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LINEでは能登メンバーの安否確認が進行中ですが、現在のところ異常はありません。被害については1月は棚からものが落ちたりといった状況でしたが、教会のビデオセンターを確認された方からは物が落ちたりといったことは、現時点ではありませんとの報告でした。実質の被害については、明るくなってみなければ分かりません。我が家では、ぬいぐるみ1個が本棚から落ちましたが大丈夫です。今後の余震が心配です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.26
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99% / 最後まであきらめない2024/11/25日本政府は間違いを引くに引けない、家庭連合を潰そうとする反対活動家とマスコミによって、民主主義国家としては危機的状況です。私たちは真実の姿を示し続けます!旧統一教会の信徒たちが拉致監禁を受け強制棄教させられていた事実を世の中の人に知ってもらいたい。世界平和統一家庭連合は ために生きる、ただそれだけですよ。それを、反対牧師や全国霊感弁護士会の方々が結託して拉致監禁を家族にさせる、という卑劣な手段で彼らは姿を隠してきました。そのような事実の動画はどんどん拡散されています。以下のHPとチャンネルをぜひみなさんに見てもらいたい。★全国拉致監禁・強制改宗被害者の会公式サイト★kidnapping.jp• 拉致監禁被害者インタビュー / 後藤徹(12年5ヶ月監禁被害者)❎ 福田ま... ーーーーーーーーーーーーーーーーだからこそ、不当な判決や判断にははっきりと示さないといけない!そのために動き出さなければいけません。99%===歌詞===暗闇の中で光を探して絶望の淵で立ち上がる1パーセントの希望に賭けて君がみた夢のつづき顔を上げて前だけを見て あの流星の先へ「絶対に負けない、諦めない」心に刻んだその言葉どんな壁も乗り越えて勝利を掴むまで君は負けない!絶対に天の父母様がついているから信じてほしいわたしは君のために祈っているよninety-nine% chance, they say it’s a no-goWhispers of the devil, trying to steal the showBut I stand tall, with my faith unshakenIn the darkest hour, my spirit’s awaken[翻訳]99%の確率で、それはダメだと言われる決意の時を盗もうとする悪魔のささやきでも私は揺るぎない信念を持って堂々と立っています最も暗い時に、私の魂は目覚める涙をふいて前を向いて仲間と共に進む道失敗しても立ち上がる握りしめた「み言」顔を上げてその度に強くなる 守りたい人がいるから「絶対に負けない、諦めない」心に刻んだその言葉どんな壁も乗り越えて笑顔でいてほしい君は負けない!絶対に真の父母様がエールを送ってる君の笑顔が最強世界は君を待っていたんだWhen I hold my ground, and fight the doubtA guiding light, from above, no doubtThrough the storm, I find my wayWith a heart of steel, I seize the day[翻訳]私が自分の立場を堅持し、疑いと戦うとき天からの導きの光、きっと嵐の中、私は自分の道を見つける鋼の心でその日を掴む夜明け前が一番暗いでもその先に光がある信じる心が道を開く目を開けたら ほら 天の父母様の光未来は自分の手の中に最後の一歩を踏み出して夢に手が届く瞬間全ての努力が報われる真実を今描こう[Pre-Chorus]踏み出せ一歩勝利の声が響く始まりの鐘が鳴る「絶対に負けない、諦めない」心に刻んだその言葉どんな壁も乗り越えて勝利を掴むまで君は負けない!絶対に天の父母様がついているから信じてほしいわたしは君のために祈っているよ「絶対に負けない、諦めない」心に刻んだその言葉どんな壁も乗り越える君は負けない!絶対に天心苑の叫び声が奇跡を起こす大丈夫君は強いから「勝利の秘訣は勝つまでやること」1パーセントの奇跡は99%の勝利に変わる!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.26
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信教の自由を考える石川フォーラム拝啓岸田文雄首相 家庭連合に、解散請求の要件なし / 中山達樹 【本】一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.24
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信教の自由を考える石川フォーラム一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.23
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第1178回 天心苑特別徹夜精誠 (11/22)2024/11/22 に公開予定本日も恩恵深い時間になることを願います。https://blog.naver.com/peacemaker2027一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.22
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Web説教「真のお父様の三大目標 ~復帰歴史は神とサタンの闘いである~」2024/11/22 #世界平和統一家庭連合 #Web教会 #礼拝家庭連合Web教会 礼拝説教題目:「真のお父様の三大目標 ~復帰歴史は神とサタンの闘いである~」説教者:柴沼邦彦文鮮明先生には三大目標がありました。第一の目標は自己主管、自分と闘って勝つことであると言われました。第二の目標はすべての中心に神様を考えることです。あらゆる事件に接した時に神様やイエス様はこのようにしただろうと考え、真の父母もそのように考えなければならないと思ったと言います。第三の目標はどうやって善を繁殖するかです。今回は、この三つの目標について、み言を中心として共に考えてまいりましょう。#世界平和統一家庭連合 #Web教会 #礼拝一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.22
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無形世界(霊界論)🌹本然の無形世界🍇神様と人間が永遠に一緒に暮らす安息の場、喜びの場🎈父母と子女が一緒に暮らす平和と幸福と希望と光明の世界🍓霊界からのメッセージ❤️李相軒先生🍎2024/11/22一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.22
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第1173回 天心苑特別徹夜精誠 (11/15)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.15
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「天地父母統一安着宣布」(02.06.21 ソウル蚕室室内体育館で行われた「天地父母統一安着大会」で) この意義深い「天地父母統一安着宣布大会」に出席した高名な紳士淑女の皆さま、愛する祖国の兄弟姉妹の皆さま、そして、この歴史的な大会を見守っている全世界7千万の皆さまに心から感謝します。 私たちはついに、実に歴史的で摂理的な大宣布時代を迎えました。6千年間、天と地がこれほど待ち望んだ平和の理想世界、すなわち地上天上天国を創建する天運の時が私たちに訪れたのです。 天は歴史を通して摂理されながら、その時代と地域的文化に合わせて宗教を許され、人類はその諸宗教圏内で平和の世界を実現するために不断の努力を注いできました。しかし、最後には神の摂理的な内容と神の心情を完全に知るところから、すべてのことが解決されるのです。 今日、人類が平和の世界を語り、ひとつの世界を語っていますが、私個人からひとつになり、平和をつくることが問題です。そのため、こんな実情を知る神がおられ、志のある人間、偉人がいるとすれば、ひとつになろうとする作業を行うだろうと考えざるを得ないのです。 皆さま方はよく、互いに愛し合い、互いに仕えあい、互いに犠牲になりなさい、そうすればうまくいくと言います。愛せということは、与えろということです。私から相手に働きかけろということです。互いに愛を受けよう、愛してほしいということではありません。 互いに仕え合うようになれば、その環境には平和の基地が生まれ、互いに犠牲になれば、そこには蘇生の炎が燃え上がります。また、愛するようになれば、そこには花が咲き、香りが広がります。マイナスの磁石は必ずプラスに向かうように、良心の力によって神を知ることができるのです。 良心の力によって神に接近すればするほど何を悟るかといえば、心の平和、心の幸福、心の満足を感じ、平和の母体となる神の愛によって、自ら自分の五臓六腑全体が刺激を受けて衝き動かされるような感銘を感じることができる人間になっているでしょう。 私が過去をこのように生きてきたので、余生だけでも輝かしく自信をもって終えなければならないと、気力が足らなければ跪いて骨が固まって死んでしまうことがあっても、私の生涯で責任を果たせなかった忠誠をこの期間内に尽くさなければならないと、夜を徹して祈祷しなければなりません。 国の領土を守り、人類が至るべき幸福の基盤をじっと見つめながら生きながらえ、私は死んでも世界を生かしてほしいと祈祷すれば、その老人の墓は雑草に覆われたりしないでしょう。 いくら(年老いて)醜くしわがよったとしても、それは私たちの平和の条件を象徴するしわとなり、歩む姿勢はやつれていても、その道は希望の灯台として輝かしい座標になるということが分かれば、生涯を比較して、自分だけのために悪の友となり悪の足場を広げていくこの恨めしい恨(ハン)の正体を踏み消して、私の生涯に善の基盤をもう一度だけ加重させていかなければという切迫した運命の道が願っていることを知り、休まず急いで行かなければならないということです。 そのため、文総裁も今までの生涯で、そんな趣旨から6回も投獄される十字架を背負い、あるいは海外を行き来しながら皮膚の色が違う民族の前で異端者だと指弾される時も、反対される時もありましたが、私が進む精誠の道理がすべての民族を通して天の前に、正統の主流思想であることを知って跪き、天を慕うことができるようにする道ならば、私はどこにでも駆けつけるという思いでこれまでずっと生きてきました。 私たちが天の兵士となって勝利してこそ、神が永遠に喜び、イエスと聖霊も永遠に喜び、聖人・賢者たちまで喜ぶことができる平和の時代がこの地上に到来することを心に銘じなければなりません。 個人の闘いが家庭の闘い、家庭の闘いが氏族の闘い、氏族の闘いが社会の闘い、社会の闘いが国家の闘い、国家の闘いが世界の闘いを経て、霊界とこの地上との闘いにまで及ぶようになるのです。また、神とサタン世界の無数の悪霊との闘いが終わってこそ、この宇宙に平和時代が訪れます。こんな原則的な過程を通して摂理してこられた神の事情を皆さまは知らなければなりません。 神がサタンと闘ってすべての問題を解決してこそ、宇宙的な平和時代がやってくるのです。神の悲しい心情の中心を一掃して解怨して差し上げる時がやってこない限り、人類の平和も実現できず、天的なひとつの理念もこの地上で結実の時を迎えられないということを皆さんは知らなければなりません。 万一、真なる人間がいて人の世のすべての恨みと天の恨みを解放し、天と地の上に平和の国を建設しうるひとつの主義と思想をもって現われるとすれば、彼は自分個人の恨みに満ちた逆境から、人類と天の恨みの峠と、その切ない心情をすべて経て行かなければならないのです。そうできないとすれば、人の世には恨(ハン)の侵犯を受けない平和の世界、幸福の世界、自由の園は建設されないのです。 皆さまが宇宙的な天国の理念を代表しうる存在となり、神の真の愛と真の生命と真の血統と真理の運動を展開すれば、平和の世界がこの地に建設されるのです。それゆえ自分の父母だけが父母でなく、自分の兄弟だけが兄弟でなく、自分の子供だけが子供でないというのです。 皆さまが全ての人を私の父母、兄弟、子女と思える人格を備えた人間になれば、死亡世界で苦しむあらゆる民を目にする時、涙なくしては対することができないはずであり、兄弟や幼い人々を目にする時も彼らを救おうという責任感をもって涙を流しながら努力するようになるのです。本当に神のような、そんな皆さまになれば皆さまを中心としてこの地に天国が建設されるでしょう。 神はサタンから先に打たれ、尽くし、愛してあげてから取り戻してくる作戦を取られます。サタン世界から強制的に奪ってくるのではなく、先に愛し、打たれ、犠牲になり、殺されながら取り戻してくるのです。このような作戦を取らずには、世界平和の起源を天宙に残すことができないのです。 皆さまは家庭を率いて国家と世界のために進まなければなりません。大韓民国において個人的な時代、家庭的な時代、宗族的な時代、民族的な時代、国家的な時代を通して、その経験を土台にして世界の民族と国家の前に方向を提示できる案内役を果たさなければなりません。案内役を果たし、互いに離れられない立場で神に侍ることができてこそ、霊界と肉界(地上界)は統一された平和の世界となり得るのです。そうしてこそ、その案内者は天国創建時代の永遠の指導者としての地位を固め、天界の栄光の表彰を受けるようになるのです。 自由の天国である新しい平和の王国を創建するための闘争過程で、誰よりも多くの血を流しながら闘えば、その人は滅びません。その人が流した血は死亡の血ではなく、生命の源泉の力となるためです。そのようにして創建された場所こそ、私たちが行かなければならず、留まらねばならず、残さなければならない基盤です。 皆さまは天の前に「天よ! あなたが創造理想を中心として誇りたいと思われたすべての願いが結実しました。人間を立てて永遠に全ての世界に誇ろうとしたあなたの内的心情と一致いたしました」と祈祷する時、神が「おお、そうか!」と言える立場で、神が喜ばれる自由と平和の天国に向かって行進するその日を慕わしく思わなければなりません。皆さま、大韓民国の主人は誰ですか? 大韓民国を誰よりも愛する人です。 それゆえ、皆さまが誰よりも大韓民国を愛するようになれば、主人にならないようにしても、この民族の主人になるのです。そうしてこそ、神が願う平和の時代がやってくるのです。私たちは神の恨(ハン)を解いて神を解放してあげなければなりません。 そして、自由な神として万国を統治するために、少しでも差し障りがある障害物があれば、私が責任を持って全て取り除き、自由の権限をもって万国を自由と平和の天国として主管しうる堂々たる絶対者として侍るんだという信念をもった若者がいれば、その人は真に偉大な若者です。こんな若者たちによって、これからの世界は新しい方向に進むようになるのです。 皆さまが、実際にこんな若者になるというようになれば、いくらみすぼらしい姿をしていても、それは醜い姿ではありません。そこには、無限の希望が宿っているのであり、その姿は神の希望と幸福の土台になるのです。 取り入れられる立場、取り入れられた穀物の立場にある私たちが互いに直面し、感じるすべてのことを、幸福の要因として消化できる人間にならなければならないのです。そんな基盤を広げて国民化させ、世界化させる時まで、その主体的な精神が一元化された形態を離脱しないようにしてこそ、そんな基盤を通して世界に平和の天国が連結されるのではありませんか? 東西南北を中心として、4点がきっちりと立つようになれば、そこには異議がなく、結束の動機が整えられるのです。復帰天国はどこから実現されるべきか? あの牢獄からなされなければなりません。イエスのように牢獄に入っていって主管性を復帰した基準と本性的な基準の自律的な平和の心情を持ち、感謝の歌を歌ったことがあるのか? これが問題になるのです。 神はかつて、使徒たちがそんな立場にいる時、それを天国化させるために牢獄の門を開き、自由に行動できる権限まで付与したのではないですか? 神は、皆さまが、かつてのその使徒たち以上に希望と期待を持てるような、資格を持つことを願っています。 終末には新しい創建の方向を現世と反対にしなければ、生きる道がありません。何としても私たちは新しい歴史的な方向を提示しなければなりません。これが新しい統一の歴史的な方向性です。第3者を犠牲にしてできた世界の終末が到来したので、今までのようにしては絶対に世界に平和が訪れないのです。 私たちは十字架の道を如何にして越えるか? 自分の妻をつかんだら、自分だけを考えるのでなく国家を考えなければならず、国家をつかんだら世界を考えなければならず、世界をつかんだら天地を考えなければなりません。これを段階的に、正常的に差し支えない行路を通過していけば、すべての怨讐が待っている十字架の道は消えてなくなり、平坦な大路に入って、解放の自由が実現されて天地に平和の王国、神が願う理想世界は実現されるのです。 この世界でも神を中心とした新しいパターンを探さなければなりません。家庭での父母が子供を愛する道理が今日、人倫道徳の原則になっているではありませんか? 父母、夫婦、子女の因縁を中心とした統一教会で言う四位基台の原則に立脚した理想的な本然の形態の基準を如何にして決定するかということです。 世界をかけて統一と平和を夢見るには、こんな基本問題が残っており、これを決定せずには統一世界は訪れないのです。基本問題においての個人的な男性パターンと女性パターンを中心として家庭的なパターンを形成するところから、統一と平和の世界は実現されることを皆さまは知るべきです。 自分が犠牲になり、自分の家庭と自分の国家が犠牲になっても国家、世界が良くなり得る新しい価値観を持って出発できる、そんな思想的な体制があれば、その思想的な体制を通して新しい創建の開門が間違いなく起こるのです。 ひとつが上がればひとつは下がるものであり、ひとつが下がればひとつは上がるという法則のように、この世は罪悪の世界なので罪悪を解脱できるひとつの方向性を備えて勝利の天国を創建し得る時がやってきたのです。 包囲されたサタンの城壁を打開する秘法として、怨讐を愛せと語られました。これまでサタン世界には平等圏がなかったために、その平等圏を作る作戦が何かといえば、サタン世界で残るために犠牲になり、愛し、幸福を祈ってあげ、打たれながら打った人々を屈服させ、同じ恩恵を与えることによって、ここには完全平等圏が実現するのです。怨讐の対決圏を解消させる舞台をこのように築いてきたため、ここで初めて平和の建国理念が成立するのです。世界統一、すなわち世界平和の理想型がここから始まるのです。 天国に向かう道を短縮させようと、ここにメシアとか、ある特定の民族、特定の個人にこのみ旨の道の責任を持たせ、犠牲を払わせてきたのです。そのため、多くの聖人たちがやってきて、その位置を死でもって埋めていきました。多くの国々が興っては滅んでいったのは、この谷を埋めるためでした。そのようにして、高めたり低めたりしながら今のような平等を作りました。平等ということは、平和だということです。 本来、神の真の愛を中心として完成したアダムと完成したエバがひとつになることによって、神が中心の位置に立つことができるようになるのです。これが統一教会で言う四位基台です。この四位基台を完成すべき基盤を失ったために、どのような歴史時代を経てたとしてもこれを設定しない限り、人類の平和とか、ユートピアとか、理想世界とかいうことを描いてみても、何の役にもたたないのです。原則を否定し、原則を離れては理想郷はあり得ません。 二千年間、ローマ帝国の迫害時代に形容できない逼迫の渦中でも発展したのがキリスト教です。ローマを呑み込んでも残ったキリスト教が今日、自由主義の米国では第二次大戦以後の数十年間で、どうしてあんなに衰えてしまったのか、それは謎です。ユダヤ教が神を信じ、すべてを愛するというのに、なぜヒットラーが六百万を虐殺するのかというのです。理解できません。これが謎です。それは、宗教が進むべき本然の道を進めなかったためです。終わりの日に、民族を中心として神本然の真の愛に接触点を持たなくなる時は、サタンの供え物として完全に砕けていくのです。 それでは、何を中心としてこの世界を収拾するのか? 今日、新しい創建に力を尽くす人々も語り、現代の知性人たちも語っていますが、世界を指導し得る人間が必要だというのです。それでは、何を指導するのですか? 経済力と政治力を中心として指導し得る能力がある人々はいくらでもいます。 金がなくて、政治体制がなくてそれができないのではありません。神の理想に通じうる真の愛の秩序がないのです。本然の真の愛の秩序が世界的な基盤の上で成長できる真理を模索できるならば、そこで初めて平和の起源が、初めて私たち人間の本心が安息できる理想郷の出発が始まるのです。 真の愛というのは、始まりと終わりが同じでなければなりません。天地に神の真の愛の心情に通じる真の人であれば、十分です。平和も真の愛の心情から出てくるのです。真の喜びの心として現れる時、大宇宙は私の友となるのであり、そんな真の心情に徹して天下に対して現われるようになる時は、天下は私の心の中で踊り出すのです。これから人間世界に理想世界がどのよう訪れるのか分かりますか? 真の愛の器官を正しく扱う道理を明らかにしてあげない限り、この世は滅びます。平和の世界は訪れません。 ローマを見てください。米国を見てください。米国が金がなくて滅びるのではありません。今まで真の愛の器官の主人が誰なのか分からず、どのように由来して創造されたのかということを知りませんでした。サタンのために分かりませんでした。それを明らかにするため、天地の全ての邪悪でよこしまな性問題で、サタンがやりたい放題にしている全てを掃除するため、真の父母の名前をもって文総裁が旗を掲げて立ち上がったのです。 寒帯地方から温帯地方に風が吹きつけるので、温帯圏内のすべての木の葉は枯れて落ちるのです。それで冬になり、実まで全て落ちるようになります。しかし、その中で種、生命を持つ種は、いくら北風や冷たい雪が吹き付けても制圧されないのです。それがいくら強くても、それを突き抜けて新しい人類の平和の春の園を迎えるのです。 解放と希望の春の園が訪れるので、人類の新しい時代を迎える、その時代において真の生命の種をこの天地にまくようになる時は、緑のまま、再び冬を迎えない解放の温帯圏に進出しようというのが、統一教会の思想とぴったり一致するのです。 自分自身を是正するためには、難しい道を歩まなければなりません。南北統一するのが簡単ですか、自分の一身を統一するのか簡単ですか? 南北統一は外的にはいくらでもできます。しかし、自分自身の統一は内的に実現できません。外的に世界平和は実現できても、私自身は内的に平和を実現できません。 