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先週末、年休をもらってお休みしました。そして連れ合いと二人で、日帰りで奈良まで小さな旅をしてきました。 行き先は、関東の方ならたぶん修学旅行とかで訪れたことのある薬師寺(写真右=国宝・薬師寺東塔)、そして唐招提寺、おまけにもう1カ所、平城京跡(「平城宮跡」という言い方もします)を徒歩でぐるっと巡ってきました。 関西に住んでいますが、メジャーで有名な寺社でまだ訪れたことがない処が結構あります。奈良では、薬師寺と唐招提寺が僕らにとっては「未踏の寺」でした。 東大寺や興福寺、春日大社などは何度も行ったことがあるのに、なぜか薬師寺、唐招提寺がこの歳になるまで残っていました。いつでも行けると思っているから、気が付いてみると行ってない名所旧跡は案外多いものです。最近はそういうところを一つひとつ訪ねています。 薬師寺や唐招提寺がどこにあるのかも、恥ずかしながら、今回ネットで地図を調べるまではよく知りませんでした(ご存じのように、薬師寺や唐招提寺や他の奈良の有名寺社も含めてユネスコの世界遺産に認定されています)。 薬師寺は近鉄奈良線の西大寺という駅から、橿原線に乗り換えて2駅、「西ノ京」という駅のすぐそばにあります。大阪市内から1時間ほどで行けるとは少々意外でした(写真左=薬師寺北側の同寺玄奘三蔵院伽藍からは、白鳳伽藍の美しい建物群の屋根が見えます。左から東塔、金堂、講堂、西塔)。 薬師寺は7世紀末、天武天皇9年(680年)に創建された法相宗のお寺です。南都七大寺の一つで、東西両塔、金堂、講堂などの立派な大伽藍を持つ寺です。 ただし度重なる火災や戦国時代の戦火で、多くの建物が焼失し、現在白鳳時代の建物がそのまま残っているのは東塔(国宝)のみです。東塔は一見すると六重の塔に見えますが、実際は三重の塔です。 明治時代にこの薬師寺を訪れたフェノロサは、この東塔を見て、「凍れる音楽」と表現したそうですが、その気持ちはよく分かります。伽藍に高い塔を持つ寺は数多くありますが、薬師寺東塔は、美しさでは法隆寺の五重塔に匹敵するでしょう。 長く伽藍が荒れ果てていた薬師寺でしたが、昭和40年代に入り、信者や各地からの寄付金によって金堂、西塔、大講堂などが復興されました。そのおかげで今、私たちは白鳳の美しい伽藍を楽しむことができます。 薬師寺参拝を終えて、北へ徒歩で唐招提寺へ向かいました。15分ほどで南大門に着きます。平日で、少し雨模様とあって、観光客はまばらです。 唐招提寺はご存じ鑑真和上(688~763)が天平宝宇3年(759)に開いた律宗総本山の寺です。鑑真は、仏教の戒律を伝えるため日本から招請された唐の高僧です。 しかし日本への渡航は悪天候のため5回も失敗。6度目でようやく来日に成功した際には、失明するという苦難に見舞われます。 来日当時、鑑真は66歳。日本に滞在できたのはそれから10年ほどでした。再び唐に帰ることなく奈良で没しましたが、仏教普及に果たした功績は測りしれません。 実際に訪れた唐招提寺は、広大な薬師寺と比べると、意外とこじんまりとし寺でした。天平の美を今に伝える国宝の金堂は解体修理中(写真右上)でしたが、静かで荘厳な寺域にたたずむと、心が洗われるような気持ちになります。 なお、有名な鑑真和上像(国宝)は普段は御影堂に安置されていて、毎年和上の命日である6月6日(旧暦の5月6日)の前後1週間のみ開扉(公開)されるとのことです。 唐招提寺を後にした僕らは、さらに北東へ歩みを進めます。30分ほど歩いて国道をはずれると家もまばらになり、広々とした原っぱのような景色が目の前に広がってきます。 ここがかつての都(平城京)の中心でした。今は史跡公園のように整備され、平城宮の南の玄関口であった場所には、復元された朱雀門が堂々と建っています=写真左。 発掘調査は今なお続いていますが、場所が確定した建物(朝堂院など)の地上にはその基礎が復元されたり、礎石の位置が示されています。 2年後の「平城遷都1300年祭」の目玉事業として、大極殿の復元事業も進んでいました=写真右下。奈良時代の建物の詳細を知る手掛かりは少ないので発掘調査のデータのほか、平安京の大極殿(これも今はありませんが、平安神宮の本殿がモデルになるそうです)や唐・長安の大極殿を参考に復元しているとのことです。 史料が少ないので苦労は多いでしょうが、歴史にできるだけ忠実に復元されることを願っています(ちなみに「遷都祭」と言えば、あの変な坊さんキャラの「せんとくん」の話題ばかりが先行していますが、やっぱり、あんまり可愛くないねー(笑))。 