風呂なんかに使うのかな・・・。さすが、古いものがある京都、と感心しながら帰った。+++私が子どもの頃も、食器を洗う時の洗剤の代わりに、ワラビなどのアク抜きに(アクの漢字は灰汁!!)畑の肥料にと使われていた灰。そういえば、「花咲じいさん」が枯れ木に花を咲かすというマジックの小道具は、灰!!燃料としての役目を果たしてもまだ、いろんなことに使える草木灰(そうもくばい)は、エライ!!もちろん、この灰は、草木を燃やしたもので、紙やプラスチックなどが入ってはいけない。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月14日* セピア色の入学式 * UP
2006.03.15
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「12月25日には、クリスマスケーキを食べて」とお局。「クリスチャンでもないのに」と私は、即座にツッこむ。「節分には、巻き寿司を食べて」とお局。「海苔屋に乗せられて」とまた私。「明日は、バレンタイン。チョコレート買わなあかん」とお局と昨日、話していました。考えてみれば、年越しそばも、土用丑の日の鰻も、蕎麦屋と魚屋の陰謀。現在ではチョコレートの年間消費量の4分の1がバレンタインデーに消費されると言われるほどの国民的行事!!チョコレートというモノを買わせようという製菓会社の企みは大成功。ここ20年ほどで、しっかり根付いたバレンタインデーは、日本の新しい歳時記。 ・・・・・・・・・・日本では一般的に女性から男性へ、チョコレートを添えて愛を告白する日とされている。---二世紀から三世紀への過渡期頃のこと。ローマ皇帝が、若者らが戦争へ行かないのは伴侶と別れる悲しみが嫌だからだ、と考えて、結婚を禁止した。当然隠れて結婚式を挙げるものが現れるが、その手助けをしたのがバレンタイン。発覚して処刑である。2月14日は、アイルランド人であるValentineというキリスト教徒がローマ皇帝に処刑された日。 ・・・・・・・・・・「殴られるのは生活の一部。ココアの袋を担がされて、落としてしまっても、誰も助けてくれない。もう一度担ぎ直すまで殴られ続ける。」元奴隷だった少年の言葉。チョコレートを知らない子供の奴隷達によって、あの甘くほろ苦いチョコレートは作られていると知りました。 甘くかつ苦き孤独を噛みしめてゐる 聖バレンタインの夜も 星川 孝■新歳時記:師走に「第九」を聞く■ 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月13日*聖なる家* UP
2006.02.14
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大阪・枚方の春日での話にこんなのがある。ある男が草刈のついでに、狐穴の入り口の夏草まで刈って「これですっとした」といって狐をからかった。この男は、相場にこっていたが、その後、夢のお告げがあり、ある株を買えといったので、大幅に買ったところ、たちまち暴落して大損をした。その夜の夢に狐が現れて「これですっとした」といったという。「枚方の民俗」・・・・・・・・・・初午(はつうま)は、2月の最初の午の日。狐を祀る稲荷社の縁日で仕事は休み。昔は、日曜日に休まなかった代わりに、「神様を祀る」という形で休みを作った。年間、40~50日の休みがあったという。毎月平均ではなく、農閑期に集中していた。初午は関東地方の方が盛大にやるらしい。それは、江戸時代、吉宗(紀州藩)の小姓から老中にまで登りつめた*田沼意次に、あやかりたい*と庶民が思ったからとか。■老中田沼意次と小祠■田沼意次は、吉宗(紀州藩)の小姓から、家督を継いでからは出世街道を走った。安永元(1772)年には、老中までとなる。石高も加増を繰り返し、5万7千石の大名までとなった。これまでの出世は、稲荷信仰に篤かったこともあり邸内に稲荷をまつっていたことだという話が武家界隈でブレークした。このことから、武家の宅内に小祠を建て祭祀するところも多くなった。のちとなり、出世のみならず開運・商売繁盛などのご利益ということからも商人などの町人の宅地でも祀られるようになる。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月9日*テレビ、50歳!「チロリン村とくるみの木」* UP
2006.02.10
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「綿布補綴 二A ****(名前)」と表紙に書かれ、リボンで綴じたものがあります。これは、夫の母親の女学校(?)2年生の時の裁縫の作品で「接(つ)ぎ方」の見本帳。今からおよそ70年前のものです。表紙をあけると「接ぎ方」と書いています。次に「片返し接」、「割接」、「重接」、「突合せ接」、「掛け接」、「色紙接」、「刺接(其一)」、「刺接(其二)」、「丸穴接」、「角穴接」、「鉤穴接」と書かれたぺージがあります。それぞれ、見本の接ぎ方の布があってあるのです。今から70年前、裁縫は女性にとってなくてはならない教養でした。教養というより、裁縫がなくては、夜も日も明けないくらい身近なものでした。みんな新しいものは、買わず、破れた服や着物を繕って着るのですから。+++この「接ぎ方見本帳」は、娘が小学生の時、学校の授業で、「家にある、古いものを持ってくるように」と言われた時、夫の母が、娘に持たせたもの。以来、うちにあって、私は時々取り出して眺めます。モノがなくても、生きることに丁寧だった頃のことを思って・・・。繕うこと、それは、糸ヘンに善。繕うことは、善きことなのです。繕うことをしなくなった、21世紀の今日は「針供養」の日。■2月8日とならんで12月8も「針供養」です。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月7日*貧乏人は餅を、金持ちは芋を・・・* UP
2006.02.08
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「寒明(かんあけ)」は春の季語。立春の日をもって三十日間の寒の日が明ける。そのころに降る雨のこと。春とは名ばかりで、気分は明るいが、このころに降る雨はまだまだ雪や氷まじり。春の雨にはまだ遠いといったところ。「雨の名前」・・・・・・・・・梅か枝に 雪は群棲(むらむら) 見ゆれとも 春立つけふは 花とこそ見れ 新選組・九番組長 三木三郎●さぶっ、さぶいなー、立春というのに・・・。寒は明けたとはいってもこれからも、まだ寒い日が続きます。春というより、まだ、春を待つ季節。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月4日*立春* UP