世界が今後、過去、現在、未来を通して進む方向が内外的に一致すれば、統一の希望はいつでもどこでも見出し得ます。 過去と現在を照合すれば、結果は必ずひとつの目的に向かって進むのです。 ひとつの目的は統一であり、平和です。ひとつの平和というのです。二つではありません。しかし、私自身が統一をいつ実現できますか? 私が統一できなくて、統一された世界を管理できますか? それは理論的に通じないのです。 そのため、根本問題に入ってみれば、統一という問題は深刻なのです。宇宙史的な問題です。 国が滅びるのは大きなことでありません。アダムの世界には国がありませんでした。自分の家庭だけ収拾すればいいのです。家庭だけ正しく立てばいいのです。結局は、良心と肉身の一体(化)と家庭の一体(化)です。夫婦、男女がひとつになることが、世界的な問題です。これがひとつになれば、世界はすべて平和の地に入ります。真の愛で解けば、世界問題は難しくありません。心身一体、父子一体、夫婦一体、子女一体をなせばいいのです。 この世は堕落した悪の世界なので闘うのです。それは心身が闘うためです。 男女は二人で闘うようになっています。それで、世界平和の基地はいったいどこか? 韓国でもなく、日本でもなく、米国と世界でもなく、天国でもありません。ほかならぬ私自身です。心身が紛争する、その基点を平和にしなければ、世界平和は永遠に存在しません。 それでは、どうすれば平和の世界が訪れますか? 第1の条件が何かといえば、ひとつになる起源を見い出さなければなりません。それを見い出せなくなる時、統一の世界とは永久にお別れです。それでは、家の中が一つになる前に、私自身がひとつになったのかと尋ねる時、ひとつになった私を発見できないのです。体と心が闘うでしょう? 男女が闘う時、幸福であり得ず、平和であり得ず、希望があり得ないのです。終わりの日になればなるほど心の分野、体の分野に分かれ、夫婦は四つに分かれてしまうのです。体と心が二つずつなので、四つになるのです。こうして互いに闘うのです。 統一教会では、神から内的統一の真の愛の動機を解いて、神のように真の愛でより人のために生きる論理的な形態を備えているため、思想界や宗教界が追随できない体系として、終わりの日において混乱した世界の平和の基地、個人的、夫婦的、家庭的、宗族的、民族的、国家的、世界的、天宙的な基地となり得るのです。 神のために生きる真の愛によって神人一体となり、天地の統一的な平和世界に向けて理想的な神人合徳をなして、幸福で、希望ある平和の世界を実現していこうというのが、真の父母の理想です。この理念に反対しては存続する人がいません。そのため、すべて歓迎するようになっているのです。 それでは今後、世界はどうなるのか? 老若男女を問わず、現在の世界に住んでいる万民はひとつの世界を願っているのです。そのひとつの世界は戦争するひとつの世界でなく、平和で自由な立場でのひとつの世界です。そこには民族分裂、あるいは人種紛争とか、あるいは文化的な格差からくる習慣的な違いによる壁のようなものがないのです。 それで世界の万民は、すべてひとつの真の愛の文化圏と対応しながら、自由で平和なひとつの国を願っているのです。平和の世界はひとつの世界です。平和の目的世界に向かうのに、二つの道があるのではありません。老若男女がすべて願う希望の世界、平和の世界はひとつの世界です。 しかし、民族を見てもその中にさまざまな団体があり、その団体ごとに主義主張が違います。大韓民国の政治風土を見ても、野党、与党、そしてありとあらゆる党が全て出てきて、皆が自分たちの道を行こうとするのです。それなので、方向がどれだけ多くありますか? ここで問題が生じるのです。 歴史が始まってから現在に至るまで、世界的な舞台でこのように平和の世界を求めながら活動してきた数多くの人々がいました。ところが、終わりに至っては、希望を持って明日のより次元が高いひとつの世界に向かって進みうる立場からコーチできる人がだんだん少なくなっていくのです。 すべての学問を超越し、社会の構成体制あるいは習慣を超越して、決定しなければならないことは、始めがどこからかということです。始めは真の神とならなければならないのです。その真の神自体が最初から過程を経て、真の神が人間を創造したなら、創造主、理想実現、その目的地まで到達できることを再発見しなければ、平和の世界は実現できないのです。なぜかといえば、平和の世界はひとつの世界であるためです。人間が進む方向、神が進む方向と、このように二つの方向があるとすれば、ひとつの平和の世界は訪れないので、不可避的に結論はひとつの方向とならなければならないのです。 そのため、人間を中心とした世界を打破し、真の神第一主義の世界に決定づけなくては、ひとつの平和の世界に向かう道を発見できないのです。心と体の世界において、平和の基準をどこに立てるかという問題が人生で最も大切な問題です。 心と体が闘っています。そのため、このような問題を考えてみると、平和の基準がどこにあるか? 世界でもなく、国家でもなく、宗教でもありません。 私自身において、体と心が絶対的に統一した平和の基準を確立することが宗教指導者であり、そのようになるためのものが、あらゆる教育、あらゆる修練、あらゆる人道主義的な目的なのです。 そのため、皆さまがいくら宗教を信じ、偉大な宗教指導者になり、ひとつのこの世界を統治する偉大な聖人になったとしても、堕落圏内の体と心の統一圏は、永遠な神とともに同じ立場の統一をなすことはできないのです。 問題は、個人基準の心情圏が真の愛の平和の起源を確立して定着させ、平和の起源を私から設定しなくては、理想的な宗教とか天国とか何とか言っても全て夢に過ぎない、というのです。問題解決は、神を中心として真の神の子女一体圏を求めるところに統一の起源があります。神は体と心が闘いません。 それでは、私たち人間はどうして体と心が闘いますか? 心身がひとつになるには、平和の大王である父と息子がひとつにならなければならないのです。 神の真の愛、真の生命、真の血統が一体となる父子の関係から、平和の起源を発見するようになるのです。父子がひとつになるには、真の愛、真の生命、真の血統がひとつにならなければならないのです。 堕落した私たちは本然の神を確実に知り、天国の理想的な環境圏を確実に知らなければなりません。神自体とみ旨から見た天国と一体になると懸命に努力するところから、父なる神のようになる道を見い出し得るのです。そこでのみ、平和の個人から天国と一体となって生きる父と子の喜びと平和の世界となるのです。そのため、今から再臨主たる真の父母がこの全ての天上世界のことを明らかにし、地上世界が一体となるようにすることによって地上、天上天国を完成するのです。 霊界に行った聖人・聖賢たちを中心としたすべての人々がこの道を願っていますが、この道は、地上の真の父母を通して真の愛、真の生命、真の血統の一体圏を教えてあげることによって、地上・天上世界が統一された世界を形成するようになるのです。 愛する祖国の同胞、そしてこの大会を見守る世界の7千万の皆さま! 人類の真の父母となるメシアが再臨するこの時代、韓半島の南北が銃剣でなく愛と真理で統一されるこの時代、世界の全ての宗教が真の父母の教えの下でひとつになるこの時代、霊界の全ての聖賢と祖先が降臨し、直接私たちと通じあって暮らすようになる歴史的で、摂理的なこの時代を迎えた皆さまは、本当に幸せな人たちです。 今こそ全人類は人種と理念、そして国境を超越して平和の世界を創建するために召命された責任を果たしてくれることを願いながら、イエス様以下の聖賢たちが霊界から送ったメッセージを紹介しますので参考にし、全体の内容は配布された冊子を通して研究されるよう願います。 天も地もともに永遠の世界で天地父母に侍り、大家族となった天上地上天国世界で、真の愛で兄弟となって平和で幸福に暮らせますように。神の無限の祝福が皆さまの家庭と国家と世界に満ち溢れますように。 ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.15
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【メッコールCM】 ハデベ牧師が、南アフリカ共和国でメッコールの販売を始め、そのコマーシャルが流れているそうだ。2024/11/10一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.11
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鮮文ピースカップ創設の意義2002年6月12日に韓国ソウルのリトルエンジェルス芸術会館で開催された「鮮文ピースカップ創設大会」で、創設者である真のご父母様が語られた基調演説文である。 尊敬する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様! 本日この席で皆様とともに貴重な時間をもつことができ、心からうれしく思います。特別に、今回の韓国と日本で聞かれている第17回ワールドカップサッカー大会に参加されるためにお忙しい中にあって、本大会に輝きを添えるためにお越しくださった指導者の皆様に深く感謝申し上げます。2 本日6月12日は、ワールドカップの開幕から13日目です。サッカーの熱気が全地球村を熱狂させています。連日の番狂わせと波乱、歓喜と挫折が交差する葛藤のドラマが演出される中で、人種と理念、そして国境を超越して、感動と友情の祝祭が繰り広げられています。 本日私たちがここに集まって、深く考えてみることは、私たちがスポーツを通して人類平和を実現しうる道を模索してみようということです。 今まで私は、聖書の記録にあるように「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」(マタイによる福音書5章9節)というみ言の実践信仰と天意に従って、宗教と学術、言論、文化、芸術、スポーツなど各分野で80余年の生涯を神に侍り、神のみ旨と理想である自由と幸福、そして平和世界の実現のために精誠の限りを尽くす一筋の道を歩んできました。 皆様もよくご存じのように、和平や平和の問題は、今までの長い歴史期間において、全世界がすべての手段と方法を動員してあらゆる努力を傾けてきましたが、ある―国家の政治力や経済力、または軍事力だけでは、完全に解決しうる問題ではありませんでした。 問題は家庭から氏族、民族、国家、世界を超え、天宙まで含めて通用しうる根本的な真理、すなわち平和の思想がなければならないのです。 真なる理想、愛、生命、血統、平和の世界は、神の創造理想であると同時に人間の希望です。 ところで理想、幸福、愛、平和の起源はどこにあるのでしょうか。それは相手のために奉仕し、犠牲になり、為に生きる所にあるのです。宇宙の存在秩序は、神のように互いに為に存在することを根本としています。 神は知恵の王であり、全能なるかたです。それゆえ、すべての存在世界で真の愛と真の幸福、そして真の平和を成し遂げるために、主体と対象が互いに為に生きるように存在させたのです。 すべての存在は二重目的をもっています。性相的な目的である全体のために生きようとする目的と、形状的な目的であるそれ自体を保存しようとする目的があります。 例を挙げると、陽子と電子の作用で原子を存在させ、その原子である陽イオンと陰イオンが分子を形成し、その分子からなる栄養素が植物を育てます。その植物が繁殖して、それが動物のえさになります。動物と植物の間でも酸素と炭酸ガスを交換します。はちと花は互いに共存します。天体を見ても、太陽と惑星が授受作用によって一定の距離を維持しながら、公転したり自転したりしています。 このようにすべての存在は、互いに為に存在しているという宇宙の根本真理があるということを私はいち早く悟るようになりました。この真理が適用される場所に真の父母がいるのであり、真の息子、娘がいるのです。 何であれ為に存在するというのは、宇宙の根本的な原則です。この原則に従わなければ、すべての幸福、平和、理想と真の愛が完成されません。 互いに為に生きなければならないという原則が、国家と民族を超越して適用されるならば、その世界は私たち人間が願うユートピア的な真の愛の世界、真の理想の世界、真の平和の世界、真の幸福の世界であるに違いありません。 為に存在するという原則を携えていけば、どこでも通じない所がありません。もし、皆様が霊界に行くようになっても、為に生きる真の愛を実践すれば、神から千年万年恩恵を受けて生きるようになり、それ以上の幸福がないということが分かるようになるでしょう。 為に生き、また為に生きる存在は、中心存在となり、そうなることによって統一的な環境や平和の世界を造成しうるという事実を私たちは知らなければなりません。 数多くの宗教があり、いくら経典が多いといっても、そのすべての核心となる教えは、「為に存在せよ」という一言に帰結されるのです。18 真の宗教、愛の宗教、理想的な宗教、幸福の宗教、平和に導く宗教とは、どのような宗教でしょうか。個人のために生き、家庭のために生き、氏族のために生き、民族のために生き、国家のために生き、世界のために生き、天地のために生き、神のために、まず犠牲になるという宗教が真の宗教であり、理想的な宗教であり、万民を平和と幸福のある所へと導く宗教です。 平和は相対的な概念から出てくる言葉です。幸福もそうです。一人では幸福ではありえません。ですから、いつでも「私」が一つになろうとするところから、幸福と平和、そして理想が始まるのです。 人の力だけでは、人間世界で平和のつながりを結ぶことができません。なぜなら、堕落した人間たちは、お互いが自分だけ良くなろうと思うからです。お互いが利用しようと考えるのです。すべて自らの利益を追求し、自分を中心として良いものをくくろうとします。ここに来られた皆様は違いますか? 指導者クラスの人々であるといっても皆、自分を中心として覇権の争奪戦を繰り広げ、自分の利益のために戦うのです。 今までの世の中では、それが本質的な私たちの生活の基礎になっていたというのです。そのように自分だけのために生きる環境によって編みなされた世の中では、戦いに終わりがありません。 ここで私たちの体の構造を見てみましょう。この目は自分のためになろうとして生まれましたか? 相手のために生まれました。口は自分のために生まれましたか? 相手のために生まれました。この耳は自分のために生まれましたか? 聞いてあげるために生まれました。鼻は自分のために生まれましたか? 手は自分のために生まれたのではありません。 ひいては、男性や女性の生殖器自体も自分のためではなく、夫のものは妻、妻のものは夫のためになろうとして生まれました。平和はそこから、すなわち、為に生きようとするところから実現するのです。母親の体は自分だけのためではなく、夫と子どものために存在するようできているのです。 一つの平和な世界、為に生きる世の中を築くために、私は家内と共に全生涯を通して、様々な方面から努力を傾けています。 その中でいくつかの代表的なものを例に挙げると、人種、宗教、国境と言語の障壁を超越して、超宗教、超国家、超NGO、超与野の教育活動をしてきました。また、世界平和統一家庭連合では、真の家庭運動と純潔運動を展開してきました。 学術分野では、アメリカのプリッジポート大学と韓国の鮮文大学を中心に平和思想の教育と実践運動に力を尽くしています。さらには、言論分野ではアメリカのワシントン・タイムズ新聞社とUPI通信社、韓国と日本では世界日報、そして南北米のすべての国家をカバーする報道機関を設けましたが、これら言論機関が世界を一つに結ぶことに大きく寄与するでしょう。 本日はサッカー人たちの大会です。今、韓国ではサッカーの熱気がいつの時よりも高まり、世界の人々が一つの祝祭の雰囲気の中に包まれています。しかし、究極的にスポーツ世界が進むべき正道の道とは、世界の人を和合と平和の道に案内することです。 時には、過熱した競技が、お金や権力と結託して純粋なスポーツ精神が薄らいでいないか心配になる面もなくはありません。選手たちの金銭的な価値がとてつもなく高いとか、独占資本家の横暴のようなことはないか、よく見守らなければなりません。 私はスポーツを通した世界平和の実現のために、韓国でいち早く一和プロサッカー団を創立し、鮮文大学でもサッカーチームを創立し、韓国のサッカーの発展に大きく寄与してきました。またプラジルにもセネ・プロサッカー団とソロカバ・プロサッカー団を運営しています。 このように、私がサッカーチームを運営するのは、単純なビジネスの次元を超えて、スポーツを通して世界平和に寄与しようというものです。 本来、サッカーはイギリスで始まりました。イギリス貴族の子弟だけが通ったイートン・スクールで将来の指導者を養成するにあたり、知識だけでなく体力を増進させるために考案されたものですが、チームワークを重視した魅力ゆえに大衆的なスポーツとして定着し、発展するようになりました。 特に、サッカー競技は個人の技術がいくら優れていても、チーム全体が支えてくれなければ勝つのは困難です。ボールは丸くて、あちらこちらに転がりますが、同時に正直だというのです。ボールは選手が蹴る所にだけ行きます。ですから、サッカーには正直さとチームワークを重視する原理が隠れています。 サッカーには既得権をもつ層による利益分配のトリックもなく、ゴールインするのに順序もありません。サッカーは大国や小国、強国や弱国に関係なくゴールインを通して、皆に喜びと幸福を与えます。サッカーにはチームプレーから醸し出される躍動的なハーモニーがあるだけです。 サッカーをはじめとして、すべてのスポーツと遊技文化は、人類の歴史とともに発展してきました。本来、スポーツは頑強な体と安全な社会を維持するために始まり、今日、数十他人の暮らしを楽しく豊かなものとしています。そのようなスポーツを通して、万民の平和に寄与できる多様な方法を模索しなければなりません。 世界は新千年を迎えました。情報と技術の画期的な発展を通して、地球村は一家族という概念が現実のものとなっています。しかしながら、一方では道徳的な危機を迎えるようになり、精神的な価値の崩壊の危機に直面したのも事実です。 今日の享楽主義と青少年の自己中心的な価値観を克服するために、スポーツ特有の建設的な代案を提示する必要があります。 スポーツには公正な競争の法則が適用されます。闘争と競争は概念が異なり、次元が異なります。闘争は、腕力や武力、または物理的な力で相手方の存在を否定し、抹殺しようとする残忍、かつ殺伐としたものです。それは動物の世界にある弱肉強食の法則と同じものです。 しかし競争は違います。スポーツではルールを定めておいて規定に従って優劣を決します。スポーツ競技では多くの人々が見守る中で、選手たちが正々堂々とした態度と公明正大な精神で、各自の技術と才能、そして力を競うのです。ですから、審判の公正な判定を受けるわけです。 ゲームで最も重要なのはフェアプレーです。 遵法と準則です。反則とファウルは減点になり、退場になり、権限が剥奪され、その選手は処罰を受けます。 世界的な競技で、運動選手たちは、個人と国の勝利と栄光のためにすべての力と精誠、そして勇気を尽くして全力投球します。それで勝利した選手には、金メダルを首にかけてあげ、嵐のような拍手喝采で祝い、国旗を掲揚しながら、国歌を斉唱してあげます。その選手にとって、その瞬間は感激の極致であり、栄光の頂点であり、その光景を見守る人々すべての祝宴です。 スポーツの世界では競争で負けた者たちも、勝利者の労苦に対して、自らの心残りは後にして、心から拍手を送るという美徳があります。ですから、スポーツには美しい友情の香りがあり、同志愛があります。 選手はスポーツマンシップを守るときに美しく、勝利に向けて「百錬千磨」の努力と血のにじむような汗を流さなければならず、名技と神技の境地に到達しなければなりません。公正と秩序、そして礼節の徳を修練しなければなりません。 ですから、スポーツは現代社会に大きく貢献しました。人間の心身を健康にし、競技の技術により楽しみと感動を与えました。特に、スポーツは宗教のドグマや政治的なイデオロギーを跳び越えることができ、だれもが一つになることができ、さらには全世界の人の心を一つに結ぶ和合と平和の饗宴です。 冷戦時代が終息はしましたが、世界は依然として苦痛の束縛から抜け出せずにいます。アメリカでの9・11同時多発テロが示すように、民族の紛糾と宗数的な葛藤で世界が苦しんでおり、地球環境は破壊の一路にあります。未来に責任を負うべき青少年たちは、冷笑的に変わっており、一部は物質主義と享楽主義に心酔したり、麻薬に溺れて非行に走ったりしています。 そのような諸般の問題を解決する方案は、先ほどもお話ししたように、正しい真理、すなわち互いに為に生きるという理想的な真理にスポーツ精神を接ぎ木させ、その精神を実践して和合と平和、そして統一の世界を創建することです。 このようなわけで私は今回、平和世界の創建を願って鮮文ピースカップを制定したのです。鮮文(Sun Moon)ピースカップは、太陽と月のカップ、天地父母のカップ、平和のカップです。純粋と純潔を象徴する光で、永遠に光り輝かなければなりません。 解文ピースカップは、神を抜きにして単純に興行性ばかりをあおり、スターだけを誕生させた既存の他のカップとは区別しなければなりません。神をはっきりと知り、霊界の実相について詳しく知って、平和の正道を選んでいくべきでしょう。 鮮文ピースカップは、神が理想となさった創造本然の世界を築くための宗教と科学、政治と経済、女性、青年、体育など各界各分野の努力を一堂に集めて、人類が一つの大家族となることを念願する祝祭の一場面を繰り広げるカップとなるでしょう。特別に人種、国家、民族、宗教、理念の壁を超えて、神の真の愛を中心として真の平和の理想に向かって出発する始発点になるという点で、実に重要だと言えるでしょう。 この鮮文ピースカップは、人類の健全な精神世界はもちろん、霊性の開発とともに人類共同体の和合と調和を織り成す祝祭の場を開くカップであり、神の創造理想を中心として平和と自由、そして幸福の世界を開いていく一つの心と一つの家族、そして一つの心情の場を開くカップとなるでしょう。 最後に、ここにお集まりになった皆様はすべて、解文ピースカップを発展させるにあたり、ペレ財団とFIFA (国際サッカー連盟)とともにすべてのご協力とご指導を惜しまぬようお願いするものです。皆様と皆様のご家庭に神の愛と祝福が満ちるようお祈りいたします。・ありがとうございました。▲2002年 06月 04日 サッカーの皇帝、ペレ、真の父母様を表敬訪問一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.11
