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著者・編者 | ユヴァル・ノア・ハラリ=著 |
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出版情報 | 河出書房新社 |
出版年月 | 2016年9月発行 |
イスラエル人歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリさんが著した『サピエンス全史』の下巻は、中世から科学革命を経て、現代までの人類史を俯瞰する。上巻同様、年代や事件を解説してするわけではなく、宗教、イデオロギー、科学革命、資本主義、産業革命といったキーワードを軸に掘り下げる。
いままでの歴史書とは視点が全く異なる本書だが、「科学革命は無知の革命」「産業革命はエネルギー変換における革命」というハラリさんの主張が、果たして本当にそうなのか、自分自身の頭で考察することが大切だし、ハラリさんもそれを読者に求めているような気がした。終盤で、幸福とは何か、ホモ・サピエンスがまったく違うものに変容するのではないかという未来予測を述べる。人類が進化したらどうなるかという話は、アーサー・ C ・クラーク『幼年期の終わり』をはじめとして、SF でよく取り上げられるテーマだ。子どもや孫の世代では、そう劇的な変化は現れないかもしれない。
超ホモ・サピエンスの話はやや消化不良の感じがするが、次回作『ホモ・デウス』で明らかにされることを期待しつつ、「私たちは何になりたいのか」という問題意識を常に持ち続けるようにしよう。
下巻ではまず、キリスト教やイスラム教といった一神教を取り上げる。
ハラリさんは、宗教は差別の根源ではなく、「貨幣や帝国と並んで、宗教もこれまでずっと、人類を統一する 3 つの要素の 1 つだった」(10 ページ)と指摘する。人間の気まぐれではなく、「絶対的な至上の権威が定めた」ルールによって社会の秩序がもたらされたからだ。
さらにハラリさんは、イデオロギーも宗教と同等だと語る。なぜなら、宗教に神が必須だとするなら、一貫性を保つためには「仏教や道教、ストア主義のいくつかの宗派を宗教ではなくイデオロギーに分類せざるをえなくなる」(33 ページ)からだ。共和政体では政教分離が前提とされるが、これは人間が勝手にそう思っているだけで、米国大統領の就任式で聖書に手を置いて宣誓をする映像を見るにつけ、キリスト教徒は意識しないのかもしれないが、私たち日本人から見れば、両者は確かに不可分の関係にあることが自明に映る。逆に、キリスト教徒から日本の政治やイデオロギーを見たときにも、同様な感想を持たれるだろう。
ハラリさんは、「歴史は正確な予想をするための手段ではない」と前置きした上で、歴史研究の目的は、「未来を知るためではなく、視野を拡げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するため」(48 ページ)と語る。そして、「歴史が決定論的ではないことを認めれば、今日ほとんどの人が国民主義や資本主義、人権を信奉するのはただの偶然だと認めることになる」(46 ページ)と指摘する。
近代に入って科学革命が起きる。ハラリさんは、宗教は「この世界について知るのが重要である事柄はすでに全部知られていると主張」したが、科学は「人類は自らにとって最も重要な疑問の数々の答えを知らない」(59 ページ)という無知の革命だったと指摘する。
そして、「科学は自らの優先順位を設定できない。また、自らが発見した物事をどうするかも決められない」(88 ページ)ため、産業や軍事と結びついた。
ハリラさんは、天文学者をタヒチへ運んだイギリスのクック船長を例に、科学が軍事と結びついて、ヨーロッパ帝国主義が太平洋を収奪したことを紹介する。
価額と貨幣の発達は、資本主義革命をもたらした。ハラリさんは、資本主義革命の本質は、信用取引にあると説く。
中世の宗教観では、富の総量限られており、信用を与えてもそれが回収できると考えられなかった。だからイエス・キリストは信用取引を戒めた。また、本書では触れられていないが、イスラム銀行が金利を設定しないのも、同じ理由からではないだろうか。つまり、中世はゼロサムゲームだった。科学は、サピエンス社会に止まることのない成長をもたらした。信用を与え、それが回収できる可能性が高まったのだ。
だが、自由市場資本主義には欠点もある。1719 年のミシシッピ・バブルを紹介し、「利益が公正な方法で得られることも、公正な方法で分配されることも保証できない」(159 ページ)と指摘する。ハラリさんは、国家による市場介入は避けられないと主張する。
科学と資本主義は産業革命ともたらした。ハラリさんは、「産業革命は、エネルギー変換における革命」(169 ページ)と説く。蒸気機関は、熱エネルギーを運動エネルギーに変換した。そして、「私たちは数十年ごとに新しいエネルギー源を発見するので、私たちが使えるエネルギーの総量は増える一方」(169 ページ)という。国家や市場は、家族やコミュニティの絆を弱めた。「個人になるのだ」と提唱したのだ。
終盤で、ハラリさんは、「私たちは以前より幸せになっただろうか?」(214 ページ)と問いかける。この問いかけこそ、本書が他の歴史書と一線を画すものである。
「2000 年には、戦争で 31 万人が亡くなり、暴力犯罪によって 52 万人が命を落とした」(200 ページ)ことを挙げ、「人々が戦争を想像することすらできないほどに平和が広まった例は、これまでに一度もなかった」(209 ページ)と指摘する。マスコミは地域紛争を取り上げ、1 人でも命を落とせば、人の命は地球よりも重たいとロマンチックに喧伝する。しかし、現実問題として、「戦争は採算が合わなくなる一方で、平和からはこれまでにないほどの利益が挙がるようになった」(211 ページ)。
ハラリさんは、幸福を感じるのは、生物学的現象としては、セロトニンやドーパミンといった化学物質によってニューロンやシナプスが刺激を受けることだとしたうえで、「脳の化学的特性の理解と適切な治療の開発に投じれば、革命などいっさい起こさずに、人々をこれまでより格段に幸せにすることができる」(231 ページ)と主張する。
最終章では、上巻冒頭で触れた認知革命が、脳の生理機能にとくに目立った変化を必要としなかったことから、「再びわずかな変化がありさえすれば―(中略)―ホモ・サピエンスを何かまったく違うものに変容させることになるかもしれない」(249 ページ)という。
ただ、幸福と超ホモ・サピエンスをめぐる話は、少々、消化不良の感じがする。次の作品『ホモ・デウス』で明らかにされることを期待しよう。
ハラリさんは最後に、「私たちは、最後にもう一つだけ疑問に答えるために時間を割くべきだろう。その疑問とは、私たちは何になりたいのか、だ」(262 ページ)と述べる。同感である。
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