2006.02.04
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月もおぼろに白魚の、かがりも霞む春の空。つめてえ風もほろ酔いに、心持よくうかうかと、浮かれがらすのただ一羽ねぐらへけえる川端で、さおの雫か濡れ手で泡、思いがけなく手に入る百両(この時、上手に「お厄払いましょう、厄落とし、厄落とし」の声。)ほんに今夜は節分か。西の海より川の中、落ちたヨタカは厄落とし。豆沢山に一文の銭と違って金包み。こいつぁ春から縁起がいいわえ。・・・・・・・・・七五調が大好きな、天地 はるなです。今日は、節分。節分にピッタリの七五調といえば、上の*「三人吉三」の中のお嬢吉三の台詞。*歌舞伎を見たことのない私でもソラで言えるくらいに有名です。声に出して読みたい日本語です。(^-^) 人気blogランキングへ ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2月3日*イワシの頭も信心から* UP
2006.02.03
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1月11日にとり行われる。11日正月ともいい、野良仕事を始める日。朝早くから取り掛かり、苗代田の田神に餅と米を供え、「三鍬(みくわ)」を打つ。その後、田の中で牛を「左のの字(のという字の反対)」に追いながら「ヤレボー、ヤレボー」と叫びながら走り回っていた。「ふるさと和気」より。・・・・・・・・・明治生まれの亡くなった父が子どもの頃までやっていた行事。父は「ヤリボー」と言いながら走っていたそうだ。「ヤエボー」は、「八重穂」、つまり豊作の祈願。かつての歳時記は、全て農事にかかわっている。 人気blogランキングへ ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月11日*田打ち正月* UP
2006.01.11
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私の子どもの頃は、「七草粥」の風習は、ありませんでした。少なくとも、私の周りには・・・。と思っていたら、和草さんも日記、■七草 人日の節供 ■でそう書かれていました。(^-^)昔は、普段は、ご馳走はおろか、腹いっぱい食べることすら出来ませんでした。だから、盆、正月には、ご馳走が食べられるというのは、生きる望みだったのかもしれません。ああ、正月になったら、餅をいっぱい食べられる。白い米の飯が腹いっぱい食べられる・・・、って。この希望があったからこそ、普段の貧しい食事に耐えられたのかもしれないと思うのです。私の子ども頃でさえ、白い米の飯は、ご馳走でした。そのせいか、私は小さい頃、「七草粥」を食べたことがありません。いくらお正月だからといって、「食べ過ぎる」ほど、ご馳走は作らなかったから。3が日が過ぎれば元の貧しい麦飯になったのです。今や「七草粥」は、お正月の定番料理に。「七草粥」復活、それは飽食の時代を反映したものかもしれません。 人気blogランキングへ ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★1月7日*七草・菜を叩く* UP
2006.01.07
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♪山人(やまど)は戻るし、赤子は泣くし、かまどは煮えて、しゃくしも見えず、やれ、尻、かいや。・・・・・・・山からとうちゃんは、戻って来るし、背中にしょった赤子は泣くし、竈は、吹いてるのにしゃもじのある場所が・・・。おまけに、お尻がかい~。というこのユーモラスな歌、忙しい時に、父がよく歌ってました( ̄▽ ̄) ただ今、私もそんな状態。正月用の買い物にも行かないといけないし、掃除だって完全には終わっていない。年末で面白いテレビをやってるから見たいし、日記も書かねば・・・。そんなことより、年賀状・・・ 。_| ̄|○嗚呼、忙しい!!!11月に大掃除をやって、年賀状を書いておけばよかった・・・。毎年、後悔をするのですが、みんなが正月というカウントダウンに向かって頑張る、年末のこの忙しさ、ちょっと好きです。後、一日とちょっと。さあ、頑張ろう!! 人気blogランキングへ ・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★12月29日*◎民具:もろぶた◎の語源* UP
2005.12.30
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私が子どもだった頃、家には現金収入がありませんでした。今のように簡単に現金が手に入らない時代でした。だから、買い物は、いつも「ツケ」にしてもらっていました。支払いは、年二回の「節季払い」。八月と十二月、つまり「盆暮れ」。六月と十二月というところもあったようですが、どちらにしろ、暮れは支払いの月。母はお金をどうやって工面してきたのか、支払いをしていました。支払ったらもらえるのが、暦や餅を焼く金網。暦も金網も大切に使いました。この年二回支払いの「節季払い」制度は、江戸時代からのものだそうです。買う方もきちんとルールを守ったから続いた信用取引です。 人気blogランキングへ ・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★12月22日*正月準備:年の箸 * UP
2005.12.23
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後10日あまりで、お正月。大掃除をしなければならないし、年賀状も書かなければならない。障子を張り替えたりもしなければならない・・・。正しいお正月を迎えるためには、やらなければならないことがいっぱいあるはず。でも、そんなことは、何もしないで、今日は、オッチャン(続柄・夫)と「第九」を聞きに行った。オッチャンは、クラッシック音楽が大好き。特にベートーベンが好き。毎年、12月になると「第九」を聴きに行く。「第九」とは、ベートーベンの交響曲第九番のこと。今年も、先週の日曜日に娘のミナと行ったばかり。年末には、全国各地でベートーベンの「第九」が演奏されます。これは日本だけの現象で、その起源には、その昔、楽団員の越年資金を稼ごうと始まったものだとか。いわば「餅代稼ぎ」。餅つき、障子の張替えなど新年を迎えるための用意が次々に消えていくなかで、師走に「第九」を聴くというのは、今や新しい歳時記になったようだ。 人気blogランキングへ ・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★12月18日*火の用心* UP
2005.12.18
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戦後10年を過ぎた「ALWAYS 三丁目の夕日」の時代、昭和30年代は、各地に、まだ美しい里山の風景が残っていました。私も、田植えや稲刈りなどの農作業を手伝ったり、川で洗濯をしたり、山に薪をとりに行ったり・・・。昔話の「桃太郎」たちと同じような生活が昭和30年代まで続いていたのです。ところが、この頃から、「ALWAYS 三丁目の夕日」の中に出てくる、集団就職の少年少女のように、少しずつ、都会に行く人たちが増えてきました。故郷を捨て、家族を捨て、恋人を捨て・・・。その頃、大ヒットしたのが「リンゴ村から」。「リンゴ村から」(音に注意)1 おぼえているかい 故郷の村を 便りも途絶(とだ)えて 幾年(いくとせ)すぎた 都へ積み出す 真赤なリンゴ 見るたび つらいよ 俺らのナ 俺らの胸が2 おぼえているかい 別れたあの夜 泣き泣き走った 小雨のホーム 上りの夜汽車の にじんだ汽笛 せつなく ゆするよ 俺らのナ 俺らの胸を 3 おぼえているかい 子供の頃に 二人であそんだ あの山 小川 昔とちっとも 変わっちゃいない 帰って おくれよ 俺らのナ 俺らの胸に・・・・・・・・・故郷の村、途絶えた便り 都と呼ぶにふさわしい遠い街東京、 真赤なリンゴ泣き泣き走った 小雨のホーム、 上りの夜汽車の にじんだ汽笛 二人であそんだ昔と変わらぬ山 小川・・・。歌謡曲にピッタリの哀しみのフレーズ・・・。テレビを買うために、お金を稼ぐために、帰れない故郷・・・。私達が故郷の岡山を捨てたのは、昭和37年でした。父母は、晩年を岡山で過ごしたけれど、私は、二度と岡山に住むことはありませんでした。たまに「行く」故郷の人の手が加わらない山は荒れて、三面コンクリートで、人の手を加えすぎた川は、細い水を心もとなげに流れています。昭和30年代の自然は、もう願っても戻らないのでしょうか・・・。「リンゴ村から」は、昭和30年代を象徴する名曲です。 人気blogランキングへ ・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★12月17日*哀しみの赤い羽根* UP
2005.12.17
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■魂呼び■臨終になると屋根にあがって「○○さん、もどらんせ、こっちじゃ」と死んだ人の名前を呼んだ。(兵庫県佐用郡佐用町)死者の名を表に出て屋根の方に向いて呼んだり、屋根の上で杓でもどって来いと招いた。(兵庫県・宍粟郡千種)棟にまたがって、一升瓶の底を叩いて死んだ人の名を呼んだ。(兵庫県・朝来郡旧上生野)■二人使い■死の通知は親戚、ジゲ(地下)、お寺へなされる。その時には、一人で行くと死人がひっぱるといって必ず二人で行った。他所へ住む子どもや、郡内の親戚へのヒキャクも二人で行った。魔おどしといって鎌など腰にさし、提灯をつけて行った。使いを受けた家では、食事を出すことになっていた。そしてヒキャクが帰ってしまった後、用意をして出かけた。(朝来郡生野町)「日本の民俗<兵庫>」和田邦平・・・・・・●プロ野球の近鉄とオリックスで監督を務めた仰木彬(おおぎ・あきら)さんが15日、福岡県内の病院で死去したというニュースにびっくりした。70歳って若すぎる。この間まで、ユニホームを着ていたので、ほんとうにショック。●本田美奈子さん、白血病で死去。今日、テレビで、その闘病生活を見た。38歳という若さで、悔しかったと思うと涙が出た。健康で生きているって、本当にありがたいことなんだなって思う。 人気blogランキングへ ・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★12月16日*父の麦わら帽子:涙の蜜柑* UP
2005.12.16
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日本人は、物にも霊魂が宿っているものと考えた。その物を一年間酷使し、また暮れには捨去ることも多い。そうしたときに物に宿った霊魂が怒って妖怪となって人々を脅かすと考えた。そうした人々の観念は、室町時代に描かれた「付喪神(つくもがみ)草紙」がよく物語っている。そこで事納めのさいにはそれらの霊魂を慰めまつる風が生まれた。その一つに「針供養」がある。二月八日と同じく、十二月八日に針を休ませるために、この日針を使うことを忌み、豆腐やコンニャクなどに古針をさして川や海に流したりするのである。いずれにしても、この日は忌籠りをして、慎み深い生活をし、来るべき正月を迎えるため心の準備をする日であった。「民具の歳時記」 河出書房新書・・・・・・・・・・・・・昔はモノを大切にしていたんだな~。12月8日は2月8日と対照される「コトの日」で、両者とも「事八日」という。12月8日を「事始め」とした場合、2月8日は「事納め」。12月8日を「事納め」とした場合、2月8日は「事始め」となる。来るべき正月を迎える準備をするどころか、今度の土曜日からくる孫のちゅん太を迎えること準備をしなければ・・・。 人気blogランキングへ ・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★12月8日*七月(ななつき)の投げ座(ずわ)り* UP
2005.12.08
