Tsunami氏寄稿、SCRAP記事、写経・感想など 326
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★ 「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産に登録される 見通しとなったという。 おめでたい話である。 群馬県の富岡製糸場は1872年に明治政府が設立した官製の製糸場であり、 国内の養蚕・製糸業を世界のトップレベルまで引き上げた。 ★ 日本には絹織物産業が各地にあり、織物でなくて製糸工場がなぜと思う方が 多いと思うが、日本の国内需要は当時、和装の小幅織物が主であり、 外国向けには、生糸を輸出して、需要にあった織物を、海外の消費地で仕上げる ことが合理的であった。 つまり、絹織物は高価であり、需要に沿って消費地で生産することが必要であった。 我が国の外貨はこうして、女工哀史で彩られた生糸産業の上に獲得された。 明治維新後の輸出の牽引が、生糸であったが故に、国内むけの絹織物産地が原料の 生糸の高騰、および品不足で苦境に立ったのは言うまでもない。 ★ 絹織物での輸出として小生が思いつくのは、福井県の輸出羽二重(広幅織物)、 横浜のスカーフ、西陣などのネクタイなどである。 福井県の羽二重は次第に生糸織物から、人造繊維織物へと変遷し、 需要先も欧米の先進国から次第に後進国向けに広がり、 我が国の有力な外貨獲得産業となっていった。 東レ、帝人をはじめとする北陸などの合繊繊維産業の時代に繋がってゆく。 後には、長繊維のレーヨンなどが製造されて、縮加工などの特殊加工技術によって 絹そっくりの撚糸によりジョーゼットなどを可能にする時代が生まれていく、 その魁となった工場である。 この官製の工場には、華族の子女も居たといい、「伝習工女」が全国から 集まり、そこで学んだ技術が全国に伝播していった、。 1つの繭から採れる細い糸は1500mにもなり、それが日本の近代化を 支えてきたのであった。 この工場は、労働環境は良かったが、他の地域では女工哀史にみるように、 日本の近代化に中に埋もれていった部分があることを忘れてはいけない。 ★ 繰り返すが、今回の富岡製糸場は明治維新で世界に貿易の窓口が開かれた最初の 日本からの産品の輸出の主役となった意義があり、 現実にはそこで働く製糸女工のお陰で日本の近代化が図られたのであった。 明治以来の生糸が牽引する輸出産業は、綿織物、合繊織物へと道を譲っていった。 ★ 資料:「社会実情データ図録」より
Apr 27, 2014
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★叔父は、高知県テニス協会で貢献した人物であった。帰省すると、下手な小生をコートに呼んでくれたことを思い出す。その叔父は亡くなったが両目が西洋人のように青かった。義眼のように見えたが、そうではなく、栄養失調で色素が失われたのが原因である。ご存じだと思うが、長く栄養が不足すると体に異常が生じる。戦後すぐに満州からソ連兵によってシベリヤという極寒の地に抑留されたためである。広大なシベリア大陸を横切る鉄道建設のために「戦後」に捕虜とされた日本軍人が労働奴隷同然に隔離され使役された事実がこの眼の色素欠乏から判る。叔父は電気技師の資格を持っており、鉄道建設に欠かせない技術者として重宝されたために「無事に帰還」できたのだ。★ 叔父はこの抑留時の苦情を小生には話さない。代わりに一冊の自書の抑留体験記を貰った。残念ながら、転居の最中にその本を紛失してしまった。叔父の本のタイトルには「体験記」ではなく「始末記」となっている。他人に見せるものではなくて自らが後始末をつけた記録であった。 ★ ★ ★ネットでは「シベリヤ抑留死亡者名簿」などが公開されている。★ ★ ★「 1945(昭和20)年8月、第2次大戦終結時、満州(中国東北部)、関東州(遼東半島)、 北朝鮮、南樺太および千島列島において、敗戦を迎え武装解除された日本軍将兵 (一部民間人を含む)60万余が、ソ連の独裁的権力者スターリンの指令により、 軍事捕虜としてソ連領、モンゴル領および上記ソ連軍占領地域に 抑留され労働を強制された結果、6万名以上の尊い犠牲者を輩出する悲劇を もたらした。 一般にこの事実は、象徴的な意味において 「シベリア抑留」と呼ばれている。 しかし、その地理的範囲は単にシベリアのみでなく、 広大なソ連領およびその支配地域と モンゴルの全域におよび、 わが国史上最大多数の同胞が集団的に拉致され、 長期間(大部分は4年以内、最長11年間) にわたり抑留され、多数の死をもたらした 歴史的事件です。」 と、[シベリヤ抑留]はより広範囲に表記されている。★ このように戦後となっているのに関わらず、 領土支配を拡大し、土木建設に捕虜を奴隷的労働使役に利用したソ連の「人道的犯罪行為」は闇に包まれている。 叔父があえて口に出さなかったのは、過去の歴史体験を 穿り出して紛争を生じるよりも戦後の平和宣言の維持が大切であるという、「青い目の叔父」の 未来志向態度を尊敬している。★ ★ ★ 今、アジアで自国の領土拡大を核心的利益と公言し、覇権と 戦力拡大に躍起な中国宰相(1953年6月生まれ)が、 自国の現状変更行為を棚上げして、訪問先のドイツで 戦時の出来事を演説している。一方的な見解で 隣国の批判を繰り返しているのを、青い目の叔父達はどのように聴いているのだろうか。地下では軍靴の高まりに聞こえて、安眠できないかも知れません。 ★戦時の異常な出来事をお互いに反省して、 二度と不幸な事件が発生しないように務めるのが大切なのではないだろうか。 本当の意味での、戦争という異常な歴史事実を認識し、 永続的な平和構築のための礎を 築く努力が必要と感じる。★ 世に「いじめ撲滅」と言いながら、 新聞紙上にある[世界の首脳の言論]を並べてみると 平和を目的とした首脳の発言は不在であり 悪童のような発言しか見あたらない。子供達の憧れがこの世界に見あたらないのであれば イジメは横行し、人類の将来はないのかも知れない。 子供のイジメが多くなっていることは、大人のイジメ合戦が多くなっていることを反映する。★ 呆けの独り言です。★
Mar 30, 2014
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★国会の質問で、日本領土の境界近い島の表記に元自衛隊イラク派遣部隊隊長・佐藤正久氏から質問があった。「日本地図で領土を明確にすべき」だというもの。★「地図帳」では、辺境の島は便宜上、「地図の空き部分」に切り取って表示されている。部分的に切り取っているので、大きな部分と合わせるには緯度経度を当てはめないと位置感覚が掴めない。地図でもそうだから、天気予報では沖縄が「日本海」にあるような変な縮尺で表示される。★その日本海も、場所を示す標識でない「東海」というJRなら喜びそうな名前を「韓国政府」が世界的にキャンペーンを張っている。「自国を中心とした東の海」という命名である。中国の「東シナ海」とは趣が異なる。★本題に戻る。小生などは随分前にNHKや,気象協会にメールで「広域の表示が出来る時代だから日本の姿を、ありのままに明示すべきだ」と主張したことがある。★NHKでは、子供の不満のようにあしらわれた事が記憶にある。★遂に、国会議員が噛みついてくれた。有難い!★「一体、日本地図を子供達に正確に教えているのか。領土問題が国会で採り上げられているこの時期に、尖閣諸島、北方領土、竹島、その他の位置が高校生にも教えられていない、から判らないのである」、という意見であった。★中国、韓国が国を挙げて領土問題、戦後処理問題を採り上げ、それを有利に宣伝したものは愛国者として表彰するとまで言っているのに、我が国では教育の場では国土を意識していないようである。★戦時中の教育の誤りを反省して、客観的な教育を目指す反面で、行きすぎた逆走が教育の劣化に繋がったのは間違いないかも知れない。教育がイデオロギーに堕落しているかも知れない。教育学部ではないのでいい加減であるが・・・★呆けの小生が言うのは、日本海の名に報奨金を与えるのでなく、国際的に確定している地名、いや、海名の固有名詞を代えないだけである。★むしろ侵略された側では、自国内の不満解消のための隣国を非難するに都合の良い戦略分野のようである。この行き違いが、いまや国際的な判断を狂わしている。侵略された方が侵略しやすく、侵略した方がオドオドする。強い御相撲さんが華奢な芸者さんの前では温和しくなるような境遇である。芸者さんが御相撲さんを嬲っては良いことはない。互いの長所短所を理解すべきであろう。また脱線したようだ。★兎に角、地図は変形しない方が良いに越したことはない。「形」もさることながら、いわんや、「固有名詞」において「おや」である。★「おや!」であって、「おや?」ではない。グーグル地図では、ズームアウト、ズームインで地図を 拡大縮小できる時代である。地図帳も変にぶった切って空き地に散らばらさないでも良いのである。スマホでも拡大縮小が自由に出来る時代だからNHKや気象庁はもう少し愛国心を持って地図を眺めて貰いたいものである。もちろん、気象の確率を上げて貰うことも大事である。 ★ 諄いついでに、言っておきたい。気象は地球の自転方向の偏西風により左右されやすいのであるから、気象庁に、西の方からお天気を解説して貰いたいと言ったら、笑われたような気がする。滅多に、東方からお天気が変わる事もないと思うが、過去からの「おまじない」や、「伝統」のようなものがあるらしい。「不思議なお天気予報の習慣」があるものである。この習慣が間違っていないか、科学者に検証して貰いたいものだ。 ★
Feb 10, 2014
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★ 昨年の中国のGDPの成長率は7.7%と8%近い高成長率を保ち、名目GDPは世界第2位で日本のほぼ2倍を示し、1位の米国を追い上げている。人民元が安さを売り物にした時期とは異なり、今の中国経済は輸出寄与度はマイナスに転じ、自動車需要、スマートフォン需要などの国内消費需要、住宅建設や交通分野などの公共投資が牽引している。自動車の合弁工場は生産を急上昇させており、スマートフォンはほとんど国産に切り替わってきている。★ このままだと、米国に10年後には追いつく勢いであるが、問題点もハッキリしつつあるようだ。7.7%の経済成長への寄与度では、資本形成総額(=投資)は54.4%を占めており(前年は47%)、そのうち「公共投資」が大きいことを政府は暗に認めている。地方政府の公共投資は、巨額の借金によるものであり、その供給体は「銀行」への締め付けから、一部には「シャドーバンク=影の銀行」がなりかわっている。その投資が、鉄鋼、化学産業に向かい過剰生産能力を生み出し、期待した太陽光パネルでも作りすぎで価格下落にも見舞われている。重化学工業では、生産重視のあまり、環境問題(排気・排水)の規制が行き届かないためにPM2.5に象徴されるような環境破壊が社会問題となってきている(偏西風に乗るから国際問題にもなる)。★ このまま、環境コスト負担をせずに経済成長を遂行することはいかに共産主義経済であっても不可能であり、政府は環境コスト上昇を受け入れて減速する覚悟のようである。また、一人当たりGDPでの比較をすると、日本の約4万ドルに比較して中国は約7千ドルと1/5にすぎず、日本は住民の生活の豊かさでは追随を許していない。経済成長の先輩の日本が通過した道を、大国の中国が歩んでいるわけであり、日本は先進国としての環境問題の克服策を伝授して、中国が福祉国家に転換できるようアドバイスすることが大事であろう。日本の環境関連や、医療関連企業などが中国経済のバランスの良い成長を支えることこそ、両国にとって平和な歩をもたらすと信ずるものである。 ★ 参考資料 ★<中国の主な経済指標の対前年比伸び率%:読売新聞2014.1.21> 項目2012年2013年 経済成長率 7.7% 7.7% 工業生産 10.0% 9.7% 固定資産投資 20.6% 19.6% 社会消費品小売総額 14.3% 13.1% 輸出 7.9% 7.9% CPI(消費者物価指数) 2.6% 2.6% 新車販売台数 4.3% 13.9%<日中経済は可成り差が開いている:朝日新聞2014.1.21>項目中国日本 名目GDP 約980兆円 472兆円(*) 貿易総額 4兆1600億ドル 1兆6800億ドル(*) 新車販売台数 2198万台 537万台 携帯電話販売台数 約3億8000万台 4200万台 インターネット人口 6億1800万人 9650万人(*)(*)印の調査時点は2012年、それ以外は2013年
Jan 21, 2014
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★新年おめでとうございます今年は、「歴史認識」、「現状変更」がキーワードの年のように思われます。第一次、第二次世界大戦を挟んだ歴史認識、それを通り抜けた戦勝国だけが戦後の状態を自己都合で変更できるという考え、その矛盾が問われる年です。★とは言ってみたものの、自分の歴史観は極めて乏しい。今年の大河ドラマは軍師「黒田如水」を取り扱っていますが、その「黒田官兵衛」とは「かんべえ」というと、同僚の「竹中半兵衛」、武田信玄の軍師・「山本勘助」と勘違いしたり、息子の「黒田長政」をシャムで活躍した「山田長政」と混同したり、あまりのお粗末さに自分がウンザリです。★ただ、生きた時代はほぼ同じ時代であったことにホッとしています。★家内は、秀吉の朝鮮出兵も官兵衛の智慧でしょ、日韓関係もそのためにまだ揉めているのだから、という。★呆けの小生は、世界制覇を狙う中国・元朝が朝鮮を従えて元寇として日本を二度も襲い、鎌倉幕府は窮地にあったが自然現象の台風で襲来船は藻屑と化したにすぎず、秀吉は後継者・秀頼の安全のために、敢えて出兵したに違いない、と主張した。しかし、戦後の日本の教育からは、元寇襲来の凄まじさに対する、恐れはまるでない。「世界は戦争を放棄した、いや、すべきだ」、「神風がまた吹く」というような「楽観論」が流れているようだ。しかし、いま、中国が保有している軍艦は、元寇時代の帆船どころではない。台風は巨大化しており、それに対抗できる手はないとしても、台風を避けて攻撃するスピードはあり、空からも攻撃できる能力を中国は持っているのである。月からの資源獲得も狙っている節があるくらい・・・?中国は、朝鮮半島を味方に付けて、再び、「元寇」を起こすかも知れない。★鎌倉時代に、元寇が押し寄せる時、その事実を予見・察知した日蓮上人が北条時宗に防人の必要性を直訴したが、現代はどうだろう。政教分離の公明党には日蓮上人の危機感はあるのだろうか?道徳教育を言うよりも、中国の世界制覇への歯止めを、友好国・米国またアセアン諸国、国連に訴えることが先かも知れない。★TPPよりも重要なことが起こりつつありそうに思うのは小生の呆けが進んだのかも知れない。★アベノミクスでは、経済的な面だけでなく、中国のフン族、モンゴル帝国での世界制覇が再び起こり始めていることに気付くべきであろう。★そのような世界制覇への防御態勢を構築せざるをえない年となるように思う。なんせ、「騎馬民族」、午の年なのだから・・・脱線した。★「マホメット&シャルルマーニュ」は「マホメットをフン族」に置き換えて中国の世界制覇を歴史認識する歴史家の出現を待ちたいものである。ジンギスカンも素晴らしいが、アッチラはもっと素晴らしいと思う。その怖さを知っているのは、ヨーロッパ世界であり、日本は、米国もそうだが、ヨーロッパを味方に付けるべきであろう。★以上は、呆け頭の「正月の夢物語」に過ぎない。★///////////////////////////////////////////////////お正月でもあり、しばらく、めいてい君は休養します。///////////////////////////////////////////////////★
Jan 1, 2014
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もう数十年前であろう。小生の勤めていた会社に「宗(そう)さん」という色白の好青年がいた。裏千家の家元か、対馬の殿様の家系かと思ったのだが、本人は無関係だと言っていたように記憶している。それでも、何だか高貴な生まれのように思われたのは彼の持ち前の雰囲気であろう。そう言えば、会社には、「秦さん」、「結城さん」など歴史を背負っている人(自覚・自認していた)も随分といたのだ。★さて、日本の対馬のお寺で韓国籍の賊の盗難にあった仏像が、もともとは韓国のものであるという主張がなされている。また、古来・日本領土の対馬で、不思議な国境問題が起こっているのでWIKIPEDIAなどで「歴史」を写経してみたい。 ★ ★ ★中国への遣隋使、遣唐使も航海は、壱岐、対馬を寄港地とした。 663年の白村江の戦い(「百済・日本連合軍VS唐・新羅連合軍」で日本は東国から防人を徴発し百済(日本と関係が深い)に援軍を送った。万葉集には、この戦いの、防人歌が残る。その4年後、対馬に山城・金田城(かなたのき)を築き、国境要塞とした。674年には厳原(いづはら)に国府が置かれて、国守が朝廷に「銀」を献上。741年には国分寺も建立されている。「防人の制」としては、東国からと、九州からとが数回入れ替わった。古代の日・朝(新羅)の交流は、朝・日入朝が540年~929年で89回、日本・新羅使節(遣新羅使)が571年~882年で45回も全て対馬経由で行われた。894年に新羅・賊船の入寇では撃退、1019年「刀伊(女真族)の入寇」では、対馬、壱岐、北九州を襲われ、奴隷として連れていかれた。対馬・国守は、源氏に味方し、平氏から追討を受けて、高麗国に逃亡し、1185年に帰国した。鎌倉時代には守護・少弐氏が置かれた。12世紀には、太宰府の官人・惟宗(宗氏の始祖)氏が対馬に入部し、「守護代」として勢力を伸ばし武士化した。国交のない高麗との交易を行っていた、対馬の有力者「阿比留氏」を太宰府の命で宗氏が征討し支配権を確立。鎌倉時代は、二度にわたる、元およびその属国・高麗による「元寇」を受け、玉砕した。元寇終結後は倭寇の活動が活発化して、対馬は倭寇の根拠地の1つとなる。高麗王朝が、倭寇、海寇の取締まりを1366年「宗氏」に依頼、通商開始。1389年、高麗軍が倭寇討伐として対馬を襲撃、1419年にも朝鮮王朝第3代太宗が対馬に侵攻したが、膠着状態から和平を受け入れて巨済島へ全面撤退(応永の外寇、乙亥東征)。朝鮮王朝第4代世宗は日本との善隣政策として3度の通信使を送り、日本から朝鮮への渡航は「宗氏」の統制下に置かれ、朝鮮南部海域の漁業権も与えられた。(1471年申叔舟 著「海東諸国紀」1510年朝鮮王朝の貿易抑制策、同国在住日本人締め付けに対して、兵乱を起こしたが宗氏は大敗(三浦の乱)、中国人を主体とする後期倭寇が広い海域で活動し、日朝貿易は衰退。宗氏は戦国時代に入り、壱岐に進出した松浦氏と対立。秀吉の時代には、宗氏は早くから臣従を決め「従四位下侍従・対馬守」に任ぜられ、朝鮮出兵の中継基地となり、先陣を務め講和の画策も行う。関ヶ原の戦いでは西軍側に立つが、家康に許され、李氏朝鮮との窓口を担う。宗氏は鎖国時代でも、朝鮮通信使を迎え、釜山の和館での出貿易を許され、釜山の発展に尽くした。明治維新まで宗氏家系は断絶も無く、明治維新後には伯爵、華族に列せられた。対馬の管轄は、変遷の後、長崎県となり、対馬の6町が全て合併し、対馬市の1市体制となった。★このように、古代から、宗氏の現代まで日本の領土であり続け、減ったとは言え、数万の島民の生活が営まれているのである。★平成25年10月 長崎県対馬市 人口 33,652人(15,309世帯)★
Dec 2, 2013
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テニスのWEBでのティーティング・プロが「印度哲学:刹那舜」という言葉を引用して、テニスの面白さを教えている。「1ポイント前に起こったことは、すでに消えさった過去であり、次の1ポイントは新たに生まれた命である。」という田中信弥プロの思考方法である。「消えては生まれる、生まれては消える」の連続と、「万華鏡」に見える無限の広がりは、インド思想の遠大さを物語る。 觔斗雲(きんとうん)の孫悟空でも釈迦の掌から出ることは難しい。★・★ 宇宙の広がり★ 太陽系★ 地球★ 人間を頂点とする生物世界★ 微生物・細菌の世界★ 分子の世界★ 原子の世界★・★ さて、インドの実際の旅行ルートの一例を見ていきたい。<国際線の航空機スケジュール> (JALの運行で見ると)1.東京(成田空港)→インド(デリー空港) 11:50<デリー時間:8:20>→18:20 飛行所要時間:10時間 移動距離:5901km 平均移動速度:590km/h<インド国内航空機のスケジュール>2.デリー空港→ガヤ空港 13:20→14:50 飛行所要時間:1時間半 移動距離:882km 移動速度:588km/h3.ベナレス空港→デリー空港 15:50→17:05 飛行所要時間:1時間15分 移動距離:684km 移動速度:547km/h<インド国内専用バス旅行(距離)>4.ガヤ→(209km)→サルナート→(9km)→ベナレス5.デリー→(177km)→アグラ<国内長距離移動ルート順>・航空機:デリー空港から東南方向のガヤ空港へ・バス:ガヤ空港から西北方向のサルナートへ・バス:サルナートから南西方向のベナレスへ・航空機:ベナレス空港から北北西方向のデリー空港へ・バス:デリーから東南方向のアグラへ6.インド(デリー空港)→東京(成田空港 20:20<成田時間:23:50>→7:20 飛行所要時間:7時間半 平均移動速度:787km/h 移動速度は、「行き」に比べて「帰り」は197km/h速い。 JET風(地球の回転方向)に乗っているからであろう。 太陽は東から昇るのではなく、地球が東に向かって 回転しているのである。<立ち寄り地区に存在する主要観光遺産>世界遺産(★)と歴史遺産(・)1.デリー地区★デリーのフマーユーン廟★デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群2.ガヤ(ブッダガヤ)地区★ブッダガヤの大菩薩寺3.サルナート地区・釈迦の初説法地<仏教の4大聖地の一つ>鹿野苑(ろくやおん)・ムルガンダ・クティ寺院・アショカ王の石柱4.ベナレス(ヴァラナシ)地区・ヒンドゥー教の一大聖地で千を超える寺院がある・聖なるガンジス河での沐浴5.アグラ地区★アーグラ城塞★タージ・マハル★ファテープル・シークリー<備忘録>11月12日のインドの最高/最低温度(気温)は、デリーでは26度/10度、ジャイプールでは26度/14度で、朝晩は気温が低下。服装は調節可能なものを。歩くことが多いので、はき慣れた靴を。設備・衛生面の行き届かない観光地もあるとの認識。生水厳禁。ミネラルウオーターを購入し、歯磨きにもそれを使用。生野菜、カットフルーツなど厳禁、十分火の通った料理。衛生面に注意。・・・・・通貨ルピー=1.7円位・・・・・チップ・・・習慣化。枕チップ=50ルピーor1ドル。トイレチップ=10ルピー。両替したお金の受け取りは、目の前で確認のこと。・・・・・パスポートを管理し、紛失なきように。スリ、置き引きには注意。物品購入後のトラブル(偽物、不良品、誤配送など)が起きないように注意。手荷物の刃物類(髭剃り、爪切り、毛抜きなど)、液体類(100ml以内は持ち込み可)は没収、一時預かりとなるのでスーツケースに移す。・・・・・海外旅行傷害保険加入を奨励。などなどおみやげには本場のダージリン紅茶をどうぞ!素晴らしく美味しいです。
