おじん0523のヒロ散歩

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2020.05.11
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カテゴリ: 東海道53次





3/21(土) 12:01
松尾宮拝殿


松尾神社


松尾神社略記
文徳天皇の仁寿3年(853)当時の領主藤原頼平が山城国の松尾明神を美松山に勧請した。至徳3年
(1386)今の地に遷座。現在の社殿は文政4年(1821)10月四度目の再建にかかる。
主祭神大山咋尊は、山末大主神ともいい土地の守護神である。旧祠祉美松山一帯に生育するウツ
クシマツは松尾神社の神木と崇められており大正10年(1921)天然記念物に指定された。
平松の地名の起りは、松尾神社に由来しているという


方向を変えて





桜の蕾も大きくなり


数輪は咲いていた


12:10
旧街道に戻り、右側に「うつくし松」


うつくし松の自生地まで、0.9kmもあるのでスルーする。またいつかチャンスがあれば訪れてみ
たいものです


12:12
真宗大谷派 淨休寺


街道から山門だけを望む。
弥次さんは山門まで行くが門が閉まっているとのことで引返す


街道を進む


高木陣屋跡
元禄11年(1698)、道中奉行に任命された高木伊勢守が、元禄12年(1699)に平松を領するように
なった。その後、文化年間(1804~1817)に宏壮な二階建ての陣屋を建てたが、明治維新後、個人
の所有となり建物が取り払われた。しかし、陣屋の門は、その後所有者が転々とするが、現在は、
三雲の郷内にあるレストラン入口の門として再移築されて、当時の面影を残している


12時過ぎの昼食時で人影もなく


ひたすら西へ向けて歩く


12:17
街道脇の石碑には
昭和32年4月1日、この地にて青木善政運送店を開業する。当時25才。昭和48年12月に将来の
発展を目指し、現在の国道に移転する。甲西陸運株式会社と改名して現在に至る。
本人が石碑を建てられたようだ


街道を振り返る
古民家が続く、八島子供会の看板も


二階が低く北側に窓がない


12:23
街道沿いの北側に『真宗 大谷派 平等山愍念寺(みんねんじ)』
所在地:滋賀県湖南市柑子袋695


山門と太鼓楼
左は、太鼓楼でこの辺りのお寺は競って太鼓楼を建てていると(住職より)。
日本橋から歩いてきたが、このような太鼓楼は今までなかかったのではなかろうか


山門を入り鐘楼


愍念寺(みんねんじ)本堂
構造形式:桁行 15.99m、梁間 13.87m、一重、入母屋造、妻入、銅板葺(元茅葺)、
     向拝一間、外陣三方縁庇、内陣三方庇付属、桟瓦葺
建立年代:江戸時代中期(18世紀前期)
愍念寺の前身は文治元年(1185)に大澤幽順によって八島より移り平等山極楽寺(天台宗)を再興し、
文亀元年(1501)10代目になる大澤房教西(金ケ森道西の次男で当寺の養子となる)が、本願寺実如
に帰依し、浄土真宗に改宗し一宇を建立して平等山愍念寺と改称した。その後、元和5年(1619)
に寺地を現在地に移して再建したと伝える


本堂の屋根
茅葺の上に銅板葺を行っている


本堂前から山門と鐘楼、右手前に太鼓楼がある


12:35
愍念寺を出るとすぐに南側の路地を入ると『八島寺地蔵堂』
所在地:滋賀県湖南市柑子袋871


天平3年(731)、良弁僧正が夢のお告げによって彫られ創建されたという。寿永の頃(1182)あの
屋島の浦の戦いの後、平家の女官らが六道の態化、衆生済度のために建てたとも言われている。
台座は42cm、像高は130cm、丸いお顔と胸部には白色が塗られ、清楚な感じがする。
約400年近く経っている地蔵尊である


12:35
愍念寺の西側にある『浄土真宗 本願寺派 紫雲山光林寺』
所在地:滋賀県湖南市柑子袋780
山門の東側に駐車場がある


山門を入ると旧鬼瓦


本 堂


本堂の扁額「紫雲山」


旧東海道の右角に道標があるが、字は判読できず


12:38
旧東海道から右側(北側)へ路地を入り


この辺りにはお寺が集中してあり「紫雲山光林寺」の西側に隣接してある。
淨土宗 白雲山養林寺
所在地:滋賀県湖南市柑子袋703


五重相伝:令和2年5月2日(土)開白、 6日(水)正伝法  
   勧誡師:福岡・宗像市 善徳寺 香林貴法 上人
新型コロナウイルスの影響で開催はどうなったか?


町指定文化財「木造阿弥陀如来立像」
養林寺(浄土宗)は、正暦2年(991)10月15日に僧心晁が創立した。応仁2年(1468)浄土宗鎮西派と
なり、西阿弥法師が再興して白雲山養林寺と号する。その後、天和7年(1621)に庵の口より現在の
地に清玄がが再興した。
木造阿弥陀如来立像は、本堂の須弥壇上に江戸時代作の来迎形脇士を随伴して安置されている当寺
の本尊で、像高39.1cm、平安時代末期の作と推測される。
尊像は、穏やかな作風で現状では古色を呈しているが、その下には漆箔が認められ、彫眼では材質
は檜材製と推測される。また、頭体幹部は1材製とし、内刳りは行われていない。
当寺には、「応仁二年戊子五月十日草庵再建」銘の額が残されている


本 堂


本堂扁額の「白雲山」


12:42
旧東海道に出て緩いカーブを進む


街道を振り返る


街道の左側に石常夜燈が一対、石柱には『葦穂(しほ)神社』
神社までは片道600m、約7分かかるのでスルーすることにする


休憩所に掲示されとぃた『上葦穂(かしほ)神社』
孝徳天皇の白雉元年に阿星嶽より五色の旗が降り、祀られたのが創祀と伝えられている。
この御幡の降りた地を天神幡と言い、近くに「御幡塚」として現存している。祭神は伊邪那岐命、
本殿は一間社流造り、神紋は左三つ巴、下り藤


12:45
葦穂神社の石柱前にある「おやすみ処」


現在地は旧東海道の左の「きずな街道休憩所」


12:48
柑子袋の落合川


落合川橋


いよいよ石部宿へ入る。

                                 水口宿~石部宿-続く






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最終更新日  2020.05.11 03:00:06
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