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11月は柿月■柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺■■里古(ふ)りて柿の木柿の木持たぬ家もなし■「柿の木問答」■渋かろうか知らねど柿の初ちぎり ■柿は、また小正月の成木(なりき)責めの対象であった。家の主人が、「なるか、ならんか。ならんと切るぞ」と丸太や鉈(なた)でたたいて柿の木を責める。すると、柿の精霊になったその家の子供が、「なります、なります」と約束する。この成木責めは、一年間の豊作を祈る農業時代の大切な行事であった。昔話の「猿かに合戦」では、「早く目を出せ柿の種。目を出さないとちょん切るぞ」とカニが責めるが、これは、成木責めを背景に持つせりふである。ちなみに、京指し物などの貴重な材である柿も、柿の木の幹にドリルなどで穴をあけ、責めつけるときにできる柿の成分のタンニンが結晶して黒くなるのです。さて、以上のようなことを知ると、柿が急に身近になり、しかもいじらしくなった。柿は日本が原産地だという説もあり、英語でもKakiとして通用する果物。人々の暮らしに深くかかわってきたのだが、果物が豊富になった今では、だれもが急に柿に無関心になったように見える。庭の柿なども放置され、小鳥のついばむままになっている場合が多い。柿もまた時代の転変にさらされているわけだが、そうであればあるだけ、私の柿への思いはつのる。柿たわわ あの野郎まだ 健在に 稔典坪内俊典・朝日新聞1990.11.17・・・・・・・・・・・・・・・●トップのイラストは、筈という道具。竹の先端を割って、小枝をはさむ。開いた間に柿の枝を差し込んで、ひねる。単純で誰でもが作れるけど、けっこう役に立つ。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★11月7日*柿八里*UP
2005.11.07
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幾何学、それは集団の美しさだ。サトウダイコンの農夫ちは、サトウダイコンの山を四角形の記念建造物のようにきずく。ほとんど建築的と言っていいほどだ。ジャガイモの山は建築物ではない。しかし、サトウダイコンの山は、もは や山ではない。建築物だ。都会人はサトウダイコンの産地に、とくべつ大した魅力を感じない。ところが、いま、秋になると、この地方がどうどうたる一種の威厳をもちはじめる。整然と盛り上げられたサトウダイコンの、そういピラミッドはじつに印象的だ。それは稔り豊かな大地の記念碑だ。「園芸家12ヶ月:10月の園芸家」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今ではめったに見られなくなってしまったけれど、かつては稲刈りの後に「はざかけ」という作業があった。三脚を二つ立てて、その間に棒を渡す。その棒に刈り取った稲を架ける。そのまま天日干しする。田植えが終わったばかりの田んぼもよかった。真夏のまだ青い稲穂が付いた田んぼもよかった。金色に波打つ稲穂が頭を垂れる日もまたよかった。そして、その集大成として、はざかけの風景は、嬉しいものだった。日本では、収穫の記念碑ともいうべきはざかけは、なくなったけれど、チェコのサトウダイコンの風景は、まだ残っているのだろうか。★☆★☆★オススメblog★☆★☆★10号館の日記首相の靖国神社参拝について大阪高裁で違憲判断が示された(主文ではないので「判決」ではない)のだが、やはりそう言われても仕方ないのではないか。他の神社仏閣を参拝することは何故問題にならないのか、という意見もあるが、無理がある。靖国神社参拝というのは、小泉自身が公約として掲げて総裁選挙を戦ったような事柄である。これを公的行為、政治的行為と言わずして何と言うのだろうか。公約になろうはずがない神宮(伊勢)や明治神宮の参拝とは、全く持つ意味が異なってしまうのだ。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★10月1日*大阪しぐれ*泣かにゃ笛吹く隣の子*阪神優勝*UP
2005.10.01
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月は見るものではなく、知るものだ、というのがアポロが月面着陸して以来の常識。この常識が私たちに浸透しすぎて、月のイメージをつまらないものにしてしまった。中秋の名月。ススキの花穂に餅や果物を供えてめでること。これは美しいものは美しいと思ってみる第一歩です。すぐれた科学者は、すぐれた美学者なのです。「宝島生活暦」・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎地球を救う127の方法:頭の使い方・考え方◎124.自然の季節のサイクル、人間の成長のサイクルを大切にする。 正月、節分、単語の節供の菖蒲湯、などなど、季節に根ざし、旬の伝統的なイベントを迷信として軽んじず、先人の知恵とライフスタイルを思いおこし、現代に再生するよう工夫する。●そういえば、昔は月の歌があった。「月の砂漠」、「月がとっても青いから」、「月影のナポリ」・・・。一晩中明るいコンビニが町中の溢れて、月の明るさが薄れたのかも・・・。今夜の月は、オレンジがかって美しかった。★☆★☆★オススメblog★☆★☆★★七詩さんの日記日本政府は国連の安保理常任理事国入りをめざす方針をかえていないよう。しかし、国民の生命や安全をこれほど軽視する国に常任理事国になる資格などあるのだろうか。そもそも常任理事国になって何をしようというのだろうか。外務省が再びドイツと組んでアメリカを敵にまわすという愚をくりかえしてくれたおかげで、常任理事国入りがふいになったのはめでたいかぎりである。でも、そのためにばら撒いた金額はおそらく○兆円。全国の郵便局員の給与の何年分にもあたる金額である。郵政民営化などよりも、こちらの方こそ選挙の争点にすべきではなかったのだろうか。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★9月18日*芋名月*UP
2005.09.18