平城宮跡は公園のように整備されていますが、なんと言っても広さが甲子園球場の30個分もある広大なスペースです。歩くだけでも疲れます。休憩するには、史跡公園の北西端にある「平城宮跡資料館」がクーラーも利いていて、ラッキーでした。 資料館には発掘調査で出土した瓦や土器、木簡類などが数多く展示されています。当時都には貴族だけでなく、当然、上級・下級役人や庶民もたくさん暮らしていました。木簡からはその暮らしぶりもうかがえます。 同館では平城宮跡の考古学調査と保存の必要性を訴えた先人たちの功績も紹介されていました。高度成長期の開発の波から、また目先のことしか考えない役人たちから、この貴重で広大な遺跡を守りぬいた方々に感謝せずにはおれません。 史跡をただ、歴史やロマンを感じる対象として見るのではなく、「過去の営みを知り、未来を生きる知恵を学ぶ場所」として見ることも必要ではないか。現場に立って僕はそんな思いを強くしました。 半日ハイキングのような旅でしたが、歩きすぎて足が少々疲れました。「エネルギーを少し補給しなければ」と帰り道、近鉄・鶴橋で途中下車。久しぶりに焼き肉をたらふく食って帰りました(「空」=そら=というお店。あぁ旨かった!この店の話は別の機会に記します)。 こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2008/08/31
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お盆休みでしばらくご無沙汰してすみません。元気で生きていますので、ご安心を。 戦災に遭わなかった京都には、今も町家が数多く残って、実際、そこが人々の暮らしの場になっている。それ故、町家を生かしたBAR(酒場)も多い。 そんな数多い町家BARの中でも、最近僕がとくに気に入っているのが、河原町通三条近くにあるBar「K-家」である(「けーや」と読みます」)。 中庭(箱庭)のある町家をそのままBARにした店。初めて行った時は、まだオープン直後で、正直言ってまだあまり内装は整っていなかった。 それが今や、ほぼ完璧に町家を生かした、落ち着いた空間になっている。大きな空間には、カウンターあり。テーブル席あり、個室あり。 最初に訪れた理由は一つ。僕が銀座で馴染みだったBar「T」出身のK君が、故郷に戻って、独立して開いた店だったから。 K君は、銀座の「T」時代はあまり話をする機会はなかったのだけれど、数年前に開いたこの「K-家」のマスターになってからは時々お邪魔して、よく話すようになった。 「K-家」の良さは、落ち着いた雰囲気に抱かれた居心地に尽きる。「隠れ家」という訳ではないのだが、こんなに心地いい町家Barを、京都では僕は他に知らない。 師匠のUさんの影響もあって、「K-家」にもオールドボトルやレアなモルトがたくさんある。さらに、師匠仕込みのカクテルも進歩著しい。今後ますます期待ができる「K-家」である。 今回はちょっと持ち上げすぎたかもしれないけれど、まぁ皆さん、騙されたと思って、京都を訪れた際は、ぜひ「K-家」におこしやす。【K-家】京都市中京区六角通御幸町西入ル 075-241-0489 午後6時~午前3時 火休こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2008/08/24
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会社のそばには、仕事帰りにちょっとひと休みできるような酒場がずっとなかった。酒呑みには、それがいつも不満だったが、1年ほど前、会社から2分ほどの距離に、居心地の良い素敵な小バコができてからは不満が満足に変わった。 実は、この酒場が出来た直後から時々店の前を通るたびに、気になっていた。店の看板の名前に、あの神戸の老舗BARにして、一昨年末惜しまれつつ長い歴史を閉じた「Savoy」を冠していたから=06年12月27日の日記。 その名も「Savoy Osaka」。僕は意を決して(というほど大げさなもんじゃないけれど)、ある日、会社帰りに一人で訪れた。カウンターが10席ほど。店内の奥に6~7人が入れるスタンディング・テーブルのスペースがある。 店はマスターのHさんが一人で切り盛りしていた。店名の由来を聞けば、当然の答えが返ってきた。Hさんはこれまで2軒の店で修業をし、そのうちの一軒が「神戸Savoy」だった。大阪で開店する際、神戸SavoyのオーナーだったKさんの得て、店名に「Savoy」を冠した。 神戸にはもう1軒、Savoyの伝統を継ぐ「Savoy 北野坂」というBARがある(こちらは一番弟子だった方が営む)。