全230件 (230件中 1-50件目)
自称ルポライターtomy4509はブログ村で「真理を求めて」書いてきましたが、今回はブログデザインの背景を「デスバレー特別聖塩・ステッカー」に変更しました。この特別聖塩ステッカーは韓国家庭連合HP、韓国・家庭局で作成されたものです。데스밸리 특별성염 스티커 디자인 2024.03.15(※要ログイン)デスバレー特別聖塩に使用するステッカーデザインを共有いたします。以降製作する場合は、下記のデザイン(ダウンロード)を使用して製作してください。真のお母様から下賜された「デスバレー特別聖塩」は、通常は砂とホコリに混ざって塩のように見えないのですが、雨がたくさん降ると塩が水に溶け、塩水になり、天候が暑くなれば水が蒸発して、とてもきれいな塩が出来上がるといいます。このように、この世で一番暑く、低い、地上地獄のような場所(米国・デスバレー)で、人類を生き返らせることができる塩を見出されたということは、破滅の道に突き進んでいる堕落世界を救う、天が準備した塩のような義人を探し、もう一度希望の道へと導こうとされる天の父母様、特に真のお母様の懇切なる愛がこもった”天の摂理”であるとも言われています。お母様が訪問された1月13日の前に雨が降り、当日は白い雪のような塩が壮観を成し、分別された綺麗な塩を特別として聖塩伝授してくださいました。【参考記事】デスバレー特別聖塩伝授ーー人はすべて火(み言)で塩づけられねばならない世界一過酷な地、デスバレー(死の谷)の塩のようになれ!バッドウォーター (悪い水)という地は、北米大陸のおへそのような盆地、海抜はマイナス86M、標高3,000M級の山に囲まれている塩湖。しかし、灼熱によって塩水がカラカラに乾いた塩の砂漠に化しています。私・自称ルポライターtomy4509のブログは、これまでブログ村で「真理を求めて」書いてきましたが今回、ブログデザインの背景を「デスバレー特別聖塩」ステッカーにしたのは、アブラハムがソドム・ゴモラで義人を探したように、ブログ村でさらに「義人を探す」ためのものです。読者皆様におかれましては今後ともより熱心な「声援」と共に、より清い「義人」となって立ち上がっていかれることをお祈りしています。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.03.24
コメント(0)
「反対派が流布する〝血分け〟の風聞」2022/11/04この映像の関連資料は、下記のURLからアクセスしてください。URL: https://bit.ly/3U3sU2c第8回目は「反対派が流布する〝血分け〟の風聞」についてです。反対派は長年にわたり〝血分け〟批判をしてきました。批判の草分けである卓明煥氏は1993年10月27日、ワイドショーに出演し「今まで実際には証拠がなかった」と発言しました。反対派は何の根拠もなく批判してきたのです。浅見定雄氏も、かってな教理解釈をして〝血分け〟批判をしています。家庭連合の教えは〝純潔〟〝貞操〟を重んじる教えであることを知らなければなりません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.11.04
コメント(0)
2022/08/28現在の昨日までの『奇知外記』過去記事の人気ランキング・ベスト10です。数字は昨日のアクセス数 - トータルのアクセス数(登録掲載日)統一教はキリスト教か... キリスト教と統一教会の教義の違いは? |11-6917 (2018年04月02日)久保木会長 聖和13周年、立正佼成会は統一教会に準備された教団! |23-3704 (2011年12月14日)家庭連合の韓鶴子総裁、北朝鮮金正恩国務委員の招待平壌訪問・ワールドサミット準備 |8-3158 (2020年01月14日)再び浮上する韓日海底トンネルの建設...現状は? |15-1675(2019年06月03日)11.11お母様み言より:チョ・ハンジョの「ありがとう」 | 2-1838 (2020年11月21日)真の神の日の奇跡 / 『み旨の応援歌』は文総裁の日本への応援メッセージ |4-1602 (2011年02月20日)独生女考(17)-- ダビデの妻バテシバ(ソロモン王の母)について | 2-1532 (2017年01月10日)自称ルポライター米本和広氏の拉致監禁反対、しかし、「強制改宗」は容認?! |3-1416 (2017年05月13日)昔の新聞(4)--リトルエンジェルス(1971年) | 2-1285 (2010年01月16日)米国における文師裁判とダンベリー収監--過去記事整理 | 6-1250 (2016年12月14日)統一教会とネパール |2-1227 (2015年04月30日)北海道・帯広で「天運相続 孝情 還元祈願聖火式」(7月23日) | 9-1130 (2017年07月31日)真の父母様天心体操(アボニム体操)-―大役事からの映像 | 4-1130 (2021年02月28日)8月27日にアクセスがなく、2000アクセス以上の表記漏れの記事(28日確認分)がありましたたので追記しておきます。三男さんにも「三日行事」は??? | 7-2440(2018年02月04日)幻の名作映画 『Inchon! (仁川)』、YouTubeで蔵出し!! | 4-5495(2012年02月13日)天寳入籍勝利家庭、驚くべき(数理性の)真実 | 4-5685(2020年09月13日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ Crystal Piano クリスタルピアノ オルゴール (ピンク) 【化粧箱入】 曲:青きドナウ SA-J02 <ギフト プレゼント 誕生日 父の日 母の日 敬老の日 米寿 古希 喜寿 退職祝い 新築祝い>【12時迄のご注文で即日発送】河合楽器 グランドピアノ ナチュラル 32鍵 NA 1144 おもちゃ ラッピング ミニグランドピアノ KAWAI カワイ ミニピアノ 音感 教育 知育 辻井伸行 子供 幼児 誕生日 プレゼント モンテッソーリ 本格的
2022.08.28
コメント(0)
『奇知外記』ほかはにほんブログ村人気ランキング参加中です。『奇知外記』は一日に3000前後のアクセス数(以下は14日06:20時点でのアクセス数)がありますが、ランキングはそれに見合ったものではないように思います。読まれた記事に対しての評価(応援クリック・下部)も忘れずにお願いします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.07.14
コメント(2)
ほふられた子羊さん記事「⑥ 「しっぽ」(理由)が見えた!! 無知な、貧しき者しか来ることができなかった ☞ 再臨論の間違い - 平和の主人 血統の主人 (muragon.com)」のコメント欄からです。私tomy4509からほふられた子羊さんへのコメント:>ほふられた子羊さんへ> つぎはぎ的にしか読めない人には分かりません。トミーさんはつぎはぎですね。国語力が乏しいのです。「天聖経」のみ言の末には出典元が一つ一つ記載されていました。いうなれば、み言をブツ切りにして寄せ集めたものが天聖経です。そのぶつ切り(つぎはぎ)を引用されているのが【子羊さん】です。実は、【つぎはぎ的】に読まれていたのがあなた自身であったということです。ここしばらく、「奇知外記」では文鮮明先生み言葉選集からのみ言を掲載しているように、私はあなたのような天聖経からの「つぎはき読み」はしていませんので訂正をお願いします。そもそもの話、お母様が堕落したなどといったデマを吹聴しているあなたですが、天聖経の何をもってそうだというのですか? あなた自身による「暗号文解読表」を駆使しての【注釈付き】み言の歪曲・改ざんからでしょう。> これまでの統一教会は、幹部達が自分の不信を隠すために、ただただ、お父様とお母様を神格化してきました。その為、信徒たちは、文脈をぶつ切りにしてしか読まなくなってしまったのですね(※これは子羊さんにそのままお返ししました。)。> 統一原理を軸として、御言葉をじっくりと文脈に沿って読むようになれば、自ずと、お母様の堕落が理解できるようになりました。原理講論、聖書からも人間が完成すれば「神性」を持つようになるとあります。神様自身になることは出来ませんが、創造理想を完成した人間は「第二の神」ともなります。真の父母様がその方であり、私たち家庭連合はそれを信じています。その反面、それを信じられなくなった方々がその父母様を批判し堕落圏に引きずり降ろそうしているに過ぎません。「初めに結論ありき」、あなたもそのお一人です。あなたに欠けるもの、それは「真の父母様への信仰」です。信仰を失ってのあら捜しをしては、自己正当化、自己弁護があなたのブログです。挙句の果てには「精神異常者」まがいのストーカー行為での真の父母様批判、家庭連合組織批判のデマ宣伝は反対に回られた方の常套手段となっています。お父様のみ言暗号文は「メシヤ=再臨主=真の父母」です。これは永遠に変わらないものです。もちろんの話ですが、私はもはや「精神異常」が伝染するようなあなたの記事に1行も目を通していません。明らかな間違いだと分かるものですから。それへの子羊さんからの応答(その1):2022/02/19 06:29>tomy4509さん 読んで頂けないトミーさんのコメントは全て無用であることが分かりました。 いずれ、貴殿のコメントは削除します。 一人も読まないブログになるまで、続けるつもりです。 貴殿にとって時間の無駄ですからクリック無用、今後通り過ぎてください。お疲れさまでした。それへの子羊さんからの応答(その2):2022/02/19 06:53>tomy4509さん貴殿曰く・・・・「お母様だけでなくお父様までも「堕落」された立場に追いやってのみ言葉誤用、そのあなたのしっぽは反家庭連合です。」ーーーーーーーーーーーお父様の堕落問題はお母様の堕落とは全く質も意味も違います。同根ではありません。天聖経はお父様が第二の聖書として、天地の新しい標準として定められた経典です。外的に寄せ集めであったとしても、それは内的には寄せ集めではありません。分かりますか?この天聖経も、赤い天聖経も、じっくり、精査して、文脈を読み取れば、お母様の堕落は明白になっています。バカの壁を外して、思い込みを外して読まれれば、お父様の堕落問題というのは、お母様の堕落とは全く違うことが分かります。この問題は、10年後、20年後、40年後・・、家庭連合の中から改革が起こるようになるはずです。そうならなければ、消えていく運命だと思います。洗礼ヨハネの使命を持ったお母様が責任を果たさない為、お父様が洗礼ヨハネの位置からメシヤの位置に上がることができなかったのです。イエス様と同じように、メシヤの位置はお一人では立つことができないことが、お父様の堕落問題、つまり、洗礼ヨハネの位置のままになって、そのまま聖和されたのです。この観点で、お父様はご自身を堕落したアダムとして天聖経に延々と語られているのです。あくまでも、真の父母というのは、統一教会の教義として、未来を基準として出発した概念です。実体の真の父母という概念そのものが未来にあるのです。ですから、聖和される直前まで文先生は「再臨主が来られます」と再臨の必要性を語られていたのです。それが三代、四代・・、第四アダムということになっているのです。分かりますか。現在のお父様とお母様をもって実体の真の父母といわれるのなら、これこそが、反神様になるのです。ま、トミーさん、時間の無駄でしょうから、読む必要がありません。それへの子羊さんからの応答(その3):2022/02/19 07:04>tomy4509さん貴殿曰く・・・・ここしばらく、「奇知外記」では文鮮明先生み言葉選集からのみ言を掲載しているように、私はあなたのような天聖経からの「つぎはき読み」はしていませんので訂正をお願いします。ーーーーーーーーーーーーーーー「奇知外記」さんの文鮮明先生み言葉選集掲載、ありがとうございます。ときおり、まとめてダウンロードとしてフォルダーに入れています。やはり、時系列に御言葉を知ることは大切ですね。さて先ずは、> お父様の堕落問題はお母様の堕落とは全く質も意味も違います。同根ではありません。天聖経はお父様が第二の聖書として、天地の新しい標準として定められた経典です。外的に寄せ集めであったとしても、それは内的には寄せ集めではありません。分かりますか?これらは子羊さんの詭弁でしかありません。堕落にどのような「質」というものがあるのでしょうか?絶対基準からはプラスかマイナスの二択しかありません。また、「文鮮明先生み言葉選集」全巻を読まなければならないとお父様は言われていましたが、特にエキスを抜き出しては重複したみ言も整理されたものが「天聖経」です。第二番目は、> 洗礼ヨハネの使命を持ったお母様が責任を果たさない為、お父様が洗礼ヨハネの位置からメシヤの位置に上がることができなかったのです。> イエス様と同じように、メシヤの位置はお一人では立つことができないことが、お父様の堕落問題、つまり、洗礼ヨハネの位置のままになって、そのまま聖和されたのです。> この観点で、お父様はご自身を堕落したアダムとして天聖経に延々と語られているのです。> あくまでも、真の父母というのは、統一教会の教義として、未来を基準として出発した概念です。実体の真の父母という概念そのものが未来にあるのです。ここでの「洗礼ヨハネの使命」とは何でしょうか。マラキ書には、メシヤが来る前にエリヤが再臨しては主の道を正していくという預言されていました。その使命を担ってきたのがイエス様当時の洗礼ヨハネでした。ところが、その洗礼ヨハネ自身はその使命を全うすることが出来ずイエス様を不信したためにイエス様自らが洗礼ヨハネの立場に落ちては証していかなければなりませんでした(原理講論P.193~)。イエス様のサタンからの三大試練もありましたが、だからといってイエス様はメシヤとしての位置を復帰されたとはありませんし、そのまま十字架へと架かっていかれました。それに続くのが第三次世界的カナン復帰路程(原理講論P.420~)です。「⑴ イエスを中心とする霊的カナン復帰路程」、「⑵ 再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程」に分かれていましたが、こんにち私たちが目にしているのはその「⑵ 再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程」です。(2) 再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程 第三次世界的カナン復帰路程が、第三次民族的カナン復帰路程と同じく、実体路程をもって出発することができず、霊的路程として出発するようになった理由については、既に前節で述べたとおりである。「メシヤのための霊的な基台」の上で、霊的メシヤとしておられるイエスを信じ、彼に従うことをもって出発した第三次世界的カナン復帰の霊的摂理は、二〇〇〇年の悠久なる歴史路程を経て、今日、世界的にその霊的版図を広めるようになった。 それゆえ、あたかもモーセの霊的カナン復帰路程を、ヨシュアが代わって実体路程として歩み、民族的カナン復帰を完遂したのと同じく、イエスは、今までの霊的カナン復帰路程を、再臨されてから実体路程として歩まれ、世界的カナン復帰を完遂されることによって、地上天国をつくらなければならないのである。このように再臨主は、初臨のときに実体をもって成就されようとした地上天国を、そのごとくにつくらなければならないので、あくまでも実体の人間として、地上に生まれなければならないのである(後編第六章第二節(二)参照)。 しかし、再臨主は、初臨のときの復帰摂理路程を蕩減復帰しなければならないので、あたかも彼の初臨のとき、ユダヤ民族の不信によって、霊的復帰路程の苦難の路程を歩まれたように、再臨のときにおいても、もし第二イスラエルであるキリスト教信徒たちが不信に陥るならば、その霊的な苦難の路程を、再び実体をもって蕩減復帰されなければならないのである。イエスが「しかし、彼(イエス)はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない」(ルカ一七・25)と言われた理由は、とりもなおさず、ここにあるのである。 それゆえに、イエスは初臨のときに、彼のために召命された第一イスラエル選民を捨てられ、キリスト教信徒たちを第二イスラエルとして立て、新しい霊的な摂理路程を歩むほかはなかったのと同様に、再臨のときにも、キリスト教信徒たちが不信に陥るならば、彼らを捨てて新しく第三イスラエルを立て、実体的な摂理路程を成就していくほかはない。さらにまた、イエスは再臨のときも初臨のときと同じく、彼の道を直くするために洗礼ヨハネの使命(ヨハネ一・23)を担ってくるはずの先駆者たちが、その使命を全うし得ないときには、再臨主御自身が、再び洗礼ヨハネの立場で、第三次世界的カナン復帰摂理のための「信仰基台」を実体的に造成しなければならないので、苦難の道を歩まれなければならないようになるのである。 しかし、再臨主はいくら険しい苦難の道を歩まれるといっても、初臨のときのように、復帰摂理の目的を完遂できないで、亡くなられるということはない。その理由は、神が人類の真の父母を立てることによって(前編第七章第四節(一)①)、創造目的を完遂なさろうとする摂理は、アダムからイエスを経て再臨主に至るまで三度を数え、この三度目である再臨のときには、必ず、その摂理が成就されるようになっているからであり、その上、後編第四章第七節に論述されているように、イエス以後二〇〇〇年間の霊的な復帰摂理によって、彼が働き得る社会を造成するために、民主主義時代をつくっておかれたからである。イエスは、初臨のときには、ユダヤ教の反逆者であると見なされて亡くなられたのであったが、彼が再臨なさる民主主義社会においては、たとえ、彼が異端者として追われることがあるとしても、それによって死の立場にまで追いこまれるようなことはないのである。 それゆえに、再臨主がいくら険しい苦難の道を歩まれるといっても、彼が立てられる実体的な「信仰基台」の上で、彼を絶対的に信じ、彼に従い、彼に侍る信徒たちが集まって、第三次世界的カナン復帰の実体路程のための「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立て、「実体基台」を造成することによって「メシヤのための実体的な基台」をつくるようになることは確かである。 第三次民族的カナン復帰路程において、モーセのときには、磐石を中心とする「出発のための摂理」をするようになっていたのであるが、ヨシュアのときには、磐石よりももっと内的なそのわき水を中心とする「出発のための摂理」をされたのであった。これと同じく、イエスも初臨のときには奇跡をもって「出発のための摂理」をされたが、再臨のときには、それが内的なものとなった、み言を中心として「出発のための摂理」をされるのである。なぜなら、既に前編第三章第三節(二)において論及したように、み言をもって創造された人間が(ヨハネ一・3)、堕落によってみ言の目的を成就することができなかったのであるから、神はこの目的を再び完遂なさるためには、「み言」の外的な条件を立てて復帰摂理をなさり、摂理歴史の終末に至って、「み言」の実体であられるイエス(ヨハネ一・14)を再び送られて、「み言」を中心とする救いの摂理をなさらなければならないからである。 神の創造目的を、心情の因縁を中心として見るならば、神は、霊的な父母として、人間を実体の子女として創造されたのである。そして、最初に神の二性性相の形象的な実体対象として創造されたアダムとエバは、神の第一の実体対象として、人類の父母となるのである。それゆえに、彼らが夫婦となって子女を生み殖やし、父母の愛と夫婦の愛、そして子女の愛を表し、父母の心情と夫婦の心情、そして子女の心情によって結ばれる家庭をつくるようになっていたのであるが、これがすなわち三対象目的をなした四位基台であったのである(前編第一章第二節(三)参照)。 このように、神は天の血統を継承した直系の子女によって、地上天国をつくろうと計画されたのであった。しかし、既に堕落論において詳しく述べたように、人間始祖が天使長と血縁関係を結ぶことによって、すべての人類はサタンの血統を継承して、みな悪魔の子女となってしまったのである(マタイ三・7、マタイ二三・33、ヨハネ八・44)。それゆえ、人間始祖は神と血縁関係を断ちきられた立場に陥ってしまったのであるが、これがすなわち堕落である(前編第二章参照)。 それゆえに、神の復帰摂理の目的は、このように神との血統関係が断たれてしまった堕落人間を復帰して、神の直系の血統的子女を立てようとするところにあるのである。我々は、このような神の復帰摂理の秘密を聖書から探してみることにしよう。 先に論じたように、堕落して殺戮行為をほしいままにしたアダム家庭は、神との関係を断たれてしまったのである。しかし、ノアのときに至って、その二番目の息子であり、アベルの立場におかれていたハムの、その失敗によって、神と直接的な関係を結ぶところにまでは行かれなかったが、それでもノアが忠誠を尽くした基台があったので、僕の僕(創九・25)としての立場に立つことができ、神と間接的な関係を結ぶことができたのである。これがすなわち、旧約前の時代における神と人間との関係であった。 信仰の父であるアブラハムのときに至り、彼は、「メシヤのための家庭的な基台」をつくって、神の選民を立てたので、彼らは初めて神の僕の立場に復帰することができた(レビ二五・55)。これがすなわち、旧約時代における神と人間との関係であった。イエスが来られてのち、洗礼ヨハネの立場でもって立てられた、その「信仰基台」の上に立っていた弟子たちは、初めて、旧約時代の僕の立場から、養子の立場にまで復帰されたのである。彼らが神の直系の血統的子女となるためには、イエスに絶対的に服従して「実体基台」をつくることにより、「メシヤのための基台」を造成し、その基台の上に立っているイエスに、霊肉併せて接がれることによって(ロマ一一・17)、彼と一体とならなければならなかったのである。 イエスは、原罪のない、神の血統を受けた直系のひとり子として来られ、堕落したすべての人類を彼に接がせて一体となることにより、彼らが原罪を脱いで神の直系の血統的子女として復帰することができるように摂理しようとしてこられたのである。イエスと聖霊とが、人類の真の父母として、このように堕落人間を接がせ、原罪を脱がしめることにより、神との創造本然の血統的因縁を結ばしめる摂理を、重生というのである(前編第七章第四節参照)。それゆえに、イエスは、野生のオリーブである堕落人間を接がせるために、善いオリーブとして来られた方であるということを、我々は知らなければならない。 しかし、弟子たちまでが不信に陥ったために、イエスは、洗礼ヨハネの立場から、一段上がってメシヤの立場に立つことができないままに、十字架で亡くなられたのである。それゆえ、復活したイエスが、霊的洗礼ヨハネの立場から、復活四十日のサタン分立期間をもって霊的な「信仰基台」を立てられたのち、悔い改めて戻ってきた弟子たちの信仰と忠節とによって、霊的な「実体基台」が立てられた結果、そこで初めて「メシヤのための霊的な基台」が造成されたのである。そしてついにこの霊的な基台の上に霊的メシヤとして立たれるようになったイエスに、霊的に接がれることによって、初めて信徒たちは、霊的な子女としてのみ立つようになったのであるが、これがすなわち、イエス以後今日に至るまでの霊的復帰摂理による神と堕落人間との関係であった。それゆえに、イエス以後の霊的復帰摂理は、あたかも神が霊界を先に創造されたように、そのようなかたちの霊的世界を、先に復帰していかれるのであるから、我々堕落人間はまだ、霊的にのみしか、神の対象として立つことができないのである。したがって、いくら信仰の篤いキリスト教信徒でも肉的に継承されてきた原罪を清算することができないままでいるので、サタンの血統を離脱できなかったという点においては、旧約時代の信徒たちと何ら異なるところがないのである(前編第四章第一節(四))。このように、キリスト教信徒たちは、神と血統を異にする子女であるので、神の前では養子とならざるを得ないのである。かつてパウロが、聖霊の最初の実をもっている私たち自身も、嘆いて養子とせられんことを待ち望んでいると言った理由も、実はここにあったのである(ロマ八・23)。 それゆえに、イエスは、すべての人類を、神の血統を受けた直系の子女として復帰するために、再臨されなくてはならないのである。したがって、彼は初臨のときと同じように、肉身をもって地上に誕生され、初臨のときの路程を再び歩まれることによって、それを蕩減復帰されなければならない。それゆえに、先に既に論じたように、再臨のイエスは、み言を中心とする「出発のための摂理」によって、「メシヤのための基台」を実体的に造成し、その基台の上で、すべての人類を霊肉併せて接がせることにより、彼らが原罪を脱いで、神の血統を受けた直系の子女として復帰できるようにしなければならないのである。 それゆえに、イエスは初臨のときに「メシヤのための家庭的な基台」の中心人物であったヤコブの立場を蕩減復帰なさるために、三人の弟子を中心として十二弟子を立てられることによって、家庭的な基台を立てられたのであり、また、七十人の門徒を立てられることによって、その基台を氏族的な基台にまで広めようとされたように、彼は、再臨される場合においても、その「メシヤのための基台」を、実体的に家庭的なものから出発して、順次、氏族的、民族的、国家的、世界的、天宙的なものとして復帰され、その基台の上に、天国を成就するところまで行かなければならないのである。 神は、将来、イエスが誕生されて、天国建設の目的をいちはやく成就させるために、第一イスラエル選民を立てることによってその土台を準備されたのであったが、彼らがそれに逆らったので、キリスト教信徒たちを第二イスラエルとして立てられたように、もしも、再臨イエスの天国建設の理想のために第二イスラエルとして立たせられたキリスト教信徒たちが、またもや彼に背くならば、神はやむを得ず、その第二イスラエル選民をも捨てて新しく、第三イスラエル選民を選ばれるほか、致し方はないのである。それゆえに、終末に処しているキリスト教信徒たちは、イエスの初臨当時のユダヤ民族と同じく、最も幸福な環境の中におりながらも、また一方においては、最も不幸な立場に陥るかもしれない運命の岐路に立たされているとも考えられるのである。こういった原理講論の記述を無視しては、子羊さんは原理講論・再臨論の韓国の歴史記載が史実と異なるといった統一教会反対派の言葉を真に受けての躓かれたということでした。統一原理は歴史書ではありません。歴史を語るにも国や宗教が違っても様々な価値観が飛び交っていますし、一本化することなど出来ない話です。にもかかわらず「反対派の罠」にまんまとはめられていました。このような子羊さんの妄想から「洗礼ヨハネの使命を持ったお母様」だという発想が生まれてきています。イエス様同様にお父様も洗礼ヨハネの立場に一旦は落ちましたが、統一教会(第三イスラエル)を立てられることで洗礼ヨハネの立場から一段上がることが出来ました。そういった基台の上で1960年の聖婚式、黙示録の「小羊の婚宴」が成されました。真の父母様に失敗などとは原理講論からは考えられないことです。原理講論では、お父様は未来を予測して書かれた部分が上記の引用であり、また、再臨主としての決意文でもありました。1992年に初めて公式の場で「メシヤ=再臨主=真の父母」を宣布されました。ところが、子羊さんいわく、その時からお母様の裏切りが始まって「メシヤ=再臨主≠真の父母」の主張です。「真の父母」は未来形であって、まだ来ていないがあなたの「初めに結論ありき」となっての【注釈付き】御言葉の歪曲・改ざんブログ記事となっています。再臨に関する私からの引用とも矛盾していますし、再臨論の再臨期の数理性までも否定してしまっています。つまりは、子羊さんのそれは原理講論にも反するものであるという結論です。「tomy4509さん 読んで頂けないトミーさんのコメントは全て無用であることが分かりました。 いずれ、貴殿のコメントは削除します。 」はこれで三度目ですか。あなたとお父様み言葉に間違いがあれば「今日にでもブログを閉じる」と断言された子羊さんでした。私からは「明らかに間違いである」、との解釈(介錯)でその引き際まで準備したのでしたが、往生際の悪いあなたは私からの「コメント削除」行為をもってそれを隠ぺいされようとしているのではないですか? 「臭いものには蓋を」式です。【参考記事】ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その1) | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)【メモ書き】ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その2) | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)【メモ書き】ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その3) | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)【メモ書き】ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その4) | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)【メモ書き】ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その5) | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.02.20
コメント(0)
驚 き で す!!ブログ村・家庭連合にも広告「神統一世界安着のための希望前進大会」がありました。家庭連合 新着記事 - 哲学・思想ブログ (blogmura.com)公告ですので、クリック訪問によって出現は違ってきますのでスクロールして探してみてください。第5回神統一世界安着のための希望前進大会のスピーカー紹介映像です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.02.27
コメント(0)
まっちさんから更なるコメントがありました。「まっちさんの「統一教会とKCIAの関係」、異端批判に応えて(その2)」(2021.02.23)コメント欄からです。ご丁寧に私への返信を記事にしてくださって、ありがとうございます。もちろん、その朴正華氏による95年松濤での講話は存じております。その当時東京におりましたので、実際に見聞きしました。25年も前の話なので、ほとんど覚えていませんでしたが。わざわざ貼り付けていただきありがとうございました。その上で、どちらが真実なのかという話です。25年前は、なんの検証もせずに、教会側の話を信じておりました。が、その後2010年頃からの色々な教団の醜聞と、文氏が亡くなる前の統一家の出来事、裁判、朴サムエル氏の存在と証言、分派問題、七男さん、四男さんの六マリア容認・・・等で、再検証する気になったのです。朴正華氏は、その後96年3月に36家庭の劉孝敏との共著で、韓国で「野録統一教会史」を出版しています。(暗在さんの最近のブログ御存じですよね?)http://anzais.blog.fc2.com/blog-entry-196.html #morehttp://www.kyushutsu.net/6maria.html何が言いたいのかというと、どちらか真実なのか、文氏の言葉や、教団が発表したり、宣伝する内容を鵜呑みにしないで、、自分で確認したり、検証してほしいと思っているのです。777双より上の双の方は、6マリア(初期の血分け)については御存知の方が多いです。幹部をやっていた方なら、なおさらです。また、お会いした韓国の36家庭の夫人は、認めておられました。日本の幹部も、神に誓って真実を話してほしいです。その上で、統一原理の検証と、文夫妻のメシア性についてもう一度改めて自分の心と頭で考えてほしいと思います。この教祖と教えは、信じるに値するものなのかを事実の確認の上で。一応、私の結論も書いておきますと、六マリアはあったということです。その後、私は原点に返るつもりで、聖書を深く学ぶようになり、今は、文氏は再臨のメシアではないという結論に至りました。もし、統一教会に入教時に、六マリアについて知っていたなら、私は決して入教も献身しなかったでしょうから、教団が嘘をついて、事実を曲げてまで、六マリアを否定していることは、本当に罪深いと思っていますし、これ以上被害を広げないでほしいと思います。tomy4509さんが、教会でどのような立場の方なのか存じませんが、責任ある立場にある方であるのなら、36家庭や幹部クラスの多くの方からのヒアリングで事実を検証されることをお勧めします。 (2021.02.25 13:02:26)まっちさんは、朴正華氏が著書「六マリヤの悲劇」を否定した「私は裏切り者」を書き、また、それを再び覆しては96年に「野録統一教会史」もご存知でしたら、話は簡単にします。前回記事(こちら)では「卓明煥氏にしてもそうですが」と書いていましたが、朴正華氏も指してのものでした。(朴正華氏、)卓明煥氏にしてもそうですが、1978年9月の新聞広告にて統一教会への謝罪文を掲載していながら、その翌年にはそれを覆しては再び、(一時は否定した)過去の情報資料を公開しての統一教会批判にどれだけの信ぴょう性があるでしょうか。地位や名誉、お金などで二転三転する人物は信用出来ない、というのが世間一般の考えです。「真実を語ろう」とする人が二転三転すること事態が、もはや、「真実」から遠ざかっています。誰がそれを信じますか!!第一に、私からは「統一教会とKCIAの関係」について書いています。フレーザー委員会は77年から18ヶ月間、68万ドルもの資金を投じて文師の”非”を探したが、”非”は何一つ発見できなかった。私tomy4509が統一教会に導かれたころ、書店に行けば「統一教会=KCIA」と書かれた書物も並んでいましたが、フレーザー委員会が何であったかというならば、「統一教会とKCIAの関係について調べましたが、結論として、その事実関係を発見することが出来ませんでした」と、米国の税金を使ってはその無関係性に印を押したものでした。「統一教会≠KCIA」、米国政府が18ヶ月と68万ドルをかけてそれを証明していました。誰も否定することが出来ない事実です。ところが、そのKCIAとの関係についてその後もばら撒いていたのが二転三転した上記の二人の著書ではなかったですか。この方々が真実を語っている? 誰が信じますか!「血分け」「六マリヤ」にしても然りです。韓国の36家庭の夫人は認めていた? 777の方は知っている? 知っていたならもう統一教会にはいません。原理やみ言とかみ合わなければ(言動が位置しなければ)、真の父母様がメシヤ、再臨主だとは誰も信じないでしょ!!これらは元教会員らの証言からのものではなかったですか。その裁判結果はどうなっていたでしょうか。証拠を提示することが出来ず、名誉毀損で実刑判決が下されていました。朴サムエルについてはよくは存じませんが、最近はDNA鑑定というものもあります。そういった証拠とかは出されているのでしょうか。知っていれば教えてください。このように「統一教会とKCIAの関係」から紐解いていけば、「血分け」や「六マリヤ」が真実だなどとの結論は出てきません。まっちさんもまた、サンクチュアリ同様に「初めに結論ありき」(「サンクも「初めに結論ありき」では?! 」)からで、それに見合った(デマ)情報をくっつけているように思います。元教会員らの証言はあってもその証拠が見当たりません。分派問題、これも原理講論に書かれたカイン・アベルの問題であって何ら原理と矛盾したものではありません。カイン・アベルは堕落の血統で生まれてきましたが、真の父母様によって生み変えられなければなりません。子女様だからといって責任分担があります。父母様を「メシヤ・再臨主」だと受けれられなければ原理から脱線していくしかありません。真の父母様の家庭といえども、肉親の父母が「真の父母」というわけではありません。さらには、天の父母様の血統にまで連結されなければ、です。三男さん、七男さん、それぞれを分析してみれば原理講論の「カイン型人生観」、「アベル型人生観」でしょう。それがどうならなければならないを教えているのが原理です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.02.26
コメント(0)
「家庭連合は異端?(その2)--異端鑑別師が統一教会に謝罪広告」(2020.11.26)コメント欄、まっちさんのコメントに私tomy4509からは十二分な回答(以下)をしていたはずですが。「朴正華氏による『私は裏切り者』出版報告会(1995年11月18日、松濤本部)」(2021.02.13)『六マリアの悲劇』(恒友出版、1993年11月4日刊)朴正華著本人が、後日『私は裏切り者』と題しての著書にて「六マリヤの悲劇」を否定していました。「まっちさんの「統一教会とKCIAの関係」、異端批判に応えて」(2021.02.15)「奇知外記」過去記事「「KCIAと統一教会」、一事が万事」(2011.03.03)から 特に、当法人および創始者の文鮮明師に対して、「70年代後半に『コリアゲート』と呼ばれた米議会買収工作事件があったのですが、それにかかわった朴東宣という大物ロビイストの資金源が統一教会の文鮮明です。...朴の資金源が統一教会の文鮮明」などと記載し報道したことに対して、回答書にはそれを事実として裏付ける証拠が何一つ提示されておりません。この件に関しては、抗議文を直接お渡しする際に、口頭でも明確な証拠を提示するように抗議しておりました。 かつてこの「コリアゲート事件」と当法人の関連性を執拗なまでに追及した「米下院フレーザー委員会」でさえも、その最終報告書で「当小委員会は、株の購入にさいして朴東宣と文鮮明機関が協力関係にあったという証拠はなにも見出せなかった」(『世界政治資料』1979年2月下号60ページ、日本共産党中央委員会発行)と報告しております。この「コリアゲート事件」の問題は米下院フレーザー委員会の「最終報告書」およびフレーザー氏の選挙落選などをもってすでに決着済みとなっていた問題ですが、また、「奇知外記」過去記事「「KCIAと統一教会」、一事が万事」(2011.03.03)も末尾に挙げては、特にはP.4~に目を通されたのでしょうか?フレーザー委員会は77年から18ヶ月間、68万ドルもの資金を投じて文師の”非”を探したが、”非”は何一つ発見できなかった。私tomy4509が統一教会に導かれたころ、書店に行けば「統一教会=KCIA」と書かれた書物も並んでいましたが、フレーザー委員会が何であったかというならば、「統一教会とKCIAの関係について調べましたが、結論として、その事実関係を発見することが出来ませんでした」と、米国の税金を使ってはその無関係性に印を押したものでした。にもかかわらず、22日付のまっちさんの引用コメントは「恥の上塗り」としか見ることが出来ません。以下に一部引用します。長文になりますが、親切心から、リンク先の記事を貼っておきます。読んでみてください。28年間、統一教会やKCIAと戦った卓明煥の証言卓明煥先生は1994年2月18日にカルトメンバーによって殺害されました。卓明煥先生はその数日前にこの証言をしました。ソウルの日曜日、昨日までの車の渋滞が消えて、漢江の流れも休んでいるかに見える、そんなある日、私は柄にもなく韓国の教会巡りをした。「韓国では茶店の数より教会の方が多いと言われますが、事実この国は宗教国家で、5千万人□のうち4分の1がキリスト教徒だと言われています。」「仏教徒は2千万で数はクリスチャンを上廻っていますが、その活動たるや年に一、二度形だけの儀式に参加する仏教徒と違い、クリスチャンは自ら通う教会を持ち、毎日曜礼拝に参加しますから熱が違います。」「金泳三大統領もクリスチャンで毎日曜協会に通っています。北朝鮮からやって来た金賢姫もクリスチャンになりました。」ソウル取材で出会った人達は口々にそう語ったが、事実、日曜日ソウルの教会を巡ると、いずこも超満員、中でもH教会などは劇場かと思うような豪華さで、数千人の信者が壇上の人気牧師の説教に聞き入っている図は、これが韓国人のレジャーかと思わせるような錯覚におちいる。説教の終わり頃廻っててくる献金袋に全員がなにがしかのウォン紙幣を入れる。韓国はキリスト教国、そう思って間違いない。このキリスト教隆盛の韓国で誕生した統一教(韓国では統一教会のことをこう呼ぶ)は言うまでもなくやはりキリスト教系宗教である。しかし長老派と呼ばれる韓国の正統キリスト教会から見ればこの統一教は邪教、異端ということになる。この統一敏の異端性を28年間主張し、統一教と戦ってきた男が韓国宗教問題研究所々長の卓明煥である。今年56才になる。この卓明煥、日韓の統一教会研究者で知らない者はいない有名人である。特に1979年に彼が著した「統一教の実像と虚像]は統一教会ウォッチャーのバイブルともなって今日に至っている。私がこの卓氏にソウルで接触しようとした時、統一教元信者のAという人物からこんな忠告を受けた。「卓明煥なる男は「統一教その実像と虚像」の出版前にも血分けなどについて論文を発表し、その中で梁充永女史とその子息李栄氏のことを書き、文鮮明とは梁の夫が生きている時から普通の関係ではなかったと書いて1978年に名誉毀損で拘東されました。その時朝鮮日報他ソウルの五大新聞に謝罪文を掲載しています。私が統一教にいたその当時、卓明煥は統一教の犬となったと統一教の内部で言われていました。会われても収穫はないでしょう。」しかし私はこのAの言葉を信用しなかった。卓明煥の著作を何冊が読んだ印象で、それが長年の研究によって書かれたものであり、その内容に多くの真実があるとの感想を持つたからである。最初この卓は私の接触に警戒感をあらわにした。人を介して彼に会うまで数日間を要したが、会ってみると気さくな好人物であった。「失礼しました。初対面の人を警戒する習性がついています。」そうして卓は顔の傷、背中の傷、足の傷を次々と見せてくれ、襲撃された時の血痕のついた衣服など見せてくれた。「私が統一教やエセ宗教と戦ってきた28年間の集大成がこの傷跡であり、この衣類です。暴徒に襲撃された数はギネスブックものですよ。」と寂しく笑った。私はこの人物に好感を持った。つづく (2021.02.21 23:33:44)このリンク先は卓氏自身の証言ではなく、『六マリアの悲劇』(恒友出版、1993年11月4日刊、朴正華著)からのものであり、その翌年には朴正華氏自身が「私は裏切り者」の著書で前書を否定していた事実をまっちさんにはお伝えしたはずです。松濤本部にて彼自身の訓戒の映像はご覧になられたでしょうか?卓明煥氏にしてもそうですが、1978年9月の新聞広告にて統一教会への謝罪文を掲載していながら、その翌年にはそれを覆しては再び、(一時は否定した)過去の情報資料を公開しての統一教会批判にどれだけの信ぴょう性があるでしょうか。地位や名誉、お金などで二転三転する人物は信用出来ない、というのが世間一般の考えです。ここでの「「卓明煥なる男は「統一教その実像と虚像」の出版前にも血分けなどについて論文を発表し、その中で梁充永女史とその子息李栄氏のことを書き、文鮮明とは梁の夫が生きている時から普通の関係ではなかったと書いて1978年に名誉毀損で拘東」された裁判の結果はどうなのでしょうか?もしもそれが事実であれば、「血分け宗教」としての批判も高まっていたでしょう。私からは「血分け」に関しての名誉毀損の別の裁判の判例も挙げていました。2年2か月の実刑判決を前に癌でなくなった、というものでした。このように、「統一教会=KCIA」・「血分け宗教」・「六マリヤの悲劇」などといった批判は過去の亡霊らが創り出したデマであり、まっちさんほかはこんにちもその亡霊らに踊らされているとは可哀そうな方々です。早くその亡霊らも「先祖解怨・祝福」をしてあげなければ(霊界でも)泛ばれないでしょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.02.23