Nov 29, 2013
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(その1)から続く インド世界遺産(文化遺産)の写経(その2) <資料:WIKIPEDIAなど>世界遺産名(登録年)説 明<距離はデリーからの大圏距離(緯度:経度)> サーンチーの仏教建造物群(1989年)<デリーの南方576km、(23.48 : 77.74)> インド中部の丘陵の村で、大乗仏教遺跡があり、仏塔・寺院が多く存在する。インド古代の最初の統一国家マウリア朝最盛期を築いたアショーカ王は紀元前3世紀に8万4千の釈迦の遺骨(仏舎利)を安置する卒塔婆を建立し、うち8つがサンチに建立、3つが現存する。石材造りのドームの形状をしている。 デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群(1993年)<デリー、(28.63 : 77.22)> ムガル帝国第2代皇帝フマーユーンの墓廟、インドにおけるイスラーム建築の精華の一つで、タージ・マハルに影響を与えたと言われる。ペルシャ出身の王妃が亡き夫のためにアクバル大帝治世の前半に建立した。 インドの山岳鉄道群(1993年、2005年) インドの山岳部を走る、「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」などナローゲージ蒸気機関車の3鉄道。・ダ-ジリン・ヒマラヤ鉄道: 小型タンク機関車、最高点2143m<*>・ニルギリ山岳鉄道: ラック式蒸気機関車、山岳駅2200m・カルカー・シムラー鉄道: トイトレイン、カルカー656m、シムラー2076m ブッダガヤの大菩薩寺(2002年)<デリーの東南888km、(24.69 : 84.99)> 釈迦牟尼が悟りを開いた場所ブッダガヤにある寺院。紀元前約530年、僧として放浪している釈迦牟尼がガンジス川支流の森の岸に着いた其の位置に建立された。 ビンベットカ(Bhimbetka)の岩陰遺跡群(2003年)<デリー南方636km、(22.93 :77.58)>岩陰遺跡は、洞窟の開口部の代わりに、もっぱら石器時代段階の岩陰に遺された居住の痕跡を指す チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(2004年)<デリーの南西方向1152km、海側、(19.09 : 72.86)> ムンバイにある19世紀の鉄道駅で、「ヴィクトリア・ターミナス駅」が旧名称。「CST」または「VT」の省略形が通じやすい。駅舎はヴェネツィアゴシック様式で、壮麗で豪奢な建築物。 チャンパネール=パーヴァガドゥ(Champaner-Pavagadh) 遺跡公園(2004年) <デリーの南西779km、(20.53 : 75.75 )> インド西部のチャンパネールは4世紀頃からヒンドゥー教の王国として栄えた町で、その近くのパーヴァガドゥの山には古い寺院があるが、町中にある遺跡はイスラム王国が攻め込み、首都としたためにイスラム教のモスクである。建築を命じられた職人達は、インド伝統の技術(石積でなく石柱)で建造した。二つの文化の融合でインドーイスラム様式の芸術が誕生した。 赤い城の建造物群(2007年) <デリー(28.63 : 77.22)>デリーにあるムガル帝国時代の城塞。「デリー城」。 (アーグラ城と混同される場合がある。)ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンがアーグラから遷都して築いた居城。サリームガル砦と「群」をなす。 ジャイプルのジャンタル・マンタル(2010年)<デリー南西238km、(26.91 : 75.78)> インド・ジャイプルにある天文台で、天文学者でもあったムガール帝国のマハラジャ、ジャイ・スィン2世(1728~1734)が居城の一角に建造。 <*>かわいい蒸気機関車を見てください。 ご自分で下記のURLを指定してください。http://www.youtube.com/watch?v=hKK_71G0W-Q 世界遺産(自然遺産)の写経 <資料:WIKIPEDIAなど>自然遺産名(登録年)説 明<距離はデリーからの大圏距離> カジランガ国立公園(1985年)<デリー東方1610km> インド東部のアッサム州を流れるブラマプトラ川の左岸に位置する草原と森林からなる公園で、絶滅危惧種のインドサイの棲息地。トラ、ヒョウ、水牛、インド象の他、ベンガルノガンなどの希少鳥類や絶滅の危機にある動物の棲息地。 マナス野生生物保護区(1985年)<デリーからアッサムは東方1575km> ブータンと国境を接するアッサム州北西部にあり、熱帯雨林、温潤な草原、半常緑樹林、広葉樹林の生物保護区に棲むインドサイ、インド象、水牛、コビトイノシシなど哺乳類、インドオオサイチョウ、ベンガルショウノガンなど鳥類が棲む。タイガーリザーブ指定地でもある。 ケオラデオ国立公園(1985年)<デリー南方167km> インド・ラージャスターン州にあり、かつては「バラトプル鳥類保護区」として知られた。ソデグロヅルなどの絶滅危惧種、希少種の越冬地。 スンダルバンス国立公園(1987年)<デリー東南1390km> インド東部の西ベンガル州の世界最大規模のデルタ地域にあり(8万平方kmの1330平方km)、希少種、絶滅危惧種(ベンガルトラ、イリエワニなど)が棲息する。 ナンダ・デヴィ国立公園および花の谷国立公園(1988年、2005年拡張)<デリー東北329km> インド北部の中国、ネパール国境付近のウッタラーンチャル州にあり、標高7816mの高峰ナンダ・デヴィ(ヒンドゥー教の「祝福された女神」)山はユキヒョウ、ジャコウジカなどの珍しい動物が棲んでいる。燦然と輝く氷河、雪原は壮大なパノラマを見るよう。雪洞のようなボンボリトウヒレンは山の女神の宿ったような不思議な花、他にも「幻の花」と言われる青いケシ、メコノプシス・アクレアタも咲いています。西ガーツ山脈(2012年) <デリー南方1576km> インド西海岸沿い山脈の名前であり、ニルギリ山地は美味しい紅茶の名産地で、マラヤ山はゴーシールシャ・チャンダナというビャクダンが生える牛頭山で有名。
Nov 28, 2013
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家内がインド旅行から元気に帰国した。以前に、大河ドラマ「平清盛」を最初に見たら、画面が土埃だらけで、老人には見づらかったが、中国のようなPM2.5による大気汚染公害はない、土埃の国のようである。すこし痩せた牛が道路を歩き、温和しい、たくさんの犬が寝そべっている。とにかく人がたくさんの国、インドであったらしい。そのインドの世界遺産群の写経である。WIKIPEDIAなどのWEBの資料から纏めているが、地名などが極めて難しい。グーグルを利用する場合は、「英文地名、India」で検索した方がとんでもない場所に連れて行かれることがないようだ。距離は大圏距離であり、実際のルート距離ではない。方角はデリー(緯度:経度、28.63 : 77.22)からのもの。地理に不慣れな小生だけに、間違っていたらゴメンなさい。 インド世界遺産(文化遺産) <資料:WIKIPEDIAなど>世界遺産名(登録年) 説 明<デリーからの方角、大圏距離(緯度:経度)> アジャンター石窟群(1983年)<デリー南方914km、(緯度:経度=20.53 : 75.75)> インドのマハラーシュートラ州北部、ワゴーラー川湾曲部を囲む断崖を550mにわたって断続的にくりぬいて築かれた大小30の石窟で構成される古代の仏教石窟寺院群のことをいう。 エローラ石窟群(1983年)<デリー南々西方981km、(24.55 : 79.23)> ムンバイの東にあるアウランガーバード郊外の世界的に有名な石窟群である。カイラサナータ寺院は一つの彫刻。 アーグラ城塞(1983年)<デリーの南南東180km、(27.17 : 78.00)>アーグラにあるムガール帝国時代の赤砂岩で築かれた城塞 タージ・マハル(1983年)<デリーの南南東181km、(27.17 :78.04)>ムガール帝国第5代皇帝が愛妃のために建てた総大理石の墓廟 コナーラクのスーリャ寺院(1984年) <デリーの東南方1324kmの海側、(19.89 :86.09)> スーリヤ寺院を有名にしているのは、壁面を彩るヒンドゥー彫刻である。スーリヤ寺院には7頭の馬に曳かれる馬車に乗っていたという太陽神スーリヤをモチーフにした馬車が彫刻として残っている。高さ3mの車輪が基壇に彫られ、その数は24に及ぶ。 マハーバリプラムの建造物群(1984年)<デリーの南方1808km、海側、(12.92 : 80.20)> パッラヴァ朝のマーマッラ王やその後裔は、貿易港であったマハーバリプラムに石積の海岸寺院と、花崗岩の岩山に数多くの石彫寺院(ライオンや象の「5つのラタ」)や岸壁彫刻を残した。 ゴアの教会群と修道院群 (1986年)<デリーの南南西1518km、海側、(15.29 : 74.12)> 実質的に1510年~1961年までポルトガルのアジアの拠点であり続けたゴア。フランシスコ・ザビエルの墓もある。 カジュラーホーの建造物群(1986年)<デリーの南南西1151km、海側、(19.09 : 72.86)>10世紀初頭~12世紀末頃のチャンデーラ朝時代に85箇所(現存は25箇所)の芸術性の高い彫刻を伴うヒンドゥー教、ジャイナ教の寺院群が建造された。ミトゥナ像を含む官能的な豊穣祈願が見られる。 ハンピの建造 物群(1986年)<デリーの南方1483km、(15.33 : 76.46)> 14~16世紀にインド南部ヒンドゥー教勢力が結集したヴィジャヤナガル朝の王都で、宮殿、寺院が建設された。廃墟となったがヴィッタラ寺院、ヴィルーバークシャ寺院をはじめ40ほどの遺跡がある。 ファテープル・シークリー(1986年) <デリーの東南465km、(25.92 : 80.80)>ムガル帝国第3代皇帝アクバルが建設した都市で世継ぎを授かり遷都、渇水と猛暑で14年後に廃墟。「勝利の都シークリー」の意 パッタダカルの建造物群(1987年)<デリーの南方1419km、(15.94 : 75.81)> 6世紀~8世紀のヒンドゥー教建築は、ピラミッド形をした南部の様式と砲弾形をした北部の様式が混在し、現在、9寺院が残っており、すべて宇宙の破壊と創造を司るシヴァ神を祀ったものである。遺跡では寺院が北から南にかけてほぼ年代順に並んでいる。 エレファンタ石窟群(1987年)<デリーの南西方向1162km,ムンバイ近郊のアラビア海上の島、(18.96 : 72.93)>エレファンタ島の石窟寺院。シヴァ信仰の中心地。ポルトガル人が銃の練習の標的としたことで外観を損なっている。 大チョーラ朝寺院群(1987年、2004年拡張)<デリーの南方1997km、(10.78 : 79.13)> 大チョーラ朝寺院群を構成する寺院は以下の3つである。かつてのチョーラ朝の首都であったタンジャーヴールとガンガイコンダチョッラプラムにあるブリハディーシュワラ寺院の2つの寺院は、1987年に登録された。ダラシュラムにあるアイラヴァテスヴァラ寺院は2004年に登録範囲が拡張され、登録された。世界遺産はこの3つの寺院から構成される。(その2)に続く
Nov 27, 2013
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★ ケリー米国務長官、ヘーゲル国防長官は共に、一方的に発せられた中国・防空識別圏設定に対して「強い懸念」を示し、クリントン前国防長官も言及した、尖閣諸島には日米安保第5条が適用される旨を再確認し、中国を強く牽制し、釘を刺した。 日本政府と協議を行い対応策を検討する。 韓国国防省は、中国防空識別圏が韓国の防空識別圏KADIZと、済州島西南で重なるとして「遺憾」の意を示した。KADIZは朝鮮戦争中に設定されたため、その中には含まれていないが、韓国が実効支配している暗礁「離於島(中国名:蘇岩礁)」を中国防空識別圏が含んでいるからである。「同島の管轄権は影響を受けることはない」として、「韓国の国益に影響しないよう中国と協議していく」とした。以上が読売新聞の朝刊にある。・・・・・・・「中国による戦後のハワイを境に米中で領土問題を論議する姿勢」が鮮明となり、隣国ばかりでなく、米国を刺激している。 陸地続きで中国からの脅威下にあった韓国は、長年にわたり、恭順・協調の姿勢を取り続けることで侵攻を阻止してきた。 元寇での日本侵攻も元の命令でやむなく挙行したのであった。 日本本土は、荒れる東シナ海で元寇を防げたが、今回は、船舶も大型化しており、空を飛ぶ航空機、ミサイルなどの時代である。★日米韓で中国の覇権主義を思い止まらせて、自国のPM2.5や少数民族問題を解決するように、正常な国家体制に回帰することを促すべきであろう。★ 中国は、清国時代に阿片戦争で外国から侵攻された苦い経験があり、日本はこれをみて、長崎「出島」だけを窓に残して鎖国に転じた。 ペリー提督の来航で再び開国した日本とは事情が違うが、外国に攻めるのが国防ではなく、しっかりと国土を内部で固めて守り、安寧・繁栄させることが国家の本来の役目であろう。★ 韓国が「歴史問題」を採り上げており、小生も韓国訪問の時に「豊臣秀吉の朝鮮征伐」に対する遺恨が強く残っていることに驚き申し訳ない気持であった。 しかし、それより少し前に、「元寇の先兵」として高麗王国が東シナ海の日本領土の島々を殲滅していったことなどはどうだろうか。 元寇が、日本の国防=「防人」を目覚めさせたことは事実であるが、日本では鎌倉幕府の事件「いざ鎌倉」としてのみで、強くは扱っていない。 恐ろしい事件であったが、「神風」が守ってくれる国とでも言うように・・・ 日蓮上人だけが「襲来を予見」していたようであるが。 その後は、和の精神で消極的な「鎖国策」を取ったのである。★ 韓国が自国の国揚に貢献した海外移転人に恩賞を与える政策を執っており、個々では素晴らしい民族であるが、他国批難の貢献度でなく世界平和に貢献する人に恩賞をあげるくらいの器量・度量が国際人であろう。★ 呆け頭の小生は、「記憶も、記録も」ゴッチャであるが大陸との海峡の島々での喧噪は避けたいものである。★ ついでで申し訳ないが、元寇から日本を救った「鎌倉」が早く世界遺産に指定されないかと期待している。★
Nov 25, 2013
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★中国国防省は尖閣諸島を含む、「東シナ海の防空識別圏」を設定したと発表した。日中中間線を越えており、尖閣諸島を含み、日本の防空識別圏を遙かに超えた、自国の「国家主権と領土・領空の安全を守る」ためだという。日本外務省は中国公使に電話で「我が国固有領土の尖閣諸島の領空を含むもので全く受け入れられない。不測の事態を招きかねない非常に危険なものだ」と抗議した。 日本の防衛省は中国機が情報収集のために東シナ海を飛行しているのに対して戦闘機をスクランブルさせており、領空侵犯はなかった。以上が読売新聞の朝刊にある。・・・・・・・・・・ 家の庭の中に、燐家がアラームを勝手に付けて人の動きを警戒信号で知らせたり、偵察と言って庭先まで侵入されては堪ったものではない。警察に知らせても、貴方の庭先や見えるものは、すべて、自分地だと言うのでは常軌を逸するようだ。・・・・・・・・・・・ 鎌倉時代に「元寇」として中国・元朝が韓国・高麗王国と九州博多まで襲来した時代の再現のように、中国は覇権を展開中である。 「歴史認識」は、フン族によるゲルマン民族の大移動まで遡らなくても、少なくとも、元(=モンゴル帝国)の時代まで遡る必要がある。 半世紀前に、故JFKがキューバ危機に対応したような時代が到来するかも知れない時に、「日本ほど重要な同盟国はない」というケネディ米大使の来日は有難い事である。彼女の印象深い会見の要旨を書き残しておきたい。America has no more important alley than Japan.I am eager to be part of the next chapter.Words have the power to change the world.My father's spirit lives on. ★彼女の偉大なる父、故JFKの有名な言葉はより印象的である。Ask not what your country can do for you -ask what you can do for your country. ★ 中国の覇権行使の脅威は、隣国の友情を失うばかりでなく、自国国民のPM2.5などの公害除去による国民生活安寧を犠牲にするかも知れない。★それでも、経済的に強い繋がりをもち、歴史的にも同じDNAを持っている民族であり、助け合いの精神・和の精神を持ち続けたいと思う。まずは、中国が自国民の安寧・発展に目を向けて着実に成長して貰いたいものである。★呆け頭の考えることではないが・・・・★
Nov 24, 2013
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中国の3中総会が終了して、読売新聞にその結果が報告されている。呆け頭なりに纏めてみたい。 総会の内容を記している新聞のページに、小生が知りたいことが見えない。そのこととは、国防、国家安全事項以外の国民生活に直結したもの。民主主義国ならば産業・国民生活水準(経済成長率、所得など)、特に、PM2.5などの環境問題も大事だが、見えないのは、どうしてだろうか。 新聞社の編集が国民生活、生活環境などを見落としているのかも知れない。 核心的利益が国民の幸福であれば、国民の健康問題は真っ先に優先されるであろう。 国民は国の構成員であり、国民無くして国は成り立たないのであるから。絶対王政時代ならともかく、共産主義国での国民の待遇は?・・・ 読売新聞社に国民の福祉・厚生を中国が取り扱っている現状を、詳しく報道して貰いたいものである。 マックス・ウエーバーが資本主義での官僚について述べているが、どう変わるか? ★ 3中総会で語られた主要改革 ★主要改革内容説明、コメント1. 国家安全委員会設置国家安全体制、国家の安全戦略の整備により国家安全確保 党不満に由来する天安門前など連続爆破事件を踏まえた国内治安強化 2.改革前面深化指導グループの設置1.経済改革2.行政管理体制改革3.金融システム改革 1.市場の役割を高め、政府の関与縮小2.社会の公平感を高める社会体制改革、農民財産権保護(*)、土地有効活用の土地制度改革、格差是正のための収入分配制度改革、公務員の腐敗対策(*)安値での農地収用・転売で政治的業績をあげる官僚、巨利を得る開発業者の権益を侵すことからほとんど前進なし。 3.<銀行預金の金利自由化の前提となる「預金保険制度」の設立が明記された。> 3.司法改革 独立・公正な裁判権・検察権の行使を確保 各地の党政法委員会指導下にある裁判所の独自性を強化、司法判断に不満を持つ直訴者抑制など社会安定を図る狙い 4.核心的利益外交 1.超大国米国と対等の関係構築を目指し、大陸周辺安保を固めて対日威圧外交などで、日米の対中包囲網に対抗2.経済など中国の実利になる交流は進める 主に台湾、チベット、ウイグル、南シナ海、最近は尖閣諸島などに核心的利益対象を一方的に広げる膨張路線を進行させる戦略「海洋強国実現のために」太平洋の入口の蓋を、非常手段を取ってでも死守する、力ずくの現状変更の挑発行為 (資料:読売新聞朝刊より)
Nov 13, 2013
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読売新聞が新聞休みの翌日にも採り上げている。 中国の重要会議の3中総会は、「中長期経済方針」が示されて終了する。 胡錦涛前政権時の年平均成長率10.5%に比べて、この1~9月期は7.7%と 減速気味であるが、現政権は規制緩和等により民間活力を発揮させて 「成長維持」を企図している。 主席はAPECで、「経済の健全で持続的な発展のために、構造上の障害を 取り除く」決意を表明し、新たな発展段階に入ったことを認めた。 経済成長率は1984年15.2%の「極大値」、前政権時代も10%超の水準に あったが、今年の政府目標は7.5%、1千万人新規雇用のための成長率も 7.2%、第12次5カ年計画(2011-15)目標も7.0%と成長水準を下げている。 読売新聞の12日朝刊9面で採り上げた記事を写経してみる。 今後予想される主要経済リスク<資料:読売新聞2013.11.12から> 項目具体的事項小生のメモ労働人口減少1.2012年が労働人口の減少分岐点2.高齢化社会進展に伴う負担増加 一人っ子政策のしわ寄せなど労賃の高騰1.2020年に2010年対比で国民所得倍増を公約2.輸出競争力の減退 1.地方・農村から都市への人口移動の障壁 2.労働争議の進行 など都市化の進展1.都市居住農村戸籍者の社会保障整備等で負担増 昨日のブログ参考過剰生産能力業種整備不採算業者の淘汰 1.優遇され、特権的地位にある国有企業の存在は、公平な競争環境を失い、民業を圧迫している(フォーチュンの世界500企業ランキングで89社の中国企業が名を連ねたが、9割が国有企業で独占的な利益によるものが多数という)。2.08年金融危機の景気対策(4兆元)でも国有企業が潤った3.経済刺激策で地方債務が拡大した 為替制度の段階的自由化1.人民元高の進行2.輸出競争力の減退 1.金利規制が銀行を経由しない「シャドーバンキング」が拡大する土壌となった環境悪化対応1.企業の事業コスト増大 1.工業化の進展は、大気汚染・水質汚濁などの公害を惹起している2.PM2.5問題では他国まで公害を伝播させることとなった3.公害防止設備は企業負担増になるが、社会における企業発展には不可欠である<企業の社会的モラルの奮起>
Nov 12, 2013
