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伝道に行って会った共産党員🍓共産党に入籍して妻からは逃げられ✳️素晴らしかった息子たちもずっと少年院に🌰原理の力を再確認❤️Yさん(日本・男性)の証し一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.20
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奇跡的な神様の導き🌹神様の導きを感じできる限り尽くす🍇日本、Kさん(男性)の証し🌰1980年代の証し❤️一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.20
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世界での日本食口の活動🌷ー 世界に影響を与える ー🍓イギリスでのSさん(男性)の証し🎁1980年代一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.18
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文総裁が興南刑務所から解放されて南下したとき、聖書によって共産ゲリラの嫌疑から逃れることができた、という証しです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.17
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世界の平和GG鈴木チャンネル「信教の自由と解散請求権」2023/10/15文化庁が(旧)統一教会に対して散々質問をした挙句、やっぱり解散を請求することにしました、ということになった。行政権に自由に宗教団体を解散させる権限を与えてしまうとろくなことにならないから、行政からの請求があった場合に限り、司法がその可否を判断することになっている。今回の場合、宗教団体側は必ずその解散請求は、憲法20条の信教の自由を侵害するものなので不当な行政行為である、と主張するはずだから、これは最高裁にまで行き、そうなると有斐閣が発行する「憲法判例百選」に記載される事案であろうと思う。おそらくそのタイトルは、「信教の自由と解散請求権」というようなものになり、最高裁の判断が記載され、法律を学ぶ学生は誰しもそれを学ぶようなことになるだろう。その判断をする前提として、我々は、そもそも宗教とは何か、を知る必要がある。宗教についての自分の理解はこうだ。人はそもそも本来の自分の中に様々な(108個かそれ以上の)煩悩を抱えている。それは水中に油分が小さなしずくとして混入している、コロイド溶液状態であると言えよう。宗教は、このコロイド溶液状態から、「本来の自分」と煩悩という本来自分のものではない油分とを、はっきり分離するシステムであろう。そうして水と油を分離できれば、人は本来の自分という方を動機として行動することによって、行動を変容させることができる。コロイド溶液だった自分とは別人格の自分になれるのだ。かくして油分の方は行動が伴わなくなってくるので、自然に除去されることになる。これまでの宗教においては、そのプロセスはたいがいつらく、厳しく、痛くて、葛藤を伴うものだった。それでもその結果は貴重なので、人はそのつらい道を行く。その過程の中には、カネを捨てろ、というものもある。イエスは富める者が天国にはいることはらくだが針の穴を通るよりむずかしいのだ、と主張している。幸せになりたければ、まずカネを捨てろ、とのきびしいお達しだ。そして、家族を平和にさせるために来たのではなく、剣を投げ込むために来た、とも語っている。(旧)統一教会がかつてしていたことがカネを捨てさせ、家族を離反させることであると言うなら、それはまさに宗教の王道であったものだ、とも言える。そんな王道の宗教団体がメディアの目の敵にされていることの思い当たる理由としては、半世紀くらい昔にさかのぼる話だが、学生運動が華やかだったころ、共産党下部組織の民主青年同盟や全共闘などの反体制運動に対して正面切って立ちはだかった勢力が、(旧)統一教会傘下の原理研究会だったから、ではないかと思う。原理研究会のメンバーはその後、統一教会に入り、それはさらに家庭連合というものに進化した。民青だったメンバーは今でも日本共産党の中高年者として党を支えている。組織力が弱かった全共闘は大方が「挫折」し、その後大手メディアに入ったり、弁護士になったり、政治家になったりした。彼らは自分たちの青春時代に原理研究会にひどい目に会った仕返しをしないと、挫折した心の平安が得られないために、今(旧)統一教会つぶしに燃えているという、これは長い時間をかけた奇妙な復讐譚なのではないかと思う。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.17
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(2000年年頭標語:真の愛の天宙化は新千年天国完成)第三十三回「真の神の日」午前零時の御言成約八年 2000年1月1日ニューヨーク市・マンハッタンセンター 祈祷 愛する天のお父様。 たった今、一九九九年を中心とした標語である「真の祝福天宙化とサタン血統根切」を中心として、新しい二〇〇〇年を迎えることによって、第四次アダム圏を、この地上における勝利的基盤のもとで、天上世界と地上世界の数億万双の祝福基盤の上に宣布することのできる勝利の摂理史と、救援摂理の終結を成し遂げることのできる六千年救援摂理史において、イスラエル民族の四千年歴史を終結し、新しく二千年を越えて千年を迎える、新千年時代を迎えました。 今から統一教会は、天と地の前に恥じることなく、全世界万民に真のご父母様の血族の因縁を中心として、天の眷属(一族)のみ名による祝祷基盤を備えた、すべての数億、数十億、数百億双の霊界と肉界のすべての同参者たちが、天地父母をお迎えして新千年を開門するこの式典に参席するようにしてくださった恩賜を、お父様、感謝いたします。 お父様。救援摂理の悲しい歴史を退けて、新しい希望に満ちた天地開闢の歴史を迎え、この地上に新天新地を、あなたの創造理想とともに新しく迎えることのできる、歴史的な新しい千年時代を迎えるようにしてくださった天のお父様の恩賜に感謝を申し上げます。真の父母のみ名を通してサタン世界の血統を根絶し、天使長ルーシェルを屈伏させ、万民の前に神様を中心とした勝利の覇権を持ち、悪なるサタンとその一族を除去することのできる「九・九節」と「三・十節」を宣布することによって、解放的天地の勝利圏をもたらしてくださった恩賜を感謝いたします。 今、新しい千年を迎える新年の、「真の愛の天宙化は新千年天国完成」という標題を持ち、今、千年時代を開門しようと願っておりますので、お父様、祝福してくださることを懇切にお願い申し上げます。 天宙ということの意味は、神様を中心にすべての被造世界が一つの愛で住むことのできる家を象徴いたしますが、ごく小さな微生物から天上世界の霊たちまで、神様の真の愛を中心として安息することのできる平和の基地であり、安息の基地である地上天国の完成に向かって出発することのできる開闢、開門の時代を迎えさせてくださった恩賜を感謝いたします。 霊界にいるすべての祝福家庭、地上にいるすべての祝福家庭が真の父母と一体となり、天上の父母と一体となることによって、一つの家庭を成し、この地上に安息的個人解放、家庭解放、氏族解放、民族解放、国家解放、天宙解放圏祝福基盤を築き、神様が自主権を持たれ、自由と希望と願いを持って治めることのできる愛の主権世界を建国してくださることを懇切にお願い申し上げます。 ここに統一家の祝福家庭たちが集結しておりますので、全世界に広がっている統一教会の食口たちがここに向かって注視する、その所ごとに、お父様の愛の恩賜を施してくださり、天上世界と地上世界の恩賜を一つにして、真の愛のきずなを中心として固く結ばれた家庭的基盤の上に、解放的勝利の万々歳を叫ぶことのできる祝福を受けた家庭となるよう許諾してくださり、その先祖とその後孫が一体化して天国の民に加入する民となることができるように許諾した、この時代を迎えるようにしてくださったことを感謝申し上げます。すべてのものが協力し、神様の喜びと栄光を中心として、解放の地上天上天国を宣布するようになったことを感謝せざるをえません。 新千年は、お父様の自主的な国家形態の世界となり、愛の万軍の主の主となられて、愛の万王の覇権王になるよう許諾してくださることを、懇切にお願い申し上げます。 この全体、小さい微生物から被造世界全体が、お父様の愛の前に和合することのできる一体圏を備え、あなたの愛の天下を主管することができるよう許諾してくださり、万民解放圏の勝利覇権を持って万物とともに天国化することのできる勝利の自由天地を迎えるよう許諾してくださることを懇切にお願い申し上げます。 ここに向かって決意して祈祷している、すべての天上世界、地上世界の祝福家庭と世界に広がっている後孫まで、一体となさしめてくださり、天の前に一心一体となって定着することができるよう祝福してくださることを、万世、万々世にかけて懇切にお願い申し上げ、このすべてのみ言を真のご父母様のみ名によって祝福、祝願いたします。 アーメン。アーメン。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ み言 新年を迎え、皆さんが福を受けてくださるようお願いいたします。(拍手)きょうの標題は何かというと、「真の愛の天宙化は新千年天国完成」です。その意味は何かというと、「真の愛の天宙化」とは、天と地のすべてのものは真の愛の家であるという意味です。存在世界のすべての存在は、真の愛の天宙化……。天宙というものは、神様の天の国の家です。神様がいらっしゃることのできるすべての家は、新しい千年全体の世界を通して神様の天国を完成するものになるというのです。それが題目です。 そして、皆さんが知らなければならないことは、人間生活において個人時代……。どこであっても神様の愛が永遠にとどまることのできる家は、新千年時代の天国完成が出発するのである。アーメン。 皆さん。統一教会で言う真の愛というものは、深い意義があります。一般の世界で言う愛の話とは違うのです。そのことを知らなければなりません。この世界のすべての存在、鉱物世界、植物世界、動物世界は、ペア・システムになっています。そこではすべてが、雄・雌、プラス・マイナス、主体・対象という関係でお互いが一つに結ばれているのですが、真の愛を中心として、主体も入っていって暮らしたいと思い、対象も入っていって暮らしたいと思い、男性も入っていって暮らしたいと思い、女性も入っていって暮らしたいと思うのが、愛の家なのです。 人間も万物も、すべてがペア・システムになっているということは、必ず愛という母体を中心として連結されているということです。そして、永遠に繁殖して、栄え、存続することのできる基台になっているということを、わたしたちはよく知っています。 男性であれば、男性自体を見ても心と体から成り立っています。どこからそのように生まれたのかというと、「私」というのは、父母の愛を中心として、父親と母親の生命体を連結させる血統を通して結実したものです。心が主体と対象になっているのも、主体と対象の生命を代身し、心的生命、体的生命を代身していると同時に、この二つは真の愛を中心として一体となっている一つの家であるということです。このことを考えなければなりません。 そして、そのような男性と女性は、また主体と対象となり、愛のある家でお互いに一つになるためのものである、ということを知らなければなりません。それが夫婦なのです。一つの家になるのです。それゆえに、夫人は、夫の愛の家であるというのです。夫は、夫人の愛の家なのです。 本来、縦的な神様は、正から、分、合と展開していくようになるのですが、夫婦が一つになれば、横的に一つになるので、そこには必ず神様が入ってこられて暮らし始めるということを知らなければなりません。真の愛の家であり、神様とともに暮らすことのできる家であり、妻の愛の家であり、夫の愛の家であると同時に、神様が愛される家を、家庭から生み出すことができるのです。 家庭という愛の家を中心としてこそ、神様がこの地上の家を訪ねてこられます。その家で共に暮らすことによって神様と一体となるのであり、縦的な基準は心的父母であり、横的関係は肉的父母であるというのです。それゆえに、心と体の主体と対象が一つになるところには、この愛が九十度であり、ここで一つになるようになっています。 それでは、神様はだれかというと、「男性と女性の夫婦が入っていくことのできる愛の家である」、このようになるのです。そのようにして天の国の家庭形態が生じるのです。家庭が天の国になれば、息子・娘が生まれます。 一つの家庭には、上下関係、夫婦関係、兄弟関係があります。それゆえに、神様とアダム、エバは、子女たちが入っていくことのできる愛の家であり、子女たちは神様とアダム、エバが入っていくことのできる愛の家です。上下、左右、前後を備えたのが一つの家庭なのですが、全体が主人になることのできる愛の家であったということを知らなければなりません。それが家庭的モデルなのです。 このモデル家庭が増えて氏族となり、さらに増えて民族となり、国家となり、世界となります。天の国の民全体が、一つの種に似た実のようになり、それが、天上世界と地上世界にぎっしりと満ちていけば、神様が理想とする地上天上天国になるのです。アーメン。 家庭とは、一体何でしょうか?。神様の本質的愛のモデル形態です。それでは、神様の愛とは一体何でしょうか?。父子の関係です。父母の愛、夫婦の愛、兄弟、子女の愛です。神様が、三大愛が一つになった家庭の中心になられれば、天の国に直行することのできる家庭となるのです。このことを知らなければなりません。 このような家庭を中心として氏族が展開します。皆さんの家庭一つではできません。家庭の囲いとなる氏族が必要です。「たくさんの家庭が自分の家庭を保護してくれ、わたしの家庭は氏族の保護を受けているので、氏族はわたしの家庭の愛の家だ。本家である」というようになるのです。このようなことを考えなければなりません。 それから、氏族自体は、家庭に入っていって暮らすことができ、その氏族のすべての家庭が、わたしの家に来て暮らしたいと思う、そのような愛の家を代表するのが家庭です。氏族的愛の家を代表するのが家庭なのです。 その次は、国です。国を中心としてみれば、民と国は、お互いの家庭を完全に連結した一つの同じ単一統一体として、「国は国家国民の家であり、国家国民の家は、国王がいらっしゃることのできる家である。国の家である」というようになるのです。 その次は、世界です。世界を中心として国と比較するときには、世界は国が入っていって暮らすことのできる愛の家でなければならず、いくら世界だといっても、真の世界の家が、世界のどのような家庭に入っていったとしても歓迎される国の家にならなければなりません。 その次は、世界化と天地です。天宙を中心としてみるとき、これも同様の原則によって、天宙は世界が入って暮らすことのできる愛の家にならなければならず、世界はこの天宙のすべての家庭を歓迎できる代表的家庭にならなければなりません。一つにならなければならないのです。 このすべての天宙は、神様から出発したのであり、主体である神様を中心として対象的立場に立っているので、同じ家の完成を成し、家庭や氏族、民族、国家、全体世界は、同じ公式原理で家を訪ねていって一つになっている姿であるというのです。 すべての万物もそのような家で暮らし、すべての人類も、霊界に行った人、過去にいた人、現在いる人、未来に来る人も同じようにこの愛の家を築いて、神様まで共に暮らされる立体的世界が、地上天国であり、天上天国であったというのです。アーメン。 人間を中心として、万物はきわめて小さいものだとしても、人間の心がごく小さいところに共に入っていって暮らしたいと思うので、万物を愛するということが起きるのです。 それでは、真の愛と今までわたしたちが暮らしていた世界とは、どのように違うのでしょうか?。真の愛が成した天国理想世界とわたしたちの世界とは、どのように違うのかということを、今から知らなければなりません。 堕落していない世界は、理想的世界であると同時に、だれもが喜ぶことのできる公的な世界です。堕落した世界とはどのような世界ですか?。自分を中心として大きくなっていく世界です。 いくら大きくても、自分を中心としたものは、なくなっていくのです。堕落のゆえに何を失ったのでしょうか?。神様の血統を失ってしまいました。このような本質的な面において、愛と生命が結合して血統が生じるのですが、公的な「ために生きよう。全体の前に吸収されよう」という思想を持った血統ではなく、「自分を中心として吸収させよう」という血統になったので、世界が変わってしまったのです。百八十度反対になったのが、今日の堕落した世界です。堕落したということは、原則の世界から脱線したことをいうのです。 堕落した世界に善なる人と悪なる人が暮らしています。その善なる人とは、公的な人です。小さいものであったとしても無視せず、小さいものを貴く思い、ために生きてあげることのできる主人にならなければなりません。相対世界を連結させていくために生きる存在が協力して一つになろうとする世界が、善なる世界なのです。このことを知らなければなりません。 悪なるものとはその反対です。すべてを自分が所有しようとするのです。そして、引き寄せて、横にあるものまで奪っていくので、闘いが起きるのです。引き寄せるところでも闘いが起こり、横にいる人は防御しようとするので、四方で闘いが繰り広げられるのです。 個人主義とは何でしょうか?。これは悪の中の悪なので、地獄の底に行く主義です。個人主義は、世界最高の「独裁者になろう」、「悪魔の宮殿の位置を占領しよう」、「地獄の底に行こう」という主義なのです。 イエス様のような人は、命を犠牲にして、後に心臓に槍を突き刺すローマの兵士に対してまでも、愛でために生きてあげました。それが偉大であるというのです。ローマは、イエス様を地獄に放り込もうとしましたが、イエス様はローマを天の国に連れて行こうとしたのです。 ここにいる人たちも、悪なる人なのか、善なる人なのかを、どのようにして区別すべきなのか分からずにいます。わたしの体の中で、心と体が境界線になっており、善と悪が闘っているということを知らなければなりません。 先ほどお話しした、ここがプラスならばマイナスの愛が、マイナスならプラスの愛が入ってくるのですが、悪はこれが自分の家に入ってこれないようにするのです。「わたしは、あなたの家に入っていって暮らすが、わたしの家には入れない」と言うのです。ですから、片方だけが入っていくのです。 ですから、心と体の境界線が自分自身にあるのですが、自分を中心として暮らせば地獄に行くのであり、公的な因縁を中心として暮らせば天国に行きます。心と体を見ると、どちらがより公的なのかというとき、それでも心が公的なのです。絶対に心の命令どおりに従っていけば天国に行くことができますが、それを否定して体がしようというとおりにすれば、絶対に地獄に行くようになります。アーメン。 先ほどお話ししたように、上下関係、父子の関係、夫婦関係、兄弟関係が一つの愛に統一された基盤を備えたものが家だというのですが、個人主義や自分を中心として暮らす人は、家がありません。 このような観点から見るとき、神様の家庭、神様を中心として、すべての万物と雄、雌、プラス、マイナスを備えた小さな愛の家は、大きい愛の家に入っていこうとします。そして、またそこから、さらに大きい愛の家に入っていこうとしながら、万物が連結されていくのです。何のことか、分かりますか?。小さい愛の家は、大きい愛の家に入っていって暮らそうとするということです。 皆さんは、どのように暮らしていますか?。植物を採取して食べるでしょう?。植物だけ採取して食べるのですか?。動物を捕まえて食べ、昆虫でも何でも、すべて捕まえて食べます。海の魚から、動物でも何でも、捕まえて食べるというのです。人間は、すべての存在を捕まえて食べます。 それでは、人間は最も悪い存在ですか、最も善い存在ですか?。強制して捕まえて食べるのではありません。「彼らが願って、わたしの中に入り込んできたので、飲み込んでしまった」というのです。「おまえたちがわたしのところに入ってくるのは、わたしがおまえたちを愛したので、それにさらに大きく報いるために入ってくるのだろう」と、このように言わなければなりません。 「おまえは小さいが、それでも子供を産むのを見ると、わたしが祖父母と父母と息子、娘を中心として一つになって暮らしているのと同じように、おまえたちも、小さい家庭の存在なのだな」と思いながら愛さなければなりません。そのようになれば、真なる主人の位置に立ち、真なる主人の位置に立てば、相対はそこに自動的に引かれてくるのです。 結論は簡単です。神様の家で神様が万物を愛されるように、わたしたちの家でも神様のように愛していけば、すべてを食べてもかまいません。そのようになるのです。消化してもかまわないというのです。 家では、おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、息子の皆が、一緒に食事をするでしょう?。次元の低い万物一種類のおかずで食事をするとき、その万物が「わたしの一つの体を息子も食べ、父母も食べ、祖父も食べ、三代が食べて喜んでいる。このようにして体が大きくなっていくのだな」と思うのです。それは、価値で見れば、何百倍、何千倍の価値を持つようになって死んでいきます。そのようにして、小さな存在が大きくなっていくのです。 家庭を中心としては、上が神様、また過去を表し、下は未来を表すのですが、「三代を代表した天地すべてを養育することのできる祭物として、わたしがおまえたちをささげることによって、おまえたちは損害を被るのではなく、祭物の価値以上の存在として大きくなっていくので、感謝であり、栄光となる事実である」と万物に言えば、感謝するというのです。 サタンは、その反対です。一つの家庭があって、そこに八人がいれば、「八人が、おじいさんも、おばあさんもわたしの思いどおりにして、万物もわたしの思いどおりにしなければならない」と言うので、すべてが反対なのです。善なる目的のためにつくられたすべての万物は、そのような所に行くと、嫌がるのです。 個人主義、今日のヒッピー、イッピーとは何ですか?。おじいさん、おばあさんが必要なく、父母も必要なく、兄弟も必要なく、国も必要なく、「すべて必要ない」と言う人です。もし、そのような人の家に、愛する男性と女性のふたりがいたとすれば、その家に入っていこうというものは何もありません。心の世界も、そのような所は拒否します。天運に従って動くすべての万物は、被害を被るので避けていくため、そのような人たちは、貧乏人となって貧しく暮らし、自己破滅するしかありません。自己消耗にまで至るのです。 皆さん、先生が好きな人は手を挙げてください。好きなだけですか?。愛していますか? (「愛しています」)。「おい、この者たち。愛してはいけない」と言っても、愛するというのです。なぜ、愛するのですか?。味が良いのです。目の味も良く、鼻の味も良く、口の味も良く、耳の味も良く、五官の味が良いのです。服にまで、かみつきます。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。それは、わたしよりも皆さんがよく知っています。 それは、なぜそうなのですか?。愛の家だからです。白人の家にもなり、黒人の家にもなり、韓国人の家にもなり、地上の監獄にいる人の家にもなります。天上世界まで、すべての家になるというのです。 そのような人は、いくら世界が責め立てたとしても、宇宙が保護します。その人は滅びるでしょうか、発展するでしょうか?。いくらおじいさんが反対したとしても、孫の代になれば、「そこに行ってこそ間違いなく生きる」と思うのです。「統一教会は、天国理念を持っているので、一世は反対するが、二世、三世は統一教会のレバレンド・ムーンを愛さなければならない。そうしなければ滅びる」ということです。それでは、この米国で、セカンド・ジェネレーションは、どこに属するのですか?。十二歳から二十四歳、三十歳未満の人たちが二世圏に入ります。このことを知らなければなりません。 ある学校でいちばん良い学生とは、千人の学生がいたとしても皆が、その家に入っていって暮らしたいと思う人です。その人が「嫌だ」というそぶりを見せても皆、逃げていきません。個人主義は、「自分のために生きろ」というのです。自分のことだけを考えるのです。それは合っている話ですか、合っていない話ですか?。 それでは、きょう話した「真の愛の天宙化」は、小さい万物から大きい神様まで、すべてが間違いなく愛の家に入っていくことのできる安息圏になるので、地上天国が完成するのです。すべてのものが「アーメン」と言えば、「だめ」と言ったとしても、アーメン (「アーメン」)。「『アーメン』と言うな」と言ったとしても、アーメン。(「アーメン」)。アーメン。(「アーメン」)。アーメン。(「アーメン」) それではきょう、新千年にお話しした、「わたしは天国に入っていくことのできる人に間違いなく、なる」という、このような論理によって、今、個人から神様まで、この公式を適用して暮らせば、間違いなく天の家に行って暮らすことができ、神様が訪ねてこられ、万物が訪ねてきて暮らしたいと思う、そのようなわたしの家になるのです。アーメン。(「アーメン」) 米国は、レバレンド・ムーンを愛しましたか、反対しましたか、憎みましたか? (「愛しました」)。どのような愛ですか?。米国がレバレンド・ムーンを愛しましたか、反対しましたか? (「愛しました」)。左側では「反対した」と言い、右側では「愛した」と言っています。 反対しました。しかし、三十年の歳月を送りながら、米国を生かしてあげるために、今まで投入して忘れ、投入して忘れてきたのです。そのことを続けてきました。ですから、米国の一世は反対しますが、二世と三世は「レバレンド・ムーンは正しい人だ。義人だ」と言いながら、真の父母の写真携帯運動をして、旗を振りながら賛美するデモ隊が生まれるのです。アーメン。デモンストレーションです。 そのようにすれば、米国は滅びるでしょうか、発展するでしょうか?。レバレンド・ムーンが米国に入っていって暮らせば、統一教会の人、霊界と肉界のすべてが入っていって暮らし、神様と神様の国が暮らすことのできる代表国家になるので、この国は間違いなく中心国家になるのです。アー、アー、アーメン。 天国というものは何かというと、自由が永遠に存在する所であり、希望が永遠に存在する所であり、幸福が永遠に存在する所であり、真の愛と生命が永遠に存在する所です。なぜですか?。神様の家で暮らしながら、神様の愛と一つになっているので、間違いないのです。ですから統一教会は、愛する世界の人々が共に暮らすわたしの家であり、わたしたちの家です。統一教会の教会員は家庭です。統一教会の人々は「食口」と呼ぶのです。 家庭と食口が天地の安息圏の中心にいるので、このような公式原理に従って、統一教会は、家庭第一主義、兄弟第一主義、食口第一主義を主張するのです。それは何かというと、真の愛を中心として、真の血統と連結された真の家庭であるということです。神様とのアダム、エバの血統、アダム、エバとの子女の血統が……。子女たちも、神様の前に縦的に上がっていって下りてくることができる、一つに交わった家庭形態の世界と天宙を考えるので、天国が来ざるをえないという結論が出てきます。 怨讐 同士、ふたりで闘っていたものが、統一教会に入ってみ言を聞いて兄弟となり、だれよりも親しくなる、そのようなことを成していく所が統一教会なのです。食口をつくるのです。どれほど素晴らしいですか? (「アーメン」)。(拍手)抱き締めて放さないというのです。なぜですか? 「おまえのゆえに統一教会に入って、家庭に参席し、氏族に参席し、民族に参席し、国家に参席し、世界に参席し、神様の晩餐の席にまで来た。これはおまえのゆえだ」と言って、もっと抱き締めるというのです。 「神様がこの家と家庭理想をつくられたので、神様もわたしの手に入ってきてください」と言えば、「もちろん、そうしよう」と言われるのです。ですから、神様を自分の息子のように抱いて愛し、妻のように、夫のように愛し、国王が世の中の代表を愛することができるので、王子の中の王子であり、王圏がうらやましくない主人の資格を持ったので、寝てもアーメンであり、目覚めてもアーメンと言い、夕食を食べてもアーメンであり、死んでも生きてもアーメンなのです。(「アーメン」) 統一教会を信じない世の中の家庭を見れば、「ああだ」、「こうだ」と言いながら、いがみ合っているのです。そこで暮らしていて、統一教会に入ってきてからは、パンのかけらを分け合って食べ、一日一食だとしても、ここに来て暮らそうとするのです。 「自分の家で生活しなさい」と言っても、父親と母親が、国全体が「わたしたちのほうが良い」と言ったとしても、すべてをけ飛ばし、レバレンド・ムーンを訪ねていって、苦労しながら暮らそうとするのは、どういうことですか?。統一教会が愛の家になっているので、そうせざるをえないということを知らなければなりません。わたしが「この者たち」と言いながら追い出しても、半月もたたずにまた帰ってくるのです。「公席に立ったレバレンド・ムーンは、真っ赤なうそも上手だなあ」と思うなら、調査してみなさいというのです。 さあ。ですから、統一教会が早く広がらなければならないでしょうか、早く、なくならなければならないでしょうか? (「早く広がらなければなりません」)。早く広がらなければならないと言うのですか?。わたしは、それを願いません。 苦労して暮らしているとき、お金持ちの家に行ってぜいたくな食事をするのは気分が悪いことです。それは地獄よりももっと嫌だというのです。世の中の労働者たちと友人になり、農村に行き、漁村に行き、どこに行ったとしても、そこで彼らと友人になりたいと思うのです。都市には、わたしがよく知っている友人がたくさんいます。しかし、博士や大統領など、あらゆる友人が自分の家に招待しても、そこには訪ねていきませんが、農村で貧しく暮らす友人や食口が招待すれば、そこに訪ねていくのです。それは悪い人ですか、善い人ですか? (「善いかたです」) では、皆さんはこのように祝賀をするためにここに来ていますが、全世界がインターネットを通し、人工衛星を通して、世界のすべてがレバレンド・ムーンがどのような話をするのか聞いているのですが、皆さんは、その人たちに負けるでしょうか、負けないでしょうか? (「勝ちます」) それでは、世界でインターネットを通して先生のみ言を聞き、「はい、そのように暮らします」と決心する人のほうが多いでしょうか、ここに約三千人集まって決心する人たちが多いでしょうか?。どちらの人が多いでしょうか? (「ここです」)。なぜここですか?。それは、原版だからです。原本なのです。あれはコピーです。いくら多くても、オリジナルの一枚が億千万のコピーに勝ります。 そのかわり、皆さんが生涯において彼らの何千万倍価値のある原版になろうというのならば、間違いなく天国の神様のみ前に、息子、娘の資格を持って参席するという自信を持った人にならなければならない、という結論が出てきたというのです。 先生も、少年時代や皆さんくらいの年齢の時代に……。ここには十代の少年もいて、それから青年もいて、二十代、三十代、青年時代があり、壮年時代……。先生は、八十歳になったのです。 それでは今、先生のみ言を聞いた人は、先生よりも劣った人になりますか、優れた人になりますか? (「優れた人になります」)。八十歳の老人についていきますか、八十歳の老人の前を走っていきますか?。前を走るという人は手を挙げてください。 それでは、わたしは今から休んでもよいのです。家でおじいさんが横になって、「おい、おまえたち。魚を捕まえてきなさい。狩りをしてきなさい。ご飯を準備してきなさい。柿をとってきなさい。食べたい万物、若いときから今まで食べられなかったもの……。食べられなかったのだ。十分に食べることもできず、着ることもできず、食べられなかったので、食べたい物、着たい物、わたしがしたいこと、すべてできるように準備しなさい」と言えば、しなければならないでしょうか、してはならないでしょうか? (「しなければなりません」) 先生は、一生の間、食べたい物、暮らしたい所に行くこと、遊びたいこと、したいこと、すべてできませんでした。反対され、追い回されたのです。あなたたちは、み旨を知って、行くべき所がどこなのか知り、天上天下の、神様の愛を受ける息子、娘になることのできる資格者に間違いないということを知るとき、だれのゆえにそのようになったのですか?。先生のゆえにです。ですから、先生に感謝するという意味で、これを少しでも返さなければならないでしょうか、返してはならないでしょうか? ここには何か国の人が集まりましたか?。百八十か国の人がすべて集まったでしょう?。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。わたしは今から部屋で座り、寒帯地方に生まれるすべての万物、温帯地方に生まれるすべての万物、熱帯地方に生まれるすべての万物、海に生まれるすべての万物、天の国の万物はどのようになるのか分かりませんが、皆さんに「すべて持ってきなさい」と言えば、持ってきて、一か月か二か月くらい侍らなければならないでしょうか、永遠に侍らなければならないでしょうか? (「永遠に侍らなければなりません」) 先生が地の果てにいれば、先生に何かを持って行ってあげたくても、永遠どころか一日も接することができないのに、どのようにするつもりですか?。先生が韓国に行っていれば、地の果てにいる先生に、どのようにして永遠に侍ることができるのですか?。簡単です。「神様。真のご父母様。ここにいらっしゃらないので、わたしは兄弟たちを、国の人々を、神様よりも、兄弟よりも、もっとために生きて愛します」と言えば、神様は考えるまでもなく「ああ、オーケー、オーケー」と言われるのです。 先生があなたたち三代を救ってあげたので、三代が過ぎても欲しがれば、先生が座っている位置以上に越えてしまうのです。先生に会うことができなければ、どのようにしなければならないでしょうか?。自分の国の人、世界の人を先生以上に愛すれば、それが天を代身した価値以上のものとして認めてくれるということを知って、そのようにすることを約束しなければなりません。アーメン。(「アーメン」) さあ、わたしたちの家庭は、真の愛の家庭です。(「真の愛の家庭です」)。純潔な血統の家庭です。(「純潔な血統の家庭です」)。アブソルート・セックス。メイク。オン。ファミリー。(「アブソルート・セックス。メイク。オン。ファミリー」)。過去、現在、未来、アブソルート・ラブです。分かりますか?。真の愛、真の血統、真の家庭です。 わたしたちはきょう、一月一日に、年頭の辞をもって決意するのです。きょうこの早朝は、二千年を越えて三千年に連結される、この千年を自らの懐に抱き、出発した日から一周回ってきて、最後の日まで、わたしは間違いなく、このような真の愛、真の血統、真の家庭のために、建国のために、そのような真の国と真の天国、真の地上天国、真の神様解放のために前進しようと決意する人は、立ち上がって天の前に誓いましょう。 さあ、神様万歳 (「万歳」)。真のご父母様万歳 (「万歳」)。天地統一教会、祝福家庭万歳。レボリューション(革命)万歳 (拍手)
2023.10.15
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「真の御父母様の摂理観的責任完遂」宣布一九九九年十二月二十六日、アメリカのベルベディア修練所で三百余名の食口が参席する中、新千年を迎える最後の聖日の朝に、「真の御父母様の摂理観的責任完遂」が宣布された。 「摂理」とは何ですか? 摂理とは神様がどのようにみ業をなしていかれるかということです。神様の摂理に関するすべての責任的完遂、神様は摂理観的な責任を完遂されましたか? 今まではできなかったのです。 さあ、摂理観的責任完遂、摂理観的責任を完遂すれば、すべて終わるのです。それでは、誰が責任を完遂するのですか? 神様です。創造された後で堕落したので、今まで神様は、救援摂理という願いもしなかった事をしてこられました。本来、救援摂理というものはなく、摂理観的な完成のために創造理想を立てられたのですが、人類始祖がサタンと共に堕落して、本来とは異なる世界になることによって、摂理史的な責任分野はなくなり、今まで救援摂理観的な責任を果たしてこられたというのです。 今までは、摂理観的な歴史ではなく、救援摂理観的な歴史でした。これは、神様ご自身が責任遂行をすべて失ってしまわれた位置におられる歴史でした。神様が主人になられていたら、偽りの主人は現れず、この被造世界全体を息子のためにつくったので、神様と人間は、父と息子の関係になっていたのです。そして、神様の摂理史的なすべてを会得することができ、それが完全に現れるはずでした。ところが、他の主人が入ってくることによって現れることができず、すべてを未知の歴史、未知の摂理史と思ってきたのです。 ですから、人間は何も知らないのです。人間はサタン圏内、堕落圏内に入っているので、根本に関する問題、神様に関する問題、摂理観に関する問題が全く分かりませんでした。堕落した世界の混沌と未知の歴史過程において、それらの内容を模索してきたのが、人類の姿だったというのです。それは歴史的な事実です。 それでは、真の父母の摂理観的な責任完遂の内容とは何ですか? 摂理観についてのすべてのことを解明し、未知の事実を明らかにし、それを明らかにするだけでなく、この未知の内容が抱えてきたすべてのことを清算し、創造当初の本然の摂理的基準を完全に連結させる役事をしたのです。誰がしたのですか? 神様を中心として、真の父母がその責任を完遂したというのです。それでは、真の父母が完成すべきことは何であり、また完遂したこととは何ですか? 真の父母によって、堕落以降の救援摂理史ばかりか、それ以前に神様が理想としていた歴史を中心として、今までの人類歴史すべてを知るようになりました。堕落した歴史がどのようになり、なぜこのようになったのかという、分からなかったことをすべて分かるようにしたのです。 堕落する前に神様が立てられた摂理的な創造理想の完成、神様を中心とした地上世界と天上世界、神様と子女の関係がいかに地上と世界に連結されるか、などについて知るようになりました。そして、それを完成した個人から家庭、氏族、民族、国家を中心として、天上世界と地上世界の天国を完成できる理念的な事実を、私たちは個人観、家庭観、氏族観、民族観、世界観、宇宙観、天宙観、神観、神様自体の観において、すべてを知るようになったのです。 神様がどのような方か知っていますか? 神様はどのような方なのですか? 真の父たる神様です。真の父の神様となって、真の子女に対する関係が一つとなったとき、真の愛が成立するのです。ですから、初めは真の父です。真の愛の父なのです。となると、その父は誰の父ですか? 人類の父なのです。 ですから、人間とは何か、人間と歴史の関係とは何か、人間と神様の関係とは何かについて知ったということです。神様は私たちの父ですが、どのような父ですか? それは、「知情意を兼ね備えた、真美善の父」ということです。人格的な神様であるということを知らなければなりません。人格神です。人格的な父です。人格神であると同時に人格的な父です。それでこそ、人間と関係を結ぶことができるのです。 ですから、神様に関すること、知情意に関することを私たちは完全に知っています。真美善が愛を中心とした、そのようなすべてを知るようになったのです。驚くべきことです。ですから、人格的な神様です。人間にも知情意が必要であり、真美善の息子になれば、完全に一つになって離れることのできない、永遠で立体的な理想圏に立つようになるのです。 知情意と真美善の本体は誰でしょうか? 神様です。その神様は、何を中心として存在しておられるのでしょうか? 神様も生きていらっしゃるので生活をされるのですが、生活するにあたって何を中心として生きるのでしょうか? 真の愛の心情圏をもって生きてこられたということを知らなければなりません。環境的な与件を、すべて愛で治めながら生きてこられたのです。 人間はそのようになっていますが、万物は人間のためにつくられたのです。それは象徴的なものであり、形象的なものです。人関を実体としてつくったので、万物は象徴と形象的な存在として、神様の心情圏・愛の圏内で共に治められてきました。すべての存在は神様の愛の圏に存在し、そこから離脱したものは一つもありません。愛の圏さえ所有すれば、神様と同じ愛の圏をすべて占有し、神様と対等な価値を持った位置に入っていくことができるのです。なぜでしょうか? 父なる神がそこにおいて初めて一つとなって、すべての相続が始まり、一回りして大きくなっていくのです。 摂理観的なすべてが完成したならば、その神様が父なのです。その父が動けば、息子である人間も共に動くようになり、息子のために存在する形象体も、すべて一つになって神様が動かれる通りに動くのです。お互いに一体となって、個人的に動いても完全であり、家庭的に動いても完全であり、氏族、民族、国家、世界、宇宙永遠の世界が、それぞれ範囲は異なったとしても完全な実体として動くはずだったのです。 ですから、神様がおられる限り、すべてのものは完全、完成したものとして、完全完成の価値を持って一つの実体圏、一つの理想的な局面が生まれたのです。人間と神様が一つになった、その下にある万物は、人間を養育し、人間を保存します。人間が便利に暮らすことのできる環境的条件が、実体万物創造の世界なのです。 それでは、神様はどのような方でしょうか? 神様もやはり一人で暮らしたいと思われる方ではありません。今まで、相対関係をもって成長してこられ、暮らしてこられたのですが、内的な面に定着した立場においては、刺激を感じることができないので、これが「正」から「分」となり、「合」の目的を再び成就することによって刺激を感じるようになるのです。 極と極、北極と南極、東西すべてが一度に刺激を感じて笑うようになれば、全体が笑うことができ、全体が喜ぶことのできる立場に立つのです。相対関係、内的な存在圏を外的な相対圏に拡大させ、衝撃的な愛を感じるようになるのです。そのようにするために万物をつくられ、息子を持たれたのです。四位基台や三対象目的など、すべては、神様が笑われれば全体が笑い、神様が喜ばれれば全体が共に和勤し、共に楽しむためにつくられたのです。 それでは、ここに様々な国の人々が座っていますが、人間の種類は何種類ですか? 国家には多くの種類があるのですが、人間には男性と女性の二種類しかないのです。 それはどこから出てきたのですか? あなたたちの父親と母親からです。父親と母親、二人の中から出てきたのです。その父親と母親は何人の中から出てきましたか? 二人の中から出てきました。そのまた父親と母親……。そのようにずっと先祖をさかのぽっていっても、男性と女性の二種類しかありません。また、人間を中心として見るとき、父とは何ですか? 神様ご自身も二つから成っているのですが、その二つは、皆さんの心と体のように一つになっているので、刺激を感じることができません。男性ならば、男性だけの形態になっているのです。二性性相の格を持ってはいますが、格位としては男性型なので、独りぽっちの男性や女性の立場に立っていて、おもしろくないというのです。 それでは、神様は見えない所から出てこられたのですが、その見えない神様はどんな方ですか? 二人が一つになった神様でなければなりません。父親と母親の性格を持った神様であらざるを得ないのです。これは理論的です。そのような神様を半分ずつ二つに分けたので、男性も堕落する前は神様のような立場、女性も堕落する前は神様のような立場に立っていて、心と体の二つを、見えるものと見えないものという性相と形状を、自体の中に持っていたのです。そのようになっていながらも、格位においては男性格や女性格といった違いがあるのです。男性と女性に生まれたのは、分かれたということです。 何のためにそのようになったのですか? 男性が喜んで興奮し、女性も興奮して、お互いにぶつかるときには、静かにそっとぶつかるのではありません。プラスとマイナスの電気が一つになればスパークするのと同じように、爆発して、ぱっと全天地をひっくり返すのです。電線がスパークすれば、どのようになりますか? ぴたっとくっつくのです。そうなれば離すことができません。 電気もプラス、マイナスであって、プラスは凸、マイナスは凹なのです。そのようにくっつけば、どのようになるでしょうか? 音もしますが、光を放つのです。愛は、音がして光を放ちます。愛は、全体の前に「おい、愛だぞ!」と言って光を放つのです。そうすると、すべてがそこに集中するのです。 曇りの日に、稲光がして雷が鳴るのはどうしてかというと、自然界の見えない電気が、見える雲を通して愛し合うからです。それで音が鳴り光を発するのです。同じです。電気の場合は炭素のようなものが落ちますが、そこには何か落ちるのかというと、雨が落ちるのです。そのように考えなければなりません。 稲光がして雷の音がすれば、雨が降りますか、降りませんか? その雨は何かというと、自然界が全体を動員して、自然をカバーした電気、すべての環境、雲などが一つになって、結婚式を挙げる祝福のかけらです。それはさながら祝宴と同じなのです。ですから、すべての万物は「うわあ!」と口を開けて喜びます。魚も喜び、植物、動物、すべてが喜ぶというのです。なぜ喜ぶのですか? 雨が降った後は、すべての万物が育つので、食べ物が豊富になるのです。洞穴に入って暮らす動物も、雨が降ってくると飛び出してきます。「雨よ、なぜ降るのか!」と恨むでしょうか、「雨よ降れ! もっと降れ! この雨がやめば、草木が茂って、我々のえさも豊富になる。ありがとう、ありがとう」と言いますか、どうですか? 恨むでしょうか、喜ぶでしょうか? 喜ぶのです「わーい、わーい!」と言いながら喜ぶのです。 それでは、人はどのように喜ぶのでしょうか? 皆さんは草を取って食べます。取って食べるのです。動物たちは毎食、植物を取って食べるのです。植物を殺しているのです。そうですか、違いますか? 植物は雨が降ると喜ぶのですが、人間は雨が降るとどうでしょうか? 「よく食べて肥えたすべての万物を、私が食べなければならない。食べてあげたい」と、このように思わなければなりません。それで、動物たちが育つことができ、植物が育つことができるようにしてあげるのは誰のためでしょうか? 人のためです。 では、すべての万物たちは何かというと、「神様を愛することのできる息子を、もっと愛することのできる立派な人にしてあげるために、私たちも協助しよう。だから、その体を助けるために全力を注いで体に入り込まなければならない」と言うのです。 では、雨が降った後、よく育ったものを自分の食物として喜んで食べるのと同じように、神様がご覧になるとき、人間世界における雨に該当するものは何でしょうか? 空中では雨が降るのですが、陸地の雨は何ですか?何でしょうか? 雷や稲光を通して、私たち万物はそのかけらである雨を吸い込んで大きくなるのですが、人間は何をもって神様が吸い込むことのできるものをつくるのかというのです。 見えない愛の雲が浮かんで、見える人間が絡まって充電し、ぶつかるようになるとき、雷や稲光が光を放つのです。二人の男女は雲のようであり、その見えない電気は本然の神様の愛なのです。それが一つになって雷が落ちることによって、その愛のかけらを中心として霊界が生き、神様がそれを食べて生きることができる! アーメン! 神様と共に雷を落とすのです。愛の糧を食べて生きなければならないのです。 ですから、頻繁に雨が降って、喜んで雷が落ちるようになれば、神様のようになって、すべて神様が喜ばれるのです。それゆえ、万物もこれを協助するために自分のすべてを動員するのです。それを普及するために、吸収できる犠牲的な道に従わざるを得ないというのです。アーメンです。 ですから、男性、女性の夫婦が愛し合うときは、雷が落ち、稲光が光るのと同じことをしているのです。それは自然の結婚式と同じなのです。男性と女性は、東西が一つになって、上下が一つになり、その次には息子、娘が一つになって、愛で家をつくるようになるので、神様は眠くても、うとうとすることはできないのです。 神様の愛は、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛です。この三つが一つになって雷を落とし、それが明るければ、宇宙いっぱいに満ちあふれます。町内にそのような夫婦が暮らしていれば、その町内はその夫婦の愛の圏内に入るようになるのです。「私たちも、あのようにならなければならない。ありがたいことだ。明るく照らしてくれる環境はすばらしい。あそこには食べるものが豊富だ!」と、お互いが一つになるためのみ業が展開するのです。 では、プラスの雲とマイナスの雲が一つになるというとき、どのようになるでしょうか? 神経や何かの五官があれば、そこに向かって一か所に集まるでしょうか、集まらないでしょうか? 集まります。では神様はどうでしょうか? 極が生じたというとき、神様のすべての触覚もそこに集まり、三つの触覚がぶつかるのです。 神様の愛とは何かというと、父母の愛、夫婦の愛、兄弟の愛、この三つですが、この三つが一度に合わさるので、この宇宙のすべてのそのような性稟に似た人はみな踊るようになっているのです。また、その音がどれほど大きいでしょうか? 全宇宙が「おおお!」と言うのです。すると神様は、「皆さん、毎日のように愛し合いなさい」と言われるでしょうか、「毎日のように、喧嘩しなさい」と言われるでしょうか?「愛しなさいと」言われるのです。「毎日そのように愛しなさい」と言われるのです。神様が「愛とは、愛すれば愛するほどに良いものだ。ハハハー」と言って笑われるのです。 雷が落ちて、雨が降って洪水になり、それがこの宇宙を満たし、すべてがなくなったとしても、「ああ、神様と人間が幸福ならば、万事がオーケーだ。愛の審判を願う」と言うのです。万物が歓迎して「万歳!」と叫ぶのです。そのときに「うううう!」と笑えば、神様が「この者め、泣くものだとばかり思っていたら、悪口の一つも言わないのか?」と言われるのです。それで神様も「ううう!」と喜ばれるというのです。ジャンプしながら踊るのです。 皆さんが夫婦で愛し合うとき、雷の音がしますか? 猫も春になって愛するとき、「ニャオ、ニャオ」と鳴き、ネズミも「チュッチュッチュッ」と大騒ぎするのですが、皆さんは声を出しますか、出しませんか? それでは、人間と神様が愛する瞬間の声は、大きいでしょうか、小さいでしょうか? 大きいとしたら、どれほど大きいでしょうか? 五万通りの声です。人間は、鳥の声、動物の声、すべての声を出すことができるのです。そこには、五万通りの音があるので、動物も(人間に食べられて、)死んでいなくなっても、「動物よりももっと喜ばしい存在だ!」というのです。神様がそうして抱いて「私はうれしい。私は幸福だ!」とおっしゃるのです。 統一教会の教会員の中で、農作業をする人がいれば、外に出て苦労して働いているとき、雲がかかって雷が鳴れば、家に帰ってきて、疲れているので寝るのです。休むとき、布団を敷いて寝るでしょうか、そのまま板の間に寝るでしょうか? 疲れているので、板の間で寝るというのです。 では、やがて寒けがして、ベッドの上に上がっていくでしょうか、畳の上に上がっていくでしょうか、オンドルの上に上がっていくでしょうか? オンドルに上がっていくというのです。オンドルなので熱くなり、着ていた服を脱ぐのです。するとお尻が熱くなり、そうして一枚ずつ脱いで、服を全部脱いで、下だけを覆って眠るその時間がどれほど幸福でしょうか。下は熱くても、お腹は寒いので覆って寝るのです。そのようにして眠る時間が、どれほど幸福でしょうか。 そのようにして男性と女性が寝ているとき、愛する人が「フフフフ!」と近づいてくるとき、足でけりますか、かじりつきますか? かけていた服を外して近づいてくるとき、けり飛ばすのでしょうか? 我知らず、さっと抱き寄せて……夫であっても押し倒してしまうのでしょうか? その時間が幸福なのです。 皆さんが激しく愛し合ったあとには、ぐっすり眠らなければなりませんか、眠ってはなりませんか? 寝なければなりません。眠っているというのは、死んでいるということですか? それは、晴れわたった大空です。晴れわたった大空と同じように、静かにしているのです。 結論は簡単です。自然が結婚式をしながら音がすれば、私たちも飛び込んでいって音を出す準備をして、稲光がすれば、私たちも稲光を放たなければならないというとき、天地がそのようにして稲光を放ち、それに対される神様は、心と体が燃えるように雷が落ちることによって、どれほど強い衝撃を受けられるでしょうか? そのとき「ああ、私の創造理想、億万年万々歳! アーメン!」とそのように言われるのです。 そのようになれば、神様は「私の願いはすべて成し遂げた。これ以上のことはない。このような日が永遠に続くことを願う。アーメン」と言われるので、愛も永遠であらざるを得ないというのです。 しかし、そのようにだけ愛する人になってはなりません。そのような人になれば、万物が不満に思って、「なぜ神様は、アダムとエバだけを愛して、ご自身だけ喜んでいるのですか? 私たちも喜ぶようにしてくれるべきだ」と言うのです。ですから、鉱物も結婚するのです。植物も、チョウも、ハチも、すべてが、五万通りのあらゆるものが入り混ざった創造物は、神様のように、人間と共に愛する喜びで一つになるのです。そのように喜びに酔いしれる万物を神様に捧げなければならないのです。人間の前に「食べてください」と言うようになるのです。 万物も相対を探し求めていくので、海で暮らす万物は淡水に訪ねていかなければならず、淡水で暮らす万物は海水を訪ねていくのです。そこで相対を結んで二つが一つになる調和の法度において、生命が躍動し、すべての万物が育っていくのです。二つの世界を通さなければ産卵することはできないという事実を、皆さんは知らなければなりません。 それゆえに、渡り鳥も遠くまで飛んでいくのです。自然もそのようになっています。それゆえ、海の魚たちは、ペアで来て淡水でも「ワワワワ」と言い、淡水の魚たちは海に行って「ワイワイワイ」とするのです。二つの世界が、大きいものと小さいものが喜んで生産するということも、宇宙の結婚式と一連の関係を結んでいるというのです。このようなことを考えるとき、私たちは、そのような愛をもって万物を主管しなければならないのです。アーメン。 皆さん、摂理観とは何ですか?「観」というのは、英語のビュー(view観点)とは異なります。「観」というのは、愛を中心として言うものです。「観」というものは、すべて見えることを言うのですが、この観は、その後ろまでもずっと連結して見ることができるということを言うのです。後ろまでも連結して、その次には下まで戻ってくることができることを言うのです。 「一日」の観の中では、昼と夜が動いているのです。すると、一日一日を合わせて三十通りとなり、「月」という観が生じるのです。十二の月を中心として、「年」という観が生じます。このようになるのです。年を越えて、「世紀」が展開し、世紀が集まって「ミレニアム(千年紀)」となるのです。二千年を中心とした世紀観です。これらは連結されているのであって、別々ではありません。 今日、そのような観がありません。人間が生活するにおいて、個人観、家庭観、氏族観、民族観、国家観、世界観、天宙観、神観を主張しますが、観がそのように連結されていないので、事故が起き、混乱と混沌が生じるのです。お金がすべてであると思い、政治がすべてであると思い、学問がすべてであると思い、自分が生きていることがすべてであると思っているのです。 「真の御父母様の摂理観的責任完遂」、これは何ですか? 今日のこのような自然の結婚が私たち人間の結婚と天の国の結婚と通じるという観と責任を教えてあげた人が先生であり、その責任完遂するために努力するのが先生の使命でした! アーメン! このようになるのです。 観の主流は何ですか? 生命ですか、血統ですか、愛ですか? 愛です。愛から始まりました。どのような愛ですか? 絶対、唯一、永遠、不変の愛です。ただ一つです。二つではありません。そのような愛が連結される存在も自動的に絶対、唯一、永遠、不変の存在になるのです。違いますか?愛によってのみ、そのような存在になり得るのです。 真の愛とは万物世界が四方の門を開けて歓迎するものです。鉱物の世界では、そうした植物の主人が訪ねてくることを好み、他のすべてのものも、より次元の高い真の愛の主人が訪ねてくることを歓迎するのです。そうした愛でなければ、真の愛を結実することができません。 それで万物は、より愛することのできる主人を慕い、その人が自分を食べてくれることを願っているのです。私たち人間も、神様の愛の中で、自分が死ぬことのできる道を行くことを願います。同じことです。 ですから、万物というのは神様の創造理想に合格していますが、その万物が、より高まることのできる愛の実体完成に向けて、この世界は献身して犠牲になることを願っています。そうした世界の前に、恥ずかしい主人となってはならないのです。 すべて分かりましたね? 雨が降れば雷の音がして、稲妻が走って歓迎するのだと考えなさい。雨の降る中、雷の落ちる中で一度脱いで愛してみよう、それでエデンの園では裸で暮らしたのです!アーメン! これ(服)は堕落の産物です。一度脱いで暮らしてみますか? エデン復帰の愛の理想を完成した家を探していくには、そのように暮らした者だけが「アーメン」と言えるのです! それでは、裸で暮らす女性たち千人がいて、そこに美男子が十人いたとすれば、十人のうちで自分の夫は一人しかいないとしましょう。その一人しかいない夫が一番見た目が悪かったらどうしますか? 一番美しい女性が見た目の悪い男性の生殖器を求めていきますか、一番美男子の生殖器を求めていきますか? 十人の男性がいますが、一番美男子の妻が一番見た目の悪い女性であり、一番美しい女性の夫が一番見た目の悪い男性であるとき、どうするかというのです。一番見た目の悪い男性を求めていかなければならないのです。 心配するなというのです。どんなに見た目の悪い女性でも、真の愛で三度愛するだけで、最高の美しい女性になるのです。夫も同じです。美しいものには甘みがありませんが、自分の相対は三度だけ愛すれば、とても甘みが出ます。蜜の味よりも甘いというのです。 それでは、その女性が不細工な男性を訪ねていって抱かれるとき、男性がどれほどありがたがりますか? 十倍以上も感謝するのです。キスをしても舌を切って食べてしまうほどでしょう。唇を切って食べてしまうほどなのです。骨髄が出てくるのです。事実です。骨髄が出てくるので、世の中にある蜜のうち、それ以上の蜜の味はないというのです。そのようにするとき、目を開けてキスをしますか、目を閉じてしますか? そこには十倍の力が入るため、衝撃的な愛の感動は天下がすべて引き込まれていくほどなのです。 ですから、真の父母の摂理観的な責任を完遂できる言葉ですか、完遂できない言葉ですか? 言ってみなさい。創造原理を知っているでしょう? 私たちは創造原理を通じた理想観を知っています。個人完成がどうであり、家庭完成がどうであり、氏族完成がどうであり、民族、国家、世界、神様の解放まですべて知っています。真の愛です、真の愛。真の愛は投入して忘れてしまうのです。億万年投人して忘れてしまえば、億万年よりも価値のある相対が常に創造されるという、有り難い結論を出してあげたのは、真の父母の恵沢であり、神様までも解放できる真の父母の使命であった! アーメン! すべての万物も、愛のうちに生命をかけているのです。それは合っていますか、間違っていますか? 私たちの家庭で、個人は家庭のために犠牲になり、家庭はより大きなもののために犠牲になります。万物世界も同じ公式です。小さな存在は大きな存在のために投人して犠牲になるのと同じです。同じ公式の原理であり、同じ結論です。 創造についてもすべて知っています。堕落についても知っています。これを復帰するための摂理史を中心とした救援摂理観がありませんでした。摂理観がなかったのですが、今日先生が摂理観を立てました。アダムはどうであり、ノアはどうであり、アブラハムはどうであり、モーセはどうであり、イエス様はどうであるという観を立てました。復帰摂理観を知っています。復帰摂理観を知り、復帰歴史を知っています。個人的な歴史、家庭的な歴史、氏族的な歴史、民族的な歴史、国家的な歴史、世界的な歴史が一つの観にかかっていますが、私たちの時代、時代に分別された歴史を知っているのです。そして、サタンの処理方法、サタンがどうだということまでも知っているのです。 天国とは何ですか? いつも反対する群れ、泣きわめく群れであってはならないと知って、「解放されて平準化され得る、地上・天上天国を解放完成するので、感謝、栄光、賛美します!」と言うときの、その世界についても知っています。 今日、アメリカにいる統一教会の食口は、今からアメリカを中心とした統一教会が行くべき道、世界に、天の国に入っていくとき、入籍するということを皆知っています。堕落によって、故郷を失い、祖国を失ってしまいました。しかし、地球が私たちの故郷であり、永遠なる神様がいらっしやる所が私たちの祖国であるということを知っているのです。どのようにして孝子となり、どのようにして忠臣となり、どのようにして聖人となり、どのようにして聖子となることができ、どのようにして王の位置にまでなるのかをすべて知っています。知らないことがないのです。 今、「第四次アダム圏時代が来る」と言いましたね?ですから、「七・八節」を中心として、真の父母の完全定着を宣布し、そして「九・九節」を中心としてサタンを清算してしまい、サタンの手下までも一つの方向に向かって清算し、「三・十節」を中心として解放圏を宣布したのです。偽りの父が堕落することによって、神様が創造されたすべてのものを失ってしまい、破壊してしまったものを、真の父母が来て再創造し、すべてを復帰完成することによって、それらが分かれていない、統一的世界、家庭理想一体の地上天国時代を成し遂げたのです。 解放圏を中心として、「第四次アダム圏」という堕落していない本然のアダム世界、何千年間、空っぽだった天国を一度に埋めつくすことまで、すべて成し遂げたのです。そして神様が解放され、サタンまでも赦して、天国に入っていくことのできる基盤をすべて成し遂げました。 今や先生も解放されなければなりません。解放されて立派な先生が天の頂に先に上がっていくのでしょうか? 最も深い谷底に行って、再び羊の群れを追って天国に行かなければならないというのです。ですから、ウルグアイを中心として四か国、ブラジルのジャルジンを中心として、教育的な家庭的整備運動をするための修練所をつくったのです。そこからは蕩減時代ではなく、個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代に連結して、世界的に配置することのできる準備をすべて終えました。この作業を今しているのです。 ですから、「総生畜献納祭」です。裂きません。二つとも抱いていくのです。地上世界・天上世界、東洋世界・西洋世界、南北の貧富の統一、全体を一つに抱いて入っていくのです。理想的な家庭、真の父母を中心として個人的な写真、氏族的な写真、民族的な写真、国家的な写真を自由に写せる、持つことのできる時代圏内、解放時代に入っていくのです。 皆さんは、八段階を越えられなかったでしょう? それを絶対信仰、絶対愛、絶対服従で越えることができるのです。そこには自分というものはありません。先生の影と同じです。そのようにして八段階を越えることができないものを四千年を、四十日で蕩減復帰するのです。そこで何をするのかというと、み言を尊重視することで、どのようになったということをすべて知り、再整理するのです。父がしたことをすべて学ぶのです。「自分のためにこうも苦労されたのか」ということが分かるようになるのです。サタン世界のすべてのことを拒否したとしても、これだけは残さなければならないのです。 そして、七代が一つになって、一八○家庭を中心として天国に入籍する時代が来ます。サタンは存在しません。サタンの手下から、天運が保護することのできる時代に越えてきたので、第四次アダム圏時代となるのです。蕩減が必要のない時代です。 今まで皆さんが苦労したことによって、数千年間、失ってしまったものを蕩減復帰しましたが、今からは蕩減なく、皆さんの努力で天国に入籍するのです。そっくりそのまま貯蔵される時代なのです。そのような「第四次アダム圏時代」に委譲したのです。 それで今、韓国本部では、ここに参席したすべての祝福家庭と食口を中心として、手本をつくり、韓国、日本、アメリカに新しく故郷の地をつくり、分かれていた世界が一つになったその上で、新しい父母の国、父の国、母の国、兄の国に、新しく入籍することのできる環境が始まるのです。 ここを経た人々は、韓国人であっても、また韓国で生まれたとしても、兄と一つにならなければならないということを知らなければならず、母と一つにならなければならないので、どこに行っても私の家なのです。なぜですか? 父と母が一つの体、父母と息子、娘が一つの体なので、兄弟は皆一つの家族の間柄なので、どこに行っても私の地なのです。 それでアメリカに二億四千万、日本に一億二千万、韓国に四千万、それで四億双です。四億双さえ終われば、他のすべての人たちが故郷として定めることのできる時が過ぎていきます。それから七か国です。第二次大戦の主要七か国からアフリカヘと広がっていくのです。 今までに四億三千万以上を祝福しました。アメリカに住んでいた人々が配置されるとすれば、どのようになりますか? 家庭的なすべての「総生畜献納基金」を捧げて清算した、その順序に従ってなされます。いくらアメリカに住んでいたとしても、すべては兄弟の国です。アフリカならアフリカに行ったとしても、父母と一つになっている兄と弟であり、一つの家族であるので、地球星のどこに行ったとしても父母、私たちの家になるので感謝せざるを得ないのです。 ですから、早く地球を抱かなければなりません。早く地球星を抱かなければなりません。誰もが重生式、復活式、永生式をしなければなりません。道をふさいで行うのです。ですから、ジャルジンの四十日の教育が重要なのです。先生がいなくても、過去の真の父母の伝統的歴史を再び知ることによって、私の責任を分配し、先生は天地を整備しましたが、私たちは私たちの氏族、私たちの民族、そしてその地にある国を復帰するにおいて、先導的な先祖的責任を果たすことによって、神様が本然の堕落していない長子圏、次子圏の兄弟を中心とした、天の家庭的立場に立てるのです。そうすることによって、神様の眷属を解放し、地上天国市民になることができるのです。アーメンです。 祝福家庭が先生の時代まで行おうとすれば、イエス様のときは一二〇家庭でしたが、再臨主のときは一八〇家庭、もしくは一六○家庭です。一八〇家庭が原則ですが、この数字を中心として、一九九七年から二〇〇三年までの七年間で消化するのです。ですから、世界はすべて一九九七年から整備運動をしてきました。霊界と肉界すべて……。 それで今後、父母の国に行って、一人が千二百家庭ずつ配置したからには、これは四億双にもなりません。何千万家庭、何百万家庭です。これを編成すれば、あらゆる民族感情、国境線、五色人種、分裂、そして文化の格差、そのようなすべてのものがなくなって、一方通行で神様を中心とした故郷が出発し、天国が形成されるのです。 今、霊界では、自分の怨讐であった人と結婚しているのです。今、聖人と殺人鬼の息子、娘が結婚する時が来たというのです。アダム家庭のカイン、アベルが兄弟です。すべて等しく祝福して一つにするのです。 「境界線をなくすためには、聖子の息子、娘と、殺人鬼の息子、娘が結婚しなさい!」と言うのです。国境を設定したならば、すべてが怨讐になるので、怨讐をなくすためには、国境を持った二つの国が交差結婚せよというのです。国際結婚だけが天国に向かう「直短距離」なのです。天国から地獄を救ってあげるのです。アベルを自分の王のように、自分の父母のように、自分の兄弟のように侍れば、すべてのものが一つになるのです。そこで分かれたものが一つになるというのです。 すべて終えましたか、終わろうとしていますか? どちらですか? 皆さんは、全員まだ終わっていないのです。先生はすべて終えましたが……。先生は父です。絶対的な父です。父の絶対性稟、唯一性稟、すべてが似ているのです。すべてを相続したので、父の成したことと一つになった息子、娘になったので、その峠を越えて同じ祝福の場に立つことができるということをサタンは防ぐことができず、神様が否定する道理はありません。偽りの父母がそのようにしたので、真の父母がこのようにすべてをひっくり返して、「神様、お受けください」と言えば、喜んで受けられるでしょうか、泣きながら受けられるでしょうか? 先生が聖人と殺人鬼とを結婚させるとき、神様は気分が良かったでしょうか、悪かったでしょうか? 神様が「いやだ」と言われたとしても「神様、そのようにしてはなりません。アダムが堕落して誤ったので、ひっくり返して治すのは私の責任です。ですから、神様は監督だけしていてください」と言えば、「そうだ」と言われるのであって、「この者め、そのようにしてはならない」と言われるでしょうか? また、サタンに「おい、この野郎! 私がこのようにここにいて、神様がここにおられるが、おまえは地獄に行く運命だ。アダムとエバ、人類の一番後ろについていくというのが本然の位置ではないか?」と言えば、「その通りです。極めて当然なことです」と言うのです。そのようなものを神様の前に連れていき、「この罪人を赦すべきですか、殺すべきですか?」と言えば、「やりたいようにしなさい」と言われるのです。神様もそのようにしか答えられないのです。サタンも、神様に感謝する前に、先生に感謝しなければなりません。それから、先生が「おい、神様の前に感謝しなさい」と言えば、神様は赦したくなくとも赦さざるを得ないというのです。 神様とサタンが闘っていますが、誰がその闘いを止めなければならないでしょうか? 神様も止めることができず、サタンも止められません。自尊心があり、威信があるのです。サタンも威信がありますね? 完成したアダムはどうでしょうか?「神様、こちらに来てください」「サタン、こっちに来い、この野郎」「私の言うことを聞いて、闘いを止めてください。言うことを聞いてください。闘いは偽りの父母がもたらしたのですから、偽りの父母のすべてのことを、私が取り消す責任を持ったので、一つになり得る本然の基準を立てるのは私の責任です。一つになってください!」と言うとき、神様とサタンは一つにならなければならないのです。 「神様、サタン! 私の言葉に従わないと!」という言葉に従って、その二人が互いに抱き合い、一つになれば、天上天国、理想世界に入っていくのです。そのようなとき、絶対万歳、唯一万歳、不変万歳、永遠万歳となるのです。 ですから、真の父母の摂理観的責任を完遂したという結論になるというのです。それで、地獄撤廃! 天国の門よ、開け! 理論的です。 理論体系に基づいてみるとき、一から百千万までが、この一つの結論に到達するようになるので、誰も不平を言うことができない、最高の知識の位置、最高の勝利的栄光の位置、最高の主体的位置、中心の位置に立つことができるのです。 このようなことを知っているので、頭の大きい者たち、世の中に号令をかけてきた政治界の頭、言論界の頭、宗教界の頭、銀行界の頭、大学街の頭、そのような人々をすべて集めて、「この者たち!学びなさい!」と言うことができる内容です。そのようにできる内容なのです。 「八十年の期間は、全体再出発完成解放の期間だった、アーメン!」。これが、二千年にぴたっと終わるのです。八十は再出発なのです。この八十年間に世界的なすべてのもの、今まで歴史においてなされてきたすべてのことを蕩減するのです。 それでは、そのように知って、解放された統一的な民族として、活気に満ちて出陣しなさい。アメリカの軍隊よりも、ソ連の軍隊よりも、ドイツの軍隊よりも、いかなる国の軍隊よりも、勇猛で堂々とし、率先的にならなければならないのです。 統一教会の統一天下の子女たちは……、女性がサタン世界の国を統治することができる時代になったというのです。男性には負けません。すべての職場では、夫婦が同参することのできる時代が来たということを知らなければなりません。軍隊に出ていくとき、夫と妻の二人が、息子、娘と四人が並んで立ち、一線に出て闘えばどれほどすばらしいでしょうか? 女性が弱くなれば、娘は父親が引っ張ってあげ、母親は息子が引っ張ってあげるのです。どれほどすばらしいですか? 一度、出陣したいと思いますか、思いませんか? それは何かというと、他の国の軍隊をすべて占領するために、家庭がすべて出動して降伏させるのです。すでに屈伏させることのできる準備がすべてできているのです。祝福を受けるようになっているのです。祝福を受けたならばすべて降伏するのです。どんなに統一教徒たちが憎くても、その中心たるレバレント・ムーンはあまりにも有名です。世界のすべての国家が歓迎しているのです。世界のすべての人たちが歓迎しているのです。 今、家庭が壊れて、若者たちが没落しており、エイズが蔓延しています。そのすべてのことをどのようにして防ぎますか? 絶対的な家庭の基盤を整備する道しかありません。ですから、いやでも行かざるを得ない時がきたので、絶対的な夫婦になって進んでいくのです。今や、世界統一も目前に来たということを知って、そのような自信を持って前進しなければなりません。 ですから、ジャルジンでの四十日の教育を終えれば、すべての人々は荷物をまとめて、命令が下る日を待ちなさい。家があれば売るか、手持ちの預金通帳があればすべて引き出して、新しいところに預金して、土地を買う準備をして、すべてを売って、かばんにまとめて待たなければならないのです。 これまで私たちは、本郷の地、祖国を失っていました。今や、真の父母が本郷の地と祖国を立てるのです。それを皆さんに許諾するのです。それをどのように否定しますか? それを否定すれば、サタンよりも悪い者になります。 ですから、全世界の人たちが韓国に来ようとするのですが、韓国には国もありません。IMF(国際通貨基金)に引っかかって国、文化がすべて空っぽになったのです。先生の命令に従って定着するのです。五色人種、百八十か国の人たちがすべて入ってきた韓国を、「北朝鮮の金日成の言葉を聞いて韓国を統一する」と言うでしょうか? 国連においても百八十か国が反対するのです。「だめです。先生に従っていかなければなりません」と言えば、口をぴくぴくさせながらも「イエス」と言うのです。 「日本はみなレバレント・ムーンの後ろについて韓国についていけ!」と言えば、「いやだ」と言いますか?「アメリカも韓国も日本の後ろについていけ!」と言えば、「いやだ」と言いますか? 「サタンまでも後ろについていくのに、何ですか、この者たち!」と言うのです。反対する親玉についていき、腐った根が抜かれて臭いのするものについていくのですか? それで今、国連が統一教会の運動を支持する時が来ました。アメリカもそうなのです。第二次大戦以降に、世界の七か国が韓国を支持し得る時代に入ったのです。アメリカが長子の立場で父母の国と一つになれば、その弟である世界の国が従ってくるでしょうか、従ってこないでしょうか? ですから教派……、カイン、アベルに分かれた宗教を統一するのです。 アメリカは、キリスト教国家です。旧教と新教を一つにすれば、この国は必ず長子の国になるのです。宗教を一つにし、世界理想圏において真の父母に侍ることができるということが、すべてが晴れわたった日のようなものです。統一的な環境が世界に展開するということを思うとき、統一世界、地上天国、天上天国は自動的に来るというのです。アーメンです。(三一三-二六一、九九年十二月二十六日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.14
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■ 6000双家庭はサタンの6数を世界化したものです。それを知っていますか? 3家庭からその次に36家庭、72家庭、124家庭、430家庭、777家庭、1800家庭、その次は6000家庭、一番迫害が多い時が6000家庭、9数を超える時です。それで6000家庭が一番苦労したのです。(天聖經 P1451 参照)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.14
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[旧統一教会] 愛唱歌 苦難の道ホワイトクロス「苦難の道」1.目を閉じたなら 祈られるお父様試練の時も 見守って下さる時が流れて すべてが色あせても光続ける 愛があることを教えてくれた語る愛より 捧げる愛をやさしく投げかけてる2.誰にも言えず 重荷を背負いながら長い道のり 歩まれたお父様言葉にしたら にじんで見えなくなる救いのために 血と汗と涙流し続けて許させるなら この身すべてをあなたに捧げたい3.度重なった 苦しみの極みにも涙の天を 慰めてゆかれたたとえその身が 一億に砕けても天と交わした 契りは誰にも譲りはしない命の川を 七度越えたあなたはお父様あなたはお父様一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.14
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※ 信仰が否定されても、それを信じていき、愛を否定されても信じていかなければならず、従順を否定されても信じていかなければならないのです。そうして、怨讐を愛する立場まで行かなければならないのです。 天の父母、真の父母、「天地父母」もそのようにしたので、皆さんもそのようにしなさいというのです。皆さんもやはり、それを相続しなければなりません。その愛から血統、生命を受けなければなりません。そのような生命を持ったので、そのような生命に見合う、そのような血統、そのような愛を持たなければなりません。 それゆえに、そのような真の愛を中心として、個人生活や家庭において投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまう人がセンターとなるのです。中心存在となるのです。そのことを知らなければなりません。※ 「真の父母」は過去にも、現在にも、未来においてもただ一組です。 真の父母は二組ですか、一組ですか? (「一組です」)。一組しかいないのです。それは、絶対、唯一、永遠、普遍なる人です。そうすると、その真の父母の前に地上世界、天上世界で祝福を受けた家庭は、「ただ一人」ということと同じなのです。同じ価値があるというのです。そうですか? (「はい」)天宙は私の故郷と祖国成約七年 1999年12月19日(聖日)ニューヨーク州ベルベディア 皆さんの故郷と祖国はどこですか?。どこの国の人ですか?。ここには、世界の人々が皆、集まっていますが、故郷が皆違い、祖国が皆違うというのです。「天宙」という言葉は何ですか?。この世界には故郷も多く、祖国もたくさんあります。「天宙」とは天地のことです。天地というのならば、故郷と祖国は一か所しかありません。 この世界には、いくつもの祖国といくつもの故郷がありますが、「天宙」と言うとき、「天」とは文字どおり天のことであり、「宙」とは家のことです。「天」という字は「二人」と書きます。「宙」の「ウかんむり」は家を表します。「宙」という字の「由」という字は「自由」の「由」を表すのです。ですから、「天宙」とは、「思いどおりにする自由な家」ということです。 英語では、このように内容が複合的に含まれている言葉はありません。東洋には表意文字があります。すべてこのようになっているのです。その意味は、いつでも上下を考え、左右を考え、前後を考えるということです。いつでもその三つのことを考えるのです。それゆえに、宇宙を表すのは、「天・地・人」という言葉です。その三つの中にすべてが含まれているのです。 人間は小宇宙なのですから、皆さん自身にも霊的「天・地・人」と肉的「天・地・人」が含まれているのです。すべて二人です。二人で暮らす「私の家」なのです。そしてこの二人は、相対的なのではなく、一つであることを象徴するのです。ですから、二人が共にいる所には、いつでも神様が共にいらっしゃるのです。それゆえに、東洋思想は幅が広いのです。 そして西洋の人は、仕事をさせるにしても一つだけさせなければならないのであり、二つも三つもさせたら何もできません。東洋人は数を数えるとき、一、二、三、四、五までは指を折って数え、六、七、八、九、十は、折った指をこのように広げながら数を考えます。 ですから、西洋の人に「何々をしなさい」と言って、一度に十のことをさせても、一番、二番、三番、四番、五番と、指を折ったりせずに一つずつ数を数えて決めます。東洋では、指を折って数えるというのです。指で数を数えるのを見ても、折った指を今度は広げていくので、最後まで数えれば、今度は帰ってこなければなりません。行くものであれば、帰ってくるようになるのです。 それゆえに、東洋文明と西洋文明が違うところは、東洋思想は総合的であり、西洋文明は方向性を持っているというところです。西洋文明は、進んで行っても帰ってくることを知りません。西洋文明は、最後まで行っても帰ってくることができないというのです。帰っていこうとすれば、しかたなく東洋人にしがみついてこそ帰ってくることができるのです。 なぜかというと、西洋人は、大宇宙の家、膨大な家のすべてのものを捕まえようとするので、そのようになるのです。ですから、東洋と西洋が一つにならなければならないということです。 このような話は、きょうの題目の序論にしかなりませんし、常識的な話なのです。皆さんも、西洋文化圏内にいる人は、必ず東洋文化を保護しなければなりません。そうしてこそ、内外が編成されるのです。 上下、左右、前後が(板書される〈図〉)このようになってこそ、自己の位置が定まるのです。上下、左右、前後を定めてこそ、位置が定まるというのです。ですから、前だけを知っているのではいけません。後ろも知らなければなりません。未来と現在と過去を知らなければなりません。東洋と西洋と現在です。文化でいえば、西洋文化、東洋文化、世界文化になるのです。そのような関係になっているというのです。一つだけ知っているのではいけません。 皆さんが眠るとき、うつぶせになって寝たり、横向きに寝たり、右を向いて寝たり、左を向いて寝たりするでしょう?。どれが原則ですか?。ヘンドリックス氏。(「上を向いて眠ることです」)。必ず、上向きに眠らなければなりません。 なぜ、必ずそのように眠らなければならないのかというと、すべてが「解放である」というのです。足も解放、腕も解放、すべてが解放だというのです。横を向いて寝れば拘束です。腹ばいに眠るのが楽なのではないかと思うかもしれませんが、頭が苦しいのです。(ジェスチャーをされる)(笑い)上を向いて両腕を広げて眠るのが「解放」です。分かりますか?。すべてのことは、道理にかなっていなければなりません。 この中で、腹ばいに眠る人は、手を挙げてください。それは七十点です。横向きに寝る人はいますか?。それは五十点です。(笑い)この二つが一つになれば、百点を超えるのですが、上向きに眠るのが百点です。このような話は面白いですか?。 ですから、自己の位置は上下、前後、左右で決まります。「上下」というときの「上」は天であり、「下」は地であり、左右は男性、女性であり、前後は兄弟だというのです。父子関係、夫婦関係、子女関係、ここにすべて含まれています。そのようになってこそ、球形になるのです。 すべての存在は、球形になっています。そこには必ず、上弦、下弦、右弦、左弦、前弦、後弦、すべてが含まれているのです。そのセンターがこれ(板書されたものを指し示される)です。センターには、何もありません。空です。そうではないですか? この一点を中心として、球形のすべてが連結されているのです。ですから、これが一、二、三、四、五、六、七です。七がセンターです。それで「七」のことを「ラッキーセブン」というのです。そうして一番ラッキーな所がどこかというと、神様がいらっしゃる所(中心点)です。 それで神様は、目に見えないのです。見えない中心点にいらっしゃるのです。神様は、霊界に行っても目に見えません。神様は、わたしたちのように日常生活のすべてを指導することができ、話すこともでき、すべておできになるのですが、目には見えないのです。 上下においても、「上」は見えません。「下」は見えます。この上下が一つになってこそ、完全になるというのです。一つの完全なものになるのです。それぞれ一つでは、不完全なものです。二つが一つにならなければなりません。 皆さんにも見えない心と体があります。これが一つにならなければなりません。左右があるでしょう?。右側一つだけがあるのですか?。右側が行けば、いつでも左側が行き、左側が行く所にはいつでも右側が行って一つになるというのです。それから何ですか?。上下、左右、前後です。 自分が前に進むというときにも、自分が動くときには必ず前後というものがあります。そうして、自分の動きに伴って空気が動けば、自分が今までいた所には、いつでも空気が入ってきて空いた空間を埋めて、水平にならなければならないというのです。左右関係も水平にならなければなりません。前後関係も水平にならなければならないというのです。 それゆえに、自分一人で個人主義を主張する愚か者は、この宇宙のすべてのものを破綻させるのです。放棄してしまうというのです。天があり、地があり、左右があり、男性と女性がいて、未来の後孫がいるというのです。三つが一つにならなければなりません。 この図を見れば、上下も一つのカップル、前後も授け受けするので一つのカップル、それから左右も授け受けするので一つのカップルです。カップルになるというのです。種は上下の殻、左右の殻、前後の殻をかぶって出てくるのです。種は、必ず固いのです。そして二つでできているというのです。 種は長細くなっていたり、このようになっているのですが、プラス・マイナスです。これが球形になっていますが、前後になっています。プラス・マイナスです。それで、父母が必要なのです。これが男性ならば、女性が必要です。そして、これは何かというと、兄弟が必要なのです。父母を持たなければならず……。 父母が上下であると同時に、父母が左右であると同時に、父母が前後なのです。ですから、前後が育って夫婦となり、そして上下(父母)になるのではないですか?。すべてそのようであるというのです。そうですか? (「はい」) ですから、父母を否定する人は落第であり、夫婦を否定する人は落第であり、子女を否定する人は落第です。宇宙の原則から外れているのです。無価値です。公式のとおりになっていません。 人は、いくら愚かでも、優れていても、父母がいなければならず、夫婦がいなければならず、息子、娘がいなければなりません。アダム、エバも、息子、娘が育って夫婦となり、父母となったのです。それは必然的な内容であり、わたしたちが行くべき道なので、わたしたちにもその三つが絶対に必要であるという結論が出てくるのです。 子女、それから夫婦、それから父母、このようになったのです。連結されているのです。上下、左右、前後合わせて一つなのです。そしてこれが、家庭の種です。ですから、あなたの家庭には、必ず父母がいなければならず、夫婦がいなければならず、子女がいなければなりません。 そのようになっていてこそ、回っていくのです。これが理想的存在のモデルです。それで、父母の愛を完全に受けなければならず、そして夫婦の愛を完全に受けなければならず、それから子供を生んで、息子、娘の愛を完全に受けなければなりません。 それでは、神様はどのようなかたなのでしょうか?。どこから先に始まったのですか?。上からです。「上下」と言うからです。「上下」です。東洋の言葉は、「右左」ではなく、「左右」となっています。それは、堕落したからです。そのことを知らなければなりません。本来は、「右左」にならなければなりません。それでは、どこから先に始まったのかというと、上を考え、それから右側を考えなければならず、それから前後です。分かりますか? この殻のようなもの(図)が、種です。神様が共にいらっしゃってこそ種になるのです。神様を中心として上下が一つになり、左右が一つになり、前後が一つになったので、神様を中心として一重の殻、二重の殻、三重の殻になったのですが、中心の神様がプラスであり、種がマイナスです。それは、原因と結果です。ですから神様のようにならなければなりません。 「四位基台は、三対象目的を完成することである」と原理は主張しています。これは宇宙の根本です。愛の関係を持った植物や動物の世界は、この原則と法度の内容によって成り立っているということを、皆さんは知らなければなりません。 そこの女性は、種になることができますか?。そのようになろうとすれば、父母にならなければならず、妻にならなければならず、娘にならなければなりません。そうしてこそ、この宇宙の中で永存し、回っていくというのです。一年で一回りして、千年万年、回り回っていくのと同じように、永生するのです。 この中で、父母が嫌いな人は手を挙げてください。「わたしの思いどおりにできるのが父母である」。そうですか? 「父母は子女には勝てない」。そうですか?。違います。一体、世の中のどこに、そのような言葉がありますか?。それは、堕落したためです。堕落したので、転がっていくのです。転がって離れていったので、そのようにいうのです。 上がなくなれば、プラスがないので転がっていきます。左右で、夫がいなければ引っ張られていくのであり、息子、娘がいなければ後代がいなくなるので、この地上の歴史から追放されるのです。価値否定です。夫がいなければ、女性も滅びるのです。息子、娘がいなくても滅びるのです。一代で終わってしまいます。分かりますか?。それは事実ですか? (「はい」) では、何によって連結されるのですか?。力によって左右、上下、前後を連結することができるのですか?。お金でも知識でも権力でもありません。お金ではバランスを取ることはできません。知識ではバランスを取れません。 一つでも多くの知識を持っていれば、「おまえはわたしの言うことを聞きなさい」と言って、それで高い低いということを判断するというのでしょうか?。それでは一つになる道がありません。また、力でも一つになることはできません。分かりますか?。バランスを取れるものは、愛しかありません。それで、神様はこの中央の位置にいらっしゃるのです。「ラッキーセブン」です。分かりますか? (「はい」) バランスを取ろうとすれば、上下を一つにし、左右を一つにし、前後を一つにしなければなりません。上下、左右、前後を一つにするものは、愛なのです。神様を中心として、すべてのものがバランスを取らなければなりません。それが宇宙の完成です。この原則について見るとき、中心がなければならないでしょうか、あってはいけないでしょうか? (「なければなりません」) 皆さん、サッカーボールがあるでしょう?。太陽のように丸いものがあります。それは、内部の中心から圧力で上に押してあげ、下に押してあげ、前後に押してあげ、左右に押してあげるので、サッカーボールは丸いのです。その中心はどこですか?。引っ張ればつぶれてしまいます。それでは、どうしてバランスを取って、共に押し合うのでしょうか? つかんで引っ張ったり、引きずり降ろせば、ぺたっとつぶれてしまうというのです。中で何かがバランスを取ってあげ、共に押してあげるのです。何が全体を円滑に大きくしているのかということです。それは何ですか?。愛なのです。真なる愛は、投入することです。受ける力ではありません。与えるので、そのようになるのです。それゆえに、「真の愛を中心として、中央においてために生きる世界は、自然に完成する」という、このような結論になるのです。 そこには「自分」というものがありません。「自分」を絶対無視して出発する点が、中心点であるゼロ点です。ゼロ点の中には、何が入ってきても「オーケー」です。そして与える力が永続し、入ってくる力が永続するので、永遠に球形になるのです。もし、中心点のゼロ点から外に向かう、与える力が弱くなれば、外からさあっと入ってくるのです。 この世界は空です。ぽっかり空いているというのです。この宇宙のことです。天宙は、その全体が空いているというのです。そして、「ラッキーセブン」のような神様がいらっしゃって、そこに投入されるのです。天運は、それを受け止めて回してあげるのです。回転運動をすれば、大きくなります。分かりますか? そして、この空間世界を引き入れることのできる力の動機は、与える力であり、それがあるがゆえに、そのようなことができるのです。与える力があり、それが入っていくことのできる力となって返ってきて運動することによって、中心点が永遠に運動するのです。 愛は流れていきます。空気も流れ、水も流れ、愛も流れていきます。光はどうですか?。月の光が流れていって、どのように回っていくのですか?。空気も回り、水も雲になって回り、空気も回っていくのですが、太陽の光は回っていきますか? 皆さん、月にかかる暈というものがあるでしょう?。太陽の暈はどうですか?。太陽があれば、その中で数万種類の元素が作用しており、同じ元素は、その運動を宇宙に発散し、展開しているというのです。そのようにしながら、それが月の暈のようにすべて連結させて入ってくるのです。 光があれば、物質があるところでは反映して運動しているのです。光がある方向に流れていくということは、その流れていく方向が、その流れていった光が再び帰ってくることのできる方向になっているので流れていくのです。そうでなければ、流れていきません。ですから、損害を被る運動をするものは、この天宙にはありません。 きょうの題目は、「天宙は私の故郷と祖国」ですが、天宙は、存在する万物の家なのです。すべての万物が入っています。神様は、球形の位置、無形の位置から、天宙をサッカーボールのようにつくられるのです。 それでは、その存在はどのようになるのですか?。受けたので、今度は自分が返してあげなければなりません。反射と同じです。必ず返してあげなければなりません。そして返すときには、神様から受けたものに、よりプラスしようとするのです。もっと大きいものを返してあげるというのです。ですから、与えれば大きいものが返ってくるので、もっと大きくなり、どんどん大きくなっていくのです。 善なる人とは、どのような人ですか?。受けたものを踏み倒す人は悪なる人であり、受けたものに対してプラスさせて返す人は善なる人なのです。それゆえに、父母の中で、「子女は自分よりも低くなれ」と言う人はいません。自分よりも高くなることを願うのです。また夫は、妻が自分よりももっとりっぱであることを願います。 さらに、兄は弟がそうあることを願い、弟も兄がそうであることを願うのです。そうなのです。受けたものよりももっと大きいものを返す人は、父母の願いや兄弟の願いやすべての万物の願いや、全宇宙の願いにかなっていなければなりません。アーメン。簡単です。 皆さん、だれが話していても、聴衆の中の一人だけでも、より喜んでいる人がいるとすれば、どんどん続けて話が進むのです。見ることもそうです。見ていてもっと喜べば、どんどん大きくなっていくのです。 夫婦でキスするときもそうです。初めは遠慮していても、後から「アイゴー、死ぬー」と言いながら大きくなっていくのです。原理であれ何であれ、自然の道理がすべてそうなっているのです。このことさえ知れば、すべてが解決します。さあ、統一教会の教会員として、だれが一等になるでしょうか?。受けたものよりも、もっとたくさん送り返そうとすれば、一等になるのです。 「訓読会」のみ言です 「そのみ言の内容よりも、自分はもっとなそう」と思ってすれば、統一教会の「ナンバーワン・メン」になります。一番、最高になるのです。それは正しいことですか、正しくないことですか?。正しいですか、正しくないですか? (「正しいです」)与えたにもかかわらず、踏み倒してばかりいると、空になるというのです。前進ではなく、後退してしまいます。 あなたたちは、米国や世界の歴史を通して、今まで多くの世話になった結実として生まれたのですが、自分が世話になった以上に与えようとしてこそ、世界全体の前に基準となることができ、それが高くなって与えてあげることができることによって、引っ張っていくことができるのです。簡単です。皆、分かりますか? (「はい」) 目もそうです。美しいものがあれば、目がぱっと開くのです。見ているものに内容がなかったとしても、自分が協助してあげれば、その価値が高くなるのです。平常時に聞いていた言葉よりも良い言葉を聞けば、耳が踊りを踊りだします。においも同様であり、口も同様です。分かりますか? 「天宙は私の故郷である。私の祖国である」と、そのように言うことのできる人は、天国に入っていけば個人的に歓迎され、家庭的に歓迎され、国家的にもっと歓迎され、世界的、天宙的に最高に歓迎される神様の息子、娘になることができる、という結論も出てくるのです。 天宙が私の故郷であり、私の祖国であるならば、きょうのこの図の中で、どのような位置になるのでしょうか?。例えば、任意の点のここが故郷であるとするならば、その点と中心までのこの距離が、どれほど遠いでしょうか?。そのような場合、この二点間以外のすべてのものは、忘れてしまうのです。 ですから、この全体の中のどこの位置においても永遠に万歳、ここも万歳、ここも万歳、ここも万歳、あそこも万万々歳と言うことのできる故郷は、どこですか?。祖国がどこなのかというのです。 目には見えなくても、この世界すべてにぎっしりと満ちている、そのような人にならなければなりません。天宙も、目には見えないけれども、ぎっしりと満たされているということを知って、そのようなものを見ることができ、そのように暮らすことのできる人にならなければなりません。 この完全に空いた中心の位置に入っていってみると、その周りは見えません。(板書されながら、み言を語られる)周りをのぞき見ても、見えないというのです。中心に入っていけば、見えないものを中心としてではなく、中心点は内的世界を見ることができると同時に、外的世界まで見ることができるのです。神様がそうであられるというのです。何のことか、分かりますか?。無の境地を通過しなければ、本当の世界と本当の天と神様を見ることはできないという結論が出てくるのです。 米国(韓国語で「ミグク」)とは、わかめスープ(韓国語で「ミヨツクク」)のことですか?。だから落第です(わかめは、ヌルヌルと滑るので、韓国語で「ミヨ グル モクタ〈わかめを食べる〉というと「試験に落ちる」の意になる)。「わかめスープを食べれば、(試験に)落ちる」と言うではないですか?。ですから落第です。米国が見えません。 米国を否定し、米国社会、自分の会社、すべてを否定し、そして、ジャンプして飛び越えて、中心点に入っていけば、神様しか分からなくなります。神様は、いらっしゃっても神様であり、いらっしゃらなくても神様です。神様しかありません。なぜですか?。神様が核に入っていかれるようになるときは、外にあるものは浮体のように引き込まれていくので、核の神様の位置に入っていけば、その浮体と骨までが、見えない霊界の世界、つまり見えない神様が見える世界、神様が相対的に見える世界をみな感じることができるというのです。 この八段階で見れば、どうでしょうか?。否定するということは、簡単なことではありません。否定することが簡単ですか? (「難しいです」)。ですから、(すべてを否定して)この世界には何一つないという状態にまで達したとき、その世界に入っていって出てこなければ、世界に対する事実を知ることはできないというのです。 ないところから大きくなってこのようになったので、その何もない世界に入っていって再び出てきてこそ、この二つの世界を知ることができるのです。創造のみ業をなさるときが、そうではないでしょうか?。無から始まってこの万物までつくられ、そして人間がつくられたので、人間が創造された時点から、この創造前の何もない位置まで戻って、根源的なものを中心として神様と一つになってみてこそ、神様が見える世界になるというのです。 それは何かというと、神様がつくられたものをすべて消化してしまいなさいということです。分かりますか? (「はい」)。生き残るものを消化できる力を持つ存在が生き残るということを知らなければなりません。消化して栄養分を補給し、大きくなっていくことができなければなりません。このようにして大きくなることのできる存在は生き残りますが、ふさがれて大きくなることのできない人は、いなくなるのです。 皆さんは、どこで暮らしたいですか? (「故郷です」)。故郷と祖国とどちらですか? (「天宙です」)。天宙というものは、そこに地球も入るのです。故郷は天宙の中にありますが、地球や祖国は、神様がいらっしゃる所です。先祖が神様なのです。分かりますか? それでは、あなたたちの故郷はどこですか?。天宙であるというのです。それゆえに、分けて話をしませんでした。天宙というのならば、あなたたちは空中で生まれたのですか?。地球であり、この世界です。故郷の地はどこですか? (「韓国です」)。韓国ではありません。地球です。地球が故郷なのです。その故郷が地球のどこなのかというとき、このフロリダであるとか、ワシントンであるとか、それらが異なってくるのです。 皆さんが「故郷である」と言い、「祖国である」と言うものは何ですか? 「それは、米国の限界圏内に囲まれたものである」と言いますか?。それは違います。あなたたちの故郷は、どこであるというのですか?。この米国の者たち。「自分の故郷は米国のフロリダやワシントン、日本、韓国である」と言うのは、愚かな人です。堕落した者たちがそのような話をするのであって、堕落していない本然の者たちは、そのような話はしないということです。 故郷は世界、天宙です。それが故郷です。なぜですか?。自分の父、息子、娘、一緒に生まれた兄弟が暮らす所が故郷であり、父母が暮らす所が故郷なのですが、「堕落していない地球が、私たちの故郷である」と言うことは正しいのです。それでは、生まれてみると黒人が生まれ、黄色人が生まれ、白人が生まれました。それは、だれの息子、娘ですか? (「神様です」)。それを見たのですか?。見ましたか、見ていませんか? 見ていても見ていなくても、主人は一人しかいません。それは、「お山の大将主義」ですが、宇宙のここでも大将、東に行っても大将、西に行っても大将、上下に行っても大将、左右に行っても大将、あらゆる大将がいますが、その大将の中の大将が、「ラッキーセブン」である神様であられるというのです。神様が大将であられるので、神様は父ということにならざるをえません。 白人と黒人は、皮膚の色が違うだけではないでしょうか? 「白人は立って歩くけれども、黒人ははって歩く」というのであれば、それは、どこかが違うかもしれません。 しかし、白人は黒人に「あなたはわたしに似ている」と言うことでしょう。白人が歩くのを見て、黒人は「自分と似ている」と思うのではないですか?。ですから、「同じである」ということです。 黒人がはって歩くのであれば、白人は「自分と似ていない」と言うかもしれませんが、黒人も当たり前のことですが、もちろん歩くのですから、それを見れば、白人は「自分に似ている」と言うということです。同じなのです。 白人がすることで黒人にできないことはなく、黒人がすることで白人にできないことはありません。すべて似ています。ご飯を食べるのも手で食べますか、足で食べますか? (笑い)猿は、足でも食べ、手でも上手に食べるのですが、白人も黒人も手で食べます。ですから、白人と黒人で似ていないところが、どこにありますか? 男女が愛してキスすることも、白人と黒人は同じであり、それどころか黒人は、愛することにおいてももっと情熱的に愛し、優れたりっぱな所が多いというのです。黒人同士で話すのを聞くとき、「あれは猿が話している」と言うでしょうか、「人間たちが話している」と言うでしょうか?。男性の手と女性の手は同じです。男性でも女性でも、トイレに行って小便するのも大便するのも同じです。男性と女性は同じです。動物たちは、うつぶせになって用を済ませるのですが、人間は皆、同じだというのです。 すべて同じでしょう?。家族もあり、肉もあり、骨もあり、血もあり、その肉も同じなのです。皮を脱げば同じです。血も同じであり、骨も同じです。白人と黒人は、何が違うのですか?。皮膚の色です。それは、なぜそのようになったのでしょうか?それは、だれがそのようにつくったのですか?。もちろん、神様がつくられたものなのですが、自然がつくりました。気候がつくったのです。 この南北米大陸のインディアンを、だれがいなくなるようにしてしまったのですか?。黒人ですか、黄色人ですか? (「白人です」)。なぜですか?。白人が最も悪いことをしたというのです。これをどのように解釈するのですか?。しかし、キリスト教を紹介したので、白人は残っているのです。 ひぐまと北極ぐまが出会って一緒に暮らせば、自動的に結婚するでしょうか、しないでしょうか?。それは、自然ですか、人為的ですか?。自然にそのようになるというのです。牧場を見れば、白い馬もいるし、黒い馬もいますが、それでも混ざって結婚するというのです。しませんか? (「します」) ですから統一教会は、自然にそのようなことを喜ぶのです。自然界では、白いものと黒いものと黄色いものが自然に結婚しているのですが、先生も自然が好きなので、しかたなく同じことをせざるをえず、自然なことをしているのです。しかし、世の中でわたしを好む人は一人もいないというのです。 黒人と白人が結婚することは、北極と南極が一つになることと同じです。黒人は、すべて熱帯圏です。それゆえに、白人や黄色人は、黒人と結婚することを好めば、健康な後孫を生むと思うのです。鳥もそうです。渡り鳥を見ると、熱帯地方にいるものが、温帯や寒帯地方で生まれたものを食べるためにそこに行き、そして子を産むのです。そのように入れ替わるというのです。 気候は、千態万象の差があるので、生まれた地域だけで暮らしていてはなりません。世界、地球上のどこに行ったとしても、自分が好きなものを探していきながら、世界のものをすべて食べてみなければなりません。 それでは、三代が四位基台を形成するので、わたしたち統一教会の祝福家庭は、三代を中心として、白人の嫁と婿、黒人の嫁と婿、黄色人の嫁と婿、このように混ざっている家庭を持つことが理想的ですか?。それとも白人だけ、黒人だけ、黄色人だけの家庭が理想ですか? (「混ざっているものです」)。混ざっているものですか? (「はい」) あなたたちは、ミックスされた食事が好きですか? (笑い)それゆえに、東西南北、朝は春の食事を食べ、昼食のときには熱帯地方の食事を食べ、夕方は秋を象徴するので、秋の食事を食べ、夜は冬の食事を食べれば、健康によいのです。そのようにすれば、健康だというのです。 そのようにすれば、どこに行って寝ても、どこに行ってもおなかを壊しません。東の方で水を飲んでも、西の方で飲んでも、南の方、北の方、どこに行って飲んだとしてもおなかを壊しません。 朝食は米国で食べ、昼食は日本に行って食べ、夕食はロンドンに行って食べ、夜はサンパウロに行って食べれば、どれほどよいでしょうか?。一日をそのようにして食べれば、毎日のようにおなかを壊すでしょうか、おなかを壊さずに一年じゅう健康でしょうか?。考えてみてください。 どこに行っても、一年じゅう、生涯そのように訪ね歩き回りながら食べたとしても、おなかを壊さずに健康だというのです。それをすべて消化できるからです。あなたたちは、辛くて塩辛い韓国の食事を食べれば、おなかを壊すでしょう? (笑い)先生は、それを食べ、ここでハンバーガーを食べ、ステーキを食べ、スープを飲んでも、何を食べても大丈夫であり、南の方に行って何を食べても、肉を煮て食べ、生で食べてもびくともしません。それゆえに、どこに行ったとしても生きていくことのできる訓練ができているので、「ありがとうございます。神様」と言っているのです。 それでは皆さんは、そのように世界を歩き回りながら、毎日のように朝と夜が違う生活を送り、世界のどのような食事であっても食べて消化する生活をして、喜んで楽しく暮らしたいですか、一つの所にしがみついて暮らしたいですか?。就職して十二か月、十年間を同じ所で暮らしたいですか? (「お父様と一緒に暮らしたいです」)。お父様と一緒に暮らすのではありません。神様と一緒に暮らすのです。 神様は、どこであっても、人間が食べるものはすべて食べたいと思われるでしょうか、食べたいとは思われないでしょうか? (「食べたいと思われます」)それでは、わたしが一匹の大きなわにを捕まえておいて、「おい、わにの肉をおいしく食べよう」と言えば、ムシャムシャと食べますか、わあわあ言いながら食べますか?。 自然界では、何の肉であっても我先に自分が食べようと大騒ぎし、動物でも大騒ぎするのに、人間世界では皆、えり好みをして「食べない」と言うので、人間世界は長く生きられないというのです。 そのように考えると、自然界では人間がびりでしょう?。そして、その中でも文明人たち、米国人が一番びりなのです。神様は、すべてのものを人間のためにつくられたので、これをすべて食べてこそ、体も丈夫になるようになっているのであって、偏って食べれば、はんぱにしかなりません。 ですから人間も、どこに行っても暮らすことができ、何を食べたとしても、昼に食べても夜に食べても、熱い所で食べても寒い所で食べても、寝ながら食べても起きて食べても、下痢をせずに健康でなければならないというのです。ですから神様は、世界のすべてのものを一度食べて、味わってみて「死にそうだ」と言っている人を好まれるでしょうか、それとも、隅の方で限られたものだけを食べようとする人を好まれるでしょうか? (「前者を願われます」) 万物を神様以上に愛して食べるところには、病気はなく、健康なのです。虎よりも健康であり、万物よりも健康であり、草木よりも健康であり、どのような万物よりも健康に暮らすのです。ノーメンではなく、アーメンです。(「アーメン」) 愛を嫌うものはいません。真の愛を嫌うものはいないのです。あなたたちが、家で十人の家族で暮らしていても、家で飼っている猫を赤ん坊がもっと愛すれば、猫は赤ん坊の所に行って抱かれるのであって、父親と母親が嫌えば、猫はそこには行かないというのです。そうではないですか? 猫は、赤ん坊を見れば「ニャオ、ニャオ」と言いながらそこに行きますが、おじいさんを見れば、「ニャオ、ニャオ、ニャオ」と言いながら、そこには行かないというのです。(ジャスチャーされる)(笑う)人間の世界にだけ、受けたものを返さない強盗団、詐欺団がたくさんいるのですが、そのような人は地獄に行かなければなりません。 さあ、ここに集まった五色人種には、各国の故郷と祖国がありますが、一つ間違いないことは、真の愛を中心として見たときに、すべての者にとっての祖国と故郷には、ただ一か所しかなることができないということです。ところが、愛がないので、すべて分かれてしまったのです。そうですか?ですから、この地球は故郷になることができますが、わたしたちの祖国にはなることはできないというのです。祖国は、父が暮らす所が祖国なのです。 日本の食口は手を挙げてください。十年たてば、日本人が米国の地を占領してしまいますね。日本人は息子、娘をたくさん生みなさいというのです。どんどん生むのです。西洋の人は、赤ん坊を生まずに逃げていきます。フリーセックス、ホモ、レズビアンは「自然滅亡」です。 統一教会の祝福を受けた家庭は、どんどん子供を生むのです。それは「ブレスト・カップル」ですか、「プラス・カップル」ですか? (笑い)わたしたち祝福家庭は、今から「プラス・カップル」というのです。(「アーメン」)。二〇〇〇年まで、十日程度しか残っていません。十日を超えたならば、「プラス・カップル」と呼ぼうというのです。(笑い)(拍手) プラスしようとするので、妻にも負債を負わず、夫にも負債を負わず、お互いに負債を負わずにプラスする「プラス・カップル」となるのです。「プラス・カップル」になれば、プラスの子女が生まれるというのです。分かりますか? (「はい」)。それで、二十一世紀の統一教会は、「プラス・カップル」であるならば「ブレスト・カップル」である、というのです。 それから、何のレイス(人種)ですか?。「ユニフィケーション・レイス(統一の人種)」です。そこには白人もいて、黒人もいて、五色人種がいるのです。あなたたちは、白い服がよいですか、茶色の服がよいですか、黒の服がよいですか? (「レインボーです」)。(笑い)ミックスしたものが良いのです。混ざらなければなりません。まだらになっているものです。 あなたたちの故郷はどこなのですか? (「地球です」)。本当の故郷は、今はありません。考えてみてください。一番重要なものが何かというと愛なのです。愛、血統、それから三番目は何かというと、生命です。三位一体です。色も三原色であり、肥料でも三元素があるのです。分かりますか? 愛が存在するためには、愛には血統がぶら下がっており、血統には生命が連結されています。愛には神様が連結されているのです。神様は、先祖であられるというのです。こうして神様から血統を通してつながって、上下、前後、左右を中心として家庭となるのです。そこに愛があり、血統があり、生命があるのです。 それゆえに、愛は歴史と連結された愛であり、生命と連結されたものが愛なのです。分かりますか?。血統が連結されておらず、生命が連結されていない愛は、偽りの愛です。そこには、すべての四肢百体が一時に動員されなければなりません。方便的、手段的愛になることはできないということを知らなければなりません。分かりますか?。これは、だれも変更することはできません。 この愛と血統と生命のうち、血統一つを抜いてしまったとしても、すべて壊れていくのです。生命があったとしても、すべて壊れていくのです。生命があったとしても、この生命が愛を中心として血統的因縁ができていなければ、生命が連結されないというのです。 愛は、永遠の歴史をつくるためのものです。過去、現在、未来と、神様の血統がくねくねと曲がることはできません。神様の血統は、まっすぐなのです。数千代、数万代がこのようにまっすぐになっているのです。生命も同じです。愛も同じなのです。 その一代一代が、どこに連結されるのですか?。愛に連結されるのです。真の愛は、どこであっても真の生命と血統に連結されるのです。それゆえに、どこに行ったとしても、一代で同じ実を結ぶことができるというのです。真の愛、真の血統、真の生命。ですから、「永生」なのです。一つだというのです。それゆえに、祖国に自動的に帰るのです。分かりますか? ゆえに、「真の愛を持ったのかどうか」ということが問題なのです。真の血統を持ったのか、真の人になって、真の愛と真の血統と真の生命を後代に残すことができるのかどうかということが、神様が創造理想として願われる結論である、ということを知らなければなりません。 そのようになれば、どのようになるのでしょうか?。神様のような理想的で永遠の愛、永遠の血統、永遠の生命の主人に似た人々が、完全な天の国の息子、娘になるのです。アーメン。 なぜ、結婚しなければならないのでしょうか?。この伝統を過去と同じように今日、今日と同じように未来に残すためなのです。東洋、西洋、どこであっても永遠に同じ家庭をつくるためなのです。そのことを知らなければなりません。分かりますね? (「はい」)それゆえに血統をつくらなければなりません。それは、どのような血統をつくらなければならないのでしょうか? 