「Savoy」は関西では、「サンボア」と並ぶ由緒在る酒場。大阪にも「Savoy」の伝統を守る店ができ、本店のDNAが受け継がれていくのはとても喜ばしい。 もう一つ嬉しいことには、「Savoy Osaka」はオーセンティックBARの顔を持ちつつ、スペイン系の酒(シェリーなど)やフードが充実していること。これはマスターがかつて修業したもう1軒の店(エル・ポニエンテ・カルボン)の影響が大きいという。 フードが充実しているのは、小腹がすいた時などほんとに有り難い。僕の大好きなハモンセラーノ(生ハム)やアヒージョ(エビやキノコ、砂ずり等のガーリックオイル煮)もある。 さらに嬉しいことに、この手の酒場にしては最近珍しい「ノーチャージ」。あまり懐を気にせずに飲める幸せが、会社からこんなに近くで味わえるとは! 願わくは人気が出過ぎて、「いつ行っても満席」なんて店にならないでね。【Savoy Osaka】大阪市西区江戸堀1-1-9 電話06-6445-2077 午後5時~午前1時 日休&第3土休こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2008/08/10
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漫画家の赤塚不二夫さんが亡くなったというニュースを昨夜テレビで知った。72歳。6年前、脳内出血で倒れた後、ずっと入院生活だったという。 赤塚さんは言わずと知れた、天才ギャグ漫画家。「おそ松くん」「天才バカボン」「ひみつのアッコちゃん」「もーれつア太郎」など、数々の素晴らしい作品を生みだした(写真左=愛猫「菊千代」とたわむれる赤塚不二夫さん=1981年頃。 ( C )朝日新聞社 ) 小学校の低学年だった頃、将来の夢は漫画家になることだった。それも、「手塚治虫か赤塚不二夫みたいな漫画家に近づくこと」だった。 ちょうどその頃、大阪・なんばの高島屋で、赤塚さんのサイン会が開かれた。「おそ松くん」を週刊誌で連載し始めた頃で、まさに人気が急上昇していた時期だった。 僕は朝早く、開店から並んだ。学校を休んだ記憶はないので、たぶん日曜だったのだろう。サインを貰うために、当時としては高価な500円ハンカチを買わされ、そのハンカチにサインをもらった。 僕は赤塚さんへのプレゼントを大事そうに抱えていた。陶器製の高さ15cmくらいのペン立て。選んだ理由は今では忘れてしまったけれど、「インディアンの酋長(顔)」をモチーフにしたペン立てだった。 サインの順番が回ってきた際、「これ、プレゼントです」と手渡した。赤塚さんは「僕にくれるの? いいの? ほんとに有難う!」と言って喜んで、握手してくれた(写真右=「天才バカボンのキャラクターたち。( C )フジオ・プロ ) 僕は嬉しくて、感激してもう何も返す言葉が浮かばなかった。サイン入りのハンカチを握りしめ、小躍りして家まで帰った。「ハンカチ」は今も大事に持ち続けている。僕の宝物であり、あの遠い日の…思い出。 漫画家にはなれなかったが、その後も赤塚さんの漫画は欠かさず読み続けた。それほど好きだった、赤塚さんが亡くなった。今はもう悲しくて、悲しくて…、言葉が出ない。
2008/08/03
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「いま、京都で一番予約が取りにくい」と言われて久しい店。事実、今も予約は半年先まで埋まっていて、運がいいか、あるいは常連の知り合いがいないと、なかなか席には座れない。 銀閣寺近くの閑静な場所にある、そんな超人気店「草喰(そうじき)なかひがし」(写真左)に、ようやく念願叶って、お邪魔することができました! 「なかひがし」の料理の特徴の一つは、「自然の恵みを生かし、味わうこと」です。とくに野草や木の実をふんだんに使います。そして、その材料は店主自らが京都市郊外の山から、自生のものを摘んでくるというこだわりようです。 ご飯や焼き物も名物です。カウンター(12席)の目の前にある「かまど」で、丁寧に炊かれたご飯は絶品の味わいです。 別の専用のかまど=焼き場(これも客の目の前にあります)で、炭火でじっくりと焼き上げられる魚は、思わず唸る旨さです。 午後6時少し前、店に入るとカウンターの中では、店主である中東さん(一番奥)と板前さん2人が「先付」の盛り付けに忙しく動いておられます=写真右。 まず、エビスビールで喉を潤しながら、最初の一品の登場を待ちます。店はこの日も予約でいっぱいです。2階のお座敷には、すでに団体さんでいっぱいの様子です。 