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第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.3/3)二〇〇二年六月十一日(陰曆五月一日)、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 去る六月十一日(陰曆五月一日)、第四十回「真の万物の日」の記念式典が、韓国の天宙清平修錬苑で行われました。 午前七時からは敬礼式が、午前九時からは記念礼拝が、共に天城旺臨宮殿の大聖殿で行われました。記念礼拝では、み言に先立ち、一九六三年七月二十六日(陰暦六月六日)に、真のご父母様が「万物の日」を制定された(日付は陰暦五月一日と決定され、一九九四年の「父母の日」以降、名称を「真の万物の日」と改められた)ときの真のお父様の祈祷と、その際に発表された「頌歌」、そしてみ言が、郭錠煥先生によって訓読されました。 このみ言は、み言の訓読の後、真のお父様が語られたもの を翻訳し、整理、編集したものです。 (文責・編集部)文鮮明先生御言選集 20020611 - 第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.1/3)文鮮明先生御言選集 20020611 - 第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.2/3)Family 2002.8 32~ (韓国人食口に向かって)さあ、ここに座っている耳の聞こえない人たち。皆さんは、なぜ、皆……。先生が、日本語で語るときには、韓国語でも通訳しているのに、なぜ、イヤホンを持っていないのですか? お互いに授け受けしなければならないでしょう? 準備もせずに……・。 皆さんは、”先生は、与えることを好み、もらうのが嫌だ。”と考えているのではないですか? そこ、分かりますか? 寝るなというのです。 昼の十二時以降に食事をしては時間がないので、1 時間以内に、全世界から集まった人たちと会議をするようになっているのですが、その会議の時間を撤廃することにします。 今から、その会議の骨子の内容を話すので、ノートを出して書き留め、忘れずに、それを一日に十回、百回、吟味しながら覚えるようになるときには、今後、行く道が、すべて開かれるのです。アーメン。(「アー メン。」)(拍手) 皆さん。イーストガーデンに行ってみたことがある人は、手を挙げてください。米国のイーストガーデンです。イーストガーデンに行ってみたことがある人は、多くありませんね。行ってみたいですか? チケットを買って、飛行機に乗って、来てください。(笑い)なぜ笑うのですか? 必要ならば、わたしが招待 してあげるかもしれません。招待してあげれば、来ますか? (「はい。」)そのように有名ですか? (「はい。」) 世界の大統領までが、「会おう。」と言ってきても、先生は会ってあげないのに、皆さんは、その人たち以上にりっぱですか? 先生に、たくさん負債を負ったでしょう? 負債を負いましたか、負っていませんか? 負債をたくさん負いました。 目の負債、鼻の負債、口の負債、耳の負債、手の負債、心の負債、体の負債、すべて負債を負いました。それは、自分の財産を売って返しても、返すことができません。それを知っているので、天下は、間違いなく先生の教えの前に一つになることができるのです。 「総生畜献納物」をしないと、天国はできません。アダムとエバが祝福を受ける前には、結婚する前には、すべての所有は、神様のものでした。それは間違っていますか、正しいですか?(「正しいです。」) 神様と、愛と生命と血統が一体となり、一つの体となった後に、アダムとエバに相続権があるのです。分かりますね? ところが、祝福も受ける前に、サタンの血筋を受け継いだので……。 主人が神様であられるにもかかわらず、サタン、悪魔の血筋を連結させて、それで配当を受けた所有意識を持っているのは、神様が嫌われます。また、家庭を持っていること自体を嫌われます。 それで宗教は、出家を命令するのですが、それは、すべて抜け出しなさい。”ということです。自分の先祖まで……。それから、「結婚をせずに、独身生活をしなさい。」というのです。 それゆえに、仏教も独身生活、カトリック教会も独身生活です。神様の所有権と、完成した“主人”となったアダムとエバの所有権が、すべて復帰されて戻ってきて、神様の公認と真の父母の公認を受け、祝福した血族に分けてあげるようになるときに、皆さんの所有になるのです。それが、天理の道理です。 先生が教えてあげたことは、方便的道理ではありません。(録音が一部途切れる)分かりますね?(「はい。」) 皆さんが、学校を建てますか? 言論機関をつくりますか? 政府機関を新しくつくりますか? ここ (天城旺臨宮殿)は、何ですか? 王の基ですか? 王城です。天の城です。天の城の中には、王宮に侍る民が暮らすのです。城と同じです。「城」という字があるでしょう? それから「旺臨」です。「旺」という字は、「日」偏に……。 本来、旺臨するときは、「木」偏の「柱」という字を使わなければなりません。「日」偏なので、明るい”というのです。明るい王者です。"明るく臨んだ「宮殿」”です。天城に……。 神様の宮殿だけではありません。天の国の宮殿が、輝かしく定着する所なので、ここから天の国の入籍式が展開しているのです。そうですか、そうではないですか? 入籍式の標題は、何ですか? 三時代……、何ですか? 小山田氏! (「『三時代大転換四位基台入籍統一祝福式』です。」)「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」です。全体を表象するのです。それは、遊びごとを宣伝するように、何の根拠もない内容ではないというのです。 根本がないのではありません。神様の胸に千年、万年の間、願われていた願いが、解消されるのか、再び恨として残るのか、その怨恨の標題が宣布されるという事実を知らなければなりません。今から、世界のすべてが……。 国連を通して決定する日には、一時に大移動が展開し、そのときに、この韓国人たちは、すべて……。全世界の統一教会の祝福を受けた公職者たち、指導者たちが皆、走り来んで来るときには、自分の財産を売って、韓国の地を、その価値の十倍以上を与えても、買って、入って来ようとするのです。 そのようにしようとすれば、この反対する既成教会や、自分勝手に暮らしていた人たちは、島国に追い出すことはできないので、しかたなく、南米の第三国に移動するということが起きるのです。分かりますね? 分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」) それで、その標題が、今回、何であるのかというと、わたしたちは、今まで国のなかった民です。そうでしょ う? 「皆さんは、どこから来たのか?」と言えば、「日本から」、「米国から」、「ヨーロッパから」と、そのようなことを言うのですが、それは違います。神様の眼中には、日本の国もなく、米国という国もなく、ヨーロッパという国もありません。 そのようなところにおいて、真なる家庭の出発を真の父母から始めるのです。真の父母の家庭を中心として、真の父母の血族を通して、真の父母の一族、真の父母の民族、真の父母の世界です。三億六千万双です。 どのような国よりも大きな国を持つことができ、天と地に、数千億の祝福を受けた基盤ができています。 ですから、神様王権樹立をしたので、今からは、神様が定着されて、その御前で、天下に命令することができる主体的な王になることができるのです。 ですから、堕落していなければ、霊界の地獄も、楽園もありません。天国だけがあるはずでしたが、今回、先生が行く前に……。 今、霊界では、大掃除作業が展開しています。先生は、遠からず地上から天上世界に行きますが、その時のための天国の民が、まだ準備できていません。待っているのです。 ですから、そのために、百日修練を通して、四十日間……。新しい霊をつくって、霊界で祝福を受けるようにして、先生が帰ってくる日を待っているということを知らなければなりません。再整備です。 、偽りの父母によって楽園が生じ、地獄が生じたので、真の父母の責任は、これを整理して、神様が、清い地上、天上天国、統一的天国の前に、一つの主権を中心として、万世において、永遠不変の統治者になら れるようにすることです。 また、万国が、千世、万世の“太平聖代(徳のある君主が治める太平な世の中の時代)」を整えて、神様が、栄光と栄華の文化の主人となられるようにすべきなのが、真の父母の責任です。 本来、そのようなことが、神様の創造理想であったのではないでしょうか? その世界に戻っていかなければなりません。再創造しなければなりません。 皆さん。「家庭盟誓」を知っているでしょう? 一番目は、何ですか? 一、二、三、四、五、六、七、八。それを一つだけしても、天上に帰っていくことができます。八つも必要ありません。その内容が、どれほど、とてつもないものでしょうか? 霊界に行ってから、天の国の神様がいらっしゃる本殿に行き、神様の御前に行って、そこで暮らすことができなければ、どうするのですか? 城の外に追い出され、どこかに行って暮らそうというのですか? そのようになれば、今まで、四大聖人をはじめとして、霊界に行っている、各文化世界の国家を超えて指導したすべての歴史的な人たちから指弾されます。彼らには、通告しておいた記録が、はっきりと残っているのです。 ですから、霊界に行けば、彼らから「あなたは、統一教会を信じてきたのなら、このような内容をすべて聞いたか、聞いていないか?」と尋ねられることでしょう。それに対して、「聞いた。」と答えるならば、「それでは、なぜ、実践しなかったのか?」と評されるのです。 孔子に会えば、このように言われ、イエス様に会えばこのように言われ、釈迦、マホメット、ソクラテス、共産党員にまで、「あれほど懇切に叫んで、証ししたのに、何だ? この女め! 私たちの目の前から、消えなさい。」と……。 彼らの先生になり、姉になり、兄にならなければならないのに、この姿は、何ですか? どのようにして、それを避けるのですか? 無事に通過できないというのです。歴史上に、初めて真の父母が現れて、天上世界の秘密を、どれほど子孫に伝えたいと思っただろうかというのです。 霊界の地獄に行った人たちは、「自分たちのようになって、ここに来てはいけない。」と言いたいのです。そのような、先祖としての子孫に対する責任を感じた人は、だれもが、“生きてできなかった。”という恨を抱いてきたのですが、真の父母は、そのような恨をすべて……。 何と言うのでしょうか? 垣根を壊してしまったのです。そして、「世の中が、わたしたちの世界になったのだなあ。」と……。共産世界から地獄に行った彼らを、皆、神様の命令によって……。 先生の命令ではありません。先生は、霊界に行った統一教会の責任者たちに指示して、神様の命令を受けて、セミナーを開き……。「セミナーの報告を中心として、真の父母の前に報告しなさい! 報告すれば、間違いなく、わたしが宣布してあげよう。」と言ったのです。 偽りの父母がつくったので、真の父母が責任を持って、地の果てまで、そのことを宣布することを始めたのですが、それが、今月の二十一日の「天地父母統一安着宣布大会」です。今、世の中は、このようになっているのです。ですから、今回の、このワールド・カップが問題でしょうか? それが、問題ではありません。 歴史始まって以来、存在せず、夢にも願い、成し遂げることができなかったものが現れ、世界に宣布大会を行って、「天地父母統一安着宣布」をするようになれば、その父母によって祝福を受けた人たちは、安息するようになります。 そうして、その安息した場に、国と国、そして国と世界が一つになることのできる橋が、さっさっさっと架けられ、今から大建設が展開するのです。 霊人たち、聖人、聖子たちが来て、自分の先祖を中心として、世界を救うための橋を架け、天上世界と地上世界が一つになった場において、一つの国が生じるのです。あたかも、心と体が一つになっているかのごとくに作り上げるための、差し迫った時期が来ました。 分かりますね? 分かりますか? (「はい。」) その骨子が何かというと、その骨子はたくさんあります。"個人完成は、このようにすべきである。”というもの。個人と言えば、たくさんあるのですが、その骨子は、イーストガーデンにさっと入っていけば、正門に掲げられた「勝恨成就」という言葉がありますが、それが、そうです。それは、「恨に勝利して、摂理のみ旨を完成しなさい。」ということです。 それは、“解放的蕩減 復帰完成を成して、堕落していない本然のエデンの園で、アダムとエバが、神様に侍って暮らしていた、そのような直系子女の立場に立ちなさい。”ということです。そして、食堂には何があるのかというと、「一心定着」です。「一心定着」という標語があるのです。 それは、数十年間、掛けてあるのですが、それについて尋ねてきた人が、一人もいません。その答えを、今、話してあげているのです。分かりますか? 「一心」という言葉は、わたしたちではなく、神様のことです。神様は、心と体が闘いますか、闘いませ んか? 闘いますか、闘いませんか? 神様の心と体は、闘いません。神様の思想が行ったり来たりしますか、一つになっていますか? 分かりますか? ”一心一体一念”です。 それを神様側から見れば、三つが蘇生、長成、完成でなければならないものを、三数を代表して、「一心定着」という言葉が書かれているのです。 だれでも、心と体が一つになり、心と体が一つになったところにおいては、思想が一つになっています。それでは、その思想とは、何でしょうか? わたしたちリトルエンジェルスの教育標語であり、新聞社の標語であるものが、何でしょうか? 愛天。言ってみてください。(「愛天。」)愛天。(「愛天。」)愛人。(「愛人。」)愛国。(「愛国。」)これが、三大原則です。 「愛天」とは、何のことであるのかというと、縦的な天の国のことです。わたしたちの心の国です。分かりますか? 「愛人」とは、何かというと、横的な地上の国のことです。天の国と神様と"縦的な父”と“横的な父”が、定着しなければなりません。定着する所は何かというと、国です。家庭なのです。分かりますか? 家庭です。 神様の考えの中では、何を中心としてでしょうか? 真の愛を中心として、”一心一体一念”が一つになり、家庭を中心とする生活を出発するということが、思想的なすべての核である、ということです。 皆さんも、そうでしょう? 男性と女性が、どのようにすれば、息子、娘を生んで幸せに暮らすことができるのでしょうか? それが、国よりも、もっと心配でしょう? その時は、国がありません。国が始まりだからです。ですから、"一心”、それから何ですか? 何ですか、次は? "一心”! (「〃一心”!」)”一体”! (「”一 体”!」)"一念”! (「”一念”!」) 「一心」とは、何であるのかというと、「愛天」です。「愛天」は、「天を愛しなさい。」ということです。「一心」の「心」は何かというと、「人類を愛しなさい。」ということです。そうではないですか? 「愛人」、「愛国」は何かというと、家庭を拡大したものです。「家庭を愛しなさい。」ということです。男性と女性の願いは、すべての骨子、主流が、一心一体一念”の思想である、ということです。分かりますね? (「はい。」) 分かりますか? (「はい!」)ですから、きょう、標題を言うとき、「『一心、一体、一念』安着」でもかまいません。「一念」は、「神様と天宙のことである。」と言えば、すべてでしょう? 神様の家ですから、そこには、万物世界、天地、すべて入っています。それは、天宙人の主流思想です。分かりますか? 一度、言ってみてください。"一心”。(「”一心”。」) "一体”、(「”一体”。」)、”一念”。(「”一念”。」)それが一つになったので、「安着」を抜いてもよいのです。 「”一心一体一念”安着」、それから、"一心一体一念”は、神様と天宙人の、天地の家、人………。すべて入っています。被造万物がすべて入っています。天宙人の主流思想です。はっきりしましたか? (「はい。」)…… 一度言ってみてください。"一心”。(「”一心”。」) "一体”。(「”一体”。」)〃一念”は……、(「〃一念は”。」) 神様と天宙人の主流思想です。(「神様と天宙人の主流思想です。」) それ以外にはありません。そして、その完成の標準ができているので、男性も、女性も、息子、娘も、そのまま神様とともに行くことができるのです。それを横的に三代圏、四代圏に入っていけば、多くの繁殖が成されます。 三代圏を超えていかなければなりません。それは、 原理を聞いて知っているはずです。三代を持つことができなかった神様が、三代圏を超えて、四代から種を取り、それを万国にまくことによって、"一心一体一念”、一体となったものは、神様と天宙人たちが、すべて主流思想となって、天の国に直行して行くことができるのです。アーメン。(「アーメン。」) それで、皆さんの心と体が、一つになりましたか? 別々です。これが病弊です。ナイフを、自らの胸に突き立てるようにして誓い、何があっても、一つにならなければなりません。 それを知らなければなりません。日本のメンバー、分かりますか? 分かるでしょう? (「はい。」)それゆえに、“心と体が一つになっているのか?”ということが問題です。 ですから、率直でなければなりません。父母の前でも、師の前でも、国の前でも、率直でなければなりません。二つになってはいけないというのです。神様も、心と体が闘いますか? 神様が闘いますか、闘いませんか? (「闘いません。」) なぜ、人間は、このようになったのでしょうか? 血統が変わったのです。大変です。それは、死ぬことよりも、もっと大変なことです。 ですから、先生もそこにぶつかって、解決方案を講究したのですが、その結論が何かというと、「宇宙主管を願う前に自己主管の完成」ということでした。そのような標題を立てたのです。分かりますか? 大変なことです。そのような標題を立てて、自分の心と体が分かれて……。 さらには、眠りの問題、食べる問題、愛の問題です。いつも、二またです。 どこかに行けば、よいものを食べようとし、よいものを着ようとし、体が願うものを第一主義にします。それを引っ繰り返さなければなりません。 最後には、自分の愛する妻と息子を怨讐に抱かせてあげて、さらにその福を祈ることができる心まで持たなければ、神様の心情圏は分かりません。何のことか、分かりますか? それは、絶対に難しいことです。しかし、その絶対難しいことができなければ、復帰摂理は成されません。 もう、何のことか分ったでしょう? ”一心”、"一体”、“一念”は、韓国人は、説明しなくても分かっているというのです。神様と天宙人は……。(「韓国語でお話ししてください。」) 日本語で「かみさま」というのは、神様のことであるということを、皆、知っています。「てんちゅう」というのは、天宙のことであり、「人々の主流」と言うときの「しゅりゅう」というのは、主流思想のことです。 そのように、日本語で話しても、韓国人が分かるようになっていて、韓国語で話しても、日本人の六〇パー セントが分かるようになっているので、そのように怨讐視せずに、交差結婚さえすれば、三代以内に一つの国、天下統一するのです。アーメン。(「アーメン。」) "そのようなことを願う。”という人は、両手を挙げて、目をつぶって誓いましょう。(「アーメン。」)目をつぶって…… なぜ、目をつぶるのかというと、神様とあなたの二人が、約束するということです。先生も、必要ありません。そのように約束した人は、間違いなく、力いっぱい手を下ろしてください! 手を挙げてください! 手を挙げてください! 挙げたので、決心する人は、手を、力いっぱい下ろしてください。(笑い) そのくらいすれば、よいというのです。わたしは、力を入れたので、ひざが固まりました。さあ、そのくらいすれば……。 もう、昼食の時も過ぎました。午後一時です。わたしも、もう昼食を食べて、出て行かなければなりません。皆さんも、できるかぎり早く出て行くのです。リ トルエンジェルスで行われるエンターテインメントに参席しなければなりません。 さあ、立ち上がってください。 (「統一の歌」を全体で歌う) (「梁昌植会長の先唱で、万歳三唱いたします。」) (万歳三唱) 皆さん、アンニョン! さよーなら! グッド・バイ! (笑い)(拍手)(敬拝)41 Family 2002.8<完>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.10
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第1168回 天心苑特別徹夜精誠 (11/08)真のお母様と大母様(信仰告白-大母様育成メッセージ)2024/11/8天心宛徹夜精誠ウィークリー中(※字幕<自動翻訳>をONにて)효정간증孝情証アラキイサク(孝心生歌)2024/11/8in chongpyong효정찬양-어머니의 약속(お母様の約束)2024/11/9in chongpyong一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.08
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天の父母様に喜びをお返しできるサッカー選手を目指してー証ーアラオ・ヒョンス韓国40日修練生ー1080回天心苑特別徹夜精誠2024/11/07天心苑TVは韓国語、日本語、英語の字幕を提供しています。ユーチューブの日本語字幕をオンにしてください。천심원TV는 한국어, 일본어, 영어 자막을 제공중입니다. 유튜브 자막을 켜세요.Cheonsimwon TV provides subtitles in Korean, Japanese, and English. Please turn on the YouTube subtitles.一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.07
