全6902件 (6902件中 1-50件目)
第1178回 天心苑特別徹夜精誠 (11/22)2024/11/22 に公開予定本日も恩恵深い時間になることを願います。https://blog.naver.com/peacemaker2027一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.22
コメント(0)
Web説教「真のお父様の三大目標 ~復帰歴史は神とサタンの闘いである~」2024/11/22 #世界平和統一家庭連合 #Web教会 #礼拝家庭連合Web教会 礼拝説教題目:「真のお父様の三大目標 ~復帰歴史は神とサタンの闘いである~」説教者:柴沼邦彦文鮮明先生には三大目標がありました。第一の目標は自己主管、自分と闘って勝つことであると言われました。第二の目標はすべての中心に神様を考えることです。あらゆる事件に接した時に神様やイエス様はこのようにしただろうと考え、真の父母もそのように考えなければならないと思ったと言います。第三の目標はどうやって善を繁殖するかです。今回は、この三つの目標について、み言を中心として共に考えてまいりましょう。#世界平和統一家庭連合 #Web教会 #礼拝一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.22
コメント(0)
無形世界(霊界論)🌹本然の無形世界🍇神様と人間が永遠に一緒に暮らす安息の場、喜びの場🎈父母と子女が一緒に暮らす平和と幸福と希望と光明の世界🍓霊界からのメッセージ❤️李相軒先生🍎2024/11/22一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.22
コメント(0)
第1173回 天心苑特別徹夜精誠 (11/15)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.15
コメント(0)
「天地父母統一安着宣布」(02.06.21 ソウル蚕室室内体育館で行われた「天地父母統一安着大会」で) この意義深い「天地父母統一安着宣布大会」に出席した高名な紳士淑女の皆さま、愛する祖国の兄弟姉妹の皆さま、そして、この歴史的な大会を見守っている全世界7千万の皆さまに心から感謝します。 私たちはついに、実に歴史的で摂理的な大宣布時代を迎えました。6千年間、天と地がこれほど待ち望んだ平和の理想世界、すなわち地上天上天国を創建する天運の時が私たちに訪れたのです。 天は歴史を通して摂理されながら、その時代と地域的文化に合わせて宗教を許され、人類はその諸宗教圏内で平和の世界を実現するために不断の努力を注いできました。しかし、最後には神の摂理的な内容と神の心情を完全に知るところから、すべてのことが解決されるのです。 今日、人類が平和の世界を語り、ひとつの世界を語っていますが、私個人からひとつになり、平和をつくることが問題です。そのため、こんな実情を知る神がおられ、志のある人間、偉人がいるとすれば、ひとつになろうとする作業を行うだろうと考えざるを得ないのです。 皆さま方はよく、互いに愛し合い、互いに仕えあい、互いに犠牲になりなさい、そうすればうまくいくと言います。愛せということは、与えろということです。私から相手に働きかけろということです。互いに愛を受けよう、愛してほしいということではありません。 互いに仕え合うようになれば、その環境には平和の基地が生まれ、互いに犠牲になれば、そこには蘇生の炎が燃え上がります。また、愛するようになれば、そこには花が咲き、香りが広がります。マイナスの磁石は必ずプラスに向かうように、良心の力によって神を知ることができるのです。 良心の力によって神に接近すればするほど何を悟るかといえば、心の平和、心の幸福、心の満足を感じ、平和の母体となる神の愛によって、自ら自分の五臓六腑全体が刺激を受けて衝き動かされるような感銘を感じることができる人間になっているでしょう。 私が過去をこのように生きてきたので、余生だけでも輝かしく自信をもって終えなければならないと、気力が足らなければ跪いて骨が固まって死んでしまうことがあっても、私の生涯で責任を果たせなかった忠誠をこの期間内に尽くさなければならないと、夜を徹して祈祷しなければなりません。 国の領土を守り、人類が至るべき幸福の基盤をじっと見つめながら生きながらえ、私は死んでも世界を生かしてほしいと祈祷すれば、その老人の墓は雑草に覆われたりしないでしょう。 いくら(年老いて)醜くしわがよったとしても、それは私たちの平和の条件を象徴するしわとなり、歩む姿勢はやつれていても、その道は希望の灯台として輝かしい座標になるということが分かれば、生涯を比較して、自分だけのために悪の友となり悪の足場を広げていくこの恨めしい恨(ハン)の正体を踏み消して、私の生涯に善の基盤をもう一度だけ加重させていかなければという切迫した運命の道が願っていることを知り、休まず急いで行かなければならないということです。 そのため、文総裁も今までの生涯で、そんな趣旨から6回も投獄される十字架を背負い、あるいは海外を行き来しながら皮膚の色が違う民族の前で異端者だと指弾される時も、反対される時もありましたが、私が進む精誠の道理がすべての民族を通して天の前に、正統の主流思想であることを知って跪き、天を慕うことができるようにする道ならば、私はどこにでも駆けつけるという思いでこれまでずっと生きてきました。 私たちが天の兵士となって勝利してこそ、神が永遠に喜び、イエスと聖霊も永遠に喜び、聖人・賢者たちまで喜ぶことができる平和の時代がこの地上に到来することを心に銘じなければなりません。 個人の闘いが家庭の闘い、家庭の闘いが氏族の闘い、氏族の闘いが社会の闘い、社会の闘いが国家の闘い、国家の闘いが世界の闘いを経て、霊界とこの地上との闘いにまで及ぶようになるのです。また、神とサタン世界の無数の悪霊との闘いが終わってこそ、この宇宙に平和時代が訪れます。こんな原則的な過程を通して摂理してこられた神の事情を皆さまは知らなければなりません。 神がサタンと闘ってすべての問題を解決してこそ、宇宙的な平和時代がやってくるのです。神の悲しい心情の中心を一掃して解怨して差し上げる時がやってこない限り、人類の平和も実現できず、天的なひとつの理念もこの地上で結実の時を迎えられないということを皆さんは知らなければなりません。 万一、真なる人間がいて人の世のすべての恨みと天の恨みを解放し、天と地の上に平和の国を建設しうるひとつの主義と思想をもって現われるとすれば、彼は自分個人の恨みに満ちた逆境から、人類と天の恨みの峠と、その切ない心情をすべて経て行かなければならないのです。そうできないとすれば、人の世には恨(ハン)の侵犯を受けない平和の世界、幸福の世界、自由の園は建設されないのです。 皆さまが宇宙的な天国の理念を代表しうる存在となり、神の真の愛と真の生命と真の血統と真理の運動を展開すれば、平和の世界がこの地に建設されるのです。それゆえ自分の父母だけが父母でなく、自分の兄弟だけが兄弟でなく、自分の子供だけが子供でないというのです。 皆さまが全ての人を私の父母、兄弟、子女と思える人格を備えた人間になれば、死亡世界で苦しむあらゆる民を目にする時、涙なくしては対することができないはずであり、兄弟や幼い人々を目にする時も彼らを救おうという責任感をもって涙を流しながら努力するようになるのです。本当に神のような、そんな皆さまになれば皆さまを中心としてこの地に天国が建設されるでしょう。 神はサタンから先に打たれ、尽くし、愛してあげてから取り戻してくる作戦を取られます。サタン世界から強制的に奪ってくるのではなく、先に愛し、打たれ、犠牲になり、殺されながら取り戻してくるのです。このような作戦を取らずには、世界平和の起源を天宙に残すことができないのです。 皆さまは家庭を率いて国家と世界のために進まなければなりません。大韓民国において個人的な時代、家庭的な時代、宗族的な時代、民族的な時代、国家的な時代を通して、その経験を土台にして世界の民族と国家の前に方向を提示できる案内役を果たさなければなりません。案内役を果たし、互いに離れられない立場で神に侍ることができてこそ、霊界と肉界(地上界)は統一された平和の世界となり得るのです。そうしてこそ、その案内者は天国創建時代の永遠の指導者としての地位を固め、天界の栄光の表彰を受けるようになるのです。 自由の天国である新しい平和の王国を創建するための闘争過程で、誰よりも多くの血を流しながら闘えば、その人は滅びません。その人が流した血は死亡の血ではなく、生命の源泉の力となるためです。そのようにして創建された場所こそ、私たちが行かなければならず、留まらねばならず、残さなければならない基盤です。 皆さまは天の前に「天よ! あなたが創造理想を中心として誇りたいと思われたすべての願いが結実しました。人間を立てて永遠に全ての世界に誇ろうとしたあなたの内的心情と一致いたしました」と祈祷する時、神が「おお、そうか!」と言える立場で、神が喜ばれる自由と平和の天国に向かって行進するその日を慕わしく思わなければなりません。皆さま、大韓民国の主人は誰ですか? 大韓民国を誰よりも愛する人です。 それゆえ、皆さまが誰よりも大韓民国を愛するようになれば、主人にならないようにしても、この民族の主人になるのです。そうしてこそ、神が願う平和の時代がやってくるのです。私たちは神の恨(ハン)を解いて神を解放してあげなければなりません。 そして、自由な神として万国を統治するために、少しでも差し障りがある障害物があれば、私が責任を持って全て取り除き、自由の権限をもって万国を自由と平和の天国として主管しうる堂々たる絶対者として侍るんだという信念をもった若者がいれば、その人は真に偉大な若者です。こんな若者たちによって、これからの世界は新しい方向に進むようになるのです。 皆さまが、実際にこんな若者になるというようになれば、いくらみすぼらしい姿をしていても、それは醜い姿ではありません。そこには、無限の希望が宿っているのであり、その姿は神の希望と幸福の土台になるのです。 取り入れられる立場、取り入れられた穀物の立場にある私たちが互いに直面し、感じるすべてのことを、幸福の要因として消化できる人間にならなければならないのです。そんな基盤を広げて国民化させ、世界化させる時まで、その主体的な精神が一元化された形態を離脱しないようにしてこそ、そんな基盤を通して世界に平和の天国が連結されるのではありませんか? 東西南北を中心として、4点がきっちりと立つようになれば、そこには異議がなく、結束の動機が整えられるのです。復帰天国はどこから実現されるべきか? あの牢獄からなされなければなりません。イエスのように牢獄に入っていって主管性を復帰した基準と本性的な基準の自律的な平和の心情を持ち、感謝の歌を歌ったことがあるのか? これが問題になるのです。 神はかつて、使徒たちがそんな立場にいる時、それを天国化させるために牢獄の門を開き、自由に行動できる権限まで付与したのではないですか? 神は、皆さまが、かつてのその使徒たち以上に希望と期待を持てるような、資格を持つことを願っています。 終末には新しい創建の方向を現世と反対にしなければ、生きる道がありません。何としても私たちは新しい歴史的な方向を提示しなければなりません。これが新しい統一の歴史的な方向性です。第3者を犠牲にしてできた世界の終末が到来したので、今までのようにしては絶対に世界に平和が訪れないのです。 私たちは十字架の道を如何にして越えるか? 自分の妻をつかんだら、自分だけを考えるのでなく国家を考えなければならず、国家をつかんだら世界を考えなければならず、世界をつかんだら天地を考えなければなりません。これを段階的に、正常的に差し支えない行路を通過していけば、すべての怨讐が待っている十字架の道は消えてなくなり、平坦な大路に入って、解放の自由が実現されて天地に平和の王国、神が願う理想世界は実現されるのです。 この世界でも神を中心とした新しいパターンを探さなければなりません。家庭での父母が子供を愛する道理が今日、人倫道徳の原則になっているではありませんか? 父母、夫婦、子女の因縁を中心とした統一教会で言う四位基台の原則に立脚した理想的な本然の形態の基準を如何にして決定するかということです。 世界をかけて統一と平和を夢見るには、こんな基本問題が残っており、これを決定せずには統一世界は訪れないのです。基本問題においての個人的な男性パターンと女性パターンを中心として家庭的なパターンを形成するところから、統一と平和の世界は実現されることを皆さまは知るべきです。 自分が犠牲になり、自分の家庭と自分の国家が犠牲になっても国家、世界が良くなり得る新しい価値観を持って出発できる、そんな思想的な体制があれば、その思想的な体制を通して新しい創建の開門が間違いなく起こるのです。 ひとつが上がればひとつは下がるものであり、ひとつが下がればひとつは上がるという法則のように、この世は罪悪の世界なので罪悪を解脱できるひとつの方向性を備えて勝利の天国を創建し得る時がやってきたのです。 包囲されたサタンの城壁を打開する秘法として、怨讐を愛せと語られました。これまでサタン世界には平等圏がなかったために、その平等圏を作る作戦が何かといえば、サタン世界で残るために犠牲になり、愛し、幸福を祈ってあげ、打たれながら打った人々を屈服させ、同じ恩恵を与えることによって、ここには完全平等圏が実現するのです。怨讐の対決圏を解消させる舞台をこのように築いてきたため、ここで初めて平和の建国理念が成立するのです。世界統一、すなわち世界平和の理想型がここから始まるのです。 天国に向かう道を短縮させようと、ここにメシアとか、ある特定の民族、特定の個人にこのみ旨の道の責任を持たせ、犠牲を払わせてきたのです。そのため、多くの聖人たちがやってきて、その位置を死でもって埋めていきました。多くの国々が興っては滅んでいったのは、この谷を埋めるためでした。そのようにして、高めたり低めたりしながら今のような平等を作りました。平等ということは、平和だということです。 本来、神の真の愛を中心として完成したアダムと完成したエバがひとつになることによって、神が中心の位置に立つことができるようになるのです。これが統一教会で言う四位基台です。この四位基台を完成すべき基盤を失ったために、どのような歴史時代を経てたとしてもこれを設定しない限り、人類の平和とか、ユートピアとか、理想世界とかいうことを描いてみても、何の役にもたたないのです。原則を否定し、原則を離れては理想郷はあり得ません。 二千年間、ローマ帝国の迫害時代に形容できない逼迫の渦中でも発展したのがキリスト教です。ローマを呑み込んでも残ったキリスト教が今日、自由主義の米国では第二次大戦以後の数十年間で、どうしてあんなに衰えてしまったのか、それは謎です。ユダヤ教が神を信じ、すべてを愛するというのに、なぜヒットラーが六百万を虐殺するのかというのです。理解できません。これが謎です。それは、宗教が進むべき本然の道を進めなかったためです。終わりの日に、民族を中心として神本然の真の愛に接触点を持たなくなる時は、サタンの供え物として完全に砕けていくのです。 それでは、何を中心としてこの世界を収拾するのか? 今日、新しい創建に力を尽くす人々も語り、現代の知性人たちも語っていますが、世界を指導し得る人間が必要だというのです。それでは、何を指導するのですか? 経済力と政治力を中心として指導し得る能力がある人々はいくらでもいます。 金がなくて、政治体制がなくてそれができないのではありません。神の理想に通じうる真の愛の秩序がないのです。本然の真の愛の秩序が世界的な基盤の上で成長できる真理を模索できるならば、そこで初めて平和の起源が、初めて私たち人間の本心が安息できる理想郷の出発が始まるのです。 真の愛というのは、始まりと終わりが同じでなければなりません。天地に神の真の愛の心情に通じる真の人であれば、十分です。平和も真の愛の心情から出てくるのです。真の喜びの心として現れる時、大宇宙は私の友となるのであり、そんな真の心情に徹して天下に対して現われるようになる時は、天下は私の心の中で踊り出すのです。これから人間世界に理想世界がどのよう訪れるのか分かりますか? 真の愛の器官を正しく扱う道理を明らかにしてあげない限り、この世は滅びます。平和の世界は訪れません。 ローマを見てください。米国を見てください。米国が金がなくて滅びるのではありません。今まで真の愛の器官の主人が誰なのか分からず、どのように由来して創造されたのかということを知りませんでした。サタンのために分かりませんでした。それを明らかにするため、天地の全ての邪悪でよこしまな性問題で、サタンがやりたい放題にしている全てを掃除するため、真の父母の名前をもって文総裁が旗を掲げて立ち上がったのです。 寒帯地方から温帯地方に風が吹きつけるので、温帯圏内のすべての木の葉は枯れて落ちるのです。それで冬になり、実まで全て落ちるようになります。しかし、その中で種、生命を持つ種は、いくら北風や冷たい雪が吹き付けても制圧されないのです。それがいくら強くても、それを突き抜けて新しい人類の平和の春の園を迎えるのです。 解放と希望の春の園が訪れるので、人類の新しい時代を迎える、その時代において真の生命の種をこの天地にまくようになる時は、緑のまま、再び冬を迎えない解放の温帯圏に進出しようというのが、統一教会の思想とぴったり一致するのです。 自分自身を是正するためには、難しい道を歩まなければなりません。南北統一するのが簡単ですか、自分の一身を統一するのか簡単ですか? 南北統一は外的にはいくらでもできます。しかし、自分自身の統一は内的に実現できません。外的に世界平和は実現できても、私自身は内的に平和を実現できません。 世界が今後、過去、現在、未来を通して進む方向が内外的に一致すれば、統一の希望はいつでもどこでも見出し得ます。 過去と現在を照合すれば、結果は必ずひとつの目的に向かって進むのです。 ひとつの目的は統一であり、平和です。ひとつの平和というのです。二つではありません。しかし、私自身が統一をいつ実現できますか? 私が統一できなくて、統一された世界を管理できますか? それは理論的に通じないのです。 そのため、根本問題に入ってみれば、統一という問題は深刻なのです。宇宙史的な問題です。 国が滅びるのは大きなことでありません。アダムの世界には国がありませんでした。自分の家庭だけ収拾すればいいのです。家庭だけ正しく立てばいいのです。結局は、良心と肉身の一体(化)と家庭の一体(化)です。夫婦、男女がひとつになることが、世界的な問題です。これがひとつになれば、世界はすべて平和の地に入ります。真の愛で解けば、世界問題は難しくありません。心身一体、父子一体、夫婦一体、子女一体をなせばいいのです。 この世は堕落した悪の世界なので闘うのです。それは心身が闘うためです。 男女は二人で闘うようになっています。それで、世界平和の基地はいったいどこか? 韓国でもなく、日本でもなく、米国と世界でもなく、天国でもありません。ほかならぬ私自身です。心身が紛争する、その基点を平和にしなければ、世界平和は永遠に存在しません。 それでは、どうすれば平和の世界が訪れますか? 第1の条件が何かといえば、ひとつになる起源を見い出さなければなりません。それを見い出せなくなる時、統一の世界とは永久にお別れです。それでは、家の中が一つになる前に、私自身がひとつになったのかと尋ねる時、ひとつになった私を発見できないのです。体と心が闘うでしょう? 男女が闘う時、幸福であり得ず、平和であり得ず、希望があり得ないのです。終わりの日になればなるほど心の分野、体の分野に分かれ、夫婦は四つに分かれてしまうのです。体と心が二つずつなので、四つになるのです。こうして互いに闘うのです。 統一教会では、神から内的統一の真の愛の動機を解いて、神のように真の愛でより人のために生きる論理的な形態を備えているため、思想界や宗教界が追随できない体系として、終わりの日において混乱した世界の平和の基地、個人的、夫婦的、家庭的、宗族的、民族的、国家的、世界的、天宙的な基地となり得るのです。 神のために生きる真の愛によって神人一体となり、天地の統一的な平和世界に向けて理想的な神人合徳をなして、幸福で、希望ある平和の世界を実現していこうというのが、真の父母の理想です。この理念に反対しては存続する人がいません。そのため、すべて歓迎するようになっているのです。 それでは今後、世界はどうなるのか? 老若男女を問わず、現在の世界に住んでいる万民はひとつの世界を願っているのです。そのひとつの世界は戦争するひとつの世界でなく、平和で自由な立場でのひとつの世界です。そこには民族分裂、あるいは人種紛争とか、あるいは文化的な格差からくる習慣的な違いによる壁のようなものがないのです。 それで世界の万民は、すべてひとつの真の愛の文化圏と対応しながら、自由で平和なひとつの国を願っているのです。平和の世界はひとつの世界です。平和の目的世界に向かうのに、二つの道があるのではありません。老若男女がすべて願う希望の世界、平和の世界はひとつの世界です。 しかし、民族を見てもその中にさまざまな団体があり、その団体ごとに主義主張が違います。大韓民国の政治風土を見ても、野党、与党、そしてありとあらゆる党が全て出てきて、皆が自分たちの道を行こうとするのです。それなので、方向がどれだけ多くありますか? ここで問題が生じるのです。 歴史が始まってから現在に至るまで、世界的な舞台でこのように平和の世界を求めながら活動してきた数多くの人々がいました。ところが、終わりに至っては、希望を持って明日のより次元が高いひとつの世界に向かって進みうる立場からコーチできる人がだんだん少なくなっていくのです。 すべての学問を超越し、社会の構成体制あるいは習慣を超越して、決定しなければならないことは、始めがどこからかということです。始めは真の神とならなければならないのです。その真の神自体が最初から過程を経て、真の神が人間を創造したなら、創造主、理想実現、その目的地まで到達できることを再発見しなければ、平和の世界は実現できないのです。なぜかといえば、平和の世界はひとつの世界であるためです。人間が進む方向、神が進む方向と、このように二つの方向があるとすれば、ひとつの平和の世界は訪れないので、不可避的に結論はひとつの方向とならなければならないのです。 そのため、人間を中心とした世界を打破し、真の神第一主義の世界に決定づけなくては、ひとつの平和の世界に向かう道を発見できないのです。心と体の世界において、平和の基準をどこに立てるかという問題が人生で最も大切な問題です。 心と体が闘っています。そのため、このような問題を考えてみると、平和の基準がどこにあるか? 世界でもなく、国家でもなく、宗教でもありません。 私自身において、体と心が絶対的に統一した平和の基準を確立することが宗教指導者であり、そのようになるためのものが、あらゆる教育、あらゆる修練、あらゆる人道主義的な目的なのです。 そのため、皆さまがいくら宗教を信じ、偉大な宗教指導者になり、ひとつのこの世界を統治する偉大な聖人になったとしても、堕落圏内の体と心の統一圏は、永遠な神とともに同じ立場の統一をなすことはできないのです。 問題は、個人基準の心情圏が真の愛の平和の起源を確立して定着させ、平和の起源を私から設定しなくては、理想的な宗教とか天国とか何とか言っても全て夢に過ぎない、というのです。問題解決は、神を中心として真の神の子女一体圏を求めるところに統一の起源があります。神は体と心が闘いません。 それでは、私たち人間はどうして体と心が闘いますか? 心身がひとつになるには、平和の大王である父と息子がひとつにならなければならないのです。 神の真の愛、真の生命、真の血統が一体となる父子の関係から、平和の起源を発見するようになるのです。父子がひとつになるには、真の愛、真の生命、真の血統がひとつにならなければならないのです。 堕落した私たちは本然の神を確実に知り、天国の理想的な環境圏を確実に知らなければなりません。神自体とみ旨から見た天国と一体になると懸命に努力するところから、父なる神のようになる道を見い出し得るのです。そこでのみ、平和の個人から天国と一体となって生きる父と子の喜びと平和の世界となるのです。そのため、今から再臨主たる真の父母がこの全ての天上世界のことを明らかにし、地上世界が一体となるようにすることによって地上、天上天国を完成するのです。 霊界に行った聖人・聖賢たちを中心としたすべての人々がこの道を願っていますが、この道は、地上の真の父母を通して真の愛、真の生命、真の血統の一体圏を教えてあげることによって、地上・天上世界が統一された世界を形成するようになるのです。 愛する祖国の同胞、そしてこの大会を見守る世界の7千万の皆さま! 人類の真の父母となるメシアが再臨するこの時代、韓半島の南北が銃剣でなく愛と真理で統一されるこの時代、世界の全ての宗教が真の父母の教えの下でひとつになるこの時代、霊界の全ての聖賢と祖先が降臨し、直接私たちと通じあって暮らすようになる歴史的で、摂理的なこの時代を迎えた皆さまは、本当に幸せな人たちです。 今こそ全人類は人種と理念、そして国境を超越して平和の世界を創建するために召命された責任を果たしてくれることを願いながら、イエス様以下の聖賢たちが霊界から送ったメッセージを紹介しますので参考にし、全体の内容は配布された冊子を通して研究されるよう願います。 天も地もともに永遠の世界で天地父母に侍り、大家族となった天上地上天国世界で、真の愛で兄弟となって平和で幸福に暮らせますように。神の無限の祝福が皆さまの家庭と国家と世界に満ち溢れますように。 ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.15
コメント(0)
【メッコールCM】 ハデベ牧師が、南アフリカ共和国でメッコールの販売を始め、そのコマーシャルが流れているそうだ。2024/11/10一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.11
コメント(0)
鮮文ピースカップ創設の意義2002年6月12日に韓国ソウルのリトルエンジェルス芸術会館で開催された「鮮文ピースカップ創設大会」で、創設者である真のご父母様が語られた基調演説文である。 尊敬する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様! 本日この席で皆様とともに貴重な時間をもつことができ、心からうれしく思います。特別に、今回の韓国と日本で聞かれている第17回ワールドカップサッカー大会に参加されるためにお忙しい中にあって、本大会に輝きを添えるためにお越しくださった指導者の皆様に深く感謝申し上げます。2 本日6月12日は、ワールドカップの開幕から13日目です。サッカーの熱気が全地球村を熱狂させています。連日の番狂わせと波乱、歓喜と挫折が交差する葛藤のドラマが演出される中で、人種と理念、そして国境を超越して、感動と友情の祝祭が繰り広げられています。 本日私たちがここに集まって、深く考えてみることは、私たちがスポーツを通して人類平和を実現しうる道を模索してみようということです。 今まで私は、聖書の記録にあるように「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」(マタイによる福音書5章9節)というみ言の実践信仰と天意に従って、宗教と学術、言論、文化、芸術、スポーツなど各分野で80余年の生涯を神に侍り、神のみ旨と理想である自由と幸福、そして平和世界の実現のために精誠の限りを尽くす一筋の道を歩んできました。 皆様もよくご存じのように、和平や平和の問題は、今までの長い歴史期間において、全世界がすべての手段と方法を動員してあらゆる努力を傾けてきましたが、ある―国家の政治力や経済力、または軍事力だけでは、完全に解決しうる問題ではありませんでした。 問題は家庭から氏族、民族、国家、世界を超え、天宙まで含めて通用しうる根本的な真理、すなわち平和の思想がなければならないのです。 真なる理想、愛、生命、血統、平和の世界は、神の創造理想であると同時に人間の希望です。 ところで理想、幸福、愛、平和の起源はどこにあるのでしょうか。それは相手のために奉仕し、犠牲になり、為に生きる所にあるのです。宇宙の存在秩序は、神のように互いに為に存在することを根本としています。 神は知恵の王であり、全能なるかたです。それゆえ、すべての存在世界で真の愛と真の幸福、そして真の平和を成し遂げるために、主体と対象が互いに為に生きるように存在させたのです。 すべての存在は二重目的をもっています。性相的な目的である全体のために生きようとする目的と、形状的な目的であるそれ自体を保存しようとする目的があります。 例を挙げると、陽子と電子の作用で原子を存在させ、その原子である陽イオンと陰イオンが分子を形成し、その分子からなる栄養素が植物を育てます。その植物が繁殖して、それが動物のえさになります。動物と植物の間でも酸素と炭酸ガスを交換します。はちと花は互いに共存します。天体を見ても、太陽と惑星が授受作用によって一定の距離を維持しながら、公転したり自転したりしています。 このようにすべての存在は、互いに為に存在しているという宇宙の根本真理があるということを私はいち早く悟るようになりました。この真理が適用される場所に真の父母がいるのであり、真の息子、娘がいるのです。 何であれ為に存在するというのは、宇宙の根本的な原則です。この原則に従わなければ、すべての幸福、平和、理想と真の愛が完成されません。 互いに為に生きなければならないという原則が、国家と民族を超越して適用されるならば、その世界は私たち人間が願うユートピア的な真の愛の世界、真の理想の世界、真の平和の世界、真の幸福の世界であるに違いありません。 為に存在するという原則を携えていけば、どこでも通じない所がありません。もし、皆様が霊界に行くようになっても、為に生きる真の愛を実践すれば、神から千年万年恩恵を受けて生きるようになり、それ以上の幸福がないということが分かるようになるでしょう。 為に生き、また為に生きる存在は、中心存在となり、そうなることによって統一的な環境や平和の世界を造成しうるという事実を私たちは知らなければなりません。 数多くの宗教があり、いくら経典が多いといっても、そのすべての核心となる教えは、「為に存在せよ」という一言に帰結されるのです。18 真の宗教、愛の宗教、理想的な宗教、幸福の宗教、平和に導く宗教とは、どのような宗教でしょうか。個人のために生き、家庭のために生き、氏族のために生き、民族のために生き、国家のために生き、世界のために生き、天地のために生き、神のために、まず犠牲になるという宗教が真の宗教であり、理想的な宗教であり、万民を平和と幸福のある所へと導く宗教です。 平和は相対的な概念から出てくる言葉です。幸福もそうです。一人では幸福ではありえません。ですから、いつでも「私」が一つになろうとするところから、幸福と平和、そして理想が始まるのです。 人の力だけでは、人間世界で平和のつながりを結ぶことができません。なぜなら、堕落した人間たちは、お互いが自分だけ良くなろうと思うからです。お互いが利用しようと考えるのです。すべて自らの利益を追求し、自分を中心として良いものをくくろうとします。ここに来られた皆様は違いますか? 指導者クラスの人々であるといっても皆、自分を中心として覇権の争奪戦を繰り広げ、自分の利益のために戦うのです。 今までの世の中では、それが本質的な私たちの生活の基礎になっていたというのです。そのように自分だけのために生きる環境によって編みなされた世の中では、戦いに終わりがありません。 ここで私たちの体の構造を見てみましょう。この目は自分のためになろうとして生まれましたか? 相手のために生まれました。口は自分のために生まれましたか? 相手のために生まれました。この耳は自分のために生まれましたか? 聞いてあげるために生まれました。鼻は自分のために生まれましたか? 手は自分のために生まれたのではありません。 ひいては、男性や女性の生殖器自体も自分のためではなく、夫のものは妻、妻のものは夫のためになろうとして生まれました。平和はそこから、すなわち、為に生きようとするところから実現するのです。母親の体は自分だけのためではなく、夫と子どものために存在するようできているのです。 一つの平和な世界、為に生きる世の中を築くために、私は家内と共に全生涯を通して、様々な方面から努力を傾けています。 その中でいくつかの代表的なものを例に挙げると、人種、宗教、国境と言語の障壁を超越して、超宗教、超国家、超NGO、超与野の教育活動をしてきました。また、世界平和統一家庭連合では、真の家庭運動と純潔運動を展開してきました。 学術分野では、アメリカのプリッジポート大学と韓国の鮮文大学を中心に平和思想の教育と実践運動に力を尽くしています。さらには、言論分野ではアメリカのワシントン・タイムズ新聞社とUPI通信社、韓国と日本では世界日報、そして南北米のすべての国家をカバーする報道機関を設けましたが、これら言論機関が世界を一つに結ぶことに大きく寄与するでしょう。 本日はサッカー人たちの大会です。今、韓国ではサッカーの熱気がいつの時よりも高まり、世界の人々が一つの祝祭の雰囲気の中に包まれています。しかし、究極的にスポーツ世界が進むべき正道の道とは、世界の人を和合と平和の道に案内することです。 時には、過熱した競技が、お金や権力と結託して純粋なスポーツ精神が薄らいでいないか心配になる面もなくはありません。選手たちの金銭的な価値がとてつもなく高いとか、独占資本家の横暴のようなことはないか、よく見守らなければなりません。 私はスポーツを通した世界平和の実現のために、韓国でいち早く一和プロサッカー団を創立し、鮮文大学でもサッカーチームを創立し、韓国のサッカーの発展に大きく寄与してきました。またプラジルにもセネ・プロサッカー団とソロカバ・プロサッカー団を運営しています。 このように、私がサッカーチームを運営するのは、単純なビジネスの次元を超えて、スポーツを通して世界平和に寄与しようというものです。 本来、サッカーはイギリスで始まりました。イギリス貴族の子弟だけが通ったイートン・スクールで将来の指導者を養成するにあたり、知識だけでなく体力を増進させるために考案されたものですが、チームワークを重視した魅力ゆえに大衆的なスポーツとして定着し、発展するようになりました。 特に、サッカー競技は個人の技術がいくら優れていても、チーム全体が支えてくれなければ勝つのは困難です。ボールは丸くて、あちらこちらに転がりますが、同時に正直だというのです。ボールは選手が蹴る所にだけ行きます。ですから、サッカーには正直さとチームワークを重視する原理が隠れています。 サッカーには既得権をもつ層による利益分配のトリックもなく、ゴールインするのに順序もありません。サッカーは大国や小国、強国や弱国に関係なくゴールインを通して、皆に喜びと幸福を与えます。サッカーにはチームプレーから醸し出される躍動的なハーモニーがあるだけです。 サッカーをはじめとして、すべてのスポーツと遊技文化は、人類の歴史とともに発展してきました。本来、スポーツは頑強な体と安全な社会を維持するために始まり、今日、数十他人の暮らしを楽しく豊かなものとしています。そのようなスポーツを通して、万民の平和に寄与できる多様な方法を模索しなければなりません。 世界は新千年を迎えました。情報と技術の画期的な発展を通して、地球村は一家族という概念が現実のものとなっています。しかしながら、一方では道徳的な危機を迎えるようになり、精神的な価値の崩壊の危機に直面したのも事実です。 今日の享楽主義と青少年の自己中心的な価値観を克服するために、スポーツ特有の建設的な代案を提示する必要があります。 スポーツには公正な競争の法則が適用されます。闘争と競争は概念が異なり、次元が異なります。闘争は、腕力や武力、または物理的な力で相手方の存在を否定し、抹殺しようとする残忍、かつ殺伐としたものです。それは動物の世界にある弱肉強食の法則と同じものです。 しかし競争は違います。スポーツではルールを定めておいて規定に従って優劣を決します。スポーツ競技では多くの人々が見守る中で、選手たちが正々堂々とした態度と公明正大な精神で、各自の技術と才能、そして力を競うのです。ですから、審判の公正な判定を受けるわけです。 ゲームで最も重要なのはフェアプレーです。 遵法と準則です。反則とファウルは減点になり、退場になり、権限が剥奪され、その選手は処罰を受けます。 世界的な競技で、運動選手たちは、個人と国の勝利と栄光のためにすべての力と精誠、そして勇気を尽くして全力投球します。それで勝利した選手には、金メダルを首にかけてあげ、嵐のような拍手喝采で祝い、国旗を掲揚しながら、国歌を斉唱してあげます。その選手にとって、その瞬間は感激の極致であり、栄光の頂点であり、その光景を見守る人々すべての祝宴です。 スポーツの世界では競争で負けた者たちも、勝利者の労苦に対して、自らの心残りは後にして、心から拍手を送るという美徳があります。ですから、スポーツには美しい友情の香りがあり、同志愛があります。 選手はスポーツマンシップを守るときに美しく、勝利に向けて「百錬千磨」の努力と血のにじむような汗を流さなければならず、名技と神技の境地に到達しなければなりません。公正と秩序、そして礼節の徳を修練しなければなりません。 ですから、スポーツは現代社会に大きく貢献しました。人間の心身を健康にし、競技の技術により楽しみと感動を与えました。特に、スポーツは宗教のドグマや政治的なイデオロギーを跳び越えることができ、だれもが一つになることができ、さらには全世界の人の心を一つに結ぶ和合と平和の饗宴です。 冷戦時代が終息はしましたが、世界は依然として苦痛の束縛から抜け出せずにいます。アメリカでの9・11同時多発テロが示すように、民族の紛糾と宗数的な葛藤で世界が苦しんでおり、地球環境は破壊の一路にあります。未来に責任を負うべき青少年たちは、冷笑的に変わっており、一部は物質主義と享楽主義に心酔したり、麻薬に溺れて非行に走ったりしています。 そのような諸般の問題を解決する方案は、先ほどもお話ししたように、正しい真理、すなわち互いに為に生きるという理想的な真理にスポーツ精神を接ぎ木させ、その精神を実践して和合と平和、そして統一の世界を創建することです。 このようなわけで私は今回、平和世界の創建を願って鮮文ピースカップを制定したのです。鮮文(Sun Moon)ピースカップは、太陽と月のカップ、天地父母のカップ、平和のカップです。純粋と純潔を象徴する光で、永遠に光り輝かなければなりません。 解文ピースカップは、神を抜きにして単純に興行性ばかりをあおり、スターだけを誕生させた既存の他のカップとは区別しなければなりません。神をはっきりと知り、霊界の実相について詳しく知って、平和の正道を選んでいくべきでしょう。 鮮文ピースカップは、神が理想となさった創造本然の世界を築くための宗教と科学、政治と経済、女性、青年、体育など各界各分野の努力を一堂に集めて、人類が一つの大家族となることを念願する祝祭の一場面を繰り広げるカップとなるでしょう。特別に人種、国家、民族、宗教、理念の壁を超えて、神の真の愛を中心として真の平和の理想に向かって出発する始発点になるという点で、実に重要だと言えるでしょう。 この鮮文ピースカップは、人類の健全な精神世界はもちろん、霊性の開発とともに人類共同体の和合と調和を織り成す祝祭の場を開くカップであり、神の創造理想を中心として平和と自由、そして幸福の世界を開いていく一つの心と一つの家族、そして一つの心情の場を開くカップとなるでしょう。 最後に、ここにお集まりになった皆様はすべて、解文ピースカップを発展させるにあたり、ペレ財団とFIFA (国際サッカー連盟)とともにすべてのご協力とご指導を惜しまぬようお願いするものです。皆様と皆様のご家庭に神の愛と祝福が満ちるようお祈りいたします。・ありがとうございました。▲2002年 06月 04日 サッカーの皇帝、ペレ、真の父母様を表敬訪問一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.11
コメント(0)
第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.3/3)二〇〇二年六月十一日(陰曆五月一日)、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 去る六月十一日(陰曆五月一日)、第四十回「真の万物の日」の記念式典が、韓国の天宙清平修錬苑で行われました。 午前七時からは敬礼式が、午前九時からは記念礼拝が、共に天城旺臨宮殿の大聖殿で行われました。記念礼拝では、み言に先立ち、一九六三年七月二十六日(陰暦六月六日)に、真のご父母様が「万物の日」を制定された(日付は陰暦五月一日と決定され、一九九四年の「父母の日」以降、名称を「真の万物の日」と改められた)ときの真のお父様の祈祷と、その際に発表された「頌歌」、そしてみ言が、郭錠煥先生によって訓読されました。 このみ言は、み言の訓読の後、真のお父様が語られたもの を翻訳し、整理、編集したものです。 (文責・編集部)文鮮明先生御言選集 20020611 - 第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.1/3)文鮮明先生御言選集 20020611 - 第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.2/3)Family 2002.8 32~ (韓国人食口に向かって)さあ、ここに座っている耳の聞こえない人たち。皆さんは、なぜ、皆……。先生が、日本語で語るときには、韓国語でも通訳しているのに、なぜ、イヤホンを持っていないのですか? お互いに授け受けしなければならないでしょう? 準備もせずに……・。 皆さんは、”先生は、与えることを好み、もらうのが嫌だ。”と考えているのではないですか? そこ、分かりますか? 寝るなというのです。 昼の十二時以降に食事をしては時間がないので、1 時間以内に、全世界から集まった人たちと会議をするようになっているのですが、その会議の時間を撤廃することにします。 今から、その会議の骨子の内容を話すので、ノートを出して書き留め、忘れずに、それを一日に十回、百回、吟味しながら覚えるようになるときには、今後、行く道が、すべて開かれるのです。アーメン。(「アー メン。」)(拍手) 皆さん。イーストガーデンに行ってみたことがある人は、手を挙げてください。米国のイーストガーデンです。イーストガーデンに行ってみたことがある人は、多くありませんね。行ってみたいですか? チケットを買って、飛行機に乗って、来てください。(笑い)なぜ笑うのですか? 必要ならば、わたしが招待 してあげるかもしれません。招待してあげれば、来ますか? (「はい。」)そのように有名ですか? (「はい。」) 世界の大統領までが、「会おう。」と言ってきても、先生は会ってあげないのに、皆さんは、その人たち以上にりっぱですか? 先生に、たくさん負債を負ったでしょう? 負債を負いましたか、負っていませんか? 負債をたくさん負いました。 目の負債、鼻の負債、口の負債、耳の負債、手の負債、心の負債、体の負債、すべて負債を負いました。それは、自分の財産を売って返しても、返すことができません。それを知っているので、天下は、間違いなく先生の教えの前に一つになることができるのです。 「総生畜献納物」をしないと、天国はできません。アダムとエバが祝福を受ける前には、結婚する前には、すべての所有は、神様のものでした。それは間違っていますか、正しいですか?(「正しいです。」) 神様と、愛と生命と血統が一体となり、一つの体となった後に、アダムとエバに相続権があるのです。分かりますね? ところが、祝福も受ける前に、サタンの血筋を受け継いだので……。 主人が神様であられるにもかかわらず、サタン、悪魔の血筋を連結させて、それで配当を受けた所有意識を持っているのは、神様が嫌われます。また、家庭を持っていること自体を嫌われます。 それで宗教は、出家を命令するのですが、それは、すべて抜け出しなさい。”ということです。自分の先祖まで……。それから、「結婚をせずに、独身生活をしなさい。」というのです。 それゆえに、仏教も独身生活、カトリック教会も独身生活です。神様の所有権と、完成した“主人”となったアダムとエバの所有権が、すべて復帰されて戻ってきて、神様の公認と真の父母の公認を受け、祝福した血族に分けてあげるようになるときに、皆さんの所有になるのです。それが、天理の道理です。 先生が教えてあげたことは、方便的道理ではありません。(録音が一部途切れる)分かりますね?(「はい。」) 皆さんが、学校を建てますか? 言論機関をつくりますか? 政府機関を新しくつくりますか? ここ (天城旺臨宮殿)は、何ですか? 王の基ですか? 王城です。天の城です。天の城の中には、王宮に侍る民が暮らすのです。城と同じです。「城」という字があるでしょう? それから「旺臨」です。「旺」という字は、「日」偏に……。 本来、旺臨するときは、「木」偏の「柱」という字を使わなければなりません。「日」偏なので、明るい”というのです。明るい王者です。"明るく臨んだ「宮殿」”です。天城に……。 神様の宮殿だけではありません。天の国の宮殿が、輝かしく定着する所なので、ここから天の国の入籍式が展開しているのです。そうですか、そうではないですか? 入籍式の標題は、何ですか? 三時代……、何ですか? 小山田氏! (「『三時代大転換四位基台入籍統一祝福式』です。」)「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」です。全体を表象するのです。それは、遊びごとを宣伝するように、何の根拠もない内容ではないというのです。 根本がないのではありません。神様の胸に千年、万年の間、願われていた願いが、解消されるのか、再び恨として残るのか、その怨恨の標題が宣布されるという事実を知らなければなりません。今から、世界のすべてが……。 国連を通して決定する日には、一時に大移動が展開し、そのときに、この韓国人たちは、すべて……。全世界の統一教会の祝福を受けた公職者たち、指導者たちが皆、走り来んで来るときには、自分の財産を売って、韓国の地を、その価値の十倍以上を与えても、買って、入って来ようとするのです。 そのようにしようとすれば、この反対する既成教会や、自分勝手に暮らしていた人たちは、島国に追い出すことはできないので、しかたなく、南米の第三国に移動するということが起きるのです。分かりますね? 分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) それで、その標題が、今回、何であるのかというと、わたしたちは、今まで国のなかった民です。そうでしょ う? 「皆さんは、どこから来たのか?」と言えば、「日本から」、「米国から」、「ヨーロッパから」と、そのようなことを言うのですが、それは違います。神様の眼中には、日本の国もなく、米国という国もなく、ヨーロッパという国もありません。 そのようなところにおいて、真なる家庭の出発を真の父母から始めるのです。真の父母の家庭を中心として、真の父母の血族を通して、真の父母の一族、真の父母の民族、真の父母の世界です。三億六千万双です。 どのような国よりも大きな国を持つことができ、天と地に、数千億の祝福を受けた基盤ができています。 ですから、神様王権樹立をしたので、今からは、神様が定着されて、その御前で、天下に命令することができる主体的な王になることができるのです。 ですから、堕落していなければ、霊界の地獄も、楽園もありません。天国だけがあるはずでしたが、今回、先生が行く前に……。 今、霊界では、大掃除作業が展開しています。先生は、遠からず地上から天上世界に行きますが、その時のための天国の民が、まだ準備できていません。待っているのです。 ですから、そのために、百日修練を通して、四十日間……。新しい霊をつくって、霊界で祝福を受けるようにして、先生が帰ってくる日を待っているということを知らなければなりません。再整備です。 、偽りの父母によって楽園が生じ、地獄が生じたので、真の父母の責任は、これを整理して、神様が、清い地上、天上天国、統一的天国の前に、一つの主権を中心として、万世において、永遠不変の統治者になら れるようにすることです。 また、万国が、千世、万世の“太平聖代(徳のある君主が治める太平な世の中の時代)」を整えて、神様が、栄光と栄華の文化の主人となられるようにすべきなのが、真の父母の責任です。 本来、そのようなことが、神様の創造理想であったのではないでしょうか? その世界に戻っていかなければなりません。再創造しなければなりません。 皆さん。「家庭盟誓」を知っているでしょう? 一番目は、何ですか? 一、二、三、四、五、六、七、八。それを一つだけしても、天上に帰っていくことができます。八つも必要ありません。その内容が、どれほど、とてつもないものでしょうか? 霊界に行ってから、天の国の神様がいらっしゃる本殿に行き、神様の御前に行って、そこで暮らすことができなければ、どうするのですか? 城の外に追い出され、どこかに行って暮らそうというのですか? そのようになれば、今まで、四大聖人をはじめとして、霊界に行っている、各文化世界の国家を超えて指導したすべての歴史的な人たちから指弾されます。彼らには、通告しておいた記録が、はっきりと残っているのです。 ですから、霊界に行けば、彼らから「あなたは、統一教会を信じてきたのなら、このような内容をすべて聞いたか、聞いていないか?」と尋ねられることでしょう。それに対して、「聞いた。」と答えるならば、「それでは、なぜ、実践しなかったのか?」と評されるのです。 孔子に会えば、このように言われ、イエス様に会えばこのように言われ、釈迦、マホメット、ソクラテス、共産党員にまで、「あれほど懇切に叫んで、証ししたのに、何だ? この女め! 私たちの目の前から、消えなさい。」と……。 彼らの先生になり、姉になり、兄にならなければならないのに、この姿は、何ですか? どのようにして、それを避けるのですか? 無事に通過できないというのです。歴史上に、初めて真の父母が現れて、天上世界の秘密を、どれほど子孫に伝えたいと思っただろうかというのです。 霊界の地獄に行った人たちは、「自分たちのようになって、ここに来てはいけない。」と言いたいのです。そのような、先祖としての子孫に対する責任を感じた人は、だれもが、“生きてできなかった。”という恨を抱いてきたのですが、真の父母は、そのような恨をすべて……。 何と言うのでしょうか? 垣根を壊してしまったのです。そして、「世の中が、わたしたちの世界になったのだなあ。」と……。共産世界から地獄に行った彼らを、皆、神様の命令によって……。 先生の命令ではありません。先生は、霊界に行った統一教会の責任者たちに指示して、神様の命令を受けて、セミナーを開き……。「セミナーの報告を中心として、真の父母の前に報告しなさい! 報告すれば、間違いなく、わたしが宣布してあげよう。」と言ったのです。 偽りの父母がつくったので、真の父母が責任を持って、地の果てまで、そのことを宣布することを始めたのですが、それが、今月の二十一日の「天地父母統一安着宣布大会」です。今、世の中は、このようになっているのです。ですから、今回の、このワールド・カップが問題でしょうか? それが、問題ではありません。 歴史始まって以来、存在せず、夢にも願い、成し遂げることができなかったものが現れ、世界に宣布大会を行って、「天地父母統一安着宣布」をするようになれば、その父母によって祝福を受けた人たちは、安息するようになります。 そうして、その安息した場に、国と国、そして国と世界が一つになることのできる橋が、さっさっさっと架けられ、今から大建設が展開するのです。 霊人たち、聖人、聖子たちが来て、自分の先祖を中心として、世界を救うための橋を架け、天上世界と地上世界が一つになった場において、一つの国が生じるのです。あたかも、心と体が一つになっているかのごとくに作り上げるための、差し迫った時期が来ました。 分かりますね? 分かりますか? (「はい。」) その骨子が何かというと、その骨子はたくさんあります。"個人完成は、このようにすべきである。”というもの。個人と言えば、たくさんあるのですが、その骨子は、イーストガーデンにさっと入っていけば、正門に掲げられた「勝恨成就」という言葉がありますが、それが、そうです。それは、「恨に勝利して、摂理のみ旨を完成しなさい。」ということです。 それは、“解放的蕩減 復帰完成を成して、堕落していない本然のエデンの園で、アダムとエバが、神様に侍って暮らしていた、そのような直系子女の立場に立ちなさい。”ということです。そして、食堂には何があるのかというと、「一心定着」です。「一心定着」という標語があるのです。 それは、数十年間、掛けてあるのですが、それについて尋ねてきた人が、一人もいません。その答えを、今、話してあげているのです。分かりますか? 「一心」という言葉は、わたしたちではなく、神様のことです。神様は、心と体が闘いますか、闘いませ んか? 闘いますか、闘いませんか? 神様の心と体は、闘いません。神様の思想が行ったり来たりしますか、一つになっていますか? 分かりますか? ”一心一体一念”です。 それを神様側から見れば、三つが蘇生、長成、完成でなければならないものを、三数を代表して、「一心定着」という言葉が書かれているのです。 だれでも、心と体が一つになり、心と体が一つになったところにおいては、思想が一つになっています。それでは、その思想とは、何でしょうか? わたしたちリトルエンジェルスの教育標語であり、新聞社の標語であるものが、何でしょうか? 愛天。言ってみてください。(「愛天。」)愛天。(「愛天。」)愛人。(「愛人。」)愛国。(「愛国。」)これが、三大原則です。 「愛天」とは、何のことであるのかというと、縦的な天の国のことです。わたしたちの心の国です。分かりますか? 「愛人」とは、何かというと、横的な地上の国のことです。天の国と神様と"縦的な父”と“横的な父”が、定着しなければなりません。定着する所は何かというと、国です。家庭なのです。分かりますか? 家庭です。 神様の考えの中では、何を中心としてでしょうか? 真の愛を中心として、”一心一体一念”が一つになり、家庭を中心とする生活を出発するということが、思想的なすべての核である、ということです。 皆さんも、そうでしょう? 男性と女性が、どのようにすれば、息子、娘を生んで幸せに暮らすことができるのでしょうか? それが、国よりも、もっと心配でしょう? その時は、国がありません。国が始まりだからです。ですから、"一心”、それから何ですか? 何ですか、次は? "一心”! (「〃一心”!」)”一体”! (「”一 体”!」)"一念”! (「”一念”!」) 「一心」とは、何であるのかというと、「愛天」です。「愛天」は、「天を愛しなさい。」ということです。「一心」の「心」は何かというと、「人類を愛しなさい。」ということです。そうではないですか? 「愛人」、「愛国」は何かというと、家庭を拡大したものです。「家庭を愛しなさい。」ということです。男性と女性の願いは、すべての骨子、主流が、一心一体一念”の思想である、ということです。分かりますね? (「はい。」) 分かりますか? (「はい!」)ですから、きょう、標題を言うとき、「『一心、一体、一念』安着」でもかまいません。「一念」は、「神様と天宙のことである。」と言えば、すべてでしょう? 神様の家ですから、そこには、万物世界、天地、すべて入っています。それは、天宙人の主流思想です。分かりますか? 一度、言ってみてください。"一心”。(「”一心”。」) "一体”、(「”一体”。」)、”一念”。(「”一念”。」)それが一つになったので、「安着」を抜いてもよいのです。 「”一心一体一念”安着」、それから、"一心一体一念”は、神様と天宙人の、天地の家、人………。すべて入っています。被造万物がすべて入っています。天宙人の主流思想です。はっきりしましたか? (「はい。」)…… 一度言ってみてください。"一心”。(「”一心”。」) "一体”。(「”一体”。」)〃一念”は……、(「〃一念は”。」) 神様と天宙人の主流思想です。(「神様と天宙人の主流思想です。」) それ以外にはありません。そして、その完成の標準ができているので、男性も、女性も、息子、娘も、そのまま神様とともに行くことができるのです。それを横的に三代圏、四代圏に入っていけば、多くの繁殖が成されます。 三代圏を超えていかなければなりません。それは、 原理を聞いて知っているはずです。三代を持つことができなかった神様が、三代圏を超えて、四代から種を取り、それを万国にまくことによって、"一心一体一念”、一体となったものは、神様と天宙人たちが、すべて主流思想となって、天の国に直行して行くことができるのです。アーメン。(「アーメン。」) それで、皆さんの心と体が、一つになりましたか? 別々です。これが病弊です。ナイフを、自らの胸に突き立てるようにして誓い、何があっても、一つにならなければなりません。 それを知らなければなりません。日本のメンバー、分かりますか? 分かるでしょう? (「はい。」)それゆえに、“心と体が一つになっているのか?”ということが問題です。 ですから、率直でなければなりません。父母の前でも、師の前でも、国の前でも、率直でなければなりません。二つになってはいけないというのです。神様も、心と体が闘いますか? 神様が闘いますか、闘いませんか? (「闘いません。」) なぜ、人間は、このようになったのでしょうか? 血統が変わったのです。大変です。それは、死ぬことよりも、もっと大変なことです。 ですから、先生もそこにぶつかって、解決方案を講究したのですが、その結論が何かというと、「宇宙主管を願う前に自己主管の完成」ということでした。そのような標題を立てたのです。分かりますか? 大変なことです。そのような標題を立てて、自分の心と体が分かれて……。 さらには、眠りの問題、食べる問題、愛の問題です。いつも、二またです。 どこかに行けば、よいものを食べようとし、よいものを着ようとし、体が願うものを第一主義にします。それを引っ繰り返さなければなりません。 最後には、自分の愛する妻と息子を怨讐に抱かせてあげて、さらにその福を祈ることができる心まで持たなければ、神様の心情圏は分かりません。何のことか、分かりますか? それは、絶対に難しいことです。しかし、その絶対難しいことができなければ、復帰摂理は成されません。 もう、何のことか分ったでしょう? ”一心”、"一体”、“一念”は、韓国人は、説明しなくても分かっているというのです。神様と天宙人は……。(「韓国語でお話ししてください。」) 日本語で「かみさま」というのは、神様のことであるということを、皆、知っています。「てんちゅう」というのは、天宙のことであり、「人々の主流」と言うときの「しゅりゅう」というのは、主流思想のことです。 そのように、日本語で話しても、韓国人が分かるようになっていて、韓国語で話しても、日本人の六〇パー セントが分かるようになっているので、そのように怨讐視せずに、交差結婚さえすれば、三代以内に一つの国、天下統一するのです。アーメン。(「アーメン。」) "そのようなことを願う。”という人は、両手を挙げて、目をつぶって誓いましょう。(「アーメン。」)目をつぶって…… なぜ、目をつぶるのかというと、神様とあなたの二人が、約束するということです。先生も、必要ありません。そのように約束した人は、間違いなく、力いっぱい手を下ろしてください! 手を挙げてください! 手を挙げてください! 挙げたので、決心する人は、手を、力いっぱい下ろしてください。(笑い) そのくらいすれば、よいというのです。わたしは、力を入れたので、ひざが固まりました。さあ、そのくらいすれば……。 もう、昼食の時も過ぎました。午後一時です。わたしも、もう昼食を食べて、出て行かなければなりません。皆さんも、できるかぎり早く出て行くのです。リ トルエンジェルスで行われるエンターテインメントに参席しなければなりません。 さあ、立ち上がってください。 (「統一の歌」を全体で歌う) (「梁昌植会長の先唱で、万歳三唱いたします。」) (万歳三唱) 皆さん、アンニョン! さよーなら! グッド・バイ! (笑い)(拍手)(敬拝)41 Family 2002.8<完>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.10
コメント(0)
第1168回 天心苑特別徹夜精誠 (11/08)真のお母様と大母様(信仰告白-大母様育成メッセージ)2024/11/8天心宛徹夜精誠ウィークリー中(※字幕<自動翻訳>をONにて)효정간증孝情証アラキイサク(孝心生歌)2024/11/8in chongpyong효정찬양-어머니의 약속(お母様の約束)2024/11/9in chongpyong一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.08
コメント(0)
天の父母様に喜びをお返しできるサッカー選手を目指してー証ーアラオ・ヒョンス韓国40日修練生ー1080回天心苑特別徹夜精誠2024/11/07天心苑TVは韓国語、日本語、英語の字幕を提供しています。ユーチューブの日本語字幕をオンにしてください。천심원TV는 한국어, 일본어, 영어 자막을 제공중입니다. 유튜브 자막을 켜세요.Cheonsimwon TV provides subtitles in Korean, Japanese, and English. Please turn on the YouTube subtitles.一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.07
コメント(0)