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子どもの頃の川開きは、夏休みの始まる7月25日。その日から、来る日も、来る日も、私たち子どもは、川で泳いでいました。午前中に、ひと泳ぎ、お昼を食べてから、もうひと泳ぎ・・・。長い間、水に入っていると体が冷えます。すると、近くの田んぼの中に入って、「温泉じゃぁ~」と暖まる。泳ぎ疲れたら、川の中にあお向けになって、漂う・・・。目の上に見える合歓の木の花が優しく揺れて・・・。そんな夏休みは、永遠に続くような気がしました。けれども、8月31日で川には、入ったらいけないと言われていました。学校が始まる、9月1日から、もう泳ぐことは出来ないのです。9月がどんなに暑くても・・・。ところが、9月はじめの日曜日に、その掟を破った子どもがいました。2人連れの子どもは、はじめは、大はしゃぎで水と戯れていました。でも、水から上がる頃には、「寒い、寒い」とブルブル震えながら泣いていました。それを見たおとなたちは笑いながら言いました。「やっぱり、暑い言(ゆ)うても、9月は、9月じゃなぁ。」どんなに暑くても、9月は、9月・・・。今から50年近く前の田舎では、季節がきちんきちんと訪れました。@@@@@選挙とblog@@@@@billabongなんか小泉劇場に またも、まんまと騙されるところだったぁ・・・小泉さんが、首相に着任したときも期待が大だったときとまるで、おんなじ。+単純に「郵政改革」すれば、特別会計にメスがはいったり公務員数削減になるかと 淡い夢を純ちゃんの「改革」という言葉におどらせられていたが、そんな単純なものでない。+TVで党首討論で、政策論争になると、小泉さんの考えのなさが露呈しているように思う。マニフェストを見ると、自民は抜本改革とはでているが具体的数字がない。憲法改正もでていて、自衛隊イラク派兵をごり押ししたように、テロという名のもとに、憲法改悪になるのをもっとも危惧する。+政権交代して政治家に緊張感をもたせるのが、税金を一部の既得権益者の利益のためでなく、国民のため、未来の世代のために有効に使うために改革できる唯一の方法ではないかと思う。ユグドラシル 刑務所や市役所まで民営化しているアメリカだが郵便局だけは民営化していない。これはもともと採算が合わない事や国防上のリスクを考えれば当然といえる。しかしそのアメリカが日本に郵政民営化を押し付けているのは明らかに内政干渉ではないか?そもそも自国にできない事を他国に押しつけるのはアメリカの傲慢のあらわれともいえるし、それだけ経済がひっ迫した状態といえるかもしれない。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★9月3日*後の雛(のちのひな)*UP
2005.09.04
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私の亡くなったなった母は、若いころ、カードで独り占いをするとき、いつもカードをひとかたまり積み重ねては、小さな声でささやいたものだった。「ワタシハ ナニヲ フンデルカ?」そのころは、自分のふんでいるものが、どうしてそんなに母にとって興味があるのか、わからなかった。それが私の興味を引き出したのは、それからずっと時がたってからだった。私は土を踏んでいることを発見したからだ。(略)手のひらほどの大きさでも、庭をもっていたら、きみのふんでいるものがどんなものか認識するために、すくなくとも花壇をつくるべきだ。きみのステッキが、ふわふわした柔らかい土にズブッと25センチぐらいはいったときや、土のかたまりを手ににぎって、空気をふくんだ、しっとりしたあたたかさを感じたときには、一種とくべつの感覚的な喜びを感ずるだろう。「園芸家12ヵ月・9月の園芸家」カレル・チャペック・・・・・・・・・・・・・・・月に1回、里山で過ごす。朝、早くから、出かけて、友人に車に乗せてもらって、「隠れ里」のような、山の中の村に行きます。今日のメニューは、「種蒔き」です。では、さっそく、畑に行って種を蒔きましょう。いえいえ、その前に、やらねばならない事があります。それは、栄養たっぷりな、肥料になるものを取りに行く事。コンテナをもって、すぐそばの、雑木林に行きました。落ち葉を、拾うと思いきや、落ち葉の下の土をとってと言われました。落ち葉がふわふわの土になるのは、どれくらいの時がかかるのでしょう。木の栄養分になるはずだった、土を取るときは、心が痛みます。私達の指導してくれる、古老は言います。「ワシらは、いつも、なにかのものをぶん取って、暮らしてる。それやから、できたもんを粗末にしたら、アカンのんや。」そのありがたい土を持って、畑に、と思いきや、今度は、鶏小屋へ。そこで、鶏糞を持って・・・。つぎは、籾殻の燻炭。やっと、畑です。落ち葉に、鶏糞に籾殻・・・・。ごみになるはずの物が、ここでは、無くては、ならないものに・・・。■2002.09.14記 毎月1日に書いてる「園芸家12ヵ月」、今月は土がテーマ。お金を出しさえすれば簡単に手に入る土。でも、この土ができるまでに、どんなに長い時間がかかったか・・・。自戒の念を込めて、書きました。@@@@@選挙とblog@@@@@★考えてみよう ・「特殊法人」はかなりが「独立行政法人」という看板に掛けかえられましたが、予算、支出自体が極端に削減されてはいないということと・「特殊法人」「独立行政法人」の予算は財務省が管理している(郵政公社ではない)ということです。さて、問題の郵政民営化法案が通ったとして、「特殊法人」「独立行政法人」に流れる金は、財務省が変わらなければ変えられない???つまり、郵政民営化しなくても、財務省が予算を締め上げれば可能???と思うのは私だけでしょうか???★ユグドラシル 自分の牙城である、財務省や厚生労働省については改革する気はサラサラないが、それ以外の反対勢力潰しやアメリカの要望する政策には可能な限り努力するという姿がみて取れます。そして今でも郵政民営化すれば、国の無駄遣いがなくなりますと公言してはばからないが、まず財務省の改革をやらなければ国の無駄遣いがなくならないのは自明の理である。人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★9月1日*月遅れの八朔(はっさく)*UP
2005.09.01
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会社に行く途中で、「地蔵盆」の用意をしていたので、今日が地蔵盆と気が付きました。*****約50年前●私の子どもの頃の地蔵盆は、参加した子どもたちは、紙に包んだ白砂糖をもらいました。ひとしきり、踊ると「さあ、並んで・・・。」とうながされ、並ぶと、白い紙に白砂糖を一つまみ。甘いものと言えば、スイカかサトウキビくらいしか食べない当時の子どもにとって、白砂糖は、ショックな甘さ。とっといて、砂糖水にしよう、と思い、眺めているうちに・・・。「チョットだけ・・・。」舐めたいという誘惑に負けて、ついつい舐めてしまいます。*****約25年前●うちの娘たちの頃は、婦人会の人たちが、煮しめを炊いたり、おにぎりを作って大活躍。もちろん、お菓子ももらいます。テープレコーダーで音楽を流し、「おばQ音頭」などの子供の踊りの輪が出来ました。子ども達も多かったので、賑やかで活気のあった、地蔵盆。*****今●お菓子は沢山積み上げてあったけれど、主役の子どもが少ない。