コメント(1)
「統一教会=異端」と批判される「まっちさん」コメントに応えては「朴正華氏による『私は裏切り者』出版報告会(1995年11月18日、松濤本部)」ビデオを挙げさせていただきました。また、統一教会とKCIAとの関係ということで以下を書いていました。暗在さんの記事で、それまで「まさかそこまでは・・・」と思っていたKCIAとの関係がとても現実味を増しました。「奇知外記」過去記事「「KCIAと統一教会」、一事が万事」(2011.03.03)は、当時ブログ村で「統一教会=異端」の理由の一つに対して、それはすでに決着したものだったことを書いていました。暗在さんであれば、その結末をすでにご存じのはずですが隠しておられるのでしょう。 特に、当法人および創始者の文鮮明師に対して、「70年代後半に『コリアゲート』と呼ばれた米議会買収工作事件があったのですが、それにかかわった朴東宣という大物ロビイストの資金源が統一教会の文鮮明です。...朴の資金源が統一教会の文鮮明」などと記載し報道したことに対して、回答書にはそれを事実として裏付ける証拠が何一つ提示されておりません。この件に関しては、抗議文を直接お渡しする際に、口頭でも明確な証拠を提示するように抗議しておりました。 かつてこの「コリアゲート事件」と当法人の関連性を執拗なまでに追及した「米下院フレーザー委員会」でさえも、その最終報告書で「当小委員会は、株の購入にさいして朴東宣と文鮮明機関が協力関係にあったという証拠はなにも見出せなかった」(『世界政治資料』1979年2月下号60ページ、日本共産党中央委員会発行)と報告しております。この「コリアゲート事件」の問題は米下院フレーザー委員会の「最終報告書」およびフレーザー氏の選挙落選などをもってすでに決着済みとなっていた問題ですが、元6500双の「まっちさん」ですが、1970年代後半のウォーターゲート宣言から文総裁のダンベリー収容あたりの史実についてはどれだけご存じでしょうか?特には、統一教会とKCIAの関係については「ウォーターゲート事件」になぞらえて「コリアゲート事件」として「フレーザー委員会」に朴普煕(パクポーヒー)総裁が召喚されて証言した映像(通訳なし)は以下でした。朴総裁は委員会の尋問を前に「フレーザー委員長、あなたこそが共産主義の手先である」と反問したのがこの映像でした。最終的には統一教会とKCIAの関係を示す証拠を挙げることが出来ないとの最終報告をもって決着していました。ところが、なおも反対派が統一教会を貶めようとしたのが文総裁の「ダンベリー収容」でした。その詳細は「米国における文師裁判とダンベリー収監--過去記事整理」(2016.12.14)にて整理した資料を掲載していましたのでご確認ください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.02.15
コメント(0)
ほふられた小羊 id:yohane-no-mokusiroku さんへコメントをいただきましたが、過去・ブログ村で公開されたお母様の11.11み言のペーストのみであり、わざわざこちらでも公開する必要を感じません。お母様のみ言と子羊さんのブログ記事で書かれていることとは何らの関連性もありません。むしろ、これまでも私からはあなたの妄想でしかなく、短い引用を挙げてはあたかもそうであるかのように(暗号文解読遊びで)書かれること自体に大きな間違いを犯しているとの指摘をしてきました。一旦はカテゴリー「家庭連合」を退出され、再度戻ってこられた理由は何ですか?【メモ書き】ほふられた子羊さん(777)、カテ移動のその後は「さて?」(2020.11.26)女々しい姿をさらすだけです。ご自身の言葉に責任を持たれたらいかがですか???子羊さん曰く「私のブログ記事が、御言葉によって間違いであるなら今日にでも閉じる」(2020.09.01)過去にはあなたが私からのコメントを削除された経緯もあり、前回記事のコメントは私からは最後のものでした。また、質問等のコメントをいただいたとして「ノーコメント」とさせていただくことを予めご了承下さい。今後は、あなたのブログへの訪問は一切ありません。万が一に「あなたの妄想が真実である」と信じるならば、ご自由にされてください。2020.12.18 22:50by tomy4509一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.12.18
コメント(0)
「家庭連合は異端?--「三位一体”説”」は諸説に過ぎない」で紹介させていただいたkimagure-orさんから「tomy4509様へのお詫びとお願い(*'ω'*)」ということで、彼の記事に説明不足(「神性と神学の違い」等)があったとのことで弁明のメッセージをいただきました。この個所(原理講論>キリスト論>重生論と三位一体論)を読んでいてtomy様が私の意図を誤解されていることに気付きました。神学用語としての「神性」を説明させてもらいますと「神であることの状態または質」を意味しますがその点についての説明文を入れるべきであったと反省いたしました。お許しください。神性と神学の違い - との差 - 2020 (strephonsays.com)それ故、我々キリスト者の認識では「イエス様は神様そのもではない」という主張は神性を否定することになるのでございます。それから「三位一体”説”」といっても所詮は「諸説の一つ」に過ぎないということをご理由に三位一体説は聖書に書かれていないとのことですが私に弁解の機会をお与えください。確かにおっしゃられる通り、聖書には三位一体という言葉こそ使用していませんしかし、その概念は多くの個所で見られます。統一原理(以下「原理」)の見解としての「三位一体論(三位一体説)」に関しては、第7章 キリスト論全体、特にはその「第4節 重生論と三位一体論」に書かれています。「重生」は原理独自の用語ですが、古い「原理講論」では「新生論と三位一体論」のタイトルで書かれていました。(一) 重 生 論(新生論) ① 重生(新生)の使命から見たイエスと聖霊 イエスは、自分を訪ねてきたユダヤ人の官吏ニコデモに、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできないと言われた(ヨハネ三・3)。重生(新生)とは二度生まれるという意味である。では、人間はなぜ新たに生まれなければならないのであろうか。我々はここで、堕落人間が重生しなければならない理由について調べてみることにしよう。 アダムとエバが創造理想を完成して、人類の真の父母となったならば、彼らから生まれた子女たちは原罪がない善の子女となり、地上天国をつくったであろう。しかし、彼らは堕落して人類の悪の父母となったので、悪の子女を生み殖やして、地上地獄をつくることになったのである。したがって、イエスが、ニコデモに言われたみ言どおり、堕落した人間は原罪がない子女として新たに生まれ直さなければ、神の国を見ることができないのである。イエス様は、ニコデモにキリスト教の奥義ともいうべき「新生」の内容を語られていたものでした。イエス様の使命は十字架ではなく、人類は「重生(新生)」させることにあったというのが原理の解釈であり、十字架を前に再臨の約束をされたのもまた、その使命をこの地上で完遂しなければならないという理由からでした。さて、「三位一体”説”」ですが、聖書そのものに記載はなくアウグスティヌス(キリスト教神学者)が説いた諸説の一つということには同意がいただけたことと思います。5世紀に彼が説いたものでしたが、それに代わるだけの説がなかった故に、キリスト教も教派分裂をしながらもその説が世界に「定説」として広まったに過ぎません。キリスト教がローマの国教となるまで400年を要しましたが、統一教会は、「異端だ! カルトだ!」と批判されながらも1世紀を待たずに世界的宗教となってきています。その原理にスポットを当ててみる時に来ているのではないでしょうか。原理では「重生”論”」として提示したものです。それが「三位一体説」に代わるものであるかどうかは、これからの神学界でも課題となってきています。・「なぜ、イエスキリストの復活を信じるのか!」--十字架による救いの限界2020-11-27付でkimagure-orさんのブログ記事で過去のそれをまとめていました。原理はイエス様の復活を受け入れています。但し「イエス・キリストの肉体的な復活の事実」はまったくもって非科学的というものです。神様は全知全能だからそれも可能だったということでしょうが、「神様も法に従われる」いうのが一般的見解ではないでしょうか?次の聖句を挙げては「肉体的な復活」を信じておられるということでしたが、「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、4 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、5 ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。6 次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。7 次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、8 そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。」(第一コリント15:3-8)12名、そして、500名に同時にイエス様がどのように現れることが出来るというのでしょうか。忍者のような「分身の術」でも使われたとでも……使徒行伝第1章、40日後に昇天したイエス様を見ても、その肉体が昇天したとは考えることは出来ません。昇天後にも「月足らずで生まれたようなわたし(パウロ)にも現れ」たイエス様は肉体をもってでしたでしょうか。聖書の記述とも矛盾しているように思います。・「三位一体説」と聖書にもズレ私からは、イエス様がご自身のことを「人の子」と語られていた一例を挙げていました。それに対してはダニエル書の「人の子」をもってイエス様はメシヤ宣言をされていたという弁明でした。tommy様はイエス様ご自身が「人の子」と言われているから「イエス様は神様ではない人間だ」というお考えでしょうか?そのお考えが間違われていることは先にも述べさせてもらいましたとおりです。イエス様は人ではありますが神様でもあるのです。少なくとも聖書をありのままに読めばそう読み取れます。これについては前書の記事「家庭連合は異端?--「三位一体”説”」は諸説に過ぎない」で原理講論からの引用をもって応えていたはずです。イエスは創造目的を完成した人間として、神と一体であられるので、彼の神性から見て彼を神ともいえる。しかし、彼はあくまでも神御自身となることはできないのである。神とイエスとの関係は、心と体との関係に例えて考えられる。体は心に似た実体対象として、心と一体をなしているので、第二の心といえるが、体は心それ自体ではない。これと同じく、イエスも神と一体をなしているので、第二の神とはいえるが、神御自身になることはできない。ほか、いくつかの聖句を取り上げては「三位一体説」の聖書的根拠を説明しようとされておられたようです。そのいくつかを確認してみましたが、御子(イエス様)も万物被造世界を創造される前からおられた、複数形はそれを意味しているということでした。残念ながら、それらもまた「諸説の一つ」から脱却するだけの力がないことは、kimagure-orさんの方がはるかに聖書を読まれていることと思います。三位一体のイエス様(神様)が十字架に架かること自体が信じ難いものです。ほか、聖書からは「三位一体説」では説明できない記述もご覧になられているのではないでしょうか?・「神性」と「神学」は心と体のようなもの神性と神学の違い神性 神、神などの超自然的な力や神から来て、それゆえに神聖で聖なるものと見なされるものの状態を指します。神学 宗教的信仰、実践、そして経験に関する研究を指す。 特に 神と世界との関係の研究つまり神性とは、神様、あるいは、それに類する聖なるものの状態や属性(永遠、絶対性、愛等)を指し、神”学”はその学問ということでしょうか。一概的には「神様はいる」から出発しているのが神学と考えがちですが、学問ともなれば、神学は「神様はいるのか? いないのか?」から始まると思います。宇宙はどのように出来てきたの、その宇宙の根源が何であるかといった「哲学」的根拠によって私たちの価値観や人生観・社会構造にまで大きな影響を与えてきました。家庭連合では「原理」を学問的(思想的)にまとめた「統一思想」というものもあります。それをまとめられた方が(故)李相憲先生ですが、その方の講座を文章にまとめた一部を参考に考えてみてください。神様がいる・いない、信じる・信じない、また、その神観(神性)がどうであるかで人生観も大きく違ってきます。無形の神様を見られた人は誰もいません。聖書等でもって神様を人々に知らしめてきたのが宗教でした。ひとりの人間に例えるならば、目に見えない神様を「心」とすればそれを形で表現しようとしたのが宗教・神学は「体」といえるでしょう。「三位一体説」はその体の部分とは言えるかもしれませんが、「諸説の一つに過ぎ」ません。いわば、「盲人と象」の譬えもあります。・改めて「三位一体説」見直しの必要性科学の発達とともに現代人の知性も発達してきています。5世紀に説かれた「三位一体説」でもって現代人を納得させるには、もはや、時代遅れとなってきているというものです。聖書を根拠にといっても、聖書そのものも口伝伝承されてきたものが後に文章化されたものです。神様の啓示によって書かれた書物であっても、その知性によってさまざまな矛盾点も発見するようになってきています。こんにちなお、「家庭連合は異端だ」と頭ごなしに否定される方もいますが、その一方ではそれを見なおしていこうとする動きもあるのも事実です。神統一韓国超宗教・超教派聖職者希望前進大会、KCLC創立式開催トランプアドバイザー ポーラホワイト牧師、統一教の行事に出席キリスト教では神様と人間の関係は「父子関係」だとも言っていますが、「三位一体説」からはそれを説明することが出来ません。閉鎖された三角形でしかなく、そこに人間(や被造物)創造など「愛の関係」が生まれてきません。以下は神様とイエス様、そして、私たちもイエス様のように実子なることを願望していることを書き記した聖句を挙げたものです。恥ずかしながらそれをまだ十分に理解できていない分派記事からの引用ですが。「お父様み言と違った「父子関係」解釈の『郭錠煥教』」(2020.07.25)引用開始>-----神様と人間との関係は「父子関係」であるとキリスト教では説いています。最初にそれを説かれたのは2000年前のイエス様でした。当時、神様はイエス様ただ一人を「独り子」と呼ばれました。そのイエス様を仲介として神様を知るようになったクリスチャンたちはというと、直接的な血統のつながりはないにしても、養子養女の位置だと言われています。聖書を見ればローマ人への手紙/ 08章 15節~23節 それゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果すべき責任を負っている者であるが、肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。 わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。と霊的には「子たる身分」を授けられたことを喜んではいても、なおも、「心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること」「からだのあがなわれることを待ち望んでいる」と更なる願いを吐露したりもしていました。つまりは、養子養女の位置からイエス様のような神様の実子となることへの願いでした。また、へブル人第 11 章1節~40節 さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自分を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。…(略)… さて、これらの人々はみな、信仰によってあかしされたが、約束のものは受けなかった。神はわたしたちのために、さらに良いものをあらかじめ備えて下さっているので、わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはない。過去の義人聖人らの信仰(願い)が必ずやクリスチャンたちによって成就されることへの確信も書き記したりもしていました。-----<人間・イエス様であったとしても「創造理想を完成」した位置で「神性」を持たれていたといっても何らの不足もないと思います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.11.28
コメント(0)
前回記事「家庭連合は異端?--「三位一体”説”」は諸説に過ぎない」の末尾でもリンクを入れていましたが、韓国の異端鑑別師・(故)タクミョンファン氏が家庭連合(旧・統一教会)に対していくつかの新聞に謝罪広告(1978年9月)を掲載していました。統一教会に対し、根拠のない異端規定に「恥」さらした異端専門家【文例】統一教会に対しての謝罪文(1978年09月11日、新聞切り抜き)(Aug 19, 2010記事) (以下に一部抜粋)【文例】 統一教会に対しての謝罪文過去の文例ですが、これから必要な方は参考にしてください。統一教会に対する謝罪文私は長年新興宗教の問題研究所を運営しながら、統一教会についての出版物、スライド(これは統一教会だ)、講演会、記者会見などを通じて、統一教会が非倫理的集団、政治集団、新型共産主義、カルトと批判してきました。しかし、自分に批判の材料を提供したいくつかの統一教会の離脱者が最近名誉毀損などの犯罪容疑で拘束手配されたことをきっかけに、新しい角度から幅広い資料を収集、総合的に検討した結果、自分が統一教会に対して批判した内容のうち、事実ではない部分があることを認め、次のように訂正釈明します。一. 非倫理的な集団の問題私は統一教会の創始者文鮮明氏が1955年7月4日の社会風紀紊乱の疑いで逮捕手配されたことを知って統一教会を非倫理的カルトと断定、批判したところ、当時の事件は兵役法違反の疑いで起訴されたが、同年10月4日公判で無罪で釈放されたことを知った。加えて、統一教会を取り囲んで問題されてきたカルト云々はその根拠がないことを確認し、これ訂正します。二. 政治集団の問題私はこれまで統一教会をカルトに規定、批判してきたが、これは事実ではないことが明らかになりこれに訂正します。三. 新型共産主義の問題私は統一教会を新型共産主義集団と批判してきたが、これは事実ではないことが明らかになりこれに訂正します。以上三つの項目に加えて、いくつかの統一教会の離脱者が提供した資料に多くの誤りがあり私が統一教会に被害を与えてきたことに対して深甚なる謝罪の意を表し将来再度このようなことをしないことを約束します。1978年9月 日新興宗教の問題研究所所長 タクミョンファン当時、統一教会離脱者らの情報を元にカルト・異端だとしていたタクミョンファン氏でしたが、改めて統一教会を調べ直してそれが間違っていたことに気付き謝罪広告を出したというものでした。これについては、古い統一教会員であれば一度は耳にされたことと思いますが、あまり大きくは報じられてはいなかったように思いますし、現在ではそういうことがあったことを知らない人の方が多いようです。改めて「家庭連合は異端?」かどうかの参考資料にしていただければ幸いです。と同時に、韓国では金銭絡みの『韓国教会の異端鑑別師の「異端操作」横行』しているという記事も見逃すことは出来ないと思います。ところで、「家庭連合は異端?--「三位一体”説”」は諸説に過ぎない」で紹介させていただいたkimagure-orさんから「tomy4509様へのお詫びとお願い(*'ω'*)」ということで、彼の記事に説明不足(「神性と神学の違い」等)があったとのことで弁明のメッセージを頂いています。これに関しては改めて書いていく予定です。余談ですが、「火の粉」を始めとして大概は私のブログ名をカタカナ表記で批判してくる方が多いのですが、彼は謙虚で「クリスチャンの鏡」ですね。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.11.26
コメント(10)
しばらく記事更新がない「ほふられた子羊さん(777)」でしたが、ブログ村のカテ「家庭連合」から別のカテゴリーへ移動されたみたいですね。以下ブログ村プロフィールからですが、11/22以前の圏外(ランキング外)はそのカテゴリーには参加されていなかったことを意味しています。ほふられた小羊 ランキング - にほんブログ村 (blogmura.com)子羊さん自らの記事に間違いがあればすぐにでもブログを停止する、とまで豪語していましたが。さて? 今後は移動したカテゴリーで(暗号文遊びの)自論を書かれていく予定でしょうか?【参考記事】子羊さん曰く「私のブログ記事が、御言葉によって間違いであるなら今日にでも閉じる」 ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その1)(2020.08.26)主張(結論)が間違いであったと分かれば、ブログを停止するとまで豪語していたのですがどうなのでしょうか?【メモ書き】ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その2)子どもの「暗号文遊び」、子羊さんにオサラバです!!ほか一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.11.26
コメント(0)
ブログ村のカテ「家庭連合」で家庭連合(旧・統一教会)は「異端」だと書かれるクリスチャンの方の記事を最近見かけました。11/24付記事「イエスキリストの神性を認めない異端達」もその一つです。異端がなぜ異端なのか?聖書解釈において「議論の余地がある、相手の言うことも一理ある」という程度の違いであれば分派だと言えるが、明らかに聖書の書いてあることと違える主張をするのであればそれはもはや異端である。それ故、統一教会及びその残滓も異端と言えよう。異端は三位一体説及びイエスキリストの神性を否定する。統一教会教祖である文鮮明は再臨のメシアを自称しているが神ではない。故に、イエスキリストも神様であっては都合が悪いのだ。だからイエス様を単なる人間に貶め、その神性を否定する。我々クリスチャンはイエス様は人間として我々の前に現れてくださったが、同時に神であるという認識である。聖書にそう書いてあるからだ。そしてイエス様は受肉前においてはこの世の創造に携われている。 コロサイ人への手紙1章15~17節御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。 他にも次の聖書箇所を読めばイエス様は子なる神でありこの世の創造に携われたことが分かります。ヨハネの福音書1章1~18節へブル人の手紙1章1~4節ピリピ人への手紙2章5~11節 つまり、単なる人間である文鮮明氏はメシアではありません。偽メシアです。ここでいくつかの聖句を挙げてはアウグスティヌスの「三位一体説」を主張しているようですが、「三位一体”説”」といっても所詮は「諸説の一つ」に過ぎません。聖書をみれば、イエス様はご自身のことを「人の子」と語られていましたが、それについてはどのような解釈をされているのでしょうか。以下は聖書検索からのごく一部で、マタイ伝(30個ヒット)「からです。>-----1:マタイによる福音書/ 08章 20節イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」。2:マタイによる福音書/ 09章 06節しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と言い、中風の者にむかって、「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。3:マタイによる福音書/ 10章 23節一つの町で迫害されたなら、他の町へ逃げなさい。よく言っておく。あなたがたがイスラエルの町々を回り終らないうちに、人の子は来るであろう。4:マタイによる福音書/ 11章 19節また人の子がきて、食べたり飲んだりしていると、見よ、あれは食をむさぼる者、大酒を飲む者、また取税人、罪人の仲間だ、と言う。しかし、知恵の正しいことは、その働きが証明する」。5:マタイによる福音書/ 12章 08節人の子は安息日の主である」。6:マタイによる福音書/ 12章 32節また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。7:マタイによる福音書/ 12章 40節すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。8:マタイによる福音書/ 13章 37節イエスは答えて言われた、「良い種をまく者は、人の子である。9:マタイによる福音書/ 13章 41節人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、10:マタイによる福音書/ 16章 13節イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。… … …21:マタイによる福音書/ 24章 30節そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。22:マタイによる福音書/ 24章 33節そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。23:マタイによる福音書/ 24章 37節人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。24:マタイによる福音書/ 24章 39節そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。25:マタイによる福音書/ 24章 44節だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。26:マタイによる福音書/ 25章 31節人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。27:マタイによる福音書/ 26章 02節「あなたがたが知っているとおり、ふつかの後には過越の祭になるが、人の子は十字架につけられるために引き渡される」。28:マタイによる福音書/ 26章 24節たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」。29:マタイによる福音書/ 26章 45節それから弟子たちの所に帰ってきて、言われた、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。見よ、時が迫った。人の子は罪人らの手に渡されるのだ。30:マタイによる福音書/ 26章 64節イエスは彼に言われた、「あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。-----<また、家庭連合はイエス様の神性を否定しているなどといったニセ情報はどなたから聞かれたのでしょうか? 教義書『原理講論』のキリスト論 第二節(詳細はこちらから)からはイエスは創造目的を完成した人間として、神と一体であられるので、彼の神性から見て彼を神ともいえる。しかし、彼はあくまでも神御自身となることはできないのである。神とイエスとの関係は、心と体との関係に例えて考えられる。体は心に似た実体対象として、心と一体をなしているので、第二の心といえるが、体は心それ自体ではない。これと同じく、イエスも神と一体をなしているので、第二の神とはいえるが、神御自身になることはできない。そういうわけで、ヨハネ福音書一四章9節から10節のみ言どおり、彼を見たのは、すなわち、神を見たことになるのも事実であるが、このみ言は、イエスが正に、神そのものであるという意味で言われたのではない。家庭連合を異端視する理由として「異端は三位一体説及びイエスキリストの神性を否定する。」を挙げていましたが、「三位一体”説”」は諸説であって聖書に書かれたものではありませんでしたし、また、イエス様の神性を否定しているわけではありません。異端視される根拠が一つ二つと消えました。【関連記事】統一教会に対し、根拠のない異端規定に「恥」さらした異端専門家(2015.06.12)異端鑑別師から謝罪された「統一教会」(2018.03.11)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.11.25
コメント(0)
真夜中にUPした「ブログ村・新着記事から消された 分派「異邦人サマリア人(UCI)」に関する2記事 」に続き次の2記事顕進氏が後継者であるというお父様の「副会長就任式」でのみ言は? (2020/10/31 22:26投稿)売却1ドル「ワシントン・タイムズ」の真実は?! (2020/11/01 00:31投稿)がブログ村・新着記事(カテ「家庭連合」)から消されていました。以下はマイページ>記事メンテナンスのスクリーンショット(11/01 07:01)での記事投稿の確認です。にもかかわらず、新着記事にはそれを見ることが出来ません。時刻的にはtomy3974記事の前に「顕進氏が後継者であるというお父様の「副会長就任式」でのみ言は?」があって然るべきですが。二番目の記事は時刻が「00:31」ですから、cosmosさんの前に「売却1ドル「ワシントン・タイムズ」の真実は?!」あるべきです。10月31日夜から11月1日朝までで私の新着記事4記事がブログ村「新着記事」で抹消されたことになります。これは、もはや、ブログ村における大事件です。今回「新着記事」で抹消された記事はそのままに新たなURLにて記事を復帰し、ブログ村へは再度の問合せ(原因の究明)と再発防止策のお願いをしていきます。読者皆様には重複となり多少の迷惑かもしれませんが、理解のほどよろしくお願いいたします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 【追記】11/01 10時ごろの確認ですが、ブログ村で「新着記事」抹消を扱った記事を含めて3記事の削除、ほかさかのぼって2記事の「新着記事」欄からの抹消が確認されています。計7記事は異常としか言いようがありません。
2020.11.01
コメント(0)
私の2記事が「ブログ村・新着記事」から消されていました。それぞれはyosia621氏の記事に応えてのもので、分派「異邦人サマリア人(UCI)」に関するものでした。マイページの「記事メンテナンス」にはあるものの新着記事に一度は載ったものの、11月1日00:30の確認ですがあるはずの時刻ほかを探しても見当たりません。yosia621のブログ「異邦人サマリア人(UCI)は共産主義?」に応えて【追記】yosia621のブログ「異邦人サマリア人(UCI)は共産主義?」に応えて まずは、ブログ村へ問い合わせるとともに、上記2記事を削除しての再投稿となることをご了承ください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.11.01
コメント(0)
「自称ルポライターtomy4509は、ブログ村で『真理を求めて』」などと時折一文に入れています。この「自称ルポライター」をハンドルネームtomy4509に賦与してくれたのは、まさに、ブログ「火の粉を払え」の「火の粉」氏でした。その経緯についての前書きとしてですが、その「火の粉」氏が私を「霊の親」に指名していたことを読者の皆様は記憶に留めておいていただければ幸いです。ブログ村の昨今-- 米本和広氏がtomy4509を「霊の親」に指名?!(2016.02.19)ブログ村の昨今-- 米本和広氏がtomy4509を「霊の親」に指名?!(No.2)(2016.02.28)Sep 2, 2014 記事「【奇知外記】 洗礼ヨハネは? 」 のコメント欄から以下引用です。…(略)…彼(「火の粉」氏)は、後藤氏では駄目で、どうしても私に「霊の親」になって欲しいようなので仕方ありません。しかし、彼にとっては、私の2ヶ月間のブログ停止(1ヶ月×2ブログ)の代償はかなり大きいはずです。過去数十年の間に4300名もの統一教会信者を拉致監禁しては「強制改宗」を行ってきたキリスト教牧師や「改宗屋」といわれるプロの業者らがいましたが、ブログ「火の粉を払え」の「火の粉」氏はその実体をこの世に知らしめるべく「是々非々」の立場でプロのルポライターとして著書「我らの不快な隣人」を出しました。とはいえ、彼のスタンスは反カルト主義であり統一教会(家庭連合)に対しても批判的姿勢には何らの変化はありませんでした。私がその「火の粉」氏と向き合ったのは2013年1月からでした。当時のブログ村、特にカテゴリー「統一教会(現在はカテ「家庭連合」)」で統一教会に批判的ブロガーがカテゴリー「統一教会 批判・告発」に「強制移動」されるといった事例がいくつかありました。彼のブログも2012年10月に一度は強制移動させられた恨みもあってか、2013年1月「下劣な食口たち」記事群(別目「ヘドロシリーズ」)として記事を書き始めました。記事は、非公開掲示板(ID/PWが必要)がぶろぐ村で強制移動を主導しているというものでした。その一人がpeace(tomy4509)ということでその3回目の記事「蘇生期を 行きつ戻りつ ヘドロかな([2013/01/20付) 」で「お花畑脳のpeace君」ということで紹介されました。しかも、私の非公開掲示板の書き込み文が画像にて公開もされました(以下)。結論から言えば、2012年12月末のこの私からのブログ村への情報提供によってブログ「火の粉を払え」が強制移動させられたという事実はありませんでしたから、彼の事実誤認(過去の怨恨)から「ヘドロシリーズ」が書かれたものということになります。その数日後に、私のヤフーブログ(ヤフーがブログサービスを停止したため、アメブロの「韓流サッカーをエンジョイ(過去記事資料)」として残しています)へ不正アクセス事件2件ありました(以下、過去記事資料から)。ブログに不正侵入者在り!!(2013.01.24)ブログに不正侵入者在り!!--第2弾--(2013.01.26)「ヘドロシリーズ」記事開始前には非公開掲示板へ不正アクセスを匂わせるブロガーの存在も確認されていましたが、そのブロガーの不正情報がブログ「火の粉」へ渡ったようです。2013.01.28付で私から反論記事、「ネット拉致」事件として書きました。個人情報を拉致しては自分の言いなりにコントロールしようとするものでした。【奇知外記】 拉致事件発生!! 米本氏は何処へ? 統一教会の拉致監禁事件ともなれば、すぐにでもその情報をあげてくるはずの米本氏であったが、今回の拉致事件については何の情報もない。彼は、今回はどこへ行かれたのだろうか?凡人の調べでは、拉致事件が発生したのは昨年12月中旬、場所はネット内である。しかも、今回の拉致被害者は一挙に十数名と大掛かりだ。さて、ことの始まりはあるグルっぽへ不正侵入してその中の情報の魚拓を取ったうえでネットで公開、拉致に及んだようである。さらには、ネットを介して強制改宗を迫っている。ある情報筋からは、今回の拉致事件には自称ルポライターY氏が関与しているものとみられる。Y氏もまた、ネットで強制改宗を強要しているようである。その後も、被害者の各ブログへ不法侵入しては情報を収集して、改宗教育カリキュラムの資料としている。ブログに不法侵入者在り!! (韓流サッカーをエンジョイ)ブログに不法侵入者在り!! -- 第2弾 --(韓流サッカーをエンジョイ)不法侵入者が残したIPアドレス: 58.97.98.149(タイ) 49.212.161.77 (島根県?)不法侵入犯の特定へ(龍馬の如く)ここで、今回の拉致事件についてだが、これまでの事例と違い、家族間の話し合いといった言い訳は通用しないため、警察の対応にも関心のいくところである。また、ひとつ、凡人の疑問がある。自称ルポライターの『駄文』に群がる方々の真理である。ハッキリいって、行き着くところの結論が見えてこないのである。概ね、グルっぽが組織的に統一教会村の強制移動を行っており「悪」である、と言いたいのだろうが?そもそも、カテゴリー違い等の通報(情報提供)はブログ村が決めたルールであり、仮にグルっぽが組織的にその通報を行ったとしても(実際にはないのだが)、それを判断するのはあくまでもブログ村である。実際、グルっぽではその通報に関しては一つの結論を得ている。以下は、ブログ村メール(2012/12/25 )からの抜粋だ。・なお、個人間や団体間のトラブルにはにほんブログ村は介入いたしません。通報されても対応いたしかねますので予めご了承くださいませ。個人間や団体間のトラブルにはブログ村は一切介入しないということだ。よって、Y氏の主張は、たぶん(駄文)、空を切っているものと思われる。むしろ、ルポライターを自称するからには、人権やプライバシーにも人並み以上に配慮していくべきであるはずだこれまでの書き込みの中は、不法に入手した個人情報を公開したばかりでなく、人権的抑圧まで行っている。人権活動家が聞いてあきれる行為でもある。統一教会信徒の拉致監禁を扱った人権活動家としてのプロのルポライター「火の粉」氏でしたが、その一方で非公開掲示板からの個人情報を「拉致」しては家庭連合ブロガーが何か良からぬことをしているといったことをネットに拡散しては圧力を加えようとした、つまりは「ネット拉致」による強制改宗(?)のような行為をしてきたというものした。しかも、その情報源が非法な不正アクセスを用いての人権抑圧だ、というのが私からの反論でした。このような駄文を書かれた「火の粉」氏に対して私から「自称ルポライター火の粉氏」、それもプロのルポライターを名乗る彼にとっては気に入らなかったようで、その後も私tomy4509個人に集中して個人情報でもって圧力を加えてきました。ブログ上での謝罪文と1ヶ月のブログ更新停止(言論弾圧)の要求までありました。この結果、如何に私tomy4509が「自称ルポライター」となり、プロのルポライター「火の粉」氏が事実上の「自称ルポライター」となり下がったかの経緯が以下の記事に記載されています。自称ルポライター「火の粉」氏について。(2019.11.20)私からは、「氏名公表」されたときの「火の粉氏の語録」を挙げていた。(tomy4509)氏に告ぐ。 さあ、これで私も(tomy4509)氏も、ネット上の実名者となった。片方が匿名者であるという、不公平はなくなった。……(FC2によって削除済みであるが、過去記事にて画像あり)削除された「火の粉」過去記事からがその出典元だ。私がその「自称ルポライター」というのであれば、ネット上で私と不公平がなくなった彼は「何?」私がプロのそれではないから、彼も落ちぶれては「自称ルポライター」ということになる。自称ルポライター「火の粉」氏は、だからといって彼は、私からの事実誤認の反論に決して事実を語ろうとはしないことも別の理由として挙げていた。これ以降も私の個人情報を記載した「火の粉」記事がありましたが、FC2運営事務局の計らいで30弱の該当記事が削除となっています。また、2013.01.28の私からの反論記事の正当性を承認するかのように、2019年4月にはブログ「火の粉」が釘付けでの「強制移動」となりました。ブログ村からはUターンすれば「登録抹消」のメールとかがあったのではないでしょうか?ブログ村村長さんと読者のみなさんに説明します。すべてをオ-プンに。 (2019.04.30)「強制カテ移動」の結果は?(2019.06.18)<注2>キチガイキが不正アクセスがどうしたこうしたと長く騒いでいたけど、不正を働いたのは「雉も鳴かずば」〓「加油」。キチガイキの警察への訴えによって、「雉も鳴かずば」〓「加油」は富山警察に出頭し、謝罪し、不起訴(あるいは起訴猶予)になった。加油の人間として良くないことは、キチガイキがしつこく小生を攻撃しているときに、知らん顔をしていたことだ。個人メ-ルでの釈明はありましたが。ヘブル人への手紙/ 11章 01節 さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。宙にフワフワと舞う「火の粉」に、「火の玉精神」でぶつかった結果がそれでした。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.10.24
コメント(1)