第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.2/3)二〇〇二年六月十一日(陰曆五月一日)、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 去る六月十一日(陰曆五月一日)、第四十回「真の万物の日」の記念式典が、韓国の天宙清平修錬苑で行われました。 午前七時からは敬礼式が、午前九時からは記念礼拝が、共に天城旺臨宮殿の大聖殿で行われました。記念礼拝では、み言に先立ち、一九六三年七月二十六日(陰暦六月六日)に、真のご父母様が「万物の日」を制定された(日付は陰暦五月一日と決定され、一九九四年の「父母の日」以降、名称を「真の万物の日」と改められた)ときの真のお父様の祈祷と、その際に発表された「頌歌」、そしてみ言が、郭錠煥先生によって訓読されました。 このみ言は、み言の訓読の後、真のお父様が語られたもの を翻訳し、整理、編集したものです。 (文責・編集部)<「文鮮明先生御言選集 20020611 - 第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.1/3)」からの続き> あなたは、新聞記者ですか? なぜ、そこに座っているのですか? 何かの鑑定班のようですね。(笑い) わたしは、言論人で、会ってみた人がいません。イギリスのBBCの編集局長が、韓国統一教会の青坡洞本部に訪ねて来て、インタビューをするというので、「イ ンタビューをして、何をするつもりなのか? 統一教会の手助けをしようというのか? 統一教会のために来たのか? この人は、出世するために、BBC会社の商売のために来たのではないか? なぜ、会おうというのか?」と言ったのです。 わたしは、言論人で会ってみた人はいません。数多くの言論人をつくって、"下人暮らし”をさせています。 UPI(通信)、世界で指折り数えられる人でも、いつだれを呼んでも、さっと飛んでくるようになっているのです。 日本の有力なマスメディアの人たちが、米国の大統領の記者会見のためにワシントンに行ってみると、会見席のいちばん前に座っている、いちばん上席の新聞社は何かというと、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ワシントン・タイムズです。 ところが、ワシントン・タイムズが、その真ん中に座っているのを見て、「あの真ん中に座っているのは、何新聞だ?」と耳打ちするのですが、それに対して、「それを知らないのか? ワシントン・タイムズ、レバレンド・ムーンに関連の新聞社だ。」と言うと、「ええ!」と言って驚いています。 まったく、皆……。知らなくて驚くのもよく、知って驚くのもよいのですが、知らなくても驚き、知っても驚く者たちが、なぜ大騒ぎしているのでしょうか? 優れた者、愚かな者、何が優れていて、愚かであるのか分かりません。何を知っているのですか? 愛を知っていますか? 真の愛です。分かりますか? それは、そのような特権があるのです。なぜ、特権があるのですか? そこに落ちれば、だれも出てくることができない力を持っています。抱き抱えるその味わいが、どれほど強いか、細胞も、すべて列を成して伸びていくのです。 真の愛は、そのようにできる力を持っているので、その力は、すべてを分析することができます。真の愛は何かというとき、説明することができるというのです。 さあ、ですから、神様も祭壇が必要なのですが、真の愛の祭壇がいくら大きくても、このくらいのものが一つだけあれば、手を出してしまえば、手を離すことができません。 あなたは、結婚していますか? (「はい、しています。」 )わたしが約婚してあげて、結婚したのですか? 皆さんが……。(「祝福を受けました。」)では、最初に女性と出会ってデートするとき、手を触ったときに電気が通りましたか? (笑い)尋ねているではないですか? 笑ってはいけません。常識的な話をしているのに、なぜ、笑うのですか? 電気が通って、何の感情もありませんか、鼻が開きましたか、目が閉じましたか? (「大きく開きました。」) おお! わたしよりも良いですね。(笑い)深刻なときは、目を閉じますか、目を開けますか? 驚くときは開きますが、深刻なときは、どうですか? 皆さんは、妻と愛し合うとき、愛する妻の顔を、目を丸くして、こうして、こうして見詰めますか、目を閉じますか? 答えなければならないでしょう? (笑 い)答えずに笑ってばかりいて、それでよいのですか? それでは落第でしょう。 さあ、このような話をしていては、一日たっても……。皆さんが、ご飯を食べなくてももっと聞くのが良いと言うので……。わたしには、そのような魅力があるというのです。魅力です。心から離れず、味わいのあるのが魅力です。 それでは、妻が好きですか? (「はい、好きです。」) 何が好きなのですか? (笑い) こうであるからと……。何が好きなのかというのです。(「すべて好きです。」) その中で、何が好きですか? 目が好きですか、鼻が好きですか、何が好きですか? (「心が好きです。」) 何ですか? (「心が好きです。」) 愛が好きですか、心が好きですか?(「愛が好きです。」)愛ですか? 心ではなくて、ですか? (「心も好きで、すべて好きです。」)ですから、どちらが一番なのか、というのです、この人は。統一教会の子供たちは、そのようなことを、すぐに答えることができてこそ、どこに行っても好待遇を受けられるのです。 ここには、優秀な人がたくさん集まっているので、わたしが選んで、話をしてあげているのです。では、ここに来た人たちは、愛が好きですか、心が好きですか? (「愛が好きです。」)わたしは、心が好きです。 (笑い)そのように言えば、「あの狂った先生。荷物をまとめて出て行こう。」と言って、皆、出て行くという のです。 いくら騒いでも、「好きなものは好きだ。」と言うときには、「悪口を言われても、好きだ。」と、そのようになるのです。分かりますか? 教育は、良い話ばかりをして教育すれば、よいのですか? わたしのように、激しくたたいても、ばたばたはって行きながら、喜んで、笑いながらはって行けば、よいのです。そうでしょう? それが幸福な人です。逃げて行きながらも、喜んで……。 他の人は、“死ぬ。”と思って、目を見開いて逃げて行き、五官が麻痺して逃げて行くのですが、笑いながら、ふわふわ踊りを踊り、「やあ、このようにすることができるのだなあ。」と言えば、それは、幸福な人です。 何が好きですか? (笑い) (「愛が好きです。」)愛が、どこにありますか? (笑い)愛が、どこにあるのか知らなくても、「愛が好きだ。」と言うのならば、どこにあることを好みますか? (「生殖……。」)これはまた、何ですか? 生、生殖……。(小さい声でまねをされる) 大きな声で言わなければならないでしょう? (笑い) 生殖器が愛ですか? (笑い) 笑いごとではありません。 率直でなければなりません。率直は、万国の法に通じます。はっきりと教えてあげるために言うのですが、 日本人は、得意げに、"自分たちは何でもうまくできる。”と考えているようですが、そのように考えてはいけません。できないことはできず、上手なことは上手だと教えるのです。 日本人の愛が、生殖器……。生殖器が、どのようになっていますか? 愛を見れば笑うのですが、生殖器を見て笑いますか? 愛を語れば、男性も女性も皆、笑うのですが、男性と女性が生殖器を見れば、笑いますか? 尋ねているではないですか? わたしも分からないので、尋ねているのです。(笑い) 答えに困るでしょう? 笑うこともでき、笑わないこともできます。では、笑うときが多いですか、笑わないときが多いですか? それでは、愛するときが多いですか、小便をするときが多いですか? (笑い)それをどのように答えたらいいのですか? 笑ってはいけません。 そのようなことを、すべてわきまえて、天地の善なるものを、すべてをわきまえたので、今日の世界のえたいの知れない者に対しても、「やあ、この男と女たちよ! わたしの言うことを聞きなさい。静かにしなさ い!」と言えるのです。 わたしは、そのように生きています。なぜでしょうか? 尋ねれば、三言も答えることができない者たちに、何ができるのですか? では、皆さん。文総裁に出会ったことは、良かったのですか、悪かったのですか? (「良かったです。」) 何が良かったのですか? 悪口を言われたではないですか? (統一教会に入ったことによって)追い出されたでしょう? (入教した子供を) 親が拉致していくのです。まったく、日本でも、親によって四千人近い拉致事件が……。 米国の国務省には、そのような問題に関連して、日本人が野蛮の中の野蛮な民族であるという材料が、このように積んでおいてあるのです。それを持って来ましょうか? 文先生が、何も知らないで悪口を言われていると思いますか? ライオンは、アフリカの暑い平原の中で、一尺以上高い所に座っても眠るので、自分に関係のない話は聞こうとしないのです。自分の所属ではないからです。 分かりますか? ですから、悪い話を知って、何になるのですか? 自分が生き死にする世の中で、地獄の祭物で倒れていく……。それは、倒れていくようになっています。さすがの文総裁も、悪口を言えば、闘い疲れて、いなくなると思ったでしょう? 言論界が四十年の間、反対をしても、文総裁は、どんどん大きくなっていきました。どんな人であっても、言論界から一月間だけでもバッシングされれば、逃げて行くと思いますか、思いませんか? 文総裁は逃げて行きません。 真っ暗な夜に、黄金の光が稲光のように輝いて、それが敵地の監獄の中に入っていったからといって、その黄金の光が白くなりますか、変わりませんか? 変わるでしょう? どうですか? 答えてみてください、 日本の人たち。 日本が、どれほど変わりましたか? どれほど変わったか分かりません。変わったものをもって、変わったものを中心として築き上げても、それは無に帰してしまうのです。すべて無駄骨です。 その消耗したものは、すべて文総裁の前に過ちを犯したことになるので、蕩減しなければなりません。それで、反対され、蕩減したすべてのものを積み上げて、れんがの家を建てるのですが、それが、今や高い建物となりました。ですから、今からは、わたしについて来ない人は、いなくなるようになっているのです。 ところで、ここには、日本の人と韓国の人が集まっているのですが、なぜ、わたしが大騒ぎしているのですか? 何があるといって、何が得るものがあるといっ て……。お金がもらえるのですか、おもちがもらえるのですか? 何がもらえるのですか? このような話をすれば、"ああ、教主ともあるべき人が、公的な席に出て生殖器の話をし、悪口を言い、ありとあらゆる話をしている。わたしの国では、そのような法はない。”と思うかもしれませんが、そちらの法のほうが”滅びる法”なのですから、なくてかまいません。 この世の中では、十ドルで「こっちに行きなさい。」、「あっちに行きなさい。」と言い、行かなければ問題が起きるでしょう? それでは、日本人も、文総裁が必要ですか? “文総裁が必要である。”という人は、手を挙げてください。皆さんは、なぜ、他の人を見てから手を挙げるのですか? なぜ、顔を横に振ってから手を挙げるのですか? あの人も、そうです。高い所に座って、そのように振り返って見ているのですか? 自分の心に尋ねて手を挙げるのでしょう? このように、きょろきょろしながら、最後に挙げるのですか? では、文総裁が好きですか、愛していますか? (「愛しています。」)皆さんのお父さんとお母さんは、どうするのですか? お父さんやお母さんよりも、もっと好きですか? もっと愛していますか?(「もっと愛しています。」)この女性たち。 ですから、その国から追い出されなければならなくなるのです。これは、いくら治そうとしても、注射を打っても、皮をはいで、はげわしの餌にして、その骨肉までとらの穴に置いておいても、においもかがず、食べもしません。変わらないのです。 ですから、拉致しても、いくら閉じ込めたまま何か月の間、ほうっておいたとしても、いずれ行くべき所に行ってしまいます。門さえ開けておけば、どこに行くのですか? 文総裁といっても、文総裁には何もありません。(何もない、からの)手のひらしかないというのです。 普通の男性のように、目、鼻、耳、胸もあります。へそもあります。それがなければ、狂っているというでしょう? 何がありますか? 生殖器がありますか、 ありませんか? ありません! ありませんか、ありますか? ありませんか、ありますか? この日本の人たち!(「あります。」) 悪口を言って、初めて答えますね。そのような国は、長くもちません。何万年、何億万年……。分かりますね? かわいらしい女性たち。顔を見れば、自分の顔が好きですか、好きではありませんか? (笑い) ”よい。”と考え、美人である。”と考えたら問題です。美男美女の息子、娘を持った父母は、息子、娘を見れば……。 韓国は、そうです。自分の子供に対して、「この出来損ないめ。」と、反対のことを言うのです。なぜかというと、親までもが、自分の顔を称賛してくれれば、"お父さんとお母さんは、このような顔を持ったことを称賛したので、私が思うには、点数をつけるなら、自分が百点なら、お父さんとお母さんは四十点にしかならない。」と思うからです。 女性が化粧をし、きれいに着飾って、東京の銀座のような所に行って、通りを歩いていけば、その周囲のハンサムな男性たち、どろぼうのような男性たちが、ついて来るでしょうか、ついて来ないでしょうか? そのような者たちは、最初のうちは、"へへ、よしよし。どうぞ、どうぞ。”と、いい顔をして近づいて来るのですが、そのような男性が来たならば、歓迎しますか? 女性の力がいくら強くても、いったん、くっついてしまった後には、引っ張られて行かなければならないでしょう? そうなれば、危険です。 ですから、何をもって、そのように堂々としていられるというのですか? 母親よりも称賛され、父親よ りも称賛され、先生よりももっと称賛され、その国の美人大会で一等になり、世界美人大会の候補者になったとすれば、日本では、どこに行っても、自慢して大 騒ぎするでしょう? そこに金銀財宝があれば、あるものをすべて売りとばし、きれいに装って、唆そうとするではないです か? そのようにすることができる素質は、女性たちにありますか、ありませんか? あなたもあるでしょ う? 率直に。(笑い)笑わないでください。笑うのは、詐欺的な手法です。隠して……。 それでは、先生のように八十三歳(数え年) になったおじいさんが、そのようなことを知らないでしょうか、知っているでしょうか? 世の中に出て、経験もたくさんしました。世界を回りながら、数多くの国の指導者たち、男性、女性、あらゆる人種にすべて接してみたので、あれはどのようなことを考え、どのように生きているのか、ということが分かるというのです。 先生には、そのようなものがあるので、超国家的な若者を集めて、相対関係を結んであげるのです。分かりますか? どのようにして、相対関係を結んであげるのでしょうか? 顔には目、鼻、口、耳と四種類あり、顔にある穴は七つですが、それで、どのように分かるのでしょう か? そのようなことを知っています。専門家になっているのです。専門家です。目をつぶっていても、手で分かり、足で分かるのです。 この人は、愛をよく知りません。(笑い)愛とは何かというと、その愛は、宇宙を創造することができ、国もつくることができ、自分の愛する息子、娘もつくることができ、男性の前に女性、妻もつくることができ、男やもめに配偶者もつくってあげることができる、そのような本宮が生殖器です。 それは、愛の先祖の基です。分かりますか? 生殖器とは、愛の先祖の基のことをいうのです。一度、言ってみてください。言ってみてください。 生殖器は、愛の王宮です。(「生殖器は、愛の王宮です。」)先祖の地が、王宮なのではないでしょうか? 生殖器は、生命の王の基、生命の王宮です。生殖器は、血統の王宮です。血統を知っていますか? 先ほど、「(真の)万物の日」の先生のみ言を、しっかりと聞いたでしょう? 皆さんが残しておいたものが、ありますか、ありませんか? 皆さんのものがありますか、ありませんか?(「ありません。」) さあ、韓国人は、話を聞きましたか? (笑い) 話を聞いたのですか? 今まで話したことは、簡単です。 「女性にとっての宝は、男性のために生き、男性のために死ぬというところに宝があり、男性が王よりももっと貴く、女性が、男性のために生まれ、男性のために死ねば、王の皇后以上の恵まれた立場に立つようになる。」と、言ったのです。 それは、良い話です。分かりますか?「”ため”に生きるということが、より幸福である。」というのが、結論です。その一言で、万事がオーケーです。「オーケー」とは……。(拍手) 一時間話したことを、約一分間で結論づけることは簡単だというのです。 より”ため”に生きる人は、神様を「友人である。」と言うことができ、神様の頭のてっぺんに上がって行っても、神様が、「やあ、降りて来ないで、もう少しいなさ い。一年間でもよい。」とおっしゃるならば、それは幸福ですか、不幸ですか? (「幸福です。」) ですから、よりために生きるところには、闘いがありません。よりために生きようとするところには、平和だけがあり、幸福だけがあり、喜びだけがあり、涙がありません。そうですか? 本当ですか? (「はい。」) 皆さんの家庭で、夫婦でけんかをしますか? この女性たち。それでは、間違っているでしょう? この ような女性たちがいて……。 一言、言うならば、女性は、「わたしは、本来、男性に奉仕し、従順にし、美しく見せるために生まれたので、死ぬまでは、そのようにする。」と言うならば、恐ろしい所、どのような所に行っても、そのようになれば、そのような女性によって占領されない所はない、というのです。 顔がかわいらしく、純真で、このような美貌を持ち、美しくあれば、世の中に嫌うものがありません。わたしのような人であっても、好むというのです。(笑い) あまり、そのような度を越した笑い方をしては、困るではないですか? 興味を引くときだけ、そのように関心を持って聞いています。横を見て、そのようにするのは、"それをすべてやめて、私を見てください。”ということです。ですから、今、見ました。 人よりもよくけんかをする夫婦を、平和にすることは、簡単です。よりために生きることができる……。 一秒間、三秒間、長くても十秒間我慢をして、ために生きる心を持っていけば、万事に通じます。それは、可能性がある話ですか、可能性がない話ですか? (「可能性がある話です。」) それは、可能性だけですか、絶対性に一致しますか、一致しませんか? やってみるのです。十五分間、三十分間だけ我慢してみなさい、というのです。けんかなどの事件が起きて、男性の気分が悪ければ、そのようなときは、女性の顔を見ずに、トイレに行くのです。 自分の三角地帯を見下ろして、「おい、おまえ。起きているか? 起きているか? 行こう、行こう。」と言っ て、便所に行って十分もすれば、さあっと、気分も良いでしょう。首に力が入って、完全に怒りが爆発しそうだったものも解けて、気分も良くなります。 そうして、妻から「ああ、なぜ、そのように飛び出して行ったの?」と尋ねられても、「あなたが、わたしの気分を悪くさせたので、ここに力が入ったのだが、すると、ここが爆発しそうで漏れそうだったので、しかたなくトイレに行った。」と言えば、妻も笑うのです。 妻は、十五分の間、怒ってぷんぷんしながら、夫が帰って来ることを願ったでしょうか、死ぬことを願ったでしょうか? 十分間を過ぎれば、"何か事故が起きたのか?」と思うことでしょう。 それで、心配になって行ってみると、夫は、トイレの中で、座って笑っているというのです。なぜ、笑うのでしょうか? 気分が良いからです。 夫は、妻が夫が死んだのかもしれない。”と思って、間違いなく捜しに来るに違いないと思っていたのですが、案の定、捜しに来たのです。夫としては、「やあ! 万歳!」です。そのようなときこそ、拍手してください。分かりますか? 一度、訓練であると思って、拍手してみてください。この者たち。(拍手) けんかをしているという事実は、統一教会の原理原則に違反することであり、滅びる者たちです。「よりために生きなさい。」と言っても、妻が国の怨讐というわけでもありません。“もう一さじ食べたい。”というならば、(自分が)食べなければよいのであり、憤って、一言言いたいところを我慢すればよいのです。 そのようなとき、妻は、「私の夫はりっぱです。ありがたい。」と言って、飛び込んで来るでしょうか、逃げて行くでしょうか? 百回、そのようにすれば、百回、骨の中まで飛び込んで来るはずです。 ですから、「私は、先生から学んだので、百回でも我慢しよう。」と考え、それが千回に及べば、「私は、もう千回、我慢しよう。」と考える、そのような家に、けんかがありえるでしょうか? さあ、きょう、(先ほど訓読したみ言を)わたしも聞いてみると、自分で感嘆しました。何年前に話したのですか? すでに三十年以上前に、そのような話をしたのです。 その時の環境は、世界が文総裁を称賛するような時ではありません。最後の境界線に来て、死ぬか生きるかというとき、自分が死ねば、この真理を残さなければならないのです。そうして、"この真理は、永遠の未来の世界にとって、絶対に必要な真理である。”ということを知っていたので、命を懸けて宣布した話であるということを、皆さんは知らなければなりません。 その時に、歓迎する人は、一人もいませんでした。 国が反対し、世界が反対しました。真夜中のような時代に、“朝の太陽は、何時に、いくらもたたないうちに昇ってくる。”という希望とともに宣言したことが、約四十年を経て、すべて……・。四十年という歳月は、永遠の歴史時代にあっては、ほんの一瞬です。そうでしょう? この中で、統一教会の信仰を持ってから四十年以上になる人は、手を挙げてください。小山田氏。 きょう、先生が教えた中心的なことは、何でしょうか? 堕落した人間には、一切の所有権を認めることはできません。それを認めれば、それは、天法に引っかかります。その天法は、永遠不滅の天法であるので、それに引っかかれば、“永遠不滅」に引っかかったことになるのです。 なぜ、そのようになるのでしょうか? 堕落前には、神様の存在、神様の所有権しかありませんでした。それが、堕落によって、神様のものが、怨讐サタンのものになってしまったのです。 その怨讐とは、何の怨讐でしょうか? 愛の怨讐です。愛の関係を結んだ場合には、その関係を結んだものと、所有権を共にするようになり、所有権が決定さ れるようになるのです。 ですから、神様の前には、たたえるべき息子も娘もなくなってしまいました。そして、神様自体が追い出されてしまったのです。 アダムの妻として、神様の妻として迎えようと、二日後には結婚すべきであったエバが、その直前に、怨讐によって汚され、連れて行かれて子供を生んでしまったという結果になってしまいました。 神様は、その女性(エバ)のために、すべてのもの、すべての財産を伝授し、相続させてあげようとしていたのですが、そのすべてのものをなげうってしまい、サタン圏に捨ててしまったのです。それを、自らその主人として使っているというのが、サタン主管圏の世界なのです。神様のいちばん嫌われるものは、それです。 ですから、宗教圏においては、「国を離れよ、出家せよ。」と言うのです。すべてを放棄するように命令し、「独身生活をせよ。」と言うのです。偽りの血統を元返すためには、神様に属する真の愛と、真の生命、実体を再び復帰しないと、永遠に神様の伝統的血統をつなげる道はありません。真剣なものです。 もしも、一人の男性が神様と同じような環境に立った場合には、どうするでしょうか? 怨讐にさらわれていった、妻となるべきであった女性が、十年、二十年、万年の後に来て、『この者たちは皆、繁殖した、たくさんの人類は皆、あなたの子供です。』と言った場合には、その旦那さんはどうしますか? きっと、『このやろう!』と言って、サタン、奥さん、子供を、"一気に全滅させても気がすまない。”という思いになるでしょう。<以下、まだ未校正のままです。ご不便をおかけしています。> そのような心情圏に立たれながらも、それを自分の直系血統以上に愛さなければ、元返す道がないという心情を持たれた神様であられたのです。そのようなことが分かった場合には、申し訳ない、申し訳ない、申し訳ないという立場に立たざるをえません。 その悲惨な人生行路の決着点を解決しなければなりません。この滅亡からの宿命的な解放をいかにするか、です。 ですから、救世主は何を持っているのかというと、真の愛と、真の生命と、真の血統であり、それをつなげる者が、救世主です。刑法の条件に引っかかった場合には、その罪は、神のほう、国のほうに、それ以上の利益をもたらす内容を満たさなければ、赦しであるとか、救済するということはできないということは、理論的なことです。 それゆえに、自分の直系の子供以上にカインを愛するとするならば、自然屈伏するのです。サタン自体は、愛によって堕落しました。サタンは、「神様は、アダムを自分よりも愛していらっしゃる。」と言って、愛の反発心から堕落したのです。 ですから、神様が自分の子供以上、その国以上に愛する心情を持ってサタンに対された場合には、サタンは、その前では、自動的に自らの良心を高めて、自然屈伏せざるをえません。なぜならば、そのような神様に逆らう存在は、宇宙すべてにおいて存在しないからです。そうして、サタンも、その前に自動的に屈伏するのです。 よって、自然屈伏させる服従圏を満たさなければ、救済の道を目指すことはできません。それは、なかなか難しいことです。神様は、そのようにされながら、実子直系の子供と家庭を願ってこられたのです。そのことを考えなければなりません。 ですから、「死なんとするものは、生きる。」です。 "生きん”とする者に、生きる道はありません。神様ご自身が、そのような立場に立っておられるということを考えなければなりません。 そうして、そのような神様のすぐ後について行くような決意で、すべてのものを犠牲にしたとしても、そのことだけは立たせていくというところにおいて、すべては解決するのです。そのような標題の下に救援摂理を成してこられた神様は、いかばかり悲惨なおじいさんであられるでしょうか? 分かりましたか? (「はい。」) 日本の国全体を合わせても、それは比較対象になりません。万民、万世において、そのような悲惨な立場をこらえながら、凌駕するのが、毎日の宿題です。一 歩前進、一歩前進。いくら犠牲を払ったとしても、その前進の進み方を止めることはできません。 そのような重い歴史的な荷袋を背負ってきたのは、 創造主ではありません。真のお父様であったのです。それを発見した暁には、いかばかり躍動しながら喜ぶべ きでしょうか?「万歳」を千年、万年、叫んでも、またのどから自動的に万歳の叫び声が出てくる、そのような喜びに浸るのです。 そうして、解放、解放と、神様とともに「万歳」を叫んで、天国建設の勇士として、日本全地を凌駕して "神の国につなげるのである。”と決意し、渋柿の国を甘柿の国に接ぎ木させ、"自分は、そのためのハンダになり、溶接機になって一体化させるのだ。」と決意するのです。 それを成すことは、並々ならぬことですが、成さねばなりません。「為せば成る。為さねば成らぬ何事も。 成らぬは人の為さぬなりけり。」です。それは、統一勇士の最後の生死を決する、その絶頂を凌駕するうえでの宿題となるべき表現です。分かりましたか?(「は い。」)<3/3に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ (韓国人食口に向かって)さあ、ここに座っている耳の聞こえない人たち。皆さんは、なぜ、皆……。先生が、日本語で語るときには、韓国語でも通訳しているのに、なぜ、イヤホンを持っていないのですか? お互いに授け受けしなければならないでしょう? 準備もせずに……・。 皆さんは、”先生は、与えることを好み、もらうのが嫌だ。”と考えているのではないですか? そこ、分かりますか? 寝るなというのです。 昼の十二時以降に食事をしては時間がないので、1 時間以内に、全世界から集まった人たちと会議をするようになっているのですが、その会議の時間を撤廃することにします。Family 2002.8 32
2024.11.06
コメント(0)
第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.1/3)二〇〇二年六月十一日(陰曆五月一日)、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 去る六月十一日(陰曆五月一日)、第四十回「真の万物の日」の記念式典が、韓国の天宙清平修錬苑で行われました。 午前七時からは敬礼式が、午前九時からは記念礼拝が、共に天城旺臨宮殿の大聖殿で行われました。記念礼拝では、み言に先立ち、一九六三年七月二十六日(陰暦六月六日)に、真のご父母様が「万物の日」を制定された(日付は陰暦五月一日と決定され、一九九四年の「父母の日」以降、名称を「真の万物の日」と改められた)ときの真のお父様の祈祷と、その際に発表された「頌歌」、そしてみ言が、郭錠煥先生によって訓読されました。 このみ言は、み言の訓読の後、真のお父様が語られたもの を翻訳し、整理、編集したものです。 (文責・編集部) わたしたち統一教会には、長い歴史をかけて、天地全体をかけて宣言した「宣言文」が多いのです。 それは何かというと、天と地、すべての宇宙をかけて、"行くべき道はこうである。”という、その標本に 従って線を引いたものです。横的に引く道、縦的に引く道、九十度を中心として引き、球形世界を完成化し、その球形世界のコア(核)のような、エキスのような位置に、神様を臨在させるための原則の道理に合うように宣言したのです。 サタンが、この縦的なものを、すべてばらばらにしてしまい、横的なものをばらばらにしてしまい、九十度の基準を中心とした三次元の面を、すべてばらばらにしてしまいました。そのように、偽りの父母が、ばらばらにしてしまうことによって、神様の代わりに、サタンが、この世界を支配していたのです。 それを、そこに新たに真の父母が現れて、本然の縦的基準を成してきたということではなかったでしょうか? サタンがいくら反対しても、反対することができないこととは、何でしょうか? また、それは、なぜでしょうか? 神様は、被造世界をそのように(本然の縦的基準に沿って)創造され、"被造世界とは、そのようなもので ある。”と見ておられます。そうであるにもかかわらず、サタンは、神様がそのように創造された、それ自体を破綻させようと、歴史過程において反対してきたのです。 神様は、そのような事実についてご存じであり、サタン自身も知っています。ですから、そのような神様がいらっしゃるので、サタンに対して、「縦的基準というものは、原則は、これではないのか?」と言うときには、サタンは、「はい、そうです。」と答えざるをえないのです。一度、言ってみてください。(「はい、そ うです。」) そのような約束どおりに、事実どおりに宣言したもの(が、統一教会の宣言文)です。天と地、悪魔と世 の中の罪ある何者も、それを否定することはできません。何人も否定することができない、このような核を宣言したものが、わたしたち統一教会における多くの 宣言文であるということを、皆さんは知らなければなりません。 サタンに対して、「それでは、横的基準についても、 これこれこのようなものは、おまえが願ったものではなく、本来、創造理想的根本の原則において願われて いたものではないのか?」、「これは、天地が生じる前からあったのであり、天地が生じるとき、その核心となったものではないのか?」、「天地をすべて完成して、 その核心的な主人となることができるものは、“見えな い神様”ではなく、実体の"見える神様”である真の父母ではなかったのか?」と言うときには、サタンは、「違います。」と言うことはできません。「そのとおりです。」と言うのです。 それで、(先ほど訓読したみ言では、)「(真の)父母の日」を宣言するための内容が具体的に明らかにされており、「(真の)子女の日」なら「(真の)子女の日」についても同様であり、「(真の)万物の日」がどのようなものであるかという事実についても、今、皆さんは聞きました。 このようなみ言をじっと聞いてみると、他のあらゆるみ言も必要ですが、「(真の)万物の日」一つだけを取っても、その価値は、量り知れません。 そのことで、すべてに精通しているごとく、「自分は主人になった。」と言い、「神様のものでないものがなく、真の父母のものでないものがなく、『宇宙全体が、わたしのものである。』と言うことができる、その位置に定着し、億千万世の時が流れ、すべてのものが変貌し、変わったとしても、変わりうる環境条件を収拾し、尊厳ある主体性を中心として、千代、万代、定着権威を持つことができる。」と言ったときには、天地は、何と答えるでしょうか? また、「それは、創造理想的な完成の結果であったのではありませんか?」と尋ねるとき、神様が心か ら考えられることは、どのようなことでしょうか? それは、「そのとおりである。」ということです。そして、思想的思考を通して、相対として現れた、極めて小さな被造物から大きな被造物に至るまで、海のものも陸地のものも、天上世界にあるすべてのものまでもが、「そうです。」と答えることでしょう。 一度、言ってみてください。(「そうです。」)そうです! (「そうです。」)口だけで言いましたか? それとも、心と体と考えを重ね合わせて、「そうです。」と言いましたか? 「このような宇宙の一つの核として、その中心自体であることに間違いありません。そうです。」と、言うときには、そのような存在は、宇宙の中心となり、神様の愛を完成させることができ、神様よりも、もっと必要であるというのです。 そのように、“愛の完成に必要な万物の実体的主人が、人間である。”ということを思うとき、その人間自身が、心と体と思想が一体となったその場において、自分自身の産毛までも、「そうです。」と言うのを感じながら答えましたか、答えませんでしたか? (「答えました。」) うそをついては、いけないでしょう? 尋ねると、決まって「そうです。」と言うところを見ると、“先生について行きさえすれば、よい。”と考えて……。 言葉について行ってはいけません。言葉は、実体を形成します。実体は、全体を動員することができる能力があるのです。それは、神様だけではありません。宇宙全体が実体的な主体となり、対象となるときは、宇宙全体が左右、上下、前後の歩調を合わせなければ、相対的理想の場から追放する宇宙力があるというのです。 そのような主人がいる、ということを知らなければなりません。見えない宇宙力が、そのような者たちを除去するようになっています。 皆さんは、父母が死ぬと、なぜ悲しく、夫がいなければ、なぜ悲しく、愛していた者を失えば、なぜ悲しいのでしょうか? “主体・対象基準”の中心の核と、心と体が一つにならなければなりません。心と体が一つにならなくてはいけないのです。 このように見るとき、心と体がとどまる位置、その位置は、考えまで一つになる”心身一体”の位置であ り、その位置において、自分が動じ、静ずることができるというのが、万有存在の実情であるというのです。 そのことを考えるとき、その万有存在の実情の主体となり、主人となる人間自身に関係するすべてのものが、ここに同化し、一体となった場において、動じ、応じ、答え、喜ばなければならないというのが、天理の原則です。 ですから、皆さんが、先ほどの問いかけに対して、そのような”心身一体”、“一心一念”を中心として答 えたのかと尋ねているのです。そのように答えましたか、答えることができませんでしたか?(「……。」) なぜ、静かなのですか? いくら大きな人でも、産毛一本であっても、つかんで引っ張れば、その痛みがないようにするためには、引かれる方に行かなければなりません。分かりますか? 我慢して、「切れるなら切れろ。抜いてどうするのか? やってみなさい!」と言えば、そこには、鍼が打たれるようなものです。そうなれば、すでにそこに傷を残したということです。 それでは、産毛や一身のすべての骨が統一され、一つになって、”心身統一〃、それから何ですか? ”信念統一”です。一心、一体、一念です。そのことを知らなければなりません。神様を中心として……。 神様が、どのようになっていらっしゃるのかというと、一つのものを中心として、心と体が一つになっていらっしゃるのです。分かりますか? 心と体が一つになったところにおいては、考えも一つになっています。 皆さんが、日常言うことは、「言行心事(言行と心に思うこと)を正しくしなければならない。」ということです。「言行心事」です。言葉と行動と「心事」ですが、「心事」とは、何ですか? 心と事が、一つにならなければなりません。そうしてこそ、それが公的なものとして保護し、証しし、 宣伝することができるのであって、そうでなければできません。 ですから、心をだまし、体をだまし、考えを偽って生きる人は、それがいわゆる「堕落した世界」であり、「堕落した万物」であるということです。 堕落していないものは何かというと、心と体と考えが一致して一体となり、ここを見ても一つであり、 あそこを見ても一つであり、また、下を見ても、上を見ても、前後左右、球形に見ても、核心の位置も「一つである。」と言うことができるもののことです。 そのようになるとき、神様は、そのような立場に定着されるようになるのです。そのことを、皆さんは知らなければなりません。"一心”、“一体”、“一念”です。言ってみてください。(「一心、一体、一念。」) 心を持っていますか? 何ですか? 尋ねたら、答えなければならないでしょう? 心を持っています か? (「はい。」)心が二つですか、一つですか? (「一つです。」) 心は、二つでしょう? なぜ、一つですか? 悪なる心と、善なる心があるではないですか? それから、 体も一つですか、二つですか? 悪なる体、善なる体。二つですか、一つですか? また、考えも、善なる考え、悪なる考え。二つですか、一つですか? わたしたち自体について考えてみるとき、心は、わたしたちの目に見えないので、分かりません。心に五官があるということが、分かりません。分かりませんか? 答えなければならないでしょう? 分かりますか、分かりませんか? 卒業証書をもらって、学位をもらうことができるようになれば、それにふさわしく、過去に学んだものはすべて知らなければならないのですが、分からなければ、それに対する罰を受けなければなりませんか、受けてはなりませんか? ですから、今まで、心が一つでしたか、二つでしたか? 体が一つですか、二つですか? 考えが一つですか、二つですか? 全員、黙っているということは、”心が二つ、それでよい! 体が二つ、それでよい! 考えが二つ、それでよい!”と、思っているということです。 そのような状態が、人と言えますか? 人だけが、心が一つなのです。人だけが、体も一つです。人だけが、考えも一つです。それを否定する人は、手を挙げ てください。 きょう、「(真の)万物の日」の記念日に、「清平に来なさい。」というので、"何か福をくれる。”と思っていたのに、手を切ったとすれば、その息子、娘や親戚、その国の民が、それを聞いて、「あの清平に行きなさい。」 と言うでしょうか、「行くな。」と言うでしょうか? 答えてみてください。(「『行くな。』と言います。」)「行くな。」と言うのです。 それでは、行かなければ、天国は、どこから行くのですか? 清平を通さずに、天国に行くことができますか? (「できません。」)清平は、"清くて平らな所である。”ということです。分かりますか? 名前が良いのです。 「文鮮明」という名前の「鮮明」とは、何ですか? 「鮮明な朝」と言うでしょう? 「鮮明」とは、太陽が、明るい光の方向性をサーチライトのように発散するときに、「鮮明な朝日」と言うのです。その名前は良いですか、悪いですか? (「良いです。」)太陽には黒点があるのですが、黒点に覆われてはいけないでしょう? そこに何、鮮明ですか? 「文鮮明」でしょう? 「文」という字は、何ですか? (「文章の「文」です。」)文章の「文」ではありません。祭壇の「文」です。祭壇の上に祭物を置いて支えているのが、「文」という字ではないですか? 分かりますか? 何の「文」ですか? (「祭壇の『文』です。」)祭壇の「文」です。 神様は、堕落した世の中に祭壇が必要ですか、必要ではありませんか? (「必要です。」)何の祭壇ですか? 何の祭壇が必要ですか? 簡単でしょう? 息子、娘の祭壇です。息子の祭壇、それから夫婦の祭壇、三番目は、子女の祭壇です。それ以上は、必要ありません。 皆さんは、それ以上、必要ですか? さらには神様まで。愛の前には、神様まで一つになって、父母の祭壇です。もう一つ、するのです。 真の愛は、父母の祭壇、夫婦の祭壇、それから何ですか? (「子女の祭壇です。」)自分の祭壇は、ありませんか? 男性の祭壇、女性の祭壇です。自分の祭壇、夫婦の祭壇、子女の祭壇です。祭壇が必要です。祭壇とは何かというと、まっすぐなものの上に、載せておくのです。 その祭壇の代表が何なのか、というのです。神様も代表であられ、自分も代表であり、家庭も代表であり、夫婦も代表であり、息子、娘も代表なのですが、その全体の代表、中心とは何ですか? それが何ですか? その中心は、何ですか? 宿題です。クイズです。 それを、何と言うのですか? それが、何ですか? (「真の愛です。」)何ですか? (「真の愛です。」) 真の愛とは、どのようなものですか? 真の愛とは、どのようなものでしょうか? 真の愛とは、何ですか? ”ため”に生きて忘れること、それもそうでしょう。 「それも、真の愛である。」と解説することができます。 本当の真の愛とは、何ですか? 神様も、そこにはまれば、出てくることができません。分かりますか? そうなのです。わたしも学びました。神様も、そこに落ちれば、出て来られることができません。そこから出てこようとすれば、天下が、すべて離れていきます。 そのように、天下がついて回るので、神様も離れません。また、自分個人が落ちても、恥でも何でも知ったことではありません。出てくることができないのです。女性も……。女性は、そうではないでしょう? 変わることを好むのが、女性ではないですか? 人間とは、何ですか? 「人心は朝夕に変わり、山の色合いは古今を通じて同じである。」というような言葉が、物の本には書かれてあります。変わることを好むのは、女性ですか、男性ですか?(「女性です。」)女性です。 男性は、どうですか? 男性は、変わることを好む女性について回りながら、変わろうとしますか、つい て回りませんか? この女性たちは、変わることを好む男性が、ついて回る。」と思っているのですが、それは、間違いです。なぜですか? 男性も、はまれば出てくることができません。女性も、はまれば出てくることができません。息子、娘はどうですか? (「出てくることができません。」)息子、娘も、出てくることができないのです。ここに落ちて、出てくることができる存在はありません。 先生(真のお父様)は、どうでしょうか? (「出てくることはできません。」)わたしも、皆さんに似たの です。(「神様に似ていらっしゃいます。」)神様に似てもよく、皆さん……。また、男性、女性、息子、娘、すべて、そうではないですか? 神様が持っていらっしゃるものを、すべて持っているでしょう? 神様には、眼がありますか、ありませんか? 分かりますか? 真の愛とは、何ですか? 真の愛に、髪の毛一本でも引っ張られれば、引かれていくの です。それゆえに、神様も、(真の愛に) 落ちれば、出てくることができません。いくらやっても、出てくることができないのです。千年やっても、出てくることはできません。神様が、そうでいらっしゃるというのです。何に間違って落ちても……。 愛に誤って落ちるようになれば、逆さまになったものを、思いどおりに、まっすぐにすることはできません。まっすぐにすれば、天下がすべて踊りを踊り、歌を歌いますが、四方の方向が異なるというときには、億千万世、その姿のまま捕まって、出てくることができないということです。理解できますか? このようにしてもよく、あのようにしてもよい、というのが、愛ではないでしょうか? 愛だけは、鉄則において、このようにしてもよく……。そのうえで、このようにしてもよく、あのようにしてもよい、というのが、真の愛というものです。 愛は分からなくても、そのような本性があるので、すべての万物は、その愛を訪ねて出会うことを願うのです。出会うのも、逆さまに出会おうとしますか、正しく出会おうとしますか? 歩くときに、このように(腰が平衡にならずに)曲がって歩く人が、よいですか? このように歩く人がよいですか? このように歩くのがよいですか? (笑い)あらゆる人がいるでしょう? このように歩く人、このように歩く人、まっすぐに、さっさっさっさっと歩く人……。 これが、すべて合わなければなりません。垂直に合わなければなりません。歩くときに腕を振るのは、四十五度の角度です。それは、なぜ、そうなのでしょうか? 人は、そのようにしてこそ、正しいのです。 垂直がなければならず、上下がなければならず、左右がなければならず、前後が四十五度です。分かりますか? それが、そのようにバランスを取って、球形になるのです。 そうして、球形になってこそ、このように回っても、 このように回っても、このように回っても、永遠に変わらずに、それ自体がそのまま残り、だれもが永遠に保護してくれるのです。天運が、そうです。 ですから、少しでも間違えば、苦痛が生じます。宇宙の力が追い出すのです。そのような公式法度によって、運動する中央の位置に立ち、そこで暮らそうというのが、存在物たちの存在様相です。これは、宗教観念の世界において言われていることにも合い、運動法則の科学世界においても合致する話です。分かりますか? まゆ毛が、一つはこのようになり、もう一つがこのようにゆがんでいれば、どうなりますか? 独身の若い男女が、時が来て、結婚する年になったので見合いをしに行くというときに、まゆ毛が、このようにゆがんでいれば、どうなりますか? 女性がそうであるならば、男性が見るとき、"あの女性は、なぜ、あのようになっているのか?”と思うのです。また、目がこのようにずれていれば、どうですか? あの女性は、どうしてあのようになったの か?」と思い、鼻が曲がっていれば、"あの女性は、なぜ、あのようになったのか?”と思うのです。 先生が歩くときに、さっと、(道を外れて)このように歩けば、どうしますか? (笑い)いけません。中の 方へ押し戻してあげなければなりません。このように行っても押し戻してあげ、このように押し戻してあげ、 そのようにして、この間の道をまっすぐに行きなさい、というのです。そうでしょう? 九十度、九十度、四十五度で作動するのです。 足が、このように行けば、足も合わせてくれるということです。そのようなことを、初めて知ったのですか? 学校では教えてくれないのですか? さあ、「(真の)万物の日」なので、人間は、(神様の) 実相的存在であり、万物を代身することができる標本的な実相なのですが、これらを見るとき、気分が良いでしょうか、悪いでしょうか? ここに、日本人、韓国人、五色のあらゆる人種が集まり、あらゆる種類の人たちがすべて集まったのですが、気分が良いでしょうか、悪いでしょうか?(「良いです。」) 韓国人だけに会うことを願ったのに、すべての人が来たら、問題が起きるのです。そうではないですか? しかし、すべてが集まることを願ったので、かまいません。「韓国人が集まりなさい。」と言った場合に、日 本人が来てもよいのでしょうか? それは、同一のものになっていないので、そのようなことが起きるのです。 上でも下でも……。日本人が賢いのは、上と下を合わせることができるのです。右と左を合わせることができます。自分が左側なのか右側なのか、また、前後を知って、前後を合わせることができるのです。 そのような人を「賢い人である。」と言い、「知恵深 い人である。」と言うのですが、そのような人は、滅びゆく世界においても、物請いまでをしても、滅びることはありません。 日本は、第二次大戦の時に、物請いをする立場でも滅びなかったというのです。なぜでしょうか? 目先が利くからです。“目先が利く”ということが何かというと、多くの主人に侍る歴史を通して、訓練されているということです。そうではないですか? それは、なぜでしょうか? 女性だからです。女性は、そうでなければ、生きていくことができないではないですか? ですから、世界的に好まれるのが、日本の女性です。わたしは、日本の女性を好みません。日本を本当に知っているからです。顔を見ただけで、すぐに分かります。 日本の古代歴 史を見れば 、多くの国があり、この人、あの人と・・・・・・。 はべ女性が嫁いでいく所と、夫が暮らす所とでは、主人 が違います。さっさっさっと目先を利かせて、三年も たたずに・・・・・・。嫌でも、よく目を合わせるでしょう? 日本は、そうですか、そうではないですか? 先生の友人の中に日本人がいましたが、りっぱな友人の所に訪ねて行って、父親に似ているか母親に似ているかを見てみて、母親に似ていれば、わたしは好みませんでした。なぜでしょうか? 母親は、島国を象徴するのですが、島国で生まれて、島国で育って、何になるのですか? それでは、いつも陸地(大陸)を慕いながら、泣いて暮らさなければなりません。そうではないですか? 日本も、そうでしょう? 島国なので、「陸地(大陸)から船が来る。」と言えば、町内じゅうが騒いで、「何が来るか、見てみよう。」と言って、がやがや集まるのです。それが、島国です。それゆえに、アジアにおいて……。 明治維新の前には、日本人に姓がありましたか? それについて知っていますか? 知らないでしょう? 日本人は、明治維新の前、庶民には、姓がありませんでした。そのことを知っていますか? 日本の歴史教育において、「姓がなかった」ということを教えてくれないでしょう? そのことを知らなければなりません。 名前がないので……。名前を自分勝手につけたのでしょう? 「竹下」という姓は、竹林に小さな家を建てて暮らすのを、名前が分からないので、「竹下」にしたのです。田中という姓も、田んぼの中にいるので、「田中」です。川辺という姓は、川辺にいるので、「川辺」です。松本は、松の下です。まったく、このような姓があるでしょうか? 神様の目は、大きいでしょうか、小さいでしょうか? 分からなければ、「分からない。」と言ってこそ、率直なのです。いちばん手っ取り早いのが、「『"縦的な真の父母”が天であられ、"横的な真の父母”が文鮮明である』と言うならば、文先生に似たのでしょう。」 というように……。 "似ている”ということは、"目が似ている”ということと同じでしょう? 大きい、小さいということを 言っているのではありません。形を中心として、「似ている。」と言い、白目、黒目、目が行ったり来たり、上がったり下がったりするのは、すべて同じで似ているでしょう? 形がぴたっと似ていてこそ、「似ている。」と言うのですか? 九十九まで似ていて、一つだけ違うからといって、「似ていない。」と言うことができますか? 目が小さいと……。小さくても、目は目でしょう? わたしの母がわたしを生んだとき、三日たっても目が見えないので、引っ繰り返してみると、目が見つかって、「ああ、目玉がないわけではないのだなあ。」と言ったというのです。(笑い)それで、わたしの赤ん坊の時のあだ名は、「小さな目」です。「目が小さい。」と言われて、村じゅうで有名でした。 "小さなものがよい。」と思っていたのに、小さな目 が……。(ジェスチャーをされる)(笑い) カメラの焦点を合わせると、遠い所を見ることができるように、天下のすべてのもの、神様の心の根が、どのようなものであるのかということを解いて、「神様。あなたの心は、こうではあられませんか?」と言えば、神様も、「自分でも分からない。」と言われるのです。 皆さん。愛に関して知っていますか?「愛は、こうです。」ということを知っていますか? 愛は、丸いのか四角いのか、平たいのか長いのか? 言ったとおりに愛はなります。長ければ、どれほど長いでしょうか? 愛には、千里、万里、離れた息子、娘を思えば、一瞬のうちに、そこまで行って、その良し悪しを知り、鑑定することができる能力もあるのです。丸ければ、神様の心情の真ん中で、その部屋ですべての天下が動じて踊りも踊ることができるのです。 それでは、神様も、祭壇を必要とされるのですが、 どのような祭壇でしょうか? だれもが、すっかりはまり込むものを置いて、それを見て考え、関係を持った人は、完全にはまり込んでしまうことができて……。 このようにはまり込めば、目をばちばちさせて、千年、万年、このようにしているというのです。そのようにすることができるものがあれば、うそであっても、一度、はまってみたいと思うでしょう?<No.2/3に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ あなたは、新聞記者ですか? なぜ、そこに座っているのですか? 何かの鑑定班のようですね。(笑い) わたしは、言論人で、会ってみた人がいません。イ ギリスのBBCの編集局長が、韓国統一教会の青坡洞本部に訪ねて来て、インタビューをするというので、「イ ンタビューをして、何をするつもりなのか? 統一教会の手助けをしようというのか? 統一教会のために来たのか? この人は、出世するために、BBC会社の商売のために来たのではないか? なぜ、会おうというのか?」と言ったのです。 わたしは、言論人で会ってみた人はいません。数多くの言論人をつくって、"下人暮らし”をさせています。 UPI(通信)、世界で指折り数えられる人でも、いつだれを呼んでも、さっと飛んでくるようになっているのです。 日本の有力なマスメディアの人たちが、米国の大統領の記者会見のためにワシントンに行ってみると、会見席のいちばん前に座っている、いちばん上席の新聞社は何かというと、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ワシントン・タイムズです。 ところが、ワシントン・タイムズが、その真ん中に座っているのを見て、Family 2002.19
2024.11.04
コメント(0)
自由、家庭、信仰-21世紀のメディアの役割(02.05.21 ワシントン・タイムズ創刊20周年記念祝賀会で配布されたスピーチテキストより ヒルトン・ワシントン・ホテル) 冷戦時、神は、世界を共産主義が支配するのを防ぎ、自由な世界を守るため米国を選びました。ワシントン・スター紙が一九八一年に廃刊され、首都の新聞はワシントン・ポスト一紙だけとなりました。これは、自由世界の首都が、ニュース、懸案事項、政策に対して限られた視点しかもつことができないことを意味し、共産主義の危険性、当時全世界が直面していた共産主義の脅威を軽視するものでした。神の願いは、哲学的、思想的基盤を持ち、人々や米国の指導者らを励まし、啓蒙する新聞を作ることでした。愛国的な米国人がワシントンで新聞を創刊し、ポスト紙に代わり得る意見を打ち出すことを願って、数カ月間、待ちました。ですが、誰も手をつけようとしないのを見て、私がそれをしようと決意したのです。 ですが、ワシントン・タイムズの使命は、冷戦の終結では終わりませんでした。共産主義が崩壊しても、自動的に世界に平和が訪れるわけではありません。神が願われる理想社会も、私たちの努力なくしては実現できません。そのため、創刊十年(一九九二年)を迎えたワシントン・タイムズは、新しい挑戦、つまり「文化戦争」、悪化する価値観との戦い、という使命が与えられました。 神は米国が伝統的な家族の価値や道徳的価値を守るよう願いましたが、それらは混乱状態に落ちてしまいました。世俗的な人道主義、極端な個人主義、自己中心主義が強まっています。その結果、金銭と物質が人々にとって神のような価値を持つようになったのです。そうして、宗教は低調となり、世俗的な人道主義がはびこるようになりました。家庭が崩壊し、青少年犯罪が増加しています。 創刊十周年の祝いの場で私は、メディアのもう一つの使命を定義しました。これは、メディアは社会の倫理と道徳の価値を高めるもの、ということです。その後の十年間、道徳的な社会の実現に貢献することをタイムズに願ってきました。平和な世界は平和で理想的な家庭の基盤があって初めて実現できます。そのため、道徳的家庭の価値を強めることの重要性を人々が理解するよう努力してきました。「家庭の価値」という言葉がよく知られるようになる前でさえ、タイムズは価値観の崩壊、いかにして家庭の価値に基づいた善良で道徳的な社会を取り戻すかを強調する記事を出してきました。これらの問題に関するファミリー・タイムズを毎週、出すことも始めました。今日、家庭の価値は米国社会にとって重要な部分を占め、政治的な問題ともなっています。私たちは、タイムズが家庭の価値を米国と世界の重要な部分へと高めることに貢献してきたことを誇りに思っています。 タイムズ創刊後の最初の十年間に際立ったのは、冷戦の最中にあった世界の自由のための戦いです。次の十年間は、文化戦争と強い道徳的価値観に基づく家庭を築くことの重要性が目立った年でした。今二十年を超え、信仰を訴え、支持する時代、個人の信仰に基づき精神的価値観を強調し、支持する時代を迎えました。だれでも、神と人生の精神的側面についてはっきりと理解していなければなりません。世界レベルで自由、家庭レベルで倫理的価値観、個人レベルで信仰、これらは人生、メディア双方にとっての三大使命です。 自由、家庭の価値、信仰は米国の最も基本的な精神的価値です。タイムズが「米国の新聞」と呼ばれるのは、米国の伝統的思想を実行することを目指しているからです。もちろん、「米国の新聞」と言いましても、米国だけに仕える新聞という意味ではありません。そうではなく、世界と全人類のために働く国である米国に仕えることを意味します。 私たちは外的には、情報が爆発的に増加する時代の中に生きています。世界は情報であふれています。デジタル通信技術の発展により情報の海が出現しました。これまで、離れたところから情報を得ることは困難でした。ですが、今では、革命的な変化が起き、世界中から圧倒されるほど大量の情報が発信されています。この大量の情報の中で、人々が質の高い人生を送れるよう、責任を果たしていかねばなりません。メディアはすべての事実を伝えることができますが、同時に混乱を回避し、リーダーシップと方向性を示す責任があります。全世界がニュースと情報であふれている今の時代はなおさらです。ワシントン・タイムズと関連するメディアはこの点で指導的な役割を果たしています。 この二十年間でタイムズが奇跡的な発展を遂げたのと時を同じくして、他のメディアプロジェクトも目を見張る発展を遂げてきました。ナショナル・ウィークリー・エディションは、全米五十州の購読者に配られ、日刊のタイムズ紙から傑出した記事を届けています。ティエンポス・デル・ムンドもあります。スペイン語の週刊紙で、十六カ国十八主要都市で発行されています。さらにソウル、ニューヨークにはセゲイルボ(世界日報)、東京には世界日報があります。ミドル・イースト・タイムズ紙は、ますます重要性を増している地域のニュース、情報を提供しています。 雑誌としては、インサイト、ワールド・アンド・アイ、ワシントン・ゴルフ・マンスリーがあります。ワシントン・タイムズのインターネットサイトは、米国で最も人気のある新聞のサイトの一つであり、毎週数十万人の人が訪れ、毎月、千八百万ページ以上のニュース、オピニオン、解説を読んでいます。ケーブルテレビなど通信業界ともうまく連携し、ポトマック・テレビジョン、アトランティック・ビデオ、グッドライフ・ケーブルTVは全米五十州に視聴者を持っています。 このメディアファミリーに加わった中で最も新しいのは、世界でも最も古い民間の通信社、UPIです。ほぼ百年間、休むことなく活動し、世界中にニュースを配信してきました。UPI通信はまもなく、大きな技術的躍進を遂げます。統合したデータベースを通じて、私たちの持つ全メディアから記事を集め、それらを整理し、内容、テーマに従って世界中の購読者に配信する技術を持つのです。 大量のニュース、情報を提供する新時代のメディアは、リーダーシップをとり、神と霊界を知り、その価値観に基づいて個人を善化する明確な方向を示さなければなりません。ワシントン・タイムズと私たちのメディアファミリーは、二十年間にわたってこの方向性を指し示してきました。今後も、三十周年に向かいこれを続けていきます。皆様方一人ひとりも、その資質を生かして、自由を守り、家庭の価値を促進し、神への信仰を強め、世界のリーダーとなっていくよう、願っております。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.03
コメント(0)