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文化大革命で「改革・解放」路線の舵を切った時から 35年目の節目に、「第2の改革・解放」を目指す中国。 文化大革命では、「人民公社解体」、「農家への生産請負制 導入」、「外国資本・技術の積極的受入」などで経済成長の 基盤を構築した。 その後の経済成長は目覚ましく、GDPでは日本を追い抜き、 米国に次ぐ世界第二位の地位にある。 他方では、巨大な国土のなかで、諸々の格差拡大、少数民族問題、 公害問題(PM2.5を含む)などの社会的矛盾が一層表面化して、 社会不満が暴力化、過激化する傾向がでている。 読売新聞の10日朝刊3面に興味深い記事があったので 写経してみる。 小生は、著しい工業化は大気汚染、水質汚濁などの公害を伴うので、 公害防止機器・技術などの導入を図ることもお願いしたい。 辺境地(チベットなど)、隣国(海洋諸国)との協調発展なども合わせながら。 1.中国政府が検討中の主要経済改革案<資料:読売新聞2013.11.10> 項目具体案その効果行政管理制度1.許認可権削減2.製造業生産量等への関与減少 汚職、過剰生産の防止土地制度1.農民に請負地抵当・譲渡権付与2.統一の取引市場整備 1.適切な補償実現2.土地の有効利用促進 金融システム1.金利・為替レート自由化2.金融業界参入条件緩和 1.資本効率改善2.利用者選択肢拡大 社会保障全国同一の社会保障新制度実施 適正な医療・年金の確保 対外開放1.エネルギー・電信・金融の解放促進2.外資参入条件、手続の簡素化 3.自由貿易試験区展開 投資増大 (資料:国務院発展研究センターの改革案より) 2.実際に起きている問題点を抜粋(都市化)項目具体的視点と問題その説明 都市化農地の都市建設用地化により、農民を都市市民化し、内需拡大を図り、投資・輸出主導の経済発展パターンに転換する 収入、社会保障、教育等の格差是正、社会安定を図る問題-1鉄嶺新城:22平方kmの湿地帯に260億元で造成。マンション100棟の空き部屋 1.農村戸籍住民が都市移住の際には、通常、医療・教育負担が多くなるのを、同等にしても、雇用機会がないために、農民の転入は進展しない。購入者の多くは公務員優遇価格で購入できる政府関係者達となる。問題-2福建省晋江市近くの村での農地再開発の収用農地 1.不動産開発業者に、収用農地を8月末、地元党幹部が高値で転売、私腹を肥やしたとして2千人規模の抗議デモ問題-3格差の温床とされる、都市・農村の戸籍制度の一気の改革は困難 1.都市部の社会保障費の増大などの新たな問題を発生させる可能性
Nov 11, 2013
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★先頃、財務省が発表した2013年度上半期(4~9月)貿易統計を見ると貿易収支は4兆9892億円の赤字、1979年以降で最大赤字を記録した。原発停止で電力を火力発電に依存しているため化石燃料の輸入が大幅に伸びている。伸びている輸入品目は、中東からの原油、液化天然ガス、中国からの通信機(スマートフォンなど)、電子部品(スマホ・太陽光パネル部品)などが大きい。★しかしながら、年度半期ベースで4半期にわたり対前年期比でマイナスを続けてきた輸出が、プラスに転じたことが注目される。・・・・・輸出入を地域別に組み替えると判りやすい。「中東地域と中国」は資源、電子部品などの輸入で大幅な地域輸入超過である。「それ以外地域」では、EU地域の少しの入超を勘案しても、かなりの地域輸出超過が続いている。「中東+中国」地域向けの輸出は8.8%増加、輸入は14.8%の増加で、8兆7千億円の地域貿易赤字である。「その他地域」では輸出は10.1%増加、輸入は13.3%増加し、地域貿易黒字は3兆7千億円であり、「さらにEUを除くその他地域」では、輸出は10.4%増加、輸入は12.8%増加し、地域貿易収支は4兆1千億円の黒字で、前期と同じ黒字幅が続いている。・・・・・この統計ではないが、国際収支を見ることが、より大切ではないだろうか。★国際収支速報は暦年で2013年上半期(1~6月)が発表されている。貿易収支は▲4兆2,382億円(前期▲3兆3,888億円、前々期▲2兆4,253億円)、サービス収支は▲7,207億円(前期▲1兆5,176億円、前々期▲9,724億円)、所得収支は8兆6,783億円(前期6兆9,961億円、前々期7兆2,762億円)、所得移転収支は▲5,080億円(前期▲4,582億円、前々期▲6,863億円)、 ↓経常収支は3兆2,114億円(前期1兆6,316億円、前々期3兆1,921億円) の黒字である。・・・・・2013年度上半期の貿易収支の赤字は大きくなっているが、所得収支が大きいので、経常収支はまだ黒字を維持できているもよう。・・・・・今後を観察しないといけないが、貿易構造が、もしかすると、輸出の増加の方向にシフトしているかも知れないようなのである、と思いたい。しかし、最近の政府月例経済報告では、2ヶ月に亘り、中国向けの数量減が大きく、輸出が下方修正され、消費にも一服感が出ており楽観的な判断は控えざるを得ないようだ。★将来的には、EU地域,中国の景気が回復して、今の円安効果が続くならば、その方向性が明るくなるだろう。アベノミクスは、日本経済そのものの復興を映し出す鏡に過ぎないが、今の所、まずまずの良い姿を映し出している。★日銀支店長会議でも、総裁を応援するような景気のいい話ばかりが見える。もちろん、消費税引き上げを見越して、大型設備投資、住宅投資を前倒ししたり、値上がり前の資材購入なども先行するから、経済指標は見かけより良く出る傾向にありそうであるが、それを差し引いても景気はプラスであると、有難い。★ ・ *貿易収支が赤字だから、即・原発再稼働が必要だと、結論を導くのは早すぎるかも知れない。小泉元首相は、過激すぎる方向転換を提起して、「気付き」を国民に与えることが大好きな宰相であったが、「さよなら原発」発言でもインパクトがあった。今の首相も、監督としては、東電投手が「ノーコン」に近くなっているのは誰が見ても判るだろう。監督自ら、東電投手の交代を告げて、自ら、または、副監督を投手に起用するべき時であるかも知れない。投手は、スピードも早く、コントロールも確かな「マーちゃん」クラスを選んで貰いたいものである。伊豆大島でも頑張りを見せる自衛隊が一番だと思うが・・・脱線した・・・★将来はシェールガス輸入でエネルギー輸入コストは低下し、TPP交渉で安価な消費財が増えるかもしれない、などの好材料?もあるのだから・・・中国に脱PM2.5などの支援態勢を敷いて、公害防止機器などの輸出を高め、そのための技術移転することで、中国の青い空を復元することはいかがであろう。偏西風を気にすることもなくなるように・・・ (注)%は前年同期比。 読売新聞のDATAを組み替え。
Oct 25, 2013
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★スターバックスが中国内のコーヒー販売価格でメディアの論議を呼んでいる。カフェラテ(以下では354mlのトールサイズに限定する)が日本円換算で、米国内では320円に対して、中国内では435円だという。中国では暴利を得ているというのだ。★中国の太陽光パネルが欧州でのダンピングで欧州ワインと喧嘩したのはつい先頃である。日本も、鉄鋼などのダンピング疑惑で米国とも衝突した経緯がある。★異常な価格引き下げは、当該国の国民にとっては有難いことであるが、生産者側からは、不当な(赤字での)値引き交渉として考えられて、排斥されるからである。★スターバックス社自体は、タックスヘイブンを求めて、本国を他国に代えるくらいの利益追求の高い会社である。そのマインドを批判するなら判るが、中国での問題は、「値段が高すぎる」というものである。★「ダンピング」ではまるでないし、「企業の反社会性」が批判の矛先でもない。★値段が高すぎて問題にはなることは、独占や寡占企業について指導する必要があるが、自由競争社会では、いずれは淘汰されて程よいところに収斂するのではあるまいか。「蜘蛛の巣理論」を思い出す。★嗜好品であるから、高いのが嫌なら飲まなくて良いのである。美味しいから買うのであり、競争相手がでるような社会になればいいのである。★独占企業や寡占的競争を許している社会体制がこの論争で見え隠れする。★正面切って言えないことを、炙り出しているのが、正反対の「国際的暴利批判論議」のネット論争かも知れない。★頭のいい人が、他国の会社へ論争の名を借りており、「内憂→外患」に国民の目を向けさせようとする政府と同じ方法を取っているように見える。★それよりも、あれだけ広大な国の大気環境がどす黒い、薄暮に変化している事実を変えることが喫緊の問題である。★環境先進国・日本は、地元の放射能汚染水問題が未解決で資格はないかも知れないが、環境問題の先輩として脱公害の知恵や設備などを無償・有償で提供するべきである。★人類・文化などはアフリカ大陸、ユーラシア、アジア大陸を経て、当方の日本にもたらされたに違いないのだから・・・地球同胞を救い救われるような世の中になって貰いたいものだ。★冒頭の批判は、中国の良心を吐露したものと信じたい。★
Oct 24, 2013
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本日は台風18号の襲来中。(鎌倉時代には台風は「神風」にもなった。)昨日の続きで補足する。 ・・・ ・・アジア・東欧を席巻した歴史的覇権の大モンゴル帝国の大きさを見る。モンゴル帝国(=中国・元朝)は現在の中国とは全く異なるものなのか、いやその一部に残っているのか、いや「精神」は受け継がれているのか、・・「覇権主義」は多分に存続しているのだろう。無視できるような帝国ではないのである。「歴史認識」を大事にしたい。世界平和のためにも。モンゴル帝国最大版図→(中国・大元)元朝の版図現在のモンゴル国については、Aug 13, 2012のBLOGを参照。
Sep 16, 2013
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フクシマ原発事故は北条時宗・日蓮が遭遇した「蒙古襲来」のような「国難」であると思う。・・・敢えて、写経的に回顧してみる・・・★モンゴル帝国(定住→中国・元朝)モンゴル高原の遊牧民をチンギス・ハーン(およびその後継者)が統合した遊牧国家。モンゴルから領土は、西は東ヨーロッパ、アナトリア(現在のトルコ)、シリア、南はアフガニスタン、チベット、ミャンマー、東は中国、朝鮮半島まで、ユーラシア大陸を横断する帝国(大連合国家)を作り上げた。最盛期の領土面積は約3300万km²で、地球上の陸地の約25%を統治し、当時の人口は1億人を超えていた。★モンゴル帝国・元朝に滅ぼされた国1218年 ナイマン王国<モンゴル高原西部の遊牧民族>1218年 西遼<1132年から1218年までトルキスタンに存在した国>1227年 西夏<タングートの首長李元昊が中国西北部に建国した王朝>1231年 ホラズム・シャー朝<中央アジアからイラン高原まで支配したイスラム王朝>1233年 大真国<金朝の将領が中国東北部で建国した国家>1234年 金<中国の北半を支配した女真族の王朝>1240年 ルーシ大公国<キエフを首都とした東欧の国家>1254年 大理国<雲南地方を主たる領域として統治>1258年 アッバース朝<中東地域を支配したイスラム帝国第2の世襲王朝>1279年 南宋<北宋が、金に華北を奪われた後、南遷して淮河以南の地に再興した政権>★モンゴル帝国支配下の国 コンギラト オングト オイラト<モンゴル高原・西部から東トルキスタン(新疆)北部に居住する民族> カルルク<ジュンガル盆地やイリ地方に存在したテュルク系遊牧民> 天山ウイグル王国<新疆ウイグル自治区に存在したウイグルのつくった王国> ルーム・セルジューク朝<アナトリア地方を中心に支配したテュルク人の王朝> 大アルメニア王国 キリキア・アルメニア王国<現在のトルコ南岸部キリキア地方でアルメニア人建国の王国> グルジア王国 サルグル朝 →インジュー朝<ファールス地方を中心にイランを支配した王朝> ケルマーンのカラヒタイ朝(西遼の将軍バラク・ハージブがイラン南東部に建国) ロレスターンのアタベク政権 クルト朝<イラン東部ホラーサーン地方のタジク人 スンナ派イスラム教徒の王朝> バーヴァンド朝 イスパフバド朝 ノヴゴロド公国<公座を大ノヴゴロドに置く中世のルーシの主要な都市国家の一つ> モスクワ公国<キエフ・ルーシの北東辺境地に成立した国家> (大理国:段氏は以後も大理地方の運営に携わる) チベット<南はヒマラヤ山脈、北は崑崙山脈、東は邛崍山脈に囲まれた国家> 陳朝(クビライ治世末期からはほぼ独立状態、ベトナム北部を支配した王朝) 高麗<朝鮮半島を統治していた高麗王朝> パガン王朝<現在のミャンマーに存在した、ビルマ族最初の王朝> チャンパ王国(朝貢関係・宗主権のみ承認。ほぼ独立)<ベトナム中部沿海地方王国> マジャパヒト王国(朝貢関係・宗主権のみ承認。ほぼ独立) <ジャワ島中東部ヒンドゥー教王国>★モンゴル帝国の侵攻を妨げた国 マムルーク朝<エジプト中心に、シリア、ヒジャーズ支配のスンナ派イスラム王朝> ▲陳朝<ベトナム北部を1225年から1400年まで支配した王朝。国号は大越> (解放)奴隷王朝<北インド支配のデリー・スルタン朝最初のトルコ系イスラーム王朝> 日本(鎌倉幕府) ▲マジャパヒト王国<ジャワ島中東部中心に栄えたインドネシア最後のヒンドゥー教王国> 神聖ローマ帝国 <現在のドイツ、オーストリア、ベルギー、チェコ、リヒテンシュタイン、 ルクセンブルグ、モナコ、オランダ、クロアチア、サンマリノ、スロベニア、 スイス、フランス、イタリア、ポーランド> ・・・・・★「蒙古襲来」<中国・元朝軍の襲来を日本に焦点を当て説明>1259年 高麗王国がモンゴル帝国(フビライ)に降伏1266年 フビライが日本に朝貢を要求1268年 蒙古国書が8代執権・北条時宗(18才)に届く1274年 文永の役(11月11日~26日)・・北条時宗(24才)1280年 フビライの死者を北条時宗(30才)が斬る1281年 弘安の役(6月16日~8月29日)・・北条時宗(31才)1284年 北条時宗死す(34才)1294年 フビライ死す(80才)(★文永の役・戦況)元軍は対馬、壱岐、肥前沿岸を殲滅、毒矢・鉄砲と集団戦法で圧倒、日本軍は一騎打ちでの戦況とはならず、太宰府まで敗退した。元軍は上陸後、1司令官を遠矢で射抜かれて劣勢に転じ、激戦で矢尽き疲弊し、撤退を決めて戻る途中に暴風雨に遭遇して散り散りになった。戦闘での勝敗ではなく、元軍散り散りとなり、結果的に、日本が勝利。(★弘安の役・戦況)東路軍は朝鮮から出発、対馬、壱岐、一部は長門を侵攻し、主力が博多湾の海上に出現し8日間にわたる海上、陸の一部で戦闘があり、日本軍の激しい防戦で上陸を阻まれ、壱岐を経て肥前・鷹島に退いた。遅れて到着した江南軍が東路軍と合流し、大挙して、大船団で博多湾に押し入ろうと構えていた。その夜半に、暴風雨に遭遇し、元軍は壊滅状態になった。暴風雨<神風神話>が起こり日本軍勝利(★元軍の敗因)☆兵の大半は属国の中国人、朝鮮人であり士気は低かった☆元・モンゴル将兵にとって乗馬は得意だが、船や海には不慣れ☆元軍は食糧、武器、兵站の補給に不安であった☆海路は岩礁が多く、暴風雨に遭遇し多くの船が遭難した☆相手の日本軍は恩賞を貰うために必死であった(★日本への影響)☆「神風」により日本が救われるという、神仏祈祷に依存の「神国思想」☆幕府にとっては相手が自滅したにすぎず、領土は増えず恩賞の対価なし☆御家人は恩賞を貰えず、不満が高まり、幕府は徳政令を発布☆国内では反社会的集団「悪党」が、海外では「倭寇」が高麗や、 衰退気味の元朝を苦しめ始めた。☆北条氏は、専制支配を強化し難局を逃れるため、合議制を廃そうとし、 かえって人心が北条氏から離れ鎌倉幕府は崩壊に向かう。★日蓮上人1222年 千葉県鴨川市・旧安房郡天津小湊町の小湊で誕生1238年 清澄寺で出家1242年~1253年 比叡山、三井寺、薬師寺、高野山、仁和寺、天王寺、東寺遊学1254年 清澄寺を退出、鎌倉に出る1260年 立正安国論を著し、前執権北条時頼に送る。他宗派僧の焼き討ち遭遇1261年 幕府による伊豆流罪(法難)1264年 安房国で念仏信仰者の地頭に斬りつけられ負傷、弟子を失う1268年 蒙古から幕府へ国書届き、他国からの侵略危機が現実のものとなる。日蓮は執権・ 北条時宗などに書簡を送り他宗派との公場対決を迫る1271年 幕府・諸宗批判の名目で佐渡流罪(処刑されかかるが免れる)。流罪3年中に開目 抄、観心本尊抄など著述、法華曼荼羅を完成1274年 赦免、幕府評定所で蒙古来襲の予見を聞かれ、「法華経を立てよ」。身延 山久遠寺を開山。予言して5ヶ月後に蒙古襲来<文永の役>1281年 蒙古軍再襲来<弘安の役>1282年 死去享年61歳<比較項目、元朝軍(モンゴル帝国・高麗王国連合軍)、日本軍(鎌倉幕府軍)> 比較項目 元軍 日本軍 説明 1. 文永の役・兵力 総数3.2万人元朝軍2万、高麗軍1.2万人 総数1万人 元朝軍には金、南宋の降伏兵を含む 2. 文永の役・船力 900艘 300艘 3. 弘安の役・兵力 総数14万3千人 東路軍・・元軍1万人、高麗軍1.5万、水手1.7万人 江南軍・・南宋軍10万人 総数12.5万人 博多の防人・鎮西軍4万人、中国地方2.5万人、京都から四国6万人 4.弘安の役・船力 4,400艘東路軍900艘、江南軍3,500艘 (沿岸に沿って石塁を構築) 脚注:資料出所:WIKIPEDIAなど
Sep 15, 2013
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★大間のクロマグロは有名であるが、最近は北海道東方沖で普段はあまり獲れないクロマグロが異常なくらいに釣り上げられている。逆に、本来の魚種の「サケ」が不漁となっている。★また、海苔の植え付け時期が定まらず漁師は困惑している。★沖縄では、猛暑で、珊瑚から共生する褐虫藻が抜けだし、珊瑚が白い骨格だけになる白化現象が起きやすくなっている。★ギョギョギョ! の サカナ君にお出まし願わないといけないが、さらに熱帯に棲む彩りも「けばけばしい」猛毒を持った珍魚類がつぎつぎと遡上しており珍しさを通り越して、地球温暖化が日本近海では「脅威」となりつつあるようだ。★山では、リンゴの甘味が増し美味しいが、赤味が薄くなり商品価値は下がっており、また、リンゴ生産の適地が北上しており、次第に栽培できない地域が増えつつある。 ★ ・ ★★ ・★★ ・★★ ・★★★ ・★★★★ ・★★★★ ・★★ ★ ・★★ ★ ・★★ ・★★ ・★★ ・★★★ ・★★★★ ・★★★★ ++++++・★ ★ +**+ ★ ★ +**+今後は、いままで住むのにも敬遠していた、極寒冷地の北海道などの重要性は増すばかりであろう。★鈴木宗男氏ではないが、サハリンからの天然資源の回送や、北方領土の利用も大切な選択となりそうである。★プーチン氏が強気になるのも地球温暖化で将来性が広がった「シベリア」があるから、無理もなかろう。★ナポレオンが、「冬将軍」に阻まれることもなく進軍できるような温かい時代が近未来には到来するかも知れない。★それにしても、米国はアラスカという広大な土地をソ連から安価で購入し、ソ連は千島列島、樺太を日本から手に入れたことで地球温暖化のメリットをこれから享受することができよう。★日本は、下北半島や北海道を大事にしよう。 北海道では、日本の古い鉄道車両などを使い回しして事故が多発している。★ 地球温暖化が進行する中では、この北方地域をもっともっと大切にして地域開発を先んじて整備すべきであろうに !★ ☆ ☆ ☆ ★沖縄も大事だが、北方もこれから大事になることは間違いない。☆ ★ ☆ ★ ★
Aug 19, 2013
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中国で人口の歪みが発生している。★なんと、「結婚できない男」が3~3.5千万人に達するという記事が6月末に発表された。中国でも、生産年齢人口が減少し、社会保障費の膨張が予測されている。★それより重大なのは、2012年でみて女性100に対する男性の出生人口<男性の対女性出生比率と仮称する>が117.7(各国では通常は102~107)であること。★男性は、元来、死亡率が高く、寿命も短い。生命力でも女性が強く、戦争などで男性が戦死するなど女性の生残確率はもともと高いので、男性の出生率を神様が高くしているのかも?★中国でも「男性の対女性出生比率」が、1982年には108.47であったのが、2004年には121.2という史上最高値に達し、その後の政府のキャンペーン「医学的必要でない産み分け禁止」、「おなじく人工流産禁止」の努力で2009年119.45に続いて、117台に水準は低下したがなお世界水準とかけ離れている。★中国人民大学社会人口学院の楊菊華教授は「形を変えた男尊女卑」と語る。★小生には、「一人っ子政策」時代においては生産人口が優先されて男子を選ぶ傾向にあったのではないか、と推察する。★「一人っ子政策」は1979年始まり、違反すると罰金が科される。農村では、肉体労働の手伝い面で男性を希望するために、妊娠時の性別検査、中絶手術などが多発していると聞く。結婚できない男子が大勢いる現実がここにある。★ ★この国ではないが、ある宗教圏では、女性を養う財力を持たない男性は結婚できないといい、財力と甲斐性のある男性はハーレムを形成できる、という。★男性には子孫を残すには、大変な競争である。★「一人っ子」以外に誕生した子供は「黒孩子」(ヘイハイズ)と呼ばれて、国民とみなされず、学校教育、医療などの行政サービスを受けられない。戸籍に載らない人口であるから、人口統計にも計上されない、のではなかろうか。★小生には、人口統計の数字面よりも、さらに深刻な社会状態のような気がする。★農村部では、第一子が女児の場合は、第2子の出産が段階的に認められた。しかし、戸籍謄本に載せる習慣が根付かず、社会的地位・身分を持たない子供「黒胚」が存在するという。★「黒孩子」、「黒胚」もそうだが、「影子銀行」など表面に出ない人間、組織があるのは社会的な不安である。★一人当たりGDPなどの国際比較では中国の数字は「人口調整済み」なのだろうか ?また、眠れる獅子の実際の国力はもっと大きいのではないのだろうか ?古には、度量衡を統一した秦の国であるから早く正確な国家統計が出来上るのを期待している。
Jul 21, 2013