「「天の父母様聖会」について--原理講論にも書かれた「天の父母様」」(2020.09.21)記事に「shinnshi さん」から以下のコメントがありました。天の父母なる神、はその通りだと思います。何故なら人間を創造したのは神様だからです。神は人間の親であり、男性性相と女性性相の中和体なので父母の心情を持っているはずです。しかし 天の父母様 と神様を呼ぶのはどうでしょうか? おかしいと思います。何故なら神様は唯一、ただお一人だからです。天の父母様!と呼びかけた瞬間、天のお父さんと天のお母さん二人を呼んでいることになり、唯一神でなくなります。様をつけるのとつけないのとでは全く違ってきます。だからこそお父様のみ言葉には天の父母という単語は何回も出てきても天の父母様という単語は一回も出て来ないはずです。天のお父様 という呼称はハングルで ハヌル アボジ ではなく、ハナニム アボジ です。せめてハナニム プモ と読んではどうでしょうか?これも結局おかしいですが。 人間も含めた被造世界は神様に対して対象であり、神様は男性格主体なので我々は神様を父と呼んで、➡︎もう一度言います。神様を父と呼んで、その格位を表すのである。社長である人を部長と呼んだら社長は怒り出すでしょう。格位とはその人を呼ぶとき、とても大切なものだとわかります。祈祷は神様に対して呼びかける所から始まります。もし、その呼びかけが間違っていたとしたら、神様はその祈りに答えてくれるでしょうか?もっとこの問題について深刻にならないといけないと思います。何故ならこの呼称を続ければ、家庭連合が神様からどんどん離れて行ってしまうような気がします。そしてゆでカエルのように気がつかないうちにどんどん毒され、あの二つの白い像を見ても、もうなんとも思わなくなってしまうのだと思います。 (2020.10.22 00:13:54)「天の父母なる神、はその通りだと」思われるのでしたら「天の父母様」であっても問題はないのではないですか? ところが、それを受け入れようとしない理由はなんでしょうか。過去にはサンクチュアリ教会の方々は「天の父母様」の『様』一つの有無で二元論になるとか、ならないとか騒いていた記憶がありますが、shinnshi さんもサンクの方でしょうか?とうごま氏のデマには要注意を!! 「家庭連合は二元論ではない」(2020.03.01)とうごま氏、結論はお母様にケチを付けたいだけでしょ?!(2020.03.05)原理講論やお父様のみ言の「天の父母様」はOK、祈祷呼称「天の父母様」はNGというものです。その論拠を見れば、まさに詭弁でしかありません。「翻訳者」を自負するサンク・中村氏のみ言改ざんにも要注意!(2020.05.26)「「宇宙の根本は父子の関係」(1988.10.14、ソウル本部教会)」(2020.03.29)からです(以下)。 では、神は一人でしょうか、二人でしょうか? (二人です)。天のお父様と天のお母様という二人ではなく、神には二つの性稟が入っているのです。今答えた人は良心がありますか。ありませんか? 体がありますか、ありませんか? それら二つが合わさってあなたという一人の女性なのです。神の性稟は二つありますが、体は男性格主体となっているのです。では、男性格主体というのはいったい何でしょうか。女性格主体であればどんなにいいでしょうか。しかし女性格主体といった時には、別に男性格が存在しなければならないので二元論になってしまうのです。分かりましたか。二元論になってしまうというのです。神は永遠に一元論であられるために、男性、女性の中和体として、主体的な性稟をもった初めての男性形なのです。さて韓国語ですが、「ハヌル」は「天の」で、「ハナニム」は「神様」です。「ハナニム アボジ」は「神様の父」となりますし「ハナニム プモ」は「神様の父母」です。神様の上にも「父」や「父母」がおられるとなり、その方が可笑しいですね。また社長と部長の例ですが、「「宇宙の根本は父子の関係」(1988.10.14、ソウル本部教会)」でお父様が「男性格主体」と「一元論」について語られていました。先ずはお父様のみ言をお読みください。家庭連合「天の父母様」が「ゆでカエル理論」ですか?冒頭に戻ってもう一度 shinnshi さん にお伺いしますが、あなたは「父母なる神」については実のところはどうなのですか? 心にもそうだとは思っていなのではないですか?「天の父母様」を受け入れているとするならば、その呼称についての異論はないはずですが。これまでも自称ルポライタイーtomy4509がブログ記事にしてきましたように、「天の父母(様)」は原理原本の記述から見られるものでした。文総裁が直接に執筆されたものですからそれを否定することは出来ません。また、原理講論も劉孝元先生が書かれたものでしたが、その一字一句を文総裁が確認された上で発表されたものでした。その記述に間違いがあったとしても当時はそのように書くしかなかったという事情(キリスト教の反対など)もあったようですが。こんにちの韓総裁は、文総裁のそれを継承しているものです。三男さん・七男さん等のように「天の父母様」呼称を否定されるとすれば、文総裁の「継承者」の主張すら出来ないでしょう。 shinnshi さん は、逆には彼らに「ゆでカエル理論」をぶつけていかれるべきです。tomy4509は、黒・天聖経の「天の父母様」記載についても検証済です。ほか「神様王権即位式」での文総裁のみ言から「天の父母様」、月刊誌『ファミリー』のみ言からもいくつかの確認をしています。余談ですが「天の父母様」の『様』(敬称)の有無で二元論だとか、明らかなデマ(危弁)です。簡単な話、「社長」と「社長様」、一つの会社に社長が二人とはならないでしょう。shinnshi さんの様をつけるのとつけないのとでは全く違ってきます。だからこそお父様のみ言葉には天の父母という単語は何回も出てきても天の父母様という単語は一回も出て来ないはずです。これも危弁でしかありません。韓国語から日本語へ翻訳するときに「様」を付けるかどうかの判断もあります。試しに「神」と「神様」をgoogle翻訳で韓国語にしてみました。どちらも「하나님」(ハナニム)でした。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.10.22
コメント(0)
ブログ村からは、今回の「天の父母様聖会 家庭連合」の人事移動に対しては悲観的な発言しか耳にすることが出来ません。徳野会長が会長職を降ろされたとか、といってもこれまで人事異動がなかったわけではありません。天の父母様聖会を中心として新たな7年路程が出発していきます。それに向かっての人事体制であって今後より発展していくための「希望溢れる人事異動!!」であることは確かです。後ろを振り返っては批判される方もいますが、ロトの妻は「塩の柱」となりました。ブログ村の中には、まだ、「天の父母様聖会」を誤解されている方もいるようです。「天の父母様聖会」は家庭連合ほか全ての統一運動機関の上に立つものであり、それを超えては「ワンファミリー・アンダーゴッド」の理念を推進していくためのものです。「神様(創造主)=天の父母様」、全ての人類は一なる方から出発しています。ところが、それにつながることが出来なかったので(人間始祖の堕落によって)宗教等がそれを復帰しようとしてきたものでした。今回「天の父母様聖会」は宗教・人種・国家の壁を超えるものです。家庭連合もその中の一つに過ぎません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.10.16
コメント(0)
プームチャイさん記事(以下)コメント欄、プームチャイさんへtomy4509(peace)からの返答です。https://ameblo.jp/poomchai/entry-12629872384.html>プームチャイさんへまずは思いつくところを書きますので乱文をお許しください。https://ameblo.jp/poomchai/entry-11430542823.htmlこちらのリンク先のタイトルは「天宙的カナン復帰路程」となっていましたが、復帰とは失ったものや奪われたものを取り戻すことです。「天宙的カナン」は失ったものでもありませんので「復帰」とは言えません。原理講論からは「世界的カナン復帰路程」があります。第一次、第二次はイエス様を中心としてでしたが十字架に架かられたために「第三次世界的カナン復帰路程」がありました。 1. イエス様を中心とする霊的カナン復帰路程 2. 再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程その中でも上記2項目が原理講論で書かれていたものです。プームチャイさんのそれはあくまでもそれの2番目の内容を指してのものでした。もしもイエス様を中心とするキリスト教徒徒が再臨主を受け入れていたならば、すぐにでも「世界的カナン復帰路程」が出発していたでしょう。ところが、そうではありませんでした。1960年、確かに「小羊の婚宴」はなされました。ところが、それは教会(統一教会)次元のものでしかありませんでした。真の父母様の結婚式は3回行わなければならない、と語られていましたが、教会次元、次には国家次元、そして、実体的カナン復帰された世界的な結婚式です。そのために予定されたのが「基元節」--「『天一国』宣布」--「天宙的カナン定着」であったはずです。華やかに全世界からは国家元首を始めとして宗教指導者ほかVIPが多数参加してはお祝いのメッセージもされていたでしょう。しかしながら、それを前にしてお父様が聖和されました。それを前に、国家の3要素は「領域・国民・主権」ですが、そのために父母様が基元節までに支持されたことは氏族伝道と210代までの天寶修錬苑(清平)での先祖解怨・祝福でした。天宙ですから、地上だけの復帰ではないということでしょう。当時は先祖解怨は430代までとはなっていませんでしたが、文総裁の自叙伝「平和を愛する世界人として」の430冊配布があったでしょう(参考記事:https://ameblo.jp/chanu1/entry-12058788017.html)。こんにちでは430家庭と8系の430代の解怨・先祖祝福です。天寳入籍勝利家庭、驚くべき(数理性の)真実さて、430家庭について改めてみてみましょう。 430家庭+430代✕8系=3870上記のお父様最後の(遺言ともいうべき)祈祷からは、アベル国連(天宙平和連合)加盟国184(訂正:194)ヶ国とカイン国連(UN)加盟国183(訂正:193)ヶ国で387ヶ国です。それを10倍すれば「3870」となります。やれ「独生女教」だ、「清平教」だと言っては非難される方ががいますが、この数字の一致にどう思われますか? プームチャイさんもそのお一人ですが。「天一国摂理史--ジャルジン第六宣言ー総霊界霊人解放式(1998.10.05)」からですが、人類の解放圏を迎えることができる限界線を越えてこそ、霊界にいる先祖たちが祝福を受けられるようになるというのです。天使長が、地上でアダムとエバが祝福を受けられないようにしたことが堕落だったので、これを蕩減復帰するためには、霊界に行っているすべての霊人たちが祝福を受けなければなりませ ん。今やその霊人たちが祝福を受け、祝福を受けた天使長の立場で、祝福を受けた地上の子孫、アダムの立場にある子孫に降りてきて協助できる時代が来たとい うのです。……天使長が、アダムと共に天国に入れるようになっていたのと同じように、地上で祝福を受けた家庭が天国に直行するようになるとき、天使長の立場にいる先祖たちも、一緒に入っていかなければならないというのです。これが整備されなければ、霊界と肉界に残された地獄、地上地獄と天上地獄の門を開くことがで きません。この門を開くことができなければ、地上に神様が願う理想的な個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、地上天国と天上天国は連結されないのです。偽りの父母の愛、生命、血統によって残されたものなので、これを清算することには、神様もサタンも手を付けることができません。どこまでも完成したアダム、来られる再臨主が、真の父母の立場で、天の秘密、サタンの秘密、歴史の秘密を解いて解決しなければなりません。真の父母様が準備された天寶修錬苑(清平)はそういうところです。であれば、誰もの430数の天寳家庭に向かわなければならないのではないですか???さて、お父様聖和されましたが、2013年天暦1月13日には「基元節」の行事が行われました。その時の「祝福式」はどうだったでしょうか。華やかとは言えませんでしたが、式典にはそれを演出するものがいくつか織り込まれていました。気づかれた方もいると思いますが、父母様入場に際してお孫様方が花かごを持たれていたでしょう。また、瞬間でしたが3Dで父母様が並ばれた映像もありました。フォトは(「いつも私のとなりに」さんブログから2013年の基元節はお母様がお父様を代身して(お父様の王冠で)「『天一国』宣布」をされたものでした。その後のお母様(上記フォト)はティアラをされていました。7周年の基元節での「『天一国』安着」、この時もティアラでした。 私の個人的意見としては14万4千は世界的カナン復帰で準備されていたキリスト教徒だったと思います。黙示録は預言であってそれが成就するかどうかは「人間の責任分担」によるものです。第3イスラエルとして統一教会が立ちました。子羊さんの「やもめ」ですが、旧約・新約にも「やもめ」の記載がありますが聖書に書かれた「やもめ」は夫を失った女性(貧者、弱者)ですが、その多くは神様は彼女らを保護するように説いていました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.10.13
コメント(0)
ほふられた子羊さん記事「×悪意に満ちた『奇知外』のコメントはすべて削除します!!」(2020/09/29 06:05)ですが、これは「★8 子女様と一体となることが天国にいく命綱 = 『皇族圏』」からのコメントをペースト・編集したものでした。ブログ・・奇知外さんへ貴殿は御言葉を虫食い状態にして読んでいます。都合のいい所だけチョイスして、コピーして、ダラダラとコメント欄に貼り付けてきます。貴殿は、都合の悪い御言葉に対しては見ざる言わざる聞かざるの三猿そのものです。御言葉の総合性が著しく欠如しています。以前のコメントで、私が貴殿の御言葉の捉え方の間違いを指摘したら、「そんなことはどうでもいい」と開き直りましたね。私が貴殿に質問したことに対しても、全く無視して答えませんでした。覚えていますか。貴殿はこれを自覚できない性格だと思います。統一教会に巣をつくっている共産党みたいです。貴殿にあるのは、敵対するブログなら誰彼かまわず、どんな方法であれ、崖の下に突き落とそうとする悪意だけです。貴殿には、まったく誠意がないことと、思考回路が狂っていることと、妄想の域であることと、まさに、奇知外ではなく、気違いと隣りあわせです。名を変えた方がいいです。このような理由から・・・私は貴殿とのコメントのやり取りは応じないと、以前、コメントしました。貴殿に、内的謙虚さと誠意が見えない限り、これからも変わりません。これまで貴殿のコメントはすべて削除したように、今後もすべて削除します。それにもめげずにこれまで同様にコメントを入れ削除されたものが以下です。tomy4509 id:tomy39742020/09/28 23:33>777さん ↑ IDが「777」となっているため、「777先生」と呼ばれている方もいます。「777家庭」なのか、そうでないのか今一度ハッキリとしていただけませんか? さて、子羊さんの「原理(講論)」の理解度があまりにも幼稚過ぎます。 堕落論では「生命の木=創造理想を完成した男性」、「善悪知るの木=創造理想を完成したエバ」ですが、子羊さんの解釈はそれらの木も「堕落したアダム・エバ」です。子羊さんの原理講論には「第7章 キリスト論」は白紙となっているのではないですか? -----(引用) 貴殿は御言葉を虫食い状態にして読んでいます。都合のいい所だけチョイスして、コピーして、ダラダラとコメント欄に貼り付けてきます。まともならいいのですが、おかしいです。 私が貴殿の御言葉の捉え方の間違いを指摘したら、「そなことはどうでもいい」と開き直りましたね。 以前のコメントでも、私が貴殿に質問したことも、全く答えませんでした。 -----(終わり) これに関してですが、私がみ言を虫食いにしているのではありません。子羊さんが引用された以外のみ言(子羊さんが虫食いにした)を挙げては、【注釈付き】解釈との矛盾、お父様み言の改ざんをされていたことを指摘したものでした。子羊さんの解釈が正しいというのであれば、私のそれにも通じるというものですが「合致しません」。 その一つに、「神の夫人」についてほかが「洗礼ヨハネ」の使命者として私たちが『主の路程』で聞いていたものでした。私は、お母様が「洗礼ヨハネ」といった話はお父様のみ言から聞いたこととがありません。子羊さんだけの自論でしかない、というのが私からの結論でした。 もしもお父様のみ言にそれがあれば、私は頭を下げます。 自称ルポライタイーtomy4509としてブログ村で「真理を求めて」います。 過去には、gildongのブログ記事でパイオニアカフェ情報の「サムネイルねつ造」を暴露しました。「火の粉」ブログも最後は不正アクセス者との関係を自白してはカテゴリー「家庭連合」から強制移動となっています。ブロガー・ヨンギ氏も「真の父母様宣布文」の事実関係等を巡って「逃げ腰」「逃亡者」生活を送っています。 「777先生」でもない「ほふられた子羊さん」の自論についても正しいかどうなのか、その回答を自称ルポライタイーtomy4509は求めているものです。さて、子羊さんから私にどのような質問をされて「そなことはどうでもいい」と開き直ったでしょうか。「み言改ざん」、間違いの指摘をしている私に質問そのものが「愚問」というものです。事実、私以外の方からの「み言改ざんしている」とのコメントもあったでしょう。それに対しての子羊さんの回答は◆子羊さん曰く「私のブログ記事が、御言葉によって間違いであるなら今日にでも閉じる」https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/202009010000/ でした。子羊さんが異見を持った二人だけに対してではなく、本記事としてネットで(全世界に)公言されたものでした。しかしながらその後の対応はというと、同じ【注釈付き】のみ言改ざんを繰り返しては私からの反論コメントを次から次へと削除する有様です。もしも子羊さんの【注釈付き・虫食い】み言が正しい、というのであれば、私からの「虫食い」み言の説明も出来るでしょうが?また、私が子羊さんに「悪意を持って」というのであれば、子羊さんは家庭連合に「悪意を持って」はみ言を改ざんし、真の父母様のアイデンティティーまでも引きずりおろそうとしているのがあなたのブログ記事です。1960年の(教会次元の)「小羊の婚宴」すら認めていないため「真の父母様」そのものまでも否定されている「共産党」とは誰のことでしょうか?ところで「奇知外記」ですがブログ名で、お父様の三文字同様に様々に言われて来ました。「火の粉」ブログには6年を要しました。「強制カテ移動」の結果は? (「火の粉ブログ」、2019/06/18)<注2>キチガイキが不正アクセスがどうしたこうしたと長く騒いでいたけど、不正を働いたのは「雉も鳴かずば」〓「加油」。キチガイキの警察への訴えによって、「雉も鳴かずば」〓「加油」は富山警察に出頭し、謝罪し、不起訴(あるいは起訴猶予)になった。加油の人間として良くないことは、キチガイキがしつこく小生(火の粉)を攻撃しているときに、知らん顔をしていたことだ。個人メ-ルでの釈明はありましたが。ヨンギ氏は「まるバツクイズ」からですから何年のお付き合いになるでしょうか?子羊さんはどれだけ持ちこたえられるか? 今後ともヨロシクお願いします。ところで、話は変わりますが、家庭連合の「ソーシャルメディアの取り組みについて」からの一部引用ですが、2.2 過失があった場合は責任を持って、速やかに素直に謝りましょう。間違っていないことに対し、安直に謝罪する事がよいわけではありません。しかし、強情を張っているとさらに炎上する場合があります。何に関して謝るのかを明示した上で謝罪し、謙虚な姿勢を示しましょう。とあります。私自身に間違いの指摘があれば、速やかにその事実関係を調べては訂正し、また、謝罪もしてきました。例えば、【訂正記事】”Re:天の父母様聖会の正体が『こ、れ、だ』---ヨンギ氏ブログの間違い”一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.30
コメント(0)
ヨンギ氏記事「神様はお父様を通じて統一家の混乱を正確に予言された、」コメント欄からのペースト:1.お父様は「統一家の混乱を知っておられた」、そして、そのようになったのだということですか?お父様だけでなく、これまでの人類の堕落歴史がそうであったとことを語られていたものではなかったでしょうか。そして、そうならないようにと警鐘を鳴らされていたのがこのみ言の真意であったと思います。「人間の責任分担」を果たすかどうかの岐路に立たされた時、どうするかです。天が準備した回答は「絶対服従」でしたが、束草のお父様の「GPF停止命令」、また、「真の父母様宣布文」に対してどうあるべきだったでしょうか?!peace 2020-09-27 00:42:023.>ヨンギさん統一家の分裂を助長しているのはあなたです。カビ情報、ニセ情報、デマ記事、み言改ざん……顕進氏は郭家の「養子養女文化」を受け入れた婿養子、統一家の伝統に「絶対従順」でないのに統一家を名乗る資格も有していません。「真の家庭」とは、相対者が共にあってこそ成り立つものです。聖和されておられるとしても孝進様家庭、興進様家庭が「真の家庭」として立っておられます。霊界についても語られたお父様です。霊界は間違いなくあります。もしも、それを否定されるとすれば「共産主義」そのものと何ら変わるところがないでしょう。お父様、孝進様、興進様は霊界におられ、いずれは私たちも永遠のそこに行くことに間違いがありません。果たしてその時、真の父母様(神様)や子女様方にお会いすることが出来るでしょうか?このままいけば、郭家は別のところで暮らさなければならないのではないですか。地上が大切です。地上でつながらければ……。まだお母様が地上におられることが希望です。あなたも統一家の分裂を喜ばないのであれば、それを助長する(郭家を宣伝する)デマ記事を書かれないようにすることです。祝福権移譲の「まるバツクイズ」のそれすら、その事実関係を確認していないでしょう。「爆破者宣布文」もボケ老人をダマしてとか、「真の父母様宣布文」も同様にといった具合で、顕進氏を追い出したなどとの「虚偽のストーリー」を拡散しています。映像からお父様自身の意思でされておられたことも認めようとはしないのは何故ですか。宣布文の映像で、「豚野郎」はUCIの理事に入った郭家の長男と婿養子を指してのものでしたし、50年60年韓国を任せた人物は郭錠煥氏その人ではなかったですか!! これらも自称ルポライタイーtomy4509が確認して書いていたものでした。否定は出来ないでしょう。これまでのあなたのデマ記事を認められ、郭家から離れることです。それが統一家の分裂を解決していく道です。霊界のお父様にも聞いてみてください。peace 2020-09-27 07:45:10コディアック「盗賊認定」動画(2011年7月末)子羊さん記事「★8 子女様と一体となることが天国にいく命綱 = 『皇族圏』」コメントからのペースト: tomy4509 id:tomy3974 4時間前>子羊さんへ「子羊さん記事はみ言改ざん」をしているとのコメントを私以外の方が師としていました。それに対してのあなたの回答は「み言に間違いがあればブログを閉じる」と明言されていたものでした。私からも「み言改ざん」の指摘をしてきました。少なくとも二人があなたが「み言改ざん」しているとの異見を述べています。さて、『皇族圏』についてですが、黒・天聖経からは長子権復帰、父母権復帰、王権復帰の上で「皇族圏」でした。それらを復帰して来られたのは真の父母様でしたし、天の父母様の前に「直系子女」とは真の父母様でした。それに続くのが傍系子女(子女様、祝福家庭)ということです。但し、それには「人間の責任分担」があるということです。ために「氏族メシヤ」をしなさい、ということでした。子女様といえども黒・天聖経からは「皇族圏は直系(真の父母様)を中心として、相対的関係をもって、そのままついていくのです。」のみ言があります。顕進氏家庭、亨進氏家庭はそのようになっているでしょうか?今回記事の引用そのものに【注釈付き】はないにしても、その前文が「注釈」となっていました。それによって一部の引用された【注釈付き】でそれ以外のみ言までも間違った方向に引っ張ろうとしているのがあなたのブログ記事です。黒・天聖経だけ見ても「真の父母」の単語は1000を越えています。その「真の父母」が居ない、間違っていたというのであれば黒・天聖経そのものの引用も無駄というものです。今回の私からのコメントもまた「非公開」とされるとすれば、「777先生」と呼ばれる方もいますが、もはやあなたには「正論」といえるものはないでしょう。「ほふられた子羊」としてそれが神様が喜ばれる『祭物』であるかどうかの審判を受けられるべきです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.27
コメント(0)
「皇族圏」については、子羊さんが引用された「黒・天聖経」の同じく「真の家庭と家庭盟誓 第三章 家庭盟誓第三節の解説」から多く発見することが出来ます。(2) 三大権限の復帰が人類歴史三大王権には、必ず第一創造主、第二創造主、第三創造主の概念が入っていなければなりません。この概念が入っていなければ、三大王権は出てきません。ですから、神様は過去の先祖であり、アダムは現在の先祖であり、アダムとエバの息子は未来の先祖です。先祖の概念が入っていなければなりません。その概念が入っていなければ、三大王権が出てこないのです。それから、皇族圏は直系を中心として、相対的関係をもって、そのままついていくのです。*復帰歴史の総合的な結論として、長子権復帰、父母権復帰、王権復帰、皇族圏復帰です。長子権復帰の目的は、父母権復帰です。父母権復帰の目的は、王権復帰であり、王権復帰の目的は、皇族圏復帰です。これが四大心情圏です。おじいさん、父、自分たち夫婦が三大王権を象徴します。おじいさんは過去を象徴し、父母は現在を象徴し、自分たち夫婦は未来を象徴します。そして、おじいさんは霊界の特権大使として自分の家庭に送られた方なので、おじいさんの言葉に絶対服従する家庭は繁栄します。*救援摂理歴史は、カイン、アベルが一つになって母を取り戻し、父を取り戻す歴史です。失ってしまったので、これを取り戻さなければすべてのものは無駄になるのです。母を取り戻し、父を取り戻したのちには、家庭を取り戻すのです。そのようにすることによって、永遠の理想家庭をこの地上で成し遂げるのです。最初は長子権復帰であり、二番目は父母権復帰です。これが一つになって初めて王権を復帰するのです。本来、アダム家庭は王宮です。アダムとエバ(真の父母様)は王と皇后なのです。男性は天を象徴し、女性は地を象徴するのですが、二つの世界の王権が堕落しないで完成していたならば、理想的な家庭になっていたはずです。それがアダム家庭の理想です。その次には皇族圏です。3. 皇族圏を完成することを(1)天国は愛の皇族圏が行く所天国は、神様の愛を中心として王子、王女となり、王と皇后の愛を受けた皇族たちが入っていく所です。今日、キリスト教では「イエス様を信じて天国に行くのだ」と言っているでしょう? どのようになるか、行ってみなさいというのです。文総裁の言っていることが正しいか、正しくないか、行ってみれば分かるはずです。それは、理論に合っていません。今までのすべての宗教は理論に合っていないのです。*アダムとエバは誰ですか。神様が被造世界の王だとすれば、アダムとエバは、その王の愛の相対者であり、皇族圏を相続する皇太子です。王子、王女です。堕落していないアダムとエバはそうだというのです。全宇宙の大王であられる神様を中心として生まれた長男と長女が、アダムとエバだったということをはっきりと知らなければなりません。*天国に入っていくことができる人々は、神様の愛の直系子女であり、天国の王孫として……。神様の前に王子、王女の門を経なければなりません。天国はどこでしょうか。王孫として、皇族として行く所です。この地上で模範的な兄弟の友愛の直系子女と傍系的子女となり、模範的な一つの一族と国家を形成した立場で、皇族の名誉をもって生きたのち、そのまま移動していく所が天国です。*今から皆さんは、真の愛を中心とした皇族にならなければなりません。アダムが直系子女とすれば、傍系子女であるその兄弟や姉たちは、すべて民となるのです。それゆえに、天国の王子、王女の愛を備え、その権威と威信を堂々ともち、生涯の路程において足どりも堂々と威信をもって入っていかなければならない所が本郷の国、天国であるということを知らなければなりません!*世界を愛さなくては、入っていくことができません。世界が私のものであり、世界の人類が私の一族だといって愛してこそ、入っていけるのです。神様の代わりに、彼らの痛みを私の痛みのごとく感じることができる位置に立つことができなければ、天国の王子、王女となることはできません。神様はそのようなお方です。そのような方が、王子、王女の位置に立つことができなければならないのです。それで、長子権復帰、父母権復帰、王権復帰です。その次には皇族圏復帰です。最後にこの門をすべて通ることなくしては、本然の世界で神様と出会うことはできません。先ほど話した根を探し求めていって結果が一つとなり、すべてのものが自由天地で循環するにおいて、衝突することなく歓迎一色で自分を迎えてくれることができるのかというのです。天上世界に行こうと、地獄世界に行こうと、その人が通り過ぎればみな頭を下げるのです。*長子権復帰ができなければ、父母権復帰ができません。本然の兄弟を失ってしまったので、再び取り戻したその基盤の上で父母の位置に上がっていくのです。復帰は反対に行くのです。父母を取り戻したのちに父母、すなわちアダムとエバが王になるのです。氏族を中心とした王権、王権を中心として傍系的な血族が広がり、一族が広がることによって皇族圏が広がっていくのです。これが復帰摂理の全体の結論です。これは伝統的結論なので、誰もがこのようにならなければなりません。そのようになってこそ、真の父母の息子、娘になるのです。*四大心情圏と三大王権を、私たちの家庭で成し遂げなければなりません。これを完成した人々は、今日、イエス様を信じる必要はありません。先生も必要ありません。そのまま、神様の玉座の前に直行するのです。そのようになれば、神の国の皇族圏が始まるのです。皇族圏が始まろうとするならば、このように生き、今後、先生の息子、娘と同じ血統にならなければなりません。何の話か分かりますか。先生の息子、娘と姻戚を結んでこそ、皇族圏を連結させることができるということです。*完成した家庭とは、何を中心として築かれるのでしょうか。四大心情圏と三大王権、皇族圏の生活をすることによって初めて家庭理想、神様の創造理想が完成するのです。そして、王家にならなければなりません。王家は、王を中心として一つにならなければなりません。それで、皇族圏内で暮らしたのちに行く所が天国です。そこで暮らしたのちに移っていく所が天国です。*四大心情圏と三大王権を成したのちに皇族圏に入っていくのです。それを中心とした真の愛の位置が皇族圏の位置です。天国まで無事通過です。それが神様のアダム家庭に対する理想です。そこに真の息子と真の娘の完成があるのです。兄弟の完成がそこにあります。そこに夫婦完成と父母完成があるのです。ほか「今後、先生の息子、娘と同じ血統にならなければなりません。何の話か分かりますか。先生の息子、娘と姻戚を結んでこそ、皇族圏を連結させることができるということです。」ですが、別のみ言「皇族圏は直系を中心として、相対的関係をもって、そのままついていくのです。」にも私たちは留意していかなければなりません。見る価値無しの子羊さん記事タイトル「★6〔顕進様、亨進様〕と〔信徒たち〕が一体となる以外に救済の道はない!!それが皇族圏です。」だけ紹介して、「ほふられた子羊(祭物)さんブログはみ言改ざんしている(その2)」とします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.26
コメント(0)
これまでも子羊さんのブログから削除された私・自称ルポライタイーtomy4509のコメント群を【メモ書き】として転載して来ましたが、果たして、これらコメント群が私の自作自演なのかの疑問を抱かれる方もいるかもしれません。これまでの経緯があまり理解されておられない方は、私の過去記事(以下)をご覧ください。ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その1)(2020.08.26)【メモ書き】ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その2)(2020.08.26)子どもの「暗号文遊び」、子羊さんにオサラバです!!(2020.08.26)子羊さん曰く「私のブログ記事が、御言葉によって間違いであるなら今日にでも閉じる」 (2020.09.01)「子どもの「暗号文遊び」、子羊さんにオサラバです!!」は、ブログ更新を停止されたら如何ですか? の意味です。【メモ書き】ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その3)(2020.09.06)ほふられた子羊さん(平和太郎さん)からのコメントについて(2020.09.08)私から子羊さんへは質問ではなく、子羊さんの間違いの指摘をしているものです。私に対して「原理性の論理が欠けている」ということですが、その言葉をそのままお返ししてきたのが私からのコメント群です。先ずもって「お母様が洗礼ヨハネの使命」などといったお父様のみ言は、果たして、在るのでしょうか?子羊さんからの【注釈無し】のお父様のみ言の提示(回答)もありません。存在しないみ言で〝虚偽〟を語る子羊さん(祭物?)の悪意(2020.09.11)【メモ書き】ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その4)(2020.09.18)子羊さんへ--文鮮明総裁み言『御旨と世界「創立以前の内的教会史)」(1977年5月1日 ニューヨーク ベルベディア)』(2020.09.18)【メモ書き】ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その5)(2020.09.24)さて、以下は「★6〔顕進様、亨進様〕と〔信徒たち〕が一体となる以外に救済の道はない!!それが皇族圏です。」から実際に非公開とされた私のコメントです。私の別ブログのコメント履歴に残るものであり、これまでのコメント群も同様です。何よりも私が気がかりとしたことは、子羊さんのプロフィールに掲げられた「777」でした。これを見ては「777先生」と仰ぎ見られる読者コメントも見かけました。しかしながら、私からの質問に対してはハッキリと子羊さんは「777家庭ではない」と応えていました。その「777家庭」でもない方が幼稚な原理解釈でお父様のみ言に自分勝手な【注釈付き】歪曲・改ざんしたみ言拡散には大きな疑問を感じざるを得ません。「777」の御旗を下ろされるべきでしょう。また、記事「このブログを閉じるとするなら・・・・」(2020/07/25、以下はその一部)は私でないほか読者のコメントに応えられたものでした。コメント者もまた、私同様に子羊さんの【注釈付き】のみ言改ざんに対しての怒りを発せられていたもので「子羊さん曰く「私のブログ記事が、御言葉によって間違いであるなら今日にでも閉じる」 」は子羊さんから出ています。「★6〔顕進様、亨進様〕と〔信徒たち〕が一体となる以外に救済の道はない!!それが皇族圏です。」から非公開となった私のコメント「777家庭」でないほふられた子羊さん(祭物)さんへ 「777家庭」でもないにもかかわらず、ブログプロフィールに「777」を掲げられる子羊さんに大きな疑問を感じてきました。中には「777先生」と呼ばれる読者の方もいます。 さて、 > 昨日の記事の御言葉に私なりの注釈とコメントを入れてみますので、ご確認お願いします。もちろん、注釈の内容は個人差があります。 ですが、子羊さんの「自論」(「持論」ではありません。)でしかなくあまりにも「個人差」の落差が大きいです。また、子羊さん自身の注釈・コメントにも大きなズレが生じているようです。 子羊さんの「暗号解読表」からは、 ・アダム=堕落アダム=お父様 ・エバ=堕落エバ=お母様 であり、いずれも完成されておられないが子羊さんの意見でした。当然、そこから生まれられた子女様方も「原罪清算」されないままということになります。私たちとの間にどれだけの違いがあるというのですか。その顕進氏、亨進氏につながったところで何ら変わるところがありません。 自論そのものが【矛盾だらけ】です。 お父様のみ言一部(注釈付き)を挙げながら、ほかのみ言とかみ合いません。その一つが「第三アダムは無原罪のエバを探して」子羊の婚宴をするはずでしたが、子羊さんのこれまでの内容からはその「子羊の婚宴」すら出てきていません。そこから生まれた子女様方も、やはり、ということです。 前回の記事と今回の記事の注釈の違いもまた、(矛盾した)自論を正当化するための書き換えではなかったですか? ・(先生と子女様たちが)怨讐(統一信徒たち)を愛さなくてはできません。 ・(直系の子女様たちが)怨讐(皇族圏・統一信徒たち)を愛さなくてはできません。 長子権復帰といっても「長子権(完成アダム)」「長女権(完成エバ)」がなければなりません。でなければ、神様を中心とした(真の)父母権、王権(王子、王女の対で話されています)も成立しません。 原理はペアシステムです。それを崩そうとするのが「悪神の業」です。真の父母様と子女様「家庭」、父母様と祝福家庭です。子女様といえどもその相対が別の方向を向いていたとすれば「皇族圏」から外されるということは、すでに私たちは「堕落論」で学んだものです。アダム一人であっても神様の前に進み出ることは出来ないという相談です。まして、お父様「お一人様」ではどうですか? 子羊さんの自論はそれでしょう!! 「原理講論」の教えともマッチしていません。 「天宙天地人真の父母定着実体み言宣布大会」はそれを宣布された大会でした。私からは真摯に子羊さんのお父様のみ言との相違を述べています。これに対して子羊さんの注釈無しで「正論」だというものがおありでしたら提示してください。 ほふられた子羊は「祭物」です。祭壇に上がった「祭物」には口がありますか? 子羊さん自身がブログを祭壇に揚げられました。 ◆子羊さん曰く「私のブログ記事が、御言葉によって間違いであるなら今日にでも閉じる」https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/202009010000/ こうまで宣言されていました。「個人差」の捉え方の違いはない、ということです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.26
コメント(0)
子羊さん記事◆「(それでこそ真のアダム)お父様はお母様を真の愛をもって保護された」から非公開になった私のコメントtomy4509 id:tomy39742020/09/20 08:29何度でも申し上げますが、「真のお母様=堕落エバ」の解釈については大間違いです。 「『祝福家庭と理想天国』第2章 5、イエス様の祝福とキリスト教思想」末尾からの引用(以下)です。 -----(引用) イエス様が、母マリヤの前に立って、三度痛哭しながら訴えたということを知らなければなりません。イエス様が三十歳になるまで、母マリヤは哀訴を聞き入れなかったので、(イエス様は)ふろしきを背負って家を出て、公生涯の路程を出発したのです。 それでは、母マリヤがすべきことは何でしょうか。イエス様に妻を迎えることのできる相対的因縁を整え、歴史的基盤を備えなければならないのです。イエス様がそのような基盤を完結するためには、母子協助をして、息子が恨みの多い道を行くに当たって、母親がすべての責任を負うべきなのです。そして、イエス様の新婦を選び出してヨセフ家庭の基盤の上に、神様を中心とする聖婚式を挙げるべきでした。ところが、それが夢と消えてしまったのです。マリヤ自身は、生活問題、自身の相対問題に縛られ、暮らしていくのにきゅうきゅうとしていたのです。(56) これまでの、母子協助は、息子を探し求めるためでした。マリヤはどんな存在だと言いましたか。「僕です」。(マリヤは)息子を生みましたが、僕の体で生んだのです。ですから、イエス様には、新婦がいなければなりません。創造の原則に従って女性を創造しなければなりません。イエス様はアダムの立場で、失われたエバを探し出さなければなりません。そうしてこそ、結婚できるのです。 ところが、イエス様はエバを探し出しましたか。探し出せませんでした。ですから、イエス様は再び来なければなりません。再び来て妻を迎えるのです。妻を迎えられずに死んだので、結婚するために再び来るのです。イエス様が妻を迎えるという思想はキリスト教の思想です。(笑い) ゆえに、再臨の主が来られるときには何の宴会が催されると言いましたか。「婚姻の宴会です」。婚姻の宴会とは何ですか。婚姻の宴会とは嫁ぎ、めとるという意味です。婚姻の宴会とは結婚の宴会です。そうですね。「はい」。こんな話をすると異端だと大騒ぎをします。(キリスト教徒は)無性にねたましくなるのです。 婚姻の宴会、すなわち小羊の宴会をしようとするならば、イエス様の新婦が必要です。新婦を探し出さなければならないのです。【その新婦とは誰かというとエバなのです。堕落する前のアダムと共にいたエバなのです。再臨の主は三人目のアダムです。イエス様は二人目のアダムであり、その後来られる主は三人目のアダムなのです。そして、三人目のアダムが堕落前のアダムの立場で来て、堕落前のエバを探し出さなければなりません。堕落していないエバを探し出して、小羊の宴会をしなければなりません。結婚して人類の父母となるのです。】 人類の父母となるはずだったアダムとエバが堕落することによって悪の父母となりました。したがって、私たちが堕落する前の善なる父母をもつようになれば復帰は完成します。それゆえ、人類には、善なる父母がいなければなりません。小羊の宴会をするのは、善なる父母として即位するためです。キリスト教思想は簡単です。これがキリスト教思想の骨子なのです。(36-263 1970.12.6 韓国 前本部教会) -----(引用終わり) この中の「その新婦とは誰かというとエバなのです。堕落する前のアダムと共にいたエバなのです。再臨の主は三人目のアダムです。イエス様は二人目のアダムであり、その後来られる主は三人目のアダムなのです。そして、三人目のアダムが堕落前のアダムの立場で来て、堕落前のエバを探し出さなければなりません。堕落していないエバを探し出して、小羊の宴会をしなければなりません。結婚して人類の父母となるのです。」ですが、「第3アダムは堕落前のエバを捜し出して小羊の婚宴をする」と、子羊さんの持論とは真っ向から違っています。この場合、「お父様のみ言」と「子羊さんの持論」とではどちらに軍配を上げるべきですか? 子羊さん、今回も私のこのコメント(お父様み言)も非公開とされてご自身の持論を押し通そうとされるのであれば、子羊さんの持論そのものにもはや「正論」はありません。 ◆子羊さん曰く「私のブログ記事が、御言葉によって間違いであるなら今日にでも閉じる」https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/202009010000/ は、子羊さんあなた自身の宣言です。真摯な対応をお願いします。 【追記】 子羊さんは「777家庭ではない」と明言されていました。 「777先生」と呼ばれる方もいますが?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.24
