おじん0523のヒロ散歩

おじん0523のヒロ散歩

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

オジン0523

オジン0523

カレンダー

コメント新着

フリーページ

2023.06.04
XML
カテゴリ: 藤沢市歴史散策
宗賢院を後にし、Googleマップで調べていた「臺(だい)谷戸稲荷の森」を目指した。

4月19日(水) 16:50
スマホの案内で愛車のリンちゃんで緩い坂を上り、臺谷戸稲荷の森と呼ばれる丘へ。
森の中に朱色の鳥居、説明板を見つける。
大庭郷には、台、谷、小糸、入、稲荷の五地区があり、台谷はそのうちの台と谷からなる地区
である。戦前から約20軒が暮らしていた。台地区には、同じ苗字の世帯も多く屋号で呼び合う
など、今でもその頃の面影が残っている。谷地区は、藤沢市の西部開発により、湘南ライフタ
ウンとなり、現在では台谷地区全体で250軒ほどの町内になっている。


臺谷戸(だいやと)稲荷の森

中央に稲荷神社が鎮座する小さな森です。このあたりの台地上はダイ(臺)、北側の谷はヤト(谷
戸)と通称されているので、このように呼ばれます。
中でもタブノキ一株は幹回り約六メートルの巨木です。かつては樹高が約十八メートルありまし
たが、残念ながら、老朽化のため、平成八年(1996)に東側の大枝が折れてしまいました。
それでも、地上一メートルで双幹になっているもう一本のタブノキや、ヒサカキ・ヤブツバキ・
ケヤキ・ムクノキ・エノキ等が混生して、美しい森を形成しています。
昭和五十九年(1984)「かながわの名木100選」にも選定されています。
    平成二十年(2008)二月            藤沢市教育委員会


臺谷戸稲荷神社
所在地:神奈川県藤沢市大庭1809
道路脇に駐輪して手摺が設置されている階段を上ると朱色の鳥居が並んでいた。

朱色の鳥居の先には鉄製?の鳥居。



稲荷社の前には対の狐。奥には地上1メートルで双幹になっているタブノキ。
大庭御厨を開発した鎌倉権五郎景政が境内を馬つなぎの場としたと伝えられ、近くには、
先ほど訪ねた大庭景親の居館が近くにあったという宗賢院や大庭神社の旧跡といわれる熊野神
社がある。


地上1メートルで双幹になっているタブノキ。



かっては樹高が十八メートルもあったが老木化により平成八年(1996)に大枝が折れてしまった。


幹回りも老朽化により朽ちているが、新しい生命が芽生えている。


タブノキの根元。


臺谷戸稲荷神社から臺谷戸の南方向を望む。


臺谷戸稲荷神社の森を後にし、西側にある次の目的地「熊野神社」へ向かう。


スマホの案内で狭い道を進むと左側に階段と石碑。


階段を上ると石碑があり「大庭神社舊趾」と刻まれていた。


熊野神社 (大庭神社舊蹟)
所在地:神奈川県藤沢市大庭1846
熊野神社は、稲荷にある大庭神社の旧跡といわれている。
大庭の地に鎮座し、本来はこの神社が「延喜式内相模国十三座」に数えられていた大庭神社だと
いわれている。江戸時代には「御霊社」、「権現社」とも呼ばれていた。
大庭神社と同様成就院が別当寺を勤めていた。


竹林の中を進むと鬱蒼とした階段の上に社殿が建っている。


足もとにはタケノコ。


崩れかけた階段を上ると鬱蒼とした中に小さな社殿。


社殿前のお賽銭箱はコンクリートの台座に鎖でつながれていた。


社殿の大きさは間口1間、桁行1間ぐらいのサイズか。
祭神は熊野久須比命。


社殿前から参道を見下ろす。
白い木柱には「保存樹木 指定第36ー5号」と。
また朽ちた白い板には「祝奉 天皇陛下御在位六十年」と確認できたが。


鬱蒼とした森を見上げる。


この地が大庭神社の旧跡と伝えられている。当地の前方に広がる丘陵地からは、縄文時代前の
土器や弥生時代・奈良時代の住居跡が見つかる(大庭築山遺跡)など、古くから大庭郷の集落が
形成されていたと推測されると。