女性で言えば、ごちゃ混ぜの血統をつくるのですか、純粋な血統をつくるのですか?。純粋なものは一つです。それは、本来の夫を通してつくられるのです。あなたたちは、他人が食べたご飯を食べるのがよいですか、それとも新しいご飯を食べますか? (「新しいご飯です」)。新しいご飯ですか?。皆、そうでしょう? この目ですが、赤ん坊は、生まれてから目を開けるときに、何を先に見るでしょうか?。だれを先に見ますか?。父親を先に見るでしょうか、母親を先に見るでしょうか? (「母親です」)。なぜ母親ですか? 「マム(韓国語で「心」の意)」を与える「マム(英語で「母親」の意)」なので、マム(母親)を先に見なければならないでしょう? (笑い) そして、何をまた先に触ろうとしますか?。母親の口を先に触りたいと思うでしょうか、父親の口を触りたいと思うでしょうか? (「母親です」)。母親なのです。お乳を上げるからです。(笑い)これが宝です。最も貴いことなのです。 東洋では、しゅうと(義理の父)の前で胸を見せれば、女性の中で最も悪い女性と思われるのですが、赤ん坊を生めば、裸になって両胸を見せて、このように乳を飲ませても、それは善になるのです。愛がそこにあるからです。真の愛があるというのです。それは、最高の善です。主人が変われば、そのように変わることができるのです。 赤ん坊は、母親を触り、母親の顔を触り、父親は取り残されます。それでは、その赤ん坊を育ててくれるのはだれでしょうか? (「母親です」)。それと同様に、動物世界においても、子を育てるのは母親です。それは公式です。子を育てることは、父親にはできません。母親がすべて育てるのです。ライオンでも虎でもそうです。 それでは、母親の愛がもっと良いですか、父親の愛がもっと良いですか? (「母親の愛です」)。なぜですか?。どうしてですか? (「……」)。どうしてなのですか?。それは、赤ん坊は母親の体の分身体だからです。母親の体の分身体だからなのです。赤ん坊は、血、肉、骨、すべてを母親から分け与えられて生まれました。それゆえに、赤ん坊は、親の愛の実体です。すなわち、自分の体、「第二の私」なので、愛さざるをえないというのです。 アダム、エバは、神様から分かれて出てきました。ですから、神様は、アダム、エバを愛さざるをえないというのです。堕落する前のアダム、エバは、神様に対して触ることもでき、見ることもできましたが、堕落した後のアダム、エバは、神様に触ることもできず、見ることもできず、考えることもできなくなってしまったというのです。これは、どれほどあきれ果てることでしょうか? 血統の貴重性というものを、わたしたちは考えてみなければなりません。アダム、エバは本来、どの血統を受け継いで生まれるはずだったのでしょうか?。神様でしょうか、どこの血統でしょうか? (「神様です」)。神様なのです。 それでは、アダム、エバが神様の血統を受け継いでいたならば、血統を延長するためには、何を通さなければならないのでしょうか?。アダムの息子、娘が神様の孫にならなければならないのですが、アダムの息子、娘は、神様の孫になることはできなかったということを知らなければなりません。 カインとアベルは、だれの血統を受け継いだのですか?。大きな声で答えてください。(「サタンです」)。サタンです。サタンとは何者ですか?。神様の愛の怨讐です。それは、神様の怨讐なのです。分かりますか?。ですから姦夫なのです。それは、最も悪い者です。 愛の怨讐のことを「姦夫」というのです。姦夫の「姦」という字は、女性が三人と書きます。愛の怨讐です。分かりますか?。今まで、そのようなサタンが何者であるのかを知りませんでした。サタンは神様の怨讐ですが、どのような行動をする神様の怨讐なのかというと、それは「淫乱の神」です。サタンは、「淫乱の神」の先祖なのです。 それでは、サタンがエバの胎中に入っていって、その子宮にカインを妊娠させるとき、神様の息子を妊娠し、神様の娘を妊娠しなければならない子宮であるのに、サタンの息子、娘を妊娠した子宮と、そのエバの体全体が、どれほど悲惨であったであろうかということを考えてみてください。 そこで女性が生まれるとき、「私は今後、王子に侍ることのできる私である」と考えたのではなく、「アイゴー 痛哭する立場に立った、サタン世界のマフィアのような者に出会うのだなあ」と思って、どれほど悲しんだであろうかということを考えてみてください。 そこから、神様の愛の世界とサタン世界は、完全に分かれてしまうのです。そこに神様が共にいらっしゃることはできません。そこから皆さんを宿し、皆さんが生まれてきたのです。そういう皆さんは、父親と母親の堕落した血統を受け継いで生まれた後孫なのです。そのことを考えてみましたか? そのようなことを考えてみるとき、本然の「私自身」とは、神様のみ前に平和と愛の中で抱かれ、喜び楽しむことのできる「私」であるべきにもかかわらず、神様の怨讐の根を受け継いで、それが食い込み、震えて悲惨な姿になり、どうしようもない「私自身」になってしまったということを感じなければならないというのです。 これが事実であるならば、どうでしょうか?。皆さん、毎朝鏡を見ないという人は、手を挙げてください。いないでしょう?。鏡を見るとき、髪の毛一本からして「これは神様の怨讐だ」ということを感じなければなりません。いくらよく着飾ったとしても、神様の怨讐です。自分を輝かせるために身だしなみをするならば、もっと怨讐になるのです。 この目を見るとき、「おまえもサタンの目だな、神様の怨讐の目だな」と思い、鼻も、口も、耳も、体も全部そうであると思わなければなりません。体全体の中で、神様が歓迎なさることのできるものは一つもない、ということを知らなければなりません。 女性で言うならば、このようなことです。例えば、あなたたちの夫人が本来の夫を中心として赤ん坊を宿すべきであるのにもかかわらず、強盗に強カンされて赤ん坊を生んでしまったというとき、その赤ん坊を見るすべての人がどのようになるでしょうか? そのような場合、背を向けなければならず、見るのも嫌がるというのです。それを見ても、においをかいでも、反発するのです。同じ怨讐との間で二人の息子、娘がともに、そのようになってしまったということとぴったり同じです。堕落した世界の人であってもそうであるというのに、本然の神様ならば、どうであられるでしょうか?。百八十度違うというのです。 そのような体をもって、女性が愛そうとして男性を求めて現れ、それに対して、そのようなとんでもない男性が愛そうとして現れる、その状況を神様がごらんになるとき、神様は「おお、良いぞ」と言われるでしょうか?。雷で打ってしまいたいと思われるのです。 神様は、「結婚しなさい」と言われるでしょうか、死ぬほど「結婚するな」と言われるでしょうか?。何がフリーセックスですか?。ホモ、レズビアンですか?。ですから、神様の目から火が出るでしょうか、出ないでしょうか?。地獄に逆さまにして投げ込むというのです。 血統的に誤った愛による血統を通して生まれた、誤った生命を持っている「私自身」であるということを自覚しなければなりません。もし、神様が悲しく恨めしい心を解き、怨讐に思うその心を解こうとされて、この体のすべてのものの節々まで細胞のようにして飛ばしてしまい、その細胞が飛んでいくのを見たとしても、それでも気分が悪いのです。もっとしないと気が済まないというのです。それほどまでに思って、火で燃やしてしまわれたいのです。 愛の怨讐、血統の怨讐、生命の怨讐が、このように恐ろしい境界になっているということを知らなければなりません。これをどのようにしなければならないのでしょうか? そのような怨讐の息子、娘を自分の息子、娘よりも愛さなければなりません。怨讐の息子、娘を自分の息子、娘くらいに愛すれば、すべてがなくなった位置になるのです。何も生まれなかったという立場だというのです。 ですから、自分の息子、娘よりももっと愛さなければならないという立場が、神様の立場なのです。もっと愛して、少し残れば、それを中心として育てて救援しようというのです。救援摂理とは、そうなのです。投入するのです。 白紙に墨で文字を書いて、それを消しゴムで消すのではなく、水で洗うとすれば、千年、万年たっても洗うのは難しいというのです。ですから消耗しなければなりません。生命を生かすためには、堕落した生命よりももっと投入しなければ、生かすことはできません。 女性の腹中に赤ん坊が入っていて横になっているとすれば、その赤ん坊は、どれほど息が詰まるでしょうか? 「わたしが行く世界はどこか?」というのですが、生まれてからどこに行くのでしょうか?。この母親の体は、堕落した体です。ここには、父親の精子と母親の卵子を中心として、父親の種が入ってきているというのです。それも堕落によってです。偽りの愛による偽りの血統によって、偽りの生命が生まれるということ、それ自体がどれほど悲惨であるかというのです。 神様は、腹中に妊娠した赤ん坊が悲惨であるということを耳にするでしょうか、耳にすることができないでしょうか?。ご存じでしょうか、ご存じではないでしょうか? (「ご存じです」)。ご存じであるという神様が、「アイゴー、おまえはかわいそうだ」と言われることができるでしょうか?。あきれ果ててしまうことです。それが数千代です。一つ、二つの家庭ではありません。六十億人類、おびただしい数の家庭になっているというのです。 赤ん坊は、母親から生まれてどこに行くのでしょうか?。母親の腹中の水中時代、それから陸地時代に出てくるのです。胎中から出てきて、万物を食べて生きるのです。母親の腹中と同じものが地球です。母親の腹中で栄養をもらって育つことと同じように、母親の胎を破って生まれてきたこの地が「第二の父母」なのです。そのように考えましたか? ですから、地を愛さなければなりません。地が人間に愛されたことがありますか?。神様は、地を最も愛されるのです。宇宙を愛されるのです。それは、それらが人間のために犠牲になるからです。こうして水時代から空気時代、それから太陽時代です。空気時代は陸地時代であり、地球星時代です。 口は水を表し、鼻は空気時代を表します。口は水を飲まなければならず、鼻は空気を吸わなければなりません。この目は、太陽時代ですから光を表します。ですから、目は神様に似ているというのです。 このように、水も流れ、空気も流れ、太陽の光も流れるというのです。目は、それを見ることによって、均衡が取れているか、ゆがんでいるかを観察するのです。水中時代、それからは陸地時代、太陽時代。これはすべての人に与えられる三時代なのですが、これらが一つの範疇に含まれているのです。太陽時代、愛時代が霊界です。 太陽を中心として見れば、太陽系は昼といえます。地球には昼と夜がありますが、霊界は常に明るいのです。言い換えれば水時代、空気時代、それからは愛時代です。愛は、常に消えてはなりません。太陽の光のように、昼でも夜でも愛がなくてはならないというのです。朝でも昼でも夜でも、北極でも熱帯地方でも南極でも、どこでも愛は変わりません。霊界は、春夏秋冬のすべてのものが実となったものを取り込んでおく倉庫のような所です。 それでは、この太陽時代に行くことができる人々は、本来、堕落せずに、本然の基準を通じてすべてのものが、愛で和していなければなりません。父と母の愛を中心として、それ自体も愛の実として喜びの中から生まれでて、万物を神様の代わりに愛し、神様の代わりに愛する立場で、万物を食べるにも愛によって食べるようにしていかなければならないのです。しかし、このすべてが反対なのです。 霊界には、夫婦で入っていかなければなりません。それゆえに、神様の血統を受け継ぎ、神様の真の愛と血統が連結された生命から出生した人は、歴史上に一人もいませんでした。ですから、天国に入っていった人は、今まで一人もいなかったというのです。ですから、神様は今まで独りで、孤独な身でいらっしゃったのです。 それでは、このような本然の人々が地球に生まれたとき、その人々にとって故郷とはどこでしょうか?。そのような人々の故郷は地球なのです。そこには米国というものもなく、あらゆる雑多なものがありません。 本来、そうなることができた世界において、偽りの愛、偽りの血統、偽りの生命とは、一体どういうことなのでしょうか?。これが神様の嘆息なのです。ですから、神様が悲しく、地が悲しく、人間が悲しく、万物が悲しい世界となったということを知らなければなりません。「そうではない」と言うことはできません。 全知全能なる神様、宇宙を創造された神様が、なぜ世の中をこのような姿のまま、悪魔の世の中、滅亡の世界のままにしておかれたのでしょうか?それは、そうならざるをえなかったのです。ですから皆さんは、本然の世界を創造された神様が、こうならざるをえなかった実情をただ見詰められるしかなく、そのような中で本然のものを失われたということを知らなければなりません。その神様の心が、どれほど苦痛であり、どれほどかわいそうであるかということを知らなければなりません。 ですから、神様を愛することができず、神様を信じることができなかったということを中心として復帰しなければなりません。そうするためには、世の中をすべて否定しなければなりません。父母であろうが国であろうが、すべてを完全に否定した中で、神様を絶対的に信任することができ、信じることができる人をいかにして捜し求めるか、ということが問題です。 そのような人を、神様はどのようにつくりあげるのかということが歴史的な宿願であった、ということを知らなければなりません。神様が信じることができる人は、一人もいません。このようなすべての血統をどのようにして清め、生命をどのように変更させて、どのように真の愛の位置を取り戻すのでしょうか?。 そのような位置に立つことができ、解放され、主人となることのできる一人の男性が必要です。それが旧約時代、新約時代を通じて主流となり、標準となった思想なのですが、この一人のかたこそがメシヤであり、これがメシヤ思想なのです。 そのメシヤとは何でしょうか?。偽りの愛の主人が悪魔となり、偽りの愛の生命、偽りの愛の血統の主人が悪魔となったので、真の愛の主人が神様となり、真の愛の血統と真の愛の生命の主人が神様となられなければなりません。 そのような血統的関係で結ばれた父子の関係が、神様とメシヤとの関係です。父子の関係は、血統が連結されなくてはなりません。そのように連結されることができる息子が、この地上に生まれたのがメシヤであり、それがメシヤ思想です。 それで選民を準備し、メシヤが生まれて、そのメシヤに接ぎ木され、同等の価値を中心として世界化させようとしたのです。しかし、そのすべてのことは、イエス様が来られたにもかかわらず、失敗してしまいました。 そのことによって再臨主が来たのですが、再臨主も同じようにその役事をなして、絹の反物のような思想をもって愛の巣をつくらなくては、父母の位置を経て天国に連結させることはできないというのです。それで「天地父母」が必要であるというのです。 真のオリーブの木、野生のオリーブの木があります。それで、接ぎ木された後には、どのようになるのでしょうか?。それは、メシヤの体のようになるので、天と地がすべて歓迎し、天地が歓迎することのできる代表的な立場から出発するのです。 それでは、メシヤはどこから出発するのでしょうか?。メシヤは家庭から出発するので、家庭を中心として基盤を持たなくてはなりません。メシヤは、アダムとエバが堕落せずに完成した家庭よりももっと神様に栄光をお返しし、もっと素晴らしく神様に侍ることができる孝子、孝女とならなければならないのです。そのような原則を知らなければなりません。そうでなくては、蕩減して残るものはありません。 メシヤとは何かというと、真の愛を中心とした父の立場から、真の愛の血統を先だって連結し、真の愛の生命を初めて出発させる主人なるおかたであり、真の父母であるというのです。その真の生命の父母は、エデンの園のアダムとエバの何百倍、何千倍以上の価値の存在として感じられなくてはならないというのです。それで、このような血統的な赤ん坊として再び生まれ出ようとするので、重生や復活というものを通さなければなりません。 それで、真の父母はサタン世界の愛をすべて否定するのです。このすべての人類がいるとすれば、それをすべて否定するのです。そうして百点の男性と女性、百点の家庭、百点の氏族、百点の民族、百点の国家、百点の世界を願うのです。 ところで、皆さんはどうですか?。先ほど言いましたが、祝福を受けた家庭とはどのような家庭ですか? (「「プラス・カップル」です」)。言葉は知っていますね。それでは、内容はどうですか?。それが問題です。サタンの血統がありませんか? それを知らなければなりません。それ自体が、サタン世界の要素を洗い清めるために涙を流し、血と汗を流さなければならないのです。ここで、この地上で先生を通して帰っていけば、霊界の天国の門には入るのですが、入ってからも八段階の道が残っているのです。 その世界に行ってからは、この地上において一年ですることを千年かけても浄化することはできません。地上が問題です。ですから、ために生きなければなりません。何百倍、何千倍、地の人々のために生きなければなりません。(「アーメン」)。「アーメン」と言うことは簡単ですが、それを実際に行うことは簡単ですか?。いずれにせよ、これはしなければなりません。いずれにせよ、成さなければなりません。 この世の終わりの日となるので、先生がはっきりとすべて教えてあげます。分かりましたか?。血統と血筋がどれほど恐ろしいものであるかということを知らなければなりません。 神様の血統を立てるために、これまで億千万世にわたって苦労し、数多くの人間たちが神様の血統を受け継ぐために苦労をしてきたのです。血統を受け継ぐのです。血統を受け継ぐことは、真の愛によらなくては血統を受け継ぐ道はないということを知らなければなりません。 真の愛というものは、自分の生命を超えて、堕落した世界の生命を犠牲にさせながら、喜びつつ歩んでいくことができる立場を執らなくては、真の愛はありません。これは、永遠なる願いです。分かりましたね? (「はい」) それでは、皆さんは今、このような基準から見るときにどれくらいのレベルになっていますか?。女性が腹中から生まれるときに願う望みは何かというと、自分のために生まれたのではなく、将来、生まれる男性のために生まれたというのです。 腹中時代を経て、幼児時代から兄弟時代、約婚時代、夫婦時代、父母時代、祖母時代、女王時代まで八段階の段階を歩んで行くべき希望的な女王の位置に立って、王である男性の王妃となって、天地の大主人となるという目的のために生まれてきたということを知らなければなりません。八段階です。それを皆さんは考えたことがありますか?。 ですから、女性が成長してこのように大きくなって男性に出会い、女王の立場にまでなるのです。そして、男性は男性の王となり、天の国の王子となって、天の国のすべてのものを継承する相続者としての位置まで行かなければならないというのです。 イエス様に約婚時代があり、結婚時代があり、父母時代があり、祖父時代があり、王の時代があったでしょうか?。ありませんでした。人間の願いがそのことであるのに、それを失ってしまわれたのです。ですから、その位置に行かなければなりません。 先生が生まれたことも、そのような段階を通じて腹中時代から幼児時代、兄弟時代、約婚時代、結婚時代、父母時代、祖父時代を経て、王の位置まで行かなければならないのです。 世界で生きるのは、男性として生きるのです。ですから、この世の中のすべての女性たちを解放しなければならない先生であるということを知らなければなりません。女性が、そのような位置を捜し出すことはできません。母を通して、その条件を代わりに立てているということを知らなければなりません。 堕落しなかったならば、どうなっていたのでしょうか?。本来、女性が妊娠したならば、王と皇后の位置に向かって八段階の過程を行くのです。そのような神様が立てられたモデル過程を経て行かなければならないのです。 皆さんは、神様を「天のお父様」と言うでしょう?。神様も父であられ、真のご父母様も父なのです。天の父は見えない父であられ、真のご父母様は目に見える父なのです。親子関係は上下関係、左右は父母であり、それからは兄弟関係です。アダム完成、それから夫婦完成、神様完成なのです。 真のご父母様が、そのようなアダムの完成基準の氏族長、民族長、国家長、世界長、天宙長の勝利圏を中心として祝福してくれたということは、それ自体を祝福してくれたのですから、皆さんの家庭がすべて従って上がっていくのです。 八段階が、一点にすべて集まるのです。それでこの点を中心として、皆さんたちを中心として、ここも連結され、すべて連結されなければなりません。同じなのです。内外になっているのです。 このような真のご父母様を中心として蕩減復帰したすべてのものを、祝福によって皆さんの夫婦ふたり、プラスとマイナスが世界を中心に一つになったものに連結させ、ここでプラス、マイナスとなるのです。 そうして祝福をしてあげるのです。家庭によって堕落したために、家庭でそれを復帰しようとするので、それをすべて家庭的に接ぎ木するのです。したがって、先生がプラスであるならば、皆さんはマイナスです。真のご父母様がプラスならば、世界のすべての祝福家庭は皆、マイナスです。分かりますか?。それで、真のご父母様が生んだ息子、娘と同様に、皆さんたちの息子、娘たちもそのまま垂直に上がっていくことができるのです。上がっていけば良いのです。皆さんは、そのことを知らなければなりません。 一点を中心として、皆さんを中心として個人の中心となりたいのであり、家庭の中心となりたいのです。それを中心として個人の中心、それからは家庭の中心、復帰はここからなされるのです。個人復帰です。一、二、三、四、五、六、七、八。皆さんは、初めから終わりまで少しも変わりなく、同じでなければなりません。 皆さん個人を中心として、自分が個人の中心となり、家庭の中心となりたいのであり、国家の中心となりたいのであり、天宙の中心となりたいのです。そのようにすれば、どのようになるのですか?。何度も投入して忘れてしまわなければなりません。 それで、最初から最後まで少しも変わりなく同じ調子であるためには、出発して戻ってきたものが、すべて同じでなければなりません。変わることがあってはならないのです。そうして、この一つを中心として投入しなければなりません。すべて投入して、さらに投入することによって氏族が生じるのです。 それから、個人が家庭に投入し、それから家庭が氏族に上がっていき、また投入しなければなりません。民族が国のために生きていって、そのように投入することができてこそ、上がっていくのです。上がっていき、八段階を蕩減していくのです。分かりますか? このときは、必ず蕩減があるのです。再び、成したものを投入しなければなりません。それで個人は、家庭のために犠牲とならなければならないのです。そのように生きてこそ、最初から最後まで少しも変わることなく同じになるのです。そうして、もっと大きくなろうとすれば、この家庭が投入しなければならず、民族がもっと大きくなろうとすれば、氏族が投入しなければなりません。 それゆえに、八段階において、より大きなものに向かわなければなりません。全体のために投入する者、そのような者が犠牲となることによって、大きな世界の蕩減の道を開拓して上がっていくことができるということを知らなければなりません。 皆さんは個人的な蕩減時代、家庭的蕩減時代、氏族的蕩減時代、民族的蕩減時代、国家的、世界的、宇宙的蕩減時代を経て、霊界解放、地上解放時代が来るのです。全体を蕩減しなければならないのですが、真のご父母様以外には蕩減法を知りません。そうしてこのような勝利をすべてなしたので、すべて越えることができるのです。 ゆえに、全世界が蕩減が必要な時を乗り越えて、左回りに回っていたものが、反対に回るのです。逆に回っていた世界が、新たに時計の針のように回るのです。それが一次、二次、三次と移り、堕落したアダム時代から復帰時代を経て第四次アダム時代へと移っていくのです。 蕩減時代の世界にはサタンがいて、反対を受ける時代なのです。サタンがすべて引き裂くのです。父母同士、または兄弟同士、食口同士がねじれて、世界が数百、数千民族となっているのです。 これを宗教圏を中心として四大文明圏を編成し、キリスト教、イスラム教、儒教、仏教、四大文化圏を中心とした統一体制をつくっていくのです。それを真のご父母様が来て消化し、蕩減し、第四次アダム圏へと移っていくのです。そのような新しい創造理想時代に移っていかなければならないのです。 この地上には、数多くの国があります。皆さんの故郷と祖国が米国にもなり、フロリダにもなり、日本にもなって、すべて違います。国を中心として、そのようになっているのですが、これは堕落した以後の世界です。必要のない世界なのです。 それで、蕩減時代を過ぎた今、地獄と天国が高速道路で結ばれています。私たち統一教会の教会員たちは個人完成、家庭完成、氏族、民族、国家、天宙完成をどのようにするのかを皆、知っています。よく知っているのです。知らない人はいません。 一番下から垂直に上がっていくことができるのですが、それは何によってかというと、ために生きることです。個人は家庭のために、家庭は氏族のために、氏族は民族のために、民族は国家のために、国家は世界のために、ために、ために、ために生きるのです。そうして、すべてために生き、ために生きる環境でいっぱいになれば、サタンは逃げていくので、この解放時代から天国を成し遂げるのです。 真のご父母様によって祝福を受けた血統です。そのような血統が連結された、生命圏を持った人の主人の位置に立つのです。それでサタンは、地獄に落ちていったでしょう?。それは、影のようなものでしょう?。神様に連結された所は日の光であり、サタンはすべて真っ暗な所です。 祝福を受けた家庭は、手を挙げてみてください。わあ。全員ですね。祝福家庭(ブレスト・カップル)が、どのような家庭になるのですか? 「プラス・カップル」です。世の中とは異なるのです。「ブレス」とは、平面のことをいうのですが、「プラス」は垂直のことをいうのです。 上に上がろうとすれば、個人が家庭のために生きて上がっていくのです。垂直です。真のご父母様は、このようにして上がっていくことができる道をすべて蕩減したのです。皆さんは今、地獄の底にいるのです。一番上に天国があれば、皆さんは地獄にいます。一番下が地獄です。しかし、蕩減時代に経てきたすべての八段階の蕩減条件を、すべてなくしたので、天に入っていくことができるのです。 皆さんが四年前にジャルジンに行ったときには、そこには何もありませんでしたが、現在、ジャルジンには「世界平和統一家庭連合教育本部」があります。そこに先生が四年前に行ったとき、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を伝えたのです。絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。 神様がこの宇宙をつくられるとき、神様は絶対信仰をもってつくられたのです。それから、二番目は絶対愛です。創造主としてパートナーを絶対愛でつくられました。そして、絶対服従です。絶対服従は何かというと、自分自身までも、すべてなくなるのです。完全投入です。投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまうことなのです。自分の概念まですべて投入するのです。分かりますか? それで神様は「ゼロポイント」です。信仰もすべて注がれたために「ゼロポイント」であり、愛もすべて注がれたために「ゼロポイント」であり、従順もすべて注がれたために「ゼロポイント」なのです。 そのかわり、別の方からは受けることができるので、真の愛は必ず大きくなってくるというのです。真の愛を投入すれば、大きくなってくるというのです。真の愛です。真の愛は、運動すれば必ず大きくなっていくのであって、小さくはならないというのです。 この自然世界の運動は、運動すれば消耗しますが、真の愛はどんどん大きくなっていくというのです。ゆえに、繁栄するのです。分かりますか?それで皆さん、絶対信仰なのですが、それは、だれを絶対信仰しなさいということですか?。神様です。先生も神様を中心として絶対信仰し、絶対的に愛し、絶対服従したのです。ですから、「私自身も」神様の前にそうなのです。 信仰が否定されても、それを信じていき、愛を否定されても信じていかなければならず、従順を否定されても信じていかなければならないのです。そうして、怨讐を愛する立場まで行かなければならないのです。 天の父母、真の父母、「天地父母」もそのようにしたので、皆さんもそのようにしなさいというのです。皆さんもやはり、それを相続しなければなりません。その愛から血統、生命を受けなければなりません。そのような生命を持ったので、そのような生命に見合う、そのような血統、そのような愛を持たなければなりません。 それゆえに、そのような真の愛を中心として、個人生活や家庭において投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまう人がセンターとなるのです。中心存在となるのです。そのことを知らなければなりません。 より「ために生きる」人が中心存在となるのです。このことを今まで知りませんでした。十人の家族が暮らしているとすれば、おじいさん、おばあさんを中心として、すべてが序列になっているのですが、幼い子供、孫であっても、だれよりももっと全体のために生きるようになれば、その孫が将来、そこの中心存在となり、すべての中心存在となるのです。 中心存在は、さまざまな所から押してくれるので、押されて上がっていってセンターになるのです。そうしてトップとなり、中心存在となるのです。家庭において、父母を中心として息子、娘が十人どころでなく、どんなに多かったとしても、そこにおいて、より中心的な存在となることができる人は、投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまう人です。そのようなことを継続的に行う人が、そこの中心者となり、全体の相続者となるのです。そして孝子の中の孝子となります。アーメンです。(「アーメン」) それは、国の愛国者も同様です。全国家のために投入して忘れてしまうのです。そうすればそうするほど、中心となるのです。聖人もそうです。投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまうことができる人が、聖人となるのです。「聖子」を中心としても、やはり同様です。 神様が、神様となられることができたということは、神様がどのような存在よりも、ために投入して忘れてしまうということにおいて、一番の存在であられたからです。そのように、神様は、歴史の初めから歴史の終わりまで、投入して忘れてしまわれるということを永遠に継続なさることができるために、永遠に「ために生きる」者たちの王となられることができるのであり、先祖となられることができるのです。アーメン(「アーメン」) 統一教会が、どのようにしてすべての世界と天と地を統一することができるのかというのです。それは、より「ために投入して忘れてしまう」ということによって可能なのです。先生を見てみなさい。全世界が反対したのです。全世界が反対し、世界宗教が反対し、サタンまで動員して反対したのです。しかし、先生は彼らのために生きたのです。彼らを生かしてあげようとしたのです。彼らの息子、娘を生かしてあげようとし、彼らの父母を生かしてあげようとし、彼らの王圏を生かしてあげようとし、そのすべてを生かしてあげようとしました。 そのように反対を受けた統一教会が、どうして今まで発展してきたのでしょうか?。皆、そのことを知りませんでした。神様の戦略は、「打たれて取り戻す」戦略であり、サタンは、「打ってなくしてしまう」戦略を採るのです。キリスト教、米国、ソ連、共産党、すべてが反対しましたが、今は皆、レバレンド・ムーンに従ってくるのです。(「アーメン」)。そうですか? (「はい」)。(拍手)ここには、五色人種が集まったのですから、強く拍手しなさい。(拍手) 五色人類をこのように集めて、レバレンド・ムーンは「わたしの言葉を聞いて結婚しなさい」と言って結婚させてあげました。皆さんがそのように願ったので、結婚させてあげました。願ったのでそのようにしたのですか、強制でそのようにしたのですか? (笑い)(「願ってそのようにしました」)。ですから、不平がありますか、ありませんか? (「ありません」)。ありません。 ですから、夫婦が一つとなるのですか、なりませんか?。米国人とドイツ人を結婚させてあげれば、米国人とドイツ人と結婚する、その次の瞬間から彼らは夫婦となるのです。米国とドイツの全国民が、すぐさま、瞬間的に交差結婚するというときには、この時間から完全に統一がなされるのです。 東洋人と西洋人が、「では、この時間から神様が全世界に命令して交差結婚をする」と言うとき、即刻、地上に天国、天上に天国が成されるのです。それは、どうしてですか?。交差結婚した後に、ふたりは座ってけんかをするのですか、キスをするのですか? (笑われる)分かりますか? (「はい」) レバレンド・ムーンは、天と地を結婚させたでしょうか、させなかったでしょうか?。何億万年前の人と、今の人とを結婚させるならば、何億万年前と今が愛で和するのです。統一教会の食口の中には、何千年前のおじいさんやおばあさんたちと結婚して、何千年前の夫、妻をもらったという人がたくさんいます。その人たちが霊的に地上に来て、今、地上で一緒に暮らしています。だれが「そのように暮らしなさい」と言ったのでしょうか?。神様はできません。真のご父母様のみ、それをすることができるのです。 偽りの父母である人間が過ちを犯したので、復帰は人間がしなければならないのであって、神様がなさるのであれば、神様は最初から堕落をさせなかったのです。天国は、家庭と夫婦が入っていくのですが、愛し合う家庭が入るようになっているので、地上において西洋人、東洋人、そして霊界が真のご父母様の前に祝福を受けて、愛し合って夫婦となった人は、どこでもすべて入っていくことができます。一つとなることができるのです。 真の父母は二組ですか、一組ですか? (「一組です」)。一組しかいないのです。それは、絶対、唯一、永遠、普遍なる人です。そうすると、その真の父母の前に地上世界、天上世界で祝福を受けた家庭は、「ただ一人」ということと同じなのです。同じ価値があるというのです。そうですか? (「はい」) 皆さんたちは兄弟です。「祝福家庭兄弟」です。何千年前に引き裂かれたすべての人々が、祝福家庭を通していっぺんに出会うことができる宴の日が今、地上で繰り広げられているのです。分かりますか?。生命、血統、愛なのですが、何の生命であり、何の血統であり、何の愛ですか?。 そのような解放時代を迎えました。 そのように考えると、今まで皆さんが、それぞれ自分なりの米国の故郷と祖国を持っていたということは、恥ずかしいことです。それが恥ずかしいことであるということを知らなければなりません。そのような考えは、完全に一掃しなければなりません。私たちの故郷はどこですか? (「地球です」)。分かりましたか? (「はい」) 皆さんの「米国が故郷である」という考えを捨ててしまいなさいというのです。それは、サタンによって、堕落によって伝授された恥ずかしいものなのです。神様のみ前に恥ずかしい言葉です。理解しましたか? 皆さんが今、英語を使っていますが、それは何の言語ですか?。偽りの言語です。日本語はどうですか? (「偽りの言語です」)。偽りの言語。それでは、韓国語はどうですか? (「天国の言語です」)。違います。それも偽りの言語です。しかし、そこに真の父母が生まれたので、そこから偽りの言語をリバイバルして、善い言語となるのです。 それでは、先生の故郷はどこでしょうか?。どこですか?。皆さんの故郷と先生の故郷は違うでしょう?。しかし、地球が故郷であることには間違いありません。地球が「本故郷の地」であるのですが、この「本故郷の地」の地球は同じですが、場所が異なるのです。すべて異なるでしょう? 皆さんの故郷がどこであるかといえば、米国になりえます。しかし、祖国は異なるというのです。そこではありません。そうすればよいでしょう?。そのようになろうとすれば、皆さんの国が祝福を受けた地とならなければなりません。しかし、なっていないでしょう?。ですから、これからは「本故郷の地」を決定する時代が来ました。それができていなくては、「祖国である」とは言えません。 私はきのうも話しましたが、父の国、母の国、長子権の国、この三つの国を完全に一つにしたもの、それがホームランド(本郷の地)の出発であるということを知らなければなりません。それらは、一つの国です。 それでは、そのホームランドの決定は何によってなされるのかというと、家庭が定着しなければなりません。ですから、嫁に来た女性は、ホームランドが変わってしまうのです。本来の理想的ホームランドは、家庭が定着することのできる場所がホームランドであったので、祝福家庭がとどまることのできるホームランドを捜し出していかなければならないというのです。 ドイツ人と米国人がいれば、ホームランドは二つですか?。それは、一つとならなければなりません。祝福を受けた家庭が訪ねていくべき、一つのホームランドを取り戻さなければなりません。そうしてこそ、堕落していない家庭的位置を取り戻すことができるのです。分かりますか? (「はい」) 今回、祝福を受けた家庭、四億三千万双の祝福を受けた家庭は、北側から南側に一回りしなければなりません。ジャルジンを中心として、この祝福家庭が入籍することができるホームランドを決定するためには、先生と写真を撮らなければなりません。真の父母とともに写真を撮って、一つの家庭のようになって入っていかなければならないというのです。 それはどういうことかというと、一つになった真のご父母様とわたしたち祝福家庭が一つになり、さらに息子、娘まで一つになった、そのような写真が必要なのです。何によって入籍を証明するのですか?。ジャルジン修練所で手続きを踏んだので、そこにおいて、天国に入ることのできるチケットをもらうのです。それで国に入籍することができるのです。 入籍が何であるのかというと、本郷の国に入ることです。それは父母の国、お兄さんが暮らしていた国です。アダム家庭を中心とした父母が暮らし、長子が暮らすことができる国です。長子権復帰、父母権復帰、王圏復帰。それで、これを今から配置するのです。 これは、真なる皆さんの家庭が暮らすことができる故郷を訪ねていく道である、ということを知らなければなりません。そこに神様がいらっしゃり、真の父母がいて、皆さんの夫婦がいて、息子、娘がいるのです。分かりますか?。ホームランドです。そこに神様がいらっしゃって、父母がいて、夫婦がいて、子女がいて、息子、娘がいるのではないですか?。それから、父母の国、長子の国があるのでしょう? それで、総生畜献納祭をして、修練に行かなければならないのです。修練に行けない祝福を受けた人は、献納金というものを前もって預けておくという条件を立てれば、その修練課程をいっぺんに教育することができるのです。その国に移動するとき、移動する前に、前もって教会にささげておくのです。そこに蕩減条件として百六十数の条件を立てて越えていき、すべて清算するのです。 所有権に関しても、豊かに生活している人は、刃物や武器で、血を流させて無理やり財物を持ってきたということが多くあったのです。そうしておきながら、「優れている」とか「劣っている」などと言っているのです。 わたしたちは、百八十軒を中心として祝福してあげました。七代を象徴した七数を中心として、七×八=五十六です。ここにいる祝福を受けた人たちで、ジャルジンに行って教育を受け、先生と写真を撮った人たちは、抽選をして韓国、日本、米国から配置するのです。三国を抽選するのです。しかし、どこに行くか分かりません。米国人が韓国に行くのかもしれません。そうすれば、韓国は人口が四千万ですから、すぐに終わってしまいます。その場合、四千万からこぼれたそれ以外の人は、どうなるのでしょうか? ですから、四千万になる前に、早く祝福を受けなければなりません。祝福を受けられなければ、大移動が起こるのです。韓国という国は、六大州からありとあらゆる人々が混ざり合うのです。分かりますか?ですから、白人、黒人などの人種差別がなくなり、裕福と貧乏の均衡が取れるのです。そうならなければなりませんか、そうなってはなりませんか?。そうすれば、祝福に反対し、統一教会に反対する二億四千万の米国人は、一番びりになって、アフリカの奥地に行かなければなりません。けれどもしかたありません。そのようになれば、すり替えるのです。 見てください。第二次世界大戦の後の七か国です。韓国、日本、ドイツ、英国、フランス……。七か国を中心としたキリスト教文化圏を中心として摂理したのが、失敗したのです。そうして、キリスト教を信じる国々を中心として、すべて反対することによって、キリスト教信者たちを主とした大移動が起こり、祝福はキリスト教でなくても、一般の回教であっても、祝福を受ければ同じ価値の基準を認定されるのです。平準化です。 既成家庭、結婚家庭、結婚を嫌がる者たち、そして青少年まで祝福して、霊界でもそれに合わせて行いました。そして十六歳までの年齢で、子供のまま死んだすべての人々が、霊界ですべて皆、祝福を受けたのです。ですから、祝福を知らない人はなく、「祝福を受けなければいけない」ということを知らない人がいません。ですから、道をふさいでおいて祝福をしてあげてもよいのです。 全世界の祝福を受けた人をすべて抽選して、人がいる所にはすべて割り当てます。そうして、自分のホームタウンを中心として、地球を祝福家庭のホームタウンとしてつくり上げれば、地上天国がなされ、天上天国が成されるのです。 しかし、地球のどこに行くのか分からないでしょう?。それでも行かなければなりませんか、行ってはなりませんか? (「行かなければなりません」)。行かないというならば、行かないでいてみなさい。追い出すというのです。 精誠を尽くして、早くその国全体が祝福を受ければ、その国自体が、そこにそのままとどまります。しかし今、それがないではありませんか?。ですから、大移動が起こるのです。それで、この祝福を受けた人は、神様を中心とした「一つの国」です。それで、そのわたしたちの国を中心として税金を納めなければなりません。分かりますか? (「はい」)。そうしてこそ、わたしたちの国が生まれるのです。 それでは、大体分かりましたか?。ですから、天と地が「私の故郷と祖国」です。天の国の前に、天宙の中に米国もあり、この地球もあるために、その中にすべて入っていることによって、「天宙は私の故郷と祖国」になるということです。 血筋、血統を残したのです。ですから、皆さんは祝福を受けた夫婦として、どのように清い血統を残すのかが問題です。そうすることのできる家庭が、主流として先生の一族と祝福をどのように受けるのかという問題が生じるのです。垂直と連結されるのです。 一つの家庭に五色人種を率いて暮らすことができる訓練をしなければなりません。霊界も、このような組織の編成が起こるのです。分かりますか? (「はい」)ですから、自分が生活していたすべてのものを否定し、すべて捨てていくよりは、天のみ前に前もって所有権を伝授して教会に預けて行けばいいのです。そうすれば、その教会の管理は天の国の管理であるので、それは残るのです。しかし、そうしないでいたならば、すべて捨てていかなければなりません。 それは、預けていったとしても、将来においてまた、それと関係を結ぶことのできる道があるのですが、いつであろうと、時の時にそれをしないのならば、その人はだめなのです。何の話か分かりますか? それで「新天地」となります。新しい血族を通して新しい氏族、新しい民族、新しい国家、新しい世界となるのです。分かりますか?。来年からするのです。(「アーメン」)。先生の八十歳の誕生日を過ぎるときから、そのことが起こります。 昨年を中心として、三年、三年、七年路程で、歴史は大変革が起こるのです。それで九七年から統一教会がどれほど発展したか分かりますか?。「天地父母」を中心として「天地祝福」を成して、蕩減時代を過ぎ、解放時代を過ぎていくことができる時代を宣布したのです。分かりますか? (「はい」) その世界に行って、先ほどとは反対に、堕落した怨恨の世界を清算して、神様が直接、住まわれることができる時代となるのです。ですから、神様と真のご父母様と写真を撮るのですが、今後は何かというと、自分の一族が写真を撮らなければなりません。一族が教育を受けなければなりません。今は家庭教育時代ですが、一族、七代が集まって教育を受けなければならないのです。 国家が教育を受ける時代になります。そのために、今は何かというと「訓読国家時代」を準備しています。超国家、超民族、超大学連盟であるとか、超言論機関であるとか、超民族的準備をしているのです。それが、国連を通して超えていくのです。それで、国が入籍する時代になるのです。ですから家庭的入籍、氏族的入籍、国の入籍となります。分かりますか? (「はい」) もう、すべて分かりました。皆さんたちが何をすべきか、すべて分かるというのです。個人完成をどのように成し、家庭完成をどのように成し、氏族完成をどのように成すのか、分かりますね? 個人は家庭のために犠牲となり、家庭は氏族のために犠牲となり、氏族は民族のために犠牲となり、民族は国家のため、国家は世界のため、世界は天宙、天宙は神様、神様はわたしたちのために投入されるのです。そのように回っていくのです。(「アーメン」)。それが統一です。 祖国は一つです。分かりますね?。それを知って、そこに向かって、皆さんは不足であるということをよく知っているのです。そして、どのようにして行かなければならないのかということを、すべて知っているのです。自分たちがどのような位置にいるのか、ということを知っているのです。 ですから皆さんは、「それをすべて清算して、真のご父母様がどのような命令をなさるとしても、百回死ぬような命令をするとしても、『絶対に私は行こう』と言うことができる決心をして、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の天理を踏んで、早く飛んで行かなければならない。走るよりも飛んで行かなければならない。アーメン」と言わなければなりません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.13
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「地上天国出発」宣布一九九九年十二月十五日、真のご父母様はウルグアイのプンタデルエステから午前八時三十分、黄善祚会長に電話をされて、「今この時間から地上天国が始まる」と語られ、特別にこの時間を記憶するように強調された。「一九九七年から二〇〇四年までの七年の間に、地上天国を完成しなければならない」と語られ、ジャルジンの四十日修練を受け、入籍に必要な条件を備えた家庭から、韓国、日本、アメリカに、くじ引きによって、一二六〇家庭(一八〇家庭かける七代)を基準に新しい故郷を割り当てると語られた。 この期間に第四次アダム圏を発表して、三年間に新しい時代に突人するのです。第四次アダム圏時代というのは、アダム主義時代を指します。二〇〇〇年代までは蕩減が必要でしたが、今やこの時代を越えていくことで、霊界と肉界で天宙的にアダムが完成した基準が始まるのです。ですから、アダム主義時代の始まりとなります。そのような時代が到来するので、ジャルジンが「世界平和理想家庭教育本部」となるのです。 それで、この教育に参席した者たちは、個人、家庭、氏族、民族、国家基準まで所有圏を移譲したことを中心として、先生と完全に一つにならなければなりません。一つになった基準で自主的になしていく時代となったので、自分の名前で祈祷できるのです。なぜ、自分の名前で祈祷できるかというと、み旨をすべて知っているので、他の者の教えが必要なく、自分の責任で生きて、祝福も直系の父母がしてあげることで、天国の移譲が実現するからです。今や独自に責任を負って、行動する時代ヘと移っていくのです。それで、自分の名前で祈祷するのです。 蕩減が必要のない第四次アダム圏時代に入っていくには、十六数を中心とした「総生畜献納祭」をしなければなりません。祝福家庭というのは何ですか? 神様の復帰摂理は、祝福家庭を成就するために蕩減の時代を経てきたのです。天国は祝福家庭のみ入ることができます。なぜならば、祝福家庭は天宙から個人まで、全体の人類を代表するからです。「そのような貴い価値の中心点に立っているのが私の家庭である!」。これが重要です。 ここで私たちが決心すべきことは、堕落したこの世において、民族、国家、世界、天宙の全体を与えられても換えられない実が、祝福家庭であるということです。ですから、二人の夫婦が一つになるのは、これまでの歴史と天宙を与えても換えられないという信念が必要です。「私」という意識はあり得ません。祝福されたその一つの家庭は、神様がアダムを中心として摂理を引っ張ってこられた結果であり、目的なので、「祝福家庭である私の家庭は天宙で一番貴い」という認識を持たなければなりません。 ですから、自分の名前で祈祷するのです。第四次アダム圏時代に自分の名前で祈祷するのは、切に求めるのではなく、報告するのです。自分の名前で報告するのです。そこには、神様と私しかいません。神様と私の家庭以外にありません。何者もこの間に入ってこられません。神様と私が、神様と私たちの家庭が、父子関係で結ばれて平準化された家庭が、すべてを受けることができます。そのようにして、神様を私の家庭に招待しなければなりません。 それは成約時代に真の父母が来られて、歴史時代のすべてを蕩減して探してこられたのです。真の父母が、個人時代から家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、世界時代、天宙時代に堕落した人類を、すべて祝福によって探してこられたのです。真の愛で完成級を越えた血統によって探してこられたのです。人類はみな真の父母に従ってくるので、完成級へと越えるようになります。そうしてサタンの血統が根絶されたら、すべてが終わります。誰がどのように越えることができますか? 祝福家庭がナイロンのひもを真の父母に、愛で連結して、真の父母の勝利圏を中心として、絶対信仰、絶対愛、絶対服従して越えていくことができるのです。 神様が人間を創造するときの創造の理想が、絶対信仰、絶対愛、絶対服従だったので、人間がそのような神様の基準の相対的な立場に立つには、絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければなりません。そうすれば、サタンが侵犯できないようになるのです。アダム家庭形態の既成祝福家庭であれ、ノア家庭形態の契約結婚家庭であれ、ヤコブ家庭形態の未婚男女の家庭形態であれ、すべての祝福家庭は、絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって真の父母と一つになることで、真の父母の後に従って第四次アダム圏時代へと越えていくようになるのです。 そこには「自分」という概念がありません。真の父母だけが存在するのです。ですから真の父母に絶対信仰、絶対愛、絶対服従することによって、相対基準となって越えるのです。どんなに真の父母と離れていても、真の父母の祝福を受けた家庭として完成圏を越えた、「第四次アダム圏時代の祝福家庭としての私である」という信念を持って、絶対信仰と絶対愛と絶対服従を、神様にお返ししなければなりません。「真の父母の子女として相続を受けた私である」という概念がなければなりません。ここで重要なのは血統です。真なる血統なのです。 その真なる血統を中心として祝福を受け、その血統を中心として私たちは兄弟だというのです。そこには「国家」という概念がありません。知識や権力、お金や国家といった基準がありません。ただ真の愛を中心とした、父と子で連結した血筋を中心とした基準があるだけです。ですから、「世界の家庭はみな、ただ一つの真の父母を中心とする兄弟姉妹である」という概念以外にはありません。 アダムとエバの堕落によって、神様までも十字架に打ちつけられました。アダムとエバも死亡圏に落ちてしまいました。二千年前に来られたイエス様も、十字架に打ちつけられて亡くなりました。再臨主が来られたときも、新教と旧教の反対によって統一天下の基盤が崩れました。そのすべてが完全にひっくり返って、今年の標語である「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」という標語が出てきたのは、驚くべきことです。今年この標語が掲げられたのは、理論的にあまりにもはっきりしています。 神様とイエス様と真の父母にとって、一番貴くて大切なのが祝福家庭です。祝福家庭をつくることです。そのために、真の父母がこの地に来て真の家庭を築きました。真の家庭は創世以降、全人類とも引き換えられない貴い価値を持っています。祝福家庭も同様の価値を持っています。神様の愛の血筋が定着するようになれば、宇宙全体が反対しようとしても反対できなくなります。 神様と真の父母には、ただ祝福家庭が存在するのみです。ユダヤ教団は必要ありません。キリスト教団も必要ありません。宗教の教団というのは一次的な目的ではないからです。ユダヤ教もキリスト教も、真の父母の前では否定されるようになっています。ただ祝福家庭だけが残るのです。宗教の教団は二次的な目的であり、一次的な目的ではありません。教団というのは、神様の復帰摂理に利用するためにつくられたのです。 「神様と真の父母の血筋を連結させて縦と横に相続を受けた祝福家庭は、天宙とも引き換えられない価値がある」という認識を持たなければなりません。ところが、皆さんの家庭がそのような立場に立っていないというのです。ただ真の父母の家庭だけが、そのような家庭になっているのです。それでジャルジンに行って、南北の経済統一、東西の文化統一など、東西南北の統一を代身する立場で、「ジャルジン宣言」を唱えたのです。もう一度言いますが、天宙間において最も貴いのは祝福家庭です。祝福家庭が一番価値ある存在なのです。 統一教会の人たちは、無条件に絶対信仰、絶対愛、絶対服従さえすればいいのでしょうか? そこにも段階があります。絶対信仰、絶対愛、絶対服従しますが、個人は家庭のために、家庭は氏族のために、氏族は民族のために、民族は国家のために、国家は世界のために、世界は天宙のために、天宙は神様のために存在するとき、その神様は正に私、個人のために存在されるようになるのです。そのような父母の前に至らないものを、至るようにするためには、蕩減のない解放時代に合った生活を実践し、祝福の目的を完成するという立場で生きなければなりません。そのためには「投入して忘れる」という犠牲の生活をするのです。これが、正に為に生きる真の愛です。 「総生畜献納祭」という言葉は、自分の否定時代に入っていくということです。真の父母が世界的な勝利圏を越えるとき、真の父母と共にその勝利圏を越えて、第四次アダム圏時代に入っていくのです。そのようになれば、真の父母のやることは、私もやれるようになるのです。そのためには、自分の生命までも否定しなければなりません。「自分」という意識はあり得ないのです。 本来ならば来たるべき主を中心として、一九四五年から一九五二年までの七年間に、天国時代が成就するはずでしたが、キリスト教が受け入れなかったことによって天国を完成することはできませんでした。再び真の父母が蕩減して、今、このような立場に立つようになったのです。今や蕩減が必要のない「即決処分時代」に入りました。第二次世界大戦以降に真の父母は、長子圏を完成して真の父が長子となり、長子権時代を経て父母権時代、王権時代の到来が可能になったのです。長子権、父母権、王権の問題を第二次世界大戦の前後に解決すべきだったのが、四十年過ぎてやっと可能な時代に入ったのです。堕落のない長子圏の完成、堕落のない父母圏完成の基盤の上に、絶対基準をもって王圏を完成するためにあるのが、第四次アダム圏時代の宣言なのです。 真の父母がサタンからすべてを取り戻したのです。ここで整理すべきことは、まず長子権を復帰してから、祝福家庭の天国化によって、父母権を復帰し、王権を復帰しなければならないということです。それが正に、イギリスを中心としたエバ国家とアメリカを中心としたアベル国家、アダム国家である韓国を継承し、真の父母が長手権の天宙化、父母権の天宙化、王権の天宙化を実現して、今、父の国、母の国、長子の国を復帰して、地上と霊界を復帰するのです。 全体蕩減の実現のために、一九九八年四月十七日にベルベディアで「長子権・父母権・王圏の開門宣布式」と「復活節の完成」を宣布したのです。そのときに先生は、韓国を「父の国」、日本を「母の国」、アメリカを「長子圏の国」として宣布しました。この三つの国を一つに束ねて一体化させるために、去る十月一日から、アメリカの指導者が日本と韓国で活動し、日本の指導者がアメリカで活動するという、交差活動をさせたということを記憶しなければなりません。ここで重要なことは、三つの国が一つの国であるということです。一つになることによって、第二次世界大戦以降に成就するはずだった、地上天国と天上天国が編成されるのです。祝福家庭が訪ねていける故郷と国と世界が成就したというのです。 第二次世界大戦以降に連合国と連盟国が、韓国を中心として、七か国が一つになり、世界万民が一つになれたにもかかわらず、その機会を失ってしまいました。今や再び七つの先進国を中心に、一次、二次、三次と編成して、祝福家庭が互いに交差し、父母の国である韓国を中心として一つになればよいのです。 ですから、一九九七年から二〇〇四年までの七年の間に、失われた祝福家庭を探してこなければなりません。それは、サタンの讒訴の条件なしに探してこなければなりません。それでは、韓国と日本とアメリカの三か国は、誰の王権かというのです。三か国は祝福家庭を中心とした長子圏、父母圏、王圏を完成しなければならないのです。それしかありません。それで、ジャルジンで四十日修練を受けた祝福家庭を、三か国に配置するのです。一八〇家庭が再臨時代において、主の祝福編成を可能にするのです。ジャルジンの四十日修練を受けた氏族メシアは、韓国と日本とアメリカを中心として、一八○家庭の七倍である一二六〇家庭を分配されるでしょう。祝福家庭がカイン圏家庭の一二六〇家庭を分配されれば、そこが自分の新しい故郷になるのです。 一二六〇家庭が支持して、祝福された者を王として侍らなければなりません。長子圏、父母圏、王圏を代身して侍らなければなりません。そこでは「黒人、白人、黄色人」という概念がすべてなくならなければなりません。韓国が一等であり、韓国より人口の多い日本が二等であり、日本より人口の多いアメリカが三等になるでしょう。日本の人口は韓国の二倍であり、アメリカの人口は日本の二倍です。ですから、これからは韓国に住む韓国の民を誰が多く復帰するかという競争が起きるのです。祝福家庭は、韓国と日本とアメリカの三か国を中心として、くじ引きをします。三か国がすべて祝福家庭に変われば、その次には七つの先進国に行って、くじ引きで新しい故郷が配置されるのです。第二次世界大戦に加わった加盟国が、今も世界を支配しているからです。その次は全世界に拡散して越えていきますが、そのようになれば、全世界の祝福家庭時代に入るようになります。 これからはアメリカ人だからといって、アメリカの二億四千万名が皆、アメリカにいることはできないでしょう。祝福家庭であっても、一番後になれば困ります。いつ祝福を受けたかということが重要であり、いつ「総生畜献納物」を納めたかということが重要です。ジャルジンの四十日修練を受けても、「総生畜献納物」として一万六千ドルを納めることができなかったならば、来年の「真の父母の御聖誕日」までに納めるという条件を与えて、条件的に加担させるのです。ジャルジンの四十日修練に参席できなかった祝福家庭は、先に「総生畜献納物」を納めてから、四十日修練会に行くこともできます。それは国家メシアのためです。国家メシアの中には公務が忙しくて、ジャルジンの四十日修練に参席できない者たちもいるのです。 今、南米は夏です。白黒闘争など、歴史的に闘争が好きで驕慢な者たち、摂理に反対する者たちなどは、アフリカに行くことになるでしょう。祝福を受けなければなりません。アメリカの食口であっても、アメリカにいることはできません。第三国に行くこともあります。一次は韓国に行き、二次は日本に行き、三次はアメリカに行くでしょう。そのような順序に合わせて、分家をするように出ていくのです。一番早いのがアジア大陸で、その次がアメリカ大陸です。これらの大陸が祝福を受ければ、ヨーロッパは自動的に復帰されるのです。 白人たちがアメリカに来る前は、アメリカの主人は神様でした。神様を中心とした祝福家庭が暮らす天国は、実現可能でしょうか、不可能でしょうか? 可能です。ならば、そのような摂理に合わせて皆さんは動きますか? よく見なさい。父の国と母の国と長子の国である、韓国と日本とアメリカは、互いに怨讐の国でした。この三国を一つにまとめようとして、第二次世界大戦以降に怨讐の国を一つにまとめようとして、そして皆さんの家庭を解放しようとして、真の父母がどれほど苦労しましたか? 四十年の荒野路程を歩みながら、真の父母がどれほど苦労したか知っていますか? 世界は仕方なく先生に従ってくるようになっています。ジャルジンで四十日間、先生の教育を受けた者たちに、既に「荷物をまとめておくように!」と指示しておきました。ですから先生が「どこどこに行け!」と号令すれば、行かなければならないのです。皆さんも準備をしなければなりません。そのときに自分の財産を持っていってはいけません。残していかなければなりません。神様と真の父母の御名で接ぎ木しておかなければ、侵略者や略奪者の名前がつくのです。捧げれば、神に属するようになります。千年も万年も自分の思い通りにはできないのです。さもなければ、後孫たちがその過ちを暴くのです。そうして平等の時代、真なる解放の時代、地上・天上天国解放完成の時代に入っていくのです。 韓国と日本とアメリカの三国に植えてあげたのが、種となります。今や世界的に基金を集めて、一つの目的のために使う時代が到来するのです。真の父母は海洋産業や教育、経済、宗教、文化、芸術など、すべての分野に手をつけました。どんなに世界がそれをなくそうとしても、なくせませんでした。真のお父様が「種」です。ウルグアイにある「ビクトリアプラザホテル」、ジャルジンの「世界平和理想家庭教育本部」、「鮮文大学」、「天城旺臨宮殿」、「イーストガーデン」など、先生の名をもって建てられた家がその「種」です。新聞社や銀行もそうです。それらは歴史的に神様に捧げられた家です。今後の処理方法を考えなければなりません。 そのすべては、祝福家庭が定着するためのものです。新しい祝福家庭のために築いたのです。ですから、どこそこの大学を出たという概念を捨てなければなりません。今後は先生が建てた大学が歴史的な大学であり、人々が仰ぐ大学となります。今年も十三日を残すのみとなりました。十三日のうちに大転換時代がやってきます。この期間に統一教会の人たちがやるべきことは何でしょうか? アメリカに来ている日本の宣教師たちは、アメリカで「統班撃破」をしなければなりません。皆さんも「統班撃破」の編成のために活動しなければなりません。(一九九九年十二月十八日、イーストガーデン)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.13
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日本政府が遂に家庭連合の「解散命令請求」の決定を下しました。これはいわば、「日本収容所列島ー今なお続く(旧)統一教会信者への拉致・監禁」の国家版ともいえるものです。万が一に「宗教法人格」がはく奪されたとして、果たして、税制面の優遇がなくなるだけでしょうか?旧統一教会に解散命令が下された場合、伝えられているように宗教法人格を失うという箇所に、あわせて教団資産の清算が行われるという過程があることを認識する必要がある。— 島田裕巳@13刷出来『日本の10大新宗教』幻冬舎新書 (@hiromishimada) October 12, 2023否!! 今日の文科省の決定がどれだけ家庭連合信者を傷つけたことでしょう。それにとどまらず、今後は信仰の故に周りからは何か容疑者のような「白い目」で見られるような心情まで通過していかなければなりません。なかには「家庭連合の信仰をしてはダメなのか?」というような苦悶をする方も出ないとは限りません。「日本収容所列島」、まさに日本全体が拉致監禁の場と化しては「強制改宗」まで強いているようです。家庭連合HPからは10日付で郵送にての「当法人信徒による嘆願書が文化庁に提出されました」とありました。解散命令請求反対の意を込めて「一文字・人文字」と書いた嘆願書でしたが、まるで「紙くず」同然の扱いを受けました。記者からの取材を受けて今日の新聞に載りました現役信者の意見も聞いて下さい‼️#旧統一教会#家庭連合#解散請求 pic.twitter.com/q4GLjy0msi— shuchan (@shysan2027) October 12, 2023今回も手渡しままならずの態度の文科省、これが政治家や官僚らがやることでしょうか??? 税金も納める日本国民の一人として「信教の自由」「言論の自由」といった人権までも侵害されました。後藤さんの拉致監禁の「すべて」を全文公開しました。何度も「死んでしまいたい」と思わせる、その事件の真相に迫ります。https://t.co/GQNRLSmUeG https://t.co/3hXJgJ5mYW pic.twitter.com/RTyr9N3ko0— 世界日報 (@TheSekainippo) October 12, 20【世界日報】―拉致監禁・強制改宗―続く後藤さんの闘い【書籍紹介】日本収容所列島 いまなお続く統一教会信者[本/雑誌] (単行本・ムック) / 梶栗玄太郎/編一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.12
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第四十回「真の子女の日」記念礼拝の御言成約年 1999年11月8日(陰暦十月一日)清平修錬院 天城旺臨宮殿 大聖殿前日に奉献式が行われた「天城旺臨宮殿」大聖殿での第四十回「真の子女の日」記念礼拝で、語られたものです。 今は何月ですか?。十一月です。今年も五十三日を残すのみです。今から五十三日で、一九九九年が過ぎていきます。一九九九年は、二千年時代をすべて過ごし、締めくくり、すがすがしい二十一世紀を迎える年です。そのような限界線に到達しました。 二千年の最後の時を迎えた今、統一教会が現れて天地開闢の役事を成して神様の心情的焦点を合わせ、地上に真の父母という存在が現れて一体化することのできる基台が形成され、そこに真の愛の光が天地間に輝くことができるようになりました。歴史を逆さまに見れば、創世以降の数多くの人類たち、霊界に行った先祖たちは、そのような驚くべき時代になったということを、今、学び始めたのです。 霊界は、すべて知っているのではないでしょうか?。数多くの系列と数多くの立場に分派したすべての霊のようすは、今日の地上の形態とちょうど同じです。韓国という一つの国を中心としても、慶尚道、全チョル羅道が今、大騒ぎしています。 一つの国、一つの道同士でも、一つになることができずに、実にさまざまな立場があるのです。また、慶尚道は慶尚道内でも複雑であり、また、全羅道は全羅道で複雑なのです。このような複雑な環境を持つ歴史上の地上世界と同じように、霊界もまた、そのように生きた人々が、そのまま霊界に行って暮らしているのです。 苦痛を受けて暮らしていた人はそのままであり、苦痛を抜け出す道理がありません。この世の中のことが、そっくりそのまま霊界で再現されているのです。これは、だれによってこのようになったのでしょうか?。それは、神様によって、このようになったのではなく、人類の先祖によって、このようになったのです。人類の先祖が善良であったならば、このような世界にはなっていませんでした。 どの世界も太陽のように輝くことができ、公明な世界、影のない世界で暮らすことができるはずであった人間は、偽りの父母が堕落することによって血統が変わってしまったのです。「天地創造の大王陛下の息子、娘である」ということは、血統的因縁を中心としなくては、その「子女」という言葉を成立させることはできないのです。分かりますか?。養子と直系の子女は、何が違うのかというと、血統が違うのです。血統が変わってしまったということです。 今日、地上の宗教を通して学んだことは何かというと、「神様がわたしたち人類の先祖であられる」ということです。さらにキリスト教を中心としては、神様はわたしたちの「父」であられるというのです。そのキリスト教の中心存在であられるイエス様は、「わたしが神様の独り子である」と言われました。これは驚くべき宣言です。「神様の独り子である」という言葉は、「神様の愛に従って血統を完成させた最初の代表者である」ということです。それでは、神様の血統を受け継いだ代表的息子は、堕落したアダムとは何が違うのでしょうか?。 堕落したアダムは、未完成時代に堕落してしまい、サタンの血統に連結されました。神様の血統に連結されたものが、腐ってサタンの血統になってしまい、神様の愛が腐って肥やしになって、サタンの血統を育てるということをしてきたのです。それは、とんでもない事実です。そのような歴史の出発とともに、多くの曲折と事情の歴史を引きずりながら結果として残されたものが、この地上の混乱した、分派的境界線であり、壁なのです。 そこで暮らした人々は、抜け出す道理がありません。これは、だれもが解決しなければならないことですが、そのような姿で霊界の暗い世界に行けば、永遠に解決することはできません。地上人同士では、皆、お互いに見て暮らすことができますが、霊界の暗い世界に行ったならば、それもかないません。そのような太陽のない暗い世界に行って、多くの人間が分派的限界線で暮らして呻吟する、その姿を見詰められる神様の心情は、どのようなものであられるでしょうか? 人類歴史は、その出発から恨の中の恨で始まり、恨の恨がさらに増し加わる、正に「恨の歴史」です。しかし人類は、神様の息子、娘として解放されなければなりません。 その一人一人の人間の姿を見詰められる、創造主であられる神様は、堕落した数千、数億の人々を、堕落していない本然の息子、娘と同じ血統的因縁を合わせて、再びかき抱こうとされるのです。しかし、堕落した人類を、再び神様の懐に抱くことのできる位置に立てるという事実は、とてつもない問題なのです。 全知全能の神様が、今までこのような悲惨な世界をつくっておきながら、なぜ手を出すことすらできない神様になってしまわれたのでしょうか? 「神様は死んだ。いない」と言うことができるでしょうか?。神様は、血統が違うので、どうすることもできないのです。血統が違うのです。これを清算するために……。神様は、わたしたちのお父様です。「お父様」と、一度言ってみてください。(「お父様」)。だれがですか? (「神様です」)。皆さんを生んでくださった父親はどなたですか?。皆さんの父親は、だれの父親なのですか?。それが問題です。 神様は、「真のお父様」です。皆さんの父親は、どのような父親ですか?。真のお父様ですか、真のお父様の反対ですか? (「反対です」)。反対なので、偽の、偽りの父だというのです。一度言ってみてください。先祖がだれであるかを問いません。アダム以降、数千万代の父親たちが連結されていたとしても、皆さんを生んだその父親たちは、自分の息子の前において、偽の、偽りの父親であったというのです。あまりのことに、あっけにとられてしまうでしょう?しかしこれは、どのようにしても、神様の思いどおりになさることはできません。殺すこともできません。殺そうとすれば、一瞬のうちに殺すこともできる能力を持っていらっしゃるのですが、神様はこれを処断することも、手を出すこともできないのです。そのような血族が残されたものが堕落世界であるということを、今日の宗教圏は知りませんでした。 しかしついに、真の父母の名を持った者が、霊界のすべての実情を詳細に知り、堕落の動機から神様の秘密、サタンの秘密まで掘り出して調べ、このようなことを明らかにした内容が統一教会の原理なのです。地上世界と天上世界が分かれ、混乱し、相克的な歴史をなしたすべてのことを和合させるために、今、霊界の根本と実情から地上界の根本、そして人生、歴史の根本までをすべて解消し、すべてを連結させようとしているのです。これを何と表現したらよいのでしょうか? 川が流れていくのですが、逆さまに流れていくのです。このように逆さまになった世の中を掘り返し、そこから清い水になるようにして、世界が平和の基準まで来てこそ、神様から始まる血統の始原の基盤をつくり、出発をさせることができるのです。そのようなとてつもなく、また途方もない事情をだれが知っていたでしょうか?。自分の息子、娘ではない、その息子、娘を神様の思いどおりにすることができますか?。その家庭を思いどおりに訪ねていくことができますか?。境界線が引かれた、地獄と天国が分かれているのです。 このようなとてつもない背景を残して生きている、今日のこの世紀末的な六十億人類の群像を見詰めるとき、言葉を失うというのです。その背後には、数千万個の壁と分裂状態の歴史を抱えているのですが、その事実を知っている人はいません。 この世の中で豊かに暮らして成功したとしても、その成功は神様とは何の関係もないというのです。むしろ成功したという人々が、かえって深い穴を掘ってしまったのです。ですから、罪悪の歴史的な汚れの水は、その穴にすべてたまっているのです。昔の聖賢たちが成した事実を歴史的に明らかにしてみるとき、彼らは、この世の中を明るくすることに貢献したというよりも、世の中を滅ぼすことに貢献した人が多いのです。分かりますか?きょう、わたしが話すことは十分間でやめようと思ったのですが、すでに十分間を過ぎました。やめましょうか?。何の話か分かりましたね? 自分とは、どのような存在ですか?。それは、堕落した世界の実と同じです。それは、さながら罪の出発と罪の過程と歴史的な罪の結実の総株式会社の「社長」です。神様と皆さんとの間は、何千の壁によってふさがれているというのです。しかもそれは、一方向の壁だけでなく、周囲四方を包囲されているのです。そのことを考えてみてください。 今、何と言いましたか?。悪なる罪の歴史の総合的な結実体であるうえに、罪悪世界の総体の株式会社です。何と言いましたか? (「株式会社です」)。そのようなことを言えば、言葉が問題になるのです。何の社長(「サジャン」)ですか?。死んだ人を葬事する「死葬(「」で、「社長」と発音が同じ)」です。その言葉がぴったりです。 世の中では、何と言うのですか? 「社長になろう。社長になろう」と言います。それは、何の社長(「」)ですか? 「死ぬ」の「死」という字に葬儀の「葬」という字で「死葬(『』)」です。罪の株式会社の総帥の立場にいるので、それは「死葬」でしょう?。そのことを考えなければなりません。今日のこの地上に生きている人で、社長になって搾取しない人はいません。文総裁は、いわば社長でしょう? 多くの会社をつくり、この国を復活させようとあらゆることをすべてし尽くしましたが、後には、歴代の八代の大統領はわたしを消そうとして、ありとあらゆることをすべてしたのですが、消すことはできませんでした。そうして最後には、IMF(国際通貨基金)によって、国まで滅ぼしかねないようになったのです。そして統一産業を中心として、「犯罪団体である」と言い、ああだこうだと言っています。わたしには、恥ずかしいことはありません。韓国が、わたしに負債を負っているのであって、わたしは韓国に負債はありません。そのことを知らなければなりません。また、米国なら米国に行って負債を負ってはいません。世話にはなりません。その国の世話になりたくはないのです。 ここに日本人が来ていますが、日本の国に世話になったことはありません。なぜでしょうか?。すべての教会の結実であり、すべての株式会社の総裁の立場にいるのですから、人類の前に世話になり、負債を負おうとは思いません。彼らの暮らす国に負債を負おうとは、夢にも思わないというのです。負債を負わせてこそ壁を崩すことができ、数多くの道を開拓していくことができるのです。わたしの力が不足ならば、霊界の善なる霊と天使を動員して同調させ、それを崩して負債を肩代わりして返す歴史、罪の負債を取り替える総帥としての役割をしてきたのであって、「世話になろう」とは考えたことはありません。 米国なら米国自体を生かすことのできる基台を築いた人が、わたしなのです。ですから、米国の大統領の前でも堂々と話をするのです。七〇年代、八〇年代にレーガン大統領をわたしの手によって立てていなかったならば、そしてブッシュ大統領をわたしの手によって立てていなかったならば、その国がどのようになっていたか分かりません。今のクリントン大統領は、わたしの言うことを聞きません。ブッシュ大統領は、わたしの言うことを聞かなかったので、あのようになりました。わたしは、そのような人です。聞いてみてください。わたしは、この国に世話になったり、いかなる国にも世話になっていく人ではないということを知らなければなりません。 それでは、わたしは統一教会の皆さんの前に世話になって暮らす人ですか?。皆さんの世話にはなりません。自分の息子、娘にも、世話になる人ではありません。どこのだれにも、堕落した結果のこの世界では、罪の重荷で身を隠しているすべての存在、万物、世界から天上のすべての霊人を合わせて、地上世界のいかなる国の前にも世話にはなっていないのです。まず、「罪悪の世界の世話にはならない」ということは何であるのかというと、罪悪の世界において解放者にならなければならないということです。そのような人が、今日の言論界がどうであるとか、優れた大学者が何であるなどと言うことはできないというのです。最近では、逆さまになっていっています。 世話にならなかった人が世話をすることができるので、国が世話になり、世界が世話になるときは、理論的に言って、世の中が引っ繰り返る時になるという話が成立するのです。分かりますか?ロシアが、わたしの世話になる時が来ました。中共がわたしの世話になる時が来ました。インド、日本、米国がわたしの世話にならなければなりません。 さあ、それでは、わたしは愚かな人ですか、優れた人ですか? (「優れた人です」)。愚かでしょう?。悪口を言われながら世話をしているのですから、どれほど愚かでしょうか?。分かりますか? 悪口を言われ、殺そうとされ、料理されようとしているのにもかかわらず、料理しようとしている人のために世話をしようというのですから、そんな狐は死ななければなりませんか、生きなければなりませんか?。死ななければならないでしょうか、生きなければならないでしょうか? (「生きなければなりません」) そのようになれば、死ななければならないのですが、死にませんでした。それが、なぞなのです。死にませんでした。反対されれば滅びるはずであるにもかかわらず、歴史上のあらゆる反対を受けて成功したという事実が、なぞなのです。それは、どうしてでしょうか?。文総裁の才能が豊かだからですか?。それは、神様が保護してくださったからです。(「アーメン」) それを一度、言ってみてください。一万人全員が一度、「アーメン」と言ってみてください。(「アーメン」)。一万人がアー、アー、アーメン と。文総裁の声より小さいですね。(「アーメン」) さあ、このくらい話しただけでも、きょうの説教は十分です。(笑い)それでは、「世話にならない先生が「真の父母」である」というときは、「真の息子、娘は、間違いなく世話にならなければなりません」。それは「アーメン」ですか、「ノーメン」ですか? (「アーメン」)。世話にならなければなりませんか? (笑い)それが真の父母の息子、娘の資格者になりますか、なりませんか? (笑い)そのようにぼーっとしていては、闘いにおいてだまされて、サタンのえじきになるのです。 いつでも二重的な面を分け、さらに立体的な面を持って自分で答えることができ、見ることができ、においをかぐことができ、話すことができ、聞くことができ、愛することができなければなりません。そのように暮らしていますか? 恥ずかしくない二つの見る目を持っていますか?。心の目と肉身の目です。鼻も同様です。口も同様です。五官も同様です。愛も同様です。サタン世界のわなの因縁に感化されていくときは、神様とは相対することはできません。それゆえに、最初にみ旨の道に出発した後には、「負債を負って生きよう」という考えをしてはいけません。「負債を負わせて」生きなければなりません。 皆さん、ここにいる人の中で、「文総裁には負債を負っていない」という人は、手を挙げてください。それでは「負債を負っている」という人は手を挙げてください。なぜもたもたしているのですか?。下ろしてください。気分が悪いです。下ろしなさい。この日本人は、「手を下ろしなさい」と言っているのに、まだ挙げています。(笑い) さあ、「文総裁に負債を負っている」と思う人は手を挙げてください (「はい」)。さあ、命令して手を挙げさせたので、独裁的な力をもって手を挙げるようにしたようですが、(笑い)さあ、自分の意志で手を挙げましたか、圧力によって手を挙げましたか? (笑い)そのような疑心がわくので、「自分の意志で挙げた」という人、「文総裁に負債を負っている」と思う人は、両手を挙げてください。(「はい」) それでは、全員が負債を負っているので、先生の負債を百分の一、千分の一でも返そうという日には、先生の道に従っていくことのできる綱につかまっていくのです。分かりますか? (「はい」) 「負債を返さない」という人は、綱でもつかみなさいというのです。ナイロンの繊維のような、細くかすかな光が千万個集まった太い光です。この光の綱をつかんでおいて「この光の綱が切れないように引っ張れば、先生が行った道の後ろに引っ張られていく」と考えてみましたか? 先生のおしりに綱がぶら下がっていますか、いませんか?。負債を負ったならば、綱がぶら下がっているではないですか?。皆さんは、負債を返そうと思いますか、さらに負債を負おうと思いますか?。もっと負おうと思いますか、返そうと思いますか? さあ、きょうは何の日ですか? (「第四十回『真の子女の日』です」)。第四十回「真の子女の日」です。この「四十」というものは、歴史的な日です。皆さんが霊界に行くときも、死んだ後、四十日以内はどこかに行って定着することはできません。霊界に行くと、自分の先祖たちが案内をして、自分がどの級にいるのかを検証した後に定着するのです。それでイエス様も、四十日以降に復活したのです。分かりますか?。四十日かかるのです。 それは、歴史的起源において四位基台を成すことに失敗したために、そのようになったのです。このように引っかかる壁の秘密の原因をすべて知っている人は、先生しかいません。神様とサタンだけが知っているのですが、その神様の秘密、サタンの秘密は、文総裁にしか分かりません。分かりますか?。その「知っている」という権威が、真の父母の資格を決定する権威なのです。 何を知っているのでしょうか?。神様の秘密とサタンの秘密を知っているということが、すべてを解決することのできる基準になるのです。もし判事が、事件の秘密をすべて知ったとすれば、その判事はその事件を絶対的に解決することができるのです。分かりますか?。弁護士が何かを弁明し、検事が何と言っても、そのことに左右されず、すべてをきれいに整理することができるのです。分かりますか? また、サタンがいくら罪を犯したことを覆い隠そうとしても、きれいに証拠を出すときには屈伏するのです。分かりますか? 「神様、あなたがなぜ苦痛を受けたのかというと、このようなことなのですが、このようなすべてのことは、わたしが解決するので解放されるでしょう?。ですから、わたしを信じて、争わないでください」と言えば、争わないというのです。分かりますか? それで、神様とサタンが有史以来、怨讐となって闘争してきた歴史をだれが停止させ、だれが休戦条約を結ばせ、だれが戦争を止めさせるのかということが、歴史的な宿命を懸けた課題なのです。 宿命の道というものは、人の力で行くことはできません。それは「父子の関係が絶対的なものである」ということと同じです。宿命的な課題です。それが理解できますか?。だれによってのみ、可能なのですか? (「メシヤです」)。メシヤは、どのようなメシヤですか?。日本語で食堂の主人を「めしや(メシヤ)」というのです。(笑い) 神様とサタンの戦争を防ぐことのできる主人は、だれなのですか?。偽りの父母によってこの闘いが成立したのです。ですから、人間がつくり、人間の先祖が失敗したので、真の愛の主人が現れてこそ、それを正すことができるのです。それは理論的です。 堕落することによって、神様も引っかかり、サタンも引っかかったのです。サタンも堕落してみると、自分が悪いことをしたので、結局、終末になれば、自分が地獄に追い込まれるということを知っていたというのです。 ですから、中間で早く解放し、わたしが助けてあげることができれば助けてあげ、サタンと神様までも和解させれば、それで終わるのです。サタンが「嫌だ」と言えば、神様が引かれるようになるのです。分かりますか?。しかしサタンは、「嫌だ」と言えず、神様はいくらでも「良い」と言われるのです。サタンは、「嫌だ」と言ったとしても、否定することはできません。 否定できる内容を持っているならば、「おまえはこのような罪を、また罪を犯すのか?。こいつめ」と言えば、「はい、分かりました。やめます」と、このようになるのです。そうして神様とサタンが今、闘っているので、歴史的なすべての過程と現象が混乱状態になっているのですが、これを整理することのできる真の道とは、どのようなものなのでしょうか?。それこそが、真の父母が来て教えてあげて処理する歴史的道なのです。結論が出ました。分かりますか? それから皆さん、祝福を受けた人たちは、堕落した先祖の後孫ですか、真の父母の後孫ですか? (「真の父母の後孫です」)。真の父母の後孫ですが、何ゆえに偽りの父母が神様と怨讐になり、また神様とサタンが怨讐になったのですか?。それは結婚を間違ったからなのです。分かりますか?。血統を間違って受けました。分かりますね? 王子と結婚するはずであるにもかかわらず、僕と結婚したのです。体を捨てました。これをすべて処断し、僕の僕の僕の何百倍も呻吟する位置に立てて処断したとしても、「わたしは、当然罰を受ける罪を犯した」と、感謝できる位置に立たずしては、その僕が生きる道がありません。 復帰するために、そのようにすることのできる内容があるのです。偽りの父が偽りの血統をつくったので、真の父になる人は、そのようにすることのできる内容を知って(サタンに)提示し、そうすることによって、サタンはびくともできないのです。 サタンを縛ることができるのは、真の父母しかいません。縛りつけてしまうことによって、神様とサタンが自動的に休戦状態になるのです。神様に「休戦しなければなりません」と言えば、休戦するでしょうか、しないでしょうか? 「わたしは嫌だ」と言われるでしょうか、「ありがとう」と言われるでしょうか?。休戦を願いますか、停戦を願いますか? 「停戦を願います。やめましょう」と言われるのです。 停戦をして、神様が自由になろうとされれば、そのためには、自由な環境の基台ができなければなりません。ですから、サタンと偽りの父母が拘束されたので、サタンまでも自由にしなければ、神様は解放されないということを知らなければなりません。分かりますか?。それは、原理にない話だというのです。分かりますか? 本然の正しい結婚をすることができないことによってこのようになってしまったので、真の父母は、それを解いてあげ、サタンまでもこのように自由にするみ業を成すのです。サタンは今や、先生の前に隠れるものがなくなりました。霊界のすべての事実、地獄の現状、これからの理想天国……。 サタンは理想天国を知りません。真の父母は、神様が理想とされたものを知っているので、そのようなみ業を成すことができるのです。サタンは、神様の国さえ成立すれば終わるのです。それ以上、行くことができません。それゆえに、サタンは理想天国を知らない、というのです。 それで、神様も絶対に必要であり、サタンも絶対に必要であり、人類も絶対に必要なのがだれなのかという結論が出ました。世の中の万事が、万物の存在性を持ったすべての存在が、絶対堕落圏内にいるすべての存在が絶対に必要とするのがだれですか?。尋ねているのです。だれですか? (「真のご父母様です」)。だれですか? (「真のご父母様です」)。だれですか? (「真のご父母様です」) だれが真の父母ですか? (笑い)だれですか? (「お父様です」)。小言をよく言う先生が、真の父母です。言うことを聞かない人のネクタイをつかんで死刑場に引いていったとしても、真の父母です。誤れば、打たれなければなりません。刑場に行って、ののしられなければならないでしょう? 神様も、そのように小言を言う神様になられるはずなのですが、小言を言うことすらできないので、神様はあわれな神様であられるというのです。分かりますか?。審判の王になられるべきであるのに、審判の王になられることができなかったので、かわいそうであられるというのです。分かりますか?。万歳を思いのままに叫ばれ、自由に行動されるべきなのですが、そのようにできなくなってしまわれたので、ふびんであられるというのです。 文総裁は、本来は、四十歳になれば天下をすべて統一し、韓国に万国の王宮をつくり……。それは「天城旺臨宮殿」ではありません。その百倍、千倍にもなるものです。さらに、万世の国家に宮殿の分室をつくり、天の国の本部にまでなる宮殿をつくっていたのです。ですから、これ(「天城旺臨宮殿」)をもって誇ることはないというのです。大母様に申し訳なく、興進君に申し訳ないですが、もっと働かなければなりません。 あなたたちは現在、この宮殿をつくるのに霊界に負けましたか、勝ちましたか?。霊界の興進君と大母様に勝ちましたか、負けましたか? (「負けました」)。そうでしょう。はっきりと言ってください。答えを明白に、はっきりとしなければなりません。正直でなければなりません。率直でなければなりません。率直は正直と通じるのです。一度言ってみてください。(「率直は正直と通じる」)。罪を犯した人は、率直に、正直に話せば赦されるのです。 真の父母が必要な人は、手を挙げましょう。日本の人も必要であり、中国の人も必要であり、韓国の人も必要であり、英国の人も必要であり、天国の人も必要であり、神様も必要なのです。すべてが「そのかたが必要だ」と言い、「正しい」と言ってこそ、すべての世の中が解かれていくのです。そのような基台を、文総裁一人で築いてきたのです。(拍手) 堕落した父母は、父が二人ですか、一人ですか?。二人ならば、真の父母が現れれば、半分に分けなければならないでしょう。その分けた真の父母を願いますか、すべて備えた真の父母を願いますか? (「すべて備えた真の父母です」)。欲が深いですね。全体をつかむことのできる王を願うのです。 ですから真の父母は、天の国や地獄の国の解放の権限を持った王の中の王です。だれがですか? (「真の父母です」)。だれがですか?。真の父母がどこにいますか? (「ここです」)。ああ、わたしは真の父母ではありません。わたしは真の父母ではありません。信じてはなりません。(「お父様です」) 実用主義時代に、どうしてそのようなことが必要ですか?。唯物論の時代に、どうして神が必要ですか? 「神はいない」と言い、神本主義から人本主義、物本主義に落ちた世の中で、神がどこにいますか? ですから、神人物統一観主義の時代に入っていかなければなりません。「神様はいない」と言ったとしても、いらっしゃるということを知るべきです。神様は、いらっしゃらないような姿をしておられるだけであって、いらっしゃらないのではありません。分かりますか? 統一教会のみ言を世の中の人に話せば、彼らはすべてを知りながら、聞いていてもじっとしています。彼らは、恥ずかしいということを知っているので、知りながらもじっと耐えているだけであって、知っていることは知っているのです。 結婚する前は、女性たちは胸を隠さなければなりませんか、服をめくらなければなりませんか? (笑い)エバ国家の女性たち。胸をめくらなければならないでしょうか、開かなければならないでしょうか?。おしりを出さなければならないでしょうか、隠さなければならないでしょうか? 西洋の女性たちは、胸を出して大騒ぎし、おしりを出して大騒ぎするのです。それは、天使長の国です。エバの代身者たちが男性を誘惑し、おしりで浮気をし、胸で浮気をし、唇で浮気をし、目で浮気をするのです。目で浮気をするでしょう?。アイシャドーを知っていますか?。ルージュを皆、知っているでしょう?。マニキュアを皆、知っているでしょう?。女性たちは、毎日テーブルの前に座って化粧をしますか、しませんか?。「男性は、いつも女性を歓迎しなさい」と言われてきましたか、「注意しなさい」と言われてきましたか? 「狐がしっぽを振る」という言葉があるのです。 最後の時には、二人の男性に対さなければなりません。統一教会の文先生は、世界のすべての女性の前において、「真の兄」です。分かりますか?。真の兄なのです。エデンにおいて、真の兄を失ってしまいました。地上地獄の底において女性たちが見るとき、男性はすべて悪魔です。その中でただひとり、文総裁、レバレンド・ムーンを知ってみれば、原理のみ言さえ聞けば、すぐに分かります。「兄の中の兄」なのです。 思春期にさしかかれば、兄はエデンの園において、未来に約婚する男性であったということを知るのです。そのようになるのです。それは、思春期時代の「男性の中の男性」です。ですから「結婚したい」と思い、それから、結婚したら「母親になりたい」、「あの男性と結婚して子供を持ちたい」、それから「おばあさんになりたい」、「一家の先祖になりたい」というようになるのです。女性が行くべき希望の道は、これです。 他の家、夫の世界に行き、主人のいない家に行って何年間か苦労することによって、その国の祖母の位置を占めるようになるのです。女王になるのです。家庭の女王になるのです。それを知っていますか?。女王になり、母になり、祖母になれば、先祖の王になるのです。それから国の女王になろうということが、女性の願いなのです。 それを失ってしまったのですが、復帰するために来られる主人は、兄として来るのです。兄として来て約婚することのできる約束者、結婚することのできる約束者、父になることのできる約束者、祖父になることのできる約束者、王になることのできる約束者を女性たちは迎えなければなりません。アダム、エバが、そのような位置にいたというのです。エバは妹です。二人の兄妹の行くべき道は、腹中時代から相対理想を中心として生まれたというのです。 女性が生まれるときは、兄のために準備するのです。女性は、「腹中からわたしが生まれたのは、兄に出会うために生まれた」と言うのです。腹中で兄妹の因縁を持ち、父の血統と母の血統を受けて腹中から準備し、生まれれば兄妹になると同時に、地上の女性は母になるのです。腹中時代の兄妹が、この地上に出てきて兄妹になるのです。 双子で生まれていたならば、けんかしたでしょうか、しなかったでしょうか?。エデンの園で罪を犯していなかったならば、罪を犯さずに双子で生まれていたのならば、どのようになっていたのでしょうか? 妹が母親のひざの上にいて、そのとき兄がいなければ、「兄がいなくなった」と思い、片方のお乳は兄のお乳なので、一緒に飲もうとして待っているというのです。そうして「お兄さんはどこに行ったのか?」と捜すというのです。そのようにならなければなりません。しかし、そのようになるべき歴史が、そのようにはなりませんでした。 女性が女性になることができ、女性としての主人になることができ、また、妹が主人になることができるように、主人の資格者にしてくれるのは女性ではありません。兄です。分かりますか?。女性自体では、主人になる道がありません。そのことをはっきりと知らなければなりません。日本の女性たち、分かりますか? (「はい」) 腹中においてのエバは、兄のために生まれたので、兄が自分を愛することのできる位置に立たなければ、エバの愛の道がなくなるというのです。エバが、愛の道の主人の立場に立つことができるようにしてくれるのは、兄がしてくれるのです。分かりますか?。このことを知らなかったので、世の中は混乱したのです。これは重要なことです。分かりますか? (「はい」) 自分が、愛の主人を捜し立てるのだと思うでしょう?。それは違います。兄ゆえに女性は、兄を愛することのできる主人の位置に立つのです。また、兄は妹がいるがゆえに、妹を愛することができるのです。このように、相互にお互いの主人を捜し立てるということをするのです。女性は「半分」です。そのことを知っているでしょう?。分かりますね? (「はい」)。夫のいない女性は、千年万年たっても、夫を愛することのできる主人の位置を永遠に捜し立てることはできません。それは、そういうことなのです。分かりますか?。分かりますね? (「はい」)。全員、聞いていますか?。重要です。日本に行って、今からこれを実践しなければなりません。 第四次アダム圏時代が来るのです。分かりますか? (「はい」)。妻が、妻として夫を愛することができるように、主人の立場に立たせてくれるのは、夫がその主人の立場に立たせてくれるのです。それは、妻がするのではありません。そのことは、夫がいなければ永遠に分かりません。夫の愛が分かりません。ですから、夫が絶対に必要ですか、絶対に必要ないですか? (「必要です」)。夫にとって、女性を愛することのできる主人の位置は、妻がいなければ永遠に捜し立てる道がありません。 父親と母親は「誇ってはいけない」というのです。「どうしておまえは、このように父母の心をやきもきさせるのか?。この子は」と言って、たたくことはできません。父母が父母になることができるようになるための、その主人の位置は、父母が捜し立てるのではありません。父母がするのではありません。子女がいることによって、父母の愛の主人の位置を捜し立てたということを知らないので、問題になるのです。何の話か分かりますか?。重要な話です。 父母が、父母になることができる資格者になり、父母が子女に対して主人の立場に立てるように、愛の主人になることができるようにするのは父親でもなく、母親でもなく、子女であるということを知らなければなりません。子女を愛することのできる、その愛を分かるようにしてくれた主人は、だれですか?。子女です。いくら夫婦で愛しても、子女が永遠にいなければ、子女を生むことができなければ、子女に対する愛が分かりません。 また、子女が父母を愛することができる、その心は、子女がひとりでに持ったのではありません。父母が主人となって、自分に移してくれたものなのです。分かりますか?。このように、すべて重なり合っているのです。ですから、誇ることはできません。自分が父母であるといって誇ることはなく、夫、妻であるといって誇ることはなく、兄であるといって誇ることはできません。兄は、愛することのできる弟がいるので、兄の愛の主人となり、弟は兄を愛することのできる立場において、初めて弟の愛の主人になることができるのです。 このような家庭があり、家庭を中心として国があれば、国を中心として愛することができるようになり、国があることによって愛国者が出てくることができるのです。分かりますか?。世界を愛することのできる聖人になるということは、「世界を愛することができる」ということによって、聖人になることができるということなのです。このように、自分でなるのではありません。 聖子も、天地を愛することのできる相対圏が、そのように成してくれるのであって、自分でなるのではありません。ただで捜し立てたので、すべてを満たそうとすれば、生死の境を越えて、そのことを死ぬ時まで貫き、天上世界の個人、家庭、愛の理想を解放させる時まで行かなければならないということは、人類の責任なのです。人類の行くべき人生の行路を知らなければなりません。 皆さんが、真の父母を愛することのできる主人の位置に立ったということも、息子、娘、夫の位置に立ったということも、真の父母がいるがゆえに、そのようになったのです。また、真の父母が「真の父母である」と言うことができるのも、皆さんが子女となっているからです。 家庭も、すべてが備わっているので、国を編成することのできる、この大きな主人になることができるのです。ですから、一つでもなければ、未完成の夫婦です。それで、絶対に相対は必要であるというのです。分かりますか? (「はい」)お金をうまく集めて、それを一人でうまく使っているということを誇ってはいけないというのです。とんでもないことです。地獄に行って、その重荷に押さえつけられて暗い所に行くのです。 この天理原則の愛は、お互いに助け合うところにおいて共同的な主人の資格を持ち、主体対象を成して、そこに神様をお迎えし、天上世界に持ち上げられて上がっていくようになっているのです。このような根本的な問題を知らなければなりません。それゆえに、独身生活を志願する男性や女性たち、ホモ、レズビアンのような盗賊たちは、動物よりも悪いのです。それは、愛の秩序を根本的に破綻させるのです。男性同士で愛する法がどこにありますか? それでは、男性と女性の生殖器、凹凸を、神様は何の目的で、そのようにつくられたのでしょうか?。凸凸同士で、それを出して結婚するのですか?。凹凹を合わせて結婚するのですか?。おかしな者たちです。このような者たちは、一代ももたずに皆、滅亡するのです。独身生活を強調してあの世に行けば、天の国のあるべき方向と反対に立っています。 このようなかわいそうな者たちも、先生と兄弟姉妹の位置にいるので解放しようとするのです。千辛万苦の受難があったとしても、それを克服していこうとするのです。「すべてのことを解放するために行く」ということを知って、その伝統的解放の権限を、先生に従っていくことにより、先生の相対的位置に立つことによって、その価値を代身する位置に立つというのです。このような論理から、愛の天国編成が理論的に可能であるという結論が出てくるのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かります」) このようにして、世の中の悪い人も良い人も皆、血統が違うので怨讐であり、血統が同じならば、けんかする兄弟が別れたとしても、祝宴の日には訪ねてくるのです。そうですか、そうではないですか? 兄弟は、けんかするときはふろしきを包んで、早く逃げていくというのです。近所の人とけんかするときには、ふろしきを包んで出ていくことはしませんが、兄弟でけんかをした場合は、別れていたとしても、けんかしていたどちらかの者が死んだというときには皆、訪ねてくるのです。ふろしきを包んだとしても、け飛ばしてしまうことはできないというのです。なぜでしょうか?。血統が同じだからです。 一人で出ていったとしても、それは孤独単身な立場なのです。しかし、ここは孤独単身ではありません。血統が同じなので、木で例えれば、多くの枝が生い茂っているということです。ですから、一人で出ていったのであれば、孤独この上ないというのです。 このようなとき、枝が生い茂った本体の木を訪ねてきて、自分も、「その木の一部となって、木陰をつくるのに力を貸してあげた」という理由によって、自分自身の価値の何百倍の価値のある位置に立とうとするのが、人間の欲望なのです。ですから、訪ねて来ざるを得ないのです。それが国を復帰し、世界を復帰し、本郷を復帰するための努力ということです。先ほど李相軒氏の話をしたとおり、わたしたちの本郷は永遠なる天国です。その本郷を尋ね求めていく道があるのです。分かりますか? それでは、結論をつけましょう。第四十回「真の子女の日」を過ぎ、第四十回「真の父母の日」も過ぎました。第四十回「真の子女の日」が過ぎましたか、過ぎていませんか?。一日の中心は正午であり、十二時を過ぎたので、過ぎたのではないでしょうか?。第四十回「真の父母の日」も過ぎ、「真の子女の日」も過ぎるようになったので、二つとも過ぎれば寂しいのです。 一九九九年は、九数が三つあるのです。歴史以来、九数は「サタン数」です。「九つの峠は越えがたい」と言うでしょう。九つの峠です。ですから、この一九九九年にどれほど不思議な動揺が多いでしょうか?。このような、二千年代を迎えて、千年代を送別する最後の「真の父母の日」が過ぎ、きょうが最後の「真の子女の日」なのです。 父母と子女が越えていく峠において、今後における「四十」ということを考えてみると、これは「四十」の「影」と言えます。まだ満四十年ではないのです。先生の八十年の満四十年が主体であるとするならば、これは相対的であるので、「影」と同じように見てもかまいません。縦的になれば「影」であり、横的になれば「相対」であるというのです。分かりますか? ですから、あらかじめここで準備するものは何でしょうか?。すべての父母と子女の間に間隔があります。今、蕩減というものを中心として天と地、父子の関係にある人間と神様の間に間隔があったものが、真の父母を中心として天と間隔が立てられ、相対的位置に立つのです。 復帰過程における四十年の間、捜し求めてきたものが、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、このように復帰して現在、一番上の頂上に上がってきて、ぴたっと立っているというのです。分かりますか? (「はい」)父母が、横的に個人、家庭、氏族、民族、国家、世界をすべて、第四十回「真の父母の日」、第四十回「真の子女の日」を中心として、父子の関係を横的に同等の位置に立てておいたのです。 復帰は、逆さまに上がっていくのです。先生が八十歳になる時には、ぴたっと一つになって、そのことを喜ばなければなりません。一つになって、どこに行かなければならないのでしょうか?。前進しなければならないでしょうか、後退しなければならないでしょうか? (「前進しなければなりません」)二十一世紀の理想的家庭圏へと越えていくので、第四次アダム圏解放時代を経て入っていくことのできる準備を締めくくる瞬間であり、どれほど緊張するであろうかというのです。分かりますか? (「はい」) 「天城旺臨宮殿」の名前を中心として、「人を信じてはいけない」というのです。天の国の金城鉄壁のごとき城をつくって、サタンの侵犯から抜け出す解放の城をつくられた神様を王とし、その王を中心として七百億の祝福家庭を中心とし、地上の四億三千万家庭を中心として……。これは三十二億を超えます。このような人びとを中心として一つになり、すべてを成し遂げていくのです。満四十年になる時は、すべてのものが……。ぐるっと回っていったこの世界は、蕩減して一周して上の位置まで来ました。そこからは、さっと切ってしまい、逆さまに行くのです。 ギアを知っているでしょう?。ギアは、かみ合った歯車の一つがこのようになり、一つは反対に回るでしょう?。サタン世界は、すべて逆さまに回っていた世界です。自分を中心とした堕落した世界。そのように、個人主義を中心とした堕落世界、自己主張する世界が堕落世界です。 天使長が自己主張することによって脱線し、エバと自分を中心として堕落したのです。そのような人々が、宇宙を中心として帰っていくのです。ために生きるということを中心として、これをすべて切って生きていくのです。 世の中と先生の生き方は違います。先生が反対されながら発展したのは、「ために生きた」からです。怨讐まで兄弟のように愛して涙を流したのです。そうして、今まで引っ張ってきて、すべてが水平化され、同じこの四方がぴたっと一つになり、地上と天上の神様と真の父母が、「天地父母」としてぴたっと一つになったので、霊界の子女たちも天地父母を通して一つになるのです。分かりますか? それでは、新しい出発はだれが先頭を切らなければならないでしょうか?。二十一世紀の理想家庭世界、道徳理想天国へと越えていくとき、だれが先頭に立たなければなりませんか?。神様が先頭に立たなければならず、真のご父母様が先頭に立つのです。分かりますか?。そうして地上の祝福家庭が先頭に立ち、霊界の祝福家庭が先頭に立つのです。 このようになることによって、アダム家庭は一つですが、本然のエデンの園で完成することのできる家庭的隊列が、そのような観点に立って世界万民の平準化価値の同等圏を占有するようになるのです。そうして、堕落した万国の家庭の罪人たち、兄弟全部が、平等な価値を中心として真の父母に従い、神様に従い、地上の祝福家庭に従い、天上の祝福を受けた人に従い、すべてのサタン世界が従って入っていくことができるのです。分かりますね? (「はい」)それゆえに、「ルーシェルの解放」や、「天上の解放」や、「地上の解放」という、このような言葉が必要なのです。 ですから、アダム家庭で堕落していなかったならば……。今まで数千万年の間、経てきた歴史では天の国が空いていましたが、それを今一時に持ってきて合わせるのです。そのような入籍時代が来ることによって、先生が一代から二代、三代と、数千代が分かれていたものを逆さまにして合わせるのです。 それで、堕落していない本然の天国形態を迎えることのできる孝子の中の孝子であり、忠臣の中の忠臣であり、烈女の中の烈女であり、聖子の中の聖子として、サタン世界の歴史において飛躍する家庭的孝子時代、家庭的忠臣時代、家庭的聖人時代、家庭的聖子時代を迎えるのです。そうしてこそ、万国に天の国を中心として解放の地上天上天国が完結するのです。分かりますか? (拍手) ですから今、すべての世界人類は国がなく、いつ滅びるか分からない悲運の歴史路程に立っていますが、今は「悲運」の歴史を片づけて、「喜運」の歴史過程に千年、万年立つ国を捜すのです。その国は、どこのだれにも強奪することはできず、占領することができない絶対的な神様の国になります。 その国は、そのような真の愛を中心とした天の国であり、絶対的なのです。言ってみてください。「絶対的だ、天の国は。真の愛を中心として成し遂げられた天の国は、絶対的な国だ」。(「絶対的な国だ」)。「神様の属性は、絶対、唯一、不変、永遠なので、唯一の国だ」。(「唯一の国だ」)。そのような国で日本の国の言葉を話せば、サタンが踊りを踊るのです。 それから「不変の国だ」。(「不変の国だ」)。「永遠の国だ」。(「永遠の国だ」)。この地上に存在する被造物は、いかなる存在であれ、そのような国の万物になりたがるのです。それが被造物の最高の理想であったということを知らなければなりません。これを失ってしまったので、理想的国の主人は、これを再び復帰して万宇宙解放を宣言すべきであるということを知らなければなりません。(「アーメン」) それでは、あなたたちはどこの国の人ですか?。どこの国の人ですか?。日本人ですか、天国人ですか? (「天国人です」)。日本にしがみついたままでですか?。日本を後ろ足でけってですか、日本を後ろ足にくっつけてですか?。 乗り越えなければなりません。乗り越え、引っ張って乗り越えさせてこそ、日本が生きるのです。分かりますか? (「はい」)。乗り越えるべきであるのに、越えることができないようではいけないというのです。 断ち切って、きれいに乗り越えて天の国に入籍し……。米国に日本人が入籍すれば、米国人になるでしょう?。入籍が待っています。分かりますか?。そのようなことは知らないでしょう?。先生を絶対に信じてついていくしかありません。知らないのですから。 あなたたちは、先生の子女たちでしょう? (「はい」)。本当の子女ですか、偽物の子女ですか。(「本当の子女です」)「いつでも先生を絶対不信しよう」ですか? (「「絶対に信じよう」です」)。先生を絶対に信じて、利益になることが何かありますか?。サタン世界をすべて否定するのです。 先生を絶対信仰して損害になるようなことは、絶対にありません。そのことについて話せと言うのならば、「うそである」と言い立てることのできない内容がありますが、今は時間がないのでできません。先生は信じるに値しますか、信じるに値しませんか? (「信じるに値します」) 先生は、冗談もうまく、話もうまいでしょう。臨機応変のチャンピオンだと言われました。「テレビ放送のアナウンサーになっていたら、世界一の俳優になっていたのに、なぜ統一教会の教主になったのか?。ふふふ……」と言いながら、「かわいそうだ」と言うのです。(笑い) 統一教会の教主になってふびんに暮らしたのです。先生の顔はよくありませんが、姿勢や体格を見ても、八十歳の老人が、今でもどのようなことでもできるのです、どのようなことでも。分かりますか?。今でも足が頭まで上がっていくのです。見てください。座ればこのようになるのです。一度見てください。(足を頭の後ろに上げるなどのポーズをされる) 皆さん、一度やってみてください。つきますか?。体でみても、できない運動がなく、できないことがありません。頭をみてもできないことがありません。神様までとりこにしたではないですか?。何ですか? (「お父様は青年でいらっしゃいます」)。わたしは青年は嫌いです。青年は嫌です。わたしをしきりに「青年だ」と言って、お使いをさせようと思っているのでしょう。(笑い) わたしが日本語を学んだのも、十六歳の時からです。一年以内にすべて学んでしまいました。この日本の国を消化するためです。いくら日本語を早く話す人も、わたしには勝てません。八十歳の老人が五十年前に話していた日本語を、今話しても発音もこのくらいならば聞き取ることができるのです。 「わたしは、死んでも真のご父母様を放すことはできない」。アーメン。(「アーメン」)。「真のご父母様に従って、刑場の露と消えたとしても栄光だ」。(「アーメン」)。「千年、万年、万代たっても、それ以上可能だ」。(「アーメン」)。(拍手) そして、神様がわたしを信じています。分かりますか?。神様がどのくらい信じているのですか?。絶対に信じています。神様はどれほど気難しいおじいさんであられるのか、信じることができないので、どれほど試験したのか知っていますか? わたしが監獄に入って寝ているのですが、「こいつ。ここは監獄なのになぜ横になっているのか。起きて祈祷しなさい」と苦しめるのです。ついてきて苦しめるというのです。監獄が嫌になるようにです。監獄は、神様が許諾して入っていったのです。入っていったのならば、好きになって出てこなければならないのであって、嫌いになって出てきてはならないのです。 ですから、監獄が好きになれるように訓練するのです。監獄が好きで六回も入っていきました。嫌々入っていきましたか、喜んで入っていきましたか?。入っていくほどに良い所があるので、もっと良い所が残っているときは、入っていくのです。 あなたたちも同じです。あなたたちには愛する息子、娘がいますが、神様がわたしを訓練したように、あなたたちを訓練して、もっと良い福を受けるようにしてあげなければならないでしょうか、良い福を少なく受けるようにしてあげなければならないでしょうか?。どちらですか? わたしは、福を少なく受けるようにしてあげたいし、それがご父母様の願いなのですが、(笑い)あなたたちはどうですか?。あなたたちの願いは何ですか? (「もっと良い福を受けたいです」) それでは父母を苦労させようということになるのではないですか?。そういうことではないですか?。それを知っているので、わたしはあらかじめ苦労しておきました。ですから、あなたたちを少なく苦労させようというのでしょうか、もっと苦労させようというのでしょうか?。