おじん0523のヒロ散歩

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2022.03.13
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カテゴリ: ヒロ散歩
伊豆滝山不動から下り、狭い道を進み香山寺へ。

2月2日(水) 14:15
香山寺脇の駐車場へ。


山木判官兼隆館跡と菩提寺香山寺
平安時代末期に伊豆国は平家の直轄地でした。その目代であった山木判官兼隆は、この山木地
区に館を構えていたと伝わっています。治承4年(1180)に源頼朝が以仁王の令旨を受けて挙兵、
最初に攻撃したのが山木館で、兼隆は牧之郷の加藤景廉に討たれたとされています。この時の
軍勢には、北条時政・義時父子も加わっています。高台にある香山寺は兼隆によって創建され
たと伝わり、境内からは山木地区を一望することができ、兼隆の供養塔があります。



所在地:静岡県伊豆の国市韮山山木868-1
伊豆滝山不動から下り暑かるたので上着を一枚脱ぎ参拝。背中に寒気を感じる。


臨済宗の寺らしくないアーチ型の石造りの山門は、明治初期の韮山県庁に使われてい
たもの。変遷の末に香山寺に移設再建されたという。
韮山県庁は江川家のある韮山代官所に置かれ、早い時期に新政府に恭順した代官の江
川英武が県知事を務めたが、数年で足柄県に統合され廃止となった。
この門はその時期(慶応四年・1868年 )に移設したと推定されるから、既に154年
近くが経過しているとのこと。


アーチ型の石造りの山門から進み、左側に無縁仏塚


景雲山 香山寺
臨済宗建長寺派(諸山)
開山密宗   不明
  臨済宗  勅諡佛乗禅師天岸慧廣大和尚
開基密宗   伝・八牧判官平兼隆公
  臨済宗  足利家時公(尊氏公太父)
       中興間基・北条早雲公
       再中興開基内藤信成公
   千手観世音菩薩伊豆中道十ニ番札所
由緒・略歴
草創久寿元年(1154)開基八牧判官平兼隆公、治承四年(1180)八月十七日逝去す。法名は香山寺
殿興峰兼隆大禪定門。この当時は禅宗にあらず密宗なりしという。それ故、当時の開山和尚は不
明なり。その後百七十余年を経て寺門頽廃するに至る。この時足利尊氏公の太父家時公、元徳二
年(1330) 四月開榛して野州雲岩寺開山勅諡佛国禅師応供広済国師の法嗣佛乗禅師を請じて開祖
とす。その頃独立本山にして塔頭五院ありて輪番地なり。七堂伽藍整備して百器具足豆南の巨刹、
東海の厳林と称せらる其後足利氏の末世に及び天下争乱の世となり寺門頽廃、塔頭両院を残す有
様となった。然る時小田原北条氏長氏公(北条早雲)、諸堂伽藍を中興し、境内地ニ万五千ニ百六
十一坪、門外の寺領永ニ十三貫文を寄付せらる。然れとも世は更に再転して秀吉の小田原征伐と
なり、本堂もその災を受けて宝物器具を焼失するに至る。
慶長ニ年(1597)韮山城主内藤三左衛門尉藤原信成公又費を投じて再興せらる。
元禄五年(1692)建長寺の指名を受けてその末寺となる。江戸幕府の本末制度の励行受けざるを
得ざる法令に従いしなり。幕末に及んで嘉永六年(1853)十月二十五日町家の延焼により類焼を 
免れず、遂に堂宇宝物古記録等残らず灰燼に帰せりと云う。
宝物・古記
  薬師如来座像(伝・兼隆公室念持仏)
  開山勅諡佛乗禅師像。
  小田原北条氏・虎之御朱印等 三通他
石造遺物
  六地蔵石憧(室町前期)
  笑華・川派和尚塔
  山門(元・韮山県庁の門)他
          田方郡韮山町韮山山木868-1  現住元照記   