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第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.2/3)二〇〇二年六月十一日(陰曆五月一日)、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 去る六月十一日(陰曆五月一日)、第四十回「真の万物の日」の記念式典が、韓国の天宙清平修錬苑で行われました。 午前七時からは敬礼式が、午前九時からは記念礼拝が、共に天城旺臨宮殿の大聖殿で行われました。記念礼拝では、み言に先立ち、一九六三年七月二十六日(陰暦六月六日)に、真のご父母様が「万物の日」を制定された(日付は陰暦五月一日と決定され、一九九四年の「父母の日」以降、名称を「真の万物の日」と改められた)ときの真のお父様の祈祷と、その際に発表された「頌歌」、そしてみ言が、郭錠煥先生によって訓読されました。 このみ言は、み言の訓読の後、真のお父様が語られたもの を翻訳し、整理、編集したものです。 (文責・編集部)<「文鮮明先生御言選集 20020611 - 第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.1/3)」からの続き> あなたは、新聞記者ですか? なぜ、そこに座っているのですか? 何かの鑑定班のようですね。(笑い) わたしは、言論人で、会ってみた人がいません。イギリスのBBCの編集局長が、韓国統一教会の青坡洞本部に訪ねて来て、インタビューをするというので、「イ ンタビューをして、何をするつもりなのか? 統一教会の手助けをしようというのか? 統一教会のために来たのか? この人は、出世するために、BBC会社の商売のために来たのではないか? なぜ、会おうというのか?」と言ったのです。 わたしは、言論人で会ってみた人はいません。数多くの言論人をつくって、"下人暮らし”をさせています。 UPI(通信)、世界で指折り数えられる人でも、いつだれを呼んでも、さっと飛んでくるようになっているのです。 日本の有力なマスメディアの人たちが、米国の大統領の記者会見のためにワシントンに行ってみると、会見席のいちばん前に座っている、いちばん上席の新聞社は何かというと、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ワシントン・タイムズです。 ところが、ワシントン・タイムズが、その真ん中に座っているのを見て、「あの真ん中に座っているのは、何新聞だ?」と耳打ちするのですが、それに対して、「それを知らないのか? ワシントン・タイムズ、レバレンド・ムーンに関連の新聞社だ。」と言うと、「ええ!」と言って驚いています。 まったく、皆……。知らなくて驚くのもよく、知って驚くのもよいのですが、知らなくても驚き、知っても驚く者たちが、なぜ大騒ぎしているのでしょうか? 優れた者、愚かな者、何が優れていて、愚かであるのか分かりません。何を知っているのですか? 愛を知っていますか? 真の愛です。分かりますか? それは、そのような特権があるのです。なぜ、特権があるのですか? そこに落ちれば、だれも出てくることができない力を持っています。抱き抱えるその味わいが、どれほど強いか、細胞も、すべて列を成して伸びていくのです。 真の愛は、そのようにできる力を持っているので、その力は、すべてを分析することができます。真の愛は何かというとき、説明することができるというのです。 さあ、ですから、神様も祭壇が必要なのですが、真の愛の祭壇がいくら大きくても、このくらいのものが一つだけあれば、手を出してしまえば、手を離すことができません。 あなたは、結婚していますか? (「はい、しています。」 )わたしが約婚してあげて、結婚したのですか? 皆さんが……。(「祝福を受けました。」)では、最初に女性と出会ってデートするとき、手を触ったときに電気が通りましたか? (笑い)尋ねているではないですか? 笑ってはいけません。常識的な話をしているのに、なぜ、笑うのですか? 電気が通って、何の感情もありませんか、鼻が開きましたか、目が閉じましたか? (「大きく開きました。」) おお! わたしよりも良いですね。(笑い)深刻なときは、目を閉じますか、目を開けますか? 驚くときは開きますが、深刻なときは、どうですか? 皆さんは、妻と愛し合うとき、愛する妻の顔を、目を丸くして、こうして、こうして見詰めますか、目を閉じますか? 答えなければならないでしょう? (笑 い)答えずに笑ってばかりいて、それでよいのですか? それでは落第でしょう。 さあ、このような話をしていては、一日たっても……。皆さんが、ご飯を食べなくてももっと聞くのが良いと言うので……。わたしには、そのような魅力があるというのです。魅力です。心から離れず、味わいのあるのが魅力です。 それでは、妻が好きですか? (「はい、好きです。」) 何が好きなのですか? (笑い) こうであるからと……。何が好きなのかというのです。(「すべて好きです。」) その中で、何が好きですか? 目が好きですか、鼻が好きですか、何が好きですか? (「心が好きです。」) 何ですか? (「心が好きです。」) 愛が好きですか、心が好きですか?(「愛が好きです。」)愛ですか? 心ではなくて、ですか? (「心も好きで、すべて好きです。」)ですから、どちらが一番なのか、というのです、この人は。統一教会の子供たちは、そのようなことを、すぐに答えることができてこそ、どこに行っても好待遇を受けられるのです。 ここには、優秀な人がたくさん集まっているので、わたしが選んで、話をしてあげているのです。では、ここに来た人たちは、愛が好きですか、心が好きですか? (「愛が好きです。」)わたしは、心が好きです。 (笑い)そのように言えば、「あの狂った先生。荷物をまとめて出て行こう。」と言って、皆、出て行くという のです。 いくら騒いでも、「好きなものは好きだ。」と言うときには、「悪口を言われても、好きだ。」と、そのようになるのです。分かりますか? 教育は、良い話ばかりをして教育すれば、よいのですか? わたしのように、激しくたたいても、ばたばたはって行きながら、喜んで、笑いながらはって行けば、よいのです。そうでしょう? それが幸福な人です。逃げて行きながらも、喜んで……。 他の人は、“死ぬ。”と思って、目を見開いて逃げて行き、五官が麻痺して逃げて行くのですが、笑いながら、ふわふわ踊りを踊り、「やあ、このようにすることができるのだなあ。」と言えば、それは、幸福な人です。 何が好きですか? (笑い) (「愛が好きです。」)愛が、どこにありますか? (笑い)愛が、どこにあるのか知らなくても、「愛が好きだ。」と言うのならば、どこにあることを好みますか? (「生殖……。」)これはまた、何ですか? 生、生殖……。(小さい声でまねをされる) 大きな声で言わなければならないでしょう? (笑い) 生殖器が愛ですか? (笑い) 笑いごとではありません。 率直でなければなりません。率直は、万国の法に通じます。はっきりと教えてあげるために言うのですが、 日本人は、得意げに、"自分たちは何でもうまくできる。”と考えているようですが、そのように考えてはいけません。できないことはできず、上手なことは上手だと教えるのです。 日本人の愛が、生殖器……。生殖器が、どのようになっていますか? 愛を見れば笑うのですが、生殖器を見て笑いますか? 愛を語れば、男性も女性も皆、笑うのですが、男性と女性が生殖器を見れば、笑いますか? 尋ねているではないですか? わたしも分からないので、尋ねているのです。(笑い) 答えに困るでしょう? 笑うこともでき、笑わないこともできます。では、笑うときが多いですか、笑わないときが多いですか? それでは、愛するときが多いですか、小便をするときが多いですか? (笑い)それをどのように答えたらいいのですか? 笑ってはいけません。 そのようなことを、すべてわきまえて、天地の善なるものを、すべてをわきまえたので、今日の世界のえたいの知れない者に対しても、「やあ、この男と女たちよ! わたしの言うことを聞きなさい。静かにしなさ い!」と言えるのです。 わたしは、そのように生きています。なぜでしょうか? 尋ねれば、三言も答えることができない者たちに、何ができるのですか? では、皆さん。文総裁に出会ったことは、良かったのですか、悪かったのですか? (「良かったです。」) 何が良かったのですか? 悪口を言われたではないですか? (統一教会に入ったことによって)追い出されたでしょう? (入教した子供を) 親が拉致していくのです。まったく、日本でも、親によって四千人近い拉致事件が……。 米国の国務省には、そのような問題に関連して、日本人が野蛮の中の野蛮な民族であるという材料が、このように積んでおいてあるのです。それを持って来ましょうか? 文先生が、何も知らないで悪口を言われていると思いますか? ライオンは、アフリカの暑い平原の中で、一尺以上高い所に座っても眠るので、自分に関係のない話は聞こうとしないのです。自分の所属ではないからです。 分かりますか? ですから、悪い話を知って、何になるのですか? 自分が生き死にする世の中で、地獄の祭物で倒れていく……。それは、倒れていくようになっています。さすがの文総裁も、悪口を言えば、闘い疲れて、いなくなると思ったでしょう? 言論界が四十年の間、反対をしても、文総裁は、どんどん大きくなっていきました。どんな人であっても、言論界から一月間だけでもバッシングされれば、逃げて行くと思いますか、思いませんか? 文総裁は逃げて行きません。 真っ暗な夜に、黄金の光が稲光のように輝いて、それが敵地の監獄の中に入っていったからといって、その黄金の光が白くなりますか、変わりませんか? 変わるでしょう? どうですか? 答えてみてください、 日本の人たち。 日本が、どれほど変わりましたか? どれほど変わったか分かりません。変わったものをもって、変わったものを中心として築き上げても、それは無に帰してしまうのです。すべて無駄骨です。 その消耗したものは、すべて文総裁の前に過ちを犯したことになるので、蕩減しなければなりません。それで、反対され、蕩減したすべてのものを積み上げて、れんがの家を建てるのですが、それが、今や高い建物となりました。ですから、今からは、わたしについて来ない人は、いなくなるようになっているのです。 ところで、ここには、日本の人と韓国の人が集まっているのですが、なぜ、わたしが大騒ぎしているのですか? 何があるといって、何が得るものがあるといっ て……。お金がもらえるのですか、おもちがもらえるのですか? 何がもらえるのですか? このような話をすれば、"ああ、教主ともあるべき人が、公的な席に出て生殖器の話をし、悪口を言い、ありとあらゆる話をしている。わたしの国では、そのような法はない。”と思うかもしれませんが、そちらの法のほうが”滅びる法”なのですから、なくてかまいません。 この世の中では、十ドルで「こっちに行きなさい。」、「あっちに行きなさい。」と言い、行かなければ問題が起きるでしょう? それでは、日本人も、文総裁が必要ですか? “文総裁が必要である。”という人は、手を挙げてください。皆さんは、なぜ、他の人を見てから手を挙げるのですか? なぜ、顔を横に振ってから手を挙げるのですか? あの人も、そうです。高い所に座って、そのように振り返って見ているのですか? 自分の心に尋ねて手を挙げるのでしょう? このように、きょろきょろしながら、最後に挙げるのですか? では、文総裁が好きですか、愛していますか? (「愛しています。」)皆さんのお父さんとお母さんは、どうするのですか? お父さんやお母さんよりも、もっと好きですか? もっと愛していますか?(「もっと愛しています。」)この女性たち。 ですから、その国から追い出されなければならなくなるのです。これは、いくら治そうとしても、注射を打っても、皮をはいで、はげわしの餌にして、その骨肉までとらの穴に置いておいても、においもかがず、食べもしません。変わらないのです。 ですから、拉致しても、いくら閉じ込めたまま何か月の間、ほうっておいたとしても、いずれ行くべき所に行ってしまいます。門さえ開けておけば、どこに行くのですか? 文総裁といっても、文総裁には何もありません。(何もない、からの)手のひらしかないというのです。 普通の男性のように、目、鼻、耳、胸もあります。へそもあります。それがなければ、狂っているというでしょう? 何がありますか? 生殖器がありますか、 ありませんか? ありません! ありませんか、ありますか? ありませんか、ありますか? この日本の人たち!(「あります。」) 悪口を言って、初めて答えますね。そのような国は、長くもちません。何万年、何億万年……。分かりますね? かわいらしい女性たち。顔を見れば、自分の顔が好きですか、好きではありませんか? (笑い) ”よい。”と考え、美人である。”と考えたら問題です。美男美女の息子、娘を持った父母は、息子、娘を見れば……。 韓国は、そうです。自分の子供に対して、「この出来損ないめ。」と、反対のことを言うのです。なぜかというと、親までもが、自分の顔を称賛してくれれば、"お父さんとお母さんは、このような顔を持ったことを称賛したので、私が思うには、点数をつけるなら、自分が百点なら、お父さんとお母さんは四十点にしかならない。」と思うからです。 女性が化粧をし、きれいに着飾って、東京の銀座のような所に行って、通りを歩いていけば、その周囲のハンサムな男性たち、どろぼうのような男性たちが、ついて来るでしょうか、ついて来ないでしょうか? そのような者たちは、最初のうちは、"へへ、よしよし。どうぞ、どうぞ。”と、いい顔をして近づいて来るのですが、そのような男性が来たならば、歓迎しますか? 女性の力がいくら強くても、いったん、くっついてしまった後には、引っ張られて行かなければならないでしょう? そうなれば、危険です。 ですから、何をもって、そのように堂々としていられるというのですか? 母親よりも称賛され、父親よ りも称賛され、先生よりももっと称賛され、その国の美人大会で一等になり、世界美人大会の候補者になったとすれば、日本では、どこに行っても、自慢して大 騒ぎするでしょう? そこに金銀財宝があれば、あるものをすべて売りとばし、きれいに装って、唆そうとするではないです か? そのようにすることができる素質は、女性たちにありますか、ありませんか? あなたもあるでしょ う? 率直に。(笑い)笑わないでください。笑うのは、詐欺的な手法です。隠して……。 それでは、先生のように八十三歳(数え年) になったおじいさんが、そのようなことを知らないでしょうか、知っているでしょうか? 世の中に出て、経験もたくさんしました。世界を回りながら、数多くの国の指導者たち、男性、女性、あらゆる人種にすべて接してみたので、あれはどのようなことを考え、どのように生きているのか、ということが分かるというのです。 先生には、そのようなものがあるので、超国家的な若者を集めて、相対関係を結んであげるのです。分かりますか? どのようにして、相対関係を結んであげるのでしょうか? 顔には目、鼻、口、耳と四種類あり、顔にある穴は七つですが、それで、どのように分かるのでしょう か? そのようなことを知っています。専門家になっているのです。専門家です。目をつぶっていても、手で分かり、足で分かるのです。 この人は、愛をよく知りません。(笑い)愛とは何かというと、その愛は、宇宙を創造することができ、国もつくることができ、自分の愛する息子、娘もつくることができ、男性の前に女性、妻もつくることができ、男やもめに配偶者もつくってあげることができる、そのような本宮が生殖器です。 それは、愛の先祖の基です。分かりますか? 生殖器とは、愛の先祖の基のことをいうのです。一度、言ってみてください。言ってみてください。 生殖器は、愛の王宮です。(「生殖器は、愛の王宮です。」)先祖の地が、王宮なのではないでしょうか? 生殖器は、生命の王の基、生命の王宮です。生殖器は、血統の王宮です。血統を知っていますか? 先ほど、「(真の)万物の日」の先生のみ言を、しっかりと聞いたでしょう? 皆さんが残しておいたものが、ありますか、ありませんか? 皆さんのものがありますか、ありませんか?(「ありません。」) さあ、韓国人は、話を聞きましたか? (笑い) 話を聞いたのですか? 今まで話したことは、簡単です。 「女性にとっての宝は、男性のために生き、男性のために死ぬというところに宝があり、男性が王よりももっと貴く、女性が、男性のために生まれ、男性のために死ねば、王の皇后以上の恵まれた立場に立つようになる。」と、言ったのです。 それは、良い話です。分かりますか?「”ため”に生きるということが、より幸福である。」というのが、結論です。その一言で、万事がオーケーです。「オーケー」とは……。(拍手) 一時間話したことを、約一分間で結論づけることは簡単だというのです。 より”ため”に生きる人は、神様を「友人である。」と言うことができ、神様の頭のてっぺんに上がって行っても、神様が、「やあ、降りて来ないで、もう少しいなさ い。一年間でもよい。」とおっしゃるならば、それは幸福ですか、不幸ですか? (「幸福です。」) ですから、よりために生きるところには、闘いがありません。よりために生きようとするところには、平和だけがあり、幸福だけがあり、喜びだけがあり、涙がありません。そうですか? 本当ですか? (「はい。」) 皆さんの家庭で、夫婦でけんかをしますか? この女性たち。それでは、間違っているでしょう? この ような女性たちがいて……。 一言、言うならば、女性は、「わたしは、本来、男性に奉仕し、従順にし、美しく見せるために生まれたので、死ぬまでは、そのようにする。」と言うならば、恐ろしい所、どのような所に行っても、そのようになれば、そのような女性によって占領されない所はない、というのです。 顔がかわいらしく、純真で、このような美貌を持ち、美しくあれば、世の中に嫌うものがありません。わたしのような人であっても、好むというのです。(笑い) あまり、そのような度を越した笑い方をしては、困るではないですか? 興味を引くときだけ、そのように関心を持って聞いています。横を見て、そのようにするのは、"それをすべてやめて、私を見てください。”ということです。ですから、今、見ました。 人よりもよくけんかをする夫婦を、平和にすることは、簡単です。よりために生きることができる……。 一秒間、三秒間、長くても十秒間我慢をして、ために生きる心を持っていけば、万事に通じます。それは、可能性がある話ですか、可能性がない話ですか? (「可能性がある話です。」) それは、可能性だけですか、絶対性に一致しますか、一致しませんか? やってみるのです。十五分間、三十分間だけ我慢してみなさい、というのです。けんかなどの事件が起きて、男性の気分が悪ければ、そのようなときは、女性の顔を見ずに、トイレに行くのです。 自分の三角地帯を見下ろして、「おい、おまえ。起きているか? 起きているか? 行こう、行こう。」と言っ て、便所に行って十分もすれば、さあっと、気分も良いでしょう。首に力が入って、完全に怒りが爆発しそうだったものも解けて、気分も良くなります。 そうして、妻から「ああ、なぜ、そのように飛び出して行ったの?」と尋ねられても、「あなたが、わたしの気分を悪くさせたので、ここに力が入ったのだが、すると、ここが爆発しそうで漏れそうだったので、しかたなくトイレに行った。」と言えば、妻も笑うのです。 妻は、十五分の間、怒ってぷんぷんしながら、夫が帰って来ることを願ったでしょうか、死ぬことを願ったでしょうか? 十分間を過ぎれば、"何か事故が起きたのか?」と思うことでしょう。 それで、心配になって行ってみると、夫は、トイレの中で、座って笑っているというのです。なぜ、笑うのでしょうか? 気分が良いからです。 夫は、妻が夫が死んだのかもしれない。”と思って、間違いなく捜しに来るに違いないと思っていたのですが、案の定、捜しに来たのです。夫としては、「やあ! 万歳!」です。そのようなときこそ、拍手してください。分かりますか? 一度、訓練であると思って、拍手してみてください。この者たち。(拍手) けんかをしているという事実は、統一教会の原理原則に違反することであり、滅びる者たちです。「よりために生きなさい。」と言っても、妻が国の怨讐というわけでもありません。“もう一さじ食べたい。”というならば、(自分が)食べなければよいのであり、憤って、一言言いたいところを我慢すればよいのです。 そのようなとき、妻は、「私の夫はりっぱです。ありがたい。」と言って、飛び込んで来るでしょうか、逃げて行くでしょうか? 百回、そのようにすれば、百回、骨の中まで飛び込んで来るはずです。 ですから、「私は、先生から学んだので、百回でも我慢しよう。」と考え、それが千回に及べば、「私は、もう千回、我慢しよう。」と考える、そのような家に、けんかがありえるでしょうか? さあ、きょう、(先ほど訓読したみ言を)わたしも聞いてみると、自分で感嘆しました。何年前に話したのですか? すでに三十年以上前に、そのような話をしたのです。 その時の環境は、世界が文総裁を称賛するような時ではありません。最後の境界線に来て、死ぬか生きるかというとき、自分が死ねば、この真理を残さなければならないのです。そうして、"この真理は、永遠の未来の世界にとって、絶対に必要な真理である。”ということを知っていたので、命を懸けて宣布した話であるということを、皆さんは知らなければなりません。 その時に、歓迎する人は、一人もいませんでした。 国が反対し、世界が反対しました。真夜中のような時代に、“朝の太陽は、何時に、いくらもたたないうちに昇ってくる。”という希望とともに宣言したことが、約四十年を経て、すべて……・。四十年という歳月は、永遠の歴史時代にあっては、ほんの一瞬です。そうでしょう? この中で、統一教会の信仰を持ってから四十年以上になる人は、手を挙げてください。小山田氏。 きょう、先生が教えた中心的なことは、何でしょうか? 堕落した人間には、一切の所有権を認めることはできません。それを認めれば、それは、天法に引っかかります。その天法は、永遠不滅の天法であるので、それに引っかかれば、“永遠不滅」に引っかかったことになるのです。 なぜ、そのようになるのでしょうか? 堕落前には、神様の存在、神様の所有権しかありませんでした。それが、堕落によって、神様のものが、怨讐サタンのものになってしまったのです。 その怨讐とは、何の怨讐でしょうか? 愛の怨讐です。愛の関係を結んだ場合には、その関係を結んだものと、所有権を共にするようになり、所有権が決定さ れるようになるのです。 ですから、神様の前には、たたえるべき息子も娘もなくなってしまいました。そして、神様自体が追い出されてしまったのです。 アダムの妻として、神様の妻として迎えようと、二日後には結婚すべきであったエバが、その直前に、怨讐によって汚され、連れて行かれて子供を生んでしまったという結果になってしまいました。 神様は、その女性(エバ)のために、すべてのもの、すべての財産を伝授し、相続させてあげようとしていたのですが、そのすべてのものをなげうってしまい、サタン圏に捨ててしまったのです。それを、自らその主人として使っているというのが、サタン主管圏の世界なのです。神様のいちばん嫌われるものは、それです。 ですから、宗教圏においては、「国を離れよ、出家せよ。」と言うのです。すべてを放棄するように命令し、「独身生活をせよ。」と言うのです。偽りの血統を元返すためには、神様に属する真の愛と、真の生命、実体を再び復帰しないと、永遠に神様の伝統的血統をつなげる道はありません。真剣なものです。 もしも、一人の男性が神様と同じような環境に立った場合には、どうするでしょうか? 怨讐にさらわれていった、妻となるべきであった女性が、十年、二十年、万年の後に来て、『この者たちは皆、繁殖した、たくさんの人類は皆、あなたの子供です。』と言った場合には、その旦那さんはどうしますか? きっと、『このやろう!』と言って、サタン、奥さん、子供を、"一気に全滅させても気がすまない。”という思いになるでしょう。<以下、まだ未校正のままです。ご不便をおかけしています。> そのような心情圏に立たれながらも、それを自分の直系血統以上に愛さなければ、元返す道がないという心情を持たれた神様であられたのです。そのようなことが分かった場合には、申し訳ない、申し訳ない、申し訳ないという立場に立たざるをえません。 その悲惨な人生行路の決着点を解決しなければなりません。この滅亡からの宿命的な解放をいかにするか、です。 ですから、救世主は何を持っているのかというと、真の愛と、真の生命と、真の血統であり、それをつなげる者が、救世主です。刑法の条件に引っかかった場合には、その罪は、神のほう、国のほうに、それ以上の利益をもたらす内容を満たさなければ、赦しであるとか、救済するということはできないということは、理論的なことです。 それゆえに、自分の直系の子供以上にカインを愛するとするならば、自然屈伏するのです。サタン自体は、愛によって堕落しました。サタンは、「神様は、アダムを自分よりも愛していらっしゃる。」と言って、愛の反発心から堕落したのです。 ですから、神様が自分の子供以上、その国以上に愛する心情を持ってサタンに対された場合には、サタンは、その前では、自動的に自らの良心を高めて、自然屈伏せざるをえません。なぜならば、そのような神様に逆らう存在は、宇宙すべてにおいて存在しないからです。そうして、サタンも、その前に自動的に屈伏するのです。 よって、自然屈伏させる服従圏を満たさなければ、救済の道を目指すことはできません。それは、なかなか難しいことです。神様は、そのようにされながら、実子直系の子供と家庭を願ってこられたのです。そのことを考えなければなりません。 ですから、「死なんとするものは、生きる。」です。 "生きん”とする者に、生きる道はありません。神様ご自身が、そのような立場に立っておられるということを考えなければなりません。 そうして、そのような神様のすぐ後について行くような決意で、すべてのものを犠牲にしたとしても、そのことだけは立たせていくというところにおいて、すべては解決するのです。そのような標題の下に救援摂理を成してこられた神様は、いかばかり悲惨なおじいさんであられるでしょうか? 分かりましたか? (「はい。」) 日本の国全体を合わせても、それは比較対象になりません。万民、万世において、そのような悲惨な立場をこらえながら、凌駕するのが、毎日の宿題です。一 歩前進、一歩前進。いくら犠牲を払ったとしても、その前進の進み方を止めることはできません。 そのような重い歴史的な荷袋を背負ってきたのは、 創造主ではありません。真のお父様であったのです。それを発見した暁には、いかばかり躍動しながら喜ぶべ きでしょうか?「万歳」を千年、万年、叫んでも、またのどから自動的に万歳の叫び声が出てくる、そのような喜びに浸るのです。 そうして、解放、解放と、神様とともに「万歳」を叫んで、天国建設の勇士として、日本全地を凌駕して "神の国につなげるのである。”と決意し、渋柿の国を甘柿の国に接ぎ木させ、"自分は、そのためのハンダになり、溶接機になって一体化させるのだ。」と決意するのです。 それを成すことは、並々ならぬことですが、成さねばなりません。「為せば成る。為さねば成らぬ何事も。 成らぬは人の為さぬなりけり。」です。それは、統一勇士の最後の生死を決する、その絶頂を凌駕するうえでの宿題となるべき表現です。分かりましたか?(「は い。」)<3/3に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ (韓国人食口に向かって)さあ、ここに座っている耳の聞こえない人たち。皆さんは、なぜ、皆……。先生が、日本語で語るときには、韓国語でも通訳しているのに、なぜ、イヤホンを持っていないのですか? お互いに授け受けしなければならないでしょう? 準備もせずに……・。 皆さんは、”先生は、与えることを好み、もらうのが嫌だ。”と考えているのではないですか? そこ、分かりますか? 寝るなというのです。 昼の十二時以降に食事をしては時間がないので、1 時間以内に、全世界から集まった人たちと会議をするようになっているのですが、その会議の時間を撤廃することにします。Family 2002.8 32