さて、「先付け」(写真左)。ご覧下さい。7種盛りの皿と小鉢が一つ。豪華すぎるというか、充実しすぎて、とてもすべて書き切れませんが、すべてが「発想と組み合わせの妙」です。 とうもろこし&寒天の大徳寺納豆添え、ズッキーニと鮎のテリーヌ、餅米を使ったハモずし、小イモのゴマ煮&花ジソ、アカザ(野草)のおひたし、蘇(そ)のミョウガ挟み(蘇とは飛鳥時代のチーズのような食品です)…。それぞれの味付けや調理法も工夫されてて、同じようなものは二つとありません。 2品目。白味噌仕立ての汁物(写真右)です。具には、カボチャと生麩、ワラビをつぶして混ぜものにした上品で、不思議な味わいです。 3品目。先ほどからかまどで焼かれていた鮎が出てきました=写真左。ひと皿に2尾乗っています。少し焦げ目が付くほどしっかりと焼かれています。「頭から全部お召し上がりください」とのこと。たで酢で頂きます。 4品目。「お口直しに」と旬の生じゅんさい(写真右)です。軽く白醤油が振られていて、アケモモの実と一緒に味わいます。普段、びん詰めのじゅんさいしか食べたことのない身には、生は新鮮です。 「じゅんさいは、京都(で採れたもの)ですか?」と尋ねると、「実は、あの(松坂牛の)松坂なんです。まっさーか(松坂)な~んて思われるでしょうが…」とご主人。ダジャレもお好きな方のようです。 5品目。刺身が出てきました。外見からタイかと思ったら、「コイの洗いです」(写真左)。笹の葉が添えられて、「コイ(恋)の笹(ささ)やき、なんちゃんて」とまたまたダジャレ連発です。 刺身には、皮も細かく刻んで添えられています。山椒の実と半凍りの大根おろしと一緒に頂きます。旨いったら何と。すでにビールは冷酒に変わっていますが、酒がすすむ、すすむ。 6品目。またまた汁物(若干あんかけ風かな)です=写真右。具に魚が入っています。 「ハモですか?」と聞くと、「岩魚なんですよ」。またまた裏切られました! 具はほかにアンデスイモ、クズ、カンゾウの花。こんな発想出てこないよねぇ。 7品目というか、炊きたてのご飯が供された。まだ少し芯がある状態。噛んでるうちに甘味が出てくる。お米本来の旨さを味わうには、この段階で口に含むのが一番かもしれません。 8品目。なれずしが出てきました=写真左。「なれずし」とは魚の口や腹にご飯を詰めて漬け込み、発酵させるもの。 関西だと滋賀県の「鮒(ふな)のなれずし」が有名だが、この日のなれずしは鯖(さば)。「昨年5月に漬け込んだ」という鯖のなれずしは絶品の旨さで、まるで高級チーズのような味わいでした。 9品目。鴨茄子の炊き合わせ(写真右)。細く千切りにされ、揚げた茄子の皮が添えられ、ほかにカボチャや木の芽など。 続いて出た10品目はシンプルなキュウリもみのしらす添え=写真左。しかしキュウリは「朝風キュウリ」というしっかりした食感で、しらすはシソ酢に漬け込んだもの。 11品目。いよいよ噂の名物「めざし」とご飯=写真右下。めざしは、どこ産のめざしか聞くのを忘れたけれど、普通のめざしではない。その焼きたてを頂くのだから、美味くないはずがない。 ご飯のお代わりもOKで、なおかつお釜の底に残った「おこげ」(これまた美味!)も食べさせてくれる。あぁ、おこげがこんなに美味いとは…。 12品目。お腹一杯になって満足した後は、デザート(写真左下)。これが、見かけも味わいも複雑な凝った品。基本は「ゼリー寄せ」なのだが、中にはバジルと豆腐のシャーベット、夏みかんマーマレード、生ブルーベリー、イワナシ…。もう絶句です。 13品目。デザートで終わりかと終わったら、もう一品、冷たい水出しコーヒーとお菓子が出てきた(金平糖とミモレットのような味わいのチーズ)。 水出しコーヒーというのも初めてだが、アイスコーヒーにチーズが合うというのも意外だった。どのひと品の料理も驚きの連続。客を喜ばせたい、驚かせたいという中東さんの心意気を見せられた夜だった。 以上で、「なかひがし」での楽しい、充実した晩ご飯はおしまい。これで1万円(飲み物別=飲み物のお値段も良心的です)だから、これ以上何を望むと言うのか。欲を言えば、もう少し予約が取りやすい店になってほしいなぁ…。【草喰なかひがし】京都市左京区浄土寺石橋町32-3 電話075-752-3500 12時~2時、6時~10時 月休 要予約(予約は毎月1日午前8時から翌月分を受け付け) 昼5千円~7千円、夜1万円~1万5千円こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2008/08/02
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