+++乳幼児死亡率が高かった昔は、子どもは沢山産んでおかないとという風潮があった。最近では、子どもにかかる、お金や手間が昔の何倍にもなって、親の負担になる。その上、親の方も、仕事や、やりたいことを我慢しなくなってきた。環境問題から考えると、人口が少ない方がいい。地蔵盆は寂しくなったけど、ひとりひとりの子ども達が幸せに暮せる世の中になれば、それでいいと思う。@@@@@@郵政&選挙関連オススメブログ@@@@@◎郵政民営化を考えるためのコーナーです。★ユグドラシル 郵貯や簡保の資金は、ほとんどが財政投融資金に集められ、大蔵省が管理してきた。その大蔵委員長、政務次官、党の財政部会長と大蔵畑を歩いて来た小泉郵政大臣(当時)が、『財政投融資の使い方は郵政省の責任じゃない』『あなたがおった大蔵省ですよ』と、指摘された様に、小泉首相の批判している運用方法に自らかかわり合って来ている。(衆―逓信委員会/1993年1月20日)★重信川の岸辺から イギリスのファイナンシャル・タイムスは、郵政民営化法案否決に関する記事の中ではっきりとこう述べているという。「世界の金融産業は、約350兆円の日本人の貯蓄を手に入れるまで、もう少しだけ我慢しなければならない。」 また、アメリカのロサンゼルス・タイムス紙も同様の記事の中で、郵貯が世界最大の貯蓄銀行で、それが民営化されたら、350兆円におよぶ郵政マネー(簡保も含めて)を持つ世界最大の銀行が生まれることを強調しているという。メディアスクラムを組んで郵政民営化を唱和しているかのようなマスメディアはこういうことには、一切触れないが、こうした外資の狙いと、小泉政権の意図が一致しての民営化が本当のところだろう。人気blogランキングへ■□■テレビしびれて■□■★スローダンス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月23日*地蔵盆*UP
2005.08.23
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村の真中に大きな椋の木があった。椋というだけあって、大きな木だった。(京と言う字は、大きいという意味があるらしい。鯨もそうだし、京都は、大きな都という意味)子どもが、5~6人、手をつないで、やっと木の周りが届くくらい大きかった。私が子どもの頃は、村の家は全て、藁葺き屋根の平屋だったので、遠くからでもその木はを見ることが出来た。椋の木の下は、小さな広場になっていた。夏には、巨大な木陰を作り、子どもの絶好の遊び場になった。+++何年か前、木に詳しい人が「水」を好む木ということで話をしてくれた。その中に、「椋」が入っていた。「ああ、そうか!!」と私は思った。そういえば、村の椋の木の畑一枚を隔てた所に川が流れていた!!+++今、村の家は、うちの家を残して、全てが、2階建てになった。あんなに、大きいと思った椋の木が、今は、それほどでもない。それに、枝を切られ、樹形が変わっていた。長く、村を離れていて帰ってきた父にとって、それは、ショクなことだったと生前、話してくれた。子どもたちは、エアコンのある部屋にいて、椋の木は、誰からも忘れられてしまった。夏には、大きな木陰を作ってくれて、秋には、甘い椋の実がなって、村の誰からも好かれた椋の木を私は、忘れない。しづくする椋の下枝の碧(あを)き実にさやるなどして川下りせり 田宮朋子 人気blogランキングへ ■□■テレビしびれて■□■★スローダンス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★8月2日*三尺流れて水清し*UP
2005.08.02
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土曜日、孫のちゅん太がやってきました。今日のちゅん太は、紺の半袖Tシャツ、カーキ色とグレーの合わさったような、半ズボン、紺のサンダルに、紺のキャップできめていました。「かっこいいね、ちゅん君♪写真、撮ったろ」というとポーズをとりました。+++私が子どもの頃の夏服は、男の子も女の子も小さい子は、パンツのみ。少し大きくなると、男の子は、ランニングシャツに、半ズボン。女の子は、ノースリーブのワンピース。真夏になると、小さい子の寝巻きは、*腹掛け*とパンツのみ。腹掛けとは、四角な布を首から吊るして、「腹にかける」もの。浴衣の残った布などで、母親が作っていました。腹さえ冷やさなければ、いいといってました。少し大きくなると、ゆかたのお古でした。私の一番小さい時の写真は、5歳の夏。その時私は、木綿のワンピースを着ていました。妹は、上半身、裸で、これまた、上半身、裸の父に抱かれています。+++ちゅんママのミナに「暑いから、ランニングシャツを着せれば?」と言うと「紫外線対策のためにも、半袖の方がいい」ですって。紫外線だ、アスベストだと、小さい子どもたちの、住みにくい世の中です。( ̄- ̄;)人気blogランキングへ ■□■テレビしびれて■□■★義経・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★24日*買い物かご*UP
2005.07.25
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~瓜畑 出てから鼻緒 すげて履き~という川柳がある。うつむいて、かがんでいると、瓜盗人のようだから、瓜畑から出てから、下駄の鼻緒をすげなくてはいけない。という意味らしい。昔は、下駄の鼻緒が切れると、溜めていたに下げていた、ボロギレを裂いて、鼻緒にした。あるいは、腰に下げたり、姉さんかぶりにしていた、手ぬぐいをを裂いて、鼻緒をすげていた。ここでいう、鼻緒は、草履の方が似つかわしいけど。さて、私の記憶が正しければ、今日は、「下駄の日」なのだそうだ。なんでかな?「初雪や ニの字、ニの字の下駄の跡」というところからか?なら、毎月22日は「下駄の日」だのに、7月だけとは、これいかに。■追記■最近は、ほとんど、着物を着ない生活。着ても下駄を履かず、草履が多い。ところが、ゆかたを着た場合は、下駄。というところで、7月22日が下駄の日になったのではないか。これが、私の推理。( ̄▽ ̄) 人気blogランキングへ■□■テレビしびれて■□■★菊次郎とさき★電車男・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★22日*父の麦わら帽子:幸せの原点*UP
2005.07.22