真のお母様、「真の父母と成約時代」宣布、日本巡回講演09月11日、札幌、岩見沢09月12日、仙台09月13日、郡山、東京09月14日、東京09月15日、長野09月16日、三条09月17日、前橋09月18日、東京09月19日、金沢09月20日、岐阜、愛知09月21日、岡山、広島09月22日、鳥取09月23日、高松、松山09月24日、宗像09月25日、熊本09月26日、佐賀・鳥栖09月27日、沖縄09月28日、京都09月29日、神戸、大阪09月30日、大阪真の父母と成約時代 一九九三年九月十四日、東京・後楽園の東京ドームで、五万人の参加者を集めて開催された、「世界平和女性連合」の創立一周年記念大会において、文鮮明師の令夫人・韓鶴子女史が、同連合の総裁として行った、講演である。尊敬する御来賓、そして紳士、淑女の皆様。 このたび、招待講演会に、このように多数の方々がお越しくださいまして、心から感謝申し上げます。皆様が平和世界を建設するために献身される姿に接し、心から感動を覚えます。 皆様も御存じのように、今日私たちが住んでいる世界は、平和で幸福な世界ではなく、葛藤と絶望に満ちています。私たちは、家庭崩壊と道徳的退廃の問題に直面しています。したがって、私たちがもし明るい未来を願うならば、何よりもまず、神が人類を創造した根本目的を理解しなければなりません。 人間はだれでも、自分の愛する者が自分よりも、もっと立派になることを願います。例えば、すべての親は、子供たちが自分以上に立派になることを願います。このような心は神様から来たものです。神も、御自身が創造した子女である人間が、自分以上に、もっと立派になることを願っています。 さらに神は、子女たちに限りなく与えようとされます。神は一○○パーセント与えたからといって、決して満足されません。御自身が持っているものを千倍あげても、それ以上与えようとされます。 神の愛は、すべてを与え尽くしても、与えたという記憶すら忘れてしまう愛です。そして、永遠に与えたとは判断されない方です。 よく知ってみますと、神が被造世界を創造した目的は、愛の相対を得るためでした。神が存在するものをみなペアシステムでつくられた目的は、真の愛のためでした。 したがって、父母は子女のために生き、子女は父母のために生きるようになっています。また、夫は妻のために、そして妻は夫のために生きなければなりません。すべての被造万物は、「ために」生きるように創造されたので、与えながら生きるようになっています。神の創造理想 もしも、アダム家庭で、神の真の愛の理想が成就されていたならば、その家庭は天国の出発点になっていたはずです。そして、このような天国家庭が歴史的な発展を経て、氏族的、国家的、世界的に拡大されていったでしょう。さらに、地上ばかりではなく、霊界までも天国理想が展開したでしょう。 もし、神の根本理想が完成していたならば、メシヤはもちろん、神の救援摂理も必要なかったはずです。一家庭であっても、アダム家庭は正に真の愛を中心として「ために」生きる家庭として、氏族、国家、世界の中心となったはずです。アダム家庭は、そのまま未来に誕生するすべての家庭の青写真となり、神の理想世界を実現する手本になったはずでした。人類歴史の誤った出発 人類始祖の堕落のゆえに、神の救援摂理が始まりました。救援摂理の歴史は、旧約時代、新約時代、そして今日、成約時代に至るまで、複雑多岐で苦難に満ちた路程を経ながら、延長に延長を重ねてきました。 神がアダム家庭を中心としてつくろうとされた真の家庭の理想と天国は、アダムとエバが神から離れることによって、成就できませんでした。堕落のゆえに、今日の世界は、神が理想とされた善の世界とはあまりにも掛け離れた世界になってしまいました。事実、今日の世界は、偽りと利己的な愛に満ちています。 それは、アダムとエバがサタンを中心として、利己的で偽りの愛を土台として、偽りの父母となったからです。彼らは善の代わりに悪を繁殖し、偽りの家庭をつくり、子孫に偽りの生命と血統を伝授しました。そして偽りの氏族、国家、世界が現れるようになりました。 したがって、神の救援摂理の最も重要な目的は、真の愛を中心として復帰されたアダムとエバを代表する真の父母を見いだすことです。そして彼らを中心として、真の家庭をつくることです。そうすれば、その家庭を出発点として、真なる氏族、国家、世界が展開されていきます。言い換えれば、神の真の愛、真の生命、真の血統をはぐくむ種が創造されなければなりません。和解を実現する公式 御来賓の皆様。腐敗と罪悪に満ちた世界が、善と愛の根源であられる神からどうして始まったのかと、疑ったことはなかったでしょうか? 聖書を注意深く読んでみると、人間の堕落が、アダム家庭全体を失う結果になったことを知ることができます。第一に、アダムとエバが堕落によって、父母の位置を失い、第二に、カインがアベルを殺害することによって、子女の位置を失ってしまいました。 理想家庭と完成した世界を計画されていた神の青写真まで失う結果になりました。したがって、神は根本家庭を復帰するために、カインとアベルの位置を復帰し、そして、真の父母の位置を取り戻すために、反対経路の摂理を進めなければなりませんでした。 カインとアベルを和解させ、一つにさせるパターンは、そのまま真の父母を復帰する基台として、復帰摂理歴史の公式になってきています。ユダヤ教、キリスト教の歴史を調べてみると、堕落人間はカイン・アベルのように、敵対と分立歴史を繰り返してきました。したがって神は、堕落人間をサタンを象徴するカイン側と、神を象徴するアベル側の二人の兄弟関係に分立させ、堕落によって生じた憎悪を取り除いてこられました。 神は、アベルが先に打たれて犠牲になる作戦をとってきました。その結果、アベルは自分を犠牲にし、カインを包容して、長子に与えられた祝福を取り戻したのです。例を挙げれば、救いの目的の最先端を行く宗教は、いつもサタンから激しい迫害を受けてきました。そのような宗教の行く道は、常に反対されながらも、罪悪世界を救うために絶えず犠牲になってきました。それゆえ、善なる人々はいつも先に打たれ犠牲の道を行きます。今日、堕落した世界を見ると、例外なく、カインとアベルの善悪の葛藤と闘争を見ることができます。このような葛藤と苦痛は、個人の心と体の衝突から始まります。心はアベル側に立ち、カイン側に立っている体を征服しようと身もだえします。 このような個人の苦痛は、家庭、国家、世界にまで拡大しています。その結果、人間は常にアベル側すなわち善なる側と、カイン側すなわち悪なる側との二つの側に分かれて、あらゆる次元で戦っています。しかし神のみ意は、いつも双方が争い、一方が勝利し、他方が征服されるよりは、共に復帰されることを願っています。 その実例を挙げれば、アベル格であるイエス様の十字架上における右側の強盗と、カイン格である左側の強盗がいます。世界的には自由世界と共産世界を代表して、最後の闘争を展開している韓国と北朝鮮の対決、さらには、中東でのキリスト教とイスラム教の対決を挙げることができます。したがって、神の復帰摂理にとって最も中心的な問題は、どのようにすれば分かれた双方を神の理想を中心として、一つにして真の父と真の母を迎える基台をつくるかということです。終末を迎えた世界 紳士、淑女の皆様。家庭が神の愛の理想を中心としていないので、家族の間に衝突が生じます。神の愛を絶対的な中心としなければ、結局、その家庭は崩壊してしまいます。さらには、そのような家庭が集ってつくる国も衰亡の道をたどります。 最初の家庭が不倫をなし、利己的な愛の奴隷になったので、利己心と欲望は、個人、家庭、社会、国家、世界的次元へと展開して人類歴史を汚してきました。それゆえ神の復帰歴史は、個人から始まります。ところが、サタンもそれを知っているので、人間に対して個人の次元から集中攻撃を行ってきました。 終末を迎えた今日、利己的な個人主義が一般的な生き方となったのは決して偶然ではありません。人々は日がたつにつれて、周囲から次第に疎外感を感じ、各自が属している国家、社会、そればかりか自分の家庭にまでも無責任になりつつあります。離婚率が日々上昇している事実は、夫婦が互いに結婚に対して無責任であるという証拠です。父母は子女に責任をもとうとしないし、個人の威信を放棄しつつあり、自分に対する責任すらももとうとしません。 アメリカでは、このような現象が一九六○年代、青年の運動と共に台頭し始めました。理想を求める若者たちは、愛と平和の美名のもと、物質主義を排斥して出発しました。しかし、その過程で彼らは物質主義を排斥したばかりではなく、人間の道徳性と責任感までも捨ててしまいました。 彼らは、求めてきた愛と平和を獲得できなくなると、多くの若者たちは自殺、麻薬中毒、フリーセックスへと陥ってしまいました。これらの現象の中でも、神が最も心を痛められているのはフリーセックスです。愛はもともと純粋な情緒的刺激から誘発されるはずなのに、フリーセックスは、純潔や情緒とは全く関係がないのです。正反対に神のみ旨のために働いている人々は、全くそれとは一八○度異なった生き方をしています。 歴史を見ると、自己犠牲を甘受しながら霊的な価値を追求してきた人々は、周囲から言い表すことのできないほど反対と迫害を受けてきました。神の愛と祝福が共になかったならば、統一教会も世界的な反対の中で、今日のように発展することはできなかったに違いありません。私たちの教会が、わずか三十八年間で、戦争で灰と化した韓国の地で、無名の教会として出発し、今日世界的な宗教として登場し得た事実、それ一つだけを見ても、神の限りない導きと加護を感じることができます。真の愛の復帰 紳士、淑女の皆様。聖書にはエバが先に神の戒めを破り、サタンと関係を結んだとあります。堕落によって、エバはもちろんのこと、アダムとその息子たちであるカインとアベルまでも利己心と偽りの愛を中心にして、サタンの血統を受けるようになりました。 このように、サタンによって本来の軌道を離脱した、最初の始祖アダムとエバの末裔となった私たち人間は、だれでもサタンの血統を受け継いで生まれています。ヨハネによる福音書第八章四四節に「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって」と、イエス様がとがめられたのも、正にこのような理由からです。旧約聖書では、「目には目を、歯には歯を」という公式に沿って、救援摂理の役事を展開してきたと説明しています。『原理講論』では、過ちを償うことを「蕩減条件を立てる」といいます。堕落したエバが、自分の失敗を償うには、すべての責任を一人で負わなければなりませんでした。エバは堕落行為に対し、反対の経路を通じて原状に戻し、各段階を霊肉両面から復帰しなければなりませんでした。天のみ意は、エバが次子であるアベルを、み旨に従うように協助することでした。 創世記によると、神はアベルの献祭は受け取りましたが、カインの献祭は受け取りませんでした。しかし、これはアベルが期待してそうなったのではありません。カインはアベルを神が選んだ者として認め、彼と一体となるべきでした。 もしも、カインとアベルが一つになったならば、子女の立場を失うという堕落によって生じた二番目の問題は、その時既に解決されていたに違いありません。そうなれば、神はアダムとエバの問題だけを解決すればよかったのです。エバは元来、人類最初の母となるべきでした。エバはカインとアベルを一つにし、真の父母のための基台をつくらなければなりませんでした。しかしエバは生存中に、その使命を果たせませんでした。それで歴史は、だれか他の女性が現れて、堕落したエバの代わりに蕩減してくれるのを待つようになりました。リベカの模範的事例 聖書では、イサクの妻リベカを、神のみ業を成した最も偉大な女性の一人として描いています。エサウとヤコブの母として、リベカはイサク家庭でアダム家庭のエバとちょうど同じ立場でした。リベカはエバとは違って、神の摂理を理解しました。それでアベルの立場にいた次子ヤコブを助け、長子エサウが受けるようになっていた祝福をヤコブが受けるようにしました。 エサウは自分の受けるべき祝福が弟ヤコブに与えられたことを知って、カインがアベルを殺害したようにヤコブを殺そうとしました。しかし、母リベカの助けによって、二人の兄弟は血を流す代わりに、最終的には温い兄弟愛で和解しました。この劇的な和解こそ、神から見た時、重大な勝利となりました。 しかし、それはまだ完全な勝利とはならず、血統転換の立場から見て、あくまでも象徴的なものでした。実体的な血統転換は、母親の胎中で完成しなければなりませんでした。ここに、タマルを中心とした逆説的出来事の理由があります。リベカのようにタマルも、堕落したエバの立場にいました。この点を理解すれば、イエス様がなぜタマルの血統を受け継いだ、ユダの支派から生まれるようになったかの理由がよく分かります。 皆様も、タマルの双子の息子にかかわる話を聖書で読んだでしょうが、彼女は舅であるユダと関係して、双子の息子ペレヅとゼラを身ごもりました。聖書には、この双子は母の胎中で長子権をめぐる戦いをしたと記録されています。 タマルの出産過程を見ると、ゼラの手が先に出たので助産婦がその手首に赤い紐を結ぶと、また母親の胎内に引っ込んでしまいました。次子となるはずのペレヅが先に生まれ、長子となりました。このようにして、カインとアベルの位置が出生前に転換されるという摂理が成就しました。正にこの条件のために、イスラエルがメシヤを迎えることのできる選民国家となったのです。 伝統的な道徳観から見れば、リベカとタマルにかかわる話に疑問を抱かざるを得ません。神様はなぜ、そのような女性を祝福されたかは、今日に至るまで神学界の謎となっています。 先に述べたように、イエス様をこの地上に送るためには、失われた血統をサタンから取り戻す準備作業が必要でした。このようにして取り戻した真の愛の血統的基盤の上で、イスラエルの国が拡大していったのです。イスラエルは、勝利を意味する言葉です。二人の女性の勝利は、また血統転換の勝利を意味しています。命懸けのマリヤの路程 それ以来、ユダの血統は子々孫々発展を繰り返しながら、氏族、社会、国家基準へと拡大していきました。この血統を通じて二○○○年後、イスラエルにマリヤが生まれました。 マリヤの責任は、長子権を復帰するためにカインとアベルを一つにし、家庭、氏族、国家基準まで、み旨にかなった蕩減条件を立てることでした。マリヤは、神のお告げを受けてイエス様を身ごもりましたが、周囲の目から見れば自分の父母や、婚約者ヨセフを裏切った形でした。 その当時、どんな女性でも、夫以外の男性の子供を身ごもったならば、石打ち刑にされるのが慣例でした。しかし、アダムの立場にいたヨセフが勇敢に進み出て、婚約者のマリヤを見捨てず、保護してあげました。 マリヤの信仰と、リベカとタマルの貢献によって、マリヤの胎内に宿っていたイエス様に対し、サタンは所有権を主張することができませんでした。イエス様は、神の完全なる直系の血統のもとで生まれました。堕落した血統を転換したのちに、神のひとり子として生まれたイエス様は、聖人中の聖人であり、真の血統の祖先となるのです。 マリヤは復帰されたエバの立場で、アベルの位置にいたイエス様と年上の従兄である洗礼ヨハネを、一つにしなければなりませんでした。イスラエル国民とユダヤ教がカインとアベルの立場でイエス様をメシヤとして受け入れるために、この二人が一つになることは絶対的に必要な条件でした。洗礼ヨハネは兄さんでした。数多くの人々が彼に従い、広く尊敬されていました。 イエス様が弟子たちに言われたように、洗礼ヨハネの使命は、来たるべき主の道を直くするためにエリヤが先に来ると言われた、旧約聖書の預言を成し遂げることでした。 果たして、洗礼ヨハネは摂理の観点から見て、責任を成したでしょうか? ルカによる福音書には、洗礼ヨハネはエリヤの権威と使命をもって来ると記されています。しかし洗礼ヨハネは、自分がエリヤであることを否認し、ヨルダン川でイエス様に洗礼を授けた時、天が開けて受けた確かな啓示にもかかわらず、イエス様がメシヤであることを疑いました。 また、その当時の人々の目には、洗礼ヨハネは宗教指導者として非常に尊敬を受けた人物でした。一方、イエス様は貧しい大工の仕事をする私生児として映りました。したがって、洗礼ヨハネの助けなしには、当時のユダヤ人たちがイエス様を信じて従うことは不可能でした。それで、イエス様は自ら、自分でメシヤを宣布しなければならない困難な道を出発しました。 洗礼ヨハネは、イエス様がイスラエルの宗教指導者として登場できるように助けなければなりませんでした。洗礼ヨハネがその使命を完遂していたならば、アベルの立場にあるユダヤ教と、カインの立場にあるイスラエルの国が、イエス様を中心にして一つになるはずでした。そうなってさえいたならば、その時、小羊の婚姻がなされ、イエス様は人類の真の父となり、新婦は人類の真の母となっていたでしょう。 イエス様の福音は、彼が四十歳になる前の七年以内に、世界的に急速に伝播され、アジアとローマまでも従わせていたでしょう。最終的にイエス様は新婦と共に、個人天国、家庭天国、氏族天国、国家天国をつくっていたはずでした。成就されなかった夢 しかし、この夢は実現を見ずに終わりました。いわゆる宗教家と自称する人たちが、イエス様のみ言を拒み、ついには十字架に追い込んでしまったからです。イスラエルの不信仰に直面したイエス様は、人類の霊的救援のために命を捨てる決意をされました。 したがって、霊的・肉的両面の救いを成就するために、イエス様は再び来なければなりません。このような理由で、人間の心はイエス様を通じて神に近づくことはできますが、体はいまだに悪の誘惑圏に属しています。聖パウロですら、肉身と良心の欲望とが葛藤し、矛盾の中で苦悩しました。多くのキリスト教の偉大な福音伝道師たちも、このような矛盾に苦しみました。 成約時代を開始するために、何よりも重要なことは、私たちはみな、霊肉ともの救いを受けなければならないという点です。イエス様が十字架上で亡くなられることによって、右翼と左翼の闘争が始まりました。これは、アダム家庭の堕落によって、カインとアベルが分立したのと同じです。またキリスト教とイスラム教が出現し、戦いを開始しました。このような分立闘争は、イエス様が十字架上で亡くなることによって生じたので、イエス様が再臨する時には、すべてが一つに統一されなければなりません。 神がイエス様の再臨を準備するためには、世界的次元でのカインとアベルの勝利的和解が必要でした。 第二次世界大戦の時に起きた一連の出来事を中心として、このような摂理が展開されました。キリスト教圏を代表したイギリス、アメリカ、フランスの連合国家群はアベルの立場に立っていました。一方、枢軸国家である日本、ドイツ、イタリアは国粋的軍国主義の影響を受け、カインの立場に立っていました。 この戦争は、世界的次元にまで拡大されたカインとアベルの対決を意味していました。連合国が勝利したのち、キリスト教を中心として、世界平和を実現するための大々的な努力がなされました。 イギリスは世界的なエバ国の位置に、そしてフランスとアメリカは、それぞれカインとアベルの位置に立って、共に再臨主を迎える準備を完了していました。しかし、そのような準備にもかかわらず、神の摂理は、その時成し遂げられませんでした。 神の代身として、み言をもって来られた一人の方がおられますが、その歩みは数多くの形容し難い迫害を受け、世界からも理解されませんでした。二○○○年前のイエス様の立場と全く同じでした。イエス様の時代、イスラエル民族が火の車に乗って天から再臨するエリヤを待っていたように、キリスト教徒たちも再臨主の顕現を、雲に乗って天から降臨するものと信じて待っていたのです。 黙示録には、イエス様が弟子のヨハネに「主は新しい名でもって来られるだろう」と言われた箇所があります。これはエリヤがそうであったように、イエス様も再臨の時には別の人の姿で来られることを意味しています。 神は、私の夫を選ばれて韓国のキリスト教徒たちに、新しい真理のみ言を伝えるようにされました。しかし当時、キリスト教界の指導者たちは一介のみすぼらしい若者にすぎない夫が、新しい真理のために選ばれた可能性すら無視してしまいました。 新約時代は旧約時代の延長なので、当時のユダヤ人たちがイエス様の顕現を信じなかったように、韓国のキリスト教指導者たちも再臨主が人間として肉身をもって、地上に誕生することを信じられませんでした。 もしも、その時キリスト教界と夫が一つになっていたならば、地上世界はもちろん、天上世界にまでも天国がつくられたはずでした。新約時代が終わる一九四五年から一九五二年までの七年間に、全世界が神の摂理に従って一つに統一されていたはずです。 しかし、その当時、宗教指導者たちは夫と一つになるどころか、夫に従う信者たちの数が日増しに増える理由を知ろうともせず、盲目的に嫉妬し反対しました。そればかりでなく、夫についての邪悪な嘘まで捏造して広めました。夫を人格的に葬るために、夫の教えとは正反対に、淫乱だ、貪欲だ、との噂のくびきを夫にかけてしまいました。一つになることは必然 神はキリスト教を発展させ、再臨主の道を直くするために、アメリカのようなキリスト教絶対圏の国家を育成されました。彼らが悟ろうと悟るまいと、その当時韓国の牧師たちは全世界のキリスト教を代表する立場にいました。 第二次世界大戦後、アメリカと世界のキリスト教界は夫と一体化できなかったために、アメリカはその時から没落の道をたどり、道徳的権威もすたれ始めました。 第二次世界大戦後のアメリカとキリスト教界は、カインとアベルが一つとなった勝利的な基台の上に立っていました。再臨主を迎える時は熟していました。しかし、結果は再臨主を迎えることに失敗し、附和雷同して、全世界が夫の活動に反対するようになりました。したがって、夫は荒野に追われどん底まで追い落とされたのちに、再びはい上がってきました。 このようにして、韓国動乱による冷戦が始まりました。第二次世界大戦の時と同様に、世界は再びカイン圏とアベル圏に分かれました。十字架上でイエス様を不信した左側の強盗と同じく、神を否定する共産主義がカイン型の世界を代表して立ちました。一方、神の実在を信じるキリスト教民主主義はイエス様の右側の強盗と同じく、アベル型の世界を代表するようになりました。 韓国に来られる再臨主は、神のみ旨に従って、この敵対関係にある世界を一つにしなければなりません。その中心地が南北に分かれた韓半島です。そこでは、蕩減原則によって二人の父が対決しています。北側のカイン的父(金日成主席)と、南側のアベル的父(文鮮明師)とが一つとなって、神を中心として世界平和の基地を築かなければなりません。 この二人の父の統一は、共産と民主の統一ばかりか、全世界の統一につながっています。それで国連軍の十六カ国の投入も、人類の祖国統一のためになされました。 第二次世界大戦の時には、キリスト教を中心としたイギリスとアメリカとフランスが中心でしたが、その失敗を復帰するために、このたびは統一教会の「統一思想」によって、民主主義世界を代表して再び選抜されたエバ国日本と、アベル国アメリカと、カイン国ドイツと、自由世界が一体となって、世界的アダム国である韓半島の南北統一をなさなければなりません。 人間始祖の堕落を償うために、母であるエバは、兄弟のカイン、アベルを再び生み直さなければなりません。それで、日本国内には戦後五十年間、韓国居留民団と朝鮮総連とを抱えております。 それゆえエバ国家日本は、まずこれらを一つにし、次にアダム国家まで一つにし、さらにはアジア文明圏と西洋文明圏を包容して、世界平和に向かう太平洋文明圏を建設しなければなりません。私たちはまた、ユダヤ教とキリスト教を代表した立場で、イスラム教徒たちとの和解を促進してきました。 この冷戦の間、夫は失ったメシヤを迎えるための基盤を取り戻すために、個人、家庭、氏族、国家、世界、そして天宙的な次元まで、壁を取り除くための闘いをしました。このために、夫には最小限四十年の期間が必要でした。この四十年の間に夫は、イエス様の誕生の時までの四○○○年と、創世以来の聖書歴史六○○○年を蕩減復帰したのです。 このような蕩減をなしたのちに、カイン型国家群とアベル型国家群の和解を見るようになり、ついに冷戦の終結をもたらしました。 この課題は、全世界一六○ヵ国が参加した一九八八年ソウル・オリンピックの時に、統一教会によって完了しました。このことが、北朝鮮と韓国が、一六○、一六一番目に国連に加入する条件となりました。 過去数十年のことを考えれば、夫は言うに言えない無理解の中で生きてきました。北朝鮮では共産政権のもとで三年間強制収容所に捕らわれ、その後も神の仕事を続ける中、無実の罪で六回も獄中生活をしたのです。そればかりでなく、言論界は夫が「自分個人の利益のために若者たちを洗脳する悪魔のような者だ」とあざけり、悪評判を広めてきました。 皆様の中に、「文鮮明先生こそ全世界的に、最も多くの迫害を受けた宗教指導者である」と言えば、これに異議を申し立てる人がいるでしょうか? 旧約時代と新約時代を併せて、歴史上のすべての失敗を取り戻すために、夫と私は蕩減の道を歩んできました。 キリスト教文化を根としているアメリカを新約時代にたとえるならば、韓国は旧約時代にたとえられます。最初の二十年間夫は韓国で、イスラエルのような立場に立つ韓国と、ユダヤ教のような立場にある統一教会を中心として旧約時代の蕩減路程を歩みました。この基台の上で私たちは一九六○年、国家的次元で真の父母の聖婚式を挙げました。その後、一九七一年、私は夫と共にアメリカに渡りました。 そして、その後二十年間、私たちはアメリカで新約時代を完成し、成約時代を出発するための蕩減路程を歩みました。その結果、私たちは神を中心とした真の愛、真の生命、真の血統の根源となる、真の父母の家庭を樹立することができました。重要な女性の役割 親愛なる御来賓の皆様。イエス様がメシヤの降臨に対して語られた内容に、新郎が来るのを待つ新婦たちに対するたとえがあります。黙示録では、キリスト教を新婦として説明しています。したがって、キリスト教を代表するアメリカも、新婦国家であるということができます。 したがってアメリカは、世界統一のための基台を立てて、最終的には新郎を迎える責任を果たさなくてはなりません。これは、復帰されたアダムとエバとして、本来の男性と女性の位置が立てられ、真の男女平等圏まで行くことを意味します。 このような復帰歴史の転換点で真の母の位置に立つ女性は、真の父を迎える基盤をつくらなければなりません。キリスト教が新郎を迎える最初の試みに失敗して以来、神の摂理は四十年延長して、一九九二年まで来ました。この期間に私は、世界的に新しい新婦基台を願って、韓国、イギリス、アメリカ、フランス、日本、ドイツ、イタリアを一つにするために祈祷しながら努力してきました。 そして、一九九二年四月、私は夫と共に「世界平和女性連合」を創設し、全世界的に女性時代の到来を宣布しました。その基盤の上で昨年一年間、私は真の母の心情でもって、先に挙げた七カ国はもちろん、ロシアとオセアニアまで訪ね、現地の女性たちを動員して、各国に「世界平和女性連合」の支部を創設しました。 このような業績を土台として、第二次世界大戦の時から、カイン・アベル関係に分かれていた国々が真の母を迎え、失った新婦の基台を復帰して、真の父を迎える基盤になりました。このように勝利した世界的な基盤の上で、最初の真の父母であることを宣布いたします8 今や、世界は成約時代に突入しています。私たちはいま一度、神に侍って生きることができるようになりました。このような歴史的転換点に立った私たちは、神を中心として、個人の心と体を統一できる原理を、世界的次元で実践しなければなりません。 このような目的を達成するために、私たちは世界平和を実現する二つの組織を創設しました。「世界平和宗教連合」は心の世界を代表し、神の愛を基にして、世界の宗教を一つに結ぶ内的使命を帯びています。一方、「世界平和連合」は体の世界を代表しており、世界的な政界、財界、言論界、学界、科学分野の指導者たちと共に、理想世界を建設する外的使命を帯びています。 神の前で縦的な角度から愛を説明すれば、アダムとエバは子女の愛、兄弟姉妹の愛、夫婦の愛、父母の愛という四大愛を成熟させ、神と直接関係を結んで生きるようになっています。したがって、アダムとエバは本来、真の愛を中心として、四大心情圏すなわち、完成した子女、完成した兄弟姉妹、完成した夫婦、そして完成した父母の心情圏を通過して、完成した家庭を築くべきだったのです。 アダムとエバは、家庭のモデルとならなければなりません。子女たちは父母を理想的な手本として、侍って生きなければなりません。子女たちは父母が互いに愛し合って生きるのを見て、兄弟姉妹間の友愛を学ぶでしょう。結婚して夫婦となっても、彼らは父母の愛を見習って理想的な夫婦の愛を学ぶでしょう。やがて彼らも子供を生んで、父母が見せてくれた良い模範に倣い、もう一つの完成した家庭を築くでしょう。 父母と子女、兄弟と姉妹、そして夫と妻が、縦的、横的両面から一つになった、理想的で確固たる家庭を築くことによって、私たちは地上はもちろん、天上にまでも、天国を建設することができます。このようにして、神を中心とした同じ祖先から生まれた全世界の家庭は、アダムとエバの家庭と同じく、神聖な価値をもつようになります。家庭基台の完成 紳士、淑女の皆様。成約時代の幕開けとともに、全世界的に救援歴史を完成し、またメシヤの分身となる氏族的メシヤの時代が来ました。皆様の家庭を復帰し、氏族、地域社会、国家を復帰しなければなりません。このような使命をもつ人々を、氏族的メシヤと呼びます。成約時代には、母親の役割が非常に重要です。堕落の時とは正反対に、母と子が一つになって真の父母と一体となり、夫を復帰し、祝福を受けることによって神に帰らなければなりません。 既に私たちは、数千人の氏族的メシヤ宣教師を全世界に派遣しました。遠からず世界的な次元で理想的家庭が築かれるでしょう。それぞれの完成した家庭では、祖父母は神を代表して王と女王の位置に立ち、父母は現在の人類を代表して王と女王の立場に立ちます。そして子女は未来の子孫を代表する立場で、王子と王女の立場に立ちます。これらの三代が一つになる時、過去、現在、未来が共に和睦して生きるようになり、そこから新しい歴史的伝統が出発します。 紳士、淑女の皆様。私はきょう、人類の最初の真の家庭の完成を皆様の前で宣布することができたことを、無上の光栄と思います。私と夫は、十三人の子供と二十人の孫と一緒に、神と人類のために絶対的な信念をもって献身しています。三代が一つの家族として共に生きながら、私たちは家庭的次元で、聖書で述べている生命の木の中心の根(祖父母)、中心の幹(父母)、そして中心の芽(子女)を確立しました。 皆様も真の家庭の血統に象徴的に接ぎ木されて、共に理想国家と理想世界建設のために先頭に立ちましょう! これが正に、成約時代の開幕を意味します。成約時代は神に侍って生きる時代です。 親愛なる御来賓の皆様。「世界平和女性連合」は、このような使命のために召命を受けました。第二次世界大戦後、キリスト教文化圏を代表したイギリスの失敗を復帰するため、再び選抜されたエバ国家日本は、その使命を果たすために女性は子女と夫を連れて、真の父母と一体となって、神の国に帰らなければなりません。 私たちはみな、神と人類が歴史的に願っていた、この使命を完遂いたしましょう! すべてのキリスト教徒と、すべての宗教者たち、すべての良心的な人々も心の窓を開いて、深い心情で、このメッセージを受け入れてくださるよう、切にお願いいたします。 私たちがみな、神のみ旨のために働き、神からの祝福を受けられる立場に立たれますことをお祈りいたします。神様の祝福が皆様と、皆様の家庭の上にありますようにお祈りいたします。どうもありがとうございました。<完>【参考記事】文鮮明先生御言選集 19930628 - 「真の父母と成約時代」一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.03
コメント(0)
神のみ旨からみたイエスの生涯と終末期の今日に対する神の警告(02.05.21 ワシントン・タイムズ創刊20周年記念祝賀会 ヒルトン・ワシントン・ホテル) 米紙ワシントン・タイムズ二十周年祝賀晩餐会が五月二十一日夜、ワシントン・ヒルトン・ホテルで開かれ、政治家、著名な学者・文化人、メディア関係者、宗教指導者など約三千人が出席、ブッシュ大統領もお祝いのメッセージを寄せた。同紙創設者である文鮮明師が演説し、ワシントン・タイムズが人類を教育していく任務を果たすよう要請した。 晩餐会では、少年少女聖歌隊が元気な合唱を披露した後、コンラッド・バーンズ上院議員(共和、モンタナ州)が祝辞に立ち、「先ほどの歌では、子供たちのエネルギーのすごさを感じましたが、ワシントン・タイムズのエネルギーもそのようなものだと思います。ワシントン・タイムズがこの二十年間にわたってなしてきたインパクトの大きさは、ここに集まっている人々の数と質を見れば分かります」と表明。 ダニー・デービス下院議員(民主、イリノイ州)は「真の父母としての価値を私たちに教え、愛と友情と重要なことをすべて、われわれに教えてくださり、われわれの行くべき道を、また勇気を与えてくださった文先生ご夫妻、本当に心から感謝します」と述べた。 次に、ホワイトハウスのティム・ゲーグリン補佐官が「ワシントン・タイムズが一九八二年に創刊され、その意見、その主張、その記事、その討論がどれほど大きなインパクトを与えてきたでしょうか。私はここまでワシントン・タイムズを育てた一人一人に対して心からその業績を称えます。そして、きょうの会が素晴らしい祝典になりますように」とのブッシュ大統領のメッセージを読み上げた。 また、米国とカナダで毎日二千万人が聞いているラジオ番組のローラ・シュレジンジャーさんは、ワシントン・タイムズが真実を報道しているとしてその勇気を称賛した。 ワシントン・タイムズの業績をまとめたビデオ上映に続いて、ウェスレー・プルーデン編集長の紹介を受け、文師が登壇し、「神様のみ旨から見たイエスの生涯と終末期にある現代に対する警告」と題して講演した。 文師はその中で、「天運がついに訪れています」として、「霊界にいるイエス、ペテロ、ヨハネと他の弟子など数万人もの宗教指導者が地上世界に自由に降臨して、真の父母に侍っているのです。疑いなく、神様のみ心である統一された国が地上に成し遂げられるでしょう」と言明した。 そのうえで、「今は第二イスラエルであるアメリカが最前線に立つ時です。米国がすべての世界の人々を導く責任をもっています。しかし、武器によってではなく、真理と、真の愛・真の生命・真の血統に基づいて他者のために生きる愛によってそれを果たさなければなりません」と強調。ワシントン・タイムズなどが人類を教育していくという天から与えられた任務に取り組むよう求め、会場から盛大な拍手を受けた。 ガビリア元コロンビア大統領らが表彰された後、文師夫妻に対し、特別な感謝の品が贈られた。 最後にカントリー歌手のランディー・トラビスさんが数曲熱唱したのに続き、文師夫妻が二十周年記念のケーキカットを行い、歓喜のうちに閉幕。参加者全員に対し帰る際、「百二十人の共産主義者の霊界セミナーに関する報告」などが手渡された。 尊敬する米国内外から来られた皆様。 ワシントン・タイムズ創刊20周年を祝うことは、私にとってとりわけうれしいことです。1982年5月、天命を受けてワシントン・タイムズの創刊を決意した時の記憶は、いまも鮮明に残っています。これは、私が人種的、宗教的偏見に基づく訴追を受け、ニューヨーク連邦裁判所で、不当な裁判を受けている時のことでした。 当時、共産主義が巨大な荒れ狂う波のように世界を席巻していました。米国でさえ、この問題に効果的に対応する手段を持ち合わせていなかったのです。私は、民主主義世界の最後の砦であり、第2イスラエルを代表するキリスト教国家である米国を共産主義から守らなければならない、という天の崇高な意思に従ったのです。天のみ旨はまた、神が求める平和な理想世界を造ることでもあります。すなわち、地上と天上の天国をキリスト教を通じて実現することです。ただお金をもうけるためだけに新聞社を設立したのでは決してありません。これまでワシントン・タイムズだけで10億㌦以上が投じられてきましたが、これを後悔したことも、誰かに対して憎しみを抱いたこともありません。それは、これが天と人類への真の愛を実践する道だったからです。 私が米国にきてから、すでに30年以上がたちました。82歳になり故国に帰る時が近づいていることを感じています。その前に、第2イスラエル圏内の国家、米国と全人類に、神の事情と霊界に関するメッセージをはっきりと伝えておきたいと思っています。単に個人としての私からのメッセージばかりではありません。天はメッセージを送ってくださっています。人類はそれを今、実行しなければなりません。これまで人類は、天のみ旨を知らずに生きてきました。第1に人類は神のことを知らず、第2に私たちは、望むと望まざるとにかかわらず誰もが最終的には必ず行く霊界について知らずにきました。 今、人類歴史の終末時代に入っています。霊界では、4大宗教の創設者をはじめとする無数の宗教指導者たちが、私が説いた統一原理を最高の次元の真理として受け入れています。彼らは完全に動員され、祝福結婚を通じて弟子や子孫に新しい真の家庭を築かせることによって復活するため、地上に戻っています。 とりわけ、第2イスラエルを代表するキリスト教国家、米国のために、イエスを中心とする4大宗教創始者がそれぞれ、歴史的によく知られる弟子たち120人を選び、統一戦線を築いています。今、地上へ戻り、世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)と世界非政府組織協会(WANGO)の運動を推進し、地上の完全な平和の実現に邁進しています。また、真の父母の哲学である「為に生きる生活」をし、真の愛を実践しなければ人類に未来はない、と主張しています。だからこそ、この機会を生かし、記念スピーチを行い、米国と人類に最も重要なメッセージを「神のみ旨からみたイエスの生涯と終末期の今日に対する神の警告」という題目でお伝えしたいのです。 十字架上のイエスの愛とその遺産 イエスの十字架の摂理を調べれば、イエスと右の強盗、左の強盗、そしてバラバが歴史の種をまいたということが分かります。まかれたものは刈り取られなければならないのが、原則です。ですから、最初に現れたのは右翼世界と左翼世界、すなわち民主主義圏と共産主義圏で、これは「右の強盗」型と「左の強盗」型を表しています。その次にイエスの十字架を中心としてイスラム、つまりバラバ型が現れました。バラバがイエスゆえに福を受けたことで、イスラムはキリスト教への抵抗勢力として出現しました。 こうして種がまかれた歴史は、4大ブロックに結集する世界を形成する時代に入りました。アラブ・ブロックのガマル・アブデル・ナセルは、イスラム圏を統一アラブ国家としてまとめることを夢見ました。一方のキリスト教は、世界中の新潮流をリードし、「全宗教を統一しよう」と主張しています。このような流れを見ると、悲劇のうちに種をまかれた歴史は、今や初めて、神を中心とした善の果実として実ろうとしていることが分かります。最後の時代を迎え、この現象はますますはっきりとなり、最初にまかれた種は、ついには完全に本来の形で実り、刈り取られます。これは、神の法であり、避けることはできません。すなわち、統一は、真の愛という真の父母の思想に従って成し遂げられます。 民主世界が内的とすれば、共産世界は外的です。右翼が内的なら、左翼は外的です。そのため、来るべきメシアは必ず、神を尊重する民主世界の内的基盤の上に現れなければなりません。メシアは外的世界をのみこみ、主流であるキリスト教圏を中心として異なる文化を統一する運動を推進しなければなりません。こういった運動は歴史の最後になされるものです。このようなことは、偶然に起こるはずはありません。大元の原因の性質が、そのような結果を導くのです。 右の強盗の功績 イエスが十字架にかけられ、右側の男とともに亡くなりました。その男は強盗であったばかりでなく、殺人者でもありました。もしこの強盗がそこにいなかったなら、イエスは地上世界と人類との関係を失っていたでしょう。右の強盗自身も死が近かったのですが、それでもイエスを擁護しました。人類歴史において、だれがイエスの味方をしたでしょうか。ペテロでもなく、イエスの父母でもなく、イスラエルの国でもなく、ユダヤ教でもありませんでした。それは、右の強盗たった一人でした。イエスとかかわりを持ち続けたのはこの人だけだったのです。死に際し、彼は死を超えて、すべての希望をイエスに託したのでした。右の強盗以外には誰もいません。もし右の強盗がいなかったなら、イエスは復活して地上の摂理を再開することができなかったということを、知らなければなりません。 イエスが4000年の歴史と30余年の生涯に終止符を打とうとしていた時、イエスの最大の願いを具現する人として、そこにいて、イエスにつながり、イエスに侍ったのは、ただ一人でした。死の道にありながら、イエスにつき従ったのです。右の強盗はこのような行動をとることで、イエスの弟子を超えました。ペテロを超えたのです。つまり、右の強盗はイエスの教えは知りませんでしたが、その性格が、最後の瞬間に、最後の息を引き取るまで、イエスにつき従わせ、そのための力を与えたのです。これに対してペテロ、ヨハネら12弟子はイエスの教えを知り、生まれ変わることを誓ってさえいたにもかかわらず、最終的にはそれを達成することはできませんでした。このような理由から、右の強盗は人類史の中心人物であり、地上世界を代表し、未来を救う人となったということを知らなければなりません。 私たちにはこの歴史を引き継ぐ権利があります。アダム、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、イエス、それに続く人々の伝統と基盤を相続し、この歴史的な犠牲の供え物の代わりとなっていかなければなりません。そうして初めて、サタンと向き合い、「歴史の中で、あなたはノアに負け、ヤコブに負け、モーセに屈服した。私はこれらすべての基盤の上に立ち、摂理史のすべての伝統を相続した。サタンよ、去れ」と叫ぶことができるのです。そうして初めて、サタンは退くのです。 ただ「サタンよ、去れ」と祈っていても、何にもなりません。6000年間にわたって人類を讒訴し、神の摂理を踏みにじり、復帰節理を破壊してきたサタンです。あなたが、ただ去れと言い、イエスを信じたからといって、退くとお思いですか。断じて違います。皆様に必要なのは、「私は間違いなく、神が歴史的心情を通して、求めてきたその人だ。私はイエスの聖なるけがれなき体に接ぎ木された者だ」と言える力です。あなた方の名前はイエスが神から授かった相続の書に記録されるはずです。神の相続の書には、神が地上にイエスを送ることができるまでの4000年間、抱いてきた心情を相続したものが記録されます。そうして、十字架上でサタンを打ち負かすのではなく、サタンを屈服させる力を持ち、十字架にかかることなく、サタンに勝たなければなりません。肉の体を持ち、実体を持って復活しなければなりません。こうして実体的な相続者ととして認められた者だけが、天国に入ることができるのです。 キリスト教に霊的基盤だけを与えたイエスの死 今日までキリスト教は、地上と霊界両方での天国を追い求めることができないでいます。キリスト教は物質世界を放棄せざるを得ず、イエスに霊的メシアとして侍り、霊的救いと霊的天国をその目標としてきました。イスラエルの人々は、国家を持ち、選民としての国家的権威を持っていましたが、今日の第二イスラエルの立場にある世界的なキリスト教は霊的な国家であります。キリスト教は国家的主権を持たず、キリスト教徒は国を持っていないのです。第二イスラエル圏内には霊的土台のみがあり、実体的な基盤はないのです。キリスト教は神の本来のみ旨を達成することができなかったため、神のみ旨である霊と肉両方の地上天国を実現するには、主を再び迎えるしか道はないのです。 私はきょうここに、一つの宣言をしたいと思います。十字架は神の勝利ではなく、サタンの勝利だったのです。イエスをゲッセマネの園でとらえた人々に対しイエスが、「今はあなたがたの時、また、やみの支配の時である」(ルカによる福音書22章53節)と言ったことを思い出してください。十字架は、神が4000年間準備してきた国が失われた場所であり、イスラエルの信仰が失われた場所であり、洗礼ヨハネに従う人々、12弟子、左の強盗、その他すべてが失われた場所でもあることを知らなければなりません。キリスト教が十字架にかかったのではないこと知らねばなりません。キリスト教はいつ始まりましたか。イエスは3日後に復活し、40日かけて、失った弟子、自分に背を向けた弟子たちに会いました。聖霊が弟子たちに降りました。そのとき初めてキリスト教が始まったということを知らねばなりません。過去2000年間にわたってキリスト教徒は信仰を持ってきましたが、キリスト教が十字架の原理によってではなく、復活の原理によって生まれたということを知らずにいました。この事実が分かれば、悔い改めざるを得ません。キリスト教はイエスの復活の基盤の上に生まれたのであり、そのため、キリスト教は厳密に霊的なのです。 イエスが十字架で死ななかったら、どうなっていたでしょうか。その場合、イスラエルの民族はイエスの教えに従い、安定し、存続していたことでしょう。ユダヤ教もそのまま存続したことでしょう。イエスは、自らが十字架で死ねば、後に多くの人々がそれに従い十字架の道を行くことになり、血を流すことなくイエスに従うことができなくなることを知っていました。多くのキリスト教徒が苦難を受け、主が再び来られる時も、苦難の道を行かなければならなくなるでしょう。これが、イエスがゲッセマネの園であのように祈らねばならなかった理由であることを知らねばなりません。今日、キリスト教徒はイエスが肉体を持ち、死の痛みを恐れたため、放免されるよう祈ったとしています。イエスはそのようなつまらないメシアだったというのでしょうか。絶対に違います。 ならば、イエスが十字架上でその命を落とすときに発した「終わった」と言葉は何を意味するのでしょうか。イエスは霊と肉両方の救いをもたらす使命を持ってきましたが、基盤のないままでは神のみ旨を完全には成し遂げることができないことを知っていました。そのため、霊的救いの条件を立てるため完全に自らを供え物として、摂理が始まるようにしたのです。それを完成したのでイエスは最後に、「終わった」と言ったのです。 おそらく皆様方の想像力をもってしても、このようなことは考えられなかったでしょう。キリスト教とユダヤ教は今からでも、主は、サタンの国を破壊してサタンの王権をなくし、神のみ旨を完成して人間性を復帰しようとしたが、非業の死を遂げた、ということを認めなければなりません。これが分かれば、悔い改め、一つになれるはずです。一つになり、帰ってこられる主を迎える準備をしなければなりません。 結果には、原因がなければなりません。全キリスト教徒が、盲目の信仰の時代を捨て去り、一丸となって新しい時代に向かって前進し、この世をまとめ、救いに至らしめる、そのような時代が来たのです。「統一」の言葉が不可欠な時代がきたことを知らねばなりません。 イエスの3日間の苦難の路程 イエスが死後3日間苦難を受けたということは何を意味するのでしょうか。天と地と地獄すべてが、死亡圏内にとどまっていました。イエスが天と地で権威を得るためには、この死亡圏の全域を把握しなければなりません。ですから、命につながれることを求め、神を慰める道を行くためにイエスは、たとえ地獄のような最低の環境に下りていくことになろうと、苦難を受けることになろうと、勝利しなければならなかったのです。イエスが地獄を通過したので、天へ向かい新しい出発をすることができる道が備えられました。地上ではのけ者にされ、孤独で、ついには死の道を行かざるを得なかったイエスですが、後代のために希望の道を残すことができたのです。これが3日路程を行かねばならなかった理由です。 イエスは、ただ地獄を見て回るだけのために、3日間地獄にいったのではありません。すでに地獄のことは知っていました。そこに行き、審判を受け、死の世界から生の世界に移る道を行かねばならなかったのです。こうしてイエスは、死の世界であり、地獄である地上に勝利の基盤を打ち立て、天に至ることのできる出発点を確立したのです。 十字架上でもイエスは天のことを心配し、敵を愛した 当時の既成宗教の指導者にとって、イエスは異端者でした。また国家にとっては、律法の破壊者でした。イエス自身の氏族がイエスを拒否し、家から追い出しました。洗礼ヨハネのグループもイエスを否定しました。それでイエスは荒野に出ましたが、サタンが彼の後を追いました。それだけではありません。やがて国全体が、十字架上の死への道、ゴルゴタの道にイエスを追いやったのです。 それでもイエスは、裏切り者として自らを十字架にかけた民族のために涙を流したのです。既成宗教から異端として扱われながらも、イエスはどの聖職者よりもその宗教指導者らのために多くの血と涙を流しました。その時代の誰一人として、イエスを支えるものはいなかったにもかかわらず、イエスはその時代の友でした。イエスは裏切り者で拒否されましたが、最大の愛国者でした。異端として拒否されましたが、最大の信仰者だったのです。 イエスは惨めな道、十字架の道を行き、そこで人々はイエスの着ていたものをはぎとり、追いたて、地に伏せさせたのです。それだけではありません。悪人がイエスを鞭で打ち、打ち倒したのです。ここでイエスがエリヤのようでしたら、「私はただ一人残った主の予言です」(列王記・上18章22節)と人々に言ったことでしょう。しかし、イエスはゲッセマネの園で弟子を残して、祈りに行ったとき、ここ言いました。「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」(ルカによる福音書22章42節)。ここがイエスの偉大なところです。イエスには、自らの体が国家のための犠牲の供え物であり、人類のための犠牲の供え物であり、天の摂理のための犠牲の供え物であることが分かっていたのです。 このことを知っていたがために、イエスは、悲しみを隠すことなく、さらに神の悲しみがいかばかり大きなものであるかを心配されたのです。イエスは国家のために現れました。そのイエスが裏切り者として拒絶されるのを見て神はいかに悲しまれているかを、イエスは心配したのです。イエスは天の王子であり、全天宙の中心人物であり、メシアでした。望めば、自らを哀れむ道を選び、なぜ十字架の惨めな道を行かねばならないのかを問うこともできたのです。イエスなら、全天宙を動員して、ともに絶望の深いため息をつかせることはできたでしょう。ところが、イエスは、自らのすべきことは、絶望のうちにため息をつくことではないことを知っていました。そればかりか、拒絶されたことを天に対して申し訳ないという思いを抱くまでに至ったのです。 イエスは、宗教指導者を結集し、民族を盛りたて、天の王国を築き、世界を父の懐に返す、という使命を持っていました。ですが、その使命を放棄し、十字架の道を行かざるを得なくなったときでも、恨みを抱くことは一切ありませんでした。死を恐れる余り「この杯をわたしから取りのけてください」と祈ったのではなく、自らの死が民族と神の悲しみを増すことになる、そのことを知っていたがためにこう祈ったのです。 イエスは、十字架で死ねば、後の世代の人類にもっと重い十字架を残すことになるということを知っていました。それは、悲しみの歴史は終わらないということを意味します。ゴルゴタの道はイエスだけにとどまらない、ということをイエスは知っていたのです。死の道は終わらないことを知っていたのです。イエス自らがゴルゴタの道を行けば、イエスに従う者も同じ道を行かねばならなくなるということを知っていたのです。もっと困難な道が十字架の向こうにあるということを知っていたのです。 いばらの冠を被らされ、両手両足にくぎが打ち込まれ、わき腹にやりが差し込まれた時、このことが、自らの死よりもはるかに大きな衝撃を与えることになるということを知っていたのです。イエスが天に向かい、「終わった」と言った時、それは世界の十字架の道が終わったということを意味したのではありません。十字架にかかることに関して、天がイエスの心からの涙ながらの願いを聞き入れてくれたことを意味したのです。イエスは天を慰めるために、預言者、愛国者が犯したすべての過ちを背負い、自らを生きた供え物としたのです。 それ以上に、イエスは死が近づいたとき、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカによる福音書23章34節)と言いさえしたのです。神はすぐ審判を下すつもりでした。それはノアの時代の審判よりもさらに大きなものでした。ところが、イエスは民族を愛し、宗教組織を捨てず、十字架の道を選び死にました。そのため、神は人類を捨てることはできず、私たちをつかんでくれているのです。イエスと後の世代の人類およびイスラエルの残った人々との間に、この心情のきずながあるがために、神は、宗教組織と後代の人々が神に背を向けようとも捨てることができなかったのです。つかんでくれているのです。 イエスが私たちと分かつパンとぶどう酒の意味 ここにいる皆さんは、神が数千年間にわたり復帰の摂理をしてこられ、イエスを復活させるだけでは、天地における神のみ旨は全うすることはできないということをよく理解しておられることと思います。そのために神は、神の言葉で新たな契約を打ち立て、それを通じて、天地のみ旨を一つにし、約束の本来の園を打ち立てるための摂理をしてこられたのです。 聖書には、イエスがぶどう酒とパンを私たちに与え、それは約束と新しい契約である、と言ったとあります。イエスが地上に現れて後、私たちはイエスの血と肉を受けました。これらは、成就しなければならない、完成したものすべての生命を表すものです。同時に、摂理の全体を表すものでもあります。 イエスの血と肉を受け取ったということは何を象徴するのでしょうか。これは単に一人の人の血と肉にとどまりません。大きくは、天と地を表し、小さく見れば、中心であり個人の体を表します。さらに肉は真理を、血は聖霊を象徴します。イエスはこれらを無条件に与えてくださったのです。 神と人類の間に立ちはだかってきたのは何でしょうか。天のみ旨は地上で現れるべきであり、地上のすべては最終的には天につながれなければなりません。これがなされず、神と人類は離れ離れになってきました。イエスは生前、新しい契約を打ち立てていきました。そのため、イエスの死後、人類すなわちイエスに従った弟子にとって、霊界と地上界をつなぐことが必要な条件として残されました。イエスが死ななければ、天と地はイエスを通じてつながれたのです。イエスは亡くなられたため、天の事情を代表するものとなり、聖霊が地の事情を代表するものとなったのです。 尊敬する皆様。時が来ました。神が六千年間待ち望み、キリスト教徒が2000年間待ち望んでいた天の時が来ました。天上、地上の天国を、宗教を超え、国家を超え、組織を超えて、建設するときが来ました。天運がついに到来したのです。今では、霊界のイエスやペテロ、ヨハネなどの弟子たち、加えて数千、数万の宗教指導者が一心同体となって、真の父母に侍るために自由に地上に降臨しているのです。間違いなく、天地が永遠の平和の下に一つとなり、天のみ旨の統一天宙国家と天国が地上に定着するのです。 今や第2イスラエルを代表するキリスト教国家、米国が最前線に立つ時代です。米国には全世界の人々を導く責任があると、私は世界に宣言します。しかし、武器で導いてはなりません。それは真理と愛を持って、真の愛、真の生命、真の血統を基盤に、他者の為に生きることでなされなければならないのです。 最後にワシントン・タイムズ、UPI、その他主要メディアが宗教、思想を超えて、この天からの崇高な命令を受け入れ、人類を教育する使命を推進することを願っています。霊界にいる指導者からのメッセージを収めた小冊子を皆様にお配りしました。これを精読してくださいますようお願いいたします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.02
コメント(0)
第1163回 天心苑特別徹夜精誠 (11/01)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.01
コメント(0)
摂理観から見た韓国、日本、アメリカの位置づけ2002年5月21日にアメリカ、ワシントン・タイムズ創刊20周年を迎えて、ワシントンのシェラトン・ナショナル・ホテルで開催された3か国(韓国、日本、アメリカ)の指導者会議の際に真のご父母様が語られたみ言である。 高名なる韓国・日本・アメリカの3か国の最高指導者、そして紳士淑女の皆様! 皆様がアメリカの首都ワシントンD.C.に来られたことを心から歓迎いたします。 韓国と日本、そしてアメリカは太平洋圏の国家です。そして韓国と日本は、隣国であるだけでなく、アメリカと同盟関係を結んでいます。ですから、3か国が内外に連結した共同目標をもっています。今私たちは21世紀に入っており、この21世紀は太平洋時代と呼ぱれています。 言うまでもなく、太平洋時代は韓国・日本・アメリカの3か国によって主導されるでしょう。それだけでなく、世界はこれら国家のモデルに従おうとするでしょう。しかし指導的な立場には、自動的に立ちうるわけではありません。その場には関連諸国の互いの強力な連関性を土台として立ちうるのであり、特別に指導者レベルでの相互連関が絶対的に必要です。それゆえ、皆様がすべて韓国・日本・アメリカの3か国会議を通じて緊迫した当面の問題を論議すると同時に、互いの友誼を固く結ぶことで、新しい21世紀を開拓することのできる基盤を整えてくださるようお願いします。 3か国の指導者の皆様、私は、この会議に参加するために6千マイルもする遠方からこの場を訪ねてこられた代表たちをはじめとした、すべての参加者たちに儀礼的な挨拶をしようと、壇上に立ったわけではありません。神と一心・一体・一念により生きてきた私の経験によれば、神は歴史と現実の中に生きて働かれるかたです。そのような観点から韓国と日本、そしてアメリカの位置付けを知ることはとても重要なことです。 神の創造理想は、アダムとエバが、神の真の愛によって真の人として完成し、真の父母となって真の家庭を築くことでした。その真の家庭を始原として、人類は真の社会、国家、世界、天宙へと繁殖しながら、地上天国と天上天国を建設するようになっていました。ところが不幸にも、アダムとエバは未完成の段階で天使長の偽りの愛によって堕落してしまいました。ですから、真の父母になることができず、偽りの父母となったアダムとエバが築いた人類の最初の家庭で、兄のカインが弟のアベルを殺害するという罪悪の実が結ばれました。 本然の創造目的を回復しようとされる神は、第二のアダムである救世主をこの地に送って摂理なさるようになりました。その摂理のための最初の足場がユダヤ教とイスラエルの国でした。その基台の上にイエス様が救世主として来られました。イエス様は真の父母と真の家庭の理想をイスラエルの国で成し遂げ、全世界に伝播するために来られたのです。しかし、イエス様をメシヤと悟ることができなかったユダヤ教とイスラエルの国から不信されました。 あげくの果てには、その不信が極みに達し、イエス様は再臨を約束しながら、十字架の道に行ってしまいました。復活したイエス様は、霊的に第二イスラエルであるキリスト教の基盤を世界的に築きました。その世界的なキリスト教の基盤は、第三アダムとして来られる再臨主を迎えるためのものです。 アメリカは全キリスト教を代表する第二イスラエルの長子国家です。アメリカの建国の祖たちの信仰も、建国の精神も、すべてキリスト教に由来しています。アメリカが短い歴史の中で世界を指導する強盛な国になりえたのは、再臨主として来る第三アダムのみ旨に従うことができるようにするための神の摂理によるものでした。 第二次世界大戦のとき、アメリカとイギリス、そしてフランスを中心とした連合国が、日本とドイツ、そしてイタリアを中心とした枢軸国に勝ち、キリスト教の基盤を極大化したことや、韓半島にキリスト教を宣教した国がアメリカだった点、そして第三イスラエルである韓国を防衛するためにアメリカが国連の旗の下で16か国の派遣軍と一つになり、犠牲的な支援をした点などは、すべて神の摂理の中で成就したことです。 第二次世界大戦の直後に準備されたキリスト教が、私を通して神の教えを受けたとすれば、7年以内に神のみ旨が成就したはずです。アダム国家である韓国の統一も成就したはずであり、共産圏の世界的な膨張もなかったはずです。ところが、不幸にもキリスト教が率先して私に反対して迫害しました。そのように摂理の中心存在に逆らったキリスト教は衰落の道へと落ちてしまいました。第二次大戦直後と比較するとき、今日の教会は信仰、情熱、純粋性や生命力をすべて失いました。 世界のキリスト教が責任を果たすことができないことによって、エバ国家になるべきだったイギリスの代わりに日本が選ばれました。事実、神の摂理的な中心であるキリスト教と程遠い天照大神を奉ってきた日本は、特別な恩恵でなければ、絶対に選ばれることができなかったのです。ですから、日本が本来の責任を果たすようにお願いします。 ところで神が送られた救世主は、どうしてその都度不信に遭ったのでしょうか。堕落で築かれた悪主権の世界であるため、善の実体を歓迎することができなかったのです。それを心配された神は、イスラエル選民とユダヤ教を立て、イエス様を迎えるように準備なさったのであり、また世界的なキリスト教の基盤を築いて再臨主を迎えるよう準備されたのです。ところが第一イスラエルと第二イスラエルの摂理に対する無知と彼ら白身を中心とした考えのために、イエス様が苦難に遭い、再臨主も苦難に遭ったのです。 メシヤが雲に乗って来るものと理解していたユダヤ教徒たちの前にイエス様が人として現れたので、信じることができなかったのです。ヨハネによる第二の手紙7節で、イエス・キリストが肉体で臨んだことを否認する者を反キリストと指摘しているのを見ると、ユダヤ教徒が旧約聖書を誤って解釈してメシヤを殺したという事実を知ることができます。 そして聖書は両面性をもって預言されているということを知らなければなりません。なぜかというと、堕落した人間は気まぐれで不確かであるからです。神と一つになった人が背を向けてサタンと組んで、神を滅ぼし、サタンと組んでいた人が神の前へ戻ってきて、サタンを滅ぼすというのです。 旧約聖書のイザヤ書9章、11章、60章の3つの章を見ると、救世主が栄光の主として来ることを述べていますが、53章では苦難に遭うことを預言しています。ところが、ユダヤ人たちがイエス様を信じて迎えることができず、イザヤ書53章の預言が成就したので、信仰によって成就されるべき預言は延長され、再臨の時に当てはまるようになるという事実を知らなければなりません。 新約聖書も旧約聖書と同様にメシヤの再臨について、蕩減復帰の原則に従って両面性をもって預言されています。ヨハネの黙示録1章7節を見ると、再臨するメシヤは間違いなく雲に乗ってくるとあります。しかし、テサロニケ人への第一の手紙5章2節を見ると、「主の日は盗人が夜くるように来る」と記されています。再臨主が雲に乗って来るというのに、その日が盗人のように来るということがありうるでしょうか。今日のキリスト教徒は、再臨主が雲に乗って来ることは信じていますが、その日が盗人のように来るということは信じません。 それゆえ私たちは賢くなければなりません。旧約時代の実情から推察してみても、再臨主が雲に乗って来ることもありうるし、人として来ることもありうるということを私たちは知らなければなりません。ユダヤ民族が待ちこがれたメシヤを神が送られたにもかかわらず、どうして彼らがメシヤを殺したのかを知らなければなりません。 旧約聖書のマラキ書は新約聖書のヨハネの黙示録に該当します。マラキ書4章5節以下を見ると、「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる」と預言されています。 エリヤはイエス様が来られる900年前の人物で、火の車に乗って昇天した人です。ユダヤの人々は、火の車に乗っていったエリヤが、そのままの姿で来るものと信じていましたが、エリヤが来たという話もなしにイエス様自らがメシヤであると宣布したのです。ですから、イエス様の弟子たちは人々から「あなたがたの先生がメシヤならば、エリヤはどこにいるのか?」と質問されて、イエス様にその問題について尋ねた場面が、マタイによる福音書17章10節に記録されています。 そこには、「弟子たちはイエスにお尋ねして言った、「いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか」。答えて言われた、「確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった」」とあります。そして「そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った」と記されているのです。ところが他の者たちは、イエス様が洗礼ヨハネをエリヤと言ったのは、イエス様自らがメシヤを装うためのものだと非難しました。さらに、彼らはイエス様をユダヤ教とイスラエルの国を滅ぼす傀首であると言い、ベルゼプルに憑かれた者と決め付けてしまいました。 それと共にイスラエル民族が信じていた観点とイエス様を送られた神のみ旨は違いました。この地上に神のみ旨を成し遂げるために送られたメシヤが、ユダヤ教徒が従うことができなかったことによって、死ぬことになった恨めしい歴史があったという事実を知らなければなりません。実際に、神のみ旨はイエス様を通して、ユダヤ教とイスラエルの国を超えてすべての世の中を救うことでした。ところが、地上で待っていた希望と天で成し遂げようとしたみ旨が食い違うようになりました。 再び来られる主の場合も同じです。キリスト教が再臨主のために準備した基台は、自分たちだけを救うことがすべてでした。しかし、再臨主は、神の願う、世界と万民の救い、さらには創造本然の理想世界の成就のために来られるのです。その理想世界というのは、宗教圏だけの世界ではありません。再臨主は、堕落と関係がなく、宗教が必要のない、真の愛と真の父母の世界を築くために来られるのです。 創造主である神の根本は真の愛です。真の愛というのは与えてまた与えても記憶しない、「為他的」な愛です。その真の愛で天国を建設しようとする神のみ旨を成就するために、私は生涯を投入して施しながら生きてきました。摂理の中心国家である韓国と日本、そしてアメリカの3か国は、平和の理想世界を築くにおいて、模範となるべき位置にあります。これら国家が天道に従って、世界と全体のために施すとき、神の祝福を受けて、繁栄することができるでしょう。もし自国の利益ばかりを追求するならば、摂理において中心の立場を守ることができず、現在もっているものも失うようになるでしょう。 ユダヤ教とキリスト教の歴史的な実例まで挙げてお話しする私の深い考えを理解してくださるようお願いします。特に、キリスト教の基盤がない日本の指導者たちは、私の考えを理解するのに困難が伴うものと思います。しかし、今日の日本が摂理の中心に置かれているという事実を悟らなければなりません。神の創造理想を地上と天上世界に成就するために、すべてを投入しながら生きてきた私の生涯でした。そのような私が、これまで力を注いできたいくつかの内容についてお話ししようと思います。 第一に、今晩、ワシントン・タイムズの創刊20周年祝賀パーティーを催していますが、どうしてワシントン・タイムズを創刊したかということです。この20年間に途方もない財を投じました。ある政治的な目的があったわけでは絶対にありません。神の摂理において中心国家であるアメリカが、救世の理念をもって世界を指導する立場に立ちうることを希望して創刊しました。アメリカが享受している政治・経済・軍事的な強国としての祝福は、アメリカだけのためのものではありません。「神の下の一つの国」を築く理想が建国のスローガンだったとすれば、今からは「神の下の一つの天宙」を指向しなければなりません。 第二に、宗教間の対話と和合が、平和世界を健設するにおいて決定的な条件です。あらゆる宗教はそれぞれ信仰の儀式と教理は異なるとしても、善を指向する根本的な教えは同じです。そして、すべての宗教の出発は、人間の霊的な無知を打開するための神の摂理的な一環として、様々な文化圏の背景に従って多様に始まりました。ところが今からは、家庭の理想を通した平和理想世界の実現というモットーを中心として、皆が出会いをなさなければなりません。私が世界平和超宗教超国家連合、超NGOであるワンゴ(WANGO : World Associationof Non-Governmental Organizations)、そしてアメリカで真の家庭運動を主導しているアメリカ聖職者連合などを創設したのも、そのような出会いのための一環です。この40年の間、私が創設した統一教会の予算より10倍以上の経費を超教派超宗教運動に投じてきたのも、そのような神のみ旨を知ったためです。 第三に、人種間の葛藤を解消し、すべての人種が神の下の兄弟姉妹として一つに結ばれる地球村大家族の世界を指向してきました。五色人種は皆、等しく平等な神の子女たちです。カラーや歴史的な背景に従って優劣をつけることのできる基準はありません。ですから、神を中心とした祝福結婚を通して超人種的に真の家庭の理想を実現するのが、一つの世界を創建していく近道です。それを見抜いた私は、1960年代以降に人種と国境を超越して「交叉結婚」を主導してきました。今後、世界が狭まるにつれて、国際祝福の価値がより一層光り輝くようになるでしょう。 今この機会に、3か国の関係について摂理的な側面から探ってみようと思います。人類歴史は神の救いの摂理歴史であり、その救いの摂理というのは失ったものを取り戻す復帰摂理です。したがって、エデンの園で堕落したアダムとエバ、そして天使長の関係と、アダムの家庭の最初の結実だったカインとアベルの関係が世界的に拡張されたものが、韓国と日本の関係と、アメリカと世界の関係なのです。6千年の歴史を総蕩減する「終りの日」に繰り広げられる国際関係を、摂理的な次元で理解することができなければなりません。日本は伝統的に女性神である天照大神を祭ってきた国です。ですから、今回の会議に日本からは女性国家の代表として男性指導者たちが参加し、韓国とアメリカからは主に女性たちが参加しました。 摂理的に、韓国はアダム国家であり、父の国であるため、韓国の女性指導者たちは韓国を代表する私の妹のような立場で、神のみ旨のために精誠を尽くさなければなりません。そしてキリスト教は、来られる主の新婦のような立場にあります。したがって、キリスト教の代表国家であるアメリカの女性たちは、再臨の摂理において新婦の使命を果たさなければなりません。また、日本は堕落したエバの立場を蕩減するために、母の国としての使命を引き受けなければなりません。 さらには、韓国・日本・アメリカの3か国が中心となって平和世界を建設していくためには、一家族のようにならなけれぱなりません。ですから、その3か国が怨讐の関係だった旧怨を洗い流し、一つになる道は、韓国と日本、日本とアメリカの若者たちが「交叉結婚」をすることです。ですから、お互いの国の人々の間で血縁的な関係が結ばれれば、真の愛を中心として平和世界を建設するにあたってのモデルになることができます。私はそのような神のみ旨を知ったので、韓国と日本、日本とアメリカの若者たちを一つに結ぶ国際的な「交叉結婚」を主導してきたのです。 先ほどもお話ししましたが、アメリカは第二イスラエル圏の長子国家として天の父母に侍るにおいて、先鋒に立つことができなければならず、世界の兄弟国家を助け、率いてあげるべき使命をもっています。ですから、アメリカの女性たちの使命は大きく貴いということを申し上げます。 私は今回の会議を通して、皆様が、人類の未来に影響を及ぼしうる広範な主題に関して、より深くて真剣な討議とともに共通した合意点に到達されるようお願いします。併せて、皆様がここワシントンD.C.で3日間共に過ごす期間が、心の深い所から友誼を増進させうる機会となるよう願うものです。 この集いは、3か国の指導者たちが中心となって21世紀のための新しい基礎を固める契機となるでしょう。ですから、多様な分野で持続的に議論、協力し、連帯を強化させうるよう3か国の新しい協同体が誕生することを期待します。 紳士淑女の皆様! このような韓国、日本、アメリカを中心とした3か国の連帯のための新しい活動は、世界的な次元の平和と奉仕の文化を創建するという目標を達成するために続けられることでしょう。そして、その目標は必ずや達成されることでしょう。今後、皆様と共に始めるこの会議が、アジアと世界を率いる集いに成長するよう願うものです。皆様に神の加護が共にあることを願ってやみません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.31