2024.11.06
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第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.1/3)二〇〇二年六月十一日(陰曆五月一日)、韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 去る六月十一日(陰曆五月一日)、第四十回「真の万物の日」の記念式典が、韓国の天宙清平修錬苑で行われました。 午前七時からは敬礼式が、午前九時からは記念礼拝が、共に天城旺臨宮殿の大聖殿で行われました。記念礼拝では、み言に先立ち、一九六三年七月二十六日(陰暦六月六日)に、真のご父母様が「万物の日」を制定された(日付は陰暦五月一日と決定され、一九九四年の「父母の日」以降、名称を「真の万物の日」と改められた)ときの真のお父様の祈祷と、その際に発表された「頌歌」、そしてみ言が、郭錠煥先生によって訓読されました。 このみ言は、み言の訓読の後、真のお父様が語られたもの を翻訳し、整理、編集したものです。 (文責・編集部) わたしたち統一教会には、長い歴史をかけて、天地全体をかけて宣言した「宣言文」が多いのです。 それは何かというと、天と地、すべての宇宙をかけて、"行くべき道はこうである。”という、その標本に 従って線を引いたものです。横的に引く道、縦的に引く道、九十度を中心として引き、球形世界を完成化し、その球形世界のコア(核)のような、エキスのような位置に、神様を臨在させるための原則の道理に合うように宣言したのです。 サタンが、この縦的なものを、すべてばらばらにしてしまい、横的なものをばらばらにしてしまい、九十度の基準を中心とした三次元の面を、すべてばらばらにしてしまいました。そのように、偽りの父母が、ばらばらにしてしまうことによって、神様の代わりに、サタンが、この世界を支配していたのです。 それを、そこに新たに真の父母が現れて、本然の縦的基準を成してきたということではなかったでしょうか? サタンがいくら反対しても、反対することができないこととは、何でしょうか? また、それは、なぜでしょうか? 神様は、被造世界をそのように(本然の縦的基準に沿って)創造され、"被造世界とは、そのようなもので ある。”と見ておられます。そうであるにもかかわらず、サタンは、神様がそのように創造された、それ自体を破綻させようと、歴史過程において反対してきたのです。 神様は、そのような事実についてご存じであり、サタン自身も知っています。ですから、そのような神様がいらっしゃるので、サタンに対して、「縦的基準というものは、原則は、これではないのか?」と言うときには、サタンは、「はい、そうです。」と答えざるをえないのです。一度、言ってみてください。(「はい、そ うです。」) そのような約束どおりに、事実どおりに宣言したもの(が、統一教会の宣言文)です。天と地、悪魔と世 の中の罪ある何者も、それを否定することはできません。何人も否定することができない、このような核を宣言したものが、わたしたち統一教会における多くの 宣言文であるということを、皆さんは知らなければなりません。 サタンに対して、「それでは、横的基準についても、 これこれこのようなものは、おまえが願ったものではなく、本来、創造理想的根本の原則において願われて いたものではないのか?」、「これは、天地が生じる前からあったのであり、天地が生じるとき、その核心となったものではないのか?」、「天地をすべて完成して、 その核心的な主人となることができるものは、“見えな い神様”ではなく、実体の"見える神様”である真の父母ではなかったのか?」と言うときには、サタンは、「違います。」と言うことはできません。「そのとおりです。」と言うのです。 それで、(先ほど訓読したみ言では、)「(真の)父母の日」を宣言するための内容が具体的に明らかにされており、「(真の)子女の日」なら「(真の)子女の日」についても同様であり、「(真の)万物の日」がどのようなものであるかという事実についても、今、皆さんは聞きました。 このようなみ言をじっと聞いてみると、他のあらゆるみ言も必要ですが、「(真の)万物の日」一つだけを取っても、その価値は、量り知れません。 そのことで、すべてに精通しているごとく、「自分は主人になった。」と言い、「神様のものでないものがなく、真の父母のものでないものがなく、『宇宙全体が、わたしのものである。』と言うことができる、その位置に定着し、億千万世の時が流れ、すべてのものが変貌し、変わったとしても、変わりうる環境条件を収拾し、尊厳ある主体性を中心として、千代、万代、定着権威を持つことができる。」と言ったときには、天地は、何と答えるでしょうか? また、「それは、創造理想的な完成の結果であったのではありませんか?」と尋ねるとき、神様が心か ら考えられることは、どのようなことでしょうか? それは、「そのとおりである。」ということです。そして、思想的思考を通して、相対として現れた、極めて小さな被造物から大きな被造物に至るまで、海のものも陸地のものも、天上世界にあるすべてのものまでもが、「そうです。」と答えることでしょう。 一度、言ってみてください。(「そうです。」)そうです! (「そうです。」)口だけで言いましたか? それとも、心と体と考えを重ね合わせて、「そうです。」と言いましたか? 「このような宇宙の一つの核として、その中心自体であることに間違いありません。そうです。」と、言うときには、そのような存在は、宇宙の中心となり、神様の愛を完成させることができ、神様よりも、もっと必要であるというのです。 そのように、“愛の完成に必要な万物の実体的主人が、人間である。”ということを思うとき、その人間自身が、心と体と思想が一体となったその場において、自分自身の産毛までも、「そうです。」と言うのを感じながら答えましたか、答えませんでしたか? (「答えました。」) うそをついては、いけないでしょう? 尋ねると、決まって「そうです。」と言うところを見ると、“先生について行きさえすれば、よい。”と考えて……。 言葉について行ってはいけません。言葉は、実体を形成します。実体は、全体を動員することができる能力があるのです。それは、神様だけではありません。宇宙全体が実体的な主体となり、対象となるときは、宇宙全体が左右、上下、前後の歩調を合わせなければ、相対的理想の場から追放する宇宙力があるというのです。 そのような主人がいる、ということを知らなければなりません。見えない宇宙力が、そのような者たちを除去するようになっています。 皆さんは、父母が死ぬと、なぜ悲しく、夫がいなければ、なぜ悲しく、愛していた者を失えば、なぜ悲しいのでしょうか? “主体・対象基準”の中心の核と、心と体が一つにならなければなりません。心と体が一つにならなくてはいけないのです。 このように見るとき、心と体がとどまる位置、その位置は、考えまで一つになる”心身一体”の位置であ り、その位置において、自分が動じ、静ずることができるというのが、万有存在の実情であるというのです。 そのことを考えるとき、その万有存在の実情の主体となり、主人となる人間自身に関係するすべてのものが、ここに同化し、一体となった場において、動じ、応じ、答え、喜ばなければならないというのが、天理の原則です。 ですから、皆さんが、先ほどの問いかけに対して、そのような”心身一体”、“一心一念”を中心として答 えたのかと尋ねているのです。そのように答えましたか、答えることができませんでしたか?(「……。」) なぜ、静かなのですか? いくら大きな人でも、産毛一本であっても、つかんで引っ張れば、その痛みがないようにするためには、引かれる方に行かなければなりません。分かりますか? 我慢して、「切れるなら切れろ。抜いてどうするのか? やってみなさい!」と言えば、そこには、鍼が打たれるようなものです。そうなれば、すでにそこに傷を残したということです。 それでは、産毛や一身のすべての骨が統一され、一つになって、”心身統一〃、それから何ですか? ”信念統一”です。一心、一体、一念です。そのことを知らなければなりません。神様を中心として……。 神様が、どのようになっていらっしゃるのかというと、一つのものを中心として、心と体が一つになっていらっしゃるのです。分かりますか? 心と体が一つになったところにおいては、考えも一つになっています。 皆さんが、日常言うことは、「言行心事(言行と心に思うこと)を正しくしなければならない。」ということです。「言行心事」です。言葉と行動と「心事」ですが、「心事」とは、何ですか? 心と事が、一つにならなければなりません。そうしてこそ、それが公的なものとして保護し、証しし、 宣伝することができるのであって、そうでなければできません。 ですから、心をだまし、体をだまし、考えを偽って生きる人は、それがいわゆる「堕落した世界」であり、「堕落した万物」であるということです。 堕落していないものは何かというと、心と体と考えが一致して一体となり、ここを見ても一つであり、 あそこを見ても一つであり、また、下を見ても、上を見ても、前後左右、球形に見ても、核心の位置も「一つである。」と言うことができるもののことです。 そのようになるとき、神様は、そのような立場に定着されるようになるのです。そのことを、皆さんは知らなければなりません。"一心”、“一体”、“一念”です。言ってみてください。(「一心、一体、一念。」) 心を持っていますか? 何ですか? 尋ねたら、答えなければならないでしょう? 心を持っています か? (「はい。」)心が二つですか、一つですか? (「一つです。」) 心は、二つでしょう? なぜ、一つですか? 悪なる心と、善なる心があるではないですか? それから、 体も一つですか、二つですか? 悪なる体、善なる体。二つですか、一つですか? また、考えも、善なる考え、悪なる考え。二つですか、一つですか? わたしたち自体について考えてみるとき、心は、わたしたちの目に見えないので、分かりません。心に五官があるということが、分かりません。分かりませんか? 答えなければならないでしょう? 分かりますか、分かりませんか? 卒業証書をもらって、学位をもらうことができるようになれば、それにふさわしく、過去に学んだものはすべて知らなければならないのですが、分からなければ、それに対する罰を受けなければなりませんか、受けてはなりませんか? ですから、今まで、心が一つでしたか、二つでしたか? 体が一つですか、二つですか? 考えが一つですか、二つですか? 全員、黙っているということは、”心が二つ、それでよい! 体が二つ、それでよい! 考えが二つ、それでよい!”と、思っているということです。 そのような状態が、人と言えますか? 人だけが、心が一つなのです。人だけが、体も一つです。人だけが、考えも一つです。それを否定する人は、手を挙げ てください。 きょう、「(真の)万物の日」の記念日に、「清平に来なさい。」というので、"何か福をくれる。”と思っていたのに、手を切ったとすれば、その息子、娘や親戚、その国の民が、それを聞いて、「あの清平に行きなさい。」 と言うでしょうか、「行くな。」と言うでしょうか? 答えてみてください。(「『行くな。』と言います。」)「行くな。」と言うのです。 それでは、行かなければ、天国は、どこから行くのですか? 清平を通さずに、天国に行くことができますか? (「できません。」)清平は、"清くて平らな所である。”ということです。分かりますか? 名前が良いのです。 「文鮮明」という名前の「鮮明」とは、何ですか? 「鮮明な朝」と言うでしょう? 「鮮明」とは、太陽が、明るい光の方向性をサーチライトのように発散するときに、「鮮明な朝日」と言うのです。その名前は良いですか、悪いですか? (「良いです。」)太陽には黒点があるのですが、黒点に覆われてはいけないでしょう? そこに何、鮮明ですか? 「文鮮明」でしょう? 「文」という字は、何ですか? (「文章の「文」です。」)文章の「文」ではありません。祭壇の「文」です。祭壇の上に祭物を置いて支えているのが、「文」という字ではないですか? 分かりますか? 何の「文」ですか? (「祭壇の『文』です。」)祭壇の「文」です。 神様は、堕落した世の中に祭壇が必要ですか、必要ではありませんか? (「必要です。」)何の祭壇ですか? 何の祭壇が必要ですか? 簡単でしょう? 息子、娘の祭壇です。息子の祭壇、それから夫婦の祭壇、三番目は、子女の祭壇です。それ以上は、必要ありません。 皆さんは、それ以上、必要ですか? さらには神様まで。愛の前には、神様まで一つになって、父母の祭壇です。もう一つ、するのです。 真の愛は、父母の祭壇、夫婦の祭壇、それから何ですか? (「子女の祭壇です。」)自分の祭壇は、ありませんか? 男性の祭壇、女性の祭壇です。自分の祭壇、夫婦の祭壇、子女の祭壇です。祭壇が必要です。祭壇とは何かというと、まっすぐなものの上に、載せておくのです。 その祭壇の代表が何なのか、というのです。神様も代表であられ、自分も代表であり、家庭も代表であり、夫婦も代表であり、息子、娘も代表なのですが、その全体の代表、中心とは何ですか? それが何ですか? その中心は、何ですか? 宿題です。クイズです。 それを、何と言うのですか? それが、何ですか? (「真の愛です。」)何ですか? (「真の愛です。」) 真の愛とは、どのようなものですか? 真の愛とは、どのようなものでしょうか? 真の愛とは、何ですか? ”ため”に生きて忘れること、それもそうでしょう。 「それも、真の愛である。」と解説することができます。 本当の真の愛とは、何ですか? 神様も、そこにはまれば、出てくることができません。分かりますか? そうなのです。わたしも学びました。神様も、そこに落ちれば、出て来られることができません。そこから出てこようとすれば、天下が、すべて離れていきます。 そのように、天下がついて回るので、神様も離れません。また、自分個人が落ちても、恥でも何でも知ったことではありません。出てくることができないのです。女性も……。女性は、そうではないでしょう? 変わることを好むのが、女性ではないですか? 人間とは、何ですか? 「人心は朝夕に変わり、山の色合いは古今を通じて同じである。」というような言葉が、物の本には書かれてあります。変わることを好むのは、女性ですか、男性ですか?(「女性です。」)女性です。 男性は、どうですか? 男性は、変わることを好む女性について回りながら、変わろうとしますか、つい て回りませんか? この女性たちは、変わることを好む男性が、ついて回る。」と思っているのですが、それは、間違いです。なぜですか? 男性も、はまれば出てくることができません。女性も、はまれば出てくることができません。息子、娘はどうですか? (「出てくることができません。」)息子、娘も、出てくることができないのです。ここに落ちて、出てくることができる存在はありません。 先生(真のお父様)は、どうでしょうか? (「出てくることはできません。」)わたしも、皆さんに似たの です。(「神様に似ていらっしゃいます。」)神様に似てもよく、皆さん……。また、男性、女性、息子、娘、すべて、そうではないですか? 神様が持っていらっしゃるものを、すべて持っているでしょう? 神様には、眼がありますか、ありませんか? 分かりますか? 真の愛とは、何ですか? 真の愛に、髪の毛一本でも引っ張られれば、引かれていくの です。それゆえに、神様も、(真の愛に) 落ちれば、出てくることができません。いくらやっても、出てくることができないのです。千年やっても、出てくることはできません。神様が、そうでいらっしゃるというのです。何に間違って落ちても……。 愛に誤って落ちるようになれば、逆さまになったものを、思いどおりに、まっすぐにすることはできません。まっすぐにすれば、天下がすべて踊りを踊り、歌を歌いますが、四方の方向が異なるというときには、億千万世、その姿のまま捕まって、出てくることができないということです。理解できますか? このようにしてもよく、あのようにしてもよい、というのが、愛ではないでしょうか? 愛だけは、鉄則において、このようにしてもよく……。そのうえで、このようにしてもよく、あのようにしてもよい、というのが、真の愛というものです。 愛は分からなくても、そのような本性があるので、すべての万物は、その愛を訪ねて出会うことを願うのです。出会うのも、逆さまに出会おうとしますか、正しく出会おうとしますか? 歩くときに、このように(腰が平衡にならずに)曲がって歩く人が、よいですか? このように歩く人がよいですか? このように歩くのがよいですか? (笑い)あらゆる人がいるでしょう? このように歩く人、このように歩く人、まっすぐに、さっさっさっさっと歩く人……。 これが、すべて合わなければなりません。垂直に合わなければなりません。歩くときに腕を振るのは、四十五度の角度です。それは、なぜ、そうなのでしょうか? 人は、そのようにしてこそ、正しいのです。 垂直がなければならず、上下がなければならず、左右がなければならず、前後が四十五度です。分かりますか? それが、そのようにバランスを取って、球形になるのです。 そうして、球形になってこそ、このように回っても、 このように回っても、このように回っても、永遠に変わらずに、それ自体がそのまま残り、だれもが永遠に保護してくれるのです。天運が、そうです。 ですから、少しでも間違えば、苦痛が生じます。宇宙の力が追い出すのです。そのような公式法度によって、運動する中央の位置に立ち、そこで暮らそうというのが、存在物たちの存在様相です。これは、宗教観念の世界において言われていることにも合い、運動法則の科学世界においても合致する話です。分かりますか? まゆ毛が、一つはこのようになり、もう一つがこのようにゆがんでいれば、どうなりますか? 独身の若い男女が、時が来て、結婚する年になったので見合いをしに行くというときに、まゆ毛が、このようにゆがんでいれば、どうなりますか? 女性がそうであるならば、男性が見るとき、"あの女性は、なぜ、あのようになっているのか?”と思うのです。また、目がこのようにずれていれば、どうですか? あの女性は、どうしてあのようになったの か?」と思い、鼻が曲がっていれば、"あの女性は、なぜ、あのようになったのか?”と思うのです。 先生が歩くときに、さっと、(道を外れて)このように歩けば、どうしますか? (笑い)いけません。中の 方へ押し戻してあげなければなりません。このように行っても押し戻してあげ、このように押し戻してあげ、 そのようにして、この間の道をまっすぐに行きなさい、というのです。そうでしょう? 九十度、九十度、四十五度で作動するのです。 足が、このように行けば、足も合わせてくれるということです。そのようなことを、初めて知ったのですか? 学校では教えてくれないのですか? さあ、「(真の)万物の日」なので、人間は、(神様の) 実相的存在であり、万物を代身することができる標本的な実相なのですが、これらを見るとき、気分が良いでしょうか、悪いでしょうか? ここに、日本人、韓国人、五色のあらゆる人種が集まり、あらゆる種類の人たちがすべて集まったのですが、気分が良いでしょうか、悪いでしょうか?(「良いです。」) 韓国人だけに会うことを願ったのに、すべての人が来たら、問題が起きるのです。そうではないですか? しかし、すべてが集まることを願ったので、かまいません。「韓国人が集まりなさい。」と言った場合に、日 本人が来てもよいのでしょうか? それは、同一のものになっていないので、そのようなことが起きるのです。 上でも下でも……。日本人が賢いのは、上と下を合わせることができるのです。右と左を合わせることができます。自分が左側なのか右側なのか、また、前後を知って、前後を合わせることができるのです。 そのような人を「賢い人である。」と言い、「知恵深 い人である。」