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★[中国のシャドーバンク=影子銀行]★シャドーバンクの定義は、投資銀行(証券会社)やヘッジファンド、証券化のための特殊運用会社等、通常の銀行でない金融形態の総称である。★この定義を見ると、「影子銀行」は通常の預金者の預金を一定の預金準備率を守りながら、安全と思われる資金需要者に貸付して利子を徴する形態の普通銀行と異なる。★一般国民の預金ではなくて、金儲けを企む富裕層の資金を集めてリスク・テイキングで比較的高利の融資を行う形態であろう。★中国では、95%の中小企業がカネを借りたことがないと言うが、広義のマネーサプライ(2012年)で見ると、GDPの1.9倍のカネがだぶついている。米国、ユーロ圏では0.9倍、日本でも1.5倍で、また、中小企業の資金調達には寄与しないから、この資金供給の行方が、各種金融資産、不動産、基礎資源等であり、バブル経済化に向かったことになる。☆日本のように、貸付を行うのが普通銀行であれば、中央銀行が短資供給、短資金利の操作で、或る程度はコントロール可能であるが、中国では、国家の生産活動発展のための資金供給を優先する余りあらゆる金融機能を解放し、大量の資金が「生産能力過剰で低効率な産業」や「不動産業」(や国有企業や地方政府)などに流れている。他方で、規模が小さい企業群や、「技術集約型産業」、「イノベーション型ハイテク産業」が必要資金を得られない構造的な金融問題を抱えている。★「中国証券監督管理委員会」は「非標準的なクレジット資産」が理財資産に占める割合を35%に規制するなどの通達を出した。これによって、シャドーバンキングの融資は縮小が予想されている。★中国信託業協会によると、信託財産は2012年に55%増加、7兆5千億元(1兆2100億ドル)であり、他方で、銀行からの委託資産は1兆6100億元と5倍強に増加した。観測では、信託財産の50~80%がシャドーバンキングに関係している。☆ ☆ ☆「シャドーバンキングでは、信託会社と証券会社は、銀行が組成したものの自己資本比率規制などとの絡みでバランスシートに置いておくことのできない融資について、受け皿としての役割を果たす。こうしたローンが理財商品の裏付けとなる。借り手がデフォルトした場合には通常、信託会社ではなく、理財商品の投資家がリスクを負うという仕組みだ。」という中国系のアナリストの説明がある。★理財商品は日本の「債務担保証券」、(「抵当証券」、)などに似た金融商品の雰囲気がある(素人の小生の感覚に過ぎないが)。☆ ☆ ☆S&Pによると中国のシャドーバンキング融資残高は2012年末3兆7000億ドルであり、オンバランスのローンの34%、GDPの44%の大きさである、という。★理財商品の償還期限は、信金中金の調べ(2012年)では、1ヶ月内 5.0%,1~3ヶ月 60.2%、3~6ヶ月 21.9%、6ヶ月~1年 10.0%、1~2年 1.0%、2年以上 0.3%、その他 1.7%,と非常に短期である。★このような短期資金が地方政府のシャドーバンキング借り入れ(正式の起債でなく)として賄われているのでは高利回り(10から20%)と合わせて、ミスマッチの感がある。★また、報道では、現在のシャドーバンキングで問題となっているのが、不動産や、国有企業や地方政府についての理財商品であり、この分野の資金の流れも大切であるが、中国のこれからの金融には多くの中小企業、特にハイテク・ベンチャー企業への資金の流れが円滑に向かうことを重視しなければならないのではなかろうか。★ ★日本の中小企業分野への資金供給では、中小企業専門民間銀行、隙間を埋める政府系金融機関などの存在が欠かせない役割を果たしている。中国にはこれも参考となるだろう。★小生の集めたデータはわずかであり、WEB新聞や「経済レポート」などに拠っているが、正確ではない。もともと、データが漠然としている。表:社会融資規模の推移(フローベース単位:兆元)および 狭義のシャドーバンキング規模 (単位:兆元)など項目 2011年 2012年 1.社会融資規模(A) 12.815.82.人民元貸出(B)7.58.2正規の銀行貸し出し 3.A-B5.4 7.6銀行外の融資 4.委託貸付1.31.3銀行から委託分 5.信託貸付0.21.3 6.社債1.42.3 7.その他2.5 2.7管理資産規模合計9.8 14.6狭義シャドーバンキング<対GDP比><22%> <29%> 1.銀行理財商品規模5.07.1 <前年比増減率><100%> <42%>2.信託業管理資産4.87.5 <前年比増減率><58%><55%> シャドーバンキング高推計→27.9対GDP比52.8% 脚注:中国人民銀行、信金中金資料など
Jul 10, 2013
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WIKIPEDIAによると、「核心的利益(かくしんてきりえき)とは、中華人民共和国が、自国の本質的な利益に直結すると見なし、自国を維持するために必要と見なす最重要の事柄、自国にとっての利益のこと。」、とある。☆「人民共和国」であるから、「人民の利益が最優先」かと小生の呆け頭はまず考えたが、「覇権により領土保全をまずは優先しなくてはいけない、領土保全があってはじめて人民の利益が守れるという姿勢」なのであろうか。☆歴史に疎い小生には、中国は、古代には辺境からの越境で国土を脅かされて「万里の長城」を建設し、その長城も辺境からの侵入には無力となり、元王朝では辺境からの侵入で大国・モンゴル帝国を建設して、欧州近隣まで覇権を轟かせたように感じる。その後の元国は、分裂し、英・仏・日などに辺境を抑えられて辺境はそれぞれ独立して行った経緯がある。古来から見ると、今の中国は領土を辺境国から攻められて辺境が一大帝国を完成させた歴史、海外から侵略された辺境諸国が独立した歴史、などなどで複雑な領土歴史を持つ。<「守り」>、<「長駆拡大」>、<「縮小を防衛維持」>などの経験から「領土が核心的利益」である。☆嘗ての「万里の長城」は、中国国民の成立には寄与しておらず、現在の中国国民は漢民族だけの国ではなく、元朝以来、辺境民族を抱えた膨大な多民族国家である。多民族で構成される国家で、小数の民族を多く抱えている国である。☆民族は独自の要望を抱えおり、国家としては国民の個々よりも国土=領土を「国益」とする方が、政治的に全国民の結束を確立できるようだ。国家主席が「核心的利益」を国内向けに発信するのは当然だが、米国大統領に向かっても「核心的利益」ばかりを公言するのは、第二次世界大戦の戦勝国が「世界は自国の領土」とばかりに既成事実の構築姿勢に邁進しているようにみえる。★その表現法は全く無警戒である。☆世界平和のために戦勝国・米国が国連中心の共存主義を採用しようと努力しており、世界のNo.2として歩み寄る姿勢を中国に世界は期待しているのである。☆ところが陸の「万里の長城」を無力と見て、新たに、「海の万里の長城」を築き始めた。★世界平和のためにも、「核心的利益」が全地球・全世界平和のためのものであって欲しい。★世界平和にとって中国は「優しい獅子であって貰いたい」。☆脳幹梗塞の呆けの独り言である。★追記:もし、全ての個人が自分の核心的利益を主張し始めることを中国政府が望むようになったら、世界平和が永久に来ないような気がしてならないのだ。民主主義は自己主張一辺倒ではなくお互いが協調することで成り立っているのではないか。★☆?☆?☆★中華人民共和国は民主主義ではなく共産主義であることがこの呆けには判っていなかった!共産主義とはなんぞや?★個々は自由でなく国家としてが重要であり、没個性が尊ばれるのかも。自由主義の米国と話の核心は合わせられるだろうか?呆けの小生はイデオロギーも苦手である。「海の万里の長城」は「第二の鉄のカーテン」かも知れない。
Jun 10, 2013
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「北朝鮮で中国漁船が拿捕されて身代金を要求された」、との不思議な事件が発生した。中国と北朝鮮は、小生などからは「身内の関係」のように見える。中国は北朝鮮を真摯に庇っている。北朝鮮の銀行預金凍結措置なども最後まで「待ちの姿勢」を取った。 ・・・・・しかし、この事件でソマリア沖にPKOがいて海賊船を取り締まっている状況を思い出す。ソマリア沖なら違法な海賊が、身代金目的に民間航海業者の運航するタンカーを襲撃する事件が頻発しており、それを取り締まるために、国際機関の了承を得て日本などが輸送艦隊の護衛に当たっている。 ・・・・・中国漁船「拿捕」とは、北朝鮮領海の侵犯ないし、違法操業で拿捕されたものであろう。 ・・・・・・・・どこの国でも自国領海内で違法操業を取り締まるのは当たり前であるが、公務とはいえ、友好国の漁船を拿捕して、「漁民の身代金まで要求すること」は、「一国の政府」のすることとは思えない、ことがだれでも判る。新聞報道では、そのようにでていたが、漁民はその後、身代金を払わず出国出来ている。 ・・・・・一体、「身代金」の話はどこから出たのか。多分であるが、「身代金要求」は「当該国で資金が困窮していること」を表し、「身代金なしの出国」は「両国の元首からの厳しいお咎めで無罪放免」となったと思われる。 /////自分の友好国、いわば親元に近い存在の国まで敵にしかねない、国の統制の乱れはどうしたものだろうか。中国政府は困っているに違いない。召喚したのか、自ら訪問したのか、重要人物が中国を訪問し、事情を説明しているようだ。朝鮮人民軍トップの崔竜海(チェ・リョンヘ)総政治局長がその重要人物である。 ・・・アジアの平和は中国、韓国、日本、その他の国が皆望んでいることであり、資源の確保競争とは別の次元である。資源確保には、「占領」だけでなく、共同採掘、輸出・入など方法はいろいろと考えられる。 ///北朝鮮は、国として中国をもっと大切な食糧など支援国として敬い、中国も求めているアジア圏の政治的安定を図るように協力・努力すべきであろう。食糧援助を受けながら、武器の輸出、核兵器製造などで「国際情勢不安定化」を巻き起こしているが、アジアに「脅威」は不要であり、「国際協力」こそが必要である。「元によるモンゴル帝国」、「大日本帝国」などは他国への脅威となったが、脅威の隙間をついて他国からの侵入を許した。「アジア」が環太平洋での平和を達成できるように日、韓、中、米、豪などが協力できるときが、近づいているような気がする。 ///呆けにだけ聞こえる「平和の足音」かも知れない。
May 22, 2013
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尖閣列島の略史補足<資料出所:外務省など>年月略史 1885以降 日本政府の現地調査で、無人島であり、清国支配の痕跡なし、を確認。 1895.1標杭を建設し、領土編入。 1895.5下関条約での清国から割譲された台湾、膨湖諸島には含まれていない。また、サンフランシスコ条約で米国の施政下に置かれていた地域に尖閣諸島が含まれていた事実に対して中国は何ら異議を唱えていない。 1952.8中華民国(台湾)は日華平和条約でサンフランシスコ平和条約を追認している。 それに先んじて、4月に発効したサンフランシスコ平和条約では、尖閣諸島は我が国が放棄した領土のうちには含まれておらず、南西諸島の一部として米国の施政下に置かれている。 1972.51972.5発効の「琉球諸島および大東諸島に関する日本・米国間の協定(沖縄返還協定)で、日本に施政権が返還された地域の中に含まれている。 中国政府及び台湾当局が尖閣諸島に関する独自の主張を始めたのは,1968年秋に行われた国連機関による調査の結果,東シナ海に石油埋蔵の可能性があるとの指摘を受けて尖閣諸島に注目が集まった1970年代以降からである。従来中華人民共和国政府及び台湾当局が、いわゆる歴史的、地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点は、いずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とはいえない。尖閣諸島が日本固有の領土であることは,歴史的にも国際法上も疑いのないところであり,現にわが国はこれを有効に支配している。したがって,尖閣諸島をめぐり解決すべき領有権の問題はそもそも存在していない。 <魚釣島事業所建物配置図明治40年代作成>
May 13, 2013
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小生のテニス仲間には沖縄県出身の具志堅君がいる。テニススクールに通っているらしく急に巧くなり驚いている。プロボクサーと同じ名前であるから出身地が判る。昔の職場にも上原君という優秀な人がいたが、本土の方には判って貰えないことが多いと、嘆いていたことを思い出す。小生などは、鹿児島県(屋久島、種子島を含む)より南は、琉球(=沖縄)のような感じでごちゃ混ぜに考えていたので、さぞかし憤慨したことだろう。この概念は、台湾人の「琉球王国」概念と似たものである。いまでも、天気予報図での沖縄県の表示は、日本海の凹んだところを利用して、簡便的に表示するので、沖縄は日本海にあると思わせていると、睨まれているかも。 気象協会も沖縄県の存在をもう少し意識して、「キチンと」日本の南西部分に「表示」してもらいたいと思うのは、呆けの小生ぐらいかも知れない。 映像度も格段に昔と違っているのであり、「日本列島を気象でも国土として、キチンと表示・認識したら如何か」、と思う次第である。 小生は、生まれは土佐であるが、沖縄の石垣島出身かと推測される場合が多い。「黒潮が流れているから、そうかもしれん」とぼやかしているが、日本人は大陸や南方、北方から昔々移住してきた民族である。何処の国でも、無人島以外は小数の先住民がいたものである。 ・・・・・・・・・・・中華人民共和国は近年、「琉球列島」を「海の長城」として意識し、いまでは東方への出口を日・米に塞がれた格好にあると見る。さらに、尖閣諸島周辺で石油埋蔵地が発見されたため突如として、利権を主張し始めている。GDP世界第二位となった国力と、第二次世界大戦の戦勝国(本来は中華民国であるが、その承継者)として、日・米同盟に楔を打ち込むべく、尖閣諸島周辺の領海侵犯を繰り返している。中国が周辺国との摩擦を惹起しているのは、沖縄周辺に限らず、ベトナム、フィリピン、インドなどアジア全体におよび、さらには、国際援助などでのアフリカ、今では、世界全体への影響力を及ぼす国力を持っているのである。まるで、チンギスハーンのモンゴル帝国(=元)を想起させる国力を持ち始めた国のように、この呆け頭には見える。モンゴル帝国が儚くも分裂していった轍を踏むことのない様に、地域諸国との融和を図ることを祈るばかりである。すばらしいGDPの成長とは裏腹に、国内では、環境破壊が進み、「環境と工業化の調和ノウハウ」などで日本が協力できる余地が大きいと思われる。・・・・・・・・・沖縄問題の写経 略史<外務省、WIKIPEDIAなど>年月略史古来「朝貢」琉球王国は日本以外に明や清の歴代王朝へ朝貢(日・清両属)1609「琉球征伐」事実上の支配は薩摩藩。琉球王国から清への朝貢、册封儀式は続いたが、清朝から軍事支援は応じてもらえず仕舞い。朝貢体制のもとで独立国として存在した(=中国主張)。1854「琉米修好条約締結」ペリー提督が艦隊を率いて那覇を訪れる。1876「琉球から沖縄へ改称」森有礼駐清公使が琉球から沖縄に改称意見。日本では沖縄県が管轄する地域(奄美諸島は含まず)を指すが、台湾では鹿児島県と台湾の間にある島嶼を主に指す。1872-79「琉球処分」琉球王国は消滅、沖縄県設置。清に亡命した旧支配層(脱清人)が琉球王国再興を旧宗主国清に働きかける1894「日清戦争開戦」沖縄県内では、再興を目指す頑固党が「清国・戦勝祈願祭」を行い、開花党は「日本・戦勝祈願祭」を行い対立。 「日清戦争で清国敗戦」清国敗戦で琉球王国再興が絶望的となり頑固党は衰退。下関条約で日本は台湾割譲、最終的に琉球群島支配権を固める。1941「 太平洋戦争開戦」中華民国の方針:「中国東北地方ほかの返還、台湾・膨湖諸島の返還、朝鮮の独立、琉球の日本帰属(中国への朝貢関係は80年途絶の事実など)」→琉球については日本への返還を求めるが、国際管理または非武装地帯とすることも挙げている。1943「蒋介石・ルーズベルト会談」琉球については蒋介石から返還要求はなく、共同占領、共同国際信託統治で賛成と蒋介石が回答。カイロ宣言では琉球帰属への言及無し。台湾は中国の一省で大事であるが、琉球は属国であり、官吏を派遣して治めた国ではなく、先方が帰属を望んだときに考えればいい、との見解。1945「太平洋戦争終結」日本占領の米国は、北緯30度線以南の旧琉球王国領である沖縄県および鹿児島県奄美諸島を国連信託統治領として、日本より分割し軍政下に置く。(将来は琉球国独立の構想も検討) 「終戦初期の中華民国の琉球などに関する要求」千島列島の日本帰属、琉球列島(北緯30度以南)の中国帰属、小笠原諸島の中米共同管理(または米国単独管理)・・・琉球を「海の長城」と捉えた論調はあるが、公式の返還要求はなし。1949年12月中華民国は台北に遷都。1951年のサンフランシスコ講和会議に招聘されず、1952年日台講和交渉で琉球の帰属問題は「米・日間の問題」として見解を表明していない。 1950「中華人民共和国の対米批判」カイロ、ポツダム宣言も米国による「小笠原、沖縄の信託統治の決定」を下していないことを主張。沖縄の中国帰属の言及はなく、むしろ沖縄人民の沖縄の「日本復帰闘争を支持」。台湾の(本土)帰属と同様に北方領土の(日本)帰属問題も明らかであるとして、日本への返還に支持を表明。ただし、日本政府は日本を第二の沖縄としているとして批判。戦後初期「米軍を解放軍と認識」奄美諸島では「奄美人民共和国」としての独立よりも日本復帰への活動へ。1950年代後半「米軍の軍事拠点維持優先」米軍政下の言論統制、軍用地接収、米兵の加害行為などで「解放軍」認識は幻想化し、平和憲法下の日本復帰運動に路線変化。1953「奄美大島を分離して日本に返還」<鹿児島県の一部となる>中華民国の琉球問題は日米間の問題とする姿勢が変わる。中華民国は返還反対の立場を取り、反共姿勢をとりながら中国帰属を訴える。1967「佐藤栄作首相台湾訪問」蒋介石は沖縄問題は合理的に解決するときが来るが、北方領土はソ連に野心があり、さらに野心が強いのが中共で台湾、沖縄、朝鮮までも野心を表明している、と琉球についての直接の言明はしなかった。1971「魚釣島問題で中国、台湾(中華民国)は共に石油で態度が一変する」尖閣諸島沖で石油資源が眠っているとの報により、これら魚釣島などの島嶼は台湾同様、古来、中国の神聖な領土である、と主張を始めた。1972「沖縄日本返還」<沖縄県となる>日本政府の「本土並み復帰」が果たされないことに問題が残った。1977「平良知事、反・復帰論」知事による「沖縄文化認識を新たにする提唱」1979「琉球処分から100年目」文化復興運動1995「 琉球独立論とりあげ」県内米軍基地反対運動などで取り上げられる2006「沖縄単独道州制構想」内閣諮問機関で単独の道州制の案。民主党も「一国二制度論」で自治権、経済的競争力を強化するモデルを提案。同年の知事選挙で独立派の琉球独立党(現「かりゆしクラブ」)は0.92%しか得票できていない。2007「県民意識調査」日本人ではなく沖縄人意識41.6%。沖縄独立支持20.6%、非独立派64.7%。2011「県民意識調査」沖縄独立支持4.7%
May 12, 2013
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表5:韓国化粧品業者の海外売り上げ(2012年)<食品医薬品安全庁、朝日新聞(ネイチャーリパブリックの日本売り上げ)>企業名海外売り上げ対前年比伸びブランドアモーレ・パシフィック442億ウオン=39億円+35%マモンド、ラネージュLG生活健康2,323億ウオン+31.4%(*)ザフェイスソップ、后、オフィ、ビヨンドABLE C&C283億ウオン+32%MISSHA,BBクリームネイチャー・リパブリック200億ウオン(日本のみの数字) マッコラ小計3,248億ウオン(業界売上の6.6%を占める。) (*)買収した銀座ステファニー880億ウオンを含めると2倍以上だが、伸び率はそれを除外。
May 4, 2013
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本日、同じ表示でWORDから表を作成したが、ブログの制限に張り付いた。 WORDのWEB文書では装飾がたくさん追加されるので文字数が多くなる。 ****** 装飾を外して、シンプルにすると1/4~1/5に節約できた。 楽天さんに要望したい。 ブログにシンプルな「表」を書くツールを用意してもらいたい。 ***** それまでは、この方法で練習してみよう。 この方法とは、WEB文書から装飾を取り外すべく、「表」をテンプレート的に作成しておくことである。 呆け頭のお付き合いとなって申し訳ない。 :::簡便法による表示::: 表4:韓国の主要化粧品会社(2012年)、朝日新聞より会社名創業売上高特徴アモーレパシフィック19452兆8495億ウオン(2542億円)「雪花秀(ソルファス)」、「ラネージュ」などのブランド。日本の百貨店で「AMORE・PACIFIC」を展開LG生活健康(*) 19471兆4790億ウオン(1319億円)LGグループで洗剤などの生活用品大手。84年に化粧品に参入。発酵成分を使った「スム」などを日本で販売ABLE C&C20004523億ウオン(403億円)新興企業ながら業界3位。ブランド「MISSHA(ミシャ)を展開。日本には全国に31の単独売り場があるネイチャーリパブリック20091280億ウオン(114億円)マッコリの成分を使ったブランド「マッコラ」など。12年6月に東京・新大久保に直営店を開く小計 4兆9088億ウオン (*)は化粧品部門のみ。全体は3兆8962億ウオン=3476億円。
May 3, 2013
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表4:韓国の主要化粧品会社(2012年)<朝日新聞より>会社名創業売上高特徴アモーレパシフィック19452兆8495億ウオン(2542億円)「雪花秀(ソルファス)」、「ラネージュ」などのブランド。日本の百貨店で「AMORE・PACIFIC」を展開LG生活健康(*) 19471兆4790億ウオン(1319億円)LGグループで洗剤などの生活用品大手。84年に化粧品に参入。発酵成分を使った「スム」などを日本で販売ABLE C&C20004523億ウオン(403億円)新興企業ながら業界3位。ブランド「MISSHA(ミシャ)を展開。日本には全国に31の単独売り場があるネイチャーリパブリック20091280億ウオン(114億円)マッコリの成分を使ったブランド「マッコラ」など。12年6月に東京・新大久保に直営店を開く小計 4兆9088億ウオン (*)は化粧品部門のみ。全体は3兆8962億ウオン=3476億円。
May 3, 2013
