おじん0523のヒロ散歩

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2022.08.27
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カテゴリ: 鎌倉市歴史散策
別願寺の後、鎌倉駅近くの「本覚寺」のサルスベリも綺麗と聞き向かうことに。

8月8日(月) 13:30
日蓮宗 妙本寺
所在地:神奈川県鎌倉市大町1丁目15-1
妙本寺は身延山久遠寺、池上本門寺と並び日蓮宗最古級寺院のひとつです。
総門の右前には「比企能員邸址 (ひきよしかずていあと)の碑」が建っている。


総門の扁額「妙本寺」。


妙本寺(みょうほんじ)
この寺一帯の谷を比企谷といい、源頼朝の重臣・比企能員らの屋敷がありました。比企一族は

乱)。その後、乱から逃れていた末子能本が、日蓮聖人に帰依し、一族の屋敷跡であるこの地に
法華堂を建てました。これが妙本寺の始まりといわれています。
四月から八月にかけて、桜・カイドウ・シャガ・ノウゼンカズラなどが鮮やか花をつけ、静か
な境内を彩ります。
  ● 宗  派:日蓮宗
  ● 山号寺号:長興山妙本寺 (ちょうこうざん)
  ● 建  立:文応1年 (1260)
  ● 開  山:日蓮聖人
  ● 開  基:比企大学三郎能本
写真は、祖師堂とノウゼンカズラ。


今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で追加の説明板がついていた。

鎌倉殿・13人の重臣ゆかりの地「妙本寺」、ゆかりの人物「比企能員・竹御所」。
妙本寺がある比企谷は、比企一族の屋敷跡とされます。境内には源頼家の息子・一幡の袖塚や
比企一族の墓と伝えられる石塔など、一族の悲劇が伝わります。また、付近には頼家の娘で4
代将軍九条頼経正室の竹御所の墓所があります。比企能員の子・能本が後に日蓮聖人の弟子と
なり、日蓮聖人と一族のために堂を建てたのが妙本寺の始まりといわれています。



能員ハ頼朝ノ乳母比企禅尼ノ養子ナルガ 禅尼ト共ニ此ノ地ニ住セリ 此ノ地比企ガ
谷(ヤツ)ノ名アルモ之ニ基ク  能員ノ女 頼家ノ寵ヲ受ケ若狭局ト称シ  子一幡ヲ生
ム 建仁三年(1203)頼家疾(病)ムヤ母政子関西ノ地頭(ジトウ:庄官)職ヲ分チテ 頼家
ノ弟千幡ニ授ケントス 能員之ヲ憤リ蜜ニ北條氏ヲ除カント謀ル  謀泄(漏)レテ 郤
(反)ツテ北條氏ノ為一族此ノ地ニ於テ滅サル。
大正十二年三月    鎌倉町青年團建


総門右側の小路入口に「ぼたもち寺 常栄寺」の案内板。


二天門
天保十一年(1840)に建立されたという堂々とした弁柄塗りの「二天門」。二天門手前には大き
なカエデがあり、紅葉の季節はとても美しいと。


二天門の右側に建つ石柱には「比企谷 霊跡 本山妙本寺」。


二天門からの祖師堂。


境内に咲くサルスベリ。


夏を彩るノウゼンカズラ。


ズームアップ。


二天門を入ると両側にノウゼンカズラの古木。


境内にはいつも前撮りのカップルが数組、カメラマンを従え撮影。


二天門を入ると右側に、「一幡之君袖塚」
比企の乱後、焼け跡の中からわずかに見つかったという袖をまつる。戦火の中、6歳で死んだ
一幡(鎌倉幕府二代将軍頼家の息子)の袖だという。
信仰心のあつい方が花を供えている。


山の斜面の墓碑の後ろに聳える、「鎌倉市指定天然記念物 イチョウ」。


登ってみたが墓標がなかったので誰の墓かは不明である。


祖師堂側から見て左側に並ぶ墓碑群。


比企一族之墓。


石碑には「比企能員公一族之墓」と。


歴史ある古い墓碑だが新しい塔婆が。
四基の五輪塔の両脇に建てられている石塔には、それぞれ「本行院日学聖人」「輪成院日教聖
人」と刻まれている。
左側「本行院日学聖人」は、比企能員の末子能本のことで、妙本寺の開基。
右側「輪成院日教聖人」は、祖師堂を再建した四十七代目の住職。
一番左側が「比企尼」の墓碑。


墓碑には「建仁三年九月二日・・・・・・・」と
源頼朝の乳母であった比企尼の墓であると。
比企尼を演じた草笛光子さんが参拝した時指さしていた(黄色の丸内)。
ここにも新しい花が供えられていた。


祖師堂前から二天門、左に手水舎。二天門手前に二本のノーゼンカズラ。


水盤には珍しく水があふれていた。
このまま新型コロナも終結することを祈るが。


ノーゼンカズラを見上げ見る。
この後、二天門横へ駐輪していた愛車のリンちゃんで坂を下る。


急な坂を下り、妙本寺本堂への方丈門。
左側の階段上にまだ行っていない「蛇苦止堂(じゃくしどう)」があるが次回とする。


日蓮宗 本山 比企谷(ひきがやつ) 妙本寺


参道に立つ幟「鎌倉殿の13人 比企能員 ゆかりの地」。


妙本寺の西側にある「本覚寺」へ向かい振り返ると妙本寺の総門。祖師堂は数十メートル上る。


妙本寺入口に建つ石塔。正面奥に妙本寺の総門。


13:50
日蓮宗 本覚寺(ほんがくじ)
所在地:神奈川県鎌倉市小町1丁目12-12
鎌倉幕府裏鬼門の鎮守として建てられた夷堂がその始まりで、境内には春には枝垂れ桜、夏には
鮮やかなサルスベリの花が咲く名所である。
小町大路の夷堂橋(鎌倉十橋)前に建つ山門、左の石柱には「東身延」と刻まれている。


本覚寺(ほんがくじ)
本覚寺のあるこの場所は幕府の裏鬼門にあたり、源頼朝が鎮守として夷堂(えびすどう)を建てた
所といわれています。この夷堂を、日蓮が佐渡配流を許されて鎌倉に戻り、布教を再開した際に
住まいにしたと伝えられます。その後、鎌倉公方・足利持氏がこの地に寺を建て、日出に寄進し
たのが本覚寺であるといい、二代目住職の日朝が、身延山から日蓮の骨を分けたので「東身延」
と呼ばれています。
日朝は「眼を治す仏」といわれ、本覚寺は眼病に効く寺「日朝さま」の愛称で知られています。
十月は「人形供養」、正月は福娘がお神酒を振舞う「初えびす」でにぎわいます。
鎌倉の住人、名刀工・正宗の墓が境内にあります。
  ● 宗  派:日蓮宗
  ● 山号寺号:妙厳山本覚寺 (みょうごんざん)
  ● 建  立:永亨8年 (1436)
  ● 開  山:日出 (にっしゅつ)
写真は、夷堂とハスの花。


山門左側から境内へ入り駐輪。枝先に花を咲かせたサルスベリが迎えてくれた。


この樹も古木で幹を養生しているのであろうか。


重そうな瓦葺の本堂とサルスベリ。


ズームアップ。


残念ながら水鉢植えのハスは咲き終わっていた。


手前に常香炉、奥に本堂。「東身延 本覚寺」。


本堂の扁額「常祥閣」。


本堂前から東方向を望む。


天水桶と鐘楼。


鐘楼の前にもサルスベリが満開。


サルスベリを見上げる。
今朝、極楽寺であった方もこの光景を見られたのであろう。


本堂左側に古い墓石が集められていた。


その中のこの墓石には、「愛犬 エム、次男、芳男、菊男、三男之墓」。
愛犬の墓であろうか。


本堂裏に建つ宝篋印塔。
本覚寺の説明板には「鎌倉の住人、名刀工・正宗の墓が境内にあります」とあったが未確認。


鐘楼前に咲くサルスベリ。

満開であろうか、古木に比べ花の咲き方が違うようだが。


庫裡の前に咲く古木のサルスベリ。


枝先に咲くサルスベリをズームアップ。蕾もありまだしばらくは楽しませてくれるのか。


境内の水鉢に植えられたハス。


山門の左側に建つ夷尊堂。
七福神の夷尊神が夷尊堂に祀られ、お正月には商売繁盛の祈願でたくさんの人が訪れる。


白いフヨウが咲く。


14:05
自宅を出てから既に6時間、本覚寺のサルスベリを楽しみ帰路につくことに。
本覚寺の詳細は昨年(令和3年)2月23日に参拝した「​ ​​ 鎌倉の古刹​​ 」👈 をクリック願います。



                                     ー 続く ー





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最終更新日  2022.08.30 11:49:07
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