コメント(0)
文鮮明総裁み言『御旨と世界「創立以前の内的教会史)」(1977年5月1日 ニューヨーク ベルベディア)』、青文字は、子羊さん記事「◆重要な御言葉・・・「アダムの再創造」、「エバの再創造」の概要が分かる御言葉!!」で引用された部分です。茶太字は、自称ルポライタイーtomy4509がコメントで指摘した引用部分です。私からの指摘した部分を続けて読めば子羊さんの【注釈付き】解釈「エバ=お母様」は消失してしまいます。ほか、【注釈付き】解釈「エバ=お母様」も絶対的なものとは言えません。子羊さんの暗号解読表も絶対的なものではないということです。一つの言葉、特には「エバ=お母様」に限定して全てを読むことなど出来ません。先ずもって、「お母様が洗礼ヨハネの使命者」だというお父様のみ言が存在しませんし、1990年前後まではお父様の後ろからついて来られたお方がお母様でした。「先駆けて主の道を正していくのが洗礼ヨハネの使命」でしたが、逆にはお父様がお母様の道をも開拓してこられた、というのが事実です。エバの再創造とはこういうことではないでしょうか?創立以前の内的教会史1977年5月1日 ニューヨーク ベルベディア◆はじめに 縦的な摂理歴史を横的に蕩減復帰することによって、み旨を成し遂げようとして、歴史の中に働いてこられた神は、韓国においても、教会を創立した一九五四年よりはるかに前から働いてこられて、「新時代が来たり、大いなるみ業が成されん」と韓民族に約束された預言を成就してこられました。これは私たちの教会の創立に関連しての、最も重要かつ偉大なる、神のみ業についての証です。 ◆復帰路程の三段階 原理的観点から見て、神の摂理路程は三段階に分けられます。神自身を中心とした摂理、天使界を中心とした摂理、そして人間を中心とした摂理です。 まず旧約時代は、神が直接働き給うた期間であり、未来の摂理基台を造成する準備をするために、神御自身自ら先頭に立って、自ら模範を示しながら導いてこられました。次の新約時代は、天使を中心とした摂理時代であり、天使界の働きに相当する霊的摂理として、霊的救いのみを成就する時です。そして最後の成約再臨時代は、実体人間の摂理です。そして人類歴史の終末期において、これらの神の摂理全体を代表する国、すなわち歴史の主要なる局面のすべてを縦的に取り戻す、一なる実体国家が現れなければなりません。 ここでアブラハムの供え物について見てみますと、彼は、祭壇上に鳩と羊と雌牛の三種の供え物を捧げました。ところがその時、鳩と羊は一対でしたが、雌牛だけは単独で捧げられたのです。それは摂理歴史において、一対の鳩で象徴される蘇生期と、一対の羊で象徴される長成期は成就しましたが、一頭の雌牛で象徴される完成期だけは、まだ成就しないことを意味するというわけです。そしてそのいまだ成らざる人類史の最後の章を成就するために、韓国が神によって備えられました。ですからこの国において、アブラハムの供え物のすべてが、横的に、実体的に現れなければなりません。 またこの国において、旧約時代を代表する神のみ業と、新約時代を代表するイエス様と聖霊の役事と、成約時代を代表する再臨の主のみ業が現されなければならないのです。それらのすべての摂理の基台が、この地上のどこかに実体的に立てられなければならないからです。 ◆女性の道 神の最終目的は、一人の完成されたアダムの創造でありますが、そのためには、エバが見いだされずしては、アダムは生まれ出てきませんし、エバを通してのみ、アダムも完成することができるのです。言い換えればアダムは、神によって送られた中心人物ではありますが、アダム一人だけでは全責任分担を全うすることはできません。エデンの園における人間堕落の動機については、全面的にエバに責任があるのですから、復帰においても、堕落の蕩減をするエバが現れて、その責任を果たさなければ、アダムの完成の道がないというわけです。 しかしまた、そのエバもまた、アダムなしには完成する道がなく、エバが完成するためには、まずアダムを生み出し、そのアダムから創造されなければなりません。結局、まずアダムが、この地上に生まれ出てこなければならないことになりますが、そのことに対しては、直接責任があるのは神でもイエス様でもなくて、その責任はエバにあるのです。エデンの園でも、エバがアダムを破滅させたのですから、アダムを育て、生み直す責任はエバにあるというわけです。 二〇〇〇年前のイエス様の時には、洗礼ヨハネがそのイエス様の相対の使命をもっていて、彼の使命が完遂されることによってイエス様がメシヤとして来るようになっていました。同様に再臨主の時には、エバ(女性の代表者)が洗礼ヨハネの役割を果たさなければなりません。しかも二〇〇〇年前には国家基準においてでしたが、再臨時代においては天宙的基準においてその使命を果たさなければなりません。 復帰摂理は、神の王座という最高の立場から出発するのではなく、人間としてのあらゆる面で、最低の立場から出発しなければなりません。なぜなら、アダムにこそ全人類の復帰に対する全面的な責任があるのですから、アダムは、その路程を地獄の最低の所から出発して、あらゆる人間の立場をすべて体験しながら、神の王座に至るまで上がっていかなければならないのです。そしてそこでエバに会い、初めはそのエバに仕えて、自らをアダムとして完成させていかなければなりません。 女性のもち得る最も尊い名称は、「母」でありますが、アダムは、その尊い自分の母に仕えるごとく、エバに侍らなければならない期間があるのです。また女性のもう一つの名称は妻あるいは花嫁であり、第三には、母、妻という家庭内にとどまる存在に対して、外的にはすべての女性の立場と栄光のうち最も高いものである女王です。そしてもちろん、これらのすべてを総合した神の国の女王が、女性だというわけです。女性は最終的には、このように三つの局面をもっているのです。 女性なら誰でも、もし、「あなたは良き母になれると思いますか」と問われたら、女性なら当然のこととして普遍的に、「はい」と答えることでしょう。それは「良き妻になれると思いますか」と問われたときも同様で、普遍的に「はい」と答えるでしょう。事実、女性である限り誰でも普遍的に、母と妻の役割はうまく果たせますし、これらの名を得る資格があります。 しかし、「あなたは女王になれると思いますか」と問われた場合、現実には社会においてすべての女性が一国の女王になれるわけではありません。誰が女性に女王の名を与え、その資格を認めるのでしょうか、神様でしょうか、それともイエス様でしょうか。 原理的にも、エバは、アダムに会うまではその名を与えられないというのです。しかし歴史を通して、この地上に数知れない多くの男性がいましたが、そのすべてが堕落したアダムの立場でしたので、実際は神の側の女性にとって、一人も真の男性がいなかったというわけです。ですから女性は長い間その名を受けることができず、歴史を通して常に誤った扱いを受け、虐げられてきたのです。そして歴史を通して、悪なる人、悪なる家庭、悪なる社会、悪なる国家、そしてサタンから悪なる方向に利用されてきました。 ◆女性解放史の原理的背景 それではいつ女性は解放の時を迎えるのでしょうか。キリスト教はこれを明らかに示しているのですが、すべての女性は一人の完成した男性を待ち望んでいて、その男性に会うまでは命によみがえることができないのです。ですから過去の全歴史を通じて、惨めな女性の歴史が続いてきました。 このように常に縛られてきた惨めな女性の立場に対して、一九一八年から一九八八年までの約七十年間は、多くの女性上位運動が起こり、女性の位置が向上してくる時で、男性を支配しようとする女性たちすら出てきます。最も典型的なウーマン・リブ運動の国はもちろんアメリカですが、今日のアメリカ社会でなら、ある意味ですべての女性が普遍的に、女王の役割を果たしているともいえます。この国では、女性たちが主人のごとく振る舞い、男性たちは小さくなってビクビクしていることが多いのです。 しかし本来の女性の立場はこういうものではなく、歴史的にも、聖書に書かれたヘブライ史を見てみると、女性の権利などというものはほとんど与えられていなかったことが分かります。そして神の摂理の中心的役割を果たしてきたのもすべて男性であるというように、聖書的概念によると、現代のかかる主管性転倒的状況は、正に異常な事態であるといえます。また聖書には女性は「ベールを被るべし」とありますが、それは女性は謙遜であるべしという意味であって、謙遜な立場で夫に会おうとする、ヘブライの女性の立場を表しています。 しかし、現代においてはどうかというと、ベールを被るどころか、自分の身に着けた衣服まで取ってしまう者まで現れてきました。先日先生は、ニューヨークの街で信じられないような光景を見ました。何人かの貧しそうなみすぼらしい男たちが、集まってピケを張り、デモンストレーションをしているのですが、そのプラカードには何と、「女性たちよ、我々を解放せよ」とあるのです。それは実にほかでもない、「男性解放運動」だったのです。 それにしても先生は、彼らが、原理を知らないがゆえにこういうことで時間を無駄にしていることを、残念に思わずにはいられませんでした。このようにこの世界に起こっている一時的、時代的な現象ですら、ただ漠然と起こっているのではなく、すべて背後には原理的な背景があるのです。 ◆神様の女性観 では、女性が権利を主張して、女性上位運動を続けていく期間は、どうして七十年間なのでしょうか。それにこの八八年までの期間はどういう時かというと、人類史上でも最も危機的な時代であり、神の全復帰歴史を終結せんとしている終末期に当たります。七十年は完成を意味しますが、今や女性は、女性本来の立場を回復しつつあります。それは真の男性に会う準備をする七十年間であるともいえます。ですからアメリカにおいて、女性が能動的、主導的になることにも理由があるわけです。しかし、時が来れば女性は、本来の相対的、受動的立場に戻るべきであり、その時が既に来たのです。それにそうしなければ女性はすべての男性を失ってしまうことでしょう。女性は、女性らしいしとやかな人と思われたいでしょうか、それとも、勇敢で男のような性質の人と思われたいでしょうか。 また男性の方も、男らしい奥さんが欲しいものでしょうか。先生がアメリカで祝福をした時、ある驚くべき事実を発見しました。先生が西洋の男性たちに、どんな女性、どの国の女性と祝福されたいか、と尋ねたところ、何と九九パーセントの男性が、「東洋の女性がいい」と答えたのです。西洋の男性と東洋の女性の組み合わせはよいでしょうが、西洋の女性が東洋の男性を夫にもつ場合には、不利な条件があるかもしれません。第一に女性のほうが背が高いということです。一般的に女性の中には、背の高い男性を夫にもちたがる人が多いし、男性のほうは、自分より少し低めの背丈の人を妻にしたい人が多いといえるのです。 女性のほうがより低く見えるほうが、より自然であり、正常であるといえるでしょう。神は、女性が常に男性を見上げ、尊敬するように、概して女性を男性より低くつくられたのです。それは女性のためにそうされたのであり、もし女性のほうがより高かったら、歴史を通して女性は、もっとトラブルの多い悲惨な道を歩んだに違いありません。神はまた、子供を生むために強い土台が必要であり、ほとんど家の中に座っている立場にある女性に、安定した下半身を与えられましたし、男性は、常に立っていて、女性のために働き、走り回っているので、やせてたくましくつくられています。 神は、神御自身の概念、構想理想に従って創造されましたが、それによると、男性は主導的、能動的であり、常に働いて実績を得てくるべく造られているし、女性は常に消極的、受動的で、夫を待っているというように本来造られているというわけです。 神が本来女性に与えた立場に帰る時が来ました。ことにアメリカの女性はそうしなければなりません。アメリカ社会では、女性があまりに強すぎるので、本来女性にあまり主管されたくないようにできている男性は、女性と一緒にいたいと思わないものですから、結婚してもなかなか一体化しにくいのです。男性は結婚しても、ホテルかアパートの個室に住みたいという人もいます。それに女性は結婚すると、金や楽しみやすべてのものを男性から奪い、いざ離婚するとなると、男性に何百万ドルもの莫大な慰謝料を請求します。ですからアメリカの社会通念によると、男性は一回以上、二回も離婚すると、惨めにも貧しくなり、女性からすべてを奪い去られてしまう。しかし女性のほうは逆に、二回も離婚すれば、ますます金持ちになるということです。そしてそのことにも意外な原理的理由があるのです。 神は男性に、サタン世界のすべての富にあずかることを許されました。そして歴史上にサタンは、女性を利用してその男性のもつすべての富を奪い取ってきましたので、今日終末時代に、神がすべてのものをサタンから奪い返そうとする時にも、女性を用いるというわけです。そういう摂理的理由があるのです。 では、どこに真の母、妻、女王を見いだすことができるでしょうか。今のアメリカ社会のホームにおいては到底見いだせません。女性たちを真の妻、母たるべく再教育しなければここにはいないというわけです。 ◆摂理の中の女性(一)神の花嫁 神は歴史を通して、一人の完全な理想の女性を探し求めてこられましたが、すべての女性の中で誰が、真の妻、真の母、真の天宙の女王に値するのでしょうか。ある意味ではすべての女性が、それらの範疇に属し得るそれらの候補者であるといえます。 女性が権利を主張して上位運動を起こし力を得てきたのは、終末期に神が、実体聖霊を選ぶ徴候だと考えられます。神は終わりの日には、最も典型的な真の妻、母を動員しようとしますが、彼らは自らをサタン世界のすべてから完全に分別して、神を中心とした典型的な妻、母、女王として神に来なければなりません。神は、そのように過去のすべての因縁を断ち切って、神に帰ることのできる勇気ある女性を探してこられたのです。そして神中心のある女性を選び出されました。そして神はその女性に命じられました。「あなた自身の今いる環境にありながら、サタン世界を完全に断ち切って勝利的な女性として立つために、神に対する絶対的な忠誠をもって真の女性としての使命を果たしなさい」と。 そしてその女性が、自らを完全に神の目的のために神の器として捧げ、神に服従せんと決意した時、サタン側に立つ夫が現れて、子供と一緒になって、「私のもとに帰ってきて忠実な妻として仕えないのなら、お前を殺さなければならない」と言って責め寄ってきたのです。子供も、帰ってこなくなったお母さんに、「どうしてお母さんは私たちを愛さなくなったのですか」と反抗するようになってくるし、周囲の人々、環境のすべてが、絶対的な信仰と忠誠を決意した彼女の道に激しく反対するという状況になってきました。 神はその女性が想像を絶する苦難に耐え抜いて、夫と子供との情的な因縁をはるかに超越した、そこまで絶対的に神を中心とした、信仰の極致にまで行くのを見届けなければならなかったのです。その女性がそのような蕩減や試練を通過していようとは、神ならぬ誰も知らなかったのですが、真のエバを復帰するためには、そのような人知れぬ試練の道を通過しなければならなかったのです。 この女性が真に神を中心として立つためには、神への忠誠のゆえに、夫と子供、全家族が、一度ならず二度、三度と、三回以上彼女を殺そうとする試練を通過しなければならないというのです。その女性は夫と子供の憎悪の対象となる心情的十字架を耐え忍び、ナイフで体を切られたりして迫害されながらも、その最高の迫害に勝利しない限り、絶対的神中心の男性の花嫁の立場に立つことはできないのです。 カトリック教会には二〇〇〇年来、尼僧と呼ばれる人たちがいますが、この尼僧とはどういう存在でしょうか。尼僧たちは、「自分はイエス様と結婚しました。イエス様が私の花婿であり、私の父でもあり、王でもあります」とイエス様を自分の夫、父、王の立場においています。ですから尼僧の生活は摂理的にいえば、いつの日か真の男性、すなわち真の夫、父、王に会う一日のための準備だといっていいでしょう。しかし神の最終的な目的は、女性をそういう立場にとどめておくことではなく、あくまでも女性が真の母、妻、女王になることでありますから、尼僧はそういう立場で、神中心の女性としての訓練をしている者であるといえます。 しかしながら、神に仕える女性に二つの型があって、一方は完全に絶対的に神に従い、想像を絶する迫害に耐えて、自分自身のいたその環境の中で勝利します。そしてもう一方は、自分自身を壁で囲い込んで完全にサタン世界から隔離しますが、そう苦痛もなく気持ちよく生活しているとしますと、前者のほうがより困難な道でありますし、神の同情は当然そのほうにあるに違いありません。 ◆摂理の中の女性(二)霊的メシヤの花嫁 韓国に、神の摂理歴史において中心となる代表的な女性が現れなければなりません。「私の夫は神であり、イエス様です。そして神とイエス様と常に交流しています」という、選ばれた女性が現れなければならないのです。 そしてある女性が選ばれ、「あなたは真の妻であり、母であり、女王である」という啓示を絶えず神から受けていました。その女性は、普通の人が見ても美しくはなく、あまり苦労しましたので顔色も青ざめて栄養失調のように見えますし、常に山に祈りに出かけてむしろ惨めな者に見えました。しかし心の中ではいつも、自分はイエス様の母であり、妻であり、花嫁であるということを感じていました。そして彼女が、「メシヤの妻となるために準備しなさい」という啓示を受けるのです。ところが神が彼女に啓示を与える時に、そのメシヤなる人は、息子のようでもあり、夫のようでもあり、王のようでもあるというように、三つの立場をもつ者として啓示されました。 実際、メシヤが来られる時、メシヤたる者は王として現れるのではなく、人間の基準として最低の所から、最も惨めな僕の僕の立場で現れ、そこから出発します。メシヤはまず、「僕の僕となれ」という啓示を受けて、その人生を人類の僕の僕として出発するのです。またメシヤは、二つの面における完成を全うする使命をもっています。一つは霊界に対してであり、霊的な地獄から天の王座という最高の立場にまで霊的に上がっていくことによって、全霊界の解放者となるべき使命です。 ですから先生はまず霊的地獄からその路程を出発し、不敗不屈の霊的勝利者として天の王座にまで上がり、霊界において主管者であることを宣言し、それからまた実体として地上に下りてきて、実体的な地獄生活を出発し、同じ道をずーっとたどって頂点まで上がっていくのです。 実体的な摂理路程においては、メシヤは神によってではなく、エバによって祝福され、生み直されなければなりません。その備えられた女性を見いだしたなら、まずそのエバによって祝福されなければならないということです。ですからその女性が初めて主に会う時は、彼女に仕える僕の立場にあります。 人類の代表たるアダムでありながら、なぜ僕であるのかというと、エデンの園における堕落において、男性は女性を主管すべき立場であったにもかかわらず、女性に主管されてしまいました。ですからその主管性転倒を復帰するために、信じられないような仕え方でその女性に侍っていくのです。考え得る限りのことを、その女性の体を洗うことまでもして僕として侍らなければなりません。 その女性は自分の夫より、息子より先生を信頼しました。 ◆歴史を生きるメシヤ そうするうちにこの女性は、「あなた(男性・僕の僕は天使界を意味する)はもう既に僕の道を卒業しました」という啓示を受けました。メシヤは僕の立場から出発しますが、僕の段階は旧約時代に当たります。そこから養子の基準、実子の基準と上がり、それから夫の段階へと進みます。 このようにある人がメシヤとして来た場合、その人自身の一生の間に、旧約から始まり新約、成約というように、全人類史を通過しなければならないのです。そしてその路程を通じて、メシヤにおいてあらゆる段階が全うされなければなりません。すなわち、僕の立場も、養子の立場も、実子の立場もすべて全うし、さらに夫の立場、父の立場、そして最後に王の立場まで全うして、それらの各段階で完成しなければならないのです。 一人の男性において、この全プロセスのすべてが通過されなければならないというわけです。しかもその過程においては、神が主管するのではなく、女性が主管していきます。そのために選ばれた女性は、メシヤを僕の段階から次第に最頂点にまで引き上げながら、自らも僕段階から、養子、実子段階と全歴史内容を横的に通過し、完成していかなければならないのです。 しかし彼女を非常に混乱させたことには、絶えず神の啓示が下りて、各段階を卒業したという告知がたった四十日間に立て続けにあったのです。どこにいても神の声が聞こえてきて、次々と前とは違ったことが啓示されました。まず、「彼はあなたの僕だから僕として彼を用いなさい」と言われたかと思うと、次の日には、「彼はあなたの息子だから息子として愛しなさい」と言われますし、その翌日には、「彼はあなたの夫だ」という具合なのです。そしてついには突如として、「彼はあなたの王であるから彼を王として(彼に)仕えよ」という啓示が来たのです。 メシヤが歴史路程の各段階を最高の立場で完成し、全歴史路程を横的に通過した時、初めてメシヤとして夫、王の位置に立つことになり、今度は女性のほうが、男性の前に僕の立場から完全に服従していかなければなりません。しかし彼女は、先生を王として侍ることを願わなかったのです。むしろまだ僕として使うことを願ったからです。それが原理を知らなかった彼女には最高の立場に思えたからです。 イエス様も初めは、洗礼ヨハネから祝福を受けて侍る立場でしたが、一度主管性転倒を復帰してその段階が終わると、完全に主体は逆転します。再臨主においても、僕の段階を完成して主管性転倒を復帰すると、完全に女性を主管し、命令する立場に立ちます。 これまでこの女性が与えた祝福は、すべて霊的なものでしたが、一度男性が王の立場に立つと、彼女は神の器として、僕の位置から出発し、養女、娘、妻、女王の立場と上がっていかなければなりません。そして女性のほうもすべての段階に勝利して、今度は男性がメシヤの立場において実体的祝福を与えることになります。この女性の場合も、一度主管性の転換がなされると、絶対的に服従する立場に立ち、そうしなければ彼女自身の責任分担を果たせないことになるわけですが、彼女にとって、それは容易なことだったでしょうか? 先生は原理を知っていますから、通過すべき路程はつぶさに知っていますし、今どこを通過しているかも分かりますが、この女性の方はただ啓示を受けただけで、盲目的にその啓示に従ってきただけであり、原理は全く知らなかったのです。何しろついこの前まで、「その男性は僕である」という啓示を受けていたのが、しばらくするとすぐ、「この男性はあなたの王である、彼に服従しなさい」というのですから、原理を知らない彼女の心はますます乱れ、今や完全に混乱してきました。 (子羊さんとtomy4509引用が重複する部分) 先生は原理を知っていますから、通過すべき路程はつぶさに知っていますし、今どこを通過しているかも分かりますが、この女性(神の夫人)の方はただ啓示を受けただけで、盲目的にその啓示に従ってきただけであり、原理は全く知らなかったのです。何しろついこの前まで、「その男性は僕である」という啓示を受けていたのが、しばらくするとすぐ、「この男性はあなたの王である、彼に服従しなさい」というのですから、原理を知らない彼女の心はますます乱れ、今や完全に混乱してきました。 彼女はそれでも神への絶対的な忠誠を示して使命を果たすべきだったのですが、絶対服従ということは、その時の彼女にとって容易なことだったでしょうか。彼女はまるで神様から裏切られたかのように感じてしまったのです。今や神様は私をお見捨てになったのだ、とその女性はその場で気が狂ったようになってしまいました。「どうしたというのでしょうか、神様、あんなにも私を愛しておられたのに、今になってこんなにひどい扱いをなさるとは」と狂ったように先生の周りを回っては、「あなたはサタンだ、サタンに違いない、あなたを殺さなければならない」とサタン扱いし始めたのです。 しかし一度メシヤが主の立場に勝利している以上、その女性がどういう立場に立とうと、メシヤの勝利は不変であり、摂理は不変であります。もし彼女が悟って悔い改めないならば他の女性が代わって摂理されるだけです。 ◆創立以前の内的摂理 これらのことは、外的な教会が創立されるまでの内的な経過として、外的な教会史の始まる背後に隠されていた象徴的、内的な摂理であり、肉身世界に現れるまでに、霊界を通じてなされたものです。 先生がひとたび、このような内的な勝利基準を立てると、今度は実体的に目に見える形で世界に現れることができます。そして実体的に僕の立場、養子、実子、夫、父、そして王の立場まで勝利していきます。主自身の肉的な一生の間に、六〇〇〇年の全縦的歴史が横的に蕩減されなければならないわけです。一九四七年に先生の公的伝道期間が始まる以前にこれまで述べた内的摂理の経過があったのです。 今はすべて実体的に現れてきましたから、あなた方も主が来られたことを知っています。それは、既成の常識的な思考法からは何と異なった、革命的な事実でありましょうか。 一九四七年から統一教会の公的な復帰が始まる一九五四年までの七年間は、統一教会が実に信じ難い苦難を通過した期間であり、この七年間に実体的な組織を発足するための実体的な条件を立てるために北韓共産陣営での苦役等、言語を絶するようなあらゆる苦難を通過したのです。それによってこの七年間にすべての基台が立てられて、一九五四年には正式に世界基督教統一神霊協会の創立に至りました。 今まで語った路程は、先生がたった一人で歩んだ寂しい孤独な道でした。共に行く友も、支える者も、理解する者もいない孤独な闘いを、先生は闘い抜いたのです。今まで共に歩んでも、本当に先生を理解できる者は誰もいませんでした。三十年前に韓国の古い食口たちに語ったことも、誰も本当には理解できませんでした。彼らは、知的には分かったけれども、心情的には分かっていなかったのです。そして三十年後の今になって、先生のところに来てこう言うのです。「先生が三十年前に言われたことが今分かりました」と。あなた方も同じことで、先生が今語っていることが、三十年後に実現されてその時理解される、ということも多いことでしょう。 今なお孤独な先生です。人間なら行きたいとは誰も思わない孤独の極限の道です。しかし神御自身がたった一人で孤独な方であることをよく知っているがゆえに、先生は子として責任をもってその使命を引き受けたのです。真の復帰の道は決して安易な道ではありません。それは実に困難な道であります。先生についてくることも困難なことです。 ◆秘められた真の統一教会史 きょう、統一教会の創立二十四周年を迎えましたが、この二十四年間は教会の外的な歴史であり、協会創立の基台をつくろうとした創立以前の歴史こそ本当の統一教会の歴史です。そしてそれはわずかな人々のみが知っています。そして先生が真に信頼できるのは、そういう時代を共にしたこの人々だけです。 きょう語った「エバの道」も、外的歴史の背後に秘められた歴史であり、かつて語られたことのないことです。先生は僕、養子、実子、夫、父、王というすべての段階において、歴史上でその範疇に属したどの人より、すなわちどの僕、養子、夫、父より苦労して、それらの範疇に属するすべての者たちを復帰しなければなりません。そういう苦難の道を行くべく運命付けられている先生です。しかしこれらの蕩減時代、苦難の時代ももうすぐ過ぎ去るでしょう。長くて一九八一年までです。そしてついに神のみ旨は成就するに違いありません。 ◆原理の力と復帰 原理が明かされるまでは、数多の哲学者や宗教家はあれど、誰一人として秘められた神の心情と聖書の真義について知る者はなく、霊的には暗闇に覆われているかのような世界でした。そして、その闇の中に昇った明るい太陽のごとくに現れた先生は、陽光が万物にくまなくさし通ってすべてを照らし出すごとく、すべての宇宙の原理を詳細に明かしました。今や万人が、真理の光に照らし出された神の真の像と、歴史の真像を知ることができます。 先生は、真理を理論的に解明し発表しただけでなく、真理に生きた人です。実人生における体験を通して宇宙の真理を知ることができました。そしていち早く、その原理を知ってここにいるあなた方は、いわば霊的エリートといえるかもしれませんが、事実は特別な啓示を受けたわけでもなく、人並み優れた高い良心基準をもっていたわけでもなく、別段エリートらしき何ものもない、たまたまそこに居合わせた見物人のような立場でありながら、どうして幸運にもここに来ることができたのでしょうか。それは原理自体の力によるのです。原理には、神の直接の啓示にはるかに勝って、人間を指導し造り変える偉大な力がありますから、原理を知ること自体が、啓示や高い良心基準の役割を果たしたのです。 しかしながら原理自体の力によって引き上げられて、知的に原理を理解してきた者が多いために、啓示を受けた人々が無条件に神に従っていくのに比べて、あなた方には何事につけ、あまりにも理屈で考えすぎる傾向があるようです。先生の指示に対しても無条件に反応するというより、「従うべきかどうか」と考えてしまうというのです。とにかく何のゆえにかたまたま、幸運にも先生と巡り会ったことによって、あなた方の上に大きな変化が起こり、あなた方は急に献身的な信仰生活を送るようになったわけですが、それも原理の力によって、あなた方の心の中に何か奇跡的な内的変化がもたらされたからこそ喜んで献身生活のできる人間に変えられたのだといえます。 復帰の業は困難です。それに比べると自分たちで自家用の飛行機を造ることでさえ簡単だといえるくらいです。他のどんなことも復帰の業の難しさに比べたら簡単なものです。復帰という仕事だけは文先生にさえ難題です。よくぞ神は、全人類の復帰の直接の責任をあなた方に与えられなかったと思います。神からそういう使命を与えられなかっただけでも、あなた方は本当に幸せです。そのあまりにも重い責任に耐えて、それを消化し得る人が、文先生以外にいるとは思えないからです。 あなた方が先生、マスター等どんな尊称で先生を呼ぼうと、生きている間には決して先生の真価は分からないでしょう。そして死後霊界に行って初めて、突如として自分がいかに先生にふさわしくない者であったかを悟らされるはずです。 ◆歴史的失敗と清算 アダム、エバそしてカイン、アベルから始まった聖書史は、初めから失敗の記録であるといえます。そのあとに続くアブラハム、ノア、モーセ等の歴史上の預言者たちもすべて、歴史の上に失敗を残し、洗礼ヨハネも取り返しのつかない失敗をしました。そしてイエス様の使命でさえ、第一次摂理としては失敗だったというのですから聖書全巻を通じて失敗の記録だというわけです。 そしてレバレンド・ムーンの時が来た今、先生において過去の失敗のすべてが償われるべき時が来ました。今や過去に失敗した失敗のすべてを寄せ集めて蕩減し、清算し尽くすことによって、歴史の糸のもつれのすべてを解いて、再びより合わせて勝利へと結ぶ時なのです。 今、驚くべき奇跡の上に立って、一人の驚嘆すべき人物を見ているあなた方です。この一人の人において歴史上の失敗のすべてが清算され、正しく復帰されて、一つの統一されたみ業として帰結せんとしているのですから。こうして家庭基準から世界基準へと拡大する勝利の基台を築き上げ、先生自身としては、なすべき責任のすべてを果たし尽くして、いわばもう休んでもいい立場にあります。罪なき神の息子としての誇りをもって、誰に恥ずることなく霊界の王座に座しながら、「愛する父よ、私はついになしました」と言うこともできます。 先生は、盲目にして無知なる人間の行為の記録ともいうべき人類歴史の背後に、一つの公式とパターンのあることを悟り、その歴史の秘密のすべてを解明して歴史の法則と原理を見いだしたのです。 ◆出会いは興亡の接点 先生と出会うということは実に難しいことです。その出会いにおいて誤れば大変なことになるからです。先生が直接伝道していた人々の中にも、正しく出会わなかったがゆえに、自らを滅ぼしていった人々がたくさんいました。 過去の歴史においても、主に正しく出会わなかった個人、家庭、氏族、国家は、最後には十字架に追われ滅亡していった事実を多く見ることができます。先生は最も重要な人物でありますが、それと同時にもし正しく出会わなければ最も難しい人物です。アメリカにとっても、もしあなた方アメリカ人が先生に正しく出会わないとすれば、先生があなた方の十字架になるかもしれません。世界もまた例外ではなく、正しく出会わなければ滅びていくほかありません。谷底へと転げゆく汽車のごとくに、下り坂をまっしぐらに駆け下りてきて、今にも谷底に転落せんとしていた人類史でしたが、先生はその滅びゆく個人、家庭、国家、世界と出会って、その滅亡を止めるために来たのです。 神のみ業は、常に最も衝撃的革命的な逆転の業ですが、統一教会のなせることも正にそれでした。そしてあなた方は今、そういう運動に参加しているわけですが、歴史の重荷を自分のものとして担い、下向する歴史の方向を逆転せしめる原動力となるのは自分たちだと考え、それだけではなく実際に自分の肩にその重みを「重い」と感じている者でない限り、参加しているつもりでも、見物人にすぎません。 また、ある一つの宗教運動が起こるためには、その道を直くするための多くの教団が立てられますが、この運動のためにも、旧約から新約、成約に至るまで、あらゆる段階の教団が立てられ、一なる最終的目的を求めて立てられたこれらの教団は、ある段階における、ある目的を達成しては、歴史の中に消えていきました。 そういう歴史的に積まれた基台の上に、韓国から現れた統一教会と文先生は、世界中に論議を巻き起こしましたが、その革命的性格からして、私たちの前には二つの運命が考えられます。私たちが滅びるか、世界が生きるかであり、二つに一つです。 ◆七年路程と七千年歴史 「復帰」とは、正にすべての鍵となる言葉であり、それは実に、実に困難なる業です。そこにおいては、条件なしに段階を飛び越えたジャンプというものは許されず、厳密な公式に従って一歩一歩踏みしめながら、しかもその一歩一歩に全生命を込めて上がっていく以外にありません。その途上に、もし自分という意識のある者は、そこに立ち止まることも、前に進むこともできず、そこで消えていかざるを得ないのです。 聖書的史観によると、創造から再創造の完成までは、七〇〇〇年であると言われていますが、この全七〇〇〇年が、一人の人によって七年間の路程の中に実体化されました。そしてそのためには一人の人、文先生の四十年間の人生は、七〇〇〇年の負債を全部返し尽くさんがために歩み抜かれなければなりませんでした。もし原理というものを、先生がただ口で語って発表しただけだったとすれば、神も、サタンもそういう原理を原理として認めたはずがありません。 公式に従って具体的に負債を払いきらなければならないのですから、そのためには、先生が自分から戦いを挑み、その戦いに一つ一つ着実に勝利していく以外に道がなかったのです。サタンもそうして実証された原理に対しては、何も言う条件がありません。 こうして語る前にすべて具体的に生活され、既に実体化された原理ですから、この一人の人によって既に実体的に探しだ出れた復帰の道を、あなた方はただ一歩一歩歩んでいけばいいのです。いわば勝利の基盤の上に既にガソリンも入れられて走っている、経験ある運転手(先生)の車に、たまたま拾い上げられたヒッチハイカーのようなあなた方です。先生自身の目標は既に果たされたともいえる今、そういうあなた方はむしろ重荷になっているかもしれません。本当は先生を親のように呼ぶ資格もないのですから、親と呼ぶ前に息子、娘としてふさわしい成長をしてから来てほしいものです。 先生が、七〇〇〇年人類失敗史を七年間の路程で償えるように、七年間で七〇〇〇年分を歩み尽くせる道を示したのですから、つまりあなた方は、わずか七年間を歩むことによって全七〇〇〇年歴史を歩んだ立場に立てるというのですから、いわば誰でもが走ることのできる超高速道路が敷かれたようなものです。なすべきことは、ただこの七年路程を走り抜くのみです。しかしながら実際問題として、七年路程を全うするためには、カルバリの丘を十字架を担いでいかれたその瞬間のイエス様のごとくに、それくらい真剣に歩むことを決意すべきです。何しろ七年間に、僕の僕から出発して、僕、養子期を経て、実子期、夫婦期、父母期を通過して天宙の王に至るまで、あらゆる障害を乗り越えてその一つ一つに勝利を勝ち得なければならないのですから。またそのためにはこの地上で肉体をもって歩み得る期間というものが、いかに貴重であるかが分かります。 先生は実体基準で既に四十年間歩んで、その上で今、七年路程を歩むことを教えているのですから、あなた方にはわずか七年間でいいにもかかわらずこの上もっと易しい道を与えてほしいなどという者がいるとすれば、それこそ盗人根性にも等しいものです。 ◆出発の原則 一九五四年五月一日、先生が教会を創立した時、小さな古ぼけたむさくるしい家、つまり初代の統一教会の前に、ささやかな看板を出しました。それは歴史上で最も小さな看板でありましたが、しかしその小さな町の、一番小さな看板に示された言葉というものは、他のどんなに大きな看板よりも、もっと大きな内容を意味していました。「世界基督教統一神霊協会」とあるのですから。 私たちの教会の出発はそういう所からでした。部屋はといえば、頭を壁に付けて横になると、足が向かいの壁につかえるくらい狭かったのです。しかも当時は、その粗末なみすぼらしい家屋でさえ、教会のものではなく借家でした。ここアメリカでは、全五十州に一つの実体的な基盤としてのセンターが既に設置されていますが、今あなた方がなさんとしている内容自体は、先生が二十四年前に歩んだ路程のそっくりそのままです。 五十州から来ている地区長たちを見てみると、教会員たちから、まるで僕から侍られるように侍られているようですが、もし初めから指導者が、「私は地区長であり、教会員に仕事を命令する立場である」と教会員に侍られることを願うようでは、そういう州や教会は決して成功しません。先生はそういう指導者の道を教えたことはありません。僕の立場から出発して、養子、息子、夫、妻と段階を踏んでいく原則の道をいかない限り、決して成功することはできないはずであり、そういう道を行くことなしには、今日の統一教会もあり得なかったことでしょう。 例えば、統一教会の女性ならばどういう所から出発すべきかというと、「私には男性を見る資格すらありません。どんな男性も私にはあまりにも立派過ぎてふさわしくありませんし、こんなに幼い自分ですからかえってその人の重荷になるだけです。また、路傍をさまよう乞食が自分の夫になるかもしれないと想像してもみましたが、外的な乞食はかえって内的には神の人かもしれないと思うと、なおもその乞食にすらふさわしくないことが分かりました。ですから自分の祝福のことなど考えないで、ひたすら神の目的のために献身させていただきたいのです」と先生もそうしたごとく、あなた方もこのように、僕の僕の立場、完全に自己を否定した立場から出発すべきです。 ◆僕から王まで 僕から出発して養子、実子と上がっていくということは、主人がある僕に対して、「お前は本当にいい僕だから私の養子にしよう」というようなものであり、またその養子の中から、「お前は本当にいい養子だから私の実の息子にしよう」ということになったり、実子の中から、「お前は私の真の息子だから私が祝福してやろう」と、夫、妻の立場に立てたりするようなものですから、そういうことが簡単にたやすく起こり得ることでしょうか。具体的に「上がる」ということは簡単なことではありません。 そして、神があなた方を祝福するということは、そういうことであって、僕であった者が両親の立場にまで上がるというのですから、容易なことではないのです。そしてついに祝福されて子供を生むと、その子供は、原罪と関係のない神の血統圏に生まれて、直接神の国に入ることができるというのですが、しかしその子供の両親に、「私は完全に原罪から解放された」という確信なくして、どうして自分の子供を罪なき子女として生み出すことができるでしょうか。そして実際にそういう確信を心からの実感としてもつようになることは生易しいことではありません。 こうしてあなた方自身が、父母を経て天宙の王の位置にまで上がって霊界に行くと、全霊界の貴族、知者、聖人等すべての高貴なる人々が頭を下げてくるし、自分の先祖たちもまた、「我々の一族を天国に引き上げてくれる者がいる」と言って、集まってくるようになるのです。原理を知って主に出会ったあなた方は、真の先祖として、何と家系図の頂点に位置しているのです! ◆原理と祝福 先生は今五十六歳ですから、十六歳で使命に出発してから既に四十年を経過しました。その四十年間に先生は、あらゆる分野における路程を歩み尽くし、すべてを勝利的に完結して、その全路程を七年間で歩み得るものとして体系化しました。その四十年間というものは、思えばすべてが大いなる体験ばかりでありましたが、実に言うに言えないいばらの道の連続でもありました。こうして体系化された七年路程のうち、最初の三年間というものは、実際のところあなた方が自分自身の必要を満たすための歩みであると言ってもよい期間です。神のためでも先生のため、教会のためでもなく、自分自身の祝福の資格を得るための期間ともいえるからです。三年間、我を忘れて自分の祝福のことも忘れてひたすら歩んでいる時に、祝福が突如として来たというのが本当です。 先生自身の小羊の婚宴においても、ある日突如として、啓示に次ぐ啓示を受け始め、「我が息子よ時が来た、祭壇を備え献祭をささげよ」と告げられたのです。お母様にしても、先生の夫人になろうとは夢にだに思えない立場で、目立たない一教会員だった時、突如として小羊の婚宴の一日前に祝福を霊知したのです。 その日突然、「一人の男とあす結婚するのだ」と告知されたのです。それが原理の道です。ですから自分から意識的に、「私は祝福されるべきだ」とか、「自分は祝福に値する」という思考過程自体が、カイン的、サタン的思考法に近いといえます。厳密に見れば、祝福を受けるに値する者は一人としていません。このままで死んで霊界に行っても、完全には神の国に入れず、中間霊界の中継所にとどまって、天国への入り口のロビーあたりで再教育を受けながら、天国へ入れてもらえる日を待つほかありません。ですから不平を言うことなく原理の道を歩むことです。先生でも、もし「神よ、私にもっとたやすく歩める道をお与えください」などと不平を言ったとしたら、神は「お前は私の息子ではない」と直ちに他の人物を立てられたに違いありません。 ◆大いなる特権 摂理歴史は人間堕落の所産であり、堕落のゆえにのみ摂理が必要となりました。これまで語ったことを通して、二十四年前の先生の心情をしのび、少しでも感じてほしいものです。当時それは、不可能に近いほど困難な道でした。また何と寂しい孤独な道だったことでしょうか。 当時先生は、頻繁に取り調べを受けながら、苦難の道を歩んでいました。