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万雑712_万葉集に載っている柿本人麻呂の歌_16
次も、人麻呂の妻が亡くなった時に人麻呂が泣き悲しんで作った歌の3首目で、
長歌(213)と短歌3首(214、215、216)です。長歌と短歌の2首は前の歌の異伝となっています。
213_「うつせみと 思ひし時に たづさはり 我が二人見し 出で立ちの 百枝槻の木 こちごちに 枝させるごと 春の葉の しげきがごとく 思へりし 妹にはあれど 頼めりし 妹にはあれど 世の中を 背きしえねば かぎるひの 燃ゆる荒野に 白たへの 天領巾隠り 鳥じもの 朝立ちい行きて 入日なす 隠りにしかば 我妹子が 形見に置ける みどり子の 乞ひ泣くごとに 取り委する 物しなければ 男じもの わきばさみ持ち 我妹子と 二人我が寝し 枕づく つま屋のうちに 昼は うらさび暮らし 夜は 息づき明かし 嘆けども せむすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ 大鳥の 羽易の山に 我が恋ふる 妹はいますと 人に言へば 岩根さくみて なづみ来し 良けくもそなき うつせみと 思ひし妹が 灰にていませば
」
※_「この世の人
と思っていた時に、手を取り持って二人で眺めた、聳え立つ沢山の枝の槻の木が、あちらこちらに枝を延ばしているように、春の葉が茂っているように若々しいと思っていた妻なのに、頼りにしていた妻なのに、無常の世の定めに背くことができなくて、陽炎の燃え立つ荒野に、真っ白な天人の領巾のような雲に隠れ、鳥でもないのに朝立ちして行って、入日のように隠れてしまったので、妻が形見に残した幼子が物を欲しがって泣くたびに、あてがうべき物がないので、男なのに脇に抱きかかえ、愛する妻と二人で寝た、(枕づく)寝屋の中で、昼は心さびしく暮らし、夜はため息をついて明かし、嘆くけども今更どうしようもなく、恋い慕っても逢うすべもないので、(大鳥の)羽易の山中に、私が恋い慕う妻が居られると人が言うので、岩を踏み割り苦労してここまで来た、そのかいも全くない、この世の人だと思っていた妻が、亡くなって土灰のようになって居られるので
」
と歌っています。
214_「去年見てし秋の月夜は渡れども相見し妹はいや年離る」
※_
「
去年見た秋の月は今も大空を渡って行くが、共に月を見た妻は、ますます年月が遠ざかってゆく
」
と歌っています。
215_「衾道を引手の山に妹を置きて山道思ふに生けるともなし」
※_「(
衾道を)引手の山に妻を置いて来て、山道を思うと生きている気力もない
」と歌っています。
216_「家に来てわが屋を見れば玉床の外に向きけり妹が木枕」
※_「
家に帰って来て我が屋を見ると、寝床の外の方を向いている、妻の木枕は
」と歌っています。
以上