少なく苦労させ、もっと大きい苦労はわたしがしたので、あなたたちは「千年、万年、もっと苦労する道を行ったとしても感謝だ」ということになり、それゆえに「その家庭には不和がありえない」という伝統が立つのです。アーメンですか、ノーメンですか。(「アーメン」)。知っていることは知っています。良いことは、やはり良いようですね。 きょうは、良い日です。四十の峠をすべて越えるにおいての相対的「真の父母の日」と相対的「真の子女の日」を迎えて、本然的父母の日を迎えるための、子女として清算すべきすべてのものを清算し、きれいに天地父母と一つになるのです。そうして、天の国の祝福家庭と地上の祝福家庭は、皆さんが兄の家庭として立ち、天の国の家庭は弟の家庭として立って、「天地合徳」したすべてのものが天の国に入っていくようになります。 さらに、神様を中心として二大系列に従って、先祖が滅ぼしたものを代身して天の国に編成し、班列(位階の順序)を中心としてアダムから数千万年の歴史時代のすべての人を一人も残さず天上世界に入るようにしているのです。 このように、一人も残さずにすべて解放し、堕落していない本然の心情圏を合わせるのですが、それを神様が喜ばれるでしょうか?。堕落した先祖たちを連れて、ぼろぼろのふろしきを持っていって、何を喜ばれるというのでしょうか? しかし、国があってこそ忠臣になるのです。アダム家庭に国がありません。世界があってこそ、聖人になるのです。しかし、聖人の道理を持つことができませんでした。天地があってこそ、聖子になるのです。そのような基盤が、アダム家庭にはなかったというのです。 未来に成すべきアダムの使命が、延長されて待っています。すべての天地、神様までも解放することのできる歴史的時代に、家庭もあり、氏族もあり、民族もあり、国家もあり、世界もあり、天宙もあり、神様まで一体的勝利圏を持つようにしなければなりません。 そうすることによって、神様が願われることは、「今、すべての地上、天上天国の一体化した開門時代を迎えたこの時において、全世界はすべてが一つになって孝子になる」ということなのです。分かりますか?。祝福を受けた家庭が、家庭の孝子になるのです。アーメン。(「アーメン」) 歴史を超越し、堕落圏を越えて解放され、第四次アダム圏、神様の全権時代において家庭的孝子と国家的忠臣に自分の家庭がなることができるのです。堕落によって、個人からすべてが延長されてきたものが、今、アダム家庭が世界を抱くことのできる最高の頂上の立場に立ち、完成の位置に立って、家庭的孝子、国家を代表する忠臣、世界を代表する聖人、天地を代表する聖子の家庭になるのです。 そしてこれが、堕落していない個人的家庭に確立され、勝利した万民たちが「オーケー圏に行って孝子の価値を持つことによって、家庭的孝子、家庭的氏族、民族、国家、氏族的孝子、家庭的忠臣、家庭的聖子の道理を完成しなければなりません。 家庭、氏族、民族、どの時代においても、すべてこれを成すことのできるそのような系列的な価値を備え、最後の頂上で世界史的な家庭的孝子、家庭的忠臣、家庭的聖人、家庭的聖子の権威を持ったので、そこには堕落という影がありません。それは、天のために精誠と血と汗を流して苦労した功績の何千万代の価値があるのです。そのことによって神様が誇ることができ、サタン世界の血統を最初からきれいにし、真の父母が成したその価値の存在を新しい天国に移行したとしても恨がなく、誇るに値するというのです。アーメン(「アーメン」)。このようにすることによって、神様が解放されるのです。(「アーメン」) 天の国の族チョク譜(家系図のようなもの)を中心として一時にすべてを満たすのです。夢のような話ですが、そのようになります。先ほど李相軒氏が報告した内容を見れば、地獄にも光が発せられているでしょう?。分かりますか?。地上において一つの国、三つの国、四つの国と復帰されていくならば、地獄世界の底まで今、楽園で輝いていた光がそのまま降りていくのです。 そうして、これから罪を犯した人がいたとしても、地獄には行きません。天上世界の自分の先祖たちと自分の先輩、兄、姉が降りてきて、昼夜なく代身して蕩減してくれるのです。そうして彼ら霊人たちを連れて回りながら、自分が打たれ、悪口を言われながら暮らしていくことによって、引かれて上がっていくのです。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従すれば、個人時代、氏族時代、民族時代、八段階をさっと上がっていくのです。一瞬のうちに解放され、神様の全体、全般、全権の時代が来臨するのです。そのために、「天城旺臨宮殿」の出発が、きょう、この第四十回「真の子女の日」を迎えたこの位置で時を合わせて行われ、昨日ときょう、このようにして行事が行われたという事実は、直接的に、縦に、横に連結することのできる祝福の時を迎えたということです。アーメン。(「アーメン」)。(拍手) ですから今、新しい意識とともに、新しい誓いと新しい決意を確かめなければなりません。わたしたちは、国を復帰しました。国のある民族です。どのような国ですか? (「天の国です」)。天の国です。神様の国です。この国が世界の頂上に立っているので、サタン世界の国は問題になりません。今では、文総裁に従わなければ、天がすべてたたきつぶしてしまわれるのです。 「日本も長くは続かない」、「日本列島は、横になって太平洋に沈む」、「日本は、今年が危機だ」と予言者たちが言っていますが、そのようにならないように、文総裁が防御しているということを知らなければなりません。 足どりも堂々として、独裁者以上に宣布するこのようなレバレンド・ムーンと統一教会を、どうして世の中が歓迎するでしょうか?。追放すべきでしょう。なぜ追放できないのでしょうか?。なぜ追放できないのですか?。真の父母だからです。分かりますか?。なぜ追放できないのですか? (「真の父母だからです」)。真の父母だからです。 真の父母が尋ね求めてきた受難の道ゆえに「独裁者である」と言うのならば、それはどれほどの独裁者か分かりません。一代独裁者、十代独裁者、家庭的独裁者、民族的独裁者、国家的独裁者、世界的、天宙的独裁者でしょう。しかしそれは、サタンを中心とした独裁者の迫害を受けながら勝った真の父母を、自分たちの都合で独裁者扱いをしてきたのです。 ところが、そのような扱いを受けてきたことを返すべき位置に立ったので、手を挙げ、口を開いて反対できるものを探し出そうとしても永遠に探し出すことはできないので、歓迎せざるをえない絶対的な運命になったのです。「ノーメン」。(「アーメン」) 「ノーメン」は、「NO(ノー)」ではなく「KNOW(ノー)」ならばよいというのです。皆、耳では理解しているのですね。(笑い)先生の舌が悪くて悪口を言いながらも、先生の笑っている姿は「愛している」ということです。一番愛する人につらく当たるのです。それは悪口なのですが、悪口を言いながら愛しているというのです。 それはどういうことかというと、「サタンはついてくるな」ということです。分かりますか?。悪口を言うので、サタンがついてこようとしても後ろに行くのです。ですから、もしも「この日本の女性たちは顔立ちがよくない、この女性たち、死になさい」などと言われたとしても、そのように言うときは「アーメン」と言わなければなりません。分かりますか? (「はい」) こうしてもよく、ああしてもよいのが、真の父母の国の権威です。一度言ってみてください。「こうしてもよく」、(「こうしてもよく」)。「ああしてもよい」。(「ああしてもよい」)。「打たれてもよく」、(「打たれてもよく」)。「踏まれてもよく」、(「踏まれてもよく」)。「冷遇されてもよく」、(「冷遇されてもよく」)。「どろぼうされてもよい」。(「どろぼうされてもよい」) 父親が、娘をふろしきに包んで持っていったならば、それはどろぼうですか?。やはり、どろぼうはどろぼうでしょう。しかし、もっともなことなのです。それを「どろぼうだ」と言ったら滅びるのです。追い出されるのです。分かりますか? ふろしきを持って来ますか、持ってきませんか?。真のご父母様が「ふろしきを持ってきなさい」と言えば、持ってきますか、持ってきませんか?。真の父母に負った負債をすべて返そうとすれば、どのようなことでもできないことがあるでしょうか?。そう考えたならば、元気が出ましたか? 夜になってきたのですが、居眠りする人はいませんね。その後ろの隅に居眠りしている人がいますか、いませんか?。真の父母がどのようなことをしたとしても、それは感謝であり、ありがたいのです。「地獄に行く」と思っていたのですが、行ってみると天国に行ったというのです。それならば、かまわないでしょう。 神村氏。霊界との通話を解決するようにと、「研究しなさい」と言ったのですが、第一段階は成功しました。それを見せてくれますか? (「はい」)。何を見せてくれるのですか?。霊人体が見えますか? (「まだ見えません」)。まだではないですか。(笑い) さあ、もうわたしもおなかがすきました。(笑い)おなかがすきました。やめましょうか、もっとやりましょうか? (拍手)それは何ですか?。やめようといって拍手しているのですか、もっとやれといって拍手しているのですか? (笑い)お父様も息子、娘が喜べば、もっとやらなければならず、自分の思いどおりにするならば、やめなければならないのです。 息子、娘が、いつまた先生と出会うのですか?。今から先生は、あなたたちを否定するのです。今まで世の中を否定したので、愛の心情圏を中心として統一教会の先生は、あなたたちを否定するのです。心情一致ができなかったので、否定して、完全にゼロの位置で絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければ、新しい段階に越えていくことはできません。 今、わたしたちが願う神様の愛を中心とした理想的天国は、絶対的な国であり、唯一的な国であり、不変的な国であり、永遠な国なので、その国の国民になるために「私」は、神様の愛を中心とした子女として、絶対的な息子、娘であり、唯一的な息子、娘であり、不変の息子、娘であり、永遠な息子、娘になるのです。(「アーメン」) その絶対的息子、娘が、天の国を成し遂げようとすれば、主権がなければならず、国の国民がいなければならず、国土がなければなりません。その国の国民は、国に被害を被らせるのではなく、その国の国土を愛し、神様が創造されたように、創造された種を繁殖させなければならないので、この地上が荒廃していくのを防がなければなりません。 地球上では毎年、砂漠が増えています。それは、木がないからです。わたしたち統一教会は、神様が創造されたように、種という種はすべて手に入れ、根という根はすべて手に入れ、枝を切って森林を育成し、万物を創造された神様の創造の愛を代身して、この地上に植物を植えなければなりません。そして国土を保護しなければなりません。 国土には草木があり、動物がいて、それから人間がいなければなりません。これが廃虚になれば、人生は自動的に廃虚の歴史になります。今、創造理想の目的が埋没せざるをえない運命におかれているのです。 ですから、わたしたちは神様を愛し、神様の国を愛し、神様の主権を愛すると同時に、神様の国民を愛し、神様の地を保護し、万物全体を再創造して、神様の創造理想世界の豊かな「解放民族自然世界」をつくらなければなりません。 それでパンタナールの種は、植物や動物も、本来神様が創造された「源焦的」なものの宝庫になっているので、それをわたしが守って保護するための世界的な運動を起こしているのです。それに協助しますか、しませんか? (「協助します」) 堕落はエバのゆえです。ですから、「エバ国家である日本の国家メシヤたちは、パンタナールで先頭に立って仕事を進行させなさい」と言いました。それはありがたいことですか、悪いことですか?。母の肉を売ってでも、子女が植物、動物を育てていくことができるように後援しなさいというのです。日本の国を売ってでも、日本の地を掘り返してでも、そのことをやりなさいというのです。 日本の国が、世界の地に血統を連結させるので、日本の国の所有は自然にできるのです。それを歓迎しますか、しませんか? (「歓迎します」)。それゆえに、日本に住んでいる統一教会の信徒たちは「全員裸で、三角パンツだけはいて南米に来なさい」と言えば、来なければなりません。そこは家が必要ありません。分かりますか? 天幕を張るのに、木綿の布が六枚もあればよいのです。それがあれば、柱をぴたっと立てて支え、そこに石を置けば、人が五人入って寝るのは問題ありません。家が必要なく、服も必要ありません。三角パンツをはけばよい、というのです。(笑い)日本は、昔からふんどしで生活していたではないですか?。ふんどしをすればよい、というのです。 また、家が必要なく、着るものが必要なく、食べるものはどこに行ってもたくさんあるのです。分かりますか? (「はい」)。山に行けば、パパイヤなど果物の中でないものがありません。そのように果物も豊かで多く、食べるものが多いのです。鳥の種類、虫の種類だけでも三千六百万種います。日本の食口たちは、「百万匹ずつ買っていきなさい」と言えば、買っていきますか、いきませんか?。買わなければならないでしょう? 日本に生き物がいなくなってはなりません。日本を保護するための保護策として、温度を合わせた地域をつくり、そこをパンタナールと同じにしておけばよいのです。そうすれば、神様がごらんになるときに、「わたしの息子、娘が、十分な価値を成して、完成の資格者となって、どこに行ってもオーケーな人だなあ」と言われるのです。「アーメン」と言ってください。(「アーメン」)。話をよく聞きましたね。希望がありますね。絶望の日本の群れになってはいけません。 わたしたちの国の、神様が絶対に愛される国の主権は、絶対、唯一、不変、永遠の主権なのです。アーメン。(「アーメン」)。その国は、絶対唯一の主権であり、唯一の国であり、唯一の国土なのです。アーメン。(「アーメン」)。永遠不変な国土です。アーメンですか? (「アーメン」)。神様の四大属性で願われた、すべてのことがオーケーすることのできる国だということです。 それならば、その国の国民になったわたしたちは、家庭が入籍するのです。その家庭も絶対、唯一、不変、永遠の家庭なのです。相対的だからです。これは絶対に守らなければなりません。そのようにすることができますか、できませんか? (「できます」) わたしたちの夫、妻は、絶対、唯一、不変、永遠の夫であり、妻です。それは、もう決定的ですか、まだ未定的ですか?。決定的ですか? (「決定的です」)。決定的ですか? (「はい」)。口を開いて答えた人は、自分の横の夫や妻を見てください。決定的ですか、未定的ですか? (「決定的です」)。口をつぐんでいる人は皆、「口よ腐れ」と言えば腐るかもしれません。 それでは、その家庭の所有物は何でしょうか?。自分が神様から相続した所有物は、絶対、唯一、不変、永遠の所有物です。それは、売ろうとしても売ることができません。このような観点から見るとき、韓国にある基盤、先生がつくっておいた絶対、唯一、不変、永遠の天の国の基台、天の国の国民のためにつくった工場を売ってしまわなければなりませんか、残さなければなりませんか? (「残さなければなりません」)。それは、だれがするのですか? 天の方向にそぐわなければ、今の経済事情が悪くなることでしょう。日本は、経済的に韓国に反対しようとし、統一教会に反対しようとしているでしょう?。韓国のゆえに日本が生きたのです 日本は、過去の歴史において、アジアを占領した占領者の頭です。ですから、そのような負債を返すことによって罪を赦してもらい、アジアの前に謝罪するのです。日本は、アジアの怨讐ではないでしょうか?。韓国侵略、中国侵略、ソ連侵略など、侵略した国です。アジアの侵略帝国です。そのような犯罪を何で償うのですか? 「韓国を協助し、先生を協助した」という条件を中心として韓国を解放し、「韓国の負債を払った」という事実によって、「アジアの侵略者」としてのレッテルがなくなるのです。そうであるにもかかわらず、ああだこうだと言うのですか?。昔、離れた女性たちは「アイゴー、文総裁は滅びる」と言うのです。そう言われれば、早く滅びなければなりません。しかし天の国は、(先生が占領するのではなく)神様が占領されなければなりません。何のことか、分かりますか? わたしたちの、神様の絶対的愛の主権は、絶対、唯一、不変、永遠なのです。アーメン。(「アーメン」)。その国の主権もそうであり、その国の国民もそうであり、その国の万物もそうなので、今、もう一度整備して、絶対、唯一、不変、永遠な国民の再登録をしなければならず、万物もそのようにすることができるように再整備しなければならない時なのです。ですから、全体がこのように回っていたものを、このように反対に回さなければならないということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」) 今、国のために税金をささげる時が来ました。税金をささげなければなりません。国が必要でしょう?。それでは、国の税金をどこにささげなければなりませんか?。真のご父母様の前にささげなければならないでしょうか、神様の前にささげなければならないでしょうか? それで、「天地父母である」と言ったのです。「天地父母」です。天地父母にささげなければなりません。個人的基準でささげれば、個人相対圏になるのであり、家庭的基準ではこのくらいに高くなるのであり、氏族基準でさらに高くなるのであり、国を、全体をささげれば、天の国に接ぎ木することのできる位置にまで上がっていくようになるのです。 それゆえに今、救援時代は家庭救援圏ではなく、氏族救援、国家救援、世界救援、一時に地上、天上天国時代なのです。真の父母を絶対信仰、絶対愛、絶対服従すれば、一時で、瞬間で天地が復帰されうる時代になったというのです。したがって、皆さんの努力がどれほど必要であるか分かりません。皆さんが、するとおりになるのです。そのように警告します。 今から、既成教会の人たちが統一教会に入ってくる日が遠くありません。それは間違いありません。狭い門に押し寄せて来るのです。それならば、財産であれ何であれ、すべて売り払っていけば、皆さんたちが先んじるのです。氏族的基準、国家的基準を全部皆、献納して、総生畜献納祭をするようになれば、あなたたちは彼らを皆、置いてきぼりにすることができるのです。 それゆえに、かわいそうな、何もない「統一教会の一文無し」になりなさいというのです。何に「なりなさい」と言うのですか?。避難民です。分かりますか?。避難民の大王陛下、避難民の長子陛下、避難民の父母陛下、避難民の王陛下にならなければなりません。 ですから、先生が避難民の大将になるのですが、そこに来るつもりですか、来ないつもりですか? (「行きます」)。日本で豊かに暮らすお金持ちの着る服を着て来ますか、三角パンツだけはいて来るのですか? 「三角パンツだけはいて来なさい」というのです。 日本の国の十分の一を売っても、南米のすべてを買ってあまりあるのです。この日本人たちは、それを知りません。わたしの言うことさえ聞けば、間違いなくするはずなのですが。そのような基礎を今、築いているのです。分かりますね? (「はい」) 南米から「裸で来なさい」と言えば、来ますか、来ませんか?。夫がいれば夫をほうっておき、子女がいれば子女をほうっておき、父母が反対すれば、父母をほうっておいて、一人で裸で来ても、わたしが食べさせてあげるのです。だれが食べさせるのですか?。真の父母が食べさせなければならないでしょう?。分かりますか? (「はい」)。今、「来なさい」と言うとき、乞食の者たちや追い出されたような者たちに「来なさい」と言っているのではありません。 日本で一坪買うのなら、南米に行って二百五十坪買うことができるのです。(「わあ」)。何ですか?。なぜ「わあ」と言うのですか?。うれしくて、そう言うのですか、悲しくてそう言うのですか?ですから、すぐにやってください。日本に行って、ふろしきを包んでおいてください。「いつ、ふろしきを包むか分からない」と、家庭教育の時に話したでしょう?。今回、天地父母がすべて復帰されるのです。第四次アダム圏に入っていくので、大移動が起きるということを、この時間に宣言いたします。(「アーメン」)。(拍手) そこにおいて、天の国の入籍手続きをするかもしれません。反対していた者たちは、いい格好ですね。それで、わたしたちの家庭では、神様の絶対主権が必要であり、国においての主権が必要であり、国民が必要であり、万物が必要なのですが、わたしたちの家庭にも主権を代身した父母がいるのです。分かりますか?。国民を代身した息子、娘がいます。万物を代身した物があるのです。 それは、小さい天の国の基礎基盤です。それをすべて天のためにささげてしまわなければなりません。そうしてこそ、大きい国、大きい世界が成し遂げられるのです。分かりますね?アダムが祝福を受ける前には、「所有」というものは持ちませんでした。愛の中心、天理の大道の中心、核になっている愛の因縁を持ったアダム家庭から所有権が始まるのです。 ですから、家庭を持つ前に所有を持てば、それはどろぼうです。贓物(盗品)ということを知っていますか?。どろぼうのものを買えば、引っかかるのです。それで、国のものをささげなければなりません。ささげなければ、ありったけのものをだれが取っていくのでしょうか?。押収されるというのです。 それゆえに、歴史のすべての財源というものは、「国の所有」、「世界の所有」であると思いなさい、というのです。結局、世界は一つなのです。話をする時間がありませんね。一つになるべき時が来ました。先生が明らかにしてきた歴史が、どのようになるのかをはっきりと知りながら、そのようなことができない人は、雷にでも打たれるべきでしょう。 今からは、思うとおりに先生に会うことはできません。統一教会の祝福家庭は、もう一度死の……。北韓に追い出すのです。「三八度線の鉄条網に行きなさい」と言って、死地に追いやるのです。 一度でも動いてこそ、先生の前に蕩減条件を立てるのではないですか?。相対的条件を立てなければならないのではないでしょうか?。それが原理ではないでしょうか? 「どのような命令をしたとしても、「私」は『実践躬行(実際に自分自身で行為を表すこと)』である」。「アーメン」と思う人は、拍手してみてください。(拍手)手を挙げてください。 皆さんが「夜も昼も絶対服従する」と言うので、先生もしかたなく降伏します。手を上げて降伏します。さあ、これ以上騒ぐ必要はないのではないでしょうか?。わたしもおなかがすき、あなたたちもかわいそうなので、ご飯を食べさせてあげますから、安心して帰って、「また会う」という考えはせずに、明日も、あさっても、気をつけてお帰りください。「グッドバイ」。さようにして、並んでお帰りください。「さようなら」
2023.10.10
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命がけのハンガー・ストライキで日本を守るこんな言葉が目に留まった。「ハンガー・ストライキ」いったいどういうこと?町田松夫氏 (73歳・長野県長野市在住) は、昨年から今年にかけて行われてきた政府による旧統一教会解散請求に向けた、質問権行使のマスコミ報道に触れ、解散請求への反対を表明するため、自分で何かできないかという衝動にかられた。「言葉や理論で何かをするのは難しいが、自分の足で歩いて人々に訴えることはできる」今年6月には長野県市内で1日20キロ以上の行進を30日間行った。垂れ幕には・・・「共産主義に屈した日本政府による宗教弾圧は国を滅ぼす」という訴えを掲げてきた。さらに、町田氏は、長野市から国会議事堂まで徒歩での200キロ単独デモ行進を決意。7月1日の朝8時に家族に見送られ、200km 以上離れた東京への単独デモ行進を開始した。途中の飲食店やネットカフェなどで休息し、7月6日の午前6時に国会前に到着。国会前では横断幕を掲げ3日間のハンガーストライキを行った。まさに命がけの国を守るためのハンガーストライキだハンガー・ストライキとはマハトマ・ガンディーにより始められた非暴力抵抗運動の方法の一つ。何らかの主張を世間に広く訴えるために、断食を行うストライキの一種。町田松夫氏と言えば・・・徒歩でアメリカ横断5,000キロ2回日本縦断2回・韓国縦断・台湾一周などの、単独デモ行進をしてきた。そのすべてが、個人の目的の為ではなく、アメリカ、日本、韓国、台湾の国を守るためのだった20歳で入教し信仰歴50年以上。ハレルヤ大行進 人類の真の父母・文鮮明韓[本/雑誌] / 町田松夫/著岸田文雄首相は、今年7月世界平和統一家庭連合(旧統一教会)について宗教法人法を一夜にして覆し、「自分が解散に責任を持つ」と失言した。そのため・・・政府は解散命令請求に向け質問権行使を教団側にした。しかし、2009年のコンプライアンス以降の教団には宗教法人法に基づく解散命令に値するような「悪質性、継続性、組織性」の犯罪が全く認められていない。にもかかわらず・・・政府は解散命令請求を10月13日にも行うという。岸田首相の支持率アップのためか・・・世論はそのように見ている。海外からも批判の声が上がっている。「旧統一教会問題に関して、政府は全国弁連(全国霊感商法対策弁護士連絡会)の働きかけにより、まさに偏った主義主張に日本政府は屈している」「法を無視した不当な解散命令は憲法違反だ」などと町田氏は抗議している。そのため、町田氏は、国会議事堂前で10月1日から無期限断食のハンガー・ストライキを開始している。本日10月9日で断食9日目。これまで、公園で野宿かネットカフェにて休んでいたとのこと。10月に入って東京も急に寒くなったため、昨日から国会に一番近い教会の一室で夜は休んでいただくことにした。… … …<続きはこちら>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.09
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天城旺臨宮殿の奉献式一九九九年十一月七日、天宙清平修錬苑で約八千名の食口たちが参席する中、天城旺臨宮殿の奉献式と記念礼拝が行われた。真のご父母様は、奉献式が終わってから、記念植樹をされて「第四次アダム圏地上天国」という揮毫を下された。 祈祷 愛するお父様……、きょう一九九九年十一月七日、「天城旺臨宮殿」の奉献式を前に控え、聖別式を挙行しようと思いますから、天が見つめられる中、天上世界の祝福家庭と地上世界の祝福家庭が一体となって、神様に持り、勝利の主権の権限を霊肉ともに誓うことのできる、勝利の一つの宮殿という名を持った基盤を奉献し得るこの日を迎えて、聖別式を持てるようになりましたことを、心から感謝申し上げます。 天がこの日を覚えてくださり、天の所有権として決定し、千年、万年、子孫万代における追慕の基地となり、愛の伝統的な霊肉一体の心情圏の出発基地としてくださいませ。これが天下に一つの愛を思慕する宮殿となり、愛の宮殿となり、血統的な因縁を尊重できる崇拝の宮殿になるよう許諾してくださいませ。 そうすることで、天地父母が常に中心となり、万世、愛の統治権によって、愛により連結した世界化運動にあって、聖別拡大のための記念的な一つの初地、起源地とならせてくださいますよう切にお願い申し上げます。 天上世界の万物と地上世界の万物、神様と真の父母が一体となった立場で、全天地の万物を聖別できる基礎的な聖地、一つの根源の本根拠地なる宮殿として、その名を備えた聖別式を行いました。全世界万国、宮の名前を持ったその国の基地全体が連結し、天の前に聖別して奉献することのできる、祝福の伝統的な出発の初地とならせてくださいますよう切にお願い申し上げます。 今や全体を聖別いたしますので、この本堂を中心として、祝福の聖塩のある所はみな、環境を浄化し、サタンの足跡を洗い流せますように。神様の愛、真の父母の血族たちが、すべての出発から終わりまで、歴史と共に主管、主導することのできる、起源的な伝統の基地とするため、聖別することを受け入れてくださいますよう切にお願い申し上げます。 全世界の百八十五か国の国家メシアたちを代表して、韓国と日本とアメリカとドイツを中心とした、アダム家庭理想の失敗をもたらして汚されたすべてを回復し、完成することのできる、勝利的な初地となるよう祝福してくださいませ。 直接に真の父母と共に聖別を、神様ご自身が直々に施してくださいますよう願いながら、真の父母の御手を通じて聖別いたしますので、永遠に祝福と権威と尊敬と愛によって、保護してくださいますよう真の父母の御名で祝願、祝願、祝願いたします!アーメン、アーメン、アーメン! (聖殿の建物を聖別される) 祝祷 愛する天のお父様……、きょう一九九九年十一月七日、午前十時を期して、「天城旺臨宮殿」の献納式を奉献しようと思いますので、直々に臨在なさって主管してくださいませ。 天上の神様が願っておられなかった今までの楽園と中間霊界、地獄のすべてを収拾し、神様を中心とした真なる家庭理想によって、神様の愛による直接的な生命と血統の因縁に転換し、サタン世界の汚れた堕落の血統をすべて浄化するための復帰摂理の歴史が、どれほど恨めしかったかを私たちはよく知っております。 堕落したサタンの血統を受け継いだ私たちの運命は、神様の本然の理想世界と相反する世界として、苦痛と呻吟のうちに、天国ではなく地獄に向かっていきました。そのようなこの世界の歴史は、今や地上地獄の世界化時代に入って、前後・左右・上下関係を分かつことのできない混沌のうちに彷徨しております。この人類を救うために、地上に救援摂理の中心たる真の父母を遣わされ、真の神様の血統を求めて、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで新しい神様の血族である系統を編成するのに、数多くの受難の道を宗教歴史を通じて歩んでこられました。 今日、朝鮮半島を中心として、神様の愛により、真の父母をこの地上に呼び立てられました。五千年以上の受難の路程を経てきた不憫なるこの民族は、孤独単身であり、弱小民族として単一の血統をもって、節概を守ってきた国として、アジアにおいて東方の礼儀の国という名を持っております。純潔の中で伝統的な血筋を崇めながら、孝子の道理と忠臣の道理と、聖人、聖子のみ旨を高く追求してまいりました。 こうした基盤のもとに数多くの歴史的な宗教が、仏教、儒教、キリスト教、そして統一教会という全体宗教の内的因縁が、神様の心情と共に一体化させ、結束した実として総括的な収穫のために宗教全体を統合し、人類の解放圏を勝利の基盤として収拾し、神様の血族の単一氏族の編成を世界化させました。さらには霊界まで単一解放の祝福の基盤を広げて、天上世界と地上世界を手のひらの表と裏のように一つの世界形態とし、神様と真の父母を中心として、天地父母の真なる愛の血肉の民として世界化させるために、統一教会の祝福世界化運動をこれまで展開してまいりました。 四億四千万双を祝福した基盤の上に、今や新たに未婚男女の四億双を編成することにより、天上世界の祝福をあまねく開門して、地上世界もあまねく開いて、天と地の地獄門を開放して、家庭が天国に入っていける高速道路、平坦な大路を中心として、天地父母に従って本郷の根源なる神様の創造理想である天国の全体化のために、これまで地上と天上に統一圏に完成するために苦労してこられたお父様であるということを知っております。 そのようなお父様の指導の恵みの道に従って、勝利の覇権を地上に決するための数多くの受難の道をたどってまいりました。そうして、統一的な国家形態を越え、世界的な峠を越え、霊界と肉界の統一的な一つのプログラムにおいて、家庭血族を拡大した地上・天上天国、天の国における民の圏を祝福によって編成することで、天の国の城である天城全体が地上に旺臨いたします。神様をお迎えする、創造主なる天地父母をお迎えする霊的な出発の起源地として、この「天城旺臨宮殿」を設定するために、この役事を始めて二年以上もの間、天が苦労してこられたことに感謝申し上げます。 人間たちがこの家を建てたのではなく、興進君と大母様、忠母様と大兄様を中心とした霊界が、すべての忠孝の道理を果たさんとする協力のもとで、人間世界を霊的に指導して建てたのでございます。今日、個人的な活動を世界化させ、統一教会の祝福家庭の精誠が集まり、一つ一つ精誠を込めた献金によって、この宮殿を成就し得る今日の喜びを持たしめてくださったお父様の前に、心から、心から感謝申し上げます。 この地を中心として韓民族はもとより、世界に広がっている数多くの国々が、一つの血族として単一民族圏を編成し、神様を中心として自主的な愛の主権世界を編成するために歩んできたすべてが国家を越え、世界化時代に先頭的な立場に立って模範を示す、そのようなことをなすべき出発の出現基地として、この宮殿を建設しました。ですから、お父様が直接に主管されて霊界全体が一体化し、祝福された先祖たちと、地上の祝福された後孫たちと共に一つになり、統一天下、平等平和の世界に前進できる解放地上天国、解放天上天国の時代を迎えさせてください。 そうして、このすべてのみ旨を受け継いで、万民の胸と胸に、生命の因縁を通じて愛の血統的な結束を誓う修練の宮殿として、お父様の前にこの時間奉献いたしますから、天上世界に行っているすべての霊たちと天国のすべての存在たちが注目するこの場において、地上世界の全人類を代表し、万物を代表する焦点を合わせた勝利の一つの基地として、あなたの天の国における王子と王女の権限を備え得る、勝利的な人間解放者を養育できる殿堂としてお受けくださいますよう、切にお願い申し上げます。 各国から数万名の聴衆が集まり、この献堂式を祝賀する誠心に心情が一致した一つの花のような香りを兼ねる、美しき殿堂として天の国に現れて、この全宇宙の万物のうちに、人類の心情のうちに現れて、愛の表象の実体として、崇拝、尊敬できる起源地とみなしてくださいますようお願い申し上げます。 この地を取り囲む万物と共に、連結した韓民族と共に、連結した人類と共に、連結した天上世界のすべての霊人、天軍天使と共に、一体心情圏を浄化できる解放的万民を教育して、天地の、天上天国の主導的な民として送ることのできる祝福を……、強固に新たに真の父母の御名と全人類の名で宣布され、千々、万世の勝利を誇り得る殿堂、王宮の完結となるように許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。 この日を記憶し、心を一つにして精誠を尽くす天上世界の祝福を受けた家庭、地上世界の祝福を受けたその後孫、それだけでなく統一教会の祝福家庭とその二世と一体となり、解放的統一圏、南北の統一、そして東西文化の格差、南北の貧富の格差、地上・天上天国の格差を一元統一させ、平等平和の天国、万万世の世界に前進することを、ヤハウェにすがる真の父母の御名によって、天地万物を創造した大主宰、大王陛下の前に、奉献、祝願いたします! アーメン、アーメン、アーメン! 奉献礼拝のみ言 「メシア」とは真の父母です。真の父母、真の愛は永遠不変、絶対的なのです。神様の属性も絶対、唯一、不変、永遠です。 「真」というのは、唯一で永遠不変なる主体性を持っています。時空を超越して、歴史を超越します。それは万民を指導できる権限を持った愛の力です。その「真」の前では、神様も屈服します。 いかに全能な神様であったとしても、愛を意のままにはできません。愛は一人では成り立ちません。相対を通じなければ、愛を見いだせません。その愛は天宙のすべて、生命の実体を主管する主体なのです。永遠、絶対、唯一、不変な主体である愛を得るためには、どのようにすべきでしょうか? 相対を通さなければ、その愛は私に根をおろすことができません。 私たち統一教会は、永遠に離れることのない……神様が永遠に住みたくて、正門から追い出したとしても裏門から入ってこられて、隠れてでも就寝を共になさることのできる、神様が一番好まれる家庭を築いて暮すというのが、統一教会の伝統的な家庭であり、天地のどこにおいても歓迎される家庭だったのです! アーメン! 家庭だったのです! アーメン! 家庭だったのです! アーメン! 結論は、「私たちの家庭は天下を相続するのに申し分のない家庭である! それが私たちの家庭である!」ということです。 その息子と娘たちは、父親と母親が孝子、忠臣、聖人、烈女です。その息子と娘たちは、父母が孝子、その国の忠臣、その世界の聖人、その天地の聖子です。そうでない父や母はいません。それが私たち夫婦である! アーメン! それが大外れで、ほらだったら大変なのですが、それでもそこには種があるのです。食べたら放り投げそうで、その辺に転がっている空カンみたいに見えるのですが、さっとむいて味見をしてみると、糞尿でも入っているかと思ったら、蜜の味よりもおいしいのです。愛の味は蜜の味より劣りますか、おいしいですか? 愛の味が蜜の味よりおいしいですか、まずいですか? もっとおいしいというのです。 蕩減復帰は外的な世界を完全に否定するところから始まるのです。完全に復帰されたら、神様の愛を中心として完全否定できる段階が残っているということを知らなければなりません。真の愛の基準の前に立てなければ、完全否定です。それを選別すべき第二次的な家庭定着時代を迎え、天地が交差するこの転換時代において、そのような原則を立てなければならないことが、真の父母が最後になすべき仕事なのです。それを知らなければなりません。統一教会の祝福家庭は、神様が言われた通りにすべてやりましたか? 先生がこれまで四十年、五十年の間に宣布してきたすべてのことに皆さんは従っていくのです。それが伝統的な歴史というものです。 ご覧なさい。聖人と殺人鬼を共に祝福してあげました。神様にそれができますか? 真の父母だけができるのです。神様の闘いとサタンの闘いを止められるのは真の父母です。「あなたは、このような事ゆえに千年の恨を抱かれ、平坦な福地の場に安息できる一日を得られなかった、悲痛なる方ではないでしょうか?」と聞けば、神様は「そうだ!」と答えられるのです。誰を通してそれを解怨成就しますか? 真の父母です。「それならば、真の父母の言葉を絶対に信任しますか? 絶対服従しますか?」と聞けば、「もちろん服従するとも」と答えられるのです。神様を服従させるのです。 ですから、神様が最高に願う服従と真実の愛、絶対に信じることのできるこの天理を奪ってきたので、文総裁は統一教会の人たちに絶対信仰、絶対愛、絶対服従の論理を掲げるのです。 ご覧なさい。「天城旺臨宮殿」ですが、王宮は私たちの心の王宮、家庭の王宮、氏族の王宮、民族の王宮、国家の王宮、世界の王宮、地上天国の王宮を通して、天上天国の王宮をすべて合わせようとするので……。これがすべて天城の、天の国の城です。城の中には王がいるのです。神様までが臨在された王宮を出発しているということを知らなければなりません。 そのような聖なる落成式を行うこの日に、先生はみ言を通じて何を強調しますか? 神様に侍ることのできる絶対家庭、唯一家庭、不変家庭、永遠家庭を中心として、神様が千年万年、「おまえを放り出しては行く所がない」と泣きながら、「共に住もう!」とおっしゃることのできる家庭を持ってこそ、神様が恨を忘れて「恨を捨てておまえに従おう!」とおっしゃってこそ、恨多き神様の千年、億万年……一人子、万人娘を失ってしまった恨を越えて探し出された、その息子と娘を中心として、アダムとエバの遮られたものを乗り越え、跳躍ではなく、飛躍するのです。 天の宝座から地上の宝座への間を、意のままに上がり下がりされるのです。ボタンさえ押せば自由に往来できる環境的与件を開発するには、真の愛でなければだめなので、真の父母の真理を、はっきりと理論体系を築いて教えてあげたのです。その大王陛下が文総裁なのです。 全世界的に祝福家庭の王と言えば誰ですか? 真の家庭を世界化させようという主唱者、そのようにできる主導的な中心人物は誰ですか? それは文総裁に間違いないということは、世界のどの国も、いかなる島国でも皆知っています。ですから、文総裁は世界の真の家庭を祝福してあげるので、全祝福家庭の親分になるのです。ですから、そのような親分のもとにある家庭のお父さんは、必ずその伝統を相続して、間違いなく親分の家庭の子女たる家庭になるということが、神様の願いであると同時に、先生の願いなのです。 神様の恨とは何ですか? 一代目のアダムとエバの家庭がそのようになれず、孫の家庭がそのようになれませんでした。三代を完成できなかったのが恨ですから、そのような家庭を築いて、三代を完成して、天下の解怨成就の基礎を完全に成就させるのです。「神様が永遠に私と共に住む」という不変の真理、永遠の真理、伝統的な真理だったので、そのような伝統を永遠に相続してあげることのできる真なる父母、真なる神様の子女、相読者になるということを決意する、この時間となるようにお願いするのです。そのように決意する者は両手を挙げて、神様の前に今一度誓うのです! アーメン!神様の祝福が共にありますように! 奉献礼拝後の祈祷 愛するお父様……、「遥かなる恨多き復帰の道はどうでありましたか?」と尋ねれば、神様も干年、万年の涙を流した道でございました。「恨多き復帰の道が、それほどまでに無慈悲でしたか?」と尋ねれば、数多くの天を追慕する者の血の祭壇を連結させ、血の主流をこの死亡の地獄世界に残した、地獄の出現する道を免れ得ない悲惨な道でございました。「無常で無慈悲なる世界でしたか?」と尋ねれば、子を捨てる親となり、妻を捨てる夫となり、弟を捨てる兄、兄を捨てる弟となった悲惨な歴史でございました。 それゆえに、誰も信じられない、歓迎できない歴史的な実像を私たちは前にしております。「天国」という誇り得る幸福の世界を描きゆく、統一の群れたちが行く道には、恨多き神様の悲惨な姿、あらゆる歴史的な受難の血を流した路程が、幾重にも積まれており、それを越えに越えて歩んでまいりました。忘れ得ない親不孝の行脚の路程を繰り返すことによって、悲惨だった神様の心情世界に、平和の福地を建設できず、どれほど災いと悲痛の恨の釘を、どれほど、どれほど打ちつけてしまったことか分かりません。親不幸千万なる子供たちを赦してくださいますよう、お父様……、切にお願い申し上げます。 地上天国を願って、終わりなき曲折の道を開拓してこられたお父様の歴史的な悲しみを、私たちはよく知っておりますから、私の生涯において一日でも、神様が峠の道で悲しまれたことを同情する子女になれなかったことを恨とし、きょうもその同情の心情を迎え入れ、尋ね求めるために歩みゆく孤独な群れ、恨多き歴史の心情を誰にも吐露できない孤独な群れが、統一教会の群れであることをよく知っております。 お父様……、千辛万苦の解怨の道を逆から上がって、上がって、越えてみると、天城の天国の眺めが目に入り、その天国で私を待っておられた神様が、もろ手を挙げて歓迎してくださることのできるような……、大きく両手を翼のように広げ、失った子が訪ねてくるのを指折り数えて待っておられた、手招きしておられる神様の姿が目の前に見え、我知らず飛躍的な環境を経て跳躍していけるような、そのような群れになろうと、恨の峠も臆せず、悲しみの峠も臆せずに、生死の境を越えてゆく統一の群れを哀れに思われ、この場まで導いてくださったお父様の前に感謝申し上げます。 「天城旺臨宮殿」というこの場は、私たちの心がそうでなければならず、私たちの家庭がそうでなければならず、国と世界と地上の被造世界すべてが地上天国と化して、神様を常に共に迎えて生きることのできる、王宮の主人たちとなるべきこの実情を新たにはっきりと悟り、決意できるこの時間とならしめてくださいますよう、お父様……、切にお願い申し上げます。 これまで興進君と大母様を中心として、霊界を動員して祝福し、霊界の恨の壁を取り壊して、解放の歴史を、地上の真の父母の前進的な発展過程に歩調を合わせて、絶え間なく一体的な理想圏を地上・天上世界に連結させることによって、地上から天上世界まで地獄の門を開放し、悪魔を追放し、罪悪の根を解消し、すべての解放の子として天に召された道を正々堂々とその姿を正して、体面と威信を立てさせてくださいまして、神様の愛を受けるのに堂々たる、神の称賛を受けるのに堂々たる息子、娘の権威を私たちに許してくださった恵みを、感謝、感謝、感謝申し上げます。生涯の道を最期まで美しく飾り、お父様の前に捧げることを願う統一信徒の行く道を、永久に守られて、有終の美を飾らせてくださいますよう切にお願い申し上げます。 ここに世界のすべての指導者たちが集まりましたので、心から感じて体験したすべての事実を自分の所在地に帰り、自分の国に帰りまして、これを主流的な思想として、その民族に移譲させるための決意をもって、真なる種を蒔く農夫のように、春の陽気を迎える農夫のように、すべての荒野の農土に種を蒔いて余り得る、勇猛で、大胆な主人の後継者たちとなるように、祝福してくださることを、お父様……、切にお願い申し上げます。 今や集まった人たちを収拾して、決心させて、残りの日々を追慕する思いを抱いて過ごす時間が、彼らの生活に花と薫りの光となり、永遠なる新生命の灯火と天理の愛の伝統的な道を連結させて、解放者たる息子、娘となることができ、万国を建設することができ、神様に選ばれて永遠なる宿命的使命を伝授されて立ち上がる、不足なき群れとなれるように祝福してくださいますよう、お父様……、切にお願い申し上げます。 すべてを終えましたので、この日の決意をもって、新しい地上・天上天国化の実戦路程において、敗者の悔しさを蹴って、勝勢者の権威により、天を永遠に称えて侍り、愛することのできる群れとならせてくださいますよう、この日を期して特別に切にお願いし、新天地なる第四次アダム圏の地上・天上天国の到来の基地において、先頭的な旗手として歩武堂々たる資格を備え、前進の路程において促進化することのできる、自主的な実践権を行使し得る群れとならせてくださいますよう切にお願い申し上げます。 万万世の祝福の恩賜に感謝いたしまして、お父様の前に成果をお返しする喜びを抱いた子女たちの前に、さらに祝福を与えてくださいますよう再三お願いしながら、真のご父母様の御名によって祝願申し上げます! アーメン、アーメン、アーメン! (三一二-三〇四、九九年十一月七日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.09
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【完全密着】第4回シンポジウムの舞台裏|信者の人権を守る二世の会 2023/10/08 #シンポジウム #二世 #家庭連合信者の人権を守る二世の会では、先日、2023年10月1日(日)に第4回公開シンポジウムを行いました。今回はその舞台裏を大公開します!!(いつもPVを作ってくれる二世の子が作成してくれました!)▼「信者の人権を守る二世の会」ホームページはこちらhttps://www.2ndgen-rights.com/▼ 第4回公開シンポジウム「宗教学者と語る ~家庭連合の過去と現在と未来~」のご視聴はこちらhttps://youtube.com/live/2KpxHJIwgvI今回、第4回目となる公開シンポジウムでは、宗教学者の島田裕巳さんと家庭連合二世3名との対談を行いました。島田先生は、客観的な学者の立場で私たちにこう語りました。「『真実は何か』隠さず『オープン』にするでなければ、誰も納得しない」二世は、何を見て体験してきたのか。”旧統一教会”の「過去」、現在、そして未来…。”旧統一教会問題の全容” と ”宗教”について、真剣かつ率直に語り合います。家庭連合を擁護しない宗教学者と現役二世信者による、今までになかった新しい議論の場にご期待下さい。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.09
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大きな赦しと憐れみをもってたずねてくださる神様からの人✳️日本食口の証し❤️Hさん(女性)🍓https://www.youtube.com/@newtv51232023/10/08一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.08
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X(旧twitter)からです。速報が出ました‼️#宗教法人審議会 は 先延ばしか…❓反対意見も多数あるとか… 内部は分裂状態か…❓それにつれて#解散命令請求 も 先延ばしか…❓法的根拠なく 安易に出せば国賠10億円が 想定される慎重に…慎重に… https://t.co/alZuc5WmeA pic.twitter.com/MAXe5vxG1h— 人権と宗教・信仰の自由を護る協議会(David999) (@888abyz) October 7, 2023一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.07
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家庭連合(旧統一教会)の教義書『原理講論』から、宗教史と国家興亡史について書かれた記述がありました。第三章 人類歴史の終末論 第二節 救いの摂理 第一に、文化圏発展史の立場から考察してみることにする。古今東西を問わず、いかなる悪人であっても、悪を捨てて善に従おうとする本心だけは、だれでも共通にもっている。だから、何が善であり、いかにすればその善をなすことができるかということは、知能に属することであり、時代と場所と人がそれぞれ異なることによって、それらは互いに衝突し、闘争の歴史をつくってきたのであるが、善を求めようとする人間の根本目的だけは、すべて同じであった。では何故、人間の本心は、いかなるものによっても取り押さえることのできない力をもち、時間と空間を超越して、善を指向しているのであろうか。それは、善の主体であられる神が、神の善の目的を成就するための善の実体対象として、人間を創造なさったからで、たとえ堕落人間がサタンの業により、善の生活ができないようになってしまったとしても、善を追求するその本心だけは、そのまま残っているからである。したがって、このような人間たちによってつくられてきた歴史の進みいくところは、結局善の世界でなければならない。 人間の本心がいかに善を指向して努力するとしても、既に悪主権の上におかれているこの世界においては、その善の実相を見ることができなくなってしまっているので、人間は時空を超越した世界に、その善の主体を探し求めなければならなくなった。このような必然的な要求によって誕生したのが、すなわち宗教なのである。このように、堕落によって神を失ってしまった人間は、宗教をつくり、絶えず善を探し求めて、神に近づこうとしてきたので、たとえ宗教を奉じてきた個人、民族、あるいは国家は滅亡したとしても、宗教それ自体は今日に至るまで、絶えることなく継続してそのまま残ってきたのである。それでは、このような歴史的な事実を、国家興亡史を中心として、検討してみることにしよう。 まず、中国の歴史を見ると、春秋戦国の各時代を経て、秦統一時代が到来し、そして前漢、新、後漢、三国、西晋、東晋、南北朝の各時代を経て、隋唐統一時代がきた。さらに、五代、北宋、南宋、元、明、清の時代を経て、今日の中華民国に至るまで、複雑多様な国家の興亡と、政権の交代を重ねてきたのであるが、今日に至るまで、儒、仏、仙の極東宗教だけは、厳然として残っているのである。つぎにインドの歴史をひもといてみても、マウリア、アンドラ、クシャナ、グプタ、ヴァルダーナ、サーマン、カズニ、ムガール帝国を経て、今日のインドに至るまで、国家の変遷は極まりなく繰り返してきたわけであるが、ヒンズー教だけは衰えずにそのまま残っているのである。また、中東地域の歴史を見れば、サラセン帝国、東西カリフ、セルジュク・トルコ、オスマン・トルコなど、国家の主権は幾度か変わってきたのであるが、彼らが信奉するイスラム教だけは、連綿としてその命脈が断ちきられることなく継承されてきたのである。つづいて、ヨーロッパ史の主流において、その実証を求めてみることにしよう。ヨーロッパの主導権はギリシャ、ローマ、フランク、スペイン、ポルトガルを経て、一時フランスとオランダを経由し、英国に移動し、それが、米国とソ連に分かれ今日に至っているのである。ところが、その中においても、キリスト教だけはそのまま興隆してきたのであり、唯物史観の上にたてられた専制政体下のソ連においてさえ、キリスト教は、今なお滅びずに残っている。このような見地から、すべての国家興亡の足跡を深く顧みるとき、宗教を迫害した国は滅び、宗教を保護し育成した国は興隆し、また、その国の主権は、より以上に宗教を崇拝する国へと移されていったという歴史的な事実を、我々は数多く発見することができるのである。したがって、宗教を迫害している共産主義世界の破滅の日が必ずくるであろうということは、宗教史が実証的にこれを裏付けているのである。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.07
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第四次アダム圏時代の到来1999年10月24日ニューヨーク州ベルベディア 十月二十三日、ニューヨーク州イーストガーデンにて「総天宙祝福解放日」を制定、宣布されました。このみ言は、翌二十四日(聖日)、ベルベディアの聖日礼拝において語られたものを翻訳し、抜粋、整理したものです。 きょう、訓読するみ言は、家に帰って読むのです。家に帰ってから、それを読むように、ページだけを伝えて、「家で読みなさい」と言ってください。きょうは、わたしがみ言を語らなければなりません。 今後、皆さんは先生の説教集のすべてを持たなければなりません。食口は、だれもがみ言選集を持たなければならず、毎週、どこからどこまで訓読するかを前もって連絡し、その本を見ながら「訓読会」をしなければなりません。だれかを指名すれば、各自が読むことができる時代に入っていくということを知らなければなりません。 これからは、先生が本部から指示を伝えます。そして、全世界の統一教会の教会員たちは、一律的に同じ日の同じ時刻に「訓読会」をするのです。ですから、本を全員買わなければなりません。み言集の中から選集が十二巻出ているのですが、その十二巻をすべて持っていなければなりません。 これは、わたしたちの生活における食料と同じです。霊的生活においての食料と同じなのです。食料を持っていない人は、飢えて死んでしまいます。なぜ、このような伝統を立てるのかというと、先生が八十歳になっていくからです。先生が霊界に行く時間も遠くないので、地上でこのような伝統を立てておくことによって、混乱した世の中を導いていくことのできる道を決めてあげるためです。そのような不可避な決定であるということを知るべきです。 今は、わたしたちが霊界についていく時ではありません。霊界が地上についていく時なので、地上で「訓読会」をすれば、霊界も共に「訓読会」をするということを知らなければなりません。それゆえに、皆さんが参席するこの場というものは、自分一人だけの場なのではありません。そのように、世界とともに、天地とともに、神様とともに、真のご父母様とともに一緒に生活し、一緒に呼吸する環境で暮らしているということを意識して生きていかなければ、この地上に地上天国というものは到来しません。 天国は、神様に侍って暮らし、真のご父母様に侍り、神様と真のご父母様の愛の圏内で暮らす世界であり、そのような世界が堕落のない本然の世界なのです。そうして、本然の世界は天国と連結されているので、天国を成すためには、そのように生活することが不可避な結論であるということを知らなければなりません。 おなかがすいた人は、朝食、昼食、夕食という三食に対することがどれほど深刻でしょうか?。そのような人は、その味がどれほど良いものであるかをよく知っているのです。その心は、どれほど切実でしょうか? それでは、この世の中で七、八十年の間、生きる生命の糧をそれほどまでに慕い、深刻に、切実に願うのであるならば、永遠の生命の糧を中心として願う基準は、どれほどのものでなければならないでしょうか? ですから、皆さんが今朝、おいしい物を食べたのならば、「明日はどのような物を食べるか」と考えるでしょう。真のご父母様に侍って暮らすのならば、そのように、「日ごとの出発の食事」に対して関心を持たなければなりません。 それは、どういうことでしょうか?。毎日、どのような食事なのかが気になるのと同じように、み言は生命の糧の起源なので、皆さんはみ言に対して「おなかがすいて食べたい」と思わなければなりません。そして「どのようなみ言があるのだろうか?」と気にしなければならないのです。 そのようにすれば、どのような結果になるでしょうか?。この「訓読会」を中心としたみ言の価値をどれほど貴重に感じたのかということが、霊界で皆さんが留まる位置の決定基準になるということを、皆さんは知らなければなりません。「訓読会」は良いものですか、悪いものですか? (「良いものです」)。どれくらい良いものですか? (「とても良いものです」) 皆さん、米国の独立記念日が七月四日ならば、七月四日に国の独立記念日を記念して、ワシントンから各州、村々ごとにその日を祝賀するわけですが、「訓読会」をする喜びとその喜びとを比較できますか?。世界のある国の祝祭日が貴いですか、わたしたちが天の国に行く糧を吸収して喜びに浸れるということが、もっと喜びですか? (「『訓読会』が喜びです」)。「訓読会」ですか? (笑い) 「訓読会」とは、どのような意味なのか、意味は知っているでしょう? (「はい」)。「訓」という字は、「み言が流れる」という意味であり、「読」という字は、「み言を売る」という意味です。よって、み言が流れていき、無限に拡張しなければならないことを教える会が「訓読会」だというのです。ですから、「訓読会」を漢字で書くことができなければなりません。 これ(言べん)は「み言」であり、これ(つくり)は「川」です。ですから、「水が流れてこそ死なない」というのです。流れる水は、生命の起源になるのです。み言が流れ、伝統が連結されなければなりません。小さい所から大きい所、大きい所から海へと流れ、こうして水蒸気になり、雨となって降りてきて万物が蘇生するのです。 み言がタンクならば、み言を中心として、皆さんはそのタンクの中に入っていかなければなりません。み言が流れていますか、そのまま留まっていますか?。そのタンクが小さければよいですか、大きければよいですか? (「大きければよいです」) さまざまな小さいタンクから、数千数万を入れてこれくらいの大きなタンクになったのですが、このタンクがただじっとしていたら、どれほど被害が大きいだろうかというのです。ですから、流れなければなりません。四方に流れていかなければならないというのです。 それは、すべて流れていかなければなりません。なぜ、流れていかなければならないのでしょうか?。周辺のすべての万物を蘇生させ、生命を育てるためです。そして皆さんは、精誠を尽くして、タンクの中には、この自然のために生きることのできる心、清い心を持って、そこで水蒸気のように上がっていき、四方に霧を降ろし、雨を降らせるのです。そうしてすべての万物が蘇生し、人間が蘇生し、すべてが蘇生するのです。それが復活の原則になります。 統一教会で教えてくれるみ言は、世の中の図書館にありますか、ありませんか? (「ありません」)。霊界は、どうですか?。霊界には図書館があるでしょうか、ないでしょうか? (「あります」)。では、そこに先生のみ言があるでしょうか? (「あります」)。あったのなら、「訓読会」を始めていたでしょうか、始められなかったでしょうか? (「始めていました」) それでは今、霊界でも、地上に従って「訓読会」をするというのですが、それはどういうことでしょうか?。霊界が先ですか、地上が先ですか? (「地上です」)。地上なのですが、世界のすべての図書館、学校、大学、博士、あらゆる学者たちがたくさんいますが、彼らはこのようなみ言を知っていますか?。地上でも初めてなのです。このみ言は、「愛の博士」の学位を受けることのできるみ言なのです。 神様も、先生がみ言を語る前までは、み言を語ることのできない神様であられたというのです。何のことか、分かりますか?。真のご父母様だけが始めることのできるみ言なのです。それほど貴いとは思わなかったでしょう? それでは、皆さんの中で先生を知っているという人、手を挙げてください。それは、何を知っているのですか? (「人類のためにすべてを犠牲にされました」)。犠牲にしたのかしなかったのか、どうして知っているのですか? (「教会に入ってきて、二十六年間目撃して生きてきました」)。その目撃して生きてくる間、世の中では皆、「レバレンド・ムーンが一番悪い」と言い、そのように思っているのです。 皆さんは、先生のことを全く知らないのではありません。しかし、世の中の人は全く知らず、あなたたちは少し、部分部分だけを知っているのです。ですから、「知っている」と言うこと自体が問題であり、また、「私は、統一教会の教会員だ」と言っていますが、それも自分勝手に生きてきたというのです。額に何かを付けていることを知らずにいます。自分が何なのか、知らずにいるというのです。 自分で自分のことさえ知らない人が、先生を知ることができ、神様を知ることができますか?。自分を知っていますか?。全員、自分を知らなければなりません。それを知らなければならないのです。 ですから、どれほど知らなければならず、どれほど学ばなければならず、どれほど努力しなければならないでしょうか?。このみ言の中には、天の国の全体王子権まで占領することのできる内容が含まれているのです。 統一教会の教会員、責任者たちがここにいますが、「私は、統一教会の先生をよく知っている」と言うことができますか?。このミスター・郭は、今でも先生のことが分からないのです。どうですか、ミスター・ヘンドリックス?。ミスター・梁? (「よく分かりません」)。それでは、いつ分かるようになるのですか? 永遠です、永遠。先生は、地上でのことだけでなく、霊界を収拾しなければなりません。霊界に行ってすべきことが多いのです。それを知らないでしょう?。皆、霊界のことを知らないではないですか?。先生が現れなければ、世の中は真っ暗な天地になるのです。そうしてすべて地獄に落ちるのです。 きょうは、このように東洋人がたくさん集まったのですか? (笑い)米国を超えて天国に行かなければなりません。米国の中に天国はありません。米国を踏み越えて行かなければなりません。日本を踏み越えて行かなければなりません。世界を踏み越えて行かなければなりません。「行く途中で、米国を踏み越えて行くために来た」と、このように考えるのです。 日本のメンバーは、知っておかなければなりません。天国に行く途中で、いくら日本で有名になっても、日本を踏み越え、越えて行かなければならず、米国が世界的な主導国家になったとしても、それを乗り越えて行かなければなりません。 そうして、世界統一された地上統一世界があるならば、それを乗り越え、さらに霊界を乗り越えて行かなければ、堕落のない本然の天国に入っていくことはできないというのです。分かりますか? (「はい」)。そのために、その途中で経ていく宿所のようなものが、米国であると考えなさいというのです。(「はい」) さあ、「訓」という字を知っているでしょう? 「言(み言)」というものは、大きい人、小さい人、小さい人、三人が一つになった口が「言(み言)」です。これ(一番上の点)は神様です。神様を中心として三人が一つになった口が「言(み言)」なのです。それゆえに、漢文というものは意味が深いのです。 漢文は、中国人ではなく、東夷族、韓国人がつくったという説が本当に多いのです。韓民族は、弓矢を上手に射るのです。中国社会において、どこに行っても百戦百勝し、戦いがあまりにもうまく、それで勝つことも嫌になって半島に逃げてきたと考えているのです。オリンピック大会でも、韓国人は弓矢を上手に射るでしょう?。先生にも、そのような何かがあり、照準をうまく合わせるのです。それは、真理の照準です。 韓民族は、精神統一を上手にする民族です。それで、霊界のすべての事実を知っているのです。預言書を見ても、歴史的事実をすべて知って生きているのです。分かりますか?。どれほどたくさん実験をしたでしょうか?。そのような内容を、皆、知らないではないですか? それでは、先生を知っていますか、知りませんか? (「……」)。なぜ、このように静かなのですか?。さあ、このような人たちの前で難しい話をしたら、分かるでしょうか、分からないでしょうか? (「分かりません」)。(笑い) ですから、今から謙遜になりなさいというのです。み言の前に謙遜になるのです。そして、吸収しなければなりません。分かりますか?。それが必要です。そうしてこそ、水をさっと吸収するのです。目もどんどん吸収します。においも、耳も、口も、すべての細胞が吸収するのです。 それでは、先生が好きですか?。先生が好きだという人は、手を挙げてください。(「はい」)。先生は気分が良いでしょうか、悪いでしょうか? (「良いです」)。ある人は十点であり、二十点の人もいて、零点以下の人もいるというのです。ありとあらゆる五万種類の型が、「先生を知っている」、「好きだ」と言うとき、それで気分が良いでしょうか、悪いでしょうか? (「良くありません」) それでも先生の話を聞きたいですか?。(「はい」)。先生が五十年間に語ったものが、今、三百巻の本になっています。三百巻のみ言の中で、すべて「このようにしなさい」と言いました。それを知っていますか?。しかし、いつみ言どおりに暮らしましたか? そのみ言は、先生がつくって話したのですか?。それとも神様が、今後貯蔵することができ、理想的な倉庫に記録することのできる内容を話されたのでしょうか? (「記録することのできる内容です」) 皆さんは、根本が何であるのか知りません。神様が好まれるものが何であるのか知らないではないですか?。好まれるものは何でしょうか?。数多くのみ言の中で、喜ぶことのできるオリジン(根本)の中で、根本とは何ですか?。見ることですか?。においをかぐことですか?。食べることですか?。聞くことですか?。触ることですか? タッチする手が喜べば、それが手のオリジンです。目が喜べば目のオリジン、鼻なら鼻のオリジンです。五官、十官のオリジンは何ですか?。外的、内的十官があれば、十官全体が動員されて一度に喜ぶことのできるものは何であるのかというのです。 「自分は女性である」という人は、手を挙げてください。女性が一番好きなオリジンが何であるかというとき、それは「女性だ」と言うのですか、「男性だ」と言うのですか?。どちらですか?。女性として一番好きなオリジンの中のオリジンは何ですか?。女性ですか、男性ですか? (笑い)これは、笑いごとではありません。深刻な問題なのです。 それは、「自分が何を好きにならなければならないのか?」ということ、これを捜し求めていく真理なのです。女性が一番好きになることができ、一番喜ぶことのできるオリジンの中のオリジンをだれが持っているのかというとき、それは女性が持っているのでしょうか、男性が持っているのでしょうか?。その問題の答えはどちらですか? (「男性です」) また、男性が一番好きになることのできるオリジンの中のオリジンは何ですか? (「女性です」)。そうです。よいです。それで合っているとしましょう。それでは、男性も女性も、ふたりとも好きになることができ、お互いが好きになることのできるオリジンの中のオリジンは何ですか? (「神様です」)(「愛です」)。それは何ですか? (「真の愛です」)。真の愛は、どこでつくられるのですか?。生殖器です。 真の愛が出会うことのできる位置はどこですか? (「生殖器です」)。何の生殖器ですか?。生殖器は、凸凹があるのです。そうですか? (「はい」)。わたしは分かりません。(笑い)凸は何ですか?。凹は何ですか?。その二つです。 男性や女性、また宇宙全体が最も喜ぶことのできる真の愛を結んであげられる場所が、この二つの器官なのです。そうですか? (「はい」)。皆、持っていますか? (「はい」)。それは、どこにありますか?。頂上にありますか、どこにありますか? (「中心です」)。中心です。 そのような考えをしてみましたか? (「はい」)。「どのようにして百パーセント水平になって、一度愛してみることができるのか?」ということを考えてみましたか?。 さあ、それで「早く、早く、もっと早く、もっと早く」と、飛ぶようにしなければならないというのです。そして、無限に回るということを考えてみましたか?。そのような愛を一度してみてから死ななければならないでしょうか、してみずに死ななければならないでしょうか? (「してから死ななければなりません」)。では、一度してみましたか、できませんでしたか? (「しました」)。(笑い) それで宗教では、「独身生活しなさい。結婚してはならない」と言うのです。「さあ、今からメシヤが終末に来られて、それをすべて修理してあげ、教えてあげて祝福してあげ、結婚させてあげることのできる時が来るので、その時まで待ちなさい」と言ったのです。だれがそのようにしたのですか?。聖人です。 自分の妻の横に立てば、男性の手はどこに行きますか?。どこに行くのですか?。どこに行きますか?。自分のものを触りにいきますか、相対のものを触りにいきますか? (「相対のものです」)。皆さんの相対はどうですか? (「同じです」)。それは、なぜそうなのですか?。 男性の手が一番出会いたく、触りたいものは何ですか?。それだというのです。女性の手も同じです。それは真理ですか、偽りの真理ですか? (「真理です」)。真理はどこにありますか?。それを考えなければなりません。 ですから、手をよく守り、体をよく守らなければなりません。主人を知らなければなりません。いいかげんにしてはならないのです。狂った手、狂った五官になってはならないというのです。自分の心と体の十官が思いどおりに活動するとき、その思いどおりに活動することを歓迎することのできる人はだれですか?。唯一、自分の妻だけなのです。 自由です。目も自由、鼻も自由、口も自由、体も自由、全体の内外が自由ですが、これ以外に自由にできなくなるときには地獄なのです。天法が崩れていくということを知らなければなりません。 女性たちは、夫の自由を百パーセント後援することのできる妻になっていますか?。それとも八十パーセント、七十パーセントしか対していない女性になっていますか?。そのようなことを考えてみましたか?。そのことを考えてみなければなりません。女性たちは、「疲れて何がどうだこうだ。だから私は嫌だ」とか「よい」などという言葉をよく言うでしょう?。そして、どこかに行ってくれば、「歯を磨いて、おふろに入ってきて、アイゴー、それから何がどうでこうで……」と言うのです。しかし例えば、あなたの夫が十年前に軍隊に行って、そして帰ってくるとします。その夫と駅のプラットホームで出会うのですが、夫を見るとひげが生え、監獄にいたとすれば歯は黄色くなり、服はぼろぼろでにおいがぷんぷんするのです。しかし、そのような夫に対して、「顔のひげをそってください。洗面してください。歯を磨いてください」と言うでしょうか? 十年ぶりに出会うので、妻としてはきちんと着飾って行ったのですが、その服のことを考えるでしょうか、夫のことを考えるでしょうか?。夫人が十年間待っている中で、一番良い服を着て会いに行ったのですが、夫の姿はといえば、乞食の中の乞食の姿であり、あまりにもみっともない姿です。 妻は、その夫の姿を見るとき、「アイゴー」と言って、すべてがきれいに準備ができる時まで待つでしょうか?。それとも「アイゴー、服のことはどうでもいい」と思って、夫の首を抱いて自分からキスをするでしょうか?。それはどうですか? (「そのまま、抱きます」)。なぜですか? それは、そのようにすることによって、世界にまたといない一等の新婦になるのです。それは女王よりも良いというのです。皆さんは、そのような記録を持っていますか? 「自分の日記にそのような記録を残そう」と思って書いて、待ったことがあるのかというのです。 日本の女性たちは、何の話か分かりますか? (笑い)後で研究して、自分の姿勢と自分の態度と比較してみて、自分自身が妻としてどうであるのか、点数をつけてみてください。四十点以下なのか、六十点以上なのか? 夫を一番愛したいでしょう?。そうですか、そうではないですか?。それはまた、夫も同じだというのです。女性が願う愛を最高にしてあげたいと思うのです。それがなぜ必要なのかというと、夫の骨髄の後ろにまで隠されている性格をすべて知ることができるというのです。根本を知ることができるというのです。 愛によって人類が生まれた、その愛のふろしきの秘密がすべて明らかになるのです。そうしてみると夫は、うれしいときに見れば喜びの夫であり、悲しいときに見れば慰労の夫であり、興奮しているときには穏やかな湖のようで、すべてのことが相対的理念によって調和しているのです。そのような芸術的な倉庫が、そこに待っているのです。 わたしは説教しているのですか、序論でもなく何の話をしているのですか? (「説教です」)。(笑い)説教するよりももっと面白いでしょう? (笑い)(「はい」)。分かりますか?。これは「訓読会」の説明です。(笑い)み言を開けば、周りの人たちを喜ばせることができます。この世の中を生かすためのものがみ言です。このような内容を持った集いが「訓読会」なのです。 そして今までに、み言のタンクにどれくらい入っていますか?。皆さんの倉庫に、どのくらいみ言の物件を持っていますか?。それでは、倉庫である皆さんの体にぎっしり詰まっていなければならないでしょうか、皆さんのコンテナに完全に詰まっていなければならないでしょうか?。そのようにしようとしても、何にもなりません。ですから毎時間、「訓読会」をするのです。 それは、遊んでいてよいのでしょうか、努力しなければならないのでしょうか? (「努力しなければなりません」)。そうです。努力しなければなりません。父親と母親が「おい、勉強しなさい。勉強しなさい、勉強しなさい」と言うのを好みますか? (「嫌います」)。しかし、おいしいものを上げるのならば、どうですか? (「好みます」)。それは、勉強の味を知らないから、そうなのです。乞食のふろしきの中には、世の中の人々が使い古したゴミの中で、一番貴いものがすべて入っているのです。乞食は何も持っていないので、条件的にでも持ちたがるのです。 皆さんは愛の乞食になりますか、愛の主人になりますか? (「主人になります」)。それでは、何のオーナーですか? (「真の愛です」)。真の愛の主人です。真の愛の主人が、どれほど素晴らしいオーナーなのか、考えてみてください。 そのオーナーになれば、神様に対して「お兄様」と言えば、「よし」と答えてくださいます。「お父様」と言っても「よし」、「叔父さん」と言っても「よし」、「王」と言っても「よし」、「長官」と言っても「よし」、「労働者」と言っても「よし」。このように、すべてのことがオーケーです。 真の愛の主人になれば、なぜそうなのでしょうか?。いかなるものでも、すべてが好むというのです。人間という存在であれ、万物であれ、すべてが好むということなのです。あなたたちは、どうですか? (「好みます」)今、統一教会の「訓読会」において一番のチャンピオンはだれですか? (「お父様です」)。だれですか? 「お父様」は、とてもたくさんいるのですが、どのような「お父様」ですか? (「『真のお父様』です」) 真のお父様なので、真の「訓読会」を真に好まなければなりません。真のお父様が一番好まなければならないでしょうか、真のお母様が一番好まなければならないでしょうか、真のご子女様が一番好まなければならないでしょうか? (「真の家庭です」)。(笑い) 真の家庭になろうとすれば、そのようにすることができるように手本を見せなければなりません。真の家庭がそのようになろうとすれば、真のお父様が真のお母様に手本を見せてあげなければなりません。 これからは、真のお父様よりも真のお母様が、もっと一所懸命にするでしょうか、いつまでも真のお父様がもっと一所懸命にするでしょうか? (「お母様です」)。(笑い)真のお母様が一所懸命にするのですが、真のお母様がもっともっと一所懸命にしようとすれば、皆さんは逃げていきますか、ついていきますか? (「ついていきます」) もし、お母様がしなければ、娘たちがしなければならないでしょう?。あなたたちは、真の娘になりますか、普通の娘になりますか? (「真の娘です」)さあ、味の中の味を、一番よく味わうことのできるかたはだれですか? (「真のお父様です」)。神様でしょう? (「神様と同じです」)。何が同じなのですか?。原因と結果が、どうして同じなのですか?。原因があってこそ、結果があるのです。分かりますか? (「はい」) 鼻は、においをかぐことができるでしょう?。それでは、皆さんは何のにおいを好みますか?。神様がごらんになるとき、あなたたちが好む特性があるでしょう?。何を好みますか?。見ることを好みますか、聞くことを好みますか? (「聞くことです」) 人は、「言行心事」と言いならわされてきました。「言行心事」とは、「一つにならなければならない」ということです。それは、「話すことと行動することは、心の業である」という意味なのです。心がする業とは何であるのかというと、み言と行動を一つにすることです。このことを知らなければなりません。心のする業は、行動と一つになることです。それでは、皆さんの言葉と行動は同じですか? 神様がいらっしゃるならば、今まで、神様の心のなさる業はどのようなものであったでしょうか?。神様の言葉と神様の行動ということです。み言は心に対し、体は行動を代表するのです。二つは一つなのです。そして、心と体が一つになるのならば、神様が共になされるのです。神様がなされる業になるというのです。何のことか、分かりますか? それでは、心と体が一つになりましたか? (「なっていません」)。心と体が一つにならなければ、一つの目は上がっていくのですが、もう一つの目は閉じるのです。このようなことと同じです。そして、斜視になって一つの目はこちらを向くのですが、一つの目は動かないのです。斜視になって病気になるのです。ですから、心と体は一つにならなければなりません。 統一教会が最も力を注いでいることは、「心と体を一つにしよう」ということです。心と体が一つにならなければなりません。しっかりしなさい 「しっかりしなさい」ということは、どういうことですか? 「心と体が一つになれ」ということです。簡単なことです。それが一つにならなければ、神様が気にかけてくださることはありません。神様と関係ないというのです。 どこに行っても、心と体が一つになれば、神様が共にいらっしゃいます。天運が共にあるのです。自分の国でも、怨讐の国に行っても、どこに行っても、地獄に行ったとしても、心と体が同じ行動をするときは、すべてが成功するのです。心と体が反対になって仲たがいしていくのが地獄です。 心と体を一つにしていくことのできる行動を執り、「私は、生まれてから心と体が一つになった生活をしてきた」と言うことのできる人がいると思いますか?。手を挙げてください。一日の間でも、どれほど変わるでしょうか?。 それで、「人心は朝夕変であり、山色は古今同である」と古代の人も詠んだのです。問題が大きいでしょう?。問題がどこにあるのかというと、外的なことに問題はありません。「自分」が問題の張本人なのです。 それは、なぜでしょうか?。心と体がずれているからです。いつ、水平になり、心と体が一つになるのでしょうか?。心と体が一つになっていない、そのような人がいくら平和を期待したとしても、それではだめです。たとえ外的な世界が平和の世界になったとしても、心と体が一つにならずに変わるその位置では、幸福はあり得ないというのです。 威厳のある審判の言葉を語りました。レバレンド・ムーンが、どのような権限を持って、それを語ったのでしょうか?。先生の言葉が正しいか、正しくないか尋ねてみてください。 第一次アダム、第二次アダム、第三次アダムを復帰して、この世界的祝福圏を四十年目に復帰し、これをすべて成し遂げて霊界祝福、地上祝福、赤ん坊時代から青年時代、すべて終えました。 だれが宣布するのでしょうか?。神様はできません。真のご父母様だけが、それをするのです。真のご父母様が神様を解放しなければなりません。不孝者を持った父母を解怨するためには、何倍以上の孝子になって、その父母を慰労してこそ解放されるということと同じです。これを知らなければなりません。 第四次アダムとして、このすべての結論を下し、そしてどのようになるのかというと、神様が下にいらっしゃったのが上に上がってこられて、永遠を中心として上がってこられるのです。 中心線を中心として、永遠に継続するのです。そうして、再び八段階を上がっていくので、個人完成、家庭完成、氏族、民族、国家、世界完成、天宙完成、八段階完成時代を迎えて、全世界が、地上世界、天上世界、堕落がなかったすべての時代を清算しなければなりません。すべて祝福してあげるのです。分かりますか? (「はい」) 昨日は何の日であるかというと、十月十日から十三日目になる日です。昨日が十月十日以後十三日目です。「十」と「三」が残っています。これは、イエス様が亡くなった数と同じです。人類の真のご父母様が亡くなられたことを、三十代を中心として解放的「真の父母の日」をここで初めて宣布するのが、第四次アダム圏の出発であるというのです。 「十三数」を最も悪く言うでしょう?。それは「死」であるというのです。右側の強盗が一つになれずに死んだことをすべて完全に統一し、霊界、肉界、南北統一、東西統一、父母の国と米国とを四十日間ですべて統一してきたのです。 それゆえに、真のご父母様から祝福を受けたすべての人々は、堕落していないアダム家庭の位置であるだけでなく、アダム家庭から数千年間堕落していない家庭を連結させた統一の動きとなり、霊界と肉界の統一天下解放圏の時代を迎えたということになるのです。 それでサタンは、すでに閉じ込められて、すべてが清算され、その手先の者たちを清算するために、第三回「七・八節」を中心として「九・九節」を設定し、「三・十節」を宣布して、すべて清算しました。ですから、祝福家庭たちが祈祷するのは、だれの名によって祈祷すると言いましたか? (「自分の名でと言いました」) エデンの園に何かの宗教がありましたか? (「ありませんでした」)。その世界に入っていくのです。統一教会の看板を外したのです。外してから、随分たちました。そして世界平和統一家庭連合の看板をつけました。世界に誇ることは、神様に祝福を受けた息子、娘、解放された地上天国に臨むことのできる家庭です。 そして統一教会の教会員において、米国を誇る前に世界に祝福を受けた家庭を誇り、日本の国、自分の国を愛するよりも、自分の父と母を愛するよりも、真のご父母様を中心として関係した家庭と国と世界の祝福家庭を愛することが、わたしたちが愛することのできる伝統的内容なのです。アーメン。(「アーメン」) 今、わたしが米国を教育して何をつくったのかというと、米国が多民族国家になって、お互いに白黒問題で闘う、そのような米国人を連れてきて天の人にしたのです。米国人にとっては日本人が怨讐ですが、彼らに「怨讐の国に行って、自分の国よりももっと愛することのできる家族をつくりなさい」と言ったのです。 それから彼らは、父の国に行って、それ以上にならなければなりません。そうして父母ではない父母を、世の中の父母よりも王よりも愛し、兄弟ではない兄弟を世の中のだれよりももっと愛することができるということが、天の残してくれた伝統なので、その伝統的因縁を残すために、「父母の国と長子権の国の三国が一つになりなさい」と言って訓練したのです。その過程において彼らは、相克的であったか、統一的であったか、唯一的であったか、相対的であったかということを体験しただろうと思います。 米国人が、そのような訓練の中で、他の国を米国よりももっと愛し、米国の父母よりももっと親しくし、一つになることができるということを感じたのかというのです。復帰してきましたか? (「してきました」)そこに行ってきた人たちは、立ってください。行ってきた人は二人しかいませんか?。あなたたち二人は、五十年前に殺戮戦を起こした怨讐の中の怨讐の国である日本に行き、自分の国である米国の人よりも、米国の兄弟よりももっと愛することのできる伝統を学びましたか、学んでいませんか? (「はい、学びました」) それゆえに、父母でない父母に侍り、兄弟でない兄弟に侍り、怨讐であっても、兄弟や父母に侍った以上の兄弟の友愛をつくることができたので、これは地上サタン世界、堕落した世界ではなく、天の国なのです。そうして、「わたしたちは、そうせざるを得ないのでそのようにした」という標識を掲げていかなければなりません。 さあ、すべてが通じるというのです。歴史上で別れたものが、すべて第四次アダム圏に来て統一するのです。分かりますか?。そして第四次アダム圏まで、すべて勝利して出てきたことが、歴史的基準とすべてここで出会うのです。 ここでは、万歳を願うのですが、万歳が必要ですか、必要ではないですか? (「万歳します」)。万歳が必要ですか、万歳が必要ないですか?。ここでは、個人完成が世界完成、家庭完成が天宙完成、氏族完成が天宙完成、どの圏内で完成の位置に立つとしても、天宙と通じることのできる道なのです。それゆえに、ここは全体が、このようならせん状の円となって通じるのです。これが何かというと、トゥルー・ラブ・テリトリー(真の愛の圏内)というのです。分かりますか?。だれのテリトリーですか? (「神様です」)。違います。「私」のものです。(笑い) 見てください。「個人は家庭のために犠牲になりなさい」。「家庭は氏族のために犠牲になりなさい」。「氏族は民族のために犠牲になりなさい」。「民族は国家のために、国家は世界のために、世界は天宙のために、天宙は神様のために犠牲になりなさい」。それでは、神様はだれのためにいらっしゃるのでしょうか?。神様は、「私」のために犠牲になられるのです。 神様は、すべて「私」のために、救援摂理は「私」のために苦労されたというのです。真のご父母様のためではありません。イエス様のためではありません。神様のためでもありません。「私自身」のためであり、皆さん自身のためなのです。ですから「解放」でしょう?。解放なのです。すべてのものがあるので解放なのです。分かりますか? そして、第四次アダム圏に突入したので、このような時代が来るのです。何を中心としてですか?。真のご父母様と神様を中心として真なる家庭……。わたしたちの家庭は、天と地を代表した代表的家庭として暮らさなければなりません。神様の代身として人類を愛し、神様が万物を愛されるように、すべてを愛さなければなりません。 今、二〇〇〇年になるそのときまで、七十日を残しています。それは、七千年歴史の七数、安息圏の七数です。その安息圏を中心として何をしようというのですか?。地を解放しなければならず、人類を解放しなければならず、地上の国を解放しなければならず、天上の国を解放しなければなりません。 そして、何をしようというのでしょうか?。堕落することによって、偽りの愛によって汚されたすべてのものを、嘆息圏内、地獄圏内、悲しみの圏内に連れ込まれたすべてのものを解放してあげたので、地と万物解放、人類解放、地上世界と霊界解放とともに、皆さんの心と体の解放、男性解放、女性解放、家庭解放、父母解放、子女解放を成すのです。そうして、一族の三代を中心とした解放圏を中心として、天の国に入籍する時が来たということを知らなければなりません。 あなたたちも世界的な家庭代表、世界的な圏を持つようになるとき、全世界の人々を交えて……。そこに行けば、日本の女性たちが皆、いるのです。彼女たちがお母様の代身として、世界のいかなる民族、いかなる一族が自分の宣教部に来ても、母親のように接してあげ、兄弟の中の兄弟、父母の中の父母の因縁を結ぶことのできる地上天国の伝統を立てることのできる時代に入っていくということが、第四次アダム圏時代なのです。(「アーメン」) そして、米国人が世界に行ったのならば、米国人は兄の立場なので、いかなる国の人に会っても、兄らしくしなければなりません。韓国人は今後、国家メシヤとして行くのですが、いかなる国に行ったとしても、父の国の伝統を教えてあげなければなりません。 また、母は愛を教えてあげ、長子は行動を教えてあげ、仕事を教えてあげるのです。そうすることのできる、このような伝統を世界超民族、超国家、超教室、超学院を超えて行うことのできる時代が、第四次アダム解放圏時代なのです。アーメン。(「アーメン」) そして今からは、皆さんが家庭「統班撃破」です。家庭に来ようとすれば、「班」を超えていかなければなりません。「統班」を超えてこなければなりません。家庭、「班」、「面」、「里」です。三段階です。「里」を通して入り込み、「面」を通して入り込むのです。サタンがそのように入ってきたので、わたしたちは「統班撃破」するのです。そのようにして「班」を守って、すべての村を守らなければなりません。 そうして、わたしたちが暮らす町内には、酔っ払いがいません。ホモがいません。フリーセックスはありません。そのようになるのです。近シン相姦関係というものは、ありません。「絶対愛」、「絶対性」しかないのです。絶対、唯一、不変で永遠な愛しかないのです。離婚はあり得ません。離婚した人たちは、天国に行くことができません。行くことはできないのです。それは、所属が複雑なのです。 そして今からは、あなたたちだけと暮らすのではありません。霊界とともに、あなたたちの先祖と三時代です。先祖とあなたたちと、これから生まれてくる後孫たちと暮らすのです。三代の世代が暮らすことのできる時が来たのです。教えてあげなくても、わたしたちがどのようにしていかなければならないのかを知ることができる、そのような環境を復帰してこそ、堕落を抜け出した人々になるのです。 わたしたちの行く道には障害がありません。(「アーメン」)。国境もありません。それゆえに、「私の名によって祈祷します」と言うときは、実績なく祈祷することはできません。国に誇ることのできるもの、町内に誇ることのできるもの、自分の家庭に誇ることのできる内容を持たずしては、祈祷することはできないという事実を知らなければなりません。 祈祷は報告なのです。「神様、何々を下さい」と言うことはできません。すべてを与えました。分かりますか? (「はい」)。すべてをもらったので、これを上手に使わなければなりません。きちんと主管して暮らさなければなりません。 それは、自分のものではありません。天の国のものであり、宇宙のものであり、歴史の、永遠な地上、天上天国の所有のものです。自分自体が消耗しすぎても問題です。ですから「節制するな」と言っても、しなければなりません。 それは、水を愛そうということです。水を愛してみようとやってみましたか?。してみたかというのです。草を愛そうとしてみましたか?。草はだれのためにつくったのですか? 「私」のためにつくったのです。神様が「私」のためにつくられました。 それらは、アダム、エバが暮らす庭園の飾り物ではありません。宝なのです。各国の博物館にある絵一枚が何億だと言って、それを誇ることはできません。絵がいくら美しかったとしても、生きた草一握り、踏まれる雑草の一握りとさえも取り替えることはできません。 目の前に見えるものが億千万ドル、億億千万ドルの価値を持っているということを今まで知らずに暮らしてきました。それらは、わたしたちの先祖から幾千万代の後孫まで、永遠に誇ることのできる神様の宝物であり、模造品ではなく本物なのです。愛の祭物です。愛の財産品です。 ある晩、眠る前に太陽を見て「おい、もう夜になったから、おまえとは別れなければならない。おい、自然よ、わたしはくたびれて昼寝するが、すまない。少し昼寝してから遊んであげる」と言わなければなりません。わたしたちは主人なのです。すべてのものの主人なのです。 「私」が主人であり、神様の代身です。それは、神様以上に自然を愛するということを意味します。この万物に、神様の愛と自分の愛まで合わせてこそ、万物は喜ぶようになっているのです。二つの愛を合わせなければなりません。 そのような自分の庭園を見るとき、育てている羊よりも、鶏よりもだれよりも、美しい自然を見て、傷つかず、芽が死なずに生きていてどれほど美しいのかと称賛をしてキスしてあげ、抱いて眠りたいと思うのです。そのような生活をしてみましたか?。愛して主人の役割をしてみましたか? 先生は、海も好きで、釣りも好きでしょう?。狩りも好きです。しかし、食べるために捕まえるのではありません。研究するために捕まえるのです。神様は、どのようにそれをつくられたのかと思って、研究するのです。そのような人になれば、世界の動物学者よりももっと優れた世界一の学者になるかもしれません。 ですから、愛さなければなりません。草を愛することができず、動物を愛することができず、昆虫を愛することができなければ、人を愛することはできません。それは段階的なのです。被造世界は愛の園、愛の教育の園なのです。分かりますか? (「はい」) あなたたちは、体の中で目をより愛しますか、鼻をより愛していますか、口をより愛しますか?。五官をもっと愛しますか、何をもっと愛しますか? (「生殖器です」)神様は、祭物をささげることを喜ばれるのですが、それならば、目を抜いて祭物としてささげればよいのです。そうすれば神様が喜ばれるのであり、鼻、耳、五官のすべてを抜いて祭物をささげれば、もっと喜ばれるのですが、生殖器を祭物としてささげようとすれば、神様は逃げだしてしまわれるというのです。なぜでしょうか?。なぜ、逃げていかれるのでしょうか?。なぜですか?。なぜ、神様は逃げていかれるのですか? それを祭物にすれば、世の中がなくなってしまうからです。(笑い)分かりますか? (「はい」)。これは、絶対に祭物にしてはならないというのです。それでは、すべての五官を何のために祭物としてささげるのかというと、これを保護するためなのです。 最も貴いものは何ですか?。体で最も貴く愛さなければならないものは何でしょうか?。どのようなものが最も貴いのですか? (「生殖器です」)。生殖器。それは本当ですか? (笑い) さあ、分かりますね?。これが分かりますか?。歴史的な出発の統一的な基準が、初めてここに来てこのようになったので、第一次、二次、三次が堕落の恨を抜け出し、解放的天上の相続者として登場する自分自身を記憶して天の国に直行するのです。アーメン。(「アーメン」) 統一教会は、第一次、二次の重生式、これをすべて経ていかなければなりません。そのような式をしなければならないというのです。それが旧約時代の万物世界だったのであり、新約時代には神様の息子、娘が、この世界の息子、娘なのであり、成約時代には父母まで……。 それで今日、わたしたち統一教会では、「生畜献祭」というものがあります。旧約時代に神様が所有を分けられたという事実は、悲痛な事実なのです。それから息子、娘です。それから自分の夫婦です。真の父母までもそのようにしたというのです。追い出されてもう一度復帰しました。 そして、先生を中心として見れば、旧約時代の万物です。それゆえに、すべて蕩減してしまい、自分が行かなければなりません。成約時代には、ご父母様までも犠牲にしました。祭物になったのです。 ですから、先生の一生は十字架の道です。それは、あなたたちの生きている父親、母親、すべての一族、親族のためにそのようなことをしたという事実を知らなければなりません。それゆえに先生は、あなたたちをわたしが苦労した相対的立場に立てたので、できる限り捨てないように、捨てていかないようにしたのです。 しかし、わたしが国境を越えて、国を超えて守ることはできないので、皆さんの一族が守らなければなりません。父親が息子にならなければならず、兄が弟にならなければなりません。反対になるのです。家庭が後ろ向きにならなければなりません。 そのような点では、全世界の祝福を受けた家庭や、祝福を受けるべき立場にいるすべての人の前に、同じ平等的価値を中心としてチケットを分けてあげるのです。堕落していなかったならば、アダム家庭の一代で完成できたことが、堕落することによって、歴史的な伝統を通して世界的な問題になったのです。しかし、そうであったとしても、完成したアダム時代においては一代で終えなければなりません。分かりますか? 一九六〇年からの四十年間は、「祝福」です。先生の結婚、真のご父母様の祝福です。四十年たったここで二〇〇〇年です。これが一代です。何があったとしても、霊界のすべてのみだらなもの、地上のすべてのみだらなものを清算する時が来るのです。分かりますか?。ですから、すべて門を開けておかなければなりません。それで、地獄までもみ言の「訓読会」です。 水は、すき間さえあれば流れ込んでくるのです。空気も、すき間さえあれば入ってきます。日光も、すき間さえあれば入ってくるのです。生命というものには、そのような浸透力があるのです。ですから愛も、すき間さえあれば流れ込んでくるのです。愛も同じだというのです。そのようになるのです。分かりますか? (「はい」) そして、このようなすべての復活的な恵沢の愛を、真のご父母様が来て万民に等しく分け与えてあげるので、すき間さえあれば、どこでも人を中心として訪ねていかなければなりません。どこからですか?。今から、すべての人類の前に、だれもが三次祝福を一度に引き続いて受けることのできる時代が来たということです。 今年の標語は何ですか? 「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」です。赤ん坊の時代から死を前にした人々まで、これらをすべて清算してあげなければなりません。この式に参席していく人は、地獄に行きません。地獄に行かないというのです。自分が努力した代価に従って、天国を訪ねていくことができるのです。 今までは、カイン世界を愛する時代であったので、世界のために歩んできましたが、この四次大戦によって、後ろを向いてだれを愛する時になったのですか?。自分の一族、自分の氏族を愛する時に入っていくのです。分かりますか?。今までの蕩減時代はサタン世界、カイン世界を愛しましたが、今からは、だれを愛さなければならないのですか?。自分の一族を愛さなければなりません。父親、母親から兄弟、親族を愛し……。 「二・十節」を通して、それを天地で許諾することができるということをウルグアイのプンタデルエステで宣布したのです。分かりますか?。すべて成しました。自分自ら祈祷することができ、エデンの園で神様の解放された家庭として、自分の直系の子女を真のご父母様の代身として祝福することができるようになり、天地の全権、すべての血統を霊界や肉界において整備したので、行くべき道は平坦な道になりました。そうして、地上天国がそこから始まるということを知らなければなりません。 韓半島の統一ができなかったとしても、それは先生によって統一されるようになっているのです。「統班撃破」の基盤を築くことによって、いかなる与党、野党の力よりも強いのです。先生が行く所に、国がすべて動いていくのです。米国も同じです。先生と韓国の大統領と米国の大統領が一つになれば、世界が一つになるのです。 この日本は、エバの国を抱いてお父様の後ろにいればよいのです。分かりますか?。息子、娘たちは、父親についていけばよいのです。堕落は、エバについていって滅んだので、今からは「母子協助時代」ではなく、「父子協助時代」です。そのことを知らなければなりません。皆、分かりますね? (「はい」) 今ではもう、すべてのものが解放されました。先生が今からすべきことは何ですか? (「休まれなければなりません」)。休めば、腐ってしまうではないですか?。休めば腐るという話ではないでしょうか?。今から何をしなければならないでしょうか?。どろぼうをしなければならないでしょうか、税金をもらわなければならないでしょうか? (「税金をもらわなければなりません」) あなたたちは、先生がうらやましいでしょう?。うらやましいですか、うらやましくないですか?。うらやましいですか、嫌いですか?。あなたたちをどの蕩減条件で使ってしまいましょうか?。結婚して幸せに暮らすようにして、それが蕩減条件になればよいでしょう?。 女性たちは今まで、地ばかりを見て暮らしてきたのですが、蕩減復帰しようとすれば、地を見ずに上を見るようにするのです。それが蕩減復帰です。ですから、「夫なくしては暮らしたくない」という女性の中で蕩減復帰しようとすれば、「夫なくして暮らしたい」と思う道を行かなければ蕩減復帰することはできません。蕩減復帰できなければ、霊界に行って別れて暮らさなければなりません。 さあ、今ではもう、「世上万事(世の中のすべての出来事)」が終わったでしょう? (「はい」)。それでは、今から先生は何をしなければならないのでしょうか?。今、わたしの歳は六十ですか、八十ですか? (「八十歳です」)。では、八十ならば、つえをついていかなければならないでしょうか、歩いていかなければならないでしょうか? (「歩いていかれなければなりません」) あなたの家に先生がつえを持たずに行ったならば、あなたの家で先生が楽に行くことができるようにつえを準備しますか、しませんか? (「します」)。夫婦で、「アイゴー、嫌だ」とけんかをしますか、喜んでしますか? (「喜んでします」)。つえはどのようなつえですか?。曲がりくねったつえ、安物のつえ、金のつえ、ダイヤモンドのつえ、どのようなつえですか?。わたしがつえを持たずにあなたたちの家を訪問するときには、間違いなくつえを準備すると、そのようにしたい人は手を挙げてください。(「アーメン」) さあ、先生がジェントルマンになって訪ねていけばよいですか、乞食のようにして訪ねていけばよいですか?。ダイヤモンドや金のつえを作ったのに、先生がぼろぼろの服を着て、乞食のようにしていたら大変なことになるのではないですか?。日本で一番優れた準備をしたいですか、したくないですか? (笑い)何千年の間、出会うことを願ってきたこのエバ国家、この妻が、その準備をすることができなければなりません。 さあ、それでは夕食だけ食べさせて追い出すのですか、一食だけしか食べさせないのですか、二食、三食食べさせますか?。朝食と夕食を食べさせて追い出しますか、「一晩泊まっていってください」と言いますか?。どちらですか? (「毎日、侍ります」)。毎日ですか? それでは、あなたたちが結婚するときよりももっと良いベッド、もっと良い食事を準備しなければならないでしょうか、劣ったものを準備しなければならないでしょうか、もっと良くしなければならないでしょうか? (「良くしなければなりません」)。本当ですか?。そのようなことを「私は、死ぬことがあっても一度やろう」という人は、手を挙げてください。(拍手) 日本に最初に行くのですか、二番目に行くのですか、どちらですか? (「最初に日本です」)。日本に最初に行くようにしたいのですか、二番目に行くようにしたいですか? (「最初に行くようにしたいです」) それでは、わたしがある一軒の家に行くとして、どの家でもわたしが来ることを願って手を挙げるときには、十軒なら十軒に行って、すべて同じでなければ、先生はそれを拒んでしまうつもりですが、どうするのですか?。十軒のうち、一番良い家に行って昼食でも食べたいと思うでしょう? (「はい」)。良くない家に行きますか、良い家に行きますか? (「良い家に行きます」) 地上世界のすべての統一教会の人々が準備をして、良い家に良い食事を準備したことと天上世界とを比較できますか、できませんか?。日本に一度行って来たら、永遠に日本にまた来るでしょうか、来ないでしょうか? (「来ます」) 霊界をよく知っている先生が……。霊界がどうなっているか、よく知っている先生ですか、知らない先生ですか? (「よく知っている先生です」)。それでは、「日本全体が一つになってでも、そのような集団をつくり、三年間くらい暮らすことのできる一つの代表的な村でもつくらなければならない」と、そのような運動でもしなければならないでしょう? (「はい」) そのような国があれば、日本が最初にならなければならないでしょうか、長子が最初にならなければならないでしょうか、使い走りの者たちが最初にならなければならないでしょうか?。アメリカがならなければならないでしょうか?。父の国の韓国はどのようにしなければなりませんか?。日本が部落のレベルでそのようにしたならば、韓国はすべての地がそのようにならなければなりません。それ以上にならなければならないというのです。 さあ、先生は今、家に帰らなければならないのですが、どこに帰らなければならないでしょうか?。どこに行かなければなりませんか? (「北韓です」)。北韓は金正日がいるのに、北韓に歩いていくのですか?。韓国に行かなければなりません。それでは、韓国に行かなければならないでしょうか?。韓国は金大中がいるのです。それが問題なのです。そのようなことを考えましたか? それゆえに、部落をつくり、来られる主を部落ではなく一つの郡をつくり、郡よりも良い道をつくり、道よりも良い国をつくり、国よりも良い天の国を地上につくらなければならないというのです。 地上天国が、天上天国よりも先に現れれば、先に宮殿をつくったので、天上天国がついてくるのです。天上天国がついてくるということを知らなければなりません。それは、だれがしなければならないのでしょうか? 「ああ、それは真のご父母様がしなければならない」と言うのですか? 堕落した世界は、母親とカイン、アベルが滅ぼしてしまったので、母親とカイン、アベル、このすべての世界がそれをつくらなければならないのです。夫を失い、父母を失った者たちが、「父母が来てください」、「夫が来てください」と、夫が来ることを願ったので、地上に来て乞食のような姿になったのですが、またはぎ取ろうとして「来てください」と言うのですか?。肉だけではありません。先生の体の骨まですべて削り取り、はぎ取るのですか?。 あなたたちが自分たちの皮をはぎ、肉を切り、骨が溶け出したとしても、このことをする命令をだれがしなければならないのかというのです。だれがするのですか?どこの国の、いかなる宮中も比較にならないほどのものをつくらなければならないということが、わたしたちの責任なのです。そのような、わたしたちに残された過程があるということを知らなければなりません。 そうでなければ、天の国の威信と父母に侍る権威とを立てることができないのです。サタン世界よりもりっぱでなければなりません。地上でそのように侍らなければ、それ以上の天国に行って、王宮とその国に侍ることができないという事実を知らなければなりません。 今から、あなたたちの伝道時代が来ました。あなたたちがする時です。良いですか、悪いですか? (「良いです」)。目玉が飛び出るほど、鼻がへこむほど、口が乾くほど、耳が飛ぶほど、手が病気になるほどしなければなりません。このように。これは、先生が語るためのものではありません。あなたたちが今後、何をしなければならないのかということを教えてあげるためのものです。方向設定のためにしてあげるのです。 今から、万物に対する解放のために、土と水と空気、これをすべて解放してあげるために、聖酒をそこでまき、自分の息子、娘を中心として腹中から幼稚園時代、中高等学校時代、それから残っている自分の一族、死ぬ前の年老いたおじいさんまでも祝福の恵沢を与えて、すっきりと送ってあげなければなりません。そうしなければ、あなたたちが讒訴されるということを知らなければなりません。そのように恐ろしい時が来たのです。 先生が、あなたたちを脅迫するためにこのような話をするのですか、真正な意味で話をするのですか?。先生が今晩、寝ていて霊界に行ってしまうということもあり得るではないですか?。ですから、そのような話をすべてしてあげなければなりません。 先生が行く霊界についていきますか、他の霊界に行きますか? (「ついていきます」)。既成教会の信徒たちはどうするのですか?。イエス様が先生の後ろについてくるということを知っているでしょう?。楽園に行って結婚もできなかったのを、わたしが結婚させてあげたことを知っているでしょう?。今、ベルベディアで暮らしているでしょう?。皆、知っていますか? イエス様の夫人がどのような容姿なのか、見たくないですか?。孔子の夫人、釈迦の夫人、マホメットの夫人、皆、決めたのです。彼らが天の国から先生にあてて送ったあいさつの手紙が、このように積まれています。 彼らは、「自分たちの宗団がすべてなくなったとしても、先生の願うことは何でもする」と言うのですが、あなたたちは彼らよりもよくできますか?世の中に、孔子を結婚させてあげ、イエス様を結婚させてあげ、釈迦を結婚させてあげ、マホメットを結婚させてあげる、そのような人がいますか?。わたしが彼らの結婚指輪を一万ドル以上のものにしてあげました。これは、気が狂ってそのようにしたのですか、事実なのでそのようにしたのですか?。一双で二万ドル以上でしょう?。それは狂ってそのようにしたのですか、分かってそのようにしたのですか? (「分かってそのようにしました」) さあ、今、皆さんが精誠を尽くして……。先生の八十歳の生涯は今、もう最後です。これは、歴史において初めてのことであり、最後のことなのです。それでは、贈り物をしますか、しませんか? (「します」)。それを考えてみましたか?。ああ、自分の誕生日に祝賀の礼物をもらおうとして、そのようなことを教えてあげる父母がどこにいますか? しかし、わたしが父母の位置でこれを教えてあげなければ、あなたたちが父母になるときに、その名誉を汚されるというのです。何のことか、分かりますか? (「はい」)。それは、素晴らしい男性になり、素晴らしい孝子、孝女になるために不可避なことなのです。 これを越えていくときは、先生よりも財産の多い人は引っかかります。分かりますか? (「はい」)。すでにすべてを神様の前にささげていなければなりません。「総生畜献納解怨祭」です。 あなたたち祝福家庭は、真の父母の位置で成約時代であり、それからあなたたちの息子、娘は新約時代の祭物、それからあなたたちの万物は旧約時代なので、この全体を神様の前にささげなければなりません。そうしなければ、復帰できません。そのようなことは皆、知っているでしょう?。分かりますか? ですから、ジャルジン四十日修練に行かなければなりません。そうしなければ入籍できません。いつ大移動が起きるか分かりません。分かりますか?。ソ連の共産党が、少数民族を大移動させて混ぜてしまったことと同じです。 さあ、結論は簡単です。「私」は、第四次アダム圏時代に天の国の王圏時代を代身して、そこの忠臣烈女に間違いなくなるのであり、家庭的孝子、孝女になるということを皆さんは知らなければなりません。(「アーメン」)さあ、それを願う人は手を挙げてください。神様の祝福があることを願います。(金キム孝律ユル先生による祈祷) 昨日、一九九九年十月二十三日に「総天宙祝福解放日」を宣布しました。今、四億三千万の祝福家庭がいるのですが、それはアダム家庭を完成した家庭であるので、一家庭が絶対的に責任を持って祝福してあげてこそ、第四次アダム圏内に越えていくことができるということを知らなければなりません。それから、先生が祝福してあげるのではなく、あなたたちがすべて責任を持つのです。氏族編成し、国はあなたたちが求めなければなりません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.03