と言うのですが、そのような人は、滅びゆく世界においても、物請いまでをしても、滅びることはありません。 日本は、第二次大戦の時に、物請いをする立場でも滅びなかったというのです。なぜでしょうか? 目先が利くからです。“目先が利く”ということが何かというと、多くの主人に侍る歴史を通して、訓練されているということです。そうではないですか? それは、なぜでしょうか? 女性だからです。女性は、そうでなければ、生きていくことができないではないですか? ですから、世界的に好まれるのが、日本の女性です。わたしは、日本の女性を好みません。日本を本当に知っているからです。顔を見ただけで、すぐに分かります。 日本の古代歴 史を見れば 、多くの国があり、この人、あの人と・・・・・・。 はべ女性が嫁いでいく所と、夫が暮らす所とでは、主人 が違います。さっさっさっと目先を利かせて、三年も たたずに・・・・・・。嫌でも、よく目を合わせるでしょう? 日本は、そうですか、そうではないですか? 先生の友人の中に日本人がいましたが、りっぱな友人の所に訪ねて行って、父親に似ているか母親に似ているかを見てみて、母親に似ていれば、わたしは好みませんでした。なぜでしょうか? 母親は、島国を象徴するのですが、島国で生まれて、島国で育って、何になるのですか? それでは、いつも陸地(大陸)を慕いながら、泣いて暮らさなければなりません。そうではないですか? 日本も、そうでしょう? 島国なので、「陸地(大陸)から船が来る。」と言えば、町内じゅうが騒いで、「何が来るか、見てみよう。」と言って、がやがや集まるのです。それが、島国です。それゆえに、アジアにおいて……。 明治維新の前には、日本人に姓がありましたか? それについて知っていますか? 知らないでしょう? 日本人は、明治維新の前、庶民には、姓がありませんでした。そのことを知っていますか? 日本の歴史教育において、「姓がなかった」ということを教えてくれないでしょう? そのことを知らなければなりません。 名前がないので……。名前を自分勝手につけたのでしょう? 「竹下」という姓は、竹林に小さな家を建てて暮らすのを、名前が分からないので、「竹下」にしたのです。田中という姓も、田んぼの中にいるので、「田中」です。川辺という姓は、川辺にいるので、「川辺」です。松本は、松の下です。まったく、このような姓があるでしょうか? 神様の目は、大きいでしょうか、小さいでしょうか? 分からなければ、「分からない。」と言ってこそ、率直なのです。いちばん手っ取り早いのが、「『"縦的な真の父母”が天であられ、"横的な真の父母”が文鮮明である』と言うならば、文先生に似たのでしょう。」 というように……。 "似ている”ということは、"目が似ている”ということと同じでしょう? 大きい、小さいということを 言っているのではありません。形を中心として、「似ている。」と言い、白目、黒目、目が行ったり来たり、上がったり下がったりするのは、すべて同じで似ているでしょう? 形がぴたっと似ていてこそ、「似ている。」と言うのですか? 九十九まで似ていて、一つだけ違うからといって、「似ていない。」と言うことができますか? 目が小さいと……。小さくても、目は目でしょう? わたしの母がわたしを生んだとき、三日たっても目が見えないので、引っ繰り返してみると、目が見つかって、「ああ、目玉がないわけではないのだなあ。」と言ったというのです。(笑い)それで、わたしの赤ん坊の時のあだ名は、「小さな目」です。「目が小さい。」と言われて、村じゅうで有名でした。 "小さなものがよい。」と思っていたのに、小さな目 が……。(ジェスチャーをされる)(笑い) カメラの焦点を合わせると、遠い所を見ることができるように、天下のすべてのもの、神様の心の根が、どのようなものであるのかということを解いて、「神様。あなたの心は、こうではあられませんか?」と言えば、神様も、「自分でも分からない。」と言われるのです。 皆さん。愛に関して知っていますか?「愛は、こうです。」ということを知っていますか? 愛は、丸いのか四角いのか、平たいのか長いのか? 言ったとおりに愛はなります。長ければ、どれほど長いでしょうか? 愛には、千里、万里、離れた息子、娘を思えば、一瞬のうちに、そこまで行って、その良し悪しを知り、鑑定することができる能力もあるのです。丸ければ、神様の心情の真ん中で、その部屋ですべての天下が動じて踊りも踊ることができるのです。 それでは、神様も、祭壇を必要とされるのですが、 どのような祭壇でしょうか? だれもが、すっかりはまり込むものを置いて、それを見て考え、関係を持った人は、完全にはまり込んでしまうことができて……。 このようにはまり込めば、目をばちばちさせて、千年、万年、このようにしているというのです。そのようにすることができるものがあれば、うそであっても、一度、はまってみたいと思うでしょう?<No.2/3に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ あなたは、新聞記者ですか? なぜ、そこに座っているのですか? 何かの鑑定班のようですね。(笑い) わたしは、言論人で、会ってみた人がいません。イ ギリスのBBCの編集局長が、韓国統一教会の青坡洞本部に訪ねて来て、インタビューをするというので、「イ ンタビューをして、何をするつもりなのか? 統一教会の手助けをしようというのか? 統一教会のために来たのか? この人は、出世するために、BBC会社の商売のために来たのではないか? なぜ、会おうというのか?」と言ったのです。 わたしは、言論人で会ってみた人はいません。数多くの言論人をつくって、"下人暮らし”をさせています。 UPI(通信)、世界で指折り数えられる人でも、いつだれを呼んでも、さっと飛んでくるようになっているのです。 日本の有力なマスメディアの人たちが、米国の大統領の記者会見のためにワシントンに行ってみると、会見席のいちばん前に座っている、いちばん上席の新聞社は何かというと、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ワシントン・タイムズです。 ところが、ワシントン・タイムズが、その真ん中に座っているのを見て、Family 2002.19
2024.11.04
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自由、家庭、信仰-21世紀のメディアの役割(02.05.21 ワシントン・タイムズ創刊20周年記念祝賀会で配布されたスピーチテキストより ヒルトン・ワシントン・ホテル) 冷戦時、神は、世界を共産主義が支配するのを防ぎ、自由な世界を守るため米国を選びました。ワシントン・スター紙が一九八一年に廃刊され、首都の新聞はワシントン・ポスト一紙だけとなりました。これは、自由世界の首都が、ニュース、懸案事項、政策に対して限られた視点しかもつことができないことを意味し、共産主義の危険性、当時全世界が直面していた共産主義の脅威を軽視するものでした。神の願いは、哲学的、思想的基盤を持ち、人々や米国の指導者らを励まし、啓蒙する新聞を作ることでした。愛国的な米国人がワシントンで新聞を創刊し、ポスト紙に代わり得る意見を打ち出すことを願って、数カ月間、待ちました。ですが、誰も手をつけようとしないのを見て、私がそれをしようと決意したのです。 ですが、ワシントン・タイムズの使命は、冷戦の終結では終わりませんでした。共産主義が崩壊しても、自動的に世界に平和が訪れるわけではありません。神が願われる理想社会も、私たちの努力なくしては実現できません。そのため、創刊十年(一九九二年)を迎えたワシントン・タイムズは、新しい挑戦、つまり「文化戦争」、悪化する価値観との戦い、という使命が与えられました。 神は米国が伝統的な家族の価値や道徳的価値を守るよう願いましたが、それらは混乱状態に落ちてしまいました。世俗的な人道主義、極端な個人主義、自己中心主義が強まっています。その結果、金銭と物質が人々にとって神のような価値を持つようになったのです。そうして、宗教は低調となり、世俗的な人道主義がはびこるようになりました。家庭が崩壊し、青少年犯罪が増加しています。 創刊十周年の祝いの場で私は、メディアのもう一つの使命を定義しました。これは、メディアは社会の倫理と道徳の価値を高めるもの、ということです。その後の十年間、道徳的な社会の実現に貢献することをタイムズに願ってきました。平和な世界は平和で理想的な家庭の基盤があって初めて実現できます。そのため、道徳的家庭の価値を強めることの重要性を人々が理解するよう努力してきました。「家庭の価値」という言葉がよく知られるようになる前でさえ、タイムズは価値観の崩壊、いかにして家庭の価値に基づいた善良で道徳的な社会を取り戻すかを強調する記事を出してきました。これらの問題に関するファミリー・タイムズを毎週、出すことも始めました。今日、家庭の価値は米国社会にとって重要な部分を占め、政治的な問題ともなっています。私たちは、タイムズが家庭の価値を米国と世界の重要な部分へと高めることに貢献してきたことを誇りに思っています。 タイムズ創刊後の最初の十年間に際立ったのは、冷戦の最中にあった世界の自由のための戦いです。次の十年間は、文化戦争と強い道徳的価値観に基づく家庭を築くことの重要性が目立った年でした。今二十年を超え、信仰を訴え、支持する時代、個人の信仰に基づき精神的価値観を強調し、支持する時代を迎えました。だれでも、神と人生の精神的側面についてはっきりと理解していなければなりません。世界レベルで自由、家庭レベルで倫理的価値観、個人レベルで信仰、これらは人生、メディア双方にとっての三大使命です。 自由、家庭の価値、信仰は米国の最も基本的な精神的価値です。タイムズが「米国の新聞」と呼ばれるのは、米国の伝統的思想を実行することを目指しているからです。もちろん、「米国の新聞」と言いましても、米国だけに仕える新聞という意味ではありません。そうではなく、世界と全人類のために働く国である米国に仕えることを意味します。 私たちは外的には、情報が爆発的に増加する時代の中に生きています。世界は情報であふれています。デジタル通信技術の発展により情報の海が出現しました。これまで、離れたところから情報を得ることは困難でした。ですが、今では、革命的な変化が起き、世界中から圧倒されるほど大量の情報が発信されています。この大量の情報の中で、人々が質の高い人生を送れるよう、責任を果たしていかねばなりません。メディアはすべての事実を伝えることができますが、同時に混乱を回避し、リーダーシップと方向性を示す責任があります。全世界がニュースと情報であふれている今の時代はなおさらです。ワシントン・タイムズと関連するメディアはこの点で指導的な役割を果たしています。 この二十年間でタイムズが奇跡的な発展を遂げたのと時を同じくして、他のメディアプロジェクトも目を見張る発展を遂げてきました。ナショナル・ウィークリー・エディションは、全米五十州の購読者に配られ、日刊のタイムズ紙から傑出した記事を届けています。ティエンポス・デル・ムンドもあります。スペイン語の週刊紙で、十六カ国十八主要都市で発行されています。さらにソウル、ニューヨークにはセゲイルボ(世界日報)、東京には世界日報があります。ミドル・イースト・タイムズ紙は、ますます重要性を増している地域のニュース、情報を提供しています。 雑誌としては、インサイト、ワールド・アンド・アイ、ワシントン・ゴルフ・マンスリーがあります。ワシントン・タイムズのインターネットサイトは、米国で最も人気のある新聞のサイトの一つであり、毎週数十万人の人が訪れ、毎月、千八百万ページ以上のニュース、オピニオン、解説を読んでいます。ケーブルテレビなど通信業界ともうまく連携し、ポトマック・テレビジョン、アトランティック・ビデオ、グッドライフ・ケーブルTVは全米五十州に視聴者を持っています。 このメディアファミリーに加わった中で最も新しいのは、世界でも最も古い民間の通信社、UPIです。ほぼ百年間、休むことなく活動し、世界中にニュースを配信してきました。UPI通信はまもなく、大きな技術的躍進を遂げます。統合したデータベースを通じて、私たちの持つ全メディアから記事を集め、それらを整理し、内容、テーマに従って世界中の購読者に配信する技術を持つのです。 大量のニュース、情報を提供する新時代のメディアは、リーダーシップをとり、神と霊界を知り、その価値観に基づいて個人を善化する明確な方向を示さなければなりません。ワシントン・タイムズと私たちのメディアファミリーは、二十年間にわたってこの方向性を指し示してきました。今後も、三十周年に向かいこれを続けていきます。皆様方一人ひとりも、その資質を生かして、自由を守り、家庭の価値を促進し、神への信仰を強め、世界のリーダーとなっていくよう、願っております。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.03
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真のお母様、「真の父母と成約時代」宣布、日本巡回講演09月11日、札幌、岩見沢09月12日、仙台09月13日、郡山、東京09月14日、東京09月15日、長野09月16日、三条09月17日、前橋09月18日、東京09月19日、金沢09月20日、岐阜、愛知09月21日、岡山、広島09月22日、鳥取09月23日、高松、松山09月24日、宗像09月25日、熊本09月26日、佐賀・鳥栖09月27日、沖縄09月28日、京都09月29日、神戸、大阪09月30日、大阪真の父母と成約時代 一九九三年九月十四日、東京・後楽園の東京ドームで、五万人の参加者を集めて開催された、「世界平和女性連合」の創立一周年記念大会において、文鮮明師の令夫人・韓鶴子女史が、同連合の総裁として行った、講演である。尊敬する御来賓、そして紳士、淑女の皆様。 このたび、招待講演会に、このように多数の方々がお越しくださいまして、心から感謝申し上げます。皆様が平和世界を建設するために献身される姿に接し、心から感動を覚えます。 皆様も御存じのように、今日私たちが住んでいる世界は、平和で幸福な世界ではなく、葛藤と絶望に満ちています。私たちは、家庭崩壊と道徳的退廃の問題に直面しています。したがって、私たちがもし明るい未来を願うならば、何よりもまず、神が人類を創造した根本目的を理解しなければなりません。 人間はだれでも、自分の愛する者が自分よりも、もっと立派になることを願います。例えば、すべての親は、子供たちが自分以上に立派になることを願います。このような心は神様から来たものです。神も、御自身が創造した子女である人間が、自分以上に、もっと立派になることを願っています。 さらに神は、子女たちに限りなく与えようとされます。神は一○○パーセント与えたからといって、決して満足されません。御自身が持っているものを千倍あげても、それ以上与えようとされます。 神の愛は、すべてを与え尽くしても、与えたという記憶すら忘れてしまう愛です。そして、永遠に与えたとは判断されない方です。 よく知ってみますと、神が被造世界を創造した目的は、愛の相対を得るためでした。神が存在するものをみなペアシステムでつくられた目的は、真の愛のためでした。 したがって、父母は子女のために生き、子女は父母のために生きるようになっています。また、夫は妻のために、そして妻は夫のために生きなければなりません。すべての被造万物は、「ために」生きるように創造されたので、与えながら生きるようになっています。神の創造理想 もしも、アダム家庭で、神の真の愛の理想が成就されていたならば、その家庭は天国の出発点になっていたはずです。そして、このような天国家庭が歴史的な発展を経て、氏族的、国家的、世界的に拡大されていったでしょう。さらに、地上ばかりではなく、霊界までも天国理想が展開したでしょう。 もし、神の根本理想が完成していたならば、メシヤはもちろん、神の救援摂理も必要なかったはずです。一家庭であっても、アダム家庭は正に真の愛を中心として「ために」生きる家庭として、氏族、国家、世界の中心となったはずです。アダム家庭は、そのまま未来に誕生するすべての家庭の青写真となり、神の理想世界を実現する手本になったはずでした。人類歴史の誤った出発 人類始祖の堕落のゆえに、神の救援摂理が始まりました。救援摂理の歴史は、旧約時代、新約時代、そして今日、成約時代に至るまで、複雑多岐で苦難に満ちた路程を経ながら、延長に延長を重ねてきました。 神がアダム家庭を中心としてつくろうとされた真の家庭の理想と天国は、アダムとエバが神から離れることによって、成就できませんでした。堕落のゆえに、今日の世界は、神が理想とされた善の世界とはあまりにも掛け離れた世界になってしまいました。事実、今日の世界は、偽りと利己的な愛に満ちています。 それは、アダムとエバがサタンを中心として、利己的で偽りの愛を土台として、偽りの父母となったからです。彼らは善の代わりに悪を繁殖し、偽りの家庭をつくり、子孫に偽りの生命と血統を伝授しました。そして偽りの氏族、国家、世界が現れるようになりました。 したがって、神の救援摂理の最も重要な目的は、真の愛を中心として復帰されたアダムとエバを代表する真の父母を見いだすことです。そして彼らを中心として、真の家庭をつくることです。そうすれば、その家庭を出発点として、真なる氏族、国家、世界が展開されていきます。言い換えれば、神の真の愛、真の生命、真の血統をはぐくむ種が創造されなければなりません。和解を実現する公式 御来賓の皆様。腐敗と罪悪に満ちた世界が、善と愛の根源であられる神からどうして始まったのかと、疑ったことはなかったでしょうか? 聖書を注意深く読んでみると、人間の堕落が、アダム家庭全体を失う結果になったことを知ることができます。第一に、アダムとエバが堕落によって、父母の位置を失い、第二に、カインがアベルを殺害することによって、子女の位置を失ってしまいました。 理想家庭と完成した世界を計画されていた神の青写真まで失う結果になりました。したがって、神は根本家庭を復帰するために、カインとアベルの位置を復帰し、そして、真の父母の位置を取り戻すために、反対経路の摂理を進めなければなりませんでした。 カインとアベルを和解させ、一つにさせるパターンは、そのまま真の父母を復帰する基台として、復帰摂理歴史の公式になってきています。ユダヤ教、キリスト教の歴史を調べてみると、堕落人間はカイン・アベルのように、敵対と分立歴史を繰り返してきました。したがって神は、堕落人間をサタンを象徴するカイン側と、神を象徴するアベル側の二人の兄弟関係に分立させ、堕落によって生じた憎悪を取り除いてこられました。 神は、アベルが先に打たれて犠牲になる作戦をとってきました。その結果、アベルは自分を犠牲にし、カインを包容して、長子に与えられた祝福を取り戻したのです。例を挙げれば、救いの目的の最先端を行く宗教は、いつもサタンから激しい迫害を受けてきました。そのような宗教の行く道は、常に反対されながらも、罪悪世界を救うために絶えず犠牲になってきました。それゆえ、善なる人々はいつも先に打たれ犠牲の道を行きます。今日、堕落した世界を見ると、例外なく、カインとアベルの善悪の葛藤と闘争を見ることができます。このような葛藤と苦痛は、個人の心と体の衝突から始まります。心はアベル側に立ち、カイン側に立っている体を征服しようと身もだえします。 このような個人の苦痛は、家庭、国家、世界にまで拡大しています。その結果、人間は常にアベル側すなわち善なる側と、カイン側すなわち悪なる側との二つの側に分かれて、あらゆる次元で戦っています。しかし神のみ意は、いつも双方が争い、一方が勝利し、他方が征服されるよりは、共に復帰されることを願っています。 その実例を挙げれば、アベル格であるイエス様の十字架上における右側の強盗と、カイン格である左側の強盗がいます。世界的には自由世界と共産世界を代表して、最後の闘争を展開している韓国と北朝鮮の対決、さらには、中東でのキリスト教とイスラム教の対決を挙げることができます。したがって、神の復帰摂理にとって最も中心的な問題は、どのようにすれば分かれた双方を神の理想を中心として、一つにして真の父と真の母を迎える基台をつくるかということです。終末を迎えた世界 紳士、淑女の皆様。家庭が神の愛の理想を中心としていないので、家族の間に衝突が生じます。神の愛を絶対的な中心としなければ、結局、その家庭は崩壊してしまいます。さらには、そのような家庭が集ってつくる国も衰亡の道をたどります。 最初の家庭が不倫をなし、利己的な愛の奴隷になったので、利己心と欲望は、個人、家庭、社会、国家、世界的次元へと展開して人類歴史を汚してきました。それゆえ神の復帰歴史は、個人から始まります。ところが、サタンもそれを知っているので、人間に対して個人の次元から集中攻撃を行ってきました。 終末を迎えた今日、利己的な個人主義が一般的な生き方となったのは決して偶然ではありません。人々は日がたつにつれて、周囲から次第に疎外感を感じ、各自が属している国家、社会、そればかりか自分の家庭にまでも無責任になりつつあります。離婚率が日々上昇している事実は、夫婦が互いに結婚に対して無責任であるという証拠です。父母は子女に責任をもとうとしないし、個人の威信を放棄しつつあり、自分に対する責任すらももとうとしません。 アメリカでは、このような現象が一九六○年代、青年の運動と共に台頭し始めました。理想を求める若者たちは、愛と平和の美名のもと、物質主義を排斥して出発しました。しかし、その過程で彼らは物質主義を排斥したばかりではなく、人間の道徳性と責任感までも捨ててしまいました。 彼らは、求めてきた愛と平和を獲得できなくなると、多くの若者たちは自殺、麻薬中毒、フリーセックスへと陥ってしまいました。これらの現象の中でも、神が最も心を痛められているのはフリーセックスです。愛はもともと純粋な情緒的刺激から誘発されるはずなのに、フリーセックスは、純潔や情緒とは全く関係がないのです。正反対に神のみ旨のために働いている人々は、全くそれとは一八○度異なった生き方をしています。 歴史を見ると、自己犠牲を甘受しながら霊的な価値を追求してきた人々は、周囲から言い表すことのできないほど反対と迫害を受けてきました。神の愛と祝福が共になかったならば、統一教会も世界的な反対の中で、今日のように発展することはできなかったに違いありません。私たちの教会が、わずか三十八年間で、戦争で灰と化した韓国の地で、無名の教会として出発し、今日世界的な宗教として登場し得た事実、それ一つだけを見ても、神の限りない導きと加護を感じることができます。真の愛の復帰 紳士、淑女の皆様。聖書にはエバが先に神の戒めを破り、サタンと関係を結んだとあります。堕落によって、エバはもちろんのこと、アダムとその息子たちであるカインとアベルまでも利己心と偽りの愛を中心にして、サタンの血統を受けるようになりました。 このように、サタンによって本来の軌道を離脱した、最初の始祖アダムとエバの末裔となった私たち人間は、だれでもサタンの血統を受け継いで生まれています。ヨハネによる福音書第八章四四節に「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって」と、イエス様がとがめられたのも、正にこのような理由からです。