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WORDから「高機能エディター」に貼り付けできなくなって困っていた。(本当の理由は小生には不明である。)試行錯誤で気付いたこと。 1.自分で首っ引きでWEB用の文書を書いているうちに WORDの「WEB文書」作成と同じ事に気がついた。 結局、初級者の小生がWORDの「通常の文書」と、WORDの 「WEB文書」を混同して使用していた。2.「通常の文書」と「WEB文書」とは「文章部分」は同じだが、 罫線などの装飾部分が入ると 扱いが異なり、罫線の入った 通常文書を「高機能エディター」は文字形式が異常と見て拒否し、 「高機能エディター」が受付可能な形式は「WEB文書」であると、 呆け頭は考えた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3.さらに、WEB文書では表を描くのに、四方八方の罫線を指定し、 太線で引く必要があることに気が付いた。(なにもしないと罫線は 見えない。) お騒がせしたことをお詫びしたい。 さらに、今回理解が深まったことを敢えてメモする。 4.WORDの古いバ-ジョンはパッチを探しまわり新しい情報でインストールできた。(古い情報はすでに消されていた。)5.ブラウザのCOOKIEを「有効」にしたほうがよいらしい。6.セキュリティ・レベルについては、「高」で動きにくく、中以下に設定。7.その他 楽天スタッフに問い合わせ中であるが、自分で解決したように思うので深追いしない。 初級者(慌て者)として、ご勘弁願いたい。 幸いにして、Mcafeeウイルス駆除プログラムなどが防御してくれており、ブログ自体は壊れていないようだ。 ただ、画像であれば、ブログ制約を文字数ではクリアーできるが、ブログが保存できる画像(それを消すとブログには表現できなくなる)に50GBの上限があり、あまり画像を多用できない。図表などを、WORDのWEB文書形式で表すと物凄い文字数となり、大きな図表を表現できないのも悩みである。 両者の良いところを取って選ぶしかないようだ。 取り敢えずは、小さな表なので「WORDのWEB文書」を利用する。 第3表:韓国の化粧品生産 <資料出所:食品医薬品安全庁> 項目 2010年 2011年 化粧品生産(単位:億ウオン) 6兆146億ウオン 6兆3856億ウオン 同(円換算、単位:億円) (4,627億円) (4,422億円) 対前年比伸び率 16.4% 6.2% 今日の練習はこれまでとします。
May 2, 2013
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第2表:韓国:化粧品の主要輸出入動向(2011年) <資料出所:韓国医薬品輸出入協会>輸出仕向国輸出シェア輸入国 輸入シェア中国31.7%米国28.1%日本16.9%フランス 27.8%香港12.8%日本20.5%注:KPOPブームのタイ、ベトナム、マレーシア、フィリピンで韓国化粧品は好まれている。2010年には輸出は前年比でタイが6.4倍、マレーシアで1.2倍も伸びた。2012年の資料で見ると、輸出の最大仕向先のうち日本向けが倍増し、輸出シェア1位に日本が23%で抜けだし、2位に中国、香港となっている。・・・・・・・・・・以上の表は見ての通りで、WORDからの貼り付けでなく、「エディター」欄で不慣れなWEB表の作成を行ったものである。
May 1, 2013
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()内は対前年比伸び率 実は、お恥ずかしい話だが、今までBLOGでWORDの表を簡単に 貼り付けできていた。 最近になって、楽天ブログが表を受け付けなくなったので、画像を 張り付けている。 WORD、EXELで表を作成しても、楽天ブログはWEBで使えるような 処理をしなくなった。 それゆえ、しばらくは、画像を張り付けてみる。 画像がメモリーを食うのと、WEB用語がメモリーを食うのと 同じくらいかも知れないが、どうして受け付けなくなったのかが 判るまでは暇に任せて表の6~7枚を表示するしかないのである。 上記の疑問は楽天ブログに問い合わせ中であるが、回答は 期待していない。 無料のブログであり、サービスは限定されているのだから。
Apr 30, 2013
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家内が、色んな国内化粧品を買っているが、数年前から 韓国の化粧品に凝っているようだ。 「かたつむり」なんとかという美白クリームは品薄である とも言っていた。 KPOPは見ていないようであるが、韓ドラは昔から見ており 最近は「太陽を抱く月」というドラマなどである。 小生は、「朱蒙」などの戦乱ものは筋書きも判りやすいので 喜んでみていたが、「太陽を抱く月」あたりの恋愛ものは どうも向いていないようである。 日本の外人タレントの「サヘル」さんのような美人が 韓ドラではたくさん出てくるのが楽しみであり、日本女性には 「色の白いスマートな美人になりたい」という願望が強く、 西洋美人よりも肌の色が同質な韓国の女性が身に付けている 化粧品が好まれると思われる。 朝鮮人参、かたつむりなどの自然素材を利用した漢方薬にも 日本人は慣れているので東洋の化粧品が安心であるのだろう。 韓国では、よく売れている化粧品が日本のSK2、米国の Kiehl’s、自国の雪花秀(ソラス)であり、他方、日本では 韓国化粧品がブームで2009年頃までBBクリーム、2010年頃から 韓方化粧品(中国漢方+韓国伝統医学の応用で開発)や「かたつむり クリーム」が人気だそうだ。 韓国企業が市場開放で外国からの輸入品がどっと押し寄せ、 それに打ち勝つために東洋医学の粋を究め、新しい市場を アジアなどで発掘し、さらには欧州、米国にも市場を拡大 しつつある姿を垣間見たような気がする。 日本もTPPにめげずに新しい市場を開発することで、成長する 事が出来るかも知れず、韓国コズメティック産業に学ぶところ が多いだろう。 附属表は準備中である・・小生はWEBの表製作には不慣れなため練習中。
Apr 29, 2013
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王毅外相が決まる !王毅(ワンイー)外相 中国の全人代が李克強首相を 補佐する全閣僚を選出。 日本が直接関係する外相には 元駐日大使 である国務院 台湾事務弁公室主任の王毅氏が起用された。 中国は古代から海に浮かぶ東方向の小国を 倭国等と呼び、 隷属することを求めたが、 「日出ずる処の天子」から「日没する処の天子」へ の書簡を遣わすと言う言葉で、 「日本」は「意志ある国」だと表明している。 「台湾」でさえ明の時代に、蚊が媒介する 疫病の蔓延する島と認識して 中国が一時使用権を外国に与えたことがある。 古来から、大国の中国は、朝鮮を属国として みていたが、日本、台湾などは 意識外の「地域」であった様に見える。 中国はあまりにも広大であり、 現在は「秦の始皇帝が統一した領域」を 遙かに超えており、 かつては「超広大すぎて分裂した元の時代」 ほどではないが、中央政府が抑えきれない ほどの「領域」を維持し、さらに拡張を狙っている。 一部の優秀な政治家は全土を認識できるが、 国民は多すぎて、少数・多民族を抱え 「中央政府の統制」が利きにくい。 近年は、近海の微少な島々に、 中国国民の意識を集中させて、 中国本土に於ける所得分配・環境問題などから 国民の目を逸らせてきた。 新外相は日本や台湾の事情に 通じた立派な外相であり、 自国の立場、相手の立場を深く理解できるので、 中国国内に情報を発信しながら、 中国の立場・要求を適正に伝えてくるだろう。 新・習体制は、就任後、即座に適切な人事配置を 打っているように見える。 新外相の出番で、アジアの将来性が広まるように 期待しながら、 まずは、日本からPM2.5の軽減・除去などに 協力するべきである。 小生の花粉アレルギー体質は 「黄砂+PM2.5」 で今年は異常に激しく反応して 鼻水が止まらず、困っているのだから。
Mar 17, 2013
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日本の宗教色 文部科学省の宗教信者数に関する統計、 および総務省統計局人口推計調査によると、 2011年末の調査では下記の表のとおりとなる。 いろいろな解釈があるようであるが、 どちらの統計も総人口に対比させているなら、 総人口を母数にしても良いのでは無かろうか。 日本人は、神社にも仏閣にも御参りに行くし、 葬儀には相手の宗旨に合わせてお祈りする。 自然の太陽と先祖を崇める民であるが、 形式には拘らず、大陸から仏教・儒教も その「形式」を受け入れている。 「 超然とした態度 」を無宗教と言えば言えるが、 決して無宗教ではない。 古代ローマでは政治に宗教を 利用できることから キリスト教を国教と 政治側が認めた経緯がある。 ルターなどは宗教は利用するものではなく (例として、「 免罪符を買えば罪は許される 」 など、資金集め手段を認めるほどに 教会は堕落したと非難し)、 宗教は人間自身の心の深部への自覚問題として 捉え直すべきと「 宗教改革 」を興したように この呆け頭は勝手に理解する。 「 政・教一致で強大なローマ帝国が成立 」 した国体とは、全く異なるのが 日本や中国などの「 超宗教 」ではなかろうか。 もちろん、日本では、高位の戒名を付けて 貰うのにはそれなりのお金を出すことになる。 しかし、戒名なしに済ますことでは なにも問題にはならない。 個人の心構えの問題なのである。 宗教が政治や[ 征服・野心 ]などと絡むと ややこしいことになる。 日本では、宗教を消極的に捉えたために 鎖国政策をとり、 西洋は積極的に捉えて大航海時代に [ 征服者 ]としてキリスト教を広めた。 日本に於ける宗教信者宗教区分信者小生の試算神道系102,756千人 80.5%仏教系 84,653 66.3%キリスト教系 2,773 2.2%その他の宗教系 9,435 7.4%単純合計199,612 156.3%2011年10月人口推計調査127,720<A> 100% 呆けの試算であり誤っているだろう。私的なブログなのでご勘弁願いたい。いつでも書換、消去するつもりである。
Mar 14, 2013
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(マカオ その1 から続く)<資料出所:外務省、CIA,WIKIPEDIAなど> 主要産業観光・カジノ産業、航空関係経済概況CIAを翻訳2001年、カジノ経営権の国際入札を実施し、外国投資に解放したことで、大量の資金が流入、マカオを世界最大のゲームセンターの一つに変身させた。マカオのゲームおよび観光産業は、中国政府による、マカオへの中国住民の渡航制限を緩和する決定で「加油」(油を注がれた)。2006年までに、マカオのゲーム収入はラスベガスを凌駕、ゲーム関連税収は政府の全収入の7割を越えた。2008年には急速に発展するゲーム部門に抑制策を講じ、2009年には、グロ-バルな経済の陰りを背景に劇的な減速となった。その後2010-2011年は本土からの観光やゲーム部門の回復を主因に強い成長をみせた。2010年には市の人口が55万人なのに対して、約25百万人の観光客を受け入れた。そのほぼ53%は中国本土からであった。 マカオの伝統的製造業は2005年の「Multi-Fiber(多国間繊維)取り決め」の終了以来、大きく減衰した。2004年1月に発効したマカオと中国本土とのCEPA「経済貿易緊密化協定」が、マカオ産品を本土に輸出するとき「ゼロ税関」の便宜を供与したが、それでも、中国はマカオの2番目の商品輸出市場で、香港に後塵を拝し、米国には先んじた。 2010年には輸出が9億ドル以下となり、ゲーム収入が2009年より58%も増加、約240億ドルとなった。 マカオの経済はグローバル経済の不確実性を映じて、2012年に10%の緩いペースで拡大した。マカオは成長するカジノ産業、資金浄化から、即ち、ゲーム産業に依存しすぎた経済体質から脱して、多様化する挑戦を持続している。 マカオの通貨、パカタは当地域で自由に受容されている香港ドルと密接に連携している。カジノ産業<日経新聞:2012年について> 「VIPバカラ」人気で、カジノを中心とした賭博業収入が2012年に初めて3兆円を越えて3.32兆円(前年比13.5%増加)となり、2桁の成長は3年連続となった。カジノはGDPの約45%を占めた。ただし、観光業は本土の景気減速を反映して伸び率は鈍化した。名目GDP:億ドル223.4億ドル(2008年)364.3億ドル(2011年)B (CIA)GDP構成農業0%、工業7.4%、サービス92.6%(2010年)就業労働力構成製造業4.3%,建設8.7%,輸送・通信5.5%,卸小売13.3%,飲食・ホテル12.7%,賭博13.3%,公的部門6.7%,金融サービス2.4%,その他33.2%一人当たり名目GDP:39,036ドル(2008年) 63,025ドル(=B/A、2011年)一人当たりGDP(PPP)74,900ドル(2011年)CIA実質GDP成長率13.2%(2008年)20.7%(2011年)CIA物価上昇率9.9%(2008年)5.4%(2012年)CIA失業率3.3%(2008年度末)2%(2012年)CIA予算(2012年)収入:169.5億ドルCIA支出: 69.3億ドル収支:100.2億ドル(税+他の収入)/GDP比76.7%CIA予算収支/GDP比45.3%(2012年)CIA商業銀行優遇貸出利率 5.4%(2012年末)CIA外貨準備(金を含む)340.3億ドル(2011年末)CIA対外負債 なし経常収支(国際収支)170.1億ドル(2011年)CIA貿易収支A-B▲35.1億ドル(2008年)▲78.1億ドル(2011年)CIA貿易額:輸出(FOB)A20.8億ドル(2008年)11.2億ドル(2011年)CIA同 :輸入(CIF)B55.9億ドル(2008年)89.3億ドル(2011年)CIA貿易品目:輸出衣類、繊維、履物、玩具、電子製品、機械部品同 :輸入原料・半製品、消費財(食糧、飲料、タバコ)、資本財、鉱物油貿易相手国:輸出米国39.9%、香港19.7%、中国12.3%、・・・日本1.3%(2008年)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・香港44.6%、中国15.9%、米国7.9%(2011年)同 :輸入中国39.3%、香港10.1%、日本8.5%(2008年)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中国30.4%,香港12%,仏10.4%,スイス7.5%,伊7.5%,日本6.2%,米国6.1%(2011年)対日貿易収支▲411.2百万ドル(2008年)対日輸出 25.5百万ドル(2008年)対日輸入 436.7百万ドル(2008年)世界遺産(文化遺産)「マカオ歴史市街地区」マカオにある、20以上の建築や広場などの古跡を含む地区である。かつてのポルトガルの植民地であったマカオにおける東西文化のユニークな同化と共存を窺い知ることができる。
Mar 10, 2013
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マカオは、ラスベガスを凌駕する賭博収入を誇る中華人民共和国特別行政区であり、いまなお、一国二制度の政治体制である。 マカオから中国への出国審査は簡単であるが、入国審査は緩和されているとはいえ、制限事項は残っており、入国時はたいへん混雑するらしい。 香港が英国からの返還に苦しんだのに比べ、マカオは比較的苦労なくポルトガルから返還を受けた経緯がある。 マカオ特別行政区 略史<外務省、WIKIPEDIAなど>年月略史1513年ポルトガル人が海路で中国に到達1557年マカオでの居住権獲得。中国、日本とヨーロッパとの中継貿易港、キリスト教布教活動の拠点として発展1845年ポルトガルはマカオを自由港と宣言1848年中国人による総督殺害事件を機に清朝税関等の官吏を追放し、地租の支払いを停止し、マカオの行政権を取得。1888年ポルトガルは清朝との間で香港からの阿片密輸防止協力する見返りとして「友好通商条約」を締結、ポルトガルのマカオに対する行政権が法的に確立。清朝はポルトガルがマカオを永久に占領し、第三国へ譲渡しないことを承認。1951年マカオはポルトガルの海外県となる1966年中国文化大革命の影響により左翼系の中国系住民が反ポルトガル闘争を組織。マカオ政府はデモを鎮圧できず、中国政府の影響力を借りることにより事態を収拾し、以後、マカオにおける中国の影響力が拡大したといわれている。1974年4月ポルトガル革命後、ポルトガルの新社会主義政権は、植民地主義を放棄1976年新憲法においてマカオの特別の地位(「ポルトガル海外県」から「ポルトガル行政下にある領域」)を認め、「マカオ組織章程」を制定、立法会も設置1979年2月中ポ外交関係樹立時、両国は、マカオの主権は本来中国にあり、その将来の問題は適当な時期に解決するとし、1986年より返還交渉を開始。以後、マカオ返還問題は、香港返還問題を後追いする形で進展。激しい中英間の対立があった香港返還と比べ、マカオ返還を巡る中ポ関係は、ポルトガル側の慎重な姿勢もあり、平穏に推移1987年4月中ポ両国は「中葡共同声明」に仮署名(1988年1月批准)し、マカオは中国の領土であり、ポルトガルは1999年12月19日まで、マカオの行政管理責任を有し、中国は翌20日にマカオに対し主権を回復する旨宣言。返還後のマカオ特別行政区(SAR:Special Administrative Region)の憲法とも言えるマカオ基本法は、1993年3月、中国全国人民代表大会(全人代、日本の国会に相当)において採択。1999年12月20日マカオは中国に返還され、香港同様「一国二制度」の下で、外交・国防を除き、高度の自治権を有すマカオ特別行政区として、現行の社会制度、生活様式を返還後50年間維持。 基本事情<資料出所:外務省、CIA、WIKIPEDIAなど>国名マカオ 澳門中華人民共和国マカオ特別行政区マカオ半島にある道教の廟、媽閣廟に由来する説が有力。「東洋のラスベガス」とも言われる通貨マカオ・パカタ1パカタ=約11円(2012.3.14現在)国旗明るい緑地に白い蓮の花と橋、海がデザインされ、その上に五つの黄色の五芒星が描かれている。蓮の花はマカオの象徴である。タイパ橋はマカオ半島と対岸のタイパ島を接続する橋で、中国本土とのつながりを示している。五つの星は中華人民共和国の五星紅旗からとられており、マカオが中国の領土であるということを象徴する。国花蓮(国旗にも使用)面積:平方キロ29.7平方km(世田谷区の約1/2)B28.2平方km(海岸線41km)C国の位置中国広東省南部、珠江河口の西南岸に位置し、マカオ半島、タイパ島、コロネア島より構成。現在、半島部と旧タイパ島の間は3つの橋でつながれ、コタイから西に珠海と結ぶ橋もできている。人口578,025人(2012年7月)A人口密度:/平方キロ19,462人(=A/B)20,497人(=A/C) 首都花地瑪堂区(ファティマ堂区)WIKIPEDIA民族中国人92.4%、その他7.6%言語広東語83.3%、北京語5%、公用語はポルトガル語と中国語(広東語と北京語)。宗教仏教50%、カトリック15%・・・・・・・・・・・・・・仏教、道教、キリスト教、イスラム教、ゾロアスター教など。政体中華人民共和国マカオ特別行政区一国両制(一国二制度)。社会主義と資本主義が共存。元首中国国家主席 (胡錦涛→)習近平2013.3.15議会2005年9月に行われた第3期立法会は議員29名(直接選挙12名、間接選挙10名、行政長官任命7名)。立法会主席は曹其真(Susana CHOU)。副主席はLAU Cheok Va。立法会には政策立案のため、規約任期委員会と三つの常設委員会、行政委員会が設置されている。政権行政法務、経済財政、保安、社会文化、運輸・公共事業の5長官。行政長官 崔世安(フェルナンド・チョイ)行政法務司 陳麗敏外交基本方針<中国との関係>マカオ基本法に基づき、1999年12月20日、中国外交部駐マカオSAR特派員公署(原_特派員)を設立。2000年1月18日より、新華社マカオ分社が中央人民政府駐マカオSAR連絡弁公室(白志健主任、2001年10月就任)と改称。2000年1月、マカオSAR全国人民代表選挙により代表7名選出。全人代マカオSAR代表は返還前からの4名と合わせ計11名。軍事マカオ基本法では、人民解放軍の駐留についての明文規定はないが、1999年6月、全人代常務委員会において、駐留軍経費の中央負担、マカオ内部事務不関与等を規定して駐軍法が成立。12月20日人民解放軍駐マカオSAR部隊が陸路進駐・駐留。(マカオ その2 へ続く)
Mar 10, 2013
