おじん0523のヒロ散歩

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2022.08.24
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カテゴリ: 鎌倉市歴史散策
光明寺の後は昨年訪れた近くの「補陀洛寺」をスマホにセットして移動。


8月8日(月) 12:05
京急バス停「材木座」
鎌 40:逗子駅行、逗子・葉山駅行、鎌 41:小坪行、
の2系統が運行されているようだ。
突き当りを右折すると鎌倉駅へ、左折すると材木座海岸へ。


道路を進むと民家の二階の窓から・・・・・。


途中から路地に入り「材木座たぶのき公園」。





公園の片隅に咲くサルスベリ。


門前に「ここは補陀洛寺」。


真言宗 南向山 補陀洛寺(ふだらくじ)
所在地:神奈川県鎌倉市材木座6丁目7-31
当寺には昨年(令和3年)9月10日(金)にも参拝しており今回が2度目。その時境内に古木のサル
スベリがあり既に咲き終わっていたので今回の目的地とした。


山門前左側に、源頼朝祈願所「源頼朝公御祈願所南向山補陀洛寺」の石碑。
源頼朝が1181年(養和元年)、文覚上人(もんがくしょうにん)を開山として建てた。
また、源頼朝公御祈願所であり、頼朝の供養をここですることになっていた。


山門を入ると境内に樹齢150年ともいわれるサルスベリの古木。昨年は咲き終わっていた。
駐車場はなくサルスベリの右側に駐輪。



本尊は十一面観音菩薩。たびたび竜巻に襲われているため、別名「竜巻寺」とも呼ばれ。鎌倉
三十三観音霊場第17番札所である。


補陀洛寺本堂
補陀洛とは、サンスクリット語の音を漢字に当てはめたもので「観音菩薩が住む山」という
意味。薬師如来が本尊だった時代もあったというが、文和年間、鶴岡八幡宮の供僧頼基が十



昨年は咲き終わった後だったが今年は満開近い。この光景が見たかった。


まだ蕾も多くあった。


本堂にかけられている「真言宗大覚寺派  南向山 帰命院 補陀洛寺」。


丸くなった蕾もまだ多い。


樹齢150年といわれるサルスベリは途中から枝分かれ。


根元から枝分かれしているようだ。
名札には「百日紅 サルスベリ ミソハギ科」と。


樹勢があり古木の幹から若木が芽を出している。
花後には剪定するのであろう。


境内の隅に「有縁無縁各精霊成○○の塔婆」と五輪塔が並ぶ。


七重の塔、それぞれ花が供えられていた。


山門を振り返るが境内の敷地は狭い。
サルスベリの花柄が落ちていた。


木立の中にあるこの石碑は、「市瀬正毅先生を偲ぶ」。
昭和五十五年にお亡くなりになると、教え子により補陀洛寺に記念碑が建てられそのあと途切
れることなく毎年「市瀬忌」が執り行われてきたのであった。中心となったのは、先生のご担
任であった27回生、30回生、33回生、36回生の教え子たちであると。


碑には「市瀬正毅(いちのせ まさたけ)先生を偲ぶ」。
氏は生物担当の教師で、昭和二十四年(1949年)に藤沢市にある湘南高校が夏の甲子園
に初出場初優勝の快挙を成し遂げた際の野球部長であった。


山門近くの境内に建つ、「無縁塔」。


山門前から振り返り二年越しのサルスベリを見納める。


まだ蕾もありしばらくは楽しめそうだ。


サルスベリは枝の先に花が咲く。


補陀洛寺のサルスベリを楽しんだ後は、鎌倉十井のひとつである「銚子ノ井」へ。

12:25
ここ「水道路交差点」を右折。
水道路と名がついているのでネットで調べると、
鎌倉市内を通る水道路は『横須賀水道道』といわれ大正時代に横須賀海軍基地の軍備拡張にと
もない水道量が足りなくなり軍事用の上水道として海軍が建設工事を行ないました(軍港水道
路)。経路は、相模原の中津川の半原水源地から愛川町~厚木~海老名~藤沢~鎌倉市内を通
って、逗子~横須賀の逸見の浄水場までの総延長約53kmにわたります。標高差が約70mある
ためポンプを使わず自然落下により通水をしていました と。


水道路交差点から西方向(若宮大路)は一直線の下り坂。
鎌倉市内の水道路の一部は、由比ヶ浜大通りの文学館入口の交差点から江ノ電由比ヶ浜駅前を
通り、若宮大路を横切り滑川を渡り材木座地区に入り長勝寺前で県道バス通りと合流して名越
のトンネルまでで、途中の滑川では専用の水道橋を渡り、東から西へとほぼ一直線になってい
ます。水道路の下にある上水道は戦後海軍から横須賀市に譲渡されて、水源の水質の悪化や施
設の老朽化により平成27年2月に役目を終了して廃止されました。


道路面には海軍の錨のマークが入った水道点検の蓋がある。


交差点を右折すると直ぐ左に石鳥居を発見。
豊川稲荷大明神
所在地:神奈川県鎌倉市材木座2丁目1-15


民家と民家の狭い敷地にあるお稲荷さん。


鳥居の下に立つ石柱に「正一位豊川稲荷大明神」。


石鳥居の後方には木製の鳥居が並ぶ。


稲荷社をズームアップ。
社の前には狐の狛犬が並ぶ。


水道路交差点から東方向(横須賀)もほぼ一直線で緩い坂道になっている。
いつもは坂の上の長勝寺から下ってきている道だ。右側の辻に石碑を発見。


鎌倉の路いろいろ、
中世鎌倉には、市の中心部を南北に通っていて基幹道路である若宮大路をはじめに、さまざま
な通り・路がありました。幅の広い大通りを大路(おおじ)、大路より幅の狭い道を小路(こうじ)
といいました。さらに大路や小路などの主な道を結ぶ小さい道を辻子(ずし 田楽辻子、宇津宮
辻子など)といい、その道が交差する所を辻(つじ)といいました。辻には石塔を建てる習わしが
あり、塔の辻と呼ばれる辻が、かつては市内7か所あったといわれますが、地名として残るのは
由比ヶ浜の塔の辻だけです。
辻の角に道標、石碑、稲荷社が建つ。


石碑には、
「馬頭観世音  昭和四十八年十月十一日 功徳主 磯部利一」と刻まれ新しいものである。 


道標には、
右側の石碑には「左 大師道 雲照弘〇」
左側の石碑には「海軍マークの波型、海の文字」が確認できた。


稲荷社
所在地:神奈川県鎌倉市材木座2丁目5


稲荷社の中は綺麗になっており信仰心のあつい方がおられるのであろう。


西方向の水道路交差点を望む。


この道は数回走っているが逆方向であったので今まで気が付かなかった。


12:35
鎌倉十井「銚子ノ井」
所在地:神奈川県鎌倉市大町5丁目2-17
銚子ノ井はバス道の県道311号線(鎌倉葉山線)沿いにある。


路地を挟んで新旧の石碑。


新石碑「銚子の井」。


旧石碑「十井之一 銚子の井」。
ここから東には「名越切通」がありまだ未踏破のため今後訪れたい。



                                     ー 続く ー





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最終更新日  2022.08.30 11:50:53
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