旧約聖書では、「目には目を、歯には歯を」という公式に沿って、救援摂理の役事を展開してきたと説明しています。『原理講論』では、過ちを償うことを「蕩減条件を立てる」といいます。堕落したエバが、自分の失敗を償うには、すべての責任を一人で負わなければなりませんでした。エバは堕落行為に対し、反対の経路を通じて原状に戻し、各段階を霊肉両面から復帰しなければなりませんでした。天のみ意は、エバが次子であるアベルを、み旨に従うように協助することでした。 創世記によると、神はアベルの献祭は受け取りましたが、カインの献祭は受け取りませんでした。しかし、これはアベルが期待してそうなったのではありません。カインはアベルを神が選んだ者として認め、彼と一体となるべきでした。 もしも、カインとアベルが一つになったならば、子女の立場を失うという堕落によって生じた二番目の問題は、その時既に解決されていたに違いありません。そうなれば、神はアダムとエバの問題だけを解決すればよかったのです。エバは元来、人類最初の母となるべきでした。エバはカインとアベルを一つにし、真の父母のための基台をつくらなければなりませんでした。しかしエバは生存中に、その使命を果たせませんでした。それで歴史は、だれか他の女性が現れて、堕落したエバの代わりに蕩減してくれるのを待つようになりました。リベカの模範的事例 聖書では、イサクの妻リベカを、神のみ業を成した最も偉大な女性の一人として描いています。エサウとヤコブの母として、リベカはイサク家庭でアダム家庭のエバとちょうど同じ立場でした。リベカはエバとは違って、神の摂理を理解しました。それでアベルの立場にいた次子ヤコブを助け、長子エサウが受けるようになっていた祝福をヤコブが受けるようにしました。 エサウは自分の受けるべき祝福が弟ヤコブに与えられたことを知って、カインがアベルを殺害したようにヤコブを殺そうとしました。しかし、母リベカの助けによって、二人の兄弟は血を流す代わりに、最終的には温い兄弟愛で和解しました。この劇的な和解こそ、神から見た時、重大な勝利となりました。 しかし、それはまだ完全な勝利とはならず、血統転換の立場から見て、あくまでも象徴的なものでした。実体的な血統転換は、母親の胎中で完成しなければなりませんでした。ここに、タマルを中心とした逆説的出来事の理由があります。リベカのようにタマルも、堕落したエバの立場にいました。この点を理解すれば、イエス様がなぜタマルの血統を受け継いだ、ユダの支派から生まれるようになったかの理由がよく分かります。 皆様も、タマルの双子の息子にかかわる話を聖書で読んだでしょうが、彼女は舅であるユダと関係して、双子の息子ペレヅとゼラを身ごもりました。聖書には、この双子は母の胎中で長子権をめぐる戦いをしたと記録されています。 タマルの出産過程を見ると、ゼラの手が先に出たので助産婦がその手首に赤い紐を結ぶと、また母親の胎内に引っ込んでしまいました。次子となるはずのペレヅが先に生まれ、長子となりました。このようにして、カインとアベルの位置が出生前に転換されるという摂理が成就しました。正にこの条件のために、イスラエルがメシヤを迎えることのできる選民国家となったのです。 伝統的な道徳観から見れば、リベカとタマルにかかわる話に疑問を抱かざるを得ません。神様はなぜ、そのような女性を祝福されたかは、今日に至るまで神学界の謎となっています。 先に述べたように、イエス様をこの地上に送るためには、失われた血統をサタンから取り戻す準備作業が必要でした。このようにして取り戻した真の愛の血統的基盤の上で、イスラエルの国が拡大していったのです。イスラエルは、勝利を意味する言葉です。二人の女性の勝利は、また血統転換の勝利を意味しています。命懸けのマリヤの路程 それ以来、ユダの血統は子々孫々発展を繰り返しながら、氏族、社会、国家基準へと拡大していきました。この血統を通じて二○○○年後、イスラエルにマリヤが生まれました。 マリヤの責任は、長子権を復帰するためにカインとアベルを一つにし、家庭、氏族、国家基準まで、み旨にかなった蕩減条件を立てることでした。マリヤは、神のお告げを受けてイエス様を身ごもりましたが、周囲の目から見れば自分の父母や、婚約者ヨセフを裏切った形でした。 その当時、どんな女性でも、夫以外の男性の子供を身ごもったならば、石打ち刑にされるのが慣例でした。しかし、アダムの立場にいたヨセフが勇敢に進み出て、婚約者のマリヤを見捨てず、保護してあげました。 マリヤの信仰と、リベカとタマルの貢献によって、マリヤの胎内に宿っていたイエス様に対し、サタンは所有権を主張することができませんでした。イエス様は、神の完全なる直系の血統のもとで生まれました。堕落した血統を転換したのちに、神のひとり子として生まれたイエス様は、聖人中の聖人であり、真の血統の祖先となるのです。 マリヤは復帰されたエバの立場で、アベルの位置にいたイエス様と年上の従兄である洗礼ヨハネを、一つにしなければなりませんでした。イスラエル国民とユダヤ教がカインとアベルの立場でイエス様をメシヤとして受け入れるために、この二人が一つになることは絶対的に必要な条件でした。洗礼ヨハネは兄さんでした。数多くの人々が彼に従い、広く尊敬されていました。 イエス様が弟子たちに言われたように、洗礼ヨハネの使命は、来たるべき主の道を直くするためにエリヤが先に来ると言われた、旧約聖書の預言を成し遂げることでした。 果たして、洗礼ヨハネは摂理の観点から見て、責任を成したでしょうか? ルカによる福音書には、洗礼ヨハネはエリヤの権威と使命をもって来ると記されています。しかし洗礼ヨハネは、自分がエリヤであることを否認し、ヨルダン川でイエス様に洗礼を授けた時、天が開けて受けた確かな啓示にもかかわらず、イエス様がメシヤであることを疑いました。 また、その当時の人々の目には、洗礼ヨハネは宗教指導者として非常に尊敬を受けた人物でした。一方、イエス様は貧しい大工の仕事をする私生児として映りました。したがって、洗礼ヨハネの助けなしには、当時のユダヤ人たちがイエス様を信じて従うことは不可能でした。それで、イエス様は自ら、自分でメシヤを宣布しなければならない困難な道を出発しました。 洗礼ヨハネは、イエス様がイスラエルの宗教指導者として登場できるように助けなければなりませんでした。洗礼ヨハネがその使命を完遂していたならば、アベルの立場にあるユダヤ教と、カインの立場にあるイスラエルの国が、イエス様を中心にして一つになるはずでした。そうなってさえいたならば、その時、小羊の婚姻がなされ、イエス様は人類の真の父となり、新婦は人類の真の母となっていたでしょう。 イエス様の福音は、彼が四十歳になる前の七年以内に、世界的に急速に伝播され、アジアとローマまでも従わせていたでしょう。最終的にイエス様は新婦と共に、個人天国、家庭天国、氏族天国、国家天国をつくっていたはずでした。成就されなかった夢 しかし、この夢は実現を見ずに終わりました。いわゆる宗教家と自称する人たちが、イエス様のみ言を拒み、ついには十字架に追い込んでしまったからです。イスラエルの不信仰に直面したイエス様は、人類の霊的救援のために命を捨てる決意をされました。 したがって、霊的・肉的両面の救いを成就するために、イエス様は再び来なければなりません。このような理由で、人間の心はイエス様を通じて神に近づくことはできますが、体はいまだに悪の誘惑圏に属しています。聖パウロですら、肉身と良心の欲望とが葛藤し、矛盾の中で苦悩しました。多くのキリスト教の偉大な福音伝道師たちも、このような矛盾に苦しみました。 成約時代を開始するために、何よりも重要なことは、私たちはみな、霊肉ともの救いを受けなければならないという点です。イエス様が十字架上で亡くなられることによって、右翼と左翼の闘争が始まりました。これは、アダム家庭の堕落によって、カインとアベルが分立したのと同じです。またキリスト教とイスラム教が出現し、戦いを開始しました。このような分立闘争は、イエス様が十字架上で亡くなることによって生じたので、イエス様が再臨する時には、すべてが一つに統一されなければなりません。 神がイエス様の再臨を準備するためには、世界的次元でのカインとアベルの勝利的和解が必要でした。 第二次世界大戦の時に起きた一連の出来事を中心として、このような摂理が展開されました。キリスト教圏を代表したイギリス、アメリカ、フランスの連合国家群はアベルの立場に立っていました。一方、枢軸国家である日本、ドイツ、イタリアは国粋的軍国主義の影響を受け、カインの立場に立っていました。 この戦争は、世界的次元にまで拡大されたカインとアベルの対決を意味していました。連合国が勝利したのち、キリスト教を中心として、世界平和を実現するための大々的な努力がなされました。 イギリスは世界的なエバ国の位置に、そしてフランスとアメリカは、それぞれカインとアベルの位置に立って、共に再臨主を迎える準備を完了していました。しかし、そのような準備にもかかわらず、神の摂理は、その時成し遂げられませんでした。 神の代身として、み言をもって来られた一人の方がおられますが、その歩みは数多くの形容し難い迫害を受け、世界からも理解されませんでした。二○○○年前のイエス様の立場と全く同じでした。イエス様の時代、イスラエル民族が火の車に乗って天から再臨するエリヤを待っていたように、キリスト教徒たちも再臨主の顕現を、雲に乗って天から降臨するものと信じて待っていたのです。 黙示録には、イエス様が弟子のヨハネに「主は新しい名でもって来られるだろう」と言われた箇所があります。これはエリヤがそうであったように、イエス様も再臨の時には別の人の姿で来られることを意味しています。 神は、私の夫を選ばれて韓国のキリスト教徒たちに、新しい真理のみ言を伝えるようにされました。しかし当時、キリスト教界の指導者たちは一介のみすぼらしい若者にすぎない夫が、新しい真理のために選ばれた可能性すら無視してしまいました。 新約時代は旧約時代の延長なので、当時のユダヤ人たちがイエス様の顕現を信じなかったように、韓国のキリスト教指導者たちも再臨主が人間として肉身をもって、地上に誕生することを信じられませんでした。 もしも、その時キリスト教界と夫が一つになっていたならば、地上世界はもちろん、天上世界にまでも天国がつくられたはずでした。新約時代が終わる一九四五年から一九五二年までの七年間に、全世界が神の摂理に従って一つに統一されていたはずです。 しかし、その当時、宗教指導者たちは夫と一つになるどころか、夫に従う信者たちの数が日増しに増える理由を知ろうともせず、盲目的に嫉妬し反対しました。そればかりでなく、夫についての邪悪な嘘まで捏造して広めました。夫を人格的に葬るために、夫の教えとは正反対に、淫乱だ、貪欲だ、との噂のくびきを夫にかけてしまいました。一つになることは必然 神はキリスト教を発展させ、再臨主の道を直くするために、アメリカのようなキリスト教絶対圏の国家を育成されました。彼らが悟ろうと悟るまいと、その当時韓国の牧師たちは全世界のキリスト教を代表する立場にいました。 第二次世界大戦後、アメリカと世界のキリスト教界は夫と一体化できなかったために、アメリカはその時から没落の道をたどり、道徳的権威もすたれ始めました。 第二次世界大戦後のアメリカとキリスト教界は、カインとアベルが一つとなった勝利的な基台の上に立っていました。再臨主を迎える時は熟していました。しかし、結果は再臨主を迎えることに失敗し、附和雷同して、全世界が夫の活動に反対するようになりました。したがって、夫は荒野に追われどん底まで追い落とされたのちに、再びはい上がってきました。 このようにして、韓国動乱による冷戦が始まりました。第二次世界大戦の時と同様に、世界は再びカイン圏とアベル圏に分かれました。十字架上でイエス様を不信した左側の強盗と同じく、神を否定する共産主義がカイン型の世界を代表して立ちました。一方、神の実在を信じるキリスト教民主主義はイエス様の右側の強盗と同じく、アベル型の世界を代表するようになりました。 韓国に来られる再臨主は、神のみ旨に従って、この敵対関係にある世界を一つにしなければなりません。その中心地が南北に分かれた韓半島です。そこでは、蕩減原則によって二人の父が対決しています。北側のカイン的父(金日成主席)と、南側のアベル的父(文鮮明師)とが一つとなって、神を中心として世界平和の基地を築かなければなりません。 この二人の父の統一は、共産と民主の統一ばかりか、全世界の統一につながっています。それで国連軍の十六カ国の投入も、人類の祖国統一のためになされました。 第二次世界大戦の時には、キリスト教を中心としたイギリスとアメリカとフランスが中心でしたが、その失敗を復帰するために、このたびは統一教会の「統一思想」によって、民主主義世界を代表して再び選抜されたエバ国日本と、アベル国アメリカと、カイン国ドイツと、自由世界が一体となって、世界的アダム国である韓半島の南北統一をなさなければなりません。 人間始祖の堕落を償うために、母であるエバは、兄弟のカイン、アベルを再び生み直さなければなりません。それで、日本国内には戦後五十年間、韓国居留民団と朝鮮総連とを抱えております。 それゆえエバ国家日本は、まずこれらを一つにし、次にアダム国家まで一つにし、さらにはアジア文明圏と西洋文明圏を包容して、世界平和に向かう太平洋文明圏を建設しなければなりません。私たちはまた、ユダヤ教とキリスト教を代表した立場で、イスラム教徒たちとの和解を促進してきました。 この冷戦の間、夫は失ったメシヤを迎えるための基盤を取り戻すために、個人、家庭、氏族、国家、世界、そして天宙的な次元まで、壁を取り除くための闘いをしました。このために、夫には最小限四十年の期間が必要でした。この四十年の間に夫は、イエス様の誕生の時までの四○○○年と、創世以来の聖書歴史六○○○年を蕩減復帰したのです。 このような蕩減をなしたのちに、カイン型国家群とアベル型国家群の和解を見るようになり、ついに冷戦の終結をもたらしました。 この課題は、全世界一六○ヵ国が参加した一九八八年ソウル・オリンピックの時に、統一教会によって完了しました。このことが、北朝鮮と韓国が、一六○、一六一番目に国連に加入する条件となりました。 過去数十年のことを考えれば、夫は言うに言えない無理解の中で生きてきました。北朝鮮では共産政権のもとで三年間強制収容所に捕らわれ、その後も神の仕事を続ける中、無実の罪で六回も獄中生活をしたのです。そればかりでなく、言論界は夫が「自分個人の利益のために若者たちを洗脳する悪魔のような者だ」とあざけり、悪評判を広めてきました。 皆様の中に、「文鮮明先生こそ全世界的に、最も多くの迫害を受けた宗教指導者である」と言えば、これに異議を申し立てる人がいるでしょうか? 旧約時代と新約時代を併せて、歴史上のすべての失敗を取り戻すために、夫と私は蕩減の道を歩んできました。 キリスト教文化を根としているアメリカを新約時代にたとえるならば、韓国は旧約時代にたとえられます。最初の二十年間夫は韓国で、イスラエルのような立場に立つ韓国と、ユダヤ教のような立場にある統一教会を中心として旧約時代の蕩減路程を歩みました。この基台の上で私たちは一九六○年、国家的次元で真の父母の聖婚式を挙げました。その後、一九七一年、私は夫と共にアメリカに渡りました。 そして、その後二十年間、私たちはアメリカで新約時代を完成し、成約時代を出発するための蕩減路程を歩みました。その結果、私たちは神を中心とした真の愛、真の生命、真の血統の根源となる、真の父母の家庭を樹立することができました。重要な女性の役割 親愛なる御来賓の皆様。イエス様がメシヤの降臨に対して語られた内容に、新郎が来るのを待つ新婦たちに対するたとえがあります。黙示録では、キリスト教を新婦として説明しています。したがって、キリスト教を代表するアメリカも、新婦国家であるということができます。 したがってアメリカは、世界統一のための基台を立てて、最終的には新郎を迎える責任を果たさなくてはなりません。これは、復帰されたアダムとエバとして、本来の男性と女性の位置が立てられ、真の男女平等圏まで行くことを意味します。 このような復帰歴史の転換点で真の母の位置に立つ女性は、真の父を迎える基盤をつくらなければなりません。キリスト教が新郎を迎える最初の試みに失敗して以来、神の摂理は四十年延長して、一九九二年まで来ました。この期間に私は、世界的に新しい新婦基台を願って、韓国、イギリス、アメリカ、フランス、日本、ドイツ、イタリアを一つにするために祈祷しながら努力してきました。 そして、一九九二年四月、私は夫と共に「世界平和女性連合」を創設し、全世界的に女性時代の到来を宣布しました。その基盤の上で昨年一年間、私は真の母の心情でもって、先に挙げた七カ国はもちろん、ロシアとオセアニアまで訪ね、現地の女性たちを動員して、各国に「世界平和女性連合」の支部を創設しました。 このような業績を土台として、第二次世界大戦の時から、カイン・アベル関係に分かれていた国々が真の母を迎え、失った新婦の基台を復帰して、真の父を迎える基盤になりました。このように勝利した世界的な基盤の上で、最初の真の父母であることを宣布いたします8 今や、世界は成約時代に突入しています。私たちはいま一度、神に侍って生きることができるようになりました。このような歴史的転換点に立った私たちは、神を中心として、個人の心と体を統一できる原理を、世界的次元で実践しなければなりません。 このような目的を達成するために、私たちは世界平和を実現する二つの組織を創設しました。「世界平和宗教連合」は心の世界を代表し、神の愛を基にして、世界の宗教を一つに結ぶ内的使命を帯びています。一方、「世界平和連合」は体の世界を代表しており、世界的な政界、財界、言論界、学界、科学分野の指導者たちと共に、理想世界を建設する外的使命を帯びています。 神の前で縦的な角度から愛を説明すれば、アダムとエバは子女の愛、兄弟姉妹の愛、夫婦の愛、父母の愛という四大愛を成熟させ、神と直接関係を結んで生きるようになっています。したがって、アダムとエバは本来、真の愛を中心として、四大心情圏すなわち、完成した子女、完成した兄弟姉妹、完成した夫婦、そして完成した父母の心情圏を通過して、完成した家庭を築くべきだったのです。 アダムとエバは、家庭のモデルとならなければなりません。子女たちは父母を理想的な手本として、侍って生きなければなりません。子女たちは父母が互いに愛し合って生きるのを見て、兄弟姉妹間の友愛を学ぶでしょう。結婚して夫婦となっても、彼らは父母の愛を見習って理想的な夫婦の愛を学ぶでしょう。やがて彼らも子供を生んで、父母が見せてくれた良い模範に倣い、もう一つの完成した家庭を築くでしょう。 父母と子女、兄弟と姉妹、そして夫と妻が、縦的、横的両面から一つになった、理想的で確固たる家庭を築くことによって、私たちは地上はもちろん、天上にまでも、天国を建設することができます。このようにして、神を中心とした同じ祖先から生まれた全世界の家庭は、アダムとエバの家庭と同じく、神聖な価値をもつようになります。家庭基台の完成 紳士、淑女の皆様。成約時代の幕開けとともに、全世界的に救援歴史を完成し、またメシヤの分身となる氏族的メシヤの時代が来ました。皆様の家庭を復帰し、氏族、地域社会、国家を復帰しなければなりません。このような使命をもつ人々を、氏族的メシヤと呼びます。成約時代には、母親の役割が非常に重要です。堕落の時とは正反対に、母と子が一つになって真の父母と一体となり、夫を復帰し、祝福を受けることによって神に帰らなければなりません。 既に私たちは、数千人の氏族的メシヤ宣教師を全世界に派遣しました。遠からず世界的な次元で理想的家庭が築かれるでしょう。それぞれの完成した家庭では、祖父母は神を代表して王と女王の位置に立ち、父母は現在の人類を代表して王と女王の立場に立ちます。そして子女は未来の子孫を代表する立場で、王子と王女の立場に立ちます。これらの三代が一つになる時、過去、現在、未来が共に和睦して生きるようになり、そこから新しい歴史的伝統が出発します。 紳士、淑女の皆様。私はきょう、人類の最初の真の家庭の完成を皆様の前で宣布することができたことを、無上の光栄と思います。私と夫は、十三人の子供と二十人の孫と一緒に、神と人類のために絶対的な信念をもって献身しています。三代が一つの家族として共に生きながら、私たちは家庭的次元で、聖書で述べている生命の木の中心の根(祖父母)、中心の幹(父母)、そして中心の芽(子女)を確立しました。 皆様も真の家庭の血統に象徴的に接ぎ木されて、共に理想国家と理想世界建設のために先頭に立ちましょう! これが正に、成約時代の開幕を意味します。成約時代は神に侍って生きる時代です。 親愛なる御来賓の皆様。「世界平和女性連合」は、このような使命のために召命を受けました。第二次世界大戦後、キリスト教文化圏を代表したイギリスの失敗を復帰するため、再び選抜されたエバ国家日本は、その使命を果たすために女性は子女と夫を連れて、真の父母と一体となって、神の国に帰らなければなりません。 私たちはみな、神と人類が歴史的に願っていた、この使命を完遂いたしましょう! すべてのキリスト教徒と、すべての宗教者たち、すべての良心的な人々も心の窓を開いて、深い心情で、このメッセージを受け入れてくださるよう、切にお願いいたします。 私たちがみな、神のみ旨のために働き、神からの祝福を受けられる立場に立たれますことをお祈りいたします。神様の祝福が皆様と、皆様の家庭の上にありますようにお祈りいたします。どうもありがとうございました。<完>【参考記事】文鮮明先生御言選集 19930628 - 「真の父母と成約時代」一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.03