コメント(0)
真のご父母様ご聖婚四十二周年記念日の御言(2/2)このみ言は、「十四万四千組聖職者祝福式」勝利の翌日、今 年四月二十八日(陰暦三月十六日)に、米国のワシントンで 行われた真のご父母様のご聖婚四十二周年を祝う記念集会に おいて、真のお父様が語られたものを翻訳し、編集、整理し たものです。(文責・編集部)◆「文鮮明先生御言選集 20020428 - 真のご父母様ご聖婚四十二周年記念日の御言(No.1/2)」Family 2002.7 P.4~ さあ、本論に入りましょう。 それでは、先生が、この立場まで、勝利の覇権を勝ち取ることができる時まで、どのような考えを持ってきたでしょうか? レバレンド・ムーン自体が、自らを尊重視したでしょうか? 「国家メシヤ」や「再臨主」 や「救世主」という名前を尊重視したでしょうか? どちらですか? 幼い時は、夢のような話です。世の中で見れば、そのような話をすれば、妄想家にもなることができずに精神病者であるというのです。見えることもなく、夢で想像することもできない、その内容を中心として、事実として信じることができる信仰圈、そのような信仰を持つことが、どれほど大変であっただろうかというのです。 皆さんたちは今、「霊界の実相」、李相軒氏のような、世の中から見ても権威があり、人格的基準においてもすべてを備えた人たちが、霊界に行って話をしても、 それを信じることができない。」と思うではないですか? 尹博士、そうでしょう? ”百パーセント信じる。”と思いましたか? ですから、どれほど困るでしょう か? すべて見て、信じることができる事実であるにもかかわらず、荒唐無稽な……。 公開された天地の中で、影もなく、表象も想像できないその世界において、「私は、このようにならなければならない。」という言葉を、お化けの言葉であると思ったでしょうか、事実であると思ったでしょうか? それでは、そのような信念を持つために、どれほど身もだえをしたであろうかというのです。そのことを知らなければなりません。そのような自信を持つため に……。 今、先生が、「霊界の話を信じなければならない。」 と、一所懸命に脅迫しても、信じることができずに、 自分勝手にしっぽを振りながら肩をいからせて、“私が考えていることが、正しい。”と思っているではないですか? そのようにしている、その事実の立場と、先生の幼少時の“信じることが難しい立場とを比較してみれ ば、皆さんたちは、百パーセント信じて余りある立場であるというのです。 そのような世界において、否定した環境的与件を削り取り、自分自身の信念基準を立て、旗を差して、天下に発表することができる、権威ある先覚者の立場に立つということが、易しかったでしょうか、難しかったでしょうか? (「難しいです。」)難しいのです。今でも、そうです。 「(神様の)王権樹立をしてさしあげたのか?」と言うとき、その決心、その事実を把握するためには、"今も、行かなければならない道が残っている。”と思うのです。“事実である。”と思って行動することができれば、天下を折り曲げて、ポケットに入れることは問題にもなりません。 ですから、先生も、(神様の)王権樹立をしてさしあげて、先頭に立って、最前線の(米国の)五十州を回ったのです。八十歳の老人として、“死ぬか生きるか”という舞台の上に立ち、この伝統を立てることができるか立てることができないか、というのです。それが簡単であったでしょうか、難しかったでしょうか? (「難しいです。」) (※管理者註:以下文中には「二十五歳」とありました。幼少期、御聖婚前のお父様お一人の時のことを語られていたものです。御聖婚記念式でのみ言です。のちに「真の父母」が出てきます。) 先生が発表しておいて、世の中が、天地のすべてが「事実である。」と言うことができ、神様が来られて、逆さまにほうり込んだとしても、ぴょんと、真っすぐに立ち上がって、「私をごらんください。」と……。 逆さまにほうり込んでも、真っすぐに立ち上がり、芽が出て、実を結び、その実を取って神様に食べさせてさしあげながら、「これでも信じませんか?」と言えばよいのですが、それ以上の決心をしようとすれば、どれほど、身もだえしなければならないであろうかというのです。 このような一人のメシヤを守ることも、大変でした。だれもいなく、反対もしていないのに、「レバレンド・ ムーンがメシヤである。」と発表すると、世の中が大騒ぎです。 国が騒ぎ、世界が騒ぎ、霊界から地上のすべてが騒ぎ、父親、母親、だれかれなく棍棒を振りかざして来て、「こいつ、事実なのか? 一族にとって、このような恥が、どこにあるであろうか?」と言いながら、一族の間では、「族譜(一族の家系図) から切り捨ててしまわなければならない。」と言ったのです。 独りです。メシヤは、一人であり、二人ではありません。極限の立場まで、独りで、その名の実体を備え、最後まで否定せず、細々とでも、そこに首が切れずにぶら下がっていてこそ、可能性があるというのです。 メシヤの概念を、自分自身の信望で立てる時まで、 どれほど身もだえしたことでしょうか? また、そのような環境になり、家庭においての艱難は、言うまでもありません。国が、三年間の凶年に入るのです。身内が問題であり、食べることが問題であり、町内じゅうで、「あの何々の家は、滅んだ。」と……。 そのようにして、兄が狂い、姉が狂い、十三人(の家族)のうち、六人(編集部注・過去のみ言の中では、 真のお父様は、たびたび「五人」と語られている)が一年の間に死んで、倒れていくのです。 さらに、犬が、息子の睾丸までは、かみ切らないのですが、男性のその部分の三分の一をかみ切るのです。なぜ、そのようなことが起きるのでしょうか? それは、メシヤの観念を持つことができないように (サタンが)追い込み、「おまえが、そのような考えをするから、一族が、このように滅びる。」と言うからです。(そのようにしてサタンは、)覆いかぶせることができる条件を、すべて、わたしの家庭に注いだのです。 皆さんは、「今まで、統一教会を信じることが難しかった。」と言うのですか? この者たち。統一教会の何が、難しいのですか? わたしが倒れましたか? 「統一教会の看板を持って帰りなさい。」と言いましたか? びくともしないので、ついて来るならついて来て、「来ないなら来るな。」と、言ったのです。 ですから、天が、神様が保護してくださったのです。もし、その人が死ねば、だれを代わりに立てて使命を継ぐように……。ですから、どれほど……。 それは、何歳のことでしたか? 二十五歳であり、その時は、解放される前です。そうではないですか? 最高の迫害を受ける時なのです。地下教会運動です。 神社参拝(を強制されること)によって、愛国者は、 国境を越えてばらばらに別れていく、そのような環境において、自分の体ひとつで日本の国境を越えた環境において、共産主義が起こした混乱状態を乗り越えたのです。五山中学校で、それをしました。 わたしが、五山学校に通っているとき、その三学年に入って、一年間、勉強し、"飛び級”をして……。世の中が、日本の天下になったのに、五山学校で日本語を学ぶことができずに、それが分からなければ、どのようになるでしょうか? それで、試験を受けて、定州普通学校の四学年に入り、一年間、延長して、その期間に全力で勉強し、(そうして、相手が)校長先生であろうと警察署長であろうと、闘うことができる実力をつけたのです。 そのような話をしようとすれば、切りがありません。 わたしが行かなければならないのは、他の人が行かない道であり、平民たちが行く道ではありません。特出した者が行く道は、特別です。だれもができるものではないのです。 そして、日本に行っても、そうです。何もしていない人のようですが、していないことがありません。今でも、そうです。皆さんたちは、先生が何をしているのか、知らないでしょう? 遊び暮らしている人のようであるのに、鮮文大学は何であり、ブリッジポート 大学は、何なのですか? 今朝も、少し話をしましたが、今からは何かというと、自分の一族を逆さまにして、腰にぶら下げなさい、 というのです。鮫(サメ)の子どもは、食べるものがなくなれ ば、最後には、父母の肉までかみちぎって食べ、骨までかみちぎって食べてでも、生きなければなりません。 サーモン(鮭)のような魚を見れば、自らの親の肉と骨を与えてでも、子孫を残そうという伝承が起きています。 魚の歴史でも、そうなのですから、人が、そのようにすれば、自分の後世は滅ぶことなく、世界の先進派となり、先進指導者となるのです。それは、"鮫の世界の王”です。分かりますね? 「真の父母」という言葉を慕い、それを思う先生の心の中で、どれほど呻吟したかという事実を知らなければなりません。どれほど身もだえしたことでしょうか? 死の境地に行っては戻って来て、また行かなければならず、十里の道を行っては五里の道を行き、三里の道を行っては一里の道を行き、一里の道を行って……。そうして、部屋の中で、一日に何度も身もだえして、”これではいけない。”と……。 "いけない”ということが、すぐに分かります。それが分からなければ、後ろが暗いのです。振り返ると、後ろが暗くなっているのです。それが分かっていれば、 霧がかかるだけなので、前が見えないことはありません。十メートル、二十メートルは、見ることができるというのです。 ですから、自分の一身が挙動して、うまく処理することができる環境になったのにもかかわらず、それを否定すれば、真っ暗になるのです。夢のような話であるというのです。 "真の父母の名を持ちたい。”と思って、だれよりもそれを慕い、どれほど涙を流したかということを知らなければなりません。名です、名。実体は、夢にも見ませんでした。 神様も、そのような心を持っていらっしゃったとしても、実体を持つことができない神様でいらっしゃるのです。それなのに、その神様の御前で、"私が実体の主人になる。”と、考えることができるのかというのです。どれほど、その名が慕わしく、雨が降っても、雪 が降っても……。 神様は、わたしたちのお父様でいらっしゃるので、そのようにしなければ、お父様を解放してさしあげることはできないのです。それは、間違いありません。 神様にしがみつけば、「首が落ちても、離せません。」と言うのです。 そのようにして、祈祷を十七時間から二十時間までしました。十五時間は、普通です。冬の季節に、綿入れの服に汗が流れるほど、座って祈祷した人なのです。 分かりますね?(「はい。」) (真の父母という)名前一つを守ることが、このように難しかったのですが、"実体圏解放の王子”のほう が、何百倍も難しいという事実を知らなければなりません。そして、世の中の家庭すべて、一族を中心として……。 先生の家庭は、愛国者の家庭です。キリスト教の思想を徹頭徹尾、武装した家庭です。臨時政府の財政を五道(五つの道)から集めて援助する、その本部が、わたしの大叔父さん(父方の祖父の末弟)でした。 ですから、わたしが幼い時に、わたしたちの家に……。 わたしの家から山岳地帯へとつながった所、先生の家の裏側に、白馬峠(백마고개)という峠のある白山がありました。それを 「샛말잔등(山の形が"馬の背”のようである、との意)」というのです。 そこは、一年中、草木が生えません。砂が固まって、そこに雨が降り、こちこちになっていたのです。たたいても、砂粒が転がるだけで、土を掘ることができません。いくら夕立があっても、いくら走っても、ほこり一つつきません。分かりますか? いくらこのようにしても、おしりが一つもぬれないのです。そこを走り回った事実……。ですから、母をどれほど、父をどれほど……。 父母の言うことを聞きません。ですから、自分の家の中が、めちゃくちゃになります。わたしは、父と母に言うのです。村にかわいそうな人がいれば、米をすくい取って与え、このように言うのです。 「そのように理解してください。お父さんとお母さんが、息子、娘をこのように(教育)したので、責任 を執らなければならないでしょう? ですから、その息子、娘は滅びません。絶対に滅びません。見ていてください。私が標準としているものを、お父さんとお母さんは知りません。」と。 女の人が子供を生んで、ご飯がなければ、家にあるお米を……。わかめは、どこにでもあります。それを包んでおいて、夜、分からないように、分けてあげるのです。それが、うわさになりました。「五山の家に行けば……」と。(先生の)目が小さいので……。 十歳を超えると、おじいさんもおばあさんも、(わたしのことを)思いどおりにできませんでした。上に兄たちがいて、年下のいとこたちがいれば、わたしも、 お兄さん格の立場になるので、自分が中間にいて、手本にならなければならないのです。 例えば、おじいさんが起きる前に、その部屋の前で待って、おじいさんの”せき”をする声が聞こえたら、「お目覚めになりましたか?」と言いながら、中に入ってあいさつをしなければなりません。 それなのに、寝坊して、昼食の時間になっても姿を見せないので、朝寝坊をしておじいさんにあいさつをするとは何事か、というのです。それで、おじいさんがきせるをトントンとたたいて、訓示するのです。 そのときに、わたしは話をしました。 「おじいさんは、この家門のあるじでいらっしゃいますが、あるじたるおかたが、孫の前で訓示するの に、舅の立場にもなって、きせるで灰皿をトントンとたたきながら、人を諭すようなやり方が、この家の教育方法なのですか?」 わたしが、そのように言うので、おじいさんも思い当たるところがあったのでしょう、「あやや。」と言いながら、姿勢を正し、それを片付けて、すまなかったという姿勢を執るのです。そのようにして、何度かやり込めると、それからは、むやみやたらに対することはできないというのです。それは、そうでしょう。 父と母も、全員……。わたしの母も、どれほど頑固か分かりません。刃のような性格です。韓国の水沢里 (京畿道九里市水澤洞にある中央修練院のこと)にある (写真の)顔は、食べることができずに……。 その(写真の)顔を見ると、わたしには、だれだか分かりません。(本当は、)美人です。美人でした。そ のような母を、わたしが……。親不孝な息子です。わたしがいれば、そのようにならなかったのですが……。 しかし、神様を解放しなければならず、人類を解放するために、「申し訳ありません。北の地に埋められたあなたを、私の手で……。挙国的な民族の歓喜を受けながら、墓参りの日を必ず……」と、約束したのです。それを、死ぬ前に果たさなければなりません。 それで、以北(北朝鮮)にいる、すべてのトップたちも、そのような贈り物を、わたしに送ってくれるの です。それは、金正日総書記の許可がなければ、贈ってくることはできません。 そのようにして、毎年、統一教会のどのような忠臣、どのような息子、娘たちから贈られてくる物よりも高い贈り物を、なぜ、贈ってくるのかというとき、すでに……。 だれに、福を分けてあげなければならないでしょうか? 以南(韓国)にいる、統一教会のこじきの群れ に分けてあげなければなりませんか? それとも、以北(北朝鮮)にいる、かわいそうな人に上げなければ なりませんか? 共産党でも、思想さえ入れ替えれば、訓練されているので……。 怨讐の世界に連れて行かれても、その世界の軍隊で訓練をして、泳いで……。その国の飛行士が、この国に来れば、彼を怨讐の国の飛行士として扱うのではなく、この国の愛国の志士として、国の勇士として、最高に高級な飛行機を先に譲ってあげることができなければなりません。そのような国になることができなければ、滅びるのです。 わたしは、そうです。米国の人でも、どこの人でも、人種が問題ではありません。韓国人。あなたたち! この韓国の人を愛しているのではないのです。 わたしが、韓国で迫害を受けて孤独なとき、 逃げて回るとき、皆さんたちが血肉を削ってでも垣根になってくれ(たとでもいうのでしょうか?)、米国も反対しましたが、最後まで反対しませんでした。それが何年間ですか? 三十年間です。米国の地には、数多くの同志たちが隠れているという事実を、わたしは知っています。分かりますか? (「はい。」) 韓国人であるということを誇ってはいけない、というのです。この(先生の)ような鉄石のような信念を 持った血族が韓国にいたがゆえに、神様が訪ねて来られたのです。そのようにして、わたしをつかんで放すことができない、そのようなかわいそうな神様を、わたしの父になろうとされて訪ねて来られた神様を冷遇することはできません。 "自分の一族が冷遇し、この国が冷遇したとしても、わたしだけは、死ぬまで忠節を守って死ななければならない。”という、鉄石のような決意を持って、今まで耐えてきたのです。 そうして、悪口を言われ、逃避して回りながら来てみると、今日、世界の宗教指導者たちを一か所に集め、世界版図において三十万以上を一度に祝福することができるまでになりました。それは、すでに天下は、わたしたちの懐に、すべて入ってきているということです。 郭錠煥氏の話が、そうではないですか? 連れて来た人を前にしてみ言を語り、十二時間以内に祝福を受けてもらっているという事実は、仮想的な結論ではありません。抽象的な結論ではありません。実質的な結論です。事実的な結論です。これは、コンセプト(概念)ではありません。そのことを知らなければならな いというのです。 「メシヤ」、「真の父母」の名を慕って、身もだえしたその時代と、今の栄光のこの環境を見るとき、神様が、どれほど苦労されたかというのです。実体を実体らしくつかんで、しがみついていくことに、わたし以上に苦労された神様に侍ることができなければならないのですが、そのうえで、孝子の道理を果たすことができませんでした。 正月の朝が訪れてくれば、日の光を見詰めるのが恥ずかしいのです。過ぎていく一年を忘れて、新年を見詰めるとき、沈んでいく太陽を、恥ずかしい思いで見詰めなければならないと思うのです。 そのような心情が継続し、今も”走ろう、走ろう。” と思っているのですが、八十歳になって、この足に、「この足め、行くべき道は遠い。こいつめ!」と……。 そのようにしながら身もだえし、決勝点に向かって行くマラソン選手のように、死ぬ前に、最後のラインに向かって撃破していくのです。 死ぬときには、一歩でも、つま先だけでも、ラインを越えて前に倒れるのであって、後ろに倒れれば、これもすべて無効になるのです。そのように考えて走って来たという事実を知らなければなりません。 メシヤの名も、それを守るために命を懸けて闘ったのも、実体圏を成し遂げるための闘いであったのです。そのことが、どれほど難しかったであろうかということを考えるとき、名を信じて行く人になりますか、実体を知って行く人になりますか? (「実体を知って行 く人になります。」) 知って、行かなければなりません。使いをさせながら行きますか、させてから行きますか? はっきりと答えてみてください。尹博士! 李鍾益氏! 問題が深刻であるというのです。 それでは、先生が実体自体として願う、メシヤ的主体の前に、相対的存在は、どのようなものでなければなりませんか? 取り戻そうとする”私の名”と実体以上に、それを高めて、天の前に紹介したいと思うのが、父母の心なのです。そのことだけは間違いないということを、わたしは知っている人です。何のことか分かりますか?(「はい。」) お金が千万金あるとしても、一日ですべて分けてあげても足りません。来年のことを考え、十年後のことを考え、後世、子孫のことを考えているのです。 ですから、先生が残した威厳を何代まで、一代、十代、百代まで保管しながら、「父母様の代わりに、私を見て、父母様のように思いなさい。」と言うことのできる、そのような代を受け継いだ子孫が、百代後の人類の中にいるであろうかという問題を反問するときが、 何度もあります。それで、「千年、万年後に、統一教会はこうでなければならない。」と、祈祷した人なのです。 わたしを見て、称賛してはいけません。望んではいけないというのです。その道を行くために、今でも忙しいのです。 きょう、この記念日、四十三回が訪れてきた最後の 切迫した最前線において、一歩でも踏み誤れば、千尋万尋もの地獄の穴に落ちるということを考えます。このような深刻な時であるということを思うとき、現れて話をするのが、申し訳ないのです。話せば、それが標題になるので、そのまま生きなければなりません。 そして、「真の父母」の名を汚さず……。「真の父母」の名を持つために、春夏秋冬、のたうち回ったのですが、皆さんたちは、真の父母を知り、「真の父母」の名を支えるうえで、どれほど身もだえしましたか? そうして、実体に侍るうえで、歴史的な聖人、孝子をのろい、”彼らは、自分の十本指の中で、六本目の指にも入らない。”と考えて、"孝子、忠臣、聖人、烈女になってみせよう。”と決意したときが、いつありまし たか? 李承徳氏! ありますか、ありませんか? 正しく生きなさい、というのです、この女性たち。一年を生きるにしても。分かりますね? 韓国の女性を、黒人世界に植えてあげなさいというのです。それは、白人社会と、この国の伝統として残るのです。分かりますか? メシヤの名を守護するために身もだえし、"実体メシヤの家庭的勝利圏を失ってしまうかもしれない。”、“祝福家庭を失ってしまうかもしれない。”と、身もだえしているところに、敗者の存在として現れた聖進の母親が反対したという事実。それを忘れることができません。忘れることができないというのです。 国を取り戻すための世界流浪の歴史を経て、ジプシーのような行脚を経ながら、国を呼び求めたということを忘れることができません。そのようなことを話せば、 皆さん……。 痛哭することなくしては、わたしも話すことができず、言うに言えない事情を抱えて生きてきた人です。 だれかが一言、「先生は、こうでしょう?」と言えば、痛哭して余りある心情を抱き抱えているのです。 きょう、明日、神様を解放して、神様がわたしを訪ねて来られて、「もう、やめなさい。」とおっしゃっても、やめることはできない生涯の道を行かなければなりません。なぜでしょうか? 八十歳になって、どうしてでしょうか? 四十代で、すべて成すべきことです。 恥ずかしいことです。皆さんが、国を中心として……。 この多くの人たちが、責任を果たすことができなければ……。倭の言葉(日本語)で言えば、「腹切り」でもしなければならないでしょう。 先生の実体圏勝利の覇権を死守するために、どれほど努力しましたか? この者たち。何のことか分かりますね?(「はい。」) "千回死んでも、万回犠牲になっても、飛んでいっても、粉になっても、骨、骨髄をすべて粉にして、はげわしのえさにしても、恨の条件の墓を埋め、谷間を埋めることができ、大洋を埋めることができ、平和の山をつくることができるのならば、私が先頭に立たなければならない。”と、このような心を持たなければなりません。 そうしなければ、今後、天の国の相続を受けることができる主流的な伝統の立場に立つことができるでしょうか、できないでしょうか? できないということを知らなければなりません。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」)分かりますか、分かりませんか? (「分かりました!」) 安昌成氏! (「はい。」)「分かりました。」と言いましたか、「分かりません。」と言いましたか? (「『分かりました。』と言いました。」)なぜ、口を開けて答えるべきなのに……。心で言いましたか、唇で言いましたか?(「心で言いました。」)心で言うのではありません。心と体です。(「心と体で言います。」)心身一体です。 はっきりと知らなければなりません。今から、わたしは、帰らなければなりません。わたしは、そのことを知っている人です。話さないのです。分からないと思いますか? ですから、皆さんが約束したことを、 四年が終わる前に、十二年が終わる前に……。 それで、言論機関をつくったのです。ワシントン・タイムズをつくりました。UPIをつくりました。今では、言論界の王者の立場に上がってきました。大学連盟をつくり、尹博士の歴史的な銅像を立てようかと思っていたのですが、すべて流れていきました。 わたしが手を出しても、それに合わせることができず、橋を架けて、二倍、三倍……° 前を見ても責任を持ち、後ろを見ても責任を持ち、東西南北、どこかに、自分たちが責任を持ったものがありますか? 一つもありません。わたしが抱えて、踊らせてあげなければならないという事実を見るとき、 勝利のパネルを、十四万四千組の聖職者を教育しても、誇ることがありません。 そこには、神様の悲しみと、真のご父母様の悲しみと、わたしの息子、娘が犠牲になった祭物の痕跡が染み込んでいるという事実です。これを抱えて、身もだえしなければならない道が残っているのです。 皆さんたちは、国を取り戻すために行くべき道がありますが、わたしは、家庭を取り戻さなければなりません。ですから、時間がないという事実を知らなけれ ばなりません。お金を稼いで、補充することを願うのですか? 尹台根氏? (「はい。」)今回は、どこですか? 今回は、どこから帰ってきたのですか? ロングアイランドですか? (「はい。行ってきました。」)何を捕まえましたか? (「調査を、すべてして来ました。」)調査したのなら、一匹も捕まえることができない調査が、何の役に立ちますか? 皆さんたちがする調査は、わたしは、一日でやり遂げることができます。すべて知っています。わたしが稼いだお金で、食べさせてもらって生きていこうという人ですか? 皆さんたち自身が、稼いで食べさせることができる準備をして、稼いでみなさいというのです。皆さんたちの息子、娘を食べさせようというのは、 わたしが一銭も……。 わたしの実力まで加えて、皆さんたち自身と、皆さんたちの子孫を助けてあげようというのです。三代以上を、わたしが世話をしていこうというのが、先生の考えです。分かりますね?(「はい。」)しっかりしなさい、というのです。世話にならずに。分かりますね? (「はい。」) 今から、“先生の世話にならない。”と決心する人は、両手を挙げて、立ち上がって、誓ってください。(「は い。」)誓うことによって、先生の歴史について、「真の父母」の名と、真の父母の実体を守るために、どれほど身もだえしたかということを知らなければなりません。 この世の中で、博士号がいくつあるかが問題ではありません。それでは、座ってください。 勉強をしなければなりません。 さあ、決心したので、きょうの祝賀の意義は、今から一段階、一段階、高い位置に上がっていくことができるはしごに、しがみついて泣くか、それとも、穴を埋めるために地にしがみつき、スコップで地を掘って埋めるための準備をするか、です。この二つの中で、一つはしなければならないということです。 始めたら、終わる時まで、自分の一族が、三代が、そこで死んだとしても、三代を復活させる、このような責任が……。そのようにすれば、間違いなく韓国も解放することができ、皆さんが所属した……。 分かったでしょう? (「はい。」) さあ、そのように決心したら、きょうは、第四十三回、四十二周年の真の父母の聖婚記念日ですが、来年のお母様の還暦のときには、万歳、万歳、万歳するのに恥ずかしくないようにしなければなりません。その日のために、前進、前進を誓うことを決心したという事実を……。 体面と威信を失わないように、一方通行で、決定的解答を持って回れ右をし、天の国に行っている過去の先祖たちと、自分の氏族と子孫に至るまで、「 私について来なさい。」と、宣布することができる氏族的、国家的メシヤの代身者にならなければなりません。 それが、現在、(自分が)置かれている立場であり、その立場で、天が任命しており、その任命に、宿命的な責任分担まで加えて訴えるということを、忘れないように願うというのです。分かったでしょう? (「は い。」) これを実践することを誓ったのならば、その方向に行ってみなさいというのです。それが、可能なことでしょうか? 問題ありません。反対がありません。三千里半島(韓半島のこと)のどこに心配がありますか? さあ、そのように理解して、(一人の人を指されて) あなたは、歌がうまいので、一曲、歌ってください。 (歓声)(拍手) 踊りたい人は、ここに出てきて、踊ってもかまいません。きょうの記念日に、わたしが賞を上げるかもし れません。Family 2002.7 34<完>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.28
コメント(0)
【ドラゴン牧師チャンネル】文鮮明先生とは誰なのか2024/10/24 #note🟦 文鮮明先生とは誰なのか|岩本龍弘 @tatsuhiro_iwamo #note https://note.com/tatsuhiroiwamoto/n/n...一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.27
コメント(0)
第1158回 天心苑特別徹夜精誠 (10/25)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.25
コメント(0)
【旧統一教会の聖地に行ってみた】メディアが報じない、ありのままの姿を見せちゃいます!2024/10/24【ご報告】なんと、、ついに、、。まりもチャンネル開設しました👏YouTubeデビューです!リアルな二世の日常をvlogとして発信していきます。ぜひ、お友達や家族などにも拡散の方、お願い致します!https://t.co/EDwjX4adG5— まりも (@g0fmK8N65KyKEsv) October 23, 2024一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.25
コメント(0)
真のご父母様ご聖婚四十二周年記念日の御言(1/2)このみ言は、「十四万四千組聖職者祝福式」勝利の翌日、今 年四月二十八日(陰暦三月十六日)に、米国のワシントンで 行われた真のご父母様のご聖婚四十二周年を祝う記念集会に おいて、真のお父様が語られたものを翻訳し、編集、整理し たものです。(文責・編集部)Family 2002.7 P.4~ 韓国語を学ばなければなりません。韓国語を学ばない人たちは、天国に入っていくことができません。ミ スター郭(錠煥)は、「私は分からない。」と言うのです。 ですから、七年前に語ったすべての内容を、わたしは、今でも学んでいます。また、その前に話したこと、二十五歳以降に話したことや、一九六九年以降に話したことも、今、じっと考えてみると、"今のわたしよりも、もっとよく知って話をしている。不思議だ。”と思うときが、何度もあるのです。 なぜ、そうなのでしょうか? その時がどのような時であったのかと言えば、先生において、とても深刻な時であったのです。とても深刻でした。しかし、今と、その時を比較すれば、今は、あまりにも……。 その時は、深刻でした。その時は、全世界が一つになって、「レバレンド・ムーン打倒!」と言って、全世界がざわついていた時でした。それゆえに、“死ぬか生きるか”という、常に最前線に立ち、一歩でも踏み間違えば、倒れてしまうのです。 ですから、深刻な立場に立って、"今、残していかなければならないものは、復帰摂理の原則的内容なのだ。と考えました。そのために、これを、くまなく隅々まで明らかにして発表する時が、その時であったのです。それなのに、もし、死んでいたら、どうなりますか? そのように、み旨の頂上で発表した内容が、今までの五十七年間を基準としながら成し遂げられてきたという事実です。 それを成し遂げていくときに、すべて一度に成し遂げたのではなく、切り離して蕩減してきたということを、だれも知りません。知っているのは、先生以外には、いません。分かりますか? それで、第四十三回、四十二周年(の聖婚記念日)、祝福をしたというのが、四十三回……。それは、お母様が……。 東洋で言えば、還暦というものがあります。それは、六十数を超えていくのです。六数は、サタン数ですが、サタンの権限を超えていく時なのです。 そして、今年を越えていけば、お母様は六十一歳になります。満六十歳になる時なので、この時までに、 すべてのことをきっちりと一致させ、摂理史をすべて終結させなければなりません。 成熟して、還暦を迎える時には、国を持たなければなりません。氏族編成はもちろん、民族編成をして、国を持ち、国全体の年齢を代表した一つの循環的な法則を超えていくのです。 そのうえで、おじいさんの立場で、国の王の立場で祝賀を受けなければならないということを考えるとき、これを、お母様の年齢で、還暦までに成さなければなりません。その時が、ぴたっと(摂理的要請に)合うのです。 そのようにして、二〇〇三年を越えていきます。越えていけば、二〇〇四年を迎える時には、お母様は六十一歳です。それは、新しい六十数に移っていく時なので、わたしたちの摂理史、わたしたちのみ旨的な立場において、新天地に向かって超えていく時になるのです。 ですから、韓国の民は、国を取り戻さなければならない歴史的、宿命的課題の上に立っているということを知らなければなりません。 それでは、簡単に一言二言、「記念辞」として、忘れることのできない「記念辞」として話をすれば、それでよいでしょう? 長い「記念辞」を願いますか、短い「記念辞」を願いますか? 李鍾益氏!(「はい。長い『記念辞」を 願います。」)(笑い) 最も長いのが、十六時間四十五分間、話しました。 (そのように長く話せば、)ここに大小便を漏らすことになりますが、それでも、かまいませんか? 朴普熙氏が、そこで大便を漏らし、小便を漏らし、においをかいで、このように……。 そうして、「おい、こいつ。我慢しなさい。なぜ、通訳が騒ぐのか? 漏れてしまうのなら漏らしなさい。」と……。そのように過ごした日が、まるで昨日のことのようですが、それが、歴史的な一つの記録になっています。長いのがよいですか、短いのがよいですか? さあ、目は、早くまばたきするのがよいですか、ゆっくりまばたきするのがよいですか? 安心して、ゆっくりまばたきする人は、癖が、このようになれば、大きなほこりが入ってしまいかねません。そのようなことを防御するためには、頻繁にまばたきすれば、小さなほこりも、防ぐことができるのです。 ですから、どちらがよいですか? 長いのがよいですか、短いのがよいですか? (「短いのがよいです。」) それでは、話は、どうですか? 李鍾益氏は、悔い改めてください。拍手してください。悔い改めてください。(拍手) わたしも、今までは、無知で愚かな者たちを迎え入れて、繰り返し繰り返し行って、若い人たちにもして、青年たちにもして、壮年たちにもして、おじいさんにもして、して、して、そのようにして、老いて死にそうなおじいさん、”グランド・ファーザー”になってしまったのですが、そんな今でも、「長くやれ。」と言うのですか? それでは、「死になさい。」ということでしょう?(笑い) ですから、幼い子供の言葉は、お父さんを呼ぶときも「マンマ。」、お母さんを呼ぶときも「マンマ。」と言いますが、それでも分かるのと同じように、今では、もうこのくらい育ったので、お父さんを呼ぶ「マンマ。」 なのか……。 おなかがすいたときに「マンマ。」と言えば、それでお父さんもお母さんも呼んでいることになるのです。分かりますか? 分かりますか?(「はい。」) ここに立っている人の名前は、何ですか? (「・・・・・・。」) ここに立っている人の名前は、何ですか? (「『真のお父様」です。」)「真のお父様」とは、何ですか? 「名前は、何なのか?」と言っているのです。名前は、何ですか? (「「レバレンド・ムーン』です。」) どうして、英語では「レバレンド・ムーン」なのですか? それは、"尊敬する”という意味にもなるでしょう? ムーンを尊敬して、よいのですか? ですから、"ああ、米国人は、『レバレンド・ムーン』 と言って、尊敬すべきムーンであると思っている。この米国の女性たちは、皆、ムーンを好むので、女性たちが、女王のような振る舞いをしているのだなあ。”と思うのです。 なぜ、「レバレンド・サン」と、言わないのでしょうか? 「鮮明」であるのに、どうして「文」を先に言うのですか?「 レバレンド・サン」と言えばよいのに、「レバレンド・ムーン」と言っています。 米国人の伝統的な習慣が、女性を尊重し、女性を好むので、「鮮明」よりも「レバレンド・ムーン」と言うのです。それが伝統として残されたので、しかたがなく、この国の風習に従わなければならないので、わたしも、「レバレンド・ムーン」と言いました。 しかし、本当は、「レバレンド・サンムーン」と言いたかったのですが、「サン」と呼びたいと思うのを我慢して、「ムーン」と呼ぶようになったのです。どうですか? それを、今から、「ムーン」を片付けて、「サン」にしてくれなければなりません。そのようにしようとすれば、男性たちを自分以上に尊重することができて、 初めて「レバレンド・サン」と言えるのです。「レバレンド・ムーン」よりも、「レバレンド・サン」……。 「レバレンド・サン」がよいですか、「レバレンド・ムーン」がよいですか? どちらですか?(「『サン』です!」)(『「ムーン』です!」) (笑い) さあ、「サン」がよいと思う人は、右手を挙げてください。では、「ムーン」が良いと思う人は、左手を挙げてください。それは、"お母様がよい。”と思っている 人と同じです。 「『サン」がよい。」と言うのは、"お父様がよい。! ということです。米国の人たちは、お母さんを、より 好むのですか、お父さんを、より好むのですか? 米国の者たちは、お父さんを好まずに、お母さんを好むので、「レバレンド・ムーン」と言うのです。それは、 何でしょうか? 米国の女性たちは、あまり好きではありません。(笑い) 八十歳になったおじいさんが、「レバレンド・ムーン」 なのかどうか知りませんが、八十歳の”グランド・ ファーザー”になり、歩くときも、このように歩き、 このように歩き、このように歩き、このように歩かなければならないのですが、さっさっさっさっ! さっ! と、このように……。(歓声) (拍手)皆、喜んでいますね。 今から、先生が何歳まで生きればよいですか? 何歳ですか? 子供たち。今から、先生が、あと何歳まで生きればよいですか? あの後ろに座った人たちは、間違いなく年を取った人たちです。前は、間違いなく幼い子供たちです。ですから、幼い子供たちが前に座っているので、後ろに 座った人は、若くても年を取っていても、同じように年寄り扱いされるのが、当然の道理です。 それは、なぜでしょうか? 前には、幼い子供たちがたくさんいるので、後ろには、年を取った人たちが座らなければならないのですが、若い人が後ろに座っていたとしても、それは、おじいさんやおばあさんと同じ扱いをしなければなりません。わたしが、この者たちを捕まえて、できる仕事をさせればよいですね。入れ替えなければなりません。 わたしが、何歳くらいまで生きればよいですか? (大勢の人がいっぺんに答えて、よく聞き取れない)代表で立って、答えてみてください。何ですか? 何歳 ですか? (「四十四歳です。」)四百歳ですか? (笑い)(拍手) 人が四百年、四千年……。わたしは、四千年以上の蕩減をしたので、指折り数えて四千年も、すべて忘れてしまったのに、何が「四十年」ですか? この人は。(笑い)蕩減……. さあ、それでは、「あと十年だけ生きなさい。」と言っても、先生は九十二歳になります。韓国の年で言えば、九十三歳です。「九十三歳まで生きなさい。」と言うのは、祝福ですか、災いですか? 何ですか? (「祝福 です。」)この者たち。この者たち! 皆さんたちは、老いて死にそうなおじいさんを、公的な式を行う日になりさえすれば、いつも、このように壇上に立たせて、"死ぬほど話をさせよう。”と思う者たちではないですか? 先生は、死ぬということを忘れてから、もうずいぶんたちました。二十代に決心したのです。自分が行 く所をすべて知り、霊界を知っているのに、何が恐ろしいのでしょうか? 銃剣を恐れたでしょうか、死の道を恐れたでしょうか? 先生は、米国に来て、三年半で米国を持ち上げて、その方向を設定したのですが、三年間が過ぎてみると、天下の米国が、「ああ、恐ろしいレバレンド・ムーン。」と……。 米国を中心として、世界の人々が、「ヤンキー、ゴー ホーム。」と言っていたのですが、約三年半の間、旗を掲げて、米国の都市全体を回り、CIA(米国中央情報局)が、それを調査するために、三年間ついて回ったというのです。 CIAが調査しようとすれば、六か月から一年以上かけなければならないのに、先生は一年間で、会社を 十から二十もつくってしまったのです。ですから、何百年間かけても、ついて来ることができません。そのようにして、約三年過ぎてみると、すべて離れてしまったのです。 そのように、ついて来ることができませんでした。調査をして、それを記録しながら、ついて来ることができるでしょうか? 三年前ですか、朱東文氏? 一年間で何回、大会をしたのですか? (「百十三回、なさいました。」) 百十三回と言えば、米国政府の各部署が、二年間から三年間かけて、やっと行うことができる大会(の数)ですが、それを一年間でしたのですから、"一週間で二回ずつ行った。”ということになります。それは、どれほどの”大会のチャンピオン”ということになるでしょうか? 米国の国務省自体も、「ああ、大会は統一教会に行って学んできなさい。」と言って、人まで送ってくるのです。大会を、うまくやるでしょう? 大会は、難しいですか、問題ないですか?(「問題ありません。」) 問題がありますか? (「ありません。」)問題がありますか? (「ありません。」)問題がありますか? (「あ りません。」)問題がありますか? (「ありません。」) (笑い)この者め! 今、大学に通っている者が、「問題ない。」と言っています。(笑い)(亨進様のことについて)これは、レバレンド・ムーンの息子だから、そのように言うのです。「問題ない。」と言うのです。 (亨進様は、)空手に問題があり、柔術に問題があり、 テコンドーに問題があっても、三か月間、通えば、「ああ、お父様。すべて終えました。」と言うのです。三か月あれば、すべてやってしまいます。できないものがない、というのです。最近では、(亨進様は、)外貌も 中国人のようになってしまいました。見てください。髪の毛をそってしまったのです。(笑い) 中国人の服を着て歩き、統一教会の青年たちは、“クリーンカットしていることで有名なのに、こじきの親分のようにして歩き回るので、父親のメンツが立つでしょうか? それで、先生が、「そのようにするのは、やめなさい。」と言うと、「なぜ、『やめなさい。』と言うのですか? 「文化人というものは、その国の法のとおりに、その伝統を骨髄としていかなければならない。」と、お父様がそのようにおっしゃり、統一教会も、『地上で、天の国の主流を行きなさい。』と教え、それを、お父様が誇っていらっしゃるので、私も、"そのようにしたい。”と思っているのに、なぜ、反対するのですか? ほうっておいてください。」と言って、大騒ぎしたのです。それで、お母様を通して一度、きつく言ってあげたのですが……。 そのように注意でもしていなければ、今ごろは、間違いなく、笠をかぶり、僧侶の服を着て、ここに座っていたことでしょう。前もって気合を入れてあげたので、今、このようにして座っているのです。しかし、今でも、見てみれば、わたしが直してあげるところが、たくさんあります。 ところで、(亨進様は)また、どうしてこのように背が高いのでしょうか? 米国人でも、この人を超える人は、三〇パーセントもいません。一〇パーセントも難しいでしょう。何のことか分かりますか?(笑い) (亨進様に向かって英語で語られる) (亨進様は、)それほど背が大きいというのです。そうであるか、そうでないか、すべて比較してみました。父親になって、そのようなことを知らなくてよいでしょうか? そして、できないことがありません。ここで一度、 テコンドーの訓練をさせてあげましょうか? それを "見たい。”と思うのならば、拍手してください。(拍手) それでは、きょうの真の父母の堅苦しい記念の話は、「お父様とお母様が結婚して、新しく真の愛で出会った日である。」と言えば、それでよいでしょう。 先生が、「息子が、このような武術を見せてあげる。」 と言うと、それで皆さんが、もっと大きく拍手するのを見ると、皆さんは、"お父様は退いて、それを見よう。 と思っているようですが、お父様がいて、(武術の演武 を)しますか? それとも退いて、息子だけで(演武を)しますか? どちらですか? (亨進様に向かって)さあ、早くしてください。早くしなさい、この子は。服を脱ぎなさい。(笑い)(拍 手)脱いで。さあさあ、立ちなさい。これも脱がなければなりませんか? これもですか? 靴です。靴を脱いでください。棍棒は、ありませんか? それだけしますか、棍棒もやりますか? 皆、喜んでいますね。 (「はい。」) さあ、応援、応援、応援。(歓声)(拍手)出てきなさい、この子は。さあ! 天井に当たって壊れても、 かまいません。やりなさい。(笑い) ガムをかまずに、舌をかみなさい。かまいません。それを注意してやりなさい。やりすぎないように。 (亨進様の武術演武) 面白いですか? (「はい。」)先生が、み言を語るよりも、何十倍も喜び、皆、笑って、"オープン・ゲート” です。そして“オープン・アイ”、"オープン・フェイス”です。 さあ、きょうは記念日なので、一つだけ話しましょう。 先生が言う蕩減復帰、救援摂理というものが、簡単ですか、難しいですか? (「難しいです。」)どのくらい難しいですか? (「とても難しいです。」) それが、どのくらい難しいか分かりませんが、創世以降、今に至るまで、神様が監獄生活をされながら、"無力な神様”になってしまわれていたのは、堕落以降の蕩減復帰が難しかったからです。それは、理論的な結論です。分かりますか?(「はい。」) ですから、先生がみ旨を知り、このような膨大な内容に責任を持って、大道を築かなければなりません。 高速道路を築かなければならないのですが、そこにある河も、世界の歴史にない河であり、山も歴史にない山であり、谷も歴史にない谷であり、平野も歴史にない平野なのです。そのすべてのものを水平……。 水が満水になるときには、水平になるように、水平の世界を創らなければ、蕩減復帰完成の時代を迎えることはできないというのです。ですから、水平にする のは、易しいでしょうか、難しいでしょうか? (「難 しいです。」) 尹博士。どのくらいですか? 物理学の博士で、韓国 において、"自分が原子力発電所をつくった。”と誇っていますが、それよりも難しいでしょうか、やさしいでしょうか? (「難しいです。」) どのくらい難しいでしょうか? 文総裁という人が、優れた人であると思いますか、愚かな人であると思いますか? 황협주氏? 狭まっ たその谷間において、この世界にまたとない蕩減復帰をすることが、可能なことでしょうか、不可能なことでしょうか? (「可能です。」)可能ですか? (「すべて 終わりました。」)いつ、終わったのですか?わたしは、あなたに尋ねたのですが、自分独りで終えたのですか、この者め。(「勝利は、決まっています。」) 決まっているのですが、自分が、そのようにしたのですか? (「お父様が、されました。」) 「お父様」とは、どのようなお父様ですか? お父様に尋ねるのですか? あなたに尋ねているのです。あなたが答えないといけないでしょう? お父様を借りて言えば、偽者ではないですか? 難しいのです。 それから、米国人、ドイツ人……。世の中で、最もひどい人は、ドイツ人です。神様が、ドイツ人を立てて蕩減復帰歴史の責任を持たせてみよう。」と考えられたでしょうか、考えられなかったでしょうか? また、イギリス人。これは、海賊の王です。ポーラベア(北極ぐま)時代から(北極圏にいる時代から)、 何半島ですか? スカンディナビア半島を下って来たのですが、そこは、海賊の基地です。イギリスは海賊の基地です。イギリスは、海賊の基地なのです。パイレーツ・サイトです。 彼らが、イエス様を信じて、すべて目覚めたので、 "ローマよりも優れていなければならない。”と思ったのです。そしてまた、"スペインよりも優れていなければならない。”、“旧教(カトリック)の者たちよりも優れていなければならない。”と思って、このようにして、アングリカン・チャーチをつくり、"旧教よりも優 れていなければならない。”と思ったのです。 そのようにしようとすれば、海洋圈……。十六世紀のイギリスの女王が、そうではないでしょうか? ですから、海洋政策を立てて、スペインと戦わなければ なりません。ポルトガル人が問題ではありません。旧教を背景としたスペインの国は、ラテン文明ではないですか? 旧教は、ラテン文明です。そうでしょう? (「はい。」) それが、アングロサクソンです。「勝たなければならない。」と言って……。これが女王です。女王は女性なので、女王を代身して、海洋圏で発展し、スペインまでついて来て、ここに来ても戦いました。そうではないですか? もともとは、ポルトガルが、先に海洋開発をしたのです。スペインが受けたものを、イギリスが奪うために戦い……。これが、だれの基地でしたか? 旧教の基地だったのですが、すべて奪ったというのです。このような話をしようとすれば、切りがありません。 この海賊の基地であるイギリスが、“五大洋六大州に日の沈む日がない。”というのです。インドのような所は、三百年間、(イギリスが)支配したではないですか? 文先生のような思想があれば、三百年間、ただ捕まえて食べるよりも、煮て、焼いて、骨まで砕いて、餅にして食べてしまったというのです。 旧教が何をして、新教(プロテスタント)が何をしたのですか? (米国の歴史は) 二百何年間ですか? (建国の) 一七七六年から(今まで) 何年たちましたか? 十年しかたっていないというのですか? 米国 人は、計算が得意なので、それを正しく計算してみてください。 米国は、その間に、世界の一等国になったというのです。それは、米国人が優秀で、そのようになったのでしょうか? 新教文明圏なので、発展したのです。イギリスが優れているのでしょうか? それで、“五大洋六大州に日の沈む日がない。”というのですか? イ ギリスに行ってみなさい、というのです。すべて、どろぼうしたもので……。 ロンドンに行ってみれば、"博物館でない所がない” というほどです。しかし、わたしは、そのことでどれほど気分が悪いか分かりません。さまざまな国の王宮 から持ってきたものを、すべて自分たちの国でつくっ たかのように置いてあったというのです。いつか世界を動員して、(イギリスの) 博物館に設置された物を、自分の本国に取り戻そうという争いを起こせば、一瞬のうちに、イギリスは飛んでいってしまうというのです。 このような話をすれば、切りがありません。 ですから、「蕩減復帰」という言葉です。そのまま、 ただ「復帰」なのではなく、なぜ「蕩減復帰」というのですか? 「蕩減復帰」とは、ブラスを加えて「二」 になり、さらに二を加えて「四」になるのですか? プラスとプラスですか、ブラスとマイナスですか? サタン世界のプラスを取り戻すためには、そのマイナスに……。 天は、十分の一しか持っていらっしゃらないのです。 "十回戦って、一回勝つかどうかというのが、神様の立場であられるということを知らなければなりませ ん。蕩減復帰が、どれほど難しいのかというと、十分の一を、神様が希望を持って願われ、それもできずに、死の境地で耐えてこられた神様であるというのです。それが、どれほど、あっけにとられるような話でしょうか? そのように、天の側に孝子がいなかったのであり、 天の国を取り戻す忠臣がいなかったのであり、世界の聖人や聖者が、堂々とした世界的な指導体制を備えながらも、そのように考えた人が、一人もいなかったのです。一人もいたのですか、いなかったのですか? 何ですか? いたのですか、いなかったのですか? (「いませんでした。」)いなかったというのです。 何千年も前から、そのようなことを知って、「わたしもやる。だから、あなたたちもやらなければならない。」 と、教えてあげていたならば、どのようになっていたでしょうか? 国を売り、大陸まで売り、太平洋まで売ってでも、世界を救うべき運動が、今も残っているのです。そのようなことを、夢にも思わずに生きていたというのです。 その中で、怪物です。「怪物」とは、何でしょうか? 五官があるのですが、目があったとしても、それは怪物の目、鼻があったとしても怪物の鼻、口があったとしても怪物の口、耳があったとしても怪物の耳、それから何ですか? 「目もそうである。」と、言ったでしょう? そうして、手があったとしても怪物の手、体も怪物の体、怪物の親分のような人が出てきて、その人が神側になり、「だれか、わたしの相手をする人がいれば、 出てきなさい。」と言って、サタンでも何でも、首をつかんで、一度、激しくたたけば、飛んでいくというのです。亨進が、「はー。」と、このように(空手の息吹を)するのと同じようにです。 そして、「わたしは、怪物の王である。悪魔が、怪物のいちばんの王ではなく、わたしが、悪魔を怪物扱いして倒すことのできる大王陛下であり、わたしは、怪物の王である。」と言うことのできる人が出てきても、 神様を解放させることができるであろうかというのです。神様は、十分の一です、十分の一。のどを詰まら せて、それを願ってこられた神様の身の上が……。ああ! “王の中の王になることができるものを、すべて失ってしまわれ、こじきの下女のような、奴隷が残した腰ひも一つにしがみついて、世界をすべて取り戻そうと いう身の上が、神様の立場よりもましではないだろうか。”ということを考えるとき、救援摂理の「蕩減復帰」 という言葉は、どのような言葉であろうかというので す。不可能な言葉です。 蕩減が好きな人は、手を挙げてみてください。賞を上げるので、”蕩減が好きだ。"という人は、手を挙げてみてください。一人もいませんね。「"蕩減が好きだ。”という人は、手を挙げなさい。」と言うとき、わたし一人しかいません。 なぜ、笑うのですか? 見栄えの良い美男美女なら分かりませんが、最も見栄えの悪い醜男醜女の姿をして、このようにしているのですか? 気分が悪いですね。昼食の時間になったのに、ご飯を食べることがで きません。(笑い) さあ、このくらい話せば、どれほど難しいか分かるでしょう。ここは、日本人ですか?(「はい。」)<2/2に続く> さあ、本論に入りましょう。 それでは、先生が、この立場まで、勝利の覇権を勝ち取ることができる時まで、どのような考えを持ってきたでしょうか? レバレンド・ムーン自体が、自らを尊重視したでしょうか? 「国家メシヤ」や「再臨主」 や「救世主」という名前を尊重視したでしょうか? 19 Family 2002.7一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.22
コメント(0)
第1153回 天心苑特別徹夜精誠 (10/19)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.19
コメント(0)
「真のお母様の涙」2024/10/19Ⅱ)お母様の涙「二世を養育するために」2022/04/19一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.19
コメント(0)
一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.18
コメント(0)
真の父母様、文鮮明総裁のみ言・ケンカの話し?2024/10/16ケンカの話し?ではなく、話しの話し(言葉が問題)ジョークは、必要男女の問題、愛の関係神様(天の父母様)は、いるのか?言葉、口に注意⚠️より深い気づきがありますように祈ります。全てに感謝します。(真のお母様に感謝します)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.16
コメント(0)
幽体離脱経験後に続いた霊界との交信-証-マエダヒロシ-952回天心苑特別徹夜精誠2024/10/15天心苑TVは韓国語、日本語、英語の字幕を提供しています。ユーチューブの日本語字幕をオンにしてください。천심원TV는 한국어, 일본어, 영어 자막을 제공중입니다. 유튜브 자막을 켜세요.Cheonsimwon TV provides subtitles in Korean, Japanese, and English. Please turn on the YouTube subtitles.一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.15
コメント(0)