先生の未来に果たすべき天宙的使命を知る者もなく、一人先生自身のみ、人知れず自分が何者であり、未来に何を成し、どこに行かんとしているかを知っていましたから、ひとたび天の前になした誓いと決意を不変のものとしながらここまで歩み続けてきました。多くの人々が、一度は先生を信じて従いながらも、結局自己中心的な人であった場合、この道を歩むことに疲れ果てて、耐えきれずにこの運動から去っていきました。み旨のために自分なりの人生というものを完全に断念し、自らの命を捨てることのできた者のみ、最後まで先生について歩むことができるのです。 先生が四十年間で歩んだ公式路程を七年間で歩むというのですから、その圧縮された七年間は急速に駆け足で過ぎ去ります。ですから一点の間違いもなく、絶対的基準で行くべきです。そしてこの期間において、個人のためだけでなく、家庭、氏族、国家、世界のために、心の張り裂けるような痛みと涙に満ちた体験をたくさんもつべきです。そのためには安易な道を願うのではなく、眠ることも忘れるほどみ旨に燃えた生活を送らなければなりません。 最低の所から出発して、毎日、前日より自分自身の心霊基準がより高められたことをはっきり自覚し得るくらい、確実に具体的に成長し、上がっていくべきです。そういう実感は、自分自身が感じるだけでなく、瞬間瞬間にあなた方の成長を待っている霊界がそのように命じ、感ずるものでもあります。今後、先生の教えがさらに綿密詳細になり、より分析、整理されて、直接的、字義的に表されてくる時、そこまで実体的に真理を知ることのできるあなた方は、何と大いなる時に、黄金のごとく貴重なる時に生きているあなた方でありましょうか。可能な限りの最短の時間圏内に、かくも膨大なる七〇〇〇年分の路程を踏破した条件をもつことができ、神の歴史に偉大なる貢献をなす人物となり得る立場が保証されている時が、正に今なのです。 今、私たちは、神の歴史の登場人物となり、創造者ともなって、神の歴史の最後の一章を書き下ろしてフィナーレを告げんとする、正に復帰歴史の頂点に生きているのです。そして生きている先生と共に働くことができるという偉大なる特権にあずかっているあなた方です。七六年、先生と共にワシントン大会のための歴史的一戦に参加し、その勝利にあずかったことも、今後入ってくる人々が決して得ることのできない特権でした。それは歴史上に一度だけあり、二度とないのですから。 ◆七年路程の終末的意義 七年路程に対しては、自分自身が具体的に歩んで勝利すべきものとして、骨の髄まで実感しながら、神の前に、「これから出発する七年路程において二度とアダムとエバのごとくなることなく、アダムとエバの完成する道までも歩んで、七年以内に必ず終了します」と神と対決するような真剣なる祈りをもって決意すべきです。聖書にも、「七年間の艱難の時が来たらん」と書かれ、「その時には生き残る者は少ないであろう」とも預言されています。この言葉は成約の時にも実に真ではないでしょうか。なぜなら、事実、真に神を知り神への献身を決意した者のみ、七年路程を勝利的に通過して生き残ることができるのですから。 しかしあなたがかかる出発の決意をなして一つの方向を定めるや、まず環境からの反対や様々な障害、あらゆる苦難が一挙に襲いかかるような状況となり、サタンがあなたの行くべき道を破壊せんとしていることを知るでしょう。そして自分の一番大切にしているものが次々と、何も残るものがないくらいことごとく奪い去られ、一切の事情環境が正に最低の所まで追い詰められていくものです。神はあなた方を最低の所まで陥れることにより、僕の基準までいったん下らせるために、サタンを用いるからです。そこでその最低の事情環境を消化し主管していくことができなければ、そこを通過できないことになります。 ◆死なんとする者は生き では、その最低の僕の立場から出発したとして、どうしたら養子や息子の立場に引き上げられ得るでしょうか。そのためには、僕のために自らの命を捧げて犠牲になることです。そうすることが結局は最も早道です。肉体をもった人生というものは、ふと一瞬たってはたちまちかき消えてしまう朝もやのごとく、束の間のはかないものなのですから、喜んで犠牲になろうではありませんか。 先生が歴史のすべての秘密を発見して、歴史というものを改めて見てみた時にも、「死なんとする者は生き、生きんとするものは死なん」と言われたイエス様のみ言を、己の骨髄にまで染みて痛感しました。一度ならず何度も何度も、自分の命を失うことが、勝利への唯一の道なのです。僕から父母に至るすべての段階において自分の命を捨てきって歩むことです。七年間ただ命を断念して、勝利的にこの路程を越えていった時、突如としてあなたの前に宇宙は一変して、宇宙の全生命が自分を守っていることを感知することができるでしょう。 ワシントン大会の時にも、その大使命を成就するために先生は、いつでも死ぬ覚悟がありましたし、無条件に全面的に命を投げ出し、完全に死にきってもいました。それほど、のるかそるかの絶対的に追い詰められた境地に立たなければ、イエス様、先生、そして神の事情を到底理解することはできません。一つの絶体絶命の限界状況に直面してみて初めて私たちは、自分がいかに哀れな足りない者であるか、自分というものが何者であるか、はっきりと知ることができます。 そのくらい真剣に歩むことによって日々自らを再発見しながら、一日一日を新しき日として、先生の基準を目指して日々発展していくというような私たちの日常生活であるべきです。外に吹きすさぶ嵐を乗り越える最善の秘訣も、自分自身を乞食をもうらやむような最低の位置におくことです。良い食事や十分な睡眠、快適な生活等はかえって重荷になるだけです。自分を僕をもうらやむような僕の僕の位置においてみて初めて己を知ることができ、知れば飛躍することができます。先生も三十五歳までは僕の僕たることに徹して、自分の服を買ったこともないし、整髪料等をつけたこともほとんどないくらいです。その上いつも四十五度以上は顔を上げずに下を向いて歩いていたほど、罪人の立場に自らをおいていました。一人の罪人になりきっていたのです。 また、自然が罪なき真の人間によって見られたいと願っていることを知りながらも、自らの摂理的使命を成し遂げるまでは、清き自然を見る資格も権利もないことを感じては、大自然の前から身を隠したくなるのでした。罪人となって歩む自分自身が、真に罪深き者として感じられるほど、そうなりきっていたからです。 ◆聖人の道 この世界のすべてを知り、そのすべてを超え得た先生の心は、もはや何ものによっても動かされることはありません。巖のごとく固く立った先生です。自らの指を切って血で誓約を書き、先生の前に忠誠を示さんとした多くの女性たちもいました。宗教的試練を乗り越えるということは実にたやすい業ではありません。周囲に押し寄せてくるすべての誘惑を乗り越えて、基台を築いてきた創立に至るまでの苦難には、実に計り知れないものがあります。そして先生がすべての十字架を越えて勝利したその結実に、今あずかっている自分たちであり、神と先生の前に一言も言えないあなた方であることを知るなら、常に自らを謙虚な感謝に満ちた立場におくべきです。それは、あらゆる摂理的勝利を成した今もなお、先生が神の前にもち続けている姿勢でもあります。 この七年路程が、かかる苦難の結果としての恵みであることを知ったのですから、この期間をあらゆる体験をなす絶好の機会と思って、呪われ、嘲けられ、飢え、打たれ、迫害されるすべての体験を貴重なるものとしながら、「そういう体験があったからこそ、私は神と先生とイエス様の心情を知ることができました」というような歩みをなしたいものです。 先生のこの小さな手は、実に膨大なることを成し遂げてきた手です。そして、このような人知れぬ霊的開拓の道の上に、創立に至る教会の基盤が築かれてきたのですが、それは真にたやすい業ではなかったのです。あなた方もみ旨のための活動中に、人々から殴られたり、蹴られたり、顔に唾されたりしたことがあるかもしれませんが、そういう時こそこう考えるのです。“ああこれが、歴史上のすべての義人、聖人、神の人が歩んできた道だったのだ”と。 ◆神様は泣いておられる しかし外にいる人々に唾をかけられたり、打たれたりしても、そういうことが苦しいことではありません。かつて共に食口として歩んだ人が、神を裏切って去っていく時、それ以上悲痛なることがあるでしょうか。そういう痛みまで体験して初めて、イエス様が外的な敵、すなわち具体的に十字架に釘づけた人々による外的迫害、裏切りだけでなく、ユダによる裏切りのごとく、最も痛い内部からの内的迫害を受けた方であることと、その痛みというものを少しでも理解することができるでしょう。 先生は共産陣営のみならず、自由主義の韓国においてさえ、刑務所生活を体験しました。西大門刑務所に行ったその日のことは、永遠に忘れることができないでしょう。その日、刑務所に引かれていく時、一人の教会から去ったかつての食口が先生に駆け寄ってきて、侮蔑に満ちた嘲笑を浮かべながら言ったのです。「あんたはまだそんな馬鹿なことをやっているのかい、俺のように早く卒業することだな」と……。先生は永遠にその男のことを忘れることはできません。一言も語らず黙然として彼の前を引かれていきましたが、心の中で神に向かって叫びました。「神よ、今こそあなたの義と、私のあなたに対する従順を証させ給え」と。 このようなことを一度ならず幾度となく味わってきたのですから、目を閉じて祈り始めると、いつも涙を止めることができずに痛哭する先生です。神のそういう悲しい内情がよく分かるからです。そして同じ事情を味わい、その心情を知ればこそ、そういう神の心情を誰よりも慰めることができるのです。親はもちろんのこと、妻も子供も分かってはくれない、一人として理解する者もない、そういう時こそ、孤独なる神の友となることができるのです。 一人の男がこんなにも弱くなり得るものか、と思ったこともありました。ある意味では同じ弱き一人の人間に変わりないのです。しかし自分をそんなにも頼りにしている神であることを知っていますから、そういう神の心情を思うと、いても立ってもいられなくなり神の願いを果たして神を慰めたいという思いにかられます。 「神よ、全能なるあなたは、その望むところの何事も成すことがおできになりますのに、御自分の子なるアダムとエバの罪のゆえに、御自身をそのような苦悩の中に陥れられました。苦しむべきいわれもないあなたが、かくも寄る辺なき身となられて、真に頼ることのできる子女を、そんなにも長い間ひたすら待ち続け、探し求めてこられました。私にはそういうあなたのお心がよく分かります」。 誰でも、先生の内面の世界をかいま見ることでもできたならば、ただ“わっ”と痛哭せずにおれないでしょう。特に、常に神に祈り、霊界を見たり啓示を受けたりしている霊通者たちは、みなこういうことを言ってきます。「文先生について祈る時は、いつも決まって神様からの答えは“涙”です」と。先生のことを祈ると神様は泣かれるというのです。寂しい一人の人、文先生を見つめる時、人知れずすすり泣いておられる神様なのです。 ◆涙の基台 堕落による歴史の糸のもつれは、それを解いて再創造することなどとてもできそうには思えないほど複雑なものとなり、神でさえどこから手をつけて摂理するか戸惑うだろうと思えるほどです。しかし今、一人の孤独なる人が、歴史の背後にある秘密のすべてを見いだし、それを公式化し、体系化したのみならず、その原理を自ら生活しながらここまで運動を発展させてきたのですから、神としても注目せざるを得ないはずです。 ここまで来る道において、先生はいくら泣いても泣いても止めることができずに、いく日もいく日も泣き暮らしたことがありました。ある時はあまり泣いたので、目が熟しすぎのカボチャの中身のようにグチャグチャになってしまい、太陽の光も眼に染みて見ることができなくて、目をつぶって過ごしたことがありました。涙によって開拓されたこの教会の基台です。あなた方は何も知りません。第一先生は語らなかったのですから。なぜなら自分自身の歩んだかかる苦闘の四十年路程は、二度と誰にも味わってもらいたくありませんし、息子や娘たちにはできるだけ易しい道を残してあげたいのが、親としての先生の気持ちです。知ればあなた方もそういう道を行かなければならないのですから。 誰でも深い祈りや霊的な体験を通して、先生の語られざる体験の一部分でも霊的に知り得るならば、先生の通ってきた身もだえするような苦難の道を、一瞬でもかいま見ることができることでしょう。今あなた方は、この地上で受けるのが当然であるかのように祝福を受けていますが、それは今の時の時代的恵沢として、霊界における何千年、何万年分の内容を最短の期間で体験し得るからにほかなりません。 先生はモーセという人の立場にはいつも同情を禁じ得ないのですが、モーセが四十日四十夜の断食祈祷の末に十戒を受けて、自分の民のところに下りてきた時、彼らは何と金の小牛を造って偶像としてこれを拝し、その周りで騒ぎ戯れていたというのです。「よくもそんなことが……どうしてそんなにも神を裏切ることができるのか……」とそのあまりの心情的蹂躙に対して、憤激のあまりに石板を地にたたきつけて壊してしまったモーセでした。そういうモーセに対して先生が同情せずにいられないのは、それと全く同じような事情と心情を幾度となく味わってきたからです。山に行ったモーセは、民のために神の真理を勝ち得んとして、どんなに苦労したことでしょうか。 先生も生来、非常に強烈な火のごとき気性をもっていますから、そのような信じられないような裏切りを受けたりすると、そのあり得べからざる背信に対して、直ちに心情的に切って捨てて、顔を背けたくなってしまいます。それは先生にとって最も厳しい修練の一つでした。 先生は一つの固い信条をもっています。それは、「天宙主管の前に自己を主管せよ」ということであり、これは先生が自らの弱さを克服し、激情を制しようとした結果得た信念です。 ◆心情の相続者 「真の息子、娘となりたければ、両親の精神を受け継がなければならない」とすれば、あなた方は先生の伝統と理念を受け継がなければならないわけです。そして真にそれを受け継いだ人であれば、伝道等の聖業に出かけていく時も、我知らず涙が流れてくるようになるものです。み旨の前に立つと、神の逼迫した悲劇的な内情が胸に迫ってくるようになるからです。そしてそういう人となり、そういう道を歩む時、その人やその教会は、必ずや神によって栄えていくに違いありません。いわれのない迫害を受ける時にも、呪うのではなく、逆に神に彼らの祝福を祈り求めるのです。そうすることによって、神の心情をより近く感じ、差し迫った神の事情をより切実に感ずることができるでしょう。そしてあなた方のなした行為のすべてが、それによって聖なるものとされるのです。 あなた方は、見知らぬ人に出会ったのに神か主に出会ったかのように、訳もなくその人を抱き締めて泣き出したことがあるでしょうか。先生の人生において、そういうことが何度も何度もありました。神の悲しい心情、親としての苦しみを味わい知らされた時には、木を抱き締めていつまでもいつまでも泣き続けたことが、幾度となくありました。そういう体験こそは、祈りよりはるかに貴いものなのです。そして自分がより惨めな立場にあるのを感ずる時こそ、神をより近く感じ得る瞬間ではないでしょうか。 先生は、伝道や前線の活動において体験する様々な人間関係を通してあなた方を訓練し、ある基準以上の人格を形成させんとしていますが、そうして先生が歩んできた人生のパターンを歩んで、先生のような人間となってもらいたいのです。 ◆神を知る者の道 先生が生来の実力を伸ばして世俗的な分野に応用していったなら、偉大な実業家にでも、大政治家にでもなれるし、様々な分野で大いなる名声と尊敬を勝ち得る人物になれるでしょう。しかしそれだけの能力や実力をもっていながら、そういう方向には行かなかった先生です。そして、生涯において、先生より多く涙を流した者がいるでしょうか。苦難の道は避けられないものではなかったのですが、神のために、無条件に、涙の道を選びました。人々から尊敬と讃美を受けつつ歓迎される道もありました。しかし先生は、神御自身がそういう立場におられないことをよく知っていたのです。 では、先生は初めから何の個人的願望も、青年のもつ青空のごとき夢も希望も、もっていなかったかというと、そうではなく当然、大志を、夢を抱きながら、それらをすべて自ら捨てて、いつの日かこういうふうに、という希望の扉のすべてを、自らの手で閉じて、人生の最も悲惨なる道を選んだのです。ただ悲しい神の友になりたかったからです。あなた方もまた、ある意味では同様に苦難を負って歩んでいるわけですが、それは過去において先生が既に通過してきた道を引き継いでいるだけです。そして私たちがこのように自ら進んで苦難を引き継ぎ、それを負っていくのは、ただただ神を知ったがゆえであります。 私たちを非難し迫害する人々が言うごとく、私たちに何か間違っていること、罪深いことがあるとしたら、私たちには一つの罪があるといえるでしょう。それを罪と呼び得るなら、私たちが「神を知っている」という罪です。ただ神を知るがゆえに、私たちは迫害する者たちの非難の的となっているこれらのことのすべてを、なすべき使命として引き受けたのですから。 しかし過去において私たちが何か悪なることを世界にもたらしたでしょうか。神を知ることがいかにして罪となり得るのでしょうか。神を知らないことのゆえにこそ、かくも混乱していく世界であり、教会は崩壊し、共産主義はますますその勢力を伸ばしているのではないのでしょうか。神を知る者の道がいかに悲惨であろうと、神を知ることこそは我らの幸いであり、特権です。 ◆真の後継者 賢い者はひとたび歩み始めた道を全うします。中途で終わる者にはいかなる勝利もなく、勝利は耐え忍んで最後まで全行程を走り抜く者の上にのみあります。先生も神の道を行きながら、常に第一の道のみを行こうとしてきました。み言に関しても、自分に従ってくるものたちのためにも、何度も何度もあり得る限りの慎重さをもって、正しいかどうかを吟味せんとしました。 実験室の研究者が、何か新しい発見をせんとする時に、その理論が本当に正しいかどうか絶対的に確実にしようとして、何度も何度もテストを重ねた末、それから世界に発表しようとするように、先生もすべてを絶対的に確実にするためには、自らの歩む全路程を通して、徹底的に実験し試験し尽くしました。それを通してこの世界のすべての真理を解明せんとしたのです。あなた方も既に神への誓約書に署名した兵士として、中途半端な道を行くことなく、最後までひたすら前進してほしいものです。そして「私は先生以上に行きたい、先生と競争して打ち負かしたい」とそういう人物の現れることを先生は待っています。 先生は何度も思ったことがあります。「私はまだ死ぬことができない」と。残念ながら自分が第一線をあとにする時、使命を託すべき後継者がまだいないということです。「この者に、自分の使命を残して行くことができる、死ぬことができる」という確信を先生に与えてくれる者はまだ一人もいないのです。「誰が、私が神を愛したほどに神を愛してくれるだろうか、私が死んだのちに誰が私の神を見てくれるだろうか。親孝行してくれるだろうか」とそれだけが心配なのです。誰か「私が神様を見ますから、先生は後ろに立って見ていてください」と言う人がいるとすれば、その人こそは歴史においても私たちの教会においても主流的人物となり、永遠に滅びることなく、その子孫はアブラハムの子孫のごとく栄えることでしょう。 先生は今、韓国式に数えて五十八歳ですから、七十歳までにあと十二年あります。そして二十二年たてば八十歳になることを考えると、自分が全面的に働くことができるのはあと十五年だと見ています。この十五年間に誰か後継者を見いださなければならないということです。長男の孝進さんとも真剣にそのことについて話し合ったことがあります。「お前は先生の息子として、自分がどんな道を歩み、どんな備えをなしておくべきか分かっているだろうね」と。その瞬間、いつも元気いっぱいな熱血家で行動的な孝進さんも、さすがに真剣そのものになりました。 このような破滅へと運命づけられているかのような世界をあとに残すのでなく、何としても復活していく世界を残したいと願っている先生ですから、生きているうちにこの運動の基盤を完成していくために、自分の生涯においてありとあらゆる苦難、頭の痛いこと、苦々しいこと、嵐のごとき非難、迫害等良くないことのすべてを一身に受けることを決意して、「どうか我にすべての重荷を負わしめ給え」と祈っている先生です。 そうすれば、あなた方の時代、あなた方を中心とした時代が来る時には、もはやそれらを過去のものとして、この運動は興隆していくことでしょう。あなた方も迫害の中にあって、「これ以上迫害されるのなら去ったほうがましだ」と考えるか、それとも「迫害が大きければ大きいほど、より大きな責任や使命をもつことであるし、より大きな挑戦をしてより大きな実績を上げ得るということだ、よし私が全部引き受けて処理しよう」と考えるか、いずれか二つの立場があります。 先生が二十四年前に統一教会を創立したように、あなた方も自分の任地であなた自身の運動を創始したのです。それぞれの地で新しい教会を創立し、その地のレバレンド・ムーンになろうではありませんか。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.18
コメント(0)
2020.09.17付で「ほふられた子羊さん」ブログから非公開にされた私のコメントです。◆「重要な御言葉・・・「アダムの再創造」、「エバの再創造」の概要が分かる御言葉!!」から非公開になった私のコメントtomy4509 id:tomy39742020/09/16 21:46>子羊さんへ 『御旨と世界』の「創立以前の内的教会史 1977年5月1日 ニューヨーク ベルベディア」のみ言ですが、子羊さんの【注釈】無しとはいえ、過去に書かれた【刷り込み情報】は健在です。本記事もそのように読んでください、といっているようです。 ・第一夫人とお母様は天宙的洗礼ヨハネの使命 https://heiwanosyujin.muragon.com/entry/141.html ・お母様は天宙的洗礼ヨハネの立場 https://heiwanosyujin.muragon.com/entry/146.html さて、「エバ=お母様」が子羊さんの注釈ですが、私からはまた「創立以前の内的教会史 1977年5月1日 ニューヨーク ベルベディア」については「エバ=神の夫人」を挙げていました。お父様のみ言から見ても「神の夫人」のことを書かれていました。その部分の転載が子羊さんにはありませんが、隠蔽されているのでしょうか? 『25.創立以前の内的教会史 1977年5月1日 ニューヨーク ベルベディア』全文はwebでは以下のURLで子羊さんも見ておられると思います。 http://furuta65.fc2web.com/001/mimunetosekai/25.htmlその中の「歴史を生きるメシヤ」からですが、 -----(引用開始) 先生は原理を知っていますから、通過すべき路程はつぶさに知っていますし、今どこを通過しているかも分かりますが、この女性の方はただ啓示を受けただけで、盲目的にその啓示に従ってきただけであり、原理は全く知らなかったのです。何しろついこの前まで、「その男性は僕である」という啓示を受けていたのが、しばらくするとすぐ、「この男性はあなたの王である、彼に服従しなさい」というのですから、原理を知らない彼女の心はますます乱れ、今や完全に混乱してきました。 彼女はそれでも神への絶対的な忠誠を示して使命を果たすべきだったのですが、絶対服従ということは、その時の彼女にとって容易なことだったでしょうか。彼女はまるで神様から裏切られたかのように感じてしまったのです。今や神様は私をお見捨てになったのだ、とその女性はその場で気が狂ったようになってしまいました。「どうしたというのでしょうか、神様、あんなにも私を愛しておられたのに、今になってこんなにひどい扱いをなさるとは」と狂ったように先生の周りを回っては、「あなたはサタンだ、サタンに違いない、あなたを殺さなければならない」とサタン扱いし始めたのです。 しかし一度メシヤが主の立場に勝利している以上、その女性がどういう立場に立とうと、メシヤの勝利は不変であり、摂理は不変であります。もし彼女が悟って悔い改めないならば他の女性が代わって摂理されるだけです。 -----(引用終わり) この一文からは、文先生は「神の夫人」を通してアダム・エバの堕落によって失った「主管性」を復帰されたものであり、「メシヤの勝利は不変であり、摂理は不変であります。もし彼女が悟って悔い改めないならば他の女性が代わって摂理」することが出来ると語られていました。この時すでに文先生は女性からの「主管性復帰」されておられたということであり、エバの再創造もまた、エバ本来の姿に復帰するためのものであり、原理講論からは「成約時代は女性の時代」と書かれたいましたし、実際には1990年代から「女性連合」を創立しては手お母様を中心に立てて女性解放運動を展開して来られました。文先生聖和前2012年7月の大会は何だったでしょうか? 「アベル女性UN創設大会」です。 子羊さんの3D画像(注釈無し)でこれら一連の流れについて説明が出来ますか? もはや、「子羊さんの持論は破綻している」と言っていいでしょう!!子羊さん曰く「私のブログ記事が、御言葉によって間違いであるなら今日にでも閉じる」 (2020.09.01)と子羊さん自身が書かれていたのですが、自称ルポライタイーtomy4509からのコメントを次から次へと非公開にされる理由は何ですか?子羊さんのそれらは「注釈付き」でお父様のみ言を改ざんしているとしか言いようがありません。聖書にも「新しいぶどう酒は、新しい皮袋に」と書かれています。素直な気持ちでもう一度『25.創立以前の内的教会史 1977年5月1日 ニューヨーク ベルベディア』読まれてみてはいかがですか?!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.18
コメント(0)
脳トレ「数独」の説き方(中級編)です。ガチガチのカボチャ(頭)を少し柔らかくしてみませんか?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.15
コメント(0)
過去記事「存在しないみ言で〝虚偽〟をかたる郭錠煥氏の悪意」(2020.08.28)について「真の父母様サイト」からは郭錠煥氏TVインタビューを挙げていましたが、9月3日付でも「「祝福権限の移譲」に対する〝虚偽〟をかたる郭錠煥氏の悪意――郭錠煥氏のインタビュー映像(トゥルーレガシーTV)の〝虚偽〟をあばく・その2」、第2弾をUPしていました。正確には「移譲」と「委譲」とでは大きな違いがあることは私の過去記事で書いていました。文顕進様予定の祝福式(?)にも限界!!--gildong氏がコメント拒否権参考:gildongのブログ『限りなく真っ黒に近いクロ』のコメント欄から4 ■Re:ぜひ本質問題の提議を委譲>lapisさん「祝福権移譲」と[祝福権委譲」では明らかに意味が異なります。確かに、真のご父母様は祝福家庭に祝福の権限を与えてくださいました。ところが、「移譲」と「委譲」の意味を調べてみると、移譲:権限や権利、財産などを他に譲り移すこと。「所有権を-する」委譲:権利・権限などを他の人・機関に(一部を)譲って任せること。「執行権を-する」「祝福」は再臨主・真のご父母様の特権であります。祝福権移譲ということであれば、もはや、真のご父母様は全てを祝福家庭に譲り渡してそれをされないということになり、基元節の祝福式などされる必要はなくなります。一方、祝福権委譲ということは、その一部またはすべてを任せるということです。これまでの私たちの行ってきた祝福は、最終的には真のご父母様の祝祷を受けなければならないという条件付きのものでした。……この「祝福権委譲」に関するお父様のみ言は「黒・天聖経」(『祝福家庭』第四章 四 1.)にも掲載されていましたので、それを理由に三男さんの「祝福権」を主張していましたが、2000年9月の「祝福権委譲式」でのお父様のみ言や祝祷からも三男さんに「委譲」されたという事実を発見することが出来ませんでしたは、自称ルポライタイーtomy4509からも書いていたものでした。以下は宣布文サイトでUPされていた対照表です。(詳しくは「真の父母様宣布文サイト」、こちらから)同様に、今回記事タイトルは「存在しないみ言で〝虚偽〟を語る子羊さんの悪意」です。子羊さんのブログ右には「777」の数字が並んでいます。統一教会で「777」といえばすぐに思い浮かぶのが「スリーセブン(777組祝福家庭、1970年)」ですが、わたしの問いに対して彼はハッキリと「スリーセブン」ではないと応えていました。したがって、元1800双か6000双、6500双以降の方でしょうか? あるいは、原理の理解度から見れば幼稚そのもので未祝福者の可能性も否めません。その彼の過去ブログでは黙示録の言葉一つ一つを暗号解読のようにして記事をUPしていました。それと同様にお父様のみ言を彼独自の「暗号解読表」に当てはめては、彼の「注釈解釈無し」にはどれ一つとしてその結論にたどり着くことが出来ない記事をUPし続けています。彼の主張する「お母様は洗礼ヨハネの使命者」だ、というお父様のみ言はどこにも存在しません!!私からは何度となくそれの有無の確認をしていましたが、それに対しては何一つの回答はありませんでした。ハンドルネーム「ほふられた子羊」とは何でしょうか?祭物です。「祭物には口がない」というお父様のみ言もあります。「子羊さん曰く「私のブログ記事が、御言葉によって間違いであるなら今日にでも閉じる」 」と子羊さん自身が表明していたものでしたが、すでにみ言による審判は下されています。であれば、祭物としてどうされるべきでしょうか?!見苦しいだけです。ところで、私の意見を言わせていただくならば、お父様こそがお母様に対して洗礼ヨハネ的使命を担って来られたのでなかったかということです。洗礼ヨハネは聖書・原理では1300年前に昇天した「エリヤ」の再臨だと言われています。主の道を整える使命を持ってきたのがエリヤであり、サタン分立のための一人として遣わされたのが「預言者エリヤ」でしたが、使命途上で昇天してしまいました。イスラエル民族はマラキ書に書かれたエリヤの再臨を信じていました。エリヤはそれほどまでに著名な人物でした。洗礼ヨハネもまた、祭司ザカリヤ家庭の名門の出で、奇跡をもって誕生したので知らない人がいないくらいに著名人でしたし、荒野に出ては修行して多くの信者を抱えていました。ところが、わずか17歳であった少女のお母様が「洗礼ヨハネ」ですか?原理講論『再臨論』からは、再臨主は「雲に乗って来る」の雲は「信仰の篤い信徒たち」を指してのものでり、本来はキリスト教がその使命を果たすべきであったのですが、それに呼応出来なかったので仕方なくお父様は「統一教会」を建てられました。そして迎えたのが1960年の「聖婚式」(小羊の婚宴)ということです。わずか三文字の名に様々な修飾語がつくほどの文総裁でしたが、その悪名(?)が高まるほどにお母様もその後について行って著名人となってきたというのが事実です。そして、1990年代に入ってからはその文総裁と並ぶまでとなりました。さて、原理講論の「堕落論」を見れば、「善悪知るの木=創造理想を完成した女性」はこれまでのキリスト教(宗教)にはないものでしたし、「キリスト論」の重生論からは「善の父母「(堕落人間を生み変えてくれる)真の母」の記述も真新しいものです。さらには、1966年初版出版された「原理講論も「女性時代」の到来を予見していた!!」(2017.09.13)と、1990年前後してのお母様の登壇の預言までされていました。まさに、文総裁がお母様の洗礼ヨハネ的使命を担っておられたのではないかという推論の方が原理的にも摂理的にマッチしているようです。事実、「原理講論の主人はお母様」と語られていた文総裁のみ言もあります(「「6マリヤ」は存在しない(その5)-- お父様のみ言「『原理本体論』について」」(2019.02.25)参照のこと)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.11
コメント(0)
「【メモ書き】ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その3)」コメント欄から子羊さん(平和太郎さん)のコメント:奇知外記さんからのコメントを削除した理由は、前にも言いましたが、貴殿の私へのコメント内容に原理性の論理が欠けている為です。ただ、御言葉を羅列して貼り付けたに過ぎないのです。厚化粧の装っているブログです。それから、貴殿の質問に答えても、私の答えに対する貴殿の答えが全くなく、反対に、貴殿から新たな質問をぶり返すだけの繰り返しなのです。非常に質が悪いブログです。まさに、貴殿のブログは家庭連合の悪質な狛犬です。真理性に欠如しています。気に入らなかったら削除してください。 (2020.09.07 09:24:19)私から子羊さんへは質問ではなく、子羊さんの間違いの指摘をしているものです。私に対して「原理性の論理が欠けている」ということですが、その言葉をそのままお返ししてきたのが私からのコメント群です。先ずもって「お母様が洗礼ヨハネの使命」などといったお父様のみ言は、果たして、在るのでしょうか?子羊さんからの【注釈無し】のお父様のみ言の提示(回答)もありません。「主の路程」からは、洗礼ヨハネ的使命者として数名の方々が挙がっていました。そこにはお母様の名は出てきませんでした。特には、私からは「み旨と世界」からの「内的教会史」に出てきた「神の夫人」を取り出しての反論をしていたはずです。「主の路程」からは、お父様は下着までも洗われたということですが、それに対して子羊さんは「貴殿の質問に答えて」などいません。また、「貴殿から新たな質問をぶり返すだけの繰り返し」ているのでもありません。子羊さんの更新記事に対しての新たな嫌疑と反論を書いていました。あなたの記事内容とお父様のみ言との整合性についてその一つ一つをチェックされての回答もありませんでした。◆子羊さん曰く「私のブログ記事が、御言葉によって間違いであるなら今日にでも閉じる」https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/202009010000/とまで、子羊さんは書かれていたはずです。私・自称ルポライタイーtomy4509からはその「御言葉によって間違いであるなら」の指摘をしていたものです。tomy4509 id:tomy39742020/09/05 16:44>子羊さんへ(偏向)3D画像をどれだけ駆使したところで、それが「金太郎あめ」でなければならないでしょう。 み言全般に流れているものは「真の父母」です。子羊さんの注釈付き引用からはそれが感じられません。真の父母様の生涯は「小羊の婚宴」に始まり、全てがそのために投入されてこられました。「真の愛・真の生命・真の血統」です。tomy4509 id:tomy39742020/09/06 08:27>子羊さんへあなたのいわれる「3D画像」とは何でしょうか?映像とは違って、「画像」とは瞬間・瞬間をとらえたものだということです。つまりは、み言のごく一部の切りとりに過ぎず、それに注釈という糸(悪意ある意図)で縫い合わせった【ぼろきれ】でしかありません。……私のそれを覆すだけの(注釈無しの)み言があってこそ、あなたのそれは「本物だ」といえるでしょう!!子羊さんの主張はどれ一つ取って見ても【注釈】無しにはそこにたどり着くことができません。ハッキリ言えば、「(お父様の)み言を歪曲・改ざん」しては記事をUPしているということです。子羊さんの新着記事「天聖経に残されたお母様の役割とは??」(2020/09/07)もまた同じことを繰り返しているだけです。万が一に「(お母様の)主管性転倒式」がある(あった)とするならば、その時がいつなのかについての詳細がありません。今回のそれもお母様の「所有権転換(返還)式?」について書かれていましたが、同様にして「何時」については子羊さんは書いていません。原理での蕩減復帰の「信仰基台」では、「中心人物、条件物、期間」が三要素です。中心人物;お母様条 件 物:主管権、所有権期 間:(子羊さんからの提示無し)この「期間」によっては、蕩減復帰がなされたのかどうかの判断が出来るというものですが、子羊さんのそれには見当たりません。もちろん、すでに私からはこれらはゴミ箱へ投げ込まれていたものですが。夫婦間には「同位権」「同参権」「相続権」を有しているというお父様のみ言もあります。子羊さんのそれらはお父様のみ言に逆行しては、真の父母様の夫婦間を引き裂こうとする意図で書かれているものです。原理やお父様のみ言に流れるものは「心と体の統一」「夫婦の統一」であり、こんにち、お母様も「神統一韓国」「神統一世界」を天の父母様、真の父母様の「夢」として掲げていることをもってしても真の父母様(お父様とお母様)が一体化している事実として受け止めていけるものです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.08
コメント(0)