熊野神社 (大庭神社舊蹟) から下りスマホの案内で「舟地蔵」へ向かう。


東へ進むと前方に臺谷戸稲荷神社の森を望む。


臺谷戸稲荷神社の前を右折し進み道路脇に舟地蔵。


舟地蔵
所在地:神奈川県藤沢市大庭803-8
県道43号線(藤沢厚木線)の舟地蔵交差点そばにも同じ名の舟地蔵がある。


船の形をした石の上に地蔵が座る舟地蔵。
横乗り縦乗りがあるようだが。


舟地蔵を後にし、フジが咲く「舟地蔵公園」を目指す。


舟地蔵から緩い坂を下り正面に臺谷戸稲荷神社の森。


県道43号線(藤沢厚木線)へ戻り北方向へ進む。


舟地蔵公園
所在地:神奈川県藤沢市大庭5143
公園には遊具や砂場、広場、公衆トイレが設置されている。また、舟地蔵公園の近くには、引地
川親水公園や大庭城址公園がある。近年ではネモフィラも植えられている。


公園内に聳えるメタセコイア。


フジロード Fuji Road「引地川・フジ史跡ロード」。
① 円行公園、② 桐ヶ谷公園、③ なかむら公園、④  ​二番構公園​ ​、​⑤  ​引地川親水公園​
⑥ 大庭城址公園、⑦ 舟地蔵公園 、⑧ 引地川緑地、⑨ 引地川親水広場、⑩ 長久保公園
⑪ 八部公園


舟地蔵公園の藤棚。
昨年訪れた時は樹勢が弱く芽吹きが少なかったが多少回復したように見えたが。


ここのフジは一本である。


昨年は花をもっていなかったが今年は・・・。


花房は少なかったが綺麗に咲いていた。


舟地蔵公園から県道43号線(藤沢厚木線)の舟地蔵交差点へ。


舟地蔵
所在地:神奈川県藤沢市大庭5202-7
大庭城には「舟地蔵伝説」と呼ばれる言い伝えがある。北条早雲が大庭城を攻め落とした際に、
城周辺の沼地を干上がらせるための方法を教えてくれた老婆を斬り殺したというもので、この
老婆を哀れんだ地元の人々が祀ったのが舟地蔵だといわれている。


藤沢市指定重要文化財
史跡 大庭の舟地蔵伝承地    平成三十一年二月一日指定
この地蔵尊は、台座が舟型となっていることから、「舟地蔵」と呼ばれている。
永正九年(1512)の夏、北条早雲(伊勢宗瑞)は鎌倉の扇谷上杉氏の居城であった大庭城を攻めた
が、北条軍と大庭城の間には引地川がつくった大きな沼があり、なかなか攻め入ることができ
なかった。やがて、北条軍は、近くに住むボタ餅売りの老婆から、沼に引地川の水を取り入れ
ている取入口の堰を止めて、下流の堰を開けば水が干上がることを聞き出したうえ、口ふさぎ
として老婆を切り殺した。かくして、北条軍はようやく沼を越えて、大庭城を攻め落とすこと
ができた、と伝わる。
この舟地蔵は、殺されたあわれな老婆を供養するために、土地の人々がのちに城の近くに建て
たという言い伝えがある。
舟地蔵が建てられた時期は後世(江戸時代)に降り、その後この地区の開発により、何回かの移
転を経て現在地に落ち着いた。この周辺が上杉・北条両軍の激戦の地であったこと、また引地
川の水が昔より周辺を潤していたことを今に伝える史跡である。
                      藤沢市教育委員会


17:20
舟地蔵にはいつも花が供えられている。
時間も遅くなり帰路につく。


茅ヶ崎バイオマス発電所
所在地:神奈川県茅ケ崎市赤羽根3905
剪定枝を燃料としてエネルギーに変える「茅ヶ崎バイオマス発電所」が2021年8月1日に赤羽根
で運転を開始してから1年が経ちました。
発電所では、今日もクリーンなエネルギーを作り続けています。剪定枝を燃やしたあとに出る灰
は「草木灰」という肥料になります。この「草木灰」を「グリーンリサイクル茅ヶ崎営業所」に
て無料配布していると。


農地調整区域の赤羽根へ戻り東を望む。


17:50
茅ヶ崎市内でも「茅ヶ崎市議会議員選挙ポスター掲示場」。

出発時の愛車のリンちゃんのバッテリー残量、走行可能距離は70%、66kmであったが
自宅到着時は40%、30kmで今日の走行距離は、36kmであった。

                                                                                    ー 続く ー





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023.06.04 03:00:07
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: