おじん0523のヒロ散歩

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2023.05.23
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カテゴリ: 日本100名城
山中城の北エリアの散策を終え、旧国道1号を下り「山中城跡案内所」へ。

4月13日(木) 13:15
自民党 静岡県支部候補者のポスター。


民家の庭先に咲いていたチューリップは満開に。


バス停留所「山中」東海バス。
運行本数が何本であったか?


奥の建物は「山中公民館」、左側の建物は山車の倉庫?。


宗閑寺(そうかんじ)
所在地:静岡県三島市山中新田94-1
旧国道1号沿いの入口に建つ石柱には「史蹟 山中城趾記念之碑」。

裏面には、「昭和五年三月二十九日 東京 伊豆守直末後裔 一柳貞吉譔竝建」と。


宗閑寺本堂
宗閑寺は山中城三ノ丸跡にあり、慶長十年(1605)に建立された。開基となったのは、家康の
待女・お久の方。北条軍の副将で敵将・一柳直末を討ち取り、73歳で戦死した間宮康俊の娘
である。開基のお久の方は、徳川家康に仕え四女松姫をもうけている。


本堂の木鼻。


本堂の扁額「宗閑寺」。


本堂の入口上には葵の紋。


本堂の左側に苔むした墓・石碑群。
昭和に入り、関東大震災で荒れ果てていた宗閑寺は一柳直末の子孫により再興された。


宗閑寺と武将の墓
東月山普光院宗閑寺(浄土宗)は静岡市の華陽院の末寺。開山は了的上人、開基は間宮豊前守の

ひっそりと佇んでいる。
豊前守康俊(普光院殿武月宗閑潔公大居士)兄弟とその一族、城主松田右兵衛太夫(山中院松屋玄
竹大居士)、群馬県の箕輪城主多米出羽守平長定らの墓と共に、豊臣軍の先鋒一柳伊豆守直末
(大通院殿天叟長運大禅定門)の墓碑がうらみを忘れたように並んでいる。
     平成九年十一月   文化庁、静岡県教育委員会、三島市教育委員会



左側奥に北条軍の墓碑、右側奥に豊臣軍の先鋒一柳伊豆守直末の墓碑。


階段を上ると左側に三つの墓碑が並んでいた。
左:上州箕輪城主 多米出羽守平長定墓 天正十八庚寅年三月廿九日 於山中城戦死
中:長谷川志摩守平近秀墓
右:追沼帯刀先生氏雅墓


右側の豊臣軍の墓碑は玉垣で囲まれている。


その中には豊臣軍の先鋒 一柳伊豆守直末の墓碑。
墓碑には「大通院殿前豆州太守天叟長運大禅定門」と刻まれている。


玉垣手前左側に建つ石碑には、「○○○碑」と。
漢字だけで刻まれており判読できなかった。


左側の墓碑は北条軍、
一番右側が山中城の城主であった松田康長のお墓で、その隣にある3基の五輪塔は、副将の間宮
康俊とその弟、多米長定の3名のお墓である。
墓前には、いつもお酒、ワンカップが供えられている。
因みにこの間宮一族の子孫のひとりが、のちに間宮林蔵として名を残した。


一番右側が山中城の城主であった松田康長(山中院松屋玄竹大居士)のお墓。


武将の墓の右側にも墓群があったが「七世」の字が読めたので歴代住職のお墓のようだが。


どの墓碑も苔むして詳細は判読できなかったがかろうじて「何世」の字。


宗閑寺本堂
関東大震災では倒壊したようだ一柳直末の子孫により再興された。


本堂の屋根にも「三つ葉葵」の紋。


宗閑寺から旧国道1号に出、旧東海道を進み振り返る。
前方は交通量が減った旧国道1号。


芝切地蔵
旧東海道沿いの上に社殿が建っている。


芝切地蔵(しばきりじぞう)
その昔、山中新田の旅籠に巡礼姿の旅人が泊った折、急に腹痛におそわれ世を去った。この旅
人が死ぬ間際に、「私を地蔵尊として祭って下さい。そして芝塚を積んで、私の故郷の常陸が見
えるようにして下さい。そうすれば村人の健康を守ってあげます」と言い残したという。
村人は旅人の言ったとおり地蔵尊を祭り、毎年七月十九日を縁日として供養するようになった。
それにあわせて「小麦まんじゅう」をつくり、参拝に来た親戚の者を接待したが、その味が大
そうよかったので有名になり、一般の参拝者に売られるようになった。
この祭りには江戸時代、沼津方面からも大勢の参拝人が集まり、さい銭とよく売れた「小麦ま
んじゅう」の利益とで、一年間の山中部落の費用がまかなえたといわれている。
     平成七年十二月   三島市教育委員会


階段下に「芝切地蔵尊」の立札、お賽銭箱があった。


本堂前に立っていた石碑。


本堂の扁額「芝切地蔵尊」。


本堂左側の境内中央に「芝塚」、廻りに墓碑が並ぶ。


芝塚の後方から。


13:30
山中城跡案内所・売店
☎:055-985-2970
城跡内のつつじの開花状況等については電話していただけると対応します と。城跡内の手入れを
している植木職人から毎日開花状況をもらっているとのことであった。
かつては交通量が多かった旧国道1号、下ると三島宿へと至る。


山中城跡案内所前に立っている観光案内板。
箱根西麓ハイキングコースの案内。


案内所で遅い昼食をとることに。
店先には「そば」「寒ざらし団子」の旗が立つ。


【営業時間】 10:00 ~ 16:00  ※ 1・2月は 10:30 ~ 15:30
【 定 休 日】 月曜日、年末年始


店先に置かれていた日本100名城「40 山中城」のスタンプ。


店内に入ると年配の女性一人が営業、天ぷらそば、寒ざらし団子をオーダー。
メニューの横にはいろんな人のサイン色紙が飾られていた。


店内の壁には「 北条五代を大河ドラマに! 」と。
  初代 早雲
  二代 氏綱
  三代 氏康  氏康の娘 早川殿
  四代 氏政  氏政の正室 黄梅院殿
  五代 氏直  氏直の正室 督姫
北条五代観光推進協議会
  井原市、大阪狭山市、沼津市、三島市、伊豆市、伊豆の国市、横浜市、相模原市
  鎌倉市、小田原市、箱根町、八王子市、川越市、寄居市


天ぷらそば  600円
汁は関東風で黒っぽく天ぷらは注文受け後揚げ、山菜、麩入りで美味しかった。


寒ざらし団子  500円
寒ざらし団子は、上新粉を冬場の寒気にさらして作ったことからこの名がついたという素朴な
昔ながらの団子である。よもぎ入りとがあり、味噌、きなこをつけて食べる。


ひょうたんは、豊臣秀吉のシンボルでは・・・。


食事後は南側エリアを散策することに。


14:05
旧東海道の石畳を渡り南側の山中城跡へ。


南エリアの「御馬場曲輪 → 岱埼(だいさき)出丸 → すり鉢曲輪」を散策することに。
表示板には「 ← すり鉢曲輪跡 御馬場跡」と。 


散歩中の「むさし」。


表示板には、直進は、「 ← すり鉢曲輪跡」、右は「 御馬場跡 → 」。


14:15
フジの花が咲き始めていた。


後一週間もすると満開か。



                                      ー 続く ー





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最終更新日  2023.05.23 03:00:08
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