「人類救済は真の家庭から」(02.04.27 14万4000組国際聖職者祝福式晩餐会 シェラトン・ナショナル・ホテル) 盛大に聖職者祝福式 米国のキリスト教牧師などでつくる「米国聖職者指導者会議(ACLC)」(本部・米国ワシントン)は二十七日午後、ワシントン近郊のホテルで、大規模な国際聖職者祝福式を開催。神の前に永遠の結婚を誓う同式には、さまざまな宗教・宗派から約七百組以上の聖職者カップルが参加、ACLCの祝福運動をさらに推進していくことを誓った。 ACLCは、二〇〇〇年五月、超宗教・超国家の平和運動を推進している文鮮明師によって創設された。 同祝福式のサブタイトルは「家庭のために立ち上がり、国家を救おう」。式のメーン会場の最前列には、文師がマッチングした聖職者・日本女性のカップル多数を含む二十一組が着席。 この二十一組には、マルコムXの元ボディーガードで、ハーレムの父と呼ばれるチャールズ・ケニヤッタ牧師(82歳、アワースクエア・バプテスト教会)のカップルも含まれている。ケニヤッタ牧師は、ACLC議長のジョージ・スターリングス大司教(イマニ・テンプル)らとともに、同日の式に向け祝福の意義を語る全米講演ツアーを行ってきた。 会場には、さまざまな宗教・民族を代表する衣装で着飾った聖職者夫人の華やかな姿もあちこちで見られた。今回の祝福式では、ドン・オルソン牧師(セント・ルーク・ルーテル教会)が開会の祈祷をささげた後、郭錠煥・世界平和超宗教超国家連合議長が礼式の辞を述べ、「真の愛の生活の模範者となり、退廃的な社会に対する新しい希望の基台となってください」と強調。ガイアナ元首相のハミルトン・グリーン氏は「このイベントは世界に対するメッセージだ。文師のこの運動は、本当にタイムリーだ」と述べ、ACLC運動に大きな期待を表明した。 式の模様はサテライトおよびインターネットを通じて米国内および世界各地で開かれた祝福式に中継された。同式にはワヒド前インドネシア大統領、タミー・レモン・ゲサオ現パラオ大統領のほか、イリノイ州知事など四人の州知事、二十五人の連邦上下両院議員が祝電を寄せた。 同式では、イスラム教のアラマ・ムハマド・フセイン・アクバル師、ユダヤ教のイツハク・バー・デーア師、米国で著名なウイリー・ウイルソン牧師を含む宗教・宗派の代表十人が祈祷をささげた後、厳粛な雰囲気の中、主礼の文鮮明師夫妻が入場。聖水儀式(新郎新婦に聖水をかける式)、成婚問答、主礼の祝祷、指輪交換に続き、文師は十四万四千組聖職者の祝福達成を宣言した。(4/29付世界日報一面より)-------------------------------------------------------------------------------- 聖職者祝福式に参加した皆様に、お祝いの言葉を述べたいと思います。すべての人類が民族、教派を超えて一家族になる祝福であり、調和と愛の新しい歴史の出発です。 私は八十年余りの生涯を通して、一なる神を中心とした世界平和のために働いてきました。祝福家庭とは何でしょうか。真の父母なくして真の子女、真の社会はありえません。今日、真の家庭の正確な定義はありません。人類はこの点について無知に陥っています。問題は、人間が明確な目的なく生きてきたことです。宗教の究極的目的は、個人の救いだけでなく、家庭の救いまで完成することです。歴史を代表する家庭の正しい基準を、宗教は設定しなければなりません。それなくしては、地上に世界平和を確立することはできません。外的環境がいくらよくなっても、真の家庭なしでは世界は破壊されてしまいます。 父母、夫婦が分かれ、子女をもつことができないことは悲しいことです。歴史上の多くの聖人、聖賢は、神の理想世界、平和の基礎が家庭にあることを認識しませんでした。中心的家庭が地上に顕現しなければなりません。真の家庭から、新しい歴史の理想が出発します。 キリスト教は第二イスラエルです。真の家庭なくして真の目的に行くことはできません。家庭の基盤が弱まると、社会は崩壊します。神が人類を救済する出発点は、国でも、天才的個人でもなく、真の家庭です。真の家庭こそ、これらすべてを超越する出発点です。すべての人に、家庭の門につながる資格が必要です。 カトリック教会では、深刻な性の問題が起きています。独身主義の限界です。神の理想は、真の男女による真の家庭によりもたらされるのです。聖職者は真の家庭のモデルをつくり、他の模範にならなければなりません。新しい運動が出現しなければならず、本然の基準がなければなりません。 歴史は神の復帰摂理であり、創造理想を復帰するための摂理です。イエスは家庭について最も多く、最も真剣に話しました。創造神と人間との唯一の関係は、親子の関係です。それは単なる創造者と被造物の関係を超える真の愛の絆です。イエスは、自分は花婿であり、あなたは花嫁であると言いました。それは真の愛の関係です。子供は夫婦の愛の結実です。人間は神の王子、王女であり、神のすべての権能を相続します。イスラエル民族は神の選民でしたが、キリスト教は、来られる主の花嫁の立場に立つ宗教です。聖書の子羊の婚姻は、キリスト教の花嫁の宗教としての使命を示しています。イエスは地上に来て、花嫁を迎え、家庭をつくり、家庭の主となるべきでした。しかし、イエスは家庭理想を完成できず、十字架につかれました。イエスは家庭をつくったあと子女を生むはずでした。その子供は神の孫息子、孫娘となるはずでした。 神は、すべての人のモデルとなる神の家庭を創建されようとしました。堕落人間はこうした家庭を希求してきました。理想家庭の完成が、すべての宗教の目的です。すべての人間は、真の家庭をつくる道をゆかなければなりません。堕落世界の人間は神の人を嫌います。この複雑な状況のゆえに、イエスは、自分の家庭が敵になるだろうと言われたのです。イエスが完成したかったのは、神を中心とした一つの家庭です。イエスは家庭を確立できなかったので、再び来ると言われたのです。再臨の目的は真の家庭をつくり、真の国家をつくることです。それが神の理想です。神を中心とした家庭を地上に樹立し、神の血統を残すことです。 真の家庭が確立されなかったので、神は復帰摂理を進めてきました。神が第一代で、アダムとエバは第二代、アダムの子女は神の孫です。三代にわたる家庭が完成されるはずでした。堕落の結果、第二代、第三代が失われ、血統が神の血統からサタンの血統に転換されました。イエスが家庭をつくれば、神の第二代、第三代が復帰されるはずでした。そこから、国と世界ができるはずでした。この家庭が確立されませんでした。サタンが与えたサタンの血統が、神の血統に転換されなければなりませんでした。アダムとエバは本来は人類の父母となるべきだったのです。神は、それに代わる真の父母を地上に確立し、神の血統を樹立しようとしてきました。祝福された家庭は、神の第三代、孫の立場に立ちます。神の孫の家庭になります。神の血統、生命が受け継がれます。生命と愛以上に血統は重要です。 祝福の価値は、宇宙にも替えられない価値をもちます。祝福は、人類の真の父母として来られた文師によってのみ可能になりました。文師は米国で三十年間苦労の道を歩んできました。祝福家庭とは、神を中心とする理想家庭です。来られる主は家庭を必要とします。来られる主より前に、家庭をもつことは正しいことではありません。来られる主が真の家庭をつくり、全人類がそれに接木されなければなりません。皮膚の色の違いも問題ではありません。すべての人が通過しなければならない門は、共産主義世界でもなく民主主義世界でもありません。本然の理想家庭です。神を中心とする理想家庭を構築しなければなりません。平和の国、平和の世界、理想家庭、理想世界を地上に創建しなければなりません。それが神の世界摂理を完成する唯一の道です。それは国からではなく、家庭から出発します。共産主義世界や民主主義世界からでなく、皆さんの家庭から始まります。聖職者は、家庭、地域社会を救い、国を強化するための前線に立たなければなりません。それは言うのは簡単ですが、実行するのは難しいことです。アメリカの大統領になるよりも重要なことです。われわれは世界を変える前線に立ちます。祝福された牧師は、教会を通して祝福運動を拡大し、平和の国の開拓者になられんことを。 神の祝福がありますように。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.14
コメント(0)
祝福家庭と理想世界2002年4月27日(土)に米ワシントンD.C.をはじめとする世界189か国で、直・間接に衛星中継とインターネットを通して挙行された。本講演文は、ワシントンD.C.のシェラトン・ナショナル・ホテルで開催された14万4千組の聖職者祝福勝利祝賀晩餐のときに語られたみ言である。 本日、歴史的な超宗教・超人種・超国家から成る14万4千組の聖職者の祝福結婚式に参加した当事者の皆様に心よりお祝い申し上げます。 真の家庭の理想を中心に宗派と教理を超越し、五色人種が一つとなったこの日は、葛藤と紛争で突き進んできた人類の文明史に、和解と愛が勝利した歴史的な一日として記録されることでしょう。私は過去80年あまりの生涯を通じて、私が創設した宗教団体を飛び越え、神の下の一つの平和世界を建設することに全心全力を尽くしました。 今やその実を結んだこの意義深い場で、さまざまな宗教団体の指導者の皆様と分かち合おうと思うみ言は「祝福家庭と理想世界」です。 この世の中には数多くの人々が暮らしていますが、彼らは皆、家庭に属しています。ところが、真なる家庭がなくては、真なる子どもを育てることができないのであり、真なる社会の形成も不可能なのです。真なる家庭が基礎になって、真なる社会、国家、そして世界が建設されるのです。真なる家庭とは、神の真の愛を中心として築かれた家庭をいいます。 今までは真なる家庭が何かという定義がありませんでした。それだけでなく、真なる人間が指向しなければならない目標が何かもはっきりとしていませんでした。どこから来て、どのように生き、死後はどこに行くのかを知ることができないまま、無知に置かれてきた人間だったのです。そして人間が到達しなければならない目的、修養の基準、そして人間完成の限界点が規定されないまま歴史が続いてきました。個人がそのような立場にあったので、家庭的な基準も立てられるはずは決してありませんでした。 そのように見るとき、数多くの人間たちが人生行路でさまよっているのも問題ですが、私たちが忘れてはいけない、さらに大きな問題は、真なる個人を中心とじた真なる家庭の基準が立てられるべきだということです。その問題が、人類の行路と人類歴史の途上に残っているのです。 それでは人間の霊的な無知を打開してきた宗教が指向すべき最後の目的は何でしょうか。個人の救いも意味がありますが、家庭を救わなければなりません。まず、家庭を探して、人間たちを罪悪の中から解放しなければなりません。 真の意味で歴史を代表し、時代を代表し、そして未来を代表する家庭を探さなければなりません。ひいては、世界の人類が皆一様に望む家庭の基盤と家庭が指向すべき程度の基準が確定されなければなりません。どこから家庭の制度が始まり、どこを指向すべきかということが決定されなければならないのです。そうならない限り、地上に平和の世界を創建することはできません。すべての家庭が健康でありえないとき、世界は一時に破綻しうるということを知らなければなりません。 家庭には父母がいると同時に夫婦の因縁があります。父母がいなかったり夫婦が分かれていても不幸ですが、愛する配偶者を失うようになるときは、この上なく悲惨で不幸なものです。それだけでなく、夫婦が子どもをもてなくても不幸であらざるをえません。たとえ、外的には大きく成功できなかったとしても、家庭で真なる父母、夫婦、子女を中心として愛を完成して、他の人たちがその家庭を見習いたいと思うほど平和に暮らすなら、その家庭は幸せな家庭であるということは否定できないでしょう。 今日まで聖賢と賢哲が平和を語ってきましたが、家庭が真なる平和の起点であるということをよく知りませんでした。それは神の創造理想が、理想家庭を土台にした平和世界の建設であるということを知らなかったためです。 今まで世界の歴史に各種の革命が数えきれないほどたくさん起こりました。そのような革命によって世界を動かしたケースが多かったとしても、それらはすべて過ぎ去ってしまいました。最後の問題は、真なる家庭を築くための革命を起こすことのできる一つの中心が地球上に現れなければならないということです。ですから、そこから新しい世界が創建され、新しい歴史的な理想が出発しなければなりません。それが第一イスラエルであるユダヤ教から第二イスラエルであるキリスト教を通して伝授されてきたメシヤ思想です。 正しい家庭をもてない人が正しい方向に生きていけるでしょうか。そのような人は生きていっても、安定した終着点を見いだすことができずに戻ってくるしかないでしょう。ですから、再び家庭に訪ねて入っていくしかないのです。そのような運命を背負った人生行路なのです。 本郷を追求していく人間の力が、すべての歴史と環境に影響を及ぼして幸福の基台を築く動機とならなければなりません。そのような人間の力の基盤となる家庭は、どこにおいて築くことができるでしょうか。今日すべての宗教は、社会のために貢献する以前に家庭の基礎からまず設けなければなりません。なぜなら、宗教が社会のために貢献したとしても、その社会を形成している家庭の基礎が崩れれば、社会の基盤も崩れてしまうからです。 そのような点から見るとき、神が、堕落した人類を救うための最初の起点はどこでしょうか。ある文明を誇る特定の国家でしょうか。違います。社会のある組織が理想的な組織だからといって、その組織を中心として救うでしょうか。違います。それでは天才的な素質をもったある個人を中心として救うでしょうか。それも違います。それなら何でしょうか。 そのすべてを超越しうる一つの起点が真なる家庭であるということを知らなければなりません。したがって、今日の人間たちはそのような家庭の門を通過した資格を備え、世界へ向かうことができなければなりません。そのような主義と思想をもつことができる個々人が出てこなければなりません。 それではどうして、仏教とカトリックでは独身生活を強調してきたのでしょうか。独身主義が真の幸福の基盤であるということができるでしょうか。そのようにいうことはできないのです。いかなる宗教や主義も、真なる幸福の根源がどこにあるかを教えることができなかったので、彼らは独身生活をしながら将来現れる純潔で正しい家庭の契りを立ててきたのです。昨今持ち上がっているカトリック内部の深刻な問題は、13世紀以降に続いてきた独身主義に対する根本的な見直しが必要であるという事実を物語っています。 神のみ旨は、真なる男性と女性が築く真なる家庭を通して成就するようになっています。それゆえ、聖職者たちが率先して理想家庭を築き、世の中の人々に手本を示さなければなりません。 今日アメリカだけでなく全世界では、青少年たちの脱線と堕落が健康な社会を脅かしています。世界は人間の力と愛では収拾することができない終末的な状況に置かれています。それゆえ、新しい運動が展開されなければなりません。すべての誤ったものを清算し、本来の基準で新たに出発しなければなりません。 そのような意味で、歴史は本然の理想世界に向かって、古いものを清算し、新しいものを再創造していく再創造の復帰摂理歴史です。ですから、過去のものと新しいものがぶつかるのです。今までは、だれもが家庭を思いのままに立てましたが、今後はそのように立ててはいけません。 様々な宗教の創始者たちの中でイエス様は、特別に家庭について深刻なみ言をたくさん語られました。イエス様は、神をどのようなかたであると言いましたか? 「私の父」と言いました。創造主である神と人間の関係を親子の関係であると言いました。さらには、イエス様ご自身が「神のひとり子」であると言いました。それはイエス様が神の長男であり一人息子だったということです。 神が愛の本体であるならば、人間と親子の関係にならざるをえないでしょう。それゆえ、神と私たち人間の関係は、単純な造物主と被造物の関係を飛び越えて、真なる愛、生命、血統によって連結した関係なのです。 また、聖書ではイエス様を新郎に例えています。新郎と新婦が結婚すれば夫婦となります。家庭を築くのです。結局、家庭を築いて子どもを生むのです。結婚した夫婦は、必ず息子、娘を生まなければ、家庭が確かなものとして築かれません。妻が憎くて離婚したくても、子どもを生んでおけば、むやみに別れることができません。ですから子どもは夫婦の愛の実です。 この地にイエス様は神のひとり子であり、天国の王子として来られました。神の全権を相続するにふさわしい王子として生まれたのです。そのような神の息子を迎えて神の長男の嫁となるべきユダヤ民族でしたが、そのようになることができなかったのです。 皆様の中でその王子様の新婦となりうる自信のある人がいますか? そのような人は神を父として侍り、天の王子と王女として因縁を結ばなければなりません。そのように神を中心とした家庭を築くことが、イエス様の願いでした。天下を所有したかったのではありませんでした。 それでは、キリスト教は何をすべきでしょうか。すべての人類が再臨を待つイエス様の新婦を準備しなければなりません。ですから、聖書に小羊の婚宴の比喩があるのです。その責任を担ってきたのが新婦の宗教のキリスト教であるという事実をはっきりと知らなければなりません。二千年前にイエス様が肉身をまとって地上に来た目的も家庭を築くことでした。問題は家庭でした。 イエス様が家庭を築いていたらどうなったでしょうか。家長になって家の宗主になったでしょう。しかし、イエス様は家庭を築くことができずに、十字架にかけられました。イエス様が築くべきだった家庭は、神に侍り「千年も万年も暮らしたいものだ…」と言うことのできた家庭です。韓国の民謡の中で「月よ、月よ、明るい月よ、李白が遊んだ月よ、あそこの、あそこの、あの月の中に月桂樹を植えたので、父母を迎えて千年も万年も暮らしたいものだ…」という歌があります。 もしイエス様が家庭を築いたならば、子女たちを生んだでしょう。すなわち、神の孫と孫娘が現れたはずなのです。ところが神は孫と孫娘を見ることができませんでした。結局、神は直系の孫と孫娘を見ることができなかったのが恨です。 今まで神は、すべての人間たちの標本的な家庭を立てようとなさいました。神は、そのような家庭をどれほど恋しがられたでしょうか。また、堕落した人間たちも、どれほどそのような家庭を恋しがっているでしょうか。皆様もそのような家庭を恋しがってみましたか? すべての人類が理想家庭を中心として一つになるべきです。ですから、すべての人類は何を探し求めるべきでしょうか。真なる家庭を探し求めなければなりません。 今日の堕落した世界の家庭は、神の前に立つことができません。そのような曲折があるので、「そして家の者が、その人の敵となるであろう」(マタイ福音書10:36)というみ言が当てはまるのです。 イエス様はこの地に来て何をしようとされたのでしょうか。神を中心とした一つの家庭を築こうとしました。ところが、その家庭を築くことができなかったので、再び来ると言われました。再び来て何をするのでしょうか。家庭を築かなければなりません。その家庭で息子、娘たちが繁殖すれば、氏族を成し、民族を成し、そして国家が成されるでしょう。 今までそのような家庭が築かれなかったので、神が創造理想とした本然のそのような家庭を築くために救いの摂理を展開してこられたのです。今日にいたっては、そのような家庭を立てるために、「祝福」というものを施しています。その祝福で築かれる家庭を「祝福家庭」といいます。 祝福家庭とは何でしょうか。神を中心とした理想的な家庭のことです。その家庭は来るべき主が築かなければならない家庭であり、今後、後代の人々も築かなければならない家庭であり、すべての人間が果たさなければならない目標なのです。 すべての人間が通過しなければならない関門は何でしょうか。国家でもなく、世界でもありません。共産主義世界でもなく、民主主義世界でもありません。本然の家庭です。民主主義世界が建設される以前に真なる民主主義世界を創建しうる本然の家庭がなければならないのです。その家庭が現れるまでは、平和の王国、平和の理想国家、あるいは平和の国はありえません。 ですから、私たちの願う理想的な家庭、本然の家庭、生きるべき家庭、出会うべき家庭、探し求めるべき家庭が、地球上に必ず現れて人類の歴史とともに運命を共にすることができる一時が訪れなければなりません。そうしてこそ、地上に対する神の摂理が完成するのであり、安息の巣が設けられるのです。そのように家庭を生かし、地域社会を新しくし、国をしっかりと立てる運動を聖職者たちが率先して展開しなければなりません。 本日祝福された聖職者の皆様は、これから率先して皆様の教会と地域社会で祝福運動を主導し、平和の国と平和の世界を建設していくことにおいて先駆者となってくださるようお願い申し上げます。神の祝福が皆様のご家庭に共にあることを願いながら、お話を終えようと思います。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.14
コメント(0)
第四十三回「真の父母の日」記念礼拝の御言(No.3/3)二〇〇二年四月十三日(陰曆三月一日):韓国・京畿道九里市水澤洞 中央修練院 今年の第四十三回「真の父母の日」の「敬礼式」と「記念礼拝」は、韓国・京畿道九里市の中央修練院で行われました。 「記念礼拝」では、み言に先立って訓読会が行われ、郭錠換会長が、一九六六年三月二十二日、第七回「(真の)父母の日」のみ言「望みの父母の日」を訓読しました。 続いて真のお父様が壇上に立たれ、二時間余りにわたってみ言を語られました。 これは、そのみ言を翻訳し、整理したものです。なお、編集上の都合により、一部割愛しました。 (文責・編集部) Family 2002.6月号「第四十三回「真の父母の日」記念礼拝の御言(No.1/3)」「第四十三回「真の父母の日」記念礼拝の御言(No.2/3) 」<続き> きょう、「(真の)父母の日」に、最も貴いものは何かというと、それは血統です。言ってみてください。 血統。(「血統。」)血統が貴いというのです。父母を中心として、父と母を中心とした真の愛があり、真の生命が一つになったとしても、息子、娘がいなければ、すべて無効です。それは、一代で終わります。 息子、娘がいなければ、いくら美男美女の血筋と愛と生命が、りっぱに結着しているとしても、根のない木と浮き草のように、台風に吹き飛ばされてしまうのです。それは、乾けば、だれでも火で燃やすことができ、材木なら、切って穴蔵をつくることができるのです。だれでも移動させることができるのです。それではいけません。 伝統的な血統を中心として……。その血統は、神様の愛と、神様の生命と、神様の血統が連結され、おじいさんの血統がお父さんの血統であり、おじいさんとお父さんの血統が私の血統となり、“私”という存 在自体が、その証拠になっているのです。ですから、 おじいさんも“私”を愛さなければならず、お父さんも”私”を愛さなければなりません。 おじいさんは、霊界を代身した垂直的な先祖であり、お父さんとお母さんは、平面的な先祖です。そのおじいさんの愛、お父さんとお母さんの愛と一つになり、 天の国のおじいさんと、地上の中心であるお父さん、二つの世界の全権的主人たちの愛を受けることができるのが孫なので、孫の家庭を完全に抱くようになるのです。 そうして、そこから二つの世界、二重になった平面的人格、立体的人格を代表することができる理想の天上天国と地上天国、天上世界と地上世界の両世界が、 統一的基盤として、自分の家庭の前に完全に定着することができる基地となることによって、そこから、地上、天上天国が勃発するのです。アーメン!(「アー メン!」)ですから、貴いものは、血統です。(拍手) キリスト教歴史の中で、有名な人たちが全員、カトリックを信じていた人たちも、プロテスタントを信じていた人たちも、今、霊界で、このように言っているのです。 「四位基台を完成し、三対象目的を完成することができなければ、天国に入ることができないのに、私たちはどうするのか? 真の父母が現れなければよかったのに、真の父母が現れたことが怨讐である。これは、なくすこともできず、どうすることもできないので、 従っていかなければならないが、大変なことになった。 神様、お助けください。あの文総裁を通して、私たちも四位基台を完成することができる家庭的定着基盤を造って、天国に入って行くことができるようにする方法を教えてください。」 しかし、彼らがそのように言っても、神様は教えてくれません。その権限は、真の父母にしかありません。分かりますか?(「はい。」) その方法は、皆さんの中で、息子、娘がたくさんいれば、養子として送るのです。お兄さんです。お兄さんとはだれなのかというと、先祖です。先生は、七代が一段階で、一範疇なのです。一カテゴリーであり、 一範囲です。 その七代の子孫の中から養子を選択するにおいては、先祖たちの性格と同じ人たちを、好きなように選択することができます。養子圏の選択を、先生が許諾するのです。分かりますか? 分かりますか?(「はい。」) 地上で弟なら、兄を訪ねて、それを埋めることができ、兄は弟を訪ねて、それを埋めることができるのです。このようにすることができるので、心配することはありません。 四位基台を補充して、新しく接ぎ木し、真のオリーブの木の東側の枝、西側の枝、枝の芽、枝の根まで接ぎ木して、完成することができる条件的基準を埋めてあげるのが、先生の権限です。分かりますね? (「はい。」) 地獄に行った人も、それを相対が願えば……。もし、 地獄に行った妻がいたとして、その夫が、だれよりもその妻のことを愛していれば、その妻を呼び、神様の恨を解いてあげ、恨めしい先生の恨が解かれることを希望として、解放してあげることができます。それは、そのような者たちの恨を解くために、永遠をかけて苦労された天地父母様がいるので可能なのです。 そのためには、地上にいる人間が、一生の間、父母の道理を思いながら彼らを赦し、地上の解決的な編成を中心として、養子圏を通して家庭理想を連結させ、兄の道理、弟の道理を再び編成し、天上世界と地上世界が一つになって、天国に超えていかなければなりま せん。 そのような解放的地上、天上天国の理想世界に超えていく救世の道を築く権限は、神様にもありません。 皆さんの先祖にもできません。真の父母だけができる、ということを知っていますか? (「はい。」) 先生は、何十年も前、五十年前に、み言を語りましたが、そのすべてのみ言が、今になって、そのとおりになっているのです。分かりますね? (「はい。」) 先祖が兄になり、弟が地上のアダム圏を代身するのです。そうして、兄が弟を殺した、そのような時期ではなく、天上世界のすべての先祖たちを祝福してあげ、 兄である先祖が祝福を受けて、地上の理想的アベル圏家庭完成のために、東西南北に保護して、天にきちんと入って行くことができるように、保護育成するのです。 そのように、霊界全体が、地上に再臨して、全員を (天国に)連れて行くように努力し、協助しているということを知らなければなりません。 そこは、部落の限界線、国家の限界線、すべての人種、宗教の限界線を越え、統一的な一つの心情です。神様の愛と生命と血統は、同じ血族であり、同じ血筋であり、色も同じです。動物も人も、血の色は白いですか、赤いですか? (「赤いです。」)血の色は、同じです。血の色は同じなのです。骨は、どうですか? (「白いです。」)白いのです。 なぜ、骨は白いのかというと、七色の光が、すべて一つになれば、また、あらゆる色の光が一つになれば、それが白い光になるのと同じです。それと同様に、骨は、四肢五体のいろいろな色が合わさり、一つになることによって白い色なのです。 それは、太陽の光が、(七色の光が)速い速度で巡ることによって白い光になるのと同じで、骨も白いので す。分かりますか? おじいさんの骨も白く、お父さんの骨も白く、孫の骨も白く、年を取った人も白く、死んでも白いのです。 赤ん坊の骨は、黒いですか? (「白いです。」) それで、骨において残ることができるのは何かというと、先祖です。歴代の先祖の骨髄というものは、すべての体を血でつくって、養育することができるのです。体は死んでも、骨は残るのです。神様の愛の縦的な基準なので、これは……。 骨の形どおりに、皆さんの顔形はできるのです。この李(京埈)総長の顔は、目がどんぐり眼のように丸いですが、それは、骨(の形)が、そのようになっているからです。すべて、そうです。 この尹(世元)さんも、そうです。この人は、四方を消化するよりも先に、目的を消化しておいて、それ から必要なものに関心を持つ人です。この人を教育の責任者として送ると、本人は、"課外のものには関心を持たないようにしよう。”と思っていたのに、最近、サッカーの責任者になってしまいました。 それで、最初は気分を悪くしていたのですが、じっと見てみると、最近では、"まんざらでもない。”と思っているようです。そうして、昔、自分が考えていた教育を、すべて忘れてしまったようですね? 忘れてし まいましたか、忘れていませんか? (「忘れていません。」) どちらがよいですか? サッカーの監督をするのがよいですか、教育をするのがよいですか? (「教育す るのがよいです。」)何がよいのですか? エキサイティングなのは、サッカーの監督をして責任を持つほうが、エキサイティングでしょう? 死ぬほど深刻で眠ることもできず、生きるか死ぬか分からないような境地で苦しんでも、栄冠を手にすれば、その万歳を叫ぶだけでも……。 0対0が続いて、そのような勝利のゴールを決めて、1対0になっただけでも、万歳をするときには、きょう、先生が強調して万歳することよりも、もっと元気が出るでしょう?(「はい。」) ですから、そのほうが、もっとよいではないですか?(笑い)「ほほほ。」と、女性の笑い声が、どうし てそのような笑い声なのですか? 「ほやほやほや。」と、おかしな笑い声です。さあ、分かりますね? (「はい。」) 最も貴いのが、血統です。“私”の額にも、神様の血統が息づいています。そこには、父母の生命線が連結され、そこにおいて、神様が本来、エデンにおいて理想とされていた愛の血統が待ち受けているのです。その血統が、私の体の頭からつま先まで……。どのように死のうとも、血統は残るようになっています。 ですから、神様が滅びず、“骨の中の骨”でいらっしゃるからには、わたしたちも、その骨が腐らないの と同様に、自らの一族の前に、「第二の主人は、“私”以外にはいない。」と言うことができなければなりません。 そうして、このような絶対的な”家庭の骨”を“先祖の骨”として残さなければなりません。 そのとき、それが神様に似たものとなれば、天の国の倉庫に持って行って、きちんと保管すると同時に、一緒に暮らしていた家族たちも、ヤハウェの家に暮らすことができる分際を中心として、部落ができるようになります。そのようにして、文総裁の部下たちが暮らす部落ができるのです。 その部落が大きくなって民族ができ、民族が大きくなって国ができるのですが、地上世界、天上世界において、雑多な国の血統や生命の系譜や愛の系譜、そのような誤ったものを、すべて片付けてしまわなければなりません。 そのようにして、本当の神様の血統に通じることのできる真の愛、真の生命、真の血統の一族一色の世 界となりうる地上、天上天国こそが、一元的なわたしたちの本郷の地であり、祖国の地なのです。アーメ ン! (「アーメン!」) 何を残さなければならないのでしょうか? (「血統です。」)「ご父母様の血統よりも、"私”の血統が、もっとりっぱでなければならない。」と、訓示しなければなりません。何のことか、分かりますね? (「はい。」) この決心を・・・・・・。 三大原則で、より貴いものが血統です。息子、娘や孫を持つことができないということは、悔しく、恨めしいことです。 ですから、赤ん坊の種を受けた母親の腹中の子宮が、門を開いて赤ん坊を宿したときには、一家、一族が保護しなければなりません。そうして、天と地が保護することができる、そのような因縁を持って、赤ん坊が大きくならなければなりません。これが、子宮です。 赤ん坊の種は、そのような"赤ん坊の宮殿”で育たなければなりません。 赤ん坊の宮殿を管理することができる主人は、だれですか? 母親です。宮殿だけではありません。赤ん 坊は、その体の骨肉の九九・九九パーセントを、母親の血肉を分けてもらうのです。 それ一つでは、(体の構成要素の) 一パーセントにもならない生命の種である精子が、たった一つ(母体の中に)入って行って揺れを引き起こし、九九・九九九九パーセントを母親の体から消化して大きくなり……。 その息子、娘は、だれのおかげで大きくなったのでしょうか? 母親のおかげです。そして、父親のゆえに、生命の種ゆえに大きくなったのです。 ですから、母親と息子が一つになって、父親を愛さなければなりません。その父親は、母親と息子、二代を愛してこそ、三代が連結されるのです。その連結させる最初の分岐が何かというと、子宮に息子、娘を宿してこそ、繁殖が成されるようになっているのです。 その主人はだれかというと、母親です。赤ん坊を育て上げることができる療養所であり、保育園のようなものが、母親の子宮です。そのように、赤ん坊は、母親の血肉を通して生まれるので、母親がりっぱなのです。 ですから、赤ん坊を生んで育ててみることができなかった人は、心情の世界が分かりません。また、父親は、赤ん坊を生んで育てる、その母親と息子、娘を、昔の自分の初愛より以上の愛の心で抱き、自分の生まれた息子、娘を抱き、十人を生めば十人を抱いて、父親を中心とした一つの懐に入って、一つにならなければなりません。 そのようにして、「おお、よしよし、私の愛よ。父母の分身よ。」と言うとき、三代が天国に入っていくことができる、モデル的な家庭の土台が築かれるのです。 それが、真の父母が地上に来て願った、目的の実体であったのです。アーメン! (「アーメン!」)(拍手) 四十三年間かけて、国家を超え、このような基盤を築いたという事実は、歴史の全時代において、だれも、 このようなことをした人はいませんでした。それを真の父母が苦労して、そのような基盤を世界版図に広げたのです。そして、今では、わたしたちがどこに行こうと、祝福の同志たちが、世界じゅうに満ちあふれているのです。 そのようなことを見るとき、わたしたちが、仲間同士で仲良く旅行するというときには、出発するときは、息子、娘を中心として、そこに残して行くのです。そして、親戚関係を結んだ人たちを訪ねるために、世界じゅうを旅行して回りながら、親戚を訪問する旅行行脚の一生を過ごすのです。 そのようにして喜びで過ごすのが、天国の民であり、それが、一つの食口として暮らすことができる、訓練的な基盤を築いておく道なのです。アーメン。(「アーメン。」) 何代以内かに、十二か国、五十か国、百何十か国、 すべての国家の血統を一つにして、そこに接ぎ木し、「どこの国であっても、“私”の血統が連結された国家、 “私”の生命が連結された家庭がない所はない。」と、 このように言うことができるようにならなければなりません。 そのとき、神様も、それをごらんになって、“天下に、わたしの子孫が暮らしている。”と思われるのです。それと同じように、”私”も、たくさんの人を伝道して、 どの国であっても、国境なく直行することができる環境的与件を……。 個人がそうであり、“私”の一族がそうであり、一国が、そのように動くことができ、国境なく、自由行路するその世界こそが、理想天国であり、天上天国であったというのです。 こうしても「アーメン」、ああしても「アーメン」 一年中「アーメン」でないものがありません。それが、神様の所願成就が定着した地上、天上天国であったのです。アーメン。(「アーメン!」)(拍手) いくらサタンが役事をし、そのような垣根をつくり、城を造ったとしても、“私”の力で、それをばたばたと蹴り倒して、平地を造らなければならない責任があります。 そこには、民族を超え、世界を超えて、天上世界まで、このことをしなければならない宿命的な課題の城がふさがっているのです。 これを壊してしまうことのできる実権を持たなければ、天の国の直系の立場で相続することのできる、主体的血族になることはできません。 主体的な血族となり、主体的な国になるための韓国から、わたしたちは、どのような民族の受難以上の苦労をしたとしても、血統定着のために先頭に立ち、開拓、開発を遅らせてはいけません。 挺身一路、すべての勝利の覇権者として、万世、万々世に勝利を誇りながら生きていくためのものが、「真の父母の日」なのです。 そうして、それが、第四十三回を超えた”統一地上 天国解放圈時代”において、だれかれなくすべてが集 まり、この五千人ではなく、五万人、五百万人、五億、五十億全体が、同じ色として一体化することができる勝利の覇権のために前進する群れが……。 どこに行ってみても、色が同じです。統一教会は、すべて同じであるというのです。北朝鮮に行っている人たちは、日本人も、他の国の人々も、共産党も逃げていくのですが、統一教会は逃げて行かずに、そこで耐えて暮らし、 共産党を教育して指導するのです。 そのようなことができるのは、統一教会しかありません。トップレベルの人たちが、すべて認めているのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) 日本人も中国に嫁いで行くのであり、北朝鮮と親戚関係を結ぶようになるのです。日本は、米国と中共、ロシア、韓国、四大国を中心として、かつて侵略者の立場であり、怨讐の立場なのです。 しかし、四か国と日本民族を結婚させて送り出す日になれば、日本は、天下の五色人種の主体国として、母親の血統を分けてあげる血族になることによって、三十年以内に、日本が世界的母の国としての立場を築くことができる自由解放の地上、天上天国が連結され ているのです。 ですから、一人残らず、この目的のために前進、前進を……。日本語で「驀進」と言いますが、そのような前進をしなければなりません。そのことを決定すべ きこの時間であるということを、肝に銘じたのです。アーメン。(「アーメン!」) “私は、本当にそのようになる。”と、決心した人は、立ち上がって、両手を挙げましょう。アーメン! (「アーメン!」)アーメン。(「アーメン!」)アーメン。 (「アーメン!」) 韓国民族が、日本に仏教を伝授したのは、いつですか? 何年前ですか? 韓国は文化国です。仏教国家として天下を統一し、 儒教国家として天下を統一し、キリスト教国家として天下を……。そして、統一教会国家として、やがて天下が統一されます。 今では、(韓国の)野党が、文総裁の足場を、その草の根組織を無視することはできません。わたしが線を引くとおりにしなければなりません。一方通行の方向を設定して、つばぜり合いをしています。 日本は、順応的な立場を貫かなければなりません。そうして、母の国としての権威を喪失しないように、一方通行の勝敗決定をするにおいて、躊躇せずに前進、驀進、爆進することができる日本の国にならなければなりません。 そうしなければ、自分が置かれている立場と自分の権威を喪失する危険があるのです。分かりますか? (「はい。」)責任者として前に座っている人は、罪が多いということを知らなければなりません。 ですから、"蕩減復帰をたくさんしなければならない。”という決意を持って、全国を踏破して余りある巡回のチャンピオン、将軍になることを決心して、帰ることを願います。分かりますか?(「はい。」) 韓国も、そうです。名前をつけたすべての国家の責任者たち。代表者たちが、米国に行っていますが、一所懸命にやっているので、彼らに負けないように、もっと一所懸命にすることを決意し、誓わなければなりません。 そうして、今から故郷に帰って、米国に行っている代表者たちに負けないすべての結果を残すべく、この国の終着点解決を成すために前進することを決意して、出発しなければなりません。分かりますね?(「はい。」) この決意に満ちた信念を持った人は、右手で……。 さあ、先生に従って、万歳! (「万歳!」)今度は、左手で、万歳! (「万歳!」)両手で万歳! (「万歳!」)右足、万歳! (「万歳!」)左足、万歳! (「万歳!」)全身をささげて、万歳! (「万歳!」) 解放天国を完成すべし 。万歳! (「万歳!」)第四十三回「(真の)父母の日」祝賀の度数が満点で終えられるようにしましょう。万歳! (「万歳!」) (「梁昌植会長の先唱で、万歳三唱いたします。」) (「もう一度、決意を固めながら、大きな声で万歳を 奉献いたします。」) 血統! (「神様王権樹立勝利万歳!」)万歳! (「勝利された天地父母様、万歳!」)万歳! (「第四十三回『真の父母の日』、慶祝万歳!」)万歳! (「立ったままで、天地父母様に敬礼いたします。天地父母様に敬礼!」) さあ、元気で過ごして……。気をつけて帰りましょう。帰ってから勝利の覇権的な権威を残すことができるように、全身全霊を打ち込むことを願います。(「アーメン!」) 勝利の祝福が、共にあることを願います。アーメン! (「アーメン!」) (「ありがとうございました。皆さん、大きな拍手で感謝を表しましょう。」)(拍手)<完>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.14
コメント(0)
第四十三回「真の父母の日」記念礼拝の御言(No.2/3)二〇〇二年四月十三日(陰曆三月一日):韓国・京畿道九里市水澤洞 中央修練院 今年の第四十三回「真の父母の日」の「敬礼式」と「記念礼拝」は、韓国・京畿道九里市の中央修練院で行われました。 「記念礼拝」では、み言に先立って訓読会が行われ、郭錠換会長が、一九六六年三月二十二日、第七回「(真の)父母の日」のみ言「望みの父母の日」を訓読しました。 続いて真のお父様が壇上に立たれ、二時間余りにわたってみ言を語られました。 これは、そのみ言を翻訳し、整理したものです。なお、編集上の都合により、一部割愛しました。 (文責・編集部) Family 2002.6月号「第四十三回「真の父母の日」記念礼拝の御言(No.1/3)」からの続き ここで、ご父母様がつくってくださった貴いプレゼントが何かというと、「天一国」です。言ってみてください。(「「天一国』。」)「天一国」とは何かというと、「二」という字と、「人」という字を合わせれば、「天」になります。「二人」ではありません、「天」です。 ですから、ふたり(二人)が一つになっている国を「天一国」と言うのです。皆さんの心と体、それが”ふたり(二人)”です。”心の人”と“体の人”、この“ふたり(二人)が、一つになっていないというときには、「地一国」です。(笑い)それは、天国ではなく、地獄に行くのです。「天一国」は、天上の最も優れた国です。ところが、その反対になっているのです。 「天一国」という言葉は、そのような意味になるので、すべての宇宙は、必ず主体と対象関係で結ばれるようになっているのであって、独りで存在するものは ありません。いくら何億万ボルトの強いプラスが生じたとしても、マイナスが生じなければ、なくなるマイナスとなり、プラスになるということです。 したがって、いくら人間が優秀であっても、なくなっ てしまうのです。先生がいくら優秀でも、お母様という存在がいなくなれば、先生一代で終わるのです。お母様がいくら優秀でも、先生がいなければ、一代ですべてなくなるのです。そうではないですか? それでは、男やもめや寡婦を好む人がいますか? いますか、いませんか?(「いません。」)今まで、神様は、男やもめとして生きてこられたのですが、喜んでおられたでしょうか、悲しんでおられたでしょうか? (「悲しんでおられました。」) ですから、男やもめになり、妻を失ってしまい、息子、娘を失ってしまい、数千万年の間、息をしながら生きる神様のその息遣いは、喜びの息遣いとして連結できる根がないので、「悲惨な恨の神様である。」という言葉が成り立つのです。分かりますか? 女性が、いくら優秀で、ハーバード大学の博士であるとしても、粉々になるのです。四十歳になるまで勉強して、ハーバード大学の女性博士になり、処女のまま年老いても、真っ赤なまま年老いたとしても、真っ赤なまま年老いて、何を食べるのかというと、唐辛子です。 真っ赤なものを乾かして、ぱさぱさした真っ赤な粉になり、その粉を舌につけて、「ぺっ!」とつばを吐くとき、それをすすって、「ちゅう、ちゅう、ちゅう」と、このようにすることができる者はいません。四十歳近くになるまで勉強したという女性たち。それは、すべて"峠を越えた”というのです。 町も必要なく、国も必要としないものを、だれが願いますか? 嫁いでいけば、その運勢が取り除かれますか? 完全に門を閉め、家庭でぐるぐる回りながら、苦労して倒れ死ぬしかないそのような女性は、哀れな女性ですか、幸福な女性ですか? わたしたち統一教 会にも、東大を出た女性博士がいるでしょう? 顯進、どこに行きましたか? 全淑、(祝福を受けたのは)何歳ですか? 十八歳ですか? 何歳で結婚し たのですか? 郭錠煥氏!(「はい。」)娘は、何歳のときに結婚したのですか? 何歳ですか? (笑い)何 ですか?(「十八歳です。」)十八歳ですか? ところが、ある女性が三十二歳になっても、いまだに母親のために結婚できないそうです。母親が、どれほど苦労して……。 娘を勉強させるために、すべての精誠を尽くして、町内じゅうの有名な会社の理事の肩書きをつけて、「うちの娘は、素晴らしい。」と、おなかを突き出して自慢していたのですが、今では、突き出したおなかが恥ずかしくて、おしりを突き出して自慢するので、においばかりがするというのです。そうやって、訪ねて来る男性に向かって、「ぷぷ、ぷぷ。」としているのです。 本当にそのようにしているのならば、独りで暮らして、年を取ってから統一教会に入って来たかわいそうな独身男性たちがいるので、「統一教会に納めなさい。」というのです。 納めるときには、納めることができるための条件物があるのですが、おなかよりも何が大きいというのですか? へそが大きいのですが、それでもよければ、 自分の良い新郎候補を……。 今回の十四万四千双の(祝福を受ける)牧師たちの中で、男やもめの牧師、独りで年老いて、それまで貞節を守った牧師たちが、たくさんいます。 牧師という言葉は何かというと、"目が死んだ”ということを牧師というのです(「牧師 [목사]」と「目死 [목사]」とを掛けて)。(笑い)「牧師」ではなく、「目死」です。 その牧師たちが、今、目が開けたというのです。目が死なずに生きたので、「ああ、私は男性なので、絶対に女性が必要なのだなあ。あのような女性でもよく、このような女性でもよく、黒人の女性でもよく、白人の女性でもよく、黄色人の女性でもよく、女性の中でどこかが不足で、片足が不自由で、片手が不自由で、目が片方なくても何でもよい。息子、娘さえ生んでくれることができれば、それでオーケーだ。」と言うのです。 三十五歳になり、四十歳を超えて、息子、娘を生むことができますか? 息子、娘を生むことができるように、先生が結婚させてあげて、その国に行って接待を受けるとき、子供を生んで、えんえんと泣く子供にお乳を上げる姿を見れば、喜んで笑顔で出てくることができます。 しかし、四十歳代過ぎにもなって、夫婦がふたりで、座したまま老いたにおいを漂わせ、明日にでも死ぬような姿を見ながら座っていて、気分が良いでしょうか、悪いでしょうか?(「悪いです。」) “息子、娘は絶対に必要ない。”という人は、手を挙げてみてください。この者たち。そのように考えてはいけません。 このような話をしても、わたしが間違った話をしているという人は、いないのです。わたしは公人なのに、間違った話をするでしょうか? 公式の席上で、八十年の生涯を話し続けてきた人が、人に負けるような話をするでしょうか? 恥をかくような話は、しません。わたしの話は、正しいのです。 このおばさんは、独りで暮らしているのですか? (「はい。」)生まれつき星回りが悪いですね。ほおが、そのようになっているので、星回りが悪いのでしょう? (笑い)(「結婚して、夫は亡くなったのですが。」) 亡くなるにしても、しかたなく亡くなったのでしょう? 妻の星回りが悪いので、しかたなく亡くなったのです。 何歳ですか? (「七十二です。」)もう少し年を取れば、わたしよりも上になりますね。いち早く、わたしが知って、兄の立場で、このように叱責をしても失礼にはならないでしょう?「この女性は!」と言っても、ありがたく受け止めなければなりません。(笑い) 「この女性は。」と言ったその人は、兄よりも父の名前を持っているので、真の父の前で、そのような話を聞けば、真の父が悪口を言ったのですから、何か一つ利得があるでしょうか、ないでしょうか? さあ、先ほど尋ねたのですが、三つの中で、最も貴いものが何かというと、真の愛です。真の愛なのです。それから何ですか?(「真の生命です。」)真の何だというのですか?(「真の生命です。」)真の愛を持っている人は、手を挙げてみてください。ああ! (笑い) なぜ、笑うのですか? 何が、おかしいのですか? 真の愛を持つことができず、真の愛を学び、真の愛とは、どのようなものでしょうか? 甘い味でしょうか、苦い味でしょうか? 最初から甘いですか、最初から苦いですか? 熊の胆(胆嚢)は、薬の中の薬ですが、最初は甘いですか? それは苦いのですが、ごしごしと口を掃除してみると、どんどん甘いにおいがして、歯ブラシで歯を磨いて、それを飲むと、もっと甘いのです。一度、やってみてください。歯磨きをした後に、それを一度もぐもぐと・・.... この歯が喜んで、踊りを踊るのです。一度、息をすれば、この間に入ってくる空気の味が、どれほど甘酸っぱく、五味子(朝鮮五味子の種子で、漢方では鎮咳、強壮などに用いる。酸味、塩から味、甘味、苦味、辛味の五味を持つという)の味がするか、手放すことができないのです。アーメン。(「アーメン。」)手放して生きられるというのですか、生きられないというのですか? 愛が苦いか甘いか、わたしには分かりません。苦いともいい、甘くて甘いともいうのです。それは、どちらだといえば、正しいのですか? 苦いというのも正しく、甘いというのも正しいのです。 それでは、その一番の中心は、何ですか? 苦くて甘いので、苦い人が見ても「ほほほほ。」、甘い人が見ても、お互いに喜んで「はははは。」と飛び跳ねるので、その味は、本当に良いというのです。 そのような夫婦の愛以上の味を、統一させて喜ばせてくれるものは、世の中、天地にありません。「ノーメン」ですか、「アーメン」ですか? (「アーメン。」)大きく、言ってみてください。アー……。(「メン!」)第四十三回「(真の)父母の日」が飛んでいくように、アー メン! (「アーメン!」) "二八青春(十六歳くらいの若者、青年男女)”というのは、なぜ”二八青春”なのか、分かりますか? ”二八青春”は、良い時ですか、悪い時ですか? (「良い時です。」)それは、愛しても最高の場に行くのであり、息子、娘を生んでも、息子、娘を抱いて最高に愛することができる時であるというのです。 人は、二十三歳を超えれば、下っていきます。その前に息子、娘を生めば、二十三歳を超えて、息子、娘を育てる愛を中心として、その精気が上がっていくのです。 ですから、二十八歳になれば精気が下がり、下って いった精気を、ふたりで合わせて上がっていくので、“二 八青春”は、男性だけをいうのではなく、男性と女性、 愛する夫婦の青春を「二八青春」と言うのです。 男やもめや寡婦が、"二八青春”の歌を歌う資格がありそうですか、なさそうですか? どちらですか? おばあさん! しっかりしなさい、というのです。だれを指摘するか分かりません。ありそうですか、なさそうですか? なぜ、”二八青春”なのですか? 手を挙げてください。 このように(親指を中にして、手を握ってみてください。これ(親指以外の指の節)が何かというと、十二の月です。三掛ける四で、十二です。神様(親指で表象)は、十二の月の中の中央に入っていらっしゃるのです。ここに十四(指の節の数)、入っているというのです。 そうして、この十四の右手の前に、十四の左手が合わさって完全に一つになり、(拍手)こちらに行ってもよく、あちらに行ってもよく、こちらに行ってもよく、上がっていってもよく、「おお、よしよし。私の愛。」 と言って、こうしてもよく、転がって倒れてもよく、平らでもよいのです。それが、”二八青春”です。 青春は、男女を代身した”二八青春”。その時に一つになって、赤ん坊までここに抱いたのですが、ここに何ですか? 重いものがありますね? (「はい。」) ここに時計がありますが、良い時計だと言えば、すぐに”自分にくれる。”と思ってはいけません。(笑い) これは、金だから重いのです。 (ふたつが)ぴたっと一か所に、このようにぴったり合わされば、ふたつが一緒に移動します。上がって いけば上がっていき、下がっていけば下がっていくのです。 すべての宇宙を抱いても、ふたつがぴたっと合えば、零点の位置で、愛を中心として、天の果てにも行き、地獄の果てにも行き、東西南北、どこに行っても、存在することを意識できません。 愛があることを感じますか? 心と体が一つになれば、愛があることが分かりません。生命があることを感じますか? このように一つになっているので、分かりません。そして、男性の血統に精子と卵子があることが分かりますか? 一つになっているので、感じることができません。 しかし、感じることはできませんが、男性の前に、プラスの前に完全なマイナスさえ現れれば、すべてのものが、わあっと引っ張られていくのです。このようにしながら引っ張られていくのです。 このようになれば、これが調和をもたらすのです。 ”二八青春”が一つになっているので、男性も女性も、愛の香りさえかげば、ぐいっとくっつくのです。 愛の香りを知っていますか? 愛の香りが訪ねてくるときには、心がどきどき、どきどきとしなければなりません。そして、四肢五体、春夏秋冬において発展しうる相応的なすべての肢体が、踊りを踊るのです。 そうして、「やあ、春が来た。やあ、来た、来た、来た。調和ができる。わあっ。」と、胸がくるくると回って、どんどこどんどこと…。どんどこやって、気が遠くなれば、前なのか後ろなのか分からなくなるので、抱きつかなければなりません。 女性が喜んで気が遠くなるときには、抱きつくのが失礼ですか、それとも“有礼”ですか? (「"有礼”で す 。」)答えてください、女性たち。 その人が、どこかに行って座る場所、立つ場所を選んで、その環境の与件に合わせることができなければならないのです。男性と女性が、そのようなことができなければ、零点、落第生です。 朴正敏さんが、上手でしょう? 歌を一曲歌ってください。(拍手)一曲、歌ってみましょう。先生のみ言の代わりに、喜んで聞けばよいのです。このおばさん。おばさんですか、おばあさんですか? (「おばあさんです。」) この人の年が何歳かというと、わたしよりも、四つか五つ年上です。それでは、何歳ですか? 今年、もう一歳年を取ったので、八十八歳ですか? 何歳ですか? (「八十九歳(数え年〕です。」)(笑い、拍手)八十九歳ならば、七十二家庭に該当するので、そのように考えれば……。(「お父様が、「おまえは、百歳は生きる。」と、おっしゃいました。」) 百二十歳まで生きるでしょう、この女性は! なぜ、百歳ですか? (拍手)そのように考えたからといって、「百歳以上生きる。」と言って、だれも悪口を言う人はいません。その代わりに、その時になっても、間違いなく、きょうよりも歌が上手でなければなりません。そうすれば、わたしが百歳を超えて、朴正敏さんを訪ねて霊界まで行って、呼んでくるかもしれません。 ですから、希望を持って、一所懸命に歌を一曲を歌い、第四十三回を祝賀する「(真の)父母の日」として、 記念の賛美をしなければなりません。アーメン。(拍手) (「真のご父母様が、『神様の最も良いものを三つ知りなさい。」とおっしゃって、『それは真の愛である。」とおっしゃったではないですか? それで、真のご父母様は見えて、神様は見えず、真のご父母様が、見える真の愛を私たちに下さったので……・。」) 行っただけでも、くっついて離れません。(「真の愛の歌を歌います。」)歌ってください。(「幼稚園の歌です。私が、幼稚園で教えながら歌詞を作りました。」) ああ、幼稚園の先生をしたのですね?(朴正敏ハルモニ二が、歌を歌う) 美しい話があるなあ 真のご父母様の愛の話真の愛が私を生かしてくださったなあ 感謝いたします、真の父母の愛真の父母の愛、真の父母の愛、真の父母の愛 真の父母の愛、真の父母の愛、真の父母の愛 真の愛に感謝することができなければ 真の父母になることはできないそうだ 真のご父母様のようになってこそ私は幸福になることができるそうだ真の父母の愛、真の父母の愛、真の父母の愛 真の父母の愛、真の父母の愛、真の父母の愛(拍手) 見てください。わたしたち統一教会は、このようなことが、他の教会と違うというのです。 さあ、神様が、きょうのような日に、最も好まれるものが何でしょうか? 真の愛です。それから何ですか?(「真の生命です。」)真の生命です。それから何ですか? (「真の血統です。」)その三つの中で、最も貴いものが、何ですか? (「真の血統です。」)わたし も分かりません。 さあ、日本人と韓国人が、ふたりで一度、何が正しいか、けんかしてみてください。真の愛も良く、真の生命も良いのですが、より良いものは、真の血統です。 言ってみてください。血統。(「血統。」)日本語では「血統」、英語では「‘lineage' (リニージ)」です。 さあ、それで何をするのでしょうか? 真の愛で、何をするのですか? 男性が、独りで必要なものが、 真の愛であり、女性が、独りで必要なものが、真の愛でしょう? (「違います。」)男女が、共同で一緒に好むのが、真の愛です。 真の愛で、 愛してみましたか? 神様の属性の中で、 最も重要なものが、絶対属性、唯一属性、不変属性、永遠属性ですが、四大属性の……。 神様の属性には、数十、数百の属性がありますが、その中で一番の属性が、絶対、唯一、不変、永遠なものです。それに何をつければ、その属性にふさわしくなるのかというと、「真」という単語を中心としてくっつけてこそ、「そうだ、そうだ。」と言うのです。 それでは、真の愛を持っていますか? 持っているのですか? 全員が、真の愛を持っていますが、どこに持っているのでしょうか? 真の愛の根拠地が、どこですか? 自分の良心の底です。 良心の底の底、底、底に下りて行って捜し出し、そして上がってくれば、神様が、独り暮らしをされている孤独な部屋に入って行って、どこにいるのかというと……。 それでも、寝るときには、何が必要ですか? まくらが必要ですか、木まくらが必要ですか? 独りで暮らしているというのに、床上げのときに、まくらまで取り払って洗濯しますか? どうしますか? 洗濯をしないで、万年まくらにすることができるものは、何ですか? (「木まくらです。」)しっかりと木まくらを抱き抱えて、「わたしの愛する相対である。」と言って、愛することができる、この地上に……。 神様が、木まくらを愛される以上に愛することができれば、木まくら以上の相対として愛を受けることができる道もあります。このように考えるのです。 そして、木まくらだけが必要なのではありません。 それから何ですか? 寒いときは、毛布も必要でしょ う? 毛布がなければ、布の袋も必要です。布の袋がなければ、かます(わらむしろで作った袋)も必要であり、かますがなくなれば、新聞紙も必要であるということを知っていますか? 監獄で暮らしてみてください。どれほど寒いでしょうか? 同じことです。 それで、「木まくらよりも神様をもっと愛し、布袋よりももっと神様を愛し、そして、愛が好きで、これ以上好きになることはできない。」と言うことのできる立場に立つようになれば、その場が天国になることができるのです。いくら布袋をかぶり、それを着て暮らすとしても、それ以上の幸福はありません。 それは、なぜでしょうか? 神様が、いつも共にいらっしゃるからです。神様とともに暮らすことができ、一つの部屋で毎日、因縁を結んで暮らすので、それ以上に幸福になれることが、どこにあるでしょうか? ありません。ですから、それは、幸福な人に間違いないのです。 統一教会の教会員たちは、そのように暮らしてみましたか? 木まくらを抱いて、「神様、愛しています。」とキスしてみて、胸に抱いて、「ああ、女性の胸が爆発し、男性の胸がつぶれる。」と言いながら、力を入れて抱き抱え、このように身もだえしながら暮らしてみましたか? 女性たち。おじいさんのまくらを見ても、「嫌だ。」と言って逃げていく女性ではないですか? そのような女性は、町内に行っても、追い出されるのです。 おじいさんの居る奥の間に入って行き、顔じゅうに汗をかき、汗と涙を流しながら、おじいさんの下(しも)の世話もし、”必要ならば孫になり、最も善良な孫嫁になり、 嫁になり、留守を預かる人になろう。”と思うことのできる女性がいれば、おじいさんの深い愛の根に触れることができる人になるのです。分かりますか? 日本人、韓国人、米国人がいますか? 今日、統一教会の祝福を受けた家庭について、世界的に、このようなうわさが立ちました。 嫁ぎ先で、男が痴呆症になり、生活に支障を来して、ごみ捨て場を行ったり来たりしたり、話を聞いても正常ではなくなったとしても、そのようなおじいさんとおばあさんを、だれよりもいちばん愛し、守り、世話をするのは、統一教会で祝福を受けた嫁と婿であるというのです。 そのような話が、西洋国家、南米、アフリカの果てまでうわさになりました。それは、良い現象でしょうか、悪い現象でしょうか? (「良い現象です。」)その人たちが天国に行けば、全員……。 お金持ちの長男の嫁になり、お金持ちの婿になっても、自分といちばん気の合う人以外には削ることができず、ために生きることができない、という人がいたとすれば、そのように良い所で暮らす人が、天国の王座に入って行くのですか? それとも、地獄の王座に下りて行くのですか? そのような群れは、地獄の王座に押されて下って行き、愚かな統一教会の人であっても、先ほどの話のような孝行な娘と嫁と婿は、天上世界の神様の宝座を見張る番人になるのです。アーメン。永遠にです。朝から永遠に「アーメン」です。否定する道理がありません。 それゆえに、最近は、どのようなうわさが立ったのかというと、「文総裁が、二十年、三十年前に、国際結婚で私たちの家を滅ぼした。血族、血筋をすべて滅ぼ した。」と言っていた群れたちが、「嫁は、統一教会の嫁、婿も統一教会の婿、黒人でも良く、白人でも良く、五色人種のまだら模様の嫁と婿を願う。」と言っているというのです。そのような喚声が、世界に満ちあふれているということを知らなければなりません。(「アーメン。」) 「アーメン。」と言いました。あなたたちも、「してみることができなかったので、私たちの息子、娘は、 そのような場に送り出すことにおいて、チャンピオンになりたい。」という人は、手を挙げてください。 これは、また何ですか? 早く! 手を下ろしてください。手を挙げてください。どうして、このように 遅いのですか? ここには、五万種類の言葉を使う人たちが集まっているようですね。それでは、単一民族ではありません。 言語を中心として、すべての心情帯を通して感じるその言葉、通じる意識構造というものが、瞬間的に、一秒以内にすべて統一される、そのように行動することができなければなりません。それなのに、通訳を通して理解するので、負けましたか、勝ちましたか? 日本の人、負けましたか、勝ちましたか? さあ、分かりますか? (「はい。」)最も貴いものが何かというと、真の愛というものです。分かったでしょう? それから何ですか? (「真の生命です。」)真の生命を見ましたか? 女性たち! 真の生命を見たのですか? 女性自体は、真の生命が分かりません。しかし、男性の生命と接触するとき、あれほど強い男性の生命に自分が接し、迎えることができ、真の男性の生命体もコントロールすることができるので、女性が貴くないことはありません。貴いということです。 韓国語も、日本語に通訳しているでしょう? なぜ、韓国人は、イヤホンがないのですか? (笑い)必要がなくても、日本語を学ぶためにも、はめていればよいのではないですか? どうですか? そうではないですか? "わあ、先生が楽しそうに話している。『はは。』 と笑っているのは、どういう話か?” と思って、そのときに学べば、勉強になるではないですか? このような集いに三年間、出ていれば、三分の一と考えても、一年間は勉強したことになるはずなのに、なぜ、準備していないのですか? 韓国の者たち。イ ヤホンを準備しますか、しませんか? (「します。」) しなければ、一言も韓国語で話しません。(笑い) さあ、そのように言ったのに、するかどうか見てみましょう。また、このようにして、日本の者たちがイヤホンを持ってこなくなれば、両国の人とも死ななければなりません。(笑い) それでは、英語だけですれば、日本人と韓国人は困るでしょう? 勉強しなければなりません。勉強です。分かりますか? (「はい。」)一度聞くよりも、十度聞いて面白ければ、間違いなく言葉を学びます。 先生が十六歳の時、日本語を学ぶために、一年半の間で完全に覚えてしまいました。国語読本というものが、一年に二巻ずつで十二巻あり、それをすべて半年の間で覚えてしまったのです。 これは、「孔子曰く、孟子曰く……。」と、漢文を学すびながらです。研究して、十六歳で勉強を始めました。日本語ができなければ、話にならないと……。一九七一年十二月に米国に行くとき、英語で本を読む能力はありますが、発音は理解することができませんでした。 日本人は、「マクドナルド」が何か、知っているでしょう? 「マクドナルド」です。しかし、日本人が千年の間、毎日のようにいくら「マクドナルド、おいしいです。」と言ったとしても、西洋の人たちには何のことか分かりません。千年たっても分かりません。 それは、‘McDonald、と言わなければならないのです。'McDonald'です。「マクドナルド」ではなく、 'McDonald'です。そうして、‘That's Good. This is good. Very very good. 'と言わなければなりません。‘Very very good.’と言わなければなりません。発音を合わせなければなりません。理解できなくてはいけないのです。 ですから、韓国人、日本人、米国人が海外に行っても、韓国人は、一年半ですべて通じます。スペインに行っても通じ、ドイツに行っても通じ、すべて通じますがが、日本人は三倍、大変です。カタカナ、ひらがなで、いくら一所懸命に現地の言葉の発音を書いて、翌朝、「おはようございます。」と言っても、何のことか分かりません。 あなたも日本の女性ですか? あなたは、日本の女性ですか、男性ですか? (「男性です。」)女性のようですね。本当に女性のような顔ですね。あなたは、ホモではないですか? (笑い) 知っていることは知っているのですね。男性ならば、男性らしくしなければならないでしょう? 女性のように……。 わたしは、女性だと思いました。"男性が、なぜ女性のような……。女性のような男性が、どこにいるか?”と思ったのですが、男性のようでもあり、女性のようでもあるので、わたしには分かりませんね。尋ねてみると、「男性だ。」と言うので、信じてあげましょう。(笑い) 分かりますね? 韓国の人は、先生の話が分かりましたか、分かりませんか? (「分かりました。」)<3/3に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ きょう、「(真の)父母の日」に、最も貴いものは何かというと、それは血統です。言ってみてください。 血統。(「血統。」)血統が貴いというのです。父母を中心として、父と母を中心とした真の愛があり、真の生命が一つになったとしても、息子、娘がいなければ、すべて無効です。それは、一代で終わります。 息子、娘がいなければ、いくら美男美女の血筋と愛と生命が、りっぱに結着しているとしても、根のない木と浮き草のように、台風に吹き飛ばされてしまうのです。それは、乾けば、だれでも火で燃やすことができ、材木なら、切って穴蔵をつくることができるのです。だれでも移動させることができるのです。それではいけません。 伝統的な血統を中心として……。その血統は、神様の愛と、神様の生命と、神様の血統が連結され、おじいさんの血統がお父さんの血統であり、おじいさんとお父さんの血統が私の血統となり、“私”という存 在自体が、その証拠になっているのです。ですから、 おじいさんも“私”を愛さなければならず、お父さんも”私”を愛さなければなりません。29 Family 2002,6