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今日は「土用の入り」。今でこそ、土用といえば、「土用、丑の日のウナギ」くらいした、思い浮かばないのですが、かつては、土用餅という食べ物があった。そして、忘れてはいけないのが、梅干の土用干し。・・・(略)五月・六月実が成れば 枝からふるい落とされ近所の町へ持ち出され 何弁何合量り売りもとよりすっぱいこの私 塩に漬かってからくなりシソに染まって赤くなり 七月・八月暑いころ三日三晩の土用干し・・・(略)と、梅干しの歌の一部に「三日三晩の土用干し」というフレーズが出てくる。土用に入ったら、瓶ごと外に出して、日に当て、また二晩ほど、夜露にあてるのだそうだ。そうすると、ぐ~~んとうまみが増すそうだ。と、えらそうに、書いてけれど、私は、梅干を漬けたことがありません。_| ̄|○ 日曜日に母の見舞いに行ったのですが、末っ子だった母も結婚するまで、何一つしなかったとか。でも、私くらいの年齢になると、味噌、漬物、梅干から布団を縫ったりとなんでもできるようになっていました。写真の小さな瓶は、母が作った、味噌や、梅干を小出しにしていたもの。私も、梅干くらいは自分で漬けたい。会社をクビになったら、ヒマになったら、ええ、ええ、やりますとも。人気blogランキングへ■□■テレビしびれて■□■★京都もうひとつの歴史★スローダンス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★19日*土用餅*UP
2005.07.19
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六月は空梅雨で、水不足が心配されていたのに七月になると、大雨の被害が続出。これも、「地球温暖化」のせいなのでしょうか、心配・・・。大雨が降ると、土砂くずれによる家屋の損壊が各地で聞かれます。そのような、被害が想定される場所のことを「なめすじ」といって、昔の人は、そのような場所には家を建てませんでした。・・・・・・・・・・・・・・田原(岡山の地名)には、昔から「なわめすじ」とか「なめすじ」といわれる所があります。その「なめすじ」にあたる場所に家などの建物を建てると、罰があたって、その家はとんでもない災難に合うという言い伝えが残っています。「なめすじ」とは、慶長年間(1596-1614)に行われた検地。いわゆる、太閤検地の際の「なわめすじ」(縄で計ったからこう呼ばれた=はるな注)だといわれています。また、「なめすじ」とは、山の滑らかで滑りやすい場所「ずり」の延長線上で危険なため、建物を建てるとよくないとか、田畑の耕作に向かないという意味にも使われています。 「わが町 和気」より、抜粋。◎昔の人は、家を建てるとき、昔からの言い伝えなどを守っていたんだな~。梅雨、あがったのかな?人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★17日*オカラさんと書いた人を推理する。*UP
2005.07.17
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しかし七月のおもな苦労は、なんといっても庭の水やりと、スプレーだ。(略)ブクブク泡の立つ水が、乾ききった地面にサーッと降りそそぐときの、また夕方のうれしいシャワーで花も葉もすっかり重くなってキラキラとかがやくときの、さては、庭じゅうがしっとりとうるおい、さながら喉の渇いた旅人のようにホッとしたときのこころよさ。「園芸家12ヵ月:7月の園芸家」カレル・チャペック・・・・・・・・・・・・・・・・・雨のない暑い6月、草木に元気がない。水をやろうにも、水不足が言われて・・・。米の研ぎ汁や風呂の残り湯もリサイクル。今朝、やっと待望の雨が降った。ありがたい、ありがたい。まさに、「恵みの雨」。雨だって、大切な資源だと思い知らされる毎日。資源が無尽蔵でないと発想を転換すると、現在の価値が浮上します。(上野千鶴子さんのことば・2002年1月5日付「京都新聞」より)◎地球を救う127の方法・水◎47.そして、1回使った水を何かにもう一度使えないか検討してみる。*お米のとぎ汁を植木の水やりに、お風呂の残り湯を洗濯に。家庭用のお風呂は一回で捨てないようにしましょう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月1日*六月捨てえ(すてえ)*UP
2005.07.01
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最近、物覚えが悪い。その代わり、物忘れがいい。(ノД`)単語が出てこないのだ。( ̄□ ̄;)もっと脳を鍛えなくては・・・。昔の人もそうだったに違いない。「え~と、ありゃあ、なにゆうとったかな・・・」と言葉が出てこないと、♪よしわら、タケノコ、今出にゃ、よう出ん~と聞いていた人がはやすのです。話→電話→ファックス→メール・・・。市場→スーパー→ネット販売・・・。私たちの生活は、会話からどんどん遠ざかっていく。そしてこの「♪よしわらタケノコ」も忘れられていく。数日前からちょっと、胃が痛い。みなさん、お大事にね。m(_ _)m■□■テレビしびれて■□■★英語でしゃべらナイト●○今日の健康○●●胃痛・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★6月28日*大阪しぐれ:降らいでも曇るお不動さん*UP
2005.06.28
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雨が少なく、名ばかりの梅雨。干ばつになりやすく、農家にとっては恐ろしい現象。都市の住民も真夏の断水や給水制限の心配がある。「乾梅雨」とも書くが同意語に「旱(ひでり)梅雨」、「枯(かれ)梅雨」、「涸(かれ)梅雨」、「照り梅雨」などがある。「雨の名前」高橋順子・・・・・・・・・・・・・・梅雨だというのにまったく雨が降らない。ダムはもう水位が下がっている。このまま行くと給水制限は、まぬがれない。だいたい、日本は、雨が多いと思っているが、その大部分が「梅雨」と「台風」の時期。もし、空梅雨や風台風だと、たちまち、影響が現れる。空梅雨の、もうひとつの心配。それは、暑さ。今日は「夏至」。太陽が一番、勢いのある日。けれども、私たちの頭には、暑いといえば、7月8月が思い浮かぶ。それは、この時期、暑い太陽を雲が隠し、雨が降って気温が上がらないから。けれど空梅雨の今年は、各地で30度を越える、真夏日。