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(ブータン王国 その1 から続く) 政体立憲君主制元首ジグミ・ケサル・ナムギャル・ワンチュク国王陛下(第5代)議会二院制 (上院25議席,下院47議席)政権首相 ジグミ・ティンレイ(ブータン調和党(DPT))外相 ウゲン・ツェリン ↓2013.7.27下院選挙 首相交代ツェリン・トブゲイ(人民民主党党首・PDP) 外交基本方針現在,48カ国及び欧州連合との間に外交関係を有している(国連安保理常任理事国とは外交関係を有さない)。軍事予算 約17百万米ドル(2006年:推定)、兵力 約1万名< 1)ブータン国王軍:約7,000名,2)ブータン国王親衛隊:約2,000名,3)ブータン警察:約1,000名)。ブータン国王軍は志願兵制。兵力 小規模な陸軍部隊、駐留外国軍 インド軍事顧問団(ティンプーその他主要地点に駐留し,軍事支援を提供。>主要産業農業(米。麦ほか)、林業、電力経済概況1960年代以降の近代化政策の推進により,自給自足経済から市場経済への堅実な移行が進められている。GDP成長率は2002年-2008年(第9次五カ年計画,08年まで一年延長)で平均9%,2007年には,タラ水力発電所稼働開始に伴い18%の高成長を達成したが,2008年は4.7%,09年は6.7%,10年は11.8%,11年は8.5%、12年は9.9%であった。経済活動を行う労働力は全人口の67.4%(約33万4千人(2010年))である。農業が依然として労働力の59.4%を占める主要セクター。国民総幸福量開発の原則として,国民総生産(GNP)に対置される概念として,国民総幸福量(GNH:Gross National Happiness)という独自の概念を提唱している。経済成長の観点を過度に重視する考え方を見直し,(1)経済成長と開発,(2)文化遺産の保護と伝統文化の継承・振興,(3)豊かな自然環境の保全と持続可能な利用,(4)良き統治の4つを柱として,国民の幸福に資する開発の重要性を唱えている。GDP:公式交換レート1,725百万ドル(2011年発表)UN1,701百万ドル(2012年発表)IMF1,214百万ドル(2012年発表)CIAGDP:PPP4,160百万ドル(2010年)CIA4,379百万ドル(2011年)CIA4,813百万ドル(2012年)CIAGDP構成農業 15.1%、工業 34.2%,サービス 37.6%(2012年)CIA労働力構成農業 43.7%,工業 39.1%,サービス 17.2%(2004年)CIA一人当たりGDP:2,285ドル(2010年)Global Finance2,287ドル(2011年)一人当たりGDP:PPP5,700ドル(2010年)CIA5,900ドル(2011年)CIA6,500ドル(2012年)CIA貧困ライン以下人口割合23.2%(2008年)家計所得割合最低10%層 2.3%最高10%層 37.6%(2003年)実質GDP成長率11.8%(2010年)CIA5.3%(2011年)CIA9.9%(2012年)CIA物価上昇率 8.9%(2011年)CIA8.3%(2012年)CIA国内の物価がインドのインフレの影響を強く受ける性質失業率3.1%(2011年)うち都市部5.8%予算収入:581.5百万ドル(2012年)CIA支出:610.6百万ドル収支:▲29.1百万ドル(税+他の収入)/GDP比47.9%(2012年)CIA予算収支/GDP比▲2.4%(2012年)CIA公的債務/GDP比 64%(2011年)CIA商業銀行優遇貸出利率 14.5%(2012年末)CIA外貨準備1002百万ドル(2010年)対外負債1,275百万ドル(2011年)CIAインドからのルピー建債務の割合が58.1%(2010年6月)経常収支(国際収支)▲355百万ドル(2011年)CIA▲312百万ドル(2012年)CIA貿易収支(国際収支)A-B▲520百万ドル(2011年)CIA▲555百万ドル(2012年)CIA貿易額:輸出(FOB)A665百万ドル(2011年)CIA725百万ドル(2012年)CIA同 :輸入(CIF)B 1,185百万ドル(2011年)CIA1,280百万ドル(2012年)CIA原油輸入 230百万ドル(2011年)ネタ帳貿易品目:輸出電力、珪素鉄、鉄・非合金鋼、セメント、農産物(以上で84%を占める)(2010年)同 :輸入軽油、ガソリン、金属製品、米、小型掘削機、石炭、米(以上で30%を占める)(2010年)貿易相手国:輸出インド(93.5%)、香港、バングラデシュ、日本、ネパール(2010年)同 :輸入インド(77.85%)、韓国、タイ、シンガポール、日本(2010年)対日貿易収支▲12億円対日輸出 2.7億円(2011年)対日輸入14.7億円(2011年)対日輸出品目生鮮・冷蔵野菜、繊維製品(2011年)対日輸入品目小型掘削機、自動車・関連部品(2011年)外国直接投資純流入額12百万ドル(2010年)日本の援助実績2010年度まで有償: 58億円無償:291億円技術:142億円主要援助国(2010年)(1)インド (2)日本 (32)デンマーク (4)オーストラリア (5)オーストリア
Feb 25, 2013
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データ時点が古くなったなどで再度掲載する。 ***そのまえに、小生が昔から如何に「もの知らず」であるかを、大河ドラマ「八重の桜」を見てハット気がついた。昔、会津若松に行くときなど仲間から、小生が土佐生まれの人間だから、「故郷」を伏せておくように忠告された。自分は関係があるとしても、「山内家」が来る前の長曽我部氏の時代であり、「幕末」で会津を虐めたという「土佐」ではない。<むしろ、外様大名が統治する植民地のような扱いで虐められた旧陣営である。>よく分からなかったが、仙台生まれの知人の方達も「土佐」になぜか、「先祖伝来の蟠り」を持っているようだった。「坂本龍馬」は「土佐」というよりも、「幕末日本を切り開いた傑物」なので悪く言わないが、「土佐」はだめらしい。 会津若松城近くのお墓の側を通ると、「西郷」という墓石が見えた。鹿児島の西郷さんしか「知っている西郷さん」はいないので、「会津征伐」で進軍した親類なのかと思っていた。NHKドラマでは、会津の殿様と親類の筆頭家老で「西郷さん」がいるではないか。主君を諫める「いごっそう」ぶりはよく似ているが、薩摩の西郷さんではなかった。「西」の「郷」と称する有力者の苗字であり、別に本州の西部でなくとも「西郷さん」はたくさんいるのである。勝手に恥をかいているが、写経をしているうちにも、初歩的な間違いが沢山あるだろうと気になっている。であるが、呆けの「脳トレの時間」なのでお見過ごし願いたい。 ***さて、本題「ブータン王国」に戻るがまたこんがらがった。名目GDP(ドル表示)の2012年最新推計データが1,214百万ドル(推定値)とCIAから発表されている。名目GDPは、2011年版のUN資料でみると、1,725百万ドル、同年版のWORLD Bank 資料でみると1,689百万ドル、2012年版のIMF資料でみると 1,701百万ドルである。2012年には、実質成長率が9.9%(CIA発表)、インフレ率も8.3%と高いので、名目GDPも伸びたはずである。しかし、この話は「国内通貨で言える」ことで、「ドル表示」となると、「為替変動を考慮」しなければならない。2012年には「ブータンの貨幣価値が対ドルで比較」すると、この1年で「0.876」も低下しているから注意が必要だ。また、IMF統計の「脚注」にもあるように、これらの公的資料は、ほとんどが2006/07年くらいの原資データをベースに独自の方法で推計・推定している暫定推計値であることだ。これらの数値は、それぞれの機関が、それぞれの時点で違ったDbaseに基づいて発表しているもので、確定値あり、暫定値あり、推定値あり、色々ありだ。時系列比較、横断比較などしては頭が混乱するだけであり、およその水準変動を示す値として扱うべきもので、いつ新しい「発表値」が現れても「驚く必要はないと覚悟し、悩むことは無駄と諦めた」。「呆けの独り言」です。 ブータン王国 略史<外務省、WIKIPEDIAなど>年月略史17世紀この地域に移住したチベットの高僧ガワン・ナムゲルが,各地に割拠する群雄を征服し,ほぼ現在の国土に相当する地域で聖俗界の実権を掌握。19世紀末東部トンサ郡の豪族ウゲン・ワンチュクが支配的郡長として台頭1907年同ウゲン・ワンチュクがラマ僧や住民に推され初代の世襲藩王に就任,現王国の基礎を確立1952年即位した第3代国王は,農奴解放,教育の普及などの制度改革を行い,近代化政策を開始1964年地方豪族間の争いに起因する当時の首相暗殺や,その後に任命された首相による宮廷革命の企み発覚を契機に,首相職が廃止され,国王親政となった1972年16歳で即位した第4代国王は,第3代国王が敷いた近代化,民主化路線を継承・発展させ,王政から立憲君主制への移行準備を主導1980年代政府の国家のアイデンティティー強化施策(例:ゾンカ語の普及,ブータン式の服(「ゴ」「キラ」)の公式の場での着用義務づけ等)を契機に、1990年秋に南部ブータンで一部ネパール系住民による反政府デモが展開され,反政府活動グループと警官隊との衝突で死傷者が出る事件も発生し,90年以降,ネパール系ブータン難民がネパール国内に流入する。2006年12月第4代国王の退位により,現国王(第5代目)が王位を継承2007年11月第三国定住プロセスが開始される2008年4月2007年12月及び2008年の総選挙を経て、民主的に選出されたティンレイ政権が誕生し,5月には国会が召集され,7月に憲法が施行し,王政から議会制民主主義を基本とする立憲君主制に移行した2008年11月現国王の戴冠式が行われた2011年4月ティンレイ首相のネパール訪問の際,2003年から中断していた両国政府による難民帰還に関する協議再開に合意した。2011年8月まで約5万人の移住が完了した(内訳:米国(4万2千人),カナダ(2,400人),豪(2千人))。難民の第三国定住プログラムとしては世界最大規模となっている。(2012年1月時点で,ネパール国内のブータン難民数は約5.7万人いるとされる。)2011年10月古都プナカ市で,ジグミ・ケサル国王陛下とジツェン・ペマ王妃陛下のご成婚の儀が行われ、両陛下は,同年11月15日~20日,国賓として訪日された <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,CIAなど>国名ブータン王国(雷龍の国、高地の意)幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)8位通貨 ニュルタム(NU)1NU=1インド・ルピー=約1.49円(2012年12月現在)NU(BTN)per US dollar53.28(2012)46.67(2011)45.73(2010)46.68(2009)国旗 国旗はかなり複雑なもののひとつで、竜のうろこが細かく書かれている。 国花メコノプシス=ホリドゥラ(ケシ目ケシ科の属の一つ。)面積:平方キロ38,394平方キロメートル(ほぼ九州くらい)国の位置インド(アッサム地方)と中国(西蔵自治区)にはさまれ、西方にネパール人口716,896人(2012.6末)労働力人口:299,900人(2008年)人口密度:/平方キロ19人首都ティンプー人口:89,000人(2009年)東京からの大圏距離:4,787km時差:JST-3時間サマータイムなし民族Bhote系(50%)、ネパール系(35%)、東ブータン先住民など15%言語ゾンカ語(公用語)などSharchhopka 28%, Dzongkha (official) 24%, Lhotshamkha 22%, other 26%宗教チベット系仏教、ヒンドゥー教など世界で唯一チベット仏教(ドゥク・カギュ派)を国教とする国家であるLamaistic Buddhist 75%, Indian- and Nepalese-influenced Hinduism 25%(ブータン王国 その2 に続く)
Feb 25, 2013
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(ベトナム その2 から続く) 主要産業農林水産業、鉱業、軽工業経済概況1989年頃よりドイモイの成果が上がり始め、1995年~1996年には9%台の高経済成長が継続。1997年から成長率鈍化等傾向の表面化に加え、アジア経済危機の影響で外国直接投資が急減、1999年成長率は4.8%に低下。 2000年代から、海外直接投資も順調に増加、2000年~2010年平均経済成長率は7.26%と高成長を達成。2010年、当初目標6.5%を上回る6.8%成長を達成。2011年は5.9%。急速物価上昇、自国通貨不安定化など、マクロ経済状況は不透明で、政府は2011年の経済運営に関し、マクロ経済安定化とインフレ対策を最重要課題とした。 近年ベトナムは一層の市場経済化、国際経済統合を推進、2007年1月、WTOに正式加盟したが、慢性的貿易赤字、未成熟な投資環境等懸念材料も残る。GDP:億ドル 1,227億米ドル(2011年)1,377億米ドル(2012年)CIAGDP構成比農業21.5%、工業40.7%、サービス37.7%(2012年)CIA労働力構成農業48%、工業22.4%、サービス29.6%(2011年)CIA一人当たりGDP:1,374米ドル(2011年暫定値)実質GDP成長率5.9%(2011年)5.1%(2012年)CIA物価上昇率18.6%(2011年) 9.2%(2012年)CIA失業率2.27%(都市部:3.60%、農村部:1.71%)(不完全就業率3.34%(都市部:1.82%、農村部:3.96%))(2011年)(2011年)4.3%(2012年)CIA貧困ライン人口14.5%(2010年)CIAGINI係数37.6%(2008年)CIA予算収入:421億ドル支出:476億ドル不足:▲55億ドル(2012年)CIA(税+他の収入)/GDP比30.6%(2012年)CIA予算収支/GDP比▲3.9%(2012年)CIA公的債務/GDP比 48.2%(2012年)CIA商業銀行優遇貸出利率17.0%(2011年)CIA13.6%(2012年末)CIA外貨準備高135億ドル(2011年)209億ドル(2012年)CIA・・・金を含む対外債務残高503億ドル(2011年)経常収支▲6億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)▲98億ドル(2011年)貿易額:輸出(FOB) 969億ドル(対前年比 34.2%増)(2011年) 1,094億ドル(2012年)CIA同 :輸入(CIF)1, 068億ドル(対前年比 25.9%増)(2011年)1,096億ドル(2012年)CIA貿易品目:輸出縫製品14.5%、原油7.5%、携帯電話・同部品7.1%、履物6.8%、水産物6.3%,PC・電子製品・部品4.8%等(2011年)同 :輸入機械機器・同部品14.4%、石油製品9.3%、PC・電子機器・同部品7.5%、布6.3%、鉄鋼6.0%,プラスチック原料4.5%等(2011年)貿易相手国:輸出米国17.5%、中国11.5%、日本11.1%、韓国4.9%、ドイツ3.5%,マレーシア2.9%,豪州2.6%,カンボジア2.5%,英国2.5%(2011年)同 :輸入中国23.0%、韓国12.3%、日本9.7%、台湾8.0%、シンガポール6.0%,タイ6.0%,米国4.2%,マレーシア3.7%,インド2.2%(2011年)対日貿易収支 3億ドル対日輸出107億ドル(2011年)対前年比39.4%対日輸入104億ドル(2011年)対前年比15.2%対日輸出品目縫製品15.7%、原油14.7%、水産物9.4%,機械設備・同部品9.4%,電線・ケーブル9.2%,木材・木製品5.5%,輸送機器部品4.6%,PC電子部品・同製品3.8%対日輸入品目機械機器・同部品27.0%、鉄鋼18.8%、PC電子部品11.1%,布地5.1%,自動車部品4.0%,プラスチック原料3.0%主要援助国 (1)日本 (2)フランス (3)豪州 (4)ドイツ (5)韓国(2010年、DAC集計ベース)対内直接投資(新規認可)国別116億ドル(前年比▲33%)香港25.5%,シンガポール17.3%,日本16.0%,韓国7.6%,英国6.9%,中国5.2%,台湾3.2%,マレーシア3.1%,フィンランド2.6%(2011年)対内直接投資(新規認可)業種別加工・製造45.2%,電力・水道21.9%,建設業8.9%,不動産6.4%,情報・通信4.3%,小売・流通3.6%,廃棄物処理・給水2.8%,ホテル・飲食2.2%日本の援助実績2010年度まで有償:2700億円(2011年度)無償: 53億円(2011年度)技術: 72億円(2010年度)日本の直接投資(2011年) 24.4億ドル(認可額)世界遺産(文化遺産)フエの建造物群(中部の都市)ホイアンの古い町並み(中部の港町、中国人街、日本人街など)ミーソン聖域(中部にある古代チャンパ王国の聖なる遺跡)ハノイのタンロン(昇竜)皇城の中心区域胡朝の城塞(北部遺跡)(陳朝の滅亡から明の支配の間の2代7年の短命政権)世界遺産(自然遺産)ハロン湾(カットバ島ほか大小3,000もの奇石、島々)フォンニャ=ケバン国立公園(4億年以上前形成された最大の岩山群と長い洞窟群)世界遺産(無形遺産)ベトナムの雅楽ベトナム中央高原におけるゴング(鐘)の文化的空間
Feb 20, 2013
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(ベトナム その1 から続く) <資料出所:外務省、JETRO,CIA,WIKIPEDIAなど>国名ベトナム社会主義共和国幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)-通貨ドン(Dong)1ドル=20.800ドン(2011年12月)国旗赤地に黄の星を置いた旗である。旧ベトナム民主共和国(北ベトナム)が制定した旗を統一後も使用している。赤は社会主義国によく見られる色で独立の為に人民が流した血、黄(金)は革命、星は社会主義の象徴、五本の光は労働者、農民、兵士、商人、知識人を表す。国花紅い蓮、竹国の標語漢字: 独立、自由、幸福面積:平方キロ331,689平方km国の位置国土は南北に長く、北に中華人民共和国と、西にラオス、カンボジアと国境を接し、東は南シナ海に面し、フィリピンと対する。人口87,840千人(2011年、GSO)人口密度:/平方キロ265人首都ハノイ(河內)人口:650万人(2009年)大圏距離 ハノイ・・・・・・ホーチミン: 1,140km ハノイ・・・・・・東京 : 3,674km 時差:JST-2時間サマータイムなし 民族キン族(越人)約86%、他に53の少数民族言語ベトナム語宗教仏教(約80%)、カトリック、カオダイ、ホアハオ教他政体社会主義共和国元首(国家主席)チュオン・タン・サン→チャン・ダイ・クアン大統領(党2位)2016.4議会一院制(500名)、任期5年(但し2007年~2011年の第12期国会は4年)、中選挙区、選挙権満18歳以上、被選挙権満21歳以上グエン・シン・フン議長政権グエン・タン・ズン→グエン・スアン・フック首相(党3位)2016.4一院制(500名)、任期5年(但し2007年~2011年の第12期国会は4年)、中選挙区、選挙権満18歳以上、被選挙権満21歳以上共産党(唯一の合法政党) 党首 グエン・フー・チョン書記長(党1位)2016.1留任内政1986年、第6回党大会の市場経済システム導入、対外開放化・ドイモイ(刷新)路線を継続、外資導入に向けた構造改革、国際競争力強化に取組み。ドイモイ進展裏に、貧富差拡大、汚職蔓廷、官僚主義弊害などのマイナス面も顕在化。2011年1月、第11回共産党大会(5年毎)で、2020年までの近代工業国家成長目標のほか、私営経済活動者の試験的入党を認めた。また、党中央指導部人事一新、書記長に、元国会議長のグエン・フー・チョン氏を選出。同年5月22日の国会議員選挙、7月21日より第13期国会を経て、グエン・シン・フン国会議長、チュオン・タン・サン国家主席を選出、グエン・タン・ズン首相を再選。また、政府組織改編、ズン首相提案の新閣僚人事案を承認、一部閣僚が交代。2016.4新指導部体制へ 外交基本方針全方位外交展開、特にASEAN、アジア・太平洋諸国等近隣諸国との友好関係拡大。対外開放、地域・国際社会への統合の推進。1995年7月、米国と国交正常化、ASEANに加盟。1998年11月、APECに正式参加、2006年のAPEC議長国。2008年1月、国連安全保障理事会非常任理事国(任期2008年~2009年)に就任。2010年のASEAN議長国。軍事予算 264.6億ドル(2010年)、兵役 徴兵制、兵力 正規軍48.2万人(陸軍 約41.2万人、海軍 約4万人、防空・空軍 約3万人)(2012年)(ベトナム その3 に続く)
Feb 20, 2013
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2013年1月-安倍首相は初の公式訪問国ベトナムで首脳会談後、 タイ、インドネシアを訪問し、アルジエリア・人質事件対応のため 急ぎ帰国した。 インドネシアではユドヨノ大統領と会談し、「憲法改正、 国防軍保持」を日本の重要課題にあげ、中国の台頭へ の懸念を示した。 ベトナムは、仏植民地からの独立に日本が間接的に協力した 経緯を理解してくれているのだろうか。 中国は、日本に協力的なのはベトナムぐらいだと、 言っている。 ベトナムの歴史を見ていると、中国から侵略を受け、 国名を認めて貰えず、清仏戦争の敗北で仏の支配下 に入った歴史がある。 他方、サイゴン陥落で、共産主義化が進展するにつれ、 ベトナムの華僑達は海外に脱出、多くのベトナム系中国人を 中心とする難民がポートピープルとして香港、米国、豪州、 カナダ、仏、独、英、日本などに移住を余儀なくされた。 中国が支援したポル・ポト政権は、ベトナムとの 国境問題、カンボジア国内でベトナム系住民に対する 迫害・恐怖政治を行ったため、ベトナムがその政権を壊滅 させた。 中国としては、ベトナムのポルポト壊滅は裏切り行為で あるとして、中・越戦争が勃発した。 現代はビジネスライクに共存を求める中・越両国であるが、 西沙諸島、南沙諸島の領土問題では、互いに主張を 譲っていない。 呆けの小生には、日本に味方するのはベトナムだと、 中国が真っ先にあげるのはこのような背景があるのかも 知れないと思う。 ベトナム社会主義共和国 略史<外務省、WIKIPEDIAなど>年月略史紀元前207年南越国の成立紀元前111年中国の前漢の遠征で滅亡、中部ではチャンパ王国(チャム族)が形成され、北部では6世紀の終わり頃、中国の随が交州総督府を、7世紀には中国の唐が安南都護府を置く<中国の王朝の支配下に1千年余置かれることになる。>938年呉権(ゴー・クエン)、白藤江で南漢軍を破る(中国からの独立)最初の民族王朝として呉王朝が成立。<ディン王朝、前・黎王朝を経る>1009年李王朝の成立<以後南部はチャンパ王国、北部は李朝→陳朝を経る>1010年首都をタンロン(現在のハノイ)に置く<陳朝はモンゴル・元の攻撃を3回防ぎきり、チンギスハンの1294年死亡から元の侵攻はなくなったが、元を1367年に滅ぼした明により、自らの内乱もあって1413年に滅ぼされる。明の支配が20年間続いた後、明の永楽帝の逝去とともに明軍を追放、後・黎王朝が前期・後期を通じ、中間の混乱期を挟んで1428年から1788年まで続く。ただし、国は南北の地方王権(トンキン、コーチシナ)に分かれて争乱が続く。黎王朝旧臣一族グエン・フック・アイン(後のジャロン帝)が苦難の末に全土を統一、グエン(阮)王朝(1802年~1945年)が成立したが、仏、英国、タイ、カンボジアの外国勢力の支援によるものであった。清国から越南国名を認めて貰う。ところが、清朝は清仏戦争1884年-1885年に敗北、天津条約で宗主権を放棄し、ベトナムの幼帝ハムギ帝は仏との間にフエ条約を結んで仏保護国となり、ベトナム全土が仏植民地・仏領インドシナ(1887年~1945年)に組み込まていく。>16世紀ホイアンの日本人町が栄える1884年ベトナムがフランスの保護国となる。1887年インドシナ連邦として仏領インドシナが成立1930年2月香港でグエン・アイコック阮愛国(ホー・チ・ミン胡志明)がベトナム共産党結成1940年9月日本軍の北部仏印進駐(1941年南部仏印進駐)。<「独」寄りの仏ヴィシー政権との協定による日本軍の進駐である。その後、仏ヴィシー政権が崩壊。仏印軍がド・ゴール寄りの指揮の下に、連合軍に加わり、挟み撃ちされることを日本軍は警戒し、1945年3月9日「明号作戦」で仏印軍を武装解除ないし、敗退させる挙にでた。同時に、仏保護国のベトナム、ラオス、カンボジアの各皇帝・国王に「独立宣言が可能である」旨を伝えた。ベトナムではバオ・ダイ帝がベトナム帝国の樹立を3月11日に、カンボジアではノロドム・シハヌーク国王が3月13日に、ラオスのシーサワーンウオン国王が4月8日に独立を宣言した。当時、ベトナム北部は洪水、異常低温で食糧不足にあり、さらに連合軍空爆で鉄道輸送が破壊されて食糧を南部から輸送できず、多数のベトナム人が餓死し、日本軍の仏人への財産保護宣言でも現地人の反発を招いた。1945年5月ホー・チ・ミンはベトナム解放軍を発足させ、ベトナム帝国と対峙した。日本軍は、同年8月15日に連合国に降伏したため、ベトナムで英軍、中国軍に武装解除された。>1945年9月2日ベトナム共産党ホー・チ・ミン(胡志明)主席、「ベトナム民主共和国」独立宣言1946年12月<第一次インドシナ戦争1946年~1954年。日本軍が無条件降伏したあと、仏軍が復帰し、仏と現地レジスタンス勢力間の戦争。仏はベトナム民主共和国(北ベトナム)に反対する勢力を擁立し、同年6月コーチシナ共和国が成立。ベトナム南部・北部の対立となる。(コーチシナ共和国は1948年まで存続、ベトナム国1949年~1955年に引き継がれる、さらに、反共勢力としてベトナム共和国1955年~1975年に引き継がれる。サイゴン陥落後は南ベトナム共和国臨時革命政府1975年~1976年となり、1976年に北ベトナムに統一吸収された。)>1954年5月ディエンビエンフーの戦い(仏軍は、ホー・チ・ミン主席の率いるベトミン軍に降伏。ベトミン=ベトナム独立同盟会)1954年7月ジュネーブ休戦協定、17度線を暫定軍事境界線として南北分離1960年<第二次インドシナ戦争(1960年~1975年)ベトナムの独立と、南北統一およびラオスにおける左右両派を巡って争われた戦争。ベトナム戦争。ラオス内戦。>1965年2月アメリカ軍による北爆開始1973年1月パリ和平協定、アメリカ軍の撤退1973年9月21日日本と外交関係樹立1976年7月南北統一、国名をベトナム社会主義共和国に改称統一以後は、ベトナム共産党を中心とする統一戦線組織であるベトナム祖国戦線がほとんどの候補を選任、複数候補から投票初代国家主席:トン・ドゥック・タン(孫徳勝)初代首相:ファム・ヴァン・ドン(范文同)1978年1月<第三次インドシナ戦争1978年1月以降のベトナム・カンボジア戦争、1979年以降のカンビジア内戦、中越戦争>1979年2月中・越戦争1986年第6回党大会においてドイモイ(刷新)政策が打ち出される1991年10月カンボジア和平パリ協定1992年11月日本の対越援助再開 1993年2月仏との和解1995年7月ASEAN正式加盟1995年8月アメリカとの国交正常化1998年11月APEC正式参加2007年1月WTO正式加盟2007年10月国連安保理非常任理事国(2008年~2009年)に初選出(ベトナム その2 に続く)