2024.10.13
コメント(0)
第42回 神日本聖和祝祭聖和祝祭主礼メッセージ説教タイトル「聖和者と共に天地統一作戦の時」 み言訓読先生は霊界を最もよく知るチャンピオンです。死後の世界である霊界は、地上生活の延長として、すべての人間が自然に行く世界として実在する世界です。したがって、祝福を受けて原罪を清算したのち、霊人体を完成して肉身を脱ぐ人たちには、死ではなく聖和という神聖な儀式を通して、永生する天の国に行く道を歓送し、祝賀するのです。歴史時代に生まれては逝った数多くの聖賢、烈士たちが、今霊界に実在しており、真の父母様から祝福を受けて絶対善霊となり、神様の地上摂理を手伝っているという事実を知らなければなりません。地上生活の一瞬一瞬は、そのまま天上に記録され、後日、霊界に行く日に、地上生活の審判材料になるのです。したがって、すべての人間は、より大きなもののために犠牲になることを喜ぶ、真の愛の人生を実践しなければなりません。(天一国経典『天聖経』 P1419) 私たちは最後、どこに行かなければならないのかといえば、霊界です。それは何を意味するのでしょうか。一般的に死後の世界だと言いますが、死後の世界ではありません。なぜ、死後の世界にならないのでしょうか。真の愛と関係している世界だからです。真の愛と関係している世界なので、死後の世界ではないのです。真の愛を中心として出発したものなので、自分が真の愛の立場に立つようになるときは、既に今ここが霊界です。ですから、真の愛が偉大なのです。」(1998年1月23日 ソウル、四千万双祝福勝利歓迎および文鮮明先生み言訓読大会)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.13
コメント(0)
평화의 어머니~승리의 독생녀(平和の母~勝利の独生女)2024/10/12一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.12
コメント(0)
第四十三回「真の父母の日」記念礼拝の御言二〇〇二年四月十三日(陰曆三月一日):韓国・京畿道九里市水澤洞 中央修練院 今年の第四十三回「真の父母の日」の「敬礼式」と「記念礼拝」は、韓国・京畿道九里市の中央修練院で行われました。 「記念礼拝」では、み言に先立って訓読会が行われ、郭錠換会長が、一九六六年三月二十二日、第七回「(真の)父母の日」のみ言「望みの父母の日」を訓読しました。 続いて真のお父様が壇上に立たれ、二時間余りにわたってみ言を語られました。 これは、そのみ言を翻訳し、整理したものです。なお、編集上の都合により、一部割愛しました。 (文責・編集部) Family 2002.6月号 いつでも、お父様です。人が再び生まれるためには、 母親のおなかの中にある子宮を中心として、そこから家が造られていきます。そうして、それが開かれて、出産のときの産みの苦しみを通して、息子、娘が生まれてこなければならないのです。 それで、全世界の終わりの日においては、母親の立場にある夫人たちが、天の王子と王女を宿して安産することを喜びと思い、困難なことを『最高の幸福の門が開かれることである。」と思うのです。 ですから、天の前に丁重に平伏して敬礼をささげることができる第一人者、また、祝福の代を受け継ぐことができる第一人者はだれなのかというと、赤ん坊を抱いた母親であったということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい。」) 女性となったことを、権威として誇ることのできる最終着点において、旗を掲げて愛の勝利を賛美するこ とのできる人も、父親ではなく、母親と子供たちであったのです。アーメン。(「アーメン。」) そのことだけをはっきりと知れば、きょうの祝福を中心とした祝賀の意味は、満点、満々点で終わるのです。「アー・・・・・・?」(「アーメン。」) 目がア! 鼻がア! 口がア! 耳がア! 手がア、 ア、ア、ア、ア、ア、アーメン! 言ってみてくださ い。(「ア、ア、ア、ア、ア、アーメン!」)そうなれば、"もう閉会してもよい。”ということです。 やめましょうか? 見たくない先生の顔と、見たくない先生の姿を見て、それでも、"そのことを貴重に考えよう。”という心が大切です。そのような心が切実で、お父様も、我知らずに飛び出していってしまうような姿勢になっているのかどうかが問題です。 そうして、そのような姿勢になって、一つになることができる場が、自動的、自然的に成し遂げられるのかということが、神様の尋ねられることであり、真の父母が希望的に質問することなのです。それに対する答えは、皆さんが・・・・・・。 神様の御前に、真のご父母様の前に尋ねられるすべてのことが、自分において結実したので、この結実をささげることによって、質問の答えと摂理史の終着的結実を刈り入れる幸福な母、息子、父母の立場になるのです。アー、アー、アー、アー、アー、アー、アー メン。(「アーメン。」)(拍手) 先生は、帰ります。(皆さんに)何かを上げようと思うのですが、ポケットに入っているものが、一つもありませんね。(笑い) わたしも、昔、話したことがあるのですが、おじいさんの還暦の日や誕生日になると、こんなことがあります。おじいさんのたばこ入れのきんちゃく袋を開けてみると、そこに”はしばみの実”があるのです。はしばみ(榛)の実です。それは、おいしいものです。 ハワイに行けば、マカダミアナッツというものがありますが、それに似た、はしばみの実という堅い木の実があるのです。 その実が、どれくらいの間、いったい何年の間、(そのおじいさんのたばこ入れの)中にあったのか分からないのですが、長い間、きんちゃく袋の中にあって、つるつるに光っているのです。それを、一粒、二粒と数えて、兄弟でじゃんけんをして、だれが勝ったかで、それをもらって喜んでいたのです。今、それ以上のプレゼントが一つでもあればよいのですが、ありません。 きょう、皆さんは、そのようなプレゼントはもらうことができませんが、真の父母のみ旨を知り、真の父母の価値を知ったならば、どのようにしなければならないでしょうか? プレゼントをもらう代わりに、反対に、プレゼントを用意しなければならないのではないでしょうか? 右側からプレゼントを上げるために、左側からふろしき包みを、おしりの後ろに回して……、そのように、 真のご父母様に贈るプレゼントを用意して、ささげてみたことがありますか、ありませんか? 何ですか? 後ろの方は、居眠りしていますね! (「居眠りしていません。」)何ですか? 居眠りしている者がいれば、 横腹をつついて知らせなさい。(笑い)このようになれば、居眠りする人は皆、いなくなります。分かりますか? プレゼントをもらうのが、良いですか? それとも、 プレゼントをもらえるように、真のご父母様の後ろに積み上げておくのが良いですか?(「積み上げておくのが良いです。」) 「私は、積み上げておくのが良い。」という人は、手を挙げてください。どうして、このように反応が遅いのですか? 通訳を置くような偽者ばかりが集まりましたね。しばらくしてから……。 後ろの方は、何の話か分からずに、今も、手も挙げていません。(笑い) 手を挙げた人だけを残して、全員、追い出さなければなりませんね。今から、早く挙げてください。「早く挙げなさい。」と言うので、プレゼン トをくれると思って……。それは、“プレゼントをもらおう。”と思っているということです。 これ(掲示してある真のお父様のお写真)は、だれの顔であるか分かりませんが、年を取りましたね。さ あ、写真の顔と本体の顔と、どちらが、より年を取っていますか?" ”写真である。”と思う人は、手を挙げてください。(笑い)この人たちは、詐欺性が濃厚ですね。あれは、いつ写したのですか? (あの先生の写真は、)六〇年代に写したものですが、今、八十三歳のおじいさんの顔のほうが、もっと老いて、年を取っているというのが事実であるにもかかわらず、そのような事実を否定する人は、時代錯誤の落第者であるということを知らなければなりません。ノー メン。(「ノーメン。」) 「事実のとおりに言いなさい。」と言って、「ノーメン。」と言ったので、これは、教えてあげた先生の責任ですね。「ノーメン。」と言ったので、今度は、本当に 「アーメン。」と言ってみてください。(「アーメン!」)Family 2002.6 09▲Family 2002.6 10 韓国人は、自分たちが優秀だからかもしれませんが、日本の人たちについては「日本のやつ」、中国人は「中国のやつ」、ロシア人は「ロシアのやつ」、それから、米国人については「米国のやつ」といいます。では、天の国の人については、どうなのですか?(「『人』です。」) 「人(사람)」という発音が、(「やつ〔놈]」という発音に比べて)あまりにも大変でも、それを、あえて 「人」と言うのが、愛(사랑)するということです。 (笑い) 天上世界では、何ですか? 何の「やつ」ですか? これは、「父母の親戚に当たるやつである。」と言うことができますか? 「人(사람)、愛(사랑)。」一度、言ってみてください。(「人、愛。」) 「私は、『やつ』ではなく、愛する『人』である。『やつ』ではなく、『人』である。」と、言ってみてください。(「人である。」)「人」です。それを自覚しなければなりません。 自分の目も、日本の目ではなく、米国の目でもなく、神様の直系の息子、娘の目なので、韓国の目です。韓国(한국)というのは、"恨(한) めしい目にもなりますが、二つとない”一つ(한)しかない目”という ことにもなります。鼻も一つしかなく、一つの鼻、一 つの耳、一つの口、一つの首、一つの手、一つの体です。一つしかないということになるのです。 また、蕩減復帰の中間にあるので、後で恨を解いていく恨の名を持った目であり、「やつ」から「人」を経て、「アーメン」と言えばよいのです。解放されるのです。いわゆる、文総裁が、真の父が「アーメン」と言えば、解放の眷族になることができるかもしれないので、「『アーメン』と言いなさい。」と言うのです。(「アーメン!」) 環境の与件を、すべて作らなければなりません。神様も語られて環境を創造されたので、先生も、このような比類なき調和のさまざまな姿を通して……・。 よく聞いてください。今、何時になりましたか? (「〔午前〕十一時三十五分です。」)十一時三十五分ならば、十時から始めたので、何時間になりますか? 一時間三十五分たったのならば、きょうは何の記念礼拝ですか? 記念礼拝が、なぜこのように長いのですか?(笑い) 礼拝するうえで、世の中の歴史的記録を破るためには、何時間、話せばよいですか? また、真の父母を好み、あまりにも喜んで話し始めれば、そうして、本当に悪いことも本当に良いことも、すべて話し、それを聞いて涙をぽろぽろ流せば、何時間、継続しなければならないでしょうか? 答えてください。十分間ですか? 五分間、一分間、それとも話をしないで……。 皆さん。高貴な人が亡くなれば、殯所(出棺のとき まで棺を安置する所)に行って、「アイゴー、アイゴー、 アイゴー。」と言って泣くでしょう? 言ってみてくだ さい。アイゴー、アイゴー、アイゴー。(「アイゴー、 アイゴー、アイゴー。」) そのとき、振り返って出て来るときに、「アイゴー。」ではなく「良い、良い、良い。」と言って、「良い。」という言葉が、「アイゴー。」という言葉よりも三倍になれば、地上地獄から天国に開門、解放が展開するのです。「ノーメン」ですか、「アーメン」ですか? 'KNOW'。「すべてのことを知って実践する王子のお出ましだ。」と言ってこそ、天地が歓迎する のです。 昼夜、栄光の息子の祝賀が四方を取り囲み、天上世界まで天使たちが昇天し、神様の御前に、朝のあいさつを初めてすることができる時になったので、“感謝のあいさつをささげよう。”という決心を持って、すべての人が、ここに参席したと信じてあげます。 ですから、感謝の中で、朝食も食べず、昼食までも食べずに、敬礼を百回ささげれば、どれほど良いでしょうか? それで、倒れる前に感謝の踊りを踊り、感謝の歌を歌い、それから倒れて、永遠に天国に入って行き、神様の愛の懐で再び成長して、地上に送られ、本当の神様の代わりの代役者になるのです。 それは、本当に「アーメン」なので、天と地に代わって、 敷物を広げて座って、「アーメン」、「解放的アー、アー メン。」と、言ってみてください。(「アーメン!」)(笑い)ついて来なければならないでしょう? アー。 (「アー。」)メーン。(「メーン!」) 地獄に行ってから、復活して天上世界の玉座の前に立ち、神様が寄り添われて、「おお、よしよし。私の愛よ。」と言われるのです。そうして、東西南北の中心である中央に立ち、五番目の手を挙げ、足を挙げ、四肢五体が、「おお、よしよし。私の愛。愛、愛、愛、愛。」 そして五回目の「愛、アーメーン。」と言うのです。 (「アーメン。」) 「ア」は“ナンバーワン”であり、「メン」は……。 ナンバーワン・メンの息子、娘は、神様の胸の中に抱かれることを願うのです。それが、この祝福を継承してあげる「真の父母の日」であるようです。アーメン。(「アーメン!」)神様も、「そうである。」と、おっしゃっているそうです。 さあ、その結論的み言を言ってみてください。神様の息子、娘として、最も誇ることができる三つの内容があるのですが、その一つ目は、何ですか? 答えて みてください。だれが、当てるのですか? 一つ目が 分かりませんか?(「血統です。」)何ですか? 血統は、何ですか? 血統は、先に飛び出してくるのですか?(「真の愛です。」)何の愛ですか?(「真の 愛です。」) 真の愛とは、何ですか? 真の愛とは、どのような愛ですか? 真の愛は、真の愛でしょう? (笑い)神 様も、「真の愛」と言われますか? 神様は、「愛」と 言われますか? 尋ねているではないですか? 神様は、「わたしの愛は、真の愛である。」と言われ、「真の愛を受けなさい。真の愛のお乳を飲みなさい。真の愛のご飯を食べなさい。真の愛よ、美しい。真の愛よ、美しい。おお、よしよし。私の愛よ。」と言われて、おしりをとんとんしてくださるのです。 人間たちは、真の愛を捜し求めますが、神様は、どのようになられますか? (「愛です。」)どのような愛でしょうか? ぐるぐると回り、「おお、よしよし。」と……・。「おお、よしよし。」は、天に上がっていくこともでき、下りていくこともでき、「おお、よしよし。」 と、どこにでも旅行することができるのです。その愛のために……。 真の愛というものは、方向性を強調するのです。そうではないでしょうか? 真の愛です。男性と女性の真の愛です。真の愛は、どのようになりますか? 父母の真の愛と、男性と女性の真の愛とでは、どちらが、 "真"という方向性を、より強調しますか? 男性と女性を中心とした愛の方向性が、より強調されるのです。 父母の愛は、ぐるぐると回り、「おお、よしよし。私の愛。寝ても私の愛、起きても私の愛。」です。二十四時間、時間を超越して、一代を超えても変化のない愛を「神様の愛」と言うのです。神様の愛になれば、良いのです。 しかし、堕落したわたしたちは、真の愛を強行しなければ、混乱した世界において、分別することができる表題を立てることができません。ですから、統一教会においては、真の父母が、真の愛を強調して教えてあげたのです。何ですか? (「アーメン。」)ありがとう。願うとおりに、語ったとおりに成されますように。アーメン。 それでは、真の愛をやってみましたか? 真の愛は、 真っ赤ですか、真っ黒ですか、黄色ですか? それとも、虹の七色のうち、どの色でしたか? 何色、どの色ですか?(「勝利の色です。」)勝利の色ですか、何 の色ですか? それも、よく分からないでしょう? "勝利”という色ですが、その色は、何色でしょうか? 夜にも標的になるのは、黒い色ですか、何色ですか? (「白です。」)白です。白いものは、夜でも標的になることができます。 ですから、白い色に近ければ、小さな蛍の光であっても、真っ暗な天下の環境において、標的の中心として、ぴかっと光るそれ自体が、視覚を集約させることができるのです。 それゆえに、勝利を表象し、全体の総合的な価値に代わって分別することができ、区別された標的として立てることができるものが何かというと、白い色だというのです。言ってみてください。白い色。(「白い色。」) 白い色。(「白い色。」) 世の中に「白衣民族」という民族が、(韓民族の)ほかにいますか? (「いません。」)白衣民族です。 韓国人は、なぜ白い服を好むのでしょうか?? 白衣、白い服を着ている人は、体が白いので、白い体が黒い色に触れると、その本然の価値が喪失されてしまうの で、服までも白い色なのです。そうです。内外……。 皆さん。韓民族は、“白白民族”です。そうでしょう? 白衣民族であり、白衣民族の中で、最も道義的 な民族です。 「人倫道徳」というときには、家庭を中心とする愛の土台を連結させて、人倫というものが、必ずあるのです。人倫というものは、"人の車”、“人の車輪”です。巡回する車輪が、回るのです。人倫というものは、家庭を中心として連結されるのです。 人倫の道徳というものは、兄が弟の立場になり、弟が兄になり、おじいさんが孫の立場に立ち、孫がおじいさんの立場に、また、姻戚の八親等、三代の子孫たちまで、何代たっても喜ぶことができるようになるときに成立するのです。 「道徳」の「道」は、「首」という字を、下から「しんにょう」で支えたものですが、それは、「おじいさんの頭、お父さんの頭、お母さんの頭、お姉さんの頭、弟妹の頭というように、誰もがすべて、『道』の中で頭の位置に立つことができるのが、真の愛を持った一族であったのだ。」ということです。これは、「人倫道徳」という言葉について語ったものです。分かりますか?(「はい。」) 人倫とは何か、分かりますか? 家庭がなければ……。 人倫道徳というものは、家庭で訓練された平等の価値を「道徳」と言うのです。 「徳」という字は、どのような徳ですか? 「徳」と いう字(の偏の「ぎょうにんべん」)は、“ふたり(二人)”(を意味 するの)であり……。「徳」という字が、そうです。「徳」という字は、何かというと、(その旁を見てみると、「十」と「四」と「心」から成っています。)「十」という字は、“宇宙”を象徴しますが……。 それは、わたしたちの原理から見れば、天上と地上のことをいうのです。そこに四位基台(を表す「四」)で天と地が願う四つの群れが、一つの「心」になっているのが、「徳」という字です。わかりますか? ふたり(「ぎょうにんべん」)が、天地の環境の中で「十字」、そして天と地の「心」ですが、それは、四位基台を完成した一つの心であり、おじいさんの心も、父母の心も、 妻の心も、子女の心……。 六人の先祖を中心として二つに分ければ、十二の群れです。心と体を中心として、十二の群れです。このすべてのものが一つになることができる、そのような 存在を「徳」というのです。「徳」とは何かと言うと、「徳とは何か、徳とは?」と問われて、答えられる人は いません。分かりますか? "ふたりが、天と地を中心として四位基台を完成して、 一体圏の心を成すことができる。” という、そのような人格の基準となり、そのような環境的生活をする人が、徳となる人です。それは、徳の主体となり、徳の世界で暮らすことができる平和の王子、王女のことをいうのです。アーメン。(「アーメン。」) <2/3に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ ここで、ご父母様がつくってくださった貴いプレゼントが何かというと、「天一国」です。言ってみてください。(「「天一国』。」)「天一国」とは何かというと、「二」という字と、「人」という字を合わせれば、「天」になります。「二人」ではありません、「天」です。 ですから、ふたり(二人)が一つになっている国を「天一国」と言うのです。皆さんの心と体、それが”ふたり(二人)”です。”心の人”と“体の人”、この“ふたり(二人)が、一つになっていないというときには、「地一国」です。(笑い)それは、天国ではなく、地獄に行くのです。「天一国」は、天上の最も優れた国です。ところが、その反対になっているのです。 「天一国」という言葉は、そのような意味になるので、すべての宇宙は、必ず主体と対象関係で結ばれるようになっているのであって、独りで存在するものは ありません。いくら何億万ボルトの強いプラスが生じたとしても、マイナスが生じなければ、なくなるマイナスとなり、プラスになるということです。 したがって、いくら人間が優秀であっても、なくなっ てしまうのです。先生がいくら優秀でも、お母様という存在がいなくなれば、先生一代で終わるのです。お母様がいくら優秀でも、先生がいなければ、一代ですべてなくなるのです。そうではないですか? Family 2002.6 16
2024.10.12
コメント(0)
6000双国際合同祝福結婚42周年(1982年10月14日)6000쌍 국제합동결혼식 영상一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.12
コメント(0)
第1147回 天心苑特別徹夜精誠 (10/11)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.11
コメント(0)
開拓者の歌(2019.8.17お父様聖和7周年記念式)2020/10/10개척자의 노래(開拓の歌)2024/10/082024.9.6光津教会賞賛チーム一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.08
コメント(0)
鮮文大学校大学校本館奉献式における設立者「式辞」鮮文大学校のビジョンと未来像二〇〇二年四月十四日、韓国、忠清南道牙山市鮮文大学校牙山キャンパス このみ言は、今年四月十四日、韓国の鮮文大学校牙山キャンパスで行われた同大学校本館奉献式において、鮮文大学校の設立者であられる文鮮明総裁が語られた「式辞」を翻訳し、 編集、整理したものです。(文責・編集部)Family 2002.6 40~ 天が大いに安らぎになられる里の上に、生き生きと した生命の春の気運が満ちあふれる、この美しい季節 に、鮮文大学校において、荘厳なる本館の奉献式が行 われるようになったことを。。 まず神様に感謝申し上げます。 今日の鮮文大学校があるまでに、これまで尽力してきてくれた李京埈(イキョンジュン)総長をはじめとする教職員、学生、 そして建設関係者たちの労苦、また統一教会の食口たちのもろもろの精誠を褒めたたえます。 内外の貴賓の皆様、大学の教授、役員と職員、学生の皆様! きょう、この意義深い場において、大学設立者である私は、皆様とともに、国家が注目する鮮文大学校のビジョンと未来像について、しばし考えてみ ようと思います。 「愛天 愛人 愛国」という建学理念において、すでに標榜されているように、私が、この大学を設立するようになった動機は、神様を愛する『愛天理念」から出発しています。 "愛天”において意味する神様は、特定の宗教や宗派の教理の中に閉じ込められた神様を意味するものではありません。生きていらっしゃる、根源者であられる神様は、真の愛の本体であられ、人類にとっては、“無形の真の父母”であられ、天道と、すべての教えの根源であられます。 私は、いち早く、生きていらっしゃる神様を知った後、いっときも、神様のその願いを忘れたことはありませんでした。 神様の真の愛の理想である平和世界を成すために、一生を献身してきた私は、未来を導いていくビジョンある人材の養成を、重要な宿願事業の一つと思ってまいりました。 迫り来る地球村時代、人類大家族社会を導いていく人材は、まず、天と人類と、国と世界と万象を愛する人でなければなりません。“真の父母”、“真の師”、“真 の主人”の三主体人格は、神様に似た愛の実践の中で、形づくられるからです。 もちろん大学は、創意力の啓発を通した専門人を養成する教育機関です。しかし、普遍真理の根源であられる神様と連係した人性教育を通して、三主体人格者である健全な指導者を養成する普遍教育は、何よりも絶対的に優先されるものです。 今日の世界は、個人と集団、国家、人種、宗教までも、激しい利己主義の泥沼に陥り、お互いの壁を崩すことができずに闘争しています。利己主義によって、 個人の発展はもちろん、他人と民族、国家の発展を阻害する事件が連続している現実です。 人の心の中にある利己的貪欲は、平和へと前進していく道にあって、非常に大きな障害となっています。 個人的貪欲は、より大きな単位の貪欲に連結され、ひいては国家間、人種間、宗教間の流血紛争を引き起こしています。 このような状況の中で、公道を立てるべき大学教育までもが、知識教育、技術教育、職業教育の水準にとどまるとすれば、人類は、決して和平の世界を創建することはできません。 葛藤と闘争から抜け出した平和の世界を成そうとすれば、個々人の心と各家庭から、利己心と憎悪心を克服することのできる、愛の世界観が根を下ろさなければなりません。 家庭においても国家においても、ここに教育の根本を置かなければ、決して希望的な未来を期待することはできません。 私の生涯を通して教え、実践してきた「他のために生きる」という真の愛の教えが、すなわち天道であり、天命であるということを、もう一度、強調します。 ところで、この真の愛は、模範となる家庭生活を通して体得するものです。したがって、動機が先になければならず、模範が先に立てられなければなりません。 子供の前にあって模範となる父母、弟の前に模範となる兄、弟子の前に模範となる師、従う者の前に模範となる指導者が、先に要請されるということです。 鮮文大学校は、天理に従う、愛の実践と体値の模範となる教授と指導者たちが、学生全体を“真の父母”、”真の師”、“真の主人”の人格に教育しなければなりません。 人類が念願とする自由と平和、統一と幸福は、知識や力や物質の豊かさだけで成し遂げられるものではありません。人間の道徳性と霊性の開発が前提とならならければならないのです。神様と霊界に対する無知は、人を不幸と破滅に導きます。 私は、早くから、広大無辺の霊界を渉猟(広くあちこちを渡り歩いて捜し求めること)しながら、神様の心情を推し量り、体得することに、血涙の出る逆境を通過してまいりました。地上世界と天上世界を貫いている天理と公道を把握するために、サタンと血みどろの闘いをなしました。 堕落した人類には分かりませんが、霊界は実体の世界であり、人間は、また一つの“内なる人”である霊 人体を持った、二重構造から成っています。人間には、通常の教育課程を通した知的発達とは比較にならない、別の次元の霊性啓発の境地があるということを知らなければなりません。 霊界は、本質の世界です。霊的五官によって霊界の無限境を経験した者は、この世の知識が、どれほど制限されたものであるかということを知るようになります。現象世界の知識をもっては、決して驕慢になることはできないようになります。 これまで、私が世界的に築いてきた可視的な宣教部門や平和運動基盤などについて、それを褒めたたえる多くの人々がいます。しかし、堕落によって複雑に絡み合い、分かれた霊界を統一的に収拾し、本然の原則で整理した業績は、神様しかご存じありません。 新たに到来した二十一世紀は、摂理完成の世紀であり、人間は、不可避的に、霊界と身近に行き来しながら生きなければなりません。 鮮文大学校は、私の業績を研究するとともに、世界の碩学たちが押し寄せて来て、霊界に対して研究するセンターとなることでしょう。 また、本大学は、人間の知性と専門性の啓発だけでなく、心霊開発を通して人格を完成させる、すなわち道徳的、かつ霊的に、完璧な指導者を育て上げる世界第一の大学になることでしょう。 私は、大学設立理想を心中に抱き、過去四十年間、国際科学者大会(「科学の統一に関する国際会議」)を継続し、「世界平和教授協議会」を各国に創設し、「世界大学連盟」を組織してまいりました。 世界の碩学たちをして、未来世界のビジョンについて共同研究と討論の場を構築するようにしてきたことや、絶対価値の探究を継続し、科学の統一を模索するようにしてきた理由は、どこにあるのでしょうか。 もちろん(それは)、神様と人類が共に願う理想世界を成すための準備です。しかし、それと同時に、そのすべての業績の結実が、私たちの大学において成し遂げられることを、私は期待しました。 このように、研究と教育と奉仕活動のための素晴らしい本大学の基盤と資産は、大学が生まれる前から世界的に積まれてきたものであったということを知って、 矜持(誇り、自負)を持ってくださるようにお願いします。 私が創設した「世界平和統一家庭連合」、「世界平和 宗教超国家連合」などの国際的な連帯活動基盤も、すべて、他の大学では持ちえない貴い基盤であるということを知らなければなりません。 韓国のみならず、世界が抱えている問題、人類の進むべき方向について、深く研究し、苦悶した、生きた知識人たちの霊感と知恵が、今後、このキャンパスに 川のように、大海のように流れ込んでくることでしょう。 鮮文大学校は、世界の碩学たちと、世界を導く指導者たちが、最も好んで訪れる共同研究と討論の場となって、未来の理想実現に連結されるということを確信すべきでありましょう。 今もそうですが、今後、鲜文大学校には、世界の天才的な、最も優秀な若者たちが、雲霞のごとく集まってくるようになることでしょう。 この大学は、韓国人のためだけの大学ではありません。世界人はもちろん、天上の霊人たちの望みまでも包括する摂理史的な大学です。(ここは、)世界の志ある若者たちが、摂理の祖国たる韓国を知り、世界平和のための真の愛のビジョンを共に分かち合う国際化教育の揺籃(揺りかご)です。 したがって、この場所で勉強する学生たちは、世界市民、ひいては「天一国」の市民としての素養を備え、善民となって、未来世界の指導者の品格を備えなければなりません。 大学教授と役員、職員の皆様! 本大学を、神様が散策したいと思われるキャンパスとして育てていこうと考えてみられましたでしょうか。 専門的な知識と技術はもちろん、知恵と道徳性と霊性を練磨しながら、真の愛の人格をはぐくむ学堂としてつくり上げなければなりません。 神様と、天意に従う設立者が願う、清い二世たちが勉強するように準備された場であるので、純潔教育の世界的揺籃をつくり上げ、父母たちが信じてゆだねる訓育および実践場となって、明るい未来に連結されなければなりません。 愛の心で模範を示しながら、隣人のために分け与え、施すことができる奉仕の人格と、ビジョンを持った "夢の樹々”として(学生たちは)はぐくまれなければなりません。 天宙が願う、超国家、超人種、超宗教的に開かれた教育のもと、五色人類が一つの兄弟理想を学ぶ、和合の学舎とならなければなりません。世界を健全で、美しくつくり上げる、多様な知識と技術の専門人の養成所として育成されることを願います。 鮮文大学校が、世界の若者たちに、愛と平和の生きた知識を教え悟らせて、奉仕しつつ研究する教育機関として、日々、発展することを祈願いたします。 皆様すべての家庭に、神様の祝福が共にありますこ とを願いながら、私の話を終わりにいたします。<完>真のご父母様の御言二〇〇二年四月十四日、韓国・忠清南道牙山市、鲜文大学校牙山キャンパス名誉博士学位授与式での御言神主義による教育今年四月十四日、鮮文大学校では、大学本館の奉献式に続いて、本館六階のチャペル室で、真のご父母様への名誉博士 学位授与式が行われました。このみ言は、その場において真のお父様が語られたメッセ ージを翻訳し、整理したものです。 (文責・編集部) 内外の貴賓、教授、学生、役員、職員の皆様! 今日、鲜文大学校の本館奉献式を挙行した意義あるこの日、大学の教務委員会の総意によって、私が名誉神学博士学位、妻である韓鶴子総裁が名誉人文学博士学位を取得するようになったことを、神様に感謝申し上げます。 奉献式のみ言のときにも言及したように、私の教育機関設立の趣旨は、神様の真なる愛の理想の、教育と実践にあります。創造主であられる神様の根本の属性は、絶対、唯一、不変、永遠、全知、全能など、さまざまに説明できますが、根本中の根本の属性は、真の愛であられます。 愛の理想は、相対とともに、相対を通してのみ成就されます。真の愛、それ自体の特性ゆえに、神様も、 愛の相対的存在を必要とされます。これが、絶対者であり、自存者であられる神様が、被造世界を創造された動機です。 すべての被造物は、直接的、間接的に、神様の愛のパートナーです。その中で人間は、神様に最も近く、すべてのものを相続することのできる子女として造られました。 人類にとって、神様は、無形の真の父母であられます。人間は、宗派や教理によって、神様をさまざまに表現しますが、根源者であられる神様は、国境と人種、 宗教と言語、そして皮膚の色と文化を超越して、すべての人類を一つに結ぶことができる真の父母であられ、"求心点”に当たります。 すべての宗教が、自身の宗教を〝他の宗教より優秀 である。」と考えるために、最近のアメリカにおける世 界貿易センタービルのテロ事件や、パレスチナ紛争に 見られるように、宗教戦争の渦中に陥っていることを目撃することができます。 しかし、すべての宗教は、普遍的な真理を持っているだけでなく、その教えは、一人のかた、神様から共 通目標を志向しながら出てきました。一人のかたであ られる神様は、すべての宗教の決着点である主人であ られます。それゆえに、宗教人たちは、お互いに異な る点よりも同じ点を見ようと努力しなければなりません。 宗教の中心的価値は、神様の真の愛です。真の愛は、 ために生きることであり、個人より家庭、家庭より氏族、氏族より民族、民族より世界、世界より天宙、天宙より神様と、このように、より大きなもののために 生きることをいいます。これは、普遍的な真理です。 同様に、宗教は、他の宗教を理解して、ために生きなければなりません。私は、宗教を通した平和世界実現のために、「世界平和宗教連合」、「世界平和超宗教超国家連合」などを創設し、全世界の宗教人を一つに束ねる活動を展開し、宗教間の対話と和合を図るために、世界宗教の代表的学者たちが編纂した『世界経典』も発行しました。 信じ難いかもしれませんが、統一教会自体の予算の、数百倍を超教派、超宗派活動に投入してきています。 また、神様は、すべての知識体系と真理の根源であり、出発点であられます。鮮文大学では、世俗的な物質的価値を教える前に、神様を愛する姿勢を教えなければなりません。すべての学問と価値観、そして真理の源泉が神様であるという事実を理解して、そのような姿勢で教え、学ばなければなりません。 また、建学の理念である”愛天精神”とは、神様を中心とした正しい価値観を立てて、それを生活の中で 実践することをいいます。唯物論と無神論、そして世俗的な価値観と快楽主義が乱舞する現代社会は、実に価値観が混乱し、破壊された社会と言わざるをえません。"愛天理念”とは、価値観が崩壊した現代社会で、その代案として提示された神様中心の価値観、すなわ ち〝神主義をいいます。 一九九一年末、私と妻が金日成主席の招請で北朝鮮を訪問したときのことです。その当時、世界的な宗教指導者であり、勝共運動の第一人者である私を除去するために、ソ連(当時)のKGB(国家保安委員会) が暗躍した時であったので、思想的に統制された北朝鮮の地に入るということ自体が、命を懸けた冒険でした。 しかし、金日成主席との出会いは、(韓半島の)統一問題を解決するうえで、避けることのできない道であり、神様の摂理歴史において、必然的に通らなければならない摂理的要請であることを知っていたため、私は、神様だけを頼りに、北の地に入って行ったのです。 北朝鮮に入って行ったのも、何かの合作投資や事業をするためでなく、神様の願いである南北統一のために人類の真の父母として、北朝鮮の住民をだれよりも愛する哀れみの心情を抱いて、堂々と入城したのです。そして、北朝鮮の最高指導者に、「主体思想で統一は成されない。韓国と北朝鮮が、共に生きることができる"神主義”で統一しよう。」と、提議したのです。 当時、私に随行した人たちが、"あー、生きて帰ることはできないな。”と思ったと、後に話すのを聞きました。しかし、私にとっては、生きるか死ぬかの問題ではなく、天命と天意を守り、従うことが重要であったのです。 私が言う“神主義”とは、してもいいし、しなくてもいい、というような思弁的なものではありません。 厳然と生きておられ、役事される神様を無視したまま、無神論であるとか、唯物論であるとか、主体思想などの偽りの思想を宣伝することは、天道に逆らうことであり、歴史の前に流れていくのです。ただ、天道と正義と真だけが、歴史の前に残るのです。そのような意味で、神様の真の愛を中心とした〝神主義”だけが、 統一の基礎になることができます。 私が主導した「科学の統一に関する国際会議」も、そうです。世界で、「我こそは」と言うノーベル賞受賞者などの碩学を、文総裁が自分のものにして、あれこれ言うことができますか? 大会を一回開くごとに、ばくだいな予算がかかる国際大会を、なぜ開催するのでしょうか? 二十世紀に入って、驚くべき速度で発展した科学文明は、人類に豊かな生活をもたらしてくれましたが、一方では、自然と環境の破壊、大量殺傷武器の開発、 大気オゾン層の破壊などの暗い影を残したのも事実です。科学技術を利己的な動機で使用するとき、科学技術は、人類を破滅させるかもしれない凶器に急変するようになります。 科学的理性を固く信じた人類は、二回にわたる世界大戦を経験しながら、人間の野蛮性に対して驚愕することとなり、科学的理性に対する信頼は、地に落ちることとなりました。また、現代産業社会で、人間は物質文明の奴隷となってしまったのです。このすべての 現象は、科学の誤用から来る結果です。 科学は、科学者たちが好んで使う言葉のように、”価値中立的な学問”ではありません。科学こそ、人類のために正しく使用されなければならない価値志向的な学問」 なのです。 私は毎回、開催される「科学の統一に関する国際会議」の主題を「絶対価値の探求」と関連して設定しました。私が提案した絶対価値とは、“神主義”に立脚した神様の真の愛を意味します。宇宙万物を創造された神様は、科学者の中の科学者であり、芸術家の中の芸術家であられます。科学者が、神様が創造された宇宙万物に対する知識の一部を知っているからといって、 おごったり自慢するとすれば、それは正しい道理ではありません。 したがって、科学者の目標は、物理学や科学、生物学などの関連分野の研究だけにとどまってはいけません。諸学問の分野別の特性は重要ですが、学問研究は 相互協力によって補完されなければならず、その研究成果は、善なる目的に活用されなければなりません。科学が、科学だけのための盲目的なものとなるとき、過ちを犯す可能性があるからです。 それゆえ、科学者の学問的成就は、他の学問との関連性からも扱われなければならず、さらには、社会全体に対する有用性の有無とも関連づけられなければなりません。そのような側面から見るとき、「科学の統一に関する国際会議」は、最高の権威を備えた国際会議 であり、人類社会に大きな足跡を残したと自負することができます。 今後の世界文明を主導する思想は、現代文明で喪失した神様を再発見して、神様を中心とした絶対価値を基盤とした思想でなければなりません。西欧文明は、人間の理性を強調しすぎた結果、人本主義思想に染まり、神様を失ってしまいました。唯物論哲学は、神様からの解放を仮装しながら、物神思想の信仰に陥ってしまいました。 しかし、神様を離れた自由は、真なる自由ではありえません。何よりまず、私たちは、神様を中心とした新しい価値観を、大学教育において教えることが急を要するというのが、実情です。 また、現象世界を超えた本体世界、すなわち霊的世界が存在するのです。生理的五官では感知されませんが、厳然と存在する実体世界です。私は、その世界と数え切れないほど往来をして、体験的真理を話すのです。 神様と霊界を正しく知らなければならない、もう一つの分野の学問研究が残っています。霊界と霊的現象が、徐々に可視的、体恤的に私たちに近づいてきています。 すべての学問と教育は、究極的に神様に依存し、関連性を結ぶことが、真なる大学教育の要諦であると考えます。神様を中心とした絶対的価値体系を樹立する ことは、世界文明を主導する大学が持たなければなら ない第一次的な条件です。 教育とは、単純な知識と技能を伝達する行為になっ てはいけません。少なくとも、道徳性と良心を開発す る教育が、その主軸を成さなければなりません。それ ゆえ、真なる教育は、機能的な知識人や利己主義者を 量産するのではなく、人格の完成と道徳性を実現するとき、その意味を持つようになります。 ぜひとも鮮文大学校が、〝神主義”に立脚した教育思想を実践し、この国と人類文明に大きく寄与する大学 として発展していくことを祈願します。 ありがとうございました。<完>Family 2002.6 52一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.06
コメント(0)
LINE筋から、米国の若い世代がキリスト教に群がるリバイバルが起こっているとの映像紹介がありました。2024/09/26 アーカンソー州ニバーシティ – バド・ウォルトン・アリーナに集まる観客は、通常、レイザーバックのバスケットボールを応援するために集まります。しかし、この夜はまったく違いました。大きな声で手を挙げ、1万人近くの大学生が集まりました。大学生のアビー・マシューズさんは、「大学のキャンパスにこれだけの人数が集まると、私たちの神はこの世で直面するどんなものよりも偉大だということが本当に励みになります」と話しました。CBN News が報じたように、この UniteUS イベントは、全国の大学のキャンパスに福音のメッセージを届ける一連のイベントの 1 つです。CBN News から全文を読む:https://www2.cbn.com/news/us/revival-...……(略)…CBN は、キリスト教の観点から 24 時間テレビニュースを放送しています。CBN ニュース チャンネルは、十分なサービスを受けていない視聴者に独立したニュース番組を提供し、世界中のキリスト教徒を啓発し、楽しませ、刺激します。以下のコメントは、必ずしも CBN の見解を反映するものではありません。映像は、字幕(自動翻訳)を”ON”にしてご覧ください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.05
コメント(0)
第1142回 天心苑特別徹夜精誠 (10/04)https://m.blog.naver.com/PostView.naver?blogId=peacemaker2027&logNo=223607350504&navType=by一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.04
コメント(0)
世界平和と女性の役割 日付:二〇〇二年四月十日場所:韓国、ソウル、リトル・エンジェルス芸術会館行事:「世界平和女性連合」創立10周年記念式(真のお母様) 尊敬する内外の貴賓、各界の女性指導者、そして会員の皆様。きょう私は、「世界平和女性連合」の創立から、これまでの十年間、愛で導いてくださった神様に深い感謝を捧げながら、あふれんばかりの感慨をもってこの場に立ちました。「世界平和女性連合」は、「女性時代の到来」を宣布するとともに、女性平和運動の中枢機関として、私の夫であり、共同創始者である文鮮明総裁によって創立されました。 本連合は決して、この世の一つのありふれた女性団体として出発したのではありません。それは第一に、真の父母理想を中心とした神様の創造理想世界実現のための摂理史的意義をもって創設されたからです。第二に、女権拡張、男女平等、女性労働運動など、主に男性を相手とした外向的で闘争的なフェミニズム運動ではないからです。文総裁の教えによると女性というのは、男性と対決、闘争する存在ではなく、無形の神様の性相と形状、陽性と陰性の二性のうちの一性を代表した個性真理体なのです。 ですから、女性は男性の単なる補助者や保護の対象ではなく、神様の片方の一性を代表した立場で、むしろ男性を全きものにしてあげる独立した人格者です。真の愛の理想を中心として、女性は男性の貴い愛の対象者です。価値から見て、男性と女性は絶対平等な存在なのです。本然の真の愛で一つになった男性と女性は、互いに同じ地位になる同位権をもつようになります。また、いつどこでも共にいる同参権をもちます。 さらには互いのものを第二の自分のものとして共有する相続権を得るようになります。このように神様の真の愛の理想のもとに一つになった男性と女性は、同位権と同参権だけではなく、互いのものを共有することによって、価値的に完全に平等な存在となるように創造されました。ですから、男性と女性は、相手の特性や気質、役割をまねたり、それを羨(うらや)んで奪ったりする必要がある対立と敵対の関係ではありません。真の愛で自分のものを相手に分け与え、相手側をさらに完成させてあげながら、より大きな次元で一つになることによって互いに共有する関係なのです。 女性は、神様が女性だけにお与えになった貴い本性と女性特有の愛情をもち、子女を身ごもり養育しながら家庭を指導するという、重要な役割をもっています。女性は、愛の結実を抱いて育てる自己犠牲を通して、一族の血統を継いでいきます。胎教から子女の心性を正しく育て、人格を涵養する母性の役割というものは崇高なものです。人類は、だんだんと世界化と多元化が進む社会の中で、互いに共に暮らさざるを得ません。未来の文化世界において、女性の崇高な役割は、家庭単位ではもちろんのこと、社会、国家、世界で絶対的なものとして公認されるでしょう。 人類の未来全体を宿し、生んで養育することが、歴史的次元の崇高な母の役割だからです。母性の役割が無視されるならば、人類の希望と将来はどこに宿るというのでしょうか。このような意味で、本連合の世界平和運動は、固有の領域と共に、摂理的意義をもっていることに対して、会員の皆様は誇りをもたなければなりません。そして真の父母様の直接的な指導のもとで、誇らしい活動をしてきたことに感謝しなければなりません。 私は過去十年間、国連本部、そしてアメリカ、日本など多くの国の国会議事堂での講演、数々の国際大会での基調演説など、世界的に数百回の講演をしてきました。少なくは数百人、多くは十万人を超える人々を前に、教育を兼ねた講演をしました。北米大陸、ヨーロッパ、ロシア、中国、アジア、オセアニア、アフリカの奥地に至るまで、五大洋六大州を何度も巡回しながら「女性時代の到来」を宣布し、世界平和と女性の役割について教育してきています。 それとともに、倫理と道徳と新しい価値観の確立問題、青少年の腐敗と家庭破壊、未婚の母の問題、エイズ、麻薬犯罪の問題など、深刻な危機に処した現代文明を診断し、警鐘を鳴らしてきました。今や各国で自覚した女性たちによる救国救世の運動が起きながら、希望的な基盤が造成されつつあります。世界百八十ヵ国以上の会員の皆様の積極的な参加によって、驚くべき実績が成し遂げられたことに対して、この場をお借りして、もう一度、感謝と称賛を捧げます。 皆様。今後十年間、女性平和運動の方向とその中心となる内容は何でしょうか。文総裁は、二〇一二年を神様と人類が願う平和理想世界の結実期として定め、率先して行動しておられます。私たち女性連合にとっても、今後十年間はとても重要な期間です。平和世界は、世界や国において、先に成し遂げられるのではありません。すベての組織の基盤となる家庭において、先に平和が成し遂げられなければなりません。 世界平和の最も核心的な内容は、家庭の平和をいかに成し遂げるかということにかかっています。真の父母と真の夫婦、そして真の子女が神様に侍って平和の家庭を築き、ひいてはこのような家庭が氏族、国家、世界へと拡散するとき、真の世界平和が実現されるのです。家庭の平和のための母親の使命、また妻の役割は絶対的です。 今日のように不倫や退廃が蔓延し、青少年たちの放縦や離婚などによって家庭が崩壊する状況の中で、私たち女性連合が世界的に展開する真の家庭祝福運動と青少年純潔教育は、根本的な平和運動なのです。神様の真の愛による唯一の救国救世の平和運動です。 宇宙の公法と原理に立脚して、家庭を全きものとし、社会を再建しながら、国を正しく立てる仕事に特別な使命感をもって進んでいかなければならないと思います。女性の政治参加、女性の経済参加、教育および文化分野への女性の参加、女性に関する法律制度改善など社会分野への参加、それ以外にも多様なNGO(非政府機構)活動が必要です。 しかし、何よりも優先すべき運動は、正しい価値観の教育に伴う真の家庭運動であることをもう一度強調します。女性たちはまた統一運動の旗手にならなければなりません。本連合の事業にも、南北統一のための様々な活動を明示しておきました。女性は南北統一のために、正しい理念教育と真の愛の実践によって手本を示すことで、先導的役割を果たさなければなりません。戦争や葛藤は、利己的な動機から、領土や財産など、他人の物を奪おうとするときに起こるものです。その反面、平和は、他人のために自分を投入するとき、すなわち真の愛を与えるときにやって来るのです。私たち女性連合が今まで心血を注いで展開してきた「隣人と社会のための奉仕と分かち合いの活動」は、平和運動の貴い礎石となるでしょう。 今年、北朝鮮の同胞、特に子供や女性たちを支援するための「北朝鮮愛一パーセント運動」を展開したことも、本連合の創立精神を高めるものであると思います。各国において国際的に展開するこの真の愛の実践と分かち合い運動は、超国家的、超宗教的、超人種的に葛藤の溝を越え、平和を堅固なものにしつつあります。 これまで文総裁の指示により、日韓の女性三十二万人が姉妹結縁を行うなど、世界各地で、国際間に平和の掛け橋を渡すために、多くの努力をしてきました。この運動は、国際会議や平和運動の実践の一つの儀式として定着しました。 愛する会員の皆様。二十一世紀は、女性が男性と共に堂々と一つの軸を形成し、世界史の主役にならなければなりません。力と技術の世紀ではなく、愛と文化の世紀を創建していく中心において、女性の役割はますます重要になりました。世界平和実現の根幹である真の家庭回復運動を主導的に引っ張っていく会員の皆様となられることを期待します。自覚ある女性は、家庭を守る愛と平和と奉仕の中心です。世界平和も、その出発の起源は、愛と道徳の学校である、健全な家庭の中の母親にあると言えるでしょう。 たとえ世界が満身創痍(そうい)で汚れてしまったとしても、神様の真の愛のビジョンのもとに一体になった女性連合の実践運動によって、必ず浄化できるという確信をもって邁進してくださることを皆様にお願いいたします。神様と霊界の大いなる加護と導きが臨むでしょう。きょうは御多忙中にもかかわらず、この場に参加してくださった内外の貴賓と会員同志の皆様に深い謝意を表しながら、私のお話を終えたいと思います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.04
コメント(0)