いくら科学が進んでも、降雨量はどうにもならない。水の大切さを、自然の恐ろしさを思い知る毎日。◎地球を守る127の方法・水◎45.蛇口に節水コマをとりつける。手に入らない人は、今までの半分に蛇口を絞って、同じことができないかためしてみる。46.次に流しっ放しでなく、水をためて使うことが出来ないかを実践してみる。*歯磨き、洗顔、洗車など。47.そして、1回使った水を何かにもう一度使えないか検討してみる。*お米のとぎ汁を植木の水やりに、お風呂の残り湯を洗濯に。家庭用のお風呂は一回で捨てないようにしましょう。◎えこ日記◎ 電気を消してスローな夜を… ★Guaさん梅雨入り/『水木しげるのラバウル戦記』から ★sowonさん暑くて暑くて ★cieloさんバーチャル・ウォーター・日本は世界一の水輸入国!! ★天地 はるな■□■テレビしびれて■□■★英語でしゃべらナイト・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★6月20日*100万人のキャンドルナイト記念:トリビアの井戸:イッチョウラ *UP
2005.06.21
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***6月4日***昨日は家のツバメの卵がむけた。*取次(とりつぎ)*の天井とダイドコの天井と、ニ処に巣を「くった」が、ダイドコのは、もとからの古い巣へ入り込み取次のはふたつの古い巣を嫌って、電線の碍子(がいし)へ新しく巣を造った。危なっかしいので下に板を当ててやったが、この板は縦目にしないと嫌がって巣を造らないという。ダイドコの方はまだだが、取次の四つの卵がむけて、ピヨピヨと雛の声が賑やかだ。今朝起きたら、二つに割れた卵の殻が畳の上に落ちているので、祖母に見せると、「ああ、そりゃ、ツバメの宿賃だんて、おエベスさまの、お棚に上げず」と言った。「ツバメのお礼」だといって恵比寿様に上げることは、川中島平でもしているし、またこれを細かに砕いて水に入れたものは目薬になるという。 「山村の四季」宇都宮貞子・・・・・・・・・・・・・・うちのガレージにもツバメの巣がある。この家が建った20年ほど前は、家の前も後ろも、水田。ツバメにはもってこいの条件だった。当時でも、珍しかった水田は、間もなく、半分が駐車場となり、以来、ばったり来なくなった。かつて、日本を訪れた西洋人は、日本人の家にツバメの巣があるのを見て、感心したという。人間が作った、田んぼをツバメが巣の材料や餌場として利用したり、巣も人間の住む、家の一部に作る。落ちた卵の殻を神棚に上げたり「ツバメの宿賃」と擬人化して言うなど、人と鳥の共生をみることがでくる。取次(トリツギ)とは、玄関の間のことか。■□■テレビしびれて■□■★曲がり角の彼女・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★6月8日*大阪しぐれ 500万円*UP
2005.06.08
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「茅花(つばな)」とは、チガヤのこと。稲科の多年草。春の植物だが「茅花流し(つばなながし)」は初夏の季語になっている。茅花の穂がほぐれるころ吹く南風のことだが、それにともなって降る雨のこともいう。「雨の名前」高橋順子・・・・・・・・・・・・・・・・歩いて買物に行く途中に、見つけた、チガヤの群生。生えているところが、道路が立体交差している所で、採りにくい。子どもの頃、春の初めは、いつもこのチガヤがおやつ。今は、穂が綿のようになっているが、春先は、まだ、草の葉の中に包まれている。その甘く、柔らかい、若い穂を抜いて、そのまま、ムシャムシャ食べる。春先に見つけて、いつか採りに行こうと思っていたら、いつの間にか、穂が見えるようになって・・・。そうなったら、もう、硬くて食べられない。来年こそ、春先になったら食べよう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★6月3日*子どもの仕事:風呂焚き*UP
2005.06.03
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ああ、なんでもある時代になったね。本当に便利な世の中、ありがたい。なんて声を聞くけど、本当になんでもある世の中になったのだろうか。失ったものも大きい。その最たるものが、修繕。思えば、いろんな修理があった。かつては、タガのはずれた桶は●桶屋が直し、穴のあいた鍋は●いかけや(いたんだ鍋や釜の修理)がその穴をふさいだ。●靴屋●折れた傘の骨直し●自転車のパンク●ノコギリの目立て●刃物の研ぎ屋・・・。石臼でさえ、溝が摩滅すると、石屋が新たに目を立てたと父が言っていた。+++先日、炊飯器の中の鍋?が使えなくなった。焦げ付きをなくすための、テフロン加工が剥げてしまったのだ。テフロンは、体によくないと聞いていたので、家にあった(夫が衝動買い(ノД`))2合炊きの炊飯器を使う。家族は夫と私のふたりだから、普段ならこの大きさでいい。けれども、今日は、休み。冷蔵庫の掃除がてら、チラシ寿司を作ろうと思ったのだ。お寿司は、やはり、3合は炊きたい。炊き込み御飯も2合炊きでは、炊けないし・・・。炊飯器というものがなかった頃、ご飯は、羽釜(はがま)をクドにかけて炊いていた。この羽釜、材料は鉄。単純はつくりなので、ちょっとやそっとでは壊れない。嫁入り道具として持ってきても死ぬまで使える。いや、姑が、そのまた前の女主人が買ったものが使える。道具とは、何世代も一生使えるものだった。だからこそ、人はモノに魂を感じ、それが使えなくなった時、人の死と同じように供養をした。モノを伝えると同時に、そのモノの使い方をも伝えた。初めチョロチョロ中パッパブツブツいう頃火を引いてひと握りのわら燃やし 赤子泣いても蓋とるな これは、私が母から聞いた米の炊き方。私は、結婚以来もうすでに3つ以上の炊飯器をダメにしてしまった。豊かな時代とは、モノを使い捨てにする時代なのだろうか。そんな豊かさはいらないと思う。炊飯器の中釜の修理が出来る、それがムリなら、中釜を売ってくれるという選択肢こそ本当の豊かな時代だと思う。 ■テレビしびれて■□■★空中ぶらんこ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月26日*田植え:しろみて*UP
2005.05.28
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