Feb 20, 2013
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***<少しBLOGは休憩する Target Weekly BLOG>*** *************************(シンガポール その2から 続く) 外貨準備高(当国統計)*3,084億SGD(2011年末) (SGD=シンガポール・ドル) 2,377億米ドル(2011年末) 2,533億ドル(2012年末) CIA対外債務残高11,224億米ドル(2011年末)シンガポール統計局国際収支当国統計2011年()内2010年総合収支: *215億SGD ; (* 575億SGD)経常収支: *717億SGD ;(* 757億SGD)資本収支:*▲504億SGD ;(*▲176億SGD)経常収支(国際収支)570億米ドル(2011年) シンガポール統計局449億ドル(2012年) CIA貿易収支(国際収支) 675億米ドル(2011年)シンガポール統計局貿易額:輸出 3,930億米ドル(2010年)シンガポール統計局(外務省)*4,788億SGD (2010年)当国統計 4,149億米ドル(2011年)CIA*5,147億SGD(2011年)当国統計 <GDPの1.6倍に相当> 4,306億米ドル(2012年)CIA直・再区分<Domestic Export>当国統計* 2,486億SGD(2010年) 全輸出の52%* 2,813億SGD(2011年) 全輸出の55% <GDP の0.88に相当>直・再区分<再輸出・・積み替え分>当国統計* 2,302億SGD (2010年) 全輸出の48%* 2,334億SGD (2011年) 全輸出の45% <GDPの0.72に相当>石油・非石油区分<石油部門> 当国統計* 750億SGD (2010年) 全輸出の16%* 1,040億SGD (2011年) 全輸出の20% <GDPの0.32に相当> 石油・非石油区分 <非石油部門>当国統計* 2,302億SGD (2010年) 全輸出の84%* 2,334億SGD (2011年) 全輸出の80% <GDPの1.28に相当>同 :輸入 3,473億米ドル(2010年)シンガポール統計局(外務省)*4,232億SGD (2010年) 当国統計 3,663億米ドル(2011年)CIA*4,597億SGD (2011年)シンガポール統計局 <GDPの1.41に相当> 3,904億米ドル(2012年)CIA貿易品目:輸出(再輸出を含む)(2011年)IT製品34.3%、石油製品19.6%、一般機械13.9%、化学品13.4%,輸送機器3.9%、精密機械3.2%、卑金属・同製品2.7%地場輸出:Domestic Export・・・・・54.7%再輸出:荷を積み替えるだけの輸出・・45.3%同 :輸入(2011年)石油製品32.5%、IT製品27.8%、一般機械13.4%、化学品8.0%、卑金属・同製品4.5%、輸送機器3.8%、食料品3.1%、精密機器3.1%貿易相手国:輸出(2011年)マレーシア12.2%、中国10.4%、インドネシア10.4%、米国5.4%、日本4.5%、韓国3.8%、台湾3.6%、タイ3.4%、インド3.4%<アジア・大洋州57.7%、EU27 9.4%、北米6.4%、中南米4.7%>JETRO 同 :輸入(2011年)GCC諸国11.4%、米国10.7%、マレーシア10.7%、中国10.4%、日本7.2%、韓国5.9%、台湾5.9%、インドネシア5.3%<アジア・大洋州50.0%、EU27 12.6%、中東12.0%、北米11.6%、>JETRO原油輸出入差▲ 105億米ドル(2011年)C-D 原油輸出1,087億米ドル(2011年)C ネタ帳原油輸入1,192億米ドル(2011年)D ネタ帳対日貿易収支▲78億米ドル(2011年)対日輸出 184億米ドル(2011年)*231億SGD(2011年)シンガポール貿易統計(JETRO)対日輸入 262億米ドル(2011年)*330億SGD(2011年)シンガポール貿易統計(JETRO)対日輸出品目IT製品51.9%、化学品14.6%、一般機械13.8%、精密機器5.7%、石油製品5.1%、食料品4.4%(2011年)対日輸入品目IT製品27.5%、一般機械23.2%、石油製品18.7%、化学品9.3%、卑金属・同製品8.1%、精密機器4.7%、輸送機器3.9%(2011年)直接投資受入額 640億米ドル(2011年)日本の直接投資 38億米ドル対内投資 国・地域別 2011年 137億SGD国内資本 13.7%国外資本 86.3%・ 米国 36.8%・ 日本 7.2%・ 欧州 15.5%・ その他 26.8%対内投資 業種別製造業 82.1%・エレクトロニクス 54.0%・化学 18.4%・精密エンジニアリング4.9%・輸送エンジニアリング3.1%・バイオメディカル 1.4%・その他 0.4%サービス産業 17.9%
Feb 13, 2013
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(シンガポール その1 から続く) 主要産業製造業(エレクトロニクス、化学関連、バイオメディカル、輸送機械、精密器械)、商業、ビジネスサービス、運輸・通信業、金融サービス業名目GDP:億ドル<当国統計>*3,100億SGD<2010年>2,274億米ドル<2010年>*3,268億SGD<2011年>2,598億米ドル<2011年>GDP部門別構成農業0%、工業27.8%、サービス72.2%(2010年)CIA労働力構成農業0.1%、工業19.6%、サービス80.3%(2011年)CIA名目一人当たりGDP(当国統計)*63,050SGD(2011年)50,123米ドル(2011年)実質GDP (2005年価格表示)(当国統計)2,514億SGD<2008年>2,489億SGD<2009年>2,857億SGD<2010年>2,996億SGD<2011年>実質GDP成長率(当国統計) 1.7%<2008年>▲1.0%<2009年>14.8%<2010年> 4.9%<2011年>1.2%<2012年、速報>物価上昇率(当国統計)2.8%<2010年>5.2%<2011年>4.4%(2012年:CIA)失業率(当国統計)2.2%(2010年)2.0%(2011年)2.0%(2012年:CIA)GINI係数47.3%(2011年) CIA予算(2012年)収入:399億ドル CIA支出:396億ドル(税+他の収入)/GDP比14.9%(2012年) CIA予算収支/GDP比0.1%(2012年) CIA公的債務/GDP比106.5%(2012年) CIA商業銀行優遇貸出利率5.4%(2012年末) CIA(シンガポール その3 に続く)
Feb 13, 2013
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マレーシア連邦から、分離独立した、英連邦加盟国である。マレーシアはマレー人が多数を占めるが、こちらは華人が多数を占め、宗教人口もこちらは相対的に仏教徒が多い。国語はマレー語ながら、英語、中国語が主流である。マレーシアはスルタンが輪番制の王様であるが、こちらは直接選挙で選ばれる大統領が儀礼的な元首の国。もりろん、国民の代表たる首相に実権が集中するが、与党の人民行動党が独り圧勝を継続している。最近は、与党の得票率低下で、「シンガポール国民の優遇政策」が急浮上している。先進国のように一人当たりGDPが高い国、公衆衛生への取り組みが極めて高く、また、死刑制度のある国でもある。街路でゴミを落としたり、立ち小便などすると罰金ものである。インド洋・太平洋を結ぶ海路の要衝にあり、日本企業もこの国に東洋のハブを設置する気運にある。 ・・・・・・・・・・・・統計の扱いが小生には難しく、米ドル(US$)、シンガポールドル(SG$)かどちらの表示なのかも判らず、間違ったらゴメンである。国別貿易データではJETRO資料を参考にしたが、CIA資料との矛盾(香港、台湾)の解明は諦めた。脳梗塞自主トレの小生が混乱しているだけ!であれば幸いである。 ・・・・・・・・シンガポール共和国略史<資料出所:外務省、WIKIPEDIAなど>年月略史1400年頃現在のシンガポール領域にマラッカ王国建国。1511年マラッカがポルトガルに占領され、マラッカ王国が滅亡。マラッカ王国の王はマレー半島のジョホールに移り、ジョホール王国を建国。それに伴い、ジョホール王国によって現在のシンガポール領域が支配される。1819年英国人トーマス・ラッフルズが上陸。ジョホール王国より許可を受け商館建設。1824年正式に英国の植民地となる。(1942年~1945年)(日本軍による占領)1959年英国より自治権を獲得、シンガポール自治州となる。1959年6月初代首相リー・クアンユー就任(人民行動党PAP、1990年11月まで)1963年マレーシア成立に伴い、その一州として参加。1965年マレーシアより分離、シンガポール共和国として独立。1990年11月第2代首相ゴー・チョク・トン就任(人民行動党PAP、~2004年8月)2004年8月~第3代首相リー・シェンロン就任(人民行動党PAP)国父「リー・クアンユー」の長男。 <資料出所:外務省、JETRO,CIA,WIKIPEDIA, 世界経済のネタ帳など>国名シンガポール共和国「ライオンの町」サンスクリット語源新加坡共和国(中国語)略称「星」(昔は星港と表記)幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)53位通貨シンガポール・ドル(Sドル、SGD)1シンガポール・ドル=約60円(2011年10月)1US$=<期中平均>1.253 (2012 est.) SGD1.258 (2011 est.) 1.3635 (2010 est.) 1.4545 (2009) 1.415 (2008) 国旗赤と白の横二色に三日月と五つの星からなる旗。赤は平等と世界人類の融和、白は純潔さと美徳、五つの星は、進歩・正義・平等・平和・民主主義を、三日月はイスラム教の象徴と新興国家の発展を支えるものという。国花バンダ・ミスジョアキム(ラン科バンダ属の交配種)国の標語マレー語: 進めシンガポール面積:平方キロ710.3平方km東京23区(約700平方km)とほぼ同じ<697平方km・・CIA>国の位置東南アジアのほぼ中心に位置。北のマレー半島(マレーシア)とはジョホール海峡が隔てる。マレーシアとは経済交流も盛ん。63の島からなり、最大の島はシンガポール島(東西42km、南北23km)で、国土の最高地点はシンガポール島のブキッ・ティマ(163m)で、沖積平野が広がる。他の島はいずれも小さく(44の島は面積が1平方kmを下回る)、国土面積は世界175位で、東京都とほぼ同じ広さ。人口5,184千人(うちシンガポール人・永住者は379万人;2011年6月末)人口密度:/平方キロ7,298人(=人口/面積)世界第2位(1位はモナコ公国)首都シンガポール大圏距離:東京から5,324km、クアラルンプールから310km、ジャカルタから907km時差:JST-1時間サマータイムなし民族中華系74%、マレー系13%、インド系9%、その他3%言語国語はマレー語。公用語として英語32%、中国語50%、マレー語12%、タミール語3% ( %は第一言語割合)。宗教仏教32.5%、キリスト教15%(プロテスタントがその2/3)、イスラム教14%、道教11%、ヒンズー教4%政体立憲共和制(1965年8月9日成立)(英連邦加盟)元首大統領(任期6年。トニー・タン現大統領は、2011年9月、第7代大統領として就任。)議院内閣制では儀礼的存在で直接選挙。議会一院制。選出議員数87(任期5年)<2011年5月の総選挙>与党:人民行動党PAP 81議席、労働党6議席政権首相:リー・シェンロン(2期目)外相兼法相:K・シャンムガム内政リー首相は、14年間首相を務めたゴー・チョクトン前首相(現名誉上級相)から2004年に政権を継承。建国以来、与党人民行動党(PAP)が圧倒的多数を維持、内政は極めて安定。最も厳しい死刑制度(麻薬にも)適用。外交基本方針ASEAN諸国との友好協力関係を基軸とした地域協力に努力。アジア太平洋地域における政治、安全保障、経済面での米国の関与を重視(ただし、非同盟諸国の一員でもある)。軍事予算:120.8億シンガポール・ドル(全歳出予算の25.6%、2011年度)、兵役:2年の義務兵役制度(訓練終了後は、予備役に編入。)、兵力:正規7.25万名(陸軍50,000名、海軍9,000名、空軍13,500名)英連邦加盟国5ヶ国(英国、当国、マレーシア、NZ,豪州)での防衛取極め締結、米軍の国内施設使用、台湾での陸軍訓練などの「星光計画」継続・拡大。 (シンガポール その2 に続く)
Feb 13, 2013
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(マレーシア その2 から続く) 主要産業製造業(電気機器)、農林業(天然ゴム、パーム油、木材)及び鉱業(錫、原油、LNG)経済概況2008年半ばまで経済成長率は5%前後で推移していたが、世界金融経済危機に伴う輸出急落で2009年は-1.7%と大幅に下落。2010年は内需の回復及び好調な中国経済に牽引されて通年では7.2%まで回復した。外需低迷により2010年後半から成長は減速傾向にあるが、2011年は投資と国内消費に支えられ、5.1%を維持した。2013年の経済成長率は、前年並みの4.5〜5.5%となる見込み。名目GDP:億ドル2,787億ドル(2011年)3,072億ドル(2012年)GDP構成農業11.9%、工業41.2%、サービス46.8%(2012年)労働力構成農業13%、工業36%、サービス51%(2005年)一人当たりGDP: 9,700ドル(2011年)実質GDP成長率5.1%(2011年)4.4%(2012年)物価上昇率3.2%(2011年)1.9%(2012年)失業率3.1%(2011年)3.0%(2012年)予算(2012年)収入:592.2億ドル(2012年)支出:753.1億ドル(2012年)収支:(税+他の収入)/GDP比19.3%(2012年)予算収支/GDP比▲5.2%(2012年)公的債務/GDP比55.8%(2012年)商業銀行優遇貸出利率4.9%(2012年末)外貨準備(金を含む)1,404億ドル(2012年末)対外負債956億ドル(2012年末)経常収支(国際収支)320億ドル(2011年)242億ドル(2012年)貿易収支(国際収支) 393億ドル(2011年) 426億ドル(2012年)貿易額:輸出(FOB)2,270億ドル(2011年)2,398億ドル(2012年)同 :輸入(CIF)1,877億ドル(2011年)1,972億ドル(2012年)貿易品目:輸出電気電子製品34.1%,パーム油・同製品12.0%,液化天然ガス7.2%,石油製品4.8%,原油4.6%(2011年)同 :輸入機械輸送機器44.6%,電気機器等13.1%, 鉱物燃料・潤滑油等11.1%, 化学品9.4%, 食品6.0%(2011年)貿易相手国:輸出中国13.1%、シンガポール12.7%、日本11.5%、米国8.3%、タイ5.1%、香港4.5%,インド4.1%(2011年)同 :輸入中国13.2%,シンガポール12.8%,日本11.4%,米国9.7%,インドネシア6.1%,タイ6%,韓国4%(2011年)対日貿易収支 48億ドル(2011年)A-B対日輸出261億ドル(2011年)A日本側統計304億ドル対日輸入213億ドル(2011年)B日本側統計187億ドル対日輸出品目鉱物性燃料 50.8%、電気機器 19.5%、原料別製品(木製品等) 6.2%(2011年)天然ガス43.0%、熱電子管・太陽電池・部品等6.9%、ラジオ受信機」録音再生装置付TV5.3%、ベニヤ単板・合板、削り片板ほか3.8%、精製石油製品3.1%(2011年)・・通関ベース対日輸入品目電気機器 25.0%、一般機械 13.8%、輸送用機器(自動車等) 13.7%(2011年)熱電子管・太陽電池・部品等17.8%、自動車・その他輸送機器5.5%、電気機械・関連装置4.6%、鋼鉄製チューブ・パイプ、真空管4.4%、貴金属・金・銀等3.6%(2011年)・・通関ベース対日貿易特色日本の対マレーシア輸出は電気機器が4分の1を占め、マレーシアの対日輸出は液化天然ガス(LNG)等の鉱物性燃料が過半を占める。主要援助国ODA支出純額(2009年) 日本92米国16独 11百万ドル日本の援助実績2010年度まで有償:9,693億円無償: 138億円技術:1,106億円日本の直接投資32億ドル(2011年)電気電子製品89.7%、輸送機器3.2%、石油石油化学1.7%、基礎金属製品1.6%、非金属鉱物製品1.4%日系進出企業ソニー、富士通、松下電器産業、東レ、三菱自工、トヨタ自動車、大正製薬、TOTO、三井物産、丸紅、ダイハツ工業、キヤノン、富士写真フイルム、味の素、博報堂、三菱東京UFJ銀行など在留邦人10,401人対内直接投資残高1,230億ドル(2012年末)対内直接投資国認可ベース日本29.6%,韓国15.2%、米国7.3%、シンガポール7.3%、サウジアラビア6.4%、独5.7%、中国4.7%、台湾4.1%(2011年)対外直接投資残高1,233億ドル(2012年末)世界遺産(文化遺産)マラッカ海峡の歴史的都市群、マラッカ(マレー半島シンガポール寄り)とジョージタウン(ペナン島)・・太平洋とインド洋を結ぶ海上交通の要衝レンゴン渓谷の考古遺産・・マレー半島部の北部、西海岸の北部、ペラ州にある先史時代の4つの考古遺跡(2百万年ちかくに亘る長い居住暦でアフリカ大陸以外で最古の人類遺跡) 世界遺産(自然遺産)キナバル自然公園・・ボルネオ島のサバ州のキナバル山(標高4,101m)などがある国立公園グヌン・ムル国立公園・・ボルネオ島の北部にあるムル山国立公園。巨大かつ長大な洞窟群にコウモリやアナツバメが棲息。ディア・ケイブから夕刻に数百万の蝙蝠が雲のように飛び立つ。
Feb 12, 2013