2020.09.06付で「ほふられた子羊さん」ブログから非公開にされた私のコメント群です。【関連記事】ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その1)(2020.08.26)【メモ書き】ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その2)(2020.08.26)子羊さん曰く「私のブログ記事が、御言葉によって間違いであるなら今日にでも閉じる」 (2020.09.01)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ ◆「あなたはスルーできますか???・・私には御言葉スルー出来ない!!」から非公開になった私のコメントコメント1:tomy4509 id:tomy39742020/09/02 21:58黒・天聖経の出典は「文鮮明先生み言葉選集148-199」となっていました。原文は以下です。 탕감복귀는 책임분담 자유화권을 만들기 위해 필요해 여기 그런 사람이 몇 사람이예요? 전부 다 10년, 20년 되면 습관화되어 가지고 신앙의 존귀성도 모르고 흘러가 버린 녀석이 얼마나 많아요. 선생님의 일생은 지금 그거예요. 아담이 책임분담권을 갈라놓은 것을 전부 다 수습하기 위한 일생이 아니예요? 기독교를 중심삼고 4천 년 동안, 야곱 이후 4천 년 역사를 중심삼고 지금까지, 다시 말하면 환경적 사탄 침범권을 막아 온 겁니 다. 주님이 와 가지고, 참부모가 와 가지고 자유스러운 환경, 사탄이 침범할 수 없는 자리에 서서 주관권, 책임분담 완성권을 만들어야 된다구요. 책임분 담 완성권을 만들지 않고는 결과주관권과 직접주관권의 사랑의 길이 안 닦아 져요. 黒・天聖経のほかの「引っ掛かっている」の用例を見れば、(人類は)堕落圏に引っ掛かると書かれているものをいくつか見かけました。ところが、これの原文からは「(お父様も堕落圏に)引っ掛かっている」の訳には無理があるようです。「堕落していない本然の責任分担の自由な環境を復帰するため」に先生の一生を懸けていると語られているようです。 また、引用された黒・天聖経「罪と蕩減復帰」の次の一文もそのことについて立証していました。 -----(引用) 責任分担を完成するためには、蕩減条件が必要です。先生がそのような蕩減条件を払ったので、皆さんは先生が歩んできた生涯の目的観を受け継いだ者として、愛の旗手として、堂々と国に現れれば愛国者になるのです。家庭に入れば孝子、孝女になるのであり、夫婦の位置に立てば烈男、烈女になるのです。世界に向かっては聖人の道理を行くのであり、天の国の王宮の法に歩調を合わせる王子の位置まで行くことになるのです。無事に通過することのできるただ一つの道があるとすれば愛のために「ため」に生きようとすべてのものを捧げる生活です。これは驚くべき事実です。 「3D画像」とか言われていましたが、子羊さんが個人的に「引っ掛かる(部分的)み言」を妄想でもってつなぎ合わせたものでしょう。 (堕落圏の)お父様が聖和されて初めて「アダムの再創造」が成された、という教えは家庭連合にはないのは当然です。イエス様がペテロに天国の門の鍵を預けられたように、この地上で説かれないものが霊界に行ってからなるでしょうか? 原理講論のどこにそのようなことが書かれているでしょうか? 教えてください。コメント2:tomy4509 id:tomy39742020/09/02 23:52>リボンさん 子羊さんの引用されたみ言を「黒・天聖経」で確認しましたところ、(148-199,1986.10.9) 韓国語原文はサンクチュアリのカフェからです。 http://cafe.daum.net/rainbowKINGDOM/HjjW/474 199 개인 책임분담 완성이라는 기준은 내가 신앙생활을 해 나가는 데 사탄의 침범을 받지 않을 수 있는 절대적인 자리입니다. 이런 자리에 서야 된다구요. 사탄이가 다시 시험할 수 없는 자리에 서야 됩니다. 그러려면 어떻게 해야 되 느냐? 사탄세계의 사랑의 인연을 가진, 그 습관성이 남아진 곳에는 언제나 사 탄이 침범하기 마련입니다. 그렇기 때문에 하나님의 사랑을 중심삼고 겹겹이 하나님의 사랑권 내에 서 있다고 하는 신념이 확고히 서 있어야 됩니다. 탕감복귀는 책임분담 자유화권을 만들기 위해 필요해 여기 그런 사람이 몇 사람이예요? 전부 다 10년, 20년 되면 습관화되어 가지고 신앙의 존귀성도 모르고 흘러가 버린 녀석이 얼마나 많아요. 선생님의 일생은 지금 그거예요. 아담이 책임분담권을 갈라놓은 것을 전부 다 수습하기 위한 일생이 아니예요? 기독교를 중심삼고 4천 년 동안, 야곱 이후 4천 년 역사를 중심삼고 지금까지, 다시 말하면 환경적 사탄 침범권을 막아 온 겁니 다. 주님이 와 가지고, 참부모가 와 가지고 자유스러운 환경, 사탄이 침범할 수 없는 자리에 서서 주관권, 책임분담 완성권을 만들어야 된다구요. 책임분 담 완성권을 만들지 않고는 결과주관권과 직접주관권의 사랑의 길이 안 닦아 져요. 연결이 안 되는 거예요. 사탄의 습관성이라든가 인습이라든가, 사탄의 정이 거기에 연결돼 가지고 하늘의 사랑이 연결될 것 같아요? 절대 안 돼요. 이건 절대적이예요. 연결 안 된다구요. 완전히 사탄을 분립해야 됩니다. 그러한 습관성에서 해방돼야 됩니다. 대한민국 사람은 대한민국 습관성에서 해방돼야 된다구요. 이렇게 사 는 것이 우리의 삶이라는 관을 가져서는 안 되는 거예요. 이걸 뒤집어 가지고 새로이 사는 관이 되어야 돼요. 사탄이 못 따라오는 관이 되어야 된다구요. 그래서 통일교회는 지금까지 수난의 길을 간 겁니다. 그 원칙을 중심삼고 움 직이는 겁니다. 사탄이 침범했느냐, 사탄이 분립되어 있느냐? 사탄이 분립되 면 하늘은 자연히 나타나게 돼 있다구요. 黒・天聖経の翻訳はサンクチュアリの元光言社職員の中村仁史氏が翻訳・編集したと過去のビデオで言っていたのを聞いています。訳文も翻訳者のみ言の理解度が影響すると思われますが、原文と翻訳のズレについて私には分かりません。 さらに、その訳文をそのままに鵜吞みにしてはそれなりの解釈を加えていくことで、原文のそれとはさらにかけ離れた結果が生じているのではないでしょうか?コメント3:tomy4509 id:tomy39742020/09/03 08:19>リボンさん 黒・天聖経の出版過程を見ればそれが理解できると思います。 先ず最初に日本語で小冊子として16冊が個々に出版されました。それの合本版「黒・天聖経」として出版されたのが、2003年7月17日(初版)です。そして、その日本語をそのままに韓国語に翻訳されての「黒・天聖経」が2006年4月25日(初版)となっています。文先生み言葉選集出典の実際と異なるのはそのためです。問題があるとすれば日本語の翻訳です。 リボンさんとしては、サンクチュアリのそれを推されるべきと思いますが。◆「家庭連合の狛犬ブログ = 「奇知外記」」から非公開になった私のコメントコメント1:tomy4509 id:tomy39742020/09/03 08:57>(迷った)子羊さんへ -----(以下本記事から) 貴殿(奇知外記さん)が取り上げた〔B〕に、(※3)で「先生がそのような蕩減条件を払ったので・・・」と過去形で語り、(※4)で「家庭に入れば孝子、孝女になるのであり、夫婦の位置に立てば烈男、烈女になるのです。」とかたられたのは、これから「なる」ということです。 つまり、この「ので」という接続詞が「夫婦の位置に立てば烈男、烈女になるのです。」にかかっているのです。これから「なる」ということです。 (奇知外記さん)お分かりですか??? -----(終わり) では、子羊さん、 「小学5年生の国語問題。これに正解したら1万円も出ません。」 さて、 (※3)で「先生がそのような蕩減条件を払ったので・・・」ですが、(※4)で「家庭に入れば孝子、孝女になるのであり、夫婦の位置に立てば烈男、烈女になるのです。」この「孝子、孝女」「烈男、烈女」になるのは誰でしょう。 A.先生 B.真のお母様 C.皆さん----- 正解は「Cです。」 『文字の奴隷ではなく、万民共通の文法に従い、神様の原理に従えば、「(皆さんは先生が歩んできた生涯の目的観を受け継いだ者として、)夫婦の位置に立てば烈男、烈女になるのです。」は「なった」ではなく、これから「(皆さんは)なる」ことを語られているのです。』と、万民共通の文法・神様の原理にも合致します。 子羊さんは、私とリボンさんのコメントのやり取りを十分に理解していないようですね。リボンさんは「その鼻に」を「そこに」と言い換えていました。 -----(リボンさんコメント) リボンn 8時間前 >あ~~ 「その 鼻に」というのが,「そこに 」と訳されているんですね。 すみませ~~ん! ----- となれば、子羊さんの「原罪を持たれたままのお父様の生涯」という仮定は消失します。子羊さんは「3D画像」とかでしたが、私からの「数独パズル」にも合いません。 「蕩減条件を払った」お父様に「原罪」はありますか? 「お母様が洗礼ヨハネの使命(者)」だというお父様のみ言も存在しません。子羊さんの注釈によってみ言が歪曲・改ざんされたものでした。https://yohane-no-mokusiroku.muragon.com/entry/479.html「み旨と世界」の「内的教会史」から「神の夫人」ほか女性の話もしていました。「主の路程」からはその方々が「(女性の)洗礼ヨハネ的使命」を持たれていたということで、お母様ではありませんでした。ここでもお父様のみ言と子羊さんの仮定にズレが生じています。私からは過去にもそのことをコメントしていました。コメント2:tomy4509 id:tomy39742020/09/03 16:34>子羊さんへ 私から提示した「罪と蕩減復帰」からの引用の原文出典は(169-94,1987.10.25)となっていました。以下93ページからの原文です。http://cafe.daum.net/rainbowKINGDOM/HjjW/453 93 …… 세계가 다 그렇게 된 다음에 하려고 그래요. 금방 말한 것처럼 이런 하나님의 원한을 풀기 위해 사랑의 기수로서 각 남자를 대표해서 갔지마는, 하늘의 원한을 알기 때문에 그 원을 풀어 주기 위 해서 선두에서 역사 이래, 과거, 현재, 미래를 대표해서 달리고 있는 거예요. 내가 그러한 사나이인 것을 누가 알았었느냐? 하나님밖에 몰랐다는 겁니다. 그러한 전통을 세우기 위해 생애를 살았고, 미친 사람 취급받는 행각의 걸음을 걸어왔습니다. 김삿갓 이상의 처량한 길을 걸어온 것은 사랑의 기수의 책임을 다하겠다는 것이었습니다. 그 배후에 숨어진 책임분담을 하지 못한 한 의 고개를 넘어야 할 것을 알았고, 또 남북을 중심삼고 가야 할 길이 남아 있 는 것을 알기 때문에 지금도 나는 쉴 사이 없습니다. 남의 나라의 충신이 되기가 쉬운 거예요? 대한민국에 태어났으면 나라를 위해서 충신의 길을 가야 돼요. 무슨 말인지 알겠어요? 「예」 여러분들 통일 교회 교인이지요? 「예」 나는 통일교회의 책임자로서, 교주로서 사랑의 기수 의 길을 가려고 몸부림치는 사람입니다. 그런 전통을 이어받아야 할 것이 통일교회의 무리이기 때문에 여러분들도 내 대신, 통일교회를 완전히 이어받아 가지고 여러분의 일족을 위해서 그렇게 살라는 겁니다. 선생님 대신자가 돼 가지고 접을 붙이라 94 는 것입니다. 한 나무에서 가지를 따 가지고 접붙여서 그것이 원둥치가 돼 가지고 삼천만 전부에게 접붙이는 것입니다. 이러한 생활적 이상의 관으로 하 나님의 본연의 사랑의 기수로서 책임분담 완성을 해야 합니다. 그런 사람을 왕자의 권, 효자권, 그다음에 뭐라고 그러나요? 충남권, 충남 충녀인가요? 열녀 대신 남자를 뭐라고 그러나요? 「열남이요」 열남권인가 요? 열남보다는 충남이 낫지요. 김종필이 충남출신인가요? (웃음) 그렇다고 해서 `아이고, 저 충남하는 걸 보니 김종필이 돕느라고 그러는가 보다'고 생 각할 사람이 여기 있을지 모르겠다구요. 사랑을 매개로 하면 무한세계를 통할 수 있어 자, 탕감복귀노정을 거쳐야 할 과정에 머물러 있는 우리에게 있어서는 개 인으로 넘고, 가정으로 넘고, 종족, 민족, 국가, 세계적으로 넘어야 할 길을 찾아가야 됩니다. 여러분이 가야 할 길이 있습니다. 선생님이 대표적인 제물 로 갔기 때문에 그 길에 여러분이 꼬리를 달고 따라와야 합니다. 선생님이 다 리를 놓았기 때문에, 또 선생님이 사다리가 됐기 때문에 이 다리를 건너고 이 사다리를 올라가야 합니다. 그러지 않으면 못 갑니다. 그걸 알아야 돼요. 여 러분들이 이걸 넘어가기 전에는 자유가 없어요. 자유라고 할 수 없습니다. 자 유라고 해보라구요. 사탄의 철망에 걸립니다. 사랑의 기수의 자리에 서서 책임분담완성을 필해 가기 위해서는 탕감조건 이 필요합니다. 선생님이 그런 탕감조건을 치렀으니 여러분이 선생님이 걸어 온 생애의 목적관을 중심삼고 그것을 이어받은 자로서 사랑의 기수로서 당당 히 나라에 나타나게 되면 애국자가 되는 것이요, 가정에 들어가게 되면 효자 효녀가 되는 것이요, 부부의 자리에 서면 열남 열녀가 되는 것이요, 세계를 향해서는 성인의 도리를 가는 것이요, 하늘나라의 왕궁법에 보조를 맞추는 왕 자의 자리까지 가게 되는 것입니다. 무사통과할 수 있는 단 하나의 길이 있다 면 사랑을 위해 살겠다고 모든 것을 바치는 것입니다. 이것은 놀라운 사실입 니다. 93ページからは統一教会の食口について語られていましたし、94ページはどうなのですか?コメント3:tomy4509 id:tomy39742020/09/04 00:39>小羊さんへ あなたが引用されていた1977年5月1日のそれに「神の夫人」の話があったでしょう。 -----(引用) ◆摂理の中の女性(二)霊的メシヤの花嫁 韓国に、神の摂理歴史において中心となる代表的な女性が現れなければなりません。「私の夫は神であり、イエス様です。そして神とイエス様と常に交流しています」という、選ばれた女性が現れなければならないのです。 そしてある女性が選ばれ、「あなたは真の妻であり、母であり、女王である」という啓示を絶えず神から受けていました。その女性は、普通の人が見ても美しくはなく、あまり苦労しましたので顔色も青ざめて栄養失調のように見えますし、常に山に祈りに出かけてむしろ惨めな者に見えました。しかし心の中ではいつも、自分はイエス様の母であり、妻であり、花嫁であるということを感じていました。そして彼女が、「メシヤの妻となるために準備しなさい」という啓示を受けるのです。ところが神が彼女に啓示を与える時に、そのメシヤなる人は、息子のようでもあり、夫のようでもあり、王のようでもあるというように、三つの立場をもつ者として啓示されました。 -----(終わり) あなたの引用では『エバ(女性の代表者=お母様)』となっていましたが、【=お母様】は「み旨と世界」のみ言にはない、あなた自身の注釈による歪曲・改ざんでしかありません。同じみ言からは「女性の代表者」、言葉を変えて出てきていたのが「選ばれた女性が現れなければならない」、つまりは「神の夫人」の話をされていました。決してお母様を指してのものではありませんでした。そのような女性に仕えられたお父様でしたが、「 人類の代表たるアダムでありながら、なぜ僕であるのかというと、エデンの園における堕落において、男性は女性を主管すべき立場であったにもかかわらず、女性に主管されてしまいました。ですからその主管性転倒を復帰するために、信じられないような仕え方でその女性に侍っていくのです。考え得る限りのことを、その女性の体を洗うことまでもして僕として侍らなければなりません。 その女性は自分の夫より、息子より先生を信頼しました。」と、ここでお父様が「主管性転倒式」をされては、「イエス様も初めは、洗礼ヨハネから祝福を受けて侍る立場でしたが、一度主管性転倒を復帰してその段階が終わると、完全に主体は逆転します。再臨主においても、僕の段階を完成して主管性転倒を復帰すると、完全に女性を主管し、命令する立場に立ちます。」となれば、お父様聖和後に「主管性転倒式(?)」って何ですか? あなたの注釈付きの(偏向)3D画像の中でしかあなたの主張を見ることができません。 「内的教会史」の「神の夫人」を挙げたのはそのためです。どのようにあなたが反応されるか見ました。「内的教会史」のみ言に何が書かれていたかも理解していないように思います。 その3日後にお母様が証しをされた一文を私のブログ記事で紹介していましたので参考まで。 ・「6マリヤ」は存在しない(その2)-- 1977年5月3日お母様の証 https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201902220002/ ・「6マリヤ」は存在しない(その3)-- 17周年聖婚聖婚式でのお父様み言から https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201902230000/コメント4:tomy4509 id:tomy39742020/09/05 16:59>ピーターパンさん 「独生女論」というものはどこに存在するというのですか? 「独生女論」があるというのであれば「独生子論」もあって然るべきです、は私からの反論です。ピーターパンさんはそれを見られたでしょうか? 「独生女論」そのものは机上の空論であって、真のお母様や家庭連合を貶めるための「俗語」でしかありません。 もしも、「独生女論」が存在するというのであれば、先ずは1959年10月の真の父母様「ご聖婚式」も決まらない中にお父様が最初に「独生女」について語り始められたものであり、それが「元祖・独生女論」ということになります。ほか、み言葉選集からは180ほどの「独生女」を語られていたということです。ピーターパンさんはその一つでもみられたでしょうか。日本語訳では「ひとり娘」として書かれています。 お母様や家庭連合を批判される方々にないものは、お父様が語られた「独生女」み言です。◆「家庭連合の狛犬ブログ = 「奇知外記」」から非公開になった私のコメントコメント1:tomy4509 id:tomy39742020/09/05 16:44>子羊さんへ (偏向)3D画像をどれだけ駆使したところで、それが「金太郎あめ」でなければならないでしょう。 み言全般に流れているものは「真の父母」です。子羊さんの注釈付き引用からはそれが感じられません。真の父母様の生涯は「小羊の婚宴」に始まり、全てがそのために投入されてこられました。「真の愛・真の生命・真の血統」です。また、原理講論では「創造理想を完成した男性=生命の木」だけでなく、「創造理想を完成した女性=善悪知るの木」をも紹介したものでした。その男女が出会って第二祝福、第三祝福が本来の創造理想でした。「重生論」からも「天からの善の父母が堕落人間を……」(P.263~)。ほか、「イエス様再臨以降の完成成約時代は、妻の時代」(P.321)との預言も原理講論にはあり、1992年が「真の父母宣布」と同時に「女性時代の到来」を出発されたものでした。子羊さん引用の文意から見て1992年に「エバを再創造」ですが、33歳(イエス様の33年生涯)を迎えたのお母様が「20歳以下」では可笑しいでしょう。 子羊さんの主張は原理講論の内容すらもありません。真の父母様のアイデンティティ、1960年以降の「祝福式」までも否定するものです。 以下は『文鮮明先生御言選集 19911103 - 真なる女性の行くべき道』からの引用: ◆女性解放の道を開拓してこられた先生 先生は一生をかけてお母様のために、お母様の解放のために今まで働いてきました。もちろん先生はあらゆる男性を代表しているために、先生の行く道に従えば、男性の解放も行われるけれども、お母様が行くべきあらゆる道を開いてきました。今までお母様の位置はかわいそうな立場だったでしょう? しかし、今は、先生と対等の位置にまで上って来ました。何故そのようにならなければならないでしょうか。帰って行く時になりますと、左にいたお母様が右に来て、右は左に行くようになります。いつもそうなるのではありません。峠を越えるまでそうなのです。七年、十四年、十六年なのです。この間は、世界的な女性運動が大盛況をなす時であるために、先生がそれを知って、「女性連合」を創設したのです。 -----(引用終わり) 「裏付けが大事!! ⇒ 文先生は責任を果たせなかったとして第一夫人を堕落させた立場に立たれた・・・再び、お母様を創造しなければならない。」ということですが、肝心の「原理講論」からの裏付けはどうなのですか? 加えては「天宙天地人真の父母定着実体み言宣布大会」の宣布もありました。「み言」よりも「実体」の天地人真の父母が優るということを「原理(本体)論」でもって教育して来られたでしょう。コメント2:tomy4509 id:tomy39742020/09/05 23:35>子羊さんへ 「申請」であろうが「届け」であろうが大して代わりはありません。どこにそれを出すというのでしょうか? 韓国? 日本? それとも? 「天一国」がこの地上に現れなければそれが出来ない、というのが真の父母様のみ言です。そのために真の父母様が汗し涙してこられました。 子羊さんこそが総観からズレたパッチワークそのものではないですか!! 子羊さんからは原理からの総観ともいうべき「真の父母」も出てこなければ、「三大祝福」もありません。全く違う事象をつなぎ合わせては、部分的なみ言を引用しての注釈無しにはあなたの主張にたどり着くことができません。なるほど、子羊さんにも別の「金太郎あめ」はあるようです。み言の歪曲・改ざんを通して真の父母様のアイデンティティを引き下げては家庭連合への批判を拡大しようとするそれです。 もしも、子羊さんの主張が正しいとするならば「神の夫人」ほかについてハッキリとしたものを提示されるべきでしょう。お父様が第一夫人を置いて突然に北韓へ向かわれた意図は何だったのでしょうか? 第一夫人との離婚話はそれから随分後のことです。 アブラハム路程での2度の献祭前、妻サラがエジプト王に召されましたが、サラの心境はどうだったと思いますか。聖書にはそれは記されていませんが、神様や夫アブラハムを裏切るまいとして「死を覚悟」してエジプト王の前に出たと思います。エバがサタンに誘惑されたそれとは逆の経路です。同じく、イサクの妻リベカ、タマル、マリヤも神様の命令には「絶対服従」でした。真のお母様もご聖婚後の7年路程はその「絶対服従」が今回子羊さんのみ言引用でした。それに続く一文は、そのお母様の勝利ゆえに「神の日」を決定することが出来たというものではなかったですか。子羊さんの注釈付き解釈にはそれが欠如しています。このこともお父様のみ言に在って、子羊さんの主張にはないものです。 子羊さんのいわれる「3D画像」って何ですか?◆「天聖経は文先生のカミングアウトだった・・・一九六〇年のご聖婚・・・「真の父母」の理念が出発した日です。」コメント:tomy4509 id:tomy39742020/09/06 08:27>子羊さんへ あなたのいわれる「3D画像」とは何でしょうか? 映像とは違って、「画像」とは瞬間・瞬間をとらえたものだということです。つまりは、み言のごく一部の切りとりに過ぎず、それに注釈という糸(悪意ある意図)で縫い合わせった【ぼろきれ】でしかありません。 今回の引用み言を見てもその前後には御聖婚までのお父様の40年の蕩減歴史があり、その後の3年・4年の7年路程ということでした。 >イエスが来たのは、アダム・エバが堕落したことを復帰するためのものな【ので】、イエスができなかったことを全部代わりにしなければならないのです。 この引用も「ので」を強調したところで、原理講論やお父様のみ言(総論)からかけ離れたものです。イエス様は十字架に架かるために来られたのではなく、アダムエバが成せなかった家庭を築くためはお父様のみ言です。再臨の主はそのイエス様の使命を継承して「イエスができなかったことを全部代わりにしなければならない」のです。敬称「様」の有無は翻訳者の判断であって何ら解釈の基準ともなりません。 >これが、我々の教会の歴史です。サタンに対して、いつも原理をしっかりと掲げてきたのです、愛をもって。サタンの血統を受けて堕落した父母(=アダム・エバ)として始まったことを、どのように人類の真の父母の位置として復帰させるか、ということに(6000年間)苦心したのが神様の立場だというのです。 「サタンの血統を受けて堕落した父母として始まった」のが「先生とお母様」というのが子羊さんの解釈ですが、どこに先生とお母様がサタンの誘惑によって堕落したという根拠があるというのですか? この引用の結論も「(6000年間)苦心したのが神様」の心情を語られていたものでした。 総論を中心に考えたときに、子羊さんのそれは独善的な解釈でしかありません。私のそれを覆すだけの(注釈無しの)み言があってこそ、あなたのそれは「本物だ」といえるでしょう!!
2020.09.06
コメント(1)
子羊さんの『2001年、「神様王権即位式」も失敗したという御言葉・・・』を、お父様が神様王権即位式前日に語られたということ自体が矛盾しています。「子どもの「暗号文遊び」、子羊さんにオサラバです!!」は、ブログ更新を停止されたら如何ですか? の意味です。子羊さん自身が以下のように表明していました。 私のブログの内容に、驚くことが多いと思います。しかし、自説を前に立てて、御言葉で装っている記事ではありません。 もし、私のブログ記事が、御言葉によって間違いであることが実証されるなら、このブログは、今日にでも閉じることになります。よろしくお願いしま す。 私のブログは自説でないと思っています。あくまでも、御言葉に沿ったものです。それも、無理な解釈ではなく、御言葉に素直に向き合ってのものと思っています。 さらに、一つの御言葉だけではなく、複数の御言葉を3D画像のように駆使しています。そして、その御言葉がお父様とお母様のお姿に合致することをもって記事にしています。 https://heiwanosyujin.muragon.com/entry/871.html私からは「数独パズル」の例を挙げていましたが、子羊さんのいわれる3D画像(暗号解読表)では「数独パズル」は解くことができません。ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その1)主張(結論)が間違いであったと分かれば、ブログを停止するとまで豪語していたのですがどうなのでしょうか?【メモ書き】ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その2)子どもの「暗号文遊び」、子羊さんにオサラバです!!私のコメントは子羊さんの矛盾点を挙げていましたが、突如のコメント非公開の扱いは何を意味するのですか?子羊さんの過去記事『2001年、「神様王権即位式」も失敗したという御言葉・・・』ですが、される前から失敗したと分かった(?)お父様が「神様王権即位式」何故されたのですか?「神様王権即位式」をされたこと自体が3D映像(暗号解読表)で説明が出来ないでしょう私からの解釈も記しておきます。(以下、お父様み言引用)神様王権即位式 第一章 四 神様王権即位のための真の御父母様の準備 2. 四十日特別精誠期間、真の御父母様の準備のみ言 ◎即位式一日前〈二〇〇一・一・一二〉 ⑭千年、万年の恨を抱いて取り戻してきたこの道である 先生は、あす(一月十三日)が来ることを喜んだでしょうか、恐ろしく思ったでしょうか。日付を中心として、最も恐ろしい期間です。心配することがないので、監獄で暮らすことのほうが楽でしょう。その恨を解くことは、その方の前に私が四十代でこのことをして余りあるこのような環境をつくり、四十年を経て初めて……。その四十年間で数十億人が地獄に行きました。それを蕩減するためには、アメリカやソ連を復讐蕩減してけ散らしてしまわなければならないのですが、彼らを救うために苦しんだのです。一人で苦しんだ人です。 天宙という言葉は、どのような言葉ですか。神様が暮らすことのできる家ということです。皆さんの家がそうです。先生は祝福家庭の王です。王は、縦的な王が神様であり、横的な王が真の父母です。これは世界的であり、天宙史的です。この霊界は、真の父母の管理権内に入っています。堕落した父母によって連結されたものを完全に取り消してしまったので、真の父母の全権を中心として、「神様王権即位式」までしてあげることなくしては、世の中を正すことはあり得ないのです。 千年、万年の恨を抱いてきたその恨の窮地を埋めて平地をつくります。平地だけではありません。高いヒマラヤ山頂よりもはるかに高い山をつくってこそ、神様が臨むことができるのです。神様が臨むことができる高い定着地が地上にあり、深い谷が地上になければなりません。それで、先生は、地獄のどん底から地上世界の人間が暮らすことのできる地球星まで、知らないことがないのです。 神様の即位式がいつあるか分かりません。それを(先生が)自分で悟らなければなりません。悟らなければならないのであって、神様が頼むことはできません。神様が頼むことができないというのです。頼んでも、神様が考える期間があります。それより先にして(=神様から頼まれる前に)、その残りの困難なことは、私が責任をもつのです。前倒しするのです。縄が切れない程度まで引くのです。それを限界線まで、切れないところまで引っ張ってこれを解かなければなりません。 ですから、四十日間、先生が平安だったでしょうか、どうだったでしょうか。負債を負った生活です。孝子の役割を一度しようとするのですが、父母が死んだのと同じです。忠臣の役割をしようとするのですが、国王が逝ってしまいました。聖人の役割をしようとするのですが、神様の前に離別を告げた主人の息子の立場です。そのような立場で収拾しなければなりません。最も恐ろしい期間です。 神様の即位式をしてさしあげるにおいては、興進君がお連れするのです。先生の息子、娘と聖人がお連れするのです。その指揮下にあるすべての者たちが、旗を掲げて歓迎しながらその位置を確定してさしあげなければなりません。ですから、全世界の人たちは、三日間断食をしなければなりません。私が断食して即位式をすることはできないのです。本然のエデンで、断食して即位式をするはずだったのですか。 ですから深刻なのです。影があってはなりません。先生の生命が正午にぴたっと立って影が現れないようにするには、どのようにするかというのです。先生が許してあげた過去のすべてのものを、そのままカバーしてするのではありません。ペイントを塗るか、灰をかぶって汚れたものを覆わなければなりません。それで、そのようなものがないようにするための責任を、私が引き受けておいて、霊界の興進君と共に、父子が責任をもってそのことをしようと考えるのです。(全食口が三日間のだんじきをしたはずです。) あすは何の日ですか。(神様王権即位式の日です)。創造以後に神様が理想としていたすべてのものが、サタンに侵犯されて地獄圏内を中心として呻吟してきたのです。これを撤廃して、神様が心配なさるすべての分野をけ散らして、新しい世界へ帰ることができる時が来たので、神様王権即位式をするのです。 この中間のサタン世界圏というもの、人間と分かれたものを、宗教圏を中心として、メシヤを中心として連結させるのです。真の父母が来て神様が心配されるすべてのものを解消させておき、偽りの父母の愛によってひっくり返されたものを、本然の位置で真の父母の愛によって復帰するのです。 それが復帰されたので、神様を本然の王権の位置に即位させてさしあげなければなりません。天宙を創造された主人の位置を侵害されたので、それを真の父母が取り戻しておかなければなりません。これが最後なのです。 神様が見えたらよいでしょう。神様は見えません。先生の目に神様が見えるでしょうか、見えないでしょうか。皆さんは愛が見えますか。良心が見えますか。生命が見えますか。血統が見えますか。最も貴いものは見えないのです。最も貴いものが見えるようになれば、いくらにもなりません。(見えない良心・生命・血統を)誰に売り飛ばしますか。私一人しかいないではないですか。売り飛ばそうとしても自分しか売り飛ばすところがないではないかというのです。見えないので、誰に売ってもどのような値段でもつけられるというのです。 ですから、そのように考えれば、神様が知恵深い王になり、本当に頭が良い大王陛下になろうとするなら、見えなければならないでしょうか、見えてはならないでしょうか。見えてはいけません。 それでは、「さあ、それでは、自分が最も愛する人として神様が現れれば良い」と言えば、正確に現れます。自分が最も喜ぶ人、世の中で最も喜ぶ人は誰ですか。この世でもあの世の中でも、真の父母の顔です。「やあ、真の父母の顔と神様の顔が似ているはずだ」と言えば、似ているように見えるのです。 また、先生が「神様は父親の名前をもつので、見えませんが、私の上で冠のようになってください」と言えば、それを感じるのです。そのような時、手を見れば、手から光が出ます。自分が寝台に横になる時は、黄金の台に横になるように思うのです。そのような世の中になるというのです。 今まで誰にも言っていない事情が、まだ残っているということを知らなければなりません。ですから、いつも孤独単身です。 独島(竹島)の歌を知っていますか。歌ってみてください。一緒に歌います。 あの遠い東海(日本海)の孤独な島 きょうも荒々しい風が吹き荒れるだろう 小さな顔に風を受けるが 独島(竹島)よ、昨夜は無事に越えたのか アリラン アリラン 一人アリラン アリラン峠を越えていこう 行きながら苦しくなれば一休みして 手を取り合って行ってみよう 一緒に行ってみよう それが天の身の上と全く同じです。先生は、そのように生きました。文総裁をなくそうと世の中が、天地がすべて動員されました。そのような父母様に侍った息子、娘は、いくら困難でも孝子にならなければなりません。神様がそうです。むちで打たれて血を吐く立場でも、神様を慰労しなければなりません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.09.01
コメント(1)
プロフィール紹介に「777」などと紛らわしい数字も入っていましたが、彼自身は「777双」ではないと明言していました。何か私の知らない情報を「先輩風」を吹かして書いておられるのか? とも思っていましたが、差にあらずでしたほふられた子羊さん記事「天聖経 ⇒ 衝撃的告白 = 文総裁はキリスト教を抜くことができなかった」(2020.08.26)ですが、子供の「暗号文遊び」に私からは今回でオサラバです。子羊さん記事で引用された黒・天聖経の『罪と蕩減復帰』第二章 六 は以下ですが、子羊さんのそれは「暗号文解読表」を元にしたお父様み言の「改ざん」でしかありません。 堕落人間は出発が間違ったというのです。ですから再び戻らなければなりません。戻るには戻りますが、どこに行くのですか。原点に帰らなければなりません。偽りの父母で始めたので、戻って真の父母で再び始めなければなりません。ですからどれほど深刻でしょうか。私が神様の愛と神様の命と神様の血統を再び受け継がなければなりません。それで皆さんが祝福を受けるとき、血統転換式をしたのです。それを私の命よりもっと信じなければなりません。統一教会の一つの儀式だと、ただ一般の宗教儀式のように考えてはいけないのです。これは死んだ人を回生させる注射の薬と同じです。解毒注射です。解毒注射。 * 聖書の歴史を見れば、ヤコブはお母さんと一つになりお父さんをだまして祝福を受けたし、タマルの役事を中心としてもこのように背倫の行為をしたのに、ユダの支派を通じてイエス様が来るということばは何を意味しますか。血統転換という問題があるからです。血統を清めなければなりません。ここにキリスト教だけが血統を重要視して、血統浄化を主要思想としてきました。他の宗教にはこのような歴史がないので、ここについていくべきだという結論が出てくるのです。ですから血統転換ということを中心として見るとき、文総裁はキリスト教を抜くことができなかったのです。それで選民思想を受け継いだキリスト教を抜くことができなかったのです。すべての宗教が同一だと言ったならどうして私が迫害を受けるでしょうか。何のことか分かりますか。骨子の思想がこのようになっているからです。はっきり知らなければなりません。しかしながら、彼の口から出てきた言葉は自分のされていることを省みることもな無しに、「お母様が黒・天聖経を改ざんした」などといったこれまでも支流人らが騒いでいたものでした。なるほど『黒・天聖経』は廃版となったとはいえ、改ざんされたなどといった事実を何一つ発見することはできませんでした。著書には『改訂版』というものもあります。天一国経典はその「改訂版」と考えることも出来、問題は何一つありません。さて、子羊さんのみ言引用の話に戻ります。子羊さんの「み言暗号文解読表」を用いては彼の妄想を膨らませた「改ざん」ブログ記事をどれだけの人が受け入れることが出来るでしょうか?今回の記事からはさらに、2003年・・・天聖経に残された 文総裁はキリスト教を抜くことができなかったーーーーーーーーーーーーーー 文先生はキリスト教の失敗を蕩減する為に40年サタン分立路程路程を勝利されたにもかかわらず、「血統転換ということを中心として見るとき、文総裁はキリスト教を抜くことができなかったのです。それで選民思想を受け継いだキリスト教を抜くことができなかった」と衝撃的な御言葉を天聖経に残された。 ----- これは一体何を意味しているのか?? ----- 統一教会と文先生が《 キリスト教の失敗 ① ➁ 》を再び取り戻したことには間違いないのですが、ただ、取り戻して振出しに戻ったまま、つまり、文先生がキリスト教と同等の一線上に並んだまま、一つの問題を抱えている為に、次の段階に上がることができないでいることを警告している御言葉です。「文総裁はキリスト教を抜くことが出来なかった」の彼の解釈は、「統一原理」はキリスト教と同等かそれ以下のものでしかないという結論です。文総裁がそのようなみ言を語るためにこの世に来られたのでしょうが?ほとんどの方々の「キリスト教を抜くことが出来なかった」の解釈は、「(血統転換の問題は)キリスト教を抜きには考えることが出来なかった」というものでしょう。子羊さんのそれからは、彼の文章読解力にも欠陥があるようにも思えます。このように、み言を聞かれた方々(支流人の方であっても)であれば私同様に、そのほとんどの方は彼の「暗号解読文」を拒絶されるでしょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.08.26
コメント(0)
ほか、非公開にされた私からのコメント群です。◆「「メシアは男です」(天聖経)・・・サタンの血統を持った大淫婦はメシヤになれない」から非公開となった私のコメントコメント1:tomy4509 id:tomy39742020/06/21 14:37黒・天聖経『真の父母』を見れば 二、メシアと真の父母 二)メシアは真の父母 と書かれていました。それを隠蔽されては「メシアは男です。」の一行を取り上げられるのは「詐欺行為」です。「777」のハンドルネームに大きな傷をつけることになります。 ほか黒・天聖経『真の父母』のみ言を探せば > そうするには、どのようにしなければならないか? その救いを成してあげるには、メシアはどんな存在として来なければならないか? 間違いなく、真の父母として来なければなりません。メシアは、真の父母として来なければなりません。イエスという方を、キリスト教ではメシアと信ずるのです。救世主として信じます。 > それがメシアですが、真なる父母の位置を持って合わせるのです。それが子羊の婚宴です、子羊の婚宴。(五八・二一八j > 今まで人間たちの歴史的な願いが何かというと、真の父母に侍ることです。真の父母を迎えるためのものなのです。神様がイスラエルの国とユダヤ教を立てられたのは、メシアを迎えるためなのです。メシアが誰かというと、真の父母です。また、キリスト教とキリスト教文化圏を作ったのは、再臨主を迎えるためなのです。再臨主は誰かというと、第三次アダムとして来られる真の父母です。 > それが誰か? メシアです、メシア。その男は、どのようになるべきか? 男が父母になるには、相手を探して、一つにならなければならないのです。それがキリスト教の教えです。それが終末です。 ----- ほかお父様のみ言からは、「メシアは真の父母です!!」と書かれています。1行だけをもってほかの真実を隠蔽されますか?※ 子羊さんのコメント回答からですが、彼は「777」ではないとのことです。コメント2:tomy4509 id:tomy39742020/06/22 14:43>ほふられた小羊さん お父様のみ言「メシアとは真の父母」の存在を知りながらもそれを語らず、み言全体を歪曲する行為に「良心の呵責」も感じられないのでしょうか? 加えては私に以下の質問もナンセンスです。 > お父様がいつ真の父となって、お母様がいつ真の母となったのですか。 次の記事『(天聖経)・・・「真の父母が現れなかった」もわずかな1文を取り上げては、1960年の「小羊の婚宴」までも否定されようとしておられるのではないでしょうか。 黙示録の「小羊の婚宴」がないとなれば、文鮮明総裁は再臨主とは言えないことは、イエス様の時の「エリヤの再臨」の例に見るものです。 さて、真の父母様が再臨主でないと言われるのであれば「(天聖経)・・・「真の父母が現れなかった」という偏向したみ言で好きに語られたらよろしいでしょう。文鮮明夫妻が「独生子」「独生女」としてこの地上に送られたお方は神様であり、それを「真の父母」と信じるかどうかは「人間の責任分担」です。 「真の父母」と「真の子女」も相関関係です。「真の父母」を否定される「777」さんが推される子女様(?)も「真の子女」ということにはなりません。下のコメントには霊魂の結婚式を称賛されている脳天気さんもいるようですが、地上で繋ぐことは天でも繋がれるは聖書に記されたものです。 > こんな基礎的な理解がないので「女性が原罪なく生まれるという」創造原理からして絶対にありえないことを、臆面もなく主張するようになるのです。 お母様は「(無原罪)独生女」はお父様のみ言です。こういった知識もない方がお母様批判をされておられるということは実に嘆かわしいことに思います。「777さん」同様にです。コメント3:tomy4509 id:tomy39742020/06/23 23:19>ほふられた小羊さん あなたこそが偏向したみ言でしか物事を見ることが出来ないのではないでしょうか? ごく一部(一行)が全ての結論であるかのような記述態度にはうんざりさせられます。 「真の父母」について語られたみ言は山ほどあります。それを隠蔽されての論理展開では「777」も語り(偽りもの)でしかありません。 1960年の「小羊の婚宴」は家庭基盤を中心としたものでした。お父様は3度「結婚式」をしなければ、と語られていました。2013年の基元節がその3度めとなるはずでしたが、象徴的に「結婚式」の演出もされていたようです。◆「えっ?? これは驚きだ!! 平和メッセージの『ふさわしい相手』とは誰のこと??」から非公開となった私のコメントコメント1:tomy4509 id:tomy39742020/06/26 08:25>ほふられた小羊さん 偏向した考えからは「間違った読解」しかできません。平和メッセージの「30」の主語は「神様」であり、「31」の文総裁夫妻が神様の印を押されて顕現した時代に生きる皆様は奇跡の中の奇跡と語られていたものでした。平和メッセージ7も同様のことです。 そもそもの話、平和神経(平和メッセージ)は平和大使や世界の指導者に対して語られたメッセージです。お父様の愚痴を語るものではないということです。コメント2:tomy4509 id:tomy39742020/06/27 08:48>ほふられた子羊さん 先ず、私と「神様大好き!」さんは別人です。 私が豆腐の頭であれば、ほふられた子羊さんはガチガチの石頭ということになりますか? 間違いの指摘をされても柔軟性がありません。 真の父母様が結婚式をしていないというのであれば、婚姻届もされておらず、また、子女が誕生したとしても「出生届」も出すことが出来ません。み言「再創造の主人」の引用はそういうことです。 真の家庭も無ければ、真の子女様方も存在しません。三男さん・七男さんがどういう方ですか。私生児、孤児です。 ところで、「家庭堂創立」(2003年1月13日)のみ言は確認されたのでしょうか? 私はこれからですが、ほふられた子羊さんはすでに終えられていることでしょう。 み言「再創造の主人」を見る限りにおいては「家庭堂創立」によって「婚姻届」「出生届」が出来る道が開かれてように語られていたようですが。 別の日付で「再創造の主人」(2003.08.15)もあるようです。 「天聖経 人間の生と霊魂の世界 第三章 一 3. 」の解読ですか? 「真の父母」を受け入れなければ理解できないでしょう。◆「えっ・・・?? 「偽りの父母」=「真の父母」=お父様とお母様・・・これはどういうこと???」から非公開となった私のコメントコメント:tomy4509 id:tomy39742020/06/29 10:23『ファミリー』2003.5月号に『「天宙平和統一家庭堂」結成大会における御言』がありました。 ほふられた子羊さんは既にそれを読まれたことでしょう? 全体で40ページほどの文章ですが、文総裁夫妻の「婚姻申告」も語られていました。 -----(P.26末尾からの引用) ●「家庭王即位式」は天の婚姻申告 それは、どういうことかというと、文総裁が現れて、神様と共に、婚姻申告をすることができたという事実です! 分かりますか?(「はい。」)分かりますか?(「はい!」) 「神様王権樹立」をして、何であるのかというと、「天宙」です。「天宙」! ”二人“ が暮らすことのできる天の国と、「天宙・天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式」をしました。神様とアダムとエバは、「家庭王即位式」をすることができませんでした。分かりますか? その「家庭王即位式」をしたので、神様が、真の父母を中心として、婚姻申告をすることができる時を迎えたということです。分かりますか?(「はい。」) 文総裁を中心として、婚姻申告をしました。今、霊界に行けば……。今まで霊界では、神様が見えませんでした。今、行ってみれば、霊界の父母の立場で、文総裁夫妻の顔が現れて、きらびやかな光で見えるので、顔を見詰めることができないほど、まぶしくなるというのです。そのような霊界に行った時にも、真の父母を否定しますか? このように、はっきりと教えてあげたにもかかわらず、神様を否定すれば、かちっと引っかかります。 -----(引用終わり) ほふられた子羊さん、真の父母様の婚姻申告を否定すれば「かちっと」引っかかっていないでしょうか?! 今回記事も自分勝手な解釈からのものでしかありません。 偽りの父母が人間始祖アダム・エバではなく「お父様と第一夫人」と解釈してみたり、今回は「先生は93歳ですが、今だ結婚式ができていません。お父さんお母さんがいなくなりました。」を理由として「未だ真の父母は顕現していない」との主張です。これは本当ですか? お父様のみ言からは、祝福結婚は三度あると語られていました。「教会祝福」「国家祝福」「世界祝福」ですが、D-Dayのそれはどの次元の「祝福結婚がまだだ」と語られていたというのでしょうか。 「お父さんお母さんがいなくなりました。」は人間始祖アダム・エバの時からでしたが、サタンの血統を全て抜き取って本然のエデンの園での結婚式をしなければならない、という話をされていたものではなかったですか!! 文鮮明先生み言葉選集の教えは「真の父母」につきます。神様も「天の父母様」であることを教えていました。◆「「tomy4509 id:tomy3974」さんの質問に答えて・・・」から非公開となった私のコメントコメント1tomy4509 id:tomy39742020/06/30 08:46『ファミリー』2003.5月号の20~23項の「出生申告と婚姻申告」は、26~『「家庭王即位式」は天の婚姻申告』以前までのことが書かれたものです。それ以降は「文総裁を中心として、婚姻申告をしました。」と断定文です。 