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神のみ旨からみたイエスの生涯と終末期の今日に対する神の警告(02.05.21 ワシントン・タイムズ創刊20周年記念祝賀会 ヒルトン・ワシントン・ホテル) 米紙ワシントン・タイムズ二十周年祝賀晩餐会が五月二十一日夜、ワシントン・ヒルトン・ホテルで開かれ、政治家、著名な学者・文化人、メディア関係者、宗教指導者など約三千人が出席、ブッシュ大統領もお祝いのメッセージを寄せた。同紙創設者である文鮮明師が演説し、ワシントン・タイムズが人類を教育していく任務を果たすよう要請した。 晩餐会では、少年少女聖歌隊が元気な合唱を披露した後、コンラッド・バーンズ上院議員(共和、モンタナ州)が祝辞に立ち、「先ほどの歌では、子供たちのエネルギーのすごさを感じましたが、ワシントン・タイムズのエネルギーもそのようなものだと思います。ワシントン・タイムズがこの二十年間にわたってなしてきたインパクトの大きさは、ここに集まっている人々の数と質を見れば分かります」と表明。 ダニー・デービス下院議員(民主、イリノイ州)は「真の父母としての価値を私たちに教え、愛と友情と重要なことをすべて、われわれに教えてくださり、われわれの行くべき道を、また勇気を与えてくださった文先生ご夫妻、本当に心から感謝します」と述べた。 次に、ホワイトハウスのティム・ゲーグリン補佐官が「ワシントン・タイムズが一九八二年に創刊され、その意見、その主張、その記事、その討論がどれほど大きなインパクトを与えてきたでしょうか。私はここまでワシントン・タイムズを育てた一人一人に対して心からその業績を称えます。そして、きょうの会が素晴らしい祝典になりますように」とのブッシュ大統領のメッセージを読み上げた。 また、米国とカナダで毎日二千万人が聞いているラジオ番組のローラ・シュレジンジャーさんは、ワシントン・タイムズが真実を報道しているとしてその勇気を称賛した。 ワシントン・タイムズの業績をまとめたビデオ上映に続いて、ウェスレー・プルーデン編集長の紹介を受け、文師が登壇し、「神様のみ旨から見たイエスの生涯と終末期にある現代に対する警告」と題して講演した。 文師はその中で、「天運がついに訪れています」として、「霊界にいるイエス、ペテロ、ヨハネと他の弟子など数万人もの宗教指導者が地上世界に自由に降臨して、真の父母に侍っているのです。疑いなく、神様のみ心である統一された国が地上に成し遂げられるでしょう」と言明した。 そのうえで、「今は第二イスラエルであるアメリカが最前線に立つ時です。米国がすべての世界の人々を導く責任をもっています。しかし、武器によってではなく、真理と、真の愛・真の生命・真の血統に基づいて他者のために生きる愛によってそれを果たさなければなりません」と強調。ワシントン・タイムズなどが人類を教育していくという天から与えられた任務に取り組むよう求め、会場から盛大な拍手を受けた。 ガビリア元コロンビア大統領らが表彰された後、文師夫妻に対し、特別な感謝の品が贈られた。 最後にカントリー歌手のランディー・トラビスさんが数曲熱唱したのに続き、文師夫妻が二十周年記念のケーキカットを行い、歓喜のうちに閉幕。参加者全員に対し帰る際、「百二十人の共産主義者の霊界セミナーに関する報告」などが手渡された。 尊敬する米国内外から来られた皆様。 ワシントン・タイムズ創刊20周年を祝うことは、私にとってとりわけうれしいことです。1982年5月、天命を受けてワシントン・タイムズの創刊を決意した時の記憶は、いまも鮮明に残っています。これは、私が人種的、宗教的偏見に基づく訴追を受け、ニューヨーク連邦裁判所で、不当な裁判を受けている時のことでした。 当時、共産主義が巨大な荒れ狂う波のように世界を席巻していました。米国でさえ、この問題に効果的に対応する手段を持ち合わせていなかったのです。私は、民主主義世界の最後の砦であり、第2イスラエルを代表するキリスト教国家である米国を共産主義から守らなければならない、という天の崇高な意思に従ったのです。天のみ旨はまた、神が求める平和な理想世界を造ることでもあります。すなわち、地上と天上の天国をキリスト教を通じて実現することです。ただお金をもうけるためだけに新聞社を設立したのでは決してありません。これまでワシントン・タイムズだけで10億㌦以上が投じられてきましたが、これを後悔したことも、誰かに対して憎しみを抱いたこともありません。それは、これが天と人類への真の愛を実践する道だったからです。 私が米国にきてから、すでに30年以上がたちました。82歳になり故国に帰る時が近づいていることを感じています。その前に、第2イスラエル圏内の国家、米国と全人類に、神の事情と霊界に関するメッセージをはっきりと伝えておきたいと思っています。単に個人としての私からのメッセージばかりではありません。天はメッセージを送ってくださっています。人類はそれを今、実行しなければなりません。これまで人類は、天のみ旨を知らずに生きてきました。第1に人類は神のことを知らず、第2に私たちは、望むと望まざるとにかかわらず誰もが最終的には必ず行く霊界について知らずにきました。 今、人類歴史の終末時代に入っています。霊界では、4大宗教の創設者をはじめとする無数の宗教指導者たちが、私が説いた統一原理を最高の次元の真理として受け入れています。彼らは完全に動員され、祝福結婚を通じて弟子や子孫に新しい真の家庭を築かせることによって復活するため、地上に戻っています。 とりわけ、第2イスラエルを代表するキリスト教国家、米国のために、イエスを中心とする4大宗教創始者がそれぞれ、歴史的によく知られる弟子たち120人を選び、統一戦線を築いています。今、地上へ戻り、世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)と世界非政府組織協会(WANGO)の運動を推進し、地上の完全な平和の実現に邁進しています。また、真の父母の哲学である「為に生きる生活」をし、真の愛を実践しなければ人類に未来はない、と主張しています。だからこそ、この機会を生かし、記念スピーチを行い、米国と人類に最も重要なメッセージを「神のみ旨からみたイエスの生涯と終末期の今日に対する神の警告」という題目でお伝えしたいのです。 十字架上のイエスの愛とその遺産 イエスの十字架の摂理を調べれば、イエスと右の強盗、左の強盗、そしてバラバが歴史の種をまいたということが分かります。まかれたものは刈り取られなければならないのが、原則です。ですから、最初に現れたのは右翼世界と左翼世界、すなわち民主主義圏と共産主義圏で、これは「右の強盗」型と「左の強盗」型を表しています。その次にイエスの十字架を中心としてイスラム、つまりバラバ型が現れました。バラバがイエスゆえに福を受けたことで、イスラムはキリスト教への抵抗勢力として出現しました。 こうして種がまかれた歴史は、4大ブロックに結集する世界を形成する時代に入りました。アラブ・ブロックのガマル・アブデル・ナセルは、イスラム圏を統一アラブ国家としてまとめることを夢見ました。一方のキリスト教は、世界中の新潮流をリードし、「全宗教を統一しよう」と主張しています。このような流れを見ると、悲劇のうちに種をまかれた歴史は、今や初めて、神を中心とした善の果実として実ろうとしていることが分かります。最後の時代を迎え、この現象はますますはっきりとなり、最初にまかれた種は、ついには完全に本来の形で実り、刈り取られます。これは、神の法であり、避けることはできません。すなわち、統一は、真の愛という真の父母の思想に従って成し遂げられます。 民主世界が内的とすれば、共産世界は外的です。右翼が内的なら、左翼は外的です。そのため、来るべきメシアは必ず、神を尊重する民主世界の内的基盤の上に現れなければなりません。メシアは外的世界をのみこみ、主流であるキリスト教圏を中心として異なる文化を統一する運動を推進しなければなりません。こういった運動は歴史の最後になされるものです。このようなことは、偶然に起こるはずはありません。大元の原因の性質が、そのような結果を導くのです。 右の強盗の功績 イエスが十字架にかけられ、右側の男とともに亡くなりました。その男は強盗であったばかりでなく、殺人者でもありました。もしこの強盗がそこにいなかったなら、イエスは地上世界と人類との関係を失っていたでしょう。右の強盗自身も死が近かったのですが、それでもイエスを擁護しました。人類歴史において、だれがイエスの味方をしたでしょうか。ペテロでもなく、イエスの父母でもなく、イスラエルの国でもなく、ユダヤ教でもありませんでした。それは、右の強盗たった一人でした。イエスとかかわりを持ち続けたのはこの人だけだったのです。死に際し、彼は死を超えて、すべての希望をイエスに託したのでした。右の強盗以外には誰もいません。もし右の強盗がいなかったなら、イエスは復活して地上の摂理を再開することができなかったということを、知らなければなりません。 イエスが4000年の歴史と30余年の生涯に終止符を打とうとしていた時、イエスの最大の願いを具現する人として、そこにいて、イエスにつながり、イエスに侍ったのは、ただ一人でした。死の道にありながら、イエスにつき従ったのです。右の強盗はこのような行動をとることで、イエスの弟子を超えました。ペテロを超えたのです。つまり、右の強盗はイエスの教えは知りませんでしたが、その性格が、最後の瞬間に、最後の息を引き取るまで、イエスにつき従わせ、そのための力を与えたのです。これに対してペテロ、ヨハネら12弟子はイエスの教えを知り、生まれ変わることを誓ってさえいたにもかかわらず、最終的にはそれを達成することはできませんでした。このような理由から、右の強盗は人類史の中心人物であり、地上世界を代表し、未来を救う人となったということを知らなければなりません。 私たちにはこの歴史を引き継ぐ権利があります。アダム、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、イエス、それに続く人々の伝統と基盤を相続し、この歴史的な犠牲の供え物の代わりとなっていかなければなりません。そうして初めて、サタンと向き合い、「歴史の中で、あなたはノアに負け、ヤコブに負け、モーセに屈服した。私はこれらすべての基盤の上に立ち、摂理史のすべての伝統を相続した。サタンよ、去れ」と叫ぶことができるのです。そうして初めて、サタンは退くのです。 ただ「サタンよ、去れ」と祈っていても、何にもなりません。6000年間にわたって人類を讒訴し、神の摂理を踏みにじり、復帰節理を破壊してきたサタンです。あなたが、ただ去れと言い、イエスを信じたからといって、退くとお思いですか。断じて違います。皆様に必要なのは、「私は間違いなく、神が歴史的心情を通して、求めてきたその人だ。私はイエスの聖なるけがれなき体に接ぎ木された者だ」と言える力です。あなた方の名前はイエスが神から授かった相続の書に記録されるはずです。神の相続の書には、神が地上にイエスを送ることができるまでの4000年間、抱いてきた心情を相続したものが記録されます。そうして、十字架上でサタンを打ち負かすのではなく、サタンを屈服させる力を持ち、十字架にかかることなく、サタンに勝たなければなりません。肉の体を持ち、実体を持って復活しなければなりません。こうして実体的な相続者ととして認められた者だけが、天国に入ることができるのです。 キリスト教に霊的基盤だけを与えたイエスの死 今日までキリスト教は、地上と霊界両方での天国を追い求めることができないでいます。キリスト教は物質世界を放棄せざるを得ず、イエスに霊的メシアとして侍り、霊的救いと霊的天国をその目標としてきました。イスラエルの人々は、国家を持ち、選民としての国家的権威を持っていましたが、今日の第二イスラエルの立場にある世界的なキリスト教は霊的な国家であります。キリスト教は国家的主権を持たず、キリスト教徒は国を持っていないのです。第二イスラエル圏内には霊的土台のみがあり、実体的な基盤はないのです。キリスト教は神の本来のみ旨を達成することができなかったため、神のみ旨である霊と肉両方の地上天国を実現するには、主を再び迎えるしか道はないのです。 私はきょうここに、一つの宣言をしたいと思います。十字架は神の勝利ではなく、サタンの勝利だったのです。イエスをゲッセマネの園でとらえた人々に対しイエスが、「今はあなたがたの時、また、やみの支配の時である」(ルカによる福音書22章53節)と言ったことを思い出してください。十字架は、神が4000年間準備してきた国が失われた場所であり、イスラエルの信仰が失われた場所であり、洗礼ヨハネに従う人々、12弟子、左の強盗、その他すべてが失われた場所でもあることを知らなければなりません。キリスト教が十字架にかかったのではないこと知らねばなりません。キリスト教はいつ始まりましたか。イエスは3日後に復活し、40日かけて、失った弟子、自分に背を向けた弟子たちに会いました。聖霊が弟子たちに降りました。そのとき初めてキリスト教が始まったということを知らねばなりません。過去2000年間にわたってキリスト教徒は信仰を持ってきましたが、キリスト教が十字架の原理によってではなく、復活の原理によって生まれたということを知らずにいました。この事実が分かれば、悔い改めざるを得ません。キリスト教はイエスの復活の基盤の上に生まれたのであり、そのため、キリスト教は厳密に霊的なのです。 イエスが十字架で死ななかったら、どうなっていたでしょうか。その場合、イスラエルの民族はイエスの教えに従い、安定し、存続していたことでしょう。ユダヤ教もそのまま存続したことでしょう。イエスは、自らが十字架で死ねば、後に多くの人々がそれに従い十字架の道を行くことになり、血を流すことなくイエスに従うことができなくなることを知っていました。多くのキリスト教徒が苦難を受け、主が再び来られる時も、苦難の道を行かなければならなくなるでしょう。これが、イエスがゲッセマネの園であのように祈らねばならなかった理由であることを知らねばなりません。今日、キリスト教徒はイエスが肉体を持ち、死の痛みを恐れたため、放免されるよう祈ったとしています。イエスはそのようなつまらないメシアだったというのでしょうか。絶対に違います。 ならば、イエスが十字架上でその命を落とすときに発した「終わった」と言葉は何を意味するのでしょうか。イエスは霊と肉両方の救いをもたらす使命を持ってきましたが、基盤のないままでは神のみ旨を完全には成し遂げることができないことを知っていました。そのため、霊的救いの条件を立てるため完全に自らを供え物として、摂理が始まるようにしたのです。それを完成したのでイエスは最後に、「終わった」と言ったのです。 おそらく皆様方の想像力をもってしても、このようなことは考えられなかったでしょう。キリスト教とユダヤ教は今からでも、主は、サタンの国を破壊してサタンの王権をなくし、神のみ旨を完成して人間性を復帰しようとしたが、非業の死を遂げた、ということを認めなければなりません。これが分かれば、悔い改め、一つになれるはずです。一つになり、帰ってこられる主を迎える準備をしなければなりません。 結果には、原因がなければなりません。全キリスト教徒が、盲目の信仰の時代を捨て去り、一丸となって新しい時代に向かって前進し、この世をまとめ、救いに至らしめる、そのような時代が来たのです。「統一」の言葉が不可欠な時代がきたことを知らねばなりません。 イエスの3日間の苦難の路程 イエスが死後3日間苦難を受けたということは何を意味するのでしょうか。天と地と地獄すべてが、死亡圏内にとどまっていました。イエスが天と地で権威を得るためには、この死亡圏の全域を把握しなければなりません。ですから、命につながれることを求め、神を慰める道を行くためにイエスは、たとえ地獄のような最低の環境に下りていくことになろうと、苦難を受けることになろうと、勝利しなければならなかったのです。イエスが地獄を通過したので、天へ向かい新しい出発をすることができる道が備えられました。地上ではのけ者にされ、孤独で、ついには死の道を行かざるを得なかったイエスですが、後代のために希望の道を残すことができたのです。これが3日路程を行かねばならなかった理由です。 イエスは、ただ地獄を見て回るだけのために、3日間地獄にいったのではありません。すでに地獄のことは知っていました。そこに行き、審判を受け、死の世界から生の世界に移る道を行かねばならなかったのです。こうしてイエスは、死の世界であり、地獄である地上に勝利の基盤を打ち立て、天に至ることのできる出発点を確立したのです。 十字架上でもイエスは天のことを心配し、敵を愛した 当時の既成宗教の指導者にとって、イエスは異端者でした。また国家にとっては、律法の破壊者でした。イエス自身の氏族がイエスを拒否し、家から追い出しました。洗礼ヨハネのグループもイエスを否定しました。それでイエスは荒野に出ましたが、サタンが彼の後を追いました。それだけではありません。やがて国全体が、十字架上の死への道、ゴルゴタの道にイエスを追いやったのです。 それでもイエスは、裏切り者として自らを十字架にかけた民族のために涙を流したのです。既成宗教から異端として扱われながらも、イエスはどの聖職者よりもその宗教指導者らのために多くの血と涙を流しました。その時代の誰一人として、イエスを支えるものはいなかったにもかかわらず、イエスはその時代の友でした。イエスは裏切り者で拒否されましたが、最大の愛国者でした。異端として拒否されましたが、最大の信仰者だったのです。 イエスは惨めな道、十字架の道を行き、そこで人々はイエスの着ていたものをはぎとり、追いたて、地に伏せさせたのです。それだけではありません。悪人がイエスを鞭で打ち、打ち倒したのです。ここでイエスがエリヤのようでしたら、「私はただ一人残った主の予言です」(列王記・上18章22節)と人々に言ったことでしょう。しかし、イエスはゲッセマネの園で弟子を残して、祈りに行ったとき、ここ言いました。「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」(ルカによる福音書22章42節)。ここがイエスの偉大なところです。イエスには、自らの体が国家のための犠牲の供え物であり、人類のための犠牲の供え物であり、天の摂理のための犠牲の供え物であることが分かっていたのです。 このことを知っていたがために、イエスは、悲しみを隠すことなく、さらに神の悲しみがいかばかり大きなものであるかを心配されたのです。イエスは国家のために現れました。そのイエスが裏切り者として拒絶されるのを見て神はいかに悲しまれているかを、イエスは心配したのです。イエスは天の王子であり、全天宙の中心人物であり、メシアでした。望めば、自らを哀れむ道を選び、なぜ十字架の惨めな道を行かねばならないのかを問うこともできたのです。イエスなら、全天宙を動員して、ともに絶望の深いため息をつかせることはできたでしょう。ところが、イエスは、自らのすべきことは、絶望のうちにため息をつくことではないことを知っていました。そればかりか、拒絶されたことを天に対して申し訳ないという思いを抱くまでに至ったのです。 イエスは、宗教指導者を結集し、民族を盛りたて、天の王国を築き、世界を父の懐に返す、という使命を持っていました。ですが、その使命を放棄し、十字架の道を行かざるを得なくなったときでも、恨みを抱くことは一切ありませんでした。死を恐れる余り「この杯をわたしから取りのけてください」と祈ったのではなく、自らの死が民族と神の悲しみを増すことになる、そのことを知っていたがためにこう祈ったのです。 イエスは、十字架で死ねば、後の世代の人類にもっと重い十字架を残すことになるということを知っていました。それは、悲しみの歴史は終わらないということを意味します。ゴルゴタの道はイエスだけにとどまらない、ということをイエスは知っていたのです。死の道は終わらないことを知っていたのです。イエス自らがゴルゴタの道を行けば、イエスに従う者も同じ道を行かねばならなくなるということを知っていたのです。もっと困難な道が十字架の向こうにあるということを知っていたのです。 いばらの冠を被らされ、両手両足にくぎが打ち込まれ、わき腹にやりが差し込まれた時、このことが、自らの死よりもはるかに大きな衝撃を与えることになるということを知っていたのです。イエスが天に向かい、「終わった」と言った時、それは世界の十字架の道が終わったということを意味したのではありません。十字架にかかることに関して、天がイエスの心からの涙ながらの願いを聞き入れてくれたことを意味したのです。イエスは天を慰めるために、預言者、愛国者が犯したすべての過ちを背負い、自らを生きた供え物としたのです。 それ以上に、イエスは死が近づいたとき、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカによる福音書23章34節)と言いさえしたのです。神はすぐ審判を下すつもりでした。それはノアの時代の審判よりもさらに大きなものでした。ところが、イエスは民族を愛し、宗教組織を捨てず、十字架の道を選び死にました。そのため、神は人類を捨てることはできず、私たちをつかんでくれているのです。イエスと後の世代の人類およびイスラエルの残った人々との間に、この心情のきずながあるがために、神は、宗教組織と後代の人々が神に背を向けようとも捨てることができなかったのです。つかんでくれているのです。 イエスが私たちと分かつパンとぶどう酒の意味 ここにいる皆さんは、神が数千年間にわたり復帰の摂理をしてこられ、イエスを復活させるだけでは、天地における神のみ旨は全うすることはできないということをよく理解しておられることと思います。そのために神は、神の言葉で新たな契約を打ち立て、それを通じて、天地のみ旨を一つにし、約束の本来の園を打ち立てるための摂理をしてこられたのです。 聖書には、イエスがぶどう酒とパンを私たちに与え、それは約束と新しい契約である、と言ったとあります。イエスが地上に現れて後、私たちはイエスの血と肉を受けました。これらは、成就しなければならない、完成したものすべての生命を表すものです。同時に、摂理の全体を表すものでもあります。 イエスの血と肉を受け取ったということは何を象徴するのでしょうか。これは単に一人の人の血と肉にとどまりません。大きくは、天と地を表し、小さく見れば、中心であり個人の体を表します。さらに肉は真理を、血は聖霊を象徴します。イエスはこれらを無条件に与えてくださったのです。 神と人類の間に立ちはだかってきたのは何でしょうか。天のみ旨は地上で現れるべきであり、地上のすべては最終的には天につながれなければなりません。これがなされず、神と人類は離れ離れになってきました。イエスは生前、新しい契約を打ち立てていきました。そのため、イエスの死後、人類すなわちイエスに従った弟子にとって、霊界と地上界をつなぐことが必要な条件として残されました。イエスが死ななければ、天と地はイエスを通じてつながれたのです。イエスは亡くなられたため、天の事情を代表するものとなり、聖霊が地の事情を代表するものとなったのです。 尊敬する皆様。時が来ました。神が六千年間待ち望み、キリスト教徒が2000年間待ち望んでいた天の時が来ました。天上、地上の天国を、宗教を超え、国家を超え、組織を超えて、建設するときが来ました。天運がついに到来したのです。今では、霊界のイエスやペテロ、ヨハネなどの弟子たち、加えて数千、数万の宗教指導者が一心同体となって、真の父母に侍るために自由に地上に降臨しているのです。間違いなく、天地が永遠の平和の下に一つとなり、天のみ旨の統一天宙国家と天国が地上に定着するのです。 今や第2イスラエルを代表するキリスト教国家、米国が最前線に立つ時代です。米国には全世界の人々を導く責任があると、私は世界に宣言します。しかし、武器で導いてはなりません。それは真理と愛を持って、真の愛、真の生命、真の血統を基盤に、他者の為に生きることでなされなければならないのです。 最後にワシントン・タイムズ、UPI、その他主要メディアが宗教、思想を超えて、この天からの崇高な命令を受け入れ、人類を教育する使命を推進することを願っています。霊界にいる指導者からのメッセージを収めた小冊子を皆様にお配りしました。これを精読してくださいますようお願いいたします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ 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2024.11.02
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第1163回 天心苑特別徹夜精誠 (11/01)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.11.01
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