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(マレーシア その1 から続く) <資料出所:外務省、JETRO,CIA,WIKIPEDIA,など>国名マレーシア「山脈のある土地」の意幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)17位通貨1米ドル=約3.09リンギ、1リンギ=約25.2円(2012年9月11日現在)国旗同国観光局国教であるイスラム教のシンボルマークである月と星、そしてマレーシアの13の州と連邦特別区の意味国花同国観光局「ハイビスカス」の5つの花びらは、マレーシアの5つの国是(1:神への信仰、2:国王及び国家への忠誠、3:憲法の遵守 4:法による統治 5:良識ある行動と徳性)を表し、赤い色は勇気を表す。国の標語マレー語: 団結は力なり面積:平方キロ329,735平方km日本の0.87倍国の位置東南アジアのマレー半島南部とボルネオ島北部を領域とする。タイ、インドネシア、ブルネイと陸上の国境線で接しており、シンガポール、フィリピンと海を隔てて近接する。人口2,855万人(2011年統計局)人口密度:/平方キロ87人首都クアラルンプール:「泥の川が交わるところ」の意人口:165.5万人(2010年半)民族マレー系(約67%)、中国系(約25%)、インド系(約7%)約6:3:1言語マレー語(国語)、中国語、タミール語、英語宗教イスラム教(連邦の宗教)(61%)、仏教(20%)、儒教・道教(1.0%)、ヒンドゥー教(6.0%) 、キリスト教(9.0%)、その他政体立憲君主制(議会制民主主義)イギリス連邦の一員元首アブドゥル・ハリム・ムアザム・シャー第14代国王(2011年12月就任、任期5年、統治者会議で互選。 ケダ州スルタン)議会二院制、上院:70議席、任期3年。44名は国王任命、26名は州議会指名。下院:222議席、任期5年。直接選挙(小選挙区制)2008年3月総選挙実施。与党勢力:国民戦線Barisan Nasional=UMNO(マレー系)、MIC(インド系)、MCA(華人系)、Gerakan(華人系など)野党勢力:人民連盟Pakatan Rakyat=PAS(マレー系)、Keadilan(マレー系)、DAP(華人系など)政権首相:ナジブ・ラザク(2009年4月就任)外相:アニファ・アマン(2009年4月就任)内政2008年3月総選挙で、独立以来政権を担ってきた与党連合(「UMNO(統一マレー国民組織)」が中心)の議席大幅減(90%→63%)、同日実施の州議会選挙(12州)のうち5州で野党が政権を奪取、アブドゥラ首相(当時)は2009年4月にナジブ副首相に政権を移譲してナジブ政権が成立。ナジブ首相は、「1(one) Malaysia」で民族融和、行政改革、市場志向的な「新経済モデル」、「政府変革プログラム」、「経済変革プログラム」等を発表。その一方で、アンワル元副首相が 2008年8月に下院補欠選挙で当選して以降、野党連合首班として名実ともに野党を牽引するほか、野党連合は次期総選挙を控えて連携を強化。2008年3月総選挙以降の16回の補欠選挙では、与党連合と野党連合は8勝8敗と拮抗しているが、2010年以降は与党連合の勝利が続いている。外交基本方針ASEAN協力の強化、イスラム諸国との協力、大国との等距離外交、南々協力、対外経済関係の強化が対外政策 の基本。ナジブ政権は、中国、米国、インド等との実務的な関係を強化。PKOには1960年から積極的に参加。軍事(2011年予算)予算:4,540百万ドル、兵役:志願制、兵力:正規軍10.9万人(陸軍 8万人、海軍 1.4万人、空軍 1.5万人)(マレーシア その3 に続く)
Feb 12, 2013
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王様が世襲制ではない任期付き輪番制(13州のうちスルターンのいる9州の「スルターン」により選出)という特色のある国柄。単独政権ではなく、国民戦線という、数党を統一させた組織で長期安定政権を何とか保つ智慧を発揮しているので首相交代は少ない。多民族国家を旨く機能させるための民族融和策から、「ブミプトラ」で主柱となるマレー人にやる気を起こさせる政策への転換。もともと、経済を支える華人の影響が強いが、「ルックイースト政策」で日本の先端技術・経済発展を「お手本」として工業国に成長。天然ゴム、パーム油、錫などの産業から、さらに、ボルネオ島の浅海で産出する石炭、石油、天然ガスに恵まれる。 ・・・・・・・・・・・マレーシア略史<外務省、WIKIPEDIAなど>年月略史13世紀商人やインド商人と共にイスラム教が伝来し、仏教とヒンドゥー教の時代が終わる。15世紀初め1400年マラッカ王国成立、1408年その成立を明国が承認。16世紀~17世紀1511年ポルトガル、マラッカ支配。1542年マラッカからポルトガルの鉄砲が日本に伝来。1549年イエズス会のフランシスコ・ザビエルがマラッカを出発、日本に到着。1641年オランダ、マッラッカを占領。18世紀1777年隣国シャム(後のタイ)のソンクラー国主・呉譲(華僑)がパタニ王国(タイ南端)、クダ・スルタン国への侵略の動きを見せるや、クダ・スルタン国は英国の支援を約束に、英東インド会社にペナン島を賃貸。1791年シャムがパタニ王国まで攻め込んだ時、英国に派兵を要請したが断られ、約束違反として、ペナン島奪回を企図したものの逆に対岸拠点セベラン・ペライを奪われペナン島を明け渡した。英国は1795年マラッカを獲得。19世紀1819年英国がジョホール王国の内紛に乗じてシンガポールを獲得。1821年クダ・スルタン国はシャムに征服され統治された。1824年英蘭協約によりマレー半島及びボルネオ島西北部が英国による植民地支配。(オランダはスマトラ島西海岸など獲得。)1826年英国・シャムがバーニー条約で英領マラッカ海峡植民地が成立。1840年英国極東艦隊がシンガポールから阿片戦争に出撃。サラワクの反乱の鎮圧に英国人ジェームズ・ブルックが協力し、1841年サラワク王国がブルネイ・スルタン国から独立し、翌年同人が国主になる。1855年英・シャムが不平等な通商貿易ボーリング条約を締結。1874年英領マラヤ成立。1888年スールー王国、ブルネイ王国の領土で、英保護国北ボルネオ成立。1909年英・シャム条約でクダ・スルタン国は英に移譲、英領マラヤになる。1942年~1945年<日本統治時代>1941年日本軍がマレー作戦でコタバル近郊に上陸し、太平洋戦争開戦。1942年マラヤ全域を占領、1946年マラヤ連合と改称。サラワク王国が英領サラワクになる。1947年英領マラヤ連邦が英領植民地の集合体として結成、1948年大戦後英に返還されていたクダ州が英領マラヤ連邦に加入。1948年6月~1960年7月にかけて共産主義勢力(MCP,MNLA)VS英国コモンウエルス側(英国、マラヤ連邦、ローデシア、フィジー、豪州、NZ)が戦った内戦勃発 Malayan Emergencyでは共産勢力は駆逐された。1957年<マラヤ連邦として独立>初代国王トゥアンク・アブドゥル・ラーマン、初代首相トゥンク・アブドゥル・ラーマン(「マレーシア独立の父」、UMNO党首)1963年1962年~1966年インドネシアVSマレーシア(+英国、豪州、ニュージーランド)対立の中で、1963年マレーシア成立(シンガポール、英保護国北ボルネオ=サバ、英領サラワクがマラヤ連邦と統合)1965年シンガポールが分離、独立。1968年~ 1968年共産主義者の反乱がマレー半島、サラワクでSecond Malyasian Emergency 勃発。「マレーシア、タイ、インドネシア(1965年以降)」VS「マレー共産党勢力」1989年の最終結果:共産党停戦、MCP、SCO解散・ 1969年5月総選挙実施直後、史上最悪の民族衝突発生5.13事件(マレー人VS中国人)、1970年7月緊急条令発布。9月ラーマン首相辞任。・ 第2代首相にアブドゥル・ラザクが就任した。同人はUMNO青年部チーフであったこともあり、不安定な政治状況打開のために1973年に国民戦線BNを組織して、PAS=イスラム系、グラカン=リベラル系、PPP人民進歩党にも参加するよう呼びかけた。・ 1974年クアラランプールを連邦の首都に決める・ 1975年ラザク首相急死により、フセイン・オン首相に昇格(第3代首相、統一マレー国民組織 (UMNO))・ 1981年、第4代にマハティール・ビン・モハマド首相就任(統一マレー国民組織 (UMNO)、~2003年) 1999年首相官邸が首都郊外の新行政都市プトラジャヤに移転、首都機能が2010年までに移転される。2003年第5代にアブドゥラ・ビン・アフマッド・バダウィ首相就任2008年の総選挙で与党連合・国民戦線(BN)が2/3の議席が確保できず、2期目の任期中に首相を辞任。2009年4月マレーシア与党連合・国民戦線の中核政党・統一マレー国民組織(UMNO)のナジブ・ラザクが第6代首相に就任した。第2代首相の長男。第3代首相は叔父に当たる。弟はこの国2番目の金融機関を経営。政治家の名家血筋とみなされている。(マレーシア その2 に続く)
Feb 12, 2013
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(タイ その2 から続く) 主要産業・GDP構成 農業13%、工業43%、サービス44%(2012年)CIA主要産業・労働力構成農業40.7%、工業13.2%、サービス46.1%(2011年)CIA経済概況日本、中国他の海外直接投資による工業化で輸出促進政策を推進、1980年代後半から急速な経済発展。他方で,資本財,中間財等の輸入増大で,経常収支は恒常的な赤字。バーツ切り下げの圧力で,1997年7月,変動相場制導入,バーツは大きく売り込まれ、アジア経済危機が発生。IMF・日本などの国際社会の支援を受け,不良債権処理など構造改革を含む経済再建に努力し,財政政策を含む景気対策,好調な輸出などにより、低迷を続けていた経済は,その後回復に転じた。2001年2月発足のタクシン政権は,従来の輸出主導に加えて国内需要も経済の牽引力とすることを訴え,農村、中小企業振興策(「ドュアル・トラック・ポリシー」)で、個人消費の活性化等もあり,経済は2007年頃まで比較的高い成長を続けた。2008年,内政混乱,リーマン・ショック後の外需減退で,輸出が減速を始め,景気は低迷。2008年,2009年の成長率は,それぞれ2.5%,-2.3%と近年にない低いものとなった。大規模な財政支出による景気刺激策をとりつつ,経済の下支えを図り、海外輸出市場の景気回復で経済も回復。2010年は7.8%の成長率を記録した。2011年は当初3.5~4.5%の成長率を見込んだが,大規模洪水被害の発生により,これを0.1%に下方修正している。2012年は5.6%に回復。GDP:億ドル名目3,457億ドル(2011年)3,770億ドル(2012年)CIA一人当たりGDP:5,394ドル(2011年)実質GDP成長率7.8%(2010年) CIA0.1%(2011年) CIA5.6%(2012年) CIA物価上昇率3.8%(2011年)CIA3.1%(2012年)CIA失業率0.7%(2011年)CIA予算収入683億ドルCIA支出771億ドルCIA収支▲88億ドル CIA(税+他の収入)/GDP比18.1%(2012年)CIA財政収支/GDP比▲1.6% CIA政府総債務債務残高/GDP比41.7% CIA商業銀行優遇貸出利率7.1%(2012年末) CIA外貨準備高1,728億ドル(2012年末)CIA対外負債1,156億ドル(2011年9月末)CIA経常収支(国際収支)53億ドル(2011年)CIA▲24億ドル(2012年)CIA貿易収支A-B170億ドル(2011年) 44億ドル(2012年)貿易額:輸出A2,191億ドル(2011年)CIA2,181億ドル(2012年)CIA同 :輸入B 2,021億ドル(2011年)CIA 2,137億ドル(2012年)CIA貿易品目:輸出コンピュター・同部品7.5%,自動車・同部品7.4%,天然ゴム5.8%,宝石・宝飾品5.4%,精製燃料4.4%,ポリエチレンなど3.8%, ゴム製品3.7%,化学製品3.6%,LSI3.5%,米2.8%(2011年)同 :輸入原油14.4%,産業機械・同部品8.7%,宝石・金銀8.7%,化学品6.5%,鉄・鉄鋼6.1%,電気機械・同部品5.8%,LSI基盤4.4%,金属くず・スクラップ3.9%,コンピュター・同部品3.8%,自動車部品2.8%(2011年)原油輸入額430億ドル(2011年)貿易相手国:輸出中国12.0%,日本10.5%,米国9.6%,香港7.2%,マレーシア5.4%,シンガポール5.0%,インドネシア4.4%(2011年)同 :輸入日本18.5%,中国13.4%,UAE6.3%,米国5.9%,マレーシア5.4%,韓国4.0%,豪州3.5%,シンガポール3.4%(2011年)対日貿易収支▲181億ドル(2011年)対日輸出241億ドル(2011年)対日輸入422億ドル(2011年)対日輸出品目天然ゴム7.1%,自動車・同部品5.2%,コンピューター・同部品4.0%,加工鶏肉3.8%,ポリエチレンなど3.4%,LSI3.3%,水産物缶詰3.2%,産業機械・同部品3.1%,プラスチック製品2.9%,その他電気機械・同部品2.4%(2011年)対日輸入品目産業機械・同部品19.6%、鉄・鉄鋼13.5%、自動車部品9.5%、電気機械・同部品8.9%、化学品7.2%、LSI5.9%、宝石・金銀4.4%、金属くず・スクラップ3.8%、医療機器3.7%、金属製品3.0%(2011年)日本の援助実績2010年度有償:239億円無償: 12億円技術: 28億円直接投資受入額78億ドル(2011年)対内直接投資<国別、2011年認可ベース> 日本 57.1%シンガポール9.0%中国 6.1%米国 3.3%韓国 2.5%台湾 2.2%マレーシア 2.2%香港 1.6%対内直接投資<業種別、2011年認可ベース> 機械・金属加工 30.9%電気・電子機器 22.0%サービス・インフラ 13.8%化学・紙 13.6%鉱業・セラミック 9.0%農水産業・農水産加工6.6%繊維・軽工業 4.1%世界遺産(文化遺産)スコータイの歴史上の町と関連の歴史上の町 古都アユタヤ バーンチエン遺跡(北東部、紀元前数千年遺跡) 世界遺産(自然遺産)トゥンヤイ-フワイ・カーケン野生生物保護区(バンコクの西北、ミャンマー国境近く)ドンパヤーイェン-カオヤイ森林地帯(バンコクの東北)
Feb 11, 2013
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(タイ その1から続く) <資料出所:外務省、JETRO,CIA、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳>国名タイ王国タイ語で「自由」の意、「泰」と略称。幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)76位通貨バーツ1ドル=約30.49バーツ(2011年平均)国旗赤、白、紺、白、赤の5本の横帯で示される。Thong Trairong、トン・トライロング ともいい、「三色旗」を意味する。中央の紺の帯は他の4本の2倍幅である。赤、白、紺の3つの色はそれぞれ国家、仏教、王室を示しており、これらは非公式ではあるがタイのスローガンである。国花ナンバンサイカチ、スイレン面積:平方キロ513,115平方km日本の約1.4倍国の位置東にカンボジア、北にラオス、西にミャンマーとアンダマン海があり、南はタイランド湾とマレーシアである。国土はインドシナ半島の中央部とマレー半島の北部に位置する。人口6,408万人(2011年)在留邦人:49,983人人口密度:/平方キロ125人首都バンコク 人口約578万人(流動人口8百万人) 邦人数 2.2万人(日本人会9千余人) 大圏距離・チェンマイから 595km・中国華南から 1,739km・東京から 4,613km・クアラルンプールから 1,189km時差:JST-2時間サマータイムなし民族大多数がタイ族。その他,華僑,マレー族,山岳少数民族等。言語タイ語宗教仏教(上座部仏教)95%,イスラム教 4%政体立憲君主制元首プミポン・アドゥンヤデート国王(ラーマ9世王)(1946年6月即位→2016.10.13逝去)長男であるワチラロンコン新国王が即位予定議会下院 500名(小選挙区 375名,比例区 125名)上院 150名(公選 77名,任命 73名)政権首相名 インラック・シナワット外相名 スラポン・トーウィチャックチャイグン外交基本方針タイは伝統的に柔軟な全方位外交を維持しつつ,ASEAN諸国との連携と日本,米国,中国といった主要国との協調を外交の基本方針としている。軍事(2011年度)予算 1685億バーツ、兵役 徴兵2年,予備役20万人、兵力 正規30万5860人(陸軍190,000人,海軍69,860人,空軍46,000人)(タイ その3 に続く)
Feb 11, 2013
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歴史などの資料を「写経する小生」にとっては、この国は難解すぎる。古い歴史ではタイ近辺の国名、地方政権が錯綜するので纏めきれない。内政では、クーデターが頻繁に起こり、頻繁に首相が代わる。日本も良く代わるが負けていない。いろいろな基本データを見ると、誰かが改竄?しているのか、当事者が誤植したのか、かなりの相違があるので、正確と思われるCIAのデータで補うこととした。2011年は大洪水で日本の進出企業も打撃を受けている。立派な王様の元で、政治さえ良くなれば良い仏教国である。呆けの自主トレをご勘弁願いたい。 :::::::::タイ王国略史<外務省、WIKIPEDIAなど>年月略史先史時代BC3世紀~モン族、マレー人、クメール人などの国が存在した。モン族はチャオプラヤー川下流域で、塀で囲んだ都市に仏教の高度文化圏を形成。マレー人はスマトラ島・マレー半島地域で海上交易を行う大乗仏教国を形成。クメール人はカンボジア・アンコールを首都としてアンコール王朝がタイ全土を支配し言語、美術、宗教などに影響が今なお残る。13世紀前半~スコータイ王朝(1238年~1448年)<タイの民族国家成立以前、中国華南に住んでいたタイ民族は、インドシナ半島を南下して現在のタイの位置に定住するようになった。当時、タイには、モン族、クメール人が先住していた。・・・WIKIPEDIA>メコン川の小国家を統一した小タイ族の王朝・スコータイ王国を形成し、クメールの衰退に乗じて、ラオスやシンガポールにまで領土を拡大、3代目王はタイ文字考案、上座部仏教(スリランカより伝道)国教制定、交易自由化など国家の基盤を形成。その後は、各地で離反が起こり小国化。アユタヤ王朝に吸収され消滅。13世紀末~ラーンナー王国(1296年~1558年)同じ頃、タイ北部・チェンマイを首都に建国された王朝で、メコン川のヴィエンチャン小国家まで支配を広めたが、1558年にビルマに敗退し、属国となる。14世紀半~18世紀後半アユタヤ王朝(1351年~1767年)アユタヤを首都とする王朝は、34人の王が400年間に亘り続いたが、当初はクメール(1431年に同国首都を陥落させた)、チェンマイの勢力の侵攻、16世紀半、一時はビルマの属領となり17世紀初め回復する苦難を経ている。国際商業都市として栄えたものの1765年から2年間に及ぶビルマの再侵攻を防ぎきれず陥落、破壊された。1767年~1782年トンブリー王朝(1768年~1782年)アユタヤの将軍プラヤー・タクシンがバンコク対岸のトンブリーに新都を置き王となり、タイ人の国として北部も統合。タクシン王が自ら仏陀と宣言するなどの行動に、クーデターが起こり倒れる。1782年~1932年ラッタナコーシン王朝(チャクリー王朝)タクシン王を処刑したチャオ・プラヤー・チャクリーが権力掌握し、首都をバンコクに遷都、ラーマ1世としてビルマ侵攻で衰退したタイ文化復興、国内整備を行い、4世は外交関係を築いた。まだ、王の威厳は首都バンコクとその周辺にとどまり、地方自治は豪族、中央からの派遣知事に委任。5世は奴隷制度廃止、近代国家としての基礎固めで絶対王制を確立。ラーマ5世まで絶対王制のなかで、華人優遇策を行った(王室は中国の姓「鄭」を自称した)が、6世の時に華人の同化、属地主義を導入。この頃までに王族のための国費が増大となり、財政再建のため官僚の給料据え置きを7世が画策。さらに、7世は民主憲法設置を企図したが、王族の反対にあい一旦諦めたことで、官僚・陸軍勢力の不満が拡大、7世がフアヒン離宮に滞在中に、人民党(プラヤー・ポパン、プリーディー達)によるクーデターが1932年6月に勃発(立憲革命)、国王が臨時憲法を承認し、チャックリー王朝の絶対王制は崩壊する。1932年~1973年<立憲革命(立憲政変)、シャムからタイ王国へ国名変更>人民代表委員会でプラヤー・「マノーパコーン」・ニティターダーがタイ初代の総理大臣として任命された。1933年4月に7世は総理大臣と共に新政権内の文民派プリーディーの「経済計画大綱」を批判して、国会は混乱し、総理大臣は国会閉鎖、共産主義思想を非合法化する。1933年6月、超法規的無能政権として、プラーヤー・パポン、ピブーンらが初の軍事クーデター(王政復古阻止)を起こす。同10月には親王による民主クーデターの画策が失敗する(首謀者国外逃亡)。7世は1934年、政治混乱のなか、白内障を理由に外遊に出て退位。(王位については後継の8世は事故で急逝、弟の9世による 60年余の立憲君主治世が続いている。)立憲革命で1938年第3代首相となったビブン・ソンクラーム元帥は国名を民族名タイに変更、華人の帰化、漢字の使用制限を行う。太平洋戦争では一時日本側に追随したが、「自由タイ」のブリーディ(第8代)に譲り辞任。1947年に再度、軍事クーデターで政権復帰、1957年9月のクーデターで失脚するまで組閣(「永年宰相」と呼ばれる)。その後も次々とクーデターが勃発。1973年~1973年10月14日学生革命が起こる。国王の学生への支持と、陸軍最高司令官の鎮圧不参加などから、タノーム政権(第15代)は崩壊、タンマサート大学・学長サンヤーによる内閣(第16代)が成立。1976年10月6日に右翼組織、国境警備隊がクーデターを起こす。経済問題から度々おこるクーデターで、タイ通貨暴落。1997年9月民主的憲法改正が行われて、新憲法下の全国選挙でタイ愛国党のタクシン・シナワット(警察中佐)が31代総理大臣に選出(2001年2月~2006年9月)される。親・反タクシン派間で社会的対立が激化、選挙ボイコット、選挙違憲無効判断で混乱の中、軍部政変でタクシン政権は終焉。暫定首相ソンティ・ブンヤラットカリン(陸軍将軍、2006年9月~同10月)、32代首相スラユット・チュラーノン(陸軍大将、2006年10月~2008年1月)、33代首相サマック・スントラウェート(タイ愛国党の流れを汲む国民の力党、2008年1月~同11月)、では反政府運動(黄色シャツ=PAD民主市民連合)が拡大し、首相への憲法違反判決((TV料理番組出演報酬受領)で辞任。34代首相ソムチャーイ・ウォンサワット(国民の力党、タクシン元首相の義弟、2008年11月~2008年12月)では、空港占拠、ASEAN首脳会議延期事件、選挙違反などで党は解党され失職。(タイには、二大政党があり、民主党と、タイ愛国党→国民の力党→タイ貢献党の主流がある。)35代首相アピシット・ウェーチャチーワ(民主党、2008年12月~2011年8月)では、タクシン支持派(赤シャツ=UDD反独裁民主戦線)のデモ集会が頻発、治安部隊の出動で約90名の死者を出し、終結した。36代首相インラック・シナワトラ女史(初の女性首相、タクシン元首相の末妹、同氏支持派のタイ貢献党、新党プアタイともいう、2011年月8月~)では、前政権の任期前の解散総選挙でタイ貢献党が53%を占め、首班指名された。就任前月からの降雨で大規模洪水被害に遭遇し、非常事態に直面したが、その後は、比較的安定して運営されている。(タイ その2 に続く)
Feb 11, 2013
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