次に「エバが再創造される前に、《 アダムが再創造されなければならない摂理 》が展開」を見れば、お父様が5万名女性(エバ)に語られたものでした。「アダムが再創造」といっても彼女たちの夫の再創造(天使長→アダム)のことでした。それが訪韓女性修練会のみ言です。次の図も同様です。ほふられた子羊さんの自分勝手な解釈以外の何ものでもありません。サタン血統の人類が「真の父母様」の祝福を通して血統転換されていくことを説明していたものです。家庭基準から氏族・国家・世界と拡大していくことで地上天国が実現する、というものです。 > 先生とお母様が家庭基準で婚姻申告、出生申告を成したということは、如何なるサタンの妨害があろうとも、先生とお母様、そして、子女様をこれ以上奪っていくことができないことを意味しているのです。言葉を変えれば、お父様がお母様と子女様に対してご自身の命を交換条件としてでも責任を持たれるということです。 -----(引用終わり) ですが、お父様のみ言には真の家庭の居間にもサタンの侵入を許したといったようなことも語られていました。真の父母様が婚姻申告をしましたが、子女様方といえども出生申告は無条件ではないということです。2008年4月6日、お母様を中心としてカインアベル儀式がありました。霊界での孝進様・興進様がお母様を中心にカインアベルの一体化をされたように、この地上でも三男さんと四男さんが一つとなることを願われてのものでした。そこにサタンが入らなかったでしょうか? 信仰基台・実体基台はダテで説かれているのではないことは、お分かりでしょう。 同年7月19日、真の父母様らのヘリコプター事故がありました。7月22日に「真のお父様による祝祷」(「ファミリー」2008.10月号、4~)をされました。 > イエス様の家庭が抹殺された、その環境に代わるところにおいて、父母様が生きて、全員が生き残ることによって、『地上再臨完結時代』が来ました。 との宣布をされました。この時、真の父母様等を守られたのは霊界におられる子女様方の一体化によるものであったという証も多く聞きました。家庭を持つことも出来なかったために、イエス様が実体をもって超えることができなかったゴルゴダの丘を、「真の父母様」が実体で越えられたというものです。 真の父母様の「宣布」は一つ一つの峠を越えられたその軌跡です。女性修練会での八段階のそれも「八定式」が宣布されてのものでした。 「ゴッディズム」「頭翼思想」「真の父母主義」言葉は違いますが、同じことです。 ほふられた子羊さんのように「真の父母」否定からは何も生まれてきません。コメント2tomy4509 id:tomy39742020/07/01 08:26>ほふられた子羊さん これを読まれているほかの読者の方々は知りませんが、私とあなたの間には「ファミリー」2003.5月号があります。御言葉〔A〕御言葉〔B〕の間のみ言も既知のものとして私は書いています。家庭堂結成大会まで真の父母様は韓国政府や既成教会から否定されてきた経緯がありましたが、それを蕩減して結成大会に至った、ということです。婚姻申告をしました、と断定文です。 また、メシヤ観の違いです。真の父母を否定していませんは、メシヤは「真の父母」ということでしょうか? 「メシヤは男性です」があなたの考えです。お母様「独生女」では「真の父母を否定」も同様だと申し上げています。コメント3tomy4509 id:tomy39742020/07/01 16:16ほふられた子羊さんへ: > だから、<再創造の主人>https://heiwanosyujin.muragon.com/entry/848.html の御言葉はファミリーの二ヶ月後の5月3日です。 では、お父様み言<再創造の主人>http://furuta65.fc2web.com/001/9211/20030502.html の最後はどうなっていましたか? -----(引用) 先生も、「統一教会を導きながら苦労した」と言いますが、苦労したことが問題ではありません。福を、深く深く、広く広く、高く高く体 恤して、そこで感謝することができる心情圏を体得したのです。そのような位置まで経てきたので、ここまで来ることができたというのです。その位置まで行くことができなければ、上がっていくことはできません。病院に行ってみたことのない人は分かりません。病気になって初めて分かるのです。 蕩減復帰は、そのまま通り過ぎることはありません。 先生の前で誇ることのできるものはないというのです。先生が出発したことを解放してあげなければなりません。息子として愛することができる立場になることができていないというのです。それを取り戻し、神様を神様の位置に立て、父の位置に立ててさしあげて愛を受けることができなければならないというのが、堕落した人類の行かなければならない恨の歴史だったのです。結論をはっきりと知らなければなりません。(註:父母様がが「神様王権即位式」をされました。) さあ、そのように知って?。神様の婚姻届、神様の出生届を出さなければ国がありません。それは、真の父母だけではありません。真の御父母様と同じ価値なので、レベルが同じ価値なので、歴史性を帯びてするのです。今後、世界がこの内容を知るようになれば、毎日のように痛哭するのです。イスラエル民族に、嘆きの壁というものがあるではないですか。ちょうどそれと同じです。この道を越えなければならないのです。恨の解放圏を備えなければなりません。 家庭堂とは何ですか。家庭堂を唱えたのは何かというと、天地をすべて解放して結婚式をすることができるというのです。婚姻届を出すことができるというのです。 【神様が婚姻届を出したので、その神様は出生届を出すことができるのです。】 神様は、3代圏を越えてそれをすることができるので、本然の位置に帰ることができるというのです。ですから、牧師も何も、今までの世の中の宗教圏、そのようないい加減なものはありません。そのような人々が、天の前に立つことのできない不足な自ら自身だということを感じるならば、どれほど悔い改めなければならないのかということを考えてみなさい。これを知れば、粛然となるのです。 さあ、その次には、家庭堂の創堂式で先生が語った内容を聞いてみましょう。よく聞きなさい。 (訓読会) -----(引用終わり) あなたの主張『5月3日、「神様は、結婚式ができませんでした。神様は、婚姻式をすることができなかったというのです。」と明確に語られているのです。』は、あなたが挙げていた最後の一文で完全に引っ繰り返っています。さらに加えて「家庭堂の創堂式で先生が語った」み言の訓読【御言葉〔A〕】と続き、それが結論です。コメント4tomy4509 id:tomy39742020/07/02 09:46>ほふられた小羊さん 『ファミリー』2003.5月号に載っている『「天宙平和統一家庭堂」結成大会は2003年3月10日、この時のお父様は「文総裁を中心として、婚姻申告をしました。」と断定文として結論付けていました。 次の2003年5月のみ言「再創造の主人」(http://furuta65.fc2web.com/001/9211/20030502.html)ですが、上記コメントは「5月2日」の間違いでしょう。 あなたの本記事https://heiwanosyujin.muragon.com/entry/848.htmlでは、「再創造の主人」からの引用は >神様御自身が、宇宙創造の主人として出生届を出すことができませんでした。 でしたが、前回の私のコメントで引用したのは同じ「再創造の主人」(2003.05.02)の末尾からは結論ともいうべきものでした。 【神様が婚姻届を出したので、その神様は出生届を出すことができるのです。】 その後、再度の確認で2003年3月10日、『「天宙平和統一家庭堂」結成大会のみ言(断定文)を訓読をされた、というのが前回の私のコメントの順番です。 神様王権即位式の祭壇を覚えておられますか? 天の父母様(天のお父様と天のお母様)の御座、そして、その前に真の父母様が座られました。 「ファミリー」2001.3月号です。P.6冒頭の「初めの祈祷」もご覧ください。 >『真の天上父母』の神様王権即位式を挙行しようと思う次第でございます。 「天の父母様」、そして、「天の父母様聖会」と次々と展開されておられるお母様、その一方でそれを批判・否定される男子子女様ですが、どちらがお父様の後を継承しておられるかはここからも推察されるものです。子女様方が一つになることは当然のことですが、さらには、お母様と一つになってこそお父様のものへ行くことが出来るは、2008年4月6日にも語られていた原理原則です。 2020年5月8日「天地人真の父母様【天宙聖婚60周年】記念特別集会」がありました。もはや、世界基準(7ヶ国復帰)を超えて「天一国安着」宣布、孝進様・興進様家庭を中心として地上・天上の「天寳入籍」が始まっています。婚姻届・出生届です。◆「本当に愚かなブログか??・・・韓お母様がお父様の腹違いの娘であることを立証!!」から非公開となった私のコメントコメント1tomy4509 id:tomy39742020/08/01 08:53相変わらずの妄想ででっち上げられた、身勝手な注釈にによる「お父様のみ言歪曲・改ざん」おつかれさまです。 第一アダムは人間始祖アダムを指して語られていたものでしたが、いつから第一アダム・第二アダム・第三アダム(再臨主)が同一人物となったのですか? ほふられた子羊さんの妄想からではなく、お父様のみ言にそれを確認できるものがあれば、先ずはそれを提示願います。 「元777」を語られるのであれば、「み旨と世界」の内的教会史からの女性復帰を隠されることなく書かれるべきでしょう。お父様が突如北韓へ行かれては、「神の夫人」といわれる女性の下着まで洗われたという話です。その女性の個体は違ったとしても、エバ復帰をした基台は「生きて」いると語られていました。この基台の上での韓総裁との「聖婚式」(小羊の婚宴)だったということでしょう。ただ「サタン分立数・40」を越えなければならなかった原理があったということです。コメント2tomy4509 id:tomy39742020/08/04 22:52>ほふられた小羊さん 先ずは、>「元777」って、どういう意味ですか??私は777双でもなければ (子羊さんコメントから)ですが、ブログ・プロフィール(右側)を見れば「777」、777双でもないのであれば紛らわしいですね。また、家庭連合に対して批判的内容を書かれている限りにおいては、中立の立場ではないということになります。 さて、 >『第一代のアダムの奥さんを殺したのは女だから、第一代のアダムの代わりお母さんが、自分の娘を一つにして、方向転換してやらなければならないのです。』 相変わらずの妄想を膨らませた注釈によるお父様み言の歪曲・改ざんのそれでしかないようです。 ここで問題となるのは「第一アダム」に奥さんはいたでしょうか? 奥さんとなるべき「約婚」の女性(エバ)はいましたが、「殺した」はお父様は比喩で「堕落エバ」を語られていたのではないでしょうか。 原理講論では男性のカインアベルでしたが、16万修練会のレアとラケルも姉妹関係ですので(女性の)カインアベルということになります。姉妹関係ですが、ヤコブを中心としてどのようにならなければならなかったというのでしょうか。蕩減復帰から兄・弟が逆転しなければならなかったように、本妻と妾も逆転するように導かなければならなかったということでした。そのためにラバンの妻とイサクの妻リベカは(本来エバの代わりの)母親として自分らの娘(息子)を一つにして方向転換してやらなければなりませんでした。それが出来なかったので北朝と南朝に分かれてしまいました。 イエス様の時も、エリサベツとマリヤも姉妹関係でしたが、母親(協助)の責任を果たしていれば、北朝と南朝のように分かれていなかったという話でした。 ところで、「創立以前の内的教会史」も文総裁のみ言です。「ほふられた子羊」さんお得意の注釈で解いてみてください。 >「み旨と世界」の内的教会史からの女性復帰を隠されることなく書かれるべきでしょう。お父様が突如北韓へ行かれては、「神の夫人」といわれる女性の下着まで洗われたという話です。その女性の個体は違ったとしても、エバ復帰をした基台は「生きて」いると語られていました。この基台の上での韓総裁との「聖婚式」(小羊の婚宴)だったということでしょう。ただ「サタン分立数・40」を越えなければならなかった原理があったということです。◆「④お母様と幹部たちが「見て見ぬふり」した一番の理由は何か??」から非公開となった私のコメントコメント1tomy4509 id:tomy39742020/08/07 15:53以下を見れば「創立以前の内的教会史」を引用されていました。であれば、「神の夫人」と呼ばれた女性についてもなおさらこと、ほふられた子羊さんは書かれなければならないでしょう。 https://yohane-no-mokusiroku.muragon.com/entry/617.html -----(引用1) 『創立以前の内的教会史』 1977/5/1 ニューヨーク ベルベディア 「二〇〇〇年前のイエス様の時には、洗礼ヨハネがそのイエス様の相対の使命をもっていて、彼の使命が完遂されることによってイエス様がメシヤとして来るようになっていました。同様に再臨主の時には、エバ(女性の代表者=お母様)が洗礼ヨハネの役割を果たさなければなりません。しかも二〇〇〇年前には国家基準においてでしたが、再臨時代においては天宙的基準においてその使命を果たさなければなりません。 ----- 2000年前の洗礼ヨハネはマラキ書に書かれた「再臨エリヤ」としてイエス様を証しする立場でした。 再臨時代にあっては黙示録に記載された「小羊の婚宴」、つまりは再臨主の相対となるのが女性(妻)が現われなければ、個人一人では「再臨主」を名乗ることが出来ないということです。原理講論からは「善の父母」が全人類を罪のない子女に生み変えてくださるのだ、と書かれていました。つまり、そこから導かれる結論は、再臨主は「善の父母」として来られるお方だということです。 さらには次の引用からは、 -----(引用2) それでお母様がサタン世界の最高階級(=天宙的先生ヨハネの使命)を中心として、八十か都市で巡回講演を通じて(先生の)勝利の覇権を持って入ったために、お母様は母としての責任を初めて神様が公認した(天宙的洗礼ヨハネの)立場に、サタンが公認した立場に、人類が公認した立場に立つようになったのです。 ----- ここでもほふられた子羊さんの妄想ともいうべきカッコ注釈【最高階級(=天宙的先生ヨハネの使命)を中心として】ほかでしたが、 世界の最高階級(指導者)を中心としてお母様が巡回講演され(人類の母としての)勝利の覇権を持って入ったために、お母様は「母としての責任」を神様、サタン、人類が公認した立場に立つようになったのです。そして、このような勝利の基台の上で、お父様はお母様に「感謝碑」を贈られていました。 お母様や幹部ら「拒んだ」などとの未来形でのそれもまた、ほふられた子羊さんの妄想注釈からのものとしか捉えることが出来ません。「「真の父母宣布」にサタンが侵入した」も身勝手な解釈からで怪しいものです。別の解釈も当然出来ますし、ほふられた子羊さんが正しいといった何一つの確証がありません。コメント2tomy4509 id:tomy39742020/08/08 21:30>ほふられた小羊さん ⑦「原理が真理なら・・・やはり、お母様は堕落した立場から出発しなければならなかった!!」ですが、ほふられた子羊さんのレア・ラケルの話からどのように理解すればよいのですか? イエス様の時のエリサベツとマリヤがレア・ラケルの関係でしたでしょう。もしも、この姉妹がまた母親としての責任を果た(蕩減復帰)していたならば洗礼ヨハネとイエス様の関係、また、イエス様の相対も準備されていたというのが16万修練会での話(図式)であったと思います。イエス様の相対となるべき女性はどのような位置でこなければならなかったでしょうか。やはり、堕落エバですか? 『祝福家庭と理想天国』第二章 一節からの引用: -----(引用) 婚姻の宴会、すなわち小羊の宴会をしようとするならば、イエス様の新婦が必要です。新婦を探し出さなければならないのです。その新婦とは誰かというとエバなのです。堕落する前のアダムと共にいたエバなのです。再臨の主は三人目のアダムです。イエス様は二人目のアダムであり、その後来られる主は三人目のアダムなのです。そして、三人目のアダムが堕落前のアダムの立場で来て、堕落前のエバを探し出さなければなりません。堕落していないエバを探し出して、小羊の宴会をしなければなりません。結婚して人類の父母となるのです。 -----(引用終わり) ほふられた子羊さんはこれを知らないわけではないでしょう。であれば、ほふられた子羊さんの妄想脚注付きの解釈が正しいという確証は何一つありません。韓鶴子総裁が失敗者との主張もまた、文鮮明総裁も失敗者であり「小羊の婚宴」そのものから覆す結果となります。文総裁お一人を持ち上げてみたところで、2000年前のエリヤの再臨・洗礼ヨハネのようなものです。黙示録の「小羊の婚宴」が成立してこそ『再臨主』(真の父母)の使命者だといえますが、そうでなければキリスト教も鼻に掛けません。 また、み旨と世界の『創立以前の内的教会史』の「神の夫人」の話はどうなったのですか?◆「⑧宿命的だった・・・お母様はお父様に対して主管性転倒しなければならなかった」から非公開となった私のコメントコメント1tomy4509 id:tomy39742020/08/16 00:06ほふられた子羊さんへ >お母様はお父様に対して主管性転倒しなければならなかった とはどういう意味ですか? お父様は人間始祖アダム・エバの堕落で失ったアダムとしての主管性を復帰されておられなければ、お母様の聖婚式を迎えることが出来なかったはずですが。 子羊さんの話からすれば、聖婚式以降もお父様はお母様の尻に敷かれていたということになります。主管性を復帰されないままに聖和されたお父様ともなれば「再臨主」とは言えません。原理とも食い違ってきて説明がつきません。それよりも、『み旨と世界』からの「内的教会史」、「神の夫人」に仕えられたお父様の話はいつ出てくるのですか? 過去コメントで私からはお父様の「エバ復帰だ」と書いては、子羊さんがどう対応されるかの「探り」を入れていましたが、未だにその回答がありません。 ところで、人間始祖アダム・エバで、もしもアダムまでも肉的堕落しなかったならば復帰は容易であったとお父様は語られていました。子羊さんは、この場合どのような経路を辿ったと考えますか? 霊的堕落はなかったにしても、 聖書には、サラが一旦はサタン側に奪われて復帰エバの基台でアブラハムが「象徴献祭」や「イサク献祭」がなされた話もあります。「エバ復帰」ということですが、アダムはエバを主管すべきあったのですが、サタンに奪われた「エバ復帰」を通して自ら本来の(エバの)主管性をも復帰する意味もあったと思います。 子羊さんの「主管性転倒」されないままの聖婚式、そして、そのお父様聖和の矛盾点についてはどのように説明されますか。もちろん、「独生女」について最初に語られていたのはお父様でした。そのお父様の元祖「独生女」の話も聞かなければならないでしょう。コメント2tomy4509 id:tomy39742020/08/16 22:25>ほふられた子羊さんへ 以下URL記事の子羊さんコメントへの回答をこちらで書かせていただきます。でなければ、この先の話も通じなくなるでしょうから。 https://heiwanosyujin.muragon.com/entry/883.html#1338068 先ずは、 > 天聖経は2000年過ぎてからの特別編纂になります。先生が80歳過ぎです。 真の御父母様の生涯路程全11巻も2000年の編纂です。先生の黄金時代が遠に過ぎた年齢です。 ですが、編纂が2000年以降のものであるというだけであって、子羊さん引用のそれぞれのみ言は過去に語られたものでした。 ・祝福家庭と理想天国(1) 祝福と理想家庭 第二章 第四節 1. (19’81.5.15) ・天聖経 祝福家庭 第三章 九(1993.3.7) ・天聖経 祝福家庭 第三章 十 1. (1995.8.30) ・天聖経 真の神様 第四章 六 1. (1990.1.21) ・真の父母様の生涯路程 4 第五節 五(み言集32-337) まずもって「真の父母様の生涯路程 4 第五節 五」の文章は何なのですか? お父様のみ言以外に【子羊さんの身勝手な妄想文が半分も挿入】されていました。これではお父様のみ言の真意を読み取ることは出来ません。ほかの引用もわずか数行のものでしかありませんし、その前後を読むことで妄想解釈とは違った言葉が返ってきました。 > tomy4509さん > 参考までに・・・・ > 真の御父母様の生涯路程2 第二節 > 六 「主なる神の夫人」朴老婆を中心とした摂理 > http://furuta65.fc2web.com/001/syougairotei_2/002.html#032 上記の文からもまた、別のレア・ラケル立場の女性たちが出てきました。 -----(引用) 女性心情の代の伝授と獄中暮らしの苦しみ出発 このような業をしながら、そのおぱさんのような通じる人を再び立ててくるのです。神様の夫人から始めて本然の母の位置を取り戻すためには、八十歳から再びするのです。八十歳から七十歳、六十歳、五十歳、四十歳、三十歳と、そのような基準を中心として、これを再び延長して、母の時代まで、お母さんの年齢まで下りてくるのです。それを、みな収めなければなりません。 朴氏ハルモニ(註:神の夫人)が先生に反対したので、代わりに他の人を立てるようになりました。エバは再創造できる原則があるためです。…獄中には、ラケルの立場である金氏が共に収監されていました。金氏はラケルの立場、朴氏ハルモニはレアの立場であり、さらにまた羅氏という婦人がいました。 -----(終わり) これほどまでに女性にこだわるお父様でしたが、アダム、第二アダム、第三アダム(再臨主)にとって「エバ復帰」とは蕩減復帰から見た時、どういう意味があったのでしょうか?コメント3tomy4509 id:tomy39742020/08/21 18:40>ほふられた子羊さんへ 子羊さんが「参考までに・・・・」として出されたそれですが、「(この)文からもまた、別のレア・ラケル立場の女性たちが出てきました。」ということでした。 -----(引用) > tomy4509さん > 参考までに・・・・ > 真の御父母様の生涯路程2 第二節 > 六 「主なる神の夫人」朴老婆を中心とした摂理 > http://furuta65.fc2web.com/001/syougairotei_2/002.html#032 -----(終わり) -----(引用) 女性心情の代の伝授と獄中暮らしの苦しみ出発 …… 朴氏ハルモニ(註:神の夫人)が先生に反対したので、代わりに他の人を立てるようになりました。エバは再創造できる原則があるためです。…獄中には、ラケルの立場である金氏が共に収監されていました。金氏はラケルの立場、朴氏ハルモニはレアの立場であり、さらにまた羅氏という婦人がいました。 -----(終わり) さて、 「⑨???・・・原理を知らないお母様 ⇒ 堕落したのだから、堕落から始めないといけないのです = 『事実蕩減』 ⇒ 主管性転倒式 = 聖和(総蕩減完了)」 https://heiwanosyujin.muragon.com/entry/888.html もそうですが、子羊さんが勝手に挿入されたもの(赤字)は本当にお父様のみ言の真意と言えるのでしょうか? 挿入分(赤字)のないお父様による直接のみ言というものが子羊さんからは出てきていないように思います。 >マリヤ(お母様)が、この全てを復帰しなければなりません。ですから女性は、主管性を転倒しなければなりません。 一つの確認ですが、16万修練会からはザカリヤを中心としてエリサベツとマリヤがレア・ラケルの位置だったでしょう。「マリヤ(お母様)」ではありませんでした。別の図からは洗礼ヨハネの「妹」、もしもイエス様が十字架に架かっていなければ彼の相対となるはずだった、はお父様のみ言です。「マリヤ(お母様)」は当てはまらないと思います。 み旨と世界の「内的教会史」の話に戻ります。子羊さんが参考として提示された中にも「神の夫人」が出てきました。「内的教会史」はお父様のアダムとしての主管性復帰のことが書かれていました。「僕」からでしたか。 「事実蕩減」ということを書かれていましたが、それはお母様ではなくお父様に関してではないでしょうか? お父様の獄中生活についてはどうなのですか。イエス様の十字架によってその肉身をサタンに奪われたため、その蕩減としての肉身を取りもどすためのものがそれだったと思います。また、人間始祖アダム・エバの堕落によって失ったものといえば、アダムとしての主管性でした。堕落エバからそれを復帰してこそ本来のアダムの位置を確立できたということです。「(堕落)エバ復帰」=「アダムの主管性復帰」が事実蕩減ということになるでしょうか。 私の過去記事でも書いていましたが、主流宗教でもない儒教の家門にお父様はお生まれになりました。お父様がイエス様に会われてその使命を継承したのは、その家門がキリスト教に改宗してからでした。お父様が無原罪誕生というのはイエス様がそうであったという因習からであって、お父様もそうだと立証するものは何もありません。私たちが聞いてきた「主の路程」からも「無原罪で」ということは聞いたことがありませんでした。 「お父様の有原罪誕生」であっても「原理講論」からはその矛盾性を発見することも出来ません。「アブラハムーイサクーヤコブ」の例がそうでした。個体は違ってもみ旨完遂の観点からは一つでした。ヤコブ路程はイエス路程を象徴的に、モーセ路程は形象的展開したものでした。ヤコブーヨセフ、モーセーヨシュア、イエスー再臨主も個体は違いますが使命的に見れば同じです。エリヤと洗礼ヨハネの例も挙げることが出来るでしょう。 さて、子羊さんの記事からのお母様の「主管性転倒」ですが、そもそも「主管性転倒」自体は「堕落性本性」3番目です。カインアベルもそうですが原理は「闘う」ためのものではありません。心と体、男性と女性等が「一体化」するためのものでした。 ところが子羊さんの記事から流れてくるものは、文鮮明・韓鶴子総裁も人間始祖アダム・エバの堕落の再現をした(失敗)家庭というものでした。 となれば、文総裁が解明された「統一原理」とは何だったのでしょうか? 真の家庭? 真の子女様? これらも存在しないでしょう。◆「④文字どおり読んで理解できたら、あなたは精神病院に行かなければならないかも知れません!!」から非公開となった私のコメントコメント1tomy4509 id:tomy39742020/08/23 08:47天聖経 天一国主人の生活 第一章 三 エバゆえに、本来の理想的なアダムとエバが二人とも壊れたのです。それ故に、理想的「後のアダム」として来られたイエス様の前に、堕落したエバ、すなわちマリヤがイエス様の妻になるエバを復帰してあげなければなりません。復帰するには、マリヤ一人ではできません。創造主がアダムを中心としてエバを造る時も天使長が協助したので、復帰歴史完成の為に、「後のアダム」を型としてエバを造る時も天使長が協助しなければなりません。そのようにする事によって、エバが復帰されるのです。 そして、イエス様と復帰されたエバが一つ(真の父母)にならなければなりません。天使と天使長の立場である僕たちが、アダムの立場であるイエス様を中心として、エバの立場である娘を創造したとすれば、【その娘は堕落していない神様の娘】ではないですか。マリヤとヨセフが、その神様の娘(独生女)とイエス様を祝福してあげなければなりません。ここで、神様の娘と神様の息子が一つになるのです。 主管性転倒問題は、エバが行った事なので、女性が責任をもたなければなりません。それ故に、マリヤが天使長も復帰してあげるべきであり、アダムも復帰してあげるべきであり、エバも堕落前のエバに復帰しなければなりません。マリヤが、この全てを復帰しなければなりません。ですから女性は、(堕落によって)主管性を転倒(したので復帰)しなければなりません。マリヤは、天使長とアダムとエバ、この三つを復帰するだけでなく、神様の心情迄全て探し立てなければなりません。 それをする事によって、神様のみ旨と人類の目的が成し遂げられるのです。神様が四千年間願ってこられたみ旨と、人類が今後天国を成す事のできる起源が、ここでできるのです。ですから、これが人類の目的点となってきたのであり、神様の目的点となってきました。 アダムとエバが愛を結び、愛を完成すれば、そこから完全なものへの出発がなされるのです。それ故に、主管性転倒を(復帰)必ずしなければなりません。(38-70,1971.1.1) -----(引用終わり) 堕落したエバ=マリヤ=天使長・アダム・エバ復帰の責任 復帰された(再創造された)エバ=イエス様の妻になるエバ=堕落していない神様の娘(独生女) 天使と天使長の立場である僕たち=ザカリヤとヨセフ、洗礼ヨハネ ほふられた子羊さんは、あれもこれも真のお母様を堕落エバに結び付けての「身勝手な挿入文」からの誤解釈が、お父様のみ言の真意を歪曲しているように思います。コメント2tomy4509 id:tomy39742020/08/23 20:01『黒・天聖経』は廃版になったとはいえ、私の手元にもあって自由に目を通すことも出来ます。その黒・天聖経をお母様が「改ざん」したという話でしたが、本当ですか? 子羊さんのように自分勝手な挿入文でもって、お父様のみ言の真意を(悪意を持って)捻じ曲げての解釈こそが「改ざん」というものではありませんか? また、「天聖経 天一国主人の生活 第一章 三」からの子羊さん記事本文の引用ですが、私の「黒・天聖経」からの出典(38-70,1971.1.1)のお父様のみ言は「エバゆえに、本来の理想的なアダムとエバが二人とも壊れたのです。…(略)…」で始まっていました。ここから読むことで、私は精神病院に行かなくても済みそうです。 ところが、子羊さんの記事引用はその途中からであり、「文字どおり読むんですよ・・」と。 もしもそれだけを語られたお父様であれば、お父様こそ精神病院に行かなければならなかったでしょう。コメント3tomy4509 id:tomy39742020/08/24 00:48>ほふられた子羊さんへ 先ずは、本記事で引用された黒・天聖経の一文ですが、その正確性に欠けていることの指摘をしていました。これは故意にされたものでしょうか? これまでの私の経験から、また真の父母様宣布文サイトからも家庭連合を批判される方々の引用を見れば、短い切り出し引用文を用いてのみ言の歪曲や改ざん等の事例が見られました。切り出し引用文の前後を読めば、批判内容とは全く異なることをお父様は語られていたというものでした。 今回の子羊さんのそれを見ても、わずか数行が有る無しで文章の捉え方が大きく変わってきました。その数行で「堕落したエバ=マリヤ」と「復帰されたエバ=イエス様の妻になるエバ」は同一人物とは言えないでしょう。このように、既に私からの引用文の説明はしていました。こんにちのお母様に当てはめてみたところで同じことです。洪順愛女史とお母様です。お父様のみ言と、また、こんにちのお母様の「自叙伝」からも一致する内容で書かれていました。 お父様がお母様について語られたみ言は、以下の史料でそのリンクを貼っていますので、ぜひ研究してください。このようなお父様のみ言も知らずに自分勝手な挿入文でお母様批判をされているとすれば「無知は死の影」です。 ・「【史料】お父様が語られた『元祖・独生女論』」 https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/202008130000/ また私が「律法学者」ということですが、2000年前の律法学者パリサイ人等はマラキ書の「エリヤの再臨」について論議しては、イエス様をメシヤと認めることが出来ませんでした。こんにちで言えば黙示録の「小羊の婚宴」がそれでしょう。(第三)アダムが一人で来てもメシヤ(再臨主)とは認められない、ということです。1960年の聖婚式がその「小羊の婚宴」であったと私は信じています。子羊さんはどうなのですか? お母様に関して私からもう一言付けたしておきましょう。 ・「独生女考(23)ーー「お母様は原罪なし お父様は原罪あり」はお二人だけの「秘密」」(奇知外記 2017.02.22付)の文末からです。 https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201702220000/ > これは、ご聖婚式の後の初夜、お二人だけの「秘密」である。 ----- 黒・天聖経の引用もご参照ください。 黒・天聖経『祝福家庭』4.血統転換の三段階過程 -----(引用開始) ③三日行事 ― 実体復帰式 祝福を受けて四十日が過ぎたのちには、三日間にわたり実体的な復帰式があります。この四十日期間は、歴史的で総合的な蕩減期間なのです。人間が愛を中心として復帰の権限をもつようになるのは、蘇生期でもなく、長成期でもありません。完成期に入らなければならないのです。 アダムの時代と次の時代は、失敗の時代です。その結果、旧約時代の神様の蘇生的な愛圏を継承できずに、キリスト教を中心として神様の長成的な愛を受け継ぐことができませんでした。その蘇生、長成の愛圏を受け継いだのちにこそ、完成的な成約時代圏に立つことができるようになるのです。そのような条件を立てることが、三日行事の実体復帰式である蕩減式です。三日行事の実体復帰式の最初の日は、旧約時代の復帰です。堕落したアダム、旧約圏を復帰するのです。二日目は、新約時代のイエス様の立場を蕩減復帰するのです。三日目は、イエス様の代わりの新郎として新婦を再創造するのです。そこで初めて正式軌道に乗って、出発することができます。このように具体的に蕩減条件を立てるのは複雑なのです。 三日行事をするとき、夫婦はどんな立場に立たなければならないかといえば、夫婦とは夫と妻ですが、妻がお母さんの立場に立たなければなりません。お母さんになって、夫を愛によって生んであげなければなりません。結局は、再臨主までエバが生んであげなければなりません。主が来る時まで、再臨主までは三時代を経ますが、アダム、イエス、再臨主の三代を経て出てくるには、誰が生んであげるかといえば、女性が生んであげなければなりません。 (以下省略)◆「⑤落人の家庭連合哀れ・・文字どおりの解釈にしがみ付く・・・御言葉の弱体化が起こっている」から非公開となった私のコメント前回記事『ほふられた子羊(平和太郎)さんが非公開にしたコメント(その1)』にて掲載済一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.08.26
コメント(0)
昨日ほふられた子羊さん記事「⑤落人の家庭連合哀れ・・文字どおりの解釈にしがみ付く・・・御言葉の弱体化が起こっている」に投稿した以下コメントほかが非公開扱いとされました。>ほふられた子羊さんへ ----- 蕩減復帰の峠を越えましょう (女性修練会) 1993.12.20 「第一代のアダムの奥さんを殺したのは女だから、第一代のアダムの代わりお母さんが、自分の娘を一つにして、方向転換してやらなければならないのです。」 -----(引用終わり) 上記の16万女性修練会のそれに関しては、子羊さんの過去コメント欄で私の考えを記していました。https://heiwanosyujin.muragon.com/entry/879.html#1322346 (これも非表示に)-----(引用) さて、 >『第一代のアダムの奥さんを殺したのは女だから、第一代のアダムの代わりお母さんが、自分の娘を一つにして、方向転換してやらなければならないのです。』 相変わらずの妄想を膨らませた注釈によるお父様み言の歪曲・改ざんのそれでしかないようです。 ここで問題となるのは「第一アダム」に奥さんはいたでしょうか? 奥さんとなるべき「約婚」の女性(エバ)はいましたが、「殺した」はお父様は比喩で「堕落エバ」を語られていたのではないでしょうか。 原理講論では男性のカインアベルでしたが、16万修練会のレアとラケルも姉妹関係ですので(女性の)カインアベルということになります。姉妹関係ですが、ヤコブを中心としてどのようにならなければならなかったというのでしょうか。蕩減復帰から兄・弟が逆転しなければならなかったように、本妻と妾も逆転するように導かなければならなかったということでした。そのためにラバンの妻とイサクの妻リベカは(本来エバの代わりの)母親として自分らの娘(息子)を一つにして方向転換してやらなければなりませんでした。それが出来なかったので北朝と南朝に分かれてしまいました。イエス様の時も、エリサベツとマリヤも姉妹関係でしたが、母親(協助)の責任を果たしていれば、北朝と南朝のように分かれていなかったという話でした。 -----(引用終わり) 子羊さんの注釈入り解釈は ----- (注釈入り)(註:(赤字)が子羊さんの注釈) (=1945年のキリスト教の失敗によって再臨主の位置を失った立場に立たれたお父様・・・) 第一代のアダム(=お父様)の奥さん(=第一夫人)を殺した(=離婚させたのは)のは女(=第一夫人の母親)だから、(これを蕩減しなければならない為、)第一代のアダムの代わりお母さん(=大母様)が、自分の娘(=韓お母様)を(お父様と)一つにして、方向転換してやらなければならないのです。 (※1)(大母様が)それを知らなかったのです。これが問題になったのです。 ----- この記事の始めを見れば「崔元福先生」がでてきましたが、宣布文サイトからは第一夫人と崔元福先生に関してのお父様のみ言が掲載されていましたので参考まで。https://trueparents.jp/?page_id=6035 -----(引用・その1) 「聖進の母親の名前は崔先吉です。崔氏が問題です。それから崔ソンモという人がいます。……崔ソンモさえ一つになっていれば、統一教会は迫害を受けることもなく、世界的な宗教になったはずです。梨花女子大事件も起こりはしないし、延世大事件も起こらなかったのです。聖進の母親の叔父が崔ソンモです。1955年の事件を誰が起こしたかというと、崔ソンモが起こしたのです。崔氏が先生を監獄に投げ込んだのです。内務部長官と手を組んで、統一教会をなくしてしまおうとしたのです」(『真の御父母様の生涯路程③』105ページ) -----(引用・その2) 「崔氏一族がそうしたために、崔氏を中心とした役事をするのです。因果の法度というものは本当に恐ろしいものです。……その余波によって世界的な問題が起こったのです。しかしその家門を滅ぼしてはいけません。……彼らを解放してあげるべき責任を果たしてこそ、大韓民国救援の道を行くことができるのです。救援摂理はそのように複雑なものなのです。日本を開拓したのは崔奉春なのです。崔氏をまず前面に立てたのです。……また、崔元福がいます。名前が元福です。原理的になっているのです。『先吉』(聖進様の母親)が失敗したから、『元福』が収拾するというのです。……(韓国教会の)復興会をするときも、劉協会長を立たせずに、ヤマガラのような崔チャンニムを全面に立たせたのです」(同、151〜152ページ) 子羊さんの本記事「⑤落人の家庭連合哀れ・・文字どおりの解釈にしがみ付く」ですが、家庭連合は「逐語霊感説」ではありません。「黙示録の暗号を解読」というものもブログ村の過去にありましたが、子羊さんの「解読表」で全てが解かれるというものでもありません。私からは「文字遊び」の一種、解読表を元にした「逐語霊感説」が子羊さんのブログ記事ということになりますか?ほふられた子羊さんの「暗号文解読表」からは「原理講論」も紐解くことはできません。「初めに結論ありき」から彼独自の「解読表」を作成しては、ブログ記事でその結論に沿ってお父様のみ言に妄想を膨らませた(赤文字注釈)を入れていましたが、それ無しには彼自身の主張を語ることすらできなくなっています。お父様のみ言を歪曲した「改ざん」でしかありません。子羊さん記事からの一例ですが、彼の「解読表」からの注釈入り解釈は以下のようになっていました。子羊さんの注釈入り解釈は----- (注釈入り)(註:(赤字)が子羊さんの注釈)(=1945年のキリスト教の失敗によって再臨主の位置を失った立場に立たれたお父様・・・) 第一代のアダム(=お父様)の奥さん(=第一夫人)を殺した(=離婚させたのは)のは女(=第一夫人の母親)だから、(これを蕩減しなければならない為、)第一代のアダムの代わりお母さん(=大母様)が、自分の娘(=韓お母様)を(お父様と)一つにして、方向転換してやらなければならないのです。ここで私から真の父母様宣布文の引用を挙げていましたが、「第一代のアダムの奥さんを殺したのは女だから」の「女」は、彼の解釈では「第一夫人の母親」でしたが、お父様のみ言を引用からは「聖進の母親の叔父が崔ソンモ」でした。彼の「解読表」からの解釈の一端が崩れ始めました。もしも、彼の主張(結論)が間違いであったと分かれば、ブログを停止するとまで豪語していたのですがどうなのでしょうか?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.08.26
コメント(0)