「六千年役事大解怨式」での御言 「天一国」二年、二〇〇二年、陰暦二月二十二日(陽暦四月四日)、二十二時二十二分二十二秒、「六千年役事大解怨式」が、米国のイーストガーデンで挙行されました。その時の祈祷と御言、並びに、この式典に先立って行われた祈祷と興進様からの報告を併せて掲載します。興進様からの報告は、郭錠煥先生が拝読されました。 祈祷しましょう。霊人たちが、式を行う所に同参できるように祈祷してあげ、「来なさい」と案内してあげなければなりません。 祈祷 愛するお父様! きょう、二〇〇二年四月四日、十時(二十二時)二十二分から始まるすべての式典を、韓国では十三時間前に主導され、編成したすべての内容を、第一イスラエル、第二、第三イスラエル圏と連結させ、アメリカと韓国が一つの場において、同じ日、同じ時間に、この式典を制定し、今まで恨の役事によってふさがっていた霊界と肉界の垣根をすべて除去してしまい、地上に真のご父母様が再現し、歴史的旧約時代、新約時代、成約時代、すべての蕩減条件を整備し、神様の恨を解消し、解放的な祝福の中で、エデンにおいて、偽りの父母の愛、生命、血統を残して、恨の歴史を綴ったことを、真の父母が現れてすべてのことを蕩減復帰することによって、あなたの前に総生畜献納をすることができる立場に立ち、そして天一国を制定させてくださり、天と地の祝福を受けた家庭として、天上世界の先祖たちと地上世界の子孫たちが、一心、一体、一念とならしめてくださり、天地父母に仕える、新しい歴史的大転換時代、大祝福時代を迎えるようにしてくださったことを感謝申し上げます。 このような祝福の恩賜によって、この地に真の父母の直系の子女である興進君をはじめとして、榮進と惠進と喜進君を中心とした四大聖人たちと賢哲たちを連結させ、さらには、キリスト教の歴史を中心として有名だった摂理史のすべての功臣たち、教派と教団を中心として、これを結び、宗教圏を越え、政治圏を越え、国連を越えていくことができるNGO(非政府組織)基準、超宗教、超国家、超人種圏を設定し、解放的な祝福を制定するようにしてくださったことを感謝申し上げます。 このすべてのことが、神様が中心となってくださり、真の父母と共にこのことに責任をおもちになり、解怨成就、解放的な解消をなして、整備、整備を備え、本然の基準の前に一致することができる条件的基準と、進んでいくことができる方向性を完結することによって、天上世界と地上世界が一体的な真の父母を中心として、仕えることができなかったことを再び総蕩減し、天使長ルーシェルが失敗したすべてのことを、アダム完成を中心とした基準の前に、絶対服従、絶対屈伏することによって蕩減し、天上世界の地獄と楽園と天の国を開くことができるように高速道路を築いた、その基盤のうえに、万能、解放の願いをあなたが主導してくださり、地上の祝福家庭の拡大とともに、天上世界の祝福家庭を結んでくださり、カイン的祝福圏がアベル的祝福圏の前に兄弟の基準を交替し、地上から天が王の中の王となられ、祝福の主人となられ、治めなければならない愛の創造理想世界を再び取り戻し、真の父母によってこれを再び復帰し、完成し、神様の前に仕えることによって、天上地上世界に神様王権樹立と祖国定着という命題を中心として、天一国を成就してくださり、自主国勝利圏解放時代、主体国勝利圏解放の時代を天上世界と地上に結んでくださり、元一的統一世界として終着するようにしてくださった、宣布を備えるようにしてくださった、条件を立てて、峠を越えるようにしてくださったお父様の恩賜の前に感謝申し上げます。 きょう、天一国二年を中心として、二〇〇二年二月二十二日、二十二時二十二分二十二秒を中心として祝福の日を設定し、韓国と日本の中心存在たちが、アメリカを中心として全体がこの場に集って、祝典をしようと願っておりますので、霊界の祝福を受けたすべての霊人たちと、四大聖人、四大直系の子女と協同するようにしてくださり、祝福を受けた宗教圏の中心存在、教派の中心者、宗教の中心者全体が共に一つになり、一つの主流の方向を定めて、新しい開拓と新しい編成を行うことができる時代を迎え、この神聖な総蕩減の解怨式を奉献しようと願っておりますので、天地父母と共に神様が王権のうえにお立ちになり、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の心情をもって、一心、一念、一体となった場に立ち、天の心情を代身した父子の因縁、夫婦の因縁、兄弟の因縁、一族全体が、天の解放的地上天上天国を相続することができる、喜びの一族として、一家庭として、この時間、同参することを真の父母の名によって許諾いたしますので、神様を第一として侍る彼らと、天上天下全体を蕩減することができる神聖な式典として奉献したものを受け入れてくださることをお願い申し上げながら、真の父母の名によって、この日を祝福しながら報告いたします! アーメン! (「アーメン!」)。アーメン! (「アーメン!」)。アーメン! (「アーメン!」)。 お母様、ここに座ってください。(「敬礼いたします。真のご子女様が先に敬礼をされます。全体で天地父母様に敬礼いたします。天地父母様に敬礼! 静かに座ってください」)。 この第二イスラエルであるアメリカが、全体、集中、復帰役事をしなければなりません。第一イスラエルが失敗したことを第二イスラエルがすべて……。第三イスラエル圏において勝利したすべてのこと、霊界と肉界が一体となって勝利基盤を築いたことを、第二イスラエルに加えて、世界的な蕩減役事を始めたことを知らなければなりません。さあ、それでは、その内容がどのようなものなのか、よく聞いてください。 「六千年役事大解怨式」に関する興進様からの報告 尊き真のご父母様! 神様の御旨を成就するために東奔西走されるお姿をそばで拝見しながら、息子としていつも恐縮し、申し訳ない心を抑えることができません。いかにすれば、少しでも真のご父母様に喜んでいただくことができるのかを深く考えながら過ごしております。 真のご父母様におかれましては、「神様王権即位式」を通して神様を解放してさしあげ、真の父母としてなすべきことは、すべてなされました。しかし、いまだ堕落した人類が越えるべき峠が多いので、これを少しでも減らすために、真のご父母様は多くの苦労をしていらっしゃいます。真のご父母様のこのような大きな恩恵の前に、どのようにして、すべてに報いることができるでしょうか? ただ、その大きな恩恵に、感謝し、また感謝するばかりです。 今まで真のご父母様が勝利され、道を開いてくださった恩恵を土台にして、祝福家庭はいち早く物事の道理をわきまえ、自ら果たすべき責任分担を完遂しなければなりません。私たちのゆえに苦労しておられる真のご父母様を解放してさしあげることが、子女としての本分であることを知っています。 それでは、このたびの行事を行うようになった背景を、真のご父母様にご報告申し上げます。 アダムとエバが堕落した後、今まで人類は、サタン主管圏に落ちていました。サタンは最も強い悪霊たちを動員して、被造世界を自分側の世界にするために悪の役事を起こし、自分の支配する領域を具体的に拡大していきました。 サタンは、神様が中心人物を通して役事されることをよく知っているので、神側の中心人物が勝利的に蕩減条件を立てることができないように、妨害する役事をしてきたのです。サタンは復帰の各時代ごとに、最も強い悪霊たちを動員して、悪の役事をしました。サタンは常に侵犯する機会を狙い、その各時代の中心人物が讒訴条件に引っかかれば、責任を果たせないように、背後で執拗に悪の役事を行ってきたのです。このように、各時代ごとの中心人物たちが、神様の御旨どおりに責任を果たすことができなかった、その背後には、サタンと悪霊たちの役事が大きく作用していたのです。 アダム家庭において、実体基台を勝利するためには、カインとアベルが一つにならなければなりませんでした。その摂理をされる時に、蕩減復帰原理の立場から、神様がアベルの祭物だけを受けられるようになったその時、アベルが謙虚な心で、兄であるカインに対していなければなりませんでした。ところが、反対にアベルは驕慢な心をもつようになったので、サタンはそれを条件として侵犯し、カインに血気を起こすようにさせ、理性を失うようにして、弟のアベルを殺害するように役事したのです。 ノアが山の上に百二十年間かけて箱舟を造り、洪水審判がすべて終わった後に、ノアはまず、神様の前に謙虚になって感謝の祈祷を捧げなければならなかったのですが、ノアが「自分ですべてをなした」という慢心をもつようになると、常に侵犯する機会を狙っていたサタンは、悪霊たちを動員して、ハムをして、父ノアの裸体行為に対して恥ずかしさを感じるようにさせ、兄弟たちを扇動して、ノアの心と距離を置くようにさせました。 サタンは、アブラハムの三種類の供え物を通して、アダム、ノア、アブラハムの家庭のすべてを蕩減復帰しようとされる神様の御旨を知り、侵犯する機会を狙っていると、アブラハムが三種類の供え物を献祭する時に軽率な心をもつと、これを条件にしてサタンは侵犯し、ハトを裂かないようになり、結局、象徴献祭を失敗するようにさせたのです。 モーセの時にもサタンは、イスラエル民族がモーセと一つになろうとする心をもたせないように役事をしました。特に、出エジプト以後、四十日間の断食祈祷を通して、幕屋のための基台を準備する過程においても、イスラエル民族がエジプトでの生活に対する未練をもって、不平不満を言い出すと、それを条件にしてサタンは、イスラエル民族が金の子牛をつくり、それを自分たちをエジプトから導いてくれた主人として崇めるようにさせたのです。また、モーセが不信するイスラエル民族に向かって血気を起こすと、石板を壊すようにさせ、また、レピデムで磐石を二度打つようにさせて、中心人物としての責任を果たせないようにさせたのです。その背後にも、サタンを中心とした悪の役事がありました。 イエス様の時も同様でした。サタンは、不信する当時の律法学者や祭司長たちに入り、「イエス様はメシヤではない」と扇動して、イエス様を排斥し、迫害するようにしました。また、洗礼ヨハネが自分中心の人間的な心をもつようになると、その中にサタンが入り、イエス様を証しながらも侍ることができないように、誘導したのです。それだけでなく、弟子たちがイエス様を信じなくなると、サタンはそれを条件として、イエス様と弟子たちが一つになれないように、悪霊たちを通して役事したのです。このようにしてイエス様は、結局、十字架上で亡くなるしかありませんでした。当時の中心人物たちが責任を果たさなかったことも、その原因でしたが、その背後には、サタンの執拗な悪の役事が隠れていたのです。 真のご父母様がこの地上に来られた後にも、サタンは、神様の中心摂理に対する妨害の役事を継続してきました。一部の無知なキリスト教の牧師たちと聖徒たちにサタンが入り、真のご父母様を不信するようにさせ、迫害するように扇動したのです。また、神様を否定する北韓の共産主義者たちを通して、真のお父様を監獄に入れ、さまざまな拷問と苦痛を与え、真のお父様のメシヤとしての意志をくじこうとしました。真のご父母様は、そのようなサタンに屈することなく、かえって神様を慰労され、蕩減条件を立てられて、サタンを屈伏させて勝利されたのです。 しかし、サタンは最後まで放棄せず、継続して神様の摂理を妨害するために必死に役事をしてきました。サタンが狙った第一の標的は、まさに真のご父母様が立てられた祝福家庭でした。祝福家庭が神様と真のご父母様に対する、絶対信仰、絶対愛、絶対服従で暮らしていたならば、サタンが讒訴することはできませんが、そのようにできない家庭には、サタンが悪霊を動員して、罪の根の問題を再び犯させるような状況をつくり、過ちを犯すように役事をしたのです。真のご父母様に従う祝福家庭が罪を犯すようになったので、サタンは、真の家庭にまでも苦難を与えたのです。このようにサタンは、復帰摂理歴史六千年の全過程で、執拗に、巧妙に、神様の御旨が成就できないように、あらゆる手段と方法を動員して悪の役事をしてきたのです。 その当時、直接参与したサタンと最も強い悪霊たちをすべて、天一国二年、二〇〇二年、陰暦二月二十二日、二十二時二十二分二十二秒に、清平に呼んで、解怨するようになります。 今まで、霊界にいる私をはじめ、榮進、惠進、喜進が中心となり、霊界全体をくまなく捜し、六千年の復帰摂理の役事期間において、中心人物たちを打ち倒すために悪の役事をしてきたサタンと最も強い悪霊たちを、すべて捜し出して、その位置をあらかじめ表示しておきました。そしてきょう、この時間に、当時の摂理的中心人物たちを通して、サタンと犯行に直接参与した最も強い悪霊たちを連れてくるにあたって、その力が不足した場合に備え、今まで清平の役事を通して祝福を受けた絶対善霊たちの支援を受けて、彼らをすべて清平に連れてきて、歴史的な大解怨式を行うようになりました。 このような行事は、真のご父母様が神様を解放してさしあげ、本来の位置に立ててさしあげていなければ、この時間、このように歴史的な大解怨式を行うことはできませんでした。サタンを中心とした悪が崩れていくと同時に、それを転換点として、神様を中心とした善が早く定着しなければならないのですが、もし、神様王権即位式を通して神様を解放してさしあげることができていなければ、悪がだんだんと崩れていったとしても、善がより強く前進していくことはできなかったでしょう。 しかし、今からは、善悪が完全に交差する時代を迎えることによって、生きていらっしゃる神様が、全知全能の力を思いどおりに発揮なさることができるようになったのです。したがって、今後、悪は弱くなり、崩れていき、神様を中心とした善はだんだんと強くなり、神様が、全体、全般、全権、全能の役事をなさることができる時が到来するようになったのです。 今からは、原理を知る祝福家庭が、絶対信仰、絶対愛、絶対服従で、神様と真のご父母様の心情と一体になれば、豊かに暮らすことができるようになっています。しかし、堕落性を中心として非原理的な生活をすれば、滅びるようになっています。 真のご父母様は、私と大母様を通して、四大聖人、賢哲たち、各教団の教主たちを捜し立てられ、修練を受けるようにされ、絶対善霊として立ててくださいました。それで、各教団の直系の弟子たちを中心として、宗教間の境界線を崩して、真のご父母様と一つになることができる宗教統一の道に進むように導いてくださいました。 また、地上の祝福家庭を中心に先祖解怨式を通して、彼らを霊界の修練を経て絶対善霊にし、地上に再臨協助することのできる基台を立てられました。また、地上の肉身をもつ人間に憑いている恨みの霊と悪霊たちを分立し、彼らもやはり霊界の修練所を経て、善の役事をすることのできる絶対善霊にすることができる道を開いてくださいました。 このような基盤のうえに、今まで四大聖人を中心に、教団の代表と信徒たちが祝福を受けたのですが、彼らを、去る二〇〇二年、陽暦二月一日に霊界の修練所に呼び、真のご父母様が神様王権即位式以後に摂理される具体的な内容について教育をしました。そして、彼らは、復帰摂理歴史に協助するために、陰暦二月二十二日、陽暦四月四日に、地上に再臨し、真のご父母様がなされる摂理を協助するようになります。彼らは何よりもまず、真のご父母様が推進される、キリスト教および各教団の指導者たちを含めた、十四万四千組の群れを祝福してくださるという大きな祝福行事が勝利できるように、再臨協助をします。 今まで祝福を受けた絶対善霊たちの、地上の祝福家庭に再臨協助して地上天国と天上天国をなそうとする覚悟と決心は、大変強いものです。このような時に、地上の祝福家庭と公職者が絶対善霊と一体となり、神様と真のご父母様の御旨を成就するために、先頭に立たなければなりません。 尊き真のご父母様! 今は神様の御旨どおりにすべてのことがなされていく大転換時代であり、天地開闢の一時を迎えています。霊界では、すべての時間が感動の心情で満ちています。このような時に私たちすべての祝福家庭は、油断することなく、現位置において神様と真のご父母様を中心として、霊界と肉界が、一心、一体、一念をなし、なすことのできる最善の努力をすべてなして、必ずや、真のご父母様の王権即位式をしてさしあげますので、彼らを見守ってくださり、思う存分、お喜びをお受け取りください。 二〇〇二年、陰暦二月二十二日(陽暦四月四日)、天宙清平修錬苑より、息子、興進がお捧げ申し上げました。(拍手) さあ、心の準備をしてください。二十二時二十二分二十二秒を迎えるまで。(「全体起立して、立ったままで心の準備をいたします」)。 祈祷 愛するお父様! きょうは天一国二年であり、新たに二〇〇二年を迎える陰暦二月二十二日、陽暦では四月四日、この日は、大母様の年が、八十九歳になる記念の日でもあります。 大母様と忠母様、真のご父母様、三代にわたり、母が責任を果たせなかったすべてのことを、過去の旧約時代、新約時代、成約時代を清平に集合させ、このことを代身し、大母様を中心として、息子の立場にある興進君と榮進君と喜進君と惠進嬢を中心とした四大家庭が、この地に来て苦労していった四大聖人の祝福家庭と共に、そして、忠孝の道理の道において忠誠を尽くした、霊界にいる数多くの、数億の人、聖人、烈士、忠臣、孝子たちを祝福しましたので、地上の真の父母の名と共に、天上世界の祝福を受けた家庭と地上世界の祝福を受けた家庭が一体となり、失ってしまったカイン・アベルの基準を蕩減することのできる、すべての家庭的基準を取り戻し、アベルの勝利の主権を中心としてカインが屈伏するように、天上世界の祖先たちが、一心、一体となるようにしてくださり、天地父母に仕えることによって、超宗教、超国家、超NGO圏を中心として、初めて歴史時代に新しい神様王権樹立と共に、サタン世界を越え、絶対的な基準において、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の観念を中心とした、ために生きる真の愛の神様を中心として、失ってしまった真の父母と一体となった本然の真の愛と真の生命と真の血統の因縁を、神様が一代であり、アダムとエバを失うことによって二代圏家庭の設定ができなかったことを、真の父母の家庭を中心として、世界に広がっているすべての祝福を受けた家庭が、天上世界の家庭と一つになり、真のご父母様に侍ることのできる基盤を、カイン・アベル、アダム家庭で失ったものを、国家を越えて、天宙史的なもののうえに立ち、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の原理を通じて、ために生きる生活を主体として、すべてのことを投入して忘れ、投入して忘れ、ために生き、よりために生きる、永遠な神様の愛と父母の愛を代身することのできる、深い愛の世界が、この地に出現することができるようになった恩賜に感謝申し上げます。 このことによって統一教会の群れは、第一に、真の愛を中心として私たちが生まれ、真の生命と因縁を結び、真の血統を受け継ぐことができ、神様が一代、アダムとエバの代身としての真の父母、この二代を中心として、三代圏を結ぶことのできる勝利的祝福中心家庭の価値をもつようにしてくださったことを心から感謝いたします。 言葉だけではなく、事実の中の事実であり、事実が中心として現れることのできる天の権威の足場となり、万事に神様の自主権を中心として、すべてを治めるうえで不足のない、個人基盤はもちろん、家庭基盤となり、祝福家庭を中心として、天上の祖先まで一つになり、牽引車のように、機関車のように、霊界を引っ張って地上に再臨させ、完成の印を押し、公印を押して、天上まで連れていく、解放的決定をすべき時間に到達いたしました。 それゆえ、きょう、陰暦二月二十二日のこの時間を期して、霊界のすべてのふさがれていた垣根を壊し、解放的次元を中心として、平準化することのできる位置において、真の父母と共に、神様と共に、水平線上に立って、一体、一念、一心をもち、一つの家庭的理想圏でお互いに、上下の父子関係、左右の夫婦関係、前後の兄弟関係、そのような出発の家庭を中心として、すべての氏族を代表することのできる氏族的メシヤ、国家を代身すれば国家的メシヤ、世界を代身すれば世界的メシヤ、天宙を代身すれば神様のすべてのメシヤ的責任を完成、完結し、すべてのことを清算することができる時間を迎えましたので、天の国の王権樹立と共に、全体があなたの水準にありますので、願われる通りに、全体、全般、全権、全能の行使を、天の玉座から地の果てまで、地獄の底にまで、解放の愛の恩賜圏をもたらし、心を込めて「私が創造した彼らの理想の姿だ」と、忠孝の道理を誇りながら抱くことのできる、解放地上天国が訪れてくるように、許諾してくださることを懇切にお願い申し上げます。 このことのために、今まで反対していた天使長ルーシェル以下のすべての一族全体も、この場に参席することのできる同伴者とならしめてくださり、立証することができ、証拠的後援者として選び、立てましたので、神様がこの場にお立ちになり、彼らに指示され、すべてのものが、一体、一心となるようにしてくださり、前進する一方通行として、万事亨通(あらゆることが思いどおりになること)、万事亨通、万事亨通、太平聖代(徳のある君主が治めている世の中、時代)、地上天国、天上天国を完結することのできる、祝福家庭の相続者たちとなることができるよう許諾してくださいますように、懇切にお願い申し上げます。 このことのために苦労した清平も、今やすべての力を尽くして地上と天上が協力し、真の父母がこの地で解怨成就することができる、王権即位式をすることができる、総生畜献納の世界的な奉献の日のために前進するすべてのことにおいて、神様が主体となって命令してくださり、管理、主管してくださることを懇切にお願い申し上げます。 地上は、あなたの祖国の地になりましたので、その祖国の地で生まれた、孝子、忠臣、聖人、聖子、宗主たちを合わせ、善なる祖先たちを協力させて、生まれた故郷の部分部分を合わせて、郡を越え、国家を越え、世界の至るところに連結することのできる、宗教圏解放、政治圏解放、NGO圏解放、地上天国統一の主人の王権を中心として、自ら、自由、自己主張することができる世界に前進することができるよう、お願い申し上げます。 このように天一国を宣布し、天一国の前においての、自主国である主体国としての勝利圏解放世界を越えて、初めて、堕落していない本然の元一統一世界へと締めくくることができる、解放、地上天上完結をしてくださり、勝利万々歳、天国がすべて天の一族、一家庭の群れが、一国家の群れが、一文化の一族になることができるように、祝福、祝福、祝福を完結してくださるように、懇切にお願い申し上げながら、 清平の興進君が報告した内容以上のことまでも、自主的な権限をもって、地上のきわめて小さなものから天上世界のきわめて大きなものまで、自主圏、勝利圏解放時代を自ら指導してくださいますように。 元一統一世界をなされ、千世、万世、太平聖代をなされますことを、真の父母が、懇切に、懇切に願いながら、ご報告をお捧げいたします! アーメン! (「アーメン!」)。アーメン! (「アーメン!」)。アーメン! (「アーメン!」)。(拍手) 御言 復帰は蕩減復帰 四人、韓国の代表四人、日本の代表四人、アメリカの代表四人、それで十二名になるでしょう。三人ずつにして、東西四方に、筒の中にある菓子を砕いて、遠くにまいてください。蕩減条件です。四方にまけばよいのです。「これは宇宙の蕩減条件物である」と考えながらまきなさい。できるだけ遠くにまくのです。空中にまいて、地に落とすようにするのです。 復帰は蕩減復帰です。そのままでは復帰できません。罪を犯せば、それをすべて解消しなければならないのです。すべてなくしてしまわなければなりません。蕩減です。反対になくさなければならないのです。このように落ちたのなら、反対に引き上げなければなりません。それが蕩減復帰です。そのままでは復帰できません。蕩減復帰があるために、歴史が今まで長い歴史……。 神様ご自身がなさることはできません。神様がされるのならば、蕩減条件が必要ですか? すべて切ってしまえばよいのです。否定してしまえば、宇宙をすべて破壊しなければなりません。仕方なく置いておいて、再び洗って、本然の形態を備えるためには、そこに対する……。罪を犯せば、罪を犯した量に該当する分だけ洗わなければなりません。漂白しなければならないというのです。ですから、漂白する苦労、漂白する材料、これは絶対に必要です。蕩減条件物が必要だというのです。 今まで救援摂理を知らなかったのです。祭物とは何かというと、蕩減条件物です。今までそれを知りませんでした。それゆえ、動物を祭物にするなど、あらゆることをしたのです。堕落以降、神様の愛の中で保護を受けて暮らすことができ、その愛の中で神様と共に同化して暮らすことができる、この世界のすべてのもの、万物が、血を流さなければなりません。血を流さなければならないのです。 なぜ血なのかというと、偽りの生命、偽りの愛、偽りの血統が生じたということです。血(血統)が汚されたのですから、血を抜かなければなりません。それで、祭物は、必ず半分に裂かなければならないのです。一つは神側、もう一つはサタン側です。 ところが、神側は、十のうちの一しかありません。創造されたものがそのようになりました。九まではサタン数です。それゆえ、九数といえば、東洋思想では悪い数なのです。賭博場で九数といえば、一番よい数です。賭博場では、九数が一番の親分になるのです。それゆえ、九数を越えていくのは大変です。九数ですべてそのようになるのです。三分の二をサタンがもっていき、天は三分の一にもなりません。全体の三〇パーセント、一〇パーセントにもならないというのです。 それで、今まで十分の一を中心として献金してきたのです。それゆえ、信仰生活は、十分の一献金をしなければならないようになっています。十分の一献金を、自分の生活のどのようなものよりも貴く思い、給料をもらえば、そこから汚していない清いものとして捧げるのです。もし、もらった給料のお金が新しいものでなければ、新しいお金に替えて献金しなければなりません。精誠を尽くして十分の一献金をする人は、滅びません。そこには、必ず天運が従ってくるのです。サタンがついて行くことはできません。ですから、十分の一献金が必要です。 それゆえ、信仰生活はすべて、物質的条件、それから精神的条件です。自分の貴いものを捧げなければなりません。自分の生命の代わりに貴いものを捧げるので、自分の家庭において最も愛する貴いものを天の前に捧げなければならないのです。十分の一は神様のものとして、十分の九も自分のものではなく、自分の家庭と国と世界にすべて残していくのです。 すべてを自分の息子・娘に残してあげれば、争いにしかならないのです。そのような世界になります。だんだんと相続がなくなるのです。これからは、公人として生き、人の所有するものは、国家の所有として主体的に捧げる時が、おのずと来ます。何のことか分かりますか? 自分の息子・娘に与えるのではないのです。忠臣は息子・娘に相続させるのではなく、国に相続させるのです。国に捧げなければなりません。そのような時が来るというのです。 ですから、自分が天から祝福を与えられて豊かに暮らすということは、天が国に与えるものを代わりに分割して私に与えたということであり、国のものとして、国の人として私に与えたものなので、自分がこの地上で生きて、逝く時には、国のものとして捧げてから逝かなければならないのです。 アメリカはよく見てみると、自分の息子・娘に相続させずに、公的な社会に寄贈する人が多いのですが、それは、御旨の中で一つの不可避なことなのです。先生も同様です。先生にお金ができれば、息子・娘のために準備するのではなく、すべて国と世界のために使うのです。先生が世界のために使うということは、自分の国と世界の未来の子孫のために準備するということです。 ですから、統一教会の教会員で言えば、先生が息子・娘を考えずに、先にそのようにしてくれたので、食口の皆さんは、先生の息子・娘を食べさせてあげ、保護する責任があるのです。 なぜですか? 天使長がアダムを育てることができるのです。アダムを保護して育成するのは、天使長の責任です。ですから、教会員である皆さんは、カインの立場であり、天使長の直系の息子・娘と同じ立場なので、統一教会の息子・娘が幸福に暮らせるか暮らせないかという事実は、皆さんが保護するか否かにかかっているのです。 皆さんが正しく保護することができなかったので、先生の家庭がめちゃくちゃになったのです。それが分かりますか? (「はい」)。このことを祝福家庭が、口を開いて不平を言うのですか? 先生の息子・娘は、いくらサタンが連れていったとしても、先生が行って、取り戻してくることができるのです。分かりますか? 今もそうではないですか? 興進君と榮進君と喜進君と惠進嬢です。一人の娘と三人の息子が逝きました。三人の息子です。息子も、三タイプの息子が逝ったというのです。エバ・母と、三時代の三人の息子です。これは、数もぴったり合うのです。彼らを全員祝福してあげました。 惠進は八日目に逝きました。今まで世の中で、数多くの赤ん坊が霊界に行きましたが、そのような赤ん坊に祝福という言葉があり得ますか? あり得ません。真の父母が来て、サタン世界の血統を断ち切り、蕩減条件を立ててすべてを解消したので、霊界の祝福を受けた家庭を中心として、赤ん坊で早く死んだ人たちは、十六歳……。父母たちがために生き、家庭において赤ん坊が生まれた日を記念してあげれば、霊界で成長するというのです。精誠を尽くして成長するようにしてあげ、そしてまた、何代かの善なる先祖たちがいれば、先祖管理圏内で育てていくのです。そのような年齢で十六歳以上になった人たちをすべて、霊界で祝福しました。数百億名になるでしょう。 真の父母が来て、一九五二年にはすべて終わる また、既成祝福もしてあげました。三十六家庭を見れば、既成家庭がいます。自分勝手に結婚した人です。その次に、第二家庭です。これはノア家庭です。ノアも半分しか定着することができませんでした。地において条件だけを立てたのです。ノア家庭と同じような人たちがいるのです。結婚式を挙げて暮らすことができずに、因縁だけを結び、その後に別れた人たちがいます。好きなように暮らして条件だけを立てたのであって、家庭で息子・娘をもつことができなかったのです。ノア家庭のように半分しか成立していないその家庭が、第二家庭であり、第三家庭は、純粋な善男善女です。その第三家庭は、ヤコブ家庭です。ヤコブ家庭の十二人の息子・娘が定着したので、これが歴史的な家庭を中心とした先祖の基盤です。 自分勝手に結婚した人、約婚、結婚と同じ立場に立った条件的結婚のような人、そして、ヤコブの十二支派が定着したように地上に定着した家庭があるのです。ですから、三十六家庭の中で、中心は何かというとヤコブ家庭です。善男善女が中心です。分かりますか? 既成家庭は旧約時代と同じであり、それから、中間の家庭、契約結婚は新約時代と同じです。アメリカでは契約結婚するように、すべてそのようになっていくのです。新約時代と同じです。成約時代は、善男善女を中心として定着するのです。 しかし、既成家庭でも、契約家庭でも、善男善女の家庭でも、天から祝福を受けて地上で家庭を築いて暮らすことができるという道理はありません。それは、真の父母が来て、天の法を新しく解き明かし、解説し、サタンがついてくることができないように分別して、安着することができるように環境与件をつくったので、家庭が楽園を経ずに天上世界に行ったとしても、讒訴できないのです。今までサタンは、楽園世界以下、国家基準以下にとどまっている霊人たちを、地獄に行って自由に処断することができたのです。 しかし、先生はこれを乗り越えました。既成家庭、それから契約結婚、それからヤコブのような家庭、このすべてが定着したのです。家庭で見れば、旧約時代が既成家庭、新約時代が契約結婚です。最近、アメリカで契約結婚をするでしょう。暮らすことは暮らすのですが、家庭を嫌い、息子・娘を嫌うのです。息子・娘がいないのです。家庭がないのです。そのような者たちです。定着してヤコブの十二支派編成をしたようになり、そのすべてが一つになって、神様に捧げることができるようにならなければなりません。それが三十六家庭です。 三十六家庭では、カインとアベルが一つになっていません。それで、カインとアベルが一つになることができる条件を立てたのが、七十二家庭です。七十二家庭を中心としたものが、モーセを中心としたイスラエル民族です。エジプトから帰ってきたイスラエル選民が、七十二長老です。それゆえ、十二家庭から七十二長老の位置に上がり、イエス様が来て百二十、そのようになるのです。十二支派の還元です。十二数を中心として、挙国的な基準において百二十門徒です。五旬節で、イエス様を中心とする百二十門徒の前に、聖霊が降臨しました。父であるイエス様が天上世界に上がっていったので、母である聖霊が地上に来て、赤ん坊を出産する苦労をするのです。 ですから、聖霊降臨以降のキリスト教の歴史というものは、地上の基盤がない霊的基準です。それゆえ、今まで霊的な国だけをもってきたので、世の中に国家基準、定着した国がありません。しかし、イスラエル民族の時には国がありました。教会中心の国があったのですが、今までキリスト教には国がありませんでした。放浪者です。 それゆえ、ローマに行っても、どこに行っても、迫害を受けて血を流したのです。垣根を崩すためには、血を流さなければならないのです。イエス様が血を流したので、イエス様が完成したその後について行こうとすれば、民族的基準に行こうとすれば、血を流して越えていき、すべての民族が血を流した祭物として、奉献されなければならなかったのです。蕩減条件を立てて、国家基準を越えていかなければならないのです。 その国家基準を越えたものが、英米仏です。第二次大戦を中心として、英米仏と日独伊です。内容がぴたっと同じです。エバ国家であるイギリス。サタン側の世界のエバ国家である日本。ヒットラーは、日本がアジアで大東亜戦争を起こして、六か月以内に覇権を握ると、「ああ、あの日本と一つになれば世界を飲み込める」と考えて、日独伊同盟で枢軸国となって戦いました。それとちょうど同じです。 イギリスが母の国であり、イギリスが産んだのがアメリカで、フランスが天使長国家です。第二次大戦において、キリスト教文化圏である連合国が勝つことによって、連合国の基盤のうえに再臨主が来るようになっているのです。イエス様は死ぬことによって、霊界を統一し、地上の統一圏を成し遂げることができませんでした。それゆえ、失ってしまった国家基準を世界的基準において連結することができる、そのような基盤のうえに真の父母が出てこなければならないのです。真の父母です。 再臨主が来て、これを七年で、一九五二年になれば、すべて終わるというのです。七年以内にすべて祝福です。旧教、新教が反対せずに、祝福の道理……。今、あなたたちが学んでいるこの御言、今、平和大使のような人たちに、郭錠煥が国を訪ねて一日ですべて教えてあげ、祝福までしてあげる、そのような能力、武器の中で、これ以上に恐ろしい武器はありません。何のことか分かりますか? 今まで、何十年、何千年、苦労して祝福の峠を訪ねてきた歴史を、一日で、国全体を祝福することができる時代に入ったのです。今は、天下を収拾しやすい段階に入ってきているのです。分かりますね? まだ霊界と肉界がすべて祝福されていません。それで、霊界の祝福と地上の祝福を行います。地上がアダム圏であり、天上世界が天使長圏です。先祖は今まで天使長圏にいました。なぜ、先祖が天使長圏だったのかというと、アダムが堕落した十六歳以降の体には、サタンの体が連結され、人類を繁殖したからです。それが人類の先祖だというのです。それで、真の父母が十六歳から蕩減の役事をし、世界的な勝利的覇権を占領したのです。先生がそれをすべて切ってしまい、天使長の立場、昔のアダムと同じ十六歳の年齢時代に、接ぎ木して、先生の代役者としての男性として立ててあげるのです。天使長には相対がいません。 堕落したエバの願いの中の願い 皆さん、祝福を受けた人たちは、自分が優秀で祝福を受けたのではありません。自分の妻を通して血統復帰したという条件を中心として、先生が十六歳以降から今までの勝利的覇権の役事を切って、接ぎ木してあげたのです。接ぎ木されてから三年間、母に侍らなければなりません。自分の妻が自分を生んでくれたのです。自分を生んでくれたというのです。妻が自分を生んでくれなければ、男性として現れる時がありません。 生んであげて、母の代身、姉の代身、妹の立場で、自分が保護してあげ、天使長が保護することができなかったことをすべて蕩減して、保護してあげることによって、初めて……。最初に祝福を受けた者は、三年ではなく、七年間、暮らすことができませんでした。蕩減条件を立てていかなければなりませんでした。最近は、どれほど便利になりましたか。 これは、世の中でもそうではないですか。戦勝国家が、その国の責任者を捕まえて刑場で殺してしまうのですが、赤ん坊と妻たちは残しておきました。分かりますか? それをなくしてしまうことはできません。怨讐の世界に行って、僕として過ごしながら……。僕として過ごすのも悪いことではありません。天の血族がいないので、忠臣の中の忠臣のようになれば、その国の忠臣たちが妻にし、妾にして、血筋を残すようになるのです。そのように種を取らせてでも、摂理歴史をはぐくんできたのです。 それゆえ、僕の僕から始めて、上がっていくのです。だれがその僕から上がっていくことができるのでしょうか? 今まで女性たちがそれを蕩減してきました。僕として蕩減した女性と蕩減された息子・娘を立てて、その息子・娘の立場を継ぎ、また、母が八段階を経て解放させてきたというのです。 あなたたちが三年という期間をおいて出会うというのは、蕩減役事の過程にあるということです。自動的になされたのではありません。これを自分勝手にしたのではありません。それをすべて蕩減しなければなりません。このようにふさがっているものを、交差したものを平行線にしなければならないのです。だれがこのようにしたのですか? 自分たちでは、永遠にできません。これをすべて解放してあげなければならないのです。女性たちがこのようにするのは、お母様の分身だからです。 女性を一人として見るのです。一人です。また、アダムも一人として見るのです。来られる再臨主はアダムです。一人のアダムです。アダムのすべてがアダムではありません。天使長の息子・娘です。分かりますか? 女性も一人です。キリスト教は何かというと、新婦の宗教でしょう。「新郎よ、来てください」と言っているのです。キリスト教自体が新婦宗教です。新郎がいません。牧師たちは天使長の立場なので、終わりの日にすべて蹂躙して、ホモになる者もおり、問題を起こして破壊するのです。 それゆえ、神様が訪ねられるのはエバだというのです。では、世界六十億人類の中の、三十億のエバは、だれの相対圏かというと、来られる再臨主です。分かりますか? 女性たちがもっているすべてのものを、だれに捧げなければならないのかというと、自分の夫の前に捧げなければならないのです。すべてのものを女性たちがもっています。終わりの日には、すべて女性たちが占領するのです。占領して何をしようというのですか? 新郎に……。 新郎が堕落することによって、すべて引っ繰り返ってしまいました。新郎は来る時に、お金や国や世界をもってくるのではありません。体だけをもってくるのです。体です。一人の新郎として来るのです。一人の新郎が何をもって来るのですか? 真の愛をもって来るのです。 では、再臨主が来たとすれば、世界の女性たちはみな再臨主を思慕するのです。だれよりも愛さなければなりません。恋煩い以上です。「先生に会うことができなければ、死ぬ!」。このようになるのです。男性までも、先生に会いたくて泣かなければなりません。それはだれかというと、男性にとっては、自分の父親なのです。神様の代身であり、兄の代身であり、最も愛したい叔父の代身なのです。 世の中は、二人を失ってしまいました。ですから、男性であるアダムがこの地に来る時には、一人の女性を世界の中から選ぶのです。世界の博物博覧会のようなところで一等になることのできる新婦を選ばなければなりません。それで、八十代の老人から、七十、六十、五十、四十、三十、二十、十代まで下りていくのです。それゆえ、十二歳になれば、統一教会の教会員は、「先生のような夫をもらおう」と考えるのです。八十の老人も、霊界から「おまえの新郎はだれかというと、真の父だ!」と教えられるのです。 女性は、真の父に出会うことができなかったのではないですか? 真の男性を見ることもできず、慕うこともできませんでした。ですから、真の父である男性を、すべての女性たちが慕うようになっているのです。それゆえ、夫と仲良く暮らすことができず、浮気し、たたかれ、冷遇され、踏みつけられ、そのように暮らしてきたのです。 ですから、理想的夫、理想的家庭、理想的息子・娘を待ちわびてきたのです。それが堕落したエバとしての、何千万年の歴史を経ながら願ってきた、願いの中の願いです。そのような時が、間違いなく来るのです。また、夫が浮気もするのです。フリーセックス、ホモになり、あらゆることをすべてします。動物よりももっと悪くなるのです。そのようになる日には、地獄で滅びるというのです。 しかし、統一教会の先生が来て、女性が純潔を守り、そして、行かなければならない道をはっきりと教えてあげるのです。いくら先生を恋い慕い、「恋しくて死にそうだ」と言ったとしても、むやみやたらに対するのではありません。あくまでも妹です。妹として育てて、約婚し、約婚しても思いどおりにはしません。結婚して、母となり、母だけではなく、おばあさんとなるのですが、それだけではありません。女王の立場にまですべて育て、行くことができるようにするのです。 それで、皆さんが祝福を受けて、きょうのような総蕩減をして越えれば、女王の立場に行くのです。昔の女王と、今日の皆さんのような女王の立場を考えれば、今、どれほど文化的生活をしていますか。インターネット、電子メールが出てきて、世界のどこに行っても、座っていて世界と通じ得る時代が来ました。 世界で最も高い山が何かというと、ハワイのマウナ・ケアという山です。六千メートルの海底から山になっていて、地上では約四千二百メートルですから、約一万二百メートルになるのです。エベレスト山が、八千、何メートルですか? (「約八千八百メートルです」)。約八千八百メートルにしかならないというのです。海底がその山の根拠になっているのです。エベレスト山は、陸地を根拠として測ったのではないですか。水面でしょう。海抜何メートルになるのかというのです。マウナ・ケアは、海中に六千メートルも埋もれています。それゆえ、最も高いというのです。やあ! 私がよく見てみると、神様は本当に理想の願望が強いのです。なぜ、ハワイ島を海洋摂理の終着点にされたのでしょうか? 最も高い所だからです。 そのままでは堕落性は脱げない お母様が立派だというのは、顔がきれいだからということではありません。目が四つあるわけでもなく、歩んできた歴史が違うのです。お母様になるためには、三代が一人娘でなければなりません。三代にわたって娘が一人でなければならないのです。(お母様のほうを向かれ)そうでしたか? (拍手) 男性がいても、一人息子まではかまいませんが、二人以上はいけないということです。なぜですか? 親族が多ければ、「統一教会のお母様だ」と知れば、どれほど……。韓国の歴史において、妻たちには政治のにおいも嗅げないようにしたでしょう。女性たちは煩わしいのです。女性の親族のために、苦しむ人が多いのです。これがしがみついて、どろぼうを働き、あらゆることをして滅ぼしてしまうのです。お母様も、兄弟がたくさんいるのではありません。本来は、七代の一人息子、一人娘です。そのような家系を選ばなければならないのです。 思いどおりにどのような女性でも引っ張ってきて、お母様にすることができますか? すべて天の条件に合わなければなりません。宗教でも、三つの宗教を革命し、峠を越えて、「再臨主は人として来る」と言って、何十年の伝統が立っていなければなりません。そのようなことをお母様の母親である大母様がしたのです。新イエス教から、鉄山の聖主教、その次に腹ポク中教、三つの教派をすべて革命してきました。そのことはみな知りませんが、そのようなことを考えるとき、お母様を捜し出すのが、簡単だったでしょうか、困難だったでしょうか? 統一教会でこのことを知らない人は、「自分がお母様になる!」と思って、先生を誘惑しようとして大騒ぎしたのです。この女性たちが、どれほど激しく騒いだのか知っていますか? 先生は、その女性たちの思いどおりにはなりません。(笑)ああ、本当です。純潔を守らなければなりません。そのようなことは、詳しく話しません。霊界に行けば一日で教育できるのですが、ここでは何年かけて説明しても終わりません。ですから、教えてあげません。分かりますか? 霊界に行って一度だけ光を発すれば、すべて終わるのですが、ここで話をすれば、何十年かかっても、その解説は終わりません。 天機漏洩という言葉があります。天の国の秘密を、何も分からない人に教えてあげれば、大きな問題が起きるのです。それゆえ、神様は、すべては教えてくれないのです。最近の興進の報告によれば、そうではないですか。イエス様の十二弟子から、キリスト教史の有名な人たち百二十名がすべて出てくるのですが、その人たちはみな、「神様が自分の父母だ」ということを知らなかったのです。また、尋ねたとしても教えてくれません。深刻に尋ねると、神様はいなくなってしまいます。答えてあげるようになっていないのです。そのような秘密の話、天の国の秘密や歴史の秘密の話は、真の父母が解決するようになっているのであって、神様は分かるように教えてあげてはいけないようになっているのです。 この者たち! 女性たち! この女性のために、どれほど私が悪口を言われましたか! では、女性たち、「先生を好きではない」という人は手を挙げてみなさい。「好きだ」という人は手を挙げてみなさい。恥ずかしくありません。統一教会の男性たちは、先生が女性たちを動員しても、身動きすることができず、じっとしているのです。ご飯を一人で食べて、赤ん坊の面倒を見ても、黙っているのです。物請いをして食べても、不平を言ってはいけません。何のことか分かりますか? (「はい」)。天使長の分身の立場として、先生がそれ以上に苦労して自分を生かしてくれた歴史の恩徳に報いるためには、いくらあぜんとしても、本心が反対できないのです。それを喜んで消化することができる歴史的事実があるのです。 あなたたちは口を開けば、「あの人は善いか悪いか」と評価しようとするでしょう。「私よりももっと知っているか、知らないか?」と。あなたたちが何を知っているというのですか? 神様を知っていますか? 霊界を知っていますか? 最も貴いものを何も知らずに、知っているふりをして、しっぽを振り、頭を振り、何がハーバードですか? エールでも何でも、すべて偽りの群れです。そこには、神様の息子・娘は一人もいません。地獄に行く群れです。アメリカも同じです。大革命が起きて、引っ繰り返らなければなりません。 自動的に善なる女性になると思いますか? 「この女性たち! 間違っている! なっていない!」と、気合を入れてあげなければなりません。ただそのままでいて、堕落性が脱げていくと思いますか? アメリカの女性たちは、ハンバーガーやチーズを好むでしょう。日本に宣教師として行っていた二人が、約一年半ぶりに帰ってきて、飛行場に着くや否や飛び込んでいった所が、マクドナルドです。それからチーズ、ケーキ……。何年間の習慣でも、そのように難しいのに、堕落性は何千万年です。堕落性の習慣が染みついているのに、それが一日、二日で、脱げると思いますか? きょうは、解放して祝福をしたので、女性たちを称賛しなければならないのに、なぜこのように……。大きな木の板に、太い釘が打ち込まれているのですが、これを抜くことができません。そのままでは抜くことができないのです。抜こうとすれば、ドンドンとたたいて、初めてサッと抜くことができるのです。分かりますか? あなたたちの思うとおりに、そのままにしておいてはできません。そのままでは(堕落性は)脱げないというのです。何のことか分かりますか? お父様が言う観念が分かりますか? それを知らなければなりません。それゆえ、今からあなたたちを修練所に送って、訓練しなければなりません。天国に行って、私はそのような姿に会うことはできないのです。 CIA(アメリカ中央情報局)は、「レバレンド・ムーンは女性を好む」と思って、「レバレンド・ムーンを誘惑しろ」と探偵を送ったのですが、その二人が発見されて追い出されました。日本でもそうでした。「レバレンド・ムーンは色魔で女性を好むから、美人なら間違いなくついてくる。行ってやってみなさい」と、送ってきたのです。通じません。 お母様は、それを知っているので、私を信じています。分かりますか? (「はい」)。お母様の目から見て、自分よりも美人だと思う人がいると思いますか、いないと思いますか? (「いると思います」)。その女性に対して、少しでも先生の目つきが違えば、気分が良いでしょうか、悪いでしょうか? なぜ、笑うのですか? 答えてください。率直でなければなりません。 あなたたちも、自分の夫よりも立派な男性がいれば、その男性のところに行って、「ご飯でも食べさせてもらいたい」という思いがありますか、ありませんか? どうしてないのですか? 統一教会に入ってきてお化けになったから、そうなのでしょう。(笑)原理を知り、統一教会の教会員になったから、ないのであって、どうしてないことがありますか? 私が最も頭の痛いことが、霊界を整備すること 今から霊界に行って、私が最も頭の痛いことが、霊界を整備することです。行って間違いなく、この者たちをすべて整備しなければなりません。先生が原理を知っているその基準を中心として知っている人がいなければ、私一人から、二人、三人と接ぎ木していかなければなりません。再び接ぎ木していかなければならないのです。全員が霊界(天国)に行けると思ってはいけません。 では、霊界には、あなたたちだけで行きますか、先生について行きますか? (「ついて行きます!」)。私は、ついて来られるのは嫌です。今までついて来られ、どれほど心を痛めたことでしょうか。あなたたちは、心を痛めていないでしょう。 するべき仕事が明らかに残っているのに、おなかがすけば、「おなかがすいた。ご飯を食べさせてくれれば働く」と言っているのです。自分たちが今までしてきたことを考えてみなさい! 先生が「おなかがすいたから、監獄に行くから」と言って、「嫌だ」と言っていたら、どうなるでしょうか? 千尋、万尋の山を越えなければならず、海を渡っていかなければならず、荒野を渡っていかなければならず、そこに鰐の群れがいないでしょうか? 蛇の群れがいないでしょうか? 千辛万苦して、今日、顯進君……。 あなたたちは、先生が完成したと思いますか、できなかったと思いますか? (「完成したと思います」)。あなたたちはどうですか? (「完成できませんでした」)。いつ完成するのですか? 地上で完成できなければ、霊界に行って問題が起きるのです。ここでは、そのままかもしれませんが、あそこでは、光を発するのです。発光体です。 電灯の光が少しでも明るければ、視線はそちらに行くでしょう。すべて分かるようになっています。自分の濁った電灯の姿でいいのですか? ここに百ワットのものがあるのに、十ワットでよいのですか? それは千個あったとしても、ないのと同じです。それを知らなければなりません。 自分の功績がなければならず、自分の何か誇るものがなければなりません。町内でも、もっているものがあり、家門もよければ、町内の人がみな称賛し、思慕し、基準にするでしょう。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。 では、皆さん、先生に対して、「真の父母」と言ってみなさい。(「真の父母!」)。真の父母という方は、どのような方ですか? 真の父母に侍ってみましたか? アメリカの人たちは、父母にも侍らず、夫を嫌い、兄弟にも侍ることができないではないですか。 真の父母になろうとすれば、息子の中の息子になり、娘の中の娘にならなければならず、夫の中の夫、妻の中の妻、父の中の父、母の中の母、おばあさんの中のおばあさん、おじいさんの中のおじいさん、王の中の王、女王の中の女王にならなければなりません。そのようになりましたか? そのようになって真の父母に侍っても、天の国に行って百点にはなりません。 それでは、「先生が神様に侍って暮らす生活とは、どのようなものだろうか?」と考えてみましたか? 神様が先生のおしりについて回られるのでしょうか、先生が神様のおしりについて回るのでしょうか? 尋ねているではないですか? (「神様がついて回られます」)。見たのですか? それは、うそですか、事実ですか? 「それは、うそではなく、事実だ」と言う人は、狂った人です。世の中に、そのように言う人がどこにいますか? しかし、それはそうだというのです。 いくら立派な父母だとしても、息子が放蕩児になり、堕落した……。聖書に「堕落した放蕩息子」の例え話が出てくるでしょう。父母は、追い出したとしても、その追い出した息子を、そばにいる息子・娘よりも、もっと考えるというのです。分かりますか? 間違ったことを悔い改めて、自分のところに帰ってくることを、千年の恨以上の切実な心で思っているのです。ところが、息子は百年たっても、「父親は嫌いだ!」と言うのです。 それは、地獄に行かなければなりませんか、どのようにしなければなりませんか? 地獄がなければなりませんか、地獄があってはいけませんか? 地獄がなければ、正す道がありません。父親が父親の役割を果たすことのできる方法がありません。そうではないですか? 今からは、先生に従ってくることを嫌うというのです。祝福中心家庭ではないですか。祝福中心家庭は、先生の家庭の代身です。 先生はかわいそうな人です。離婚した前妻までも祝福してあげなければ、行くべき道を行くことができないのです。それを知っています。神様も同様です。約束したことを成し遂げることができなければ、行くことができません。お母様も、そのようなことはよく理解できません。最近は、話をしたので理解できます。 どれほど悔い改めなければならないか知らなければならない では、先生が神様をより必要としますか、神様が先生をより必要とされますか? (「神様が先生をより必要とされます」)。なぜですか? 神様は、サタンを屈伏させることができません。それを知らなければなりません。神様は、サタンを屈伏させることができないのです。サタンを屈伏させるのは、レバレンド・ムーンでなければならないのです。分かりますか? サタンを屈伏させる時までは、レバレンド・ムーンにお願いしなければならないのです。 では、あなたたちは、神様よりも優れていますか、優れていませんか? アメリカの優秀だという人たち、あなたたちは、神様よりも優れていますか、劣っていますか? (「劣っています」)。劣っているでしょう。劣っているので、神様もそのようにレバレンド・ムーンを好まれるとすれば、あなたたちは劣っているので、神様よりももっとレバレンド・ムーンを好まなければならないという論理になるのですが、そのようになっていますか? どれほど差があるかということを知らなければなりません。あなたたちが、どれほど悔い改めなければならないのかということを知らなければなりません。 このような場に参席して、「私はいついつ、このような全体蕩減解怨式に、神様が共にあって真の父母が祈祷する時に同参したので、私は万歳だ。ははは……」。それは通じません。ここは恐ろしい場です。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました」)。悪口を言われるのがいいですか、あの果物を食べるのがいいですか? (笑)果物の話をするので、笑い声が聞こえますね。これは、霊人たちのために準備しておいたのです。霊人たちを接待しようと考えましたか、考えていませんか? ああ、尋ねているではないですか? (「考えませんでした」)。どれほど差がありますか。 真のご父母様がいくら適当に対しても、「やあ、ありがたい。感謝だ」と言うべき場なのです。あなたたちが霊人世界のために、自分で一つでも買って供えることができなかったことが、恨であり、「申し訳ない」と思わなければならないのではないですか? それなのに、もらって食べようというのですから。いつもそのような乞食になってよいのですか? 八十を越えるおじいさんが真の父母だというのですが、一度も孝行してみることもできずに、老いて死ぬまでこき使うのですか? この者たち! この女性たち! この男性たち! 両班ですか、下衆ですか? (「下衆です」)。下衆なのですが、一人では滅びるので、相対をつくってあげたのです。分かりますか? 一人では滅びるというのです。妻が少し優れていれば、後ろを振り返り、夫が少し優れていれば、行きながらも後ろを振り返り、一緒に行こうとするので、サタンから守られるのです。そのことを知らなければなりません。 最も恐ろしいのが、統一教会の祝福を受けた一双です。これを永遠に別れさせ、闘って怨讐になるようにさせたいと思っても、この男性と女性たちは、夫を連れていこうとし、女性を連れていこうとし、一緒に行こうとするのです。あなたは、一緒に行こうと思いますか? 一緒に天国に行きたいですか? アメリカの女性たち、どうですか? あなたたちも、夫と一緒に天国に行こうと思いますか? (「はい」)。では、どのくらい思いますか? 神様は、アダムとエバが、雨が降っても、風が吹いても、世の中に戦争が起きてこの地球が壊れても、このペアが千年、万年、壊れないことを願われたでしょうか、願われなかったでしょうか? 考えてみてください。神様が家庭を中心として、どれほど考えられたでしょうか? 革命をしなければなりません。天が地になり、地が天にならなければなりません。分かりますか? (「分かりました」)。本当ですか? (「はい!」)。永遠にですか? (「永遠にです!」)。あなたたちを信じることはできません! どのくらい先生に従っていきますか? 約婚して夫について行き、ホテルの部屋を二つ取りますか、一つ取りますか? では、寝る時に、ベッドを二つ置いて寝ますか、一つ置いて寝ますか? 尹博士! (「二つです」)。何年間ですか? 七年間そのように暮らしましたか? 七年間です。蕩減路程です。七年間そのように暮らした家庭で、祝福を受けることができずに、霊界に行った人たちがいます。私が行くや否や、祝福してあげようと思うのです。その息子がいるのですが、母親が先に霊界に行き、一人でかわいそうに暮らしています。その息子を私が助けてあげようと思うのです。 そのようなことをするために、先生が苦しいでしょうか、苦しくないでしょうか? 財布にお金が残るでしょうか、残らないでしょうか? つらい生活です。このようなことがすべてついて回って……。乞食の王が良いですか、悪いですか? 殺すことができずに、連れて歩くのです。行けば、いつも問題を起こして……。 霊的に見れば、「去年行った乞食が、死なずにまた来た」と。物請いするために俗謡を歌う人よりも、優れていると思いますか、劣っていると思いますか? 適切な時、還暦の日や誕生日に訪ねていき……。他の村の祝宴の家で鶏をもらおうとすれば、鶏の足でも持っていって、その家の犬に食べさせ、それからもらって食べるのです。そうすれば、犬がほえないのです。犬もほえて主人もほえれば、どこに行ってもらい食いするのですか? 伝道しようと思えば、そのように考えなければなりません。自分を中心にして伝道しようというのは、悪い者でしょう。みな喜ばせてあげなければなりません。 さあ、来て分けてあげてください。白人は白人に、日本の女性は日本の女性、韓国の人は韓国の人に分けてあげてください。「ああ、生涯に一度、パイナップルを丸ごと食べることができれば」と思う人、食べてみたことがない人、手を挙げなさい。一人もいませんね。それではやめましょう。 夜、市場で、主人が三分の一の物をただで分けてあげれば、その翌日はよく売れるのです。それは宣伝になるのです。分かりますか? その翌日、分けてくれると思って集まった人々に、「きのう、すべて分けてあげて元金もない」と言えば、一度にすべて売れるというのです。商売をするにおいても、千万種類の方法があります。 研究開発しなければなりません。分かりますか? 生涯、自分のやり方で伝道するのですか? 闘いながら、伝道することもできるのです。(「立ったままで敬礼をお捧げいたします。天地父母様に敬礼をお捧げいたします。敬礼!」)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.04
コメント(0)
奇跡への道のり、全世界の人々が清平へ向かう-孝情報告-イム・グッヒョン講師(国際研修チーム)-1090回天心苑特別徹夜精誠2024/10/02天心苑TVは韓国語、日本語、英語の字幕を提供しています。ユーチューブの日本語字幕をオンにしてください。천심원TV는 한국어, 일본어, 영어 자막을 제공중입니다. 유튜브 자막을 켜세요.Cheonsimwon TV provides subtitles in Korean, Japanese, and English. Please turn on the YouTube subtitles.一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.03
コメント(0)