扁額は「瑠璃光」。


内陣には、「南無薬師如来」の提灯


木像の「薬師如来像」。


香山寺本堂への参道右にある「山木兼隆の供養塔」。

ことに。「山木兼隆供養塔」は五輪塔。


香山寺(山木兼隆供養塔) 
山木兼隆は平氏の一族で、伊豆に流人として暮らしていましたが、京都の政変により伊豆国の
目代(国を治める長官の代官)として取り立てられました。そのため、治承四年(1180)の源頼朝
の旗揚げでは最初の標的とされ、滅ぼされました。その日は三島大社の祭礼で、頼朝たちは祭
禅宗に改宗後、「香山寺殿興峯兼隆大禅定門」と法名を授けられました。山木兼隆供養塔は、
この地で減ぼされた兼隆を偲び、平成2年に建立されました。


山木兼隆供養塔の五輪塔。
右側に「香山寺殿興峰兼隆大禪定門追善菩提供養塔  建長○○書」。


一段高いところにある本堂に向かって進む。


香山寺本堂
本堂は禅寺(臨済宗)らしい、広くはないが華美な印象を避けた豪壮な雰囲気を持つ。
久寿元年(1154年)、伊豆国目代の山木(平)兼隆によって建立された臨済宗建長寺派の寺院。


本堂の扁額は山号の「景雲山」。


内陣を望む。


中央に「薬師如来座像」。


本堂前に座り「北条氏ゆかりの地」を見下ろす。
桜の時期もよさそうだが。


沼津アルプス方面の眺望。
中央の山が「鷲頭山 392m」であろうか。伊豆半島の付け根に位置する、400mにも満たない
低山だが、首都圏からのハイカーも多い人気の山。北にある徳倉山(256m)や西に位置する大
平山(356m)などと併せて「沼津アルプス」の愛称で親しまれ、縦走を楽しむ登山者も少なく
なく、首都圏から訪れるハイカーも多い。季節を問わず楽しめ、登山道中は富士山、南アルプ
ス、駿河湾の眺望が楽しめるのだと。


治承4年(1180)八月十七日に源頼朝が以仁王の令旨を受けて挙兵、最初に攻撃したのが山木館で、
山木判官兼隆は牧之郷の加藤景廉に討たれたとされています。この時の軍勢には、北条時政・義
時父子も加わっている。この時頼朝は向かい側の山の麓から見守っていたと。


そして次に訪ねたのが、香山寺近くにある「平兼隆館の跡」。
案内板はこれのみで他には何もなかった。


突き当りになる坂道を上って行った。私はこの狭い道を運転して上ったので、旅友の写真を
借用しました。突き当りで個人宅になりユーターン。


山木判官平兼隆館跡
治承4年(1180) 8月17日の夜、源頼朝は挙兵するとその手始めとして伊豆目代平兼隆(もくだい
たいらかねたか)の屋敷を襲ったのであった。奇しくもその日は三島大社の例祭の日。そのため
館の郎党は祭りに出かけて守りが手薄であった。
激戦の末、平兼隆の首を討ち取ったのは加藤影廉。館に火を付けて、北条屋敷で激戦を待ち焦が
れている源頼朝への知らせとし、これが源氏再興ののろしとなったのであった。
現在は個人宅となっており、許可なく入れなくなっていた。先輩が石碑を探す。


個人敷地内にある「兼隆館跡」と刻まれた石碑。


14:43
そして次に向かったのが兼隆館跡から下った「江川邸」。
駐車場には「伊豆の国 北条義時 ゆかりの地」とラッピングされたタクシーが駐車中。


伊豆の国市内に宿泊された方は、宿泊施設、指定の観光拠点及び最寄り駅を自由に移動できる
よう、シャトルタクシーが無料で利用できるとのことであった。ラッピングは全部で3種類。
運行期間  2021年12月1日(水)~2022年2月20日(日)
運行台数  13台/日