善きサマリヤ人さん記事「再臨主が清平役事の蕩減を背負うことになる」ということで、清平について批判めいたことが書かれていました。また文末のお父様のみ言は、『ファミリー』2002.2月号に掲載されていました。善きサマリヤ人さん引用部分は黄マーカーです。これらお父様のみ言を見れば、清平での役事は興進様が相続してされておられるとのことで、「天の政権を中心とする主権と国民を備えた「天一国」の基盤がすべて準備されています。ここで、確定的な自己価値の決定は、皆さんの一族をどのくらい天の前に収拾したのかです。それによって決定されるのです。逆さまに行かなければなりません。このように上がっていかなければなりません。」と。神氏族メシヤのことでしょう。聖和前のお父様は、210代までの先祖解怨を基元節までにという指示もされていました。先祖解怨そのものが間違いであるというのであれば、お父様のそれも間違っていた、と言っておられるようです。「露骨な高額献金が免罪符」といった批判もありましたが、お父様のこのみ言の中には「総生蓄献納」の言葉もありました。「総生蓄献納」とは何ですか? 「総生蓄献納」と「露骨な高額献金」の二者択一であれば、善きサマリヤ人さんはお父様のみ言の「総生蓄献納」を選択されるでしょう。さて、真の父母が、「清平に集まってはならない。」ということですが、今がまさにそういう時です。お父様はこの時を預言しておられたのではないでしょうか?!また、「文明の利器を活用して一瞬のうちに世界、天宙にまで宣伝、放送することができる時代が来たのです。…文総裁いわく、文明の利器の王となって一瞬のうちに天下を懐に抱き、世界の大平和をかけて戦う戦場の第一線の将兵として総出動するにおいて、赤ん坊までも裸で従ってくることができるようにすれば、天下は、瞬時に統一天国にならざるをえません。」もまた、「オンライン役事」「オンライン希望前進大会」として結実して来ています。<P.31~> それで、先生のしてきたことが主に何であるかというと、統一教会の思想的勝利の覇権の位置を築いてきたのです。世界的な、天宙的な覇権の位置を築いてきたので、今ではもう思想的基準においては統一教会を凌駕することはできません。 共産主義もそうであり、哲学もそうであり、民主主義世界の、どこかの大学の天才的な教授が、ノーベル賞を十個、百個、持っていたとしても、統一思想を凌駕することができる人はいないということを知らなければなりませんか、悟らなければなりませんか?(「悟らなければなりません。」) 知るということと、悟るということはどういうことですか? 知らなかった立場から努力して知るようになることを、悟るというのです。悟る時が来ました。 それゆえに、霊界においても、イエス様をはじめとする四大聖人や、文化創造に協助した歴史上に輝く聖賢、賢哲たちにまでも、真の父母が伝授する真なる真理の内容を、セミナーを通して教育しているのです。 その教育を受けている責任者たちは、キリスト教などの宗教圏の重鎮、教派の長、文化世界の功臣であり、神様の命令によって一人も欠けることがないようになっています。それがキリスト教から出発したのです。 キリスト教の中で、歴史を通じた重鎮の人物たちは、「わたしの命令によって一か所に集まりなさい。」と神様がおっしやれば、集まりますか、集まりませんか?(「集まります。」)集まりますか、集まりませんか?(「集まります。」)集まりますか、集まりませんか?(「集まります。」) それと同じように、真の父母が、「清平に集まってはならない。」といえば、集まらなければなりませんか、集まってはいけませんか? (「集まらなければなりません。」)「集まるな。」と言っているのに、集まらなければならないのですか、この者たち。ぼうっとして聞いています。「集まるな。」と言っているのに、集まらなければならないのですか? (「はい。」) 聴衆を指導する文総裁は頭が良いのですから、「『集まるな。』と言っているのに集まらなければなりませんか、集まってはいけませんか?」という問いに対する答えは、何でなければなりませんか? この者たち。話を聞いていないという事実です。分かりますね?(「はい。」) 話を聞いていないのですから、悪口を言われて、前髪が抜けてはげ頭になり、怨讐の頭になったとしても、精神を正してしっかりと悟らなければならないということを知らなければなりません。 聞いて知り、悟って理解しなければなりません。どのような内容なのか分析し、鑑定し、「正しい」と言うことができる立場で理解してこそ、使用価値があるのです。 悟ることができずに皆さんの頭にそのまま放り込めば、器の下の方にあらゆる悪いものが敷かれているので、その上にいくら良いものを置いても、使用価値がありません。それを売ったとしても、悪いものとしての評価しか受けることができないということです。 ですから、悟って自分のものにしようと思うならば、しっかりと熱心に聞かなければなりませんか、しっかりと熱心に聞いてはいけませんか? どちらですか?(「しっかりと熱心に聞かなければなりません。」)知っていることは知っているのですね。 文明の利器を活用して一瞬のうちに世界、天宙にまで宣伝、放送することができる時代が来たのです。そのことをよく知っている文総裁は神様に侍り、神様が文総裁がそれをしてくれることを願われるので、それをするというのです。分かりますか? 自画自賛する者は滅びると言われたのですが、滅びませんでした。 文総裁いわく、文明の利器の王となって一瞬のうちに天下を懐に抱き、世界の大平和をかけて戦う戦場の第一線の将兵として総出動するにおいて、赤ん坊までも裸で従ってくることができるようにすれば、天下は、瞬時に統一天国にならざるをえません。ノーメンですか、アーメンですか? (「アーメン。」)(把手)知っていることは知っているのですね。(拍手)…… 略 …<P.66> 八十三歳なので、いつでも、明日にでも呼ばれれば、逝かなければなりません。しかし先生は、自分が逝く日を知っています。時を知っています。ですから、皆さんと親しく、親しく、もっと親しくすればよいのですが、そのようにすれば、そこにより悲しみと恨をもたらし、行くべき道に暗闇が入り込んでくるかもしれないという危険性があるのです。 ですから、できるなら遠ざけてくれることを願う心があることを、そして皆さんを愛して皆さんの行くべき道に支障がないようにと、天が心配されていることをありがたく思わなければなりません。分かりますね? (「はい。」)隅の方の人は分かりましたか? (「はい」) 真の父母の顔をいつでも見ることができる時代が……。霊界を通して見ることができるかもしれませんが、霊界に行けばどうするのですか? 皆さんに、霊界で行われていることを直接的に教えてくれる人がどこにいますか? ここにいる郭錠煥氏がするのでもなく、日本のだれもすることはできません。先生の特権の系譜を相続することができなければ……。 今現在、興進君が相続を受けています。今回、わたしがハワイを出発して、今まで「神様王権即位式」、神様の故郷と「祖国定着」、そして「天一国」宣布とともに、国を成すためには国民と主権がなければなりません。王権樹立です。国がなければなりません。「祖国定着」です。そして、国民がいなければなりません。天の国の入籍カードを持つようになっています。 このようにすることによって、天の政権を中心とする主権と国民を備えた「天一国」の基盤がすべて準備されています。ここで、確定的な自己価値の決定は、皆さんの一族をどのくらい天の前に収拾したのかです。それによって決定されるのです。逆さまに行かなければなりません。このように上がっていかなければなりません。(引用終わり)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.08.16
コメント(0)
昨日のアクセス数が通常の2倍に急上昇となりました。通常数にプラスしたアクセス数が上位記事(以下)を占めていました。30年前統一教会作られた映画[インチョン]の新しい分析提示--日本人の作った映画 インチョン(2019.12.31 アクセス数:1451)幻の名作映画 『Inchon! (仁川)』、YouTubeで蔵出し!!(2012.02.13 アクセス数:101) 5.韓国映画「仁川上陸作戦」と(統一教会制作の)アメリカ映画「Inchon!」を見てナニ...(2016.08.17 アクセス数:52)コロナウィルスは日本でも下降線を描き始めていますが、落ち込んだ経済はまだ底が見えていない現状のようです。その影響もあって、私の会社も受注が急激に落ち込み、5月からここしばらくは3勤4休(場合によっては2勤5休も?)が続いていくようです。緊急事態宣言も緩和されたとはいえアクセス数の増加は不要な外出の自粛もあってか、映画「仁川」記事が口コミで広がったみたいです。そのおかげでかブログ村のインポイントにもつながったというのが、私の分析です。映画「仁川」からほか記事にも関心を持っていただけたら嬉しいです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.05.16
コメント(0)
新型コロナで世界が右往左往している最中、私の教会の親族の方も病院(クラスター)で亡くなられたと聞いて心痛い思いです。亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。さて、ブログ村「家庭連合」でも新たな「細菌ウイルス」が拡散しているようですが、霊的生命を堕とされることなきをお祈りいたします。一つはブログ「真の愛の足跡をたどって」ですが、これは感染力は弱く、み言、原理講論以外の内容は、福母塾、福母家庭教会の考え方です。と、福母塾・福母家庭教会独自のものであることを明言して書かれています。ところが、ブログ「神と御旨」はみ言を多用しては巧みに論理展開をしています。家庭連合(韓鶴子総裁)だけでなく三男さんや七男さんまでも蹴落としては、そのほかの誰か(第4アダム?)へつなげようとの意図があるようです。み言引用の出典は正確なようですが、それを歪曲した解釈には要注意です。例えば、神様は心に希望を描き、 娘が18歳になるまで待ち、結婚する前日、失ってしまったのです。(「祝福家庭19号」2000年冬号 P62 真の御父母様の入籍家庭に対する訓示)6数に6数と6数を加えた数は18です。これはサタン数6数を完全に制圧するという意味です。(「祝福家庭と理想天国 ①」P1076 御父母様の聖婚と祝福家庭)ここでは18数の意味について書いています。「6×3=18」は1800双について語られていたものあり、17歳といっては18歳でないお母様との聖婚式が条件的であったという理由にはなりません。また、以下(太字部分)もまたこれまでもお母様批判で利用されていたものでした。 これに、入ってくる時は左のほうから入ってくるのです。分かりましたか? なぜ左のほうから入るかというと、お母様が左のほうだからです。入ってきてお母様の腹の中に入ったとしても、その入った子供とお母様の根っこは何かというと、渋柿の根っこから切って取り返してきたものです。分かりますか? それが天の家庭に入るには、手続きをしないといけないのです。何の手続きかというと、愛の手続きです。だから、真のお母様の腹の中に入っていても、それは真のお父様の真の愛と真の血統にはまだつながっていないのです。お母様は真の愛と真の血統を持っていません。向こうのほうなのです。それは、新婦の立場で、新郎を迎えて一つとなるということです。分かりましたか? 分かりましたか? (はい! )。 全世界がここに入ってきて、それからどうなるかというと、真の父母の夫婦関係によって、はらんだ子供、その者を、真のお父様の真の愛を中心に、真の子供の種を持ったお父様が愛の関係を結ぶことを、実感したあとに生まれたと同じようになるのです。そのような期間を通過しながら、お母様の腹の中に入った子供たちが、真の父の子供の種が真っ赤だったとするならば、愛の関係を繰り返すことによって、色が染められていって、ピンクからだんだん深まっていくのです。ピンクからでもそうなったとすれば、真の父母の愛と真の子供の種と接ぎ木したという、つないだということになるのです。分かりますか? こっちは本物で、こっちは偽物で、(先生がしぐさされる)兄さんと弟と同じです。分かりましたか? そういうふうに一つとなった状況をもって、それはずーっとこれを回って、母の腹の中を通して、先生の体を通して、再びお母様の腹を通していくのです。右のほうを通してです。(「女性訪韓修練会御言集」P186 真の父母と重生)ところがその前後を読んでみれば、祝福結婚の過程を語っておられたものでした。女性(卵子として)が左からお母様のお腹に入ったとしても、正確には「お母様(お一人)では真の愛と血統を持っていません」と言われていたことは、お父様のほかのみ言からも明らかなことです。それで「愛の手続き(真の父母の夫婦関係)」を経て「真の父母の愛と真の子供の種と接ぎ木」されてこそ(お母様の)右のほうを通して出てこれる、というものでした。ほかにも、知恵ある方であれば「40日+10年=五旬節」だなどとのダマしに引っかかる方はいないと思います。まして、イエス様の再臨のまた再臨「第4次アダム」は原理講論にもないものです(以下に引用)。このゴールデンウイーク期間も「Stay Home」を有意義に過ごされては、ブログ村の「細菌ウイルス」にも感染されませんように。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.05.01
コメント(0)
韓国ブログ「ピース展望台」(2020.01.21)から。以下は家庭連合が現地との連絡で確認したものとのことです。家庭連合(旧・統一協会)は過去にも多く「宗教弾圧」などの経験をしてきており、悪意あるデマ記事とのことです。「単独(スクープ)」などと韓国記事で紹介されていましたが、2ヶ月前のことであり、現地ではタラゴナ前議員の個人の犯罪と割り切って終わりを告げていたということです。http://blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=peacepeace2018&logNo=221780543289一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.01.22
コメント(0)
「有志の会『公開質問状』」、また、ブログ村でもコスモスさんほかが「日本家庭連合の12人の元老メンバー達の40修」を挙げては『さらに拍車がかかる「独生女」』などと騒いでいた。果たして、その結果は家庭連合メンバー以上に支流人らが気になるところではなかろうか!!さて、真の父母様宣布文サイト>新着NEWS(2019.12.25) からだが、シナイ山(清平)から元老メンバー(モーセ)が持ち帰ったものは1枚の石板であったということだ。しかも、その石板に書かれた文字を見れば「夜の神様、昼の神様」と書かれていた。特には、支流人らにとっては必読の一文であることは言うまでもない。「夜昼の神様」については、サンクのシムソン氏、また、FPAのプームチャイさんも掲げていたものであり、モーセが持ち帰ったその石板のそれにも大いに関心もあるはずだ。詳細は宣布文サイトサイトにて確認していただければと思う。2019.12.25 真理とは、「実体み言」である天地人真の父母様 ―― 天一国時代におけるみ言の理解と解釈についてを掲載しました。真理とは、「実体み言」である天地人真の父母様 ―――天一国時代におけるみ言の理解と解釈について 今回は「〝真理〟とは何か」について真のお父様のみ言から考察してみることにする。独り子(文鮮明師)が語られるみ言と、独り娘(韓鶴子総裁)が語られるみ言は、いずれも神から出てきているみ言であり、本質的矛盾はない。しかしながら、矛盾しているのではないかと考える人もいることから、以下、この問題について論じてみることにする。<続きはこちらから>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.12.27
コメント(0)
ヨンギ氏へ:「奇知外記は2017/09/03/こう言っていた。ところが聯合の公式見解は違っている。」について先ずは、2017/09/03の記事についてですが、ブログ『文顕進様を支持する有志の会』記事を引用しての反論でした。ヨンギ氏、あなたの記事転載方法からはどこまでがそれで、また、どこからが私の意見かの区別もつきません。ほか記事を見ても、あなたの転載記事そのものは「記号の羅列」「解読不能の暗号文」にも見えます。また、すでにカビた(間違いと断定され得る過去記事)の転載では話にもなりません。私は家庭連合の教理研究院に関係するものでもなければ、広報担当者でもありません。日曜礼拝に通うサンデー食口でしかありません。ブログ記事も私個人の意見として書いていますので、家庭連合の見解と違ったところで、個人的意見として書いていることを何度も明記して来ました。したがって、そこに多少の違いがあったとしてもさほどの問題はないと感じます。むしろ、2017/09/03記事で取り上げていたのは、私とブログ『文顕進様を支持する有志の会』との大きな見解の違いについてであり、机上の空論「独生女論」などと吹聴してのお母様批判に対しての反論がその趣意となっていました。加えて、あなたが転載引用から外された【参考記事】からは、黒・天聖経に書かれた「三日行事」からの引用文までも引き合いに出しては私個人の意見の裏付けをしていました。サンクに逝かれた偽・本体論講師の逆をお父様が語っておられたというものでした。【参考記事】『「独生女」批判の終焉(黒・天聖経から)』八大教材教本・天聖経「祝福家庭」>第一章 真の父母と祝福>二、真の父母と重生と血統転換「独生子・独生女」発言は統一教会の神学を揺るがすお母様の発言でもなく、上記からはお父様自らが「結局は、再臨主までエバが生んであげなければなりません。」と語っておられました。姜先生、櫻井夫人、郭炳憲氏、韓国6000双の婦人、三男派、七男派の皆様、……これをシッカリと受け止めなければならないでしょう!!ほか、私からは個人的には以下を掲げては支流人の方々にその回答を求めています。神様の主流宗教・キリスト教から見た観点で申し上げているものであり、お父様が摂理の中心人物(再臨主)として立つには条件に欠けていました。お父様が15歳のときにその家庭がキリスト教に改宗することで後天的にその条件が満たされるようになった後に、イエス様からの召命を受けたという私的意見を述べていたものでした。その一方でお母様の家系については、お父様のみ言からも選ばれた「三代続きの再臨主を求めてきたキリスト教の家系」であるといったものもいくつか見かけました。ヨンギ氏には、過去に宿題「H3に祝福権有り無し」「真の父母様宣布文は本物・嘘」もありましたが、宿題をまた一つ増やすことになりましたね。こんにち、キリスト教を初めとして多くの宗教、また、国家がお母様「独生女」を歓迎し祝福式まで挙行している現実を見た時、「家庭連合は独生女信仰」だなどといった批判も「家庭連合の枠」を通り越しています。世界に拡散する「独生女信仰(?)」、母の山「パルワンサン」で採火された聖火は現在も世界を駆け巡っています。ヨンギ氏、心を柔和にして私からの「間違いの指摘について」を受け入れてくださることを願います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.10.28
コメント(0)
「真の父母様宣布文は本物」であり、祝福家庭であればこれを素直に受け入れて然るべきである。八大教材教本を改ざんしたなどと騒いでいる支流人の方々だが、自分らの都合のいいようにみ言を改ざんしては行動していることにまったく気付いていないようだ。原理講論・総序からは「無知は死の影であり……神に対する無知は、人生をどれだけ悲惨な道に追いやることになるであろうか。」堕落人間にとって、「知ること」は命の光であり、また蘇生のための力でもある。そして、無知は死の影であり、また破滅の要素ともなるのである。無知からはいかなる情緒をも生じ得ない。また、無知と無情緒からはいかなる意志も生ずることはできないのである。人間において、知情意がその役割を果たすことができなくなれば、そこから人間らしい、人間の生活が開かれるはずはない。人間が、根本的に、神を離れては生きられないようにつくられているとすれば、神に対する無知は、人生をどれだけ悲惨な道に追いやることになるであろうか。しかし、神の実在性に対しては、聖書をいかに詳しく読んでみても、明確に知る由がない。ましてや神の心情についてはなおさらである。それゆえ、この新しい真理は、神の実在性に関することはいうまでもなく、神の創造の心情をはじめとして、神が御自身に対して反逆する堕落人間を見捨てることができず、悠久なる歴史の期間を通して彼らを救おうとして心を尽くしてこられた悲しい心情をも、我々に教えることのできるものでなければならない。と書かれていた。私たちは原理のみ言葉を通して神様を垣間見てきた。これまでのキリスト教は神様といえば「天のお父様」でしかなかったが、お父様は原理原本(1952年5月)のときから神様を「天の父母様」として私たち食口に紹介してくださっていたし、こんにちのお母様も同じことを教えてくださっておられる。ところが、H3、H4はそれに対して極めて否定的である。そのこと一つを取ってみても、お父様が子女様方とともに居られるかに疑問を投げかけざるを得ない。お父様がご自身の息子を(チンピラ)などと言うだろうか。お父様をばかにするにもほとがある。(天聖経〕を訓読しろ。また改めて解り易く反論してやろう。このような言葉は百年の昔にすでに聞いたが、カビ記事を撒かれるだけで一向にその気配すらない。「チンピラのような豚野郎」は、郭錠煥氏の息子と婿養子を指して語られていたものだった。それでも満足されないというのであれば……https://www.youtube.com/watch?v=8efTqyThBxMコディアックのメンバーだけではなく支流人の方々に父母様が語られたものだ。「真の父母様宣布文は本物」、となれば……私に反論?カビ記事(間違い記事)の訂正整理からでしょ!!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.10.26
コメント(0)
ヨンギ氏のカビ記事「今統一教会で何が起こっているのか②〜1」からの引用:慶明 投稿者: hjnlove 投稿日: 2018年12月20日……真のお父様のアイデンティティが示される多くの面があるが、最も核心的なものは何だろうか。2006年に発表された「平和メッセージ3」を見ると、真のお父様は、自らを「第一アダムと第二のアダムが失敗したすべてのことを蕩減復帰し、完成しなければならない第三のアダム」であるとされている。真のお父様がご自身をアダム型の人物として規定されることには二つの意味がある。ひとつは、神様が、真の愛、真の生命、真の血統の息子として創造されたアダムのように、真のお父様は、サタンが所有権を主張することのできない神の子として誕生されたということである。二つ目に、真のお父様は、アダムが失敗したことを蕩減復帰し、完成しなければならない5%の人間の責任分担のある方であるということである。(註:H3派が「お父様原罪あり」を是認されたと受け止めることが出来る一文。サタンが所有権を主張することが出来ないのに、何故、アダムが失敗した罪を蕩減復帰しなければならない責任分担があるのか? by tom4509)ならば、アダムが失敗したこととは何なのか。<原理講論>第6章予定論を見れば、その答えを明確に知ることができる。「アダムを通して創造目的を成就しようとされた神のみ旨は、アダムの堕落によって成就することが出来なかったが、そのみ旨を成就しようとする神のみ旨は絶対であるので、神はイエスを後のアダムとして送り、彼を通してそのみ旨を成就しようとされた。しかし、ユダヤ人の不信によってそのみ旨が成就できなかったため、神は再臨主を送って、彼を通してそのみ旨を成就しようと摂理されたのである」(p.215)。アダムが果たせなかったこととは神様の創造目的であり、第三アダムとして来られた真のお父様は、その成就できなかった神様の創造目的を成就される方であるさて、古臭いカビ情報(に群がる)病気がちとなられている方々には「お医者さん」が必要である。先ずは、原理講論『予定論』からの引用(赤字)についてだが、正しくはその例を挙げれば、アダムを中心として創造目的を完成させようとしたみ旨は達成できなかったが、このみ旨に対する予定は絶対的なので、神はイエスを後のアダムとして降臨させて、彼を中心としてみ旨を復帰させようとされた。そればかりでなく、ユダヤ人の不信によって、このみ旨がまた完成できなかったので(前編第四章第一節(二))、イエスは再臨されてまでも、このみ旨を必ず完遂することを約束なさったのである(マタイ一六・27)。(P.241)ヨンギ氏の予定論引用文は、栄養学のソン・デオ博士のビデオでも紹介されては、そのズサンな解釈について私の過去記事で書いていた(2017.07.25記事「統一教会の経典の秘密のブログのビデオを見ての感想--あまりにもズサンな「独生女批判理論」」の中段から)。日本語の原理講論の予定論からは、メシヤの使命についてではなくみ旨の絶対性について書かれていたものであり、アダムの失敗によってその代理者イエス様、さらには、再臨主を立ててまでしてみ旨成就をなさろうとされる神の意図が書かれていた。ヨンギ氏引用冒頭は「慶明 投稿者: hjnlove 投稿日: 2018年12月20日」となっているが、2017年の栄誉学博士のビデオを文字化した投稿資料ではなかろうか?上記ヨンギ氏の引用をもう一度読み返してみれば、「アダムを通して創造目的を成就されようとした神のみ旨」とは三大祝福の完成でしょ!!イエス様も十字架に架からなかったなら「家庭を持った」。再び来られるイエス様、何をするために来られると言われたか?「小羊の婚宴」だ。ヨンギ氏カビ記事はそのことを書いている。違うか???1960年、まさに文鮮明総裁と韓鶴子総裁の聖婚式がそれだった。家庭連合の「選民祝福家庭」はそれを信じている。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.10.19
コメント(0)
ヨンギ氏記事の「今統一教会で何が起こっているのか(日本語訳)」ほか。2018年2月のパイオニアカフェ情報を押し入れから引っ張り出してはかび臭さを拡散している。サントメプリンシペが天一国第一号となった。お父様の7周年記念聖和祭での「地上のお母様が天上のお父様に捧げる書信」からもお父様はご存知ですよね。お父様の聖和後は、本当に言葉では言いようのない、「私だけが残りました」という立場でした。こうばくなさばくに砂嵐が吹き荒れ、目を開けることのできない環境で、小さな針一つを探さなければならない心情でした。しかしお父様、私は探し出しました。探し出さなければならなかったのです。もはや、お母様「独生女」を疑うような家庭連合会員は一人としていない。天一国第二号、第三号、…第十号。熾烈な善なる競争が展開されている中にあってなにを今さら。カビはジメジメと湿気ったところによく繁殖する。病気がちにもなる。お医者さんが必要のようだ。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.10.19
コメント(0)
ブログ村では「名古屋4万名大会」の会場の周りをウロチョロする記事も見受けられる。「見栄?」「数字が全て?」とか。4万名大会に、たとえ参加者1人であっても「4万名は4万名」である。すべては「一(イチ)」からであり、「名古屋4万名大会」開催を決意したのも一人(第三地区地区長)からだった。「出発の決意、すでに勝利」という言葉がある。2018年10月21日、「愛知県で「HJ未来 フェスティバル2018」を開催」される中、「今、ここに4000人のミライメーカーが集まりました!これからの未来を動かしていくのは、私たち青年・学生です。どんな小さな一歩でも、みんなで動けば、必ず未来は動き始めます!そしてきょう、この大会を通して、ために生きる心情文化の拡大を目指す『ミライ メーカー1万人プロジェクト』が出発するスタートライ ンに立ちました。きょうは共に未来を考え、共に盛り上がっていきましょう!」とオープニングスピーチを行いました。その時に配布されたリストバンドが以下(我が家の子供らが参加)。通し番号の「No.1」はお母様に。リストバンドをもって青年・学生らがお母様とつながったことを象徴したものであり、さらに、青年・学生を1万名集めようとした『ミライ メーカー1万人プロジェクト』が出発した大会であった。そして、今回、この「名古屋4万名大会」に青年・学生が1万名集う!!裏話を聞けば、今大会の会場そのものもなかなか決まらずにいたときに、ある会場の関係者の方から紹介されたのが新規にオープンする「愛知国際展示場」であった。これまでコンタクトを取っていた会場から一機に4万名の会場に膨れ上がった。その4万名を第三地区(中部圏)だけで決意するのも並大抵のことではなかったはずだ。この記事を書く中でもミライオー(LINE)からのメッセージ。さて、ブログ村の皆さん。明日は愛知国際展示場でお会いしましょう。PeaceTVホームページからの生中継あり。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 5d
2019.10.05
コメント(0)
記事「「原理講論の主人はお母様」否定のH3やH4は講論の主人になれる?」コメント欄から。甘えん坊さんコメント「引っ掛け問題で リトマス試験紙」に対して。甘えん坊さんへ>見事に「独生『子』」で馬脚を現しましたね。日本の政界の左翼同様に、本筋で語り合えないと、自己の主張の為に「言葉狩り」や「相手のミス」に付け込んだり、「論点ずらし」でその場を取り繕うのが、天から遠いサイドの人間のやる事です。>あなたの底を見た気がします。>(文脈で意味は理解したはず)-----お母様「独生女」を「独生子」と間違われたのは、甘えん坊さんでしょう。「(文脈で意味は理解したはず)」を訂正した私に、あなたはそれまでも攻められますか。これを「責任転嫁」といいます。間違いには素直になるべきです。間違ったことをそのままに進んでいかれては「正道」を歩くことは出来ません。間違いにまた、間違った情報を加えて「迷路回路」を右往左往されているのが支流人の方々の姿です。お父様が語られた「独生女」一つでも見られたことがありますか? それさえも「信じる」ことが出来ないでいるのではないですか。今回の本記事「原理講論の主人はお母様」もお父様のみ言です。印刷物ですので、どなたの目にも確認が出来るものです(信仰とはまったく無縁、目で確認が出来るものです)。>韓鶴子氏は、「誰からの教育も受けていない」 と言っているのです。つまり、第一教祖を自称しているのです。それなら、ご自分で開拓伝道され、独自の教団を造られたらいいのです。-----お母様の「誰からの教育も受けていない」は具体的にどのような状況下でのことを語られていたものでしょうか?言葉尻だけを拾っては;>本筋で語り合えないと、自己の主張の為に「言葉狩り」や「相手のミス」に付け込んだり、「論点ずらし」でその場を取り繕うのが、天から遠いサイドの人間のやる事です。をそのまま甘えん坊さんへお返しします。時間があれば探してあげられるのですが、私の記憶からは1960年の聖婚式、お父様の相対として立つときの心境を語られていたものだったと思います。誰にも相談することなく、お母様御自身で決定されていかれた、と。>あなたが守りたいのは、天ですか?、人類の今後ですか?、第一教祖ですか?、組織ですか?、何らかの権益ですか?、あなたは統一ブログ村で、何をやりたい人ですか?。>人類の為にならない論調なら、迷惑なんですけど?。-----自称ルポライタイーtomy4509は、ブログ村で「真実を求めて」書いています。今回記事からも、お父様に長年寄り添って来られたお母様のお姿を発見することが出来たと思います。そして、お父様聖和直後すぐに、「中断なき前進」のお父様の言葉を受けてバトンを継がれたのがお母様でした。「2020年までに7ヶ国を必ず復帰する」も7年前のお母様の決意です。今回のサントメプリンシペがその国家復帰第1号になりました(拍手)。それを誰が信じていたでしょうか? 今回、秋夕節で行かれた教区長からの特別報告会が昨晩私の教会でもありました。「お母様だけがそれを信じてきたのでは!」ということでした。サントメは人口20万の小さな島国ですが、天一国第1号となりました。それに続く第2号、第3号、……。このように指で数えられていくのが、こんにちの家庭連合の現状です。支流人の方々はそれを知らないでしょう!!サントメの大会が終わり、ユ・ヨンホ事務総長は直接帰国せずに今年11月、セネガルでの大会の打ち合わせがあってマッキーサル大統領とお会いしてきた話もありました。来年2月の基元節参加をすでに表明されておられる大統領は(「セネガル・マッキーサル大統領、来年2月に訪韓か?」)、ムン大統領と席を共にしたおりに「KINTEXで会いましょう」と声をかけられたそうです。ムン大統領自身はまだそこに参加するとも決めていないのですが()。お母様と一つとなれば、奇跡のようなことが次々と起こっています。日韓トンネルの今後についても一つの良い例でしょう。甘えん坊さん、「引っ掛け問題で リトマス試験紙」は(間違いに対しての)照れ隠しですかネ。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.09.21
コメント(2)
これまでの記事にて記載された氏名に間違いがありました。以下に訂正し関係者皆様には謝罪申し上げます。兄・櫻井正上氏 → 弟・櫻井正美氏なお、これまで記載分に関しては既に訂正させていただきました。2019.09.16 by tomy4509
2019.09.16
コメント(0)
自称ルポライタイーtomy4509がブログ村から「真理を求めて」ルポします。ヨンギ氏、コスモスさんが取り上げていた「天聖経の改ざん」について:お父様の「最後の祈祷文」なのですが、すっぽりゴッソリ抜けていたということです。家庭連合の天一国編纂委員会にて、満場一致で議決され?正しく直されました。(韓国版、日本版の月刊誌に乗せられているそうな)……ここに最後の抜け落ちた部分を出しておきますので、改めて見ておいてほしいものです。赤字のところが抜けていた部分です(ここの文でお父様とは神様のこと)『 きょう、最終的完成・完結を成し遂げて、お父様のみ前にお返しし、今までの一生を、お父様にお捧げすることを知っておりますので、そのみ旨のままに、今は、精誠を捧げて、すべての生を終了する時間を迎え、堕落のなかった本然のエデンの園に帰り、エバが過ちを犯し、アダムが引っ掛かった責任分担を、すべて超越できるようになりました。あらゆることに対する解放・釈放の権限をもち、誰であっても父母様のあとに従いさえすれば、四次元においても十四次元においても、地獄に行く者を天国に入籍させることができ、四次元の入籍と十四次元の息子・娘たちを中心として氏族的メシヤが国家を代表する名称となって、387の国々(アベル国連圏194ヵ国、カイン国連圏193ヵ国)さえ復帰できれば、すべてが終わることを宣布します 』天一国・天聖経が編纂・出版されるまでは「改ざん」だと騒いでいた支流人らだが、この天聖経でスッポリ抜けていたものが元に戻ったのだからそれで「善し」とされるべきである。それ以上に何が言いたいのだろうか?さて、櫻井正美氏はこれを以って何が言いたいのだろうか?抜け落ちていた祈祷文からは、堕落のなかった本然のエデンの園に帰り、エバが過ちを犯し、アダムが引っ掛かった責任分担を、すべて超越できるようになりました。あらゆることに対する解放・釈放の権限をもち、誰であっても父母様のあとに従いさえすれば、の前提のもとに、四次元の入籍と十四人の息子・娘たちを中心としてであるということなのだが。彼はビデオでは直系の子女様方の14支派(12支派)のほうを強調されていたようだ。あくまでも「誰であっても父母様のあとに従いさえすれば、」であって、その根(真の父母様)からの支派編成を過去にも語られていたものだ。真の父母の指令は、神経を介して手足に伝達されることで正常な働きが出来るのであって、14支派(12支派)がバラバラに命令を出していては決してまとまらない。「神主義」「頭翼思想」「父母主義」、これらは言葉は違うが意味するところは同じである。「12支派」もまた、その根が一つということだ。櫻井氏がこのようなみ言を出されてくるからには、「ONE TRUTH」。真の父母様へ帰る方向を模索されてのことだろう。彼の「第四次アダム圏」ビデオにも虚偽が隠されていることに支流人の方々も気付かれては、早く真の父母様の元へ帰られることを願う。彼が挙げていた説明は「第4次アダム圏」というながらも「三大王権」についてであった。これは、太田講師が挙げていた「第4次アダム圏」の図とは異なる。上図からは4代の「孫」まではでてこない。原理講論「創造原理」の以下を見ても(三) 正分合作用による三対象目的を完成した四位基台① 正 分 合 作 用万有原力によって、神自体内の二性性相が相対基準を造成して授受作用をするようになれば、その授受作用の力は繁殖作用を起こし、神を中心として二性性相の実体対象に分立される。このように分立された主体と対象が、再び万有原力により、相対基準を造成して授受作用をすれば、これらは再び、合性一体化して、神のまた一つの対象となる。このように、神を正として、それより分立して、再び合性一体化する作用を正分合作用と称する。② 三 対 象 目 的正分合作用により、正を中心として二性の実体対象に分立された主体と対象と、そしてその合性体が、各自主体の立場をとるときには、各々残りのものを対象として立たせて、三対象基準を造成する。そうして、それらがお互いに授受作用をするようになれば、ここで、その主体を中心として、各々三対象目的を完成するようになる。③ 四 位 基 台このように、正分合作用により、正を中心として、二性の実体対象に立たされた主体と対象と、またその合性体が各々三対象目的を完成すれば、四位基台を造成するようになる。四位基台は四数の根本であり、またそれは、三対象目的を完成した結果であるので、三数の根本でもある。四位基台は正分合作用によって、神、夫婦、子女の三段階をもって完成されるのであるから、三段階原則の根本となるのである。四位基台は、その各位を中心として、各々三対象となるので、これらを総合すれば十二対象となる。ゆえに、十二数の根本ともなるのである。また、四位基台は、創造目的を完成した善の根本的な基台でもあるので、神が運行できるすべての存在と、またそれらが存在するための、すべての力の根本的な基台ともなる。したがって、四位基台は、神の永遠なる創造目的となるのである。H3、H4共に三対象目的が確立していない以上は、四位基台もなく「真の家庭」に非ずだ。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.08.01
コメント(0)
シムソン氏の以下記事は「天の父母様(神様)」を冒涜するものであり、クリスチャンはじめ多くの宗教者等は受け入れることが出来ないものです。即時の記事削除を要求します。「天の父母様」はアダムとエバが神様の自慰行為の為の玩具に過ぎないという結論になる理論です!https://simuson.muragon.com/entry/26.htmlこれは真の父母様のみ言からも大きく外れており、それがあたかも真の父母様から、といった大きな誤解をも生じる結果となります。何らの確証もなくみ言を歪曲してのものであり、今後はシムソン氏自身が想像で書かれているものであることを明記されての記事更新をお願いするものです。天の父母様が自己の欲望を充足させるために被造万物、人間を創造されたという話はお父様はされておられません。天の父母様はすべてを忘れて投入されて創造されたのでした。神様お一人でも唯一絶対不変の神様であられますが、お一人だけでは愛を感じることは出来ませんし、「愛の神様」ともなることができません。対象を通してそれが感じられるものです。シムソン氏のそれは明らかにお父様のみ言を歪曲して書かれているものであることにH3,H4に属される方々も抗議すべきと考えます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.03.16
コメント(0)
<真のお父様のみ言>内的な神様と外的な神様が分かれた起源を完全に一つにした位置で今や真の父母様として立っている文鮮明・韓鶴子の二人は堕落がなかったエデンの園において善悪の果を取って食べれば死ぬであろうと言われたその前の位置に返り一双ではなく万国万双が恩讐になったこの息子娘を教育して一つにし統一的な家庭に一中心一体圏を成し天の勝利の覇権的主権と天国を完成したこのすべてを喜びで歓迎しながらお母様をその時から始め父母様をその時から始め始めた二人のアダム家庭の父母として子孫万代に一つになり夜の神様・昼の神様が分かれる前本然の創造主として侍ることのできる韓国の伝統の歴史にある沈清と春香と李舜臣将軍の国家のすべての忠孝の道の完全・完成・完覇を記念することのできるこの場に私がなることによりすべてを父が苦労し成されたものを感謝する意味でここにお母様とお父様がこのみ旨に従い苦労したものを感謝しながらすべての手続きを天の前にこの時間きれいに整理して捧げる記念の時間を受け止め天に奉献・敬拝することのできるこの時間を持ちましたのでお父様喜びでこの時間お受けくださいますことを願いながらお母様ご苦労だったね二人は一つの血統に結ばれた一人として上下の前後左右の天の柱を支えて立てる基礎になり支えた環境に対して天地の真の父母完成の祝福を創造理想の夜の神様、昼の神様がこれを養育し完成の位置に育ててあげた恩賜を感謝するこの時間を父母様が本然の創造絶対父母に誓う思いで二人が手を握って敬拝しますので天の玉座でお受けください創造主の権限を再び回復した神様の絶対愛・絶対信仰・絶対服従の基準とし天地人真の父母定着み言宣布と天宙大会に最終的完了完結を成したことを父の前に奉献しますのでお受けください今や真の父母はエデンの園を越えて本然の故郷の地の中心に立ち一つの伝統に従って一つの血統と一つの似姿の永遠不変の一族の理想覇権の主人を永遠に完全に治めることができる絶対主義の神様の祝福が共にあることを誓い宣言します永遠なる勝利の覇権的一つの統一の愛完結の理想天国を完結するよう共に備えてくださるようお祈り申し上げますお父様お受けくださいあなたが許されたみ旨を知り私たちも受け絶対頂上の正午定着の場を守るように進むように共にいらっしゃってくださいお祈り申し上げます天地人父母よ神様万歳、真の父母様万歳、天一国統一世界永遠に勝利の覇権が完成するだろうアージュ ありがとうございます2012年4月14日 訓読会2012年4月14日、ハワイでの特別宣布式での祝祷映像。ここでもご父母様のそれぞれの右手が上で組まれていた。サンクの間違った情報に終止符を打つべきである。さて、祝祷の黄マーカーから特には「二人は一つの血統に結ばれた一人として」。「ワンファミリー・アンダー・ゴッド」とは何か。「ゴッディズム」「頭翼思想」「父母主義」、言葉は違うがその意味するところは同じである。人間始祖アダムエバは神様の「独り子」「独り娘」として創造され、神様(天の父母様)を親とした兄妹であった。兄妹ということは、二人の親が同じ、血統が一つということになる。ところが、彼らがサタンの誘惑によって堕落したことで血統が分かれてしまった。アベルとカイン。それぞれが善悪の表示体といっても、天の父母様の血統ではない。偽りの父母から生まれて分かれた血統、誤って生まれた故に再び生まれなければならない、はイエス様がニコデモに語られたものだ。こんにち、真の父母様によってなされている祝福式(重生)はそのことを説いている。訪韓女性修練会のみ言から。全人類が真の父母様(母の腹)を通過していかなければならない。30000双からは代表家庭が壇上で、ほかは舞台下で「聖水儀式」が行われているが、6000双・6500双までは「祝福の門」(父母様の間)を通過する形式で成されていたものだ。上図の「真の父母」で交わる一点を通過して(外的に)再び生まれたことを象徴していたように思う。全人類が一つの血統で再び生まれることで「地上天国」(一家族世界)が実現されていくということだ。ここで、H4独自の教義「精子神学論」からの原罪清算を考えて見た時に、また、お父様に「六マリヤ」があったという。ところが、この時点で血統が六つに分かれてしまうことになり、本来の天の血統、一つの血統とは成り得ないという矛盾が生じてくる。もちろん、父母様は「精子神学論」は語っていなかったし、「六マリヤ」も否定されていた。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.03.13
コメント(0)
全230件 (230件中 1-50件目)