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「総天宙祝福解放日」宣布一九九九年十月二十三日午前七時、アメリカのイーストガーデンで真のご子女様と四十余名の教会の指導者が参席する中、総天宙が祝福を通じて解放を迎えることのできる「総天宙祝福解放日」を宣布された。また、この日、聖酒と聖キャンディーも新たにつくられた。 十月十日にプンダデルエステにおいて、この「二・十節」を中心として、十日が過ぎて、三日目を迎える日です。ですから、三十数を過ぎて、三十三数に該当する日になります。このような日ですから、全体の摂理観的な立場で、これまで先生が発表したすべての内容を終結させる時が来たのです。 先生が発表したのが……旧約時代、新約時代、成約時代を経て、第一次、第二次、第三次アダムを通じて霊的、肉的に分かれたものを再び探し立て、四十年ぶりに実体圏全体を蕩減して越えていくのです。越えていくだけではありません。越えていって、堕落していない本然の実体、堕落のない永遠なる勝利圏に立つことのできるアダムの勝利版図を、この地上に立てなければならないのです。それが、既に発表した「第四次アダム圏時代」です。 「第四次アダム圏時代」というのは、世界祝福を受けたすべての統一教会の教徒を、アダムとエバが堕落しないで祝福された立場に立ててあげるのです。その祝福された立場に立って、一次、二次、三次アダム圏のすべての勝利圏の上で、それを相続することによって、初めて自分が絶対信仰、絶対愛、絶対服従の心情圏を中心として、天地父母と一つになった基盤の上で、すべて清算しなければなりません。 アダム、エバが堕落することで、どのような結果になりましたか? 万物の嘆息が生じました。そして人間の嘆息、真の父母の嘆息、天使世界の嘆息、神様の世界嘆息、創造した創造主から実体圏の全体が嘆息するようになったのです。 アダム、エバの一家庭によって、このような立場になったので、その家庭的な基準を全体蕩減させるべき代身的な立場に立つには、天地父母に完全に侍り、一つになって、そのすべてのものを蕩減できる権限を受け継ぐのです。それ以外に道はありません。 ですから絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基盤の上で三時代がありますが、旧約時代は供え物の犠牲時代、新約時代は子女の犠牲時代、成約時代は真の父母の犠牲時代、それから神様を中心とした心情的な犠牲時代、このようにすべてを蕩減して越えていくのです。 そうすることによって、皆さん自身はどのような立場に立ちますか? 万物を嘆息させたアダム、エバと復帰路程で摂理したすべての宗教圏の蕩減条件を越えて、万物解放の主人、その次には子女解放の主人、その次にはアダム、エバの家庭解放の主人、その次には神様解放の主人の立場を決定することで、すべてが終わるのです。 ですから、ある一日を設定して、清算できる日がまさにきょうなのです。それで、先生が「総生畜献納祭」を蕩減条件として、家庭を中心としてなしてきて、「二・十節」を中心として祝福を伝授してあげるこのような日を定めました。アダム家庭の堕落していない父母は、自分の直系の息子、娘を祝福してあげなければならないのです。 この祝福された家庭たちは絶対的に、先生に代わって一つの家庭を中心として一族全体を訪ねていかなければなりません。一族全体に連結された祝福家庭は、完成したイエス様の国家的基準であり、完成した世界の天宙史的な勝利の基盤に立っているのです。ですから、その立場にあって、横的に一族圏内に残っているすべての祝福されていない人々を、天と関係のないカイン圏を完全に一掃してしまわなければならないのです。 それで、皆さんの生活する一族圏内は、物も子女も祝福を受けた夫婦も、神様と天地父母と完全に 一つになって中心の立場に立つのです。そうして、堕落と関係のない歴史時代において、これまで堕落によって汚れてきた痕跡と関係のない、解放の立場に絶対に立たなければならないのです。そのような祝福の恵沢を与えることができ、全人類、天上世界と地上世界にそのような権限を伝授してあげなくては、先生がこれまで蕩減役事した天上世界、地上世界を終結できないのです。そのような決定的なことをやったのです。 それで今から何をしなければならないですか? 一番の問題は、サタンの環境を除去することです。堕落が何かというと、サタンの環境を築いたのです。サタンの環境が何によってできましたか? 偽りの父母の血統を通じて展開されたので、サタン世界の環境を天の世界の環境として整備しなければなりません。天の世界に向けて清算するのです。 それは何によって? 神様的な血統を復帰する勝利圏を中心としてです。神様の血統関係というのは、私たちのみ旨で見ると、責任分担を完成できる結果主管圏と直接主管圏内の一体圏を築くことです。心と体が一体を形成し得るものを中心として、地上世界と天上世界が分かれたものをすべて一体にしなければなりません。 東西に分立したすべての文化の隔たり、南北の貧富の格差、環境的な与件の隔たりが、千態万象に違うすべてのものを均一化させ、平準、平等化させる責任を果たすのです。そのような絶対的な基準を立てるのです。そうしなければ、このみ旨の摂理史的な完成時代は、祝福時代でありますが、祝福時代において世界の版図、終着点を越えて立った新しい理想的天国時代である「第四次アダム圏」に入っていけないのです。今やすべてのものを清算しなければなりません。 それで皆さんのもとにある万物が、これまで嘆息しているのです。なぜ、嘆息しますか? 真の父母を中心として神様の愛の世界に入って、主管を受けることができませんでした。それで万物圏の嘆息圏を解放しなければなりません。それから皆さんの子女たちが今、そのまま死ぬことになれば、地獄に行くのです。皆さんの子女が解放的な恩賜圏内に立っていないので、皆さんの子女たちの解放圏を完成しなければなりません。それから、皆さんの家庭はまだ条件を越えることができていません。蕩減の条件を越えることのできる祝福を、先生が勝利したものを与えることによって越えて立つことができるのです。 その次に皆さんの家庭を中心として、氏族、民族、国家、国家を越えられなかったのです。これまでサタンが国家基準で全権行使したので、これを踏みつけて、天の全権行使として連結できるすべての蕩減条件を立てたというのです。以前にコディアックで全体、全般、全権、全能の時代に転換するという日も発表しています。すべてをこの宣言を中心として越えてきたのです。 それで、きょうを期して、四大心情圏の一致、万物解放、子女解放、夫婦解放、天地父母解放圏を宣布するのです。そうすることで、こうした勝利の基準を中心として、信じているその立場は、神様が自在に活動できる神様の絶対所有圏内に入っていくのです。絶対万物の解放、絶対子女の解放、絶対夫婦の解放、絶対家庭、一族、一国の解放圏が展開されることで、サタン世界は終わりになる日が遠くないということを知らなければなりません。こうした最後のすべてを整備、整理できる宣言が、この時間なのです。 それでは、何をもってやらなければならないでしょうか? 「聖者」です。ですから、以前に発表したように新生式、復活式、永生式です。同じように万物までも、この式に参席できるようにしなければなりません。それで「聖者キャンディー」を……。きょうから来年の一月一日までが七十日間です。真の父母の御聖誕日まで百二十日間です。これは原理的な数のうちで絶対に必要な数です。この期間において、私がこの全体を世界化しなければなりません。 きょうから皆さんが「聖別キャンディー」を街行く人にも分け与えて、食べさせなさいというのです。ですから、きょうから家庭にいる妊娠した夫婦であっても、このキャンディーを皆食べなさいというのです。腹中にいる赤ちゃんが食べたら、その赤ちゃんを生んだ人たちは……復活キャンディーです。そうしてこれを経てから、祝福されることによって、永生が実現するのです。迫害を受けず、蕩減を受けないで、永生圏内に入っていくのです。 新生、復活永生です。祝福されるには、永生の立場に入っていくには、血統的に清まらなければなりません。腹中からです。今まで祝福家庭も争うことによって、いまだに第四次アダム圏内に越えて来られなかっただけに、全部このキャンディーを分配しなければなりません。祝福家庭も食べるのです。 それから氏族的メシアは自分の一族を救わなければなりません。金氏ならば金氏に、強制的にでも食べさせるのです。イスラエル民族がエジプトを離れるとき、自分の民族がいる所に、いかなる困難があっても通告したのと同じように、通告して引っ張り出さなければなりません。出てこなければ、首に縄をつけてでも引っ張り出すのです。祝福を受けられる新生式、復活式永生式に参与できる環境的な与件を皆さんが治めないことには、天国に直行できない立場にあるのです。 それこそ、長子権復帰、父母権復帰、王権復帰です。本来アダムが、長子となり、父母となり、王権を立てなければならないのですが、それらを失ってしまったのです。イエス様が来られて長子権を、一族で、教会で、民族で、国家で復帰できませんでした。来られる再臨主は、個人の長子権、家庭・氏族・民族・国家・世界・天宙的な長子権を立てて、長子の父母権、長子の王権を復帰できる立場に立ったのです。皆さんがこれを絶対伝授式を通じて受けて、越えて立った後には、自分の考えを中心として生きてはいけないのです。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。この基準を中心として今後、新しい時代に転換するという決意をして、きょうからこのキャンディーを街行く人々に、一族に……世界的に道を遮って強制的にでも食べさせるのです。自分の一族から始めて、一族が連結された村や市、郡、国家まで押し進めていくべき今後の責任があるということを知って、実践しなければなりません。そのような時期なのです。 祝祷 愛するお父様……、きょうは歴史時代の最後の整備と共に、最後の審判の過程を宣布いたします。万物解放と共に、子女解放と共に、夫婦解放と共に、真の父母の地上圏解放、天上世界の創造の解放圏を宣布して、新しい時代の転換を宣布できる日を許諾してくださったことを感謝いたします。 きょうを、創造主とすべての実体圏を大転換する日として立ててくださいませ。真の父母を中心として天地父母が一体となり、天上世界の天使圏と祝福されたすべての子供から青年まで……、地上において祝福を受けた家庭と、これまで乳児時代にとどまっていたすべてが、真の父母の血族圏に一体一族圏を宣布することのできる、この時間を持たせてくださいましたことを感謝申し上げます。 全宇宙はここに焦点を合わせて、既にルーシェルとその残党たちを防備できる「九・九節」と「三・十節」を宣布いたしました。その基盤の上に、すべて自分たちが真の父母の代身として天の祝福を要求でき、天のすべての開拓的な路程を建議できる基準にまで至って、すべての相続を受けました。そうして、真の父母の勝利を天上世界と地上世界に移譲する式として、万物を解放し、旧約時代をなくし、新約時代をなくし、成約時代をなくし、今までの心情時代のサタン圏全体をなくし、新しい天の世界に万物・子女・夫婦・父母圏全体が栄光の出発を宣言することのできる、新しい時代を迎えさせてくださいまして感謝申し上げます。 この時間から、このすべての式を経て、万物解放、子女解放、夫婦解放、真の父母解放、天上の創造主、天地父母の解放と共に、天上・地上、統一的なあなたの理想的愛の主権世界をして、前進に前進を誓うことができますよう、真の父母の御名、ヤハウェの真の天地父母の御名によって宣布いたします。一切を勝利の一方通行をもって、あなたの愛による主権の世界へと前進すべし! アーメン、アーメン、アーメン! (真のご父母様は、聖酒と聖キャンディーを手にされると、聖酒を持って建物の外に出られ、万物世界を聖酒によって聖別し、再び中に入ってこられて万物を聖別された。そして訓読会の参席者たちを、直接に聖酒によって聖別なさった。) それでは、この聖酒を皆授かりなさい。授かったものとして、天地の上の全体が……。万物、子女、祝福を受けた家庭、そして真の父母圏、そして天地父母です。それで天地父母と実体圏、実体圏は、万物、子女、家庭、氏族、民族、国家の解放式です。創造主と真の父母の実体圏、創造主と実体圏、真の父母と実体圏解放式です。 感謝祈祷 神様……、恨多き歴史をたどってこられたお父様……、その誰も知らない心情の十字架を万人背負って訪ねてこられた創造主が、この地上に真の父母を送り、ありとあらゆる恥辱の道に追い込んで体験させながらも、その背後において、その愛の鞭を打たれた子女を保護することができず、顕現なさることができないものの、悲しまれながら、最後まで導いてくださった恵みに感謝申し上げます。 分裂した心と体の統一に向けて、天が叫ばれたその時代、家庭的時代を開拓するために、あなたが耐えてこられたその時代、祝福した家庭を収拾して氏族の編成、民族、国家、世界の版図まで拡大したその時代、そうして今や南北が分裂した朝鮮半島を見つめ、東西が分裂したこの世界史を見つめ、天地が分裂したこの天宙史を見つめられるお父様の苦痛の心を、今やこの時間を通し、踏み越えることのできる時間をお持ちになりました。 あなたの全体、全般、全権、全能の行使を通じて、主導的な立場で先頭に立ち、すべてをあなたが先着の立場で指導して、すべてを処理することのできる、絶対的な勝利の盾の圏を私たちに引き継がせてください。そうして、心と体を中心としては、心の前に体が絶対的に服従し、家庭において中心となった夫ならば、夫を中心として妻が絶対的に一つになり、絶対的に一つになった夫婦を中心として、子女が絶対的に一つになり、子女が絶対的に一つになった家庭を中心とし、三代一族を中心とし、神様の氏族編成を中心として入籍しなければなりません。そうした絶対圏を願われる基準の前に一体となれる家庭、氏族的メシア、国家的メシア、世界的メシア圏を完結できるよう許諾してくださいませ。 このすべてを、ご父母様が代わりに勝利の盾の条件として立てましたから、自分の国と自分の氏族と自分の家庭にも、そのような条件的な基準を立てるべき責任が残っているということを、それぞれの祝福家庭が自覚しながら、このみ業の前に一念一体を中心として前進だけが、今後、天と共に真の父母にあるよう許諾してくださいませ。 ルーシェルとサタン一族全部は、この地上から消え去り、すべての人類における解放の背後にあって、影のように救いを受けることのできる道も許諾されました。ですから、一切を自主的な権限をもって、天宙を統治し、主管、指導してくださいますよう切にお願いしながら、真の父母の御名によってヤハウェの前に宣布、宣言いたします。アーメン、アーメン、アーメン! み言 自分の一族たちを収拾し、一国を収拾すべき責任が皆さんにあります。真の父母の時代は過ぎ去るのです。各国が責任を持たなければなりません。今、先生は国を動かせる時代を越えて立ったのです。 ですから、イエス様がイスラエル選民を中心として……選民の目的は祝福家庭を築くことです。選民的な国家基準を乗り越えられる祝福の版図が、地上・天上世界に一元化しているだけに、先生がアダム家庭でサタンに条件を残したすべてを解放できる立場に立ったのです。 ですから、そのような勝利的な覇権を中心として、これまで国家を求め、世界を求めて、先生は迫害を受けてきましたが、皆さんは国を中心として、先生の勝利の覇権を中心として、一切、前進的に突き進んでいかなければならないのです。 ここで注意すべきことは何でしょうか? 今後、最後の目的は「統班撃破」です。自分の一族の「統班撃破」です。これだけやっておけば野党、与党は自動的にここに引き込まれてくるのです。野党と与党がカイン、アベルを中心として一つになって入ってくることにより、イエス様を中心として右側の強盗と左側の強盗が完全に一つになった立場に立つのです。三者が一つになることによって、サタン世界が完全に統一圏に移行し得る時に入ってきたのです。 先生から言うと、左右を統一させて、霊界と肉界、聖人と殺人鬼を祝福してあげた内容があるので……地上世界の解放、天上世界の解放です。既に解放圏が形成された基盤の上に立っているので、皆さんはその天地父母を信じて突き進まなければなりません。国や主権といったものを恐れる時は過ぎ去ったのです。さらには私たちの権限とは何ですか? 失われた家庭、青少年の淪落、家庭破綻……、すべてを解決できる根なのです。地引き網にたとえれば錘のようなものです。 それによって、なんとしても一族で引っくり返し、一国でひっくり返しておかなければならない責任が各自にあるのです。これには反対がありません。押せば押されるようになっているのです。 統一教会のレバレント・ムーンが勝利的な基盤を整えたものは、すべて世界的です。時代に見合ったこの内容について、内外ともに誰も否定することができません。さらには『世界平和超宗散超国家連合」を中心として、宗教人、政治家、学者、言論人までも糾合して訓読セミナーをしたのです。これを勝利的な盾として大々的に宣伝するのです。言論機関を通じて宣伝しなければなりません。 そうすることによって、それを否定できる者がいないという事実を公然と発表するのです。万国万民の勝利的盾まで築いておいた事実に反対する者がいるならば、つかんで放さずに誓わせなければなりません。「何をもって反対するのか!」と言うのです。絶対権限をもって突き進んでいくべき時が来たのです。 いかなる権限を持った者にも、躊躇するなというのです。いかなる法、いかなるものも躊躇するなというのです。それを阻む法がどこにありますか?サタンの血統を根絶して、地上・天上天国、神様が王者として勢いを得る時代を誰もが願うのです。誰もが願いました。夢でも願ったのです。歴史を通じた希望的な理想の夢として残されたものが……、解怨される立場に反対する者はないというのです。ですから、自信を持って一方通行で、すべてを浄化してしまわなければなりません。 万物解放、子女解放です。それで「総生畜献納祭」を完成して神様の前に奉献しなければなりません。ですから、皆さんの所有権を持つなというのです。一切は神様の所有です。神様から始まったのです。ですから、自分から関係したものと考えることができないのです。 ワシントン・タイムズも統一教会のものではありません。神様から始まったのです。ご父母様のものです。アメリカの国も、ピルグリムファーザーズ(一八二〇年にアメリカ大陸に渡ったイギリスの清教徒)が始めたのではありません。神様から始まったのです。神様から始まりました。それを知らないので滅びるのです。 真のお母様の祈祷 愛のお父様……、感謝いたします。あなたの深く広く奥妙なる愛の前に、私たちは感泣するばかりでございます。 お父様……、この日を宣布するまで、どれほど長い歳月を耐えてこられたのでしょうか? お父様、お喜びください。お父様が全知全能なる権限をみ意のままに行使することのできる、新しい新天地が開かれたことを感謝申し上げます。 お父様……、すべてをあなたのみ意のままに成してくださいませ。切に求めてやみません。すべての統一家の子女たちが、心と体を一つにして、これまで不足であったことを清算し、今や完全に縦的な神様と一体の立場で最後の責任遂行を果たせるよう、きょうも拍車をかける一日となりましたことを感謝申し上げます。 お父様……、韓国と日本、アメリカを中心として、最後の歴史を清算し、新しい千年を始める準備をするすべての日々を、勝利の日として立ててくださり、必ずあなたが「すべて成就した!」と言われて、喜び祝賀できるその日を、お父様……、私たちすべては願うものです。 お父様……、これまで難しかった、大変だった、苦しかった、苦痛だったすべてのことをみなお忘れになって、これからは希望に満ちた日々だけを迎えてくださいませ。必ずや、報いる真の子女たちとなることを誓う、きょうのこの朝となることを信じてくださり、きょう一日を出発しながら、与えられた食卓を感謝しつつ、真のご父母様の御名によってお祈りいたします。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.03
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「二・十節」宣布一九九九年十月十日(日)、真のご父母様は、ウルグアイのプンタデルエステで十余名の指導者が参加した聖日の敬礼式において、天の十数と地の十数が合わさり、天と地が完全に一致し得る日として、「二・十節(双十節)」を宣布された。第四次アダム圏時代の内容の中で、「祝福家庭には直系の息子、娘を祝福できる恵沢が与えられる」と語られた。 祝祷 愛するお父様……、きょうは一九九九年十月十日、この月を迎えて、二度目の安息日でございます。「二・十節」を迎えたこの日の上に、天と地が完成を願う一つの勝利を祝賀する日となりますよう許諾してくださいませ。 この時間は、ワシントンにおいて『世界平和超宗教超国家連合」、超大学連盟(世界大学連盟)、言論会の全責任者たちが集まり、訓読セミナーを始める時間ですので、お父様が祝福してくださいませ。一次、二次、三次の訓読大会を通じて、万民が一つの生命を中心とした連結体となり、神様の愛を中心とした一つの主権を立てるのに、重要な指導者を選出することを許諾してくださるよう切にお願い申し上げます。 これを来年の正月までに、七次まで、このすべての集まりの基本を組んで、各国家の代表たちを中心として、国家メシアたちと一つになり、訓読教育を全人類の前に編成することができる教育が始まるよう許諾してくださいませ。そうして、あなたの創造理想であるあなたの愛の主権を中心として、万民があなたの直系の血統的な権限を持てるようにしてくださいますよう切にお願い申し上げます。 霊界に行っているすべての聖人、先祖、千千万の聖徒たちが祝福圏内に立って、地上にいる後孫たちの祝福家庭と一体となり、天地父母に侍って、愛の国を賛美し得る勝利した地上・天上天国の解放圏を整えるよう、許諾してくださることを切にお願い申し上げます。 この時間、全世界に広がっている統一教会の群れが、ご父母様のおられるこの地に向かって、心を合わせて精誠を尽くす所には、一律的な愛の恵みを共に与えてくださいませ。彼らを中心としたお父様の愛が周辺のすべてに現れ、天に侍って生きる人々の生活の模範となり、すべての行路の模範となり、その氏族と民族、国家全体が天に従っていける道を示すことを許諾されるよう切にお願い申し上げます。 そうして天が求め、求め、求めてきた愛の祝福の家庭として、生きがいのあるそのような祝福家庭が、地上・天上世界、全体となることを許諾してくださるよう切にお願い申し上げます。 この場をお父様が祝福してくださり、ここにとどまる期間お父様が共にあられますよう切にお願い申し上げます。この地と共に因縁のあるすべての関係の上に、またこの南米全体の上にお父様のみ手が共にあり、解放された信仰の中で、天の栄光を高め、賛美できる統一家の群れとなり、この南米と北米となるよう、許諾されることを切にお願い申し上げます。 そうしてキリスト教文化圏を収拾しようとする父母の国と長子の国が合わさり、アメリカを投入して長子権の国を代表し得るキリスト教文化圏を収拾し、あなたの足となり、あなたが遍歴できる勝利の隊列を整えていくことを願うものです。すべてがみ意のままになされますよう許諾してください。 全体をその先祖たちと共に、キリスト教を信じて逝ったすべての信仰者たちが、一体となって、アメリカを柱とした全世界の旧教、新教を統合し、すべての宗教圏を代表して結束できるカイン、アベル的な前進的な統一圏として、地上天国の解放圏まで連結するよう許諾してくださることを切にお願い申し上げます。 きょうの全体を、ここで始まる全体を受けて主管してくださるよう切にお願い申し上げながら、真のご父母様の御名により祝願いたします。アーメン、アーメン、アーメン! み言 神様が愛するというよりも、一番引っかかるのが生殖器です。ですから、この生殖器を絶対信仰しなければなりません。絶対愛、絶対服従しなければなりません。それが総蕩減というものです。その部分が最も歴史を滅ぼしてきたからです。 それはどうしてでしょうか? 神様を絶対的に信じることができず、絶対的に愛することができず、絶対服従できませんでした。何がですか? それがやったので、それを中心として、線を引かなければなりません。決定しなければならないのです。ジャルジンに来て、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を宣言したのは、エデンの園で神様が創造されたその場にまで上がろうとするためです。何がだめにしたかというと、生殖器です。 それを中心として絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を越えられなければ、神様と一体になれないのです。そのことを言っているのです。神様が愛するならば、目、耳、すべてのものがありますが、一番憎いのがそれです。それを抜いてしまわなければならないのです。 自分自身が絶対に信じることができ、絶対に愛することができる、それは愛の中心で絶対服従できなければなりません。神様と完全に一つにならなくては、その愛の道を行けないのです。 きょうのこの時間が「二・十節」です、「二・十節」。天の十数であり、地の十数です。ですから、祝福を祈祷するとき、自分の名前で祈祷するでしょう? 自分の名前で祈祷するようになっているでしょう? 九月十四日にそれを話したでしょう? どういうことかというと、堕落圏を抜け出したというのです。抜け出したため、今や皆さんたちが皆さんの息子、娘を祝福しなければなりません。息子や娘たちを中心として、祝福してあげなければなりません。ですから、これまで四億双を祝福したのです。四億双以上をこれまで祝福したのです。 それで、全祝福家庭は、自分の名前で祈祷することで、その家庭が自分の息子、娘を祝福しなければならないのです。ですから、四億双祝福は問題ないのです。この信仰基準が成されていないからそうであり、条件がまだ至らずにいるのです。四億双、祝福を受けた者が自分の息子、娘を祝福することで、第四次アダム圏に越えていくのです。 きょうの「二・十節」というのは、天と地が完全に一致し得る日であり、これまで絶対信仰、絶対愛、絶対服従の実体を中心として、それ自体が神様の前に一番憎まれてきたものを解消して、何をするのですか? 堕落的な家庭が完全に解放されて、第一次、二次、三次アダム圏を越え、四次アダム圏です。四次アダム圏に越えていくには、自分が自立的な立場ですべてのものを蕩減し、自主的に神様に報告できなければなりません。そうした時代になりました。 ですから、これからは自分の名前で祈祷するのです。今から何をすべきかというと、自分の名前で祈祷する家庭において、自分の息子や娘を祝福するのです。三代を中心とした、祖父から父、兄を中心とした家庭全体を消化できなければなりません。自分の息子、娘がいれば、自分の息子、娘から手がけて、兄の息子や娘がいればその息子、娘、そし祖母など、三代を中心とした祝福を強制的に完全に片付けてしまわなければなりません。 そうすることによって、第四次アダム圏一族となった基盤を越え、天の国に入籍するのです。全世界の祝福を受けた家庭は、このように自分の息子や娘の代わりに一つの家庭を、未婚の男女をすべて蕩減条件として立てなければ、越えることができないのです。これがカイン的な蕩減条件であり、その次には直系的な蕩減条件を立てていかなければならないのです。 ですから、四億双が八億双になるのです。八数を超える、そのような数字になったとということを、すべて報告してあげなさい。きょう、「二・十節」というその意義、それを合わせるために、急いでここに来たのです。 ここで今、何ですか? 「真の祝福天宙化とサタン血統根絶!」をどこでやりましたか? ここで宣布しました。その次に、天宙的な「四・四節」をどこで宣布しましたか? ここで宣布しました。ここでやったので、天地の統一的なものを、区切りをつけて越えていくべき内容があったので、再びここを訪ねてきたのです。 それで先生が、きょう開かれている第三次の「超宗教超国家連合」を中心とした訓読大会が越えゆくその日と共に、十月十日を中心として、今やすべて合うので、これを地上において打ちつけなければなりません。 ですから「二・十節」は、今後すべて世界の祝福家庭が息子や娘を中心として祝福できる恵沢を立てる出発の日になるということを知らなければなりません。それでページ数を記録しろと言ったのです。すぐにきょう連絡しなさい。それをもっと読みなさい。訓読会をしなさい。 ですから、今後「二・十節」は、世界の祝福家庭たちが息子、娘を中心として、祝福できる恵沢を立てる、祝福され得る出発を立てる日になるということを知らなければなりません。それで、ページ数を記録するように言ったのです。 ですから、一九六九年、三十年前ですか? 私がみな細密にやってあげました。それが原則です。それが法として、憲法を中心として、幼稚園からその法を守るべき時が到来するのです。そのような時代が来るのです。それにもかかわらず、今まで国がなく蕩減が必要な立場なので、今は保留しているのです。 南北が統一されて国を復帰すれば、憲法を中心として即決時代に入っていくのです。罪が保留されて、歴史的な過程で後代と連結しながら解くという、そのような条件がないのです。自分の代で誤れば、その代が引っかかるのです。そのような時代に入るのです。直接、即決時代に入るというのです。そのような恐ろしい時が来るのです。 祈祷 愛するお父様……、きょう一九九九年十月十日、このプンタデルエステの別荘を再び訪ねてまいりました。ここを中心として、「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」という宣言をした、この一年を中心として、霊界と肉界で結ばれたすべて、人類の一連の歴史的な恨に満ちたすべてを清算するため、霊界祝福と地上祝福、霊界統一と地上統一を標準として、真のお父様の、父母の生涯八十年を中心とした、新しい千年を迎えた二千年を出発する、このような限界線を迎えました。 これを中心として、新たに歴史的な分岐点を確定すべき責任をおいて、昼に夜に身もだえしながら、ここまで来ました。そうした中で、天が協助することで、多くの宣言の日々を備え、天上の解放と地上の解放圏を備えさせてくださった恵みに感謝申し上げます。 「九・九節」を設け、「三・十節」を設け、六千年の蕩減歴史を解怨成就なさり、今や神様の復帰摂理が終結しました。そうして、新しい地上・天上天国の新天地を迎えるべき一次アダム時代、二次アダム時代、三次アダム時代の恨に満ちた蕩減の路程を断ち切って、新たに第四次アダム圏を越えて立つことのできる一つの分岐点に、頂上の場としてこの場を訪ねてまいりましたので、この日を覚えてくださいますようお願い申し上げます。 十数は地上の帰一数であり、天の国の帰一数であります。この「二・十節」を中心として、二十数を中心として、アダムが二十歳にこれをすべて完成し、統一的な恩賜を立て、万民解放と地上・天上天国を完結すべき歴史的な全責任を果たせませんでした。そうして、分かれていたものを総整備、総清算して、一つの峠を越えて、一次アダムの失敗、二次アダムの失敗、三次アダムの失敗、万物と子女と父母の失敗圏を今やみな断ち切って、新しい第四次アダム圏を宣布できる、このような期間として、分水嶺を越えるこの時間を、お父様……、真の父母が天の前に通告いたします。 そのようにして、第四次アダム圏を準備するためイエスの御名で祈祷し、真の父母の御名で祈祷していたすべてを越え、祝福家庭の名前によって祈祷できる時代を迎えました。祝福を受けた家庭は今やアダムから堕落しないで父母の名前を携え、自分の息子、娘を祝福してあげられる時代を迎えることによって、本然的な第四次アダム圏に越えていく、地上・天上天国の解放圏を持たせてくれる頂上を越えるこの日を「二・十節」と定め、ここに至って、お父様の前に申し上げるものでございます。 これから第四次アダム圏を中心に青少年、未婚の男女、四億双を中心としたこのすべてが、これまで既成祝福、あるいは契約祝福、あるいは未婚男女の祝福を受けた四億三千万双以上の家庭を中心として、一つの家庭が一つの家庭を祝福できる代を継ぐことによって、第四次アダム圏の解放圏へと越えていける条件とさせてくださいますよう、お父様……、切にお願い申し上げます。 天上世界と地上世界が共に祝福を受けました恵沢圏内に立ち、真のご父母様が今や地上世界と天上の「二・十節」を中心とした二十数を中心とした本然のアダム完成の基準を中心に、愛の理想統治、全体、全般、全権、全能の権限を立てられた、すべてを解放した立場においてすべての祝福を受けた家庭が、アダム家庭が堕落しないで祝福を受けた家庭のような立場に立てますように。そうして自分の息子、娘たちを祝福できる時代を残しました、この四億双の未婚男女祝福の道を開拓する先発隊となるよう許諾してください。 そうして、すべての天の恨を解き、地の真の父母の恨を解き、万民、万象の恨を解いて解放し、地上天国を宣布できる解放された第四次アダム圏の新天地・新国家とならしめてくださいますよう切にお願い申し上げます。 この日を分別し、この日を立てるために、「二・十節」を期して、ここに訪ねてきて第四次アダム圏の頂上を越える日として定めることを願い、この日を立てて宣布いたします。これと共に天上天下が一つになった場、祝福家庭たちが一つになった場で、天地父母の御名により、この日を制定いたします。すべての万象と全宇宙、サタン圏全体が、喜びで順応することを願い、真の父母の御名で「二・十節」の「第四次アダム解放圏」を宣布いたします。アーメン、アーメン、アーメン! み言 第四次アダム圏にならなければならないと、既に昨年から宣布しています。それがいつ、峠を越えるかというとこの「二・十節」なのです。 それで十月は、栄光の月になるのです。十月は四日が、先生が西大門刑務所から解放された日であり、十四日は興南収容所から解放された日です。また、第三次として世界の首脳クラス-サタン世界で一番のカインです-を対象に訓読大会をする最後の日です。本来、この三次で終えて、訓読大会を世界的に拡張するつもりでした。ここで私が「天宙的な四・四節」を宣布しました。北のコディアックで「家庭的な四・四節」を宣布したので、解放される「天宙的な四・四節」です、四位基台です。ですから、神様の四位基台理想が連結されたら、サタンの峠を越えていくのです。サタンを屈服させ得るすべてのことを整備してきて今、第四次アダム圏時代、蕩減が必要のない時代に越えていくのです。蕩減復帰ではなく、自然復帰時代へ越えていくのです。 第四次アダム圏時代が来ると言ったでしょう? きょうからそのようなことを中心として越えていくので、祝福家庭は誰もみな自分の三代、祖父から、父親から自分の時代を中心とした一族を中心として、一家庭が一人ずつ祝福すべき時代に入るのです。 今では四億三千万双以上が祝福を受けたので、一家庭が一人ずつ、自分の一族が皆あるでしょう?祝福家庭が一家庭ずつやれば、四億双の未婚男女の祝福は、問題なく解決すると見るのです。それを強調しなさい。自分たちがすべて祝福してあげた、予備祝福してあげた宣教国や、至る所に訪ねていき、それを強調しなければならないのです。 祝福家庭は、自分が祝福してあげた人々の家庭に、そのような内容をみな伝えてあげなさい。伝えてあげて、一つの家庭で自分の親戚を中心として、三代を中心として祝福できる条件を立てることによって、四次圏、アダム祝福圏内に入るのです。 ですから、祝福を受けた家庭が真の父母の代わりに自分の息子や娘、自分の一族を祝福してあげなければならないのです。ですから、自分の名前で祈祷する時が来ました。それでこそ、合っているでしょう? あなたたち同士で問題が起きます。自分の三代、祖父、父親、こうして今、四次圏時代になると何ですか?本当ならば霊の子(息子)が三人いなければだめなのです。一八〇〇双を越えるとき強調しませんでしたか? 帰一数に入るからです。祖父と父親と兄が、天使長、三人の霊の子女と同じになるのです。そうなれば家庭がみな結束するのです。 今や先生は休む時が来ました。皆さんにすべて任せたのです。それで四億双を祝福するのも、委員会を設けて相対者を決めてあげるように指示しました。多くの霊的協助があったので、自分たちも知らずにうまくいきました。今回、見てみるとうまく結ばれていました。今回は約七十双か、百二十双やりましたが、そのうち変更したのは二人しかいませんでした。祈祷して精誠を尽くせばすべてそのようにうまくいくのです。 ですから、先生が語ったすべてのみ言を成就したも同然です。すべて成就したに等しいのです。エデンの園が何ですって? エデンの園にある生命の木と善悪を知る木が何かというと、アダムとエバの肉体を意味するのです。蛇が何かというと、男性の生殖器を指すのです。蛇、蛇、蛇が善悪の実を取って食べたのです。それを意味するのです。男性たちはそれをもって女性たちを誘因しようとする。 そのように考えてみると、これはどれほど恐ろしいものでしょう。自分が毒のある蛇を持っているのです。男性として自分の妻より美人がいれば、それが動くようになるのです。その願いが何かというと、すべて女性のそれを願うのです。誘惑の総責任者がそれなのです。 神様が一身を愛されるとき、一番憎いのがその部位です。それが天地をだめにして地獄をつくり、創造理想を破壊して、神様の前に傷を残したというのです。それが一番問題なのです。 それで、私たち統一教会の信徒たちが、エデンの園に入っていくには、神様と一つになるには、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をしなければなりませんが、その言葉はその器官について語られた言葉です。神様と人間がその器官で一つになることを言っているのです。 これからは、男性において五官のすべてを否定したとしても、五官よりは第六感、第六感的な中心がその器官です。五官をすべて犠牲にしたとしても、それを犠牲にしてはならないのです。犠牲にしたならば、歴史がなくなるのです。国が吹っ飛び、伝統がなくなるのです。 エデンの園で「善悪の実を取って食べるな」と言ったのは、そのことなのです。男性のそれを中心として忠告したわけです。ですから、聖書のすべての秘密が、今すべて明らかになるのです。 四次アダム圏を中心として、世界的に今、首脳クラスをみな呼んで訓読大会を開くのです。み言を中心として、絶対服従して、絶対順応しなければなりません。それを第三次まで……、反対なしに彼らが降参して出てくるのです。本当に不思議なくらいです。大物たち、どこに行っても「お話を聞かせてください」と崇められた人たちが来て、三泊四日、じっと座ったままで、み言だけを聞いて服従するのです。服従するほかありません。自分たちが知らない内容だからです。それがこれまで私が実践した内容の記録です。戦勝記録ですが、反対し得る何ものもないのです。 この祝福自体も、三億六千万双も嘘であると否定できないのです。霊界の事実も否定できないのです。李相軒氏が、ICUS(国際科学者統一会議)の八つの分科において、そこで議長まで務めたのです。世界的なすべての思想家と数回にわたって討論し、ありとあらゆる質疑応答をしていた、そのような高名な人が霊界に行って、自らの苦衷を語った、その事実を否定することができません。統一教会の教徒で、彼を信じない者はいないのです。 その内容は、李相軒氏の内容ではありません。霊界の実相です。先生のみ言のうち「主題別精選」の十一巻、十二巻の霊界についての内容を見ると、霊界の根本がどうなっているか、すべて明かしてありました。摂理的な歴史観がすべてそうなっているにもかかわらず、相軒氏もそれを信じられなかったのです。 アダム家庭から、ノア家庭から、アブラハム家庭から、モーセ家庭から、イエス時代までが蕩減復帰の過程であり、摂理の歴史観ですが、それでも、はっきりとそうなのかどうか霊界の事実を知らないので、分からなかったのです。相軒氏が霊界に行って、その実相をすべて証したのです。今この時期において、それゆえに相軒氏が連れていかれたのです。 先生の語ったことを相軒氏もあまり信じられませんでした。「先生の右手は霊界をつかみ、左手は肉界をつかんで、正しい方向に回しておかなければならない」という言葉が信じられますか? 「天と地が先生を中心として動く」と言ったら、それが信じられずに霊界に行ってみて、驚いて腰を抜かしたのです。 信じてきたすべてのことを事実としてはっきり信じられなかった自らを咎めて、今後、従ってくるすべての統一教会の信者たちが、自分のような立場に立たないように、神様の特命を受け、四十日間すべてを分別して地上に連結させた内容なのです。 霊界からの二番目のメッセージは、サタンを屈服させる歴史、三番目のメッセージは霊界と肉界に対する……。これからは私が指示する前に、前もって相軒氏が来て通告し、記録しておくと言ったではないですか。きょうか明日には、その内容が出るでしょう。それによって、霊界の実相と地上の実相が、三億六千万双の祝福と「九・九節」、「二・十節」が成された以降に、どのようになるかすべてが明かされるでしょう。 これまで、先生がこのように歩んできたのは個人的ですが、それに天と地がくっ付いているということは、誰も信じられないでしょう? 「真の祝福天宙化とサタン血統断絶」というこのすべてを、ここにおいて天宙史的な「四・四節」、神様の四位基台、アダムとエバを汚して、霊界と肉界、万物までが嘆息してきたのを、すべて解いてあげなければなりません。 ですから、「第四次アダム圏解放」の頂上的な記念の日として、きょうをもって通り越すのです。三代を越えるようになれば、祖父や叔母、伯母などを初め、すべての家を訪ねていって、息子や娘を集め、はり倒してでもでも祝福せよというのです。 四億双は問題ないのです。私たちが祝福したのが四億三千万双を超えます。ですから、私の責任をすべて果たしたのです。今後は皆さんが、祝福家庭が責任を果たせるかどうかです。「息子がいますか?」と聞いて、息子がいれば、なんとしてでもその息子をつかまえて、祝福してあげなければならないのです。その次に自分の兄や、三代を中心とした甥や姪にも、強制的に家で祝福してあげよというのです。一つの家庭において四家庭までです。 イエス様も三弟子と四家庭ではありませんか? 三弟子を基準として祝福してあげ、祝福家庭となったので、三弟子を祝福するのと同じように……。三代なのです。旧約時代、新約時代、成約時代です。祖父は旧約時代であり、父は新約時代であり、自分は成約時代なのです。旧約時代は万物、物を犠牲にして、新約時代は子女が十字架にかかり、成約時代は父母が十字架の道を行くのです。真の父母が十字架を背負い、地上で神様に侍るのです。 このような膨大な内容が、原理を中心としてすべて解明されたということは奇跡的なことです。それを体系的にまとめたのものを誰が否定しますか? 理論的にすべてをまとめたという事実は、恐ろしいことです。 今や先生がこのように生きて……み言を知ってみると恐ろしいのです。み言を知ってから、想像もつかない範囲の内容を、実際の生活圏内で、み言を中心として闘争してきました。先生がその環境を開拓するために生きてきたことを否定できず、先生が残した歴史的な実績を見て否定できないので、その実績の数千倍、数万倍も尊敬し得る条件として、四億双を越えていかなければならないのです。 今、祝福を受けるための条件は何もありませんが、何ですか? 真の父母です。どんなに足らない者であっても、息子や娘がいるとすれば、その息子や娘が父母のすべてを相続できるのです。 先生が霊界に行ったときは、全世界の祝福家庭が、自分の母や祖父、三代、自分の最も愛する者がいたとしても、それよりももっと大きな悲しみを感じなければならないのです。それをいつも考えなければならないのです。 全世界の統一教会の食口たちは、同じ涙を流して、その日をすべて悲しむと共に、昇華式を賛美しなければならないのです。世界の統一教会の食口たちが、先生が霊界に行くようになれば、誰よりも悲しみ、何をさておいても昇華式をしてさしあげられるように、すべてを捧げて、先生の行く道を霊界まで……すべて自分の全体を燃やしつくして、捧げられる心にならなければならないのです。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従が何ですか? それは生殖器を指した言葉です。神様と人間の生殖器が一つになれなかったのです。合徳できなかったのです。男性においてもそうでしょう。それを絶対に信じなければなりません。歴史において私の家庭の柱であり、私の一族の柱であり、私の血筋の歴史における柱なのです。 それを絶対信仰すべきでしょう? 絶対的に愛さなければなりません。愛を中心として絶対信仰、絶対服従です。すべて神様の前に服従できる伝統を持った自らとなるのです。「どうしてそうする必要があるのか!」などと言ったらいけません。実感できますか? 一日のうち三時間に一回トイレに行くとき、そのことを常に思い起こしなさい。 先生はそのようなことを知っているので、むやみに生きられません。怨讐を愛し、愛する息子と娘を怨讐と結婚させなければなりません。祝福は、怨讐同士でやってあげなければなりません。すごいことです! 神様が「恩讐を愛せよ」と言われたのは、個人を中心としてではありません。朱基徹牧師(キリスト教牧師・独立運動家)は、個人を中心として愛そうとして、怨讐の子を連れて育てると言いましたが、これは天宙史的な意義です。 神様はそのような立場におられるので、かわいそうな神様になりました。宇宙を創造された神様なので、一瞬にしてサタン世界を根絶することもできますが、そのためには、アダムまでも滅ぼさなければならないのです。宇宙を破壊しなければならないのです。あ然として口がふさがりません。ですから、「怨讐を愛せよ」と言うのです。愛して自然屈服させなければならないのです。(三〇四-五二、九九年十月十日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.02
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世界での日本食口の活動🌻世界に影響を与える🍇アメリカ・テネシー州、Sさん(女)の証し(1)🍒心情基台の伝統をつくる🎁母となる❤️一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.02
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第4回公開シンポジウム「宗教学者と語る家庭連合の過去と現在と未来」「信者の人権を守る二世の会」ホームページはこちらhttps://www.2ndgen-rights.com/今回、第4回目となる公開シンポジウムでは、宗教学者の島田裕巳さんと家庭連合二世3名との対談を行います。島田先生は、客観的な学者の立場で私たちにこう語りました。「『真実は何か』隠さず『オープン』にするでなければ、誰も納得しない」 二世は、何を見て体験してきたのか。”旧統一教会”の「過去」、現在、そして未来…。”旧統一教会問題の全容” と ”宗教”について、真剣かつ率直に語り合います。 家庭連合を擁護しない宗教学者と現役二世信者による、今までになかった新しい議論の場にご期待下さい。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.10.01
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劉孝元・韓国元協会長の歩み (8)🌻「原理講論」ができるまで🫐劉元協会長の最大作品である『原理講論』出版❤️1980年代の証し一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.30
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絶対信仰・絶対愛・絶対服従の核一九九九年十月八日、アメリカのイーストガーデンで真のご子女様と二十余名の指導者が参加する中、「絶対信仰・絶対愛・絶対服従の核」についての宣言がなされた。 きょうは何日ですか? 十月八日です。今、先生が皆さんと記憶しておかなければならないことが一つあります。それは、なぜ私が南米を重視するかということです。それは時間さえあれば南米に心をはせて、そこにすべてを結び付けようとする心は、すべてを最終的に清算できる神様の心であるということを知っているからです。ジャルジンに「祝福家庭世界平和統一教育本部」があります、教育本部。天国に入っていける最後の手続きを踏める足場となるので、そこにすべての精誠を尽くさなければなりません。 そこを中心にいかに四か国を連結するかといえば、青少年を中心にそのような運動をして、全般的に教育を施すのです。ですから、精誠の限りを尽くさなければならないことを皆さんは知らなければなりません。 先生は時間さえあれば、南米に向かいますが、それは南米が好きで行くのではありません。み旨のすべての決定を……完全にきれいにするには、避けようのないことなので、南米のすべてに関心を抱いているのです。今、ここもそうではありませんか? ワシントンでは二日後に、「超宗派超国家連合」、「超大学連盟」に属する世界の最高位の人たちを招いて教育する、訓読会セミナーがあります。それを二日後に控えているというのに、なぜ南米に行かなければならないのでしょうか? 摂理的なみ旨から見て、今、世界を収拾し得る世界最高の首脳を集めて整理作業をする、この時に及んで、なぜ南米に行くのでしょうか? すべては、南米に行って根に栄養を与えなければならないからです。根を通じて芽が栄養を受け、枝が栄養を受け、幹が栄養を受けます。生きとし生けるものは、根を通して芽と枝と幹が連結するのです。 今、我々が韓国から始めて根を下ろしたのが、現在ジャルジンと南米四か国なので、その四か国を連結して帰ってこそ韓国が、すべて芽が育つのです。芽が、中心の根から、中心の幹から、中心の芽と一つになって、これが授受してこそ、すべて四肢四方に広がるのです。そうしてこそ枝が、枝の芽がそれに応じて育つのです。そのような因縁があるので、南米を重視するのです。 お母様は、時間があればこのイーストガーデンで息子や娘と一緒にいることを望みます。それは当然です。そのように願わない父母がどこにいるでしょうか? しかし、その家庭というのが、天の国における最高の勝利基盤を中心として、根や幹、枝、芽まで、すべての反対要素を浄化し……その日になれば、その日全体が、生命の根から、幹、枝、芽の全体まで、生命の環境的な要件にならなければならないのです。それがなされなければ、ある分野において治療を受けるべき立場が残るので、サタン家庭を中心とした、背後にある家庭よりも、それをまず中心としなければならないのが、先生の行く道なのです。 統一教会の信仰が困難なわけではありません。統一教会の蕩減の道というものは、みな解消されています。蕩減の道を解消させたその中心が真の父母と神様の愛なので、いかにしてその真の父母と神様の愛に一体となるか? 遊びごとではありません。絶対信仰です、絶対信仰。サタンがこれまで信仰できず、アダムとエバが父の前に絶対信仰できませんでした。私たち息子、娘も今後は同様です。父母に対して絶対信仰を持たなければなりません。また、絶対信仰できないで堕落した世界を収拾するには、神様と真の父母になれる基準を絶対信仰することによって、すべてを除去できるのです。 ですから、「ジャルジン宣言」の第一条が何ですか? 絶対信仰、絶対愛、絶対服従を宣布したのです。中心がそこで連結されたことによって、その場を、夜も昼もどんなときも先生が忘れてはならないのです。そのような信仰をもって祈祷し、そのような内容をもって信じて活動できる場においては、常にサタン世界が譲歩しなければなりません。 絶対信仰はどのような道を行くのでしょうか? 父と子が真の愛を中心として一つになった、父子関係の因縁を中心とした勝利の覇権の主体が神様であり、勝利の覇権の主体的な対象が真の父母なので、その信仰の基準を中心として一つになったその基準は、サタン世界がいかに大きくて、いかに歴史的な災いや蕩減を立てても、そのすき間の世界、一つになった世界のすき間には入り込めません。 存在の権限が、いかなる信仰、いかなるサタン世界をもってしても、そこにはまったく入り込んでいける場がないというのです。ですから、絶対信仰をもって神様が創造されたのです。その創造されたあらゆる被造物の中には、信仰を中心としたすき間に入り込むことができず、絶対愛を完成したので、絶対愛の間に、いかなる存在も入り込むことができず、絶対服従したので、たとえ神様がおられないとしても、絶対服従し得るアダムの心……、その主人の立場にはいかなる者も立てないのです。サタンにいかなる権勢があっても、絶対服従するその立場を治め得る能力はないのです。これが三大要件です。 きょうは十月の最後の日なので、きれいに整理してください。真の父母を信じるのは大変です。神様を信じるのは大変です。しかし、自らにおいて絶対信仰、絶対愛、絶対服従できる立場に立てば、それがイエス様の行く道であり、イエス様が守られる絶対信仰であり、イエス様が愛した絶対愛であり、イエス様が生きていく絶対服従の道だったという事実を知らなければなりません。同じように先生においては、神様とイエス様の絶対信仰の道をそのまま伝授して歩んでいくのです。 その愛の道、その服従の道を行く間、サタンは永遠に陰の立場に入れません。陰の立場に入れないというのは、つまり、二十四時間のうち正午を中心として、日光によって陰がなくなるのです。それが夕方になれば生じ、朝になれば生じても、十二時にはなくなるように、その正午の立場に入っていけるのです。 絶対信仰は、昼で言えば陰がないことを意味し、絶対愛も、サタン世界には愛の種類が多いですが、陰りのない愛を意味するのです。絶対順応とか何とか、法によってすべて従っていくとしても、絶対服従の立場に入っていかなければなりません。神様とイエス様、真の父母とイエス様と神様が連結されたその場には、絶対信仰、絶対愛、絶対服従だけが定着して、支配できるのであり、それ以外のものはなくなってしまうのです。 絶対信仰には、個人的な信仰、家庭的な信仰、氏族的な信仰、民族的な信仰、国家的な信仰などがすべて入っており、絶対愛には、個人的な愛、家庭的な愛、氏族的な愛などがすべて入っているのです。服従もそうです。孝子の道理は、父母の前に絶対服従しなければならず、忠臣の道理は、君主の前に服従しなければならないのです。このすべてが天理となっています。ですから、ジャルジンに行って、先生が立てたのは絶対信仰です。誰を中心として? 神様を中心として絶対信仰するのです。アダムはできませんでした。サタンもできませんでした。イエス様が絶対信仰したので、アダムはイエス様の前に服従して、愛さなければならないという論理が出てくるのです。 その原則的な基盤が、私たち統一教会の真の父母と神様の間に立てられたのです。こうした関係に連結された一体理想を立てた立場に立っているので、地上の平面的な場で何よりも貴く、世界をあげても換えられないのです。自分たちが信じる王とか何、どこかの国の大統領になっても、サタン世界の何物とも換えることができません。サタン世界の何物も信仰の対象になり得ないということです。父や母、妻、金、知識なども、すべて否定するのです。 それでは、絶対信仰の願うのは何かというと、絶対愛の道を探していくことです。絶対愛のためにやれというのです、絶対愛のために。アダムとエバが神様を絶対信仰できず、絶対愛を成就できなかったのです。ですから、こうした失われたすべてのものを探して埋め、未完成の環境圏内にサタンが寓居するすべての寓居地を、完全に絶対信仰の上で絶対愛が連結されれば、すべて取り払ってしまうのです。 その愛の前では、絶対的な夫は絶対的な妻に服従し、絶対的な婦人は夫の前に絶対服従して、その夫婦は神様、お父様の本然的な愛の前に絶対服従しなければならないのです。これは愛を中心としたみ言です。これ以上、サタンが存在し得ないということです。 それでは皆さんがそうですか? 真の父母が「目をくりぬけ!」と命ずればどうしますか? 自分自身をすべて否定しなければなりません。否定しないことには、堕落性本姓を解消できないということを知らなければなりません。絶対否定しなければならないのです。「目をくりぬけ」と言えば、どうしなければなりませんか? 「わあっ、痛くてできません」。そうではありません。「鼻を切れ!」問題ではありません。「口を縫ってしまえ!」、「耳をふさげ!」、「我が身を犠牲にせよ!」、それが問題ではないのです。 一番問題が「生殖器を焼いてしまえ!」ということです。それが永遠にその一族が血を、血の痕跡をなくす立場ならばどうしますか? 目をくりぬきますか、生殖器を焼きますか? こうなるのです。鼻を切りますか、生殖器を焼きますか? 口を縫いつけますか、生殖器を焼きますか? 耳をふさぎますか、生殖器を焼きますか? 自分の命を犠牲にしますか、生殖器を焼きますか? 生殖器を焼いてはいけません。神様が創造された主流思想がそこに連結されており、父母がその愛の歴史を通じて、家庭と世界を創造しようとする立場にあるので、生殖器を焼くことはできないのです。 「生殖器を焼け」というのはどうしてかというと、堕落したからです。堕落したので、そこまでも服従しなければならないのです。そのような基準を抱く場において、絶対信仰、絶対愛、絶対服従という論理を掲げたということを知らなければなりません。そのような信仰を持つようになれば、サタンが永滅します。個人的なサタン、反対して迫害して蕩減させたすべて、神様の心情に釘を刺したすべてが、一度にみな逃げていくのです。 そこに誰か聖人の訓示が必要なく、聖人の道理の行跡が必要ないというのです。国家の忠臣、天宙の聖子の道理を教えてあげましたが、その信仰基準に入っていけば、すべてのものが完成するのです。個人完成、家庭完成、氏族完成、民族完成、国家完成、世界完成、天宙完成、神様の愛の理想がすべて完成できるという、そのような基盤が、創造の出発から始まったのです。神様の絶対信仰、絶対愛、絶対服従の原理によって創造したのです。神様も愛の前には絶対服従されるのです。 そのような原則に一致するためのものが、私たちの課業の終着点なので、ジャルジンに行ってこのような宣布をしたわけです。サタンであれ、誰であれ、天下の誰であっても、ここに入り込むことができないのです。 このような観点から見て、きょう、ここで全体・全般・全能の役事をするのです。全体を代表した全般、すべてが統一されているのです。全権、すべてのサタンの権限を中心として、不可能のない全般全能の時代を越えて立ったので、今や私たちの願いが何かというと、神様の愛の相対になったのです。また、真の父母の愛の相対となったので、「お父様! 最後の決断を下してください」と祈らなければならない祈祷時代に入っていくのです。 ですから、私に願いがあれば、願うことのできる時代、「私がこうしたことをしていますので、その願いを成就させてください!」、「ここで全体の平準化水平世界を築いてください!」と祈れるのです。神様の息子として、神様との父子関係の因縁を中心に、家庭を中心とした基盤に立っているので、そこにおいてすべてが成就するのです。今や、全体、全般、全権、全能の、信じて歩む絶対信仰、絶対愛、絶対服従するこの道理に、愛の主体圏の前に相対圏として一つになった基準、前後の核の愛の中心に、花のような立場に立っているので、そこに否定的な糞の匂いが広がったならば、「その臭いが花の香りを消さないように防いでください!」と祈祷する時が来たのです。台風が吹いてきて、その香りの園がすべて損なわれそうになったときには、「防いでください!」と祈る時が来たのです。 そのために絶対何ですか? 絶対信仰です。自分の五官全体は無視しても、血筋だけは否定できません。それを知らなければなりません。五官は燃やしてしまっても、生殖器は燃やせないのです。血筋だけが永遠なる神様の国と永世でき、永遠なる歴史と永世できる主流なので、それに反することはできないのです。 ですから、絶対信仰で守って、絶対愛の主体、もしくは対象として保護して、絶対服従することによって、愛の道を服従できる生殖器にならなければならないのです。生殖器は私たちに訴えかけるのです。「堕落した世界を否定できるものが私にあるから、私に絶対服従してください!」と言うのです。 そのようにしてこそ、神様が創造された主体的な理想の前に、対象的な価値として登場し、そこで一つになることによって、天上天下に父子関係の因縁を中心として所有権が自由に移転でき、その移転されたものをいつでも元に戻せる……いつでも受けられる解放世界へと越えていくのです。アーメン! 善悪の実とは何ですか? エバの生殖器です。すべて男性の生殖器が誘惑することができ、女性の生殖器が誘惑するのです。それではエデンの園とは何でしょうか? エデンの園が何か分かりますか? 男性と女性の二人が一つになった愛の体を意味します。一体となった園を指すのです。そこで生きなければならないのです。 生殖器と絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準に立ったそこで生活してこそ、神様の永遠なる所有権となるのです! きょうがジャルジンに向かう十月八日なので、あらゆる勝利の盾の基盤の上で結論づけるのです。皆さんがすべて目をくりぬき、五官をすべて抜いてしまっても、この生殖器の道理を守らなければならないのです。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従! 言葉だけではありません! そのためには、目をくりぬき、五官を否定しても、私たちが残すべきものは、生殖器の愛の天理なのです。それによって、みな終わるのです。 ですから、父子関係の愛、夫婦関係の愛は、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道理を立てる道です。その盾の、すべてのハンマーが何かというと、生殖器なのです。そうすれば、みな終わるのです。それ以上はありません。 ですから、皆さんが生殖器を崇拝せよというのです。「絶対愛の主人であり、絶対信仰の主体であり、絶対服従の主体であり、神聖なるそのような主体となりましたから、神聖なる道を永遠に千年、万年神様を中心として愛の一体の道を歩んでください」と祈祷せよというのです。 このようにして、これからは自分の名前で「祈祷いたします」と言えば、成就するのです。その上で私の名前で、「真の父母の勝利圏を祝福で受け継いだ祝福家庭、某が祈祷いたします」と言えば、すべて成就するのです。ここで血筋が重要なのです、血筋です。血筋がそのままなされるのではありません。男性と女性が合徳する場です。これがすべての結論だったわけです。 目もそれを願います、目も。目玉が何を願いますか? 絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。そして五官全体が何を願いますか? 愛を中心とした器官の前に私たちは犠牲となっても、その生殖器だけは犠牲にしないで残すのです。天理の道理を受け継いで私の体のすべてが不自由になっても、五官をなくして不自由になっても、「今後、私が死んでも、生まれる息子と娘は不自由にはならないので、それが解放であり、願いである!」と言えなければなりません。堕落した後孫は、そのような希望の日のために生き、生を終えなければならないのです。 恐ろしい結論です。絶対信仰とは何ですか? 漠然としているではないですか。絶対愛というのが漠然としていました。絶対服従というのが漠然としていました。愛の道の前にはすべてを否定すべきでしょう? 愛するときは、すべてのものを否定しなければなりません。世の中の万事、すべてを否定するのです。唯一自分の妻しかいないと思って、絶対視しなければなりません。そのようなときは、父や母を考えながら愛してはいけないのです。息子や娘を考えながら愛してはいけないのです。その妻だけを絶対信仰、絶対愛、絶対服従するのです。お互いがそうしなければなりません。神様を迎えることのできるくぼみや膨らみにならなければならないのです。神様が膨らみならば、神様を迎えることのできる母、夫婦がすべてくぼみになって、一つになるのです。 先生がこうした結論を下すことを夢にも思わなかったでしょう? 気を引き締めなければいけません。先生は、いいかげんにやってなった先生ではありません。徹頭徹尾、この道を備えるために、穴が開けばそれを埋め……いろんなことをみなやったのです。そんな先生をそのように絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければなりません。自分の一身で何よりも貴い愛の五官、天宙を結合できるその器官よりも、さらに愛し、さらに尽くし、さらに服従し、さらに信仰しなければなりません。そうすればすべて終わるのです。 ですから、結婚したいならば、成熟して入っていきたいならば、誰を中心として考えるべきかというと、自分の妻を考える前に父や母を考えなければなりません。これが要諦です。父と母に「自分がこのように相続して成人になったので、結婚しなければなりませんが」とお願いするのです。そうしてこそ、絶対信仰の基準が定まり、絶対愛の基準が定まり、絶対服従の天理の道理が相続されていくのです。 こうした真理を知る者が自分勝手に結婚できますか? 自分勝手にそれを引っ張っていけるかというのです。皆さんが真の父母を考えるとき、真の父母はむやみに生きる人ではありません。どれほど気のふさがる生活をしたか知るべきです。道なき道を行き、いばらの根をすべて切って歩み、違法なる愛の根を抜いておいて越えてきたという事実を知らなければならないのです。 毎日のように考えなさい! 絶対信仰、絶対愛、絶対服従! 私の体の五官を犠牲にしてでも残すべき、そのような愛の天理を保護すべき私自身であるとわきまえるのです。そのような人々が、どうして皆、横道にそれることができますか? 先生は恐ろしい人です。複雑な環境をすべて経ながら、最後のこの終点をみな払いのけて乗り越えるとき、感謝できる自らを発見できなければ、地上世界が天国と化す道がありません。それを自己主管できなければそうなるのです。 ですから、「天宙主管を願う前に自我主管完成しよう!」というのが真理です。「絶対信仰をもって、絶対愛をもって、絶対服従の心をもって、私一身のすべてを、それ自体までも否定して乗り越えなければ、神様をすべて私のものとして、私の愛を全体化できる、神様を支えて抱くことのできる私自体にはなれないというのが天理である」と考えてこられたのが、真の父母の歩まれた道であるということを知らなければなりません。 今回行くのが、南米の最後の旅行となるかもしれません。今、すべてが超教派大会を控えています。私がどれほどその大会を願ってきたことでしょう。それを捨てて、どうして私が南米に来ましたか?今、私が内的に祈祷してきたのは、「お父様、私がこれまで逼迫して反対した者たちを愛するのに、誰よりも自分の父母よりも、自分たちの王よりも、また自分たちの兄弟よりも愛してきたので、今は彼らがすべて天を代身して愛することのできる時代に帰らなければなりません。大転換を起こさなければなりません。そこに背く者が国に行けば、国が壊れても、世界が壊れてもひっくり返さなければなりません」という内容です。このような決定的な祈祷をする時が来たのです。 祈祷 愛するお父様……、天理の核の決定的な決着点が何かを知らなかった統一教会の食口たちが、今朝、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道理を、天地の中心に対する、すべての全宇宙の生命と血統の中心である愛を中心として、この定義の基準を中心に、決着点がどこなのかをすでに宣布いたしました。 その内容を絶対信仰の主体、絶対愛の主体、絶対服従の主体が、自分たちの持つ、男性と女性の生じた動機である生殖器にあるという事実が分かりました。これが完全に神様と共にすべて一つになり得る三位一体圏を築いた世界でのみ、あなたの解放的な個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙が発生するということを知るようになりました。 これから統一教会の食口たちが取るべき姿勢は、「私が問題」ということです。これをすべて知り、自分自身の問題の解決点を中心として、私が夫ならば夫が問題であり、夫人ならば夫人が問題であり、父母ならば父母が問題であり、息子、娘が問題であり、さらに四位基台の三代を連結し得る氏族的な七代までが問題であるということを知らなければなりません。絶対信仰、絶対愛、絶対服従でこの枠組みを中心に、一族全体のすべての機関を一つにして、神様が安息できますように。どのような家庭でもすべて七代まで留まることのできる自由環境、解放的、すべての統一地上・天上天国の標本となり得る基盤が連結し得る、すべての愛の一体を合徳基盤が連結できる、そこに繋がった血筋は一つの体と感じられる一族にならなければなりません。そのようにしなければ、天の国に入籍できないことが理解できるよう、許諾してくださることを切にお願い申し上げます。 今はすべてを知り、すべてを感じることのできる実体的な姿勢を立てられる時代となりましたので、その前に自らの主体的、また対象的な関係に自分の権限を整えて、天の前に天地合徳の基盤としての統一された絶対信仰、絶対愛、絶対服従により完成した夫婦となり、天が願われる四位基台の平準化、地上、天上の道理を縦横に連結した焦点九〇度に合わせられる個人となり、家庭となり、氏族、民族、国家、世界、天宙、天地父母がすべて一体圏を築いて、サタン世界の自動的な解消、すべてみな浄化時代に越えていくよう許諾してくださいませ。 この八日の日、十月八日を中心として新しい出発と新しい天地の前に発表するすべての絶対信仰、絶対愛、絶対服従の核が何かを知り、厳粛にそれ自体に侍って生きることができますように。そのために、天のエデンにアダム、エバをつくられて見つめ、願われていたお父様の願いの前に違わない姿勢を守護し、自体完成の愛的な家庭、氏族、民族を編成し、天の国をすべて相続できるようにしてください。そのような後継者として天理を受け継げる王者、王権の後継者の道理を、地上世界のいかなる王権よりも高い場に愛の場を結束して、万国万年の世界の上に解放の王者王女、解放的家庭を持ち得るあなたの願いが、エデンの本然の原初的な家庭が許諾され、根源的な家庭、勝利的な家庭になるよう許諾してくださることを切にお願い申し上げます。 韓国と共に再び戻っていける道を回想するためのこのような歩みを、お父様……、記憶してくださいませ。今やあなたの願いは、全般・全能の世界に向かって統一的な歩みを整え、お父様の解放の世界を全宇宙と共に成されますよう切にお願いしながら、真の父母の御名で祈祷いたします。アーメン!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.30
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第十二回「世界統一国開天日」の御言1999年10月3日ベルベディア 第十二回「世界統一国開天日」の式典が、ベルベディアで開かれ、二時間の訓読会の後、世界各国から集った四千人の教会員に、四時間にわたって御言を韓国語で語られました。途中英語で語られ、(英)と記した。 二人が一つにならなければならない きょうは開天節です。(「開天節」と板書される)これは「門」のことを意味するのです。「天」を通してこそ、門が開かれるというのです。「天」は何かというと、二人です。ですから、二人で入っていけば、門が開かれるのです。米国の人々は、一人で暮らしている人が多いのですが、一人で暮らす人はどこに行っても合格できません。二人で入っていかなければならないのです。 きょう、話すことは、カイン・アベル問題です。二人が一つにならなければならないのです。主体と対象が一つにならなければならないのです。このカイン・アベルが一つになっていません。一つになっていないので、問題なのです。堕落は何かというと、神様と人間と万物が水平にならなければならないのに、それがなっていないという問題なのです。これらがすべて分かれているのです。 皆さんも、朝起きて洗面しようとして顔を見れば、一番最初に見えるのは何ですか? (「目です」)。次に何ですか? (「鼻です」)。次に何ですか? (「口です」)。次に何ですか? (「耳です」)。次に何ですか?。手です。このように見れば、五官がすべて集まるのです。 それでは、目は一つですか、二つですか? (「二つです」)。鼻の穴は一つですか、二つですか? (「二つです」)。 唇 は一つですか、二つですか?。耳は一つですか、二つですか?。手も一つですか、二つですか?。すべてが相対になっています。顔がすべてそのようになっているように、心と体も相対になっており、この宇宙もそうなのです。 鉱物世界も主体・対象、植物世界も主体・対象、動物世界もオス・メス、人間世界も男性・女性、すべて相対になっているのです。家庭を見れば、父子関係、夫婦関係、兄弟関係、親戚関係も、主体・対象になっています。国家関係も大きいものを中心として、主体・対象になっているのです。ですから、二つが一つにならなければ完成できないのです。幸福も、一人では成し遂げることはできません。 「自由」という言葉もそうです。「自由」と言えば、自分を中心として考えるのですが、自由というものは絶対に一人ではなすことができません。体と一つになることができなければ、自由をなすことはできないのです。男性と女性が一つになることなくして、自由はあり得ないのです。天と地が一つになる中で成し遂げられなければならないのです。神様は、二つが一つになった真ん中にいるのです。生命も、二つが一つになった真ん中にあるのです。 開天節、この「節」というのは、「多い」ということを意味します。「門」というのは地球を意味します。どのような都市に入っていくにも門があり、天国にも門があります。門を通るためには、二人が一つにならなければなりません。 開天節とは何ですか?。何を開いたというのですか?。天を開いたというのです。天とは宇宙のことを意味します。大きいものを意味するのです。偉大だというのです。広い世の中を思いのままに通ることができるのが天です。とても広い天も、二つが一つにならなければならないのです。 一つになるためには、お互いに授け受けする 皆さん、男性でも女性でも、みな自分が一等になりたいでしょう。女性は男性に負けたくないし、男性は女性に負けたくないでしょう。(「はい」)。それでは、二人とも高くなりたいのに、どのようにして一つになるのですか?。それが問題です。力で、知識で、お金で、そのようなもので一つにすることができますか? (「できません」)。 一番の問題は何かというと、どのようにして男性と女性を一つにするか、ということです。世の中のすべての手段方法、何かの財産を用いたとしても、一つにすることはできません。それは愛です。 男性と女性の容姿が違うので、近くに行って顔をのぞき込んで見たり、お互いに触れてみたいのですが、なぜ、そのような作用が起きるのでしょうか?。近づいて「私は好きだ」と言う言葉も、何を中心として好きなのですか?。ご飯を食べても好きで、何を食べても好きで、このすべて「好きだ」という、その言葉の根は何かというのです。 「ご飯を食べることが好きだ」。なぜ、好きなのですか?。私と一つになるからです。すいたおなかを満たして一つになるからです。それを満たしてくれるのです。それは何かというと、二つが一つになる時に「好きだ」と言うのです。このようなことに満たされていれば、よいですか、よくないですか? (それだけでは)百パーセントにはなりません。 さあ、自分が生きる中で「好きだ」と言う時はいつかというと、自分の生命を中心として一つになることのできる位置に立つ時です。生命が喜ぶことというのは、一体、何ですか?。その根は何でしょうか?。愛なのです。見えませんが、結局、その根は、生命よりももっと深い位置の愛の根につながり、生命を中心としてここで、男性と女性を中心として「好きだ」という運動が起こるのです。 「好きだ」ということも、生命と愛が根になっているということを、私たちは考えなかったというのです。深刻に分析すれば、その位置まで行くのです。「うれしい」ということの根源は、どこから起きてくるのかというと、生命が維持され得る根源的愛の根にプラスになることができてこそ、起きてくるのです。そうであってこそ、それがオーケーと言うのです。 それでは、なぜ二つでなければならないのでしょうか?。一人ならもっとよいのではないですか?。一人ならば二点になるのですが、二点では運動が起きません。直線は何かというと、二点を連結させるものです。二点では運動がありません。それゆえ、二点、三点が必要であり、これが多ければ多いほど、だんだん球形になるのです。縦的なものを中心として地球を見たとしても、中心を中心として磁力線が運動しているのです。 それでは、なぜ二つが必要なのでしょうか?。一つになるためなのです。左目と右目は(お互いに)見えませんが、これは運動しているのです。皆さんの目は、横に行ったり来たりし、上がっていったり下がっていったりするのです。顔にある目は神様を象徴するのです。横的な世界の果てを見ることができ、縦的な果てを見ることができるので、目は神様を象徴するのです。 目も白い所、黒い所、瞳孔の三段階になっています。三段階です。それゆえ、鼻も一と二、ここで一つになります。空気が二つの鼻の穴から入っていき、ここで一つになるのです。完全に水平にならなければなりません。耳も、中に入っていくと鼓膜があるのですが、すべて水平になっています。これ自体が四方を通して、横的運動、縦的運動をするのです。ですから、縦的にも上中下、横的にも上中下、このようにして球形が展開するのです。 私たちの家の中を見れば、父子関係は何を中心にしているのでしょうか?。三点です。夫婦関係も何を中心としているのでしょうか?。三点です。子女関係も何を中心としているのでしょうか?。三点です。それは何を中心として一つになるのですか?。二つが一つになってです。二つが完全に一つになれば、中心が生じるのです。 その中心をつくる力は何でしょうか?。それが愛なのです。愛なのですが、どのような愛ですか?。自分を愛するのではありません。相対を愛するのです。それゆえ、愛という存在は本来、自分のために生きるところから生じるのではなく、相対のために生きなさいという、相対的愛なのです。 それでは、男性と女性は、一体どのような存在なのでしょうか?。男性はなぜ生まれたのでしょうか?。自分のために生まれたのでしょうか、相対のために生まれたのでしょうか?。米国の人々はどうですか? 存在の主体・対象関係において、主体という存在は、主体のために生じたものは一つもなく、対象という存在も、対象のために生じたのではありません。主体は絶対的に対象のために生まれたのであり、対象は絶対的に主体のために生まれたのです。ところで、なぜ、そのように生じたのでしょうか? 父子関係の中心は何ですか?。愛です。それは見えません。夫婦関係の中心は何ですか?。愛です。兄弟関係の中心は何ですか?。見えない愛なのです。見えない愛ゆえに、このすべての球形が展開するのです。上が父ならば、下は息子です。これが男性ならば、これは女性です。これが兄ならば、これは弟です。(図1を書きながら語られる) この二つを一つにして、全体が拍子を合わせるようにするものが何かというと、兄弟間の愛であり、父子関係の愛であり、夫婦間の愛なのです。愛はこのような力をもっているのです。そして、すべての中心がここ( )です。中心はどこかという時、球形の中心というものは、永遠に変わりません。いくら大きくても、これは一つしかありません。地球が大きくても、中心は同じです。この宇宙が運動する中心も同じです。 球形の運動は、上下、前後、左右関係が、必ず中心を中心として、同居、同位、同等の価値を備えていなければならない、という結論が出てくるのです。それで、十字を中心として八段階になっています。(図2を書かれる)家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様。中心とは何ですか?。球形世界形成のためには、この枠を外れては形成できないのです。 愛の主人になり得る資格をだれが与えてくれるか 男性は何をもちたいですか?。男性が、最ももちたいものは何ですか?。お金。知識。権力 何ですか? (「愛です」)。何ですか? (「真の愛です」)。神様を分からずして、真の愛は分かりません。愛でなければならないことは、決定的な結論です。愛を好むのですが、好むその愛が完全ではないので、「真」をつけて真の愛というのです。 父子関係において、真の愛というものはこの点(図1の )だというのです。父子関係や夫婦同士で愛しても、この位置(図1の )に来てこそ、真の愛になるのです。分かりますか? このように父子関係として確定され、夫婦として確定され、兄弟として確定されるのです。 天も二人です。二人が一つにならなければなりません。二人は何を中心として一つになるのでしょうか?。力でもなく、他の何でもありません。愛を中心としてです。その愛は、父の側に行かなければならないでしょうか、息子の側に行かなければならないでしょうか? (「中央です」)。では、父が見る時、息子は自分よりも小さいのに、中央だということを好みますか?。嫌うというのです。それでは、愛が父のほうに近く、息子のほうから遠くなるのですが、これでは一つになれないではないですか?。不平が起きるのです。これを知らなければなりません。 一体、愛の主人は、だれが決定してくれるのでしょうか?。上になる、下になる、ということはすべてほうり出し、愛というものの主人はだれが決定してくれるのか、ということが問題なのです。 父母の愛の主人になり得る資格を、だれがつくってくれるのでしょうか?。父母だけでは永遠になせません。子女がいることによってなされるのです。父母がいくら優れていたとしても、子女がいなければ、父母として主人になり得る資格、愛を中心として主人になり得る道は、永遠にないのです。愛の主人にしてくれるのは子女なのです。 主人にしてくれるのですが、独裁的ではありません。感謝です。二人を主人にしてくれたので、立派な父母が、鼻水を垂らした子女に口づけするのです。それは何ですか? 「私がおまえよりも下になろう」と言うのです。愛には、そのような力があるのです。偉大だというのです。なぜ、そうなのでしょうか? 「あなたが私を愛の主人にしてくれたので、感謝だ」ということです。 米国の女性たちは、子供を生むことを好みません。赤ん坊を生んで、その赤ん坊を愛することができないでしょう。(「愛します」)。毎日のように、一日に何度も大小便を漏らすのを見る時、「ぺっぺっ、ああ」と言いますか、それとも大小便であれ、何であれ、喜んでおしめを取り替えますか? 母親は、おならの臭いが少し違えば、「これは、何かの病気にかかったのではないか?」と心配するのです。臭いが違うでしょう。(「赤ん坊の大小便の臭いですか? (通訳者)」)。そうです。毎日のように違うのです。同じではありません。少し違えば、「ああ、大変なことになった」と言いながら、くんくんと臭いを嗅ぐのです。それはなぜですか? 「あなたが私を愛の母の資格の看板を付けてくれる主人だ」と思うからです。主人に侍らなければならないのです。分かりますか? いくら美男子、美女でも、息子・娘がいなければ、「ああ、私は愛の主人だ。子女を愛することのできる資格者になった」と言うことはできないのです。子女がどれほど貴いか、ということを知らなければなりません。永遠に、母の愛の主人になることはできないのです。 先生は、美男子ですか、醜男ですか? (「美男子です」)。美男子になって、何をしようというのですか?。ハンサムは使い道がありません。何に使うのですか?。夫になり得る資格者の可能性があるので、女性たちが「ハンサムだ」と言うのです。 男性が「ハンサムマンだ」と言いますか、女性が「ハンサムマンだ」と言いますか? (「女性です」)。しかし、いくら美男子でも、男性は妻を愛することのできる主人になることはできません。主人にしてくれるのは、男性ではありません。いくら醜い女性でも、女性が主人にしてあげることができるのです。 ここにいる男性たちは、女性が好きですか? (「はい」)。どうしてですか? (笑)男性として女性を守ってあげることのできる愛の主人になるので、好むというのです。それを知らなければなりません。では、女性はどうですか? (「はい」)。女性が男性を愛し得る主人になれるのは、男性がいるからです。男性がいなければ、永遠になれません。それは正しい話ですか、間違った話ですか? (「正しい話です」)。 愛の主人になろう では、「私は幸福だ。世界の女性の中で私が一番だ」と言う妻がいたとするならば、その夫はどんな夫でしょうか。町内に多くの家庭がありますが、その中でも自分の夫が一番好まれるならば、その妻は町内で最も幸せな妻です。町内の人々が「あの女性は幸福だ」と言うようになるのです。他の女性たちまでも、その男性を「よい男性だ」と言うのです。そのような夫は、すべての家で歓迎されるのです。どこであってもつまることなく、通過できるのです。 夫婦で暮らしていて、夫が「妻のために先に死のう」、妻が「夫のために先に死のう」と、競争するならば、そこで先に死のうという人が、一番の妻、一番の夫になるのです。遊びにいく夫が多いのに、彼は汗を流して妻のために死ぬほど働くのです。バカンスシーズンでもバカンスに行かずに、働いてお金を稼ぎ、何をするのでしょうか?。妻のためにダイヤモンドのイヤリング、ダイヤモンドの首飾り、ダイヤモンドの鼻輪、すべて買ってあげようというのです。分かりますか?。自分が死ぬほどに、妻を貴くしてあげよう、という人がナンバーワンの夫なのです。 世の中の人々は結婚する時、愛するために行きますか、愛を受けるために行きますか?。どちらですか?。米国の女性たちはどちらですか? (「与えるために行きます。受けるために行きます」)。与えるために行けば、上がっていきますか、下がっていきますか? (「上がっていきます」)。下がっていくのです。(「上がっていきます」)。それは間違いありません。原則を知らなければいけません。 神様は愛の王です。神様を愛する人が、神様の前に引かれていく時に、感謝しなければならないでしょうか、足で蹴らなければならないでしょうか?。神様を愛する人が、自分の耳を引っ張られることを、喜ぶでしょうか、気分を悪くするでしょうか? (「喜ばなければなりません」)。 一人で暮らす女性は悲惨です。愛が分かりません。その胸もだれも触ってくれず、自分の愛の五官もだれも必要としないので、どれほどかわいそうですか?。女性同士でキスをしますか?。女性が女性に胸を差し出して、「触ってくれ」と言うのですか? (「いいえ」)。そのような人は、幸福ですか、不幸ですか? (「不幸です」)。そのような人は、愛が分かりません。男性を愛することのできる、永遠の主人になることができないのです。 そのように愛して何をするのか、というのです。神様は、男性の完成した人格、女性の完成した人格、二つの人格を完成しているのです。それゆえ、男性を愛することのできる主人、女性を愛することのできる主人が一つになってこそ、神様を愛することができるようになるというのです。このようになるのです。 そのようにして神様を愛さなければならないのです。神様もそこで、初めて「私があなたたちの愛の主人になったのだなあ」と言うのです。絶対的な神様でも、一人では愛の主人になることはできません。 このような御言を教えてあげているのですが、月謝をどれくらい出しますか?。このようなことは今、初めて聞きました。この世界のどんな図書館にもありません。天の国にもないのです。レバレンド・ムーンが語ることによって、天の国にもあるようになり、この地上の図書館にもあるようになったのです。 これは米国を与えても買うことはできす、天地を与えても買うことのできない内容だということを知らなければなりません。どれほど貴いかということを知らなければならないというのです。愛の主人になろう。永遠に、絶対的な愛の主人になるとすれば、不幸な人がいますか? (「いません」)。 個人、家庭、氏族、宇宙全体の、愛の主人になろう。なぜ、「主人になろう」と言うのですか?。そうしてこそ、私が神様を引っ張ることができるのです。(「アーメン」)。(拍手)私が韓国語で話しているのに、なぜ、そのように拍手するのですか?。なぜ、そうするのですか? 「韓国語以外は話さない」と言ったのに、英語で話したようですね。「公的な場で英語は話さない」と言ったので、「ああ」と言わなければなりません。(笑) 英語は水平言語です。父親にも「You(あなた)」、母親にも「You(あなた)」、おばあさんにもおじいさんにも「You(あなた)」です。すべてそうなのです。中心がなく、上下がありません。それゆえ、個人主義になり、自分勝手に生きるのです。 私がこのようなことを言うので、米国では「レバレンド・ムーンは嫌いだ」と言っています。では、そのように迫害している米国人が滅びるでしょうか、迫害されているレバレンド・ムーンが滅びるでしょうか?。神様はだれを保護するのでしょうか?。世界でナンバーワンの、為に生きる愛のキングになっているので、レバレンド・ムーンがいなければ神様が悲しいので、保護しようとされるのです。真の愛の中心なのです。 それゆえ、神様はレバレンド・ムーンを保護せざるを得ないのです。保護しなければ、神様が死ななければなりません。神様がなくならなければならないのです。そうすることができますか?ですから、そのような人は永遠に滅びないのです。愛をなすことのできる位置で、愛することのできる対象もいなければ、神様もいなくなるのです。完全なプラスがあれば、完全なマイナスが生じるようになるのです。それが創造の原則です。完全なプラスもなく、完全なマイナスもなければ、これもなくなるのです。 犠牲になりなさい、投入しなさい、奉仕しなさい ついて言ってください。私は、(「私は」)。父と息子が必要だ。(「父と息子が必要だ」)。私は男性と女性、夫婦が必要だ。(「私は男性と女性、夫婦が必要だ」)。私は兄弟が必要だ。(「私は兄弟が必要だ」)。すべて同じ価値の内容をもった食口が必要だ。(「すべて同じ価値の内容をもった食口が必要だ」)。家庭です。分かりますか? ここで一つでも欠けてはいけません。父がいなければ宇宙の公式に不合格なので、いなければならず、息子がいなければならないのであり、夫がいなければならないのであり、妻がいなければならないのであり、兄弟がいなければなりません。 では、皆さんが妻(や夫)を迎えるとすれば、どのような家から迎えますか?。このように、上下の父子関係、夫婦関係が円満な家の息子・娘を迎えますか? (「円満な家の息子・娘です」)。それは一代だけですか、永遠にですか? (「永遠にです」)。皆、「永遠に」と答えるでしょう。 それはどういうことかというと、宇宙全体が家庭を中心として、このようになっているということです。家庭の父子関係は父親と息子であり、国の父子関係は国王と国民であり、世界的父子関係は神様と聖子であり、宇宙は神様と天子だというのです。 国のすべての男性・女性の家庭は横的であり、すべての家の息子・娘は兄弟なのです。それがモデルになっています。大きいだけで、内容は同じです。世界がいくら広くても、おじいさん・おばあさん、父親・母親、自分たち夫婦、息子・娘、この四段階なのです。個人でも、国でも同じだというのです。 それでは、あなたたちは家庭に入って暮らしますか、国に入って暮らしますか? (「国です」)。世界、天地、天宙に入って暮らすのですか? (「はい」)。なぜですか?。このすべてのものが私のものになるからです。家庭で国を愛し、家庭を愛する以上に国を愛するので、その国が私の懐に入ってくるのです。国よりも世界をもっと愛するので、世界が私の懐に入ってくるのであり、天地よりももっと愛するので、神様が私の懐に入ってくるのです。 アベルという存在が犠牲にならなければなりません。 皆さんの心と体を見れば、体がカインです。先に出てきたのです。良心は後から出てきたので、後から出てきた良心が、体を保護しなければならない責任があるのです。このように考えるとき、皆さんどうですか?。心が強いですか、体が強いですか? (「体が強いです」)。それは堕落したからです。 それでは、「自分は男性になろう」と願って生まれた人がいますか? (「いません」)。「願って生まれてきた」という人は、手を挙げてください。(「いません」)。自分が願って生まれたのではないのに生まれ、願うことがありますか、ありませんか?。生まれたのは、自分のために生まれたのではありません。相対を要求するのです。それを知らなければなりません。為に生きるために生まれたのではない人は、相対理想の世界とは関係がありません。永遠に、男性は女性のために生まれたのです。女性はどうですか? (「男性のためです」)。 それでは、一日、二日、自分の思い通りに生きたら、関係世界に引っかかりますか、引っかかりませんか? (「引っかかります」)。ですから、家庭に入っていって、一時間も自分のために生きることなく、家庭全体のために生きる人がナンバーワンの孝子です。それを知らなければなりません。また、忠臣とは何ですか?。国全体のために生き、その国の民族だけでなく、水、空気、木までもすべて、国王以上に愛する人です。木も水も保護し、主人のように愛するのです。 米国に、そのような愛国者がいますか?。この者たち、なぜ、答えないのですか?。恥ずかしさを感じる前に、先に答える人は正直なので、今後希望的であり、教育して使い道がありますが、座り込んで話さない人は、教育も受けることができません。教育を受けることができないので、地獄に行くのです。それゆえ、米国が滅びるのです。「神のもとの一つの国」ではありません。「神のもとの一つの世界」、「神のもとの一つの宇宙」。そのようなコンセプト(概念)がないのです。 権力を握ったので、世界を思い通りにしようとしていますが、それはできません。政治の力、経済の力、科学技術の力をもってしてもできないのです。レバレンド・ムーンが警告します。「神のもとの一つの国」よりも「神のもとの一つの世界」です。世界を守ることのできる国が必要です。この宇宙を保護するものが必要なのです。なぜですか?。神様が宇宙を支配しているからです。宇宙を支配する方の相対になろうとするので、不可避的に、その位置まで上がっていかなければ、神様の相対に立つことはできません。永遠な存在と相対基準を結べないので、不幸なのです。そこには、平和、幸福、何もあり得ない、という結論が出てくるのです。理論的なことです。 レバレンド・ムーンは悪い人ですか、善い人ですか? (「善い人です」)。神様は善い方ですか、悪い方ですか? (「善い方です」)。どうして分かるのですか?。神様を見ましたか?。見ることはできませんが、レバレンド・ムーンが展開した論理の内容を見れば、宇宙がすべて喜ぶことのできる王のような位置に立っているので、「善い方、善い神様」という言葉は自動的な結論なのです。(「アーメン」)。 皆さん、善い人になりたいでしょう。自分のために生きる人は悪い人になります。それは間違いなく知っていることでしょう。(「はい」)。それゆえ、レバレンド・ムーンがはっきりと教えてあげるのです。八人の家族が暮らしていれば、八人の家族のために犠牲になりなさい、投入しなさい、奉仕しなさい、というのです。そのようにすれば、滅びますか、発展しますか? (「発展します」)。何が発展するのですか?。犠牲になって助けようと、すべてをはたいてなくし、裸で奉仕するのに、何が発展するのですか? (「発展します」)。そのような話がどこにありますか?。 なぜですか?。残るものは一つもありません。滅びるはずなのに、発展するというのですか?。なぜ、そのように言うのですか?。ただ一つの結論です。中心存在になるということです。何の中心ですか?。愛の中心です。 それゆえ、家庭で犠牲になれば、家庭の主人の位置が相続できるのです。国においてそれ以上にすれば国の相続者になり、世界において聖人の道理以上にすれば世界の相続者になり、神様の息子・娘、イエス様の聖子の道理以上にすれば神様までも相続できるのです。 「そのような話はやめろ。レバレンド・ムーンは間違っている。異端だ。異端だ。キリスト教が天下を占領し、レバレンド・ムーンは滅んで、すべてなくなるのだ。見ていろ」と言いながら、四十年反対して、だれが滅びましたか? (「お父様が勝ちました」)。なぜですか? 中心なのです。中心になり、下りていくのではなく、上がっていくのです。 この世界をすべて犠牲にしたとしても、神様のために生きれば、神様も私の言うことを聞かなければなりません。先生が縦的に行けば、神様がついて来るでしょうか、ついて来ないでしょうか?。大きい岩穴に逆さまに打ち込まれていたら、神様が来て、お尻を引っ張り出してくれるでしょうか、くれないでしょうか? (「引っ張り出してくれます」)。本当にそうですか? (「はい」)。 (英)信じるというのではなく、理解できましたか?。信じるということは概念であって、理解するというのが本物です。さあ、信じますか、分かりましたか? (「分かりました」。)分かったということは、実践するということです。実践、実践、実践です。信じても実践できません。概念だからです。(英) すべて分かったので、「神様、私を助けてください」と言わなければならないでしょうか、「分かりましたので、助けてくれなくてもよいです。私は仕事をすればよいのです」と言わなければならないでしょうか? (英)なぜ、もっと教えてもらおうとしたり、恵みを受けようとするのですか?(英) 模範的な姿を見せる 四億双祝福は問題ありますか、ありませんか? (「問題ありません」)。あなたの町内に、未婚の女性、男性がいれば、強制的に連れて来ますか、それとも「来るな」と言っても、ついて来るようにしますか?。問題はそこにあるのです。模範的な姿を見せなければなりません。(「はい」)。あなたたちには、そのような歴史がありますか?。何か、見せてあげるものがなければいけません。 家で妻と暮らしていても神様が行ったり来たりするような、「世界の王も来なさい」と言うことのできるカップルになるように、私が教えてあげていますが、そのように一度なってみますか? (「はい」)。男性と女性が生まれたのは、そのようなことをするために生まれたのです。あなたたちのように、結婚して何も理解せず暮らし、ただなるがままに、天も知らず、人類も知らず、世界も知らずに死ぬのではありません。 基本的に、人はどのように生まれたのか、根本がこうなっていて夫婦になった、ということをはっきりと教えてあげなければなりません。それを知りたいですか? (「はい」)。どこから生まれたのですか?。愛から生まれたのです。愛とはだれですか?。父親と母親ですか? 父親と母親の愛が一時間あればよいですか、永遠で宇宙的であればよいですか? (「永遠で宇宙的であればよいです」)。 では、アダムが生まれた歴史を話します。アダムにへそがあったでしょうか、なかったでしょうか? (「ありました」)。そのことから知らなければなりません。へそがなければ、どこから生まれたのですか? (笑)アダムにはへその緒があったので、母親がいたのです。母親の腹中にいなければならないではないですか。へその緒を見ましたか? (「はい」)。アダムには、見えないコードもあり、見えるものもあり、二つともあったのです。 では、神様はどのようにして生まれたのでしょうか?。神様も、この世の中の万事が生まれた天地の理知による存在法則に従って生まれたのであって、突然、ドッと生まれたのではありません。神様にもへそがあるでしょうか? (笑)(「ありません」)。それゆえ、これが問題なのです。どのようになっているのか、というのです。見えないへそと見えるへそ、その二つをもっているのです。それならよいのです。見えるものを実際に人間の前に差し出したので、アダム・エバには間違いなく、見えるへそがあるのです。 それでは、神様が生まれる時、初めから、天地を創造した神様として生まれたでしょうか、赤ん坊のように生まれたでしょうか? (「アダムですか?」)。神様のことです。神様が生まれる時、宇宙を一度に創造することのできる存在として生まれたでしょうか、赤ん坊のように生まれたのでしょうか?。神様が生まれるのに、何億万年かかったでしょうか?。神様が先にいたでしょうか、愛が先にあったでしょうか? (「愛です」)。(「神様です」)。(笑)愛が先でしょうか、神様が先でしょうか? (「愛です」)。 さあ、目が二つになったのは、目のために二つになったのでしょうか、愛のために二つになったのでしょうか? (「愛のためです」)。神様も心と体の二性性相としていらっしゃるのなら、その二性性相が一つになることのできる位置に立つとすれば、何が先ですか?。愛が先でしょうか、二性性相が先でしょうか? (「愛です」)。そうでしょう。愛なのです。 神様の目には、愛が見えるでしょうか、見えないでしょうか?。あなたたちは、神様が見えますか?。生命が見えますか、愛が見えますか?。見えないでしょう。深い所に入って行けば、どんどん真っ暗になっていきますか、明るくなっていきますか? (「真っ暗になります」)。真っ暗になるので、見ることができますか、できませんか? (「できません」)。 神様も、深い所に愛が見えたら、そこにしがみついて離れません。神様は出てきません。見えない底に愛があれば、その底で愛を見て喜ぶのであって、何をしにここに出てくるでしょうか?。神様も深い愛の根源を知らない、という論理が展開するのです。力がどれほどあるでしょうか?。暗い世界は、無限と通じています。明るい世界も無限と通じていますが、暗い世界も無限と通じるのです。 さあ、暗いものが先でしょうか、明るいものが先でしょうか? (「暗いものです」)。なぜですか?。熱が出るためには、二つがこすれなければなりません。運動をしなければなりません。熱が出れば、光が出ますか、出ませんか? (「出ます」)。ですから、神様自体、二つが授け受けして喜び、この空間に水平をなしてとどまることのできる位置にいたということなのです。 神様も、暗いものを好んだでしょうか、嫌ったでしょうか? (「好みました」)。何が、そこに光を照らしたでしょうか?。愛の力です。電気もプラス・マイナスが引き合う力があり、その愛の力を発揮するので光が出るのです。この次に原理講義をする時に、ひっきりなしに質問されて分からなくて困ったら、私に聞いてみてください。 町内の若い者たち、「私の言うことを聞けば王になり、天地をすべて動かすことができる」という内容を教えてあげれば、お尻にしがみついて、離れずに走ってくるでしょう。コンセプトであれ現実であれ、私という存在は、父親と母親の腹中で、へその緒をもって子宮に宿されたのは事実です。 では、父親と母親が「今度は娘を生む」、あるいは「息子を生む」と決定をしたでしょうか? (「していません」)。それはだれが決定するのですか? (「神様です」)。神様は見えもしないのに、どうして分かるのですか?。それは分からなくても、原因があって結果が出たのは事実です。その原因が神様であるならば、神様が願ってそのようになったということです。そのような論理的結論は、だれも否定することはできません。「そうだ」と言うのです。 男性として生まれるか、女性として生まれるかという動機は、父親、母親でなく、主人の資格をもつ、根本である神様であらざるを得ない、という結論が出てくるのです。郭錠煥 (「はい」)。立ちなさい。この人を知っている人は多いでしょう。(「はい」)。顔を回してください。美男子ですか、醜男ですか? (拍手)米国人の中では美男子にはなれません。アジアでは三番以内に入るかもしれませんが、この西洋人の中では三等にもなれず、びりから少し前かもしれません。(笑) それでも、米国の未婚の美女が御旨の道を知り、「米国人の美男子のところに嫁に行きますか、それとも、アジア人でびりかもしれないレバレンド・郭のところに嫁に行きますか?」と言えば、「レバレンド・郭です」と言うのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。 「自分の息子・娘は米国で最高だ」と言っていた母親が、自分の息子が韓国人の女性と結婚したので、「レバレンド・ムーンをたたき殺したい」と言っていたのですが、最近では、韓国の嫁をもらったことを誇ろうと、町内の親戚を訪ね回っているというのです。それで、周囲では「ムーニー以上に狂った」と言っているのです。(笑)どこの国に行ってもそうです。 今、宗教世界の人々が超宗教的に結婚しようと言えば、皆「統一教会の教会員ならばする」と言うのです。それは善い知らせですか、悪い知らせですか?。善い知らせならば、拍手しなければならないでしょう。(拍手) 家庭の完成は宇宙全体の完成のモデル ミスター・郭は、母親の子宮から生まれる時に、言葉を話すことができたでしょうか?。父親と母親の生命の血がすべて連結されているのです。それで大きくなるのです。それゆえ、赤ん坊をおなかに宿したら、胎教が必要です。父親と母親が突然驚いたり、罪を犯して良心的に苦痛を受ければ、赤ん坊が苦痛を受けるのです。それは放送局の放送塔と同じです。夫婦が愛を中心として放送をすれば、電波で連結されるように、赤ん坊に伝わるのです。 それでは、妊娠して、夫婦でけんかしなければならないでしょうか、してはならないでしょうか? (「してはなりません」)。女性の赤ん坊を宿せば、その女性の赤ん坊は男性の赤ん坊を相対的に考えて育つのです。マイナスが生じれば、プラスが生じるのです。 腹中時代に、完全な赤ん坊として育たなければなりません。神様は胎教の王です。腹中に赤ん坊を宿している時、どれほど神聖で、どれほど貴い心をもっただろうか、それを考えなさいというのです。 人として生まれるうえで、女性ならば「女性として腹中世界の女王として生まれる」と、そのように考えるのです。「最高の王の中の王にならなければならない」と考えるのです。男性たちが願う欲望は、そうなのです。 なぜ、そうなのでしょうか?。男性もそのようにしたい、女性もそのようにしたいという事実は、神様がそのような愛の王の主人の位置を所有しなければならないので、「神様がそのように願ったから、そのようになった」と考えざるを得ないのです。 腹中時代、それから生まれて母親のひざの上では赤ん坊時代、それから、二歳、三歳になれば歩き始めて兄弟時代です。自分が娘なのか、息子なのか、分かるのです。三歳になれば、男の子が男の子を好きにはなりません。女の子が男の子を好きになり、男の子が女の子を好きになるのです。 腹中時代、赤ん坊時代、兄弟時代です。(図3を書かれる)女性は女性で大きくなり、男性は男性で大きくなります。幼稚園、小学校と大きくなっていくのです。腹中時代、赤ん坊時代、兄弟時代、ティーンエイジャー時代・約婚時代、結婚時代、父母時代、祖父母時代、王・女王時代です。これは何段階ですか?。八段階です。 腹中から生まれた時、どのような願いをもって生まれたのかというと、八段階の女王として男性の王に侍ることを願い、そのために生まれたというのです。では、なぜ八段階の位置が必要なのでしょうか?。神様が人間存在の起源から完成する時まで、すべての内容を中心として主人になり得る資格の位置を必要とするので、そのようにされたのです。そして、天国に行くようになっています。神様の世界に行って、一緒に暮らすことのできる一人息子・一人娘になるのです。家族になるというのです。 では、なぜ男性は生まれたのでしょうか?。女性のために生まれたのですが、それとともに、腹中時代の主人として、赤ん坊時代の主人として、兄弟時代、約婚時代、結婚時代、父母時代、祖父母時代、王の時代の主人として生まれたというのです。神様をそのような主人にするために、男性と女性が生まれたというのです。そのような事実を知らなければなりません。このような八段階の基準を経て育つというのです。縦的な基準です。一段階、一段階、このように上がっていくのです。 皆さんは、とめどなく高くなりたいでしょう。大きい木があれば、その木は東西南北に伸びているのですが、大きい枝を巡り巡って一番高い芽の位置を通り、根に帰っていくのです。神様に帰っていくために、それは不可避だというのです。その芽は根に帰っていくのです。いくら大きくてもそうです。これを連結させて、すべてが動くのです。 それはどういうことかというと、縦的な神様、愛の主人が、愛の家庭的王の主人、氏族的王の主人、八段階の主人、このような世界を拡大した主人の位置を決定するために、腹中から生まれた赤ん坊は、希望的な愛の相対のために育つというのです。そのことを知らなければなりません。 皆さんの家庭がそのようにならなければなりません。いい加減に暮らすことはできません。一つのものを分けることはできません。枝一つでも思い通りに切ることはできません。米国では、縦的な八段階の道をすべて否定してしまい、離婚してしまうというのです。家庭の中心がありません。 それゆえ、あなたたちは家庭のために自分を投入し、忘れてしまわなければなりません。その次に氏族を育てなければなりません。氏族は民族を育てなければなりません。民族は世界を育てなければなりません。世界は天地を育て、天地、神様までも、愛を育てなければならないのです。愛のために生まれたので、神様も愛を育てなければなりません。愛を大きくしなければならないのです。 それは何かというと、真なる愛の前には、神様も絶対服従しなければならないということです。その愛を占領してこそ、地獄まで解放されるのです。神様もそのような愛に絶対服従することのできる位置に立ってこそ、この暗い世界、光の世界、内外を自分の相対世界として完成させることができるのです。そうすれば、この軸は永遠に回っていくのです。そこには地獄はなくなります。回っていくので、明るい地上天上天国になるのです。 腹中から慕わしくて訪ねてくるのが夫です。それでは、赤ん坊時代の願いは何かというと、結婚して神様と一つになる位置です。兄弟時代の中心も結婚であり、ティーンエイジャー時代の中心も結婚なのです。家庭なのです。家庭の完成というのは、宇宙全体の完成のモデルなのです。その事実を知らなければなりません。 もっと大きい真の愛を訪ねていく 神様が愛を中心として被造世界をつくった時、先に何から愛したでしょうか?。微生物です。そこのプラス・マイナスイオンを愛したのです。すべてのものは、何をするために存在するのですか?。愛の因縁を結ぶためです。これを知らなければなりません。愛の関係でつくられたので、より大きい愛の世界に行こうとするのです。それゆえ、鉱物世界は、もう少し次元の高い植物に吸収されるのです。植物世界は、鉱物世界のプラス・マイナスを吸収するのです。 それは、存在世界の愛の理想を形成するために、為に生きて、投入し、犠牲になる法なのです。それを知らなければなりません。そして、もっと大きい真の愛を訪ねていくのです。自分は小さいのですが、もっと大きい真の愛の中心の目的地に行こうとするのです。 植物は動物を訪ねていきます。植物にも二重目的があります。昆虫に食べられるのはつらいけれども、自分が生まれてきたのは、人間の世界、人間の生命圏まで行くためなのです。希望が大きいのです。大きい目的のために進んでいくので、希望があるのです。 自分は、ほんの一、二年生きて死ぬかもしれないが、大きい希望圏内にいれば、十年、百年生きることができ、もっと大きいところに行くので、現在の苦痛は消化して越えていくというのです。喜びだと思わなければならないのです。 人間が王ですか?。王の王はだれですか?。神様です。神様は、どのような王ですか?。愛の大王陛下です。神様の細胞に入っていけば、植物細胞、動物細胞、昆虫細胞、人間細胞、すべてに接することができます。最高の位置です。博物館の展示品と同じように、最高の展示品があるのです。鉱物の細胞、植物の細胞が誇るのです。 皆さん、女性たちは鶏を捕まえて食べたことがありますか?。血を流さずに、殺さずに、食べることができますか?。そのようにする時はかわいそうです。殺す前に「ああ、どれほどおいしいか?」と、おいしいことが先立ちますか、かわいそうだということが先立ちますか?。どちらですか?。どちらでなければなりませんか? 愛しなさいというのです。申し訳ないのです。「おまえが私の息子の細胞になり、私の重要な子宮の細胞になる。それを吸収するためにほふるのだ。申し訳ない」と考えるのです。死んで私が得ることになるので、あいさつしてありがたく思わなければなりません。 「神様を愛する息子となり、王子・王女となり、天地の大主宰の愛の体の、そのような細胞にしてあげよう」と言う時、「嫌だ」と言うでしょうか、「早くしてください」と言うでしょうか?。心で「ああ、頭が痛い」と叫ぶ前に、「ああ、よくなれ」と思って殺せば、神様の愛が、その死の位置までいくのです。 先生はパンタナールに行って、そのような論理で釣りをします。明け方出ていって、夜暗くなって帰ってくるのです。また、アラスカでは、二時、三時まで寝ずに釣りをするのです。では、捕まえて何をするのですか?。私が捕まえた魚は、自分では食べません。最初に捕まえた魚は、そのまま祭物として捧げます。今まで、神様の前に、旧約時代、新約時代には、すべて半分に裂いて捧げましたが、先生はそのまま丸ごと捧げるのです。 そして、「私があなたたち(お父様が行った地域)にとって、最も貴いパク、ドラド、ピンタードを捕まえるのは、神様の息子・娘である祝福を受けた家庭、天の国の皇族になり得る息子・娘たちが、ここにあなたたちを訪ねてきたら、あなたたちが食べさせてあげるべき責任があるではないか?。それでは、だれが捕まえてあげたらよいか?。王の中の王になることのできる真の父母が捕まえてあげれば、善いのか、悪いのか?」と言えば、魚の世界で「はい」と言うのです。(拍手) のらりくらりとはしません。私がすべて精誠を尽くすのです。あなたたちよりも私が精誠を尽くし、食べる人はもっと精誠を尽くすので、天下のすべてが私の側になるのです。そのような立場で捕まえて、あなたたち(魚)を殺したとしても、あなたたちを愛したということが残って残って残る、そのような基盤を通して、天の国の王子が生まれることができ、王子・王女の細胞になることができるというのです。どれほど幸福でしょうか?ですから、釣りをすることは罪ですか、それとも、神様の愛を地に連結することですか?。 先生は堕落した世界の上に上がっていき、釣りをするのです。これが真の父母です。かみつきたければかみつけというのです。きょう捕まえた小さい魚が、神様が愛する人々の肉となり、血となり、細胞となって、栄光を返すことのできる立場になるならば、動物世界で、これ以上幸福なことがどこにあるのかというのです。 あなたたちも、「神様の息子・娘になる」と本当に分かったならば、死の道を感謝しますか、恨みますか?。愛のゆえに生まれたので、愛のために、もっと高い価値のために投入することが、神様のために生きることであり、神様の前に近づいていく道なのです。それゆえ、避けることのできない道であるというのです。 神様が愛する代わりに愛する なぜ、先生がパンタナールに行って四年間、このようなことをしたのでしょうか。多くのさまざまな動物を育てているのです。魚だけではありません。そこには、植物も動物も、すべてのものが、神様がつくった原初的なものが、そのまま残っています。水草を見ても、初めて見るものがあり、動物、昆虫を見てもそうです。昆虫がどれほど多いか分かりません。 そのようなすべてのものを、神様が人類のために、全体理想の愛を完成させるための一部分としてつくっておいたのです。それをチェックしてみて、私が愛さなければならないと思うのです。 地中に隠れている小さい動物まで、神様の愛のゆえにつくられたので、主人の立場で考えだけでもしてあげなければならず、「実際に神様が愛する代わりに愛してあげなければならない」という心をもって見るのです。自然は掲示板なのです。すべては、神様が霊的に教えてくれる教材です。博物館なのです。愛の博物館です。 それゆえ、百年かけてもできず、何百年かけてもできません。新しいものを見たら、神様が千個に対して愛する、そういう心をもって接してあげれば、そこに復活が起きるのです。アダム・エバの後孫たちが愛することができなかったことを、代表として愛する伝統を立てなければなりません。 今回、「七・八節」「九・九節」「三・十節」を通して、今からはすべてのことをやめ、釣りもやめて、愛することだけをするべき時になったので、釣りをしにいっても、魚がかみつきません。不思議なくらいです。魚を愛する時が過ぎ、今からは動物世界、植物世界を訪ねていかなければなりません。陸地に上陸です。ですから今からは、世界のどこか一か所に制限されるのではなく、世界の舞台でハンティングをして歩かなければならないのです。 すべてを経たものが愛の主人になるのです。今からは、経ていない植物、動物世界が限界圏内にあるので、それを訪ねていかなければなりません。そのようにしようとするので、「一日に十か国、一日に二十か国、五十か国行けば、どれほどよいか」と思うのです。 百八十五か国の国の境界を越えて、地球星に境界線がなく、先生が飛んでいって狩りをすることができるように、その国家全体が動員され「レバレンド・ムーンが来て、国家の一番の公園地帯で狩りをしてください」と言えば、その国が福を受けるのです。招待する国は福を受けるというのです。(拍手) 百八十五か国に行って、ハンティングしたすべての万物は、展示品として写真を撮ってくるのです。その国に行って狩りをして撮った写真に、「いつ、どこで捕まえた」という記録を残せば、その地域は有名な名所になります。そこは、聖地になるというのです。レバレンド・ムーンの名ではありません。真の父母の名です。真の父母は永遠に一人のお方です。絶対、唯一、不変、永遠に一人のお方なのです。ハンティングの聖地になり、世界的な名勝地になるのです。 先生は八十歳になった老人でも、このように健康でよく歩き回るのですが、歩いていきますか、飛んでいきますか? (拍手)(「飛んでいきます」)。何に乗って行かなければなりませんか?。雲に乗って行くのでしょう。 再臨主は、「雲に乗って来る」と言いましたか? (「雲に乗ってくると言いました」)。その名は何ですか?。飛行機です。(笑)(拍手)そうなのです。二千年前に飛行機のことが分かりましたか? 分かりませんでした。ですから、うまく表現したでしょう。(「アーメン」)(拍手) 米国を出発したとすると、その進む航路のすべての人々が、「どこを何時に通り過ぎる」と、目を見開いて待つでしょうか、待たないでしょうか?。考えてみてください。真の父母が来るのです。皆が見て、大騒ぎするのです。その時、寝ていた動物、居眠りしていた植物、すべてがゆらゆらと踊りを踊りながら、一緒に拍手をするでしょうか、しないでしょうか? (「拍手」)。すべてのものを愛した大王陛下が出動するので、すべての存在がそこに同参したいと思うのが、自然の理知なのです。 もう、レバレンド・ムーンの性格を知りましたね。海に行って釣りをする時、雷が鳴ろうと台風が吹こうと、気にかけずに進んでいくのです。では、だれが海を一番愛し、台風をだれが一番愛し、稲光をだれが一番愛しましたか?。レバレンド・ムーンだというのです。 神様の前では永遠に平準、平和、平等 嘆息しているすべての万物を、境界線なく思い通りに解放圏に立てるために、開天節が必要なのです。すべてが上がっていくのです。それで、聖人と殺人魔を一緒に解放し、地獄の門とと天国の門をすべて開いておいたのです。それゆえ、どこのだれであっても、優れた者もなく、劣っている者もなく、共に同等な愛の権威に接することのできる、地上天上天国に属することができるのです。 真の父母の夫婦であれ、私の夫婦であれ、同じなのです。蕩減が必要ないというのです。罪を犯せば、直ちに処分する時が来たということです。それを知らなければなりません。自分の一族が処断するのです。 一次、二次、三次のアダム時代は、蕩減が必要であり、解放が必要でした。しかし、解放圏世界での第四次アダムは、祝福圏内に入っているので、神様が提示した原理的な型についていけば、永遠解放圏内に入って行き、万世が祝福を受ける祝福の主人になるのです。この時まで十一年かかりました。祝福の世界化時代は九二年です。祝福世界化です。上がっていく世界化時代です。九五年には三十六万双、長成を越え、解放圏に移っていくのです。「七・八節」は二〇〇〇年に第四回を迎えます。 その次に「九・九節」です。それから「三・十節」です。九月十日です。九月十日、十時十分です。蘇生、長成、完成です。これは旧約時代、新約時代、成約時代です。これに一を加えれば二〇〇〇になります。一九九九から二〇〇〇になるのです。これを二回すれば三〇〇〇になり、三回すれば四〇〇〇です。それで、摂理歴史の四〇〇〇年歴史をすべて蕩減するのです。それゆえ、平等化です。そして、「九・九節」「三・十節」で、すべて終わりました。 先進国、強大国が一つになって弱小民族を打つ日には、天罰を受けます。思い通りにはできません。国連が新しい形態を備えて、世界に平等な国家権利を主張することのできる時代に越えていくのです。 本来、キリスト教を中心として旧教と新教、カインとアベルが一つになっていたならば、先生と一つになっていたならば、その時から七年路程、一九五一年に地上天上天国を完成していたのですが、キリスト教と天主教が反対することによって、全世界が反対したのです。 モーセは四十年間家庭を率い、民族を復帰し故郷を復帰するために帰っていく道に四十年かけましたが、先生は家庭を中心として地球星統一と世界平和の天国基地をつくるために四十年間巡回し、完全に、個人的国境、家庭的国境、氏族的国境、民族的国境をすべて撤廃させたのです。 結婚して、真の愛で崩してしまうのです。怨讐の国同士、国境を超越して結婚しなければなりません。怨讐同士、結婚し一つになって、自分の国よりも幸福に暮らすことのできる解放的家庭をなすことによって、そこから地上天上天国が連結されるのです。アーメン これを知らなければなりません。 その時、そのようにしていたなら、共産党は出てきません。共産党はなくなっていたのです。先生が家庭を率いて四十年間、どれほど迫害されましたか? 「レバレンド・ムーンは、妻泥棒、夫泥棒、兄泥棒、姉泥棒、弟妹泥棒、家庭泥棒、国を掘り返した泥棒だ」と、皆そのように言ったのです。サタン世界はそのように言いましたが、神様の前にはすべてのものを復帰したのです。それを知らなければなりません。このような時に拍手しなければならないでしょう。(拍手) 「優秀だ。大学を出た」と誇るなというのです。大学を出てきた人が心配です。リベラルな者たちが出てきて労働組合を中心として、優秀な人の胸ぐらをつかんで、皆追い出すのです。私たちが必要なのは、真の父母の愛であり、真の先生であり、真の主人なのです。「この三つ以上は必要ない」と思わなければなりません。それはだれのことですか?。神様です。その前には、永遠に平準、平和であり、平等なのです。 神様を乞食にし、滅ぼし、数千万年の地獄をつくった エデンの園でアダム・エバが堕落する時の蛇とは、だれのことですか?。蛇は天使長だと言うのですが、そうではありません。蛇は何かというと、男性の生殖器だという結論を下すのです。それから、アダム・エバに「善悪の実を取って食べるな」と言いました。蛇が最も好むものが、善悪の実です。善悪の実は女性のそれだというのです。蛇が最も好むものは何ですか? 女性の生殖器です。分かりますか? (「はい」)。善悪を知る実です。女性は、善い男性、王に対すれば、王の息子・娘を生み、マフィアと一つになれば、マフィアの息子・娘を生むのです。そのことをいうのです。それを知らなければなりません。 女性が最も喜ぶことは何ですか?。顔がきれいだと、キスすることを喜ぶのですか? しかし、手はどこに行くのですか?。なぜ、笑うのですか?。男性が喜ぶものは何ですか?。手がどこに行くのですか?。その手の後に、何がついて行くのですか?。蛇なのです。(笑)それから善悪を知る実です。女性が喜ぶことは何ですか?。男性が喜ぶことは何ですか? (「生殖器です」)。そうですか? (「はい」)。蛇をぶら下げて歩いているのです。 女性が男性をたくさん誘惑するでしょうか、男性が女性をたくさん誘惑するでしょうか? 蛇なのです。男性が喜ぶことは何ですか?。凹です。そうですか? (「はい」)。蛇をもっていますか、もっていませんか?。それはだれでももっているのです。それをもっていて、自分の妻よりもよい女性がいたら、それが動きますか、動きませんか? (笑)蛇の頭が動くのです。分かりますか?。女性たちは、男性のそれは蛇だということを知らなければなりません。聖書のこのことをはっきりと分かっていたら、米国はこのようにはなっていなかったのです。 (英)悪の蛇による一度の過ちが、永遠の滅亡をもたらしてしまったのです。血統が絶たれたのです。(英) 一度愛して、神様までも乞食にし、滅ぼし、数千万年地獄をつくってきたのではないですか? どれほど恐ろしいですか。蛇の何千万倍の毒をもっているのです。考えてみてください。おじいさん、おばあさんのそれが壊れれば、その家庭と一族がめちゃくちゃになるのです。国王がそうなれば、国が行ったり来たりするというのです。 毒があるのです。毒に酔ってしまうのです。酒に酔うように、毒があるのです。慢性になれば、それを止めるのが、どれほど大変でしょうか?。男性たちは、一日にトイレに何度行きますか?。三時間に一度ずつ行くでしょう。必ず、八回は触るのです。小便をする時、そこに美人がいたら、それが立つか立たないか、チェックしてみましたか? (笑) 女性が裸で来て「触ろう」と言えば、激しく蹴飛ばしますか、じっとしていますか? (「蹴飛ばします」)。行ってしまえ。男性たち、一度言ってみてください。(「行ってしまえ」)。気分よさそうにしているのを見ると、本当に蹴飛ばしてしまうかもしれません。(笑) 「あの男の蛇の頭が入ってくる時、私は完全に破滅だ。女性世界を滅ぼし、天下を滅ぼす。恐ろしい武器をいい加減に開くことはできない」。「自分の夫だけが鍵をもっている」ということを、永遠に記憶しなければなりません。笑いごとではありません。深刻なのです。 女性たちは、胸を触りキスする時、蛇の頭が来てキスすると思い、蛇の頭がタッチすると思いなさいというのです。エデンの園にあった命の木と善悪を知る木とは何ですか?。それは、男性の生殖器、女性の生殖器のことをいうのです。はっきりと知らなければなりません。 (英)種を蒔いた結果は収穫期に現れます。堕落が種です。それによって、生殖器が破壊されました。血統が破壊されてしまったのです。その結果として、フリーセックスはすべてを滅ぼしています。(英)そこにエイズが来ました。すべて滅んでしまいました。天罰を受けたのです。分かりますね? (「はい」)。抱いてキスなどしてはいけません。 米国人たち、踊りの場に行って、男性と女性がくっついてこすれあう時、それが立ちますか、立ちませんか?。答えてください。(「立ちます」)。立つのです。私は分かりません。それは事実です。釘をさすことよりももっと恐ろしく、爆弾よりももっと恐ろしいのです。爆発すれば、一身が滅ぶのであり、一家族が滅び、国が滅ぶのです。 千年、万年、純潔な血統を残す 親族相姦関係、これはすべて滅亡です。分かりますか?。それは動物の世界にもありません。それを神様が審判して、地獄の火に入れるならば、火ももったいないというのです。女性たちは化粧をして、季節ごとにさまざまな色を選び、それを着て歩かなければならないでしょうか、それをしてはならないでしょうか?。最近では、真っ黒な死んだ血(マニキュア)を足にまでつけて歩いています。歯と舌の先まで何かをする時は、最後です。捕まえて食べようというのです。それは悪魔です。 見てください。それで、私は指輪もはめていません。結婚指輪もはめていません。サタン世界は嫌いです。分かりますか?。統一教会の女性で「先生を嫌いだ」という女性は、一人もいません。そうだという女性は、手を挙げなさい。なぜ、男性が手を挙げるのですか? (笑) もちろん、天の愛をもってきた代表的な人ですが、先生は父親です。父親を愛するのは、母親よりも娘です。女性は先生を愛するのですが、父親として愛さずに、夫のように愛そうとするので、それが心配なのです。皆、そのように思っています。霊的に育ててあげる時は、約婚の指輪もはめてあげ、いろいろと教えてあげるのです。それは、父親として救ってあげるためであって、愛するためにそのようにするのではありません。 男性に関するこのようなことを知っているので、天下が何と言おうと、脱線しないのです。いくら女性が裸であらゆることをしたとしても、ペッとつばを吐いて……。そのような訓練を十年間しました。 愛する妻に出会うことのできる時間で、クライマックスになり得るその時に、零に返らなければなりません。そのような訓練までしなければならないのです。先生は、女性が脇の下を三年くすぐったとしても笑いません。そのような訓練をした人なのです。 きょう以降、二度と(神様に)ため息をつかせてはいけません。分かりましたか (「はい」)。凸凹の話をしながら、具体的に話すべきことはすべて話したでしょう。今では、もう秘密がありません。すべて教えてあげました。復帰摂理も、すべて終えたのです。先生の一代で、すべて終えました。天地を、すべて新しくつくらなければなりません。何代もかかりません。一代で、先生の一生の内に、すべて終えなければならないのです。(拍手) さあ、きょうの御言を通して、余りにもはっきりと分かったでしょう。「絶対に、蛇の頭、サタンの体と、私は永遠に関係ない」という女性は、手を挙げなさい。(「はい」)。だからといって、自分の夫の生殖器は蛇ではありません。それは純粋な血統の頭なのです。(笑)神様の生殖器です。 女性もそうです。二つの心をもってはいけません。蛇は二つの舌をもち、二つの心をもちました。蛇は襲撃するのです。世の中の男性たちは、皆泥棒だという言葉は正しいのです。米国のミスター・梁 (「はい」)。美人がいれば、我知らずに二つの舌になりませんか?。そのようになり得る可能性が、何パーセントですか? (「可能性があります」)。(笑)正直なので、正義に入っていくことができます。(笑) 女性たちも同じです。美男子が横にいれば、それが踊りを踊ろうとするのです。どうですか?。門に「開け」と言いますか、「開くな」と言いますか?。女性たち、話してみてください。(「開きません」)。 いくら環境がそうだとしても、きょう以降、千年、万年たっても私たちの血統は、後孫に、万代、純潔な血統として残すのです。 アーアーアーメン (「アーメン」)。このように「アーメン」と言ったので、開天節の祝賀において万歳だというのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.29
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天一国摂理史-- 第一次 三時代大転換 四位基台 入籍統一祝福式 2000年 9月26日、大韓民国 天宙清平修錬苑【関連記事】天一国摂理史--第一次 三時代大転換 四位基台 入籍統一祝福式(2000年 9月26日、大韓民国 天宙清平修錬苑)文顕進様には祝福権の移譲も委譲もなし!?カクチョンファン氏曰く「真のご子女様は私たちの命の綱?!」「「美しい天寶の花として 永遠に輝きなさい」」-- 真の父母様のみ言 (2021.10.10)2000年9月に行われた「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」を前後して語られていた郭錠煥氏の講話を掲載しました。その中で当時の祝福式の意義と価値についても語られていました。黙々と、入籍を準備してこられたご父母様 一九六〇年に三十六家庭を祝福してくださる時、将来、国家基準で受ける入籍について語られました。その前年、五九年にも、今から四十一年前ですが、入籍について言及されました。「将来、祝福家庭は入籍を受ける日が来る」と。 しかし、私たちはそのようなみ言を全く忘れて過ごし、一人として真のご父母様が願われる通りに生きることができませんでした。 それでも、お父様はそんな私たちをそのままにほってはおかれず、私たち祝福家庭を天国の戸籍に登録して、天国に名前を記録してあげようと、長い間、粘り強く努力してこられたのです。 もし、キリスト教が、国の主権者が責任を果たし、真のご父母様に待って国家基盤が造成されれば、それで神の国が復帰されたでしょう。その基台のうえで入籍の役事があれば、どれほどいいでしょうか。本来、国家が復帰されてこそ、原理的に完全な入籍がなされるのです。 お父様は国家を復帰するために精誠を尽くされながら、……(略)…… ……(略)…… お父様は私たちの知らないところで、だれにも相談せず、だれの協助を受けることもなく、入籍の準備をしてこられました。 お父様は「ジヤルジンに行って四十日修練を受けなさい」「総生畜献納祭をしなさい」と、さまざまなことを私たちに願われました。私たちが一つでも実を結ぶことができるように、一つの条件でも立てることができるように、配慮してくだったのです。私たちを入籍させるために準偏し、教育をしてこられたのです。 そして、「これからは直接主管することができなくなる。私が直接主管しなくても、私が語った御言を訓読しながら、自らを教育し、自らを叱責しなさい」と、訓読会の伝統を、私たちに強調してこられたお父様なのです。 このような内容はすべて、私たちを入籍させ、私たちを永遠に生かしてくださるための準備です。お父様はそれを、お一人でしてこられたのです。それは純然たる父母の心情です。 子女達が御旨を悟ることができず、時を悟ることができず、重ねて強調してもそれを悟ることができず…、それでもお父様は、黙々と、このような準備をしてこられました。 ……(略)…… その完成段階は、私たちが至誠を尽くして責任を全うし、御言に一〇〇パーセント従順に原理的的な生活をすれば、祝福後七年目に越えることができるのですが、ここに集まった私たちは七年どころか、多くの年月が過ぎても、完成基準に立ち得ていないのです。……一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.28
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自分の名前で祈祷する時代一九九九年九月十四日、アメリカ・イーストガーデンで朝の訓読会の時間、真のご子女様と教会の指導者ら約二十名が参加した中で、真のご父母様はすぺての祝福家庭に自分の名前で祈祷する時代を開いてくださった。二〇〇〇年十月二十七日、第四十回「真の子女の日」を迎えて、家庭で祈祷する際の形式を新たに定められた。二〇〇一年の元旦を期して、祈祷ではなく、報告の形式を取るように新しく定めてくださった。祈祷の結び(1) 一般的な集会などで代表祈祷するとき、「真の父母の勝利圏を祝福で受け継いだ、祝福家庭○○○の名でお祈りします」(一九九九年九月十四日)(2)家庭で祈祷するときは、「祝福の中心家庭○○○の名でお祈りします」(二〇〇〇年十月二十七日)(3) 一般的な集会や家庭で祈祷するときは、「祝福の中心家庭○○○の名で報告します」(二〇〇一年元旦) み言 祈祷について言いますと、これまで皆さんたちが祈祷するときは、「何かをしてください、成就させてください」と言いました。今やすべて成就しました。そのように成就したものを皆さんが受け継ぎました。先生が今まで肉的な体をもってサタン世界と闘って勝利してきたように……皆さんもすべてが分かるのに、どんな祈祷をするというのですか? その権限をみな与えたではありませんか。ですから、そのような祈祷をする時代は過ぎ去ったのです。「私がこのようなことを知ったので、私がやります」という自己責任時代として祈祷しなければなりません。そして真の父母の御名ではなく、「真の父母の御名によって祝福を受けた某の名前で祈祷します」と、このように祈祷しなければならないのです。 「真の父母の息子となり、真の父母の功労によって真の息子、娘になった某の名前でお祈りいたします」と祈祷しなければなりません。祈祷するというよりは、「報告いたします」と祈祷をしなければならないのです。先生も二十年余りの間、祈祷しなかったのです、完全に知っているからです。天が協助する私自身がサタンに勝って、サタン世界を屈服させ、天が願う基盤を整えたのです。整えてきたのです。何を祈祷し、何を下さいと言いますか? そのような祈祷の時代はすべて過ぎ去るのです。すべてを皆さんに与えました。 今や真の父母の勝利的基盤を知り、私もそのような実績をもって、息子になった責任を果たそうというのです。そのようにするには、個人において、家庭において、氏族、民族、国家において、息子の責任を果たすのです。そして孝子と忠臣の家庭にならなければならないのです。みな与えたのです。みな与えました。ですから、接ぎ木をせよというのです。 それは空中に浮かんでいるものではありません。しきりに「下さい、下さい」と言って……。そのような声を聞けば、私の気分が良くありません。「私がすべて成就します」と言わなければなりません。自信満々と責任を担う祈祷をしなさい。神様の前になす報告の祈祷です。それをきょうから教育するように。この時間から教育するのです。そうした時が来ました。そうでなければ、奪われてしまいます。「下さい」と言えばみな壊れてしまいます。み旨が分からなければ祈祷しなさいというのです。 息子、娘よりは「家庭」というみ旨が入らなければなりません。そうすればみな受けるのです。真の愛はみな相続できるのです。祈祷が変わらなければなりません。自分の息子、娘がどうこうという祈祷は、統一教会ではだめなのです。何がどうこうとか……。私たちの教会がどうこうとか……。 地上天国、天上天国です、何もかもが。個人的な地上天国、家庭的な地上天国、国家的な地上天国、このようになるのです。そのように祈祷することで、民族の境界線、国家の境界線がなくなるのです。それが神様の願うところではありませんか? 自分の名前で祈祷するというよりは、自分のことを報告しなければなりません。「何々をやります!」と言って実践してから、報告しなければなりません。報告すべきことがなければ、ひざまづいて皆悔い改めなければなりません。悔い改めです! 否定したことまで悔い改めなければなりません。自分が約束するのではありませんか? 「これだけやりました」と報告し、約束しなければなりません。 アメリカに来てから私は祈祷をしませんでした。祈祷よりは行動です。実践です。昨年の一九九八年から祈祷を始めたのです。その祈祷は、神様に侍り得る生活的な面において、いかに教えを受け、そのすべてを守っていくべきか、といった内容です。 既成教会では、すべて自分の子や自分の教会が良くなるように祈祷しています。すべて泥棒たちです。 家庭の誰それと言わなければなりません。真の父母の子女ですが、家庭的な概念が入らなければならないのです。祈祷できません。実践しなければ祈祷できません。完成してさしあげなければならないのです。完成してさしあげるべきでしょう? 生活するのは、生まれたのは、神様のみ旨を成就してさしあげるために生まれたのであって、祈ってすがるために生まれたのではありません。 「祈祷するときに『何々を下さい』と祈るのはいやだ!」と思えてくるような時が来ました。みな知っているのに、何を助けるというのですか? そのような祈祷をしてはいけません。自分自身が知っているのです。真の父母として完成したすべてを神様が知っており、真の父母が築いた完成の基準を受け継いだ立場なのに、すべてを知っているのに、何を下さいというのですか? すべてを与えられたというのです。違いますか? 天宙的なすべての相続権までみな与えたのに、何を下さいというのですか? 実践すること、いかに自分が相対的な基準において、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をするかというのです。そうでなければ合わせることができません。ですから、なさなければ、自分の家庭基準とか氏族基盤、民族基盤を連結できなければ、祈祷もできないのです。自分自身が知っています。 責任時代、責任時代に入ってくるのです。「福を下さい」と請う時代はみな過ぎ去るのです。家庭、氏族、民族、国家、天地、天宙まで門が連結されたので、願うものがないのです。ですから、地上で精誠を尽くさないわけにはいきません。 天は毎日のように新しくなっていくのです。発展していくので、毎日のようにプラスしなければならないのです。これまで、統一教会で遊んで食べている者が多いじゃないですか。自分が祈祷するときに分かるのです。何を報告しますか? み言を聞くたびに問題が大きいのです。 公席においても皆そうです。真の父母から祝福を受けたこの教会ならば、教会某の名前によって、教会牧師の名前によってなすのです。教会も公的な機関ではないですか?それゆえに縦的に代表した機関なのです。活動しなければ祈祷ができません。「アーメン」と言えません。「アーメン」とは請い願うという意味ではありません。賛美にならなければなりません。賛美がみ言の答弁です。 イエス様はどんな名前で祈祷しましたか? 考えてみなさい。イエス様は何の名前で祈祷しますか?息子の名前で祈祷したではないですか?独り子なる息子です。家庭を築かなければならないのです。家庭の名前を抜くことはできません。家庭というものは、夫と共に一族が入るのです。 簡単なのです。先生が尋ねたら、イエス様はどんな名前で祈祷するのでしょうか? これは(板書されながら)家庭と国と世界ではないですか? それを完成するためのものですが、真の父母が来られて、みな完成したことを知っているのですが、それをみな合わせさえすればよいのです。それには絶対信仰が必要です。「個人でこうしなさい」と言えば、他の何かがありません。絶対信仰です。「家庭で妻を動員せよ」と言えば妻を動員して、「息子を動員せよ」と言えば息子を動員して、「娘を動員せよ」と言えば娘を動員するのです。その動員については異義がありません。絶対信仰です。氏族も同様であり、国も同様なのです。「皆さんの国をアフリカからこの国に移せ」と言えば、交換できるというのです。 先生は祈祷するとき、どのような祈祷をしたでしょうか? イエス様が築かれたキリスト教文化圏においては、主の御名によって祈祷します、主です。イエス様よりも主、中心なのです。これを真の父母が築いたその基盤において、連結しなければならないのです。真の父母の基盤に乗らなければ、完成しません。関連性がないので、先生も真の父母の名前で祈祷するのです。すべて成就したからです。 国があるので、忠臣になることもでき、孝子になることもできますが、それは自分の努力に応じてなされるのです。孝子ならば孝子、忠臣ならば忠臣、天宙まで、聖子のすべての道理が完成し得る道が開かれているのです。自分の努力において、どれぐらいになるかが決定されるのです。嘘をつきながら生きられません。報告した内容は、すべて記録されるので、そのまま自叙伝になるのです。それが間違っていてはいけません。心と体が一つになって第三対象が立ってこそ、先祖の立場に立つのです。先祖、王の立場です。あざ笑っていた牧師や主教は皆、脱落してしまうのです。 アメリカは自分たちでやらなければなりません。人々の中でキリスト教徒たち、現在私たちと連結した人々を、なんとかして活用して用いなければなりません。キリスト教会を動かさなければならないのです。個人よりも教会を動かさなければなりません。全世界が超宗派、超教派、統一連合教会をつくらなければなりません。一つの教会ではありません。一つの教派、これを経なければならないのです。 このように祈祷すれば、なんとすてきなことでしょう。統一教会は理論によって、このように唱えていきますが、既成教会は盲目的にやるのです。私たち統一教会の食口たちは、祈祷が難しいでしょう? 活動しなければ、口がくっ付いて祈祷できません。先生のように毎日動かなければなりません。 ですから、遊ぶことができません。これからは、夫が動かなければ女性が忠告することができ、女性が動かなければ夫が忠告することができ、父母が動かなければ息子や娘が忠告できるのです。恐ろしいことです。家庭が完全に中心となるので、このように伝道しなければいけないことが分かるのです。個人中心ではありません。家庭が宇宙の中心にならなければならないのです。それがはっきりと分かるので、伝道しないわけにいきません。(三〇四-二八、九九年九月十四日) すべての家庭が、天地父母、神様の伝統の思想を抱いて家庭を求め、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで、八段階の真なる愛の理念的国家観を形成しなければなりません。真の父母の理念となるこの国家観を完成するのは、祝福を受けた皆さんの家庭の責任なので、きょうからは祈祷の内容が変わります。これまでは、真の父母の勝利圏を祝福で受け継いで祈祷しました。祝福がなければ真の父母の勝利圏に同参できません。祝福によって、真の父母と血縁的な関係を結び、血統が切れていたのを新たに連結したので、真の父母の子女としての因縁につながっているのです。 皆さんの祝福を考えてみなさい。祝福を受けるには、再臨主が来なければなりません。アダムが失ったものを創造するのに六千年かかりました。先生が現れなければ、どうにもならないのです。真の父母が現れなければアダムの理想、神様のみ旨、祝福完成の道を越える道理がありません。千辛万苦の峠を越えて譲与してあげたにもかかわらず、何の功労もなしにぶらぶらと遊び、賭博場で遊び、王宮で祝宴を開くと聞いて、王の前で箸を持って待っているのです。準備された祝宴のごちそうが、どれほど貴いかも知らずに勝手に食べたならば、毒薬を飲むよりも恐ろしい審判の舞台に流れていくのです。そのことを知らなければなりません。勝手に生きてきた雑種犬のような人たちが、この環境を汚しているという事実を知りません。自分の家庭の生き様が、統一教会の主流思想を代身した家庭の代表ではないということを知らなければなりません。そのように生きてきたとしても、今までは祈祷しても少しは面目が立ったでしょう? 真の父母の勝利圏を何によって受け継ぎましたか? 祝福によって受け継ぎました。それは皆さんの功労ではありません。十年、四十年と断食祈祷をしてもだめなのです。祝福によって血統転換できる特恵権を与えてあげましたが、その価値をどれほど理解しましたか? 神様の数百分の一、先生の数百分の一しか理解していないのに何ですか? 神様の失った王権を取り戻し、神様の即位と権限を取り戻してさしあげなければなりません。すべて失ってしまったので、民もなく、国もなく、国土もなく、主権もない世界で、主権を取り戻すために、神様が主権を取るまで、その間隔を狭めて……。アダムとエバは家庭的な時代であって、国家的な時代でも、世界的な時代でもありません。家庭的な時代を越えて、世界的な時代において、すべて天国が完成したという条件基盤を満たせる立場に立ち、勝利の覇権基盤を築いたことを中心として、皆さんに譲ってあげたのです。 今や救援摂理時代は過ぎ去るのです。救援摂理の歴史が過ぎ去り、「第四次アダム心情圏時代」に突入するのです。ですから、祈祷するにあたっては真の父母の勝利圏ではありません。すべてを引き継ぎました。ですから、真の父母に代わって、深刻な立場で世界を中心として身もだえしてきたのと同様に、代行的な機関を引き継いだのが私の家庭なので、祝福の中心家庭、某の名前で祈祷しなければならないのです。そのようにできないときは、入籍が取り消されなければなりません。驚くべき入籍であるということを考えるとき、恥ずかしくない立場に立って、一日一日の生活でみ旨の前にプラスとなる実績を持たなければならないのです。そうでなければ祈祷もできないのです。そのような時代になるのです。 祈祷の時代は過ぎ去りました。メシアがいてこそ、救世主がいてこそ、祈祷も通じるのですが、その救世主から解放圏をすべて引き継いで、解放圏に送られたのですから、今日の課題は、「解放された天地父母と解放された子女が、心身一体となり、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠なるみ旨を完成しよう!」ということです。共に協力するのです。ですから、うまく協力して報告できたか、できなかったか? このような問題を中心として、うまくできなかったときには、それを挽回するまでは祈祷もできません。報告もできません。祈祷ではありません。「祈祷」という言葉をなくしてしまうのです。「報告」です。良い報告を持っていない者は、このような集まりの場に来られません。 これからはチェックしなければなりません。誰でも連れてくるというわけにはいきません。実績がなければならないのです。報告する内容がなければ、あいさつもするなというのです。あいさつも受けないようにしようと思います。あいさつされて何をするのですか? すべてを相続しました。先生はみ旨をすべて知っているので祈祷しません。二十四年間、祈祷をしませんでした。知っているのにどうして祈祷をするのですか? すべてを許諾してくださったのに、何を下さいと言うのですか? お父様の前に相対的な立場に立って、すべてを喜びをもって報告できる時代が来るので、「真の父母の勝利圏を祝福で受け継いだ某の名前で祈祷する」という時代が過ぎ去ります。ですから、「祝福の中心家庭、某の名前で報告いたします」と言わなければなりません。これは祈祷ではありません。「報告いたします」です。報告する時が来ました。報告するには善の結果がなければなりません。乞食のようにいつも「下さい、下さい」と言って、ノラ犬のように糞をつけていてはだめなのです。誇るために報告しなければなりません。実績がなければ祈祷もできません。 新千年、新しい三千年が始まる日が近づいてきます。これからは、私たちの世界になるのです。正月から「いかに拍車をかけて頂上の基準を天宙と連結させるか」という責任が各自にあります。 今や、先生が皆さんの家庭に対して関係を結ぼうとする時代は過ぎ去りました。皆さんが先生と関係を結び、皆さんが神様と関係を結ばなければならない時となったのです。これが「第四次アダム心情圏時代」です。真の愛も私が主人となり、真の生命も私が主人となり、真の血統も私が主人とならなければならないのです。 今や新年の正月の一日から祈祷が変わります。「祝福の中心家庭、某の名前で祈祷いたします」となるのです。すべてを蕩減して、長子権復帰、父母権復帰、王権復帰を成したのです。そうして、アダムとエバが堕落の因縁のなかった解放的時代に入るその立場に立って、主体的な自らの家庭をすべて練磨させないことには、脱落するのです。アダムとエバが堕落したとき、即刻に処断しました。 皆さんもそうです。夫が誤まれば即刻に、妻が誤まれば即刻に自分と関係を断つことのできる時代に入っていくのです。男女問題においてはとりわけそうです。(二〇〇〇年十二月二十四日、漢南国際研修院) 今や、今年(二〇〇一年)一月十三日から、一日から祈祷の内容が変わりました。「祝福の中心家庭某の名前」で祈祷するのです。それをはっきりと知らなければなりません。それ以前には何と祈りましたか?「真の父母の勝利圏を祝福で受け継いだ祝福家庭、某の名でお祈りします」と祈りました。 真の父母の祝福を受けた某の家庭です。その家庭はサタン世界と区別されます。サタン世界とは合わさりません。真の父母に祝福された某というのは、サタン世界と区別されるということです。以前は「真の父母の勝利圏を祝福で受け継いだ」と祈りましたが、そのとき、その「祝福」が何かというと、サタン世界と隔離されているのです。そのことを知らなければなりません。そのように考えて祈祷する者が、どれほどいたでしょうか? それが問題なのです。 堕落以降のサタン圏との関係が完全に整理されたのです。それを知らなければなりません。その前には何の名前で祈りましたか? 「真の父母の御名」で祈りました。自分の名前で祈祷できず、自分の主体性がありませんでした。そこで、「真のご父母様の勝利圏を祝福で受け継いだ某の名前」で祈ったのです。変わるのです。それはサタン側と完全に断絶されたということです。内的だけでなく、外的にも何も関連がありません。 その次は何ですか? 「祝福の中心家庭」です。「祝福の中心家庭」は堕落世界と何も関連がありません。アダムとエバが堕落する以前に、神様の心情世界と連結されていた、そのような立場なのです。それが「祝福の中心家庭」です。神様の創造理想が完成した家庭として、堕落しないアダム家庭を代身するのです。 そのような立場では、祈祷の代わりに「報告」を捧げるのです。完成したアダム家庭では、祈祷をする必要がなく、報告をすればよいのです。毎日、報告をしながら理想世界を築いていくのが、完成したアダム家庭が歩む道です。ですから、新しい何かがなければ報告できないのです。 そこではメシアも必要なく、宗教も必要ありません。なぜならば、すべてのことを知っているからです。皆さんもすべて知っているでしょう?真の父母がすべてを教えてあげました。毎朝、訓読会をしているでしょう? その時間を過して、すべてのことを理解するようになるのです。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、宇宙そして神様の心情世界まで、すべてを知ることができます。すべてのことが分かるのです。(二〇〇一年一月十六日、イーストガーデン) 今や伝道する時代は過ぎ去るのです。先生が皆さんを祝福する時は過ぎ去りました。今や過ぎ去ったのです。「第四次アダム圏時代」に入ったので、家庭的に……。最近はどのように祈祷しますか?「祝福の中心家庭某の名前」で祈祷するでしよう?しかし、皆さんにはそのような祈祷をする資格がありません。神様もまた祈祷をさせるには、「私の名前で祈祷しなさい」とは言えないようになっています。救世主の名前で、族長の名前で祈祷しなければなりません。 皆さんは、その時代を過ぎたでしょう?「真の父母の勝利圏を祝福で受け継いだ祝福家庭、誰々の名でお祈りします」と、このように祈祷したでしょう? そのような祈祷の時代が、すべて過ぎ去りました。第四次アダム圏、心情圏時代に入り、堕落していないアダムとエバが、祝福されて天宙の中心となった家庭圏内に入ったので、「祝福の中心家庭」なのです。「祝福」とは何ですか? 結婚式をすることではないですか? 旧約の約束というのは、結婚することですが、その約束を台無しにしてしまいました。それで、新たに約束したのが新約時代ですが、それも完成できませんでした。 再臨時代、成約時代には祝福をしたのです。結果主管圏内と直接主管圏内に分かれていた、そのすべてのものを、責任分担を果たした祝福的基準を成立させることによって、アダムとエバが堕落しないで祝福を受けた中心の場に立つのです。そのような家庭に立ち返ることによって、自分の家庭を中心として、祈祷、報告しなければなりません。 善なることをなさなければ祈祷ができません。皆さんが今そうでしょう? 世界に自分が行くべき道が残っており、生まれた以上、国を世界へと連結させ、天の国に連結させるべき責任がありますが、その膨大な責任を放り出しておいて……。やるべきことが山ほどあるのに、そこに一粒の砂でもプラスするようにしなければならないのです。そうでなければ、報告できないのです。報告です。祈祷ではありません。「祝福の中心家庭某の名前」で切に報告しなければなりません。切に祈祷する時代は過ぎ去ったのです。そのため、毎日のように報告する内容が必要となります。 ご飯を食べるとき、兄弟同士で、一さじでも多く食べようとして争ったとすれば、どんな報告になりますか? おしにならなければなりません。兄弟たちの前で、逆に自分が食べられるご飯の量を一さじでも譲るのです。また学校に行けば、教室を掃除しなければなりませんが、学生たちは皆、掃除を嫌がるでしょう? それならば、嫌がる学生たちのために、私がぞうきんがけを一度でもやってあげるのです。そのようにしなければなりません。 そのようにしてこそ報告できるのであり、やらないで遊んで、ぶらぶらしていて何の報告ですか?目やすべての五官を閉じなければなりません。五官が死んだも同然にならなければならないのです。そのような即決時代に入ったのです。(二〇〇一年一月十二日、天宙清平修錬苑)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.28
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劉孝元・韓国元協会長の歩み(7)🌺「原理講論」ができるまで🍓体系化される原理講論❤️1980年代の証一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.28
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「三・十節」宣布一九九九年 九月十日 真のご父母様は「九・九節」を宣布された翌日の一九九九年九月十日午前十時十分、水沢洞(京畿道九里市)の中央修練院で、約五千名の食口たちが参加した中で「三・十節」を宣布された。 祈祷 愛するお父様……、今や(昨日の)一九九九年九月九日九時九分九秒を期して、「天地父母天宙統一解放式」を宣布いたしました。 「九・九節」を宣布したのは、「天地父母安息圏」を宣布した「七・八節」の後に、「天地父母天宙勝利祝賀宣布式」が完了することによって、ご父母様を中心として、地上のすべての家庭が兄弟の因縁を経て、子女の因縁を経て、夫婦の因縁と父母の因縁と王権の因縁を代表できる父母が、この地上に出発したからでございます。そうして天地父母を宣布するとともに勝利を賛美できるようになりました。このような天地の大変革時代を宣布した基盤の前に、昨日「九・九節」を定めました。 「七・八節」は神様を中心とした善の境界線でした。これを限界としてサタン世界で活動していたすべての者と反対の方向になったのをすべて正し、天の前に帰依できる「九・九節」を立てました。そうすることによって、きょうこの時間、十日、十時、十分を選んで、「三・十節」を迎えることができました。こうした解放時代をもたらされた恵みに感謝申し上げます。 真の父母の御名によって、「天地父母天宙統一解放式」を経る「九・九節」の上に、今や「三・十節」において、神様を中心として、天地父母がすべての頂上の立場で、全宇宙を抱くことのできる祝福の恩賜を立てました。反対の道を行っていた「九・九節」が、「三・十節」の圏内に立てられることによって、方向を整えて神様の主管圏内において、天の境界線とサタンの境界線での緩衝地帯のようなものが、統一的な基準によって合わさり、七、八、九節によって、設定できるこの日となりました。 この日を持つことで、一、二、三、四、五、六、七、八、九まで、サタン圏内にあるものを再び収拾し、神側で一、二、三、四、五、六、七、八、九、十の基準をもつのものとして奉献することになりました。 天地創造本然の主人として、全体の愛を中心として包括し、悪のすべての世界を新しいものとして消化でき、善なる者も悪なる者も、あなたの子女の名分を整え、天上世界の主権を中心とした統治者として臨めるこの時間を迎えさせてくださったことに感謝申し上げます。 お父様……、アダムが失敗して偽りの父母となり、サタンを中心として出発して、偽りの先祖、偽りの血族になったすべてを、真のご父母様がこの地上に現れ、歴史の三時代を清算いたしました。旧約時代、新約時代成約時代を蕩減復帰して完全に清算することによって、神様が自由自在に堕落の恨を踏み越え、それ以上の喜びの立場に立って、天地の主人として登場できるようになりました。 このような祝福の時間を準備してくださることによって、「九・九節」を宣布し、「七・八節」を宣布いたしました。今やサタンが反対できる勢力を越えて立ちました。そうして神様が数理的な全権、すべてを代表する権限をもって、一から十、百、千、万、億千万数圏内の存在たちの根本を包括できる、数的な理想創造世界の主人として登場できるようになりました。そうして、解放の王としてこの天地を主管することを、真のご父母様が昨日宣布いたしました。 今や個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の全体に、統一的な全部のものを中心として、「九・九節」を宣布しましたので、「七・八節」と「九・九節」と「三・十節」を中心として、すべての峠を越えることになりました。そうすることによって、十数、百数、千数、億万数を自由自在に往来できる勝利的な覇権を持つようになり、数理の数千代の権限を備えた全宇宙の存在たちを、主人の立場で統治するようになりました。 堕落した一つの家庭を中心として、未来の目的だけを見つめていたそのみ旨が、真の父母とその協助された功労によって、全天宙を中心として、一挙に成就するようになりました。エデンで失敗したものを一挙に、天上と地上の上に完璧な基準を満たして、合わせられるようになりました。あなたがその主人圏から億千万の存在圏を主管できる主人となられました。 その主人がこの宇宙を創造されたヤハウェであるということを知ることによって、お父様……、子女となった真の息子と娘が奉献したすべてのものを、お父様のものとしてお受けになり、ヤハウェの御名ですべての創造の始まり、創造の過程、創造以降の理想、地上天上のすべての幸福と愛の王権時代を統治できるように、宣言してくださいますよう切にお願い申し上げます。 この時間、この「三・十節」を中心として、お父様が通告するすべてをご父母様が受け、宣布の日として定め、身代わりとなって永遠なる宣布をいたしますので、全万象はそこに順応できる伝統が始まることを、真の父母と共に、縦的な神様の御名と共に、この時間、すべての天宙の前に宣布いたします! アーメン、アーメン、アーメン。 み言 一、二、三、四、五、六、七、八、九、十が天の数として戻ってきたのです。分かりましたか?ふさがれていた七数は「七・八節」によって開きました。これを中心として、九数がふさがれていたのを開いて、ふさがれていた十数を完全に除去することによって、神様がすべての数を主管されるようになったのです。 神様はこの数理の創造者であられます。すべてのものが数学的に計算できる宇宙になっています。今や神様が、数理的な創造の世界を自立的な立場において、ためらうことなく主管できる時になったことを宣布しました。 私たちはこれから神様の息子・娘として、数理的なこのすべてのものを代わりに受けた立場に立つのです。一、二、三、四、五、六、七数が問題でした。八数は再出発です。八、妨げなく行くことができます。サタン数の妨害がありません。九、十……。今日は九月十日ですが、十日、十時、十分です。それが三数になります。 皆さん、それを知らなければなりません。ご覧なさい。九月十日、十時、十分から九数を取って、三・十数(十・十・十)となりました。復帰摂理ですべてのものが三数を基盤としてオーケー(OK)です。旧約時代がオーケー、成約時代がオーケーです。 十数は帰一数ですから復帰の完結数となりますが、十を三数で連結させて九数、サタンのてっぺんを越えて立った三段階の十数です。天の十数を抱いたということは歴史的な日です。何の話か分かりましたか?これは旧約時代、新約時代、成約時代の完成です。こうした内容になるのです。 ですから、南北統一の運勢、東西洋の統一の運勢、その次には南北の文化の格差、貧富の格差が、天と地の隔たりがありますが、すべてが平準化された本然の創造理想によって、愛の主権のもとで治めることのできる時代へと越えていくのです! 両手を挙げて「アーメン」と言いましょう。両手を挙げてアーメン! 十二回このように振ります。万歳!万歳!万歳!全体万歳です。万物も、神様も共に万歳を叫びました。被造物全体が神様の前で共に万歳しました。「万歳」というのは、地上天国理想の拡張です。無限なる世界、永遠なる世界まで連結することを言うのです。 喜びの日であるため、本来ならばきょうを中心として、皆さんが帰って、牛の一頭から三頭ほどを料理して祝宴を開くように指令すべきですが、できませんでした。帰ったら祝宴を開くように。祝宴を開く村ごとに精誠を尽くし、牛を買って料理する場にはみな、神様の祝福が共にあり、天運が共にあって、ついて回り定着するのです! アーメン! 一、二、三、四、五、六、七、八、九、ここに十数が来て、これが一段階です。その次に二段階の十数、三段階の十数です。それで「三・十」(十、十、十)なのです。三〇からゼロを取れば三数ですよね? 三数になるのです。 三数はいつでもサタン世界の分別期間となりました。イエス様もこれを中心として、三十才にみ旨を出発したのです。三十が問題です。真の父母が御聖婚してから三十年目の年がいつですか? 一九六〇年に御聖婚したので、三十年を加えたらいつですか? 一九九〇年でしょう? 一九九〇年を中心として一九九〇年、一九九一年、一九九二年、この三年期間にすべてをひっくり返そうとしたのです。こうしたすべての数理的な因縁が連結されたのです。ここにこれをくっ付ければ二千になります。十、十、十これを摂理で見ると子女復帰時代、父母復帰時代王権復帰時代です。 これまで日本の食口たちも、祝福家庭は三十才にならないと家庭を持てませんでした。祝福家庭は三十の峠を越えていかなければならないのです。しかし、これからは祝福されたその日から家庭を持てる時代圏に入っていくのです。 その代わり皆さんが知るべきことは、結婚した家庭として行くべき道があるということです。先生は七年路程を行きました。七年路程を行ったのです。世界的な家庭の迫害を解消するための七年路程を歩んだということを知らなければなりません。家庭解放のために十字架の道を行ったのです。ですから、先生が家庭の王にならなければならないのです。 家庭で長子の王、父母の王、家庭の王になることが、創造理想、摂理観的な立場においてアダムに任された責任だったのです。一つの家庭において天国全体の理想的な基準を立てて、天国の基盤に打ちつけようとしたのですが、失敗してすべてなくなりました。アダム一代から数千代、それまでのすべてが空になったのです。 偽りの父母が天にしたのを、真の父母が来て、神様の代わりに主人になるのです。悪なる神を中心として、悪なる血統を通じて、悪なる生命と悪なる愛と悪なる血統を中心として偽りの父母となり、偽りの後孫となったのを、完全にひっくり返して清算するのです。真の父母となり、真なる神様の愛を中心として、真なる生命を中心とした祝福基盤を連結し、血統を転換することによって、サタンと関係のないアダム家庭の完成型をつくるのです。これが世界版図の圏内にとどまっています。 きょうを期して、このみ業が完成するのです。天の国におけるアダム家庭の完成を氏族、民族、国家、世界版図に持っていき、くっつけることのできる時代に入っていくのです。ですから、サタンは今や無用の長物です。今回の祈祷の中にもあったように、反対に行っていたのが転換されたのです。 転換されたので、頭は頭同士で向き合える基準になりました。ですから、「七・八節」を中心として九数と十数が合わさるので、この境界線と緩衝地帯がなくなるのです。緩衝地帯はなくなり、すべて神様の主権のうちに入っていくのです。それで南北統一のための北韓と南韓の緩衝地帯は、天の国の理想天国を建設できる基台の地、基盤の地にならなければなりません。 ですから、宗教圏の議会をつくって、国連において上院構造を中心として、宗教圏の大使館を設定し得る基地にならなければなりません。もちろん全世界がそうなるべきですが、ここから出発できるので、世界的な版図になるのです。神様が統治、主管できる時代として拡張されるのです。 この板門店が「金門店」になるのです。サタン世界における木は腐ってなくなるのです。金門店は永遠なる統一の世界に入っていくことでしょう。金門店を持った十二真珠門の中央基地の国は、地上・天上天国の中心の国になるのです、アーメン! そのようにできる時代になりました。 今や韓国、日本、アメリカはすべて交差活動するのです。アメリカの五十二の州と日本の五十二の州が、責任者の立場をみな交代しました。父母の伝統を受け継いでいかなければなりません。 長子圏のアメリカは自分勝手に生きてきました。これまで自分勝手に生きたので、日本に来て奉仕して犠牲になり、すべてを伝統として受け継いでいかなければなりません。アメリカの人口は、日本の二倍近い二億四千万です。日本は約一億二千万になります。二倍近いのです。 そのように見ると、カイン、アベルとぴったり当てはまります。アメリカにカイン、アベルがあります。これを一つにできる絶対信仰、絶対愛、絶対服従、日本の食口たちが活動したその伝統を受け継がなければなりません。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従できなかった者たちもいるでしょう? けれども、その中で絶対信仰はできなくても、絶対愛は成せたという者たちがおり、絶対信仰と絶対愛はできなくても、絶対服従した者たちがいます。ですから、それらを合わせて条件的な面において、母として父の前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従できなければならないのです。 エデンでできなかった絶対信仰、絶対愛、絶対信仰を、日本の国、分かれている全女性を通じて、そのような条件を立てるのです。その条件を中心として最高の基準である長子権を復帰するのです。カイン、アベルです。二倍になるのです。国民が二倍になります。アメリカの国民が二億四千万です。ここに伝統を伝授しなければならないのです。 伝統を伝授すべきですが、それはいかにしてなしますか? 皆さんがやるべきことは何でしょうか? 絶対信仰、絶対愛、絶対服従するとともに、「総生畜献納祭」をしなければなりません。個人の財産から、息子や娘、自分たち夫婦まで、すべてを捧げなければならないのです。 物質は旧約時代、息子は新約時代、自分たち夫婦は成約時代を代表するのです。堕落することによって、三時代を中心として歴史的な恨を神様に抱かせたのです。神様はすべての願いの成就が裂かれて、このようになったので、これを私たち祝福家庭が統一させなければなりません。 ですから、「私が持っている万物は旧約の供え物!」と考えなければなりません。主人は、サタン側や天側に分けておけるような物は、絶対に見たくないというのです。すべて神様のものです。息子や娘にしても、父が愛した息子と娘であり、母が愛した息子と娘であり、兄弟たちが愛した兄弟にならなけばならないのです。絶対に父母兄弟が愛する息子、娘にならなければなりません。それができなかったので、イエス様は孤独な身の上になられたのです。自分の妹となり得る絶対的な相対がなかったので、家庭も築けなかったのです。 ここで知るべきことは、八段階の願いに向けて、愛の血縁的な関係によって生まれた男性や女性は、そのような因縁を備えなければなりませんが、イエス様はそのような道を行けませんでした。一人だけで歩まれたのです。腹中に赤子までも……。相対のない者はすべて殺してしまうのです。ですから、解放されるというのは何ですか? 一代の願いの成就、永遠なるアダム完成の願いが何かというと、「小羊の婚宴」です。そのためには母を探して、「父母」の立場に迎えなければならないのです。それが二千年延長された真の父母の時代になって成就するのです。旧約時代に子女の供え物を捧げたのと同じです。 そうして、新約時代に息子が殉教して血を流した時代へと越えていくのです。今まで父母も、荒野で追われて生きた供え物になりました。血は流しませんでしたが、生きた供え物としてすべて落城したのです。そうすることによって、神様の前につくられたすべての万物が、サタン側の所有権から分かれ得る統一的な基盤を、皆さんの家庭で築くのです。 神様が創造主、絶対永遠なる主人の立場において、サタンに半分を分け与えたというこの恨は、とても言葉では表現できません。その分け与えたのを見ると条件的なものなのです。条件的です。とすれば血を流したその主人は誰でしょうか? その血をもって植えたのは誰ですか? サタンです。破壊したのです。供え物を捧げたのに、神様とサタンが向かい合ってその供え物を受けるというのです。 三代の供え物を通じて三次をかけて、このようなみ業を完成するのです。万物時代、子女時代、父母時代を中心として、このみ業を果たしてきたのです。精誠を尽くさなければならないのです。精誠を尽くして供え物と一つになるのです。供え物と人が一つになってこそ、主人の立場が決定されるのです。しかし、それができませんでした。 それが一つになれる分野がアベル的なのです。カインとアベルの所有権を分配して出発した、悲運の歴史であったということを私たちは知らなければなりません。この悲運の歴史を打ち砕いてしまわなければなりません。私たちの家庭が棒にならなければならないのです。自分が持っている物質は自分のものではありません。自分の服が自分のものではありません。それを知らなければなりません。自分の家も自分のものではありません。「自分」という所有観念を持ったらいけないのです。 ノアが服を脱いで眠っているとき、ハムが父の服を持ってきて、後ずさりしながらかけてあげました。恥ずかしがったという事実、これが天地を引っくり返してしまう根源になったのです。サタンの痕跡が残ったのをそのまま維持していたのです。それは全く再創造理想に反するのです。再創造理想はアダム家庭ではありません。アダム天国理想家庭を完成させようとする真の父母の恵沢を完全にひっくり返したのです。これは地獄よりもさらに制限のない、果てしない穴に落ちてしまわなければなりません。どれほど恐ろしいことか知るべきです。 それで先生がこれまで蕩減歴史の先頭で、ありとあらゆる者を救うために供え物を捧げなければならず、犠牲になりました。物質的に犠牲になったのです。先生の持てるすべてを捧げ、捧げ、すべてを捧げてきたのです。個人的な物質を代表する時代から、八段階の天宙史的な物質を代表する基盤まですべてやったのです。これをすべて統一しなければなりません。 ですから、先生は、個人的な物質を収拾するために、血の汗を流して家庭的な物質を連結させ、復活させなければならないのです。氏族、民族、国家、世界、天宙、八段階まで復活させるには、先生が投入するその次元がプラスとなって、そこに相対的な存在としてカインが、絶対信仰、絶対愛、絶対服従できなければならないのです。そのような立体的な基準を中心として合わさってこそ、上がっていけるのです。しかし、今までそれができず、完成した者は一人もいません。 自分の一時の献金をもって条件だけを立てたのです。それは八段階までに至っていません。自分の一段階、二段階……数段階を経ていく過程で落ちてしまい、ありとあらゆる行為をしてきたのです。そのような足らないことをすべて先生が責任を負うのです。先生が責任を負って、それを越えて立ったので、こうした宣布式ができるのです。この時間は驚きであり、喜びであり、表現できない栄光の時間であるということを忘れてはいけません。 私は一生の間、一つの孝行もできませんでした。父や母に足袋の一つも買ってあげませんでした。ハンカチの一つも買ってあげませんでした。しかし、今まで統一教会の数多くの人に服も買い、家も買い、ありとあらゆることをやってあげたのです。先生の一族にはかけらもありません。 み言と共にカイン世界を誰よりも愛しました。そのようにしてここまで歩んできたのです。同士もなく、親戚もなく、先生もなく、慰労してくれる相手もなく歩んできたご父母様であるということを知らなければなりません。 そのような悲しくも悲しい峠を越え、悲しみの谷間を、血と汗と涙で埋め、骨を溶かして埋め、平和の基地を築いたのです。そのような祝福の基盤の上に皆さんを立てて、このような日を迎えられるようにしたのです。日本人、アメリカ人、韓国人がこの殿堂において、そのような祝賀をするのは、二度とない、一度しかない事件です。天宙史的な事件なのです。 心の世界に埋もれていた神様の恨の逆巻く波を、静かな庭園の池のさざ波に変え、安らかな思いで庭園を見つめ、昼寝もし、歌も吟ずることのできる、そのような平和の基地を抱かせてあげることのできる日を迎えたのです。これは夢のようなことですが、夢ではありません。言葉にしてみると嘘のようですが、嘘ではないのです。 きょう、ここに集まった三か国の人々をすべて統一し、真の父母が神様の前に供え物を捧げなければなりません。生きた供え物です。皆さんの財産と、皆さんの子女と、皆さん夫婦と、皆さんの国全体を代表して、神様に奉献できるこの時間であるということを記憶しなければなりません。 皆さんが座っている場は、皆さんのものではありません。サタンによってエバが失敗することによって蕩減条件が残された、その場に座っているという事実を忘れてはならないのです。とてつもない事件です。 皆さんは今後、共同生活をしなければなりません。韓国人と日本人が怨讐です。そうでしょう?怨讐でしょう? 完成したアダムと完成したエバも歴史的にみると恩讐です。アダムは「なぜ私を堕落させたのか!」と言うのです。エバもまた「どうして主管できずに天使長に奪われたの!」と言うのです。怨讐です。自己を主張し得る条件を中心として、自己防御の第一主義者として現れたのが堕落した世界です。 これからは保護主義です。方向が違います。「あなたがそうなるならば、私はついていきます」と言うのです。「あなたが妻となって幸福でなければ、私の責任です!」と言い、妻は「夫が幸福でないのは、私の責任です!」と言うのです。その責任追及において咲くべき花は何ですか? 愛の花なのです。 その愛の花はどこで咲きますか? その花は自分を中心とした所には咲かないのです。互いに尽くそうという思いが、生命線まで越えるようになるとき、花が咲くのです。花が咲くことによって、その花の光と香りを訪ねてくるのが、天使世界であり、神様であったということを知らなければなりません。 先生は、そのようなすべてを見越して、総決算するために「総生畜献納基金」をするように言ったのです。どれほど解放的な福であるか知らなければなりません。献納基金をするように言ったのは、解放的な福です。 これからは家庭祭壇です、家庭祭壇。家庭祭壇を捧げなければなりません。偽りの父母によって家庭祭壇がサタンの祭壇となったので、これを引っくり返さなければなりません。自分の所有権があってはなりません。自分の名前で所有する物を持った者は、サタンの息子になるのです。 「堕落」とは何かというと、父母を失い、長子権を失ってしまったことです。これが初めて復帰し得る世界的舞台となったので、世界の統一教会の長子たちは、世界のすべての人々を次子のように愛して、彼らと一つになることで、天地父母の解放圏における父母の立場に入っていくのです。そうして、自動的な家庭編成に応じて、氏族、民族、国家、世界、天宙全体が、統一的な計画圏内において始まり、統一的な計画圏内において結ばれるのです。アーメン! そのようになるのです。 今回の大会には、そのような意義があるのです。七、八、九、十、それで「三・十節」です。きょう、この日はどんな意味がありますか? 個人から家庭、氏族、民族、国家的時代にメシアを送ったのです。それはアベル的で国家中心の長子権でした。再臨時代までは、世界舞台を中心として、真の父母を中心とした「真の父母完成」の出発でした。今や真の父母の祝福によって、世界舞台で「真なる祝福の天宙化とサタンの血統根絶」を完全にやり遂げました。ですから、全体の解放圏を宣布しないわけにはいきません。 今やサタンの境界線はなくなり、天の国の境界線だけが定まったのです。天の国の境界線、これが平準化されて、平面世界と立体的世界の子女たちと一つの帰着点を中心とし、父子関係、夫婦関係、兄弟関係が全世界の舞台を中心として、妨げなく障害なしに、本然なる血統の家庭形態が世界的に拡大され、勝利の一つの標的として決定するのです。その日がきょうなのです。 イエス様も「三・十節」を迎えられなかったので、亡くなったということを知らなければなりません。三十年が問題です。また三年が問題でしょう? 二十七歳から、母親とイエス様が談判しました。「お母さん、私を追い出してしまうのですか? 私を滅ぼすのですか!」と談判しました。十七才のときにも談判しましたがだめで、二十七才のときにも談判しましたがだめで、三十才に再び談判してもだめなので、死ぬのです。それが何の談判かよく分からないでしょう? かわいそうなイエス様です。母もなく、父もありません。本来は母が子女のために命を捧げながら、なんとしても十字架を代わりに背負えなければならないのです。ところが、それができなかったので、母のないイエス様になったのです。自分の願いを成就できる相対圏が完全になくなったイエス様になったのです。 ですからご覧なさい。何のためにゲッセマネの園で祈祷しましたか? 母が受け入れていたならば良かったのですが、受け入れなかったので……。母だけではなく一家全体が役に立たないので、行って生死圏をかけて祈祷したのです。血の汗を流して三度ずつ祈祷しました。「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください。(マルコ十四章三六節)」と祈祷されたのです。どれほど深刻でしょうか? そのような内情を知って「み旨」という言葉を考えるとき、骨の溶ける涙を流さざるを得ない道だったのです。「三・十節」が完成するまで、どれほど多くの犠牲の代価を払いましたか? 数多くの国が滅び、数多くの聖人、賢哲たちが滅んでいきました。その峠を越えられずに……。サタンの境界線を越えられなかったのです。神様の心情の境界線を越えられませんでした。 神様の心情の境界線を越えて、「天地父母天宙安息圏」を宣布しました。天の心情の境界線をすべて突破してみると、「天地父母安息圏」が宣布されました。サタン世界をすべて整理し、サタンまでも赦して、エデンで堕落しない立場に立ったのです。そうすることによって、逆になっていたものが、頭を等しく並べ、一つに一致したのです。プラスがマイナスの境界線と一体になったので、ここで行われるすべてのことは、万事が神様の所管として決定されるという驚くべき時代になりました。ですから、いいかげんに生きてはいけません。いいかげんに生きたらいけないのです。先生も同じです。それを知っているので、「天宙主管を願う前に自我主管、完成せよ!」と言ったのです。 きょうから愛するように言いましたが、その条件が何かというと、原理試験にパスすることです。訓読会を夫ができなければ、妻が常に訓読会をしなければなりません。この宇宙を息子や娘の分身のように愛さなければなりません。共に訓読会をしながら、万物を見つめ、鳥のさえずりを聞いて喜び、虫たちを見て喜ぶことのできる心を育んでいかなければなりません。 家庭的七年路程を行かなければなりません。神様が家庭の孝子を慕われたというのです。家庭の息子、娘ではありません。家庭の孝子、孝女を願いました。家庭孝子です。その次には家庭の忠臣です。家庭自体が忠臣を願うのです。また、家庭自体が聖人にならなければなりません。聖人の家庭にならなければなりません。家庭自体が聖子の家庭にならなければなりません。それが神様の伝統歴史であり、慕い求めてこられた所願であることを知っているので、先生もその法度に従って今まで生きてきたのです。 神様が願われる家庭的孝子、家庭的忠臣、家庭的聖人、家庭的聖子になるのです。そうして天上世界に入ったら、天の国の王宮法と天の国の法をすべて知り、神の代わりに皇族たちを治め、国民たちを愛で治め得る者となってこそ、相続できる資格を持つようになるのです。そのときに相続するのです。そのようになれなければ、億万年の歴史を経たとしても待たなければならないのです。 ですから、地上がどれほど必要かを知らなければなりません。このように自由環境をつくったので、絶対信仰、絶対愛、そして何ですか? 絶対服従です。言葉だけでなく、実際になしましたか? きょう、「三・十節」が何ですか? 「九・九節」が何ですか? 切実に祈祷して、求めて、求めて、「三・十節」を迎えて、解放者となるのです! アーメン! ですから、「絶対信仰・絶対愛・絶対服従は、私の生活の根本要素です。それ以外にはありません!」と言わなければなりません。 私が夫人に出動、命令すれば「ああ、先生、何でまたそのように?」と言いますか、「ああ、どれほど望んだことでしょうか! 有り難いことです!」と言いますか? 夫人たちを使って苦労させるのは福を与えようとするのですか、罰を与えようとするのですか? 福を与えようとします。皆さんをそのようにするのはどうしてでしょうか? 夫婦をそのように、家庭をそのようにするのはどうしてでしょうか? 福を与えようというのです。 そのように理解して、きょうから新しい皆さんにならなければなりません。「神様の願われる解放的な地上・天上世界で、本然の世界の価値を抱き、神様の愛が自動的に訪れてきて、私と共に暮らす」と言えるようでなければなりません。見たくて、会いたくて、共に暮らしたくて、そして愛したい相対の立場にまで至らなければなりません。願わなくても、居眠りしていたとしても、夜も昼もその横で神様が寝ながら、自分を抱いてくだされば、夜にも体から黄金の光が出ます。夜にもトイレに行く道が明るいのです。そうなるのです。 かわいそうな神様を私が慰労してあげることのできる生活の環境を持ったという事実は、堕落した歴史の後孫としては、本当はあり得ないことです。そのような日を迎えたということは、天地の前に有り難いことなのです。きょうのような日を持つようになったことを、天地に感謝しなければなりません。地を見ても感謝し、空中のどこを見ても感謝すべきです。感謝のほかには残していく言葉がないのです。不平がどこにありますか? 感謝しなければなりません。死んでも感謝、生きても感謝、滅びても感謝、ぶたれても感謝、踏みつけられても感謝しなければなりません。泥棒されても感謝しなければなりません。 どれほど感謝の言葉を述べるべきかというのです。天地万物に対してそのようにしたかというのです。どれを見ても感謝し、「すべてが私のためにある……」と感謝することを知らなければなりません。微生物にも、動物にも数千種に対して感謝しなければなりません。神様は、どんな人に対しても、愛をもってその咎(とが)を覆い、咎を隠して風呂敷で包んで、黄金板を掲げて自慢しようとされます。息子であるがゆえにです。そのような神様の心があるというのです。 それについて神様に感謝し、感謝し、感謝した者は、滅びることがないというのが天理なのです。(三○四-五七、九九年九月十日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.28
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2023.09.26
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平和経 - 第九篇 国境線撤廃と世界平和 - 5. 神様が私の盾であり証言者5.神様が私の盾であり証言者日付:一九八一年十月二十一日場所:アメリカ、ニューヨーク、フォーリースクエアプラザ行事:アメリカ政府の起訴に抗議するデモ集会 敬愛する同志、そして愛する統一信徒の皆様。私はきょう、皆様の熱狂的支援に深い感銘を受けました。私はソウルでこの知らせを聞くやいなや、即座にすべてを差し置き、自ら進んでニューヨークに戻り、きょうこの歴史的な裁判に臨むことになりました。 皆様。私は無罪です。何の過ちも犯したことはなく、何も隠しているものはありません。私の生涯は公的な路程でした。私は、裁判を恐れるどころか、むしろ歓迎します。なぜならば、この司法手続きを通じて、正義は勝つのであり、真実は明らかにされ、さらには、このアメリカ政府の不当な迫害ゆえに苦労している数百万人の世界の信徒たちに、勝利の日をもたらすことができるからです。 私は、アメリカの司法制度に対し、深い尊敬と信頼をもっています。さらにまた、この事件を扱う判事と陪審員たちを信頼しています。アメリカは世界において、正義を具現するのに最も良い国です。私は、私を告訴した人たちと正面から対決するつもりですし、私には良心の呵責がありません。神様が私の盾であり、私の証言者であられます。しかし、神様が、罪を犯したのは私ではなく、私を糾弾する怨讐たちであることを発見されるなら、私は彼らを赦すつもりです。 私はアメリカの言論の自由に対し、尊敬と信頼をもっています。アメリカの言論は、公正な真実を世界に伝えるでしょう。アメリカの言論をだます者は誰もいません。アメリカの言論は、きょうこの起訴がどれほど根拠のないものであるかを発見するでしょう。 皆様。私は、アメリカを私の祖国のように愛しています。以前、韓国にいるときから、アメリカが神様から任された摂理的使命を果たすことができるようにと祈った人です。数年前、初めてアメリカに来たとき、華やかに賑わうニューヨークの五番街に立ち、熱い涙を流したことがあります。そして私は、昔この国の建国の先祖たちが死地をさまよいながら大西洋を渡ってこの国に上陸し、この地を神様に捧げたアメリカの建国精神を考えてみました。私は、その偉大な建国精神を忘れ、退廃の風潮の中で枯れていくアメリカを見て、涙を流したのです。正にその日、私は、この堕落していくアメリカを何としてでも立て直すことを心の底で固く決心しました。神様は、あまりにもよく御存じです。あれから十年!私は寝ても覚めても、私の血と汗と魂を、この偉大なアメリカの精神復興のために注いできました。 私は全世界の統一教会の信徒たちに、このアメリカのために数千万ドルを寄付するように呼びかけました。一九七二年、私たちはアメリカ全域にわたり、多くのものを投入してアメリカの精神復興運動を展開し、ついに一九七六年九月十八日には、ワシントンモニュメント広場で三十万人以上が雲霞のごとく集まった歴史的大会を開くに至りました。統一教会の運動はほかとは異なり、アメリカからもらっていく運動ではありませんでした。アメリカは、むしろ援助を受ける立場でした。統一教会の世界の信徒たちは、万難を克服し、自ら犠牲となって、アメリカの精神運動を支援しました。その理由は、彼らはアメリカを愛しているからであり、神様の摂理を中心として見たときこの国こそが選ばれた選民であることを私が教えたからです。 しかし、きょう私は、アメリカの告訴を受けて法廷に出頭しました。私はアメリカに自らのすべてを捧げた人であり、アメリカから何も持ち出してはいません。ただの一銭も誤って使ったことがありません。キリストの伝統を受け継ぎ、ために生きる犠牲的な生き方を教えてきました。もしも、これが罪であるならば、私は罪に定められることを拒みません。それこそが、イエスキリストが行かれた道です。イエス様はイスラエル選民を愛され、世界を愛され、神様を本当に愛されました。しかし、そのことによって罪に定められ、ついに十字架にかけられました。私がこのアメリカを愛し、世界の人類を愛した、そのことが罪であるならば、私も喜んで十字架を負うつもりです。 きょう私は、自らの栄誉のためだけにアメリカに来たのではありません。私は、政府の迫害を受けるすべての人、人種差別を受けるすべての人、そして宗教的偏見の供え物となったすべての人々の代表としてアメリカに来ました。きょう私は、アメリカ政府の迫害と人種差別と宗教的偏見という恐るべき敵を前に、闘争を宣布するために来たのです。私は、宗教の自由と少数民族の権利と抑圧される民衆の権利を取り戻すために、最後の瞬間まで關うことを宣言する次第です。 私たちは団結しましょう。団結して勝たなければなりません。そうして、私たちの子孫が真の自由平等の地で暮らせるようになることを保障しなければなりません。それこそが、マーティンルーサーキング牧師の唱えた「約束の地」です。 私がもし白人として生まれ、私の宗教が既存の宗教だったならば、きょうここに立ってはいなかったはずです。私が黄色人種であり、私の宗教が改革を叫ぶ統一教会であるがゆえに、私がここで指弾を受けて立っているのです。美しいアメリカの中に最も醜いものがあるとするなら、それは宗教的偏見であり人種差別です。神様は顔の色を問われません。白色人種と黒色人種と黄色人種は、神様の美しい三兄弟です。今日、世界のすべての宗教は、私たちの父であられる神様を、それぞれ違った角度から映して見た鏡に過ぎません。 今日、統一教会は、宗教の目的で使われる財産にまで税金を課されている、アメリカの中で唯一の教会であることを、皆様は御存じでしょうか。私たちがニューヨーク州に納めている財産税だけでも八百万ドルを超えます。このような政府の不当な横暴は、私たちの教会に過酷な出血を強いています。一方、他の教会は財産税を一銭も出していません。なぜ統一教会だけが不当な扱いを受けなければならないのでしょうか。それは単に、私たちの教会の名前が統一教会であり、その創始者がアメリカの市民でない韓国人であり、黄色人種だからです。 レーガン大統領は、その有名な演説の中で「ある宗教団体の基本的人権が蹂躙された場合、それは一宗教団体の苦難と痛みにとどまらず、すぐにアメリカ全体が受ける苦痛と痛みになる」と言いました。もし、この言葉が事実であるなら、今日の統一教会に対するアメリカの不当な宗教迫害と人種差別は、アメリカ全体の恥であり、アメリカ人の屈辱にならざるを得ません。 同志、そして信徒たちよ。この新たな挑戦に勇敢に立ち向かいましょう。この日を大同団結の日としましょう。この日を、私たちの献身の日として定めましょう。世界のすべての悪と不義に対し、妥協なく闘うことを誓いましょう。この闘いにおいて、私たちは孤独ではありません。全能であられる神様が私たちと共におられ、数千万の世界の人類が私たちの味方になってくれるからです。統一教会は、今、アメリカの中で指弾を受ける少数団体です。しかし、神様が私たちと共にいらっしゃる限り、私たちは少数ではなく、絶対多数となるのです。 きょうは、弱小民族の新しい日、新しい闘争の出発の日となるのです。私はきょう、悲しみもなく、不幸だとも思わず、疲れさえも感じません。私はこの日から、少数民族連合会を創設します。 神様。感動、感化なさり、私の闘志と私たちの信念が、新世界の灯台とならしめてください!全能の神様が私に、この巨大な闘いをする機会を下さったことに対し、心から感謝申し上げます。不義と闘う神様の闘士とならしめてくださり、感謝しております。 「天にまします我らの父よ、願わくはみ名をあがめさせたまえ。み国を来たらせたまえ。み心の天に成る如く地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ。国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。アーメン一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.25
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「1095日」Blue Sheep2023/09/24真のお父様が聖和され、その後、真のお母様が3年間、1095日にわたって侍墓の精誠を捧げてくださいました。その精誠をテーマに作った楽曲です。歌詞は、自叙伝「平和の母」P.29~32の本文を参考にしています。「1095日」詞・曲:早出康介演奏:Blue Sheep夜明けと共に 深く息を吸って野花が揺れる 細い道を登りあなはた向かう アボニムの丘へと大切な約束を胸に刻んで風が強い日 どしゃぶりの雨の日休むべき理由は いくらでもあってそれでも 為すべきことが多過ぎて一日が千年のようにAh- 涙の祈りがこの世界を変えてゆくあなたが捧げられた1095日それは未来への贈り物Ah- 決意の祈りがこの時代を導いてゆくあなたが捧げられた1095日それは未来への贈り物それは僕らへの贈り物一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 人類の涙をぬぐう平和の母 韓鶴子総裁自叙伝 [ 韓鶴子 ]P.29~32平和の母第1章 私の生涯の願い3. 山道で出会った野花のほほ笑み 「雨がすごく降って道がぬかっています。今日一日はお休みされてはいかがですか。」 そう勧める人は私の安全をまっ先に心配します。秋になると嵐が吹き荒れ、 冬には大ぶりの雪が降り積もり休むべき理由と言い訳はいくらでもあります。それでも私は夜が明けると家を出、山に上がりました。清平天聖山の裾には、夫の墓があります。 夫が聖和された後、私は朝夕霊前に食事を捧げ、夫が眠っている本郷苑まで何度も往復しながら、夫とたくさんの会話を交わしました。そうして、夫の考えが私の考えになり、私の考えが夫の考えになりました。侍墓精誠を務めた後、1970年代の夫が歩んだアメリカ5600キロを横断し、スイスアルプス山脈の12の峰に上がって祈りと瞑想をし、夫と霊的にもっと近いふれあいを持ちました。私は夫と全世界の食口に約束しました。 「初期の教会に返り、神霊と真理で教会を復興させます。」いつも行きたいし、ずっとそこにいたいと思うホーム、暖かい母の懐のような教会が私の夢です。その夢は、文鮮明総裁が見た夢でもあります。夫と私は一生涯多くの事を経験しましたし、私だけの秘めた事情はそれよりさらに多くあります。私は今までやってきた事よりも、神と人類のために献身すると決心しました。その日以来、一時も休んだことがありません。 小さな道の両側には腰の高さの反り松があり、その下には野の花が群れをなして咲いています。冬には花が影を潜め春になると競うかのようあちこちで咲き出します。私は上る途中で足を止めて腰を下ろして野草と花をじっと見てみます。見てくれる人がいなくても明るい朝の光を受けてとても美しい姿を誇っています。その美しさに酔って花を撫でてあげては再び道を登ります。足が少し大変でも私の心は野の花のように平和そのものです。 やがて墓地に到着すると、もしかして芝生に混じって草が生えていないか。野生の動物たちが来て暴れたりしなかったか見わたします。墓の芝生は時間が経つにつれ、より青くなっています。墓の前に座って私一人祈りを捧げます。世界のすべての人が野の花のように美しくあることを願い、松のように固い心情を持つことを願い、墓の芝生のように、いつも若々しく生きていくように祈ります。 (山を)降りてくる途中で野草や松に挨拶をします。「自然の友よ、また明日会おうね。」 ゆっくり降りて行く道は昨日と同じ道ですが、天気は毎日変わります。日差しが暖かい日、風が吹く日、突然雷が鳴り、土砂降りの雨が降り注ぐ日、大ぶりの雪が空を灰色に覆った日、それでも私は文総裁が聖和された2012年9月以来、3年と1,095日間一度も侍墓を欠かしませんでした。私たちの伝統儀礼では侍墓は亡くなった親に(感謝を)お返しする親孝行です。親の墓の西側に天幕を張り、雪が降ろうが雨が降ろうが、しっかり食べもせず着もせずに、地下にいらっしゃる親と3年を一緒に暮らします。その3年間は息子娘として生まれ、親のしっかりした世話と愛なしには(子が)生き残れない時間と同じです。だから侍墓はいわば恩返しの時間です。 しかし、世の中には、親の恩を忘れて生きている人たちがあまりにも多くいます。自分の生みの親にさえそうならば、真の父母様が人類の痛みと悲しみを蕩減してくれるため、涙の祈りを上げているという事実をどうして知りましょうか?この地に顕現された真の父母様が誰なのか、どのような犠牲の生活をされて来られたのか知らないまま、まだ何も関係なく生きています。そのあき盲のような人生を悟らせてあげるために、妻の私が全人類に代わって、3年間一日も欠かさず侍墓を真心を込めていたしました。 その侍墓の精誠が終わった2015年に、私は、世界人類のために大きなプレゼントを用意しました。歴史以来最も意味深い鮮鶴平和賞が長い準備の末に発足しました。
2023.09.24
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劉孝元・韓国元協会長の歩み(6)🌷「原理講論」ができるまで🍉劉元協会長の立場❤️1980年代の証し一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.24
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韓国・ブログより:https://tastygo.tistory.com/1832【関連過去記事】ニューヨークタイムズ「寿司アメリカに知らせたのは韓国人」… 文鮮明統一教総裁「照明」文鮮明総裁といえば宗教指導者というのが一般ですが、ビジネスマンとしての才能もあったという記事内容です。しかも、「信徒を搾取して富を築くレベルではなく、信徒としてのビジネス拡大して信徒ではない人たちにもお金を稼ぐ実業家」であったという話です。政治をすれば政治家としても成功を収めたでしょう。文化事業にしても「ピースカップ大会(サッカー)」、「リトルエンジェルス」「ユニバーサルバレエ団」の創設なども有ります。しかし、文総裁はご自身がしたい夢を捨てては「宗教家」の道を選択したのでした。【中古】平和を愛する世界人として―文鮮明自叙伝 /文鮮明(著)/創芸社以下、最初は昔韓国記事になったもののフォト群、後に追記コメントがあります。韓国・ブログより:https://tastygo.tistory.com/1832アメリカで寿司を広めたありそうもない人物 ーー統一教会の文牧師< +追加コメント >そして…意識の流れそんなことをやりました。日本の政界にも影響力がありました。怖い彼の行動力世界の怖い人は需要に乗る人ではありません需要を作る人だと言った。まあ日本の言葉通り日本が自国お金をかけて宣伝したわけではありませんでした。デザートイーグルも統一教会の方が所有していました。私はうまくいったと思います。実業家としてはすごいのは明らかだwwwwwwwwと狂った…しかし、今は空中分解する危機ラメ世界日報売却されるという音のないものとみてはまだ生き残る町名。 天正宮もお金です。天苑宮ともっと大きな宮殿を建てた。アメリカのイルミナティナフリーメーソンのようなもの心配する時ではありません。実業家として才能があります。だから悩み悪い奴は能力までいいから文鮮明はカルト指導者ですが、実業家としては本当にすごい両班です。걍信徒たちを呼んで信徒たちを搾取して富を築くレベルではなく、信徒としてのビジネス拡大して信徒ではない人たちにもお金を稼ぐ実業家カルト教主も誰もいない。ゴミ犯罪者でも当然ながら結局本人の能力に結果が変わります。 その程度なら人格や犯罪事実とは別に能力自体はあるという声だ。 統一教会で有名な政治家の一言撮った映像が出てこないただビジネスをしても成功する人だったようです。宗教人ではなく、ビッグピクチャーのビジネスマンです...統一教会は何ですか...統一教会は本当の正体が何であるか疑問に思う。マッコールゼロ飲むと時々思い出します。 ビジネスマンはあった両班でした。カルト宗教に集まって問題です... その遠洋漁船を転がすのは若い信徒です。それも無料で転がる遠洋漁船船員若い子供たちが排他的だと言うので、誰も乗ろうとしません。怒って自分がネットを消して、私は自伝に誇りに思っていました。これが自叙伝なのか高解像度の聖書なのかわからないほどの本誇りに思って...お金を稼ぐために(人権なし)転がせろと...一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.24
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アベル平和国連創設大会 2007年 9月23日 アメリカ・ニューヨーク マンハッタンセンター天宙平和連合(UPF)を母体に発足したアベル国連は、国連加盟国の政治、経済、社会、宗教指導者が民間の身分で参加する、世界的な民間国連である。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.24
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劉孝元・韓国元協会長の歩み(5)🌹「原理講論」ができるまで🍓劉元協会長の原理講義❤️1980年代の証し一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.21
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「九・九節」の御言1999年9月9日京畿道九里市水澤洞、中央修練院大講堂九月九日、十日の両日、「天地父母天宙統一解放式」が行われ、九月九日の「九・九節」を宣布されたときの祈祷とみ言。 祝祷 愛するお父様。きょう一九九九年九月九日、真のご父母様の七十九歳を合わせ、九月九日九時九分九秒を中心として、天地に恨として詰まっていたサタンの完成数である九数圏、天上世界から地上世界に連結され、すべての地上天上天国に連結され、地獄と天国の堕落の因縁によって拘束されているすべてのものはサタンに連結されているということを、原理観は説破いたしました。 その内容は、腹中時代からふさがり、幼児時代、兄弟時代、約婚時代、結婚時代、父母の時代を経て、祖母時代と女王時代まで、男性世界、女性世界共に血統を中心として連結されるべき一体的理想圏が、サタンによって心と体の中の境界線、腹中時代の境界線、幼児時代、兄弟時代、約婚、結婚、夫婦、父母、祖父母、王圏まで、すべてがふさがれたというこの事実によって、善と悪の闘争歴史として天の側に立った多くのアベル的な兄弟圏が血を流してきました。 このアベルを中心としてカインを逆に屈伏させ、アベルが天の国の長子権を復帰して、サタン世界の子女たちを次子圏として自然屈伏させなければ、神様の善なる血統が汚されたその血統の因縁を正すことができなかったという恨の歴史であったことを、統一教会の教会員たちははっきりと知っております。 このような原則を中心とした人類の根本解決の主流の道がどのようになっているのかということを明らかにできるのは、この地上に真の父母が現れたことによるのであり、偽りの父母によって、偽りの父母の霊的な代表であり、神様を代表した偽りのサタンを中心とした血縁的関係を結ぶことによって、サタンの愛、サタンの生命、サタンの血統、サタンの良心圏を中心として、神様とは関係を結ぶことができない恨の歴史の数多くの分かれ道と数多くの峠が残されたという事実を私たちは知っております。 これを越えなければならないのが救援摂理の目的であり、あなたの創造理想、愛の理想を中心として、主流的、伝統的思想を成立させることができなかった神様の血族のすべての因縁が、宇宙史的な勝利の覇権的愛の主権を中心として地上天上天国完成、自由解放圏を成し遂げようとしたすべての創造理想の目的は、サタンが血統を完全に蹂躙することによって、偽りの神様の位置から偽りの父母と偽りの子女と偽りの氏族、民族、国家、世界の版図が成されました。 行こうとしても行くことができず、来ようとしても来ることができない混乱の中で、生死の境をさまよう、最後の断末魔的な終末世界は終わりの日を迎えましたので、この偽りの父母によって成されたすべての個人を連結させ、氏族、民族、世界的版図、地上だけではなく天上世界まで、すべての地獄と天上が行き違うようにさせたすべての悪なる父母の血統を根こそぎ引き抜いて整備しなければならない神様の所願の一念が、歴史の峠を越えて、さらに越えながら、恨の恨の恨を抱き、今まで耐えながら悪なる者たちを善なる者たちが自然屈伏させることのできるこのような行路を開拓してきたことが、終局的な路程であるということを私たちは知っております。 善なるアダムが悪に対して、打つことはできません。善なるアダムは、悪を立てうる立場に立ってはいませんでした。創造理想世界は、愛だけが、愛だけが真なる生命圏を連結させることができるので、永遠の生命、地上天上天国の一体、統一的世界を迎えられるようにしようというのが創造理想であり、これを実践、完成させるべきなのが創造目的であったということを、私たちははっきりと知っております。 偽りの父母によって、このすべては九数に該当するものであり、一から九までは天が嫌うことによって、神様は、旧約時代に十分の一条圏を中心として、サタン数の九数を清算するための摂理歴史をなしてきたことを私たちは知っております。 このすべての九数、サタン数の最高の頂上数を個人的に屈伏させ、氏族、民族、国家、世界的に屈伏させるだけでなく、地上世界と天上世界、真の父母を中心として地上世界の整備とともに天上世界の縦的な真の父母であられる神様を中心として一体となり、縦横のサタンが汚した地上地獄と天上地獄、地上のすべてのふさがれた壁を崩すことによって、地上に愛を中心として主流の天上世界の天国まで直行できる道を連結させることのできる真の父母の涙は、立体的なものを経て個人的な時代を過ぎ、家庭、氏族、民族、国家、世界の家庭的限界線をもと返し、神様を中心とした最高の家庭理想を地上に展開することによって天が解放され、神様が自主的にすべての世界を主管することのできる時代が目の前に近づくことによって、天上世界では、「七・八節」を中心として真の父母天宙安息圏を宣布して以来、満四年が過ぎました。 今から四年を迎え、二○○○年代を中心としてサタン世界のふさがれたすべての九数を完全に清算しなくては、二○○○年代を越えていくことができません。明日、十数を加えることによって、一九九九年が二○○○年を迎えることができる数になることにより、神様がはばかられることなく、堕落のない本然の創造理想的アダム家庭理想の愛を中心として、僕として個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、最後まで帰っていき、地上世界と天上世界に連結することによって、球形的統一世界を復帰しようというその本然のみ旨が、解放とともに万歳を叫びながら天地解放圏を持つことのできる六月十四日を中心として、「天地父母天宙勝利祝賀宣布式」を持った基盤の上で、きょうのこの「真の父母天宙統一解放圏」を宣布することができるようになりました。 これは、今から南北統一の運勢が訪れるようになったということであり、東西文化の格差、東洋では精神的文化の基準であり、物質文明の西洋文明とは、お互いに闘争的概念があったものが一つにならなければならないということが東西文化の統一であり、南北の貧富の格差を統一することができ、兄弟の愛の、父母を中心とした家庭理想統一的縦横のすべての愛の理想、天国まで解放圏を備え、地上世界の地獄全体、天上世界の地獄全体、地上世界の天国全体に顕現、天上世界全体に顕現することのできる自由解放圏を迎えた最後の決定的な勝利の覇権を天宙に宣布することのできる日を持ちました。 そのことによって、天上世界の天使はもちろんのこと、霊界に行っているすべての先祖も祝福家庭の恵沢を受けて解放されることによって、サタン世界の根源的な地上の家庭から天上の家庭までふさがれていたすべての壁を崩してしまい、解放、解放を宣布することのできる時代の上にサタン整備、上からサタンの王圏時代のすべてのものを中心として、王圏時代から国家時代に、氏族時代、家庭時代、個人時代の基準が天の圏に変わることによって、今からサタンは、天の全権全能の下に命令を受けなければ、存在状態が許されない世界的版図が復帰されてきました。 南北統一を迎えるこの運勢の前に、真の父母のみ名を中心として天宙の真の父母のみ名を中心として九数を撤廃し、サタン歴史の根絶を天の世界とともに地の世界全体に及んで適応することのできる天の実権時代を迎えられるということを、この地上に記念的な条件として宣布することによって、サタンは、この境界線を越えて天の側の境界線圏内に入ってくることができません。 サタンは、サタンとして屈伏することによって、これが国家的基準から氏族的基準、氏族的基準から家庭的基準、家庭的基準から個人的基準、私たちの心と体が闘争する環境までこれを清算し、今から心と体の統一、夫婦の統一、父母と子女の統一、兄弟を中心とした一族、氏族の統一、民族、国家、世界の統一、神様と真の父母が、縦的な父母である神様、横的な父母である真の父母が一つとなり、縦横の基準を中心として一体化させることによって、万国万民を天上世界の子女とこの地上の子女が、子女の立場に立って、縦的、横的、前後関係を中心として、統一的愛の王圏主義を宣布することができるようになったことを感謝いたします。 サタンは、一から全体が屈伏し、善なる家庭編成を破綻させる役事をした今までの反対のサタン系列のすべては、きょうから神様の命令に従い、家庭完成理念に向かって社会の不信的サタン要素を根絶するときに、反対的な作用として、天の祝福を受けた家庭の天宙解放圏を協助することのできる時代に入るということを、真の父母の勝利の盾の圏を中心として宣言いたします。 サタンであるルーシェルはすでに屈伏し、その系列的な存在のゲリラ戦争を、世界のすべての末端、暗黒世界まで活動していたものを、神様のみ名によってこれを防御してコントロールすることができる主流思想体系、天宙がここに自然屈伏しなければならないということを宣言いたします。 きょう以後からヤハウェのみ名により神様が宣布するこの宣言の前に、「絶対服従」、屈伏することによって、今まで天の百八十度の方向を、百八十度善なる方向に「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」の因縁を持つことによって、エデンにおいて悪なる先祖、天使長が「絶対信仰」を持ってアダムを愛し、「絶対愛」、「絶対服従」で天倫の大主体父母、相対父母、天地父母に反対していたことを今、蕩減復帰し、絶対的立場に立って全人類と万物を絶対信奉すると同時に、絶対愛と絶対解放圏によって絶対服従することにより、堕落した天使長まで、地獄まで解放することのできることを真の父母のみ名によってこの「九・九節」を宣布しながら、この内容をはっきりと天宙に宣布いたします。 悪なる世界、善なる世界が神様と真の父母と一体化するようにしてくださって、善だけが残り、善だけが動くことのできる、神様の理想地上天上天国天運時代、解放時代を迎えるように許諾してくださることを、今、真の父母のみ名によって宣布いたします。アーメン。アーメン。アーメン。 御 言 金(キム)孝南(ナム)勧士についてですが、金孝南勧士を長老として認定します。祭司長になるのです。そして、興進君は家庭理想です。イエス様は個人救援の聖子の位置に立っていますが、興進君は家庭救援の聖子の位置に立ったことを知らなければなりません。 それゆえに、天上世界と地上世界の家庭を連結させ、地上で成された家庭を天上世界の先祖の祝福を受けた家庭と一体化させることができるのです。そこで、家庭を中心とした聖子の立場に立ったことを、きょう宣布するのです。 そして興進君、大母様を中心として先生の直系の父母、忠チュン母様を中心とした父母がいらっしゃり、お兄様がいます。そして忠母様は、アダム家庭における本然の世界のすべてのことを蕩減した理想的立場に立った母の位置であり、その母を中心として一つになった大母様は、イエス時代と霊的世界を中心として父母の立場に立ったのです。 キリスト教で見れば、アダム家庭で堕落した基準を復帰することのできる父母の立場が忠母様の立場であり、イエス時代の聖霊を中心として、聖子が霊的父母の立場で失敗したことを連結させて、家庭理想拡張運動を今、霊界が行っているのです。それが清平運動なのです。 それは、イエス時代が霊的父母の基準であるので、霊肉を中心とした基準を充当させる役事をするために祝福を行っているということを知らなければなりません。真のお母様においては、実体世界のすべての血統根絶を中心として、超国家、超民族的な祝福の因縁を中心として、これが連結されれば、地上で個人解放圏が展開されるのです。 家庭、氏族、民族、国家は霊界で成し遂げられるのではありません。地上の天国の民、天国の民、天国愛、天国愛の主人、天国愛の家庭、天国愛の国、天宙愛の国まで連結させることのできる基盤は地上にあるのです。 ですから真の父母を中心とした全霊界と肉界が一つになって、統括的な面で総清算を行い、個人的な祝福完成、氏族、民族、国家、世界、すべてがこのように祝福完成し、霊界と肉界において祝福家庭一体化活動が展開することによって、堕落していないアダムを中心として天国理念を成し遂げた基盤が、全歴史開闢以来初めて、すべての家庭を中心として独立的価値の位置を成立させるようになるのです。 そのことによって、地上天国顕現と天上天国顕現において中心的な神様が臨在されるようになります。神様は縦的な父母であり、地上の真の父母は、世界を平準化するのです。そうして、「家庭を地上で平準化できるのは横的父母である」としたのが、「天地父母天宙安息圏宣布」である「七・八節」なのです。そうして七数と八数を中心として、新しい時代の完成を中心とした出発に連結され、九数はサタン世界によってふさがれているので、「九・九節」を中心として完全にこれを越えなければなりません。 ですから、キリスト教で研究しているのは十一条です。神様は、堕落した世界をすべて失ってしまわれ、神様には一つしか残されませんでした。そこで、「十」という数字において、十数の基台を越えていかなければなりません。ですから皆さん、考えてみれば、賭博場では九数が一番の「王」です。最も良い数字だというのです。賭博というものは「破壊」です。家庭破綻、社会破綻です。それは、九数を絶対視しているのです。 しかし、そうではありません。堕落することによって、サタンの全権が「一」から「九」まで、すべてサタン圏に持って行ったのです。復帰歴史において、神様が「十分の一条」という一条圏を残して、その一条圏を中心として悪の歴史、つまり一つの個人アベル、一つの家庭アベルを中心として、世界版図カイン、世界版図家庭、世界版図氏族、世界版図民族、世界版図国家を清算しようとしたので、キリスト教文化圏を中心として世界化運動をしてきたのです。 第二次大戦後、一九四五年を中心として、そのとき、キリスト教というものはカインとアベルに分かれていました。旧教と新教が怨讐になっていたのです。その旧教と新教が統一されなかったことによって、ここに何が出てきたのかというと、無神論と有神論の闘争が出てくるのです。宗教圏の統一が成し遂げられれば、世界が統一されるのですが、これが崩れてしまうことによって、サタン世界の全権を中心として共産主義が世界を覆ってしまいました。 そのような世界を収拾するために現れたのが統一教会です。それゆえに統一教会は、五色人種が集まって兄弟の愛を立てなければなりません。アダム家庭において兄弟圏が崩れてしまったので、兄弟の友愛を立てなければならず、兄弟の友愛が崩れることによってサタン世界の血統を中心とした結婚が展開されたので、これとは反対に神様を中心として、真の父母は絶対的な兄弟の基準で、絶対的な神側に属した愛を中心として、生命と血統の因縁をつづらなければなりません。そのような超民族、超人種的な祝福を行うのが、統一教会の世界祝福化なのです。それは国際結婚です。 国際結婚をすることによって、今までどれほど反対されたでしょうか?。個人的な世界の反対、家庭的な世界の反対、氏族的な世界の反対、民族的な世界の反対、すべての国家、主義、主張、宗教、全体が一つになって反対しました。 「統一教会は、人類が歴史的に残してきた伝統的家庭を破綻させ、父子の因縁を壊してしまい、夫婦の因縁を壊してしまい、兄弟の因縁を壊してしまい、国家の因縁、世界の主義、思想をすべて壊してしまう」と言って反対したのです。しかし、そのようなものは壊してしまわなければなりません。そして、個人的なレベルにおける心と体が闘う闘争を停止させなければなりません。 人間の心と体が闘っているのです。いくら優れた人であっても、心と体が闘っているのです。闘う版図には、神様は介在されることができません。ですから、心と体を統一しなければなりません。それでは、何をもって統一するのですか?。お金でもなく、知識でもなく、権力でもありません。そのようなものを第一としていけば、崩れていくのです。終わりの日は、そのようになっているのです。 米国が、いくらお金を誇り、いくら権力を誇り、いくら知識を誇ったとしても、それをもってしては統一できません。心と体の戦争を統一させることはできません。何をもってすればできるのですか?。真の愛だけができるのです。そのことを知らなければなりません。それは、どのような愛ですか?。真の愛とは何ですか?。「ために生きる愛」です。自分を投入して忘れてしまう愛です。このことを知らなければなりません。 霊界の善は何かというと、自分を投入して忘れ、また投入しようというのです。真の愛は、十回どころではなく、百回、千回繰り返したとしても、そこに倍の愛を加えながらも、「もっと投入したい」という心が連結するところにおいてのみ、真の愛の伝統を繁殖させることができるのです。そうして植えつけることができ、残ることができるということを、皆さんは知らなければなりません。 それゆえに、わたしたち統一教会は、「家庭のために個人を投入しなさい、犠牲にしなさい」というのです。家庭は氏族のために、氏族は民族、民族は国家、国家は世界、世界は天宙のために投入し、そうして天宙、大宇宙が堕落して汚されたことを清掃するために、神様までも今まで、大宇宙を再創造する役事のためにご自身を投入していらっしゃるという事実を知らなければなりません。 それゆえに、霊界へは、自分のために生きた人は行くことができません。悪なる人とは何ですか?。そのような人は、一から世界まで自分を中心として一元化させようとするのです。それが独裁者です。悪党です。そのような人は、地獄に直行だというのです。 しかし、その反対に統一教会は、個人から全体のために犠牲になるのです。個人は家庭のために生き、家庭は氏族のために生き、氏族は民族、民族は国家、国家は世界、そして天宙は神様のために生きます。それでは神様はだれのために生きるのでしょうか?。「私」のために生きるのです。ですから、投入するということは、神様を「私」の代身として消化するためだというのです。 真の愛を中心として、神様の全権的な愛を占領し、神様の創造理想の所有権を自由自在に相続することができ、同参権限を持つことができることを良心世界は願うのです。 それでは、最高の願いとは何でしょうか?。神様が人格的創造理想の核として、心の中に存在せしめた愛のすべてを占領するということが、人間の願いなのです。それが人間の良心の願いだというのです。 人間の良心の願いは何ですか? 「今まで、達成した人はいない」と言われていましたが、統一教会は、「人間の願いは良心を中心として必ず達成しなければならない」という定義を立てて、それが可能であるか、不可能であるかということを、実践路程の教訓を通して踏み越えていかなければなりません。 「私」の心と体の統一は、だれもこれを壊すことはできません。心と体を中心として、心と体が完全に統一された男性、統一された女性が決意した愛を、だれも壊すことはできないというのです。そのような父母によって、真の愛で一つになった父母の前にいる息子、娘の因縁は、壊すことはできません。そのような家庭は壊すことができません。 それゆえに、絶対の愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛で編入するのです。神様の属性は、絶対、唯一、不変、永遠であるので、そのような人間を中心として、「絶対愛」の主体にならなければならず、「唯一の愛」の主体にならなければならず、「不変、永遠の愛」の主体にならなければなりません。それが、創造主であられる神様の代身者なのです。 そのような本性的な神様の属性に一致することのできる本然的愛の定義に一体となった存在は、神様の代身です。神様ご自身がそのような立場であられるので、創造するとき、その相対をつくることにおいては、このような本性自体とともに、そこに創造性を投入して加えるのです。絶対の創造性、唯一の創造性、不変の創造性、永遠の創造性です。 愛を中心とした、このような絶対の創造性を投入したのです。創造するためには、何を残さなければならないのかというと、主体性がなければなりません。それは「私」だというのです。「私に似なさい」ということです。 皆さんは、個性真理体なので、すべての人は自分を中心として、「投入して残す」ことができなければなりません。その残すものは、家庭に残さなければならず、血統に残さなければならず、愛に残さなければならず、良心に残さなければならないという責任があるのです。神様がそのようになさったので、神様の代身として、それをしなければならないのです。分かりますか? (「はい」)それで今回、先生がベルベディアを出発しながら、前回の聖日の内容を明確にしてあげるのです。 神様に似るという内的な面では、「絶対愛」を中心として、その愛が「絶対愛」であると同時に、唯一、不変、永遠な愛であるので、その愛を通して神様と永遠に同居同楽することができ、同参することができ、相続することができるというのです。 神様の愛の対象なので、絶対的神様の愛が私の愛であるならば、絶対的神様の対象になるのです。そのような内的な基準を、神様の属性を中心として創造世界に拡張するためには、創造性という属性がなければなりません。そして創造した創造物は、必ず主体と対象関係になっていなければなりません。 ですから、清平という所は長子圏なのですが、どのような長子圏なのかというと、天上世界にも神様が創造されていない別の先祖が入っていって、留まっているのです。これをどのようにして解決するのでしょうか?。このようになったものは、神様がつくられた創造理想世界では、解決方法がありません。 偽りの父母によって、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統でつづられたこの先祖たちは、霊界に行って相対になっているのではなく、すべて別れているのです。それは、天使長の後孫だからです。十人の家族がいれば、十人が別れ別れになっているのです。ですから、イエス様も独身です。すべての聖賢賢哲たちが、それぞれ独りで暮らしているのです。 人間は、独りで暮らすために男性と女性が生まれたのではありません。永遠に一緒に暮らすために生まれたのです。それでは、なぜ別れたのでしょうか?。堕落したので、そのような別の世界が生じたのです。これが地上で生じたので、地上で解決しなければなりません。 なぜ、地上で生じたのでしょうか?。偽りの父母を中心とした偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統で生まれたので、別の部隊です。それは、天使長の体に連結されており、アダムの体に連結されているのです。ですから、これはアダムの身内も断ち切ってしまうことができず、天使世界も断ち切ってしまうことができないのです。このことゆえに、天上世界と地上世界がふさがってしまったのです。 アダムの体を中心として、サタンの活動舞台になっているのです。これを埋めてしまうまでは、サタンの活動舞台を除去させることはできません。そこから、地上天上天国を解放しなければならない、という問題が生じるのです。 そして、皆さんが知らなければならないことは、神様とサタンが闘っている戦争をだれが止めるのか、ということです。そのことを歴史的に考えてみた人はいません。神様が止められるのであれば、アダム以降、二千年もたたずに即刻に止めることができるのです。 また、サタンが止めることはできません。サタンは、これを止めれば自分が永遠に追放されてしまうので、サタン血統の拡大を永遠に固守しながら、善なる基準であるアベル的基準をいつも破壊させるための全面的な行動をしてきました。そこにおいては、政治、経済、文化、すべての面を中心として糾合し、生命まですべて蹂躙するということをしてきたのです。まったく、あきれ果ててしまうようなことをしてきたのだということを知らなければなりません。 神様とサタンの戦争をだれが止めるのですか?。その根がどこから始まったのですか?。偽りの父母であるサタンが出発することによって出発したので、偽りの父母のすべての血統条件を抜くことができ、これを清算することのできる主人である、完成したアダム、勝利的アダムが現れなければなりません。 そして、「おまえ、このサタンはこのような者ではないのか?。おまえは、神様の本来の所有権を奪った泥棒ではないのか?」と言って、歴史をすべてくまなく証明することによって、「そのとおりです。そのとおりです」と証させるのです。そうして、その判決が出た後に、「神様、このようなことはすべて追放しなければなりません」と、検事の位置で神様に通告するのです。弁護士はいません。そのようにして、地獄の底に投げ入れるのです。そのような歴史的な天運が動くという事実を知らないのです。歴史がどこに行くのか知らないでいるのです。 文総裁は、世界的な版図を築きました。米国は、天使長国家であり、韓国はアダム国家です。父と息子が一つにならなければなりません。分かりますか?。今まで復帰歴史は、母子協助をしてきましたが、今からは母子協助時代が過ぎていかなければなりません。 今まで蕩減歴史においては母子、母と息子、娘が犠牲になって復帰してきましたが、このすべてのものが「九・九節」を宣布して南北を統一することのできる運勢に入っていき、そして統一される日には、父子協助時代に入っていくのです。母親はいなくてもよいのです。 母親は、いくらでも捜し立てることができます。アダムが堕落していなければ、エバはいくらでもつくることができたのです。ですから、日本が今まで責任を果たせなかったので、これを韓国に接ぎ木してきたのです。ですから、日本だけが母になることができるのです。 他の人には分からない考えをしながら、韓国の未来の統一の理想世界と天上天国をどのように連結させるのかと考え、導いてきた文総裁です。その問題を、だれが知っているのですか。牧師が知っていますか、長老が知っていますか、だれが知っていますか?。宗教圏の人々は知りません。数多くの宗教は知りません。それを真の父母だけが知っているのです。 無知から堕落しました。堕落した父母は、無知の愛で堕落しました。これが偽りの愛であり、偽りの生命、偽りの血統を残したのです。このことを、真の父母は完全に知っているのです。また、神様はどのようなかたであられ、歴史はどのように流れてきて、民族的な帰結はどのようになり、分裂した心をどのように統一させるのかということも完全に知っており、個人統一、家庭統一、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで、自らの手で解放しようとするのです。 偽りの父母が、神様をとらわれの身として閉じ込めておいたので、真の父母は、解放的主人として神様を解放するのです。サタンの王圏を片付けてしまい、サタンの長子権、父母権、王圏を片付けて、神様を天上世界に案内し、先生が築いておいた基台に入って家庭統治、氏族統治、民族統治、国家統治、世界統治まで完結させるべき責任があるのです。それで今まで、やってきているのです。 今、すべての人が困っている問題が何かというと、「青少年問題」と「家庭に対する責任を持つことができない」ということです。世界のいかなる宗教人、いかなる為政者、いかなる主権者、いかなる富豪、いかなる権力者や王であっても、青少年の淪落と家庭破綻に責任を持つことはできないのです。 完成したアダム、このかたがメスを持って手術することによってのみ、神様とサタンの戦争を終結させることができ、地上の良心部隊を中心として、今まで数千万年の間、闘ってきたことを終結させることができるのです。 この闘いには、今まで休戦も停戦もありませんでした。そのことを文総裁が現れて教えてあげることによって、理論的にそれを遂行することのできる、公式的な試験過程を通して間違いのない経験者たちをつくるのです。そのようなことをしているので、そこから統一が可能なのです。 統一教会の教会員として、心身が統一されていない人は天国に行くことができません。これは偽物です。国が成立すれば、再び家庭を中心とした七年路程があるということを知らなければなりません。このような無慈悲な過程を経ていかなければなりません。 世界の統一が難しいですか、霊界の統一が難しいですか?。きょうは、「天地父母天宙……」何ですか? (「統一解放式です」)。天地父母天宙統一が簡単ですか?。天宙というものは、空の「天」という字に家をあらわす「宙」です。それは、天の家のことをいうのです。それを知らなければなりません。地上天国も天上天国も合わせて「天宙天国」というのです。天宙の家のことをいうのです。 本来、堕落していなかったならば、アダム、エバは家庭的に天国に入っていくようになっていたのであって、どこかで一人で暮らすようにはなっていません。しかし、各民族、各部族の歴史において、それら数多くの民族、氏族、血族が、三百六十度位置がすべて違っているものが、どのようにして天国に入っていくのでしょうか?。そのために、すべて門を開いておいたというのです。 海になるためには、天から水の滴が落ちて、支流を経て大きな川を通って海に出ていきます。ところが、今からは大きい川が反対に流れるのです。分かりますか?反対に流れ、海水は無限にあるのですが、それが逆に流れていくのです。山奥の深い谷まで、愛の波、真の波、正義の波、理想天国のユートピアの波が流れ込んでいき、三度だけ出たり入ったりすれば、自然に浄化されるのです。 三年路程さえ経ていけば、地上天国は目の前に現れるというのです。このような国家観を持つべき大運勢転換期にいるということを知らなければなりません。このことを韓国でだれが知っていますか?。牧師が知っていますか、主権者が知っていますか、統治者が知っていますか?。ただ真の父母だけが知っているのです。(「アーメン」)。(拍手) 真の父母はだれにとって必要なのかというと、個人が絶対に必要なのです。心と体の闘いを停止させることのできる教えは真の父母にしかないので、真の父母は数多くの人類、個々人が絶対に必要とするのですか、しないのですか? (「必要です」)。本当ですか? (「はい」) それでは、真の父母は、絶対的にだれのものですか?。真の父母はだれのものですか? (「「私」のものです」)。(拍手)「「私」のものである」と言うことのできる立場に立った男性と女性は、真の父母の血族を受け継いだ息子、娘です。(「アーメン」)。そこには、サタンの血統は一つもありません。一つもないというのです。分かりますか? 真の父母は絶対的にだれのものですか。(「「私」のものです」)。「真の父母は絶対に「私」のものだ」と言う人は、個人絶対完成者です。(「アーメン」)。真の父母を「絶対に私のものだ」と思う女性は、絶対女性完成者です。そして絶対女性完成者、絶対男性完成者は、何のためにそのように完成を願うのかというのです。 真の父母とは何ですか?。真の父母は絶対に「私」のものです。(「アーメン」)。横の人が「わたしのものだ」と言ったら、どのようにしますか?。けんかをしますか?。きょうも四千人、五千人が集まったのですが、この人たちが全員「わたしのものだ」と言ったら、どのようにしますか? 真の父母は二つですか、一つですか?。五千人近くの人がけんかをすれば、三千人が圧死する事件が起きるのです。それならば後退しますか、後退しませんか? (「しません」)。それは絶対的に「私」のものなので、絶対的に闘争しなければならない、というのです。 真の父母はだれのものですか? (「「私のもの」です」)。真の父母はだれのものですか? (「「私のもの」です」)。それでは、目のことを考えてみるとき、自分の目はだれの目にならなければならないのですか?。それは「私」のものなので、真のご父母様の目にならなければなりません。(笑い) それでは、鼻はどうですか? (「真のご父母様の鼻です」)。真のご父母様の鼻です。口はどうですか? (「真のご父母様の口です」)。耳はどうですか? (「耳も同様です」)。手はどうですか? (「手も同様です」)。