ようこそ、歴史とのかけはし韮山町へ
ここに住む人も、訪れる人も、ともに気持ちよくありたい。
わたしたちの郷土がいつまでもきれいで美しく、誇れますよう
みなさまのちょっとした「ふるさとへのこころづかい」をお願いします。
韮山町の良き想い出は大切に持ち帰り、旅でのごみはマナ-を守ってお捨てくたさい
どなたも気持ちよく過ごせますようご理解・ご協力をお願い申し上げます。
似顔絵は、「源頼朝」「北条早雲」「江川太郎左衛門英龍」。
                                  伊豆の国市


江川家菩提寺 江川太郎左衛門・江川家代々の墓碑   徒歩5分
    日蓮宗本山 大成山 本立寺 
                           伊豆の国市 観光協会


掲示板に、「江川邸が「島津家屋敷」に」と書かれた2018年2月7日の新聞記事。
ここ江川邸で大河「西郷どん」のロケが行われたと。


駐車場から歩いて「江川邸」へ。
【主屋工事実施に伴う限定公開について】ネットから、
  主屋屋根工事実施のため、江川邸(江川家住宅)は臨時休館しておりましたが、
  2021年11月7日(日)より開館しております。
  まだ工事中ですので、通常とは異なる動線でご案内することが続きます。
  また、展示品なども工事の影響を考えてご覧いただけない場合もございます。
  なお現在は、通常見学では使用していない正面玄関から主屋にご入場いただいております。


重要文化財 江川家住宅
江川氏の遠祖宇野氏は大和の国に住む源氏の武士であったが、保元の乱(1156)に参戦して敗れ、
従者十三人と共にこの地に逃れて居を定めたと伝えられる。現在の家屋の主屋は室町時代(1336
~1573)頃に建てられた部分と、江戸時代初期頃(1600年前後)に修築された部分とが含まれてい
る。この主屋は昭和三十三年(1958)に国の重要文化財の指定を受けた。同三十五年より文化庁、
静岡県及び韮山町の協力を得て解体修理が行われ、文化十四年(1817)に行われた大修理以前の
古い形に復元された。またその際に茅葺きだった主屋の屋根は現状の銅板葺きとなった。
江川氏は徳川時代初期より幕末に至るまで代々徳川幕府の世襲代官を勤めた。その中で幕末の
江川英龍(担庵)は体制側にありながら革新思想を持ち、農兵の組織、大砲の鋳造、品川台場築
造の計画等をすすめたことで知られている。昭和四十二年に財団法人江川文庫が設立され、重
要文化財および代官所記録の維持管理にあたっている。
江川家住宅及びその周辺の重要文化財は次のとおりである。
  江川家住宅宅地  11,837 平方米
  同 主屋        552 平方米
  同 付属建屋、書院、仏間、土蔵等


14:46
正面に工事用のフェンスに覆われた「江川邸」。
工事中であったため、入場料金も700円するのでこの日はパスすることにして駐車場に向かって
引き返したのであった。この後、足元がふらつき・・・・・。
この写真が今回の旅で撮影した最後のものであったのだ。


ふらつきながら駐車場へ戻り、先輩に水を購入していただき、トイレで用を済ましベンチへ。
旅友が我が車を回してくれ、車のドワー際で一瞬気を失った!
この後、車の助手席に横たわり休む間に、旅友二人が「救急車を呼ぼう」と。


15:00
待つこと数分で救急車が到着、人生初めての救急車へ乗車、救急隊が心電図等を測定、我妻へも
車中から電話して「こちらへ来てください」と。
この後、病院と連絡を取りたらいまわしもされず「順天堂大学医学部附属静岡病院」へ運ばれる。
病院までは後で調べると6キロほどであったが、旅友は後方から追いかけ病院へ移動したと。


順天堂大学医学部附属静岡病院
所在地:静岡県伊豆の国市長岡1129
今回の旅の計画は二泊三日の旅であったが、この病院に14泊15日の長期入院となった。


緊急入院でとんだ旅になりましたが、明日14日(月)は「退院後初診」で伊豆の国市へ。
このため今夜は近くのビジネスホテルへ宿泊。


10時には訪れ「採血」「レントゲン検査」「心電図」。



                                     ー END ー





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最終更新日  2022.03.17 12:46:56
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