文鮮明先生御言選集 20020324 - 三月二十四日 聖日礼拝の御言(No.1/3)文鮮明先生御言選集 20020324 - 三月二十四日 聖日礼拝の御言(No.2/3)文鮮明先生御言選集 20020324 - 三月二十四日 聖日礼拝の御言(No.3/3)真のご父母様の御言三月二十四日 聖日礼拝の御言二〇〇二年三月二十四日、米国・ニューヨーク州ベルベディア このみ言は、2002年3月24日、米国のベルベディア国際修練所で行われた聖日礼拝で、真のお父様が語られたみ言を翻訳、整理したものです。編集の都合上、一部割愛しました。(『ファミリー』2002.5月号)Family 2002.5 32 尹(世元)博士も、そうです。教授職をしたからと いって、尹氏内において、まず僕と同じ立場に下りて いくのです。最初は、僕です。そうして、八段階の道理の法則を通して、僕から養子、庶子、子女の立場に上がっていくのです。そのようにしようとすれば、すべてが歓迎しなければなりません。橋を架けなければなりません。はしごを架けなければなりません。それゆえに、個人完成するためには、家庭において試験し、家庭のためにすべてを投入し、その家庭が、すべて自分に従って来るようになるとき、自分は家庭の中心の位置に行くのです。そうすれば、おじいさん も、父母も、そのような自分を先頭に立ててくれるのです。そうですか、そうではありませんか?(「そう です。」) それで、そこにおいて、家庭がそのようになれば、氏族、一族を中心として、一番端に行って、家庭から氏族まで愛しながら、水平線をつくらなければなりません。そして、その全体が、一方に偏らずに回っていってこそ、自分の中心の位置と中央とを合わせて、中心の位置に接ぎ木し、ここで、縦横を垂直に合わせた所から上がっていって、発展するのです。 ですから、はしごを架けて、これが個人から氏族、端から中央まで経ていかなければならないのです。蕩減法が、分かりましたね? (「はい。」)それは、金氏 なら金氏の氏族を復帰しなさい、ということです。そのようにしなければ、国まで行くことができません。中心は、すべて、わたしが定めてあげました。 個人完成、家庭完成、氏族完成、民族完成、このようにして復帰していき、民族の反対を受けずに、平和大使と族長を教育しておいて、統一教会の指導者、総会長、この三人が一つになって、旧約時代、新約時代、成約時代に越えていきなさい、というのです。 そのようにすれば、神様の主管圏の八段階、神様の玉座まで解放することによって、不可避的に、そのように行かなければなりません。そして、兄弟を抱き込み、母を抱き込み、母を中心として、サタン世界に繁殖したその一族を収拾し、自分を中心として、母と息子、娘が一つにならなければならないのです。 そのようにして、氏族の中心になってこそ、アダム家庭において崩れてしまった立場を復帰することができます。そのように、全体を代表して氏族圏内で勝利の覇権をつかむとき……。 その夫は、何ですか? 男性たちは天使長です。男性は、家庭に居ながら息子、娘を利用して、酒を飲み、放蕩しようとします。それは、だれによるものなのでしょうか? ですから、真の父母の思想を母が受けて、息子、娘を再び生み変え、真の父母を中心として、分立された家庭の兄弟が一つになり、母が一つになり、その三人が、父を逆さまに立てておかなければなりません。 わたしたちが聖酒式をするとき、真のご父母様の聖酒を、女性に与えるでしょう? 女性に与えて……。信仰の息子、娘を中心として、心と体が一つになりなさい、というのです。心と体が一つになり、女性を中心にして、逆さまに復帰していくのです。 ですから、真のご父母様が教育していることは、カインとアベルと母が、完全に一つにならなければ、自分の夫を迎えることはできないということです。 世界の高い位置にいる人も、低い位置にいる人も、 文総裁を真の父母として歓迎するのです。 「真の父母」という言葉は、悪いものだと思っていたのですが、真の愛があり、真の父と真の母がいるので、これは、本当に良いですね。今まで、偽りの父母を中心として暮らしていた西欧の人たちの息子、娘には、今、真の父母がいるので、希望が満ちています。 真の父母がいなければ、かわいそうでしょう? どこに行くというのですか? 故郷がありません。どこに行くのですか? 全員、放浪するのです。 この八段階は、分かりますね? 尹(世元)博士も、これをすべて行かなければなりません。この頭の大きい者たち(=責任者たちのこと)は、全員、そうです。 先生が、この米国に来てから三十四年です。(米国にいるのは、)二〇〇四年まで、です。きれいに終わらせて、荷物をまとめて帰るときには、わたしが投入した何百倍、何万倍の利益を、神様の御前にささげなければならないのであって、損害を出したまま行くことはできません。 ですから、この十四万四千(の祝福で)、教派を一つにするのです。イエス様の弟子は、皆、同じ弟子です。弟子を中心として、三代圏を成すことができなかったイエス様までも……。 イエス様も、三代で長兄になっているというのです。 しかし、長兄になっていても、何も分かりません。地上で、真のご父母様に侍ることを、イエス様の所に行って教えてあげる……。今、行って、教育しているではないですか? 霊界は、統一されています。 ですから、あなたたちが、地上で、そのような責任を果たすことができなければ、「おい、この偽者め。先生が、あれほど教えてあげたのに、何をしたのか? こいつめ!」と言われるのです。 それゆえに、”すべて、自分が責任を持っていこう。” と考えてみなさい、というのです。国の逆賊として全体が反対し、十二年たてば、蕩減すべき状況が変わります。分かりますか? 家庭を失ってしまっても氏族を取り戻し、氏族を失ってしまい、民族を失ってしまっても国家を取り戻し、国家を失ってしまっても世界を取り戻すようになっています。 ですから、ジグザグになるのではないですか? そ のように理解して、この体を占領しなければなりません。心と体は、一つです。統一です! 「統一。」と言ってみてください。(「統一!」) エデンの園では、神様から、ペアになっているすべてのものは、ために生きる愛を中心として、ために生きるようになっています。すべてが、ために生きるのであって、自分勝手にすることができるようにはなっていないのです。 ところが、アダムに分別がなかったがゆえに、そのようになったのであって、アダムが(真の愛でエバを) 愛することができていたならば、山を歩き回りながら、 自分が主人になるために、うさぎ狩り、きつね狩り、魚釣りをしたでしょうか? 愛が分かっていたならば、 そのようなことはやりもしなかった、というのです。 アダムは、愛が分からなかったので、そのようにしたのですが、天使長は、相対もなく、周辺を見ると、すべてのものがベアになっています。すべてがベアになっていて、春夏秋冬の季節に従って……。 アダムが十六歳で堕落したならば、(天使長は、それまでの)十六年間、周辺のペアが、子供を産んで群れを成し、一族を築いて暮らすのを見ていたというのです。ところが、天使長には相対がいません。 しかし、神様が、アダムとエバを祝福してあげる時まで、神様ご自身が(アダムとエバを)育てることはできません。天地を創造された神様は、投入して忘れることにお忙しいので、それを管理し、保護することができるようにつくられたのが、天使長だったのです。 ところが、天使長がじっと見てみると、アダム自身も分別がなく、自分に女性が必要であるということが分からなかったというのです。アダムは、ただ野原に出て行って走り回り、かえるの子どもから魚、ねずみ、うさぎのようなものを捕まえたりしていたのです。 きつねのようなものを追いかけて、夜遅くまで歩き回り、明け方に起きてはついて行き、三日くらいついて行けば、いのししでも疲れて起き上がることができません。そのようなことを知るようになるので、アダムは、明け方から飛び出して行って、昨日、追いかけたきつねを捕まえるために、山に駆け上っていくというのです。 ですから、そのようなアダムに、エバがついて行くことができるでしょうか? エバは、「お兄さん! 私を連れて行って。」と言いながら、泣いたというのです。 分別がつくまで、思春期になるまで、エバは何度も泣いたのです。 その時は、裸で暮らしていたでしょう? 裸で暮らしていたのです。裸で暮らしていたので、天使長も裸で暮らし、エバも裸で暮らしていたのですが、エバが泣けば、天使長はそんなエバを背負ってあげたでしょうか、背負ってあげなかったでしょうか? また、天使長が抱いているときに、エバは泣き疲れて、天使長のひざの上で眠ったでしょうか、眠らなかったでしょうか? 天使長が考えてみると、春夏秋冬、一年中、周辺のものは、すべて雄と雌が一つになって、さまざまな子どもが産まれ、まだらの子牛がいたり、ありとあらゆるものが産まれて、父親を中心とし、母親を中心として、一族を築いていくのを見ていたのです。そのようなとき、どれほど楽しそうに見えるでしょうか? ですから、エバが自分のひざの上で眠っているときエバの陰部と天使の生殖器が触れるときが、「なかった。」と言えるでしょうか? そのようなとき、“ああ、私も、あの雄と雌のように、一度愛してみれば、子どもがたくさん生まれてくるのではないかなあ。”と、考えたでしょうか、考えなかったでしょう か? 答えてみてください。考えたでしょうか、考え なかったでしょうか? (「考えました。」) アダムが出て行って、エバがついて行くことができずに、泣き疲れてすやすやと眠り、目が覚めると、天使長のことをアダムであると思って、首に抱きついて、 「ああ、少し抱いてほしい。」と言いながら、ありとあらゆることがすべてあったのです。 そのとき、エバの体は、天使長に対して秘密がありません。また、天使長に対して、エバも同じ(気持ち) なのです。自然界の昆虫から動物、すべての生物が、 そのようにしながら子どもを産むのと同じように、自分も……。 アダムは、(そのようなことが分かりません。天使長は知っていたので、エバが、自分のひざの上で眠っているとき、お互いの陰部が触れ合うとき、力を「えい!」と、入れさえすれば、愛の関係が成されるということを思っていたのです。そこに関心があったでしょうか、なかったでしょうか? 男性たち。忠清道の人。どうですか? (「はい。」) 自分が天使長なら、そのようなことに関心があったでしょうか、なかったでしょうか? (「関心があります。」) 関心があれば、そこに注目して、”触ってみたい。”と 思い、女性も、出ているものに触ってみたい。」と思ったのではないですか? (「はい。」) そして、愛し合えば子供が生まれるのですが、霊的存在の天使長が、自分も、霊的にのみではあっても、 エバと愛し合えば、このように子供が生まれるのではないか。”と考えるとき、”そのようにしてみたい。”という衝動が走ったでしょうか、そのような心が起きなかったでしょうか? (「そのような考えが起きました。」) ですから、すべてがために生きる愛、神様もために生きる愛、すべての動物もお互いにために生きて、そのようにするのにもかかわらず、これは独り、天使長だけが、瞬間的な”自体自覚性”を持ったというのです。”自体自覚”です。「やあ、このようになれば、どうなるだろうか?」と思うのですが、そのような心の思いを……。 皆さんも、だれかが自分のことを呼んでも、愛の関係に対して恋い慕っているときには、自分のことを呼ぶ声を聞くことができずに、忘れてしまうではないですか? ですから、神様が、「取って食べてはいけない。」と おっしゃったということよりも、”「取って食べてはいけない。」と言うので、その結果はどのようになるのか、 気になる。”ということを、深刻に考えたのです。そうして、そのようなときに、抱きながら力を入れれば、すべて終わるのです。このように堕落したというのです。 そこは、絶対にために生きることができる環境であったにもかかわらず、瞬間的に感じる衝動的愛の力が、 瞬間を感じる自覚的な力よりも強かったので、我知らず行動することによって、堕落せざるをえない立場であったということを、肯定しなければなりません。 梁昌植氏。(「はい。」)そのような立場にいれば、自分は、どうすると思いますか? (「……。」)ああ、尋ねているではないですか? (「相当に危険です。」)(笑い) 「相当に危険だ。」というのは、また、どういうことですか? 少し良いことは良いようですね、この人は。 そのようになるのは、間違いありません。それを「朱に交われば赤くなる」というのです。「白鷺は、からすが遊んでいる所には行くな」という……。それが、 「朱に交われば赤くなる」ということではないですか? 危険性があるというのです。 ですから、「火遊び」というのです。西洋にも、「火遊び」という言葉がありますか? (「play with fire' です。」) 火遊びしていて、風が吹いてくれば、すべて燃やしてしまい、ほこりまで、灰までなくなってしまうのです。恐ろしいことです。ですから、そこには”自体自覚”というものが……。 瞬間的に”自体自覚”した愛の衝撃によって、我知らず行動してしまう危険性があり、神様は、人間がそのような存在であることをご存じであったので、「取って食べてはいけない。」と、勧告されたのです。神様がご存じなかったのではないのです。 このように、瞬間的な”間違った自覚”が起きて、神様までも、宇宙も完全に引っ繰り返ったのです。血筋がそのようになったので、それを引っ繰り返して、本然の位置に戻すことが、どれほど大変でしょうか? それで、これ(体)を否定しなければなりません。 体を殺さなければ、生きることができる道を捜し出すことはできません。「ヨハネによる福音書」第八章四十四節を見れば、「あなたの父、悪魔」と出ているでしょう? 「悪魔の血筋」と出ているのです。 ですから、サタンの血筋であるということを否定する道理はありません。このような血筋を、世界的に否定しなければならない神様は、どれほど、ぼう然自失されるでしょうか? あなたたちが、神様の立場ならば、どれほど、ぼう然としますか? それゆえに、愛で過ちを犯したので、偽りの父母となり、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統となって、サタン世界になったので、すべて”地獄化”です。天国に行った人は、一人もいません。 それは、救世主が来て清算しなければなりません。そのメシヤである真の父母は、数多くの宗教指導者たちが犠牲の代価を払い、その中に来るのです。真の父母は、永遠に一つです、 そのような、永遠の前から永遠の後まで、真の父母になることができる存在が、アダムとエバでした。ところが、創造理想の中で、神様が捜し求めておられる真の父母であるアダムとエバを失ってしまいました。 堕落して壊してしまったのです。壊してしまったので、それを成就しなければ、正すことはできません。 その時までは、神様は悲惨です。死んだ息子、娘を復活させなければならないのです。しかし、神様ご自身も、それをなさることはできません。 ですから、人間が無知から堕落したので、人間が覚醒してこれを捜し出し、千辛万苦の苦労をして、天の秘密と心情世界を明らかにして、堕落した世界の秘 、地獄のをすべて埋めてしまい、天上世界の門をすべて関けることができるようにしなければなりません。 そのために、内外の内容を明確に語った真の父母,、堕落していない本然の基準に立つ、主人の立場を備えることのできる真の父母が、この地上に来なければならないのです。それで、神様が一代であられ、真の父母が二代であり、真の父母によって祝福を受けた人たちが、第三代圏に入っていかなければなりません。 神様は、失ってしまわれた三代圏の家庭基盤を取り戻されるのです。それが、統一教会において、真の父母を中心として、真の父母の家庭を中心として、第三代圏に接ぎ木しておいて……。 接ぎ木して、皆さん自体が、そのままではいけませ ん。先生の息子、娘の前に、家庭的に十二家庭が絶対的に一つになってこそ、イスラエルの定着が展開するのです。 また、イエス様の時代の百二十人が、それぞれの家庭において息子、娘と一つになり、そして百二十家庭 全体が一つになって、王として侍ることができてこそ 復帰されるのです。それは、とてつもない内容です。 選民圏にメシヤをお迎えし、メシヤを中心として、カ インとアベルが家庭的に一つになってこそ、復帰され るのです。 ですから、個人から世界まで、天地まで、完全に復帰された、そのような家庭基盤の上に、真の父母、真の神様、天地父母が解放されるという理論は、不可避の理論であるというのです。 それゆえに、これを促進化させようとするので、家庭を超えて氏族を編成し、三億六千万双を超えることによって、三十億以上の人類を超えることのできる家庭基準を中心として、偽りのオリーブの木畑にある木を切ってしまい、真のオリーブの木の畑に接ぎ木することによって、一時に……。 米国の人口が二億八千万であるなら、その二億八千万人が、「私たち米国国民は、キリスト教文化圏であるので、何日の何時、レバレンド・ムーンを通して祝福を受ける。」と言えば、そのとき、天の国にすべて転換されるのです。一時間で、何千、何億万を復活させることができます。それが、サタン世界にはないことなのです。 そのようにして、一時間で天下の万民が、何億もの人が祝福を受けるのです。それは、すべて兄弟です。神様の兄弟のように、どこの国、どこの伝統よりも、 世の中の何よりも、お互いのことを貴く思い、兄弟の因縁を自分の一族よりも、自分の国よりも、もっと尊重視することができる群れにならなければなりません。そうでなければ、天の御前に、三代圏の神様の息子、娘、兄弟友愛の圏を捜し出すことはできないのです。 世界の指導者たちを育て、一度に平和大使として送って、天の解放圏に杭を打ち込めば、台風が吹いてきても、大きな艦船が、そこに結ばれて、台風を避けることができるのです。 ですから、今は、個人救援時代ではありません。家庭救援時代になり、氏族救援、民族救援、世界人類救援時代です。今は、六十億人類を、一週間以内に復帰することができるのです。 そのようなことが、私たちの目の前に訪れてくるので、先生は、時を争って、そのような環境をつくるために、あらゆるものを投入しては、そのことすらも忘れながら、今までやって来ました。そのために、世の中に手を出さなかったものがなく、 く、やらなかったことがないという事実は、当然のことです。アーメンです。(「アーメン。」) Family 2002.5 40 <完>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.02
コメント(0)
Blessed Life(ウェブブラウザ版)2024/09/30ウェブブラウザ版:https://www.kogensha.jp/news_web/\\光言社情報アプリ「Blessed Life ~ 幸せな人生」のウェブブラウザ版が公開されました//最近、「幸福度」という言葉をよく耳にしませんか?「Blessed Life~幸せな人生」は、あなたの幸福度を高めるための総合情報アプリです。人は誰でも幸せになりたいと願っています。幸せな家庭をつくり、平和で安全・安心、便利で快適な社会に暮らしたいと考えます。そしてその幸福は、今だけのものではなく、未来永劫、子孫たちにも受け継がれる、持続可能なものであってほしいと願う・・・・・・、それが、これも最近よく耳にする「サステナビリティ(持続可能性)」ということではないでしょうか。「Blessed Life~幸せな人生」は、人類が一つの家族のように暮らせる持続可能な地球社会の実現のための情報提供に取り組みます。幸せな個人が幸せな家庭をつくり、幸せな人が平和な社会の実現の担い手となっていく。幸せな人生を送るあなたになっていただくために、「Blessed Life~幸せな人生」が誕生しました。アプリ版(iOS、Android):https://www.kogensha.jp/news_app/app_...一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.01
コメント(0)
三月二十四日 聖日礼拝の御言(No.2/3)真のご父母様の御言三月二十四日 聖日礼拝の御言二〇〇二年三月二十四日、米国・ニューヨーク州ベルベディアこのみ言は、2002年3月24日、米国のベルベディア国際修練所で行われた聖日礼拝で、真のお父様が語られたみ言を翻訳、整理したものです。編集の都合上、一部割愛しました。(『ファミリー』2002.5月号)<No.1/3からの続き> 今から、皆さんは、「天一国」のバスポートを得ようとすれば、心と体が闘っていてはいけません。ですから、「祝福中心家庭」という言葉が必要なのです。分かりますか? 何中心家庭ですか? 「祝福中心家庭」とは、何ですか? それは、心と体が、完全に一つになっているのです。心身統一です。夜も昼も、いつでも一つにならなければなりません。全員、そのようになっていま すか? そこには、自分を中心として主張する概念は、ありません。”絶対服従”です。”自分”という概念は、あ りえません。あなたたちに、「自分」という言葉がありますか? 父母を中心として、精子と卵子を中心として見てみれば、一つの細胞を中心として、精子と卵子が、一つに合わさっていくのです。母親の卵子と、父親の精子を取り除いてしまえば、“私”という存在はありません。”私”という観念はありません。 そこにあるのは、“父母”という観念です。父と母の二人を、一つに迎えることによって、芽が出てくるのです。そうして、“私”というものが出てきます。父母がいなければ、芽が出てきません。分かりますね? ”自分”という概念はありません。”自分”という概念はないのです。 父母が公認し、父母が祝福してあげてこそ、そして愛の因縁に戻っていってこそ、“自分”という概念を持つことができるのです。男性と女性が、愛することのできる場に戻って行って、“本然の父母”と同じ同等な立場に上がっていくことによって、第二世という概念が出てくるのです。 心と体が、一つになっていませんか、なりましたか? 何ですか? (「なっていません。」) 心と体が一つになったということを、何をもって知ることができますか? 神様のようにならなければなりません。心と体が一つになったのか、なっていないのかを、何をもって区別しなければならないのでしょうか? 神様も、心と体が闘いますか? 神様も、心と体が闘うのですか? 堕落した人間なので、サタンの血を受けて心と体が・・・・・・。 心がプラスなのですが、サタンの血筋が、またもう一つのブラスになっているので、プラスとプラスが反発するのです。この一つを完全に切ってしまわなければなりません。 それゆえに、宗教は、「体を打ちなさい。」と言うのです。ですから、“生きんとする者は、……何ですか? (「「死ぬ」です。」)何を中心として生きようというのですか? 体がよく生きようという人は、死ぬのです。死ぬというのです。”死なん”とする人は、生きるのです。 なぜ、そのようになったのでしょうか? これは、堕落のためです。血筋が変わったのです。このことを知りません。 このような事実を明らかにしたのは、歴史以来、真の父母が、初めてです。宇宙の根本、神様の実存自体に関して、また、霊界に関する事実など、このような事実を明らかにしたので、サタンは、びくりとも動くことができません。 闘う所には、必ずサタンの影があるというのです。 朝、日が昇りますが、太陽が、地の果ての平面線を下っていけば、暗くなるでしょう? 水平線までは暗くな りません。同じことです。 皆さんが、世界のどこに行こうと、心と体が闘う立場に立てば、水平線がでこぼこなので、これは、本然の日の光の下にいるべき人なのではなく、堕落以降の種になっているというのです。 ですから、“汚れたものは、神様がお取りになることができず、サタンだけが取ることができるので、それで地獄が生じる。”と、このように考えなければならないのです。分かりますね?(「はい。」) 父母を否定する者たちは、「私」と言うことはできません。米国の若者たちは、自分の体が、父母の体の延長であるということを分からずにいます。”父母から受けたものは買いものである。”と考えて、父母を貴く思わなければなりません。 そうして、父母がそのような子供を種として認めて、 初めて種になるのであって、同じ父母の種であっても、種と同じでないものは、脱落者です。宇宙の法則によって、自動除去されるのです。 ですから、「父母に孝行しなさい。」とか、「孝行をするな。」と言う必要はありません。堕落していなければ、自然に孝行するようになっているのです。あの世、霊界に行くとしても、(息子が)地獄に行っていれば、父母も、地獄について行かなければならないというのです。しかし、そのようになっていません。すべて分かれてしまいました。 このようなすべてのことを操縦することができる機関はだれなのかというと、“私”です。“私”なのです。 “堕落したのは、アダムとエバである。堕落は何千年も前のことであるから、自分とは関係ない。”と思うのではありません。それが、“私”を滅ぼしてしまったの です。 宗教が現れたのは、そのような私を修理するための修理工場に入らなければならないからです。手の 修理、足の修理、頭の修理、さまざまな五臓六腑の部位が、それぞれ異なっているので、さまざまな宗教の系統を、それぞれの要素と要素を合わせて修理するためなのです。 そうして、「私は、宗教を統一した完全な製品である。心と体の統一であり、上下統一であり、左右統一であり、前後統一である。」と、このように言わなければならないのではないでしょうか? これが、上下と関係しているでしょう? 鼻と、これです。上から下に押してあげるのは、何ですか? 鼻と、それから何ですか? 男性の生殖器です。そうではないですか? それを受けるためのものが、女性です。女性は、器です。女性に種がありますか? 女性が中心ですか? この女性たち。米国の女性たち。そのようにしていては、滅びます。これを、すべて引きはがして、直さなければなりません。「私は、絶対に心と体が一つになっている!」一度、言ってみてください。(「私は、絶対に心と体が一つになっている。」)この時間だけですか? 永遠に!「永遠に。」と、言ってみてください。 (「永遠に!」) 神様の属性は、絶対、唯一、不変、永遠です。 心と体が一つにならなければ、ジグザグです。父と母が、垂直にならなければなりません。しかし、ジグザグです。夫婦が一つにならなければならないのですが、ジグザグなのです。垂直がジグザグであり、水平がジグザグです。いつ、これを合わせるのですか? 息子、娘は前後関係ですが、これも、すべてジグザグです。すべて一つになっていません。どのようにして、家庭で一つになるのでしょうか? 理想的「祝福中心家庭」は、どのようにできるのかというのです。 分かりましたか、分かりませんか?(「分かりました。」) 昔、契約の箱がありました。至聖所と聖所です。そのように、心と体が一つにならなければなりません。そこに侵入すれば、雷に打たれたのです。昔は、それを侵せば、その場で殺したのです。ここに入るときには、心と体が一つになっていなければなりません。ですから、悔い改めなければならないのです。 悔い改めるのは何かというと、水平になっていないことを悔い改めなければならず、垂直になっていないことを悔い改めなければなりません。垂直にならなければならないのですが、垂直が横的になってはいけません。米国は、垂直概念がないでしょう? そのままでは、滅びます。なくなってしまうというのです。 さらに、垂直だけではいけません。横的基準がなければ、垂直を捜し立てることはできません。それから、 前後関係です。球形を成そうとすれば、三面が同じ角度、同じ位置で等分された、そのようにイコライズされた所で、統一が成されるのです。 ところが、この者たち。先生が指示すれば、先生の言葉を口実にして、自分勝手に巣を作り、「自分は、このようにする。」と言いながら、すべて失敗しました。 先生が、五十年以上前、若い時に考えていたこと、話していたことはすべて、今でも同じです。分かりますか?(「はい。」) 心と体が統一されたことを、何で証しするのでしょうか? 神様の属性は、絶対性、唯一性、変わらない不変性、そして永遠性です。神様は、そうであられるというのです。神様は、どのようなおかたでしょうか? その属性を見て、絶対、唯一、不変、永遠なものが、一つの実体としてあられるというのです。 ですから、どこに行こうと、神様が唯一的存在です。どこに行こうと、すべての存在の前に、唯一的存在である前に、絶対的存在であられるのです。どこに行こうと、夜も昼も変わりません。若い時も、年老いた時も変わりません。永遠なのです。 そのような神様の属性に比べて、絶対、唯一、不変、永遠性を中心として比較してみるとき、あなたたちが、絶対的な何かを持っていますか? 持っているという人、手を挙げてください。わたしが尋ねてみます。唯一的なものを持っていますか? 米国のある家庭の女性ならば、その家庭の女性なのであって、米国の女王の代表ではありません。人は、小学校を卒業した人でも、大学を卒業した人でも、人は同じであるというのです。 しかし、小学校を卒業した人と、中、高等学校を卒業した人と、大学を卒業した人と、大学院を卒業して博士になった人がいれば、博士になった人は、「自分は博士だ。」と言っているのです。それは、何を中心としてですか? 知識です。しかし、知識が絶対的ですか? 違います! それを絶対視していては、滅びます。等差をつけて区別することができないので、その国は、秩序を立てることができません。すべてが同じではありません。このように見なければなりません。 それでは、私に絶対性があるでしょうか? 知識が絶対的ですか? 権力ですか? 大統領を四年間、務めることが、絶対的ですか? 唯一的ですか? 不変的ですか? 永遠ですか? 米国のブッシュ大統領が、四年後に当選することができなければ、滑り落ちて、いなくなってしまいます。 絶対、唯一、不変、友達の生命としてつくられたものが、何なのでしょうか? それが、何でなければならないのかというのです。知識でもなく、それから権力でもなく、それから何ですか? お金でもありませ ん。 おじいさんが、お金持ちになったからといって、孫が、「ああ、おじいさんが、絶対、唯一、不変的財閥であるので、私も絶対、唯一、不変的財閥である。」と言うことができますか? そのように言うことができる素性を持ったものとは、何なのでしょうか? それが、 愛というものなのです。 それでは、それは、どのような愛でしょうか? 今日における個人的な愛や、何らかの団体的な愛であるとか、または米国的な愛、愛国的な愛、国連に加入した百九十か国の、それぞれの国の伝統を中心とした愛など、いろいろな愛がありますが、すべて違います。 何ですか? それでは、何を中心として、神様において絶対的であり、唯一、不変、永遠なのでしょうか? それは、何ですか? 神様の絶対性というものは、お金や知識、権力で成されているものではありません。それは、何によってでしょうか? 愛です。どのような愛ですか? 真の愛です。真の愛とは、何でしょうか? 自分を中心とする愛ではありません。このことを知らなければなりません。 それでは、どのような愛ですか? 自分のための愛は、すべてを滅ぼしてしまいます! 絶対的な神様も、愛が必要ありませんか、それとも必要ですか? どちらですか?(「必要です。」)絶対的な神様も、愛が必要ありませんか、必要ですか? (「必要です。」) それでは、神様第一主義、神様絶対主義、神様唯一主義、神様不变主義、神様永遠主義を中心とした愛でなければなりませんか? しかし、そのようにしようとしても、神様は、お独りで残っておられます。神様一人しかいらっしゃらないので、愛は、神様お独りでは成し遂げることができません。 愛は、相対がいなければ成し遂げることができません。相対が愛をもたらしてくれるようになっているのであって、自分独りで愛を与えたり奪ったりすることはできません。分かりますか? 愛は、必ず相対を通して、主人の資格を得るのです。貴い言葉です。このことによって、歴史的な根本問題の解決が成されます。 しかし、神様が、”自分絶対主義”で、「唯一、不変、 永遠に、わたし(神様)を中心として愛しなさい! 愛しなさい! 愛しなさい!」とおっしゃれば、どのようになるでしょうか? それが神様であっても、一大事でしょう? 神様が、埋められてしまいます。 また、そのようにしたのならば、神様の相対となる人が千人ならば、千人の人が神様の所に行って、一緒にくっついて喜ぶでしょうか? 喜びません。皆が、 神様の愛をすべて占領したい。」と思うのです。全員、そうでしょう? 全員が喜ぶようにしようとすれば、神様ご自身も、 “わたしのために生きなさい”という愛では、そのよ うにすることはできません。すべて幸福にすることはできません。"すべての万物のために生きる愛”を主張せざるをえないというのです。 ですから、ほかの人に対して、「わたしのために生き なさい。」と求める(利己的な)愛では、天下を滅ぼしてしまい、一塊になって、水中に沈んでしまうようになるのであって、飛んで行くことはできません。 しかし、“ために生きようという愛を中心とすれば、どこにでも飛んで行くことができます。水の中に入って行くこともでき、高い天の頂に上がって行くこともできるのです。分かりますね? そのことをはっきりと知らなければなりません。 それゆえに、神様も愛が必要でいらっしゃるので、自らが愛の王になり、愛が永遠、唯一、不変であるためには、自分を中心とした愛を主張しては、そこに「理想」という言葉は成立できません。 そのような愛では、自分独りで喜ぶことはできるかもしれませんが、そこには、相対とともに、全体が喜ぶことができるものがありません。ですから、知恵の王であられる神様は、創造当時に、この問題を根本的に解決せざるをえなかったのです。 その解決は、自分のための被造世界ではない、ということです。それでは、だれのためでしょうか? アダムとエバのための被造世界なのです。そうして、神様は、そこに、ために生きる主人をつくっておかれたのです。それがアダムとエバです。 ですから、アダムとエバがために生きることができるように、神様が力を加えて成長するようにされ、ために生きることができる主人の立場を定着させるのが祝福という場です。分かりますか? 祝福です! それは、理論的に合うのです。観念ではありません。 ですから、神様の真の愛は何かというと、自分のためにあるのではなく、「わたしが、このようにすることによって、大勢の人の前で誇り、称賛される。」というようなものではありません。称賛されて喜べば、それで終わるのです。三百六十度、称賛されて……。 これが、すべて三百六十度でしょう?(板書されながら)これが、八段階です。三百六十度です。三百六十度、称賛されれば、また、称賛されようとしても、されるものがありません。 それから、三百六十度、すべて称賛されて埋まってしまえば、その次からは、埋めるものがありません。 それで終わるというのです。 ですから、神様は、投入して忘れられるのです。一 度から三百六十度になり、また忘れてしまい、また始められるのです。一周回ったので、「ああ、一周回った。」 ということを覚えています。忘れていないのです。 (世元)博士も、蕩減期間があるということを知らなければなりません。 それゆえに、歴史は、変遷とともに、発展とともに転換するのです。それを知らずにいます。蕩減法則が、そうです。歴史的な発展法則を適用し、それから、発展ばかりするのではありません。引っ繰り返して、方向が変わらなければならないのです。そうでしょう? 八段階を、このように行くのですが、転換していく のです。転換できなくてもいけないのであり、転換ばかりしてもいけないのであり、発展ばかりしてもいけません。それは、蕩減歴史を知らないというのです。 皆さんは、蕩減したというのですが、蕩減を知らないではないですか? いつ蕩減しましたか? 蘇生、長成、個人時代蕩減、家庭時代蕩減、氏族的、民族的蕩減とは、何ですか? それは、世界史的な、宇宙史的な基準を中心として、個人を否定し、第二個人として出発することができる基準を立てていって 初めて主張できるのであって、それなくして主張するのは間抜けです。 それでは、“私”というものを捜し出したのですか? あなたたちは、“私”を捜し出しましたか? “私”とは、だれですか? 神様の息子です。どのような者が、神様の息子ですか? 神様のように、 に、ために生きなければなりません。それは、何を中心としてでしょうか? 愛を中心としてです。 神様は、絶対、唯一、不変、永遠であられるので、私も、神様のように絶対的であり、唯一、不变、 永遠の愛を持って暮らすということです。 それでは、ハドソン川に行って、水をトラック百台分くみ上げたからといって、その水がなくなります か? その分、ぽかんと穴が開くでしょうか? ぽかんと穴が開いて、すき間ができますか、できませんか? 水は、水平になる(均衡を保つ)ので、すぐに、そのすき間を埋めてしまいます。 この北米に肥料工場をつくって、(空気中の窒素を使って)アンモニアを製造しても、それで空気がなくなるのではありません。世界の空気が、その不足分をすべて埋めるのです。 ですから、“私”が他のために投入しても、それで“私”がなくなってしまうのではありません。この宇宙の力によって、背後のもっと大きな宇宙が、私を中心として、「おお、文総裁が、(他のために生きるこ とによって)与えて穴が大きくなったので、世界の空気よ、集まりなさい。」と言って、台風が吹くようになるのです。 ところが、サタン世界は、それでは大変なことになるので、壁を作り、軍隊をつくり、「文総裁を片付けてしまわなければならない。」と言って、CIA(米国中 央情報局)、KGB (旧ソ連の国家保安委員会)まで動員しましたが、それでもできなかったというのです。 もっと大きな自然の力が、「うー!」と言って、押し寄せてくるのです。 さあ、そのようにして、与えて忘れてしまったからといって、損害を被るでしょうか、利益を得るでしょうか? わたしのポケットがこのくらいなので、このくらい与えて、「ふうっ。」と吹けば、空気が来て、さっと埋めるのです。 また、もっとこのくらい与えて、これが空けば、自然の力が来て、その空いた部分を埋めてくれるのです。どんどん大きくなります。 ですから、このようにして滅ぶことがないので、レ バレンド・ムーンは、歴史時代のだれよりも迫害と反対を受けながらも、滅びません。旧ソ連も凌駕することができず、サタンも凌駕することができず、神様も凌駕することができず、レバレンド・ムーンにお願い せざるをえないのです。「ノーメン」ですか、「アーメン」ですか? (「アーメン。」)理解していることは理解しているのですね。(笑い)(「はい。」) 神様においても、不可避的に、どのようなコンセプト(概念)が先に生じるのかというと、ために生きる愛を天理として立てなければ、この宇宙の相対、ペア・システムが、すべて壊れてしまうのです。 鉱物世界もプラスイオン、マイナスイオンがあり、植物世界も雄しべと雌しべ、動物世界も雄と雌、世界も男性と女性、天と地も、心と体が一つ、ペア・システムです。言ってみてください。ペア・システム。(「ペア・システム。」) 宇宙は、すべてペア・システムになっているというのです。すべてペアです。目が一つであったときには、 視力が一・二でも、二つの目で一つのものを見てみれば、どれほどはっきり見えるでしょうか? 少しずれても、このようにずれます。 空気も、このようになれば、病気になります。鼻の穴が詰まれば、風邪を引くでしょう? 言葉も、唇が三ミリだけずれても、話すことができません。 手も、右手が良いからといって、いくらこのようにても、左手がなければ、音が鳴りますか? これが、このようになれば……。(拍手される)ですから、相対がいてこそ、音が鳴り、調和が成されます。 さあ、今からは、心と体が統一されますか、されませんか? ”統一された”と信じていますが、統一されていますか、されていませんか? いつのことであったか、ベルベディアで、お父様が尋ねてみたときに「ああ、統一は問題ありません。」 と言っていたのです。問題がないのではありません。大きな問題です。世界、天地を統一することよりも、もっと難しいのです。 神様は、そのような一人に出会うことができなかったので、今まで苦労されたのです。そのような怪しげな版図の世の中に、このようなことを知ったレバレンド・ムーンが現れたので、世の中には希望があります。 UTS(統一神学大学院)を卒業しても、「私は、UTSを卒業した。」と言って、誇ってはいけないというのです。わたしは、天の国の大学院の博士課程を修めたのに、誇ってみることができませんでした。神様も、誇ってみることができなかったのに、誇るのですか? この者たち。 さあ、今から最も重要なことは、心と体の統一です。ご飯を食べることよりも貴く、眠ることよりも貴く、 愛することよりも貴いことが、心と体の統一です。分かりますか? ご飯を食べることができなくても、これ(心と体の統一)をしなければならず、眠ることができなくても これをしなければならず、愛するすべての家族を失ってしまっても、これをしなければなりません。 愛することができる世界、天地、神様まで失ってしまっても、これをしておけば、神様は、南極を経て、北極にまで巡り巡られ、外から中に入って来られて、いくら困難なものでも、すべて崩して、自分の所まで訪ねて来られるのです。 そして、この中央から地球に巡り巡って、天の国の王宮まで入って行くことができるのです。神様について行くことができるというのです。 既成教会の長老や牧師になったからといって、「統一教会は異端だ。」と言っています。メシヤは、博士の王のような立場であるのに、幼稚園も出ていない者たちが、"文総裁が何だ。偽博士だ。殺してしまえ。天の国の理想圏をすべて破壊したので、これほどの悪党はいない。”と考えているのです。 この米国が、わたしの怨讐になっています。キリスト教ゆえに、わたしが、この国に来て苦労しているのです。神様がかわいそうなので、わたしが、ここに来て……。 わたしは、米国人や米国に、一度も世話になっていません。三十四年間になりますが、わたしがお金を持って来て使い、人も米国を協助し、人力、財力、すべてのもの、愛、すべて米国に施しました。ワシントン・タイムズを、監獄に行って、つくりました。共産党も、監獄で屈伏させました。今、サタンまでも、この米国に来て、屈伏させたのです。 米国が第二イスラエルなので、わたしが、第二イスラエルの頭(かしら)にならなければなりません。わたしは米国人に、米国を愛する人の後に従っては行きません。わたしについて来なさい、というのです。分かりますね? それは、米国の男性と女性を再整備するためです。それは、うそですか、事実ですか? 事実ですか、違いますか? (「事実です。」)ここに来た、すべての観客の皆さん。お父様のみ言は、正しいですか、正しくないですか?(「正しいです。」) いつ、それを意識して暮らしていますか? そのようにしていくと、習慣になり、かわいそうな人がいれば、自分の財布の中にあるお金を、すべてはたいて上げ、何もなくなってしまって、しかたなく夕食をもらうようになれば、そのときには、"十倍以上にして、返してあげる。”と、考えるのです。 それで、門前に行って、「(わたしは、)通りすがりの客である。」と言えば、「夕食を下さい。」と言わなくても、夕食を準備して、「召し上がってから行きなさい。」と言ってくれるのです。それが何のことか、分かりますか? 天が知っています。そのようなことがいくらでもあります。 あなたたちが、一銭も助けてくれなくても、お金がなくても、わたしは仕事をしています。去年より今年、十倍使えば、”十倍以上やる。”と思い、それでも足らないときは、神様が責任を持ってくださるのです。 このままでは、米国の人たちは、どのようになるでしょうか? 世話になった人は、負債を返さなければなりません。分かりますか? (「はい。」)負債を負った人は、負債を返さなければならないのです。<3/3に続く>Family 2002.5 32 尹(世元)博士も、そうです。教授職をしたからと いって、尹氏内において、まず僕と同じ立場に下りて いくのです。最初は、僕です。そうして、八段階の道理の法則を通して、僕から養子、庶子、子女の立場に上がっていくのです。そのようにしようとすれば、すべてが歓迎しなければなりません。橋を架けなければなりません。はしごを架けなければなりません。それゆえに、個人完成するためには、家庭において試験し、家庭のためにすべてを投入し、その家庭が、すべて自分に従って来るようになるとき、自分は家庭の中心の位置に行くのです。そうすれば、おじいさん も、父母も、そのような自分を先頭に立ててくれるのです。そうですか、そうではありませんか?(「そう です。」) それで、そこにおいて、家庭がそのようになれば、氏族、一族を中心として、一番端に行って、家庭から氏族まで愛しながら、水平線をつくらなければなりません。そして、その全体が、一方に偏らずに回っていってこそ、自分の中心の位置と中央とを合わせて、中心の位置に接ぎ木し、ここで、縦横を垂直に合わせた所から上がっていって、発展するのです。 ですから、はしごを架けて、これが個人から氏族、端から中央まで経ていかなければならないのです。蕩減法が、分かりましたね? (「はい。」)それは、金氏 なら金氏の氏族を復帰しなさい、ということです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.09.28
コメント(0)
Joy Anthem ~天苑宮・天一聖殿~ 喜びを捧げよう 2024/09/28にプレミア公開天苑宮・天一聖殿は人類歴史上後にも先にもない史実として未来に残ります。人類は天の父母様を中心にひとつになります!真の父母様は切実に神様は天の父母様であることを全人類に伝わることを願っていらっしゃいます。==歌詞==Joy Anthem 天苑宮「Anthem of Cheonwon Palace」天の光が降り注ぐ新たな宮がここに立つ世界中からの賛美の声天の父母様、ここに降り立つ 喜びの歌を歌おう真の愛がここにある特別なこの日を迎え天苑宮から祝福を希望の光が輝く未来へ道が開かれる全ての心が一つに天の愛が現れる喜びの歌を歌おう真の愛がここにある特別なこの日を迎え天苑宮から祝福が始まる天と地が一つになる永遠の愛がここにある全ての人々が手を取りトキメキの新たな時代を迎えよう喜びの歌を歌おう全ての悲しみは消え去る真の愛がここにある天苑宮から祝福が始まるHeavenly Parent descend to earthTrue Parents’ wishes come to birthWe fulfill the dream they holdBlessings unfold, a new world toldCheon Il Guk begins todayEternal joy in every wayWinds of joy forever blowTrue love’s world will always growA dream fulfilled, a blessing sharedHeaven’s love beyond compareA thousand years, a hundred moreTrue love’s world forever soars Cheon Il Guk begins todayEternal joy in every wayWinds of joy forever blowTrue love’s world will always grow喜びの歌を歌おう全ての悲しみは消え去る真の愛がここにある天苑宮から祝福が始まる喜びの歌を歌おう天の父母様が降り立つ歴史上、特別な日天苑宮に祝福を捧げます喜びの歌を歌おう全ての悲しみは消え去る真の愛がここにある特別なこの日を迎えて喜びの歌を歌おう真のお母様と共に特別なこの日を迎え天苑宮から祝福が始まる天苑宮から祝福が始まる Cheon Il Guk begins todayEternal joy in every wayWinds of joy forever blowTrue love’s world will always grow#家庭連合 #宗教二世 #ai #aiソング #ffwpu #天苑宮 #天一聖殿 #清平 #チョンピョン#世界平和統一家庭連合 #信教の自由 #信教の自由を求めます#讃美歌 #讃美 #賛美歌 #アンセム #anthem #true love一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.09.28
コメント(0)
第1137回 天心苑特別徹夜精誠 (09/27)賛美「広々とした熟した穀物」黄保国神韓国協会長(※字幕(自動翻訳)をご利用ください。)【関連記事】「宗教界を一つにして、統一に向けて歩もう」 - peace2のブログ (muragon.com)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.09.27
コメント(0)
キリスト教牧師、天心苑の奇跡を見て聞いて体験するー証ーハン・ドヨ牧師ー979回天心苑特別徹夜精誠2024/09/20天心苑TVは韓国語、日本語、英語の字幕を提供しています。ユーチューブの日本語字幕をオンにしてください。천심원TV는 한국어, 일본어, 영어 자막을 제공중입니다. 유튜브 자막을 켜세요.Cheonsimwon TV provides subtitles in Korean, Japanese, and English. Please turn on the YouTube subtitles.一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.09.24
コメント(0)
三月二十四日 聖日礼拝の御言(No.1/3)真のご父母様の御言三月二十四日 聖日礼拝の御言二〇〇二年三月二十四日、米国・ニューヨーク州ベルベディア このみ言は、2002年3月24日、米国のベルベディア国際修練所で行われた聖日礼拝で、真のお父様が語られたみ言を翻訳、整理したものです。編集の都合上、一部割愛しました。(『ファミリー』2002.5月号) 今から、皆さんが祈祷するときに(心すべきこと)は、今は霊界の主流が一つになっているので、イエス様を中心として、旧約時代、新約時代、そして、すべての宗教を糾合しなければならないということです。 最初にすべきことは、イエス様を中心として、カトリックとプロテスタントが一つになり、その中のすべての教派が一つにならなければならないということです。イエス様の指揮下における"一つの教派”、“一つの信仰者”です。二つではなく、そこには教派もありません。 一つの完成したみ旨は、一人の人間と同様です。神様のみ旨を成し遂げて完成したみ旨は、一つです。 ですから、み旨を中心とした“み旨の道”も、方向が一つであり、目的も一つであり、出発も一つです。同じなのです。 ところが、イエス様が、”真の父母”として来られたというのですが、”真の父母”のみ旨を成し遂げることができなかったので、イエス様を中心として、霊界が二つに分かれてしまいました。 それを統一しなければならないのですが、真の父母を中心として、地上で一つにすることによって、地上に主流が生じ、それが霊界に移されていくのです。ですから、今、そのような考えを持って祈祷しなければ なりません。祈祷のやり方が変わったのです。 ですから、「イエス様。」と言えば、そのときは“統一された教団”です。教派は、必要ありません。 監理派(メソジスト)教会、聖潔派(ホーリネス)教会などと、教派は必要ありません。 イエス様の十二弟子は、イエス様の相対的存在なので、それは兄弟と同じです。そうして、イエス様の家庭を中心として一つの兄弟、一つの家庭を中心として一つの民族と、このようになるのです。 家庭は、民族に従っていく主流であり、民族は、国家に従っていき、国家は世界に、その世界は、地上、天上の統一の世界に従っていきます。その統一の世界は、原因の世界です。"「天一国」世界”です。"「天一 国」世界”は、「自主国」であり……。 "「天一国」世界”は、どのような世界なのかというと、“自主国勝利图解放時代”です。「天一国」は、どのようなものなのかというと、それは「自主国」です。 「自主国」という言葉は、括弧をして「主体国」と言ってもよいのです。 それは、本来、神様が創造された“主体国勝利圈解放時代”です。解放です。完全に解放され、それによって、”元一統一世界”に戻っていくのです。“元一”、 もともとの根本は、一つです。三段階を経て、越えていくのです。総整備しなければならない時なので、そのような内容を持って、祈祷しなければなりません。 もう、多くの教派は必要ないのです。多くの宗教も必要ありません。それは、偽りの父母によって生じたのですが、真の父母が現れるときには、必要ないのです。 堕落していなければ、一つの宗教、一つの国、一つのみ旨、一つの出発基地をも備え、方向も同じであり、目的も一つです。そこには、米国であるとか、先進国や後進国はありません。 それで、神様が第一代であられ、真の父母が二代目です。そのようになれば、アダムとエバの堕落がなくなったということです。元来、神様が一代となられ、アダムとエバの家庭が二代にならなければならないのですが、これが堕落したので、失ってしまったのです。 ですから、それを取り戻すために、復帰路程の家庭として戻ってきて、ここで家庭を取り戻し、そこで時計の方向と反対に回り、ここに来て、正しく回っていかなければなりません。他の世界になるのです。 世の中を整理、清算し、複雑なものをすべてなくして、一つの主流的神様をお迎えした、家庭理想拡大、兄弟主義時代に向かって、完全に越えていくのです。アーメン。そのような祈祷をしなければなりません。 イエス様に対しても、そのような祈祷をしなければ なりません。また、聖人たちに対しても、教派を完全に一つにしなければ、困るのです。聖人たちが、責任を追及する時が来ます。真の父母が、許諾しません。そのような祈祷をするので、皆さんも、それに従って祈祷しなければなりません。 そのようにすれば、真の父母が願い、神様が願われるみ旨の目的に向かって行かなければなりません。ですから、真の父母の三代圏の祝福を受けて、直接に地上で侍る皆さんは、中間にいるイエス様に対しても、 霊界に行ったすべての聖賢、賢哲や、先祖たちにまでも命令することができる、ということを知らなければなりません。分かりますか? ですから、「祝福中心家庭」です。「祝福中心家庭」とは何かというと、神様が立てられた家庭であり、堕落しないで、真の父母が成就する家庭であり、その家庭は、国家の土台となり、国家の土台は、地上、天上天国の土台になるのです。 「祝福中心家庭」は、真の父母が種として植えられた、その家庭を中心として、だれかれなしに、その実を結んだ結実の家庭ということと同じです。 ですから、「祝福中心家庭」の種は、何千代を経たとしても、どのような所に植えたとしても、芽が出るのであり、(その木の品種が、)花が咲く木であるならば、 (親の木と)同じ花が咲く木となり、同じ実を結ぶのです。実の価値は、イコールです。分かりますね? (「はい。」) 今は、そのような時です。そのように祈祷しなければなりません。さまざまな教派でも何でも、すべて……。 教派は、すべて先生が懲らしめます。今は、そのような時が来たのです。 ですから、今回、十四万四千の聖職者たち、宗教指導者たちが祝福を受けるということは、とても重要なことです。イエス様が再臨する時、最初の復活に参席することができるのが、十四万四千人ではないですか? その十四万四千人は、十四万四千家庭にならなければなりません。十四万四千家庭の中には、すべての世界が入り、一つの国を編成することができる時になったので、十四万四千家庭を祝福するのです。分かりますね?(「はい。」) 祝福聖職者たちを中心として、そのことを、よく知らなければなりません。聖職者たちは、祝福が終わった後に、四位基台にしなければなりません。四位基台の家庭は、父子関係、夫婦関係、子女関係の三段階なのですが、地上において、この三段階を中心として四位基台を成そうとすれば、四系列が生じます。 ですから、四代を中心として東西南北、このようになってこそ「祝福中心家庭」になるというのです。 男性側と女性側、この二つの世界に分かれています。 ふたりが一つになることによって、その男性の世界と女性の世界が一つになればよいのですが、それが分かれたまま、世界に連結しているのです。 男性側と女性側、(それぞれの)息子、娘を代表とし て、自分の一族と、地上でそれに合わせるために、統一教会では信仰の息子、娘がいるのです。その信仰の息子、娘と、自分を中心とする自分の一族が、アベルとカインの関係になります。 また、夫の兄弟、妻の兄弟を中心として、カインとアベルです。上下、左右、前後の関係において、これを合わせていかなければならないのです。それで、四位基台を中心として三対象目的を成せば、これが六数になります。上下、左右、前後です。 この家庭というものは、本来、アダムとエバから始まるのです。そのアダムとエバの兄妹が、成長して夫婦になり、夫婦が発展して父母になり、父母が発展しておじいさん、おばあさんになります。そうして先祖になり、先祖が発展して王になるのです。 本来の根本は、(親と) 上下に一つになることができる息子、娘にならなければならず、左右が完全に一つになることができる夫婦にならなければならず、前後が完全に一つになることができる兄妹 (兄弟)にならなければなりませんでした。そのような息子、娘にならなければならなかったのです。 それが何かというと、兄妹(兄弟)が、神様を中心として、上下、左右、前後、三段階をすべて結んでいかなければならないということです。そのような責任が、各自にあるのです。 ですから、皆さんは、父母の前に完全に学ばなければならず……。父母がいるでしょう? 夫婦は、父母に侍らなければなりません。上のおじいさんに侍るという、その伝統を受け継がなければならず、父母が夫婦で暮らす、その伝統を受け継がなければなりません。また、その父母は、兄妹(兄弟)として成長した伝統を、そっくりそのまま伝授してあげなければなりません。 そして、皆さん自体が、父母の代身です。父子関係を代身したものであり、夫婦の代身であり、兄妹(兄弟)を代身したものであり、それが、家庭を中心とし て成されなければならないのです。 これは、種と同じなので、この種は変わりません。それゆえに、だれであろうと、このような基盤を築かなければならないので、十四万四千の聖職者たちが、 祝福を受けた所には、四家庭ずつ……。分かりますか? 夫を代表として二家庭、妻を代表として二家庭で四家庭です。それで東西南北になります。ですから、必ず自分の一族を中心として、祝福家庭の編成が展開していくというのです。分かりますね? そのようにする時が来たのです。 あなたの姓は、何ですか?(「私は、韓国から来ました。」)ですから、姓は何ですか? 姓のことです。(「金です。」) 金ですか? 金なら金氏がいるではないですか? 金氏は、たくさんいるでしょう? その金氏全体が、一本の木にならなければなりません。(氏族の人は、)枝のようにたくさんいるのですが、本来の種となる木というものは、一人の金氏の先祖から始まって、広がっていかなければならないのです。 これが逆さまになったので、反対に先の枝から入っていって、次に大きな枝に入っていき、最後には、幹を中心として、新しい芽が出るときの、その芽に戻っていくのです。 ですから、根が抜かれたので、反対に合わせて上がっていき、神様にまで戻っていかなければなりません。 金氏なら金氏、祝福家庭は、一から始まるでしょう? いくつもあるのではありません。一つにしなければなりません。 ですから、逆さまにして、先の枝から次の枝、そしてもっと大きな枝に入っていき、そのようにして、 東西南北の枝から幹に入っていくのです。そうして、芽の先に下りて、種の所に入っていって、神様と一つにならなければなりません。生命が、そうです。さっと一つになり、そして金氏の先祖が……。 神様の真なる愛と、真なる生命と、真なる血統がアダムとエバに受け継がれるのですが、無形と有形が、さっと集まり、神様によって第二創造主として創造されたのが、アダムとエバです。そして、アダムとエバは主体となり、相対世界において第三創造主をつくるのです。それが、アダムとエバの息子、娘なのです。 息子、娘を生んで、夫婦が興奮します。赤ん坊を身 ごもれば、夫も喜び、妻も喜びます。自分のおなかを通して、天下を治めることができる三代目が生まれるのです。それは、神様の孫を、自分が身ごもったという事実です。 それゆえに、妊娠したその赤ん坊には、腹中から神様が訪ねて来られ、守ってくださるのです。父親だけ が守ってくれるのではありません。神様と父親が、霊肉一体となり、妻を霊肉で保護してあげるのです。そうして、霊肉共に保護される夫婦が、赤ん坊を保護しなければなりません。 その赤ん坊は何かというと、第三次創造主です。神様は第一次創造主、アダムとエバは第二次創造主、アダムとエバの息子、娘たちは第三次創造主です。創造主というものは、同じなのです。それは、種と同じです。 一代も二代も、真の愛と、真の生命と、真の血統が一つになり、アダムの時代も、真の愛と、真の生命と、真の血統が一つになって孫が生まれ、孫の時代も、真の愛と、真の生命と、真の血統を中心として、永遠に継続するのです。 それゆえに、純潔を守らなければなりません。最近、離婚によって(世の中の状態が)複雑になったのは、悪魔がしたことですが、これを掃討してしまわなければなりません。 もし、あなたたちの一族に、そのような一族がいれば、整理してしまわなければなりません。今からは、そのままにしておいてはいけないのです。一族が、これを整備しなければなりません。 自分の家庭において、金氏なら金氏の一族が、総会を通して厳格な法を作り、それに違反するものは、完全に、その枝を整理してしまわなければなりません。 サタンの根まで切ってしまわなければならないというのです。 その根を、だれが切るのかというと、神様もお切りにならず、真のご父母様も切りません。自分の国を取り戻し、金氏の国を取り戻すためには、自分の一族が、それをしなければなりません。 ですから、中心と一つにならなければなりません。木を見れば、幹があります。幹が中心ですが、そこに、すべての枝と葉がつながっていなければなりません。 幹は、根に連結しています。根は見えません。しかし、 連結されているのです。 人間の世の中を見れば、天の世界と人間の世界が、逆さまになっています。木は、根を下にして、このように立っていますが、霊界を中心として見れば、逆さまになっているのと同じです。全人類は、歴史的に見て、大きな一本の木が逆さまに立っているのと同じです。 堕落したので、先端から枝に訪ねて行き、枝も大きな枝を訪ねて行って、一番の根の位置にある種の立場にまで行かなければなりません。そうして、種の立場にまで行って、そこで祝福を受けてこそ、相対ができ、相対ができてこそ、子供を生むことができる家庭ができるのです。そのようにして、新しく出発するのです。 そして、神様が、霊界の第一の理想的家庭を中心として、アダムとエバは地上の家庭を中心として、それからアダムとエバの息子、娘は、天上世界の家庭と地上世界の家庭を合わせた二つの先祖から愛を受けるのです。おじいさんの愛と、お父さんとお母さんの愛を受けるのが、孫です。 ですから、孫は、地上、天上天国、二つの世界の王子として生まれるのです。三代が、このように貴いということです。分かりますね?(「はい。」) それゆえに、真の父母とはだれであるのかというと、 堕落せずに完成したアダムとエバです。ところが、堕落することによって血統が汚され、すべての枝をサタンが切ってしまいました。これでは、死んでしまうというのです。いくら生きようとしても、死にます。 それを真の父母が来て、切られてしまったものを再び接ぎ木して、“切られた木”ではなく、“切られていない完全な木”となり、永遠の愛の結実を枝ごとに収穫することによって、その種は、千年、万年の間、同じ価値を持つようになるのです。真の愛、真の生命、このようになるのです。すべてが、そうです。 真の愛を中心として、血統を残さなければなりません。真の愛と、真の生命を中心とした夫婦の愛というものは、一代です。分かりますか? 血統だけが永遠です。 それは、川の流れと同じです。川の主流と同じです。 水が、山の頂上から流れて出て小さな川になり、だんだんと大きな川になっていくのと同じように、この血統も、川の流れと同じように、大洋に向かって流れていきながら、だんだんと大きな川となって、やがて海に入っていくのです。 海は、五大洋を巻き込むようにして回ります。太平洋には黒潮というものがあり、その海流は、四千五百マイルを回っているのです。この回っているものを中心として、すべての水が、五大洋を中心に動いています。水が動いていなければ、腐ってしまいます。 それゆえに、遠洋漁業のようなものに行くときには、 船いっぱいに飲料水を載せていくのですが、一年以上置いておいても腐りません。なぜでしょうか? 動くからです。 あなたたちも、運動するでしょう? だれもが、三十六度から三十七度の体温を保っているのは、動くからであり、運動するので、そのような体温を持つことができるのです。 それと同様に、地球という星も動くのであり、動かない水は、すべてなくなるのです。消えるのです。分かりますね? ですから、心霊生活もそうです。心霊生活も、動かなければなりません。そのようにして、大きくならなければならないのです。 種を植えておいて、それが芽を出そうとすれば、変化が起きなければならないでしょう? 太陽の光と地面からの熱を受けて、太陽の熱と地熱という、二つの世界の熱を受けなければなりません。 男性と女性が愛することも、ふたりの熱を受けて生命が生まれることであり、それと同じであるというのです。ですから、性相は、形状との関係において授受作用をしてこそ、存在できるのです。 それゆえに、すべてのものが相対になっているのです。すべてが相対です。しかし、堕落によって、心と体が分かれました。一つになっていません。これが問題です。 それでは、男性と女性には、それぞれ生殖器が二つずつありますか? 男性は、男性の生殖器も持っていて、女性の生殖器も持っていますか? 相対になっていますか、相対になっていませんか? すべて相対になっているのです 。 ですから、心も体も一つにならなければならず、男性は男性の生殖器、女性は女性の生殖器に分かれているので、それが一つにならなければなりません。それが夫婦です。夫婦にならなければ、なくなってしまいます。いくら千年歴史の子孫であり、王孫であっても、 そこで終わるのです。 ですから、結婚が貴いというのです。分かりますか? 家庭が貴いのです。この二つに分かれたものは、家庭で分かれたので、二つに分かれたものを、再び一つにすることができるのが、祝福を受けた家庭なのです。 その家庭は、自分たちが分けることはできません。 分ければ、問題が起きます。大手術の傷あとができるのと同じように、あの世に行くときに、完成品になることができないのです。皆さん、その話を知っていますか? ですから、イエス様を中心として、聖霊が必要です。それは、相対理想です。それで、ペア・システムになっているのです。それゆえに、男性と女性が異なるのは、性が異なるのです。一つは、受けるためのものであり、一つは、与えるためのものです。そうでしょう? それが一つにならなければなりません。 受け皿となる、それを自分勝手に用いる女性は、天下を滅ぼしてしまう女性であり、それを自分勝手に用いる男性は、天下を滅ぼしてしまう男性です。相対になっているすべてのものを打ってしまうのです。それ以上に恐ろしい存在は、ありません。アダムとエバが堕落することによって、天下がすべて壊れていったというのです。分かりますね? それゆえに、キリスト教を中心として、イエス様を中心として、カトリックとプロテスタントとは、何なのでしょうか? それらは、なぜ、一つになれなかったのでしょうか? それは、神様のみ旨が分からなかっ たからです。 キリスト教も、個人救援ではいけません。堕落することによって、神様は、個人だけを失ってしまわれた のでしょうか? 個人を失ってしまい、家庭を失ってしまい、国をすべて失ってしまわれました。そのような概念があります。 わたしたち統一教会は、個人完成とともに、家庭完成を中心として、一度に家庭祝福をして、国を一度に取り戻すことができます。米国の人口は、二億八千万人くらいですか?(「はい。」)二億四千万人ほどであると思っていたのですが、約二億八千万人ですね。 二億八千万人の米国国民も、ある決められた日に”全国民が祝福を受ける。”というようにすれば、一日でひっくり返ります。何のことか、分かりますね? それゆえに、金氏一族の中で、祝福を受けた家庭が連合して、種と同じような立場である先祖が、金氏を中心としてひっくり返す日には、金氏が、一日ですべて祝福を受けて、天国に入っていくことができるというのです。 ですから、今後、世界がいつ、み旨の世界に変わるか分かりません。米国と国連が、先生と一つになる日には、四十日以内に、天地が引っ繰り返ります。分かりますね?(「はい。」) ですから、大変遷……。今は、大発展時代であると同時に、大変遷、転換時代です。歴史は発展していくのです。蕩減法によって発展するところは、必ず変遷していかなければなりません。発展しなければなりません。変遷しなければならず、それから転換しなければなりません。 一段階、家庭時代から氏族、民族時代になれば、大変換して、引っ繰り返るのです。一回り、ぐるっと回らなければなりません。それを説明する時間がありませんね。 ですから、「祝福中心家庭」は、真の父母の代身家庭であるので、神様の御前に先生がしたのと同じように、今からは、霊界にいるすべての聖人、聖子も、地上の皆さんの言葉を聞かなければなりません。分かりますか? それは、なぜでしょうか? 地上で、真の父母とともに祝福を受け、侍って暮らした人は皆さんなので、 皆さんが主人なのです。分かりますね? それを知ら なければなりません。間違いなく、そのように考えなければなりません。そのような自信を持ち、そのような内容になっているということを理解して……。 霊界に行ってみれば、霊界が、すべてそのようになっているので、入っていくや否や、さあっと忘れてしまい、さっさっさっさっと、上がっていくことができるのです。そのようなはしごが、そこにはすべてあるというのです。 皆さんの個人完成も、心と体が一つにならなければなりません。それは、ブラスとマイナスです。心と体です。その二つが、今、闘っているので、心と体が一つになっていないので、皆さんの生活は、世界を巡りながら、一生の間、闘って大変です。そこには、定着する中心がありません。 何を中心として、心と体が一つになるのでしょうか? 真の愛です。分かりますか? (「はい。」)真の愛とは、何でしょうか? 神様を中心として、愛の関係を一体化させた生活をする舞台が、真の愛です。 真の愛は、ために生きる愛から、ために生きるところから真の愛が連結されるのであって、自分を中心として、ために生きられようとし、"自分のために生きなさい。”と、ほかの人に対して求めるところには、真の愛が永遠になくなるのです。これが大きな問題です。 第一の問題は、何でしょうか? だれにあるのかというと、世界が悪いのではありません。自分自身が闘っているということが、問題なのです。分かりますか? 心と体が闘っているでしょう? 闘っていますか、闘っ ていませんか? ここで、祝福を受けた祝福家庭は、手を挙げてみてください。祝福家庭が、なぜ争うのでしょうか? な ぜ争うのですか? これが問題です。なぜ争うのか というのです。争うのは、サタン世界が残っているからです。19 Family 2002.5<No.2/3に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.09.23
コメント(0)
全6902件 (6902件中 1-50件目)