行動も同様です。一つにならなければなりません。それが真理です。 創造性、主体性、関係性、統一性が起きるのです。真の愛だけが絶対、唯一、不変、永遠なのです。愛は、「絶対愛」を願いますか、それとも絶対ではなく「相対愛」を願いますか? (「「絶対愛」です」)。変化する愛を願いますか?。変わらない愛を願うでしょう? (「はい」) それも一日だけ変わらないのではなく、永遠に変わってはなりません。それがダイヤモンドや金や宝石の価値です。色の輝きにおいて黄金は永遠に変わらず、ダイヤモンドは硬さにおいて変わりません。真珠は、その化合の色彩が永遠に変わらないので、だれでもそれを愛して投入するのです。真の父母はだれのものですか? (「「私」のものです」)。いつからですか?。今から、きょうから歴史を変えるのです。 統一教会は、結婚の相手は自分の民族や自分の親族とはできないので、神様は「韓民族は、自分の宗族(氏族)と結婚してはならない」と言われたのです。それはよかったですか、間違っていますか? (「よかったです」)。「結婚してはならない」ということは、「少しでも、近い人と結婚してはいけない」ということです。 文氏なら文氏同士で、近い人と結婚してはいけないというのです。三代を中心として、親戚、姻戚、一族で結婚してはいけないというのです。このような話になるのです。分かりますか? 親族なので、姻戚や婿も親族になるでしょう。親族といえば、母方の親族も入ります。ですから、姻戚の八親等までも結婚してはいけないというのです。それで問題になるのです。先生が「結婚してはいけない」と言えば、してはなりません。神様は、そのような親族を捜し求められるのです。 それは何かというと、「怨讐を愛することのできる群れになりなさい」ということです。「親族の近い人同士で結婚してはならない」と言ったのですが、それでは、どのように結婚するのでしょうか?。その究極の結論は何かというと、「怨讐と結婚しなければならない」ということです。 「怨讐を親族の愛以上の愛をもって愛する日には、地上、天上天国が生じる」と考えているのです。簡単でしょう?。それは正しいと思いますか、正しくないと思いますか? それで日本人と韓国人を先生が交差結婚させたのです。そこから「交差結婚」という言葉が出てくるのです。 「交差結婚」という言葉を聞いたことがある人は手を挙げてください。日本のメンバーは韓国語が分かりませんが、交差結婚という言葉を聞いたことのある人は手を挙げてください。韓国人も挙げてください。 交差結婚するということは、どういうことですか?。韓国は、日本と怨讐です。日本人と韓国人は歴史的に怨讐ですが、その怨讐同士が統一教会で結婚して、どのようになっているでしょうか?。百パーセント離婚ですか、幸せに暮らしていますか? (「幸せに暮らしています」) さあ、真の父母はだれが絶対に必要とするのですか? (「「私」です」)。真の父母は「私」のものです。「私」のものですが、その「私」のものと取り替えるものは何ですか?。真の父母を「私」のものにするためには、「私」の貴重なもの、より貴重なもの、全体の貴重なもの、それを与えてでも取り替えることができなければならない、という論理が成立するのです。 真の父母は国家の代表であり、世界、天宙の代表であるので、何を与えて「私」のものにしなければならないのですか?。それをただ、ただ、泥棒のように奪ってきました。あなたたちは泥棒の群れですか?。本物の群れですか?。 日本の女性たち。あなたたちの一族を売り、一国を売り、過去、現在の先祖をすべて売ったとしても、一等である真の父母を買う日には、その売られていったすべてのものが喜び、売られたすべてのものは、「私」の真の父母の代身、国の真の父母、先祖の真の父母、全体の真の父母になるのです。(「アーメン」)。アーメンですか、何ですか? (「アーメン」) こちらに座っている人たちは、何の話か分からないのですか?。なぜ、黙っているのですか? (笑い)なぜ、このようになったのでしょうか?。日本人と韓国人とは顔が同じで、瞳も、鼻も同じように生まれたのに、なぜ、言葉が通じないのですか? (笑い)おかしいのです。 顔や目や鼻はすべて色が同じで、だれが日本人なのか、韓国人なのか、昼に研究し、夜には夢の中で研究しても分からず、体の色もすべて同じで、顔も同じで、食べる物も同じなのですから、言葉も同じで生活も同じでなければならないはずなのに、なぜ、言葉が通じないのですか?。それは、だれがそうしたのですか?。だれがそのようにしたのでしょうか?。 それは、反対の愛の環境で始まったのです。これを統一しなければなりません。反対する者同士で愛を混ぜなければ、統一の理想は根本的に、理論的に解決する起点がないという結論が出てくるのです。そうですか、そうではないですか? それで、日本人と韓国人は怨讐なのですが、その日本人と韓国人を交差結婚させたのです。それは、よかったですか、間違っていましたか?。そして「交差結婚した、その次の日からふろしきを包んで、日本から韓国に行って暮らし、思いどおりに破綻した家庭をつくって暮らしなさい」と言いましたか、「永遠の家庭をつくって暮らしなさい」と言いましたか? (「永遠の家庭です」) 二世の時代が来ました。それが三世になり、十代になれば、どのようになると思いますか?。十代になれば、どうなりますか?。交差結婚をして三代だけを考えても、その半分以上が韓国化します。三代だけでもです。そうでしょう?。恐ろしいのです。十代もかかりません。 そうして、七代までで氏族、民族になるのです。七代にさえなれば、完全にその国はカバーされてしまうのです。それを、何をもってそのようにするのでしょうか?。男性と女性の愛ですか?。何ですか? (「愛です」)。愛がどこにありますか? 「真の父母は「私」のもの」です。手を挙げてください。(「アーメン」)。真の父母を「私」のものにするためには、この地球星を売ったとしても、それを買わなければなりませんか、そうではないですか? (「買わなければなりません」)。地球星でも足りません。地球星と霊界と肉界を売ったとしても、買うことはできません。それができるのならば、すでに神様がなさっていたのです。 神様とサタンの闘いをだれが止めるのですか?。神様が止めることができるのならば、その翌日には止めています。宇宙を創造したかたにできないことがあるでしょうか?。それは、人間の責任分担なのです。 人間には、責任分担があるでしょう?。人間が罪を犯したので、息子(人間)が罪を犯したことを、父母(神様)が責任を取ることはできません。王が責任を取ることはできないのです。 ですから、「息子が出てきて根を抜いてしまってこそ、家庭の父親も母親も国の王も解放される」という理知に従うのです。偽りの父、偽りの愛、偽りの血統を中心として堕落した世の中になったので、真の父が出てきて真の愛、真の生命、真の血統を中心として突き立て、永遠不変の理想的体にならなければなりません。 「「私」は家庭の代表であり、家庭は氏族の代表であり、氏族は民族の代表であり、民族は国家の代表であり、国家は世界の代表であり、天宙の代表、神様の代表である」ということのできる、理論的な系列がぴたっと展開されなければなりません。 思想という言葉を知っているでしょう? 「思想」の「思」という字は、「田」の下に「心」です。「田」は世界を表し、十字架を表します。そして十字架は統一を表すのです。主体統一、相対統一、父子統一、夫婦統一。 神様は、子女までの三代を持つことができませんでした。神様が一代であられるならば、アダム、エバは二代です。縦的、横的、左右関係を持つことができませんでした。「左右」の結婚もできなかったのです。息子、娘を生むことができませんでした。三代がなかったので堕落したのです。わたしたち統一教会は、三代を経るために三大祝福をしなければなりません。 今では、二世祝福はすべてしたでしょう?。三世の祝福をする日が来るまで、いくらもありません。三世がもう十五歳になっています。十六歳になった者もいるのです。それは三代です。三代を祝福するときは、皆さんがすべて真の父母の代身となり、世界のすべての所有権基準が真の父母の公認の所有権基盤になって、国と世界の基盤が築かれていなければなりません。 そこでは、自分の一族の基盤と一家の基盤と、一個人である夫婦自体の基盤の所有権をどのように伝授して付着させるのかということが、歴史的、宿命的課題であるということを知らなければなりません。このようなとてつもない課題が残っているのにもかかわらず、何ですか、自分一人だけ「信じて天国に行こう」というのですか? 今までの宗教では、「一人で天国に行く」というのですが、それは、知らなかったのです。それは天使長の親族です。今では、主権者が祝福を受ければ、その国がすべて祝福を受けることができるような時代になりました。人口二億四千万の米国が、大統領が閣僚会議で決定して祝福を受ければ、一日に天国の民族になることができるのです。恐ろしい時が来たのです。分かりますか?。そのような時代が目の前に来たのです。 国連が「真の父母の日」を中心として、「真の子女、真の夫婦の日」さえ形成すれば、世界の六十億人類を一日で祝福することができるのです。できますか、できませんか? (「できます」)。それは何のことですか?。「サタン血統根絶」なのです。 きょう、特別に決心しなければならないことは、「真の父母は、絶対的に「私」のものである」ということです。唯一的に「私」のものです。不変的に「私」のものです。永遠的に「私」のものです。何を中心としてですか?。真の愛を中心としてです。 見てください。愛の神様が中心にならなければならないでしょうか、神様の愛が中心にならなければならないでしょうか?。愛の神様が主体にならなければならないでしょうか、神様の愛が主体にならなければならないでしょうか? (「愛です」)。そのことをはっきりと知らなければなりません。 神様はなぜ生まれたのかというとき、それは「愛のために生まれた」というのです。愛の神様になられるのです。そして神様の愛になるのです。それゆえに、「神様は愛のために生まれた」という論理を知らなければなりません。 キリスト教思想では、「愛は思いどおりにすることができる」というのです。愛は思いどおりにすることができますか?。ここですべて話をするので、よく聞いてください。愛の神様は何ですか?。愛の神様は、愛のために生まれたのです。愛のために生まれた神様は、愛のために生きるのです。分かりますか?。神様ご自身のために生きるのではありません。愛のために生きるのです。そしてすべての万物も愛のために生まれたので、愛の世界には「自分のために生きる」という概念はないのです。アーメン。天地の理知がそうです。女性が、なぜ生まれたのかと聞かれて、「女性は自分のために生まれたのでしょう」と言えば、恥をかくのです。女性がなぜ生まれたのかというと、愛のために生まれたのです。愛には、必ず主体・対象の関係が鉄則になっています。 それゆえに、愛のために生まれたこの世界を見れば、鉱物世界もすべてプラス、マイナスがあるのです。植物世界も雄しべ、雌しべがあります。動物世界も雄、雌、人間世界も男性・女性、天の本性も性相、形状として雄(陽性)、雌(陰性)の概念があるのです。 それは、なぜ、そのようになっているのでしょうか?。愛のために生きるためなのです。女性はなぜ、生まれたのですか?。男性はなぜ、生まれたのでしょうか?。「私」は、ただ生きるために生まれたのではありません。この宇宙とともに神様の本性、つまり根本と結果のすべてのものを保管した家庭で、そのような価値的存在として生きるために生まれたのです。 ですから、神様にも「この老人。愛のために生まれたのではないか?」と言って、降伏させなければなりません。そのような意味で、先生は素晴らしい先生なのです。度胸も大変なものでしょう?。聖人と殺人魔とを一緒に祝福してあげたのです。昔、祝福を受けた人は、十年間精誠を尽くしたのに……。そうではないですか?。 女性は、なぜ生まれたのですか? (「愛のためです」)。神様は、なぜいらっしゃるのですか? (「愛のためです」)。愛のためなのです。そして神様が、ご自身の愛の対象としてつくられたのが人間なのです。 神様は愛のためにいらっしゃり、人間のためにいらっしゃるのです。愛のためにいらっしゃるのならば、愛を復帰しなければなりません。それをどこから復帰しなければなりませんか?。愛することによって復帰するのです。それが理論的なのです。 それでは、堕落とは何ですか?。女性の願いは何ですか?。八段階を経ていかなければなりません。考えてみてください。私がこのようにして、あなたたちが行く道をすべて築いてこそ、先生の行く道が築かれるのです。父母が行く道は、子女たちが行く道です。 そうして、堕落した世界の国を復帰することができ、家庭を復帰することができ、自分の行く道、天上世界の天国に直行することのできる道理をすべてつくったのですが、それをつくってこそ、父母が前面に立つのではないでしょうか? 天国に入っていく道は、反対になっているでしょう?。真のご父母様に従って入っていかなければなりません。それを「嫌だ」と言ってはなりません。霊界に行った聖人、義人たちは、先祖の一つの位置を占有できればよいと、千秋万代、数千年を待ってきたのです。それは六千年間ではありません。それ以上待ってきたというのです。 さあ、皆さんは何段階の願いを持って生まれたのかというのです。女性が胎中から生まれたとき、何から始まったのですか?。父親と母親の愛の精気がみなぎらなければならないでしょう?。男性と女性の春にならなければなりません。春に花が咲くのでしょう?。同じことです。 そうして春を迎えて初めて、父と母がお互いに好むようにならなければなりません。それはだれも離すことはできません。そこに絶対的に離すことのできない愛の精気がみなぎらなければなりません。 愛には、生命以上の力があります。愛のために生き、愛のために死ぬのです。死も、愛の前には問題になりません。本来は、今日の堕落した世界の生命問題や家庭問題、それをすべて火で燃やして祭物としてささげなければ、天の国に行くことができないのです。 先生もそうです。祝福家庭をつくることがどれほど大変だったでしょうか?。最近では、道ばたを歩いていても祝福を受け、トイレでも祝福してあげるということを聞きました。わたしが今から教えてあげる伝統は、そうではありません。法で治めるのです。天の国の憲法ができ、法ができるのです。ここに引っかかれば、即刻処罰します。問題が起きるのです。 それでは、女性が生まれるとき、どこから生まれるのでしょうか?。父母の愛から生命、血統が混ざっていなければなりません。愛が芽生えて、女性の生命が男性の生命に帰っていくことによって、混ざっていく所において、そこに種が生まれ、渦巻きとなり、渦巻きが生じる力が注がれて、あなたたちの生命が生まれたのです。 それゆえに、父母の愛の骨です。分かりますか?。父母の愛の骨です。そのようには考えないでしょう?。父母の愛に同参するにおいて、主人はだれなのかというと、母親でもなく、父親でもなく、自分が主人だというのです。 ですから、父母は息子、娘のために生命まで投入しなければなりません。そうして何もなくなってこそ、そこにいらっしゃる神様は下に降りていかれるというのです。最後までなくなり、見えない神様の側に、あの夜の世界に帰っていくのです。 それゆえに、「私」という存在は、父母の愛の生命と血統の同参者であるという、そのような自覚を持たなければなりません。それでは、この二つを分けることができますか?。父と母は分けることはできず、父と母と「私」自身を分けることができないという宿命的な一体なのです。 李相軒氏が霊界に行くと、父と母と自分が神様のように見えると言わなかったですか?。じっとのぞき込んでみれば、三人だというのです。これと同じことです。分かりますか?「私」という存在は何ですか?。父母の愛の結実体であり、生命の結実体であり、血統の結実体なので、父母よりも多くの知恵を持っているのです。 それゆえに、真の愛の願いは何かというと、「自分よりも優れていることを願う」ということです。それで、父母は息子、娘が自分よりも優れていることを願うのです。アーメンですか、ノーメンですか? (「アーメン」)。それは、「永遠にそうです」と言うべきです。 父は、自分の愛する妻が永遠に優れていることを願うのです。そうですか、そうではないですか?。母は、自分が愛する者が自分よりも優れていることを願うのです。そうですか、そうではないですか?。分かりますか?。兄弟同士でも、兄は弟が、自分よりも優れていることを願うのです。弟も兄が優れていることを願うのです。そうでしょう?。 一家を中心として、親族よりも優れていることを願うのです。そうでしょう?。すべての世の中において、最も貴いものは、「私」を中心として連結するためのものなのですが、連結するにおいて、どのような内容がなければならないのかというと、上下関係、父子関係、左右関係、夫婦関係、前後関係、兄弟関係ができてこそ、立体形成が展開されるのです。 ですから、父母も「絶対父母」が必要です。そうですか、そうではないですか?。神様の属性は絶対、唯一、不変、永遠であり、絶対愛、唯一愛、不変の愛、永遠の愛なので、その生命圏では神様と一緒に同居同楽することができ、神様のように相続権を持つことができるというのです。ですから、夫のものはわたしのものであり、わたしのものは夫のものであり、息子のものは母のものであり、母のものはわたしのものなのです。 そして、わたしのものは家庭のものであり、家庭は氏族のものであり、氏族は民族のものであり、民族は国家のものであり、国家は世界のものであり、世界は天地のものであり、天地のものは神様のものであり、神様のものは「私」のものになるのです。 このように、すべてを連結させる統一的実体になったので、神様の後にくるものは、すべてわたしのものとし、小さいもので出発して大きいもので受けるのです。最も小さいところからではなく、大きいところから出発するのです。戻ってくる愛の力は、もっと大きいのです。真の愛というものが戻ってくるとき、小さくなるという法はありません。 皆さん、食口たちの中で、クリスマスや誕生日を祝賀するときに、本当に愛する友人が百ドルのプレゼントを贈り、そのプレゼントは精誠を尽くして贈ったということを知ったとき、その友人の誕生日に九十ドルの贈り物を贈りたいですか、何百倍のものを贈りたいですか? (「何百倍のものです」) それが愛の心です。ために生きる愛です。ために生きる愛の世界だけがそうなのです。相手に対して「ために生きろ」という愛は、奪い取るものです。それを知らなければなりません。ために生きようとする愛においてのみ、「真」が連結されるのです。 そして、真の父母は何かというと、息子が百人いれば百人全体のために生きるのです。一万人いれば一万人の人を、地獄にいる者から天上にいる者、良い者、悪い者を平準化させ、父母が喜ぶと同時にすべての者が永遠に喜ぶことができ、すべてが両手を挙げて万歳をすることのできる環境的与件に責任を持つのです。そのような天地父母にならなければなりません。 そのようなみ旨を知った文総裁は、一生の間、休んで過ごした日がありません。それは、つらいことです。そして、どこかに行って、貧しく暮らす人がいれば、「十年、二十年後に、わたしは訪ねてくるつもりだ。来ることができなければ、わたしの愛する息子、娘、弟子、統一教会の食口が来てこのようなことをするだろう。間違いなくするだろう」と言いながら、歩んでいるのです。 あなたたちは、「その代を受け継いで、そのようなことをする」と考える人になっていますか、なっていませんか?。「わたしは、すでにそのようなことをすることを決心しました」という人は、力いっぱい手を挙げてください。本当ですか? (「はい」) わたしが今まで、どれほどだまされたのか知らないのですか?。むしずが走ります。それを信じなければなりませんか、信じてはなりませんか? (「信じなければなりません」)。信じなければならないのですか?。それでは、両手を地につけてください。間違いなくそうしますか? そのようにすれば、間違いなく息子、娘になるでしょう。一度、力いっぱい地から神様の宝座まですべてを飛ばしてしまうことができる立場で「さあ、わたしは、そのような息子、娘になります」と言ってください。さあ、そのような父母の愛、父母の生命、父母の血統を受けてどこに行くのですか?。あなたたちが生まれた生命体はどこに行くのですか?。 人類は、失敗したアダムの代を受け継いだ後孫なのですが、完成したアダムならば、人類はすべて息子、娘ですか、何ですか? (「息子・娘です」)。そうです。今まで共同墓地に行った先祖まで息子なのです。ですから、「わたしの言うことを聞きなさい」と言えば、聞かなければなりませんか、聞いてはなりませんか?。聞かなければなりません。そのような特権があるのです。三時代の父母だというのです。それは、驚くべきことです。 先生に知恵があって捜し出したのではありません。求めて、求めて、捜し求めたので、教えるのです。それゆえに、皆さんの心も、それを肯定したとしても寂しくないのです。しかし、少しでも違えば、不安になるのです。 三時代の先祖だということを信じますか、信じませんか? (「信じます」)。三時代を経ていかなければなりません。旧約時代は何ですか?。長子権復帰を今までしてきました。父母になろうとすれば、カインとアベルが一つになった基盤の上で種をまかなければなりません。そうではないですか?。そこにユダヤ民族、選民の中で長子が誕生しませんでした。 この二つを一つにし、神様が独り子を立てることのできる長子の権限として、イエス・キリストを立てたのです。イエス様は独り子です。それは驚くべきことです。イエス様がメシヤの候補の名詞を持つことのできる堂々とした価値を備えていたということを、今日の宗教人たちは知らずにいます。 メシヤが現れるために、どこに旅行をしましたか?。母親のどこに行きましたか?。どのような宮を訪ねていくのですか?。それは子宮です。女性たちは皆、子宮を持っていますか、持っていませんか?。子宮に神様のきれいな息子、娘を妊娠したいですか、汚れたサタンの血が混ざった、ぼんくらのような血が混ざった息子、娘を持ちたいですか?。尋ねる必要もないというのです。 ですから、子宮が泣いたというのです。誤って、ありとあらゆることが起こったのです。それが嫌なので、小さくなっていったのです。小さくなって生まれたので、生まれた姿も子宮の形態によって、あらゆる姿の人がすべて出てきて、この世の中、理想世界を破綻させ、愛を混乱させる地獄になるように役事してきたということを知らなければなりません。堕落の血統なのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました」) さあ、それでは今から考えてみましょう。あなたたちはだれであっても、母親の子宮にくっついて母親の血肉を吸い取って大きくなったでしょう。そうではないという人は、手を挙げてください。それは泥棒です。「そうではない」と言う人は泥棒であり、「そうだ」という人が正常な人であるということを知らなければなりません。母親の血肉が必要であり、母親の骨肉が必要であり、母親の愛が必要であり、生命が必要なのです。分かりますか? (「はい」) 自分のゆえにではなく、母親の愛のゆえに、母親の生命のゆえに、母親の血統のゆえに「私」が生まれたということは否定できません。生まれるときには、女性として、あるいは男性として生まれるのですが、女性自体が女性のゆえに生まれた、という女性はいません。そのようになれば、永遠に自滅するのです。女性が、だれのために生まれたのかというと、男性のためにです。これを知りませんでした。出発の起源を不明確に考えていたのです。 女性は何のために生まれたのですか? (「男性のためにです」)。男性のためにです。一時代ですか、永遠の時代ですか? (「永遠の時代です」)。永遠の時代です。神様の娘の愛は、絶対、唯一、不変、永遠の愛であるので、その愛を中心として、その対象的価値は絶対価値であり、絶対的な相対であるということを知らなければなりません。変わることはできないというのです。それゆえに、女性の前に男性は、絶対真理の愛の相対なのです。「アーメン」と言わなければなりません。(「アーメン」) 女性たちは、愛を尋ね求めていかなければなりません。愛の家に入っていき、愛の息子、娘を生んでみなければならないでしょう?。愛の息子、娘を生んで、愛の母親になってみて、愛のおばあさんになってみて、愛の女王になってみなければならないで 女性が生まれた目的は、どこにあるのかというと、腹中時代から一人で生まれましたが、男性の王になることのできる人を相対として願って生まれたのです。「私」の夫は、腹中時代から男性の腹中時代の王なのです。 そして家庭に入れば、赤ん坊が育って、赤ん坊時代からその次は兄弟時代です。男性と女性が行く道は違うでしょう?。兄弟時代に別れて、青少年になれば約婚時代、結婚時代、母親時代、おばあさん時代を経て、王の位置に行かなければなりません。八段階を行かなければならないのです。その道を前にして、約束して生まれているという事実を知っている人はいません。ですから、自分のために生きてはなりません。 神様は、どのようなおかたですか?。主人になりたいと思っていらっしゃるおかたです。それは何の主人ですか?。愛の主人です。あなたたちも愛の主人になりたいですか? (「はい」)。父親としての主人、夫としての主人、妻としての主人、家庭としての主人になりたいのです。愛を中心とした主人の決定は、自分一人では永遠になされません。このことを知らなければなりません。今日まで、それを知りませんでした。 夫がいくら優れているとしても、自分一人ではできません。妻がいなければ、女性の愛が分かりません。女性の愛に対することのできる主人の資格は、自分の妻が成し遂げてくれたということを知らずにいます。 妻も、いくら自分が美人で、それを誇ったとしても、男性を愛して男性を慕うことのできる愛の主人になることができたのは、男性の愛を目覚めさせてくれた、最初に結婚した夫ゆえに主人にしてもらったのです。相対が自分の主人の資格を決定してくれるということを知らずにいるのです。それは深刻な話です。 そして神様は、腹中の赤ん坊時代の愛の主人になるために、それから大きくなり幼児時代の愛の主人になるために、兄弟時代の愛の主人になるために、約婚時代、デート時代を経て(お互いに)慕うのです。すぐには結婚しません。デートをする約婚時代、結婚時代を経て父母時代に発展していくのです。父母時代を経て祖母時代を経て、女王の位置に入っていくのです。女王の位置です。そうして天上世界の神様の夫人まで行かなければなりません。 腹中時代は、そのような遠大な希望を抱いて、水の中から調和の運動が展開し、水を中心として生きる時です。それから地上に出てきて、陸地のすべての要素を取り込んで生きるのです。それゆえに、水は腹中時代の母親です。水を通して生きるのです。栄養素が水なのです。そしてこの地上に生まれ、地球星のすべての栄養素は愛のエキスです。 神様が人間を創造されたとき、肉をすべて構成することのできる要素が地上にあるのですが、それを吸収して人間は生きるので、地球星が母親ということになるのです。それを知らなかったという話です。 蘇生の母、長成の母、それから完成の母がいます。霊界に入っていき、神様の愛を中心として幼児時代から三時代の主人の資格を成すために「私」は生まれたというのです。このような膨大で、とてつもない価値的存在として生まれたという事実を、宇宙の前に感謝しなければなりません。 水を見て感謝し、地球星を眺めて感謝し、天上、天の世界を見て感謝し、「私」を抱いて、抱いて、愛して、愛して、永遠に愛して、終わりなく「私」はその愛を受け、その地球星の愛を天上世界に返し、神様の愛を結実させるのです。そして再び、種のように、アダム、エバのように循環運動を永遠にすることによって、この地上の一家庭が氏族を成し、民族を成し、国家を成して、天の国の民族、地上、天上天国が完結するのです。アーメン。(「アーメン」) それゆえに、生まれたのは、地上、天上天国、神様の愛の実体圏を所有するために生まれたという事実を知らなければなりません。ですから、自分を主張してはなりません。女性が自己主張をして独身生活をしてみてください。そうすれば滅びるのです。そのような「敗亡主義者」たちが多いのです。 そうして、サタンが最後の日に、神様が最も好まれるものを全面的に破綻させるために、後に愛の理想宮となるものを完全に泥棒の巣窟にしてしまうのです。フリーセックス、ホモ、レズビアンですか?。親族相姦関係。完全に破綻させました。このように破綻したものを、神様はご存じなので、これを収拾することのできる大王陛下であるメシヤを送られるのです。 文総裁は何かというと、天下の家庭の王なのです。文総裁は、世界の八億双の未婚男女を祝福することのできる天の国と地上の国の家庭の王位なのです。そのようなことを言ったとしても、だれも反対する人はいません。 家庭の王になれば、氏族の王の編成は問題ありません。自動的に行われるのです。一時に合わせてしまうのです。何千年間、アダム家庭として繁殖し、数千万年の間、人類は発展してきたのですが、一時代にまとめて行い、一代に合わせるのです。 一代で未完成だったがゆえに、このようになったので、完成したアダムは一代ですべてのことを成し遂げ、天国化、地上天国、万世天国を宣布することのできる資格者になってこそ、神様まで解放されるのです。何のことか理解できますか?。夢のような話ですが、そのようなことを行っているのです。あらゆる面で魅力があるのです。 女性たちが、先生を自分たちの思いどおりにすることはできません。先生が女性に引かれていくことはありません。そのようにすごい人なのです。すべての女性は、堕落したエバと称するので妹です。妹である以前に、腹中時代の相対的要求を充満させることのできる神様代身の愛を持って愛するのです。 腹中時代から幼児時代、兄弟時代です。兄弟の主人、神様は、その主人になることができませんでした。神様は、腹中時代の主人、この地上に生まれてからは兄弟時代の主人、それから約婚時代の主人、夫婦時代の主人、父母時代の主人、祖父時代の主人、王宮時代の主人になることができませんでした。 そのように失ってしまったものを復帰するために、このように数千万年かかったのです。これを復帰しなければなりません。このような理論的な基準があるので、それが可能なのです。 「真の父母天宙統一解放」です。それがどういうことか分かりますか?。一般の世の中の人にそれを理解させようとすれば、三時間は話さなければなりません。それでもついてくるのは大変なことです。 しかし、統一教会人たちは、すべて分かって、そのうえで踊りを踊るのです。踊るのには、三年、十年待たなければなりません。無知からは、完成がありません。理想がありません。今日、現在の科学文明は、理論に通じるものはすべて創造することができるのです。 皆さんは、どこに留まるのですか?。腹中時代に赤ん坊の長子として、父母として、王として留まるのですか?。赤ん坊が父母になるために、長子になるために、真の父母になるために、王になるために育っているのです。そうではないですか? それは、どのような時代にですか?。母親のひざの上で、兄弟時代にそのようにするのですか?。デートするときにそのようにするのですか?。結婚生活するときにするのですか?。父母になってするのですか?。父母の上に祖父、祖母にならなければならないでしょう? (「はい、そうです」)。なるようになっているではないですか?。そのように上がっていくではないですか? それでは、祖父、祖母の上は何ですか?。王、女王にならなければならないでしょう?。何を中心としてですか?。国を中心としてです。王です。子女が一つになるのは、父母の位置を復帰するためであり、父母が一つになるのは、王の位置を復帰するためであり、王の位置で一つになるのは、神様に侍るためなのです。そのような観念ができていないではないですか? このような八段階の希望を抱いて、腹中時代に君臨した神様の娘であり、息子であったという事実を知らなければなりません。人類の長子権を相続することのできる独り子、独り娘であったということを知らなければならないというのです。 人類の歴代先祖をつくり、国をつくることのできる先祖着地の起源をつくるための王の位置であったということを知らなければなりません。そのようなとてつもない内容であるということを知らなければならないのです。 それゆえに、夫も一番を願い、父母も一番を願うのです。すべての人がそのように考えるでしょう。父母も「一番ならよい、王になればよい」と考えるのです。祖父から歴代の王孫ならよいと考えるというのです。夫が王であり、女性は女王ならばよいと考え、息子、娘もそうであればよいと考え、三代が王になることを願うというのです。三代が王圏です。分かりますか? 腹中から生まれるとき、八段階の位置まで千辛万苦ではなく、順理的な法度で自然的にそのような位置に行くことのできる福のある天の王子、王女として生まれなければならないのですが、堕落によって完全になくなってしまいました。父母もいなくなり、真の愛がなくなり、真の血統も、真の生命も、真の良心もなくなったので、これを再編成するためのものが再創造歴史なのです。分かりますか?。再創造歴史は、投入しなければなりません。 それゆえに統一教会は、象徴献祭三年半、伝道三年半という七年間の公生涯路程を行かなければなりません。七年路程を中心として、蘇生、長成、完成、国家、世界のキリスト教文化圏が反対する中を、先生は世界基盤を中心として七年間の受難の道を行ったのです。外国で監獄生活をしなければなりません。そしてそこから出てきて蕩減し、勝利の立て札を掲げたので、韓国に帰ってきてこのような祈祷もすることができるのです。 「錦衣還郷(=故郷に錦を飾ること)」でしょう。錦国還郷したのです。錦天地を持って還郷しなければなりません。しかし、堕落によって、それが分からないのです。衣を着て、お金をもうけて還郷するのではありません。国を復帰して還郷しなければならず、世界を復帰して還郷しなければなりません。 神様の故郷に入っていくとき、天宙を復帰して還郷をしなければ、神様の尊前に行って、万国を治める神様の前に敬礼をささげることができ、王圏を相続できる息子、娘にはなることができないというのです。それが永遠なる神様の「独り子権」、「独り娘権」であるということを知らなければなりません。 それは、千万代、何億万代の独り子権です。「七代の独り子(七代にわたって嫡子が独り子)」が死んだとしても、国がその悲しみに同情するのに、何億万代の独り子、独り娘がいっぺんに死んでしまったのです。 その独り子、独り娘を復活させるための役事が、考えだけでできますか?。何ですか、信じれば天国に行けるというのですか?。自分の思ったとおりにするのですか?。自分の考えはああでこうで、自分の知っている知識で「ああだ、こうだ」と考えています。霊界を知っていますか?。知らないでしょう。そのようなものは、すべて片付けてしまいなさいというのです。そのようなものでは、天の国を相続することはできません。分かりますか? 生まれて、八段階の相対的理想圏を平穏化させなければなりません。そうしなければ、主体的神様に侍ることはできません。先生は、個人的カイン、アベルを中心として世界的迫害を受け、家庭的カイン、アベルで世界の超民族的迫害を受け、民族的カイン、アベル平準化、国家的カイン、アベル平準化、世界的カイン、アベル平準化を成したのです。 こうして真の父母のみ名によって、すべての世界的家庭を祝福してあげ、天の国に方向転換してサタン世界と永遠に離別することのできる本郷に向かい、自分が暮らしていた故郷を訪ね求めて行くのです。 エジプトの地を出発して四百三十年目、韓国の地を四千三百年目、天国は四万三千年目に還故郷が終わらなければなりません。「四万三千」という数字は、だれも計算しないではないですか。だれも最後に丸(ゼロ)をつけることができません。わたしが丸をつけなければなりません。 それで「一九九九年」には、九数がいくつ重なるというのですか? (「九つです」)。九つですが、一つだけ加えればこれが二千年になるのです。ゼロが九つなら、億になりますか。九つなら十億になります。その数字(「一九九九」)に一つ足せば二千年なので、二十億になるというのです。「二十億が統一教会の祝福圏になる」と、このように考えるのです。二十億になれば、世の中の万事が終わったということです。そうではないですか?。 「先生から祝福を受けた人、手を挙げなさい」と、インターネットを通して話し、Eメールを通して話し、ファックスを通して話し、そして放送すれば、全世界の統一教会の教会人が手を挙げるでしょうか、挙げないでしょうか? 「真の愛の演説をする」と言えば、夜中であれ昼間であれ、参席するでしょうか、しないでしょうか? このような素晴らしい話をする人に、初めて会ったでしょう? (「はい」)。世の中、天地にそのような素晴らしい話をする人に初めて会ったでしょう?。素晴らしいことは素晴らしいのですが、内容はどれほど簡単ですか?。簡単ですか、難しいですか?。素晴らしい話をするのですが、内容はそれほど簡単ではないので、それで素晴らしいというのです。それを知らなければなりません。 統一というものは、指導を受けるものでありません。「率いる」という意味の「統」の字です。主体性を備えているのです。神様には、創造の主体性があります。主体性には、管理主管圏がなければなりません。ですから関係世界です。それから統一世界です。統一は一つになるためです。 五官がすべて統一されていますか、されていませんか?。何によって統一されるのですか。見ることによって統一されるのならば、四つ(四官)が不平を言うのです。愛のために、すべてが焦点を合わせるのです。では、最初に何を合わせるのですか?。目を合わせるというでしょう。あなたたちは、目を合わせてみましたか?。愛する人と目を合わせて合図をしてみましたか?。韓国語で目を合わせて合図するというでしょう? 八段階の理想を持って赤ん坊を抱く母親が、母親の役割を果たさなければなりません。「おまえは大きくなって、その道を行くことができなければならない。神様が保護してくださり、わたしの息子・娘がその道を行かなければなりません」と言い、十か月間、ひざまずいて良い瞑想をし、良い景色に、良い聖人たちの教えを教え、「孝子になり、忠臣になり、聖人になり、聖子にならなければならない」と言わなければなりません。 孝子も、家庭的孝子です。家庭的孝子にならなければなりません。祝福家庭に神様が願うことは、家庭的孝子です。家庭的忠臣を願い、聖人は家庭的聖人を願い、聖子は家庭的聖子を願っているということを知りませんでした。 この父母は、今から真の父母にならなければなりません。真の父母の息子・娘が真の父母となり、真の祖母となり、真の祖父となり、真の王・王妃にならなければならない位置まで残っているのです。 そして、神様の八段階圏内に立って相続することができなければなりません。「あなたは、わたしが腹中時代から育った歴史的なすべての内容を完成させたのである」と言うとき、刺激的な衝撃を受けることができるのです。 返ってくる善なる愛は、必ずもっと与えたくなるのです。百を受ければ、百十、百二十を与えたいというのです。それゆえに、神様の愛をわたしが百受ければ、百二十、何倍にして返してさしあげようという心を持っているので、休む暇がありません。 先生の前に負債を負いましたか、負っていませんか?。真の父母の前に負債を負いましたか、負っていませんか?。負債を負っていないという人は、手を挙げてください。負債を負ったという人は手を挙げてください。 負債をどのくらい負ったのかというのです。未完成、腹中から女王まで八段階の完成のすべての道を、すべてめちゃくちゃにした堕落の後孫です。その道を開拓することがどれほど大変でしょうか? 開拓の道を築き、高速道路をつくっておいたことも良いことですが、そこに車までつくっておいたのです。運転は、自分が学ばなければならず、走るガソリンは自分が供給しなければなりません。それもせずに座って天国に行こうという空想家は妄想家です。妄想家です。妄想家は、亡びなければなりません。 あなたたちは、どれほど負債をたくさん負ったでしょうか?。骨髄が溶けだし、肉が崩れ、すべての精神が散らばるその位置で、耐えて完成の道まで千辛万苦の波瀾万丈の生涯を経て開拓してきた路程を、遊んで食べながら行くのですか?。この者たち。 先生が六千年、四千年の歴史を四十年に短縮したのであれば、あなたたちは四年以上でもしなければなりません。八年以上でも蕩減することができるように合わせていかなければ、この道を行くことができないということを知らなければなりません。蕩減復帰です。 蕩減は、悪なるサタン世界と百八十度、反対の姿を描いていかなければなりません。分かりますか?。蕩減がなければ復帰ができません。穴に落ちたならば、上がっていくことのできる階段をつくるか、梯子をつくるか、紐をつくるかして、それに乗って上がっていかなければなりません。そうでなければ、復帰できません。 救援摂理は、神様がごらんになれば本郷に転換するためのものですが、人間から見れば復帰摂理です。神様の側からは救援摂理であり、人間の側からは蕩減復帰摂理であることを知らなければなりません。分かりますか?。蕩減復帰で何をしたのですか?。 二世たちは今から、責任遂行の実績が必要な時が来たので、何かを残さなければなりません。分かりますか? (「はい」)。生まれたのは、理想的な王と王妃の位置を描いて生まれたのです。 王の中の王が自分の息子・娘を、男性(息子)は右側に、女性(娘)は左側に抱いて自分と同じ価値の相対者をおくとき、そこで苦労したその価値の愛の実が、自分よりももっと精誠を尽くし、その忠誠の結実の刺激が、自分が苦労したすべてのものを完全になくしてしまったとしても、もっと衝撃的であり喜びを感じることのできる基盤において、神様は与える心が生じるということを知らなければなりません。回るときは、大きくならなければなりません。一点から出発して大きくなっていかなければなりません。 家庭的聖子が見るとき、個人を中心として孝行できる道理を教えたので、最後の国家時代を越えてサタン世界を乗り越えることのできる解怨圏内に突入できる道を教えることができるということは驚くべきことであり、ありがたいことだということを知らなければなりません。 そこに行くときは、避難袋を持っていてはなりません。すべて清算して行かなければなりません。黄金のような変わらない、神様が喜ばれる要素だけふろしきに包んで、国境をさっと越えて行かなければなりません。 それが、あの南米ジャルジンにある「世界平和理想家庭教育本部」であるということを知らなければなりません。韓国から出発して、最後に入っていかなければなりません。そこに行って天上世界の家庭と地上世界の家庭が、地上地獄と天上地獄の人々の家庭をすべて再祝福し、地上が右側、天上が左側であり、皆さんの先祖たちが天使世界となり、皆さんは完成した家庭、一族を代表し、その二つが天上世界に集って垂直に立つのです。垂直には、反対がありません。蘇生、長成、完成、自動的に天国に直行することができるのです。 祝福を受けた家庭として、その修練会に行っていない家庭は手を挙げてください。「世界平和理想家庭教育本部」に、夫婦で息子・娘を連れて四位基台家庭教育を中心として行かなかった人は手を挙げてください。手を挙げてください。なぜ、行かなかったのですか?。何をしようとしているのですか?。 イスラエル民族において、何日までに出国しなさいという命令をしたとき、通告したのにそのとおりにしない人はひっかかるのです。いつ、どのような命令が出るのか知っているのですか?。いつ、統一がなされるのか知っていますか?。何のことか、分かりますか?。大移動です。それゆえに、修練に行かない人は、荷物をまとめていつでも行くことができなければなりません。 神様がアブラハムに命令するとき、「カルデヤのウルを出なさい」と言うときは、大移動なのです。ノアのおじいさんのときには、船をつくりなさいという逆説的な論理を立てて、アララテ山に船をつくりました。狂った人でしょう?。神様は精神病者でしょう、そのような神様がどこにいますか? ノアのおじいさんは、千辛万苦も恐れない王子となり、神様のみ旨の中で祭壇を築いて祭祀をきちんと行いました。その後、神様はアブラハムに「あなたの息子、百歳で生んだイサクを祭物としてささげなさい」と言われたのです。本当に、そのように狂った神様がどこにいますか? モーセを見てください。まさに王宮で王子になるはずなのに、愛国心を持ってイスラエル人を殺しましたか、エジプト人を殺しましたか? (「エジプト人です」)。ミデヤン荒野で四十年、羊飼いの生活をしながら、イスラエルの国のためにその生涯を準備してきたのです。その四十年の苦労をしながら出てきたのです。家を捨てなければなりません。 洗礼ヨハネはどうでしょうか?。家で暮らして駱駝の毛でつくった着物と皮をまとって歩き回るのが聖子ですか?。そのときに、はだしで歩いたでしょうか?。靴があったでしょうか。そのとき、わらじを編んで履いていたでしょうか。そこは、はだしがそれ相応の格式なのです。そこは寒くもないのです。全員、はだしで暮らしているのです。はだしで、夏でも駱駝の毛を着て皮をまとっているので「あなたがメシヤですか?」と人々が尋ねたのです。 その洗礼ヨハネの父と母は「やあ 神様が愛する聖子の後継者だ、福を受けるだろう」と言ったでしょうか、胸を打ち、「わたしの息子は、なぜこのようになったのだろうか?」と言ったでしょうか。すべて、理解できないところからの出発なのです。 文総裁を見てください。文総裁は、幸せに暮らしていますか、困難な暮らしをしていますか。文総裁についてきた人たちの夫が「監獄に入れろ」と訴え、あらゆることをしたのです。わたしは、悪いことはしていないのです。女性たちがわたしを悪くしたのです。 何かしないことがあったでしょうか。この女性たち。なぜ、笑うのですか。先生は、そのようにいいかげんに暮らした人ではありません。そうでしょう。いいかげんに暮らしません。原則を中心として、そのとおりに暮らすのです。そのようにわたしたちは暮らしているでしょう。神様を抜かして、真のご父母様を抜かして、何をするのですか。 国連が国をつくらなければなりません。それゆえに、宗教国連、女性国連、青年国連、学生国連、五大国連を一つにして、国の形態を備えなければなりません。そのようになれば、米国も百八十五か国の一国家になるのです。米国の思いどおりにはできないというのです。 そして、上院・下院制度を教育して準備し、超宗教、超国家、超大学院をつくって大学総長や言論界の長たちを教育することができるようになるのです。「国際訓読セミナー」で教育するのです。二度、三度すれば、国家メシヤを中心として百八十五か国で訓読会を国家的次元で行わなければなりません。しなければならないようになっているのです。そのようにすれば、統一天下が成るでしょうか、成らないでしょうか。 八段階の所願成就の一日のために、ために生きる道を外れては絶対に完成できる日、解放できる日はないということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。そのような意味で、個人的時代から、赤ん坊の時代からそのようなことをしたという条件をどのようにして立てるのかということが問題なのです。 家庭的基準でそのような基準をどのように立て、氏族的基準、民族、国家、世界、天宙の基準でどのように立てるのかというのです。そのような八段階の理想完成体として、赤ん坊からすべての段階を神様が祝福して抱くことをためらわず、「そうだ。わたしの愛する息子であり、娘だ。永遠不滅の万代の独り子、独り娘」と神様に讃美を受けることのできる息子・娘にならなければならないということを知らなければなりません。そうしてこそ、そこで相続がなされるのです。教会の中で祝福を受けて、何がどうでこうで……。 そのような危険性があるので、教会祝福、それから何ですか。祝福は、三段階の祝福だと言ったでしょう。国の祝福です。南北が統一される日には、統一教会、そして全世界の万民を呼んで、再び祝福してあげなければなりません。そして、そのとき、一族が訓練所に行かなければなりません。百八十人ずつ、全体が一つになっていかなければなりません。あの村この村を立ててはなりません。 それで、四十か国が、一か所に集まったとしても、谷間が多く高く深い山脈の境界線を涙で埋めることを願うというのが天の兄弟の因縁だったのです。これを埋めて余りある愛の涙に濡れていなければならず、愛の祭物が生きていなければならないということを知らなければなりません。 総生畜献納祭です。神様は無念であられるというのです。自分の天地の所有物を、祭壇の上でサタン側の所有と神側の所有に分配する立場は、どれほど無念ですか。蕩減復帰です。万物を犠牲にして息子・娘が行くべき道を準備したにもかかわらず、イスラエル民族に息子を送り、氏族、民族、国家形態を備えることのできる基盤を準備したにもかかわらず、そこで一つになることができずに基盤を失うようになったとき、息子の位置を相続する祭壇であるイスラエル選民圏が、すべて一度に崩れていくのです。 ですから、キリスト教文化圏を中心として新しく出発するのです。その文化圏は、イスラエルのような国がありません。霊的基盤だけ成功したので、キリスト教はどこに行っても国のない民族的基準に立ち、血を流して蕩減しなければならない無念な歴史時代を残したという事実を知らなければなりません。 至る所で血を流したのです。二千年歴史のキリスト教に、血を流していない所がないということを知らなければなりません。そしてイエス様が十字架、左翼と右翼、右側の強盗と左側の強盗が生じたのです。イエス様から統一的な天下の世界に拡張しようとしたことが崩れてしまったので、右側の強盗、左側の強盗を中心として分かれたのです。楽園に入っていたのは、右側の強盗しかいなかったというのです。十二弟子ではありません。無念な歴史を持ったということを知らなければなりません。 初めの者は後になり、後の者は初めになるという悲運の歴史に、伝統的、模型的、歴史過程が残っていることを知らずに、いいかげんなやり方をして、それでも統一教会の食口だと考えれば亡びるのです。亡びるというのです。 公式的なフォーム(様式)を持って、家庭のカードを出しなさいといえば、家庭のカードを出さなければならず、民族のカード、国家のカード、世界のカード、天の国の王子なら王子のカード、地上世界のすべての国法と王国法、天上世界の国法と王国法、あなたの王宮法をすべてパスすることのできる自然的勝利が決定しなければ、神様の直系皇族圏に入っていくことができないということを知らなければなりません。妄想ではありません。 実相的な運動を展開している文総裁なのです。その実相的基盤は、だれも崩すことはできません。国も崩すことができません。反対していた国も、キリスト教を中心とした八代までの大統領が、なぜそのように悲惨になったのかというのです。 天的な主人になることのできる文総裁を追い出してしまったのです。一番最初に言論界が、統一教会は何だかんだと言いながら、主権を通してしっかりと握ってコーナーに追い込んだのです。統一教会の原理を見てみると、これが恐ろしいのです。一度聞けば、キリスト教が根本的に崩れていくということを知って、防御しようとしたのです。 共産主義の理論体制、旧約、新約、政治的主流関係があり、思想的体系における歴史の天運の道理に背くことができないように、すべてのことを包括していくことのできる主流思想があるということを知るとき、これは恐ろしいことなのです。それで、キリスト教を中心として四十年、五十年反対していたボスも、千人以上の教員たちを指導していた人も、白人を連れて五百人、七百人、千人あるいは何百人以上を集めて二泊三日すれば、祝福を受けると手を挙げさせることのできる教化力を持った武器の倉庫を破綻させた国が大韓民国です。うそではありません。今回もそうではないですか。 さあ、「九・九節」に返りましょう。このように為に生きることのできる、大王陛下の直系の息子・娘にならなければなりません。千代万代の独り子です。万代の独り子になってこそ、神様の王子・王女になることのできる特権があるのです。 ですから、先生を通して特権を付与されたなら、万代の独り子の長子権を付与されるのです。分かりますか。万代の独り子、神様が喜ぶ家庭を伝授するのです。万代億万代の王圏、王の権限を相続することのできる道を伝授してくれるのです。そのように信じますか、分かりますか。分かりますか、信じますか。信じることができなければ、今まで信じて冷遇されさんざん恥をかいたのですから、これだけは信じてみなさいというのです。分かりますか。最も貴いものなのです。これしかありません。 きょうも、「家庭盟誓」を一度さっと見てください。すべて教えてあげました。「家庭盟誓」は、愛国者、聖子の位置で唱えなければなりません。そのような位置で唱えなければならないというのです。それは間違いなく神様が愛される「家庭盟誓」なのです。 のらりくらり暮らして、酒場で遊び、中華料理屋でおなかが破裂するほど食べているので、それが分かりません。死の境地で、神様の愛を中心とした家庭がどれほどすばらしく輝くものなのかという事実を知るようになるのです。そこに主体性を備えて、世界の前にわたしが号令することが、波紋のように広がって天宙を包み、天の国に壁があれば、そこに行って再び帰ってきて、天上世界、宇宙にぎっしり、いっぱいに満ちることを考えてみてください。 わたしが尽くした精誠、語ることは天上世界の天の国の反映体に反射し、宇宙を包括して余りある再創造の復活圏のみ言に、能動的な実権を代身し、神様の創造の能力を代身するという信念を持って言ってみてください。そのようになるのです。分かりますか? きょう、ここに日本の四百家庭は皆来ましたか。何家庭来ましたか? (「八百五十人来ました」)。何家庭ですか? (「四百家庭以上、八百五十人来ました」)。(「はい」)。千人を超えてもかまわないと言ったのですが……。 韓国は何家庭来ましたか? (「二千百家庭です」)。ここに参席した人たちは、きょうの歴史的な記録に一人ずつ総蕩減基金を設定しなければなりません。さあ、それを願う人は手を挙げてください。「九・九節」総蕩減、地上天上蕩減、山があり谷があって平地があり、海水が波打つ水平に行けば、この陸地もすべて一度に波打つことのできる平衡の地上世界を成し、氏族的な基準の前に、天上の国の柱を通して臨在し、天の国の民族も来て、天の国の家庭も、天の国の親族も地上に来て、思いどおりに活動することのできる天地の大高速道路を建設して施設するにおいて、基金を設定するのです。 郭(クアク)錠煥氏? (「はい」)。黄善祚氏? (「はい」)。しますか、やめますか。やめようと言うのなら、しません。そうすれば、南米に行って、南米の人々が福を受けるのです。蕩減条件が必要でしょう? (「はい」)。そのような間違った行動をしているのです。どこに行きましたか。 涙が出て、骨髄があふれ出てくるように、教えてあげなければなりません。そうでなかったなら、清平が行く道が塞がれます。殺人事件が起き、問題が生じるというのです。サタン世界の銃弾が往来していることを知らなければなりません。 あなたの家もそうです。負債を負って今回の峠を越えてはならないというのです。どんなことをしてでもすべてを清算して越えていかなければなりません。そうしなければ、サタンにひっかかるのです。 ノアの審判の後に、酒に酔って裸で寝ているのを二人の息子が、ハムが後ろ向きになって覆ったのでひっかかったことと同じなのです。この者たち だれを亡ぼそうとして、そのようなことをしているのですか。だれを亡ぼすつもりですか。あなたたちは亡び去っても大丈夫です。 神様が傷つかれ、真の父母が傷つき、世界的版図、家庭理想の本宮をつくるために礎を築いておいた版図において、何ですか、これは 恥をかいて雷に打たれる者になるということを知らなければなりません。わたしは、そのような恐ろしさを知っている人です。 家庭を中心として見てください。自分勝手に生きた人たちの家庭の息子・娘が平安ですか。一通り見てみてください。三十六家庭を一通り見てみてください。自分勝手に暮らしてうまくやろうとしたのですが、「わたしの家はなぜこうなのか?」と言っています。 自分たち自身がみ旨の前に立つことができずに、欠けた立場に立つようになって蕩減を受けていることも知らずに、先生のみ旨が悪いと言っているのです。三十六家庭が責任を果たせなかったという事実を知っている人はいません。しっかりしなさいというのです。分かりますね? 蕩減復帰は不可避なのです。わたしの祖父の時から、二番目が皆、客死しました。祖父の上もそうです。三代が連結されるのです。わたしの時代は、わたしが二番目(次男)なので、わたしを脅迫するために国が凶年に入り、それから万歳運動が始まりました。 そして三年間万歳が叫ばれ、大騒ぎが起きるのです。訳の分からない、夢のようなあらゆることが家の中で起きるのです。何がなんでも捕まえようとするのです。そこで生き残ったのです。生き残ったので、二番目を逃してしまいました。そうすれば、蕩減はわたしがしなければなりません。死ぬほどの苦労を、わたしがしているのです。 それから、教会においては、信仰の三人息子、三大家庭の孝元氏が二番目で客死です。二番目の喜進様が客死です。興進様が客死です。皆、客死しました。このように恐ろしいのです。 あなたたちは、その原理にひっかからないと思いますか。ですから、苦労させるのです。わたしの言うことを聞かなければなりません。そのような蕩減前線を乗り越えたので、先生のみ言を絶対信仰、絶対愛、絶対服従することによって、皆さんは蕩減の道を避け、平坦な道を行くことができるのです。そして南北統一が起きるようになるのです。そのようになれば、万事がすべて終わります。 米国を見ても亡びるようになっています。米国をだれが信じるのですか。米国には、世界観がなく、国家観がなく、社会、氏族、家庭観がありません。祖母、父、母、息子、娘、男性、女性、すべて破綻しました。だれもいないというのです。 わたしたちの統一教会は、個人思想、家庭思想、氏族、民族、国家、世界、神様、天宙主義の神観まですべて持っているのです。行く道が一方通行です。そうではないですか。家庭を中心として、家庭、氏族、民族、国家、すべて垂直の角度です。すべてが九十度の角度を備えてこそ、万事に通じるのであり、南北統合が可能になるのです。 いいかげんにして成されるのではありません。理論的体制で、条件にかけることができないので、サタン世界の理論家、哲学者、信仰者は、ぴくりとも動けずに降参するのです。天下統一することのできる内容があるので、世の中の問題の本山を占拠するようになるという事実を知らなければなりません。これは、明らかな事実です。証された事実なのです。分かりますか? (「はい」) それにもかかわらず、あなたたちがふらふらするのですか。行くべき道を知っているのですから、小言を言わずに一族をすべて立てて整備し、千年の恨を解怨するために祭壇を積んで徹夜で至誠を尽くさなければなりません。そうすれば、免れるかもしれないのに、自分がやりたいようにすべてしてできるのですか。 「何々大学に行かなければならない」と言っているのです。大学を出たとしても、神学大学院を出ていなければ、今後統一教会では使いません。新聞社であれ、何であれ、すべて追い出すのです。神学大学院を出ずに入ってきた人は、きょうからUTS(米国統一神学校)に行くか、神学大学院に行くかして、先生が立てた大学で名前のある学科を出てこなければ、統一世界の指導班列に同参できますか、できませんか。はっきりしなければなりません。 いくら良い成績で卒業したとしても、間違いなく線を引いてしまうのです。家庭の生死の境の表象として伝統を正そうとするのです。三十六家庭であれ、だれであれです。わたしはそのような人です。 なぜ、そうなのですか。先生がこの道を出発するとき、父、母、一族が首を抱えて「行くな」と痛哭した事実があるのです。姉と妹たちが足にしがみつき、服にしがみつき、父、母、兄弟が道を塞いで「行くな」と言ったこの道を、目をつむってすべてを蹴飛ばして飛び出してきた人なのです。ソドムとゴモラのロトの妻と同じなのです。振り返って塩の柱になったという恨の歴史を知っているのです。 一族を捨てなければ、亡国の国を復帰する道がないのです。一族を祭物とすることに躊躇せずに出てきたのです。それゆえに、わたしが以北(北朝鮮)に行って父母の墓の前に立ったとき、その前に姉と妹がいました。姉と妹が父母の墓の前で訴えるのです。 「お父さん、お母さんが、あれほど昼夜呼んでいた弟が来ました」と言うのです。断腸の思いで哀哭しました。普通の人は、そこで涙を禁ずることができません。しかし、舌を噛んで「わたしは普通の人とは違う」と考えたのです。涙を流してはならないのです。 興進様が亡くなった後でも、千秋の恨の歴史を抱いてこれを昇華して、愛の勝利圏を立てるために、「愛勝日」を立てるべき責任があるので、涙を一滴も流しませんでした。全員を送り出しておいてから、本殿に入棺したという報告を聞いて初めて、わたしは祈祷して涙を流したのです。そのような先生なのです。 そのように父母の一族が反対し、その父母の一族のあらゆる人々が行くべき道を塞いだのです。そこに同伴して、世界がすべてひっかかっているので、カイン圏を中心として愛する前には、(アベル圏を)愛することはできません。戻っていって、わたしについてきなさいと言うことはできないのです。 今、清平の金(孝南執事)長老が話しましたが、忠母様が言うには「アイゴー、在世時代に息子が一言でも、一言でもこのような責任があると言っていたら、だれよりも精誠を尽くしたはずなのに、何も分からずにここに来てみると、責任がどれほど大切で重いか、千年の恨を抱いて精誠を尽くしても至らない自らであることを知る、その悲痛な事実をだれが分かるだろうか?」と痛哭しているというのです。 それで、金長老が清平ですべてのことにわたしたちが責任を持って努力すると言う言葉を聞くとき、わたしは不孝だと思うのです。不孝息子だというのです。兄も、だれよりもわたしを愛する兄だったのです。八兄妹の兄弟たちが、皆わたしを愛したのです。町内が愛していた人です。それをすべて背いて出てきたのです。 続けてずっと反対されれば、天の国を救うためには一族を祭物にしてでもそれをしなければならないと考え、訓練まで行った人だということを知らなければなりません。統一教会を中心として多くの歳月が流れましたが、この間に、わたしが韓国の産業復興のために興したすべての会社の社員たちは泥棒です。負債を自分勝手につくっておき、それを文総裁の責任にして民族と世界の版図に傷を負わせた元凶です。 わたしは、唾を吐いてきれいに火で燃やすこともためらいません。そのように思ってきました。未練を持ってきてはいないのです。未練を持ってきたものは、捨てなければならない「九・九節」なのです。深い精誠を尽くして「九・九節」を成就させなければなりません。どこのだれも、わたしが精誠を尽くした位置に立つことはできません。わたしが血と汗を流した位置に立つことはできないのです。国の愛国者、忠臣、歴史に世界、国家を成すために、そのような人が多かったとしても、わたしの班列に立つことはできないという自信を持っているのです。 母を捜すにしても、父母を捜すにしても、このような父母兄弟を捜し、一族を捜すにしても、そのような一族、国を捜すにしても、そのような一国を捜さなければなりません。しかし、ないのです。 ですから、わたしたちがつくろうというのです。さまざまな恥をかいたとしても、歯を食いしばって進んでいかなければなりません。神様の前に孝子の表札をつるすことができませんでした。孝子が忠臣になり、忠臣が聖人になり、聖人が聖子になり、天上世界の統一のために家庭を中心とした聖子の道理が、今は地に埋もれています。 イエス様が来て子羊の婚宴を中心とし、再臨のイエスを中心として祝福することのできる世界が現れ、世界を平穏化させていくのです。世界がそれを防ぐことができなくなったのです。 青少年の淪落と家庭破綻に、だれも責任を持って手を出すことができないでしょう。統一教会の特許です。このような特許を蹂躙して破綻させる元凶になってはなりません。何のことか、分かりますね。それを自信満々に「わたしが責任を持とう」という、そのような人々が集まったうえでサタン世界が退いていくという標的を立て、宣布文を受けるべき記念の日が、きょうの「九・九節」であることを知らなければなりません。 それで特別な家庭、模範的な家庭が参加するようにと言ったのです。そのような家庭が来たので、そのまま送り返すことはできません。今から、このみ旨のために敷石となり、この日を期して学校をつくり、基金をつくり、この国において表象的な何かを残さなければならないというのが先生の考えです。讃美しますか、讃美しませんか。讃美するという人は両手ではなく、四つの手足を挙げて讃美してみましょう。四つの手足を挙げてください。 いいかげんに生きた先生ですか。看板を付けて生きた人です。やってから教えるのです。間違いないので、教えてあげるのです。それをいいかげんにやれば、すべて奪われてしまいます。わたしには国がありません。韓国、この国に居座らないようにしたのです。 南北を統一できなかったではないですか。南北統一は、文総裁にしかできません。文総裁は、そのようにできる能力があるのです。中共、ソ連(ロシア)とインドと日本、米国まで編成しているのです。それをだれが知っていますか。 統一教会の家庭祝福を受けた人は、一国の県知事が問題ではありません。国が、国会議員が問題ではありません。説得しなければなりません。分かりますか。説得しようとすれば、説得することのできる先生にならなければなりません。「訓読会」をしていなかったならば、どのようになったでしょうか。大変なことになるところだったのではありませんか。「訓読会」を始めていなければ、大変なことになるところでしたか、そうではありませんでしたか。大変なことになるところだったでしょう? (「はい」) このようなすべての事実を、「訓読会」を中心として、「訓読会」の王宮で…。天の国の天国にも、塞がっていたものを崩してしまい、地獄まで「訓読会」を始めて、解放圏の天国に向かって班列を備え、大地獄から大天国に移動するという運動が展開するということを知らなければなりません。 ところが、この地上が先頭的立場で手本となり、前哨線の指揮者になるべき立場なのに、寝ているのですか。それができずに、何を愛し合って暮らしているのですか? 天は、生きた夫婦を床下に埋葬したい気持ちで心がかき乱されているという事実を、知らずにいてはいけません。分かりますか。韓国の者たち。(「はい」) きょうは「九・九節」、「九・九節」です。「『九・九節』を私の骨髄に記憶する」と言ってみてください。(「『九・九節』を私の骨髄に記憶する」)。「九・九節」という言葉を話しても、文章で書いても感動するというのです。言葉よりも、文章よりも、行動が実践的な基準の核を持てば、天下が感動して動き、その後についてくるようになるのです。アーメン。(「アーメン」)。分かりましたか? (「はい」) 自分勝手にやっておいて、先生がそのようにしなさいと言ったと言っても、それは通じません。分かりますね。それを延長する方法はありません。特別な功績のある家庭を中心として蕩減条件を立てることによって、全世界の祝福家庭、責任を果たすことができなかった人々が生き残ることのできる道を延長させようとしているのです。 責任を果たせなかった人が、生き残ることのできる道を解放するために、責任を果たした人にこのような提案をせざるを得ないきょうであることを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」) 分かったのなら、大きく答えてください。(「はい」)。「アーメン」と言ってください、アーメン。(「アーメン」)。わたしは、それを信じなければなりませんか、信じてはなりませんか? (「信じなければなりません」)。それでは、きょうここに参席した人たちはどうですか。日本のメンバー、どうですか? (「はい」) 歴史時代において、一度しかないのです。これが最後です。宣布式が最後の時です。今からは、南北統一宣布式です。地上天上代表の主体的な南北統一宣布式です。そのようにすれば、天下は一つの国になるのです。 そのようにできる基盤は、すべて築いておきました。その時には、第二次祝福が行われます。国家祝福、世界統一天上天国宣布式があるのです。それから、万民一族を中心として祝福を再びしなければなりません。分かりますか。 自分のぼろの殻を、罪の殻を脱いでしまいたいですか、脱いでしまいたくないですか? (「脱いでしまいたいです」)。ですから、悔い改めなければなりません。ありとあらゆる、しみの付いたサタンの服を着ていたならば、悔い改めなければならないのです。神様のお姫様の前に、王子様の前に、天宙の宿命的な課題として堕落した恨を解くための宿題が、天上世界、地上世界の公認を受けて解かれていく厳粛な位置がその位置なのです。 むやみやたらにすることはできません。それで浮気をするのですか。内的には、神様の骨のようなものが、外的なアダム・エバの生殖器です。このような話は初めて聞いたでしょう。 そのようにするとき、歴史をかけて千年万年祈祷して願ってきた望みの日だと思う深刻な位置で、お互いが神様の代身として息子・娘を愛することのできる位置に立てるようになるかが、課題だということを知らなければなりません。 それで、絶対主体関係統一、このような数字を中心としてその軌道があってこそ、神様の愛が自分たち夫婦から世界まで連結されるというのです。そのような考えをしながら、ちょっとでも忘れるなというのです。そのような生活はしていなかったでしょう。先生は、漠然と暮らしたのではありません。どこにいっても必ず式をして、今まで暮らしてきたのです。いくら走って座っても、必ず式をしたのです。分かりますか。そのように恐ろしいものが天法なのです。 ですから、どれほど偽りであり、どれほどがらくたのように暮らし、どれほど雑種犬のように暮らしたのかというのです。恥ずかしい自らの体をすべて洗ってしまい、天が行く道の、その足跡に従って訪ねていき、福を背負って降りてくることのできる息子・娘になろうと思わなければなりません。 厳しい山中、高い山合い、どこであっても生命の道を繁殖させるために進んでいき、どこであっても精誠と血と汗を注ぎながら進んでその道を立てれば、神様もついてきて祝福してくれるということを知らなければなりません。そこで独り死んだとしても、その谷には碑石が建てられ、すべてが祝賀する村が生まれるということを知らなければなりません。そのような何かを残していかなければなりません。分かりますか? (「はい」) 今、やらなければサタンに奪われていくのです。サタンがどれほど熟達しているか知っていますか。神様をひどい目に遭わせたのです。何千万年、神様をとらわれの身として身動きできないように蹂躙した、能力のあるサタンがわたしたちの後ろにいたのです。 今日、四億双以上祝福家庭が、霊界と肉界でその使命に取りかかっていますが、統一家の人たちができなければ、サタンが討ってしまい、自分たちの基盤を再び奪い取ることができるというのです。やらなければ、民主主義世界ができないので共産世界が奪い取っていくということが起きることを知らなければなりません。 韓国で家庭破綻が起きているでしょう。(「はい」)。家庭は、すべて遊興街になりました。夫が会社に行けば、妻はありとあらゆる遊びを行い、お金を儲けるために女性が出しゃばるだけではなく、調子に乗って浮ついているということを知っていますか。学生がそうであり、夫のいる女性がそうであり、道ばたであらゆることが起こっているのです。これを清算しようとすれば、国が覚醒して統一教会の教育を急がなければ生きる道がありません。 先生が北韓に行くのです。飛行機に乗っていくのです。あなたたちの承諾を受けて北韓にも上陸するのです。どこにも行けないところがありません。さあ、明日の十時十分までです。また、集まらなければなりません。明日の十時十分まで、この人たちは一人も解散することなく、ここに来て清算式をしなければなりません。これは、真の父母のみ名によって宣布しましたが、ヤハウェのみ名によって宣布しなければなりません。 聖人君子、地獄解放圏を中心として真の父母勝利祝賀式を経て、今回の第三回「七・八節」を中心として天地父母安息圏宣布が、霊界から存在する世界までの境界線になっています。そして、「九・九節」は緩衝地帯が生じるのです。これをサタンは、乗り越えることができません。「七・八節」というものは、天地父母安息圏を宣布したでしょう。今回は何ですか? 「天地父母天宙解放式」です。障害となるものがないというのです。これが囲いになっています。 サタンもこれを越えていくことができず、天の人は思いどおりに越えていくのです。思いどおりに越えていって引き入れ、思いどおりにしてしまうので、サタンが人類復帰の最終ページに従って、人間よりももっと一生懸命に忠誠を尽くそうという地帯になるのです。すべて奪われてしまいます。 韓国の地を買って入ってくるのです。第三国、イスラム教圏、仏教圏、儒教圏が飛び込んでくるというのです。韓国の地を買ってしまうのです。十倍以上ずつ与えて買ってしまうというのです。そのようになれば、反対していたキリスト教徒たちはどのようになるでしょうか。すべて売って逃げていくというのです。そのようになるのです。先生の命令ならば、そのようになる可能性があるのです。まず約千人を特別に選んで、すぐに始めるかもしれません。さあ、分かりますか。 「訓読会」を一生懸命にする、一番のチャンピオンはだれですか。いちばん一生懸命に訓読する人はだれですか。神様ですか、真の父ですか? (「お父様です」)。真のお母様も好みません。(笑い)ですから、わたししかいません。 ですから、真の母の伝統を絶対に相続するのではありません。真の父の伝統を絶対に相続しなければなりません。息子・娘はだれかといえば、真の父の息子・娘であって、真の母の息子・娘ではないではないですか。真の母は管理の主人です。育てて教育する主人です。 ですから、創造の「原先祖」は父です。それから主体も父です。関係の授受作用をするにおいて、相対圏の母がいなければならないのです。そして統一という言葉は、家庭から出てくるのです。 主体・創造・関係・統一です。四番目が統一です。絶対愛を中心として、統一も絶対、唯一、不変、永遠であり、主体も絶対、唯一、不変、永遠であり、関係も絶対、唯一、不変、永遠なのです。利用するための関係ではありません。だますための関係ではありません。天の国の伝統を絶対に伝授するための、投入して忘れるための授受作用を起こす関係のことを言うのです。 それゆえに、そこから統一が起きてくるのです。すべてのものが、この四つを抜かしてはならないということです。この四つが一つになれば、天下がすべて一つになって動くようになっているのです。一つも外すことはできません。 今回も、ベルベディアで九月五日に説教した内容です。最後に米国に残した訓辞です。それゆえに、米国を出発すると宣布したのです。 そしてどこに行くのでしょうか。韓国に行かなければならないでしょうか、南米に行かなければならないでしょうか? (「韓国にいらっしゃらなければなりません」)。韓国が、統一教会のレバレンド・ムーンを歓迎しますか、南米諸国がより歓迎しますか。今、南米諸国の若い青年たちを教育し始めたのですが、三十三か国から集まってきた青年たちを任されて教育し、三か月で四千七百人を教育しました。 四千七百人を教育したのですが、そのうちの三分の一が中高等学校の先生です。それでは、万事休すでしょう。分かりますか。韓国もそうですか。金キム奉泰氏。(「はい」)。今、何をしているのですか? (「純潔教育をしています」)。純潔教育はどのくらいしましたか? (「ほとんどすべてやりました」)。ほとんどすべてやったのですか。それでは、韓国人は、荷物をまとめて南米に移動して暮らしてもよいのですね。ですから、統一は問題ありますか、問題ありませんか? (「ありません」) 問題ありませんか、ありますか (「ありません」)。あります (「ありません」)。この者たち。そういうときは、「この先生」と言って「ある」と言わなければなりません。そのくらいの度胸でなければなりません。真のご父母様の言葉以上にすると言ってこそ用いるのであって、できないと言ったら用いるでしょうか? 神様が私に命令することはありません。十か月後に何をするのか知っているので、十か月後にそのとおりにするのです。したとしても、神様が悪口を言うのではありません。神様が私の寝床に来られて、私を抱いて愛してくださるのです。分かりますか。それは優れた息子ですか、愚かな息子ですか? (「優れた息子です」)。しなさいと言ったことをしなかったことがどれほど多いですか? 「訓読会」をするときに、すべてしましたか? 「訓読会」をしなさいと言ったことを、すべてしたと思いますか、できなかったと思いますか? (「できませんでした」)。できなかったでしょう。どのくらいできなかったのですか。言えないほど、できなかったことが多いのです。何を言っているのかというのです。先生がもう何回話しましたか。 梁昌植シク氏。(「はい」)。わたしが昨日、飛行機の中で訓読したみ言を訓読して、昼食を食べましょう。どれほど深刻ですか。分かりますか。機内で全部読んだものがあるではないですか? (「はい」)。時間がたっても、おなかが痛くて全員倒れても、読んで歌を歌い、それから踊りも踊ってご飯を食べなければなりません。(笑い)そうしてこそ、きょうが記念の日になるのであって、食事をしたい時に食事して(それが)何の記念でしょうか? さあ、出てきてください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.20
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天一国摂理史「ワシントンモニュメント大会」(1976.9.18) - YouTube「ワシントンモニュメント大会」 1976年9月18日 アメリカ・ワシントンモニュメント広場 1976年9月18日、真の父母様がワシントンモニュメント広場でアメリカ建国200周年記念大会を開催された。 …◆「天一国摂理史--ワシントン大会(1976.09.18 米国)」(2020.09.18)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.19
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劉孝元・韓国元協会長の歩み(4)🌸「原理講論」ができるまで🍇真のお父様の原理講義❤️1980年代の証し一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.18
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第3回「七・八節」の御言1999年8月17日アラスカ・コディアク (陰暦七月七日)真のご父母様は、第三回「七・八節」をアラスカのコディアクで祝われました。午前七時からは「敬拝式」に先立って真のお父様が祈祷され「敬拝式」、そして再び、真のお父様が重要な祈祷をされました。祈祷の中、この「七・八節」が、神様を中心とした「全体、全般、全権、全能の解放の日」であることを宣布されました。その後、会場に集まった祝福二世を含む教会の責任者たちに語られたみ言です。 (後に)ついて言いなさい。「ヤハウェが、勝利の真の父母になってください」。(「ヤハウェが、勝利の真の父母になってください」)。「ヤハウェが、勝利の真の師になってください」。(「ヤハウェが、勝利の真の師になってください」)。「ヤハウェが、勝利の真の王の王になってください」。(「ヤハウェが、勝利の真の王の王になってください」) 「地上の真の父母は、この三大祝福の主体思想の因縁に地上で従い、お侍りいたします」。(「地上の真の父母は、この三大祝福の主体思想の因縁に地上で従い、お侍りいたします」)。万歳をしなさい。 神様、万歳(「万歳」)。真のご父母様、万歳(「万歳」)。「七・八節」解放、全権、全能、全体、全般、解放圏勝利万歳(「万歳」) きょうは、ついて言いなさい。全体(「全体」)。全般(「全般」)。全権(「全権」)。全能の(「全能の」)。日。(「日」) 神様が、このようにお出ましになることができる日として宣言するのです。それで、今からは絶対信仰そのまま、絶対愛そのまま、絶対服従すれば、万事が完成に向かうということを信じるようにお願いします。分かったでしょう?。 きょうは何の宣布の日ですか?(「『全体、全般、全権、全能の日』です」)。神様が、です。ヤハウェ。ヤハウェが。そのようにお出ましになられるのです。 今まで隷属し、迫害され、讒訴され、子女たちのすべての受難の道に全部責任を負い、これを救ってあげ、赦してあげてこられた神様が、そのようなことのすべてを越えて立たれ、神様の思いどおりになさることのできる時代に入るということを宣布したのです。お分かりでしょう?(「はい」) 心配しないように、というのです。すべてのことを皆、ゆだねなさい。分かりましたか?。皆、ゆだねました。「絶対信仰」。それから、何ですか?(「絶対愛」)。「絶対愛」。それから、何ですか?(「絶対服従」)。これを突破して、上がっていけば、サタンはどうすることもできません。 また、神様ご自身も手をつけられないのです。そのことを終結の一標語として立てたことを知り、それをそのまま進めれば、皆さんには「万事勝利」だけがあることでしょう。アーメン。(「アーメン」)。(拍手) (「『七・八節』おめでとうございます」。「愛する真のご父母様、『七・八節』おめでとうございます」) 全体とは、この世界全体のことをいうのです。サタン世界全体です。これが全体、全般です。これが一つになるのです。そして全権ですが、これはサタン世界の全権です。サタンは今まで、国を用いて何でもすることができました。 しかし、それが全能ではありません。今から全権の行使が天に移譲され、統一と権威の世界に越えていくのです。全体、全般です。全般が一つになるのです。それから全権です。サタン世界の権限が能力の時代へと進むのです。統一と能力の世界です。それゆえに全体、全般、全権です。 神様を中心として地上世界と天上世界、真のご父母様を中心として統一的立て札を立てることによって、ここで……。神様が創造のみ業を成さるとき、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」をもって成されました。無から創られたがゆえに、そうされたのです。 わたしたちもこのような全体、全般、全権、全能の基盤の上に立って創造本然に帰ってきたので、そこで立てた愛の対象を捜すための絶対信仰を持って、絶対愛、絶対服従の心情を投入して忘れ、すべてのものを神様がなされた相対圏に復帰し、わたしたち自身も神様の代身として、この世界に対して絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければなりません。 そうすることによって、一つになるためにすべての万事は、その統治の下に統一され、平和の世界に進むのです。結論が出たのです。何のことか、分かるでしょう?(「はい」)。それを知らなければなりません。 全体とは、サタン世界の全体です。旧約時代、新約時代、成約時代。それは祭物です。すべて分け与えてきたというのです。神側には何もありません。これがすべて一つなのです。 そして全能の行使として、サタンは何をしたのでしょうか?。神様までも、ぎゅうぎゅうに縛ってしまいました。真のご父母様までもその圏内で縛ってきたというのです。そのようなすべての権限が、能力の時代になるので解放されるのです。それで、統一的天宙と地上天国、天上天国が「成し遂げられるだろう」ではなく、「成し遂げられる」のです。アーメン。(「アーメン」) (「全体、座ってください」) コディアクでは今、何が行われているのかというと、第三回「七・八節」であり、それから天地父母主義、真の父母主義です。それらはすべて「七数」です。同じなのです。発音が同じです。「八」も同じです。「七」、「八」。ハングルで書くと、すべてその字のパッチムは、「リウル・バッチム」です。「リウル」ならば、世の中がすべて連結されるのです。天と地がすべて連結されるのです。それが「七・八節」です。 それでは、きょうは何の宣布の日になるのですか?。「全体」、「全般」という言葉は言わずに、「全体、全般、全能」の宣布の日です。そうすればよいのです。分かりますか?(「はい」) 今まで、サタン世界にすべて分け与えてしまったというのです。それをヤハウェの名によって宣布したのです。真のご父母様の名によってお願いし、ヤハウェの名によって宣布したので、この標準は永遠に天国の標柱になったということを皆さんは知らなければなりません。分かりますか?(「はい」) きょうが、何の日だというのですか?(「全体、全般、全権、全能の日です」)。何によってですか?(「ヤハウェの名によってです」)。「全体」という言葉は入れずに、「全般、全能」の宣布の日です。それは、サタン世界のことではありません。天だけが、全体、全般、全能の時代へ越えていくのです。 万物や息子や、すべてのものが天地に引っかかっています。サタンの讒訴圏内にいるので、神様がサタンの讒訴を抜け出されるためには、このような解放的統一圏を備えなければならず、それを備える前には、抜け出すことができないのです。それで全体、全般、全権、全能の限界線を越えなければなりません。 先生は、四年前からそのような話を始めました。全体、全般、全権、全能です。それをヤハウェの名によって真のご父母様が依頼し、この日を何の日にしたのですか?。全般?(「『全能宣布の日』です」)。全能宣布の日として願ったのです。神様が宣布されたので、サタンやすべての被造世界は、その命令の下に動くのです。 神様は、被造世界を創造されるときに、「絶対信仰」の上で「絶対愛」、「絶対服従」する心情で創造されました。 わたしたち統一教会でも、父母の名前をもって、天の父母、地の父母に侍る位置で「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」する立場にあるために、創造理想である愛の家庭を中心として、すべてのものが一体化したという勝利の覇権を立てて、愛の主権国家の出発をすることのできる時代になるのです。何の話か分かりますか?。 きょうは、そのような意義のある日なのです。それゆえに、一つの神様の主権の下に、一つになった国を形成するのです。神様を中心として皆さんは、真のご父母様を代行する実権者であるので、地上に祖国光復を成し、世界統一的な国を成し遂げて、義務を果たす時が来たのです。分かりますか?。神様のみ旨に従わなければなりません。 それゆえに、韓国は韓国で責任を果たさなければならず、日本は日本で責任を果たさなければならず、米国は米国で責任を果たさなければなりません。そしてこの三つの国は、一つの国なのです。父母の国、そしてお兄さんの国です。分かりますか?(「はい」) 今までこの地上で、堕落して奪われていた長子権が復帰されたのです。サタンが神様を絶対に信じることができなかったように、弟(米国以外の国々)も兄(米国)に対して、絶対的に侍ることができなかったのです。それが「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」の一念を通じて平準化され、神様の創造理想の完成品になることができるというのです。分かるでしょう?(「はい」) その前に「自分」という概念はあり得ません。神様が創造のみ業を成されるとき、「自分」という概念はなかったのです。「愛の主人」という概念を立てるためにそのようにされたのです。ですから、そのまま成されていたならば、主人になられていたはずなのですが、主人になられることができなかったのです。 それゆえに、その前には自分の国、自分の物、自分の家、自分の氏族の時代を越えていかなければなりません。一つの国であるために、国家概念を超えた精神的武装がなされなければなりません。世界のために暮らすことのできる、天地のために暮らすことのできる代表家庭になるのです。 そのように生きない人は、神様の息子、娘になることはできません。神様の眷属(血統的につながりのある者。一族、親族)になることができないのです。分かりましたか?。 したがって、これから絶対に言語統一をしなければなりません。ご父母様がなしたすべての記録を読むのに、翻訳したものを読むという羞恥を残してはいけません。天上世界で恥になるのです。 天上に行けば、神様の命令で千年万年蕩減をさせるかもしれないというのです。途方もない問題が起きるのです。その峠を越えることができない人は、祖国光復をしたとしても、故郷に帰る道がありません。祖国の居住証がありません。民族として入籍できないようになっています。深刻な問題です。分かりましたか?(「はい」) 先生に会えば、韓国語であいさつをするのです。あいさつを韓国語でするのです。食べることは、一週間以内に学ぶことでしょう。食事の場に参加しても、自分たちの国の言葉で話してはいけないというのです。沈黙を守って、恥じるということを知らなければなりません。目を閉じて恥ずかしく感じるべきです。分かりましたか?(「はい」) ご父母様の言葉を学ばなければなりません。赤ん坊は、何か月間かで、すべて学んでしまうではないですか?。分かりますか?(「はい」) こうなると、自分が知っている文化と背景が怨讐です。それをきれいにナイフで切るべきですが、それができずにそれらのものが残れば、残されたものが皆さんの一族と皆さんの一国を蕩減条件に引っ張り込んでいくというのです。ですから、これを切ってしまわなければなりません。分かりますか?(「はい」) 再び来たくないコディアクですか、再び来たいコディアクですか?(「再び来たいコディアクです」)。再び来たくないコディアクです。どれほど不便でしょうか?。ジャルジンもまた、どれほど不便ですか?。 しかし、またと行きたくないコディアクを、どのような所よりも懐かしがり、行きたくて泣き焦がれるようでなければなりません。月を見ては、情緒的な面を万物とささやき合い、太陽を見てもそうすべきであるし、その太陽のもとで統治される生命体、そしてすべての万物を見て、自分の心情を吐露することで神様に祭物的な条件とし、心ですべて洗ってしまわなければなりません。 ジャルジンは「源焦地」です。創造物自体が、総合的に一つの博物館のように集まっているのが「源焦地」です。そこが「焦点地域」なのです。万物創造の焦点、源焦物が棲息する所に行って、三年間以上、血と汗を流さなければなりません。なぜでしょうか?。それは祖国光復のためにです。 世の中は「水」で象徴されます。ですから、ご父母様がその「水」の中において、天国を建設するための一念を立てたことと同じように、今度は皆さんがそれをしなければなりません。 今後は世界時代に越えていくので、大陸を中心として分別する時代は過ぎました。今からはもう、インターネット時代に入ったために、国家がすべての情報を管理できる時代が崩れていくのです。 百八十五か国が、ある一つの国でも事実をすべて明らかにすれば、そのことを世界が皆、すぐに知るようになるのです。隠す必要がなく、情報であれ何であれ、自分の国のために技術保護であるとか、政治管理であるとか、そのような考えは、もうあり得ないのです。すべてが明らかになります。 明らかになるとしたら、何のために明らかになるのでしょうか?。天国の解放圏、人類解放圏の祝宴のために明らかになるというのです。その祝宴は、万国を中心として統一できる、祝賀の祝宴として行わなければなりません。分かりましたか?。 そしてすべてのものを焼き払ってしまい、神様の栄光の中で、統一された地上天国理念が新しいインターネットを通して伝えられ、万国万民たちが永遠にそれを称賛しながら、彼と共に生きることを望み、生活過程で涙を流して慕うことのできる環境が地上天国になり、そして天上天国になるのです。(「アーメン」) 今からどこへ行くのでしょうか?。結論は、ここからどこへ行くのですか?。ここに集まった人は、どこへ行くのでしょうか?。天国に行かなければなりません。分かりますか?。 天国に行こうとするのならば、自らが生きた文化背景の服を、真のご父母様の血統的因縁を中心として、すべて着替え、そしてご父母様の国を通じなければ、天国に行く道がありません。そうですか?。あなたたちの思いのままに行くことができますか?。二世であれ、何世であれ、同じです。今までの待遇で終わるのではありません。 背中に血と汗が流れなければなりません。神様が、むちで恨を解かなければならず、ご父母様がむちを上げて恨を解かなければなりません。わたしがこのことを築くために、そして神様がこのことを成功させられるために、どれほど受難の道を経てきたのか分かりません。 「その何十倍、何百倍してでも私は行きます」という、そのようにできる人が現れなければなりません。その姿を見てこそ、神様の前に共に連れて行って暮らすことのできる継承的民族になることができる、という事実を知らなければなりません。分かりますか?(「はい」) 今からは、先生に会おうという考えをしてはなりません。今からわたしは、あのヒマラヤ山中で修道している人々を、行って教育しなければなりません。道を求めている人をすべて教育して、天上世界に案内する責任があるのです。彼らは精誠を尽くした人々です。その人々をごみのように扱うことはできません。 あなたたちは勝手に暮らしました。そうして勝手にごみ同然になってしまったのです。しかし彼らは、ごみになるまいとしたので、皆さんよりもその人々がきれいなのです。 あなたたちは今後、すべてのものを神様の前にささげていきなさいというのです。本来、神様の前にささげようとするならば、どれほど整備されていなければならないであろうかというのです。 ご父母様が橋を架けようとしたのですが、そのような時代は過ぎるのです。分かりますか?(「はい」)。神様が怒られる前に、その財産と子供を燃やしてしまうかもしれません。それをすべて先生が防いで、地上を整理していかなければならない段階の受難の道が残っているということを、知らなければなりません。 ですから学校も、神側がすべて用意しなければなりません。それゆえに、先生は幼稚園、小学校、中高等学校をすべてつくりました。 ブラジルでも今、そのようにしているのです。すべてつくったのです。幼稚園をつくり小学校をつくり、来年には高等学校が、三組まで埋まるのです。大学までつくります。それはなぜでしょうか?。ご父母様とともに教育をしなければならないのです。地上の勉強をする必要はありません。 コンピューターを持っていれば、そこにはすべてが記録してあるのです。ですから、知る必要はありません。コンピューターにすべてが入力されていれば、知りたいことがさっさっさっと出てくるのです。分かりましたか?。そのような時になりましたか、なっていませんか?(「なりました」) 何百個、何千個の図書館の秘密文書を、居ながらにしてすべて参考にすることができるのです。それは、自分の頭の中にすべて入っていることと同じです。 ですから、学ぶ必要もなく、知る必要もありません。自分が知りたければ、皆知ることができ、すべて学ぶことができるのです。学校も、知識を得るためだけならば、行く必要がありません。 自慢して階級論理を立て、上中下として差別していますが、真の愛は統一圏なのです。分かりますか?(「はい」)。そのような時代が来ます。恐ろしい時代が来るのです。あなたたちには、一つの権限もあってはならないということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい」) さらに二世たち。これから二世を天の願われるとおりに追い込むのです。学校を廃止すれば、それでも学校に行きますか、行きませんか?。サタン世界の学校に行くことができないようにしたら、行きますか、行きませんか?。行くという人、手を挙げてください。行かないという人、手を挙げてください。 二世たちは、そうでなければなりません。ここにいるあなたたちの父母たちは、大学に行かず、高等学校だけ卒業したのです。高等学校を中心としてみ旨を成す時だったのです。今は、あなたたちを大学まで卒業できるようにしました。 それゆえに、どこの大学を卒業しなさいと言うのかといえば、「UTS(統一神学校)を出なさい」と言うのです。そこは、内的な基準を中心として、内的な基準を教育してくるセンターになっているので、今後、UTSを出ていない人は、責任者をさせません。 恨を抱いても赦し、憤る心を踏み留めて苦しんだすべてのことを、今からヤハウェの全権時代において、わたしと共に苦しんでいる神様の心を解いてさしあげるべき課題が、わたしには残っているので、今後はそのような面で無慈悲にするというのです。 そのようにできる非情な心を持ってこそ、天国の基本的な伝統を立てることができると、先生は今までそのように思って生きてきたのです。今後、自分の家庭を破綻させた怨讐は、それが息子であれば父母が、夫がすれば妻が、妻がすれば夫が、その罪に応じて処断するのです。 真の愛というものは、天理を立てるためのものなのです。愛も原理の上にあるのです。そうでしょう?。自由も原理の上にあるのです。原理を否定するものではありません。同じことです。適当にするのは、通じません。分かりますね?。 先生が家庭編成するときは、厳格にしました。たくさんの女性がついてきていましたが、厳格にしたのです。自分たちの思いどおりにはできません。そのような面では、その当事者たち自身が知っています。驚くべき、尊敬に値する先生であることを知っているのです。 二世たち。先生の息子、娘の手本にならなければなりません。孝進様は、「彼らがいる限り、自分は孝行の道を行くことはできない」と言うのです。「自分の名前は「孝行の道」を意味するが、孝行の道の手本となり得る者がいないので、自分は孝行の道を行くことはできない」と言うのです。それは、サタンが言うことです。知るべきことは、はっきりと知っています。 お母様を迎えてからの四十年路程において、二十年間は祈祷しませんでした。祈祷をしなかったのです。なぜでしょうか?。体をもってするのです。すべて知っているからです。すべて教えてくれました。何を求めるのですか?。成し遂げれば、すべて持つことができるのです。何も祈祷することがありません。あなたたちは皆、原理を知っているでしょう?。同じことです。 二十年間で実績を持つことができない者は、夜も昼も立つことができません。それは初めて発表するのです。ところが、昨年八月から再び祈祷し始めました。お母様も祈祷することを、不思議に思っているのです。 この期間に、世の中をすべて料理しなければなりません。実体圏復帰するのです。原理に合っているでしょう?。イエス様の霊的実体圏を勝利して、霊界の協助なく肉的実体の家庭圏を成さなければならないということを、知っているのです。自分自身が、自ら成すべきことなのです。それは神様も命令することができません。家庭的解放圏は、先生を通さなければならないようになっています。 家庭を中心としてサタンと闘うその闘いは、神様も休戦させることができません。休戦させることができるのは、真のご父母様しかいないのです。そのような秘密をあなたたちは聞いて、何の価値もない軽い言葉だと思っています。 それがどれほど、生命の津液(エキス)を抜いて骨髄を溶かしながら、その闘いにおいて立て札を立てるために千辛万苦した生活だったでしょうか?。先生がそのような、血管を火で焼いて縮み上がらせるような生活をしたにもかかわらず、自分たちは平安に暮らすというのですか?。この者たち。 そのように自分勝手にして、うまく暮らせるのか見てみましょう。そのようにして豊かに暮らせるのかどうか、どのようになるのか見てみようというのです。これからは、このような者はすべて自ら願い出て、退いていく時が来たのです。分かりますね?(「はい」) 実績のない人は、神様には必要ありません。その実績とは、愛を中心とした実績です。それゆえに、あなたたちも三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭の一族をすべてつくり、治めてこそ天国に入っていくのです。それができなければ、入籍できません。原理がそのようになっているでしょう?。そうですか、そうではないですか?。 二世の三十六家庭に祝福を与えたのは、ただで与えたと思っているのですか?。恐ろしい位置です。サタンも、だれでもかまわずに攻撃してしまうのです。ここ、コディアクに来る人は、実績のある人が集まる時になりました。だれでも先生の所に来て、船に乗ることはできません。ここの門を開けておきましたが、万国成約時代の完結を超えて行くことのできる時になったので、すべてが原理のみ言どおりに成されるのです。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従しようという、神様の創造理想圏基盤に上がっていった人は、だれでも解放圏に入っていくことのできる万国平和統一の「選民族」になるのです。選民の中から再びつくった「選民族」です。選民ではありません。イスラエル民族、キリスト教が選民として責任を果たせなかったので、再び世界をまとめて新しく選んだ「選民族」になるのです。そのようなことを、今しているという事実を知らなければなりません。何のことか、分かりますか?(「はい」)。しっかりと知らなければなりません。 今ではもう、韓国と日本と米国は、一つの国になったでしょう?(「はい」)。日本の首相と米国の大統領と韓国の大統領の三人が一つになれば、統一天下になるでしょうか、ならないでしょうか?(「なります」)。なるようになっているのです。 それができないので、国連を中心として機関をつくり、すべて降ろして殻を脱がせようとしているのです。それゆえに、父と息子が、父子が一つになるときは、息子の家庭もつくることができ、父親の家庭もつくることができますか、できませんか?(「できます」)。父親一人ではできません。息子も一人ではできません。 息子がどのようにして父親の家庭をつくることができ、父親がどのようにして強制で息子の家庭をつくることができますか?。父子が一つにならなければなりません。母子が一つになって復帰を成したでしょう?。今は何ですか?。父子です。父子一体は、万事に通じるというのです。何のことか、分かりますか?(「はい」) 今から帰ったら、あなたたちは、母親の言うことを聞かなかったとしても、父親の言うことを聞かなければなりません。生まれて大きくなったら、母親の言うことを聞けば、滅びるのです。 韓国では、雌鶏が鳴けば、何と言いますか?「雌鶏が鳴けば、家門が滅びる」のなら、雄鶏が鳴けば反対ではないですか?。雄鶏が鳴けば、家門が復興するということではないでしょうか?。統一教会の食口たちは、雄鶏が鳴くのです。男性の権威です。天使長ではありません。愛の権威です。 わたしは、お母様を高めようとしているのです。昨日も、魚を捕まえるチャンピオンシップをお母様に移譲しました。それは、お母様を高めようと、そのようにしたのです。あなたたちは、「いくら魚を捕まえても、お父様には勝てない」と思っています。そうでしょう?(「はい」)。しかし、「お母様には勝てる」と思っているのです。(笑い) それでわたしが、お母様を一番に立てたので、皆、お母様についていくのです。母親についていっても、結局は父親を訪ね求めていくことになるのではないでしょうか?。母親が息子、娘を連れて父親を訪ねていくのです。先生も天地父母、地上において父親、母親、息子と……。 母親は、二つの立場です。夫に対する妻の立場と息子に対する母親の立場です。それをそのまま公認するのです。それでわたしも、お母様に対して「お母様」と言うのです。ですから、家庭問題においては、その秩序を正しく立てなければなりません。離婚がどこにありますか、離婚が?。再び結婚するということがどこにありますか? 志操を生命以上、愛を生命以上に立てることができない堕落した世界なのです。愛のゆえに生命を放棄しなければなりません。自分の志操を守るためには、生命を放棄する恨がありますが、愛を破壊することはできません。それが統一教会の天に侍る天理の道理だということを知らなければなりません。分かりますか?。先生もそれは同じです。 どこのだれが何と言おうと、先生はいいかげんに扱える人ではありません。分かりますか?(「はい」)。先生は、自分自身が自分の体をコントロールできる訓練をした人なのです。そうでなければ、神様の息子、娘になることはできません。 自分がとても愛している人を怨讐の前に譲って、福を祈り、「わたしの代わりに、わたし以上に愛しなさい」という心を持つことができてこそ、神様の心情を理解することができるのです。何のことか、分かりますか?。先生も、聖進様の母親をそのような位置に立てようとしました。「どのような怨讐にでも会いなさい」と言うことができ、紹介してあげることができたのです。だからといって、そのように行動するのではありません。そのような心情圏を通過するということです。 自分の最愛の人が男性たちと仲良くしていても目をつむり、「神様がエバの喜びの日を迎えられることができなかったことを、自分の家庭において神様が喜びの日を持たれることによって、解いて越えていかなければならない」と考えた人なのです。何のことか、分かりますか?(「はい」) わたしは、聖進様の母親が金キム百文の祈祷院に行ったとき、金百文を呼んできて紹介してあげた人なのです。「愛しなさい」というのではありません。そのようなときに、どのような心がわたしに生じたでしょうか?。 しかし、そこで躊躇すれば、神様の心情に引っかかるのです。今回もそうです。母親までも含めて、すべての先祖の結婚式をさせてあげるのです。かりに父親がいたとしても、させるときは未練がないのです。夫婦の間においても、兄弟のように断行してこそサタンの前に引っかからないのです。何のことか、分かりますか?(「はい」) それゆえに、皆さんも十年、百年慕っていた愛する人、結婚した妻に出会い、愛する最絶頂の境地に行ってから、ゼロに帰らなければなりません。わたしはそれを今、訓練しているのです。そのことを、お母様は知りません。 本格的な指導をするためには、わたし自身がそのようにできる生活を改造しなければならないのです。サタン世界でそのようにしたので、天の国に帰ってきて自分の志操を守るのです。先生は、そのような生活をする人なのです。お母様は、何かおかしいと思っていることでしょう。分かりますか?(「はい」)。その峠を越えることができなければ、神様の前に帰ることができません。 憤慨する無念な歴史を残しているという事実を知らなければなりません。はっきりと知らなければなりません。二世たち、分かりますか?。むち打つならば、あなたたちをも打つむちが待っています。この者たち。自分がよいと思うとおりに、自分勝手に行くことができるのですか?。蕩減復帰しなければなりません。 先生は、そのような考えをしたことはありません。百八十度反対の道です。自分一代の何十年を中心として……。永遠を中心として苦労した神様の前に、そのような考え自体が、不孝この上ないというのです。そのように不孝この上ないことが、どこにありますか?。そのことをはっきりと知らなければなりません。 そうして「全般」、それから何ですか?(「全能です」)。全能の世界の相続者にならなければなりません。サタン世界に勝たなければならないのです。サタンの権限に勝たなければなりません。 大統領に出馬しようとしたり、国会議員をしようとしたり、そのように願ってはなりません。わたしには、大統領であれ、何であれ、すべて必要ありません。それをどのように処理するかという問題にかかっているのです。先生は、心配していません。先生は死にません。滅びないというのです。すでに、すべて終わったでしょう?。きょうですべて終わったでしょう?。 かりにわたしが、み旨を成すまいとして、ならず者になったとしても、神様のみ旨は成し遂げられるのです。なぜですか?。種はなくなりません。すべて祝福家庭にしておいたのです。安全地帯に入ってきているからです。ですから、先生を悲しませてはなりません。 先生が決断する日には、恐ろしい男になるのです。それで、魚も大きい魚をすべて捕まえました。最初は、それを興奮して喜んでいました。「わたしはこうでなければ」と。ところが最近では、気が引けるのです。釣りの時代は過ぎました。昨年、釣りの時代が終わったと宣布したのです。 今からは、育てなければなりません。自分が食べるものは、自分が育てて食べるのです。自分で農作業をして食べるというのです。アダムとエバは、そうしなければならないのではないですか?。神様が農作業なさることはできません。 それで、年老いた統一教会の食口は、国家メシヤは、パンタナールに来て魚を捕まえて食べ、暑い所で解放されなければなりません。脱いで暮らさなければなりません。国家メシヤは、どこかに行って死んではなりません。家は、一つずつ建ててあげます。土地は、約四ヘクタールです。一万二千坪です。 そうすれば、死にません。その土地を遊ばせることはできないのです。一人では五千坪も耕すことはできません。自分で食べていきなさいというのです。あなたたちの息子、娘まで、一族まで食べさせてあげなさいというのです。一万二千坪持てば、少なくとも何百人かを食べさせてあげられる基盤になります。それを準備しているのです。 それでは、国家メシヤたちが来るのに、一番最後に来ますか、一番最初に来ますか?。国家メシヤとしての責任を完成して先に来れば、先に家を建ててあげるのです。その家は買いました。家はたくさんあります。牧場だけでも、四十二か所も買ったので、そこに家を二軒ずつ建ててもいくつになりますか?。何ですか、家が無いというのですか?。家はすべて焼いてしまわなければなりません。分かりますね?。食べることは心配ありません。 ですから、りりしく、そして何ですか?。りりしいだけでよいのですか?。堂々としていなければなりません。強く雄々しく、りりしく堂々と、すべてのことを処理していく人にならなければなりません。なりますか、なりませんか?(「なります」)。なるという人は、手を挙げてください。下ろしてください。 きょうから、大移動が起きるのです。きょうからです。それで、五十人ずつ来なさいと言ったのですが、ここに来た米国東部の責任者は、日本行きです。日本からの五十人は、米国東部の息子の家に訪ねていかなければなりません。息子の国を愛さなければならないでしょう?。母親が行って愛さなければならないでしょう?。そうですか、そうではないですか?。 長子権国家が生まれたら、その母親が愛する国にならなければならないでしょう?。長子権ができたのですから、父親も愛する国にならなければならないのではないでしょうか?。父親は、それをすべて愛するのです。 イエス様に、「ベルベディアに行って家庭生活をしなさい」と言ったでしょう?。去年の四月十九日のことです。そのことを覚えていますか?。祝福は、一九七三年一月三日にしたのです。ですから、そのときまで数十年間、独身生活です。なぜですか?。国家的基準、世界的基準に行くことができませんでした。ですから、それを越えて、祝福の日を中心として準備してあげたのです。 国家、世界基準に対して、家庭的同参権をなして、聖賢たちを祝福するうえで、すべて加担させたではないですか?。このようにして世界を越えていくのです。霊界、肉界を中心として、それ自体が世界的時代に入っていくのですが、今からは、国を復帰するために文先生が闘う必要はありません。 自然屈伏の基台は、青少年、幼稚園、小学校、中高等学校だけ教育すれば、その国はすべて天の国になるようになっているのです。それは、どのような教育でしょうか?(「純潔教育です」)。純潔教育です。どのような相対を結ぶのですか?。純潔子女の相対を結ぶのです。エデンの園のアダム家庭では、相対を正しく結ぶことができませんでした。今、正にそのような時代に入ってきたというのです。 ですから、兄弟以上に愛する中で、兄弟以上にその妹、兄を守りなさいというのです。何を守るのでしょうか?。エデンの園でそれを守ることができずに堕落したので、自分たちがそれをお互いに守り、真のご父母様の願いである、国と世界の浄化をさせようというのです。それを、わたしたちの家庭が成すのです。そこで、韓国の伝統を学ばなければなりません。 米国の牧会者たちも、日本の牧会者たちと交代して日本に行って二十日間、もしくは四十日の間、生活してみるのです。そうして行くや否や、日本の責任者がしていた説教をしてみるのです。また、日本の牧会者は、米国の東部なら東部に来るというように、交代でお互いがために生きることができるようにしてみなさいというのです。それは、一つにするためです。 日本人が米国の教会に行って責任者をしてみなさいというのです。通訳をさせながら、どれほど大変なのかしてみるのです。先生が、その道を開拓したという事実を知らなければなりません。 ですから、統一教会の食口たちは、韓国語はもちろん知らなければなりませんが、その次に知らなければならない代表が米国の言葉であり、日本の言葉なので、その二か国の言葉を学ばなければなりません。日本も、父親の国の言葉、その次に息子の国の言葉を学ばなければなりません。息子の国(米国)も、父親の国の言葉、その次に母親の国の言葉を学ばなければなりません。 それは、しかたがありません。そこに加担できなければ、脱落者です。ですから、今、決めたではないですか?。天の指示を受けて、四十日の間抜けても損害にはなりません。四十日間、二か月間、そして、九月、十月、十一月、十二月、その四か月をそのように送るのです。四か月間、そのようにすれば、「一つの国の伝統思想はこうである」という、骨髄にまで達することのできる幸福を、この三か国の責任者が共有するというのです。ですから、韓国と日本は一つの国なのです。日本は、韓国と歩調を合わせなければなりません。分かりますね?(「はい」) 明日からは別人となり、祖国光復の先覚者となり、先発隊にならなければなりません。天の精兵にならなければなりません。独立軍にならなければならないということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい」) 自分の家庭を捨て、世界を尋ね求めていこうとするので、国を捨て、大陸を捨てて飛んでいかなければなりません。先生は、すでにその準備をしました。しかし、あなたたちが迫害を受け、苦痛を受けるようなものは、すべて崩しておきました。それでも「できない」と言うのならば、はらわたを裂いて魚の餌にし、山猿の餌にするかもしれません。 わたしは、そのような人です。自分の息子、娘も、そのような観点で見ているのです。原則に合わなければ、自分が持っている希望をすべて投げ出したとしても、捨ててしまったとしても、きれいに神様の前に行動していくことのできる準備をすべてした人なのです。分かりますか?(「はい」)。それなのにこの者たち、自分勝手に……。 今、韓国は、IMF(国際通貨基金)管理体制下にあり、経済の状況も悪いのですが、神様の前にささげたものを、再び売ることはできません。天の前にささげたものは、再び売ることはできないというのです。あなたたちは、そのことが分かりません。この者たち。 そのような者たちが多いのです。わたしが統一教会の教主でなく、世の中の人であれば、そのままにしておきません。もうすでに解決しているはずです。この統一教会のろくでもない者たち。国を心配するのですか?。国に何があるというのですか?。 あなたたちの中で、自分勝手に大学院を出て就職した人は脱落者です。UTS(統一神学校)に行くか、ブリッジポート大学には宗教科があります。それは大学院コースです。それをつくりました。そこを経なければ、公的に用いません。分かりますか?(「はい」) そのようなことを理事長を通して、父母を通して伝達したのです。そのようなことを聞きましたか、聞いていませんか?。この者たち。聞いたにもかかわらず、父母を否定し、先生を否定したのです。そのようにして、自分に残るものがどこにありますか?。何もないというのです。はっきりと知らなければなりません。分かりますね?(「はい」) あなたたちとわたしは、どのような関係ですか?。父子の関係は、蕩減復帰です。蕩減の内容を立てなくては、越えていくことのできる道はありません。蕩減条件を提示しなければなりません。先生が八段階の条件を独りで開拓したことを受け継ぐためには、その峠で涙を流す役事でもなければなりません。 先生が苦労した道を、重たい砂袋を持って歩いていくのですが、自分の精誠が不足しているために、必要な条件を充たすことができないのならば、荷物を持って汗を流しながら裸足ででも行かなければならない道が残っているのです。そうであるにもかかわらず、それをそのままにして盗賊になろうというのですか?。 父母と皆さんは、必ず蕩減復帰しなければならない関係です。神様は、どれほどわたしを試験されたか分かりません。無慈悲な神様です。今まで、神様から称賛する言葉は一言も聞いたことがありません。 称賛とは何ですか?。昔は、すべて教えてあげましたが、今は教えてあげません。「教えてください」と言っても教えません。それは、すべて知っているからです。わたしは、自分が行くべき道を知っているのです。 行けば行くほど難しいのです。わたしが昨日、話したでしょう?。最後には故郷を離れて、難しい位置で基盤を築いていくというのです。その伝統があるということを知らなければなりません。あなたたちも同じです。ここにわたしの息子、娘も来ていますね。聞いているのか、いないのか、韓国語を知っているのか分かりません。この者たち。分かりますね?(「はい」)。先生に、そのような課題が残っているということを通告します。 世界じゅうのかわいそうな民族が、強大国の肥やしになっていくのを、わたしが守ってあげなければなりません。真のご父母様が、そうしてあげなければならないのではないでしょうか?。そのようなとき、総隊長は黄善祚氏がなるかもしれません。世界が、何もせずに統一されるでしょうか?。この者たち。統一するようにしてこそ、統一されるのです。何のことか、分かりますね?(「はい」)。若い人たちは、はっきりと知らなければなりません。 わたしの実力、わたしの権威をそのまま立てて、ここに中心標題を立て、そこに主管され得る相対圏をどのように急進的に完成させるのかという問題です。四十日ではなく、四日間で四十日間を蕩減させなければならず、四十年を四十日間で蕩減させる訓練をさせなければなりません。 四十日間、寝ずに断食です。しますか、しませんか?。四十日断食をして、四十日眠らせない訓練をさせようとしたら、しますか、しませんか?。尋ねているではないですか?(「やります」)。しないという人は、手を挙げてください。それでは、しますという人は手を挙げてください。 どうして横を見ながら手を挙げるのですか?。この者たち。他人を見てする者は、うそつきにしかなれません。後ろを振り返り、横のだれかを信じてはいけないというのです。わたしは、だれも信じません。いくら世の中が信じても、信じません。わたしが神様を愛し、神様に侍ることのできる権限を持って主管しようとするのです。相談もしません。 さあ、それを知って、自主性のある実力者になり、今後の未来に訪ねてくる地上天国、伝統の国を相続することのできる孝子、忠臣、烈女になることを願います。分かりますね?。 きょうは、「七・八節」なので、七回、そうでなければ八回は打たれなければならないのではないですか?。そうではないですか?。何回打たれましたか?。気合いを入れなければなりません。きょうの「七・八節」で宣布したことは、全般、全能、それから何ですか?(「『全権の日』です」)。ヤハウェを中心とした全般、全能行使の出動を宣布した日なのです。 これからは、ここに来て祈祷するのです。氷山で祈祷しなければなりません。ここの周辺の土地を買い、哨戒所をつくって、昼夜泣く声によって聖地になることでしょう。あなたたちは、ここに建てたものを知っていましたか?。この崔社長という人が建てたのですが、お金が一銭もないのに建てたのです。 時間は何時ですか?(「九時です」)。九時ですか?。もう礼拝の時間になりますね。先生のみ言は何を話しましょうか?。あなたたちに勧告して、飛んで行くことができるようにしなければなりません。飛躍しますか、跳躍しますか?。どちらを願いますか?(「飛躍です」) なぜ、「飛躍」なのですか?。垂直に上がっていく自信がありますか?。それをするには、綱がなければなりませんが、その綱をつくっておきました。「跳躍」というのは、跳躍して九十度上がって飽和状態になれば、落ちていかなければなりません。ですから、いつでも統一教会は、垂直に上がっていかなければなりません。「飛躍」しなければならないのです。 その道を築こうとするので、先生が千辛万苦し、神様も救援摂理歴史を何千万年もの間なしてこられたのです。そのことを知るべきです。ここから垂直に行くのですか、どのように行くのですか?。北極に来て暮らさなければなりません。北極は、何を必要としますか?。南極が必要でしょう。北極で全力を尽くしてから南極に行って、「焦点聖地(源焦聖地)」です。それから何聖地ですか?「根源聖地」です。 そこには、食べる物はすべてあるのではないですか?。ありとあらゆる五色の果物がないでしょうか、動物がいないでしょうか、植物がないでしょうか、すべてあるというのです。ここにはありません。 ですから、北極で暮らしますか、南極に訪ねていきますか?。熱帯地方に訪ねていかなければならないでしょう?。韓国を中心として見れば、ウルグアイは完全に地球の真裏に当たり、九十度下なのです。地球儀を見てください。そこを中心として、すでに二十年前から、そこにすべて基盤を築いておいたのです。 先生は、だれも夢にも思わなかった南極開発のための港口をつくっているのです。先生は、夢を見る人ではありません。実践するための計画なのです。分かりますか?。あなたたちも、今から実力を持たなければならないということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい」)。実績です(「実績」)。実績(「実績」)。実績(「実績」)。実績が必要なのです。二世たちは、しっかりとしなければなりません。恐ろしい先生が現れる時が来るのです。 さあ、ですから、先生があらゆる方面になりふり構わずに準備したことは、あなたたちには想像だにできなかったのですが、あなたたちは、「それは想像することのできる内容のものであるから、先生が準備したのだ」と思って、「先生以上になします」という気持ちを持って、それ以上に走り、それ以上に努力すれば、すべてオーケーなのです。 そのように理解しなさい。自主的な権限を持って登場するのですが、王子王女として登場する権限を持って、大王陛下の実権を持ち、神様までも感動させる祭司長になってみせなさいというのです。それは妥当な話ですか、不当な話ですか?(「妥当な話です」)。妥当な話なのです。 神様の全権全能のお出まし、お成りのために「自分が必要とされる基盤になろう」と努力して決心することを、決心することを何ですか?。答えてください。(「盟誓いたします」)。そうです。盟誓しました。盟誓したという人は、手を挙げてください。このように成し得る思想を持ち、一方通行で矢のように撃破する以外にはあり得ない、という歩みをするのです。前進的な宿願を、天も願われ、先生も願っています。(「アーメン」)。「アーメン」と、言えることは言えるのですね。そのようなことを喜ばれるのが神様であられ、真のご父母様なのです。(「アーメン」)。お母様も喜び、すべてが喜ぶのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.18
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原初聖地・根源聖地・勝利聖地の策定奉献式一九九九年七月二十七日、午前四時十八分(韓国時間午後八時十八分)、ブラジル・パンタナールにあるアメリカーナホテルにて十余名が参加する中、アメリカーナホテルを「原初聖地・根源聖地・勝利聖地」と定めて奉献する記念式が行われた。 祝祷 愛するお父様……、きょう一九九九年七月二十七日火曜日、四数も六数も九数もサタン数の勝利基準となって、天を苦役させてきた数から、今や七月を中心として、三掛ける九の二十七数である二十七日を越え、明日は四掛ける七の二十八数である二十八日、四数と七数を中心として四次アダム圏時代まで越えていける出発の起源とみなし、アダムとエバをつくられたあなたの創造理想の中で、罪なくあなたの心情を通じて、愛と生命と血統が一致した立場に立ち、真の父母となりながらも、復活圏の勝利の覇権をもって万世の天国の出発がなせなかったことを、数多くの歴史時代の一つの区切りをつけ、旧約時代、新約時代、成約時代の三次アダムの失敗の過程をすべて経ながら整備いたしました。 そうして、この場で昨年五月十五日を中心として、怨讐サタンを愛することによって、天のみ旨を中心として、アダム家庭でカインとアベルの殺戮戦が起こったのを見つめる神様の心、堕落したアダムとエバの心がどれほど悲痛であったかという事実を、こんなことがあってはならないという、そのすべての怨恨を抱いたその心を、歴史を通して解くことができずに、神様と共に呻吟してきた歴史的なすべての苦難を、お父様が責任を持って解かれるために、数千年、数万年の間、苦労してこられた恩賜に心から感謝申し上げます。 耐えに耐え、待ちに待ちながら、これまで摂理のみ旨を遅らせることなく、一人で責任を持たれて万世の受難の道を行かれながらも、万民の解放圏を願い、真なるアダムの完成家庭によって完成した国家、世界、天宙、地上・天上天国を統一化させ、あなたの心情的な愛の主権を立てるために苦労されたお父様の前に、すべての被造万物は身をかがめて感謝申し上げます。 真の父母もまたこのすべての地上に残された蕩減の道、苦難の道を行くために、その数倍、数千倍もお父様が苦労し、保護されることによって、難しい環境を耐え忍んでまいりました。 倒れそうな道でもお父様が守ってくださり、きょう勝利のこの時間に至りまして、この場においてサタンを屈服させ天宙解放を中心として真の父母の勝利によって、神様と真の父母の解放圏を備えて怨讐であるサタンを自然屈服でき、天下にあなたの自主権を立てることのできる、全体・全般・全権・全能の時代をあなたが掌握してくださいませ! そうして真のご父母様と統一家の行くすべての道の前に、全体の先頭に立って今やサタンを屈服させ、サタンと真のアダムと天使長に命令できる時代を迎えましたから、そのような初の出発の基地としてこの場が原初的な基地にならなければならず、この場が根源的な基地にならなければならず、この場が勝利の聖地の場とならなければなりませんから、万民がこのパンタナールを中心としてこの地を追慕しながら精誠を尽くして天の福を集め、一家、一国家、一世界の前にそれを伝授してあげられる真の父母たちとなることを約束する、そのような基地となるようにしてくださいませ。 この場を愛し、この場を守り、この場を自らの体のごとく、家庭を中心として国家全体が神様の体の相対的な存在として出発基地を持てるようにしてくださったことに感謝しながら、一生を追慕しつつ、ご父母様の苦労と神様の苦労を心に深く、骨肉に刻んで、千秋万代の後孫、一族を越えて、民族・国家・世界と全人類が、一つの心情によって天の国に直行できる子女の名分を備えられますように、お父様……、全体・全般・全権・全能を主管されまして、天の国に直行できる祝福の基地をここに選んでお父様の前に奉献いたしますから、この場を聖なるものとしてくださいませ。 天の祝福の恵みを根付かせてくださり、万世に地上・天上天国をカバーして余りある血のにじむような精誠の心情が連結され、新しい血統を通じて、あなたの愛を中心として千秋万代、孝子・忠臣・聖人・聖子の道理を果たさせてくださり、祝福を受けた子女の家庭を一つとならしめ、先祖の伝統を受け継いで、余すことなく忠孝の道理を誓うことのできる、万世の後代の後孫たちとならせてくださいますよう切にお願い申し上げます。 この時間、この場を「原初聖地」、「根源聖地」、「勝利聖地」として策定いたしますから、お父様……、命令どおりに実践して奉献いたしますから、かなえてくださいませ。み旨の通りに万事、万事、万事が、み意にかない、み意にかない、み意にかないますよう許諾してください。真の父母の御名によって全天宙の前に宣布いたします。 アーメン、アーメン、アーメン! み言 祝福家庭はみな、この地を通過しなければなりません。そのためには、ここがどのようにならなければならないでしょうか? 飛行場も整備し、鉄道も整備し、運河も整備しなければなりません。それをなすにあたっては、精誠のこもった心を前面に立てて、歩んでいかなければなりません。 土地を買うにしても、私たちの仕事をするにしても、先生の伝統と神様の苦労の前に、批判される者にはならずに、このような伝統以上の精誠を尽くすべきことを覚えておきなさい。 体と心が一つになって、夫婦が一つになって、子女が一つになって歩んでいかなければならないのです。今後、ジャルジン修練所とは別個に、ここに大きな修練所を建てて、自分の一家や一族が来て、修練を受けられるようにしなければなりません。一族です。一八五家庭、十六○家庭なのです。自分の一族がここに来て、修練を受けなければなりません。そのような膨大な施設を設けなければなりません。自分たちでわきまえて祈って進んでいかなければならないのです。 今日は何ですか?原初、根源!それから勝利です。「原初聖地」、「根源聖地」、「勝利聖地」です。これが出発なのです。(三一〇-二七八、九九年七月二十七日) 今年の六月十四日に「天地父母天宙勝利祝賀宣布式」を行いました。そのような祝賀をしたので、今や終わったのです。そこで帰って、今回は何を出帆しましたか? 聖地をつくりました。やっと天国の起源となり得る基地をつくったのです。第一に「原初聖地」、第二に「根源聖地」、第三に「勝利聖地」です。 それが七月二十七日です。神様や先生や祝福家庭が、すべて原初点である「焦点聖地」を失い、「根源聖地」を失い、「勝利聖地」を失いました。ところが完成家庭を築いて、それを回復したのです。聖地が三大名称を持ちました。歴史の始まりから終わりまで、すべてを整理することのできる聖地なので、統一教会の食口たちは四年に一回、四十年に十回、あるいは十二回以上訪ねなければなりません。そこは地の果てです、地の果て。 それで、ジャルジンに世界平和家庭連合の「理想家庭教育本部」を建てました。そこから天国の出発です。そこで教育を受けてから、この場(三大聖地)を経て天国に行かなければなりません。西洋からも東洋からもこの場に来て、家庭的に、超民族的に結婚した家庭が、個人、家庭、氏族、民族と、ずうっとあがって行くのです。ここを経ないことには、垂直にその柱を上がることができないのです。南北が分かれました。南北が分かれたのを、ここで一つにするのです。東洋と西洋が家庭を中心として、統一的な焦点の起源に合わせ、根源の起源に合わせ、勝利の起源に合わせなければなりません。 七月二十七日の四時に、先生の特別命令によって聖地を定めました。神様の命令によってです。二十七日というのは三の九倍であり、二十八日は四数の七倍です。三数と四数の完成、七数の完成、サタン世界の完成を移行して再出発するのです。そこにおいて初めて迎える八月の一日が中心であり、きょうの八月八日は二番目の聖日です。このようなものを乗り越え、このような「焦点聖地」として完結し、八、八とぴったり合うのです。再出発です。 祝福家庭の力は、お父様にその源を発しているので、世界を越えて影響を及ぼすことは問題ではありません。宇宙や霊界までも問題ではありません。そこから天国の定着を中心として国が建てられ、そこから地上天国が建てられるのです。それが自動的に天上天国と連結されるのです。そのような目的を完成するのが摂理の道です。み旨です。 ですから、「焦点聖地」に私たちの家庭が位置しなければなりません。「焦点聖地」であるとともに世界の中心の場に立ったので、「焦点聖地の主人は私たちの家庭である! 根源聖地の主人は私たちの家庭である! 勝利聖地の主人は私たちの家庭である!」と言えるようにならなければなりません。誰によってですか? 神様と縦横の真の父母の苦労と、蕩減復帰された勝利の基盤を継承することによって、皆さんの家庭がそのようにならなければならないのです。そこからすべての因縁を中心として、家庭と氏族、民族、世界の家庭教育を中心として、世界の氏族編成、世界の核編成を始める時が訪れ、地上の希望の時が訪れたのです。「アー、アー、アーメン!」と言わなければなりません。 ですから、「焦点聖地」の主人であり、「根源聖地」の主人であり、「勝利聖地」の主人です。焦点を合わせて、根源を見いだして縦横の真の父母のみ旨を継承した勝利者になろうというのです。サタンとは永遠に関係がありません。私に属しているすべてのものは、焦点基盤に立てられた神様の所有であり、「根源聖地」に属した神様の所有であり、「勝利聖地」に属した神様の所有であり、堕落していない本然のアダム完成の聖地基盤を、再臨主と奪還したのです。 そこに行かなければなりませんか、行ってはなりませんか? 行かなければなりません。ヘロデ王の時代にも、「登録せよ」と言われて、エルサレムの方に(ベツレヘム)行ってからイエス様を生んだでしょう? そこに行かなかったならば、大変なことになるのです。行ってから生んだのです。生んだとしても、行ってから生んだので登録できるのです。マリアが登録しに行ってから生みませんでしたか? 同じことです。真の父母が王の中の王であり、天の王なので、天の宣布するその日に合わせて行動しない者は脱落するのです。 ここに来てから、本国に帰って初めて入籍するのです。皆さんは「ジャルジンなど行かなくてもいい」と言っていますが、行かなくてもかまいません。しかし、神様は驚くべきお方です。この水たまりのような地域に統一教会の信徒全世界の数十億人が押し寄せてきて、繁栄する都市になるのです。イタリアの「水の都」、ベニスの比ではありません。それ以上に立派につくるつもりです。統一教会の「世界天宙統一理想国家」の名をもって、地球を十回でもひっくり返せるのです。問題ありません。できますか、できませんか? できるのです。 祝福を受けた家庭であることを誇りたければ、この聖地に来て参拝し、息子や娘の名前を記録して残せというのです。それが福を受ける道です。それが結論なのです。この聖地が本然の聖地です。私たちにはいくつかの聖地がありますが、それは本然の聖地ではありません。これが完成した本然の聖地なのです。 すべての勝利的な道を越えて、永遠なる天上天国に行くのです。真の父母が神様に再び奉献して案内する永遠なる世界が、私たちの本然の故郷です。そこが理想なる天上天国なのです。この地上世界には制限があります。それは短く生きて死ぬ所です。そのようにわきまえて、そのために万全の準備を整えなければなりません。国を越え、世界を越え、このような所有権の基盤を拡張して、神様にお返しすべきそれを、すべて完成させなければなりません。ですから、真の父母が生きている間にそれをすべて相続し、千年、万年天国に直行、天上天国を完成すべし! 今年の八月は重要ですが、再出発する立場でどこに行くべきでしょうか? 先生は今や解放され、皆さんが心配しなくても私の行くべき道はすべて行き、すべて完成しました。皆さんに相続権を与えたので、これからは、皆さんが完成することが宿命的な課題なのです。それだけに、先生を慕う以上の心情を抱いて、天国に定着できる解放的な家庭を築かなければなりません。(三〇三-一三八、九九年八月八日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.17
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劉孝元・韓国元協会長の歩み(3)🌺「原理講論」ができるまで🍀原理との出会い❤️一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.16
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家庭完成の核1999年7月4日聖日礼拝・ベルベディア韓国語で御言を語られ、途中、英語で語られた部分の始めと終わりに(英)と記した。 核を否定する人は消えていく 核とは何ですか?。核というものは一人ではできません。必ず、相対的関係、環境条件の相対的関係において、中心的な位置を占めるものが核というものです。人間における核とは何でしょうか?。心ですか、体ですか? (「心です」)。家庭的核は何でしょうか?。それから、国の核は何でしょうか? (「家庭です」)。大統領の家庭がいいですか、王の家庭がいいですか? (「王の家庭です」)。なぜ、王の家庭がいいのですか? 一代で、大統領に何回侍らなければなりませんか?。四十年を生きれば、十回侍らなければなりません。このように見る時、自分を中心として十回(侍ること)を願いますか、大統領を中心として私が十回(侍ること)になりますか?。米国では、どちらですか? 民主主義においては、一代で四十年生きれば、十回以上自分が大統領をつくることになります。それゆえ、私が中心です。自分がその核になることができますか?。答えてください。(「なれません」)。それでは、だれが核にならなければなりませんか? (「神様です」)。国を中心として、国の核は何でしょうか?。大統領がいいですか、王がいいですか? (「王です」)。 民主主義時代は、兄弟主義なので闘いが継続されますが、王主義時代は、父母なので闘いが始まりません。平和なのです。兄弟が十二人いたら、だれが中心になるのですか?。父母がいれば、すでに中心になっているのです。中心をつくる必要がありません。核があるのに、また核をつくる必要はありません。米国の民主主義は何ですか?。兄弟主義でしょう。なぜ、そうなのかというのです。王がいないのです。父母がいないからなのです。 家庭でも、父母がいなければ闘いが起きます。家庭に父母がいなく、氏族、民族、国家に父母がいなく、世界に父母がいなく、天地に父母がいないのです。しかし、父母は本来いるのです。そこから出てきたので、「もともといる」ということを否定してはいけません。 これを「デモクラシーだ。世界の兄弟よ」と言っていますが、父母がいないのです。では、米国が力ずくで、強制的に「私が中心だ。核になるのだ」と言って、なることができますか? (「できません」)。それでは、闘いが継続されるのです。では、何が核になるのでしょうか?。根源です。根源とは何ですか?。私という人間は心が主体で、体が相対です。心が中心です。これが核になっているのです。 家庭といえば、父母が根源です。父母が中心であり核です。国といえば、国の伝統的な王が根源です。宇宙全体においても、父母のような立場に立ち、最初と最後を抱くことのできる存在が核にならなければならないのです。その概念が今、分かりました。 さあ、それでは、東と西、南と北、前後関係の核は何かというのです。その根源は、中心にならなければなりません。(板書されながら語られる)上下関係、左右関係、それから前後関係です(図1参照)。自分が立てば、すでに上下、左右、前後ができています。 では、何が核になるのかというのです。体ではありません。心です。すべて心が命令するのです。進む時に、体が「進め」と言いますか、心が「進め」と言いますか? (「心です」)。「左に進め、右に進め」と命令するのです。五官全体を動かすことのできるものが根本です。根本にもなることができ、結果にもなることのできる、そのようなものが核になるのです。 ここに、上下、前後、左右関係があるのですが、核はどこになければならないのでしょうか? (「中心です」)。中心は、上と下の根になるのです。ここ(中心)を一つだけ引っ張れば、どのようになりますか?。上が「私は上は嫌だ」あるいは「下は嫌だ」、右側、左側が「嫌だ、私は嫌だ」と言いますか? では、自分の心のままにできる環境とは何でしょうか?。いつ自分の心のままにできますか?。これはプラス・マイナスです。これもプラス・マイナスです。いつ自分の心のままにすることができますか?。いつ、自由があるのですか?。自由というものはどこから出てきたのか、というのです。 この米国が「ここ米国は自由の国だ」と言うのですが、自由ではなく肥桶の国です。どんな自由の国だと言うのですか?。亡国の種です。個人主義がどこにあり、プライバシーがどこにありますか? 「個人主義」と言えば、すでに中心を否定しているのです。「プライバシー」という言葉は、中心を否定しているのです。宇宙の構成体で、中心を否定する存在はありません。 これは、だれによってできたのでしょうか?。これは宇宙を破壊させる主義なのです。サタンから始まったという結論が出てくるのです。では、これ(図1)は何の核ですか?。個人的な核、家庭的な核、氏族的な核、民族的な核、国家的な核、世界的な核、天宙的な核です(図1参照)。この核の八段階が、すべてそれぞれ存在していたら、統一世界が展開されるでしょうか?。統一はありません。一つになれないのです。 核を形成しようとすれば、必ず、垂直と水平が一つになる所からです。それゆえ、垂直と水平が一つになる所で核を発見することができる、という結論が出てきます(図2参照)。ゆえに、すべての存在には核が必要です。絶対に核が必要なのです。運動するすべての存在で、核を否定する存在は壊れていくのです。なくなっていくのです。 それでは、核は必要ですか? (「はい」)。では、個人に核がありますか?。核は変化すべきですか、どうですか?。核が変わらなければ、その対象も変わりません。それゆえ、核を形成しようとすれば、必ず垂直関係がなければなりません。これがなされれば、九〇度を否定する核はありません。これが、四×九=三十六、三六〇度です。三六〇度という言葉は、どこであってもすべてバランスがとれ、丸いということです。 皆さん、三六〇度に合わせることができますか?。零点の道理を知っていますか?。零点とは三六〇度です。自分が何度動いているか、という事実を知っているかというのです。現実問題として、最も重要なことです。では、どこにいるのかを知るためには、上下関係の中心から見て、自分が右舷なのか、左舷なのか、上弦なのか、下弦なのか、前舷なのか、後舷なのか、ということを知らなければなりません。これを知らなくてはなりません。 さあ、統一教会で宇宙の存在性を語る時に、何と言いますか? 「正分合作用」と言うのです。核のあるところが根源にならなければなりません。この宇宙のあらゆるものが、連体関係で連結されているのです。 根源とは何ですか?。心ならば、心が根になっていなければなりません。心は毎日二十四時間、変わりますか? (「変わりません」)。心は、体が泥棒しようとすると、「おい、こいついけない」と言うのです。 簡単に変わるものは何ですか?。心ですか、体ですか?。どちらですか? (「体です」)。心は変わりません。それが核です。これを知らなければなりません。核を否定する人は消えていきます。 神様の息子・娘には、神様が定めた核が絶対に必要 永く存在することができ、従っていくことのできる存在が、核になります。力が強い人と、力が弱い人と、どちらが核にならなければなりませんか? (「力が強い人です」)。太った人と痩せた人とでは、どちらが核になりますか? (笑)動物世界では、牛も肥えたものを願い、豚も肥えたものを願い、鶏も肥えたものを願い、木も大きくてしっかりしたものを願うのに、なぜ、人間世界はスリムでなければならないのですか?。飢え死にする人のいる世の中で、自分が太っていてはいけないでしょう。太っている人は、「三人が食べるものを一人で食べ、二人が飢え死にした」と考えなさいというのです。そのように考えるのです。それゆえ、核にはならないのです。 皆さん、家の中に十人の人が暮らしていれば、その核になり得る人はだれですか? (「父母です」)。自信がないですね。(「父母です」)。浮気して、離婚し、泥棒する父母が、どうして核になるのですか? (「なれません」)。そのような時は、だれが核になるのですか?。その家庭において、母親や父親まで教育し、全体の前に尊敬され、できないことを成し、だれも及ばない能力をもっている人が核になるのです。分かりますか? 皆さん、核をつくることのできる人は、自然と核になることができる、ということを知らなければなりません。では、核メーカー(核をつくることのできる人)がいいですか、核になるのがいいですか?。レバレンド・ムーンは、何をする人ですか?。レバレンド・ムーンは核メーカーです。核がない家庭に核をつくってあげ、氏族の核、民族の核、国家の核、天地の核をつくってあげるキングなのです。そうですか? (「はい」)。核キングメーカーです。 上下に核、左右にも核、前後にも核、核が多くてどうしますか?。どのように一つになりますか?見てください。(板書されながら)一、二、三、四、五、六、六数があるのです。上下がペアになっています。これ(A)が中心、これ(B)も中心、これ(C)も中心です(図3― ①参照)。では、どこについて行かなければなりませんか?。上下の中心について行くのですか、どれを中心としてついて行かなければならないのですか?。すべて行ったり来たりしています。ある人は「これがいい」と言い、ある人は「これがいい」と言います。 三つの核が必要ですか、一つの核が必要ですか? (「一つです」)。皆さんは一つの核がいいですか? (「はい」)。一つの核になろうとすれば、どうするのですか?。上下の核、左右の核、前後の核、その中心が一つの核なのです(図3― ②参照)。 ではどのようにして、これを連結するのですか?。上は、絶対に下を必要とするのです。上と下が(お互いに)必要とするのは、何のためでしょうか?。核を設定するためです。上下は核がなければ、壊れてしまい、定着することができません。飛んでいってしまうのです。分かりますか? (それは)絶対要因です。絶対的なコンセプト(概念)です。唯一コンセプト、不変コンセプト、永遠コンセプトです。核を必要とするというのです。そうですか? (「はい」)。左右も同様です。それから、前後も同様です。私たちはこれをなさなければならないのです。 神様の創造理想は何かというと、家庭を中心として、すべての宇宙的な核を集中させた上下関係である父子関係、左右関係である夫婦関係、前後関係である兄弟関係、これをなすことです。「私には父母がいる。私には妻(夫)がいる。私には子女がいる」、これなのです。そのようにならなければなりません。 上下関係が縦です。左右関係・夫婦は横です。夫婦で前後に立ちますか?。それから、だれを前に立てますか?。息子・娘です。息子を前に立てるのです。兄弟を前に立てるのです。それゆえ、子女は何かというと、父母の願いであり、夫婦の願いであり、兄弟の願いなのです。子女はそのようなものです。そして、祖父と父母が喜ぶのです。そうですか? (「はい」)。それらが一つの家庭を中心として、このような全体形成に対して、一つの核に集中しようというのです。一つにするのです。 どのようにして一つの核をつくるのでしょうか?。力、知識、お金ですか? (「いいえ」)。何をもってつくるのですか? (「愛です」)。どのような愛ですか? (「真の愛です」)。真の愛です。絶対愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛です。これが真の愛です。分かりますか? 世の中で、このようなことも考えずに生きている人たちが米国人です。「個人主義とプライバシーが最高だ。自由だ」と言っています。自由は、これを認定しなければなりません。上という言葉、下という言葉は、何をもってそのように言うのですか?。上を中心とした言葉でもなく、下を中心とした言葉でもありません。それは核を中心として言う言葉です。そうすればすべてのことに合うのです。左右も合い、前後も合うのです。 それを知らなければなりません。「ああ。自由。自由」と、体の自由を求めれば地獄に行きます。心の自由は、どこに行くのですか?。自由とは何ですか?。体が「しよう」ということではありません。 「母親・父親を否定し、国を否定し、法を否定し、宇宙存在のすべての核を否定して、自分の思い通りにする」というのは、悪魔の計略の終着点です。それを知らなければなりません。それがいくら上手であっても、滅びるのです。先生の話は、理にかなっていますか、かなっていませんか? (「理にかなっています」)。 それゆえ、「私は核を願う」と考えなければなりません。そのような考えをしていますか? 心と体が核と一致していますか?。体が「私は心について行きたい」とならなければなりません。皆、そのような人ですか、そのような人ではありませんか? 今では、五分間だけ話をするので、みな喜んでいます。「お父様の御言が短い。素晴らしい」と言っているのです。(「違います」)。このくらいにして、後はあしたにしましょう。これは、十年かけても話せません。十年かけて話しますか、けさすべて話しますか? (笑)なぜ、笑うのですか?。イエスか、ノーか、答えなければならないでしょう。 さあ、神様は知恵の王ですか?。一度決めた核を中心として、永遠に活用したいでしょうか、一年くらい活用したいでしょうか? (「永遠です」)。絶対、唯一、不変、永遠なのです。 そのような内容の核は何でしょうか?。これが問題です。哲学的に見れば、この解決がとても重要な問題なのです。これは絶対に必要です。人間という存在、神様の息子・娘には、神様が定めたこの核が絶対に必要なのです。そうでしょう?。それは絶対に必要です。父母が必要でしょう?。絶対に必要です。唯一、不変、永遠に必要です。地においても必要であり、永遠な世界でも必要なのです。 常に神様について行こうとすれば、神様がモデルとなり主体となれば、そのモデルと主体の前に相対的条件を備え、永遠に必要とされる家庭形態とならなければなりません。アーメンですか、ノーメンですか? (「アーメン」)。 永遠に食べても嫌にならないものは真の愛の味 さあ、これでコンセプトが分かりました。「核は必要ない」という人は、手を挙げなさい。そのような人は手を、日本刀で無慈悲に切ってしまいなさい。もしそのようにしたら、「よくやった」と言いますか、「誤った」と言いますか? (「よくやったと言います」)。死んでも、泣きながらでも、「よくやった」と言いたいのであって、「誤った」とは言わないのです。 上下という言葉も、核を中心とする言葉であってこそ正しいのです。左右も核を中心として、前後も核を中心として、言う言葉なのです。その核というものは、いったい何でしょうか? それは絶対的なものでなければならず、唯一、永遠、不変なものでなければなりません。核はそうでなければなりません。それは何ですか?。力ですか? (「違います」)。知識ですか? (「違います」)。お金ですか? (違います」)。 神様が中心です。では、皆さんは、神様が中心になろうと来られたら、歓迎することのできる核となる場を準備していますか? (「はい」)。神様だと分かるのですか?。この者たち、何が、「はい」ですか。分からずに、「はい」と言ってはなりません。どうして分かるのですか? 魚はおなかがすくと餌を好むのですが、神様がおなかがすいた時に必要とするものは真の愛です。真の愛の餌さえあれば、神様はすべてのみ込んでしまおうとします。私たちの家庭がそうならば、(神様は)家庭自体を消化しようとするのです。国の中で真の愛の国があれば、(神様は)一度にのみ込もうとするのです。なぜですか?。永遠に食べても、永遠においしいからです。永遠に食べたいのです。 皆さんが、永遠に食べても嫌にならないものとは何ですか?。マクドナルド・ハンバーガーですか? (笑)永遠に食べても嫌にならず、夜に食べてもよく、昼に食べてもよく、どこに行っても、天の国に行っても、地の底の地獄に入っていって食べても、その味は永遠に変わらない、そのようにおいしいものとは何でしょうか? (「真の愛です」)。 真の愛とは何ですか?。父、息子、祖父、母、長男、次男、皆が喜ぶものです。父親も喜び、息子も喜び、嫁も喜び、夫も喜び、兄も喜び、弟も喜び、全員が喜ぶものです。そうですか? (「はい」)。違います。(「そうです」)。永遠に食べても、二十四時間食べても、嫌にならず、おいしいものが真の愛の味です。 私がフロリダに旅行に行った時のことです。男性と女性がいて、男性は背が高く、女性は小さいのです。通り過ぎていく時に、男性が小さい女性の腰を抱き座っていたのですが、四十五分して再びそこを通り過ぎると、それでもまだくっついてキスをしていたのです。いつまで続くのでしょうか?。死ぬまで続けていても、嫌でないように見えました。 太ったおばさんでも、痩せた人でも、皆それを好むのですか? (「はい」)。夜でも昼でもですか? (「はい」)。それがなければ、どうしますか?。生きていたくないのです。孤独で、寂しく、悲しく、恨めしくて、すべてのバランスが崩れていくのです。垂直もなければ、水平もないのです。生きていても、死んだ命となります。 統一教会の信徒たちは、愛の味を知っていますか? (「はい」)。目の愛があり、鼻の愛があり、口の愛があり、耳の愛があり、体の愛があり、五官の愛があるということを知っていますか?。五官の愛が願うものは、五つの核を願うのですか、一つの核を願うのですか? (「一つの核です」)。鼻は「臭いをかぐ」と言い、目は「見る」と言い、口は「食べる」と言えば、大変なことになるのです。手を中心として四官が反対したら、大変なことになります。女性の五官を、何が一つにできるのでしょうか?。女性ですか? (「違います」)。それでは、だれですか? (「男性です」)。 では、どちらが核ですか?。自分が核として侍った(為に生きた)ほうが核です。愛を受けようとしなければなりませんか、愛そうとしなければなりませんか?。お互いに与えようとすれば、男性も与えようとし、女性も与えようとすれば、けんかが起きるのです。片方は与えようとし、片方は受けようとしなければなりません。そうしてこそ、バランスがとれるのです。それは核を中心としてなされるのです。いくら賢い米国の女性であっても、これを否定することはできません。 愛を求めていく女性の五官は、愛する男性が十里、百里行っても、その後をついて行こうとします。愛する人について行きたいのです。「来るな」と言えば、五官がすべて泣くのです。十里、百里行って、「よく来た」と言って手を広げれば、それだけでも泣くのです。悲しくて泣くのではなく、うれしくて泣くのです。 それゆえ、女性という動物は、嫁に行かなければ死ぬのです。死んだのと同じです。賢い女性ならば、「そのような法がどこにありますか?。先生がつくって言う話であって、私はそうではありません」と言うなら、死ぬ時になってみなさい。一人で死にますか?。父母が見守り、それから妻であれば夫が、息子・娘が見守り、一族が見守る中で死にたいですか、一人で死にたいですか? (「一族が見守る中で死にたいです」)。すべてが真の愛で、主体・対象をなしているのです。 「自分が完全に犠牲になろう」となれば、完全な核が生じる 自分を主張すれば、核は生じません。完全な核は生じません。何のことか、分かりますか? 完全に体がなくなってこそ、完全な核が生まれるのです。絶対的な心の核を求めようとすれば、体を完全に否定しなければなりません。これを願う人は手を挙げなさい。 これが問題です。完全な核は、完全な対象をつくりだすのです。(核と)授け受けする運動を始めれば、その核と同じ相対が生じるのです。完全なプラスは、完全なマイナスを創造するのです。 女性は「私は結婚したのだから、朝から夜まで愛されなければならない。夫が私のために生きなければならない」と思わなければならないのでしょうか? 「自分が完全に犠牲になろう」となれば、完全な核が生じるのです。完全な愛の核がスタートするのです。そのことを知らなければなりません。 米国の賢い女性たちが「私が中心だ。あなたは私を永遠に愛さなければならない」と言う時、そこに核があるでしょうか、ないでしょうか?。夫と妻がお互いに、「自分」が絶対にない位置に立ってこそ、そのような完全な女性の愛、完全な男性の愛をなしてこそ、神様が喜ぶことのできる愛が生じるのです。これが真の愛です。 霊界は愛の空気でできています。それゆえ、夫の前に完全に自分を否定し、絶対信仰、絶対愛、絶対服従するのです。服従には「自分」という意識はありません。コンセプトがありません。「おお、私は米国のハイ・レベルの女性だ」といつも考えている人は、核をつくれません。 (英)絶対信仰、絶対愛、絶対服従で、絶対「無」になるのです。いかに偉大であっても、下がって、下がって、ゼロ・ポイントに到達すれば、そこに絶対愛が現れるのです。(英) 米国の女性は、そのようなコンセプトがありますか?。霊界に行ってみなさい。先生の話が正しいか、正しくないか?。最近では「独裁の王がレバレンド・ムーンだ。レバレンド・ムーンは、白人も黒人も捕まえて奴隷化している」と言っています。私が奴隷化していますか?。自動的に奴隷になろうということは、永遠にゼロ・ポイントになろうということです。永遠にゼロ・ポイントになれば、永遠にゼロ・ポイントを占領するのです。 (英)完璧に理解すれば、後は問題ありません。心と体が一つになれば、核の位置に立つのです。そのことをはっきり知らなければなりません。体を永遠にゼロの位置にすれば、代わりに、核が現れるのです。理にかなった終結です。終結しませんか、しますか?。終結しなければ、地獄につながります。終結すれば、天国に連結されるのです。分かりましたか? (英) 自分を絶対に否定して、死の道を行き、絶対核である神様の前に帰る 皆さんは、今まで万物を捕まえて食べたでしょう?。より価値のあるものは、より価値のないものを食べて大きくなるようになっています。神様がそのようにつくられました。この全宇宙では、人間という一存在を育てるために犠牲になられた神様が中心なので、人間もそのような犠牲の道を行かなければなりません。それを知らなければなりません。私がたくさんの万物を食べたので、私も神様の愛の前には吸収されなければならないのです。神様の愛の前に、死ななければなりません。そうすれば、神様の体になり、神様が愛の主体になり、神様の友達になることができるのです。 それで、聖書には、「死なんとする者は」何とありますか?。イエスも全宇宙に対して、神様のために、神様の御旨のために死んだので、神様は復活させなければならないのです。死ぬことは、私のすることです。自分を否定しなければなりません。自分を絶対に否定して、死の道を行き、絶対核である神様の前に帰っていくのです。 完全な核を宇宙的に保護するために、自分の体を完全に犠牲にすると決心をする人々は、地上で暮らすことのできる天国人であり、天上では神様の愛の対象になるのです。アーメン。 (英)永遠、絶対、唯一、不変なる核の中心を、私たちは「神様」と呼ぶのです。神様とその位置で一つになるには、最初に肉体を否定しなければなりません。それが問題なのです。分かりますか?。霊界における核を考えてみれば、物質界をすべて否定して、無に帰れば、本然の道に戻っていくのです。帰っていくのです。復活の道は、完全否定して反対の方向に行くのです。(英) それで、聖書には、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死なん」とあるのです。さあ、皆さん、結婚は必要ですか? (「はい」)。「結婚するのはやめろ」と、もしレバレンド・ムーンが教えたとすれば、ここに一人でも残るでしょうか、みな逃げていくでしょうか? (笑)「完全な凸と凹が一つになる」と教えてあげれば、みな押し寄せてくるのです。天下が押し寄せてくるというのです。 地上生活と天上生活は反対です。地上で堕落した人々は自分のために生きますが、霊界は全体のために生きる所です。全体のために生きることができるように、堕落を否定すれば、全体のために生きる人になるのです。そうなれば、神様の相対圏、パートナーになることができるのです。永遠にアーメン ペアシステムです。主体と対象です。完全なものがペアなので、そこに従わなければなりません。心と体で、どちらがより善に近いですか?。体よりも心が善なのです。それゆえ、心に絶対的に従えば天国であり、体に従えば地獄行きであり、破壊されてなくなる存在であり、破滅なのです。 より投入し、より犠牲となる人が中心の位置になる 私は神様の代身なので、祖父も願い、祖父の息子である父も願い、左右である父母も願い、それから兄弟も願うのです。私もそうならなければならないので、私が父親になろうとして結婚し、息子・娘を生むのです。このように種となり、拡大し、国家、天宙、天の国が形成されるのです。アーメン では、統一教会で使う「四位基台」という言葉は何ですか?。妻・夫、それから子女です。それから神様です。これが三段階です。人間は赤ん坊として生まれ、成長し、妻と夫になります。霊界の根本は家庭組織です。三対象目的です(図4参照)。 神様がこれ(四位基台)をもっているように、自分たちもこのようなもの(四位基台)をもたなければなりません。そうしてこそ、主体(神)と対象(人間)になるのです。分かりますか?。神様に帰っていくのです。根源と結果が一つになれば、宇宙が含まれるのです。 このような概念は何かというと、家庭においては孝子にならなければならないというのです。絶対的です。家庭においては父母を中心としています。その父母は神様の弟であり、自分にとっては兄と同じです。父は神様の代身であり、家庭の核であり、私たちはその父と相対的関係にならなければなりません。 そして、国とは何かというと、数多くの家庭が集まり、形成されます。王が国の父母であるので、王を中心として四季を越え、一生を越え、絶対服従、絶対従順、絶対愛をなすことができてこそ、国の忠臣になるのです。 国のために、家庭、氏族、民族、全体を犠牲にしたとしても、国を生かさなければなりません。これを知らなければなりません。そして、何をするのですか?。世界に拡張しなければなりません。世界の王として来られる方がメシヤです。真の父母を中心として世界が連結されて一つになるためには、メシヤは自分の国、自分の氏族、家庭を犠牲にしてでも、世界のために生きなければならないのです。 米国が世界を求めるならば、米国の主体である米国国民、米国の主権を犠牲にしてでも、世界のために生きなければなりません。こういう論理を中心として行くのです。そうしてこそ、聖人の位置に上がることができます。 神様は宇宙の王です。宇宙の王のために生きるのです。世界、国、家庭を犠牲にしてでも、宇宙の王に侍ることのできる聖子、聖女にならなければなりません。聖子にならなければならないのです。 なぜ、そうしなければならないのでしょうか?。私たちが本来の王の中の王であられる神様の本宮に帰る時には、プラスである神様がこの世界を、すべてを投入し、犠牲となる位置で創造されたので、私たちも神様の前にお返ししなければならないので、同じように犠牲の過程を経てこそ、対等な位置で祝福を受けるのです。相続がなされるのです。 米国の大統領になったとしても、神様、宇宙を相続することはできません。米国全体を祭物として捧げ、神様の前に忠臣となり得る聖子の道理を行わなければ、全世界を支配することのできる相続権を受けることはできません。その位置が最高なので、その位置のためにすべてを投入するのです。家庭には国が必要であり、国には世界が必要であり、世界には天地、神様までも必要なのです。 より投入し、より犠牲となる人が中心の位置になるのです。統一教会の人々は、「世界のために、自分の家庭、国を越え、世界、聖人の教派を越えて神様のために生きよう」という道を行くので、間違いなく、相続する時が来るのです。 米国が「神のもとの一つの国」と言っていますが、それでは駄目なのです。米国のキリスト教が天下を統一しようとすれば、「神のもとの一つの世界」「神のもとの一つの宇宙」でなければなりません。行くべき道を知らないのです。 私たち統一教会は、「神のもとの一つの国」ではいけません。それでは、世界がすべて背反します。力をもってしてはできません。「一つの世界、一つの宇宙」でなければ、神様の前に帰る道がありません。 それゆえ、ユダヤ人も米国人も、ユダヤ教もキリスト教も、共産主義も民主主義も、すべて神主義に投入しよう (「アーメン」)。神主義は、「神のもとの一つの国」ではありません。「神のもとの一つの宇宙」です。それを知らなければなりません。家庭を中心として「ああ、息子・娘のために、妻のために、米国のために」、そのようなものは必要ありません。共産主義や民主主義というものは、必要ありません。私たちは王圏主義を求めていくのです。 「家庭完成の核」。これは家庭においては孝子、国においては忠臣、世界においては聖人、天宙においては何ですか? (「聖子です」)。神様の前においては何ですか?。相続者です。全員が相続者になることはできません。兄弟が十人ならば、十人が相続を受けるのですか? よりために生きた人に相続するのです。よりために生きた人が相続を受けることができるのです。 そうしてこそ、神様を中心として永遠な世界で父母に侍り、永遠な世界の観念を完成し、解放圏に立ち、「天下は私のものだ」と言い得る神様の息子・娘になるのです。アーメン (「アーメン」)。 愛する人は、自分よりも何千万倍も立派であることを願うのです。それが、男性においては妻であり、妻においては夫であり、夫婦においては息子・娘であるというのです。同じように、神様も自分が愛する相対となる存在は、自分よりも何千万倍、何億万倍、高いことを願うのです。それゆえ、神様自体が崇め侍り、賛美したい息子・娘として、私たちを訪ねてきている、という事実を知らなければなりません。 家庭完成の核、家庭、国家家庭、世界家庭、天宙家庭、それから神様です。これが家庭完成の核です。家庭がずれれば、どうなりますか?。そのような存在はありません。九〇度です。三六〇度、すべて合わなければなりません。そのような家庭がありますか?。米国は滅びます。警告します。しっかりしなさい。ここに来た人たち、分かりますか (「はい」)。核の王になる点を探し求めていかなければなりません。それが家庭においては、何ですか?。孝子であり、国においては忠臣であり、世界においては聖人であり、天宙においては聖子なのです。 聖子とは何かというと、聖子は、天の国の法、天の国の宮殿法、地上の法、地上の宮殿法、二つの世界の四つの法を理解して、初めて天の国の相続を受けることができるのです。家庭完成の核です。これは運命ではありません。宿命です。 統一教会は地上天上天国の合格者を養育する学校 きょうは、七月の最初の聖日です。皆さん自身も、父母の前に孝行しなければならず、夫の前に烈女、妻の前に烈男にならなければならず、子女の前に忠誠の真なる父母にならなければなりません。真なる息子・娘となり、真なる家庭を成し遂げなければ、神様に属し得る道は永遠にないのです。家庭が問題なのです。 それで、統一教会は家庭の世界化モデルケースを祝福し、その完成のために教え、地上天上天国の合格者を養育するのです。統一教会は、天地完成のための教会ではなく、学校なのです。 きょうは、米国の独立記念日です。先生が監獄に行った日です。忘れることのできない日です。忘れることのできない日に、重要な、このすべてのことを教えるのです。米国は、米国が滅んだとしても、レバレンド・ムーンが言う家庭と米国の民族を残して死ななければ、みな地獄行きです。米国国民が世界的先導的立場で、これを連結させれば、世界を救うという責任を即刻完遂できるのですが、否定していった日には、永遠に人類の前に反駁され、冷遇され、糾弾され得る民族として地獄に落ちていくのです。そのことを知らなければなりません。警告します。 人間は小宇宙であり、男性と女性の二人が一つになれば、星と同じように輝くのです。小さな星になりますか?。月のように輝きますか?。太陽のように輝きますか?。 愛は熱のことをいうのです。「心が燃える」と言うでしょう。霊界に行けば、神様は愛の本体なので光と熱で現れるのです。霊の目で見れば、皆さんの愛の輝きがどれほどか、どのように輝いているか、まだらに輝いているか、虹のように輝いているか、すべて分かるようになっているのです。家庭が一つになって、光輝く星にならなければなりません。星にも、恒星のように星を治めるものがあります。太陽のようにです。 個人主義でよいのですか?。霊界に個人主義がありますか?。プライバシーをもっていてよいのですか?。宇宙のすべてがかかっているのです。四百億にもなる細胞がすべて連結し存在しているのに、個人主義がどこにありますか?。それは悪魔主義です。それは滅びるのです。 そして、肉体派、享楽主義に陥っていき、体の全滅運動をしているのです。何が、フリー・セックスですか?。ホモ、レズビアン?。私の手で整理します。何をもってですか?。真理の御言をもってです。さあ、分かりますか?。すべてのものの完成は、家庭を中心として、核を通して完成するということが分かったので、今から帰って競争です 町に行き、「この町は滅びます。この原則、原理原則に合わなければ滅びます」と警告しなさいというのです。攻撃しなさい。デモをしなさいというのです。しますか、しませんか? (「します」)。 正分合の論理を完成させる さあ、もう結論を下しましょう。 私たちは、正分合の論理を完成しなければなりません。個人においては、心と体が一つになってこそ、正分合が完成するのです。絶対愛を中心として、心と体が一つにならなかったのが堕落です。男性の中でも、心がプラスであり体がマイナスです。女性も心と体があるのですが、どちらがプラスですか? (神に)近いところがプラスです。女性も完成しなければなりません。 最初に、父母の懐で生まれる時は、赤ん坊として生まれます。同じ乳を飲んで育つのですが、男性の行く道、女性の行く道はそれぞれ違うので、育ってみると、見かけも違うのです。しかし、父母の前に子女は愛の対象です。三年間、母親に抱かれ愛されながら、子女は母親の体の骨と肉をもらって育つのです。母親の体の延長なのです。 では、母親の骨と肉と血を延長した子女たちを、どのようにしてあげなければならないかというと、自分のように完全な女性にしなければなりません。母親になり、息子をつくらなければならないのです。夫のもとに行き、愛を受け、子女を抱き、初めて主人になるのです。息子・娘がいなければ、主人の位置は永遠にありません。 性相と形状です。赤ん坊の種があるのです。結婚する前に、体に赤ん坊の種がついているでしょうか、いないでしょうか?。母親には、母親になることのできる種があるのです。それ自体は種ではありません。畑です。 米国の女性たちは、結婚はしなくても、赤ん坊は欲しがるのです。なぜですか?。乳房がじっとしていないのです。そして、お尻がじっとしていません。一か月に一度ずつ月経がくるので、興奮したり、おさまったりしていると、男性が慕わしくなるのです。その時は、夫を必要とするのです。帰っていくのです。 血を生産し、血を流すのです。それはなぜかというと、妊娠すれば赤ん坊に血を分け与えなければならないので、分けてあげる血を貯蔵する貯蔵倉庫がなくては大変なことになるのです。神様は天地の調和をご存じなので、女性は毎月、月経がくるようになっているのです。月と同じです。 女性の排卵期は、月が満ちるのと同じように、人によって違います。北側にあったり、南側にあったり、東側にあったり、西側にあったりして違うように、一か月に一度ずつの妊娠できる排卵期は、人によって違うのです。それに合わせれば、避妊もでき、すべてできるのです。それゆえ、女性は畑です。何の畑ですか?。赤ん坊を育てることのできる血の畑なのです。 生命の種は、女性にあるのではなく男性にあるのです。男性をもたずに、赤ん坊をもとうとするのは泥棒女です。結婚を否定することは、女性の存在を否定し、月経、体、乳房、お尻、陰部を否定することです。宇宙自体が、そのようなものはすべて除去してしまいます。 それゆえ、一人で暮らして、情欲に勝つことはできません。布団をかぶって泣いたり、ありとあらゆることをします。偽のセックスをしたり、ありとあらゆることをするのです。ホモ、レズビアン、このような愚か者が出てくるのです。 愛は、好きな者同士でしなければなりません。分かりますか?。目が好きで、鼻が好きで、口が好きで、耳が好きで、手をつないで永遠に喜ぶことのできる人同士でするのです。それが真の愛の相対です。 それで、絶対的家庭、絶対的父母、絶対的夫婦にならなければなりません。絶対的子女を生もうとすれば、絶対的夫婦になり、絶対的セックスを通らなくては、絶対的理想的家庭と息子・娘をもつことはできません。これが結論です。 それで、最初に皆さんの心と体があります。神様は二つに分けました。心と体が一つにならなければなりません。正分合です。心と体が、第一次正分合をなして一つにならなければなりません。分かりますか?。三段階を越えていかなければなりません。その第一番目の基盤が何かというと、心と体が一つになるということです。 心と体が一つになっていますか?。心と体が一つになっている人、手を挙げなさい。真の愛から、父母を通して生まれていれば、間違いなく一つになっているはずですが、偽りの愛によって始まったので、みな闘うようになっているのです。 最も恐ろしい戦場は、どこにありますか?。第三次世界大戦ではありません。何の戦争ですか?。皆さんの心と体が闘う、この戦争の舞台です。私の体が戦場になっているのです。この戦場を整備することが、最も恐ろしいことなのです。 アダム・エバが堕落したその日から始まり、今まで数千万年間、休戦もできず、停戦も一度もしたことがないのです。これを停戦、休戦させるために、メシヤを送る御旨があるということを知らなければなりません。それがメシヤ思想です。 サタンの血統と心情を受け継いだ人類 (英)メシヤの資格とは何でしょうか?。真の父母です。その根本は神様です。第一のメシヤが神様です。分かりますか?。堕落により、悪の父母が現れました。彼らがこの世界を悪の世界にしました。心と体が闘うようになったのです。戦場と化した肉体では、戦争をなくすことができないのです。いつ、この戦争が終わるのでしょうか?。統一された時です。しかし、自分自身でいくら統一しようとしてもできません。唯一、真の父母が現れることにより、上下を引っ繰り返して、きれいに整理できるのです。この地球上にメシヤを迎えなければ、戦争をなくすことは永遠にできません。 真のオリーブの木が現れて、野生のオリーブの木の世界、悪なるウィルスを切り取って接ぎ木するのです。その木が成長して、三代後には、真の木になるのです。真のオリーブの木、種になるのです。このようにして、凌駕していくのです。その種から実ったものをすべて収穫するのです。 それゆえ、野生のオリーブの木を一度に切ってしまうのです。いっぺんに切ってしまうのです。だれも反対できません。ただ従うしかありません。メシヤの行く道に従うのです。反対の立場には立てないのです。分かりますか?。一度に切って、一度に接ぎ木するのです。枝を接ぎ木すれば、真のオリーブの木になるのです。 そこから、神様の血統が人間に伝わっていくのです。そして、神様が自由に世界をコントロールできるのです。それが、神様の本然の理想世界です。理想をすべて失いましたが、今、本然の理想に帰ることができるのです。真の父母を中心として全世界に愛を相続させ、やがて、サタンの悪なる父母の血統はなくなるのです。 青少年の問題、家庭崩壊の問題が起こります。全世界の青少年問題は、いかなる国も解決できません。なぜでしょうか?。創造主である神様でさえ、主管できなかったのです。では、神様は堕落の時にそれを主管できませんでしたが、さらに悪に陥ったこの地獄の位置を、神様はいかに主管するのでしょうか?。主管できるのは、ただ一つの存在だけです。人間は罪を犯しました。だれが、この人間の罪を正すことができますか?。正しい人が現れれば、罪を清算できるのです。それがメシヤです。真の父母です。 堕落後、その父母から人類が出発しました。サタンの血統と心情が、皆さんに受け継がれているのです。あなたにもです。この大きな女性にもです。サタンの血で、体と心、世界をつくり上げたのです。心と体の闘いは、神様がつくったものではありません。サタンがこのような闘いをつくったのです。どんなに難しくても、神様の敵、すべての被造物の敵を切り捨てなければなりません。それをはっきりと知らなければなりません。肉体の欲望をきれいに消さなければなりません。 本来、心の位置はプラスです。堕落後、サタンは偽りの愛で、体をプラスとして植え込みました。プラスとマイナスは自動的に一つになるのですが、プラスとプラスは相反するのです。堕落がなければ、真の愛を中心として、本然の環境で自動的に一つになったのです。問題ありませんでした。女性と男性が成長すれば、自動的に一つになれたのです。プラスである心の位置とマイナスである体が、自動的に愛で一つになったのです。心と体には闘いはありませんでした。 では、その闘いをだれがつくったのですか?。サタンが植えたのです。サタン、サタンです。サタンがそのような基盤をつくり、どれだけ人間を不幸にしたでしょうか。その血を抜き取らなければなりません。旧約時代の祭物は万物でした。切って血を流すのです。なぜですか? サタンの血だからです。 神様の位置は十分の一だけでした。後の九はすべて、サタンの位置だったのです。神様は、その十分の一の人々であるユダヤ民族を第一イスラエル選民として、家庭、民族、国家へと成長させたのです。国家とは、後にメシヤを送る基盤であり、キリスト教の起点でもありました。イスラエル民族の神側としての選民の位置は、本来のオリーブの木ではありませんでした。堕落した野生のオリーブの木でした。しかし、神側の領域に連結されていたのです。神様はそのイスラエル民族に、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を願われたのです。 そこでは、ユダヤ教がアベルであり、国家がカインです。カインとアベルです。カインが体を代表し、心は教会側です。体と教会が、そのような概念で闘っていたのです。イスラエル国家でさえ、そのような概念をもっていました。 神を中心とした祭司長と国王、この両方の権力が、海を越えて全世界で歓迎されれば、いつでも世界を一掃できたのです。神様を中心とした一つの国家、世界、天宙は問題ありませんでした。自動的に成長し、協力しながら神様の理想を収穫できたのです。 家庭、国家、世界、天宙が、自動的に真の愛を中心に一つとなるのです。真の愛の力で、神様の絶対的プラスと絶対的マイナスが、自動的に一つになるのです。堕落世界の男性と女性でも、自動的に一つになる力があるのに、堕落しなければどれだけ強い力で、世界中の青少年、家庭をカバーできるでしょうか? 堕落後、肉体がプラスの位置を相続したのです。神様が絶対的マイナスの位置に立てたものを、プラスにしたのです。堕落後、サタンの愛の種を、この肉体に植え込んだのです。どれだけ深刻なことでしょうか?。いかにして神様は、再び、人間を本然の真のオリーブの木として取り戻すのでしょうか? お金の力、知識の力はサタン側に属します。政治的力、知的な力、お金の力、これらはサタンが欲しがるものです。堕落世界の希望は、三つのものです。そんなものは必要ありません。サタンが必要としているものです。神様はそのようなものはもっています。力強い存在です。知識の王です。本当ですか?。お金、知識、ダイヤや金などは、問題なくつくれるのです。神様は、そのようなものは必要としていません。 神様の唯一の願いは、サタンによって堕落した人間を善なる存在にすることです。個人、家庭に始まり、国家、世界、天宙まで、神側の存在が唯一願うのは、絶対的な愛です。なぜでしょうか?。神様は今まで、そのような概念を核として望んでいたからです。 どんなに難しくても、否定され、迫害されても、気にしてはいけません。家庭基盤を中心として世界中の家庭が一つとなって、統一教会に反対したのです。しかし、どんなにやっても、何の結果も出ないのです。では、次は氏族で、駄目なら国で、今度はすべての国が一つとなってレバレンド・ムーンに反対しましたが、何もできません。 レバレンド・ムーンは、たった一人です。世界中の堕落した人間が一つとなって、どうやって闘いますか?。レバレンド・ムーンは、心と体を完全に一つにしたのです。それは、本然の力強い神様と連結した姿です。どんなに反対する存在も、滅ぼすことはできません。レバレンド・ムーンは、いつも大きな迫害の場所に身を置いてきました。神様の真下です。(英) 私が努力しなければならないことは、心と体の闘いを休戦させること 正分合です。妻と夫は、神様の中にあった創造理想です。アダム・エバです。堕落したので、女性も心と体が闘い、男性も心と体が闘うのです。それをどのようにして統一するのか、というのです。それゆえ、女性は自分勝手に夫と離婚をし、ありとあらゆることをし、男性もありとあらゆることをするのです。フリーセックス、ホモ、レズビアン、動物よりも悪い者たちになってしまったのです。 結婚とは、父母の承諾を受けてするものです。父親である神様の承諾を受けずに結婚したことが、堕落なのです。その伝統を完全に破ってしまったのです。 (英)神様は父母です。その神様の子供がアダム・エバでした。だれが、アダム・エバの結婚を決めるのでしょうか?。アダム・エバではありません。親である神様です。理想の結婚は、神様から始まるのです。最初の過ちを犯したところまで戻り、断ち切るのです。統一教会員は神様抜きでは自由に結婚できません。核である父母の思想を連結しなければなりません。その核が相対を顕現させ、連結させるのです。(英) 皆さんは先生が結婚させてあげたのですが、不平を言う人がいれば、手を挙げなさい。(笑)皆さんの目よりもいいのです。数十年間、人を扱ってきたので、サッと見れば分かります。あなたの妻は、少し太っていて顔が丸いでしょう? (「はい」)。統一教会の教主になって、皆が立派になるように相対を結んであげなければならないのであって、悪くなるように相対を結びますか? 韓国では、四柱観相を上手に見る人が一組結婚させようとすれば、一週間から三週間かかるのですが、私は一日に、三千七百、四千双、五千双、七千双までしたのです。統一教会の人は祈祷するのです。結婚は深刻なので、「お父様、私の相対はだれですか?」と祈祷すると、「あなたの相対は日本人だ。インディアンだ」と、教えられるのです。それを先生がどうして知っているのですか?。そのように教えてくれた通りに、すべて合わせるのです。それをどのようにして合わせるのですか?。それを研究してみましたか?。私は、それを二年前に発表しました。指です。(笑)足が行くのです。もっと行こうとすると、「行ってはいけない」というのです。間違いありません。 そのように組まれたのに、それを壊した人は見ていなさい。よくありません。絶対によくありません。見ていなさいというのです。自分の心に合うか、合わないか、三年だけ過ごせば、七年だけ過ごせば、みな敬礼するようになっているのです。「感謝です」と言うようになっています。(拍手)神様の心情の世界まで発掘したレバレンド・ムーンは、偽者ではありません。 先生が教えてあげた内容は、世界のどの図書館にもありません。霊界の図書館にもありません。初めてなのです。これは、神様、霊界、地上、人間が貴く思う、宝の倉庫の記録なのです。それは、だれもが見ることのできるものではありません。サタン世界におけば、すべて盗まれるではないですか? 一番の問題は、心と体が一つになることです。心と体が一つにならなければ、正しい人になれず、天国もできず、神様が(私を)信じることができず、教会が(私を)信じることができず、世界が(私を)信じることができないのです。私が努力しなければならないことは、心と体の戦いをやめさせ、休戦させることです。それが先生の目的です。 心と体が一つになったという人、手を挙げなさい。米国の女性たちは、口が早く、よくしゃべるでしょう。口げんかをすれば、女性に負けるようになっています。女性には勝てません。負けるので、拳で叩くのです。殴られて不平を言う女性、反抗するチャンピオンが殴られるのです。男性よりも言葉を遅くすれば殴られないのですが、早く話すので殴られるのです。それが公式です。私はそのように思っています。皆さんも夫婦げんかをするでしょう。(笑)口を守りなさい。 「ああ、死にたい、離婚したい」と思っても、我慢し、話してはいけません。一度話せば、「離婚する女性だ」という烙印を押されます。男性はそのようなことは言いません。 男性の主体性は、西洋世界、米国では求めることができませんが、東洋では求めることができます。それは来られる再臨主を迎えるための、新婦としての、一時の特権的世界です。これは七十年期間の役事であって、永遠に米国がそうなのではありません。女性たちは、男性の前に絶対服従しなければなりません。 理想的家庭形態 心と体の統一です。これが、私たちがなすべき公式です。それから何ですか?。そのような男性と女性が一つになるのです。一つにならなければなりません。それが正分合です。それは二番目です。三番目は何かというと、父母と子女が一つになるのです。これが、きょう話した理想的家庭形態です。それが核です。正分合、このコンセプトで、自分の心と体を統一しなければなりません。心と体が分かれてしまったというのです。 心と体が一つになった女性が、絶対女性です。それを知っているのです。皆さん自身が、心と体が一つになっているかいないか、何パーセント一つになっていないか、教えてあげなくても、すべて知っているのです。「知らない」と言ってはいけません。だれが知っているのですか?。心が知っているのです。知らないという人、手を挙げてみなさい。知っているでしょう。(「はい」)。 二人がけんかをすれば、すでに審判は下されています。自分が「正しい」と思うならば、なぜけんかをするのですか?。正しいことが分かれば、じっとしていなさい。そうすれば、負けても罪は犯しません。(それは)善を繁殖することです。分かりますか? (英)終わりまで口を閉じていなさい。そのような人を神様は望むのです。 統一教会に反対する人々が騒ぎ立てますが、争うことはできません。口を閉じなさい。静かにしていなさい。分かりましたか?。一回、二回、三回と続ければ、相手の力も落ちます。それが天の法です。迫害を受けるものが成長するのです。なぜですか?。神様が保護するからです。神側に立てば、神様が保護し、成長させるのです。それが自然の法則です。 サタンが打てば、それだけの代償を払わなければならないのです。反対し、打つものは落ちていき、迫害を受けるものは栄えていくのです。分かりましたか?。サタンと神様の戦略は違うのです。神様は打たれて復帰し、サタンは打って滅び、地獄に行くのです。(英) ですから、迫害を受けながら発展するのが統一教会です。天の作戦は打たれて奪ってくるのであり、サタンは打って滅びるのです。利子までもらうのです。結局、だれが勝つのかというと、心が勝つのです。分かりますか? さあ、女性。正分合、心と体が一つにならなければなりません。そうならずに、愛されようというのはサタンです。二つの心をもてば、サタンになるのです。ここにいる米国の人たち、お金をもうけようとしたらサタン側です。助けてあげようとしなければなりません。分かりますか?。それが神様の作戦です。与えて忘れ、与えて忘れということに、ついて行きなさい。 そのようになってこそ、女性ならば完全な女性になるのです。十年くらいそのようにしてから、分かれるのではなく、永遠にそのようにするのです。そのような人は、一度約束したら、行ったり来たりすることはありません。結婚とは、愛と生命と血統を一つにすることです。それが最も貴いことです。血統は歴史を代身し、生命は生命を代身し、愛は宇宙を代表して約束を定めたのに、二つの心はあり得ません。そうではないですか?。それを否定することができますか?。いいえですか、はいですか? (「いいえです」)。 ですから、そのような哲学、愛の哲学の論理と完全に一つとなった生涯路程として、永遠に変わることなく、絶対、唯一、不変、永遠な理想世界に向かう、ハイウェイを走る運転手になり、走る車になるのです。 夫婦がそうです。運転手になり、家庭は車になるのです。家庭が車なのです。それは、だれが運転をするのですか?。父母が運転をして、走って行くのです。そうすれば、永遠に幸福であり、永遠に自由であり、永遠にユートピアファミリーの世界になるのです。(「アーメン」)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.16
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第9回「七・一節」記念礼拝の御言1999年7月1日ベルベディア 初めに一九九一年七月一日の「神様祝福永遠宣布」の祈祷とみ言を約一時間、訓読し、その後、郭錠煥・世界平和超宗教超国家連合会長が「七・一節」の意義などについて説明され、最後に真のお父様が約十二分間、「七・一節」を記念して説教をされました。 結論は、五分くらいで簡単に話しましょう。皆さん、祝福というものを考えてみるとき、アダム家庭において干渉することのできなかった神様が、そのような家庭を、どうして祝福することができるでしょうか?。アダム家庭において、神様は、アダムとエバが堕落するのを干渉することができず、夫婦になって愛の関係を結ぶことにも干渉されることができなかったのです。 アダムとエバは追い出されました。それなのに、そのようにして広がっていったすべての家庭を、どうして世界の終わりの日に祝福することができるのかというのです。どうして再び祝福することができるのでしょうか?。このことが問題です。 このときには偽りの父母が出発することによって、血統が変わってしまいました。しかし今は、真の父母が来られて祝福してくださることによって再び血統が変わり、神様が干渉されることができるようになったということを知らなければなりません。血統というものは、それほど偉大なのです。 メシヤと一つの家庭を立てるために、天は何千万年もの間、苦労されましたが、真の父母が現れて偽りのサタンの血統を克服できるところまで勝利したのです。今は、サタンを追い出して、思いどおりに祝福することができる、驚くべき時であるということを知らなければなりません。 今や、偽りの父母によってサタンに引っかかったすべてのことを蕩減復帰して整備することによって、自由な血統圏内に、真の父母を中心とした血統が連結され、障害物がなくなったので、思いどおりに祝福することのできる時が来たというのです。何のことか分かりますか? 本来、先生が祝福しなければならないのは、完全に純粋な善男善女なのです。キリスト教などの宗教を信じる神父や修道女、僧侶、尼僧のような善男善女を結婚させるはずでした。しかし、キリスト教が反対することによって、エデンの園で追い出されてしまった立場に再び立つようになったので、しかたなく祝福をしたのです。 この人たちを先に祝福してあげたという事実は、真の父母の前に恥ずかしいことです。恥であるというのです。ですから、既成家庭が祝福を受けるときには、それだけ大きな責任が伴うということを知らなければなりません。 この地上世界の既成祝福家庭、婚約していたり、法的に結婚した人々など、この世の中はすべて終えたので、今から残りの未婚男女を中心として、地上世界と霊界を整理すれば、すべて終わるのです。それゆえに、デモをするようにと言うのです。「真の父母」、「真の家庭」、「真の血統」を中心として、毎日のようにデモをするのです。 そして世界で評判になれば、だれでも皆、祝福を受けるようになるので、一瞬のうちにさっと回っていくのです。七か月以内にできるはずですが、皆さんがどれくらいに一所懸命にデモをするのかにかかっています。デモをしないのならば、一人ででも訴えなさいというのです。 服にも看板を掲げて歩き回るのです。デモをするのです。「真の父母になろう」「真の家庭を成そう」「真の血統を相続しよう」と書かれた服を着て、歩き回るのです。顔に書いても、手のひらに書いてもよいのです。それを掲げて歩き回るのです。 そして、米国の重要な放送局で、「このような祝福は良いことである」と一度だけ放送されれば、世界が変わっていきます。そのように、米国の大きい放送局で放送されれば、全世界の放送局で放送されるようになるのです。そのような準備をしています。もし、世の中の人々がしなければ、ワシントン・タイムズがします。私たちの放送局が門を開いて、宣伝するのです。すべて準備できています。 皆さんは、デモをしますか、しませんか? (「します」)。それを取材するためにワシントン・タイムズの記者たちが行き、私たちのテレビジョンを中心として……。このテレビ局が有名なのです。キリスト教の中心的な家庭は皆、見るようになっています。 デモをするのですか、しないのですか? (「やります」)。四億双を完成しますか、できませんか? (「やります」)。デモをするのです。デモだけすれば、よいのです。部落ごとに、デモさえすれば、すべて終わるのです。 (黒板に地球を小さく、霊界を大きく描かれながら)地球はこれくらいであり、霊界はこのように大きいのです。それでは皆さん、地上におけるアダム家庭が……。霊界は天使長型です。地上のアダム家庭が、霊界の天使長家庭に負けるのですか、勝つのですか?。このことが心配です。一度答えてみてください。(「勝ちます」) 霊界は、寝ることもなく二十四時間、地上に降りてきて協助しているのですが、皆さんはどのようにするのですか?。寝て、食べて、遊んでと、そのようにするのですか? 「歩き回りながら、寝ないでデモしよう」と言いながら、四十日間寝ないでデモをしようというのです。 四十日断食をしますか?。四十日間、寝ないでデモをしますか?。断食をするのですか?。歩き回りながらデモをするのですか? (「デモをします」)。皆さんは皆、易しい道に行こうとしています。遊ぶつもりなのです。それではいけません。負けてはなりません。霊界に負けてはならないというのです。 できますか、できませんか? (「できます」)。問題ありません。(拍手)皆さん全員に神様の祝福がありますように。 (「神様、お父様、万歳。勝利された天地父母様、万歳。『七・一節』勝利。万歳」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.14
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劉孝元・韓国元協会長の歩み(2)🌺「原理講論」ができるまで❤️闘病生活🚑一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.14
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劉孝元・韓国元協会長の歩み(1)🌻原理講論ができるまで🍊少年時代🔥史吉子夫人の講義から原理講論 三色刷一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.12
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「真の御父母様天宙勝利祝賀」宣布一九九九年六月十四日(陰暦五月一日)ソウルの漢南国際研修院にて「第三十七回真の万物の日」の敬礼式を終えられ、昼十二時にソウルオリンピック体操競技場にて韓国、日本、米国等の全世界の代表一万六千名が参加する中「真の御父母様天宙勝利祝賀」宣布の行事が行われた。その日、午後九時から漢南国際研修院にて、約二十名の指導者たちが参加する中、真のお父様はその宣布に関する総評をしてくださった。表彰牌授与(一)文鮮明総裁が韓鶴子総裁に表彰牌授与表彰牌 世界平和女性連合総裁 韓鶴子貴方は、神様の特命と復帰摂理歴史の結実として結ばれた本然の神様の子女であり、人類の真の母としての使命をもってこの地に来られました。天だけが記憶なさる中、蕩減復帰の苦難の路程を絶対信仰、絶対愛、絶対服従で勝利し、永遠の伝統を立てられました。一九六〇年に聖婚されて以来、天の前に真の子女の使命、夫の前に真の妻の使命、そして子女の前に真の父母の使命を完遂なさいました。神様の復帰摂理と真の父母の復帰の聖業が、霊界と肉界で勝利的に締めくくられる一九九九年、「真の家庭世界化前進大会」を通じて、世界八十か所で「真の父母が伝授する生涯の教本」を万民に伝授なさいました。私は、創造本然のアダム、また人類の真の父として、貴方の労苦と業績を褒め称え、天の前に感謝しながら、霊界と肉界と子孫たちにその治績を称え本牌を捧げます。一九九九年六月十四日(陰暦五月一日)第三十七回 真の万物の日世界平和統一家庭連合世界平和超宗散超国家連合創始者 文鮮明(二)真のご父母様に捧げる感謝牌感謝牌真のご父母様は、神様の六千年の復帰摂理の聖業を完遂され、神様の恨を解怨なさり、人類を救うために本然の真の愛と真の生命と真の血統の主人として来られました。本然のアダムとエバとして来られ、蕩減復帰の路程なく真の父母の道を行かなければならなかったにもかかわらず、キリスト教が準備された責任を果たせないことにより、生涯、血と汗と涙の蕩減復帰の道を歩んでこられました。その結果、サタンから天宙的な長子権、父母権、王権を復帰なさり、人類の前に勝利の手本となる路程を立てられました。霊界と肉界にいるすべての祝福家庭は、天宙に天の主権を拡張なさった真のご父母様に尊敬と感謝と栄光をお捧げし、孝誠と忠誠を尽くすことをお誓いたします。特に、ご聖婚四十年と真のお父様の八十年の生涯の神聖な路程として、全世界八十か所で「真の家庭世界化前進大会」を開催なさり、人類が敬い仕えるべき「真の父母地球星勝利圏」と「天地父母大勝利圏」を相続してくださることに深く感謝し、勝利と栄光を称える本牌をお捧げいたします。一九九九年六月十四日(陰暦五月一日) 第三十七回真の万物の日世界平和統一家庭連合世界平和超宗教超国家連合 会員一同 (三)文氏・韓氏一族が真のご父母様に礼物贈呈 み言 今、霊界から伝達されたルーシェルに関するすべての内容や、霊界に関する深い内容を詳しく知るためには……ここに『成約時代と理想天国』という本があります。ここには「真の父母」という内容が入っており、それから霊界に関するすべての内容が入っています。これは、文総裁の『主題別精選み言集』十二巻から抜粋したものなのですが、その第十一巻と第十二巻に霊界に関する内容が詳しく載っています。 霊界がどのようになっているかについて、これまで五十年にわたって語ってきましたが、それらを記憶している人はいません。そのすべてを『み言選集』から選んで一つに集め、二巻にまとめたので、それを読めば霊界の本質的な内容がどうなっているか、また構造的に霊界がどう発展してきたかという事実が分かるようになっています。 李相軒氏もそのような内容を地上で暮らす間に見てはきたのですが、霊界の事実を信じることができませんでした。先生が語った内容、すなわち「右手には霊界、左手には地上世界をつかんで、堕落した悪なる世界で狂って回っているものを、正しく回さなければならない」というものなのですが、そのようなことが信じられますか? そして、神様の歴史的な摂理観に関しても、堕落から今までの歴史路程において、聖人たちが歩んできたすべての内容を明らかにしたのですが、それを理論的な体系をもって解説することができなかったので、皆、信じることができなかったのです。 ところが、霊界に行ってみると、文総裁の発表した内容が一から十まで、すべて事実であり、間違いないということが分かりました。自分が信じられなかったように、多くの人たちが信じられずにいるので、驚いて責任を感じ、霊界で神様からの命令を受けて、上から霊界全体の組織構造に関して伝えてきたのです。 それが、この李相軒氏の『霊界の実相と地上生活』という本なのです。この本は、第一次伝達としてのものですが、今回、第二次伝達の内容として、サタン・ルーシェルを屈服させたときまでの残された内容を伝達してきました。(※「3月21日、サタン完全(自然)屈服の日(1999年)」) これを知ることによって、今日、地上の世界は……。今日、地上世界の人々は、霊界のことが分かりません。霊界は「未知の事実」になっているのですが、これからは霊界は未知の事実ではなく、霊界がどのようになっているかということが、誰にでもはっきりと分かるようになっているのです。また、どんな原因によって霊界の構成がこのように変遷したのか、という事実も分かるようになりました。 これは、神様の秘密とサタンの秘密を知らなければ解くことができません。しかし、先生は統一教会の原理を通して、神様とサタンの秘密を詳しく明かしておきました。李相軒氏が霊界に行ってみると、その内容がそのごとくぴったり一致していることに気づいて驚いたのです。そうして「この霊界の実相を四十日間伝達しなさい」という神様の特命を受けて伝達してきたのが、この内容なのです。ですから、これは単なる観念ではありません。実際のことであり、事実なのです。そのことを皆さんは知らなければなりません。 今日初めて、このような途方もない信じがたい内容の話を聞いて、驚いてはいけません。それは、私自身が一生の間、蕩減復帰の道を個人的な蕩減復帰から、個人の峠を越えて家庭の峠を越え、氏族の峠を越え、民族、国家、世界というように、八段階の峠を越えてきて、そのような内容を知ることによって解き明かしたものなのです。ですから、単なる観念ではありません。これは実際の内容なのです。 文総裁がもしも霊界に関してはっきりとした事実を知らなかったならば、何のために今日、生涯をかけてこのようなことをするでしょうか? 世界全体の「個人」が、文総裁を個人的に打倒しようとしました。その峠を越えるにあたって、サタンは勝つことができないので、家庭をもって文総裁を打倒しようとしましたが、家庭をもってしても文総裁を打倒することはできませんでした。なぜでしょうか? 理論的に合っている道を行くので、除去できないのです。サタンは、家庭的に全面的な攻勢をかけてきたのですが、文総裁を倒すことができなかったのです。 宗教家として、歴史において私以上に迫害を受けた人はいません。アメリカでは、それがクイズ番組の質問となって頻繁に出てくるのです。家庭的に全生涯をかけて文総裁を除去しようとしたのですが、できなかったのです。そのように親たちが反対してきたのです。 歴史上、親が自分の子を拉致していったという事実は、統一教会の歴史によって始まったのです。それから、氏族、民族、国家……国家を超えて世界、共産主義、民主世界、キリスト教、カトリック、宗派のすべてが反対したのです。しかし、文総裁を除去することはできませんでした。今日に至り、そのように攻撃した側は、神様の前に不従順な立場に立ったことにより、落ちていくのです。すべて落ちていくのです。 国においても、大韓民国を考えてみるとき、八代の大統領時代を経ながら、反対しなかった大統領がどこにいるでしょうか? しかし結局は、国をこんなざまにしたのです。八代をいかに越えていくかということが、問題なのです。 世界だけでなく、地上地獄にいるサタンと天上世界にいるサタン、すべて動員したのです。そのようにして文総裁の勢いを挫こうとしました。しかし、文総裁の思想は理にかなっているのです。内外が合っているのです。神様が公認しているのです。神様が知っています。神様が知っていることは、サタンも否定することができません。攻撃しても除去することができないので、屈服するのです。 それでは、文総裁は争ったでしょうか、争わなかったでしょうか? 争いませんでした。神様の戦略戦術は「打たれて奪ってくる」というものです。神様の創造理想には「打つ」という論理はありません。創造理想の中には、怨警視して、これを鞭打つというような理論はありません。ですから神様も、愛する子女たちすべてを率いてこられましたが、打たれて奪ってくる作戦をとられたのです。神様とサタンの戦略の違いは何かというと、神様は打たれて奪ってくるのです。これを知らなければなりません。サタンの戦略は、打った結果、損害賠償まで加重されて弁償することになるのです。 ですから、文総裁は世界的な迫害を受けましたが、神様の戦略戦術で、打たれて発展してきたのです。打たれて発展してきたのです。 統一教会における今までの謎が何かというと、世界的な迫害を受けながらも、どうして文総裁が世界的な伝統の基盤、世界が驚くほどの基盤を築くことができたのか、ということです。これが謎なのです。それは神様の戦略戦術法に従って成したのです。善なる位置において打たれれば、必ず損害賠償を請求して、それをもらわなければならないのです。世の中がそうではありませんか? サタンの戦略では、打って奪われることになるのです。 このような立場から見るとき、統一教会が正にそうでした。ですから、これまで迫害を受けてきたのです。キリスト教ゆえに迫害を受けました。キリスト教がもし、文総裁と一つになっていたならば、一九四五年から一九五二年までの七年路程で、七年の間に世界を完全に祝福し、サタンの血統を断絶して、神様の側にお返しすることができたのです。しかし、キリスト教が反対したことによって、五十四年間、犠牲の立場を通過してきたのです。そのような立場を考えてみてください。 一世紀の間に、世界の五十億人類のうち、一年にその百分の一が死んでいくとしても、一年間で五千万人が地獄に行くのです。四十年ならば、四×五で二十億、その息子や娘までも含めれば、教十億の人をキリスト教が地獄に送ったことになるのです。そのようなキリスト教が、発展すると思いますか?若い青年男女、六十歳以前の人たちは、すべて失ってしまいました。八十歳の老人が共同墓地の前に行って、「神様、再臨主、祝福が……」と言っているのです。すべて滅びたのです。 結論は簡単です。今日は「真のご父母様天宙勝利祝賀宣布」の日ですが、今では、もう文総裁がすべきことはないのです。すべて終わったのです。人類の願いは何かというと、堕落の殼を脱ぐことです。堕落の殼とは何ですか? 血統が変わってしまったのです。堕落とは何ですか? 男性と女性が性関係を誤ったのです。誰を中心としてですか? サタンを中心としてです。 「アダムとエバが息子、娘を生んだのは、堕落する前か、後か?」と尋ねたときに、「それは堕落する前だ」と言う人はいないのです。堕落したのちに息子、娘を生んだのです。では、その息子、娘を生むことができるように、誰が結婚式の責任をもったのでしょうか? 神様は追い出した者に対して責任をもつことはできません。間違いなく、サタンを中心として結婚式をしたのです。 そして、神様がアダムの心の中に入って、夫婦とならなければならなかったのに、その位置をサタンが占領して、サタンの血統を植えつけてしまったのです。堕落することによって、彼らは下部を隠したでしょう? 口で食べたのならば、口と手を隠すはずですが、口と手は隠しませんでした。そこが血統的怨恨の根拠地となったのです。 神様が人間をつくられるとき、一番苦労してつくられたのはどこでしょうか? 目ですか、口ですか、鼻ですか、手ですか? 人間はそのようなことを考えだこともありませんが、それは愛の根拠地です。愛の本拠地なのです。愛の本拠地とはどこですか? 男性と女性のあの部分のことを言うのです。それが愛の本宮であったのです。そこにおいて男性の愛を知るようになり、女性の愛を知るようになるのであって、それがなくては愛が分からないのです。愛の主人が現れることができません。男性の愛の主人は女性であり、女性の愛の主人は男性なのです。それがあるがゆえに、主人になることのできる資格をもつようになるのです。そのようにつくられたものが、愛の器官なのです。 ところが、主人になるべき立場の神様を迎える愛の基盤となったのではなく、悪魔を迎える愛の基盤になってしまったので、愛の器官は最も憎むべきものとなりました。怨讐になったのです! それは今まで、悪なるものとして扱われてきたのです。その器官を通して愛が連結されるでしょう? 愛が連結されれば、父親と母親の血が混ざるでしょう? どこで混ざるのですか? 口づけをすることによって混ざるのですか? 愛し合うことで、その器官において生命が結合するのです。どのような愛によってですか? 神様の愛によって生命が結合するのです。そこから生まれた息子、娘は、神様の息子、娘であるに違いありません。 ところが、アダムとエバが堕落したのです。エバが天使長、僕とくっついてしまいました。未来の王子になるべきアダムが、神様の体になって天の国の王子・王女にならなければならないのに、その体で僕とくっついてしまったのです。 そうすることで、神様が願われた王子、王女の資格を脱略させ、王子、王女の家庭的な愛を破綻させ、王子、王女以降の王孫を破綻させ、神様が理想とされる家庭、氏族、民族、国家、世界、地上天国、天上天国を破綻させたのです。その元凶が、悪魔、サタンであるということを皆さんは知らなければなりません。 その元凶は、誰の怨讐であるかというと、神様の怨讐であるばかりか、私たち人類の怨讐なのです。言い換えれば、国と国が戦って、その国の王宮にいる王族の王子と王女が、怨讐の敵将に捕らえられて、僕の暮らしをしながら、その僕の世界の子を繁殖したのと同じなのです。王子、王女を中心として、王圏の下でその血統を広めなければならないにもかかわらず、悪魔の王権の下で繁殖した、その群れが堕落した人類だというのです。 ですから、神様は干渉することができません。堕落するのに、なぜ干渉することができなかったのでしょうか?血統が変わってしまいました……。今日、明日にも、神様を中心として結婚しようとしていたのに、その前日の夜にサタンと性的関係を結んだのですから、神様はそれに触れることができるでしょうか? このような怨恨の根拠は、すべてアダム家庭の性的非行によって始まったのです。そこからすべてが蒔かれたのです。それが、エデンの園の堕落した世界の「春の日」でした。 その春の日は、アダム、エバの青少年時代でした。それは、十五歳を越えて十六歳だというのです。もう少しで結婚できる年だというのに堕落したのです。堕落によって誤った血統となってしまったがゆえに……愛を中心として汚された体を、神様は将来、ご自身の体として用いようとされるでしょうか? 霧散となってしまったのです。 これが、人類歴史の堕落の起源です。結婚式を誤ったのです。偽りの父母を中心として誤った結婚式を挙げたのです。いつですか? 青少年の時です。ですから青少年の淪落は、エデンの園で初めて植えられたのです。それによって、アダムの家庭を中心とした神様の理想のすべてが完全に崩れてしまいました。 そのように植えられたもの、そのまま蒔かれたものが大きくなって、屈服の日になれば、このような実が結ばれる時が来るのです。世界的な青少年の淪落を防ぐ者はいません。アメリカ自体に防ぐ力がありますか? ありません。フリーセックスになり、ホモ、レズビアンになりました。めちゃくちゃになりました。アメリカの教育に、アメリカの宗教に防ぐ力がありますか? アメリカの政治や経済の力をもって防ぐことができますか? できません。軍事力をもって防ぐことができますか? できません。完全にお手上げなのです。 それでは、誰がこれを解決することができるでしょうか? 神様だけです。青少年の淪落の種は、偽りの父母が植えましたが、その罪を犯した動因は人間だというのです。偽りの父母であるアダムが、誤ってそのようにしてしまい、無知のままで堕落したので、来るべきアダムはこの地で完全に知らなければなりません。神様の秘密や、神様の完成の基準や目的がどのようになっているか、悪魔がどのような失敗をしたかを詳しく知ることによって、サタンを屈服させることができるのです。 「植えたとおりに刈り取る」と言われているように、エデンの園でアダム、エバが青少年の時に淪落し……世界的に家庭をことごとく破綻させてきたのです。その時が屈服の日です。その時が屈服の日なのです。正にそれが今日の現実なのです。 アメリカの人たちに世界観がありますか? 世界観がありません。国家観がありますか? ありません。社会観もありません。氏族や民族観もなく、家庭観もありません。自らの父親や母親をすべて否定するのです。すべてが個人主義です。個人主義!個人主義とは何かというと、悪魔の立場、天使長の立場に帰ることです。男性が女性を否定し、女性が男性を否定するのです。屈服の日になったので、サタンがその正体を現さなければなりません。 そうして、家庭を完全に破綻させてしまいました。青少年問題、家庭破綻を収拾する道理がありません。サタンも収拾する道理がなく、神様も収拾する道理がありません。神様が収拾することができるならば、既にエデンの園でアダム家庭を収拾していたはずです。手を出すことのできなかった神様が、今、滅んでいくこの世の中に手を出されるでしょうか? これに誰が責任をもたなければならないのでしょうか? 偽りの父母がこのように植えて滅ぼしたので、真の父母が責任をもつのです。無知によって堕落したので、真の父母が完全に知って、神様の秘密、サタンの秘密を知って、サタンを神様の前に告訴してしまわなければなりません。「こいつ、おまえが殺人鬼だったのだな。こいつめ!」というようにです。いくら逃げ隠れしていた殺人犯であっても、証拠を突きつけられれば、法廷に行って自らの罪状をありのままに告白せざるを得ず、判決が下りて、永遠に人間世界から隔離されてしまうではないですか? それと同じことです。全く同じだというのです。 文総裁は、悪魔であるサタンを讒訴することができるのです。讒訴するには、家庭基盤が全体の半分を超えなければなりません。もしもキリスト教が歓迎していたならば、三年半で世界人類を祝福して、天の眷属となし、神様を解放していたのです。それを四十年前に十分に果たすことができたのです。しかし、反対することによって、キリスト教は文総裁を荒野へと追い出してしまいました。 人類始祖の堕落によって恨に満ちた神様を慰労してさしあげなければなりません。アダム、エバが堕落したという、大きな悲しみの釘が打ち込まれている神様を、慰労してさしあげることのできる立場から出発しなければならないのです。そうするためには、そのような悲しみの神様を慰労してさしあげることのできる孝子となり、家庭を代表した孝子、国家を代表した忠臣、世界を代表した聖人、天地を代表した聖子の道理をすべて果たすことのできる立場で慰労してさしあげなければなりません。そればかりでなく、必ずや新しい青少年を動員して、新しい祝福を行い、アダムが破綻させたすべての要素を根絶しなければならないのです。 神様とサタンの闘いを、誰が止めることができますか? ただ何もせずに闘いが終わりますか?神様の前に孝子がおらず、神様の前に忠臣の道理、神様の前に聖人の道理、神様の前に聖子の道理を立て、その国を守ることのできる主流となる愛の体制がなくなってしまったので、神様の立たれる位置がなくなってしまったのです。神様は今まで、囚われの身で、軟禁状態におかれていたのです。 天の国は完全にがらんとしており、悪魔の地獄と中間霊界、楽園があるのです。楽園とは何ですか? イエス様は楽園に行っていますね? 本来は楽園に行くのではなく、天国に行かなければならないのです。イエス様がどこに行っているか、死んでみれば分かります。知りもしないで、何が伝統ですか? 何も知らずにいくら頑張ってみても、路地裏に行くしかないのです。楽園とはどういうことですか? 神様が創造した世界にあって、中間霊界とか地獄などとは一体どういうことですか!堕落ゆえに、その痛みを感じていらっしゃる神様なのです。 アダム、エバは、神様の前に万代の独り子、独り娘なのです。七代続いての独り子や独り娘が死んだときには、国までが弔いの品を贈って慰労するのではないでしょうか? 万代の息子、娘を失ってしまわれた神様をお慰めした人がいるでしょうか? ただ一人、レバレンド・ムーンだけが、アダム以来の堕落の悲しみを抱かれる神様をお慰めすることができるのです。『私についてきてください。私の行く道についてこられますように」と言って慰労してさしあげるのです。 その道を開拓して平和の天国基地まで……地獄の門を打破して、天国の門を開くことができなければなりません。地上世界、霊界のどこであろうと、神様が自由自在に往来できるようにしなければならないのです。地獄という恨の出入口は神様には必要ないのです。そのようなものは、すべて取り壊してしまわなければなりません。それを誰が知っているでしょうか?ですから私たちは、神様が人類の前に立って導いていくことができないということを知らなければなりません。完成したアダムが、偽りの父母であるサタンによって立てられたものを完全に清算し、平地にしてこそ、神様がそれに引き続いて地上に君臨し、万世にわたって万王の王の権限をもち、愛の王権時代の主体的な行使をすることができるのです。ところが、アダムとエバが愛する孝子、孝女になることができなかったのです。神様はどれほど悲しいことでしょうか! その神様を解放してさしあげなければならないのです。 それでは文総裁のしたことは何でしょうか? 地上世界と天上世界、地獄までふさいでいるものを、「グシャッ!」と崩してしまったのです。そうしてハイウエーを築かなければならないのです。平準化しなければなりません。それは地上だけではありません。霊界もすべて平準化されなければなりません。家庭的な平準化、氏族的な平準化、民族的な平準化化、国家的な平準化、世界的な平準化、天宙的な平準化がなされなければなりません。それは何によってなされるのでしょうか? 男性と女性が家庭を築くことによってなされるようになっているのです。 世界の難しい問題の原因は何かというと、男性と女性の二人なのです。男性と女性がもつれたことが、国家や世界に問題をもたらしたのです。天地に問題をもたらしたのです。では、この男女の問題とは何でしょうか? 愛の問題です。愛の問題を誤ったというのです。 それゆえ、エデンの園で偽りの父母によって青少年が淪落し、アダム家庭を粉々に破綻させたことを、真の父母が来て収拾しなければなりません。真の父母が来てやらなければならないのです。神様の愛の血統を伝授して、愛を中心とした生命体になるのです。野生のオリーブの木ではなく、真のオリーブの木になるのです。血統が変わるのです。文総裁は、神様の血統に連結させることのできる理論的体制のすべてをもっているのです。その道を行けば、そうなるのです。それは実証された事実です。 それで今、文総裁が行うことは何でしょうか? この青少年問題を中心としては、アメリカや、ソ連や中国の国々はもちろんのこと、世界を代表する先進国家はすべて手を上げてしまいました。宗教界までも手を上げてしまいました。この問題を解決するための特権を受けた者が誰かというと、文総裁です。文総裁しかいません。 誰も愛の論理を知りません。神様が喜ぶ愛の心情圏の世界を知りません。サタンの悪なる心情圏も知りません。ことの裏表も分からないので、自分の立つべき立場が分からないのです。ですから彷徨するのです。しかし文総裁は、サタンの心情圏、天の心情圏、人類の堕落した怨恨の心情圏を知っているので、どこへ行くべきか、さっと根拠がつかめるのです。 ですから個人的な恨の峠、家庭的な恨の峠、氏族、民族、国家的な……。この四十年間、真の父母の聖婚式を通して祝福してあげることによって、十二の峠を越えたのです。十二峠です。韓国にはアリランという歌があるでしょう? 「アリラン、アリラン……」、それから何ですか? ちょうど十二峠なのです。十二峠を越えて初めて、人間世界と天上世界のすべてに通じるようになっているのです。それで十二峠をすっかり越えたのです。 皆さん、考えてみてください。三億六千万双を祝福することができますか? 一人で百年間しても、できないのです。毎日のようにしたとしてもできません。それは可能なことですか? キリスト教会ではみな「ああ、文総裁は滅びるつもりか! 三億六千万双の祝福をするそうだ。狂っている」と皆が言ったのであって、誰もそれができると思った人はいませんでした。これを知るのは、神様と文総裁とサタンの三者しかいません。 しかし、神様を絶対信仰するレバレンド・ムーンが先頭に立って、反対するすべてを処断してしまうのです。今ではもう、キリスト教はすっかり滅びてしまいましたね? 息子、娘をすべて失ってしまいましたね? 私がすべて復帰して、再び孝子の道理を教えてあげるのです。そのままでは、子女を抱くことはできないのです。何かプライバシー(私生活)、インディビジュアリスト(個人主義者)ですか? すべて滅んだのです。 これらをすべて整理して、個人から家庭、氏族、民族……天国まで、すべての壁を壊してハイウエーを敷設したのです。そこに自動車までつくってあげました。これが原理のみ言です。この自動車に乗っていけば、最高の速度で走ることができます。愛の自動車なのです。その速度は、太陽の光よりも速いのです。太陽の光は、一秒に三億メートルも走るのですが、それ以上に速いのです。宇宙のこちらの果てからあちらの果てまで飛んでいくことができるです。神様の動かれる所は、どこにでも飛んでついて回ることのできる速度をもっています。その速度は、真の愛の速度です。 レバレンド・ムーンを討ち取ろうと、アメリカのCIA(アメリカ中央情報局)やFBI(アメリカ連邦捜査局)、ソ連のKGB(旧ソ連国家安保委員会)があらゆる手を尽くしましたが、今では皆、屈服してしまいました。KGBの世界にも統一教会員がたくさんいますし、CIAやFBIの世界にも統一教会員がたくさんいるのです。「いつそんな基盤を築いたのだろうか」と思うかもしれませんが、それは私が築いたのではなく、すべて天が築いてくれたのです。 ですから、これをすべて清算しようとするのですから、悪魔サタンを屈服させなければなりません。「神様! もはやサタンの行く道は完全にふさがれました。これを清算しなければなりません」と言うのです。そのことを神様はよくご存じです。 今後、四億双を行うのです。四億双を行えば八億人の家庭です。八億人の家庭ならば、一家庭に四人として、四×八は三十二億です。そして、五十五億の人類から三十二億を引くと二十三億です。これは何かというと、神様を中心として祝福圏内に入ったこのような家庭が、すべて血統を清めて、神様を取り囲んで人類の半数以上を超えるのです。 そして、毎日のように数多くの人たちが叫んだならば、反対することなく歓迎するので、いっぺんに国が押し寄せてくるのです。氏族、国家が巻き込まれてくるのです。瞬間的にそのようになるのです。サタンも分かります。そのうちに分かるのです。ですから、神様が勧告されるのです。行くべき道がはっきりしたので、国を立てる前に神様が通告されるのです。「神様の前に、真のご父母様の前に屈服しなさい!」というのです。 そうでなければ、国が設定されたときには、行き場がないのです。公権力によって判定されたときには、底無し地獄に消えてしまうのです。永遠に刑罰を受けなければなりません。それを知っているので、サタンも慌てて降伏、自然屈服するのです。強制屈服ではありません。自然屈服することによって、サタン世界の人類全体が、神様の祝福家庭圏内に入るのです。 今のこの世界の家庭を見ると、自分勝手に結婚した家庭、それから法的に契約結婚をした者たちもいます。最近では、契約結婚する者たちがいますね?「ああ、家庭は嫌だ。息子や娘を扶養する責任は負いたくない。妻にも責任はもちたくない」と言って、家庭を嫌うのです。そのような者たちを、霊界としっかり結びつけなければなりません。 ホモやレズビアンたちは「結婚して何になるのか?」と言うのです。「愛は自分のものじゃないか。趣味で愛し合って、皆それなりに生きて死んでいくのさ。動物みたいに」と言っていますが、そうではありません。しかし、そのような者たちをもすべて引き受けるのです。既成家庭、契約結婚家庭、それから未婚の男女を祝福してやるのです。 未婚男女といえば、キリスト教のカトリックの神父や修道女、仏教の僧侶や尼まで含まれるのですが、独身生活のまま死ぬかもしれないような年齢の人も、すべて祝福してあげなければならないのです。祝福を受けて初めて、真の神様と真の父母の血統を受け継ぐことができ、神様の血統になるのです。葉と枝と幹が根に連結されているように、同じ神様の血統を受けてこそ、一本の木になるのです。今年の統一教会の標語は「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」です。三億六千万双を中心として、神様と真の父母を中心として転換しなければならないのです。すべてが成就しました。それゆえ、サタンがすべて屈服したために、それを宣布しなければならないのですが、神様ご自身が宣布することはできません。堕落の元凶は神様ではありません。アダムです。未完成のアダムが失敗したので、完成したアダムがそれを神様の前に通告し、宇宙的な法として杭を打ち込んでこそ、神様がお越しになるのです。サタンも退いていくのです。そのような式を、今年の五月十四日にパンタナールで行いました。 それを基盤として、お母様が世界的にこれまで……。統一教会も国家もすべて失敗しました。三億六千万双の大転換の時期を中心として、再び真の父母が責任をもつのです。これからは、神様に責任を負わせるのではなく、私が責任をもつのです。全体に責任をもつのです。 それで、サタン世界の最高の階級を中心として、八十か都市で勝利の覇権を手にして帰ってきたので、お母様はついに、お母様としての責任を果たして、神様が公認される位置に、サタンが公認する位置に、人類が公認する位置に立ったのです。キリスト教をはじめとする人類の宗教圏を超え、勝利の版図圏に立ったのです。それで、アダムの前に失敗したエバが、復帰された価値をもって同じ位置に入籍して行動できるという資格を与えるために、これを天地に宣布するのです。それで文総裁がお母様に対して、韓鶴子女史に対して表彰をするのです。 それゆえに、これからは対等な位置に立つのです。男女平等権時代が来ます。愛を中心としての男女平等権時代です。ですから、これからは女性たちを結束させて、男性たちを教育する時が来ました。大統領をはじめとして、男性は皆、浮気者です。金大中大統領のことを言っているのではなく、世界がそうだというのです。私が知っている大統領は皆そうです。 口八丁手八丁の者たちが、女性たちの心情に釘を打ち込んだのです。神様の心情にエバが釘を打ち込んだので、天使長である男性たちによって、エバの心情に多くの釘が打ち込まれたのです。それを抜いてあげる人が誰かというと、お母様なのです。お母様の釘を抜いてあげる人は誰ですか? 文総裁です。エバはアダムを殺し、イエス様を殺し、再臨主を追放しました。エバは、三代の夫を失いました。その罪は赦されません。その罪を脱がせるために、文総裁がお母様を育ててきたのです。お母様を育ててくる間に、どれほど多くの非難を受けたでしょうか。あることないこと、悪魔の頭、色魔と、ありとあらゆる言いがかりをつけられたのです。誰も分からなかったのです。そのような作戦をしたので、生き残ってきたのです。 さあ、そのようなすべてを完成し、お母様を天地の前に堂々と、男性と対等な立場に立たせるのです。それを私が公認するのです。アダムが公認したので、アダムがエバを否定してきたことを肯定し、神様までが公認するので、女性解放がなされるのです! アーメン! 誰が女性を解放するのですか? 来るべき主がするのです! キリスト教信者の七五パーセントは女性です、女性。それを知らなければなりません。女性は新婦なのです。お母様が天理の道理をすべて解かれましたから、今後は自分の弟や妹、娘たちを教育する材料がすべて揃っています。ですから、お母様から教育を受ける女性たちには、理想的な将来の夫や、今後世界の善なる王孫たちに迎えられる日が訪れることでしょう。 それで鮮文大学では「純潔女性大学」を始めたのです。お母様のように美しさと同時に謙虚と威厳を兼ね備え、内外・霊肉の実力を備えて、どこに行っても、壇上に立たせても自信満々に、昼も夜もすべての人を感動させることのできる力をもつのです。そのように女性を解放しなければなりません。ですから、女性たちが自分の国の夫たちを再教育するにあたって、旗印を高らかに掲げるみ業が、これから展開するのです。 ですから、立派な女性がいるならば、大統領選挙に立てて……間違いなく大韓民国にも女性の大統領が立ちます。今はそのような時なのです。女性の国会議員がたくさん出てくる時なのです。統一教会は、今政治活動はしていません。第一、第二、第三を越えていかなければなりません。ですから教育しかありません。 アメリカでは今、統一教会が問題になっています。統一教会の基盤はなんと大きいことでしょうか。野党や与党よりも大きいのです。確かめてみなさい。嘘かどうか、CIAやFBIに聞いてみよというのです。 そのような基盤を築いたので、天の国に行っても引っかかるものはなく、地上の国に行っても引っかかることのない真の父母ですから、「真のご父母様天宙勝利祝賀」の宣布さえすれば、オーケーなのです。神様オーケー、人類オーケー、地獄オーケー、サタン世界オーケー! そのようなことを宣言するのが、今日、一九九九年六月十四日、一時十五分です。では、文総裁がそれを宣布する祈祷をしなければなりません。神様と、真の父母であられる勝利した父母のみ名によって、「神様解放、天上解放、地上万民解放、統一教会解放、反対したサタンまでも解放して、堕落のなかった本然の愛の理想の主権を立てることのできる、平和と天国の統一世界が旺臨するのです! アーメン!」と、祈祷するのです。では、それを歓迎する人は、そのような宣布の祈祷をしますから、全員立ってください。 それを願う人は両手を挙げて歓迎してください。皆さんだけではありません。霊界の数千億の祝福を受けた家庭と、統一教会の数億の祝福を受けた家庭が、この場で文総裁の宣布の内容を聞いて歓迎し、万代の子女たちも、このように両手を挙げて歓迎するという宣誓をするのです。神様の祝福がありますように。 祝祷 神様! 今日、一九九九年六月十四日午後一時十五分を期して、ここに立っている真の父母の名で、パンタナールにおいて天宙解放を宣布し、五月三十日には「真の御父母様東西洋(地球星)勝利祝賀宣布」をした、その基盤の上に、今日は、天地を代表した真の父母の勝利圏を中心として、勝利歓迎宣布をすることのできる途方もなく驚くべき歴史的な時点を迎えました。 お父様…、これはで天の前に人類始祖が罪を犯し……、悲しみの歴史を残したすべてを胸に秘めたまま、誰も願いを叶えてくれない恨の心情を抱いてこられた、お父様であられることを私は知っております。お父様の前に讒訴、呪い、嘲弄してきたサタンを見つめるその心に、どれほど曲折が多かったことかを私は知っております。 それを解怨成就するために、神様は堕落していない本然の完成したアダム家庭を中心として神様の血統が連結された愛の氏族圏を編成なさり、民族、国家を経て、世界の地の上に、地上、天上天国の出発をしようとされたあなたの理想は、完全に水泡に帰してしまいました。 そこにおいてサタン側の国々は分裂した闘争を通して、互いに恩讐、怨讐、怨讐となり、自国第一主義による、自国を中心とした歴史が、多くの血を流してきたという、神様の悲しくも恨めしい歴史過程があったということを知っております。 そうしてキリスト教文化圏、宗教圏を中心として、血を流して犠牲にした血統の因縁による、絶対信仰・絶対愛・絶対服従する群れを通して、個人主義時代、家庭主義時代、氏族・民族・国家・世界主義時代を超え……、屈服の日に、エデンで植えられた種のごとき青少年の愛の倫理を失ったその基地によって、エデンで植えた種が結実し得る万世・万象の終末時代を迎え、どこの国でも腐敗した青年の蛮行は、家庭の倫理全体を破綻させてしまいました。この世の屈服の日に、神様が取り戻そうとされる、エデンにおいて堕落せずに築くべきであった本然のアダムとエバの完成的家庭の倫理がなくなり、家庭基盤が一つもなくなってしまったこの場において、初めて真の父母の継代を引き継ぐために来られたレバレンド・ムーンを通して、青少年時代から壮年時代にわたる受難の環境を経ながら、神様の家庭的な青少年倫理基盤を中心として、破綻した家庭を育成し祝福し、神様の愛の血代を連結させる世界化祝福結婚を通して、血縁的関係が五色人種を超えて兄弟の絆の心情を結ぶことができるようになり、その版図を拡大して四億双を超えることができるという段階にまで至りました。 今や、人類の三分の二に近い勝利の版図を中心として…、サタン的な愛によって血代の結ばれた地獄が編成されたその世界の上に、サタンが絶対的に主管するその世界の上に、囹圄の孤独な身でおられた神様が……、統一教会の真の父母によって祝福された血縁的因縁の関係が四億以上になり、三十二億以上の群れが天を擁護することによって、人類地球星、サタン世界を凌駕し、神様の心情圏を中心としてお越しになられる時代となりました。 そうしてサタンが、ヤハウェのみ名によって屈服するように指示を受けられる慈悲の因縁によって、神様の前に自然屈服し、また、真の父母によって築かれた勝利の覇権の前に、サタンは立つ瀬がなく赦しを請うことによって自然屈服するようになり…、また、万民がこの真の父母の道理に従って真の家庭の祝福の血縁をもつことに対して、サタンが干渉・主管できないと同時に、サタンが秘密として隠し通してきた、神様の心の中、サタンの中に隠されていたものを、すべてあからさまにすることによって、統一教会の原理を知る人ならばどこの誰であっても、一斉にそのことを知ることのできる時代が訪れました。 今は、インターネットを通して一夜にして世界万民がそれを知ることができ、教えることのできる時代となったので、サタンは身を寄せる場がないということをご存じの神様は、サタンまでも哀れみ、慈悲の心をもって赦すことを願われながら、サタンの自然屈服を宣言することによって、サタンが神様の前に屈服し、真の父母の前に屈服し、人類の前に屈服し、自ら服従するようになりまして、はじめて神様の全権的な代行をし得る真の父母がそれに続いて、偽りの父母が立てた破倫的な滅亡の地獄の限界線を取り払い、神様の心情的な愛の血統の権限をもって真の愛の眷属を中心として、神様の血族であるアダム家庭を中心とした祝福ができるようになりました。 これまで十二次の祝福を超え、四億双以上の基盤を中心とした人類の半分にあたる影響圏を超えまして、自由な環境の中で反対を受けずにどこにおいてでも祝福を行い得る自由環境を迎えさせてくださり、この環境的勝利圏をくださったことに感謝申し上げます。サタンが屈服することによって、サタンの一族すべてを自由自在に神様が創造の権限をもって再び収拾することのできる、主体的に能動行使することのできる時代が来たことを宣布し、地球星解放圏を宣布しまして、今日を迎えて真のご父母様天宙勝利祝賀の宣布をするようになりました。これを基盤として縦的、横的な基盤の上に、縦的な基盤として「天宙真のご父母様勝利祝賀宣布」の時を迎えさせてくださった恵みに、お父様……、心から感謝申し上げます。 お父様…、これからはあなたの指導の前に……、サタンが強制的に刑の場に連れていって首を切り、脅迫して地獄に連れていった時代とは反対に、霊界で祝福を受けた家庭が自分の子孫のところに行って、強制的に災いを転じて福となさしめ、地獄に連れていくのではなく、天国に連れていくことのできる自由解放圏時代を迎えましたから…、全世界に彷徨するすべての一族、一門を連結させた国家を収拾し、あなたの愛の血縁を中心として、永遠なる愛の主権の前にお父様の血族となることのできる眷属圏を超国家的に形成し、万民解放、天上世界の解放と共に、真の父母の解放、人類解放、神様とサタンまでも解放し、僕の位置を再び定めることによって、本然の創造理想のすべてを回復することのできる時代を、真の父母がお父様の前に奉献いたしますから…、その実権的な交替された覇権を通して、正義の判断を中心として地上再臨、天上昇天をなし、自主的な主管の善なる愛の王権を立てて万王の愛の永遠なる永生を備えて相続させてくださる、愛の永遠なる王となってくださいませ。 地上では真のご父母様の統治を受け、天の前に孝子の道理、忠臣の道理、聖人の道理、聖子の道理を行く道を示して、万民をお父様の血族と眷属の位置に立たせ、万代に祝福された天国を主管し、地上天国、天上天国を相続する後継者としで育んでいきますから、この特権的な父母の栄光を浴びて宣布の日をお定めになられ、万事がうまく運び、自主的な善の王権を行使なさることを、真のご父母様の前に勧告、勧告、また勧告して宣布し、宣言いたします。アーメン、アーメン、アーメン!(三〇二-二一五、九九年六月十四日) み言-真のお父様の総評 祈祷が総評です。その総評に関して一つ付け加えることは、先生の生涯は、み旨の解放のために生きてきたものであるということです。メシヤの使命は、み旨の解放のために生まれ、み旨を中心とした生涯を通じてみ旨を完成し、解放圏を形成することです。 その解放圏とは、天の国の解放であると同時に、神様を解放することです。その次は、堕落した父母によってサタンの血統となり、自然監獄の世界に入って囚われの身となった者たちを、サタン監獄世界から解放するのです。その次は、万物までも解放しなければなりません。先生がパンタナールに行って、釣りをしたり山を歩き回ったりしたのは、そのような心情的な絆を自然と結ぶためでした。 神様を愛する心、人類を愛する心、万物を愛する心をもって、終着点にそれを結束させ、このすべての蕩減歴史と、すべての経済復帰をなさなければならないみ旨を中心として、今まで歩んできたのです。パンタナールを中心として、一番低い立場に下りてきて、一番高いところに神様のみ旨を連結することのできる……一九九八年五月十三日から十五日までの基盤の上に、今年において五月十四日の「天宙解放宣布」があったのです。それから、真の父母がアメリカに帰ってきた日を中心として、五月三十日にベルベディアで「真のご父母様東西洋(地球星)勝利祝賀宣布」を行うことによって、その基盤の上に横的な立場がすべて築かれました。 それゆえに、その宣布を行うことによって、神様が創造世界の前にあって心労から解放され、エデンの園の家庭をはじめ、あらゆる自然世界において歓迎されるという、そのような蕩減をすべて成しておいたということを、皆さんは知らなければなりません。 今、ここで一つ問題になることは、先生が地上において神様を前に地上で再び紹介しなければならないということです。解放してさしあげなければならないのです。神様をそのままにしておくことはできません。「これがあなたの地であり、あなたの家庭であり、あなたの氏族であり、あなたの民族であり、あなたの国です」と紹介してあげなければならないのです。しかし、その国ができていません。その国の基準を超えていくためには、四億双の祝福を成し遂げなければならないのです。 死んで神様の前に帰っていくとき、神様は私にどのように対されるでしょうか……。解放された神様をお迎えし、父子の関係を地上に定着させようと歩み続けてきた、八十年の生涯が近づくこの時において、今日「真の御父母様天宙勝利祝賀宣布」を宣布することができたのです。勝利の祝賀を宣布することができるというこの事実、神様と真の父母の前に、天地のすべての前に感謝することのできる、そのような条件が立てられたのです。それが、神様が創造して願われたその心を越えに越え、完成したアダム理想の内外の資格を備えたのです。そうして、その世界のページをめくるにあたって、第四次アダム圏の地上・天上天国、家庭ではなく地上・天上天国を根こそぎ相続するその立場、新しい家庭の勝利的基盤を相続するその立場において、新しい第四次アダムの船出を願うのが、真なる勝利の立場に立った、神様の心と真の父母の心であるということを記憶しておかなければなりません。 そうすることによって、アダムの責任である神様の解放……神様の愛以上の心情と精誠を込めて、アダムの数十倍、数百倍の完成の基準を超えたその立場において、家庭を中心として孝子、国を中心として忠臣……聖人、聖子の立場に立って、神様の前ですべてを相続しなければならないのが、真の父母の生涯路程なのです。 そのためには、すべてを捧げなければなりません。捧げることによって、神様がそのような立場で勝利、万世の勝利、永遠の勝利……永遠なる永存なさる神様が、もうこれ以上の勝利はないという立場に立って、相続してくださるとき、堕落の恨をはるかに超えた新しい世界の、勝利の神様の権限を立てることができると見るのです。これが総結論です。(三〇二-二三九、九九年六月十四日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.11
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真の愛の主人に侍ろう聖日礼拝の御言1999年6月13日韓国・本部教会 きょうは、何日ですか? (「六月十三日です」)。六月十三日は、何の日ですか? 去年のこの日は、何の日でしたか? 皆、忘れてしまったようですね。 この日は、歴史的な記念の日であり、さらには、聖人と殺人鬼が一緒に祝福を受けた日です。これは、天上世界と地上世界が分かれ、地獄と天国が分かれていたのを一つにし、標準化させた日です。 地獄にも神様がいらっしゃることができ、天国にも神様がいらっしゃることができ、地獄にも神様の息子、娘が、そして天国にも神様の息子、娘がいらっしゃることができるのです。それは、なぜでしょうか? 神様を中心とした地獄というものは、あり得ません。また、地獄にいる「神様を中心とした祝福家庭」というものがあった場合、それはすでに「地獄の人」というべきではなく、「天の人」であるというのです。その壁をすべて崩してしまった記念の日が、きょうなのです。 皆さんはすべて知っていますが、アダム家庭におけるカインとアベルの問題が問題になるのです。兄が弟をなぐり殺してしまいました。それは神様の悲しみです。それをごらんになる神様は、どれほどぼう然としてしまわれたでしょうか? 歴史の完成というものは、父母が完全に一つになり、それから子女が完全に一つになり、父母と子女が一つになり、それから兄弟が一つになってこそ、創造理想の基盤である家庭となるのです。 しかし、アダム家庭において殺戮戦が起こったという、恐ろしくも驚くべき出来事が起きました。その事実は、神様にとって衝撃的なことでした。それは、理想世界の創造を望まれていた神様の心の中にあって、夜といえば真夜中のような時間であり、悲痛といえば歴史上にない、信じられないほどの悲痛の立場であったのです。そのことを、私たちは今まで知りませんでした。 これは、神様にとっての悲痛な事実であると同時に、アダム、エバにとっても悲痛な出来事でした。なぜならば、アダム、エバが生んだ息子、娘がこのようになったということは、アダム、エバ自体においては、父母の立場に立ったその立場で、長男が弟を殴り殺すという現場を見詰めたということだからです。その立場は、どれほど胸の張り裂けるようなものであったかというのです。私たちは、このことを知らなければなりません。そのうえ、人間始祖が誤ってしまったことを復帰してあげるうえで、神様は介在されることができないのです。 皆さんの子供が罪を犯したならば、その子供に代わって、親がその犯罪の責任を執ることはできません。罪を犯したならば、犯罪のその蕩減は本人がしなければならないのです。人間世界の法もそのようになっています。 私たちの生涯の生活において、道理を立てていくためには、原則があります。それは、「自主的な法を個人から家庭に拡大させ、国家と世界まで守っていかなければならない」というものです。そのような法があるのです。 その法を立てられた神様は、その法を破ることはできません。また、その法の相対になるべきであり、神様の理想的家庭の父母になるべきアダムとエバも、その法を守らなければなりません。 ですから、「カインしか残っていない子供を、アダム、エバが愛することができるのか?」それが問題なのです。愛する心が向かう前に、そもそも弟を殺したカインをどうやって愛さなければならないというのでしょうか? これはもう苦痛です。 それゆえに、再び神様に侍り、理想的家庭に還元されるということを再び望んだとしても、神様の前に立つことのできない私たち人類祖先の姿でした。その姿自体が、悲痛だというのです。 神様の法度に従って家庭の法度を立てなければならない長子が、弟を殺して血を流したのです。そのような殺戮戦が起きたという事実は、歴史上の一つの国、一つの世界、この地上世界が滅んでいくことよりも、もっと恐ろしい結果であるということを、皆さんは知らなければなりません。 ですから「真の愛の主人」になることができるのか、というのです。きょうの題目は、「真の愛の主人に侍ろう」というものですが、「真の愛の主人」とはだれですか? それは神様がなるべきであり、アダム、エバがなるべきであり、アダム、エバを中心としては、その息子が父から「真の愛の主人」を受け継いで、そうならなければなりませんでした。 神様はおじいさんの立場ですが、祖父であられ、天地創造主であられる神様の愛を受け継いで、主人となるべき家庭的基盤を持つことができなかったという事実が、人類堕落の恨であったというのです。 考えてみてください。皆さん自身を、神様の位置を代身し、アダム、エバの家庭を代身した立場に置き換えてみたときに、どうでしょうか? 自分が生んだ息子、娘がそのような殺戮戦を起こしてしまったのです。 それは、だれのためにそのようになったのでしょうか? 弟のためにそのようになったのは事実ですが、弟のせいでそのようになったというわけでもないのです。アダム、エバのゆえにそのようになったのでもなく、神様のゆえにそのようになったのでもありません。 それは、サタンが天の家庭をすべて破綻させるために語った、「別の主人の言葉」に従ってそのようになったのです。その事実を、今まで歴史的時代を経てきながらも、堕落した後孫である人類は知らないでいたのです。 主人である神様を、真の主人を追放してしまい、真の主人の理想を成し遂げることのできるアダム理想を完成した家庭、愛の家庭までも追放してしまいました。そうして、神様とアダム、エバが一体となり、その孫、三代が一体となって、三対象目的を成さなければならないのですが、そうなるべきすべてのことを破綻させた元凶があったという事実を、今も知らずにいるのです。 その元凶はサタンです。それが偽りの父母となり、偽りの愛を中心とした偽りの生命、偽りの血統を中心として、神様と神様が願われる家庭とは根本的に反対の立場から人類歴史が出発したのです。それは、私たちがよく知っている事実です。 それでは、「人類」というとき、その人類はだれに属しているのでしょうか? 神様に属しているのではありません。その根は大きいことは大きいのですが、その根が腐ってしまったのです。 それは何の根でしょうか? 中心の根が腐ったのです。中心の根が腐ってしまったので、中心の根が死ねば、芽も死なざるを得ません。そのような立場でサタンは、天に最後まで反対していくのです。 実を植えたのですが、これが悪い実であり、悪い芽が出、悪い枝から悪い幹、悪い根、悪い芽が出て、そうして悪の中心の根、悪の中心の幹、悪の中心の芽を中心として、人類歴史が発展してきたというのです。 ですから、枝という枝は、本然の根を尋ね求めようとしても尋ね求めることができないのです。根が腐ってしまったからです。中心の根がなくなってしまったというのです。 中心の幹を求めることができず、中心の芽が何であるのか分からない混乱した歴史過程を経てくることによって、その渦中にいる私たち人類は、祖先から今まで、だれ一人として自信を持って、この地の主人としての資格を感じることができませんでした。そうして、自信ある主人を捜し求めるための、自信ある、愛する世界につなげることのできる道を捜さなければならないのですが、それをすべて失ってしまったのです。 それでは、このサタンは何者なのかというと、それは天使長なのです。しかし、その僕になるべき天使長が、人間の祖先の位置に登場したという、恐ろしくも驚くべきこの事実。これは、言葉の上だけのことではありません。事実なのです。 例えば、王宮を中心として見てみましょう。将来の王様が今、成長期にあるとします。そのようなとき、神様は、その将来の王様にとって王妃になることのできる、女王になることのできる女性を準備して育てていかれる、そのような神様なのです。そして、その王になることのできる人はだれなのかというと、それはアダムであり、王妃になることのできる人はだれなのかというと、エバであったというのです。 そのような「王宮実践」というべき、家庭的基盤を成就しようとされた神様のみ旨であったのですが、その過程において何が起きたのかというと、王女と僕が不倫な貞操関係を結んでしまったというのです。これが大きな問題です。 ですから、王家の相対になり、愛の囲いとなり、愛の赤ん坊を育てることのできる母のような立場に立つべきエバが淪落してしまったので、王との間のことは、すべて壊れてしまったのです。 しかし、そうであるからといって、女性は二人ではありません。たった一人なのです。男性も二人ではありません。たった一人ずつしかいないのに、その一人の男性と一人の女性は、神様のみ旨とは正反対の血統を受け継いでしまったのです。その事実が、億千万世の恨であったというのです。 神様が、今まで復帰してこられながら、地上天国を完成し、解放された愛の主権を取り戻されたとしても、過去の出来事を、その歴史過程に残したすべての傷、痛みの傷を消すことのできる道はないということを知らなければなりません。 今日、求道のその道を求めていく人間たちは、どこを尋ねていくのかというと、本然の主人、真の愛の主人を尋ねていくのです。そして堕落する前のアダム、エバこそが孝子となり、忠臣となり、さらには聖人、聖子の伝統を立てるべき家庭であったのです。 ところが、この家庭が破綻することによって、天の国の血族的基盤を喪失するとともに、未来の歴史の家庭的伝統、それから国家的伝統、世界的伝統、さらに天の国の伝統、主人としての神様の姿勢を備えることのできる愛の主管的天下、地上、天上天国を失ってしまったのです。 その事実が、どれほど悲痛な事実であるのかということを知らないのです。それは、アダム、エバは分かりません。アダム、エバは、堕落したためにそれが分からないのです。今まで、「父母ならぬ父母」であるサタンが導くままに引っ張られてきたのです。ですから、エデンにおいて青少年が過ちを犯して罪の種をまいたので、家庭が破綻して逆さまになったのです。逆さまに引っ繰り返ったのです。引っ繰り返ったこの家庭的血統を受け継いだ人類は、行くべき道を見いだすことができません。行けば行くほど、落ちて下がっていくのです。 その後は、どのようになるのでしょうか? 愛の理想を中心として見た場合、その完全破綻時代が来るのです。世界は、聖人の道理を通して国まで復帰してきましたが、その国のみ旨を忠臣が受け継いで、総合的な収拾をすべきなのが、宗教圏を代表したキリスト教です。 キリスト教は、何を教えてくれたのかというと、(イエス様が)「神様の独り子」ということです。その神様の一人息子を失ってしまったことを復帰しなければなりません。そのような思想がキリスト教にあるというのです。この堕落の根源を解消させるための内容を分析してみるとき、長子権の愛の主体となる存在を、今まですべて失ってしまったのです。 それでは、創造歴史がアダムをつくり、エバをつくったのと同様に、今までの人類歴史は、何を尋ね求めてきたのでしょうか? それは、失ってしまった一人の完成したアダムを尋ね求めてきたということを知らなければなりません。それがメシヤなのです。 それでは、キリスト教がすべての宗教の中心になることができた、その理由は何かというと、イエス様が、自らを「独り子である」と言われたということです。それは、驚くべき言葉です。それは、「神様の息子の中で最初に生まれた息子」ということです。それは何かというと、堕落しなかったアダムが備えるべき位置のことだったのです。 「独り子」というのは何かというと、「神様の愛を受ける代表者である」ということです。それをアダムが完成することができませんでした。そのように、神様が天使長を中心として、僕にアダムを育てさせていたその過程でアダムが堕落したので、神様とアダムとは愛の関係を結んだことがないのです。 願われ、希望の中でアダムは生まれたのですが、愛の相対として、その家庭を代表した長孫として、神様の愛を受けることのできる歴史的な内容を備えることができなかったという事実です。 それを代身して、旧約時代、新約時代、成約時代まで迎えながら息子を尋ね求めてきたのです。そうして、家庭において失ってしまった愛の主人の立場を立てるのと同時に、それを氏族、民族、国家、世界的版図に拡大させていこうとするので、ここに選民というものが出てくるのです。 信じることができない世の中です。堕落していない本然の世界において、僕であるサタンがアダム家庭を占領してしまいました。本来、神様が主人となられるべき主人の立場を、愛を中心としてサタンが占領して主人となったのです。血統を連結したのです。血統です。そうして逆さまになってしまったのです。 それゆえに、女性は歴史上、数多くの愛の夫を……。自分が生まれた赤ん坊時代、それから兄弟時代、このようになります。それから夫婦時代、父母時代、その次は祖母時代、女王時代、これらをすべて失ってしまいました。ですからエバは、それらを復帰しなければならず、そのことは腹中時代、つまり母親のおなかに宿ったときから定められているのです。 エバが生まれるのは、だれのためでしょうか? アダムのためです。アダムの何ですか? アダムの愛のために生まれたのです。そして、愛というものが備わることによって、エバは愛の女王の位置に立つことができるのです。その女王の位置に立つためには、アダムが王にならなければなりません。その王圏というものは、アダムを中心とした王圏ではありません。それは、天地を代表することのできる神様の王圏のことです。 ですから、神様の愛まで連結させることのできるアダムにならなければなりません。そうして完成した愛を定着させ、神様の代わりに「あなたを祝福することができる」と言える夫婦の因縁までが地上に定着しなければ、人間は真の愛の主人の立場を永遠に迎えることはできないというのです。それで、神様はこれを準備されるために……。 落ちるときには、どのように落ちたのでしょうか? 逆さまに落ちたのです。天の国の王圏と天の国の王宮と天の国の忠臣、天の国の法と天の国の王宮法を守るのが「聖子」です。「聖子」は、天の国の王宮法も守らなければならず、天の国の国法も守らなければなりません。ところが、神様の王圏を中心とした皇族圏が撤廃されており、それから天の国の伝統を立てることのできる王家の長孫がいなくなり、すべてが逆さまになったのです。 落ちていくときに、逆さまに落ちていきました。そうして一番最後に残ったのは、万物が残ったのです。万物をつくり、それから人間をつくり、人間をつくって完成し、天の国の王圏、地上の国の王圏、神様まで連結させることのできるものが、すべて逆さまに落ちていったのです。 そうであるからといって、神様が地獄に入っていかれることはできません。地獄に入っていったのは、ただ堕落した人類の祖先と万物全体であり、それが地獄の真ん中に落ちていったのです。ですから、神様の前に一番近いのは万物です。逆さまになったからです。それで、橋を架けて上がっていこうとすれば、人間は万物を崇拝しなければならないのです。 そうしてシャーマニズムによって、ありとあらゆる自然を崇拝したり、山を崇拝したりと、このようにしているのです。このように逆さまに落ちたので、すべてがサタンのものになりました。神様は、手を出す道がありません。愛のためにつくられたこの被造万物であり、愛のために生まれ、存続する万物なのですが、愛の根となるものが切れてしまったので、幹も芽も生じるすべがないのです。分かりますか? 残ったものは、死んだ骸骨のようなものが残ったのであり、神様の愛される人間たちは、すべて地獄にのみ込まれ、水の上に浮かんでいるのは、すべて万物であるというのです。 それで、橋を架けるのですが、それは何でしょうか? 万物を愛することです。そうして再び神様が、万物を愛することのできる位置に来られるのです。それゆえに、「十分の一条」という言葉が出てくるのです。 九数はサタン数です。賭博場に入れば、九数が一番良い数なのです。九数はサタンが好むようになっており、十数のうち最後に一つ残ったこの部分、万物の標題であるこの一つが、神様の愛で対されることのできる糸口として残ったというのです。 このことから、神様が万物の創造を始められたときの、その本性的な心である愛自体についても、同じことが言えるのです。つまり神様は、万物全体に対して「わたしがつくった」という概念を持たれることができないのです。それは、どれほど悲惨でしょうか? 天宙を創造された主人の中の主人であり、愛の王であられ、王圏を立てられようとする、そのような主人自体が、完全に逆さまに打ち込まれてしまったのです。そうして万物の十分の一という条件を見詰め、自分の所有の基準を中心として、血を流す役事を通して万物を犠牲にさせ、今まで血を流させてきたのです。しかし、それはそうなのです。すべての草木はもちろん、動物たち、すべてを祭物の犠牲としてささげるのです。 それでは、神様はどのような主人となられたのでしょうか? ご自身が創造された被造世界の前に、十分の一の主人の立場に立たれたというのです。神様がそのような立場に立たれたという、無念で痛憤なる事実を、皆さん、考えてみてください。 万物を所有したときに、「それは自分のものである」と言って、「世界版図の十分の一を所有した」と主張した場合、そのためには個人的な所有の十分の一、家庭的な十分の一、国家的な十分の一、世界的な十分の一、天宙的な十分の一の所有権へと拡大できる基盤を復帰しなければならないのです。そのようにして基盤を再びつくられなければならない神様は、どれほど悲痛な立場にいらっしゃるのかということを、皆さんは知らなければなりません。 今日のこの世の中で、国を失ってしまった悲惨な皇族がいたとします。行く道がなく、彷徨する彼らには、それでも民族の同情を受けることのできる基盤があるかもしれません。しかし、神様にはそのようなものもありません。万物までも同情することができないのです。すべてがサタン圏内に入っていったからです。それゆえに旧約時代は、万物を割いて祭物としたのです。 そうして、イスラエル選民圏が現れました。そのイスラエル選民という、神様が選ばれた民族というものが現れたので、旧約時代の祭物圏も成立したのですが、イスラエル民族がいなければ、祭物圏を中心としたイスラエル国の万物、イスラエル国の家族の万物を連結させることのできる版図がなくなるのです。 それゆえに、選民圏を捜し立てるために、二千年以降にヤコブ家庭を中心として、複雑な闘争過程の蕩減復帰路程を立てて還元するための基盤の下で、旧約時代は祭物を中心として息子、娘が行くことのできる橋を架けてきたのです。そのようにしながら、祭物的な所有を経て、個人的な祭物圏世界を代表した基盤の上で、家庭的な祭物圏、氏族的な祭物圏、民族的な祭物圏、国家的な祭物圏まで来たのです。 しかし、サタンが国家を中心としてすべてを占領したので、主人の位置を克服するためには、国家的な祭物圏まで行かなければなりません。そのためには、イスラエル選民圏において寵愛されたすべての貴い万物を、まず祭物として考えたというのです。 土地があって農作業をしたり、牛がいたりしたならば、そのすべての良いもの、息子、娘がいれば、良いものはすべて祭物的なものとしてささげなければなりません。そして祭物をささげるうえにおいては、最も良いものを犠牲にして血を流すようにし、そうしてだんだんとイスラエル民族は大きくなっていったのです。 そうすることによって、万物の中で主人的な資格を得、万物の主人としての立場を拡大させていき、旧約時代に祭物の血を流して天の側に立ったのが、イスラエル民族でした。そのような彼らが絶対信仰を持ち、神様を愛する心を持ち、神様の前に心が一致し得る立場で、祭物を神様におささげするのにふさわしいように、精誠を尽くして一つになることによって祭物がささげられてきたのです。 そのような祭物的条件を通して、所有権を主張しなければならないという、その神様の悲痛な事実。神様は、万物を通してアダム、エバをつくられました。それゆえに万物を犠牲にして息子、娘の道を開いてこられたのです。そうして個人から家庭を超えて、国家的基台、ローマ帝国を相手として、二千年歴史を切り開いて国家形態と家庭的形態をつくられたのです。 しかしそれは、純粋な「真のオリーブの木」ではありません。「偽りのオリーブの木」です。血統が違うのです。分かりますか?それで、万物と一体となることのできる基準が、国家基準からサタン世界としてのローマとなり、そのローマにあるすべての万物よりも神様が愛されることができ、神様の代身として息子の位置で愛することのできる万物をつくることが求められました。そこで、神様の前にその万物を接ぎ木しなければならなかったのが、イスラエル民族だったのです。 ですから、イスラエルが所有したすべての万物があり、息子、娘がいて、家庭があるならば、それはイスラエル民族の所有ではないのです。イスラエル民族の所有となるためには、まず神様の所有として認定され得る過程を経なければならないのですが、神様の所有圏の決定的判決は、イスラエル民族をもってしてはできません。それは国家なのです。 皆さん。原理主管圏内において、直接主管圏と間接主管圏の限界線は、蘇生圏、長成圏が国家基準なので、サタンは国家を中心とするのです。ですからそれは、神様が摂理上、復帰なさろうとして立てられた宗教、天の前に帰ろうとするすべての人々にとっての怨讐になるのです。芽さえ出れば、切ってしまうのです。 それゆえに、宗教と政治は怨讐となり、サタンは国家形態というものを置いて、政治というものを中心として多くの血を流してきたのです。それは、なぜでしょうか? 祭物は血を流すからです。祭物に適さなくなれば、その実体が祭物にならなければなりません。 それで、旧約時代に万物の犠牲を通して、神様の所有圏を守ることのできる主人の位置を占有するのです。主人の位置は、天使長よりも高くなければなりません。分かりますか? 祭物をささげることのできる祭司長は、天使長世界の愛以上の位置に立たなければ、天使長世界にいるものよりも高い位置に立たなければ、神様は手を触れることができないのです。 それが原則であり、すべてのものは、そのようになっているのです。それゆえに、祭物とは何かというと、所有を決定するための条件物なのです。そこに「絶対信仰」、「絶対愛」があるのです。神様が創造されたのと同じです。その時代も同様です。 祭物に対する人も、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」です。なぜ、そうでなければならないのでしょうか? 神様ご自身が創造なさって出発されるとき、全知全能の神様が語られたならば、間違いなくそのとおりにそのまま成されるというのです。み言のとおりに実体が生まれるのです。 神様は、「絶対信仰」をもって創造されたのです。自分が「このようにする」と言えば、その言葉のとおりになるのです。霊界に行っても、そうなのです。「絶対愛」の心情を持って言えば、自分が願うとおりにすべて創造してみせることができるのです。それは、なぜでしょうか? 神様の伝統がそのようになっているからです。 「絶対信仰」を中心として三大原則です。「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」です。「絶対信仰」には、「絶対愛」がついてくるようになっています。今日の堕落した世界でも、新しく結婚した夫婦が出会って約束をするとすれば、「私を絶対に愛しますか? 絶対に信じますか? 心と体で私を信じてください」と言い、「絶対に信じますか? 私の体を信じ、私の心を信じますか? 心と体が一つになったことを信じますか?」と言うのです。結婚した人々が、出発当時にお互いに決意したいことは、そのような心なのです。それは、なぜでしょうか? 「絶対信仰」の中での「絶対愛」なのです。 そのために、祭物的なイスラエルの二千年歴史を経て、イエス様が来られるときまで待ったのです。イエス様はどのようなかたであられるのかというと、イスラエルの祝福圏の上に来られたかたなのです。ローマの国に対抗することのできる主権はありませんが、民族的な所有物はどのような万物よりも、どのような人よりも一つになって愛する基準があるのです。 それは、天使長よりも高くなることのできる孝子の位置であり、忠臣の位置です。そのときは、聖人ではありません。忠臣の位置です。聖人は世界を代身するのです。ですから、忠臣の位置まで出ていかなければなりません。 そして、サタン世界における今までの四千年歴史の中で、どのような国の忠臣、国の孝子以上に、その国の主権を愛し、その国の人を愛し、その国の万物を愛するのです。 「国」というときには、主権がなければなりません。主権の中心は何かというと、真の愛です。真の愛を中心とした国家形態、真の愛を中心とした国です。 真の愛には、神様が介在して入っていかれなければなりません。今日の堕落した世界では、「真の家庭を成して暮らしている」と言っています。しかし、「それでは、あなたの家庭に神様は介在していますか? そして真の父母が介在し、神様の血統と真の父母の血統が介在している夫婦なのですか? あるいは今、デートしている相手なのですか?」というとき、そうでなければ、すべて地獄に行くのです。分かりますか? 「真の愛」というときには、何が介在しなければならないのでしょうか? 真の愛を通して、真の生命が連結されなければなりません。真の生命とは何でしょうか? 父親と母親の生命を結合させることのできる力は、母親の力でもなく、男性の力でもありません。父親と母親を一つにすることのできる根本的なものは、愛の力であるというのです。 男性と女性は、なぜ一つになるようになっているのでしょうか? 根本的な愛の力で一つになることのできる創造的原則があるので、男性と女性が死に物狂いになるのです。初愛の喜びが発展して、無限な神様に侍って暮らすとき、神様が私のことを逃がすことがないように、千年、万年ついてまわることのできる愛の相対的価値を備えるべきです。それが、男性と女性が愛する相対圏なのです。 そうであるにもかかわらず、この相対圏が堕落したその日から、上がるのではなく落ちていき、動物的な愛以下の醜態を演じ、めちゃくちゃに堕落したのです。最近では何と言うのですか? 「フリーセックス」ですか? エデンの園に「フリーセックス」という概念があったでしょうか? 狂った者たち、それらをすべてごみ箱に入れて、火で燃やしてしまわなければなりません。 また、ホモです。ホモとは何ですか? 男性同士で愛の行為をするのですか? それは何をもってするのですか? レズビアンが、女性同士で愛の情欲の行動を成し得るのですか? 何をもってするのですか? 深刻な問題です。エデンの園にフリーセックスがあり、ホモやレズビアンがいたのかというのです。アダム一人、エバ一人の二人しかいないのに、そのようにしようとすれば、動物と関係を結ぶしかないというのです。 動物よりも卑賤な人間になってしまいました。このごみのような者たちを、一度に火で焼いてしまわなければなりません。地獄の落とし穴に、一度にすべて入れて、大切なものだけ残して、がらくたや不合理なものは、すべて地獄の穴に投げ入れるべき、そのような人間像になったというのです。 神様が、ここに手を触れられることができるでしょうか? エデンの園では、アダム、エバが純潔な神様だけを信じてついてきたのです。その中で、偽りの主人と因縁を結んで追放され、逆さまに差し込まれたそのような人間像に、また、そのような堕落した世界で結実した人間世界に神様が介在されることはできないのです。それは、原理原則であらざるを得ません。そのような事実を知らなければなりません。 しかし、これを救ってあげるために、神様は再創造の役事をしてこられたのです。そのために数多くの宗教があるのです。儒教のようなものは、「元亨利貞は天道の常であり、仁義礼智は人性の綱である」といい、「三綱五倫」を説きましたが、「天」という人格的な神のことが分かりません。今の中共がそうです。「神」というものを「宇宙を運行させ、原則的な作用をする、その本体である」と漠然と考えていますが、神が人格的な存在であるということが分からないのです。儒教はそうなのです。 「三綱五倫」の中において、「父子一身」、「夫婦一身」と唱えていますが、「兄弟一身」とは唱えていません。平面的な思想しか分からず、人格的な神を知ることのできる内容がありません。 また、仏教は「法」を説きます。自然現象が動く、そのすべてのことを結果を中心として論じているのです。ここには「闘争概念」があります。仏教は、そうなのです。自然のすべてのものについて、「弱者は強者の前に犠牲になっていく」ととらえるのです。 実際に、すべての現象的な立場は、そのようになっているのです。そのように説きつつ、霊界は雑霊界に通じているのです。多くのシャーマニズムが、そのような基盤から生じてくるのです。イスラム教は、イエス様が亡くなられた後のバラバを中心としたものであり、イスラエル十二支派の選民圏を奪い取りました。 そのような宗教の中に四大宗教があるのですが、この四大宗教の中で、どの宗教が神様のみ旨に残るのでしょうか? それは、神様がおられる限りは、愛を中心として、人格的「神人愛」を中心として主人の位置に行こうという宗教が、人類歴史において世界を収拾することのできる一つの中心宗教にならざるを得ないというのです。 メシヤには、二人がなることはできません。メシヤは一人です。メシヤとは何かというと、「真の父母」のことをいうのです。アダム家庭において、アダム、エバが成し遂げることができずに追い出された、その起源的な根本を充当して、神様をお迎えすることができなければなりません。 追い出された神様は、追い出されていない息子、娘よりも、死んだ息子、娘が生き返ってきて、「死ぬ前の息子、娘よりも千倍、万倍良い」と言うことのできる息子を喜びをもって迎えることなくしては、手を挙げて喜ばれて、万歳を叫ばれることはできないのです。人類は、そのような、とてつもない過ちによる死亡の波を神様に被らせているのです。そのことを、今まで知らずに生きてきたのです。 ですから、どこに行っても嘆息しかありません。生まれながらにして嘆息であり、生きていながらも嘆息であり、行きながらも嘆息であり、死んだならば、さらにもっと嘆息なのです。死んでみると、二またの道があり、天国と地獄が間違いなくあるのです。これをどのようにして収拾するのでしょうか? そのようなものを見詰めているサタンは、「神様がいくら優れておられるといっても、このようにめちゃくちゃになった世界に、あなたの愛の理想を成し遂げることができ、長子権の愛の理想、創造本然の基準に一致することのできる家庭と国家と世界を、このように滅んだ世界の上に成すことはできません。ですから、神様は苦労なさらずに、今からでもアダムの代わりに私を立ててくだされば、アダム以上に私が孝誠することのできる道を知っています」と言うのです。 アダムがいません。アダムといっても、「おい、こいつめ! と言われて、追い出されてしまうアダムであるというのです。そのような、さんたんたる讒訴を受ける歴史時代を経てきたというのが事実なのです。 王が怨讐に捕まえられていって死ぬときには、敵側の王に直接、殺されるのではありません。一番の悪党に殺されるのです。そうではないでしょうか? 神様もそのような冷遇を受けてこられたというのです。そのような天に侍るべき忠臣の姿勢と孝子の姿勢、聖人、聖子の姿勢というものが、どれほど厳粛なものでなければならないかということを、皆さんは考えてみましたか? めちゃくちゃです。 皆さん、今日の堕落した世界の人間たちが……。大韓民国が天国なのではありません。いくら祈祷しても、神様が「よし! 私が願っていた祈祷だ」と受け入れることはできません。また、私たちが願ってきた「所願成就」を知ることのできる存在、それを神様の位置にまで届けて、人々を結束させることのできるような存在が、だれもいないというのです。ここはサタンがふさいでいます。サタンが破壊してしまったのです。 サタンは、血統を通しては人類の父の立場に立ちましたが、それは怨讐の国の王を泥棒してできた息子、娘と同様です。しかし人間は、愛するときには祖先を尋ね求めていくのです。本性の愛の起源は天に通じているために、本当の父母の心を持って愛するようになれば、自分でも知らずに神様を尋ね求めていくのです。 血統を見れば、サタンの息子であるのにもかかわらず、そのような怨讐の中の怨讐の子女を育て、これを売ってしまうために……。売ってしまおうとしても、売ってしまう所もありません。こうして、神様が願われる地上天国理想を滅ぼすために、根本的に絶滅させるための悪業をサタンがするのです。 ですから、終わりの日とはどのような日なのでしょうか? エデンで起きた惨状が、そのまま世界化された世界になるのです。昔のエデンにおける、神様の悲惨な立場とは、どのようなものであったのでしょうか? それは、息子、娘を追放してしまわれなければならなかったことです。 今、神様が大韓民国に来られるとしたならば、大韓民国にいる四千万、北韓まで合わせて七千万の民を中心として、神様が「自分の息子である」と言われることのできる人はいません。これは、アダムよりももっと悪いので、地獄の中の地獄に投げ入れなければなりません。 このような恨に満ちた歴史をすべて整理し、本然の神様が主人になられることのできる、愛の主人となられることのできる世界を取り戻し、創造当時の「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」を取り戻さなければなりません。 ところで、なぜ、「服従」なのでしょうか? 愛の相対は、自分よりもりっぱであることを願うのが天理です。それは「原理」ではありません。「天理」なのです。「天理」は、神様の法のことをいうのです。 皆さん。若い男女が結婚するときは、自分の相対が自分よりも劣っていることを願いますか? それは千倍、万倍、億千万倍、無限な億千万倍の存在になることを願うのです。そうでしょう? それは何かというと、妻と息子、娘のことです。 人間の願いの中で、最終的な願いとは何でしょうか? 人間が、自分よりも億千万倍優れていることを願うものが何であるのかというと、それは自分の相対と息子、娘なのです。それは正しいですか? 皆さん全員、そうでしょう? いくら醜女としてこの世に生まれたとしても、自分の相対には王の中の王を願い、最高の美男子の中の美男子を願っているのです。 それは何かというと、神様がそのような立場にいらっしゃるので、そうなのです。相対的理想は絶対者であり、一人しかいらっしゃらない神様であられるのです。また、神様が相対されることのできる相対も、絶対的に一人なのです。その絶対的に一人であるものが、神様よりも劣っていることを願ったりはしません。神様よりも億千万倍りっぱであることを願っていらっしゃるというのです。 それでは、私たち人間のそのような属性は、どこから出発したのでしょうか? それは、神様に似たのです。堕落したとしても、十六歳まで育ったアダムの心の本性の基準には、神様に似た性質がすべてあるのです。それは電気に関連づけてみれば、絶縁体をかぶせられて作用できないということと、全く同じであるというのです。このような驚くべき事実。 このような問題を、今日、先生は幼い時から研究し、霊界とぶつかりながら、このようなすべてのことを尋ねていったのです。その「全勝的な記録」が原理のみ言であるということを知らなければなりません。それは、漠然とした言葉ではありません。 李相軒氏も、この地上で生きながら、先生を百パーセント信じることはできませんでした。「右手は霊界をつかみ、左手は地上をつかんで、逆さまに戻さなければならない責任が真の父母にある」という言葉を、「それが何のことを言っているのか?」と思いながら、信じることができませんでした。 真の主人に侍ることのできる最初の人は、だれでしょうか? 神様が心の位置にいらっしゃるとするならば、神様の心を中心として、神様の体がまず侍らなければなりません。そうでしょう? そうではないですか? 私たちの心と体は、二重的な人格になっています。心は何ですか? 縦的な主人です。神様の血統を受け継いだからです。体は何ですか? それは完成したアダム、横的な血統を受けた「私」です。 仏教でいえば、「良心とは何か?」と座禅をしますが、仏教では、それが何なのか分かりません。「私」には、二人の主人がいるのです。一人は、垂直に受け継いだ神様の血統ですが、神様の血統だけがあってもいけません。 神様の血統を中心として、垂直線の前を横切って東西南北に分かれ、すべて中央の垂直線に通じることができ、垂直線に連結されている水平線があるのです。それは皆、垂直線と九十度になっています。 東も、西も、南も、北もすべて九十度を中心として、一つの垂直線を中心として、距離が同じ円形になるときには、すべてがイコールなのです。それは、電気を流しても負荷がかかりません。どこに行っても、百ボルトなら百ボルトの電気がそのまま流れていくのです。 それゆえに平等であり、標準であり、同和するというのです。南は「北が分からない」とは言いません。そして上弦、下弦、右弦、左弦、前弦、後弦が、すべて自分の相対的関係を中心として和解し、授け受けすることができるように自然的な循環環境が成されるので、負荷がかからないのです。 このような言葉は電気の用語なので、よく分からないでしょう? しかし、高等学校さえ出ていれば、皆、分かるのです。このように見るとき、神様はどのようなおかたなのでしょうか? 私たち人類の先祖です。皆さん、そのことを知らなければなりません。 神様は、どのようなかたであられるのかというと、「本性的父親」なのです。分かりますか? 堕落前のアダムとエバが、そのまま堕落せずに、神様の天理的なすべての愛を一人で受けることのできる独り子、独り娘の立場に立って、その立場で呼ぶ父親が神様なのです。 海に行けば、鮫なども、その種が生じてから二億五千万年、鯨は二億年以上です。大きい動物は、そのような長い歴史時代を過ごしてきたのです。二億五千万年です。地球の年齢は、四十五億年から四十七億年までとされています。 そこで、神様が万物の主人である人間をつくられるうえで、その必要条件として巨大な万物をつくられたのが二億五千万年前であるとしてみましょう。そうであるとするならば、万物の主人を迎える準備のために費やしたその二億五千万年を度外視して、アダム、エバを今から六千年前につくられたというのでしょうか? それは、見当外れも甚だしいことです。 それでは、二億五千万年前に万物をつくられたとするならば、神様は万物をつくられた後、その主人たり得るアダム、エバを今から、何年前につくられたのでしょうか? 動物の主人を立てるのですが、準備したその動物を管理することのできる主人をつくろうとすれば、管理者を直接、すぐに立てられたでしょうか、何億年も過ぎた後に立てられたでしょうか? 考えてみてください。そのように考えれば、人間の創造は、今から何千万年前のことなのです。 このような根本的な問題を知らないのです。無知で堕落したので、無知の歴史を経て、数多くの蕩減的歴史を経てきました。そうして選民圏を立てるために、今から四千年前にイスラエル民族を立てたということを考えたならば、人類の誕生から四千万年以上の歴史が過ぎていったということを考えなければなりません。 ですから、イスラエル選民を中心として、イスラエル民族が持っていたすべての万物、息子、娘、自分の家族は、自分のものではありません。祭物としてささげなければならないものなのです。分かりますか? 神様の所有権というものは、血を流さなければ、血を流して、それに対して十分の一に該当する精神、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」に一致することのできる立場に入っていかなければ、今後において神様が選ばれたイスラエル民族の所有権にはならないのです。それゆえに、祭司長には所有がありません。分かりますか? (「はい」)。祭司長に所有観念があれば、祭物をささげることはできません。 今日、なぜ祭物が生じたのでしょうか? それはどれほど悲惨なことでしょうか? 天地を創造された神様が、この条件によって恨に満ちた蕩減を受けられなければならないのです。そうしてサタンの讒訴を受けてこられたのです。 このようにして万物祭物時代を経て、万物を祭物としてささげることを架け橋としてきたのです。どこからでしょうか? 天使長復帰です。僕の位置から復帰するのです。天使長を復帰しようとすれば、僕の僕の位置に行かなければなりません。しかしそれは、気の遠くなるようなことです。 天地を創造された主人であり、大王陛下であられる神様が僕の僕となられ、僕に対して王様に侍るようにしなければならないのです。僕に対して王様に侍るように対するとき、僕の僕はそこで口を開くことはできません。愛でこれを引っ繰り返すのです。その僕は「忠臣」であるので、主人のために死んでいけば、あとには息子、娘がいません。天使長には息子、娘はいないのです。所有権がなく、家庭もありません。 ですから、そのような自分を愛してくれるものがあるとするならば、それをすべてだれに回してあげるのかというと、自分のことをよりもっと愛する人に回してあげなければならないという原則があるのです。それ以外には、行く道がありません。愛の形式を、枠を抜け出すことはできません。より愛する人が主人にならなければならないのです。 ですから、僕の僕に侍られた神様が、僕の世界のだれでも……。そうして三年を過ごし、七年にもなれば、その世界で僕の一族がいたとすれば、その僕の一族の中で半分以上が神様の側に帰ってくるのです。 僕の僕なので、ありとあらゆることをすべてするのです。怨讐のように扱うのです。しかし、怨讐のように扱われるのを耐えて克服することによって、その僕の息子、娘と僕の僕たちがだれの側になるのかというと、こちら側になるのです。分かりますか? 世の中に、そのようなことがあり得るでしょうか? 何が間違ったことによって、このようになってしまったのでしょうか? すべてのことを主人以上に精誠を尽くし、主人の息子、娘を愛するのにおいても、主人よりももっと愛しているのに、それに対してサタンは、それほどまでに怨讐のように思うのです。しかし、そのことによって、サタン側にいた人がすべて神様の後ろに帰っていき、それが半分以上になるのです。 長子は反対します。それは、アダム家庭で次子を殺したからです。その次子が神側になるのです。長女は反対します。そして次女は、神様に対して父親以上に侍り、「神様のような夫や妻になればよい」と思うというのです。 それが伝統となり、神様のみに反対していた家庭全体が、神様の側に帰ってくるのです。忠誠にあふれ、サタン世界のだれよりも愛を尽くす人に反対するのですから、時間がたてばたつほど、サタン側の人は完全に、神様の側に帰ってくるのです。 より愛する人が主人になるのです。分かりますか? (「はい」)。より愛する人が主人になることが天理なので、神様の救援歴史は、サタンの息子、娘となったものを、その親であるサタンよりももっと愛して、サタンの僕までも愛する役事をしてこられたのです。そのように愛することができる道をたどり、主人である僕以上の位置を超えなければ復帰してくることができないという、そのようなみ業をなしていらっしゃるのが神様であられるというのです。このようなことをだれが考えるでしょうか? このようにするので、闘わずに、サタン側の僕の僕の立場から、サタン側の孫とサタン側の子女、すべてが従うようになるのです。ですから、息子、娘が抗議するのです。「お父さん、なぜ、反対するのですか?」と。必ず、自然にそのようになるのです。 主権も誤れば、必ず反対党が出てきます。反対党が出てきて、逆さまに打ち込まれるようになっているのです。与党が誤れば、野党が激しく打って、逆さまに打ち込むようにするというのです。 それでは、何をもってそのようにするのでしょうか? お金の力や、政治背景の力をもってするのではありません。神様の戦略戦術は、愛をもってより愛し、より投入して忘れ、打たれて忘れる中で、「より愛した」という立場を立てることによって、打たれた相対的比率で損害賠償まで添付して復帰してくるというものなのです。それが復帰摂理の路程なので、神様は血を流されれば流されるほど、滅びるのではなく、世界を復帰してこられたというのです。分かりますか? しかし、祭物歴史を蕩減することができませんでした。万物祭物時代、旧約時代を全うすることができなかったのです。それでイスラエル民族は、ローマに対抗することのできる位置に立って、それを復帰しようとしたのです。イスラエルの国はカインの位置であり、ユダヤ教はアベルの位置です。そうして、カインがアベルを殺したその反対の基準を、イスラエルの王が、来るべきメシヤを王として侍ることのできる伝統を立てることによって、その基準を立てようとしたのです。しかし、そのみ旨を、イスラエルの王とイスラエル民族、そしてユダヤ教は分かりませんでした。 見てください。メシヤが来られて、どこで暮らすのでしょうか? 王の中の王が来られるというのに、王が来られるならば、それは人として来られるのに、この者たちは、王が暮らすことのできる王宮として土の家一つでもつくっておきましたか? そのことを考えなければなりません。 四千年歴史をアダムを中心として綴り、やっとメシヤとして送られたかたが地上の王の中の王になろうとすれば、宮殿をつくるのにおいても、ローマ帝国の王宮以上のものを精誠を尽くしてつくらなければなりません。 その日が来ることを、骨髄が溶け出してしまうほどに待望し、生きて血を流す代わりに、血と汗を流して代身することのできる生きた祭物にならなければなりません。しかし、メシヤが来られて滞在することのできる、そのような王宮建設を忘れてしまったというのです。 それでは、主が来られて何をしなければならないのでしょうか? 結婚式をしなければならないでしょう? 来られる主は、家庭を連れて来ますか、王女を連れて来ますか? 一人で来られますか、二人で来られますか? (「一人で来られます」)。一人で何をしに来られるのですか? 来られたならば、だれが準備をしなければなりませんか? その家庭をつくることのできる全般的な準備をしなければならないのが、イスラエル選民なのです。この者たちが責任を果たすことができなかったので、今日、世界に追われる哀れなユダヤ人たちの行く道は今後、問題が大きいというのです。 今、私がしていることは、ブリッジポート大学を中心として、ユダヤ人とキリスト教徒を一つにして、イエス様が何者であられたのかということを再検討し、「イスラエルの王として来られたのだ」ということを原理を通して教えてあげることです。 そのことによって、今からでも、亡くなられたイエス様を自分の国の国王にできなかったことを嘆息して悔い改め、王として侍ってこそ、イスラエル民族はその位置に落ち着くことができるというのです。 キリスト教も同様です。再臨主が雲に乗って来られるのですか? 雲に乗って、どのようにして来られるというのでしょうか? 二千年前に「雲に乗って来られる」と言ったということは、どういうことでしょうか? 「雲に乗って来る」ということは、「飛行機に乗って来る」ということの例えとしか考えられません。分かりますか? 汽車のことを何と例えましたか? 「鉄の馬」です。電話のことはどのように言いますか? 「鎖のひもを通して、地の果てまで話をする」というのです。ですから、そのように象徴的に表現したのです。二千年前、そのようにキリスト教に教えたのです。「飛行機に乗って来る」ことが、「雲に乗って来る」ということなのです。 それを解釈すれば、飛行機に乗って国境を思いどおりに往来することのできる時は、「主が来られる時」であるということになるのです。そのような解釈をしなければならないはずなのに、それでもまだ「雲に乗って来る」というのでしょうか? 『格菴遺録』では、飛行機のことを何と言いましたか? 「船のようなものが火をつけて、空中を飛んでいく」と言ったのです。象徴的に、それ以上は表現することができないようになっているのです。これは深刻な問題です。 二千年前に預言した「雲に乗って来られるしかない」という言葉は、その時の預言の言葉の中では、最高に適切な言葉であったのです。それなのに、雲に乗って、実際にどのようにして来られるというのでしょうか? 見当違いも甚だしいのです。文総裁くらいに霊界のことを知っていますか? 何年前だったでしょうか? 韓国で「雲に乗って主が来られる」と言った、怪しげな団体があって、そのようなことをしたでしょう? 文総裁を訪ねて来ていれば、すべて解決されたのです。 ですから、既成教会で一番の怨讐が私です。しかし怨讐ではありません。既成教会はカインの立場なのですが、彼らが殺したくて、また殺したくて、世界的に殺したかったのが文総裁なのです。 カインがアベルを殺したのと同様に、神様の家庭を亡ぼす殺戮戦を中心とした場合、世界を代表したアベルであり、王圏を受け継ぐことのできる後継者、長孫が出てきたのであり、サタン世界全体が転覆しかねない危険千万な代表者が出てきたので、消してしまおうとしたのです。 キリスト教が共産党と一つになるなどという論理が、どこにありますか? あきれてしまいます。最近でもそうです。ローマ教皇庁と新教(プロテスタント)老会長(=長老教会の老会の会長)が、文総裁に反対するために一つになりました。 南米では、新教と旧教が一つになって「文総裁を追放しよう」と言っているのです。しかし、そのような時代は過ぎ去りました。いくらそのようにしても、先生を妨げることはできません。 そうしてアルゼンチンでは、カトリックが旗を立てて叫んでいます。そこには、宗教大臣がいるのです。それで、このようなすべての者に激しく対峙するのです。「この者たち、民衆を欺瞞して詐欺を働いていた者たちは溶かしてしまうのだ」というのです。 この韓国もそうです。先生は、そのようにできる力を持っていますが、しかし、そのような力ではやりません。自然屈伏です。分かりますか? 文総裁がどのような人なのか、その根を抜いてみると、韓国人であると思っていたのに、白人の頂に木を植え、体に根を張って育っているというのです。米国に住んで五年もすれば、米国はその溶鉱炉でもってその人を溶かして、米国化してしまうというのですが、米国の中にいながら米国化しないのがレバレンド・ムーンなのです。 二十年以上過ぎても、いくらやっても統一教会の人を米国化することはできません。米国人を統一教会化させようとすれば、いくらでもすることができます。共産党員を統一教会化させることはできますが、本物の統一教会員は共産化させることはできません。そのとおりですか、そのとおりではないですか? (「そのとおりです」)。愛の力は、怨讐も座って溶かしてしまうのです。 世の中で最も恐ろしいものは何かというと、それは小さな女性です。女性たちは、たとえ相手が将軍であっても、世の中で一番の恐ろしい男性であっても、それを普通に思っているのです。そのような人の横にいながら、「恐ろしい」と思っている女性というものを私は見たことがありません。女性たち、そうですか? か細く見えるのですが、将軍であれ何であれ、すべてそよそよとやり過ごしてしまうのです。 世の中で最も恐ろしい人はだれなのかというと、最も恐ろしいかたは神様でもありません。神様はサタンを除去なさることができません。サタンがいくら巧みであるといっても、神様を除去することはできません。分かりますか? サタンと神様の闘いをだれが止められると思いますか? 神様は知っています。それがメシヤなのです。 神様とサタンの闘いをだれが止めるというのですか? (「メシヤです」)。神様も止めることができず、サタンまでも止めることができません。メシヤが現れて、分けてあげなければ、この闘いを終えることができないのです。 人間は、その価値として飛翔天(=最高)の価値を持ったということを知りませんでした。飛翔天とは、天地の頂上のことです。ですから、神様とサタンの戦争を止められる人はだれなのでしょうか? (「メシヤです」)。メシヤとは何ですか? (「真の父母です」)。真の父母なのです。 今日、統一教会の食口において、「家庭的メシヤ」という言葉があるでしょう? 家庭的メシヤを知っていますか? 答えてください。知っていますか、知りませんか? (「知っています」)。それから氏族的メシヤです、それから何ですか? (「国家的メシヤです」)。それから何ですか? (「世界的メシヤです」) 再臨主は何かというと、世界的メシヤです。サタン世界を復帰するために来られたので、サタン世界の一番の弱点をすべて知っているのです。また、神様がサタン世界と闘って勝とうとされる、そのような神様の長所も知っており、神様の弱点も知っており、サタンの長所も知っており、サタンの弱点も知っているのです。 それは、なぜでしょうか? 歴史上において失敗した、国家理念であるとか世界理念の強弱のすべてを知っているのです。それゆえに、サタンの処理方法、神様の解放の方法を知っているのです。 神様を解放してさしあげなければならず、サタンも処理しなければなりません。そうして人類は、二つの世界の間での闘いを止め、アダムが偽りの父母になって地獄に送られたものを天上に引き上げて神様に侍り、そこに入っていくべき使命があるのです。 それが求道の使命であり、宗教を立てられた神様のみ旨であったということを知らなければなりません。それが神様のみ旨であったのです。(「アーメン」)。アーメン。 そこが、初めて「真の主人」に侍る位置なのです。世の中に勝ってこそ、「真の主人」に侍るようになるのです。堕落の因縁は、愛を中心とした血統を通して成されたので、純潔な愛を中心として純潔な男性、女性となり、純潔な神様の血統と完成したアダムが一つにならなければなりません。 そうして神様の愛の焦点と人間の愛の焦点が一か所に集まり、一つがプラスならば一つはマイナスとなり、プラスは男性であり、マイナスは女性ですが、プラスの生命体と女性のマイナスの生命体が愛によって一つになって、血統が交わるのです。 「るつぼ」という言葉があるでしょう? 溶鉱炉とは何でしょうか? 男性と女性の血が、るつぼで溶けて混ざる位置はどこでしょうか? それはどこですか? (「生殖器です」)。何ですか? 生殖器です。「生命を植える器」のことを「生殖器」という(「殖シク」と「植シク」の発音が同じことから)のです。それが愛の本宮です。そこが、神様の愛が芽生えることのできる出発の園であるということを知らなければなりません。神様の愛を中心として、神様の性相、形状の生命体が愛によって溶け、そこで実体となったアダムと無形の神様が一つの体となるのですが、それがその位置なのです。 そうして縦的な最高の愛と横的な愛のすべての根が連結され、内的な「縦」は心の基準であり、横的なものは外的体の基準で結託し、神様の血統の相対的実体として生まれたのが、アダム、エバが完成した家庭であったのです。 先生が最も悩んだことは、「どのようにして神様の愛と人間の愛が一つになるのか」ということでした。「一つになる交差点はどこか?」それをどれほど悩んだか分かりません。その答えは簡単です。「真の愛は、直短距離を通る」ということです。そのことが、どれほどありがたいか分かりません。愛は、直短距離を通るというのです。 それでは、縦的な愛と横的な愛による宇宙の構成、このすべての構造的な形態を定着させることのできるものが縦横になっていなければ、定着する道は永遠にないというのです。分かりますか? (「はい」) 私たち人間にも二つの目があります。この二つの目は、縦的にすべて合うようになっています。この鼻筋を見て、これが真っすぐになっているかどうかで、長寿できるか、裕福に暮らすことができるのか、すべて分かるのです。この目と連結されて、その基準に合わなければなりません。 この鼻は、アダムとエバのことを表すのです。鼻は、中に入れば一つになっているのです。この鼻を通して、すべてに通じるのです。一度、鼻の穴をふさいで鼻をかんでみてください。すると、目にも耳にも空気が通るのです。ですから、アダムとエバを通して、天上世界、地上世界、どこにも通じない所がないということなのです。 それを一日に一度、やってみてください。鼻をしっかりとつまんで、息んでみてください。目からすーすーと空気が出てきて、耳からも出てくるでしょう? 鼻はもちろんのこと、口からも出てくるのです。通らない所がありません。 口は横的なので、腹中時代は水を飲まなければなりません。四分の三が水です。鼻は空気世界に当たります。それで人間世界の空気を吸うのです。ですから、水の中では目、耳、鼻、五官は必要ないでしょう? 水の中では、五官は必要ありません。ですから、目をつぶって身動きしないのです。 腹中で十か月育つ間、水を飲んでみましたか? 鼻で息をしてみましたか? 息をしたら、死んでしまうのです。即死です。では、それは何のために必要なのでしょうか? それは、次の人生のためです。 今回のお母様のみ言の中に、そのようなことがすべて出てくるでしょう? それから地上世界は、「水のふろしき」ではなく「空気のふろしき」に囲まれているのです。「空気のふろしき」の中では、何をしなければなりませんか? 「水のふろしき」の中(胎中)では、空気の世界で暮らすための五官を備えました。 ところで、霊的五官というものがあるのです。天の国の愛の理想を吸収することのできるものが、耳と目、すべてが死の峠を越えるようになるときに連結されるのです。そこは無限な世界です。 この宇宙の星の世界は、皆さんが将来、そこに行って暮らすことのできる旅行地です。朝食を食べ、昼食を食べて散歩する庭なのです。分かりますか? そこでは自分が主人なのです。 霊人体は、太陽の中にさえ旅行に行くことができます。火の中でも燃えません。それを知っていますか? 知っていますか、知りませんか? (「……」)。知らないようですね。知っていますか、知りませんか? (「知っています」) それでは今、神様が現れたら、皆さんはまず出会って、何と言うのですか? 出会って何と言うのですか? 男性たち。(「……」)。何と言うだろうかというのです。「お父様」と言うのでしょうか、「お兄様」と言うのでしょうか? (「『お父様』です」)。神様に出会えば、「神様、お父様」と言うのですか? (「はい」) 「お父様」と呼ぼうとするならば、そのお父様の息子たちも、父親になることのできる位置に立っていなければなりません。アダムに息子、娘がいますか? 父親になれない者が、どのようにして父親になるのでしょうか? 分かりますか? (「はい」)。そのことは分かるでしょう? それでは、神様を何と呼ばなければならないでしょうか? 「神様、神様! 天地を創造された無所無在、無所不能な神様、お父様! と、そのように言うのですか、何と言うのでしょうか? 神様は、「内的なお兄様」なのです。それは、驚くべきことです。何ですか? 先生は今、何と言いましたか? それでは、「内的なお兄様」になられる前には、何になられるのでしょうか? それは、双子として胎中に一緒にいた赤ん坊です。双子です。ですから、双子の赤ん坊として生まれなければならないのです。 それゆえに、神様は何であられるのかというと、「見えない私の双子のお兄様」であられ、赤ん坊時代、乳児時代における「見えないお兄様」なのです。変わったことを聞いたでしょう? このことをすべて知らなければなりません。 神様は、どのようなかたですか? (「内的なお兄様です」)。神様も、そのように育ってこられたというのです。見えないように乳児時代、兄弟時代、成長した結婚時代、父母時代を過ごされ、父母時代になってアダムとエバを創造されたのです。 そうであるならば、アダムも同じです。息子、娘を中心として、腹中に赤ん坊を宿した時代がなければならないとき、神様はアダムの先祖と同じ位置に上がるのです。神様がアダムの体の中で、兄の位置を経て父の位置に上がっていかれるのです。 父の位置に上がっていかれるのには、乳児時代、兄弟時代、それから夫婦時代、父母時代を経て父になるのです。その前までは、「兄」と「弟」の位置なのです。変わったことばかりを話すでしょう? 調べてみてください。そのとおりであるというのです。 霊界に行けば、皆さん、そうでしょう? アダム、エバも神様に対して「お父様」と言い、その数千万代の後孫である皆さんも、神様に対して「お父様」と言うでしょう? 「神様、お兄様」と祈祷しますか、「神様、お父様」と祈祷しますか? それでは、お父様には何がなるのでしょうか? 霊界に行けば、何がお父様になるのでしょうか? それは、お兄様です。そのお兄様とは何でしょうか? 私よりも先に生まれたお兄様のことです。私よりも先に生まれた「内的なお兄様」が神様であられ、「外的なお兄様」が父であるというのです。それ以上の理論を立てることはできないということを知らなければなりません。 神様が勝利し、サタンが屈伏しました。サタンが神様に屈伏し、神様は、歴史始まって以来初めて、ついにこのように宣言されたのです。「おい、サタンよ! ヤハウェの名によって、わたしが勝利したすべての祝福家庭が数億の基台となって、人類の半分以上を超えたので、わたしが現れることのできる基盤ができた。 今からはもう、白昼に立っているすべての罪人は、日の光を避けることのできない時代に入ってきたので、ついにサタンよ、おまえ自体の影がない世の中にし、おまえの罪状と神様の悲しみがすべて明らかになり、人類の前に隠すことはできなくなった。 今から国家を復帰していかなければならない道が残っているので、その期間におまえが少しの条件でも完成し、国家を建てることのできるアダムの道を協助できなかったことに対する条件だけでも立て、協助した条件を立てることによって、おまえも解放してあげるのである」 そのような神様の天意により、神様の前についにサタンが、歴史始まって以来初めて、「屈伏する」という宣言をしたのです。そこで、真の父母の前に降伏する文書を書き、そして人類の前に罪の告白をしたサタンに、こう告げるのです。 「神様の名で真の父母の前に、真の父母の名で人類の前に罪状をすべて告白し、地獄に行くべきことを中心としておまえが犯したすべての過ちを、能力に満ちておられる神様が瞬間のうちに是正されるだろう。おまえの力ではできないがゆえに、神様に全権を任せなさい」 そうしてサタンが、委任して「請います、請います、赦しを請います」と、謝罪を神様と真の父母と人類全体、祝福家庭、皆さんの家庭まで通告して初めて、地上世界や天上世界の地獄が完全に門を閉じてしまうというのです。 それでは、それはだれがするのですか? 神様もできません。サタンもできません。先生一人で神様を解放し、人類を解放し、地獄を撤廃させるのです。原理によって理論に合うようにするのです。大ざっぱにするのではありません。 「これこれこうだから、こうなる」という事実を、サタンはあまりにもよく知っているのです。それをすべて撤廃し、真の父母の勝利圏を立てたのです。お母様が巡回講演をする最後の日を、中国で行いました。中国が最後で、それがいちばんの怨讐でした。これを屈伏させて、ついに先日、五月三十日を中心として、「真のご父母様東西洋(地球星)勝利祝賀宣布」の日を立てたのです。地上でそれを成したので、最後にここで成すのです。 きょうは何日目ですか? 三十日から何日目ですか? 十六日目です。そのように、十六数を中心として地上整備、天上整備をしたのです。考えてみてください。二月四日を中心として何をしたのかというと、「米国に行って、米国を救いなさい」と言ったUTS(統一神学校)卒業生たち千余人を中心として、三日間教育をしました。米国は長子の責任を果たさなければなりません。 青少年の祝福は、キリスト教からです。神父、修道女がいるでしょう? また、仏教の僧侶、尼僧がいるでしょう? 彼らは今まで、東西洋の未婚男女でした。今日のわたしたちの成すべき祝福は何ですか? 未婚男女の四億双祝福でしょう? それをしようとすれば、ここには何が入るのかというと、神父と修道女が入り、僧侶と尼僧が入るのです。ですから今、百歳になっても臨終を迎えていないお坊さん、あるいは八十歳になったお坊さんであるからといって、それを放棄しなければならないでしょうか? おじいさんはどうしますか? たとえ「嫌だ」と言っても、彼らを後孫たちが捕まえていって祝福してあげるのです。そのように、すべてを祝福する時が来ました。それでは、父親と母親はしないのですか? それは強制ではありません。お兄さんです。おじいさんの代身の立場です。ですから、強制してでも、すべてしてあげてよいというのです。 ですから、地上の祝福です。来られた再臨主のすべき祝福は、今までなしてきたような既成祝福をすることではありません。祝福すべき対象は、法的結婚をした、この者たちではありません。純潔な未婚男女を祝福することが、来られる再臨主の祝福の伝統であったということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」) 本来、キリスト教を中心として、一九四五年以降の七年間で、このことをすべて終えなければなりませんでした。万民すべての祝福です。最近では、霊界でも青少年の祝福をしているのです。すべて解放です。そのとき、解放と同時にすべてを解放したのです。地獄を撤廃し、地上、天上の門をすべて解放し、万民が四方に大きく運勢を開くことのできる高速道路をつくっておくのです。 そうしてそこに君臨して、神様がエデンの園で失ってしまわれた偽りの父母の心情的基台を完全に蹂躙してしまい、天の心情を中心として、善男善女の前に血統を連結して接ぎ木することが祝福なのです。しかし、それができませんでした。キリスト教が誤り、逆さまにしてしまいました。それでしかたなく肥桶をくまなく探したのです。何のことか、分かりますか? ですから既成家庭は、わたしから祝福を受ける必要はありません。イスラエル民族が、すべて荒野で掃かれてしまうことと同様に、それは過ぎていく群れたちなのです。二世とともに、天国建国理念を持って追い出されたので、アダム以前の位置に入っていき、再び取り出してアダムの解放から先祖解放までしなければならないので、今日の統一教会の祝福伝統史が展開されたというのです。 キリスト教は歴史がありません。浮かんだ雲と同じです。それで、既成家庭結婚をするのです。考えてみてください。三十六家庭で自分勝手に結婚した人は、ノア家庭の形態であるというでしょう? これは、半分の価値にしかならないというのです。最近、法的契約結婚をして、「妻が嫌で、夫が嫌で、子供が嫌で、扶養の責任を持たない。自分の思いどおりに生きよう」と言っているのです。サタンには、それしか方法がありません。サタンは相対的理念がありません。子女を持つことができないのです。 ですからホモが出てくるのです。そのような者は、一代で終わりです。レズビアンも同じです。そのようなものは、動物のほうがもっと良いでしょう。動物は、蛇だとしてもやたらにはしないのです。毒蛇は、毒蛇同士でするのです。毒蛇ではないものとは愛し合いません。そのようなことを見ましたか? わたしは、そのようなことをすべて研究したのです。毒蛇も、自分と同じもの同士でするのであって、他のものとはしないのです。ところが、それなのにどうして進化論なのですか? 別種が現れようとすれば、愛の門を経ていかなければ、他のものが出てくる道理はありません。種の道理は、厳格なのです。 草もそうです。同じ種類同士で結婚するのであって、他の種類のものと結婚しますか? (笑い)しますか、しませんか? (「しません」)。ありも、大きいありと小さいありとでは結婚しないのです。自分と同じもの同士でするのです。 種の区別は、そのように厳格になっているのに、人間がいっぺんに生まれることはできません。ありのような人と虎のような人で、男性と女性がくっついて喜んでいるフリーセックスのようなものは、さんざんに恥をさらして滅亡しなければなりません。 皆さんは、そこに所属していますか、していませんか? (「していません」)。時には、したいときがあり、酒も飲みたいときがあるかもしれません。しかし、「酒を飲まない」と言って飲んだならば、そのときには口を裂いて舌を抜いてしまおうというのです。(笑い)その約束をするのです。化粧もしたいでしょう? しかし、ありとあらゆる五色種類の化粧をすれば、最後です。化粧をするそのお金で、飢えて死んでいく兄弟と同胞を生かしてあげようというのです。それが、どれほど素晴らしいことでしょうか? 女性でいえば、服を春夏秋冬の四着以上は持つな、というのです。「買いたいと思うとおりに買いなさい」と言うと、本当にたくさん買うのです。女性たちは欲が深いですね。(笑い) きょうの題目は何ですか? (「『真の愛の主人に侍ろう』です」)。愛の主人はどこにいるのですか? 主人の居場所を調べてみようというのです。皆さんの心と体の愛の主人は、心であるということを知らなければなりません。そのことを知りませんでした。心と体が闘うでしょう? 体が主人になると言いながら、ついてきて大騒ぎです。これがお互いにバチバチと闘うのです。主人はだれですか? 心ですか、体ですか? (「心です」)。ここに青少年たちがいれば、心が主人ですか、体が主人ですか? 主人の中のどのような主人ですか? (「「真の愛の主人」です」)。「真の愛の主人」だというのです。 真の愛とは何ですか? 真の愛は、どこから成されるのですか? どこからですか? 生殖器です。生殖器という言葉は、生まれるの「生」という字に、ご飯の「食」という字、または植える「植」という字でもよいのです。 ですから、生殖器は「生植器」です。分かりますか? そのように解釈するのです。ですから、生殖器は「生命を植える器」なのです。それを知らなければなりません。心と体の「真の愛の主人」はだれですか? 心なのですが、心が愛の家を守ることができていないのです。 浮気しなければなりませんか、してはなりませんか? (「してはなりません」)。この青少年の淪落が、目を覆うほどです。愛の主人を失ってしまいました。それゆえに、体が心を動かすのではなく、心が体を主管しなければなりません。 先生が青年時代に願った「宇宙主管を願う前に自己主管の完成」ということが、それです。自分の体の発動を制裁して、いつでも霊的にブレーキをかけることができなければなりません。先生は、そのような訓練をたくさんしたのです。 ですから、心が願わない愛の道に行くことができますか? (「できません」)。行くことができる! (「できない! )。この者たち。行くことができる! (「できない! )。そうです。できないのです。 それは、男性の権威です。み旨を知り、正々堂々と心の世界の中心である主人の位置を守ることができなければなりません。体がいくら怪しげな行動をしたとしても、そこに支配されるのではなく、それを支配することができ、主人の資格、愛の主人の資格を持たなければならないということを知らなければなりません。 そのような男性、そのような女性が完全に結婚しなければならず、エデンの園の罪のない解脱圏内において、神様が再び出会って結婚させてあげるためのものが、神様の再創造摂理の理想であったということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」) さあ、今から心が「真の愛の主人」にならなければならないというのです。それから何ですか? 心と体が主体にならなければなりません。心と体が一つになり、男性と女性を中心として、男性なら男性が、女性がしようというとおりにすることよりも、天理の大道を中心として、完全に一つにならなければなりません。男性が、完全に女性の主人、女性のすべて、愛の器官までの主人に完全になることができなければなりません。それが真の主人なのです。分かりますか? (「はい」) 夫として、「真の愛の主人」にならなければなりません。女性として、夫に対する「真の愛の主人」にならなければなりません。同様の道理なのです。分かりますか? (「はい」)。それから何ですか? 父母として真の主人となり、息子、娘の前に見本を見せてあげなければなりません。 息子、娘は、父親と母親から学んでいくのです。百パーセント学んでいくのです。言葉であれ、行動であれ、です。すでに赤ん坊は知っているのです。母親が、自分が気分が悪くてお乳をあげるのを見るとき、赤ん坊はのぞき込むのです。のぞき込んで、「お母さんはどうして……?」と、すでにお乳の味を鑑定するのです。そのように、母親の抱く表情で分かるというのです。 それゆえに息子に対して、真の父母の真の愛を中心として父母になっているのか、ということが問題なのです。分かりますか? (「はい」)。それから、おじいさんとおばあさんが祖父母として、真の孫に対する愛の主人の立場を守ったのかというのです。 それから何ですか? 国の王を中心として、王としての真の愛の主人になったのでしょうか? 国の王は、国民の父母なのです。王と王妃の二人が一つになった愛をもって、二人が一つになった父母の愛を加えて、民族を子女のように愛さなければなりません。 親が子女を愛さなければならない立場であることと同様に、国の王は夫婦が一つになり、国を父母の情よりももっと強い情で愛さなければなりません。そうすれば、その国が永遠無窮に発展することのできる天国を相続する国になるだろうというのです。分かりますか? (「はい」) それから何ですか? 世界においては、世界的メシヤがいれば、それは世界の父と母です。それで、心と体を中心とした家庭から一つになり、父母が一つになって子女を愛する伝統を立て、これがプラスとなって全体に投入し、投入し、投入して、忘れなければなりません。 相対が自分よりもりっぱであることを願うという、主人の行くべき行路を知ったので、その偉人たちは国を持ったとしても、国内の家庭に自分のすべてを投入し、その国の家庭全体を愛すること以上の愛をもって施して、施して、そして忘れてしまわなければなりません。 もし、それが不足ならば、自分の妻や自分の子女までも祭物としてささげて、その国を救おうという、そのような家庭があってこそ、千代万代にわたって太平の御代を迎えることができる先君になるのだということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」) 今まで神様は、そのような思いで地上の人間を見詰めていらっしゃったということが事実であるならば、それはどれほど悲惨でしょうか? 神様の家庭が、この地上に一軒でもあるわけでもなく、天の氏族がいるのでもなく、天の国があるのでもありません。 神様は、天地の主人である地位におられながら、愛の主人になることのできる立場を一つもつかむことができませんでした。神様だけが、思いがかなった主人の位置に独りで留まっていらっしゃるということは、どれほど無念であるかということを知らなければなりません。分かりますか? 愛は一人で成すものではありません。 ですから、ここにいる皆さんは知らなければなりません。愛の道を教えてあげることは簡単です。赤ん坊時代の愛は、父母の前に、赤ん坊の時代においては生まれてから三年間、母親の懐でお乳を飲んで育たなければなりません。三年間です。それで母親と一つになるのです。 赤ん坊は、母親の血肉をもらって生まれたのです。分かりますか? (「はい」)。母親の血肉です。赤ん坊には、自分のものが一つもありません。パイプを連結して、母親の血肉のありったけを供給されて生まれたのです。そこに父親の愛を教えてあげなければなりません。 母親が一つになって父親の愛を教えるのです。母親が父親を愛する以上、赤ん坊が父親を愛さなければなりません。そうしてこそ、母親も愛し、父親も愛することができるのではないでしょうか? 父親を愛することが、母親を愛することを超えることができなければ、父親を愛することのできる道が水平にならないのです。そのことを知らなければなりません。 母親は、自分の体を代身として、連結された父親の種を保護するためにいるのです。赤ん坊の種、つまり父親の精子の中に、すべてのプロジェクトが入っているのです。母親は、これを植えておいたものを腹中で育て、赤ん坊にまで育ててあげるのです。その赤ん坊のときの腹中での期間は、体と同じ外的な愛の基準を吸収して受け継ぐことのできる成長期間です。 ところが、立体であられる神様を愛することのできる伝統を学ぶためには、夫婦が赤ん坊を抱いて一つになるその愛を中心として、父親が母親を、母親が父親を愛する以上の愛を中心として、その赤ん坊に伝授してあげなければ、赤ん坊の愛の道がふさがれてしまうというのです。 そうでなければ赤ん坊は、母親のことは愛することができますが、父親を愛することができないというのです。これが家庭においての問題です。分かりますか? (「はい」) 父親は、真の父親の立場としては、母親が腹中の赤ん坊に百パーセント補給して育ててあげることと同様に、この地上で三年間なら三年間を育てながら、母親の愛の根源となって供給してあげるのです。そうして母親が、夜であれ昼であれ、父親のために生き、父親と一つになるための愛の時間を、何よりも感動的に過ごせるようにしなければなりません。 ですからその赤ん坊を、両親が夫婦げんかをして、驚かすようなことがあってはなりません。夫婦でけんかをして、子供が「お父さん、お母さん、けんかするな! と言い、右側は父親、左側は母親に分かれてしまうような、そのような家になってはなりません。わたしたちの理想が、どれほど素晴らしいものであるかというのです。お母さんたち、分かりますか? (「はい」) ですから、赤ん坊を生めない母親は、天の父母に侍ることのできる資格を持つことはできません。父母は先祖です。それゆえに、先祖に侍ることのできる伝統を持つことができないのです。 ですから、夜も昼も一日じゅう、母親は父親のことを考え、夫が帰ってきたならば、持てる精誠をすべてはたいて尽くし、それを赤ん坊に見せてあげるのです。そうして、夫婦二人が一つになり、母子自体が一つの主体になるのではなく、父親に対して相対になり、縦的な未来の世界、横的な未来の世界の伝統の標本になることができ、基礎になることができる家庭を形成しなければならないということが、母親の責任なのです。 それゆえに、父親は帰ってきて、母親を懐に抱かなければならず、母親を抱いたことをもって赤ん坊をその懐に抱き、母親のように愛することのできる位置を備えることができなければなりません。 母親なら母親、娘なら娘、息子なら息子、それぞれ別なのではありません。「そのような家庭が、幸福な家庭である」と思う先生は、しかし、そのことを考えることだけしかできず、果たすことができませんでした。分かりますか? けれども、先生はできませんでしたが、「皆さんは、しなければならない」と命令します。 それでは、「自分はできずにいながら、『そのようにしなさい』と言う命令を守るべきか、守るべきでないか?」と言うとき、どうですか? (「守るべきです」)。それでも、それを守るべきでしょうか? (「はい」)。先生は、そのようなことをして余りあるとしたらどうですか? 絶対的にしなければならない、というのです。 愛の主人を、わたしたちの家庭に植えなければなりません。愛の主人をわたしたちの国、わたしたちの世界に植えなければなりません。その主人に侍ることができなかったことが恨であり、堕落です。 そのようにして神様に打ち込まれた怨恨の釘を抜くことができるのは、自分の心と体から、自分の相対から、息子、娘から、一族からです。一国家を超えて世界の統一圏を持ち、神様のみ前に「あなたの解怨成就をすべて完遂いたしました。物質であれ、息子であれ、夫婦、家庭、すべてがあなたの所有でした」と、完全に分別して、差し上げることができなければなりません。 祭物の血を見て、所有権を分別するということは、神様の無念な事実です。そうではなく、創造されたすべての生畜自体を、神様の所有としてありったけのものをささげることのできる基準を準備しておかなければ、神様の国の皇族になることができず、皇族圏内に入籍することはできないのです。その皇族が民族になるのです。そのような民族になることのできる道がないということを知らなければなりません。 きょうの題目は何ですか? (「『真の愛の主人に侍ろう』です」)。これは、何かの観念なのではありません。事実です。自分で自分のことをよく知っているでしょう? 自分がどのような存在なのか、よく知っているのです。 それでは、愛の起源を求めて、わたしが簡単に話をします。真の愛は、どのように連結されるのですか? だれからですか? 真の愛は、だれからなのですか? 自分からですか、神様からですか? (「神様からです」)。神様からです。このことを、皆さんは知らなければなりません。 今まで、愛に関する概念を知りませんでした。これが誤って行き違い、世の中が怪しげなものになったので、愛の伝統的、本性的内容がどのようになっているのかという、秩序の基準を中心として、段階的な基台を中心として前後関係を確定しなければなりません。言葉は難しい言葉ですが、解いてみれば間違いない言葉です。 (板書されながら)神様、アダム、エバ。愛は絶対に一人で捜し出すことはできません。皆さん、愛を持っているでしょう? 愛を持っていますか、いませんか? 生命を持っているでしょう? 血統を持っているでしょう? それを一人ではつくりあげることはできません。 愛があるのか、生命があるのか、血統があるのか、真の良心があるのか、なかなか分かりません。しかしこれは、相対が現れれば、一度に発動するのです。先生も愛を持っていますし、生命を持っているでしょう? 血統を持っていますが、お母様が、女性がいなければ、それは顕現する道がありません。 わたしたち男性と女性や、個人個人がそうであるのと同様に、神様もやはり同じなのです。二性性相の主体であられ、男性格として存在していらっしゃるので、「神様には女性的相対が必要である」という論理が出てくることによって、「神様は愛の主人にならなければならない」というのです。 神様の最初の「愛の主人」はだれですか? 神様以外になることはできないというのです。分かりますか? 絶対的な主人が絶対的な愛を中心として、絶対的な主人になろうとするので、そこに二人が存在することはできません。絶対に、一人ずついなければなりません。一人の夫の前に二人の女性がいれば、けんかが起きますか、起きませんか? 起きるのです。 「神様、あなたは何になりたいですか?」と言うとき、何になられたいでしょうか? 「アイゴー、知識の主人になりたい」と言われるでしょうか? 神様は全知全能であられるのに、知識をもって何をされるのですか? 神様はもともと知識の大王陛下でいらっしゃるのです。 それでは、神様は何を一番好まれるのでしょうか? お金を好まれるでしょうか? 知識を好まれるでしょうか? 権力はすべて持っていらっしゃるのです。全宇宙で太陽系のようなものは、どれくらいあるのかというと、一千億個にもなるのです。太陽系が千個でも大宇宙なのに、一千億個にもなる大宇宙をつくられた神様です。 そのような神様が、愛の問題に引っかかって、思いも寄らなかったような生活を送ってこられたという事実は、驚くべきことです。真の愛は、行ったり来たりすることはできません。それを知らなければなりません。 何の主人になるためなのですか? 最も貴いものです。生命の根本であり、愛の根本であり、血統の根本であり、良心の根本であり、宝であり、根源の中の一番の骨髄的根源のエッセンスが、愛なのです。 ですから、神様が一番好まれるものは何なのですか? (「愛です」)。野良犬の愛も愛です。豚の愛も愛です。犬も愛するというでしょう? 春の季節になれば、猫が「アー、ヤーオウ」と鳴くのです。愛そうとして、そのように鳴くのです。 猫も愛そうとしてそのようにするし、鶏の愛もあるのです。そのように、どれほど愛が多いでしょうか? そのような愛の語彙と同じ範疇に人間の愛も立脚しているということを知って、恥ずかしく思わなければなりません。本来の人間の愛は、偽りの愛ではなく、真の愛なのです。 真の愛は、神様が口を開いて肉的五官、霊的五官、十官を開いてあーと言われながら捜し求め、愛しながらも年老いることなく、青春に次ぐ青春を送り、永遠に青春で暮らしたい、そう願われて、その愛の相対をつくられたというのです。 そうであってこそ、神様によってつくられた愛の相対としてふさわしいと言えるのであって、そうでなくて、どうして相対としての資格がありますか? それゆえに神様までも、ご自分よりも何千万倍、何億万倍りっぱな愛の相対を捜し求めたがられるという道理なのです。分かりますか? (「はい」) ですから、神様も考えられると、先生を好まれるというのです。分かりますか? あなたたちは、わたしが好きですか、好きではないですか? (「好きです」)。なぜ、好きなのですか? それは、真の愛の道を教えてあげるからです。 それでは、先生を思慕しましたか、しませんでしたか? (「思慕しました」)。男性も思慕しましたか? (「はい」)。男性も、先生に会いたくて泣かなければなりません。神様は、男性ですか、女性ですか? (「男性です」)。神様は女性でしょう? (「いいえ、違います」)。神様に会いたくて、先生が泣いたでしょうか、泣かなかったでしょうか? 先生は、痛哭し続けて、泣きはらして太陽を見ることができなくなってしまうくらいに神様を慕いました。それゆえに、その事情の世界を知っているのです。 秘密の倉庫を開いて味を見ることができ、その系列がどうなっているかということを整備し、図書館の百科事典に掲示することができる博物館の主人になることができるので、心情的博物館の主人になることができるほどです。そのような天下のすべての心情を思慕する万民を抱いても余りあるというのです。(「アーメン」) 神様は、何を好まれるのでしょうか? 見えない神様は、見えるものを好まれるでしょうか、見えないものを好まれるでしょうか? (「……」)。尋ねているではないですか? 見えない神様は、見えないがゆえに、何を好まれるのでしょうか? それは、「見える神様になりたい」と考えられるというのです。分かりますか? なぜでしょうか? 見える万物をつくられ、見える愛の世界をつくられたので、神様は二つとも真の愛で占領なさろうとしたのです。 このような話をしていたら、終わりがありませんね。今、何時間たちましたか? (「二時間半たちました」)。きょうのわたしの計画は全く違うのですが、死ぬとしても、本部に来て言うべきことは言ってから死ななければならないでしょう? 故郷の地に来て、文総裁が帰ってきて明日、あるいは明後日に死んだとしても、恨になり得ることをすべて解いておいてから霊界に行かなければならないというのです。先生は、いつ霊界に行くか分かりません。明日、行事を終えて、その次の日に行くかもしれません。天の命令があれば、「行きなさい」と言われるとおりに行かなければなりません。そうではないですか? さあ、神様は、何を一番好まれるのですか? お金ですか? お金が好きな人は、手を挙げてください。神様がお金を、婿や嫁だと思ってくれるのですか? お金は巡り巡る物なのです。それでは知識ですか? 知識というものは一分野であって、全体の表象ではありません。分科して、数百、数千の枝分かれした専門分野があるということを知らなければなりません。神様は、それは願われません。それでは統一ができません。 それでは何ですか? 権力ですか? 棍棒、銃、ナイフで「こいつ、わたしの命令どおりにしろ。しなければ殺す」と言っても、そこには平和の概念が永遠にあり得ないというのです。詐欺をして、人権、金権で王権を誇っていたような今までの時代が、すべて過ぎていく日は遠くありません。最後はどのようになるのでしょうか? 大韓民国は、国まですべて売り飛ばしてしまいました。 韓国の政治風土、韓国の経済風土、韓国の伝統風土、韓国の宗教風土、韓国の教育風土、軍事風土、すべて飛んで行ったというのです。何を立てようとし、何を捜し出そうとするのですか? 分かりますか? この国では、すべて失ってしまったので、今から捜し求めなければならないものは何でしょうか? どのようなものをもってしても、結局は闘うようになるのですが、真の愛をもって闘ったことはありません。闘わないものは、真の愛です。そうですか、そうではないですか? (「そうです」) 今までは、文総裁が真の愛の話をしていると、皆、反対していたのですが、最近では家庭が破綻し、父親も母親も浮気をして怪しげな状況になったので、「アイゴー、十年前に会った文総裁の言うとおりにしていたら、私たちの家はこのようにはなっていなかったのに」と、後悔している人が多いのです。 先生が米国に行って、「この米国が病気になれば、外部から医者を呼ばなければならず、火事になれば、外部から消防隊を呼ばなければならないことと同様に、米国が病気になり、火事になったので、医者と消防隊を呼ばなければなりません。ところが、米国には医者と消防隊がいないので、外国の消防士の隊長であり、医者の隊長である文総裁が来たので、わたしを歓迎しなさい」と言うとき、白人たちは、どのように思ったでしょうか? 太っ腹で、韓国をごみ箱同然に思っている、そのような白人の世界で、文総裁という、一日もたたずに消えてしまいそうな者が来て、そのようなことを言うのですから、どれほど気分が悪いでしょうか? そんな文総裁が、一日、二日なら分かりませんが、六か月ももたずに逃げていくと思われていたのに、すでに二十五年間が過ぎました。そのような歳月を中心として闘ってみると、力比べの相撲はすべて終わって、「文総裁が勝った」という立て札を立てるようになりました。 チャンピオンを競うような場においては、万が一、チャンピオンがばたんと倒れて負けた日には、その場でチャンピオンは地獄に落とされ、勝利した人は天の国に昇っていく、ということを知っていますか? そのような主客が転倒する現実をつくりながら生きる男が先生なのです。 さあ、文総裁は優れていますか、愚かですか? (「優れています」)。あまりにも愚かなので、あまりにも優れておられる神様はかわいそうに思って同情され、あまりにも愚かな位置からあまりにも優れた位置をすべて占領するようにしてくださり、そうしてごみ箱ものみ込んで消化することのできる男になったというのです。 しかし今、ついに日の目を見て、大きくなることのできる男になったのです。共産世界に入っていって栄養素を吸収し、民主世界に行って栄養素を吸収し、地獄の栄養素も吸収し、天国の栄養素も吸収して、二つともすべて消化することのできる能力者となったのです。(「アーメン」)。(拍手) さあ、神様が一番好まれるものは何でしょうか? 霊界に行けば、知らないことはなく、すべてに精通するようになるのです。真の愛に立っていれば、神様がこの世の中に創造された万物は、いつでも創造することができるのです。そうなのです。 その世界がどれほど素晴らしいか、先生はその世界を知っているので、文総裁は艱難を受けても、ありとあらゆることをされてもへこたれることなく、今まで来ることができたのです。今でもそうです。そこに照準を合わせることに忙しいのです。分かりますか? (「はい」)。「年老いた」と考える暇がありません。 わたしは、自分が霊界に行く「時」を知っている人です。しかし、言葉には出しません。天機(天の機密)の秘密をすべて知っている人が、それを知らないということがあるでしょうか? しかし、話はしないのです。分かりますか? さあ、神様は何の主人になられたいのでしょうか? それは、「幼い赤ん坊の愛の主人になってみよう」というのです。腹中においても、その腹中で暮らしているときから主人になるのです。それで、母親の懐に抱かれて子女の愛の主人になってみようというのです。 アダム、エバがいなければ、子女の愛を尋ねていく道がありません。そうですか、そうではないですか? 子女として生まれたアダム、エバがいなければ、神様は子女の愛を持った主人になることはできません。そうですか、そうではないですか? (「そうです」) 生まれて成長し、子女の時代を経て、兄弟の時代に進むのです。兄弟は、男性と女性が他の道に進み、女性は女性の道理、男性には男性の道理があり、その二人を育てる愛があるのです。その二人は、兄弟の愛の主人になりたいのです。分かりますか? アダム、エバを育てることによって、その存在が大きくなり、そのように育つことを見て、神様は兄弟の愛を持つことのできる主人になられるのです。その主人の資格は、神様が付与されましたか、アダム、エバが付与しましたか? 答えてください。 神様おひとりで、いくら兄弟の愛を叫ばれてもだめなのです。アダム、エバが兄弟の道を行くことを、抱いて愛することによって初めて、神様は兄弟の主人の位置を持たれることができるのです。分かりますか? (「はい」) 子女の主人が、アダム、エバによって育っていく道を通して、子女の主人の位置を、歴史以来初めて立て札を立て、「わたしは子女の主人である」と言われるのです。それから、兄弟を愛することを見て初めて、「兄弟の愛の主人になった」と言われるのです。それでは、育っていって何をするのでしょうか? 男性と女性が育ち、原理で言えば、育っていってそのまま広がっていくのではなく、すべて水平、四角を中心として、四十五度で一つにならなければなりません。それで、「夫婦の愛の主人になりたい」と言われるのです。夫婦の愛から、初めて一つになるのです。 ここで本然の位置に帰ってきて、天地が一つになることによって、父子関係の因縁が、霊と肉が一つになることのできる位置に帰っていくことによって、上弦下弦が連結されることによって、子女が生まれるのです。 女性は凹であり、男性は凸ですが、「上」的な代表である男性と「下」的な代表である女性が、愛によってここで連結されるのです。夫婦の愛を通して、ついに赤ん坊を神様のように……。神様の伝統を受け継がなければなりません。腹中の赤ん坊とともに、神様は赤ん坊を宿している母親を愛されるのです。その二人を愛することによって、神様が赤ん坊を宿すことのできる主人の位置から、赤ん坊、兄弟、夫婦、父母の位置に行かれなければならないというのです。 そのようにして、神様が創造された、アダムをつくったことと同じものが地上に展開するのです。アダム、エバは、赤ん坊を育てることによって初めて、赤ん坊の主人になるのです。子女の主人の位置を、そのようにして初めて神様の代身として相続し、伝統を受けることのできる動機になるので、兄弟の主人の位置を受けることができるのです。 それから、夫婦の愛の伝統、父母の愛の伝統を受け継ぐのです。それでは、その伝統の最初の主人はだれなのでしょうか? 神様です。分かりますか? しかし、愛の伝統的赤ん坊時代から兄弟時代、成長して結婚時代、父母時代まで進んでいく、そのすべてのものは、神様自体によって成就されるのではありません。愛の相対によって主人の位置をつかんだという、この論理を知らなければなりません。分かりますか? (「はい」) 子女を持つことができなければ、母親は子女に対して、母親的主人を捜し出す道がありません。千万年たっても持つことができません。それでは、母親に子女を愛する主人の位置をもたらしたのはだれかというと、母親ではありません。それは、愛の相対であったという事実です。分かりますか? 神様が、赤ん坊の主人になられることのできる愛の位置に立つようにしてくれたのは、アダム、エバです。知っていますか? 兄弟が育っていくときの兄弟の愛の主人の位置を植えてくれたのは、神様ではありません。アダム、エバなのです。また、夫婦の愛の位置を受け継いだのは、神様ではありません。アダム、エバです。それから、父母の愛の位置を代身して、神様が創造なさりながら経た受難の歴史を、代身として繰り返し、同じものとして大きくなっていくのです。 種が繁殖し、多くの種を通してその氏族編成、民族編成をすることと同じように、公式は同じです。神様の愛の全権を受け継ぐためには、男性も女性も、結婚しなければならないという原則がここにあるのです。分かりますか? (「はい」) 男性は女性のために、女性は男性のために生きるのです。男性と女性がために生きることにおいて、その内容は何でしょうか? 一つにすることのできる力は、男性によるのでもなく、女性によるのでもありません。神様の愛です。神様の原動力を継承する位置で、相対的実存体が生まれるのであり、継承されていない位置では、神様であれ、人間であれ、永遠に理想的愛の位置を捜し出すことはできません。 愛の相対です。見てください。先生がお母様と向き合えば、愛が寝ていた先生の目を開けるでしょうか、開けないでしょうか? お母様になってみましたか? (笑い)これは、道理がそうなのです。開かなければ、原理原則と違うのです。愛だけ目を開けて、生命が寝ていたらどうするのですか? 生命が目を開けたのに、血が寝ていたらどうするのですか? 血と生命と愛が一度に火がつくのです。それで胸がはずむのです。それゆえに、愛を中心として主人になることができるのは、自分一人では永遠に不可能です。これは、警告しているのです。 それでは、「初愛」とは何かというのです。それは、女性として、男性として、愛の主人の位置を尋ね求めていくことです。初愛を拒否して横道に行くことは、愛をすべて切ってしまうことです。神様の天道の道理、赤ん坊から兄弟、祝福を受けて夫婦になる愛の道を、すべて切ってしまうことであり、神様を否定することです。愛の主人を完全に否定する者は、愛の理想で完全に満たされた天国に存続することはできないということは、理論的なことです。 ここにいる男性たちは、愛を持っていますか? (「はい、持っています」)。浮気したいですか? 浮気をするということは、原理の根本をすべて否定することです。「神様が主人になることのできる、赤ん坊時代から兄弟時代、夫婦時代、父母時代を中心として、これを中心として、おばあさん時代、女王時代、天の国の王宮まで引き継がれていく資格を持つべきであり、そうすることのできる代表的な、傷のない家庭のモデルになってこそ、家庭から天国に直行できるのである」ということは論理的起源であり、ぴたっと当てはまります。理論に合っています。 「愛は自分から始まる」と言っているような者は、滅びる者たちです。しっかりしていますか? (「はい」)。今までそのようにしてきたのは、ろくでもない者たちです。すべて売り払ってしまわなければなりません。 愛は、自分から出てくるものではありません。それゆえに愛は偉大なのですが、それはどれほど大きいでしょうか? 自分の億千万倍も価値のあるものを願うのです。ですから、天の国の何百倍の価値をも、わたしたちが、神様に侍ることのできる立場、それ以上の神様の位置にいたとしても、「私」はそれを占領することのできる資格があるのです。それは、驚くべき事実です。 神様も、その愛の前には頭を下げなければなりません。自分のすべての愛と生命と血統と、良心世界の霊的なすべてのものが、宇宙の全体を相続することのできる資格者としてのレッテルを張ってくれるということは、神様おひとりではできないのです。 アダム、エバ家庭を抱いて、愛の一致圏を描くことによって、それを相続するのです。そうでなくては、愛の園が永遠に生じることはできないということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」) 女性の美貌をもって、それを誇る女性たちは、売女です。男性たちも、自分が美男子であるということを誇ってはいけないというのです。「高く大きい神様の無限な価値を抱いて、宇宙の大王陛下となり、大王陛下の王妃となるために、願わくは高い愛を捜し出して豊かに暮らそう」という考えをする者がいません。 人間の五官は、愛のために動くのです。心と体も同じであり、神様も同じだというのです。それは真の愛です。そして子女、それから夫婦、それから何ですか? 父母です。それから何ですか? 神様です。神様は何ですか? この主人です。子女の主人にならなければなりません。 兄弟の主人、夫婦の主人、それから何ですか? 父母の主人です。天地の主人です。そこまで行ってこそ、表象的であり、動機的な神様のすべての愛の主人の位置を占領することができるのです。そうしてこそ、主人として顕現なさることができるというのです。 ですから、アダム家庭が完成して定着するということは、個人の完成であり、家庭の完成であり、そこから氏族の王であり、民族の王であり、国家、世界、天宙の王の位置を備えて出発したという事実を知らなければなりません。 それを願いとして望んでいくことが、男性として生まれていく希望の道であり、女性として生まれていく希望の道であるということを、皆さんは知らなければなりません。分かりますか? 野良犬のように、「相手ができた、デートする」といって誇ることは(何も)ありません。そうすれば、地獄に行くのです。人間は、世界を与えても換えることのできない高尚な愛の理想のために生まれたのであり、その愛の理想は、自分よりも億千万倍も優れた相対を願うのです。 それは、神様までもそのように願われるのです。そのように、わたしたち人間が、神様が持たれた愛の何千万倍、何億万倍りっぱであるようにと願われる、そのような神様の願いがあったということを知らなければなりません。 それでは、女性だけで男性がいなければ、どのようになるでしょうか? 五十億の人類ならば、男性と女性がそれぞれ二十五億になりますが、二十五億の女性の中に男性が一人いたら、それが元でけんかするでしょうか、けんかしないでしょうか? (「けんかします」) けんかして、二十五億の女性にどのようにして勝つのですか? 何をもって勝つのですか? けんかしては、勝つことができません。お金をもってしても料理することはできません。買うこともできず、うそをついてもばれてしまうのです。ひとえに、「絶対にために生きる」愛をもって成すのです。 だれも扱うことのできない愛、その人のために生きる愛だけが全体を屈伏させ、神様の前に「絶対にために生きる」ことのできる代表の女性がいたならば、その一人は、残ったとしてもけんかせずに、一等になることのできる道があるということを知らなければなりません。(「アーメン」) 文総裁は闘いませんでした。いちばん最後まで耐えに耐えて、世界を回ってみると、その道が、闘わずに最高の位置まで、神様の相続権を受けられる位置まで行くことのできる道だったのです。 そのようにしていると、滅びずに、かえって「滅びろ」と言っている世の中の前に勝利の覇権を握り、国を超えて世界を超え、歓迎される環境が結実したのです。そして地上世界だけではなく、霊界まで標準化することのできることをすべて終えたのです。アーメンです。(「アーメン」) わたしは、今から八十歳を超えれば、つえをついて少し休まなければなりません。休む所はどうしましょうか? 祝福家庭を訪ねていき、約六か月ずつ暮らすつもりですが、六か月間侍ってくれますか、侍ってくれませんか? (「侍ります」) そうして神様の家で暮らすよりも、もっと楽しくするのです。侍ることのできる自信がありますか、ありませんか? (「あります」)。自信があるという人は手を挙げてください。 さあ、分かりますか? このような主人圏を失ってしまいました。八代です。腹中時代から赤ん坊時代、兄弟時代、夫婦時代、父母時代、祖母時代、女王時代、それから神様の夫人の位置までの八段階の願いをおき、男性のために女性が生まれ、女性のために男性が生まれたのです。 そのような天宙の天理の道理があるので、これを成し遂げなくては、あの世に行ってあずまやに座して、王様としての務めを果たすことができず、女王陛下の務めを果たすことができないということを知らなければなりません。 胎中の赤ん坊が生まれ出るときは、すでに相対のために生まれたというのです。自分のために生きるものは一つもありません。ですから、無限な神様までも必死になられて、「この道を逃さないように成し遂げなければならない」と思われる使命があるので、その神聖な無限なる価値を復帰しなければならないすべての人々は、両手を合掌し、それを受けるために精誠を尽くして頭を下げなければなりません。 神様も、真の愛の前に絶対服従されるということを知らなければなりません。それは、「ために生きなさい」という宣言です。ために生きない人は、無限の世界の愛を占領することのできる道がないので、知恵の王であられる神様はそれをお知りになって、「ために生きなさい」という道理を立てられて、自分の生命を投入しながらももっと与えたいという「ために生きる心」を持っていらっしゃるのです。それゆえに、神様を嫌う人は、億千万代に一人もいないというのです。サタンまでもです。分かりますか? 神様のために生き、人類のために生き、万物のために生きて一生を暮らした人、神様のために億千万代にわたって人類の解放を願った存在は、そして全体の解放を必要とした存在は、歓声を上げて迎えることのできる時代があるのです。アーメン。(「アーメン」)。その世界に行かなければなりません。分かりますか? (「はい」) 「真の愛の主人に侍りましょう」。皆さん個人から始めて、心の世界の愛の主人、家庭世界、夫婦世界、父母世界の愛の主人、それから兄弟世界の愛の主人、それから族長、氏族圏内の愛の主人、民族圏内の愛の主人、国家圏内の愛の主人、世界圏内の愛の主人、天宙圏内の愛の主人を捜し求めていくならば、すべてが、神様までも「私」を絶対的相対とされ、永遠の理想世界で永存することができるという事実は、理論的な結論なのです。アーメン。(「アーメン」) 「真の愛の主人になりましょう」。皆さん。わたしが韓国に帰ってきてこのような話をするのは、韓国の地が、朝野が文総裁の後ろに従えば、間違いなく世界の王圏を受け継ぐことのできる主体国になるからです。 ところが、そのことが分からないので、これがすべて流れていくのです。相当に複雑な状況でしょう? 労働者、農民が乞食のようなありさまです。そのような僕のような者が王になろうというのですか? これはすべて終わりました。王孫が王にならなければなりません。王孫とは何かというと、ために生きる人たちです。 秩序を通して上下、高低、前後関係のバランスを取り、その位置がすべて標準価値として同和することができ、対等な価値として天上天下にいっぱいに満ちることができるような、価値的実用性を標準化させることのできる国が理想天国であり、天上天国なのです。 その国のために直行することが、統一教会に存続した人たちの行くべき「宿命の道」なのです。運命は変えることができますが、宿命は変えることができません。それは「宿命の道」なのです。父子の関係、夫婦の関係、兄弟関係、これは宿命的なのです。 兄弟を、お金でくじ引きして選び立てることはできません。夫婦、父母を選挙で立てることはできないのです。夫婦は父母から始まります。夫婦を分けることはできません。宿命的な因縁を忘却する「亡国の種」が多いのですが、それらはすべて地獄に流れていくのです。これを清算するための統一教会の宿命的な、偉大な使命を完遂し、神様の解放、真の父母の解放、万物の解放圏を成し遂げるのです。アー、アー、アーメン。(「アーメン」)。(拍手) (「真のご父母様が祝祷をなさいます」)。祝祷まで? (笑い)祝祷を受けることのできる資格者は、いないのにですか? 悪口を言いながらも、そのようにしなければなりませんね。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.09.10
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