おじん0523のヒロ散歩

おじん0523のヒロ散歩

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

オジン0523

オジン0523

カレンダー

フリーページ

2022.03.09
XML
カテゴリ: ヒロ散歩
函南町内の散策を終え12時を過ぎるが今回も休まず次の場所へ移動、函南町から伊豆の国市へ
入いる。
伊豆の国市は、平成17年(2005)4月1日に伊豆長岡町、韮山町、大仁町が合併して誕生した。伊
豆の国市は伊豆半島の北部に位置し、東西は山々に囲まれた豊かな自然環境を保っている。平野
部は南北に狩野川が流れている。また、狩野川に沿うように国道136号や鉄道が走り、周辺に市
街地を形成している。人口は推定 46,201人(2022年2月1日)。
カーナビを六萬部寺(ろくまんべじ)から国清寺(こくせいじ)にセットして南下。
所要時間は、2.4km、6分と。


2月2日(水) 12:20



駐車場に車を駐め散策開始。
駐車場脇に多くの石碑、石仏が立ち並んでいた。


萬霊塔


観音像、石仏


庭園には開花を始めたウメの古木。


国清寺の左側にある「臨済宗円覚寺派 華頂峰高岩院」
所在地:静岡県伊豆の国市奈古谷68
石碑には「国清寺塔頭奉行職之寺也 臨済宗円覚寺派 華頂峰高岩院 豆国八十八ヶ所
十五番 札所」と刻まれている。


伊豆の国市奈古谷(なごや)にある「国清寺」の塔頭のひとつ、「華頂峰・高岩院」。
山号は「華頂峰(かちょうほう)」、寺院名は「高岩院(こうがんいん)」


六地蔵尊が立ち並ぶ。




本堂の扁額「華頂峰」。


国清寺(こくせいじ)の「仏殿」への参道。
石碑には「臨済宗円覚寺派 天長山 国清寺」。
所在地:静岡県伊豆の国市奈古谷1240-1
華頂峰・高岩院と同じように境内ではアジサイが綺麗に咲くと。



本 尊  観世音菩薩
創 立  康安ニ年春(1362)
開 基  畠山国清(天猷道誓大禅定門)足利管領の執事
再開基    慶安元年(1368)上杉憲顕(桂山道昌大禅定門)大いに修築巨刹となす。
     本堂正面にあります。
開 山  無礙妙謙敕諡佛真禅師(後花園天皇直筆の額が本堂正面にあります)
十刹六位 往昔殿堂壮麗にして子院七十八宇を有しなり。足利三代将軍義満の時、関東十刹の
     一に加えらる。天長山、国清萬年禅寺と号せらる。
旧朱印  弐拾石境内二千九百余坪(佛殿右側に徳川歴代将軍の位牌を祠ってある)
     往昔末寺三百余ヶ寺塔中七十八院あり
     延徳三年伊勢新九郎長氏御所を隠れし時より漸く衰退せり、其の後鎌倉円覚寺の付
     属となる。子院現存するもの 高岩院 徳隣院 龍泉院 松月院である。
旧十境  一、十里松 二、愈好橋 三、雙峠 四、石橋 五、馬鬣峰 六、寒山窟 
     七、石牛洞 八、芍薬渓 九、華頂峰 十、寶珠嶺 
鎮 守  毘沙門堂  
     寺を距ること十余町の山中にあり国清寺に属す。伝え云ふ 僧文覚此の地に流寓す。
     堂中に慈覚大師作の毘沙門尊天あり。仁王門に運慶修飾の金剛像あり。
     辨財天、は佛殿左側に祠る。
                           (豆州志稿による)


伊豆の国市奈古谷のここ「国清寺」は観世音菩薩を本尊とし、山号を天長山と称する臨済宗圓覚
寺派の寺である。
康安元年(1361)、室町幕府の有力者であった畠山國清は、関東管領にそむき鎌倉から伊豆に居を
移し、翌康安2年春、奈古谷に一寺を建てこれを「国清寺」と呼んだ。
應安元年(1368)、上杉憲顯(1306~1368・関東管須)が国清寺を大いに修築して大きな寺にした。
これにより、生い茂る杉の木立ちに囲まれた国清寺の殿堂は、ひときわ荘厳さを増し、室町三代
将軍足利義満の時に関東十刹の一に加えられ、「天長山国清萬年禪寺」と号せられる大きな寺院
となった。
正面に見えたのが「仏殿」。


参道脇に咲くスイセン。


仏殿(釈迦堂)
本尊が安置されている方形造鋼板葺の、仏殿「大雄殿」は、延宝年中(1673~80)の建立と伝え
られており、周辺にはさらに古い礎石や雨落ち溝が残る。


仏殿の扁額「祈禱」。


仏殿には、鎌倉時代慶派の作による本尊「釈迦如来像」が安置されていた。
本尊は伊豆の国市の指定文化財になっている。


仏殿の右側に建つ「鳳林庵地蔵尊」。


立て膝で思椎姿のお地蔵様は非常に珍らしい。
また、頬に手をあてられた姿の為か、昔から、土地の人は歯の痛い佛様として、尊崇
祈願し、今でも、石を積み、お膳を供えて御利益を願う古老の方を見かけます。


鳳林庵地蔵尊
お地蔵様裏の処に、明治の頃まで鳳林庵とゆう国清寺塔中のお寺がありました。その為鳳林の
お地蔵様として部落人達に親しまれて来ました。作者は不詳ですが、約三百年程前に刻まれた
のではないかと言われています。
立て膝で思椎姿のお地蔵様は非常に珍らしいのです。頬に手をあてられた姿の為か、昔から、
土地の人は歯の痛い佛様として、尊崇祈願し、今でも、石を積み、お膳を供えて御利益を願う
古老の方を見かけます。また安産の佛様としても知られ、願いをかける時は、通リの良いよう
にとの意味からか、底無し柄杓を泰納するのが例になっています。
木立の中、幾星霜を経た、素朴なお顔のお地蔵様は、野の佛としても人の心をうつのかいろん
な本の表紙にもなります。
例奈は、毎年八月ニ十三日に行っています。


やすらぎ子育て・水子地蔵尊


仏殿を振り返る。


左に鐘楼、奥に本堂。


国清寺本堂
寄棟造瓦葺の本堂は、昭和9年(1934)の建立である。


本堂の扁額「天長山」


本堂に掲げられている、「大本山円覚寺百観音霊場第三十番札所」


本堂正面に掲げられている、後花園天皇直筆の額、「敕諡佛真禅師」。
「勅諡佛真禅師( ちょくしぶっしんぜんじ) 」とは初代國清寺住職「無礙妙謙(むげみょうけん)」
和尚のこと。
修理増築された頃に中国へ渡り、天目山禪寺に修行する一方、多くの寺々をめぐり佛法の真髄
を求め、その奥義をきわめた。帰国後、鎌倉5山中第3位の壽福寺住職や圓覚寺の住持となり、
礼に篤いその人柄からにじみ出る徳を持って優れた人を育てるなど、卓越した手腕を寺院経営
に発揮した、と言われている。


内陣を望む。


鐘楼は延宝8年(1680)の建立と伝えられ、昭和9年(1934)に改修されている。


本堂前に並ぶ、六地蔵尊には頭巾はなく。


12:33
本堂から左奥へ進む。
杉林の中に、「畠山國清 上杉憲顕 開基塔」の石碑が建つ。



                                      ー 続く ー





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022.03.09 03:00:06
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: